1 :
没個性化されたレス↓ :
03/03/03 21:35 非合理的欲望 ex. 喫煙者が 煙草に火をつけて(この時点では煙草を吸いたい) 途中まで吸って気持ち悪くなりもう吸いたくないのに、 とりあえず最後まで吸ってしまう。 コレクターが 一番最初に手に入れたものは当然欲しかったものだが 途中からは飽きるなど魅力を感じなくなったにもかかわらず蒐集し続ける。 非理性的な欲望 ex. 社会的な理性で欲望を抑制するのでなく、 単に禁欲やたとえば清貧などが目的になっている状態。 うまく説明できませんが、 とりあえず素直に欲求に従えないような状況のいろんなケースや その理由などを知りたいです。(たぶん心理的合理性のようなものがあるはず)
そもそも人間は非合理的なことの方が多いが、それが何か?
3 :
没個性化されたレス↓ :03/03/03 21:43
なるほど 野生の動物は自殺しないともいえますね。
<血液型A型の一般的な特徴>(見せかけの優しさ・もっともらしさ(偽善)に騙され るな!!) ●とにかく気が小さい(神経質、臆病、二言目には「世間」、了見が狭い) ●他人に異常に干渉し、しかも好戦的でファイト満々(キモイ、自己中心、硬直的でデリカシーがない) ●妙に気位が高く、自分が馬鹿にされると怒るくせに平気で他人を馬鹿にしようとする (ただし、相手を表面的・形式的にしか判断できず(早合点・誤解の名人)、実際にはた いてい、内面的・実質的に負けている) ●本音は、ものすごく幼稚で倫理意識が異常に低い(人にばれさえしなければOK!) ●「常識、常識」と口うるさいが、実はA型の常識はピントがズレまくっている(日本 の常識は世界の非常識) ●権力、強者(警察、暴走族…etc)に弱く、弱者には威張り散らす(強い者にはへつらい、弱い者に対してはいじめる) ●あら探しだけは名人級でウザイ(例え10の長所があってもほめることをせず、たった1つの短所を見つけてはけなす) ●基本的に悲観主義でマイナス思考に支配されているため性格がうっとうしい(根暗) ●単独では何もできない(群れでしか行動できないヘタレ) ●少数派の異質、異文化を排斥する(差別主義者、狭量) ●集団によるいじめのパイオニア&天才(陰湿&陰険) ●悪口、陰口が大好き(A型が3人寄れば他人の悪口、裏表が激しい) ●他人からどう見られているか、人の目を異常に気にする(「〜みたい」とよく言う、 世間体命) ●自分の感情をうまく表現できず、コミュニケーション能力に乏しい(同じことを何度 も言ってキモイ) ●表面上協調・意気投合しているようでも、腹は各自バラバラで融通が利かず、頑固(本当は個性・アク強い) ●人を信じられず、疑い深い(自分自身裏表が激しいため、他人に対してもそう思う) ●自ら好んでストイックな生活をしストレスを溜めておきながら、他人に猛烈に嫉妬 する(不合理な馬鹿) ●執念深く、粘着でしつこい(「一生恨みます」タイプ) ●自分に甘く他人に厳しい(自分のことは棚に上げてまず他人を責める。包容力がなく冷酷) ●男は、女々しいあるいは女の腐ったみたいな考えのやつが多い(例:「俺のほうが男 前やのに、なんでや!(あの野郎の足を引っ張ってやる!!)」)
>>5 ん?
自殺する動物も少しはいるってことか?
どういう動物なん?
たとえば極論ですが 犯罪者というのはある意味で欲望に忠実でありすぎたわけです。 (最近の若年層の犯罪は金銭目的のような単純な欲望以外のものも多いですが、あくまでも原初的な犯罪に関してです。) そういう犯罪者が指名手配されて長い逃走生活に「疲れた」としても 絶対に自殺しないような気がするんです。 そういう欲望まんまの人と、 線路に落ちてしまう「疲れた」中高年のサラリーマンの心理的な差とか
まずは合理性ってぇーのを
>>1 がどんなもんだと思ってるのかを書いてみな。
こうして素人らしき1が立てたスレでも、面白そうであればみんな寄ってくる。
>>9 その話
なんか昔、NHKかなんかでみたような気がする
でも、そのHPにも書いてあるが
やっぱそれって、事故なんでない?
アリとの共生で有名なアリマキ(アブラムシ)は、 生息密度がある閾値を越えると自らの天敵を呼び寄せる フェロモンを発し、個体数を調節する性質を持っている。 これも一見すると「レミングスの集団自殺」と同じ、 いわゆる古典的意味での「種の保存の本能」ともみえる。
>>8 ちょっと自殺というのがステレオタイプな例でした。
自分の言いたいこととずれてしまったかも。
死にたいという欲望に従うのも合理性ですし
要するに、強制されていなくて
自ら進んでやっているのに
あれ?こんなことやりたかったかな?というような事があると思うのです。
煙草の例だと、
体に悪いとわかっていて、でも吸いたい。
それで火をつける(ここまでは合理的な欲望(健康には非合理的でも欲望として))
で、
途中からもう吸いたくなくなったのにまだ吸ってしまう。
さらには二本目に火をつけてしまうということもあると思います。(もう欲望として完全に非合理的)
というのでニュアンスは伝わるでしょうか?
>>1 に書いたような日常的なみなさんの例とか
どんどんあげていって欲しかったりします
とりあえず
>>1 の脳みそが非合理的であることは明らかなわけだが。
昆虫も含めていいなら 蟷螂のオスも、メスに食われるよな 蜘蛛の母親も子、供に食われるし。 そういった、食われるケースなら 「種の保存の本能」とみなせるような気もするけどね。
メスがオスを喰らうのは本能といってよいかもしれないが、 食われるのが本能だというのは、どんなもんか。 アプロの種族じゃあるまいし
>>16 確実に自分だけが交尾相手であるならば
「食わせる」戦略が進化することはありえるかも。
交尾のときは,雌のカマキリの肉食性が強いあまり,相手の雄は かなり用心して雌に近づき交尾を達成する。交尾中に雄が頭部を 食われてしまうということもときに起こるが,それでも交尾は行われる。 雌は交尾後まもなく,腹端から泡を出して木の枝などにつけ, 卵を産みつけ,属や種に特有な多種多様な形の卵嚢をつくる。 出産が交尾直後である以上自分が父親であることは確実に保証されるが、 わざわざ「食われる」戦略をオスが身につけなくても事態は変わらない予感
理性の力で本能を育むというのは、 それほど現代では異常でないですよね。
>>18 ドーキンスによると
オスがメスに交尾の後食べられてしまうのは
メスが卵を産むときの栄養源になるため。
すなわち、食われてしまうのは
利己的な遺伝子による本能
ということらしいでつよ。
だからさ。 食べられてしまうことは死体でもできるから行動じゃないだろ。 行動でないものに対しては生得的解発機構も必要ない。 交尾が終わったあとはじっとして食われるのを待つ、 という本能があるなら別だが、そうでないならそれは 少なくともローレンツのいうような意味での本能ではない。 食われたら食われたで損にはならないが、 逃げ切れば次の繁殖の機会にありつけるかもしれん。 オスがメスに食われてしまっても彼にとって不利ではない、 ということと、オスはメスに食われる本能を持つ、というのは違う。
1はまず、 人間の行動は必ずしも合理的ではないし、理性的だとか どうかというのも勝手なカテゴライズにすぎないという 心理学的事実を知るべきだな。
何を目的におくかによって合理的な判断も変化しますね。 遺伝子の目的=個体の目的でないのは何故でしょ? いや、遺伝子が自己複製する為の戦略が二つ以上あり選択に迷う場合に、ジレンマが生じるという事なのでせうか・・ 喰われる戦略があったとして(個体の喰われる本能を設定しなくても体が雌より小さいとかで) これが自己保存の戦略とかち合えばジレンマに。 交尾した後、ぼーっとする等の機能がついていればジレンマが回避されて喰われる。 いつも喰われるなら、機能があると考える方が自然かもしれまへんが。。 ますます知恵熱が・・ だめぼ(涙
「合理的」という言葉は、もともと「ランダムで何の目的性もない行動/現象」と、 「何らかの方向性を持った行動/現象」を区別するために持ち出されたそうですよ。 だから、何であろうが「何かを最大化している=システムがある目的をもっていて それを目指して一貫した行動をとる」ならば、合理的と言える。本来は、「システムの 振る舞いを記述するのに便利だから、研究者が便宜的に用いる概念」なんですけどね。 だから「人間は自己利益を最大化するよう振る舞う=合理的」と定義したのは経済学者 だけれど、それは「そう定義しないと理論が作れないから」であり、(元々は)経済学者 自身も「現実の人間は非合理的に振る舞うこともある」ことは容認していた。 「一人一人は非合理的でも、全体で見たとき“合理的に振る舞っているように見える” ならば、それで良いじゃないか」、と。 と、また、話のネタだけ置いてみる。
短期的な合理性と長期的な合理性は必ずしも一致しないし、 むしろ互いに相反的な関係にある場合が多い。 物質的なものにしろ精神的なものにしろ、個体は少なくとも 短期的に何かを最大化するように行動している。 これを端的に表したのがスキナーの"Organism is never wrong."という言葉。 それが環境に適応的である場合もあればそうでない場合もある。 適応できなければ行動・個体・集団レベルのいずれかで淘汰が起きる。 そして人間は、長期的な合理性と短期的な合理性を橋渡しする 認知的・言語的な至近メカニズムを獲得し、実際それによって文明や科学を 発達させてきたが、様々な社会的習俗やこれまでの歴史を見てみても、 それが必ずしも長期的な合理性を達成できているとは限らない。
なにが長期的に合理的であるかを判断するには未来予測を含んだ分析が必要で、 しかし精度の高い未来予測の実現は現代の科学をもってしてもなお困難であるわけで
>>26 あくまで合理性の定義次第。少なくとも、人間がランダムよりも良く/他人と同等か
それよりもやや良い成績をおさめるならば、人間の予測・プランニング能力=長期的
利益を計算する能力は、自然淘汰によって「消え失せない/選択される」。たとえ人間の
能力が「統計モデル」より劣っているとしても。
人間が、「ランダムな予測をする個体」よりも、良い成績をおさめる存在で
あることは、しばしば忘れられがちだけれども。
#とはいえ、統計学的なモデルを「合理的」と呼ぶならば、定義により人間は
非合理的。どの定義をとるかは、研究者の目的次第。
>>25 1.良く分らないのだけれど、「最大化の基準」が2つ存在しているならば、
「合理性」はどうやって定義されるのだろう?たとえば、hyperbolic discounting
が存在することで、人間は「時点tではAよりもBを好む」のに「時点t+1ではBよりも
Aを好む」ことがある。けれど、これは「経済学における合理性」の定義から見れば、
「非合理的」。
なぜなら、経済学における「合理性」とは、「ある結果に対する選好(好み)は
一貫している」ことで定義されるから。少なくともこれは「何かの基準を最大化
している」という意味で合理的。
けれど、「長期的/短期的」の2つの合理性が、何か単一の「基準=物差しの最大化」に
還元できなかったら「合理的」とは、言えないのでは?
2.もし「合理性」を「自然淘汰における適応度」に還元するならば、「人間が
しばしば過ちを犯し、分っていながらも長期的にみて大失敗をしでかす」ことは
必ずしも「非合理的」とは言えない。
なぜなら、自然淘汰は「過去の環境においてうまくやった個体」を選択する。
そのような個体=意思決定ルールが、現在の環境において「うまくやれる」か
どうかは、保証の限りではない。
ということかな?
「合理性」(rationality)という言葉はもともと 「合・理性」という意味だったのではないでしょうか、 といってみるテスト。
して、その心は?
「理性」は西周だが 合理性は誰の言葉かな 国語大辞典かなんか引いてみるか
ちょっと思いついただけなので、深い心はないですが 「人間は理性的(rational)であるべきだ」とか「理性的であって欲しい」 という発想が「合理性」を尊ぶ発想の背後にあるのではないかと 思ったのです。
>>32 「そういうのが幻想であり、自分がサルだというのを知ることが心理学を学ぶ目的だ」
というのがPPPの見解なわけだが。
それを言うなら
>>22 にも全てが集約されている訳なり。
>>28 合理性っつーのは
まず目的ありき、で初めて存在する言葉なんじゃないの?
つまり、目的を実現するために
考えられる最適の手段が
合理的な行動ということであり。
それ故、現代のように、目的とするものがたくさんあるのなら
それに比例して、合理的な行動もたくさんできるようになる。
ってことなんじゃない。
>35 私もそう思ってますたが 目的達成の為の行動の合理性と 何を目的とするかの合理性と二つに分けて考えられるという事でしょうか? トマセロ?でしたっけ・・ 極めて合理的な人間は実社会では上手くいかないとして 感情について研究されていたのは・・? うろ覚えでつ。 190氏にさり気なく振ってみたりして・・
最後通牒ゲームはご存知?
>37 存知上げてます・・ゲーム終了にしすみません。 家畜作業が正念場を迎えており 書き散らしますた。 ちと旅に出ます・・
トマセロの話は簡単な本を読みかけていたのでつが・・ また来ます(涙
うーん。たぶんそれはダマジオによる前頭葉損傷患者の研究ではないかと。
>>35-36 ここで「研究者が定義する合理性」と、「普通の人間が(なんとなーく)定義する
合理性」を区別しないと。
前者は、「現象を予測する理論」を作るために「個体の行動原理」として
合理性が定義されrるため、「複数の目標がある」といった曖昧性があってはならない。
目標が複数あるなら「いつどの目標を最大化しようとするのか」が定義されないと
「理論が要請する行動原理」の基準を満たせなくなる。
結局、研究者(主に経済学者)の側に、「理論とは斯くあるべき」というモノが
あり、そのために「人間の行動原理は〜という基準を満たす」ように記述され
なければならない、というお話です。
普通の人間がすんなりと飛ばすところを、なぜ社会科学(経済学)者が引っかかるのか。
それを理解するためには「現実」と「理論」の区別が大切。あるいは「素人理論」と
「科学」の区別と言っても良いか、と。
>>40 ああ、スマン
経済学における個体の行動原理を
予測するための合理性について語ってるのね。
>40 >うーん。たぶんそれはダマジオによる前頭葉損傷患者の研究ではないかと。 その通りでした。すみません。 理論を構築するには、「現象を予測する理論」を作るために「個体の行動原理」として合理性が 必要であるのは了解ですが、現実に近いモデルを立てたく思いました。 それで、たった一つのモデルではなく複数のモデルを使い繋ぎ合わせて 現実に近いモデルが出来ないかと思いました。 その場合、ご指摘の通り >目標が複数あるなら「いつどの目標を最大化しようとするのか」が定義されないと >「理論が要請する行動原理」の基準を満たせなくなる。 というのが出来ればよいのでつが、確かにいきなり飛躍でしたので、 堅実に進めていく事にします……(ショボーン。。 とりあえず、色々疑念はあるけれどもモデルは現実と乖離してあたりまえとゆー事で、 諸個人の社会的行為から社会現象の一般的規則を求める社会学の方から 取り掛かることにしまつ。。 マックス・ウェーバーの言う理解社会学とは、190氏の仰るような手続きを踏み、 人間の行動原理を設定し現象の一般的規則を求め、科学になろうとしているので 話が早いかもしれまへん。
とりあえず、ちと纏めてみたりして。。 (誰も来ないしいいでつよね 汗) そのうち社会心理学との接点も出るかもしれないし(何の見通しも今のところないのですが…汗) いざとなったら、行動分析学を基にした社会学とゆーのがあるそうなので、 そっちの方に持って行けそうでつし…(他力本願でつw) とりあえずウェーバーさんのプロ倫でいう合理性は、 プロテスタンティズムの「合理性」から脱却していなかった訳なのでつが、 その後、普遍的な合理性(なんじゃそら…汗)を仮定するのが難しかったせいか、 多様な「合理性」類型論を展開してるようでつ。 この辺りが、経済学と比較して、経済学程、社会学が「科学」に近づけていない 歴史の背景があるのかもしれないのでつが。。 経済学は経済的行為を扱えばよいでつが、社会的行為は、第三者の行為を考慮している 場合の経済行為を含み、守備範囲が広すぎるから しょうがないといえばしょうがないのでつけど(汗。 なんか言い訳ばっかですね…(鬱。 とりあえず、ウェーバーさんの社会学の根本概念は、 社会的行為を、「他者の過去や現在の行動、あるいは未来に予想される神津尾へ向けられるもの」 であり、我慢や放置等の静的なものも含みます。 社会的行為を(1)目的合理的行為、(2)価値合理的行為、(3)感情的行為、 (4)伝統的行為、の4の種類に区別します。 (1)と(2)については、上で述べたように合理性について主に 「目的合理性」と「価値合理性」に分けてます。 (他にも、「整合合理性」「形式合理性」「実質合理性」とか分けているけど、 こー沢山になってくると、ここまで色々分ける必要があるのかは まだ分からないでつが…汗)
43訂正でつ(涙 ×社会的行為を、「他者の過去や現在の行動、あるいは未来に予想される神津尾へ向けられるもの」 ○社会的行為を、「他者の過去や現在の行動、あるいは未来に予想される行動へ向けられるもの」
要するに、人間の社会的行為(第三者に向けられた行動の原理)の合理性を 一つに絞れなかった。。 よく分からないですけど(汗 セントラル・ドグマを設定しなかったせいなのでしょうか。。
心理学とは人間および動物の心と行動を科学的に研究する学問である その定義って、社会学にも当てはまるんじゃない? 同じことです。ただし、社会学は一般的に、社会や サブカルチャーにおける人の大きな集団を研究するものなのです。 社会学に対して、心理学は、主に個人や、社会心理学が対象とする 小さな集団を扱う。 それぞれが用いる方法も違う。心理学では実験が重視される。 一方、社会学では、実験は現実的にも倫理的にもいつでもできる わけではないので、観察と調査のほうが一般的によく用いられる。 ナイジェル・C・ベンソン 『INTRODUDCING Psychology』――マンガ心理学入門
>46 どうもでつ。 社会学(社会科学に非ず)の定義は一応、2者間以上の間の関係性についての学問なので、 (うろ覚えですが。。 ひぃぃすいません。多分だいじょびだと思うでつが…汗)、 「人間同士の間の相互作用」という限定つきで、その定義はあてはまるかもしれまへん。
>46 >一方、社会学では、実験は現実的にも倫理的にもいつでもできる >わけではないので、観察と調査のほうが一般的によく用いられる。 その通りでつ。 なのに、マルクス主義という大きな歴史的実験がなされた事もあります(汗 結構生半可で実験しちゃって、後で失敗〜みたいな事があります。 理論は正しかったが、やり方が間違っていたのだ…と 仰っていたのがうちの教授ですた。 (個人的見解はノーコメントでつ…)
この人間の対立、この基本的な、最大の深遠を忘れて対立感情を論じ、 世界連邦論を唱え、人間の幸福を論じて、それが何のマジナイになるというのか。 家庭の対立、個人の対立、これを忘れて人間の幸福を論ずるなどは 馬鹿げきった話であり、しかして、政治というものは、元来こういうものなのである。 共産主義も世界連邦論の一つであるが、彼らも人間の対立について、 人間について、人性について、咢堂と大同小異の不用意を暴露している。 けだし、政治は、人間に、また、人性にふれることは不可能なのだ。 坂口安吾 『続堕落論』
今ゆっくり読み返していたのですが、スレの流れが読めてなくてごめんない。
(そんな気はしていたのですが、やっぱり…)
>>24 >「合理的」という言葉は、もともと「ランダムで何の目的性もない行動/現象」と、
>「何らかの方向性を持った行動/現象」を区別するために持ち出されたそうですよ。
という所から、始めないといけなかったのでつね。
何らかの方向性を規定する…という所がミソですね。
行動原理をまず設定しないと…。。
その上で、行動厨さんご指摘、社会学ではどうなるかも気になります。。
>49 政治には不可避的に巻き込まれてるので、 見張る必要があるっちゅー事らしいでつ。 政治家でなくとも。。 なーんて上は受け売りで、人間って何よ?って方にもキョーミあった訳でつが。。
マクロレベルでの政策がいくら輝かしかろうとも、それをミクロレベル、すなわち 集団を構成する個人の行動レベルまで落としこめなければ意味がありません。 政策を実現するには、組織がどのようなアウトプットをなすべきか、 そのアウトプットを得るには、下位組織からどのようなアウトプットが必要か、 そしてそれを得るためにはその構成員がどのようなパフォーマンスを見せるべきか。 この段階まで来ると、心理学がかかわってくる。社会政策や構造改革を実現するには、 構成員の行動随伴性の整備が究極的に必要ということ。実際に介入が必要なのだから、 環境変数を操作する実験法、ないし最低でも準実験法が必須となる。 質問紙調査や面接調査のように、現象を記述するだけの相関研究の手法は 現状を把握する限りにおいてしか意味が無い。 そういうわけで、大局的な視野に基づいた目的志向の行動分析学がいま社会に 求められているとはよく言われているのですが、まだまだ始まったばかり。 今はまだ、行動分析の実践の大半は閉ざされた環境での比較的小さな介入。 マクロ現象(政治学・社会学)とミクロ現象(心理学・行動分析学)の統合は それぞれの学問をマスターするよりも遥かに難しい・・・
最小系(量子)と最大系(宇宙)を統合しようとしたペンローズはトンデモ扱いされてるしな
まあ、社会政策のような実践的な問題であれば、その効果のほどを数字で評価できるけども、 科学における理論的な問題はそれを証明できる技術の発達を待つか、 下手すれば永遠に理論のままで終わることもしばしばありますからねえ。
一部のアホサヨは「共産主義が失敗したんじゃなくてソ連が失敗しただけ」とか抜かしてるけどな
共産主義もまた、政策のみで行動レベルへの落とし込みに失敗してましたな。 インセンティブの欠如。しかも政策のほうも甚だ怪しいものが。 それだけに行動分析学が含む、共産主義のいくつかの類似点は取り扱い注意。
>>52 >そういうわけで、大局的な視野に基づいた目的志向の行動分析学がいま社会に
求められているとはよく言われているのですが、まだまだ始まったばかり。
今はまだ、行動分析の実践の大半は閉ざされた環境での比較的小さな介入。
マクロ現象(政治学・社会学)とミクロ現象(心理学・行動分析学)の統合は
それぞれの学問をマスターするよりも遥かに難しい・・・
これ、経済学者の前で言うとタコ殴りにされますよ。そもそもミクロ経済学は、
まさにこの問題を扱っているのだし、さらにゲーム理論が80年代以降、異様な
注目を集め始めたのも、「個人の行動」が「社会レベルの現象」へ繋がる
プロセスを分析する上でのパワーが認められているからこそ。
残念ながら、心理学は「個人の行動原理」について経済学者にネタを提供する
ことはあっても、それよりもさらに重要な「個人の行動→社会現象」のプロセスに
ついては無知です。
対するに、経済学者は、前者の領域に対してモーレツな勢いで食い込んでいます。
「学習とゲーム理論」のスレで177さんや私から提供されたネタも、過去10年間に
経済学者が「やってしまったこと」でもあります。
たとえば、今年MIT Pressから「The science of neuroeconomics」なんていう
本が出版される予定ですが、これは「人間の行動原理に関心を持ち、10数年ほど
前から心理学の諸領域を嘗め尽くしてきた一部の実験経済学者達」が、意思決定の
神経科学的基盤に関心を持って、過去5年ほどに蓄積した話を集めたもの。
この本に出てくる新しい知見に親しんでいる心理学者は、かなり少ないと思います。
#下手すると、心理学なんてスルーされてしまいます。実際、心理学者が見落として
いるけれど、彼らにとって大切な部分は、彼らだけでで実験して先に進んでいる。
一言で言えば「勝負ところを見極めて、心して仕事せねば」。
>>58 最初の2つはoraganizational psych.のような視点からビジネスに切り込む
という話ですね。それは良いのですが、政策立案や地域経済まで視野に入れる
ならば、経済学者のいう「incentive compatibility」という問題をまじめに捉えないと。
これは、制度デザインに関わる用語で、「それぞれの個人がある行動原理に従って
行動した結果、社会的に望ましいと思われる状態が生じる」ように、制度・システムを
デザインする、という話です。
結局、「人間の行動を変えさせる」には「人間を取り巻く社会制度」が重要。
たとえば、日本でこれだけ専業主婦が多いのは、「日本人女性は家にいたがる
行動傾向を持つ」からではなく、「配偶者控除制度のせいで働く方が収入が
減る家庭が多い」から。この状況で、(仮に)専業主婦を労働市場へ投入したければ、
行動分析の手法を使って、主婦に働くことの価値を学習させるよりも、配偶者控除制度を
なくす方が早いでしょう。
「社会」の問題ってのは、そういうものです。別の例として、最近イギリスでは
実験経済学者がずいぶんと肩入れして、政府の入札制度に手を加えたところ、入札
価格が増加して政府がウハウハだそうです。これも「制度」を変えることで、業者
側に「入札額を高くするインセンティブ」が生じたから。
行動分析学の視点は「incentive compatibility」を受け入れやすいでしょうね。
けれど、行動分析学の「伝統的な手法」がどこまで役立つか分りません。この点に
ついては、経済学をはじめとする社会科学者に一日の長がありますし、なんと言っても、
彼らは「制度デザインの難しさ」を知っているから。
とりあえず、数理社会学や数理社会学っていうのがあるんですが、 これはどうなんでしょうか? 読み入ってしまいますたが、数学が〜数学が〜・・ 今日はやっと、指数関数を思い出しますた・・・。
↑数理社会学や軽量社会学の間違いですた・・。
↑計量社会学だってば………(自分ツッコミの無限ループ)
数理社会学は、「数学モデルを使って抽象的なレベルで社会を記述しよう」
とする人たちが集まっているけれど、関心対象は様々。計量社会学は
統計データや社会調査データに統計的分析を施して、社会の動きを
把握しようとする人たちが集まっているところ。ここも、研究者が
依っている理論や立場によって、内容・対象が異なる。
ttp://www.ir.rikkyo.ac.jp/~murase/socmet.htm >入札価格が増加して
低下して、の間違いですね。私も相当間違い多いです。はい。
>>64 社会現象の定義とそのレベルが違います。
>心理学が社会現象のプロセスに関して無知である、とは恐れ入りますが。
↓誰も無知とは言ってませんが何か?
>最初の2つはoraganizational psych.のような視点からビジネスに切り込む
という話ですね。それは良いのですが、政策立案や地域経済まで視野に入れる
ならば、
>それよりもさらに重要な「個人の行動→社会現象」のプロセスについては無知です。
「社会環境→個人の行動」について、心理学者が無知だとは誰も言ってないので
カンチガイなされぬよう。
ちなみに、90年代に入ってから、「What's social about social cognition?」 というタイトルの本が出たり、Dynamics approachを社会心理学に導入しようと する動きが出たり、「冷淡な傍観者」で著名なビブ・ラタネがエージェント・ ベースのシミュレーションを始めたり.... という動きがあるのは、これまでの社会心理学が「社会→個人」ばかりを研究して きたけれど、逆の方向性を研究してこなかったじゃないか、という問題意識に 裏打ちされているそうです。ある人に言わせれば「レヴィンの志を思い出せ」だそうです。
少ないレスでこれだけ話題が錯綜するスレも珍しいな.まあ,良スレなんだが.
>67 そうでつね。 定義を先にきちっとしてから話をしないと、色々混乱が起こるのでつね・・。 私も混乱してますが……(知恵熱出そうですぼ。 たぶん「社会心理学なんて糞くらえ!!!! 」スレの続きでこのような話に流れ込んだ という側面があったのせいかもしれませんが、 私の興味どころの政治学を含んだ社会現象を踏まえての話も錯綜していた為かと 思われます・・(涙。
社会学(人間の社会的行動を原理に据えたミクロからのアプローチ)と 政治学(マクロ)は、研究対象は重複しつつも、学科として分離しています。 そして主に政治学は、ざっくりと、国家−国家間、国家−個人間という風に 分かれてもいる訳ですて。。 この後者の「国家−個人間」の話は、社会学とも縁が深い話になると思いますが、 いつも私がもにょっていたのが 政治学では、国民(諸個人)の捉え方がちと杜撰だった為でつ(汗。 古典的政治学では、万人の万人による闘争とか、いやいや、 生まれた時は白紙だビョンとか、自由人と設定するとか・・。 国家(マクロレベルの主体)と人間(ミクロレベルの主体)間は、 契約によって結ばれている、要するに、個人対個人の信約により、 第三者に権力を委譲するという社会契約説から更に発展させ、 ルソーは「共同の自我」というのを持ち出しますた(人民主権)。 心理学徒さんに言わせれば、お前はユングか?位の激しい拒否感があるのではないかと 恐れておりますが、まー仮説というか、理想としての仮説設定なので。。 (これはマクロの視点からのアプローチをしているからって言い訳もあるんですけれども。。 なので、177氏が展開されている利他行動という社会的ジレンマ (社会規範の進化を標榜)からも繋がってきて非常にオモロイ訳ですた。 政治学は抜きにしても、面白いんですけどw
一個の精神的集合体である「共同の自我」なんて定義、つっこみ所満載過ぎですが…(汗
と教授に聞いた事がありますたが、ジェントルな雰囲気で柔和に諭されますた。。
元外交官恐るべし…って感じて、数人のゼミ生が4年間の間に反論を繰り返してますたが、
柔和な顔しながら、バリバリ倒してますた。。(恐。
私が覚えている限りにおいて、彼を一番困らせたゼミ生からの質問は(なにが目的のゼミだったんだらう…汗)
「先生はクリスチャンですが、マリアの処女懐妊を信じてますか?」というものですた。
って、政治学じゃないんでつがね(涙。
素人の私が、やろうとしている人はいるのかな〜と考えていた
社会現象のモデル化(←飛躍しすぎなやつでつ…汗)は、
確かに行動厨さんご指摘通り、
政治(マクロ)を個人の行動原理等(ミクロ)に落とし込むという作業は
>それぞれの学問をマスターするよりも遥かに難しい・・・
という事になりまつね……。
ということで、勝負どころを見極めてアプローチをかけるというのが、本当に必要ですね…(汗
177氏のよく言われる、有用かどうか?を見誤ると、無駄なことに
コストをつぎ込んでしまう事になるかもしれないので、要注意ですね(汗汗。
>63
有難うございます。
一般意志を政治に反映させる為に不可欠な選挙制度について等、
色々なお題を統計社会学で考察しているサイトを発見しますた↓
http://www.qmss.jp/qmss/text/supplements/ 前に教えて頂いた規範社会学のサイトに載っていた
「チャタレー婦人の恋人」の本を借りるか、借りないかという
リベラル・パラドックスの話はも載っておりますたが、
これって、パレート原理(人民主権の根幹概念)への批判だったのですね(汗。
大学時代の私は何をしていたのだろうと小一時(略。
すごい長文になっていますた。 すみません(鬱
>>マリアの処女懐胎 もう「無原罪の御宿り」の時代じゃないと思うみげー
>「共同の自我」 拒否感を感じているのはおまえら自身だろ。 古い概念ではあるが、たとえばデュルケムの「集合表象」、 ヴントの「民族心」、マクドゥーガルの「集団心」など、 類似のタームは別に珍しいものでもなんでもない。 これを実験的なパラダイムに組み込めるかというと、ムリだけど。
>>73 >拒否感を感じているのはおまえら自身だろ。
?
ステ助はステ助ですが、
民族心、集団心というのが形成されにくいような国家において
政体の「一般意志」と呼べるものは存在し得るのか?
そうした疑問を持っていたので書きますた。
社会心理学で定義されている「民族心」「集団心」と
国家の「一般意志」はちと別な気がします。
一般意志というタームはまだしも、これを
「共同の自我」と書いている本を見つけ
ユングを彷彿とさせるのでNGだろうと言うくらいの
軽い意味だったのですが……(汗。
むしろ、自然科学等他分野の諸学問の知見の概念を政治学にあてはめている事が
(しかも数十年遅れて)多いという印象を持ってまつ。
また、社会ダーウィニズムとか優生学思想とか、誤用する危険性が常にあるので、
その意味でもちゃんと知っておかなければなぁ…と思っています。
………「進化とゲーム理論」と「行動分析学入門」の2冊を読んでいる途中なのですが
「社会科学」とかいうお題が出てきていたので、ついこういう流れになりますた。
冗長なレスになり反省する次第。
集団心が形成されにくいような国家ってなによ。
>75 すいません。 ハーゲンダッツ食べに行ってますた(汗。 しかもサーバーの負荷が高くて書き込めないとかいわれますたが 今後は書きこめるかな(アセアセ 異なる文化・宗教を持った人間の集まった国家を想定してますた。 国家の一員だという意識より、民族・宗教・文化圏の一員としての 意識が強い場合は、国家としての集団心は形成されにくいという事ですた。 この場合、国家の秩序は外や上からの押し付けられたものとして 違和感をもって受け取られる事があるという事でつ。 なのに、国家の一般意志とはなんなのだろうかと。。 もともと、国家の枠組みが人工的な線引きによる事も多いので、 当然といえば当然なの結果なのではありますが。。
と書きながら、自分ツッコミ。。 例えばEUなんかだと、EU発足後に生まれた子供達は、 EU発足時の大人達よりも EUの一員としての意識を持ちやすいだろうと思うので、 この場合、集団心と、国民としての集団心と二つのアイデンティティーを持つ という事も当然ありそうでつよね。。 素人的考えですが(汗汗。 こういうのは集団の帰属意識?というものは、 社会心理学での研究も沢山なされているのでしょうね、きっと。 (私知らない事多すぎて。。汗)
「人民(プープル)が十分な情報を得て議論する場合、もし 彼らが徒党を組んだりすることがなければ、僅かな相違点が 多々集合して、つねに一般意志が機能する結果、 その決議はつねに善きものとなるだろう。しかし、徒党や 一部の団体が、他の多数を犠牲にして組織されるならば これらの団体の各々の意志は、その構成員という観点からは 一般的なものではあるが、国家という観点からは特殊なものと なる。その場合には、最早その構成員に相応した投票者が いるということではなく、その団体に相応した投票者がいる というにすぎない・・・・ついには、これらの団体のひとつが、 極めて大きくなって、他のすべての団体を圧倒するようになると その結果は、最早さまざまな僅少の相違の総和ではなく、 たったひとつの相違しかなくなってしまう。そうなれば、最早 そこには一般意志は存在せず、優勢を占める意見は特殊な 意見にすぎなくなる。 したがって、一般意志を十分に機能させるためには、国家の 内部において部分的な社会が存在せず、各々の人民が自分自身 の意見だけを述べることが重要である。」 ルソー 『社会契約論』
社会契約論、2部3章まで読んでみたけど 全体の意志と全員の意志の間にかなりの隔たりがあるのは よくあることです。前者がつねに全体の利益を考えるのに対して、 後者はつねに自分だけの利益を考える個別の意志の寄せ集め でしかないからです。しかし、これらの個別の意志の中から、 互いに打ち消し合うような両極端な意志を取り除いたときに、 様々な異なる意志の集大成としての全体の意志が生まれるのです。 (同掲書) 「成員個々の心理には還元できない集団全体としてもつ特有の心性」(心理学辞典) という集団心(group mind)の定義と、そうかけ離れてるとはやはり思えんな。 各個人が「一般意志」と反する心性を持ったり、そのように振舞ったり、 あるいは国家よりも党派を優先して振舞うという事実をもってして、 ルソーの国家論に反論を加えることはできないだろう。 そういうことをはじめから念頭において組まれたモデルなんだから。
ルソーは一般意志の実現の程度がその国家の「民主度」が評価されるとしたが、 これは社会心理学でいえばまさしく「集団凝集性」になぞらえることができよう。 要するに、「共同の自我」には濃淡があるし、自他境界線も曖昧なんだよ。 だからといって、「そんなものは存在しない」のかというとそうともいえない。
かつて複合国家のモデルケースと呼ばれた 旧ユーゴスラビアにこんな言葉があった。 七つの国境、六つの共和国、五つの民族、 四つの言語、三つの宗教、二つの文字、 そしてただ一つの国家 そのユーゴスラビアは崩壊し、ドイツは統一を回復した。 世界を二大陣営に分けた冷戦が終結するとともに、 民族紛争は各地で激化の度を強めている。 しかしこのような状況も、社会契約論の立場から理解不能とはいえまい。 ようするに、国家経営が理想的にまとまってない、ということであって。 国家が自我をもつというなら、精神分析用語でもいう、アレだ。 コンフリクト。
思えば、国家は一民族ひとつずつの国民国家ということにして、 それをさらに上位の組織で統合しよう、というのがウィルソンの 「民族自決」と「国際連盟」の構想であったわけだが、 なんで1918年にこれがうまくいかなかったかといえば、 個々の国家がどいつもこいつも利己的に振舞ったからだ。 全く社会的ジレンマというものはタチが悪い。
ううーん。さすがロボ氏……。 あっという間に肝心な点を(w 確かにルソーの国家論は理想モデルであるので、現実との乖離もしょうがないのですが(汗。 私も本棚の奥から「社会契約論」の文庫を持ち出してきますた。まだありますた(汗。 実際は国家内部の部分的社会の存在を否定するのは難しいし、 この辺りをどうするのかロジックを詰めていかないといけないのですた。。 教育で国民としてのアイデンティティーを強化していくのはいいとしても、 無理に各集団から、特殊な文化をひっぺがすのが、 良いことなのかどうかも分からないですし。。 宗教が絡むと、もっと大変。。
民族同化を「教育」という形でやろうとすると われらがご先祖様が半島でやらかした愚行のようになるわけだが
そう危なすぎでつよね。 私もそれを思い出しますた。。 民族・文化はやっぱり尊重されねばならない。 エスニシティーを否定する政治学者はあまりいない。 特に中東関係やってた先生はそうですた。 (つーか、ほとんど研究旅行やらなんやらで、 授業休講ばっかだったんでつけど、ゴルァ!w) その上で、国民の一員としての意識を…というのが理想なのでつが。 まーその前に不正選挙とかも多いわけだから、そっからの整備が必要でつが(汗。
ちなみに >無理に各集団から、特殊な文化をひっぺがす これをやろうとすればどんな強力な帝国でもほぼ確実に崩壊する ローマや中国では民族同化に成功したとおぼしき例もあるが、 その手段は単純な武力とも、はたまた単純な融和策とも異なると思われる
>政治学(マクロ)は、研究対象は重複しつつも、学科として分離しています。 そして主に政治学は、ざっくりと、国家−国家間、国家−個人間という風に 分かれてもいる訳ですて。。 ステ助さんのような人が、進化ゲーム理論に惹かれるのは至極当然だと思います。 ステ助さんが政治学を学んだ環境は良く分りませんが、Political Scienceって、 80年代以降、ゲーム理論が相当浸透しているんですよ。ルソー以降の社会契約論も いち早くゲーム理論の俎上にのって「いかなる条件下で利己的な人々が社会契約に 合意しうるのか?」が問われたり、政府内、議会内、国家間の意思決定過程が ゲーム理論でモデル化されたり。 ただ、ゲーム理論の致命的な欠点は「人間はラプラスの悪魔のように完全合理的である」 と考えるところ。この制約をゆるめる一手段として進化ゲーム理論が注目されたんです。 「うまくいく戦略が広まっていくだけ。特に深い先読みなんかしていない」、と。 けれど、この仮定にもクエスチョンマークが付くわけですよ。単純すぎるから。 だから「学習する個体によるゲーム」という話が出ている。 けれど、心理学から見たら、これでもまだ問題が残るでしょうね。
>例えばEUなんかだと、EU発足後に生まれた子供達は、EU発足時の大人達よりも EUの一員としての意識を持ちやすいだろうと思うので、 というように、文化的な価値観や「子供の頃に作られたモノの見方(素朴社会学・素朴心理学)」 って、人間の行動に大きな影響を与える。こうした問題までくみ上げて、なおかつ、 ゲーム理論のフレームワークも残して行こう、というアプローチの1つが、比較制度分析。 ついでに、ゲーム理論を社会学に適用した研究者の中には、「子供は大人の 行動を観察して、“ある行動/職業選択などがどんな結果をもたらすか”を ベイズモデルで学習する。成長すると、子供時代に獲得した信念(事前確率) に基づいて人々が相互作用し、それがさらに次世代の子供達に影響する」 というモデルを作ってる人もいる。 予測ですが、ここまで来れば「なぜある状況下で人々は国家という枠組みの堅固さを 信じ、ある状況下では、国家の枠組みの幻想に気づくのか?」という話も、できるように なるでしょう。東欧の崩壊プロセスを詳細にみても、いったん人々が「政府の強制力に 陰りが生じた」と信じたら、本当に国家の崩壊が始まる。そうした「信念」の重要性は、 歴史学者や政治哲学者が指摘し続けてきたところ。この部分にまで、比較制度分析は 「主観的ゲーム」という枠組みを通じて、切り込もうとしている。 20年前のゲーム理論ならいざ知らず、現代では、ゲーム理論/進化ゲーム理論は、 心理学的な要素を組み込んで、政治哲学から具体的な現象まで、多くのトピックに 絡まりつつある。ステ助さんのような人が、何かを嗅ぎ取るのにも十分な理由が あると思います。
でもねぇ、こういうこと言うとヤバいんだけどさ 俺は現中国政府の民族圧迫政策は評価するに足ると思う。 実に残酷で、実に過酷で、実に悪辣な手口だが、 伊達に四千年の帝国経営の蓄積を持ってないよ。 大国家がその紐帯を守るために何をしなければならないか。 もしもチベットが、ウィグルが独立と自治を認められたとして、 本当にそれで最大多数の最大幸福が実現されるのかといえば、 バルカン半島の現状を見るだけでもその危うさは分かるだろう。 アメリカの中東政策は別だがな。
民族ごとに、あるいは宗教ごとに国家を分立させていくとして、 それでた易く相互理解と協調が実現されるかといえば、 カシミールの平原には今もミサイルが飛び交い、 ベルファストはなおもくすぶり続けているといったわけで。 まあ、こういう議論に通じてくるから ルソーは全体主義者だった、なんて批判も出てくるわけだが。
>>88 学習とゲーム理論のレス読みますた。
単純なモデルから、より現実に近づくような複雑なモデルへ
どんどん改良が進められている訳ですね。
行動分析学の質的研究というのは、
今までは数値化が困難だった効用のような主観的な変数を
数値化して組み込もうとした取り組みに似ていますね。
>職業選択
ベイズ理論って最近知ったんですけど(爆、
これで、神の見えざる手というBerufは、
現代ではベイズモデルになる訳でつね(汗
やっぱり遅れてるぼ。 とゆーか、自分が遅れてる。
少なくとも私の周りのゼミ生も、教授達にもゲーム理論の話を
する人はいなかった。
ゲーム理論の話を大学で聞いたのは、一般教育のドイツ語の先生からで
その時、面白そうだなーと思った記憶がありますが、
ドイツ語と関係なかったでつよね(汗。
>>89 国際政治において、小国の資源は大国が自国の適応度を上げる為のV(資源)ですからね。
勿論、国際的にも「倫理規範」があるから、そう大っぴらにはやらないし言わないだろうけど、
腹ん中そんなもんでつ。
まずはこのゲームに参加するところから始まらないといけない。
なので、核をもてばゲームに加われるだろうと考える国も当然出てくる。
鬱ですな・・。
>小国の資源は大国が自国の適応度を上げる為のV(資源) そのモデルではふた昔前の、単なる陣取りゲームだった帝国主義しか捉えられんぞ。 インドもパキスタンも、別にそんなことを企んで核武装をはじめたわけじゃない。
とは書いたものの、ミクロ→マクロからの視点は必須だし、注目されて来た訳ですが。。 NGOや市民運動が国家や国際政治においても影響を与える変数になる訳で。。 ってなんかぐだぐだになって参りますた(汗
………1は?
ものすごい廃物利用ぶりですね。
>92 93でまたかぶってたんですね(汗汗 帝国主義時代のゲームから変わっているのは承知なのでつが、 資源の取り合い合戦という構図は、ある意味そう変わってない気がしまつ。 それが単なる陣取り合戦(植民地政策)から、何も征服しなくとも 資源を確保するパイプを特権的に得られれば良いという風に、 少しばかり洗練された形になっただけであって。 (核兵器が歴史に登場してから、戦争によるコストというか、、 リスクが高くなり過ぎてしまった為、自然な流れかもしれませんが。。) インド・パキスタンの核実験は抑止力とし 各国の核保有数の増減はNPT体制のバランスに影響を与えるので、 やっぱりゲームへの参戦という意味合いが出てくるように思うのでつが、 これは筆が走りすぎたのでしょうか・・(汗汗。 とゆーか。 サイト探しただけでも、沢山出てきますタ。 ゼミの教授。。 大学4年間で学問は無理だ…って仰ってたけど、 本当にあっしらを放置してたのでつかね〜〜(涙。 いや、お年だったので、ゲーム理論には馴染めなかったのかもしれませんが…(すいません……。 涙。
なんていうか・・。 社会心理学からもかけ離れていってしまいますた。 やはり、社会学の方が心理学と絡みやすそうでつね。 すんません(恥。
>>資源を確保するパイプを特権的に 外国の勢力が、他国の資源を確保する特権をもっていたら、 それはもはや植民地支配と同じだよ。租借やら保護国化やら、 それこそ19世紀的、帝国主義的なやり口に過ぎない。 たとえば清の植民地化などといったって、あれはなにも 戦争に負けて領土を征服されたから植民地になったのではない。 致命的だったのは、鉄道敷設や鉱山採掘の権利を奪われたことだ。 日本人は「石油が欲しいだけだ」とレッテルを貼るのが好きだが、 アメリカにとっていくらイラクの石油資源が重要だからといって、 イラクに傀儡政権を立てて資源を牛耳ろうとまでは思ってはいまい。 アメリカは、あれで、本気で世界の平和を自分たちが守ってるつもりでいる。 それほどまでに狂った連中なんだよ。インドも、パキスタンも、イスラエルも、 同じように狂っている。アメリカとは違うところがだが。 まさに、民族や宗教のグループダイナミクスは非合理的な欲望の集積なのさ。
んで別に「日本人だけがマトモだ」などと言う気はさらさらないので 「でも、あたし、頭の狂った人達と一緒にいたくないわ」 「そりゃ無理ってもんだ。ここではみんな狂ってるんだから。 おいらも狂ってるし、 あんたも狂ってる」 ルイス・キャロル 『不思議の国のアリス』
∧,,∧ ミ゚Д゚ 彡 フサギコは100だから (ミ ミ) ミ ミ〜 し`J
(^^)
啓蟄を過ぎて冬眠から目覚めてみれば, こんな素敵なスレが育っていたのね。 応援sage。
おやお久しぶり。
81 名前: 投稿日:03/03/13 15:28
共産主義ってニュートン力学のような古典科学的な考えかただからダメなんじゃ
ないの?
自然界だって量子力学とかカオス理論とかで、完全に統制、予測不可能なんだから
統制経済なんて不可能だろ。
さすが特殊相対性理論ができる前に死んだ前時代人の考えたクソ理論。
82 名前:世界@名無史さん 投稿日:03/03/13 21:43
>>81 おまえ、そんな後出しじゃんけんみたいなこといってて惨めにならないか?
83 名前:世界@名無史さん 投稿日:03/03/13 23:50
>>81 は書き方が煽りっぽいけど真実だと思う。
共産主義は別名「科学的社会主義」とも呼ばれるが
その「科学」が所詮19世紀の古典的科学だったということだ。
19世紀の古典的科学が基礎だから
何でも科学的に正確に予測、操作可能と見る。
なんで共産主義にしないの?
http://academy.2ch.net/test/read.cgi/whis/1047265234/
>まさに、民族や宗教のグループダイナミクスは非合理的な欲望の集積なのさ。 かっこよさげなキャッチフレーズを並べ立てるのは、何も得ていないのに等しい。 >帝国主義時代のゲームから変わっているのは承知なのでつが、 資源の取り合い合戦という構図は、ある意味そう変わってない気がしまつ。 些細な言葉の違いはともかく、ここは議論の出発点になりうるでしょう。 つまり、現代だって「全ての国が自らの権益を主張し続け、富の源泉を 国外へ求めていく」状態が、もっとあちこちで生じても良いはず。 「論理的可能性」としてはね。 ところが。 >それが単なる陣取り合戦(植民地政策)から、何も征服しなくとも 資源を確保するパイプを特権的に得られれば良いという風に、 少しばかり洗練された形になっただけであって。 ここでも些細な言葉の違いはどうでも良いでしょう。少なくとも 「もっと資源の取り合い合戦が進んでも良い」はずなのに、現代社会は そうなっていない。 「どうしてなのだろうか?」
>(核兵器が歴史に登場してから、戦争によるコストというか、、 リスクが高くなり過ぎてしまった為、自然な流れかもしれませんが。。) 一つの要因でしょう。他には? #ここで個別の現象や原因をチマチマ取り上げていくこともできますが、 それは止めましょう。もしステ助さんが「ゲーム理論」という言葉に関心が あるのならば、この問題に対して「各行為者から見たコスト・ベネフィット」 という視点をガンガン導入してみましょう。ちょうど良い練習問題じゃないですか? 答えが出るはずはないけれどね。 なお、国家という行為者が、実際に自己利益を最大化してるかどうかは、関係ありません。 これは物事を分析するために研究者が使う「原理」です。それなくして、相対的なことを 言ってては先へ進めません。 「自分の利益を最大化しようとする行為者が、なぜ、昔のような激しい陣取り 合戦をしていないのか?」−核抑止力というのは「ゲーム理論」の観点からみて イイ線行ってますが、全ての国際関係をカバーできない。
>なお、国家という行為者が、実際に自己利益を最大化してるかどうかは、関係ありません。 これは物事を分析するために研究者が使う「原理」です。それなくして、相対的なことを 言ってては先へ進めません。 もうちょい精度を上げたければ学習型非集団モデルを使うことになりますが あいにくまだ工事中です。とりあえず、最大化モデルで考えてみるのも意味が あることです。
領土欲というのは、きわめて自然な、あたりまえの欲望である。 したがって、能力のある者が領土を欲しがれば、 ほめられることはあっても、そしられはしない。 しかし、能力のない者が、どんな犠牲もいとわずに 手に入れようとあがくのは、間違いであり、批難に値する。 マキアヴェリ 『君主論』
1954年 独立闘争の続く仏領アルジェリアで現地駐留軍が反乱を起こす 1956年 スエズ出兵 英・仏・イスラエルは国際的批判を浴び撤退を余儀なくされる 1960年 “アフリカの年” 17の新興国がアフリカで独立する
ああっ 途中で送信してしまった 1945年 対蘭インドネシア独立戦争勃発(〜49年) ヴェトナム民主共和国が独立を宣言 1946年 フィリピン共和国独立 1947年 インドが英連邦から独立 1948年 ビルマが英連邦から独立 めぼしいものだけでもこんなもんで、 だいたい第二次大戦が終わった直後から、 帝国主義は糸が切れたように崩壊していく。 1980年のフォークランド紛争、 1990年のクウェート侵攻のように 懲りない奴もときには現れるが。
いわゆる帝国主義時代なんてものはせいぜい50,60年、 どう長く見積もっても100年とは続かなかった歴史の仇花だ。 大体、海外に植民地を経営するという、方法論自体がハナから破綻している。 領土拡張主義としての帝国主義国家はいろんな時代にあったし、 なかには稀有な成功を収めた例もあるが。
ここでもそうだ。歴史的事例を列挙して何が言いたい? その暇があったら、WW2以降、植民地政策が衰退していった 経済・政治的背景について解説すれ。 HOWはもう良い。ロボなりのWHYを聞かせろ。
114 :
没個性化されたレス↓ :03/03/18 15:52
age
【ポイント】 ・引用をさける→「私は〜だと考える(I think or I guess)」を用いる
孫子曰く、凡そ用兵の法は、国を全(まっとう)するを上(じょう)となし、国を破るはこれに次ぐ。 軍を全うするを上となし、軍を破るはこれに次ぐ。旅(りょ)を全うするを上となし、旅を破るはこれに次ぐ。 卒を全うするを上となし、卒を破るはこれに次ぐ。伍(ご)を全うするを上となし、伍を破るはこれに次ぐ。 この故に百戦百勝は善の善なるものにあらず。戦わずして人の兵を屈するは善の善なるものなり。 故に上兵は謀(ぼう)を伐(う)つ。その次は交(こう)を伐つ。その次は兵を伐つ。その下(げ)は城を攻む 『孫子』 謀攻篇
孫子>マキアヴェリ>>>>>>越えられない壁>>>>>>>クラウゼウィッツ
ロボ必死だな(ゲラゲラ
120げと
>>121 はげどうでつ・・(涙。
それと、心理学板なので社会心理学やなにかに絡む話にし持っていけたらよいですね。
タレーラン>>>>>ドビルパン>越えられない壁>>>>>>パウエル
利益を最大化するモデルでまずは考えてみます。 しかし、政策を決めるのも人間であり常にこの目的のために合理的な選択をするとも限らないんですよね。。 ちと考えてみます。 職場に戻りまつ・・
ステップ・バイ・ステップ
モデル屋への道は、AA職人への道に似ているかも。
国家≠オートポイエーティック・マシン
まぁまぁ,一杯飲んでマターリしませう \______ __________/ |/ ∧_∧ (∀・ ) _ 旦旦旦旦 (∩∩ )  ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄
たしかに平和は、人間の心のもっとも奥深い希望である。 ジョン・F・ケネディ
新しいヨーロッパは、廃虚の上にのみ建設が可能である。 私が言おうとしているのは、正気の沙汰とは思えない物質的破壊の結果である瓦礫の山の事ではなく、 私益という名の、偏狭という名の、過去の遺物となった自国本位の国家主権という名の、 そして愛国心至上主義の偏狭な政治という名の、精神的な廃虚の上にという事である。 ヨーロッパは、全ての人の利益の為に、そして全ての人の犠牲において建設されなければならない。 アドルフ・ヒトラー
「私は喧嘩などしない。お前を殺すだけだ。」 (”プロレスの神様”カール・ゴッチさん。73歳の冬、”ヤングボーイ”にからまれて。)
善い事柄にも悪い事柄にも報復しなければならない。 しかし、何故われわれに対して善いことや悪いことをしたまさに当の人物に対して報復するのか。 「私は気に入らない。」 ー 何故にか。 ー 「私は彼に匹敵できないからだ。」 ー かつてそう答えた人間があろうか。 ニーチェ
>157 それは承知でやってます。 ドナママ先生、二番煎じの毒人参酒、ロボ氏に。 私は毎日ロボ氏から頂いているので今日は遠慮しときます。 非合理的な欲望の集積したダイナミズムをモデル化してください。
しかし、近代的国家は国家の指導者や構成員が変わっても存続するように作られています。 なのでNation stateを主体としたゲーム理論は、限定的にであっても有効だと思います。 というか勢力均衡とかずっと昔から使われているのでつが。 これに対するアンチテーゼはグローバリズムです。 南方の粘菌のアナロジーもこちらに入れられると思います。
133訂正 × >157 ○ >127
>130 その引用のココロは? 国家について研究する人は皆国粋主義者ですか? 的外れな相対化はやめて下さい。 もしそのような意図がないならば関係ない内容のコピペは今後スルーします。
探せばあるもんだ。IMIDAS 2001年度より抜粋 コンストラクティビズム constructivism 国家間システムの中心構造は、物質的リアリズムではなく間主観性 (経験的なだけでない、より高次の共有される主観性)であるとし、 またアイデンティティーや選好は外生的な合理的選択によってではなく、 間主観的な要素によって構成されるとする立場から、国際社会における 国家など行為体の自己組織的な資質や自己認識、共有観念などを 重視して主体的な発展過程に注目する理論。起源は、主観から独立した 外的実在の世界を認める科学的立場に対して、現実は観念や意識など による能動的な構成過程の結果であるとするカントなどによって代表 された立場。認識や主観は活動や経験を通じて形成されるとし、存在を 外部からの作用の客体としてではなく、プロアクティブな(能動性のある) ものとしてとらえる。また人間や社会は自己の経験を秩序立てて解釈 しようとすることから、人間の精神や社会は継続的な自己組織性を 発揮するが、それを助けて促進するアイデンティティーや間主観的な 社会シンボルが必要となり、またさまざまな経験や関係性の相互連関 (connectedness)が絶え間なく追求される複雑なプロセスとして自己 組織化が進む。さらにそのプロセスは発展的で、絶え間なく新たな 経験や現象との出合いにより変容し、またその変容過程は、異なる 内容との遭遇により自己組織化された状況が完全に消滅したり否定 れたりするわけではなく、他方で新たなこととの遭遇を完全に否定 するわけでもないという意味で、本質的には弁証法的であり、また 弁証法的総合による発展は永続的である。
国家を含む人間社会の存在をこのようにとらえると、経験は固有である ことから、自己組織化とその変容過程の固有性を重視し、グローバリ ゼーションの勢いにより普遍への圧力が高まる中で個々の国家や 社会の経路依存的(path-dependent)で固有の部分について、より 肯定的に柔軟に評価できるようになる。グローバリゼーションの進む 現代におけるA.ウェント(Alexander Wendt)らのこのような理論活動は、 18世紀における科学という普遍への急流の中のカントらの思想的機能に 重なるところがあろう。 他方で、コンストラクティビズムはグローバリゼーションに抵抗する理論 として位置付けられるべきではなく、国家を単位とする国際関係から、 個人を単位とする地球社会への道筋を理論的に提示する力もこの理論 は内包する。経験に基づく自己組織性はアイデンティティーの共有に より促進されるが、近代的自我に内在する他者との差異化の要求から、 実は集合的アイデンティティーの形成は不完全となり、その不完全性は 個人が国家や社会など自らが帰属し形成していた構成(construction)な いし構造(structure)からずれて、地球社会の非自己である部分と新たな 関係性を形成し、自己の構成を変容させていく絶え間ないプロセスを生み 出すのである。それはグローバリゼーションの本質を支える力学であると 同時に、グローバリゼーションの中で自己が永続化するメカニズムとなる 。ちなみに、生命体においては、非自己に対応するアンテナをレセプター (受容体)と呼び、レセプターの機能により生命体は免疫力を維持して いるとされ、またレセプターの経験を新しい記憶にして新たな自己を形成して 生き延びる力の強いシステムをスーパーシステム(超システム)という。
そうそう! そういうのがあるんでつか。 テキストがある訳じゃないけど、二重のアイデンティティーとか考えていたのは、そういう事です。 しかし、そうでなくレセプターとは・・・ 家帰ったらゆっくり読んでみます。 グローバリズムは理想的ですが、現実には国際政治に利用される概念という危険性常にある訳ですが・・・ 経路依存性は以前177氏や190氏が進化心理学スレで触れていた話ですね。 粘菌は危険を察知した時だけ一つの生命として振舞い、普段は分かれれています。 南方の着想は地域社会のネットワークモデルですが。
あるんじゃないですかといわれても 俺 だ っ て 今 調 べ て 知 っ た ん だ 。
しかしIMIDASから抜粋っていうか なんでサイト上にUPされてんのかと思えば これ、執筆者本人のサイトなのね
R.コヘイン(Robert Keohane)は『After Hegemony』によって、 その題名のとおり、覇権システムに依存しなくても主要国の協調と 負担の共有による国際公共財の供給が可能であることを示し、 ポスト覇権システムへの理論化を推進した。それによれば、 {1}不特定多数ではなく特定の幾人かのプレーヤーから 構成されるシステムでは、互いに行動を監視できるので、 共に集合財を提供し合うことが可能であり、 {2}「囚人のジレンマ」ゲーム(→別項)において非協力解の選択が 優越戦略(相手の選択の如何にかかわらず自分にとって合理的な 戦略)となるという論理は、同一のメンバーで連続的に反復的に ゲームが行われる場合には成立せず、非協力解の選択は 報復を招くためその長期的コストは大きく、将来にわたって ゲームが続くという認識ゆえに協調解に至ることが可能である ことを示し、ネオリアリズムが想定する協調不可能なアナーキーな 国際社会の前提は現実的ではないことを示した。 だったらフレンチフライをリバティーフライなんて呼んでる場合じゃあるまいにアメリカよ。
合理性あるよ派─┬─ 国家に合理性あるよ派(古典的リアリズム派)
. │ │
. │ ├─グローバリズムないよ派
. │ │
. │ └─勢力均衡があるよ派
. │
. ├─構造的に合理性あるよ派(ネオリアリズム派)
. │ │
. │ └─覇権国あるよ派
. │ │
. │ ├─覇権国がいるから安定するよ派
. │ │
. │ └─覇権国はすぐ衰亡するよ派
. │
. └─経済的に合理性あるよ派(ネオリベラリズム派)
│
├─政策協調できるよ派――グローバリズムあるよ派
│
└─先進国が搾取してるよ派
合理性ないよ派─┬─アイデンティティがあるよ派(コンストラクティビズム派)
. │ │
. │ ├─アイデンティティティは変数になるよ派(従来派)
. │ │
. │ └─プロセスを解釈するしかないよ派(批判派)
. │
. └─アイデンティティは経験科学では扱えないよ派(ポストモダン派)
元ネタ
ttp://www9.plala.or.jp/challenger/diary/feces.txt
最終的にはミクロとマクロを繋ぐモデル化が目標ですが、 やはり一足飛びには無理でつ。 ここでは簡単な練習問題から(もしスレ違いなら個人的に 2ch外でやることにしまつ…) 進化とゲーム理論から地道に進むことにしまつ。 まだ初心者ですぼ。
>>138 生物学からやり直さなければならない予感。。
数学だけじゃなく。
モデル化の前に条件設定も簡単にすると 文化的にはいずれも均質であるとして 大規模な地域的隔絶はこの際無視して それぞれが拡張傾向をもった国家群における 軍事力を中心とした国益をめぐる権力闘争 現実的にこれに近い状況が生まれるのがどういうときかというと、 同一文化圏内における政治的分裂が統一へと至る過程、つまりは 孫子やマキアヴェリが生きたような群雄割拠の時代がまさにそうだ。 それは国際政治じゃないし、そういうものを帝国主義とは呼ばないが。 ていうか、俺にもいまだにわからないんだが、ここは一体なんのスレだ?
すべては、合理性の話から始まりました。 合理的選択を前提として、モデル化が可能になるんだと思いますが。。 寝ます。
モデルを1から作るのは結構だが、 それでいきなり現在の国際情勢をまるごと理解しようとすんなよ。 現代社会を理解する鍵は、民族と宗教だ。ハンチントンの受け売りだが。
言わずもがな
ってゆーかそんなアホじゃない。 勘弁してほしい・・
で、最初の我々の対立点は、 中国の対少数民族政策の評価にあったわけだが?
そんな話が本道でなく。 まずは骨組みだけの一番シンプルなモデルを立てる。 それが突っ込みどころ満載なのは承知。 で、改良を加えていく。 その作業の途中で完璧さを求められても困る。 ある程度やってみてタダメならたやり直し。
訂正 ダメならまたやり直し 議論だったら初めからつっこまれる事は書かない。 なので議論と作業の二つを同じスレでやるのは困難。
177氏ならば可能なのかもしれせんが・・。 性行動の心理学スレで興味のあまりつい質問攻めになってしまった事がありましたが さばき切ってますからね。
内在的な、解釈や価値評価が変数となる場合は難しいでつ。 今はとりあえず(主観的)効用として、ブラックボックスに入れて後回しにしてますが。 これについてはまさに心理学の守備範囲でしょうか。。
コンストラクティビズムはその存在論において合理主義と異質であり、 ポスト冷戦下の国際政治理論にパラダイムシフトをもたらさんとするものだ。 要するにそんな作業を半万回繰り返しても中国の少数民族政策には辿り着かない。 もっともウォルトによれば、リアリズム、リベラリズム、コンストラクティビズムの 三つのパラダイムは方法論的多元主義に基づいて共存と競合が可能であるという。 心理学にとっちゃずっとやっていることだが。
などと今日も知ったかをする半可通ロボなのでした。まる。
>159 >コンストラクティビズムはその存在論において合理主義と異質であり、 >ポスト冷戦下の国際政治理論にパラダイムシフトをもたらさんとするものだ。 >要するにそんな作業を半万回繰り返しても中国の少数民族政策には辿り着かない。 意味不明なのですが。 非合理的選択をする場合も、最終的には合理的なロジックで説明されねばなりません。 そうでないなら、モデル化は不可能でつ。 そういう話です。 なので、モデルはやはり現実から乖離する。 それでも意味があるという事です。 また、中国の少数民族政策にこだわっているのはロボ氏です。 >もっともウォルトによれば、リアリズム、リベラリズム、コンストラクティビズムの >三つのパラダイムは方法論的多元主義に基づいて共存と競合が可能であるという。 >心理学にとっちゃずっとやっていることだが。 詳細よろ。 >160 ロボ氏は話をどこへ持っていきたいのか? 半可通でもよいので、自分の半分の理解を述べて欲しい。
>ていうか、俺にもいまだにわからないんだが、ここは一体なんのスレだ? 非合理的な欲望あるいは非理性的な反欲望スレです。 何度も言うようですが、非合理的な選択はモデル化しにくいという話でつ。 で、どうモデル化できるか?という話をしてます。 私は。 でも、初心者なので、190氏から簡単なモデルづくりからを勧められているわけです。 ステップ・バイ・ステップで行くしかありません。 それを「そんな作業を半万回繰り返しても…」と言われるのはここでは 私の作業の否定に繋がります。 なので、では、このスレでロボ氏はどういう話をしたいのでしょうか?と聞いています。
既に完成された「引用して負けない」理論の収集が好みなロボ氏には 無意味な過程に思えるのでしょうね。 私のような者がやっている作業ではなく、 本当の研究者達が試行錯誤しているその作業を少しだけ垣間見ることができるのは、 非常に面白いのです。 進化心理学スレはストップしてしまったのでこちらに来たのに、 ロボ氏はこのスレをどうしたいのでしょうか。
というか私のスレでもありませんね。 失礼しました。 では。。
>161補足 >非合理的選択をする場合も、最終的には合理的なロジックで説明されねばなりません。 それかノイズ?として切り捨てるかです(泣く泣く)。 理論構築の為に。
>>163 とりあえず、膨大な情報の中から、使えそうなところを拾っていきましょうか。
>>144 などは、国家に限らず、個人間にも当てはまる普遍的な原理でしょう。
特定の相手と繰り返しつきあわざるを得ない場合には、
>非協力解の選択は報復を招くためその長期的コストは大きく、
将来にわたってゲームが続くという認識ゆえに協調解に至ることが可能である
しかし、これが成立していない国家関係がありますよね?それはどのようなケースか?
そのようなケースでは「何が」協力関係の確立を阻害しているのか。
なんてふうに考えれば、相手の書き込みを生産的に消化できるでしょう。
>166 なるほどです・・。 協力関係の必要条件は共通利益の存在と、共通価値の存在だと思います。 (価値というのは曖昧ですが、どんな国家も生命の存続を脅かす核戦争の回避に、価値を見出すという意味で) 協力関係の成立を阻害するのは、共通利益や共通価値の不在、ルールの欠如。 中心機関の設置も必要と言われますが、協力関係の成立を部分的に担うだけで必要条件ではないと思いますが・・ 支離滅裂になりすみません。
古典的な問いかけとしてこういうSF的主題がある 「もし、宇宙人が攻めてきたら、地球人類は団結して立ち向かえるか」
さらに拡大するとこういう課題設定もできる。 「もし、マルガンセール星系人が攻めてきたら、地球人と火星人は団結して立ち向かえるか」
価値観が異なれば得られるVが対戦者により異なってしまうので、単純な利得行列になりません。
自分はC戦略を取ったつもりでも、相手(受け取り手)次第で、CになりかDになるか変わってしまいます。 やはり共通の価値観は必要条件とも言えないですね・・ 他者にとっての価値が何かを知る事が、必要条件なんですかね。。
ゲーム論的なモデルを作るには、 1 何をモデル化するか、ある程度確定する。 2 ゲームの3要素(プレーヤー、戦略、利得)が何かを考える 3 Nash均衡を求めてみる という手順で、まずは考えて見ましょう。2も3も近似なので現実を 十分捉えることができないかもしれません。そのときは、それぞれの 近似の精度を上げていきます。その辺の手ほどきは、おいおいしますので とりあえず、1〜3の手順をお試しになることをお勧めします。 まあ、何はともあれ1を考えてみてください。 どんな現象をモデル化したいと思いますか?
>172 どうもです。。(涙。 人間の合理性とはなんぞや? 社会科学とはなんぞや?という話から 流れ流れてこうなりますた。 >どんな現象をモデル化したいと思いますか? 今のところ、心理学板らしいし(?)さしあたりモデル化したいのは、 人間のアイデンティティ形成についてでした。 国民、民族、宗教、など各アイデンティティが一人の人間の中で どのように安定して根付くものなのか。 これは複数のアイデンティティを持つことが可能という前提に立ってしまっています。 なので、実際ある現象のモデル化とは言いがたいのかもしれません。 スイスなどは人工的な国家ですが、そのアイデンティティがどのようになっているのか 資料等はありません・・(汗。 また、『心理学用語の基礎知識 有斐閣ブックス』にアイデンティティという言葉が 載っていなかったので、使ってよいものなのかどうかも分かりません。。 なんとも歯切れの悪いレスなのですが、他のものを考えて見ます。
国連加盟国の行動選択について。。 しかし、国連が協調行動を理想とはしていても、体現しているとは言えないので、 ……、現象とは言えないのかもしれません(涙。
>国連加盟国の行動選択について。。 これは立派な社会現象ですので、なんらかの形でモデル化 することができるでしょう。 アイデンティティの方は、行動のレベルでの記述がしにくいので 難易度が高くなります。初級編では行動レベルに翻訳するのが、 最初の仕事になります。 中級編では、認知レベルのダイナミクスを直接扱うという方策も ありえますが、方法論があまり整備されてませんので、最初に 取り組むにはお勧めしにくいです。
マートン(Merton,R.K.1949)は、ストーファー(Stouffer,S.A.)のアメリカ兵の 不満度に関する研究結果をもとに、集団規範が内在化され準拠枠が 成立していく準拠集団過程、準拠集団の選択過程、準拠集団の 社会過程について理論家、体系化を行なった。 シェリフ(Sherif,M.1936)は2,3人の集団で光点の移動距離を推定させた。 最初ばらついていた判断基準はしだいに一つの判断基準に到達し、 ひとたび基準枠が成立すると後々まで個人の判断基準枠として 作用するとした。ニューカム(Newcomb,T.M.1963)の25年にわたる いわゆるベニントン研究とよばれている追跡調査によると、 大学のキャンパスを準拠集団とした女子大生は学年を追うごとに リベラルな方向に態度変化を示したのに対して、閉鎖的な友人関係を 作ってキャンパスにおける規範と自己の規範のずれに気づかなかった者、 ずれには気づきながら家族や出身地との癒着が強い者は保守的な態度を 変えなかった。両者とも大多数の者がその態度を25年後の調査でも維持していた。 有斐閣心理学辞典「準拠集団」より
>178 それは一見、あちょー氏を私が他スレへ誘導した事のアナロジーにもなりそうですね。 それは進化心理学スレという狭い枠で見たらそうでしょう。 しかし心理学板という視点から見れば、他スレで交流する機会があったはずです。 事実、ロボ氏が戦争だと言い始めてから、あちょー氏は心理学板に来なくなってしまいますた。 彼の主観的動機というものについて、聞く機会を失いますた。
なんか申し訳なくて、一言お気を悪くなされぬようと言いに 一昨日哲学板へ行き雑談スレとかを覗いたのですが 彼は見当たりませんですた。 最近はいないコテハンさんだったみたですね。 ぴかぁ〜氏のレスは 沢山見かけたけど。。
>177 ありがとうございます。 (177番ゲトされているのですねw) なにか資料が入用になってくるかもしれませんね。 ちと出かけてきますが、そのついでに使えそうな本をあたってみます。 (家にある本は学生時代に使っていたので、少々古くなってきますた 汗)
進化心理学スレの話で恐縮ですが、進化心理学について ドナ先生があちょー氏の質問が足がかりになると仰っていますた。 私にはあちょー氏の「欲求」を基としたロジックの方が 分かりにくかったのですが(まだ全然話は進んでいませんでしたけど) もし他にも進化心理学に興味があって、色々質問されたい方がいらっしゃるのであれば、 参入者増加の為にも心ってどこスレか何処かで話ができたら良いのになぁ… と思っておりますが、如何なものでしょうか。 私もスレの流れとは別で、少々聞いてみたいことはありますし・・。
ステ助さんが、恐縮することはないと思いますよ。 ロボ氏も何か考えがあってのことだったと思いますし。
タイミングがずれてしまいますた。ところで
>>182 はどなた宛て? ひょっとして私宛て?
いつも言うことだが 流れは作り出すものだ。逆らってはいけない。
流れは起きるもので、起こすのは難易度が高いでつ。
流されて 流されて 流されて 立ちとまり 立ちとまり 立ちとまり 休むことさえ出来ない人生 負けない 負けない 誰にも負けない 貴方の匂いが 私にはある…… 谷村新司 『砂の道』
>>184 そうですね。
190氏も177氏も、進化心理学がご専門ではありませんしね(汗。
効用の話になりますが、
文明による効用関数、他国が得ているなら自分も得たいというように欲望が
増すような?効用関数(などもアリなのでしょうか?)など
数限りなく出て来そうですね。
ちょっとバタバタしてまだ本はあたれてませんが、 国連加盟国の行動選択と言っても漠然としていることに気づき、 考え込んでしまいますた。 安保理だけ見ると、安保理における意思決定は多数決であり、 通常理事国15ヶ国のうち9ヶ国の賛成が必要であるが、 より重要な事項に関しては、常任理事国の反対票があってはならない。 (常任理事国の拒否権) また、そこで為された決議も、勧告なので原則として法的拘束力がない。 なので、安保理において、自国の利益との間でジレンマに陥ることというのは あまりない気がしてきました。 うーん……(汗。
やはりまず現実の、権力関係概念のモデル化したいでつ。 その後今まで出てきた文明の衝突のモデル、リバタリアニズムのモデルなど一歩一歩やりたいです・・ 手にあまりそうですが(汗
進化心理スレより続き 例1:イスラエルの傲慢のシンボルと評される入植地。これって、国営の住宅公社が団地 などを造成して、一般市民がそれを買いとるらしい。で、誰が買い手になるかというと、 “本土”に土地をもてない人々=90年代以降にロシアからの移民等。で、彼らは ローンを組んで住宅・土地を買ったから、おいそれと入植地から出て行けない。なに しろ、今となっては誰も入植地の土地を買おうとするイスラエル人はいないから、 居住者としてはここに居残り続けるしかない。狂信的な宗教者でなくとも、合理的な 普通の人間である限り、何千万円もの借金を背負ったまま入植地から出て行けない。 当然、そんな人たちがいて選挙権を持っている限り、入植政策を撤回しない政党が 議席を占め続けるのは当然の話。 イスラエルが入植政策を始めた当時には、攻撃的かつ傲慢な意図があったのかも知れない。 が、現在「入植地を撤廃しようとしない」という事実は、「イスラエルという行為者」の 非合理性を意味はしない。同時に、安定のために、入植地撤廃を叫ぶ他のイスラエル人が 数多く存在しているのも事実。
例2:パレスチナの話。この自治体国家の経済が、イスラエルに依存しきっていることは あまり知られてない。テロが起こってイスラエルが国境を封鎖すると、仕事に通えない 人々によって、パレスチナの失業率が数十%に跳ね上がるほど、多くの人々がイスラエル へ通勤している。街も建物も定住生活も存在しているのに、自治体内部で労働市場の 需要を賄えない背後には、自治政府に問題多し、とされているそうですが... 「生活の不安定&経済格差&格差の原因を他国へ帰属」が、民族意識の高揚や一部の 暴走者を生み出すことは歴史的な事実。それは「非合理的」と一喝できる類の話では ない。そして、一部とはいえテロを起こす集団がいる限り、イスラエルも安全確保の ために国境封鎖したり、「パレスチナ内での産業育成の援助」をストップさせてしまう。 しかし、自治体内での産業育成が進んで「将来にわたって安定した収入を確保する」道が 作られない限り、跳ねっ返りが生まれ続けて、話は振り出しへ戻る。 「(一部の国民の)合理的意思決定→選挙→国政」という流れ、あるいは、「多様な 意思決定者→国家レベルでの意思決定」というプロセスを無視して、「国家という 行為者」について語ることはとても危険。 たとえ、ブッシュが逝ってることも、一部の指導者がアホみたいな人であるのは 衆目一致の事実であるとしても、それと同じロジックで「国家の合理性」を語ることは できない。
以上、 「葛藤構造の分析が目的である以上、国家を“単一の行為者”として単純化せざるを 得ない。だが、その分析から“国家という行為者は合理的であるか?”、といった問い に対して、なにがしかの答えを求めようとしてはならない」 というお話でした。 ステ助氏> 読んでて思ったのだけれど、「何を明らかにしたいのか、思い切って単純化しましょう」 たとえば、抑圧ゲームとか、単純すぎるのは事実ですが、少なくとも「何か」は 明らかにされます。そして、モデルができれば「このモデルでは何が明らかに できないのか」も明らかにされます。 アイデンティティの話はタフな問題です。そんな場合にオススメなのは「簡単な 話を作る→それでは捉えられない部分を見つける→モデルを作り替える」という漸進的 な方法です。
>「(一部の国民の)合理的意思決定→選挙→国政」という流れ、あるいは、「多様な >意思決定者→国家レベルでの意思決定」というプロセスを無視して、「国家という >行為者」について語ることはとても危険。 当然そうでしょう。 国家の行動選択は各国家の行動選択方法の 枠組みを把握しておかないと当然語れるものではありません。 なので他国の先読みをする際に、国際政治における利害だけでなく当然その国の 内政問題まで分析します。 しかし、大雑把な枠組みが全くの無意味ではないという話ですた。
国家という行為者という大雑把な捉え方、というと思い出すのは 冷戦終結後話題になったハンチントンの「文明の衝突」は 文明を単位とした理論を構築しますた。 それはそれで意味があることだと思います。 恐らく、彼が名の知れていない研究者であれば、 190氏のような指摘がなされたでしょう。 彼は高名なアメリカの政治学者であり、また、二極化構造に変わるモデルが 過去のものとなり、何をどう捉えてよいか分からなくなった人達に、 ある一つの方法を怜悧に示したものだったのでインパクトを持ちました。 (もっとも。 現在の民族問題の元凶であった大国の政治介入の歴史を隠蔽し、 民族紛争解決を大儀名分にかかげながら、国益をもたらすよう 他国を方向づける事を支持する理論にも思えましたがね・・)
このように他者にインパクトを与えるモデルは、 現実を上手く解釈できると人に思わせられれば浸透し、影響力をもちます。 自然科学と違い、人間の間主観性の問題が必ず付きまとう世界では、 客観的な基準がない為、浸透した解釈が人間の集団によって実践され、 機能しはじめます。 こうなると、以前社会心理学なんて…スレでも出てきましたが、 自然科学のような妥当性の測定は不可能になってきます。 声の大きい方が勝つのか…という指摘がありますが、 事実その通りと言える面もあります。 なのに、社会科学とはなんぞや?と。。 もし、メイナード・スミスが言うように、社会科学の特殊理論を 説明できる一般理論というものがあれば・・と思います。 それは心理学と絡んだ人間の行動原理の研究になるのではないかと思うのですが。 (言わずもがなな事ばかりって気がしますが。)
>読んでて思ったのだけれど、「何を明らかにしたいのか、思い切って単純化しましょう」 それをやろうとずっと思ってきたのですが。。 もしミクロの視点からのモデル化でインパクトを与えたいならば、 国家の権力概念モデルにも詳しくないと話にならない気が。 幾ら核兵器反対を唱えても、世の中から核がなくならない構造と一緒でつ。 (しかし、それでも反対を唱える行動には意味があるのですが。 唱えてもなくならないと分かりながらやっているのと 分からないでやっているのでは、ちょびっと違うと思うのでつ。) それなのに、核兵器がなくならないのは国家の〜〜いう理由があるからだと言ったら、 即、国粋主義者だの、ミクロの視点が欠けているだの批判されているような気持。。最近。 という事で、 >「簡単な話を作る→それでは捉えられない部分を見つける >→モデルを作り替える」という漸進的な方法です。 今まで進化心理学スレで色々お聞きしていて、 私もこのようなやり方で何かできるだろうかと思ってきましたが、 書いている途中で色々突っ込みが入ります。 しょうがないのでしょうけど。
とあたり前のことを書き、内容の薄いレスになりますた。 すみません。
>しかし、大雑把な枠組みが全くの無意味ではないという話ですた。
まぁ、ここに書いた話はステ助氏を対象とした話ではなかったので...
>>195 文明の衝突の論文がフォーリン・アフェアーズ誌に掲載されたときから
「文明なんていうモノは存在していない!」というタイプの批判が
多かったけれど。それは意味がないと思ってました。だって、説明レベルを
どこに置こうが、「知りたいモノ(この場合、近未来における国際情勢予測)
を明らかにしてくれる」ならば、何でも良いんですよ。
「何が正しい理論か」という話をしている訳じゃないんですよね。
「何を知りたいのか?そのためにどんな(理論)モデルが有効か?」という話。
文明という概念だって、それが「本当にあるかどうか」なんていう議論をする
よりも、「現代世界をその枠組みで観察すると、これから100年以内の出来事
を予測する上で有効か否か」という観点から見るべきだ、という話。
モデルだけでなく、「知りたいという思う対象」も、絞らないといけません。
たとえば、「文明なんてあるのか」と「文明の衝突というモノの見方はどれだけ
有効か」という二つの問いを同時に追求するのは、徒労に終わるでしょう。
という訳で
>>197 世の中、割り切りが重要です。
たとえばロボにとってのキリバンゲットの「利得」は他人には計り知れないほど大きい。
蛇足ついでに、パレスチナ・イスラエルの問題は、 今でこそ民族問題のような顔はしていますが、元々は英国の介入が元凶でつ。 初めは戦いに参加したパレスチナ人の割合は確か少なかったはず。 イスラエル建国の際、世界に散らばっていたユダヤ人のうち イスラエルに移住したのは全体の5%だったはずです。 そして、ユダヤ人とは民族ではなく、宗教団体であると宣言していたはずです。 (たしか…汗) 今は民族問題と呼ばれていますが、大本はイギリスによる政治的介入の為です。 民族問題の裏側は、過去の歴史(戦争)において蓄積された「感情」による 効用が大きいのだと思います。 しかし、今はもう本当に、民族問題にすり変わってしまっていますが・・。 恐らく、この辺りの歴史を知らない感情的になってしまった人間により、 テルアビブでの平和集会後、イスラエルのラビン首相は暗殺されてしまい また歴史は変わっていってしまった訳で。。 首都エルサレムの帰属、入植地の統合を含む領土問題や境界の画定と、 パレスチナ難民帰還について解決しないと無理でつ。。 同時に、既に出来上がってしまった憎悪という感情については、 癒されるまでにどれ位の時間がかかるのでしょうか。 日本はいまだに東アジアでの信用はありません。 独逸もナチスの悪夢に悩まされているのではないでしょうか。 (もっとも、これは負けたからこうなっている(勝てば官軍)という解釈も可能です。 よく言われることですが、国連の安保理常任理事国だって戦勝国だけで 構成されていますしね。) この民族的感情というものを度外視して、冷静に権力概念モデルを眺めること、 これが感情論に陥った際、自分の利得を正しく見積もる一つの道だと思うのですが。 片手落ちなのは承知で。
かぶりますた。。
>>200 私はキリ番ゲットにほとんど興味がないのです。
当たり前の話でしょうが、ふと、自分にとってどうでもいいけど、
相手にとっては大きな価値を持つものを守ったり相手に与えたりするのは、
何か交換条件を出す際にいい方法でつね。
>>199 >世の中、割り切りが重要です。
はい…。。 ちょっと感情論に陥りますた(汗。
ユーモアのセンスを決して忘れないこと。さりげない皮肉が最も効果が有る。 また一般論よりも、むしろ相手の一身上のことで当てこすりながら機転を利かせて 反応することにより、人々に対する影響力を増すことがきる。相手を咎める笑みを 浮かべていた方が、乱暴な言葉を使うよりもよほど効果的で効果も長続きする。 T・E・ロレンス 『アラブ人操縦二七カ条』 哀れな第一級戦犯、サー・ヘンリー・マクマホン英エジプト=スーダン高等弁務官は フサインにアラブ独立を認めると約束したとき、本国の真意を何も知らされていなかったそうな。 もちろん、ロレンスも。 英国は謝罪と賠償を(以下略
え〜、イスラエル・パレスチナ問題については一家言を持つ者でありますが... 以下は、本当に個人的な意見。これまでの話とは無関係なので注意されたし。 >元々は英国の介入が元凶でつ。 個人的には、このような理解は好きくない。同様に >今は民族問題と呼ばれていますが、大本はイギリスによる政治的介入の為です。 民族問題の裏側は、過去の歴史(戦争)において蓄積された「感情」による 効用が大きいのだと思います。 ということも「事実」ではあるけれど、それだけを語っていても意味がないと思っている。 なぜなら、「歴史的憎しみ」を語っていてもそれが消える訳ではない。また、 歴史を紐解けば「歴史的な憎しみ」が緩和されていくケースと、いつまでも続く ケースがあるが、このような議論をしていても「いつ憎しみが緩和されるのか」を 理解することはできない。 「なぜそれほど強い憎しみを持つのか?」という問い=歴史を理解するための問い 「なぜ憎しみが緩和される方向へ動かないのか?」という問い=歴史が代わるための 条件を探る問いの2つは、区別されるべきだし、後者がもっと焦点を浴びても良いと 思う。 上の場合では「パレススチナ経済が現状維持される限り、過激派の種は尽きない だろう。では、なぜそれほどまでに弱体経済が続くのか?」という問いが、後者の 問いにあたるだろう、と考えている。
>自分の利得を正しく見積もる一つの道 いくつもある視点の一つとしての役割を期待されることは前にも言った通りだ。 で、民族的感情を度外視した権力概念モデルを使ってだ、 たとえば日本がいま取るべき道をどのように分析する? 俺の政治的主張は非常に明快だ。 日本は、無条件でアメリカの中東政策を支持せよ。 俺なんぞがわざわざ言うまでもなく小泉はその通りに動いているわけだが。
>>204 >元々は英国の介入が元凶でつ。
は、ハンチントンの理論が陥りそうな欺瞞について指摘する為に書きました。
>今は民族問題と呼ばれていますが、大本はイギリスによる政治的介入の為です。
>民族問題の裏側は、過去の歴史(戦争)において蓄積された「感情」による
>効用が大きいのだと思います。
これについても同様です。
ハンチントンの言うような「民族感情」ではないのではないか?という事です。
単純に家族や同胞を殺された事に対する憎しみでしょう、と。
時間が流れ、それを、見る方も、本人達自身も、分からなくなっているのではないか
と言うことです。
それを追求するより、憎しみが緩和されない構造に眼を向けるほうが生産的というのは禿同です。
>>205 >民族的感情を度外視した権力概念モデルを使ってだ、
??
アメリカの核の傘の下に入っているからという風に言うことも可能ですよ(汗。
特に日本の行動については、あまり民族感情うんぬんの話とは関わっていない気がします。
ハンチントン曰く、日本は同じ文明圏の仲間がいないって事になってますから。。
(古くは中国文明と分かれたことにはなってますが)
それから、何度もいうようですが、たった一つのモデルで全てを説明しようと
なんて思ってませんから。 心配?しなくても。
>特に日本の行動については、あまり民族感情うんぬんの話とは関わっていない気がします。 誰もそんなことは聞いていない。 日本はこれからの国際情勢をどのように乗り切るべきか? 結局のところ日本人である我々に必要な情報は何よりもそこにある。
??
>>208 >この民族的感情というものを度外視して、冷静に権力概念モデルを眺めること、
>これが感情論に陥った際、自分の利得を正しく見積もる一つの道だと思うのですが。
>片手落ちなのは承知で。
>それから、何度もいうようですが、たった一つのモデルで全てを説明しようと
>なんて思ってませんから。 心配?しなくても。
>>「簡単な話を作る→それでは捉えられない部分を見つける
>>→モデルを作り替える」という漸進的な方法です。
>今まで進化心理学スレで色々お聞きしていて、
>私もこのようなやり方で何かできるだろうかと思ってきましたが、
>書いている途中で色々突っ込みが入ります。
>しょうがないのでしょうけど。
私に今わかっていることは一つ。
勉強しないで2ちゃんに書いていても、何も進まないという事(涙。
とりあえず、出かけてきます。
>日本はこれからの国際情勢をどのように乗り切るべきか? 乗り切ると言われても、何の話か分からないよぉ〜 もっと具体的に話して。
日本が今直面している国際問題といったらアレしかないだろうが。 副官房長官も言っていた、アレだよ。
(^^)
∧_∧ ( ^^ )< ぬるぽ(^^)
214 :
没個性化されたレス↓ :03/05/21 22:44
あげ
━―━―━―━―━―━―━―━―━[JR山崎駅(^^)]━―━―━―━―━―━―━―━―━―
∧_∧ ピュ.ー ( ^^ ) <これからも僕を応援して下さいね(^^)。 =〔~∪ ̄ ̄〕 = ◎――◎ 山崎渉
髷
200
__∧_∧_ |( ^^ )| <寝るぽ(^^) |\⌒⌒⌒\ \ |⌒⌒⌒~| 山崎渉 ~ ̄ ̄ ̄ ̄
221 :
没個性化されたレス↓ :03/07/27 22:38
organaized confession
∧_∧ ∧_∧ ピュ.ー ( ・3・) ( ^^ ) <これからも僕たちを応援して下さいね(^^)。 =〔~∪ ̄ ̄ ̄∪ ̄ ̄〕 = ◎――――――◎ 山崎渉&ぼるじょあ
223 :
没個性化されたレス↓ :03/10/22 05:33
∧_∧ ( ・∀・) スカッ と ) Y /ノ | | \\ / ) / / _/し' /// ̄~~~ ヽマトリクース (_フ彡 | | し( 、 A ,)つ (_ノ_.ノ V ̄V
224 :
没個性化されたレス↓ :04/01/05 20:55
あげ
225 :
没個性化されたレス↓ :04/06/17 18:56
226 :
没個性化されたレス↓ :
04/08/08 12:22 しどうあげ