と、最近思うのだがどうよ
2 :
没個性化されたレス↓:03/01/22 22:42
と思うのなら、なぜそう思うのかぐらい書け。
アンド2げと。
結局強化子が強化子として機能するかどうかは
対象の過去の強化歴による。
でどんなものが強化子になるか、とか
調べる過程が観察やインタビューによるものだ。
そういった意味で質的研究が含まれるのが1つ
>どんなものが強化子になるか、とか調べる過程が観察やインタビューによる
大間違い。反応の生起頻度を量的に調べる以外に正確に強化子を同定する方法はない。
簡便法としてインタビューを使うだけである。
以上
5 :
没個性化されたレス↓:03/01/23 02:27
>どんなものが強化子になるか、とか調べる過程が観察やインタビューによる
こやつは実際に実施した(というかやらされた)経験が皆無なのであろうな。
というか、んなこたあ入門書程度ですら読んでいないか、読解能力がないのか
質的研究,ってのが何かによる。
ケース単位の分析,個別の文脈の重視,統計的検定に頼らない,
仮説検証スタイルにとらわれない,などの点でアプローチの共通点はあると思うよ。
>>4が問題にしてるのは,行動分析における「データ」が質的か,という
ことだと思う。たしかにその点では質的ではないと思うが。
7 :
没個性化されたレス↓:03/01/23 14:22
>反応の生起頻度を量的に調べる以外に正確に強化子を同定する方法はない。
現実問題として量的に調べることが出来ない場合の方が多いだろ
ぼけが。
測定できるものしか測らないから、結局重箱の隅をつつくだけに終わるんだよ
ぷっ
8 :
没個性化されたレス↓:03/01/23 14:25
>5
お前の方こそやらされたことしかないんだろうな。
そしてそれが全てだと思っているんだろうなあ。
かわいそうなかわずよ。
>こやつは実際に実施した(というかやらされた)経験が皆無なのであろうな。
やってないと行動分析なんて言葉がまず出ない。
あとスキナーの行動主義と他の主張した行動主義の違い。
そこから導かれる徹底的行動分析の方法論と質的研究の方法論の
類似点とか考えたことある?
ないなら黙ってろ、ぼけ
9 :
没個性化されたレス↓:03/01/23 14:25
だから、簡便法なのだろ。それを本質と勘違いするから問題なんだよ。
測定できないものを測る方法を教えて欲しいね。
じゃあ応用行動分析は質的研究ということでファイナルアンサー?
11 :
没個性化されたレス↓:03/01/23 14:28
>だから、簡便法なのだろ。それを本質と勘違いするから問題なんだよ。
>測定できないものを測る方法を教えて欲しいね。
あ、そういう意味ならスマンカッタ。
でも測定できないものを測る方法としてインタビューの方法を精緻化
するのはありだと思うけどなあ。
個人的には「過去の強化歴による」という判断が、ブラックボックスの
ようで何とかならんかなあと思っているんだが
12 :
没個性化されたレス↓:03/01/23 14:29
>10
お前みたいな短絡的な奴がいるから俺が誤解されるのだよ。
応用行動分析だけじゃあないだろうよ。
実験的行動分析も含むのだ。
で、なぜかっていわれたら他の行動主義の方法と比較したらいい。
佐藤先生の論文でも読むことだ。
13 :
没個性化されたレス↓:03/01/23 14:30
>>8 べつにやってなくても、2ちゃんで半可通になってるだけかもしれんぞ。
>>6 すくなくとも、やまだようこ・サトウタツヤ系の質的研究は行動分析学では
ないわな。しかし、あの連中、最近ますますおかしくなってきてないか?
「質的心理学研究」だっけ? 学術誌出したようだが、あれ何よ。
「心理臨床学研究」と変わらないDQN雑誌になってるじゃないか。
「心理臨床学研究」の方がまだましなくらいだ。
マルシンドの予感
最近、スキナリアンvsそれ以外のなにか という構図は減ったけど、
スキナリアンの内部対立をよく見かけるようになったのは気のせいか?
16 :
没個性化されたレス↓:03/01/23 14:45
ここにスキナリアンが来ているというのが妄想だと思う。
18 :
☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆:03/01/23 16:14
19 :
没個性化されたレス↓:03/01/23 19:08
>15
スキナリアンは口が悪いから、お互いに傷つけあう
それがお互いに強化子として機能している
21 :
没個性化されたレス↓:03/01/23 21:52
どのパラダイムに立脚して主義主張するかは、
過去の強化歴によるのかい。
1:行動分析学を主張する人たちは
過去に、行動分析学に関わる行動で、他のパラダイムに関わる行動
に比べ、より多くの強化を受けているのかぁ。
2:行動分析学を主張しない人たちは
過去に、行動分析学に関わる行動で、他のパラダイムに関わる行動
に比べ、より多くの罰を受けているのかぁ。
22 :
没個性化されたレス↓:03/01/23 21:54
>>21 そして、世の中には、2のグループの人たちが多いのかい?
罰以前に、オペラント行動がない罠。
24 :
没個性化されたレス↓:03/01/23 23:12
>>23 うむ、つまりオペランダム自体が存在しないため
行動が生起しなかった、と。
25 :
没個性化されたレス↓:03/01/23 23:31
>21
まあ、ここでは行動分析的にものをみるというよりも、もっとメタな視点で
行動分析を見てみよう、そうすると他の学問との関係がみえてくるんじゃ
ねえのという趣旨らしい
論理実証主義に始まった現在の実験ベースの手法と
クーン以降の相対主義・社会構築主義の中からあらわれた質的研究の類。
で、今の科哲は科学は社会と切り離して考えることが出来ないという立場。
これら3ちゅの立場は本当に独立なのか疑わしい。
そういう疑念があるのだが。
>26
なるほど。行動分析的インタビューか。
こういうのやっているところってあるんだな。
ただ分類して終わっているところがつらいところでもあるが。
28 :
没個性化されたレス↓:03/01/24 23:04
ここはどこかい?
行動分析対象は定量的行動であって、
行動分析研究法自体には質的アプローチを取れる部分もある
といいたいスレなるかい?
それとも行動分析研究法は全て質的研究方法である(べき)
といいたいスレなるかい?
29 :
没個性化されたレス↓:03/01/25 00:49
1は後者だな。だから叩かれている。
26は前者と後者の区別がついていない。
そもそも「
>>13は質的研究そのものを認めない」ものとみなしてのレスだったわけだが。
31 :
没個性化されたレス↓:03/01/25 09:39
おはようおまえら
いい感じにレスがついているのがよかった。
で、28よ
勘違いしているようだが、君の意見はなんなんだ?
よくある行動分析研究法の中にも質的アプローチをとる部分を
認めない立場かい?
俺は行動分析=質的研究とは1つもいっていないぞ。
だから29もよーく文章を読んで書き込むようにすることだ。
>30
俺もそういうレスだと思っていたんだが。
>俺は行動分析=質的研究とは1つもいっていないぞ。
何言ってるんだ。スレタイでそうほざいてるじゃないかw
そっちこそ>6のいう研究法の話とデータの話を混同してないか?
33 :
没個性化されたレス↓:03/01/25 09:57
ひとことで書くと誤解が生じてしまうのが嫌なんだが、
その認識にいたった理由は、佐藤論文以外にもある。
1つは科学の認識論。完全な、普遍な一般的法則などはこの世に存在しない。
あっても、現実的な制約、社会的な文脈によって変化するため、厳密に測定できない。
というような認識で、クーン前の文脈主義とでもいうべきか。ここから質的研究の
必要性が叫ばれてきたのはいうまでもない。
一方の行動分析を考えてみると、ほら、行動を生起頻度を変化させる要因は、
人の内的な状態(やる気とか意思)に帰属しないで、環境(文脈)要因を厳密に
書き出すことで特定できるというものではないか。
もちろん認知行動主義のような他の主義でも文脈は意識するが、だいたいは
似たような要因はまとめてしまいますな(自己効力感とか)。
特に個別性を重視する文脈依存性があげられるわなあ。
34 :
没個性化されたレス↓:03/01/25 10:14
35 :
没個性化されたレス↓:03/01/25 10:19
で、時代は刻々と変化する
上のサイトにあるように、
社会構築主義を超えて、今は科学と社会の関わりがひどく重視される時代になった。
なお科学哲学はクーンのパラダイムが登場して社会構築主義が活躍する
70年代までは詳細を述べているが、その後から現代までの流れは
なかなかまとまった形で報告されていない。
(金森・中島(2002)科学論の現在)
36 :
没個性化されたレス↓:03/01/25 10:47
実験室という小世界は人為的に構築されたものである。
したがって、それを構築した科学者ないしは研究チームのもつローカルな
条件を刻印されざるを得ない。ローカルな条件とは次のようなものである
−−科学者ないしは研究チームが前提にしているパラダイム(理論やモデル)
、彼らが獲得してきた研究費、その研究費によって賄われた多くの、
そしてしばしば高価な実験・測定装置、これらの装置を巧みに操作して
現象を作りだし、そのデータを集め分析・検討するために必要な技量や
ノウハウ。実験室とそこで遂行されている科学研究は、こういったローカル
な条件から成り立っているのである。
そもそも、前述したように、なぜそのような研究をするのかという
研究テーマの設定自体、さまざまな利害関心や物質的諸条件によって
ローカルに規定されているのである。
ラウズによれば、実験室もそこで遂行される研究もローカルな条件を
刻印されているから、そこから生み出される知識、科学知識もまたローカル
な知識、ローカル・ノレッジでしかありえない。
もしそうなら、本来、ローカル・ノレッジである科学知識はどのような
過程なり手続きを経て、通常そう信じられているような普遍的で客観的な
身分を獲得するのだろうか?
行動分析=質的研究
っていうのはいきすぎだと思うけど、
研究を進めれば進めるほど常識、直感、勘やひらめきに頼る
部分が大きくなるのも経験的事実だな。
1はそういうことをいっているのでは?
39 :
没個性化されたレス↓:03/01/26 01:50
>>37 それでとどまらずに、実証的に確認するから「科学」になるんだと思うが。
40 :
没個性化されたレス↓:03/01/26 08:20
>>39 で,どういう手続きを実証的というのか,という話で
厨房科学論の循環が始まる。
41 :
没個性化されたレス↓:03/01/27 12:34
質的アプローチのみだと、
行動の制御変数の確定、三項随伴性の確定に
いたるまでの道のりが大変だよ。
行動の制御変数の推定、三項随伴性の推定の
を繰り返し、事例の記述分類するだけになる。
>>41 質的変数だって操作できないわけではないだろう?
弁別刺激,または好子嫌子としての質的変数を
質的に操作する,その結果としての行動の変容を
質的に記述する,ということも(できるならば)ありだろう。
>>41 そうはいうが質的アプローチしか取れない研究対象もあるだろう。
>>26の卒論で取り上げられているようなテーマはどれも実験的な
制御変数や随伴性の同定はいろんな理由で不可能なものが多い。
そうしたものについては沈黙せねばならない、ではつまらないし、
そもそも社会はそうしたものに対する解釈なり解決なりを期待している。
質的な事例の分類記述は確かにデータとしては弱いだろうが、
行動理論という強力かつ便利な検証済みの道具を使っていることだし、
それによって導かれる解決法や、見えてくる枠組みだってあるだろう。
欠点よりはむしろ、そうした実験法には不可能な部分を積極的に
評価すべきではないかな。それでも不満があるのなら、
実験的アプローチがこれらの研究を補いうる道を探すべき。
44 :
没個性化されたレス↓:03/01/27 16:33
観察のみから、「ハンスは計算ができる賢い馬ある」と推定できても、
「ハンスは計算ができる賢い馬ある」と確定はできない。
>>43 >>44 データが質的であるか量的であるかと,
実験法が使えるかどうかは独立の問題じゃないの?
独立変数が操作でき,従属変数が測定できるなら,
それらが質的変数であってもいっこうにかまわないのではないの?
>>46 それはその通りなんだけど、
>>41はどちらかというと
データが質的かどうかではなく、因果関係を特定
できないことが気に入らないようだったから。
問題は、独立変数の操作もできず、測定も主観的想起によるしかない、
個人のライフストーリーや、それを通じた複雑な社会現象の研究の
妥当性をどうするかということ。その分析に行動分析の理論を
道具として使うことの意義はどうなのか。
って、これは行動分析というよりは質的研究そのものの問題か。
48 :
没個性化されたレス↓:03/01/27 22:57
かのスキナー先生は行動分析をただの実験上の理論という認識ではなく、
実生活に置いて常に意識しながら生きておられた。
ということを昔、行動分析学研究で誰か言っていたような。
確かスキナーに最後にあった日本人だったと思うが。
49 :
没個性化されたレス↓:03/01/27 23:10
>46
言われてみて納得したけど、漏れが目をつけたのはそこかもしれぬ。
データは量か質かという違いはあるけれど、
>独立変数が操作でき,従属変数が測定できるなら,
という部分が非常に重要だろうと思う。47の挙げているような質的研究では、
結局確かめることが出来ないため、生成された理論の修正という作業が困難になる。
固定化された理論を現実に当てはめようとすることに無理があるから、
データに基づく質的研究というものが生まれてきたのに、
今流行の質的研究は逆行している様な感じがしてならない。
質的研究といってもかなり種類がある。
もうちょっとしたらその辺も紹介してみるよ。
ではおやすみ
50 :
没個性化されたレス↓:03/01/28 20:49
51 :
没個性化されたレス↓:03/01/29 13:02
どのレベルでの『質的』?
区分は厨房中かい。
1.行動(データ)
質的:デジタルな判定困難(演奏とか絵画描写の上達)
量的:生起頻度や強度、
2.データ収集方法
質的:観察、検査、調査、面接、事例
非質的:実験−実験群(期)と統制群(期)
3.データ測定方法
量的:数量化
質的:非数量化
4.考察
質的:個性記述的
非質的:法則定立的
52 :
没個性化されたレス↓:03/01/29 13:12
1.行動(データ)
質的:デジタルな判定困難(演奏とか絵画描写の上達)
だが、これは第3者に判定
<むっちゃうまい・うまい・そこそこ・へた・どへた>
させるなどして数量化できるわな。
少なくとも、行動分析学では、この場合にはそうした数量化していないと
論文として認められない。
>>52 学部生か?
それで「数量化できる」と考えることへの疑問から
質的研究のムーブメントが始まってるんだろ。
ここで議論している問題と,質的変数の数量化技法の
問題はまったく個別だよ。
しかし,君の「行動分析学」って,どこのどの行動分析学?
スキナーの書いたもの,読んだことある?
>>52 それは、3の測定の問題
「質的行動」と記述しても具体的にはどんな行動なのか
分からんから、1で定義して見た。
他の諸君は「質的行動」と言れるとどんな行動を想起するの?
>>54 「質的行動」なんて言葉,初めて聞いた。
質的か量的かってのは行動そのものの特性じゃなくて
行動をとらえる方法の問題で,量的にとらえやすい行動(行動レベル)と,
質的にしかとらえられない行動(行動レベル)があるんじゃないの?
たとえば楽器演奏なら,音の強度とか音程,波形や,演奏時の
からだの動きなどは量的にとらえるのが容易だが,
「曲の解釈」とか「演奏の巧拙」などは質的にしかとらえられないだろう。
56 :
没個性化されたレス↓ :03/01/29 22:46
>>51 2のデータ収集方法で、非質的といったら、
実験じゃないだろう。実験群と対照群を観察する場合もあるのだよ、
むしろ機械計測とかとかだろうよ。
57 :
没個性化されたレス↓:03/01/29 22:56
>>53 >それで「数量化できる」と考えることへの疑問から
>質的研究のムーブメントが始まってるんだろ。
行動分析学のどこで、質的研究のムーブメントが始まって
いるのかと、小一時間、問い詰めたい。
心理学全体でいっても、質的研究なんて、まともな雑誌に論文が
書けない連中が始めたお遊戯以外の何物でもない。
>>53 多分、君よりたくさん読んでいると思う。
スキナー以外の行動主義者の著作も、行動主義の哲学を歴史的に読み解いている
科学史家の著作や論文も。
>>51 >区分は厨房中かい。
意味はわからんが、ものすごく馬鹿にされている気がする。
で、大雑把に質的−量的の対比を見るとそうなるのか。
特に4とかに、質的研究にたいする固定観念が現れている。
質的研究だからといって、必ずしも個性記述に終わるわけではない。
個人の行動と他人との相互作用を詳細に調べて、何らかの一貫した法則を
提示することを目的としたものがある。
前者はエスノグラフィーである。ミクロな視点の質的研究。
後者はGTAである。マクロな視点の質的研究。
>>1 横レススマソ.
>後者はGTAである。
GTAってなに?
グレーザーとストラウスの提唱した、
グラウンディッド・テオリー・アプローチ(Grounded Theory Approach)
のこと。
エスノグラフィーが個性記述的なのに対して、GTAは非常に実証主義的だった。
詳しくは後の方で述べる。というかネタが続かないから黙っていた(汗)
これを調べているうちに、認識論がスキナーの思想と似ているなあ、
だったら行動分析との共通点や相違点を比較することで、
新しいことが見えてくるんじゃないかなと思ったのがきっかけ。
まだ勉強中なんで、一人で考え抜くにはまだレベルが足りないと思ったから
掲示板に書き込んだ。
>>57 >>58 佐藤方哉先生が筑波の行動分析学会で,行動分析学がそれなりの
勢力になって以降に育った行動分析学者には,行動分析を
「実験心理学」の既存の研究パラダイムのひとつとして選択した
に過ぎず,それが従来の心理学に対してどのような批判を基盤に
しているかや,どのような根本的オリジナリティを持っているかを
まったく意識していない人が多いことを危惧していたのを思い出したよ。
まあ方哉先生は例によってそこで,スキナーに戻れ,あえてセクト性を
失うなと力説されたわけだが。
スキナーと行動分析学がおもマウスやハトをつかって実験してきたのは,
マウスやハトを利用した方が「実験方法として有利」であるからで,
行動分析学が「マウスやハトの心理学」であるわけではない。同様に,
彼らが主に量的な指標やデータを用いてきたのも「実験方法として有利」で
あるからで,そこから見いだされた知見が量的に把握可能な事象にしか
適用できないわけではない。行動分析学が実験というパラダイムの中だけで
自己完結してしまうのなら,それは方法論的行動主義のひとつのバリエーションに
過ぎないし,スキナー先生が行動分析学に置いた哲学的意義は消滅する。
>57
>心理学全体でいっても、質的研究なんて、まともな雑誌に論文が
>書けない連中が始めたお遊戯以外の何物でもない。
百花繚乱の質的研究ブームは今に始まったものではない。
今までもそのようなブームは存在し、収束していった。
指摘の通り、しっかりと基盤を持った質的研究がなかなか生まれにくいこと、
本人の思ったとおり書けば何でも良い、エッセイみたいなものだ、と混同してしまう
者が少なくないからであろう。
ただし、質的研究はくず、と片付けてしまうのはどうかと思う。
質的研究をひとくくりにだめだというのは
行動分析を行動主義の一つとして、「これだから行動主義はだめだ」
といっているようなものではないか、と。
もっとも質的研究信奉者側が、そうした批判に確固と答えることができる
回答や、お互いに共通する哲学的基盤を提示できなかったところに
弱点があったとおれはみる。
67 :
没個性化されたレス↓:03/01/31 16:56
>>64 学習心理学スレで指摘されたように、行動分析をツールとして使い
祖の思想に全く触れないことに毎年危惧を示している
行動分析が生き残っているのは、背景にある思想から随伴性の概念、基礎と応用
などが一貫しているからに他ならないからでは、ということを主張し続けているように思うのだが、
どうだろうか?中の人?
GTA(グラウンディッド・テオリー・アプローチ)が確立し始めたのは、1960年代。
グレーザーとストラウスが既存の社会学の研究方法に反発を覚え、それに
変わる研究方法を模索しているうちに固まってきたのである。
その当時の社会学研究法の主流は、ウェーバーやデュルケムのような有名な学者が
提示した誇大理論(グランドテオリー)を現実の社会に当てはめてみて、
どこどこがこれ当てはまった、というようなものだった。
演繹法、むしろ単純に当てはめて終わりという程度の研究が主流だった。
使われる手法もアンケート。数量化したデータでないとだめ、という雰囲気だったのかなあ。
これは科学哲学の時代背景を考えれば、仕方ないなあと思う。そのころの著名な学者は
論理実証主義マンセーの影響をもろに受けて育っているのだから、そのパラダイムが
中心になるのは至極当然なわけだ。
まだ若い彼らは、そこに非常に抵抗を覚えたのだと思われる。
>67
だから実験や応用実践をする限りにおいては、行動分析の
概念を使うとしても、方法論的行動主義者で十分なのよ。
>>69 まあそこで「自称行動分析学者でじつは化石」と「化石でない行動分析学者」が
はっきりと別れるわけね。前者に未来がないことはこの板で明らかになってきたね。
>>70 こらこら前者に未来がないなどと断定してはいけない。
その言い方だと徹底的行動分析主義でないとだめみたいなのでよくない。
それだからスキナリアンに対する偏見がいつまでも払拭されないのだよ。
立派な学者っていうのは、必ず自分なりの思想、主義を持っている。
誰かがいったけど、そうした認識論は泥臭い、面倒くさい、論文にならないから表に出ないだけ。
行動分析を使うものだって、論理実証主義がちがちのものもいれば、文脈主義的(社会構築主義)な
ものもいる。ルール支配行動を使うか否かの論争をみりゃわかろう。
さらに行動分析で捉えられることにも制限があるし、取って代わるもっと有用な思想が現れるかもわからない。
漏れはBAとGTAを整理、比較することで新たな可能性が生じるのではないかと考えているから、
こんなスレを立てて、ゆっくり書き込んでいるのだ。
スキナーは繰り返し論理実証主義を批判していたね。
論理実証主義と結びついた方法論的行動主義を批判するのが
スキナーに始まる行動分析学の流れがほかの行動主義と
区別されるポイントだと思うよ。
どちらが正しいとか,どちらに未来があるという話はともかく,
論理実証主義的な方法論的行動主義に批判的でない人たちが
行動分析学やスキナリアンを名乗るのはある種の矛盾なのは確か。
それとも,いまは広い意味で行動主義的な立場を取っていれば
行動分析学者だとかスキナリアンだとか自称しても良いの?
たしかにここにはそういう人がよく登場するが。
>>72 >論理実証主義的な方法論的行動主義に批判的でない人たちが
>行動分析学やスキナリアンを名乗るのはある種の矛盾なのは確か。
そういう意味でしたか。確かに化石なのにスキナリアンを名乗るのは、
自分としてもはたからみてもおかしいことですね。
スキナリアンを名乗るメリットがあるなしはともかくとして。
>それとも,いまは広い意味で行動主義的な立場を取っていれば
とあるけど、ばりばりの論理実証主義者はいないにしても、実証(反証)できない
、うまく計量化できないデータについて研究は放置されているような気がするし、
「質的研究」といっただけで返ってくる拒絶反応をみたところ、実証主義以外の
立場を受け入れない空気、土壌が行動分析者に多いんじゃあないかと。
これは個人的な感想なので間違っていたらすまん。
>>73 「行動分析者」っていい方,「キリスト者」みたいで絶妙ですね。
>70
>前者に未来がないことはこの板で明らかになってきたね。
まあそうは言っても、行動分析概念を用いた方法論的
行動主義的アプローチは馬鹿にできたものではないよ。
自閉症児の問題行動や動物トレーニングにおける介入で
臨床的に有意義な効果を実際に得ているわけだからね。
ルール支配行動理論を取り入れたFAPやACTが
徹底的行動主義の臨床的実践に対する試金石となるだろう。
「質的行動分析」もそれに少なからず貢献できるはず。
自分にレスするのもなんだが、GTAの現れた背景からして徹底的行動主義の背景との
親和性を非常に高く感じる。
よくエスノを代表される質的研究は、量的研究では図りきれない、数量化できない
というような幻想(?)があって、質vs量という対立図式で示されることが多い。
しかし、グラウンディッド・テオリー・アプローチは質vs量といった対立を
それほど重視していない。GTAの言い出しっぺのグレーザーの方は、
完全に数量的なアプローチとして確立しようとしているらしいし。
(それが原因でストラウスと意見が別れてしまったのかもしれない)
GTAの特徴は、誇大理論から演繹的に事物の説明をするのではなくて、あくまで
具体的なデータを比較検討することで、修正可能性のある理論を蓄積しようとこころ
みたところにあって、質vs量ではない、と私はいいたい。
>>64 「マウスやハト」などという素人に批判されたくはないなぁ。
それを言うなら「ラットやハト」だろ。その程度の知識で書きこむなよ
恥ずかしい。
>77
ププッ まともに反論できないから議論の本質でないところで
揚げ足取ってるよ。「実験の素人」かどうかはここでは関係ないじゃん。
恥ずかしい。
まぁでも,素人は「ネズミとピジョン」とかいわねえよなぁ....
>>77 >>80 あのー,「マウス」は「ネズミ」という意味の一般名詞ではなくて,
心理に限らず実験に使われるネズミにはラットとマウスという
「別の種類のネズミ」がいて,研究者や研究室によってマウスで
実験するところ,ラットで実験するところがあるんですけど。
まあドナさんは分野違うから知らなくてもしょうがないと思いますが。
ラットは大型,どぶネズミくらいの大きさの白いネズミ,マウスは
小型のハツカネズミみたいな白いネズミです。
たとえばスキナー箱もラット用とマウス用それぞれ別々に作られて
売られてますけど?
82 :
没個性化されたレス↓:03/02/02 08:20
ちなみに,今の日本の心理学では実験ネズミはラットが主流ですが,
昔は筑波や名古屋ではマウスでやってたように思います。また,
スキナーのオリジナルスキナー箱に入れられていたのもラットではなく
マウスだったと思います。
おもしろい。おもしろすぎる。
52には早く、もったいぶらずにその豊富な行動主義哲学や
科学史の知識とやらから先生に反論してほしい。
84 :
没個性化されたレス↓:03/02/02 11:18
77で一体何を馬鹿にしてるのかがよく分からん。
ラットとマウスが種によって区別されてることなど実験業界では常識だと思っていたのだが・・・。
85 :
没個性化されたレス↓ :03/02/02 15:13
イの中のカワズ、タイカイを知らず
86 :
◆xNMASKq76w :03/02/02 15:36
テst
88 :
没個性化されたレス↓:03/02/02 16:01
>>77の言ってるのは、ラットとマウスを取り違えるようなやつがスキナーの
思想について理解できているとは思われない、ということだろ。
しかし、ここは素人が集うスレか? スキナーのオリジナルもラットだよ。
これは少しでも勉強したやつは知っていることだ。実験屋かどうかに関係なく。
むろん、マウスのスキナー箱もあるが、それを言えばタコのスキナー箱も
ある罠。上に出てくる佐藤大先生も、「スキナーはラットやキジで実験を
した」と書いた馬鹿を、「これだけでスキナーを全然わかっていないこと
がわかる」とケチョンケチョンにけなしてたよ。
ここを良スレだと思ってROMっておりました。
スキナリアンの化石行動主義者は、頑固な親方
実証主義以外の立場の研究も領域に入れようとする
いきの良いスキナリアンは、若い職人って感じで、
その対話の中で新しいものが生まれていく気がしていたのだが。
>>64で「あえてセクト性を失うなと力説」されていたというのは、
前者にも後者にもあてはまると思う。
なのに、今ここでマウスか、ラットかっていう話が問題になるのは、
スキナー大先生、佐藤大先生信奉者と、
理論信奉者って違うって微妙に違うからですか?
>>81 いや,あのDQSですが,そのぐらいは知ってます.
というか,
>>80は煽りのつもりだったんですが,
どうにもシパーイしていたようでつ. 横レス失礼
お ま い ら 、 こ こ は 質 的 研 究 ス レ で す
>91
横レス失礼致しました。
マターリ進めて欲しい。
参加しなくても、興味を持ってROMっている人は多そうでつ。
>>89 ここでは「頑固な親方」の方が年齢的には若くて
「若い職人」の方が概して高年齢であることが笑いを
醸し出しているんだよ。若いヤシにとっては行動分析は
「主に動物実験で論文書くための方法論」に過ぎないのに対し,
オヤジにとっては行動分析は「これまでの心理学を全面的に
否定する新しい思想」なんだよ(あるいは「思想だった」)。
しかし若いヤシはとにかく実験で論文を書かないと業績ができない罠。
しかし質的研究がもてはやされ始めたいまからの時代なら
あるいは「若い職人」が出やすくなるかもしれんが。
>>88 「キジで実験した」と書いてあろうが,そこに書かれている
「行動分析的な見方」が正しかったら,大きな問題ではないと
思うよ(多分その先生はケアレスミスでpegeonをキジpheasantと
訳し間違えただけだと思うが)。
方哉先生は「思想と実践の両立した理想的スキナリアン」の基礎に
なるのが「実験の経験」だと考えているから,キジなんて言うヤシが
実験したことあるわけない,だからスキナーをわかっているわけない,
という論理になったのだろう。でも,実験することがスキナー思想への
理解に必ずしもつながらないことは,この板での議論を見てもわかるし,
実験で自己完結して方法論的行動主義に還流する「行動分析学者」が
少なくないことでもわかる。
なぜか串規制で書き込めないのだが。
その間に少し調べてみたことを。
実証主義の中でも、誇大理論からの演繹方法及び、検証過重なやり方に対抗してGTAが生まれたといった。
実はGTAだけではなく、この時期に質的研究の主な3つが確立したらしい。
ethnography, grounded theory, phenomenology の3つである。
大雑把に、存在論をどうとらえるかで、質的調査は分派にわかれる。
グラウンディッド・テオリー・アプローチはポスト実証主義
他はまだよーわからんが、きっと
constructivism, critical theory
のことだろう。
そうそう、行動分析学の理論、思想が生まれた背景とかについても詳しく知りたいので、
だれか開設希望
調べているうちに、GTAがなぜ他の質的研究法とは違う感じがするか見えてきた。
GTAは、理論と実証的研究のギャップを問題とし、その原因として検証偏重、データ軽視
にあるとし、克服方法としてデータ重視という選択をした。
しかし、同時期に登場した他の質的研究(エスノ・シンボリック相互作用論・現象学的社会学)は、
人がいかに社会化を受けるかという受動的人間観を批判し、社会を変えていったり
安定を作り出す創造的人間像が、社会を支える基本レベルである日常生活の分析を通じて
提示されていくといった理論的主張をした。
(漏れはこいつらのいう主体的、能動的、意味創出とかいう言葉がきもくてかなわんがね)
GTAはこの理論的主張を持てば一層確実になれたが、持てなかった。
なぜなら、実証的研究法というこの方法の土台が崩れてしまうからであった。
検証重視の研究を批判しながらも、彼らは検証型研究と同じ立場にあったという
パラドックスが存在するのである。
特定の理論を前提としない実証的研究方法論として自己規定したという、非常に
危ういバランスを保っているのであった。
ところで、皆さんに聞きたいけども、
質的研究が専門だ、という人はいますか?
今までの板の流れからしてたぶんここには棲息していないと思うけど念のため。
あと、実験や調査屋の人で、質的研究についてちゃんと学ぶ機会があった、
あるいは自分で学んだという人はいますか?
興味はあるけど、よくわからんので放っておいている、
という人も多いのではないかと。
まあ、聞いたところで拙者は一人で続けますが。
恐ろしく誰も見てない………。
今の質的研究ブームもこうなるだろうな、今のままでは…。
質的研究にも種類があると言いました。流れとしては、
→ポスト実証主義
実証主義→批判理論
→構成主義
といいました。今日はそのうち批判理論について
批判理論…狭義には戦前ドイツのフランクフルト学派にはじまる。調査によって
直接に人々を力づけ開放させる社会変化を起こそうとする、あらゆる質的調査
論の基礎的なパラダイムが含まれる。日本ではフェミニストリサーチが有名。
批判的エスノグラフィーや参加型アクションリサーチなども。
存在論では実在主義だが、現実性の把握は研究者のバイアスに影響されるとする。
調査は社会的価値と深く関係し、社会的価値の実現こそが目的。
という、おせっかいな立場である。
100 :
没個性化されたレス↓:03/02/08 14:53
議論の展開も正確に読めないイタイ#66や
ラットとマウスの違いを指摘されて逆切れするド素人
がいるスレはここですか?
そういう俺は100
101 :
没個性化されたレス↓:03/02/08 15:06
95は明らかに「方哉先生」を読んでないね
さすが2ちゃんねる
102 :
没個性化されたレス↓:03/02/08 15:13
103 :
没個性化されたレス↓:03/02/08 15:55
図星だったのね
(´-`)。oO(質的研究批判派のカキコがいつも中身の無い短い煽りなのはどうしてだろう。。。)
>>100-105 わかったから、用語の揚げ足取りじゃなくて論理に反論して見せてよ。
素人X並みの煽りしかできないのでは、観戦者としてはつまらない。
上記の批判理論は特に、第二世代フランクフルト学派のHabermasが多大な活躍を
して見せたらしい。
批判理論が急に発展して、近代文明全体を否定的な目でみるようにまでなり、
急にあまり理論を失うことを恐れるようになったと。そこでハーバマスは
批判理論の背後にあった弁証法や歴史哲学を捨て、コミュニケーション行為論
に批判理論の活路を見出そうとした。
知ってる?かの言語論的展開をして見せたのはハーバマスだったことを。
漏れは勉強不足で知らんかったが。
まあ、批判理論は突っ込みすぎるとまた1から勉強せねばならんのでこれくらいで。
構築主義も1から説明した方がよい?
>>106 手続きや瑣末なティップスにはとても詳しくて,実験モデルを
与えられれば完璧にやりこなすけれども,そもそも自分の
やっていることの意味や位置づけについてはまったく理解していない,
というのは心理学実験労働者のひとつの理想的な姿であるとも言える。
そういう人がいて実験に自己完結してくれることも心理学の
発展のためにはとても大切である。責めるなかれ。
109 :
没個性化されたレス↓:03/02/09 14:46
いいから「方哉先生」読めよ>初心者さん
pegeonと書くようなやつが意味付けとか理解できてないだろうよ。
だいたい英文論文の1本も読んでないんだろ。
>>110 そんなことはいいから、その初心者の「論理」に反論してみせてよ。
論理的には反論できないから瑣末な用語などにケチを付けて
「ラットも知らないやつの議論は最初から無意味だから反論する
必要はない」ということにしたいんでしょ?
心理学板の行動主義者もずいぶん質が低下したもんだね。
>110
議論は経歴ではなくて内容でするもんだが?
>111
こんなのを思い出したよ。議論に関係のない負け惜しみはよくあるパターンのようだな。
101 名前: 名無しさん@お腹いっぱい。 投稿日: 01/10/23 05:11
あなたはどこそこの大学の教官らしいけど、それはあなたが運良くそのポジションを
得たというだけのこと。あなたが大学の教官であることと、あなたの言うことが
正しいかどうかとは無関係だよね。
あなたを今のポジションに就かせたのはどこかの大学の教官の判断だろうけど、
その先生が大学の教官であることと、その先生の判断が正しかったかどうかとは
無関係だよね。 少なくとも私はあなたについていきたくない。
102 名前: 名無しさん@お腹いっぱい。 投稿日: 01/10/23 06:32
>あなたが大学の教官であることと、あなたの言うことが
>正しいかどうかとは無関係だよね
そりゃあもちろんそうだ。問題は私がここで書いたことが
正しいかどうか,あなたがここで書いたことが正しいかどうかだ。
私はあなたの言っていることに多くの間違いや矛盾を発見し,
それに対して私が正しいと思う論理で反論した。もしあなたが
私の反論をきちんと論破できるのなら,私の職業や地位,あるいは
あなたの職業や地位に関係なく,あなたが正しい。
現に心理板では大学教員や臨床家が素人にどんどん論破され,
撤退しているではないか。でもあなたはそれが
できなかった。このことと私の職業等とは関係がない。
「大学の先生だからといって言ってることが正しいとは限らない」なんて
いうふうに,私の主張の妥当性をここでの議論の外から低めようと
すると言うことは,少なくとも議論の中では自分が圧倒的に不利であることを
認めたことになっちゃうよ。164はもうちょっと骨のある奴だと思ってたよ。
>all
もうやめたほうがいいんかなあ?
参加はせんけど楽しみに読んでますよ
激しく面白いとは言わんが,レスが付いてるとついつい覗いてまう.
継続きぼん.
内容で勝負と言っている奴がいるが、ある程度必要な予備知識の共有がないと
無理だと思うぞ。pegeon/マウス軍と自称専門家の論戦は無意味だと思われ。
しかし、Skinnerはおろか、佐藤方哉も、JEAB、JABA、Behavior Analyst、
Behavior and Philosophy(旧 Behaviorism)なんかの論文も読まず、
自分勝手に「行動分析学」を理解したつもりになっているヤツが2ちゃんね
る心理板に多い(それとも1人の厨房の仕業か?)のはどういうわけだ?
どこかで間違った行動分析学が教えられているのか?
>>119 で、その厨房のどこがどう間違っているのですか?
本や雑誌を読んでいるとか読んでいないとかではなくて、
どこがどう「正しい行動分析学」と違うのですか?
???????????????????????????????????
??????????????????????????
>>119????
????????????????????????????????
???????????????????????
122 :
没個性化されたレス↓:03/02/10 17:34
>>119 あと、行動分析学者の立場から「スキナーが論理実証主義を批判していた」
ということについての解説をお願いします。
>>72はその厨房が書いたことだと
思いますが、やっぱり間違っているのですか?
>>119 間違いが指摘できないのなら、黙っていて下さい。
1さんとその他このスレを楽しみにしている方に迷惑です。
間違いを指摘できるとしても、他のスレでやってもらえると
助かります。
>>119 ママ、ぼく、もうこーんなに本を読んだんだ!
あら、サトルちゃんえらいわねえ。こんどどんなことが
書いてあったか、ママにも教えてちょうだい。
いいよ、ママ!
みていてくれてありがとう。
漏れは、XYZの、
>激しく面白いとは言わんが,レスが付いてるとついつい覗いてまう.
というセリフに感動したよ、久しぶりに。
ぼちぼち一年計画くらいで書いていくことにします。
さて、いきなり話を戻して、批判理論はポストモダンの思想の1つである。
それは素朴な実証主義に対する挑戦であったわけだ。
しかしハーバマスが登場する以前は、「イデオロギー批判は道具的理性批判の袋小路に陥り
みずからの批判性の根拠そのものを喪失 」という限界があった。
……何いっとんかわからんね。。。
相対主義者が自分の立場まで相対してしまって、結局、自らの拠り所をなくす
というようなものなんかねえ?
この辺の話は別スレでロボ殿が詳しく話してらっしゃるので、そちらを参照。
ファイヤアーベント的な立場のことじゃないの?
相対主義者は最強だけど、存在価値はないもの。
>127 そういうことだと思います。後期批判主義、特にハーバマスは己の立場が
無意味であることをどう乗り越えるかということで、言語論的展開を示し、
主観哲学から脱却したようです。
さて構築主義(contructivism)の説明。
相対主義といわれればそれまでだが、構築主義の中でも
実証主義よりの人、完全に相対主義の人に分けられる。
・現実は部分に分けて研究などできない、文脈の中で研究できる
・知る者と知られる者を分離するこたぁできねえ
・情況に依存しないで永続する真実など存在しない、時間と状況に左右される
例えば、北澤の wwwsoc.nii.ac.jp/jses2/a4/kenkyubu/ijime/hokoku-kitazawa.html
「例えば、「いじめ」が「増加しているかどうか」や「陰湿であるか否か」
といった“状態性”についての判断を控えるということ、
さらにはそこから論理的に導かれることであるが、メンバーによる「状態性」
についての判断(定義活動)の正誤・真偽についての判断も控えるということ、
この2重の意味での「判断留保」という研究態度が、構築主義や
エスノメソドロジー研究の最大の特徴でもある。」
で、スキナーはどこへ行ったの?
>>129 社会構築主義は言語論的転回がなければ生まれてこなかった立場だ。
言語論的転回と、人格や精神などの心的概念がコミュニティの提供する
言語的随伴性の産物だと考えるスキナーは通底している。
心理学が対象とする心的概念がどのように社会的に構成されるかを
分析する上で、スキナーの言語的随伴性の概念や方法は有効。
もちろんそれは、「質的な行動分析」となるだろうね。
理論行動分析のことを言っているのか?
それと「質的研究」はイコールなのか?
そもそも「質的研究」なるものに対する共通認識がこのスレの住人にあるのか疑問。
っていうか、「質的研究」をやっているというグループ内にも共通認識があるのか
教えてくれ。やまだようこ・サトウタツヤらの「質的研究」の位置付けは?
読んだけど書いてないよ、っていうか「質的研究」の捉え方が人それぞれでまちまちな
気がする。やまだようこ・サトウタツヤたちのグループ内でもそうだ。
ただの感想文との違いもわからない。
>132
重要な指摘だと思うよ。
このスレ立ち上げたのも、結局好き放題やっていいんかい?という疑問があったからだ。
よく質的研究を推奨する偉い方は、
「量的と違って、方法にこだわらない」とか「解釈の仕方が重要なのだ」という。
で、どういう解釈がいいのか?と尋ねれば「それも多様にあるから一概に言えない」となる。
うまくごまかされているなあと、つねづね思っていたわけで。
もう一個のスレ「解釈的アプローチ」の方が伸び悩んでいるでしょ?
本当は「解釈的アプローチ」の一まとめになんかできないはずなんですよ。
私自身実験屋なので、質的研究に対する反発、誤解は強い(今も)。
だけど、考察に値しないとはいえなくなってきた。
なぜなら最初に拠る立場が違うだけだったから、いつまでも誤解をしていたのだった。
今述べている3つの立場があるよね。そのうちでGTAを推奨するのは、実験屋から見ても、
一番腑に落ちる質的研究になりうると思ったからだ。
ということで、また意見があったらよろしく。
そもそも実験などの量的な方法も含めた「研究法」が何のために発達してきたかを考える
ことが重要。それは「研究者間の間主観性を高める」ためだ。つまり,なんらかの命題が
科学の世界で「事実」とされるためには,科学者同士が「それわかるわかる,なっとく!」と
思い合うこと,そう思いあえる科学者の比率が多いことが必要,というかそれ以外の基準はない。量的,客観的な方法は別に「主観より正しい」わけではなく,それによって科学者同士の
間主観性を保証する,というパラダイムの周辺にここ200年ほどの科学が発展してきた,
というだけのことである。あるいは,なんらかの間主観性を正しさの基準にするのが科学である。
しかし,科学者同士の間主観性を保証する方法は他にもあるだろうし,とくに人間の行動や
活動を対象とする科学では,量的な手法では間主観性を保証しにくくかったり,対象となる
領域が不要に狭められてしまうことに誰もが気付いている(気付いていてそれでも量的手法に
こだわるのはひとつの見識だが,気付かないのは鈍感すぎる)。しかし,量的な手法以外の
どんな方法で互いに納得できるかはまだわからない。伊藤哲司がベトナムのビデオを撮ってきて
それをただ見せる,という「研究発表」をしたとき,誰もが「こんなの研究といえるのか」と
言った。俺もそう思った。でも,そこでビデオを見た俺たち(それぞれ心理学の研究者である)
は確かになにかを共通に「なっとく」したことを,そのあとの会話や宴会などで確認しあった。
間主観的なことが起きていることは確かだ。しかしそれはなにによって成立しているのか?
方法論をつくるということは,究極には,それで納得する仲間を増やすことに過ぎないのか?
で、ビデオを学会誌に載せるわけか?
なんか、新興宗教の集まりに似てないかそれ。
>>137 シャレのつもりだろうがあえてマジレス。
その学が「ビデオを学会誌に載せる」ことを必要とするなら,そのために学会誌の
形態を変えるべきだろうね。「学会誌が印刷媒体であり,ビデオは掲載できない」
という理由でビデオを研究と呼べないとしたら,本末転倒でしょう。学会誌は研究を
掲載するためにあるので,学会誌に掲載されるものが研究であるわけではないよ。
まあ学会誌のネット化がこのまま進めば,遠からずビデオを掲載するのも実際に
可能になるだろうね。
>>138 量的な指標をとって統計的に有意差を出せればみんなが事実と納得する,ってのも
ひとつのイデオロギー=宗教だよ。ただしその歴史は比較的長いから新興宗教とは
呼ばれないし,信じている人が非常に多いから宗教だと思われることも少ない。
錬金術の時代にはそれは立派な科学だったし,誰も宗教だとは思っていなかった。
天動説も同様。
文字という記録媒体がこの数千年にわたり最強の情報伝達手段としての地位を占めているのは
その保存性と安定性と普遍性によるところであるので、映像ファイル使用の是非はともかく、
いかにハードコピーを保存・伝達するか、というのがシリアスな問題になると思われ
>>140 うちの大学,今年から紀要がCD-ROMになった。まあ内容はpdfで
「文字」なんだけど,学会誌のWWW化など「印刷媒体」離れは
確実に進むと思うぞ。なにしろ索引や検索,コンコーダンス作成などでの
デジタルファイルの圧倒的優位にはもうみんな気付いたからな。
その副産物として文字以外の情報伝達・保存の普遍化も進むという罠。
で、CD−ROMなどというものが古代の遺産になった数千年後には
その紀要の内容はもはや誰にも解読できなくなっているにも関わらず、
メソポタミアの粘土板は変わらず情報を保持し続けているという罠。
そして俺自身そのような文章をWWWで綴っているという皮肉。
>>142 まあうちの紀要の内容に数千年保存する価値はないだろう(笑)。
そんな価値があるなら別のメディアにも変換されるだろうしね。
保存性の問題は木簡,パピルス,羊皮紙,紙なども同様で,
数千年前のものが残っているのはごくごく稀なことだ。
そのレベルの保存性が重要ならいまだに粘土盤が使われているだろう。
永久保存の利かないパピルスや羊皮紙に書かれた「内容」が今に
伝わっているのは写経などの複写が継続的に行われたからだ。
その点でデジタルデータの複写容易性も無視できないな。
かなりスレ違い入ってるけど、いいのか?
デジタルデータではない、フィジカルに表現された文字の優位性は三点ある。
1、言語記号体系を理解してさえいればエンコード・デコードができる。
2、媒体が物理的に消滅しない限り情報が保たれる。
3、人間が介在するだけでデータを異なる媒体に転写できる。
これに対し、デジタルデータの記憶・保持・再生・転写には
常にそのデータに対応したシステムが必要だ。
たとえば、フロッピー以前の記憶媒体である紙テープが
今残っていても情報を再生するのは極めて困難だ。
千年の計をはかるなら、コードと一緒にデコーダを保存するか、
さもなきゃ千年後でも確実に解読可能なメディア、
すなわち、言語を利用するか、どちらかしかない。
別に紀要のデジタル化は大いに結構なことだが、
技術という時代的制約に縛られる情報は思いのほか脆い。
例のビデオ研究についても、その最大の難点は、
テレビと電気がないところでは意味がないということだ。
その点、その内容を言語化して記述してしまえば、
情報の精度は落ちても、伝達は容易になる。
紀要を電子メディア化するのは大いに結構なことだが、
電子メディアに常に依存する情報体系は脆い。
言語使用能力は人間に普遍であっても、
全ての技術は時限的なものでしかないのだから。
たとえば、世界中の全ての研究論文がデジタルデータで
示されるようになった場合、電磁パルス一発で人類の知的遺産はパァだ。
紀要一冊などどうでもいいが、情報化社会全体の今後を視野に入れるなら、
デジタルに依存しないハードコピーの重要性は忘れられてはならない。
とかいいつつ、ロボの言語論と情報論は、ほぼ神林長平の受け売り
こないだ奈良時代の遺跡から便所の落書きが発見されて話題になったけど、
同じ便所の落書きと呼ばれるこの2ちゃんねるは、それよりずっと危うい存在だ。
なんら未来に蓄積されることのない、刹那的なコミュニケーション手段であるに過ぎない。
それゆえに、これほどまでに社会への影響力を持ちながら、どことなくもの悲しい存在だ。
>>144 んっ!めずらしく極論の意見なので脱線ついでに突っ込んでみる。
過度のマジレス禁止。
デジタルデータではない、フィジカルに表現された文字の優位性は三点ある。
1、自然言語体系に優位性があるのはなぜか?
2、媒体が物理的に消滅してしまうと情報もなくなるの間違いか?
3、電気がないような未来を仮定することが現実的か?
>これに対し、・・・
今尚解読されていない文字も多数あるが?
>たとえば、・・・
漫画の読み過ぎか?
いずれにしても、
紙のセキュリティは万全で、電子化されると脆いとかいうのは全く間違い。
セキュリティ論について考え直すことをお勧めする。
148 :
没個性化されたレス↓:03/02/14 17:57
なんか,ロボの論は「そろばんは電気がなくても使えるから非常時にも
便利」みたいな論と似てるぞ。俺なら,電気がなくなるような非常時には
そろばんもいらねえだろう,と答える。
学問はその時代に通常利用可能なメディアを通じてなされればいいだけの
話だ。500年前にもビデオがあって,それでも紙が選択されていた訳じゃ
ない。大昔の文献が残っているのはそういう意味では「偶然」だ。
何らかの知識や表現が後世まで伝えられたか否かもその情報の重要性ではなく,
利用メディアに依存した偶然なのかもね。
ドイツで100年前の日本人の会話音声が発見されたことが貴重なのは,
音声という情報はそうした偶然から取り残されてきたからだ。
それは音声が無価値であったからとか,無価値であるとかいう話じゃないよね。
時間が経てば消えるもの,電磁パルス一発で消えるもの,それは
デジタルデータ固有の問題ではなくて,現代の文化そのものの特性だ。
意味のあるものは何も残さず,ゴミだけを残すという特性から
学問だけが自由であるわけではないし,自由である必要もないだろう。
われわれの学問が目の前の人間やその活動を対象にしているならなおさらだ。
149 :
没個性化されたレス↓:03/02/14 18:36
>>144 >>147 んー.釣られているようだが.乗っておく.
デジタルデータの一番の弱点は,それを理解/本質的に操作できる人の数が限られるということだろうな.
たとえば昔懐かしの5インチFDだが/*8インチは細々と現役と聞いたが*/,
今,一般の人が5インチFDメディアからデータを読み出すのは難しいだろうなあ.
あとは,読み書きの道具の簡便さじゃないか?
しかしながら,デジタルメディアの衰亡は,新たなメディアへの以降で起こっているから,
原理的には全ての情報は新たなメディアへ移行されて保存され得ると思う.
で,今のように分散コンピューティングが進むと,何かの要因で全てが一瞬でパァってこたあないと思う.
>電磁パルス一発で人類の知的遺産はパァ
ってことは無きにしも非ずだが,それほどきつい電磁パルスなら人類全体が黒焦げのような気もするしなあ.
個人的には,検索性・道具一式を含めた可搬性・必要スキルの低さ等で紙メディア,
複写性やネットワーク込みの伝達性等で,電子メディアが優位と見るが.
媒体の強靭さや永続性は,どっちもどっちだろうな.
極論というかね、世界観が違うのよ。
問題はセキュリティ論ではないし、電磁パルスが起きたらどうするかでもない。
人類の普遍の知的遺産をいかにして守り、後世に伝えるか。
この必要性を痛感したことがなければ、こんなことは問題とも思わんだろう。
ようは。
泣きながらリヴィウスの断片を読んだ者にしか本当の悲しみは分からない。
と。
知識の価値は文化に依存する,普遍の知的遺産なんて
存在しない,ってのが「いまふう」の考え方だけどね。
そう。
だから、我々がゴミだと思ってるイオンド大学の2002年版紀要も、
千年後に発掘されたら文化的遺産。
相変わらずかわし方が巧いな。見習いたい。
>>153 それには同意。だからこそ「いま使うメディア」の選択を
保存性や耐久性を基準に行う必要はないし,保存性のよい
メディアに適合するかどうかと研究の価値や有効性は無関係。
ところで,イオンド大学に紀要なんかあるの?
話が脱線しながら、さまざまな話題で盛り上がり,ぼちぼち進むこの感じが好きなので続けてください。
今回は136からなぜかずれてきたですな。
>それは「研究者間の間主観性を高める」ためだ。つまり,なんらかの命題が
>科学の世界で「事実」とされるためには,科学者同士が「それわかるわかる,なっとく!」と
>思い合うこと,そう思いあえる科学者の比率が多いことが必要,というかそれ以外の基準はない。
これみてディビットソンの「おもいやり」を連想したよ。
彼は相手のことが翻訳不能な時はでたらめに聞こえるけど,解釈するにはできるだけ
筋が通るようにやってみる,という姿勢を言ったわけだが。
この相手を理解しようとする態度,っていうのは一概に納得いくものではないが
その際のおもいやりの対象範囲はどこまでなのか?
>136は「科学者同士」といっているけど,俺はもうちょっと広いのではないかと思うがどうよ?
つまり科学者内だけのコミュニケーションにとどまらず世間に成果を正確に
還元する構造が必要ではないか。
科学者と一般市民の理解のレベルはもちろん違っていてよいが、今の世の中は科学者内の
知識を一般聴衆が誤って理解して,勝手に解釈されている気がしてならん。
まあ科学者同士でもお互いを理解し会えないので,範囲を広げようと思うのが
無理な話なのかもしれないがね。
157 :
没個性化されたレス↓:03/02/15 20:12
>>156 そういう「納得の枠組み」を共有しているのが「科学者コミュニティ」
なんだし,そのコミュニティは仲間以外をその枠組みから排除することで
なりたっている。
極言すれば,科学がその枠組みを一般市民と共有してしまったらそれは科学で
なくなってしまう。というか,科学はそういう「科学者でない人びと」がいて,
それと差異があるからこそ科学としての同一性を保つことができるのだ。
「あなたがたは地の塩である」ということで,そういう意味では科学は明らかに
セクトであり,宗教であり,カルトである。
>150-151
話しはわかるんだが,あの論理では,,,
問題を矮小化するとこういうことだと思う
他板よりコピペ
> 902 : :03/02/02 20:15 ID:KE8BG0gf
> 大隈のMC−5VA! OSP−5000!
>
> 今時、8インチのFD、どこで探せちゅうねん!
>
> せめて3.5インチにしてくれ!
>
>
>
> ってこんな中古、買うなよ社長(つД`)
エンジニア系の拘りというのは,それはそれで外部の人には共感し辛いものだからさ.
野暮用で出かけたハードオフで、
PC98版の5インチフロッピー版信長の野望を発見。
諸行無常。
しかしフロッピーの規格ならまだいい。
過去たった一度だけゲーム化された神林作品「敵は海賊」が
MSX版だったと知ったときのあの絶望といったら。
そしてROMはどこにも残ってないという罠
単行本未収録の幻の短編と言われる作品だって、
国会図書館なら読めるのに……
>>163 多分,開発した会社か,少なくとも開発者はデータを持ってる可能性が高いんだがなあ.
そのへんになると,確かに関係者以外には unreachable なデータだわ.
研究サイト等で取り上げられてる、ドラえもんの旧版アニメシリーズ
(今続いている奴より古いシリーズで、すぐ打ち切られて終了してしまった)
なんかは、製作会社が倒産したためにフィルム一本すら発見できず、
わずかに数分の録音カセットテープが残されているのみだそうな。
お ま い ら 、 こ こ は 質 的 研 究 ス レ で す 。
>165
あれみたい。なんでも電波ゆんゆんでサイケなドラちゃんだったとか。
当時の生き証人たちを集めて再現リバイバルして欲しい。
169 :
没個性化されたレス↓:03/02/18 03:20
are
いい感じに下がってきている。
書き起こしが大変で書き込む間がねえ…。
発表はぼろぼろだったし……。
学問として成立していないから教えることが出来る教員がまだいない。
よって全部自力で、アドバイスすら聞くことが出来ん。
質的研究についてもっと基礎がためしないと、いつまでたっても
系統だった学問としての発展は望めないぞう。
っていうか、調査のプロセスが量的研究と変わらないと思う今日この頃。
かきこめない理由として、調査が多忙というのがあったからだが。
インタビューをするにあたって、事前にある程度は準備はするが、実験のように完璧なセッティングはできない。
そこだけつくと、ぜんぜん手続きが明確でないと思えてしまう。
しかし、1人の人にインタビューをすると、本来聴こうとした話から全然関係ない話まで、
ごちゃごちゃとした意見が出てくる。
この話を全て研究には使えないわな。単なる書き起こしである。
(もっともそれをやってこんなことがわかった、とかいう香具師も多く、レベルを下げている感も)
出てきた意見が、最初に考えていた仮説を支持(否定)するのか?その原因は何か?
それを今あるデータで説明できるか?できないのならどのようなことを次に聞けばいいのか?
etc…、とまあ続いていくわけよ。
この、次に聞くことを考えるプロセスっていうのかな、この部分が非常に仮説演繹的で、
実験法におけるものの考え方と全く変わらん。
>この、次に聞くことを考えるプロセスっていうのかな、この部分が非常に仮説演繹的で、
>実験法におけるものの考え方と全く変わらん。
その辺はロテ氏も臨床における実践において述べられていた訳だが,
>出てきた意見が、最初に考えていた仮説を支持(否定)するのか?その原因は何か?
>それを今あるデータで説明できるか?できないのならどのようなことを次に聞けばいいのか?
>etc…、とまあ続いていくわけよ。
という出てきた意見が仮説を維持するか否かってところで,
いかに恣意性を排除するかが問題だと思うのだが?
その辺はいかなる配慮がなされていますか?
>>171 時間があれば、「夏太郎の勉強部屋」スレの
>>307以降を読んでいただきたい
(まだあの内容をまとめるまで逝っていないので)。
ところで1氏の調査のための面接はより構造化することはできないのでしょうか?
>>172 >という出てきた意見が仮説を維持するか否かってところで,
>いかに恣意性を排除するかが問題だと思うのだが?
>その辺はいかなる配慮がなされていますか?
心の底から同意。
>172
>という出てきた意見が仮説を維持するか否かってところで,
>いかに恣意性を排除するかが問題だと思うのだが?
主観と恣意性の区別・・・。究極的には排除できるのかなあ(笑)
仮説を立てて、それがどうか確認するために聞きまわるということ自体は
非常に恣意的だねえ。
これは実験の仮説を考える際にも当てはまることで、
例えば現在これこれの考える材料があり、これらを組み合わせることに
よって想定される仮説はなんだろうか、という具合に考えるわけですな。
このとき、ロボットのように考えられうるすべての仮説を想定して、すべてを
確認するようなことはアルゴリズムではない。考えられた中で一番もっとも
らしいものを、自らの知識・経験から判断して選ぶわけで、さらに仮説を
判断する材料が不足していれば、またフィールドにでていろいろ拾ってくる
わけで。これが恣意的でなくて何なのかと。
ととりあえずは、仮説を選ぶにあたってを書いた。ドナさんが知りたいのは、
そのあとのことであろうけれども・・・。少ない頭を使うと、しばらく
ショートするので、また今度。
>173
スレ紹介してくれてありがトン。
っていうかかなり議論が進んでいたんだ。
やはりこれからの哲学は対話によってすすめていくべきだね・・・
このスレもつい独りよがりだったので進まないわけだったのか
GTAは今まで習ったような質的研究手法とはかなり違って斬新だったでしょう?
社会学と保健医療学分野でしか使われていないのが残念なところだけど、
木下康仁先生という方がカリフォルニア大まで学びに行って、実際に
修正版グラウンデッドテオリーなるものを提唱しています。
拙者はこの人の本を読んでから目覚めてしまったのです。
でわ、いいスレ紹介していただいたのであちらに移動しますわ
アマゾンはうまい商売をしてるよな
(^^)
∧_∧
( ^^ )< ぬるぽ(^^)
これも保全あげ
今までは理屈ばかりが先行して実際に調査をしてみるまでわからなかったことが
ちらほらと出てき始めました。
その辺りの「臨床知」とでもいうべきものを少しずつ言語化できれば
いいなあと考えています。
まともにやるには一生かかっても無理だろうけどね。
GTAは非常に魅力的であり、長期間かけて、対象となる人々の相互行為の変容過程を
書き上げるにはもってこいの方法である。非常に細部にわたってコード化を行い、
それぞれがどういった関係にあるか調べるために徹底的に比較を繰り返すために
長期的な研究になりがちである。
今回はそんなに時間がかけられないので、すべてGTAに頼った研究をするのではなく、
多少その考え方を折衷したやり方になりそう。
まあ、メインはKJ法だけど。
で、自分の中でもKJ法は単なる分類の技法であり、大した奥深さがないとか
カテゴリーに分類するだけで、カテゴリー間の交互の関係を調べるとか、
因果関係にまで踏み込んだ分析はできないと思い込んでいた。
あと、一回きりの取材で得たデータをまとめる方法だ、とか
ブレインストーミングの続きにKJ法をやって、アイデアをまとめるという、
企業の新QC7道具の1つ程度の扱いでしかなかった。
そんな私だが、あの名著「続発想法」を読むと同時に、それらが偏見でしかなかったこと、
川喜田二郎の思想もまた、GTAと同じような歴史の中で生まれてきたことがわかった。
ちょうどこの本が出たのが70年代前半。GTAのグレーザーやストラウスが主張をはじめた
ころと同時期。
いうまでもなく、これより少し遅れて、社会構築主義が叫ばれるようになる。
ぬ。
ひっそりと続いていたのね。
応援sage。
えーーー,GTAの本は届きますた.
でも,この本一冊まるまる読むひまはないっす.
とりあえず,火急的に読むべきところをご紹介ください.
......しかし,4章の「具体的方法」ですら,俺には難しいと思われ......
でも,面白そうなのはわかるんだよなぁ....
この本は一回ざっと読んだだけでは難しいし、いちいち引っかかるところも多いです。
でも、グラウンデッド・セオリーについて体系的にまとめ、しかも
彼らの理論の特徴や欠点を鋭く指摘して、かつ自分の意見を述べたものとしては、
非常に優れていると思います。
読むとしたら、木下流の方法の部分で、とりあえずだれでもできそうなやり方
というものが見えてくるのではないかと。
いずれその辺もまとめてみますがお待ち下さい。
ホームページでしたら、↓が簡潔にまとめられています。
ttp://www.sv.cc.yamaguchi-u.ac.jp/~ysekigch/qual/grounded.html あとは、上智の岡先生のホームページかなあ?
自分でやっていてエスノと比べてグラウンデッドセオリーが
なぜか流行らない理由次第にわかってきた。
グラウンデッドセオリーは実はKJ法そっくりであると。
さて、GTAとKJ法の本に従ってインタビューを集めているのであるが、
・インタビューで何を聞くか(質問項目の選定)
のところで、面接者の能力に委ねられている部分が大きいと感じている。
つまり、ここで目的と照らし合わせたときに、どのような意見が聞けそうかと、
推測して質問項目を考えるという飛躍がある。
データに基づいた理論を構築することがGTAの特徴といったけれども
インタビューに入る前の時点ですでに、演繹的思考が求められている。
もっとも、どうしても何を調べたいかわからないときは、なんでもいいから
当事者に話を聞いて、質問項目を探るのが薦められるのであるが、
すべてのインタビューがそのような手続きを取るわけでもないらしいことがよくわかった。
>>187 バカドナにご指導ありがとうございます.
少しずつ歩んでまいります.
━―━―━―━―━―━―━―━―━[JR山崎駅(^^)]━―━―━―━―━―━―━―━―━―
∧_∧
ピュ.ー ( ^^ ) <これからも僕を応援して下さいね(^^)。
=〔~∪ ̄ ̄〕
= ◎――◎ 山崎渉
192 :
没個性化されたレス↓:03/06/15 14:12
つづきはないのかな?
ちょっと行き詰まっていてなかなか書き込めそうも無いです。
とりあえず、本の紹介でも。
R.K.イン 近藤公彦訳(1996)ケース・スタディの方法 第2版 千倉書房
以前出てきた一般化には2種類あって、
統計的一般化−あるサンプルについて収集された経験的データに基づいて母集団
に関する推論を行うこと
分析的一般化−追試や別の事例などで同じ理論を支持し、これと同等に起こりうる
対立理論を支持しないなら、この理論はより堅固なもんであるといえるという考え方
ケース・スタディは後者の一般化を目指すから、統計学的な基準から、未熟な学問だ
というようないいかたはできないなど、事細かく書いてある。
なんせ図表が多いので、視覚的に非常にわかりやすい。
インのこの本はすでに第3版まで出ていますが、2版とどう違うのかは
まだ未確認。
そんなところで、sage
__∧_∧_
|( ^^ )| <寝るぽ(^^)
|\⌒⌒⌒\
\ |⌒⌒⌒~| 山崎渉
~ ̄ ̄ ̄ ̄
あぼーん
197 :
没個性化されたレス↓:03/09/25 21:58
age
「心理学のための質的研究法入門 創造的な探求に向けて」
C.ウィリッグ著 培風館
199 :
没個性化されたレス↓:03/12/20 22:05
age
ん。懐かしいスレだ。。。
ついでに200get
201 :
没個性化されたレス↓:03/12/20 22:13
203 :
苦悩するドナ ◆oyDevpsyVg :04/03/27 21:35
>>1さんの主旨とは外れるが,
質的心理学会設立おめ! 記念age
ということで,質的-量的にまつわるこんな話,ってことで.....
心理学研究におけるいくつかの対立軸
1.問題意識の発見「生活実感的-先行知見重視的」
2.介入目的の有無「実践的-純粋学問的」
3.研究の計画性「臨機応変的-実験計画的」
4.論も立て方「仮説生成的-仮説検証的」
5.研究の目的「個性記述的-法則定立的」
6.統計の利用「定性的(質的)-定量的(質的)」
7.追試可能性「一回的-反復的」
8.データを取る場「現場-実験室(教室・講義室)」
9.研究対象との関係性「関与的-権威的」
10.データの産み出し方「生態的-人工的」
11.データ発生の場の見方「文脈重視-要因重視」
12.解釈の対象「テクスト主義的-データ主義的」
13.利用する統計「記述統計-推測統計」
尾見康博 1998 フィールドワーク,現場,心理学 東京都立大学人文学部「人文学報」,288,101-114.
なんかよぉわからんが.....
ということで,
>>204は
サトウタツヤ・渡邊芳之・尾見康博 2000 心理学論の誕生 北大路書房
からの引用なわけですが,なんつーか,
気持ちはわかるんだけど,なにか暴走してないかなぁ.....
例えば,上述書p83
>ビデオに限らず,数量化していなかったり,検定できないようなローデータを見せられても,
>やはり同じ言葉を発してしまう。心理学者の言う“データ”とはつまり,検定することのできる
>数値の集まりのことである。
そりゃ,従来の(
>>204の次元で言えば),仮説検証的で,法則定立的で,
反復的でデータ主義的な立場を揶揄することが目的であるならば,
上記のようなものの言い方ってのはアリだとはおもいますけれどもね。
しかし,仮説生成的な研究でも,「なにを見たいか」を明確にしていない限り,
「データにならない」テープってのは存在する。
例えば,何も言わず,研究者以外にビデオカメラを渡して子どもを録画してみたものは
正直,データにならない。なぜなら,カメラでどこを切り取るかがわかっていなければ,データにはならない,
つまり,もっとわかりやすく言えば「映っていないものはデータにならない」ってことなんだよ。
そう考えると,
>心理学者の言う“データ”とはつまり,検定することのできる
>数値の集まりのことである。
ってのは違うよなぁ。
少なくとも漏れが「データにならない」ってのは,
「見たいものを見ることができていないデータ」ってことなんだよ。
それは量的-質的や,
>>204のような次元の問題ぢゃないんだ。
だからこそ,研究者は,データをとる前に,死ぬような思いをして,
なにを研究したいのかを考えなくちゃいけないんではないのか?
なんて,よぱらーって絡んでみる。
ってゆーか.....違うな。わざわざageたのはこんな話をするためぢゃなかったのに....
頭冷やしてくる。
208 :
没個性化されたレス↓:04/03/28 03:00
>>206 じゃあ「見たいものが見えてる」ことと「見えてない」ことは
どこが違うのか、見えてるか見えてないのかはなにによって
判別されるのか、たとえば統計的検定はそれの判断基準に
なり得ているのか(論文作成テクニックとしてではなく
ドナ様自身の「見えてる感」の成立において、という話)など
と問うてみるかな?
いずれにしてもあなた業界人なんだから上のようなことは
著者本人に直接意見してみるのが良いと思うよ。そのために
学会があるんだからさ。
209 :
没個性化されたレス↓:04/03/28 08:41
サトウタツヤに統計のことを聞くのはむり
210 :
没個性化されたレス↓:04/03/28 09:43
「見たいもの」が実際に「見ることが可能なもの」なのかどうかも問題だと思うみげー。
見ようとしているものが間違っているだけかも。
つまり、今ごろ観察の理論負荷性を言いたいの?
とりあえず
「ドナ先生が見たいもの」と
「それを見ようとしているが見ることができていないデータ」を
具体的にあげてもらえれば、それを叩き台に話が進むやもしれん。
んー,絡み酒はあとのフォローが大変ですのよ(w
ということで,
>>211 へぇ,「観察の理論負荷性」って始めて聞いたですけど,
http://funahasi.com/fsroom/contpc.php3?ID=29&janID=1&jan2ID=2 なるほど。
つまり,「データにならない」のは「検定にのらない」からではなく,
「理論的背景の欠如」であることの方が多いのではないかと。
>>208 >見えてるか見えてないのかはなにによって
>判別されるのか、たとえば統計的検定はそれの判断基準に
>なり得ているのか
例えば内容的妥当性は検証可能か?ってゆーと,
それには恐ろしく手間がかかるのであろうということ。
あたしゃ今まで「見えてる感」なんぞ持ちえたことはないですがね。
とはいえ,んな話をしたところで無益だとも思うわけで....
ともあれ,
>>212 >「それを見ようとしているが見ることができていないデータ」を
「見ようとしていることと」「見ることができている」ことの乖離は,
先の妥当性の問題につながりますわね。
まぁ,すべからくデータは何かを語っている,という考え方もありだろうし,
それで論文にまとめることも可能ではあるんだろうけど。
>>208 >いずれにしてもあなた業界人なんだから上のようなことは
>著者本人に直接意見してみるのが良いと思うよ。そのために
>学会があるんだからさ。
あはは,おっしゃるとおり。学会に行かなくても,
いまはいろんなMLとかもあるみたいですしねぇ。
とはいえ,ドナはここでクダ巻くだけなの。DQNだから。
>>214 >まぁ,すべからくデータは何かを語っている,という考え方もありだろうし,
それってつまり、物事(データ)は見る側の志向性を離れた「本質」とやらを備えていると?
うーん,「物事(データ)」って表記が今ひとつピンとこないでつ。
個人的には,「事象(物事)」と「それを切り取ったもの(データ)」は分けて考えた方がいいかと。
そして,「見たかったもの」と「切り取り方」については「妥当性」に関する議論になるだろうし,
「切り取り方」が「見たかったもの」とは別の「見られるもの」を有していることもあるだろうと。
うーん、ドナ先生今日に限ってはちょっとレベル低すぎ。
その手のテーマは最近気軽に読める和書も増えてるので
少し勉強されたし。
ふぇ?どんな尺度が知りまへんが,いっつもこんなレベルですよ。
>その手のテーマは最近気軽に読める和書も増えてるので
手ごろなのをご紹介賜りたく。
>>217 それは科学者や心理学者向けの研究ガイドのこと?
それとも「意味の全体論―ホーリズム、そのお買い物ガイド」や「科学哲学」みたいな単なる哲学解説書?
横やりレスで質問すみません。
「科学としての心理学」培風館 森正義彦編を
最近読んだのですが、心理学業界の皆様の間では
この本の評判はどんな感じなのでしょう?
非業界人の素人なので、ご意見お伺い致したく。
221 :
没個性化されたレス↓:04/05/01 18:08
>>220 こんなところにsageで書き込んでも
誰も答えてくれないよ。
「質問箱」か
「この本だけは読んでおけ!」で質問しなおしなされ。
>221殿
ご親切な方、アドバイスありがとう。
質問箱に行ってきまぁす。
223 :
クラリス ◆zuLLaJzEzk :04/08/04 20:43
指導あげ
224 :
バカのカバ:04/08/04 22:01
>>214 >>215 見る側の志向性を離れた「本質」とは何か?そんなもんありか?
見る行為はいつも何らかの状況に埋め込まれているから、そこを離れるなんざ神話神話。
はるか、プラトンのイデェの世界やな。
猫タソ、ひさびぶりだなぁ
226 :
バカのカバ:04/08/04 22:25
なんかこう、食いつきが面白くないってか生産的でないってか感じさせるよな、ここ。
質的研究である云々というなら、まずは
質的研究
量的研究(が反対概念か?他にもあるのか?)
を定義しろよな。それがあれこれ揺れてて、揺れてないのは人物名とその文献
(しかも、その中身が説明されてない!)んじゃ論議になるめぇに。
いつから行動分析ってのは人物崇拝になったんだ?
227 :
没個性化されたレス↓:04/08/08 01:05
松井hideはベーブルースなんだと
228 :
没個性化されたレス↓:04/09/22 22:23:11
保守
229 :
没個性化されたレス↓:04/09/22 23:12:23
>>227
は?
歯?
ははは?
232 :
没個性化されたレス↓:04/12/27 01:48:31
愛のあげ嵐。
>>216 いいこと言ってると思うな。いつもより低いとは思えぬ。むしろ高い。
234 :
没個性化されたレス↓:05/01/21 13:16:59
昔はみんなマトモだったんですねー。懐旧の念やむなし。
235 :
永田御殿の御通りだ!愚民はどきやがれ!:05/02/05 09:04:28
,;::;:;:;:;:;;:;:;;:;:;;:;;、" ゙'' " ゙''" ゙'' ゙;;:';:;;;、
';:;;:;:::;:;;::;::;::;;:;彡 ー -- .... ... ゙ヾ;;:;;
,;:;:;::;;:;;:;;i''''"" ゙゙ '''''ー ‐ ゙i;;'
;;:;::;;::;:;;:; ,.,,;:;:;:;:、、 ,,,;i;
_,..-‐''" ̄,`゛'ー- 、.. /⌒ヾ;:;:;:; ゙゙''ヾ;;;、 ,!;;''"i'
,.'". , .、' " ' `ヽ i ゙; ゙i i;:;:;. 。 ー=ニエjゞニ''^゙kェjァ
,/' ´ ' . , . : ´ : . 'ヽ、 ! :. | ;:;;' '⌒` ー''" ゙`ミ f'iー''`i
/, '´ , ' ` ' ,. : ' '' ,ノ=;; :、゙ (i;;'. , ゙; ソ、 .|
,/;'" ,: ' ,. '´ `,..;;;;;;;;;;;;ヽ :、 | /´,-、 ,;ソ、. !
__,ノ ;: ; ' . ,/ ` 、'''';;;::.'"`ー'i /`":;:;:゙'"i: ,!
(´ . ', ; . : ' / '''" ,.-: /;:;:;;-‐=ニニ`) /
`、'´ `゛- . ,゛' ' , , : ' ,." 丶 ,. '" 、 / ''ヽ`ー;-;-;!( /
`ー,、 : ':' ,.'" ゝ-..__,..-;''' \ ゙  ̄ ̄ ,i
,f::,`,=、 ' , '_,.=;::;;,,. ,! `、 `゙'ー-、;:;ヾ;:;;:;:;:;:;:;:;;;;ノ
ノ i´ヽ:;:. ...,,,,;;;:;;;;;;;;:;;;;;ヽ ,,‐:,ニ!-,ヒl ヽ `゙゙゙''''''''''''''"
/ ! `ー---‐=イ;;;;; '゙'レ:;=ニ=‐''''"~ } @
(,ミニニ,,) };;:' l´ T }
`ー=ー' I;' i! ノ /
j } { {
236 :
没個性化されたレス↓:05/03/15 20:42:13
質的研究バブルあげ。
なんでナガタートルさんがいるんだ
238 :
没個性化されたレス↓:2005/05/28(土) 18:35:30
保全あげ。
ドナよ、臨床じゃァ
240 :
没個性化されたレス↓:2005/07/27(水) 18:47:59
教員が2chに出てくるのは心理板だけだな お暇ですね
↑現在の社会的評価の差がこんな所にも表れているんです。
給与・待遇の格差が生じる訳ですね。
242 :
没個性化されたレス↓:2005/07/29(金) 23:57:11
所得格差の拡大は日本社会の一般的傾向でもあるんだが
243 :
没個性化されたレス↓:2005/08/24(水) 20:31:21
今は同じ大学生でも10年後の生活水準はどれだけ違ってくるか。
244 :
没個性化されたレス↓:2005/09/15(木) 17:35:06
臨床の指定院の修論でGTA使おうとしてる友人がいるんだけど、
教員はあまり賛成でない、というかよくわかってないらしい。
うまく説得できるのかなぁ。
245 :
没個性化されたレス↓:2005/09/27(火) 18:38:40
アホがアホを説得して・・・
元々偏差値低いんだからしかたね〜んだYO.心理の教員は!
248 :
没個性化されたレス↓:2005/12/13(火) 20:37:52
質的ネ 笑わせるよな
250 :
没個性化されたレス↓:2006/06/01(木) 20:55:56
おもしろいスレだったのでage。
251 :
没個性化されたレス↓:2006/06/01(木) 21:09:57
>>244 臨床心理学の概念は構造化されておらず相互の関係性はあいまいなままだ。
GTAなんていってる状態ではない。
252 :
没個性化されたレス↓:2006/06/01(木) 21:27:00
思い込みとデタラメと捏造データをグツグツ煮込んでよくかき混ぜ、
女好みの味付け、スパイスを効かせ、冷やして固めたのが心狸ガクです。
もちろん、学問とは無縁ななシロモノですよ。
久しぶりに帰ってきた。1です。
今年は学会に行って来ようと思いますが、なんかユニークなテーマに
取り組んでいる人が少なくなったのかな?
まあ、この堅さこそが行動分析学会らしくていいんだけども。
質的研究=GTAと思っていた時期よりも方法論としての幅が広がっている一方で、
やはりただのコーディングやKJ法もどきで理論的収束がなっていない質的研究
が増えつつあるのも事実。
彼らは「フィールドから調査対象を見つけ、ありのままのデータをもとに
そこでの営みを再構築するもので、何かと比較できるもんじゃない」と
でも言うのだろうか?
もちろん「反証できない=非科学的」はちょいと違うと思うけど、量的研究
と質的研究の奇妙な棲み分けができていないか?
例示すると、病院の治療と未知の病に対する心霊療法みたいな関係とでもいうのか。
(最近、現代科学論読んだのがバレバレだけどね)
方法論が違う、だから、お互い好きにやってくれという状態だと思うけど、
行動分析学、しいては心理学の将来を考えたとき、本当にこのままでいいのか?
と象牙の塔から離れたところでふつふつと感じていますがどうだろうか?
行動の機能と行動の質。何が違うのかね?