>>951 これは失礼した
それでは、あなたはお得意?
でしたら、ぜひ「ななし〜」さん
にお付き合いしてください
ぼちぼち次スレの用意しておいたら?
>>952 ななし〜はどうやら面白そうなことを言っているようだが,
正確に伝わってこないのも事実.
よって,「お付き合い」するのはなかなか骨の折れる作業だったり.
このスレ見てる人で,ななし〜の文章力にイライラしている人もおおいんじゃない?w
>>956 >正確に伝わってこないのも事実.
たしかに。
哲学的な話なら抽象的でもいいんだけど、
心理学の方法論についての話として読むと、
あまり意味がないようにも思える。
>>950 それって、プラトンのイデア論みたいだね。
>>954 ご紹介感謝.
で,
>「社交性」の尺度に限定して書いただけです。
というのも了解.しかし,その上で,
>>907のようなことを書いたんだが.
確かに,SCBEの手続きや項目を見ると,
>保育士さんの素朴な対人認知.
なんてぇのは,つっかかりすぎだとは思いますけど,
この正高さんの場合でも,
>「社交性」の操作的定義によって,いかようにもできる.
ことの1側面であることに違いはないと思われ.
というか,
>>907で俺が書いたことは,
「発達心理学研究において「真の」妥当性なんてものを保証することは不可能である」
ってことなので,通常禁句とされているものだし,
通常の文脈で言えば,この研究は非常に面白いでつが.
>>950 >それが真であるかどうかわからない=論理として採用出来ない=意味無し
>=存在しないに等しい=キャンセルすべきもの
ある命題が真であるかどうかは実証できない。
(数学でも実証されている定理は一つか二つと聞いたことが
ありんす。 間違ってたら、訂正お願いします。)
とあえずその命題を「偽」とする反証がないので、
反証が出る迄の間はその命題をかぎかっこ付きの「真」にする、
というのが、ポパーの科学哲学だったような。
で,
>>958に補足をしようと思ったら,
俺自身が間歇に陥っていることに気づきますた.
要は,パラレルに進行している話的に言えば,
「反証」はあくまでも「反証例」によってなされなけりゃならねぇな.
スレ汚しすまそ.沈没しますだ.
>>957 >哲学的な話なら抽象的でもいいんだけど、
>心理学の方法論についての話として読むと、
>あまり意味がないようにも思える。
確かに。ですが、基本原理を理解するには
いったんは抽象的にならざるをえないわけで。
適当な具体的例を引っ張って来れるつう
ことは既に理解しているということ。
また、心理学の知識が豊富でなければ
例すら思いつかんでしょ。
分からない事、あやふやな事があるから
こそ、ここにカキコしてる訳ですから
ご了承下さい。
ならず、
>>960 ご存知かもしれませんが
「反証例を挙げられない命題」も存在するとの事で、
そこが、科学−非科学の分かれ目になると聞きました。
(ポパーは非科学的な形而上学の意義を認めています。
この場合「非科学」という言葉はその学問を貶める言葉ではありません。)
>>961 りおかいしてるよ。
これでも、応援しているのですよん。
>>962 御意.
>>960はちょっと思慮の浅い書き込みでしたね.
ただ,おいらの言いたかった「反証」はあくまでも上記の正高さん論文についてだったのです.
つまり,実証的科学論文に対する反証.
ななし〜は,自分の考えを整理するためにただ書き込みたいのか,
それとも,誰かとの対話の上で考えを整理したいのかどっちだ?
後者なら,そんなに慌てずに,一つ一つ言葉の整理をするところから始めないと。
>>965 ノートとかに書き出してみるとかせにゃならんみたい。
作ったはいいがやっぱ立てられねえし。
同じく立てられましぇんですた.
漏れも駄目でつ
あげ
あげるぐらいなら新スレ立てくらさい
今日はやめとこ思っていたけれど、まぁ下の問いかけの意味までわからん
とかは言われないだろうと思う。
<マンガ入門 28P より>
非科学的的理論には、すべてのことを説明できるという魅力がある。
しかし、それが弱点でもあるのだ! それらの理論を科学的に検証
しようとするのは不可能で、したがってそれらは無意味ということ
になる。
<問いかけ>
1.「すべてのことを説明できる」
2.「科学的に検証しようとするのは不可能」
1が原因で2が結果の関係にあるように読めますが、
どうして1だと2になるのか説明して下さい。
正誤表
(誤) (正)
非科学的的理論 非科学的理論
では、このような問いかけも・・・・
<問いかけ>
非科学的理論が全ての事を説明出来るのに対し、
科学的理論は全ての事を説明出来るとは限らない
のは何故ですか?
そうきたか!
978 :
タンポ子 ◆2kcAKcZEyo :03/05/08 20:44
科学的理論には「価値」があるのでつ。
それは、科学的理論に従って得られた知識は、
地球上のどんな人にとっても理解と利用が可能な
共通した知識になるからなのでつ。
だから、科学的であることに結果として価値が生じるのでつ。
979 :
没個性化されたレス↓:03/05/08 20:52
981 :
タンポ子#:03/05/08 21:01
もちろん非科学的理論にも価値はあるのでつ。
でも、これらが<全世界で共有される価値>は
生み出すことはあまり無いのでつ。
ある人にとっての宗教的信仰は、他の国の人にとっては
ただの電波と見えることもあるのでつ。
<問いかけ>
そもそも、どういう理由で非科学的理論だと全ての事が説明出来る
のですか?
984 :
没個性化されたレス↓:03/05/08 21:04
科学的理論にあてはまらないもの
トリップ失敗したのでつ。
逝ってくるのでつ。
986 :
没個性化されたレス↓:03/05/08 21:10
(・∀・)
987 :
没個性化されたレス↓:03/05/08 21:16
\ (゜Д゜) / /
\\ つ つ━━━━━━━舟
\ つつ//
おわりでいいのかな?
>>982 本を見たら、「非科学的理論には、すべてのことを説明できるという魅力がある」
と書いてあるだけで、
「(すべての)非科学的理論は、全ての事が説明できる」という命題を挙げている
訳ではないようだね。
なので、「非科学的理論の中には全ての事が説明できるもの」があり、
逆に「現時点において、科学的理論は全ての事を説明できていない」
というのが肝だろうと思うが、どうかな。
でもって、なぜこのような事になるのかというと・・・
簡単に書いてみるね。
ポパーによれば、何が科学であり何が科学でないかの境界は、反証可能性の有無。
「説明」=「因果関係を記述」とすると、非科学的理論の述べる「原因」は
現実には存在するかどうか不明瞭のものである為、その反証例も挙げられない
(=反駁できない)。
逆にいえば、非科学的理論は、現実的に存在しない「原因」を作り上げる
ことが出来るので、全てのことが説明可能になる。
ってだけの事を言ってるような気がするんだけど。
>逆にいえば、非科学的理論は、現実的に存在しない「原因」を作り上げる
>ことが出来るので、全てのことが説明可能になる。
の部分訂正させて。
非科学的理論は、現実に「事実」として存在するかどうか吟味をされていない概念を
「原因」とする事ができる為、被説明対象(結果に相当)に合致した「原因」を
作り上げることも可能である為、全てのことが説明可能になる。
991 :
没個性化されたレス↓:03/05/08 21:49
>>989 >非科学的理論は、現実的に存在しない「原因」を作り上げる
>ことが出来るので、全てのことが説明可能になる。
そうだとすれば、それまで主張してきた理論と矛盾する事実が
新たに認められた場合はどうするのでしょうか?
992 :
没個性化されたレス↓:03/05/08 21:56
そうすると、その都度新たな「原因」を作り上げるのでしょうか?
それとも、非科学的理論により、最初に作り出された「原因」は
永久に事実をうまく説明し続けるのでしょうか?
それとも、それを否定する事実は生じることはあり得ないのでしょうか?
それは「反証」不能な理論だからでしょうか?
993 :
没個性化されたレス↓:03/05/08 22:03
>>990 具体例で説明していただけると、理解しやすくなる
ので、実例をあげて下さい。
>>991 >それまで主張してきた理論と矛盾する事実が
>新たに認められ
る可能性を反証可能性と呼びます。
ポパーによると、そのような可能性のある命題を扱う場合は
「科学的理論」である事になるらしいよ。
なんか質問ばっかりだね。
たまには自分の意見をいおうや。
ま、いっけど。
>>992は、
>>994の通りでオッケーだよね。
で、
>>993は、
>>895で進められているサイトに
ポパーが科学的理論と非科学的理論と呼ぶ実例がそれぞれあるよ。
見てみ。
995は、「進められている」は「勧められている」の間違いね。
で、
>>992の
>非科学的理論により、最初に作り出された「原因」は
>永久に事実をうまく説明し続けるのでしょうか?
全ての非科学的理論は全てのことを説明できるとは限らないけど、
例えば、「神様が世界をつくって、この世は神様の見ている夢なのだ」という
宗教的概念があった場合には、全てのことは説明できちゃうんじゃないかな。
997 :
没個性化されたレス↓:03/05/08 22:33
十戒に「神を試してはならない」というのがありますが、
それをしても空しいからなのですね。
ちなみに、「全てのカラスは黒い」という命題を反証するには、
黒以外のカラス(例えば白いカラス)を見つければよい。
他のカラスが全部黒くても、たった1羽白いカラスを見つけることができれば、
命題は反証される。
よって、「全てのカラスは黒い」という命題は科学的な命題である、
ということになる。
このような反証可能性がない理論を、非科学的な学問(形而上学等含む)
と分類することにしたのが、ポパーの科学哲学。
>>997 現段階では土台、「なにがあれば反証となるのか?」すら分からない
理論を、非科学的理論と呼んでいるみたい。
それを、
>>997でいう
>それをしても空しい
ことになるのかな。
でも技術の発展で、反証可能性は変わる。
例えば、「地球はまるい」という命題は、航海技術のなかった時代には
地球の形を確かめる術はなかったので「反証可能性なし」であったが、
航海技術を持った後、「地球が丸ければ、ずっと直進すれば元いた場所に戻る」
という反証可能性を持てた。
上のは、現段階では反証可能性がなにか?すら思いつかない理論を
非科学的命題と呼ぶけれども、それは100年後には科学的命題に
なり得る場合もあるという一例なのだったりする。
1000 :
没個性化されたレス↓:03/05/08 22:41
そうだとすれば、聖書を書いた人はポパーよりも
何千年も前の人で、非科学的世界観のなかで暮らしてた
訳だからすんげー天才つうことになるど!!
天才でなければ霊感だなこりゃ。
1001 :
1001:
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