◆◇Philosophy of Psychology◇◆

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1名無しさん@お腹いっぱい。
「心理学は,実験によってヒトや動物のbehaviorを科学的に検証していく
学問なんだから,哲学的思索なんか必要ないの.」

という元スレの195(多分学部生)の暴言から始まったスレ違いの議論。
心理学はどこまで哲学から独立できたか。
科学と哲学の違いは何か。境界は何か。
そして心理学に必要な、学問的な意味での哲学とは何か。

元スレ
「心理学を学ぶならどこの大学?Part3」194-235
http://yasai.2ch.net/test/read.cgi/psycho/1004525397/194-235n
2 ◆lBrainZg :01/12/25 16:11
むしろこれから哲学的な思索が必要になるだろうと思いますが。
本気で「こころは何か」を解明しようと考えたら、不可欠でしょう。

なお、現在のNeuroimaging studyにおいてはだんだんと機能局在論の
限界が明らかになってきています。単純に○○なタスクをやらせたら
●●な機能部位が活動した、というような研究は漸減していくことでしょう。

ある学者に言わせると、今後の脳研究はWhereよりもHowを論じる
べきなのだそうです。
3名無しさん@お腹いっぱい。:01/12/25 19:42
別のスレにも書き込んだ内容だけど、「科学とはものごとを論理的に取り扱うこと、
または取り扱おうとする態度、理性への信仰表明」っていうのはどう? 一番広い
定義として。
4名無しさん@お腹いっぱい。:01/12/26 05:33
ウィトゲンシュタインの『心理学の哲学』についてだと勘違いしちゃった…。
心理学の哲学じゃないけど「心の哲学」は哲学ではホットで難解な話題だよ。
与えられた課題をこなしてある理論の実証やら反証をするだけであれば、哲学的思索(どういう意味ですか?)というのは必要ないような気がするけど。
ただ既存の方法やら概念を改変する場合には反省が必要で、それを厳密にやろうとするのであれば(便利とか言う理由ではなく)、もうそれは哲学だろうね。
しかし心理学者に限らず科学者はそういうのを哲学に回すのではない?
ただ今まで哲学議論の領域と考えれらていたものが科学的実験によって証明できるようになりつつあるのは本当だよね。

>>3
科学:同時代の科学者集団によって同意された方法と概念によって世界を説明・探求するもの。これではだめ?個人的に理性とか論理という言葉に引っ掛かるのだけど。
5名無しさん@お腹いっぱい。:01/12/26 06:06
>> 2
私はfMRI/EEG/TMS,心理物理などの手法を用いて
脳機能について研究しています.確かに2の言うように
刺激/タスク依存の脳活動部位の研究は今後減少する
かもしれません.少なくとも,NatureやScienceなどの
超有名,劇高IFジャーナルでは減少の一途をたどる
ことでしょう.しかし,心理学の研究がそうであったように
このような研究が早々消えるとは思えませんし,まだまだ
やることはたくさんあるはずです.
われわれがやるべきことは(既に多くの人がその視点に
たっているはずですが),WhereとHowの両方の特性について
明らかにすることです.つまり,視覚研究で言うと,特定の刺激
やタスクでV3bという領域に活動が見られるならば,その領域
の特性について,時空間特性と共に他の神経領域との関係,
さらにはその領域の解剖学的構造と機能の特徴を他の領域
と比較しながら明らかにする必要があります.サルの神経レコー
ディング,fMRI,MEGやEEG,TMS,心理物理,さらにはパッチ
クランプやDNA解析を含めて,多面的に明らかにする必要が
あると思うのです.

>>1, 4
そもそも心理学の起源は哲学にあるはずです.また,
哲学における心理学の考察は非常に重要なInsightを
与えてくれると思います.たとえば,メルロ・ポンティ
は現象学的視点から,ピアジェや精神分析やゲシュタルト
について考察しています.もちろん,デカルトの視点,
ダニエル・デネット,フォーダー,さらには哲学ではありま
せんが,ダーウィンなど,心理学に大きく影響を与えてきた
人はたくさんいますし,そのような哲学を心理学者は
真摯に受け止め,それに意見を返す義務があるのでは
ないかと思います.

<<「心理学は,実験によってヒトや動物のbehaviorを科学的に検証していく
学問なんだから,哲学的思索なんか必要ないの.」 >>
そういうやつは逝ってしまえい.
6 ◆lBrainZg :01/12/26 13:05
>>5
僕も知覚入力のレベルについては、まだまだ現在のパラダイムが
有効だと考えています。しかしながら、高次の認知プロセスの研究が
機能局在論の限界によって停滞することは避けられない情勢でしょう。
その意味では、今後は心理物理実験の大々的な復権もまた考えられる
(即ち、高次領域におけるWhereよりもHowの重視)のではないでしょうか。
また、当面の目標として知覚の分野における計算論の発展を図るという
方向性もあると思います。しかしながら、計算論で突き進むことは
哲学への回帰を生むことにもなるでしょう。その意味でも、哲学的な
考察は依然として有効であり続けると考えます。

余談ですが、現在の脳計測手段には問題点が非常に多いわけで、
これを改良することも今後のNeuroimaging studyには求められていく
のではないかと思いますね。
7 ◆lBrainZg :01/12/26 13:45
>>3-4
その辺は科学哲学でも論じられるものですね。
クーンのパラダイム論でしたっけ?

現在、我々は科学が極めて万能のものであるかのように思っていますが、
時代が違えばほとんど信憑性のないものとされていたことを忘れては
ならないでしょう。その意味で、「科学とは何か」を定義することは
重要だと思います。僕は>>4での定義に同意しますね。
8名無しさん@お腹いっぱい。:01/12/27 01:19
>>4

>同時代の科学者集団によって同意された方法と概念によって世界を説明・探求す
>るもの。

上の定義でよろしいかと思いますが、じゃあ科学者の定義はどうなるのでしょう。
同一の方法と概念を世界の説明・探求の手段として採用する人々、てのはどう?
9:01/12/27 06:16
特にアメリカでは,認知科学の柱として「認知哲学」と「認知言語学」
が腰を据えて頑張っています.また,心理学や工学(人工知能や計算論)
系の研究者が彼らに大いに刺激されているのも事実です.
日本の場合には,それらの人々が少ないように思えますね.
104:01/12/27 08:07
>>5

確かに哲学はideaの宝庫ですね。
そのideaを数理的モデルで構成できる能力があれば大変面白いものが出来るような気がします。
認知哲学は日本も結構研究されているような気がしますね。
ただ方向が「哲学の科学化」といったものですから、いわんや心理学をや、といったところでしょうか。
こういった状況を指して195の人は言っているのかな?

>>7
ええそうです。始まりは彼ですね
欧米の解釈学とも呼応して現在でも科学の相対化というのは結構さかんです。

「計算論で突き進むと哲学へ回帰する」というのはどういったことなのでしょう?
ちょととよく判らないのですが

>>8
よいのではないでしょうか。「問題群も共有」をいれたほうがいいのかな?
11名無しさん@お腹いっぱい。:01/12/27 15:11
>>4>>8
それでいいかなぁ?何か狭い感じがする。そんなんじゃ、誰も認めない
方法を試して大発見というのが、あり得ないじゃん。

君らはそういうことをしない科学者なんだろうけど。だったらもうすこ
し限定して、

「欧米の科学者集団によって同意された方法と概念によって世界を説明・探求
するもの。」

ってのはどうよ?
12:01/12/27 19:50
>>11
大発見,例えば,DNAや相対性理論だって,基盤としての共通理解のある方法と概念
が前提なのではないだろうか.
根本から,誰も認めない方法を試して大発見した例を知りたい.
13名無しさん@お腹いっぱい。:01/12/27 23:08
age
14学部生:01/12/27 23:26
うちの教授の授業での内容ですが...
かつて哲学が自然科学(含心理学)のパラダイム発見にヒント
を与えたかもしれないが
現代では,すでに哲学のような人文学によってヒトの行動を科学的に
証明することはなくなっている.自然科学としての心理学は
科学的手法に基づいた先行研究だけを参照して実験をすればよい.
それに現代において哲学のような人文系の学問など,ほとんど
時代のニーズからはずれたすでに終わった学問でしかない.
もちろん精神分析などは哲学以前にただの占いの一種だから
insghtも与えない.
15名無しさん@お腹いっぱい。:01/12/28 00:10
うちの先生もいってた.
哲学科は倍率が低く定員割れを起こしているところが多い.
一方心理学科は,臨床心理士指定校でない実験中心(うちもそう)の
ところでも高倍率だ.つまり臨床だけでなく実験心理学についても
高いニーズがある.一方哲学などのニーズはすでになくなったことになる.
これからは市場原理の時代なのだから,人気=ニーズのない学問は
不要な学問であり,滅びてしかるべき.
よって哲学はすでにこの世に要らない学問である.
16PPP:01/12/28 00:28
人気がすべてかよ。
じゃあ臨床心理学は実験心理学よりも高尚な学問かよ?
そうじゃねぇだろ?

哲学に将来性がないのは純粋に哲学だけでやっていくことが困難になってきたからじゃねぇのか?
しかし将来性がない=不要とはかぎらねぇだろ?
哲学の過去の蓄積のおかげで他の学問が成立しているだろ?

昔は哲学がすべての学問の代名詞だったが,それが発達して他の学問に分化してきただけ。
そして,今ようやく分化が完全に終わって純粋な哲学がなくなって,他の学問の根幹として残るようになったんだろ?

だいたい哲学のない心理学に何があるってんだよ!
17名無しさん@お腹いっぱい。:01/12/28 00:30
>14
>15
ホントにそう言ってたら素敵な先生だ。
俺は絶対そんな先生の下にはつきたくない。

というか、ネタ?
1817:01/12/28 00:37
 PPPさんへ
わたしゃ、キューブラー・ロスのスレ(18)であんたに文句言った者だが、
2分違いとは気が合いますなぁ。(w
あの時は、口悪くてスマソ。
19PPP:01/12/28 00:40
>>17-18
おう,そのうち酒でも飲もう。
2014:01/12/28 01:07
ネタではないっす.
ちなみにうちの教授は,「よい実験が出来ない奴は,臨床だって
他の分野の学問だって,できない.実験のセンスは一般的な
頭の良さの指標だ」といつも言ってます.
本読んで机の上で理屈を考えることよりも,
実験がすべて.
21PPP:01/12/28 01:10
>>14
面白ぇ。
じゃあ哲学がいかに重要かをお前に教えてやるから質問に答えろ。
まずはお前もしくはお前の周辺のやつがやった実験の概要とその目的を教えろ。
22名無しさん@お腹いっぱい。:01/12/28 01:16
よくみんなやってるのは ストループ効果の実験とか,
無意味綴りの系列位置効果の実験とか,聴覚の実験とか,,,
ですね.
 目的は先行研究の再検証あるいは,異なる独立変数条件
での検証です.(今細かいノートここにないので
実験のちゃんとした概要は書けないです)
23PPP:01/12/28 01:20
よし,じゃあ系列位置効果だ.
お前はそれで何がわかると思っている?
2414:01/12/28 01:24
記憶のメカニズムの一端が分かる,ということでしょう.
ヒトの行動は,そういう断片的な行動を集積したものだから
一つ一つの基礎的行動の研究が解明されれば,やがて
ヒトの行動が分かる.個々の研究に,総体として
どういう意味があるかとか,何が分かるかは
考える必要はない,と教わってきてますが.
25PPP:01/12/28 01:32
よし,いいぞ。
> ヒトの行動は,そういう断片的な行動を集積したものだから
> 一つ一つの基礎的行動の研究が解明されれば,やがて
> ヒトの行動が分かる.
それは要素構成主義だな。
つまり人間の行動のひとつひとつの部品のように組み立てていけば,
人間像がプラモデルのように組み上がるというわけだ。
ひとつの考え方だな。
でもそうじゃないと考える人間もいる。
人間をゲシュタルト的に捉え,全部品の合計では全体像は組み上がらない,という考え方だ。
これって哲学の違いじゃねぇのか?

実験ひとつとっても
自分がどういう立場に身を置いているかってのが重要ってわけだ。
それが哲学。

このスレを傍観している奴は俺にも突っ込め。
26名無しさん@お腹いっぱい。:01/12/28 01:53
>>20

学問の中で最高度の厳密性を誇るのは数学だと思う。なぜなら純粋に
論理だけで真理に迫ることができるから。実験という手段は,それに
比べると見劣りがする。たとえ10000回の実験で同じ結果が得られた
としても,10001回目でそれを覆す結果が生じる可能性を排除するこ
とができないからだ。

哲学とは,真理へと至るための方法をも徹底的に懐疑する。
27名無しさん@お腹いっぱい。:01/12/28 02:47
>>25
哲学とは何ですか?文中に唐突に哲学という言葉を用いていますが、そこで哲学と言う言葉を用いることの
必然性はありますか?「考えた方」という表現では不十分なのですか?哲学という言葉を用いることでただ単
に「考え方」「取り組み方」などの言葉を用いる場合とどのような違いがあるのでしょうか?
28哲学:01/12/28 03:16
1よ。
俺はお前に真面目な話をする。聞いてくれ。

俺は小学校の時から、「人をいじめてはいけない」という信念をもっていた。
クラスでいじめられている奴がいると、先頭に立ってそいつを庇ってやった。
そいつがシカトされていると、すすんで話しかけてやったり、
持ち物を隠されたりすると、こっそり隠し場所を教えてあげたりした。
おかげで俺はほかの奴から冷たくされたこともあった。
俺はそいつらに「なぜあいつをいじめるのさ?」って訊くと、
きまって「ウザいから」「キモいから」という答えが返ってきた。
俺はそんなふうに、他人を感覚の違いだけで攻撃する奴が許せなかった。
確かにいじめられる奴らは、暗かったり、変に気取ってたりして、
他人とのコミュニケーションに少し問題がある奴がおおかった。
でも俺は「じっくりつきあっていれば良いところもあるさ」と思って、
根気強くつきあってきた。彼等はいじめられているからかも知れないが、
結構寂しがりやで、二人きりになるといろいろ話してくれた。

1よ。俺はだからいじめられっ子の気持ちが少しはわかるつもりだ。
ネットワークの向こうでは自分が見えないから、大胆になるのもわかる。
仕返しが怖くないから、煽り放題なのも、お前には気持ちがいいんだろう。

1よ。でもお前はそれではいけないんだ。
お前の問題は、その絶望的なまでのコミュニケーション能力の欠如にあるんだ。
お前のスレッドには、俺からみても「キモい」と思わせるオーラが出ているんだ。
お前にたいするレスが敵対的なものばかりなのも、まともなレスが返ってこないのも、そういう事なんだ。
お前は、現実社会でも、ネット上でも、独りぼっちなんだ。

繰り返す。1よ。俺は真剣に話をしている。
お前に対して愛情を込めて、心の底からこの言葉を贈りたい。


「氏んだほうがいいんじゃない。」
29PPP:01/12/28 03:31
>>27
心理学における哲学とは「心および人間をどうとらえるか」ということだと思うがどうよ?
本当にどうよ? お前はどう考えているんだ?
30:01/12/28 06:25
>25
[[実験ひとつとっても
自分がどういう立場に身を置いているかってのが重要ってわけだ。
それが哲学。]]
いいこと言いますね.名言.尊敬.
いかなる研究であっても,そこには根底となる哲学が存在する.
方法論1つにも,自分がなぜそれを採用しているのかを
本当に考えるべきではなかろうか?
心理物理でも臨床心理でも,自分が「今」こうしている,こと
について,安直過ぎやしないか.
哲学は必要ないという人,そこには既に「哲学」があるのでは?
31名無しさん@お腹いっぱい。:01/12/28 07:02
>>27
実験に価値をおく実証主義に立つのか。
さらにそれは要素主義的なのか、全体主義的なのか。
経験主義的なのか、還元主義的なのか。
もちいるのは帰納法的手法か、演繹的手法か。
はたまたフィールドワークに価値を置く現象主義や構築主義に立つのか。
方法論そのものに思索や懐疑を与えるときに必要なのはまさに哲学だろう。

>哲学という言葉を用いることでただ単に
>「考え方」「取り組み方」などの言葉を用いる場合と
>どのような違いがあるのでしょうか?
こんな込み入った問題を単なる素人的なものとも捉えられかねない「考え方」
だとか「取り組み方」なんていう言葉で表現するのは適切ではないと思う。
上で挙げた様々な立場が最後に「主義(ism)」という言葉がついていることからも
わかるように、どんな立場も結局はイデオロギーなんだよ。

メタ学問的にその妥当性を検証するのはまさに哲学的営為といえないか?
もとスレの最後の方で自作自演していた者です。
空回りしているとか言われて,ちょっと凹みましたが,
こうやって新スレッドが立ち上がって嬉しい限りです。

>>31
自分の書き込みかと錯覚するくらい,
私の言いたいことを代弁してくださってますね。
しかし、14,15の先生の言い分は全くのダメなのだろうか?
良いところはないのか?

とりあえず楽で精神衛生上、良さそうだが。(w
34名無しさん@お腹いっぱい。:01/12/28 15:43
>>33
とりあえず自分の研究を遂行する上ではそれでいいんじゃないの?
ただ、学際的な交流を図る上ではとてつもない障害になるだろうね。
3514:01/12/28 23:43
>人間をゲシュタルト的に捉え,全部品の合計では全体像は組み上がらない,
>でもそうじゃないと考える人間もいる。
それは単に非科学的発想であって,そんな非科学人は相手にする必要は
ない.それで終わり.というのが心理学ではないでしょうか.
>つまり人間の行動のひとつひとつの部品のように組み立てていけば,
>人間像がプラモデルのように組み上がるというわけだ。
その通りです.それがすべてです.少なくとも授業ではそう習いましたが.
(うちの学科の先生全員がそういう立場です)
36名無しさん@お腹いっぱい。:01/12/28 23:48
>>35
で,君はそのことに何の疑問も抱かないのか?
37PPP:01/12/28 23:59
> それは単に非科学的発想であって,そんな非科学人は相手にする必要は
> ない.それで終わり.というのが心理学ではないでしょうか.

それもひとつの哲学。
他の人の哲学を貴様が認めようが認めまいが,存在していることは確かだ。
そういう他の人にも別の哲学がある。
哲学と「考え方」の違い?
哲学の背後には無数の学者(哲学者のみじゃねぇぞ)の思索が背後霊のようについてる。

>>31
哲学はメタ学問的か。
いいね,それイタダキ!
3814:01/12/29 00:07
>それもひとつの哲学。
そうなのかもしれませんが,それは科学としての心理学には少なくとも無縁でしょう.他の人がどんな妄念を抱こうが,自然科学的証明
とは関係ないはずです.
でも自分もやや非科学的言説に乗ってしまったと反省しています.
うちの大学では,認知とかゲシュタルトなどと言うタームは
すでにパラサイエンスとして,はっきりいって否定されています.
あくまでヒトの認識行動を説明するのは「知覚」であって
「認知」のようなアイマイな概念を持ち込んではならない.
と叩き込まれていますので.
哲学者が何か外野で言っていようが,心理学には関係ない.
あくまで先行研究の条件設定の正当性を再考し,実験を
繰り返すことのみでしょう.
まあ,はっきりいって,ヒトが全体としてどのように組み立てられる
かなんて,あんまり興味ないです.先行研究がどのように再検証され
条件を変えたら有意差が出るかどうか,それ以外には関心ないし.
39PPP:01/12/29 00:16
(゚д゚)y-~~~フゥー
まあ,俺は言いたいこと言ってからもういいけどよ。
最後に言うなら卒論頑張れ,だな。
>>37
オリジナルはもとスレの231の俺の書き込みだけど,まあよい。
コピーライト・フリーとしよう。

>要するに,ある学問の外部に立ちその学問を相対化する視点,
>すなわちメタ学問は必然的に哲学的議論にならざるを得ない。
41名無しさん@お腹いっぱい。:01/12/29 00:43
15です.
>人気がすべてかよ
それは当然でしょ.これからは,市場原理によってあらゆる価値が
決められる時代なのだから,人気=収益率の高さがすべてではないでしょうか.
>じゃあ臨床心理学は実験心理学よりも高尚な学問かよ?
高尚さという指標は,これからの時代には必要ない指標です.
人気の高さ=価値の高さです.その意味では,当然
臨床>実験心理ということになるでしょうね.
哲学とか思想といった学科やコースが軒並み人気を落としているのは
要するに市場のニーズがない=必要なくなった学問だ,と言えるのでは?
すくなくとも小泉構造改革の抵抗勢力でもない限り,これは
当然の考え方かと思いますが.
42あれ?うまいの?どーよ!:01/12/29 00:44
43PPP:01/12/29 00:49
>>41
ネタにしては出来が甘いな。
来年また来い。
44名無しさん@お腹いっぱい。:01/12/29 00:54
>>43
ネタって?意味不明じゃない?単なる15の意見なんだから.
市場主義マンセーってことで,ネタの何もないんじゃないか?
45名無しさん@お腹いっぱい。:01/12/29 00:57
>>41
おいおい,本気で言ってるのか?
だとしたら,かなり危ないぞ,君。

>これからは,市場原理によってあらゆる価値が決められる時代なのだから.

そんなここと誰が決めたんだよ。
そんな言説を真に受けてると,足元すくわれるぞ。

>人気=収益率の高さがすべてではないでしょうか.

そりゃあたしかに今,臨床心理は人気はあるが,
収益率が高いのは受験料で儲ける大学当局だけで,卒業生の収益率は著しく低いぞ。

>要するに市場のニーズががない=必要なくなった学問だ,と言えるのでは?

受験生に人気がない=市場のニーズがないなんて言えるのか?
そもそも学問にとっての市場って何なんだ?
4617:01/12/29 02:43
まあ、せっかくだから俺も参加しよう。

>>14さん
>でも自分もやや非科学的言説に乗ってしまったと反省しています.
この発言の意味が分からない。どういう意味なのかもう少しお聞きしたい。

科学が目指すものの一つとして、"現象の説明"というものがあると思うが、
あなたやあなたの先生の立場では、人間の活動の極々一部の現象しか説明できない。
要素構成主義の中でしか通用しない言説を「心理学」一般にまで広げるのは私には
納得がいかない。「科学」という言葉の定義の違いかもしれないが。
4717:01/12/29 02:53
>>15さんへ
>これからは(人気がすべて)
いつまで?永遠?

>人気=収益率の高さがすべて
わからん・・・。市場原理を取り入れた社会はうまくいってるか?
絶対数が少ない物に対しては、どんなに高額な値がつけられるか考えてくれ。
48名無しさん@お腹いっぱい。:01/12/30 00:44
>>46
まあ,実験心理学マンセーの大学だと,まともな心理学と呼べるのは
実験・基礎心理学だけということになるし,そういう所だと,
哲学とか科学論そのものについて考えるのは,あくまで余技でしかないかもね.
目の前の実験と数値以外には関心ないし,そこでの発想法が
(まともな)心理学の全体像だと思いこんでる実験屋ってけっこう
身近にも少なくない.要素構成主義を自分が採用してるから
>要素構成主義の中でしか通用しない言説を「心理学」一般にまで広げる
のは当たり前(自分に見えている世界が全てだから)となるんだろうね.
(実験屋全部がそうだ,という意味ではないです)

結構大学でも市場原理マンセーなこと言う人いるよ.
市場原理で弱肉強食のアメリカはうまくいってる,
日本は遅れている.学問の世界も同じだって.
結構そういう人の方が,今は発言力強くなったりする.
(改革派ってんで,人気高くなるし,
目新しいこと言うから新奇性から興味引くんだろうな)
4917:01/12/30 00:56
>46さん
丁寧に説明していただいてありがとうございます。

>要素構成主義を自分が採用してるから>>要素構成主義の中でしか
>通用しない言説を「心理学」一般にまで広げるのは当たり前
>(自分に見えている世界が全てだから)となるんだろうね
なるほど。当たり前といえば、当たり前のことですね。これに気付かないとは
我ながら・・・。

まあ、私は14さんや15さんとは考え方が違うんだ。納得はいかないけどな。
と、思っておきます。
5017:01/12/30 01:13
しまった・・・。
>>48さん
だった。逝って来ます・・・。
51名無しさん@お腹いっぱい。:01/12/30 18:07
>>48
>目の前の実験と数値以外には関心ないし,そこでの発想法が
>(まともな)心理学の全体像だと思いこんでる実験屋ってけっこう
>身近にも少なくない.
哲学について考えなくても,結果出して業績になってしまう世の中。
研究方法について考えずに,とにかく良いものをたくさん出した者が勝ちだから
研究の場なのに市場原理が成り立ってしまう。

ただし哲学のない大量生産の研究の問題点は何ぞや?
クーンのパラダイムチェンジだったかなあ,
現在の論理実証主義が転換したとしてもその価値が全くなくなるわけではなく、
あくまで次の哲学の基では価値が変わるだけ。

今まで市場原理は悪い、とは思ったけど、いろいろ考えていくうちに
やっぱり出した者勝ちなのかなあと思うようになった。
5214:02/01/03 21:36
>>14さん
>>でも自分もやや非科学的言説に乗ってしまったと反省しています.
>>この発言の意味が分からない。どういう意味なのかもう少しお聞きしたい。
遅くなりました.これは単に「認知」とか「ゲシュタルト」といった
非科学的なタームを使ってしまったことへの反省という意味です.
私の周辺では,「認知」のような「構成概念」はアイマイすぎて
心理学が科学的に検証するにふさわしい変数とは言えないとされています.
臨床においても「行動療法」は可だが,「認知行動療法」は怪しい
民間療法だと,大学でも教えられていますが.
5317:02/01/03 23:55
なるほど。了解しました。
言ってしまえば"立場が違う"ということなのかもしれません。
確かに非常に強く厳密性を重んじれば、そうならざるを得ないのかもしれませんね。

ただ、臨床において行動療法は必ずしも万能ではないこと、
個人を対象にしようとすれば、生活史を思慮に入れる必要が生じやすく、自然に「認知」などの
構成概念が必要にならざるを得ない、
と、頭の片隅にでも置いておいて下さると助かりますです。
研究・実験するときには邪魔かもしれませんが。(w
5414:02/01/04 00:06
>ただ、臨床において行動療法は必ずしも万能ではないこと、
これを,よく精神分析の方とかカウンセリングの方から聞きますが
大学で聞く話と一番矛盾するところです.
行動療法で治せないということは,どういうことなのでしょう?
再学習によっても行動が変化しないのでしょうか?
あるいは症状が不明確なのでしょうか?後者ならば
ようするにその患者は,治療する必要はない,不適応ではない
ということではないでしょうか?行動療法さえ知っていれば
他の技法など知る必要もないし,知るべきではない,
というのが先輩(臨床家になられた方も含め)や先生がたから
伝統的にうちの研究室では言われていますが.
>個人を対象にしようとすれば、生活史を思慮に入れる必要が生じやすく、
あくまでラットの実験も,ヒト個体の治療も同じように
実験者ないしは治療者は,被験体の外側に表出された行動
だけを対象にすべき(一応ノートにはそう書いてあったけど)
というのでは,現実の臨床は通用しないのでしょうか?
>>52
行動療法を否定するわけではありませんが、行動療法って、一番大事なところを
書いてないマニュアルのような感じがします。行動療法のテキスト読んでいて、
実際にクライエントにどんなふうに接していくのか、ちゃんとわかる人っているの
でしょうか。実際には、けっこう書かれてない部分が重要じゃないかという気が
するんですが。結局、実際の臨床では、スキルというかセンスの部分が大きいような
気がするんですが。まあ、臨床心理と心理は違いますからね。心理学のphilosophyは
あるでしょうが、臨床心理学のphilosophyなんてあるんでしょうか?
56名無しさん@お腹いっぱい。:02/01/04 00:19
>>54
あー、行動療法に限らず万能な心理療法なんて存在しません。
対象によって向き不向きもありますし。ここらへんの議論は
「カウンセリングと臨床心理」のスレッドでやられていたはず
なので、興味があったらそちらを覗いて見てください。ここだと
微妙にスレちがいになってしまうかもしれないのでね。
57一精神科医:02/01/04 00:44
14さんへ、
私23年選手の臨床家ですが、
あのね、私達が臨床心理の方に回すのはこういうようなひとだよ。

症状はさっさと薬でよくなるんだけど、ああだこうだいっていて、らちがあかない。
たとえば「生きている感じがちっともしない、よく考えたら子どものときから」とか
「いままで私は言葉を言葉としていきいきと体験したのだろうか」とか、
「ほんとうは私は同性愛なんじゃないでしょうか」とか。
全員、高学歴高収入専門職の方だけどね。
もちろん「不適応」ではない。しかし相当に苦しんでいる。自殺企図だってある。
「不適応」じゃないからって、ほっとけないだろう。
行動療法家には紹介できない。
行動療法は症状がない問題は扱えないからな。

その「臨床家になられた方」は誰から金もらって食っているのか知りたいな。

52さん、
臨床をやってると、結局、臨床家の人生観を問われるような厳しい局面は
あると思うよ。
価値の問題をどう考えるかから、完全に自由ではいられないだろう。
哲学の領域に立ち入らざるをえないかも。
5817:02/01/04 01:44
確かにスレ違いかも・・・。
>行動療法で治せないということは,どういうことなのでしょう?
仰っている2種以外に"行動療法の適用外"という可能性があると思いますよ。

治療者にも学習された行動(思考含む)からは逃れられないのですから、何らかの
偏りが出る可能性が大きいです。原因を決めつけてしまうこととか。
ならば、適応的な行動を治療者が身につければいいと思われるかもしれませんが、
この理想的な治療者像は"天才(というか神?)"に行き着かざるを得ないでしょう。
治療者側がある程度、健康的であることは必要でしょうが。

臨床現場において、治療者が完全に客観的になれるという思想は、
昔、精神分析家が、分析家は患者の完璧な鏡になれる、と考えていた(一部の?)人とほとんど変わらないと思います。
私見ですが。
59名無しさん@お腹いっぱい。:02/01/04 01:48
>>57
現実にはそういう方をも相手にしなければならないのですね.
でも症状がない=不適応じゃない ということは,臨床心理
の対象ではないから,放って置いても直る,それはアイゼンクも
証明している科学だ,と散々学校では習っているんですが...
つまり,現場では,心理学の枠組みで「症状」として同定されない
ような「悩み」であっても,扱わざるをえない,ということでしょうか?
行動療法で治せないものは,症状ではない,相手にする必要の
ない単なる個体差の悩みでしかない,と大学の心理学
(行動療法)の授業では教わっているのですが.
6017:02/01/04 01:54
ああ、なんか1(14さん)対4みたい・・・。(苦藁
61一精神科医:02/01/04 01:59
59さん、
あのね、人格障害というのがあるの、ならわないの。
あなたの学校は精神医学の先生はいないの。
ジンバルドーの心理学の入門教科書にものってるよね。
私は心理系の人とつきあいがあるから、みせてもらったけど。

「個体差の悩みでしかないもの」で自殺する人は見捨てるのですか。
それで「臨床家」なんですか。
人間の苦しみのうち、一部分だけ相手にしてれば、
そりゃ治療成績はあがるだろうが。
嘆かわしい。
62一精神科医:02/01/04 02:01
強迫もパニックも幻覚も、この頃は薬がきくの。
そのほうがやすあがり。
心理臨床家にお願いしたいのは、人格障害だけだよ、精神科医は。
6359:02/01/04 02:05
>あのね、人格障害というのがあるの、ならわないの。
>あなたの学校は精神医学の先生はいないの。
残念ながら「人格障害」というのは,学部1年の概説で
「間違った心理学=精神分析論」の中で出てきただけです.
精神医学の先生はおられません.学習,知覚,言語,生理の先生
が中心の心理学科なので.
>「個体差の悩みでしかないもの」で自殺する人は見捨てるのですか。
心理学はあくまで科学なのだから,個体差=誤差は認めない
よって個人レベルの悩みのようなものは対象外であって
それは臨床とて同じ,と学部1年の心理学概論の授業の
最初で学科主任教授に叩き込まれますが.
6417:02/01/04 02:27
>>62さん
心気症やヒステリー(まとめて転換性障害、だっけか?)に対しては薬は最近どうなんですか?
65名無しさん@お腹いっぱい。:02/01/04 09:15
>59
あなたが何を叩き込まれたのかはよくわかったが、
それはけっして、一般的に認められていることではないと思うよ。

あなたが人格障害の臨床をしないのなら、
ほとんどつかいものにはならないかも。すくなくとも医療現場では。
おそらく学科主任教授は生徒のことより、自分の考える心理学が
だいじなんだろうが。

ふつうの大学では、学部生のうちは広い範囲のパラダイムに触れさせる
というのがあたりまえになっているぞ。

>64=17
ヒステリーは力動的な心理療法がふつう選択されるだろう。
心気症は、ほんとに頑固なのは、何をやっても効かない。
66名無しさん@お腹いっぱい。:02/01/04 11:39
59よ、その考えは捨てた方が良いな、真剣に。
DQN大学か? 極端な(しかも古い)行動主義のようだが。
確かに心理学はGeneral Personを想定して研究がされているが、
その手の研究が即、臨床に応用できるとは思わない方が良いし、されてもいない。

心理臨床と臨床心理学は違うものであることを、あなたは知った方が良いね。
67名無しさん@お腹いっぱい。:02/01/04 12:14
>>66
いわゆるドキュソ大学でそんな「まとも」なこと教える訳ない。
旧帝大,文理大系か地方国立大学だよ。恐らくあなたの出た大学より
「偏差値の高い」ところ。

個人差を考えるのは科学じゃないと言うのは俺が学部の
頃には社会心理学でも言ってたよ。たしかに,すべてを
個人差という「ブラックボックス」に放り込んでしまったら
学問は進歩しない,というのも相変わらず正論。
個人差が生み出される仕組みを客観的に分析することが
必要。スキナー系の行動主義ならそれもちゃんとやるだろうね。

そういう意味ではいわゆる人格心理学も科学ではないんだろうな。
話に食いつこうととりあえず、
正月の間「ソフィーの世界」を読破したが、
知らない間に行動療法話になっていた。
sage
69一精神科医:02/01/04 21:43
>67
とにかく、こういう患者は診ないだの、こう言う悩みは相手にする必要ない、
などといっているのは、
臨床ではないです。

あなたの議論は66までの流れとずれている。
66までの流れは、14の大学のような考え方で
臨床ができるか、という話だった。

偏差値の話だとどうでもいい。
偏差値なら医学部のほうがどっちみちいいんだが、
そんなことは関係ない。
70名無しさん@お腹いっぱい。:02/01/05 10:35
>>69
偏差値という言葉には必ず過剰反応するやつがいるね(藁
あなたも別に医師という職業に特に夢もなく単に
偏差値だけで医学部に進んでどうにもならなくて精神科医に
なったくちでしょ。
71名無しさん@お腹いっぱい。:02/01/05 11:03
なんかこのスレ結構面白い。
もっと色々話して。
72名無しさん@お腹いっぱい。:02/01/05 11:15
スマソ、ふと思ったんだけど

>「いままで私は言葉を言葉としていきいきと体験したのだろうか」とか、
>「ほんとうは私は同性愛なんじゃないでしょうか」とか。

この辺は問題を具体化する事が出来ていないだけで、
問題の具体化さえすれば、行動療法とかでも大丈夫なんじゃないかな?
良くわからんけど。
73名無しさん@お腹いっぱい。:02/01/05 15:03
なんだかどんどん心理学を行う前提となる「哲学」の話から、遠ざかっていっているねえ…。
>>72 そりゃできるじゃろ。
行動療法だからといって「じゃあ具体的にどう?」とひたすら聞くものでもないし、
何回も面接を繰り返していくうちに、clの態度、言葉、生活史などが記録される。
そのエピソードを随伴性の観点から分析し直せば、「いきいきとした体験」や
「本当は…」といった主題が「行動」として取り扱うことができよう。

このスレではそんな話を聞きたいわけではない。
「この症状はロジャースで、この症状は行動療法で」などということではなく、
「何を根拠にあんたは療法を使い分けているのか?」
「何を根拠にあんたは行動療法一筋なのか?」
といった、技法を使うに当たっての信念を知りたい。
まあ、強引に哲学=信念と考えてもいいか。

果たして臨床屋は自分の信念を考えて「治療」しているのか、俺にはそうは思えない。
治ったらそれでよしなのか?どうして治ったか?それを説明するモデルに疑問を持ったことはないのか。
7417:02/01/05 15:13
今、73さんがいいこと言った。
75一精神科医:02/01/06 01:24
>70
私は偏差値に過剰反応するな、そんなことどうでもいいだろ、という趣旨で書いたのに、
かならずこのような感じで煽る人がある。
そして他人の人生を決め付ける。

私は1972年に大学を受験したが、そのときすでに精神科医になるか、心理の臨床家になるか、
迷っていた。食えないと困ると思って精神科医にしたが。

こういうことはどうでもいいのだが、人には個人の歴史がある。
それをそういうふうに決め付けるのは、あまりにも冷酷な気がする。
こうしたスレッドが建設的に進むためには、
そうした煽りはもっとも危険なのだ。
76遅刻非常勤経験者:02/01/06 02:35
偏差値というターム一つで,スレの話題が大きくズレテしまったような.
要するに,もともと,心理学という学問分野と哲学との関わりのスレであり
流れは,実験心理偏重古典大学では,やっぱり,古典的自然科学観で
今も(そして将来も)やっていくだろう,という話でしょ.
それがよいかどうかは別にして,たしかに地方国立とか旧帝など
で,そいいう所あるね.未だに,ゲシュタルトのような新しい
流れは受け入れがたいとか講義が当たり前になされてたりするよ.
この21世紀に信じがたい話だが.(卒論は計算尺でやってるのか
と疑ったがさすがにちがって,みんな電卓でやっていた.,,,
パッケージは存在すら知られていない)
77名無しさん@お腹いっぱい。:02/01/06 11:33
ゲシュタルトが新しい?????????????
>>76
そりゃ、20年前の話かい...。
当時でもゲシュタルトは古典。
ところで今でもSPSSとか使ってるの?
79名無しさん@お腹いっぱい。:02/01/06 11:39
つまり地方国立や旧帝はゲシュタルト以前の状態であると。
計算尺とそろばんで検定をやっていると。
>>76
ある意味、心理学の基礎は古典的自然科学観ででいいと思います。心理学というのは
、人間の心という本来つかみ所のない鵺みたいなものを、無理矢理古典的な自然科学観で
切ろうというものなんじゃないかと。この敢えて切る、という部分をわかってやってるかどうかが
DQNかそうでないかの分かれ目になるんじゃないですかね。
82名無しさん@お腹いっぱい。:02/01/06 12:54
>>81

>鵺
フーコーの受け売り?
鵺....、こんな感じあるんだね。
歴史的に見れば,
日本の心理学界ではゲシュタルトの方が古典で
行動主義なんてのは戦後流入した新参者だわな。
85名無しさん@お腹いっぱい。:02/01/06 14:52
フーコーは高等師範学校だかなんだかの心理を受けるとき、面接官の
教授に「君はビネーの心理学がやりたいのか、それともメルロ=ポン
ティの心理学がやりたいのか」と皮肉混じりに質問されたとか。
たとえ皮肉混じりに扱われるとしても、哲学的心理学の存在が認めら
れているのだな、さすがおフランス、とそれを知って思った。
86名無しさん@お腹いっぱい。:02/01/06 14:58
フランスは伝統的に哲学と心理学と精神医学の間の敷居が低いからね。
メルロ=ポンティはパリ大学で児童心理学の講座を担当していたこともあり,
その後任になったのがピアジェだし。
8776:02/01/06 19:22
>>78
20年前かと疑うのはよく分かる.自分もそう思ってしまったが,
未だにそんな大学って,田舎にいくとあるんだよ.
SPSSとかは必要ないらしい.(10ケース程度の分散分析なら
電卓手計算で十分だし.今でも分散分析が最先端の統計だと教わってるらしい)
じゃあ得意気に分散分析表が別表で載せてある論文を見たらこの出所がくさいというわけですか!?
89名無しさん@お腹いっぱい。:02/01/07 09:16
>>88
分散分析は分散分析表が載ってなかったらほんとは意味がない。
分散分析表が載っていないこと自体,分散分析を「論文執筆上の
レトリックとして」しか使っていないことの現れ。「得意気に」
ではなくて,その人は分散分析を本来の意味で用いているだけ。
因子分析の負荷量の表を何ページも載せているようなこととは
ぜんぜん意味が違うの。もう少し勉強せいや。
90臨床系学部生:02/01/08 11:55
心理学に哲学が必要かどうかはさておいて、結局のところ>15とその周囲の人々は
哲学は無価値

心理学は有意義

俺たち=心理学>>>哲学=外野のアフォ共

(゚д゚) ウマー
というような認知によって自分の行動をマンセーしておられるようですね。
まあ、ほぼ同じような流れで「哲学>>>数学」ってやってる哲学の人もいますし、どこにでも転がってる話なんですけどね。
そんなことを言っている私にしても、それなりに臨床心理学の存在を肯定する認知を自分の中に持つことで「安心」を得てるわけですし。

で、なんていうようなことは「認知はアイマイな概念であり不要」とする人々にはどうでもいいわけですね。はい。
私は人間はみんなあるようにしてあるもんだと思ってますから、
91切れた。:02/01/08 12:01
>90続き
人が何を思おうと別にいいんですが、とりあえずこういう人々とはなるべくお近づきになりたくないなあ、というのが正直な感想です。
92名無しさん@お腹いっぱい。:02/01/08 13:30
>>90
そういう排他的な態度はどうかと思うし、誤解をしていると思われる。
哲学が無価値、臨床心理学が無価値と述べているわけではない。

要、不要で物事を考えると、本当に見方が狭い人間になってしまうよ。
それでは臨床も出来ないと思われるのだが。
それぞれの立場から、自分の立場と相手の立場を明確に把握しているからこそ、
「そんな概念別にいらない、俺の立場では〜〜ということができるから」
ということができる。

90よ。臨床心理学が好きならばこういう話はよく聞くだろう。
熟練の心理臨床家は、たとえ流派が違っているとしても、クライエントに
対する見方、治療の流れ、予後の見通しなどがかなり似てくるという事実を。

行き着く先は同じ、ただその方法に対する解釈が人によって違うだけ。
93臨床系学部生:02/01/08 14:11
>92
こりゃどうも。15さんですか?すいません、間違えました。
>90で言いたかったのは、>14とその周囲の人々でした。14と15は別人でしたね。

哲学に対する解釈はお互い違いますが、おっしゃることはなかなかにもっともだと思います。
9417:02/01/08 17:07
若いうちは怒っててもよいと思うよ。
いや、私もまだ(臨床系)学生なんですが・・・(w
それから、92さんは15さんじゃないと思うよ。
9592:02/01/08 18:13
>>93
15や14とは全く別人だ。ちなみに俺も実験系のしがない学生だから、
あまり大きなことは言えないが。
93です。最初から何度か読み直してきました。
要するに、「思想の違い」ということで話はまとまっている、と。
ところで、
脳にはつまるところ、自分で自分を説明する能力はないだろう。(ギュンター・スタント)
つー命題はどうですか?
自分は
シャーウィン・ヌランド「私は大宇宙よりも小宇宙の方にもっと関心がある。
どのように星が死ぬのかよりも一人の男がいかに生きるかに、どのように彗星が天空をきらめいて横切るかよりも、一人の女性がいかに世の中を渡って行くかに、もっと興味がある。
私を魅惑の境地に誘い込むのは人間の神秘。宇宙の有様ではない。」
な立場ですが。
唯脳論関連はここかなぁ・・・。
ttp://yasai.2ch.net/test/read.cgi/psycho/1003489930/
9897:02/01/09 00:25
13までのレスと120くらいからを読みなされ。
どうも。読んできました。ついでにいろいろと勉強も。
で、唯脳論というのは要するに「人間の意識、行動は脳の機能である」という
考え方で、「行動主義と唯脳論」スレでまとまった意見は「行動主義心理学と
認知心理学と大脳生理学はそれぞれ相補的なもの」というものですよね。
しかし、脳というものをどう解釈しようとも、またどのようなアプローチによ
って脳の構造と機能を分析しようとも、それを解釈したり分析している脳自身
と対象の脳が常に同等なのですから、「脳が脳に理解できるほど単純だったら
、そんな単純な脳では脳のことは分からない」というジレンマは崩れないと思
うんですが。「人間は脳で考えている」という前提そのものを否定するなら別
ですが、観察する主体と観察される客体が同じスケールの存在である限り心理
学は決して人間の全貌を解き明かせないのではないか、と。
宇宙の法則の全てを解き明かすものは宇宙の中には存在し得ないとか、一つの
論理体系は自身の無矛盾性を証明できない、とかいう話とも通じます。
まあ、こんなことを言っても始まりませんが、心理学と哲学の関係を考えると
きには外せないテーマじゃあないかなーと。
100get!
10192:02/01/10 01:48
>>99
おや?命題について考えていることがずれるなあ…。
>脳にはつまるところ、自分で自分を説明する能力はないだろう
この命題は、「脳によって人間の行動、思考、感情などをすべて決める」
という唯脳論のことだと思っていたが、あなたは
「自分のことは自分ですべて知ることはできない」というように
解釈したようですねえ。それはわかるけど、

>観察する主体と観察される客体が同じスケールの存在である限り心理
>学は決して人間の全貌を解き明かせないのではないか、と。
の文から、
>一つの論理体系は自身の無矛盾性を証明できない
という、論理実証主義の欠点には結びつかないぞ。

観察する主体、される客体の2つに分けて考えているようだけど、
なぜそうやって分けて考えるのかわからん。
もしやあなたは心身2元論を信じているのでしょうか?
102名無しさん@お腹いっぱい。:02/01/10 13:21
>論理実証主義の欠点には結びつかないぞ
結び付くとは私も思いません。ただ、「自分で自分のことは説明しきれない」という点で「通じるもの
がある」というだけです。
私もごく常識的な意味での「意識を生むものは脳である」という立場です。唯脳論による「器官として
の脳」と「機能としての意識」を同軸に見る視点は、身体合一論ともいえるものでしょう。
で、主体と客体を捉える視点ですが、普通ものごとを考える場合は主体(つまり、観察している自分=
自分の脳)のことなどいちいち考慮せず、客体だけについて考えているわけです。
ですが、意識が脳の機能であるならば、「自分の意識の思考論理展開能力の限界は、すなわち脳の機能
の限界という現実的制約に縛られる」はずです。それを無視すれば「論理的に物事を考えていけば、い
つか全ての真理にたどり着ける」という能天気な考え方もできますが、あえてそこに疑問をはさんでみ
る、それが「主体という視点」です。こんな風に考えてみることそれ自体が哲学なんではないかと。
10317:02/01/10 13:31
言いたいことは大体伝わるんだけど、なんとなく文章が詩的というか、散文的というか・・・。

あと、"全貌"と言うなら、スケールは問題にはならないと思う・・・。

論理的でなくて、スマソ。
104名無しさん@お腹いっぱい。:02/01/10 14:35
意識は脳の機能である,という立場自体がすでに唯脳論だと思うぞ。
意識は脳がなければ成立しない(脳は意識の存在を支える重要な
機構である)が,かといって脳だけあれば意識が成立するわけでは
ない,というのが非唯脳論の立場。非唯脳論には身体論者,
社会環境論者など色々がいるにしても基本は同じ。

意識が(脳も含めた)身体的社会的複合体の機能であるとすれば,
全体が部分を理解することは可能では?
105名無しさん@お腹いっぱい。:02/01/10 14:36
そもそも言語がなければ意識は存在しないのだ,という主張すらある。
>>102に理解できるかな?
106名無しさん@お腹いっぱい。:02/01/10 20:05
定期age
>17
散文的なのはテクニカルタームを使いこなしてまともに文章を構成するだけの
力がないからです。何しろ三日前には唯脳論という単語すら知らなかった都合
、そっち方面のシナプスに電流が流れやすくなっていないので。
しかし、スケールはおかしいですか?主体と客体の「規模」が等しいという意
味で使ったんですが。
>104
そうですね。脳に脳のことは分からない、だから人間がいくら考えても脳の全
ては分からないという命題は「人間=脳」という唯脳論を前提としています。
非唯脳論の立場に立てば、そのような見方もあるでしょう。ただ、一部として
の脳のことなら分かるとしても、「意識というものが意識で考えて分かるほど
単純なら、そんな意識では意識のことなど分からない」という、要するに「自
分のことはわからない」という問題は消えることがないのではないでしょうか。
>105
言語は人間の意識活動に本質的に寄与している、思考と言語は不可分一体とし
て機能する、という考え方ですよね。私自身は、概念は言葉より先にあるが、
それを他者に伝達するために言葉が生じた、という風に考えています。言語は
脳が情報を処理する能力を飛躍的に高めましたが、どこまでいっても本質的に
は概念そのものには完全対応できないのであって、その意味では不完全なもの
でしょう。もっとも、情報量が増え複雑化した概念はもはや言葉によってしか
扱いきれませんから、「言語が失われたら今のような思考はできない」のは当
然ですが。
10817:02/01/10 23:29
>>90
「規模」っていうことは、何らかの形態を持つものって言うことだよねぇ・・・。
"主体"って何らかの実体って考えて良かったのかなぁ・・・。
スマソ。哲学をちゃんとしたわけではないので、これ以上はよくわからない・・・。

しかし、三日で勉強してきたのか・・・。そりゃ、凄い。
見習わないと。(w
109名無しさん@お腹いっぱい。:02/01/14 00:45
>>101
論理実証主義と公理主義が混同されてるような気がするが...
110名無しさん@お腹いっぱい。:02/01/16 16:42
ずいぶん下がっちまったので,あげとく。
111名無しさん@お腹いっぱい。:02/01/23 17:16
ほしゅあげ
でももうネタないかな
112名無しさん@お腹いっぱい。:02/02/16 10:25
忘れた頃にあげてみる。
113名無しさん@お腹いっぱい。:02/03/11 22:51
あがれあがれ。
114名無しさん@お腹いっぱい。:02/04/06 23:16
久々に読み返してみたら、なんだかまだスレてないPPPが上の方に居た。
115PPP:02/04/06 23:53
>>114
俺は今も昔も変わらねぇぞ。
何ほざいてやがる。
116名無しさん@お腹いっぱい。:02/05/17 18:20
なつかしあげ。
117名無しさん@お腹いっぱい。
歩首。