精神分析って心理学とは違うんですか?
僕はおんなじようなものだと思っていたけれど
精神分析は哲学とかに近いのでしょうか?
心理学にいったら精神分析が出来るのかなと思っていたけど
違うのでしょうか?
2 :
名無しさん@お腹いっぱい。:01/12/23 03:14
資格なら
精神科医(精神分析)→医学部
臨床心理士(心理学)→文学部等心理学科
>心理学にいったら精神分析が出来るのかなと思っていたけど
趣味でやるんだったらいいんじゃないのか。
∧∧ / ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄
(,, ) < 2ゲットしようと来てみれば
.( つ | こりゃまた とんだ駄スレだなぁ オイ
| , | \____________
U U
| まあせっかくだからやっといてやるよ |
\ ハイハイ 今だ2ゲットズザー っとくらぁ /
 ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄V ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄
∧∧
(゚Д゚O =3
⊆⊂´ ̄ ソ ヤレヤレ
ってのはともかく、おまえは過去ログを見るとかいうことはしねぇのかよ?
ちょっと探せばおまえと同じ厨房は星の数ほどいるぜ。
4 :
名無しさん@お腹いっぱい。:01/12/23 03:16
>3
外したな。残念!
おっと3だったか。
わりぃ。
ん?
またサルな
>>2がいるな。
僕は主体とか自己とか言葉とか時間について考えたいと
思っているんですけれど、心理学でそういう研究が出来るんだろうか?
と思って聞いたのでした。
>2
そうだったのですか・・・
精神分析がやりたいのなら医学部、臨床なら文学部心理なんだ。
意外です。
僕は哲学と社会学と精神分析の中間ぐらいのところが
精神分析なのかな〜と思っていました。
7 :
名無しさん@お腹いっぱい。:01/12/23 03:25
>>6 医学部行っても精神分析なんてごくごくマイナーだぞ。
精神医学の主流は生物学的精神医学だからな。
8 :
名無しさん@お腹いっぱい。:01/12/23 03:28
>>6 君のやりたいことがやれそうなのは哲学か社会学だろうな。
心理学は方法論的な制約がきつくて,思弁的な研究はやりにくいよ。
9 :
名無しさん@お腹いっぱい。:01/12/23 03:31
>>6 こらこら、勉強してなさすぎ。
ただ、医学部でもフロイト的な精神分析は教えていないよ。
もはや古典ですし、薬物療法の方が効果があるからね。
但し、精神分析を過去にやっていた先生方が、定年退職後
3流大学で余生を過ごされています(笑)。
もはや役に立たない研究だと思いますが、どうしても行きたい
なら、将来を棒にふって、3流大学へチャレンジして下さい。
小此木啓吾先生は、東京国際大学にいるしね。噂では、大学には
ほとんど来ないって話も聞くけど。
>7
それはそうですね。
僕はちょっとおかしくなっていた時期カウンセリングに
行ったことがありました。その時に心理学の本とかを
ほんのちょっとかじっていたので「精神分析とかやるのかな?」って
ちょっとドキドキしていたらパキシルのみ渡されて「あれ〜?」って
気分になったことがありました。先生に聞いたら
>精神医学の主流は生物学的精神医学だからな。
って言われましたからね。
あ〜でも医学部に入らないでもラカンがやりたいなぁ・・・。
11 :
名無しさん@お腹いっぱい。:01/12/23 03:35
>>6 精神分析じゃなくても、自己に関する研究でいいなら、阪大とか
京大あたりの心理(人科や教育など)でも、いいんじゃない?。
時間というか、時間的展望って、心理学研究にもあるけど、
それなら、中央大学(都築学)、大阪教育大学(白井利明)って
先生がいるね。
12 :
名無しさん@お腹いっぱい。:01/12/23 03:37
>>6 ついでに言うと,文学部の心理学科は実験心理中心のところが多く,
臨床心理に力を入れているのは教育学部のほうに多いな。
だが精神分析系の先生がどこの大学にもいるわけではない。
大学を選ばないとね。
僕が大好きな木村敏先生も龍谷大学にいらっしゃいます。
しかしHP必死になって探しているのに全然名前が出てこない・・・。
なんでだ〜。
社会学は行きたいんだけどあんまり問題意識が似ている先生を
見たことがない。この前すごく好きな先生に会いに言ったら
「僕の本が好き出来てくれるのは嬉しいけど研究者を目指すのなら
僕のとこには来ないほうがいいよ」って言われた(爆)。
哲学は本を読むのは好きなもののそんなにやったことがありません。
どこの学問でも縛りがきついのは同じなようです。
社会学は何でもできるんだけど、社会学における自己って言うのは
やっぱり社会的な役割に重点をおいている面が強い。
もっと人間存在基礎的なことをやりたいのにな〜と思います。
>ななしさん
今日はそろそろ寝ます。親切に色々答えてくださってありがとう。
色々有益な情報を教えてくださってありがとうございます。
また明日にでも来ます。
おやすみなさい。
15 :
名無しさん@お腹いっぱい。:01/12/23 08:06
>社会学は何でもできるんだけど、社会学における自己って言うのは
やっぱり社会的な役割に重点をおいている面が強い。
そのとおりだと思います。
16 :
名無しさん@お腹いっぱい。:01/12/23 10:26
こらこら、レン殿。根本的に。精神分析と心理学のイメージが間違ってるぞ?
まず、精神分析と心理学は全然違う。前者は技術、後者は学問。ということからして違う。
あと、日本で精神分析をまともに学べるところはない。(精神分析家からして10人程度しかいない)
しかも(語弊を恐れずに言うなら)精神分析はクライアントをカウンセリングするための技術であって、
自己やら、言葉やら、そういう研究をしているわけでもない。
心理学でいう自己にしても、広すぎて、あなたがどんなself研究をしたいのかよく分からない。
自己という概念が発達していくさまを知りたいなら、発達(社会心理でも少しやってる)。
まあ、これだとアイデンティティになっていきそうだが。
情報処理媒体(社会適応装置)としての自己なら社会心理学。認知でも少しやってるな。
そういえば、言語心理学や心理言語学とかいう分野があるゾ。
おはようございます。
>16
どんな自己の研究がしたいのか?と言われたら、うーん・・・
そうだなぁ。精神病とか人間を時間軸を使って考えることで
「自己とは何か」について考えたいのです。
例えば時間的に考えると
「今ここ」にいる自分、「過去」の自分、「未来」の自分と
色々「自分」が考えられるわけですが。そのような物を僕らは
どうして自然に内包して混乱せずに生きていけるんだろう?とか
「今ここ」の自分が決めた決定は一体誰が決定しているのか、例えば
僕は今ここに存在しているのに目的合理的に生きるためには常に
「未来」の自分(殆ど「他者」と同レベルの存在)の欲望(?)を
想定して決定しているけれど、それじゃあ「今ここ」の自分って
一体何なんだろう?動物ならこんなことはなかったんだろうか?とか
精神分析にたどり着いたのは僕が「落ちて」いた時に
薬が全く効きそうもなかったので自分自身で何とかしようと思って
読み始めたのがきっかけです。和田秀樹さんの「痛快!心理学」に
フロイトとか色々乗っていたので心理学=精神分析のことだと
思ってました。
18 :
名無しさん@お腹いっぱい。:01/12/23 12:33
>>16 こらこら、君のほうこそ
精神分析についてはれん君ほどにも知らないようだな。
精神分析が第一義に臨床技術であるのは確かだが,
精神分析が自己やら言葉やらを研究していないなんてことはないぞ。
それに精神分析の人間観は医療モデルだから,
クライエントをカウンセリングしたりはしない。
患者を治療するのだ。
ここでも和田の弊害が見られるな。
あれは心理学者でもないし、精神分析家でもない。
単なる老年(?)精神医学をやってる人。
あと、精神病を精神分析でどうにかしよう、というのも少し違うな。
精神病は主に脳の機能的な障害から発生する。
だから、今のところその本体部分を治す技術はない。
行動レベルで矯正するなら、行動療法が最も有効だと私は思っているのですがね。
ちなみに、神経症と精神病も違うぞ?
フロイトの記述は、確かヒステリーとかの神経症に類するものではなかったかな?
専門家ではないので良く知らないが(精神分析家は、日本には10人程度…って、前に書いたか?)
あと、18サマ、あなたと私では「研究」の定義が違うようだ。
精神分析は研究ではなく、実践であると思っています。
誤解を恐れずに言うなら、医療現場での患者をクライアントという。
20 :
名無しさん@お腹いっぱい。:01/12/23 12:50
おいおいでたぞ、「痛快!心理学」・・・
やれやれ・・・
くれぐれも。和田のは心理学としては、クソの足しにもならん駄本。(言い過ぎか。スマンな、著者)
あと、ホンモノの精神分析家はテレビには出ないし、本も出さない。
不用意にそんなことしたら、今までのクライアントを絶望させかねない、と聞いたことがある。
とにかく、まともな精神分析は日本では学べませんね。
人間を時間軸? よくわからんが。
哲学に行きなさい。それがあなたのやりたいことに最も近そうだ。
心理学でも似たようなことをやっているけど、もっと具体的(機能的)なレベルだ。
哲学をする中で、脳科学や心理学から示唆を受けつつ、存在(実存)について考察せよ。
23 :
名無しさん@お腹いっぱい。:01/12/23 12:57
患者からクライアントに言葉を替えたのはRogersだけど、それより以前に
精神分析家のRankがKlientって言葉を使ってるよー。RogersはRankの弟子
だったわけだから、クライアントって言葉もさかのぼれば精神分析に行きつ
きます。くわしくはKramerの論文を参照のこと。発表年は今はわからん。
現場では、患者なんてことばを滅多に使わない。患った者。
真実がどうあれ、イメージ悪い。(という理由かな?)
普通はクライアントというが? 少なくとも、私の周りでは。
21とかの周囲では違うのかな?
特に心理臨床では、イメージが優先されるのでね。使わない。
心理学でも、最近は被験者ていう単語を使わないようにしてるしね。
実験協力者。或いは参加者。
25 :
名無しさん@お腹いっぱい。:01/12/23 13:03
れん君。
これらの本は読んだかな?
見田宗介『自我の起源』岩波書店
板倉昭二『自己の起源』金子書房
前者は社会学の論客の,
後者は気鋭の比較認知科学者(俺の後輩)の著書だが,
並べて読むと君の疑問の解決の糸口が見つかるかもしれないよ。
それに加えて、社会心理学からは、
『自己の社会心理』(誠信書房)1998年、編者:安藤清志、押見輝男。
を推薦しておきます。
>>1 哲学逝ってラカンでもやったほうがいいんじゃないかと思った。
感想なのでsage。
(漏れ、哲学系)
28 :
名無しさん@お腹いっぱい。:01/12/23 17:03
和田秀樹会ってみたーい。どんな人なんだろ。笑えるかな。誰か、講演会の予定とか知りませんか?
>見田宗介『自我の起源』岩波書店
板倉昭二『自己の起源』金子書房
面白そうですね。見田さんは岩波の社会学講座で前書きみたいなのを書いていて
それを読んだ時になんだかすごいなぁ〜って思いました。
上の二つは読んだことがないので早速読んで見ます!
哲学・・・哲学はすごく面白そうだとは思い、哲学系の本も何冊か読んだのですが
哲学に行く!って言うふうには言い出せない・・・。
因みに今までは永井均さんとか木村敏さんとか読んでいました。
今考えている所ではラカンやってる新宮一成さんとか・・・
けどそれだと精神系に行き過ぎちゃうし。
なんだか社会学は社会学、精神分析は精神分析、哲学は哲学で
微妙に縛りがあるように思います。
>>れん
心理系の講演で新宮先生には、けっこう会えますよ。分析学会でもたまに討論されていて、ラカン派からの意見を求められてます。だから、接触するチャンスは多い方だと思います。
31 :
名無しさん@お腹いっぱい。:01/12/24 00:55
なんどもいろんなスレで書いていますが、
精神分析は精神医学とも臨床心理学とも、関連はあるものの、独立した自律的なディシプリンです。
精神分析はpostdoctralな資格である精神分析家によって担われます。
精神分析家はどこの国でもソサエティもしくはインステチュートで養成され、大学とは
一線を画しています。
ほとんどの国の養成機関ででphD、もしくはMDを候補生に要求しています。
訓練は週4回以上のの訓練分析を終結まで(平均500セッション以上)、週4回以上
のケースのスーパービジョンを2ケース以上(最低でもそれぞれのケースを2年以上)、
200時間以上のセミナーという訓練基準をたいていの養成期間が守っています。
国際分析学会IPAが基準を勧告しているからです。
日本には、日本精神分析協会があり、IPAに加盟しています。
協会員は国際学会IPAの認める精神分析家です。
協会には現在10名あまりの教育分析家がおり、15名くらいが
IPAの基準に沿った訓練を受けています。30代後半から40代くらいの人が中心です。
協会には東京と福岡にインスティチュートがあります。
「日本精神分析学会」という学会は、精神分析家の集まりではなく、精神分析的な
精神科臨床と心理臨床に関心のある専門家の集りです。医者と医者以外がほぼ半分ずつ
くらいで、2000人近くが入っています。ここを指導しているのは、分析協会
の会員が多いです。ここも、セラピストの認定制度を持っていますが、もちろん
精神分析家になるための訓練しているのではありません。
いずれにせよ、分析家になるには、医者になるか、心理臨床家になって、10年くらい
臨床訓練を積んでから、候補生に応募して訓練を受けるのがよいでしょう。
32 :
名無しさん@お腹いっぱい。:01/12/24 01:00
伝統的に精神分析は患者patientという名で、ユーザーを呼んできます。
それは、医師も非医師も同じです。
たとえば、80年代のベストセラーで世界で広く現在も読まれている本に、
ケースメントのLearning from the Patient(「患者から学ぶ」岩崎学術出版)
がありますが、ケースメントはもともとソーシャルワーカーです。
33 :
名無しさん@お腹いっぱい。:01/12/24 01:06
ラカンははじめ臨床的でしたが、途中から人文的、つうか哲学的な方向に進みました。
34 :
心理学を学ぶ者:01/12/24 01:56
アードラー派はどうなんでしょう?
35 :
名無しさん@お腹いっぱい。:01/12/24 09:38
アドラー派はアドラー派。精神分析ではありません。
訂正ですが、私の思いつく限り、教育学部には精神分析の先生はおりません。
いま、心理関係、社福関係、人文系で大学で助教授以上で、精神分析家、もしくは日本精神分析学会
の認定スーパーバイザーが働いているのは、
小此木啓吾、狩野力八郎、北山修、皆川邦直、成田善弘、藤山直樹、
生地新、福本修、木部則雄
馬場禮子、たたら幹八郎、一丸藤太郎、深津千賀子、中村留貴子、井上果子、溝口
といったところでしょう。落ちがあるとは思いますが。
教育系はいませんね。
37 :
名無しさん@お腹いっぱい。:01/12/24 10:33
>>36 北山修は九州大学教育学部,
井上果子は横浜国立大学教育人間科学部に所属しているはずです。
31さんは精神分析の範囲を厳密に考えておられるようですが,
このような場所での議論では
ユングやアドラーも広義には精神分析系として論じてもよろしいかと。
ユングやアドラーを精神分析と言い出したら、混乱の元でしょう。
39 :
名無しさん@お腹いっぱい。:01/12/24 15:14
http://www.mainichi.co.jp/life/dokusho/2001/0318/03.html >「カンザス州の有名なメニンジャー診療所は、
>かつてアメリカにおける精神分析のメッカだった。
>そこでは一九四五年には精神病患者の六二%に精神分析が施されていたが、
>一九六五年には二〇九人中一人が精神分析の治療を受けているだけになってしまった。
>このような推移にはもちろん、
>精神分析の治療効果に対する疑いと、
>新しい薬物の台頭が関係している」
>フロイト・ユング派は、本家では凋落(ちょうらく)の一途だというのである。
>アインシュタインの原子(爆弾、発電、潜水艦も)が力を落とし、
>マルクスの革命が終ったように、
>フロイト、ユングも20世紀とともに去るんだろうか。
40 :
名無しさん@お腹いっぱい。:01/12/24 15:21
最悪の精神医学者 フロイトら上位に(英 インディペンデント紙)
http://www.independent.co.uk/story.jsp?story=61326 朝日新聞夕刊(3/28)でも報じられました。
> 精神医学史上最悪の書物や論文を発表した十人を、
>英国などの専門家百五十人が投票で選んだ。
>英インディペンデント紙が報じた。
> 一位は脳への血流停止の影響を見るため
>患者や服役囚ら百人以上の首を絞めるなどした
>一九四〇年代の精神医学者。
>「夢判断」などの著者で精神分析の創始者フロイト(オーストリア)
>は六位。(共同)
41 :
名無しさん@お腹いっぱい。:01/12/24 16:47
北山、井上氏が自分を「教育系」とは考えてないでしょう。ふたりとも
「臨床心理」系のポストにいるつもりだと思いますよ。北山氏の属している
ところは、臨床心理士の指定コースになってます。
43 :
名無しさん@お腹いっぱい。:01/12/24 17:18
北山氏の最近の所属は教育になっていなかったが。
立派な教育学部でも「教育でないぞ、おれは」と思っているのは
いくらもいるぞ。
44 :
名無しさん@お腹いっぱい。:01/12/24 17:45
>>38 >ユングやアドラーを精神分析と言い出したら、混乱の元でしょう。
深層心理学ってくくりにしたら?
45 :
名無しさん@お腹いっぱい。:01/12/24 17:53
深層心理の存在って、証明できんのかな?
フロイト的な無意識とかもそうだけど。
まあ、科学じゃないし、と言われれば、それまでですが。
精神分析は深層心理学ではありません。心理学ですらないですから。
精神分析は、それがいいかどうかは別として、精神分析以外のなにものでもない。
47 :
名無しさん@お腹いっぱい。:01/12/24 18:42
>31=46
更には、精神医学でもないね。
精神分析家になるには、大変な苦労が必要なのは分かったけど、
そういう苦労を積んだからどうだっていうの?
仮に「私は、『国際超能力協会』が定めたプログラムに従って、
50年間も修行を積んできたので、超能力が使える」
と主張する人がいたとして、これとどう違うの?
いや、そんなことは常識だろ?
ただ、類似の言葉を使った類似の概念がある。
とか言うのもどうでも良し。
証明できるのかな?
49 :
名無しさん@お腹いっぱい。:01/12/24 19:06
フロイトは1934年のPSYCHO-ANALYSISの最後の部分で、精神分析の
他分野への応用について、ここでは紙幅が足りないと書いた後、以下
のように書いている。
「精神分析は、深層に存在する、無意識の心的活動の心理学として、
精神医学とすべての精神科学の掛け橋となることを約束していると
述べるに留める」
参考までに原文を
Es genuege die Bemerkung, dass die Psychoanalyse - als
Psychologie der tiefen, unbewussten Seelenakte - das
Bindeglied zwischen der Psychiatrie und all diesen
Geisteswissenshaften zu werden verspricht.
Gesammelte Werkeの索引を見ると、Tiefenpsychologieて言葉が
フロイトによってちゃんと使われていたことがわかる。
「深層心理学としての精神分析」の項目もあった。
そもそも「深層心理学」って言葉は、フロイトによって作られたんじゃ
なかったっけ?(ここらへんは記憶があやふやなので、だれか教えて)。
精神分析には心理学の部分もあるってのでどう?
50 :
名無しさん@お腹いっぱい。:01/12/24 19:15
31さんは精神分析の内部の人みたいだから,
このスレに常駐していただいて,
精神分析よろず相談所を開設してはいかが?
51 :
名無しさん@お腹いっぱい。:01/12/24 19:18
>>49 「聖典にそう書いてある」
なんてのは、信者以外には、何の意味もないよ。
えー49は46に対するレスです。
あと訂正。
× 精神分析には心理学の部分もあるってのでどう?
〇 精神分析には深層心理学の部分もあるってのでどう?
あくまでも呼び方の問題に対する提案でね、精神分析を「科学的」
心理学と認めろって主張したいわけではない。
53 :
名無しさん@お腹いっぱい。:01/12/25 10:47
精神分析とは自分勝手な視点で人間の行動を解釈したあげく、
「あなたはこんな人間です」と決めつけて自分自身が満足するオナニー的な学問です。
そして人間の心理を分析するのは大好きですが、自分が指摘されると怒ります。
もてないフロイトくんは童貞だったのでセクースがとてもすごい物のように思えて、人間の精神になんでも性行動を結びつけてしまったりしたのです。
だから彼の夢判断は何でも性的抑圧のあかしなのです。なぜなら彼は夢を見るたびに夢精してしまっていたからです。
54 :
名無しさん@お腹いっぱい。:01/12/25 10:53
精神分析は学問じゃないでしょ?
邦訳するときに、誤って精神分析「学」になった。
あれはカウンセリング・スキル。
55 :
名無しさん@お腹いっぱい。:01/12/25 19:30
ま、フロイトは学問、科学だと思っていただろうね。だから精神分析学と訳したの
は誤訳じゃない。フロイトに批判的な人が考えている、学問、科学とは中身がちが
っていたのはたしか。しかし、科学や学問の定義って、人によってさまざまで、か
つ歴史的・文化的・地理的な制約を受けるもの。今までだって固定したものではな
かったし、これからもそうだろう。一つの信仰だな。
56 :
心理学を学ぶ者:01/12/25 23:43
>55の方へ
私は、信仰=宗教と連想してしまったのですが・・・。
しかし、こんな言葉があるんです。「すべての宗教的理論や体系は
科学の支配下におかれるべきであり、宗教が科学を支配する考えは
放棄されなければならない」って言葉が。
これって、つまり心理学っていうものは安易に信仰とか言う言葉で片付けては
いけないと思うのですが・・・。
ちなみに、この言葉はイギリスのジョン=ティンダルと言う人がいった言葉。
58 :
名無しさん@お腹いっぱい。:01/12/26 00:07
精神分析をやってる人間は、たぶん誰一人としてそれを科学と認識してないでしょう。
少なくとも、私がお話をうかがう機会のあった人は、全員そうでしたが?
何をおいてもまず、「精神分析は科学ですか?」と聞くようにしているのですが。
59 :
名無しさん@お腹いっぱい。:01/12/26 00:09
あ、しかも、言語では「学」となっていない。
>>58 まあいろいろな立場がありますから。少なくともフロイト自身は、精神
分析を科学だと思っていたでしょう。後世の人たちでも、ハルトマンの
自我心理学の流れなどは科学としての精神分析を追及したのでは? 精神
分析は精神分析であり、それ以外の何物でもないとは、ラカンあたりが
言ってそうですねえ。
カウンセリング・スキルというようなものとは少しちがっているように感じます。
それほど「自分」から遠い、技術的な営みではありません。
エディプスを中心にしたフロイトの理論はもう終わっていますが、
クライン派を中心とした対象関係論が提起した間主体性についてのアイデア
は、おそらく人が人と関わることの本質の一端を切り取っているでしょう。
精神分析は人文諸学が学問である意味ではありえるように思います。
人が変化していく道筋を地道に追いかける営みとしては、
信用できるもののように感じています。
人が人を理解するときにその人の「自分」が変化を受けていく、という
現実に向き合うことが、
精神分析という営みの本質であろうと思います。
53は冗談で書いているのでしょうが、そういった類の誤解、
つまり、ひとを理論で切りさばくような営みだという誤解はよくあります。
分析家はこころを使うのであって、頭を使うのではありません。
62 :
名無しさん@お腹いっぱい。:01/12/26 00:17
フロイト自身が科学ではない、と言い切っているらしいですよ。
何だったかな。遺稿の一つのあとがきで。
心理板のどこかのスレ、たぶん「カウンセリングと臨床心理」とかいうような所に。
63 :
心理学を学ぶ者:01/12/26 00:18
では、こころってなんなんでしょうか?
>>62 フロイトの何年の何と言うタイトルの著作かがわかると、調べてお答え
することができますが。
こころを使うのであって頭ではない、のところにひっかっているのでしょうが、
もしあなたにこの表現が何のイメージも喚起せず、ちっともわからないのであれば、
あなたは私のいうことに耳を傾ける必要はないでしょう。
無視してください。
精神分析はこころという概念を定義しようなどと大それたことは考えていません。
精神分析が語ることをきいて、聞き手になんらかの情緒的反応が生まれ、
それが何らかの考えに練りあがっていくかどうかが問題です。
66 :
名無しさん@お腹いっぱい。:01/12/26 00:31
あったあった。取り敢えず、問題の題名だけでも。
Abriß der Psychoanalyse。日本では「精神分析学概説」と訳されている。
フロイト自身の話についても、上のやつかな?
どこで聞いた話だったか……興味ある人は心理板を探索すれば、でてきます、必ず。
というか、詳しい人、みてないかなぁ。ヘルプ!
67 :
名無しさん@お腹いっぱい。:01/12/26 00:35
精神分析が語ることをきいて、聞き手になんらかの情緒的反応が生まれ、
それが何らかの考えに練りあがっていくかどうかが問題です。
そう。こういう力動的な過程を創出する技術を指して、
私はカウンセリング・スキルとしたのです。
>67
それを「スキル」と呼ぶのは、治療者の自分の側の本質的変化が捨象されすぎています。
おそらく、治療者は、いくぶんわけがわからなくなり、あとにならないと
事態を十分に考えることができないという本質があります。
つまり主体性は維持されつづけるわけではありません。
69 :
名無しさん@お腹いっぱい。:01/12/26 00:52
いやだから、まあ、スキルの定義が違ってそうなのでかみ合わないのが当然かもしれませんが、
後になってみないと分からない、或いは後になっても分からない、
そういう、現場での直感。洞察力。
何でかよくわからない、という科学的ではない部分で、カウンセリングが成功した。
という話を良く聞く。後で考えると、説明はできたりするそうですが。
まあ、伝聞なのでその感覚は分かりませんが。
そういう直感って、スキル。と思ってますが。
友達の相談を聞くときとかでも、上手い奴と下手な奴がいる。
直感的に、今は黙って話を聞いている方が良い、とかが分かる。
それは科学的な論拠やマニュアルに従ってるわけではなくて、その人の直感(スキル)。
もちろん、同じレベルで語れることではないのでしょうが、そういうことです。
ギフト、とした方が良いかな?
70 :
名無しさん@お腹いっぱい。:01/12/26 04:17
でも精神分析してるヤツが自分が分析されたら怒りやがったからなあ。
人を批評するのはダイスキ。でも人に批評されると「オマエに何が分かるのか!」と怒られちゃったのよ。
2ちゃんの叩きに多いよね。そういうやつ。
71 :
名無しさん@お腹いっぱい。:01/12/26 09:26
「精神分析している」奴、とは精神分析家のことでしょうか。
精神分析家がおこなうもの、もしくは分析家候補生がスーパービジョンつき
でおこなうものが、精神分析です。
人に批評されたら、その関係と内容によっては誰もが怒るのでは。
分析家として仕事することは、どういうことがあっても感情的にならない
「分析機械」になることではありません。
自分が仕事をしている分析のセッション中に、その感情をただ撒き散らすのでなく、
考えることのために利用し続けようとすることです。
訓練分析はそのために必要です。
上記71は私の書き込みでした。
友人の相談をきくことが上手な人が、よい精神分析的治療者になるとは
限りません。そういう人は、すぐにある程度までいって、頭打ちになる
傾向があるようです。
精神分析は数百セッションにも及ぶ地道な営みであり、かつ、相手から
必要とされなくなることを目指しています。
日常の相談ごととはいくぶん異なります。
74 :
とおりすがり:01/12/26 10:53
>>63 僕なりの定義を言うと、「人の頭の中にあるものでも理屈抜きの部分」でしょうか。
根拠はかなりうすいのですが、誰も理屈で理解できていないからそう思いました。
75 :
とおりすがり:01/12/26 11:32
>>70 2ちゃんだけでなく、他でもそうらしいけど、おそらくこうだとおもう。
心理の研究をすると、心のみに喰い部分がよく分かる。で、こまったことに、
自分にもその部分が必ずあります。だから、あとはご存じの通り。
「こんな事ばかり考えているなんて自分はなんて悪い奴だ」と自分にむかつくわけです。
それを引っぱり出されようものなら、「思い出させんな!ボゲェ!」と怒るわけです。
76 :
名無しさん@お腹いっぱい。:01/12/26 12:22
とおりすがりさんたら、ここにもいたとは。
心理学は「おそらくこう思う」「僕なりの定義」「根拠はかなりうすい」
ような主観を語る分野ではなりません。
科学ですからね。今日はこれだけ学んで帰ってください。
>>66 しばらく Abriß der Psychoanalyse を調べてみたけれど、該当個所は
見当たらないなあ。ひょっとしてアイゼンクの「精神分析の治療法としての価値
を、晩年のフロイトは悲観的に見るようになった」という記述のことを言ってるの?
>>31 精神分析家とは何者をさすのかってのは、複数の回答があると思います。
既定された時間のスーパーヴィジョンとか、教育分析とか統制分析などを条件と
するのはあくまでIPAの理屈では? Lacanは教育分析と普通の分析の間に区別を
設けていないし(つまり、すべての分析は被分析者が分析家になることを目指し
ているということ)、必要とされる時間についてもそうです。そして、「分析家
の資格を基礎付けるのは分析家自身である」と言い切っている。かっこいいタン
カで、いさぎよいと思いますがねえ。
78 :
とおりすがり:01/12/26 12:57
>>76 ここでもあうとはびっくり。
同じ方向に動いているようです。お互い。
心理学の話の時はもっと気を付けて言います。
>77
しかし教育分析をあるところまで受けていない人を分析家と呼ぶ人はいないでしょう。
たとえラカン派でも。
ラカン派も資格とおなじようなものを発行しています。
IPAでも教育分析とふつうの分析は全く同じ物です。ラカン派のように短期間で
ないところがちがいます。
あなたも(もちろんラカン派でも)訓練を受ければきっとわかるでしょうが、
分析家資格という問題は、それほど生易しくはありません。
そんなにかっこうよいものではないですよ。
>>31 31は、36の中に名の挙がっている人ですか?ずいぶんと精神分析について書き込んでますが。
訓練が生易しいとも、分析家の資格がかっこうよいとも思っとりません
よ。ただラカンがかっこいいと。
でも、IPAの既定している教育分析って、時間数も定められていて、
キャンディデイトはリストに載っている分析家の中から自分の分析家を
選ばなきゃいけないんじゃないの? 誤解してたらすまん。
あと、何をラカン派とするかも微妙だと思います。だって、本人が死ん
だ後、分裂が相次ぎ、本場のフランスで「ラカン派」がたーくさんいる
って状況でしょ。中には構成員の数がかなり少ないグループもあるとか。
その人たちがそれぞれ資格を発行しているとしたら、その内実にもかな
りの幅が出てきてしまうのでは? ラカンの言うことを徹底したら、
それこそ「精神分析家の資格があるかないかはおまえが決めろ! 自分
に教育分析が必要かどうかを決めるのもおまえ自身だ!」という
ダダイストのグループも出てくるのでは?(あるいはもう出現してい
る?)。
ラカン自身は(ある面では)度量の広い人だったらしいから、資格
問題にとどまらず、分析の枠組み、分析のあり方に否定的な急進派
も自分のグループに入れていたらしいから、上記の過程はあながち
根拠の無いものでもないと思いますが。どうでしょう。
ラカンはいくつかのパーソナルな証言によると、人を自分にひきつけたり、仲間内に嫉妬を
巻き起こすことで、権力を維持する天才だったようです。
8年間彼と行動をともにし、離れて英国対象関係論に近づいた
アンドレ・グリーンはそういう意味で彼を「倒錯者」だった、
と言っています。
こうした証言は離れた人が言っているので割りびく必要があるかもしれません。
とにかく、彼の行くところ、分裂と不和が生じたことを事実でしょう。
IPAは調べたところ、
教育分析の時間数について何も規定していません。
ただ現実的には500−1000くらいのあいだでしょう。
ふつうの精神分析の終結もそれくらいかかります。
教育分析家のリストから分析家を選ばなければいけないのは、
IPAに加盟している訓練機関だけではないようです。
この問題は、精神分析家を組織で訓練する是非という問題でしょう。
私は個人崇拝に陥るよりもいいと思っています。
スーパービジョンをやるのは、訓練分析で「分析家になった」といっても、
それが患者という現実に通用するかどうかをみなければ怪しいものだ、という
現実がある以上、必要だと思っています。
スーパービジョンの時間数もIPAは勧告していないと思います。
多くの訓練機関で、ケースの終結までを要求し、いくつかのところで最低何年
というような基準を設けているようです。
83 :
名無しさん@お腹いっぱい。:01/12/28 10:53
精神分析のことはここで訊け。
84 :
名無しさん@お腹いっぱい。:01/12/29 00:14
age
85 :
名無しさん@お腹いっぱい。:01/12/29 00:41
臨床心理学という授業で精神分析を学びました。
妥当ですか?
86 :
名無しさん@お腹いっぱい。:01/12/29 00:57
実験心理マンセーです,
>臨床心理学という授業で精神分析を学びました。
妥当な訳ないです.精神分析は単なる占いであって学問ではありません.行動療法のみが妥当です.
>85
臨床心理学のなかで精神分析の講義をすることはよくありますね。
精神分析は、今の日本では、臨床心理学と精神医学とに社会との通路が
あるので、そのことは自然なことでしょう。
ただ、えてして、精神分析のことを知らない、それを営んだこともない人が
「自我、超自我、イド」だの、「防衛機制」だの、「口愛期、肛門期、男根期」
だのを教えています。
そのためそういう一見かなり「非科学的」にしか思えない概念の、
精神分析の営みに対してもつ本質的な意味が、
生徒には(もちろん教えている人にも)わからないことが多いのです。
こうして精神分析は、死んだ学問だ、という誤解が生まれます。
日本で生きた精神分析実践をやっていて、大学の教壇に立っている人が
果たして何人いるのか、
だいたいカウチに横たわるクライエントとの営みを日常的に営んでいる
教師が何人いるのか、
きわめて疑問です。
精神分析はあくまでひとつのユニークな実践なので、
それを体験してない人から教わってもまったく無意味です。
88 :
名無しさん@お腹いっぱい。:01/12/29 01:01
>精神分析の営みに対してもつ本質的な意味が、
>生徒には(もちろん教えている人にも)わからないことが多いのです。
それはあたかも神秘主義のような。
スバラシ過ぎ。
○○のみが妥当、などという物言いは、自分が馬鹿だ、もしくは
まったく自分の考えに自信をもってない、というのと等しいでしょう。
○○のみが妥当、というような煽りをする人は、
自分を恥じるべきでしょう。
90 :
名無しさん@お腹いっぱい。:01/12/29 01:33
85の者ですが。
>87様、回答ありがとうございます。
その授業の後期は普段しゃべらない相手と組になって、
聞き手は声を出さずに相手の話を聞くとか、そういったワークをやりました。
そのワークはなかなか恐ろしかったです。
精神分析は人間の行動をよくラベリングできてると思うのですが。
(煽りが来ますか?)
「よくラベリングできてる」という言葉をどういう意図で使っているかを
はっきりすれば大した煽りも来ないでしょう。
>>82 調べてくれてありがとねー。IPAでも教育分析やスーパーヴィジョンに
ついてとくに規定はしていないんだ。
>この問題は、精神分析家を組織で訓練する是非という問題でしょう。
>私は個人崇拝に陥るよりもいいと思っています。
>スーパービジョンをやるのは、訓練分析で「分析家になった」といっても、
>それが患者という現実に通用するかどうかをみなければ怪しいものだ、という
>現実がある以上、必要だと思っています。
そこがジレンマなんだろうね。ラカンの言葉(ちと長いが引用)
「私は,いま非常に孤独を感じている。それは,精神分析が結局は
他人に伝えることができないのを生涯の経験によって知ったからで
ある・・・・・・精神分析家はひとりで精神分析家になる。そして,ひと
りひとりが自分の精神分析を生み出す,これ以外に方法は無い」
これはラカンの最晩年の言葉。フロイトがしたようにすべての
分析家が自分で分析を作れと。正論なんだけど,現実の社会で精神
分析の営みをするに際しては,原則を押し通すのは難しい。かと言
って公的な機関による訓練,資格の発行に頼るのならば,精神分析
のラディカル(根源的)な部分が損なわれてしまう。ラカニアンの
佐々木孝次は「だれもがジャック・ラカンになるわけにはいかない
だろう」と言ってる。凡人は既存の制度,機関,資格に拠れという
ことか・・・。
あ,最後に。やはりフランスでは,「俺が分析家だ」といった者が
分析家である,と主張する一派がいるそうな。彼らは伝統的な訓練
システム,教育分析を退け,あくまで自分自身によることを主張し
ていると。ファンダメンタリストの自分としてはそちらのほうに,
どちらかと言うとシンパシーを感じてしまう。
>92=55
精神分析のファンダメンタルがフロイトの考えだとすると、
その「おれが分析家だ」と思ったら分析家、という人たちは、
ファンダメンタルではないですね。
フロイトの書いたもの、書簡などは、やはりフロイトが訓練を
重視していたことを示していますし。
私の考えでは、そういうのは、絶対に、精神分析ではないですね。
あなたが気づいておられる本質的ジレンマを生き続けることは、
いったん訓練のなかに入らないとできません。
そのジレンマを生きることこそ精神分析です。
分析的体験をもたずに分析を営めるとはとても思えません。
その壁はとても大きいと私は感じています。
>90
そのようなワークは精神分析と何の関係もありません。
本質的にちがったものです。
クライエントが切実に分析に参加し(金を払うことによって切実さを具体化し)、
分析家が料金を受け取ることによって、自分の人生の一部をその営みに具体的に依存する、
そういう関係が基礎にないワークなど、ただのお遊びです。
94 :
名無しさん@お腹いっぱい。:01/12/29 23:13
93
えらそうに、なにさまだ。
オマエモナー。
96 :
名無しさん@お腹いっぱい。:01/12/30 00:27
97 :
名無しさん@お腹いっぱい。:01/12/30 00:32
98 :
名無しさん@お腹いっぱい。:01/12/30 01:55
どういう意味で言ってるのかわからんが、
八百長でいいんだよ、勝負に勝てさえすれば。
この際、厳密な意味での科学的な裏付けはいらん。
99 :
名無しさん@お腹いっぱい。:01/12/30 04:12
誰かアイゼンクの分かりやすい説明
をしてくれ。
わーい、100だ。
99よ、ものぐさはいかんぞ。自分で本なりを読め。
101 :
名無しさん@お腹いっぱい。:01/12/30 17:15
ウッス!逝ってきます。
102 :
名無しさん@お腹いっぱい。:01/12/30 17:24
精神分析をしましょう。
最初に100万円の小切手を用意して
待ち合わせ場所と日時を書き込んで下さい。
103 :
名無しさん@お腹いっぱい。:01/12/30 17:28
>>86に送るコピペ。
「フロイトの、メタサイコロジーとは何か、それは精神分析学が、科学として
成立する為に必要な、精神についての、理論体系である。精神分析療法その
ものは、技術(アート)であって、自然科学ではない、それは、外科手術が
技術であって、科学でない事と同じ事である。フロイトは、精神神経症(ヒ
ステリー・恐怖症・強迫神経症)の、治療技法である、精神分析療法を作り
出すと共に、その技術を支える、理論体系を科学として、成立させようとし
た。即ちフロイトは、個々の事象から法則性を見出す営みの中で、メタサイ
コロジーを、作り出そうとした(帰納法)。しかし、メタサイコロジーが、
自然科学の理論である為には、次に帰納法によって導き出された仮説から、
個々の事象を推論して、仮説の正当性を、実証する必要性がある(演繹法)。
つまり、精神分析の諸仮説を、科学理論にまで高める為には、帰納と演繹の
循環が必要であった。しかしながら、精神分析学では、演繹によって得られ
た、法則性の妥当性を、十分に検証できていない。その点で、精神分析学は
科学としては、未完成であると言わねばならない。換言するならば、メタサ
イコロジーとは、精神分析が科学である事を、目指して作られた、仮説体系
なのである」
104 :
名無しさん@お腹いっぱい。:01/12/30 23:01
ヒステリーは罪悪感で治るのですか?
106 :
名無しさん@お腹いっぱい。:01/12/30 23:29
107 :
一精神科医:01/12/31 16:39
ふつうの精神医学の考えでも、精神分析においても、ヒステリアは基本的に予後のよい
病気といえます。
いまの操作的基準にはこの言葉は載っていませんが、
やはり臨床的に有用な概念だと思います。
108 :
名無しさん@お腹いっぱい。:02/01/01 17:50
ヒステリーは神経症なのですか?
109 :
名無しさん@お腹いっぱい。:02/01/01 18:09
辞書ひけ。
>>93=31
えーと、流れを勝手に整理しよう。まず精神分析は心理学かどうか。フロイトは
心理学だと思っていた。現代の心理学者が精神分析を心理学とみなすかどうかは
その心理学者の心理学の定義による。フロイト以後の精神分析家は精神分析を心
理学だとするかどうかは、その精神分析家の精神分析および心理学の定義による。
ハルトマンとラカンだと考えはだいぶ違うわけだ。
上で述べたことは精神分析は科学かどうかについても同様。
「何が精神分析か?」について明確な答えを出すのは現在非常に難しい。同一の名
のもとに非常に雑多な流れが並列している。こんな混沌状態を嫌うか、精神分析
の生命力をそこにみるかもいうまでもなく立場による。ちなみに自分は後者。
あと、教育分析、資格問題について。フロイトが訓練を重視していたのはその通
りでしょう。しかし、制度化された訓練システム、資格システムをよしとするの
かどうかは、フロイト以後の精神分析家の立場による。IPAは制度化されたシス
テムをよしとし、ラカン派は個々人が自分で精神分析を作りあげることをよしと
する。精神分析はいかなるシステムによっても他人から伝達されることなく、分
析家はただ自分自身をよりどころにして分析家にならなくてはいけないと。
後者の立場の人間は、フロイトが言ったようにするのではなく、フロイトがやっ
たようにしようとする。精神分析を自分で作り上げるということは畢竟、フロイ
トになるということなのだから。こんなことが制度化になじむはずがない。IPA
をラカンが破門されたのは当然だ。
はああ、結論はひどく拍子抜けしたものになってしまう。精神分析家と何か、ど
のように精神分析家になるのかについての答えも、それぞれの精神分析家の考え
によると。
111 :
名無しさん@お腹いっぱい。:02/01/01 20:15
哲学版の方で、ラカニアンのフジタ氏が資格うんぬんについて書いて
いるのでコピペします。
13 :フジタ :01/12/27 01:21
面白いのは「本物の」精神分析家は資格に対して無頓着だということです。
資格云々といっている間は「資格が必要」というわけです。
厳密な話をするなら、分析主体(いわゆるクライエント)は
分析家「に」分析を受けているのではなく、
分析家「を使って」自らを分析しているのですから。
分析家であるための資格云々という話は実はとてもナンセンスな議論です。
ラカンの有名な「Le psychanalyste ne s'autorise que de lui-meme.」という言葉は
そのような文脈の中で意味が明らかになっています。
自分たちがすでに当たり前だと認めてしまっているような既成の団体(大学、組織など)とか権威は
一旦括弧に入れて、そもそも「精神」を「分析する」とはどういうことなのか、
このことについて徹底的に考えてみるべきでしょう。
ラカンは分析家を聖人に喩えて「聖人は聖人であるほどよく笑う」と言っています。
この表現を借りるなら「分析家は分析家であるほど資格を笑い飛ばす」とも言えるでしょう。
要は、ただそこに「精神」の「分析」があるのであり、その「分析」が
自己分析の構造的な限界を越える必要が生じたときに初めて、
「他者」としての分析家を「使う」必要が生じてくるのです。
精神分析の基本は、フロイトが父の死を契機として「精神分析」を編み出したように、
「喪の仕事」のなかでの徹底した「自己分析」の中にこそ見出すことができます。
忘れてはならないのは、分析家を選択するのは分析主体の方なのだということ。
その限りにおいて、分析主体に選ばれた分析家は他の誰が何と言おうと分析家であり得るのです。。
「創始者フロイト自身は教育分析を受けていない」
このテーゼの重い意味をもう一度考えてみてください。
俗に存在する精神分析家の資格云々の問題は、実は
「資格を持っているか否か」ではなく
「資格にこだわっているか否か」
という問題であることが見えてくるはずです。
精神分析は常にそのようなこだわりとは異なる地平で機能し続けていると考えるべきです。
たとえば、たった今、この場所でも、、、
110の補足
>まず精神分析は心理学かどうか。フロイトは心理学だと思っていた。
これは深層心理学ってことね。正確に表すなら,精神分析には深層心理学も
含まれると。
>>108 精神分析の分類ではヒステリーは神経症のひとつに数えられている。フロイトは
神経症をざっくり二つに分けた。現実神経症と精神神経症だ。そして精神神経症
の下位分類として,転移神経症と自己愛神経症がある。ヒステリーは転移神経症
に分類される。
極上スレ。
読んでいて非常に興味をそそられます。
現実神経症・精神神経症についてもう少し詳しく教えて頂けないでしょうか?
騙されたらいかんよ...。
現実神経症と精神神経症について。
精神神経症っていうのはその症状が心因によって説明できるもの。
現実神経症っていうのは心因によって説明できないもの。フロイトは
性的欲求不満や、反対にやりすぎから来る生理的失調によって生ずる
ものを現実神経症としてあげている。
精神神経症の下位分類である転移神経症と自己愛神経症について。
転移神経症とは転移を起こす能力が損なわれていない神経症。自己愛
神経症とは転移を起こす能力が損なわれている神経症。後者の中にあ
る時期のフロイトは精神病を含めた。
こんなもんでどう?
118 :
名無しさん@お腹いっぱい。:02/01/04 01:22
日本の人文系精神分析理解の常で、世界の分析家のごく少数にしか過ぎない、
かなり極端な言説でみんなを辟易させているラカン派が、
まるで中心に来ているかのような状況がここにもあるな。
世界の分析家のうち、IPAの1万人、それ以外が3千人いるけど、ラカン派ってどれくらいいるの。
フランスとカナダと、あと英米にごく少数だけだと思うぞ。
フランス国内だって、ラカン派は衰退傾向だし。
119 :
名無しさん@お腹いっぱい。:02/01/04 01:25
多数派少数派は政治の理屈です。本質的な批判にはならんでしょ。
あと、ラカン派は南米でも幅を利かせているらしいぞ。
120 :
名無しさん@お腹いっぱい。:02/01/04 01:43
臨床というのは実践ですから、
119のいう「政治」はとても大切。
哲学みたいに宙に浮いているのではないから。
多くの人が受けているサービスを中心にものを考えるほうが。
日本でもアメリカでもラカン派の分析家にはなかなかかかれんぞ。
日本では他のにもかかれんが。
南米はクライン派が圧倒している。うんざりするほど。ラカン派は
ごく少数。
南米ではラカニアンとクライニアンが血で血を洗う戦いを繰り広げて
いると聞いたことがあります。また,つい何年か前,2者の手打ち式を
行い,一つの組織を作ろうとする試みがあったがお流れになったと
か。
彼らは仲悪いそうですねえ。小此木氏がこんなエピソードを紹介して
ました。クライン派(怖いおばあさんたちの集まりとまた別のところ
で小此木氏が形容)の分析家,たしかシーガルに,ラカン派とクライ
ン派の相似について話したところ,彼女,猛烈に怒り,「あんなチン
ピラどもと一緒にするな」と叫んだとか。
ラカン派が日本でよく知られているのは,日本人が学ぶことに謙虚だ
からでしょう。アメリカやフランスの分析家派は驚くほど他の流派に
ついて無知だと,基本的な文献にさえ目を通していないとさる人に聞
きました。よく言えば,自分のやっていること,そして自分のよる立
場に自信があり,「他の流派など知る必要はない」と思っているから
で,悪く言えば傲慢だからでしょう。日本人はそこまで傲慢になれ
ず,よく言えば謙虚に,悪く言えば卑屈にいろいろな流れを知ろうと
するのでしょう。おそらく,それには,平安以来の舶来もの過剰尊重
の文化,そして明治以降の大概のものなら何でも日本語で読める翻訳
文化が寄与している(これも相対的なものですけどね)。
でね,何が言いたいかというと,精神分析がまだ閉じていない生きた
領域で在る以上,さまざまな流れを知ることのできることにはそれな
りのメリットがあるということです。純潔主義をとるならべつだけ
ど,そんなのつまらないと思いません? 下手すると,基礎系(と言
うのもあいまいな語法だと思う)の人たちから,「宗教」よばわりさ
れることもちょっと危惧。
臨床は実践だから「政治」が大切ってちょっと脈絡がつかめません。
できたら,もう一回,他の言葉で説明してくれますか。
長文ごめんなさい。
>>55さん
>長文ごめんなさい。
いえいえ、お疲れさまです。勉強になります。
121
南米のラカン派はごく局在しているだけです。チリやメキシコにはほとんどいないし。
ラカンこそ舶来文化のきわみです。
だって、日本人がラカン派の実践にふれる機会が
まだほとんどないから。
ラカンのフロイトについての過激な読み方はそれはそれで価値があるけど、
しかも北米で最近、再評価の兆しもあるけど、
やはり精神分析運動のなかでは少数派だし孤立している。
日本の哲学ー思想系の精神分析の読み手がラカンばかりを取り上げて、
たとえばきわめて似たところを語っているクラインやウィニコットを
語らないのが不思議ですし、ビオンのような
極度に哲学的な議論にもまったくふれられないのも不思議。
日本の舶来文化的な特質でやたらに紹介されているのがラカンなのだが、
それがちょっと偏りすぎている、と私は思います。
124 :
名無しさん@お腹いっぱい。:02/01/04 15:06
自己への内省が深まれば問題は減るということですか?
ラカン派・クライン派、双方のやり方についてわかりやすく説明して
いただけないでしょうか?
>自己への内省が深まれば問題は減るということですか?
深くかえりみることは良いかもしれないですが、反省までする必要
はないかと。
「気づく」というのがキーワードであり、大事ではないかと。
それには他者との会話が必要だと思います。
他者との会話をとおして「気づく」ということです。
そして、他者はやはり訓練を積み学んだ方が1番適してると思います。
声に出す、話すという事が、「気づく」ことにつながると思います。
そして、気づくというのは実感であり行動の変化につながるでしょう。
126 :
名無しさん@お腹いっぱい。:02/01/04 22:06
>ラカン派が日本でよく知られているのは,日本人が学ぶことに謙虚だ
>からでしょう。
そうじゃなくて、「学ぶ」ことしかしてないからでしょう。
つまり、自信がないのです。自分が精神分析をやっているという。
なんか,ラカンおよびラカン派の話になっているけど,ラカニアンはいないのか
なあ。
>>125さんはクライニアンとラカニアンのやり方(分析の進め方?)につい
て知りたいらしいが,それぞれの立場の人自身から説明してもらうのが一番よい
と思う。無理か?
>>126 できるだけ広く深く学ぼうとするのは決して悪いことではないと思いますが,おそ
らく126さんの言いたことは「学ぶ」だけで,実践をしていないと,そういうこと
ではないですか? 実践してないから自信が無く,またいっそう「学び」に力を入
れ,実践がおろそかになってしまうと,するとまた自信がなくなるという悪循環。
そういうことはあるかもしれませんけど,それがラカン派が日本でよく知られて
いるという現状を,どのように説明するのか関連がこのままではわかりません。
補足をお願いします。
>>123 クラインは哲学-思想系(というくくりもなんだが)の人にも取り上げられてまし
たよ。クリステヴァとの関連でも,ドルトとの関連でも。もちろん彼女自信の研
究も。さる集まりで女性のクライン研究者に会いました。その人にクラインの臨
床について聞いたところ,実際のクラインは症例で読むより,ずっと優しい感じ
の臨床をしていて,時には患者の少年を優しく抱きしめたこともあったとか。何
やら,クラインの伝記作家が大人になったかつての少年にインタビューをして確
かめたとか。その人曰く,「クラインはね,優しかったみたいですよ。自分の子
ども以外には」。
ビオンはこれからではないでしょうか。広まっていくのは(哲学‐思想系に)。
ラカンが哲学・思想系で名をはせているのは,彼自身,さまざまな分野の人たち
と広く交流し,影響を受け,影響を与えた経緯が寄与していると思います。それ
は哲学‐思想にとどまらず。その点では,他の流派より開かれている。ま,フロ
イト自身がそういう人だったんですけどね。そこら辺の事情は最近翻訳が出たル
ディネスコによる伝記に詳しい。ラカンは弟子たちにも精神分析以外の幅広い知
識を身に付けることを要求した。ま,エコールノルマルに集う秀才たちだからラ
カンの要求に応えられたのだろうね。いずれにせよ,教養はないより会ったほう
がいいわけですが・・・
128 :
名無しさん@お腹いっぱい。:02/01/05 09:03
あのラカン伝は、訳がなあ。
スーパービジョンのことを監修と訳してあったりして、
あまり精神分析のことを知らない人がやくしたのではないだろうか。
精神分析が定着していない場所での訳本というのは、
どうしてもああなるな。
ラカンの教育分析、やはり自己愛的な倒錯的人格構造のありかたの
人物だったのかな、とあれを読んで思った。
129 :
名無しさん@お腹いっぱい。:02/01/05 18:22
スーパービジョンって、どういう意味ですか?
130 :
名無しさん@お腹いっぱい。:02/01/05 19:09
どうやって騙して金を払わせているんだ?
>>128 ラカン伝、そんなに訳が悪いですか。書評ではべた褒めだったけど。
>ラカンの教育分析、やはり自己愛的な倒錯的人格構造のありかたの
>人物だったのかな、とあれを読んで思った。
まあ複雑な人ですね。興味津々。実際、そばにいたら大変だったろう
けど、一度謦咳に触れておきたかったと思う。たしかドルトは彼を
自己愛の傷ついた子どもと見ていたとか。
性格の悪さ、人格の偏りが見られるのは、ラカンに限らず、また精神
分析家にも限った話ではないけど。
>>129 スーパーヴィジョンっていうのは、自分の治療のあり方についてセラ
ピストが別のセラピストに相談することです。駆け出しのときや、
自分のやっているセラピーが行き詰まったときなどに行います。相談
するほうをスーパーヴァイジー、されるほうをスーパーヴァイザーと
言う。
>>130 >どうやって騙して金を払わせているんだ?
それについてはただでは教えられません。
132 :
名無しさん@お腹いっぱい。:02/01/05 23:06
内発的動機付けはどのように語られますか?
>>132 なんでいきなり内発的動機づけの話が出てきたのかよくわからないけ
ど,ひょっとして和田秀樹氏が論じていることについて聞きたいの?
教育論や勉強論でフロイト,コフートのモデルと外発的動機づけ,
内発的動機づけを比較してたが,そのこと?
>55
語学的な意味でわるいかどうかは別として、
精神分析は素人の人が訳しています。
スーパービジョンはそういう単発の相談のことではありません。
最低でも数年続くような契約関係があり、
相当にエディパルなものが動きます。
ふつうは週4回のセッションを週1回もっていってスーパーバイズされます。
スーパービジョンは精神分析的な臨床をやってる人は、
10年近く、通算すると受けているのではないでしょうか。
ちなみに私はふたりのスーパーバイザーに、通算して15年以上受けました。
同時期に受けていたこともありますが。
あなたのおっしゃっているのは、通常コンサルテーションと呼ばれるのでは。
135 :
名無しさん@お腹いっぱい。:02/01/06 02:08
精神分析と内観法が似てるというのは、
徹底的な自己観察と道徳的な態度という2点が似ているということですか?
>>134 分析で言うスーパーヴィジョンと心理の世界一般で言われているスー
パーヴィジョンとは意味する内容が少し違っているのかもしれません
ね。文面から推察するに,おっしゃっているスーパーヴィジョンは教
育分析に近い感じですね。統制分析(指導分析)ですね(control
analysis, supervisory analysis, supervised analysis)。分析
以外ではスーパーヴィジョンはもっと広く捉えられている概念だと思
います。
またコンサルテーションについては,「専門家による専門家の援助」
として自分の周りでは使われています。そして二人の専門家の専門は
異なる場合を普通言ってます。
あと,関係ないですがひょっとすると31さんとはどこかで会っている
かもしれないですね。アーンド、ちょっと遅れたけどあけましておめ
でとう。
137 :
名無しさん@お腹いっぱい。:02/01/06 17:31
遅レスすみません。
れんさんは木村敏先生がお好きなようですが。
彼は精神分析というよりは「精神病理学」の人だと思っていました。
もはや精神分析以上に没落した分野ですが。
(専門外なので上手く説明できません。ごめんなさい)
精神分析の理論は…臨床の場で起こっているモロモロの現象(特に「もつれて」いる時(汗)を理解し、状況を立て直すのに役立つと思います。失敗することもあるけど(藁
臨床抜きで理論だけ勉強しても、どうだろう。
てゆーか、分析の人が唱える自己の構造とか発達理論は「見たのかyo!」とツッコミ入れたくなります。
138 :
名無しさん@お腹いっぱい。:02/01/06 19:50
精神分析についてのわかりやすい本と論理的に書かれた本を
教えて頂けませんか?
できれば、日本人のが良いのですが。。。
訳された本はわかりにくいことが多く、原本を読んだ方が理解は早いとわかってるんです。
英語の方が論理的な文を書くのには適していますし。
しかし、大学の英語の授業があまりにも簡単過ぎて全く勉強しなかった
為、受験で蓄えた知識をすっかり忘れてしまいました(−−;。
小此木啓吾氏の『フロイト』や土居健郎氏の『精神分析』はどうで
しょう? どちらも講談社学術文庫で、簡単に手に入ります。内容も
オーソドックスで入門用としてはよいと思いますけど。
また、ちくま新書からは妙木浩之氏の『フロイト入門』が出ていま
す。個人的には面白かった。
フロイト以後の精神分析の流れを概観したい向きには、鈴木晶氏の
『フロイト以後』というそのものずばりのタイトルの本が講談社
現代新書から出ています。
ラカン派精神分析については、今のところ日本人が書いたわかり
やすい本は思いつきません。佐々木孝次氏の『甦るフロイト思想』、
新宮一成氏の『ラカンの精神分析』が、どちらも講談社現代新書で
出ていますが、初めての人が読んでわかりやすいとはいえません。
後者はわからないなりに面白さを感じることはできると思いますけ
ど。新宮氏は『夢分析』(岩波新書)が面白かった。頭のいい人なの
でしょう。
岸田秀氏の『フロイドを読む』(河出文庫)。この人は馬鹿にされる
ことも多いけど、この本はよい。
どの本も、これだけ読んだら大丈夫というものではないですが、それ
を念頭におかれて読まれる分には有益だと思います。
>>137 私は、精神分析の自我論とか対象関係論というのは、そのまま、ごく当たり前の日常的な
心の動きなんだと思うようになりました。でも、どうしてあんなにわかりにくい単語を
使って、わかりにくい表現をするんでしょうか。慣れるまでは、お経の書き下し文を
読むよりわかりにくかったですね。
そうそう、もちろん、病理的な心の動きの理解にも役にたつんですけどよ。臨床には
とっても有用です。
>>140さん お返事ありがとうです。
>でも、どうしてあんなにわかりにくい単語を
>使って、わかりにくい表現をするんでしょうか。
日常語をそのまま用いた場合の曖昧さを排除するために、厳密に定義された専門用語を使うのかな、などど好意的に考えてみたり。
が、単に翻訳の問題かも知れません…
このお正月休み、なにげにクライン派の入門書を再読したらすらすら頭に入ってビクーリなもうじき臨床5年目であります。
駆け出しの頃はサッパリピンとこなかったのに。
>>138さん
コレは禁じ手ですが。
図解雑学「精神分析」は以外と逝けます。
怪しい項目も多々ありますが(藁
コレを叩き台にして、ちゃんとした本を読むといいのでは。
フロイトの本では、NHK出版の小此木先生の本が好きです。個人的に。
142 :
名無しさん@お腹いっぱい。:02/01/06 23:42
どのみちいらないね
>>141 臨床5年目ですか。一番、勉強が出来る時期ですね。5年目で、クライン派がすらすら
頭に入ってくるとはうらやましいですね。私はもう20数年目ですが、10年ほど前から
BPDのお相手を勤めるために、分析に首を突っ込むことになり、最近はBionの訳本相手に
悪戦苦闘しております。確かに、臨床でこんがらがった時は、解きほぐしの道具としては
精神分析が一番便利ですね。
144 :
名無しさん@お腹いっぱい。:02/01/07 04:51
精神分析というのは、別に
心の奥底にある真実を探り出すことなんかじゃない。
患者の持っているフィクションを、治療者が自分のフィクションで置き換えていくこと
145 :
名無しさん@お腹いっぱい。:02/01/07 15:29
>>144 似たような文読んだ事ある。
この文における「フィクション」という意味をイマイチ理解できない。
良ければ教えてください。
心理系の方たちって本当に理屈っぽいですね。そういう勉強してきたんだらそうなったんでしょうが、それで結果だせてるんでしょうか。
その調子でやられたら一般人はたじたじですね。付き合うの疲れそう
147 :
名無しさん@お腹いっぱい。:02/01/07 17:52
>146
心理学徒はみな心気症なのだよ。
>>143 先輩に対して大口を叩いてしまったようで、大いに赤面しました。
読んだのは入門中の入門書ですので(汗
ただ、挙げられている例が自分の経験と似ている話が多々あったので、
すごく分かった気になったって話で。
だから、
「今日からの自分はひと味違う!」と勇躍して出勤したのですが。
実践で応用するにはまだ修行が足りないようです。がっかり。
>>144 フィクション=空想、などと思ってみる。myフィクションですが。
>患者の持っているフィクションを、治療者が自分のフィクションで置き換えていくこと
フロイト先生は、一応、それは戒めていたような。
それをせぬように「平等に漂う注意」で患者さんの話を聴け、とか
自分の考え方感じ方のクセを自覚するために教育分析を受けた方がいいよ、とか。
(超意訳)
だけど、患者のフィクションと治療者のフィクションがおおむね一致する時に、
治療は存外に上手く行ったりして。とか思ったりもする。
myフィクションですが。
149 :
名無しさん@お腹いっぱい。:02/01/07 23:50
>>145 無意識だ超自我などという概念は、確かに人の心を理解する助けになるが、
検証不可能なのが痛い。
精神分析を、何らかの真実を探り出すものだと考えると矛盾が生じる。
心の中で起こっていることについて、もっともらしいフィクション、
理解しやすいモデルを提供するものだと考えればいい。
>149
もうひとつ本質的なことを忘れていると思う。
もっともらしいモデルをつくるだけではだめです。そのモデルを臨床的に役立てて
(たとえば解釈供給)、患者が変化しなければ話になりません。
どういうモデルでももっともらしければよい、というのでは、
臨床にはならないのです。
第三者から見て、おなじくらいのもっともらしさ(plausibleである程度)でも
患者を動かす解釈と動かさない解釈は歴然と存在しますから。
>>148 患者さんのフィクション、土居健郎はストーリーという言葉を使いましたが、治療者の
ストーリー、さらにはバイザーのストーリーというのもありますね。患者さんがよくなる
時は、この三者のストーリーが無理なくおさまっているものです。これは、実際の
治療の流れがどのストーリーでも無理なく読めるということでしょう。逆に、患者さんが
よくならない時は、どっかに無理があるんでしょう。それは、患者さんはこのストーリーで
よくなるはずだと思っていても、治療者からみれば、こりゃよくならんわということに
なるんでしょうね。精神分析は、精巧で応用性の高いモデルですが、151さんのいう解釈供給と
いう患者さんストーリーと治療者ストーリーを統合するしっかりしたモデルを持っていると
思います。ただ、本を読んでいるだけでは、そのプロセスはほとんど具体的にはわかりませんねェ。
どうも精神分析を「言語的な」治療だと思っている人が書かれておられるようだ。
それでは精神分析が、何か言葉のゲームのように感じられてしまう。
だいじなことは、クライエントと分析家の間の「生(なま)な事態」が、
どう、あなたのたちのいうフィクションに練り上げられるか、という過程、とくに
その過程に含まれるある種の苦しみ(分析家と患者の双方が体験する)にあるのだが。
>143
私の経験では、そしてまわりをみても、
勉強がいちばんできるのは、臨床はじめて10年たってからと思いますが。
>>153=31
同意。研究にしろ、専門的なことにしろ、臨床はじめて10年目くらいからかな。
でも、将来、専門になるだろうと違う領域の勉強は、5年目くらいが一番かな。普通の精神科
臨床は神経症だけじゃなくて、痴呆やてんかんも来ますから。脳波やCT、MRI、神経
心理とかも必要になりますよね。よく知らないところを他の専門の先生に遠慮なしに
聞いて、耳学問を教えてもらえるのは、5年目くらいでしょうかね。10年目になったら、専門外の
ことは後輩のほうがずっと詳しかったりして。まあ、私は10歳以上年下の人にも「ねえ
ねえ、教えてちょうだい」とお願いしますがね。
>>152:31
31さんは精神分析に詳しいかたなのでしょうか。ならば、これからも精神分析の立場
からの発言をお願いします。精神分析が言語だけの治療でないことは、いまや常識
だと思いますが。クラインは子供のプレイを分析してますしね。
ちょっと教えて頂きたいのですが、分析で「生の事態」とはどんなものなんでしょうか。
それをフィクションに練り上げること、その過程に含まれるある種の苦しみとは?
MRIなどのブリーフセラピーでは、実際の状況を完全に把握することはそもそも
できないと指摘していますね。従って、クライエント、IP、セラピストが各個人の
立場で実際の状況の一部を切り取り、それをつなぎ合わせて一連のある意味で主観的
なコンテキストを作る以外にないとします。わたしは、ストーリーとかフィクションを
このコンテキストの意味で使っていました。別に作り話というわけではありません。
分析でも「生の事態」という考え方はあるんですか。「実際の出来事」とは食い違う
「心的現実」というものもありますよね。それは、ストーリーとかフィクションと
どう違うんですか? 教えていただけたら有り難いですね。
55さん・137さん、ありがとうございました。m(_ _)m
とりあえず「土居健郎氏の『精神分析』」と「図解雑学「精神分析」」を注文しました。
157 :
名無しさん@お腹いっぱい。:02/01/09 19:17
フロイトのメタサイコロジーが経験的に検証される、
とはどういうことをいうのだろうか。
ふつうの因果律ではなく、構造的因果性に従うという話だが。
158 :
名無しさん@お腹いっぱい。:02/01/09 19:23
このスレッドもお勉強って感じだよね。
読む気がしない。
眼目が抜け落ちてるよ。
159 :
名無しさん@お腹いっぱい。:02/01/09 19:24
一応学問板なもんで・・・。
土居健郎先生の「方法としての面接」はとても良かったです。
ただ、絶版になっているので図書館などで読む、借りるするしかないと思いますが。
161 :
名無しさん@お腹いっぱい。:02/01/09 20:55
学問になってねぇよ。お勉強だよ。(笑)
>>161 精神分析って学問だって思ってたのかよ(笑)
またアホが出た・・・
>151
精神分析は「生(なま)もの」です。
なまなましいです。人が人の前で寝るわけですから。手が届きそうなところに。
コンテクストはふたりがそうしたなまなましい世界を越えたところで、
自生的に「できる」のであって、
意図的に「つくる」のではありません。
子どもが交わりの結果、できるように。交わりは交わりのためにあり、
こどもをつくるために交わるのではないように。
考えることができない、という事態こそが最初にあるわけで、
テキストやコンテクストが最初からできているのを付き合わせる、というようなこととは
ちがうように思います。
方法としての面接は「新版」になって、出ていると思うよ。
>>31さん
あ、そうなんですか。
絶版と聞いていたんですが。
自分が良いと感じた本が、絶版になっているというのは悲しかったので、朗報です。
ありがとうございました。
167 :
名無しさん@お腹いっぱい。:02/01/10 20:51
アホがよってごっこしてもしょうがねぇよ。
>>164 精神分析に限らず、心理療法は生々しいものだと思いますが。古典的な分析は対面
しませんが、たいていの治療は対面です。対面のほうが生々しいような気がしますが、
いかがでしょうか。
コンテキストが自生的にできるというのはよく理解できません。相互のコミュニケーションは
生の事態ですよね。生の事態は、多少は見当はつくかもしれませんが、実際はどこへ行くか
わかりません。セラピストやクライエントの個々のコンテキストはそれをある視点から
いわば切り取ったものですよね。最初から出来ているものではありませんね。
31さんのコンテキストはセラピストとクライエントが分析というプロセスの中で共同で
作るものということですか。二人の間に共通なものというのは、やはり自生的には
出てこない、作り出さないとでてこないように思えますが。
精神分析は本でかじってますが、教育分析もスーパービジョンも受けたことがありませぬ。
なにぶん素人なので、見当違いの質問があるかもしれませぬが、お許してくだされい。
よろしくお願い申し上げまする。
>169
あなたはカウチを使ったことがありますか。
私のカウチと対面の両方を経験した実感では(被分析者としても分析者)でも、
対面はソーシャルな交流(ふつうの客商売としての愛想笑いとか、談笑風のなにか)
が多くあるのです。
先生と寝たい、と患者がはっきり連想できるのは、カウチですし、
治療者が患者への憎しみをはっきりと体験できるのもカウチです。
そうした体験こそが、精神分析の営みの中核です。
どうもあなたは無意識と言うものがわかっておられないようです。
治療や患者の無意識の仕事を助けるものです。
というより、治療というワークの座は患者の無意識なのです。
そして、フロイトが「記録をとるな、ただ聞け」「憶えなくても必要なとき思い出す」
と言ったように、
治療者の無意識も大変おおきな仕事をするのです。
治療の本質的流れは後にならないとわからないものです。
なぜなら分析は「無意識の漂いを捕まえる」(フロイト)ものですから。
体験したことがない=わからない
で、議論を終了してしまうような言は単なる思考停止の様な気がするんですが・・・。
あ、これは議論ではないのか・・・。
ゲッ! 私は無意識というのはそもそもわからないものだと思っていました。よく
わからないけれど、カウチという特殊な状況では無意識がわかるようになるんですね?
もう少しわかりやすく説明してもらえたら嬉しいんですが……。
「先生と寝たい」というのは恋愛性転移ですよね。連想だけでなくて、けっこう、
実行を試みる患者さんがいますね。そういう患者さんは、医師=患者関係という治療の
枠組みをしばしば乗り越えて、こっそり医師に対するパーソナルな感情を話題にしてくる
ことが多いので、それとわかりますね(わかるようなきがします、と言っておこうか(弱気)(苦笑)。
患者さんと交流を持っていると、おいおい、俺はあんたのお父ちゃん(お母ちゃん)じゃ
ないんだから、と言いたくなることもちょくちょくあります。もっとも、こっちの方まで
いつのまにか、お父ちゃん(お母ちゃん)役を知らず知らずのうちにやらされていることがあって、
あちゃーと思うこともありますね。(お父ちゃんだと思ってたら、実は爺ちゃんだったということが
後でわかることもありますが(ああ、勘違い!))。こういうコミュニケーションは転移と言っても
いいのですか? 違うのなら、転移というのはどんな物を言うんでしょうか?
追加の疑問です。カウチで患者さんが先生と寝たいと連想した時、例えば、どんなふうに
言葉を返すんですか? あるいは、やはり冷静に聞いているんですか? それとも、
黙ったまま聞いていて、ドキッ! わ、どうしようなどと思ったりすることがあるんですか?
それとも、おっ、きたきたなんて思うんでしょうか?
横レスだが、
無意識は分析場面でだけ働いているわけではないでしょう。日常場面でもそれは
動いているけど、セラピーというセッティングがその働きを際立たせているのだ
と思う。カウチを使えば使ったように、使わなかったら使わなかったように、流
派に応じて、学派に応じて、そして何よりセラピスト‐クライアントの関係に応
じて無意識はそれぞれ違った形であらわれて来る。
あと169さん、質問するときはあげたほうがよいと思う。さげたままだと31さんも
気づきにくいかと。
176 :
名無しさん:02/01/11 23:57
主人は、昔、ボーダーの人妻に誘われたとか言っていましたが・・。
????
>>175=55
アドバイス有り難うございます。そうします。
精神分析に詳しい方が疑問に答えてくださるんで、ついつい……。なにせ、心理療法を
教えて貰ったことが全くなくって、目の前に来た患者さんの相手をするのに必要に追われて
やってきたもので……。まあ、逆に素人から見て「らしい」疑問を持っていると言えるかも
しれません。真性厨房ですが、お許しを……。
そうそう、31さんいうの無意識はdas Unbewussteと言うよりは、Esのことなんでしょうか?
>>177=169
>そうそう、31さんいうの無意識はdas Unbewussteと言うよりは、Esのことなんでしょうか?
無意識のうちに働くのはEsだけではなく、超自我や、自我(の一部)もそうだとされ
てます。たしかフロイトは無意識、前意識、意識を領土に、エス、自我、超自我を
民族にたとえていたと思います。オーストリアにはオーストリア人だけなく、チェ
コ人やユダヤ人が住んでいるように、無意識という領域も、エスだけに占領されて
いるわけではないと。それを読んだ時、比喩の中に中・東欧の民族事情が反映して
いて面白いと思いました。
179 :
名無しさん@お腹いっぱい。:02/01/13 19:16
アホさかげんからして、55はW田氏と判明!
180 :
名無しさん@お腹いっぱい。:02/01/14 23:53
馬恐怖のハンス少年、1922年に19歳だったそうで。
この人って(も?)ユダヤ人だったのかな。
ナチスの災禍をモロに受けた世代だと思うのですが。
彼のその後の消息について書かれた文献など、ないでしょうか。
181 :
55改め、W氏:02/01/15 20:09
179に敬意を表して、55は今後、W氏と名乗ることにします(W田氏って打つの
結構面倒でしょ?)。179には、議論を引き起こすような発言を期待するけど、そ
んな余裕がなかったら一行レスの煽りでもいい。できるだけ面白いもののほうが
いいけど、頭が疲れてたりする時はその限りではない。枯れ木の山も賑わいって
言うしね。
さて、ハンス少年だけど、本名はヘルベルト・ガルフ。で、彼の父親が音楽家の
マックス・ガルフ。親父の方はフロイトの水曜サークルに出席しており、音楽家
に関する精神分析の論文も書いている。たしかヴァーグナーだったかと。ヘルベ
ルトはその親父を通して、精神分析的治療を受けた。彼の恐怖症は解消したが、
その後両親は離婚、それぞれが新しい家庭を持ち、彼は一人で生きていくことに
なった。フロイトによれば、19歳のヘルベルトは心身ともに健康で、思春期も
さしたる問題なしに通過したとのこと。マックス・ガルフは1909年当時、水曜サー
クルのメンバーだったことを考えると、おそらくユダヤ人である。したがって
ヘルベルトもそうであることになるのだが、その後の彼がいかなる人生を歩んだ
のかはさだかでない。
182 :
名無しさん@お腹いっぱい。:02/01/17 01:07
ハンス君の分析って、一種のスーパービジョンなのかなあ。と思った。
>W氏
教えてくれてありがとうです。
ハンス君の両親が離婚しちゃったとは知りませんでした。
フロイト先生の本を読むと、彼の家庭は妹が生まれたばかりで家庭円満そうなのに。
ハンス君、あとで本を読んで辛くならなかっただろうか。
だからフロイト先生にわざわざ会いに行ったのかな。
183 :
名無しさん@お腹いっぱい。:02/01/19 23:10
精神分析におけるカレン・ホーナイ(カリーン・ホーナイ)氏の評価はどうなのでしょうか?
欧米における評価・日本における評価を教えて頂けると嬉しいです。
後、故近藤章久氏の評価もできればお願いします。
ハンス自身、音楽家になった。彼は結婚しなかったらしい。
ホーナイは分析家ですが、ニューヨークのインスティチュートが、きわめて制度主義
化する過程で、追放されてしまった。IPAに属さない別のギルドに行ってしまった。
しかし、彼女の女性性についての理解は、クラインのものとならんで、きわめてラジカル
な形のフロイト批判になっていることは、再評価されている。
185 :
名無しさん@お腹いっぱい。:02/01/22 00:02
インスティチュートって何ですか? 馬鹿質問ですいません。
>185
分析家の訓練組織。
分析家の候補者に、週4回以上の訓練分析(普通5年以上にわたる)、週4回以上
カウチでの自由連想例を素材とした週1回のスーパービジョン(複数ケース、
スーパーバイザーはそのスーパーバイジーの訓練分析家ではない)、セミナー
などを供給する。
もっと評判知りたいです、アゲ
投影同一視について、どなたか分かりやすい例を挙げて、お教え願えませんか?
本を読んでも、どうもピンとこないので、質問箱スレに書き込みましたけれど、
レスがつきそうにないので、よろしくお願いいたします。
190 :
名無しさん@お腹いっぱい。:02/02/05 15:37
きぼーんage
191 :
名無しさん@お腹いっぱい。:02/02/05 15:48
精神科医を目指してるんですがフロイトとかユングはまったく別の学問で
医学部ではあまり関せず医師になったら触れもせずに終わっていくんでしょうか
192 :
名無しさん@お腹いっぱい。:02/02/05 19:41
精神療法やってる教室があるとこへいくか、個人的に学ばないと、
>あまり関せず
ときいてます。
193 :
一精神科医:02/02/05 20:26
あなたねえ、医学部では精神医学全体が、せいぜい2.30時間しかないのよ。
医学部の講義なんてどっちみちたいしたことないの。
医者は医学部出てからが本当の勉強なの。医学部なんて職業訓練校みたいなもの。
学部を出てふつうに精神科医の研修して、それでもやりたかったら、
できないことはないよ。
ただ、医局とか先輩とかそういうのに左右されなければだがな。
いまは医局で「精神分析」を研究テーマにしてるところはない。
医局では孤立するかもな。若いうちは研究グループの兵隊として期待されるから。
勉強自体は小此木らの「精神分析セミナー」だの、
皆川らのTPSGだの、北山・藤山らの「対象関係論なんたら」だの、
そういうのに出ながら、訓練の道筋をつかんで、誰かに接触をすれば、
なんとかなるだろう。
ユングは心理系が中心だから、また話は別だが。
194 :
名無しさん@お腹いっぱい。:02/02/09 01:01
age
195 :
名無しさん@お腹いっぱい。:02/02/12 14:28
このスレすごいですね。勉強になります。
ついていけませんが、がんばります。
196 :
名無しさん@お腹いっぱい。:02/02/12 22:16
agemasyou
197 :
名無しさん@お腹いっぱい。:02/02/13 16:56
ペーパーバックで売られているフロイトの論文はストレッチャー訳なのでしょうか?知っている方、教えてください。
ペーパーバックのものは標準版を主題別に並び替えたものです。
ただ標準版はストレーチー(Strachey,J)が全部訳したものではありません。
彼は編集責任者です。彼が訳したものも多いですが。
ストレッチャーではないのでよろしく。
確か、ストレイチー監の英訳版はフロイトのお墨付きをもらったことになっていましたね。
しかし、ストレイチー監の英訳にはかなり問題ありと言われているのではなかったですかね。
最近のフロイトの日本語訳は独語からの訳が増えているので、それはありがたい事ですね。
200 :
名無しさん@お腹いっぱい。:02/02/16 18:02
age
201 :
名無しさん@お腹いっぱい。:02/02/16 19:02
横浜市立大学では正統派の精神分析が学べると思います.
フロイトのテキスト読解を中心に講義が進みますので.
川幡政道教授が月に一度精神分析とロールプレイングの研究会を
開いているのでいらしてみたらどうですか.
>201
そんな人は分析家でもなく、分析関係では相手にも何にもされていませんよ。
だいたい分析家で「ロールプレイ」なんてやるひとはいません。
とにかく私はそういう人は知らない。その人が実践をやっているかどうか、
訓練を受けているかどうか知りたい。
どこでどういう訓練をうけたのだろうか。
よくあるタイプの贋物かも。
>199
ただ事態はもう少し複雑。
いま精神分析の文化の公用語は英語といってよく、英国対象関係論、
自我心理学とも英語で構築されてきた。
そのとき標準版は絶えず参照されてきた。
それに、ストレーチーの英訳は日本の全集よりは何十倍も正確。
日本のものはお話にならない誤訳が多い。
だって、訳者はほとんどが分析家ではないんだもの。
臨床すらしたことのない人も多い。
英語圏と日本語圏の精神分析文化の成熟度の違いを反映している。
>>199 ベッテルハイムがSEの訳に問題があると言っていたと思う。自分はドイツ語
ネイティブではないので、細かなニュアンスの部分についてはなんとも言え
ないが・・・。
たしかTriebもInstinctと訳していたはず。
そのことについて、ライクロフトの辞典では「本能と衝動を分けるのは、何
の意味も無い」とあり、ラプランシュとポンタリスの辞典では「両者を混同
するのは不正確」とあった(正確な引用ではないがね)。英仏の精神分析の違
いが反映されているのかな? どちらもよい辞典であり、自分は好きだがね。
>31
精神分析研究家なんじゃないですかね???
>201
一回も分析を受けたことも、カウチで分析実践をやったこともないひとが、
分析を語り、フロイトの「読解」を教えるなどということがあるとすれば、
詐欺と言ってよい気がします。
>>206=31
教育分析を受け、カウチで分析実践をした人でなければ、分析を語ることができない、
フロイトを「読解」する資格がないと言うのであれば、正規の精神分析家の弟子以外は
分析を論じてはいけないことになってしまいますね。それではあまりにも狭量に過ぎるかと。
また、分析家以外の臨床家が分析的な経験や理解を生かす機会もなくなってしまいますね。
それでは悪しき意味での家元制度やオウムのような宗教の秘儀伝授まがいになりかねませんね。
208 :
名無しさん@お腹いっぱい。:02/02/17 23:12
>>206 精神分析家でないものが精神分析と称してセラピーを行なうなら
詐欺と呼ばれても仕方ないでしょうが,
精神分析について語ること
またフロイトを読み解くことは分析家の特権ではありません。
209 :
名無しさん@お腹いっぱい。:02/02/18 00:08
>>206 >精神分析家でないものが精神分析と称してセラピーを行うなら詐欺と呼ばれても
>仕方がないでしょうが。
それは全く同意です。
>分析について語ること、フロイトを読み解くことは分析家の特権ではありません。
こも全く同意です。
が、206の発言には同意できません。一回も分析を受けたことも、カウチで分析実践を
やったこともないひとが、分析を語り、フロイトの「読解」を教えても、それは詐欺とは
言えないと思います。フロイトの読解にはいろいろな立場があってよいと思います。
211 :
名無しさん@お腹いっぱい。:02/02/18 00:32
>>208,209
31ではありませんが、それでは大学等で「精神分析」のたぐいを教えている人たちは、自らは精神分析家ではないこと、精神分析的治療も一度も行ったことがないことを明言して、生徒らに教えているでしょうか?私はそこに問題を感じます。他にも感じますが・・・。
精神分析について専門的知識をもたない人間が、
「精神分析とはかくかくしかじかこういうものである。これが正しい」
ということを勝手に人に講義するのならば、
まあ詐欺とは言わないまでも少々問題のある態度ではあろう。
しかし、「精神分析家以外はフロイトを読解するな」
というのは、「キリスト教徒でない奴は聖書を読むな」
と言っているに等しいと思うが。
>>216 仲間とや一人で読むのならいいと思うのです。人前で聖書を読むには、専門的知識は必要ですよね。
31さんも、“フロイトの「読解」を教えるなどということがあるとすれば、詐欺”と書かれていますよ。これこそ誤読!なんてね。
215 :
名無しさん@お腹いっぱい。:02/02/18 00:45
>>207-209 いずれの意見も正論と思うが,
そもそもは
>>201のあまりにもナイーブな(2ちゃんねる語では厨房な)書き込みがきっかけでしょ?
心理学徒が加藤諦三や和田秀樹の書いてることは心理学ではないと言うのと同様に,
精神分析のインサイダーとおぼしき31氏から見れば
川幡某教授のもとで「正統派の精神分析が学べる」なんて発言は許し難いのでしょう。
>>206を文字通りに読解すると,
一回でも分析を受けたことがあれば,
分析を語ってもフロイトの「読解」を教えても
詐欺にはならないようだな(w
で、川幡教授というのはどういう研究をしている方で?
臨床心理学かなんかの立場で「精神分析研究」をやっていて、
あとそのほかに「ロールプレイングの研究」もやってる人で、
フロイトや精神分析に関する自分の研究を講義しているというなら、
それはアリでしょう。精神分析家はそういうことも嫌がるようですが。
ですが、精神分析を研究してるだけの人間が、
「自分の講義を受ければ、精神分析ができるようになる」
と言っているのであれば、たしかに詐欺ですな。
また、教授が臨床家で、
精神分析に関する研究から得た知見を自分の臨床に持ち込んでいるとしても、
これ自体は罪にもなんにもなりません。
ただ、「私は精神分析ができます」と言い出したら完全に詐欺ですな。
>201が勘違いしているだけかもしれず、
実情がわかりませんので、勝手に詐欺師呼ばわりはできませんが。
218 :
ここの参考に:02/02/18 04:48
219 :
名無しさん@お腹いっぱい。:02/02/18 20:36
福岡大学で3年がかりでやっている精神分析セミナーは、どうよ?
分析のいろんな先生が講師をやってるらしいけど。
>201
手術を一回もやったことのない人が「正統的な脳外科学」を教えられるでしょうか。
正統的な精神分析を「教える」というのは、
単なる学問を教えることではありません。
精神分析を「教える」とは、系統的な教育によって、
精神分析をできるようにすることです。
脳外科医が脳外科臨床ができるようにすることが、脳外科を教えることであるように。
ここに日本の精神分析にまつわる根本誤解があるのです。
精神分析は「営み」「文化」「実践」であって、単なる訓古学ではないのです。
>219
福岡のは分析協会の福岡インスティチュートが裾野の拡大をねらってやっているものです。
>220
脳外科学に関して言えば、教えられると思うが。
むしろ、脳外科学を知り尽くしているからといって、
必ずしも手術ができるというもんではない。
とはいえ、まあ、言わんとする事はわかる。
たとえば空手の研究家と、空手家がいるとして、
どちらに「空手」を教える資格があるかといえば、
そりゃ空手家のほうだ。そういう話であろ。
>>221 臨床技術の問題を語るのに格闘技の比喩は説得力があるね。
以前,放送大学で臨床心理士を養成するのは
通信教育で空手を教えるようなものではないかと
揶揄する書き込みがあったのを思い出した。
223 :
コピペだが:02/02/19 02:32
「私は,いま非常に孤独を感じている。それは,精神分析が結局は
他人に伝えることができないのを生涯の経験によって知ったからで
ある・・・・・・精神分析家はひとりで精神分析家になる。そして,ひと
りひとりが自分の精神分析を生み出す,これ以外に方法は無い」
これはやはり極論なのかな? でも、極論をそのまま実践してしまうの
が彼であった。
>223
宮元武蔵もそんな風に思ってたかもしれんな。
知らんけど。
>>220 別に、医師全員が脳外科医になる必要はない。しかし、脳外科の知識は内科医にも
そこそこしっかり必要だろう。精神分析も同じ。自由連想を使った古典的精神分析を
してなくても、精神分析について知っており、その考え方を日常臨床に応用できる
ほうがいいに決まっている。だから、そのためには、本物の精神分析家を連れてくる
必要はないだろう。そこそこ分析に詳しい人がおいしいところだけ教えてくれるのも
ありと思うが。
>225
もちろんそういうのを「精神分析を学んだ」といわないのなら、全然いいと思います。
私の220のレスは、川幡某というわけのわからない人のやっていることに対しての
反応です。
おいしいところどりでは、ひとつのディシプリンをものにすることはできません。
おいしいところどりは、あくまでおいしいところどりなのです。
もし川幡さんが、「精神分析を学んだ」、「私は精神分析家です」って言ったとし
ても、そう名乗る資格を問うた時に「私は自分自身で精神分析を学び、精神分析家
となったのです」と堂々といえるのであれば、問題は無いのでは? 「メニンガーで
少々」とか、「昔、タビストックでね・・・」とか言ったのであれば、詐称になるのだ
ろうけど。
彼を精神分析家だと認め、教えを乞うかどうか、分析を受けるかどうかはおのおの
が決めるのがよろしい。
ラカニアンによると、
>忘れてはならないのは、分析家を選択するのは分析主体の方なのだということ。
>その限りにおいて、分析主体に選ばれた分析家は他の誰が何と言おうと分析家であり得るのです。。
だってさ。
ところで、川幡さんは外林大作さんのお弟子さんって本当?
228 :
名無しさん@お腹いっぱい。:02/02/20 14:07
>227
同じことを、「私は医学を学んだ」「私は医師です」、と、医師免許あるいは諸外国における医師免許に相当する公的資格を持たない人間が言ったら、これはれっきとした犯罪ですよね。
でも、「私は空手を学んだ」「私は空手家です」なら、「私は自分で自流の空手を興したのです」と言っても問題ない。実際強ければそれで十分。「極真空手十段です」とか嘘をついたら詐称だけど。
問題は、医師や弁護士がそうしているようにフロイト派が「精神分析家」の称号を公的に独占する資格があるかどうか、ですな。
229 :
名無しさん@お腹いっぱい。:02/02/20 15:10
何回けつを拭いてもうんこがついてくる。
231 :
名無しさん@お腹いっぱい。:02/02/20 15:21
age
232 :
名無しさん@お腹いっぱい。:02/02/20 15:46
精神分析は社会学の領域です。
233 :
名無しさん@お腹いっぱい。:02/02/20 16:01
>>232 そんな大雑把なもの言いをすると
31氏の逆鱗に触れるぞ(w
フロイト派の資格(IPAでもアカデミーでもラカン派でも)は別に公的な資格では
ありません。
精神分析は結局「ひとり」でおこなうものであり、「ひとりひとり」の精神分析
があるのは間違いないでしょう。しかし逆説的ですが、精神分析家には
「ひとり」では絶対になることができません。誰かとの関係のなかでの訓練が必須
です。
精神分析は「心理学」でもなければ「社会学」でもないでしょう。
単なる精神分析です。
235 :
名無しさん@お腹いっぱい。:02/02/20 23:10
フロイトの精神分析論はたしか心理学(心理主義)批判だったはず
フロイトの批判した心理学つーのは、
いつ頃の、どのような趣意のもの?
フロイトは多くの論文で自分のやっていることを「心理学」という名で呼んでいる。
しかし、現時点の大学を中心としたアカデミックな「心理学」とは、
その内実は大きくかけ離れている。
アカデミックな心理学とてそれ自体の内実に今なお大きな相互解離性を抱えていますが。
239 :
名無しさん@お腹いっぱい。:02/02/21 00:18
フロイトもラカンも、ある意味、記号学っぽい
240 :
名無しさん@お腹いっぱい。:02/02/21 00:23
ユングは?
死ぬまで臨床をやっていたフロイトは、自分が記号学なんていわれても困っただろうが。
31さん、ごく素朴な疑問なんですが、お伺いしてもいいですか?
精神分析にとっては今でも性理論は重要なのですか?
学派によってすごく違いましょう。自己心理学はほとんどそれを捨象しました。
多くの学派にとってはいまだに性愛は重要です。
つまり、倫理、罪悪感、世代間境界、野心、自主性、競争心、互酬性、生産性といった
心的機能の起源を、父母子の三角形を含む幻想のワークスルーによって生み出す、
構造的な準備性を人間がもっていることが想定されていると思います。
しかしフロイトの後期理論以来、焦点は人間がヒューマンに「存在すること」
「主体性」自体に移っており、性愛の重要性は相対化されていると思います。
↑はあくまで私見です。
ありがとうございます。疑問はとけました。
精神分析といっても中に多くの派があるのですね。
246 :
名無しさん@お腹いっぱい。:02/02/21 00:56
>>240 ユングもそうです。
>>241 案外そうでもないと思いますよ。
臨床記号学だったんじゃないですか(笑)
247 :
名無しさん@お腹いっぱい。:02/02/21 01:09
記号論的に理解しないと、精神分析の理論にはちょっと無理があると思います。
248 :
名無しさん@お腹いっぱい。:02/02/21 01:10
249 :
名無しさん@お腹いっぱい。:02/02/21 01:12
>>248 想像界のオートポイエーシスと考えたほうがいい
250 :
名無しさん@お腹いっぱい。:02/02/21 01:14
251 :
名無しさん@お腹いっぱい。:02/02/22 03:00
>>239 ソシュールとフロイトは同時代の人だし、
ゴデルがいうには、ソシュールのいう記号学は
言語学と心理学を統合するような意味だそうです。
そうすると、ラカンということになるでしょうけどね。
>>251 一部訂正
ソシュールとフロイトは同時代の人だし、
↓
ソシュールとフロイトは同世代(確か1つちがい)だし、
253 :
名無しさん@お腹いっぱい。:02/02/22 03:05
>>251 精神分析=記号学といったら
クリステヴァあたりがそうかな?
254 :
名無しさん@お腹いっぱい。:02/02/22 03:06
>>253 だからクリステヴァは
精神分析+記号学=記号分析
なんですね(?)
精神分析を「である」と何かに還元することは、精神分析から生気を奪いそうに思う。
理論は営みの滓にすぎない。
かかれたものはあくまでかかれたもので、かかれたものだけでは精神分析の全体には
迫ることはない。
「ソシュール」「記号学」などの言葉でのレッテル貼りで事足りたのは、
80年代のニューアカ時代だけだろう。
日本の知的ディレッタントがフランスのそれと違うのは、
フランス人は多く、分析の営みを(被分析者として)経験している、
もしくは経験している人を身近にもつことだ。
256 :
名無しさん@お腹いっぱい。:02/02/23 23:25
age
フロイトは一人で精神分析を作り、一人で分析家になった。ラカンが言いた
いのは、きっとすべての精神分析家はフロイトのやったようにせよと言うこ
となのだろう。
もちろん、フロイトにはフリースがいた。その意味で、彼はまったくの一人
で分析家になったわけではない。前出のコピペに従えば、フリースを分析家
として選び、彼を道具にして自分で分析を行ったのだ。
国際学会や、インスティテュート、訓練プログラムなどの既成の権威ではな
く、自分自身で分析家になれということなのだと思う。その際、誰を分析家
と言う他者は、出来合いのリストから選ぶのではなく、自分自身で選ぶべき
だと。しかし、あくまで分析作業を行うのは自分自身であると。
あと、「経験してないものにはそれを語る資格はない」といったスタンス
は、こういった開かれた議論の場(としておこう)では不毛だ。誰もがそれ
を言い始めたら議論が成り立たなくなる。「行動分析はそれを経験してない
人間にはわからない」とかね。違う土俵の人にもできるだけわかるように言
葉を使うべきだろう。
ところで、ソシュールの息子のレイモンはたしか分析家になったのだったな。
258 :
名無しさん@お腹いっぱい。:02/02/24 18:54
経験したことのないものにわからないものを、
わかるかもしれない、と言う印象を与える方が不毛でしょう。
わからないことを前提とすべきだ、ということでしょう。
ある意味で31のスタンスはすごく一貫している。
W氏はどう考えるのだろうか、その問題について。
違う土俵の人にわかることなんてこの世の中にあるのか、という疑問から出発すべき。
それにフロイトだって、前に分析家がいたら分析を受けるでしょう。
自分で分析作業をおこなうというのはどうでしょうね。
分析はふたりのあいだで起きていくのではないか。
一人でやってもひとりよがりだよ。
だいたいラカンほど分析運動の中で政治的に動いた人間はいないからね。
>>258 ある人の経験を他の人が理解できるかどうかって問いには、おいそれと答
えられないね。ただ、議論の場では「経験したことの無い人にはわからな
い」ってスタンスは禁じ手だと言うこと。言葉を使って、できるだけ伝え
ようと努めることが必要かと。貴重な精神分析インサイダーの31氏には、
それを期待したい。
>それにフロイトだって、前に分析家がいたら分析を受けるでしょう。
えーっ! あの人が他人に精神分析を受けるなんて考えられない。
「私の権威を危険にさらすようなことはできない」なんてこと言いそう。
>自分で分析作業をおこなうというのはどうでしょうね。
>分析はふたりのあいだで起きていくのではないか
そりゃ、異論はありません。ただ、その際、どちらが主体なのかと言えば、
それは被分析者でしょう。分析家は分析作業のための道具にすぎない。
「一人で分析家になる」という言葉はその意味で理解している。そして、
誰を自分の分析家にするかは、おのおのが決めればよいのでは。
分析家は道具ではありますまい。やはり一人の主体です。
決める、ことが果たしてできるのでしょうか。分析家をどういう基準でキャンデデートが選び
うるのでしょうか。書いていることですか、学会で語っていることですか。
それで何がわかりますか。
おのおのが「決めればよい」などと言うのは、所詮幻想に過ぎないのです。
31さんによれば、精神分析とは、(1)自由連想とカウチを用いて行い、(2)正規の教育を
受けて認定された精神分析医が行うものだけをいう。これでいいですか?
精神分析的な知見を、おいしいとこどり(利用)して、いわゆる精神分析的精神療法
(精神分析的な知見を利用した精神療法)をすることはかまわない。それを精神分析と
言わなければいい。これでいいすか?
しかし、精神分析は、費用対効果の点で問題があるし、効果などないと主張する
データもあって、いまや実用的ではなくなったという意見が大勢でしょう。精神分析は
やってみなくちゃわからないと言われても、それでは、それだけの費用と時間をかけて
教育分析を受け、クライエントにそれだけの費用と時間の負担をかけてみるふんぎりが
つきませんね。
そうならば、今の世の中は、精神分析的精神療法で充分ですね。精神分析的精神療法で
新しいさまざまな知見が得られることもあるし、それは精神分析的な知見でなくても、
立派に役に立つでしょう。というわけで、精神分析は今や一部の金と時間が余っている
人たちの趣味になってしまったと言ってもよいかと。これからは、精神分析的精神療法が
行われ、発展し、さまざまな知見が積み重ねられていくのではないかと。
あなたが精神分析的精神療法といっているのはどういうものですか。
精神分析的に臨床事態に向かうには、やはり充分な訓練が必要のように思います。
世界中の分析家が(南米以外)、精神分析より精神分析的精神療法をやる機会の方が
多くなっているのは事実です。
しかし、精神分析関係(分析的精神療法も含め)についての論文や書物が、
精神分析家によって書かれており、
そこに書かれていることが、基本的に読み手の訓練を前提として発信されていることは
押さえておく必要がありましょう。
医学の臨床論文が医者に向けて発信されているように。
私も頻回のクライエントは現在少数しかやっていません。
現実的に週1回しかできないクライエントがほとんどです。
しかし、もし可能なら精神分析のほうが、より精神分析らしい時間をもてることは
事実だと思います。
あなたがふんぎりがつかなければそれでいいのです。
あなたの人生の選択なのです。訓練には時間と金がかかりますから。
ふんぎりをつけるひとも少数はいるようですし。
261さんのレスに対して、もうひとつ。
私は精神分析医という言葉をつかってません。
フロイトが確言しているように、
精神分析は訓練が充分なら、医者であろうとなかろうとできるものですので。、
感動量がとめどなく増して涙が止まらなかったりしますか?
31氏へ
>分析家をどういう基準でキャンデデートが選びうるのでしょうか。
誰も分析家になることを強要はしていないのだから、いずれにせよ、キャンディ
デート本人の決断によるのでしょう。それとも、IPAに連なるインスティテュート
では、キャンディデートに選択の自由はないわけですか?
分析家の訓練については、とってもセンシティブな問題なのだということが改め
て感じられました。ミレール率いるラカニアンの団体は理論に対する一致をもと
めるが、個々の分析家が用いる技法や、どのようにして分析家になるのかという
問題、教育分析の問題はおのおのの分析家の裁量に任せるが、IPAの方はその逆
に、少々の理論的不一致は許容するが、技法や訓練システムについてはタイトで
ある。乱暴な二分法ですが、ルディネスコはそう買いとりました。
分析家になること、訓練の問題、教育分析の問題に対するラカン(およびラカニ
アン)の姿勢は、正統派(?)精神分析家の31氏にはどうしても許容できないので
しょうか? ま、精神分析アウトサイダーから見ると、どっちも精神分析なのです
けどね。
>>261 精神分析と精神分析的精神療法の治療効果については、Kernbergが1972年に行っ
ています。結果は、どちらの群の患者も全般的な改善を見せたが、両群の治療成
績に有意差はなかったというもの。
31氏も書いているけど、訓練を受けるのはその人の決断如何でしょう。ま、教育
分析の経験が治療成績の向上と結びつくという証拠はないということが、実証的
な研究によってわかっているそうですけどね。
国際的に見て、ほとんどの訓練機関で、分析家は割り当てられるようです。審査分析という、キャンディデートに
なるまでの分析があります。もちろん、うまくいかなかったら分析家を変えることは
不可能ではありません。すべての訓練機関を知らないので、断言はできません。
子どもが親を選べないように、原理的にキャンディデートが分析家を選ぶということは
ないのが当然な気がします。
訓練はあくまで訓練ですから。
>261
精神分析の成果は実証的な研究で把握することは原理的に不可能な性質
を帯びているものだと思います。
ですから、そういう研究自体が意味をもつのかどうかが問われないといけないでしょう。
31氏へ
いつもながら、丁寧な返事、ありがとう。
265の自分の書き込みを見ると、ちょっと日本語が変だということを発見。
見直さないとだめだね、やっぱり。
>精神分析の成果は実証的な研究で把握することは原理的に不可能な性質
>を帯びているものだと思います。
これは精神分析だけではなく、サイコセラピー全般に言えることかもしれ
ません。が、お金の問題が絡んでくるとそうも言っておれないのでしょ
う。アカウンタビリティ(主として保険会社に対しての)が求められるの
は時代の趨勢。
あと、Kernberg(1972)の調査研究について書きましたが、その補足。
有意差はなかったけど、高い自我強度の患者は精神分析によって、反対に
低い自我強度の患者は精神分析的精神療法によって治療的利益を得やすい
傾向が見られたそうな。
>266
おっしゃるとおり「精神分析の成果」そのものについては実証は不可能でしょう。
そういう研究というのは、問題を抱えた人間が精神分析を受ける前と後で
問題が解決しているかどうかという視点で行うものです。
方法論的な試行錯誤はかなり繰り返されています。
>267
精神分析家がアカウンタブルであるべき相手は患者もしくはクライエントだけだ、
というのが精神分析の本来の姿。
アメリカでひところ精神医学とおなじになってしまったのが変だったのであって、
精神分析など、金を払おうとする人間を相手に、
細々とやっていればいいのではないだろうか。
社会の趨勢で滅びるとすればそれだけのものに過ぎなかったと言うことだ。
ま、私は死ぬまでやれるだけやるだろうが。
言語だって毎年毎年たくさん滅んでいる。英語がのさばるお蔭で。
幾多の古典芸能も然り。
滅びないものが良いものであるとも限らず、滅びたものが素晴らしいとも限らない。
270 :
名無しさん@お腹いっぱい。:02/03/06 00:11
31氏、いつも興味深く読ませて頂いています。
ただ、少し前の文章「子どもが親を選べないように、原理的にキャンディデートが分析家を選ぶということは
ないのが当然な気がします。訓練はあくまで訓練ですから。」
この文にピンときません。厨房の私に、もう少しわかるように教えていただけないでしょうか?
>270
「これから精神分析家になるための訓練を受けようという候補者(キャンディデート)が、
自分の指導者になる分析家を選択することは認めるべきではないだろう。
なぜなら、それはあくまでも分析家として最低限の訓練の段階でしかなく、
『どの分析家だからどうだこうだ』というレベルのことではないからである」
と理解してるけど、31氏これでよろしいでしょうか?
272 :
名無しさん@お腹いっぱい。:02/03/06 22:09
俺は、教育分析やってもらう人は、自分のかみさんを選ぶり慎重に選べって言わ
れたけどねー。強制的に割り当てられるなんて、合同結婚式みたい。
273 :
名無しさん@お腹いっぱい。:02/03/06 22:54
>>270 たとえば、仕事場で「この上司は嫌いだからよそへ異動してください」ということが不可能なのと同じなのでは?
>272
そういうことがときどきいわれているようです。
国際的にはまったく通用しません。
ある程度は選べますが、だいたい訓練分析は週4回なので、
教育分析家は一時にせいぜいひとりかふたりしかキャンディデートを抱えられないという
現実がぴんときてないようですね。
日本の現状で利用可能な教育分析家(訓練を引き受ける意思と可能性のある教育分析家)は
東京にせいぜい二人、福岡に3人、広島に一人、大阪に一人しかいないのですよ。
だいたい日本で「教育分析」というのは、教育分析家の資格もない人が訓練機関の
うしろだてなく、結局分析家と被分析者の自己愛的な理想化とかわいがりに終わるような
物が多いです。
教育分析とは分析家になるために行うものであり、
そうでないのなら、外国では院生やレジデントのときに受けることもあるのですが、
それはあくまで、ふつうの精神分析なのです。
訓練は、クライエントと営む力がどうなってきたか、ということが、
スーパービジョンによって裏付けられること、
言い換えれば、クライエントという他者に照らし返されない限り、
自己愛的なものになりがちです。
要するに
「女房は真剣に選ぶべきだが、相手が人類最後の女性なら選ぶ余地はない」
ということですか?
はじめまして。ドイツ哲学を研究してるものです。
ふと目につきました。
31番さん
203
>それに、ストレーチーの英訳は日本の全集よりは何十倍も正確。
>日本のものはお話にならない誤訳が多い。
私は日本語訳を詳しく確認したことがないので、よくわかりませんが、
当初出た英語版、スタンダードエディションはいろいろと問題のある
意図的誤訳、完全な誤訳が多い版だとよく聞きます。
それなのに、アンナ・フロイトのお墨付きがあるので、事がややこしいと。
もっとも代表的な声は204さんも挙げている、ベッテルハイムの諸論文です。
中では、こまかく該当個所を比較、検討して指摘しています。
ただし、一方で、慶応の学生を中心に、「日本語訳は間違いばかり、英語訳が
はるかに正しい」という声をよく聞きます。私の想像では、誰かこの種のことを言いふら
している慶応関係者がいるのではないかと思います。
31さんも、同じように断言されてますが、具体的に日本語版全集?つまり著作集ですよね、
あれに多いという「お話にならない誤訳」の例をいくつか指摘してくれませんか?
フロイトのドイツ語というのは、むつかしいものではないので、臨床経験がなくても、
高橋義孝みたいな翻訳名人だと、そんなにはなはだしい誤訳というのは、やりにくいと
思うんですが・・・
逆に英語版の誤訳が多いことは、ベッテルハイムの告発が証明済みです。
>審査分析という、キャンディデートに
>なるまでの分析があります。
候補生になる前に行う審査としての分析というものがあるのですか?
あまり聞いたことがないけど、恐い分析ですね。
原語はどういう言葉ですか?あなたが知っているという、その審査分析が
あるという教育機関とはどこの国ですか?
>276
日本語訳を読んでくださいよ。読めばわかります。ドイツ語と比べてください。
たとえば「制止、症状、不安」。
英語版の誤訳とはレベルが違います。
英語版のは、結局フロイトの心変わりというか、自我心理学への傾斜が生んだものでも
あるのです。
審査分析はたいていあると聞きました。日本もあります。
>275
訓練分析でもっとも問題なのは、自己愛的な理想化と同一化が解消されないことです。
きちんとインスティチュートや資格や制度やクライエントと言った第三項を導入し、
資格をえるため、という形でエディパルな負荷をかけないと、
単なるべたべたの鏡像的な理想化で終わるかもしれません。
インスティチュートと関係なく「教育分析」を受けたと自称する、
日本のフロイト派ユング派的臨床家によくあるパターンのように思います。
アナリザンドは、患者と違ってほんとうの動機をもっていないのですから。
だから単に分析家の供給が少ないからではなく、分析家が割り当てられること、
外部の力がそこに働くことが意味があるのです。
31番さん
あなた全くの部外者でしょう。
騙りですね。
279 :
名無しさん@お腹いっぱい。:02/03/08 19:56
逆に私は31さんがホンモノの精神分析家なのかなと思いました。そして、
ホンモノの精神分析が、分析するほうも、分析されるほうも、閉鎖的で、排他的で、
自己満足的な理由がよくわかりました。こんなに気位が高くって、教育分析マンセー
してたんじゃ、ダメダワ!!
私が騙りだとか思われる方は、私を相手にしなくてもよろしいと思います。
部外者というのはどういう意味なのかはわかりませんでした。
人のことを騙りだ、と根拠なく決め付けるのは、相手を傷つける可能性はありますね。
>280
教育分析「マンセー」とは全く思いません。
教育分析は分析家になるための最低限の過程に過ぎないと私は思います。
教育分析さえ受ければなんとかなるとはとても思いません。
しかし、それさえ経験していなければ、分析にはとてもなりません。
それに私は、精神分析が別のものにくらべて優れているとか、劣っているとか、
そういうことは特に考えておりません。
精神分析家になることがいやな方がなる必要もまったくなく、
精神分析に興味がない人に興味をもってほしいとも思っていません。
人はそれぞれの道を歩むでしょう。
あなたが気位が高い、とか閉鎖的、とかおっしゃっているのはどういう点でしょうか。
亀レスですが、31氏。274のレスの
>国際的にはまったく通用しません。
っていう個所の、「国際的には」は「IPA的には」と理解しました。そして、31氏
がこのスレで語っている精神分析、教育分析、訓練についても、「IPA的精神分
析」の立場からの発言なのだと理解すれば納得がいきます。ま、IPAも自民党みた
いにいろいろな人がいるそうだから、ひとくくりにはできないけどね。
例えば、
>教育分析とは分析家になるために行うものであり、
という発言。たとえばECFなんかだと、formationのための分析と普通の分析を区
別しませんよね。たしかラカンが破門されたのも、教育分析や分析家の訓練につ
いての彼の振る舞いが直接的な原因だったはず。正統派(?)の31氏にはやはり
彼の主張は受け入れがたいですか? やはり、あんなのは精神分析ではないと。
あと「分析家と被分析者の自己愛的な理想化」は、インスティテュートや資格、
制度で果たして回避可能なものなのでしょうか。落とし穴をよけるつもりで、隣
にあったもう一つの落とし穴にはまり込む危険はないのでしょうか。インスティ
テュートや資格、制度との相互的な自己愛的理想化の危険性です。結局のとこ
ろ、自分を分析家だと認可してくれる他者など存在しないのではないのでしょう
か。
>哲学徒氏
日本語もだめ、英語もだめと言うことになると、やはり原語のGWにあたらなきゃ
いけないということになってしまいますね。ちなみにベッテルハイムは最近、ひ
どくたたかれてます。フロイトのテキストクリティークに関してではなく、本業
(?)の自閉症の治療に関して。そりゃもう、酷い言われよう。
IPA以外の分析の国際団体(AMP)のHPを見つけたので、載せておきます。
ttp://www.wapol.org/index.htm
関係者のような顔をして、想像でいろいろ書くのはやめてほしい。
>282
ラカンはフロイトの読み手としては大変面白いですが、セラピストとしては
おそらく最悪だっただろう、と私は個人的に考えています。
彼のような時間を決めない実践は精神分析ではないと思っています。
理想化という病から自由な人間などいないでしょう。
ひとりとの同一化か、全体的な文化との同一化の問題でしょう。
精神分析では、人格の構造を「超自我」「自我」「エス」
として捉えたりしてるんですか。
286 :
名無しさん@お腹いっぱい。:02/03/16 00:06
age
287 :
リサイクル:02/03/17 18:30
精神障害で罪が軽減されるのはなぜ?
288 :
名無しさん@お腹いっぱい。:02/03/18 22:01
>>287 質問箱スレへどうぞ。
ここはマターリと精神分析を語る場所です。
289 :
名無しさん@お腹いっぱい。:02/03/24 01:59
思いつきであげてみる。
290 :
ぱらさいと:02/03/24 02:06
心理学科ってどこに就職するんですか?
291 :
名無しさん@お腹いっぱい。:02/03/24 02:08
>>290 スレッドの趣旨を無視した書き込みはやめてくれ。
単発の質問は「スレ立てるまでもない質問箱」へ。
292 :
名無しさん@お腹いっぱい。:02/03/25 13:44
あげておく。
293 :
名無しさん@お腹いっぱい。:02/03/29 01:36
精神分析とキリスト教はなにか関係がありますか?
>>293 その2つは「新世紀エヴァンゲリオン」を読み解くのに必要だな。
295 :
名無しさん@お腹いっぱい。:02/03/29 02:29
もっと教えてくれ・・・。
STUDIOVOICEやQJの、バックナンバーを見てください。
297 :
名無しさん@お腹いっぱい。:02/03/29 05:34
つーかエヴァには興味ない。
精神分析とキリスト教はなにか関係がありますか?
298 :
名無しさん@お腹いっぱい。:02/03/29 06:38
精神の分析は神を冒涜する行為、というのは聞いたことがある。
つまり相反するものじゃない?
299 :
名無しさん@お腹いっぱい。:02/03/29 07:18
精神分析はユダヤ=キリスト教文化の申し子だよ。
南米などカソリック圏で精神分析が根強い支持を得ている
告解の伝統があったからこそだろう。
300 :
名無しさん@お腹いっぱい。:02/03/29 09:05
なるほど。だけどフロイトそのものは無神論者でアンチ
ユダヤ=キリスト教だったから精神分析を創始できたと
いうことではないの?
301 :
名無しさん@お腹いっぱい。:02/03/30 01:45
あげておく。
302 :
名無しさん@お腹いっぱい。:02/03/30 07:27
なんだ、誰も知らないのか。
303 :
名無しさん@お腹いっぱい。:02/03/30 08:23
304 :
名無しさん@お腹いっぱい。:02/03/30 10:26
マルクーゼの本読んだことあるひといる?
305 :
名無しさん@お腹いっぱい。:02/03/30 17:18
>>302 臨床心理学をやってる人は、精神分析を哲学や思想として
追及したりしないから
>>293へのレスが少ないんじゃないでしょうか。
臨床屋が強く興味を持つことは、精神分析の理論・技法・実践的応用ですから。
306 :
名無しさん@お腹いっぱい。:02/03/30 23:11
分析者を神父と見立てれば、患者が精神分析を受ける場面は、キリスト教の信者が神父に懺悔している場面と似ている。
(関係ないか。)
307 :
名無しさん@お腹いっぱい。:02/03/30 23:31
>>306 関係あるよ。
>>299で激しくガイシュツだろうがゴルァ!
フーコーあたりが出所だろうが。
スマソ _ _;
309 :
名無しさん@お腹いっぱい。:02/04/02 03:43
で、もっと詳しい人教えて下さい。精神分析とキリスト教はどういう関
係がありますか?
精神分析はキリスト教圏やキリスト教信者には認知療法よりも効果があ
るということはありますか?
310 :
名無しさん@お腹いっぱい。:02/04/02 03:47
キリスト教に入信するのと、精神分析を受けるのとどちらが
ウツに効果があるだろう。この併用はどうだろう。
311 :
名無しさん@お腹いっぱい。:02/04/02 06:53
精「神」を分析するんだろ?神を分析しちゃあいかん。
よってキリスト教からは弾圧されます。
313 :
名無しさん@お腹いっぱい。:02/04/03 07:54
ここにはそんな具体的なことに答えられるような知性を持ち合わせた人は
いません。適当に本に書いてあるような表面的な知識についての質問をお
願いします。(それなら偉そうに答えられるから)
314 :
名無しさん@お腹いっぱい。:02/04/08 00:17
精神分析では、病気は治りません。
315 :
名無しさん@お腹いっぱい。:02/04/11 02:34
基礎心理って精神の分析ですよね。
だから?
>315
何か勘違いしてないか?
317 :
名無しさん@お腹いっぱい。:02/04/12 03:14
何を?
318 :
名無しさん@お腹いっぱい。:02/04/12 06:09
311それは訳語の問題でしょ。
319 :
名無しさん@お腹いっぱい。:02/04/12 06:33
で、誰も知らないのね。キリスト教と精神分析の関係。
320 :
名無しさん@お腹いっぱい。:02/04/12 06:35
ユダヤ神秘学とフロイトに関係は結構有名。
ユングとキリスト教・諸神秘学との関係はもっと有名。
321 :
名無しさん@お腹いっぱい。:02/04/12 06:49
どういう風に有名?
322 :
名無しさん@お腹いっぱい。:02/04/12 06:53
概念のモデルにしていたり、
キリスト教その他の宗教現象を(特にユングは主要な)考察対象にしている。
323 :
名無しさん@お腹いっぱい。:02/04/13 01:27
確かにキリスト教文化圏で生まれたものだから考察対象になったり概念モデル
にするのは、自然ですよね。
質問は次の二点です。
1)フロイトは脱キリスト教を目論んだのか?
2)キリスト教圏でない日本での効果はいかほど?
324 :
名無しさん@お腹いっぱい。:02/04/13 07:41
だから、そんな難しいこと知らないって。もっとありきたりのこと聞いて。
325 :
名無しさん@お腹いっぱい。:02/04/13 07:43
じゃ、精神分析と左翼運動の関係を教えて下さい。
河合隼雄は左翼死相なの?
326 :
名無しさん@お腹いっぱい。:02/04/13 11:34
327 :
名無しさん@お腹いっぱい。:02/04/13 11:36
このスレでは
ユングや河合を精神分析の仲間と見なすのはご法度じゃ。
スレを最初から読め!
328 :
メンヘル板に投票しようよ!:02/04/13 11:39
329 :
名無しさん@お腹いっぱい。:02/04/17 00:07
日本で精神分析を真剣にやってるひとっているの?
みんな真剣だよ。
331 :
名無しさん@お腹いっぱい。:02/04/17 00:22
どこに行ったら会えるの?
332 :
名無しさん@お腹いっぱい。:02/04/17 00:59
というかそれはどういう人たち?
333 :
名無しさん@お腹いっぱい。:02/04/17 06:59
どーも真剣だと思えないんだけどナァ。
少なくとも患者を治すという方向において。
334 :
名無しさん@お腹いっぱい。:02/04/17 15:17
>329
藤山先生はどうよ?彼は、精神分析を愛してる!
335 :
名無しさん@お腹いっぱい。:02/04/17 22:54
その人のこと知らないけど、愛してりゃいいってもんでもないんだよな。
患者を治すことを考えた結果、精神分析を捨てることもあり得るのが本
当の真剣さだと思う。
>335
彼は、精神分析という営みとその方法(週4回以上のカウチでの自由連想)を
愛しているように、私には、見えるという意味です。
そういう意味で、
>329
>日本で精神分析を真剣にやってるひと
に、私には、思えます。
>患者を治すことを考えた結果、精神分析を捨てることもあり得るのが本当の真剣さ
むろん適用は考えてる。良識ある医師として当然のことです。
>336若干訂正
×良識ある医師として当然のことです。
○医師の良識としても当然のことです。
338 :
名無しさん@お腹いっぱい。:02/04/18 02:24
で精神分析って役に立つわけ?
339 :
名無しさん@お腹いっぱい。:02/04/23 01:01
松木先生も愛していると思うよ。
340 :
名無しさん@お腹いっぱい。:02/04/23 23:47
どこかのスレでクリスチャンのカウンセラは当たりが多いと聞いた。
これホント?
341 :
名無しさん@お腹いっぱい。:02/04/24 20:13
どんどん本来の精神分析の話から離れていく。300番台からは糞スレ。
最初のほうから読んでからレスしろよ。
このスレは相当レベル高かったんだから。
31氏はまだこの板におられるのだろうか。
343 :
名無しさん@お腹いっぱい。:02/05/02 01:07
31出て来い。
345 :
名無しさん@お腹いっぱい。:02/05/03 23:48
発見!足元、あぶないんでないの?
メンヘル板:実名でいこう。掛ってはいけないカウンセラ、関東編
>●みゆきクリニック(千駄ヶ谷) 超有名先生(フロイト派)(♂)2年通う
SSRIのデプロメールを処方してくれて病状は良くなり、まあまあよかった。
ただ時々失礼な発言あり。
また、機嫌の良くない時はピリピリしてて恐い。
5分間診療で10分以上の診察は別料金。さすが有名先生。
ただ、フラッシュ・バックは薬で治らず、カウンセリングの方で治ったことで
大変プライドが傷ついたのか機嫌が悪くなり、恐くて行けなくなってしまった。
>562 名前:優しい名無しさん :02/05/03 23:25
追加
●患者として会ったわけじゃないけど、N女子大のF教授(みゆきクリニックの医師。原宿でセラピーもやってる)に
口説かれて危うく落ちそうになった。
今思うと、いろいろ相談にのってくれてたのも、すべて下心からだったんだな・・・・と。
弱ってる時は心を開くことで、簡単に相手にコントロールされちゃうのよね。
精神科医が患者とつきあったら、例え独身同士で結婚したとしても、医師免許剥奪だと後できいてショック!!!
あの時、フラフラ〜とついていきそうになったけど、携帯が鳴って我に返り、あわてて帰った。
携帯鳴らなきゃマジでやばかった!!!
あんなのが、女子大の教授なんて!
おこ○ぎの診療中「いろんな男性に誘われるけれど恐くて・・・・」と言ったら「ああ、あなたはお金があるから」とと
私に寄ってくる男はすべて金目当てかってな発言をされた。
よっぽど「あんたんとこのF山にも誘われたことあるんだけど〜」と言ってやりたかった。
>564 名前:562様 :02/05/03 23:42
え?もしかして、現在情痴大学の精神分析家ですか?だったら、ますますショックなり。
患者として会ったんじゃないなら、何してもいいんだけどな。
でも結局何もやられてないらしいな、こいつは。
携帯ならなきゃ落ちてたってことか。
F山が女好きなのか、この女がちょっと電波なのか。
精神分析家はラカンをはじめ女好きが多い。
347 :
名無しさん@お腹いっぱい。:02/05/19 13:17
精神分析は「メタ心理学」と定義されます。
すなわち「超越論的心理学」なのです。
心理学が対象とする事象について、それらを相対化する意味を持つのが精神分析なのです。
例えば「無意識」という概念一つとってみても、それが心理学のいう認知という考え方を一度相対化する意味を持っていることは自明でしょう。
348 :
名無しさん@お腹いっぱい。:02/06/13 12:24
>>341 だから程度の低さが300から露呈したわけだろ。
349 :
名無しさん@お腹いっぱい。:02/06/16 03:10
ラカン について
わかりやすい入門書のお勧め、ないでしょうか...
精神分析=メタサイコロジーというのはいただけない。