マリヤ崇敬は・・(2)

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49名無しさん
また、ギリシャ語の語彙→ヘブル・アラム語の意味で解釈。「兄弟は【いとこ】の説」
ヘブル・アラム語の語彙→ギリシャ語の意味で解釈。「ブーツラは処女の説」を、
自分たちの信条や都合(この場合マリヤは終生処女)によって読み替え方向を変える。
書簡や記事に対する読み方に一貫性がなくて可笑しいじゃないですか。
マルコ福音書の記者だけでなく、パウロもガラテア書でも「主の兄弟のヤコブ」と言ったら、
「血筋でいう従兄弟」でない「血筋でいう兄弟」って見ませんか?
血筋でない兄弟と言うなら例えば「兄弟ケパ」と呼ぶでしょ。でもソウは書いていない。
●ガラテヤ人への手紙: 1:19
「しかし、主の兄弟ヤコブは別として、ほかの使徒にはだれにも会いませんでした。」
●コリント人への手紙第1: 9: 5
「私たちには、ほかの使徒、主の兄弟たち、ケパなどと違って、
信者である妻を連れて歩く権利がないのでしょうか。 」
別々の記者がイエス様の「兄弟」と書いていて、
パウロは「本当のいとこ」には「いとこ」と>>9 にあるように記載するから、
普通、フランシスコ会訳の解釈の方を疑問に思うでしょ。
最初っからマリヤが終生処女である事を前提に読んで解釈するから、
ギリシャ語とヘブル・アラム語の差を逆利用した意図的解釈にするんですよ。
日本キリスト教団の解説本だと「兄弟」で「いとこ」とは断っていません。
一般的に読んでもプロテスタントの読みでも、
新約聖書の言う「ヤコブ」をイエス様の「兄弟」って見ているのです。