マリヤ崇敬は・・(2)

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9名無しさん
>>6 信仰虚弱さんへ、
「セム的表現」の続きですが、「いとこ」も「兄弟」で表現と言いながら、
新約にも旧約にも記述は希(まれ)ですが、【いとこ】の用法は以下のようにあります。
●歴代誌第1 :23:22
エルアザルは死に、彼には息子がなく、娘だけであったので、
彼らの【いとこ】であるキシュの子らが彼らをめとった。
●コロサイ人への手紙l: 4:10
私といっしょに囚人となっているアリスタルコが、あなたがたによろしくと言っています。
バルナバの【いとこ】であるマルコも同じです。
――この人については、もし彼があなたがたのところに行ったなら、
歓迎するようにという指示をあなたがたは受けています。――

それに「ブーツラ(年頃の娘)・マリア」の「処女マリヤ」への意訳の整合性からいって、
「いとこ」でない本当の「兄弟」が表記になるのではありませんか。
第一、以下に抜粋の「マリヤの子」と表記されて説明が出た福音書内でも、
整合性がとれなくなりますよ。
新改訳「子」新共同訳「息子」は「兄弟」と違って「実子」です。
「養子」なら「小ヤコブとヨセの母マリヤ」と「小」と断らないはずで、
主の兄弟の「大ヤコブ」と従兄弟の「小ヤコブ」とでヤコブ違いの区別が付いています。

●マルコの福音書: 6: 3
この人は大工ではありませんか。
マリヤの子で、ヤコブ、ヨセ、ユダ、シモンの兄弟ではありませんか。
その妹たちも、私たちとここに住んでいるではありませんか。」
こうして彼らはイエスにつまずいた。
●マルコの福音書:15:40
また、遠くのほうから見ていた女たちもいた。
その中にマグダラのマリヤと、小ヤコブとヨセの母マリヤと、またサロメもいた。