αマリヤ崇敬の間違いを正すω

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854あー >俺さん
 主よ、哀れみたまえ。これが今の自分の率直な気持ちだな。
お互いの「救い」のためにもね。

 キリスト教は、三位一体の唯一なる主を信じ、そのカリスマの一つである
主、イエスス・キリストをこの世に肉体を持って生まれた神の御一人子で私
たちの頭であることを宣言する信仰だ。
 イエススの言葉に、「聖霊」を悪く言ってはいけないと仰るものがある。
[ルカ福音書12:10『人の子の悪口を言う者は皆赦される。しかし、
聖霊を冒涜する者は赦されない。』マルコ福音書3:25『しかし、聖霊を
冒涜する者は永遠に赦されず、永遠に罪の責めを負う。」』]

 ところで、マリア崇敬は聖霊に満たされたエリサベツの歓喜の表現である
ルカ福音書
1:39 そのころ、マリアは出かけて、急いで山里に向かい、ユダの町に行った。
1:40 そして、ザカリアの家に入ってエリサベトに挨拶した。
1:41 マリアの挨拶をエリサベトが聞いたとき、その胎内の子がおどった。エリサベトは聖霊に満たされて、
1:42 声高らかに言った。「あなたは女の中で祝福された方です。胎内のお子さまも祝福されています。
1:43 わたしの主のお母さまがわたしのところに来てくださるとは、どういうわけでしょう。

の文言が天使祝詞の中に使われていて、その賛美と喜びに包まれたマリアへの尊敬
が基本なんだ。このことはこれまでも>>274のアンナマリアさんなどが
指摘しておられたのでおわかりだとおもう。     続く。