αマリヤ崇敬の間違いを正すω

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274アンナマリア
「めでたし、聖寵満ちみてるマリア、主御身とともにまします。
御身は女の内にて祝せられ、御体内の御子イエズスも祝せられたもう」

聖母マリア様へ捧げられる御挨拶の言葉、有名なロザリオの祈りの前半部ですが、
ルカ福音書の1章41、42に記載されている、エリサベトが聖母様におかけになった言葉です。

後半部はこうです。
「天主の御母、聖マリア、罪人なるわれらのために、今も臨終のときも祈りたまえ、アーメン」

ロザリオは聖母「崇拝」の祈りではありません。私どもが自分中心に祈るのではなく、
むしろ天のお母様にお祈りしてくださるよう、
親しみを込めてお願いしているのです。

「崇拝」ではなく「崇敬」と申し上げる理由はここにあります。

父、母を崇敬しない人は、神様も尊びません。人類の贖いとなってくださった
イエズス様のお母様を尊ぶのは、クリスチャンとしてごく当然の気持ちです。

マリア様を見た人はいます。私もその一人です。お友達のなかにも何人かいます。
夢でと申し上げておきましょう。そのほうが分かりやすいです。
地獄は見てはいませんけれども天国は見ました。イエズス様ともお会いしました。

信仰は私的な確信によるものだと思っています。人からいわれて信仰に目覚めるひとはいません。
みな、私的な確信を主の御霊によって与えられるのです。