「救われるか救われないかの基準を作ってしまったのがパウロの過ち」
マリア@和霊さんの
>>763の趣旨はそういうことでしょうか。
まあねえ。神父にもそう解釈する人が多いから仕方ないんですが
当時の状況の中で、不品行な多神教から新しく信徒になった人々。
そうした人々にとっての救いの基準にすぎないんですよ。それは、
> あの世で(過ちに)気がついてるよ。パウロさんも、
そうでしょうか。テモテへの手紙2は、パウロが処刑させる直前、
獄中から最愛の弟子に宛てたものです。
「私自身は、既にいけにえとして捧げられています。世を去る時が
近づきました。私は、戦いを立派に戦い抜き、決められた道を走り
通し、信仰を守り抜きました。今や、義の栄冠を受けるばかりです」
(2テモテ4:6) 私は、パウロが義の栄冠を受けたと信じますね。
その他は全て同意です。簡単なレスで申し訳ありません。
3日にわたり、お話にお付き合い下さり、とても勉強になりました。
また、美しい文章をたくさん拝見し、ありがとうございました。