1 :
名無しさん@1周年 :
01/09/07 23:37
2 :
名無しさん@1周年 :01/09/07 23:38
3 :
名無しさん@1周年 :01/09/07 23:54
4 :
名無しさん@1周年 :01/09/08 00:02
新スレage。
5 :
名無しさん@お腹いっぱい :01/09/08 00:20
いつだったかな 弁論大会で、アニメ販売の体験談を語っていた青年部員がいた 会社勤めしながらアニメ販売していたんだが、上司に 「○●君、だいぶつかれているようだね。うちの会社は副業は禁止しているからね」 って釘を刺された、と語っていた おれは青年部に逝くまえにやめてしまったんだが、宗教活動やってて職場内の人間関係がなんとなく疎遠になったり、ぎくしゃくすることはないのだろうか?
6 :
名無しさん@お腹いっぱい :01/09/08 00:22
それから公務員は副業は禁止されてるはずだろ 会員の中に教師とか市町村職員、都道府県職員とか結構いると思うんだが彼らはどうしてるんだろうか?
7 :
名無しさん@1周年 :01/09/08 07:02
公務員の兼業違反ってか。 実際、一本売っていくらもらえるんだっけ?
8 :
名無しさん@1周年 :01/09/08 08:13
一本15000円でそのうち5000円が報奨金では
9 :
名無しさん@1周年 :01/09/08 08:14
でも顧客が金を払わなかった場合,なぜか販売員が穴埋めしなければならない
10 :
名無しさん@お腹いっぱい :01/09/08 14:43
>>9 要するに、『チ●ーリップ』は損しないしくみになってる
11 :
名無しさん@1周年 :01/09/08 16:46
今でも学生部員が動員されているの?
12 :
名無しさん@1周年 :01/09/08 17:33
このようなサイトのおかげで新勧はかなり影響をうけているそうだ。 これマジな話。 新入学生部員が減っているのでいずれ親鸞会は衰えるね。 その時まで2ちゃんが存続するように皆でがんばろうではないか! 光晴時代が到来すれば親鸞会は方向転換するだろうね。 守りにはいるよ、絶対。
おれが学生部にいたのは、落合〜児玉時代 落合時代の末期、部員数が横ばいなのだが、その内訳は『勉強好き(?)』な先輩部員が増えたことによる それで実質は減少だった(いや名目学生部員数も若干減ってたらしいのだが) 児玉が本部長に就任したときは、新入部員も若干増えたのだが、オレはやめてしまったからその後どうなったかは知らない 風のうわさで、ソフト化しているとは聞いたが 2ちゃんねる見ている新入生は結構いるだろうな しかし光晴時代になるのやら、牧野時代になるのやら どっちにしても、現会長ほどのカリスマは望めない 会長が亡くなれば、熱が醒めるやつも出てくるだろうよ
14 :
名無しさん@1周年 :01/09/08 18:25
念仏宗って聞いたことありますか? 親鸞会と裁判で争っているって聞いたのですが・・・?
15 :
名無しさん@1周年 :01/09/08 18:27
16 :
名無しさん@1周年 :01/09/08 18:29
すでに会員数は横這いになって久しいんじゃないですか? 会長が代替わりすればいっそう漸減傾向が進むでしょう. そうなると,大量の出家信者の首切りが始まると思われます. 今から出家する人ってアホだね(^▽^)
17 :
名無しさん@1周年 :01/09/08 18:34
例の裁判の影響で一時期学生部員がアニメの行商するのは控えていたようですが,最近はどうなんですか?
>>16 ただでさえ就職難なのにね
学生時代、活動しかしてなくて知識もなければ資格もない
履歴書にいくらなんでも「宗教法人:浄土真宗親鸞会職員」
って掻くわけにもいかないし、大変だね
会の職員ってバカだからさ。バイトもつとまらんだろうな。 オレがまだいた頃「横山商店」っていうパンとか売ってるとこがあったけど。 あの要領の悪さと言ったら共産主義国に近いもんがあった。(すんだことないけど) 会場の後かたずけもむかついたなー。 衰退していくのを楽しみに見とこっと。
横山商店で働いてるのは、動員した学生部員だよ そのへんのバイトのほうが厳しいのはたしか 「仏法は命がけで求めなければならない」 と言いながら、いいかげんなもんだよ 先輩メンバーの会合の無断遅刻、欠席なんて日常茶飯事だったし そのへんの社会人のほうがよほど真剣だし命がけだよ、生活かかってるから 学生のやってるのは仏教ごっこ、活動ごっこ そんな「おあそび」に湯水のようにカネをじゃんじゃん使われて親は泣いてるぞ
21 :
名無しさん@1周年 :01/09/08 23:44
いやいや横山商店のおばちゃんはほんと愛想がなかった。 まあ競争相手いないからな。 ぼったくりもいいとこだよ。 あんなとこで買うなら近くのコンビニ行くよ、ぜってー。 でもリポDって勝手に売っていいの? コンビニでも最近やっと扱いだしたくらいなのに。
いやー、熱心な会員さんは、みなアメリカ聴聞かいな。荒れがなくていい感じ。
23 :
名無しさん@1周年 :01/09/09 00:18
「破邪顕正」は涅槃経なんだよね。 浄土三部経じゃないんだよね。 涅槃経がアリなら別に法華経もアリにすればいいんでないの?
24 :
名無しさん@1周年 :01/09/09 00:22
浅倉氏がアメリカ布教したのは有名だが、自分は伊藤康善氏の弟子だと偽って布教したそうだ。 華光会の縄張り荒らしをしたんんだね、浅倉のおっさんは。 高森氏が華光とのつながりをひた隠しにするのもよくわかるね。
24>>そうですか、なるほど、それで一つな謎が解けました。 まあ、A倉さんは、発想が自由というか、思い切ったことをするからね。 昔、昔、白道戦といって『白道燃ゆ』を売り歩いたとき、頭を丸めて僧形になって、 僧と偽って好成績をおさめたこともあったなあ。まあ、立派なもんだよ。
さすが,ベテラン講師の浅倉氏.根っからの詐欺師ですなぁ.(藁
浅倉は顔がキモイ。
28 :
一の会の一会員 :01/09/09 03:06
これだけでかいスレ立てられてるあの教団は、なぜあのような結果になったのか、それは善知識中根先生を誹謗したから悪果がきたのです。 今こそ目を覚まして、善知識中根先生に帰依しましょう。 黄金食を食べながら、メンタルヘルス友の会と親鸞大学で、開顕しましょう。 開顕していけばしていくほどあの謗法団体の妨害が激しくなりますが、これは、どれだけ開顕できているかを試す試練なのです。 悪は必ず滅びます、さあ、私と一緒に頑張りませんか。 よく一の会は親鸞会の退会者狩りをするという噂が流れますが、これは「狩り」などと言う不浄言葉ではありません。立派な救済です。
>>21 リポD売るのは犯罪でしょう。薬局以外ダメだったもの。
今はいいけど。
>>24 昔から「うそつき」体質だったんだな。オレはうそつきは嫌いだ。
30 :
名無しさん@1周年 :01/09/09 08:04
>>28 相変わらずコピペかい。
そんなに一の会=基地の外に見せたいの?
なんか恨みでもあんの?
批判なら堂々とどうどー。
31 :
名無しさん@1周年 :01/09/09 10:10
批判なら堂々とどうどー。
32 :
名無しさん@1周年 :01/09/09 10:10
批判なら堂々とどうどー。 批判なら堂々とどうどー。
33 :
名無しさん@1周年 :01/09/09 11:00
宗教ギャグスレでどうどー。
蓮如様が「南無天満大自在天神」と書いた名号があるという話とか。 善鸞義絶状は、親鸞聖人以外の人が書いた贋作だという説があるとか。 弁円というのは、江戸時代の談義本から出てきた名前で、本当かどうか 解らないとか。
35さん、今は無理だよ。新人太郎も含めて、熱心な幹部は聴聞旅行中だよ。まあ、私としては、この場での議論を楽しみにしていますがね。 もっとも文献批判などということは、会員のできない分野だから、やる会員はいるかな。
37 :
名無しさん@一周年 :01/09/09 21:09
どうせヤバくなったら「逸話が本当かどうかより教えが正しいかどうかが問題なんだ」といって逃げるんですよね、○○先生?
>>38 それって
>>35 に対するレス?
だれもジャンヌを見ていないのかなー
だって文献学から、攻めるのが手っ取り早いじゃない。 ○○経とか言ったって、大正蔵教のどこに載っているかも 言えないだろうしね。 ところで聴聞旅行って今どこへ行っているの?
文献がどうこうとしつこくいうのは戯論です。大事なのは先生がどうおっしゃるかですよね,高森先生?
42 :
名無しさん@1周年 :01/09/11 01:21
まったくその通りでR. あげ。
43 :
名無しさん@1周年 :01/09/11 19:35
今、うちの大学で勧誘やってるよ。ま、誰も入らないだろうな。俺は入ってすぐ辞めたけど。洗脳されたら社会復帰が困難だからね、あの会はオウムと同じで。
44 :
名無しさん@一周年 :01/09/11 21:52
社会復帰したいよう・・・
45 :
名無しさん@1周年 :01/09/11 23:44
そういえば高森さんってアメリカいってるんじゃなかったっけ?
46 :
名無しさん@一周年 :01/09/11 23:51
47 :
名無しさん@1周年 :01/09/11 23:59
>>43 オウムにも入っていたことがあるんだねぇ。
48 :
名無しさん@1周年 :01/09/12 00:13
高森さん、無事に帰ってきてください。
高森とイスラム・・・なんかダブる。
50 :
名無しさん@1周年 :01/09/12 00:23
コーラン事件ね。
51 :
名無しさん@1周年 :01/09/12 00:30
元特攻隊員高森顕徹
52 :
一の会の一会員 :01/09/12 00:58
アメリカでああいうことが起きたのは、邪教を信じていたからです。 そして、これから、親鸞会の者どものいるロサンゼルスにも火の手が上がるだろう。 謗法罪の報いで奴らが火達磨になるのが楽しみだね。世界貿易センターよりもロスのヒルトンでも狙ってくれ。 そうすれば幹部全滅で親鸞会は崩壊、晴れて一の会の天下になるのだから(ワラ
53 :
名無しさん@1周年 :01/09/12 02:08
54 :
名無しさん@1周年 :01/09/12 03:28
高森氏は例によって西海岸でしょ? 全然平気じゃない?
55 :
名無しさん@1周年 :01/09/12 07:50
空港閉鎖で帰国できません。
56 :
名無しさん@1周年 :01/09/12 07:52
>>51 × 元特攻隊員
〇 元予科連(特攻隊見習)
57 :
一の会の一会員二号 :01/09/12 11:35
>>53 バカとハサミは使いようさ。お前ら親鸞会が滅びるのを期待してるんだろう?
それをイスラム教徒がやってくれるんだ。クソ宗教とクソ宗教が相まみえて地獄逝くんだからね。いいことではないか。
これは中根先生の見解じゃない。オレ個人の見解だ。会の中ではどう思っているか知らんが。
今更になっていい子ぶってるんじゃないよ。
58 :
名無しさん@1周年 :01/09/12 13:25
元会員の中に会長を頃したいほど憎んでいる人がいるとしても、そんな人ばかりじゃないと思いますよ。
東京グローバルクラブはまだあるの?
60 :
名無しさん@1周年 :01/09/12 14:08
明大前の部室は今やってるのかな? 今も河口湖に洗脳合宿?
61 :
名無しさん@1周年 :01/09/12 21:45
>>57 「バカとハサミは使いよう」で、基地害中根に使われている邪教一の会バカ会員
>>62 ヴァカ!使われているんではない!仏法のためにこの身を使わせて頂いているんだ。
日本語勉強してこい、この邪教親鸞会員、お前らなんか、イスラム教徒にテロられて飛行機ごと逝ってくれ。
64 :
名無しさん@1周年 :01/09/12 23:41
ヴァカを曝け出してるヤツを曝しage
65 :
名無しさん@1周年 :01/09/13 02:19
自作自演してまで一の会の評判を落としたいあなたは何ですか? 批判なら堂々とどーどー。(藁
66 :
名無しさん@1周年 :01/09/13 06:16
今日は、アメリカの同時多発テロがありました。 中杉博士は、4日前に不思議な夢を見たのです。 「大きなワシが体当たりしてきて、上空高くまいあがり、 火達磨になって落ちていくのです。 ワシは牛に変化をして赤く焼けていくのです。 水をまくのですが、きかず、牛は自分を食べてはてる という夢を見たのです。」 ワシとはアメリカです。牛とはカーボウイの国がアメリカです。 中杉博士はまさに、今日の惨事を夢で見ていたのです。 人々の心がにごりきっているので地球が苦しんでいます。 日本の大地も苦しんでいます。 今回の台風もその前兆です。 人類が中杉博士の教えを学ばない限り、災いはまだま続くでしょう。
68 :
名無しさん@1周年 :01/09/13 11:41
69 :
名無しさん@1周年 :01/09/13 15:07
誰だよ,中杉博士って?(w 平和珍軍も逝ってよし!
バカ森ほ日本に帰ってこなくてよし!
>>70 助詞の使い方から勉強しなおした方が良いと思われ
おっとなんだこれは気づかんやった
けど響きは、ィィ!
戦争が始まった。バカ森がよろこぶ。
75 :
名無しさん@一周年 :01/09/15 21:50
なぜ平和神軍は、親鸞会を目の仇にしているのですか?
念仏無間だからよ。
77 :
名無しさん@一周年 :01/09/16 11:17
法華と念仏の宗論は、昔から狂言や、落語などにもなっているが、近代仏教学が、 確立した現代では、不毛もいいところ。昔も、不毛視されていたし。日蓮さんが 、三朝四師の一人にあげる天台大師も南無阿弥陀仏を称えた念仏者だったし、片 や、親鸞さんが、七高僧の一人にあげる慧心僧都源信も南無妙法蓮華経を唱えた 法華行者だった。そもそも鎌倉仏教以前は、それが当たり前。鎌倉仏教の選択、 専修思想は、日本文化の縮み思考が産んだ日本仏教独自のもの。親鸞会も正宗系 も真言宗や台密を批判するが名号や題目に全ての功徳が集約されるという教義は 、密教由来のものです。法然さんや日蓮さんは、台密は勿論、南都や高野山も遊 学して東密も学んで影響大だ(日蓮さんの書写した「五輪九字明秘密釈」は現存 )。
会員がいない日は静かでよか、よか。
79 :
名無しさん@1周年 :01/09/16 23:34
念仏ひま無ければ 天魔しずまる まことの言葉は苦にならず 国賊を律す
その昔親鸞会と喪家学会の学生同士が法論したことがあったが,あれは笑えた 「大無量寿経と法華経とどっちが釈迦の本意か」を大まじめに言い合ってるんだから... まさに現代によみがえった仏教原理主義だな
81 :
名無しさん@1周年 :01/09/17 11:22
高森は、予定では昨日関西空港に着いたはず。 無事ついたかどうかは未確認。
82 :
名無しさん@1周年 :01/09/18 16:01
age
高森さんの健康状態は今、どうですか?
84 :
名無しさん@1周年 :01/09/19 04:58
高森会長が健康なうちに聴聞しましょうne! あの、息子DQNでは無理。牧野さんでも無理です。 ひょっとしたら、信心決定できるかもしれませんよ。
84のは皮肉たっぷりだね。ところでここ数年のお金は、S生回病院への費用だと思うよ。
86 :
名無しさん@1周年 :01/09/20 04:47
あの病院って経営が苦しいんですか?
87 :
名無しさん@1周年 :01/09/20 19:36
>>85 まあ、皮肉といえば皮肉だけど、今の俺の正直な気持ちでもあるんだな。
とりあえず、会長の聴聞では信心決定できるかもしれないが(誰もいないけど)
会長でさえほとんどの信者を決勝点まで導くのは甚だ大変なのに、ましてや
他の人の聴聞でそこまでいけるとは思えない。これって善知識頼みになるの?
ところで、飼い員はどうした?
88 :
名無しさん@1周年 :01/09/20 19:38
>>87 あ、ちょっと意味不明だ。
会長でさえ、ほとんどの信者を信心決定まで導けないのに。という事が言いたかった。。。
船に乗ったら船頭任せだから、これであってると思うけどこれじゃあまずいのかな・・・
89 :
名無しさん@1周年 :01/09/21 00:29
まずいでしょう。 信心決定まで導けないなら悪知識。 誰もいないんでしょ?
90 :
名無しさん@1周年 :01/09/21 00:58
誰もいないとは逝っていない。あ、逝ってる。(ワラ 俺の知ってる範囲ではいない。昔の人はいたらしい。 89さんのいう悪知識についていく(聴聞だけ)のがいいのか他に探せばいるのか? (土蔵秘事は断る)そのあたり迷ってる。 今のところ、高森氏以外の選択をしらない。 親鸞会はつかず離れずでいるとあまり害がないけど、他の宗教はなかなか 厳しい感じがするから・・・
91 :
名無しさん@1周年 :01/09/21 01:02
>>87 >会長でさえほとんどの信者を決勝点まで導くのは甚だ大変なのに、
会長がインチキゆえに皆が獲信できないとは思えないのかい?
アニメ戦や顕正戦が求道だという高森氏がなにゆえ善知識なのか?
92 :
名無しさん@1周年 :01/09/21 01:08
>>90 >土蔵秘事は断る
具体的に土蔵秘事とはどの団体ですか?
93 :
名無しさん@1周年 :01/09/21 07:50
>>91 そう思わない事もない。
けど、他のチョイスを知らない。
聴聞第一だから、その辺りは聞き流せばいいのではないか?
>>92 とりあえず、一の会、華光会が浮かんだ。
一の会は基地の会らしいのでこれは放置でいいが、華光会ってのはどうよ?
貞女二夫を選ばず、で思考停止している連中と同じにはなりたくない。
周りを見たら誰も信心決定者がいないのに疑いを持たない方がおかしい。
(そういう意味で91は正しいと思う)
極端なこと言えば、本願寺でもかまわない。
94 :
名無しさん@1周年 :01/09/21 09:39
>>93 >聴聞第一だから、その辺りは聞き流せばいいのではないか?
その「聴聞」で獲信の至るには19願要門を通らねばならん、そのためには破邪顕正だ、と言ってるのだよ。
あんな『聴聞』が第一ならどうしようもねえな。
親鸞会に善の勧めは『ある』だっけか。
本願寺との論争もそうだが『善』とは『諸善』のことだろ?
考えてみろよ、法然上人がなぜ仏教界から批難攻撃されたかを。
末代の凡夫は『諸善』では助からない念仏勧められたんだろ?
それを高森は助かるため(助かる縁がないと気付かされるため)にアニメ戦、顕正戦という『諸善』を勧めている。
なんじゃそりゃ?
「真宗が衰退したのは善を勧めないからだ(高森談)」
ちがうちゅうの。
人集めの客寄せパンダで『諸善』を勧めりゃものめずらしさもあって若者はよってくるかもしれんが、そうなったらもう真宗じゃないね。
というと親鸞会の基地外は
「善を勧めていないというなら、親鸞聖人は悪を勧めたのか?」と聞き返してくるんだよ、どいつもこいつも。
家族の絆で459も言ってるけど極論だっちゅーの(死語)。
諸善は勧めてねえっての、念仏すすめてるんだからさ。
「念仏称えてさえおれば死んだらお助け」とこれまた期待通りの反応しか返ってこないが、誰が無信単称の念仏だと言った?
ほんと親鸞会員はキティちゃんだな。
95 :
名無しさん@1周年 :01/09/21 09:54
96 :
名無しさん@1周年 :01/09/21 09:57
>>89 >信心決定まで導けないなら悪知識。
あんたは信心決定まで導けるのか?
もし出来ないなら、「信心決定まで導けないなら悪知識。」なんて書込んでる、あんたも悪知識。
97 :
名無しさん@1周年 :01/09/21 12:51
>>95 典型的なバリシンですね(バリバリ親鸞会員)。(ワラ
信心決定した人に面と向かってもあんた方はその人の言葉も聞かず、胸のバッヂがあるかどうかをまず確認するのでしょう。
胸の六字のあれば…ではなく、胸に鷲のマークがあるかどうかが問題の大異安心集団ですね。
といっても自称獲信者にあったこともなく、親鸞会大本営発表による情報をうのみにし、高森天皇以外の本を読むことが雑行であると本気で信じてる。
高森以外は全員異安心なんでしょ(笑
女の子「高森君ってすごくかっこいいね」
高森 「そうだよ。僕は世界で一番かっこいいんだ。頭も世界一いいよ。性格だって世界一いいんだ。」
女の子「もう惚れちゃった。世界の王者高森君とお付き合いできて私幸せよ。」
高森 「当然さ。だけど君は決して家の外にでちゃいけないよ。」
女の子「なんで?」
高森 「家の外の男はみんなぶさいくで、馬鹿ぞろいで、悪人ばかりだからさ。僕以上の男なんて世界中探してもいないよ。僕は実際世界中まわって見てきたんだ。これ本当だからね。」
女の子「でもたまには外に出ていろんな男性も見たいわ。そうすれば改めて高森君のよさが確認できるもの。」
高森 「そんなこと絶対しちゃだめ!外はレイプ犯ばかりだよ。僕以上かっこいい奴なんていないんだから時間の無駄、体力の無駄だよ。これは僕の保身のためじゃなく君のことを思っていってるんだよ。」
女の子「わかった。ありがとう高森君。一生ついていくわ。世界一のハンサムと一緒になれて幸せよ。」
高森 (またひとりゲットだぜ)
98 :
名無しさん@1周年 :01/09/21 13:00
>>96 で、でたーー!親鸞会定型文。
>あんたは信心決定まで導けるのか?
>もし出来ないなら、「信心決定まで導けないなら悪知識。」なんて書込んでる、あんたも悪知識。
読者「これ、つまんねー漫画だなー」
作家「なんだと、じゃあお前は俺以上に面白い漫画をかけるのか?どうだ、書けないんだろう?書けないくせにつまんないなんていうな!」
読者「俺は漫画は書けない。でもこの漫画がつまんないことだけはわかる」
作家「漫画書けない奴に、漫画を評価する権利などないわ!」
99 :
名無しさん@1周年 :01/09/21 15:56
>>97 >典型的なバリシンですね(バリバリ親鸞会員)。
ひぇ〜、おれでもバリシンかい。
おまえも、全然たいしたことないな。
100 :
名無しさん@1周年 :01/09/21 16:29
新人太郎こと100へ。あんたはほんとこりない人だね。素朴な人が多い、S会では、A倉講師、M野講師以来のうそつき名人だね。
103 :
名無しさん@1周年 :01/09/21 17:32
新人太郎ってあんなので人をだませてるなんて思ってるのかねえ。 バレバレなのに。
104 :
名無しさん@1周年 :01/09/21 20:16
105 :
名無しさん@一周年 :01/09/21 22:26
高森さんが、親鸞会が異安心、土蔵秘事という華光会で信心決定したのなら、理論的 には、異安心の悪知識の縁でも信心決定できるのでは?
106 :
名無しさん@1周年 :01/09/21 22:35
>>105 その辺りが明らかにされていないのも親鸞会が胡散臭い所なんだよ。
まねをするから、という理由で非公開らしいが、んじゃ親鸞聖人のアニメはどうなる?
あれだって、信心決定までの道程を描いたモノだから(1巻ね)まねしようと思えば
まねできる。要は、叡山での修行の時点で19願にいたということなんでしょあれ?
善をすすめる親鸞会。しかし、その善は信心決定のあて力にならない。
なんか、理論的に破綻しているとしか思えない。
で、親鸞会以外ではどこがお勧めなんだい?まさか、うちで念仏/お勤めしていれば
自然に救われる、なんて本願寺みたいな事は言わないよね?
107 :
名無しさん@1周年 :01/09/21 22:39
>>101 あ講師、ま講師って何でうそつきなの?
具体的に何か有ればキボンヌ。
108 :
名無しさん@1周年 :01/09/21 22:40
>>105 んじゃ、針が間違った方向へ進めば糸も間違った方向へ進むと逝っていた
高森さんはうそつきって事ですか?
109 :
名無しさん@1周年 :01/09/21 22:43
>>101 S会って、いろんな人と信心の沙汰をしたけど「こいつはすげえな」と思わせる人はいなかった。
「行学だから、進めばわかるよ」という言い訳が聞けただけ。真っ当に反論できない
とこういう人多い。理論的にはすでに破綻してるのではないか?
110 :
名無しさん@1周年 :01/09/21 22:58
講師部員でも活動さえしてればいつか救われると思っている連中ばかりです。 彼らの信仰は実にお粗末ですよ。 信心決定しているかどうかをだ〜れも問題にしない、また問題にしてはいけないという感じですからね。 趣味や生き甲斐や職業として活動しているだけなんじゃないかな。
111 :
名無しさん@1周年 :01/09/21 23:17
>>106 まねをしたら本人のためにならない、という理屈がよくわからんね。
まねしてみてダメならダメでいいんでないの、ダメだってことが知らされるだけ。
ほんと破綻してるね。
112 :
名無しさん@1周年 :01/09/21 23:49
>>111 一方では信の人のマネでもせよとも言ってるしね。
ほんとご都合主義だよ。
113 :
名無しさん@1周年 :01/09/21 23:50
高森が自分が華光会出身と明かさないのはあきらかにうさんくさいね。 自分は華光会で信心決定しておいて、弟子には華光会を土蔵秘事だから行くなという。 うそがばれるからじゃないの?華光会が知られると。 だって創価だって本願寺だって名指しで批判してるくせに、なんで華光会を批判する時は名前ださないの? それだけ考えてもおかしいと思う。 まあこんなこと言っても華光会のことはなんにも知らないけど・・・。
114 :
名無しさん@1周年 :01/09/22 05:22
>>113 ちょっと研究してみようかな・・・華光会。
あの高森さんが隠したがるって事は、ひょっとしたらまともかもしれない。
もうちょっと全国組織だといいんだけどね、こじんまりした所だと見に行っただけでも
抜けられなくなりそうで怖い。(わら
115 :
名無しさん@1周年 :01/09/22 07:15
>>114 研究報告期待してますね。マジで。
華光会ってそんなに大きくないの?
116 :
名無しさん@1周年 :01/09/22 09:13
>>114 -115
先ずは、関連サイトを見るべし。
117 :
名無しさん@1周年 :01/09/22 10:43
華光会の人と思われる書き込みがあるね。
118 :
名無しさん@一周年 :01/09/22 10:49
会員さん(みし見ていれば)、シンパの方(脱会しているが高森氏は信じている) に質問。 高森氏は、18歳で信心決定後、華光会で活動していたということですが、この 時期の高森氏は善知識ですか?それとも悪知識ですか?
119 :
ex飼い員 :01/09/22 11:53
御文章三帖目二通 「さて、その他力の信心というは如何ようなることぞといへば ただ南無阿弥陀仏なり。この南無阿弥陀仏の六の字の意を くわしく知りたるが、即ち他力信心のすがたなり。」 二帖目十五通 「然れば、この信心をとるというも別のことにはあらず、 南無阿弥陀仏の六の字を心得わけたるが、即ち他力信心の體なり。」 南無阿弥陀仏の六字の意味をよく知り、心得ることが信心決定です。 過去スレ「親鸞会はカルトだ!!」などで、私は「信心」ということも、 「南無阿弥陀仏」ということも、ほぼ言い尽くしました。 是非参照してみてください。
120 :
名無しさん@1周年 :01/09/22 13:59
>>119 で、その心得るためにはどの道がお勧めなのよ?
あんたは、この辺についていつも語らないよな。
うちで、念仏してりゃいいのか?
高森会長の法話を聴聞すればいいのか?
それとも、他にもっといい知識がいるのか?
教典を穴が開くほど読めばいいのか?
いいかげん、how to?についても言及してくれないか?
121 :
名無しさん@一周年 :01/09/22 16:07
仏教は、how toものではないよ。まあ、how toものにして組織拡大に血道を あげている某会に問題があるんだが。
122 :
名無しさん@1周年 :01/09/22 17:45
>121 仏の悟りをひらくために仏教ってあるんじゃなかったでしたっけ? 僕はそう思っているので、仏教は仏になるためのハウツー本だと 思うんですけど。
123 :
名無しさん@1周年 :01/09/22 18:22
>>121 >仏教は、how toものではないよ。
じゃあ、どういうものなのかを書けよ。
124 :
名無しさん@一周年 :01/09/22 21:36
仏になるためのハウツー等という世間の思惑を越えた出世間の世界が般若。 「作仏を図することなかれ、坐臥を脱落すべし」 道元禅師
125 :
名無しさん@一周年 :01/09/22 21:49
how toは?などと計らうのが、自力だよ。
126 :
ex飼い員 :01/09/22 22:10
仏教はhow toものでしょう。仏教は「教」「行」「証」ですからね。 教えがあって、その通りに実践して、結果を得る。 しかし真宗の場合は少しばかり事情が違うようです。 全ては他力の回向です。 証巻「夫れ、真宗の教行信証を案ずれば、如来大悲回向の利益なり。」 詳しく知りたかったら教行信証を熟読してください。 でも私は知る必要はありません。 すべては「南無阿弥陀仏」の六字に全て収まっています。 ですから「南無阿弥陀仏」について、よく知るべきです。 私は過去レスで十分言い尽くしました。
127 :
名無しさん@一周年 :01/09/22 22:15
南無阿弥陀仏の意味をよく心得ることが信心決定の相ということで尽きている のではないですか? そのためのハウツーも何もないというのが、歎異抄の有 名な教えでしょう。
128 :
名無しさん@一周年 :01/09/22 22:31
所謂、本覚論では、「教」「行」「証」ともに因果倶時であり、「体」「用」 「宗」「相」ともに一如であるから、この立場では、仏教は、how toものでは ありえない。だから、本覚論は仏教ではないなどという論もあるが、親鸞を含む 鎌倉仏教は、言わば本覚論の応用編。善導の六字釈をキーワードにした従果降因の他力 回向の本覚仏教が、専修念仏である。
今日はどこへ聴聞へいったのかな?
130 :
名無しさん@1周年 :01/09/26 13:13
高森顕徹はビンラディンと一緒。 若い頃、西本願寺に火を付けて「本願寺の教えは親鸞聖人の教えに反する」という遺書を残して焼身自殺しようとしたらしい。
131 :
名無しさん@1周年 :01/09/26 15:47
原理主義ってのは自分の考え以外は認めないっていう性質があるから その点でも共通するものがある。
このスレの冒頭にもあったけど、こういった告発型掲示板 の普及で少しでも被害にあう学生が減るのなら非常に喜ば しいことだ。自分ももう少し遅く生まれていれば、度窮鼠 高森などに引っかからずに、あたら若い日々を無駄にする こともなかったのに。10年は経とうという今でも引きず っている自分がいる。
134 :
名無しさん@1周年 :01/09/27 04:28
>>133 あたら若い日々
いいねえ、これ。
引っかかった自分が悪いんでしょ。
諦めなさい。
135 :
名無しさん@1周年 :01/09/27 13:30
サシスセその通りだ・・・
136 :
名無しさん@1周年 :01/09/27 18:14
>>134 あなたはどういう立場の人かしら?
まぁ、でもいってることは正しいよね。
諦めが肝要。過去に生きてても仕方ないって。
137 :
名無しさん@1周年 :01/09/27 19:06
>133 すげー。10年も頑張っているの? 当然社会人でしょ。毎週聴聞に行ってるの?
138 :
名無しさん@1周年 :01/09/28 08:19
┗0=============0┛ \===========[_|_|_|_|_|_|_|_|_|_|_|_|_|_]===========/ /三三三三三三三三三三三三三三三三三三三三\ 0 │ |∞∞∞ |::|∞∞田田∞∞|::|∞∞∞ | ::| 0 [二] | ::| |::|┏━━━━┓|::| | ::l [二] ◎○@※◎○@※. |□|.│ |┌┬┐ |::|┃/ 逝 \┃|::| ┌┬┐| ::|. |□| ◎○@※◎○@※ ii|iiii|iiii|iiii|iiii|iiii|iiii|iiii| `)三(´| ::|├┼┤ |::|┃ ∧_∧ ┃|::| ├┼┤| ::|`)三(´il|iiii|iiii|iiii|iiii|iiii|iiii|iiii| @※◎○@※◎○ | ::| | ::|└┴┘ |::|┃<ヽ`∀´> ┃|::| └┴┘| ::| | ::| @※◎○@※◎○ ii|iiii|iiii|iiii|iiii|iiii|iiii|iiii|li┏━━━━━┓|::|┃(. つ┃|::|┏━━━━━┓ li|iiii|iiii|iiii|iiii|iiii|iiii|iiii|l ◎○@iiii※◎○@ ┣┳┳┳┳┳┫|::|┗━━━━┛|::|┣┳┳┳┳┳┫ ◎○@iiii※◎○@ ii|iiii|iiii|iiii|iiii|iiii|iiii|iiii|l ○ ● ∫∬∫∬ ● ○ ii|iiii|iiii|iiii|iiii|iiii|iiii|iiii|li ○○ ●● iiiii iii ii iiii ●● ○○ [ ̄ ̄] [ ̄ ̄] ( ̄ ̄ ̄ ̄ ̄) [ ̄ ̄] [ ̄ ̄] |_○_| .|_○_| |_____| |_○_| .|_○_|
139 :
名無しさん@1周年 :01/09/28 08:40
>>132 学研の「浄土の本」には、「原理主義の教団」って紹介されている。
>>137 てめーはマヌケか?文章を良く読め!
「辞めてから」10年経ったって書いてあるだろうが!!
140 :
名無しさん@1周年 :01/09/28 08:42
ところで入会して10年後もまだやってる人って2〜3割じゃないかなぁ。
141 :
名無しさん@1周年 :01/09/28 11:46
>>140 その2−3割が、また基とる連中が多いんだよ・・・・
142 :
名無しさん@1周年 :01/09/28 22:30
>139 どこに「辞めてから」なんて書いてあるんじゃ。 おまえこそマヌケじぇねえかよ。 このバカタレが!!!
143 :
名無しさん@1周年 :01/09/29 15:17
age
144 :
名無しさん@1周年 :01/09/29 23:15
高森のさむいギャグでも笑わねば親鸞学徒ではありません!
145 :
名無しさん@1周年 :01/10/01 19:44
age
146 :
名無しさん@1周年 :01/10/02 00:26
age
147 :
名無しさん@一周年 :01/10/02 22:32
大島一声師は、今どうしてますか?
148 :
名無しさん@1周年 :01/10/03 09:18
ネタ切れですか? 最近はお休みが多いね。
149 :
シ度シ毎難 :01/10/03 17:43
ちょっと話は変りますが、現役会員の人達に質問します。 あなたの親、兄弟、友達は、あなたがS会に入っていることについて 何も言わないのですか?(私だったら、自分の子供や友人がS会に 入ったら絶対に辞めるように言いますが)
150 :
名無しさん@1周年 :01/10/04 00:28
ジャンヌでは親鸞会員が宿善論争で完璧に負けているぞ。
151 :
名無しさん@1周年 :01/10/04 00:41
会長から聞かされたドグマを受け売りするしか能のない連中じゃぁ「論争」以前じゃない?
152 :
名無しさん@1周年 :01/10/04 05:30
珍鸞会の言うことなんて論争なんて大げさなもんじゃないさ。 鸚鵡やインコが人の口真似をしているのと大して変わらんさ。 このスレでも珍鸞会の入れる余地がなくなったか、マターリしてきたようで 珍鸞会の完全敗北、と決着がついたらしいな。悪は滅びる運命なのだ。 後は珍鸞会が本当に消滅するのを待つばかり。
153 :
名無しさん@1周年 :01/10/04 19:24
新人太郎というのは、最初、荒らしを命じられた特別な会員と思っていたが、どうも、そんなレベルではないようだな。あれほど、議論が迷走しているのに、続けておれるのは、本当にバカなのか、負けたくないという意地がよほど強いかの、どちらかかな。
154 :
名無しさん@1周年 :01/10/04 20:08
新人太郎は講師部員じゃないの? 少なくとも「新人」でないことは明らかだが
155 :
名無しさん@1周年 :01/10/04 22:14
そうだね、講師部かもしれないね。法論で不利になったら、一念の水際で勝負しろというのが親鸞会の鉄則だったから、 かれは、不利を悟って、そこに持ち込もうとしているのかもしれないな。 だが、かれは獲信していないから、水際なんかぜんぜんわかっていないので、 かえって、窮地に陥るかもしれないね。
156 :
名無しさん@1周年 :01/10/04 22:30
不利になりながらもなかなか逃亡しない勇気は買うけどな…(藁
157 :
名無しさん@1周年 :01/10/05 13:05
だが、あの論点のすり替えはかなりひどいぞ
158 :
名無しさん@1周年 :01/10/06 13:42
ここにも来て他やつでしょ。 捨て台詞残して去っていったけど。 あれがもし講師だったら、ひどいの雇ってるね親鸞会。 熱意だけ有ればいいってモンじゃないよ。
159 :
名無しさん@1周年 :01/10/06 21:28
信心太郎ってアサクラのタモっちゃんじゃあないの?
160 :
名無しさん@1周年 :01/10/06 21:31
だとしたら若い頃の頭脳の面影もない低水準な書き込みにがっかりだNE!
161 :
名無しさん@1周年 :01/10/07 15:12
>>159 マジそれ?
個人的に、説法好きだったのに。
髪の毛と同時に中身も後退しちゃったのかな。
162 :
名無しさん@1周年 :01/10/07 15:58
ジャンヌ見たけど、新人太郎(浅く裸氏?)対459(飼い員)の対決みたいだね。 459=ここのスレの飼い員だと思うよ、なんか主張的に同じ。この人は念仏。 んで、コボルとなる大学一年生(wが参加しちゃってるから議論があっちこっちに飛んでいる。 けど、このコボルとなる人も、座談会で挙手して発言なんてのはかなり昔の話だから やはり講師部員だと思う。親鸞会が「なんちゃって」新人で登場して「教えてください」 攻撃で相手に斬りかかるのもまあ、古典的というか昔から変わらない手法だな。 SAさんのスレは非常にクールなのに、新人太郎は身も心も親鸞会の主張に 染まっているから、親鸞会の主張を絶対真実と決め込んだ上で相手を論破にかかってる。 つまり、自分の思いこみを押しつけて思考停止状態に陥ってる。この辺がいかにも 親鸞会講師部らしい。しかし、ここのHPも昔から理屈っぽいねえ・・・ どうすれば、聞かぬ心がハイと聞くのか、これが死んでも無くならない実機だと ハッキリわかるのか、そこの水際を聞きたいんだけどね・・・
459です。 残念ながら私、飼い員さんではありません。(もちろんex飼い員さんでもありません) >どうすれば、聞かぬ心がハイと聞くのか、 聞かぬ心は聞かぬのです。逆謗の死骸は蘇生しません。 死骸は死骸のままです。 その「聞かん奴」「死骸」が弥陀如来のお目当てなのです。
おお、出張ご苦労様。そうか、飼い員さんじゃないのね。失礼〜。
出張費は出ませんよ。(w
>>163 聞かぬ心は聞かぬのです。逆謗の死骸は蘇生しません。
死骸は死骸のままです。
その「聞かん奴」「死骸」が弥陀如来のお目当てなのです。
けど、その死骸が死骸とハッキリわからにゃ信心決定にはならないんですよね。
やはり、まだ一縷の望みは捨てられないんですよ。自力を捨てよ、捨てようとする心も
捨てよというのは要するに「氏ね」ということですから。
どうすればいいですか?
具体的に、何か求める道はありますか?
162さんへ
>>164 >けど、その死骸が死骸とハッキリわからにゃ信心決定にはならないんですよね。
死骸が蘇ると思ってるうちはまだまだダメですね。
しかし親鸞会は『ハッキリ』が好きですね。
>自力を捨てよ、捨てようとする心も捨てよというのは要するに「氏ね」ということですから。
>どうすればいいですか?
その『どうすればいいですか?』が自力です。
それを捨てるのです。
要するに『氏ね』ということです。(心がですよ、念のため)
>具体的に、何か求める道はありますか?
道を求めるのではなく、信心を築くのでもなく、それらをすべて捨てるのが真宗の求道です。
すべて捨てて自分の本当の姿を見せてもらうのです。
本来善知識は有り難い話を説くのではなく、その人がつかんで離さないものを奪う存在です。
与えてくださるのは如来さまです。
166 :
名無しさん@1周年 :01/10/07 23:25
どっかの真宗系のサイトでM野講師が真宗の僧侶と論争していたことがあった。 しかし、負けていた(藁 S名講師が広大会だったかいーぐるへっどで「りんご」というHNで、「元会員」と偽って書き込みしていたこともある。 しかし、メアドを出していた為に思いっきりバレていた。 講師部員はアホばっかだな。
>>165 死骸が蘇ると思ってるうちはまだまだダメですね。
しかし親鸞会は『ハッキリ』が好きですね。
蘇るとは思ってませし、書いてません。ただ、言葉遊びをする気はないです。
「ハッキリ」と書いたのは僕が親鸞会でしかご縁が無かったからで・・・現会員では
ないです、元会員です。僕が聞きたいのは「こうも聞かぬなら聞かぬ方がましか、
他に望みがあるかいな」と(うろ覚えですが)言う箇所です。
>要するに『氏ね』ということです。(心がですよ、念のため)
そうですよね。
>本来善知識は有り難い話を説くのではなく、その人がつかんで離さないものを奪う存在です。
「自力を捨てさせる(ところまで導く)導師」ということでいいですか?
具体的に、高森氏の聴聞では救われないなら他に適当な師を探しています。
教行信証を読めばいいですか?
>>167 >僕が聞きたいのは「こうも聞かぬなら聞かぬ方がましか、他に望みがあるかいな」と(うろ覚えですが)言う箇所です。
結局「聞いた覚えた」も捨てていかねばならないのです。
捨てればいいでしょう。
聞かぬがましなら聞かなければいいだけです。
>「自力を捨てさせる(ところまで導く)導師」ということでいいですか?
ある程度のところまではそうでしょうね。
しかし最後に自力をぶった切るのは『利剣即是弥陀名号』です。
>具体的に、高森氏の聴聞では救われないなら他に適当な師を探しています。
>教行信証を読めばいいですか?
とりあえず妙好人の言行録などを読んでみたらいいと思います。
彼らがどのように求めたか、知って損はないです。
それからどんな聖教を読むにしても『自身の後生』を抜きにしては栓なしです。
高森氏の言う『絶対の幸福』のようなものを求めていたらダメですよ。
あくまで後生の一大事です。
獲信して今生を楽しく幸せに渡っていきたい、と言った不純な動機で聞ける法ではありません。
>獲信して今生を楽しく幸せに渡っていきたい、と言った不純な動機で聞ける法ではありません。 「今生を楽しく幸せに渡っていきたい」、と言うのは不純な動機なの? 「今生を楽しく幸せに渡っていければ、仮に獲信なんかなくてもいいんじゃないの? 「何?お前は自分の人生を楽しく幸せに過ごしてきた?とんでもない奴だ。お前みたいな悪党は地獄に落ちろ」、などと仏さんは怒ると思う? そんな馬鹿な(苦笑)。 今生を楽しく幸せに渡っていきたい、と言うのは、大事なことなのよ。みんなそのために先々のことを考え、先人に感謝しながらひたすら努力し、苦労しているのよ。
170 :
名無しさん@一周年 :01/10/08 21:47
>「今生を楽しく幸せに渡っていきたい」、と言うのは不純な動機なの? 今生を楽しく幸せに渡っていきたい、というのは大事なことですが、その ような自我を仏様や法のほうに向けるのが、不純ということではないでしょうか?
171 :
名無しさん@1周年 :01/10/08 22:01
>>169 久しぶりに親鸞会スレに現れたな、渡海 難。
頼むから浄土真宗スレのみならずこのスレも荒らさないでくれよ。
172 :
名無しさん@1周年 :01/10/08 22:07
>>168 459さんのいう「後生の一大事」とは、どういうことですか?
173 :
名無しさん@1周年 :01/10/08 22:08
渡海難氏へ。あなたの議論はときどき拝見しています。あなたが2CHなどで発言されるのは、もちろんご自由です。ところが、あなたはジャンヌにまでご出張ですね。それぞれのサイトには異なった意義があります。ジャンヌは次の方を対象としています。 (1)親鸞会の会員さん (2)親鸞会の元会員さん (3)親鸞会に勧誘を受け、入会しようか迷っているという方 (4)家族・友人に親鸞会の関係者がいるという方 (5)直接は知らないが、親鸞会に興味がある方
174 :
名無しさん@1周年 :01/10/08 22:11
渡海難氏へ。続き。あなたはS会にはとくに関心がないと明言されておられますので、どうかジャンヌ以外のところで、独自の活動をしていただきと存じます。 なお、あなたのメールに関しては、いろいろと思うところがありますが、雑行論はたしかにあなたの方が分があったと思います。
175 :
名無しさん@1周年 :01/10/08 22:17
>>170-171 >>173-174 「荒らし行為に遭遇した場合は、諌めたり挑発したりなど、むやみに対抗しないようにお願いします。
特に荒らしを煽るのは逆効果です。荒らしに反応したらあなたも荒らしかも。。。」
176 :
名無しさん@1周年 :01/10/08 22:37
177 :
名無しさん@1周年 :01/10/08 22:42
>>176 あんたは、どこ見てるの?
「渡海 難」のHNの書込みはある。
178 :
名無しさん@1周年 :01/10/08 22:47
>>176 ジャンヌ掲示板への「渡海 難」の書込み
投稿時間:01/10/08(Mon) 08:50:37
投稿者名:渡海 難 (ID: nsNFuQM)
Eメール:
URL :
タイトル:新人太郎さんへ(はじめまして)
新人太郎さんへ
初めまして。渡海 難と言います。親鸞会の方とは、イーグルヘッドなどでいろいろ御縁がありました。ときどきそちらの考え方を学ばせて貰っている途中です。ジャンヌには始めて参加します。
・・・・・
・・・・・
あげ
>>177-178 スマソ、よく見てなかった。鬱
ともかく、渡海の登場で「ジャンヌ」が荒れないかが心配です。
181 :
名無しさん@1周年 :01/10/09 10:06
>>180 >「ジャンヌ」が荒れないかが心配です。
無視しましょう。
渡海の書き込みに反応するヤツが登場すると荒れるのです。
182 :
ex飼い員 :01/10/09 10:23
ジャンヌの掲示板って読みづらいね。 >162さん >具体的に、高森氏の聴聞では救われないなら他に適当な師を探しています。 教行信証を読めばいいですか? 高森氏の聴聞では救われないね。 高森氏は南無阿弥陀仏を取り上げてしまう。 というか、南無阿弥陀仏への道をふさいでしまっている。 いつまでも善をすすめている。 相対して問答できる師はなかなか見つからないと思うよ。 ネット上なら可能かもしれないけど。 いろいろな本を読んでみることを私は勧めます。
>>172 >459さんのいう「後生の一大事」とは、どういうことですか?
私の「後生の一大事」は、必堕無間地獄の一大事です。
私の「後生の一大事」は、往生極楽浄土の一大事です。
>>168 >とりあえず妙好人の言行録などを読んでみたらいいと思います。
>彼らがどのように求めたか、知って損はないです。
そうですか。具体的に何かお勧めの書籍はありますか?
>高森氏の言う『絶対の幸福』のようなものを求めていたらダメですよ。
>あくまで後生の一大事です。
>
>獲信して今生を楽しく幸せに渡っていきたい、と言った不純な動機で聞ける法ではありません。
親鸞会を見ていると、縁の浅い人はこう考えている人が多いですが、後生の一大事を
根本に据えて求めている人もいます。擁護するわけではないですが。(w
>>182 ジャンヌの459さんの書き込みを飼い員さんだと思いこんでました。失礼〜。
高森氏は座談会で「破邪顕正をしない人は聴聞に来るな」という趣旨の発言を
しています。まあ、自利利他ということ、自分もATされなければ会に縁がなかったこと
を考えたらわからなくもないですが・・・
飼い員さんのお薦め本も有れば教えてください。
>>170 >そのような自我
そのような自我ってなぁに?今生を楽しく幸せに渡っていきたいという思い。思いイコール自我ということかしら?
「仏法広まれ。世の中安穏なれというような自我」の不純な動機では聞ける法なの? 聞けない法なの?
自分も他人もこぞって、今生を楽しく幸せに渡っていきたいという思いを込めて仏法広まれ、世の中安穏なれと願うということは、貴方にはないのかしら?
今生を楽しく幸せに渡っていきたいという思いをもっては聞けない法なら、そのような法は、結局、誰にも手が届かない絵に描いた餅なんじゃないのかしら?
>>185 ていうか、仏教はどの宗派も後生の一大事の解決が目的だろ?
ウゼエよお前。他のスレいってくれ。
187 :
なぜ"削除" :01/10/10 09:35
ジャンヌ掲示板 投稿時間:01/10/09(Tue) 18:20:18 投稿者名:459 (ID: Qy98DKY) Eメール: URL : タイトル:南無阿弥陀仏 しかれば他力真実の行人は、第十八の願の信心をえて、第十一の必至滅度の願の果を得るなり。これを念仏往生といふ。これ真実報土の往生なり。この往生は一念帰命のとき、さだまりてかならず滅度に至るべき位を得るなり。(浄土真要鈔) しかれば平生の一念によりて往生の得否は定まれるものなり。平生のとき不定のおもひに住せば、かなふべからず。平生のとき善知識のことばのしたに帰命の一念を発得せば、そのときをもつて娑婆のをはり、臨終とおもふべし。(執持鈔) さればこの信をえたる位を、『経』(大経・下)には「即得往生住不退転」と説き、『釈』(論註・上)には「一念発起入正定之聚」(意)ともいへり。これすなはち不来迎の談、平生業成の義なり。(御文章) されば先達より承りつたへしがごとく、弥陀如来の真実信心をば、いくたびも他力よりさづけらるるところの仏智の不思議なりとこころえて、一念をもつては往生治定の時剋と定めて、そのときの命のぶれば自然と多念におよぶ道理なり。 これによりて、平生のとき一念往生治定のうへの仏恩報尽の多念の称名とならふところなり。(御文章) 「それ真実の信楽を案ずるに、信楽に一念あり。一念とはこれ信楽開発の時剋の極促を顕し、広大難思の慶心を彰すなり」(教行信証) 「一念といふは、信心をうるときのきはまりをあらはすことばなり」(一念多念証文) 「一念といふは、信心二心なきがゆゑに一念といふ」(教行信証) 「能発一念喜愛心」といふは、一念歓喜の信心のことなり。 「不断煩悩得涅槃」といふは、願力の不思議なるがゆゑに、わが身には煩悩を断ぜざれども、仏のかたよりはつひに涅槃にいたるべき分に定まるものなり。(正信偈大意) 南無阿弥陀仏
162さんへ
>>184 >そうですか。具体的に何かお勧めの書籍はありますか?
いつまで思考を他人まかせにしているつもりですか?
妙好人の本をすべて読んでやろうという気概もないのですか?
そんなお手軽な求道なんですか?
後生が苦になってますか?
それっぽっちの労力を惜しんで一体何を求めているのですか?
>親鸞会を見ていると、縁の浅い人はこう考えている人が多いですが、後生の一大事を
>根本に据えて求めている人もいます。擁護するわけではないですが。(w
あなたに問うたのです。
他人のことばかり考えるのはもうやめなさい。
今のあなた自身、あなたの後生、それだけを考えなさい。
仏法を他人事、よそ事として聞いてはいけません。
189 :
名無しさん@1周年 :01/10/10 21:26
キヨザワマンシって知ってるかい? あんな人は今ではいないだろうな。
190 :
名無しさん@1周年 :01/10/11 09:25
459って地獄?
191 :
名無しさん@1周年 :01/10/11 09:41
しごく と言ったら・・・
192 :
名無しさん@1周年 :01/10/11 17:01
∧ ∧ / シコ ( ゚Д゚) /| < . コレカ? / \ // \________ シコ || ゚ ゚ /⊂// \\_ /⊂// \_⊃/ ( // | | |○○\\ | | \\ | / | | // | | // U
>>188 大喝をどうもありがとうございました。
>後生が苦になってますか?
なっていません。
なっていない(なれない)自分に焦る心は(少しだけ)あります・・・
194 :
名無しさん@1周年 :01/10/12 00:56
うちの近くの生協の看板に「親鸞と歎異抄 カルチャートーク」っていうビラが張ってたけどそれってこの宗教なの? コワイよー でも、生協って共産党だから、無神論だと思ってたけど意外
162さんへ
>>193 >>後生が苦になってますか?
>なっていません。
>なっていない(なれない)自分に焦る心は(少しだけ)あります・・・
で、どうするつもりなんですか?
待つ・・・待つしかない
>>195 で、どうしようかと考えてこのスレに書いてるわけですが・・・
後生は人一人のしのぎですから、他人の道程を聞いても仕方がないことは
わかっているのですが、お薦めの書籍を聞くのもいけませんか?
妙行人の本ならこれがいいよとか、この書籍は読むと参考になるよ、とかも
聞いてはいけませんか?
なぜだめなのかわかりません。
何かが分かってるみたいなそぶりを見せるはったりを真に受けると、痛い目にあう(笑)。
162さん
>>197 まず、後生を苦にする心がなければ(少しだけしかない)ならば、何をしても無駄ですね。
どんな聖教を読んだところで・・・。
200 :
名無しさん@1周年 :01/10/13 12:43
>>199 「後生を苦にする心」が出てくるっていうのは宿善任せなのでは?
だから、宿善を厚くするために聴聞したり御聖行読んだり勤行するんでしょ。
それで、なにか宿善(宿縁といったらいいか)の為に本を、と思ってるんですが。
後生を苦にする心が「ない」から苦労するんであって、その実機に泣かされてる
んですけど。そんなもんあればもう助かったも同然やないか。
201 :
名無しさん@1周年 :01/10/13 14:15
>>193 >>197 >>199 162さん
後生を苦にする心がなければ(少しだけしかないならば)、
459さんに何をきいても無駄ということですよ。
202 :
名無しさん@1周年 :01/10/13 14:30
>>200 459さんによれば、
>宿善になることをしよう、宿善を積もう、宿善を厚くしよう、というのがそもそのも間違いです。そりゃ自力ですぜ。
だってさ。。。
>>202 何だ、本願寺か。
そりゃ自力じゃなくて無力っていうんだよ。(w
204 :
名無しさん@1周年 :01/10/13 21:12
205 :
名無しさん@1周年 :01/10/13 21:20
206 :
名無しさん@1周年 :01/10/13 21:29
162さん
>>203 >何だ、本願寺か。
>そりゃ自力じゃなくて無力っていうんだよ。(w
残念です。
あなたこそ自力と無力を勘違いされている。
なんやかんやいったところで結局高森仏教しか知らないのですね。
高森教は真宗ではありません。浄土教でもありません。
真宗の名をかたっているだけです。
208 :
名無しさん@一周年 :01/10/14 11:49
>高森教は真宗ではありません。浄土教でもありません。 っことはただの電波教? それとも狭偽?
209 :
名無しさん@1周年 :01/10/14 12:42
>>208 この人って、肝心の主張をぼかすというかほのめかすよね。
高森仏教しか知らないのですね、で?>456
やる気がないなら別に無理にとは言いませんよ。
210 :
名無しさん@1周年 :01/10/15 00:06
459って華光会の人のような・・・・・
211 :
名無しさん@1周年 :01/10/15 17:23
212 :
けっこう仮面 :01/10/16 22:02
私は、華光会の同人ですが、459さんは、高森教だとか真宗ではないとか とかいうのは、同人なのでしょうか?疑問ですがよくわかりません。一般的に 華光会の人は、高森先生に対しては、同じ伊藤先生門下の先生として、親近感 を持っており、あんまり悪感情は無いと思いますが。高森先生の御教化を直接 受けた方もかなり高齢化して少なくなっていますが、未だおられますので。 ただ、親鸞会を脱会された方などは、色々複雑な思いがあると思います。
213 :
名無しさん@1周年 :01/10/17 01:59
214 :
名無しさん@1周年 :01/10/18 23:58
親鸞会の『これが獲信か』読みました。ひどい書物ですね。しかしそれだけ、華光会の存在を怖がっていることがよくわかりました。
215 :
名無しさん@一周年 :01/10/19 00:20
発作的に自殺しないでいられる自信が無い。とりあえず今は会にかかわる諸々の物を始末している。葬式にも誰も来るな。
216 :
名無しさん@1周年 :01/10/19 10:12
『これが獲信か』への疑問第一。なぜ、相手を華光会と明示しないのか。これまで、著作権法も名誉毀損もあったもの無しで、『法戦』でばんばん実名を出してきたのに、これはなんだろうか。なにかあったら自信がないとしか思えないのだが。
217 :
名無しさん@1周年 :01/10/19 14:06
これが獲信かっていつ出た本?
218 :
名無しさん@1周年 :01/10/19 14:13
『これが獲信か』は平成11年6月に刊行された30ページほどのパンフレットです。ところが「非売品」となっており、親鸞会会員以外には、入手が難しい形となっています。この非売品であることが、第二の疑問です。
219 :
名無しさん :01/10/19 20:24
>>215 かつてのおれがそうだったよ
理科系の研究室だっただけに、自殺には困らない試薬は結構あった
毎日毎日
「これ飲めばラクになれるだろうなー」
ってそんなことばかり考えてたよ
彼らがそんなこと相談したとしても
「どんな苦しくても死んではいけない、人生の目的があるんだよ」
というお決まりの文句が返ってくるだけなのは容易に想像できた
彼らの教義は自殺の歯止めにまったく役に立たない、薄っぺらなものだと本当に実感したよ
ピュアなやつらは、自殺の歯止めになるんだって本気で信じてるんだろうけど
220 :
名無しさん :01/10/19 20:38
不況で自殺する中高年が増えてることをネタに勧誘する文句が、なんと空々しく聞こえることか
221 :
名無しさん@1周年 :01/10/19 23:22
『これが獲信か』への疑問第三。華光会の書物からの引用だとしているが、その書籍名やページ数など一切なく、検証・確認することがまったく出来ない。 これで親鸞会のいう「破邪顕正」ということになっているのだろうか。自分の都合のよいように相手を規定して悪口をいっているようにしか思えない。察するに、華光会の存在に動揺した会員を鎮めるために、慌てて作成したものなのであろう。
222 :
名無しさん@1周年 :01/10/20 09:43
『これが獲信か』への疑問第四。 親鸞会の会員談として、華光会とはまったく関係のない、土蔵秘事の話を載せている。親鸞会お得意の論点のすり替えだが、盲目的な会員には、華光会への悪印象を与えるという働きは十分に発するであろう。 このようなごまかしは、華光会の教義を批判できない弱みの裏返しだと考えられる。
223 :
名無しさん@1周年 :01/10/20 15:27
第五の疑問。急に華光会の会館に行って、面談を求めて断られたことを針小棒大に書いているが、実に理解に苦しむ。 道を求めるのではなく、攻撃をしようと意図を持った、敵意満々の講師が行ったら断られるのが普通であろう。 もし、親鸞会を攻撃しようとして、親鸞会館に会長やM春氏を訪ねた人がいたら、親鸞会はいったいどのように丁重に扱うのであろうか。 面談が断られたことをもってして、秘事を行っているように書くのは、相変わらずのことといえ、常軌を逸しているのではないか。
224 :
カコウじゃないよケコウだよ :01/10/20 23:58
私は華光同人です。 なんか聞きたいことあったら聞いてください。
225 :
華光会同人へ :01/10/21 00:13
お尋ねします。親鸞会は増井師の獲信は「つもり信心」だとして、次のような「誌上対談」を引用しています。 「・・・その後、I先生を訪ねました。 自分で有り難くなっておるだけなので、I先生にお会いして、真偽を確かめていただきたい。 そこで誤っておればご指摘も頂こうという目的でした。 先生は、非常に喜んでくださいました」 この談話は事実でしょうか。事実なら、それが掲載されている雑誌の号数とページ数をお教えいただきたいと思います。 次に、親鸞会は、この談話をもってして、増井師の信心は他人に真偽を確かめてもらう必要のあるものだと判定し、 それゆえ自力の信だと非難していますが、この点に関して、同人はどうお考えでしょうか。 お教え願えれば幸いです。
226 :
カコウじゃないよケコウだよ :01/10/21 09:18
>>225 その対談は1994年1月23日にNHK教育テレビで放映された「こころの時代」でのものだと思います。
生憎自分は1994年当時は華光とご縁がなく、その時の華光誌を持っていません。
しかしその対談は華光会関係のHPにテキスト化されてアップされてます。
そこでは、『華光誌 第53巻 第3号より抜粋』と書いてありました。
ttp://homepage1.nifty.com/MANU/houwa/h010224.htm ↑こちらをご覧ください。
>次に、親鸞会は、この談話をもってして、増井師の信心は他人に真偽を確かめてもらう必要のあるものだと判定し、
>それゆえ自力の信だと非難していますが、この点に関して、同人はどうお考えでしょうか。
結局、獲信で知らされることは自力無効ということです。
信心決定すれば一念ですべての智慧や教学がインストールされるわけではありません。
獲信して初めて弥陀本願が自分ひとりにかかっていたと知らされますから、本当の聞法はそこから始まるのです。
親鸞聖人が29歳で獲信されてすぐに独立したでしょうか?
否です。 法然上人の元で聞法していたのです。
獲信してすぐに超能力者のように振る舞えるものではないのです。
蓮如上人は『物をいへいへと仰せられ候ふ。物を申さぬものはおそろしきと仰せられ候ふ。信・不信ともに、ただ物をいへと仰せられ候ふ。物を申せば心底もきこえ、また人にも直さるるなり。ただ物を申せ』と仰せです。
自己の信仰は信前・信後ともに告白し指摘を請うべきものです。
ですから増井師のこの話は真宗求道上特に問題とするものではないと思いますが・・・。
逆に、獲信すればそこですべて完了と教える高森氏に問題があると思います。
227 :
名無しさん@1周年 :01/10/21 11:24
華光会には獲信した人がいっぱいいるのですか? 親鸞会より比率が高いのでしょうか?
228 :
華光会同人へ :01/10/21 14:11
丁寧なご教示ありがとうございました。 もう一つ同じような問題、獲信と善知識と獲信の自覚との関係についてお尋ねします。 親鸞会は、華光会の信心は認定をうけて安心する曖昧な信心だと非難し、次のようなHさんの例を引いています。 「ご示談に入るのを待って、早速先生に(私がした体験を)お話しました。 先生は私の顔をジーとみて、『それが如来の回向にあうということです』とはっきりと申されました。 しかし私の心は『ええ?これがご回向さま?これが信心?」と納得できません。 私には、心中がもっとはっきりして、法悦が表現できるものと思っていたのです。 『先生、私には、何かまだよくわかりません』と申したら、 先生は、『いや、このままでよろしい。これから後に、だんだん分かってきますから』と言ってくれました。 『ハイ』とお返事はしたものの、よく分からないままお別れしました。・・・」 信仰の難しい点だとは思いますが、親鸞会との違いということでも、親鸞会の非難をどう解されるか、お教え願いたいと思います。
229 :
カコウじゃないよケコウだよ :01/10/21 17:37
>>227 >華光会には獲信した人がいっぱいいるのですか?
>親鸞会より比率が高いのでしょうか?
心の中の問題ゆえに本当のことは誰もわかりません。
ただ自分が直接尋ねて話してみたら「この方は獲信しているに違いない」と思える方は複数います。
比率の問題ですが、親鸞会に獲信者がいるのかどうか自分は知りません。
親鸞会と華光会では分母も違いますし・・・。
230 :
カコウじゃないよケコウだよ :01/10/21 17:39
>>228 獲信と言っても決まった型があるわけではありません。
人それぞれ業が違いますから、獲信の時の様子も人それぞれです。
号泣する人もいれば、笑う人もいます。
しかしそれは『頂きかた』であって、『頂いたもの』とは別問題です。
ポンと咲く蓮の花のような頂きかたをする人もあれば、菊の花のようにスゥーっと咲くような頂きかたをする人もいます。
後者の菊の花のような頂きかたを聞くと『それは一念ではない。一念とは時剋の極促だからそんなゆっくりしたものではない。異安心だ。』と批判を受けそうです。実際私もそう思ってました。
しかし前者の蓮の花のような頂きかたであっても一念極促に比べれば遅いも遅い時剋の極遅です。
信前には自分で獲信というものをイメージしてその枠に当てはまるような体験を求めるものですが、真実信心はそのイメージした枠をぶっ壊されるのです。
棚からボタモチを待つようなものではなく、自分がボタモチになって如来の口に飛び込むのです。
善知識の認定を受けたからよい、受けなければダメ、というものではないのです。
常に自己に対して問い続けるものです。
それは信後であっても同じことです。
認定を受ける信心か?と問われれば、『そうです』と答えます。
その認定・認可は善知識によるのでは断じてなく、阿弥陀如来によるものなのです。
親鸞会によるさまざまな批難がありますが(まあ華光会が相手と明記してませんが)、一度華光会発行の書籍を読まれることをお勧めします。
華光会の行事に参加してもいいのです。
親鸞会員だからといって締め出されることはありませんよ。
ただ何にもない日にアポなしで訪ねるのは失礼だと思います。
華光会非公式HPに書籍や行事日程など掲載されています。
よろしければご覧ください。
231 :
名無しさん@1周年 :01/10/21 21:19
>>230 ポンと咲く蓮の花のような頂きかたをする人もあれば、菊の花のようにスゥーっと咲くような頂きかたをする人もいます。
この辺が親鸞会との相違点だよね。
親鸞会は、「初めて火に触れて驚かない者はいない」というような話をして
蓮の花以外の決定を否定するよね。
華光会(おお一発変換だよatok14)には、これを擁護する根拠は何かありますか?
232 :
カコウじゃないよケコウだよ :01/10/21 22:24
>>231 頂き方は問題にすべきではないのです。
そりゃ蓮華型獲信(?)のほうが他人から見れば分かりやすいですが、それだけのことです。
『頂き方』ではなく『頂いたか?』『頂いたもの』が大事ではないでしょうか?
インフルエンザとかの予防注射なんかでもそうですが、注射をして泣き出す人もいれば、なんともない人もいる、発熱する人もいるetc・・・。
様々な注射への反応はありますが、注射の効能は一様なのです。
同じく獲信時の様子は百人百様ですが、南無阿弥陀仏の効能は万人共通です。
というわけでお尋ねの『根拠』というものはないと考えます。
もし聖教上にそのような頂き方に関する根拠があったとしてもそれはその著者自身のものであって、その『頂き方』と同じ型にならねばならないと考えるのならばそれこそ×でしょう。
実際に七祖、祖師聖人、覚如・蓮如上人の御聖教にそのような記述を見たことはありません。
聖教には『頂いたか?』『頂くもの(頂いたもの)』『頂いたらどうなるか』ということが書かれているのです。
233 :
名無しさん@1周年 :01/10/21 22:44
華光会は、やっぱり………
234 :
名無しさん :01/10/21 22:53
やっぱり、なんだよ
235 :
華光会同人へ :01/10/21 23:25
懇切なご教示ありがとうございました。華光会の出版物などをよく読み、熟慮していきたいと思います。 また、なにかのおりにはお教えください。
236 :
名無しさん@1周年 :01/10/22 00:00
>>232 うん、俺も獲信した人の機はそれぞれ各別だから身業に現れるのもまた各別
というのが常識的解釈だと思うんだけど、親鸞会は絶対それを認めないよね。
何だろうね一体???
ただ、頂いたか、頂いていないかというのがハッキリするかしないか
についてはどうなの?>華光会
237 :
名無しさん@1周年 :01/10/22 17:36
>>224 華光会と本願寺の関係を教えて下さい。
普通のお寺の門徒さんもいて、本願寺に参ったりするのですか。
気になっています。
238 :
カコウじゃないよケコウだよ :01/10/22 18:46
>>236 >俺も獲信した人の機はそれぞれ各別だから身業に現れるのもまた各別
>というのが常識的解釈だと思うんだけど、親鸞会は絶対それを認めないよね。
>何だろうね一体???
身業だけでなく口業も意業も格別なのです。
業が人それぞれ違うのですから、獲信して心で感じる感じ方もまた人それぞれなんです。
ですから本願に対して人それぞれ味わい方は違うのです。
高森氏は、自分個人の味わい方を教義にしてしまったところに問題があると思います。
>ただ、頂いたか、頂いていないかというのがハッキリするかしないかについてはどうなの?
それは『ハッキリ』します。
自分が救われたかどうか曖昧なものではありません。
この疑問は華光会の書籍の求道体験記(いろいろな人の)を読んで頂ければ解決すると思います。
華光会創始者の伊藤康善師の主著『仏敵』も伊藤先生御自身の求道体験記なのです。
ぜひ一度読んでみてください。
ちなみに高森氏の求道体験記は絶版・品切れです。
私が華光とご縁が時にはすでに在庫はありませんでした。残念。
239 :
カコウじゃないよケコウだよ :01/10/22 18:47
>>237 >華光会と本願寺の関係を教えて下さい。
別団体です。
ただ現代表の増井師は本願寺派の布教使です。
華光会には複数の先生がいます。
本願寺派の先生もいますし、大谷派の先生もいます。
どこにも属していない先生もいます。
>普通のお寺の門徒さんもいて、本願寺に参ったりするのですか。
>気になっています。
普通のお寺の門徒さんもいると思いますよ。
まあそのような話を詳しくしたことがないのでよく知りませんが・・・。
元親鸞会の人も結構いますよ。
華光会全体で本願寺に参詣するようなことはないと思います。
私がご縁を頂いてから今までそのようなことは一度もありませんでした。
240 :
名無しさん@1周年 :01/10/22 20:19
>>238 >ちなみに高森氏の求道体験記は絶版・品切れです。
書名だけでも分かったら教えていただけませんか?
図書館なりで読む手段はあると思いますので…。
241 :
名無しさん@1周年 :01/10/22 22:16
華光会の宣伝・勧誘スレになっている・・・
242 :
名無しさん@1周年 :01/10/23 00:50
元親鸞会の人は何人位いますか。 年齢層はどれ位の人が多いですか?
243 :
名無しさん@1周年 :01/10/23 01:24
>>238 >身業だけでなく口業も意業も格別なのです。
c.f
>それは『ハッキリ』します。
>自分が救われたかどうか曖昧なものではありません。
ここの2点矛盾していませんか?
意業も格別ならばハッキリするかどうかも格別だという事になりませんかね・・・
244 :
カコウじゃないよケコウだよ :01/10/23 03:15
>>240 >書名だけでも分かったら教えていただけませんか?
>図書館なりで読む手段はあると思いますので…。
『化城を突破して』だったと思います。
245 :
カコウじゃないよケコウだよ :01/10/23 03:19
>>242 >元親鸞会の人は何人位いますか。
正確な人数は知りませんが、数十人はいると思います。
>年齢層はどれ位の人が多いですか?
若者から老人まで様々です。
246 :
カコウじゃないよケコウだよ :01/10/23 03:25
>ここの2点矛盾していませんか? >意業も格別ならばハッキリするかどうかも格別だという事になりませんかね・・・ 『ハッキリ』する仕方が人それぞれだということです。 誰もが皆同じような『ハッキリ』でなければならないのならば、それこそ『頂き方』に条件をつけることになりますよ。 それから私個人としては、親鸞会の言う『ハッキリする』という言葉が、皆同じ体験(同じハッキリ体験)を求めているように感じますので、あまり好きな言葉ではありません。
242>> >元親鸞会の人は何人位いますか。 全員で何人ほどいるか分かりませんが, 私は親鸞会→華光会に移った組です. >年齢層はどれ位の人が多いですか? 私の知っている範囲では年齢層は様々だと思います.
248 :
名無しさん@1周年 :01/10/23 05:27
>>246 親鸞会の言う『ハッキリする』という言葉が、皆同じ体験(同じハッキリ体験)を求めているように感じますので、
あまり好きな言葉ではありません。
ということは、一味平等の世界ではないということになるのかな?
三大浄論を否定する派なんでしょうか?>華光会
頂き方は格別、これは理解できます。ただ、頂いた世界、
これは「同じ」とS会では聞いてますが、華光会ではまた
異なる解釈なんでしょうか?
>>247 具体的に、親鸞会のどのような点に不満というか疑問を持たれて華光会に
移られたのか、差し支えなければ教えてください。
249 :
カコウじゃないよケコウだよ :01/10/23 05:44
>ということは、一味平等の世界ではないということになるのかな? >三大浄論を否定する派なんでしょうか? 他力信心は一味平等の世界です。 味・功徳はひとつであり平等ですが、感じ方が人それぞれということです。 同じミカンを食べて、甘いという人もいれば、酸っぱいという人もいる、そのようなものです。 感じ方はどうでも、栄養価は同じですよね。 三大諍論を否定しているという話は聞いたことはありません。 >頂き方は格別、これは理解できます。ただ、頂いた世界、 >これは「同じ」とS会では聞いてますが、華光会ではまた >異なる解釈なんでしょうか? その世界の感じ方が人それぞれなんです。 親鸞会ではその世界の感じ方まで一味平等と説いているように感じました。 思うにそれは高森氏個人の味わい方であって、教義にするものではないと思います。
250 :
名無しさん@1周年 :01/10/23 06:08
>>249 なるほどね、例えは変かもしれないけど盲目の人が象をさわる例えと同じような
モンですかね。象は同じだが、盲目(=凡夫)であるから象自体の存在は見えない
(=感じ方は格別)しかし、象に触れているという事実自体は同じ(=一味)みたいな。
華光会に移られた経緯はやはり差し障りがあるのでしょうか?
まあ、無理強いはしませんが・・・
しかし、親鸞会は「賢臣二君に仕ず」にどっぷり浸かってその他の者を悪知識と
初めから決めて斬りかかってくるからやっかいだよね。
そのあとに続く「貞女二夫にまみえず」ってのもあるけど、俺は男だから一人しか
女を知らずにSEXをすべて知り尽くしたような事はいいたくないよ。(藁
一穴主義の方は勝手にしてくれればいいけど、それを押しつけるのはどうかね。>S会
251 :
ex飼い員 :01/10/23 14:50
>華光会の方 頂いた世界?頂いたもの?頂き方?ハッキリ? 頂くものは「南無阿弥陀仏」。この六字だけだよ。 他力信心とは「南無阿弥陀仏」。この六字に極まる。
252 :
カコウじゃないよケコウだよ :01/10/23 17:29
>>251 >頂くものは「南無阿弥陀仏」。この六字だけだよ。
>他力信心とは「南無阿弥陀仏」。この六字に極まる。
そうですよ。
『さてその他力の信心といふはいかやうなることぞといへば、ただ南無阿弥陀仏なり。
この南無阿弥陀仏の六つの字のこころをくはしくしりたるが、すなはち他力信心のすがたなり。』と御文章にもあります。
『南無阿弥陀仏』のいわれを説明するために経・論・釈が存在するのです。
253 :
カコウじゃないよケコウだよ :01/10/23 17:56
>>250 >なるほどね、例えは変かもしれないけど盲目の人が象をさわる例えと同じような
>モンですかね。象は同じだが、盲目(=凡夫)であるから象自体の存在は見えない
>(=感じ方は格別)しかし、象に触れているという事実自体は同じ(=一味)みたいな。
ちょっと譬えとしてはちがうかもしれません。
『盲目だから象が見えない』というのであればそれは違うと思います。
『象は見えるが、見方に違いがある』と言った方がいいような気がします。
しかし象をもらうと言っても、丸飲みするわけにもいきませんし、そうでなければ逃げ出してしまいそうです。
どうも象を頂くと言ってもピンときません。
その譬え話は、仏法がたくさんの宗派に分かれた理由の説明に使うものだと思います。
他力信心の頂き方の説明は、やはり注射や食べ物の方が、『体内に入れる』という点で、わかりやすいかと思います。
まあどちらにせよ『譬え話』に違いありませんが・・・。
結局、味はひとつだが味覚が人それぞれ違うから、味わい方も人それぞれ違う、ということです。
254 :
名無しさん@1周年 :01/10/23 22:38
たしか華光会の問題が浮上してきた時、親鸞会は『土蔵秘事とそれに類するもの』という言葉を作り出し、会員の流出を防ごうとしていたね。 その時よく会長が言ってた言葉が『獲信をあせってはいけません。無常ですがあせってあせらず光に向かいましょう』という矛盾だらけのことをよく言ってたな。 『あせるな』という言葉が『聞思して遅慮することなかれ』の金言に背いていることがわかんないのかねえ? 今思えば、親鸞会って付け焼刃ばっかの団体だったな。
255 :
名無しさん@1周年 :01/10/23 23:09
>>251 ex飼い員さんはd機の方だから
>『南無阿弥陀仏』のいわれを説明するために経・論・釈が存在するのです。
をすっとばして、ただ南無阿弥陀仏で充分なんでしょうけど、こっちはその「ただ」に
悩まされておる訳じゃないですか。これでは、あまりにも不親切と言わざるを得ない。
>>253 なるほど。
>>254 華光会の事は土蔵秘事にしておきたいらしいね。まあ、いわせておけばいいでしょう。
って、僕はもうS会とは関係なので。
256 :
名無しさん@1周年 :01/10/24 01:04
>>250 親鸞聖人の教えは、親鸞会は誤って説いているが、
華光会は正しく説いているという考え方に変わられたのでしょうか?
『仮城を突破して』って図書館にありますか? 国会図書館にさえないようですが。仏教系の古書店を監視してれば1%くらいの確率で見つかるかも?
258 :
名無しさん@1周年 :01/10/24 04:19
>>256 いや、親鸞会が誤って説いているかは華光会の聴聞を一度聞いてみないと
わかりませんね。比較対象の相手があって初めて正邪がわかるものでは
ないでしょうか?
259 :
名無しさん@1周年 :01/10/24 05:41
>『仮城を突破して』って図書館にありますか? 化城だよ・・・
260 :
名無しさん@1周年 :01/10/24 17:17
12日の一日一訓「男は男らしく女は女らしく」ってどいうつもりか? なんか仏典に根拠でもあるんですかね? タカモリの趣味か? 今度の座談会で直々にお聞きせねば(w
261 :
名無しさん@1周年 :01/10/24 23:44
>>258 私は、親鸞会しか知らないので、親鸞会のみが、親鸞聖人の本当の教えを説いて
いると思っていたのです。両方在籍された方はどのように思われているのかが、
知りたいのです。
両者正しく説いているが、単に好きな方を選ばれただけですか?
>>250 >華光会に移られた経緯はやはり差し障りがあるのでしょうか?
>まあ、無理強いはしませんが・・・
差し障りは特にありません.
ただ皆さんみたいに教学がないので,うまく表現が出来ない.
一言で言うならば,このままでは一生信は頂けない.と思ったからです.
親鸞会では体で行う行為がすごく重要視され,評価されていたような気がします.
聴聞は毎週欠かさず行っているとか,おつとめは毎日しているとか,
ビデオが何本売れたとか,いくら御喜捨したとか...
体で行う行為も大事だけど,やっぱり心じゃないの!!
でも親鸞会のメンバーでは心の悩みをうち明けられない.
『あなたはまだこんなところにいるの』なんて.
軍隊組織なせいで上下関係があるせいでしょうか?
263 :
名無しさん@1周年 :01/10/25 00:34
>>262 教学がなければ、そもそも何も始まらないのではないでしょうか?
教学はどうすれば、私たちが救われるかの方角を指し示してくれるものでは
ないのでしょうか?
華光会は上位下達の軍隊組織ではないのですか?
連絡事項や報告事項はどうしているのでしょうか?
>>263 >教学がなければ、そもそも何も始まらないのではないでしょうか?
確かにその通りだと思います.
ただ教学がない場合は行学が先でもいいのではないでしょうか?
確か釈尊の時代に頭の悪い者が救いを求めている話がありました.
来る日も来る日も同じ場所を掃除をする話.
>教学はどうすれば、私たちが救われるかの方角を指し示してくれるものでは
ないのでしょうか?
方角を示しているように見えますが...
ただこれだと教学が深い人ほど精度良く先まで見えていることになりませんか?
(教学が深い=信仰が深い)← 違いますよね.
自分自身の心を分析出来る道具にはなると思いますが.
>華光会は上位下達の軍隊組織ではないのですか?
>連絡事項や報告事項はどうしているのでしょうか?
組織の運営のために勿論上下関係はあります.
(親鸞会みたいに縦割りではないです)
ただ組織上の上下関係だけで,信仰に関してはみな同人です.
265 :
カコウじゃないよケコウだよ :01/10/25 05:42
>>261 >両者正しく説いているが、単に好きな方を選ばれただけですか?
私も最初は同じようなことを説いていると思ってました。
でも全然違いました。
というか親鸞会が真宗ではありませんでした。
266 :
名無しさん@1周年 :01/10/25 17:05
>>265 親鸞会のどのような点が、真宗ではないと判断されましたか?
267 :
名無しさん@1周年 :01/10/25 17:51
>>266 華光会は親鸞会は真宗じゃないというし、親鸞会は華光会を土蔵秘事だというし
何か、笑える・・・
268 :
カコウじゃないよケコウだよ :01/10/25 17:58
>>266 宿善の解釈、三願転入の解釈などです。
諸善の問題も親鸞会は独自(非真宗)の解釈をしています。
269 :
ex飼い員 :01/10/25 18:14
しかし人生の目的って言葉は素晴らしいね。 これさえ果たせば悔いなし、というのが人生の目的で。 もちろん弥陀に帰命した今でも思い残すことはたくさんある。 家族のこと、まだ達成してない仕事のこと、などなど。 まだ死ぬわけにはいかないな、って思うよ。 そんな時、歎異抄のこの言葉がありがたい。 「煩悩具足、火宅無常の世界においては万のこと皆もって空事戯事、 真あることなし、ただ念仏のみ真にていまします。」 結局、全ては空事戯事で、唯一つ真なのは「南無阿弥陀仏」 だけなのだ、と改めて思い知らされて、感泣させられるよ。
270 :
名無しさん@1周年 :01/10/25 21:11
>>269 あなたは、自分だけその妙味を味わえたら満足ですか?
2chでぐらい、すこし未信のモノのアシストをするという気は起きないのですか?
利他ってのは眼中にありませんか?
271 :
名無しさん@1周年 :01/10/25 23:51
ex飼い員さんは華光会の会員ですか? 人生の目的はどれ位の期間で、どのように果たされたのでしょうか。 まだ、果たしていない立場の者としてお聞きしたいです。
272 :
ex飼い員 :01/10/26 17:54
現在私は宗教団体には入っていません。 本を読んでみてはいかがでしょうか? 金子大栄、曽我量深、さかのぼって暁烏敏、清沢満之、 まぁ、清沢満之の系譜ですかね。 金子大栄氏の著書は入手しやすいと思いますよ。
>>272 興味深くROMしてきましたが、本願寺派では何かお薦めありませんか。
274 :
けっこう仮面 :01/10/27 20:54
私は、カコウじゃないよケコウだよさんとは異なり、別に親鸞会というか高森先生 の解釈が真宗ではないとは思いません。真宗のなかでも、10派あり、本派の学派 でも空華とか石泉とか様々あるうえ、明治以降は近代教学が模索されてきていて多 様な流れがあります。私自身は、そうしたスコラ的な‘‘神学論争’’には興味はな くて7676さんが仰っているように私自身の心の問題が一番の関心事です。華光は、 各々の個性を大事にする集まりですから267さんの言われるようにカコウじゃないよ さんの意見や考え方が別に華光を代表しているわけではありません。信心は一味でも 考え方は人それぞれなのは当然でしょう。
275 :
けっこう仮面 :01/10/27 21:15
NBさん、本願寺派では、稲城選恵先生のものは、読み応えありで お勧めです。名指しではないが、華光関連の先生も一念覚知として 批判されています。あと、華光とも少なからず御縁があり、かつて 稲城先生と論争もされていた信楽峻麿先生も面白いと思います。 大谷派では、ex飼い員さんが薦められている外に、安田理深先生も 推薦します。
レスありがとうございます。 ex飼い員さんの一連のレスと、清沢系列のつながりが ちょっと、興味があったもんで、、、
系列ってのは子孫?血がつながってる?
278 :
けっこう仮面 :01/10/28 15:59
本派では、加茂仰順先生なんかもいいですね。在家の方(大谷派に近い) では、高史明先生(コ・ソミョンソンセンニム)も好きです。
279 :
けっこう仮面 :01/10/28 23:50
訂正です コ・ソミョンソンセンニム→コ・サミョンソンセンニム 失礼しました。
280 :
名無しさん@1周年 :01/10/29 18:46
>>272 かつては、宗教団体に入っておられたのでしょうか?
浄土真宗の先生方の著書をよまれて人生の目的を果たされたのでしょか?
私も、はやく人生の目的を果たしたいと果たしたいと常々思っており、
お伺いしたいのです。
281 :
名無しさん@1周年 :01/10/29 23:44
>>268 華光会での宿善の定義を教えてください。
はじめまして、元会員の二文(にもん)と申します。
親鸞会を辞めてから苦しんでいます。
以前から親鸞会関連のサイトをROMしてきていましたが、
先日2chにて高森氏の獲信体験談が載っている
『化城を突破して』の話題を見ました。
是非読みたいと思ったんですが、どなたかお持ちの方が
いらっしゃいましたら、譲って頂けませんか。
現物が不可能ならコピーでも結構です。
ご連絡お待ちしています。
メール:
[email protected]
283 :
名無しさん@1周年 :01/10/31 22:56
age
284 :
名無しさん@1周年 :01/11/01 15:51
あげ
285 :
名無しさん@1周年 :01/11/01 22:09
ネタがれの予感・・・
286 :
名無しさん@1周年 :01/11/01 23:10
浄土真宗において、宿善はキーワードときいております。 ぜひ、その意味を、教えていただけないでしょうか?<華光会の方
287 :
カコウじゃないよケコウだよ :01/11/02 06:01
>>281 >>286 >浄土真宗において、宿善はキーワードときいております。
誰に聞いたのですか?(笑)
『宿善』ということばは教行信証には一回も出てきませんが・・・。
近い意味の『宿縁』でさえ、
『ああ、弘誓の強縁、多生にも値ひがたく、真実の浄信、億劫にも獲がたし。たまたま行信を獲ば、遠く宿縁を慶べ。』
という一箇所しか出てきません。
華光会がどう定義しているか詳しく知りませんが、真宗の『宿善』については後日書き込みます。
そろそろ出勤の時間のためすみません。
288 :
通りすがり :01/11/03 23:53
御文章には、たくさんでているよ。
289 :
おせっかい焼き :01/11/04 11:35
二文さん。親鸞会を辞めてから苦しんでいるとのことですが、いい加減 高森氏のことは、卒業したらどうですか?高森氏の獲信体験など読んだ ところであなた自身の体験ではないしどうなるわけでもないでしょう。 あなたがこれからどこかの先生に師事するなり本を読むなりして真宗を 求めていくか、他宗教や無宗教に転向するかは自由ですが、いずれにせ よ過去をぐちぐち追い求めるのではなくすっぱり忘れて、新たな気持ち で進むのがよいと思います。 以上、老婆心からでした。
290 :
名無しさん@1周年 :01/11/04 18:38
後生はひとり ひとりのしのぎですからね。 確かに、高森師の体験をよむと、さらに本当の信心だと 確信が高まるかもしれません。 しかし、あくまでひとの体験ですからね。
291 :
名無しさん@1周年 :01/11/04 19:16
武富士も企業の仮面をかぶった宗教団体です!
293 :
名無しさん@1周年 :01/11/06 04:14
元気ないage
294 :
名無しさん@1周年 :01/11/06 04:16
カルトか?といわれると半分yes半分noだが熱狂的なヤツはカルトチックなのは 間違いないな。最近はどうだかしらんが一時期の弁論はすさまじかったぞ。
ノーベル賞とお金、どっちをとるか、みたいなことやってたっけ。(藁
296 :
名無しさん@1周年 :01/11/06 09:54
>>295 それはさすがに古いなおい。
ラジオとテレビどっち?ってのもあったぞい。(w
297 :
名無しさん@1周年 :01/11/06 16:18
方針が一貫しているのなら、ある程度過激でもいいが、 そういう訳でもない。世間も大事としながら 世間と両立しないことも要求してくる人がいる。
age
299 :
名無しさん@1周年 :01/11/07 01:19
>>297 まあ、そういうのは無視しておけばいいんでねか?おかしいのも多いから
一々全部に従ってたらそれこそ体がいくつあっても足りませんよ。(w
けど、ここも本願寺に座り込んでいた時期から比べるとずいぶん丸くなったよね。
会長が年を取るに従ってどんどん丸くなっていくね。
300 :
名無しさん@1周年 :01/11/10 14:37
報恩講は今週だっけ。
301 :
名無しさん@一周年 :01/11/10 16:19
親鸞会は、今何処を(誰を)ターゲットにして攻撃してますか? 華光会? 中根? 大島一声?
302 :
名無しさん@1周年 :01/11/11 00:04
>>300 報恩講はもう終わってますよ。
先月末の土日。
演題は「慶ばしき哉、西蕃月氏の聖典、東夏日域の師釈に遇い難くして今遇うことをえたり〜」
難しそうなこ言葉を使って肝心の「義」の方 を問おうとしない傾向があるんだよ。珍乱怪は。
304 :
名無しさん@1周年 :01/11/11 14:54
age
305 :
名無しさん@1周年 :01/11/11 18:00
「義」って何?
306 :
名無しさん@1周年 :01/11/11 22:53
age
307 :
名無しさん@1周年 :01/11/11 23:21
難しそうに思うかもしれないけれど 常識程度の難しさだよ。
308 :
名無しさん@1周年 :01/11/11 23:51
聞き初めは、誰でも難しく感じるんじゃないかなぁ。 それと、話しが難しくても、聞いていく事が大切だと思う。
309 :
名無しさん@1周年 :01/11/12 00:41
age
310 :
名無しさん@1周年 :01/11/12 01:27
ここは、はまらなければOK. 熱中しすぎる人は辞めた方がいい。むしろ、どっかさめてる人の方が続くよ。
311 :
名無しさん@1周年 :01/11/12 06:24
age
312 :
名無しさん@1周年 :01/11/12 13:19
age
313 :
名無しさん@1周年 :01/11/12 14:23
他人の意見を、自分の都合のいいように解釈して、話をしだすS会会員が多かったような気がしますが、みなさんはどう思われますか?
314 :
名無しさん@1周年 :01/11/12 17:35
age
315 :
名無しさん@1周年 :01/11/12 17:58
age
316 :
名無しさん@1周年 :01/11/12 18:39
age
317 :
名無しさん@1周年 :01/11/12 21:40
あげ
318 :
名無しさん@1周年 :01/11/12 21:40
319 :
名無しさん@1周年 :01/11/12 21:42
あ〜あ。 見事にネタがれだな。 無明に相当するものもある(ように見える)。 二種深信の生ずる無我もある(ように見える)。 おぼろげだけど、信仰って、とっても幸せなんだけどな。 今の疑問としては、なんでそれが死後まで存続すると言えるのか、 そこんとこを知りたい。
320 :
名無しさん@1周年 :01/11/12 22:38
一体何処の何方が批判書き込みされるのでしょうね。 ネタも無いのにようやるわ!
321 :
名無しさん@1周年 :01/11/12 23:33
age
322 :
名無しさん@1周年 :01/11/13 00:05
>>320 悪かったな。部外者に見えたか。
これでもオレは、謗法罪、って精神的に攻撃されながら脱会したんだが。
場所を間違えたか。
高森は最近丸くなってるんだって? 敗北モード?
324 :
名無しさん@1周年 :01/11/13 00:47
来年は報恩講しか法話がないという噂を聞いた。
325 :
名無しさん@1周年 :01/11/13 00:48
来年は報恩講しか法話がないという噂を聞いた。
326 :
名無しさん@1周年 :01/11/13 02:05
age
327 :
ex飼い員 :01/11/13 02:18
>>319 他力だから。
阿弥陀仏がそう約束すると誓いを立てているから。
誓願は不可思議だよ。往生は阿弥陀仏のしてくれる仕事だよ。
328 :
名無しさん@1周年 :01/11/13 10:38
>>327 うおっ、素晴らしい回答だ。本物っぽくてイイ!!
でもさ、オレが聞きたいのは、なんでそう定まってるかってことなんだよ。
それが、単なる心の訓練でないって、何で言い切れるのさ。
今の自分の心に、「えいえん」に繋がりそうな「証拠」って見つかるの?
いや、今生で二種深信が生ずる可能性は、否定してないんだヨ。
329 :
名無しさん@1周年 :01/11/13 22:50
age
330 :
名無しさん@1周年 :01/11/14 02:04
>325 体が悪いのかね。。。 どうなんでしょう。誰か知っている人いますか? 会員さんで知っている人がいたら教えて下さい。 お見舞いでもしようかなって思うから。
331 :
名無しさん@1周年 :01/11/14 02:12
ネタでしょう。
332 :
名無しさん@1周年 :01/11/14 02:15
本当かもしれないな。 数年前は毎週のようにあったのに。
333 :
ex飼い員 :01/11/15 18:10
>>328 「永遠」につながりそうな証拠ならあるよっ!!
単なる自分の思い込みではない証拠が確かにある。
いわば極楽浄土へ行くための切符だね。
もうわかったでしょ?
「南無阿弥陀仏」
これが極楽行きの切符です。ハキーリしてるでしょ。
334 :
名無しさん@1周年 :01/11/16 00:44
>>333 それであなたは切符は手に入れたのですか?
大学のとき、毎週聴聞に行っていて、大学卒業前の 10年ほど前に止めたんだけど、 骨を砕きても。。… という歌があったんだけど、あれの歌詞ってどっかに載ってないんですか? もういちど見てみたいんですけど。 全部捨てたけど、「名号」だけは捨てられないでいる。 中古の仏壇を部屋に置いていて、友人から気味悪がられたなあ。 正座がつらかった思い出が一番かな。 でも、なんであんなのに引っかかったんだろう。 新入の学生だと理屈を否定できないからなあ。 専任講師がだれも獲心していないのが分かった時点で やめときゃよかったが。
336 :
名無しさん@1周年 :01/11/16 02:33
>>335 如来大悲の恩徳は、身を粉にしても報ずべし、
師宗知識の恩徳も、骨を砕きても謝すべし
です。親鸞会で使っている節はどうも古いようですよ。
今ネットでメロディーもダウンロードできますが、節が違うのが
ありますね。
実家で暇なとき読んでた薄い本がチューリップの奴だったと 最近知った自分は逝ってよしですか? 見てる限りでは単なる読み物って感じだったな 流れと関係ないのでさげ
ネタ切れです、ごめんなさい。 (取りあえず、age)
339 :
名無しさん@1周年 :01/11/16 14:25
>>333 つまり、「死後」までを包含できるような、
そんなモノを自分の中にもらったわけだ。
そこは、信前と信後で、黒白のように異なってますか?
「体験」から、話の受け売りをしているだけではないですか?
340 :
名無しさん@1周年 :01/11/16 15:19
339最後の行書き直し。 話の受け売りではなく、「体験」のみからそう断言することができますか?
335です。 336さんありがとうございました。 如来大悲の恩徳は、身を粉にしても報ずべし、 師宗知識の恩徳も、骨を砕きても謝すべし のメロディは思い出しましたが、 こんな短かったでしたっけ? 今、どうなっているのか、知りませんけど。 このスレみると、いっしょにやっていた人たち 専任講師になったりしているようですね。 自分から入るのは、構わないけど、 あのように、何もしらない学生を 正体を隠して勧誘するのはやめていただきたいものです。 いろいろ教えられましたけど、マイナスが大きかったなあ。
342 :
名無しさん@1周年 :01/11/16 23:05
>>341 336です。2回繰り返すんです。
ここまで忘れられるっていうのは、相当縁が遠のいてましたね。
>いろいろ教えられましたけど、マイナスが大きかったなあ。
私は親鸞会青年部の歌をときどき思い出して歌っちゃいます。
これが最大のマイナスですね。(笑)
335です。
>>342 2回繰り返すのは、そうだったような気がします。
「同期の桜」の替え歌は時々浮かんできます。
>ここまで忘れられるっていうのは、相当縁が遠のいてましたね。
大学の4年間、ほとんど毎週、聴聞に行ってましたね。
正月には、正会員セミナーとかで、一度も正月実家に
帰った覚えがありません。
344 :
名無しさん@1周年 :01/11/16 23:44
青年部の歌ってどんな歌? 恩徳讃よりながいのかな?
345 :
名無しさん@1周年 :01/11/17 01:50
346 :
名無しさん@1周年 :01/11/17 01:52
高森会長の若いときの書籍よんでみ? むちゃくちゃ書いてあるから、嫌味全開で。 ここも、結構会長批判あるけど、あそこまで無茶なのはないで。 今は丸くなってるけど。
age
348 :
名無しさん@1周年 :01/11/17 21:15
>>343 336です。
でも、間違っても、もう一度行くなんて考えない方が良いですよ。
>>346 時代がそういう時代だったように思いますがね。創価学会、原理研
どれも昔はめちゃくちゃ過激でした。あの時代、多少過激でも目立
たなかったですね。今、どこも丸くなっているように思います。
高森会長が年をとったからとも言えるけど、時代がそれを許さない
というところはあると思いますよ。ATもあまりもうやらないでし
ょう。そういう時代になったということじゃないかな。
349 :
名無しさん@1周年 :01/11/17 23:01
へえー、ATしなくなったの。ところで、一万堂出版の軟派路線を企画しているのは、だれ。 どのような考えで、あれやっているのかな。
350 :
名無しさん@1周年 :01/11/18 00:05
ATはしてるでしょ。ATしなければやることなくなってしまいますよ。
351 :
名無しさん@1周年 :01/11/18 02:02
352 :
名無しさん@1周年 :01/11/18 09:20
違うと思う。
353 :
名無しさん@1周年 :01/11/18 10:59
たしか、外部のプロデューサー(名前なんていったかな)の指導を仰いでいるんだよな。 しかし、会長も当然それを認めてはいるんだろうな。
354 :
名無しさん@1周年 :01/11/18 11:05
だから会長の一声がないと動かないって、あの組織は。
355 :
名無しさん@1周年 :01/11/19 10:52
一万年堂出版には外部プロデューサーがいるよ。 『100の花束』が出版されたのもそいつの進言だとアサクラ講師が逝ってた。
356 :
名無しさん@1周年 :01/11/19 12:17
ははは、つんくみたいなものですね。 やっぱり大衆受けするには、それなりの方法論があるんですかね。
357 :
名無しさん@1周年 :01/11/19 12:30
358 :
名無しさん@1周年 :01/11/19 13:00
話題提供 >無明に相当するものもある(ように見える)。 二種深信の生ずる無我もある(ように見える)。 おぼろげだけど、信仰って、とっても幸せなんだけどな。 今の疑問としては、なんでそれが死後まで存続すると言えるのか、 そこんとこを知りたい。 なさけないやつがいるなー。そんなの無明でもないし、無我でもないぞ。 そういう話を会員のときに聞かなかったのか?
359 :
名無しさん@1周年 :01/11/19 16:40
>>358 そうね。親鸞会の定義とは、異なる言い方したからね。
親鸞会の話は、現実を対称性よく捉えてなかった。
だから、オレの中で再構築して話してみたんだが。
幅広く勉強して、「義(肝心の教義の意味内容)?」から考えてみてくれ。
360 :
名無しさん@1周年 :01/11/19 17:03
というか、文脈が短すぎて、分からんこと言ったな。 悪い、これは気にしないでくれ。
「話題提供」にしました。 >262 親鸞会では体で行う行為がすごく重要視され,評価されていたような気がします. 聴聞は毎週欠かさず行っているとか,おつとめは毎日しているとか, ビデオが何本売れたとか,いくら御喜捨したとか... 体で行う行為も大事だけど,やっぱり心じゃないの!! でも親鸞会のメンバーでは心の悩みをうち明けられない. この人、かわいそう。会員の中でもそういう人としかご縁が無かったのですね。 高森先生のお話をちゃんと聞いていましたか?「口業や身業よりも意業がずーと重い」といつも言われていたのを聞いたことはありませんか? ちゃんと聞いている人はたくさんおられますよ。
一の会って仲根(中根だっけ?)さんがやってるの? 「自分は教行信証で信心決定できる」って言ってやめて行った人だよね。 その話聞いたとき、長い間聴聞していてもなんにも聞いてなかったんだな、と思ってかわいそうだった。 あわれあわれ。
363 :
名無しさん@1周年 :01/11/19 18:04
>> 361 >> 362 ははは、なんか面白い人が出てきましたね。(笑) >> 362 それって別の人じゃないの、あんたみたいにおかしな人が親鸞会には 多いんだよ。(笑)
>で、でたーー!親鸞会定型文。 批難の文章も定型文が多いよ。 カルトだの原理主義だの、なんとかの一つ覚え。 反論のし甲斐のある批難はないかね。 読んでてつまらんよ。
検索してみたら、やっぱり一の会の「中根」は東京にいた「中根」だよね。 善知識って呼ばせてるんだ。 どうしようもないね。お馬鹿は。
昔のレスでも掘り返すか。 >善をすすめる親鸞会。しかし、その善は信心決定のあて力にならない。 なんか、理論的に破綻しているとしか思えない。 善業があれば後生の一大事はおきませんよ。真実の善ができればね。
>322 これでもオレは、謗法罪、って精神的に攻撃されながら脱会したんだが. 少しはご縁があった人なのかな?でもみんな「逆謗」なんだよって聞いてなかった? 十方衆生がお目当てだって聞かなかったのかな?聴聞の時、眠ってたんだね、心が。
368 :
名無しさん@1周年 :01/11/19 23:22
>>367 何なのですか?あなたは。
何がしたいのですか?
私は、十分親鸞会を見てきましたがね。
先輩になって、裏側もしっかりと見てきましたよ。
パティオとかで、どんな文章が流れているか、とか、よく知ってますよ。
そして、その上で、親鸞会がただの新興宗教と思って、離れたのですよ。
周りで、精神的に病んでやめていく人を、たくさん見ましたがね。
そして、講師部員の非道も、よく知ってますよ。
単なる洗脳と人格否定を生業としてる人間をね。
真面目な人間に、定型文で、
「どこどこの誰それはすごいからもっとお前もがんばれ」
とか、
「お前は理解が浅い、目的がおろそかだ」
的なことばかり言うんでしょ。
そうやって、相手を否定することばかりしてるんだ。
私が組織をやめたときに、ある講師は、
雑修の十三失の十二番目と三番目の書かれた会報の写しを、
わざわざ手紙でとどけてくれたね。
私は怒り狂って、粉々に破いたが。
相手の心を潰すことばかりしてるんだな。
今でも。
あんたのような人間に会って、今日、はっきりと心が定まったよ。
親鸞会、つぶしてやるよ。
ほっといてもつぶれるとは思ってたけどね。
私は、私のやり方で、潰すことに尽力してやるよ。
こんな組織、あればあるだけ、害になるだけだわ。
正しくされた学問の前には、
パラノイアお気に入りの教義など、意味ないってことを、
分からせてあげるわ。
まぁがんばって、2CHの中で話題提供でもしてなさい。
私は、世間の方から、あんたらを潰しにかかるわ。
369 :
名無しさん@1周年 :01/11/20 01:15
>>368 >パティオとかで、どんな文章が流れているか
興味あんな、どうか公開してくださいな。
370 :
名無しさん@1周年 :01/11/20 10:00
>>368 彼らの教学って結局、善知識に集中するからね。
でも、高森は高台に登って下には降りて来ないから、
結局、親近なんて出来ない訳で、上の下らん御同行衆
に交わる事が本当によい事か考えちゃうよな。(笑)
聖人の御教えを伝えて、組織がつぶれるならそれも結構。 釈尊が「特留止経」と言われているんだから、この教えは永遠になくならないよ。 きっと、つぶしたいのは組織ではなく、教え自体なんだろ。自分に都合悪いから。 私怨のために法を謗る、「そのこころが地獄じゃ」って白隠なら言うのかね。 あわれ、あわれ。
>370 読めば勉強になる「教行信証講義」を教えていただいたこともあるのでよく拝読しています。 昔の本願寺の学者の書かれた「御文章講義」は高森先生のお話を深く理解するのに役立ちます。 「昔の本願寺は随分とまともだったんだなあ」と思いながらよんでいます。 >高台に登って下には降りて来ないから。 高座でされる話はたてまえだとでも思っているのか?秘密の法門でもあると思っているのかね。 「くだらん御同行衆」か。何様なんだろうね。ききぞこないが。
373 :
名無しさん@1周年 :01/11/20 14:57
つぶしたいのは「教え」じゃなくて、敢えて言えば、 信心も正しい教学もないくせに、気ばっかり大きくなっちゃって、 無茶苦茶やってる人達だな。 高森氏はいいですわ、中身がありますから。 でも、他の人は、無責任に受け売りしてるだけやんか。 自分でちゃんと、どういうことか確認したんか? 地獄地獄って、信心決定したら死後が「見える」ようにでもなると思ってんのか? 自分のする行為には、きちんと責任持てよ。 まぁここでこうやって話題提供してるくらいならいいが。 外に出て、人様に迷惑かけるんじゃねぇぞ。 あんたら、世間出たら、全く取り合ってもらえないと思うぞ。 そのうち、親鸞会は潰れる思うけど、そのとき、どうするん?
374 :
名無しさん@1周年 :01/11/20 15:06
>>372 はは。ちなみに誰の書いた御文章講義を読んでいるのですか?
皆に教えて上げてください。
それに、高台を降りれば、秘密を説くくらいにしか理解できない
だから話しが噛み合いません。
375 :
名無しさん@1周年 :01/11/20 15:22
>>373 仰しゃる通りだけど、高森氏にも責任あるんじゃないか。
結局、彼が皆をけしかけている訳だから。
376 :
名無しさん@1周年 :01/11/20 15:40
>>375 そうですね。
その通りです。
でも高森氏批判は難しいな。
あれ以上のものを兼ね備えないと、聞き入れてもらえんからなぁ。
>368 >相手の心を潰すことばかりしてるんだな。 潰された心はどんな心だった?私は潰されて良かったが、あなたに残ったのは恨みだけみたいだね。 聞き誤る人の方が多いから、恨まれるのは百も承知でやってるんだよ。 聴聞が足りなかったみたいだね。あわれな。教えをよく聞きなさい。講師がわかっていなくても先生はすべて知っておられるんだから。 >つぶしてやるよ。 批難攻撃は歓迎。疑謗もまた縁。法は犯さないようにね、こまるのはあなただから。
>373 >でも、他の人は、無責任に受け売りしてるだけやんか。 自分でちゃんと、どういうことか確認したんか? 地獄地獄って、信心決定したら死後が「見える」ようにでもなると思ってんのか? 本当にかわいそうなひとだね。あんたのまわりには信前でも自分の信仰をもっている人はいなかったんだ。 この板はそんな人の集まりみたいだね。 >あんたら、世間出たら、全く取り合ってもらえないと思うぞ。 きみは学生なのか?あいにくと私は社会に出てから随分経っているが、普通に生活しているがね。 まわりでは失業したり、家族の病気で苦しんだりしている人が多い中で比較的平穏に暮らしているが、何か問題あるのかね?
379 :
名無しさん@1周年 :01/11/20 20:58
>>377 ,378
はぁ。もういいです。
そちらでうまくいってるのでしたら、何も言いませんよ。
これ以上罵りあいはやめることにしましょう。
ただ、ここで、無意味に人を見下すような行為はやめていただけませんか?
そうやって差別をつけて喜ぶのが本願でもないでしょう。
私が何とかしてほしいのは、そうやって、
わざわざ相手に迷惑をかけていることなのですがね。
380 :
新人太郎へ :01/11/20 21:30
どうしたのか。SA氏への論争から逃げているの。 やっぱり、だめね。
381 :
名無しさん@1周年 :01/11/20 23:19
ずいぶん、あっさり。
382 :
名無しさん@1周年 :01/11/20 23:42
>378 あなたは多数派ですか? >あいにくと私は社会に出てから >随分経っているが、普通に生活しているがね。 >まわりでは失業したり、家族の病気で苦しんだりしている人が多い中で >比較的平穏に暮らしているが、何か問題あるのかね? あなたには問題がないのでしょうね。 あなたがこのような人と同じ境遇になった時はどのように思うのでしょうね。 そうなってみなければ分かりませんよね。
383 :
名無しさん@1周年 :01/11/21 01:46
話題提供<−何者、この人・・・? 10年いて親鸞会で信心決定したひとは周りにいなかったがなにか? 永遠に幻みたいなモノを追い求めてるのは哀れだね。
384 :
ex飼い員 :01/11/21 08:03
>話題提供
>>371 >釈尊が「特留止経」と言われているんだから、この教えは永遠になくならないよ。
釈尊の教えと高森氏の教えは同じものだと証明できますか?
弥陀の本願まこと、がハッキリしてないあなたには何一つわからないでしょう?
あなたは闇の中ですよ。絶対悪ですよ。地獄行きですよ。
悪を恐れる心はありますか?悪口を恐れる心はありますか?
>379 >無意味に人を見下すような行為はやめていただけませんか。 私のような「くだらない同行」にあわれ、といわれるとプライドが傷つきますか? お釈迦様が話されても同じでしょうね。 >382 >あなたがこのような人と同じ境遇になった時はどのように思うのでしょうね。 阿弥陀仏を恨みましたが、先生が「十方衆生が相手のお約束」と繰り返し言っておられたのを思い出してまた聞法を始めました。 >383 >10年いて親鸞会で信心決定したひとは周りにいなかったが。 親鸞聖人と先生以外のだれが決定信を獲ていればあなたは安心して聞法できるのですか? あなたが安心できない原因は人数の足りないことではありませんよ。 >384 >釈尊の教えと高森氏の教えは同じものだと証明できますか? 弥陀の本願まこと、がハッキリしてないあなたには何一つわからないでしょう? 信前には何も知らされることは無い、ということでしょうか? 何も知らされることが無ければこの道は進めませんよ。 この板の人達が会で知らされたのは仏教の言葉だけみたいだね。 >あなたは闇の中ですよ。絶対悪ですよ。地獄行きですよ。 悪を恐れる心はありますか?悪口を恐れる心はありますか? そう言われても恐れる心はありません。私は無宿善なのでしょう。そのことを知らされて よかった、と思います。うぬぼれたままいいかげんな聴聞を続けていくところでしたから。
386 :
名無しさん@1周年 :01/11/21 15:46
>385 >私のような「くだらない同行」にあわれ、といわれるとプライドが傷つきますか? >お釈迦様が話されても同じでしょうね。 多分、同じだと思うんですが、なんか、典型的とんがった親鸞会会 員さんがまたぞろ出てきて、ちょっと苦笑しているだけでしょう。 こういう人があとどれくらい居るんでしょうね。 なんか、お釈迦様や高森先生を持ち出さなきゃ威勢を晴れない人た ちだもん。少しかわいそうですよ。もう少し自分の言葉で話してみ たらどうでしょう。高森先生の呪縛から解放されると気持ちが良い ですよ。
387 :
名無しさん@1周年 :01/11/21 16:45
>>385 >>379
>>無意味に人を見下すような行為はやめていただけませんか。
>私のような「くだらない同行」にあわれ、といわれるとプライドが傷つきますか?
>お釈迦様が話されても同じでしょうね。
一応自分で答えとくか。
ほんと言うとですね、全然プライドは傷つかないですよ。
私はね、378の発言で、あなたの信仰の程度が見抜けてしまったからですよ。
どうも心に、本願の灯りが全くないように見えます。(笑)
>387 >あなたの信仰の程度が見抜けてしまったからですよ。 自分の信仰の程度も見抜けるようになるといいですね。
>386 > お釈迦様や高森先生を持ち出さなきゃ威勢を晴れない人た ちだもん Yahooの歎異抄のトピなんかでも経典の御文が嫌いなひかり教が活躍 していましたね。そういうのが好きなのかな? 私は経典の御文はよくお話しますが、先生を持ち出すことは ありませんね。 経典が嫌いなら自分で教祖になられたらよろしかろうに。 「正しくされた学問」なんて気張る必要ないですよ。 御自由に。
390 :
名無しさん@1周年 :01/11/21 17:35
老婆心ながら。何を学問の足しにするのもご自由ですが、渡海難のようなキャラにはならないことをお勧めします。
>368 これ、本願の灯りがみえた人?呪いの言葉の羅列にしか みえませんね、私には。 勉強させてもらいます。
392 :
名無しさん@1周年 :01/11/21 23:39
>385 >あなたがこのような人と同じ境遇になった時はどのように思うのでしょうね。 >阿弥陀仏を恨みましたが、先生が「十方衆生が相手のお約束」 >と繰り返し言っておられたのを思い出してまた聞法を始めました。 前のあなたの文章からは、何も問題のない順風満帆な生活をし続けているように お見受けしたのですが、そうではなかったのですか? また聞法を始めました。とはどういうことなのですか? 同じような境遇になったことがあるというのですか?
393 :
名無しさん@1周年 :01/11/21 23:46
>389 >391 はは、あまりのなんていうかピントのはずれていすぎて話しできません。 ネットサーフィン最近始めましたか?そんなスタイル今はやりませんよ。 親鸞会の看板しょってるんでしょうから、気をつけて発言された方が 良いですよ。
394 :
一市民=368 :01/11/22 00:16
固定ハンドル名を使わないと、発言に無責任になってってしまいますね。
これからはこのハンドル名にします。
>>391 そうですね。思ったことそのまま書きましたからね。
もうちょっと考えるべきでした。
反省してます。
魚屋と喧嘩したら、魚臭くなる、という話がありましたっけ?
呪いあうだけのような悪縁には、決して近づくべきではありませんでした。
嫌な気分になるばかりでしたね。
今回は、自分の愚かさを呪った次第です。
別に法論でも議論でもない書き込みが続いているように思います。
本当に、ここいらでやめることにしましょう。
これは皆のためというより、自制のために書き込んでいます。
一応宣言しておきますが、私は、
このことに関しては、二度と発言しないことにしました。
395 :
名無しさん@1周年 :01/11/22 00:23
>>394 呪いあうだけのような悪縁には、決して近づくべきではありませんでした。
何これ?(w
負け犬の遠吠えか?
>392 > 前のあなたの文章からは、何も問題のない順風満帆な生活をし続けているようにお見受けしたのですが 順風満帆な求道ってどんなんでしょうか?考えてしまいますね。 >393 >親鸞会の看板しょってるんでしょうから、気をつけて発言された方が 良いですよ。 誰が親鸞会代表なんて言った?後生はひとりひとりのしのぎ。 一個人として思ったことを言っただけですよ。 あなたがたとしては会を攻撃するしかないからね、そう思うのはしかたないね。 「組織」をカルトとして攻撃するしか、けなしようがない。ワンパターン。
397 :
名無しさん@1周年 :01/11/22 17:02
>>396 いっとくけど、このパート1からいろんな会員さんが出てきては消えてるのを
見てるけど、あんたは最低レベルだよ。
それだけは自覚して置きなさい。
>あんたは最低レベルだよ。 「最低ですか?最低ですか?最低ですー」 これであんたも教祖さま。 こんな返事でよろしいですか、教祖さま。
399 :
名無しさん@1周年 :01/11/22 22:02
>>396 >誰が親鸞会代表なんて言った?後生はひとりひとりのしのぎ。
>一個人として思ったことを言っただけですよ。
>あなたがたとしては会を攻撃するしかないからね、そう思うのはしかたないね。
>「組織」をカルトとして攻撃するしか、けなしようがない。ワンパターン。
>>398 >「最低ですか?最低ですか?最低ですー」
>これであんたも教祖さま。
>こんな返事でよろしいですか、教祖さま。
カルトとか、教祖とか、話しの飛び方がもう逝ってるね。
これでは渡海難氏が可愛く思えるよ。全く妄想の類いだよ。
ハッキリ言うが、そうやって、親鸞会に泥を塗るような
行為の方がよっぽど、法誹罪だと思うよ。気をつけろよ。
400 :
けっこう仮面 :01/11/22 22:42
しばらく見ないうちに何だか荒れ気味ですね。皆様、そんなに喧嘩腰で相手を 罵ったりせず、お互いの仏教観なんかをもっと展開したほうが良いと思いますが。 他人に言う前に自分が展開しろと言われそうだが、何分、研鑚が足りない未熟 者故、皆様の議論で勉強させていただきたいです。もっとも明日から華光会の 方で年間一番大きな行事である華光大会がありますもので(遠隔地故、とまり がけです。)暫く、拝見できませんが。・・・・ とまれ期待してます。
401 :
名無しさん@1周年 :01/11/23 00:01
>396 >>前のあなたの文章からは、何も問題のない順風満帆な生活をし続けて >順風満帆な求道ってどんなんでしょうか?考えてしまいますね。 順風満帆な求道とは申しておりません。 >あいにくと私は社会に出てから随分経っているが、普通に生活しているがね。 >まわりでは失業したり、家族の病気で苦しんだりしている人が多い中で >平穏に暮らしているが、何か問題あるのかね?. このように申されていたので、生活自体のことをいったのです。 求道が順風満帆だとは言っておりませんが。 しかし、生活に支障をきたせば、求道にも支障をきたすものでは ないのですか? >阿弥陀仏を恨みましたが、先生が「十方衆生が相手のお約束」 >と繰り返し言っておられたのを思い出してまた聞法を始めました。 これはどういう意味でしょうか?少し具体的に教えて頂けないでしょうか? あなたも不幸な境遇の経験がおありとのことでしょうか? それなら、こちらも考えを改めねばならないかもしれません。
402 :
名無しさん@1周年 :01/11/23 00:18
403 :
名無しさん@1周年 :01/11/23 01:12
>>385 自分で「無宿善」などというレベル。
無宿善、力及ばず。
程度低すぎ。相手にするだけ時間のムダ。
S会にももうちょっとマシな求道者がいるかと思っていたが。
>399 >そうやって、親鸞会に泥を塗るような 行為の方がよっぽど、法誹罪だと思うよ。 ほんとだね。こんなところに書き込みしてる自分を反省するよ。 >401 >あなたも不幸な境遇の経験がおありとのことでしょうか? この世に不幸のない人などないでしょう。ただ私はそれを親や他人のせいにしたくないだけです。 具体的に「会をやめた」とかの由を求めておられるのなら、ご想像におまかせします。 五逆と謗法の者ですのでいろんな悪さをあります。 >403 >自分で「無宿善」などというレベル。 そう。おそろしく無宿善だ。諸仏も逃げるはず。 まわりは「マシ」なひとばかりだよ。
405 :
名無しさん@1周年 :01/11/23 23:43
>>404 >>あなたも不幸な境遇の経験がおありとのことでしょうか?
>この世に不幸のない人などないでしょう。
「まわりでは失業したり、家族の病気で苦しんだりしている人が多い中で
平穏に暮らしているが、何か問題あるのかね? 」
このような不幸な目にあったことがない方なのかと思ってしまったのです。
不幸のないひとはいませんよね。
>ただ私はそれを親や他人のせいにしたくないだけです。
そのようにはなりたくないですね。
原因の一要素にはなりえるかもしれませんが、仏法精神には反するのです
よね。中々あなたのような心にはならない私たちですが。
>具体的に「会をやめた」とかの由を求めておられるのなら、ご想像におまかせします。
>五逆と謗法の者ですのでいろんな悪さをあります。
そうですね。人にはそれぞれ事情がありますからね。これ以上の詮索は
しないつもりです。
ゲームなんかで先手が有利な場合と不利な場合があるけど 議論は熱くなったほうが負け まず熱くなってるやつを見つけたら、 ちょっと冷めた感じで見下したように皮肉をちょっと加えて常識人ぶって話せば 熱くなった方はやればやるほど泥沼にはまっていく・・・ まあ聞き流しといて
407 :
名無しさん@1周年 :01/11/25 12:47
>>404 >そう。おそろしく無宿善だ。諸仏も逃げるはず。
>まわりは「マシ」なひとばかりだよ。
卑下慢だ。
自分はこんなに素直に聞いているのにまわりはどうだと、他人を踏み付けに
している。
「無宿善」という言葉を振り回すのが二種深信と思ったら大間違いだ。
408 :
そうそう :01/11/25 14:36
そんなこと公表する時点でoutだよ。
409 :
話題提供さんへ :01/11/25 23:32
S会の人間のひとりからみても少し眉をひそめてしまいます。 >誰が親鸞会代表なんて言った?後生はひとりひとりのしのぎ。 あなたにそのつもりがなくても、人はあなたの発言を会の意見ととらえてしまうものです。そのことを意識するのが配慮というものではないでしょうか。
>S会の人間のひとりからみても少し眉をひそめてしまいます。 >「無宿善」という言葉を振り回すのが二種深信と思ったら大間違いだ。 どこが間違いかちゃんと指摘してごらん。ワンワンほえててもしかたないだろう。
411 :
名無しさん@1周年 :01/11/26 13:54
>>410 受け心のない人に何をいっても、「ワンワンほえてる」としか受け取れないかも
しれないが…
今晩死んで後生へと旅立たねばならぬとしたら、どうです?
「自分は無宿善で助からない。助からないものをお助けの阿弥陀様。
ありがたやありがたや」と呑気なことをいっていられますか?
後生は一大事ですぞ。
そういわれても耳慣れ雀でもう驚かなくなりましたか?
>「自分は無宿善で助からない。助からないものをお助けの阿弥陀様。 ありがたやありがたや」と呑気なことをいっていられますか? きっとあなたのまわりにはこんなひとしかいないんだね。 「無宿善」と知らされて「いかなる善根功徳をも修し、いかなる菩提をも願う」ようになるんだよ。 「無宿善だから助からない」なんて呑気にしてるやつの相手してるなんて、ヒマなやつだなあ。 自分が耳なれ雀じゃないとでも思っているのか?
413 :
名無しさん@1周年 :01/11/26 21:33
>>412 もう一度聞きましょう。
今晩死んで後生へと旅立たねばならぬとして、「いかなる善根功徳をも修し、
いかなる菩提をも願う」ですか?
それも呑気ですね。
今晩死ぬというときに「耳慣れ雀」で通りますか?
あなた自身の後生はどうです?
>今晩死んで後生へと旅立たねばならぬとして、「いかなる善根功徳をも修し、 いかなる菩提をも願う」ですか?それも呑気ですね。 今晩死ぬというときに「耳慣れ雀」で通りますか? あなた自身の後生はどうです? 私の後生を心配してくださってありがとうございます。 残念ながら、本当に自分で「宿善薄い人間」と思うのです。 先生の必死のお叫びを聞きながら「善根を求めよう」なんて呑気自体が地獄行きの 大罪ですね。昨日も申し訳のない思いをいだきながら聴聞していました。 25日の一日一訓「この世でもっとも不幸な人は感謝の心のない人である」という お言葉は「ご恩を無にするおまえの行き先はどこだ?」とこころに突き刺さります。 また「かりとらねばならぬ一切のものは自分のまいたものばかり」も「覚悟はできて いるか」と未来の果から目をそらせようとする自分を突き刺します。 それでも、真実の針で刺されてもてもこの心は動きません。飲みたい食いたい 楽がしたいでしか動かぬ心に仏法を聞かせるには善根を求めるしかないのです。 殊勝な顔で聴聞もしています、仏法をお話もいたします。しかし心で悪を造る業 を見れば微善を積む間に造る大罪に言葉を失ってしまいます。 耳慣れ雀の後生は暗闇です。 南無阿弥陀仏
415 :
名無しさん@1周年 :01/11/26 23:39
本当に社会人部員の方なのだろうか? こういうタイプの会社勤めの人は少ないような気がするのですが。
まったく珍乱怪の連中は解ってもしないくせ知った風な口を聞きやがる。 そんなにわかってるんだったらはやく信心決定してみろよ!
417 :
名無しさん@1周年 :01/11/27 00:41
416さんはどこの人なのですか?
そんな事より話題提供よ、ちょいと聞いてくれよ。スレとあんま関係ないけどさ。
昨日、近所のご法話行ったんです。ご法話。
そしたらなんか人がめちゃくちゃいっぱいで座れないんです。
で、よく見たらなんか「垂れ幕下がってて、「親鸞会と本願寺どちらがウソか」とか書いてあるんです。
もうね、アホかと。馬鹿かと。
お前らな、後生の一大事如きで普段来てないご法話に来てんじゃねーよ、ボケが。
後生の一大事だよ、後生の一大事。
なんか親子連れとかもいるし。一家4人でご法話か。おめでてーな。
よーしパパ今日こそ新人欠場しちゃうぞー、とか言ってるの。もう見てらんない。
お前らな、リポビタンDやるからその席空けろと。
ご法話ってのはな、もっと殺伐としてるべきなんだよ。
隣に座った同行の奴といつ喧嘩が始まってもおかしくない、
刺すか刺されるか、そんな雰囲気がいいんじゃねーか。女子供は、すっこんでろ。
で、やっと座れたかと思ったら、隣の奴が、「本当に自分で「宿善薄い人間」と思うのです」、とか言ってるんです。
そこでまたぶち切れですよ。
あのな、「本当に自分で「宿善薄い人間」と思うのです」なんてきょうび流行んねーんだよ。ボケが。
得意げな顔して何が、「本当に自分で「宿善薄い人間」と思うのです」、だ。
お前は本当に「本当に自分で「宿善薄い人間」と思うのです」をと思ってるのかと問いたい。問い詰めたい。小1時間問い詰めたい。
お前、「本当に自分で「宿善薄い人間」と思うのです」って言いたいだけちゃうんかと。
ご法話通の俺から言わせてもらえば今、ご法話通の間での最新流行はやっぱり、
秘事法門、これだね。
一念覚知秘事法門善知識だのみ。これが通の頼み方。
秘事法門ってのは善鸞が多めに入ってる。そん代わり親鸞が少なめ。これ。
で、それに一念覚知善知識だのみ。これ最強。
しかしこれを頼むと次から専任講師にマークされるという危険も伴う、諸刃の剣。
素人にはお薦め出来ない。
まあお前らド素人は、本願寺座り込みでもやってなさいってこった。
http://8931.com/yosinoya.php3
>415、416、417、418 まあ、人の批判は結構だが、あなたたちの後生の覚悟はどうかね。 私は聞かれたから話したのだ。 自分の信仰があるのなら話してもらおう。 愚痴や繰り言ではしかたがないが、「物をいわないものは無宿善だ」と蓮如上人は仰っていますよ。 それとも418の書き込みが自分の信仰なのかな?
420 :
ex飼い員 :01/11/27 14:15
>話題提供 私の信仰は南無阿弥陀仏。以上。 親鸞会にもあなたにも言うことはないよ。 法論する気もさらさらないよ。マターリだよ。
421 :
名無しさん@1周年 :01/11/27 23:11
>>414 願はくは深く無常を念じて、いたづらに後悔をのこすことなかれ。
422 :
名無しさん@1周年 :01/11/28 00:19
>>419 コピペにマジレス、カコワルイ(・∀・)
424 :
名無しさん@1周年 :01/11/28 01:49
425 :
話題提供氏へ :01/11/28 02:10
>>419 朝、出勤前の書き込みお疲れ。圧倒的に有利な論争をしてるのに、なぜ相手の挑発にのって、乱暴な発言を続けるの?討論会出なかった?冷静に、カッとならず、カッと見せず。あんたは勝ってるよ。
426 :
話題提供氏へ :01/11/28 02:22
続き。ここのホストを含めてやめた人間は、教えに結構筋が通ってるもんだから、結局、自信なくて、徹底的に間違いだという確証がほしいんだよ。一生背負ってく、トラウマになってんだな。だから、見込みないとおもったら、すっぱり書き込みをやめな。会もあんたも、傷つくよ。
427 :
昔々の会員 :01/11/28 22:22
まあまあ、話題提供氏をはじめ久々に元気のいい現役さんが登場してくれたようです のでもう少しいいじゃないですか。私も会員だったことがありますが、別にトラウマ なんかは無いですが。確かに教えに結構筋が通っているところはありますが、その部分 は、真宗の伝統教学に則った部分であったり、高森師が、伊藤師や大沼師等に学んだと 思われるところですよね。また、カルトとか原理主義とかいったワンパターンな批判が 多いとのことですが、過去レスや関係スレ、他の掲示板(ジャンヌ等)をみていただけ ればお判りのように教義的な部分での疑問や批判も多いですよ。また、親鸞会の場合、 組織のあり方と教義的な問題とが密接に結びついていると思われるところや、どこまで が、高森師自身の指導でどこまでが周囲の幹部や、講師陣の考えを反映しているのか不明 の部分が多いように思います。
428 :
昔々の会員 :01/11/28 22:47
自らの信仰を表明せよとの仰せでしたから、先ずその点ですが、七高僧 、親鸞聖人の教えられた御信心とは、阿弥陀様の御本願の生起本末を聞かせ ていたいたこと。即ち、願も行もない最低最下の極重悪人のこの私ひとり がお目当ての発願回向の願行具足のお六字をいただいたことです。それは 私にとって新たなる人生のスタートを切らせていただいたといえます。 親鸞会で親鸞聖人の御教えについて教えていただいたことは、大変ありがたい きっかけの御縁ではありましたが、阿弥陀様の願行は、いかなる組織(親鸞会 含む)に属していようとも、いかなる組織とも無縁であっても関係なく一切の 衆生に及んでいます。従って親鸞会がかって私が指導を受けたごとく、今も 高森師が唯一の善知識で、親鸞会を離れたり、まして批判したりすると御信心 がいただけないと今も指導されているなら、その部分は、徹底的に間違いだと 確信しています。また、他にも同会については疑問があり大分前に馬鹿氏に質問 したところですが、今に至るまで回答いただけません。つきましては、話題提供 氏でも何方でも、親鸞会を代表しても個人の立場でも回答して下さるよう期待して います。
429 :
昔々の会員 :01/11/28 23:23
訂正 上 二行目から 聞かせていたいたこと→聞かせていただいたこと 質問1 高森師は、18から20代のころ、華光会創始者の伊藤康善師に師事され、その主著「仏敵」 を読んで獲信されたといわれ「仏敵」を同行さん方に随分勧めておられた ようです。また、華光会から著書も出していたようですが、伊藤師は善知識ではないのですか ? 私が親鸞会で聞かせていただいた善知識論によれば正しく善知識でないというのであれば その理由や如何? 質問2 親鸞聖人や蓮如上人が、信前信後のお同行、とくに未信の方に諸善万行を勧められた根拠は ありますか? こういうと勧められなかった根拠はあるかといわれるかもしれませんが、それ は勿論ありません。ない根拠がないからといってあることにはならないのは自明のことですよね。 なかでも破邪顕正を未信の方にも信後の方にも強く勧められているようですが、破邪顕正の語は 、嘉祥大師の「三論玄義」に由来し、聖道門の難行ですよね。また、経ではなく、論釈に由来して います。まあ、同義は「大乗涅槃経」の所謂、仏法中怨であるというかもしれませんが、これも聖 道自力の修行者を対告衆としておられます。どうして我々のような泥凡夫には実践困難な(不可能 ?)なこうした難行を勧められるのでしょうか? 他にもいくつかありますがとりあえずこの二問への回答を鶴首してお待ちします。」
430 :
昔々の会員 :01/11/28 23:27
訂正 質問1中 親鸞会で聞かせていただいた善知識論によれば正しく善知識・・・・の後 だと思われますが・・・が抜けてました。 度々の間違いスマソ。
>高森師が唯一の善知識で. 広い意味では「仏法を聞く因縁となるひとはみな善知識である」と会の出版物には 書いてありますし、「会員はみな善知識にならねばならない」とはよくいわれていることです。 ただ「私の善知識」ということになると、あのひともこのひともというわけにはいかない のは当たり前ではないですか?命をあずけているんですから。 ほかに真実を説くひとがおられて、その方があなたの善知識ならそれでもいいのでしょう。 本当に真実ならね。 質問1の答え 先生は「私の善知識は親鸞聖人です」といわれます。親鸞聖人のお言葉によって信の一念に導かれた のであって、伊藤師によってではない、ということです。途中まで導かれたかたであって 広い意味での善知識でも「私の善知識」ではないということでしょう。 広い意味でなら私も本願寺が善知識ということになりますが、そんなこと気持ち悪くて いう気になりません。 質問2の答え 「浄土を願うものがやるべき正しい行」って知ってますか? 信前信後を問わず、阿弥陀仏を信じる者がせねばならないのが五正行です。 体は定善と散善、つまり諸善。余念を交えれば雑行、自力をくわえれば雑修と嫌われ 捨てよ、といわれますが、「自力のくさみをすてて正行をせよ」ということ。 破邪顕正は讃嘆正行です。 >親鸞聖人や蓮如上人が、信前信後のお同行、とくに未信の方に諸善万行を勧められた根拠は ありますか? こういうと勧められなかった根拠はあるかといわれるかもしれませんが。 五正行はするのが当たり前なのです。だからこういうふうな問答になります。 こんどは「五正行をすすめられた根拠をあげよ」になりますか? また、あなたがたの反応を見てお答えしたいと思います。 (最低の会員のお答え)
432 :
名無しさん@1周年 :01/11/29 23:35
>先生は「私の善知識は親鸞聖人です」といわれます。親鸞聖人のお言葉によって信の一念に導かれた のであって、伊藤師によってではない、ということです。途中まで導かれたかたであって 広い意味での善知識でも「私の善知識」ではないということでしょう。 伊藤師の事は、直接高森さんの口から聞いたのですか? もしそうでなければ、話題提供さんの「想像」或いは「思いこみ」ということになります。 高森さんが、あれほど伊藤師や華光会と深いご縁がありながら、そのことに触れないのを不審に思ったことはないのですか?
433 :
昔々の会員 :01/11/30 00:20
早速の回答ありがとうございました。しかし、残念ながら若干の疑問点が残ります。 先ず、この回答は話題提供氏個人の見解と考えてよろしいのでしょうか? そうであ りますなら、仏法を聞く因縁になる人は皆、善知識様なのですから「私の善知識」とい われますのは、すぐれてあなた自身の主観に属するものですね。それなら親鸞会や高森 師について他人がどのような考えを持とうとも気になさることはないですね。私は、親 鸞会の方からあたかも善知識というものが客観的に存在して、現今、唯一の実在が高森 師であるとの指導を受けました。現在の私の仏教信仰から言えば、それは徹底的に間違い だと思います。真実というのは法であって人ではありませんから。親鸞会に排他独善の傾向 が今もあると思う人がいるからこいうスレが立つのだと思います。それが認識違いで、他と 共存姿勢をとっているというのであれば、それはまことによいことです。 以下、回答のついての疑問を書かせていただきます。もしまた宜しければ、御回答をお願い します。 追伸 私が善知識様や阿弥陀様に命をあずけているのではなく、かたじけなくも 最低の私に阿弥陀様が命をあずけて下さっています。 南無阿弥陀仏
434 :
昔々の会員 :01/11/30 00:44
質問1の回答について 「私の善知識」という意味が、うえで私が想像したようにすぐれて主観的な 意味合いのものなら、あなたがも私も高森師の内面的な領域に踏み込むこと はできないと思いますが、あなたは、まるで高森師を代弁するような書き方 をされていますね。私が問いましたのは、高森師が学生時代に伊藤師と出会 い「仏敵」という伊藤師の著書を読んで獲信されたと言われている客観的な 状況についてです。その事実を現在の高森師は否定されているのかどうか。 否定されているのであれば、その後10年ほど伊藤師の下で活動され、多く のお同行を教化されたこと(実際は、昭和30年代なかばまで華光会との交流 は続いていたようだ。親鸞会の前身の徹信会の会報は華光会にも毎号送られて おり華光会の当時の機関誌にも徹信会のことが一地方支部のように紹介されていた とのこと)について高森師は、どうしてきちんと大衆の面前で総括されないのか? もし間違いを説いておれば如来聖人の御前で腹を切るなどと仰せの先生に似合わぬ 姿態ではないかと思いますが如何?
なんか言うことが変わってたりするぞ。 ご都合主義か?
>会員
437 :
昔々の会員 :01/11/30 01:24
五正行はするのが当たり前ですか? 私のような最低最悪無願無行の泥 凡夫には、及びもつかないことですが。そんな私のため阿弥陀様は五正行 中の正定の業である南無阿弥陀仏のお念仏の法体大行として成就して下さ り御回向してくださりました。高森師は著書を読む限り、空華の法体大行 説の立場かと思っておりましたが、違ってましたか? また、ナーガールジュナ、デーヴァ、吉蔵法師の説かれる無所得、言忘慮絶を宗旨 とする破邪顕正や、有戒の比丘に対する「大般涅槃経」に説かれる仏法中 怨の御文を古今楷定の讃嘆正行とする根拠は何か? 聖道門の諸行と浄土 の行がごっちゃになってないでしょうか?
438 :
昔々の会員 :01/11/30 01:28
うえは質問2についてです。失礼
439 :
昔々の会員 :01/11/30 01:31
御都合主義失礼しました。言うことが変ったところがあれば新たな 質問ということで御容赦を。お暇なときで結構ですから回答よろしく お願いします。
440 :
ちゃねらー :01/11/30 22:38
>高森さんが、あれほど伊藤師や華光会と深いご縁がありながら、 >そのことに触れないのを不審に思ったことはないのですか? なぜ高森先生はご自身の求道に関してふれられないのでしょうか? そもそも華光会と袂を分かれられたのはなぜ? どなたか事情を知っておられる方、教えてくれませんか? ちなみに会員の人、気になってる人もいると思うんですけど、そのことについてどう思ってます?
>434 >私が問いましたのは、高森師が学生時代に伊藤師と出会い「仏敵」という伊藤師の著書を読んで獲信されたと言われている客観的な 状況についてです。 なまぐさい話ですね。 信前信後のなまなましい体験はいつも三願転入で聞かせていただいています。 ほんとかうそか知りませんし、興味もありません。聖人の御教えとは関係ないので。 真実が説かれている団体ならお互いに協力できるかもしれません。でも「これが獲信か?」程度ではね。 何もしらない新入会員ならそんな話題でだませるかもしれないね。 >五正行はするのが当たり前ですか? 私のような最低最悪無願無行の泥 凡夫には、及びもつかないことですが。そんな私のため阿弥陀様は五正行 中の正定の業である南無阿弥陀仏のお念仏の法体大行として成就して下さ り御回向してくださりました。 それはよかったですね。どうしたらそういう身になれるのか、三願転入の御文をとおして 解説してください。 そして諸善と五正行と称名念仏の関係についてお話していただければありがたいです。 聖人の御教えでないのなら聞きたくはありませんね。 あなたは念仏も称えないのかね?念仏をそまつにしてはいけませんよ。 >また、ナーガールジュナ、デーヴァ、吉蔵法師の説かれる無所得、言忘慮絶を宗旨 とする破邪顕正や、有戒の比丘に対する「大般涅槃経」に説かれる仏法中怨の御文を古今楷定の讃嘆正行とする根拠は何か? なんか聞きぞこなってますね。真宗では報謝行として、阿弥陀仏を讃嘆して法話におさそいする のが正行でしょう。それが結果として破邪顕正になっているということです。 また「真の仏弟子」であれば「わがよき真仏弟子なり」という御文にしたがうべきではありませんか? 「そうではない」といわれるのなら根拠をあげてください。 どこが聖道のおしえとごっちゃになっているんですか? 浄土門は「聖道門とおなじことを絶対にしてはいけない」といわれるなら聞法もできませんね。
442 :
けっこう仮面 :01/11/30 23:00
「これが獲信か?」はやっぱり華光会のことだったんですか? 何故名指しではないのですか?
443 :
つまらんの〜 :01/11/30 23:49
話題提供様へ >なまぐさい話ですね。 >信前信後のなまなましい体験はいつも三願転入で聞かせていただいていま >す。ほんとかうそか知りませんし、興味もありません。聖人の御教えとは関>係ないので。 結局、あんた詳細知らんのやろ?興味ないなんてきれいごといいなんさんな。そんなら世の中こんなにワイドショーがオンパレードになるか?宿善の厚い求道者ならいざしらず。わしはどろどろのくそ凡夫やから気になるがね。 あんた、どっかで聞いたそのまんま(一字一句たがわず?)しかいわんし。 せめて、自分の言葉でお話してみぃ 感情むきだしでもいいからさ。 でも、どうしてそんなに唯一絶対の善知識にこだわるの? ほかに真実説かれててもおかしくないし、それが祖師聖人の「親鸞は弟子一人も持たず候」のお気持ちではと思うんですけどね。 2ちゃんねるで袖振りあう御同房、御同行のみなみなさまへ
444 :
昔々の会員 :01/12/01 00:21
またまた早速の御返事ありがとうございます。伊藤師や華光会と高森師との関係につき ましては、興味がないのなら仕方がないですね。ただ私は、こうした点に、親鸞会の カルト性を感じてしまいます。他師や他団体を批判されるときには、せめて直接話 を聞くなり著書を読むぐらいはされたほうがよいですよ。親鸞会を同様の手法で批判さ れてもいやでしょう。興味がない知らないことは、批判をしないというのは一般常識だ 思います。 >それはよかったですね。どうしたらそういう身になれるか三願転入の御文をとおして 解説してください。 阿弥陀様の御本願の生起本末を聞かせていただく。これ一つだとはお聞きになっており ませんか? なぜ、三願転入の御文をとおした解説がいるのですか? 諸善と五正行と称名念仏の関係について・・・・・・・・・ 諸善は聖浄二門、正雑二行を通じた仏様のお悟りに導く諸々の善ですね。そのうち五正行 は浄土往生の正しい行です。善導大師の釈では、称名念仏がその中の正定業ということで す。親鸞聖人は「本願名号正定業」と願行具足の法体成就の御名号こそ他力の大行であり 正定業だと釈されていますよね。 >あなたは念仏も称えないのかね?念仏をそまつにしてはいけませんよ。 仰るとうりです。それなのにいつも懈怠にかまけてお念仏様を疎かにしています。 ましてや、凡夫の為には廃された定散二善を体とする五正行を行ずることのできる 機ではありません。ところで親鸞会の会場では、なぜ称名が少ないよう(私のいたころ )に思ったのですが現在はどうですか? それと高森師は法体大行説ではないのかという私の質問の返答お願いします。 それから聖道門の三論の宗旨である破邪顕正を讃嘆正行だというのは、何を根拠と しているのですか? あなたが経典によらないかたを教祖呼ばわりされていましたので 経釈によりお願いします。
445 :
昔々の会員 :01/12/01 00:37
続き >また「真の仏弟子」であれば「わがよき真仏弟子なり」の御文にしたがうべきではありませんか? 御文の対告衆である菩薩方であればそうかもしれません。私は「涅槃経」で説かれる断善根の イッチャンティカそのものですから、とてもそうした行はできませんしその心もありません。 だからこそ阿弥陀様の御本願の正客なのです。 >浄土門は「聖道門と同じことを絶対してはいけない」といわれるなら・・・・・ そんなことは一言もいっておりません。聖道門の行を以って浄土の行だといわれる 根拠をお聞きしているだけですよ。 また、お暇な時で結構ですから返答お待ちしてます。
>440 たとえ善知識においても信前にされたことを、私達がまねするのは求道のさまたげに なることがあります。 親鸞聖人が信前に聖道の修行をされたからといって、私達が聖道門につかえてはならないことはわかるでしょう。 先生がもしその団体と以前なにかの縁があったとしても、教えが違えば縁を持たないほうが よいのではないですか。もし先生がそういう話をされれば教えをよく理解していないひとは、迷って行くひとが必ず出るでしょう。 話されなくても迷っていくひとがいるのですから。 全部仮定の話です。私にとっては、他の団体はそういう意味では、どうでもいいことなのです。 「気になる」というひとはその団体の話を聞けば獲信のてがかりが獲られると思っているか、「誰が獲信しているか」が気になるんでしょうね。 「人の上に信を立てない」ということが判っていないのですから、自分の信仰の浅いことを反省していただきたいと思います。 ヤフーで華光会のひとと話したけど、少なくともそのひとの信じていることは聖人の御おしえではなかったですね。 団体を批判するときは、その団体の教えを詳しく検証しないといけないのでたいへんです。そんなことしている間に他のご縁のあるひとに お話したほうがいいと思います。(少なくとも今は。) 団体名をあげない攻撃のしかたはよくない、なんてよけいなお世話ですよ。 >443 >わしはどろどろのくそ凡夫やから気になるがね。 わしもどろどろだが、気にならんがね。ワイドショーの話題なんて他人に強制するなよ。
447 :
話題提供へ :01/12/01 12:56
おいおい、君はまるで新人太郎だね。勧誘時や育成時に言っていることととの矛盾に気がつかないのかな。 真実を伝える教えは、親鸞会の独占ではありません。ほかにも立派な立派な団体はあります。むしろ、今生で、獲信したければ、ほかにいってください、と正直にいっているのかい。 やっていることと
>444 >他師や他団体を批判されるときには、せめて直接話を聞くなり著書を読むぐらいはされたほうがよいですよ。 華光会の批判ってどこかにありましたっけ? >阿弥陀様の御本願の生起本末を聞かせていただく。これ一つだとはお聞きになっており ませんか? 「聞」は「信」ですよね。信前の者のありかたについてお聞きしております。 あなたのいわれるのは「聴聞」だけだ、ということですか? >それと高森師は法体大行説ではないのかという私の質問の返答お願いします。 これはなんですか。私はよくわかりませんが。 >凡夫の為には廃された定散二善を体とする五正行を行ずることのできる機ではありません。 法然上人は「諸行は廃のために説く」と言われて観経を廃立でみられました。 それに対して聖人は「観経に顕彰隠密あり」といわれて観経を隠顕でみていられます。 定散ニ善は十八願にいたる方便、という見方ですね。 あなたはどちらの見方をしているんですか? >それから聖道門の三論の宗旨である破邪顕正を讃嘆正行だというのは、何を根拠と しているのですか? 正行というのは「阿弥陀仏一仏に向かってする善」で諸善萬行をおさめいれるんですよ。 「破邪顕正は諸善のひとつ」ですから、阿弥陀仏一仏に向かってすれば正行になります。 正行ということを少し勉強されたほうがよろしいかと思いますが。
449 :
昔々の会員 :01/12/01 19:15
いつもながら早々の御回答ありがとうございます。しかしながら、今回のあなたの回答 にも若干の疑問がありますので宜しくお願いします。 >華光会の批判ってどこかにありましたっけ? 「真実が説かれて団体ならお互いに協力できるかもしれません。でも「これが獲信か?」 程度ではね?」 これはてっきり華光会は真実が説かれていないという批判かと思い ましたが違いましたか? もし違っていれば失礼しました。 >あなたのいわれるのは「聴聞」だけだということですか? そうです。
450 :
昔々の会員 :01/12/01 19:27
>これはなんですか。私はよくわかりませんが。 空華の法体大行説というのは、行信論の大行論として立論されたもので、願成就 の御名号は、法体直爾の大行であり、如来の覚証よりいえば因果不二だが、差別 の衆生よりいえば衆生往生の因行であるという説です。高森師の著書を読むと徳 に称名系を批判されるときは、この立場に近いように思います(伊藤師の説も同じ)。
451 :
昔々の会員 :01/12/01 19:49
>あなたはどちらの見方をしているんですか? 勿論、親鸞聖人の見方のほうです。因みに定善二善は十八願にいたる方便と観経を 穏顕でみられたのは、法然上人の諸行廃立に対する他門の批判に浄土門各師が応え られた幾つかの説(ex 西山上人の本願開会など)の一つで、観経は、顕説では諸 行往生の要門を説くが、穏微に表された真実義においては弘願の他力往生を説いた 経と主張されたものですよね。五正行を行ぜよということではないですよね?
452 :
昔々の会員 :01/12/01 20:24
>正行というのは「阿弥陀仏一仏に向かってする善」で諸善萬行をおさめいれるんですよ。 「破邪顕正というのは諸善のひとつ」ですから、阿弥陀一仏に向かってすれば正行になります。 善導大師は、古今楷定の散善義で「正行というは、もっぱら往生経の行によりて行ずるは 、これを正行となづく。」と述べられています。所依の三蔵を浄土三部経と異にする聖道 門の行も阿弥陀仏一仏に向かってすれば正行になるんですか? どうやら善導大師の釈され た正行とは違うみたいですね。 それならば天台の四種三昧も正行ということになりますが。 周知と思いますが、妙楽大師は「諸経の讃ずる所多く弥陀にあり、ゆえにもっぱら西方をも って一極となす」と止観輔行で釈され阿弥陀一仏を本尊とされています。尤も日本天台の常 坐三昧は確か普賢菩薩でしたが、親鸞聖人も行ぜられた常行三昧(所依は「般舟三昧経」) の御本尊は阿弥陀様ですよね。あなたのいわれる正行とは、こうした聖道門の諸行も含む ものなのですか?そうすると446の>私達は聖道門につかえてはならないと矛盾するの では?
453 :
けっこう仮面 :01/12/02 01:48
>446 あのー 高森先生が華光会で活躍されていたのは信後なんですけど それとも18歳獲信説は現在は修正されたんですか?
454 :
名無しさん@1周年 :01/12/02 02:00
>453 彼らは口では「南無阿弥陀仏こそが真実」と言っていても、内実は「高森氏が真実」と信じ込まされているんですよ。 真面目な人達だけに可哀想。
>善導大師は、古今楷定の散善義で「正行というは、もっぱら往生経の行によりて行ずるは 、これを正行となづく。」と述べられています。所依の三蔵を浄土三部経と異にする聖道 門の行も阿弥陀仏一仏に向かってすれば正行になるんですか? どうやら善導大師の釈され た正行とは違うみたいですね。 それならば天台の四種三昧も正行ということになりますが。 周知と思いますが、妙楽大師は「諸経の讃ずる所多く弥陀にあり、ゆえにもっぱら西方をも って一極となす」と止観輔行で釈され阿弥陀一仏を本尊とされています。尤も日本天台の常 坐三昧は確か普賢菩薩でしたが、親鸞聖人も行ぜられた常行三昧(所依は「般舟三昧経」) の御本尊は阿弥陀様ですよね。あなたのいわれる正行とは、こうした聖道門の諸行も含む ものなのですか?そうすると446の>私達は聖道門につかえてはならないと矛盾するの では? 往生経というのは浄土三部経ですよ。 また「阿弥陀仏一仏に向かって」というのは「一向専念」ということです。 >親鸞聖人の見方のほうです。 では定散二善と正行の関係をお願いいたします。
>わしもどろどろだが、気にならんがね。ワイドショーの話題なんて他人に強>制するなよ。 ごもっとも。ごめんなさい。 でも、結局のところ、あなたは詳細を知らないんですよね。 不快かもしれませんが、知っている、もしくは知らない、と答えてくださいな。
>五正行を行ぜよということではないですよね? 破邪顕正と正行の関係をきいておられたんでしょう? 「五正行を行ぜよ」という根拠は以下のとおり。 「自信教人信 難中転更難 大悲伝普化 真成報仏恩」(善導大師) 「仏恩報謝のためにはつねに称名念仏を申したてまつるべきものなり」(御文章) 「このうれしさのあまりには、師匠坊主の在所へも歩みを運び志をも いたすべきものなり」 (同一帖五通) などなど数多くあります。 聖人のお言葉には「信心ありとも名号を称えざらんは詮無く候」(末灯抄)という厳しいお言葉もありますよ。 信後の念仏は正定業であり、三前一後は助業ですね。 法然上人が「決定往生の信をとるうえには、他の善根に結縁し助成せん事、まったく雑行とはなるべからず。わが往生の助業となるべきなり」と教えられているのを親鸞聖人が「ご恩報謝の行」と教えられたんです。 聖人の御教えは「他力の信を獲て報恩を行ぜよ」ということです。 >456 >あなたは詳細を知らないんですよね。 知っていることもありますし、知らないこともあります。知っていることも本当かどうかは知りません。自分で見たわけではないので。ましてや人の心の中はわかりません。そういう意味では知らない、ということですね。 ここで話している人は本当のことを知っているんですか?ワイドショーみたいだけど。
>ここで話している人は本当のことを知っているんですか?ワイドショーみたいだけど。 言葉足らずで申し訳ない。 お尋ねしたのは何故、高森先生は華光会を離れたのか、その理由をご存じか?信心を頂かれてからも華光会において活動されていたのにも関わらず・・・ということです。私自身は詳細も何も知りません。 ですから知りたくて、高森先生が華光会を離れた理由を話題提供さんは知っていますか?と尋ねたんです。 で、 >知っていることもありますし、知らないこともあります。 知っていることを教えてくださいとお願いしてるんですが・・・ 教えたくないというのなら仕方ありませんが。
459 :
昔々の会員 :01/12/02 23:42
いつもいつ早々の御返答ありがとうぞざいます。 はじめに訂正 妙楽大師の御文は「西方をもって一極となす」→「西方をもって一準となす」 ですね。失礼しました。 >往生経というのは浄土三部経のことですよ。 だから疑問だといっているのではないですか? 折角の御返答ですがいま少し質問を 丁寧に読んで下さい。善導大師は、正行は往生経(=浄土三部経)による行だと明示 されているにも関わらず三論(中論、十二門論、百論)を所依とする破邪顕正がなぜ 正行となるのか経論釈に基づいて教えて下さいという質問ですよ。私がこの善導大師 の御文を読ませていただくかぎり、こうした聖道門の行は入らないと思うのですが如何?
460 :
昔々の会員 :01/12/03 00:29
>では定散二善と正行の関係をお願いします。 あなたがいわれている通り正行の体が定散二善ですよね。 >破邪顕正と正行の関係を聞いておられんたんでしょう? もちろんそうですが、ここでは、あなたの問いに対して親鸞聖人の顕彰穏密の義は 法然上人の諸行廃立の義と観経の説相の会通を試みられたものであり、要門は聖道 門の方を誘引する為の御方便という意味であって私のような泥凡夫に対して十八願に 入る為の方便として五正行を行ぜよという意味ではないということを言いたかった のですが言葉足りずでした。
461 :
昔々の会員 :01/12/03 01:06
>「五正行を行ぜよという」という根拠は以下のとおり ここであげられている御聖教の御文は、全て決定信のうえでの御恩報謝についての 述べられているものばかりですね。>聖人の教えは「他力の信を獲て報恩」を行ぜよ」という ことです。 まったくその通りですね。 御恩報謝が諸善万行といわれるならそれははその通りですね。御教示ありがとうぞざい ました。>「信心ありとも名号称えざらんは詮無く候」 いや、全く聖人の仰る通りで す。改めて御教示下さり良い信心の溝さらいができました。ありがとうございます。 しかしながら、未信の方にも諸善万行を勧める根拠や信前、信後にも凡夫にはとても実践 不可能な聖道門の難行苦行(破邪顕正など)を勧められた根拠は、ありますでしょうか? うえの質問にもかぶりますが、お暇なとき後返答よろしくお願いします。
462 :
昔々の会員 :01/12/03 01:15
追伸 高森師は、法体大行説に立つか否か?の方も宜しくお願いします。
463 :
名無しさん@1周年 :01/12/03 01:37
>461 諸善万行を仏恩報謝行と普通いいませんよ。 仏恩報謝は、通常、五正行に限られます。 安心、起行、作業を勉強しなされ。
464 :
昔々の会員 :01/12/03 07:19
>仏恩報謝は、通常、五正行に限られます。 安心、起行、作業を勉強しなされ。 そうでした、不勉強恥じ入ります。御教示ありがとうございます。質問が「親鸞聖人や 蓮如上人が、信前信後のお同行、とくに未信のかたに諸善万行を勧められた根拠はあり ますか?」で、それに対するお答えでしたので成る程そうかと思ってしまいました。 とくにここで法然上人の「決定信をとるうえには、他の善根に結縁し助成せん事、まったく 雑行にはなるべからず。わが往生の助業となるべきなり」を(話題提供氏が)あげておられ ますので。これは御恩報謝の行のことではないということでよろしいでしょうか?法然上人 は、信決定、浄土宗別立開宗後も天台沙門として慈覚大師以来九代目の円頓戒の戒師であり 続けられましたのでその事を仰っているのでしょうか?
465 :
昔々の会員 :01/12/03 07:53
話題提供氏には改めまして、親鸞聖人や蓮如上人が、信前信後のお同行、とくに未信 のかたに諸善万行を勧められた根拠をお尋ねします。 また、決定信のうえの御恩報謝の五正行は、その体は阿弥陀様の他力回向の願行ですの で、出家のかたの儀礼について述べられた善導大師の「往生礼讃」の御文を除いては、 あげられた各御文の御心は、はやく信を獲てくださいの願いと、報恩を行ずることの大事 を自らの自戒も込めてご教化くださったものと御味わいさせていただいています。
466 :
昔々の会員 :01/12/03 08:18
>463 そうしますと話題提供氏があげておられる三前一後の解釈はどのようになりますでしょうか? それと五念門も五正行とともにお六字の願行に含まれ、称名報恩に収めとられていると単純に 解しておりましたが、違いますか? お暇なときで結構ですので宜しく御教示お願いします。
467 :
名無しさん@1周年 :01/12/03 09:34
なんか閉鎖的スレになったなあ。 話題提供と昔々の会員の独壇場状態だし。 他の人が入る余地がないんだけど、どうにかならない?
468 :
名無しさん@1周年 :01/12/03 23:58
昔々の会員氏は親鸞会も華光会も本当の真宗ではないような口振りだが、 本当の聖人の教えを説かれている団体もしくは人はないとの考えなのだろうか?
469 :
名無しさんだよもん@100周年 :01/12/04 00:37
というか、話題提供氏、こなくなった。おそれをなしたか?
470 :
名無しさん@1周年 :01/12/04 01:58
>464 「決定信をとるうえには、他の善根に結縁し助成せん事、まったく 雑行にはなるべからず。わが往生の助業となるべきなり」 これは、異類の助業という事ですね。ただ、あくまで仏恩報謝は、 五正行です、まあ、その助けになるという義があるくらいのもので、 仏恩報謝とはいえませんな。
>聖道門の行は入らないと思うのですが如何? 破邪顕正はすでに六度万行などとおなじように通仏教の言葉になっていると認識しています。 破邪顕正ということと「諸の修多羅によりて真偽を勘決し、外教邪偽の異執を教誡する」(化土巻)と聖人がいわれていることが違うと思っておられるのでしたら持論を展開してください。 >ここであげられている御聖教の御文は、全て決定信のうえでの御恩報謝についての 述べられているものばかりですね。 信後のご恩報謝を未信の者にすすめておられるんですよ。教えを聞いているほとんどの者は未信です。 >方便として五正行を行ぜよという意味ではないということを言いたかった 正行は方便ではありません。19願20願が方便だと言っているのです。 >仏恩報謝は、通常、五正行に限られます。 これは正確ではありません。「通常」という言葉で逃げていますが、仏法をひろめたいという心であれば、親鸞聖人は「国の安穏をすすめるのも報謝」(御消息)蓮如上人は 「酒をふるまうのも報謝」と言っておられます。先にあげた法然上人のお言葉からしても狭い意味での五正行にかぎるのはいかがなものでしょうか。 >はやく信を獲てくださいの願いと、報恩を行ずることの大事 を自らの自戒も込めてご教化くださったものと御味わいさせていただいています。 はやく信を獲てください、と願われて報恩を行ずることをすすめておられるのです。
>話題提供氏には改めまして、親鸞聖人や蓮如上人が、信前信後のお同行、とくに未信 のかたに諸善万行を勧められた根拠をお尋ねします。 「専ら往生経の行によりて行ずれば、これを正行と名く。乃至。この正助ニ行をのぞきて已外の自余の諸善は悉く雑行と名く。」(散善義) 善業に正行と雑行があるのです。 聖人の御教えはこの「浄土の善」をすすめておられます。体は五正行であります。 では方便とは何なのか。未信の者は正行はできません。やろうとしても雑行雑修で助かりません。聴聞である聞法さえ未信の間は聴であって聞ではありません。聞=信であります。 そこで建てられたのが19,20の方便ニ願です。「善をすれば助けよう」「念仏を回向すれば助けよう」このニ願が18願と関係のない願であればだれもできるものはいないのでやはり救われる人はいないのです。 聖人はこのニ願を「十八願へ導くための方便」とみられたのです。 「諸善萬行ことごとく 至心発願せるゆえに 往生浄土の方便の 善とならぬはなかりけり」 (たとえ今は自力のくさみがはなれぬ善であっても、阿弥陀仏に向かって正行をやろうとしているのであれば 往生浄土の因縁にならぬ善業はないのだよ) 「雑行をしなさい」と教えているのではありません。正行をしなさい、といっているのです。 あなたは「雑行になるから何もするな」と教えるのですか?聞法している間でも観察していれば、捨てよと言われた雑修ですよ。
473 :
昔々の会員 :01/12/04 22:48
御返答ありがとうございます。 >まあ、その助けになる義があるくらいなもので、仏恩報謝とはいえませんな。 了解しました。御教示ありがとうございます。 >破邪顕正はすでに六度万行と同じように通仏教の言葉になっていると認識します。 三論の宗旨である破邪顕正とは、義が異なるということでしょうか? 確かに異執 に対する摧破の義は、諸経論に説かれるところですが、それをもって一つの行体と して宗旨決判している経論釈は、三論及び玄義の外にないと思いますが如何? 従って親鸞聖人の化土巻の執筆は、勿論、非空非有の正観を証得するための行でも往生浄土 の行でもなく、一般的な教判論の表明の範ちゅうに属すると思います。存覚上人には、「破邪 顕正記」がありますが、これについては必要あらば後に譲ります。
474 :
昔々の会員 :01/12/04 23:43
>信後のご恩報謝を未信の者にすすめておられんですよ。 >はやく信をえてください、と願われて報恩を行ずることをすすめておられるのです。 ちょっとよくわからないのですが、この文は、信をえることと報恩を行ずることのど ちらにアクセントがかかっているのでしょうか? 親鸞聖人や蓮如上人のこれらのお言葉 は、はやく決定の他力信をえて、報恩を行ずる(その体は阿弥陀様の願行)身になって くださいという御文ですよね? >正行は方便ではありません。19願20願が方便と言っているのです。 勿論、他力回向の正行は方便ではありません。19願に応じて説かれた観経の顕説の 定散二善(自力の)を体とする行での往生が方便です。これは、聖道門の方を誘引する 為の御方便であって私のような泥凡夫に対するものではないですよね? >聖人はこの二願を「18願へ導くための方便」とみられたのです。 その通りです。 >「諸善万行ことごとく 至心発願せるゆえに 往生浄土の方便の 善とならぬは なかりけり」 至心発願など、私のような最悪の泥凡夫には及びもつきません。阿弥陀仏に向かって 正行をやろうとする心も力もありません。断善根の極悪人です。そんな私一人の為、 阿弥陀様が至心発願してくだされ御回向してくださります。そんな勿体無い阿弥陀 様の諸善万行が、往生浄土の因縁にならないはずがないですか?
475 :
昔々の会員 :01/12/04 23:55
>あなたは「雑行になるから何もするな」と教えるのですか? 私は、一在家ですので教えるような(教えられるような)身ではありません。ただただ 善業は、微塵もできない身だと知らせていただくばかりです。 >本当の聖人の教えを説かれている団体もしくは人はないとの考えなのだろうか? 前にも言いましたが、真実とは法であって人(ましてや教団組織)ではありません。 それらに対してどういうスタンスをとっても自由でしょう。 阿弥陀様の御本願は 十方衆生が相手です。またどんな極悪人も見捨てられることはありません。
476 :
昔々の会員 :01/12/05 21:59
訂正 存覚上人の著書は「破邪顕正記」→「破邪顕正鈔」ですね。「破邪顕正記」は、天 真盛流の真迢上人の著書です。時代は異なりますが、どちらも日蓮上人の爾前無得 道論に反論された有名な著書でごっちゃにしてしまいました。失礼しました。
477 :
名無しさん@1周年 :01/12/05 23:46
>私は、一在家ですので教えるような(教えられるような)身ではありません。 昔々の会員氏は本当に教えるような身(学者・研究者?)ではないのだろうか? 在家(会社勤め?)なのだろうか? >ただただ善業は、微塵もできない身だと知らせていただくばかりです。 信心決定されたということ?
478 :
名無しさん@1周年 :01/12/07 00:24
仮に破邪顕正が信心決定するのに必須ではないとしても、 顕正する人がいなくなれば、真実の仏法が伝わらないのでは?
ジャンヌの掲示板が書き込みできないんだけど、誰か書き込みしてみてくれない?ロックかかってるみたい。
480 :
名無しさん@1周年 :01/12/07 17:12
というか、全部消えてるよ? >>ジャンヌ掲示板。
481 :
名無しさん@1周年 :01/12/07 17:30
あらしたつもりはないけど、いろいろ書いたら「もう返事はしない」って言ってた。 なんか無責任だなあ。
>>462 あらしではないと思う。正当な議論。
面白かったのでぜひ続きをやってくれ!
>ただただ善業は、微塵もできない身だと知らせていただくばかりです。 じゃあ、ボーっとしてなさい。ずーっとね。 >阿弥陀様の御本願は十方衆生が相手です。またどんな極悪人も見捨てられることはありません。 已今当の往生があるのは各人の宿善の厚薄によります。別に阿弥陀仏のせいではありません。
486 :
名無しさん@1周年 :01/12/08 00:05
>已今当の往生があるのは各人の宿善の厚薄によります。 別に阿弥陀仏のせいではありません。 昔々の会員氏は往生できないのは、阿弥陀仏のせいだといっているのだろうか? でも、十方衆生が相手、どんな極悪人も捨てられないと言っても真実の仏法を 知らずに救われることはないと思う。 昔氏のように難しい仏教書を読破できる人も少ないと思う。
487 :
昔々の会員 :01/12/08 00:22
>じゃあ、ボーっとしてなさい。ずーっとね。 あなたは、善業ができない身だとは聞かせていただいてないんですか? それとも善 業ができる身なんでしょうか? 已今当の往生があるのは各人の宿善の厚薄によります。別に阿弥陀仏のせいではありません。 誰が何時、阿弥陀様のせいだと言いましたか? 已今当の往生があるのは、各人の無始来の 宿縁にあわせて阿弥陀様が御苦労して下さっているからでしょう。どんな極悪人も未来際まで お見捨てになることありません。付きっきりでいて下さります。しかしそんな各人のことや他人 のことはどうでもいいではないですか?あなたの言われる「人の上に信を立てない」というのが どういう意味か知りませんが、あなた自身に付ききりの阿弥陀様の御本願を聞かせていただくこ とが肝要で往生は一人一人のしのぎと云われる所以でしょう。 >たとえ今は自力のくさみがはなれぬ善であっても・・・・ 親鸞聖人の御教えはそんな悠長な不徹底なものですか? 0点か100点かとは聞かせて いただいてないですか? そしてその0点のままが100点を丸もらいさせていただける のが阿弥陀様の発願回向の南無阿弥陀仏様のお力とは聞かれてないのですか? それより先に質問したことに答えていたただきたいと思います。お暇な時、宜しくお願い します。
488 :
名無しさん@1周年 :01/12/08 02:13
>>482 そもそも、お前何ものなの?
どう読んでも内容は元会員じゃなくて、現役会員だったぞ。
もうちょっと生臭い話もしようや、2chだし。 豊田商事の永野会長は親鸞会会員だった。 その金をあてにして滋賀会館を建てる予定だったが 例のフォーカスに載った事件であぼーんした。 親鸞会は、その後永野会長との関係を否定、葬儀も拒否した。 これはすべて事実ですか?>会員さん(誰でもいいけど)
490 :
名無しさん@1周年 :01/12/08 03:55
>>488 うん、そだよね。
最初はただの「歎異抄好き」だったのにね。
ハテナ?
491 :
スレタイトルだけ読んでカキコ :01/12/08 06:22
従順なふりをして他人が宗教に嵌っていくのをヲッチしてましたが、何か?
>どう読んでも内容は元会員じゃなくて、現役会員だったぞ 会員にしてくれてありがとう。 いろいろな根拠は親鸞会で学ばないこともかなり入っていたと思いますが、今はこういうことも教学に入っているんですか?
493 :
トラトラトラ! :01/12/08 09:55
あぼーん
495 :
トラトラトラ! :01/12/08 17:00
と、おもったら表示できた
496 :
名無しさん@1周年 :01/12/08 17:43
>>492 そんなの本願寺の本を少しかじったくらいじゃないのか(藁
497 :
名無しさん@1周年 :01/12/08 18:10
>>489 そうね。だいたいそれは正しいよ。
でも滋賀会館じゃなくって関西本部会館正しいな。
高森は何しろでかい会館を建てたくって仕方なかったんだよ。
それでも、その当時、思いのほかお金が集まらなかった。
結局、高森が怒っちゃってね。あいつが怒ると始末が悪い。
親鸞会の幹部が手っ取り早い金集めに走って、当時の豊田商事
に目をつけたんだよ。
これを確か「太陽計画」って言っていたと思うな。
高森○晴講師が、月に二度ほど豊田商事で説法してたんじゃな
かったかな。それのご法礼かなんかで巨額の財施があった筈だ
(最後の点は想像)。ただ、計画を実行して、早めの時期だっ
たように記憶してるけど、あれは本当にやばいよって大学の幹
部も言っていた時に、社長が殺されちゃってさぁ、結局計画倒
れ、関西本部会館の計画も流れた訳。その後の親鸞会の対応は、
豊田商事の社長が雑多な宗教にも走り、実際、雑行ばかりやっ
ていた事実があったので、それを押さえて、あんな奴は親鸞会
の会員じゃないって言ってたっけな。たとえどんな外道の者で
も、法を聞きたいと言って来たら説くのが当たり前だって言っ
たよ。物は言いようだよな。何も知らない会員はそれを信じて、
さほどの問題にならなかった。それが経緯だと思う。
>それより先に質問したことに答えていたただきたいと思います すいません。どれですか? >そんなの本願寺の本を少しかじったくらいじゃないのか おまえはかじれるのか?
499 :
名無しさん@1周年 :01/12/08 18:51
>>497 続き、週間ポスト風にまとめてみたよ。
ここでポイントは二つではないかと思う。
・親鸞会には、仏法の為なら汚いお金も喜んで受け取る土壌があるという事。
・問題が起きた人間は、親鸞会の外のものとして対処するという事。
前者は、親鸞会のカルト性に証明になるし、
後者は、会に所属しても相対的幸福は保証されない証明になる。
こんな所でしょう。
500 :
名無しさん@1周年 :01/12/08 18:59
>>499 続き、
・会員には恥ずかしい事実は、説明しないって事もあるね。
親鸞会は嘘で固められた団体だって事になる。
501 :
名無しさん@1周年 :01/12/08 19:01
502 :
名無しさん@1周年 :01/12/08 19:23
>>501 少し古すぎるよ。
今は、何か新しい事はあるかね。>知っている人情報く
れ!!
まあ、でもこういう土壌は今でもあると思うな。
四十周年の時、北海道の地主が来ていて、慰労会みたい
の時に、司会をしていた専任講師が(牧○講師もしてた
けど)、土地を財施なさるって聞いてますなんて、はや
したてられていたよな。(あの時、当人は絶句してたけ
どね。)人からお金や土地をむしり取って、それが良い
事だと思っているんだから、カルトだと思うよな。
財産のある人は親鸞会では貧乏のフリしてないと金を狙
われるよ。
503 :
ニイタカヤマノボレ1208 :01/12/08 22:45
504 :
昔々の会員 :01/12/08 23:03
話題提供さんへ >すいません。どれですか? 473、474で?のついているセンテンスと、あと高森師は法体代行説に立っているのか? という未回答の部分、それによければ487の?がついているセンテンスも追加でお願いします。
505 :
昔々の会員 :01/12/08 23:04
訂正 法体代行説→法体大行説
506 :
名無しさん@1周年 :01/12/08 23:37
なんかいろんなのが混ざり込んできちゃったなあ。
507 :
名無しさん@1周年 :01/12/08 23:51
専任講師の給料制がとうとう廃止! これからは独立採算制だ。 おそらく大量の講師部員が脱落するだろう。 親鸞会もとうとう終りだね。
508 :
名無しさん@1周年 :01/12/09 00:13
どうしてそういう結論になるのだ?
509 :
名無しさん@1周年 :01/12/09 00:34
>>497 そうか、そういや関西本部会館って聞いたことあったな。
滋賀会館は、駅からかなり歩いたところに今でもあるのかな?
当時は木造の建物に聴聞の時だけプレハブを足していたような・・・
んで、平和堂のそばに公営の会場が出来てそこになった
んだよな。>米原の法話
はあ、やっぱねたが古いけど親鸞会の体質は大体こんな
もんだよ、要は金。他の宗教とかわらん。
一時的に会員すべてクリアにして新たに入会させた時が
あったが、あれも金目当てだろう。箱モノ好きだね>会長
510 :
名無しさん@1周年 :01/12/09 01:15
>>509 高森じたいが裕福こいてるからね。
最高のものを施しているんだから、いくらもらっても良いって
言う理論だから。まあ、驕慢さは天下一品だよ。
しかし、会員数は増えているらしい。ある人数まで増えると金
を集めるのもかなり楽になるんじゃないの?
511 :
ななななななし :01/12/09 08:27
512 :
名無しさん@1周年 :01/12/09 09:42
>>511 今まで講師部員は親鸞会から給料もらってやってただろ。
これからはその給料が支給されなくなるのさ。
自分の担当地区でアニメ売り歩いたり、自分で法話開いたりしてその法礼で食ってかなきゃいけないってこと。
まあ普通に考えて無理があるね。
っていうかそんなの食ってけるはずがない。
なんせ信もないやつの法話なんて誰が聞く?
バイトに精をだす講師部員も出るだろうね。
もしかして葬式法事墓番を生業にするやからも出てくるかもしれない。
513 :
名無しさん@1周年 :01/12/09 11:24
>>512 ひゃ〜。また一層厳しい事を言っているね。
それ本当なの?少し信じがたいよ。そんなにお金がな
いの?
そうなると、より非道な事をするようになるかもね。。
自分の生きる為に無理やり誘うようになる。
少し恐ろしいな。
昔高森○晴講師がオヤジの写真を売って設けてたよ
うだけど、そんなバイトがはやるんじゃないの?
514 :
名無しさん@一周年 :01/12/09 15:52
豊田商事で思いだしたけど、次の噂って本当ですか? 「豊田商事マネーは、親鸞会の他本願寺や創価学会にも流れていて、 その件に関するシークレットを守る事を条件に三者が手打ちを行った。」 そういえばあれ以降、本願寺への座り込みなんかピタッと止まったような。 表面的には対立してるような振りをして、裏ではそんな駆け引きがあったり して知らぬは信者(会員)ばかりなり〜ってことなのかな〜? 誰か真偽をご 存知の人いれば情報希望。
515 :
昔々の会員 :01/12/09 16:12
516 :
ななななななし :01/12/09 18:25
会員から預かったカネを横領したり、サラ金に手を出すやつとかも出てきそうだなぁ おれの同期とか学年が近い連中で仔牛学院に逝ったやつもだいぶいたな なかには大学中退したやつまでいたよ 脱落したら、この不況下、再就職も大変だよなぁ ていうか脱落者が続出したら組織は存続できるのか? >昔高森○晴講師がオヤジの写真を売って設けてたよ 「M」?「T」?
517 :
名無しさん@1周年 :01/12/09 19:00
>>487 >あなたは、善業ができない身だとは聞かせていただいてないんですか?
それとも善業ができる身なんでしょうか?
そうですよね。
私たちは「ぞう無一善」で一つも善などできませんね。
できないのにやるなんて、分かりきっているのにおかしいですよね。
先人が明らかにして下されてますよね。
念仏だけが大事ですよね。
>473 >往生浄土の行でもなく 諸善ですので、往生浄土の方便であります。 >474 >信をえることと報恩を行ずることのどちらにアクセントがかかっているのでしょうか? 同じことです。信を獲たのに報恩がないということはありえません。 信前のひとは、できないので、信後のひとのまねをすることになります。 >これは、聖道門の方を誘引する為の御方便であって私のような泥凡夫に対するものではないですよね? 「十方衆生を方便し」といわれていますが、聖道門だけってどこかに言われていますか? >阿弥陀様が至心発願してくだされ御回向してくださります。 「発願」は自力回向です。他力回向の発願というのは誰の解釈ですか? >487 >あなたは、善業ができない身だとは聞かせていただいてないんですか? できなくても「十方にひとしくひろむべし」といわれていますね。 「できません」と親鸞聖人に言うんですか? >親鸞聖人の御教えはそんな悠長な不徹底なものですか? 0点か100点かとは聞かせて いただいてないですか? 「今得重聞 即生歓喜」なのですよ。宿善がいるんですよ。
519 :
名無しさん@1周年 :01/12/09 20:05
>>516 Mです。
こういう事はよくやってたようだよ。
>>514 その噂は眉唾だな。
確かに本願寺も少し腐っている所があって、今
門主が宗門か誰かを告訴している筈だぞ。
本願寺を食い物にしている業者がうようよいる
訳です。
ただ、本願寺からは外にお金が流れる構図の筈
で中に入る構図はあまりないと思うな。
本願寺は親鸞会なんかに比べずっと金持ちです。
>517 >できないのにやるなんて、分かりきっているのにおかしいですよね。 先人が明らかにして下されてますよね。 では親鸞聖人に「あなたのいうことはおかしい」と言われたらよろしい。 >法体大行説 なにが問題になっているのか、よくわかりません。あしからず。
521 :
名無しさん@1周年 :01/12/09 23:12
>>516 痴話ばなしもいいが、高森師の話される仏法の内容については
どう思っているのかね。
522 :
名無しさん@1周年 :01/12/09 23:17
昔々の会員氏はどれ位、会にいたのだろう?
523 :
昔々の会員 :01/12/09 23:26
お返答ありがとうございました。つきましては、その返答ないようにまことに残念ながら 返答内容につきまして今回も納得できず、新たな疑問が出来するばかりですので宜しくお 願いします。 >諸善ですので、往生浄土の方便であります。 質問に対する答えになっていません。あなたが、破邪顕正は通仏教的な概念になっている といわれますので、異執に対する摧破の義は、諸経論に説かれるところだが、それを以って 一つの行体として宗旨決判しているのは、経論釈のなかで三論及び玄義の他には無いので はないか?と質問したのですよ。 >同じことです。信をえたのに報恩がないことはありえません。 信前のひとは、できないので、信後のひとのまねをすることになります。 前半部は確かにその通りですね。ですからこれら祖師方のお言葉は、「はやく信 をえて(=報恩を行ずる身になって)ください。」の意味ですよね。それが何故 未信の方が、信前に「(できない)報恩を行じてください。」「報恩を行じなければなら ない。」と言われた根拠となるのか?お尋ねします。 >聖道門だけってどこかにいわれてますか? 観経顕説の諸行往生は、自力諸行で往生を願うものに対して臨終来迎、化土 往生を誓われた十九願に応じて説かれた方便であると親鸞聖人が釈されたの は、法然上人の諸行廃立に対する聖道門各師の観経の説相との乖離に対する 批判を会通されて、顕説では、観経は諸行往生を説くがその実義は、十八願 の弘願真実を説かれたものということを主張せられたものですよ。あなたの 言われるように十方衆生が聖道門の方と同じようにこの方便門に入って諸善 による往生を願い諸行を行じんければならないという根拠は何ですか?
524 :
名無しさん@1周年 :01/12/09 23:34
・できるか、できないかは大事。 できないなら→やらない できるなら →やる これなら分かりやすい。 できないことをやらせようとするなんて常識人のとる態度ではないよな。 できないと初めから分かっていることをやってみろと訳わからんことを 宗教人は言うんだよな。 その間の過程については分からん。
525 :
昔々の会員 :01/12/10 00:07
>>523 訂正 最後の行 行じんければ→行じなければ
>他力回向の発願というのは誰の解釈ですか?
親鸞聖人ですよ。善導大師の六字釈の発願回向を阿弥陀様が御自身の願行を衆生に回向してくださる
と解され絶対他力の道をあきらかにして下さった独創的な解釈ですよね。大体至心というのは真実心
のことですよ。阿弥陀様の御心の他にないではないですか?
>「できません」と親鸞聖人に言うんですか?
はい、最低最悪の私ならそういう他ないですね。 御恩報謝の御念仏様すら懈怠にかまけて
忘れているような私ですから。 そんな極悪人もお救い下さるのが阿弥陀様の御本願ではないですか?
>「今得重聞 即生歓喜」なのですよ。宿善がいるんですよ。
その宿善の全てを兆載永劫のご修行の末、南無阿弥陀仏のお六字として完成してくだされ、御
回向してくださったにもかかわらず、仏願を踏みつけにしていただかなかったんですか。
0点(自力)か100点(他力)。これほど水際立った御教えをいただきながらまだ自力のくさみ
がはなれぬ善をあて力とされるのですか? 「いくたびも 手間のかかりし菊の花」(九条武子さん
だったか加賀の千代女だったか失念)
>なにが問題になっているかわかりません。
高森師は(私が思う限り)衆生往生の因行は願成就の御名号であるという説に立っておられる
ようだが、それなのに何故あなたは他の行が必要だというのでしょうか?
以上、またお暇な時、宜しくお願いします。
526 :
名無しさん@1周年 :01/12/10 00:14
法然上人の諸行廃立かあ。 法然上人は行を廃したんだあ。 行とは諸善なんだあ。 雑行を許されなかったのは、諸善を許されなかったからなんだあ。 法然上人はなんで、そんなに向きになって諸善を許されなかったのかなあ? 善果がかえってくるなら、許してくれてもよさそうなのになあ。 念仏だけに絞る必要があったのかなあ?
527 :
名無しさん@1周年 :01/12/10 00:17
>>522 たしか、10年位はいたのではなかったけ。
528 :
こんばんわ :01/12/10 00:52
>一つの行体として宗旨決判しているのは. これはどういう意味ですか。ご説明願います。質問の内容がわかりません。 >それが何故、未信の方が、信前に「(できない)報恩を行じてください。」「報恩を行じなければなら ない。」と言われた根拠となるのか?お尋ねします。 「観経の三心を獲て後に、大経の三信心を獲るを一心を獲るとはいうなり。 この故に大経の三信を得ざるをば一心をかくるというなり。この一心をかけぬれば実報土に生れずとなり。 観経の三心は定機散機の自力の心なり。定散のニ善を回して大経の三信を得んと願う方便の深心と至誠心と知るべし。」(唯信抄文意) 「信決定の人を見て、あの如くならでは、と思えばなるぞ、と仰せられ候。 あの如くになりてこそと思いすつること、浅ましきことなり。 仏法には身を捨てて望み求むる心より信を得ることなり」 「悪人の真似をすべきより、信心決定のひとの真似をせよ」(御一代記聞書) 獲信したいと思って善を回向するこころになったあとに真実信心を獲るのだ、 と聖人は言っていられます。 「信心獲得したひとだからこそ聖人のようなご恩報謝の活動ができるのであって、 自分はまだ獲信していないからできないしやらない、などと思い捨てる者はまことにあさましい。 獲信したひとのようにならなくてはと思って求めるのが正しい」と蓮如上人は言われています。 「ご恩報謝できなくてもまねでもいいからしなさい」これが蓮如上人が信善の者に教えられた善に励むこころがまえです。
>顕説では、観経は諸行往生を説くがその実義は、十八願の弘願真実を説かれたものということを主張せられたものですよ。 顕彰隠密の義には異論はありませんが、聖人は「至心発願欲生と 十方衆生を方便し 衆善の仮門をひらきてぞ 現其人前と願じける」(浄土和讃)と言っておられます。 あなたの解釈は結構ですが、聖道門のみを対象に説かれたという根拠をあげてください。 「定散の諸善は方便の教たることをあらわすなり」(化土巻)といわれ「諸善は廃のために説く」と言われた法然上人 の廃立とは「違う教え方」を聖人はされておられます。 >法然上人はなんで、そんなに向きになって諸善を許されなかったのかなあ? 法然上人は行行相対で説かれているんです。しかし、諸善を廃されても信後は助業であるとされています。 親鸞聖人は法然上人の御心を明かにするために(法然上人の教えを聞きながら間違えた者がいたので) 真仮廃立で説かれたので、行の中の仮を廃するように教えておられるんです。 お二人とも真実信心を説かれていますが、教え方は違います。それが親鸞聖人にたいする 「背師自立」という批難のもとになっています
>大体至心というのは真実心のことですよ。 十八願の至心は真実心ですが、十九願の至心は自力です。だから方便なんですよ。 あと善導大師の六字釈は十七願成就の御名号を言われたものですので、ごっちゃにしてはいけません。 十九願(観経)の信心は自力である根拠は先にあげました。 >はい、最低最悪の私ならそういう他ないですね。 「善知識の仰せなりとも、成るまじき、なんど思うは大いなる浅ましきことなり。 成らざる事なりとも仰せならばなるべきと存ずべし。」(御一代記聞書) 蓮如上人のおおせには従わないということでよろしいか? >その宿善の全てを兆載永劫のご修行の末、南無阿弥陀仏のお六字として完成してくだされ。 「宿善を回向される」ということは初めて聞きました。信前に過去の善根の因縁は 必要ない、ということですね。 「過去久遠に三恒河沙の諸仏の世に出でたまいし所にして自力の大菩提心を おこしき、恒沙の善根を修せしめしによりて、いま大願業力にまうあうことを 得たり」(唯信抄文意) 法蔵菩薩は世自在王仏のみもとで修行されましたので、これはどうしても阿弥陀仏 の御修行ではありません。善根を修したのは誰なんでしょうか? >何故あなたは他の行が必要だというのでしょうか? そうですね。「必要」という言い方は不適切です。「親鸞聖人が善をすすめて おられる。」という言い方が正しいでしょう。
532 :
昔々の会員 :01/12/10 23:20
早々の御返答ありがとうございました。つきましては、またまた若干の疑問がありますので 宜しくお願いします。 >これはどういう意味ですか。ご説明ね願います。 破邪顕正という語義は、単に通仏教的な対破の義ではなく、三論及び玄義において一つの行体 として決判されています。他にそのようにこの語及び義を決判された経論釈はありますか? >獲信したいと思って善を回向するこころになったあとに真実信心を獲るのだ、 と聖人は言っていられます。 この御文は、善導大師の「具此三心 必得往生也 若少一心即不得生」の釈を聖覚法印 が釈され、それを更に親鸞聖人が釈されたものですね(もっとも、最近は親鸞聖人の創作 説もあるようだが)。引用の御文の前には、「一心かけぬれば生まれぬといふなり。一心 かくるといふは信心のかくるなり、信心かくといふは、本願真実の三信心のかくるなり。」 とありますよね。ですからこの御文の意は、観経の実義は本願真実の三信心(他力信心)であり 自力の行で観経の三心(定散二機の自力の心)を獲た方に対して真実の他力信心へ誘引した御文 であってすべての衆生が自力の三心のあとでないと真実の三信心を獲られないという御文ではない と思いますが如何?
533 :
名無しさん@1周年 :01/12/10 23:20
534 :
名無しさん@1周年 :01/12/10 23:51
観経の三心(自力の三心)って何だろう? 真実の三信心 ってなんだろう?
535 :
昔々の会員 :01/12/10 23:52
>善根を修したのは誰でしょう? 上根上智の菩薩方や二乗方なら御自分で三恒河沙の諸仏のもとで自力の菩提心をおこして 御修行されてきたことでしょうが、私のような断善根の極悪人は、阿弥陀様の遍照の光明 のお働きによって法蔵菩薩様の御修行の功徳を回向していただき生々世々の三恒値仏の御 因縁もいただくよりございませんでした。 >聖道門のみを対象に説かれた根拠をあげてください。 観経自体は、王舎城の悲劇を契機に説かれた凡入報土の経ですから、実凡も対告衆になっておりますが、 その経相の顕説の双樹林下往生は、聖道門の方に対する方便ですよという意味ですよ。泥凡夫も経にある 定善十三観方や九品の散善三福を実践しなければ、弘願真実に入れないという御教えではないですよね? >蓮如上人のおおせには従わないということでよろしいか? 従いたくても従うことができるような力も心もありません。そんな愚者、悪人でもお救いにあずかれます。 蓮如上人は「孟子」の五常を非常に大事にされましたが、善をせよというのは、俗諦の部分ではないでしょうか? 他力信を獲るのに泥凡夫でも善行を積まなければならないと言われてますか? 親鸞会で勧めておられる善も世俗 諦に関してですか?
536 :
名無しさん@1周年 :01/12/10 23:59
上根上智の菩薩ってどんな菩薩だろう? 二乗って何だろう? 凡入報土の経って何だろう? 対告衆って何だろう? 孟子の五常って何だろう? 俗諦って何だろう?
537 :
昔々の会員 :01/12/11 00:07
>十八願の至心は、他力ですが十九願の至心は自力です。
ですから親鸞聖人は、十九願の方便の実義は他力真実の至心として発願回向の義を釈
されたのではないですか? それと十七願の法体大行と願成就文の名号とはその体同じ
ではないのですか?
以上、御返答宜しくお願いします。
>>527 そんなこといついいましたか? 私が親鸞会に在籍していたのは、正味一年もないですよ。
>>525 訂正 正解は「いくたびもお手間かかりし菊の花」(加賀の千代女)
538 :
昔々の会員 :01/12/11 00:10
539 :
名無しさん@1周年 :01/12/11 00:19
実技って何だろう? 17願の法体大行って何だろう?
540 :
名無しさん@1周年 :01/12/11 00:39
>私が親鸞会に在籍していたのは、正味一年もないですよ。 1年も聞いてないのに誤りだと分かったとは凄い人だ。 それからずっと仏教の勉学にいそしんでいたのだろうか?
>一つの行体として決判されています。 どういうことでしょうか? 他の方で御判りになる方があったら説明していただけませんか? >自力の行で観経の三心(定散二機の自力の心)を獲た方に対して。 聖人は真門の四失の後に「悲しいかな、垢障の凡愚、無際よりこのかた助正間雑し 定散心雑はるがゆえに出離その期なし」と言われています。真門に入っている方は聖道門の 方たちですか?定散心があるんですよ。 「至心発願欲生と 十方衆生を方便し 衆善の仮門ひらきてぞ 現其人前と願じける」の 御和讃も「十方衆生」と仰っていると何度も言っております。 「釈迦牟尼仏、福徳蔵を顕説して群生海を誘引し、阿弥陀如来、本、誓願をおこして あまねく諸有海を化したもう」(化土巻)とも仰っておられます。 あなたは「聖道門の者への方便」と教えられたからそう思いこもうとしているんじゃ ないですか。聖人の御教えなら根拠をあげて話しなさい。 「萬行諸善の小路より 本願一実の大道に 帰入しぬれば涅槃の さとりはすなわちひらくなり」 (高僧和讃)十九願を通って十八願に入るというのが聖人の信心です。 「必ずしもそうではない」というのなら聖人がそういわれた根拠をあげなさい。 他のかたの信心については私は知らないし、興味もありません。
>三恒値仏の御因縁もいただくよりございませんでした。 「三恒河沙の諸仏の出世のみもとにありしとき 大菩提心おこせども 自力かなわで流転せり」というのは聖人が御自分のことをいわれたのです。 あなたとはちがうようですね. >定善十三観方や九品の散善三福を実践しなければ、弘願真実に入れないという御教えではないですよね? 「善をしよう」と言う心を起こさなければ十八願には入れない、と仰っています。 >善をせよというのは、俗諦の部分ではないでしょうか? 化土巻に書かれてあることが俗諦ですか。御本典ですよ。 自分に都合が悪くなると真諦を否定するのですか?恐ろしい罪ですよ。 謗法は除く、と阿弥陀仏も言われています。 >親鸞聖人は、十九願の方便の実義は他力真実の至心として発願回向の義を釈 されたのではないですか? それと十七願の法体大行と願成就文の名号とはその体同じ ではないのですか? 聖人は「方便の十九願」を仰るときには至心発願は自力です。 「顕彰隠密の義」がごっちゃになっているようですが、あなたは、今、 十九願を真実として話してるんですか?
544 :
名無しさん@1周年 :01/12/11 22:40
今晩死ぬかもしれない無常が刻々と迫っているのに、19願とか20願とか言っている暇なんてあるのですか?
545 :
昔々の会員 :01/12/11 22:52
御回答ありがとうございます。つきましては、またまた、疑問がありますので宜しくお願い します。 >どういうことですか? 一つの行体として破邪顕正をいうときは。論釈においては、非有非空の正観を証得 する聖道門の行を通常いいますよ。但し、仏教用語から転用した俗語での意味は違 うでしょう。俗流の意味では通仏教とはいえません。 >真門に入っている方は聖道門の方たちですか? 定散心があるんですよ。 その直後の有名な三願転入の御文(親鸞会の好きな?)の冒頭に「ここをもって愚禿釈の鸞 、論主の解義を仰ぎ、宗師の勧化によりて、久しく万行諸善の仮門を出でて、永く双樹林下 の往生を離る。」とありますから、先ずは御自身、利他の為にもとくに万行諸善を行じてこられ た聖道門の方を念頭に置かれているのではないですか? その直後に、「まことに 知んぬ、聖道の諸教は在世、正法のためにして・・・・」とありますように聖道門の方を誘引 された御文と拝します。大体、仏も法もない泥凡夫は、論主の解義を仰ぐことも、宗師の勧化 にしたがうような心も力もありませんよ。 それより「唯信抄文意」の引用の御文の意が、どうして全ての衆生が勧経の三心をえなければ 本願の三信に入れないの意になるのか? 解説希望します。
546 :
昔々の会員 :01/12/11 23:35
>あなたとはちがうようですね 当然ですよね。親鸞聖人とは今生だけ比べても智慧、機根の違いは、比較するのも愚かな くらいですよね。しかし阿弥陀様の御本願は、そんな極悪の私にも聖人と一味の御 信心をお与えくださいます。 >「善をしよう」と言う心を起こさなければ十八願には入れない、と仰っています。 どこにですか? >御和讃も「十方衆生」と仰っていると何度も言っています。 仏様が十方衆生に対して種々に方便されているのは、その通りですよね。衆善の 仮門もその為に開かれたのでしょう。しかし、機根や御因縁を無視される仏様では ありません。あなた御自身の為、仏様は、どのように御方便してくださっていますか? 親鸞聖人のような高徳上智な方がどんな道程で御信心をいただかれたかを真似しても できるものではないですよね。聖人が御自身の道程をどんな愚鈍の凡夫も通らなければ 御信心はいただけないといわれた根拠を逆にお尋ねしたいです。
547 :
名無しさん@1周年 :01/12/11 23:49
評論家にでもなるつもりですか? 何が正しいとか悪いとか言っている場合ですか? 今晩死ぬかもしれないんですよ! そもそも教えを、あれこれ判断しようという殊勝な心をあなたはもっているのですか?
548 :
名無しさん@1周年 :01/12/11 23:52
↑そーだそーだ!!
549 :
昔々の会員 :01/12/12 00:04
>謗法は除く、と阿弥陀仏も言われています。 まさに五逆、誹謗正法の限りを尽くしているのが泥凡夫の生活ですね。地獄一定ですね。 阿弥陀様さへ抑止されるような悪の限りの私に与えてくださった御念仏様。それさへ誹謗 の性根です。そんな極悪人も漏らさず摂取不捨して下さる御本願だから、ありがたいのでは ないですか? かたじけないのではないですか? >あなたは、今、十九願を真実として話しているんですか? 「また問ふ「大経」の三心と「観経」の三心と一異いかん。答ふ。両経の三心すなわち これ一なり。」(浄土文類聚抄 問答分) 善導大師の六字釈を親鸞聖人が釈されて「必得往生と言うは、不退の位に至ること獲ることを 彰わすなり。経は即得と言へり」(御本典 行文類) 不退の位に至る=正定聚=真実(他力)信心ですよね。親鸞聖人は、真実心に腹を据えられて 発願回向の義を釈されていますよね? 以上、またお暇な時、宜しくお願いします。
550 :
昔々の会員 :01/12/12 00:11
551 :
名無しさん@1周年 :01/12/12 00:27
あなたは、自分自身が19願の身だとか、愚かだとか、わかるような清い心の持ち主ですか? 教えを聞こうとか善をしようとかいう尊い心なんて持っているのですか? 仏教を頭で判断したり納得したり知ったりしようとするような心なんて凡夫には微塵も無い! 宿善が薄いとか言ってグズグズしてる場合ですか! すう息吐く息が死と触れ合っているんですよ! 今死ぬかもしれないんですよ!
552 :
名無しさん@1周年 :01/12/12 01:27
19願とか20願とか悠長なことを言っている暇はないのかあ。 いますぐ、18願に入らないといけないのかあ。 仏教を頭で考えたり、納得したりする暇などなかったのかあ。 19願や20願はいらないわけだったのかあ。
553 :
名無しさん@1周年 :01/12/12 02:14
19願20願がいらないのかなんて悠長な事、言っている場合じゃない! 知ってもダメ納得してもダメ理解してもダメあきらめてもダメ。 自力は一切間に合わない。 地獄逝きともわからない心。 わからないという事もわからない、真っ暗がり! それでも救いに手を出して、阿弥陀様を泣かしている! あれこれはからうその自力の心があなたを迷わせてきたのです! 死は迫っている!一息切れれば恐ろしい罪悪抱えて地獄へ真っ逆様! さあどうするのです?
>>553 いつから親鸞会は法論を止めてそんなガキのような
事をいうようになったの?(w
555 :
名無しさん@1周年 :01/12/12 03:35
あなたは、法論なんかできるような心の持ち主ですか? あなたの心は、本当に、法論がしたい、法論をしようというような善い心が起こるようなものなのですか? のんびり法論なんてしてる時間なんてあるのですか? 今死ぬかもしれないんですよ!
昔昔さん以外は誰がだれに言っているのかわかりません。名札をつけてください。 それと昔昔さんはちゃんとこちらの質問にも答えてください。 聖人の御教えの話をしているのであって、あなたの信仰の話をしているのではないんです。 「自分はなんにもできなくってすべて阿弥陀様におまかせ」という類の話でしたら yahooの掲示板なんかにキリスト教や歎異抄のトピがありますから、そちらで お仲間を探されたらいいんじゃないですか? >一つの行体として破邪顕正をいうときは。論釈においては、非有非空の正観を証得 する聖道門の行を通常いいますよ。 正観ができるのは真実信心のひとだけでしょう。信前のひとはまねしてるだけです。 きっとあなたは「破邪顕正というのは、他の諸善と違って、浄土門ではまねしてはならない 特別な行だ」ということを言いたいのかもしれない、とも思いますが、 善ならまねしてもいいじゃないか、と私は、教学にうといので、思ってしまいます。 まねしてはいけないということを、根拠をあげて教えてください。 >聖道門の方を誘引された御文と拝します。 文章をちゃんと読んで質問に答えてください。 あなたが「聖道門の方だけにいわれた方便」であると言って私のあげた根拠を すべて否定しているのですから、聖道門に「限る」と言われた根拠を 教えてください、と言っております。私は、聖人の御文をあげて、 聖道門を含んでそれに限らず信前のすべての人を方便しておられると言っているのです。 私やあなたのくだらない考えなどどうでもいいんですよ。 >どこにですか? これもあなたが自分の根拠をださずに唯信抄文意の御文を否定しているのですから、あなたの 根拠をお答えください。 私はそうは思わない、という会話は時間の無駄です。
>聖人が御自身の道程をどんな愚鈍の凡夫も通らなければ 御信心はいただけないといわれた根拠を逆にお尋ねしたいです。 聖人は他の道程を教えておられない、ということです。 「十九願を通って十八願に入るというのが聖人の信心です。 必ずしもそうではない、というのなら聖人がそういわれた根拠をあげなさい。」という のは「他の道程を教えられた御文があるのなら明示しなさい」ということです。 答えがないのは根拠がない、ということですね。 私は聖人が教えられたように求道しているだけです。あなたのように「聖人と違った道」を 行こうと思ったことはありません。それは聖人の教えではないからです。 「聖人の教えに固執するのは間違いだ」という輩がどこかの掲示板にもいましたが、 それなら浄土真宗なんて言わないでほしいものです。
>極悪人も漏らさず摂取不捨して下さる御本願だから。 だから平気で謗法しているのですか?悪にほこるのは、聖人も強く戒められています。 >親鸞聖人は、真実心に腹を据えられて発願回向の義を釈されていますよね? 観経には顕の義と彰隠密の義の両義がある、と言っております。 あなたの根拠は彰隠密の義について言われていることです。 「大経と観経、顕の義によれば異なり、彰の義によれば一なり。知るべし。」(化土巻) あなたの言っていることは片方だけですね。 方便の十九願についてお話していたはずですがいつの間に弘願の話になったんですか? 「方便の十九願」の信心が他力回向である、という根拠をあげてください。 御聖教の根拠なしでのご意見はごめんこうむります。くだらない話を聞いている暇は ありません。他の方からもそう言われていますので、悪しからず。 >のんびり法論なんてしてる時間なんてあるのですか? 今死ぬかもしれないんですよ! あんたものんびり書きこみしてる時間があるんですか? あんたたち程度のつもり信心に責められても、ぜんぜん腹底にはひびかんね。 「信無き故に力なし」まことなり。あわれな。
559 :
名無しさん@1周年 :01/12/12 18:35
響くような腹底か? 醜い心を抱えながら、まだ善が出来ると思っている。 自分の頭で、救いを想定し、弥陀を泣かせている。 自分自身が救いを遠ざけている。 いったい、いつまで生きていられると思っているのか? 後先の事、考えている時点で、まだ自分は死なないと思っている。
561 :
名無しさん@1周年 :01/12/12 19:57
他人の事、心配している場合か? 「あなたはどうなの?」って、言っている暇なんてあるのかよ。 真剣に求めていたら、人の事など構ってられなくなるんじゃないの?
562 :
名無しさん@1周年 :01/12/12 20:59
>>561 ここに書込んでいる暇なんてあるのかよ。
563 :
名無しさん@1周年 :01/12/12 21:22
仏法について書き込こもうとするような心なんてあるのか? なぜ、ここに書き込もうとするのだ?
564 :
昔々の会員 :01/12/12 22:18
お忙しそうな中、早速の御返答ありがとうございました。つきましては、未だ、若干
疑問がありますので宜しくお願いします。
>まねしてはいけないということを、根拠をあげて教えてください。
質問の原点を思い出してくださいよ。
>>429 何故、凡夫には実践困難(不可能)な聖道門の難行を未信の方には、信をえる方便として
信後の方には、当然実行すべき報恩行として行しなければいけないのか? ということを
お聞きしているのですよ。 三業相応しなければ実践している、行じている、とはいえません。
まねなどと簡単にいわれるが、我々泥凡夫にそんな難行の真似でもできますか?まねしてはいけ
ないなどとは一言も申しておりません。親鸞聖人が我々にそんな難行を行じなければならないと
どこで言われてますか? 他の方の御信心は関係ないと言われますので余計かもしれませんが
おかるさんの「無理な教えじゃないわいな」というのは嘘ですか? それこそ根拠がないと思い
ますが。> 信仰のことは関係ない、親鸞聖人の教えの話だ。 あなたは学者になるつもりですか?
>私は聖人が教えられたように求道しているだけです。 その前に脚下照顧されて求道していますなど
といえる身かどうか内省されてみたら如何ですか? 仏教は業感縁起ですよ。まねできるかどうか自己
に問うのが何よりの根拠、証明ではないですか?
565 :
名無しさん@1周年 :01/12/12 22:32
方便として教えられているからってなぜ方便の教えをわざわざ実践しようと思うの? なぜ真実に飛び込もうとしない? 真似するとかしないとかまだ自分のやった行為で救われると思っている。 まだ自分が獲信出来ると思っている。 救われるような心か?
566 :
昔々の会員 :01/12/12 22:58
>あなたの根拠をお答えください。 あなたが引用されました「唯信抄文意」の御文は、「自力の行で(できる方=聖道門の方が) 観経の三心を獲られても、大経の三信(=他力の真実信)を獲なければ実報土への往生は かないませんよ。」と方便の要門を実践なさっている方を弘願真実へ誘引された御文であること は、文脈からあきらかではないですか? それを「善をしよう」という心を起こさなければ十八 願へ入れないという根拠とされていますので、どうしてそんな意味になるのか? をお尋ねしているのですよ。 >聖道門に「限る」と言われた根拠を教えてください。 観経顕説の定散二善が、実際に実践できる方は、聖道門の方に「限る」のではないですか? 「善をしよう」という心が‘本当に’起こせるのも聖道門の方(二乗、菩薩)に「限る」の ではないですか? あなた自身は、どうなのですか?
567 :
名無しさん@1周年 :01/12/12 23:03
真似出来るようなやつか? 真似しようとする心なんて持っているのか? 弥陀におまかせ出来るような心か? おまかせしようとする心さえもたないんじゃないの?
568 :
名無しさん@1周年 :01/12/12 23:40
>>567 あなたは、いつそんな心とわかりましたか?
569 :
昔々の会員 :01/12/12 23:59
>だから平気で謗法しているのですか? あなたはどうですか? あなたは、五逆、誹謗正法の心はありませんか? 悪業煩悩はお許し の機ですよ。 仏智疑惑の自力の執心を以ってこそ生死輪廻を繰り返しているのではない ですか? >聖人は他の道程を教えておられない。 >それは聖人の教えではないからです。 聖人の御教えは、本願成就文(「聞其名号、信心歓喜、至心回向、願生彼国。」)の義相を 彰かにし、浄土真実の一乗を開顕してくださったことですよね。其の為の方法論を実践せよ という御教えではないですよね? 方法論は、全て阿弥陀様の願行にあります。御名号は衆生 往生浄土の業因であり、本願召喚の勅命ですから、いまここでいただく他ないではないですか。 「信楽を獲得すること如来選択の願心より発起す」(御本典 信文類別序) その仏願をいただく =御名を聞かせていただく の他に浄土真実があると仰っていますか? 親鸞聖人が、あなたにも 御自身の道程を通って弘願に入ってくださいという御教えですか? >十九願を通って十八願に入るというのが聖人の信心です。 聖人は、御本願に入るまでに自力に執し回り道してきたことを懺悔されるとともに、それらの 道程が、御自身一人のために一つの無駄もない阿弥陀様の御方便だったと歓喜されたのではない ですか? まして、その道程を何か律法の如く、泥凡夫に勧めておられますか。同じ如来大悲の お目当てとして、勿体無くも我々にかしずかれたのではないですか? それが「御同行、御同朋」 「親鸞は弟子ひとりもたず候」の御心ではないですか?
570 :
昔々の会員 :01/12/13 00:15
>あなたの言っていることは片方だけですね。 聖人が、発願回向の実義を他力回向(彰の義)と開顕されたのに、わざわざ、方便 の自力回向(顕の義)で解釈なさっているところがありますか? そんな必要ないで しょう。 まあ、お忙しいようですので、くだらないと仰るなら無視してくださって結構です。 まあ、嫌でなければお付き合いしてください。 私の明晩(かと思ったら)今晩は、 忘年会の為、休養します(もう来なくていいってか。失礼)。では、おやすみなさい 南無阿弥陀仏 南無阿弥陀仏 南無阿弥陀仏 南無阿弥陀仏 南無阿弥陀仏
571 :
名無しさん@1周年 :01/12/13 00:16
自分の心がわかるようなやつか? 方法とか道程とか言っている人いるけど、自分の力で進めるのか? 進もうと思うような心が起こる自分なのか? すぐに阿弥陀様とか聖人とか言って救いに手を出している。 まだ救われる可能性があると思っているの?
572 :
名無しさん@1周年 :01/12/13 00:18
あんたはそのようなこころが自分の心だといつわかったのですか?
573 :
名無しさん@1周年 :01/12/13 00:28
いつわかったのかと聞いているけどまだ、あなたはわかる時が来ると思っているの? まだ自分はわかる事が出来ると思っているから、他人の意見を聞いて、救いに役立てようとしているんじゃないの? 誰も助けてなんかくれませんよ。
575 :
名無しさん@1周年 :01/12/13 05:36
他人ばっか見てないで、如来様を見たらどうだ。自分を見つめてみたらどうだ。
576 :
名無しさん@1周年 :01/12/13 05:51
アホ〜 アホ〜 アホ〜 アホ〜 アホ〜 アホ〜 アホ〜 アホ〜 アホ〜 アホ〜 アホ〜 アホ〜 アホ〜 アホ〜 アホ〜 アホ〜 アホ〜 アホ〜 アホ〜 アホ〜 アホ〜 アホ〜 アホ〜 アホ〜 アホ〜 アホ〜 アホ〜 アホ〜 アホ〜 アホ〜 アホ〜 アホ〜 アホ〜 アホ〜 アホ〜 アホ〜 アホ〜 アホ〜 アホ〜 アホ〜
577 :
名無しさん@1周年 :01/12/13 05:57
自分の心が不安だから、相手をけなす事で安心している。 本当の安心にはならないのに。 そんな愚かさにも気付かないのだろうか。
578 :
昔々の会員 :01/12/13 07:08
>>569 訂正 本願成就文
「聞其名号、信心歓喜、乃至一念、至心回向、願生彼国。」
>>577 適当に見てたんですが、時折鋭いことを言ってるように見えますが。
本当の安心にならない自己であるならば、577さんは、
「対策」はどのようにとられているのですか?
580 :
名無しさん@1周年 :01/12/13 17:38
自分でやるどんな対策も役立たない。 対策をとろうとする心さえ無い。 そんな自分だという事もわからない。 自分には何にもわからない。 どうする事も出来ない自分、地獄行きともわからない真っ暗な自分。 絶対助からない極悪人。
>その前に脚下照顧されて求道していますなど といえる身かどうか内省されてみたら如何ですか? イダイヶが脚下照顧してたら観経はなかったでしょうね。 「定善をしなさい」「できません」 チャンチャン > 自力の行で(できる方=聖道門の方が) 観経の三心を獲られても イダイヶは自力の行ができたんですか?観経は聖道門のひとに 説かれたなんて初耳だな。 >聖道門の方に「限る」のではないですか? イダイヶは聖道門のひと? >悪業煩悩はお許しの機ですよ。 聖人は悪にほこることを許してはおられません。 > 親鸞聖人が、あなたにも 御自身の道程を通って弘願に入ってくださいという御教えですか。 阿弥陀仏のつくられた道程なんですよ。 「如来、世に出興して道教を光闡し群萌を救い恵むに真実の利をもってせん と欲すなり」(教巻) 道教(方便)から真実の利(弘誓)へ、と仰っています。 >御自身一人のために一つの無駄もない阿弥陀様の御方便だったと歓喜されたのではないですか? そうです。聖人のためであり、十方衆生のための方便です。 >そんな必要ないでしょう。 浄土へ行かれたら「聖人さま、化土巻はいらんものでした。よけいなこと 書いていかれて迷惑しました」とお伝えください。 >571 なんか華光会のものいいに似てるなあ。 名前だせよ、誰がだれに言ってるかわからんよ。
582 :
名無しさん@1周年 :01/12/13 21:04
方便として教えられたのは、選び取る為ではないのか。 方便かどうかわからんやつは、実践してみよって事じゃないの。 方便として示されているのに、わざわざまわり道をして方便から進もうとするのはおかしい。 今まで、すでに方便の道を通って来たのがわからないのかなぁ。 19願にとどまってなぜ次の20願や18願に一歩進もうとしないのだろう。
583 :
名無しさん@1周年 :01/12/13 23:30
584 :
名無しさん@1周年 :01/12/14 01:58
真実を求める者がなぜ方便の教えをわざわざ求めるのだろう。 聖人が、仮だから捨てなさいと示されているのに、捨てようとしない。 捨てようとしない者に、捨てられない自分だったと知らされる時があるのだろうか。 念仏には、万行諸善の功徳がおさまっているのに、なぜに念仏一つ専らとなえないで、諸善をやろうとするのだろう。 そんなに念仏が信じられないか。 そんなに名号をつくられた阿弥陀様の御苦労を、無駄にしたいのか。
>>580 「対策」が役に立たない、とかは分かるような気もしますが。
でも「そんな自分だとも分からない」ってどういう事ですか???
586 :
名無しさん@1周年 :01/12/14 03:37
わかるとかわからないとか自覚出来ない心を持っている。 罪悪を自覚出来るような、善い心なんてあるだろうか。 本当の自分の姿を知る事が出来るような、殊勝な心がどこに存在する。 真実の自己を知ろうという心さえ無い。 なぜこんな事が知らされるのだろう。考える事が出来るのだろう。 尊い心など露塵程も持ちあわせていないのに、なぜ私の口からお念仏が出るのだ。 不思議である。
分かりそうで分からん(゚д゚)
588 :
名無しさん@1周年 :01/12/14 04:48
頭でわかっても、何の役にも立たない。 話しとして聞いているだけでは、なんにもならない。 心をながめてみなければ。 逆法の屍って言われるけど、なぜ屍と言われるのだろう。 聞いても、うんともスンとも聞かない死んだような心があるからではないのか。 そんな恐ろしい心があると知らされた時、驚かざるをえない。
589 :
名無しさん@1周年 :01/12/14 10:13
>>582 >19願にとどまってなぜ次の20願や18願に一歩進もうとしないのだろう。
それは高森の教えにある意味忠実だからでしょう。
高森は、金集めや人集めを会運営の一番の目的にしているから、
それに都合の良い法施や財施の勧めが出来る19願に固執し
た教え方をしているんじゃないの?
そうでないと20願を取り分け勧めない説明がつかないね。
だって、応病与薬なら、場合によっては20願を勧めないと
いけないんじゃないの??
そこを考えると、親鸞会の会員さんは皆19願にも満たない
信仰だから、高森がことさら、これを強調しているって言う
説明も出来なくはない。一連のカキコを読んでいると後者も
ありうるなって思ったりするね。
でも多分前者の理由が強いだろうね。
590 :
昔々の会員 :01/12/14 22:31
>>581 御返答ありがとうぞざいます。早速、益々、疑問がありますので宜しくお願いします。
>観経は聖道門のひとに説かれたなんて初耳だな。 >イダイケは聖道門のひと?
まあ、観経を巡る真仮、権実関係は錯綜してますので(わたしも教学にはうといので)
説明がこんがらがっているかも知れませんが
>>535 で言いましたように観経の表向きの
説相が、聖道門の方を誘引する為の御方便だということですよ。観経を観仏中心に解された
天台大師(現在は仮託説が通説)や嘉祥大師、浄影寺慧遠といった方たちは、韋提希婦人は権化と釈され、慈恩大師
は、韋提希婦人は実凡だがお浄土は化土だと釈されました。善導大師お独り韋提希婦人は実凡で
お浄土は実報土、行も阿難尊者へ付属された無観単称のお念仏に腰を据えられたうえで定散諸善をあらわし、凡入報
土の義を顕開してくださいました。聖人は、さらに利他通入の一心=如来の弘願という教相に隠された密意の実義をあらわして
凡夫直入の唯信の誓願一乗を顕開してくださったのですよね?
591 :
昔々の会員 :01/12/14 23:24
>阿弥陀仏のつくられた道程なんですよ。 ここで道教といわれているのは、八万法蔵のことですよね? ここでは、教主(ここではお釈迦様)の御化導の 始終について述べられているのではないでしょうか? 行者の道程が、道教→真実の利であるとの意味ではないと 思いますが? まあ、「大経下巻 正宗分 釈迦指勧」のことを仰っているのかも知れませんが、これはお相手 が弥勒菩薩様ですので、凡夫の分で思量させていただきますと、法蔵菩薩様の御苦労を思わせていただくばかりで とても生々世々で諸仏のみもとで修行させていただいたとは思えません。それでもかの仏名を聞かせていただき歓 喜踊躍させていただけたことに感謝に耐えません。別願のなかの別願たる十八願のお力、極重悪人唯称仏陀の勧励 のお陰です。
592 :
名無しさん@1周年 :01/12/14 23:37
>>590 >わたしも教学にはうといので
そうだったのですか!
知識は相当おありのようですが。
どのような点がうといのでしょうか?
正確さでしょうか?
593 :
昔々の会員 :01/12/14 23:47
>十方衆生のための方便です。
まず、自力の諸善、自力の正行を潜ってから十八願に入るというのが十方衆生の
ためでしょうか?
>>448 >>455 であなたは、阿弥陀仏に一向専念して行ずることが正行
だと言われましたが、泥凡夫に自力でそんなことが可能でしょうか? 「大経下巻
正宗分 衆生往生因」によりますと下輩の一向専念は、「若し深法を聞きて勧喜
信楽し、疑惑を生ぜずして・・・・」とありますようにあきらかに他力真実の信楽のこと
ですよね? そうすると他力(一向専念阿弥陀仏)にならなければ自力(の三心)になれないし、
自力(の三心)にならなければ他力(の信楽)になれないという循環論法に陥っておかしなことに
なるのではないでしょうか? それともここで言われる一向専念阿弥陀仏とは、上輩、中輩のことでしょうか?
しかしこれは、出家して沙門にならなければなりませんね。在家止住ではないですよね?
594 :
名無しさん@1周年 :01/12/15 00:09
>>581 >「定善をしなさい」「できません」 チャンチャン
イダイケはわたしにできると思ったから、定善をしよとしたのでは?
はじめからできないとわかっていたら、やらなかったのでは?
後世の我々は、もうできないということが、わかっているのだから
やる意味はないのでは?
595 :
昔々の会員 :01/12/15 00:28
>「化土巻はいらんものでした。よけいなことを書いていかれて迷惑しました」とお伝えください。 方便化土文類は、浄土真実文類で正意をあらわされた後、教相の真仮偽を判釈されて聖道諸師や浄土 各師を誘引なされたのではないかと思います。聖人は、ズーとそこで御育てを受けつづけてこられた のだから当然ではないでしょうか?勿論、末代への御化導のためもあるでしょう。聖人の御信心は十九 願→十八願ではなく、あくまで十八願成就の信楽であって十九願は、御自身の道程ですよね?何故、道程 が御信心になるのでしょうか? あくまで信心へのプロセスであり全て無駄のない如来様の御方便であった いう告白も御自身の御味わいであって十方衆生に同じ道程を通りなさいとは、仰っていないと思いますが如何? 三願転入の解釈については、宗乗のうえでも色々説があるようで、「果遂の玄旨」とい うこれは、必ずしも聖人の御体験を時系列で表現されたものではないという説も有力であり私もそう思います。 教判と聖道門であるような修行の階梯とは、全く次元が違うのではないですか? 高森師も七大経(七大経?)とかいう 天台の五時説の法華涅槃時に大経を挿入した独自?の教判をたてられいますが、五時説自体、近代の文献批判を待つまでもなく 天台大師は、時系列ではなく、釈尊の一代教説という言わば神話に仮託した形で経典をカテゴライズされたんですよね。教判の時 系列を実践の階梯として教条化されるなら、先ず華厳からはじめなければならなくなりますよね?
596 :
昔々の会員 :01/12/15 00:48
続き うえの括弧内の七大経は七代経です。どっちだったかな? それともこの教判は親鸞聖人 の説ではなく高森師独自?のものだから、したがわなくてもよいのかな?そういえば高森 師にはもう一つ三重廃立という独自?の教判もありますが、これでいう真仮廃立というのは 、自力の十九、二〇願を捨てて他力真実の十八願に入れというのとは違うんでしょうか?先ず 外道から始めよということですか? >聖人は悪を誇ることは許しておられません。 造悪無碍は許してはおられないでしょう。歎異抄の問題の13条はどう解しておられるん でしょうか? まあ、親鸞聖人の直筆でない傍系の御聖教ですから親鸞会では用いないんでしたね? しかし、輪廻の因たる元品の無明は、悪業煩悩ではなく御本への自力疑心だということについてはどう 思われますか? 嫌でなければ、また、お付き合いください。 >正確さでしょうか? それもそうですね。間違いばかりで冷や汗ものです。
597 :
昔々の会員 :01/12/15 00:51
598 :
名無しさん@1周年 :01/12/15 01:11
仏教はそうとう奥が深そうだ。
599 :
昔々の会員 :01/12/15 01:43
>>593 失礼、中輩は、出家しなくていいです。でも沙門を一杯供養して塔像起立できる大
檀那にならなければならない。貧乏人には無理ですね。
「わからんわからん」とさえ言っていれば あたかも何かが分かっている気になる勘違い(ワラ
昔昔さん あなたは何にも善いことのできない泥凡夫なんでしょ。 だったら私に反論するのもやめなさい。 善はできないんだから。全部、悪なんだから。 善悪もわからないんでしょ。 善いと思うことはできないんでしょ。 御恩報謝の心もないし、人にも話できないし、念仏も称えられないし、 何にも善いことはできないんでしょ。 「悪いことやってる」と思って書き込みしてるのかな? やらずにおれなくって悪をやってるのかな。 だったら造悪無碍だよ。 悪いことしかできなくて、「わるいことはやめなさい」って 言われたら、ボーっとしてるしかないよね。それも悪だけど。 あなたは「自分は悪しかできない」と判っているそうだから ボーっとしてなさい。ずーっとね。前にそういっただろ。
602 :
名無しさん@1周年 :01/12/15 13:24
わからんと言っている人は、まだわかる時が来ると思っている。 何にもしなくていい、ボーっとしていればいいと言っている人も、そうしていれば救いにあずかれると思っている。 自分が救われる可能性が少しでもあると思っている。いや思いたいのだ。 思わずにはおれない程、こわいのだ。救われるような心か。
603 :
名無しさん@1周年 :01/12/15 14:57
救われるためには、いわゆる諸善は役にたたないということ? 念仏だけが、救われる善だということ? 諸善は救われるためにやっても、やらなくてもいいのか? それとも諸善は救われるために必須のものなのか? つまり、必ずやらねばならないもの?
604 :
名無しさん@1周年 :01/12/15 15:28
救われる為とか、救われる善とか、役に立たないとか、やらなくてもいいとか、必須のものとか、やらねばならないとか言って、まだ救われると思っている。 まだ善が出来る自分だと思っている。 善をしようとする心があるとでも思っているのか。 自力が役立つと、まだ思っている。自分の力で念仏がとなえられると思っている。 諸善をやらなくていいのかと言って、まだ救われる可能性を見出そうとしている。 自分の人生をより良く生きる為に、安心満足になりたいが為に、善を利用しようとしている。 仏法を道具にしているのだ。 それが恐ろしい大罪だと知らずに。
605 :
昔々の会員 :01/12/15 16:23
話題提供氏へ
まあ、御返答がお嫌ということでしたら仕方ないですね。長いことお疲れ様でした。
反論ではなくて、あなたの返答に関してあまりに疑問が多いのでお尋ねしているのですが。
あなたは泥凡夫じゃないのですかね(そしたら気楽にあなたなどとは呼べない方か)?
だから、他人に対してそんなに偉そうでいられるんですかね? 長いことお時間を取らせ
て失礼しました。これまでの御返答感謝致します。
>>600 もしかして私にいっているのかな? 話題氏ではないが名札がほしいですね。
「わからんわからん」とさえ言ってれば何かがわかった気になっても阿弥陀
様のお救いはいただけませんよ。御六字の御心(御本願の生起本末)を聞かせて
いただかなければ。御念仏さまのお救いのことであって世間の事はどうだか知り
ません。
> まあ、御返答がお嫌ということでしたら仕方ないですね。 こういう返答ではお気に召しませんか? あなたの返答にはこの程度でお返しして適当と思いましたが。 あいかわらず、根拠なしで答えられるからね。 「イダイケが聖道門のひとかどうか」なんて問いにまともに答えない人に こちらもまともにお答えする必要ありますか? 「自分は何にもできない」ということを根拠に 聖人のお言葉さえも否定されるから 「それなら書き込みもされねばよろしい」と申し上げまでです。 「何にもできない」はずのひとが何でお聖教のおことばを出して 話しているのですか? 「よいこと」と思っているからでしょう? 「善はできません」なんて思ってもいないことをすらすら書くひとと 話するのは赤ちゃんの相手するみたいで大変疲れます。 言っていることとやっていることが違うのだから。 >あなたの返答に関してあまりに疑問が多いのでお尋ねしているのですが。 聖人の御教えに関しての疑問を晴らしたいのなら、私の質問にも 根拠をあげて答えてください。 御自分の矛盾をそのままにして人に納得させろ、とは自分勝手な話です。 あなたにとってはそれでもいいのかもね。 「なんにもできないひとをお助け」だから。 >「わからんわからん」とさえ言ってれば何かがわかった気になっても阿弥陀 様のお救いはいただけませんよ。 「できないできない」とさえ言ってれば何かいただけた気になっても阿弥陀 様のお救いはいただけませんよ。 言葉をかえればそのままあなたのことですよ。
私は善いことだと思っているのでお答えしましょう。(善をしているとは いいません) >590 イダイケは聖道門のひとではありませんが、釈尊は定散ニ善を説かれたのです。 >行者の道程が、道教→真実の利であるとの意味ではないと 思いますが? 他の道程がある根拠を重ねてお尋ねいたします。 あるいは道程がないならその根拠も。 あなたの思いなどは結構ですと申しております。 >後世の我々は、もうできないということが、わかっているのだから やる意味はないのでは? 末法の機のほうが優れているなんてことはありえないでしょう。 >教相の真仮偽を判釈されて聖道諸師や浄土 各師を誘引なされたのではないかと思います。 浄土諸師が増えましたね。ついでに十方衆生もつけてください。 >先ず外道から始めよということですか? 諸善万行のなかで聖道の諸教は方便ではありますが、「期を失し」ているのではぶかれています。 外道は当然、はぶかれています。化土巻をよくお読みください。 貴方のここの書き込みはやっぱり悪なんですか? ひとりごといってると病気になりますよ。 会話を成立させましょう。
608 :
名無しさん@1周年 :01/12/15 17:38
?が多い人はいろんなスレ嵐まくってるから 答えなくて良しです。
609 :
名無しさん@1周年 :01/12/15 18:01
話題提供さんへ、 人の事を造悪無碍と勝手に決めつけているけど、 貴方の書き込みの方がよっぽど、造悪無碍の異安心に見えます。 結局、答えに窮しているんじゃないの??
610 :
昔々の会員 :01/12/15 22:48
まあ、お付き合いいただけるんですか? 赤ちゃんといわれれば、違うともいえませんが、 しかし、他人の質問をもう少し丁寧に読んでいただきたいと思います。質問に対する答え になっていないですよ。 >「よいこと」と思っているからでしょう。 かねて親鸞会について疑問に思っている所があり、折角、あなたという論客が来てくれたので 質問させていただいているんですよ。まあ、我欲からですね。「よいこと」ではないですよね? >御自分の矛盾をそのままにして 具体的に教えていただけませんか? >釈尊は定散二善を説かれたのです。>「イダイケは聖道門のひとかどうか」という問いにまともに答えない 凡夫であるイダイケに定散二善を説かれてイダイケの無生法忍の得証を説かれた観経の諸行往生の表向きの説 を聖人は、聖道門の方を誘引するための方便とみられて凡夫直入の唯真の真実が隠れた観経の仏意だとみられた んですよ。他力信心ひとつでどんな凡夫も救われるというのが真義ですよ。ですからイダイケは当然凡夫ですが 、聖人は、王舎城の悲劇自体が如来様の御方便だったとしてその意味ではやはり権化であると御味わいなさって いますよね。 >「できないできない」と言っていれば何かいただけた気に だから、仏願の生起本末を聞かせていただかなければ、お救いはいただけないと言っているじゃないですか? >他の道程がある根拠を・・・ あなたがあげられた大経の御文は、釈尊の御化導についての御文で(行者の能修の道程とは)文意が違うのではないかと言ったんですよ。 ちゃんと読んで下さい。
611 :
名無しさん@1周年 :01/12/15 22:54
おいおい!ここは親鸞会の内部事情についてのちくりスレだよ! 教義論争は他でやってくれない?
612 :
名無しさん@1周年 :01/12/15 23:16
>>611 >おいおい!ここは親鸞会の内部事情についてのちくりスレだよ!
誰がそんなこと決めたんだろう?
かってにチクッテいるあんたらを放置してもらってるんだから、
論争やってる人間も放置してあげればいいじゃないか?
>教義論争は他でやってくれない?
かってがいいから、ここでやっているんじゃないか!
そんなことわからないのか。
613 :
昔々の会員 :01/12/15 23:17
>続き
衆生往生の因行は、法体大行の御名号ですよと何度も申しあげていますよ。付け加えるなら御縁
は、光明ですよね。「光明名号顕因縁」
>浄土諸師が増えましたね。
聖人と前後して浄土門に帰依された諸師は、皆、聖人同様、聖道門の御修行に励んでこられた
方ですよね。しかも御出家の沙門ですよ。聖道門の悉地を成就された方もおられたでしょうし
ただの凡夫とは違いますよね?まあ、これは、私の推測を言っているだけですよ。あなたが、十
方衆生の必ず通る道程だとする根拠もあげられてないですよね?
>化土巻をよくお読みください。
私の質問は、高森師の言われる三重廃立でいう真仮
廃立というのは、自力方便の十九、二十願
を捨てて、他力真実の十八願に入れということではないのですか? という質問ですよ。高森
師の説であって、親鸞聖人の説ではないから関係ないのであればそのように答えてください。
>あなたのここへの書き込みも悪ですか?
如来様から御覧になれば、一切の業が悪ですよね。
あなたは一善も無しということをどのように味わっておられますか?
他の質問
>>593 >>595 >>596 への御返答も宜しくお願いします。
614 :
名無しさん@1周年 :01/12/15 23:44
こんスレ荒らしだとか、荒らしじゃないとか関係あるか? 何をもって荒らしだとか言ってんだろう。
615 :
名無しさん@1周年 :01/12/16 01:10
話題提供氏は議論の仕方がすごく雑。 7.8割方正しいこと言っていたとしても、それが打ち消されてしまう。 聞こうと思っていた話でも、聞く耳もたなくなってしまう人もいるのでは。
616 :
渡海 難( p0416-ip01hodogaya.kanagawa.ocn.ne.jp) :01/12/16 11:04
>質問に対する答えになっていないですよ。 あなたの期待する答えを待っても無理ですよ。 理解できないのはあなたなんだから。また根拠なしで話をされましたね。 >「よいこと」ではないですよね? 正しいことを明かにするのはよいことだと思います。 同じに心に毒を含むので「雑毒」ですが行為そのものが悪ではありませんよ。 >聖人は、聖道門の方を誘引するための方便とみられて。 だから「聖道門に限る」根拠をお尋ねしております。お聖教の根拠がありません。 あなたの言い方では「十方衆生と説かれていても聖道門だけ」という無理な 解釈です。 >仏願の生起本末を聞かせていただかなければ。 べつに異論はありません。「善」が「聞」の因縁になるか、否かという話をしております。
>具体的に教えていただけませんか? 聖人の御教えと言いながら、「聖道門に限る」という根拠を聖人の お言葉で出さないことです。私は何度もお聞きしていますが、 どこかで出されましたか? 「十方衆生」が「聖道門だけ」なら18願も聖道門の人だけですね。 >釈尊の御化導についての御文で(行者の能修の道程とは) 文意が違うのではないかと言ったんですよ。 「釈尊が修善を御化導された」文としてあげています。 ほかの御化導はないですね。 聖人の御化導でもありますが、あなたの能修の道程がこれと違うと いわれるので、それを許された根拠を聖教の御文であげてください、と言っています。 >衆生往生の因行は、法体大行の御名号ですよと何度も申しあげていますよ。 別に異論はありません。 私は「自分のやった善が往生の役にたつ」などとは言ったことはありません。 「善ができる」といったこともありません。 因縁(方便)である、というのが「役に立つ」と聞こえるんでしょ。 聞きぞこ無いですよ。獲信してなくてもこれは聞きけることです。 こんなことが判らないのはあなたの信仰が赤ちゃんだという証拠じゃないですか。
>聖人と前後して浄土門に帰依された諸師。 浄土門に帰依されても聖道門ですか。また根拠なしですね。 >あなたが、十方衆生の必ず通る道程だとする根拠もあげられてないですよね? 聖人が教えられたのがこの道程である、と言っております。 他の道程を許されたというなら根拠をあげてください、と言っております。 聖人の御教えでない話なら、どんなことを信じてもあなたの勝手です。 他宗のひとに聖人の根拠を求める気はありません。
>廃立というのは、自力方便の十九、二十願 を捨てて、他力真実の十八願に入れということではないのですか? 法然上人は行行相対で教えを説かれたので念仏諸善廃立というかたちに なっています。しかし、法然上人においても信後の諸善は助業とされて 捨てるべき「雑行」とはされていません。善自体を捨てておられるのでは ないのです。 その御心を明かにされたのが真仮廃立です。 親鸞聖人の説かれた真仮廃立は「真宗においては専ら自力を捨ててうる 他力に帰するをもって宗の極致とする」(改邪抄)というお言葉のとうり 「雑行を捨てよ」といわれるのは「諸善を回向しようとする自力を捨てよ」という 意味であって善行自体を捨てよ、ということではありません。 「この要門より正助雑の三行を出せり」(化土巻) 正行の体は善なんですよ。行信の行の話です。 正行には他力の専修も含まれています。 これを捨ててしまえばあなたのように「ご恩報謝しようともしない、つもり信心のひと」 が出てくるのです。「善を捨ててしまっている」のですから。
>話題提供氏は議論の仕方がすごく雑。 この程度の信仰のひとには細かい話はできませんよ。 聖人の根拠があるか、ないか。それだけ。
622 :
ex飼い員 :01/12/16 22:13
御恩報謝する気は起きないんだよ。 だから「念仏称えるべし」、なんだよ。 南無阿弥陀仏の意味をよく心得て念仏すりゃいいんだよ。 親鸞会の人は高森の巧みなレトリックに騙されて誰も信心を得られない。 高森は18願の世界に鍵をかけた。念仏の世界へ誰も行けなくなった。 本願をありがたく受け取り、念仏称える人の口を手で塞ぐような奴だ。 法の魔障、仏の怨敵とは高森のことだ。
>593 >泥凡夫に自力でそんなことが可能でしょうか? なぜ釈尊がイダイケに善をすすめられたのか、よく考えられることですね。 総序のお言葉を読んだことがありますか。 「ひそかにおもんみれば、難思の弘誓は....乃至。 しかればすなわち、浄邦縁熟して、調達ジャ世をして 逆害を興ぜしめ、浄業機あらわれて、釈迦、イ提をして 安養を選ばしめたまえり。 これすなわち権化の仁、ひとしく苦悩の群萌を救済し 世雄の悲、まさしく逆謗セン提を恵まんと欲してなり」 聖人は王舎城の悲劇を、十方衆生を導くための仏さまの お芝居とみておられるのです。 「大聖おのおのもろともに 凡愚底下の罪人を 逆悪もらさぬ誓願に 方便引入せしめけり」 これも聖道門のひとだけのことですか? 総序から聖道門の人を方便されるとはどういうことでしょうか。 イダイケには「善はできないよ」と言ってもわかりませんので 釈尊は「定善をしてごらん」と言って実際にやらせて できないことを知らせるのが目的です。 後世のものは善ができないことを言っただけでわかる、すぐれた機 なのですか?たいしたうぬぼれですね。 「善ができると迷っているのは聖道門だけだ」自分はちゃんと知っている なんて邪見驕慢の親玉ですよ。
>595 >十方衆生に同じ道程を通りなさいとは、仰っていないと思いますが. 相変わらず根拠なしの自分の思いにしがみついていますね。 あなたは化土巻を実際に読んだことがあるんですか? 「しかるに濁世の群萌、穢悪の含識、いまし九十五種の邪道を出でて 半萬権実の法門に入るといえども真なる者ははなはだもって難く 実なる者ははなはだもって希なり。乃至。 是を以って、釈迦牟尼仏、福徳蔵を顕説して群生海を誘引し 阿弥陀如来、本、誓願を発して普く諸有海を化したもう」 外道をすてて仏法を求めていると言っても真なる者は少なく 外道の心を捨てきれぬ偽者ばかりだ。 これを憐れんで釈尊が観経のおしえをあらわして 本は阿弥陀仏の19願を発して十方衆生を誘引されたのだ。 「三経の方便は即ちこれ諸の善根を修するを要となす」(化土巻) 修善は浄土の方便のかなめである、との仰せです。
続き 「(小経の)顕というは経家は一切諸行の少善を嫌貶して 善本徳本の真門を開示し自利の一心を励まして、難思往生を勧む」 「それ濁世の道俗、速に円修至徳の真門に入りて難思往生を願うべし」 「釈迦牟尼仏、功徳蔵を開演して十方濁世を勧化したもう。 阿弥陀如来本果遂の願を発して諸有の群生海を悲引したまえり。」 小経では修善をさしおいて二十願の念仏を、濁世の道俗に勧められている。 「おおよそ大小聖人、一切善人、本願の嘉号をもって己が善根とするが故に 信を生ずることあたわず、仏智をさとらず」 次に、自力の念仏を切り捨てておられます。 群生海、十方濁世と言われて三願転入の順に書かれています。 最後にご自分の三願転入を書かれているのです。 これを聖人だけの味わいと釈する根拠はどこにあるんですか?
続き2 御和讃にも 「至心信楽欲生と 十方諸有をすすめてぞ 不思議の誓願あらわして 真実報土の因とする」(18願) 「至心発願欲生と 十方衆生を方便し 衆善の仮門ひらきてぞ 現其人前と願じける」(19願) 「至心回向欲生と 十方衆生を方便し 名号の真門をひらきてぞ 不果遂者と願じける」(20願) 十方諸有、十方衆生といわれています。 私達のことではないと強弁する根拠はどこにあるんですか?
続き3 「聖道の諸教は在世正法のためにして全く像末法滅の時機にあらず、 すでに時を失し機にそむけばなり」 「諸の修多羅によりて真偽を勘決し外教邪偽の異執を教誡せば」(化土巻) 聖道門と外道にかんしては浄土の方便とは明らかに違ったあつかい をされています。 「外道からはじめるのか」などの問いはいかに御本典を無視しているか 明かではありませんか。
628 :
昔々の会員 :01/12/16 22:32
御返答ありがとうございました。それについてなお、疑問がありますので未回答の質問 とあわせて宜しくお願いします。 >無理な解釈です。 >浄土門に帰依されても聖道門ですか。また根拠なしですね。 私は、行者の機情に約して言っているんですよ。観経顕説の諸行を実際に実践できる 方は聖道門の方に限られますよね。根拠といっても三量批判のなかでは、聖教量ばかり でなく、現量も比量もありますよね。あなた自身が実践できる機か否かが、現量であり 根拠ではないですか? 聖人は、観経の表向きの説を全て、大経の三心に腹を据えられ て実義で読みかえておられますよ。当時、聖道門各宗より法然上人の諸行廃立に対して 観経の説相との矛盾に対する批判が強く、聖人はそれを会通されたという時代背景につ いても既に述べました。経自体は、お釈迦様が、凡夫に対して実践を呼びかけられ往生(無 生法忍)を得証された説かれているにも関わらずその行体は、聖道門の方しか実践できな いような自力諸行でしたので聖人は、その密意たる弘願の利他通入の一心をあらわしてく ださったのですよ。聖人がどこで顕説の通り十方衆生が、実践しなければ、弘願に入れない と仰ってますか? 又、機情から言えば、浄土門に帰依された方であっても聖道門の修行に 励まれ悉地成就された方は、聖道の菩薩様と拝すべきと思いますが如何?
629 :
昔々の会員 :01/12/16 22:59
>「三経の方便は、即ちこれ諸々の善根を修するを要とするなり。」 その前文 「しかるに、いま大本(大経)によるに、真実・方便の願を超発す。また観 経には、方便・真実の教を顕彰す。小本(小経)には、ただ、真門を開きて方便の善なし 。ここをもって三経の真実は、選択本願を宗とするなり。また」 聖人はいつから方便に腰を据えられるようになったんですか?
>>623 「善ができると迷っているのは聖道門だけだ」自分はちゃんと知っている
なんて邪見驕慢の親玉ですよ。
その「邪見驕慢悪衆生」こそ弥陀の正客ではないの?
631 :
昔々の会員 :01/12/16 23:34
>「この要門より正・助・雑の三行を出せり。」 その前文 「この願(十九願)の行信によりて、浄土の要門、方便権化を顕開す。」 何故、方便権化についての記述を断章的にあげられるんですか? >これを聖人だけの御味わいとする根拠は? 私には、御自分を観経のイダイケ同様、十方衆生を代表する凡夫と内省なされた聖人の 如来様の永い永い無量の御苦労に対する悲痛の感謝、懺悔と、方便に迷わず十八願真実 の御心に直入してくれとの極重悪人の私に対する勧励と御味わいさせていただけます。 (次の御和讃も同じ。) >「善が出来ると迷っているのは、聖道門だけだ。」 聖道門の方(二乗 菩薩)は、善ができますよね。
632 :
名無しさん@1周年 :01/12/16 23:51
話題氏は聖道門の方(二乗 菩薩)も、善ができないと解していますね。 善ができるとは、どういうことをいうのだろうか? もし善ができれば、仏になれるということなのか? 聖道門の方でも、浄土門に帰依された方が多いが、 やってみて善ができねと思われたからなのだろうか?
633 :
昔々の会員 :01/12/17 00:01
>他の道程を許されたというなら根拠をあげてください
衆生往生の因縁が、法体大行の御名号と光明だということには、異論がないということですので
お分かりと思いますが、如来様の御方便は、光明名号の各者各様、無始来無限の業を持つ十方衆生に
対する無量無辺のお働き、それも一人働きでいらっしゃいますから、凡夫の分際で思量できること
ではございません。だから三願転入も聖人の御体験を通した御味わいと拝します。(もっとも教条
的な意味でなくシンボリックな意味でなら十方衆生の道程とも御味わいさせていただきますが。)
聖人は、これを以って衆生往生のマニュアルとして示されたわけではありません。また、化身土文類
の教判は、聖道門の修行の階梯とは違うと思いますが如何?
残りの質問も宜しくお願いします。
>>593 >>596
634 :
名無しさんだよもん@100周年 :01/12/17 00:20
三願転入の通り道は決して親鸞独自の体験を表すものだといい。それは、凡夫の思慮に及ばないというが、 機相からいうと18願転入後も凡夫なのだから分からないであろうが、決定後は阿弥陀様の御心を丸もらいするのであるから 名号の力有によって、18願までの道程が知らされるのではないですか、いかかがなものでしょう? しかも、心の道程ですから、全ての人が同じ道程を通るといっても、救われるまでに同じような行為をして救われるという わけでないでしょう。 別に全ての人が聖道門自力の修行から始めて浄土仮門にはいって、(別に浄土門に入ったからといって20願の道程にいるとは限らない。逆に聖道門の人手も20願ん道程にいる人もいるであろう。)
635 :
名無しさん@1周年 :01/12/17 00:29
636 :
名無しさん@1周年 :01/12/17 00:33
>別に全ての人が聖道門自力の修行から始めて浄土仮門にはいって、 (別に浄土門に入ったからといって20願の道程にいるとは限らない。 逆に聖道門の人手も20願ん道程にいる人もいるであろう。) 誰がそんなこと言ったのだろう?
637 :
名無しさん@1周年 :01/12/17 18:15
高森の目当ては信者の穫信ではなく彼らの財布の中身。 これホント。
638 :
昔々の会員 :01/12/17 21:57
追伸 >「雑行を捨てよ」といはれるのは「諸善を回向しようとする自力を捨てよ」という意味・・・ その通りですよね。勿論、善を捨てよなどということは、誰も言ってません。私が、つもり信心だか赤ちゃん 信心だかは知りませんが、あなたが、現在、お釈迦様や親鸞聖人の御化導された他力真実の利をいただいてないことは、 事実ですよね。あなたは、仏祖が捨てよと言われる「諸善を回向しようとする自力の心=19願の至心発願の心 で諸善万行を修そうとする自力の執心、疑城にいつまで留まっているおつもりですか? 仏様の御心をこれほど 踏みにじることは無いのではないですか? 五逆誹謗正法とは、あなた自身ではないですか? 「またこの経に真実あり。これすなはち金剛の真心を開きて、摂取不捨を顕さんと欲す。しかれば濁世能化の釈迦 善哉、至心信楽の願心を宣説したまふ。報土の真因は信楽を正とするゆゑなり。」(御本典拠 化身土文類六 三経隠顕)
639 :
昔々の会員 :01/12/17 22:13
訂正 御本典拠→御本典
疑城の後へ 」 挿入
うえのこの経とは観経のことです。
>>634 >決定後は阿弥陀様の御心を丸もらいするのであるから名号の力有によって18願までの
道程が知らされるのではないですか、いかがなものでしょう?
そうですよね。それが私の言ったシンボリックな意味での十方衆生という表現で言いたかったことです。
親鸞聖人の遍歴にくらべれば億分の一にも及ばないが、阿弥陀様の広大無辺の無始よりの御育てのお陰で
聖人が三願転入で仰られる御心がいただけますよね。
640 :
名無しさん@1周年 :01/12/17 23:19
昔氏は信心決定されたのでしょうか? 信心決定されたとしたら、どのようにしてされたのですか? 自分でお聖教を読破して? 19願20願は通られなかったのですか? 知識の認可は頂きましたか?
641 :
名無しさんだよもん@100周年 :01/12/17 23:56
>636 これはちょっと極端な言い方でした。なんでこんなことを言い出すのかというと、 獲信までの通り道が人それぞれ、とか万人共通のものだ(十方衆生が必ず通る。) とかの議論がでるのは獲信の通り道ということをその人の行為で判断しがちだから でないかと思ったからです。つまり、 誰もが親鸞聖人が通った道を通ると聞くと、みんな過去世に聖道の修行をして来た のだろうかとか?とか修行をしなければ20願に入れないんだろうかとか(極端ですが) そういうところは人それぞれ生き方が違うんだし、全ての人を18願に誘引するのに ある特定の行動をしたことによって、誘引されるというのは全ての人を救うと誓われた ことに反するわけです。 まあ、だいたいこんな感じで。 19願→名号とは無関係な諸善でも助かる。 20願→助かるにはずば抜けて功徳のある。名号でなければ駄目だ。だから、称えて たすかろう。あるいは何とか自分の力で受け取りたいと思う。 18願→受け取れる力ぐらいあると思っていたが、全く間に合わず、全て他力であったー! 十方衆生を分類したらたぶんこの三つのうちのどれかに入ると思われます。 もちろん、名号でなければいけないと思っていたのが、やっぱり諸善でも助かるような気がする。 とかいう場合も考えられますが、大体の分類はね。 それで通る順序としても19,20,18というのが自然じゃないかと。 十方衆生が通る道だと聞くと、かなり独断的というか限定的なような気がするけど、 別に全ての人が同じような行為をして18願まで進むというわけじゃないと、 心の問題なんで、外に現れた行為でどの道程にいるか分からないから
>>638 自力回向の善は捨てもの=高森氏の「善の勧め」は
間違い。でよろしい?>昔々の会員さん
自力回向でない善なんて凡夫にできますか?
親鸞会の言うところの善は(他力の世界に入るための)
「手段」として必要なのであって「目的」ではないのでは?
お聖教の根拠をあげて話しましょうね。 > 観経顕説の諸行を実際に実践できる 方は聖道門の方に限られますよね。 いいえ、だれも実践できるひとはありません。 >聖人はいつから方便に腰を据えられるようになったんですか? 真実と方便の両方を説かれています、と言っております。 >衆生往生のマニュアルとして示されたわけではありません。 往生浄土の方便だと、言っております。 >疑城にいつまで留まっているおつもりですか? 方便に留まる方便を話したことはありません。 「方便をもって真実をあらわす廃立の義よくよく知るべし」(御一代記聞書) また信前信後、逆謗であることに変わりはありません。 とりあえず、お返事。
644 :
昔々の会員 :01/12/18 19:51
とりあへずありがとうございます。 >いいえ、だれも実践できるひとはおりません。 その根拠は? >真実と方便と両方を説かれています、と言っております。 方便(顕説)と真実のどちらに腰を据えられて説かれていますか? >往生浄土の方便だと、言っております。 往生浄土の因縁(方便)は、無量無辺の光明名号だと仰っていあますよ。 >方便に留まる方便を話したことはありません。 方便(十九願、二十願)を捨てよ(廃立)をいわれるのは、いつのことですか?いまで はないんですか? 無常迅速じゃないんですか? 尚、未だお返事がないようなので付け加えておきますと、大経下巻の次下三輩往生自体を 十九、二十願の(邪、不)定聚の機類とみて、若深法以下の他力の信楽を真門誘引の為に 誘引する為、下輩に寄顕したとする解釈もあるようです(島地大等師等)。しかし、サンスクリット 原典に依る限り、ここは、若深法以下と前を並列的に読むほうが妥当だと思います。いづれの解釈に よりましても、歓喜信楽の他力信心が、(大経全体がそうだが)真意で、自力での凡夫の一向専念を 権説として認めてはおりません。権化の説相によりましても、下輩の一向専念は、真門の機類であり 諸善万行の上、中輩の発菩提心、発無上菩提心の一向専念阿弥陀仏を泥凡夫に勧められた御文ではない ですよね?
645 :
昔々の会員 :01/12/18 22:35
>お聖経の根拠をあげて話ましょうね。 観経顕説の三心、三行は権化方便で、真実は、選択本願であるとのお聖経の言葉を何度も あげているではにですか? ちゃんと読んで下さい。私は、観経が、聖道門の方に限る御 教えだと親鸞聖人が仰ったとは、一度もいってませんよ。その表面的な説相における自力 諸行が、凡夫には、実践不可能な難行であることは、現量(経験則上)でもあきらかだし 、「しかるに常没の凡愚、定心修しがたし、息慮凝心のゆゑに、散心行じがたし、廃悪修 善のゆゑに。」(御本典 化身土文類六 三経隠顕)とあるではないですか?そこで親鸞 聖人は、善導大師の無観単称の念仏に腰を据えたうえの立相住心の定善、法然上人の正助 二行を相対して正行中の正行=お称名一行からさらに進まれて、唯信の選択本願の実義が 経の密意として隠されているとして、その密意の他力信心一つでお救いにあずかるという 御教えをあきらかにしてくださったのではないですか? あなたこそ、お聖教の御言葉で どんな泥凡夫も権化方便の自力諸行をへなければ弘願に入れないという根拠が未提示では ないですか? 方便化文類の御文はそれにあたりません。これは教相判釈であって修行の 階梯とは違います。真仏土往生には修行=自力無効を教えられているのです。其の為の御 方便も光明名号の力用とみられたのです。
646 :
昔々の会員 :01/12/18 22:57
続き
その根拠は、「徳号の慈父ましまさずは能生の因闕けなん。光明の悲母ましまさずは所生
の生の縁乖きなん。能所の因縁和合すべしといえども、信心の業識にあらずは光明土に到る
ことなし。」(御本典 行文類二 大行釈)
何故、聖道門に限るかといえば、聖人は、定散二善が凡夫に実践困難な行ともられている以上
、凡夫でないものは、四聖であり、そのなかで仏様を除くと聖道門の方(二乗、菩薩)という
ことになるではないですか?なぜ、聖道門の方も(だれも)実践できないのですか?
それでは、法蔵菩薩様の願行も無効ということになりますよ?
>>645 訂正 三行目 あげているではにですか?→あげているではないですか?
647 :
昔々の会員 :01/12/18 23:10
>>646 訂正 下から六行目、行ともられている→行ととられている
下から三行目 ということになりますよ?→ということになりませんか?
>信前信後、逆謗であることに変りはありません。
全く、その通りですよ。何故、それが造悪無碍になるのですか?
648 :
昔々の会員 :01/12/18 23:27
>方便に留まる方便を教えたことはありませんパート2。 流石、善智識高森先生いい事仰る。{或る同行が、ある和上に「自力の念仏は一方では、 不果遂者の誓願があるから称えて居れば信心が獲られるという人もあれば、又一方では 自力念仏は、如来聖人さまがおきらいなれば江戸ウタを謡うよりも悪いという人もあるが 、何れがよろしいか」と尋ねた時、和上は、「破れ茶碗は捨てもので、それを合わせてみ るのは未だ使ってみるつもりがあるからじゃ、お前は、自力念仏が間に合うか、合わぬか を尋ねるのは間に合わす気であろう」と喝破せられた}(顕正 P132〜P133)高森師のことだから オリジナルの文かどうかは判りませんが、全く仰る通りですよね? ここでは、真門について述べられて いますが、勿論、要門にもあてはまることですよね?
649 :
昔々の会員 :01/12/18 23:36
>>645 訂正 下から八行目 立相住心の定善→立相住心の定散二善
650 :
名無しさん@1周年 :01/12/19 01:49
>>640 >昔氏は信心決定されたのでしょうか?
信心決定されたとしたら、どのようにしてされたのですか?
しているとは言っていないので、おそらくしてないでしょう。
昔昔さんは問題点がわかってないみたいですね。 十八願が真実か、十九願が真実かなんていうことを話題にしているんでは ないんですよ。十八願が真実、十九願が方便と始めから言っています。 >その根拠は? 「一切の群生海、無始よりこのかた乃至今日今時に至るまで穢悪汚染にして 清浄の心なく虚仮テン偽にして真実の心なし」 「一切凡小一切時の中に貪愛の心常に能く善心を汚し、瞋憎の心常に能く 法財を焼く。急作急修して頭燃をはらうが如くすれども、衆て雑毒雑修の 善と名づけ虚仮てん偽の善と名づく。真実の業と名づけざるなり。 この虚仮雑毒の善をもって無量光明土に生ぜんと欲す。これ必ず不可なり。」(信巻) すべての人間は一生造悪というのが聖人の認識されていたことです。 >方便(十九願、二十願)を捨てよ(廃立)をいわれるのは、いつのことですか? 自力で方便を捨てることはできません。阿弥陀仏のおはからいです。
>方便(顕説)と真実のどちらに腰を据えられて説かれていますか? 「方便を以って真実をあらわす廃立の義」というのは両方必要ということです。 方便は捨てものだから、「説く必要はない」と言われるのでしょうが、根拠が ありません。「捨てものなので、説く必要がある」んですよ。 釈尊、親鸞聖人、蓮如上人みなさん真実と方便を説いておられます。 >往生浄土の因縁(方便)は、無量無辺の光明名号だと仰っていあますよ。 調熟の光明に照らされて進むのが三願転入の道です。
>なぜ、聖道門の方も(だれも)実践できないのですか? それでは、法蔵菩薩様の願行も無効ということになりますよ? 八萬四千の法門はみな十方衆生を18願の世界へ導くための方便だからです。 弥勒菩薩さえ例外ではありません。 >何故、それが造悪無碍になるのですか? 「謗法の人なり、五逆の人なり、なれむつぶべからず。浄土論ともうす文には 、かようの人は仏法を信ずる心のなきよりおこるなり」(末灯抄) 聖人はいたるところで悪を戒めておられます。本願の救いがあるからといって 悪をつくってもよいとは仰っていません。 >全く仰る通りですよね? 別になんの異議もありませんが。
654 :
昔々の会員 :01/12/19 13:40
御返答ありがとうございます。しかし、私は、今日は時間休を取りこれから忘年会 なのだが(したがって今晩は、ここオフします。)話題氏は、こんな時間に書き込み するなんてどんな社会人なのだろう。本当に社会人かな? しかし学生にしては文体 が年よりくさい(失礼)し。ひょっとしてモバイル、機械に弱いので良く知らないが ケータイからも書き込みができるらしいですね。しかし、モバイルやケータイで仕事 場から仏法議論の書き込みをするとは。うーん、謎の人だ。
655 :
昔々の会員 :01/12/19 14:23
>弥勒菩薩さえ例外ではありません。 それは、浄土の法門に約してのことですよね。私が質問して、未だ未回答の元品の無明 が、自力疑情で悪業煩悩は、お許しの機(輪廻の真因ではない)ということですよね? これは、全ての人間は、一生造悪というのが聖人の認識されたことです。あげられている 信門類の御文も「・・・無量光明土に生ぜんと欲す。これ必ず不可なり。」とありますように あきらかに浄土の法相を述べられたものですよ。聖人は、あくまで機に約して法門の相状を差別 なさったのですよね? 愚禿抄で「一乗円満の機は、他力なり、漸頓回向の機は、自力なり。」 といわれているのもその御心で、聖人は聖道門を以って浄土回向発願自力方便の仮門にいれてお いでですが、法に約して勝劣をつけておいでではない。存覚上人の「法華問答」「破邪顕正抄」 に於いても約法では、横超と竪超の二超の優劣は判釈されてないが、機に約して円満と漸頓の差別 を断じておられるのですよ。この教判をもって聖人が、二乗、菩薩の聖道の機が、善(定散二善などの) ができないと判じておられると言われるのは、聖人をとんだ法慢心、驕慢の人とよんでいることになりませんか?
656 :
昔々の会員 :01/12/19 14:47
うえ、訂正 認識されていることです。→認識されていることですの根拠として 続き 聖人は「唯信抄文意」におきまして「れふし、かはら、あき人、さまざまなものは、みな、 いし、かはら、つぶてのごとくわれらなり。」と言われ煩悩具足の凡夫の自覚を一般論では なく、わがこととして持たれわれら泥凡夫の位まで御同行と手をさしのべてくださったんですよね。 どこで、二乗、菩薩様が善が出来ないとおっしゃってますか? それなら法蔵菩薩様もできないという ことですか? >悪をつくってもよいとは仰っていません。 悪をつくるつくらないは、御信心の有無にも、他力のお救いをいただけるか否かには、 関係ないですよね? >調塾の光明に照らされて進むのが三願転入の道です。 調塾の光明に照らされた御育てが知らされるのは、摂取の光明の照破を受けてからです。今から未来に 向けて言えるものではないですよ。
657 :
名無しさん@1周年 :01/12/19 18:52
12時〜13時なら、職場にもよると思いますが、基本的に自分の休憩時間なの で、この時間の書き込みも可能ではないかと思われます。
658 :
昔々の会員 :01/12/19 21:41
ろm今晩は、ラッシャー木村です。 今日は、一次会で脱出してきたものの、4時からだったので些か 酔っ払いモードです。そうか、昼休みに書き込みしてるのか? まあ、熱心なことよ。「それはお前だ!!」って 話題氏は、法蔵菩薩様は、ヒストリカルパースンじゃないというかも知れませんが、それを言うなら、「瑜伽師地論」 の著者とされる弥勒菩薩はどうなるんでしょうか? この間、チベットで「維摩経」の梵本原典が発見されたと いう報道がありましたが、維摩居士は、チベットの伝承では、ヒストリカルパースンとされているという。確か 河口慧海師か多田等観師の報告にあったと思います。文殊、普賢も確かヒストリカルパースンという伝承を伝えて いる部族がインドに有ったんではなかっか?
659 :
昔々の会員 :01/12/19 22:35
>>658 訂正 有ったんではなかっか?→有ったんではなかったか?
ははは、キーボード叩く手が何時もにも増して震えてますね。
>十八願が真実、十九願が方便と始めから言っています。
暫有還廃の為の権化方便と衆生の機根に応じた善巧方便の義を混同してはいけませんよ。お釈迦様
の発遣が、機根を無視されたものなら、道教の光闡も不必要になりますよね?それも二尊二教のうち
聖人はどちらに腰を据えられてますか? 「弥陀の本願まことにおはしまさば」と弥陀の召喚=南無阿弥陀仏
の立場に立たれて教相を判釈なされたのは、当然ではないですか? いまから、権化方便へ入れ等と何処で
仰ってますか?
660 :
昔々の会員 :01/12/19 22:53
続き そもそも、あなたは、お釈迦様に発遣されたような機類だと自分のことを思いですか? 三世諸仏から見捨てられた 一闡提ではないんですか? 信前信後とも逆謗の屍だと仰るのは口(キーボード)だけですか?阿弥陀様のおはからでな ければ自力を捨てさせていただくことができないのは、当たり前ですよ。如来様は、いまここで自力の執心を捨てさせて くださっているのに、それを撥ね付けているのがあなたではないですか?
661 :
昔々の会員 :01/12/19 23:05
親鸞聖人でさえお経様に説かれる一切の群生海の迷妄のことを御自身のこととして身読 されたのに、あなたは未だ客観的な一般論として聞かれているのですか? 「すべての 人間は一生造悪」なのではなくて、あなたが一生造悪なのではないですか?
662 :
昔々の会員 :01/12/19 23:14
663 :
名無しさん@1周年 :01/12/19 23:23
>そうか、昼休みに書き込みしてるのか? まあ、熱心なことよ。 確かに、そんな熱心な社会人会員がいるのかなとも思いますね。 仕事との切り替えがすぐできるのかな?仕事中も考えてたりして。
664 :
名無しさん@1周年 :01/12/19 23:34
>しかし学生にしては文体 が年よりくさい(失礼)し。 社会人といってましたので、社会人でしょう。 文体もそうでしょうが、昔々氏にこれだけレスできる学生も そうそういないのでは。(いるのかな?)
665 :
名無しさん@1周年 :01/12/20 18:43
>>658 昔々氏へ
>文殊、普賢も確かヒストリカルパースンという伝承を伝えて
>いる部族がインドに有ったんではなかっか?
どうでもいいんだけど、普賢は違うと思うよ。
それと、いつまで続けるの?なんか結局平行線じゃん?
それに話題提供氏は、既に聖道門などは、機教相応しないから勧められ
ないっていっているんで、もう敗北宣言じゃないのかな?
だって、親鸞会は六度万行勧めているものね。
浄土の善を勧めたっていうけど、五正行と六度万行は明らかに違うもの。
若し同じだというなら、相手にする必要ないのじゃないでしょうか。
それを破邪顕正は讃歎正行だって言い張っているけど、それって苦しまぎ
れのすり替えでしょう。ある意味の拡大解釈であって、破邪顕正=讃歎正行
だとは言わないよ。だって、讃歎だけなら、本願寺の仏像も讃歎すべきです
よ。何故讃歎しないの?そこには、ご名号じゃなきゃ駄目だとか、偽者だと
かいう根拠はないと思うけどね。だいたい、親鸞会の方が後発だから、ずっ
と偽者っぽいけどな。
また、話題提供氏の行っている行為が讃歎行に入るかという点を考えても、
それはほとんど入らないと思います。説明する必要もないけど、阿弥陀仏
は素晴らしいというよりは、人を小馬鹿にしているだけですからね。
是非、年明けまでは引きずらない事を願っています。
>それは、浄土の法門に約してのことですよね。 これはどういうことでしょう。ご説明願います。 いろんな仏教用語を知っておられて、たいへんお勉強されてるようですが ご自分でも意味がわかっておられないんではないでしょうか? できるだけ平易な言い方で話されたほうが、掲示板をみる 他のかたにもよろしいか、と思いますし、あなた自身のため ですよ。 >未だ未回答の。 たくさん質問されますし、質問かどうかもわからないことも あります。重複しているとも思うようなことには お答えしてないかもしれません。 必要なことでしたら聞きなおしていただければいいかと思います。
>これは、全ての人間は、一生造悪というのが聖人の認識されたことです。 釈尊は 大経に弥勒も迷いの衆生と見ておられます。 「一切の群生海」と何度も繰り返されていることからも とくに聖道門の修行者をわける理由はありませんよ。 また「十方衆生=聖道門」説ですか? それとも「自力で成仏できるひとがいる」ということでしょうか? それとも「真実の善はできるけど成仏はできない」ということでしょうか? あなたの自説を展開してください。 法蔵菩薩は無上仏が従果降因された方ですから別ですよ。
>悪をつくるつくらないは、御信心の有無にも、他力のお救いをいただけるか否かには、 関係ないですよね? そうです。関係なく「悪をつくってはいけない」のです。 本願あり、悪を好め、などという馬鹿なことはありません。 >今から未来に向けて言えるものではないですよ。 本願寺の反論文みたい。 酔っぱらいの文章にはとくに目新しいことは書いてないですね。
>665 >親鸞会は六度万行勧めているものね。 浄土の善を勧めたっていうけど、五正行と六度万行は明らかに違うもの。 入山学道をすすめられたことは未だないですね。誰かありますか? 五正行と諸善は関係ない、ということでしたらお勉強しなおしたほうがよいですよ。 >讃歎だけなら、本願寺の仏像も讃歎すべきですよ。何故讃歎しないの?そこには、ご名号じゃなきゃ駄目だとか、偽者だとかいう根拠はないと思うけどね。だいたい、親鸞会の方が後発だから、ずっと偽者っぽいけどな。 酔っぱらってるのかな? > 話題提供氏の行っている行為が讃歎行に入るかという点。 私の行為が讃嘆行だなんて言った覚えはないがね。
670 :
名無しさん@1周年 :01/12/20 20:31
あっそう。でも、貴殿は破邪顕正は讃歎正行だっていっていたじゃないの? それとも破邪顕正でもない事に時間を費やしているの?? まあ、話題提供氏に話した内容じゃないから答えてくれなくって結構よ。 (笑)別に相手にしてないから。
671 :
名無しさん@1周年 :01/12/20 21:05
>いろんな仏教用語を知っておられて、たいへんお勉強されてるようですが >ご自分でも意味がわかっておられないんではないでしょうか? こんな馬鹿らしい発言をして恥ずかしくないのだから? 親鸞会も恐ろしい人間製造の教えですね。 まず汝自身を知れでしょう。 ソクラテス哲学でも勉強したらどうだと思ってしまいます。
>貴殿は破邪顕正は讃歎正行だっていっていたじゃないの? 貴殿は私の行為が讃嘆行か?といったんじゃないですか? いいかげんな板だからみんな言うこともいい加減だね。 >こんな馬鹿らしい発言をして恥ずかしくないのだから ほんとだね、あんたと馬鹿くらべになってるなあ。 ひとりごとだからレスはいらないよ。
673 :
昔々の会員 :01/12/20 23:07
話題氏もちょっと破れかぶれですね。
>ご説明ねがいます。
他の法門との相対上、浄土の法門に腰を据えてのということです。
>必要なことでしたら聞きなおしていただければいいかと思います。
答えたくなければ答えなくていいと言ったじゃないですか。
>>605 あなたの不誠実な態度を
みるかぎり答える意志がないとしか判断できません。
>釈尊は弥勒菩薩も迷いの衆生と見ておられます。
>「真実の善はできるけれど成仏はできない」ということでしょうか?
高森師は、生仏異質説の最右翼たる空華の立場で、釈しておられるようですが、その立場(三権一実)でも、
菩薩は自力修行の末、無明煩悩悉く打破し等覚の最後身に達しており、残る元品の無明のみ残しておりこれは
念弥陀三昧によらなければ得られないというもので、菩薩は、善悪相対のうえの善は当然できるとの解釈ですよ。
だからこの説ですと真実の善はできるが成仏はできないということになりますね。だから我々凡夫とは、月とすっぽん
ですよ。あなたの言われる弥勒菩薩も一生造悪というのは、どういう根拠によるのですか?
釈尊が弥勒菩薩も迷いの衆生と見ておられるのは、元品の無明についてで、定散二善などの善行も実践できないという
意味ではないですが、あなたがそう解釈される根拠は?
こ
674 :
昔々の会員 :01/12/20 23:30
>>673 訂正 下から五行目 念弥陀三昧によらなければ得られない→念弥陀
三昧によらなければ破れない
>法蔵菩薩は無上仏が従果降因された方だから別ですよ。
無上仏というのは、「末灯抄」の聖人の御言葉から採った阿弥陀様のことだと思いますが(親鸞会の
外では、それほど使わないと思う)、阿弥陀様の降因だけは、特別ということでしょうか? 仏様の
降因なら他でも沢山ありますので(例、法華経の本地垂迹説)。又、阿弥陀様の御化身でしたら観音
菩薩様とか色々おられますが、これら諸仏や、阿弥陀様の御化身ととくに差別する教学的な根拠は何
ですか? いまあげた菩薩様方(観音様等)も一生造悪なのですか?
675 :
昔々の会員 :01/12/21 00:20
>そうです。関係なく「悪をつくってはいけない」のです。 本願あり、悪を好め、などという馬鹿なことはありません。 そもそも、私の質問が、親鸞会では、何故、信前信後にも難行を含む善行を勧めるのか? という質問に対し、往生浄土の因縁(方便)として、仏祖の言として、自力で諸善万行を実践しなければ ならないと言われたので、それはおかしいと私が再度質問しているのですよ。「悪を慎め、善をせよ」と いうのは、勝義世俗二諦に渉る当然の教えですが、他力信心をいただくには、それを行じなければならない ということではない、という点はお認めということですね? >本願寺の反論文みたい。 あなたは、どうして御信心をいただいてないのに、調熟の光明の御育てがわかるのですか? まあ、誠実に答えて下さる意志がなければ、答えて下さらなくても結構ですよ。 >いつまで続けるの? 話題氏に真面目に答える意志がないようですから、そろそろ終わりですかね? 話題氏が 本当に社会人かどうか疑うのは、その態度にも原因がありますね。話題氏は、一般社会でも そんな態度で他者と接しておられのですかね?
676 :
昔々の会員 :01/12/21 01:06
>>674 訂正 「末灯抄」→「御消息 自然法爾章」 「末灯抄」は従覚上人の著ですね。
677 :
名無しさん@1周年 :01/12/21 01:17
678 :
名無しさん@1周年 :01/12/21 02:54
昔々の会員へ
話しが平行線である事は確かでしょう。
>勝義世俗二諦
彼らには、これも分からないと思います。
>話題氏に真面目に答える意志がないようですから、そろそろ終わりですかね?
元々真面目そうな人じゃなかったですよ。ここの所少し言葉づかいがよく
なったけど、基本的に変わってないでしょう。
また、真面目になってもこたえられない質問をしていると言って良いと思う
けどね。
親鸞会の論理に合わないものは無信心か造悪無碍という理論ですから、話し
が噛み合わないと思います。
それに、彼は自分の行為は破邪顕正じゃないそうだし、真面目に話している
と理解するのは難しいね。
>>431 (を参考)
それに人から教えを学ぶという態度もないと思います。
最初の話題提供氏のカキコを読んだ時、既にまっとうな仏法者には見え
ませんから。昔々の会員さんは親切によく話されているなって思ってい
ます。
彼等の教学は親鸞会教学で一般の真宗教学じゃないから、そもそも、合
わなくても不思議がありません。
>一般社会でもそんな態度で他者と接しておられのですかね
人格が豹変する人もいるからこの書き込みを持って人の人格まで分から
ないと思いますが、少なからず、とんがった人に見えるのではないでし
ょうか。
でも2chは、不道徳的裏話をする所で、そういう意味ではこの趣旨に
乗っているとも言えますね。逆にこんな所で正論の法論はすべきじゃな
いのではと思いますけど。
679 :
名無しさん@1周年 :01/12/21 17:57
>2chは、不道徳的裏話をする所で、そういう意味ではこの趣旨に 乗っているとも言えますね。 あなたが、そういう話が好きなだけでしょ。かってにそういう話だけ する所と決め付けるのはやめましょう。 >逆にこんな所で正論の法論はすべきじゃないのではと思いますけど。 押し付けは止めましょう。正論の法論をしたくてしているののに、 それをやめて、不道徳的裏話をすべきとはどんな奴なのかな?
680 :
名無しさん@1周年 :01/12/21 18:20
>>679 別に押しつけする気はないけどもね。
あの良く分かってないと思うけど、このスレの名前を見てくださいよ。
カルトでしょう。そんな名前なのに、何故不道徳的裏話を話しちゃい
けないの?
親鸞会に初めての人はあまりに純で分からないだろうから、少し裏の
ドロドロした所を話しましょうって事じゃないの?
真面目に不道徳な事を話してあげる事も大切だと思う訳ですよ。
それなにの教義云々なんて別スレでやって欲しい訳です。分かります
か?別に別スレ作るのって自由なんだから。そうでしょ?
話題提供っていうのもいいけど、趣旨の則って話題提供すべきでしょ。
そういいたい訳、そういう意見は少なからずあると思うよ。
>話題氏もちょっと破れかぶれですね。 なんかワナにかけられた感じ。変なひとに返信するんじゃなかった。 なるほどね、自分の不誠実を忘れているひとと話するときも こちらは誠実に話しないといけないんですね。勉強になりました。 昔昔さんが本当に疑問を晴らすために聞いているとは誰も思ってないですよ。 単に反論を疑問形にして、こちらの質問に答えない 言い訳にしているだけでしょ。 「方便が聖道門に限る根拠」をあげるのに長々と言い訳しないと いけないのは腹底にはっきり言えない事情があるからですよ。 こういうのを誠実とはいいません。 >答えたくなければ答えなくていいと言ったじゃないですか。 本当に答えなくていいなら、不誠実だの何だのはおかしいですね。 そういう事を言うために質問してる、と思われても仕方ないよ。
たくさん質問されているので(数が多いことで)困っています。 通し番号でもうっていただけるとありがたいですね。 忘れて答えないのや重複しているものまでいちいち答えないと 不誠実と言われるのではやりきれません。 「19願の方便が聖道門に限る」という根拠はやはり提示されていません。 「諸善をすすめるのはおかしい」というのは結局この問題でしょう。 628の内容を繰り返されていますが、根拠にはなりませんよ。 「観経の三心を獲て後に、大経の三信心を獲るを一心を獲るとはいうなり。 この故に大経の三信を得ざるをば一心をかくるというなり。この一心をかけぬれば実報土に生れずとなり。 観経の三心は定機散機の自力の心なり。定散のニ善を回して大経の三信を得んと願う方便の深心と至誠心と知るべし。」(唯信抄文意) 「過去久遠に三恒河沙の諸仏の世に出でたまいし所にして自力の大菩提心を おこしき、恒沙の善根を修せしめしによりて、いま大願業力にまうあうことを 得たり」(唯信抄文意) あなたが「諸善をすすめられた方便は聖道門のため」と言って否定したこの御文は 誰のために書かれたのでしょう。
さっきの続き 一念多念証文や唯信抄文意の奥書には何と書いてありますか。 「いなかの人々の、文字のこころも知らず、あさましき愚痴きはまりなき故に やすく心得させんとて、同じことをとりかえしとりかえし書きつけたり。乃至。 一向におろかなる人々を心得やすからんとてしるせるなり」 これは聖道門の人に書かれたと、あなたは言うのですか?
684 :
名無しさん@1周年 :01/12/21 21:34
>たくさん質問されているので(数が多いことで)困っています。 通し番号でもうっていただけるとありがたいですね。 忘れて答えないのや重複しているものまでいちいち答えないと 不誠実と言われるのではやりきれません。 確かにこういう場で、一度にいくつも質問するのは、どうかと思いますね。 往復書簡なら何日もかかるのでわかりますが、瞬時にレスできるこういう場 では、質問などは少なめにした方が力も分散せずにいいかと思います。 誠実、不誠実はかってにしてくれといった感じです。
続き2 信巻の序には「末代の道俗、近世の宗師、自性唯心に沈んで浄土の真証を貶し 定散の自心に迷うて金剛の真心に昏し」とあります。 定散の自心に迷っているものから「末代の俗」だけを除かれた根拠は どこにあるんですか。 信巻の序にまで聖道門への方便が書かれているんですか。 化土巻の「定散心雑わる」といわれたのは「垢障の凡愚」ですよ。 あなたの言うとうりなら親鸞聖人は「聖道の修行で悉地を得られた方」 を凡愚よばわりしたことになりますよ。
686 :
名無しさん@1周年 :01/12/21 23:19
>>681 話題提供さんへ
ギャラリーとして一つ質問します。話題提供さんのいう事の
多くの意見は分かるけど、次の事だけ分かりません。
・五正行と六度万行とには、どういう関係があるのですか?
これが分からないようなら、勉強しなおせと言って説明してい
ませんが、それを説明してください。
687 :
名無しさん@1周年 :01/12/21 23:36
>>680 >別に押しつけする気はないけどもね。
押しつけする気がないのなら、黙って見ておいておくれ。
>あの良く分かってないと思うけど、このスレの名前を見てくださいよ。
カルトでしょう。そんな名前なのに、何故不道徳的裏話を話しちゃい
けないの?
誰も話しちゃいけないなんて、いってないよ。
こちらで、裏話するなといってないのだから、
そちらにも、法論するなと言って欲しくないだけ。
688 :
昔々の会員 :01/12/21 23:54
>たくさん質問されているので(数が多いことで)困っています。
>質問などは、少なめにした方が・・・・・
そうですね、仰る通り反論を一々質問形にしたのがよくなかったですね。はっきり断定すべき
でした。話題氏がそれらに答えてくれると思ったものですから。では質問をとりあえず以下
に絞りましょう。
>>593 >>596 >>673 >>675
689 :
名無しさん@1周年 :01/12/22 00:17
>>666 >これはどういうことでしょう。ご説明願います。
いろんな仏教用語を知っておられて、たいへんお勉強されてるようですが
ご自分でも意味がわかっておられないんではないでしょうか?
できるだけ平易な言い方で話されたほうが、掲示板をみる
他のかたにもよろしいか、と思いますし、あなた自身のため
ですよ。
話し方として、自分を標準にして、分かる人だけが分かればいいという話方
がありますね。難しい専門用語や固有名詞の説明をせずに、話をすすめるやり方
ですね。分からないお前が、勉強不足なんだという話し方ですね。
それにも一理ありますが、親切心には欠けるようにも思います。
確かに見る立場としては、少しでも分かった方がためにはなりますね。
690 :
昔々の会員 :01/12/22 00:21
>「19願の方便が聖道門に限る」という根拠はやはり提示されていません。
そんな言い方してませんが、わざとかな。19願の方便を実際に実践できるのが、
聖道門の機類に限られるので、お聖人は、凡夫の為、観経の実義をあきらかにしてくださったと言った
のです。
>>645 >>646 にお聖人の言葉をあげて説明してますよ。それに対してあなたは、聖道門の方
でも実践できないと言われるので
>>673 で質問させていただいているんですよ。
691 :
名無しさん@1周年 :01/12/22 00:35
19願・20願は方便 18願は真実というのは、一致しているのかな?
聖道門の機類は今の人の中にどれくらいいるのかな?いないのかな?
>聖道門の方でも実践できないと言われるので
>>673 で質問させていただいているんですよ。
聖道門の方でも実践できないというのは、聖道門の機類でもできないと
いうことでしょうね。誰もできないということでしょうね。
真実の善ができるということと、救われるということは別物だということ
でしょうね。
692 :
昔々の会員 :01/12/22 00:52
>>682 >>683 これらのお聖教は、勿論われわれ凡夫の為にお示し下さったものですよ(兼ねて聖者の為
でもありますが)。聖人は、悪人正機、凡夫直入の信心為本の御教えを、諸教の教相の裏
に読み解いてお教え下さったのものです。
>>685 信文類序の御言葉につきましては、背景を考えてくださいよ。絶対他力、信心為本の御教え
は、お聖人が初めて開顕してくださったのですよ。それまでは、聖道諸宗の寓宗の浄土教や
浄土他流の御教えを聞かれて他力の信楽がわからない方が大勢おられたんですよ。その方たち
に教えられたのです。だから、凡夫の分で定散自心に迷はず、他力信心をいただいてもらいたい
という御心からの御文です。俗を除かれるはずがないです。
693 :
名無しさん@1周年 :01/12/22 00:54
694 :
昔々の会員 :01/12/22 01:11
続き 方便仮身土文類は(に限らず御本典全部そうですが)、全体が、利他の 為には、機法一体の南無阿弥陀仏を教えて下さり、また、聖人御自身の信仰告白でもありますよ。 ですから、三願転入の御文に限らず、客観的な表現を採っておられる個所でも、迷妄の衆生に託し た御自身への内省の眼が常におありですよ。「垢障の凡愚」と言われているのも厳しい自己批判が 込められているのがわかりませんか。地の文ばかりか聖人は、諸経論や釈、外典すらも自由に読み 換えられ単なる引用ではありません。それ程、お聖教をよく読まれていてもお聖人の御心は感じられ ないのですかね。
695 :
名無しさん@1周年 :01/12/22 01:16
自己批判というより、真実の自己を知らされ、告白されている だけではないのかな?
696 :
名無しさん@1周年 :01/12/22 01:33
>>690 昔々さん、続けるんだったら、少し意見しますが、話しが親鸞会の
かたには分かりづらいと思いますよ。あまりに昔々に親鸞会にいた
為にどこまでが親鸞会の教義か分からなくなっているのじゃないで
しょうか?
聖道門の人といっているのは、例えば天親菩薩のような方でしょう。
天親菩薩は、四十段の悟りを開いた人で、起観生信の出来た方な訳
です、多分、そういう事を言っているんですよね。
そういう話は親鸞会では教えられてないのだから、知らないだろう
という事を前提に話さないと話しが通じないと思います。知りそう
もない話しは解説を付けるか、話さないかどちらかにしないと駄目
だと思いますね。話題氏の反応を見るに、どうも分かっていないと
思いますよ。そうでないと平行線のままですよ。
697 :
昔々の会員 :01/12/22 01:40
続き2
聖道の修行で悉地を得られた方は、ごく少ないでしょう。ですが、ここは、他者への批判や、単なる
教導と読まれるより、御自身の御味わいを裏に秘めていると思います。
>>678 本当に噛み合いませんね。(若し、話題氏の発言が親鸞会教学を正しく伝えているなら)ここまで
異流義化しているとは、元在籍者でさえ思いませんでした。完全に浄土他流ですね。
それと、本当は私も不道徳的裏話や生臭話の方が100萬倍好きですが、そんなことを現役氏に
質問しても「知らない」とか「興味ない」でかわされるだけですからね。現に話題氏もそう言って
ますね。それに親鸞会の胡散臭く思われる部分とその特異な教義解釈とは、密接に関係があると思い
ます。
698 :
昔々の会員 :01/12/22 01:47
699 :
名無しさん@1周年 :01/12/22 02:56
>>697 確かにそれは教義と密接に関係あるけど、それは結局は、造悪無碍な
所じゃないですか?
彼ら大善の為には、少々の悪も良いという思想を持っているんですよ。
俗っぽく言えば、政治家思想のようなものでしょう。お金集めに走る
のも政治家っぽいですよ。
でも、今やっている論議では、そういう所はあぶり出せないでしょう。
彼らの主張は諸善のすすめだもの、大義名分は完璧ですよ。
でも、カルトなんてスレがたつんだから、実が伴ってないと言うかま
るでやっている事は逆な訳です。
それはどうして起きているかの方が大切で、法論するにしても、少し
方向性をかえた方が良いかもしれませんね。
700 :
名無しさん@1周年 :01/12/22 03:59
>>697 続き、
>完全に浄土他流ですね
そうですよ、親鸞会は浄土他流ですよ。
唯、話題氏は一応親鸞会の論理に沿っているようですが、細部で
自己流だと思うけどな〜。勝手に根拠を探して話しているんじゃ
ないでしょうかね。本にのっている話だけをしているとは思えな
いです、または、最近、親鸞会で話しされている内容かもしれま
せん。
それと、「顕正」を根拠にあげても、駄目ですよ。親鸞会の教義
は「何故答えぬ」を契機に三願転入の19願が主張されるように
なって、かなり変わっています。昔々の会員さんが、若し、何故
答えぬより前の方なら、今の親鸞会は理解できないと思いますね。
駄目だ、前のスレも少しへんな言葉使いになってる、もう寝ます。
701 :
名無しさん@1周年 :01/12/22 05:32
親鸞会の教義は高森が愉快になるためのものであって 世間の人を救うためのものではない。 親鸞会にはまっていく連中はそうとしらずにいつのまにか高森の奴隷になってるだけ。 やつはタヌキだから人をばかすのがうまいんだ。 そういう状態になってることを高森自身気づいてないだろう。自分で自分もばかしている。 やつらをまともに相手しているとミイラとりがミイラになるおそれがあるので 注意しないとな。「そうかそうかそれはよかった、がんばってくれ」ぐらいの接し方で十分。
702 :
名無しさん@1周年 :01/12/22 07:12
>>701 ほんとだね。大いに賛成!!。
こっちの時間が無駄になるよ。しばらく来ません(笑)。
>19願の方便を実際に実践できるのが、 聖道門の機類に限られるので。 だからこれが根拠にならない、と言ってるんですよ。 いざとなれば実践できる気になっているから「やってみよ」と言われたのが 方便なんだから。 それが定散心ですよ。 勝手な理屈をこねないでください。 重ねて「方便は聖道門の方のため」という根拠をお聖教の御文でおねがいいたします。 あなたは信前の聞法も否定するんですか? この問いにも答えていただいておりません。 「聞イコール信」ですが、あなたの言い分では「聴」も自力だからだめなんでしょうね。それとも「聞法の場に座る聴聞」もだめで聞だけよし?どこで仏法聞くの? 朝はいそがしいのでこれだけ。
704 :
名無しさん@1周年 :01/12/22 09:27
誰の説法を聞くかが重要だな。 親鸞会みたいな利害が蛇のように絡まったものだと 捻じ曲がった法しか聞けない。そんなもので目的達成はみこめない。 正しく伝えてくれるものでないと
名なしさんへは返答をひかえさせていただきます。 >593 >泥凡夫に自力でそんなことが可能でしょうか? 自力でする正行は雑修です。正行にはなりませんので正行はできません。 >596 >輪廻の因たる元品の無明は、悪業煩悩ではなく御本への自力疑心だということについてはどう 思われますか? 何の異論もありません。 >673 >釈尊が弥勒菩薩も迷いの衆生と見ておられるのは、元品の無明についてで、 定散二善などの善行も実践できないという意味ではないですが、あなたがそう解釈される根拠は? 枝末無明である煩悩を立ち切っていたとしても、根本無明である疑情自体が悪の根源です。 自力でする善が「真実の善」ではありえません。 またこれも「一切の群生海」を「凡夫のみ」と解されるのであればお聖教の根拠を あげてください。 初地の龍樹菩薩も、泥凡夫も機の深信が立つのは同じです。
>675 >他力信心をいただくには、それを行じなければならない ということではない、という点はお認めということですね? 「善ができなければ救われない」と言ったことはありません。 「善をしないと信仰がすすみませんよ」と言っているんです。 >あなたは、どうして御信心をいただいてないのに、調熟の光明の御育てがわかるのですか? あなたがわかったような気になってるのと同じ程度かもしれませんね。 あなたはどうしてわかるんですか?獲信してないのに。 「信前の者が聴聞しに御法座へ行く」のは獲信の因縁になるんですか? お答えをお待ちしています。
>聖人は、悪人正機、凡夫直入の信心為本の御教えを、諸教の教相の裏 に読み解いてお教え下さったのものです。 あなたは「凡夫に自力の三心は関係ない」と言っているんでしょ。 「諸教の教相」である顕の義はいらない、とあなたは言っているんでしょ。 関係のない、いらないものをご自分の味わいとして書かれたんですか? 親鸞聖人は、関係あるから、凡夫に教えておられるんですよ。 あなたのものの言い方なら「真実信心も聖人の味わいとしてかかれた ものであって凡夫に教えられたものではない」という人が出てきても あなたは反論できないよね。 文証もなくてもいいんだし、「十方衆生」と書いてあっても「それは 聖道門のこと」「これは凡夫だけ」っていって勝手に解釈してもかまわないわけだ。 どこが浄土真宗なんですか?
708 :
名無しさん@1周年 :01/12/22 17:32
話題提供って奴さあ、この板の誰かさんに似てるんだよなあ。 ほら、あの「渡○難」って奴に。
709 :
渡海 難( p4010-ip01hodogaya.kanagawa.ocn.ne.jp) :01/12/22 21:07
>>708 >ほら、あの「渡○難」って奴に。
僕に何かご用ですか?話題提供さんに歯がゆいものでも感じていますか?歯がゆいものを感じると僕を思い出す?。貴方もお坊さんかな(笑)。
ま、いいでしょ。こちらも面白そうなので、少しお邪魔させて頂きます。
710 :
渡海 難( p4010-ip01hodogaya.kanagawa.ocn.ne.jp) :01/12/22 21:08
話題提供さんこんにちは。お会いしたことのあるかたかしら?無い方かしら?ま、そんなことはどうでもいい。話題提供さんにはお聞きしたいことがたくさんありそうです。
>>707 「自力の三心」ってなんのことですか?。至誠信・深心・回向発願心を言っているんですか。観無量寿経の三心のこと?。
>>706 >「善をしないと信仰がすすみませんよ」と言っているんです。
善をすると信仰が進むんですか?。それで貴方は進みましたか?。何がどのように進みましたか。進むと何がどのように変わりましたか。
>>705 >自力でする正行は雑修です。正行にはなりませんので正行はできません。
これって親鸞会理論ですか?自力でする正行と他力でする正行があるの?。自力でするとそれが雑修になる?。聞いたことがない。少し詳しく説明していただけませんか?。
>>703 >いざとなれば実践できる気になっているから「やってみよ」と言われたのが方便なんだから。それが定散心ですよ。勝手な理屈をこねないでください。
こんな考えはどこから出てくるんですか?。高森説ですか?。定散心って何ですか?。勝手な理屈をこねないでくださいね(微笑)。
712 :
渡海 難( p5072-ip02hodogaya.kanagawa.ocn.ne.jp) :01/12/22 21:19
>>711 <苦笑>
>>710 誤 「勝手な理屈をこねないでくださいね」
正 「勝手な理屈でなく説明していただけると嬉しいです」
||
Λ||Λ / ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄
( / ⌒ヽ < どうもすみませんでした。
>>711 | | | \_____________
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∪∪
>>709 >僕に何かご用ですか?
用なんかない。勝手に現れるな、ヴォケ!
>話題提供さんに歯がゆいものでも感じていますか?歯がゆいものを感じると僕を思い出す?。
話題提供も渡海もウザイ。それだけ。
>貴方もお坊さんかな(笑)。
坊さんじゃねーよ!勝手に決めつけるな!
相変わらずの妄想癖だな、お前は。
>ま、いいでしょ。こちらも面白そうなので、少しお邪魔させて頂きます。
他へ逝け!!つーか2度と2chに来るな!!
714 :
昔々の会員 :01/12/22 23:09
>お忙しい中、御返答ありがとうございました。いつの間に私が質問を受ける側になったんで しょうかね。あなたが突然、かのスレに来られて他の方を偉そうな態度で批判したり、経典に よらないと教祖様だとかいったり人を小馬鹿にする態度が目立ったので、そういう態度なら、親鸞会 のカルト的と私には思われる疑問点にきちんと答えてもらいたいと思って質問したのですよ。 まあ、いいか。 >あなたはどうしてわかるんですか? 獲信してないのに。 私は、御信心いただきましたよ。 >「信前のものが聴聞しに御法座へ行く」のは獲信の因縁になるんですか? 凡夫に何が、獲信の因縁になるかはわかりません。御聴聞に限らず仏書を読む 等仏様の御教えに接せられるのは、真実の因縁だとは思いますが、信前にこれは 、獲信の因縁になるだろうという心が、信をいただきにかかっている自力の執心 です。如来様の一人働きを自分の手柄にしようという我執の心です。 に
715 :
昔々の会員 :01/12/23 00:06
訂正 うえの二行目 かのスレ→このスレ 最後の行 に を消す。 >「方便は聖道門のため」という根拠をお聖教の御文でおねがいいたします。 そんなことは言ってませんよ。 >いざとなったら実践できる気になっているから「やってみよ」といわれたのが 方便だから あまり聞かない方便の説明です。教相を表面的に解して、実際に定散二善を実践し なければ、往生はかなわない。しかも往生にも九品の差別があると思っておられた 方が当時多かったので、お聖人は、教義の相状を判釈されて、そうした実践は方便 であり、無条件の他力回向をあきらかにしてくださったのではないですか。あなたは 、当時浄土教が非常に盛んであり、自力や半自力で往生を期す方が多かったというお 聖教の書かれた時代背景を全く無視されて話されているのではないですか? だとしたら 些か無理がありますよ。
716 :
昔々の会員 :01/12/23 01:03
続き 教判における方便権教というのは、真実があきらかにされれば不要として廃せられる ものです(天台の円体無殊論の立場は又違うかもしれませんが)。何故、聖人により 唯信独達の法門が開顕されたにも関らず今も権説に執しなければならないのですか? >善をしないと信仰が進みません 自力の信仰がいくら進んでも他力の信楽には転入しませんよ。0点か100点かですよ。 >自力でする善が「真実の善」ではありえません。 真如法性に対する衆生性得の本分からいえば、そうでしょうが、経には、五乗の機の差別 を認め、お聖人も「愚禿抄」で、「二機とは、一には悪機なり。」 「また善機について 二種あり。また傍正あり。一には菩薩 大・小・・・浄土の傍機なり・・五には人等なり。浄土の正機 なり。」と言われ、凡夫(この場合は、性得の機に約して一切衆生を指します)に善悪二 種があると釈されています。四十二品の無明を断破した弥勒菩薩が枝葉の無明煩悩を断破したなどとは 如来様のお立場からは言えても、最悪の私からいえることではありません。弥勒菩薩が、定散二善を実践 できないという根拠は何ですか?竜樹世親両菩薩は起観正信できたと思いますが、性得の機については、 やはり自力計度の自力疑心を破らねば仏になれませんので此処に於いて善導大師の釈された機の深信に立たれた のです。ですから性得の機(悪業煩悩)はお許しで、計度の疑情は如来様に破っていただけるのですから結局は 絶対無条件のお救いで、弥勒菩薩も凡夫の位へ(私一人の為)降りて下さっていたということが御味わいできる のですよ。あなたの言われる弥勒菩薩も一生造悪の根拠は何ですか?
717 :
昔々の会員 :01/12/23 01:18
>・・・・勝手に解釈してかまわないわけだ。どこが浄土真宗なんですか? 上述の凡夫の義をみても分かるように、お聖教の御言葉は、同じ言葉でもTPOに応じて実に多義的 ですよ。ですから親鸞聖人も観心釈(天台慧心流の伝統。日蓮聖人、道元禅師等にもみられ鎌倉仏教 三傑に共通しています)を用いて自由にお経様を解釈されたのではないですか。要は仏様の御心ですよ。 一応疑問形にはしていますが、返答は御自由にしてください。701、702さんもいわれるように時間 の無駄ですね。年末年始は多忙(皆さんそうでしょうが)毎日は来れません。気が向いたとききてみます。
718 :
昔々の会員 :01/12/23 01:42
追伸 >正行にはなりませんので正行はできません。 正行はできないのに正行はするのがあたりまえとかしなければならないとか何ですかね? 獲信のための手段と思ってらっしゃるわけではないんですかね? 獲信の因縁か?そんな できない偽の正行なんかより阿弥陀様が正行中の正行を回向してくださっているのにねえ。 その本物の正行のお働きが、獲信の御因縁(御方便)ですよ。 それから、誰か言ってましたけど私は別に法論なんかしてませんよ。 「法論はどちらが負けても釈迦の恥」 おやすみなさい。
昔々の会員へ 君いつもいるね。いつもそんなことばかり書いているね。 気付いてるかい?はっきり言って誰も君のこと相手にしてないよ?わかってるの? それって、自分ではおもしろいと思って書いているんだろうね。 きっと、薄ら笑い浮かべて書いているんだろうね。 でもさぁ、君以外の人には全然おもしろくないんだよ。 もしかして自分でもおもしろくないのに書いているんじゃないの? 自分でも何してるのかわからなくなってるんじゃないの? 家族からも近所からも煙たがられているんだね。 友達も彼女も彼氏もいないんだね。学校でも会社でも浮いているんだね。 どこに行っても相手にされないんだね。 ネットでも無視されてここに流れ着いて来たんだね。 ここでさえ相手にされてないじゃん。どうするの? かわいそうに。もう駄目じゃん。 生きていても何もいいことないよ? どうせ誰からも相手にされないんだから、死んだ方がいいんじゃない? 相手にされないから奇抜な言動で注目を浴びようと必死なんだね。 始めは少し注意を向けてもらったのだろうけど、 もう飽きられて完全に無視されているね。 それって迷惑なんだよ?気付いてる? おもしろくもないのに、意味不明な事を大量に書かれても目障りなんだよね。 さようなら。この世から消えてくれ。君いるだけで迷惑。 せめて最後ぐらい人里離れた山の中で自殺してね。
話題提供へ 君いつもいるね。いつもそんなことばかり書いているね。 気付いてるかい?はっきり言って誰も君のこと相手にしてないよ?わかってるの? それって、自分ではおもしろいと思って書いているんだろうね。 きっと、薄ら笑い浮かべて書いているんだろうね。 でもさぁ、君以外の人には全然おもしろくないんだよ。 もしかして自分でもおもしろくないのに書いているんじゃないの? 自分でも何してるのかわからなくなってるんじゃないの? 家族からも近所からも煙たがられているんだね。 友達も彼女も彼氏もいないんだね。学校でも会社でも浮いているんだね。 どこに行っても相手にされないんだね。 ネットでも無視されてここに流れ着いて来たんだね。 ここでさえ相手にされてないじゃん。どうするの? かわいそうに。もう駄目じゃん。 生きていても何もいいことないよ? どうせ誰からも相手にされないんだから、死んだ方がいいんじゃない? 相手にされないから奇抜な言動で注目を浴びようと必死なんだね。 始めは少し注意を向けてもらったのだろうけど、 もう飽きられて完全に無視されているね。 それって迷惑なんだよ?気付いてる? おもしろくもないのに、意味不明な事を大量に書かれても目障りなんだよね。 さようなら。この世から消えてくれ。君いるだけで迷惑。 せめて最後ぐらい人里離れた山の中で自殺してね。
721 :
名無しさん@1周年 :01/12/24 00:05
これがコピペ荒らしというやつか。
この程度で荒らしとは、おめでてーな
723 :
ex飼い員 :01/12/24 03:14
議論の果てに何があるのだろうね。 歎異抄の第二節の親鸞聖人が私にはありがたい。
724 :
渡海 難( p2159-ip01hodogaya.kanagawa.ocn.ne.jp) :01/12/24 09:45
話題提供さんは,黙っちゃったの?。これは僕が原因? マサカねー。 親鸞会の人は,僕が来ると急に黙っちゃうのかな?。 話題提供さんの議論は,鬼の居ぬまの洗濯だったのか(苦笑)?。鬼が来たと言うんで,隠れちゃったのか? 口角泡を吹くような親鸞会の議論って,結局は渡海の来ない間の洗濯なの?。僕は鬼? お〜ぃ。僕は鬼じゃないんだぞ〜。煮て食ったりしないぞ〜ぅ(苦笑)。 坊さん達も,僕が来ると煙いらしいんじゃぁ。話題提供さんよ。あんたと昔々の会員さんとの議論を邪魔するつもりは,ないんじゃよ〜ぅ。話題提供さーん。あんたが僕に「議論は遠慮してくれ」と言えば,僕はあんたと昔々の会員さんとの議論は,一区切りつくまで静観するぞー。 おーい出ておいでよ〜ぅ。
725 :
渡海 難( p5173-ip01hodogaya.kanagawa.ocn.ne.jp) :01/12/24 11:49
>>724 誤 口角泡を吹く
正 口角沫を飛ばす
m(_ _)m 泡は食いたくないもんだ。(^^ゞ
>>724-725 渡海 難( p****-ip0*hodogaya.kanagawa.ocn.ne.jp)へ
君いつもいるね。いつもそんなことばかり書いているね。
気付いてるかい?はっきり言って誰も君のこと相手にしてないよ?わかってるの?
それって、自分ではおもしろいと思って書いているんだろうね。
きっと、薄ら笑い浮かべて書いているんだろうね。
でもさぁ、君以外の人には全然おもしろくないんだよ。
もしかして自分でもおもしろくないのに書いているんじゃないの?
自分でも何してるのかわからなくなってるんじゃないの?
家族からも近所からも煙たがられているんだね。
友達も彼女も彼氏もいないんだね。学校でも会社でも浮いているんだね。
どこに行っても相手にされないんだね。
ネットでも無視されてここに流れ着いて来たんだね。
ここでさえ相手にされてないじゃん。どうするの?
かわいそうに。もう駄目じゃん。
生きていても何もいいことないよ?
どうせ誰からも相手にされないんだから、死んだ方がいいんじゃない?
相手にされないから奇抜な言動で注目を浴びようと必死なんだね。
始めは少し注意を向けてもらったのだろうけど、
もう飽きられて完全に無視されているね。
それって迷惑なんだよ?気付いてる?
おもしろくもないのに、意味不明な事を大量に書かれても目障りなんだよね。
さようなら。この世から消えてくれ。君いるだけで迷惑。
せめて最後ぐらい人里離れた山の中で自殺してね。
君いつもいるね。いつもそんなことばかり書いているね。 気付いてるかい?はっきり言って誰も君のこと相手にしてないよ?わかってるの? それって、自分ではおもしろいと思って書いているんだろうね。 きっと、薄ら笑い浮かべて書いているんだろうね。 でもさぁ、君以外の人には全然おもしろくないんだよ。 もしかして自分でもおもしろくないのに書いているんじゃないの? 自分でも何してるのかわからなくなってるんじゃないの? 家族からも近所からも煙たがられているんだね。 友達も彼女も彼氏もいないんだね。学校でも会社でも浮いているんだね。 どこに行っても相手にされないんだね。 ネットでも無視されてここに流れ着いて来たんだね。 ここでさえ相手にされてないじゃん。どうするの? かわいそうに。もう駄目じゃん。 生きていても何もいいことないよ? どうせ誰からも相手にされないんだから、死んだ方がいいんじゃない? 相手にされないから奇抜な言動で注目を浴びようと必死なんだね。 始めは少し注意を向けてもらったのだろうけど、 もう飽きられて完全に無視されているね。 それって迷惑なんだよ?気付いてる? おもしろくもないのに、意味不明な事を大量に書かれても目障りなんだよね。 さようなら。この世から消えてくれ。君いるだけで迷惑。 せめて最後ぐらい人里離れた山の中で豆腐の角に頭でもぶつけてろ。 オマエガナー。
>>727 君いつもいるね。いつもそんなことばかり書いているね。
気付いてるかい?はっきり言って誰も君のこと相手にしてないよ?わかってるの?
それって、自分ではおもしろいと思って書いているんだろうね。
きっと、薄ら笑い浮かべて書いているんだろうね。
でもさぁ、君以外の人には全然おもしろくないんだよ。
もしかして自分でもおもしろくないのに書いているんじゃないの?
自分でも何してるのかわからなくなってるんじゃないの?
家族からも近所からも煙たがられているんだね。
友達も彼女も彼氏もいないんだね。学校でも会社でも浮いているんだね。
どこに行っても相手にされないんだね。
ネットでも無視されてここに流れ着いて来たんだね。
ここでさえ相手にされてないじゃん。どうするの?
かわいそうに。もう駄目じゃん。
生きていても何もいいことないよ?
どうせ誰からも相手にされないんだから、死んだ方がいいんじゃない?
相手にされないから奇抜な言動で注目を浴びようと必死なんだね。
始めは少し注意を向けてもらったのだろうけど、
もう飽きられて完全に無視されているね。
それって迷惑なんだよ?気付いてる?
おもしろくもないのに、意味不明な事を大量に書かれても目障りなんだよね。
さようなら。この世から消えてくれ。君いるだけで迷惑。
せめて最後ぐらい人里離れた山の中で豆腐の角に頭でもぶつけてろ。
オマエモナー。
729 :
名無しさん@1周年 :01/12/24 13:00
>724-728 渡海のせいでまた荒れたよー
>話題提供さんは,黙っちゃったの?。 今日はいそがしいのでまた明日か明後日。 いつもゆっくり書き込みできるわけじゃない。 ところで君だれ?むかしの会員? 過去ログ読んでないので知らないんだよ。
731 :
名無しさん@1周年 :01/12/25 00:45
難度海をもじった人のこと? あの人はかなり昔の会員だったかな?
732 :
名無しさん@1周年 :01/12/25 12:01
いろいろゴチャゴチャ言うが、つまるところ親鸞会では高森の聴聞でしか往生できないといいたいだけだろ。 普遍的であるはずの法の財産を独り占めしようとしてる。なんともずうずうしいやつらだ。 高森はきっと、私を崇めよ、布施も出せよ、と考えてるだけに違いない。あの傲慢な態度から大体想像はつく。
733 :
渡海 難( p0897-ip01hodogaya.kanagawa.ocn.ne.jp) :01/12/25 18:27
>>730 >いつもゆっくり書き込みできるわけじゃない。
<ごもっとも。ごもっとも。催促めいたカキコは大変失礼申し上げた。>
>ところで君だれ?むかしの会員?。過去ログ読んでないので知らないんだよ。
紛らわしいカキコをお詫びする。
僕はここしばらく、盛んに親鸞会員とネットで論争してきたものだから、以前お相手していただいたその内の一人かと、貴方に変な気を回してしまいました。
僕は、親鸞会の会員歴はありません。
734 :
名無しさん@1周年 :01/12/25 23:50
昔々の会員氏は信心決定したそうだ。 ex飼い員氏も信心決定したといってた。 同一人物なのだろうか? こんなところに信心決定者が2人もいるとは! 法然上人の時代でさえ4.5人しかいなかったというのに。 話題提供氏はどうなのだろう?
735 :
童貞&包茎&短小&早漏 :01/12/26 01:14
O合さんは、クリスマスのことを 「クルシミマス」 「バツマス」 「ペケマス」 と呼んでいた “アンチキリスト”という意味合いもあるんだろうが、別の意味合いも込めていたのだろう、と思う今日この頃
736 :
名無しさん@1周年 :01/12/26 01:36
>>734 >法然上人の時代でさえ4.5人しかいなかったというのに。
「時代」じゃなく、380余名の御弟子の中では?
>話題提供氏はどうなのだろう?
十九願の人が信心決定なわけないでしょ。
737 :
名無しさん@1周年 :01/12/26 01:47
>「時代」じゃなく、380余名の御弟子の中では? 御弟子の中以外にいるのだろうか?仮にいたとしても、凄く少なそう。 法然上人以上の人がいたと思えないし、一人で信心決定なんてできる とは思えない。
>>718 親鸞回的には「正行にならない正行」(wは獲信のための
「手段」だと説かれてますね。
結局「話題提供氏(by親鸞会)」は「善をしないと信仰が進まない」
ということを一番言いたいんでしょう。まあそれが親鸞会の
主張ですしね。やっぱここが他の真宗との一番の相違点
ですね。
「善をしなければ救われない」のですか?>ALL
740 :
名無しさん@1周年 :01/12/26 09:02
>昔々の会員氏は信心決定したそうだ。 >ex飼い員氏も信心決定したといってた。 ネタに決まってんだろ! バカ森も本当のところは信心決定してないんだよ! バカ森なんか所詮「方便」という名のウソのかたまりなんだよ。
>710 いろいろ書こうかな、と思ったんですが、きっとなにかチャチャを入れたいのでしょう。 疑問形にしないで論破されて結構ですよ。 お待ちしております。 >739 >結局「話題提供氏(by親鸞会)」は「善をしないと信仰が進まない」 ということを一番言いたいんでしょう。 これは片手落ちです。「善はできません」と言うことも一番言いたいことです。
「片手落ち」って… まあ、いいか、ロムしてます。 でも、もちっと気をつけてほしいね。
743 :
名も無き同行 :01/12/26 21:11
736=名も無き同行です。
>>737 あなた親鸞会の人?
その時代には唯一絶対の善知識がおられて、その方に聞かねば信心決定でき
ないというのが、親鸞会の最大の邪義だと思う。
観経疏の一文を読み獲信された法然上人や、未信の花山信勝師の説法で獲信
された東条英機など、獲信の形態は様々なはず。
高森氏にしか導けないというから「善知識だのみ」といわれるんですよ。
信心決定を雲の上に放り上げていると、あなたの後生の一大事を踏み外し
ますよ。
744 :
名無しさん@1周年 :01/12/26 23:17
>>743 しか導けないとはいってませんが、善知識といわれるような師につかなけれ
ば難しいのではないかとは思っています。その結果、ひとりで信心決定まで
たどりつけるのは本当に微々たるものではないかといっているのです。
745 :
名無しさん@1周年 :01/12/26 23:22
仮にひとりで信心決定までたどりつける人があったとしても 善知識といわれるような師につけば、もっと早くにたどりつける人 なのだとも思っています。
>>741 善をしなければならない。しかしそれはできない。
それであなた自身はどうしてるのですか?
>>741 それも含めて親鸞会の主張ですもんね。
「善が出来ない自分だと知らされるまで善を求めよ」
ということだったと思いますが。
そこまで求め切れた人が親鸞会ではいないように思うので
親鸞会の主張は正しいのかどうかわかりかねています。
748 :
名も無き同行 :01/12/27 02:12
>>744 ,745
その点に関して異論はありません。
ですが親鸞会の主張は「しか導けない」ということを強調しませんか?
僕は親鸞会に所属したことはなく、元親鸞会員の方と親しかったので伝聞でしかありませんが。
(なので10年以上前の親鸞会の状況しか知りません)
あなたが親鸞会でなかったら的外れなのですみません。
また善知識につくといっても、その善知識をよくよく選ばねばならないと思いますが。
「帰するところの弥陀を棄てて、ただ善知識ばかりを本とすべきこと、大なる過なり」(御文章二帖目十一通)
749 :
名無しさん@1周年 :01/12/27 02:47
そこが高森マジック。 肝心なところを避けて自分のところへ引き止めておく。
>746 やっているのは、結果的に、雑毒ですね。
751 :
渡海 難( p5026-ip01hodogaya.kanagawa.ocn.ne.jp) :01/12/27 18:21
>>741 >きっとなにかチャチャを入れたいのでしょう。
<相手の腹は深読みしようとしない方がいいでしょう。>
>疑問形にしないで論破されて結構ですよ。
論破しようなどと、そんなことは考えたこともない。胸を借りてちょっと聞きたくなっただけ。
「論破されて結構ですよ」というのは、論破されそうな気付きの端緒がどこかにあるんでしょう。
何に気付こうとしているのか、方向などは他人には測り知れません。気付きの端緒が自分の中で見つかってくれば、それを自分で大事にするといい。急ぐ必要はない。気付きは他人にかき回されるより、自分で育てた方が大木になる。
胸を借りようとしたら,急に白旗を揚げようとしてきた。何の白旗か知らないけれど、そういう人にしばらく胸は借りません。
>お待ちしております。 <元親鸞会員の方との議論の方向を見させていただきます。>
>>750 >やっているのは、結果的に、雑毒ですね。
<自嘲か。ごまかしか。 これじゃ何年経っても信心などは決定するはずもない。(笑)>
>論破されそうな気付きの端緒がどこかにあるんでしょう。 「どこか」もなにも間違ってるから信心決定してないんでしょうね。 ただ私程度の信仰でも、この板に書き込みしている人のレベルは見えるということですよ。 この程度の信仰が獲信なら「易往而無人」が嘘になりますよ。 持論の展開は不得意の様ですね。 >自嘲か。ごまかしか。 これがごまかしに聞こえるのなら、間違い無く私以下です。
753 :
名無しさん@1周年 :01/12/27 20:17
>それも含めて親鸞会の主張ですもんね。 親鸞聖人の御教えです。 いろんなことを知れば知るほど親鸞会独自の主張というのは無いですね。 それに対しての非難も変わったものはない。 「善のすすめ」というのも「ただじゃ、そのままじゃ」というのを ききなれた耳には変わって聞こえるんだね。 覚如上人の時代の論争と同じ。ただ、「善はいらない」という人に知恵がついて 「宿善」の定義をごまかしてるだけじゃないか。
755 :
名無しさん@1周年 :01/12/27 23:21
>>748 .749
仮にそうだとしたら、
それだけの自信からと受け止めます。
ハハ、なんにも結果を得られないのに大した自信だ。 つくべき縁あればつき離れる縁あれば離れるんだよ。
>>752 >この程度の信仰が「獲信」なら「易往而無人」が嘘になりますよ。
どの程度の信仰なら「獲信」なんですか?
758 :
渡海 難( p6011-ip01hodogaya.kanagawa.ocn.ne.jp) :01/12/28 22:07
>>752 >「どこか」もなにも間違ってるから信心決定してないんでしょうね。
なるほど。間違ってるから信心決定してない。
「間違ってるから信心決定してない」というところには、間違いはないのでしょうか。「正しいから信心決定がない」という可能性はあるんじゃないですか。「信心決定などは絵空事」という可能性はないのでしょうか。
「間違ってなければ信心決定できる」というところにあなたの信心が決定しているようですね。この決定は正しいのですか?。
>ただ私程度の信仰でも、この板に書き込みしている人のレベルは見えるということですよ。
<なるほど。見えているんだと貴方には思えているのですね。>
>この程度の信仰が獲信なら「易往而無人」が嘘になりますよ。
その程度の信仰などは、獲信とはおよそ見当違いで、妄想の信のなにものでももないかも知れませんね。
>持論の展開は不得意の様ですね。 <持論の展開が特に趣味というわけではありませんからね。>
>これがごまかしに聞こえるのなら、間違い無く私以下です。
雑毒の善であるというのは、貴方にとっては他に譲れない強い確信のようですね。僕以上のレベルの貴方に伺いたい。雑毒の善とは、毒なんですか?。善なんですか?。善ならば幸せをもたらすでしょう。毒なら不幸をもたらすでしょう。
雑毒の善がもたらすものは何でしょうか。
>>754 あなた、ちゃんと引用もとの記事番号を>>で表示
してくれませんか?半角で>>番号入れれば自動的に
青色でリンクされますから。
で、信心決定されてない貴方がどうしてそこまで
断定できるのでしょうか?
その辺がカルトと言われる所以ですよ。
親鸞会の聴聞で獲信した人がほぼいないのは
「易往而無人」だからってことですか?
>>757 ナームさんがおっしゃられているように「この程度」の信仰
ってのは、親鸞会の信仰ってのは相対的なものって
おっしゃりたいんですか?
760 :
名無しさん@1周年 :01/12/29 00:35
話題提供氏へ〜渡海難のカキコパターン 1 あるスレに突如として乱入。「最初は〜について教えてください」と学習者を装って参加する。 2 スレの参加者がそれに乗って丁寧に教えてやる。 3 その言葉の揚げ足を取って渡海難が攻撃開始。『教行信証』を断章して自分勝手な仏教解釈のコーシャクが始まる。 4 それに対しスレの参加者が「まともな根拠をつけて」反撃する。 5 渡海難、正論で反撃できなくなり、しばらく黙る。その後、「お坊さんですね」(最近はこのパターンが多い)か、「親鸞会ですね」と寺や親鸞会批判をする。(大概は奴の妄想) 6 それに対する反撃の後、4〜5、もしくは3〜4がしばらく続く。(7、もしくは8へ) 7 「馬のションベントーク」で相手がウザイと感じるまでけなす。 8 明後日の方向にひたすら答えにならないレスを乱発し、スレの流れをかく乱する。もしくは「仮説」に逃げる。「ウソも100回言えば」のクチでそれに騙されて「渡海は真の論者だ」という信者はこの8のシチュエーションから生まれる。(9もしくは10へ) 9 (しばらくしてスレが静かになると)一方的勝利宣言をして他スレを荒らしに行く(1に戻る) 10 あまりに渡海難がウザイので2chではスレが下がったり、他のHP掲示板は静かになる、すると「私を恐れているんだ」と他スレや他の掲示板で言いふらす。
761 :
私も元会員 :01/12/30 21:55
素朴な疑問 親鸞会の信者さんは、これまで信心決定した人の大部分が親鸞会の言う宿善(勧誘 や財施などの教団活動)を積んだから出来たと本当に思っているのでしょうか?
762 :
名無しさん@1周年 :02/01/01 00:54
>>761 なぜですか?
761さんはどう思っているのですか?
>>762 761じゃないけど、親鸞会の人って自分の宿善(活動とか)で
助かろうとしている節あり。
また、(会長でなく)末端の専任講師がそれを助長してる。
764 :
私も元会員 :02/01/02 11:18
>>762 だって妙好人の話とか、これまで信を獲た方の話をみても信前に勧誘とか財施を
盛んにやっていたなんて話はあまりないもの。親鸞さんは、非行非善で念仏のみ
ぞ真だったからあんまし有名にならなかった(はっきりいって同時代では無名)
が、蓮如さんは、御恩報謝を強調して名号をたくさん下付したり御文を送ったり
有力政治家とコネつけたりしたから本願寺を大きくして有名になったんでしょう。
非行では、他の新宗教みたく功徳を強調して信者に活動させることができないので
うまいこと考えたな〜とおもいますね。
765 :
渡海 難( p2126-ip01hodogaya.kanagawa.ocn.ne.jp) :02/01/02 13:22
>会長でなく 末端の専任講師などは、笑みを浮かべた会長の操り人形なんでしょう。 人形師の腹の中は、操り人形のしぐさで見えてくる。
766 :
名無しさん@1周年 :02/01/02 23:37
>非行非善で念仏のみぞ真だった これはどういう意味?
767 :
私も元会員 :02/01/03 14:26
失礼 非行非善の念仏のみぞ真です。
768 :
皮下狸に向かって :02/01/03 14:59
>>764 悪人正機の親鸞思想は、あまりにラディカルだったから覚如、存覚などのつまらん
エピゴーネン+オルガナイザー+護教神学者どもが何とか通仏教的に会釈しようと
努めたのだが、その際どうしても矛盾が免れ難かった。その一つが仏性論=宿善論だが、
後の宗学者が色々小理屈を捻くり出せば出すほど親鸞教を単なる普通の仏教の一派にして
しまう結果となった。それで何とかセールスポイントを再発掘しようと努めているのが教
界の現状だが、親鸞の教判を法体にまでラディカルに拡大解釈し、方便を自力行として再
生産したつもりなのが、おそらくは創価学会に学んだであろう親鸞会である。その意味では
本願寺など既成教団も親鸞会などのカルトもまさしく親鸞の鬼子であるが、親鸞自身無謬で
はありえず比叡山時代の癖が抜けず高弁などにむきになり反論して「教行証文類」などを書き
みずからのラディカルさを行動面に於いて後発の一遍や自らモデルとした教信等ほど貫けなかっ
たことには、親鸞自身の巻いた種だろう。本当に巻いた種(精子)とともにね。
769 :
皮下狸に向かって :02/01/03 15:03
>>768 (誤)貫けなかったことには (正)貫けなかったことによる
770 :
名無しさん@1周年 :02/01/04 16:22
信心決定したものは如来と同じ功徳を帯びる、とか弥勒菩薩と同等、 とか釈尊にとって親友、とかいわれるが、あのあやしさ満点の高森がそれほどのものとは到底思えない。
771 :
カルト宗教について :02/01/04 19:48
http://www.fukushima-u.ac.jp/gakusei/soudan/calt.html @ 真理はその組織に占有されており,その組織を通してのみ知ることができると主張する。
A 組織を通して与えられた情報や考え方に対しては,疑ってはならない。
B 自分の頭で考えることをしないように指導する。
C 世界を組織と外部とに二分する世界観を持っている。
D 白黒を常にはっきりさせる傾向がある。
E 外部情報に強い警戒感を与え,信者の情報経路にさまざまな制限を加える。
F 信者に対して偏った情報,偽りの情報を提供することがしばしばある。
G 組織から離脱した人間からの情報に接することを禁じている。
H 家庭や社会との関わりで多くのトラブルを生じている。
I 社会からの迫害意識を持ち,それをかえってバネにする。
J 外部に対して正体を隠す傾向がある。
K 生活が細部にわたって規定されている。
L 組織が信者の生活のすべてになっている。
M 組織内部でのみ通用する言葉を多く持っている。
N 組織からの離脱について極度の恐怖心を与える。
772 :
カルト宗教について :02/01/04 19:54
カルト宗教は,アンケート調査,戸別訪問,セミナーなどはよく知られておりますが,そ の他あらゆる方法であなたに接近してきます。 当初,あなたが抱いている寂しいとか,満ち足りない気持ちなどを巧みについて,あなた の気持ちを満足させます。そのため,あなたは彼らに好感をいだくことが多いと思います。 しかし,彼らがあなたに近づくとき,彼らは必ずといってよいほど所属団体名を明らかに しません。 言えばあなたが警戒するからです。 そして,あなたがその団体から抜けられないようになったと彼らが判断したときに,はじ めて団体名を明かすことになります。 誘われたきっかけを例示すると,以下のとおりです。 ◇ 一見,誠実そうな人がアパートへ訪ねてきて話し込み,好意をもったあとで勉強会に 誘われ,断りきれなくなった。 ◇ 街頭で配布していた本の感想を書いて送ったり,街頭アンケートに住所氏名を書いた ところ,ある団体の人間が,アパートを訪ねてきてしつこく勧誘され,集会や研修会な どに出席せざるをえなくなった。 ◇ ある人から研修会に誘われ,数回にわたり行ってみたところ,最初は普通の研修会の ようだったが,後に宗教団体の研修であることがわかった。 ◇ 大学のサークルに入ったと思っていたら,思いもかけず宗教団体だった。 なお,昔の同級生などが突然やってきて,このような誘いをすることもあります。
>>771 でも福島大学って親鸞会の拠点ないもんね(すくなくともおれが在籍していたころは)
灯台とか早稲田とか凶大とか半大とかの拠点校でこんな掲示をしてもらいたいよ
774 :
昔々の会員 :02/01/04 22:45
ご無沙汰してます。早速ですが、法然上人門下でも聖覚法印と並び弟子というより客分的 存在だった隆寛律師は明確に十九願は聖道門の機類に限る方便だと述べられています。 親鸞聖人も「一念多念分別時」を書写され「一念多念文意」で注釈されるほど教学的に影響 を受けた方です。 「第十九来迎必往生の願とは・・・・・・偏に発菩提心修諸功徳を以って往生の業と為すの 土有り。此の行者に於いては上根利根に限り諸機に通ぜざる故に、上の願(十八願)中に 捨てて而して取らず。衆生の根性千差万品なり。若し行者有って忽ちに廻心発願して所発 の菩提心を以って極楽に廻向し修する所の功徳を以って弥陀に廻向す。仮令と曰うは心行 弥陀の本願に順わず、若し至心発願し我国に生まれんと欲し我願に帰向し已れば、、大衆 倶に其の人の前に現じ来迎接取せんと。此れ其の願の意なり。」(弥陀本願義) 原文漢文の為、読み下し等の間違いあれば御教示御願いします。 とまれ、親鸞聖人の釈もこの意 を受けられたものと拝します。
775 :
昔々の会員 :02/01/04 22:53
776 :
昔々の会員 :02/01/04 23:04
>>774 訂正 三行目 「一念多念分別時」→「一念多念分別事」
777 :
通りすがりの元会員 :02/01/04 23:06
>>771 親鸞会は1から15まで全部当てはまるな。(藁
778 :
皮下狸に向かって :02/01/04 23:13
法然は、経典やら理論よりも当時阿弥陀の化身、三昧発得の聖者と信じ られていた善導に偏に依ったのだから、グルイズム(知識帰命、個人崇拝) は浄土系の宿命みたいなもの。その意味で高森教の親鸞会は浄土教の王道を いっている。
779 :
私も元会員 :02/01/04 23:32
私がいた頃、ある千人子牛が「高森先生は、親鸞聖人の生まれ変わり、阿弥陀仏 のご化身であらせられる。」とのたまっていた。また、嫌笑新聞にも同様のこと が書かれていたと思うが、脱会のとき、関係書籍一切を焼却処分したので確認は できません。だれでもよいので親鸞会のかた、これは、会の公式教義ですか?
780 :
名も無き同行 :02/01/05 01:34
>>778 法然上人が個人崇拝だとすると、個人どころか他の仏も拝さない
「一向専念無量寿仏」はどうなってしまうの?
781 :
昔々の会員 :02/01/05 14:03
話題氏も最近御無沙汰のようですね。しかし、話題氏の発言内容が親鸞会の教えを正確に
表現しているとすれば、親鸞会の教義には、可也の矛盾と疑問がありますね。
先ず、泥凡夫が、定散二善が実践できるか否か? 観経の三心(至誠心、深心、廻向発願心)
を獲ることができるか否か? について、
>>529 では、「できる、それどころか全ての人がそれ
をしなければ、他力真実の信は獲られない。」と言っているように思うが、
>>703 >>705 では、
「できないが、いざとなったらできる気になっている。」と言っているように思われる。一体どち
らが本当なのでしょうか?
できるとすれば、自力でする正行は雑修で正行にならないと言っていることから察すると行体と心相
は別々なのでしょうか? しかし、これでは、摂論家の別時意趣の唯願無行の逆で無願唯行になって
しまいます。願行具足、心行一致でなければ「観経の三心を獲た」とはいえません。しかしこんな殊勝
の心を獲た(獲られる)方は、最早泥凡夫ではないでしょう。無願無行が凡夫の実相ですよ。親鸞聖人
でさえ地獄一定と言われたのに化土一定にすべての人がなった後でなければ真実信は獲られないのでしょ
うか?
782 :
昔々の会員 :02/01/05 14:41
もしできないのであれば、しかも話題氏は泥凡夫どころか菩薩様などの聖道門の方 もできないと仰っているのですから親鸞聖人は「観経の三心を獲て後に」とどなたの ことを仰っているのでしょうか? 他力信心を獲るには、必ず定散二善の方便を実践 しなければならないということはどういうことでしょう。「信は道の元功徳の母と為す」 (華厳経) 「仏法の大海には信を以って能入と為し智を以って能度と為す」(大智度論) 信は仏教の初門であり自力の行には自力信が当然の前提(信行次第)なのは、聖浄二門に 通じています。自力修行には、法体の真実性と修行によって獲られる証果に対する信が不可欠 ですが、権化方便を真実と信じて修行せよということでしょうか? この行は権化方便であり 証果も獲られないと思っていては行ずるとは言えませんよ。何の為の教え(教判)なんでしょうか。 宿善を獲信前にこれから行ずる自力行だとする独特の解釈に三願転入を持ってきたのは、確かにアイデア でした(本願寺等の方もこれまでにない奇説に面食らったでしょう)が、一寸無理筋のようですね。 変って聞こえるのは仏教としてあまりに異端だからですよ。既に何人もの方が指摘されている如く信者さん を教団の活動に邁進させる為の便法(方便ではない)でしょうね。
783 :
皮下狸に向かって :02/01/05 22:26
>>780 法然は善導に阿弥陀を観たということですね。だから、夢告での善導との対面を
非常に喜んだ。 法然自身の願望か、信者の願望か後には法然も善導同様三昧発
得したことになりますね。
784 :
昔々の会員 :02/01/06 09:21
>>782 訂正 下から七行目 法体→法門
体だけでなく用も相も含みますね。
785 :
名も無き同行 :02/01/06 09:35
>>783 法然上人、親鸞聖人
「弥陀の本願まことにおはしまさば」
↓
「釈尊の説教……法然の仰そらごとならんや」
親鸞会
「善知識高森先生の仰せまこと」
↓
「弥陀の本願まこと」
善知識に絶対の帰依という見た目は似ていても、順番が逆。
786 :
私も元会員 :02/01/06 22:58
今朝の朝日新聞に宗教学者の山折哲雄氏(確か、本願寺派の御僧侶)が、日本に も原理主義があったとして中世の一向一揆を挙げておられました。でも戦国時代 だから異常心理もあったでしょうが(アフガニスタンをみてもわかる)、やはり 狂気だったと思う。親鸞さんとはいえども人間ですので限界はあり絶対者ではあ りえませんが、親鸞さんが言ってもないことや言うはずのないことがあたかも親鸞 さんの教えのようにドグマ化されることは、いつの時代でも狂気の印だということ は貴重な教訓ですね。その具体例は 例1、十八願はしぼめる華であり、やがて地獄に堕ちる。私の受けた秘事口伝によら ねば救われない。 例2、進むは極楽、退くは無間地獄。 例3、この聖戦(大東亜戦争)で死んだ人は、靖国浄土へ行ける。 例4、信心をいただくには、善知識に信順して宿善を積み財施や 破邪顕正をやらねばならない。
787 :
私も元会員 :02/01/06 23:03
>>786 6行目
いつの時代でも狂気の印だということで
>>785 親鸞会をフォローするわけではないが、そう聞いたことはないな。
事実上会員がそうなっている、ってのは納得できなくもないが
弥陀の本願まこと、が先に来てる人ってのは信後の極少数
だけではないのかな?
789 :
名無しさん@1周年 :02/01/06 23:23
おひさしぶりですが、あんまり発展してないみたいですね。
>>774 >隆寛律師は明確に十九願は聖道門の機類に限る方便だと述べられています。
親鸞聖人はどう言われているでしょう。
「観経の定散諸機は、極重悪人唯称弥陀と勧励したまえり。濁世の道俗よく
自らおのれが能を思量せよ、となり。しるべし。」(化土巻)
定散諸機だとうぬぼれている道俗に「己が分を思量せよ」と言われているんですよ。
「極重悪人」と言われてね。
「善はできない」という実機を知らされるのは信の一念です。
信前は「身口意の乱心を繕い、めでとうしなして浄土へ往生」しようとする自力
があるから「善ができない」という心にはならないんです。
「善ができる」と思っているから「やってみなさい」と言われたのが十九願です。
「諸仏如来有異方便、とのたもうはすなわちこれ、定散諸善は方便の教たることを
あらわすなり」(化土巻)
これは観経の顕の義ではなく、隠彰の義のお言葉ですよ。顕からいうと定善の観門は浄土を
見る方便であるが、隠からいうと広く定散諸善が弘願に通入する方便であることを
示された御文です。隠の義もいらないの?
>>715
>>「方便は聖道門のため」という根拠をお聖教の御文でおねがいいたします。
>そんなことは言ってませんよ。
言ってるじゃないですか。わざわざ隆寛律師のお言葉をあげなくても聖人のお言葉
であげられればいいんじゃないですか?根拠が無いのか、と疑われますよ。
>>781 「観経の三心は定機散機の自力の心なり。定散のニ善を回して大経の三信を得んと願う方便の深心と至誠心と知るべし。」(唯信抄文意) 「定機散機の自力の心」ですから、前にあげましたように「極重悪人」の不浄の心 でありますので信前に「善を回向しよう」という心にはなります。 「真実の善ができる」と言ったことはありません。 人間のする善は雑毒の善です。不浄な心でする善です。 「定機散機」を「真実の善のできるひと」という自分勝手な解釈を採用して 私の文を読むから矛盾して見えるんですよ。自分の言うことを私の言うことは ちゃんと区別してください。
>>782 さかんに「権仮方便をせよというのか」といわれていますが、 たとえば真言教の阿弥陀仏は「己心の弥陀」であり、浄土教で 教えられる阿弥陀仏とは違います。 「善をせよ」というすすめがどの聖道門の教えと同じだと言われている のでしょうか? あと「権化方便」ってなんですか?
790の追加 「極重悪人唯称弥陀」は往生要集では下下品の意を述べられたものですが、 ここでは化土巻の前文を受けて19願の行者も18願に帰さねば救われないこと を示された御文です。 定善散善ができるのなら19願で化土往生できるでしょう。 しかし何故、聖道門の代表的人物である弥勒菩薩でさえ 「五道に展転」するのでしょうか。 「汝(弥勒)および十方の人民、一切の四衆、永劫よりこのかた 五道に展転して、憂畏勤苦すること具に言うべからず。乃至今世まで 生死絶えず。仏を相値うて経法を聴受し、又復、無量寿仏を聞くことを 得たり」(大経下巻) 「無数劫より、このかた菩薩の行を修し」た弥勒菩薩は凡夫ではありません。 「善を修め、煩悩を断つ」菩薩行を修めることのできる優れた機の方です。 しかし、その「優れた機」も阿弥陀仏の光明に照らされて知らされる「実機」は 「五道に展転する」「十方の人民」と同じということです。
追加の追加 「一切の群生海、無始よりこのかた乃至今日今時に至るまで 穢悪汚染にして清浄の心なく虚仮テン偽にして真実の心無し」(信巻) 「すべての人間は悪しかできない」という「実機」を知らされるのが 機の深信。 だから聖人は「実機においては凡聖同一」と見ておられたのです。 「大小の聖人、重軽の悪人、皆同じくひとしく、選択の大宝海に帰して 念仏成仏すべし」(行巻) 「願力成就の報土には 自力の心行いたらねば 大小聖人みなながら 如来の弘誓に乗ずなり 煩悩具足と信知して 本願力に乗ずれば すなわち穢身すてはてて 法性常楽証せしむ」(高僧和讃) 「大小の聖人、善悪の凡夫のみづからが身をよしと思う心を捨て 、身をたのまず、あしきこころをさかしくかえりみず、またひとのよしあしと おもうこころをすてて、ひとすじに、具縛の凡夫、屠コの下類、無碍光仏の 不可思議の誓願、広大智慧の名号を信楽すれば煩悩を具足しながら 無上涅槃にいたるなり」(唯信抄文意) 「大小の聖人、重軽の悪人」といわれて一般に「機」と言われるものには 優劣はありますが、阿弥陀仏の光明に照破されて知らされる「実機」は 皆同じというのが、親鸞聖人の結論です。 「定散ニ善はこれができる人に説かれたのであって、できない凡夫に 説かれたのではない」と繰り返して言っている人もありますが、 「信心決定しなさい」と教えること自体が「(自力では獲信できない) 信前の者に説かれる教え」であることに気がつくべきですね。
795 :
昔々の会員 :02/01/08 21:20
話題氏、お久しぶりです。なたた私に質問しているのか、反論しているのかは知りません が、まあいいでしょう。暇なときは、お付き合いしましょう。 >「権化方便」って何ですか? 失礼しました。「権仮方便」の誤りです。 >根拠が無いのか、と疑われますよ。 ここで隆寛律師の御文をあげたのは、律師の三願の解釈が当時の法然上人門下のなかでも異色であり 親鸞聖人の三願転入に先行するものとしてその原型とも言われてますので傍証として挙げたのです。 律師とお聖人の世代差や影響関係、御本典と律師の著書の成立年代等を考慮して充分首肯できる説だと 思います。前にもいいましたが、文献を読むには、背景の歴史考証や所謂テキストクリティークも不可 決だと思いますが、あなたはそれを軽視されてますね。親鸞会の姿勢ですかね?だとするとカルト視され る大きな要因ですね。 「宗師(善導大師)の意依るに。心に依って勝行を起こせり、門八万四千に余れり、漸・頓即ち各々の 所宜称いて、縁に随う者、即ち皆解脱を蒙れり(玄義分)と云えり。しかるに常没の凡愚、定心修し がたし、息慮凝心のゆえに、散心修しがたし、廃悪修善のゆえに」 の御文は、凡聖諸機差別の相状に於いて、四聖との相対のうえで凡夫に定散二善の実践はできないと言われた御文です。
796 :
昔々の会員 :02/01/08 21:57
話題氏の反論らしき文によってますます矛盾と疑問がみえてきますね。どうも親鸞会独自
の解釈でもって切り文的に解釈されるからおかしくなってくるのです。
「観経の定散二機は、極重悪人唯称弥陀と勧励ましたまえり。濁世の道俗よくおのれが能を
思量せよ」の御文は、話題氏も御指摘の如く、化土往生の行人について十八願に入らねば
実報土への往生はできないと仰った文です。
>>791 の「観経の三心は定機散機の自力の心なり
。・・・・」も同様です。化土往生の行人はおられないということでしょうかね?聖人はどこ
でそんなこと言われてますかね? 弥勒菩薩が五道に展転されたというのは、一に浄土門に対
すれば聖道頓教といえども漸教だということと二に菩薩様の場合、化他の為もあるでしょう。
「真実の行」とは何でしょう?「成唯識論」で言う「無漏の善」のことですかね。だとすると
仏作仏行ですね。お聖人的にはその中でも法体大行=南無阿弥陀仏様が最高の善でしょうね。
定善散善が仏作仏行なかでも法体大行だという根拠は何でしょう?
797 :
昔々の会員 :02/01/08 22:02
>>796 訂正 下から三行目 「真実の行」→「真実の善」
798 :
昔々の会員 :02/01/08 22:38
>>790 「諸仏如来有異方便、とのたもうはすなわちこれ、定散諸善は方便の教たることをあら
わすなり」(化土巻)
>これは観経の顕の義ではなく、隠彰のお言葉ですよ。顕からいえば定善の観門は浄土を見る
方便であるが隠からいうと広く定散諸善が弘願に通入する方便であることを示された御文
です。
これも奇怪な解釈です。善導大師は、諸仏の有異方便を日想乃至十三観のことごとくと釈され
挙勧励修されたのですが(大師は、諸仏の善巧方便と釈された)、お聖人は、この経文を顕説
の定散二善を権仮方便との根拠とされる大胆な解釈をされたのですよ。広く定散諸善とは具体的
に何を指すのでしょうか? お聖人は何処でそれを具体的に弘願に通入する方便として教示されて
いるでしょうか? どう読んでもこの御文は、観経顕説の定散諸善(十九願)を隠密の実義である
十八願弘願の義で解釈され、定散諸善の自力行は権仮方便と釈された御文としか読めません。
799 :
昔々の会員 :02/01/08 22:42
>>798 訂正 挙勧励修されたのですが→挙勧励修されたと御文と釈されたのですが
800 :
昔々の会員 :02/01/08 23:15
前にも言いましたように空華や豊前の生仏異質説にたっても一切衆生に機実が「悪 しかできない」というのは、真如法性に対する衆生本分の性得の機に約した場合で (現在では、異質説と同質説を止揚?OR折衷?した無自性仏性説が本派の場合 宗乗上通説です。)、如来様に対すれば凡聖ともに極重悪人で十八願の信楽によらねば 実報土への往生はできない(空華説だと成仏もできない)のは当然ですよ。雑毒の善も 真実の善もその行体は同じではないですか? 話題氏は雑毒の善ができると思ってられる のでしょうか?また、雑毒の善をすれば機実がわかるのですか? 「実機が知らされるのは 信の一念です。」と仰っているところをみると違いますよね。身口意の乱心を繕い、浄土へ 往生しようとする自力では(実報土へ)往生できないというのがお聖人の教えで、自力の三 業で往生を期さなければ他力信がいただけない、自力の雑毒の善を行じないと信の一念をいた だけないという教えではありません。雑毒の善が他力信の因縁という怪説の根拠が三願転入の 御文とはお聖人もびっくりでしょう。
801 :
昔々の会員 :02/01/08 23:53
>「善をせよ」というすすめがどの聖道門の教えと同じだと言われているのでしょうか? さて、どれを指して言っているのでしょう。「自力行には自力信が当然の前提(信行次第) というのは聖浄二門に通じています。」のことでしょうか?どこにも聖道門の教えと同じ なんて言ってませんよ。方便は聖道門のためもそうですが(私は十九願が聖道門の機類を 浄土門に誘引する為の方便と言っただけでどこでも方便一般についてそのように言ってません) 言ってもないことを言ったようにして論難するのがかの会の常套みたいですね。 仏教の初門は信であり自力の行には、その法門への自力信がなければ行じていると言えないのに 権仮方便を行ぜよというのは聖人の教判を無視して権仮方便を真実と信じよというおかしな話に なりますよということですよ。浄土門でも十九、二十願の行が自力であるからです。 話題氏に細かい間違いをからかわれた?からではないが細かいことを言うと真言教の阿弥陀仏は 「己心の弥陀」ではありません。五大の内、風大=妙観察智を象徴する尊です。「己心の弥陀」 説は宋代天台浄土教や禅門の浄禅一致の教風から出たものです。もっとも真言教でも新義派は 弥陀即大日、大日即弥陀ですがね。新義古義通じてその極は阿字本不生でしょう。天台でも阿弥陀 三諦説がありますね。慧心僧都源信、法然上人源空にも同義があったと思うがこの両祖については テキストクリティークが難しいのではっきりしたことはわかりませんがね。
802 :
昔々の会員 :02/01/09 00:09
追伸 書き忘れてましたが、真門(二十願)については、「それ濁世の道俗、速やかに円修 至徳の真門に入りて、難思往生を願うべし。」とあるのに要門(十九願)については 同様の文はないですね。真門は顕説こそ自力行だが、その行体の名号法の力用に約してのお示し と拝します。要門の定散諸善をどこで勧めておられるのでしょう?
>>790 >おひさしぶりですが、あんまり発展してないみたいですね。
私の質問にも回答希望→
>>757
「聖教は句面の如く心得べし。その上にて師伝口業はあるべきなり。 私にて会釈することしかるべからざることなり」 (御一代記聞書90) 昔昔さんはもともと蓮如上人のお言葉には従えない、と言っている 人だから、根拠をあげても無駄かもしれないけど、それでほんとに 浄土真宗なんですかね。
続き1 >>715 >>「方便は聖道門のため」という根拠をお聖教の御文でおねがいいたします。 >そんなことは言ってませんよ。 >>774 >隆寛律師は明確に十九願は聖道門の機類に限る方便だと述べられています。 >>795 >律師の三願の解釈が当時の法然上人門下のなかでも 異色であり親鸞聖人の三願転入に先行するものとして その原型とも言われてますので傍証として挙げたのです。 どういうことですかね。19願のお話をしていたと思ったのですが、 「方便は聖道門のため」ということと、「十九願は聖道門の機類に限る方便」 というのは違うということでしょうか。 親鸞聖人が「十方衆生を方便し」といわれているのを、 あなたが「聖道門の機類に限る」といわれているので親鸞聖人の 文証をお聞きしています。 「歴史的背景があるから勝手に解釈してよろしい」と言われた文証も あげてください。
続き2 >あなたはそれを軽視されてますね。 親鸞聖人の御文より歴史考証が優先するなら、親鸞聖人を御教えを 信じているとは言えないでしょう。 歴史を重視して、御本典を軽視するのが正しいのですか? そういえば戦時中の本願寺も天皇史観に屈して御本典を削りましたね。 平行線だの、なんだの言っているけど親鸞聖人が「十方衆生」と 言われているから私はそのとおりに言っているのです。 昔昔さんが「十方衆生と書いてあっても聖道門の機類に限る」と いうのだから文証をお願いしております。 親鸞聖人の御文と平行線の議論をするなんて何様のつもり なんですか。 >>796 >独自の解釈でもって切り文的に解釈されるから おかしくなってくるのです。 「凡聖通局論」が独自の解釈ということでしょうか。 この解釈は、本願寺関係の本にくわしいですから あなた以外のひとは「切り文的」で、 あなただけ「切り文的でない」ということですね。
続き3 >化土往生の行人はおられないということでしょうかね? ...................................法体大行だという根拠は何でしょう? 自分で解釈して、自分で反論している。 「私にて会釈することしかるべからざることなり」 (御一代記聞書90) 私が言ったことならお答えもしますがね。 >>801 >言ってもないことを言ったようにして論難するのがかの会の常套みたいですね。 御自分のことみたいですね。 「一切の群生海、無始よりこのかた乃至今日今時に至るまで 穢悪汚染にして清浄の心なく虚仮テン偽にして真実の心無し」(信巻) 親鸞聖人が「一切の群生海」と仰っているのですから、「十方衆生」だと 私は言っているんです。 「違う」と言いたいのなら親鸞聖人の文証をあげなさい。 >>798 >>これは観経の顕の義ではなく、隠彰のお言葉ですよ。顕からいえば定善の観門は浄土を見る 方便であるが隠からいうと広く定散諸善が弘願に通入する方便であることを示された御文 です。 >これも奇怪な解釈です。 「これすなわちこの経の隠彰の義なり」(化土巻)と彰義を解説された後に あげられた観経の十三文を「顕の義」だと言うんですか? 「本願成就の報土」も「金剛の真心」も顕の義ですか? 親鸞聖人が隠彰の義だ、といわれている御文を「奇怪な解釈」とは何事だ。
続き4 >>800 親鸞聖人のお言葉をあげてお話しましょう。 あなたのくだらない哲学は結構です。 >>801 >さて、どれを指して言っているのでしょう。 どこにも聖道門の教えと同じなんて言ってませんよ。 >>782 >自力修行には、法体の真実性と修行によって獲られる証果に対する信が不可欠 ですが、権化方便を真実と信じて修行せよということでしょうか? 「自力修行」って浄土門で言うんですか? てっきり聖道門のことかと思いましたが。 >>801 >細かいことを言うと真言教の阿弥陀仏は 「己心の弥陀」ではありません。 「真言の阿弥陀の供養法は正行にて候べきか。 答、仏体はひとつに似たれども、その心不同なり。 真言教の弥陀は、これ己心の如来、 ほかをたづぬべからず云々 」 (法然上人一百四十五箇条問答) 智慧第一の法然上人にもケチをつけるとは 大した知恵者ですね。
続き5 >>802 >真門(二十願)については、「それ濁世の道俗、速やかに円修 至徳の真門に入りて、難思往生を願うべし。」とあるのに要門(十九願)については 同様の文はないですね。 >真門は顕説こそ自力行だが、その行体の名号法の力用に約してのお示し と拝します。 あれ、今度は「方便の真門」は可になったんですか? 「真のみ必要で方便はいらない」というのが 昔昔さんの主張だと思ったんですが。 なんかそのときの都合でいいかげんですね。 要門って何かご存知ですか? 「おおよそ八萬四千の法門はみなこれ浄土の方便の善なり、これを要門という、 これを仮門と名づけたり」(一念多念証文) 八萬四千の法門すなわち、諸仏通誡は廃悪修善。 要門にいる人に説くのが廃悪修善であり、「真門に入れ」ということです。 この二つが別別に聞こえるんでしょ、昔昔さんには。 真門にはいって一日七日の念仏を称えているひとに 修善をすすめたことはありません。 「臨終現前の願により 釈迦は諸善をことごとく 観経一部にあらわして 定散諸機をすすめけり」 (浄土和讃)
810 :
名無しさん@1周年 :02/01/10 23:23
あ〜あ、無様だな。話題提供は壊れてきてる。 無理に反論しようとすればするほどいうことが乱暴になってくる。 おまけに親鸞会のカルト性が浮き彫りになってくる。 気をつけろ、化けの皮がはがれてきてるぞ。(藁
811 :
名無しさん@1周年 :02/01/11 08:40
応援団がんばれ。 昔氏が負けそうだ。
812 :
昔々の会員 :02/01/11 21:46
う〜ん、何だか話題氏も矛盾とか疑問のレベルを遥かに超えてメチャクチャになってきまし
たね。
>>804 〜
>>806 >19願のお話をしていたと思ったのですが
「方便は聖道門のため」では、そのまま読むと方便一般のこととに読めますよ。ひっかけかな?
>「歴史的背景があるから勝手に解釈してよろしい」
>親鸞聖人の文言より歴史考証が優先する
言ってませんよ。
>歴史を重視して、御本典を軽視するのが正しいのですか?
文献を読むには背景の歴史考証や所謂テキストクリティークも不可欠だと言ったのですよ。それは
社会常識です。トータルバランスが必要ということです。隆寛律師の釈とお聖人の釈義が全く異な
っていれば、常識的にみて影響を受けたり崇敬されたりする筈はないですよ。それともお聖人もど
っかの先生みたいに他師の著書からパクってるだけだと言いたいのでしょうか?
>文証をお願いしてあります。
>>795 であげてますよ。この御文での常没の凡愚は、信文類の其れとは違い凡聖差別
の相状に於いて言われているものです。又、もう一つの文証は話題氏自身があげてお
られます(後述)。
>凡聖通局論が独自ということでしょうか。
真如法性(無為法)に対する本分の機に約せば、凡聖ともに極重悪人であると何度も言ってます。
その方便観が独自だと言っているのです。
813 :
昔々の会員 :02/01/11 22:20
>>807 >私の言ったことならお答えもしますがね。
あなたが
>>791 で人間のする善は雑毒の善で「真実の善」はできないと言われて
ますので、「真実の善」とは、仏様しか成しえない無漏の善のことかと思ったのです
が違いますか? 定散二善は、法体大行ではないということですか? だとすると諸仏
の行ずる善のことですか? だとするとその根拠は? それとも「真実の善」とは有漏
の善ですか? 話題氏の言う人間とは、人界受生の機類に限り三聖(二乗、菩薩)を含
まないのですか? そうすると弥勒菩薩様も定散二善ができないと言われるのと矛盾し
ます。どれが正解ですか?
814 :
昔々の会員 :02/01/11 22:51
続き >親鸞聖人が隠彰の義だ、といわれている御文を「奇怪な解釈」とは何事だ。 話題氏はこの御文を「顕説では、定善の観門が、挙勧励修された方便で、隠彰 では、広く定散諸善が挙勧励修された方便」と解釈しておられるようですが違い ますか? この御文はお聖人が観経顕説の定散諸善の自力行は、所廃の権仮方便の教だと 教相を判釈された御文ですよ。「すなわちこれ定散諸善は方便の教たることを顕す なり」の御文がどうして話題氏の言われる意味になるのですか? 散善が加わって いるからですか? お聖人のことを悪文家のように言われる方がありますが変な日 本語になりますよ。話題氏の解釈が奇怪だと言っているのですよ。
815 :
名無しさん@1周年 :02/01/11 23:37
>814 昔氏は化土巻を読んでから話された方がよろしい。 前後の御文を知らないようだから話題氏と話が通じていない。
816 :
昔々の会員 :02/01/11 23:40
>>808 >「自力修行」って浄土門で言うんですか? てっきり聖道門のことかと思いましたが。
「自力」というのがおかしいというのですか? 要門、真門は自力ではないのですか?
お聖人も定散自力の行人と言われています。「修行」がおかしいのですか? 諸行を修
めることを修行と言ってはおかしいですか? 昔(私の在籍時)、親鸞会では聞法修行
という言葉が使われてましたが(今は知りません)。
>智慧第一の法然上人にケチをつけるとは大した知恵者ですね。
たしかに己心の如来とありますね。まあ、真言密教(東密)は六大無碍ですので広義
の己心にはなりますかね。狭義的には、天台の十界互具に由来しますので台密の義かも
しれないですね。東台両密の語は「元亨釈書」(元亨二年)に由来し、例えば日蓮聖人
の如きも台密を山門の真言、三井寺の真言とか言われてますね。
しかし前にも書いたように、醍醐本の問題等法然上人についてはテキストクリティークが
難しいですから本当に上人の言葉かどうかは不明ですがね。私如きが上人の知恵に兆分の
一も及ぶ筈ありませんが「智慧第一の法然房」というのは確か「源平盛衰記」に「持戒第
一の葉上房」(栄西禅師)などと共にでてくるような伝説的な言葉ですのであまり教条化
されて弾可されても困りますがね。
なんのこたあない、ただの権威主義
818 :
昔々の会員 :02/01/12 00:02
819 :
名無しさん@1周年 :02/01/12 00:03
いったいどっちが正しいのだろう。 話題提供氏が発言すると、話題提供氏が正しいと思える。 昔々氏が発言すると、昔々氏が正しいと思える。 初心者だから、理解が浅いの?
820 :
昔々の会員 :02/01/12 00:37
>>809 >「おおよそ八萬四千の法門はみなこれ浄土の浄土の方便の善なり、これを要門という
、これを仮門と名づけたり」(一念多念証文)
続き、「この要門・仮門といふは、すなわち無量寿仏観経一部を説きたまへる定善・散
善これなり。定善は十三観なり、散善は三福九品の諸善なり。これみな浄土方便
要門なり、これを仮門ともいふ。」
これこそ、観経の定散二善が、聖道門の機類誘引の方便の文証ではないですか?
浄土他師、例えば西山上人は、行門(聖道諸教)、観門(観経の諸行)、弘願の三門
に判釈されたのですが、お聖人は、要門に聖道門を合釈されて定散諸善=八萬四千の
法門(聖道門)と釈されたのですよ。
821 :
昔々の会員 :02/01/12 01:09
続き >要門にいる人に説くのが廃悪修善であり、「真門に入れ」ということです。 得意の詭弁ですかね? 「弥陀経往生というは、植諸徳本の誓願によりて不果遂 者の真門にいり、善本徳本の名号をえらびて万善諸行の少善をさしおく。」(三経 往生文類) お聖人は、所修の行体に約して廃立を教化されているのに、何故廃悪修善=「真門 に入れ」なんでしょうか? 万善諸行は名号法に比べれば少善として所廃の行ですよ 。(ですから定善、散善の行体は法体大行か?とお尋ねしたのですよ。) >「真のみ必要で方便はいらない」というのが昔昔さんの主張と思ったんですが。 それもいってませんよ。お聖人の御教えは、権仮方便の自力行を行じなければ信楽 に入れないという教えではないと初めから言ってますよ。
822 :
汝の正体見たり :02/01/12 03:15
さっきまでの話題提供のレスではっきりしたが、親鸞会の教義は誤った文章の理解の仕方からでてくるものだ。小学校から国語の勉強をやりなおしたほうがいい。(ワラ ある独立した言葉や文章はいろいろな意味を持つ。しかし伝えたい話として書かれたもので 筆者が意図することはたった一つ。それは書かれたときの状況、筆者の立場を考慮に入れなければ 理解できないものなのに、親鸞会の場合それをおざなりにして字面だけで独特の違う意味に解釈して それが正しいと盲信している。 データベースがそういう自分たちが独断で作り上げた言葉の世界の範囲しかない。どうりで文証を挙げろ挙げろとうるさいわけだ。 カルトである所以だ。まず事柄があってそれを伝えるために言葉、文章で表す。中身、実、はあくまで「事柄」 だ。聖典の言葉に固執しすぎる親鸞会は真言宗みたいだ。 こういう誤った解釈を戒めるため龍樹大師は語によらず義によるべし、と言われたんだろう。
823 :
名無しさん@1周年 :02/01/12 06:59
>812 結局、昔氏には文証がないみたいね。
824 :
名無しさん@1周年 :02/01/12 13:02
昔氏も話題提供氏も同じDQNということでよろしいか。
825 :
ex飼い員 :02/01/12 18:35
無常ということを御理解されていないようだ。 議論の果てに一体何があろうか。
826 :
名無しさん@1周年 :02/01/12 19:50
これが議論といえるか疑問だけど・・・ ただ親鸞会の狂言に付き合ってやってるだけのような
>>610 >凡夫であるイダイケに定散二善を説かれてイダイケの無生法忍の得証を説かれた観経の諸行往生の表向きの説 を聖人は、聖道門の方を誘引するための方便とみられて凡夫直入の唯真の真実が隠れた観経の仏意だとみられた んですよ。他力信心ひとつでどんな凡夫も救われるというのが真義ですよ。 昔昔さんは、隠彰に方便が説かれていることを 知らないんじゃないですか。顕説が方便である だけではないんですよ。 隠彰の十三文の意味を知らないみたいですね。
続き1 観経の顕説って何か知ってますか。 実の子であるアジャセに七重の牢に入れられ苦しむ イダイケが「来世は苦しみの無い世界に生まれたい」 と願って @「唯願わくは仏日、我に清浄業処(諸仏の浄土) を観ることを教えたまえ」と言ったのです。 イダイケの願いに従って、釈尊は眉間の光によって 諸仏の浄土を照らされ、イダイケはその中の 阿弥陀仏の浄土に行くことをねがいました。 AB「唯願わくは世尊、我に思惟(定善に入る方便)を教え 我に正受(定善)を教えたまえ」 釈尊は微笑されて C「汝当に念をかけて諦に彼の国の浄業成者を観ずべし (浄土の依正二報を観じなさい) D我今汝がために広く衆の譬(定善十三観)を説く 」と言われたのです。 仏、イダイケに告げたまわく E「汝はこれ凡夫なり、心想るい劣にして (イダイケの劣機) いまだ天眼を得ざれば、遠く観ることあたわず。 F諸仏如来に異の方便(定善の観門)あり、 汝をして見ることを得しむ」
続き2 ときにイダイケ、仏にもうして言さく G「世尊、我が如きはいま仏力を以っての故に 彼の国土を見たてまつる。(釈尊の御力によって 浄土を見る) Hもし仏滅後の諸の衆生等は濁悪不善にして 五苦にせめられん。云何して当に阿弥陀仏の極楽世界 を見たてまつるべきや」 (イダイケが未来衆生のために安楽浄土を観ずる方法 を教えたまえと願う) 第八像観で I「もし合せざれば名づけて妄想となし もし合することあらば名づけてソ想に極楽世界 を見ると為す」(観する所が経説と合すれば ソ想と名づける) J「現身の中において念仏三昧を得ん」 (像観成就すれば現身に真身観の利益を 得る) 散善上輩観で K「彼の国に生まれんと願わんものは 三種の心を発して即便ち往生す」 (至誠心等の自利の三心をおこせば すなわち往生を得る) L「復三種の衆生あり、まさに往生を得べし」 (慈心不殺、読誦大乗、修行六念の三種)
続き3 先の十三文に対して隠彰の意味を言われたのが 化土巻の十三文です。 @「唯願わくは仏日、我に清浄業処(諸仏の浄土) を観ることを教えたまえ」 「清浄業処、と言うはすなわちこれ本願成就の 報土なり」 (諸仏の浄土→弥陀の浄土のことである) AB「唯願わくは世尊、我に思惟(定善に入る方便)を教え 我に正受(定善)を教えたまえ」 「教我思惟、と言うは即ち方便なり」 (定善に入る思惟、方便→浄土方便の修行、定散ニ善) 「教我正受、と言うは即ち金剛の真心なり」 (定善→他力金剛の信心)
続き4 C「汝当に念をかけて諦に彼の国の浄業成者を観ずべし (浄土の依正二報を観じなさい) D我今汝がために広く衆の譬(定善十三観)を説く」 「諦観彼国浄業成者、と言うは本願成就の 尽十方無碍光如来を観知すべしとなり。」 (浄土の依正二報を観じなさい→ 阿弥陀如来を観知しなさい) 「広説衆譬、と言うはすなわち十三観これなり」 (定善→定善は隠義でも定善である 弘願においても方便の意がある) E「汝はこれ凡夫なり、心想るい劣にして (イダイケは劣機である) 「汝是凡夫心想ルイ劣と言うはすなわちこれ 悪人往生の機たることを彰す」 (イダイケ→悪人が本願正所被の機)
続き5 F諸仏如来に異の方便(定善の観門)あり、 汝をして見ることを得しむ」 「諸仏如来有異方便、とのたもうはすなわちこれ、定散諸善は方便の教たることをあら わすなり」 これですよね、前に出した文証。 顕説なら「定善で極楽が見られる」、隠説では「定散諸善は(弘願の)方便の教である」 ということですよ。 顕説の方便ではないんです。 隠義の方便、というのは十八願に導く方便ということです。 これが顕義の方便ならば、十三文に隠顕がまざっていることに なりますね。 そんな解釈している学者があるんですか。 わたしの真宗聖典には(隠彰十三文)と書いてありますが。 G「世尊、我が如きはいま仏力を以っての故に 彼の国土を見たてまつる。(釈尊の御力によって 浄土を見る) 「以仏力故見彼国土と言うは、これすなわち他力の心 をあらわすなり」 (釈尊のお力→他力、阿弥陀仏のお力)
続き6 Hもし仏滅後の諸の衆生等は濁悪不善にして 五苦にせめられん。云何して当に阿弥陀仏の極楽世界 を見たてまつるべきや」 「若仏滅後諸衆生等と言うはすなわちこれ未来の衆生 往生の正機たることをあらわすなり」 (イダイケが未来衆生のために安楽浄土を観ずる方法 を教えたまえと願う→未来の衆生が往生の正機) I「もし合せざれば名づけて妄想となし もし合することあらば名づけてソ想に極楽世界 を見ると為す」 「若有合者名為そ想と言うはこれ定観の成じ 難きことをあらわすなり」 (観する所が経説と合すれば ソ想と名づける→ 定観の難であることをあらわす) J「現身の中において念仏三昧を得ん」 「於現身中得念仏三昧と言うは、すなわちこれ 定観成就の益は念仏三昧を獲るを以って観益と なすことをあらわす、すなわち観門をもって方便の 教とせるなり」 (像観成就すれば現身に真身観の利益を 得る→定観成就して獲る益は口称の称名念仏 である、すなわち観門が弘願の方便である)
続き7 K「彼の国に生まれんと願わんものは 三種の心を発して即便ち往生す」 (至誠心等の自利の三心をおこせば すなわち往生を得る→ 利他の三信を発せば報土往生を得る) L「復三種の衆生あり、まさに往生を得べし」 (慈心不殺、読誦大乗、修行六念の三種→ 定機と散機と利他一乗の機の三種の衆生) このあとの玄義文のお言葉もこの文証のために あげられたお言葉です。 「いまこの観経は即ち観仏三昧をもって宗となす、 亦念仏三昧をもって宗となす」の御文を見ても 「宗というは独尊、えん接、帰趣の義あり」(六要抄)で 所立の念仏は立宗すべきでも、所廃の定散が立宗 されるからには、廃立のほかに別の意がなければならない ことなど、親鸞聖人が善導大師の深意をくみ取られて 明かにされた他宗にはない解釈です。 釈相廃立釈意隠顕ですね。 今日はここまで。
835 :
ああそうか :02/01/13 01:30
ああ、やはり話題提供氏は、牧野講師ですね。 少しは、勉強をしたことはわかりますが、いかんせん筋がわるいし、正しい信心ではない。 意地と我慢で、後生は大丈夫ですか。
>ああ、やはり話題提供氏は、牧野講師ですね。 なんで?
837 :
名無しさん@1周年 :02/01/13 11:58
二教二機対 しかるに教について念仏諸善比対論するに、難易対、頓漸対、横 竪対、超渉対、順逆対、大小対、多少対、勝劣対、親疎対、近遠対、深 浅対、強弱対、重軽対、広狭対、純雑対、径迂対、捷遅対、通別対、不 退退対、直弁因明対、名号定散対、理尽非理尽対、勧無勧対、無間間対、 断不断対、相続不続対、無上有上対、上上下下対、思不思議対、因行果 徳対、自説他説対、回不回向対、護不護対、証不証対、讃不讃対、付属不 属対、了不了教対、機堪不堪対、選不選対、真仮対、仏滅不滅対、法滅 利不利対、自力他力対、有願無願対、摂不摂対、入定聚不入対、報化対 あり。この義かくのごとし。しかるに本願一乗海を案ずるに、円融満足極 速無碍絶対不二の教なり。
838 :
名無しさん@1周年 :02/01/13 12:00
また機について対論するに、信疑対、善悪対、正邪対、是非対、実 虚対、真偽対、浄穢対、利鈍対、奢促対、豪賎対、明闇対あり。この義か くのごとし。しかるに一乗海の機を案ずるに、金剛の信心は絶対不二の機 なり、知るべし。
839 :
昔々の会員 :02/01/13 15:29
>>827 〜
>>834 どうも御丁寧な隠彰十三文の御講義ありがとうございました(しかも、続きもして下さる
という。)。折角ですが、疑問が多いです。
>顕説なら「定善で極楽が見られる」、隠説では「定散諸善は(弘願の)方便の教である」
ということですよ。
顕説の方便ではないんです。
隠義の方便、というのは十八願に導く方便ということです。
さて、初めての御高説です。隠彰の御文で使われる方便の語は、諸機に応じた
仏様の教化の手段、方法を指す善巧方便の意だということですか?しかし、そう
すると文章がおかしくなりませんか? 「教我思惟、と言うは即ち方便なり」の
中で方便は何処を指しているのでしょうか? 思惟というのは定善に入る前段の
行ですね。「教我思惟」全体を指して方便と言われているのだからその意で解釈
すると「私に浄土方便の修行の前段の行を教えて下さいというのは、即ち浄土方便
の修行である。」という意味になりましよ。ここはどうみても、「教我思惟」と説かれ
ているのは、真実に対する暫用還廃の方便である権仮方便であり、続く「教我正受」を
釈の定善ではなく他力真実の金剛の真心と釈されて他力の信楽が凡夫往生の真因である
ことをあかそうとされているんですよ。
840 :
昔々の会員 :02/01/13 15:57
続き 「定散諸善は方便の教えたることを顕はすなり」にしても同じですよ。ここは、定散 諸善の説相は真実に対する権仮方便の意味で使われているのですよ。十八願に導く方便 というのは其の通りで、自力諸行の機類を弘願に誘引する為の御方便ですよね。ついでに 言えば、「広説衆譬」というのも、話題氏は顕隠共に十三観を指すとされていますが、釈 (玄義分」には、明かには説かれていませんが、顕説では、直後の三福の浄業を指すとする 解釈が有力ですよ。それに対してお聖人は、十三観を譬えと解され今日でいうところの非神話 化されたというわけですね。
841 :
昔々の会員 :02/01/13 16:54
更に続き 「すなわち観門をもって方便の教とせるなり」もそうで、観門は、真実ではなく権仮 方便の意ですよ。真実義は、利他通入の一心=他力信心ひとつで現世不退に至れるとい う唯信独達の義ですよ。 念観両宗にしても、「六要抄」では、真身観を以って両宗の所処とされていますが、付属 持名も付属に至っての初出ではなく、定善の項にある称名念仏が付属に至って宗となり、し かもそれは仏の正意であり経の要所であるから、順見では、観仏為宗の表相より付属に帯権 の義があるにみえるが、逆見、望本願の本意より弘願真実を彰はすときは、定散二善は却って 所廃となるというように(宗乗では)、会通されてるようですね。存覚上人は、半鎮半天半西 の教風がありますからね。その流れは高田派に影響を与えましたね。 「釈相廃立」 「釈意隠顕」にしましても、当時、「選択集」の諸行廃立に対して聖道諸宗よ りの批判が厳しく隠顕の解釈で自力諸行を権仮方便として生かす解釈をされて、教の絶対性と 宗教多元主義の止揚という全き現代的課題を中世に在って解決されようとした御苦労の所産ですよね。 しかしその御心はあくまで他力信心で「如来(釈尊)の十六観の法を説きたまうは、ただ常没のためにして 、大小の聖のためにせずといふことを証明す。」(玄義分)も隠彰の義からは、全く逆見で十六観こそ聖のためで 実義の他力信心こそが常没の凡愚の為の意になります。
842 :
昔々の会員 :02/01/13 17:09
>>841 訂正 下から三行目 ただ常没のためにして→ただ常没の衆生のためにして
>>835 まさか!! といっても私は御本人をあまり知りません。私が在籍時、講師になられた
ばかりでした(年齢がばれるな)。しかし、もしかしたら話題氏は誰か講師の方ではないか
?という疑問はあります。少なくとも私の在籍時に一般の会員さんや学生でこんなに勉強されて
いる方は(私の知る限りでは)いませんでした。今はどうでしょうか?
こんな便所の落書きみたいなところに出向いてきてまで勝ちたい?
844 :
昔々の会員 :02/01/14 00:47
>>839 訂正 ちょっとキーが走ってしまいました。「教我思惟と言うは、即ち方便なり。」の方便は
思惟を指すと考えるのが自然ですね。思惟を浄影寺慧遠は、三福、九品に合して、散善と釈して、正
受を十六観に合して定善と釈されたのに対し、善導大師は、「かくのごとき解はまさに謂ふに
しからず。「華厳経」に、思惟正受とはただこれ三昧の異名なり、と説きたまふがごときは、この地
観の文に同じ。この文を証とす、あに散善に通ずることを得んや。」と思惟を定善の前方便と釈された
御文をお聖人は、定散二善そのものを方便として言うとされ「教我思惟と言うは、即ち方便なり」という
端的な表現になったんですね。
845 :
昔々の会員 :02/01/14 01:19
>>828 >>831 「諦観彼国浄業成者」は、顕説では、前から続けて「汝まさに念をかけて諦にかの国
を観ずべし、浄業を成ぜんためなり。」で、自力で浄土の依正二報を観ぜよ、の意味
ですが、隠彰では、前文を意図的に除かれて「諦に彼国の浄業成者を観ずべし」と読まれ
て、「阿弥陀様を信ずべし、真実信を獲るべし」の意に解されたのですよ。
聖地ハケ−ン!
847 :
昔々の会員 :02/01/14 02:58
お休み前に追伸
>>845 勿論、ここで言う方便は真実に対して権に用いられる権仮方便。
>>846 観知すべし」、と一見自力的な表現になってますが、「本願成就の尽十方無碍光
如来を、」となっていることからわかるようにその御心は、本願成就の南無阿弥陀仏様の
の他力回向廻向ですよ。
「如来の異の方便、欣慕浄土の善根なり。これはこの経の意なり。すなわちこれ顕の義
なり。」
お聖人は、弘願とは異なる方便の法のことを、異の方便と言われてますね。ですからお聖人の場合「諸仏
如来有異方便」も当然にその意味になりますね。
ああ〜、もう三時だ。連休で久しぶりたっぷり書き込みできました。火曜日より出張の為、少し
の間、書き込みできない。辛い? もう、快感になってきた。
おやすみなさーい。
848 :
昔々の会員 :02/01/14 20:57
追伸の追伸 そもそも顕説を以って弘願(真実)とは異なる方便の法であることをあきらかにされた のが、隠彰の御文であるのに、「隠義の方便」なる概念を別立してけったいな新義を 立てているようだが、「インディアン(だったかな?)は嘘つきだ。」とインディアン は言った、 みたいな簡単なパラドックスを応用したレトリックには、感心するやら 呆れるやら。まるで詐欺師の話を聞いているようだ。そう言うと親鸞聖人も経釈外典を 自由に読み換えられたと言うかもしれませんがね。若し、そういう事を言われるなら、 親鸞聖人は「濁世の道俗、善く己が量を思量せよとなり。知るべし。」とだなたに言われた か思量して欲しいですね。
849 :
昔々の会員 :02/01/14 21:04
>>848 訂正 誤 「濁世の道俗、善く己が量を思量せよとなり。知るべし。」
正 「濁世の道俗、善く自ら己が能を思量せよとなり。知るべし。」
850 :
私も元会員 :02/01/16 21:28
>>809 親鸞会の会員で真門にはいって一日七日の念仏を称えているひとっていましたっけ?
その人は聴聞も活動もせず毎日念仏を称えているの?
851 :
昔々の会員 :02/01/16 21:53
出張一日短縮(替わりに明晩、新年会です)。しかし、あまり進展ないな。
>>848 訂正 誤「インディアンは嘘つきだ。」とインディアンは言った。
正「クレタ人は嘘つきだ。」とクレタ人は言った。
「インディアンは嘘つかない。」ですね。全世界のネイティブアメリカンの皆様
どうも失礼致しました。
話題提供氏はどうしたagえ。
853 :
名無しさん@1周年 :02/01/17 22:44
話題提供しは? いつもの自信たっぷりの反論は?
854 :
名無しさん@1周年 :02/01/17 22:55
正体が見えたからでにくいのでは。
855 :
名無しさん@1周年 :02/01/17 23:40
>>852-854 もうあいつは来なくていいよ。
どうもこのスレになってから話題提供と昔々の会員だけの閉鎖的なスレになっちゃったし。
他から入るところなかったよ、はっきり言って。
この際、次スレは教義論争はやめにして教団そのものについて語るスレにしない?
そうすれば閉鎖的にならず誰でも気軽に参加できるから。
857 :
名無しさん@1周年 :02/01/17 23:52
次スレは「ドキュソ教団・親鸞会」というタイトルでよろしいですか? これならば、ややこしい教義論争のイメージがないし。
残念ながら、私は講師でもなんでもありません。 ここしばらく忙しいので書き込みできないんですよ。 あと正直言って、こちらは根拠をあげて話しても 根拠なしで反論されるので、どう答えたらいいか考えてしまっています。 法然上人のおことばは「法然上人の言葉かどうかわからない」 親鸞聖人のお言葉は「歴史考証で変更可」 蓮如上人は信じない。 浄土真宗の先哲の解釈も「独自の解釈」(隠彰十三文は本願寺の解釈) >>839なんて批難のための批難だと思ったら、恥ずかしくなった のか、訂正が入りましたね。 「ヒマなときに答えればよい」ということなのでまたゆっくり返答させて もらいます。 >>855 教えを抜きにして語る教団ってどういう意味があるんだ? やっぱりワイドショーか。
859 :
名無しさん@1周年 :02/01/18 12:37
あらら、逃げちゃったよ。 とうとう答えに窮するようになったらしい。 その「根拠」ってのこそ会独自の妄想の所産だろ。 人の意見を聞き入れない、自分の妄想の世界に引きこもる。 まさにカルトってわけだ。
860 :
昔々の会員 :02/01/18 23:25
>>858 >「ヒマなときに答えればよい」ということなのでまたゆっくり返答させて
もらいます。
いつの間にまた、私が質問者に復帰したのでしょう? まあ、楽しみにしてます。
>根拠なしで反論されるので、どう答えたらいいか考えてしまっています。
根拠は、各々あげてますけどね。 「如来の異の方便、欣慕浄土の善根なり。これは
この経の意なり。すなわちこれ顕の義なり。」 がどうして根拠ではないのでしょうか?
勿論、これはお聖人の独断ではありません。観経の「諸仏如来に異の方便ましまして」
は、法華経の「又諸々の大聖主 一切世間の天人群生類 深心の所欲を知しめして 更に
異の方便を以て 第一義を助顕したまいき。」(妙法蓮華経方便品第二)を受けたものです。
法華経と観経の関係は、伝統宗学でも、法華経迹門の中心テーマである二乗作仏(二乗開会)
と菩薩開会つまりは会三帰一を観経の三福の三世諸仏浄業正因への開会に先行せる開会の法門
の初出とみて、法華観経同時の説を立てています。又、近代仏教学でも法華経と観経は用語上
に共通点が多いことが、今日有力な観経中国選述説の根拠の一つにされています。
つまりは、異の方便とは、第一義(真実)を助顕する第一義(真実)とは異なる方便の意です。
それでお聖人は、「諸仏如来有異方便と言えり、すなわちこれ定散諸善は方便の教たることを
顕すなり。」として表面的な説相では十三観法を指しているかにみえる異の方便を隠彰の実義で
は、顕説の定散諸善が第一義=真実=弘願とは異なる観経往生=双樹林下往生の教えであることを
あきらかにされたのです。話題氏の言われるように、教主(釈尊)や善導大師の顕説に隠された深意
をくみ取られて明かにされた他宗にない解釈ですね。
861 :
昔々の会員 :02/01/19 00:17
>>860 訂正
誤 双樹林下往生の教え
正 双樹林下往生の方便の教え
もうこのスレ終わりが近いのにナンバー食ってスマソ。
>>860 >顕説の定散諸善が第一義=真実=弘願とは異なる観経往生=双樹林下往生の教えであることをあきらかにされたのです。 これでは隠彰の十三文に顕義の説明が入っていることになりますね。 こういう解釈をしている学者がいるんですか? 「隠彰に方便があるのは、クレタ人嘘つかないと同じ」ということ ですが、諸行往生を達成するのに必要な方便が定散二善である というのが顕義であり、それはそのまま弘願に入るための方便である というのが隠彰であるということを言っております。 諸行往生するのなら、定散の機に限りますが、弘願の方便である定散諸善 をしようとするのがなんで定散の機に限るのか、根拠をあげてくださいと 言っているのですが、根拠を示されませんね、と言っているんですよ。 弘願に入るのには方便はいらない、ということですか? 今日もちょっとだけ。
863 :
昔々の会員 :02/01/19 12:09
>>862 >これでは隠彰の十三文に顕義の説明が入っていることになりますね。
これがレトリックだと言っているのですよ。隠彰の十三文といっても一々に能修の機
と所境が対応して説かれているわけではないですよ。例えば「広説衆譬」と「諸仏
如来有異方便」は、能説の教主(釈尊)の御化導についての隠彰の義をあきらかにされて
いる段ですね。したがってここでの意味は、「釈尊が顕説で御化導された便往生は、弘願真実
とは異なる方便であって、隠彰の実義からいえば御仏意は、弘願の難思議往生の即往生ですよ
。」ということです。
>弘願に入るのには方便はいらない、ということですか?
無他方便の極悪人をも弘願に入れて下さる大御方便が、方便法身尊号の円満徳号=南無阿弥陀仏様
ではないですか。
864 :
昔々の会員 :02/01/19 12:32
追伸 「顕義の説明が入っている。」と言われますが、顕説の方便は日想乃至十三観の悉くを 指していますが、隠彰では、定散諸善を指し、しかも教主の能化に約して権仮方便を説かれたこと を仰っているのですからここでは勿論、実義のうえでの方便ですよ。なんとなれば、真実 に立たなければ方便で御化導できないからです。
今日はもう少し書けそう。 >>860 >「如来の異の方便、欣慕浄土の善根なり。これはこの経の意なり。すなわちこれ顕の義なり。」 がどうして根拠ではないのでしょうか? 隠顕というのは一法が説かれているそのままが、他の一法を隠に説かれて いる、ということですから、親鸞聖人は顕の文をあげてそれぞれの 隠義について書かれたのが十三文です。 昔昔さんの隠顕は観経の御文の中で隠と顕を分けて、顕を廃しているのは 廃立とのごちゃまぜですね。この中途半端な説は誰の説なんですか? 廃立ならば「定散二善を廃して弘願を立てる」ことになりますが これは親鸞聖人の観経の見方ではありません。 上の文はこの文の顕義について言われているんだから顕義なのはあたりまえ です。「異の方便」の隠義は「(弘願の)方便」というのが十三文の説明です。 >無他方便の極悪人をも弘願に入れて下さる大御方便が、方便法身尊号の円満徳号=南無阿弥陀仏様ではないですか。 「浄土の方便」と「方便法身尊号」は関係ありますか、ないですか?
866 :
昔々の会員 :02/01/19 15:22
>>865 観経は、教主に二尊、教義に要弘、仏意に随自と随他、機根に生と熟、宗旨に念観
として経意混沌としているが、法然上人は、善導大師の念観両宗をうけて、「廃立・
助正・傍正」の釈でその意をあらわされた。然るにこの釈義は竪に一経を扱う趣である。
そこで経末の付属流通の真意までつかみ難い。そこでお聖人は、隠顕釈を以って横に経
を捌いて、経初より文々句々に廃立を含むことを教示されたのですよ。つまり、顕説に
は随他要門定散仮門を説くけれども、隠には随自弘願念仏を含蓄することを示されたの
です。法然上人と親鸞聖人はその横竪こそ異なりますが、要弘の廃立は全く一致しています。
867 :
昔々の会員 :02/01/19 15:53
続き >上の文はこの文の顕義について言われているんだから顕義なのはあたりまえです。 「異の方便」の隠義は「(弘願の)方便」というのが十三文の説明です。 上の文(「如来の異の方便、・・・」)は、「顕」(方便)とは何か?を説明している御文の 一部ですよ。何の為に「顕」の説明をされたかというと「彰」(真実)とは何か?を説明する 為ですよ。「彰」=真実の立場に立たれていなければ、何が「顕」で何が「彰」かをあきらか に説くことはできません。したがってここでの「異の方便」は、真実義の文脈で使われている のです。又、お聖人は、経意を無視されて(異の方便=第一義とは異なる方便)経文を釈されたと 言うのでしょうか? >「浄土の方便」と「方便法身尊号」は関係ありますか、ないですか? 「浄土の方便」は勿論「方便法身尊号」の用(お働き)ですから関係あります。しかし、 諸善萬行は、往生の行としては所廃の行です。
868 :
昔々の会員 :02/01/19 16:38
追伸
>>862 「顕説の定散諸善が第一義=弘願=真実とは異なる観経往生=双樹林下往生の方便の
教えであることをあきらかにされたのです。」 この文が隠顕入り混っていると言われる
が、それでは三願転入の御文の「久しく万行諸善の仮門を出でて、永く双樹林下の往生を
離る。」は、定散の機に限る諸行往生のことを仰っているのか、それとも「弘願の方便」で
ある定散諸善?のことを仰っているのかどちらなのですか? 親鸞聖人の体験は、十方
衆生が必ず通らなければならない道程と言う主張からすると後者のような気もするが、それ
では何故、双樹林下往生(=観経往生)と言われているのでしょう? また何故、三願転入
なのでしょうか? 言えば言う程話題氏の主張は矛盾を露呈してますよ。
是が親鸞会の教義だとすると誰かが仰っていたように本当に悪しき意味での密教に似てますね。
(菩提心を因と為し、方便を以って究境と為す正当仏教の純密ではなく、左道の秘事のことです。)
「もう一重立ち入って」を頻発する○○正宗系の教学にも似ています。カルトの考えることはどれも
似たり寄ったりという証左でしょう。親鸞聖人の顕彰穏密は一見すると秘教的な教導に見えますが、
その御心は、一切衆生相手の御本願に腰を据えられて隠された仏意をあきらかにせんとするおこころで
秘密の教えの意ではありません。
869 :
昔々の会員 :02/01/19 20:53
追伸の追伸
それにしても「弘願の方便」である定散諸善の珍義には、今年の初驚きです。一体何のことでしょうか?
そんなものがあるのなら何故御本願にも成就文にも一言も出てこないのでしょうか?
弘願に誘引する方便の意でしょうか? それなら十九、二十願のことではないのですか?
そうだとしたら
>>862 で話題氏が言われるように十九願の発菩提心修諸功徳の諸行往生は定散の機
に限られますよ。全く破綻しているとしか思えないですね。
俺にはさっぱりわからんが、客観的に見てどっちが正しいよ? >昔/提供氏以外の
昔昔さんは根拠をあげて話してください。 聖人の教えと違うか同じかが問題なんです。 私やあなたの理屈などどうでもいいんですよ。 「三経の中に観経の至誠、深心等の三心をば、凡夫のおこすところの 自力の三心ぞと定め、大経所説の至心信楽欲生等の三信をば、他力より 授けらるるところの仏智と分けられたり。 然るに「方便より真実へつたい、凡夫発起の三心より如来利他の信心に 通入するぞ」と教おきまします祖師聖人の御釈を拝見せざるにや」(改邪抄) 「如来の善巧方便によって建てられた十九願の方便願から十八願の 真実へ」と覚如上人も仰っています。はっきり「凡夫」と言われていますよ。
>>869 > それにしても「弘願の方便」である定散諸善の珍義。 根拠がないからあげ足とるしかないんですかね。 「弘願に通入する方便」のつもりですがおかしければ訂正します。 ずっとそういう話をしているんですが。 「方便」というのは「方法便宜」ですよ。「方便、権仮」であって 「善巧方便」でない方便がどこかにあるんですか?みな如来さまの おはからいです。 諸行往生の方便は定散二善を成就して回向することです。「定散二善の できる者は善根を回向して救われなさい」というのが観経の顕義です。 親鸞聖人は「イダイケは凡夫であるから、定散二善ができるわけがない。」ことを見抜かれて「悪人(十方衆生)が往生の正機」であることをあらわす方便 であると見られたのです。そして「定散諸善が十方衆生への方便である」これが隠義だと仰っています。だから「十方衆生を方便し」と御和讃に言われているんです。「聖道門に限る」とは言われてないでしょう。 イダイケは観経では心想ルイ劣の凡夫です。定善ができるわけがないじゃ ないですか。釈尊はイダイケに定善をすすめておられるんですよ。 「定善散善のできる人」への方便に「定善散善のできないひと」がやってみせたのですか?権化で言うなら仏様の化身ですよ。なんで定善のできないイダイケになってされた御芝居が「定善散善のできる人」への方便になるんですか? 「定善散善ができもしないくせにできる気になっている人」ヘの方便です。 廃立は一念の話です。「諸善は往生の支助にはならない」「凡夫には善はできない」と私は何度も言っています。 三願転入の十九願のお話をしているのです。「一念は必要だが、凡夫には十九、二十願はいらない」というのなら調熟の光明もいらないことになりますよ。摂取の光明だけ必要で他はいらない? 今日はここまで。
もう少し書けそう。
「過去久遠に三恒河沙の諸仏の世に出でたまいし所にして自力の大菩提心を
おこしき、恒沙の善根を修せしめしによりて、いま大願業力にまうあうことを
得たり」(唯信抄文意)
>>535 >上根上智の菩薩方や二乗方なら御自分で三恒河沙の諸仏のもとで自力の菩提心をおこして
御修行されてきたことでしょうが.
親鸞聖人がご自分のことを「上根上智の菩薩あるいは二乗」と言われた根拠を
あげてください。
「諸行を廃して念仏に帰せしめんがために、しかも諸行を説く」(選択集)
「人よく中において一心に意を制し、身を端し念を正しくして言行相副い
なすところ至誠にして語る所語にかない、心口転ぜず、ひとり諸善をなし
衆悪をなさざれ」(大無量寿経)
行行相対で説かれた法然上人でさえ「諸善を廃するために釈尊は諸善を説かれた」
と言われているではありませんか。
真実の教の大経にまで善を勧めてあるではないですか。
自力を廃するためには、諸善を「説くのがよいのか、説かないのがよいのか」
「諸善をするのがよいのか、しないのがよいのか」明かです。
だいたい普通に考えても、善はできないという前提の上で善を行じようなんて精神分裂病か、といいたくなるわ。 「善悪のふたつ総じてもって存知せざるなり。」「本願には善悪浄穢なきおもむきをも、とききかせられそうらわばこそ、 学生のかいにてもそうらわめ。たまたま、なにごころもなく、本願に相応して念仏するひとをも、学文してこそなんどと いいおどさるること、法の魔障なり、仏の怨敵なり。」 善悪を判別できるようなことをいうべきでないし、善を義務化して他人にまで押し付けたりしてはならない。 親鸞会は、教義の中に会の保身、経営と高森の私欲をみたすための意図を含ませて それにかなうように解釈を整えようとするから変なことになるんだろう。善をしろしろいうのは会のため働け、 どんどん貢げということに他ならない。これが親鸞会教義における隠義だわな。(ワラ
875 :
昔々の会員 :02/01/20 18:05
話題氏もよくがんばりますね。講師ではないとのことですが、何か役職にでもあるのかな?
平の一般会員さんだとしたら余程親鸞会だけが生き甲斐になつて燃えている人でしょうね。
>>871 あげられている「改邪抄」の御文は、「凡夫自力の心行をおさえて仏智証得の行体といふ、
いはれなき事。」といふ条の御文ですよ。所謂、三業安心を批判されている件ですね。凡
夫という言葉も外凡を指したり地前を指したり無為法に対する本分に約して一切衆生を指し
り実に多義的ですよ、仏教では。ここの御文のテーマは、凡夫発起の自力の三心は、方便で
あり他力廻向の真実の仏智とは、全くけた違いなので権仮の立てわけを間違えてはいけませんよという
事を言わんとされているのではないですか。どういう意図で書かれた文であるかという考証も大事
だと言うのもそこですよ。どうしてこれが、お聖人が自力作善を勧められた事になるのでしょうか?
876 :
昔々の会員 :02/01/20 18:45
>>875 訂正 誤 権仮の立てわけ
正 権実の立てわけ
>>872 方便も実に多義的で宗派によってもちがいますが、真宗では権仮方便を真実の法に導く
仮に設けられた暫用還廃の法として、衆生の機に応じた教化の方法、便宜である善巧方便
一般とは区別して使いますよ。
お聖人は、イダイケが定善ができない凡夫であることを見抜かれて定散諸善の説相は、定散
諸機への権仮方便だと釈されたのです。これが隠義だということです。凡夫に定善を勧めて
いるかの如き説相は無生法忍への修行として無相離念を廃して有相の立相住心を説くことさえ
聖道門の方には受け入れ難いのにましてや付属の「持無量寿仏名」が無生法忍の正因であること
はとうてい受け入れられなかったからです。ですからお聖人は、仏様の真意は、凡夫の他力救済
にあると見られて十三文で自力修行に見える顕説の定善十三観法の能修の機と所修の対境を全て
を他力廻向の実義で読みかえられたのですよ。
877 :
昔々の会員 :02/01/20 19:03
続き >廃立は一念の話です。 摂取の光明の照破の一念と釈義としての廃立を混同しておられますが、廃立というのは、 教相判釈の一つです。又、廃立と穏顕が全く異なる或いは正反対の概念のように解して おられるようですが、そうだとしたらそれこそどなたの説かお伺いしたいですね。お聖人 は、法然上人の釈義特に廃立釈に対して誤解や批判が強かったのでその廃立の義を敷衍、会 通する為に穏顕釈を採られたのですよ。
878 :
昔々の会員 :02/01/20 20:20
>>873 お聖人が御自分のことを聖者だと仰る筈がないではないですか。しかし私には権化の方
であるとしか思えません。そんな方がこの泥凡夫と同じ地平までおりてきてくだされたので
末代のこの私までもが仏法を喜ぶ身にさせていただいたのです。
「釈迦は慈父、弥陀は悲母なり。われらがちち。はは、種々の方便をして無上の信心をひらき
おこしたまへるなりとしるべしなり。おほよそ過去久遠に三恒河沙の諸仏の世に出でしたまへ
るみもとにして、自力の菩提心をおこしき。恒沙の善根を修せしによりて、いま願力にまうあふ
ことを得たり。他力の三信心をえたらんひとは、ゆめゆめ余の善根をそしり、余りの仏聖をいやし
うすることなかれとなり。」(唯信抄文意)
前後をいれるとこうなりますね。この御文は、極難信の御信心をいただけることの重さと其の為の
三世諸仏の御恩を説かれ、そして当時問題の法慢心による造悪無碍と他宗批判を戒められた御文です
ね。法徳からいえば、真実信心をいただけるほどの宿善は、過去世の恒沙の善根ですが、機相からい
えば、この泥凡夫が過去世で聖道門の修行を積んできたなどと誇れますか?
879 :
昔々の会員 :02/01/20 20:33
続き >自力を廃するためには、諸善を「説くのがよいのか、説かないのがよいのか」 「諸善をするのがよいのか、しないのがよいのか」明らかです。 仏教で善が勧められるのは当然のことですよ。ただ、自力作善が真実報土往生の 資助にならないというのがお聖人の御教えです。ですから他力信心をいただくた めには、諸善を説くのも説かないのも、諸善をするのもしないのも無効だという ことです。他力信心をいただくためにはなどという方法論で捉えることが自力の 執心のすがたです。 話題氏のお陰で退屈はしませんが、いささか呆れてお疲れモードです。明晩は、 新年会のためパスします。(その間にこのスレ終了してたりして)
>>874 >善はできないという前提の上で善を行じようなんて精神分裂病か、といいたくなるわ。 「善ができる」と思っているのが自力だと言っているんだよ。 「できないくせにできると思っている」から邪見驕慢なんですよ。 「自分は、すなおにできないと理解した」なんて思っているのは 如来の方便を踏みにじる邪見驕慢の親玉だよ。 己が分を思量せよ、とはあなたに言われたことです。 だんだん言葉に詰まってきたのか、カルトだの何だの ワイドショーやってる連中と同じになってきたね。 悪口言いたいだけなら、御聖教の御文だしたりかっこつけないで いいんじゃない。 誰もあなたのことを「誠実」なんて思ってないから。
>>875 > 凡夫発起の自力の三心は、方便であり。 あなたが「観経の自力の三心は凡夫への方便ではない、 定機散機に限る」と言われているのであげた根拠ですよ。 この「凡夫」も定機散機の聖道門? 「聖人の御釈」は根拠にならないが自分の理屈は根拠になるの?
>>876 >定散諸機への権仮方便だと釈されたのです。 かねがねこの根拠をお聞きしています。が、お答えがありません。 聖人は「十方衆生を方便し」あるいは「群生海を誘引し」と言われて います。 それに反してあなたが「聖道門に限る」と言われているのです。 聖人の御教え、と言われるなら聖人のお言葉で根拠をあげてください。 傍証は本証があってのものです。お間違えなきよう。 >>877 > 廃立と穏顕が全く異なる或いは正反対の概念のように解しておられるようです。 同じではない、と言っております。ひとつの真実をあらわすための 異なる二つの方法です。あなたは同じだと言うんですか?
>>878 >私には権化の方であるとしか思えません。 私も聖人様は権化の方としか思えません。凡地におりて教えられた のが「善根を修したから大願業力にあえたんだ」ということと拝しております。 >機相からいえば、この泥凡夫が過去世で聖道門の修行を積んできたなどと誇れますか? 「自分はこんなに宿善が厚いんだ」と思う宿善深厚の人は おりません。宿善というのは、あなたの言うとおり、阿弥陀仏 からいただく御縁でありますから。 ただ信前には他力ということはありませんので、法蔵の願心に 引かれて自力で求めるままが宿善である、ということです。 調熟の光明は、やっぱり必要ですよね? >>879 別に何の異論もありません。善を積めば信心いただけるなんて 聞いたことは、私はありませんがね。言ったこともないし。 >仏教で善が勧められるのは当然のことですよ。 よく言った。えらいよ、君。
884 :
名無しさん@1周年 :02/01/21 23:39
どうでもいいが親鸞会で信心決定したやつはいない、という事実は間違いない。
話題提供はなにか勘違いしてないか。 ここは親鸞会のクソさ加減を糾弾するスレであって 親鸞会が自分の言い分を述べるところではない。
>>880 一方的に決め付けるやつだな。さすがカルト親鸞会。
「できないくせにできると思っている」だの「自分は、すなおにできないと理解した」だの
書いてないし、そんなこと思ってもない。それと「誠実」ってなんだよ。(プッ
ただなにか反撃したかっただけか。。。それで満足したか?
>如来の方便を踏みにじる邪見驕慢の親玉だよ。
>己が分を思量せよ、とはあなたに言われたことです。
こちらにとっては仏法を捻じ曲げて伝えようとする親鸞会こそそいつだろ。
前からいいたかったわ。
887 :
名無しさん@1周年 :02/01/22 02:49
・・で結局親鸞会ってのは善を勧めるのが正しい、といえば満足するんですか? それからどうするんだろう?このスレを見ている人に親鸞会入会の勧誘でもするんだろうか? それはお断りだ。遠慮させてもらう。
888 :
名無しさん@1周年 :02/01/22 04:42
そりゃ仏教で善が勧められるのは当然さ。 問題はそれを親鸞会が教団の活動に応用、利用して方々に迷惑をかけている事実だろ。 元はここからスタートしたんじゃなかったけ?この論難戦争。 いつのまにか教義に立ち返って元に戻っちゃってるよ。ここから親鸞会のの悪さが始まるんだろ。 これでは堂々巡りだな。
889 :
名無しさん@1周年 :02/01/22 12:39
「善を勧める」の善って、簡単に言えばいっぱい勧誘する事? だったら、お金とんないで、いっぱい話し聞かせてあげればいいじゃん。 お金からむからカルトって言われるんでしょ。 善行なら言葉だけでやいやい言わないで、無償奉仕しなよ。 話題提供個人じゃなくて、会全体でね。 出来ないなら、金目的って言われてもしかたなし!
890 :
昔々の会員 :02/01/22 21:02
しかし、頑張るな〜話題氏も。しかも発言者を混同している節あり。まあ、話題氏に
とっては、親鸞会に在らざる人は皆同類なのかもしれませんが。
>>882 >>881 お聖人の言葉で根拠はあげているじゃないですか。
>>795 >>820 >>795 であげた御文は、諸機差別の相状において常没の凡愚といわれた御文です。又
ここで釈しておられる「玄義分」の原文の「・・・ただ常没の衆生のためにして、大小の聖
のためにせず・・・」の用例をもてもおわかりのように大小の聖(二乗、菩薩)との
相対に於いて常没の言葉を使われているのは明らかではないですか?
>>820 は話題氏自身
があげられた文証ですね。
891 :
昔々の会員 :02/01/22 21:28
続き 「十方衆生に方便し」「群生海を誘引し」といわれているのは、十方衆生相手の御本願 のお徳を称えて十方衆生を洩らすことなく定散自力の行人、化土往生人も真実の報土へ 転入させる方便のお働きについて述べられた御文ではないですか。十方衆生を洩らさずと 救う御法というのを十方衆生が今から方便権門に入って修行しなければならないというように 解されるのはかなりの飛躍というか顛倒した解釈ですよ。 >あなたは同じだと言うんですか? 法然上人、親鸞聖人の両祖の釈義の形が異なるだけで諸行廃立の義は、全く同じです。 お聖人は、他宗の批判に対して法然上人の釈義を会通する為、又御自身の遍歴とも重ね られて単に権教の廃捨を説くだけではなくその権仮方便としての意義を認め(聖道門も同じ)否定 の肯定、肯定の否定というという形で穏顕釈を採られたのです。
892 :
昔々の会員 :02/01/22 21:37
>>883 「善根を修したから大願業力にあえたんだ」というのと「善を積めば信心いただける」
というのはどう違うのでしょうか? 理由と仮定の違いか? 前者は過去形であるという
ことか?
893 :
昔々の会員 :02/01/22 22:21
>>873 「一に、諸行を廃して念仏に帰せしめんがためにしかも諸行を説くといふは、善導
の「観教疏」(散善義」のなかに、「上よりこのかた定散両門の益を説くといえども
、仏の本願に望むるに、意(or 仏の本願の意を望まんには)、ただ衆生をして一向にもつぱ
ら弥陀仏の名を称せしむるにあり」といふ釈の意に准じて、しばらくこれを解せば、上
輩のなかに菩提心等の余行をとくといへども、上の本願(十八願)に望むるに、意(or 仏の
本願の意を望まんに)ただ衆生をしてもっぱら弥陀仏の名を称せしむるにあり。しかるに本願
のなかにさらに余行なし。三輩とも上の本願によるがゆゑに、一向専念無量寿仏といふ。」
(選択本願念仏集 三輩章)
法然上人は、「釈尊が経に諸行諸善を説いておられるけれど、その意は、諸行をすすめるかの如き説相は実は称阿弥陀仏名を
すすめておられるのです。」という御文ですよ。それをどうして切り文で「諸善を廃するために
釈尊は諸善を説かれた」などと解されるのですか? それとも、また諸善をせよというのが阿弥陀
仏名を称せしめることだ、などと言うのかな?
894 :
昔々の会員 :02/01/22 22:37
続き 方便が方法便宜だというのは、仏様の側の御化導のことをいうのに話題氏は何か衆生の 側の方法論のように解しておられるようだ。また、教相判釈と内面的な信仰遍歴の過程 とも混同しておられるようだ。教相判釈特に廃立釈は、方便権仮の法門を捨てて真実 の法門に帰せしめるが為の解釈法のことですから今から権教に入れなどという教導が如何に おかしいかがわかるでしょう。 最近は他の方の発言も増えてきて結構なことです。私は、また出張のため、2、3日書き込み できません。今度は本当に終了しているかもしれませんね。
895 :
名無しさん@1周年 :02/01/22 23:31
昔氏の負けー。
896 :
名無しさん@1周年 :02/01/23 01:37
話題氏ががんばるのもなにかこの場で証が欲しいと思われ。 裏を返せば自分に自信がない、ということでしょうか。余裕がないんだな。 「邪見驕慢の悪衆生、信楽受持することはなはだもつて難し。難のなかの難これに過ぎたるはなし」 の状態になってると思われ。
897 :
名無しさん@1周年 :02/01/23 07:13
御仏の側のお働きであるはずのものを自分たちでやらなければならないと思っているのが親鸞会の最もおかしな点。
898 :
まぎわらしい :02/01/24 17:36
親鸞会はそんなに高森を信奉してるのだったら高森会に団体名を変えろ。 お前らの教義は親鸞聖人の教えとは違う。以上。
>>890 凡夫に定善散善ができない、ということは「凡夫ヘの方便ではない」という
根拠にはならない、と何度も言っています。
信前のひとで「善ができないと判っているひと」って誰なんですか?
まことにすなおに仏法の聞ける、「本願のおめあてではない人」のようですが。
>>891 > 十方衆生が今から方便権門に入って修行しなければならないというように 解されるのはかなりの飛躍というか顛倒した解釈ですよ。 よくわかりませんね。「仏教で善がすすめられるのは当然」といいながら 廃悪修善をすすめるのは間違い、というのはどういうことですか? >法然上人、親鸞聖人の両祖の釈義の形が異なるだけで諸行廃立の義は、全く同じです。 廃立と隠顕は同じか、違うか、お答えください。
>>892 「過去久遠に三恒河沙の諸仏の世に出でたまいし所にして自力の大菩提心を おこしき、恒沙の善根を修せしめしによりて、いま大願業力にまうあうことを得たり」(唯信抄文意) 「三恒河沙の諸仏の 出世のみもとにありしとき 大菩提心おこせども 自力かなわで流転せり」(正像末和讃) 「善根を修した」と言われたのは「大菩提心おこして自力かなわで流転した」 ことを言われたのです。 「善ができて功徳を積んで、その功徳で信心いただいた」なんてどこにも言われてません。 私もそんなこと言った覚えはありません。 凡夫には「往生の資助になる善はできない」と何度も言っています。
もう終わりかな? >>893 >法然上人は、「釈尊が経に諸行諸善を説いておられるけれど、その意は、諸行をすすめるかの如き説相は実は称阿弥陀仏名を すすめておられるのです。」という御文ですよ。 はいはい、異論はありません。 あれ、「諸善は所廃の行」って言ったのは昔さんでしょ? >>894 善巧方便でない権仮方便はない、って言ってるんですよ。 菩薩独自の方便ってあるんですか?私は聞いたことないん ですが。 出張続きでお疲れのようですね。 お答えはひまなときでいいですよ。
903 :
名無しさん@1周年 :02/01/24 23:52
話題さんへ >>凡夫には「往生の資助になる善はできない」と何度も言っています。 S会のひとって、善のすすめがあることの例に 「諸善万行ことごとく・・・」 の御和讃を、根拠にだしてません? 話題さんがこれまでのレスにだしてるかどうかは確認しきれていないのですが、S会の立場で発言している人が今更「何度もいっていない!!!」とは・・・ それとも、今まで気づかなかったんですけど、話題さんは実は高森氏とは立場を異にしていたんですか?
話題氏(というか親鸞会)は権仮方便を衆生が道具として使用して、往生するための原動力にするものと勘違いしているようだ。 そもそも権仮方便というのは仏様側からの概念であって衆生がとやかくいうものではないのに。
親鸞会は方便を会の活動の動機付けに利用してるだけの話
906 :
名無しさん@1周年 :02/01/25 16:54
親鸞下位は結構いい会員もいるんです。 ただちょっと教義に囚われすぎ。他教をいとも簡単に否定する偏狭性を 無くし阿弥陀さんだけに専心した方が良い。 とにかく宗教の目的はカルマからの解脱。 どの教義が正当とか、あれは邪教だとかいらんこと考えずに 阿弥陀さんに専心すればちょっとよくなるかな。
907 :
名無しさん@1周年 :02/01/25 17:05
それから宗教やっている人間でやってない人間を見下す奴、そういうのは 人間としてもっとも神仏から遥か遠い。(つまりダメ) こうした宗教の幹部、ベテランにそういう人間が多い。 だから末端がトラブルを起こしやすい。 また、逆に宗教やっている奴を弱い人間だとか、カルトに嵌った人間として馬鹿 にする輩、それらも親鸞下位の幹部と同列だ。 要するに自分がえらいと思いたいだけ。その根拠が欲しいだけだ。 親鸞下位のような教えでも一片の救いを求めて仏教を真面目に学ぶ末端の 人間もいれば、上段から軽侮する人間、宗教を遊びネタとしてからかおう 人間もいる。 立っている処は皆同じ。(この和紙もおんな次元) 悟りに達しない限り凡夫と言う訳です。
908 :
名無しさん@1周年 :02/01/25 17:23
それから、宗教熱心にやっている人間に忠告 他宗教に寛容でないのは、悟りと正反対の方向に逝っていると自覚されよ。 外面的な真理、教義の上の優劣を論じるのは、心の中の独占欲(真理にたいする) 他教への嫉妬心の変じたものである。 決して言葉以上に高尚な価値など見出せることはない。 ただ、この独占欲とかえらぶりたいとかいうしょうもない欲は、こころの 面を無視して宗教にのめり込む時、雑草のようにガンのように心全体に 次第に蔓延ってしまう。こころされよ。
909 :
昔々の会員 :02/01/25 22:11
昔氏は此処で何の証が欲しいのでしょうか?
>>899 >>901 >>902 凡夫には「往生の資助になる善根はできない」と判る因縁(正確には縁由であろう)が
定散諸善の自力行のことでしょうか? しかし「往生の資助になる善根ができない」と判るとは
、正しく「無有出離縁」が判る=機の深信のことですね? 信機託法の二種一具の深信
は真宗オーソドキシーでは、全分他力であり(幕末、異安心として信機自力説が問題に
なった)、心相と行体は違うと言われるかもしれませんが、真実信楽の縁由になる程の善根
であればその行体は法体大行そのもの即ち他力ですよ。ですから凡夫の分で何が善で何が悪
かは判りません。「ただ善悪のふたつをば、過去の因にまかせ、往生の大益をば如来の他力
にまかせて、かつて、機のよきあしきに、目をかけて、往生の得否をさだむべからず、となり
。」(口伝抄)ですから、 他師では、鎮西上人は、植諸徳本は果遂の所由、即ち宿善と釈されましたが
(決疑抄)、真宗では、信楽の縁由即ち宿善を当相の自力では、過去世に限り又、法徳に約してしか言い
ません(言えません)。今から獲信の縁由(宿善)になると称して自力行を勧めるのは間違いです。ましてや
定散諸善はお聖人が名号法に対しては少善として所廃の行とされてます。
>>821 それとも定散諸善の行体について独自の解釈があるのでしょうか?
>>813
910 :
名無しさん@1周年 :02/01/25 22:37
行よりも信。 どう迷っても、南無阿弥陀佛のうでの中。 一向専念無料寿佛。 合掌。
>>906-908 すごく心に響いた・・・。
僕はその心を離れたくて、仏法を求めているんです。
(たぶんかなり分かってる人なんだろなぁ)
912 :
昔々の会員 :02/01/25 22:57
うえ、
>>900 が抜けてました。
続き
お聖人は、二機二土一機一土の真仮を判釈されて、鎮・西両師が、十九、二十の両願を
往生の正因ではないとされたのに対し、要真弘の三願を分別され、経の深意より十九、
二十両願を辺地化土の往生の正因とされ、尚且つ十八願弘願転入(報土往生)への権仮方便の力用として
釈されたのが方便化身土文類及び二巻抄(愚禿抄)です。ですから、十九願所被の機である定散自力の行
人は、当然に定散諸善ができます。その根拠としてもう一つつけ加えるなら、正因三願(十九、二十、十八)
そのものです。つまり、修諸功徳、植諸徳本の所被の機は、修善の機をえらび取る故、唯除の抑止門が不必要
の為、除かれています。十八願独り此を誓うは悪機為本の御本願だからです。 それと
>>820 もあげてますよ。
913 :
昔々の会員 :02/01/25 23:27
>>912 訂正 正因三願→生因三願
続きの続き
>廃立と穏顕は同じか、違うか、お答えください。
解釈のスタイルの違いだけで、その義は全く同じです。廃立釈をより鮮明にする為の
穏顕釈です。つまり、法然上人は観経一経を、経末の付属(持無量寿仏名)に腰を据え
られて竪に行々相対で解釈された。その為、経末まで真意が掴み難く誤解が多かった。
そこで親鸞聖人は、三経を跨いで横に釈され観小二経の経頭から経末に至るまで文々句々
に廃立の義が隠され弘願真実が説かれていると解釈されたのです。
914 :
昔々の会員 :02/01/26 00:20
>>902 >あれ、「諸善は所廃の行」って言ったのは昔さんでしょう?
法然上人、親鸞聖人ですよ。
「もろもろの学者、取捨心にあり。いまもし善導によらば、初め(廃立)をもつて
正とするのみ。」(選択集 三輩章)
「善本徳本の名号をえらびて万善諸行の少善をさしおく。」(三経往生文類)
諸行廃立は法然上人の教相判釈です。話題氏は、どうも教判というものを誤解しておられる
ようです。教判は、一つの例外(後述)を除いて論師、釈師等人師の経典の解釈法のことです。
例
「大智度論」の顕密二教、「十住毘婆舎沙論」の難易二道、「論註」の自他力二判、「安楽集」の聖浄二門判
、天台大師の五時八教、賢首大師の五教十宗、弘法大師の十住心(十住心の名目は、「大日経住心品」に依り
ますが、大師はそれを教判に転用された)、日蓮聖人の五重相対、四種三段、五綱。わが親鸞聖人の二双四重
判・・・・・etc
ですから、経典に教判そのものの名目や義が出てくるのものではありません。その為の教判です。
経の教相における諸行勧励を法然上人は、称弥陀仏名の勧励(=諸行の廃捨)と釈されたのです。
それで、明恵上人は、「菩提心を以て往生極楽の行とせざる過、弥陀の本願に菩提心無しとする過」
と批判された訳です。それを親鸞聖人は、他力真実信心こそ真の菩提心と会通されたのですが、今は
省きます。法然上人が自力の発菩提心を往生行として勧めておられたらこんな事になる筈ないですよ。
915 :
昔々の会員 :02/01/26 01:04
続き
>>914 で言った唯一の例外とは、「解深密経」の我空法有の有時、我法二空の空時、非
有非空の中道時の三時教です。これは、釈迦金口の説の唯一の教判です。まあ、近代仏教
学で言う経典成立史・インド仏教史の史実に一番近いわけですが。これを巡っては、インド
の中勧派と唯識派の争論、中国の三車、四車の争論を引き継ぐ形で日本でも伝教大師と徳一
大徳以来激しいバトルが繰り広げられました。真宗六祖の慧心院源信僧都も天台側の重要な
論客です(「一乗要決」)。
釈迦金口の教判でなければならないとすれば、法相宗に転宗しなければなりません。第一聖浄二門
自体が経典には無い名目です。昔(私の在籍時)に親鸞会の教義テキストには、「五濁の悪世
唯一浄土の一門のに有て通入す可き路なり。」と「大集経」にあるなどと書かれてましたが、
これは、「安楽集」の自釈の地の文と「大集経」の引用とを取り違えた誤りです。既に鎌倉時代
に日蓮聖人によって「彼の経に都て此文なし」(「法華初心成仏抄」 もっともこの御遺文は、一応
所謂録内御書ですが、真筆なく現在、日蓮宗の学者で、真偽疑のどれが有力かは知りません。)と論破
されているような稚拙な説です。
916 :
昔々の会員 :02/01/26 01:16
917 :
昔々の会員 :02/01/26 01:20
>>909 訂正 冒頭 昔氏→話題氏
自分のHNと間違えてたら世話ない。
次は、昔氏と話題氏でスレ建ててじっくりと浄土真宗に ついて放論してくれんかね。 はっきりいって、カルト親鸞会ってスレなんだから空気を 読んで欲しいな。 ワイドショー?その通り。だから、高尚な話題は他でやって。
なに、話題提供がもうそろそろ退散しそうなのでいいだろう。
仮に話題が勝ったところで会の信用が回復するわけでなし
法論もいいけど、もうちょっと一般人にわかりやすく 解説して欲しいなあ。さっぱりわからん。 まあ、このスレ的にはOちIが不倫でとばされたとかの ネタの方が面白いからな。(藁
922 :
名無しさん@1周年 :02/01/27 07:28
二人のやりとりわからんでも無視して気兼ねせんでカキコすればよろし。
>>909 >信楽の縁由即ち宿善を当相の自力では、過去世に限り.
過去世とはいつまでのことを指して言っているんですか?
>獲信の縁由(宿善)になると称して自力行を勧めるのは間違いです。
信前の聞法、念仏は自力行ですが「勧めるのは間違い」でよろしいか?
>定散諸善はお聖人が名号法に対しては少善として。
名号法に未だ入れぬ者には少善ではない、ということでよろしいか?
また、万行随一の念仏はいわゆる諸善の分際に入るが、これも所廃で
よろしいか?
「信前に、自分は善はできないと判っている人とは誰か」重ねてお聞きしたい。
>>912 「聖道門を含める」という御文がなぜ「聖道門に限る」という意味に なるんですか?根拠になりません。 聖道門の人はみんな定善散善ができるのですか?(これを前提にしている ようですが、これも変な話です) >>913 >解釈のスタイルの違いだけで、その義は全く同じです。 廃立と隠顕が同じ法の説き方だというなら、お勉強しなおしてください。 >>914 >諸行勧励を法然上人は、称弥陀仏名の勧励(=諸行の廃捨)と釈されたのです。 何の異論もない、と言っています。 自力を捨てさせるのに、諸行を停止されたか、勧励されたか、という問題 なんですから。 諸行の廃捨とは自力の廃捨のことです。異類の助業は廃捨されて いませんから、明らかなことです。あなたは善行自体を停止せよ、ということと 解釈しているんですか? 質問の形はしていますが、反論なのでお答えは御自由に。 おひまなときにしてください。
925 :
昔々の会員 :02/01/27 22:33
>>923 >過去世とはいつまでのことを指して言っているんですか?
今世ではないですね。現に今、聖道門に入って自力修行している(できる)身ではありません
から明らかです。
>信前の聞法、念仏は自力行ですが「勧めるのは間違い」でよろしいか?
獲信の縁由(宿善)になると称して信前の自力行として勧めるのは間違いです。
聞法、念仏とは、本来はお他力の遇法そのものですから手段のように扱うのは
間違いです。自分が真実御信心をいただけてない自覚がおありでしたら、仏様
のお心を聞かせていただく他ありません。
>名号法に未だ入れぬ者には少善ではない、ということでよろしいか?
また、万行随一の念仏はいわゆる諸善の分際に入るが、これも所廃で
よろしいか?
お聖人は、能修の機ではなく所修の行体に約しての廃立のお示しです。名号法は、
十方衆生に対する御法です。「三経往生文類」の観経往生の段にも「万善諸行の
自善を回向して、」とありますように行体自体は同じですから少善です。
また、定善の項にある称名念仏は、望本願の本意よりすれば付属に至って宗となり
弘願念仏そのものです。
926 :
名無しさん@1周年 :02/01/28 00:00
難しすぎる話は、個人同士でメールでしてください。 とにかく行よりも信。 一向専念無量寿佛。合掌
927 :
昔々の会員 :02/01/28 00:06
続き
>「信前に、自分は善はできないと判っている人とは誰か」重ねてお聞きしたい。
勿論、おりません。それが判らせて頂けるのは、阿弥陀様の摂取の光明の照破に依る
しかありません。
>>924 >「聖道門を含める」という御文がなぜ「聖道門に限る」という意味に
なるんですか?根拠になりません。
聖道門の人はみんな定善散善ができるのですか?これを前提にしている
ようですが、これも変な話です)
八万四千の法門に入っておられて浄土門に入られてない方は、聖道門の方でしょう。
その他は、仏門にも入っていない無仏、無法、無菩薩の断善根の悪機即ち我々のような
泥凡夫です。聖道門の方とは、二乗、菩薩ですね。話題氏自身は、御自分を聖道門の機類
だと思ってらっしゃいますか? 又、聖道門の御修行が真似でもできますか? 若し、そうで
なければ、聖道門の方が定散諸善ができるか?などという問いは唯の遊戯です。御自分自身に問われ
るべき問題ですね。
>廃立と穏顕が同じ法の説き方だというなら、お勉強しなおしてください。
解釈のスタイル=法の説き方ですよ。スタイルは違えどその義は同じです。廃立釈
を敷衍するための穏顕釈だと何度も言ってます。両祖の義は異なるということでしょうか?
928 :
昔々の会員 :02/01/28 00:36
続き >自力を捨てさせるのに、諸行を停止されたか、勧励されたか、という問題なんですから 「自力を捨てさせるのに」というのは「自力を捨てさせる手段として」の意でしょうか?そうだ とすれば、法然上人は、自力を捨てさせていただく=他力をいただく、の手段としては、諸行を 停止も勧励もされてません。他力をいただく手段などという考え=自力を廃捨されたのです。 「決定信をとるうえには、他の善根に結縁し助成せんこと、まったく雑行とはなるべからず。わが 往生の助業となるべきなり」といわれるのは、決定信をいただいているからには、他の善根も往生 の障りとなるような雑行にはなりませんという事でしよ。それで法然上人は、外面天台、内面専修 と言われるように生涯天台沙門で在り続けられました。天台の行もやられていたでしょう。 >あなたは善行自体を停止せよ、ということと解釈しているのですか? 悪因苦果、善因楽果ですから、善行が勧められるのは当然ですよ。しかし、如何なる善行も他力往生の 足しにはならないし、いかなる悪行も他力往生の障りとはならないという御本願の真実を教えられたの です。 >質問の形にはしていますが、反論なのでお答えは御自由に おひまなときにしてください。 逆じゃないですかね? 反論には全くなってませんけど。まあ、ひまなとき自由 にやらせていただきます。 >
929 :
名無しさん@1周年 :02/01/28 05:28
今は末法で聖道門で修行して救われる人はいないけど正法像法にはいたはずでその方々のためのお導きでは?
寝ぼけ眼で変なことカキコしてしまった。 sage
話題提供 さん なんでそんなにガチガチに固まった言い方しかできない? なんでそこまでして、この板の者たちに勝ちたいと思う? 上からの命令でまたつぶしにきたの? しかし親鸞会にはこのタイプの人間しか残れないのか。 人間的にいい人ばかりが抜けていくね。在籍しても肩身のせまい思いをする。 イヤミな奴ばかりが残る。自分はこんなに頑張っていると自己陶酔。 押しつけすぎると嫌われるよ。それとも自分はやさしい人間だと思っているのか? 本当にいやだ。親鸞会体質。
932 :
名無しさん@1周年 :02/01/28 12:46
話題提供さん 正直私にはこ難しい仏教専門用語は全く解らない。 話題提供さん自身は一体それらをちゃんと実践されているのでしょうか。 それすらも貴方の行動からは読めない。 その代わり仏教教学への執着が随分感じられる。 その執念で真剣に根本から仏教を学べばそれなりに成果も出ようものを! 本で読めば解る教学をわざわざトピはずれの板に長々書き込んで一体貴方の 本当の役に立つのだろうか?! 大変もったいない話だと私は感じるのだが/・・・。
933 :
名無しさん@1周年 :02/01/28 13:13
組織を生かすのでは無く、法を生かすのです。貴方の中に。 法が息づいていない組織などゾンビと同じことです。 各人が自らの法灯となってこそ、組織も生き生きし本当の意味で発展します。 (仲間内の馴れ合いの中での活気ではなく、外に向かったポジティブな意味で)
934 :
名無しさん@1周年 :02/01/28 13:27
三千の世界があり三千の教えの説き方がある。 人も幾千万の感じ方の違いがある。ある真実は別の面から見れば誤りかもしれない。 教学を学ぶことは何も知らないころに比べれば初期において無駄な行いを省いてくれるだろう。 しかしそこから先の道は自分で見つけなければならない。組織や教祖はその手助けとはなるかもしれない。 しかしそれを誤り無きものと錯覚して、よく考えもせず「真理」を受け取ってはならない。 よく考えずに受け入れる為に受け入れた真理はしばしば足かせにもなる。
885 : :02/01/22 00:39 話題提供はなにか勘違いしてないか。 ここは親鸞会のクソさ加減を糾弾するスレであって 親鸞会が自分の言い分を述べるところではない。
半角版に帰ります。
937 :
名無しさん@1周年 :02/01/29 03:58
親鸞会系のHPみたけど相変わらず不気味でカルト特有の匂い。以前とあんまり変わってない。 会から離れてだいぶ経過した今あらためて振り返ってみると会の異常性が良くわかる。
938 :
元学生界印 :02/01/29 16:27
学生の頃、少し会にいました。 ある会員は、会と意見を異にして会を辞めた人間のことを不愉快な言葉で罵倒していました。 或いは、学校で辞めている人を見かけた時、わざわざ近寄って来て傲慢無礼な言葉を浴びせて行きました。 会の人は、結局辞めている人間は弱いだの、厳しい行に耐えられないなど、欠陥があるかのように思い込みたいだけなのだ と今振り返る良く理解できます。 こんな風に人間は自分の信念に憑依されると、信念の奴隷になり、そのような不愉快な言動でも恥ずかしく無くなるようです。 適度の羞恥心と釣り合いの感覚は大切です。
939 :
名無しさん@1周年 :02/01/29 17:02
>>938 それは、そうなんだが実は逆の見方もできる。貴方は常識を持っているつもりだが、
彼らはひょっとしたら自分たちの会こそが全てにおいて正しく、会の教えを信じない人間を
下駄を履き違えたもの、逆立ちして歩いているものとして見ているかもしれない。
難信難解であり、仏縁も薄く、積徳も薄いということになっているかもしれない。
まだ、彼らが自分たちの教えが最高だと考えるのは当然としても、
BESTではなくONE & ONLYと思っているとしたらどうなるか。
つまり罵倒された相手が悪いという極端な論理も成立する。
世間が逆立ちしており、自分たちだけが、王道を歩いていると言う訳。この絶対的な論理のなかで世間的なバランスがどうとか、
そんなことより信心欠場であり、それが大事なのでその為にあらゆる物を犠牲にすることを抑制する歯止めをあえて設けるのは彼らにとって自己矛盾ではないか?
940 :
元学生界印 :02/01/29 17:14
>>939 そんな、暴走的な感じでもなかったですが、最初の友達的雰囲気が消え数ヶ月してから統制がやたら厳しくなったのは事実です。
つまり聴聞をサボる?人が出てきていました。それを説教して無理やり連れ出そうとしていましたが、結局そういうやり方に追従していけない人間もいて辞めていく人が一年目には多かった。
信仰というのは無理やり人の口に押し込んではいけないのだと思います。
941 :
名無しさん@1周年 :02/01/29 17:21
うむむ、そうだろう。彼らにとっては聴聞に参加させることが大切なので、人間の自由意志のようなものは二の次なのかもしれない。 ある種の追詰められた精神状況(つまり罪悪感とか)において、そうして活動を最優先させる結果軋轢を生じているのだろうか。
>>941 というか、何を最優先するかでしょう。私自身は、仏教とは単に個人の解脱だけでなく、この世界を楽土に変えるという目的をも持つのだと思います。
その中で、まず個人の救済がありますが、私はこの世界も大切だと思います。極楽浄土だけでなく。
彼らはそう思っていないでしょう。多分。人間として生まれて汚れた世間の中で死んで行く。そのごく普通の生活の中にも真実があった。
その発見があったので、今の私はこの世界に選ばれた宗教や特別に優れた教祖など存在しないと思っています。
943 :
名無しさん@1周年 :02/01/29 17:59
確かにそうなのだ。 実際、真理とは漸進的なもの。客観的にサイコーと言える真理など存在しない。 というか、真理は人間の頭の中にしか無い、つまり主観なのである。 自然界、森羅万象を見渡しその中で繰り返される現象から、蓋然性の感じられる法則を経験と推論により導き出している。 何百年前ではニュートンの力学でもって世界が説明できた。それが行き詰ると今度は量子力学を生み出した。 だが真実は、もっと凄いものかも知れない。我々の感覚の限界と知性の限界において、真理の限界が定められる。 貴方の言うように、宗教の世界の教義の絶対優位性などはそれを信じる主観の自己説得性のみだけかもしれない。 真理は全く違う次元に厳然と存在し、我々の理解力(悟性)が追いついていないだけかもしれない。 この高みへの進化を拒む時、集団は縮こまって旧来の教義(主観的真理)に執着してしまう。 その旧来の習慣を壊さなかったので宗教は科学から随分遅れてしまったと思う。
宗教と科学はアプローチが異なるので真理への立場は違うと思います。 科学は、世界への視野を広げようとするし、宗教は命の深さ方向に法則を極めようとすると思います。 共通の要件は、今おっしゃった執着が全ての進歩を妨げるということ。つまり執着は有害です。 科学の世界では、例えば西沢先生が新しい光通信の可能性を提唱したとします。でも、学会はそんなのナンセンスとして執着し旧来の研究分野に活動を限定したとしたらその後の光通信はどうなったか。 宗教も自分の教義が絶対で正しく、最高などと自己撞着というか執着したとたん、真実から離れ始めます。 そしてそれが極端だとその教団は教義への執着故に害がある存在にもなるかもしれません。 私はそれは、ダメだと思います。何か自分たちが知らないもの、生命の可能性、輪廻転生の不思議まだまだ知らない事だらけであり、一つの宗教で全て説明がつくとする考えには納得できなかった。 それゆえ、もしもその教団が何らかの害があるとすれば、まずその集団は自らの執着について謙虚に真摯に考えていくべきと思います。 ひょっとして新たな発見があるかもしれない。教団の有害性に目をつぶることは、執着を温存する事であり組織の自己保存でもあると思います。 親鸞会はこの一連の板でだいぶ批判されたけれど、まず謙虚にそれを受け止めるチャンスが今存在すると私は思います。 PS. だいぶ、脱線しました。トピ主さんご迷惑お掛けしました。有難うございます。では、また
>>931 >なんでそこまでして、この板の者たちに勝ちたいと思う? 上からの命令でまたつぶしにきたの? 誰にも命令されていません。「また」って誰か以前つぶしにきたんですか? きっと上司に知れたら「そんなことで時間を無駄にするな」と言われるでしょうね。 別に勝ちたいとも思っていません。論破していただいて結構ですよ。 ちゃんとした話ならね。私自信が納得いかないので話させていただいている だけです。 >>936 この人は偽物。 >>938 >わざわざ近寄って来て傲慢無礼な言葉を浴びせて行きました。 実際にこういう人がいるのは否定しませんよ。 聞きぞこないは大勢おりますから。 教えを誤解されるような言動は慎まねばなりません。 ただ、批難されたことには反論して当然と思っています。 反論している言動を、他人を批難していると思われると話がややこしい ですね。 私は、御縁の遠のいた人を「かわいそうだな」とは思っても、弱い云々とは 思いませんね。阿弥陀仏との御縁なので。
946 :
名無しさん@1周年 :02/01/29 20:05
>>944 つまり、こうだ。
今の親鸞会のやりかたは明らかに害がある。この板はその意味でそれを教えているのだが、真に学ぶ姿勢があるのなら、言葉などへの拒絶よりも己らのおぞましい執着をまず如何するか先に来るだろう、
本物の求道者とはそうしたもの。親鸞会がただの偽者だとしたら批判に感情的に反応して終わるだけだろう。それで自分たちを測るが良い!
トピ主氏、私もお邪魔致しました。これで下がります。
個人的主観だが学生はサークル活動だからサークル内 でカルト化して社会人になると夢から覚めたように 全然縁がなくなる人が多い。 親鸞会をフォローするわけではないが青年部(なくなったらしいな) は真っ当だったよ。 セイガクはやっぱまだ「アオイ」から勘違いヤローがいっぱいいる 社会人の親鸞会会員は真っ当なのが多いな。 講師部はまた逝っちゃってるのが多そうだがね。(w
ねえ、そろそろ新スレ立ててくれないかなぁ?俺、スレ立て過ぎで立てられないんだけど。 今回は、話題提供や昔々の会員のせいで、ものすごく閉鎖的になったし、誰もよりつかなくなった。 この反省を踏まえて、次スレは教義論争抜きで「教団の体質」そのものについて糾弾するスレにしようよ。 タイトルは、『親鸞会はドキュソ教団』という感じできぼんぬ。
949 :
昔々の会員 :02/01/29 22:09
>>945 親鸞会をやめたからといって阿弥陀様との御縁が遠のくわけではないですよ。というか
阿弥陀様の方が無縁大悲で離して下さりません。この間、久々にジャンヌの掲示板を
覗いてみたら、親鸞会の会員の方で御信心をいただかれたという方が書き込まれてい
ましたが、書かれている内容を読ませていただく限りでは、心境に無理もなく本当に
仏法を喜ばれているように感じました(所謂、「さくら」でないことを願います。)。
私自身は、現在の親鸞会の方向性には問題があるとは思いますが(御信心の自覚を大事に
される等、既成宗派が忘れている良い面もあると思いますが)、組織などとは関係なく御
法を喜ばれる方がいても不思議ではありません。若しかしたら、熱心な活動家の方より目立
たない方に喜ばれている方がいるのかもしれません。こういう所に親鸞会の問題点を感じますが
、仏法は知りそまなき人が知らせていただくものでしょうかね。本願寺さんも、仏光寺さんんも
、その他も過去、現在色々問題はあるでしょうが、組織は、一つの御縁にすぎません。私自身は、
形式的には、御門徒ではありません(形式的には真宗でない寺の檀家)。そんな形式は無関係です。
信仰は私の内面のことです。
キミね、こんなところで何やってるの? 無常は迅速なんだよ。 こんなことやっているひまがあったら、1本でも多くアニメをお届けしなさい!
951 :
名無しさん@1周年 :02/01/30 08:00
>>949 「自力で求める必要はない」という考えからはそうならざるを得ないでしょうね。 形式があるのが信心ではないですが、形式がないのが信心でもないですよ。 執着があるのがいけないのでもないし、執着がないのがいけないのでもない とお聞きしております。 皆さんは無理のないのが好きでしょうが、無理のないのが信心ではないし 無理するのが信心でもありません。 組織は一つの御縁でしかありませんが、ひとつしかない御縁でもあります。 ほかには「求めなくてよい」という悪知識ばかりですから。
>>952 組織は縁でああるが因じゃないということがいいたい
のでしょう。>昔さんは
因は南無阿弥陀仏だと思われ。
だから、脱会しようが会にいようが信心とは何ら関係がないのです。
954 :
名無しさん@1周年 :02/01/30 12:23
宗教心理学の学生ですが、話題提供さんって興味深い。 いろいろ勉強になりました。
955 :
名無しさん@1周年 :02/01/30 13:29
>>949 >心境に無理もなく本当に仏法を喜ばれているように感じました
こういう話を聞くとほっとします。自然体ですね。高飛車にならず、卑下せず・・・
956 :
名無しさん@1周年 :02/01/30 23:00
>組織は一つの御縁でしかありませんが、ひとつしかない御縁でもあります。 >ほかには「求めなくてよい」という悪知識ばかりですから。 でた。親鸞会流真実独占至上主義 彼の心の拠り所。
957 :
名無しさん@1周年 :02/01/31 01:13
話題提供さんですら獲心してないんだから、S会にいる意味って・・・
958 :
名無しさん@1周年 :02/01/31 01:26
ところで話題提供さん、ここで何がしたいの? 自己満足?それならわかる。所詮、凡夫やから自己顕示欲にみちてるから。ここでやってるのもケンショーか。 でも、親鸞会をこころよく思ってない人は、話題さんのカキコを見て、ますますイヤになっていくでしょうね。、、、自己満足ならいいけど。 よくわからんが祖師聖人だったらどうなされるでしょうね。アニメの聖人はもっと大きな心であらせられるように思うが。 先生はこんなところに書き込んでることを望まれるのか? あなたは何に従っておられるのか。その上でここで人に不快感を与え、教えから遠ざかる人を作る気なのか?
959 :
話題提供の上司 :02/01/31 01:29
君は指示にないことをするのか? ホウレンソウを怠るのは組織破壊だ!!!
960 :
名無しさん@1周年 :02/02/01 14:21
話題提供はかわいそうだな。
>958 激しく同意。 あなたのような人が周りにいたらよかった・・
>>958 >教えから遠ざかる人を作る気なのか? これ以上どうやって遠ざかるんだ? 充分遠ざかっていると思いますが。
>>これ以上どうやって遠ざかるんだ? >>充分遠ざかっていると思いますが。 だから、上から見下ろして、何いってもいいわけだ。 慈悲の教えを求めている人とは思えんのう〜 ここを見ている人はご縁のある人。そんな人たち相手に >>これ以上どうやって遠ざかるんだ? とは。まあ、あなたの教えには近づきたくありませんがね。 もし、あなたに信頼できる人が身近にいるのなら、自分の書き込みに関してどう思うか、意見を求めたらよいのではないでしょうか。 自己顕示欲でかいてるんだったらかまわんが。 「話題提供」と、名乗るだけあってすばらしく話題提供してますな。 もしかすると、だから演出でここで嫌われ役をやっているのかな。実際は親しみやすい人だったりして・・・。
965 :
名無しさん@1周年 :02/02/02 13:52
まあ、みなさん、話題提供氏は、貴重な現役会員よ。 厚くもてなして、いろいろ聞いちゃおうよ(藁
966 :
名無しさん@1周年 :02/02/03 04:27
親鸞会に接触したために本当の教えから遠のいた、というのが本当のところ。 変な話だが、自分は自分のことに関して予知することがしばしばあって小学生のころ 遊びに行った帰りの途中に大きな中華料理屋があってなにやら立て看板に字が書いてあって 建物の2階で集会のようなものが開かれているらしかった。そのころは難しい漢字は読めなかったので 何が書いてあるかわからなかったが、そのとき「ここの連中がおれに悪影響を与える」と直感的に察知して 苦い思いをしたことがあったが、そこが親鸞会の聴聞会場のひとつであることを後に知って なるほどあのときの予見は間違いでなかったんだな、つくづく思う今日この頃だ。
967 :
名無しさん@1周年 :02/02/03 23:56
本当の教えとは?
アムロ「馬鹿にしてェ、そうやって貴様は永遠に他人を見下すことしかしないんだ!」
969 :
名無しさん@1周年 :02/02/04 01:33
まあね〜 どっかの人に限らず、人を見下すときには快感を覚えてしまいますからね〜 お互い気をつけましょう。 見下してる人を見て見下してしまう悲しい我が心かな。 御同房、御同行のお言葉が暖かく、同時に厳しく心にささります。
見下してる人を見て見下してしまう人を見て見下してしまう・・・ 以下無限ループ
971 :
名無しさん@1周年 :02/02/04 03:07
親鸞会は上司に気に入られたら出世できる。 お礼状をよく出したりアニメ頒布の本数多いと かわいがられるぞ
973 :
名無しさん@1周年 :02/02/05 05:22
974 :
可愛い奥様 :02/02/05 05:52
なんだかしらないがまた、「なんか教えてもらう立場の教えて君が生意気言ってるなー(藁」 とかずーずーしいことまだいってら。
976 :
名無しさん@1周年 :02/02/11 21:51
あとだいぶ前にあった有名な事件をひとつ。 去年の五月ごろ、新勧合宿が終わってすぐ、阪大で新入生の一人がインターネットで親鸞で検索をして、親鸞会批判系ホームページを発見して、すぐさま阪大生全体に広まり阪大生の一年生50人中四十人がやめるという事件がありました。 この際、親鸞会は大変あせって緊急の会議を開いたそうです。補足ですがどうやら親鸞会のダミーサークル名で検索をしても親鸞会関係のホームページが出るようです. 私も「旅と哲学」で試してみたところ、五、六件出てきました。阪大の事件はまさに親鸞会の悪因悪果としか思えませんね(笑い)。 そういえばこのページではまだ修正が行われていないようですが、「親鸞会学生部」は、親鸞会学友部に変更になりましたのでそこら辺は修正しておいたほうがいいかもしれません。 K本部長はK学友部長ですからそこら辺皆さんも気をつけてください。
話題提供さん
つい勢いで失礼なこと申しました。お許し下さい。
>>963 正直な所、本当に正しい仏教の活動のあり方な何か随分考えさせられたのは確かです。
自分の心のあり方、教義へのそれぞれの感じ方・・・拘り方など
仏教というのは奥が深そうですね。私も単なる研究だけではわからない面が多いと感じています。
親鸞会の教えには同意できませんが、仏教が何か正しいことを伝えていそうだということだけは理解できました。(ROM学生)
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