原始仏教と大乗仏教

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1名無しさん@1周年
の共通点と相違点について教えてください。
二つとも思想がいまいちよく分かりません。
2名無しさん@1周年 :2001/06/21(木) 22:53
原始仏教にしても大乗仏教にしてもひとつの宗教運動だろうからね。
その運動が起きた当時に生きていれば内情がわかるんだろうけど、
いまは断片的な資料しか残っていないから。

原始仏教 = 釈迦仏 あるいは過去七仏

大乗仏教 = 大日 阿弥陀 薬師その他諸仏
3:2001/06/21(木) 23:01
>>2
ありがとうございます。原始仏教と大乗仏教は思想的には
相違はあるのでしょうか?
4名無しさん@1周年 :2001/06/21(木) 23:23
僕は素人だよ。(苦笑)そういった関係の本は結構読んだけど、
読んだ端から忘れてしまうもので。どなかか専門家の登場を
期待したいところですね。

原始仏教 = 出家者中心

大乗仏教 = 在家仏教運動

もちろんこれは便宜上の分類に過ぎず、多種多様なグループがあって
それぞれに思想的影響を与えあっていたんだろうね。 インドの大乗仏教も
時代が下れば上座部系の教団とさして変わらなくなっていったみたい。
出家者の戒律を導入したりしてね。
5:2001/06/22(金) 01:13
専門家の登場期待age
6通行人さん:2001/06/22(金) 02:25
大きい本屋でも行って仏教全般についての本を買って読めば
わかると思うけど。
思想的に言うともともとお釈迦様の頃は出家することが一番悟りへの
近道でした。出家すると数々の戒律を守らねばならず肉体労働も
禁じられていました。となると托鉢して歩かねばならない。
東南アジアの仏教国では誰でも一度は出家するのだそうです。
いろいろ制約があって悟りも開けるかは人それぞれですから
出家=救いではありません。しかし誰もが出家・修行ができる
わけではないですよね。万人向けではないと言うことです。
そこで大乗は修行や出家の出来ない人でも仏様は救って下さると
いう思想でその信仰の現れが「南無阿弥陀仏」や「南無妙法蓮華経」
を信じれば無条件で救われるということだと思います。
肉食・妻帯・在家でも救われる。つまりより多くの人を救える。
より多くの人を乗せられる大きな船のような仏教だということです。

ざっとこんなところでしょうか。究極的にはお互いが補完しあって
より完璧な教えに近づくとおもいますが、どちらを重視するか
ということでしょう。
7名無しさん@1周年:2001/06/22(金) 05:32
8名無しさん@1周年:2001/06/22(金) 05:37
小乗仏教ってどんなもん?
9F:2001/06/22(金) 05:42
後は、中村元氏等の著作に目を通すことを勧める
10名無しさん@1周年:2001/06/22(金) 05:52
浄土宗 = 法然
浄土真宗= 親鸞
日蓮宗 = 日蓮
臨済宗 = 無学祖元
曹洞宗 = 道元
11BM:2001/06/22(金) 12:11
>>1
とても魅力的で重要なテーマだと思いますが、それだけに微妙で複雑な問題を多く
孕んでいますね。こういう場で語るのは難しいかもしれませんね。通行人さんが仰っ
ているように、仏教の概説書を読むなり、またそれで物足りなくなったり、興味ある
テーマが見つかるようでしたら、中村元博士の著作をはじめ、多くの専門書も刊行さ
れているので、その世界に分け入っていくのも手かもしれません。
12通行人さん:2001/06/22(金) 23:52
なんか困ってるようだからレスしましたけれどやっぱこういう
調べればわかるようなことをわざわざ質問する人はお礼もしてくれないんだね。
ちなみに10は間違ってます。
臨済は一般的には栄西です。
13:2001/06/23(土) 02:39
みなさん、レスありがとうございました。
私は高校がキリスト教の学校だったので、仏教の知識が全然なくて
「原始仏教と大乗仏教の相違」ということを考えた時、二つの仏教がどう
違うのか全然分かりませんでした。でもみなさんのレスを読んだり自分でも
調べたりして少しずつですが分かってきました。
>>12
通行人さん、せっかく6で解説してくれたのに反応が遅れてすみません。
6の説明を読んで、違いがだいたい分かりました。原始仏教と大乗仏教の
どちらを重視するのかというのは私もよく分かりません。仏教については
まだまだ知識がないので本を読んでもっと知識を深めたいと思っています。
丁寧なレスありがとうございました。
14名無しさん@1周年:2001/07/01(日) 01:57
age
15名無しさん@1周年:2001/07/03(火) 09:26
a
16名無しさん@1周年:2001/07/06(金) 16:02
a
17暇人:2001/07/18(水) 12:59
原始仏教
 原始仏教とは,通常,仏教の開祖_釈尊(シヤクソン)によってはじめられた統一原始教団が
 ,仏滅後100年頃,部派に分裂するまで,または前3世紀のアショーカ王
 (_阿育王(アイクオウ))時代頃までの,インド仏教最初期の段階を指す.
18暇人:2001/07/18(水) 13:00
 しかし原始仏教の用語については,学者の間に異論がある.
 西洋では〈primitive Buddhism〉ともいわれるが,低次元の原始宗教を連想させる
 イメージが嫌われ,日本では当初〈根本仏教〉の名称が用いられた.
 釈尊とその直弟子の仏教を根本仏教とし,これに孫弟子以下の時代の仏教を含めて広く
 原始仏教として区別する場合もある.
 ただ根本仏教の用語は,後世の仏教を枝葉末節として極端に低い評価を下すものと批判
 される.
 この点で〈初期仏教〉(early Buddhism)の語が没価値的表現であるとして時に好まれ
 る.
 しかし原始仏教の用語は,木村泰賢_原始仏教思想論_(1924)や和辻哲郎_原始仏教の実
 践哲学_(1927)などによって,今では広く用いられるようになった.
 最近これを英語で〈original Buddhism〉とするのもよい表現である.
19暇人:2001/07/18(水) 13:00
 釈尊は,東方インドの_ガンジス河中流地域で伝道布教したが,釈尊の晩年頃からは,
 仏弟子らが活躍して,アヴァンティ国(都Ujjen_)を中心とする西方インドに発展した.
 さらにアショーカ王時代には,インドのほぼ全域からスリランカや西北インド(現在の
 パキスタン北部)など辺境の地にも仏教がひろがった.
 釈尊自身は古代マガダ語または古代東部インド語と呼ばれる東方の言語で話していたら
 しいし,その痕跡が_パーリ語聖典のうちに認められるが,後には西部インドで成立し
 たパーリ語が教団の聖典用語として用いられるようになった.
20暇人:2001/07/18(水) 13:01
 仏教の聖典を経(キヨウ)律(リツ)論(ロン)の〈_三蔵(サンゾウ)〉と総称するが,そのうち律蔵と
 経蔵の二蔵がこの時代に成立し,〈原始仏教聖典〉とも呼ばれる.
 現在漢訳に伝えられている経蔵の内容は,〈長阿含(ジヨウアゴン)〉〈中(チユウ)阿含〉〈雑
 (ゾウ)阿含〉〈増一(ゾウイチ)阿含〉の_四阿含であり,また南方_上座部(ジヨウザブ)では,
 〈長部(チヨウブ)〉〈中(チユウ)部〉〈相応(ソウオウ)部〉〈増支(ゾウシ)部〉と〈小(シヨウ)部〉の
 五部(ニカーヤ)をもって構成されている.
 長阿含(長部)は長い経典の集成,中阿含(中部)は中位の長さの経典の集成で,雑阿含
 (相応部)と増一阿含(増支部)の2部2阿含は短い経典を集めている.
21暇人:2001/07/18(水) 13:02
 原始仏教聖典は,釈尊の言行録を長い年月をかけてまとめたため,幾多の新古の層より
 成る.
 原始仏教の中心的な教理としては,最初_説法で説かれたといわれる_四諦(シタイ)_八正道
 (ハツシヨウドウ)・_縁起(エンギ),_五蘊(ゴウン)の_無常_苦_無我の説や,後になってまとめら
 れたと思われる_戒(カイ)・_定(ジヨウ)・_慧(エ)・_解脱知見(ゲダツチケン)の四法の教説など
 があげられる.
 律蔵は僧・尼の守るべき_戒律の条項やその制定の因縁,条項の解説,運用法などをま
 とめたもの.
 時代の経過とともに次第に条項が増加して,後世250戒といわれたりするが,原始仏教時代にはわずかであったと思われる.
22暇人:2001/07/18(水) 13:11
大乗仏教[s:mah_y_na]
 西暦紀元前後からインドに興った仏教の革新運動のこと.
 ゴータマ_ブッダ(釈尊)滅後まもなく,出家の仏教者たちは遍歴の生活をやめ,次第に
僧院に定住し,王族や豪商たちの経済的援助のもとに学問と瞑想に専心するようになった.
この初期の出家仏教は多くの学派に分れていたので_部派仏教と呼ばれる.
出家の仏教者には僧院に住む_声聞(シヨウモン)(仏弟子の意)と1人で山野に修行する
独覚(ドツカク)(_縁覚(エンガク)ともいう)とがあったが,ともに_阿羅漢(アラカン)という聖者にな
ることを最高の理想としていた.
これに対し,革新仏教の信者たちは仏陀となることを理想とし,みずからを_菩薩(仏陀の
さとりを求める有情(ウジヨウ))と呼んだ.
紀元後1世紀に成立した八千頌般若経の中で革新仏教はみずからを_大乗と称し,従来の
部派仏教を_小乗とおとしめて呼んだ.
小乗教徒が自利にのみ走り,一般の在家信者を顧みない傾向が強かったのに対し,菩薩た
ちはみずからが仏陀となることとともに,あるいはそれ以上に,あらゆる人々をさとらせ,
救済しようとする慈悲を強調したから大乗という.
23暇人:2001/07/18(水) 13:12
 紀元前5世紀あるいは前4世紀にゴータマ_ブッダが死去したとき,その遺体の火葬,
遺骨の採集,遺骨を納めるストゥーパ(塔)の建設と供養はすべて在家の信者によって行わ
れ,出家の仏弟子たちはこれに関与しなかった.
 このストゥーパに集まり,これを崇拝した在家者たちがしだいに教団を形成し,部派仏
 教の教義を借用し,やがて指導者層には出家となる者も出てきた.
 小乗教徒は,ゴータマ_ブッダの逝去から遠い未来に弥勒(ミロク)が成仏するまでの間は仏
 陀は存在しないと考えていたが,大乗教徒は現在にも十方の世界に無数の仏陀が存在す
 ることを信じて,いわば信仰の仏教を発展させた.
 彼らはこれらの十方諸仏に向かって,自己の罪を懺悔し,教化を請い(_勧請(カンジヨウ)),
 諸仏やその仏弟子・信者たちの善行を讃歎して喜び(_随喜),自他の善行の功徳を諸仏
 にささげる(_廻向(エコウ))という新たな儀礼をも作り出し,_ヒンドゥー教や_ゾロアスタ
 ー教の有神論の影響をも受け,さらに独創的な空(クウ)の思想をも展開した.
24暇人:2001/07/18(水) 13:13
 こうして紀元後1世紀以降に般若経・維摩経・法華経・華厳経・無量寿経等の大乗経典
 (第1期ないし初期大乗経典)が編集され,3世紀には_竜樹が_中論_等を著して空の思
 想体系化に努め,4世紀には勝鬘経・涅槃経などの_如来蔵経典および解深密経・大乗
 阿毘達磨経の_阿頼耶識(アラヤシキ)経典(第2期ないし中期大乗経典)が編集された.
 5世紀には_無着・_世親によって_瑜伽行派が生まれ,_中観派と対立したが,経典とし
 ては如来蔵と阿頼耶識との統合をはかった楞迦経や大乗密厳経(第3期ないし後期大乗
 経典)が編集された.
 6世紀ころから密教化も進み,7世紀には大日経・金剛頂経などが作られ,_金剛乗が
 成立した.ただし金剛乗は,自らを大乗と区別する意識をももっていた.
 また本来は小乗の一学派であった_経量部は,インド仏教の後期には大乗の一学派とみ
 なされるようにもなった.
25名無しさん@1周年 :2001/07/18(水) 21:21
小乗仏教という語義は、大乗仏教徒が勝手につけた蔑称である
自力と他力の教えの相違とカテゴリー化しているが
原始仏教は小乗仏教により近い。密教を大乗仏教とするのもおかしい。
密教は仏教がヒンズー教、タントリズムに包括もしくは吸収された教えであり
仏教ではない
26夏バテ:2001/07/20(金) 16:53
13世紀に至るまでのインド仏教の歴史は,
1)初期または_原始仏教の時代(開教から教団の分裂まで,約100年間),
2)部派仏教の成立(前3世紀ごろ以降),
3)大乗仏教の興起(前1世紀ごろ),
4)密教の成立(7世紀以降),
をもってその画期とする.
ただし,大乗仏教の成立以後も,部派の教団は存続し,その教理の確立・展開を見た.
さらに密教も,その萌芽は大乗仏典中に見られるし,教義確立後も大乗の中観派と密接な交渉がある.
要するに後期には部派の教団と大乗の学派と密教の運動団体とが重層的に共存していた.
27夏バテ:2001/07/20(金) 16:54
【部派仏教】
仏滅後百年頃、仏教教団は進歩的な大衆部と保守的な上座部とに分裂し、その後数百年の間に約20派となった。
これら諸派の仏教を部派仏教という。
大乗の立場からは小乗として批判された。
現在の南伝仏教は部派仏教の一つである上座部の流れを汲む。

【大乗仏教】
紀元前後頃からインドに起った改革派の仏教。
従来の部派仏教が出家者中心・自利中心であったのを小乗仏教として批判し、それに対し、自分たちを菩薩と呼び利他中心の立場をとった。

【小乗】
 劣った乗物の意 衆生済度を忘れて自己の解脱だけを求める
声聞や縁覚の立場を、大乗の立場から批判的に名づけたもの。小乗仏教。
28夏バテ:2001/07/20(金) 17:02
【部派仏教】
ゴータマ_ブッダ《仏陀(ブツダ)》入滅(ニユウメツ)後100年ごろ、仏教教
団は教義の解釈などをめぐって、ブッダ以下の伝統をそのまま守ろ
うとする保守的な《上座部》と進歩的・自由主義的な《大衆部》と
に分裂し、この両派よりさらに多くの部派が分派した。
これらの諸派が分立した時代の仏教を総称して、明治以降の学界で
〈部派仏教〉と呼ぶようになったもので、古い文献に出てくる名称
ではない。
29夏バテ:2001/07/20(金) 17:05
【大乗仏教】
西暦紀元前後からインドに興った仏教の革新運動のこと。
ゴータマ・ブッダ(釈尊)滅後まもなく、出家の仏教者たちは遍歴の生活をやめ、次第に僧
院に定住し、王族や豪商たちの経済的援助のもとに学問と瞑想に専心するようになったこ
の初期の出家仏教は多くの学派に分れていたので部派仏教と呼ばれる。
出家の仏教者には僧院に住む声聞(シヨウモン)(仏弟子の意)と1人で山野に修行する独覚(ドツカ
ク)〔縁覚(エンガク)ともいう〕とがあったが、ともに阿羅漢(アラカン)という聖者になることを
最高の理想としていた。 これに対し、革新仏教の信者たちは仏陀となることを理想とし、
みずからを菩薩《仏陀のさとりを求める有情(ウジヨウ)》と呼んだ。
30夏バテ:2001/07/20(金) 17:07
紀元前5世紀あるいは前4世紀にゴータマ・ブッダが死去したとき、その遺体の火葬、遺
骨の採集、遺骨を納めるストゥーパ(塔)の建設と供養はすべて在家の信者によって行われ、
出家の仏弟子たちはこれに関与しなかった。
このストゥーパに集まり、これを崇拝した在家者たちがしだいに教団を形成し、部派仏教
の教義を借用し、やがて指導者層には出家となる者も出てきた。 小乗教徒は、ゴータ
マ・ブッダの逝去から遠い未来に弥勒(ミロク)が成仏するまでの間は仏陀は存在しないと考
えていたが、大乗教徒は現在にも十方の世界に無数の仏陀が存在することを信じて、いわ
ば信仰の仏教を発展させた。 彼らはこれらの十方諸仏に向かって、自己の罪を懺悔し、
教化を請い《勧請(カンジヨウ)》、諸仏やその仏弟子・信者たちの善行を讃歎して喜び《随
喜》、自他の善行の功徳を諸仏にささげる《廻向(エコウ)》という新たな儀礼をも作り出し、
さらに独創的な空(クウ)の思想をも展開した。
31夏バテ:2001/07/20(金) 17:07
紀元後1世紀以降に般若経・維摩経・法華経・華厳経・無量寿経等の大乗経典(第1期な
いし初期大乗経典)が編集され,3世紀には竜樹が中論等を著して空の思想体系化に努め,
4世紀には勝鬘経・涅槃経などの如来蔵経典および解深密経・大乗阿毘達磨経の阿頼耶識
(アラヤシキ)経典(第2期ないし中期大乗経典)が編集された. 5世紀には無着・世親によっ
て瑜伽行派が生まれ,中観派と対立したが,経典としては如来蔵と阿頼耶識との統合をは
かった楞迦経や大乗密厳経(第3期ないし後期大乗経典)が編集された.
6世紀ころから密教化も進み,7世紀には大日経・金剛頂経などが作られ,金剛乗が成立
した. ただし金剛乗は,自らを大乗と区別する意識をももっていた. また本来は小乗の
一学派であった経量部は,インド仏教の後期には大乗の一学派とみなされるようにもなっ
た.
32夏バテ:2001/07/20(金) 17:11
ごめんなさい、29-30かぶっちゃったね。
33夏バテ:2001/07/20(金) 17:13
ヒンドゥー教の影響

出家者の教団を主体とする部派の仏教の世間超越的性格に比し,在家の運動に端を発した
大乗や密教は,元来インド社会にあってヒンドゥー教と交渉が多く,その影響もうけや
すかったためと思われる.
インド仏教の盛時は前3世紀から後3世紀にかけてで,以後は
ヒンドゥー教の盛行に伴ってしだいに衰えを見せた.それでも,グプタ朝からハルシャ王
の時代(7世紀)までは仏教が優勢で,外教との間の論争も盛んに行われ,そのため,論理
学を発達させ,それがまた,ヒンドゥー系の諸学者に大きな影響を与えている.
34夏バテ:2001/07/20(金) 18:40
保守派(長老派)の上座部に対して進歩派(革新派)としての大衆部は、正統派に対する
異端派と見られたのはないかと思いますが、それでも仏教教団から追い出されることなく、
相対して論争をしながら教団を形成していました。

また、自ら大乗と名乗ったグループは、釈尊やその弟子たちの全く関知しないところで、
自らの新しい主張のために、多くの新しい経典を自ら制作しました。
この大乗の行動も、保守派・正統派からすれば、異端であり、大乗非仏説という批判も当
然なことと思えます。
しかし、それにもかかわらず、大乗グループも仏教教団から追放されなかったばかりか、
そこから次々と仏教の新しい展開が産み出されました。
35夏バテ:2001/07/20(金) 18:41
中国における禅宗は、「教外別伝」といって、経典には本物の仏教はなく、釈尊の精神は
以心伝心で心から心に伝わっているのだとしました。
したがって、禅僧は経典には目もくれずに、只管打坐、ただひたすらに坐禅をしました。
それは、経を拠り所とする仏教の伝統を否定することであり、正統派からすれば異端とい
えます。
しかし、その中国人による新しい仏教の流れが、今日の日本にまで仏教の一派として受け
伝えられています。
36夏バテ:2001/07/20(金) 18:41
法然や親鸞は、時代を「末法」とし、自己の人間性を省みて、罪悪深重・煩悩熾盛、地獄
は一定であるといいます。
罪悪生死の凡夫の自覚に徹しきると、その凡夫の立場から、仏教の思想と実践を吟味して、
凡夫の身に相応しいものを選択しました。
まず、仏教全体を聖道・浄土の二門に分けて、凡夫の立場から選んで、聖道門を捨てて浄
土門を選択しました。
さらに、浄土門のいとなみを正行と雑行に大別して、雑行を捨てて正行を選び取りました。
つまり、他の全てを選び捨てて、ただ称名念仏のみを選びとりました。
聖道門を選び捨てるということは、釈尊の説かれた積極的な人間形成のいとなみを全く否
定したものと考えられます。
仏教の本流・正統からすれば異端といえます。
にもかかわらず、浄土教も仏教の一派として堂々と認知されて続けています。
37夏バテ:2001/07/20(金) 18:42
で、このような仏教的事実が何を意味しているかというと、その事実が正しいか間違いか
は別として、仏教は釈尊に尽きないという事実を示していると思います。
仏教は、釈尊の教え・思想を起点として、単純な直線的な展開をしなかっのでしょう。
しかし、そういう展開によって仏教は、幅広く、人間の持つあらゆる面を包み込む思想と
なったのではないでしょうか。
釈尊の対機説法的展開を仏教の歴史は歩んでいるのではないでしょうか?
38夏バテ:2001/07/20(金) 18:43
34〜37は、33の続きではありません。
39仏教は好きです。:2001/07/20(金) 22:39
誰かグレゴリー・ショペンの
 「大乗仏教興起時代 インドの僧院生活」
読んだ人いる。
すごいよね、学歴はハチャメチャだけど。

 例えば半伽思惟像は衆生を救う弥勒菩薩の像だと解釈されてきたのに
この本によると頬杖をつくというポーズに悩んでいるという意味はない
らしい。困っているポーズなんだそうだ。
 つまり半伽思惟像は衆生を救う為に悩んでいる弥勒菩薩の像ではなく、
弥勒菩薩の出現を待って困ってる衆生の像だという事になる。
>>36
>聖道門を選び捨てるということは、釈尊の説かれた積極的な人間形成のいとなみを全く否定したものと考えられます。仏教の本流・正統からすれば異端といえます。

 僕の知らないことをたくさん知っている方のようなので、教えて戴きたいと思います。
 聖道門と浄土門という分類法は、お釈迦様の時代からあったんですか。お釈迦様は、聖道門と浄土門とに分類してその両方を学びなさいよと教えているんですか。聖道門を捨ててはいけませんよと教えているんですか。聖道門と浄土門という分類法は古いものじゃなく、法然上人あたりが言い出したものかなと思うのですがいかがでしょうか。
 聖道門も浄土門も仏教の教えなんじゃないですか。ある特定の教えを優先的に推薦するために、法然上人はindedexの都合で浄土門と名付け、indedexの都合で他を聖道門と名付けたんじゃないでしょうか。
 お釈迦様は、自分の教えの全てを学びなさいと説いているんですか。それとも、自分はたくさんの教えを遺すから、みなさんは自分に一番いいと思うものから学んでいってくださいよ、と教えてくれているんでしょうか?
 釈尊の説かれた積極的な人間形成のいとなみで、浄土門が捨てたと貴方がいう教えはどういうものでしょうか。お教えいただけませんか?
41名無しさん@1周年 :2001/07/21(土) 09:24
ほとんどコピペですな。本スレ。
42名無しさん@1周年:2001/07/21(土) 09:43
>40
あら、まだあんたおったん?
43名無しさん@1周年:2001/07/21(土) 10:34
みなさん、このスレは遂に渡海難に汚染されました。
よって強制終了します。

==============終了===============
44名無しさん@1周年 :2001/07/21(土) 12:58
>>43はウザイ。スレを荒らすなー
45名無しさん@1周年:2001/07/21(土) 13:12
原始仏典として有名な阿含経は唯一阿含宗で依経とされています。
46名無しさん@1周年:2001/07/21(土) 13:21
釈迦直説の仏教を学ぶのなら阿含宗しかないようですね。
47名無しさん@1周年:2001/07/21(土) 14:35
中国の道綽禅師が『安楽集』という本を書かれて、その中で仏教を聖道門と浄土門とに分
類しているんじゃなかったっけ?
聖道門は、浄土教以外のすべての仏教で、自分で厳しい修行をして悟りを開こうとする考
え方(教え)。
道綽禅師は、
「聖道門は確かに立派な教えだけれども、それをとても自分は成し遂げることはできない。
今、本当に仏になろうとするなら、もはや浄土教しかない」
って言われたんじゃぁ?

正信偈の
道綽決聖道難証 唯明浄土可通入
道綽、聖道の証しがたきことを決して、ただ浄土の通入すべきことを明かす。
ってそういうことなんじゃぁ?
48名無しさん@1周年:2001/07/21(土) 14:41
>>47
そうですね。
浄土門も他力も法然のオリジナルではないことは
選択集を読めば分かります。
49名無しさん@1周年:2001/07/22(日) 08:29
竜樹    曇鸞   道綽
 難行道 − 自力 − 聖道門
 易行道 − 他力 − 浄土門
50名無しさん@1周年:2001/07/22(日) 22:20
議論になるような命題ではないし、このまま消えていくんですかねぇ。
51名無しさん@1周年:2001/07/22(日) 23:10
>>49さん
よくごぞんじですね。
>議論になるような命題ではないし、このまま消えていくんですかねぇ。

 そうかも知れない。>>36は、もう少し骨のあるところからの発言かと期待したんだけどね(笑)。

>>48
>浄土門も他力も法然のオリジナルではないことは選択集を読めば分かります。

 浄土門という単語は平等覚経に出てくるようです。聖道門とは、見つけたことはありませんが多分、正道門との訳語上の揺れとして、同じ意味で経典には多分出てきている言葉なのでしょう。
 単語にはそれぞれ定義があります。同じ単語を使っても定義が違えばそこからオリジナルな議論が発生します。
 法然が使った言葉が、その前の人の定義と同じ定義かどうか、しっかり吟味しないと、伝統継承説かオリジナル説かの判断はつきません。定義の吟味はなさってるのでしょうか?

>>51
>よくごぞんじですね   <同感  (笑)>
53名無しさん@1周年:2001/07/22(日) 23:52
オウムだ!
54名無しさん@1周年:2001/07/23(月) 09:00
>>36 の、「法然や親鸞は、時代を「末法」とし・・・浄土門を選びとった」というような表現は
適切ではないかもしれませんね。
浄土教は・・・、浄土教の歴史は・・・、が主語になるべきだろうと思います。
>>36 の文章では、浄土教の教え自身が、法然や親鸞のオリジナルのような誤解を与えますよね。
55名無しさん@1周年:2001/07/23(月) 09:04
>>52 の「もう少し骨のある発言」ってどういう意味なんやろう?
36さんにもっと頑張って発言しろって意味?
36さんはあなたにかみつきかえせって意味?
言い争いするだけが議論ではないでしょう。
56名無しさん@1周年:2001/07/23(月) 12:01
偶然、こんな説明を見つけました。

仏教を大きく分けると、
1 小乗仏教。2 大乗仏教。3 密教。

この3つは、ものの考え方も信仰のあり方も根本的に違った宗教。

誤解をおそれず大胆に比較すると、
小乗仏教はユダヤ教に、大乗仏教はキリスト教に、密教はイスラム教に相当。

西洋の3大宗教が、仏教では1つにまとめられている。

ひろさちや の説です。
57名無しさん@1周年:2001/07/23(月) 15:45
ひろさちや著「わたしの南無妙法蓮華経」佼成出版社とゆーのを読んだけど、
仏教入門、法華経入門としては、よいかも。
58名無しさん@1周年:2001/07/23(月) 15:46
ひろさちやが、どれほど仏教のことをわかっておるんかいな。
59名無しさん@1周年:2001/07/23(月) 15:47
いやまあ、とにかく読みやすい、わかりやすいとゆうのが、よいんじゃないかい。
60名無しさん@1周年:2001/07/23(月) 17:43
>>57

ちょっとまて、
佼成出版社?
61名無しさん@1周年:2001/07/23(月) 18:24
>>60
私もちょっと気になったんやけど・・・。
>>54
>浄土教の教え自身が、法然や親鸞のオリジナルのような誤解を与えますよね。

 法然・親鸞仏教は伝統説を忠実に継承した思想だというのは、現代浄土宗・浄土真宗の人の信仰のようなもんでしょう。
 僕は、法然仏教はあまり首を突っ込んだことがないので強くは言えないけど、親鸞仏教はずば抜けてオリジナル性があると思っています。
 法然・親鸞仏教は伝統説を忠実に継承しているという、この信仰を捨てないと、少なくと親鸞仏教と真正面から向き合うことはできないでしょう。
 親鸞仏教は釈迦に回帰した原理主義だと僕は思っています。原理主義は普通、復古主義になるんだけど、親鸞はそこに時間というファクターを加えた修正主義でもある。修正主義的原理主義というところに親鸞のオリジナル性がある。法然は、善導に大衆性という社会性を加えた修正善導主義なんでしょう。僕はそう思っています。
>>55
>「もう少し骨のある発言」ってどういう意味なんやろう?
   期待はずれだったのかな、という半ば失望感です。

>もっと頑張って発言しろって意味?
   違います。僕に命令権などはありません(笑)

>あなたにかみつきかえせって意味?
   笑。違います。

>言い争いするだけが議論ではないでしょう。

 こういうことが言いたいならば、他人に命令したり、かみつきかえせって言ってくるような人に言いなさいよ(「言いなさいよ」は命令ではありません。提案です<笑>)。

 ところで、「かみつき」って、どっかで最近聞いたような単語ですね。もしかしてアンタも渡海を追っかけるストーカー的隠れ渡海信者?。 そういえば、ストーカーという単語も最近見たな。 (笑)
64名無しさん@1周年:2001/07/23(月) 22:22
渡海 難さんの“<笑>(笑)”って表現がすごく気になるんやけど・・・。
あなたの“笑”は相手を小馬鹿にしてる笑いですか?
それとも、単なる意味のないニヤツキですか?
どちらにしても、意味不明の“笑”なんて精神異常者か変質者じゃありませんか?
65名無しさん@1周年:2001/07/23(月) 22:28
そうそう“期待はずれ”っていうなら、あんたの>>40の発言だって私にすればそんなに鋭い質問には思えないよ?
あんた何問題にしてるの?って感じで、議論ふっかけてる主旨?趣旨がよう分からんもん。
66名無しさん@1周年:2001/07/23(月) 22:50
あんたはどうして >>62 の発言を >>40 でせんのや?
>>40 みたいな遠まわしに相手を試すっていうか、相手をはめるような質問をして、
ここぞとばかりに揚げ足とってやろうなんて発言しないで、
初めっから >>62 みたいに自分の意見を素直にレスしたら、みんな続いて発言しやすいやん。
あんた、親鸞思想について人並み以上に知識があるって自負してるかもしれんけど、
もう少し素直になったほうがいいと思うぞ!
私なんぞにこんなこと言われたら腹立つやろうし、自尊心が傷つくやろうけど、
あんたもう少しでも自分に素直になったらもう少し人に好かれるかもしれん。
えらそうなことレスしてゴメンな!
67名無しさん@1周年:2001/07/24(火) 07:38
そおしきぶきょ
68名無しさん@1周年:2001/07/24(火) 14:59
>>62
> 法然・親鸞仏教は伝統説を忠実に継承した思想だというのは、
> 現代浄土宗・浄土真宗の人の信仰のようなもんでしょう。

そうなんですか?
でも、あなたのいう「伝統説を忠実に継承した思想」が、なんの変化もなく単なるコピー
だという意味なら、それは違うと思いますよ。
竜樹〜世親〜曇鸞〜道綽〜善導〜源信〜法然〜親鸞と、それぞれ先輩の教えを学んで思想
的に発達・熟成させてきたのではないでしょうか?
正信偈の意味する1つはそういうことではないかと思うのですが・・・。
69名無しさん@1周年:2001/07/24(火) 15:12
>>62
> 僕は、法然仏教はあまり首を突っ込んだことがないので強くは言えないけど、
> 親鸞仏教はずば抜けてオリジナル性があると思っています。

親鸞が日本において宗教的革命を起こした思想家であると評価されていることは知ってい
ますし、あなたがそういう趣旨のことを表現しようとしているなら異論をいうつもりはあ
りません。
ただ、オリジナルという言葉が適切かどうか疑問です。
70名無しさん@1周年:2001/07/24(火) 15:33
>>62
> 法然は、善導に大衆性という社会性を加えた

道綽禅師は、玄中寺で「観無量寿経」の講義を200回以上したということですが、
講義を聞きに来る人で山が埋まったという伝説があります。
また、道綽禅師の布教により近隣の3県の人々は全て浄土教に帰依をし、念仏を称えるこ
とに夢中になったともいわれています。

善導大師は、長安で10万巻の「阿弥陀経」を書写して、浄土変相図というものも300
作って人々に念仏を勧めたといわれています。
結果、長安はもちろん、近隣から遠方まで念仏をする人々がどんどん増えていったといい
ます。

道綽禅師や善導大師に社会性がなかったといわれるんなら、ちょっと違うんじゃないかと
思います。
いやいやもっと深い意味だといわれるんならごめんなさい。
71名無しさん@1周年:2001/07/24(火) 18:30
>>69
オリジナル性を重視するということは、他と同じ(似ている)ものには値打ちがなくて、他と異なった独創的なものにしか値打ちがないってことなんでしょうか?
芸術や芸能、骨董品などの分野はそうですよね。
でも、宗教や思想は真実であるかどうかがが問われるべきで、オリジナル性が問われるべき性格のものではないのではないかと思うのですが。
72名無しさん@1周年:2001/07/24(火) 18:37
 ┌─────────┐
 │               .|
 │  渡海難警報!  │
 │               .|
 └―――──――――┘
      ヽ(´ー`)ノ
         (  へ)
          く
73名無しさん@1周年:2001/07/24(火) 18:55
>>72
もう遅い、現れとる。
>>70
>道綽禅師や善導大師に社会性がなかったといわれるんなら、ちょっと違うんじゃないかと思います。

 道綽禅師や善導大師に社会性がなかったとは思いません。善導大師というのは、非常に幅のある人だったんでしょう。善導大師という人の人格的な話になると、僕はよく分かりません。ただ、人格的に幅は広かったという話と、思想の重心はどこにあったかという話は、次元が違います。
 善導は五正行を立てます。称名念仏を正定業と命名し、従来であれば戒律が有していた仏教上の立場に称名念仏を置きます。正定業(念仏行)の実践を中核としながら、読誦・礼拝・観察・称名・讃歎供養という行為を修行の必須科目とします。
 讃歎供養とは、喜んで寺(学校)に謝礼を寄進しなさい(月謝を払いなさい)ということでしょう。讃歎供養は、箱物(学校施設)運営の経済的基盤です。当時としては、富裕階級だけが負担できる行為でしょう。富裕階級だけが負担できる行為を、仏道の必須科目の中に入れたということは、自らの自立基盤の重心を貴族に置いていたということでしょう。
 法然は、仏道修行の必須科目を念仏行に絞り、その他は選択科目にしました。讃歎供養を必須科目から外します。讃歎供養を必須科目から外すと箱物の運営は二の次になります。箱物の運営は二の次になれば、絵画彫刻を必要教材とする観察行もできなくなります。法然は在野の仏道に重心を置いているのでしょう。そこに、大衆性、すなわち社会的修正主義を感じます。
>>71 名前
>オリジナル性を重視するという

 どこかにオリジナル性を重視するという議論がありましたか。親鸞仏教や法然仏教は、極めてオリジナル性が高いと言うと、貴方の場合にはオリジナル性を重視するということになるのですか。どういう関連があるんですか(笑)?。
 伝統工芸品に素晴らしいものがあるというのは、社会的に一般的なことでしょう。オリジナル性の追究は極めてハイリスクであり、失敗が多いというのも一般的なことでしょう。

>他と同じ(似ている)ものには値打ちがなくて、他と異なった独創的なものにしか値打ちがないってことなんでしょうか?

 こういう発想はどこから出てくるんですか?ヨーロッパ印象画家は、日本の浮世絵に魅せられ、浮世絵画法を研究して素晴らしい作品をたくさん作っています。モナリザは、多くの画学生の必須の模写対象だそうです。
 伝統を無視した独創性の追究は奇をてらいやすく、ハイリスクであるというのは一般的なことでしょう。他と異なった独創的なものにしか値打ちがないなんて、そんな馬鹿なことはないでしょう。常識でしょう。

>オリジナル性が問われるべき性格のものではないのではないかと思うのですが。

 オリジナル性が問われるべき性格のものではないということと、親鸞仏教や法然仏教はオリジナル性が高いと言うこととは、何か関係があるんですか?
 親鸞や法然は、貴方の趣味に価値観を合わせる必要でもありますか。
76名無しさん@1周年:2001/07/25(水) 00:37
>75
ならば >62 のあなたの発言の趣旨はどういうことなんや?
オリジナル性を持ち出したのはあなたでしょう?
77名無しさん@1周年:2001/07/25(水) 01:17
>>62
素直に読めば >62 の文章は法然と親鸞を比較していますよね。
で、親鸞を評価しているというか、尊敬しているということを感じます。
どういうところで評価しているかというと、
「修正主義的原理主義というところに親鸞のオリジナル性がある。」
ということで評価していると読めますよね。
そのことは、その先に「親鸞仏教はずば抜けてオリジナル性があると思っています。」
と短い文章の中で重ねて述べられていることからも読み取れます。
一方の法然さんについては、
「法然は、善導に大衆性という社会性を加えた修正善導主義なんでしょう。」
という表現から、「親鸞のオリジナル性」に対して「修正善導主義」という理由で
少なくとも法然は親鸞ほど評価していないと読むことができます。
そのことは、やはり、
「法然仏教はあまり首を突っ込んだことがないので強くは言えないけど、」
という先の言葉と重なることから強調されます。
私のような単純な者は、渡海さんは、オリジナル性という点で法然よりも親鸞を評価して
いると判断してしまいます。

さらに、あなたの言葉の通り、「法然は、・・・修正善導主義」であるからという理由で評
価されないなら、法然が受け継いだ善導の思想も比較式からすると親鸞の思想に比べて劣
ったものとランクの低いものと評価していると読めます。

また、
「法然・親鸞仏教は伝統説を忠実に継承した思想だというのは、現代浄土宗・浄土真宗の
人の信仰のようなもんでしょう。 」
「法然・親鸞仏教は伝統説を忠実に継承しているという、この信仰を捨てないと、少なく
と親鸞仏教と真正面から向き合うことはできないでしょう。 」
という表現から、あなたは浄土宗と浄土真宗の信仰・思想が、誤った劣ったものであると
断言しているように読めます。

私の読み間違い、勘違いなら教えて下さい。
78名無しさん@1周年:2001/07/25(水) 01:32
>>75
>62と>75では明らかに表現が変化してますよね。
>62では「親鸞仏教はずば抜けてオリジナル性がある」「親鸞のオリジナル性」
と親鸞のオリジナル性のみを強調していたのに
どうして>75になった途端に「親鸞仏教や法然仏教はオリジナル性が高い」と
変わってしまうんですか?
>62と>75では全くあなたの発言内容が変化してしまっているでしょう?
>>76 名前
>オリジナル性を持ち出したのはあなたでしょう?

 コメントを待っていますか?謎掛け、舌足らず、禅問答のようなカキコにはコメントできません。僕のカキコに矛盾でもありますか?「>>75ならば」では、何が「ならば」かさっぱり分かりません。
>>77
>素直に読めば >62 の文章は法然と親鸞を比較していますよね。

 文章は、公開されると著者本人とは別の人格をもって歩き出すことがあります。私としては単に両者に言及しただけのつもりです。比較しているつもりはありません。

>で、親鸞を評価しているというか、尊敬しているということを感じます。  <親鸞は大好きです。>
  
>と短い文章の中で重ねて述べられていることからも読み取れます。   <なるほど。>
  
>少なくとも法然は親鸞ほど評価していないと読むことができます。   <なるほど。>

>オリジナル性という点で法然よりも親鸞を評価していると判断してしまいます。

 なるほど。
 僕は在家のアマチュアです。僕も、昔、仏教のプロになろうかと思ったことがありました。そのとき、ある坊さんから馬鹿なことはやめろとたしなめられたものです。その結果、僕は仏教を広く勉強する縁を失いました。広く勉強する縁を失ったことが果たしてよかったかどうか分かりません。仏教学界は、本当に人材が集まらない世界だと思います。
 アマチュアの僕には、親鸞だけで手一杯です。法然について首を突っ込む縁がありませんでした。
>さらに、あなたの言葉の通り、「法然は、・・・修正善導主義」であるからという理由で評価されないなら、法然が受け継いだ善導の思想も比較式からすると親鸞の思想に比べて劣ったものとランクの低いものと評価していると読めます。

 文章は、書いた本人の人格とは別の人格を持つことがありますから、どのように読まれてもいいですが、私の本意とはずれて行っている気がします。僕は法然について首を突っ込む縁がなかったのです。

>浄土宗と浄土真宗の信仰・思想が、誤った劣ったものであると断言しているように読めます。

 あなたは、僕の評定に関心があるようですね。どう比べているのか、優と評定しているのか劣と評定しているのか、どっちがどうだこうだ、と。そんなことが大事ですか?
 僕は在家アマチュアの念仏者に過ぎません。何が誤っているか、正しいか、そんなことは判断する能力も資格もありません。
 「おーい。親鸞って、すっげぇヤツだぞ。こんなすっげぇヤツがいたんだぞぇ。スッゲェ天才だ。ものすげぇ直感力で、それこそ空前絶後のずば抜けた認識をもってるぜょ。親鸞にちょっと目を向けて見ねぇか」。ま、僕が言いたいことはこういうことなんですけどね。
>>78
>62と75では全くあなたの発言内容が変化してしまっているでしょう?

  何か変ですか?。
 親鸞仏教も法然仏教も極めてオリジナル性が高い。僕はそう思っています。ただ、法然仏教については、縁が薄かった関係で、直感的なことは言えるけど、論証的なことは言えないという自覚があります。親鸞仏教なら、ある程度論証的な議論ができると自分では思っています。法然仏教が極めてオリジナル性が高いというのは、僕の場合、親鸞仏教からの類推です。
 この辺は、教行信証論の続編を議論していかないと分かって貰えないと思います。
 精神的・時間的に余裕が出てきたら、行の巻論を掲載するつもりです。法然仏教に対する僕の感想は、化身土巻まで行かないと十分触れられないかも知れません。
83名無しさん@1周年:2001/07/25(水) 21:44
阿含経以外はインチキ経典なんですって。
http://www.agon.org/jp_html/philosophy/philosophy.html
84名無しさん@1周年:2001/07/25(水) 21:49
悟りに至った聖者に合いたければ三田に行きなさい。
さすれば仏陀の真実に触れることが出来ます。
85名無しさん@1周年 :2001/07/25(水) 21:56
>83−84
宗教詐欺師のチープな宣伝文句を2ちゃんに垂れ流しているヴァカ発見!(ゲラ
86名無しさん@1周年 :2001/07/25(水) 21:57
>83
大切なのは本人の生き方だよ。
87名無しさん@1周年:2001/07/25(水) 22:05
小乗仏教というのは、出家修行者のための仏教、出家修行者にしか救い・覚りが保証され
ていない仏教だと思います。
女房・子供、職業、財産などの自分が持っているものを全て捨てて出家した人のみが救済
される、覚ることができる教えで、女房・子供がいて、家を持っている私たち在家の者は
本当の意味では救われない仏教だと思います。
専門家・プロが集まって、専門的な勉強をして、その集団の中で厳しい修行を達成した者
のみが救われる仏教です。
88名無しさん@1周年:2001/07/25(水) 22:05
小乗仏教というのは、出家修行者のための仏教、出家修行者にしか救い・覚りが保証され
ていない仏教だと思います。
女房・子供、職業、財産などの自分が持っているものを全て捨てて出家した人のみが救済
される、覚ることができる教えで、女房・子供がいて、家を持っている私たち在家の者は
本当の意味では救われない仏教だと思います。
専門家・プロが集まって、専門的な勉強をして、その集団の中で厳しい修行を達成した者
のみが救われる仏教です。

それに対して、大乗仏教は、在家信者による在家信者のための教え・仏教だと思います。
女房・子供がいて、職業をもって、家を持つ在家信者が、在家のまま救われる仏教が大乗
仏教だと思います。
小乗仏教がプロ集団なら、大乗仏教はアマチュアの仏教だと思います。
特に肉食妻帯をした親鸞の流れを汲む浄土真宗は在家仏教の最たるものでしょう。
だから、無名の農・商人でありながら、自己犠牲的な生活姿勢で、純一な念仏生活により、
妙好人という真宗門徒の理想的な信者が、崇高な念仏者として尊敬され続けられています。
89名無しさん@1周年:2001/07/25(水) 22:08
>>87-88
すみません。一部ダブりました。
>理想的な信者が、崇高な念仏者として尊敬され続けられています。

 本願寺様ご推薦の念仏者ということですよね。
 <勝手にしてくれ。臭いだけのヤツの真似はしようとは思わネーナ(爆)>
91名無しさん@1周年 :2001/07/25(水) 22:30
渡海 難氏は2ちゃん宗教板<通称糞板>ご推薦の念仏者ということですよね。

 ああ、ありがたや、ありがたや。。。。。ナモアヘボボ。
92名無しさん@1周年:2001/07/25(水) 22:33
みなさん、このスレは遂に渡海難によって汚染されました。
渡海難が寄生したスレは必ず駄目な方向へ向かいます。過去にも渡海が来たおかげで荒れたスレは数多くあります。
そこで、渡海難は今後無視しましょう。


渡海難の書き込みパターン。

1 あるスレに突如として乱入。「最初は〜について教えてください」と学習するのを装って参加する。
2 スレの参加者がそれに乗って丁寧に教えてやる。
3 その言葉の揚げ足を取って渡海難が攻撃開始。『教行信証』を断章して自分勝手な仏教解釈のコーシャクが始まる。
4 それに対しスレの参加者が「まともな根拠をつけて」反撃する。
5 渡海難、正論で反撃できなくなり、しばらく黙る。その後、「親鸞会ですね」(このパターンが多い)か、「お坊さんですね」と親鸞会や寺批判で逃げ、誹謗発言をする。
6 それに対する反撃の後、4〜5、もしくは3〜4がしばらく続く。(7、もしくは8へ)
7 「馬のションベントーク」で相手がウザイと感じるまでけなす。
8 開き直って「私は悪人です。私の言うことなんて……」と卑下発言。もしくは「仮説」に逃げる。
9 (しばらくしてスレが静かになると)一方的勝利宣言をしてその顛末を浄土通信に掲載し、さらしage(1に戻る)
10 あまりに渡海難がウザイので2chではスレが下がり他のHP掲示板は静かになる、すると「私を恐れているんだ」と他スレや他の掲示板で言いふらす。

※補足 やり取りの合間に野次馬が浄土通信に来るのでアクセスが上がるが、大抵、その内容のアホさにあきれて二度と来ない。
93名無しさん@1周年:2001/07/25(水) 22:35
>>91
うわー、遂に騙された人が出た!
ゴキブリ教祖渡海難のことを全然わかっていないようだね。
彼は坊主以上のインチキなんだぞ!
4000円取られないように気をつけてね!
94名無しさん@1周年:2001/07/25(水) 22:38
渡海難さんって悟ってるんですか?
95名無しさん@1周年:2001/07/25(水) 22:41
悟りに至った聖者に会いたければ三田に行きなさい。
さすれば仏陀の真実に触れることが出来ます。

嘘吐きに出会いたければ2CHの阿含スレかヤフーに行きなさい。
さすれば嘘つきヌマさんのアホな糞カキコが読めます。
9691:2001/07/25(水) 22:42
アレはディスったんですけど。
97>95:2001/07/25(水) 22:43
こいつ、壊れまくっとるな。。。。。(哀
98阿含スレより引用:2001/07/25(水) 22:47
548 名前:名無しさん@1周年 投稿日:2001/07/25(水) 22:28
>541
>悟りに至った聖者に合いたければ三田に行きなさい。

あのさ、他人の国語力を笑うつもりは全然ないんだけど、
「悟りに至った聖者」なんて、カッコよく決めようというときは、
「合いたければ」じゃなくて、「会いたければ」だよね。
これじゃ、桐山下以下と合体しないといけなくなる。
智慧の宗教を自認する阿含宗を代表して書き込むなら、
ビシッと決めとくれやす、ビシッと。
読んでいて、コケてしまうよなあ。

 よくできました。>95(ゲラ
>>94
>渡海難さんって悟ってるんですか?
    アホラシ。考えたこともないよ(笑)。
100名無しさん@1周年:2001/07/25(水) 22:51
>>90
ひどい言葉ですね。
妙好人は「臭いだけのヤツ」ですか。
よく他人をそこまで汚い言葉で罵ることができますね。
101名無しさん@1周年 :2001/07/25(水) 22:53
100=妙好人気取りのアホ(藁
>>100
 誰が妙好人だって?
 自分が妙好人と呼ばれて喜ぶアホがどっかにいるんかい。
 「そうです。私は妙好人さまです。私はお偉いんですよ」なんて。アホじゃナカロカ
 他人に自分を善知識と呼ばせてはしゃいでるアホもいるそうだ。妙好人と呼ばれると嬉しくなるのは、あんたぐらいなもんじゃろう(笑)
103名無しさん@1周年:2001/07/25(水) 23:25
法然や親鸞ら浄土教の念仏者たちが、罪悪深重・煩悩熾盛と述べているのは他人のことで
はありません。
自己の人間性を省みて、「自分は愚かなダメ人間だ」と告白しているのでしょう。
決して他人を「臭いだけのヤツ」「アホ」だと罵ってはいない。
それに、なんの面識もない者に対して
「妙好人と呼ばれると嬉しくなるのは、あんたぐらいなもんじゃろう(笑)」
などと勝手な空想で他人の人間性を評価することもなかった。
104名無しさん@1周年:2001/07/25(水) 23:48
>>92
その通りの人のようですね。
105名無しさん@1周年:2001/07/26(木) 00:09
>92
なんだかいきなり 5 の誹謗発言になってしまったようです。
親鸞会、坊主・寺に加えて、妙好人にも異常な反応を示すみたいですね。
106名無しさん@1周年:2001/07/26(木) 00:11
>>92
スレが穢れましたね
107名無しさん@1周年:2001/07/26(木) 00:28
>106

糞の塊が徘徊してるからかな?
108名無しさん@1周年:2001/07/26(木) 00:45
>>87
執着心を捨て去る事が悟りなので、在家者でも救われると思いますYO。
109名無しさん@1周年:2001/07/26(木) 03:23
小乗と大乗の問題と、
出家と在家の問題は、ダブっている面もあるけど、混同しちゃうと危険かも。
それぞれの背負っていると思っている状況に応じて、
無理なく信心や信仰持つなり、修行したいなら修行するしかないし、
そうするしかないってことだと思うけどな。

浄土真宗でもなんでも良いけど、そういう各派の存在ってのは、
そういう意味だと思うよ。

つまり、仏(教)が無数の凡夫のそれぞれの想に順じて現れた結果が、
各自が現在出会っている、宗派の教えなり、信心なり、独自の信仰なりということで。

私的には、小乗も大乗も密教も、矛盾がないものだと考えています。
動機が違ったりするけど、究極的な意味では同じものを目指していると思うので。

ただ、救いと悟りをごっちゃにする人が現れることを放置するのは
信仰者の長期的な内面の整合性の点から言って、
あまり好ましくないと思う。
それを上手にフォローして欲しい。
>>103
>空想で他人の人間性を評価することもなかった。

 いささかご不快にさせてしまいましたかね。

>人間性を評価することもなかった。

 あまり渡海 難を買い被りなさんな。法然・親鸞という巨人と並べて同じテーブルで評価されるような大それた人物ではありません。法然・親鸞と僕とでは、格が違うんですよ。

>>104
>その通りの人のようですね。

 おや?あなたも同じような発想の方なんですね。92の創作者はペペ2号さんのようですよ。あなたもあのペペ2号さんの同類項?(笑)
>>105
>親鸞会、坊主・寺に加えて、妙好人にも異常な反応を示すみたいですね。

 坊主も寺も妙好人も、いずれも旧弊を固持する本願寺体制、その牙城を守るために作り出してきた砦だと思っています。親鸞会は、本願寺に代わって自らが本願寺になろうとしている会だろうと思っています。
 親鸞の主張は素晴らしい主張です。これを、社会の中で非常に分かりにくいものにしているのが本願寺体制でしょう。親鸞会も坊主も寺も妙好人も、親鸞の主張を分かりにくくしている本願寺体制下の霧の一つ一つだと考えています。
 先祖から伝わってきた霧の存在を自分の代で少しでも晴らすことは、親鸞から仏教の素晴らしさを教わった者が、次の時代にその教えを伝えていく上での責任の一部だと考えております。
>>111
誤 いずれも旧弊を固持する本願寺体制、
正 いずれも旧弊を固持する本願寺体制が、
113名無しさん@1周年:2001/07/26(木) 10:05
>>111
あなたのおっしゃる通り、妙好人という存在を宗派が都合よく広告塔のように利用したと
しましょう。
しかし、それでもそのことが妙好人の人間性を「臭いだけのヤツ」「アホ」だと決めつけ
る理由にはならないと思います。
妙好人の人間性 = 本願寺の体質 ではありません。
114名無しさん@1周年:2001/07/26(木) 10:27
>>113
もう1度これを読んでね。そして渡海難にはこれ以上関わらないようにね。

渡海難の書き込みパターン。

1 あるスレに突如として乱入。「最初は〜について教えてください」と学習するのを装って参加する。
2 スレの参加者がそれに乗って丁寧に教えてやる。
3 その言葉の揚げ足を取って渡海難が攻撃開始。『教行信証』を断章して自分勝手な仏教解釈のコーシャクが始まる。
4 それに対しスレの参加者が「まともな根拠をつけて」反撃する。
5 渡海難、正論で反撃できなくなり、しばらく黙る。その後、「親鸞会ですね」(このパターンが多い)か、「お坊さんですね」と親鸞会や寺批判で逃げ、誹謗発言をする。
6 それに対する反撃の後、4〜5、もしくは3〜4がしばらく続く。(7、もしくは8へ)
7 「馬のションベントーク」で相手がウザイと感じるまでけなす。
8 開き直って「私は悪人です。私の言うことなんて……」と卑下発言。もしくは「仮説」に逃げる。
9 (しばらくしてスレが静かになると)一方的勝利宣言をしてその顛末を浄土通信に掲載し、さらしage(1に戻る)
10 あまりに渡海難がウザイので2chではスレが下がり他のHP掲示板は静かになる、すると「私を恐れているんだ」と他スレや他の掲示板で言いふらす。

※補足 やり取りの合間に野次馬が浄土通信に来るのでアクセスが上がるが、大抵、その内容のアホさにあきれて二度と来ない。
115名無しさん@1周年:2001/07/26(木) 10:48
>>114
>>111は「渡海難の書き込みパターン」のNo.5に相当するわけですね。(笑)
116名無しさん@1周年:2001/07/26(木) 11:32
>>114
すみません。
あまりにも根拠のない誹謗発言だと思えたので・・・。
117名無しさん@1周年:2001/07/26(木) 12:40
渡海難にはこれ以上関わらないようにね
118名無しさん@1周年:2001/07/26(木) 14:31
>>117
は〜い (^_^)
>>113
>あなたのおっしゃる通り、妙好人という存在を宗派が都合よく広告塔のように利用したとしましょう。

 貴方は誰に向かって言っているんですか?「広告塔」などと、誰かが言っているんですか。「広告塔にしていない」とも言ってないけど、勝手に言い分を決めつけられちゃ不愉快ですよ。

>しかし、それでもそのことが妙好人の人間性を「臭いだけのヤツ」「アホ」だと決めつける理由にはならないと思います。

 あなたは、他人のカキコをどう読んでいるんですか。僕が、妙好人を「臭いだけのヤツ」「アホ」だとか言いましたか?「アホ」などと言っていますか?
 「自己犠牲的な生活姿勢で、純一な念仏生活」「理想的な信者」これが妙好人なんですか?自己犠牲的でない生活姿勢の人は妙好人はないんですか?「純一な念仏生活」って何ですか。
 「念仏の者は、すなわちこれ人中の好人なり。人中の妙好人なり」(信の巻)
 念仏を称える人は皆、妙好人なんですよ。ことさらに「自己犠牲」とか「純一」とか「理想的」とか、こんな形容詞が必要ですか。付けなくてもいいこういう形容詞をことさらに付けるから、ぼくは「臭い」と言ったんですよ。本願寺ご推薦とも言ったんですよ。
 妙好人は自己犠牲でなくてもいいんでしょう。打算的じゃいけないんですか?純一でなくてもいいんでしょう。理想的でなくちゃいけませんか。ただ称える人、みな妙好人ですよ。妙好人の中には、臭い奴もおる。臭くない奴もおる。その中で、本願寺は、歴史的にことさらに臭い妙好人だけを拾い上げてきて「このひとこそ理想的な妙好人です」などと言って顕彰してきた。「自己犠牲」とか「純一」とか「理想的」とかいう形容詞を付ける姿勢は、臭い人をことさらに顕彰しようとすることですよね。「自己犠牲」とか「純一」とかそんなもん、あってもなくても放っておきゃいいんでしょう。門徒は、本願寺さんが誉めてくれる臭い妙好人だけを妙好人と信じ、名誉と思ってきた。競争して我先に臭い妙好人になろうとしてきた。だから、「本願寺ご推薦の臭い奴」と僕は言ったんですよ。
>妙好人の人間性 = 本願寺の体質 ではありません。

 本願寺ご推薦の臭い妙好人の人間性 = 本願寺の体質 でしょ(笑)。
>>115

 115=114=ぺぺ2号=117=118??   ぺぺ2号というHNは止めたの? 貴方らしくて幼稚ね(笑)


>>116    >すみません。

 誰に向かって謝っておるんじゃ? 114に対してか?あんたは114さんに対して何か非礼を働いたんか? おかしな神経の御仁じゃな。

>あまりにも根拠のない誹謗発言だと思えたので・・・。

 だれの発言が誹謗発言だと思えたのかのぅ? 誹謗発言だと誤解した相手に向かって、本気で「すみません」などと言っているのか。心にもないことを言う。 少し頭のおかしい人なのかナ
122名無しさん@1周年:2001/07/26(木) 20:22
  ハハハ
  ∧_∧  / ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄
 ( ^∀^)< 渡海って単純な馬鹿だな>>121
 ( つ ⊂ ) \
  .)  ) )    ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄
 (__)_)      (^∀^)クスクス



  ∧_∧  / ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄
 ( ・∀・)< 自分を煽った人を勝手に「ペペ2号」と決めつけてやんの
 ( つ ⊂ ) \_________
  .)  ) )
 (__)_)      (・∀・)モウソウノハゲシイヒトダネ!!
123144:2001/07/26(木) 20:36
>>121
渡海君、私は「ペペ2号」じゃない!通りすがりの者だ!
「お坊さん」「親鸞会の人」に続いて今度は「ペペ2号」か?っていうか「ペペ2号」って何?
お前も妄想の激しい人間だなあ。
そうやって自分の気に食わない人を勝手に「お坊さん」だの「親鸞会」だの「ペペ2号」だのと決めつけるからみんなからウザがられるんだよ!
お前みたいな奴は一度精神病院へ逝った方がいいぞ!
まあ、多分馬鹿は治らないだろうけどね。
124名無しさん@1周年:2001/07/26(木) 20:41
>>123(144)さん、多分今度は「あなたはお坊さんですね」と言われるかもよ。
妄想バカの渡海難氏とはこれ以上関わらないほうがいいと思いますので。
>>123   笑
126名無しさん@1周年:2001/07/26(木) 20:46
渡海難のせいでスレが荒れちゃったよ!どうしてくれるんだ!
だいたい渡海難が来るとせっかくの議論がどうしていつも台無しになるんだYO!
>>126
スレを荒らしているの貴方でしょ。
128126だけど:2001/07/26(木) 20:56
>渡海難
勝手に決めつけるな!
俺はまじめに参加してたぞ!
約1週間ぶりにROMしたら荒れてるからびっくりしたよ!
>勝手に決めつけるな!

 逆上していますか? それとも演技?
 こんなことで怒りなさんな。2CHは誰がどこで書いているか分からないんだから。
 貴方のカキコの中身だって、どこにも証拠は無いでしょ。
130名無しさん@1周年:2001/07/26(木) 21:13
>>129オマエモナー
>>130
>オマエモナー    <笑>
132名無しさん@1周年:2001/07/26(木) 21:31
結局、荒れてしまいましたね。
責任が誰にあるのかは別にしても、
渡海難さんがレスを始めると荒れるというパターンは間違いないようですね。
 活気がありますね。
 誰が原因か別にしても、渡海難さんがレスを始めると活気が出るというパターンは間違いないようです。
134名無しさん@1周年:2001/07/26(木) 22:49
折角のスレが誰かのせいで糞まみれになってしまった。
>糞まみれになってしまった。

 そんなことはないでしょう。糞まみれの貴方には世界中が全て糞まみれに見えても、私には輝いて見えますよ。
136ペペ2号:2001/07/28(土) 07:36
>>121
 よう、渡海難、おひさしぶり!
 相変わらず荒らしに精が出るのう。
 オイオイ、久々に2chに顔出したら、渡海難のカキコパターンが出てるじゃないか。
 それで?おいらが名無しさんでマルチポストしているだって?
 寝言は寝て逝ってよし(ワラ

>>123
 私がペペ2号です。寺の息子ですが、継がないでリーマンしてます。私は奴のブサイクな顔を知っています。
 このHNは渡海難用のHNで渡海難シロートがあのアホ教祖に4000円出さないよう情報を与えてるだけさ。
 だってウザイじゃん、汗水流して稼いだ金があのデンパの荒らし資金になるなんてさ。
137名無しさん@1周年:2001/07/28(土) 07:48
up
138138:2001/07/28(土) 12:01
★汚染部分除去処置いたしました。

渡海難氏による書き込みと、それに対するレス部分を除去いたしました。
氏に対してのレスの中には、有益なものもありますが、割愛させて
いただきました。
引き続き、建設的なやり取りがなされることを希望しております。
みなさん、以後、何事もなかったかのように、書き込みを再開なさってください。

本来の話題がなされている部分
>>1-39  >>45-51  >> 54-61 
>>83-89  >>108-109
139138:2001/07/28(土) 12:02
>>54-61
140138:2001/07/28(土) 12:03
(続き)

【重要】  >>92  渡海難氏による荒らしパターンの紹介
>渡海難が寄生したスレは必ず駄目な方向へ向かいます。
>過去にも渡海が来たおかげで荒れたスレは数多くあります。
>そこで、渡海難は今後無視しましょう。

直接的間接的汚染部分
>40-44 (40より渡海難氏の登場)
>52-53 / >62-82 / >90-91 / >96 / >93-94
>99-107 / >110-137

[ >95-98 阿含宗汚染 ]

以上
141名無しさん@1周年:2001/07/28(土) 12:28
糞は自分が糞だと自覚できないらしい。
142名無しさん@1周年:2001/07/28(土) 12:50
阿含宗関係の話題は極めて高度な仏教教理の知識を要する為
こちらではなく阿含宗スレで行なってください。
143名無しさん@1周年:2001/07/28(土) 13:00
とりあえず批判要望板へ逝って
渡海難に「アクセス制限」をかけたほうがいいんでない?
144名無しさん@1周年 :2001/07/28(土) 13:39
仏教とは自己否定の教えを説くと信じる。

釈尊の実態は知らないがとりあえず居たということにはする。

釈尊がサンガを形成し、そのまとめ役として説法するようになってからは
自説の正しさを画一的に主張するというベクトルに向かってしまった。
釈尊は思想家から政治家になってしまった。
そして仏教的ニヒリズムの崇高な概念は堕落した。
釈尊は苦の終極にあるという妄想である「涅槃」、「解脱」についても
生きながら到達できると凡夫用に満足させるために語らざるを得なかった。
自己否定のみを語るべきだったのだが、それでは指導者になれなかったからである。
歴史的にみれば仏教教団が成立したときから、仏教からエセ仏教への転落は
止めようがなかった・・・・

つまり仏教史とは、基本的には自己否定の仏教から非宗教的な内在主義(インド思想の主流であるアートマン肯定)
に転落したにせものサギ仏教である

ちなみに私は、知性と知識のみでも宗教ではないと考えるが無論宗教的体験とかいうのも疑わしい。
が、ニヒリストではない!!!!!!!!!!!!!!
145名無しさん@1周年:2001/07/28(土) 13:54
渡海難の絶え間ないカキコは彼がリストラ失業中であるかのように思える。
いとあはれなり。
146失業者:2001/07/28(土) 14:30
 145
 失業者に対し、根も葉もない同情めいたカラカイとも思えるカキコミをするあなたはどこのだれですか。
 貴方の世界には、リストラ失業ということはないのですか?
147名無しさん@1周年:2001/07/28(土) 18:59
>>145
渡海難は自営業だそうです。
http://www3.justnet.ne.jp/~katasi-park/

渡海は自分の商売が儲からないので、こんなことをやっています。
http://www3.justnet.ne.jp/~katasi-park/one.htm
148名無しさん@1周年:2001/07/30(月) 08:46
渡海難スレじゃないんだけど、どうしてもこうなりますね。
149名無しさん@1周年:2001/07/30(月) 11:10
>渡海難スレじゃないんだけど、どうしてもこうなりますね。

 渡海難をうち負かそうとか黙らせようとするからいけないんじゃないの。渡海難はレベルが違う。仏教が分かってるつもりで、うち負かそうと挑んで勝てる相手じゃない。そこは分からないといけない。この際、腰を据えてじっくり相手の主張の核心を聞き出し、核心部でおかしいところがあればそこを突けばいい。それまでは渡海難にひたすら「教わる」という態度がいいと思う。勉強になる。
 渡海難は、煽るけど、本物もある。煽るところに便乗して感情で押さえ込もうとすれば、強力な相手の術中にはまるだけなんじゃないの。向こうは冷静だ。渡海難は、計算しながら煽って天狗の鼻を突き出させ、煽りに引っかかって突き出してきた天狗の鼻を攻撃してくる。煽り以外のところをちゃんと聞けば、結構いいことも言っている。
 相手が煽りに乗らなければ、冷静な煽りはそれ以上煽ってこない。大事なことを言っている相手は、大事なところを聞き逃すと逆襲を受けて大変な目にあう。天狗は本物から逆襲されると立ち直れなくなる。
 自分より仏教理解が上の人からは、きちんと話が聞けないといけない。そうで無い人は仏教を学ぶ資格がない。
150名無しさん@1周年:2001/07/30(月) 11:49
>149
渡海難はここの誰よりも仏教の者知りで、言っていることは正しいから
2ちゃんの参加者は渡海難のご高説をおとなしく拝聴しろってか?
渡海難が上でその他の者は下ってそんな決めつけはおかしいと思う。
掲示板というのは自由に議論、自由に自分の意見を述べることが保証さ
れている場であるはずだから、渡海難が先生のようにいちいちチェックを入れる必要はない。
渡海難に皆が従わなければならない理由はない。
学校の先生のように上から威圧的に攻撃するようなレスを付けるから嫌になるんや。
渡海難のレスの正誤という内容以前のレスの態度(表現)の問題やと思う。
151149:2001/07/30(月) 13:29
>>150 勝手にしなさい。自由な議論で勝てる相手じゃないよ。
152名無しさん@1周年:2001/07/30(月) 13:45
>>149-151
要するに渡海さんは2chに適合しないということでよろしいか?
153名無しさん@1周年:2001/07/30(月) 14:26
>>151
掲示板でカキコするものが皆、
議論で勝つことを目的にレスしていると決めつけているようだけど、
別にケンカ・バトルをするために参加しているものばかりではない。
154名無しさん@1周年:2001/07/30(月) 14:31
>>149
渡海難のレスは、反論を通り越して非難中傷だと思う。

>>150
渡海難の相手をしているつもりがないのに、インネンをつけてくるのは渡海難。
あなたのいう通りだったら、渡海難が参加してきたスレには誰もカキコするなということだ。
155名無しさん@1周年:2001/07/30(月) 14:37
>>149-150
そんなに立派な方なら、専用のスレを立てて、渡海難が講義をして仏教を教えたらいい。
そして質問を受けつけたらいい。
あっちこっち押しかけてきて、立派なお説だから黙って聞け!はないだろう。
156名無しさん@1周年:2001/07/30(月) 14:43
おいおい!ここは渡海難のことを語るスレじゃない!
本題に戻れ!
157変人:2001/07/31(火) 22:51
>>スレッド
釈迦は、古代バラモンのながれをくむ。
「悟り」後の位置付けは、バラモンの中の一角が仏教です。
釈迦、没前と、没後では大きく変わっています。
ですから、ひとことに仏教といいましても、全く見解が違うこともありますので
そこのところは、研究対象として大変おもしろいと思います。
ちなみに私は、原始仏教こそ本流かと思います。
158未知の人間:2001/07/31(火) 23:00
そもそも、仏教って御釈迦様が開祖なんでしょ?違うの?
159変人:2001/07/31(火) 23:33
>>158
そのとうりです。
バラモンは、寛容でしてあらゆる仏の集合体です。大日如来もそのなかに含まれる。
 インドでは、宗教特有の排他的思想は、あまりありません。
本来、宗教とはそういうものなのでしょう。
また、経典もなかったでしょうから、現代仏教とは全く違います。
160カキコ3度目:2001/07/31(火) 23:48
釈迦の生きていた時代の概念
バラモン=修行僧
161BM:2001/08/01(水) 00:02
>>160
その通りですね。
「スッタニパータ」等を読んでも、「真のバラモンとは…」とでくるので
いわゆるバラモン階級とは異なるようですね。
162名無しさん@1周年 :2001/08/01(水) 13:52
>161
中村 元が岩波版で「スッタニ・パータ」を「ブッダのことば」と和訳したから
まるで「スッタニ・パータ」が全ての仏教経典の基礎だという風に錯覚するけど
(漏れも錯覚した時期があった)あれは最古層仏典として資料的価値はあると
思うけどただのジャイナ経典にすぎないよ。

中村も翻訳とかはうまいけどいまいち感性がダメな奴だった。合掌
163名無しさん@1周年 :2001/08/01(水) 15:54
>>159
宗教は基本的には排他主義です。なぜなら、寛容であれば信仰にはならないから
信じることがもし救済になりうるとしたらそれは心底の信仰によって奇跡がおこりえる
のではないでしょうか?
私は決して単純な信仰者にはなれませんが。信仰をもっている方をうらやましく思います。
164BM:2001/08/01(水) 16:17
>162さん

>「スッタニ・パータ」が全ての仏教経典の基礎だという風に錯覚するけど
そういう人がおられるのですか?
「仏教の基礎」というならまだ分かりますが、「仏教経典の基礎」というのは
ピンと来ませんね。

>中村も翻訳とかはうまいけどいまいち感性がダメな奴だった。
あなたはP.T.Sから直に読んでいるのですか?
ぜひあなたの推薦する翻訳があるならお教え下さい。

また、最古層仏典として資料的価値があるがジャイナ教典に過ぎないとは
どういうことなのでしょうか? ご自分で研究されての言葉ですか?

また「スッタニパータ」をわざわざ区切って読むなら「スッタニ・パータ」
ではなく、「スッタ・ニパータ」でしょう。
165名無しさん@1周年:2001/08/01(水) 16:45
162はただの口だけ小僧と思われ。
166変人:2001/08/01(水) 18:48
>>163
仏教の中核をなすものは、中庸かとおもうのです。これを土台に据えませんと
教義が解りにくいのでわないかとおもうのです。
中立とか、中道はグレーゾーンはありません。
中庸は、「いい加減」とか「いい按配」とかの意味ですから。グレーゾーン
があります。明確なラインを引く、排他的考えは教義になじまないのでわないか?
そもそも、仏教同士の排他主義はあるのがおかしいのではないか。
167名無しさん@1周年:2001/08/01(水) 19:43
>>166
仏教用語ということだけでいえば、中道が仏教用語です。
中庸はアリストテレス。
中立は特別な哲学用語でも、宗教用語でもないと思うのですが・・・。
168変人:2001/08/01(水) 20:09
>>167
用語の解説にあらず。思想をのべたのです。
中道と「色即空即」が馴染めますか?では「生死一如」はどうでしょう。
中庸ですと意味が解りますよね?  このあいまいさ・・
それゆえに、解釈の違いにより多数の教団が出来てしまったと思うのです。
こだわりすぎたという事なのでしょうか。
こだわらない、執着しない・・というのが本来の仏教やに思うのですが。
いかがなものでせうか?
169名無しさん@1周年:2001/08/01(水) 21:47
汚染除去処理>>138-140
の効果もあってか、瀕死スレが復活したようですね。
よかった。
安心してロムさせていただきます。
170名無しさん@1周年 :2001/08/01(水) 22:05
>165
スマソ「スッタ・ニパータ」っす・・
仏教の基礎というか一般認知度が高いからね。権威仏典としてもちあげられすぎということっす
個人的には、「スッタ・ニパータ」、「ダンマパダ」などの韻文経典よりも
「サンユッタ・ニカーヤ」とか「ウダーナ」の方が仏典として呪文じゃなく完成度が高い。
ちなみに呪文で有名なのは「般若心経」(笑)
「スッタ・ニパータ」が我論を中核にした「苦行者文学」であるというのは
もはや学会では定説。中村も晩年には仏教は「無我」ではなく「非我」だと自己弁護して
死んだ。
>166
グレーゾーン私的にワラタ。あの人はイイ人だから。厳しい峻別によって選択すべきが
仏教であると俺は考える。そうしなければただの知的遊戯ネタとして終わるから。
>168
中道は、釈尊が苦行を捨て、バランス良く八正道を実践せよのことだったんだけど
「中論」によって有でも無でもなく空であるを示唆するようになった。
その後は、この空概念の実体化によって唯識、如来蔵、密教、禅思想などが排出されて
いった。
俺は仏教原理主義者(笑)
171変人:2001/08/01(水) 22:56
>>170
私の説明が悪かった。「ぴったし真ん中か」それとも
「あいまいな真ん中か」ということで、グレーゾーンの解釈に誤解が
しょうじた。ちなみに中庸は下記。

歴史的認識にズレがある。原始仏教のことを話しているのだが
全くかみあっていない。口伝の時代を話しているのです。
空概念の実体化なんてのは、ありませんよ。その時代に。
それに、知的アソビなどしてませんよ。
中庸がアリストテレス・・とかいってましたから。
私がそれなりの解説をしたのです。
で、もう少しいっておきたいのですが、教団が沢山あるくらいですから
ひとそれぞれ、考え方が違って当然。
貴方の考えは尊重しますよ。  「でも私はこう思う」ということです
から、知的アソビをしているわけではありません。あしからず。
172BM:2001/08/01(水) 23:06
>>170
学会の定説なら、また変わることもあるでしょう。

ところであなたは学生さんですか?
もしあなたが学会に出入りしているなら、もう少し先人の業績に敬意を払われた
らいかがですか? ジャイナ教典云々の件についても触れておられないところを
見ると(>170)、自分で研究なさったわけではないでしょう? 中村先生始め
先人の業績があるから偉そうに嘯くことができたのでしょう。

中村先生を「中村」と呼び捨てにしたところで、あなたが中村先生より偉くなった
わけではなく、素晴らしい業績をあげたわけではないでしょう。どこか誤解なさっ
ていませんか? あなたが研究者なら、他人の説を否定するにしても、呼び捨ては
止めましょうよ。

>俺は仏教原理主義者(笑)
なんのことかまったくわかりません(笑
173名無しさん@1周年 :2001/08/01(水) 23:44
>>171
>口伝の時代
釈尊は、経典を書かなかった。理由は単純に紙と一般言語がなかったから(笑)とも
いわれていますが、人それぞれによって方便を変える対機説法を重視したためという説
が有力です。方言のマガダ語を使って。仏教経典と呼ばれるものが創作されたのは
釈尊没後、100〜200年後といわれていますからどうにもあてになりまへん(笑)
釈尊が書いてくれれば、少しは問題は解消されるのですが。
組織ぐるみのサギ教団の教義などクソですが、人それぞれの個人の見解は
それなりには尊重しますよ。頭のよい人の見解は特に。

>>172
新しい革命的な経典でもチベット大蔵経のなかでみつかれば変わりますが、もう飽和状態
でしょうね。恩師も新しい研究分野を発掘して学会で名をあげるのは難しいと言ってますから。
苦行者文学=ジャイナ教です。要は我論を基盤にしたまやかし解脱思想のことです。
でも俺は、ジャイナ教もある種においていいとこ突いていると思います。
中村の業績は認めますが政治臭が強いので尊敬してません。それに公人ですから
呼び捨てでもかまわないと思います、、がいかが?

仏教原理主義者。造語です(笑)縁起・無我思想こそが仏教であるみたいな・・・
ラジカル中観主義者といったとこでしょうか。
もちろんこれらのことは、私の一部分にすぎませんが。
174変人:2001/08/02(木) 06:32
>>173
>>個人の見解はそれなりに尊重しますよ。頭のよい人の見解は特に。

だいたい、あなたの姿勢がわかりました。
学問を究め、あなたが仏教界にその英知を注ぎ、今後の発展のため貢献して
いただける方かと信じております。
記述は、大変参考になりました。
175BM:2001/08/02(木) 07:17
>>174
これは字義通りに受け取ってよろしいのでしょうか?
それとも…?

>>173
そういうことでしたらご随意に(笑
176変人:2001/08/02(木) 10:28
>>175
学問としてとらえてしまいますと、全く私の見解とちがいます
せっかく知識をもっているなら、それを噛み砕いて、自分のものにしなければ
意味はありません。  そこがどうも見えてこない残念としかいいようがない。
知識がなくても、自分なりの感性でとらえ、自分の意見をもっている人
そういう人の方が、私は尊敬できるのですが・・いかがなものでしょうか?
宗教における、理論優先主義が、かえって無明を作り出す元凶といえる。
こうした人たちをハイシュツし、それを良しとしてきた教育にもおおいに
責任がある。  皆様はいかが考えているでしょうか?
177BM:2001/08/02(木) 15:37
>>176
仏教を仏教ととらえている限り、まだ他人の借り物である。
確かにその通りですね。
178名無しさん@1周年:2001/08/02(木) 15:55
>>176-177
>>176-177
仏教は信仰や実践により心の安らぎを求めることが目的でしょうから、知識ばかり豊富に
なってもちっとも心の安らぎを得ることができなければ、それは仏教に触れたことにはな
らないと思います。
ただ、自分の直感やひらめきにこだわるあまり、他の意見に耳を傾けようともしない宗教
や人も多いように感じます。
バランスが難しいです。
179変人:2001/08/02(木) 18:19
>>177-188
まさに正論。皆様わかっていらっしゃるのですよ。それは・・がしかし
大学の、仏教学部では、一番大事なことを教えずして知識偏重主義に
凝り固まっているのではないか・・文面見ればそれは明白。
そこを憂いているのです。でもそれはそれ、お寺でありませんから
大学のプライドがあるのでしょう。俗っぽいことを避けているのでしょう。
>>173も犠牲者の一人じゃないでしょうか?
私が、全部正しいとは思っておりません。感じたことをカキコしました。
それに(笑)とは、カキコしながら「笑って」いるのでしょうか?
そうだとすると、気持ちわるいですよね・・・これは冗談。
180名無しさん@1周年:2001/08/06(月) 06:14
あーたーらしーいーあーさがっきった
181名無しさん@1周年:2001/08/06(月) 08:25
この1〜2日は、爽やか〜!
182名無しさん@1周年:2001/08/06(月) 09:05
そーだねー
183変人:2001/08/06(月) 17:18
祝い、再々チャレンジ、おめでとうございます。
184名無しさん@1周年:2001/08/06(月) 22:33
もう夜だー
185変人:2001/08/07(火) 08:16
毎日の、仏道修行ご苦労さまです。
186名無しさん@1周年:2001/08/07(火) 09:04
今日もがんばるぞ!
187名無しさん@1周年:2001/08/15(水) 20:55
age
188名無しさん@1周年:2001/08/15(水) 20:57
およっ!懐かしいのを掘り起こしたね。
189むもん:2001/08/23(木) 11:18
>>1
小乗仏教(原始仏教)は
この世は縁起(カルマ)によって造られている。世間の人は過去世に於いて色々な悪行
を行ってきた。だから苦の世界に生まれてきたのである。だから自分の心の中の悪を
滅尽するように修行して、輪廻の輪から解脱し天界へ生まれなさい。

大乗仏教は
世間の人々はもともと天界の住人であった。だから天界の住人であることを自覚して善人
となり死後は天界へ生まれなさい。

大体こんなところではないでしょうか。
190名無しさん@1周年:2001/08/23(木) 11:28
>189
ぜんぜんちがうとおもう
191名無しさん@そうだ選挙にいこう:2001/08/23(木) 11:45
http://www.linkclub.or.jp/~zenyvsw/index.html

ヨーガの達人が指導しております
192名無しさん@1周年:2001/08/23(木) 12:01
>>189
ぜんぜんちがう

天界も迷界ですよ。
 
193変人:2001/08/23(木) 15:15
バラモン教の修行者が釈迦です。
形式的、儀式的なバラモンに新しい思想を造りあげたのが釈迦です。
数あるバラモンの仏の、その一部が仏教として発展したのではないでしょうか?
バラモンから発展して、6〜7世紀ころにはヒンドゥー教が栄える。
194名無しさん@1周年:2001/08/23(木) 15:23
>>189 >>193
あんたたち、ちょうどいいから、渡海というのを誘ってきてここで遊びなさい。
195名無しさん@1周年:2001/08/23(木) 15:47
>>194
それだけは勘弁してもらいたい!
またスレが汚染されて荒れるから。
196むもん:2001/08/24(金) 08:42
>>192
>>天界も迷界ですよ。

おっしゃる通りですね。大乗では「仏国土」と説いていますね。(法華経)
しかし、小乗では何処へ生まれるかは説いていませんが、阿羅漢にならない限り無余涅槃は
出来ないのです。したがって在家で阿羅漢になった人はいないようです。しかし、修行の程度
によって下層天界から上層天界の範囲のいずれかの天界に生まれるとあります。(阿含経)
197名無しさん@1周年:2001/08/24(金) 09:05
>>196
そもそも189で「縁起(カルマ)」としているのがまず疑問。
それと「輪廻の輪から解脱し天界へ生まれなさい」だが、
解脱してなぜ天界に生まれるのか?言葉の定義の問題だろうか?
なにをもって天界としているのだろうか?
198むもん:2001/08/24(金) 13:28
>>197
まず、以下は阿含経に説かれている内容であることをご理解下さい。

>>そもそも189で「縁起(カルマ)」としているのがまず疑問。

そうですね。縁起=カルマではありません。カルマがこの世で成就する法則を縁起と云うのです。

>>解脱してなぜ天界に生まれるのか?言葉の定義の問題だろうか?

解脱の修行はこの世の中に対する「一切の欲望と愛着」とそこから発生する「悪想念」を滅尽する
ことによって得られるのです。それが完全に滅尽出来ないときはその程度にしたがって、天界の
レベルが決定されるのです。

>>なにをもって天界としているのだろうか?

天界は「欲天・色天・無色天」に分けられます。欲天は六道輪廻の対象となっています。
四王天・三十三天などがあります。例えばこの世の50年が四王天の一日に相当し四王天の寿命は
500歳です。地球時間で云えば四王天の寿命は50×365×500年の寿命になります。

「色天」は一番下層の天界でも寿命は一劫、ほとんど無限の寿命です。
「無色天」の最高位の「有想無想天」の寿命は八万四千劫とあります。
199変人:2001/08/24(金) 20:41
むもんさん。
だいたいこのスレは、こういう展開で沈没するのです。
まず、原始仏教はなんぞや?から始めませんとタイトルの意味がごじゃらんせん。
原始仏教こそ、その奥義がある・・とわたしは解釈しております。
しかしながら、仏典から答えを見つけるわけにはいきませんので、
釈迦の生存までさかのぼらねばなろません。そこのところ見解はいかに。
このことに関心のある方の意見を聞かせてもらえないでしょうか?>>all
200むもん:2001/08/25(土) 08:20
>>だいたいこのスレは、こういう展開で沈没するのです。

失礼しました。
原始仏教と大乗仏教 のコーナーでした。

キリストははっきりしていて、現在でも地名が残っているようですが、
釈迦の生存された時代は本当に2500年前なのでしょうか?
インドに原始仏教に書かれているような地名が残っているのでしょうか?
何かもっと昔の話のように思えてならないのですが。
201変人:2001/08/25(土) 10:00
仏教の流れをみていかないと、仏典の位置づけが明確にならないのではないでしょうか?
簡単にいいますと、>>193のとうり。
で、インドではちゃんと釈迦の聖地がありますから、そこのところはさして問題にならないと思う。

法華経などは、釈迦滅後200年経過してからのものですから、原始仏教とは
異なるものだと自然に解釈できる。
あなたの心酔している阿含経にしても、滅後100年。
日本でいえば徳川慶喜の自伝を編纂しているようなものです。
このコーナーは、そういった事に関して論議するものと解釈しております。
202むもん:01/08/26 11:17

阿含経には時々五大河というのが出てくるのです。
恒伽、搖尤那、舎牢浮、阿夷羅婆提、摩企の五つですが。現地ではどのように
呼ばれているのかは知りませんが、今でも河の名が残っているのかな。
203むもん:01/08/30 08:17 ID:lEJOcvoM
大乗経典と小乗経典についてですが。

阿含経では釈迦の出家から釈迦の死、弟子の目ノ連、舎利弗の死について書かれているのですよね。
一方大乗にも、目ノ連や舎利弗が登場しているのですね。
ということは、釈迦は阿含経を説きながら大乗も説いたことになるのですよね。

これは実に不思議ですよね。
204変人:01/08/30 08:47 ID:YYVnwd42
釈迦の在世中にはすべて口伝でしたから、書きしるしたものは一切ありません。
阿含経は古い経典ですが、それでも釈迦滅後100年以上。もちろん弟子たちは亡くなっております。
法華経となりますと、滅後500年位。べつに釈迦は大乗を説いた訳ではありません。
205むもん:01/08/31 06:37 ID:EAw2KJZI

>>釈迦の在世中にはすべて口伝でしたから、書きしるしたものは一切ありません。

しかしですねえ。増一阿含経で阿難が次のように云ってるのですよ。
『若し、増一の経巻を書写するものあらば、此の福無量にして計るべからず』

やはり阿含経の経典があったんでは?
206変人:01/08/31 06:55 ID:SAfeNWK2
>205
え、え〜っ。それは新説です。そこまで私は気がつきませんでした。
もしそうだとするとーー。う〜ん解らん。
私に、認識の甘さがあったのでしょうか?
207お経 1:01/08/31 08:25 ID:iFOQRLT2
仏教のお経は、お釈迦さんの言葉を記録したもの、という考えがあります。
しかし、実際にはどんなに古いお経でも、 お釈迦さんが亡くなられてから何百年も経っ
てから書き記されたものなのです。
古い時代、一般にインド人は、文字を使うことがありませんでした。
すべて、暗唱にたよっていたのです。
仏教も同じで、お経の編集は、お坊さんたちが集まって、あるお坊さんが暗唱するのを、
他のお坊さんたちが聞いてチェックすることでした。
最初の編集会議は、お釈迦さんが亡くなって間もない時に行われましたが、それにしても、
お経は、お釈迦さんの全く知らないところで編纂されたのです。
208お経 2:01/08/31 08:26 ID:iFOQRLT2
お釈迦さんの語録としてのお経が、人から人へ口伝えに、時々編纂会議を経ては伝承され、
数百年もの間、代替わりを繰り返し、様々な地域へ伝えられていくと、ふくらませたり、
削ったりという手が加えられて、ゆがみが大きなものとなっていって、極端なものは内
容 が矛盾するお経、ほとんど同じだけれども一部が違うお経、一部は同じだけれどもほ
とん ど違うお経などが、さまざまあらわれるようになりました。
209お経 3:01/08/31 08:27 ID:iFOQRLT2
水野弘元博士『経典−その成立と展開』によれば、「原始経典の中には、仏滅後になって
から、仏の遺弟たちによって説かれたものもかなりあります。
これらは仏滅直後の第一結集では誦出されなかったものであるのに、どうしてそれらが現
存経典の中に含まれているかといえば、おそらく第二回以後の結集で、経典として誦出さ
れたものと思われます」と書かれています。 つまり、阿含経典のうちには、後世につく
られた経典も多数あるのです。
確かに、阿含経典には、間違いなく釈尊その人が説かれたであろうと断定されていること
ばの数々が含まれていることは間違いないと思います。 しかし、阿含経典の全ての作者
が釈尊であるかといえば、そうとはいえない。
210変人:01/08/31 10:11 ID:CWmSnAYU
>209
客観的考察ありがとうございます。大変勉強させて頂きました。
211名無しさん@1周年:01/08/31 10:33 ID:SOw4t1ss
>202
ガンジス ヤムナー サラブー アチラヴァティー マヒー
ガンガー以外は今もあるのか、何て呼ばれているかは知りませんが
212名無しさん@1周年:01/08/31 21:40 ID:MJy50rvQ
>>209
なーるほどね。そう言えば増一阿含は雑阿含・中阿含・長阿含経とはちょっと違うところが
あるんだよね。
213むもん:01/09/06 11:04 ID:cxI9FPhc
お経さんのお話ですと、何か仏教が本物や偽物がばらばらに入ってるようですが、
阿含→大般若→法華と秩序正しく説かれているのは不思議な気がします。
内容を考えると「阿含経(小中学校)→大般若経(高校)→法華経(大学)」と。
こんな風に思えるのです。
214電波男Ψ(´д`)Ψ:01/09/06 11:07 ID:.V0qhMhQ
>>213
それはあなたの妄想です。
215電波男Ψ(´д`)Ψ:01/09/06 11:10 ID:.V0qhMhQ
現存する阿含経典群より古い成立の大乗経典は沢山あります。
書写による功徳は自身の権威付けの為にかなり後に付加されたものです。
阿含、大乗に関係なく述べられていますよ。
216taitsu™ ◆CnRBUP3A :01/09/06 11:55 ID:tx3GFT8M
>215
確かに有るらしいね。
でも、大乗って上座部の教義的・思想的独占に不満を持った
大衆部の革命運動だろ?俺達が居なきゃお前ら成仏できねー!って
言われりゃ、みんな怒っちゃうよなぁ。。

ところで、思想界の方はどうよ?
217変人:01/09/07 09:57
>all
高度な見解ありがとうございます。
経典についての疑問。かなり解ってきました。
218むもん:01/09/12 09:11

簡単に云うと。
原始仏教は。
自分自身の苦を取る修行ですね。

大乗は。
自分の苦を滅尽した人(菩薩)が、人を助ける修行ですね。
だから、凡夫はまず原始仏教の阿含経を修行しなくてはね。
いきなり凡夫が大乗をやったってだめなのでは?
219名無しさん@1周年:01/09/19 01:20
>>218

だから、凡夫はまず原始仏教の阿含経を修行しなくてはね。<

なるほど、にせビールの桐山センセイはそうやって勧誘してるのか
護摩たいて・・・
220むもん:01/09/28 09:46
>>だから、凡夫はまず原始仏教の阿含経を修行しなくてはね。

桐山氏がいるいないにかかわらず、これは事実ですね。
第一、護摩を焚くことは何の効果もないと阿含経は説いていますよ。
221sage:01/09/28 10:41
自分の苦を滅尽した人(菩薩)だと?
かなり無茶な解釈のしかただな、
そこまでしないと大乗の正当性を維持できんとは・・。
222むもん:01/09/28 13:32
>>221
「楽を滅尽した者は苦を滅尽いている」これが阿含経の論法です。

私は大般若経から見て、マザーテレサは菩薩だと考えています。
「結婚して幸福になろう」「金持ちになって人生を楽しもう」
一般人のように人生に楽を求めたらあれだけの人助けは出来ないでしょう。
これはすでに楽を滅尽しているのです。即ち、小乗の卒業生であるのです。

こういう人を僧と呼ぶべきなのです。こういう人たちに対する教えが大乗です。
そして、菩薩が凡夫を救うために教えるのが小乗なのです。
さもなくば、誰も凡夫を苦から救うことは出来ないのです。
大乗経典といわれる経典の始めを見て下さい。
仏のまわりに集まっているのはほとんど菩薩なのです。
223小乗と呼ばれる阿含経典より:01/09/28 16:02

小乗と大乗の論議は、言葉は違えど、釈迦存命中からあった様ですね。

釈迦の答えがありますが、今もって論議されているのは、なぜなのでしょう?
224小乗と呼ばれる阿含経典より:01/09/28 16:07
一人の道にあらず
    南伝 増支部経典 三、六〇、サンガーラヴァ

 かようにわたしは聞いた。
 ある時、世尊は、サーヴァッティー(舎衛城)のジェータ(祇陀)林なるアナータピンディカ(給孤独)の園にましました。
その時、サンガーラヴァ(傷歌邏)なる婆羅門の若者は、午後のそぞろ歩きに、世尊のいますところに到り、
到るとたがいに挨拶をかわして、その傍らに坐した。
 傍らに坐したサンガーラヴァなる婆羅門の若者は、世尊に申しあげた。
 「友ゴータマ(瞿曇)よ、わたしはお訊ねしたいことがございます。お許しがあれば申しあげたいと思います」
 世尊は仰せられた。
 「婆羅門の若者よ、もし疑いがあるならば、遠慮なく問うがよろしい」
 そこで、サンガーラヴァなる婆羅門の若者は問うていった。
225小乗と呼ばれる阿含経典より:01/09/28 16:08
 「友ゴータマよ、われらは婆羅門でありまして、みずから供犠(婆羅門たちの行う犠牲をささげる儀式)をいとなみ、
また他の人々をして供犠をいとなましめます。友ゴータマよ、そのように、みずから供犠をいとなみ、
また他の人々をして供犠をいとなましめることは、それはすなわち多くの人々のための福いを修することであります。
それが供犠というものであります。しかるに、友ゴータマよ、あなたの弟子たちは、鬚髪を剃りおとし、僧衣をまとい、
良家より出家して家なきものとなり、自己一人を調御し、自己一人を安らげ、自己一人の苦愁を滅するという。
かくのごとくなれば、出家の道はすなわち一人のための福いの道でございましょう」
「婆羅門よ、しからば、そのことにつき、わたしから、そなたに問いたい。そなたの思うがままに答えるがよい。
婆羅門よ、そなたは、このことをいかに思うか。この世に如来・応供・正等覚者・明行足・善逝・世間解・
無上師・調御丈夫・天人師・仏・世尊があらわれ、彼はかくのごとく説く。
いわく、<これが道である。これが実践である。わたしは、この道をゆき、この実践をおさめて、無上の梵行の消息を、
みずから知り、証し、そして説いていう。《来れ、汝らもまたこのように修行せよ。汝らもまた修行して、無上の梵行の消息を、
みずから知り、証し、その身に具するがよい》と>。そのように、この師が法を説き、そして、他の人々もおなじように修行し、
それらが数百、数千、数万にいたるならば、婆羅門よ、そなたはこれをいかに思うであろうか。
以上のごとくである時にも、なお、出家の道は一人のための福いの道であろうか。それとも、多くの人々のための福いの道であろうか」
 「友ゴータマよ、そのようであるとするならば、出家の道は、多くの人々のための福いの道であります」
226名無しさん@1周年:01/09/28 17:49
思うだけにしていただきたい。
227名無しさん@1周年:01/09/28 22:15
  
228名無しさん@1周年:01/09/29 01:09
「人を苦から救う」と言う本来の意味は、やはりこれだな。
229名無しさん@1周年:01/09/29 21:53
  
230名無しさん@1周年:01/09/29 22:06
原始仏教っつやあ、スッパニパータとか、ダンマタパとか。
やっぱ中村センセの本がワカリヤスーです。
仏陀最後の旅とかもいいよね。
漢訳はなじめません。
漢文嫌いなもんで。
231名無しさん@1周年:01/09/30 13:51

むもん は
どこにいった〜?
232むもん:01/09/30 16:29
225さんの述べられた阿含経の解釈のように、法師(僧)であるなら、
まず、世間の人々に阿含経の法則「三毒・不善行・縁起・六道輪廻など」
を教えて、人を救うべきではないでしょうか。

(善説法経の一部)
比丘仏に白して言さく「世尊の説かせたまえる所の法師の如きは如何が名づ
けて法師と為したまうや」と。
仏、比丘に告げたまわく「若し色に於いて厭を生じ、欲を離れ、滅尽寂静の
法を説く者は是れを法師と名づく、若し受想行識に於いて厭を生じ欲を離れ、
滅尽寂静の法を説く者は是れを法師と名づく」

これから考え阿含経以外のことを説く人は法師とは呼べないのでは?

「・・・次に甚深の十二因縁を降らして、もって無明、老、病、死等の猛盛熾然
なる苦聚の日光に灑ぎ、しかしてすなわち無上の大乗を注いで、衆生の諸有の
善根を潤漬し、・・・・(法華経)」

このように大乗にも十二因縁(阿含経)を先にやるように説かれているのです。
233名無しさん@1周年:01/09/30 22:23
  
234名無さん:01/09/30 22:51
 釈尊が聞いたら否定すると思う。般若真経も同じ。真理であっても
否定する。空海はそこまで知っていた。最澄には分からん。
235名無さん:01/09/30 22:58
↑理趣経のことね、一応マジレス。
236名無しさん@1周年:01/10/01 01:00
>>232
>比丘仏に白して言さく「世尊の説かせたまえる所の法師の如きは如何が名づ
>けて法師と為したまうや」と。
>仏、比丘に告げたまわく「若し色に於いて厭を生じ、欲を離れ、滅尽寂静の
>法を説く者は是れを法師と名づく、若し受想行識に於いて厭を生じ欲を離れ、
>滅尽寂静の法を説く者は是れを法師と名づく」

>これから考え阿含経以外のことを説く人は法師とは呼べないのでは?

そうすると、阿含経以外には「若し色に於いて厭を生じ、欲を離れ、滅尽寂静の法」や
「受想行識に於いて厭を生じ欲を離れ、滅尽寂静の法」を説いている経が無い事になるな。
237むもん:01/10/01 07:46
>>236
おっしゃる通りです。
阿含経・大般若経・法華経・観無量寿経・華厳経(途中)と読んできましたが、
阿含経以外の経には『滅尽寂静の法』は説かれていませんでした。
ただ、『滅尽寂静の法によって衆生を救うように』と説かれてあるのです。
したがって大乗の経典は「当然阿含経の修行終えている」として説かれているのです。

大般若経には阿含経の修行がたくさん出てくるのですが、「これらの修行をするな」
阿含経の修行をする者を「犯戒菩薩」という、とまで説かれているのです。
238むもん:01/10/04 08:01

小乗を小学校として仏を教師として、その教えを聞いて勉強した者を小学生
とすると。
小学生でも僧と呼ばれるのです。僧は凡夫に「苦の滅尽法」を教えるのですが、
これは小学校の6年生の生徒が小学校1年生に教えるようなものです。

一方大乗は中学校に相当するでしょう。小学校を卒業しているので、凡夫に
「苦の滅尽法」を教えることが出来るのです。この中学生の生徒を菩薩
というのです。時には小学生の勉強をしようとして仏(先生)に叱られる
というわけです。
239コピペ:01/10/04 08:14
大乗非釈迦仏説 とするべきかな。

仏=悟った者とするなら、大乗経典も仏説であるだろう。
(大乗諸経典を執筆した人が何らかを悟っていたとするなら)
しかし、約2500年前に実際に生きていた、ゴータマ・ブッダの言行は大乗諸経典には無い。

ゴータマ・ブッダの言葉を求めるなら、阿含経典を読むしか方法がない。
注意しなければならないのは、阿含経の全てが、正しく釈迦の言葉を記録しているものではないという事。
約100年口伝で伝えられていたので、付加・改変・創作が見られる。
そこの点は、中村元博士や、その師の増谷文雄博士等の仏教学者が研究されています。
240コピペ:01/10/04 08:15
 しかし面倒なのはゴータマ・ブッダとその弟子あるいは同時代人が、大乗経典に
時空を越えて(笑)大勢登場することですね。佛=覚者とするならば、わざわざ歴史
上の釈尊の名を借りなくてもいいものを。まあ佛身論の成立によって発生した法身
佛という解釈も出来なくはないけど、弟子や信徒までそのまま出てくるのはちょっ
と理解に苦しむね。
241コピペ:01/10/04 08:15
>>240
> しかし面倒なのはゴータマ・ブッダとその弟子あるいは同時代人が、大乗経典に
時空を越えて(笑)大勢登場することですね。

その通りですね。激しく同意!(笑)
オイラの想像ですが、大乗部は上座部と分かれて、上座部は阿含経典がある。
が、経典に出てくる人物は、もうこの世にいない。
大乗部は、「自分の所が本流である」と世間に広く知らしめることが出来る、営業力(笑)のある経典を創らなければならなかった。
(そうしなければ、托鉢等での生命・教団の維持が出来なくなる)
そこで権威付け・信頼性を帯びさせる為として、ゴータマ・ブッダや弟子や信徒を登場させ、
「今までの阿含経で語ったことは、嘘(方便)なのです。これから本当の話いたしましょう」
とゴータマ・ブッダに言わせたり、
「如是我聞」=このようにわたしは聞いた。という意味ですが、この文句が大乗諸経典にも使われたりしている。

この文句は−−−−−
ゴータマ・ブッダの言行を残しておこうとゴータマ・ブッダの死後、弟子達が集まり、
それぞれの弟子が「このようにわたしは(釈尊から)聞いた」と発言し、
皆でその正当性を確かめ、集まった言行録を弟子達が唱和し、記憶した−−−−−
−−−これが阿含経の事の起こり−−−
というものである。

ですから、「如是我聞」は阿含経典にしか使えないのであるが、なぜか大乗諸経典にも付いている。
困ったもんだねぇ。
242 :01/10/04 17:53
  
243じゅん:01/10/04 18:14
文字発見。
244名無しさん@1周年:01/10/04 22:04
age
245むもん:01/10/05 14:13
たとえば「数学」を考えると、小学校で加減乗除など基本をを勉強し、
中学になると数学は高度になって行きます。
こうして、数学を学びたいと思う者はその教科書で勉強するのです。
その場合、その数学の原理は誰が発見したのか。この数学の原理はいつ頃
作られたのかということにはあまり関心を持たないでしょう。

このように、仏法そのものを学びたい者には誰の作で、いつ頃作られた
のかについては、あまり関心がないのです。
246名無しさん@1周年:01/10/05 14:49
>245 むもん 氏

それでは、私が今「仏説〜〜経」を作って、
「〜仏を本尊としなさい、そうすれば救われます」
なんて言っても、他の経典と全く同じに尊んでもらえますか?
247むもん:01/10/05 17:30
>>264
>>「〜仏を本尊としなさい、そうすれば救われます」
こういう教えは仏典にはありませんね。仏教は「真実の論理」を説くものです。
これは「新興宗教」となるでしょう。

しかし
すべての数学を知り尽くした学者が、新しい数学の理論を発見して
これを6年生に組み込もうとするならば、それは可能なように、

仏教のすべてを知り尽くした人が、新説を発見し「仏の説である」
と説けばそれは仏の言葉であると受け取られるでしょうね。
但し、それを説くことは解脱者にしか出来ないでしょう。
解脱者は「嘘をつかない」から、まあやはり無理でしょうね。
248名無しさん@1周年:01/10/05 18:15
>こういう教えは仏典にはありませんね。仏教は「真実の論理」を説くものです。
>これは「新興宗教」となるでしょう。
>仏教のすべてを知り尽くした人が、新説を発見し「仏の説である」
>と説けばそれは仏の言葉であると受け取られるでしょうね。


自己矛盾
249名無しさん@1周年:01/10/05 22:07
250むもん:01/10/06 09:17
>>248
>>「〜仏を本尊としなさい、そうすれば救われます」

「算数という言葉を10回唱えなさい。そうすると算数が解けるようになります」
これを小学生の算数に取り入れてくれ。というようなものでは?
これは無理でしょう。やはり、「新興宗教」でしょう。
251名無しさん@1周年:01/10/07 16:02
参考スレッド
■実況中継!日本テーラワーダ仏教協会の変質
http://mimizun2.mine.nu:81/2chlog/psy/mentai.2ch.net/psy/kako/983/983189611.html
252むもん:01/10/08 11:15
第一「布施」とは僧が凡夫にするものですよ。
253名無しさん@1周年:01/10/08 12:23
>>252
>第一「布施」とは僧が凡夫にするものですよ。
???
254むもん:01/10/08 13:25
僧は凡夫を苦から救うために「財施・怖畏施・法施」を行う。これは布施。
僧はスッカラカンで飯も食えないので、凡夫たちが食わす。これは供養。
255名無しさん@1周年:01/10/08 13:37
まずは阿含経から学びましょう。
そして『仏陀(メシア)の法』(平河出版社)を修得しましょう。
256名無しさん@1周年:01/10/08 13:57
あれじゃろう。

大乗では、仏を法身、報身、応身の、
三身に捉えるところが違うんじゃろう。

応身って言うのが、シッダルタとして生まれてきて、後に悟った仏。

法身ちゅうのは、宇宙全体として捉えた仏で、
シッダルタが生まれるずっと以前から存在し、
これからもずっと存在する仏。

報身ちゅうのは、応身と報身の中間的な現れ方をする仏やな。
257253:01/10/08 17:19
>>254
一般人が僧に『布施』でも、(言葉的に)間違いじゃないでしょう?
それに一般人を『凡夫』なんて言って、侮ってるの?
258名無しさん@1周年:01/10/08 17:25
259むもん:01/10/08 17:31
>>257
さあ、どうでしょうかね。
凡夫は一般人のこと。侮るときは「愚癡無聞の凡夫」といいます。
260名無しさん@1周年:01/10/08 17:58
>>254
財施=お金や物などなどを施すこと
怖畏施=相手の恐怖を取り除くこと
法施=仏の教えを説き示すこと

本来、僧侶は無一物なので財施は不可能です。
また、仏や僧侶から法以外の布施を受けるべきではないとする
古い仏教説話もあったりします。

なお、供養=食べさせることってわけでもありません。お香、お花、
灯明、衣服、そして仏の教えなども供養とされます。僧侶が他者に
供養することはなんら問題ないようです。
261名無しさん@1周年:01/10/11 02:00
どなたか天台の禅法についてお詳しい方、
http://mentai.2ch.net/test/read.cgi/psy/998953342/l50
にカキコ願えませんでしょうか。
262名無しさん@1周年:01/10/12 08:47
>>260
こんなことはどうでもいいけど、経典には僧に対しては供養とはあるが、
布施とは書いてないね。
 布施・供養は原義で考えるべきだ。
 布施は、大乗の菩薩が修する六波羅蜜の一つ。執着から離れるための修行だろう。大乗の菩薩は、大衆指導者として、人々が窮乏に苦しんでいるとき、心身を投げ出して救済すべきことが要請されている。
 供養は、善導大師の五正行または六正行の一つ。寺(学校)の運営にあたり、生徒などが経済的にバックアップすること。入学金、授業料などがこれに入るだろう。
 善導は讃歎供養という言葉を使う。これを「讃歎」「供養」と分けると六正行になるが、讃歎と供養は分けるべきではないと思う。讃歎供養とは、喜んで経済的にバックアップするということと考えるべきだろう。
学校の生徒は、学校運営に喜んで経済的にバックアップすることが大事な務めであると善導は言う。
 学校運営では、誰を助けるのか。経営者、運営者を助けるのだろう。だから供養は仏に行う。仏とは、学校(寺院)の代表者を象徴する。
264名無しさん@1周年:01/10/12 09:49
>>263
このスレは久しぶりに渡海難によって汚染されようとしています。
皆様、ご注意ください。
決して渡海難を相手にしないように!

念仏宗渡海会(「こんにちは会」ともいう)
・教祖 渡海 難(「とうみかたし」と読む)
・会費 4000円(http://mentai.2ch.net/test/read.cgi?bbs=psy&key=1000165825
・教義 渡海教祖の思いつきで右に左にコロコロ変わる。ある時はお釈迦さまの代弁者となり、ある時は親鸞思想の代弁者となる。大川隆法の「霊言」のようなものである。
ちなみにカルト教団に「サタン」とするものがあるのと同じく念仏宗渡海会にも「親鸞会」や「浄土真宗のお坊さん」というサタンが存在し、自分に都合の悪い者がいると「親鸞会」や「浄土真宗のお坊さん」と言って決めつける。
ちょうど創価学会の「日顕宗」のようなものと思えばいいだろう。
・会員数 ゼロ(笑)
・教祖の性格 一言で言えば基地害、電波。独善的で絶対に他人の言うことを聞かない。
裁判の時弁護士が使うような論法で次々と質問をはぐらかす。
・活動 「浄土通信」のHPやメール、2chでの布教活動を主とする。
あと、彼にとってのサタンである親鸞会の退会者に狙いをつけて退会者狩りを行うが念仏宗渡海会の信者になったという話は聞いたことがない。
渡海会には「座禅念仏」という行があるそうだ。それを真宗関係のサイトで説いて回った所、次々と拒絶されている。
あと「ああ先生」という呪文もある。詳しいことは分からないが人の意見を聞かない奴に先生もヘチマもあったものではないが。
265黒海老:01/10/12 15:10
『布施』『施与』の原語は『dana(ダーナ)』と言い「与える事」という意味であり、
もともと出家在家の区別は、なかったはずです。

「先生! わたくしのような者の施しを受け得る人、祭祀の時に探しもとめて供養すべき人、
をわたくしは―あなたの教えを受けて―どうか知りたいのです。」
「目ざめた人(ブッダ)であるあなたさまは、お供えの菓子を受けるにふさわしい。
あなたは最上の福田であり、全世界の布施を受ける人であります。あなたにさし上げた物は、果報が大きいのです。」
(スッタニパータ482、486)
266名無しさん@1周年:01/10/12 20:32
>>265
 興味深い御意見に感謝します。梵語は分かりませんが、大乗仏教には、布施、供養という言葉の外に、喜捨、寄進という言葉もあります。
 布施、供養、喜捨、寄進は、インドでは同じ言葉だったかも知れません。中国ではそれぞれ別の意味で使われていたのではないかというのが、僕の想像です。いかがでしょうか?
 六波羅蜜で供養とは言わないでしょう。善導の五正行では布施という言葉を使いません。
 現代日本ではこの辺の言葉が混乱している感じです。真宗でお寺さんが金品を貰うことを「布施」と言うのはいつごろからでしょうか。その言葉を使い始めた人の作為的意思が感じられてなりません。
 作為的な意思が現代に及んで、布施、供養、喜捨、寄進という言葉に意味の混乱が生じているような気がします。
 『布施』は大乗の修行手法でしょう。そうであれば出家在家の区別はなかったかも知れません。
 布施が修行の一形体であると言えば、空を悟る手法の一つだったと考えるべきでしょうね。そう考えると、布施には本来全財産、場合によれば命まで差し出すこともあるのかも知れません。
 村落共同体が維持する寺院学校の経営手法として、仏教では、村人が自分の生活を切りつめながら財物の中から、村落寺院の托鉢僧などに一部を分与する行為があります。これは喜捨という行為でしょう。
 財力に余裕のある者が、他の人々を代表し、自分の余裕の中で寺院学校に不定期に財物を分与する行為を寄進というのでしょう。喜捨、寄進は善行という部類に入りますが、空を悟る修行という性格はないと考えます。
現代語訳では言葉に混乱があると思います。古典を読む場合、布施、供養、喜捨、寄進という概念は、きちんと整理する必要があるように考えています。
268名無しさん@1周年:01/10/12 22:22
>267

阿含宗に帰依すれば本物の仏法に出会えます
今の貴方のは外道に属します。
>今の貴方のは外道

 阿含宗のから外道と称讃されれば光栄です(笑)。
270名無しさん@1周年:01/10/12 23:49
煽りでしょ?
>>256
>大乗では、仏を法身、報身、応身の、三身に捉えるところが違うんじゃろう。

 仏を法身、報身、応身の三身に捉えるのは、大乗仏教の中でも、中国善導仏教の特徴じゃないですか?善導浄土教の影響のない宗派でも法身、報身、応身の三身に捉えているんでしょうか?もっとも、他の諸宗派では他の諸宗派独自の色々な捉え方をしていると思います。
 もともと仏は仏身ただ一つの概念だったと思います。想像するに、大乗仏教は、小乗仏教とたもとを分かつときに仏身を法身と化身とに分けたんじゃないでしょうか。法身と化身の分割には、非常に高度な思想性を感じます。
 法身と化身に分割したと考えると、法身と化身とを兼ねたものが仏身だというべきなんでしょう。
 法身と化身とは仏身という一つのものの裏と表の関係で、法身を離れて化身はなく、化身を離れて法身は無い。文献的な証拠は持ち合わしていませんが、そう考えられていた時代があったはずです。
 ところが、法身は真理とか真実という抽象的概念と融合する。そうすると化身との結合は弱まり、法身はは別の独立の概念として捉えられてきたようです。これと平行して仏身の概念の一部は、化身という概念の中に融合したようです。
 法身という言葉は中国での翻訳語だけど、法身と書くべき所を報身という言葉で翻訳されている経典もあるのでしょう。翻訳上の揺れとして、法身という言葉と報身という言葉が併用されているんじゃないでしょうか(推測)。
 同じように、応身あるいは応化身という言葉で代用される訳語の揺れが、化身という言葉について、中国語翻訳経典中にあるんでしょう。
 法身と報身とは、経典上は同じ意味だと思います。ところが唐の時代、中国の高僧善導は、報身に独自の定義を付与し、法身、報身、応身の三身を主張して宗教改革を行う。善導の場合には、宗教改革でなくむしろ教育改革というべきかも知れません。
 後に親鸞は応化身に独自の定義を付与して四身を主張して日本で事実上の宗教改革を行う。その際、報身の定義も善導とは異なる概念を付与し、中国善導仏教とは別異の道を事実上歩んでいるようです。
 時間軸に沿って論点を見極めていかないと、法身、報身、応身の三身説も、法身、報身、化身、応化身の四身説も、無茶苦茶な議論になりかねないでしょう。
272名無しさん@1周年:01/10/13 13:28
>>271
何が何やらさっぱり分からない。
273名無しさん@1周年:01/10/13 13:50
>>272

触らぬ 渡海 難 に祟りなし。
274渡海 難( p1060-ip02hodogaya.kanagawa.ocn.ne.jp):01/10/13 23:18
>>272
 申し訳ない。分かりにくかった?申し訳ない。
 このスレは、真宗関係だけの方ではないんですよね。外のスレで真宗のことばかり書いているから、ここでもその延長で書いてしまった。
 こちらのスレでは、もっと原始仏教も含めた汎仏教的な視点でみんなが分かりやすい議論をしないといけない。今後は気を付けます。
 何がいいたかったか。このスレで書くような内容ではなかったようです。 
275名無しさん@1周年:01/10/13 23:45
>267

阿含宗に帰依すれば本物の仏法に出会えます
今の貴方のは外道に属します。
276めりき:01/10/15 00:34
どこに帰依するかそういう問題はもともと大乗、小乗の区別には
かんけいないのだ。ことしはいったばかりの新入社員でも
平均年齢は27歳だ。ふってふるえて対戦できるからポケモンミニは
新しいんじゃないか?へんないいかたしたけどそんなんもわからへんの?
まあこのとんこつ醤油ごっつええあじやろ。やはりでばんはラインバッター陣も
どとうのまもりでゲームの流れをぐっとひきよせるわな(ワラ)
277名無しさん@1周年:01/10/21 02:03
keep
278名無しさん@1周年:01/10/22 22:25
age
279名無しさん@1周年:01/10/22 23:07
そりゃ、阿含宗から外道と言われりゃホッとするわな。だれしも。
妙に納得。今晩はよく眠れるぞ。ヨッシャ!!
280名無しさん@1周年 :01/10/22 23:20
ネタにもならない阿含宗。(藁
281むもん:01/10/23 18:54
阿含宗の桐山さんの本はたくさん読んだけど結構面白かったですよ。
282名無しさん@1周年
>>281
だから、信仰が歪んでしまったのでは?