死後の世界

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1ドレミファ名無シド
本当にりあるんですか?
2神の国の民:2001/05/29(火) 05:08
キミ 本気で問いかけてんの?

ただの興味本位のような感じがするが?
3ドレミファ名無シド:2001/05/29(火) 05:11
本気です。
4名無しさん@1周年 :2001/05/29(火) 05:15
ありません。
5名無しさん@1周年:2001/05/29(火) 05:16
ありませんよ。さようならバイバイ!
6神の国の民:2001/05/29(火) 05:18
死後の世界は思想的、哲学的な概念の世界である。

言葉や科学で存在の証明できるものではない。
7天之御名無主:2001/05/29(火) 05:18
あるよ。だけどはっきりいってすごく難しいよ?
どうする?
8名無しさん:2001/05/29(火) 05:21
証明できなくても体験できる方法があるよ
9名無しさん:2001/05/29(火) 05:25
最後の手段だけどね
10名那師:2001/05/29(火) 05:26
仏教で悟りを開けば、過去・現在・未来の三世があることがハッキリ分かるよ。
11名無しさん:2001/05/29(火) 05:31
東洋には普通の意識のまま死後の世界に行く方法がある!
12名無しさん:2001/05/29(火) 05:32
やっぱりこれも最後の手段だけどね
13名無しさん :2001/05/29(火) 05:47
理屈からいうと「ない」とすると納得いかないことが非常に多い。
逆に「ある」とすると完全な証明はできないが矛盾はひとつもない。
14 :2001/05/29(火) 05:53
口蹄疫が人間に感染したかもしれないというニュースが
BBCから放送されたそうです。
メールマガジンでさりげなく報道されていました。
口蹄疫のことを知っていれば、これの重大さはわかるよね。
口蹄疫の発生した村を通過した列車に乗っていた家畜はみんな殺処分
されるのだからね。致死的ではないけれど、それほど、感染力が強い。
当然、空気感染をする。
これがほんとうに人間に感染するのなら、エイズなんてかわいいものだ。
いままでは、人間にはうつらないと安心していたようだね。
口蹄疫にかかった動物を処分した人が感染したらしい。
しばらく、外電から目が離せない。
15厭離穢土:2001/05/29(火) 06:05
誰も見たことがないんだから、解る訳が無いです。
16名無しさん:2001/05/29(火) 06:12
見てなくても分かることはありますよ。
原子物理学者は原子の世界を見たわけではなくても理論的に証明して確認して
います。
17名無しさん:2001/05/29(火) 06:12
それがわかるんだな、フフフ。
18ドレミファ名無シド:2001/05/29(火) 17:57
age
19うんこ:2001/05/29(火) 20:10
皆様がくたばった時に初めて本当の死後の世界がどうゆう物か、わかります
20名無しさん:2001/05/30(水) 02:34
age
21団塊のオヤジ:2001/05/30(水) 02:42
<死後の世界ブーム去る>
          
バブルの時代には、立花隆までが、
死後の世界の本を書いていた。
今、出版しても売れないだろうね。
   
私たちは、精神的に、よっぽど暇だったんだなあ。
22地獄ゆき:2001/05/30(水) 07:26
人間ゆとりがなくなると今のことでせいいっぱいになるからね。
でも、そんなゆとりのない人生も終わればただの夢だよ。
老後の心配はしても死後の心配はしない?でも老後はこないかも知れないけど、
死は確実に来る。事故や天災や病気にあわない人はいても死なない人はいない
からね・・・
さて、じゃあ、死んだあとは?
23ドレミファ名無シド:2001/05/31(木) 17:52
難しい
24:2001/05/31(木) 18:35
成仏ってなんすか?
25名無しさん :2001/05/31(木) 18:40
成仏とは文字通り「仏に成る」ことで、本来は仏教でいう最高の悟りの位である
仏覚を成就することです。仏教の祖、釈迦は29歳で出城入山学道し、6年間の
難行苦行により、35歳菩提樹下で仏のさとりを開きました。
正確には仏はいまだこの地球の歴史上釈迦いがい現れておりません。
煩悩に穢れた凡人の我々には万劫の苦行を重ねても成仏は困難であると経典には
あります。
死人を仏をいうのは迷信、気休め、誤った浄土信仰のいうことです。
26ほぱー:2001/05/31(木) 19:57
ふぎゃあーごう。ケータイからみてた。浄土真宗分かって無いのが許せーん。
いったいぜんたいあんたらはこの世界を何だと思っているのか。
何人もの死に目に逢ってきたはずだ。この世界が!彼らの死んだ後の世界なんだよ。
「阿弥陀仏は、諸仏の総称なり」達磨太師の言葉だ。
何なんだよもう。
27ひと:2001/05/31(木) 20:05
あったらいいな。って願望しかないのが現実。
28ほぱー:2001/05/31(木) 22:24
それは私達の現実。頭の中から一歩もでないまま私らは一生を過ごすさ。全く妄想の世界だよ。山川草木台無しにしてるのが私らだ。知ってるだろう。
29名無し:2001/06/01(金) 02:24
お釈迦様は不可知論者だったからね。本当のところ死後の世界なんてわからんよね。でも死後に浄土にいけると信じて、気分が楽になるならそれでいいんでないの?宗教は人を救うためにあるんだし。
30ほぱー:2001/06/01(金) 13:12
釈尊はバラモン教から解脱したんだ。来世を頼まず、これを自分の最後の一生とする、としたんだ。自覚道と呼ばれる由縁だよ。
31ほぱー:2001/06/01(金) 15:12
浄土とは彼の人のそこに触れる所にある。流転するのが私らだが、釈尊は無自性空、自然法爾、因縁であると言った。
32ほぱー:2001/06/01(金) 15:54
29さんの言う救いってなんだろう。自分話だが、親父が死んで結構になる。自分は親父と実のある付き合いさせてもらって、
33ほぱー:2001/06/01(金) 16:08
その続きにいることがとても頼もしいんだ。あ、書きかけだけどちょっとでてくる。
34 :2001/06/01(金) 16:22
脳みそなんてちょっとした衝撃でキチガイになっちゃったり
するんだからしんじゃったら死後の世界もなにも意識の
こらんでしょー・・・。 
35ラララー:2001/06/05(火) 16:34
オカルト板の奴ら意見交換つーのもオモシロそうだな。
36名無しさん@1周年:2001/06/06(水) 03:00
死後の世界よりもまた新しく生まれ変わりたいな。
37道の人:2001/06/08(金) 18:21
生き物は死なない。死んだと思うのはまわりだけ。
38アム・ハーアーレツ:2001/06/08(金) 18:49
>>>1 有りません。
概ね >>34 の意見に同意します。

死ぬのが恐いあまり、屁理屈によって「しんでも生きている」
と思い込むための、理論をでっち上げた。と言うのが「私語の
世界」論の始まりです。
39道の人:2001/06/08(金) 23:47
道の人は、死者とコンタクトできるのです。頭で考えて分かる問題では
ありません。生き物は死なない。これだけです。
40ぽぱー:2001/06/09(土) 02:07
人が死んでその続きにいる、ってだけだ。過去と向きあえよ。コンタクトよりもっと価値ある出会いがある
41ぴぐもん:2001/06/11(月) 00:58
死んだら行く世界は、実在します。
死ぬということは、新しい世界への旅立ちでもあります。
どういう世界に旅立つかは、生前の行いによって変わってきます
善い事をしていれば、光きらめく天界に
悪いことばっかりしていれば、地下界に行くことになるでしょう
ようするに、どこに行くかは生前の行いで、ほぼ決まるのです。
42七瀬:2001/06/11(月) 01:32
で?
何も行ってない大阪の小学生達は何処へ行った?吐気がする程ロマンチックだねお前は。
43ぴぐもん:2001/06/11(月) 01:43
>>42 七瀬さん
別にロマンチックでもなんでもなく事実ですからね。
大阪の小学生たちは、私も大変、心が痛みます・・・・
純粋であるため、天界につれて行かれそこで、しばし休息した後、
新しい天界での教育を受けるでしょうね
44ピッキー:2001/06/11(月) 01:54
死んだらおしまいでしょ。
>41
 生前の良い行いって何?
45ぴぐもん:2001/06/11(月) 02:04
>>44
死んだらあなたが、別の存在になっていますそれは、肉体は滅んで
あなたの本体である、魂だけの存在になります。死んだらおしまい
だなんていう考えは改めるべきです。

生前のよい行いとは、人間誰しも間違いがあります。まずそれを
反省して行いを正することが、あなたにとって最高のよい行いです。
反省することによって、心が清くなり新たに成長するのです
それから、他人に対して思いやることです
46ピッキー:2001/06/11(月) 02:14
>45
・・・ありがとう・・
47ぴぐもん:2001/06/11(月) 02:15
>>45 の追加です。
人間は、生前は数々の、苦難を背負って生きているのがほとんどです。
そのようにして、磨かれ成長した魂は、別の世界で輝きを更に増すのです
苦労して生きている間だけではなく、その後があります。
確実に!!!
48太陽の法明:2001/06/11(月) 02:28
>>1へ幸福の科学出版の「太陽の法」でも読んでみて下さい。

初心者には丹波哲郎の本でもいいと思います。
49永遠の法明:2001/06/11(月) 02:36
48です。間違えた。
>>1へ幸福の科学出版の「永遠の法」でも読んで見て下さい。

>>25
正確には仏はいまだこの地球の歴史上釈迦いがい現れていません。

いえいえ現れています。今は東京に人間「大川隆法」として生まれられています。
50七瀬:2001/06/11(月) 03:26
転生したり生まれ変わったりしないものが仏様なんでしょ?みんなそれ聞いて笑わない?
51ツルゲーネフ2世:2001/06/11(月) 04:04
現在の歴史ある全ての諸宗教の設計者達(教祖とその取り巻き)は、今から
数千年前の時代から、既に神の不在を悟っています。

だからこそ、神を自分達の手で想像する必要があった。人間に希望を抱かせ、
秩序を植え付けるためにです。場合によっては、自分の命を賭してまで、
神話をつくりあげる必要もありました。

そして、現代においても「神の不在」は決して他言してはならない秘伝して、
現在も諸宗教の継承者に受け継がれています。恐らく、あなたがローマ法王
と2人きりになったところで、真実は教えてくれないでしょう。真実を告げ
ることで絶望を与えてしまわないこと。それが彼らの「義務」なのですから。

勿論、こうしたいわゆる「悟り」は、布教の最前線にいる門弟(僧、牧師ら)
にも秘密にされています。だから、彼らから何かを聞き出そうとしても、無
駄なのです。なぜなら、上記の理由により彼ら自身が「宗教の設計者」の
視点に立つ事のない「単なる上級信者」に過ぎないからです。

ただし、僧侶自らがこういった「悟り」を開いているケースもあります。
この場合でも、「他言無用」である事も同時に悟るわけですから、決して人
に話す事はあり得ません。むしろ、問答の場において自分の信奉する経典の
一文を取り上げて説明づけようとする布教者ほど、「悟り」を得ていないわけです。

世界の諸宗教は、異なる時代に、異なる場所で、異なる設計理念に基づいて
生み出された訳ですから、これらを矛盾無く結びつけることは、不可能です。
無論、この内のどれが正しいかを決めること自体、無意味です。
正しくは、「どれも真実でない。」だからです。

私は、生前のよい行いによって、天国に行けるなどという滑稽な考えは嫌いです。
こんな作り話は、レベルの低い人間や子供に吹聴するべきものです。
こういった話が宗教家の「やさしいウソ」であることに自分自身で気付く人間
が、もっと増えて欲しいものです。(殆どの人が気付いているはずですが。)

天国などといった見返りに期待することなく、人間としての美徳とは何かを見つけ出し、
それを貫ける人間になってください。

52>1:2001/06/11(月) 04:32
2ちゃんに書き込んでいる奴らは地獄が待ってるよ。
楽しみにしてナ。
53七瀬:2001/06/11(月) 08:51
死後の世界ある派もない派も精神的な成長を目的にしたがってるってことだな?
54真理システム:2001/06/11(月) 09:37

 諸法無我で、自分の存在範囲を、自分の肉体に限定するならば、

肉体上の死はある、と思う。
55名無しさん@1周年:2001/06/11(月) 09:56
とまぁ、そうとでも思わなければ不安でおちおち死ねないわなぁ。
56名無しさん@1周年:2001/06/11(月) 12:04

しかし、うちのばあさんやとおさん、不安で死んでいったようには
見えなかったな。周りの人間のほうがよっぽど不安でおちおちして
いたよ。
57ぴぐもん:2001/06/11(月) 19:45
>>51 ツルゲーネフさん
SF小説にすればおもしろいかもね

>>私は、生前のよい行いによって、天国に行けるなどという滑稽な考えは嫌いです。
>>こんな作り話は、レベルの低い人間や子供に吹聴するべきものです。
>>こういった話が宗教家の「やさしいウソ」であることに自分自身で気付く人間
>>が、もっと増えて欲しいものです。(殆どの人が気付いているはずですが。)

こういう、真実をねじ曲げるような人が増えるのもこまりもんですね。もっと
世の中の仕組みを深く考えればこのようなことを言うのもやめるでしょう。
人は、気が付けば存在していました。気がつけば、大地があり、太陽が有り月が有り
空気があり、水が有り、確率的に言えば、これだけのものがそろう確率は、
ほとんどゼロに近い確率でしょう。誰ががこれだけの仕組みを、作らない限りは
できないものでしょう!!作っただけでなく、正確に運行しているのも
不思議でしょう。ここまでくれば、霊界の存在をまた、全てをつくられた、
天地創造の神の存在を疑うのは、やめて素直に存在すると、
考えを改められるのを、願います。
58真理システム:2001/06/11(月) 19:56

ぴぐもん → 子供や老人、弱者向けの考え

ツルゲーネフ → 生命力にあふれた青年・中年向けの考え

 仏教は、老若男女すべての方々に対して、様々な教えを
説いているので、どの教えがただしいということはありません。

 説かれた人にとっては、その教えが正しいのです。
59ぴぐもん:2001/06/11(月) 21:22
>>58 仏教のようなわけのわからない教えは、老若男女全ての人に必要ないもの!!
誰が聞いてもわからないし、わからないから説法いなどという、ごまかしの
おとぎ話を作らなきゃいけない、お葬式のお経の分けわからないこと最悪
私は、そのお経を聞いても救われない霊がたくさんいることを
しっています。まあ、仏教はほとんどお金儲けの手段ですね
60いいもん:2001/06/11(月) 21:55
死後の世界は、あってもなくてもいい。
あるとして、地獄に行ってもかまわない。
僕は、今生きているし、死ぬまで頑張る。
家は、浄土真宗なので、死ねばこれで葬儀をするはず。
僕にとって大事なのは、今生きる事、死んだ後の事まで考えません。
今、生きていて、幸せになる。物質的にも、精神的にも幸せになる。
61七瀬:2001/06/12(火) 00:19
やっぱりぴぐもんさんロマンチストだわ。神はあんたの開き直りを望んだのか?
62ぴぐもん:2001/06/12(火) 00:30
>>61 七瀬さんへ
全部事実ですって、宗教があって、死後の世界があるわけじゃなく
普通に生活している、七瀬さんあなたのそばにも、霊がいて
いろいろなことにかかわってくるのですよ
63ツルゲーネフ2世:2001/06/12(火) 00:47
>>ぴぐもん

では、こういう説はどうかな? 百歩譲って『世の中の仕組みを深く』考えたとしましょう。
この空間と生物体系の創造主=あなた達の言う神は、綿密に計画した上で、数十億年前に現在の
システムを完成させし、そのまま深い眠りについている。
次に目覚めるのは、あと一千億年後かも知れない。勿論、アウシュビッツのユダヤ人達が、
泣き叫んで祈りを捧げようが、受験生が神社に百円玉を投げ込もうが、彼にはそんな事、
知ったことではないのだ。

システム想像の目的は、誰にも解らない。勿論、気まぐれかも知れない。断っておくが、私達人類が、
自然に触れ、キャンバスに美を感じ、人の温かみに感銘を受けることが出来るからといって、あなた
の言う創造主が現に目覚めていて、私達の一挙一動を愛をもって監視しているという根拠にはならない。

ならば、なぜ祈りを捧げるのですか?
貴方の信じる宗教が一番正しいと考える根拠は、一体どこにあるのですか。
教えが理解しやすく作られているからとか、葬式坊主が世襲制を引きずって腐敗しているのを
知っているからとか、そういうのが根拠なのですか?


「信じている人」に、こういった質問を投げかけること自体、無意味なのですが、聞いてみたくて。


>>真理システム

そう説明されると、私には返す言葉がない。仏教があなたの言うとおり本当にそこまで柔軟な思想ならば、
しょうがありませんね。私は別に仏教書をマトモに読んだことがある訳じゃないので、読んでから言えと
いえば、それまでなのですが。それを言い始めたら、世界中の経典に目を通さなければならない。
64ぴぐもん:2001/06/12(火) 01:27
>>63 ツルゲーネフさん
なぜに、天地創造の神が、寝られるのでしょうか?現実に
24時間1日も眠らずに、活動をおつづけられていられます

宗教は、あくまでも神に対し祈る心の状態を作るための
方法です、それに熟達してしまえば、もはや宗教の
形式にとらわれないで、神と心が一致することができます
65ツルゲーネフ2世:2001/06/12(火) 02:40
>>ぴぐもんさん

詰まるところ、天地創造を行えるような存在が、悪意など持っているはずが無く、
人間の面倒を見ない訳がない。いや、面倒を見ていて欲しい。そう信じたい。
人間のモラルから考えても、きっとそうに違いない。
そう考えないと、やりきれない。

ということですね。

(ああ、俺は何て意地の悪い奴なんだ。)
66名無しさん@1周年:2001/06/12(火) 08:59
設定マニアはガンヲタの専売特許だと思ってたが、その認識は甘かったようだ。
67名無しさん@1周年:2001/06/12(火) 12:10

霊の存在は主観でしょ。神仏も主観でしょ。
個人の主観か集団の主観かの違いはあるけどね。
人によっては、具体的な霊存在、具体的な神仏を
必要とする、ということですね。
68七瀬:2001/06/12(火) 13:23
ぴぐもんさん
神霊からは見守ってもらうだけにしようよ。あんたは神を慢心のタネに利用してるよ。
69七瀬:2001/06/12(火) 16:49
例えば、ぴぐもんさんが大阪の事件の遺族の所へ行き・今までのような話をして、偶然他宗派だった遺族にぶっとばされるとする。神霊同士は喧嘩しないとあんたは他スレで言ってたが、じゃあ誰のせいでそうなるんだと思う?
70w:2001/06/12(火) 20:38
ぴぐ門面白いのでage
71ZZ・・・:2001/06/12(火) 23:39

「死後の世界は有る」と、すべての人が納得する根拠は無い。
「死後の世界は無い」という根拠は、全く無い。
72信徒:2001/06/13(水) 00:21
>>71
たしかに我々にわかるわけない。
だからひけらかすような理屈をこねてもしゃぁないな。
俺は浄土真宗。
でも、浄土の世界は見たことないから知らん。
ただ、「あるんやろなぁ・・」って思ってたら気持ちが
ええからそうしてる、以上。
73信徒:2001/06/13(水) 00:23
だから「南無阿弥陀仏」と唱えて
おまかせしてる。
74ぽぱー:2001/06/13(水) 00:38
>>71死後の世界が有るってのも無いってのも、仏法によれば間違った見方なんよ。
75ぴぐもん:2001/06/13(水) 00:39
>>69 七瀬さんへ
全ての結果は、人間の心思いで決まります。心には、欲望や、
ねたみなどがあるのは、ご承知のとおりで、人間界の衝突は
悪霊が加担することもありますが、ほぼ、人間同士が勝手に
やっていることであり、神霊は争いごとには、加担しません
76名無しさん@1周年:2001/06/13(水) 09:54
わたしはあなたのなかでいきています

あなたはわたしのなかでいきています

ひとはおたがいあいてのなかにいきています
77@∪@:2001/06/13(水) 15:30
>>74

死後の世界は無い = 断見(外道)

死後の世界は有る ⊃ 常見(外道)

仏教では、「断見」「常見」を否定している。
「縁起」や「因果応報」が正しいのならば、「死後の世界は有る」(ただし「常見」ではない!)
78ぽぱー:2001/06/13(水) 16:45
>>77さん
全くそのとおりですね、ご免なさい。自分の前スレとさえ矛盾してること言っちゃってました。
79七瀬:2001/06/13(水) 18:55
>>75うん…いじめて悪かった。とにかく神とかは口実にしちゃダメなものなんだと思う。ぴぐもんさんはそう思わん?
80ぴぐもん:2001/06/13(水) 19:51
>>79 七瀬さん 別にいじめられてるって思ってないんだけど(^−^)
事実神は実在するし、早く神の存在に、気づかれますように
ただし、カルト教団は危ないから、古くからある神社に、
参拝して拝まれるのが、一番いいですよ
81七瀬:2001/06/14(木) 11:37
>ぴぐもんさん、
神の存在云々は分かる。ただ、質問に答えてもらってないよね。
82ぴぐもん:2001/06/14(木) 20:55
>>81 七瀬さんへ
 そうですね、口実にすべきレベルのことではないと、思います
83七瀬:2001/06/14(木) 23:15
>>82ぴぐもんさん
答えてくれてありがと。
84名無しさん@1周年:2001/06/30(土) 23:55
ちらっとみてみたいね
85名無しさん@1周年:2001/07/20(金) 01:47
age
86ザクセン候の知人:2001/07/21(土) 00:23
あなたの現在の心境は、天国へいける心境でしょうか?
人のあらさがし、難癖をいつもしてるような人は
天上界へいけるわけがない。(君達、目つきも悪いよ)
87星川法明21:2001/07/21(土) 02:49
天国と地獄があります。
くわしくは幸福の科学出版「太陽の法」でも読んで見て下さい。
88死語の世界:2001/07/21(土) 11:49
89名無しさん@1周年:2001/07/28(土) 20:25





死後の世界など断じてありません
 
「そう言うおまえは経験したのか」
などのナンセンスないいわけも
断じてありえません。
90名無しさん@1周年:2001/07/28(土) 20:26
断じてりありません
91名無しさん@1周年:2001/07/28(土) 20:27
あるわけないでしょ?

ちょっと考えたら解ること


92名無しさん@1周年:2001/07/28(土) 20:28
人間死んだら
無むむのむ








93名無しさん@1周年:2001/07/28(土) 20:29
百円
94:2001/07/28(土) 20:34
95名無しさん@1周年:2001/07/28(土) 20:40
なに「真」て?(w
96名無しさん@1周年:2001/07/29(日) 02:36
なぜ人間が生まれたのか?
なぜ人間が生まれて今まで栄えて来れたのか?
そんなの偶然です。
人間はロマンチストなので偶然に起きた出来事を奇跡だと思う事で
自分達は特別だと確認したいだけです。
所詮人間は偶然の産物です。
そこいらの動物よりもちょっと脳みそがでかいだけです。
ちょっと適応力があっただけのことなのです。
神様を信じる方もそうじゃない方も、人間であれば同じです。
97変人:2001/07/29(日) 15:56
>>96
たしかにそうですね。
ルネッサンス以来、人間は慢心になりすぎました。
時間をかけて、生命継承を続けてきた。
それだけの事だと思うのです。  正解ですね。
98名無しさん@1周年:2001/07/29(日) 16:18
物理学では、エネルギー保存則から見て死後の世界はあり得ない。
逆にほとんどの宗教で死後の世界はあるとしている。
証拠のある物理学と証拠のない宗教。あなたはどちらを信じますか?
99名無しさん@1周年:2001/07/29(日) 16:23
>>物理学では、エネルギー保存則から見て死後の世界はあり得ない。
どうでもいいけど、エネルギー保存則からはわからんと思うぞ。

今年の夏は暑いから、気をつけてね。
(死後に世界があることにしたほうが、儲かるジャン)
100名無しさん@1周年 :2001/07/29(日) 16:53
実際に死後の世界があろうがなかろうが、
信じることは意味があると思う。
そういう意味で死後の世界の概念は必要だね。
101名無しさん@1周年:2001/07/29(日) 17:08
あんたら死後の世界を免罪符にして、現世の責任を逃れてるね。
そのうえ自分はいい死後の世界にいける=おれらは優れた人間、ときたもんだ。

死後の世界を想定してもいいけど、今ある生の価値をおとすのはやめてくれ。
102はしくれ:2001/07/29(日) 17:17
あります。しかし、皆さんの考えてるようなものではないです。
無意識領域への回帰とでもいいましょうか。
意識を持っているものは全て、無意識領域より密度が高い結節のような
ものだと考えて下さい。樹木はそういう意味では人間よりも密度が
薄い結節ですが、それだけ、いわゆる死の世界に近いのです。
瞑想や、ドラッグや臨死体験、その他で死後の世界を見たとかいう人が
いますが、彼らは全て人間の意識のまま理解しようとするから
分からなくなるのです。どちらにしても、死の世界を意識しながら
生きるというのは不健康だと思います。仏教を始め宗教的な理解や、
自分の体験、全ては恣意的な理解です。
死後の世界と相克をなす世界は現世だとでも思ってるのでしょうか。
現代社会には、2000年前の宗教が発生した時代よりも、あまりにも
多種、多様な思想体系、科学大系、学問体系があり、多角的に世界観を
なしてると思います。それをひとつの思想で理解しようというのはおこがま
しいと思います。
あと、>>98さん。
物理学と精神的世界の接点は不確定性理論だよ。突き詰めれば。
それから全ての学問には誤差があるんだよ。
もちろん宗教や哲学も宇宙は包容できない。
つまり、物理学と宗教はどちらも不完全なだけだということだと思う。
どちらも、信ずるに足らず。
だから、生きていることを信じればいいと思う。思考ではなく
痛みや食欲、感動、愛情、心の底からわき上がってくるものと
頭をバランスよく使いたいね。
103ZZ・・・:2001/08/03(金) 17:22

「死後の世界は有る」と、すべての人が納得する根拠は無い。
「死後の世界は無い」という根拠は、全く無い。
104名無しさん@1周年:2001/08/03(金) 19:22
人が亡くなると、仏教のどの宗派でも五七日、七七日とか一周忌とかの供養をしますよね。
死語の世界がなければ、必要ないのではないでしょうか。
105名無しさん@1周年:2001/08/03(金) 19:31
信じる信じないに関係なく
これは有ると言える。
しかし人間が空想するようなものではないと思う。
106あずみ:2001/08/03(金) 21:03
宗教が民衆からお金をふんだくるためのでっち上げ。

だまされないように....
107ひひ:2001/08/03(金) 21:19
君は、死んだことのない人が、死後の世界について語るのを
信じることが出来るかい?
108あずみ:2001/08/03(金) 21:30
できません。
109輪廻ちゃん:2001/08/05(日) 04:57
早く寝ちゃったら午前3時に目が覚めちゃって、「死後の世界」スレ読んでる私って?
養老孟司(解剖学者さんでユニクロのモデルもやった人ね)が前に面白いこと書いてた。
以下引用(大意)。

<誰かが私に「大霊界はあると思いますか」と聞く。私は「ある」と答える。
「ではどこにありますか」と聞かれるので、「頭の中にある」と答える。>

地獄も極楽も、天国も、たしかに私たちの頭の中のイメージであることは確実。
外界にそれが存在するかどうかは別としてもね。
ちょっと科学の本を読めば、地球四十億年の生命の成り立ちとか、もうずいぶん解明されているよ。
蝶もクジラも広い意味では同じであるとか、脳ができあがるまでの細胞の仕組みとか。

私は死後の生があってもなくてもかまわないんだけど、
証拠の無いものについて(あることも無いことも証明されていない)、
あると断定されるのは困る。それをファンタジーとして、文学や小説の形で語るなら
全然OKだけど、新宗教やニューエイジになったとたん、インチキ臭くなり、詐欺商売になる。
「ファンタジー」と「現実」の区別がつかなくなってる人が多いんじゃないかしら。
110輪廻ちゃん:2001/08/05(日) 05:00
今日は日曜だというのに、朝の9時からまた仕事。
さ、もういっぺん寝よ寝よ。
111名無しさん@1周年:2001/08/06(月) 23:08
age
112アンシャス:2001/08/08(水) 15:44
私は、死んだら体は無くなっても、
魂は新しい体で生まれ変わると思います。
こういうのなら、永遠に終わらないから、
宗教の考え方にも矛盾しないんじゃないかな。
113のり:2001/08/08(水) 15:46
>>112
私も同意。魂の存在は永遠だと思う。
では魂は何かって言われるとわからないけれど・・・。
114アンシャス:2001/08/08(水) 16:11
簡単に言えば、「こころ」だと思います。
そして体の無い魂が「幽霊」じゃないかな?
115のり:2001/08/08(水) 16:24
幽霊はいないような気がするな・・・。

アンシャスさんは輪廻転生信じてますか?
116アンシャス:2001/08/08(水) 18:34
輪廻転生って、なんでしょう。
もしかして「死んだら体は無くなっても、
魂は新しい体で生まれ変わる」と言うことでしょうか。
もしそうなら信じています。
117名無しさん@1周年:2001/08/09(木) 15:48
>「死んだら体は無くなっても、
>魂は新しい体で生まれ変わる」と言うことでしょうか。

私もそう思ってます。
そう考えるといろんなことが納得できるんですよね。
118名無しさん@1周年:2001/08/09(木) 15:51
みんな!いろいろと考えるのは、よそうぜ。
だって、死ねば分かることだよ。
そして、みんな必ずいつかは死ぬんだから、絶対に分かることなんだ。

だから、こんなこと考えることで貴重な人生の時間を使うなんて、もったいないよ。
119ZZ・・・:2001/08/09(木) 16:05
>>118

「死後の世界はない」と分かることは絶対にない。
120のり:2001/08/09(木) 16:32
>>119
ワラタ。でも納得。

>>118の「今を生きる」考え方は
前向きでいいですね。

私は世の中の不条理を考える時に、
いつも前世や来世の存在を考えます。
輪廻転生はあると思います。あると考えると
不条理と思うことも少しは納得できるので。
121アンシャス:2001/08/09(木) 19:13
じゃあ、私の前世って、どんな人
だったのかな。
こう考えたりするのも、いいよね。
122死後の世界って:2001/08/19(日) 23:20
死後の世界って言うけど、自分の死体見て、空飛んでも、自意識があったら、
そりは生きてるって言わないのでしょうか?
123名無しさん@1周年:2001/08/23(木) 16:18
揚げ
124むもん:2001/08/23(木) 17:08

お釈迦様はこの世界を「幻覚の世界」と言っているのですよ。
物理学? これは幻覚の中の法則の研究です。

天界や地獄界など他の世界はこの世にあるのではなく、この世の幻覚の外にあるのです。
天界や地獄界も幻覚だから実在するとは云えない。

だから「断見」でも「常見」でもないのです。
あなたはこの地上世界の夢から覚め(死に)、次はどこの幻覚を見るのかな。
死ぬと魂が飛んでいって人の身体に入るのではなく、地上の幻覚が始まるわけ。
125名無しさん@1周年:2001/08/23(木) 17:17
輪廻がないなら
障害児も救われないよなぁ(殺してあげたほうがよい気がする)
その人を世話する人も時間の無駄になりかねん。
126百太郎:2001/08/23(木) 17:28
霊の存在は確実にある。
うちの仲人さんちの娘さんに色々な霊が寄ってくるんで大変ですよ。
家族に迷惑かけるから家に入らないこともあって、外の洗濯機のあるところで夜を明かしたりしてました。
やけどした霊が訴えてくると、手が真っ赤に腫れあがってやけどしたような感じになる。
それと、除霊するときは部屋にガムテープで目張りをして線香を72本焚くと、数秒でお線香が全部煙と灰になるんです。
霊が体に入ってるときはセキこまないんです、煙だらけになってるのに。

霊が体に入ると目が少し吊り上がってますね。100キロ近くある男を投げたときには人間じゃないって感じた。
127名無しさん@1周年:2001/08/23(木) 18:02
輪廻があるか、無いかなんてことは今は絶対に分からない。
逆に魂が無いという100%確実な証拠も存在しない。でも
人間は生きているだけで価値があると考えれば、どんな理論に
支えられて生きていても結局同じなんじゃないかなあ?死後に
意識があれば、いずれ分かる事だし、意識なんてなければ何も
分かりっこないんだから。そもそも「相対性理論」も「ビッグバン理論」も
永遠に変わらない完璧な理論だなんて誰も言えない訳でしょ?それは
死後の世界の理論と同じ。自分が生きやすいように生きればいいと思います。
128名無しさん@1周年:2001/08/23(木) 18:18
様は絶対的な真理は、今の証拠がある、なし関係なく宇宙が始まった時から
永遠に変わらない。ニュートンも立花隆も自分の研究なんて宇宙の真理の大海から見たら、
海の前に転がってる石を2,3個拾ったようなモノだと言っている。よく死後の世界は
人間が作り出した夢物語だと言うけど、科学だってそもそも人間がいなくちゃ
存在しないモノだし、人類が経験した現象に対しての一種の解釈だよ。これが
完璧な理論だなんて誰も言えない。今までの科学が全部ひっくり返るような
科学的法則が発見されるかもしれないし。地球が存在すると分かったのも、
人間がいるからだし・・・。死後の世界があるかないかなんて分からない事に
こだわってないで、今をちゃんと生きた方がいいと思う。その後に死後の世界が
付いてくるわけだし、死ねば誰にでも分かることなんだから。
129名無しさん@1周年:2001/08/23(木) 18:23
死ぬまでの、お楽しみってことで・・・。
130名無しさん@1周年:2001/08/23(木) 18:26
>>129
そうだね。
131名無しさん@1周年:2001/08/23(木) 19:39
>>127-130 拍手。

本来、宗教というのは、今生きている命を、しっかり生きろという呼びかけだと思う。
132名無しさん@1周年:2001/08/23(木) 23:37
疑問で〜す。今、自分が死んだとします。それを認識出来なければ、睡眠と一緒。
死んでいるのかただ寝ているのかわかりません。
次に死んだと認識できたとして、例えば自分の死体を見て霊界のような世界にいる
自分を認識した場合。自分がいて、肉体は無くても霊体もしくは意識体はあるわけ
だから、そりは生きていると言わないのだろうか?その世界で、今度は霊体もしくは
意識体は死ぬだろうか?と考え始めて堂々めぐり。
死を経験するって本当は出来ないのでは?
133名無しさん:2001/08/24(金) 00:04
死んでからの事は死んでから考えればいいんじゃない?
今は生きてるんだから、これから生きいくことを考えた方がいいと思う。
134名無しさん@1周年:2001/08/24(金) 00:08
>>132
死んでいないんだから、死ぬまでは死を経験することはできない。
135名無し:2001/08/24(金) 00:09
別に死んで永遠に無になってもいいじゃん。
無だから別に恐怖感とか感じないわけだし。
それよりも生きている今の方が大事だって!
それに、いずれはみんな死ぬわけだから死は生の反対というか
生の延長だから怖がることは別にない。
飯食ったり、夜寝たりするのが怖いって言ってるようなもんだよ・・・
136変人:2001/08/24(金) 00:21
>>132
いいことに気がつきましたね。正解です。
自分が生まれる前のことを思い出せば簡単に解ること。
全く意識はありません。
このことが全てを実証しています。
う〜ん。どうしてそれに気がつかなかったんだろうか?
目から鱗が落ちました。
137名無しさん@1周年:2001/08/24(金) 00:36
あの〜前世の記憶は自分がこんなことをしてきたのかっていうことが、わかってとても恥ずかしいものだからから消してあると仰ってますよ。
138そう:2001/08/24(金) 00:44
その名は天理教の阿呆がでばってくるこの時間帯で
ばか変態欲情熟女のババセン
139名無しさん@1周年:2001/08/24(金) 00:46
前世があってその記憶が消されている場合、端的に言うとおもらしして
非常に恥ずかしかった記憶は未来永劫消えないのでしょうか?また、前世で
人殺しをして反省したにも関わらず、また殺したら元の木阿弥ではないでしょうか?
結局、羞恥心や罪の意識から逃れられずあの世とやらは地獄のように見えますが?
140名無しさん@1周年:2001/08/24(金) 00:48
やっぱり障害児は浮かばれないよなぁ〜
141変人:2001/08/24(金) 01:19
前世の記憶が無い。ということは、全く霊体は存在しないということです。
よくよく考えればそういうことです。
言葉のまやかしというのでしょうか、あまりに人間に都合の良いように
解釈してますね。
う〜ん。それとも意識があるが記憶が無い・・それも馬鹿げてる。
すこし藁ってしまいます。
142無学の通り人:2001/08/24(金) 20:35
 「死後の世界」
 渡辺 照宏 /著
 岩波新書 /刊
 を、読むと、世界各国・・・・宗教での死後の世界
が説かれているけれどね。
 みんなバラバラで、よくは分からない。
 それに、「死後」の世界は生きている人のものでしかない。
 当たり前だけれどね。
143名無しさん@1周年:2001/08/25(土) 06:30
輪廻があってそれで前世があるという事なら
魂は一つのシステム、一つ一つのパーツを動かす
コントローラー、記憶は脳にあるので
魂は記憶を受け継げない。
とか言ってみたり。
144名無しさん@1周年:2001/08/25(土) 07:17
>>143
言ってみたかっただけ?
145むもん:2001/08/25(土) 10:36
>>143
>>記憶は脳にあるので
>>魂は記憶を受け継げない。

ひょっとして、記憶は脳にあるのではなく、魂の方にあるのでは?
146名無しさん@1周年:2001/08/25(土) 13:21
>>145
よく魂・霊魂って言われるけど、どういう存在をイメージしているのですか?
147むもん:2001/08/25(土) 15:13
>>146
イメージですか?

例えばこの世界が私の夢だとします。私は夢の中の肉体を自分だと
錯覚しているわけです。
この場合どこかで眠っているのが私の霊魂と云うことになります。

夢の中などに脳は無いので、記憶は夢を見ている霊魂側に
あるのではないかと・・・。
148(・・):2001/08/25(土) 15:25
>>147
なるほど。本当かどうかは別として、考え方としてはすごく面白い。
コペルニクス的展開、というやつだな。
149変人:2001/08/25(土) 16:55
>>147
こういう考えって危ないとおもうのですが・・自分の存在が透明とか?
酒鬼薔薇くんと同じようなことを言ってますけど、最近多いような気がします。
こういう考えの人。その発想はどういうところからくるのか興味があります。
150名無しさん@1周年:2001/08/25(土) 17:05
>>147
目覚めた悟りの世界に対して、迷いの世界を夢をむさぼっている世界
というたとえがされるようですけど、そういうことではありませんよね。
今のこの世の自分は、本当の自分ではない、自分はもっとすごい人間なんだ
言ってみればこういう世界ですか?
151変人:2001/08/25(土) 18:03
150さんの問いには147さんが答えるとして・・
たとえば「自分探しの旅に行く」と言う言い方をしますが、こういった表現というのは
むもんさんに近いと思うんですね。つまり発想の基軸が自分の外にある。
自分の存在がどうも明確でない。そう考える若い方が、最近増えているような気がするのですが。
152むもん:2001/08/26 06:52
>>150

その通りだと思います。人間は世界を造る事が出来る程偉大なのです。
153名無しさん@1周年:2001/08/26 06:54
突然ですが質問です。
死んだら、先に死んだ人に会えるのですか?
154意識と脳は別:2001/08/26 07:55

『死後の世界が教える「人生はなんのためにあるのか」』(マイケル・ニュートン著 VOICE刊)
『死後の世界を知ると、人生は深く癒される』(同上、続編)

この2冊が今のところベスト。

下記のサイトの臨死体験事例集も資料として興味深い。

    http://www.geocities.co.jp/NatureLand/1702/
155名無しさん@1周年:01/08/26 11:29
霊魂は夢を見るのでしょうか?
もしかしたら、みないのでは?
霊魂が眠るとはおもえないのですが。
156むもん:01/08/27 07:02 ID:q9y4FALk

>>例えばこの世界が私の夢だとします。私は夢の中の肉体を自分だと
>>錯覚しているわけです。
>>この場合どこかで眠っているのが私の霊魂と云うことになります。

面白いことに、このイメージの通だとするなら、仏法の難解な「空」
「因果」「無我」「輪廻」の意味が非常に簡単に理解できるんですよね。

空=夢だから当然世界は無い。有るとするなら「因果」によって起きる。
因果=悪いことをした者は、悪夢を見るのは当然。
無我=夢の中には自分は存在しない。
輪廻=当然明日の夢もある。

ね、仏教がめちゃめちゃ簡単なものになってしまったよね。
157名無しさん@1周年:01/08/27 09:07 ID:4DFRhWXU
オウムの方がおりますね。
マインドコントロールにはまらないように気をつけましょう。
それを承知で議論を展開するには、さして問題ではないのですが・・
158むもん:01/08/27 19:08 ID:fCvqpirQ
>>157
オームじゃないよ。
オームってこんなこと云ってるのか〜。
159変人:01/08/27 20:00 ID:4wOlSsG2
>>158
幼児期(空想と現実があいまいな時期)そんなことを空想します。
大人になりますと、そういうことはだんだん忘れてくるのですが、この世が実在しない、
ということはいいとして、霊魂は覚醒しないのでしょうか?
もし覚醒したら、どういう展開になるんでしょうか?実在する世界があるのでしょうか?
160名無しさん@1周年:01/08/28 05:49 ID:HczQuzdY
>>154
亀レスでスンマソ。
ヴォイスから出ているこの2冊は確かに死後の世界関係では一番面白かった。
「前世療法」という本も読んだことあるけど、マイケル・ニュートンの本の方が
体系的によく纏められていると思う。内容の真偽は別としても、資料的価値は高い。
161むもん:01/08/28 09:21 ID:ANZ73auQ
>>159

まさにその通りで、幼児期は唯物論的な思考に毒されておらず、思考範囲は広いのです。
しかし、成人して外界の物理的現象(夢の中の法則)に囚われ発想は貧弱とりいわゆる
「思考範囲の限定」と云う状態へと進んで行くのです。
こう云うことは色々な聖典に時々表れているようです。イエスの言葉の「天の国の人た
ちは、みな幼児のようである」というのもこのことではないでしょうか。

「霊魂の覚醒」こそ求道者の求める唯一の目的と云えるでしょう。霊魂の覚醒のレベルによ
って下層天界から上層天界に目覚めるということは仏陀の説くところです。もし、完全なる
覚醒に成功するなら、それは無餘涅槃と呼ばれ、真の解脱を成就したことになります。
しかし、求道者はの多くは目的をこの世すなわち、幻覚の中に求めているため永遠に霊魂の
覚醒はあり得ないでしょう。
162変人:01/08/28 10:28 ID:UQ47lOLY
>>161
実在は霊魂のみといいますと、覚醒しましても再び夢の世界に在るわけですから
霊魂の「一人遊び」ということになりますね。
それとも、上層天界というのは実在するものなのでしょうか?
もし実在するとなれば、三次元世界のほかに別の世界が在ると考えざるをえないが?
163むもん:01/08/28 16:58 ID:DYswFAlM
>>162

もしこの世を『霊魂の一人遊びである』と完全に悟ることが出来れば、それは「霊魂
の覚醒」であり、無餘涅槃、解脱ですね。これを理解した人間はこの世に対する愛着
が完全に無くなっているはずですよね。
この世界が夢の世界の一つであるという観点に立てば、他の夢は無数にあるので世界
も無数にあることになりますよね。
霊魂そのものは永遠不滅ですから、上層の天界ほど夢は薄くなり寿命も桁違いに永く
なるようですね。これは阿含経のような経典を参考にしなければなりません。阿含経
では世界は欲界、色界、無色界の三つに分けて考えられているようです。
164名無しさん@1周年:01/08/28 17:37 ID:jgW6.vAc
>>163
よく解りました。「我おもう故に我あり」。我とは霊魂なり。
この世界は三つに分けられ、すべて我に内在する。
この世に実在するものは、「我」ただひとつなり・・と、こういうわけですね。
 
165ななちい:01/08/28 19:27 ID:m8ms2Sbs
前世、現世、来世等に
コンピュータなんかは、関係有りますか?
166むもん:01/08/29 07:37 ID:DJAm03Mo
>>164
よくぞまとめて下さいました。
そうです。『天上天下、唯我独尊』ですね。
167変人:01/08/29 08:30 ID:3lJE41bM
むもんさん
164のスレは私です。ネームが消えておりましてスマソ。
イヤーおそれいりやの鬼子母神。正直いって驚きです。
まあ勉強させていただきました。
168名無しさん@1周年:01/08/29 09:45 ID:BVCKu29k
>>164 >>166
ちょっと自己流の解釈なんじゃないかなぁ?
天上天下唯我独尊
「世間において私が最も勝れたものである。」
生れたばかりの釈尊が7歩あるいて右手をあげ、この句を述べたといわれている。
「唯我独尊」は、ひとりよがりのうぬぼれという悪い意味に使われるようにもなった。
169変人:01/08/29 13:57 ID:geJSP8Iw
連続幼女殺害犯、宮崎 勉も犯行時「夢の中の出来事のよーだった」と言ってましたね。
でも、殺害状況の説明になりますと、非常にリアリティーな事を言っております。
「おもいっきり首をしめたがなかなか死なないので、もっと力をこめたらやっと死んだ」

むもんさんの考えですと、こういう人間も出てくるわけで、非常に危険だと思うのですが・・
もしや、オウムもこれに近い考えを持っているのではないか、
そうだとすると、一連の事件も理論的には合致する。
むもんさんがオウムだと言っている訳ではないので・・そこのところ誤解のないように。
170極楽さん:01/08/29 14:51 ID:JZi6W6Cg
「臨死体験」は、生き返ることを前提とした脳の反応だと思います。
「悟り」の世界も、人間の脳細胞が創り出したものにすぎない。
魂の存在がある、と仮定します。
死後、脳の活動は停止するわけですから、魂は、生前の記憶や性格とは
無関係な存在です。もし、魂に思考能力があるのならば、
肉体を持った私達にとって、現世では想像もつかないような言語化不可能な
世界が広がっているはず。
そうであってほしいと願います。
171名無しさん@1周年:01/08/29 15:28 ID:/KhpTkz6
>>169
その通りだと思います。要は科学にしろ宗教にしろ、
使い方を間違えると、とんでもないことになります。
そういう所をどうするかでしょうね。

>>170
僕も「魂」や「神」の存在を、科学的というか、人間の
技術でその全てを明らかにするのは不可能だと思うのです。
魂があると仮定しても、今解かってることなんてほんの
「氷山の一部」なのではないでしょうか?まあ、これは
科学や医学にも当てはまることなんでしょうが・・・。
172変人:01/08/29 15:46 ID:dnZrxBkw
>171
人間の解っていることは、ほんの一部ですよ。その謙虚さが実は一番大切なことなんですけど。
人間、どうしても慢心になりやすい。
173名無しさん@1周年:01/08/29 16:17 ID:/KhpTkz6
>>172
そうなんですよね。というか、もしこの世のありとあらゆるモノの
全てが解かってしまったら、つまらないというか・・・。解からないモノを
解かろうとする行動にこそ意味があるというか。上手く言えないんですけど、
死後の世界がある、無し関わらず、人生を終えるまでに何をするかが大事だと
思うんです。そして、死後の世界があるとしても「もう何も思い残すことはない」と
満足して死ねる人が一番幸せなのではないでしょうか?もし「神」が存在するのなら、
人間に一番そういう生き方を求めていると思うのですが・・・。
174名無しさん@1周年:01/08/29 18:03 ID:ROoVeYFY
>>173
賛成
175変人:01/08/30 20:17 ID:U6C41yns
>173
う〜ん。これはすごい。私の考えはすべてこのスレに集約されているというべきか・・。
自然体。これが人間にとって幸福の根本原理なのか。他に求むる事なかれ、帰結するところ自然体なり。
まあそういうことなんでせうか。
ちなみに最近オウムは、高野山の金剛乗を立てポアはokになったそうです。オーコヮ。
176名無しさん@1周年:01/08/30 20:34 ID:3aTGCImE
>>173
>人生を終えるまでに何をするかが大事

で、何をするべきなのですか?

>「もう何も思い残すことはない」と満足して死ねる

そのためには、どうするべきなのですか?
どうしたら、「もう何も思い残すことはない」と本当に満足して死ねるのですか?
177名無しさん@1周年:01/08/30 21:02 ID:ri5IcIak
>>176
う〜ん・・・。それは自分で見つけるしかないのではないでしょうか?
すいません、こんな抽象的な答えしか見つかりません。とにかくやりたい事を
やってみるしかないのではないでしょうか?答えを急ぎすぎてはいけないと
思うのですが・・・。
178名無しさん@1周年:01/08/30 21:13 ID:xGjnijUs
179名無しさん@1周年:01/08/30 21:55 ID:3WDrZAkU
>>177
>答えを急ぎすぎてはいけないと思うのですが・・・。

この世の命には、限りが有ります。
明日も生きていられるという保証は全くありません。

答えを急ぎすぎてはいけないと私も思いますが、
そんなにゆっくりもしてはいられません。

のんびり探しているうちに、気付いた時には、もう時間切れとなってしまいますよ。
180名無しさん@1周年:01/08/30 22:23 ID:6h5tBk1M



         それは愛です
181むもん:01/09/01 10:38 ID:NcA6To5M
今を一生懸命に生きればいい。死後の世界があってもなくても、
今生きることには影響がない。というご意見が多いようですが。

私は死後のあるなしは今の生き方に大きな影響を与えると思いますよ。
例えば地獄があると思えば悪いことはやめようと思うだろうし、
天国があると思えば善いことをしておこうと考えるのでは?
182ま〜も:01/09/01 11:36 ID:x3U3zfdQ
むもんさんに1票。
183名無しさん@1周年:01/09/01 11:39 ID:/zjvhWBY
>>181
しかしそれが強調されると、悪いことをせずに善いことをしておこうと考えるのではなく、
特別な秘儀や秘伝で、死後自分たちだけが特別ないいところへ行こうとしたり、
先祖を少しでもいいところへ押し上げてやろうという追善供養が流行ったりする。
184むもん:01/09/02 11:10 ID:tnjWb0UI
>>183

そうならないためにも仏法をしっかり勉強しなくてはね。
185むもん:01/09/03 07:32 ID:cHvwIfkc
阿含経には地獄界や天界の様子が説かれています。
天界では、
食べるということはない。
したがって、大小便はない。
身体に内臓など不浄物はない。
太陽も月も星もなく自分自身が光り輝いている。
天女はいるが情欲はない。
身体は宙に浮いている。
天界では死を知らない。
186名無しさん@1周年:01/09/04 01:04 ID:yQVuO65w
「生きる」と「死ぬ」は反意語ではないですよね

生まれる  生きる   死ぬ 
  ★−−−−−−−−★−−−−−−−−

だとしたら「生きる」の反意語はなんでしょうか
187むもん:01/09/04 07:24 ID:RN7riI4I
『生まれる』と『死ぬ』が反意語では?
188変人:01/09/04 08:32 ID:GMIdwgTw
>186
よくそこに気がつきましたね。実はもっとも大切なことですよね。今後の議論が楽しみです。
189名無しさん@1周年:01/09/04 09:07 ID:1uUmwk2k
死後の世界の話ですよね?
仏教や他の宗教であれ何かを信じている人は救われるのです予ね。
死後の世界、たとえば天国や地獄は別に死んだ人の為にあるので
はないと思いますよ。
まして宗教は今生きる人の為に存在するのですよね?
つまりのところ死後の世界も今生きる人の為にあるんだ。
例えば自分の親が死んだ場合に残った人達は親が天国に行ったんだ
という事を考えるか、もしくは心のどこかで思うだけでも
少し楽になる事もありますよね?そういう民間信仰の1つの装置です。
生きている人がいるからこそ機能するのです。
信じるからこそ救われるのですから。
190むもん:01/09/04 12:49 ID:SNtrFTs.
>>186
輪廻するもの即ち霊魂は無始の昔より生き通しであるから、「生きる」の反意語は
ありませんね。輪廻して、あの世この世で生まれたり死んだりするので、「生まれる」
「死ぬ」が反意語となるのでは?
191186:01/09/04 15:00 ID:UVwLgr82
「生まれる」と「死ぬ」が反意語となるのは納得できますが、「生きる」の反意語がないということには納得がいきません。
霊魂が死ぬことはないのですか?また、世界の人口は増えつづけていますが、霊魂が増えているということですか?
192むもん:01/09/04 19:58 ID:Al3UpBrk
>>191
霊魂が死ぬことはありません。だから仏は人間は無限に輪廻し続けていると云って
いるのです。霊魂が増えるのではなく人間に輪廻する者が増加していると云うこと
です。
193名無しさん@1周年:01/09/04 21:45 ID:5StBgoQw
>>むもんさん
霊魂が死ぬことはない、と断言できる根拠はなんですか?
まず、霊魂の存在が証明できません。
宗教が妄想の産物だとしたら、「死」の瞬間と同時に全ては消滅するのかも
しれません。
194名無しさん@1周年:01/09/05 00:05 ID:BdWBnTmo
地上で動植物が減少する一方、人間が増えているということは、霊魂の絶対数は変化していないと捉えていいんでしょうか
195むもん:01/09/05 05:06 ID:SVxMuZ2Y
>>193
証拠と言うのは本来無いのです。証拠だと思っている物理的な証拠でさえ無いのです。
また、この世が存在するという証拠さえないのです。勿論自分自身が存在する証拠も
無いのですね。
それはね、私が昨日の夜、生まれる夢を見て、死ぬ夢を見て目を覚ますようなもので、
ああ一生の夢だったのか。と目が覚めてから布団の中で気がつくようなものなのです。
夢の中の一生は一晩ですが、布団の中の現実的な自分は、夢の中の一生より桁違いに
永いなあと思うようなものです。

すなわち、始めと終わりがあるものはすべて、幻想によって出来ているのです。逆に
幻想で出来ていないものは始めも終わりもないということになるのです。
釈迦はこれを「無常なるものは苦なり、苦なるものは空なり、空なるものは非我なり」
と云っているのです。
196むもん:01/09/05 05:09 ID:SVxMuZ2Y
>>194
霊魂が動物の夢を見ることもあるのです。釈迦はこれを「畜生界に生まれる」と云って
います。
197名無しさん@1周年:01/09/05 06:45 ID:ANITIL/6
むもんさん、出来れば今すぐこれ見てください。お願いします。
http://mentai.2ch.net/test/read.cgi?bbs=psy&key=999633651
198名無しさん@1周年:01/09/05 18:56 ID:x3XtNgWI
全部まとめて「ソウカモネ。」
199黒海老:01/09/05 19:01 ID:gkvI0BPk
釈迦は人間が最も執着するものである『我』という執着からも解脱する事を説きました。
永遠の『我』があって欲しい、と思っているうちは『我』という執着から脱する事は出来ないでしょう。
ちなみに最初期の仏教には『欲界』『色界』『無色界』の三界説はありません。
200名無しさん@1周年:01/09/05 19:09 ID:abyqtdMA
「今死んでもいい」と言えることが幸せなのです。
201名無しさん@1周年:01/09/05 19:22 ID:i/LaqLzk
>>200
あなたは、「今死んでもいい」と言えますか?

「今死んでもいい」と言えるようになるには、どうしたら良いのですか? どうすべきなのですか?
202名無しさん@1周年:01/09/05 21:18 ID:uS9vcDcU
何もかも捨てて、最低の存在になるのです!
203名無しさん@1周年:01/09/05 23:58 ID:FOAAVjA.
最低だからこそ最高が見える、ってか。
僕もそー思いまーす。
「死ぬ」とか「生きる」とかって少し大げさじゃなーい。
息するの忘れなければ、そー簡単に死なないみたいね。
204むもん:01/09/06 07:34 ID:kY.mVF3o
>>199
>>ちなみに最初期の仏教には『欲界』『色界』『無色界』の三界説はありません。

最初期の仏教とはどんな経典のことをおっしゃっているのですか。
「阿含経」のことでしたら、『欲界』『色界』『無色界』のことははっきりと
説かれていますよ。

>>200
>>「今死んでもいい」と言えることが幸せなのです。

まったくその通りだと思います。解脱者はそのように思えるようになるのです。
阿含経の教えは「無常・苦・空・非我」の観察が中心となっています。
これを観察することによって、「死の恐怖」が無くなるのです。
死の恐怖が無くなるということは一切の苦が無くなることなのです。
205名無しさん@1周年:01/09/06 15:57 ID:Igj0GLQw
仏教以外では?
206黒海老:01/09/06 16:58 ID:1S3P2BU2
>>204
『スッタニパータ』『ダンマパダ』には『欲界』『色界』『無色界』という言葉は出てきません。
阿含経が成立したのは釈迦入滅からかなり後の時代(第三の段階)です。>>207どっちが偉いスレpart1から
一口に阿含経と言いましてもその量は膨大ですし、その中には古い部分、新しい部分があります。
どの経のどこに書いてあったのかを上げてもらえませんか?
207黒海老:01/09/06 16:59 ID:1S3P2BU2
いま聖典成立史上における位置づけを示すと、次のようになる。
一、歴史的人物としてゴータマ・ブッダ(釈迦)の逝去(北方の伝説によると、西紀前三八三年頃になる)ののちに、
仏弟子たちはその教えの内容を簡素なかたちでまとめ、あるいは韻文の詩のかたちで表現した。
いずれにしても暗誦の便をはかったものである。ことに教えの内容がひとたび詩の形でまとめられると、そのまま、
大した変更も加えられることなしに、後世に伝えられた。
多数の詩のうちには、あるいはゴータマ・ブッダ自身がつくったものも含まれているのではないか、と考えられる。
最初は古マガダ語あるいはマガダ語の影響の強い俗語(東部インド語)の一種で唱えられていたのであろうが、
ある時期にそれがパーリ語に書きかえられて、現在では、パーリ語聖典のうちに伝えられている。
しかしマガダ語の影響を完全に消し去ることはできないので、その痕跡をとどめている。
こういう詩あるいは短い文句の集成がいくつも伝わっているが、「ダンマパダ(法句経)」もその一つである。
これらの詩あるいは短い文句はだいたいアショーカ王(西紀前約二六八―二三二年)以前に成立したものである。
それらの集成のうちでも『スッタニパータ』は特に古く成立したものであり、それらの第四章(アッタカ・ヴァッガ)と
第五章(パーラヤナ・ヴァッガ)とは最も古く成立したと考えられる。最初のうちはこれらの各章が
別々に独立の経典として行われていたが、或る時期に一つの『スッタニパータ』にまとめられたのである。
>>208に続く
208黒海老:01/09/06 17:00 ID:1S3P2BU2
二(アショーカ王時代)、第二の段階として古くから伝えられた韻文あるいは短い文句に対して
種々の説明が付け加えられた。この努力はすでにアショーカ王以前から行われ、逐次継続された。
一般に原始仏教聖典の散文の部分は韻文の部分よりかなり遅れてつくられたと考えられている。
しかしそのうちにも古い伝承を含んでいることは否定できない。
これらの散文の部分もブッダ(釈迦)にかこつけて「仏説」として伝えられた。
三、第三の段階として「仏説」として伝えられていたものがすべて集成編集されて、ここに原始仏教聖典のうちの
「経蔵」(経典の部分)が成立した。パーリ語の経蔵は五つの部(ニカーヤ)に分かれている。
戒律の集成説明書である「律蔵」も相並んで成立した。
四、第四の段階として、マウリヤ王朝以後になると、仏教教団が細かな部派に分裂した。
これらはみな小乗仏教(大乗仏教の立場から見て)と呼ばれるものである。
小乗仏教の諸部派で経典の内容の説明・整理・注解を行い、諸異説に対して統一的解釈を与えるようになった。
これらが集められて「論蔵」を構成した。
論蔵は現在では、スリランカの上座部のものと説一切有部(主として漢訳)のものとが最も完全なかたちで伝わっている。
209むもん:01/09/06 18:28 ID:XR6XcHQ2
>>206
>>どの経のどこに書いてあったのかを上げてもらえませんか?

・三界経(雑阿含)
尊者阿難、瞿師羅の長者に告ぐるらく、『三界有り。云何が三なる。謂ゆる
欲界・色界・無色界なり』と。

・瞿曇彌経(中阿含)
次に阿難、三界を見、如真を知る。欲界・色界・無色界、阿難、この三界を
見、如真を知る。

長阿含には各世界の寿命など特に詳細に渡って解説されています。

・世紀経 刀利天品(長阿含)
仏は比丘に告げられた。
・欲界に十二種あり。
「地獄・畜生・餓鬼・人間・阿修羅・四天王・刀利天・焔摩天・兜率天・化楽天
・他化自在天・魔天なる。」
・色界に二十二種あり。
「梵身天・梵輔天・梵衆天・大梵天・光天・小光天・無量光天・光音天・浄天・
小浄天・無量浄天・遍浄天・厳飾天・小厳飾天・無量厳飾天・厳飾果実天・
無想天・無造天・無熱天・善見天・大善天・阿迦尼托天なる。」
・無色界に四種あり。
「空智天・識智天・無所有智天・有想無想智天なる。」

ここに説かれている世界三十八の世界が阿含経全体に説かれているので、三界は
阿含経全体に説かれていると考えてもいいのではないでしょうか。
210黒海老:01/09/06 21:06
中村元氏は「三界説、六欲天説は後代の創作であろう」と言っています。
211むもん:01/09/06 21:22
>>210
三界・六道の中の地獄界・畜生界・梵天界などは、
阿含経(雑阿含・中阿含・長阿含・増一)の全体に散らばって説かれているので、
阿含経全部が後代の創作と云うことになりますね。
地獄などは毎ページごとに説かれていますよ。
212黒海老:01/09/06 23:25
>>211
「阿含経全体が後代の創作のはずがない」というわけですね?
各経の中でも古い部分と新しい部分があるという事です。
雑阿含経のどこそこに『三界』と出ていたら、雑阿含経全体が後代の創作というわけではありません。
ちなみに『地獄』という観念は古くからあったようです。
『スッタニパータ』に地獄が説かれていますが、後代のように体系化されていません。
213むもん:01/09/07 06:51
>>212
雑阿含経には地獄の他に餓鬼・畜生も全体に散らばって説かれていますが、
この餓鬼・畜生の概念も古くからあったのですか?
すると当時三悪道はあったが、六悪道は後の創作というお考えで?
214むもん:01/09/07 21:23

阿含経の雑阿含・中阿含・長阿含・増一阿含を順番に通しで読むと実に見事に編纂されて
いることがわかります。
ちょうど小学校の一年生から順番に学問をわかりやすく最初から教え、徐々高学年になる
につれて高度な学問になり、ちょうど六年生ですべての基礎的学問が収得できるようにな
っているのと非常によく似た展開になっているのです。

まず、初歩として苦について思惟するようになぜ苦があるのかを説き、機が熟したら最も
大事な十二因縁の法則を説き、そして輪廻を説き、そのあたりから多くの比喩や実例など
を説き、そこで三十七菩提の修行法を説き、最後の長阿含では、色々な世界とそこの寿命
など世界のメカニズムを説いています。
増一はすこし内容が違い、全体の総まとめのような編纂になっいまます。したがって所々
で、雑阿含・中阿含・長阿含と重複するところが見られます。

そんなわけで、仏教学者の人たちが、この部分は昔、この部分は仏の涅槃何年後に作られ
たと云われるのは納得が出来ないのです。それはちょうど3年生の教材だけは学校設立何
年後に造られたというようなもので、阿含経のカリキュラムが壊れてしまうのです。
仏滅後何百年後に阿含経全体が造られたと云われるのであれば納得出来るのですが。
215黒海老:01/09/07 23:50
>>214
>通しで読むと実に見事に編纂されていることがわかります。

全体が見事に整合されていて、バラバラに成立したものとは思えないというわけですね?
それは>>207-208を見れば分かるように阿含経(の元の五つの経)は同時期に集成編集されたからでしょう。
それと地獄の件についてはしばらくお待ちください。
216黒海老:01/09/08 00:17
最初期の仏教(例えばスッタニパータ)で説かれている教えは単純なものです。
>>209のような、明らかに体系化された教えは後代のものでしょう。
一例

ウポーサタを行なった<ものごとの解った人>は、きよく澄んだ心で喜びながら、
翌朝早く食物と飲物とを適宜に修行僧の集いにわかち与えよ。
正しい法(に従って得た)財を以て母と父とを養え。正しい商売を行え。つとめ励んでこのように怠ることなく
暮らしている在家者は、(死後に)<みずから光を放つ>という名の神々のもとに逝く」
                          (スッタニパータ403、404『ダンミカ』)
「みずから光を放つ―六欲天全部の総称(パラマッタ・ジョーティカー)スッタニパータに対する後代の註釈」

中村元註釈「これは、後代の教学にもとづく解釈である。最初期には「みずから光を放つ」(sayampabha)
という神々を漠然と考えていただけである。ところが、後の、或る程度発展した教学体系では
六欲天を考え出したので、それらと同一視したのである。」

さらに、同じく『スッタニパータ』の『雪山に住む者』では、ウポーサタの際に守るべき事として
説かれている内容は雑然としたものです。

中村元註釈「以上においては、<これこれのことをしてはいけない>という教えが雑然と説かれている。
まだ体系化されていない。五戒や十善の体系ができる以前のものであることが解る。
…そこで説かれている諸徳のうち若干をとり上げ、それにさらに若干の戒めを付加して、
八際界の体系が成立したのであろう。」と言います。
217黒海老:01/09/10 00:38
地獄について

悪口を言いまた悪意を起して聖者をそしる者は、十万と三十六のニラッブダの[巨大な年数のあいだ]
また五つのアッブダの[巨大な年数のあいだ]地獄に赴く。

紅蓮地獄に運び去られた者(の寿命の年数)は、荷車につんだ胡麻の数ほどある、
と諸々の智者は計算した。すなわちそれは5千兆年とさらに1千万の千二百倍の年である。
                           (スッタニパータ660、677)
中村元註釈 660―この詩はサンユッタニカーヤにも出てくる。…
散文の部分では、「アッブダ」や「ニラッブダ」が地獄の名称とされているが、
詩句の中ではいずれも巨大な数を意味する。そのような個別的な地獄が存在するのではない
(パラマッタ・ジョーティカーp.476.477)。…
原意では、地獄はただ一つのものと考えていたらしい(古い詩句では天saggaも地獄narakaも単数で示されている)。
677―…この詩句の中では地獄の名称としては、紅蓮地獄が出てくる。この地獄の衆生(生き物)は、
寒苦のために肉がさけて血が流れ、そのさまは紅蓮のようであるので、この名がある。
のちのアビダルマ教義学の体系では八寒地獄のうちの第七とされた。
ところが本書の散文の部分では、他の諸地獄のことも考えて、それらの地獄が階層的に並べられている。…
ここでは、地獄の恐ろしさが次から次へと列挙されている。しかしまだ体系化されていない。
それを体系化したのは、アビダルマの教義学者達である。
そうしてそれを受けて、わが国では、特に源信僧都の『往生要集』によって地獄の観念が一般化するに至った。
218むもん:01/09/11 09:42
十二因縁についてですが。

無明=迷いの根本である無知。
行=無明からでてきて次の識をおこす働き。
識=受胎の初一念。
名色=母胎の中で心作用と身体が発育する位。
六入=眼耳鼻舌身意の六根がそろって母胎を母胎を出ようとする位。
触=2〜3才のころで苦楽を識別することなく、物に触れる位。
受=6〜7才のころから苦楽を識別して感受するようになる位。
愛=14〜15才以後種々の欲望があらわれて苦を避け楽を求めようとする位。
取=自分の欲するものに執着すること。
有=生存の意味で、愛・取とともに未来の果が定まる位。

苦=老死

黒海老さんもこのようにお考えで?
219:01/09/11 10:43
むもんさん、あなたは顕正会の方ですか。
以前、顕正会に入っている同級生から入会を勧められましたが、断りました。
その時もらった本から、十二因縁とか、似たような内容が書いてありました。
220:01/09/11 11:08
顕正会の人の話によりますと、
「仏法をやれば、幸福になり、成仏できる。但し、背けば死後無間地獄に落ちる。」
と言っていました。
221クロノ:01/09/11 11:12
「有想無想天の寿命は八万四千劫」
無色界の最高度の世界に寿命があるのは何故?
222名無しさん@1周年:01/09/11 12:06
>>221
迷界だから
223黒海老:01/09/11 17:16
>>218
>名色=母胎の中で心作用と身体が発育する位。

位とは何の事でしょうか?

私は十二因縁をこのように理解しています。

無明(無知)によって行(形成)がある。行によって識(分別)がある。
識によって名色(五蘊)がある。名色によって六処(目耳鼻舌身意)がある。
六処によって触(接触)がある。触によって受(感受)がある。
受によって愛(欲)がある。愛によって取(執着)がある。
取によって有(存在)がある。有によって生(生じる)がある。
生によって老死(苦)がある。

つまり、無明によって最終的に苦が生じると説明しているわけです。
実際に釈迦がこの様な(複雑に)持って回った言い方をしたかどうかは疑問ですが。
224むもん:01/09/11 17:31
>>223
やはり黒海老さんも十二因縁を218のようには考えておられないようですね。
私もあの解釈には賛成しかねるのです。
しかし、あの十二因縁の解釈は中村元氏監修の仏教辞典から抜粋したものですよ。

225黒海老:01/09/11 17:41
地獄について

凡夫は欲望と貪りとに執著しているが、眼ある人はそれを捨てて道を歩め。
この(世の)地獄を超えよ。(スッタニパータ706)

地獄―「地獄」というのは、この世の邪まな生活や、そのもととなる妄執をいうのである。
                       (パラマッタ・ジョーティカーp.494)
中村元註釈 ここには、<地獄とはこの世に見られるものである>という、恐ろしく現代的な、
また哲学的な解釈が、今から千六百年前のブッダゴーサによって表明されているのは、驚くべきことである。
そうして、右の詩から見ると、最初期の仏教でもそのように考えていたらしい。

上の詩では「地獄」という言葉を「苦しい生活(生存)」という意味で使っているのでしょう。
226黒海老:01/09/11 18:43
三悪道について

『スッタニパータ』の中の『宝』という章の231では「四つの悪い場所」という言葉が出てきます。

中村元註釈「四つの悪い場所―原語ではcatu apayaは「四悪趣」と漢訳される。
地獄、餓鬼、畜生、阿修羅をいう。普通は「地獄・餓鬼・畜生」を三悪道という。
ただし、註釈から見ると、ここでは四悪道を認めていたのではなくて、三悪道という境地と、
そのほかに阿修羅という特殊な生存者の身体を認めていたのである。」

と言います。
『宝』の章が出来たのは、やや後の時代だと思われますので、釈迦存命中に「三悪道」という
観念があったのかどうかは分かりませんが、かなり古い時代からあった事が分かります。
227むもん:01/09/11 21:01

で、黒海老さんは現在に於いて地獄界は無いと思っておられるので?
228黒海老:01/09/11 23:08
現在に於いてとは、どんな意味でしょうか?
昔は有ったけれど現在は無い、という意味ですか?
私個人としては無いだろうと思っていますが。
229むもん:01/09/12 06:25
では黒海老 さんは仏教は信じていないので?
230黒海老:01/09/12 13:04
>>229
いえいえ、私は仏教を哲学として受け取っています。
それこそ、あの世が有っても無くても仏教は有効ですから。
それに、絶対無いとは言えないわけですし。
231むもん:01/09/12 13:46

もし地獄がないとお考えであれば。
地獄がなければ天界も無く、天界がなければ輪廻が無く、輪廻がなければ
解脱もなく、解脱が無ければ三十七菩提も必要なし。
これじゃあ、哲学にもなりませんぜ。
232名無しさん@1周年:01/09/12 15:35
ああいえばこういう。
233名無しさん@1周年:01/09/12 16:01
退行催眠でよみがえる前世記憶ってたいがい人間界なんだよな。
あとその場合、水恐怖症とかいう症状もその前世に水で死んだとか人間界の苦しみが
トラウマになってるのがほとんどで、地獄の苦しみがトラウマになっているという話は一度も
きいたことない。まぁ退行催眠法の記憶なんて脳が勝手に生み出した幻想といえばそれまでだが。
234むもん:01/09/12 19:13
>>233
しかしですね。その前世の記憶ってのが、千年以上も前のことが多いんですね。
その間の千年間は何処にいたのでしょうか。
ちなみに地獄の寿命は千年です。
235名無しさん@1周年:01/09/12 19:39
>その前世の記憶ってのが、千年以上も前のことが多いんですね。
そんなことはないぞ。そういいきるソースはなに?
この手で有名なブライアン・L・ワイスの治療経験が事実なら、ほとんど1000年未満だよ。
236黒海老:01/09/12 20:30
>>231
来世が無くても、今ここに『苦』があるわけで、その『苦』を克服する事は出来るわけですから。
237黒海老:01/09/12 20:37
「マールンキャプッタよ、人間は死後も存在するという考え方があ
ってはじめて人は修行生活が可能である、ということはない。また
人間は死後存在しないという考え方があってはじめて人は修行生活
が可能である、ということもない。マールンキャプッタよ、人間は
死後も存在するという考え方があろうと、人間は死後存在しないと
いう考え方があろうと、まさに、生老病死はあり、悲嘆苦憂悩はあ
る。現実にそれらを征服することをわたしは教えるのである。」
                       (中部経典:毒箭経)
「ヴァッチャよ、[世界は常住かどうか、霊魂と身体とは一体であるか
どうか、人は死後にもなお存するかどうか、などのような種類の問い]
に対する見解は、独断に陥っているものであり、見惑の林に迷い込み、
見取の結縛にとらわれているのである。それは、苦をともない、悩み
をともない、破滅をともない、厭離、離欲、滅尽、寂静、智通、正覚、
涅槃に役立たない。」
                         (中部経典72)
という事だと思います。
238むもん:01/09/13 07:42

みなさん毒箭のたとえがお好きですね。
阿含経は地獄の宝庫です。

尊者上大目ノ連路中に於て一大身の衆生の身を挙げて毛を生じ、毛の利(するど)き
こと刀の如く、其の毛は火に然え、還つて其の身を割(さ)くに、痛み骨髄に徹せる
を見たり。
佛、諸の比丘に告げたまはく『此の衆生は過去世の時、此の王舎城に於て戦争を好楽し、
刀剣もて人を傷つけぬ。巳(すで)に百千歳地獄の中に堕ちて無量の苦を受け地獄の
余罪にて、今此の身を得るも続いて斯の苦を受くるなり。諸の比丘、大目ノ連の所見
の如きは真実にして異らず。』と。
239むもん:01/09/13 07:58
>>235
すべての人が地獄へ行くわけではないですよ。それに地獄では必ず1000年の寿命
ではなく、軽い者は500年とか600年で赦される場合は大いにあるでしょうね。

しかし、阿含経には「地獄から赦され人間として生まれ、また地獄へ還る者は多い」
という文章は気になるところです。
240名無しさん@1周年:01/09/13 08:25
ああいえばこういう。
241名無しさん@1周年:01/09/13 11:50
>>239
地獄にはトラウマになるほどの苦しみはないってことで(w
なにをもって「地獄」というかは人それぞれだしなぁ。死後の世界は否定はしないし
死後の世界の一状態を「地獄」と呼んでも「この世」に存在する苦のほうが「地獄」の苦より
はるかに大きいと思うねぇ。
242むもん:01/09/13 16:22
たぶん、人間の意識には人間界の記憶しかなく、他の世界は退行催眠では出てこないのでは?
だから地獄のトラウマは地獄へ行かなければわからないのではないかと思います。
天界も同じで、イエスキリストは天界から来たことを自覚しているし、
また、仏陀は宿命智によって自分が天界から来たことを知ったようですね。
また、過去世には地獄へ行ったこともあるとも説いています。
ということは、潜在意識の奥底には必ず天界や地獄界の記憶があるのではないでしょうか。
とにかく退行催眠で現れる時代と現在との年月のへだたりは気になりますよね。
その間どこかへは生まれていなければならないでしょう。
仏陀は「衆生はいつも界と共なり」と云っています。

何か宇宙人にさらわれて、その記憶を消された人に似ていませんか?
243名無しさん@1周年:01/09/13 16:57
>退行催眠で現れる時代と現在との年月のへだたりは気になりますよね。
ブライアン・L・ワイスの本読めばわかると思うけど、生まれ変わりの間の準備期間の記憶が
よみがえった人もいるみたいよ(この準備期間の一状態を天界とか地獄界とか呼んでいいのか
どうかしらんけと)ただそれはトラウマとは関係ないみたい。
あと私の友達も自己催眠法で過去世やその中間世の記憶が出たといっとった..(まぁ幻想か
事実かは確かめようがないが)
244名無しさん@1周年:01/09/13 17:08
あと前世療法で人間の前世の記憶しかでないというのは、トラウマの原因になった部分に
さかのぼろうとするのが目的のため。上記中間世の話はトラウマとは関係なく純粋に生と生の
間にはいったいなにがあるかというのを退行催眠を使って探求しようとして出てきたものらしい。
245黒海老:01/09/14 02:36
『スッタニパータ』で書かれている地獄の寿命というものが正しいのなら、
それは恐ろしく長いので、今だかつて地獄から帰ってきた人間はいないと思います。
246244
あと死後の世界については下記ページはなかなか面白かったよ。
http://www.asahi-net.or.jp/~qr7s-tmym/ITC/Believe.htm

この内容、リサーチ200X年とかでやってくれないかなぁ。

ただ背景になる世界観がミトラ神学/神智学/人智学/エドガー・ケーシー系になっちゃってるけど
まぁ仏教とはまるで違う世界観もありかと..