浄土系宗派【南無阿弥陀仏】

このエントリーをはてなブックマークに追加
1南無阿弥陀仏
浄土宗
浄土真宗
時宗
等など
2おまえはすでに成仏している:2001/05/16(水) 12:31
南無阿弥陀仏、ハイ成仏。
3名無しさん@お節介:2001/05/16(水) 12:51
勉強した事無いからかも、だけど日本の仏教の中で
浄土宗だけは理解できないや
即身成仏できるの?
4名無しさん@お節介:2001/05/16(水) 13:16
浄土宗じゃなくって浄土系か
5名無しさん@1周年 :2001/05/16(水) 18:07
ある意味一番難しいよ
6名無しさん@1周年:2001/05/16(水) 18:08
そして、誰でも簡単に出きる。
ああ、センセイじゃぞ
8南無阿弥陀仏:2001/05/18(金) 00:02
>>3

こんな簡単な宗教はないぞ。
「南無阿弥陀仏」と唱えよ。
そうすれば成仏できる。

以上だ。
9コーヒー牛乳:2001/05/18(金) 00:04
南無阿弥陀仏、南無阿弥陀仏、南無阿弥陀仏。。。。
10南無阿弥陀仏:2001/05/18(金) 00:07
よいかね、浄土系の宗派は、
バカの中のバカ、無能の中の無能、厨房の中の厨房のための宗教だ。
修行?お布施?
全て不要。

南無阿弥陀仏と唱えよ。
それだけでキミの成仏が保障される。

なんでこんなに素晴らしい宗教の信者が増えないのか理解できん(笑)
11南無阿弥陀仏:2001/05/18(金) 00:08
まぁ分かりやすく教えすぎたために、
強盗が「念仏すれば何をしてもいい」と勘違いして悪事に励む。
ということが起きてしまうのだが…

12南無阿弥陀仏:2001/05/18(金) 00:11
もっと教学的な話をすると、
阿弥陀仏は「全ての衆生を救わねばホトケにならぬ」という本願(ちかい)を立てた。
で、阿弥陀仏はホトケである。

=「全ての衆生は救われる」ということだ。
んでその為には「我が名を呼べ」=念仏せよ

と言っている。

13なーむー:2001/05/18(金) 00:12
基本的に南無阿弥陀仏って何?
14南無阿弥陀仏:2001/05/18(金) 00:17
さらに言えば、教学的な考察をしたいやつは、
念仏にそもそも向かない。

他力成仏をやめて、自力成仏をするのが良い。
自力成仏の最たるものは禅だな。

真に救われたければ、
まず自力を徹底的に否定する。
自分を極端にまで貶める。
そのことにより自分が悪人の中の悪人でバカの中のバカで、厨房の中の厨房と言うことが理解できる。
そしてそのことこそが救いへの最も近い場所にいるということだ。

阿弥陀様は悪人の中の悪人(つまり自分)をこそ救うからだ。

そう言う境地に至れば、そもそも悪事を働こうという考え自体が否定される。
自分が悪人であると認識すれば、悪事は働けないのだ。
悪事を働く人間はみな自分が正しいと思っているから悪事を働くのだから。

…これであってたカナ?(笑)異安心かもしれん(笑)
15南無阿弥陀仏:2001/05/18(金) 00:18
南無阿弥陀仏とは「阿弥陀仏に南無(帰依=随います)」という誓いである。
16ななーしー:2001/05/18(金) 01:06
ナンミョーホーレンゲーキョーと何が違うの。
17ばふーん:2001/05/18(金) 01:43
>16

理論的にはほとんどおんなじだよ。
違う、と言って相違点をことさら強調するのは双方の教団関係者だけ。

浄土宗系の念仏、日蓮宗系の題目、曹洞宗の座禅、いずれも法然の
理論がもとになってると考えられる。
おもてむきは日蓮宗も曹洞宗もみとめないかもしれないけど。

あ、いっとくけど自分は浄土宗の関係者ではない。念のため。
18念仏:2001/05/18(金) 01:44
>14さんへ

>自分が悪人であると認識すれば、悪事は働けないのだ
世間では、そういう人を善人と呼ぶようです。
浄土系の仏教でいう悪人とは、自力でどのような修行を積んでも、
決して成仏できない人、悟りを開くことのできない人のことです。
世間的な善悪とは何の関わりもありません。

浄土系の仏教は、仏教全体から見れば異端ということになります。
その中の異端は、異安心とされます。
その、異安心から一言。

「念仏を称えると否とに関わらず、阿弥陀は一切衆生を救い給う。」

19名無しさん@お節介:2001/05/18(金) 07:02
自力で悟りを開けないのは悪いカルマがあるからだ。
という考えではないの?
20名無しさん@1周年 :2001/05/18(金) 07:33
>>19

ない。

悪いカルマとかいう考え自体が釈迦の教えに反する。
21名無しさん@お節介:2001/05/18(金) 07:44
でも業ってカルマの事じゃなかったけ?
「自力で悟れないのは自分の業のせいだ。
己の悪い業を自省反省することで自覚して
おのれが悪人だと知り、
それを阿弥陀仏に懺悔する事で成仏。」
と単純にいえばそういう事??でもない?
22南無阿弥陀仏:2001/05/18(金) 08:38
>>21

ちがう。自力で悟れないのは自分がヴァカだからだ(笑)
↑これを自覚することにより、
自力で悟ることをやめ、
阿弥陀様のお力にすがるのだ。

懺悔など必要としていない。
そもそも「成仏」に関する死ぬほど面倒くさい思考や、
教学をすべて「成仏に不要」とし、
単純に阿弥陀仏に全てをお任せするのだ。

「おお、もう自分が悩む必要はないのだ。
阿弥陀様はこの自力で悟れないヴァカで厨房をこそ済度してくださるのだ!!!」

自力で悟れる奴は他の宗教いけ。
21は深く考えすぎ。深く考えないでいいのが念仏である。

>>18

おお、そうだったそうだった。
しかし念仏は必須だぞ。阿弥陀経にはそう書いてある。
23南無阿弥陀仏:2001/05/18(金) 08:42
何度も言うが、念仏の根本は「念仏すれば成仏できる」だ。
宗教は心を救うのだから、救われたい奴がまず阿弥陀様を認識しなきゃ話にならん。

んで宗教に関する悩みはすべて阿弥陀様にお任せ。
地獄も何も怖くない。ただ誠実に一向に念仏するのだ。

空念仏を唱えよ。
なんの意味もない言葉を唱えよ。

でココまで達すればもはや来世の心配は何もない。
念仏すればするほど、自分がヴァカだと認識すればするほど、
必ず救われるという確信をもてるのだ。

その確信をもてば、死を恐れる必要もなく、
つまり死と死後の世界を恐れることなく、日々を安楽に暮らせるのである。
24南無阿弥陀仏:2001/05/18(金) 08:44
何かといえば「地獄に落ちるぞ、地獄は怖いぞ」という某宗教とは大違いである(笑)

むしろ地獄に落ちるのはいいことだ。
阿弥陀様を信じていれば地獄に落ちた順番に救ってくださる。
阿弥陀様は地獄に落ちるほどの大悪人をこそ救うのだ。
25南無阿弥陀仏:2001/05/18(金) 08:46
>>16

どんつくどんつくは、信徒に毎日の修行を課しています。
念仏はただ唱えるだけでよろしい。

毎日一万回唱えたければそうすればよいし、
ふと気が付いたときに口から出るだけでもよい。

まぁ各宗派に入ればおのずから別でもあるが、
念仏だけなら坊主はいらん。つか浄土系の宗派にもともと僧侶はおらん。
(そうだ!浄土通信を見よう<浄土通信 http://www3.justnet.ne.jp/~katasi-park/>)


>>8 名前:南無阿弥陀仏

 すみません。こちらを仏教初心者と思って教えてください。
1 成仏とはどういうことでしょうか?
2 「南無阿弥陀仏」と唱えると成仏できるって、どうしてなんでしょうか?

>>12 名前:南無阿弥陀仏
>阿弥陀仏は「全ての衆生を救わねばホトケにならぬ」という本願(ちかい)を立てた。

 これは、いつころの時代のどこの国の方でしょうか?

>「全ての衆生は救われる」ということだ。んでその為には「我が名を呼べ」=念仏せよ

 最近、小泉さんが構造改革するぞ、と誓いましたね。立派ですね。内閣支持率も高いですね。小泉さんは誓ったんだから、小泉さんの名を呼ぶと、みんな救われるというということでしょうか?

 お聞きしたいことはたくさんあります。今後もよろしくお願いします。
27南無阿弥陀仏:2001/05/18(金) 15:01
別に仏教初心者でないんでしょ?

まぁいいです。極端な単純化を行いますから、正式な形じゃない!
って反論はしないでください(爆)

>1 成仏とはどういうことでしょうか?

貴方の悩みがなくなって心が平和になり、
死後のことを心配する必要がないことです。

>2 「南無阿弥陀仏」と唱えると成仏できるって、どうしてなんでしょうか?

阿弥陀様が念仏するものすべてを救ってくださるという誓いを立てられたからです。

> これは、いつころの時代のどこの国の方でしょうか?

すべての時代のすべての国の人です。

>小泉さんは誓ったんだから、小泉さんの名を呼ぶと、みんな救われるというということでしょうか?

なんで?(笑)
純ちゃんは別に衆生済度の誓いを立てたわけではないでしょうが(笑)

それに名を呼ぶ(念仏)ということは阿弥陀様を意識するという行為です。
阿弥陀様が救ってくださるという確信を得て始めて成仏できます。
28南無阿弥陀仏:2001/05/18(金) 15:02
別に仏教初心者でないんでしょ?

まぁいいです。極端な単純化を行いますから、正式な形じゃない!
って反論はしないでください(爆)

>1 成仏とはどういうことでしょうか?

貴方の悩みがなくなって心が平和になり、
死後のことを心配する必要がないことです。

>2 「南無阿弥陀仏」と唱えると成仏できるって、どうしてなんでしょうか?

阿弥陀様が念仏するものすべてを救ってくださるという誓いを立てられたからです。

> これは、いつころの時代のどこの国の方でしょうか?

すべての時代のすべての国の人です。

>小泉さんは誓ったんだから、小泉さんの名を呼ぶと、みんな救われるというということでしょうか?

なんで?(笑)
純ちゃんは別に衆生済度の誓いを立てたわけではないでしょうが(笑)

それに名を呼ぶ(念仏)ということは阿弥陀様を意識するという行為です。
阿弥陀様が救ってくださるという確信を得て始めて成仏できます。
29名無しさん@お節介:2001/05/18(金) 17:11
キリスト教と似てるな
(そうだ!浄土通信を見よう<浄土通信 http://www3.justnet.ne.jp/~katasi-park/>)

>>28 名前:南無阿弥陀仏
 御回答に感謝します。引き続きお相手いただけると嬉しいです。

>別に仏教初心者でないんでしょ?      <いやいや。全くの初心者ですよ。>

>正式な形じゃない!って反論はしないでください(爆)
        正式と略式というのがあるわけ??(笑)

>貴方の悩みがなくなって心が平和になり、

 悩みがなくなって心が平和になるって、息を引き取るということですか?人は息を引き取ると悩みがなくなる。悩みがなくなれば、心も平和になる。死ぬ。そういうことですか?

>死後のことを心配する必要がないことです。

 仏には生きている内になるんですか?。 仏様には死んでなるんじゃないんですか? 相手を初心者と思ってお教えくださいな。
>阿弥陀様が念仏するものすべてを救ってくださるという誓いを立てられたからです。

 主語と述語関係がややこしい。
 「念仏するものすべてを救ってくださるという<内容の>誓いを、阿弥陀様が立てられたからです」
 こういう意味でよろしいですか。
 見たことも会ったことも無い人が、念仏するものすべてを救ってくださるという誓いをたててくださると、赤の他人が成仏できるようになる?。 はて? 不思議な話だ。
 日本で一番多い名前が鈴木さんです。鈴木さんがそういう誓いを立てると、「南無鈴木」と唱えると救われるようになるの?田中さんがそういう誓いを立てると、「南無田中」と唱えると救われるようになるの?伊藤さんや中村さんはどうなの?はて?
 桃太郎さんはどうだったのかしら? 金太郎さんだったらどうだったのかしら?

>すべての時代のすべての国の人です。

 すべての時代のすべての国の人? はて? 少なくとも僕は心当たりがない。平成時代の日本の僕は、そんなことを誓った覚えはない。 貴方は誓ったのですか? いつ? どこで? どんなふうに?
>純ちゃんは別に衆生済度の誓いを立てたわけではないでしょうが(笑)

 はて?純ちゃんはすべてという中に入らない?。
 純ちゃんを除く全ての人? 純ちゃんと僕の二人を除く全ての人? 女房に聞いたら、女房もそんなこと誓ったことはないと言っていた。 純ちゃんは誓ってない? はて?

>それに名を呼ぶ(念仏)ということは阿弥陀様を意識するという行為です。

 はて?すべての時代のすべての国の人?僕が僕を意識する? はて?

>阿弥陀様が救ってくださるという確信を得て始めて成仏できます。

 はて?こんな話で、どこかに確信できる人がおるんですか? 確信できるひとがいなければ、阿弥陀さんは、結局、一人も救えん? はて?。空手形?? 夢物語? お伽噺?
33南無阿弥陀仏:2001/05/19(土) 02:12
>心も平和になる。死ぬ。

当然生きています。

>仏様には死んでなるんじゃないんですか?

んなこたないです。
それじゃあお釈迦様は悟りを開いた瞬間に死んでいることになる(笑)

>鈴木さんがそういう誓いを立てると、「南無鈴木」と唱えると救われるようになるの?

鈴木さんが仏なら大丈夫でしょう(笑)
阿弥陀様は「人民すべてを救うまで仏にはならない」と誓われました。
んで阿弥陀様は仏になられました。
よって人々は全て救われます。
(時間的概念は存在しません)

>>阿弥陀仏は「全ての衆生を救わねばホトケにならぬ」という本願(ちかい)を立てた。
>これは、いつころの時代のどこの国の方でしょうか?

ああ、阿弥陀仏が「誰か?」って聞いているんですか?(笑)

阿弥陀様は極楽の方ですよ(笑)

>はて?こんな話で、どこかに確信できる人がおるんですか?
うむ、浄土系宗派数千万の門徒は救われております(笑)
34平成強情:2001/05/19(土) 09:48

>浄土系の仏教は、仏教全体から見れば異端ということになります。
>その中の異端は、異安心とされます。

つまり異安心は回りまわって痛んではない仏教全体ということね。

>その、異安心から一言。
>「念仏を称えると否とに関わらず、阿弥陀は一切衆生を救い給う。」

そのとおり。
35名無しさん:2001/05/19(土) 12:36
>「南無阿弥陀仏」と唱えよ。
>以上だ。

だったら、いちいち大げさに歴史に名前を残すなよ
浄土系の宗派にはどういう違いがあるんだ?
36南無阿弥陀仏:2001/05/19(土) 16:39
>浄土系の宗派にはどういう違いがあるんだ?

単純に師匠が違うだけです。各宗派で喧嘩しとるわけではない。
(覗く東西本願寺)

一向宗は強すぎたので、東が家康に一本釣りされて分割されたんです。
でもまぁ今は喧嘩しているわけではないです。
37名無しさん@1周年 :2001/05/19(土) 16:42
今は仲良くやってるだろ?>東西本願寺
>>33 名前:南無阿弥陀仏

>当然生きています。

 ほほう。歎異抄 十五章は間違いだということですね。ま、歎異抄は間違っていると言うのは勝手だけど、歎異抄にはどう書いてあるか紹介したくなりました(苦笑)。

一 やがて来る死を迎えるまでの間、煩い悩みを持った今の身のままで悟りを開くと言うことは、もっての外のことである。
二 やがて来る死を迎えるまでの間、今の状態のままで悟りを開こうという教えは、真言密教の教えである。三密を行じて得る悟りである。
三 視覚・聴覚・嗅覚・触覚・味覚などの諸器官の働きを浄めていって悟りを開こうというのは、天台宗の教えである。
四 真言・天台の教えは厳しい。優れた能力に恵まれた人々のための教えである。心の働きで完成を求めていこうという考えである。
五 いったん死を迎え、その先にある次の生で悟りを開こうというのが、他力浄土教の考えである。死を迎えるまでの間、煩い悩みを抱えた今の状態の中では、信心だけを正しく持って生きていこうと考えている。
六 来たる次の生で悟りを開こうという考えは、能力に恵まれていない我々にとって、もっともふさわしい選択である。これは、善とか悪いとかを問題にしないあり方である。
七 煩い悩みなどの様々な誘惑を断つことは、極めて難しい。真言宗や天台宗を奉じる人々でも、実際にはいったん死を迎え、来たる次の生での悟りに全てを賭けている。
八 死を迎えずにいきなり先に悟りを開こうという人は、釈尊のように、自在な動きと自在な変化で人々に教えを説くことができるとでも思っているのだろうか。今の状態の中で死を迎えずに先に悟りを開くというなら、そういうことができてから言って欲しい。
九 信心が得られれば、生死からずっと遠ざかる。そういう事と悟りとを混同して勘違いしているんじゃないか。
十 浄土真宗には、死を迎える前の今の状態の中では本願を信じ、やがて死を通じてかの土に参り、そこで悟りを開くと教わってきました。確か、親鸞聖人はそう仰っていたように思います。

>阿弥陀様は「人民すべてを救うまで仏にはならない」と誓われました。んで阿弥陀様は仏になられました。

 いつごろの、どこの国の人の話ですか。 阿弥陀様は、仏になる前となってからと、何がどうちがったんですか。
(そうだ!浄土通信を見よう<浄土通信 http://www3.justnet.ne.jp/~katasi-park/>)

>時間的概念は存在しません
   さっぱり分かりません。

>阿弥陀様は極楽の方ですよ(笑)
   極楽とはどこにあるのですか?阿弥陀様は、おいくつくらいの方ですか?

> 浄土系宗派数千万の門徒は救われております(笑)

ほほう。それであなたは、確信を得て仏になり、「悩みがなくなって心が平和になり、死後のことを心配する必要がな」くなってるんですね?ま、こんな駄法螺は、信じない人の方が救われる可能性がありそうだ。こんな駄法螺を信じる奴は、そのまま不幸になるでしょう(笑)。
41ななし:2001/05/19(土) 17:05
仏ってなに。
釈迦と何が違うの。
>>41
 うんうん。そうだ。そうだ。これは大事な質問だ。
43念仏:2001/05/19(土) 23:52
>41さんへ

浄土系の仏教では、仏とは阿弥陀仏のことです。
阿弥陀は解脱してしまったので、そのままではこの世に来れません。
仕方なく、人として生まれ、人として修行し、人として開悟し、
人として法を説き、人として死んでいきました。
その人が、釈迦というわけです。

ただ、その説法が難解すぎて、わかり難いというので、
改めて曇鸞とか、善導、法然、親鸞といった人たちの口を借りて、
真実の法をこの世に伝えたということになっています。

44南無阿弥陀仏:2001/05/19(土) 23:58
>極楽とはどこにあるのですか?阿弥陀様は、おいくつくらいの方ですか?

知らない。あんたアホなこと聞くな(笑)

>   さっぱり分かりません。
インド思想ですから、時間は輪廻します。
それだけのことです。

>「悩みがなくなって心が平和になり、死後のことを心配する必要がな」

すくなくとも死後に地獄にいく心配だけはなくなりましたので気楽なものです。
んでこの気楽さをみんなに広めようというのですが。

><いやいや。全くの初心者ですよ。>

歎異抄を引いて初心者もないもんだ(笑)
ちなみに心の闇がとれるのと、悟りを開いての成仏とを混同なされないでください。
さらに言うと、自力成仏なら在世中にも仏になれます。
念仏すれば心は平和になりますが、真に悟ったわけではありません。
つか自力で悟り、仏になれないから念仏するんです。
悟れないから来たる次の生で悟りを開こうと考えるわけですよ。

>仏ってなに。 釈迦と何が違うの。

お釈迦様は悟りを得られたときにブッダとなられました。
仏とは悟りを得たものの称号です。
(そうだ!浄土通信を見よう<浄土通信 http://www3.justnet.ne.jp/~katasi-park/>)

>>43 名前:念仏
 子供だましの口先だけならどんなお伽噺でも言えるもんじゃ(爆笑)。

>>44 名前:南無阿弥陀仏

>知らない。あんたアホなこと聞くな(笑)
    インチキ宗教のお伽噺には、聞かれて都合が悪い部分が多いようだ。

>時間は輪廻します。

 時間が輪廻するわけないだろう(笑)。インチキ教義にもほどがある。時間は一方向にだけ流れるんですよ。

>それだけのことです。
       何が?
>すくなくとも死後に地獄にいく心配だけはなくなりましたので気楽なものです。んでこの気楽さをみんなに広めようというのですが。

 インチキ宗教は、昔から同じ事を言う。迷いや悩み苦しみには起伏がある。深いときもあるし、浅いときもある。一時の気の迷いで軽く感じてもやがて気が重くなるときもある。気が重くなるときがあっても、やがては軽くなるときもある。
 下心があれば、気楽になりましたよと突っ張った演技をみせる人もいるだろう。気楽さをみんなに広めようというのは、「私はこれだけ脳天気になりました」ということか。「世間知らずになりました」ということか。「気の迷いに陥りました」ということか。腹に一物ある詐偽師も、同じようなことを言う。信じる奴を不幸にするのは、無知も詐欺師もみな同じ。

 むしろ地獄に落ちるのはいいことだ。阿弥陀様を信じていれば地獄に落ちた順番に救ってくださる(>>24)。はてさて、貴方は、地獄にいくのか、行かないのか(笑)。

>歎異抄を引いて初心者もないもんだ(笑)

歎異抄は仏教の入門書。初心者が読んでもおかしくない。

>ちなみに心の闇がとれるのと、悟りを開いての成仏とを混同なされないでください。

>>27「成仏とは、悩みがなくなって心が平和になり、死後のことを心配する必要がないこと」
 悩みがなくなって心が平和になる=成仏≠心の闇がとれる
心の闇がとれるのと、悩みがなくなって心が平和になるのとはどのように違うのでしょうか?
 貴方は心の闇がとれたのでしょうか? 成仏されたのでしょうか?(>>8,>>23)? その両方でしょうか? ちんぷんかんぷん。さっぱり分かりません。
>さらに言うと、自力成仏なら在世中にも仏になれます。
    歎異抄は間違いだということですね。

>念仏すれば心は平和になりますが、真に悟ったわけではありません。

 死期を待つことなく生きているままで念仏すれば、悩みがなくなって心は平和になって仏になる。でも、仏になるということと、悟るとは違うと言うことでしょうか。新興仏教の新たな教義の誕生ですね。

>つか自力で悟り、仏になれないから念仏するんです。
      自力成仏なら在世中にも仏になれるんじゃなかったですか?

>悟れないから来たる次の生で悟りを開こうと考えるわけですよ。

 死を待つことなく、死に先立て仏にはなるが、悟ることはできないということでしょうか?新たなハチャメチャ教義の誕生ですね(笑)。

>仏とは悟りを得たものの称号です。

  仏になると言うことと、悟るということは違うんじゃなかったでしたか?
48名無しさん:2001/05/20(日) 16:14
>41 真宗の人にそういう考えの人おおいね。
でもわたしはいや。あなた方がどう信じようとうと勝手だけど
釈尊を阿弥陀仏の道具みたいに解釈して。
阿弥陀仏が転生して釈尊になったなんて経典のどこにもない。

ついていけない。
他の経典の意義はどうなる。
49名無しさん@1周年:2001/05/20(日) 16:21
>>48
所詮「教行信証」とか「歎異抄」にしても、念仏の正当性を親鸞が自分自身に
納得させているようにとしか見えないんだよね。そうしないと、念仏以外の宗派は
全部自力難行道で救われ難し、という事になっちゃってしまうよね。
実際、親鸞や法然はそのように言ってるんだけど。でも、そんなバカな事無いでしょう。
どの宗派だろうと、その人自身が「救われた」と感じられたらそれでいいのだと思う。
50名無しさん@1周年 :2001/05/20(日) 18:04
自分にあった宗派にいけばいいよ。
そのためにいろんな宗派があるんだから。
51念仏:2001/05/20(日) 21:22
>49さんへ

>どの宗派だろうと、その人自身が「救われた」と感じられたらそれでいい
少なくとも、法然や親鸞はそのようには考えなかったろうと思います。
「救われる」だけでなく、「救う」道がなければ大乗仏教ではありません。

>念仏以外の宗派は全部自力難行道で救われ難し
原理としてはそのとうりです。
ただ、法然は、自力の念仏でも往生すると説いています。
親鸞も、方便を設けて自力の念仏でも往生する道を説きます。

自利だけでなく、利他がなければ仏教とは呼べません。
釈尊の説法も利他の心からでしょう。
52念仏:2001/05/20(日) 22:49
>48さんへ

誤解を恐れずに書くならば、法然、親鸞といった浄土系の人たちは、
命がけで阿弥陀の道具になろうとした、と言うことができます。

>阿弥陀仏が転生して釈尊になったなんて経典のどこにもない
これはそのとうりです。渡海さんも言う様に御伽噺に過ぎません。
そして、仏典の中身も、同様の御伽噺でみちています。
その御伽噺の中から、僧たちは真実の法をくみ上げてきました。
たとえば、四十八もの誓願のなかから本願を選択しました。
その阿弥陀の本願の不思議を思えば、釈迦がこの世に現れたのは、
まさに阿弥陀の真実を伝えるためとしか考えられません。
先の御伽噺を書いたのは、そのような意味です。

>他の経典の意義はどうなる
正直に書けば、いよいよ嫌われそうですが、
浄土三部経を補完するためにある、ということになります。
ただ、正法の時代には必要不可欠な説法があったわけです。
自力で修行して、開悟に至る道があったからです。
53極楽口:2001/05/21(月) 09:35
念仏さん

>原理としてはそのとうりです。

「とおり」と正しく書いてくれませんか?
54ぺぺ:2001/05/21(月) 11:15
渡海難さんへ

またあなたの新しい遊び場が出来て良かったね!
今回はあなたのこと応援してますよ。頑張ってねー!


>53 極楽口さんへ

はい、揚げ足取りご苦労さん。
55門外漢:2001/05/21(月) 12:18
あまり浄土宗系の教学は勉強していないんですけど。柳宗悦さんの本を
2〜3冊読んだ程度です(^^)。

>51-52

もし、利他心をもって、一心に念仏を唱えれば、きっと禅で言う「虚仮
の自己」が消失すると思います。仏教の真髄とは、この一点にのみある
と思います。火に焼け、水に溺れるこの肉体の自己とは、かりそめの
自分にすぎないのだ、ということを自覚する。

「虚仮の自己」を捨てる手段として、いろいろな方法があるのだと思う
のです。ある人は「公案」で脳みそがオーバーヒートするまで悩み抜き、
自己をぶち壊す。別の人は念仏三昧になって、虚仮の自己をぬぎすて、
妙好人として生まれ変わる。

仏典に対する文献批判が厳密になった現代において、阿弥陀三部経が
釈尊の死後、大衆部の主張を「釈尊」に代弁させたものであることは
明白な事実です。四十八誓願もまた、釈尊の口から直接出たものでは
ありません。

これを、「阿弥陀如来の誓願があるから、念仏で成仏できる」と説明す
ることは、学問的事実としては一種の虚偽でしょうけど、念仏そのもの
が「虚仮の自己」を廃棄するための手段と解釈するならば、仏教の本質
から見て、目くじらを立てるべき逸脱とは言えないと思います。

法然上人が、鎌倉時代にこのようなことを念頭にしていたとは、さすが
に思えませんが、上人は天台宗で禅定の修行を積まれ、「虚仮の自己」
を捨てるという要諦ははっきりと理解されていただろうと思います。
その上での「念仏の勧め」であったように思えてならないのです。
56 :2001/05/21(月) 15:29
何か難しいですね…。
57南無阿弥陀仏:2001/05/21(月) 16:06
>>55の説明でいいです。

58迷える老人:2001/05/21(月) 23:38
南無阿彌陀佛とは真実のはたらきを方便として称名念仏という形で
私に知らしてくれていると思っていますが間違いでしょうか。
この世で悟るとか佛になるとかは自我の執着ではないでしょうか。
59名無しさん@1周年 :2001/05/21(月) 23:51
>>58
それで良いと思います
60迷える老人:2001/05/22(火) 00:42
人間は自我という苦しみを共有している。
真実に照らされればその事実を受け入れられない我執の塊の私は苦しむ。
また新しい迷いが生じ苦しむ。本当は迷わないでもよいのにと思っても迷う。
そういう疑い迷う私にこそ念仏という救いの道が開かれているのではないかと
思っています。
教学にとらわれなくても念仏に救われたという人達をたずねることが大切なことと
存じます。信じるもよし。疑うもよし。そこに本当の法のはたらきがイキイキ
しているか身を運んでみる事が一番です。
61名無しさん@1周年 :2001/05/22(火) 07:39
この世で悟れるわけじゃないよ
(そうだ!浄土通信を見よう<浄土通信 http://www3.justnet.ne.jp/~katasi-park/>)

>>51 名前:念仏
>「救われる」だけでなく、「救う」道がなければ大乗仏教ではありません。

 救う道がなくても、「救われる」ということはあるということでしょうか?仰りたい意味が分かりません。

>親鸞も、方便を設けて自力の念仏でも往生する道を説きます。
    親鸞の言葉のどの文脈でそうお感じになるのでしょうか?

>自利だけでなく、利他がなければ仏教とは呼べません。
    利他が自力念仏往生と関係があるのでしょうか?
>>52 名前:念仏
>法然、親鸞といった浄土系の人たちは、命がけで阿弥陀の道具になろうとした、と言うことができます。
     阿弥陀の道具? 阿弥陀は道具が必要なんですか?

>仏典の中身も、同様の御伽噺でみちています。
     なるほど

>その阿弥陀の本願の不思議を思えば、釈迦がこの世に現れたのは、まさに阿弥陀の真実を伝えるためとしか考えられません。

 はて?仰っている意味が分かりません。
 阿弥陀の本願は貴方の考えではお伽噺なんでしょう。それともお伽噺では無いのですか?
 お伽噺で考えると、釈迦がこの世に現れたのは、まさに阿弥陀の真実を伝えるためとしか考えられませんということですか?。貴方の説によれば、お釈迦様は、お伽噺をするために現れたということでしょう。お釈迦様は、お伽噺を話すために現れた。だから自分もお伽噺を話すということでしょう。あなたの話はみんなお伽噺でしょう。お伽噺でないところはどこですか?
 貴方はお伽噺を、お伽噺だと信じているんですか? お伽噺ではないと信じているんですか?仏典の中身はお伽噺なんでしょ。お伽噺を、貴方自身としてはお伽噺として信じているんですか?お伽噺ではないと信じているんですか?

>浄土三部経を補完するためにある、ということになります。

 お伽噺を補完するためのお伽噺を必要としたということですね。複雑なお伽噺ですね(笑)。
>>55 名前:門外漢
>一心に念仏を唱えれば、きっと禅で言う「虚仮の自己」が消失すると思います。

 そんなこたぁー、あなたが念仏を唱えてみれば分かるでしょう。「虚仮の自己」が消失するかどうか、実験してみなさいよ。「虚仮の自己」が消失すれば、あなたも大したもんですよ(笑)。

>仏教の真髄とは、この一点にのみあると思います。

 <そんなこたぁー、貴方に仏教の真髄が分かってから言っても遅くないでしょう。貴方に仏教の真髄が分かったら、私は貴方のとこに教わりに行く(笑)。>

>火に焼け、水に溺れるこの肉体の自己とは、かりそめの自分にすぎないのだ、ということを自覚する。
      <そんじゃぁ、あんたがまず自覚してみせてくださいな。>

>ある人は「公案」で脳みそがオーバーヒートするまで悩み抜き、自己をぶち壊す。
   <ある人なんて言わずに、できるんなら、あんたがやってみなさいよ。>
>別の人は念仏三昧になって、虚仮の自己をぬぎすて、妙好人として生まれ変わる。
   <そんなことが可能なら、あんたがやってみせてくださいな。>

>大衆部の主張を「釈尊」に代弁させたものであることは明白な事実です。四十八誓願もまた、釈尊の口から直接出たものではありません。
   <だったら何がどうなのさ?>

>念仏そのものが「虚仮の自己」を廃棄するための手段と解釈するならば、仏教の本質から見て、目くじらを立てるべき逸脱とは言えないと思います。

    <解釈なんかじゃなく自分の念仏で実験してみたらどうですか。成功したら御慰み>

>その上での「念仏の勧め」であったように思えてならないのです。
   <そんなに偉大な人なら、法然上人の念仏と本気で格闘してみたらどうですか。>
>>57 名前:南無阿弥陀仏
>55の説明でいいです。    <えっ? 何が>


>>58 名前:迷える老人

>南無阿彌陀佛とは真実のはたらきを方便として称名念仏という形で私に知らしてくれていると思っています
   <なるほど。なるほど。>

>が間違いでしょうか。
   <どなたかが間違っていると仰っているように感じていらっしゃいますか。>

>この世で悟るとか佛になるとかは自我の執着ではないでしょうか。
   <なるほど。なるほど。ところで、自我の執着はいけないというということでしょうか>
>>60 名前:迷える老人

>人間は自我という苦しみを共有している。真実に照らされればその事実を受け入れられない我執の塊の私は苦しむ。また新しい迷いが生じ苦しむ。本当は迷わないでもよいのにと思っても迷う。

 なるほど。なるほど。難しいことを仰る方のようですね(微笑)。

>そういう疑い迷う私にこそ念仏という救いの道が開かれているのではないかと思っています。
   なるほど。なるほど。

>教学にとらわれなくても

 教学というものがどう言うものか、素人の私には余りよく分かりませんが、頭でっかちは、百害あって一利無しということになるのでしょうね。

>念仏に救われたという人達をたずねることが大切なことと存じます。

 念仏に救われたという人達にもピンからキリまでいるんですよ。誠に浄土真宗には人材が少ない。我流妄執の惰眠を貪っている坊さんは腐るほどいる。我流妄執の惰眠を貪っている坊さんほど、「私は念仏に救われたという」。
 「迷える老人」さん。貴方は多少、念仏が分かっている方のようだ。心当たりがあるなら、尋ねて行くといいと貴方がお勧めの方を、このインターネットでご紹介したらどうですか。
>信じるもよし。疑うもよし。そこに本当の法のはたらきがイキイキしているか身を運んでみる事が一番です。

 真宗の信心が分かるには一生かかるモノだ。かつて私などはそう言われたものですよ(笑)。一生かかるとは、教える方には都合がいい。教わる身には腹立たし限りです(笑)。
 人は、十代後半で仕事上の一生の方向を決めなければいけない。二十代前半でライフワークを決める。二十代後半で一生の伴侶を決めなければいけない。三十代前半になると、その時点までにライフワークの方向を確定しないといけない。三十代後半になると、社会的な責任が急激に重くなる。時々刻々、人々は、訂正の利かない重大な決断に迫られる。真宗の信心が分かるには一生かかる。十代後半から二十代後半まで十年、仏教を必死に聞いてきても、人生の重大な決断の節々では、全くもって糞の役にも立たなかった。十年かけても、大事なことは何一つ分からなかった。はっと思ったときは、四十代に入っていた。振り返って見ると、本当に大事なことは、きちんと教われば、二月もかけずに十分に分かる内容のものだった(笑)。
 身を運んでみる事が一番。身を半年も運んで、ろくすっぽ中身が分からないとこなら、そんな人のとこには二度と行きなさんなよ。一生かけないと分からないもんだと言われたら、そんな人のとこには二度と行きなさんな。
 浄土真宗は人材に乏しい。信じるもよし。疑うもよし。そこに本当の法のはたらきがイキイキしている。仰る内容はご立派でも、人生に糞の役に立たない仏教はごろごろしている。糞の役にも立たない仏教で、人生に無駄な時間を潰しちゃいかんのよ。
 大事なことはなんなのか。自分の親でもいい。家族でも、友人でも、仕事でも、学業でもいい。どんなもんでもいい。自分勝手に嘘っこで「阿弥陀仏」とあだ名をつけてみなさい。阿弥陀仏とは、先生という意味だと思えばいい。あだ名は嘘っこなんですよ。嘘っこであだ名をつけたら、嘘っこのあだ名で念じてみんさい。「南無阿弥陀仏。南無阿弥陀仏」とひたすら念じてみんさい。南無とは感嘆詞だ。「ああ」という意味ですよ。「ああ先生。南無阿弥陀仏。南無阿弥陀仏」。繰り返し、繰り返し念じてみんさい。「ああ先生。南無阿弥陀仏。南無阿弥陀仏」と念じていけば、それだけで人は仏道修行者の仲間に加わる。鑑真和上、伝教大師、弘法大師、法然上人、まさにこういう人々の仲間の一人になる。
 仏道修行者の仲間になれば、いつかは仏になれるかどうなのか。そんなことは僕は知らん。死んだら仏になるか、ならんか、そんなとは僕は知らん。未来は知らんが、生きて称えている限りは、その時点では仏道修行者の仲間の一人だ。現代において、こんな時代であって、なお仏道修行者の一人であると言うことは、それだけで尊いことだ。
 人生で困ったときは嘘っこでいい。困ったその対象を嘘っこで、「阿弥陀仏」とあだ名を付けて念じなさい。何かで決断を迫られたときは、迫ってきたその対象を「阿弥陀仏」とあだ名を付けて念じなさい。背筋を延ばし、呼吸を整え、座禅して称えてみるといい(教行信証 行の巻)。きっと何かが見えてくる。仏教で大事なことはこれで全部だ。後は自分が称えるだけだ。
70チョウシュウ:2001/05/22(火) 09:21
こいつ完全に自分によってるよ(藁

69 名前: 渡海 難(p2013-ip02hodogaya.kanagawa.ocn.ne.jp) 投稿日: 2001/05/22(火) 09:10

 
71名無しさん:2001/05/22(火) 10:17
>念仏さん
おそらく貴方の主義主張はおそらく親鸞の思想の延長でしょう
しかし、罪悪深重の凡夫であるがゆえに救われた親鸞までも
阿弥陀仏の化身にしてしまうのはどうでしょうか
一つ間違えば自分が凡夫であるということを見つめなおす機会を
失わせてしまうのではないでしようか
御伽噺をはなすと、
その話がウソだからと私のように全てを否定するものが出たり、
御伽噺を信じてただ仏さん親鸞様果ては坊さん有難いという、
盲信する信者を増やすことになりかねません。

ただ「嫌われるかもしれないけど」というところに
貴方の現実の人を見つめる力があると思います。

>門外漢さん
私も貴方のような思想で真宗に近づいていきました。
しかし認めることと信心は違うでしょう。

>迷える老人さん
念仏で救われたという人に
へんてこな人がけっこういるから困ってるんですよ。

>渡海 難 さん
つっこみはいちいち的を得てご立派だけど
仏道修行者になれて尊い、なんて
一番真宗から逸脱してるんじゃないの
72迷える老人:2001/05/22(火) 12:33
いろいろのご意見をたまわりありがとうございます。
生身の人間である以上は毎日が出会いの連続です。昨日も子供に教えられました。
子供が商品を見ながら「これもすぐあきるしんなー」といいましたので、
「僕のあきないものは何ですか」と聞きなしたら しばらく考えて
「おっちゃんそれは生きることや あきらめたらあかんもん」
阿弥陀さんの声を聞いたようにおもえました。
阿弥陀さんの神通方便によって教えられることがあるように思えて仕方ありません。
73名無しさん:2001/05/22(火) 12:54
>迷えるご老人
貴方は本当に妙好人なのかも知れない
でもそんな人がいるから私は一歩引いちゃうんですよ。

あなたがいいこと言って、他宗の人が
「おお、○○様有難う」(○○は、釈迦、キリスト、アラー、天照大神その他なんでも可)
と言ったらどんな気がしますか。
74迷える老人:2001/05/22(火) 13:36
他人に念仏を押し付けようとおもったことはありません。事実があるのみです。
私は毎日いろん人々の(釈迦、キリスト、アラー、天照大神その他を信じられておられる)
営みによって出来たものをいただきながら生きているただの庶民です。
小売業をしていますのでペテン師と同じです。欲の塊です。
私にはこのようなことしかできません。いつも励まされて生きているのです。
宗教は当てに出来るのもではありません。特別な人間は居るのですか。
75名無しさん:2001/05/22(火) 14:34
>迷える老人さん
あなたがそのように
他宗の方を認めて生きておられるなら、
何も言うことはありません。
失礼なことを言って本当にすみませんでした。

私も、欲と自尊心のかたまりです。
特別な人間はいないと思っています。
でも小乗の教えのままに修行を続けている人も現にいます。
そういう人を「自力じゃ悟れない」と誹謗できないと思っています。
76迷える老人:2001/05/22(火) 15:30
悟ると言うことからはなれてみたら如何ですか。小乗も大乗も区別がないのではないですか。
人々がそれなりの理由で一生懸命生きているという事実に目を向けたらいろんな人の世話に
ならんと生きていけません。
77名無しさん:2001/05/22(火) 17:30
わたしは自分が悟ろうと思っていません。
「自力じゃ悟れない」と言うのは真宗の僧侶です。ただし悟りは仏教のキーワードです
悟りの位置付けなくしてはその教えは仏教とは言えないと思います。
78迷える老人:2001/05/22(火) 18:02
: 名無しさん へ
私の仲間に植木屋さんがあります。いつも木と話をされているそうです。
それは自分が長い間木々と携わって来たから出来る技でしょうけれど
植木屋さんの心が木々と通じ合うんですね。商売といえども何か越えた世界が感じられます。
>>70 名前: チョウシュウ
>こいつ完全に自分によってるよ(藁

 この次、パソコンの前に座るのは素面(しらふ)のときにしなさい。自分が酔うと、貴方は他人まで酔っぱらいに見えるようだ。

>>71 名前: 名無しさん
>つっこみはいちいち的を得てご立派だけど

 つっこみじゃないんですよ。思ったことをそのままカキコさせていただいています。
 僕のカキコをご立派という方がいる。酔っぱらっているという人もいる。興奮してオナニー、オナニーと叫びだし、オナニーのポンチエを陳列し出す人もいる。オナニー、オナニーと叫びだして興奮していたのは、お坊さんらしかったですけど。ま、いろいろな人がいる(苦笑)

>仏道修行者になれて尊い、なんて一番真宗から逸脱してるんじゃないの

 真宗から逸脱していますか。そんなこたぁー、どうでもいいことだ。真宗から逸脱していれば、真宗は教義を変えればいい。教義は変わらないなどと、頑固なことをいうならば、真宗じゃないと思えばいい。
 念仏者には、天神も地祇も敬伏してくださる。天神地祇はことごとく、念仏の人を守ってくださる。南無阿弥陀仏をとなえれば、観音勢至はもろともに 恒沙塵数の菩薩とともに、影の如くに身に添えてくださる。念仏者は尊いんですよ(微笑)。
 念仏行者と言っても尊くない。そう貴方が思うなら、それはそれで勝手でしょう。誰も反対はしないでしょ。でも、親鸞さんと僕とは、同じように尊いんです。先方さんは迷惑顔で口をへの字に曲げるかも知れませんけど、それでも二人は同一念仏ですからね(微笑)。
>>72 名前: 迷える老人
>しばらく考えて「おっちゃんそれは生きることや あきらめたらあかんもん」

 ずいぶんと利発な末恐ろしいお子さんですなー(笑)。もしかすると、しわも深く、頭の毛も薄いお子さんではないですか?自分の声か他人の声か、声の出所の区別がつかなくなれば、人生も危険信号ですよ(笑)。

>阿弥陀さんの声を聞いたようにおもえました。

 そうですか、そうですか。思うのはみんな自由ですからね。

>阿弥陀さんの神通方便によって教えられることがあるように思えて仕方ありません。

 そうですか。そうですか。阿弥陀さんはそんなとこにまで神通方便をお使いくださるんですか。阿弥陀さんもご苦労な事ですな。
>>74 名前: 迷える老人
>小売業をしていますのでペテン師と同じです。欲の塊です。

 小売業? タバコでも売っていますか? ま、そんなこたぁ、どうでもいい。それにしても、こんなこたぁ、あんたぁ、インターネットで言う事じゃありませんよ。
 貴方がペテン師なら、それは貴方がペテン師だということでしょう。小売業をしていますのでペテン師と同じですと言えば、世界中の小売業の方に失礼でしょう。小売業は、別にペテン業ではありません。立派な仕事です。
 貴方がもし欲の塊なら、それは貴方が欲のかたまりというということでしょう。そりゃ、小売業者なら聖人君子だなんて言いませんよ。でも、小売業をしていますので欲の塊ですというのは言い過ぎでしょう(笑)。

>宗教は当てに出来るのもではありません。特別な人間は居るのですか。
   ??
82迷える老人:2001/05/22(火) 20:52
渡海さんへ
これは私自身の告白です。不肖なところはお許しください。
昨晩 妙好人の検索をしておりましたらこの掲示板にであいました。
初めての書き込みです。
渡海さんの書き込みを見ていますと阿弥陀さんと格闘されておられるようですね。
83コーヒー牛乳:2001/05/22(火) 21:00
老人をいじめちゃイカン!
84南無阿弥陀仏:2001/05/22(火) 23:34
黙れ、理屈をこねるな、念仏しろ。
理屈をこねたい奴は禅にいけ。

念仏は理屈をこねられない馬鹿のための宗教なのだぞ。
85コーヒー牛乳:2001/05/23(水) 05:30
南無阿弥陀仏、南無阿弥陀仏、南無阿弥陀仏・・。
86名無しさん:2001/05/23(水) 06:32
別に禅だって理屈は否定してますが!?
87南無阿弥陀仏:2001/05/23(水) 12:13
ああ、すまん。
理屈というか、自力で成仏したいやつは、自力門の宗派にいけということだ。
88迷える老人:2001/05/23(水) 13:03
お念仏いただく者は法義の争いはせず。信心沙汰すべし。といわれています。
せっかくいい掲示板ですのでこれも育てていくことが大切なかと存じます。
皆さんの書き込みは楽しいものがあります。育ててください。
>>84
>念仏は理屈をこねられない馬鹿のための宗教なのだぞ。

 そんなこたぁ〜、無いんだよ(苦笑)。
 かつて日本の指導者は、鎮護国家の重要性を認識し、初等教育の徹底を国家政策の礎にした。
 平和な社会を造ろうとしても、日本人はその手段が分からなかった。中国には先進の知識があった。中国文化を受け入れるには、国内にその受け入れ基盤を築く必要があった。当時、貴族と言っても、実際には読み書きもそろばんもできなかった。日本には、文字も算数もなかったんだ。公文書を作ろうにも、当時の日本語は成熟度が低かった。結局、漢文に頼るしか道がなかった。平和社会、住み良い社会を造るには、支配階級、次いで庶民に及ぶまで、教育の徹底が必要だった。我が国の政治家達は、高い理想に燃え、仏教の中の初等教育哲学に注目したんです。
 かつて善導大師は、中国初等教育学の権威でした。中国留学僧は、早くからその素晴らしさに気付き、善導大師在世の時代に既に、最新の学問思想として輸入したようです。
 初等教育哲学にはきちんとした道理がある。初等教育は、「こんにちは。先生おはようございます」という挨拶のしかたから始まる。挨拶は、初等教育の原点です。善導教育学は、挨拶の重要性に着目しています。帰命尽十方無碍光如来の帰命は礼拝門である(行の巻)。帰命尽十方無碍光如来とは、南無阿弥陀仏の中国語訳です。帰命は南無を意味します。南無阿弥陀仏は礼拝すなわち挨拶です。それでも、そんな道理は小学校一年生が簡単に理解できるもんじゃない。小学校一年生には、理屈より先に挨拶の仕方を教える。
 念仏は理屈をこねられない馬鹿のための宗教なんかじゃない。人生で困ったときがあれば、いつでもまず学習の原点に戻ろう。浄土教とはそう提案している宗教なんです。

>理屈をこねたい奴は禅にいけ。
 こんな奴は、禅に行ってもナンニモ分かるまい(笑)。
90迷える老人:2001/05/23(水) 14:09
渡海さんの書き込みを見て久しく本を開きました。
善導大師の 書かれた物にものに
[行者まさに知るべし、もし解を学ばんとおもはば、凡より聖に至り、乃至、佛果まで、
一切さはりなく皆学ぶことを得べし。もし、行を学ばんとおもはば、必ず有縁の法に
よるべし。少しき功労を用いるに多く益を得るなり。」とおおせです。
念仏行者の私には有縁の法に救われる道をたづねています。
91迷える老人へ:2001/05/23(水) 16:57
渡海難は2ch宗教板で一番のドキュソ厨房でウザイ人間です。
あんまり相手にしないほうが身の為だと思います!
92迷える老人:2001/05/23(水) 18:53
ご忠告ありがとうございます。
仏さんもおいでになっていますね。
93ペペ2号:2001/05/23(水) 21:34
渡海難がいかなる人間か知りたい方は、
http://mentai.2ch.net/test/read.cgi?bbs=psy&key=978704254&ls=50
にお越しください。アホぶりが学べますよ。
94念仏:2001/05/24(木) 01:22
>62 渡海さんへ

>救う道がなくても、「救われる」ということはあるということでしょうか
釈尊が悟りを得たというだけの話なら、彼は一人の独覚に過ぎません。
しかし、釈尊が説法を始めた、世界に向かって獅子吼したという時点で、
すでに大乗の大慈悲心が発露しているという見方ができるわけです。
そして、「救われる」だけの仏教を小乗として否定してきたからこそ、
大乗仏教は、救う道の探求者として発展してきたということができます。

>親鸞の言葉のどの文脈でそうお感じになるのでしょうか
たとえば、教行信証を百読して化身土にのめりこむ人は自力の念仏者ですが、
あくまで方便なので、自力であれ他力であれ、念仏者の往生する先は
同じ阿弥陀の仏国土ということになります。

>利他が自力念仏往生と関係があるのでしょうか?
親鸞もまた自利と利他の間で揺れ動いた人です。
それが、たとえば歎異抄と教行信証との温度差になって現れてきます。

親鸞にとって利他とは、つまり布教者の立場にたつということですが、
自力の人をどのように他力の世界に導きいれるかという問題になります。
そのため、信行一如の親鸞であっても、相手によっては、
信のない行もあるなどと言わざるを得ないわけです。
親鸞も自力の人には、ほとほと手を焼いたのか、
他力の信行を会得することは「難中の難」だと嘆いています。
95南無阿弥陀仏:2001/05/24(木) 01:59
>>理屈をこねたい奴は禅にいけ。
> こんな奴は、禅に行ってもナンニモ分かるまい(笑)。

お前は文章が読めてないだろう(笑)

なんで俺が禅にいかなきゃならん。
俺は馬鹿だから、念仏でいいんだ。

お前は理屈をこねるから、禅にいって、理屈をいっぺん完全に破壊されてこい、
といっているんだ(笑)
96:2001/05/24(木) 12:47
南無阿弥陀仏で成仏(あげ)
97渡海 難(p0035-ip02hodogaya.kanagawa.ocn.ne.jp):2001/05/24(木) 13:47
>>95 名前: 南無阿弥陀仏

>お前は理屈をこねるから、禅にいって、理屈をいっぺん完全に破壊されてこい、といっているんだ(笑)

 m(_ _)m
 いやはや、こちらの最初のカキコがいささか失礼な内容になっていました。
 「こんな奴」というのは、「理屈をこねたい奴」を指すつもりでいたのですが、「禅にいけ」と言っている人を指しているようにも読めるようになっていました。
 書いた直後にしまったと思ったのですが、面倒臭いと思ってほっといたら、案の定、突っ込まれていました。理屈をこねる人は、理屈をこねている限り禅をやっても本質は分からないでしょう。ま、僕はそう言いたかったんですよ(笑)。
 渡海 難だって理屈をこねているだけじゃないかって? ま、そう言われちゃっちゃ仕方ない(苦笑)。でも、本当に理屈をこねているだけじゃだめなんですよね。だめというのはどういうことか。いつまでも何かもやもやしていて、所在なく、確信に落ち着きどころがないという意味です。
 大事なのは、本質的なものが体に感じられてくるということでしょう。本質的なものが感じられてくるには、一度、理屈を離れて座禅するのもいい。座禅に念仏を重ねるのもいい。やってみると感じられるものがやがて出てくる。いちど感じられるものが出てくると、そこから芋ずる式にいろいろなものが見えてくる。本質を突いた言葉も見つかってくるんです。
 生意気なようですが、そんなことがあるようです。
>>94 名前:念仏
>釈尊が悟りを得たというだけの話なら、彼は一人の独覚に過ぎません。

 なるほど。なるほど。
 貴方にとって救われるとは、独覚を得ると言うことだったんですね。

>教行信証を百読して化身土にのめりこむ人は自力の念仏者です

 はて?仰る意味が分かりません。化身土の巻は面白いですよ。教行信証を百読するというのは、それはそれで結構なことじゃないですか。私だって教行信証は何回も読んできました。
 百読して化身土にのめりこむとは、どういうことでしょうか?

>あくまで方便なので、

 方便なので?主語はなんでしょうか?化身土は方便だということでしょうか?議論の脈絡にお供できません。

>自力であれ他力であれ、念仏者の往生する先は同じ阿弥陀の仏国土ということになります。

 はて?よく分かりません。化身土にのめり込んでも、化身土は方便と呼ばれる阿弥陀仏の国の一部である。一部であるということは、阿弥陀の仏国土に違いはないといことでしょうか?。
 自力の念仏は化身土にのめり込む。化身土は方便であっても阿弥陀の仏国土の一部だから、自力の念仏でも往生すると説かれている。そういうことでしょうか?
>それが、たとえば歎異抄と教行信証との温度差になって現れてきます。
      <ほほう。どのような温度差がありますか?>

>親鸞にとって利他とは、つまり布教者の立場にたつということです
      <??ほほう。>

>自力の人をどのように他力の世界に導きいれるかという問題になります。

 ほほう。自力の人をどなたかが他力の世界に導きいれますか。
 貴方の理屈では、自力の念仏でも往生すると説かれているのではありませんでしたか?
 阿弥陀仏の国に入った方を、方便土から真実土にでも親鸞さんが位置変えを施すということでしょうか。貴方の議論の筋道が僕に見えません。

>信のない行もあるなどと言わざるを得ないわけです。

 信のない行などはないのですか?信のない行があると親鸞が言うと、方便土に入った方が突然真実土に位置変えでも起こすのですかな?仰る意味がよく分かりません。

>親鸞も自力の人には、ほとほと手を焼いた
 <はて? 親鸞さんも他人様に大きなお世話でも焼きましたかな?>

>他力の信行を会得することは「難中の難」だと嘆いています。
     <「難中の難」と言うのが嘆きですか? はてはて??>
100あげ:2001/05/24(木) 23:01
あげ
101南無阿弥陀仏:2001/05/24(木) 23:44
> 大事なのは、本質的なものが体に感じられてくるということでしょう。
>本質的なものが感じられてくるには、一度、理屈を離れて座禅するのもいい。
>座禅に念仏を重ねるのもいい。やってみると感じられるものがやがて出てくる。
>いちど感じられるものが出てくると、そこから芋ずる式にいろいろなものが見えてくる。本質を突いた言葉も見つかってくるんです。

だからお前には禅が向いてるって(笑)
念仏も親鸞さんも歎異抄も向いてないからやめれ。
102南無阿弥陀仏:2001/05/24(木) 23:47
いいかね、凡夫の中の凡夫にはそういう理屈が既に理解できないのだ。
じゃあそういうことを理解できない奴は救われなくて良いんだな?

そんなこたぁない。
だからヴァカのためには念仏がある。

頭のいい奴は禅とか他の自力門にいけ。
特に渡海は念仏は今すぐ止めれ。
向かないから。
(そうだ!浄土通信を見よう<浄土通信 http://www3.justnet.ne.jp/~katasi-park/>)

>>101 名前:南無阿弥陀仏
>だからお前には禅が向いてるって
     禅を知らんやつからは言われたくない。(笑)

>念仏も親鸞さんも歎異抄も向いてないからやめれ。

 念仏も親鸞も歎異抄も知らん奴からとやかく言われる覚えはないんじゃよ。
 僕の方からは向いて無くても、向こうさんの方がこっち向きなんで大丈夫なんですよ(笑)

>>102 名前:南無阿弥陀仏
>だからヴァカのためには念仏がある。
     ヴァカは屁理屈こねなさんな。こねるとお里がすぐ知れる(笑)。

>頭のいい奴は禅とか他の自力門にいけ。
     軽薄者のヴァカに指図されたくはない(笑)

>特に渡海は念仏は今すぐ止めれ。向かないから。

 ヴァカはヴァカの身の丈で生きて生きなさい。他人を心配するような身分じゃないでしょう(笑)。
>>103
誤 生きて生きなさい。
正 生きて行きなさい。
105コピペ王:2001/05/25(金) 11:02
渡海 難へ。
君いつもいるね。いつもそんなことばかり書いているね。
気付いてるかい?はっきり言って誰も君のこと相手にしてないよ?わかってるの?
それって、自分ではおもしろいと思って書いているんだろうね。
きっと、薄ら笑い浮かべて書いているんだろうね。
でもさぁ、君以外の人には全然おもしろくないんだよ。
もしかして自分でもおもしろくないのに書いているんじゃないの?
自分でも何してるのかわからなくなってるんじゃないの?
家族からも近所からも煙たがられているんだね。
友達も彼女も彼氏もいないんだね。学校でも会社でも浮いているんだね。
どこに行っても相手にされないんだね。
ネットでも無視されてここに流れ着いて来たんだね。
ここでさえ相手にされてないじゃん。どうするの?
かわいそうに。もう駄目じゃん。
生きていても何もいいことないよ?
どうせ誰からも相手にされないんだから、死んだ方がいいんじゃない?
相手にされないから奇抜な言動で注目を浴びようと必死なんだね。
始めは少し注意を向けてもらったのだろうけど、
もう飽きられて完全に無視されているね。
それって迷惑なんだよ?気付いてる?
おもしろくもないのに、意味不明な事を大量に書かれても目障りなんだよね。
さようなら。この世から消えてくれ。君いるだけで迷惑。
せめて最後ぐらい人里離れた山の中で自殺してね。
106コピペ王(105とは別人):2001/05/25(金) 11:54
>105
なっつかしいカキコだー!なんか嬉しくなったよ!
107念仏:2001/05/26(土) 12:53
布教ということ

法然が浄土宗を立ち上げたとき、他力の念仏を説きながらも、
彼自身は自力の修行者として布教にあたったわけです。
その矛盾は、親鸞に至って、より濃厚となってきます。
それは結局、阿弥陀が布教を要請しないという一点にあります。
布教をしなければ往生できないという訳ではありません。
そのため、念仏者の中には、山中に隠棲するもの、市中に埋没するもの、
あるいは、自らの命を縮めるものなどが現れてきます。
「わしが布教せずとも、念仏はこの世から絶えることはない。」
そのような確信が、彼らにはあったことでしょう。
一方、布教という利他の行は、阿弥陀の要請が無い以上、
親鸞にとっても自力の作業とならざるを得ません。
しかも、聖道門すべてを敵にまわして、四面楚歌の状況にあっては、
その作業は、聖道門の荒行以上の苦行といえます。
さらに、たとえば自力の禅家ならば、利他の行としての布教は、
弟子をとり、彼を悟りへと導き、印可を与えるという、自力の仕事です。
弟子が開悟しなければ、釈尊以来の法燈を絶やしてしまうという
重い責任が問われますが、少なくとも、自己矛盾はありません。
しかし、親鸞が、自ら信じる法を人に教え信じさせることができたとしても、
救いの主体はあくまで阿弥陀にある訳です。
親鸞がその人を救ったということにはなりません。
もし、少しでもそのような思いがきざせば、親鸞といえども自力に堕します。
そこで、「弟子をもたず」というのは、他への戒めではなく、
あくまで親鸞自身への自戒の言葉であったということになります。

布教が、利他の行でありながら、利他の行として完結しない、
それが浄土系の仏教の宿命であるように思います。
108念仏:2001/05/26(土) 14:53
布教ということ(その2)

自力であれ他力であれ、「念仏すれば往生す」ということは、
親鸞にとっては自明なことだった訳ですが、
親鸞同様布教の道を志す人が、自力の念仏者であっては困るわけです。
自力の念仏者には、「他力の信行」は説けないからです。
そこで、教行信証は、布教者のために書かれたマニュアルとして、
あくまで「他力の信行」を得た人にのみ与えられました。
自力の念仏者が読むというようなことを想定していなかった訳です。
(そういう場合も想定していたと思える点もありますが、
今回は煩雑になりますので省略させていただきます。)
面白いのは、自力の念仏者でも教行信証を読めば、
それで布教ができてしまうという点にあります。
それほど教行信証の完成度が高いとも言えますが、
一方で、他力を解り難くさせている要因ともなるわけです。
念仏よりも、教学が先行して行けば行くほど、
他力の要門もますます遠ざかっていきます。
法華経を講じて、それが真宗だと言い出す人まで現れます。

法然の法燈を世に広めたいと願う親鸞は、同時に、
賀古の教信の生き様にあこがれる念仏者でもありました。
遠路はるばる親鸞をたずねて来た人々に、
「念仏を取るも捨てるも皆さんの勝手です」と告げることは、
布教者としてみれば薄情なことかもしれません。
しかし、他力の信行に触れた念仏者として、
「皆さんは念仏を捨てることが出来ても、
念仏は皆さんを捨てることが出来ない。」
という確信があって、初めて言える言葉です。
109名無しさん@1周年:2001/05/26(土) 14:59
>>105
コピペとはいえ、慣れない人が読んだら傷つく。慎め。
>>107 名前:念仏
(そうだ!浄土通信を見よう<浄土通信 http://www3.justnet.ne.jp/~katasi-park/>)

 仰りたいことがちっとも分かりません。

>他力の念仏を説きながらも、彼自身は自力の修行者として布教にあたったわけです。

 そんなこたぁ無いでしょう。法然は、大乗の菩薩道を究めていたんでしょう。自力の修行者として布教していたんじゃないでしょう。法然上人は他力念仏宗の一人でしょう(笑)

>その矛盾は、親鸞に至って、より濃厚となってきます。
   <どこに矛盾があるのさ?矛盾は貴方のおつむの中でしょう。>

>それは結局、阿弥陀が布教を要請しないという一点にあります。
   <布教を要請する阿弥陀って何さ?>

>布教をしなければ往生できないという訳ではありません。

 一念慶喜(きょうき)するひとは、往生必ず定まりぬ
 誓願不思議を疑いて 御名を称する往生は 宮殿のうちに五百歳 空しく過ぐとぞ 説きたまう。
>そのため、念仏者の中には、山中に隠棲するもの、市中に埋没するもの、あるいは、自らの命を縮めるものなどが現れてきます。
     <自らの命を縮める?? 邪道・外道だな(笑)>

>一方、布教という利他の行は、阿弥陀の要請が無い以上、親鸞にとっても自力の作業とならざるを得ません。
     <そんな馬鹿な(曝笑)>

>しかも、聖道門すべてを敵にまわして、四面楚歌の状況にあっては、その作業は、聖道門の荒行以上の苦行といえます。
     <そんな馬鹿な(曝笑)>

>さらに、たとえば自力の禅家ならば、利他の行としての布教は、弟子をとり、彼を悟りへと導き、印可を与えるという、自力の仕事です。

 <そんな馬鹿な(曝笑)他力の仕事ということもあるだろう。自力の仕事で行う禅家なら、真宗の坊さん級の二流だな>

>弟子が開悟しなければ、釈尊以来の法燈を絶やしてしまうという重い責任が問われます
     <ま。そういう説はあるな>

>自己矛盾はありません。
     <禅家でも、自己矛盾ではないだろう>
>しかし、親鸞が、自ら信じる法を人に教え信じさせることができたとしても、救いの主体はあくまで阿弥陀にある訳です。
     <なるほど>

>親鸞がその人を救ったということにはなりません。
     <あったりまえだろう>

>もし、少しでもそのような思いがきざせば、親鸞といえども自力に堕します。
    <おい、おい。自力・他力は、思いがきざしたかどうかという問題なのかえ?>

>そこで、「弟子をもたず」というのは、他への戒めではなく、あくまで親鸞自身への自戒の言葉であったということになります。
    <おい、おい。あれは、事実そのものをそのまま言っているだけだろ(笑)>

>布教が、利他の行でありながら、利他の行として完結しない、
     <なんじゃ? これは?>

>それが浄土系の仏教の宿命であるように思います。

<仏教の宿命なんてあるわけないだろう(爆)。あんたが自分で宗教作るのは勝手だけど、その場合には、仏教とか、親鸞とか言う名前を付けるなよな>
>>108 名前:念仏
>自力であれ他力であれ、「念仏すれば往生す」ということは、親鸞にとっては自明なことだった訳ですが

 おいおい。そんなことはないだろう。
 本願を信じ念仏申せば往生す(歎異抄)。
 定散自力の称名は 果遂の誓いに帰してこそ 教えざれども自然に 真如の門に転入す
 安楽浄土を願いつつ 他力の信を得ぬ人は 仏智不思議を疑いて 辺地懈慢に止まるなり

>親鸞同様布教の道を志す人が、自力の念仏者であっては困るわけです。
    <なんだいこれは? 誰が困るんだい?>

>自力の念仏者には、「他力の信行」は説けないからです。

 <他力の念仏者には、「他力の信行」は説けないだろう。真如の門には自然に転入するだけなんだからね>

>教行信証は、布教者のために書かれたマニュアル   <そんな馬鹿な(爆笑)>

>あくまで「他力の信行」を得た人にのみ与えられました。   <そんな馬鹿な(爆笑)>

自力の念仏者が読むというようなことを想定していなかった訳です。    <そんな馬鹿な(爆笑)>
>面白いのは、自力の念仏者でも教行信証を読めば、それで布教ができてしまうという点にあります。
   <そんな馬鹿な(爆笑)>

>それほど教行信証の完成度が高いとも言えますが、   <そんな馬鹿な(爆笑)>

>一方で、他力を解り難くさせている要因ともなるわけです。  <それは貴方に分かりにくいだけだろう>

>念仏よりも、教学が先行して行けば行くほど、他力の要門もますます遠ざかっていきます。
   <そんな馬鹿な(爆笑)>

>法華経を講じて、それが真宗だと言い出す人まで現れます。  <そんなことは勝手だろう>

>賀古の教信の生き様にあこがれる念仏者でもありました。   <なるほど>

>布教者としてみれば薄情なことかもしれません。   <そんな馬鹿な(爆笑)>

>しかし、他力の信行に触れた念仏者として、「皆さんは念仏を捨てることが出来ても、念仏は皆さんを捨てることが出来ない。」という確信があって、初めて言える言葉です。

   <像をなでる議論だな>
>>114

誤 像をなでる議論
正 象をなでる議論
116あっ、そうか:2001/05/27(日) 00:25
このスレはゴキブリホイホイなのか。
<真宗><念仏>というオイシソウな餌のにおいに…
117念仏者:2001/05/27(日) 03:22
ところで妙好人とか念仏の話がしたいのですが、
渡海さんが来ないところで、いいところありませんかね?(笑)
118念仏:2001/05/27(日) 10:05
名前忘れましたが、ある妙好人のうたです。

「正覚の日より阿弥陀にねらわれて、罪とが故にとらわれにけり」
(そうだ!浄土通信を見よう<浄土通信 http://www3.justnet.ne.jp/~katasi-park/>)

>>117 名前:念仏者
 貴方のような話には、一生懸命耳を傾ける人は多いんでしょう。
 念仏と妙好人さんのお話ごっこなら、お寺と檀家間だけを専用に結ぶイントラネットを作って行えばいいでしょう。
 お坊さんには、貴方のような考えに賛成する人は多いでしょう。会員限定の秘密スレッドを作るのもいいでしょう。お坊さん会員限定の秘密スレッドには、僕は行かない。
 秘密スレッドはパスワードの管理を厳格にしなさいよ。管理が甘いと、間違って入ってっちゃうかも知れないから。
 渡海がうるさいので作りたいと言って、僕の名前を出してみなさい。イントラネットでも秘密スレッドでも、提案に賛成する人は多いでしょう。僕は浄土真宗インターネットの嫌われ者だ(笑)。
 僕が数回ほど顔を出した掲示板で、いつのまにか会員制のスレッドに変えたところもありますよ(笑)。

>>118
 教団推薦の妙好人?
120念仏:2001/05/27(日) 11:18
渡海さんへ

「座禅して念仏。」それは黄檗宗です。
「人を阿弥陀に見立てて念仏する。」それは法華経です。

唯円坊も戒めていますので、
自力聖道門の方との争論は控えさせていただきます。
>>120 名前:念仏

>「座禅して念仏。」それは黄檗宗です。

『浄土五会念仏略法事儀讃』に云わく、…… 如来常に三昧海の中において、網綿の手を挙げて、父の王に謂いて曰わく、「王いま座禅してただ当に念仏すべし」と。あに離念に同じて無念を求めんや。 (教行信証 行の巻)

 「教行信証は黄檗宗です」。こういう浄土真宗の坊さんは多いんですよ(笑)。
 教行信証は、浄土真宗の坊さんにとっては黄檗宗の聖典なんですからね。がっかりしますよ(笑)。
>「人を阿弥陀に見立てて念仏する。」それは法華経です。

 見立てるなんて誰も言ってないでしょ。あだなをつけなさいと言っただけですよ。嘘っこであだなをつけたら見立てることになるんですか?
 あだなをつけないでも、そんな小細工をしないでも念仏は称えられると言う人は、好きにしなさいよ。

 賢き思いを具せずして、ただほれぼれと弥陀の御恩の深重なること、常は思い出しまいらすべし。しかれば念仏も申され候う。これ自然なり。我が計らわざるを、自然と申すなり(歎異抄 十六章)。

 あだなをつけないでも、小細工をしないでも、ほれぼれと念仏を称えられると言う人は、好きなようにしなさいよ。あなたみたいに、むちゃくちゃな考えを持っている人は、ほれぼれと弥陀の御恩の深重なることを思い出せと言われても無理でしょう(笑)。念仏なんか出ないでしょう。そういう人に、便宜的に提案しているんですよ。
 念仏を称えてみんさいよと言うと、阿弥陀なんかどこにいるんだと屁理屈をいう人もいる。そういう人に提案しているんです。あだ名をつけりゃ、阿弥陀なんかどこにいるんだと言う屁理屈は出ないでしょう。
 工夫して称える念仏の敷居を低くしましょうよ。僕は、そう言っているだけですよ。
 自分の家族や友人に「阿弥陀仏」というあだ名を付けちゃいけませんか?単にあだ名ですよ。自分のオヤジは阿弥陀仏なんかじゃないと、貴方は言うかも知れない。オヤジは変なことばかりいう奴だというかもしれない。変なことばかりいう奴でもいいんですよ。
 我が所説の十二部経のごとし、あるいは随自意説、あるいは随他意説、あるいは随自他意説なり(真仏土)。

 仏さんは、必ずしもこちらの思い通りのことばかり言ってはくれない。相手に合わせず、自分の良心に合わせてものをいうときがある。随自意説という。自分の良心は保留して、相手に合わせてものをいうときがある。随他意説という。相手と自分の両方に配慮しながらものをいうときがある。随自他意説随他意説という。
 仏さんの言葉は計り知れない。「こいつには阿弥陀仏なんていうあだ名も付けられねぇや」などと表面の様子だけで決める必要はないでしょう(笑)。
 刃物をもってバスを乗っ取り、乗客を殺して運転手を脅迫する少年の言の葉の一部にだって、真理を見つける心理学者はいる。真理を語る相手なら、バスを乗っ取る少年にだって相手にお構いなしに「阿弥陀仏」とあだ名をつけてもおかしくはない。

 親鸞を外し、教行信証も外した浄土真宗を、自分たち坊さん仲間内で作りますというなら、アンタの勝手だ。そのときは、仏教とか、親鸞とかいう名前は使わないでね。

>唯円坊も戒めていますので、自力聖道門の方との争論は控えさせていただきます。

 お好きなようにしなさいよ。
全く自見の覚悟をもって、他力の宗旨を乱すことなかれ。……全く仰せにてなきことをも、仰せとのみ申すこと、浅ましく、嘆き存じ候うなり。
124うふふ:2001/05/27(日) 14:46
>念仏さん
>阿弥陀が布教を要請しないという一点にあります。
>布教をしなければ往生できないという訳ではありません。
還相回向はどうなるの?
往相がそのまま還相、すなわち利他行ではないの?

>教行信証は、布教者のために書かれたマニュアルとして、
>あくまで「他力の信行」を得た人にのみ与えられました。
明恵など聖道門の人に対して書かれたものだと思っていました。
マニュアルはひどい言い方ですよ。
「他力の信行」を得たかどうか、だれが決めるんですか。

>自力の念仏者が読むというようなことを想定していなかった
化身土巻には自力の念仏者のことが書いてありますけど。

どうも変な本を読んで変な知識をつけたようですけど。

南無阿弥陀仏さんの言うことが、言葉は雑だがまともだと思う。
渡海は論外。
125うふふ:2001/05/27(日) 14:49
何にせよ渡海が出てくるとつまらなくなる。
お願いだからもう少し短く読みやすく書いてくださいな。
(そうだ!浄土通信を見よう<浄土通信 http://www3.justnet.ne.jp/~katasi-park/>)

>>124 名前:うふふ
>往相がそのまま還相、すなわち利他行ではないの?

往相=還相=利他行?。 往相=還相? 往相=利他行?
おい、おい。変な本読んで変な知識をつけるんじゃないよ(爆笑)。
「渡海は論外」なんて、誰に向かって言っとるんじゃ?。
もう少し短く読みやすく書けなんていう文句はね、自分のチノーと相談してからにしてくれ。

>何にせよ渡海が出てくるとつまらなくなる。

 こんなこたぁ、自分こそもう少しまともな議論ができるようになってから言いなさいよ。貴方も坊さんらしいねー。

>南無阿弥陀仏さんの言うことが、言葉は雑だがまともだと思う。
    <HN南無阿弥陀仏とは、同じ穴のむじなか。>
127うふふ:2001/05/27(日) 20:49
第三者から見て、南無阿弥陀仏の言っていることは下手な真宗入門よりもわかりやすい。
渡海の嫌みな質問も南無阿弥陀仏がうまく答えているので、これまた真宗入門質疑編となっている。
渡海もたまには役に立つ。

>もう少し短く読みやすく書けなんていう文句はね、自分のチノーと相談してからにしてくれ。
おっしゃるとおりの馬鹿者です。私にもわかるように書いてね。
128南無阿弥陀仏:2001/05/28(月) 01:54
>>119

こら、ここは他力宗スレだ(笑)

「念仏と妙好人さんのお話ごっこ」こそメインであるべきではないのか?(笑)

>>127
>おっしゃるとおりの馬鹿者です。私にもわかるように書いてね。

阿弥陀様は馬鹿をこそ救ってくださいます(笑)

だから渡海が賢いのは分かったから自力宗系のスレにいけよ。
>>127 名前:うふふ
1 南無阿弥陀仏の言っていることは下手な真宗入門よりもわかりやすい。
2 渡海の嫌みな質問
3 南無阿弥陀仏がうまく答えている
4 おっしゃるとおりの馬鹿者です

>私にもわかるように書いてね。
    <すまんがのぅ、馬鹿につける薬は用意がないんじゃ。>
>>128 名前:南無阿弥陀仏

>ここは他力宗スレだ     <あなたが幅を利かせば、無力宗になる>

>「念仏と妙好人さんのお話ごっこ」こそメインであるべきではないのか?    <見解が違います。>

>阿弥陀様は馬鹿をこそ救ってくださいます(笑)

 それなら他人に構わず自分だけ勝手に救って貰えばいいだろう。あんたも坊さんなんじゃろう。現代社会で、馬鹿が開き直って事足りるのは坊さん職業の外にない。

>だから渡海が賢いのは分かったから  
      <ヴァカからは、賢いと言われても、ちっとも嬉しくないわいな。>

>自力宗系のスレにいけよ。

 よいこクラブの秘密スレッドを、あんたらだけで勝手に作ればいいだろう。
 ヴァカからは、自力だなんて言われたくないんじゃよ。ヴァカは他人に構わず阿弥陀に勝手に救われろ。あんたは坊さんか。坊さんだったら、葬式坊主に徹しなさいよ。親鸞はどうだとか、救いだ、成仏だ、念仏だ、自力他力だなんて、あんたは社会に向かってそんな話をする器じゃない。歎異抄も知らないでそんな言葉を口にすれば、その度にあんたはそれだけで人を惑わす。
 馬鹿は馬鹿なりに、葬式執行屋だけに徹すればいい。お布施は入るんでしょう。死んだ人を拝んでいれば、自動的に金は入ってくる。仮に阿弥陀様が救ってくれなくても、死んだ人を拝んでいれば、あんたは檀家の方が救ってくれる。坊さんは檀家によって生かされる。檀家の方が生かしてくださる。あんたは左うちわよ。
131うふふ :2001/05/28(月) 08:11
>すまんがのぅ、馬鹿につける薬は用意がないんじゃ。
阿弥陀さんでもダメなんですか。

渡海は愚者ではなく善人のようですな。
渡海は仏教初心者だから馬鹿は救われないと誤解されておられるのかな。
132迷える老人:2001/05/28(月) 10:55
渡海さんも、うふふさんも、南無阿弥陀仏 、念仏さんも、念仏談義が佳境にはいってきましたな。
それぞれに念仏をいただかれ救われたという体験がおありのようにみうけますが、ぜひ、救われたという
皆さんのお話をご披露ねがいたいものです。
知恵の法然坊。八宗に優れた法然坊といわれて、また愚痴の法然坊ともいわれたのは、
頭で理解していても心がうまずかなかったからでないでしょうか。
133南無阿弥陀仏:2001/05/28(月) 12:46
俺は坊主じゃないぞ。

だいたい宗教的に馬鹿なのと、世間的常識がなくて生計が立てられない馬鹿は違うし、
どの馬鹿のことを話していると思っているんだ。
134ぺぺ2号:2001/05/28(月) 14:43
>>133

 渡海は信者のいない裸の教祖様です。
 あまり相手にしているとバカが移ります。私は初心者や仏教知らないシロートがあの男にだまされて4000円出さないよう監視してるだけです。
 奴には聞く耳がありませんし、会話することもできない電波なのです。
 放置プレイでいきましょう。私はあの男が調子に乗ったら時たま警告にきます。

 
135迷える老人:2001/05/28(月) 17:26
誤 心がうまずかなかったからでないでしょうか

正 心がうなずかなかったからでないでしょうか
  >すみません。年取るとキーボード相手に悪戦苦闘します。
>>133 名前:南無阿弥陀仏

>俺は坊主じゃないぞ。   <失礼しました。>

 
137南無阿弥陀仏:2001/05/29(火) 11:58
みなさん、念仏はタダです。
138念仏:2001/05/29(火) 22:32
>124 うふふさんへ

>還相回向はどうなるの?
>往相がそのまま還相、すなわち利他行ではないの?
還相による布教は勿論他力ということです。
ただ、いまだ往生したことがないので、還相回向はわかりかねます。

最初は上記だけで済ます積もりでいましたが、
無愛想すぎるのでもう少し書いて置きます。
往還一如という思想が親鸞にあったことは確かです。
親鸞の眼には、七祖の高僧達は阿弥陀の再来とも映じた訳で、
彼らの布教を還相回向と呼ぶことは何ら差し支えないということです。
しかし、親鸞が、親鸞自身の布教を還相回向と呼んだことは一度もありません。
139念仏:2001/05/29(火) 22:48
>124 うふふさんへ

>「他力の信行」を得たかどうか、だれが決めるんですか?
それが、自力の修行や思弁の結果として得られるものであれば、
「だれが決めるのか」という問題も起こってくることでしょう。
しかし、「他力の信行」を得られるか否かも、阿弥陀の計らいに拠る事です。
従って、自身と阿弥陀が知れば、それだけで十分です。
人に証したり、人から証される必要もないことです。
140念仏:2001/05/29(火) 23:27
>124 うふふさんへ

化身土は、自力の念仏者が行くといわれる方便土です。
そして、真実の浄土を願うならば、自力を離れて他力の念仏を
目指しなさいという意味を込めて真仏土巻を置いた訳です。
ただし、化身土に対して相対的にある訳ではないので、
真仏土巻もまた方便ということになります。
141地獄ゆき:2001/05/30(水) 07:22
ずっと拝見させてもらいました。
念仏さんへ質問させてもらいます。
1.念仏に自力の念仏と他力の念仏があるとおっしゃいますが、両者はどう違うのですか?
2.すべての人を救うと阿弥陀さまは約束されているのに、なぜ往生できる人とそうでない
  人がいるのですか?
できればお答えください。
142南無阿弥陀仏:2001/05/30(水) 08:55
自力の念仏ってなんだ?
念仏することは他力だろう。

>141
救われることを知らない人は地獄行きを恐れるでしょう。。
救われることを知っている人は地獄行きを恐れないでしょう。
天国が狭き門である宗教を信じている人は可愛そうに、
地獄を死ぬほど恐れるでしょう。
143無心の虫けら:2001/05/30(水) 12:52
赤子が泣くのは、母親を求めるからではない。
赤子は無心に泣き、母親は無心に赤子を抱くんだ。

母親に捨てられたって、赤子は泣きつづける。
144うふふ:2001/05/30(水) 19:47
>念仏さん
二種回向については私もよくわからないのですが、私なりに考えていることを書きたいと思います。
2,3日後に書きます。

>真仏土巻もまた方便ということになります。
これもそうですが、どうも念仏さんの考えはちょっと変だと思うんです。
こう言うと失礼ですけど。
念仏さんが影響を受けた浄土教関係の人は誰ですか。
145念仏:2001/05/30(水) 22:56
>141 地獄ゆきさんへ

>自力の念仏と他力の念仏
たとえば黄檗宗の念仏禅とか、天台宗の五会念仏、親鸞が堂僧として修した
といわれる常行三昧などが自力の念仏と呼ばれます。
ただ、他力の立場から言えば、自力の念仏も他力の念仏も同じ他力の念仏です。
つまり、自力で称えられる念仏など、この世のどこにもないということです。
それゆえ、「自力の念仏でも往生する」と法然は説くわけです。

>なぜ往生できる人とそうでない人がいるのですか?
それは、念仏に出会える人と、出会えない人がいるのは何故か?
という問題になろうかと思います。
中東の田舎町でイスラムの教えを守って生涯を送る人、
生まれてすぐに命を終えた赤ん坊、その他、この世には
念仏に出会えない人々が大勢いる訳です。
ひとつの解釈としては、来世で念仏と出会えるという考え方があります。
もうひとつの解釈は、念仏も実は往生の絶対条件ではないという見方です。
これは異安心の思想ということで、これ以上触れませんが、
「何故か」という問題を持ち続けることは大事なことです。
この世には、ひとつとして簡単に片付く問題はないそうですから。
146念仏:2001/05/30(水) 23:31
>144 うふふさんへ

>念仏さんが影響を受けた浄土教関係の人は誰ですか?
やはり親鸞ということになろうかと思います。

ところで、うふふさんの往生する先は、真仏土巻ですか?
それとも証巻ですか?
真仏土巻を方便と呼んだのはそのような意味です。
147地獄ゆき:2001/05/30(水) 23:50
念仏さん、お答えありがとうございます。
ご回答より新たに起きてきた疑問です。
>>145
>他力の立場から言えば、自力の念仏も他力の念仏も同じ他力の念仏です。
>自力で称えられる念仏など、この世のどこにもないということです
>自力の念仏でも往生する
と言われますが、親鸞聖人の『教行信証化土巻』には、
「おほよそ大小聖人、一切善人、本願の嘉号をもっておのれが善根とするがゆえに、
信を生ずることあたはず、仏智を了らず。
かの因を建立せることを了知することあたはざるがゆえに、報土に入ることなし」
とありますが、「本願の嘉号」は念仏ですね、「念仏をおのれの善根とする」者は、
「報土に入ることなし」とありますが、これはどういうことでしょう。自力で念仏
を称えている人は報土へは往けない、ということではないでしょうか?
>念仏に出会える人と、出会えない人がいる・・・
そういう結果になるのはなぜですか?阿弥陀さまは平等に慈悲をかけているはずなの
に生まれつき遇う縁のない人(つまり往生できない人)は一度六道輪廻するしかない
のだとすると、不公平ではないですか?
よろしくお願いします。

148南無阿弥陀仏:2001/05/31(木) 00:57
別に念仏しなきゃ成仏できないわけじゃない。

普通にやってると成仏できない人のために念仏があるのだ。
149難度海 沈降:2001/05/31(木) 11:58
>>103 渡海氏 wrote ↓
> 念仏も親鸞も歎異抄も知らん奴からとやかく言われる覚えはないんじゃよ。
> 僕の方からは向いて無くても、向こうさんの方がこっち向きなんで大丈夫なんですよ(笑)

手に負えない。数学的思考が出来なすぎ。もっとも驚くにはあたらない。なぜならそれが渡海氏だから。
もっとも、驚かないからと言って糾弾しないわけではない。
阿弥陀さんがこっちを向いてるからと言って、それが渡海氏が語っても「大丈夫」の根拠となるわけがない。
150難度海 沈降:2001/05/31(木) 11:58
>>141 >>147 「地獄行き」さんが渡海氏でないことを念じつつ忠告させて。
その問題について完全な無知じゃないのなら、他人にモノを聞くときは、
「わたしはわたしなりに考えている。で、わたしはこう考えた。だけどあなたはこう言ってる。
 ‥‥わたしの見解とあなたの見解は違うようだ。
 ‥‥わたしは「○○は××だ」のように考えていますが、あなたはどう考えていますか?」
と聞くのが礼儀です。まあ、ここは2chだからなんでもありっちゃありなんだけど、ちょっとね。
「自分なりの見解を持っていて、かつ相手をヘコまそうとしているのに
 最初は気色悪いくらい下手に出て教えを請うポーズを取り、
 だけど自分の非論理的なコトバの展開に酔い出すと罵詈雑言が止まらなくなる」
という渡海氏の聞き方にあまりに似てたものだから気になりました。
渡海氏なら‥‥。すべてのコトバをATフィールドで遮断する人に何を言っても詮無い。
151名無しさん@1周年:2001/05/31(木) 14:34
南無阿弥陀仏と、南妙法蓮華経、どっちが成仏するんだろう。
152うふふ:2001/05/31(木) 20:18
申し訳ないのですが
>うふふさんの往生する先は、真仏土巻ですか? それとも証巻ですか?
>真仏土巻を方便と呼んだのはそのような意味です。
どういう意味かさっぱりわかりません。
真仏土巻がどうして方便なのでしょうか。

>ひとつの解釈としては、来世で念仏と出会えるという考え方があります。
>もうひとつの解釈は、念仏も実は往生の絶対条件ではないという見方です。
こういうことを言うのは、いくら次ぎに
>異安心の思想ということで、これ以上触れませんが
とつけ加えても、ちょっと問題があると思います。
どうも念仏さんは説明が足りないように思います。
153うふふ:2001/05/31(木) 20:18
>難度海 沈降さん
>念仏も親鸞も歎異抄も知らん奴からとやかく言われる覚えはないんじゃよ。
これはともかく
>僕の方からは向いて無くても、向こうさんの方がこっち向きなんで大丈夫なんですよ
これは渡海の言う通り。どうして
>手に負えない。数学的思考が出来なすぎ。
なんだろうか。
ひょっとして本派の教学ではこっちが阿弥陀さんの方を向かなくては
いけないのだろうか。あり得る話ではある。
154うふふ:2001/05/31(木) 20:19
二種回向について
浄土へ歩み続ける人(往相)の姿を見ることによって、
他の人は自ずから仏のはたらきをいただく(還相)。
たとえば、お母さんが寺の説教から帰ってくると、いつもニコニコしながら、
今日はこういう話だったよ、と話してくれた、どういうことかはわからなかったが、
お母さんがうれしそうに話しているので、自分もうれしくなった、
とある人が言っていました。
このお母さんは自分が往相しているとか、まして還相しているなどとは思いもしない。
しかしお母さんが往相という歩みをすることが、
同時に子供に還相というはたらきをしていることになる。
こういうことが二種回向ではないかと思うのですが。乞御批判。
155南無阿弥陀仏:2001/05/31(木) 23:17
>南無阿弥陀仏と、南妙法蓮華経、どっちが成仏するんだろう。

山に登るのに東から登るか西から登るかという違いです。
どっちも頂上にたどり着けるのは変わりません。
156みな:2001/05/31(木) 23:32
>南無阿弥陀仏と、南無妙法蓮華経、どっちが成仏するんだろう。
南無阿弥陀仏は経典にある言葉です。つまり釈迦の説いた言葉です。
南無妙法蓮華経は経典上どこを探しても出てこない言葉です。日本で日蓮がはじめて
造った言葉です。
南無阿弥陀仏の成仏の原理はもろもろの経典に説かれています。
無論、南無妙法蓮華経は何もありません。
157ほぱー:2001/06/01(金) 00:51
自意識過剰なのが人間だと思い知ってれば南無阿弥陀仏でしょう。それを知らないなら妙法でいいんじゃないですか?
158ほぱー:2001/06/01(金) 01:30
っちゅーか。新参者なんすけど。自分の科白も恥ずかしいスレになってますよ。なんか…
159151:2001/06/01(金) 01:42
南無阿弥陀仏と、南無妙法蓮華経の違いがよくわかりました。
有難うございました。そういえば、近所の創価学会の家から、
太鼓たたいて、南無妙法蓮華経を唱えてる声が聞こえています。
あのお経は、日蓮の流れだったんですね。
160南無阿弥陀仏:2001/06/01(金) 02:07
ひくひく…(笑)>159

「あのお経は、日蓮の流れだったんですね。」
このセリフはないだろいくらなんでも(笑)

161難度海 沈降:2001/06/01(金) 05:22
うふふさん。勘違いしてらっしゃいます。>>153
>ひょっとして本派の教学ではこっちが阿弥陀さんの方を向かなくては
>いけないのだろうか。あり得る話ではある。
大丈夫、そんなことはないです。渡海氏はそれ以前。よくいるイタイひと。

>>念仏も親鸞さんも歎異抄も向いてないからやめれ。 >>103
> 念仏も親鸞も歎異抄も知らん奴からとやかく言われる覚えはないんじゃよ。
> 僕の方からは向いて無くても、向こうさんの方がこっち向きなんで大丈夫なんですよ(笑)

文脈的に、渡海氏は「阿弥陀さんがこっちを向いているから何をしても大丈夫」って言ってます。
それは造悪無碍、本覚思想、十劫往生だ。
「(笑)」を書いて逃げ場を造ってるつもりかもしれないけど、渡海氏の浅薄な理解が浮き彫りです。
まあ渡海氏のことだから、そんなのまったく意識してないでしょう。
わたしのコメントにも「だから伝統教学ガチガチの真宗の坊主はいかん!」って言ってくるでしょうね。
162難度海 沈降:2001/06/01(金) 05:26
>>160
そんなもんでしょ。
「教会でもクリスマスやるんですね!」っていう人もいるし、
「死んだら人間ゴミになる」が科学的なモノ言いだと思ってるひともいるし。
‥‥
でもネタとしては秀逸ですね、151。なるほど、こうやるのか。
163ほぱー:2001/06/01(金) 12:50
成程読み返して見ると。渡海難さんって人ですね。スレ全体に文句つけて申し訳ない
164Ψ(´д`)Ψ:2001/06/01(金) 20:43
age
165(´ー`)y−~~ :2001/06/01(金) 21:37
設我得佛 十方衆生 至心信樂 欲生我国 乃至十念 若不生者 不取正覺 唯除五逆 誹謗正法
166念仏:2001/06/01(金) 21:40
>147 地獄ゆきさんへ

>自力で念仏を称えている人は報土へは往けない、ということではないでしょうか?
自力の念仏者とは、他力の念仏を自力でしていると思い込んでいる人です。
つまり、自力の信心で他力の念仏をしている訳です。
もしも、自力の信心で報土へ行けないのであれば、
自力の信心は、阿弥陀の誓願としての念仏を制限する力があることになります。
親鸞は言います。「念仏に勝る善もなければ、念仏を妨げる悪もない」と。
自力の信心は、「念仏に勝る善」ですか?「念仏を妨げる悪」ですか?

ただし、自力の念仏者に自力でも往生できると言えば、布教もそこで終わります。
むしろ、他力と出会う機会を奪うことにもなりかねません。
それ故、「報土へ行けない」「化土にしか行けない」と説いたのです。
真仏土へ行きたければ他力の念仏を心がけよと説かれたわけです。
167念仏:2001/06/01(金) 22:34
>147 地獄ゆきさんへ

>>念仏に出会える人と、出会えない人がいる・・・
>そういう結果になるのはなぜですか?不公平ではないですか?
人にとっては不公平なことかもしれませんが、
阿弥陀にとってみれば、不公平ではないのかもしれません。
つまり、不公平という言葉には、ふたつの意味があろうかと思います。
念仏に出会えないから「かわいそう」という人間的な見方と、
念仏に出会ってしまうほど「かわいそう」という阿弥陀の見方と。

本来なら犬猫に生ずべき身が、あろうことか人として生まれ、
しかも法然を知り、真実の法に触れ、往生が決定する。
それは全て阿弥陀の計らいであったと親鸞には感じられた。
それ故親鸞は「報恩感謝の念仏」しか出来ないといわれたわけです。
阿弥陀はおそらく、「正覚から遠い順」というような、
何らかの基準を持っているのだと思われます。
もしそうなら、念仏に出会えない人は、出会ってしまった人より、
はるかにはるかに善人だということが言えるわけです。
168sob:2001/06/01(金) 22:35
難しすぎる
169宗論は:2001/06/01(金) 22:38
どちらが負けても釈迦の恥。
みなさん、151さん、南無阿弥陀仏は、釈迦の説いた言葉ではありません。現代では、
経典の殆どは、釈迦の説とは、認められていません。阿弥陀仏の起源は、今のところ、
1世紀ごろまでしか遡れません。また、インドには、所謂、口称念仏は、マントラ(真言)
の一つとしてしかなくこれを仏道の基本においたのは、中国の善導です。
南無妙法蓮華経も、日蓮がはじめて造ったものではありません。唱題行そのものは、天台
宗のなかで伝統的におこなわれていました。
170ほぱー:2001/06/01(金) 23:06
167さんへ。一如法海はもう成立しています。どのような命でもその一生に尽きてるんです。
171南無阿弥陀仏:2001/06/01(金) 23:06
難しいことはないです。

本質は単純。
南無阿弥陀仏と唱えよ、
さすれば成仏する。

んで基本的に長文レスは不要なのです。
この宗教には。
172ほぱー:2001/06/01(金) 23:32
ツヅキ無量寿に基準はないですよ。
あと、悪人かどうかでなく悪人だと「解る」かどうかなんです。差はありません。
173ふみ。:2001/06/02(土) 02:37
割り込みすみません。
>>10
>なんでこんなに素晴らしい宗教の信者が増えないのか理解できん(笑)
相当昔の発言ですいません。教義の話もいいんですが、この疑問。自虐的でないとして、どのように
考えておられるのでしょう、みなさん。
教義そのものなのか?
坊さんなのか?
組織の問題なのか?
このスレッドの趣旨と違うようでしたら、別に立てます(人は来ないナァ)ので
そのようにおっしゃってください。
私は坊さんです。
174名無しさん。:2001/06/02(土) 11:07
>>169
「経典の殆どは、釈迦の説とは、認められていません」
これは何を意味するのか?経典を否定するの?
じゃあ何をもって釈迦の教えとするの?
「余経も法華経も詮なし」と言った日蓮を信じるの?
その日蓮よりもえらいという池田さんを信じるの?
175ほぱー:2001/06/02(土) 11:26
ふみさん賛成。他宗の意見が聞きたい。自分には言葉が他宗に呑み込まれてるのを感じる。浄土とか仏とか。
176ほぱー:2001/06/02(土) 11:39
174さん。私らが適当なこと言ったからじゃないか。ところで妙法に法身の教えはあるのか?他スレ行って来ます。
177>175:2001/06/02(土) 12:22
娑婆と極楽浄土の二元性が強すぎますわ。
「二而不二」「相即一如」が徹底されて
ないっつーことで、成仏はむずかしいという結論に達しました。
178うふふ:2001/06/02(土) 13:20
>念仏さん
>他力の念仏を心がけよと
これは変です。
179地獄ゆき:2001/06/02(土) 13:31
念仏さんお答えありがとうございます
>>166
>自力の信心で他力の念仏をしている訳です
私の思いでは、念仏を称える心に自力と他力があり、自力の心で称えるのを自力の念仏、
他力の心で称える念仏を他力の念仏というのだと思います。念仏の元にある弥陀の名号
を薬とすると薬はすべて弥陀の力で完成しましたから他力でしょうが、問題はそれを飲
んで念仏するか飲まずに念仏するかで自力と他力に分かれるのだと思います。
>もしも、自力の信心で報土へ行けないのであれば・・・・
自力の信心では絶対に報土へは往けないというのが真宗の教義ではないでしょうか?
180地獄ゆき:2001/06/02(土) 13:41
念仏さん
>>167
私が不公平だと言ったのは、本来弥陀は平等の慈悲をもって衆生を救おうとされているのに
遇法や往生に前後があるのは、「すべて弥陀の力」としてしまうと平等ではなくなると思った
からです。
「宿善に遅速あり。されば已・今・当の往生あり。弥陀の本願にあいて速く開くる人もあり、
遅く開くる人もあり」(御一代記聞書)
「十方衆生のなかに、浄土教を信受する機あり、信受せざる機あり。いかんとならば、
『大経』のなかに説くがごとく、過去の宿善あつきものは今生にこの教にあうてまさに
信楽す。宿福なきものはこの教にあふといへども念持せざればまたあはざるがごとし。
「欲知過去因」の文のごとく、今生のありさまにて宿善の有無あきらかにしりぬべし」
(口伝抄)
弥陀に差別があるのではなく、衆生の機、上の文であれば宿善に違いがあるからではない
でしょうか?
>阿弥陀はおそらく、「正覚から遠い順」というような、何らかの基準を持っているのだ
>と思われます。
弥陀ではなく、我々に違いがあるのでは?
181地獄ゆき:2001/06/02(土) 13:49
>>180
すいません。
『御一代記聞書』の
「弥陀の本願にあいて速く開くる人もあり」は
「弥陀の光明にあいて速く開くる人もあり」でした
お詫びして訂正します。
182ふみ。:2001/06/02(土) 14:11
>>175
やっぱり別のスレッドをたてましょう。
あと一日だけ、様子を見させてください。
あ私は浄土宗なんです。
183ほぱー:2001/06/02(土) 15:30
自分狭さに申し訳ない。
177さん そっすね。でも、即非の論理を知ってるなら最後はここに来てみて下さい。
184169だが:2001/06/02(土) 15:35
174さんへ、経典は、パーリ語経典も含めて後世の思想、信仰、教団分裂に
よる教団の思惑等を附加しつつ歴史的(約1000年)に成立したというなは、近代
仏教学の常識ですよ。何をもって釈迦の教えとするかについては、今も学者の間
で色々議論がありますが、3(4)法印や、12支因縁などは、釈迦以来の思想
であるというなは、ほぼ通説化していると思います。因みに私は、日蓮信者でも
池田さん信者でもありません。
185ほぱー:2001/06/02(土) 18:06
他力のお育てとか、言わなくなった。娑婆の苦い所食わずに、報土だけ食おうとしてる。
186ほぱー:2001/06/02(土) 18:15
連如さんは正信偈使ったが、その聲明は真言宗からきてたらしい。聲明講習で聞いた。勉強すべき世界は広いよ。
187名無しさん@1周年:2001/06/03(日) 00:19
親鸞は末法人間の罪悪性を見据えてる。
救いの対象はダメ人間、っつーか病める個人であって
個々の人間に巣くう末法病は癒されたとしても、親鸞の思想には
社会を救うという考えは欠落してる。
だから理想の安楽社会ははるか西方浄土であって、これはあきらかに
この娑婆の現実社会じゃない。
188Ψ(´д`)Ψ:2001/06/03(日) 10:39
な〜む〜
189名前変えてぽぱー:2001/06/03(日) 12:29
187さん、梵我一如といい、仏法には無我という。仏教徒には如すべき梵、世界は無いんですよ。東ダケナノカ?そこで因縁果のかたじけなさに気付かされるんです。
190ぽぱー:2001/06/03(日) 13:30
??清沢満之ってどう思います?
191名無しさん:2001/06/03(日) 16:05
浄土真宗正統派(東本願寺派)
192うふふ:2001/06/03(日) 16:12
>161 難度海 沈降さん
本派の人、たとえば信楽や三宮という人の本を読むと、向上心だとか進歩だとかばっかり
書いてあります。
私の方が如来に向かわなければいけない、と言う人が本派では結構いるんじゃないですか。
193念仏:2001/06/03(日) 22:01
>178 うふふさんへ

>>他力の念仏を心がけよと
>これは変です
そうです。変です。

>179 地獄ゆきさんへ

「他力の心で称える」それもまた自力です。
阿弥陀の薬とは、念仏のことです。
阿弥陀の薬を飲むとは、念仏申すということです。
つまり、念仏自体が他力ということです。

「自力の信心では化土にしか行けない、化土に行く人は地獄に落ちる。」
そういう人が唯円坊のころにもいた訳です。
唯円坊は「化土で修行した上で報土に行けるのだ」と説明しています。
194念仏:2001/06/03(日) 22:34
>180 地獄ゆきさんへ

親鸞が宿善という言葉を使うときには、
褒めるべき時に褒めてあげたという程度の意味です。
あまりこの言葉にこだわりを持たないほうがいいと思います。
195名無しさん@1周年:2001/06/04(月) 10:46
>>189
えぇ、ですから、はなっから相対有限と絶対無限に
分離させれば「即一如」を拒絶した論理なりますわな。
196難度海 沈降:2001/06/04(月) 16:48
>>192 うふふさん

そうです、います。でもわたしは、信楽・三宮の言葉は
「向こうから来るのか。じゃあわたしは何もしなくて良いのかー。なんだー。ほっ」
と言って何もしなくなってしまう人を戒めた(?)言葉として受け取ってます。
向かわなければ、来てるのもわからないと思う。
ただ、善因善果・悪因悪果、あるいは一因一果は「仏教」とは言えない。
「縁起の法」に則れば、こっちがよかれと思ったことが必ず良い結果を生むとは言えない。
果から因を見るのみ。しかも事実は「塞翁が馬」。
だから「進歩」とか「向上心」とかって言って奨励するのもどうかと思う。
だけど、完全に何もしないのが「他力」だということでもないと思う。
矛盾してるのかも‥‥。(^^;) なんせわたしのように考えるとなかなか動けない‥‥。
197ポパー:2001/06/04(月) 17:26
分離させてるのは誰か、というのが一つ。即非と即一如は究極で同じです。不同にして同なり、の何が不同なのか知られんと同がわからん、ってことです。
198ポパー:2001/06/04(月) 17:56
あ、上のは195サンへ。空海さんも十住心論の九と十の間に断絶を置いてませんでしたっけか。
199ぽぱー:2001/06/04(月) 19:38
そういや195さん、空海さん系でなかったら失礼。
>>161 名前:難度海 沈降
>文脈的に、渡海氏は「阿弥陀さんがこっちを向いているから何をしても大丈夫」って言ってます。

 薬があるんだから毒を好もうと言った覚えはないんですけどもね。
ま、嘘つき坊主は鷺を烏と言うこともある。烏を鷺だと言うこともあるでしょう(笑)。
201名無しさん@1周年:2001/06/04(月) 22:43
>>197 ポパーさん

こんばんわ。仰りたいことは解かります。
しかし「即非」と「即一如」はあくまでそれぞれ言葉の
意味としては再往一体しまへん。絶対-相対、無限-有限も。
「実相」の対峙が実は本質的に一如であるということでっしゃろ。
「言葉」じゃおまへん。「実相」でんがな。
まぁ「空の義」、分解してったらキリおまへんでぇ。
ところで「十住心論」って何?
天台で言うところの「十界互倶」でっか?
202ぽぱー:2001/06/05(火) 14:46
天台宗の人すか。大学教科並に門がある、と聞いてます。実相、っすね。こっちはまとまりすぎてて、言葉の不足を感じてます。
203ヒマナテラダぽぱー:2001/06/06(水) 03:02
十住心論は空海さんの著書で、人を十のステージに分けたものです。
204名無しさん@1周年:2001/06/06(水) 10:22
>ぽぱー さん

おはようございます。
れすくれはったんですね。
わて、天台宗ちがいま(笑
つまり、仏界−菩薩界の断絶でっしゃろか?
205ぽぱー:2001/06/06(水) 11:27
だと思ってます。何も分かろうとしてない自分ですが。
206名無しさん@1周年:2001/06/06(水) 13:07
そうでんなぁ
うちとこも仏界のほかは俗界ですわ。
1:9で互具してるっちゅうことです。
とある天台さんとこから、それちゃう!
言われましたけどなぁ(笑
207ぽぱー:2001/06/06(水) 16:04
(笑
一人空間てそんな感じすもんね。現実相思い知り度に比例してるんかなあ見えて深刻な人歩み早いですもんね。
208難度海 沈降:2001/06/07(木) 04:24
>>200 (お、キリ番やん。)

自分が何を言ってるのか、ほんとにわかってないんだね。やれやれ。
もっと冷静に読んでみたら? >>103
他人の言葉を否定しようとしてやっきになるのは渡海氏のことだから仕方ないけど、
自分のコトバをもっと批判的に見ないとどうしようもないよ。
って、渡海氏にこんなまともなことを言ってもはじまらないな。
209だったらたら sah:2001/06/07(木) 09:50
>>206
仏界:俗界 =(だったら)=> 西方極楽:娑婆
浄土系とそんなに変わんないじゃん(^^;)
210ぽぱー:2001/06/07(木) 11:11
208さん、そう。私らは菩薩界にもいない。むしろそこから放り出されるんだが。求めちゃう。
211ぽぱー:2001/06/07(木) 11:13
求めちゃうねえ。
212名無しさん@一周年:2001/06/07(木) 12:11
>209さん

わて、十界は心の世界思うてます。
"place"とちゃう言うことですわ。
言いあきましたがな、「相即一如」に
法るんやったらどこかで境界つけなぁあきまへんやろ?
めざすとこが「仏」やったら一歩手前でんがな(笑
"place"的には、わて、娑婆も仏土の一部や思う
てますさかい。。説明ヘタでゴメンなぁ。

>ぽぱーさん おはよう。
213ぽぱー:2001/06/07(木) 14:30
おはよー。
PlaceにむしろFieldという言葉を贈りたい。唯識ってそんな雰囲気がする。
214名無しさん@一周年 :2001/06/07(木) 14:36
>ぽぱーさん

ビンゴや、それ!(笑
215ぽぱー:2001/06/07(木) 16:29
本歌取りっす。サンスクリットの第一人者って教授が浄土の英訳をBuddha Field としてて、気に入ったんです。
>145 名前:念仏
>黄檗宗の念仏禅とか、天台宗の五会念仏、親鸞が堂僧として修したといわれる常行三昧などが自力の念仏と呼ばれます。

 自力・他力は所属する宗派の区分なの?自力宗に属する人が称えると自力の念仏になり、他力宗に属する人が称えると他力の念仏になる。? セクト主義丸出しのケツの穴の小さい他力ですね(笑)

>他力の立場から言えば、自力の念仏も他力の念仏も同じ他力の念仏です。

 自力の立場から言えば、自力の念仏も他力の念仏も同じ自力の念仏になる?? なんじゃこれは??。

>自力で称えられる念仏など、この世のどこにもないということです。それゆえ、「自力の念仏でも往生する」と法然は説くわけです。

 念仏の行につきて自力・他力ということあり。これは極楽をねがいて弥陀の名号をとなうる人の中に、自力のこころにて念仏する人あり(長楽寺隆寛律師)。

 古典とは違う新説を立てるときは、自分の新説であることを明示して欲しい。

>もうひとつの解釈は、念仏も実は往生の絶対条件ではないという見方です。
       <こんな解釈があるの?始めて聞いた。貴方の新説ですか?詳しく知りたい(笑)。
>>146 名前:念仏
>やはり親鸞ということになろうかと思います。
      親鸞が聞いたら腰を抜かすかも知れない(笑)。

>うふふさんの往生する先は、真仏土巻ですか? それとも証巻ですか?

 真仏土巻に往生? 証巻に往生? なんじゃこれは? 源氏物語にでも往生する奴ってのがいるのかいな?

>>151 名前:名無しさん@1周年

>南無阿弥陀仏と、南妙法蓮華経、どっちが成仏するんだろう。

 面白い疑問だ(笑)。

>>154 名前:うふふ
>こういうことが二種回向ではないかと思うのですが。乞御批判。

 寺の説教に行って帰ってくるというということだけなんじゃないですか。往相でもない。還相でもない。好きに生きたい一人の女性の娑婆での普通の生活の一断面でしょう。二種回向に関係があるの??二種回向って何??
>>156 名前:みな
>南無妙法蓮華経は経典上どこを探しても出てこない言葉です。日本で日蓮がはじめて造った言葉です。

 観無量寿経に出て来る言葉です。
 「命終わらんと欲る時に、善知識の、ために大乗十二部経の首題の名字を讃むるに遇わん。かくのごときの諸経の名を聞くをもってのゆえに、千劫の極重の悪業を除却す。」
 「大乗十二部経の首題の名字を讃むる」が起源でしょう。


>>157 名前:ほぱー
>自意識過剰なのが人間だと思い知ってれば南無阿弥陀仏でしょう。それを知らないなら妙法でいいんじゃないですか?
      <意味不明>

>>163 名前:ほぱー
>成程読み返して見ると。渡海難さんって人ですね。スレ全体に文句つけて申し訳ない
       <文句??>
>>166 名前:念仏
>自力の念仏者に自力でも往生できると言えば、布教もそこで終わります。
   <布教もそこで終わります?? 何じゃこれ??>

>他力と出会う機会を奪うことにもなりかねません。  <誰が奪う??>

>それ故、「報土へ行けない」「化土にしか行けない」と説いたのです。  <小細工を使った?>

>真仏土へ行きたければ他力の念仏を心がけよと説かれたわけです。
   <他力の念仏を称えられない人は救われない??>

>>167 名前:念仏
>それ故親鸞は「報恩感謝の念仏」しか出来ないといわれたわけです。

 浄土真宗に帰すれども 真実の心はありがたし 虚仮不実のわが身にて 清浄の心もさらになし
 外儀の姿はひとごとに 賢善精進現ぜしむ 貪瞋邪儀多きゆえ 奸詐ももはし身にみてり

 私は、報恩感謝の念仏は出来るぞと言ったのかな??

>阿弥陀はおそらく、「正覚から遠い順」というような、何らかの基準を持っているのだと思われます。
          <新説だな(笑)>

>もしそうなら、念仏に出会えない人は、出会ってしまった人より、はるかにはるかに善人だということが言えるわけです。
        <意味不明。つき合いきれん>
>>168 名前:sob
>難しすぎる    <同感>

>>169 名前:宗論は
>南無阿弥陀仏は、釈迦の説いた言葉ではありません。
    <それがどうした??>

>>170 名前:ほぱー
>一如法海はもう成立しています。どのような命でもその一生に尽きてるんです。
     <??? 意味不明。つき合いきれん>

>>172 名前:ほぱー
>無量寿に基準はないですよ。       <???  意味不明。つき合いきれん>

>悪人かどうかでなく悪人だと「解る」かどうかなんです。差はありません。  <??? 何が言いたいんだろう>

>>176 名前:ほぱー
>ところで妙法に法身の教えはあるのか?他スレ行って来ます。   <??? 何が言いたいんだろう>

>>177 名前:>175
>娑婆と極楽浄土の二元性が強すぎますわ。「二而不二」「相即一如」が徹底されてないっつーことで、成仏はむずかしいという結論に達しました。
     <??? 何が言いたいんだろう>
>>183 名前:ほぱー
>自分狭さに申し訳ない。        <日本語だろうか??>

>177さん そっすね。でも、即非の論理を知ってるなら最後はここに来てみて下さい。
     <??? 何が言いたいんだろう>

>>185 名前:ほぱー
>他力のお育てとか、言わなくなった。娑婆の苦い所食わずに、報土だけ食おうとしてる。
     <??? 何が言いたいんだろう>

>>186 名前:ほぱー
>聲明講習で聞いた。勉強すべき世界は広いよ。     <何を勉強しているんだろう??>

>>189 名前:名前変えてぽぱー
> 梵我一如といい、仏法には無我という。仏教徒には如すべき梵、世界は無いんですよ。東ダケナノカ?そこで因縁果のかたじけなさに気付かされるんです。
     <??? 何が言いたいんだろう>

>>195 名前:名無しさん@1周年
>はなっから相対有限と絶対無限に分離させれば「即一如」を拒絶した論理なりますわな。
     <??? 何が言いたいんだろう>
>>197 名前:ポパー
>分離させてるのは誰か、というのが一つ。即非と即一如は究極で同じです。不同にして同なり、の何が不同なのか知られんと同がわからん、ってことです。
     <??? 何が言いたいんだろう? 日本語なのだろうか??>

>>201 名前:名無しさん@1周年
>仰りたいことは解かります。
     <僕にはさっぱり分かりません。>

>しかし「即非」と「即一如」はあくまでそれぞれ言葉の意味としては再往一体しまへん。
       <何が言いたいんだろう?  宇宙人の地球襲撃暗号か??>

>絶対-相対、無限-有限も。「実相」の対峙が実は本質的に一如であるということでっしゃろ。「実相」でんがな。まぁ「空の義」、分解してったらキリおまへんでぇ。ところで「十住心論」って何?天台で言うところの「十界互倶」でっか?

 関西弁で書かれると、それだけで浦島太郎の寝言に聞こえる。まして、「言葉じゃおまへん」などと言う言葉を弄されたら、聞き手は不愉快になる。文法も守って分かるように書いて欲しい。分裂病患者が書いた抽象画を見ている感じだ。言葉で説明できないことなら、最初から書くべきではないだろう。煽ってるつもりでないならしっかり書くべきだ。
>>202 名前:ぽぱー 投稿日
>天台宗の人すか。大学教科並に門がある、と聞いてます。実相、っすね。こっちはまとまりすぎてて、言葉の不足を感じてます。

 他人にも分かる話を書いて欲しい。「まとまりすぎてて、言葉の不足を感じてます」とは、どういうことか?? まとまってなければ言葉の不足もあるだろう。「まとまってても、なお言葉の不足を感じてます」なら話はまだ通じる。「まとまりすぎてて、言葉の不足を感じてます」などと、頭は大丈夫なのだろうか??


>>205 名前:ぽぱー
>だと思ってます。何も分かろうとしてない自分ですが。   <自分一人の閉鎖空間にいる人のようだ>

>>206 名前:名無しさん
>うちとこも仏界のほかは俗界ですわ。1:9で互具してるっちゅうことです。とある天台さんとこから、それちゃう!言われましたけどなぁ(笑

  <「うちとこ??」 坊さん良い子村の呪文の掛け合いは、はたで聞くとイライラしてくる。>

>>207 名前:ぽぱー
>一人空間てそんな感じすもんね。現実相思い知り度に比例してるんかなあ見えて深刻な人歩み早いですもんね。

 十分に目を覚ましてから書いて欲しい。寝言うわごとはイライラしてくる。
>>209 名前:だったらたら sah
>仏界:俗界 =(だったら)=> 西方極楽:娑婆 浄土系とそんなに変わんないじゃん

 この連中の話が分かるんか?  すごいな(笑)

>>210 名前:ぽぱー
>私らは菩薩界にもいない。むしろそこから放り出されるんだが。求めちゃう。
   <坊主の寝言はイライラする>

>>211 名前:ぽぱー
>求めちゃうねえ。      <坊主の寝言はイライラする>

>>212 名前:名無しさん@一周年    <坊主の寝言はイライラする>

>>213 名前:ぽぱー
>おはよー。 PlaceにむしろFieldという言葉を贈りたい。唯識ってそんな雰囲気がする。
  <没我にふける精神病院の掲示板みたいだ>

>>214 名前:名無しさん@一周年
>ビンゴや、それ!(笑         <なんだ。これ ??>

>>215 名前:ぽぱー
>本歌取りっす。サンスクリットの第一人者って教授が浄土の英訳をBuddha Field としてて、気に入ったんです。         <いやはや。付き合いきれん>
225南無阿弥陀仏:2001/06/08(金) 11:52
よくわかった。
渡海のカキコは「ー------終了----------」
に相当することを(笑)
>よくわかった
  よくわかった?? はて? 何が? 何がよくわかった??
  「に相当することを」?? ?? ここは地球襲撃を図る宇宙人の信号中継スレッドか??
  HN南無阿弥陀仏とは、インドあたりに本拠を置くエイリアンか?  
227ふみ。:2001/06/08(金) 13:25
>>225
同意。
「イライラする」とレスしても、何にもならないと思うが。
気がついたらやっちゃうのかな?
228うーむ:2001/06/08(金) 13:40
age
229ウールリッチ:2001/06/08(金) 13:54
のページ容量10レス分を超えてるんだって
230名無しさん:2001/06/08(金) 13:58
231ぽぱー:2001/06/08(金) 14:32
やっとで来れた。皆さんどーも。
ま確かに自分は良い子系なんかもしらんけど…
232南無阿弥陀仏:2001/06/08(金) 23:33
たぶんスレッドを殺す名人なんだろう(笑)
233ぽぱー:2001/06/08(金) 23:41
話変えますが、宗派の違いって何なんでしょうね。浄土宗系の人、親鸞さん連如さん清沢満之さんどう思ってます?
234南無阿弥陀仏:2001/06/09(土) 02:23
師匠が違うだけでしょ。
235名無しさん@1周年:2001/06/09(土) 06:28
z
236ぽぱー:2001/06/09(土) 09:47
じゃあ構造について…
いいやもう成り行き任せで。
237ぽぱー:2001/06/09(土) 11:44
善導太師はどうなの?
238ぽぱー:2001/06/09(土) 23:51
…自分がするような質問じゃないみたいっすね。やめときます
239名無し:2001/06/10(日) 04:07
…去ったか。
240ふみ。:2001/06/10(日) 11:47
>>233
宗による違いはあるでしょう。けど、良く分かんない。
ただ、書き込みを見ていて「ん?」という違和感をたまに感じます。
それが、浄土宗と浄土真宗・などの違いなのか
僕の個人的な感覚でなのか、、まで判別できないんです。すいません。
今度、だれかに聞いてみます
241ぽぱー:2001/06/10(日) 13:41
東で、唯除の文よく知ってる人に聞いて下さい。分かると思うんで。
242ぽぱー:2001/06/10(日) 14:05
とりあえず谷大の延塚知道先生は、浄土を[事実の世界]と呼んでます。
243信徒:2001/06/11(月) 00:53
みんな小難しく解釈してるけど、「なんまんだ〜、なんまんだ〜」
って唱えてるおじいちゃん、おばあちゃんの話のほうがインパクト
あるなぁ・・正直。
(南無阿弥陀仏)ってそんなに難しく解釈せんなあかんのか?
そんなんやったら、それこそ出家仏教の難行といっしょやん。
244珍太郎:2001/06/11(月) 01:30
「なんだ、こーゆーことか」腑におちてしまえばもう理屈はいらない。
仏教学者とかの書いた教義の本も前はよく読んだけど、もういいや。
わかっちゃえば簡単だけどその理解を表現しようとしたらすごくむつかしい。
でもじぶんは学者でもないし、そんなところで拘泥していても仕方がないん
で理屈をこねくりまわすのはやめちゃった。
それより宗教宗派とわず信仰のよろこびについて書かれているものに
ふれるほうが今はずっとたのしいな。
245名無しさん@そうだお墓参りにいこう:2001/06/11(月) 02:36
人を勝手に悪人凡夫とやらにしておいて、たかが御六字で救われると思うなよ。

前はそう思っていたが、他と違って実生活における戒律や政治的なもの含めて
一切面倒くさく無くってよろしい。まぁ、亡くなってから裁きで大日如来と対決する
必要も無いし。

インドでは、光炎王仏不動明王・阿弥陀仏弥勒菩薩または文殊菩薩御稲荷様・
大日如来お閻魔様は梵天・帝釈天・第六天と相容れぬ敵対関係だしね。

古代インド戦記物名著であるマーハバラータにある、宗教上対立が原因で発生した
内乱鎮圧にあったって、将軍が王子に出征を促すために諭した一節がなかなか良い。

結末は、やがて異民族の大移動に翻弄され、茶枳尼天を祭ってアフガニスタン地方へ
撤退していく塞(サカ)族を見守りながら、頑なに梵天を祭りネパール地方へシャカ族と
思われる部族が撤退していくシーンで終わる、大スペクタクルロマンである。

いわゆる、将軍の言うところの、戦争になる理由や毒喰らわば皿までものゴタクが、
そのまま後でお経になっていたりする。奥が深いよ。
246ぽぱー:2001/06/11(月) 10:55
難しく考えてるつもりってないなあ。自分は疑いの心が強くて、むしろやっとここに腑におちるところを感じたんだ。
247渡海難ウォッチャー:2001/06/11(月) 15:15
ぽぱーさん、あなたは2chで最もレスが下手な人ですなー。
もっと勉強しましょう!!
248ぽぱー:2001/06/11(月) 16:52
勉強します。
249真理の御霊 最聖 麻原彰晃尊師:2001/06/11(月) 19:58
>>242
谷大の延塚知道先生の愛車は、レーダー探知機装備の現行レジェンドです!
250信徒:2001/06/11(月) 23:47
>>244
ご名答
251ふみ。:2001/06/12(火) 01:46
>244
ここはバーチャルな、言葉だけの空間ですからね。
行がない。
252うふふ:2001/06/12(火) 18:05
>217 渡海難
>寺の説教に行って帰ってくるというということだけなんじゃないですか
おっしゃるとおり。
しかし私は還相回向とは願生者の歩みがおのずと
還相のはたらきになっていることだと思います。
その好例が妙好人です。
253うふふ:2001/06/12(火) 18:08
>196 難度海沈降さん
>何もしなくなってしまう人を戒めた(?)言葉として受け取ってます。
身びいきではないでしょうか。
向上心や努力を説くのは結構です。
しかしそれが行き詰まった地点でどうなのか、ということを彼らは言わない。
浄土宗と浄土真宗の違いはここだと思います。
とにかく念仏せよ。これが浄土宗でしょう。
信楽や三宮は浄土宗ですよ。
254ぽぱー:2001/06/12(火) 19:17
>>252うふふさん
もっとしつこく言うなら、阿弥陀仏の妙好人を通しての回向、ですよね。
>>252 名前:うふふ
>おっしゃるとおり。   <誰が考えても当然のことでしょ>

>しかし私は還相回向とは願生者の歩みがおのずと還相のはたらきになっていることだと思います。

 ま、思うのは勝手じゃな。自見の覚悟を持ち出せば様々な他力の宗旨が誕生する。百花繚乱は目出度いが、「釈迦の遺法ことごとく 竜宮に入り給いにき」
 雨後の竹の子のように新真宗が誕生する。誰も親鸞会を笑えない(笑)。

>その好例が妙好人です。    <なるほど。なるほど(笑)> 
>>254
 ぽぱーさんは坊さんらしいが、回向の意味も知らないとは、思わなかったよ。やれやれ(笑)。

参考 http://mentai.2ch.net/test/read.cgi?bbs=psy&key=987765451&st=602&to=602&nofirst=true
257七子:2001/06/13(水) 17:29
既出かもしれませんが、教えていただきたいことがあります。
嫁ぎ先が、「門徒宗」なのですが、どんな宗教なのでしょうか?
浄土真宗系だと聞いたんですが、私は始めて聞いた宗派です。
誰がどんな教えを説いて、浄土真宗から枝分かれをしていったのか教えてください。
258大辞林:2001/06/13(水) 17:39

もんと_しゅう【門徒宗】浄土真宗のこと。
259南無阿弥陀仏:2001/06/26(火) 23:03
すでに救われている。
素晴らしい。

阿弥陀の慈悲の大海では身を捨ててこそ浮かぶのだ。
泳げるものは泳いで彼岸に至ればよいが、
泳げないものは泳げないと認識すれば阿弥陀様の慈悲はそなたを浮かべてくださる。
泳げないのに泳げると錯覚してもがいても、
幾ら泳ごうともがいても、沈むだけである。
260念仏:2001/06/28(木) 23:26
「念仏すれば往生す。念仏は自力に非ず。」
ただそれだけのことです。
261名無しさん@1周年:2001/07/01(日) 02:26
age
262名無しさん@1周年:2001/07/03(火) 09:27
a
263名無しさん@1周年:2001/07/05(木) 00:21
age
264僧侶見習:2001/07/05(木) 15:45
え〜っと、質問!!
この板に本職の坊さんはいるの?
265名無しさん@1周年:2001/07/05(木) 15:46
>>264
まともな坊さんはいないと思われ。
まともな坊さんならば2chには来ません。
266僧侶見習:2001/07/05(木) 15:51
まともな坊さんなんていないよ!!
267名無しさん@1周年:2001/07/05(木) 16:11
そう!2chに悪口書いてる奴は
嘘つきとバイトだけ!
268名無しさん@1周年:2001/07/05(木) 22:26
age
269名無しさん@1周年:2001/07/08(日) 17:25
age
270名無しさん@1周年:2001/07/15(日) 00:51
すみません。
「法名」っていうのを頂きたいのですが
どのようにしたら良いのでしょうか?
京都西本願寺に行かなくてはダメでしょうか?
あと「法名」は中国人の字(字)のように
普通に使うことが出来るのでしょうか?
ご教示下さい。
ちなみに当方の宗旨は真宗本願寺派です。
271名無しさん@1周年:2001/07/15(日) 00:55
270です
訂正
字(字)→字(あざな)
失礼しました
272名無しさん@1周年:2001/07/26(木) 18:06
>>270
申し訳ありませんが、本願寺派のことは分かりません。
真宗大谷派では、理想的なのは本山(東本願寺)での受式でしょうが、
末寺の住職がご門徒の帰敬式(おかみそり)をして法名を伝達することができるようになりました。
http://www.hongwanji.or.jp/sanpai/index.htm
本願寺派の帰敬式のご案内のアドレスです。

もし、帰敬式をうけられて法名をいただいたなら、
その法名を日常生活で使われるということは
理想的なことなのではないかと思います。
仏教に帰依し入信し、仏弟子(釈尊の弟子)となった名のりが法名ですから、
その気持ちを忘れないために、日常的に使われたらいいと思います。

すみません、通りがかりに目にした者ですから・・・ついおせっかいなもので・・・。
273名無しさん@1周年:2001/07/26(木) 20:54
>>270
実に枝葉末節なことですが、京都西本願寺系の宗派名は、
「真宗本願寺派」ではなく「浄土真宗本願寺派」です。
本願寺派以外の浄土真宗系宗派は、「真宗○○派」と名乗っています。
どういう意味があるのかは知りませんが・・・。
274名無しさん@1周年:2001/07/26(木) 21:01
>>273
昔、紛らわしいので浄土宗がクレームをつけたか、
真宗各派が配慮したかで「浄土」を外した
ただ本願寺派は強硬に押し通して外さなかった。
違うかな‥?
275270:2001/07/27(金) 00:11
>>272
>>273
ありがとうございました。
ところで、「帰敬式」って
某宗教のように「おまえは信仰心が薄い」とかいって
なんか熱心に信心をやらなければ受けられないとか
そういうのではないですよね?
276名無しさん@1周年:2001/07/27(金) 08:57
>>275
いいかげん?ファジー?なイメージ通りの浄土真宗。
来る者は拒まずで、全くのノーチェック。 (^_^;)
>276
>来る者は拒まずで、全くのノーチェック。 (^_^;)

 あれはお金がいるんだろう。受けたことは無いから知らないが、無料ではないんだろう。お金のチェックはあるんだろう。お布施しないと信心があっても受けられないんじゃないの。
 ま、麻原さんのキリストのイニシェーションと本質は同じだろう。LSDは使わないと思うから、少しは違うのかな。
278名無しさん@1周年 :2001/07/27(金) 22:29
AGE
279名無しさん@1周年:2001/07/28(土) 07:49
age
280名無しさん@1周年:2001/07/30(月) 08:48
レスなくなっちゃいましたね。
281名無しさん@1周年:2001/08/07(火) 01:41
しょうしんげってお経??
仏説阿弥陀経・仏説無量受経 仏説観無量寿経しかないの??
御文章って何言ってるのかわからん
282名無しさん@1周年:2001/08/07(火) 01:46
なもふかしぎこー
283名無しさん@1周年:2001/08/08(水) 00:15
age
284名無しさん@1周年:2001/08/08(水) 01:13
あげ
285名無しさん@1周年:2001/08/08(水) 01:18
age
286名無しさん@1周年:2001/08/10(金) 20:11
渡海 難さん、はじめまして!
あなたは、ここへどういう目的で書き込みをされているんでしょうか?
スレッドを遡ってみても、揚げ足ばかり取られているようで、あなたの
主張が全然みえてきません。
何を言いたいのか? 何を主張したいのか? よく分からないのです。
そのせいで、とても分かり辛いスレッドになってしまっているように
感じます。

もし、よろしければ、まず、あなたの浄土系宗派に対する立場(肯定派・
否定派)を教えて頂けますか? そして、あなたにとっての念仏とは、
どういうものなのか? その辺りを、お教え頂けると、今までの書き込みに
1本筋が通って、非常に読みやすくなると思うのです。

あなたは、自ら初心者と書きながらも、仏教について詳しい知識をお持ちの
ようです。渡海さんの考えを是非教えて下さい。
287名無しさん@1周年:2001/08/10(金) 20:43
>>286さん
渡海難とあんまり相手にしないほうがいいと思います。
彼は、2chにおいて嫌われています。彼はこの板のあちこちのスレでアホなことばかり言っており、それが故にみんなからウザがられています。
ですから、彼の事はほっときましょう。

とりあえず、これを読んで見てください。
http://mentai.2ch.net/test/read.cgi?bbs=psy&key=997002274
288286:2001/08/11(土) 18:41
>>287
あっ、読みました。ご紹介、ありがとうございます。
渡海さんがどういう論調の方なのかはだいたい分かりました。
それでも、お話が聞いてみたいのです。
289名無しさん@1周年:2001/08/11(土) 18:50
>>288=>>286
だから、渡海の話を聞いちゃ駄目だって!無視したほうがいいよ!
渡海の相手ばかりしたら頭がおかしくなるんだから!
4000円ぼったくられても知らないぞ!
290名無しさん@1周年:2001/08/11(土) 18:58
>>288
渡海が仏教に詳しいなんて言ったら笑われますよ。
他のスレにもっと詳しい人がいます。
知識だけでなく、体験に基づいて話してる人もいますので、
そちらを薦めます。
渡海は仏教ではなく、親鸞狂ですよ。
291名無しさん@1周年:2001/08/11(土) 20:18
>>290
まぁ、いいじゃないですか。
かなり地底深くに沈み込もうとしていたスレを掘り起こしたんだから、
渡海が286に行う仏教講義の場に提供すれば。
292名無しさん@1周年:2001/08/11(土) 20:52
>>290

>>286が渡海難に騙されて不幸な人生を送らないかどうか心配してるんです。
人事だと思ってそんなことを言わないように。
293292:2001/08/11(土) 21:18
>>290>>291のまちがいです。訂正します。
294名無しさん@1周年:2001/08/13(月) 11:48
295名無しさん@1周年:2001/08/14(火) 19:17
南無阿弥陀仏南無阿弥陀仏南無阿弥陀仏南無阿弥陀仏南無阿弥陀仏南無阿弥陀仏南無阿弥陀仏
南無阿弥陀仏南無阿弥陀仏南無阿弥陀仏南無阿弥陀仏南無阿弥陀仏南無阿弥陀仏南無阿弥陀仏
南無阿弥陀仏南無阿弥陀仏南無阿弥陀仏南無阿弥陀仏南無阿弥陀仏南無阿弥陀仏南無阿弥陀仏
南無阿弥陀仏南無阿弥陀仏南無阿弥陀仏南無阿弥陀仏南無阿弥陀仏南無阿弥陀仏南無阿弥陀仏
南無阿弥陀仏南無阿弥陀仏南無阿弥陀仏南無阿弥陀仏南無阿弥陀仏南無阿弥陀仏南無阿弥陀仏
南無阿弥陀仏南無阿弥陀仏南無阿弥陀仏南無阿弥陀仏南無阿弥陀仏南無阿弥陀仏南無阿弥陀仏
南無阿弥陀仏南無阿弥陀仏南無阿弥陀仏南無阿弥陀仏南無阿弥陀仏南無阿弥陀仏南無阿弥陀仏
南無阿弥陀仏南無阿弥陀仏南無阿弥陀仏南無阿弥陀仏南無阿弥陀仏南無阿弥陀仏南無阿弥陀仏
南無阿弥陀仏南無阿弥陀仏南無阿弥陀仏南無阿弥陀仏南無阿弥陀仏南無阿弥陀仏南無阿弥陀仏
南無阿弥陀仏南無阿弥陀仏南無阿弥陀仏南無阿弥陀仏南無阿弥陀仏南無阿弥陀仏南無阿弥陀仏
296名無しさん@1周年:2001/08/14(火) 19:58
http://mentai.2ch.net/test/read.cgi?bbs=psy&key=995955231&st=429&to=429&nofirst=true

>『親鸞の教行信証を読み解く』は、余り読もうとは思いませんね。
>明治以降の坊さんの書いた本には、どうせどれもこれもドングリの背比べでしょう。
>少なくともこれまではロクなモノがなかった。
>突然飛び抜けたものが登場するとも思えない。
>坊さんの書いたモノはもうたくさんですね(笑)。
>ま、先入観でしょうけど。
>先入観でも結構当たっているでしょ(笑)。
>暇が出来て気が向いたら読むかも知れません。
>藤場さんの本は高い本ですよね。
>どのへんが面白かったか、貴方の感じをご紹介いただけると嬉しいですね。
>この場合はタダで済む(笑)。

これも渡海。
297名無しさん@1周年:2001/08/18(土) 22:59
南無阿弥陀仏南無阿弥陀仏南無阿弥陀仏南無阿弥陀仏南無阿弥陀仏南無阿弥陀仏南無阿弥陀仏
南無阿弥陀仏南無阿弥陀仏南無阿弥陀仏南無阿弥陀仏南無阿弥陀仏南無阿弥陀仏南無阿弥陀仏
南無阿弥陀仏南無阿弥陀仏南無阿弥陀仏南無阿弥陀仏南無阿弥陀仏南無阿弥陀仏南無阿弥陀仏
南無阿弥陀仏南無阿弥陀仏南無阿弥陀仏南無阿弥陀仏南無阿弥陀仏南無阿弥陀仏南無阿弥陀仏
南無阿弥陀仏南無阿弥陀仏南無阿弥陀仏南無阿弥陀仏南無阿弥陀仏南無阿弥陀仏南無阿弥陀仏
南無阿弥陀仏南無阿弥陀仏南無阿弥陀仏南無阿弥陀仏南無阿弥陀仏南無阿弥陀仏南無阿弥陀仏
南無阿弥陀仏南無阿弥陀仏南無阿弥陀仏南無阿弥陀仏南無阿弥陀仏南無阿弥陀仏南無阿弥陀仏
南無阿弥陀仏南無阿弥陀仏南無阿弥陀仏南無阿弥陀仏南無阿弥陀仏南無阿弥陀仏南無阿弥陀仏
南無阿弥陀仏南無阿弥陀仏南無阿弥陀仏南無阿弥陀仏南無阿弥陀仏南無阿弥陀仏南無阿弥陀仏
南無阿弥陀仏南無阿弥陀仏南無阿弥陀仏南無阿弥陀仏南無阿弥陀仏南無阿弥陀仏南無阿弥陀仏
298名無しさん@1周年:2001/08/19(日) 11:46
南無阿弥陀仏南無阿弥陀仏南無阿弥陀仏南無阿弥陀仏南無阿弥陀仏南無阿弥陀仏南無阿弥陀仏
南無阿弥陀仏南無阿弥陀仏南無阿弥陀仏南無阿弥陀仏南無阿弥陀仏南無阿弥陀仏南無阿弥陀仏
南無阿弥陀仏南無阿弥陀仏南無阿弥陀仏南無阿弥陀仏南無阿弥陀仏南無阿弥陀仏南無阿弥陀仏
南無阿弥陀仏南無阿弥陀仏南無阿弥陀仏南無阿弥陀仏南無阿弥陀仏南無阿弥陀仏南無阿弥陀仏
南無阿弥陀仏南無阿弥陀仏南無阿弥陀仏南無阿弥陀仏南無阿弥陀仏南無阿弥陀仏南無阿弥陀仏
南無阿弥陀仏南無阿弥陀仏南無阿弥陀仏南無阿弥陀仏南無阿弥陀仏南無阿弥陀仏南無阿弥陀仏
南無阿弥陀仏南無阿弥陀仏南無阿弥陀仏南無阿弥陀仏南無阿弥陀仏南無阿弥陀仏南無阿弥陀仏
南無阿弥陀仏南無阿弥陀仏南無阿弥陀仏南無阿弥陀仏南無阿弥陀仏南無阿弥陀仏南無阿弥陀仏
南無阿弥陀仏南無阿弥陀仏南無阿弥陀仏南無阿弥陀仏南無阿弥陀仏南無阿弥陀仏南無阿弥陀仏
南無阿弥陀仏南無阿弥陀仏南無阿弥陀仏南無阿弥陀仏南無阿弥陀仏南無阿弥陀仏南無阿弥陀仏
299名無しさん@1周年:2001/08/19(日) 23:21
南無阿弥陀仏南無阿弥陀仏南無阿弥陀仏南無阿弥陀仏南無阿弥陀仏南無阿弥陀仏南無阿弥陀仏
南無阿弥陀仏南無阿弥陀仏南無阿弥陀仏南無阿弥陀仏南無阿弥陀仏南無阿弥陀仏南無阿弥陀仏
南無阿弥陀仏南無阿弥陀仏南無阿弥陀仏南無阿弥陀仏南無阿弥陀仏南無阿弥陀仏南無阿弥陀仏
南無阿弥陀仏南無阿弥陀仏南無阿弥陀仏南無阿弥陀仏南無阿弥陀仏南無阿弥陀仏南無阿弥陀仏
南無阿弥陀仏南無阿弥陀仏南無阿弥陀仏南無阿弥陀仏南無阿弥陀仏南無阿弥陀仏南無阿弥陀仏
南無阿弥陀仏南無阿弥陀仏南無阿弥陀仏南無阿弥陀仏南無阿弥陀仏南無阿弥陀仏南無阿弥陀仏
南無阿弥陀仏南無阿弥陀仏南無阿弥陀仏南無阿弥陀仏南無阿弥陀仏南無阿弥陀仏南無阿弥陀仏
南無阿弥陀仏南無阿弥陀仏南無阿弥陀仏南無阿弥陀仏南無阿弥陀仏南無阿弥陀仏南無阿弥陀仏
南無阿弥陀仏南無阿弥陀仏南無阿弥陀仏南無阿弥陀仏南無阿弥陀仏南無阿弥陀仏南無阿弥陀仏
南無阿弥陀仏南無阿弥陀仏南無阿弥陀仏南無阿弥陀仏南無阿弥陀仏南無阿弥陀仏南無阿弥陀仏
300名無しさん@1周年:2001/08/19(日) 23:26
念仏の数を競わせた時代もあったようだけど、
念仏は回数の問題ではないんですよ。
念仏の質、信心の純粋性が問われているんです。
一度でも、心底「南無阿弥陀仏」と念仏ができる心持ちになれればいいんですよ。
だから、もう分かったからね。
301名無しさん@1周年:2001/08/19(日) 23:49
あすありと
 おもうこころの あだざくら
よわに あらしの ふかぬものかわ
302名無しさん@1周年:2001/08/20(月) 09:31
「我やさき、人やさき、
 きようともしらず、あすともしらず」(蓮如)
303名無しさん@1周年:2001/08/20(月) 09:32
「ついにゆく道とはかねて聞きしかど
    きのうけょうとは思はざりけり」(在原業平朝臣)
304名無しさん@1周年:2001/08/20(月) 09:33
「元旦は 冥土の旅の 一里塚
   めでたくもあり めでたくもなし」【一休禅師】
305名無しさん@1周年:2001/08/20(月) 09:34
「夜眠るときは、これで死んでいくんだと思い、
朝、目が覚めると、ああまた生れたわいと思って、日々暮しています。
そのために平安な毎日です。」【芹沢光治良】
306名無しさん@1周年:2001/08/20(月) 09:34
「ねる時に・・・・死ぬつもりになるんです。
・・・・あした死んでもいい。
子供にも女房にも“さようなら”と(心の中で)いって寝るんですけれど・・・・
これがちゃんと目覚めるのですね。
この時のうれしさといったら、もうけた感じがする。」【水上勉】
307名無しさん@1周年:2001/08/20(月) 09:48
「私はいつまで生きるか、そのことを知らない。
しかし私はそのうちに、死ぬことはまちがいない。
私はそれを知るが、それで、あまり悲観しない。
・・・・死ぬのはあたりまえの運命と思う。
あんまり苦しみたくないと思うが、
そのことをいま考えても、あまり役に立たない。
・・・・人間は人間だ。
生きている間に、少しでもいい仕事がしたい。
いい仕事をしても、何にもならないとは思うが。
・・・・いい仕事をしたい。
この世は美しい。
そう思っていることが、実に楽しい。
何にもならないと思うが、それが楽しみだ。
そう思っている。
我ながらの喜び」【武者小路実篤】
308名無しさん@1周年:2001/08/21(火) 00:28
なーもーふかしぎこー
309名無しさん@1周年:2001/08/21(火) 00:30
ぶっせつーあみだきょうー
にょうーぜーがーもー
310名無しさん@1周年:2001/08/21(火) 23:01
がんにじくどくー
おうじょうせーいっさいー
311名無しさん@1周年:2001/08/21(火) 23:13
南無阿弥陀佛
312名無しさん@1周年:2001/08/22(水) 20:23
若一日若二日若三日若四日若五日若六日若七日・・・・・・・・・・・・・・・
313名無しさん@1周年:2001/08/22(水) 21:04
南無阿弥陀佛 南無阿弥陀佛 南無阿弥陀佛 南無阿弥陀佛
南無阿弥陀佛 南無阿弥陀佛 南無阿弥陀佛 南無阿弥陀佛
314名無しさん@1周年:2001/08/23(木) 12:51
あなかしこー
315歎異抄 1:2001/08/23(木) 13:30
弥陀の誓願不思議にたすけられまゐらせて、
往生をばとぐるなりと信じて念仏申さんとおもひたつこころのおこるとき、
すなはち摂取不捨の利益にあづけしめたまふなり。
弥陀の本願には、老少・善悪のひとをえらばれず、ただ信心を要とすとしるべし。
そのゆゑは、罪悪深重・煩悩熾盛の衆生をたすけんがための願にまします。
しかれば本願を信ぜんには、他の善も要にあらず、念仏にまさるべき善なきがゆゑに。
悪をもおそるべからず、弥陀の本願をさまたぐるほどの悪なきゆゑにと云云。
316歎異抄 2-1:2001/08/25(土) 16:28
おのおの十余箇国のさかひをこえて、身命をかへりみずして、たづねきたらし
めたまふ御こころざし、ひとへに往生極楽のみちを問ひきかんがためなり。しかる
に念仏よりほかに往生のみちをも存知し、また法文等をもしりたるらんと、こころ
にくくおぼしめしておはしましてはんべらんは、おほきなるあやまりなり。もしし
からば、南都北嶺にもゆゆしき学生たちおほく座せられて候ふなれば、かのひとに
もあひたてまつりて、往生の要よくよくきかるべきなり。
317歎異抄 2-2:2001/08/25(土) 16:28
親鸞におきては、ただ念仏して弥陀にたすけられまゐらすべしと、よきひと(源空)の仰
せをかぶりて信ずるほかに別の子細なきなり。念仏は、まことに浄土に生るるたねにてや
はんべるらん、また地獄におつべき業にてやはんべるらん。総じてもつて存知せざるなり。
たとひ法然聖人にすかされまゐらせて、念仏して地獄におちたりとも、さらに後悔すべか
らず候ふ。そのゆゑは、自余の行もはげみて仏に成るべかりける身が、念仏を申して地獄
にもおちて候はばこそ、すかされたてまつりてといふ後悔も候はめ。いづれの行もおよび
がたき身なれば、とても地獄は一定すみかぞかし。
318歎異抄 2-3:2001/08/25(土) 16:29
弥陀の本願まことにおはしまさば、釈尊の説教虚言なるべからず。仏説まことにおはしま
さば、善導の御釈虚言したまふべからず。善導の御釈まことならば、法然の仰せそらごと
ならんや。法然の仰せまことならば、親鸞が申すむね、またもつてむなしかるべからず候
ふか。詮ずるところ、愚身の信心におきてはかくのごとし。このうへは、念仏をとりて信
じたてまつらんとも、またすてんとも、面面の御はからひなりと云云。
319石川はウンコしないよ。連合会総会長:01/08/27 20:08 ID:xVfN745A
「日本国皆一同に法然房の弟子と見えけり。此の五十年が間、
一天四海一人もなく法然が弟子となる。」日蓮(撰時抄)
320石川はウンコしないよ。連合会総会長:01/08/27 20:22 ID:OiBRs0Fc
円光大師 1679年(元禄十)東山天皇より
東漸大師 1711年(宝永八)中御門天皇より
慧成大師 1761年(宝暦ニ)桃山天皇より
光覚大師 1811年(文化八)光格天皇より
慈教大師 1861年(万延ニ)孝明天皇より
明照大師 1911年(明治四四)明治天皇より
和順大師 1961年(昭和三六)昭和天皇より
321石川はウンコしないよ。連合会総会長:01/08/27 20:41 ID:8aQZxvu6
お前ら
半端な知識に騙されるなよ・・・

ははは・・
322石川はウンコしないよ。連合会総会長:01/08/27 20:54 ID:8aQZxvu6
成仏成仏うるさいのが、このスレのそこかしこにおるが・・
「往生」じゃよ・・・
ははは・・・

「即特往生」じゃよ・・ははは・・・
323不断見:01/08/27 20:58 ID:hz9zXksg
>>322
蓮如上人や親鸞聖人や法然上人もおっしゃられていますね。
「平生業生」という言い方もありますよね。
324石川はウンコしないよ。連合会総会長:01/08/27 21:00 ID:8aQZxvu6
ははは・・・
325石川はウンコしないよ。連合会総会長:01/08/27 21:04 ID:8aQZxvu6
>不断見

少しは勉強してるのかな?

念仏が唱える念仏を唱えよ・・
観念の念にはあらず、それが「肝要」じゃよ・・
ははは・・
326不断見:01/08/27 21:07 ID:a4jKH5Aw
失礼、「平生業成」でした。
327石川はウンコしないよ。連合会総会長:01/08/27 21:08 ID:8aQZxvu6
はは・・
328石川はウンコしないよ。連合会総会長:01/08/27 21:11 ID:8aQZxvu6
>不断見

浄土教に精通しておられるのかな?

329不断見:01/08/27 21:11 ID:a4jKH5Aw
>>327さん

あなたは何宗ですか?
330不断見:01/08/27 21:16 ID:a4jKH5Aw
>>328
失礼、すれ違いでした。

精通はしていませんが、「他力」というものは何か、という事を
考えて、様々な先師の説を学ぼうとしているものです。
「念仏」によって救われる、とはどのような事か、「他力の信心」とは
どういう事か、少しでも理解を深めたくて学ばせて頂いております。
このような姿勢は「自力」ではない、と「歎異抄」に書いてありましたので、
安心はしております。もちろん、「お念仏」は時々ですが、心の中で唱えております。
331名無しさん@1周年:01/08/27 21:16 ID:f7ynngNM
>>322
「即 特 往生」って??
332石川はウンコしないよ。連合会総会長:01/08/27 21:16 ID:8aQZxvu6
>不断見

ははは・・・
何宗?  はは・・
若いな・・ははは・・
末法の時代いたしかたない、質問だ
はは・・
「分別妄像」を捨てよ・・
333石川はウンコしないよ。連合会総会長:01/08/27 21:20 ID:8aQZxvu6
>>331

はは・・
聞くばかりが学問ではない
ははは・・
その興味が大切じゃがな・・
はは・・
「凡夫とはこれ如何に」
これが私からの「導き」じゃよ・・
はは・・
334不断見:01/08/27 21:22 ID:a4jKH5Aw
>>332
しかし、蓮如上人はなにゆえ浄土真宗が他の浄土宗と違い、「真宗」
の文字を冠しているか、事細かにご説明されて、他の浄土宗との違いを
明確にされております。

お気を悪くされたならば、申し訳ありませんが、あなたの信じる宗派を
教えていただく事が、議論の邪魔になるとも思えません。むしろお互いに
議論しやすくなると思い、質問させていただきました。
335石川はウンコしないよ。連合会総会長:01/08/27 21:22 ID:8aQZxvu6
>不断見

「他力」
感謝の心を忘れるな・・
はは・・
難しく考えるなよ・・
ははは・・
336石川はウンコしないよ。連合会総会長:01/08/27 21:27 ID:8aQZxvu6
>不断見

議論・・
はは・・
真実とは一つだよ・・ははは・・
現世利益、来世利益・・・
どちらにせよ、志すところは「一つ」

山はどこから登っても、頂上は「一つじゃよ」
実践あるのみ・・
議論してるひまがあるなら、精進せい・・
はは・・
337不断見:01/08/27 21:27 ID:a4jKH5Aw
>>335さん
あなたの発言には確固とした信心が伺えます。
あなたのお考えになられる「他力の信心」を教えて下さい。
どうぞお願いします。
338石川はウンコしないよ。連合会総会長:01/08/27 21:29 ID:8aQZxvu6
>不断見

名前負けしておるな・・
はは・・・
339不断見:01/08/27 21:31 ID:a4jKH5Aw
>>336
それに、あなたのご発言は信心を確立された方にしかわからない簡単ですが
解り難い御文章に感じます。

どうぞもう少し解り易い御説明をお願いします。
340石川はウンコしないよ。連合会総会長:01/08/27 21:32 ID:8aQZxvu6
>不断見
>教えて下さい

私が教える?
はは・・・
「無理」じゃよ・・はは・・
頭でっかちには・・なるなよ・・
はは・・・
341不断見:01/08/27 21:33 ID:a4jKH5Aw
>>339
名前負けでスミマセン
342不断見:01/08/27 21:36 ID:a4jKH5Aw
>>340

しかし、私達が「他力の信心」を得るためには善智識から聴聞させて
いただくしかありません。
そのような事を言わずに、「他力の信心」を説いてください。
そこから何かを得させて頂くかもしれません。
343石川はウンコしないよ。連合会総会長:01/08/27 21:43 ID:8aQZxvu6
>不断見

「桜は枝によって支えられ
   枝は幹によって支えられ
     幹は根によって支えられ
     その根は土に下にあって目に見えない
         そう言う人に私はなりたい・・・」

はは・・
「悩めるものは幸いなり」・・・はは・・
頑張れよ・・
青年君子・・・はは・・        
344石川はウンコしないよ。連合会総会長:01/08/27 21:47 ID:rQToCUto
「生かされている」
その「心」を忘れるなよ・・
ははは・・・
345不断見:01/08/27 21:49 ID:fRjrMeIc
>>343
あなたの御心境があまりにも高いせいか、私には到底理解できかねます。
出来ればもう少し詳しいご説明をお願いしたいのですが・・・・
しかし、このような愚問にお答え下さり真にありがとうございました。
346不断見:01/08/27 21:52 ID:fRjrMeIc
>>344
そのような御心境は、「お念仏」を唱え続けられて、いただかれた
ものなのでしょうか、信心獲得されたものなのでしょうか?

お答え下さい、お願いします。
347石川はウンコしないよ。連合会総会長:01/08/27 21:53 ID:rQToCUto
>不断見
>理解できかねます。

それでよいじゃ・・
その心がすでに「他力」じゃよ・・
348不断見:01/08/27 21:58 ID:fRjrMeIc
>>347

そうですか・・・しかし、私は「わかったふり」をしたくないだけなのです。
本当に「お念仏」に情熱をかけられた先師の御心境が、「お念仏」を唱え続ける
事で獲得出来るものなのかが、わからないのです。
349石川はウンコしないよ。連合会総会長:01/08/27 21:59 ID:rQToCUto
>不断見
私に質問する事により
貴方は何かを得ようとする・・
これが「他力」と呼ばずとして、なんとする・・

目で見るな・・
心で得るな・・

身体で感ぜよ!!!!!
350不断見:01/08/27 22:05 ID:fRjrMeIc
>>349
お答え続けていただき有り難うございます。
それでは、ただこれだけお教え下さい。

「私達はどのような心持で、お念仏をお唱えすれば良いのでしょうか?」
351石川はウンコしないよ。連合会総会長:01/08/27 22:06 ID:rQToCUto
>不断見
「お念仏」を唱え続ける
事で獲得出来るものなのかが、わからないのです。

信ずる心
「阿弥陀如来」何処におる?
「法然」は何処おる?

念仏を申す者の心におるのだよ・・
貴方が唱える念仏ではないのじゃよ・・
弥陀が元祖が御唱え申す・・・
これが・・念仏じゃよ・・・
352不断見:01/08/27 22:07 ID:fRjrMeIc
「無心で念仏するのでしょうか?」
「ただあるがままでお念仏するのでしょうか?」
「報恩の思いでお念仏するのでしょうか?」

>>349様、お教え下さい!お願い致します!!
353不断見:01/08/27 22:08 ID:fRjrMeIc
>>351

ありがとうございます!
354石川はウンコしないよ。連合会総会長:01/08/27 22:09 ID:rQToCUto
「噂板」に何時でも来なさい・・
何時でも待っておる・・
ははは・・・
355不断見:01/08/27 22:11 ID:fRjrMeIc
>>351

しかし、一般の方々がそういう尊い心境を持つ事ができるでしょうか?
一足飛びに至る事は難しいと思います。
そこへ至るための「お念仏の唱え方」をご教授頂きたいと思うのです。
阿弥陀仏が本当にいるのかどうかわからないが、救われたいと思う方々は
どのように「お念仏」をお唱えすればよろしいのでしょうか?
356名無しさん@1周年:01/08/27 22:20 ID:4jOmMwbU
「石川はウンコしないよ。連合会総会長」と「不断見」の書き込みは、自作自演か。

>>342-343 >>344-345 を境にして、IDがどちらも変わっているぞ。
357石川はウンコしないよ。連合会総会長:01/08/27 22:22 ID:rQToCUto
どのようにも、このようにも
ないのじゃよ・・・
私が教えられる事など、なにもない・・

己の「観念」を捨てよ・・
まずは・・それからじゃな・・・

358石川はウンコしないよ。連合会総会長:01/08/27 22:24 ID:rQToCUto
ははは・・
訳のわからん「凡夫」がきおった・・
はは・・
今日は・・これまでじゃ・・はは・・・
「噂板」に帰る・・・
ははは・・・
359不断見:01/08/27 22:39 ID:pPW/xJY6
>>358さん、ありがとうございました。

>>356さん、自作自演ではありません。
360石川はウンコしないよ。連合会総会長:01/08/27 22:39 ID:7mjlJEQI
>不断見

貴方の「求道心」・・・
感心いたす・・・
四苦八苦じゃな・・ははは・・

私が教えられる事など何一つないのじゃよ・・
しかし・・
壁にぶちあったたら「噂話板」にいつでも
来なさい・・
来れば分かる・・
ははは・・・
361名無しさん@1周年:01/08/27 22:44 ID:8iEvhha.
また、そろってIDが変わっている。やっぱり、自作自演だね。

「石川はウンコしないよ。連合会総会長」と「不断見」
362石川はウンコしないよ。連合会総会長:01/08/27 22:50 ID:QiIq59w6
ははは・・
IDは時間で変わるのだよ・・
ははは・・
まぁ、何でも良いが・・
ははは・・・ははは・・・

「天上天下唯我独尊」を地でいくのであれば
「他人」なんてないのだからな・・
全ては「己」ただ一人!!
「自己」「他己」じゃよ・・
はっはっはっはっはっ・・・・・
363名無しさん@1周年:01/08/27 22:54 ID:QgBYGb/6
おまえさんひとりだけ「タコ」。
364石川はウンコしないよ。連合会総会長:01/08/27 22:54 ID:QiIq59w6
「是法平等 無有高下」
なんとしてか富士山は高く、愛宕山は低し。
365石川はウンコしないよ。連合会総会長:01/08/27 22:55 ID:QiIq59w6
ははははは・・・
片腹痛し・・・

はは・・
366石川はウンコしないよ。連合会総会長:01/08/27 23:02 ID:QiIq59w6
「源空も仏助けと給えと思いて南無阿弥陀仏とこそ申せ」『法伝全』九十八頁
367名無しさん@1周年:01/08/27 23:04 ID:XM7UtEmw
>>362
ははは・・
IDは日にち(00-31)で変わるのだよ・・
368石川はウンコしないよ。連合会総会長:01/08/27 23:05 ID:k57FBJ2A
はははは・・・
適当に言ってみたのだが・・ははは・・

なにか?
369名無しさん@1周年:01/08/27 23:06 ID:XM7UtEmw
>>367
訂正
(00-31)→(01-31)
370石川はウンコしないよ。連合会総会長:01/08/27 23:08 ID:k57FBJ2A
はははは・・・
まぁ、何事も頑張れ・・
はは・・
>>369好青年・・
ははは・・・
371石川はウンコしないよ。連合会総会長:01/08/27 23:09 ID:k57FBJ2A
若いな・・・
ははは・・・
372石川はウンコしないよ。連合会総会長:01/08/27 23:10 ID:k57FBJ2A
さらば・・・じゃ・・
373名無しさん@1周年:01/08/27 23:14 ID:jOjwwBow
>>370-372
ご愁傷様です・・・
374不断見:01/08/27 23:29 ID:pUoQz5RM
訳解らん

石川さん(仮称)のように笑えればいいのだが

そんなに人を自作自演呼ばわりしたいのか
375石川はウンコしないよ。連合会総会長:01/08/27 23:40 ID:k57FBJ2A
>不断見

貴方のコテハンを汚してしまったようじゃな・・
すまない・・

私は煽り煽られ・・百戦錬磨だよ(笑
まぁ最近では、煽りもろくすっぽできん
輩が多いからな・・ははは・・

貴方は「真面目」だ・・
心配で見に来たのじゃよ・・
「申し訳ない」・・
376不断見:01/08/27 23:46 ID:a4jKH5Aw
>>375

そんな、あなたが謝るなんてとんでもないです。
私は感謝しております。

短い時間ですが、私の愚問にお答え頂き、心配までして頂いて
本当に有り難うございます。

私は、あと一人、ご質問したいお方がいますので、これで失礼させて
頂きます。

それではまた。
377石川はウンコしないよ。連合会総会長:01/08/27 23:47 ID:k57FBJ2A
>不断見
私からのお詫びも含めた忠告じゃ

念仏の心が真に分かるまでは
「師」は、一人とせよ・・・

「一心専念弥陀名号」
信ずる心を忘れるでないぞ・・
378石川はウンコしないよ。連合会総会長:01/08/28 00:37 ID:6ol8G2fk
「他力」を知るには「自力」を体験してはいかがかな?

禅では「衆生本来仏なり」と言う件があって「見性」(悟り)を否定しておるが
まだまだ「見性」を目的とした「参禅道場」はある。
禅こそまさに「自力」である・・・
「自力」を悟ればおのずと「他力」の心も見えよう・・
379歎異抄 3-1:01/08/28 15:25 ID:LZ31hNWQ
>>315-318

善人なほもつて往生をとぐ、いはんや悪人をや。
しかるを世のひとつねにいはく、「悪人なほ往生す、いかにいはんや善人をや」。
この条、一旦そのいはれあるに似たれども、本願他力の意趣にそむけり。
そのゆゑは、自力作善のひとは、ひとへに他力をたのむこころかけたるあひだ、弥陀の本願にあらず。
しかれども、自力のこころをひるがへして、他力をたのみたてまつれば、真実報土の往生をとぐるなり。
380歎異抄 3-2:01/08/28 15:26 ID:LZ31hNWQ
煩悩具足のわれらは、いづれの行にても生死をはなるることあるべからざるを、あはれ
みたまひて願をおこしたまふ本意、悪人成仏のためなれば、他力をたのみたてまつる悪人、
もつとも往生の正因なり。よつて善人だにこそ往生すれ、まして悪人はと、仰せ候ひき。
381石川はウンコしないよ。連合会総会長 :01/08/28 18:22 ID:IwIsA8pU
はは・・・
382不断見:01/08/28 22:58 ID:9IU/Y/5o
>>378さん

多くの方々が、「自力」の遠回りをする事なく、浄土への近道として示されたのが
「念仏」ではなかったのですか?

「自力」など経験せずとも、「念仏」を唱えることで解決できる方法はないでしょうか?
また、そのような疑問に答えてくださった先師の教えをご存知であれば、ご教授下さい。
383歎異抄 4:01/08/28 23:37 ID:8pRW55mo
>>379-380

慈悲に聖道・浄土のかはりめあり。
聖道の慈悲といふは、ものをあはれみ、かなしみ、はぐくむなり。
しかれども、おもふがごとくたすけとぐること、きはめてありがたし。
浄土の慈悲といふは、念仏して、いそぎ仏に成りて、大慈大悲心をもつて、
おもふがごとく衆生を利益するをいふべきなり。
今生に、いかにいとほし不便とおもふとも、存知のごとくたすけがたければ、
この慈悲始終なし。
しかれば、念仏申すのみぞ、すゑとほりたる大慈悲心にて候ふべきと云云。
384歎異抄 5:01/08/29 15:41 ID:ROoVeYFY
親鸞は父母の孝養のためとて、一返にても念仏申したること、いまだ候はず。
そのゆゑは、一切の有情はみなもつて世世生生の父母・兄弟なり。
いづれもいづれも、この順次生に仏に成りてたすけ候ふべきなり。
わがちからにてはげむ善にても候はばこそ、念仏を回向して父母をもたすけ候はめ。
ただ自力をすてて、いそぎ浄土のさとりをひらきなば、六道・四生のあひだ、いづれの業
苦にしづめりとも、神通方便をもつて、まづ有縁を度すべきなりと云云。
385歎異抄 6:01/08/29 21:48 ID:ROoVeYFY
専修念仏のともがらの、わが弟子、ひとの弟子といふ相論の候ふらんこと、もつてのほかの子細なり。
親鸞は弟子一人ももたず候ふ。
そのゆゑは、わがはからひにて、ひとに念仏を申させ候はばこそ、弟子にても候はめ。
弥陀の御もよほしにあづかつて念仏申し候ふひとを、わが弟子と申すこと、きはめたる荒涼のことなり。
つくべき縁あればともなひ、はなるべき縁あればはなるることのあるをも、師をそむきて、
ひとにつれて念仏すれば、往生すべからざるものなりなんどといふこと、不可説なり。
如来よりたまはりたる信心を、わがものがほに、とりかへさんと申すにや。
かへすがへすもあるべからざることなり。
自然のことわりにあひかなはば、仏恩をもしり、また師の恩をもしるべきなりと云云。
386名無しさん@1周年:01/08/30 10:39 ID:UIDDsVcM
どうして歎異抄は禁本になっていたんですか?
387想像だけど:01/08/30 14:28 ID:W2KR6At2
比較的やさしい言葉で、わかりやすく親鸞の教えが述べられているので、
知られたくないことが書いてあったんじゃないですか?
388名無しさん@1周年:01/08/30 14:37 ID:W2KR6At2
たとえば、>>384を読むと、素直に、なんで法事をするんやろう?せんでええんとちゃうか?って思いますよね。
>>385を読むと、本願寺へ行けば親鸞の末裔が威張っているし、一般寺院では住職が威張ってるけど、
阿弥陀さんの前では皆平等やって親鸞さんが言うてるやん!ってなりますよね。
そういうのが困ると思ったんじゃないかなぁ?
389歎異抄 7:01/08/30 20:30 ID:xGjnijUs
念仏者は無碍の一道なり。
そのいはれいかんとならば、信心の行者には天神・地祇も敬伏し、魔界・外道も障碍することなし。
罪悪も業報を感ずることあたはず、諸善もおよぶことなきゆゑなりと云云。
390歎異抄 8:01/08/30 20:30 ID:xGjnijUs
念仏は行者のために、非行・非善なり。
わがはからひにて行ずるにあらざれば非行といふ。
わがはからひにてつくる善にもあらざれば非善といふ。
ひとへに他力にして自力をはなれたるゆゑに、行者のためには非行・非善なりと云云。
391歎異抄 9-1:01/08/30 20:36 ID:xGjnijUs
念仏申し候へども、踊躍歓喜のこころおろそかに候ふこと、またいそぎ浄土へ
まゐりたきこころの候はぬは、いかにと候ふべきことにて候ふやらんと、申しいれ
て候ひしかば、親鸞もこの不審ありつるに、唯円房おなじこころにてありけり。
よくよく案じみれば、天にをどり地にをどるほどによろこぶべきことを、よろこばぬにて、
いよいよ往生は一定とおもひたまふなり。
よろこぶべきこころをおさへて、よろこばざるは煩悩の所為なり。
しかるに仏かねてしろしめして、煩悩具足の凡夫と仰せられたることなれば、他力の悲願
はかくのごとし、われらがためなりけりとしられて、いよいよたのもしくおぼゆるなり。
また浄土へいそぎまゐりたきこころのなくて、いささか所労のこともあれば、死なんずる
やらんとこころぼそくおぼゆることも、煩悩の所為なり。
392歎異抄 9-2:01/08/30 20:37 ID:xGjnijUs
また浄土へいそぎまゐりたきこころのなくて、いささか所労のこともあれば、死なんずる
やらんとこころぼそくおぼゆることも、煩悩の所為なり。
久遠劫よりいままで流転せる苦悩の旧里はすてがたく、いまだ生れざる安養の浄土はこひ
しからず候ふこと、まことによくよく煩悩の興盛に候ふにこそ。
なごりをしくおもへども、娑婆の縁尽きて、ちからなくしてをはるときに、かの土へはま
ゐるべきなり。
いそぎまゐりたきこころなきものを、ことにあはれみたまふなり。これにつけてこそ、い
よいよ大悲大願はたのもしく、往生は決定と存じ候へ。
踊躍歓喜のこころもあり、いそぎ浄土へもまゐりたく候はんには、煩悩のなきやらんと、
あやしく候ひなましと云云。
393歎異抄 10:01/08/31 12:45 ID:TdsHKoWw
念仏には無義をもつて義とす。
不可称不可説不可思議のゆゑにと仰せ候ひき。
 そもそもかの御在生のむかし、おなじくこころざしをして、あゆみを遼遠の洛陽にはげ
まし、信をひとつにして心を当来の報土にかけしともがらは、同時に御意趣をうけたまは
りしかども、そのひとびとにともなひて念仏申さるる老若、そのかずをしらずおはします
なかに、上人(親鸞)の仰せにあらざる異義どもを近来はおほく仰せられあうて候ふよし、
伝へうけたまはる。
いはれなき条条の子細のこと。
394歎異抄 11-1:01/08/31 12:46 ID:TdsHKoWw
一文不通のともがらの念仏申すにあうて、「なんぢは誓願不思議を信じて念仏
申すか、また名号不思議を信ずるか」と、いひおどろかして、ふたつの不思議を子
細をも分明にいひひらかずして、ひとのこころをまどはすこと、この条、かへすが
へすもこころをとどめて、おもひわくべきことなり。
 誓願の不思議によりて、やすくたもち、となへやすき名号を案じいだしたまひて、この
名字をとなへんものをむかへとらんと御約束あることなれば、まづ弥陀の大悲大願の不思
議にたすけられまゐらせて生死を出づべしと信じて、念仏の申さるるも如来の御はからひ
なりとおもへば、すこしもみづからのはからひまじはらざるがゆゑに、本願に相応して実
報土に往生するなり。
これは誓願の不思議をむねと信じたてまつれば、名号の不思議も具足して、誓願・名号の
不思議ひとつにして、さらに異なることなきなり。
395歎異抄 11-2:01/08/31 12:47 ID:TdsHKoWw
つぎにみづからのはからひをさしはさみて、善悪のふたつにつきて、往生のたすけ・さ
はり、二様におもふは、誓願の不思議をばたのまずして、わがこころに往生の業をはげみ
て申すところの念仏をも自行になすなり。
このひとは名号の不思議をもまた信ぜざるなり。
信ぜざれども、辺地懈慢・疑城胎宮にも往生して、果遂の願(第二十願)のゆゑに、つひ
に報土に生ずるは、名号不思議のちからなり。
これすなはち、誓願不思議のゆゑなれば、ただひとつなるべし。
396歎異抄 12-1:01/09/06 10:14 ID:RI7Ydzdc
経釈をよみ学せざるともがら、往生不定のよしのこと。
この条、すこぶる不足言の義といひつべし。
 他力真実のむねをあかせるもろもろの正教は、本願を信じ念仏を申さば仏に成る、その
ほかなにの学問かは往生の要なるべきや。
 まことに、このことわりに迷へらんひとは、いかにもいかにも学問して、本願のむねを
しるべきなり。
経釈をよみ学すといへども、聖教の本意をこころえざる条、もつとも不便のことなり。
 一文不通にして、経釈の往く路もしらざらんひとの、となへやすからんための名号にお
はしますゆゑに、易行といふ。
学問をむねとするは聖道門なり、難行となづく。
あやまつて学問して名聞・利養のおもひに住するひと、順次の往生、いかがあらんずらん
といふ証文も候ふべきや。
397歎異抄 12-2:01/09/06 10:16 ID:RI7Ydzdc
当時、専修念仏のひとと聖道門のひと、法論をくはだてて、「わが宗こそすぐれたれ、
ひとの宗はおとりなり」といふほどに、法敵も出できたり、謗法もおこる。これしかしな
がら、みづからわが法を破謗するにあらずや。
 たとひ諸門こぞりて、「念仏はかひなきひとのためなり、その宗あさし、いやし」とい
ふとも、さらにあらそはずして、「われらがごとく下根の凡夫、一文不通のものの、信ず
ればたすかるよし、うけたまはりて信じ候へば、さらに上根のひとのためにはいやしくと
も、われらがためには最上の法にてまします。
たとひ自余の教法すぐれたりとも、みづからがためには器量およばざればつとめがたし。
われもひとも、生死をはなれんことこそ、諸仏の御本意にておはしませば、御さまたげあ
るべからず」とて、にくい気せずは、たれのひとかありて、あだをなすべきや。
かつは諍論のところにはもろもろの煩悩おこる、智者遠離すべきよしの証文候ふにこそ。
398歎異抄 12-3:01/09/06 10:17 ID:RI7Ydzdc
故聖人(親鸞)の仰せには、「この法をば信ずる衆生もあり、そしる衆生もあるべしと、
仏説きおかせたまひたることなれば、われはすでに信じたてまつる。
またひとありてそしるにて、仏説まことなりけりとしられ候ふ。
しかれば往生はいよいよ一定とおもひたまふなり。
あやまつてそしるひとの候はざらんにこそ、いかに信ずるひとはあれども、そしるひとの
なきやらんともおぼえ候ひぬべけれ。
かく申せばとて、かならずひとにそしられんとにはあらず、仏の、かねて信謗ともにある
べきむねをしろしめして、ひとの疑をあらせじと、説きおかせたまふことを申すなり」と
こそ候ひしか。
399歎異抄 12-4:01/09/06 10:21 ID:RI7Ydzdc
今の世には、学文してひとのそしりをやめ、ひとへに論議問答むねとせんとかまへられ
候ふにや。
学問せば、いよいよ如来の御本意をしり、悲願の広大のむねをも存知して、いやしからん
身にて往生はいかがなんどあやぶまんひとにも、本願には善悪・浄穢なき趣をも説ききか
せられ候はばこそ、学生のかひにても候はめ。
 たまたまなにごころもなく、本願に相応して念仏するひとをも、学文してこそなんどい
ひおどさるること、法の魔障なり、仏の怨敵なり。
みづから他力の信心かくるのみならず、あやまつて他を迷はさんとす。つつしんでおそる
べし、先師(親鸞)の御こころにそむくことを。
かねてあはれむべし、弥陀の本願にあらざることを。
400400
南無阿弥陀仏