☆聖母出現について★

このエントリーをはてなブックマークに追加
1名無しさん@1周年
世界中、数多く報告されている聖母出現のなかでも、その真偽を判断しかねるものがあります。
秋田ってどうなんでしょう。一応、新潟司教は認めていますね。

シスター笹川が聖母から受けたメッセージは、一時期、流布した「ファティマ第三の予言」に酷似していますが、最近公開さてたファティマ第三の予言は全く別の大したことない内容でした。
そのことで、結構疑惑を感じています。

あと、ガラバンダルは?
「悪魔の影響が強い」という声をよく聞きますが。
メジュゴリエはペテンだと思うのですが、誰か信望者いますか?
2名無しさん@1周年:2001/04/19(木) 19:44
電波警報
3名無しさん@1周年:2001/04/19(木) 19:47
カトリックではこれが普通。
4名無しさん@1周年:2001/04/19(木) 19:53
カトも電波かよ
5宗教ってそんなもの:2001/04/19(木) 22:09
なんでいんちきメジュの本がいまだに売られてることを教会は許すのだろ。
6およよ:2001/04/19(木) 23:16
メジュに限らず、奇跡や願いを叶えてくださることも
あるだろうし、自分も願いごとやピンチを救って欲しいけど、
なんだかなぁ。
目も天にあげずに胸をたたく徴税人はえらい!!
と思うのは、徴税人という境遇になるのをゆるした神のもと
を去らない、ということだしなぁ。


7ななしさん:2001/04/19(木) 23:22
脳に磁場を感知するところがある、人間はそこが働けば何でも見える
何でもできたように錯覚できる、神も見える、声も聴ける。
それらはそこの仕業。
8鬼塚五十一:2001/04/19(木) 23:26
リトル・ペブルはペテン師です。
9名無し:2001/04/19(木) 23:26
 私的な啓示や奇跡は、多分そこらじゅうにあると思う。

10名無し:2001/04/19(木) 23:41
 秋田の出現については、認める司教と認めない司教団とがある。
つまり、今のカトリックは霊を見分ける賜物に欠けた繋がりが存在する
という証。賜物の無い信徒は、そんなことに関わらずにイエススに
祈りを捧げるほうがよい。

 今の時代、カトリックは、律法の教師、ガマリエルに従って立っているようなもの。
使徒言行録(参考)
5:38 そこで今、申し上げたい。あの者たちから手を引きなさい。
ほうっておくがよい。あの計画や行動が人間から出たものなら、
自滅するだろうし、
5:39 神から出たものであれば、彼らを滅ぼすことはできない。
もしかしたら、諸君は神に逆らう者となるかもしれないのだ。
11名無し:2001/04/20(金) 00:19
 司教というのは、使徒特に12使徒の後継者とされている。
彼らの判断に従うのは当然だが、彼らが迷うときには信徒は
ぐずぐずいわずに黙っているのが良い。
ヘブライ人への手紙
11:1 信仰とは、望んでいる事柄を確信し、
見えない事実を確認することです。
見えるものを望まず、見えないけれどキリストの御心、
真理を確信し、確認するようにした方が、マリア様の
奇跡を追い求めるよりもずっとずっと大事だと思うよ。
12名無しさん@1周年:2001/04/20(金) 00:21
思ったんだけどさ、ファティマの予言のうち、
第一次世界大戦の終結と第二次世界大戦の予告は全て事が終わってから予言を公開してるんだよね。

よく「予言が的中した」とか書かれているけど
んーな、終わったあとの予言なら私にも言える。
13およよ:2001/04/20(金) 00:23
>10

で、その賜物を持つ人って、具体的に誰?
否定派には賜物なし?
肯定派は賜物もってるってか?
子供でも使わんよ。そんな機能不全の論理。
14名無しさん@1周年:2001/04/20(金) 00:27
グァダルーペは本物でしょ?
15およよ:2001/04/20(金) 01:20
私的啓示を受けたと思って、マリア様のように一人の胸に収め、
思い巡らせるているうちはいいんだけどね。

司教が黙っていろというのに、得意げに「ここだけのハナシ」を
あちこちでしゃべりまくったり、
「理解しようとしない(愛の冷めた)司教、司祭、信徒のために
皆で祈りましょう。」なんてのは、やばいんじゃない?
左翼抗議団体の煽動屋と重なって見えてしまう。

韓国のナジュじゃ、韓国の司教が巡礼、集会を禁止しているのに、
「御出現が認められるように祈る集会」に出かけていく日本人
もいるし。

司教が「黙ってなさい。」というのに、黙れない被私的啓示者
の啓示の信憑性をこそ疑うべきでないの?
16名無しさん@1周年:2001/04/20(金) 01:23
ナジュはうさんくさいよなあ。パフォーマンスってかんじ。
17名無しさん@1周年:2001/04/20(金) 10:38
メジュゴリエはいんちき。

http://www2.wbs.ne.jp/~therese/nisemono.htm
18およよ:2001/04/21(土) 00:08
メジェゴリエは偽モノって、ファティマのルチアさんが仰った
そうだけど、信憑性あるのかなぁ。
あのカメラショットも、「友人に手紙を書いている最中に、
パパラッチに驚いただけです。」
って言われたらオシマイ。

私は個人的には、メジェゴリエは胡散臭いとは思っているけれど。
19名無し:2001/04/21(土) 00:37
 普通は、信仰の確信に導く奇跡が、本物とされる。
そして、聖書に次の言葉がある。
ルカ16:15
【そこで、イエスは言われた。「あなたたちは人に自分の正しさを
見せびらかすが、神はあなたたちの心をご存じである。
人に尊ばれるものは、神には忌み嫌われるものだ。】

 奇跡は、信じようとしない人には物珍しいだけで意味が無い。
そういう群集をイエススはお嫌いになる。彼らの心を見抜いて
次のように糾弾しているし。
ヨハネ6:26
【イエスは答えて言われた。「はっきり言っておく。
あなたがたがわたしを捜しているのは、しるしを見たからではなく、
パンを食べて満腹したからだ。】

 つまり、奇跡の意味、性質を理解できない人にはまずその真性を
判断することは不可能だ。奇跡を軽視する必要は無いが、大騒ぎして
隣人を躓かせるくらいなら、関わらない方がいいと思う。
《参考》マタイ18:6
【しかし、わたしを信じるこれらの小さな者の一人をつまずかせる
者は、大きな石臼を首に懸けられて、深い海に沈められる方が
ましである。】
マルコ9:42
【わたしを信じるこれらの小さな者の一人をつまずかせる者は、
大きな石臼を首に懸けられて、海に投げ込まれてしまう方が
はるかによい。】
20およよ:2001/04/21(土) 01:17
>19

>【わたしを信じるこれらの小さな者の一人をつまずかせる者は、
>大きな石臼を首に懸けられて、海に投げ込まれてしまう方が
>はるかによい。】

奇跡の躓きは、奇跡を信じる人、奇跡を受けた人に特権意識を植え付ける
ことだと思う。
神と生きている人間の間には人間からは越えられない深い溝があると思う。

「我ら追放のエバの子なれば涙の谷にて御身を慕う。」
  サルベ・レジナ

21名無し:2001/04/21(土) 02:35
>>20
>特権意識を植え付けることだと思う。
 この特権意識があるかどうかは、本人の神様が知っていること。
問題点は、むしろイエススの仰る「愛」の意味を悟らせるものかどうか
ということ。われわれは普通イエススのように相手の心を見透かして話す
ようなことはできない。だから、なおさら「愛」のための賜物が必要なのだ。

 「敵をも愛せよ」(マタイ5:44)なんて普通はできない。これは
霊の賜物である「愛」のしるしではないかと自分は考えたりする。
奇跡を通してわれわれが「愛」に目覚めたり、神の現存を感じる
のであればそれは良いことだが、そうしたイエススの御言葉に近づく
奇跡が多くあるものか?
 本当の奇跡は、出現や病気の治癒でなく、イエススの仰る「愛」
があなたやわたしの周りに本当に実現することだ。マスコミに載るような
事件ではなく、人間関係の中に見られるホントの「愛」こそが奇跡
なのだと思う。そして、そういう奇跡は具体的現実のものとして個々
一人一人にとって何よりも大切で何よりも神に祈り求めなければ
ならないものだと思う。天国のマリア様は血を流しておられるとすれば
そこはホントに天国なのか?愛とは脅しや恐怖か?自分には良くわからん。
だから、奇跡の現象にはもうあんまり興味無い。わからないんだ。
昔は興味があったが、今になってみればすべてはもう終わったこと。
自分にとってもう重要な意味ももってはいない。


22名無しさん@1周年:2001/04/21(土) 09:43
>天国のマリア様は血を流しておられるとすれば
>そこはホントに天国なのか?
     
地獄や煉獄だったら大変だね。
23【^∇^】:2001/04/21(土) 10:56
私が聖母ニダ!
24名無しさん:2001/04/21(土) 12:03
本物など一つも無い、それが真実。
25【^∇^】 ←オマエはダニ:2001/04/21(土) 12:36
                     
26名無しさん@1周年:2001/04/21(土) 20:39
ファティマとルルドは本物!。
27名無しさん@1周年:2001/04/21(土) 21:28
ヤシンタの遺体は腐敗しなかったとされていますが、
一部残存ですか。それとも完全残存ですか?
確か、顔だけだったと思うんだけど。
28名無しさん@1周年:2001/04/22(日) 04:10
>>20 に同意。
イエススの愛にふれて、「私」が変わり、愛の心が湧いてくることが最大の奇跡!
29【^∇^】:2001/04/22(日) 07:49
ダニじゃないニダ!
これは韓国訛りニダ!
30【^∇^】 ←オマエはダニ:2001/04/22(日) 08:11
周囲の流れを乱すやつは、ダニだ。迷惑だ。
31名無しさん@1周年:2001/04/22(日) 17:49
>天国のマリア様は血を流しておられるとすれば
>そこはホントに天国なのか?
天国にいながらもマリア様は「心を痛めている」のではないかと。
32およよ:2001/04/25(水) 23:20
ところで、ヴァッスーラ・ライデンってどうなの?
「らんぷの油」っていう小冊子の1997年前後のひろさちや氏との対談で、
「終末がいつくるかはわからないが、来年はなにかある。(いい意味で)
 ノストラダムスを個人的には信じています。」とのテキストがあったような
記憶があるけど。
33およよ:2001/04/25(水) 23:22
訂正
>来年はなにかある。(いい意味で)

なにかあるかもしれない。(いい意味で)
の誤りです。


34これ読んどくれ1:2001/04/25(水) 23:25
偽幻視者ヴァッスーラ・ライデン
先ほど、彼女の名前が出てきましたので、最後に彼女についても触れます。特にヴァッスーラは、日本でも、知られている人ですので、特に警戒して下さい。以下は、1995年10月6日ヴァチカンが発表した文書の日本語訳。 教理省からの通知
私的啓示もしくは出現が本物であるか否かについて、聖座が決定を発表することは極めてまれである。現代、このような決定は以前にもまして地方教会裁治権者の手に委ねられる。ローマが今回のように介入した裏には、主に、おそらくヴァッスーラがカトリック信者でなく、勝手なことを言って混乱をもたらす非カトリック者として、どのカトリック司教の裁治権にも属さない、という理由があるのであろう。しかしこの決定は、彼女の偽りの教えが、広くカトリックの世界にどれほど司牧的困惑をもたらしているかをも示すものでもある。

この新しい状況から三つの興味深い質問をしたくなる。まず、ヴァッスーラ自身の反応である。「イエズス」が彼女の手を取って書かせる、というメッセージは終わるのであろうか?それともそれは挑戦的に続けられるのであろうか? 第二に、ヴァッスーラをあれほど熱狂的に支持したカトリック信者たち、特に、ルネ・ローランタン神父とマイケル・オキャロル神父のような高名なカトリック神学者たちは、どのように反応するのであろうか? 彼らは彼女を支持して何冊もの本を書いており、彼らの支持なしに彼女の今日の成功は考えられないのである。
35これ読んどくれ2:2001/04/25(水) 23:26
最後に、そしておそらくもっとも重要なことであるが、天のメッセンジャーとして自分が話していると主張するヴァッスーラの公的非難は、さらに規模の大きいメジュゴリエ運動に関連することになるとすれば、その関連はどのようなものであろうか? 前述の神学者たちと世界に散らばるあまたのカトリック信徒を含む、高度に組織化された世界的組織であるメジュゴリエは、もう何年も前から、彼女の世界伝道旅行のお膳立ての大部分を受け持つとか、彼女が大物神秘体験家になるための過程で彼女に計り知れないほどの支持を与えるなど、ヴァッスーラとは緊密に結ばれている。

ヴァッスーラに関するローマのこの文書が、メジュゴリエ断罪の先駆的役割を果たすと敢えて期待していいのであろうか? これらの質問に未来がどう答えるかを待ちながら、読者にとっては、ヴァッスーラ自身のためだけでなく、彼女のメッセージを信仰箇条にしてしまったすべてのカトリック信者たちのために祈ることが大事であろう。この否定的判決を受け入れて、あまり大きな心理的損傷を被ることなく、ヴァチカンの通知によって「主が教会に託した信仰の純粋さ」に立ち返る恵みが彼らに与えられますように!


36およよ:2001/04/25(水) 23:52
>>34
「私の味方は神の味方!!」っていう預言ってねぇ・・・。
>今回の介入って何があったのでしょうか?

一つ疑えば、芋づる式で怪しいなぁ。
37およよ:2001/04/25(水) 23:57

>今回の介入

何があったのでしょうか?
再度訂正。
申し訳ない。
38広辞苑:2001/04/26(木) 00:05
わかるわそれ。
でもファティマとルルドとグァダルーペだけは信じてる。
39間違えたこっちが教理省からの通知 :2001/04/26(木) 00:30
多くの司教、司祭、修道者、信徒は当省からギリシア正教会の信徒であって、スイスに居住するヴァッスーラ・ライデン夫人に関する権威ある判断を求めてきた。彼女は文書や講演で、世界のカトリック信徒の間に、彼女が天から来ると主張するメッセージを広めている。教理省によって「それらが本当に神からのものであるかを見るために、霊を試そうとして」(一ヨハネ四・一参照)なされた問題全体の冷静で、注意深い検討は、いくつかの肯定的要因の外に、カトリックの教義に照らしてみて、否定されねばならない種々の基本的要因を発見した。

これらの、いわゆる啓示があったとされる方法のおかしなあり方に加えて、そこにあるいくつかの教義的誤謬を強調する必要がある。とりわけ、三位一体のペルソナについては、神的ペルソナの特定の名前と働きが混乱してしまうほどに、曖昧である。これらのいわゆる啓示は教会内に反キリストがもうすぐ君臨すると予言する。千年至福説的スタイルで、神が最終的に栄光に満ちた介入をなさり、地上でキリストの決定的来臨の前に平和と普遍的繁栄の時代が来る、と彼女の予言は告げる。それだけではない。カトリックの教義に反して、一種の汎キリスト教的教会の到来が近いことが予言されている。
 
40間違えたこっちが教理省からの通知:2001/04/26(木) 00:32
以上の誤謬が彼女の後期の文書にもう見られなくなったということは、彼女の言う「天からのメッセージ」が、単なる個人的黙想の結果でしかないことの印である。さらに、ライデン夫人がギリシア正教の信者であるのに、カトリック教会の秘蹟に恒常的に与ることによって、彼女はカトリック教会の各所で驚きの的になっている。それはまるで、彼女が教会内のすべての裁治権と教会法の規範を超越しているかのようで、実際、彼女が正教会の教会的規律を受け入れないので、彼女自身の教会を牧する司祭や信徒を含めて、彼女は複数の権威筋にとっていらだちの種である。

いくつかの肯定的側面にもかかわらず、ヴァッスーラ・ライデンの活動に関しては否定的結果があるので、当省は、信徒が適切な情報を持ち、彼女の思想が各自の教区内で普及しないように司教たちが介入するよう要請する。最後になるが、当省はすべての信徒がヴァッスーラ・ライデン夫人の文書や講演が超自然のものであると考えないように、そして主が教会に託している信仰の純粋さを保つよう招くものである。
 
41阿部麻理亜:2001/04/26(木) 00:55
めでたし、聖寵みち満てるマリア、
主、御身とともにまします。
御身は女の内にて祝せられ、ご胎内の御子イエスも祝せられたもう。
天主の御母聖マリア、
罪びとなるわれらのために、今も臨終のときも祈りたまえ。アーメン。
42名無しさん@1周年:2001/04/26(木) 01:33
ラーメン

塩ラーメン
43およよ
前に聖霊刷新全国大会に行ったとき、祭壇にメジェゴリエの
マリア像、入口に「ヴァッスーラ・ライデン」の書籍販売。
らんぷのあぶらは付録だった。西暦2000年のハナシだけど・・・。

聖霊刷新、これも駄目?