遠藤周作について

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1吾輩は名無しである
多少、場違いの感はありますが、文学板の一部の方々は、聖書を読んだことがあるのかすら疑わしいので、こちらにスレッドを作らせていただきました。

余興と思って、軽い気持ちでおつきあいください。
2吾輩は名無しである:2001/04/19(木) 02:35
遠藤周作の描くイエスは、とてもじゃありませんが、綺麗なものではありません。
また、日本におけるキリスト教の、暗い部分を、あえて書いています。このあたりを、現在のクリスチャンの方々は、どのように受け止められているのでしょうか? ぜひ教えてください。
3名無しさん@1周年:2001/04/19(木) 03:30
>遠藤周作の描くイエスは、とてもじゃありませんが、綺麗なものでは
>ありません。

もう少し、、具体的に書かないとわかりましぇん。
4吾輩は名無しである:2001/04/19(木) 03:45
>2さん
たとえば、「みすぼらしい、痩せこけた男」のように書いています。「惨めさ」というのを、必要以上に強調しています。このような描写は、遠藤文学の中で、一貫してみられます。
5名無しさん@1周年:2001/04/19(木) 04:00
まえ、イエス・キリスト・スーパースターという映画があったけど、
そんな感じだった。精力的ではあるけど、格好はどの彫刻や絵画を見ても、
みすぼらしい格好だと思う。豊かで太ったというイメージは、受けない。
                
神経質な感じもするしね。グルメで大酒飲み、という噂もあるけど、
毎日、何キロも土埃の立つ田舎道を歩いてるのだから、いくら食っても
太れるわけもないしね。
              
少し前に、自虐的な怒りにかられているイエスの話を教会で聞いたけど、
精神力で、いろいろ乗りきってきた人なんだと、その時思ったよ。
6吾輩は名無しである:2001/04/19(木) 04:14
>5さん
レスありがとうございます。
イエスの受難というのは、やはりクリスチャンの方にとっては、深刻なものですね、きっと。

ここの板の方で、遠藤周作を読んだことがある方がいらっしゃいましたら、ぜひ感想などお聞かせください。
私の好きな小説は、「侍」や「沈黙」などです。
7マルコ:2001/04/19(木) 16:47
「侍」、「沈黙」も含めて、殆ど彼の小説は読んでいます。遠藤さんはカトリックに属していました。
神学的なことは不勉強でよく判らないのですが、彼の描く「無力の王イエス」は、カトリック神学
からは大きく逸脱していると思います。どちらかと言えば、プロテスタントの自由主義神学の立場
に近いのではないでしょうか。実際、プロテスタントの神学者、田川建三氏が遠藤さんの本、「キリ
ストの誕生」を高く評価していたという話です。残念ながらプロテスタントにしろ、カトリックにしろ、保守的な
人達は遠藤さんの作品をひどく嫌っているのが現状です。また本を読む前から、ドキュソな牧師が
「あれは異端だから読むな」と注意して、疑うことを知らないドキュソな信徒がそれを真に受ける、なんて
悲しい現状があるようですね。

8【^∇^】:2001/04/19(木) 16:51
俺は遠藤周作の生まれ変わりニダ!
輪廻転生してしまったニダ!
9名無しさん@1周年:2001/04/19(木) 16:59
ハァ?(゚Д゚)y−〜〜 >>8=シンショー。
10名無しさん@1周年:2001/04/19(木) 20:07
遠周作品では、「反逆」が好きです。
11ふみ:2001/04/19(木) 20:19
遠藤周作のエッセイだったと思うのですが
ころびバテレンに対する考えがカトリックの人とは違っていると書いていましたし、
カトリックの人に遠藤周作のことを尋ねると、
ああ、遠藤さんね、といささか馬鹿にしたような返事がかえってきたと、
これは名前は忘れた人のエッセイにありました。
遠藤周作のキリスト教やイエス観はカトリックの正統派とは違うのでしょうか。
12ふみ:2001/04/19(木) 20:21
>7マルコさん
田川健三の本に遠藤周作のイエス観をアホにしたような文章がありましたけど。
13>11:2001/04/19(木) 20:27
遠藤周作の描くイエス像はセンチメンタル過ぎるよ。
「イエスの生涯」なんかを読むと非常に違和感があった。
少なくとも、聖書の伝える過激で激しく厳しいイエスとは全く違う。
これについては評論家の呉智英が強い調子で批判していた。
14名無し:2001/04/19(木) 21:44
>田川健三の本に遠藤周作のイエス観をアホにしたような文章がありましたけど。
そう、『イエスという男』でも三文小説書きって、暗に遠藤のイエス観を
こき下ろしているね。まあ、遠藤の小説にも、タイトル忘れたけど、
無神論的な聖書学者が主人公のものがあるけど、あれは多分田川の
ことだと思う。田川もカチンときていたんじゃないの?
15名無しさん@1周年:2001/04/19(木) 21:52
聖書じゃなくて、小説だから、楽しめたらいいと思うけど。
イエス観なんて、人それぞれだし、文化によってもイエスの外観からして、
全然違ったりするし、とりあえず、彼の小説は、フィクションだからね。
正しい、とか正しくないという見方はすべきじゃないと思うけど。
告発小説とか、そういうのでなく、全く彼の私小説でしょう。
16吾輩は名無しである:2001/04/20(金) 00:07
1です。
みなさま、たくさんのレスありがとうございます。

みなさまのレスを読んで思ったことは、やはり遠藤文学を信仰的な立場から見ると、賛否両論あるのですね。非常に勉強になりました。

遠藤は、「日本人にあうカトリック(またはキリスト教」)というものを追求しつづけた作家でしたから、やはりもとのカトリックとは衝突が起きても当然なのかもしれません。実際に「沈黙」は、最後の「私を踏むがいい」というイエスの言葉が問題になって、一時、禁書になったそうです。
「侍」の最後の場面、登場人物自らが惨めであるから、同じく惨めな姿をしたイエスに感情移入するところなどは、きわめて日本人的と言えるでしょう。
17名前無し:2001/04/20(金) 02:20
やはり、日本人の好みにはかなり合っているのではないでしょうか?
僕は小学校に入る前位まで周りの人に連れられて教会に通っていました。
小学校に入る頃になると、さすがに一人で物事を考えるようになるせいか、
偽善的な物に対して変に懐疑的になると言うか…
矛盾ばかり突ついて、鬼の首を取ったように喜んでいた記憶があります。
小学校二年生くらいからは、もう教会にも通わなくなりました。
私は今年で20歳。もう10数年間も、
しかもなまじ浅い知識があったがためにキリスト教の事など、
かなり馬鹿にしていた記憶がありますが、
遠藤周作さんの本を読んで、急にもう一度聖書を読み直してみたくなり、
最近、昔教会で貰って、捨てるに捨てられなかった古い聖書を探して読み直しました。
もう一度教会に通ってみよう…という気にはなりませんでしたが、
遠藤さんの解釈は、昔教会の尼さんから聞いた言葉よりはずっと、
僕の心にしっくりくるものでした。
ただ、あれは本当に日本人の好みに合いすぎなので、
現役の信者さんなら阿刀田高さんがエッセイで書いているような
大らかなキリスト象の方がしっくりくるかもしれないなあ…と思います。
18名無しさん@1周年:2001/04/20(金) 02:51
その国の文化に合った神は、それはそれで、存在価値があるような気がします。
外国に行くと、イエスが、その国の民族衣装を着てたりするわけですけど、
それだけ、イエスが愛着を持たれているのだと、微笑ましいです。
                 
遠藤文学の「土着のイエス」は、隠れキリシタンの頃から田舎の日本人が
わが身をそこに反映して愛を持って崇敬されてきたイエスに違いありません。
     
私は、キリスト教のことなど何も知らないままに読みましたが、どれも
素直に、心打たれ考えさせられる読み物だった記憶があります。
聖書は、ド素人には言いまわしが難解で、1度読んだだけでは、殆ど心に
残りませんが、遠藤文学は正反対に、人の心の奥底に神の存在を印象付ける
読み物だと思います。
   
遠藤文学が、ここでキリスト教関係者に、批判されていることを知りましたが、
キリスト教の素人に、神とは何かという深い洞察と感動を与えてくれる
遠藤文学ほどのことを、日本のキリスト教関係者がどのくらい出来るのか、と
問いただしたいですね。

もっともらしい聖書と道徳的なパンフと教会で述べる福音。
私もあとで少し教会と関係することがあったので、知ったわけですが、
神に対して、それほどの感動を覚えたことは、1度もありませんでした。
19マルコ:2001/04/20(金) 12:19
何と言っても、三浦綾子氏のように単なる「護教小説」になっていないところが、
ボクは好きです。結局、教会の押し付けてくるイエス観には、どうしても馴染め
なかったんでしょうね。教会の指導層が遠藤さんを恐れたのは、信者みんなが
遠藤さんのように、「自分のイエス像」を勉強して徹底追及し始めたら、自分達の
権威が危うくなると本能的に感じたからではないでしょうか?(特に保守的プロテスタント
の牧師にとってそれは致命的)保守的な人達程、彼の作品を毛嫌いするのは、
自分達の保身からというセコイ理由があると思う。
ボクは田川氏の描く、「逆説的反抗者」「危険なアジテ−タ−」の
イエスより、遠藤氏の「センチメンタルな同伴者」としてのイエスの方が
より日本人受けすると思うし、それだけ保守派に取っては危険なイエス像
ではないか。そう感じます。
20ふみ:2001/04/20(金) 19:51
増谷文雄(浄土宗の人)が遠藤周作のことをあの人はキリスト教でなく浄土真宗だと
言っていましたが、日本人にとってなじみやすいのは、遠藤周作には真宗的なところが
あるからでしょうね。
21吾輩は名無しである:2001/04/20(金) 23:38
>ふみさん
浄土真宗と似ているというのは、たいへんおもしろいご意見ですね。
「沈黙」では、キチジローにも救われる余地が残されているような書き方をしてあるし、「深い河」では、転生を媒介にして信仰を追求していますね。
2214:2001/04/21(土) 00:15
ちょっと言葉足らずだったから補足しておくけど、
田川は別に遠藤のイエス像自体にケチをつけていないらしい。
どっかで書いてあったけど、遠藤が聖書学者みたいな体裁を繕って
(しかし実は聖書学者からみると聖書学のイロハもわかっていない)
いかにも現代聖書学に基づいたイエス像であります、というような
書き方をしていることに対して、不快感を覚えたらしい。
たしかに文学者なら、シュタウファーやクルマンなど、引用せずに
文学者としてのイエス像を描き出していたら、聖書学者から
批判されなかったものを。そういえばハイリゲンタールの『誤解されたイエス』
でも、聖書学者として田川と同様の苛立ちが書かれてあったよ。専門家
からすれば当然の感覚なのかもしれないね。
23ふみ:2001/04/22(日) 16:23
いかなる苦しみにも耐えて神への信仰を守るのがキリスト教本来でしょうが、
そのような強い人間ではない者は救われないのか、という疑問が生じるのは当然だと思います。
そういうダメ人間こそ、ダメ人間だからこそ救われるのだ、というのが親鸞ですが、
ころびバテレンが気になる遠藤が親鸞に近いのは必然のようにも思います。
24名無しさん@1周年:2001/04/25(水) 08:45
>>22
専門家が、どんなことに苛立っても、文句つけても、
素人には、面白いものは面白い。泣けるものは泣ける。
「沈黙」「留学」「私が棄てた女」良かったです。
25名無しさん@1周年:2001/05/28(月) 19:32
好きです
26嘆きの壁:2001/05/29(火) 01:04
私は、プロテスタントの福音派の教会所属(しかし思想的には福音派とだんだんずれてきています)
ですが、三浦綾子の小説が護教的であり、きれいごと過ぎるのに対し、遠藤周作の小説は
ずっとまともだと思います。
あと、「古里庵」と名乗っているエッセイ集も面白いですね。
27どうよ?:2001/06/23(土) 08:59
そうだね、三浦綾子はなんか、できすぎで着いていけないってかんじ。
遠藤の方が、安心できるなあ、なんか。
気が楽っていうか、読者を緊張させないよなー

で、曾野綾子なんかは、どうよ?
28堕靡泥の星:2001/06/23(土) 17:34
私は田川の『批判的主体の形成 -キリスト教批判の現代的課題-』を読んで、
遠藤の凄さを再認識したがな。
29ふらんちぇすこ:2001/06/23(土) 17:50
>>1
文学板の人ですね。よろしく。

カトリックでも賛否あるね。最近、アジアシノドスの事が問題になり、
教理庁がドミヌスイエススという公文書を出したお陰で、他の教派や
アジアの教会の猛反発を食らったという事があったけど、インカルチ
ュレーションの問題が絡んでるんだよね。遠藤はまさにインカルチュ
レーションの典型的な例かもしれないね。日本の司教団もアジア独特の
文化との融合を模索してるけど、日本の司教団に批判的な人や教理庁の
決定に賛同するタイプの人は遠藤文学を嫌ってるかもしれないな。

あと意外と西洋人に遠藤ファンが多いらしい。
30名無しさん@1周年:2001/07/01(日) 01:18
あげ
31緋色の毒麦:2001/07/01(日) 01:34
ワタクシも好きです。
32名無しさん@1周年:2001/07/03(火) 09:25
a
33名無しさん@1周年:2001/07/06(金) 16:01
a
34名無しさん@1周年:2001/07/20(金) 01:49
age
35嘆きの壁
>>27
昔、「心に残るパウロの言葉」を読んだが・・・
この本からはパウロの言葉がイマイチ心に残らなくて、
曽野綾子の人柄とかの方が何となく心に残った(藁

才能なくても粘って続ければ何とかなる、とかこの本に書いてたけど、
読みながら妙に納得してしまったのですが・・・

この人の本をもう少し読まないと何とも言えないかな・・・