>>974 >「非我なるものを我と見てはならない」という最初期仏教の教えからすれば、我すなわちアートマンの存在を否定するものでないことは明らか
宝珠のご都合主義的記憶喪失症は一向に直らない。
非我なるもの=アートマンを、菩提心自己とみてはならない。
アートマンなるものは、経験的検証不能の一切外妄想でしかないからである。
我には文脈に応じて@日常自我A菩提心自己B超越我の違いがあることは明示した。
実践仏道はあくまでもA菩提心自己のためにある。
Bの超越我は、仏道のA菩提心自己の六処では経験的検証不能故に、如理作意できず、一切外妄想として無視(無記)する。
SnやDhpなどの文言は、それぞれ仮設@日常自我A菩提心自己を意味することは当然だ。
素直な文脈を無視して、無理やり検証不能のB超越我(真我、アートマン、プルシャなど)として妄想こじつけ「解釈」するからナンセンスをさらすのだ。