1 :
神も仏も名無しさん :
2013/10/25(金) 14:21:05.96 ID:YDHzc9M7
2 :
神も仏も名無しさん :2013/10/25(金) 14:21:41.74 ID:YDHzc9M7
成功。
全スレ
>>999 君、大王さん?君の不一不二は中道だがそれは一切のどこにあるんだよ?
君は一生妄想の中で遊んでればいいと思うよ。禅宗の人で、君の他には自他不二を語る人もいるんだよ。
http://www.daruma.or.jp/zen/detail.html?zen_id=19 君はいつもの詭弁を駆使して、これも
中道を絡めて違う意味にしてしまうだろうが、ここに書いてることも素直に読めば不二一元論だ。
君は詭弁ばかりで本当に酷い。末法仏教徒は、空という単語を使うにしても、縁起=無自性=空と言う無自性
という意味で使うのと、縁起=中道=空と言う中道という意味で使うのとごっちゃになっている。
中道は自性の性質なんだよ。今から仕事なんで文句があるなら暇な時ゆっくり相手してやるよ。
大体よ、詭弁を好むような人に、ろくな奴はいないんだよ。禅系の人に実に多い。
4 :
パーピマン ◆hVgvvzQ7pw :2013/10/25(金) 17:08:18.35 ID:yVYRyMTQ
≪ カラスの唄≫ カラス科 アホカラス属 通常、カラス科は知能が高いことで知られているが、この種だけは 例外的に全ての鳥類の中で最も低い部類に分類される。 食性⇒ 雑食・・・目に入るもの全てを食すと言われ、特に人間の 出すゴミを好み、しばしば人家に侵入するので害鳥として 認識されている。 習性⇒ 「きべん、きべん」と鳴くので、別名、「きべん鳥」とも言われる。 非常に攻撃的で、自己以外の鳥類を見ると攻撃せずにはいられない 性質を持つが、知能が低いので鏡に映った自分の姿に攻撃を仕掛ける 光景がしばしば目撃されている。
5 :
神も仏も名無しさん :2013/10/25(金) 17:22:54.57 ID:eIgmjiHz
6 :
神も仏も名無しさん :2013/10/25(金) 18:57:44.88 ID:Fee+Qkc+
日本の仏教って自分では大乗と思っているようだけど 大乗じゃないよね 特に禅宗系は大乗じゃない
7 :
神も仏も名無しさん :2013/10/25(金) 19:24:52.13 ID:yMaZSlAD
日本仏教の祖師方が流転輪廻を前提として説かれたことをば新スレの入口に。 ★親鸞 「教行信証」 悲しいかな、垢障の凡愚、無際より已来、助・正間雑し、定・散心雑わるが故に、出離その期無し。自ら流転輪廻を度るに、微塵劫を超過すれども、仏願力に帰しがたく、大信海に入りがたし。良に傷嗟すべし、深く悲嘆すべし 「正信偈」 生死輪転の家に還来することは、決するに疑情を以て所止と為す 「正像末和讃四八」 無始流転の苦を捨てて、無上涅槃の期すること、如来二種の廻向の恩徳まことに謝し難し。 ★日蓮 「船守弥三郎許御書」 過去に法華経の行者にてわたらせ給へるが今末法にふなもりの弥三郎と生れかわりて日蓮をあわれみ給うか。 「四条金吾殿御消息」 日蓮過去に妻子、所領、眷属等の故に身命を捨てし所いく幾そばく許かありけむ。或は山にすて、海にすて、或は河、或はいそ等、路のほとりか。 然れども法華経のゆへ、題目の難にあらざれば、捨てし身も蒙る難等も成仏のためならず。
8 :
神も仏も名無しさん :2013/10/25(金) 19:25:27.58 ID:yMaZSlAD
>>7 続き
★道元
「正法眼蔵」十二巻本第八
善悪の報いには、次のどれかに当てはまる三つの決まりがある。これを三時という。
一つには、「順現報受」… 現世において報いがある場合。
二つには、「順次生受」… 来世において報いがある場合。
三つには、「順後次受」… 第三世において報いがある場合。
仏祖の道を修習(しゅじゅう)するには、其の最初よりこの三時の業報の理を効い験らむるなり、爾あらざれば多く錯りて邪見に堕つるなり。但邪見に堕つるのみに非ず、悪道に堕ちて長時の苦を受く。
当に知るべし。
★空海
「秘蔵宝鑰」
三界の狂人は狂せることを知らず、四生の盲者は盲なることを識らず、生れ生れ生れ生れて生の始めに暗く、死に死に死に死に死んで死の終わりに冥し。
「秘蔵宝鑰」
閻魔・獄卒は獄を構えて罪を断り、餓鬼・禽獣は口を焔やして体にかく。三界に輪廻して四生にりょうびょうす。
★法然
「拾遺和語燈録」
これを廣野に捨て、これを遠き山におくる。屍はついに苔の下に埋もれ、たましいは一人旅の空に迷う。
9 :
神も仏も名無しさん :2013/10/25(金) 19:34:10.51 ID:L7I1RTuP
親鸞教と法華宗ぐらいか? 空海は詐欺師だし・・・・ いやいや 大乗には戒律も信仰すらも必要ない そうやって消去法で最後に残るのは 親鸞教だけか? こいつぐらいだろうな・・・・大乗は
日本仏教 だから日本にはもともと 仏教はない 大乗もほとんどない しかしながら流転輪廻を否定する似非大乗もない
11 :
神も仏も名無しさん :2013/10/25(金) 19:40:58.70 ID:7+6m4DVp
無我の概念だけはしっかり押さえておけよ。
>>9 鎌倉仏教は普及版の仏教としてはかなり優れていませんか?
キリスト教ならプロテスタントがそれに当たるかもしれませんが
唯一神への信仰で契約の宗教なので近代に至るまで
他の宗教 価値観との共存が難しかった
浄土教も厳密に言えば大乗とゾロアスターあたりの混淆かもしれませんが
それでも仏教の基本は保つ
そういった発展の仕方が興味深いですね
>だが、その自分らだけに通用する価値体系をもって、他者に干渉してくるんじゃ >ねえってのw そんなふうに思っていた時期が私にもありましたって感じかな 個人主義的な方向性に限界があることはここ50年でハッキリしたと思う そりゃ、個人の才能がフルに発揮されるような自由度の高い社会形成は個人にとっても喜ばしいことだろうし パワーオブバランスにおいてより優位な地位に立てるという観点からしても理想ではあるが 他者とのつながりを考えなければ持続的な社会はつくれない。疲弊してしまうんだよ。 なんでもかんでも消費していくかわりに、常に花の蜜の香りで外から移民という活性剤を誘い入れないかぎりね だが、かつてそういった都市国家だって過去にはいくつもあったわけで、それらがどれほど持続可能だったかも考慮する必要があるかな で、ま〜結論から言えば、結局はシステムではなく、人的な内面の力の鍛錬を考えなければいけないと思う。 それは、ある程度他人に干渉されることを認めないといけないということと裏表で 干渉に対する自己の鍛錬ということでもあると思う。 もちろん、その鍛錬が、宗教という形でなければなされえないというわけではないのだけど。 ただ方法と言っても、なんでもかんでも宥和すればいいというわけでもないはずで 歴史文化伝統と法律、そして人心がうまく合致するところに、解決の方法があると思う。 歴史的文脈を無視した安易な宥和というやつはけっこう危険なんだよ そのへん円滑剤として宗教の果たす役割の可能性はあると思う。 もしコメント主がうざい宗教勧誘のよしあしを論じていたとしたら、ちょっと的はずれな反論だったね
>>13 個人の救済は仏教
共同体の祭儀としての機能は.バラモン教
って感じだったのですかねインドにおいては
大乗以降に共同体の祭儀に仏教がかかわるようになったとか
中国では唐代以降に儒 道 仏 各宗教が競り合って
仏教は競り負けた印象が個人的にあるのですが
15 :
神も仏も名無しさん :2013/10/25(金) 21:06:41.08 ID:7+6m4DVp
法華経の梵字写経本は、温存されている。 梵字とはサンスクリット語(梵語)を表記するために作られたもの。 サンスクリット語の文字化の為に作られたのが梵字。 梵字の遺跡で有名なのが、紀元前三世紀に造られたと言われているアショーカ法勅。 梵字は、実際には前六世紀頃から南インドやスリランカで使われていると考古学ではみている。
>>14 答えにくいっすねwww
そうだと言えば誤解が生まれそうだし。
ただ、自分の解釈にはすごく近い。
前スレ
>>993 >縁起の直接現実とその「縁起の現観」【般若門】を透過・掴みえない者
>とのあいだに、まさるか否かの比較などありえない。
縁起を誤解していると思うよ。
評価基準である苦楽や善悪や好き嫌いなど、こういった相互依存ならば、
中論の空が成立する。ただし頭の中だけね。
これに対して、この世の事物に般若の空は証明されていない。
その証明ができない以上、この世の事物は空だ、とは言い切れない。
であれば、空の思想に距離を置く方が正しいのではないか。
>>16 キリスト教はローマ帝国の衰弱と崩壊で
一気に帝国の行政機能代替しましたからね
だから当然 共同体の集団祭儀の儀礼もキリスト教化しました
仏教はインドではバラモン教がヒンドゥに移行して仏教と共存
中国でも西域は知りませんが中華では個人の信仰にとどまり
日本でも律令の国家仏教は貴族のものや武士階級に庇護される存在で
神道も習合しながら生き残りましたからね
ここら辺は自分でも調べてみます
19 :
神も仏も名無しさん :2013/10/25(金) 21:18:37.32 ID:7+6m4DVp
中国では現代に名を馳せる名僧が数多くいる。 仏教が破壊によって廃れたのは近年の話し。 インドから中国に仏教が伝わった当初、 争いを避け『格義仏教』を用いていた。
前スレ
>>976 宝珠@神智学徒
>今生における出生の境遇の違いに対する説明がつかない。
>何故、彼は金持ちの家柄に生まれ、私は貧しい家系に生まれたのか?
>そして、生まれつき盲目なのは何故なのか? と。
>>979-981 の指摘にもあるが、輪廻を認めたら説明できるの?
だれにも記憶がないのに、いったい誰が前世を語るの?
もしかして神智学の覚者たち?
21 :
神も仏も名無しさん :2013/10/25(金) 21:37:15.75 ID:7+6m4DVp
中国のような、他民族からの侵略や群雄割拠で争いの耐えない国では、 思想的に仏教の人道的在り方は必要とされていなかったかもな。 それより、戦略的視点から劉備玄徳のような軍師や策士が重宝されていた時代。
>>19 異民族出身の王朝といわれる唐でも道教が格上で
それ以降 中国の共同体の宗教に仏教はならなかったでしょ?
チベットくらいじゃないですか仏教が政教一致で共同体ぐるみ採用されたのは
ただ仏教は個人の信仰として非常に便利にはなってると思います
ユダヤ教から生まれた宗教は信者個人が宗教の共同体を離れて
信仰するのはかなり大変ですから
その意味で今後キリスト教離れした特に欧米人に仏教はもっと浸透するかも
23 :
シモン・エレクシア ◆/bVPRrlaFM :2013/10/25(金) 21:48:55.93 ID:2Tz/V/HB
>>4 納得。
カラスの歌はアホすぎる。グノーシスが三位一体とか霊肉一元論だとか、
解釈以前の基本概念の部分すら理解してない。
三位一体って(笑)、んな概念グノーシスにねーし、世界の始原を霊的世界(永遠)に置き、
肉体を含めた物質世界全般を低級なデミウルゴスの造作による模倣世界として虚仮とするのは、
ヨハネのアポクリュフォン、アイオーンの本質、フィリポ福音書、etc全てにおいて基本概念だっつーの(笑)
文章も支離滅裂で失調患者の幻影羅列じゃねえかって
前スレ
>>846 >「豊かな者」は幸いではないのか。
この世でもあの世でも幸せになりたいと思うのは欲張りでしょう。
>十戒は、人間に必要な道徳行為はすべて尽くしている。
旧約の十戒は、キリスト教も採用しているのでは?
>道徳倫理の最低限は、「他者の生命を奪わないこと」。この点では、
>キリスト教もイスラム教も滅茶苦茶。道徳倫理のカケラもない。
同じ宗教なら味方だが、それ以外は敵なんでしょうね。
25 :
シモン・エレクシア ◆/bVPRrlaFM :2013/10/25(金) 21:57:20.65 ID:2Tz/V/HB
ていうかキリスト教と仏教は全てにおいて相反するし、思想的な共存はおよそ不可能だろ(笑) 世界は一切皆苦で、解脱により転生から脱出するのが救いってのが仏教の通有概念。 世界は神の創造による「良きもの」で、生めよ増えよは神の祝福で命令。 人間は最終的、復活によって肉と永遠に結合し、物質世界での生活を永遠に享受するってのがキリスト教。 共存しうるとすれば互いに無視するだけです(笑) 釈迦の道諦や八正道も仏教の究極目的である解脱を成す道であって、それはキリスト教的救済や目的に 転用するなんてことは論理的に不可能。
>>24 キリスト教の 隣人 には諸宗教の人たちも含みます
イスラムも同じように隣人には寛容です
過去の歴史や現代において政治などに巻き込まれた場合
仏教とも充分残虐ですよ?
それを信仰の価値の規準にするのは無益であると思います
27 :
神も仏も名無しさん :2013/10/25(金) 22:08:33.31 ID:7+6m4DVp
初っぱなに十字軍遠征して隣人も糞もねえょw 美化し過ぎ。
>>27 十字軍の遠征 初回は1096年で東ローマ帝国の救援要請に応えてのものです
西ローマが滅んで数百年後 キリスト教が定着したとはいえ
>>18 に書いた事情により 西欧の諸国も政治と宗教が未分離の状態でしたね
政教が未分離では問題がおきやすいのはどの宗教でも一緒です
現代でもそれは同じであると思います
仏教がその方面で問題を起こしたからといって宗教としての仏教の価値とは混同しませんよね
29 :
シモン・エレクシア ◆/bVPRrlaFM :2013/10/25(金) 22:25:05.56 ID:2Tz/V/HB
大衆はいつの世も愚劣な存在。彼らが求めるのは成道のための 激しい修行や哲学的考究なんぞではなく、できるだけ楽で分かりやすく お手軽に救済される道。それも涅槃寂静なんて理解不可能な境地ではなく、 できるだけ現世利益で肉体・精神的に恵まれたウハウハの世界。 仏教の思想変容の歴史もこのアホの大衆の欲求とどれだけ妥協して、抱き込めるか、 それでもなおどれだけ仏教の本質を維持できるかの難儀を示してる。 釈迦の哲学は元来、出家者のそれで、俗世を捨て、サンガに入り、 日々仏道に励む修行者こそが成道、涅槃という宗教的境地に達することができるとするもの。 部派仏教はそのレールを保守的にひた走り、学究的エリートのアカデミーと化してしまったから、 大衆の尊敬は得られても信心を寄せることはできなかった。 初期大乗は衆生救済をモットーに在家の解脱の道を開いたが、それも竜樹の中観派や世親の唯識派が 無駄に思索を掘り下げ、およそアホには理解不可能な複雑な哲学的体系へと変えた。 ヒンドゥーが興隆したのはアホの大衆が大好きな儀式や現世利益の呪法や帰依できる身近な神々を 提供して、媚を売りまくったから。 信者を吸い取られて焦った大乗は、儀式やマントラ、現世利益、神々を導入し、ヒンドゥー混淆の密教化を 推進させたが、説き遅し。アホの大衆にはヒンドゥーの二番煎じなんぞお呼びじゃなかった(笑)
>>23 前スレのシモン氏の話は非常に新鮮、刺激的だったですね。
釈迦その人は、縁起や四諦八正道だけでなく、神との出会い、
霊魂との出会いをしたのではないかと考えています。
その線上で読ませてもらったが、死→中なる世界→再び物質世界へ輪廻
あるいは霊性とか「復活」の話はおもしろかった。
個人的な感想ですが、グノーシスの理論は神を中心にしており、
霊魂(我)の部分が不明確な印象を受ける。この霊魂は坐禅をしないと
出会えないので、坐禅の伝統がない西洋では無視されても自然だが、
プラトンは霊魂を論じていたし、どうなんでしょうかね。
31 :
前世は一在家 ◆2o6x38TRbE :2013/10/25(金) 22:34:27.46 ID:yMaZSlAD
>>7 >日本仏教の祖師方が流転輪廻を前提として説かれたことをば新スレの入口に。
>>11 >無我の概念だけはしっかり押さえておけよ。
☆★真宗の三木住職「現代仏教塾」より
「私はない」という教えではなく「我執を離れなさい」という教えが無我。
初期の仏典結集でもあった誤解が、中国語で「無我」と訳されてから混乱、誤解が生じた。
「私が、私がという、我に対する執着を離れなさい」という教えだった。
パーリ語では「アナッタン、not self=自己ではない→我は無いと誤解、変化する心も体も自己では無い」
☆★石飛道子「マニカナ」より
>釈尊が説かれたのは「アナッタン=非我」であり、
この点は、たしかにそうですね。無我は、「わたしではない、わたしのものではない、わたしの本質(自己)ではない」の三つの意味であるとされます。
「無我」は、「我がない」というはっきりした主張を含みませんが、「無我」の境地をえると、我のことを忘れてなくなっていくようなところはあると思います。
「我がない」とはっきり主張すると、これまた断見に陥ることになるので、それも、避けねばなりませんよね。
>「縁起の法は相依相関であり、因果の法ではない」ともシュプレヒコール。。。
相依相関と見ても、それは、縁起の中に包容されていますので、縁起(因果)からはずれて、相依相関を説くことはありえないことだと思っています。
上記「無我」の二つの解釈も新スレの新スレの入口に。。 合掌
32 :
シモン・エレクシア ◆/bVPRrlaFM :2013/10/25(金) 22:48:34.32 ID:2Tz/V/HB
グノーシスは神中心というより、むしろ人間中心。 人間の裡にこそすべての真理があり、むしろ神と同本質であると考える。 あらゆるグノーシス思想にもいくつかの派閥があるが、まず一なる至高の光(父)があって、 そこから光が散って、この物質世界への捉えられてしまった。 グノーシスではこの物質(世界)だけではなく、自分の(肉体)を含めて、牢獄あるは墓場と いう表現をしばしば使う。いわば、大海に投げ出されたような、大宇宙に一人放り出されたような、 取り留めもない孤立感と異邦感。それを大前提とするわけです。イエスがこの世界には枕するところもない と語ったように。 こういうと我を中心とした思想のように感じられるが、そうではなく、グノーシスでは魂、すなわち諸々の 精神作用すらも、後付で創られた不純なものと考える。 人にとって一番最初にあった神の火花、光は、今自分が自分と考える要素(肉、魂)にとってむしろ 隠された存在であり、自分であって自分ではないわけです。だから自己を探究するものは、まずこの現象世界で 規定された自分を、我を根本的に否定しなければならない。釈迦が説いたように。 グノーシスの世界ではこの皮肉ともいえる、矛盾言語がしばしば登場しますが、最初の自分を見出すためには、 自分への執著を捨てなければならない。
33 :
シモン・エレクシア ◆/bVPRrlaFM :2013/10/25(金) 22:56:19.80 ID:2Tz/V/HB
グノーシスの起点となる発想は「人間論」、すなわち、我々は何者なのか、 どこから来て、そしてどこへ向かうのか。 釈迦は、原始経典で「自己を求めよ」と説きましたが、では釈迦は自分が至った 涅槃の境地において、どんな自己と出会ったのか? およそ語られぬ部分ですが、俺は、それがただのニヒリズムであり、生死輪廻から 逃げだし、虚無になるだけの皮相な見地とは考えていません。
34 :
前世は一在家 ◆2o6x38TRbE :2013/10/25(金) 23:01:24.93 ID:yMaZSlAD
>>25 シモン氏
>ていうかキリスト教と仏教は全てにおいて相反するし、思想的な共存はおよそ不可能だろ(笑)
原始仏典:修行完成者は再び母胎には宿らない
法華経:人は仏子でありやがて仏になり得る
エッセネ派宗規要覧:人は光の霊と闇の霊を宿し聖者にも獣にもなり得る
トマスの福音書:人は光から来た。光の子らであり生ける父に選ばれた者である
旧約聖書創世記:人は神の似姿
新約聖書ルカ伝:神の国はあなた方の内にあるのだ(witin you)
本来、道の人(覚者)は同じ真理を語らないそうですが、上記の真理(法)は共通かと思料します。
>>30 >釈迦その人は、縁起や四諦八正道だけでなく、神との出会い、 霊魂との出会いをしたのではないかと考えています。
原始仏典では、精霊、神々、梵天、大梵天、まで説かれております。
出会うどころか、釈尊も再生前は梵天界の住人だった(共生していた)との仏説あり。(長部「三明経」)
複数の大梵天方がグノーシスではどのアイオーンだったのかは興味はありますが、スレ違いでしょう。
>>32 グノーシスには不慣れですが、視点を変えれば共感できます。
我を根本的に否定することも理解できます。
ただ、そうして出会えたのは、聖霊という神だったのです。
霊魂ではなかった。その後、霊魂には坐禅で出会った。
人間の哲学的テーマは、神がいるのか、自分とは何かだと思います。
神と自分は別々の存在として現れました。神は聖霊、自分は霊魂です。
精神作用も後付けというのは両方の体験に共通します。
シモン氏の話は、聖霊体験として聞くとよく理解できます。
36 :
前世は一在家 ◆2o6x38TRbE :2013/10/25(金) 23:09:16.57 ID:yMaZSlAD
>>34 誤 新約聖書ルカ伝:神の国はあなた方の内にあるのだ(witin you)
正 新約聖書ルカ伝:神の国はあなた方の内にあるのだ(within you)
37 :
前世は一在家 ◆2o6x38TRbE :2013/10/25(金) 23:13:08.27 ID:yMaZSlAD
>>35 >神と自分は別々の存在として現れました。神は聖霊、自分は霊魂です。
更に禅定が進めば、霊魂の奥の聖霊(至高神の光のかけら)に出会うかも知れませんね。
もう輪廻から解脱し、再び母胎に宿ることはないでしょう。
>>33 同意します。
下記の話は、霊魂で体験した内容に近いです。
感興のことば(ウダーナヴァルガ)26章安らぎ24節以下
これは釈迦が霊魂を体験した証拠ではないかと思えます。
39 :
前世は一在家 ◆2o6x38TRbE :2013/10/25(金) 23:19:48.63 ID:yMaZSlAD
>>37 >更に禅定が進めば、霊魂の奥の聖霊(至高神の光のかけら)に出会うかも知れませんね。
完全な涅槃に入らず無住処涅槃にて衆生済度を展開する如来の異常とも言えるこだわりは
案外「至高神の光の欠片集め」かも知れませんね、私見です。
あーあw ついにお花畑スレに成り下がったか・・。 これまで、なんとか踏みとどまって来てたが、いよいよ崖っぷちだなw
>>40 セブンとかパーピマンとかくればだいじょうぶでしょうw
43 :
神も仏も名無しさん :2013/10/25(金) 23:27:36.37 ID:h8nqSIp/
>>40 釈迦にその要素があるということ。それを批判できなければ、君も同じ穴の狢。
44 :
神も仏も名無しさん :2013/10/25(金) 23:34:32.46 ID:Jv8zuP9J
http://unkar.org/r/psy/1322893737/ 480 : サロメ☆ボウディア ◆wHb3.gs/E2 [sage] : 2011/12/31(土) 01:16:08.99 ID:Lv2SOVul
クララ・ナルミの甘酸っぱい乳糖舐め舐めwww
489 : サロメ☆ボウディア ◆wHb3.gs/E2 [sage] : 2011/12/31(土) 01:35:27.29 ID:Lv2SOVul 
ももまんぺろりん
497 : サロメ☆ボウディア ◆wHb3.gs/E2 [sage] : 2011/12/31(土) 01:48:13.12 ID:Lv2SOVul
ナルミン菊 美しい
528 : サロメ☆ボウディア ◆wHb3.gs/E2 [sage] : 2011/12/31(土) 13:19:55.40 ID:Lv2SOVul
夢の中でエロイことやってる自分とそれを見てる自分が別れてる
っていうのが面白い
過去の記憶に見当たらんのだがww
45 :
神も仏も名無しさん :2013/10/25(金) 23:35:22.24 ID:Jv8zuP9J
14 : サロメ☆ボウディア ◆wHb3.gs/E2 [sage] : 2011/12/03(土) 16:08:29.75 ID:3Kn+xTyP
>>13 かなりボインだよnarumiって^^
63 : サロメ☆ボウディア ◆wHb3.gs/E2 [sage] : 2011/12/03(土) 21:13:55.61 ID:/QYtDu+O
narumiもむかし私にオシッコやおなにーパンツ売りつけようとしたのです
378 : サロメ☆ボウディア ◆wHb3.gs/E2 [sage] : 2011/12/09(金) 14:47:46.79 ID:Qc180W0t
ナルミンはおっぱいから母乳を分泌するそうです
同宿会の奇跡ですねwww
444 : サロメ☆ボウディア ◆wHb3.gs/E2 [sage] : 2011/12/10(土) 13:26:30.67 ID:e73rNzil
ナルミンは♂のアレを上手に吹きます
だから精子リアリスト=セシリアなのです
589 : サロメ☆ボウディア ◆wHb3.gs/E2 [sage] : 2011/12/16(金) 19:25:25.23 ID:6lr3kwXj
>>588 なるみん ちゅちゅちゅ^^
616 : サロメ☆ボウディア ◆wHb3.gs/E2 [sage] : 2011/12/16(金) 20:19:46.75 ID:6lr3kwXj
>>615 なるみんの オシッコとおなにーパンツ まだ届かないんですけどー
お金返してください
670 : サロメ☆ボウディア ◆wHb3.gs/E2 [sage] : 2011/12/16(金) 23:08:00.52 ID:6lr3kwXj
正直ナルミちゃんは好きです
おそらくまな板のおばあさんでしょうけど
ナルミンすきだし だから公教会はやめられません
46 :
神も仏も名無しさん :2013/10/25(金) 23:37:31.41 ID:Jv8zuP9J
644.サロメ☆ボウディア ◆wHb3.gs/E2 []2012/01/17(火) 00:03:48.20ID:qpS6kc+2 アタシは汚れのナルミがすきwww セシリア甘酸っぱい乳糖^^ 650.サロメ☆ボウディア ◆wHb3.gs/E2 []2012/01/17(火) 00:09:51.09ID:qpS6kc+2 カトリックの汚れ セシリアナルミンの甘酸っぱい乳糖 808.サロメ☆ボウディア ◆wHb3.gs/E2 []2012/01/17(火) 17:35:50.91ID:rEYIx6q7 カトリックの汚れカキタレ(セフレ) セシリアさん 811.サロメ☆ボウディア ◆wHb3.gs/E2 []2012/01/17(火) 18:29:28.73ID:rEYIx6q7 汚れのセフレ ナルミンの甘酸っぱい乳糖のほうが大切です 乳頭ちゅちゅちゅ ^^ サロメ☆ボウディア ◆wHb3.gs/E2 []2012/01/17(火) 18:37:22.24ID:rEYIx6q7 セフレの汚れは絶対にわたさないわ!! サロメ☆ボウディア ◆wHb3.gs/E2 []2012/01/17(火) 19:07:22.11ID:rEYIx6q7 セックスしすぎですよ汚れセフレなる民 910.サロメ☆ボウディア ◆wHb3.gs/E2 []2012/01/17(火) 22:03:05.83ID:rEYIx6q7 あなたもセックスはもう十分したでしょ?
47 :
シモン・エレクシア ◆/bVPRrlaFM :2013/10/25(金) 23:40:17.63 ID:2Tz/V/HB
サロメが俗物なのは分かってるから、下劣なレスで板を穢しなさんなw
サロメってやつ ぱねーだろ
どこまで書いていいんだろうかといつも迷っている。 でも、経典に書かれていることだから書いてもいいのだろう。 みんなが知りたいことだものね。
霊魂など輪廻の主体になる常在の存在については 過去スレで散々議論が尽くされてるのに しかも見当違いの古代地中海地方で滅んだ 宗教未満の思想運動長文で書き込むとか どのスレでも同じだなぁとw
52 :
シモン・エレクシア ◆/bVPRrlaFM :2013/10/25(金) 23:50:19.78 ID:2Tz/V/HB
偉そうに語る前に暇人におせーて言ってた仏教の入門書とやらは読んできたの(笑)?
悪いけどサロメは相手しないよ 何だか、サロメが何考えてるか察しがつくのだ〜♪
54 :
前世は一在家 ◆2o6x38TRbE :2013/10/25(金) 23:52:54.22 ID:yMaZSlAD
>>39 >完全な涅槃に入らず無住処涅槃にて衆生済度を展開する如来の異常とも言えるこだわりは
>案外「至高神の光の欠片集め」かも知れませんね、私見です。
(入中論12-40) 全訳入中論P76
勝者よ!あらゆる世間が無上の寂静に行かない限り、虚空が消滅しない限り、般若母が生み出した彼に対して、
慈しみが乳母のようになる。だから寂静となる(涅槃する)者など何処にあろうか?
55 :
神も仏も名無しさん :2013/10/25(金) 23:57:15.23 ID:yMaZSlAD
>>54 仏教の目的は極楽浄土入りだとか、涅槃入りだとか言われておりますが、如来の目的は衆生済度のようですね。
>>53 どうぞご自由に^^
霊魂に座禅で出会ったという方の我見なんて何も益するところがないので^^
>>52 いいえ
白菜のネタ元は真宗の教学だから そこらへんに興味持っただけです
もう少し、所属する場所考え直した方がいいと思うけどな君らは まあ、もう遅いか
>>33 全ては「空」だと般若心経で言ってるじゃんw
でも自分の本質が「空」なるものだとしても、自己、すなわち「色」がなんなのかまでは仏陀は判らなかったからその後も発狂し続けて般若心経以降の経典を説いたんだよ。
聖人、聖者といえど、人間だからね。
インテリがいくら本を読んでも素質がない人間にはこれを理解することは無理だからグノーシスだけ講釈してれば?
一言でいうならお前は場違い。
59 :
神も仏も名無しさん :2013/10/26(土) 00:05:05.46 ID:7aac1WdB
>>54 >(入中論12-40) 全訳入中論P76
勝者よ!あらゆる世間が無上の寂静に行かない限り、虚空が消滅しない限り、般若母が生み出した彼に対して、
慈しみが乳母のようになる。だから寂静となる(涅槃する)者など何処にあろうか?
「般若母が生み出した彼」を「至高の光(父)が生み出した人類」と読み換えれば、仏教もグノーシスも
同じ真理(法)を共有しているかと思います。>シモン氏
さて「お花畑スレ」と揶揄されましたが、少し前までは「中論哲学スレ」でしたので、本スレは空にてまた輪廻しましょう。
60 :
神も仏も名無しさん :2013/10/26(土) 00:06:54.60 ID:Hwz2bXOo
サロメが
>>41 で、セブンとパーピマンを指名した事実を重視しよう。それが
何を意味するのか。
世界にある宗教のなかで仏教が最もリースとドグマティックであり、 仏教が元で国どおしの戦争に発展した事はないんじゃないんでしょうか? 世の中の形而上の疑問は最終的に「あるのかないのか?」に行き着きます。 仏陀は形而上の答えられない疑問については無記で問題にしない事にしたのが素晴らしい。 あるのかないのか?ではなく「あり方」について深く考え覚った人だったと思います。 ゆえに、輪廻だとか死後の極楽浄土だとかを現在の伝統仏教がベースに置く事自体間違った捉え方だと思います。 輪廻とか極楽浄土をベースに置かない流派に賛同します。 日本でそのような流派はありますか?
62 :
シモン・エレクシア ◆/bVPRrlaFM :2013/10/26(土) 00:11:08.84 ID:dYxocHyx
>>58 まず仏陀が初期大乗経典である般若経を直接説いて、それ以降の経典も説いて〜
と語ってる時点であかんから君は。
>>62 成立年代がどうであれ、般若心経以外の経典には学術的価値しかないよ。
つまりはただの読み物。
宗教的、神学的にはまったく価値がない。
64 :
神も仏も名無しさん :2013/10/26(土) 00:18:44.37 ID:7aac1WdB
>>61 >日本でそのような流派はありますか?
例えば、近代仏教学派。
「無我と輪廻は矛盾するから、輪廻は方便だ」をシュプレヒコール。
65 :
シモン・エレクシア ◆/bVPRrlaFM :2013/10/26(土) 00:19:01.10 ID:dYxocHyx
竜樹の中論って、俺は中村の訳本で読んだが、一見して矛盾言語を羅列して支離滅裂な世界観を雰囲気で作り出し、 だから空なんだよ(ドヤッ)とふてぶてしく居直ってるだけの変人。 難解を極めると言われる中論だが、最初から現象世界の言語や論理の超越を前提としてるわけだから、 内容なんか無いに等しい。
>>60 彼らはもちろん それ以外の常連さんで霊魂wwとか常在の存在を認めない向きは
体験主義ではない
所論に根拠を引用してくれる
自分の結論が先にあってそれを正当化するために 教典や外道の文書を盾にしない
だから 初心者にも参考になる ってことです.
67 :
宝珠@神智学徒 ◆9XuF3XEACk :2013/10/26(土) 00:35:29.20 ID:8QQAsrSf
>>前スレ979 >でたー宝珠 >神智学徒でも宿命は解説できんでしょ >なぜ貧乏人に生まれたか >金持ちに生まれたか >これは不公正だよ 不公平というものはありません。 人間はすべてが平等にできています。。 生まれつきの違いは当然の必然的結果であり、 すべては己が引き起こしたものに過ぎない。 偶然というものは在り得ない。 いつまで経っても不平不満を自分以外へと向けている限りは 真の自己救済はない。
68 :
シモン・エレクシア ◆/bVPRrlaFM :2013/10/26(土) 00:39:11.88 ID:dYxocHyx
くだらん。 じゃあ「人間道」のない時代、例えば白亜紀とかはどうなわけ? 爬虫類だか原始哺乳類だかが善行・功徳を積んでホモ・サピエンスを生み出したとでも(笑)? 近代以降の急激な人口増加(人間道の衆生増大)はどう説明する?
>>67 それは理想論であって現実ではないね。
日本に生まれた人間とコンゴに生まれた人間が本質的に平等だと思うかい?
コンゴに生まれて大学を出るのと日本に生まれて大学を出るのとどちらが簡単だと思う?
君達の仏陀は現実逃避しろと教えたのかな?
71 :
神も仏も名無しさん :2013/10/26(土) 00:51:20.77 ID:cuoXCmvV
今日まで、梵字(サンスクリット文字)で残っている経典は僅かだが、 貝葉型紙に書写された梵字大乗経典が数多く発掘されているのは 仏教考古学として大きな前進だろう。 口承で伝えられた釈迦の『仏法』(サンスクリット語)が、仏典結集において 文字化(梵字)されたという事と符合する。
72 :
神も仏も名無しさん :2013/10/26(土) 00:59:55.75 ID:cuoXCmvV
平等と言っても何を基に平等と言うのか、 法律的にか、それとも能力的にかって話しになるな。 食うものが(向学心率が)違うから平等じゃ無いと言うのは、ちょっと違うんじゃないのかい。
>>72 経済的・環境的にだろw 何言ってんだよw
74 :
神も仏も名無しさん :2013/10/26(土) 01:25:04.49 ID:LDHkF3rE
経済的、環境的平等は人類が滅亡するまで訪れないだろう
75 :
神も仏も名無しさん :2013/10/26(土) 01:42:01.97 ID:cuoXCmvV
>>73 それを言うのなら、もっとリサーチが必要じゃ無いのか。
日本のように大学に行くのが当たり前の時代なら良いが、
そうでなけりゃ進学の必要性も芽生えない、つまりその意味さえ見いださないとか、
何も日本の価値観を後進国に当てはめる事も有るまい。
仏陀が説いた縁起はあくまでも現実世界のものであって、前世だのなんとか界だのは関係ないからね。 それでも人は不平等なのだ。 当たり前だろ? 男が女になることは出来ず、逆もまた然り。
77 :
パーピマン ◆hVgvvzQ7pw :2013/10/26(土) 01:53:56.83 ID:KrDRS8yl
@ 釈迦は、「呪法の効力を信じていた」・・・・などと言うアホがおりますもんでwww ⇒『火への供養は祭祀のうちで最上のものである。 ⇒サーヴィトリー[讃歌]はヴェーダの詩句のうちで最上のものである。』(Sn.568) ・・・・・・・・・・・ これは、神秘主義者が、よく「ブッダは、呪法の効力を認めていた。」 と主張 する根拠としてあげるものだが、『全くの間違い』www スッタニパータのセーラの章全文読めば、小学生にも分かることだが、「ブッダは 呪法の効力を認める意図で言及したのでは、全くないww」 まさに、全体の趣旨を無視して、一部分だけを取り出して、自説の根拠として使用 する典型例だww 以下、抜粋・・ ・・・・・・そうして結髪の行者ケーニヤに、師は次の詩を以て、喜びの意を表した。── 568 火への供養は祭祀のうちで最上のものである。サーヴィトリー[讃歌]はヴェーダの詩句のうちで最上のものである。 王は人間のうちでは最上の者である。大洋は、諸河川のうちで最上のものである。 569 月は、諸々の星のうちで最上のものである。太陽は、輝くもののうちで最上のものである。 ⇒≪修行僧の集いは、功徳を望んで供養を行う人々にとって最上のものである。≫ ・・・・・師はこれらの詩を唱えて結髪の行者ケーニヤに喜びの意を示して、座から起って、去って行かれた。
78 :
パーピマン ◆hVgvvzQ7pw :2013/10/26(土) 01:54:46.19 ID:KrDRS8yl
A 上記がその部分ねw 以上からも分かるように、これは「ケーニヤによって、食物を供養されたことに 対する≪お礼の言葉≫ ww 釈迦の言いたいことは、最後の⇒≪修行僧の集いは、功徳を望んで供養を行う人々にとって最上のものである。≫・・・ これなわけww 「貴方はバラモンを信仰しているにもかかわらず、このような大勢の修行僧に供養をしてくれました。 これは大変な功徳ですよ。」・・・・こういって、ケーニヤを讃えているのw この最後の一節を言うために、当時、「当然と考えられていたこと」を 「〜〜は、・・・・・の中で最上のものである。」と、いくつも前振りして、最後に 「修行僧に供養した貴方は、最上の功徳を得られますよ」・・・・と、ケーニヤを讃えてるのw 別に「火の供養が効力あり」なんて言ってるわけじゃねえよww 単なる修辞法の一つwww さらに補足すると、 > 『究極に達したヴェーダの達人が祭祀のときに或る(世俗の人の)献供を受けるならば、 >その(世俗の)人の(祭祀の行為は)効果をもたらす、とわたくしは説く。』(Sn.458) >『マーガよ。三種の条件を具えた完全な祀りを実行するそのような人は、 >施与を受けるにふさわしい人々を喜ばせる。施しの求めに応ずる人が、 >このように正しく祀りを行うならば、梵天界に生まれる、と、わたくしは説く。』(Sn.509) これらも、その趣旨は、⇒「 正しく修行を行う道の人 」対しての供養は、ちゃんと 功徳がありますよ って言ってるに過ぎないのww 全文読めば明らかだろうにwww 何も、「何かしらの捧げ物して祈祷を行えば、神秘的な効力がありまっせ」・・・・なんてことじゃあ ねえんだよwww あくまでも、「道の人に対する」供養の勧め・・・・・これが主旨なんだよww (まあ、 これが布施行へと繋がるんだろうがw)
>>75 馬鹿かw
それを言ったら、最初の問い自体が無効化するだろ。
魚屋の子は魚屋を継げばよいんであって、大工の修行に出る必要はない、と言ってるのと同じだ。
或いは、
俺は、リンゴ栽培するから、陸上競技の練習する必要はない、ってのと同じだ。
(勿論それは、「差別即平等」の基本図式だがw)
今言ってるのはそうじゃねーだろ。
或る徒競走のトラックがあって、同じゴールを目指すとき、という条件を外したら意味ないだろうが・・┐(´ー`)┌
このとき、Aコースは整地されていて、Bコースは砂利道泥道であるようなことを言ってんだよ。
頭悪ぃな・・。
ノシ
80 :
パーピマン ◆hVgvvzQ7pw :2013/10/26(土) 02:04:20.91 ID:KrDRS8yl
>>77 >>78 は、質問箱スレの書き込みへの、横ww (唐突だったがww)
あっちは、「質問」が、その主機能なんで、こっちに書かせてもらったww
81 :
パーピマン ◆hVgvvzQ7pw :2013/10/26(土) 02:23:58.89 ID:KrDRS8yl
>生まれつきの違いは当然の必然的結果であり、 >すべては己が引き起こしたものに過ぎない。 >偶然というものは在り得ない。 ・・・・・・・・・・・・・ そう、これこそが、「業論」の最も悪しき思想なわけだw ⇒「障害をもって生まれついたのは、本人が前世で、そのような 報いに遭うのが当然であるような≪悪業≫を積んだから」 ⇒「穢多非人に生まれついたのは、前世で悪業を積んだから≪当然≫ である」wwww つまり、「前世の悪人」認定なわけだw そして、そのような「前世の悪人」に対しては、 例えば 障害者は仏道に入るの禁止ww 部落のものは汚らわしいwので 隔離しましょうね ってなるww アホか ってのwww
>>82 ぜんぜん論点があってない。 全ての本質が空であるなら、では色はどこから成るのか? それを探求したのが般若心経以降の仏陀なわけ。
84 :
神も仏も名無しさん :2013/10/26(土) 02:48:04.09 ID:G+6Wdsry
こせーーーのーー?水曜ーーどおわでしょーーー?どおわーよーーあのーー番組ーー。。韓国よーーのえへーーのよおおーーー? 韓国ほっかぢーーどおーよーーーのーーえたごーーろくーーかーおわーー水曜どおわでしょーーしーーなーまことーー?総務ーどおわーーねーおわーーそうぬーーーっとーー総務のーー子ーー 大鶴義丹ーーのーー中だしーーもおもおー みぽりんー言うよーーー言うよーーロリコンーー惨劇だもんーーー?競輪でーーいけーーいけーなのの。。。のーー子ーーどこのこーーー? 声もおー きもいーー大鶴義丹がーーどおわしたのーーー?中華ゴミよねーーもおーつくずくよおーーかーおわーーおめこーー韓国ーー韓国ーー艦ーとかねーーかーーー 財前直見ーーといたからかしらーー?ロリコンー殺しーーとかいうよーーいうよーーでもーーかわいそーーオオルドぼけこーーとかーーロリ語ーねーねーーー 家ごとーー取るーよおーーロリコンーとかわーーー?財前さんーーー?韓国よーーーばかよーねーーおわーーみぽりんーのーーー? どおわーーよzーーー財前もおーーコメカミーー自害ーーとかいうのーー?中華ーーあほがーーー? 事件わーーロリコンーにありぃーーのーー小声ーでもーーみぽりんにょおーーーですよーーにょおどおからーーちんこーおおきいーおおきいーーはいるよーー大鶴くんのーー。。とかのーーー? 売春婦かーおわかーかーー
85 :
神も仏も名無しさん :2013/10/26(土) 02:54:03.86 ID:G+6Wdsry
おおいーのよおおーーロリコンーまじーー食うわよーーーもおもおーー安達ー三浦なのこなーーあはーー。。。。。なーーー?とにかくーーおわなーー母米ーーソオプよおーーー 悪さーってのはー。。。。およもーーロリコンにありよーー。。おじんーがーーくずよーーどおわーーーおーーーーねーーーー 認めるわよーー半書きーーヤクザわーーー。。かーおー 着るよーー切るよーーロリコンのーー。。あたりまうよーーーおわーークルクルーー涙ーのーー涙のーー涙ーのーバカ米ーーなつきもーまみーーもおーー不可事故ーーもおーおわーー俺様ーーぶっきょーーよおおーもよーーー 大鶴義丹ーもーー分かるーことー。。とかーーあおーーいーよーーのーーみぽりんーー米ーコリ浜ーーよおーー? じゃあーーざんざいー。。。のもーーおわのーーー?在日のーーー?韓国のーーー?いちばんーーきうらとかーーいうーー部落よーーーお嫁さんーー韓国のーー 艦よおーーどおわーのーー嫁ーーとかーーロリコン語ーー普賢さんーー三浦百恵ーー?ロリコンやくざねーーねーーー 鈴木さんもーー?可愛いーーロリでしたーー韓国ゴミよおおーーとかーー右翼エタぶりkrけーーむすこーーこかいんーーエリートーとかーー 横須賀ーー高校ーーおおいのよー 中華よおおおおおpーでそおーー?大鶴義丹三浦なーーさんぼんばしーーエタよおおーねーーー みぽりんがーー終わるのーーーl?言うからーー?もおーーヤクザゴミーーむすめーー ねーーさいせんーーわーーー?ざいぜんぼおーーー? 韓国ーー財前ーーーなおみーはーー?おわこーーー?おわこよねーーー?大鶴義丹ーーのおーーー?きちがいのでそおーーー? 子供ーー氷ーー生きーのがしーーとかいうーーボッタクリーーたいらんどをあーーかーーー 裏ーーおめこーー中山美穂ーーじゃーーかいーーかいーかいーーおわねーー娼婦わー 全部よーーー。。。
86 :
神も仏も名無しさん :2013/10/26(土) 02:55:54.48 ID:G+6Wdsry
アメリカでーーもおーもおーー汁つつーーあるよおーー普賢さんーー中ゴミーーおめーのーー観光ーーやくざよーーあんたーーー おわよーーごーごーーころしーーみくたんーーふげんーーろりこんーーよおおおおーかーおわーーぽりんちゃんーー?いうからーー?もーー乾いどーーおーなーーろりこんーーかーおわーー仏教でねーかーー 気がーーつおいのかなーーー?主婦よねーーいつもーー死ぬよーのーー次回ーーありーこどものーーいいこのーー次回ーあったーー時代よーーかーーおわーーおめこじかーーねーーー 行動ーーとくしzぃーーもおりもりもよーー。。とかーーロリコンーー口よーーポリンのーーみぽりんーおわよーーもおかーマカ山ーーだからーー? コカのー子おわーーとかーー脅しーーー? ねーーヤクザー日焼けーー終わるよーーいうとーーとかねーー。。小声ーーでもいうわよーーかーーおわーーみぽりんーーー 奴隷ーでしょーー?こどもー育てるのーーー?飛んだーー金ねーかーーおわーー仏教ーー貧乏ーー貧乏ーーぼっきょーー競輪ーさんーかーー
>>83 それを説明したのが、十二縁起じゃないの?
>>80 本当に遅いよ^^
>>81 っていうかさ
病気や心身の障害が苦ではあっても悪であるという
前世の悪の代償が今生の苦であるという決め付け自体が仏教的にも??なんじゃないの?
つまり安易な業報論を主張する連中の価値観自体がおかしいわけで
今生以前の無数の人生の行為の報いがなんであるか それこそ仏陀の神通でしかわからないブラックボックスじゃない?
私見ですが
89 :
神も仏も名無しさん :2013/10/26(土) 03:08:04.60 ID:G+6Wdsry
ロリコンーーのーー汚染水ーーすいすいすいーーのーーぽりんちゃんーーおわだってーーこどもー見るよーー見るよーーー? ねーどおわーーのーー娘だーーかーおわーーねーーー韓国もおーねーーお守りーー神社ーにー嫁いくよーー韓国死んでも死にーーきうらでもーー韓国とでもいくーーねーーー 公務のーーどおわーー終わらないーーとかもーーアメリカーにーーいえよーーおわよーーおとーさんもーーー 在日のーーイスラムーじゃーーないんですよーーー、lもーーおーーもおーーのーーすいーすいのーー牛米来ないーー?のーー? 宮内庁ーーー?ないよーないよーーどのーーこーのーー親なのこーーー? ウィニイーーよおおおおおおおーーーー?ヤクザぞっとーーするーーおかなーいーーお金ー持つー女ーーねーーーおわーーーおわーーーおわーーーー 女房だからーー死ねよーーおめーーもおーおわーどおわよーー破壊ーー破壊ーー墓はいれーー。。みくちゃんーーごおおーーー 実行ーーー安倍政権ーーおわーーおわーーおわーーーでーー孤独なーー孤独ーーなーーこどもーー流しーーちぃうかーーよおーーー?大鶴義丹ーー。。。さんーー?中だしのーーー?ばかうえーーー? りいさんーー三浦ーのーーばかこおりよーーかーおわーーおわーーわーいーのーー男ーおまんこーーりりさんーもおーー?りいさんねー?もおりもりーじゃないー。。どおわーーロリコンーーー りいさんーのーー金ーうよくーよーめじよーねーーーねーーー、、、おわれー
90 :
神も仏も名無しさん :2013/10/26(土) 03:10:18.30 ID:LDHkF3rE
>>81 では聞くが被差別部落に生まれたらどう考えるのが仏教的に正解なんだ?
世のシステムを怨むのが正解か?
貴族をブチ殺すのが正解か?
他人に被差別部落者を特別扱いしてもらうことが正解か?
答えてみてくれ
91 :
神も仏も名無しさん :2013/10/26(土) 03:16:54.14 ID:G+6Wdsry
長谷川さんのーー娘もおーーろりこんーーよーーまじよーー議員のばかよーーねーーー 理恵ーーのーーむうsめーよねーー右翼よねーー?ばかよねーーーおわーー長谷川さんーーおわこーーおわこーーおわこーーー いつもーーいっしょーーのーーどおわーーいるよーー。。きもいーーやつらーのーーロリコンーー名アクーー?みーたーかーー? のおおおわーーどおわーー娘とよーかわーえつじーーー?韓国ーー?とかいうーーくずよどおわーーー 昇さんーー悪いかなーー?横浜よおーー?まさーーけないーー長坂というーーばすーしーーーまちのーーくずよーどおわよーーー? こえーー韓国のよーあほよーー議員ーーのーー祇園ー三浦畑よおーかーーおわーー登くんmーおわこーこーこーこーー韓国だからーかーー 犯罪競輪ーー?右翼よねーーー?はせはわーーねーーおわーーー明治がいーかおーーのーーかっぱーーちびー 昇ーー長谷川ー変外ーー変質者ーーろりこんだーーねーーーきもい 豚声ーーねーねーーがははーーがっははーのーー内味よおーーばかでーねーーねーー横浜声ーかーおわーー?ノーー理恵ーーおわでそーー?ロリコンモヨーー おわーねーー長谷川くんーーにーなるーー利益ーー理恵ーー?なあいーーおwわこーーあかーおーーのーーこどもーねーーきもいねーー横須賀ーのおーーー? むうsめーー守るためーー男ーのーー声ーー落としーーいいこかめーーおとしーーかーーおわーねーー昇くんもーねーー斬刑ーだーーおわねーー ロリコンもねーーちゃんとねーーどおわよおーー韓国もよーーーねーー声あげあるよーー?かよこおわーーロリコンーーかよこどおわーー伝統ーもおわーーおわーかよこーーー 鎌倉学園ーもおーー?ないねーーないねーないねーかーおわーーどおわーーどもこーいうよねーー 野川ーもよーー産銀ーー隠しーーというーー技ー込めーーどおわーーりんーーうさいーー噂ー掛けーーどおわよーーくずよーーどおわーねーーまじねねーー 男ーー笛ーでーーもたにゃーー日本わー全部よーー自害ーーーおわーー長谷川ーーー昇ーーねーーーーロリコンーーもっとーよーーおわーー仏教でねーーー
92 :
神も仏も名無しさん :2013/10/26(土) 03:19:00.28 ID:G+6Wdsry
ロリコンーーねーーおじーちゃまーー可愛がったーーかーー?おにあいーねーのーー韓国よーーもおーーお金ーーあげーー城島ーーのよーーもおねーかーー ヤクザにーーお金あげしてたらーーー中山美穂でもー コリアンですよーーかーーおわですよーーぼくちんーー秘密ーー守護ーーこっかいんーかーおわーーこかいんーでーーまだーー娼婦いるわーーいるわーーねーー 主婦わーーもおーもおーー変代ーーだもんーー今のーじじーーいーのーーろりこんーーもおーもおーおわよーーおわよーーー 神社ーーでもーだめーーみひーーーんーーのーーどおわーー。。かんけいしゃーーねーーねーーー ずるいーー鈍いーおめこーーばっかでーーー? 観光ー嫁ーよおーーまじ馬鹿ーーかーおわーー高峰ーーさんもーー高見ーもーーゆうかもーーちれてきたからーーかーおわーーロリコンーー声あがれーのーーれーいじーのーー声ーー? アメリカンーーあほこーおわーーですよーーロリコンデスヨーー
>>90 横レス
被差別部落は人間が作った制度であり
被差別部落の人間を蔑視することは人間が生み出した偏見だから
共に人間の前向きで善意の気持ちによる努力で解消しうる
じゃない?
そこに生れ落ちることは当事者として悪弊をなくす働きが出来ることでもある
単純に悪因の悪果とはいえないと思うけど
94 :
神も仏も名無しさん :2013/10/26(土) 03:47:06.99 ID:cuoXCmvV
業論は同じ土俵に立ったもの同士の中での差異を表現したもの。 この中での差別は半端なくキツいだろな。 悪業の悪業たるゆえんだろなw
95 :
神も仏も名無しさん :2013/10/26(土) 04:08:55.83 ID:LDHkF3rE
>>93 偏見で生まれたのか、理由があって生まれたのか知らないが、
まあこれは政治的な問題だから仏教で解決するものでもないかな
96 :
宝珠@神智学徒 ◆9XuF3XEACk :2013/10/26(土) 04:17:52.22 ID:8QQAsrSf
>>20 当然、輪廻転生によってすべての矛盾は解消します。
それ以外に矛盾なく説明できるものはありません。
基本的には出生時に記憶を無くしていますが、
稀にイレギュラー的に、前世記憶を保持していたり、
前世を想定しなければ説明のつかないことを語りだすケースは存在します。
今、科学的な検証データを蓄積している最中といったところなので、
時期により明確になるでしょう。
道の歩みにおいては、
いずれすべての修行者はあらゆる過去世の記憶を回復します。
97 :
宝珠@神智学徒 ◆9XuF3XEACk :2013/10/26(土) 04:20:28.83 ID:8QQAsrSf
>>68 肉体次元で人類が発生していなかった時代には、
魂は他の別惑星であるアストラル天体〜低位メンタル天体〜高位メンタル天体へと転生していました。
そして、最後に地球の動物人間の中へと吹き込まれました。
基本的には、動物魂と人類の魂は別物であって、
動物魂が人間に転生することはありません。当然、その逆もない。
すべては進化の法則に依っています。
下等生命である動物には、「善悪」の認識はなく、従って、善行によって上昇しようということもない。
この太陽系内の魂は600億といわれています。
つまり、殆どの魂は転生外にあって待機中だということ。
現在は、その内のただ十分の一が地球に転生中であることを意味します。
何の矛盾もなし。
98 :
パーピマン ◆hVgvvzQ7pw :2013/10/26(土) 04:27:31.48 ID:KrDRS8yl
>>90 >では聞くが被差別部落に生まれたらどう考えるのが仏教的に正解なんだ?
何言ってんだ?w
「全ての事象に」≪仏教的意味付け≫が、必要とでも言うのか???www
⇒「A君は、Bさんに告白したけど、ふられてしまいました」
⇒「目の前の石ころ蹴っ飛ばしたら、電柱にあたりました」・・・・
さて、仏教的にどう考えるのが正解だ?wwwwwww
・・・・Bさんは、その最悪の性格が災いして振られたと考えるより、「前世の悪業」
のために振られたと考える方が「仏教的」か?wwwwwww
石っころは、「前世で悪いことしたから」 蹴られて電柱にあたったのか???wwwwwwww
あえて言うなら、「縁起」による・・・・・ 最大限、言えてもこれだけだろうが?w
ある観測された事象に「因」がある・・・とするのは良し。
問題なのは、分かりもしないくせに「特定の事象に勝手に意味付け」することなんだよww
「分からないことは、分かりません」・・・・というのが仏教的スタンスなのでは?w
・・・・・「被差別部落に生まれついた」・・・・・・
通常の視点からすれば、それは「父ちゃんと母ちゃんが、被差別部落民だったから」wwww
で、終了www
それを仏教的視座からの物言いで言えば、「縁起によります」・・・・・・
ここまでで、十分だろうが?w
そこに「前世の悪業」なんぞを持ち込む必要性は全くなし と思うがねww
99 :
パーピマン ◆hVgvvzQ7pw :2013/10/26(土) 04:53:28.85 ID:KrDRS8yl
>前世を想定しなければ説明のつかないことを語りだすケースは存在します。 はい、大嘘wwwwwwwwwww このスレも含めて、他スレにおいてもww ≪唯の一件も≫ ≪前世を想定しなければ説明のつかない事例≫ など、ありません。 ・・・・・⇒ 「唯の一件も」ですwwwwww あるというなら、挙げてみろやwwwww 全ては、そうであると信じたい者が、そうであると主張しているものばかりじゃww 以前にも言ったが、 @六歳の少年が、「前世が数学者であると言って、突然、高度な数学の問題を解ける ようになった」・・・・なんて事例があったか?www A「私は、今ではもうとっくに滅んでいる村で1000年前に、頭に斧を打ち込まれて 殺されました。」・・・という証言に基づいて、その者がいう場所を数十メートル 掘り返してみたら、未発見の遺跡が見つかった。さらに、その者が指示する場所で 証言通りの死体が発見された。・・・・・こんな事例あったか??wwww あったのは、全て「前世では・・・・の村に住んでいて、家の様子は・・・・で・・」 などと、事前情報入手可能な事例ばかりww 「いえ、この人は、その村に行ったこともなければ、人から話を聞いたことも ありません。」・・・・という証言を信じることで成立する話ばかりww つまり、信じたい人は信じてください というレベルの話ばかりwwww
100 :
パーピマン ◆hVgvvzQ7pw :2013/10/26(土) 04:57:16.82 ID:KrDRS8yl
若干ミスww 98の 「・・・・Bさんは、」 は、 「A君は」の間違いww
101 :
宝珠@神智学徒 ◆9XuF3XEACk :2013/10/26(土) 06:16:34.75 ID:8QQAsrSf
>>69 差異が生ずるには必ず原因がある。
当然、そのすべての元となる因果は自分自身にある。
それは自己の行為による必然的な果報であるから、誰のせいでもない。
善行には善果が生じ、悪行には悪化が生ずる。
この法則から外れるものはなし。
であるから、努力と善なる生き方には価値があるのです。
結果が保障されるから、努力に値する希望がある。
従って、
差異が生ずることこそが完全平等を示すもの。
102 :
神も仏も名無しさん :2013/10/26(土) 06:37:24.84 ID:7aac1WdB
>>90 >では聞くが被差別部落に生まれたらどう考えるのが仏教的に正解なんだ?
> 世のシステムを怨むのが正解か?
長部経典の「自歓喜経」や「等誦経」に説かれている「入胎の法」では、誰でも母胎に宿るまでは意識(前世記憶)があります。
ある程度は自らの意志で親や環境を選んで生まれてくることになるという意味ではないかと、私見ですが。
実際に歴史に名を残すような偉人の場合、多くは貧しく、差別される環境や、幼き日に両親を失うような環境に生まれてきます。
現世を安易ではない修行の場として理解し、敢えて厳しい環境を選んでいるようにも観じられる次第です。
またいかなる被差別部落を含む厳しい環境であっても、「地獄」の長期滞在と比べれば決して悪くはないのかも知れませんね。
103 :
神も仏も名無しさん :2013/10/26(土) 06:47:14.46 ID:7aac1WdB
>>102 >またいかなる被差別部落を含む厳しい環境であっても、「地獄」の長期滞在と比べれば決して悪くはないのかも知れませんね。
【譬え話】
毎日、世界中で生き先を書いたチケットが発行されます。「裕福な家」、「普通の家」、「貧しい家」、「被差別部落」等々です。
天界の住人達の多くはこれらチケットには見向きもしません。寿命を全うします。
しかし、地獄の住人達にとってはどのチケットも高い倍率の争奪戦です。
「俺は前世で人々を差別したカルマがあるさかい、次は差別される環境に生まれて清算しよう。数百年居たここ(地獄)よりもずっとよいし。」
104 :
神も仏も名無しさん :2013/10/26(土) 06:55:05.41 ID:LDHkF3rE
善因善果悪因悪果の善悪の分別こそが問題だ それぞれ個人の善悪の分別が、普遍的或いは仏教的善悪と同じだという保証がないだろう いや、それ以前に太郎の分別する善悪と、次郎の分別する善悪でさえ違う
105 :
全日本人 :2013/10/26(土) 07:14:06.18 ID:mLzuhSTQ
日蓮大聖人は、主師親の三徳の、全世界の主・全世界の師・全世界の親である。 池田大作先生は、主師親の三徳の、全世界の主・全世界の師・全世界の親である。 池田大作先生は蓮祖聖人である。
106 :
宝珠@神智学徒 ◆9XuF3XEACk :2013/10/26(土) 07:18:14.25 ID:8QQAsrSf
>>77-78 ゴータマが弟子アングリマーラに対して、
難産で苦しむ夫人に“真実語を発して祈るよう“にと指示したことを忘れましたか?
その結果として、婦人の苦しみは和らぎ無事に出産したと締めくくられたことを。
あなたの説明では、祈りも発する言葉も効力無しになる。
>>98 いや、そういった何でもすべてが前世と関わるものではないですよ。
さっきの行為の結果が今生じた。昨日の行為の結果が今日現れる、
といったものの複雑な総計が人生です。
しかし、
異性にフラれやすく好かれない性格の一部なり、そして生まれつきの容姿は前世の因果でしょう。
石ころ蹴りのコントロール?、運動神経の生まれつき部分については前世の因果でしょう。
人は過去世(前世)の行為によって、自分の生まれる先が決定します。
誰のせいでもないから------これが真理
原因(自己の行為)がすべての結果を生む。
従って、結果を見ればその原因も想定できる。
原因無くしてカルマ(業)の発動なし。
このような見解を否定する考え方が「邪見」。
仏教的に最も宜しくないものです。
107 :
宝珠@神智学徒 ◆9XuF3XEACk :2013/10/26(土) 08:01:46.66 ID:8QQAsrSf
>>99 @
のような、知らない筈の異国の古代言語を話す事例については、
以前にTV『アンビリバボー』から紹介しました。
しかし、あなたはそれを無視しました。
A
あるでしょ。学者も馬鹿じゃない。
ただ、あなたが知らないだけ。自分で知ろうという気がない。
あなたはどんな事例すらも、
ヤラセだと決めつけるのだから無意味です----だからお話にならない。
唯物主義者はどんな幽霊話も認めない。自分が直接体験しない限りは無理だから。
よって、議論も無理。
108 :
宝珠@神智学徒 ◆9XuF3XEACk :2013/10/26(土) 08:52:19.67 ID:8QQAsrSf
>>81 >例えば障害者は仏道に入るの禁止ww
それは一部の愚かな僧侶どものせいです。本当に馬鹿どもです。
障害者には親切にしなきゃならない(世間一般人でもわかること)。
すべての人間には、仏道に入ることのできる機会を平等に提供しなければならない。
>部落のものは汚らわしいwので隔離しましょうね ってなるww
>アホか ってのwww
困っている人、
虐げられた人々に救いの手を差し出すのが仏教精神。
隔離? まっ、そういう人々はその果報を受けて自分らが困ることになる。
>>23 おやおやついには人格攻撃かい。論では勝てないと決まってこうなるな。父と子。ソフィアと叡智。男と女。
そして聖霊とロゴス。これらの意味をわかれば三位一体に繋がるんだよ。前スレ
>>997 で書いた文章。特に子宮の下りは
ナグハマディ文書から取ったものだ。それを書いたら支離滅裂だってよ。お前はグノーシスを全く理解してないじゃないか。
グノーシスの解説本に書いてなければお手上げか?俺は答えを知っているがここでは語るまい。
他人の言説をパクッて自分の言葉のようによそで語るのは結構だが、オリジナルに感謝することもなければ尊敬することもない。
それどころか貶すような人に真理を語るのは相応しくない。ナグハマディ文書には霊肉一元の話も出てくるぞ。
それらは取捨選択で切捨てかよ(呆)子宮の喩えの話。不二一元の単独者の意味を理解し、御国を正しく理解すれば、
復活には身体の復活が必要だと書かれてる一方、身体を捨て去らなければならないという相反する内容の矛盾も
解決するんだよ。そしてグノーシスも新約聖書も書かれている内容は同じ真理について書かれていると理解する。
そしてゴータマの仏教もね。決して別物じゃない。真理は一つだ。二つのものは無い。ゴータマの仏教といえどもヴェーダ
を元にした新興宗教にすぎない。ヴェーダのテーマと言えば自性、ブラフマンだ。ブラフマンに重きをおかず、
自性を仏と呼んで、それをあるともないとも明言をさけ、のらりくらりと教えを説いて皆を惑わしたのがゴータマさんの
仏教。ゴータマさんは仏に留まることを涅槃静寂と呼んだ。彼の教えは滅びの教え。仏教は救いのない唯物論者の為に
残された宗教なのだろう。本当の教えは違うんだろうけど、仏典を読めばあえて誤謬させるように書かれている。
自性より、ブラフマン=真我を重きを置いて教えを説くのをヒンドゥー。そして自性を天の父。ブラフマン=真我を独り息子と
呼び、涅槃静寂を安息日と呼べばキリスト教となる。キリスト教は最も重要な復活にスポットを当てる。
君らは違う違うと言うが、これらの教えは同じ真理をベースに出来たものなんだよ。まぁ盲人のシモン君は、幼稚な霊肉二元論。
この世界とは別の霊界やら自性界(爆笑)とやらを夢見て御伽噺を語ってればいいと思うよ。
110 :
パーピマン ◆hVgvvzQ7pw :2013/10/26(土) 09:16:06.83 ID:KrDRS8yl
>>107 >@
>のような、知らない筈の異国の古代言語を話す事例については、
> 以前にTV『アンビリバボー』から紹介しました。
>しかし、あなたはそれを無視しました。
wwwwwwwwwwwwwwwwwwww 知らねえわいwwwww
何だ? そりゃ??
その古代語を話すやつってのは、当然ながら、単語レベルではなく
ネイティブのごとく話すんだろうな?w そして、誰がその判定を
したんだ?? 誰も古代語を ネイティブのごとく話せるやつなんて
現代にはいないだろうが??ww
そして、ここが最もじゅうようなところだが、当然、そいつは学会で
認証されたんだよな?ww トンデモ学者のお墨付きのみ なんて
わけねえよな?wwwwwwwww
>A
>あるでしょ。学者も馬鹿じゃない。
>ただ、あなたが知らないだけ。自分で知ろうという気がない。
有るでしょじゃねえんだよww だから、それを挙げてみろ ってのwww
こっちの反論不可能な事例ってやつをwww
お前、いままで「ただの一度も」 それを出来たことなかろうが?www
そして、こちらが信じようとしないから悪い となる。 アホかwww
信じる、信じないとかのレベルではなく、「そう考えるしかない」事例ってのを
提示せよ ってのwww
「全ての批判的反論を排除できる事例」・・・・・ないでしょ?
だから、所詮、「信じたい人は信じてください」 って話なのwwwww
>>25 ついには仏教とキリスト教は全てにおいて相反すると言い出したぜ。
ならおまえ。なんしにここに来てんの?変な人だね。
おまえ、少し前は、ゴータマの仏教を正しく理解できるのは俺達グノーシスだと言って
前スレ
>>745 で偉そうに
>釈迦は優れた導師だよ。
>釈迦はattanを求め続けたが、皮肉にもそれは
>すべてのattan(我)への執著を捨てることで
>はじめて到達しうる境地だった。
>俺が西の霊性であるグノーシスで至った見地と同じことを説いている。
なんて抜かしてたんじゃねぇのかよ。それが全てにおいて相反すると言説が変わってらぁ。
全てにおいて相反しているのは、常見外道の誤謬だらけの君のグノーシスであって、グノーシスを
正しく理解し、本当のキリスト教を理解すれば相反するどころか真理については同じことを語っていることを
理解するんだよ。皆さん。シモン君やその辺のグノーシスの解説書に書いているグノーシスは
本当のグノーシスでは無いので誤解のないように。学者がイエスの教えを正しく理解していれば彼らは
キリストだし、学者が正しくゴータマの教えを理解していれば彼らは阿羅漢だって。でも事実は
違うだろ。
112 :
神も仏も名無しさん :2013/10/26(土) 09:25:49.13 ID:7aac1WdB
>>23 シモン氏
>>109 カラス氏
お二人とも仲良くね。
私もナグハマディ文書(トマス伝、フィリポ伝)、死海文書、マリア伝、ユダ伝は一読しております。
113 :
宝珠@神智学徒 ◆9XuF3XEACk :2013/10/26(土) 09:27:14.84 ID:8QQAsrSf
〜このような、 未だに、 「輪廻転生ってあるの?」 「そんなものあるかどうかなど分からない。」 「いや、ある筈がない。絶対にない」 などといってる人ばかりの仏教スレなんか、 まともな仏教者は相手しない。 長期に及んで参加したのは、 仏典記述を丸呑みで南方仏教を見下す大乗マンセーの一代と、 基本に忠実で真摯な姿勢の不説さんぐらいなもの。 後は誰も相手しない。 だから、このスレはすぐにあなた方、唯物主義者たちの巣窟となるのです。 そしてスレ上で多数派を占めて互いに「そうだそうだ!!」といって喜んでいる、と
>>25 >釈迦の道諦や八正道も仏教の究極目的である解脱を成す道であって、それはキリスト教的救済や目的に
>転用するなんてことは論理的に不可能。
だってよ。さすがサロメからグノーシスにおける救いのメソッドを聞かれても何も答えられないだけのことはある。
この人はグノーシスを何もわかっちゃいないんだよ。デミウルゴス界などアホな事言ってるし。
聖霊体験などとわけのわからん奴も登場するわ。君らはお似合いだよ。聖霊体験って一体なんなんだよ(爆笑)
聖霊体験などとほざいてる奴は、聖霊の意味を理解してないんだよ。
神智学=アージーヴィカ教
なんつってなw
>>70
117 :
パーピマン ◆hVgvvzQ7pw :2013/10/26(土) 09:40:10.90 ID:KrDRS8yl
それから、 >ゴータマが弟子アングリマーラに対して、 > 難産で苦しむ夫人に“真実語を発して祈るよう“にと指示したことを忘れましたか? >その結果として、婦人の苦しみは和らぎ無事に出産したと締めくくられたことを。 >あなたの説明では、祈りも発する言葉も効力無しになる。 これ? なんの話だ???? もしかして、「私は今まで一人も殺していません。その功徳によって・・・・・」 言わせた話のことか?w
118 :
シモン・エレクシア ◆/bVPRrlaFM :2013/10/26(土) 09:47:43.16 ID:dYxocHyx
>>111 何を勘違いしているのか知らないが、俺はグノーシスを「キリスト教」(カトリック、プロテスタントほか)だとは思ってないから(笑)
学術的にもグノーシスは「キリスト教」と「同時期」にユダヤ辺縁で発祥したとする説が有力。
旧約の神を否定し、「肉の復活」を否定し、「預言者」を否定し、「終末」を否定し、「審判」を否定する
グノーシスはキリスト教の相当の蛇ではあっても、およそ同じ思想体系で括れるものではない。
ていうか、お前グノーシスについて少しでもまともに研究したことあんの(笑)?
荒井とか大貫とか柴田とかクルト・ルドルフとか。
初心者はスコペロの「グノーシスとは何か」から読んどけ。200ページに満たない小冊子だが、
グノーシスの何たるかが凝縮されてる。そしてお前がどれだけあり得ないことを言ってるかが理解できる。
119 :
シモン・エレクシア ◆/bVPRrlaFM :2013/10/26(土) 09:49:08.33 ID:dYxocHyx
相当の蛇→双頭の蛇
>>118 偉そうな能書きは、自説に合わない文言は取捨選択せず、復活には身体が必要。復活には身体を捨てるの
相反する内容の整合性を取れるような智慧を付けてから抜かそうや。グノーシスは霊肉二元論などと抜かしている
学者なんて何もわかってねぇんだよ。仏教とヴェーダは別物なんていう仏教学者と同じくな。
お前に言わせりゃ、学者の能書きがイエスの教えかよ。笑かすな、おまえ。
121 :
宝珠@神智学徒 ◆9XuF3XEACk :2013/10/26(土) 09:54:34.74 ID:8QQAsrSf
>>117 そんな嘘は言えないと断ったでしょ。
ゴータマの指示で唱えたのは、
「私は仏道に帰依してからは故意に命を奪ったことがない」です。
宗教は学問じゃない。真理は学問じゃない。それを学問として捕らえ、学問的なアプローチでしか 理解しようとしない人には真理は理解できない。もちろん聖霊も下らない。シモン君を観察すればよくわかる。 彼は学者の書いた能書きをそのまま語っているだけで、智慧の欠片もない。学者の見解がなければそこで思考停止だ。 俺はお前と違って学者の能書きを語っているんじゃないんだよ。イエスの教えを語っているんだよ。
124 :
宝珠@神智学徒 ◆9XuF3XEACk :2013/10/26(土) 10:19:13.42 ID:8QQAsrSf
>>115 あのですね・・・
運命決定論じゃないから。
生まれの境涯が前世に依るというのは「縁起」のことですよ。
縁起とは「因縁生起」の略であって、
現象界の事象すべては必ず、直接原因と間接原因の二つの原因があって生じているという見解のこと。
または、「因」(原因)と「縁」によっていう言い方もある。
火は、燃える物と高熱の二つの原因、
または原因(可燃物の存在)と縁(高温という条件)とによって発生する。
氷は、水と低温の二つによって生ずる。
どれが一方ではダメ。
で、それはどうして?どうして?と、果てしなくその元となる原因が必ずある。
無ければ(結果は)生じないから。
その生まれの環境(条件)の中でその人がどう生きていくか?
その選択と行動の在り方、如何によって更に無限の結果があるということ。
人の行為と努力が重要ということ。
「偶然」なんていう馬鹿なことをいう仏教者はいないから。
125 :
シモン・エレクシア ◆/bVPRrlaFM :2013/10/26(土) 10:20:06.27 ID:dYxocHyx
あほらし。 学者うんぬん以前に、お前のは基本を学ぶ意欲も能力もないだけだろ。 偉そうに達観した態度をとるなら、岩波のナグハマディ文書原典訳全4冊、別巻1冊はくらいは読破してるんだろうな?
126 :
記憶喪失した男 忍法帖【Lv=40,xxxPT】(1+0:3) :2013/10/26(土) 10:23:33.92 ID:ybsH/s9W BE:2189933748-2BP(427)
あうあうあうあうあうああー ::::::::: へ( ^q^')ノ おれがラノベとか文学とかSFとか読んでる間に、 ::::::::: (┐ノ みんな宗教書読んでるから、全然追いつけない。 :::::::::: / :::::::::::::::::::::::::::::::::
127 :
宝珠@神智学徒 ◆9XuF3XEACk :2013/10/26(土) 10:25:13.72 ID:8QQAsrSf
>>123 はい、その取材放送です。
お手数をかけまして有難うございました(感謝!!)
>>110 >wwwwwwwwwwwwwwwwwwww 知らねえわいwwwww
>何だ? そりゃ??
これです。>123
>>125 ナグハマディ文書4冊は持ってるぞ。
聖書や仏典もそうだけど、あのような聖典は君のような智慧のない者が読んでも
意味がない。イエスの教えは学問ではない。学者の能書きとイエスの教えは違う。それくらい理解しようや。
129 :
宝珠@神智学徒 ◆9XuF3XEACk :2013/10/26(土) 10:32:24.06 ID:8QQAsrSf
まっ、 彼は都合の悪い事例はすべて“ヤラセ“ということにするから何を言っても無理なんですね。 答えは最初から彼の中になるから(ある筈がないから、あると主張する話は嘘か勘違いだ)。
130 :
記憶喪失した男 忍法帖【Lv=40,xxxPT】(1+0:3) :2013/10/26(土) 10:33:11.62 ID:ybsH/s9W BE:410613023-2BP(427)
あうあうあうあうあうああー ::::::::: へ( ^q^')ノ まあ、おれはシモンのおかげでグノーシスがちょっとでもわかるのは嬉しいわ。 ::::::::: (┐ノ なんだかんだと神秘的な珍しい発想があって、よいものだ。 :::::::::: / まあ、グノーシスの全体像はまったくわからないんだが、 ::::::::::::::::::::::::::::::::: とりあえず、格好良いものとしておれには映ってるね、グノーシスは。
>>124 いやw ポイントはそこじゃなくて、
(―つか、勿論“そこ”こそが、「業(果)による現時点・現状の説明」という
他三?師との共通項にプラスされている相違なわけだが―)、
「輪廻(というシステム)に於ける“浄化過程”」
「(魂の)成長及び過去の罪の清算過程」
「(魂の)現時点で背負っている負荷・負債(≒苦、≒業)の理由付け」
が、そっくり、ってこと。
リンクの上二つ読んでみれば解るよ。
132 :
記憶喪失した男 忍法帖【Lv=40,xxxPT】(1+0:3) :2013/10/26(土) 10:43:00.40 ID:ybsH/s9W BE:3695512469-2BP(427)
あうあうあうあうあうああー ::::::::: へ( ^q^')ノ ナグ・ハマディ写本すげえなあ。 ::::::::: (┐ノ よくこんな文書があるなあ。 :::::::::: / 奥が深いぜ、グノーシス。 ::::::::::::::::::::::::::::::::: グノーシスは旧約の神を悪者にしているから好きだな。 プレローマというものがなぜ神になるのか理解できないが。
>>33 >グノーシスの起点となる発想は「人間論」、すなわち、
>我々は何者なのか、どこから来て、そしてどこへ向かうのか。
グノーシスは聖霊体験ではないかと誤解しましたが、
それは花婿が登場する「復活」の部分なのだと自己解決しました。
聖霊 → 霊魂 → 霊界とバラバラに体験したが、
グノーシスはそれらを関連させた神話ですね。
霊界で服をきているかどうかの件は、三途の川の近くですが、
どの人も春向きの軽装で裸の人はいませんでした。
134 :
記憶喪失した男 忍法帖【Lv=40,xxxPT】(2+0:3) :2013/10/26(土) 10:51:23.27 ID:ybsH/s9W BE:273742122-2BP(427)
あうあうあうあうあうああー ::::::::: へ( ^q^')ノ おれの人生は苦痛だったから、 ::::::::: (┐ノ 現生肯定的な宗教より、一切皆苦の仏教や、この世界は偽者の神に作られたとするグノーシスが好きだが。 :::::::::: / 子供の頃にこんなのが真理だといわれたら、生きてく気力をなくしちゃうわ。 ::::::::::::::::::::::::::::::::: その均衡が大事よね。
福音書に花婿や花嫁のたとえ話があるが、 グノーシスとの関連を考えると理解できそうですね。 福音書にもグノーシスが流れ込んでいる。
136 :
記憶喪失した男 忍法帖【Lv=40,xxxPT】(2+0:3) :2013/10/26(土) 10:57:21.81 ID:ybsH/s9W BE:2189933748-2BP(427)
あうあうあうあうあうああー ::::::::: へ( ^q^')ノ 日本は明治維新で仏教の肉食禁止を廃止して、自由な社会を築いたが、 ::::::::: (┐ノ イスラム教はブタが食えない。 :::::::::: / ヒンドゥー教は牛が食えない。 ::::::::::::::::::::::::::::::::: キリスト教は、ウェディングドレスと帽子が厳しい戒律だわ。
137 :
パーピマン ◆hVgvvzQ7pw :2013/10/26(土) 11:03:24.13 ID:KrDRS8yl
はいはい、読みましたよwwwwwwwwwwwww まあ、、バラェティー番組などで、「不思議なこともあるんですねえ」 とアホな視聴者の興味を引くには、いい話かもなwwwwww 先ず、「大前提である」 ⇒「事前情報の入手の可能性の排除」 ・・・・・・その他の例と同様にこれが全く行われていないのwwww @ネパール語を学んだ経験ない・・・・これがどうやって担保されてるの???? ウソ発見器だ????wwwww それで全てわかるんなら、裁判所の証言の信憑性の 検討など必要なくなるわなwww お前、古代語とか言ってたよな?? そりゃ、「ある人が誰も知らない古代語を話しました。 そして、誰も分からない文字で 話を記録し始めました。 ところが、それから、数十年後、ある遺跡からその古代文字が発見され、 その解析に成功したところ、その人の古代語と全く同じ言語であることが証明されましたwww」 こういう「事前情報入手不可能」な事例はないでしょ????wwwwwwww 全て、「証言者の証言が正しい」という前提に立っての「お話」ww つまり、「信じるか信じないかは、あなた次第です」WWW ってのwwwwww
138 :
パーピマン ◆hVgvvzQ7pw :2013/10/26(土) 11:06:05.39 ID:KrDRS8yl
>彼は都合の悪い事例はすべて“ヤラセ“ということにするから何を言っても無理なんですね。 だから、「やらせ」と言えないような事例を、「たったひとつ」でいいから 提示せよと言っても、できないんでしょ?wwww だから、「信じたい人は信じてください」なんだよwwwwwwwww
139 :
パーピマン ◆hVgvvzQ7pw :2013/10/26(土) 11:08:10.68 ID:KrDRS8yl
>>121 >そんな嘘は言えないと断ったでしょ。
>ゴータマの指示で唱えたのは、
> 「私は仏道に帰依してからは故意に命を奪ったことがない」です。
何が言いたいんだ?????
さっぱり、なんだがww あの話が、「呪法とか祈祷の効力」を証する話だと???
140 :
パーピマン ◆hVgvvzQ7pw :2013/10/26(土) 11:12:06.41 ID:KrDRS8yl
>相も変わらず詭弁を好む大悪人パッパラパーピマンはピーチクパーチクうるせぇな。 相も変わらず「詭弁、詭弁」とうるせえな、この 「きべん鳥」はwwwwwwwww
141 :
シモン・エレクシア ◆/bVPRrlaFM :2013/10/26(土) 11:24:15.68 ID:dYxocHyx
>>135 グノーシスの結婚とは、肉を脱ぎ捨て、「自己」を見出すこと。
「彼らは喜びの結合の内に・・・知性の結合の中で一つにされた。それは真実の結婚であり、
それぞれの知性のうちの、朽ちることのない休息であり、言葉に表せない神秘のうちに成就される
照明である」(「大いなるセツの第二の教え」NHYZ2,66,34−67)
「自らの光に気付いて彼女はこの世を脱ぎ捨て、自らの真の衣服で身を飾る。その結婚衣装は、
肉体の傲慢さのゆえではなく、霊の美によって彼女を飾る」(「真正な教え」NHY,2,32,2-8)
それは釈迦の説く涅槃と同じく、この世の「苦」を滅却する「滅道」となる。
「この結婚は肉的な結構のようなものではない。互いに一つになった者たちは、この結合に陶酔し、
重荷や欲望による苦悩といったものから解放されて、もはや互いに離れることがない。」(「魂の解明」NHU,6,132,27)
この結婚は新たなるものではなく、「始原」への回帰である。
「最初、魂が夫を失う以前、彼らは父の前で一つになっていた。この結婚は彼らを新たに結び合わせ、魂は真の恋人、
その本来の主と一つになる」(「魂の解明」NHU6,133,4-9)
人が失われた夫を見出すとき、人は自らが「集められた」ことを知り、父へと帰一する(救われる救済者の奥義)。
「私は汝であり、汝は私であり、そして汝のいるところに私はいる。私はあらゆるものの中に散らばっており、汝は
汝の望むところから私を拾い集め、私を集めつつ、汝は汝自身を集めるのである」(「エヴァ福音書」断片、エピファニオス「パナリオン」から)
>>134 補
あ、一つ大事なポイント忘れてた。
「現状の(各生に於ける)境遇は、
《その時点で負っている“業(果)”の程度》
及び
《魂の浄化レベル(→修行の階梯、各成長)に応じたステージ》である」
というとこ。
あ、透明あぼんが増えてるもんでアンカーずれたw
>>131 補
あ、一つ大事なポイント忘れてた。
「現状の(各生に於ける)境遇は、
《その時点で負っている“業(果)”の程度》
及び
《魂の浄化レベル(→修行の階梯、各成長)に応じたステージ》である」
というとこ。
>>141 そこに紹介されている話が聖霊体験そのものです。
どう自分を滅したかは別に、神(永遠の命)の雫が頭の中に落ちてきます。
ほんの一滴ですが、それは永遠なのでほんの一滴で十分です。
たぶん釈迦も体験したと思うのですが、間接証拠しかなく、
その具体的な記述が見当たらない。仏典の「甘露」は聖霊かもしれない。
体験した時期は、瞑想修行中、スジャータと出会った直後。
>>141 ところが一方ではこう言っている。
〜フィリポ
>私としては肉は蘇らないだろう。問いう他の者達を非難する。もしそうであれば、二つの立場でどちらも誤っていることになる。
>君はこういうだろう。「肉は蘇らないだろう」と。しかしそれならば私に言ってみてくれ。一体なにが蘇るのかを。そうすれば
>我々は君を尊敬するだろう。君は言う。「霊が肉の中にある。そして肉の内なるこの別なる光がそれである」と。
>だがこの別なるものは肉の内なる言葉。ロゴスのことである。なぜなら君は何を語るのであれ、肉を離れては何一つ語れない
>からである。この肉にあって蘇ることが必要である。なぜならあらゆるものが肉の内にあるのだから。
君はこの文言を都合よく取捨選択して切り捨てる。そんなのは駄目なんだよ。
御国は内側にあり、面前に広がっている。面前にあるものを認識せよ。面前にあるものを認識すれば御国は我々の間にあることを
理解するだろう。
146 :
シモン・エレクシア ◆/bVPRrlaFM :2013/10/26(土) 12:03:28.02 ID:dYxocHyx
どう受け取るかは自由だが、キリスト教の聖霊は、あくまで外から降りてくるパラクレートス。 グノーシスの花婿は、始原において一つであったが、今は失われ、魂が忘却してしまった真の自己。 「キリストは、最初のときから存在していた分離を修復し、この二つ(男性と女性)を再び一つにし、 分離の中で死んでいたものに生命を与え、彼らを一つにするためにやって来た」(「フィリポ福音書」NHU3,70,9-17) 「あなたがたが、二つのものを一つにし、内を外のように、外を内のように、上を下のようにするとき、 あなたがたが、男と女を単独者(モナコス)にして、男を男でないように、女を女でないようにするならば、 ・・・そのときあなた方は入るであろう」(「トマス福音書」NHUFG,22)
147 :
シモン・エレクシア ◆/bVPRrlaFM :2013/10/26(土) 12:06:57.88 ID:dYxocHyx
>>145 フィリポ福音書が諸種教派の語録、教説の断片集で、グノーシス派内部の
雑多な主張をそのまま編纂していることは、何度も説明してやったはずだが?
実際には、シモン派、ヴァレンティノス派、バルベーロー派、セツ派、カイン派、ナハシュ派
等のグノーシスの枢軸となる主要教派はほぼ霊肉二元の考えで統一されてる。
>>141 聖霊体験をした半年後ぐらいに坐禅中、霊魂体験をしましたが、
霊魂は透明な球体であり、自我は消滅しているが意識(純粋意識)があります。
この体験で、自分が何であるか、(神と同質かもしれないが)
神とは別の個体であることも知りました。
霊魂には自己意識があり、感覚器官はないが感覚もあります。
周囲は神の世界(白い霧)であり、涅槃であり、
中村訳、感興のことば(ウダーナヴァルガ)26章に酷似しています。
149 :
記憶喪失した男 忍法帖【Lv=40,xxxPT】(1+0:3) :2013/10/26(土) 12:14:51.33 ID:ybsH/s9W BE:4927349298-2BP(427)
あうあうあうあうあうああー ::::::::: へ( ^q^')ノ グノーシスだと結婚は霊的結合みたいだけど、 ::::::::: (┐ノ すると、グノーシスだと離婚はどうなるの? :::::::::: / :::::::::::::::::::::::::::::::::
>>141 >あなた方が父が人間を愛しているとか、祈りによって願いが叶えるとか、別の人の為に誰かに恵みを与えるとか、願う人間が
>我慢するなどと考えているのか。彼は人間の意志も、肉が必要とするものも知っているのだからまさに肉が魂を
>求めるのではないか。なぜなら魂なしで身体が罪を犯すことは無い。霊なしで魂が救われる事が無いのと同じである。
>しかし悪の無い魂が救われ、霊もまた救われるなら、身体には罪が無くなる。なぜなら、霊が魂を起こし、身体が魂を殺すの
>だから。すなわち魂が自らを殺すのである。〜ヤコブのアポクリュホォン
お前はまだまだだ。身体の復活と、肉をまとった者は誰も救われないという矛盾を解決するだけの智慧を得てから俺に意見するん
だな。学者の解説通りにしか意見を述べられず、学者の解答が無ければ思考停止のレベルで俺に意見するのは100年早いんだよ。
>>149 元の夫と別れ姦淫で生まれた子供は全て呪われる。その報いは死だ。姦淫で生まれた子供。それは我々のことだよ。
>>147 だから都合よく取捨選択するなって。智慧のあるものなら全て整合性が取れるんだよ。
新約聖書と、グノーシス系文書もね。学者の能書きはイエスの教えとは違う。それくらい理解しろって。
どの道君らの種族に種を撒いても収穫は少ない。君らは勘違いしている人が多いようだけど、 君らの種族で救われる人は本当に少ないんだよ。そんな君らの為に末法仏教は用意された。救いようの無い 唯物論者にも死への恐怖を乗り越える宗教は必要だからね。君らに種を撒いても多くはエネルギーの無駄なのでもう寝るわ。 他人を救うより、まず自分からだしな。教師になんかなるもんじゃない。今日撒いた業も自分に返ってくる。 父よ。愚かな私を許し、救いたまえ。そして縁あるこの人達を救いたまえ。偽善かな。また罪を犯した。 お休みだアホ共。早く悟れよ。
154 :
シモン・エレクシア ◆/bVPRrlaFM :2013/10/26(土) 12:34:59.08 ID:dYxocHyx
>>150 あんたがネットから引用してるのは分かったが、ヤコブのアポクリュフォンは
肉の復活なんざ認めちゃいないから。
ていうか、あんなたが引用した個所の直後に
「まことに私はあなたがたに言う、彼は魂の罪を決して赦さず、肉の罪過をも決して赦さないであろう。なぜなら、肉をまとった者は誰も救われないからである。あなたがたは、多くの者が天の王国を見いだしたと思うのか。」
とあるんだが(笑)文意を破壊する引用はどうかと思うぞ。
155 :
記憶喪失した男 忍法帖【Lv=40,xxxPT】(1+0:3) :2013/10/26(土) 12:36:59.87 ID:ybsH/s9W BE:1094966944-2BP(427)
あうあうあうあうあうああー
::::::::: へ( ^q^')ノ
>>151 新約聖書には離婚を認める記述があったはずだけど。
::::::::: (┐ノ
:::::::::: /
:::::::::::::::::::::::::::::::::
レス番飛びっぱなしだがw、 いいかげん“グノスレ”建ててそっちでやれよ・・(^^; いつまでも間借りしやがってw
157 :
シモン・エレクシア ◆/bVPRrlaFM :2013/10/26(土) 12:42:13.59 ID:dYxocHyx
イエスは言われた。「あなたたちの心が頑固なので、このような掟をモーセは書いたのだ。 しかし、天地創造の初めから、神は人を男と女とにお造りになった。 それゆえ、人は父母を離れてその妻と結ばれ、 二人は一体となる。だから二人はもはや別々ではなく、一体である。 従って、神が結び合わせてくださったものを、人は離してはならない。」(マルコ10:1-12) 一般的にはイエスがモーセの律法を厳格化したものとして不評だが、 グノーシス的見地で言えば理解できる。
158 :
記憶喪失した男 忍法帖【Lv=40,xxxPT】(2+0:3) :2013/10/26(土) 12:44:12.45 ID:ybsH/s9W BE:3079593195-2BP(427)
あうあうあうあうあうああー ::::::::: へ( ^q^')ノ おいらは過去の宗教は全部狂信だと思ってて。 ::::::::: (┐ノ でも、それぞれいいところはあるだろうから、日本人に都合よく寄せ集めれないかなあと思ってる。 :::::::::: / で、グノーシスが仏教と融和性が高いとか前スレでいってたから、利用できないかなと思ってね。 :::::::::::::::::::::::::::::::::
善因善果悪因悪果が今世限りの道徳的意味合いなら誰でも信じるでしょう。 生まれ変わりを前提、土台として生前-死後と業報-果報が続いてゆく〜というのは 信じたい人が信じれば良いだけ。形而上で仏教的には無記です。仏陀はそのような 存在論を無視して、あり方について考察を深めて覚った人です。 あるのかないのか?なんて誰にも分からない。コレが正しい見解。
160 :
記憶喪失した男 忍法帖【Lv=40,xxxPT】(2+0:3) :2013/10/26(土) 12:47:55.42 ID:ybsH/s9W BE:1847755793-2BP(427)
あうあうあうあうあうああー
::::::::: へ( ^q^')ノ
>>157 ありがと。
::::::::: (┐ノ あれ? おれの勘ちがいか。
:::::::::: / 新約聖書は、離婚を認めていないのか?
:::::::::::::::::::::::::::::::::
おれにとっては、愛の正解など誰も知らないのだから、恋愛結婚の問題は人それぞれ勝手にやってろ、と思うけどね。
でも、恋愛弱者の救済がほしいね。その点、イスラム教は、妻のない男性には妻を世話しろと教えているね。
アーナンダよ。邪見とは何を縁として生起するのか?師よ。それはエゴにより生起するものです。
その通りだアーナンダよ。邪見はエゴを縁して生起するのだよ。
>>154 ん?おれはちゃんとナグハマディ文書、説教書簡から引用したんだが。だからその後に続く、肉をまとった者は誰も
救われないと言う文言を入れ、この矛盾を解決してから俺に意見しろと言ったんだよ。別の章で書かれた矛盾点を指摘
するならまだしも、同じフィリポで編集された矛盾点を己の智慧のなさで解決できないからと、取捨選択し、
自説に合わない文言を切り捨てて解釈する読み方は単に己のエゴに従って読んでるだけで、全然駄目だと言ってるんだよ。
>>155 それは相手がクリスチャンで無い場合。本当のクリスチャン同士の離婚は許されない。
もちろんこの場合の婚姻とは、世俗の婚姻とは違う意味だけどね。
彼の子羊は彼の言葉を聞き分ける。違う人達は決して彼の言葉を聞こうとしない。 ま、そういうものだ。本当にもう寝よう。今日も仕事だしな。
164 :
記憶喪失した男 忍法帖【Lv=40,xxxPT】(2+0:3) :2013/10/26(土) 13:01:10.73 ID:ybsH/s9W BE:2189932984-2BP(427)
あうあうあうあうあうああー ::::::::: へ( ^q^')ノ 純白のウェディングドレスを着るのを、キリスト教会は処女にしか認めないらしいからね。 ::::::::: (┐ノ 少なくても、新郎以外の異性と性交渉のある女性は色つきのドレスを着せられる。 :::::::::: / と、聞いているけど、本当なのかなあ。独身ひきこもりのおれにはよくわからないよ。 ::::::::::::::::::::::::::::::::: 映画のように純白のウェディングドレスは着ていると不自然なのかもねえ。
165 :
シモン・エレクシア ◆/bVPRrlaFM :2013/10/26(土) 13:02:51.16 ID:dYxocHyx
>>161 笑わせんな。お前国語の点数ゼロかよ(笑)
>>肉が魂を 求めるのではないか。なぜなら魂なしで身体が罪を犯すことは無い。霊なしで魂が救われる事が無いのと同じである。
→霊が魂を救うように、肉は魂を殺す。しかし、肉だけでは罪を犯すことができないから、肉は魂を求める。
>しかし悪の無い魂が救われ、霊もまた救われるなら、身体には罪が無くなる。なぜなら、霊が魂を起こし、身体が魂を殺すの
>だから。すなわち魂が自らを殺すのである。
→霊が魂を救うことで、肉は魂を殺し、魂に自らを殺させる(罪を犯させる)ことができなくなる。
肉は魂を通じて罪を犯させる。ゆえに、肉をもっては救われない。これが原意だよ。大丈夫かお前(笑)
166 :
記憶喪失した男 忍法帖【Lv=40,xxxPT】(2+0:3) :2013/10/26(土) 13:08:31.83 ID:ybsH/s9W BE:1231837092-2BP(427)
あうあうあうあうあうああー ::::::::: へ( ^q^')ノ キリスト教の結婚式の誓いは、 ::::::::: (┐ノ 「汝、病める時も健やかなる時も妻を愛することを誓いますか?」 :::::::::: / だったっけ。 ::::::::::::::::::::::::::::::::: 神道の結婚式では、新郎新婦が「わたし、誰々と、(わたし、誰々は)夫婦になることを誓います」と宣言したような気がするなあ。 とにかく、キリスト教でも日本神道でも、結婚式では新郎新婦は「誓います」と宣言しなければならないようだねえ。
167 :
記憶喪失した男 忍法帖【Lv=40,xxxPT】(3+0:3) :2013/10/26(土) 13:13:35.53 ID:ybsH/s9W BE:3695511896-2BP(427)
あうあうあうあうあうああー ::::::::: へ( ^q^')ノ 仏教は、結婚を認めてないからねえ。 ::::::::: (┐ノ ギャグみてえな宗教だなあ、仏教は。 :::::::::: / 国教とはなりえない。みんな出家したら、その国、滅んじゃうよ。 :::::::::::::::::::::::::::::::::
何で仏教のスレでキリスト教について語るのか分かりません。
169 :
記憶喪失した男 忍法帖【Lv=40,xxxPT】(2+0:3) :2013/10/26(土) 13:17:15.20 ID:ybsH/s9W BE:2463675449-2BP(427)
あうあうあうあうあうああー
::::::::: へ( ^q^')ノ
>>168 グノーシスについて語っていたんだよ。
::::::::: (┐ノ 新約聖書を典拠とするが、キリスト教ではないらしい。
:::::::::: /
:::::::::::::::::::::::::::::::::
聖霊はキリスト教の用語だが、神の霊と人間の霊を区別するのに 便利なので使っている。しかし安易だったかもしれない。 キリスト教は三位一体から、神・イエス・聖霊を同一視する。 個人的には、神と聖霊が同一であり、イエスは人間であると考える。 もちろんイエスには聖霊体験も霊魂体験もあっただろう。 人間はイエスと同じように、二つとも体験できると思っている。 そういった観点から「聖霊」を使ってきたが 考え直すべきかもしれない。いまだ適当な言葉が見つからない。
171 :
記憶喪失した男 忍法帖【Lv=40,xxxPT】(2+0:3) :2013/10/26(土) 13:22:42.19 ID:ybsH/s9W BE:3079593195-2BP(427)
あうあうあうあうあうああー
::::::::: へ( ^q^')ノ
>>170 新約聖書を読んだらおれにはわかったよ。
::::::::: (┐ノ イエスは聖霊の子であって、神の子ではないんだよ。
:::::::::: / イエスを神の子と呼び始めるのは、途中からなんだ。
::::::::::::::::::::::::::::::::: イエスの演出が、聖霊の子から、神の子に変わったのさ。
新約聖書は、聖霊の子であるイエスがなぜか神の子といわれるようになる過程を記述した歴史書だね。
カラスさんは対したことないな。 もっとマシかと思ってた。
グノーシスの論理構造にはほぼ同意する。 しかし、いろいろ体験して思うのは、方向が逆かもしれないね。 神に回帰するのではなく、地上で生きることに意味がある。 人間 → 霊と魂(精神)の結婚 → 神との合一 ではなく、 神(命) → 神(命)と物質の結婚 → 人間 ではないだろうか。 この見方をすれば生きることを肯定できると思う。 いずれにしても問題は、 どうやったら聖霊体験、霊魂体験ができるかだろうね。
174 :
記憶喪失した男 忍法帖【Lv=40,xxxPT】(1+0:3) :2013/10/26(土) 13:44:44.24 ID:ybsH/s9W BE:821224962-2BP(427)
あうあうあうあうあうああー ::::::::: へ( ^q^')ノ この世は一切皆苦だと知ったのは、何歳の時ですか? ::::::::: (┐ノ 二十代のぼくは、一切皆苦ということばを聞き、拒絶し、邪教認定しました。 :::::::::: / 三十代では、一切皆苦は、真理だと思ってます。 ::::::::::::::::::::::::::::::::: 何歳で、一切皆苦を認めましたか? 仏教徒のみなさん?
私はグノーシスについては今wikiで見ただけの知識しかありませんが二元論を主軸としている点で 仏教とは異質なものだと思います。 原始仏教は多元論で中論以降は一元論で二元論であった事は無いと思います。
176 :
記憶喪失した男 忍法帖【Lv=40,xxxPT】(2+0:3) :2013/10/26(土) 13:54:36.65 ID:ybsH/s9W BE:4311430979-2BP(427)
あうあうあうあうあうああー ::::::::: へ( ^q^')ノ 質問その2です。 ::::::::: (┐ノ 仏教では、魂という概念はないですよね? :::::::::: / 霊肉二元論は仏教にはないですよね。 ::::::::::::::::::::::::::::::::: 輪廻するのは、体をともなったその人の個人が輪廻するんですよね?
173の補足 何も知らない間は、グノーシスに導かれて神と合一し、 神と合一したら、その心境で生きて行くと言うべきかもしれない。 (グノーシスの結婚という意味で)聖霊こそは究極の体験だと思う。 神を体験するだけでなく、それを体験している自分がいる。 神の凸に圧倒されているが、実は凹の位置に自分がいる。 これが隠された霊魂体験になっている。 この体験が坐禅をすることによって明示的な霊魂体験になる。 神と自分の位置関係が逆転する。
>>30 ID:B2eWtS8B さんへ
> 死 → 中なる世界 → 再び物質世界へ輪廻
> あるいは霊性とか「復活」の話はおもしろかった
↓ このような論書も、あるらしい
瑜伽師地論(ゆがしじろん)の場合は
http://reigaku.jugem.jp/?eid=424 人が死ぬ時に
我愛と、戯論(けろん)と、善悪業によって
死から次の出生に至る中間の状態が形成される
この中有は
次ぎに生まれるべき処を求めて母胎に入り
そして、精子と卵子が結合すると
中有が滅すると同時に生有が生じ
阿頼耶識が、これに結合し
種子が成長して胎児を形成し、出生に至る
179 :
神も仏も名無しさん :2013/10/26(土) 14:31:42.38 ID:36P2w81k
>>3 (カラス)
>不一不二は中道だがそれは一切のどこにあるんだよ?
先ず【菩提心門】の透過なきお方には観えません。
逆に言えば、一切が不一不二です。
しかし、一切を「一切」と知覚している限り、一切のどこにもありません。
>純真清明なる自分に立ち帰り、自分自信が輝く月、吹き抜ける風になりきってしまえと説きます。
>その境地を人境一如(にんきょういちにょ)・自他不二(じたふに)と言います
http://www.daruma.or.jp/zen/detail.html?zen_id=19 そのような分別本質核様相・イメージは空に相応しくありません。
これでは空海の果分可説と同じく、混ぜるな!危険を犯しています。
シャンカラ的不二一元論に侵犯されています。
>中道は自性の性質なんだよ。
自性なれば中道ではありません。
中道とは矛盾のない(方便)様相の還滅語(中論24-10)をいいます。
自性とは機能的には、自立・単一・恒常をいいます。
自立・単一・恒常は相対分別=矛盾様相であって、中道ではありません。
実存苦の原因である我執の対象となり、仏法の本懐に反する「概念」です。
*『@ものの本性が現にないとき、何ものにおいて壊滅がありうるであろうか(何ものにおいてもありえない)
Aものの本性が現にあるとき、何ものにおいて壊滅がありうるであろうか(何ものにおいてもありえない)』(中論15-9)
@が中道(不生不滅の如く)であり、
Aが菩提心凡夫の六処で検証不能の一切外です。
180 :
神も仏も名無しさん :2013/10/26(土) 14:40:35.94 ID:36P2w81k
>>17 >縁起を誤解していると思うよ。
恐れいります。
【菩提心門】さえ透過しない、また透過する気のないお方には、縁起の現実は見えないのです。
二項相対の間接現実オンリーのお方には、既成概念による実体(素朴実在論)前提の相対的関係性を勝手に縁起といっているだけであって、
それは「中論の空」でも「般若の空」でもありません。
仏道は確固とした菩提心の確立=【菩提心門】の透過さえないお方には見えるもの(四諦)も見えません。
ましてや、縁起の直接現実の直覚をや。
『もしも一切のものが空(縁起)でないならば、なにものかの生起することは存在しないし、消滅することも存在しないということになるだろう。
そして、汝にとっては四つの真理(苦・集・滅・道の四諦)は(間接現実でも)存在しないことになるだろう』(中論24-20)
・【一切門】『(間接現実で)縁起を見る(知覚)ものは、すなわち、苦・集・滅・道(の四諦)を見る。』(中論24-40)
・【般若門】『(直接現実で)縁起を観る(直覚・現観)ものは、すなわち、無<苦・集・滅・道>を観る』(般若心経)
>この世の事物に般若の空は証明されていない。
【般若門】を対象化『証明』問題とみること自体がナンセンス(仏道センスがない)です。
以上
>>175 俺はグノーシスはヘレニズムでの安易な東西融合だと考えてる
有部も活躍範囲がたしかじゃないが、それがインドグリーク朝期の西北インドと重なるなら
ギリシア的な本質思想の影響を受けて法体恒有へと体系化された可能性はあるよな
ユダヤ教も旧約の中にでてくる神のエロヒムは多数形らしくて多神教だったのではないかという考察もあるし
ヤハウェと悪魔との二元論的対立はゾロアスターの影響があるのではないかとも言われている
そもそも、ゾロアスターの二元論的対立は、インドのアシュラとデーヴァの対立と相似であるとは言われている。
多神教の物語が多く民族成立過程を表していることはよくある話なので、
おそらくペルシアとインドで文化対立があり
インドからすれば、ベルシアの神をアシュラ、インドの神をデーヴァ
ペルシャからすれば、ペルシアの神をアフラマズダ、インドの神をデビル
として物語化していった結果、二元論的対立世界が生まれていったのかもしれないと思っている。
ただペルシアの方が唯一神を立てる傾向があるのは否めないな
あと、終末思想がインドにはないので、あるいはあったとしても、周期化していて、終末思想を乗り越える神話を形作っている。
それもインド的な多神教的な側面がでている。
ヘレニズム文化で、本質思想がでてきて、一神教的な先鋭化がおこっても
竜樹がでてきて沈静化したのはインド的な多面性の現れなのかもな
メナンドロスのころにはインドはギリシアを乗り越えていたということかなぁ
182 :
神も仏も名無しさん :2013/10/26(土) 15:13:11.22 ID:ZQ3lgqA3
生活が宗教だって日月神示に書かれてたな。宗教を生活にするのは良いことではない、とも
どの宗教も基本的に、善と悪の図式を採用している。 その理由は、人間の思考、人間の言語が二元的に構築されているから。 これがロゴスではないのか。
>>56 サロメ☆ボウディア さんへ
> 霊魂に座禅で出会ったという方の我見なんて何も益するところがないので^^
私(ID:/XixoDVq)は落武者という未成仏霊を見た事があります
>>30 ID:B2eWtS8B さんの場合は
未成仏霊ではないかもしれないけど
例えば、仮に
「 プルシャはプラクリティからの展開を観察するのみで
プルシャそれ自体は変化することがない 」
と言うような思いに捉えている
と言うような事がなければよい、と思います
186 :
神も仏も名無しさん :2013/10/26(土) 16:48:20.29 ID:7aac1WdB
>その理由は、人間の思考、人間の言語が二元的に構築されているから。 エッセネ派ユダヤ教では人は光の霊と闇の霊を宿して創造されたとし、 古神道でも人は主魂と副霊を宿して誕生するとあり、 マリアの福音書でも心魂と欲心との対話があります。 仏教でも仏性と欲心は説かれているでしょう。 もし一元であれば、欲心も仏性から生じることになります。
187 :
宝珠@神智学徒 ◆9XuF3XEACk :2013/10/26(土) 17:03:55.37 ID:8QQAsrSf
>>137-138 >こういう「事前情報入手不可能」な事例はないでしょ????wwwwwwww
また、あなたの嫌いなTV番組からで申し訳ないけれど、
インドで、少年が亡くなってすぐ、外国で記憶を殆んど保持して生まれてきたという事例の紹介があります。
その少年はもちろん、インドなど行ったことがなくその母親とも面会したことがないが、
調査の取材過程で初対面を実現させた。
生まれ変わった少年は、
驚くことに前世のときと同じ怪我によるアザを持っており、その時の出来事の記憶も持つ。
また、母親と二人だけで交わした絶対に二人しか知らない会話の内容を克明に覚えていたために、
対面を果たした母親はこの異国の少年を、自分が失った大切な息子の生まれ変わりに間違いがないことを認めた。
母親は、少年が母と楽しく過ごした日々をハッキリと覚えていてくれたことを非常に嬉しく感じており、
その後も親しく交流を続けることになった。少年の自国の両親もこの驚くべき出来事を認め受け入れている。
誰もが認めざる得ない事実です。
188 :
宝珠@神智学徒 ◆9XuF3XEACk :2013/10/26(土) 17:07:07.42 ID:8QQAsrSf
>>139 そのアングリマーラの逸話は、
ゴータマが“呪力的効果を得るべく唱えることを明確に指示した記録“として挙げられているものです。
>>77 http://uni.2ch.net/test/read.cgi/psy/1379880304/108 もし本当にバラモン呪文(サンスクリット)に呪力効果が皆無ならば、
ただハッキリと「無い」といえばいいだけです。
どうして態々、「火への供養(ホーマ/護摩)が最上」、
「サーヴィトリー讃歌」が最上などと説く必要があります?
無効化ならば、最初から上下も最上もないでしょうが。
しかし、ゴータマは「祭祀の行為は効果をもたらす」ともいった。
神智学世界きってのサイキック、
リードピーター司教は人がサンスクリットを発生するとその周辺に色彩が放つことを確認しました。
人間の言語の中でこれは最上レベルのマントラム効果を発揮するのです。
189 :
宝珠@神智学徒 ◆9XuF3XEACk :2013/10/26(土) 17:09:12.76 ID:8QQAsrSf
190 :
パーピマン ◆hVgvvzQ7pw :2013/10/26(土) 17:15:04.17 ID:KrDRS8yl
>>187 wwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwww
だから、それのどこが一体、「事前情報入手不可能」なわけ???wwwww
いくらでも可能でしょ?ww
少年、および母親、その周囲のもたちの証言を真実とした上での話だろうがww
はい、少年が誰かから情報を入手した可能性は、どうやって排除されてるの?
母親が嘘言ってる可能性は?
コールドリーディングの可能性は?
番組自体のヤラセの可能性は? wwwwwwwwww
そういうことは一切ありません・・・・と善意に解釈して初めて成立する事例だろうがwww
あざ?????wwwwwwwwww
そら、似たようなあざもあるだろうよwwww
身体的一致を証左としてあげるなら、指紋の一致、DNAの一致くらいのこと言えやwww
>誰もが認めざる得ない事実です。
wwwwwwwwwwwwwwww 「信じたい人は信じてください」の話www
191 :
神も仏も名無しさん :2013/10/26(土) 17:18:11.22 ID:h/PVovdT
デジャヴは心理学で認証され、存在実感得たりする場合も有るが、 結論は『幻』だろな。 意識(怨念のような)を持った所謂『幽霊』なるものは存在しないとみる。
今日のNHKの中村元さんのアーカイブの話では仏陀は相手の立場にたって説を説く人であった。 これが慈悲の実践〜という事ですが、相手を想い相手を否定するような説法はしなかった〜という事です。 バラモン信者にそんなのは嘘だ〜なんていう説き方をせず、真のバラモンは〜と色々説いた訳です。 輪廻を信じている人間に、そんなのは妄想だ〜と言わずに、善因善果悪因悪果を説いたのは道徳的意味の ある事であったと思います。 仏陀の慈悲がしのばれる様々な対機説法の各話を断片的に捉えて、これこそ仏陀の認めたこと〜というのは 間違いであると思います。 あるとも認めず、ないとも認めず〜の中道であるから対機説法が可能でそれが慈悲の源であると思います。
193 :
パーピマン ◆hVgvvzQ7pw :2013/10/26(土) 17:23:34.44 ID:KrDRS8yl
>>188 どわっはっはっはっは〜〜〜〜〜〜〜wwwwwwww
>そのアングリマーラの逸話は、
>ゴータマが“呪力的効果を得るべく唱えることを明確に指示した記録“として挙げられているものです。
一体、どこをどう読めば、あれが「呪術的効力肯定の話」になるの?????
っていうか、初めてきいたわ、その解釈wwww
アングリマーラの話は、「悪業をつんできた者が、仏法に帰依したとき、
その業をどのように捉えるのか?」というお題でしょうが?wwwwww
ちなみに、最後の出産に関する話では、
>ある時アングリマーラが托鉢していると難産で苦しんでいる女性がいた。
> 何もできなかったアングリマーラは、どのようにすればいいかお釈迦様に尋ねると
>「私は一度も人を殺めたことはない、その徳によって母子は安全に出産できるだろう」と言うように答えた。
>アングリマーラはそれは本当ではないので功徳はないのではないかと疑問を伝えたが、お釈迦様は自分の言った通りに唱えなさいと答えた。
>(「『私は出家して仏弟子として生まれてから一度も人を殺めたことはない』といいなさい」と答えたという説もある) アングリマーラがそのとおりに女性に唱えると、無事に子供が生まれた。
・・・・のように、二通りの話があり、そのどちらをとるかで、その部分の
解釈も変わると思うが?wwwwwwwwwww
>>165 笑わせてるのはお前だろ。ヤコブのアポクリュホォンにははっきりと、
>しかし悪の無い魂が救われ、霊もまた救われるなら、身体には罪が無くなる
と書いてんだろうが。フィリポにははっきりと、身体の復活が必要だと書いてるだろう。
>>145 この部分は取捨選択で切り捨てかい。お前のグノーシスは継ぎ接ぎだらけなんだな。
魂を捨てると言うことはエゴを捨てると言うことだ。エゴ捨てた身体には罪は無い。
ここでエゴが無ければ生物として成り立たないと躓く人がいるだろうが、独り息子の意味を
理解できれば理解できる。ここでは語るまい。豚に真珠だからな。君は幼稚な霊肉二元論をグノーシスだ!!
と吼えてればいいと思うよ。君は現状のカトリックや、プロテスタントなどの幼稚なキリスト教を馬鹿にして
いるが、霊界を設定している君のグノーシスも負けず劣らずだと思うがね。いちいち書き込むのに
幼稚な巨大AA貼り付けたり、精神年齢も低そうだし。
195 :
パーピマン ◆hVgvvzQ7pw :2013/10/26(土) 17:28:40.10 ID:KrDRS8yl
>もし本当にバラモン呪文(サンスクリット)に呪力効果が皆無ならば、 >ただハッキリと「無い」といえばいいだけです。 wwwwwwwwww アホかw これも「輪廻業報論」のとき、何ども言ったわな?w 最古層文献に繰り返しみられるように、釈迦はとにかく、バラモンなどと 無益な論争をすることを嫌ったのwwww そんなこと、あえてはっきり言えば、ただ論争が起こるだけで、 もっとも伝えたい根幹部分の伝達さえも不可能になっちゃうでしょ?ww
196 :
パーピマン ◆hVgvvzQ7pw :2013/10/26(土) 17:29:41.98 ID:KrDRS8yl
時間がないので、一旦、オチwwwwwwww
197 :
神も仏も名無しさん :2013/10/26(土) 17:30:16.34 ID:ti6Odi9G
>>66 >所論に根拠を引用してくれる
その根拠の正しさは、一切検証されていない。それでは根拠にはならない。
最初から、現代人としての自分の知識と論理で考えるほうが、はるかにマシ。
サロメは、いい加減で、宗教の開祖を含む「他人の見解」を振り回すのは止めよ。
単にウザイだけ。2chの貴重なスペースの膨大な無駄使い。自分の生活体験から
得られた自分自身の見解を述べてこそ、2chの意味がある。
>>179 だから一切の中に不一不二を探しているお前の中道は、お前の妄想の中にしかないことくらい
早く気付けって。自性は名称を与えるから無いのであって、名称=相が無ければ万物は冠滅する性質のものだから
これもまたあるとはいえず・・・・・面倒くさいから説明するのはやめた。時間が無いし。ここのところは説明するのは面倒くさいんだよ。
この世界は言語相対世界の自性無き幻。本質は真ん中のゼロである。中論は言語相対世界をよく表しているとは
思うよ。智慧のない人が読めば君のようになってしまうけどな。君は言葉遊びの妄想を仏教だと誤謬しながら
今生を棒に振ればいいと思うよ。
>>198 聞きたいのだが、この世に一定の確からしさがあることは同意するが
人間がそれを正確に把握できると思っているの?
カントすら物自体は把握できないと言ったわけだが。
ところで、人間は物自体に決して触れえないのに、あるはずだっていうのは無責任な態度じゃないかな?
分からないけどたぶんそうだって言っているわけなんだから。
仏教は無とは言わない。分からないものを分からないと受け入れているだけ
受け入れる勇気をもつことを主張していると思うのだけど。
あなたが納得できないとすればそれこそそれに恐怖を感じるがゆえだと思う
200 :
宝珠@神智学徒 ◆9XuF3XEACk :2013/10/26(土) 18:38:51.53 ID:8QQAsrSf
>>190 だから、何を話しても無駄なんですよ。
直接、自身の身に起こらない限りはすべて「ヤラセ」「嘘」「誤解」「勘違い」と決めつける。
滝川クリステル風にいうと、「心が貧しい証拠です。あ・な・た♪」
>>193 あれは「真実語」といって、
古代インドには、真実を語る言葉には一定の力がある(発揮する)と考えられており、
ゴータマもこれを使用させた。
お経は、
「いや、おまえは出家してからは故意に殺生をしたことがないではないか。
だからおまえは自信を以てそのように唱えなさい。」ということをいったと思われます。
嘘をついているといった感覚で心許なく唱えるのでは、その効力は激減するから。
>>192 いや、そうではなくて
(もちろん、そういった説明は知っており理解しますが)、
ゴータマは自ら直接それ(人間の繰り返し生まれ変わりの現象が事実起こっていること)を体験したとハッキリと述べました。
少なくとも経典の言葉上ではそうなっている。
もし、知らないのならば提示しますか?(まっ、何度も既出だけど)
>>199 >分からないものを分からないと受け入れているだけ
これ違うだろ?
めちゃくちゃ言うなよ
分かった上で、説明不可ってことだろ。
無我は我が発見されてないから無我だって話じゃ?
203 :
神も仏も名無しさん :2013/10/26(土) 19:08:39.84 ID:AYRamEo0
___ ,/ヽ ,. -‐  ̄ ̄`  ̄ ´  ̄ ̄ ̄ ̄`ヽ._,{ 、,i ! __.. -/ ,.. / `ヽ、 クゥ , -‐ ,.´-─./ /:. . . / ..__ / ! `ヽ ヽ ∧,,∧ /,.-‐´ _r‐' _,ノ: : : : : : : . . . . . . . . . . .(_ `丶、ヽ、 、__,ス ,) c(´=ω=`)っニャン ~~ ̄/(三,. -‐ ´ / ,.-‐ ´ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄`丶 l ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ~ ̄i l゙´  ̄ ̄ / ,/  ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ し,j ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ . l. ! / / . ! | (, ,,/ ! ,j 2chの鉄則 【 荒らしは無視・放置 】 しましょう。 ゝ、ノ ● 荒らしは放置されるのが一番苦手です。 → ウザイと思ったらそのまま放置! ● 放置された荒らしは煽りや自作自演であなたのレスを誘います。 → 釣られてレスしたらその時点であなたの負け! ● 反撃は荒らしの滋養にして栄養であり最も喜ぶことです。 → 荒らしにはエサを与えないで下さい! ● 枯死するまで孤独に暴れさせておくのが一番です。 、 _r 、 ∧ /「r\ヨ::|_ ∧ (゚、。`フ / j::レ'´/1マヽ_ ‐ッ''''ー . (゚、。`ノ ヽ / ´ 丶.ノ | く f , ‘ノ (uu ,,(uu ,,)o ー十 ' └ャーイ `仏'イ Χ / / l , - 、 ``T T く{⌒) ∩ _,ノ_ |. l r l | \_/ .{ { { 、j. ヽ ーく __人 / ヽヽ.__ゝ _ノ ` ┴――个 イ `ー‐'´ ̄ ノ ┴┬=  ̄ ̄ ̄ ̄
204 :
神も仏も名無しさん :2013/10/26(土) 19:12:03.97 ID:7aac1WdB
>>202 >無我は我が発見されてないから無我だって話じゃ?
そう、「非我」ですね。
(参考)
>>31 >「私はない」という教えではなく「我執を離れなさい」という教えが無我。
>無我は、「わたしではない、わたしのものではない、わたしの本質(自己)ではない」の三つの意味であるとされます。
つーか、無いものを無いって証明できないもんな
>>204 だからって「ある」とは限らない、
寧ろ、
「ない」と見做した方が辻褄が合う、ってのが仏教及びお釈迦さんの世界観なの。
んと、「我」があることにしようとする執念は凄まじいなw
さすが三馬鹿トリオ。
>少なくとも経典の言葉上ではそうなっている。 経典に輪廻が多数登場する事は承知していますが、その経典も仏陀滅後100〜200年後に 口伝を書き留める形で始まったものです。 最古層文献に輪廻らしい表現が否定的に使われる事はあっても輪廻そのものの言葉は無く、 古層以降の文献に輪廻が積極的に枝葉を付けて現れるのはどうみても不自然に思えます。 これこそ仏陀の言いたい事〜と読む人はそのように捉えたら良いのでしょう。 事実、伝統仏教では輪廻と極楽浄土を土台に前提にあるのでしょうから、私は近代仏教の方を信じます。
208 :
神も仏も名無しさん :2013/10/26(土) 19:17:54.83 ID:7aac1WdB
>>204 「私はない」とはっきり主張しますと「断見」に陥ります。
また「私はないと私が説いた」では論理矛盾であることはご隠居氏より度々指摘されております。
209 :
神も仏も名無しさん :2013/10/26(土) 19:20:16.76 ID:7aac1WdB
グノーシスの論理構造(前スレ
>>890 )は、人の死 →
心魂世界(霊界・中なる世界・デミウルゴスの座所)→物質世界へ輪廻
それゆえ生きていて益するのは精神の「復活」にある。
これがグノーシスの主張なら、神霊体験(=聖霊)で同意できるのは
「復活」の部分だけになる。「霊界」は霊界を見ないとダメ。
霊界を体験することで、そこがデミウルゴスの座所だと何となく感じる。
しかし輪廻はどこからも出てこない。
神霊、霊魂、霊界などの体験のどこからも輪廻を確証させるものがない。
輪廻に関しては、知識のつぎはぎをやっている印象を受ける。
211 :
神も仏も名無しさん :2013/10/26(土) 19:29:39.79 ID:36P2w81k
>>198 >この世界は言語相対世界の自性無き幻。本質は真ん中のゼロである。
縁起の直接現実は、そもそも相対言語論理自体が不立であって、
・『幻』ではありません。もちろんその対極の『現(うつつ)』でもありません。
比喩で<(如)非幻非現>と示唆するのが言語表現の限界です。
・『本質』ではありませんし、『真ん中のゼロ』でもありません。
仏法には執着対象になる本質(核)はありませんし、
『真ん中』は分別前提の中庸であっても、中道ではありません。
『ゼロ』もカウントできる分別数字であって分別不能の中道に相応しくありません。
これでは実存苦の根本的超克というブッダの本懐に到底至りません。
仏道は、菩提心なきカラスには無理です。
壺が割れたら、壺は死後天国に行けるの?
213 :
神も仏も名無しさん :2013/10/26(土) 19:33:19.35 ID:7aac1WdB
>>206 >「ない」と見做した方が辻褄が合う、ってのが仏教及びお釈迦さんの世界観なの。
[辻褄が合う]って[論理的]という意味ですか?
「私はないと私が説いた」では論理矛盾であることはご隠居氏より度々指摘されております。
かりにも一切智者の釈尊がそんなアホ(論理矛盾)なことを説きますか?
一方、非我の「私ではないと私が説いた」では論理矛盾はございません。
釈尊をアホ呼ばわりされる縁は「無我=私はない」という誤訳と断見でしょうね。私見です。
>>213 > 「私はないと私が説いた」では論理矛盾である
よく知らないけど、最初の「私(我)」は自立的実体としての我じゃないの?
そうだとすれば別に論理矛盾なんて存在しないんじゃない?
215 :
神も仏も名無しさん :2013/10/26(土) 19:59:53.63 ID:36P2w81k
>>208 (アホ在家)
アホは姑息な性格によるから治療不能だとしても、
仏教スレで邪見を振りまくな。
お前もさんざん指摘されたのに、ウソをつくなウソを!
>「私はない」とはっきり主張しますと「断見」に陥ります。
何度もいうが、仏教上『我』には@日常自我A菩提心自己B超越我(真我・アートマン・プルシャなど)の観念がある、
で、還滅(間接)現実(世俗諦)において
(1)一切法無我(私はない)
(2)一切外無記(超越我の存在はAにとって検証不能のドグマでしかないから無視する)
断見・常見は(2)の無責任な戯論問題であって、
(1)においてAの六処で、個別的検証法で「非我」を積み上げる手法で<超越我は存在しない>ことが確定している。
>「私はないと私が説いた」では論理矛盾であることはご隠居氏より度々指摘されております。
一切内の菩提心自己Aによって、超越我Bが一切内に存在しないことは検証可能だから、
なんらの論理矛盾ではない。
アホの上塗りとは、アホ在家の得意技だが、ここまで来るとピエロか狂言回しだなw
>>184 霊体験はそれ自体が個人的なものなので
私が別に否定することでもないとは思います
ただそれを根拠にして我見を主張するのは間違いですね
だからあなたの体験を否定も肯定もしませんし
そのご意見に賛成です
217 :
神も仏も名無しさん :2013/10/26(土) 20:09:50.77 ID:AYRamEo0
/´ `フ __ ヾ , '' ` ` / ,! ;'',,_,,) ポム ポム . , ' レ _, rミ,;' ノ ))) ; `ミ __,xノ゙、,r'' ,,_,,) ポム i ミ ; ,、、、、 ヽ、//,,_,,)/_,,)) ,.-‐! ミ i `ヽ.._,,)) //´``、 ミ ヽ (( ゚д゚ ))⌒☆ . | l ` ーー -‐''ゝ、,,)) 狗 ヽ.ー─'´) '''''''' _ /´ `フ , '' ` ` / ,! . , ' レ _, rミ ; `ミ __,xノ゙、狗』出た!? i ミ ; ,、、、、 ヽ、 ,.-‐! ミ i `ヽ.._,,)) //´``、 ミ ヽ. ( ゚д゚ ) . | l ` ーー -‐''ゝ、,,)) 狗 ヽ.ー─'´) ''''''''' _ /´ `フ __ ヾ ポム ポム , '' ` ` / ,! ;'',,_,,) ) ポム ポム . , ' レ _, rミ,;' ノ ))),,_,,) ポム ポムポム ポム ; `ミ __,xノ゙、,r'' ,,_,,) ))) ポム i ミ ; ,、、、、 ヽ、//,,_,,)/_,,)) ポム ポム ,.-‐! ミ i `ヽ.._,,)) ノ ポム ポム //´``、 ミ ヽ (((( ゚д゚ ))))⌒☆ ポム . | l ` ーー -‐''ゝ、,,)) 狗 ヽ.ー─'´) '''''''''
>>180 >【般若門】を対象化『証明』問題とみること自体がナンセンス
>(仏道センスがない)です。
般若門とか菩提心門とか言うけど、そんな門が実際にあるのですか。
その辺の言葉使いにも話がかみ合わない原因があるかも。
簡単に説明できますか。
>>215 私はあなたに伺いたい。
無限遠点は一切内ですか一切外ですか?
検証可能ですか?
可能ならば示して欲しいです。
思うようにしようとする心根が苦(逆法)を生み出し、思うようにならないと覚悟した心根が楽(正法)を生み出す 一切のことが思うようにならない、それが正常であると心底腑に落ちるように覚悟できたんだったら、その心根から生ずるもの全ては自ずと八正道(中道)にかなうものになるはず
>>220 四諦する時は真善美偽悪醜はあまりこだわらない方が良いね
真善美偽悪醜のいずれも執着すれば偏って苦しむのだしなwww
222 :
215追記 :2013/10/26(土) 20:16:41.76 ID:36P2w81k
アホの誤解を防ぐために。 無我問題は、B超越我(真我・アートマン・プルシャなど)の問題だ。 だから(1)一切法無我(私はない) とは、B超越我(真我・アートマン・プルシャなど)が、 有⇔無の二項相対の無→超越我は存在しないということ。 @日常自我A菩提心自己については、実体なき(仮設&仮説)現象として検証できる。 自灯明の自とはAをいう。
閻魔にしては(珍しく)解り易く且つシンプルだなw
グノーシスのトンでも見てると 閻魔氏の主張が非常に説得力あるねw
225 :
神も仏も名無しさん :2013/10/26(土) 20:27:33.52 ID:36P2w81k
>>218 >般若門とか菩提心門とか言うけど、そんな門が実際にあるのですか。
仏道=修証道=修証一等・二相の相即的実践においてあります。
もちろん、自灯明・自帰依による
>>215 Aによる如理作意ですから、
判る人にはわかるし、判らない人には判らない。
他所でもおそらく此処でも通用しないでしょうが。
龍樹「中論」にしても、道元「正法眼蔵」にしても、
【菩提心門】未透過のお方には文字通り『無理(理だけでは深解不能)』なのと同じです。
ちなみに無分別智でもって検証済み〜とはいきません。 無分別智は個人限定で、分別のある他者と共有できないからです。 それは、分別のある人間から見れば、輪廻は有る〜というのと同じ世界です。 言葉を変えれば、独りよがり〜という事です。
独りよがりから 宗教が始まりました 私は釈尊について行きます
>>225 閻魔の話はずぶずぶした底なし沼のようだな。
なんか空を根本的にカン違いしてる。
そんなに難しく考えないで、自分の頭を何度もひっぱたけって。
少なくても、自分が空じゃないことはすぐにわかる。
230 :
神も仏も名無しさん :2013/10/26(土) 21:06:11.71 ID:wEzEvyVe
本当にいーーさんーー娼婦わーー仏教徒なのにーー仏教かいーかいーーヤクザヒモんーーなのこーなのにーーマカ山ーーさんーーー 娼婦なのにーーひひーんーーー韓国よーー仏教ーーひたーー死人よおーーなーー海外原稿ーーコリアンんーーなんですよーーねーーーー ポリんちゃんーーーポリんちゃんーーぽりんちゃんーーねーーーみぽりんーおわよーー娼婦んーーなのよーーーねーーー ほんとおのーーにいさんーー悟って鵜ーーおーーーうおーーよおおおおーとかーー。。。原稿嫁ーーーおーばかだぞおーねーーー でもーーいいーー仏教ーーおわーーうせーーくねーのにーよおーー俺ったちもよーーなのにーさーー死ぬよーーしよーしよーーかーおわーー娼婦なんだーーおめこーー艦ーーかーー? ねーー韓国ーー?どおわーーのーほおがーーわりぃよーーもおーーぽりんーーちゃんーのーーぽりんーのーみぽよーーねーーー 仏教ー馬鹿ばっかーーのひとねーーねーーねーーー。。あったちもーー竹中くんしかーいないーーどおわーなんかーかーーおわーー仏教ーーゴミー管区のーーはき永ーーさんーーかまくらですよーおわですよーねーおわーーこおめんおーーおーおーーPPPーでろおーーでろおーー 悪さーー死人会ーのーー。。仏教にはーーあるのよーーまじよーまじよーー変なのypーーよーー竹中直人ーもおーもおりもりーーどおわーーよーー。。ねーー竹中直人ーー? 不倫ーーいきーー地面ーーしょおとつーーどおわーーかーー。。竹中直人ーーもおーーもおーーだしーー正人ーもねーー。。なのこーーなのこーあぶないよーー直人ーもーー恵子ーもおーー韓国よーー 魔裟斗ーおわーーねーー子供買うなーーよおーー魔裟斗ーのひとかーー仏教ー照りあいーーあいーーのーー娼婦おわですよーねーー ぽりんちゃんーーしゅつどおよーーーかーー?こおめんーー深情けーーきーぼおでもーーイイケーーどおわーーのーーひとねーーねーー 僕よーーいくよーーーーぼっきょーーひろころしだよーーねーーー
>>229 あなたは常在ですか?
少なくとも生物的には新陳代謝してるし意識も常に変化してますよね?
>>228 中論面白いですね
毎日少しずつ読んでいきます
>>222 閻魔さんは仏教の基本を踏まえて上で持論を主張しておられるのですね
以前は大変失礼いたしました
233 :
神も仏も名無しさん :2013/10/26(土) 21:27:11.89 ID:wEzEvyVe
鎌倉ーーじゃあーーーなにーー不足あってですかあーーー?もおーー白英ーー乗り蹴りーーなのよーーあほおーーあほおーーひーほんーのーーほのもとのーー進行ーー信仰ーあるのかよこどおわーーかーー? そおーーやってーー人ーー並べーーーさせるのーーー。。まじよーー仏教よおーー仏教ーー照り米よおーーおわのーータイランドオワーーもよーーかーおわーかーー?七個ーーさんーータイランドオワよおーかーー 百恵ーもおーーもおーーだしーー。。者のーー加えーー山ーでーー終わらなきゃーーー娼婦でしょーー? 怒りなさんなーーさんちゃんもねーーーエター出しーーなにーいうのーーー?エタ出しーーー? きょおーんーーとしたーー人担ぎーーでなーー。。ほんまーー商店街ーのーーあわーー米ーー襲うーやんかーーえへーーよおおおーーじゃーー殺すよーーねーーーあたりまうよーーー でもーー良い子ーーでもーー人裏切るのおーーもおーもおーーめじなのよーー。。。まじなのよーーみぽりんおわよーーぽりんもよーー?美穂ちゃんですかーー?また言いますかーーー? 中傷ーーでーーひとーおーおーおーー弾くーーよおなーー米ーはーー買うからーーいけないんですよーーおかまだもんーーポリんちゃんとか言うよーーみぽりんーねーーおわねーみぽりんーーー 命ーーのーー海外しさーー甲斐甲斐しさーー仏教ーーーあってーーいいのーーー?いいのーー?マカ山ーー美穂さんーーロリコンーー主婦にーーいうよーーいうよーーいうよーーかーーおわーーポリんちゃんーとかーーー? 水商売ーじゃあーーダメとかーー言うのねーーー? 孫コメーーあってのーー幾多だんこおーーゴミよーータクシーーーのーーくずがーー鎌倉んーーなのこーーー? 悪さーー海外しさーーにーされるよーー鈴木さんーー大きいーー声でさーー馬鹿ーーー?k
236 :
神も仏も名無しさん :2013/10/26(土) 22:16:16.00 ID:ti6Odi9G
>>214 >よく知らないけど、最初の「私(我)」は自立的実体としての我じゃないの?
>そうだとすれば別に論理矛盾なんて存在しないんじゃない?
自我が二つに分かれるのか?どっちの自我が、本物の我?現在の統合失調症を、
かつては「精神分裂病」と呼んだ。即ち、自我の分裂。本物の我に、開祖という
見知らぬ他人が住み着き、本物の我を自由に操作する。
237 :
神も仏も名無しさん :2013/10/26(土) 22:23:09.71 ID:ti6Odi9G
>>234 中論は、本文を直接自分の頭で読むこと。注釈書と読むと、その解釈に捉われて
影響されるので、誤った解釈になる。特に、帰謬派は、専ら釈迦の「無我」「無」
に合致するように意図的に解釈するから、中論の誤解が不可避的に生じる。
現代人が中論を現代の形式論理の頭で読むと矛盾だらけ〜と宇井先生が言っていたそうです。 チャンドラキールティの解釈が最も理に適っていると中村先生が言っていました。 私は中村元先生を信じます。 個人的に読んで、去るものは去らず〜なんて理解できますか?
>>239 それは、
「現に今去りつつあるものが、これから去っていく(去る予定である)」というようなことはないでしょ?
と、中論は言ってるだけと思うが・・・。
それほど難しい話じゃないと思うけど。 単に「複数要素が同時存在しない」ってだけで。
そもそも「色rUpa」だって、
「質礙」として「同時に同一場所(空間)を占め得ない」
という漢訳が当てられるくらいなのに。
で、それが心的事象についても言われているのが、仏教の特筆すべきところなわけでw
精神分裂病ってのは、身体言語と口頭言語のちがいから生まれると言ったのがM・ポランニー 母親が、子供に対して「あなたを愛しているわ、怖がらなくてもいいのよ」と言いつつ 子供が言葉を信じて近寄ろうとすると、母親が体を退ける。 子供はどちらが母親の真意か分からず、板挟み状態に陥ると。 しかし、どちらつかずを認めず母親は「どうしたの?」と追い討ちをかけるところから、 子供がどちらかの決断をしなければいけない袋小路に陥る。 早い話がどうしたらいいか分からない状態に陥ることを精神分裂と昔はいったわけで。 統合失調症と名を改めたのは、どちらかと言えば常識の欠如によると判断されたから。 世の常識というものに共感できないことによる。 たとえば、みなが忠犬ハチ公に感動しているが、どうも自分はその心情が理解できないというような。 そのようなときに、自分は薄情だなのかなぁと思ったり距離を感じてしまうことから生まれる。 中村雄二郎の共通感覚論が詳しいから一読を勧める
>>242 そのうちニンマ派やカギュ派やシャキャ派なども日本で幅広く紹介されるといいですね
ゲルク派は一般向けの講座を開いてくれてるし助かります
>「現に今去りつつあるものが、これから去っていく(去る予定である)」というようなことはないでしょ? 不一不異というのは解説を聞いて分かる事です。 去るはたらきのものが、去るという主体であるのは正しくなく、去る主体が去るはたらきと異なっているのも正しくない〜 こんな理屈は現代人には通用しません。解説あっての話です。
245 :
神も仏も名無しさん :2013/10/26(土) 22:55:07.73 ID:ti6Odi9G
>>241 中村雄二郎は、精神医学者ではない。いい加減な理論を持ち出すな。
>>244 それは仕方ないんじゃない?
だって、中論は(「論」と言われているけどw)本来『詩偈』だから。
だから、「説明が少ない・無い」のは当然としても、
述べられている文言自体も、
「韻律の制限」を受けて、強引な「複合語」化や、表現が大きく加工(譬喩・省略・短縮等々)されたものになっているんだから。
中村雄二郎が詳しいと言ったまでで、彼が決めたとは言っていないが? 君が精神分裂病という名前で勝手な偏見を抱いているように見えたから注釈したまでだよ
>>246 だから解釈の話をしているのでしょ?
中村先生によればチャンドラキールティの中論解釈が最も有用であり、他の解釈には色々問題があると〜
詩なのは承知してますよ。だから現代人がその詩の現代語訳だけ読んで中身は理解できないでしょう、と言いたいのです。
>>243 >現代人がその詩の現代語訳だけ読んで中身は理解できないでしょう、と
うん、その通りと思うよ。 (このスレに、それをしろ!と豪語してる方が一人いらっしゃるけどw)
あ、またアンカーミス・・。
Ctrlキーで、あぼんレスの中身チェックのままだった・・w
>>249 >現代人がその詩の現代語訳だけ読んで中身は理解できないでしょう、と
うん、その通りと思うよ。 (このスレに、それをしろ!と豪語してる方が一人いらっしゃるけどw)
>>248 ですね
当分は自分で色々探すことになりでしょうけど
それもまた楽しいですね
253 :
パーピマン ◆hVgvvzQ7pw :2013/10/26(土) 23:17:37.34 ID:KrDRS8yl
>>200 >だから、何を話しても無駄なんですよ。
> 直接、自身の身に起こらない限りはすべて「ヤラセ」「嘘」「誤解」「勘違い」と決めつける。
>滝川クリステル風にいうと、「心が貧しい証拠です。あ・な・た♪」
だから、「唯の、信じたい人は信じてください」 ってだけのファンタジーだろうがwww
そして、それが信じられない者は「心が貧しい」ってか?wwww
笑わせるな、ボケwwwww
どっかの、こぎたねえババアを勝手に「マイトレーヤ」とかだと思い込んで
脳内お花畑のキチガイに言われたくねえわいwwwwwwwww
>あれは「真実語」といって、・・・・・・・・・・・・
はいはいwww アングリマーラの逸話を「呪法効力肯定のお話」にしちゃうわけねwww
勝手にわめいてろ、馬鹿www
但し、そんな解釈する「お花畑バカ」は、お前くらいのもんだとしっとけよwwww
>>253 今日はちょうどいい時間の登場ですね^^
今日もお疲れさん。
256 :
神も仏も名無しさん :2013/10/26(土) 23:30:06.58 ID:36P2w81k
>>239 >個人的に読んで、去るものは去らず〜なんて理解できますか?
「去るもの」(分別仮観)は「去るもの」ではなく(無分別空観)、
「去るもの」という言語そのものが不立であるがゆえに、「去らず」に意味・価値・実体はない。
ゆえに「去らず」。
これを「去るもの」と名づける。
全く問題はありません。
トリップ泥棒がいるので変更します IDで判別よろしく
258 :
256 :2013/10/26(土) 23:32:10.37 ID:36P2w81k
訂正 △ これを「去るもの」と名づける。 〇 これを「去るもの」と名づける(無分別の分別中観)。
>>256 だからそんな世界は誰とも共有できない〜
チャンドラキールティのように詳しい解説抜きに、訳の分からん事を分かった事にするのが
仏教か?
そんなのは人間仏陀の生き方とはまるで違う。-と思いますよw
閻魔さんによれば無分別智を持ったものだけが真実の世界に入れて 持たないものはアホカス〜という事になりますが、私はそんな事は無いと思います。
262 :
256 :2013/10/26(土) 23:59:48.68 ID:36P2w81k
>>259 >だからそんな世界は誰とも共有できない〜
龍樹 中論24-18を中心とする中論の趣旨を、
金剛般若経の表現スタイルでわかりやすく敷衍しただけですが、なにか問題でも?
ブッダも記録によれば、「私がいま証得したこの法は、はなはだ深く、観られ難く、悟り難く、
微妙にして思念の領域を超え、深妙にして賢者のみよく知るべきものである』(相応部6-1)
巷にあふれている浅薄マニュアルでなければならないのなら、仏法を共有する必要は全くありません。
>>261 そこは「壺中自有佳山水、終不重尋五老峰」でしょw
霧が晴れてみれば、もう目的地には着いていた、と。 (´∀`)b
265 :
宝珠@神智学徒 ◆9XuF3XEACk :2013/10/27(日) 00:13:26.98 ID:j69Q0Svi
>>207 殆ど並木氏の影響のような印象ですね。
確かに、最古層と古層以降とに分けて比較してみる手法はいい視点だとは思います。
ただし、時代が新しい経文だからゴータマの意向が減るものとは一概にはいえませんね。
普通の意味で、重要な教説を強調する形式へと変化したということも十分に在り得ます。
また、最古層では輪廻は当たり前過ぎるから言及が少ない、ということも可能です。
私は並木氏からの返答メールも頂きましたが、
決めつけることなく冷静に徹底分析する姿勢があるならば、
輪廻転生の肯定論も立派な学問です、という意味のことを綴っていましたね。
とても立派な対応と姿勢を持つ学者さんであると、この私も評価します。
266 :
宝珠@神智学徒 ◆9XuF3XEACk :2013/10/27(日) 00:14:15.49 ID:j69Q0Svi
>>253 >それが信じられない者は「心が貧しい」ってか?wwww
>笑わせるな、ボケwwwww
>どっかの、こぎたねえババアを勝手に「マイトレーヤ」とかだと思い込んで
>脳内お花畑のキチガイに言われたくねえわいwwwwwwwww
仏典はゴータマの言葉として、
業報輪廻を認めない者は悪事を働くとさえも言ってるからね。
>勝手にわめいてろ、馬鹿www
>但し、そんな解釈する「お花畑バカ」は、お前くらいのもんだとしっとけよwwww
少なくともアングリマーラ経中の難産に苦しむ夫人とアングリマーラのエピソードの目的は、
ゴータマの指示によって真実語を祈りの呪文として用いたという記録です。
そして、バラモン祭祀の効力を認めマントラムを讃えるゴータマの言葉も紹介した通りです。
>>262 あなたは仏陀を目指している。
それは良い。
しかし、仏陀の教えを聞くものも仏教の範疇です。
聞くものが全員仏陀になれるわけはありません。
選択は個々人によるものです。
あなたはあなたの選択で、「はなはだ深く、観られ難く、悟り難く、微妙にして思念の領域を超え、
深妙にして賢者のみよく知るべきもの」の世界にいるのかもしれませんが、
そんな、誰もが到達できないような世界だけをもって仏法〜等というのは全くお門違いです。
仏陀の教えは簡単であり難しい。
・あるとかないとかの論争には加わらない。
・形而上の論争はすべてあるとかないとかの論争である。
・人としてのあり方を深く考察せよ。
・慈悲こそが実践すべき事。
268 :
神も仏も名無しさん :2013/10/27(日) 00:19:14.29 ID:q8cNiYNw
>>256 中論は、そんな難しいことは言っていない。最も当たり前のことを言ってる
だけ。
既に去りつつある者は、去るという同じ動作を同時に二度行なうことはできない、
と、アホでも判る解説を付けてくれているではないか。去っていない他人から
見れば、去る者は明らかに去っているのである。
その意味するところは、すべての事象や概念は「相対的」であるということ。
「相対的」であるとは、「相互に依存し、関係している」ということ。
ゼノンの「飛ぶ矢は飛ばず」は、単なる時間的・距離的分割で、「相対性」に
思い至っていないから、似て非なる概念である。
中論の「空(相互依存性、相対性、関係性)」は、万物・万人に通用する唯一の
普遍の真理。釈迦の縁起(因果関係)を、完全に否定したもの。
>>265 >決めつけることなく冷静に徹底分析する姿勢があるならば〜
私もそのように思います。
決め付けが前提では話になりません。肯定論が立派な学問とは思えませんが、
単に信じる人だと思うだけです。
信じる人もいれば信じない人もいる。
仏陀が信じていたのかいなかったのかも個々人の解釈で180度異なる。
所詮、そんなものはあってもなくても良い〜という事になりませんかねえw
>>265 その意見は輪廻否定の研究者への反論としてよく見られますね
神が天地を創造された時のこと。 神「日本という国を作ろう。そこで、世界一素晴らしい文化と 世界一素晴らしい気候を、世界一勤勉な人間に与えよう。」 大天使「父よ。それでは日本だけが恵まれすぎています。」 神「我が子よ、案ずるな。隣に韓国をつくっておいた。」
272 :
262 :2013/10/27(日) 00:24:29.92 ID:TF7kKiau
274 :
神も仏も名無しさん :2013/10/27(日) 00:32:10.19 ID:q8cNiYNw
>>267 >・あるとかないとかの論争には加わらない。
>・形而上の論争はすべてあるとかないとかの論争である。
何言ってるんだかw。
「我は無い、我では無い」と言ったのは釈迦。
その「形而上の問題」で、果てしない大論争を続けているのが、釈迦カルトたち。
>>273 中論十八章6・7偈は空の空を説いたものですね
>>274 我が無いのは当然でしょう。
我が有ると思いますか?
有るのは今だけです。
あなたは死ぬ時に、愛しているものや人やお金やその他全部と別れて死なねばなりません。
あなたが死ねばあなたの体は腐って滅びます。
あなたはどこにいるのですか?
あなたは今しかいないw
278 :
神も仏も名無しさん :2013/10/27(日) 00:55:15.71 ID:q8cNiYNw
>>276 >有るのは今だけです。
その通り。過去も未来も、考えるのは「今ここの我(生命)」。従って、過去
も未来も、すべて「今ここの我」。前世・来世など問題外。だから中論は「時間」
を否定したのである。
中論以前に仏陀の無我がそれを言っているw
280 :
神も仏も名無しさん :2013/10/27(日) 01:01:24.77 ID:q8cNiYNw
>>279 「無我」なら、「今ここの我」も無いw。
それは屁理屈w
282 :
神も仏も名無しさん :2013/10/27(日) 01:16:13.34 ID:q8cNiYNw
>>281 「無我」なのに、「今ここの我」はある、などと言ったら、屁理屈にも
なっていないw。完全な論理破綻。
我が無いというのは今無いという事ではない。 常住ではないという事でしょう。 死後も連綿と続く我〜なんてのは無いという事。
>>283 今無いんだよ
常住ではない、ということは、
そういうこと。
仏陀の無我を、常識的解釈に引きずり降ろしては
いけない。
髪の毛1本抜けたから1秒前の私とは違う〜だから我は無いって? そんな馬鹿な話を誰が信じますか? 確かに刻々と変化するのは当然です。 しかしそれを我では無い〜というのは、それこそ誤解も甚だしい。
第一、そんなに瞬間瞬間我で無いのなら、自灯明の自とは何か? 我ではないのか? それすらないのなら、自灯明自体無い〜という事になり、果ては仏陀の説も無い〜という事になる。
> 我が無いというのは今無いという事ではない
> 常住ではないという事でしょう
> 死後も連綿と続く我〜なんてのは無いという事
例えば、仮に
今この一瞬だけに限定したとしても
それは
因と縁の依存によって
現れた仮りの状態である
という意味かも
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E6%88%91 我は、常住であり
他との何らの関係をもたないで単独で存在することができるものと考え
それは働きのうえで自由自在の力をもつとした
この我によって人間生存は根拠付けられ、支配されていると考えるのである
− これに対して −
釈迦はこのような実我観念を批判し
「我として認められるものはない」として、諸法無我と説いた
これを色受想行識の五蘊について説き
人間生存は無我である五蘊の仮和合したものであるから仮りの存在であると説いた
288 :
パーピマン ◆hVgvvzQ7pw :2013/10/27(日) 01:45:54.85 ID:4BxtyuBf
>>266 >少なくともアングリマーラ経中の難産に苦しむ夫人とアングリマーラのエピソードの目的は、
>ゴータマの指示によって真実語を祈りの呪文として用いたという記録です。
アホかwwwwwwwwwwwww
あれが、呪法肯定の記述だと???wwwwwwww
始めから、全体を通して100回読んで来い、バカタレがww
あれは、たとえアングリマーラほどの悪人でも、仏法に帰依すれば、
清浄になることができ、他者を救うことさえできるという・・・
いわゆる、仏道を歩むことが如何に尊いことなのかを示すエピだ、アホwwwww
仮の状態でも有るのだから、無ではない。 有ると言えば、仮の状態だから有でもない。 つまり、今しか我は無いという事ですよ、それが仮でも。 というか仮だからこそ。
290 :
パーピマン ◆hVgvvzQ7pw :2013/10/27(日) 01:51:30.20 ID:4BxtyuBf
しっかし、神智学みたいなトンデモ、オカルト宗教に脳みそやられると 何でもかんでも、自分の都合が良いように解釈する癖がついちまうのか??www まあ、なんにせよ、 頭のおかしいババアを「マイトレーヤ」などと 思ってしまうほど、 思い込みが激しくならんように注意することは必要だなwwwwww
293 :
神も仏も名無しさん :2013/10/27(日) 02:43:05.73 ID:q8cNiYNw
>>291 >色受想行識の五蘊の仮和合した仮りの状態であるからこそ
>四念処(四念住)によって滅させる事が出来る
仮和合だと「考える」のは誰?
「滅させる」のは誰?
いくら足掻いても、釈迦の論理矛盾は解消しないよw。
>>285 もし、髪の毛一本が確かなものなら、未来永劫、ず〜っと残るでしょ、変化もせずに。
なぜ滅びるのか?
本当に確かなものだったら、変化せず、そのまま続くでしょ。
確かに存在するとは、言えないんだよね。
人間の頭で、常識的に判断すると、確かにあると思っちゃうけど、
変化する、形態を維持できない、ということは、本当にそのものが確かに存在するとは、
言えないってことでしょ。
変化がゆっくりだから、そう見える。
たとえば、早送りみたいにこの世界を眺めてみると、あっという間に変化編滅し、
物の儚さがハッキリと分かるでしょ。
確かに存在するものなんて、この世界には無いんだよ。
だから、この世界は空だと言う。
>>286 自灯明の「自」とは、我のことじゃないでしょ。
我を超越して、自然の、ありのままの姿が、この自分を通して出ていること。
後の、法灯明の「法」と、同じ。
自と法は、まったく別々のことを言ったのではない。
まとめて、「自を通して現れる法をよりどころとしなさい」 ってことでしょ。
>> 色受想行識の五蘊の仮和合した仮りの状態であるからこそ
>> 四念処(四念住)によって滅させる事が出来る
> 仮和合だと「考える」のは誰?
> 「滅させる」のは誰?
> いくら足掻いても、釈迦の論理矛盾は解消しないよ
我、我所を滅させる、因と縁の依存によって、無我、無我所を得て、智慧を決定する
末那識(まなしき)と相応する我愛も
仮設として現れているものなので
滅させる、因と縁の依存によって
滅させる事が出来る
と言う意味だと思います
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E6%9C%AB%E9%82%A3%E8%AD%98 末那識(まなしき)
第七識・末那識と相応するものは、我癡・我見・我慢・我愛の四煩悩
睡眠中でも深層において働き続け
根源的な心である阿頼耶識を対象として、それを自分であると考えて執着し続ける
この深層的な自我心(末那識)を滅することによって、我々は初めて真の無我行を実践することができる
297 :
神も仏も名無しさん :2013/10/27(日) 03:14:11.44 ID:q8cNiYNw
>>295 >まとめて、「自を通して現れる法をよりどころとしなさい」 ってことでしょ。
やっぱり、「自(我)」はあるではないかw。
「自灯明」は、世界の他の宗教の開祖は、誰一人として言えなかった優れた言葉。
釈迦の「無我」に合わせるために、何故そこまでして自灯明を否定しなければ
ならないのか。何故、釈迦の明らかな誤りを誤りとして認められないのか。基地外
としか言いようがない。
298 :
パーピマン ◆hVgvvzQ7pw :2013/10/27(日) 04:56:23.84 ID:4BxtyuBf
@竜樹が言いたかったことってのは、・・・・・ 「あらゆる対象化はいけませんよ」 ってことじゃなかったのか?w 人間ってのは、とかく「全てのものを対象化して認識するわけだ」 例えば、「石ころを見る」という事例の場合、「見る主体である自分」と 「見られる客体である石」が、そこにあるわけだw 人間は無意識のうちにそのような「相対化」というものを行う。 言い換えれば、「一切の中から、それぞれのものを≪切り取る作業≫を行う わけだ。」 この切り取り作業による「相対化」というものが無明でしょ? 『我』という観念も、まさにこの≪切り取り作業≫によって生じる産物で、 (自己以外のものからの)相対化を図ることによって生じる誤謬なわけだ。 つまり一切の中から、「我」というものを切り取って認識してしまう。 この対象化、相対化、切り取り作業の際に必ず用いられるツールが「言語」 なわけだ。 対象を言語によって規定したり、名称を与えることによって 定型化したりすることにより「対象化」してしまう。 すなわち、≪切り取って≫ しまうわけ。 しかし、人間は何かを認識したり、思考したりするとき必ず、この言語を使用する。 これが問題なわけで、言語によって何かしらの規定を行うことは、それが即、 対象の相対化を行なってしまうことになる。 例えば、「雲海に浮かぶ朝日に感動したとき」・・・・・ 感動の中にいるだけならば良いが、人間はそれをすぐ、「すごい」「美しい」 「素晴らしい」などの言語によって規定してしまう。 その瞬間に眼前の景色は 「対象化」されてしまい「見ている自分」と「見られている景色」という相対化 されたものとなる。 つまり、一体だったものから、「主体」「客体」という 切り取り作業を行なってしまうわけ。
299 :
パーピマン ◆hVgvvzQ7pw :2013/10/27(日) 04:57:31.58 ID:4BxtyuBf
Aこのように「言語による認識、把握」というものは人間の習性であり、実に厄介なもので、 そのような相対化ってのを超えた処でないと真実の姿はわかりませんよ ってのが竜樹の 言いたかったことじゃねえの? ・・・・「認識する」 という言語表現は、その論理的思考から、常に「誰が」という 主体を求めてしまう。 ・・・・「変化する」 という言語表現も、 当然、「何が」という主体を要求する ことになる。 それは、共に「言語化」することによる要求であり、そのような言語的把握による論理的帰結 を要求することなく、それらを「一切のうちの一相」として 言語化することなく受け入れることができれば、「主体の要求は意味がなくなる。」 この対象を切り取らない、「一相」としての、そのままの受容がポイントなんじゃないの? これはさらに、「〜〜〜〜が、真実である。(真実でない)」 「〜〜〜〜は、・・・・である。(・・・でない)」 等の、全ての判断、主張、規定 (仏教的に言えば「分別」かw)の禁止にも繋がっていくわけで、 「何かを肯定したり、否定したりすることは即、相対化 を行うことであって、そういうのは止めましょうね」っていうのが、すなわち 戯論寂滅 なのでは? 竜樹が中論で言いたかったのは、これに尽きると思うのだがなw 竜樹は、この「言語認識による相対化を止めようね」ということを「言語によって」説明しなければ ならなかったわけだから苦労したと思うがww まあ、以上は仏教徒ではない凡夫が、暇に任せてだらだらと書いた、外から眺めた竜樹感だから、当然、 間違ってても責任はとれませんwwww
301 :
シモン・エレクシア ◆/bVPRrlaFM :2013/10/27(日) 09:33:11.58 ID:RjIkMttx
>>295 自燈明の「自己」にあたるパーリ語の単語はatanで、サンスクリットのアートマンにあたる。
アートマンを拠り所とせよと断言しちゃってる経文は、「え〜〜〜ちょっと釈迦さん、ちょっと待って待〜〜〜って!それ失言!」と
冷や汗もんだろうが。
302 :
ノスタルジア :2013/10/27(日) 09:51:22.54 ID:HEn90h2V
誰かあっちの悟りスレを建ててくれ〜
303 :
神も仏も名無しさん :2013/10/27(日) 10:15:58.70 ID:7pScOmZq
>>300 人間社会は、徹頭徹尾、生存共同体である。言語によって対象化しなければ、
人間は共生できないし、そもそも社会が成立・維持できない。それだけの
ことだ。人間が、独りで生きている、生きられるのなら、言語は不要。
独り言は、言語ではない。
釈迦は、対象化できない唯一の存在である「我(生命)」でさえ、「無我」と
して対象化したw。
言語とは、生存に関係する「具象物」を対象化する記号として発生した。
具象物に対応しない観念語、抽象語は、対応する具象物がなく、時と場合に
よって変わる若人百様の内心の観念だから、共同体の記号としても機能し得
ない。例えば、正義、美、涅槃、八正道、解脱、悟りなど。
「美しい花がある。花の美しさなぞ、ない」(小林 秀雄)。
具象物に対応しない観念語、抽象語に溢れているのが、宗教の教典。内容は
「ゼロ」。即ち戯論である。中論は、そのような戯論を否定したのである。
「相対性」という言葉を何度も使っている以上、中論の中心思想は、やはり
「万物・万人の相対性」であろう。即ち、開祖の言説にも「絶対性」はない
ということw。
304 :
忍法帖【Lv=5,xxxP】(1+0:3) :2013/10/27(日) 10:25:43.46 ID:PllRNcDk
仏教には神はない、と言ったら 仏教には梵天という神がある、と言われました。 そうなんですか?
305 :
神も仏も名無しさん :2013/10/27(日) 10:30:14.81 ID:7pScOmZq
>>304 釈迦の多くの妄想、戯論の一つだろう。「梵天」「神」などという具象物は、どこにも
ない。
306 :
神も仏も名無しさん :2013/10/27(日) 10:34:14.39 ID:7pScOmZq
>>301 釈迦の「無我」自体が、初歩的論理矛盾、勘違い、誤りだったということ。
> 仏教には神はない、と言ったら
> 仏教には梵天という神がある、と言われました
> そうなんですか?
仏教(ぶっきょう)
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E4%BB%8F%E6%95%99 神(天)とは、仏教においては天道の生物であり、生命(有情)の一種と位置づけられている
そのため神々は人間からの信仰の対象ではあっても厳密には仏では無く仏陀には及ばない存在である
仏教はもともとは何かに対する信仰という形すらない宗教であった
時代が下るにつれて開祖である仏陀、また経典に登場する諸仏や菩薩に対する信仰を帯びるようになるが
根本的には信仰対象に対する絶対服従を求める態度は持たない
仏教における信仰は帰依と表現され、他宗教の信仰とは意義が異なっており
たとえば修行者が守るべき戒律を保つために神や霊的な存在との契約をするという考えも存在しない
これらの内容は
民間信仰においては様子が一変していることが多く、それが仏教を分かりづらくする原因の一つとなっている
309 :
シモン・エレクシア ◆/bVPRrlaFM :2013/10/27(日) 10:49:35.09 ID:RjIkMttx
単純な話。 釈迦は「アートマン〜ではない」といったが、「アートマンはない」とのドグマは立てなかった。 でなければ、パーリ律蔵の仏伝にあるように、置引きした遊女を血眼で探す俗人に「そんなことより、自己(attan=アートマン)を求めない」 とは言えなかったし、「人に依らず、自己(attan=アートマン)を島(燈明)としなさい」とも言えなかっただろう。 釈迦の説法の中心には常に自己認識、自己探求があった。 大乗以降に形而上化された「空」の哲学の中で、「世界はくう!法もくう!そう言う自分も結局くう!」と のたまり続ける頭でっかちには分からんだろうw
310 :
シモン・エレクシア ◆/bVPRrlaFM :2013/10/27(日) 10:50:49.62 ID:RjIkMttx
自己(attan=アートマン)を求めない → 自己(attan=アートマン)を求めなさい
311 :
忍法帖【Lv=5,xxxP】(1+0:3) :2013/10/27(日) 11:02:43.41 ID:PllRNcDk
>>308 >そのため神々は人間からの信仰の対象ではあっても厳密には仏では無く仏陀には及ばない存在である
わかりました。
そうすると、神々という存在は仏教に出てきても、
キリスト教的な絶対神という存在はいない、ということでOKでしょうか?
312 :
忍法帖【Lv=5,xxxP】(2+0:3) :2013/10/27(日) 11:06:20.29 ID:PllRNcDk
また別の疑問ですが、 ゴータマ自身は輪廻転生について語っていない、という人と 仏教には輪廻転生の思想がある、という人といます。 どちらが本当なのでしょうか?
313 :
シモン・エレクシア ◆/bVPRrlaFM :2013/10/27(日) 11:08:40.89 ID:RjIkMttx
釈迦自身、原始仏典で語るように、仏説とは涅槃へと至る手段としての「ただの筏」。 目的へと至ったものには不要なものとして「捨て去られる」道具に過ぎない。 大乗は部派仏教の僧院で閉じられた仏説を経典創出という形で再開し、真の仏説とは何かを真摯に問い続けた。 この営み自体は否定されない。自燈明の教えにあるように、釈迦は「筏」をドグマ化する意図などなかったから。 大乗の間違いは先鋭化する「空」思想の中で、ひたすら「筏」の探求に没頭し続け、「筏」を営為の目的と化してしまったこと。 本来、釈迦が言った「筏」をもって彼岸へと渡る「自己」を見失った。此岸で筏を担いでうろうろする様は滑稽ですらある。
>>309 w
対象化された言葉に踊らされている典型だなw
ま、その辺が西洋感性の限界なんだろうけど。
ちなみに
>>310 「自己を求めなさい」とも言われてないんだけどね・・。
この言い回し(やシチュ)の違いが、(ファンにとっては)(痛快なw)肝なんだけどねぇ・・・。 ┐(´ー`)┌
315 :
神も仏も名無しさん :2013/10/27(日) 11:10:45.98 ID:bWSorzWE
輪廻転生(サンサ−ラ)はあるでしょ。それを乗り越えるのがブッダの教え。 「生老病死→終わり」なら、修行しなくても、死んだら終わりだからね。 生きてる間、チョイ我慢すればいいし、いやならすぐ自殺すればいいし。
> 釈迦の説法の中心には常に自己認識、自己探求があった
自己探求の次の段階として
止(サマタ)と、観(ヴィパッサナー)によって
想受滅させて
仮設としての
我、我所を滅させる、因と縁の依存によって、無我、無我所を得て、智慧を決定する
と、衆生を引導する為に、仮名の空を以って説明した
と言う意味かも
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E6%AD%A2%E8%A6%B3 止(サマタ)とは
心の動揺をとどめて本源の真理に住することである
観(ヴィパッサナー)とは
不動の心が智慧のはたらきとなって、事物を真理に即して正しく観察することである
317 :
シモン・エレクシア ◆/bVPRrlaFM :2013/10/27(日) 11:21:43.21 ID:RjIkMttx
竜樹に対する一番辛辣な質問はこれじゃね? 「あなたの生涯をかけた空観の探求は、一求道者として敬意を覚えます。 ではその優れた「筏」でもって、あなたは彼岸に渡ることができたでしょうか?」 彼が全生涯をかけた営為が此岸で豪勢な筏を創り続けることで、気づけばそれに乗る自己もなかったという笑い話。
318 :
神も仏も名無しさん :2013/10/27(日) 11:23:23.95 ID:TF7kKiau
だいたい説一切有部の経典勝手編集者の編集をアタマから信用するのが間違い。 それは例えば、天台智の現地調査さえしない妄想編集ぶりをみても判ろうと言うものw
>>311 ID:PllRNcDk さんへ
> 神々という存在は仏教に出てきても
> キリスト教的な絶対神という存在はいない、ということでOKでしょうか?
例えば、仮に
キリスト教的な絶対神のようなものがあったとしても
仏教における信仰は帰依と表現され、他宗教の信仰とは意義が異なっており
たとえば修行者が守るべき戒律を保つために
→ 神や霊的な存在との契約をするという考えも存在しない ←
これらの内容は
民間信仰においては様子が一変していることが多く、それが仏教を分かりづらくする原因の一つとなっている
と言う事であるらしい
仏教で魂の浄化は出来ないよw 糞宗教ですからw
>>317 一つの筏、自分の筏だけにこだわって、あまつさえ他人の筏をぶち壊そうとする輩が
絶えないかったもんだから、竜樹が空を唱えたように思うんだが。
訳わからん能書きは仏教独特だねw 支離滅裂なところも・・・w
323 :
忍法帖【Lv=5,xxxP】(1+0:3) :2013/10/27(日) 11:46:02.30 ID:PllRNcDk
>>319 他の宗教のように「神だのみ」とかはない、ということだと思うのですが、
しかし、他力本願というのもあるのでよくわからないのです。
324 :
神も仏も名無しさん :2013/10/27(日) 12:01:09.62 ID:7pScOmZq
>>317 竜樹には、彼岸はないのだから、筏も求道も問題外。
中論は、「もろもろの存在」の構成原理を見出しただけ。中論の基盤は、「世間の一切の
慣習」と「物理現象」。つまり「あるがままの世界、諸法実相」である。
中論を、釈迦の勘違いに過ぎない「無我」「無」になりふり構わず合致させようとするから、
解釈が狂ってしまう。
>>320 「浄」は「濁」があるからこそ存在し得る。「万物の相対性」が、中論の中心思想。
「浄」だけなら、「濁」だけと全く同じ。「善悪」「正誤」「美醜」「聖俗」皆同じ。
恥をかかないような生き方、社会性を重視した生き方が重要なんだよ。 だから旧約聖書の律法でよい。福音によって律法はユダヤ人のものだけではなくなったのです。 魂の浄化というのはそうゆうこと。
326 :
ノスタルジア :2013/10/27(日) 12:08:55.86 ID:HEn90h2V
ノスタルジアのことば。 ぼくの文章は、基軸に自分で確信を持った言葉を置くことにしている。 だから、一見すると、なんともない文章のようだが、あとからよくよく 読み返すまえに、新たなぼくの文章を読む読者は、ぼくを捕えられない ことにもどかしさを感じるだろう。そう、ぼくは野ウサギなのである。 「野ウサギは人がつくりあげた価値とかモラルとかの裏をかく。こちらの世界から 、たえず離脱していこうとしている。しかし、かといって野ウサギが完全に むこうの世界に、つまり無や死が支配するモノトーンな「ナッシング」の世界に 溶け込み、姿を消してしまうこともない。むこうの世界からさえも離脱しているのだ。」 (野ウサギの走り・中沢新一著より)
>>312 ID:PllRNcDk さんへ
> ゴータマ自身は輪廻転生について語っていない、という人と
> 仏教には輪廻転生の思想がある、という人といます
> どちらが本当なのでしょうか?
一般的には
輪廻からの解脱を目指す
と言う事であるらしい
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E4%BB%8F%E6%95%99 仏教(ぶっきょう)
一般に仏陀(目覚めた人)の説いた教え
また自ら仏陀に成るための教えであるとされる
仏教は輪廻と解脱の考えに基づいている
人の一生は苦であり永遠に続く輪廻の中で終わりなく苦しむことになる
その苦しみから抜け出すことが解脱であり
修行により解脱を目指すことが初期仏教の目的であった
328 :
神も仏も名無しさん :2013/10/27(日) 12:17:46.62 ID:7pScOmZq
釈迦や釈迦カルトは「苦」という言葉を使うのは止めてくれ。こちらまで 憂鬱になる。 苦があるからこそ、楽があるのだから、差し引き「ゼロ」だ。しかし、楽の 割合のほうが大きいからこそ、人類は現在まで存続している。 人間は、いくら苦しくても、実は「生きていること自体」に、無意識にでも、 最大の喜びを得ているのである。
329 :
神も仏も名無しさん :2013/10/27(日) 12:18:46.06 ID:TF7kKiau
>>324 >中論は、「もろもろの存在」の構成原理を見出しただけ。中論の基盤は、「世間の一切の
>慣習」と「物理現象」。つまり「あるがままの世界、諸法実相」である。
そう、その通りだ。お前のアタマの中でだけで、だがなw
仏教の坊主はどんなに修行をつんでも悟ることはないし仏には決してなれない。 仏教でいう『輪廻』からは決して逸脱できないのである。
331 :
神も仏も名無しさん :2013/10/27(日) 12:26:13.87 ID:7pScOmZq
>>329 それが「現代人」としての「唯一の解釈」。知識も知恵も桁違いに異なる、無知蒙昧な
古代人に合わせて解釈することが、現代人にとって一体何の意味があるのか。
仏典も、あくまで、当時の状態における、当時の人々に対して説かれたものである
ことを、忘れているのではないか。
新スレになって魑魅魍魎の跋扈振りが一段と酷いなw
334 :
ノスタルジア :2013/10/27(日) 12:32:55.15 ID:HEn90h2V
>>宝珠愚者様 「薔薇十字会的な神智学では、外の世界に物質的な対象しか見ることかできない ありきたりな感覚を超えたより高次の感覚能力を人間は身につけることは できるのだということ、そしてその時、私たちはあたりまえの人間の体をもって 物質の世界の中にありながら、同時にその同じ場所に、もっと微細でもっと精妙な 力の流動する、「より高次の世界」を見ることができるようになることを、さまざまな 表現をつくして、あきらかにしようとしてきた。」(野ウサギの走り・中沢新一著より) とありますが、ぼく個人的に思うのですが、こう中沢新一が言うのみだったならば、 だいじな、個人の問いがぬけているような気がするのです。なにか、その上というか その先はなぜ言い表せられないのでしょうか。神智学というのは、高次な世界を 見るということで、終わるものなのでしょうか。ぼくは、高次な世界を見る だけでは、物質世界を克服したことにはならずに、以前と同じように、 この物質世界にいるような気がするのですが。
>>312 >輪廻転生について語っていない、という人と
「語っていない」ということはないよ。
それが、生物的に・衆生として・生き物の在り方としての真実かどうか?
という点で意見が分かれているだけ。
で、そこを確定させる物証及び状況証拠は、今のところ存在しない。
伝承の中(悟りを得たとされる過去の弟子達の証言・言い伝え)にしかない。
伝統としてそれを受け入れるか、
現代科学生物学等に準拠して却下するか、
その違いが出ているだけ。
決着を見たいと思うなら自分で悟ってみるしかないw
336 :
神も仏も名無しさん :2013/10/27(日) 12:38:42.74 ID:TF7kKiau
>>331 >それが「現代人」としての「唯一の解釈」。知識も知恵も桁違いに異なる、無知蒙昧な
>古代人に合わせて解釈することが、現代人にとって一体何の意味があるのか。
おやおやw 龍樹は時間概念を世間においても否定したんだろ?
337 :
神も仏も名無しさん :2013/10/27(日) 12:59:05.06 ID:TF7kKiau
>>268 >既に去りつつある者は、去るという同じ動作を同時に二度行なうことはできない、
>と、アホでも判る解説を付けてくれているではないか。
土佐にいる武市半平太は言った、京都にいる「龍馬がゆく」。
さて、竜馬はどこへゆくのでしょうか、ゆかないのでしょうか?
338 :
神も仏も名無しさん :2013/10/27(日) 13:02:39.08 ID:TF7kKiau
>>268 >ゼノンの「飛ぶ矢は飛ばず」は、単なる時間的・距離的分割で、「相対性」に
>思い至っていないから、似て非なる概念である。
<動く⇔ 止まる>の相対なんですがねえw
339 :
記憶喪失した男 忍法帖【Lv=40,xxxPT】(1+0:3) :2013/10/27(日) 13:10:59.44 ID:MTgnFTrp BE:2189932984-2BP(427)
あうあうあうあうあうああー ::::::::: へ( ^q^')ノ おれは輪廻なんてないと思ってるので断見だが、 ::::::::: (┐ノ 日本の葬式屋は、死者は三途の河を渡ると思って対応してくるねえ。 :::::::::: / :::::::::::::::::::::::::::::::::
340 :
神も仏も名無しさん :2013/10/27(日) 13:15:52.72 ID:TF7kKiau
>>268 >釈迦の縁起(因果関係)を、完全に否定したもの。
エッチして妊娠すれば、10月10日もすれば子供は生まれるよ。
『もしも一切のものが空(縁起)であるならば、なにものかの生起することは存在するし、消滅することも存在するということになるだろう。
そして、汝にとっては四つの真理(苦・集・滅・道の四諦)は(世間でも)存在することになるだろう』(中論24-20逆読み)
四諦も因果関係なんですがねえ。努力する者は報われる、というのは世俗諦ではないんでしょうか?
『(世間で)縁起を見る(知覚)ものは、すなわち、苦・集・滅・道(の四諦)を見る。』(中論24-40)
単なる相関関係だけで世間様に通用するんですかねえw
>>339 死後世界の有無と輪廻転生は別の話ですよ。
三途の川〜は死後世界の事でしょ。
輪廻は生まれ変わりの事。
342 :
記憶喪失した男 忍法帖【Lv=40,xxxPT】(2+0:3) :2013/10/27(日) 13:35:04.95 ID:MTgnFTrp BE:3284899968-2BP(427)
あうあうあうあうあうああー ::::::::: へ( ^q^')ノ ああ、三途の川は、日本の民間信仰なのか。 ::::::::: (┐ノ これは使えるなあ。 :::::::::: / 日本の葬式は輪廻転生を信じるか否かは関係なく、三途の川を渡るという風習は強く守られてるねえ。 ::::::::::::::::::::::::::::::::: 誰か詳しい人いないかな?
三途川(さんずのかわ)
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E4%B8%89%E9%80%94%E5%B7%9D 此岸(現世)と彼岸(あの世)を分ける境目にあるとされる川
一般的に仏教の概念の1つと思われがちだが
実際は仏教に民間信仰が多分に混じって生まれた概念である
三途川の出典は『金光明経』1の
「この経、よく地獄餓鬼畜生の諸河をして焦乾枯渇せしむ」である
この地獄・餓鬼・畜生を三途(三悪道)といい
これが広く三悪道を指して三途川と称する典拠であるといわれる
俗に言うところは『地蔵菩薩発心因縁十王経』(略称:地蔵十王経)の
「葬頭河曲。於初江辺官聴相連承所渡。前大河。即是葬頭
見渡亡人名奈河津。所渡有三。一山水瀬。二江深淵。三有橋渡」
に基づいて行われた十王信仰(閻魔大王は十王のうちの1人)による
この十王経は中国で成立した経典であり
この経典の日本への渡来は飛鳥時代と思われるが
信仰として広まったのは平安時代末期とされる
345 :
記憶喪失した男 忍法帖【Lv=40,xxxPT】(1+0:3) :2013/10/27(日) 14:09:42.63 ID:MTgnFTrp BE:410613023-2BP(427)
あうあうあうあうあうああー
::::::::: へ( ^q^')ノ
>>344 そのウィキは見たよ。
::::::::: (┐ノ というか、そのウィキを見て聞いているんだけど、
:::::::::: / 仏教はなんだかんだとインドの教えじゃん。
::::::::::::::::::::::::::::::::: ぼくは、日本の宗教を作るべく、その物語を書きたいのだ。
>>340 それは命題の逆ではなくて裏だよ。
逆も裏も必ずしも真ならず。
> 仏教はなんだかんだとインドの教えじゃん > ぼくは、日本の宗教を作るべく、その物語を書きたいのだ やっと三途川(さんずのかわ)を渡る橋に到着してみたら その橋を渡る為の条件が 「 煩悩障(自己に対する執着) 所知障(外界のものに対する執着) の二種の障害を根絶すること 」 と書いてありました ↑ こんな感じで、どうでしょうか?
348 :
宝珠@神智学徒 ◆9XuF3XEACk :2013/10/27(日) 14:28:43.66 ID:j69Q0Svi
>>312 仏教の流れには大きく、
南方の上座部仏教と北伝の大乗仏教(日本仏教はこちらに属する)の二つがあります。
南方は例外なく、ゴータマは輪廻転生について教えそれが実際に起こっているものとみなす。
つまり、輪廻転生を肯定しています。
大乗も例外を除いては殆どが同様の理解です。
(例外とは、「あると思えばある。無いと思えば無い」的な精神を標榜する禅の一部)
ここのスレに多く見られるような否定論は
あくまでもただの個人見解、個人意見に過ぎません。
349 :
宝珠@神智学徒 ◆9XuF3XEACk :2013/10/27(日) 14:30:29.35 ID:j69Q0Svi
>>243 サロメさん、
暫く仏教議論スレから遠ざかっていたようですが、まずはお元気そうで何よりでした。
ところで、
あれからどこかの仏教寺院で何か参加されたのですか?
350 :
神も仏も名無しさん :2013/10/27(日) 14:39:27.35 ID:TF7kKiau
>>346 詳細は中論24-21(苦)・22(集)・23(滅)・24(道)を参照。
『道は修習される』(24-24)「ローマは一日にして成らず」(セルバンテス)
> 「あると思えばある。無いと思えば無い」的な精神を標榜する禅の一部 机先生の場合は 「 心の働きも無い 」 「 輪廻も無い 」 「 輪廻から解脱する為の三十七菩提分法も必要ない 」 と逝ってた気がする _ _ _ ちなみに私(ID:0G9Xx+l3)の場合は 輪廻から解脱する為の三十七菩提分法 − 肯定です 屮(_ ._)屮
352 :
ブッダの業報輪廻転生論者への問い :2013/10/27(日) 14:51:41.83 ID:TF7kKiau
>>348 >ここのスレに多く見られるような否定論はあくまでもただの個人見解、個人意見に過ぎません。
否定論は個人的見解だが、肯定論は検証不能のドグマでしかない。
したがって、無記=無視がリーズナブルだ。
『友よ、ニガンダ派の人たちよ、あなたたちは、
〈 前世において私たちは存在していた、存在していなかったのではない 〉と知りません。また、
〈 前世において私たちは悪業を行った、行わなかったのではない 〉と知りません。また、
〈 私たちはこのような悪い業を、あるいはまたあのような悪い業を行った 〉と知りません。また、
〈 これだけの苦が滅尽した。あるいは、これだけの苦が滅尽するはずてある。
あるいは、これだけの苦が滅尽したとき、すべての苦が滅尽するはずてある。 〉と知りません。また、
〈 現在、この世において、不善の事柄を捨て去り、善の事柄を私たちは備えている 〉と知りません。
このように、何も知らないのならば、それでは何故、
あなたたちは、
「人が感受するところのものは、楽であれ、苦であれ、苦でも楽でもないものであれ、
すべては前世に行なわれたことを原因とする。
それゆえ、苦行によって古い業を消滅させて、新しい業を作らないことによって、未来に結果がなくなる。
未来に結果がないことにより、業が消滅する。
業が消滅することにより、苦が消滅する。
苦が消滅することにより、感受が消滅する。
感受が消滅することにより、すべての苦が滅尽するであろう」、 と答えることができるのでしょうか?
それらをすべて知っているのならば、そのように答えることは正しいでしょう。
しかし、何も知らないのならば、そのように答えることは正しくないのではありませんか?』
(中部 101)
ブッダの問いは、★すべて検証不能の<一切外の事柄>だからであり★、⇒無記
菩提心自己の凡夫にとっては、妄想・形而上的見解・物語・フィクション・イリュージョン・錯視に他ならないからである。
353 :
記憶喪失した男 忍法帖【Lv=40,xxxPT】(1+0:3) :2013/10/27(日) 14:53:34.74 ID:MTgnFTrp BE:3695512469-2BP(427)
あうあうあうあうあうああー
::::::::: へ( ^q^')ノ
>>347 ::::::::: (┐ノ 三途の川は、悟るために渡るのではなく、
:::::::::: / 死後の世界へ行くために渡るのだから、それはちょっとちがうのでは?
::::::::::::::::::::::::::::::::: それとも、日本の仏教でいうように、死ねばみんな仏になるのかな?
354 :
宝珠@神智学徒 ◆9XuF3XEACk :2013/10/27(日) 14:56:19.47 ID:j69Q0Svi
355 :
宝珠@神智学徒 ◆9XuF3XEACk :2013/10/27(日) 14:57:37.63 ID:j69Q0Svi
2/2
『 (3) 仏教の呪術性 (a) 密教以前
パーリ仏典長部『梵網経』は、迷信的呪術や様々な世間的知識を「無益徒労の明」として否定する。初期仏教では比丘が呪術を行
うことは禁じられていたと考えてよい。
しかし、一方、律蔵において、世俗や外道で唱えられていた「治歯呪」「治毒呪」などの護身呪文(護呪)は許容されていた。中で
も比丘が遊行の折に毒蛇を避けるための防蛇呪は、後に初期密教の『孔雀王呪経』に発展した。また、意味不明な呪文でなく、例え
ば森で修行するに当たって木霊など様々な障害を防ぐ慈経(Metta Sutta)、安産を願うアングリマーラ経(Angulimala Sutta)など、
経典を読誦することによって祝福するという習慣が南伝上座部仏教にも存在する。「パリッタ」(paritta 護経、護呪)といい、現代の
スリランカや東南アジアでも行われている。釈尊がこうした呪術的要素を完全に否定したわけではなかったと考えるべきである。』
http://ameblo.jp/lord-of-the-north-stars/entry-11513633670.html
>>344 でも、閻魔はリグウェーダのヤマがもとになってるでしょ
あと、長阿含にも閻魔王は描かれていて、鉄囲山に住んでいるとされる
ここでも地獄への一時的な審査を受けることになっている
十王経はたしかに中国撰述かもしれないが、結局はのちの諸説入り組んだ状況に悩んだ末
付加増刷版になったにすぎないと思う。
もちろん、釈尊在世の説法の通りじゃないからまがい物だと言われればそうだろうが
釈尊自体、地獄のあり様にこだわっていたとは思えない。対機説法しただけでしょう?
だから、釈尊の説を基本としながらも、現地の住民に説得力をもつ形で当地の話をとりいれたために
閻魔を入れて10人の地獄の代官(この表現も江戸時代の幕府直轄地の住民に馴染んだものかw、
要するに、次生にどの道へゆくかを判定する審査官)をたてることになったんじゃないのか?
ちなみに地獄界についての一般的な見解は倶舎論や大ビバ者論に依っていると思うが
のちに正法ねんしょ経には、さらに地獄の種類が増加している。
それも各説をみな正しいとみなした上で、それらを矛盾なく説明しようとしたことから起こった煩雑さだと
思われる。長阿含では地獄は地下にはないw鉄囲山の周りに、閻魔王宮に隣接されてある。
しかし、正法ねんしょ経は恐ろしく隙がないな
男色もアナルセックスも地獄行きだ。当然、前戯も地獄行きだ。僧の話だけどな。
358 :
宝珠@神智学徒 ◆9XuF3XEACk :2013/10/27(日) 15:11:52.03 ID:j69Q0Svi
>>334 この我々が、
現象界における縛りから解放されるには段階というものがあります。
一足飛びには無理なことです。
まずは、
濃密物質以外の世界があることを知るということからそのすべてが始まり、
そして、それを直接的に感じ取ること(見聞きする)が次の段階です。
最終的には、肉体を現象界に留めつつも意識においては高次にあるという状態を達成し、
時には意図すれば、肉体すらも現象界の制約から解くことも可能な境地です。
この基本はどんな宗教でも同じです。
359 :
宝珠@神智学徒 ◆9XuF3XEACk :2013/10/27(日) 15:14:36.88 ID:j69Q0Svi
>>357 あぁ・・でしたね^^(失礼)。
いつもサンクス♪
>>351 机さんのいってることは究極の真理のことです。
ならば、我々はこのまま何もしなくていいのか?
いやしかし、そうはいかないということですよ。
何もしなくてもいいのなら、仏教もいらないし、修行も何もいらない。
そこがそういうのに嵌った人の犯す抜けられない勘違いだと思う。
故に、我々の世界では役に立たないものです。
>>352 だったら、
ゴチャゴチャいわず仏教辞めればいいだけです。
あなたが信奉しなければそれで済むこと。
> 三途の川は、悟るために渡るのではなく
> 死後の世界へ行くために渡るのだから、それはちょっとちがうのでは?
> それとも、日本の仏教でいうように、死ねばみんな仏になるのかな?
例えば、仮に
想受滅する事が出来なければ
渇愛(タンハー)によって
異蘊相続して
輪廻を繰り返す
と言う意味だと思います
http://www28.atwiki.jp/buddha/pages/17.html 漢訳 第一義空經
…
… 此の陰滅し已らば異陰相續す
俗數法をば除く
耳・鼻・舌・身・意も 亦是の如く説き 俗數法をば除く
俗數法とは
此れ有るが故に彼れ有り。此れ起るが故に彼れ起る
無明に縁りて行、行に縁りて識、廣説乃至純大苦聚集起るが如く
− これに対して −
此れ無きが故に彼れ無く、此れ滅するが故に彼れ滅す
無明滅するが故に行滅し、行滅するが故に識滅す
是の如く廣説し 乃至純大苦聚滅す …
しかし、多感な時期に僧に入ったら苦労しそうだな ただでさえ若者は悩むだろうに 正法ねんしょ経なんかよんだら、よけいに色欲増進しそうだよ 昔の坊さんは朱書きでラインとか引いたりしたのかね
>>359 >ゴチャゴチャいわず仏教辞めればいいだけです。
>あなたが信奉しなければそれで済むこと。
ブーメラン乙
>>359 問い1:人間の輪廻主体は、地球上に人間が居なかった時代には別の惑星にいて、そこから地球にやってきて
人間が生まれた〜って何か突然生まれたかのような言い方ですが、猿人から進化して人間になっていくという
過程ではどこからが人間なのでしょうか?
アウストラロピテクスからが人ですか?ホモサピエンスからが人ですか?霊長類そのものが人ですか?
仮にホモサピエンスからだとしても突然登場したわけでなく境無く徐々に変化していったものですが、どこを境に人なのですか?
問い2:別の惑星の輪廻主体はその惑星が生まれる前はまた別の惑星から〜という事だと思いますが、どこまで遡るのですか?
最初の惑星というものがあったとして、そこの輪廻主体はどこから来たのですか?
どうせ別の宇宙から、とかだろ あるいはモノリスとか
> 机さんのいってることは > 我々、世俗の世界においては役に立たないものです ↑ ご教示ありがとう おじゃる 屮(_ ._)屮
366 :
記憶喪失した男 忍法帖【Lv=40,xxxPT】(1+0:3) :2013/10/27(日) 15:38:15.58 ID:MTgnFTrp BE:3284899968-2BP(427)
あうあうあうあうあうああー
::::::::: へ( ^q^')ノ
>>360 難しくてわからないです。
::::::::: (┐ノ つまり、悟るんですか、悟らないんですか?
:::::::::: /
:::::::::::::::::::::::::::::::::
367 :
記憶喪失した男 忍法帖【Lv=40,xxxPT】(2+0:3) :2013/10/27(日) 15:44:23.33 ID:MTgnFTrp BE:2395239375-2BP(427)
あうあうあうあうあうああー ::::::::: へ( ^q^')ノ YAHOO知恵袋で聞いたら、 ::::::::: (┐ノ 三途の川のように、この世とあの世の間に川があるというのは世界中に見られる民間信仰らしい。 :::::::::: / 道教由来といっていたが、道教というわけでもないだろう。 ::::::::::::::::::::::::::::::::: とにかく、日本独自の民間信仰でも、仏教由来の民間信仰でもないのだ。
368 :
神も仏も名無しさん :2013/10/27(日) 15:45:04.92 ID:KxbPgCzx
>>336 世俗の時間概念をより厳密に考えただけ。時間とは「物の変化」のことであり、
「諸行無常」なのだからw、時間を否定しなければ、物の正確な構成は判るわけ
がない。
>>337 止まっている他人から見れば、竜馬は行っているに決まっている。
>>338 ゼノンでは、矢は飛んでいることを前提とし、その軌跡を距離的の細分割しただけ。
「相対性」という概念は全く無い。
> 難しくてわからないです > つまり、悟るんですか、悟らないんですか? 八正道(はっしょうどう)によって 我、我所を滅させる因縁によって 無我、無我所を得る事が出来た場合は 智慧を決定する − これに対して − 無我、無我所を得る事が出来なかった場合は 智慧を決定する事が出来ない
370 :
ノスタルジア :2013/10/27(日) 15:52:44.91 ID:HEn90h2V
>>345 高天原憧憬と天照勧請と伊弉諾一元論の三本柱にして、日本の神道を
広めればいいのでは? 勧請という言葉からも分かるように、仏教も
少し関係している。 ぼくが、日頃からあたためていた言葉だ。
今昔物語には、立山地獄がかかれているな 今昔物語といえば藪の中 女は業が深い
>彼等の宗教的実践が、語身業の制御と密接に関係していたことが理解される。 >○○は、常住なる物質的存在である霊魂(jiva)は >諸々の身体と結合し、離れることを繰り返し、 >輸廻を続けながら、清浄となり(samsarasuddhi)、最終的な解脱を得る >大毘婆沙論にも「彼説黒勝生類経十四千大劫往来流転。然後得入青勝生類。 >(中略)即極白勝生類復経十四千大劫往来流転。然後乃能作苦辺際。」 >とある如く、有情は最下位の**より、※※に至るまで、 >順次に輪廻を続けながら、霊魂を浄化し、※※に於いて、最終的な解説を得るのである。 >かくの始き霊魂の浄化の道程が、業の抑制の度合いと裏表の関係にあるということは明白である >かくして、業を完全に抑制した××等のみによつて解説が得られると見倣されるのである。 >かくの如く○○は六生類によつて業とその結果を決して否定しているものではなく、 >むしろ、それによつて、有情の輪廻の過程を秩序ずけたものといえる。
>かくして、**より、※※に至るにつれて、霊魂が清浄となるということは、 >業がより抑制されているということに他ならないのである。 >この様に、六生類説は、表面的には、社会的身分、宗教的差異によつて分類されてはいても、 >本質的には、霊魂の浄化の度合い、即ち、業の抑制の程度をその根拠としていた >個々の有情の努力が決して無益であると考えていたのではない。 >その様な行為努力も、八百四十万大劫の厳格な輪廻の過程の中に抱括される >一見有情を差別し、その社会的身分によつて区別する如くに思われるが、 >事実は、むしろ、すべての有情の本来的平等性を保証することをも意味する。 >Jataka, vol. 5, p. 525には、 > 生類は平等であり、尊敬すべき最勝の人もなく、力もなく、あるいは精進もない。 > どこに人の努力があろうか、存在するものは定まつている。ともずなの如くに。 >同様の文が、Petavatthu, p. 57にも存在し、 >Paramatthadipani,vol. 3, p. 252は、 > 「これら、すべての有情は互いに全く平等である」ことと説明する >すべての有情の平等なることが、明確に保証されるのである。このことは、 >Jataka. vol, 6, p. 229に、 > 若し、楽あるいは苦を定めによって得るのであるならば、すべての者に輪廻による清浄がある。 >によつても確認される。
血の池地獄が女性蔑視と言われるが、これは中国撰述だな だが、日本の霊山信仰は女人禁制だったから、かえってこれが信仰されたとか 雲仙に血の池地獄ってあるけど、男はここに女の人くるんだーとか思ってたのかね
375 :
記憶喪失した男 忍法帖【Lv=40,xxxPT】(1+0:3) :2013/10/27(日) 16:18:47.79 ID:MTgnFTrp BE:2053062656-2BP(427)
あうあうあうあうあうああー ::::::::: へ( ^q^')ノ やあ、ノスさん。 ::::::::: (┐ノ 高天原というのは、土地なのか雲なのか天上界なのかがはっきりしない。 :::::::::: / 天照勧請というのは、ぼくはむしろ、出雲の縁結びの神社の普及のが人気が出るんじゃないかと思ってる。 ::::::::::::::::::::::::::::::::: ただ、天照は、大日如来と習合しているので、汎神論と結びつけるには天照になるけど。 伊弉諾一元論というのはなんだい? 聞いたことがないよ。男尊女卑にはしたくないから、イザナミを無視することはありえないよ。 日本神話では、最初の人というのは、イザナギ、イザナミだったと思う。まだ神と人の区別がつく前の神代の時代だね。 この物語、神と人の区別がつく物語も作らないといけない。
別府の血の池地獄温泉は健康にいいから入った方がよさそう
377 :
宝珠@神智学徒 ◆9XuF3XEACk :2013/10/27(日) 16:21:57.62 ID:j69Q0Svi
>>372-373 ご紹介の論文は印刷して手元にあります。
PC画面は読みにくいので印刷してからも、目を通しました。
確かに(神智学とは)共通部分はあります。しかし、それだけでは(神智学が)誤解されるだけですね。
378 :
ノスタルジア :2013/10/27(日) 16:31:56.57 ID:HEn90h2V
http://plaza.rakuten.co.jp/hiroaizawa1/11023/ >>375 上記のサイトにイザナギ一元について話してありますよ〜。
実は、ぼくは、ギリシャ神話によるところにおいて、ノスタルジアと
いうコテハンが生まれたと思っている。ギリシャ神話を勉強すれば、
ぼくが何を言いたいのか、分かるかもよ。
神と人の区別は、ぼくは仏教流に言うなら、像法の時代のことであると
思うんだよ。つまり「神殿」。ところで、ドラクエには、ダーマの神殿という言葉があるよね。
ぼくはあれが、もしかしたら、釈迦が、云えなかった、神についての
手がかりになるのではないかと思っている。
高天原の神たちにしても、やはり、仏教の神と同列に置かれるべきであり、
天ということをいうならば、天を超えたどこかということも考えないと
いけない。天を超えたどこかにある高みが高天原なのかもしれない。
あと、雲ということについて言うならば、雲の動きということや、
仏典での雲の捉え方や、雲の本質・性質などや、雲の構造などを
考えないと、いけないと思う。ただ、高天原はぼくは思うに、
六道に含まれない、天ではないかな〜と思っています。ゆえに
天を超えた「どこか」なのではないでしょうか。
379 :
ノスタルジア :2013/10/27(日) 16:37:36.33 ID:HEn90h2V
>>358 御返答ありがとうございます。
表象にあらわれる、いろいろな物質がありますよね? それらを
認識の変換をすることで、違う、物質になるのではないか、もっと、幅の
効いた物質になるのではないかと、考えているところです。
すべての物質について把握できるならば、ちがう物質として、ぼく自体も
この、あなたが言う、現象界に生きているときに、違う存在に生まれ変わる
ことが可能なのではないかと思っているのです。すべての物質に理解が
生まれれば、物質の変換ができるのではないでしょうか? そして
それが新たな境地に至る方法なのではないでしょうか。
その具体的方法までは分からないのですが・・・
380 :
神も仏も名無しさん :2013/10/27(日) 16:42:05.79 ID:KxbPgCzx
霊魂: 「インドの関連術語が、<霊魂>や<魂>と漢訳された例は確認されていない、ただし、 <霊魂>の観念にもっとも近似するのは<命><命者><寿者><神>などと漢訳された Jivaである。この語は、身体をささえ、生き物を生かしめる命、を原義とする。ウパニャッド では、哲人ウッダーラカ・アールニがアートマン(我)を、太初以来の存在そのものであり、 しかもさまざまな創造物の中にそれぞれの命として内在すると語り、後世に多大の影響を 与えた。ヤージニヤヴァルキヤはまた、対象化されることのない認識主体そのものを、 アートマンと呼ぶ」(岩波仏教辞典)。 釈迦に比べると、インド哲学の生命(我)把握のほうが、はるかに的確で、深く、高度である。
まあ、日本の記紀に通底した思想をうかがおうとするなら、篤胤でも読めばいいよ 変に混交したものを読むよりは
382 :
神も仏も名無しさん :2013/10/27(日) 16:46:10.29 ID:KxbPgCzx
>>381 篤胤ではなく、宣長だろ。篤胤は、キリスト教などと混交している。
グノーシスって知れば知るほど、インドと一神教を足して割ったかんじだよな しかも、グノーシス文書って紀元後なんだな
384 :
神も仏も名無しさん :2013/10/27(日) 16:46:49.44 ID:HRZQ8kyl
仏教はいいね。 実践内容はキリスト教とよく似ているけど、神に押し付けられるという義務感がなくていい。 まあ、キリスト教はおそらく民族を超えた社会秩序を作る役割もあったのだろうけどね。 因果応報すべて自己責任。情けは人の為ならず。 結果的に苦を乗り越える、あるいは克服する、遠ざけるには悪行を積まなければ良い、 善行を積んだ方が幸福になるとなる。 古来、仏の教えは上流階級の学問とされていたらしいが、きっと上流階級ですら苦に悩まされ、 苦を乗り越える秘儀のような扱いだったのではないだろうか?
>>382 意味が分からん。根拠を説明してくれるかい?坊主
386 :
神も仏も名無しさん :2013/10/27(日) 16:52:35.55 ID:HRZQ8kyl
>>380 不滅の魂という考えは現世の否定と、階級社会肯定につながるので、
人間にとって幸福な教えとは言えない気がするけどな。
もともと、征服民族の支配の手段として作られた哲学だろうし。
387 :
記憶喪失した男 忍法帖【Lv=40,xxxPT】(1+0:3) :2013/10/27(日) 16:53:10.67 ID:MTgnFTrp BE:3284899586-2BP(427)
あうあうあうあうあうああー
::::::::: へ( ^q^')ノ
>>378 拝読しました。
::::::::: (┐ノ イザナギ一元論には反対ですねえ。
:::::::::: / 日本列島はあくまでも、イザナギとイザナミの二人が泥をこねて作ったものです。
::::::::::::::::::::::::::::::::: 死んだイザナミが忌むべき側面を引き受け、イザナギ・イザナミ二元論をとるなら、まだわかるのですが。
388 :
神も仏も名無しさん :2013/10/27(日) 16:53:30.45 ID:KxbPgCzx
>>385 古事記といえば、宣長だろ。篤胤を持ち出すところが、既にカルト。
明治維新の流血は、篤胤がキリスト教に影響されたことが原因、と見ている。
>>384 インドはいろんな民族いりみだれたくせにうまく分かれて同居したからだろうね
しかも、天然の要害の地で、外敵はめったにこない。
オリエントは周辺が砂漠や荒野で荒れてるせいか、
大河の利権を外敵とつねに争って、強い結びつきと統治性が必要だったのかも
今の世界観に仏教はマッチしている
>>350 中論24−20は偽りの命題。竜樹の失敗作。
因果関係も相関関係も、現実の生起消滅を前提にしている。
最初から「空」とは無関係だから、そこに空であるか、空でないかを
持ち込んで話を分割することはできない。
それなのに竜樹は、論争に夢中になり、空の有無を持ち込んでしまう。
中論24−20の訂正
空でなければ、四諦が成立しない、ということはない。
空であるから、四諦が成立する、ということもない。
まあ、仏教は宗教としての生存力が弱いのはあるなぁ・・・ チベットも日本もスリランカも要害の地だし タイはぎりぎり分からないではないが ミャンマーはなぜ・・・ つーかインドネシアがイスラムなのはバングラディシュ経由?
393 :
神も仏も名無しさん :2013/10/27(日) 17:11:36.61 ID:TF7kKiau
>>391 おまえもアホ認定!
もう姑息なマネはするな。
>因果関係も相関関係も、現実の生起消滅を前提にしている。
ゼノンで世俗的時間の証明はなされている(後述)のだから、
お前は将棋でいえば雪隠詰めの状態だ。
投了が賢明だw
394 :
1/2 :2013/10/27(日) 17:17:55.65 ID:TF7kKiau
>>368 おやおや、ホント世間知らずですねえw 神話を語ってどうするw
>時間を否定しなければ、物の正確な構成は判るわけがない。
世間で時間を否定できるわけがない。
否定したら世間はありえません(後述)。
世間では無常の時間があるというのが既成共同幻想ですから、
正確には『物の正確な構成』とやらを「擬制」する(看做す)、というのがより厳密ですよ。
不確定性原理ですね。
このことを、だからこそ中観派では相対の仮説(中論24-18)=仮観と言っているのです。
>止まっている他人から見れば、竜馬は行っているに決まっている。
そのとき龍馬さんは昼寝中で、ゆかなかったそうですw
・『龍樹「中論」にしても、道元「正法眼蔵」にしても、
【菩提心門】未透過のお方には文字通り『無理(理だけでは深解不能)』なのと同じです。」(
>>225 )
・『「去るもの」(分別仮観)は「去るもの」ではなく(無分別空観)、
「去るもの」という言語そのものが不立であるがゆえに、「去るもの」「去らず」に意味・価値・実体はない。ゆえに「去らず」。
これを「去るもの」と名づける。』(
>>256 ) 還滅(間接)現実が<言語ゲーム>であることを金剛般若経は明らかにしています。
・『龍樹 中論24-18を中心とする中論の趣旨を、金剛般若経の表現スタイルでわかりやすく敷衍しただけですが、なにか問題でも?』(
>>262 )
395 :
神も仏も名無しさん :2013/10/27(日) 17:18:51.30 ID:KxbPgCzx
>>391 中論は、現実離れの妄想ではなく、徹頭徹尾、現実界を語っている。
中論24−20後半の平川訳。
「そして、四聖諦の非存在が汝に結合するであろう」。
意味が、全く逆。
396 :
2/2 :2013/10/27(日) 17:22:33.57 ID:TF7kKiau
>>368 >「相対性」という概念は全く無い。
飛ぶ(運動)⇔飛ばず(静止)はどう考えても相対ですよ。
>ゼノンでは、矢は飛んでいることを前提とし、その軌跡を距離的の細分割しただけ。
それに、ゼノンの趣旨は『その軌跡を距離的の細分割』したある一時「点」では、
矢という“もの”は(飛んでいようが止まっていようが)そもそも<★存在しない(点でない矢はない)>のであるから、
★ものは時間的流れ・持続でのみ存在しうる★→かえって(世俗諦的)時間の肯定の証明論です。
だからこそ時間的流れの中で、
・それ自体=自性などあるわけがなく、
・十二支縁起論のように「特定因」「特定果」という形で切り取ることがいかにナンセンスな論理構成であり、
それによる業報輪廻転生論なるものが全くの妄想でしかないことが分かるのです。
397 :
神も仏も名無しさん :2013/10/27(日) 17:29:21.87 ID:TF7kKiau
>>395 >「そして、四聖諦の非存在が汝に結合するであろう」。
空でなく、自性があるなら、そもそも因果関係は成立しないから、
四諦は成立しない矛盾があるといっているのだ。
修証道(四諦)の実践(因)によって修証が深まり、娑婆においてより慶安に過す(果)ことができるのだ。
アホ
野心を優先するか、良心を優先するか・・・
399 :
神も仏も名無しさん :2013/10/27(日) 17:36:26.68 ID:KxbPgCzx
>>396 >飛ぶ(運動)⇔飛ばず(静止)はどう考えても相対ですよ。
ゼノンは、それを言っていないし、「距離的な分割」だから、時間の概念もない。
矢自体は、厳然として実在する。
「諸行『無常』」は、刹那における「常」の状態を前提とするから、誤り。中村博士も
そのことを指摘している。
>>377 ま、単に神智学との比較ってんじゃなくて、
およそ「人という社会(特にヒエラルキーが表面化した社会・集団)」に於いて
「希求される、必然的に要請されてしまう」「世界観、形式、姿」と言えそうだな・・という話。
それは、
たとえば「文法的に主体が要請される」ように、
或いは「行為には常に対価、報いが期待される」ように、
或いは、(隠居が常々言うようにw)「一瞬を切り取った静止画として対象を把捉する」とかのような
ヒトという生物の(脳の)持つ癖、生来的志向性と同様に・・。
どうも、あれだな 東南アジアはフィリピンはスペイン統治でキリスト教へ インドネシアはプロテスタントのオランダが布教に無関心だったから貿易の都合でイスラム教化していったんだな で貿易にも関与せず、やはりプロテスタントで布教に無関心だったイギリスに統治されていた タイ以外とタイが取り残される形で仏教が残っていったんだな(たぶん) ベトナムは中国の影響で儒教道教仏教混淆らしいわ
402 :
パーピマン ◆hVgvvzQ7pw :2013/10/27(日) 17:45:44.14 ID:4BxtyuBf
>354 wwwwwwwwwwwwwwww >ゴータマが彼に真実語を唱えてくるよう指示した直接的な説明にはならないですから。 アホか?wwwwwwwww お前は、話の流れをちゃんと掴んでるの?wwww 釈迦は、まず最初に「私は人を殺してないからその功徳によって貴方は救われる」と その妊婦に言って来いと指示したのww⇒ いい?ここ重要wwww このとき釈迦は、「仏道に帰依してから」という付帯条件を付けるようには言ってないのw ところが、アングリマーラが「それでは嘘をつくことになってしまいます。」と言って 初めて、「んじゃあ、仏道に帰依してからは殺してないと言いなさい。」と指示したわけww アングリマーラが嘘をついてしまうことに拘ったから、「なら、こう言えば嘘になんないよ」 って言っただけww わかる?ww 釈迦は、初めは「アングリマーラが嘘をついてしまうこと」に無頓着なのw そんなこと、どうでも良いのww もし真実を語ることが最重要であるなら、アングリマーラに問われる前に 「仏道に帰依して後は」・・・・の付帯条件を最初の支持で必ず付けるでしょ?ww 実際、1000人も殺してるんだからww 釈迦にとって重要なのは、 「今、目前で苦しんでいる 妊婦を安心させ、無事出産させること」 ⇒ まさに毒矢の喩えwww さらに、アングリマーラに「仏道に帰依した後は、お前はもう以前のお前ではない。 人をすくこともできる道の人である。」 と、理解させることw この二点だよww 呪術の効力説いてるわけであるか、アホwww
403 :
神も仏も名無しさん :2013/10/27(日) 17:45:58.00 ID:KxbPgCzx
>>397 釈迦の縁起(因果関係)は、忌むべき「業報論」を導くための自性。中論第一
章は、この釈迦の縁起を明示的に否定している。
私が想像する輪廻観は、生前-死後と繋ぐ紐のようなものは無く、例えるなら水のような ものだと思います。個々人の一生は川を流れる水です、死後の世界は海です。 海は色々な川の水が集まりますが、また蒸発して雲になり雨を降らせ川の水になる。 つまり、業報なんて無いんです。紐が無いんですから。全ての川の全ての水が海に注がれて集まる。 そこからまた始まる。深海に行けばずっと海のままかもしれませんが、循環するのでやがて蒸発する 事になる。
405 :
神も仏も名無しさん :2013/10/27(日) 17:50:52.45 ID:TF7kKiau
>>399 >矢自体は、厳然として実在する。
>諸行『無常』」は、刹那における「常」の状態を前提とするから
もう年貢を納めたほうがいいよw
わざわざ反論するまでもないでしょう。→
>>396 我々は日常世間を、正確には「擬制」する(看做す)=(如)共同幻想のなかに生きているのですよ。
406 :
神も仏も名無しさん :2013/10/27(日) 17:54:31.73 ID:KxbPgCzx
>>405 すべてが共同幻想なら、人間にとっては、それが「現実」なのだよ。
「色即是空」、されど「空即是色」。
釈迦や君は、人間ではない他の動物?w
407 :
パーピマン ◆hVgvvzQ7pw :2013/10/27(日) 17:55:49.21 ID:4BxtyuBf
>宝珠、 んで、善呪 についてだが、 「釈尊が実際にその効力について説いている経典を挙げてくれ」 オレは、律蔵編纂の過程における、世俗慣習、外道技法の混入ではないかと 考えてるんだがなww もしくは、実際に広く行われてる現実を踏まえての、 (釈迦による)消極的黙認、・・・・・これならあった可能性はあるw 業論についても、倫理的要請から、方便として使用したことは十分 考えられるからw 釈迦が、呪法の効力を説教的に認めていたことがわかる資料の提示 よろしくwwww
408 :
パーピマン ◆hVgvvzQ7pw :2013/10/27(日) 17:57:06.35 ID:4BxtyuBf
説教的 ⇒ 積極的
>>391 有と無が縁起するとか、煩悩と菩提が縁起するとか、
世俗が勝義と縁起するとか、間接現実と直接現実が縁起するとか
妄想するから落第なんだよ。そこをしっかり理解しよう。
中論は、二項相対の縁起で空だと主張しているのではない。
三時問破や一異問破を駆使して般若の空を証明しようとしている。
縁起がすべてじゃないんだよ。
縁起一辺倒だから中論が見えてこない。
空に熱中するのはいいが、まちがった空じゃあダメだな。
410 :
神も仏も名無しさん :2013/10/27(日) 18:11:01.05 ID:TF7kKiau
>>403 >釈迦の縁起(因果関係)は、忌むべき「業報論」を導くための自性。もうハチャメチャですね。
間接現実「一切内」(世俗諦)では時空因果関係が当然です。
これは菩提心凡夫の六処で検証できます。
業報が超越時空を意味するなら、それは菩提心凡夫の六処で検証不能ですから
「一切」基準でカットされ無記ですよ。なんらの心配もいりません。
>中論第一章は、この釈迦の縁起を明示的に否定している。
中論第一章は世俗的時空因果関係を否定しているわけではなく、
勝義的(如)時空際断関係を示唆しているだけですよ→24-8〜12、18。
『不完全に観られた空は知恵の鈍い者どもを害する』(24-11)
411 :
神も仏も名無しさん :2013/10/27(日) 18:14:49.08 ID:TF7kKiau
>>406 >すべてが共同幻想なら、人間にとっては、それが「現実」なのだよ。
そう、それを知覚による縁起の間接「現実」というのです。
>409の訂正
>>391 →
>>393 閻魔は時空裁断とか言ってるけど、そんなことは絶対に不可能だよ。
それができると思ってるのも、目が覚めない原因かもね。
413 :
ノスタルジア :2013/10/27(日) 18:28:28.07 ID:HEn90h2V
ぼくはいないのに、なぜプトガラ(輪廻の主体)があると思うのだろう。 この世に自分を習氣(じっけ)させることを、ぼくは企んでいるからである。 この世にある本を読みたいと思い、この世の氣分(けぶん)を味わいたいと思い、 その良心からなかなか、抜けきれないのである。 しかし、ぼくはいないと言ったが、ぼくは未だに、この世にいるじじつがある。 ゆえに、人々が、情報開示、秘本の開示、つまり、仏法の時代を迎えられないのは、 一重(ひとえ)にぼくのことが因であるからである。ぼくの因により、みなさん人々は 浄土に往生している自分の自己申告を、公の場で出来ないのだろうと、ぼくなら 思います。 生老病死は苦であるとお釈迦様は言われていますが、ぼくは、そのように は思えません。むしろ、楽であると思います。その訳を説明します。 みんなは死んでいるとぼくは思っています。なぜ死んでいるのかというと、 ぼくが殺生したのではなく、ぼくがみんなが死んでいると言っている理由の 階梯が高いからであり、ある人から見たら、自分は死んでいなくて、生きている と単純におもう人もいるでしょう。ぼくは、そうは思えず、生きている人は ぼくの死んだ祖父と、中沢新一と、あえて言うならば、井筒俊彦くらいではない だろうかと考えています。具体的記述は、次のレスでしますが、注意点は、 ぼくのことばを、すべて把握しているという邪見・妄想は止めていただきたい と考えています。
415 :
ノスタルジア :2013/10/27(日) 18:38:44.50 ID:HEn90h2V
ぼくはいないとわかっているのに、なぜ未だにぼくはぼくとしてこの世の 登場人物の1人の枠からさえ出れないのだろう。それは、物質世界を学ぶ まなこがまだないということはない。ぼくは、大分前から、そのような 学びはしてきたつもりである。では、なぜぼくはいないことにならないのか。 それは、ぼくが、病にかかっているからである。なぜ病にかかっているのだろう。 それは、死を恐れているからである。前レスで紹介しました考えを、ここで もう一度復習しますが、ぼくは、みなさん全員死んでいると思っています。 だから、みなさんは、ぼくから見れば、死としかとらえられない、楽を 受けている人々であるのです。ですが、その人々は、苦しみを味わっていると 妄想しています。ぼくは病を受けて、死への恐れにより、この世に とどまり、病の楽を受けていると考えていて、ただ単純な、苦の病から楽の病への「回心」に すぎず、そこには、学びの途上であることが露呈されているのです。 みなさんご存じのように、お釈迦様は、楽と苦の二つよりも中道の生活を 重要視された仏様です。 ぼくは一人でいられないわけではなく。ぼくの地平に、中沢新一や、ぼくの祖父や あえて言うなら井筒俊彦がおられるわけであり、ぼくはその地平で、満足しきれないが、 その人々を切り捨てられないという、渇愛の対象として、妄想している始末です。 確信ということは、けっして妄想ではないのですが、だからぼくはその人たちには おなじ楽の病を受けていたと確信しているのです。
このスレで輪廻を主張している連中 宝珠@神智学徒・・・神智学宣伝のために質問・議論スレに常駐。 業法輪廻を仏教潰しの足がかりにしようと模索中 真光一在家・・・やはり真光信者を増やす目的で参加している。 業法輪廻を仏教潰しの足がかりにしようと模索中 キリスト教サロメ・・・業法輪廻のウソを嗅ぎわけ最近出没中 ? ・・・どこぞの寺の子供か。業報輪廻が仏教だと盲信している。 凡夫一代・・・やはり業報輪廻が仏教だと盲信している。
417 :
神も仏も名無しさん :2013/10/27(日) 18:54:13.45 ID:hhCm6d9f
ここって、非仏教徒の宗教ヲタク達が 仏教をそれぞれの勝手な持論でボロクソに言うスレなんだな。。。ふぅ。。 (独り言)
418 :
ノスタルジア :2013/10/27(日) 18:56:18.37 ID:HEn90h2V
生きている楽しみをただただ受けることができずに、生きている苦しみ つまりただ働くことに、楽しみを見出す俗人にはなりたくありません。 ゆえに、いつまでも、ぼくは病の楽しみの上で、生きている楽しみを 受けるということをやめれません。 そう、ぼくはすでに、ことばの論証の点でも、俗人ではない状態になっていますが、 その問題点に行きあたっているのです。なぜインド哲学があり、なぜその前に イスラーム哲学があるのかとか、そのようなことも考えていますし、 仏教よりも、インド哲学が優れていて、その源流においてイスラーム哲学 があることも百も承知です。 身分制度という言葉が今日このスレで出てきていますが、ぼくは俗人と僧侶を 区別しているつもりはありません。俗人もいざとなれば僧侶になれますし、 僧侶も俗人に舞い戻ることもあるでしょう。だから、そのようなことなど 別に問題視する必要もないのですが、しかし、みなさんは、ぼくにもしかしたら 話ずらいのは、何か話が続かないというよりも、何か嫌なことを言われるのではないか 迷惑をかけるのではないかと話ずらさを感じているのでしょう。そこの点は ぼくは了解していることを、思っておいてください。 ぼくは結局、どのような方向性に行きたいのかというと、無量の本に 囲まれる生活と、無量の法門と近接する僧侶の場と、最先端の地平に 立つということ、南無阿弥陀仏を忘れずきっちり浄土に往生するということ などが挙げられます。
419 :
神も仏も名無しさん :2013/10/27(日) 19:01:16.78 ID:TF7kKiau
>>412 >閻魔は時空裁断とか言ってるけど、そんなことは絶対に不可能だよ。
あなたは、やらずに修証道を否定するのですか?
『たきぎははひとなる,さらにかへりてたきぎとなるべきにあらず。しかあるを灰はのち薪はさきと見取すべからず,
しるべし薪は薪の法位に住して,さきありのちあり,★前後ありといへども,前後際断せり★。
灰は灰の法位にありて,後あり先あり,かの薪はひとなりぬるのち,さらに薪とならざるがごとく,
人のしぬるのちさらに生とならず,しかあるを生の死なるといはざるは,佛法のさだまれるならひなり,このゆゑに不生といふ。
死の生ならざる,法輪のさだまれる佛転なり,このゆゑに不滅といふ。生の一時のくらゐなり,死も一時のくらゐなり,
たとえば冬と春とのごとし。冬の春となるとおもはず,春の夏となるといはぬなり。』(道元 正法眼蔵 現成公案より)
・『縦横高あれど縦横高際断せり』
・
>>298 >>299 (パーピマン)参照
<相対対象化思考そのものからの離脱>=「想いからの解脱(Sn.1072)」がブッダのコペルニクス的転回=修証【般若門】だったはずです。
・『知覚のままに想う者でもなく、誤って想う者でもなく、想いなき者でもなく、想いを消滅した者でもない。──このように理解した者の形態は消滅する。 けだし、時空意識は想いにもとづいて起るからである」(Sn.874)
・『<われは考えて、有る>という<迷わせる不当な思惟>の根本をすべて制止せよ。内に存するいかなる妄執をもよく導くために、常に心して学べ。」(Sn.916)
「想いからの解脱(Sn.1072)」=修証【般若門】において(如)時空際断は当然です。
矛盾がない(中道)だからこそ、我執もありえず、実存苦の根本的超克という本懐がありえます。
>>414 道元は悟ってないね
>>417 まあ、仏教の議論スレだからね
>>419 やらずにも何も、閻魔よりは中論を理解している。
もしかしてキミは机なのか(^^)
>>298 バッパラパーマンはまた下らない能書き垂れてんな。お前の禅寺の坊主はそんなしょうもない能書き垂れてんのか?
言語化するから相対化する?わはははははははははははは。馬鹿かお前は。対象を言語化しようがしまいが五感で認識し、
想がが認識した時点で対象は相対化してんだよ。言語を持たない動物は対象を相対化しないで餌を餌として認識
しないで自分と同化してんのかよ、バ〜カ。あのよ、一切を一相として同化するには、自身も一切そのものになるしかないんだよ。
自他不二。不二一元。一即他。他即一。これをヨーガでは真我って呼ぶんだよ。おまえら末法仏教徒は無我、無我、無我
と誤謬している無我思想に執着するあまり君らの大好きな自他不二とは真我の境地だとも気付かないし、本当に
その境地を認識したものはいない。あのよ、言語相対世界ていうのはよ、創造神の領域なのよ。我々の言語が相対化して
相互依存の世界を構築しているなど、妄想に過ぎないことは小学生でもわかるぜ、アホ。お前や、言葉遊びに耽る
中論かぶれの禅宗系の空理空論中論教患者は重症だな。
422 :
神も仏も名無しさん :2013/10/27(日) 19:44:00.34 ID:hhCm6d9f
仏教は輪廻を前提に説かれている。 っていうかそもそも輪廻がないなら 仏教やる意味無くなっちゃうよね^^
>仏教は輪廻を前提に説かれている。 それは伝統仏教だけの世界観でしょ。 近代仏教は違うんですよね。 私は近代仏教を支持します。 生前-死後と結ぶ紐は無いと思いますが、仮にあったとしてもそんな事は大した事じゃない。 輪廻がそんなに大事な観念には思えません。 業報も無視します。
424 :
ノスタルジア :2013/10/27(日) 19:51:40.96 ID:HEn90h2V
シャンバラ実體論誰か完成させよ。
425 :
神も仏も名無しさん :2013/10/27(日) 19:52:10.09 ID:KxbPgCzx
>>419 その道元さんの言葉の前半は素晴らしい。まさに中論の系譜。釈迦とはトーン
が全く異なる。
しかし、後半については判りにくい。生死は、前後裁断ではないのかね。
また、閻魔氏が、仏教のゲシュタルトの破壊を言いながら、仏教のゲシュタルト
そのもののSnなどを引用する意味が判らん。やはり、釈迦に対する執着を棄てきれない
のか。
釈迦と中論とは、本質的に異なる。非信者である西洋の仏教学者が、皆言っている
こと。釈迦個人を離れるか、少なくとも象徴化、飾り物にしなければ、中論は絶対に
理解できないと思う。帰教序に騙されてはならない。帰教序は、すべて竜樹の思想。
釈迦の思想はない。
一旦釈迦に嵌った者が、中論を理解できない所以である。
カルトは、釈迦には群がるが、中論や道元には、絶対に近づかない。
>>421 カラスの唄氏はアドヴァイタ関係 ラマナ・マハリシなど読まれました?
末法仏教徒達は竜樹の中論の中道=空を一切の中に求めているから、彼らの仏教は単なる言葉遊びの妄想にしかなっていない。 去る者は去らずなんてのは、言語相対で思推すれば、去る者といえば、去らない者という相が現れるのでどちらも実体=自性 がない幻だから、去る者は去らずなんてつまらない言葉遊びやってるだけなんじゃねぇの(苦笑)
429 :
神も仏も名無しさん :2013/10/27(日) 20:12:58.91 ID:hhCm6d9f
>>423 では輪廻を前提にしないのが近代仏教なら その仏教をやる意味を教えてください。
>>428 あなたの主張にとても似てるよラマナ・マハリシ
アマゾンあたりで検索してみてください
>>425 >カルトは、釈迦には群がるが、中論や道元には、絶対に近づかない。
いまや、中論や道元に群がるのもカルトかもしれないね。
しかし時代が動いた。山が動いた。
耳ある者どもに甘露の法門は開かれた
おのが信仰を捨てよ
432 :
カラスの唄 ◆S5WLCcUno2 :2013/10/27(日) 20:15:35.07 ID:sOyx4TsB
なんか一見したところ、アドブァイダとか言う真我を扱うヨーガ関係のスレだと思い、ラマナなんとかいうスレに書き込んだことがあるが、 あそこの住人のほとんどは、2chでありがちな、コミュ障の引き篭もり達が悟りごっこしてるだけだと気付いたので書き込むのは やめたちゅうのはある。
>>432 アドヴァイタは劇薬だから実践には注意が必要ですよ
慈悲を忘れて心が冷たくなったりします
ただカラスの唄氏が主張する真我に関してはラマナの教えに近いと思いました
>>429 簡単です。
人間仏陀の至った、人として生きる理想を学ぶためです。
>>416 私には業報輪廻を否定するだけの知識はないです
ただ 例えばいまの不幸を前世以前の業報だと言い切れるのは
仏陀のような輪廻から解脱できものだけだと思いますね 仏教的には
業報輪廻論はそういった雑な扱われ方がされがちだと思います
436 :
神も仏も名無しさん :2013/10/27(日) 20:32:09.95 ID:sxLdzEqZ
437 :
神も仏も名無しさん :2013/10/27(日) 20:33:24.97 ID:hhCm6d9f
>>434 人として生きる理想とは 具体的にはどういうことでしょう?
>>437 慈悲の実践でしょう。
八正道の実践でしょう。
439 :
カラスの唄 ◆S5WLCcUno2 :2013/10/27(日) 20:41:00.96 ID:sOyx4TsB
>>211 >『ゼロ』もカウントできる分別数字であって分別不能の中道に相応しくありません。
だからよ〜”それ” そのものは言葉では表現し得ないと前から言ってんだろうが。ただ説明するのに便宜上、無やゼロの記号
を使っていると何度説明すればわかるんだよ。お前らは詭弁と揚げ足取りばかりで本当に駄目な人達だと思うよ。
揚げ足取るなら、お前らの大好きな空という記号だって有という相が現れるのだから中道とはいえないとなるんだけどな。
あのよ、本当に賢い人は揚げ足など取らずに、その人の書いた文意を汲み取って話をするもんなんだよ。
議論するのにバーピマンのように詭弁や揚げ足取りばかりしてるような奴は悪人しかいない。もちろん彼らに救いは無い。
>>439 カラスの唄氏的な 『本物の仏教』 の実践とはどういうもの?
あらためてお聞きしたいのですが
441 :
神も仏も名無しさん :2013/10/27(日) 20:48:09.87 ID:/29/s4t8
>>223 >閻魔にしては(珍しく)解り易く且つシンプルだなw
これまではアホ相手に繰り返し難しい説明をされておりましたが、今回は実に分かり易いです。>閻魔氏
>>215 >お前もさんざん指摘されたのに、ウソをつくなウソを!
> >「私はない」とはっきり主張しますと「断見」に陥ります。
これは他の方のコメントの引用ですと、予めお断りしておくべきでした。(参考
>>31 )
>一切内の菩提心自己Aによって、超越我Bが一切内に存在しないことは検証可能だから、なんらの論理矛盾ではない。
この論理ならば他称アホの私でも分かります。ご隠居氏は異論があるかも知れませんが。
442 :
? :2013/10/27(日) 20:48:50.88 ID:0G9Xx+l3
>>416 ID:qhgGG8+w さんへ
> ? ・・・どこぞの寺の子供か。業報輪廻が仏教だと盲信している
寺の子供でもなく
どこかの宗教団体に所属しているのでもなく
興味があるので、教学として
密教 → 瑜伽師地論(ゆがしじろん) → 根本仏典 → 中論 → 般若経など
↑ これからも勉強させて、いただく所存でございます 屮(_ ._)屮
_ _ _
仏教(ぶっきょう)
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E4%BB%8F%E6%95%99 一般に仏陀(目覚めた人)の説いた教え
また自ら仏陀に成るための教えであるとされる
仏教は輪廻と解脱の考えに基づいている
人の一生は苦であり永遠に続く輪廻の中で終わりなく苦しむことになる
その苦しみから抜け出すことが解脱であり
修行により解脱を目指すことが初期仏教の目的であった
443 :
カラスの唄 ◆S5WLCcUno2 :2013/10/27(日) 20:49:45.72 ID:sOyx4TsB
>>440 俺はグノーシスでの具体的な救いのメソッドを語ることも出来るが豚に真珠は投げない。
他人を救うよりまず自分からだ。正しく真理を理解すると、正しい認識を得るには大変難しい道だと知ることになる。
我々の世代で正しい認識を得られるの人はごくわずかだ。
444 :
神も仏も名無しさん :2013/10/27(日) 20:53:59.88 ID:/29/s4t8
>>427 >去る者は去らずなんてのは、
龍樹は自称「何も説いていない」ですよ。ただ一切有部の主張を否定しただけです。
もし一切有部が「去る者は去らず」と言えば、ただ「去る者は去らずにあらず」と多分返したでしょう。
現代常識で考えれば、「去る者は去らずとは限らない」ということでしょう。←ある方の受け売りです。
>>443 了解
アドヴァイタだと ひたすら瞑想で 私は誰? に集中するようですね
446 :
カラスの唄 ◆S5WLCcUno2 :2013/10/27(日) 20:57:49.26 ID:sOyx4TsB
>>445 ただ瞑想してるだけでは認識=グノーシスは得られないよ。
今の仏教徒達がいくら禅やヴイパッサナーをやっても認識を得られないようにね。
447 :
神も仏も名無しさん :2013/10/27(日) 21:04:22.34 ID:qhgGG8+w
>>442 輪廻転生を信じる動機が、
夢で落ち武者に追いかけられて恐い思いをした〜では、
キミの菩提心をだれも信じないよ。
単なる悪夢ではないかな。
ただ何歳ごろに見た夢なの? それによっては意味が変わる。
何か仏教をえらく難しい世界観で捉えるのが流行りのようですが、もっと単純に捉えた方が良いと思います。 即身成仏〜なんてのも何か勘違いの世界のように思えてなりません。 悟り〜に憧れ志向すること自体意味の無いことではありませんか? そんなありがたい世界があるのでしょうか? 死ぬまで普通に生きることこそ重要。 八正道+慈悲の実践を皆がすればもっと人間の世界はすばらしいものになると思います。
449 :
神も仏も名無しさん :2013/10/27(日) 21:06:39.97 ID:hhCm6d9f
>>438 それって煩悩を滅していない人にとっては ただ辛いだけの一生になりません? やはり解脱という 目標があるからこその八正道では? 悟っているなら別ですけど、 ほとんどの人が預流果にすら 悟れないわけだから。。
450 :
神も仏も名無しさん :2013/10/27(日) 21:21:58.43 ID:hhCm6d9f
つまり、人生が今世だけで、 解脱という目標もなければ 修行へのモチベーションが続かず、 快楽主義に陥る人間が現れるので みんなが八正道や慈悲を実践する 世の中になり得ないということです。
451 :
神も仏も名無しさん :2013/10/27(日) 21:27:52.02 ID:HRZQ8kyl
>>422 だから、禅とかでは現世の人生そのものが、小さな輪廻の繰り返しと言っているんじゃないの?
今が苦しい(地獄)なら、それは前世(過去)の自分の行為に対する結果なんでしょう。
生きている間、人間の体は入れ替わるらしいし、心や自我も肉体に合わせて変化するので、まちがっていないと思うね。
ていうか、輪廻なんて、全知全能の神を信ぜよと説くのと同じ、単なる『信仰』でしかないと俺は思う。
仏教において単なるおまけでしかなく、『信じたかったらどうぞ』ってくらいじゃないかな。
重要なのは今の苦しみにどう対処(あるいは解脱)するか。じゃないか。。。?
輪廻など知らなくても、 生きているのが苦しければいろいろ考える。 これが釈迦の言う自灯明だよ。
>>450 輪廻転生は信じませんが、死ぬ瞬間のイメージは常に思い描いています。
快楽主義で一生を送ってその人が死ぬ時に、ああ自分の人生は素晴らしいものだった〜と
なるでしょうか?私の想像では、もっと快楽を追求したい〜なんで死なねばならないのか?と
悶絶死するのではと思います。
つまり、普通に人生を送る事が死ぬ時も良い死に方ができるという事ですよ。
外れた人生ではどうしても良い死に方ができるとは思えません。
死ぬまで普通に生きる。これがもっとも重要だと思います。
454 :
神も仏も名無しさん :2013/10/27(日) 21:40:12.85 ID:hhCm6d9f
>>453 でも、人生が今世だけなら、 いい死に方であろうがなかろうが、 死ねば終わりだから、死ぬまでに 色々な欲望を満たさないほうが損と 考えるのが普通の人間ではないでしょうか?
>>453 その普通に生きる
は
日本のような豊かで安全な最低限の衣食住や衣料が保証されてる状態での
普通の生きる
ですよね?
その日本でも 苦 に苛まれている人はたくさんおられるのですが
456 :
パーピマン ◆hVgvvzQ7pw :2013/10/27(日) 21:49:51.46 ID:4BxtyuBf
また、キチガイからすが、か〜か〜鳴いてるwwwwwww
457 :
? :2013/10/27(日) 21:53:09.08 ID:0G9Xx+l3
> 輪廻転生を信じる動機が > 夢で落ち武者に追いかけられて恐い思いをした〜では > キミの菩提心をだれも信じないよ > 単なる悪夢ではないかな > ただ何歳ごろに見た夢なの? それによっては意味が変わる 小学4年生の、小雨が降る、午後5〜6時頃に アマチュア用(子供向け)のトランシーバー(無線機)で 兄が実家の田舎の家の中で 私が実家の田舎の家の外で どこまで無線機の電波が届くのか実験をしていた時に 実家の田舎の家の近くで 落武者の霊が私を睨み付けていました
輪廻うんぬんより 信じるっていう行為が現代人には受け付けないじゃないかな 歴史を言ってる人はそういうものが99%ウソだったとわかっている 心理学的にもウソを信じることほど致命的なことはないとわかっているわけで
459 :
神も仏も名無しさん :2013/10/27(日) 21:55:11.09 ID:HRZQ8kyl
わからないな。 果てしなく欲を追求して、その目的の為に多くの者を殺し、敵を作り、 年老いてから周囲を疑い怯えながら生きることなく、満足して死ねるんだろうか? 年老いて感覚的な欲望が枯れ果てたとき、後世の人間に偉人として認められたいという欲が起きないのだろうか? 果てしない欲望とは果てしない渇望なくして成立するのだろうか? キリスト教における悪魔崇拝者とは闇に執着する者のことだろうが、彼らは闇への執着に一生涯苦しまないのだろうか? その状態になってみないとわからないね。
>>458 心のある部分では唯物合理主義で
また別の部分では超自然的な存在を信じている
多くの日本人はそうじゃないですか?
初詣や厄払いとかちょっとした占いとか 法事など
単なる慣習だけではない人もかない多いと思います
仏教もそんな感じで受け止めているのでは?
死後も現世もあんまかわらないんじゃないか リアルで欲望を持って思いを持って苦しむなら 死後も同じように苦しむだろう 今充実してなきゃ当然、未来も死後も苦しむだろう?
>>454 >死ねば終わりだから、
死ねば終わりとは言ってませんよ。
輪廻で生まれ変わるとかいう世界は無いと思うが、あっても問題ないでしょう〜と言っている。
死後の世界もあるかもしれないないかもしれない。
そんな事は生きている人間には分からない事。
あるに違いない〜ってしがみついて一生を送るのが阿呆らしいと言っているのです。
普通に生きる、普通は人それぞれでしょう。
金持ちや貧乏や人の生きる環境は様々です。
その中で普通に生きれば良いだけと思います。
>>455 苦に対する対処の仕方こそ仏教から学ぶべきでは?
463 :
神も仏も名無しさん :2013/10/27(日) 22:14:45.94 ID:HRZQ8kyl
>>458 しかし、葬式は必要だと思わないか?
合理性のみ追求すれば死んだら廃棄処分すればいいとなるが。。。
でも、それは人間社会とは言えない気がするな。
信じなくとも、信じた方がよいこともある。
たしかに、廃棄処分に近い形態の葬式(例えば鳥葬)をする民族もあるようだが、
その民族にはその民族なりの死に対する敬虔な信仰のようなものを持っている
輪廻思想については、自分あるいは他者の死の瞬間のみ信じても良いと思うが、
常日頃信じるのは害があると思うね。
>>460 初詣と輪廻は違うだろ
初詣やお祓いなんかは実際祈れば良くなったり調子悪くなったりするわけ
輪廻はそういう超自然とは違って
前世でミジンコだったと言われて本当に信じられるのかということ
そりゃ前世が天使でしたといわれりゃ信じる人はいるよ
しかも、記憶がなければ結局、別人ともいえる
日本人でまともに輪廻を信じてるのはほとんどいないと思うぞ
>>462 最後の四行まではおおむね同意できますけど
>普通に生きる、普通は人それぞれでしょう。
私たち日本で生まれ育ったものと途上国のスラムの路上で生まれ育つ人とは
絶望的な格差があるわけです
普通に生きるの普通の意味が大違いになる
そしてその格差は私たちが生まれる前から存在していて 私たちが是正しようとしない限り
次の世代以降に受け継がれていきますよね
そもそも格差自体が私たちやそれ以前の世代が生み出してきたわけで
そういう意味で 原因によって生み出され ある結果をもたらす 経済的格差であるなら
それに苦しむ人たちという悪い結果が生まれる
少なくとも個人を越えた 業報の目に見うる輪廻は存在しうるのではないですか?
> 日本でも 苦 に苛まれている人はたくさんおられるのです 四苦八苦(しくはっく)とは、仏教における苦の分類 苦とは、「苦しみ」のことではなく「思うようにならない」ことを意味する 根本的な苦を生・老・病・死の四苦とし 根本的な四つの思うがままにならないことに加え 愛別離苦(あいべつりく) - 愛する者と別離すること 怨憎会苦(おんぞうえく) - 怨み憎んでいる者に会うこと 求不得苦(ぐふとくく) - 求める物が得られないこと 五蘊盛苦(ごうんじょうく) - 五蘊(人間の肉体と精神)が思うがままにならないこと
>>464 まともに信じる
を
仏教的な意味で正しく
と
言うのなら日本人のほとんどは輪廻を信じてはいないでしょうね
でも
初詣やお祓いレベルで
有名人や身内の個人の生まれ変わりを信じている人は多いのではありませんか?
日本の仏教を信じること はそういった形でまだ生き残っているとは思います
>>465 私はそんなものは業報だとは思いません。
スラムに生まれればスラムの社会で生きるよりない。
経済的な格差というのはあって当たり前。
しかし経済的成熟度と人の幸福度は比例しない。
日本人の幸福度なんて経済発展国の幸福度以下ですよw
格差はあって当たり前です。格差が甚だしいのは好ましいとは思いませんが
皆一律平均的というのが異常な世界です。
輪廻は一種の差別論だから日本人にはなじまない あんたの前世が牛だったというだけで部落以上の差別になる 過去の業から今の不幸があるから何でも感謝して耐えようとするとか の利点はあるがそれを上回る欠点が多すぎる インドなんかは輪廻のお蔭で社会がスラム化している 格差が当たり前、差別が当たり前という思考になるからね
>>468 格差によって苦しむ人たちがいる現実があるわけです
栄養状態も医療水準の何もかも劣悪な環境で人生を初め終える人たちがいる
それを改善し是正しようととしない限り 私たちの世代がそれを受け継いだように
子孫にも受け継がれるわけです
それを改善し是正しようとする動きが生まれ実行されていくのなら 将来私たちが
経済的格差の問題.に直面したとき 援助が得られてそれを解決できるかもしれない
知らん顔をしていれば私たち自身がその状態に陥ったとき 今苦しんでいる人たちと
同じように苦しむようになる
目に見える因果の応報のモデルですけど 成立しますよね?
>>469 輪廻による現在の不幸が当たり前 だから差別は当たり前
という発想は
自分も輪廻によってそういった不幸の中に落ち込むことを当たり前だと認めることになり
だからカーストヒンドゥの金持ちは良い功徳を積むため事前に必死になる
と人類学者の辛島夫妻の著書で目にしたことがあります
でもそういった慈善が見を結ばなかった現実は宗教の思想より現実的な社会制度の問題ではないかと思います
無神論の社会主義国でもそういった格差や貧困 差ベルは歴然と存在していましたから
>>471 どっちが先だと言う話じゃなくて相乗効果ということだと思うよ
世界の中で輪廻を信じている国はインドだけ
世界の中で何千年も多くの奴隷階級が続いた国もインドだけ
自分の宗教を学んじゃだめなほど虐げられた数億人の階級を維持し続けるというのは
普通の宗教者じゃできないでしょう?
これは輪廻思想があるからできたんですよ
釈迦も輪廻のことはあまり言ってない
インドの輪廻思想がそのまま仏教にのって広まっただけ
ある時、イエスが弟子たちを連れて街中を闊歩していると 一人の男性が民衆から石を投げつけられていた。 なぜこんなことをしているのかと、弟子が民衆の一人に問うと、 「この男が他人の妻と姦淫したからだ」と答えた。 それを聞いたイエスは民衆にこう言った。「ならばしかたがない。続けなさい」 そしてこう続けた。 「ただし、一度も他人の妻をいやらしい目で見たことが無い人だけこの男性に石をぶつけなさい」 民衆は、とまどい、やがて一人また一人とその場を離れ イエスもまたその場を立ち去った。
>>461 他
今、この流れの文脈に於いては、
「死後」と「生まれ変わり(→輪廻した次の生)」は違いますよ?
少なくとも貴方は、前者の意味でしか述べていない(捉えていない)。
それでは、仏教の世界観としては片手落ちでしょう?
>>457 夢の話ではなかったのか。
幽霊なのか枯れ尾花なのかはっきりしないが、
かりに幽霊だとしても、それは幽霊の体験ではあっても、
輪廻の証拠にはならないね。
しかし鎧をつけ、抜身の刀を持ったザンバラ髪がいたら恐いね。
何か心当たりはないの?
>>472 インド亜大陸のように安定した宗教圏ではなくても
世界中に奴隷制や差別は存在するし その激しさもインドに比べて劣らないと思います
固有の宗教や文化文明などの問題ではなく
人類全体が背負った病気のようなものだと私は思います
>>470 知らん顔して良いとは言いません。
日本は援助しているでしょう。
しかし、それを業報因果として捉えるのは間違いだと思います。
格差はあって当たり前のもので、甚だしい場合は修正しなければならない。
当然の事だと思いますよ。
困っている人を助けるのは当然の事です。
助けたから徳が得られて自分が得をする〜なんて全く逆で地獄行きだと思います。
>>476 >世界中に奴隷制や差別は存在するし
何時代の話してるの?
現代ではインド以外ないですよ
インドは輪廻思想により今でも数億人維持しています
>>477 業報因果のモデルとして考えられるということで
経済格差による問題が業報因果の結果だとは私も思いません
ただ私たちが生まれる前に
私たち以前の世代が生み出し 私たちの世代に引渡し
私たちがそれを是正し解決しようと思い行動しない限り
私たちが次のの世代に引き渡すことになりますよね?
私たちがその問題を放置している限り 私たち自身がその問題に直面して
苦しむことにもなるかもしれない
これが仏陀が神通でのみ認識できるという超自然な設定で考えると
業報輪廻になりえないでしょうか?
>>478 存在しますよ 日本にもいまだに差別問題ありますし
私は輪廻の思想に全て還元するのには賛成できません
>>480 話をすり替えないでください
差別ではなく奴隷階級の話をしてるんです
あ、461さんと453さんのIDが違う・・・w まあいいか、相似してるしw
>>453 さんも、
単なる「死後」と「次の生を受けること(何度も人生を生きること)」との区別を想定してないですよね。
この「後有を受けず」という点が、
少なくとも、現在知られる伝統の線上では、教義及び修道の上での前提になるわけで・・。
勿論、その「後有」を「次の生」でなく、
一瞬一瞬の気付きの後の生まれ変わった自己の在り様と見做すことも、解釈として不可能ではないですし、
伝承過程に於ける通俗要素の混入と見做すことも、歴史的文化的視座として不可能ではないですけど。
>>479 なりえないと思います。
主語が「私たち」で業報輪廻なんて無意味でしょう。
「私」でなければ意味がありません。
経済格差はあって当たり前で、甚だしい場合は修正する〜というのが人間の知恵ではありませんか?
アフリカや東南アジアの貧困層に対する対策や援助はあって当たり前で、業報輪廻とは全く関係の無いものだと思います。
484 :
神も仏も名無しさん :2013/10/27(日) 23:14:32.48 ID:sxLdzEqZ
>>481 その人は問題児で論点置換のプロだから
スルーした方がいいですよ
485 :
神も仏も名無しさん :2013/10/27(日) 23:17:38.93 ID:HRZQ8kyl
>>477 >助けたから徳が得られて自分が得をする〜なんて全く逆で地獄行きだと思います。
へえー、その人間の行為が偽善かどうか判断し、裁く神がいるんだ?
俺はそう思わないね。その行為が偽善かどうか判断するのはあくまでも自分であり、
その判断によって自分が苦しむ要因になるんじゃないか?仏教的には。
とはいえ、助けられた側は、偽善だろうがなんだろうが恩を感じる可能性はあると思うけどね。
それと、
カーストによって生まれながらに人間の価値を決められる社会があたりまえとは思えないね。
現在のめぐまれた日本とは比較にならない世界だと思うが。。。
>>485 まあ、どうでもいいのですが、だから援助が必要だと。
それと、神が裁くって誰が言ったのですか?w
>>481 奴隷階級の問題は要するに差別に繋がりますよね
インドだって公的には奴隷階級認められてはいませんが
差別によってそれが残っています
私はそれは宗教が異なる地域や民族にもあるので
輪廻思想にそれを還元することには賛成できません
>>483 私たち を 私 で置き換えることも可能ですよ
私の前の世代が経済格差などの問題を生み出し 私の世代に受け渡した
私が問題意識を持ち それを是正に動かなければ 私もまたその問題を
そのまま次世代に伝えることになる
これを業報輪廻に置き換えてみてくださいね
ただそこには超自然的な要素が入り込みますけど
488 :
? :2013/10/27(日) 23:26:27.16 ID:0G9Xx+l3
> 夢の話ではなかったのか。
> 幽霊なのか枯れ尾花なのかはっきりしないが、
> かりに幽霊だとしても、それは幽霊の体験ではあっても、
> 輪廻の証拠にはならないね。
> しかし鎧をつけ、抜身の刀を持ったザンバラ髪がいたら恐いね。
> 何か心当たりはないの?
この現世においての過去の記憶には 「 心あたりはない 」 ので
例えば、仮に
「 前世において、私と、その落武者が何か関係があった 」
と私が自分で勝手に妄想している
と言う事です
http://kotowaza-allguide.com/so/sodefuriaumo.html 袖振り合うも多生の縁
そでふりあうもたしょうのえん
知らない人とたまたま道で袖が触れ合うようなちょっとしたことも、前世からの深い因縁であるということ
>>487 だから、経済格差はあって当たり前で、世界の貧困層の問題は別でしょ。
世界の貧困層が自らの前世の業により、来世は自分が貧困層に落ちるって事ですか?
落ちたら落ちたでそこで暮らすよりないでしょう。
援助しているでしょう日本は。
今以上に援助せよ〜って言いたいのですか?
>>487 >輪廻思想にそれを還元することには賛成できません
賛成以前に知識の問題
カースト制というのはヒンズー教の身分制度
輪廻思想というのはヒンズー教の主思想
>>489 例えと それがさしている事柄を混同していませんか?
受け継いだものを解決しない限り それは次に受け継がれる
単純な例えです
>>491 >受け継いだものを解決しない限り それは次に受け継がれる
そのとおりだと思います。
経済格差は甚だしい場合を除き問題なく、貧困層の実在は問題でいずれにせよ問題は解決されなければ
次の世代に引き継がれてゆきます。
それと業報輪廻と何の関係があるのですか?
>>490 アフリカ大陸にもキリスト教やイスラム教の圏内にも身分差別は存在したし
今も残存してるところはあります
インドではキリスト教やイスラムでさえそういった差別思想に影響されていたりします
>>492 ですから
個人の行為の影響が超自然的な 仏教で言えば神通力の領域で
その個人が生まれ変わった先で影響を及ぼす
その仮定も成り立つと思います
まず
神通の領域を認め
生まれ変わりそのものを認める
その上で ですけど
>>494 かなりグレーですが神通力は認めますよ。
で、個人の行為が紐付きでその個人の生まれ変わった先で影響を及ぼす〜
というのは私には妄想にしか思えません。
>>495 今を生きている私やあなたも 私たち以前に生きていた誰かの行為の影響を受けていて
この将来に生まれてくる人たちに影響を残すわけですよね?
その影響を過去から現在を経て未来に伝えるものを神通の領域で仮定すれば
必ずしも妄想にはならないと思いますが?
神通の領域で仮定するのは それを今の人間の意識では認識しにくい
ということからですけど
だから今を生きる個人には過去の自分は存在しないのと同じに感じられるから
その見地で輪廻否定はむしろ当然でしょうけどね
ただ
輪廻を肯定するのであれば 今の自分が抱えている問題について それを次の自分に引き渡したくない
という気持ちで 諦めではなく前向きに改善しようとする
そういった態度もありでしょう
自分自身に慈悲を持ち それを未来の生まれ変わる自分や全ての存在に広げていく
とかね
>>496 そのとおりです。
個々人の影響は未来に続くし、現在の状況は過去からの影響にようるものでしょう。
自分の抱えている問題は今世で解決されるかされないかですが、それは解決の方に皆努力するのでは
ないでしょうか?
仮に解決されなくとも、それが業で来世に影響を及ぼすとは思えません。まさに妄想の世界だと思います。
それと慈悲というのは自分に対するものではなく、自分以外の全ての生きとし生けるものに対するものだと思います。
>>497 輪廻に対する考え方や態度が問題であり重要なのでは?
自分が生まれた環境や状況を否定的に考えたり 諦めたりするのではなく
それを過去の自分から今の人生で解決するために引き継いだ
だから今の人生で精一杯改善できるように生きる
そして自分から悪いものを次の自分に渡さないように勤める
輪廻思想は差別や抑圧の道具だけではないと思いますね
>それと慈悲というのは自分に対するものではなく、自分以外の全ての生きとし生けるものに対するものだと思います。
慈悲の瞑想もまずは 私 からであったと思います
このスレをロムしてる人の大半は宗教に興味があるが この混沌とした議論 深く関わるとやばいと思うかもしれん
>>498 私の輪廻観は想像ではありますが
>>404 のとおりです。
紐の無い輪廻観です。
業報もありません。
紐が無い以上引継ぎもありません。
自分がかわいいのは皆当たり前です。
慈悲は他者(生きとし生けるもの全て)に対するものだと思います。
自らに慈悲〜というのは理解できません。
>>500 個人がこの世界で行った行為の影響だけが残り続ける世界観ですか?
でも仏教的な輪廻観はどうしても超自然の要素が大きいので
個人として実感することは困難でしょうね
私個人としては超自然抜きに私以前の世代から私自身を通じて
未来の世代に行為の影響が伝わる
それを前向きに受け止め対処する
仏教に触れて学んだことの一部です
それとあなたは 今ここを生きる ことを重視なさっておられるとお見受けしましたが
そうであるならその姿勢にも同意です
502 :
神も仏も名無しさん :2013/10/28(月) 00:45:34.96 ID:PA7VQLKB
>>431 >いまや、中論や道元に群がるのもカルトかもしれないね。
君は、宗教者なのに、カルト問題について、勉強が足りない。
カルトが常に引用するのは、まずイエス、そして釈迦。中論や道元は絶対に
引用しない。後者が、「カルト(宗教)破壊の宗教」だからだ。
このスレだけからも、明らか。
>>501 今ここを生きる〜と生きたいものですが、煩悩があるのでそうはいきませんw
束縛の中に生きているのは皆さんと同じです。
束縛は精神的束縛です。
天馬空を行くように生きたいものです。
超自然の世界は所詮人間には分からない事です。
神通で分かったとしても、分かったから何?と言う程度のものです。
神通とか超自然とかそんな世界には関心がありません。
>>502 相変わらずw
カルトかどうかってのは、何をモチーフ・題材にしているか、ではなく、
どのような行動(組織運営、布教、信者の係留)をしているか、の筈だが?
手塚治虫のブッダもカルト漫画かねぇ・・。 安彦良和のイエスもカルト漫画かねぇ・・。
中論や道元も、引用の仕方がカルト的なら、その引用者引用団体がカルトなのw
でも、中論や道元がカルト的であるわけではないのw
こんな小学生でも判る理屈をすっ飛ばすあたり、やっぱり耄碌してるのでしょうね。
御隠居と言われるだけあってw
505 :
神も仏も名無しさん :2013/10/28(月) 01:10:34.49 ID:PA7VQLKB
>>504 >中論や道元がカルト的であるわけではないのw
「中論や道元は、カルト破壊の宗教」と言ってるではないか。
他の宗教でも、キリスト教や小乗仏教の影響があると、「例外なく」カルト化
しているのが実情。オウムを見よ。
カルトとは、「生来の人格を変容し、現実感覚と社会常識を奪い、その結果と
して、本人の社会関係や家庭を破壊する宗教」と定義できる。
>>505 だからw
鰯の頭でもひょっとこのお面でも、
坂本竜馬でも水戸光圀でも岩倉具視でも夏目漱石でも聖徳太子でも卑弥呼でも、
古事記でも枕草子でも東海道中膝栗毛でも吾妻鏡でも学問のススメでも同じなのw
トヨタプリウスで暴走行為が常習されたからといって、プリウスが暴走用車両であるわけではないの。
サロメさんは洗礼を受けた人でしょ あなた立場からどう思う 私は縛りがあってau 改宗できんし
508 :
神も仏も名無しさん :2013/10/28(月) 03:19:39.24 ID:SfOxmoqf
>>486 ああなるほど。あなたの主張は要するに生まれた環境(階層)の中で、
その環境に不満を抱かずに普通に生きるのが幸福だということですな。
まあ、たしかにどうでも良い主張ですね。
>>285 神も仏も名無しさん [sage] :2013/10/27(日) 01:36:45.86 ID:jI41G0Lq
髪の毛1本抜けたから1秒前の私とは違う〜だから我は無いって?
そんな馬鹿な話を誰が信じますか?
確かに刻々と変化するのは当然です。
しかしそれを我では無い〜というのは、それこそ誤解も甚だしい。
「わたし」という意識は脳が作った感覚なのです
「わたし」という生命体は存在しないのです
輪廻する主体「わたし」ではなく 幽霊です
幽霊は心のエネルギーです 心のエネルギーは情報を認識する働きです 幽体はただの器であって生命体ではないです 幽霊に「わたし」という感覚がくっついて、あたかも生命体のように振る舞っているわけです
513 :
神も仏も名無しさん :2013/10/28(月) 07:33:39.69 ID:NJjBKRrp
まぁでも、輪廻観のない仏教は、 哲学にはなっても、道徳論にはなり得ないことは確かですよね。 実際、このスレをみていても 否定論者の言葉の汚さはかなりのものです。 これは輪廻否定論者は八正道や慈悲すら実践しないことの 証明ではないでしょうか? そして実践すらしてないのに 持論を展開して「悟りや仏教とは こういうものだ」って。。笑えますね。。
514 :
パーピマン ◆hVgvvzQ7pw :2013/10/28(月) 08:11:03.33 ID:mqAm1GAs
>哲学にはなっても、道徳論にはなり得ないことは確かですよね。 > 実際、このスレをみていても >否定論者の言葉の汚さはかなりのものです。 wwwwwwwwwww ちょっと、前にオレと絡んだ「輪廻肯定論者」は、始めこそ丁寧な ことば使いをしていたが、反論不能になるやいなや、それこそ びっくりするような罵倒のオンパレードで逃げ出してたぜwwwwwww > 持論を展開して「悟りや仏教とは > こういうものだ」って。。笑えますね。。 wwwwwwwwwwwwwwwwww ちなみに、否定論者の筆頭ともいえる隠居の言葉使いは?wwwwwwwww
515 :
神も仏も名無しさん :2013/10/28(月) 08:20:32.44 ID:cMK6s0gT
>>505 カルト特有のすり替え。以下の定義と比較してみよ。「1個人の開祖・教祖・
教義の盲信により」を付け加えた。
家族の一員の入信により、どれほど多くの家庭が破壊されているかを、もっと
勉強されたし。現実上の根拠皆無な宗教観念により、人間が人間ではなくなる
からだ。広い外部社会から見れば、宗教信者とは、単なる気違いであることを、
常に自覚すべきである。
「カルトとは、『1個人の開祖・教祖・教義の盲信により、生来の人格を変容し、
現実感覚と社会常識を奪い、その結果として、本人の社会関係や家庭を破壊す
る宗教』と定義できる」。
>>513 科学的根拠皆無な輪廻転生概念が、道徳論どころか、カルトの洗脳・営利の手段
として、どれほどの害悪を垂れ流しているかも判らないのか。現代人は、「何でも
信じればよい」などということは許されない。何のために義務教育を受けたのか。
516 :
神も仏も名無しさん :2013/10/28(月) 08:24:47.40 ID:cMK6s0gT
517 :
神も仏も名無しさん :2013/10/28(月) 08:47:25.97 ID:m3JxqYB7
>>513 >実際、このスレをみていても 否定論者の言葉の汚さはかなりのものです。
私は異教ですので、何を書いても言い争いになり易いことを自覚しております。
仏教板なので出来るだけ正語を心掛けておりますが、逆に慇懃無礼と呼ばれております。 (^0^)/
またパーピマン氏は悪魔コテですし、閻魔氏は地獄の親分コテですので、コテ相応の言葉づかいは許容されるかと思います。
518 :
神も仏も名無しさん :2013/10/28(月) 08:54:32.36 ID:m3JxqYB7
>>515 >広い外部社会から見れば、宗教信者とは、単なる気違いであることを、
常に自覚すべきである。
広い外部社会とはどこのことですか?
例えば、グローバルの指導者達の会合で「私は無信仰です。」と一度言ってみて下さい。
上層階級の人達は貴方を危ない人物だと認定して口をきいてもらえなくなるかと存じます。
狭い生活環境から見た、広い外部社会とはどこのことですか?
更に「イエスもカルト、釈迦もカルト」と続けて言ってみて下さい。
多分、貴方の大好きな病院へ搬送されるでしょう。
519 :
神も仏も名無しさん :2013/10/28(月) 09:06:48.75 ID:NJjBKRrp
>>517 2ちゃんねるは余りやらないので、 名前ごとにキャラクター設定があるとは知りませんでしたが、 言葉も行動も心から生まれるものですから、 本当に実践していればキャラクター設定がどうあれ、 言葉にも気を使うはずだと思いました。 まぁ、そのキャラを演じて、みんなを楽しませようっていう サービス精神の持ち主なら別ですがね。
520 :
神も仏も名無しさん :2013/10/28(月) 09:13:30.35 ID:cMK6s0gT
>>518 「私の信仰は、すべての人間の生命における等価と至上性」と言えば、反論できる
宗教者はいない。
現代の精神医学では、釈迦とイエスが、真っ先に精神病院に搬送される存在。
すべてのカルトは、釈迦とイエスから発生していると言っても、決して過言
ではない。イスラームは、キリスト教の影響を大きく受け、いわばその焼き直し。
だから両教が、良心の呵責無しに、最も多くの人間を、最も残虐な方法で殺す
ことが可能になった。彼等は「人間の生命という最後の一線では立ち止まる」
という歯止めが、皆無だからだ。イエスは「俺を信じるためには、親も子も
捨てよ」「俺を信じない者は、死ね、殺せ」と、明示的に脅迫しているでは
ないか。釈迦には、精神的に、イエスと共通する要素があるのが問題。小乗国
の国情の混乱は、そのことを証明している。
521 :
? :2013/10/28(月) 09:33:57.44 ID:H4H1Aqlt
>>513 ID:NJjBKRrp さんへ
> 輪廻観のない仏教は哲学にはなっても、道徳論にはなり得ないことは確かですよね
> 輪廻否定論者は八正道や慈悲すら実践しない
> 実践すらしてないのに持論を展開して「悟りや仏教とはこういうものだ」って。。笑えますね
私(ID:0G9Xx+l3)は
止(サマタ)も、観(ヴィパッサナー)も、実践した事がないけど
輪廻から解脱する為の三十七菩提分法 ← 肯定です 屮(_ ._)屮
522 :
パーピマン ◆hVgvvzQ7pw :2013/10/28(月) 09:41:38.37 ID:mqAm1GAs
>まぁでも、輪廻観のない仏教は、 > 哲学にはなっても、道徳論にはなり得ないことは確かですよね。 wwwwwwwww 笑わせよるwwwwwww 言っておくが,輪廻業報論の道徳的側面というのは、「悪いことすれば 悪い報いがある」という恐怖を利用しての低次元の善行誘導wwww 自分はどうなろうとも構わんが、とにかく他者を救いたい という利他の 精神はそこから派生するものではないわなwww 実際、このスレの輪廻肯定者の精神性を見れば、輪廻業報論が道徳的に 効力ありとは、とても言えんわなwwwww
>>513 それは「輪廻観」とは関係ないだろw
【貴方自身が自ら口にしているように】、それは「八正道や慈悲の実践」の問題でしょう?
輪廻という世界観に立脚していても、実践できていなければ同じですw
また、存在肯定論者の多くが、ムーやたま出版的思考である点も苛立ちを誘発する因であるし、
このスレ限定で言えば、
「典拠の曲解」「スタンダード解釈の無視」「自説(他宗教)への引き込み」「伝統説否定或いは新説企図」
等々になっている(しかも、指摘・反論が反映しないリフレイン)になっている点もw
輪廻の世界観と言葉遣いの相関関係は無理すぎでしょw
また、2chは特殊な掲示板です。それこそ仮面舞踏会のような。
キャラを演じるというのでなく、礼儀を無視できる場でもあります。
(不要だとは言いませんよw あった方が良いに越したことはありません)
日常と違う場所での、感情の動きのまま、そこに言葉が乗ってくる場と言えます。
或いは、日常での丁寧さの鬱憤が爆ぜているケースもあるかもしれません。
まあ、だからこそ(意業との関連でw・修行の一環としてw)実践すべきだ
という指摘があれば、御尤もな話ですが・・(^^;
ただ、一在家が自身で述べてくれてるように、
慇懃無礼な誤解・捏造のリフレインには、やっぱりカチンと来るわけで・・・w
ちなみに、コテと言葉遣いの相関もありませんけどw
524 :
ノスタルジア :2013/10/28(月) 10:17:34.07 ID:Eo6Jg0mX
何度も言って申し訳ないが、あっちの悟りスレ誰か、立ててくれ、お願い!
525 :
? :2013/10/28(月) 10:35:46.55 ID:H4H1Aqlt
>>521 の続き
諸の因縁を受けて生死の中を輪転する
顛倒しているものとして捉えて五受陰に因って生死を往来する
− この輪廻から解脱する為の方法は? −
八正道を修習して、我・我所を滅させる因と縁に依存して → 無我・無我所を得て、智慧を決定する
我・我所を滅させて → 諸の因縁を、受けなければ、是を、涅槃と名づける
如実に、顛倒を知るが故に、則ち、復た、五受陰に因っては、生死を往来しない
無性の、五陰は、復た、相続しないが故に、説いて、涅槃と名づける
− ↓ 空であるからこそ仮設としての心の働きが現れる −
衆因縁より、生ずる法を、わたしは、即ち、是れは空だ!と説いた
何故ならば、衆縁が、具足、和合して、而も、物が生ずる
是の、物は、衆因縁に属するが故に、自性が無い
自性が無いが故に、空である
但だ、衆生を引導するが故に、仮名の空を以って説いた
526 :
? :2013/10/28(月) 10:41:39.64 ID:H4H1Aqlt
>>524 ノスタルジア さんへ
> 何度も言って申し訳ないが、あっちの悟りスレ誰か、立ててくれ、お願い!
>>307 ← を参照して見て下さい 屮(_ ._)屮
527 :
神も仏も名無しさん :2013/10/28(月) 10:51:09.86 ID:cMK6s0gT
>>523 >伝統説否定或いは新説企図
そんなこと言ったら、宗教は、穴居時代から一歩も進歩しないことになるw。
この2000年間、科学や人間の理性には、どれほど巨大な進歩があったかを、
よーく考えてみよ。
528 :
? :2013/10/28(月) 11:35:49.11 ID:H4H1Aqlt
>>523 ID:5awT5HdI さんへ( ← セブン先生かしら おじゃる?)
> 輪廻という世界観に立脚していても
> (輪廻から解脱する為の方法を)実践できていなければ同じです
私(ID:H4H1Aqlt)の事ですね スマソ 屮(_ ._)屮
529 :
神も仏も名無しさん :2013/10/28(月) 11:47:29.17 ID:m3JxqYB7
>>523 多分、セブン氏
>慇懃無礼な誤解・捏造のリフレインには、やっぱりカチンと来るわけで・・・w
一見、リフレイン(同じ言葉の繰り返し)のように見えましても、新たな情報を加えている場合もあります。
また仏教における「輪廻」の参考文献にしましても、原始仏典(長部経典、スッタニパータ)からだけでなく
日本仏教界の偉大な祖師達の説法(真筆も含む)からも引用、紹介しております。
更に現代の末法仏教を起こした縁の仮説を、龍樹から明治以降の近代仏教学者へと修正しつつあります。
本スレで、無駄に輪廻することなきよう、日々の対話を通じて学習しております。 (^0^)/
尚、来月からは生業も増えて参りますので、かきこも大幅に減る見込みです。
530 :
神も仏も名無しさん :2013/10/28(月) 11:59:14.14 ID:zmrfYGjB
【社会】罰あたりめ! 奈良の寺から仏像が盗まれる★2 http: //uni.2ch.net/test/read.cgi/newsplus/1382909112/ 【福岡】「返して」町指定文化財の守護神像3体盗まれる http: //uni.2ch.net/test/read.cgi/newsplus/1382914426/
531 :
? :2013/10/28(月) 11:59:54.57 ID:H4H1Aqlt
>>514 逃げ出したって、どういうことだよ?
経典に書いてあるだろ?
あの世はある、生まれ変わりはある、
それをウサギの話がどうとか、こうとか、
いくら誤魔化したってダメなんだよ。
現実的にあるかどうかが問題なんじゃない。
少なくとも、仏教とはそういう「宗教」だ。
それが嫌なら、仏教をやめろ。
だいたいおかしいんだよ。
仏教にはあの世もある、生まれ変わりもある、それをどうあがいても否定は出来ない。
もし、輪廻を否定したいんだったら、普通だったら仏教自体を批判するよね・・・?
そういうヤツらにとっては、仏教自体がカルトのはずなんだ。
しかしそうはしない・・・。
なぜなら、仏教は日本人の日常生活の中に、深く根付いてるから。
だから、輪廻を信じないからと言って、仏教を否定することは出来ない。
そこで仏教の方を、自分の解釈に合わせて、改変しようとしてる。
これはとんでもないことだよ。
キリスト教徒の人が仏教を否定するより、もっとタチが悪い。
教え自体を否定しようとしてんじゃなくて、教えを自分の解釈に合わせて、
捻じ曲げようとしてんだからね。
いいか、経典に書いてある。これがすべてだ。
おまえがいくら屁理屈言おうと、これはどうしようもない。
いつまでも屁理屈続けてっから、相手にもならないってことだよ。
逃げてんじゃねーよ。
だいたい理屈がおかしいんだよ。
輪廻を否定したいんなら、仏教批判しろよ。
なんで仏教の教えを自分の解釈に引き摺り下ろすんだよ?
愚かだよ
>>514 それからな、最初から汚い言葉づかいで人罵倒するような自分本位なヤツは、
人の悪いとこばっか見て、自分の悪いところが見えない。
見ようとしない。
おまえが最初から、人を罵倒してたんだろ?
今みたいにな。
だからこっちも合わせるんだよ。
こっちはいつでも止められる。
おまえさえ、罵倒を止めればな。
ところが、お前はいつまで経っても、止めることが出来ない。
どちらに問題があるか、明白だよな?
こういう簡単な道理も分からない。
だいたい、お前の理屈は全部、非常に浅はかなんだよ。
まるで子供の論理みたい。
それと真ともに議論するのは、非常に骨が折れるんだよ。
おまえもそれが分かってて、自分の限界を感じてるからこそ、
人を罵倒しまくるわけだろ?
それで誤魔化してる。
非常に稚拙な理屈を押し出して、それが受け入れられないと罵倒する・・・・
こういう状態だから、議論の相手が疲れちゃうんだよ。
罵倒を繰り返して相手を疲れさせて、相手が議論するのを止めたら、「ああ、俺は勝ったぜw」 って、
どこのガキだよ?
自分中心で他者のことを考えることが出来ない・・・ こういうヤツは、議論の資格が無いヤツ。
537 :
パーピマン ◆hVgvvzQ7pw :2013/10/28(月) 14:54:05.55 ID:mqAm1GAs
>>532 wwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwww
>>514 に挙げた奴が、自分だってわかったんだあ?wwwwwwwwwww
笑わせてもろおたwwww ・・・・・・・・どうした? ずっとこのスレ
見てたの?w もしかして、書き込みとかもしてた? してたなら、ID挙げてみww
んで、相変わらず日本語が不自由みたいなんで、
「逃げ出す」⇒ これは、「反論できずに罵倒のみを繰り返して消えること」wwww
そう、ww お前が最後にやったことねw わかった??www
>いいか、経典に書いてある。これがすべてだ。
wwwwwwww その経典に書いてあることを、お前は「これは真実」「これは唯の方便」
と、自分の基準に従って取捨選択したわけww もちろん、それ自体はOKさw
ちゃんと、基準を明確に示せて自説の正当性を主張するのであればw だが、
その時点で、「ただ、経典に記述があるからといって真実である」と、主張する権利は
自ら放棄したわけw 「経典に書いてあるからと言って、それが真実である」とは
限らないの・・・・・それを認めたことになるわけww
お前は、馬鹿だからそれさえも理解できなかったがwwww
さらに最悪なのは、自分で経典の記述内容に「これは方便、あれは真実」と
優先順位を設定しておきながら、後半ではそれと正反対のことを主張し出すwww
・・・・・釈迦が、目の前の悪業を止めさすために業論について、方便として
言及することもあるでしょ? と言ったら、「い〜〜や、絶対にない。信じていなければ
話の中でそんなことに触れるわけない。」・・・と、こうだwww
一方では、「内容の重要性を言いながら、他方ではそれを否定する」www
お前は、ただ、相手に言い負かされたくないから、その場その場でコロコロと言うことを
変えるのwwwwww つまり、対論相手としては、まさに最下層の部類なわけwwww
538 :
パーピマン ◆hVgvvzQ7pw :2013/10/28(月) 14:54:50.60 ID:mqAm1GAs
それから、一つ言っておくが、俺が悪口を使用するのは、「それで十分」と認識したやつ
だからだよwwwwww
このスレは言うに及ばず、他スレでも、多くの奴と一度は、やりあってるw
その大半は見解を異にする者たちだが、きちんとした奴には、スタンスが正反対のものでも
きちんと礼をとって接しているがねww 要は相手次第なのwww
対話自体が成立しないほどの馬鹿で、その性最悪のカラスみたいなのは「単なるおちょくり対象」
でしかないがねwwwwwwwwwwww
んで、俺の中では「揚げ足取り、論点ずらし」しかできないバカについで、「自己正当化の
ために言うことコロコロ変えるバカ」ってのも、最下層認定なんだよwwwwwwwww
>非常に稚拙な理屈を押し出して、それが受け入れられないと罵倒する・・・・
え〜〜〜〜〜っと、これは自己紹介か???wwwwwww
>>533 は、いつもの勝手な思い込み推測による喚き散らしだけなのでスルーOKね?ww
あ〜〜〜〜〜、あとこれからも、このスレにいるつもりなら、コテつけてくれんかな?w
そうすれば、出来るだけスルー対象にできるからwwwwwww
539 :
神も仏も名無しさん :2013/10/28(月) 15:16:23.67 ID:/VON5/MG
こいつ、狂ってるだろ。 もはや仏教云々の問題じゃないぞ
540 :
神も仏も名無しさん :2013/10/28(月) 15:16:49.82 ID:m3JxqYB7
>>531 ?氏
>前世は一在家さん、の何か新たな情報はありますか?
先にも私見を書きましたが、仏教の目的は大きくは二つあります。
@衆生の極楽浄土入り、A修行者の涅槃入り。
中論や中観派関連は後者のAに縁があると思料します。
私自身は当分は@の方に関心がありますので、あまりAの方はウォッチしないようにしております。
本スレでも中論読者同士で罵倒し合っているのを見ましても、私ではAは不相応と存じますので。
新たな情報では、三木住職の「現代仏教塾」を読み初めております。
輪廻思想はインド固有ではなく、エジプトや西欧でもあったという情報もあり、おいおいに紹介して参ります。
かのエドガー・ケーシーはクリスチャンですが沢山の「輪廻」リーディングを残しております。 合掌
541 :
神も仏も名無しさん :2013/10/28(月) 15:24:16.68 ID:/VON5/MG
もはやお前は、キチガイ以外の何者でもないわ。 議論の出来るレベルじゃない。 ここまでこのバカ、よく相手にしてやったわ。 最初からこいつがキチガイだと分かってれば、 真ともな議論などはしなかった。 もはやこいつのレスは、読めるレベルじゃない。 ところでコイツは、なんで仏教にしがみ付いてんだろ? さんざん人を罵倒して、汚い言葉を使って、しかも稚拙な論理をまくし立て、 それを理解しろと、人に要求をする・・・・ 自分本位の局地だろ。 無我どころじゃないぞ。 こいつは仏教の教えとは正反対の方向に行ってる。 これほどのバカがこのスレに何度も書き込むとは、 どんだけ恥知らずなんだよ? こいつのやってることは議論じゃない。 ただ自分の稚拙な論理を主張し、それを受け入れない相手を罵倒する・・・・ こいつはもう、終わってる。 仏教議論以前の問題だわ。 一生気がつかないだろ、コイツ。 自己本位なヤツって、自分中心に世界が回ってるからな。 バカが仏教に手を出すんじゃない。 本当に稚拙なんだよ、お前の意見は。
542 :
パーピマン ◆hVgvvzQ7pw :2013/10/28(月) 15:39:34.97 ID:mqAm1GAs
>>541 ・・・・・・・・・・と、そのように罵倒しか返せないわけねwwwwwwww
いいよ、こちらの見解になんの反論も出来ずに、罵倒を繰り返すしか能がないなら
スレ汚しの荒らしにしかならないんで、はよ消えなさいwwwww
543 :
神も仏も名無しさん :2013/10/28(月) 15:41:29.80 ID:/VON5/MG
それはお前のことだわ。 自覚ないの? 罵倒ばっかり繰り返しやがって 邪魔なんだよ 本当にコイツは救いようがね〜な
544 :
神も仏も名無しさん :2013/10/28(月) 15:50:24.61 ID:/VON5/MG
反論どころじゃねーだろ、 何言ってんだ、こいつ? てめーの稚拙な論理に反論もくそもないわ。 そもそも仏教はあの世や、来世、過去世を、前提にしてる。 これは経典見れば明らか。 しかし、そうではない、という意見が別にあってもいい。 ただ、それは、「仏教はあの世や来世を前提にしている教えだが、私はそうではないと思う」 という、 より控えめな立場でものを言わないといけない。 なぜなら、前提にしてあるものを否定するのだから。 ところがコイツは、仏教はそうじゃないと、大上段に振りかぶって 議論を展開している。 一体何様のつもりなんだ・・・? 経典を最初から読み直せとしか、言いようがない。 それでもそうじゃないと、自分の意見としてじゃなく、完全否定するというなら、 それこそカルトと同じ、教えを勝手に自分の都合のいいようにあわせて、 捻じ曲げてるってことだ。 今までは、こいつの屁理屈とも言える論理に、なるべく合わせながら議論していたが、 そもそも屁理屈にこちらが合わせる必要なんかない。 最初からハッキリというべきだった。 合わせれば合わせるほどつけ上がる。 この手の輩は。 経典にあの世と来世という記述があるか、無いのか、もう一度経典読み直せ、 このバカが。
545 :
パーピマン ◆hVgvvzQ7pw :2013/10/28(月) 15:50:46.99 ID:mqAm1GAs
>>543 wwwwwwwwwww
ひとつ教えといてやるが、このスレは「罵倒しか」できないバカは
お呼びでないのwwwwwww
オレは、ちゃんと相手の見解の瑕疵を指摘してるぞwwwwww
例えば、間近で言えば、宝珠との絡みでも、ちゃんと、どこが
おかしいのか指摘した上でのことだがねwwww
お前みたいに、「ただ、稚拙だの、キチガイだの言ってるだけではないわけ」www
「ば〜〜〜〜か、ば〜〜〜〜〜か」しか言えない小学生はいらんのですよwwww
546 :
パーピマン ◆hVgvvzQ7pw :2013/10/28(月) 15:57:02.88 ID:mqAm1GAs
>これは経典見れば明らか。 うあw〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜、こんな馬鹿だとは正直思わなかったwww こいつ、始めから論点さえも理解してなかったんだwwwwwwwww 経典に記述があることは誰も、否定してないのwww だが、それが本当に釈迦という歴史上の人物の根幹教説だったのか? 後代の神格化、弟子たちの改変、増稿、の可能性は? 無我との論理的整合性問題は??・・・・ということだろうがwwwwwwwwww ダメだ、この馬鹿wwwwwwwww ちゃんと、経典を読めば分かる・・・・・としか言えないキチガイカラスレベルだwww
547 :
神も仏も名無しさん :2013/10/28(月) 16:00:14.91 ID:/VON5/MG
>>545 おまえはよくそんなことが言えたなぁ・・・?
どっちが先にやってんだよ?
最初から見てみろよ。
こっちは罵倒するお前になるべく合わせて、丁寧に説明してだろ?
ところがテメーはいつまで経っても罵倒をやめない・・・。
しかも、お前の論理には中身がない。
「ああ、なるほどなぁ〜」 と思わせるようなことが、一つもない。
それに丁寧に反論するなんて、よっぽどのお人よしじゃないと
出来ないぞ?
お前が最後まで罵倒をやめず、中身のない議論を延々と繰り返してるから、
こっちも同じ態度で臨むしかなくなったんだよ。
おまえ、自分が見えてないだろ?
どんだけ人をバカにしてるんだよ?
しかも、自分がさんざんバカにした相手が、言い返したからといって、
その相手に向かって、「ばかばかしか言えない小学生」だと・・・?w
とんでもねー野郎だな。
それはお前のこった。
よく自分レスを読み返してみろよ。
でも、読み返しても、分からんだろうな・・・
まず、自分の文章読み返してみろ。
それから、経典の内容を読み返してみろ。
それでも分からなかったら、議論も仏教も止めてしまえ
548 :
神も仏も名無しさん :2013/10/28(月) 16:12:10.83 ID:/VON5/MG
>>546 あのな・・・
少なくとも仏教の概念っていうのは、経典を元に成り立ってる。
経典が、釈迦の説いたもの・・・、という前提のもとに、仏教というものが成り立ってる。
大乗がどうのこうのと、そういう議論があってもいい。
経典の中身が仏教であり、仏教は経典の中身だ。
それが違うというのなら、別のものを探さないといけない。
そういうものがあるか・・・?
お前のいう最古層のスッタニパーダにも、あの世、来世、という言葉が出てくるだろ?
あれも改変か・・・?
なんでもかんでも改変にすんのか?
いい加減にしろよ。
自分の都合のいいように合わせようとするから、そういうゴリ押しみたいになるんだろ。
そのゴリ押しの強さは、おまえの輪廻を否定したいという気持ちの強さの、現われだよ。
そもそも宗教というのは、この世の常識では計れないものを言うんだよ。
だから宗教なんだよ。
あの世、来世、というのをどうしても否定したいんなら、それはそれでもいいだろう。
だったら、そういうヤツは宗教に口を挟むべきじゃない。
どうしてこんな簡単なことが分からない・・・?
これはさっきも言ったように、仏教が自分の生活に密着してるからだよな?
仏教否定したら、日本人としての自分のアイデンティティが成り立たない。
これが外国人だったらどうだろうか・・・?
スッタニパーダを読んだ時点で、「ああ、なんだこのカルト宗教は、こんなのはしらない」 と、
そっぽを向くだろ。
あんたもそうすりゃいいんだよ。
何も自分の意見に仏教を合わせる必要はない。
言っておくが、この罪は重いぞ。
外部から仏教を批判するより、まだ重い。
今ならまだ間に合う。
考えを改めなおせ。
549 :
パーピマン ◆hVgvvzQ7pw :2013/10/28(月) 16:20:51.86 ID:mqAm1GAs
>「ああ、なるほどなぁ〜」 と思わせるようなことが、一つもない。 お前が馬鹿でこっちの言うこと理解できないだけじゃんwwwwwwwww >よく自分レスを読み返してみろよ。 まるっとブーメランwww こっちのツッコミに回答できずに逃げ回った挙句、最後は「稚拙、稚拙」 としか言えずに逃走したバカは誰だった??wwwwwwwww @これは重要、あれは否重要 と、内容を取捨選択するくせに、 輪廻に関しては「ただ、経典にあるから」だけで押し通すバカさの指摘に 反論は?wwwwwwww 何故、それを釈迦の根幹教説とみなせるのかの論証は一切なしwww ただ、経典にあるからwwwww アホですか??ww Aさらに、詳細にいえば、輪廻を担保する「Aさんの記録」についても、 ⇒「それは、1億回生まれ変わっても、1000億回生まれ変わっても変化する ことないんでしょ? 途中でBさんの記録に変わったりするの?」 との ツッコミも、何度、尋ねても一切回答せずに最後まで逃げ回るだけwwwww そのくせ、「稚拙、稚拙」・・・・・こればっかwwwwww ほんと、カスだねww
550 :
パーピマン ◆hVgvvzQ7pw :2013/10/28(月) 16:23:49.69 ID:mqAm1GAs
>経典の中身が仏教であり、仏教は経典の中身だ。 wwwwwwwwwwwwwwww そうなんだww 比喩も方便もないの????? なんだっけ? 佛の三十二相のはなしだったか? あの,舌がビロ〜〜〜ん って伸びるやつww あれも本当にあったんだwwww
551 :
パーピマン ◆hVgvvzQ7pw :2013/10/28(月) 16:29:00.78 ID:mqAm1GAs
>言っておくが、この罪は重いぞ。 wwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwww 思い出したわww そういえば、前回、逃げ出す時も罰があたるとか言ってたなww う〜〜〜〜〜〜〜〜んん、、最後は脅迫かwwww ホント、カルトの思考まんまだねwwwwwww、 お前はww
こいつに付き合ってると、時間がどんどん無くなる。
554 :
? :2013/10/28(月) 17:44:39.04 ID:H4H1Aqlt
555 :
神も仏も名無しさん :2013/10/28(月) 17:46:02.45 ID:m3JxqYB7
>>553 > ↓ これの、T・U、を読んでるんですね?
> 現代仏教塾II 宗教の根底を流れるもの/三木 悟
さすが〜、検索が早くて的確ですね。 (^0^)/
556 :
? :2013/10/28(月) 18:03:18.38 ID:H4H1Aqlt
557 :
神も仏も名無しさん :2013/10/28(月) 18:16:03.98 ID:UVTPZBdv
>>425 >生死は、前後裁断ではないのかね。
(1)間接現実では妄執(想い)による相対思考で自己及び世界が仮構・仮設・仮説され、時空存在として擬制され、前後継続です。
(2)妄執(想い)の中核(コア)が(修証の深化で)打ち砕かれれば、仮構された自己及びそれによって仮構された世界も壊滅します。
まさに『心(想い)の対象が滅するときには、言語の対象も滅する。そこにあらわれる様相は不生不滅であり、実にニルヴァーナの如くである』(中論18-7)
これが縁起の直接現実(あるがまま)の現観【般若門】です。
無分別・非対象化・無限定であって、前後・立横・高低の相対はなく、時間も空間も際断の如き様相です。
言語論理不立で、有無の無ではありませんから、虚無(ゼロ)という観念そのものがありません。
自己も無限定ですから出生もなく、出生もないのですから老死もありません。
これがブッダの示唆される不生不死です。
>仏教のゲシュタルトの破壊を言いながら、仏教のゲシュタルトそのもののSnなどを引用する意味が判らん。
師は答えた、『ウバシーヴァよ。あらゆる欲望に対する貪りを離れ、無所有にもとづいて、その他のものを捨て、
最上の<想いからの解脱>において解脱した人、──かれは退きあともどりすることなく、そこに安住するであろう。』(Sn.1072)
この<想いからの解脱>【般若門】(十牛図8)=仏法のゲシュタルト、においては、仏教などありもしないし、
この<<最上の<想いからの解脱>.において解脱>>=仏法のゲシュタルト崩壊、に仏法(ダルマ)もありもしません。
これが【還滅門】(十牛図9)、【筏の喩えの法門】(十牛図10)です(金剛般若経6 マッジマ・ニカーヤ22)。
558 :
1/2自性空? :2013/10/28(月) 18:26:54.40 ID:UVTPZBdv
>>351 >『「自性が空である」とは何かがあって、その自性が空なのだということを意味しているからです。・・ですから、「空である」と言われたら、「何かが存在する」と理解すべきなのです』(ダライ・ラマ:「 中観派とその論法 」p66 吉村均)
「空である」と言われたら、「何かが存在する」と理解すべきではありません。
ダライ・ラマには賛成できません。
ダライ・ラマには世俗的分別と勝義無分別との混乱があります。
これは存在する「何か」に本質を見る本質主義の反仏法です。シャンカラ的不二一元論に侵犯されています。
この背後には、業報輪廻転生論イデオロギーがあります。
ナーガールジュナが言っている「空」というのは、「空っぽ」ということでも「無」ということでもなく、ましてやダライ・ラマの言う何かが「有」るということではありません。
仏法において【本質・ドグマ捨離】は徹底しており、無常・無我(本質はない)は「法」にも例外ではありません。
『筏の喩えの法門を知るひとは、法さえも捨てなければならない。」(金剛般若経6、中部 22)。
ダライ・ラマの言う何か有る=「本質」(仏種)におもねる仏性だとか如来蔵だとかの
自性(スヴァバーヴァ、プラクリティなど)を認める余地はありません。
たとえ空性とかの成りすまし誤魔化しを付け加えてもです。
559 :
2/2自性空? :2013/10/28(月) 18:27:55.04 ID:UVTPZBdv
そもそも「自性空」というのは本質→プラクリティに他なりません。 サーンキヤ哲学のパクリです。 たとえば、五蘊皆空(般若心経)には三種類の読みがありえます。 1.五蘊はそれ自体が空である(自体を欠いている:虚無論)。 2.五蘊は、自性(実体)が空であるが、五蘊の現象(言説)としては現象する。*現象:仮設 ・仮説・擬制 3.現象としての五蘊は自体が空であるが、本質としての空性は実在する。 龍樹は中論24-18をみるかぎり明確に2.です。自性(スヴァバーヴァ)を認めない。 ところが、解釈3では生、住(持続)、滅を超えた永遠なる実在(たとえば『法身』:空海真言宗)を想定することになり、 信仰宗教一般に見られる考え方で、「仏教」に於いては種(本質)としての仏性、如来蔵思想につながる本質主義です。 信仰を捨てよ!法をも捨てよ!の「筏の喩えの法門」の釈迦仏教ではありえません。 ダライ・ラマの実在する『空性』とは検証不能の間接現実一切外の戯論(形而上学的言辞)であり、混ぜるな!危険を犯しています。 やはり、業報輪廻転生を前提とする密教はとうてい【筏の喩えの法門】の釈迦仏教ではありません。
560 :
神も仏も名無しさん :2013/10/28(月) 18:31:15.90 ID:m3JxqYB7
>>553 >「 @衆生の極楽浄土入り 」 同士では議論は現れないんですか?
こちらも南無阿弥陀仏か南無妙法蓮華経か坐禅か八正道の実践か、実に色々なオプションがありますね。
どの道でも極楽浄土へ至るのであれば、如来の本願に叶っているでしょう。
本スレでは、A修行者の涅槃入り、の方にかなり議論が偏った感がありますが、極楽浄土入りも決まっていないのに涅槃入りを論じるのは「アホ」ですね。
561 :
神も仏も名無しさん :2013/10/28(月) 18:55:47.71 ID:UVTPZBdv
>>560 >極楽浄土入りも決まっていないのに涅槃入りを論じるのは「アホ」ですね。
地獄も極楽も即今即処即自の現生にある。
地獄にするか、極楽にするか、涅槃にするかは、おのれ次第(一休)
562 :
神も仏も名無しさん :2013/10/28(月) 18:55:50.48 ID:m3JxqYB7
>>560 >本スレでは、A修行者の涅槃入り、の方にかなり議論が偏った感がありますが、極楽浄土入りも決まっていないのに涅槃入りを論じるのは「アホ」ですね。
A修行者の涅槃入りの議論で相手を罵倒し合うカルマを知らず知らずに積んだ縁で地獄へ落ちたらまったく「アホ」ですね。
地獄<<<娑婆<<<<<極楽浄土<<<<<涅槃 ということです。
563 :
? :2013/10/28(月) 18:56:19.60 ID:H4H1Aqlt
564 :
カラスの唄 ◆S5WLCcUno2 :2013/10/28(月) 19:05:02.59 ID:cGYHIRcb
たとえばキリスト教の神父がサンタクロースの話をしても普通の感性をもつ人なら子供向けの ファンタジーを語っているとすぐに理解するが、だからといってキリスト教の復活まで単なるファンタジーとして 語っていないことはすぐに理解する。なにせキリスト教の教義の根幹に関わるものだからね。 それと同じで普通の感性の持ち主が仏典を読んで、ゴータマさんを神格化するために書かれたファンタジーと 教義の根幹として繰り返し述べられ、阿羅漢達の言葉を載せているとされるテーラガータ、テーリガータを 読んでも彼らは繰り返し業報輪廻転生を教義の根幹として述べているのだから単なるファンタジーとして語って おらず、業報輪廻転生はゴータマさんの仏教の教義の根幹だと理解するので、普通は 悪人パッパラパーマンとID:/VON5/MG氏のような論争は起こらない。だがパッパラパーマンのような詭弁家に かかるとこのような無益な論争が起こるわけだ。繰り返すが、普通の感性を持つ人が仏典を読めば 明らかなファンタジーと教義の根幹として繰り返し述べられている業報輪廻転生を一緒くたにファンタジーとしてしまわないが 詭弁家にかかるとこれ幸いと一緒くたにしてしまい、自説に都合のいいようにどちらも方便にしてしまうわけだ。 これを必殺、揚げ足取り論法と言う。詭弁の巧みなバーピマンは悪人だよ。こいつは救いようが無い。 実際に真理を捻じ曲げて伝えるどころか正しいことを語る人の口まで塞ごうとするこの人達は許されないよ。 彼らの心は頑なにされ、彼らが真理を悟ることは許されない。彼らの受け取る業の報いは滅びだ。ま、彼らの望む涅槃 は完全な滅びなのだからそれでいいのだろう。ちなみに詭弁家パービマンのような人が揚げ足取りに継ぐ もう一つの必殺技が、的外れのレッテル貼りな。たとえば出来る人をつかまえては、彼を無能と言うレッテルを貼って そのような印象操作をする。原発村の悪人達もよく使う手らしい。どっかの知事もおかしい人というレッテルをマスコミなどを 使って印象操作をしている。工作員だらけのニュー即+などをみても攻撃対象に対する的外れなレッテル貼り はよく見られる光景。原発の御用学者の能書きは詭弁だらけで聞いてると殺意が沸いてくる。 巧みに詭弁を扱うここのバーピマンも同じ人種。同じ穴の狢だよ。
565 :
? :2013/10/28(月) 19:09:35.19 ID:H4H1Aqlt
> こちらも南無阿弥陀仏か南無妙法蓮華経か坐禅か八正道の実践か、実に色々なオプションがありますね > どの道でも極楽浄土へ至るのであれば、如来の本願に叶っているでしょう > A修行者の涅槃入りの議論で相手を罵倒し合うカルマを知らず知らずに積んだ縁で地獄へ落ちたらまったく 「 … 」 ですね 「 @衆生の極楽浄土入り 」 の人でも 八正道(悟りに至るための三十七菩提分法)を 衆生を引導する為に、仮名の空を以って説明する人もいる と言う事ですね? 勉強になりました ご教示 ありがとう 屮(_ ._)屮
詭弁vs強弁
>>507 日本で生きて生活してる以上 仏教や神道を正しく理解しておくことは必要だと思います
戦国時代の宣教師フロイスも法華は除くw真宗や禅宗の僧侶達の知性と
議論の論理性に敬意を表す記述も残っているくらいですし
ここでの議論もとても勉強になります
極楽浄土は浄土教 教ではなく経 方面の設定ですからね 念仏 題目 座禅 上座部の行法 密教の修法と考えてみても 念仏と題目はちょっと方向性が違うのでは?
>>568 訂正
経ではなく教
ちなみに正法眼蔵 道心章では明らかに輪廻転生が説かれていて
中有の期間は三宝を念じていなさいと。。。
浄土教や法華教のように浄土や彼岸へ直行ではなくても
輪廻を経て少しでも解脱に近づく希望が仏教にはあるのだなぁと
570 :
? :2013/10/28(月) 19:40:47.93 ID:H4H1Aqlt
571 :
神も仏も名無しさん :2013/10/28(月) 19:46:31.77 ID:oA2LUmFA
>>563 >人間生存は無我である五蘊の仮和合したものであるから仮りの存在であると説いた
仮和合と「考えている」のは、釈迦の我(生命)。すべてが仮和合なら、仮和合
が常住となる。
駄目だよ、それじゃ。やり直しw。
572 :
神も仏も名無しさん :2013/10/28(月) 20:32:35.80 ID:1O3CtqHv
721 :サロメKoS ◆LGhlot2baY :2011/01/26(水) 22:59:16 ID:wmTQt5R+ 日本列島の上に日本人の白骨は積み重なり 神社仏閣が炭になる その跡に選ばれた契約の民が入植するんでしょうね 至福1000年の間に 732 :サロメKoS ◆LGhlot2baY :2011/01/26(水) 23:08:40 ID:wmTQt5R+ ローマ市民権を習得して ティベレのほとりに小さな御家を買って 愛する連れ合いと終生過ごすのです 日曜にはバチカンのミサ聖祭に預かるつもり そのころ日本は腐乱死体の山と神社仏閣が炎を上げてるでしょうね めでたしめでたし 738 :サロメKoS ◆LGhlot2baY :2011/01/26(水) 23:12:51 ID:wmTQt5R+ これから滅びる腐敗堕落したサタンの王国になど未練も執着もないです 日本人はほとんど死滅するから 死体掃除に中国朝鮮人でも移住させればいいのです 伊勢神宮跡にちゃんと塩を撒いてwww 740 :サロメKoS ◆LGhlot2baY :2011/01/26(水) 23:15:02 ID:wmTQt5R+ ユーラシアの東端の島国に 腐敗堕落し姦淫や虐待に明け暮れるサタンの王国があった まさに蘇ったソドムとゴモラ 彼らは自分らを太陽と偽ったサタンの民 日本人と呼んだ。。。。 まぁ終りのときの前に滅べてよかったかも日本はwww 125 名前: サロメ☆ボウディア ◆tvCzqF9.rVYj [sage] 投稿日: 2013/10/28(月) 19:25:38.97 ID:2xUJZ4xz 仏教は上座部も大乗も堕落がひどく 神道は氏子も減り神主の兼業が当たり前 無神論は社会主義国の崩壊が示すとおりだね
ふーん サロメってやつは神社仏閣もえてよろこぶやつなのか
574 :
神も仏も名無しさん :2013/10/28(月) 20:47:47.37 ID:oA2LUmFA
>>557 >生死は、前後裁断ではないのかね。
正法眼蔵の「生死」では、次のように言っている。
「・・・・・生といふときには、生よりほかにものなく、滅といふときは、滅のほかに
ものなし。かるがゆえに生きたらばただこれ生、滅きたらばこれ滅にむかひてつかふべし。
いとふことなかれ、ねがふことなかれ」。
やはり前後裁断ではないのか。
また、「生すなわち不生といふ」については、次のように注釈されている。
「生のときは生の全体験であり、死のときは死の全体験である。一瞬一瞬の生に
没入したとき、生からも死からも自由になれるのである」。
来世や輪廻転生の概念など生じないのではないか。
575 :
神も仏も名無しさん :2013/10/28(月) 21:06:30.89 ID:dOEsyGxd
他に無いってのになんで「裁断」を付け足すわけ?
576 :
神も仏も名無しさん :2013/10/28(月) 21:13:30.83 ID:oA2LUmFA
>>557 釈迦(Sn)に依拠しながら、釈迦のゲシュタルトから離脱するというのは矛盾。
やはり中論や初期道元に依拠すべきであろう。
人類史的に見れば、釈迦を含め、人間が一切の想いを捨てたら生存できない。
「想いを捨てようと想う」のも、また「想い」である。生存できなければ、
解脱もヘチマもない。一発で釈迦は論破される。
577 :
神も仏も名無しさん :2013/10/28(月) 21:22:08.33 ID:oA2LUmFA
>>575 「生」と「死」という、明確な裁断がある。死後に再度「生」があったら、
それは「前後裁断」ではない。
578 :
神も仏も名無しさん :2013/10/28(月) 21:29:59.76 ID:N535lS3U
ねぇねぇ あのさぁ〜イッペンこっきりで良いから にゃんとかならんか〜♪ ,.,.,.,._,.,.,.,.,.,.,.,.,.,._,.,.,.,,._ ,ィ'"'"' ::::":::;iii :::iiiiiii:::::: ゙''⌒゙<フ ,.,.,.,.,.,.,.,.,__ ___ ,、.._ _./;i 彡iii:.:. ::::::::iiiiii:::: ,;;イフ::: } ,イ" r i i i , - ニ "i'iii";';ii`TY/ ヽ"ヾ〈 / .,.,ノ彡::::::: ::::iiii ( ,.,.,,, t! { ,;彡〃i i ! i ! i i i!i!iヾヾニ; ヾ':::::::ii!リ} {.,.ち.:.:.:.ミ シ"'"'"'"ヽ 〉;;;:i ゙''ー''メサ’ハァハァ ;ハヾヾYi ! i i i i ! i!!iミミヾヾ::彡ニ:::ー ヽ ~ ゙'ー、,..二):.:.:.:(ニノ {.,.,.ニ):.:.:.:.:.:.:.::. /、ヾヾ i ! i ヾヾi ノ ノ ノ i! ミミヾ ;''ー-ァ'メ-'’ ハァハァ一期一会だし ;'ミヾ;,:r'ー'-'-、:;.;.;マ::::ヽ;;ニニミ:;' いっぺんこっきりよ・・・にゃん♪ {:::彡":.:.:.:.:.:.:.:.`ー/ ノ :.:.\彡ヽ.:.:.:.:.:.:.: ヽ_) L,,,) :.:.::ヽン ゙ー、
579 :
神も仏も名無しさん :2013/10/28(月) 21:32:39.76 ID:dOEsyGxd
>>577 あのー、「のみ」だって言ってるのになんで
「前後」があるの?
580 :
神も仏も名無しさん :2013/10/28(月) 22:37:27.97 ID:oA2LUmFA
>>579 正法眼蔵をよく読んで、その中心思想を「理解」せよ。
581 :
神も仏も名無しさん :2013/10/28(月) 22:41:28.03 ID:dOEsyGxd
>>580 正しい法は眼に臓す
法を思想=脳内に返すな
582 :
パーピマン ◆hVgvvzQ7pw :2013/10/28(月) 22:43:09.84 ID:mqAm1GAs
キチガイカラスが、またアホ喚いてるwwwwwww >普通の感性を持つ人が仏典を読めば >明らかなファンタジーと教義の根幹として繰り返し述べられている業報輪廻転生を >一緒くたにファンタジーとしてしまわないが ・・・・・・ wwwwwwwwwwwwww では、「釈迦の舌がびろ〜んってのびた」のはファンタジー?? それとも実際にあったこと?www 「釈迦が空中を飛び回った」のはファンタジー?? それとも実際にあったこと?ww ちなみに、お前の仲良しの宝珠は前者はファンタジーで、後者は実際にあったこと としているぜwwww 現代の知見からすれば、「どちらもファンタジー」だww ところが、お前ら輪廻業論肯定者は、こっちは真実、こっちはファンタジーと 勝手に線引きするわけだwwww その基準は? 「お前らが信じたいことは真実、そうでないのはファンタジー」 だろうが?wwww アホかってのwww どうせなら、一代みたいに「比喩、方便との但し書きがない限り全て真実」と 突き抜けて見せろやwwwwww それなら、こっちも「なるほど、貴方は≪信仰者≫なんですね」 ってなるわwwww 自分らが信じたいことだけ抜き出して、これは真実、あれはファンタジーって やってるだけだろうがwww なんの基準も示せねえくせして、「普通に読めば」だとwww 笑わせるな、キチガイwwww
583 :
シモン・エレクシア ◆/bVPRrlaFM :2013/10/28(月) 22:44:47.26 ID:CHKqe/0S
\ \ ヽ\、 ^\ はあ〜〜 有るものくう!無いものくう! \ \\ヽ、 ^\、 生成消滅いっさいくう! \ \\ヽ \ |\ 初めもくう!終わりもくう! \ \ \ \ λ\、 それでも腹へりゃご飯はくう! \ \ \ \ \、 いこ去らず!未去去らず! \ \ \ \ ^ー)\ 去りつつあるもの去るわけねえ! \ \ ´⌒ヽ,⌒ヽ,_ ^)\、 形はくう!五蘊もくう! \ \ 人 λ\ ____ ^)\λ そう言う俺さもいっさいくう! \ 「\ 、 ヽ/ _ノ ヽ、\ | \ \ \ ヽ / ( ○)}liil{( ○) て \ \ \ / (__人__) \ ( \ \ ^ | |!il|!|!l| | r'" Z_ ヽ、_\ |ェェェェ| / て Z_ \______ / ( Z_ r'" Z、、 竜樹 (
584 :
神も仏も名無しさん :2013/10/28(月) 22:57:41.75 ID:oA2LUmFA
>>579 眼による認識は、刹那の生命の機能である。死者には不可能。その刹那の
認識が、静止画として、あたかも映画フイルムの一こま一こまのように連
なっている。従って、その連なりには、前後がある。しかし、刹那の生命
による認識は、その一こまごとである。それが「諸法実相」。「薪と灰」の
箇所を熟読・理解されたし。
>>582 現代の知見って 唯物論に基づく合理主義
あるいは
物質に関する科学のこと?
宗教の領域に関しては 超自然的な部分含みますけど
仏教はそのあたりも極力説明しようとしてるように見えるんですけど
586 :
神も仏も名無しさん :2013/10/28(月) 23:02:26.65 ID:dOEsyGxd
587 :
神も仏も名無しさん :2013/10/28(月) 23:02:53.45 ID:oA2LUmFA
>>585 横レスだが、「超自然的な部分」は、人間には認識不能な「妄想」。中論や
道元は、「妄想」は語らない。
588 :
神も仏も名無しさん :2013/10/28(月) 23:08:49.72 ID:oA2LUmFA
>>586 釈迦とは異なり、生命は対象化不可能だから、語っていない。「認識」という
生命の機能(対象化可能な生命現象)のみを語っている。
即死者の目に映じた最後の世界は、一枚の静止画である。
例えば禅問答は現代の知見(唯物主義など)からしたら意味不明で その内容もファンタジーなわけでしょ しかし禅は禅としてひとつの体系があり 人間の意識をある状態に導いている 確か心理学方面で検証されてなかったっけ?脳波の変化程度は 禅問答はその特殊な意識状態を前提に成立しうるものと考えたら ファンタジーを幻想という意味で使うなら それは当てはまるかどうかですね 同じように 仏陀の形相にしても 超自然的な描写にしても 禅問答がそうであるように それらを正しく解釈する口承なりが存在したかもしれないですね その意味では 「比喩、方便との但し書きがない限り全て真実」 はアリだと思うけど
590 :
神も仏も名無しさん :2013/10/28(月) 23:13:00.24 ID:dOEsyGxd
>>588 その死者とやらは死んでいるのか?
なぜ死んだものに静止画が見える?
591 :
神も仏も名無しさん :2013/10/28(月) 23:14:25.75 ID:oA2LUmFA
>>589 君は何時の時代の話をしてるの?釈迦の時代は、まだ穴居生活だよw。
現代人には、問題にならない。
592 :
パーピマン ◆hVgvvzQ7pw :2013/10/28(月) 23:15:33.87 ID:mqAm1GAs
>>585 「そのような事が実際に起きたのか?否か?」について
現代人がもつ最も信頼できるツールは今のところ「科学」だよw
生物学的知見により、「釈迦の舌が実際に伸びたとは考えにくい」
さらに、物理学的知見より、「釈迦が空中を実際に飛び回ったとは
思えない」www そういうことさww
>宗教の領域に関しては 超自然的な部分含みますけど
>仏教はそのあたりも極力説明しようとしてるように見えるんですけど
「宗教が超自然的領域を含むのは、その通り。そして、いわゆる
≪伝統仏教≫がそれらを支持してきたのも歴史的事実だよ。」
誰も、「その事実を否定するものはいないの」・・・・・しかし
ここで間違えてはいけないことは、「歴史上の釈迦という個人が
それら超自然的領域を支持していたのか? 自己の教説の根幹部分と
して許容していたのか?」 とは、全く別問題ww
それを 釈迦の真意=伝統仏教の教説 と無批判に主張するところに
問題ありと思うわけよww
(まあ、伝統仏教の中にもそのような超自然的な領域をはっきりと否定する
宗派もあるがww)
593 :
神も仏も名無しさん :2013/10/28(月) 23:17:23.45 ID:oA2LUmFA
釈迦は、認識不可能な生命(我)を、「無我」あるいは「無明」として対象化す るという、誤りを犯した。
594 :
神も仏も名無しさん :2013/10/28(月) 23:22:59.00 ID:oA2LUmFA
>>590 死とは、生理学上、「脳幹を含む脳機能の不可逆的停止」、即ち「生命現象の
停止」だから、即死者の目に映じる最後の世界は静止画であることは、科学的に
十分に推測できる。
輪廻転生など、身体に関することは、現在では、医学の専門分野。医学に
ついて無知蒙昧な宗教の出る幕ではない。
595 :
パーピマン ◆hVgvvzQ7pw :2013/10/28(月) 23:23:14.07 ID:mqAm1GAs
>>589 >例えば禅問答は現代の知見(唯物主義など)からしたら意味不明で
>その内容もファンタジーなわけでしょ
全く違うでしょ?w
論理的整合性がとれてないこと=ファンタジー ではないぞw
(そもそも、禅について「語ること」自体ものすごく嫌なんだがww)
禅というのは、我々が一般的に持っている見解、常識的視点の破壊が
眼目であり、そのために、あえて論理的不整合のお題をだして、それについて
どのように切り込んでいくかを問うわけだw
元より、回答なんかはないw 回答を出すことが目的ではなく、それを
考える過程において「自己が囚われていた固定的観念の破壊」が目的だからw
公案ってのは、そういうもんだと思うぞww
>>592 >現代人がもつ最も信頼できるツールは今のところ「科学」だよw
禅問答を科学では解釈できないですよね
また座禅の最中の人間の脳波は計測できても その人間が
どんな経験をしているか 外部から計測もできない
教典だけが残って その正しい解釈の口伝が失われることはありうるわけで
超自然の問題はそういった面で受容できるでしょ
ある特定の意識ではそう経験した
あるいは
口伝にそれらの事象の解釈が説明されていた
などね
>>595 座禅がある特定の日常と異なる意識に導かないとは思えませんね.
それを公案のやり取りで証明する
という解釈もありですよね
「自己が囚われていた固定的観念の破壊」
の後に人間はどういう状態になるのか
これは私の憶測だけど 仏陀の超自然的な描写は それと似た状態を表現したものだとも解釈できるんじゃない?
598 :
神も仏も名無しさん :2013/10/28(月) 23:28:21.14 ID:dOEsyGxd
>>594 単純に「それは死者ですか」
と言っているのだけど
話が通じないならもういい
599 :
神も仏も名無しさん :2013/10/28(月) 23:29:47.49 ID:68D3ii1k
仏教と女神転生シリーズがコラボレーションして欲しい 仏教と女神転生シリーズがクロスオーバーして欲しい 仏教と女神転生シリーズが共演して欲しい 仏教と女神転生シリーズが協力して欲しい
600 :
シモン・エレクシア ◆/bVPRrlaFM :2013/10/28(月) 23:33:31.76 ID:CHKqe/0S
だったらそれを文献学的、文学的に論証すればいい話。 手前勝手な憶測などいらん(笑)
601 :
神も仏も名無しさん :2013/10/28(月) 23:34:06.80 ID:oA2LUmFA
>>596 何言ってるのか意味不明。
身体のことは、科学について無知蒙昧だった釈迦やイエスではなく、いかなる
宗教の奇跡も及ばない驚異的な発達を遂げ、現在も遂げつつある、医学に任せ
なさいw。
現代の医者が、ヒポクラテスの医学で患者を治療したら、患者は死ぬw。
君ら宗教患者は、それと同じことをやっていることを自覚せよ。
602 :
パーピマン ◆hVgvvzQ7pw :2013/10/28(月) 23:35:07.84 ID:mqAm1GAs
>>596 俺が、問題としているのは「この現象界で起きる≪現象≫の是非」
だぞww
それらは、現実にそのような現象が観測されたか? あるいは、有意な
仮説により将来的にそれらが事実であると実証される可能性があるか?
・・・・・これら以外は、「ない」とするのが、「科学的スタンス」だw
もちろん、「現代の科学が未成熟で、・・・・が今だに発見されていない」
ということも可能さw しかし、それを許容してしまうと、「脳内で想像できる
全てのことが真実」となってしまうわけw
例えば、精神病院でわけの分からんこと喚いているおっさんが、実は
神様だった・・・・なんてこともあるかもしれないww
だれもそれを「完全に否定することはできない」 しかし、その可能性は
「限りなくゼロに近いでしょ」ww だから、そういうことはない・・・とするのが
通常人の正しい判断でしょ?w
要は蓋然性の問題さw
>>600 現代では座禅の見性体験も上座部の瞑想の経験もインタビューされ公開されていますよ^^
その是非の問題もあるし特別に取り上げないだけです
>>602 それはいわゆる物質を取り扱う科学のパラダイムであって
心理学など人間の心 意識を扱う分野徒は枠組みが違いますね
禅や上座部の行法などにしても 経典に記録されていたり経験上 特定の意識にあることは
判断できるわけで
特定個人だけの体験にとどまらない.状態があるわけですよ
それを仏教では現代の物質を扱う科学とは別のやり方で言語として記録した
じゃないですか?
605 :
パーピマン ◆hVgvvzQ7pw :2013/10/28(月) 23:44:02.63 ID:mqAm1GAs
>これは私の憶測だけど 仏陀の超自然的な描写は それと似た状態を表現したものだとも解釈できるんじゃない? ならんでしょ?wwww ブッダが空飛んだ話を聞いても、通常の人は「すごい存在なんだ」と 感嘆の気持ちを持つ者はいるかもしれんが、それによって、物事に対する自己の視点 の転換を可能にする奴はでてこんでしょ?wwww 釈迦の超常的記述は、自己が信奉する宗教の教祖の神格化が目的でしょ? それは、その当時の仏教の社会的情勢に左右される部分が大きいとは思うがねw 他宗との軋轢とか、同化、・・・・色々あったとは思うがw その根底には、やっぱり「自分が信じている宗教の開祖はすごい」と 思いたい素朴な願望があったと思うぞww
606 :
神も仏も名無しさん :2013/10/28(月) 23:50:17.03 ID:oA2LUmFA
>>598 「即死者が認識した最後の世界」と言ってるだろ。死とは、すべての生命現象
の不可逆的停止だから、死んだ瞬間から、認識も思考も不可能になる。
小学生にも劣るオカシナ質問をするなよw。
607 :
パーピマン ◆hVgvvzQ7pw :2013/10/28(月) 23:52:34.91 ID:mqAm1GAs
>>604 仏教の経典等に書かれてることに関して、
「ああ、なるほど、こういうことだったのか」・・・・という『頷き』
があるkとは、まさに、そのとおりだと思うがw
それが「超常的現象」と、どう結びつくのか?
禅などで、脳波測定をして類似の結果を得たとしても、 人間は
「集中状態」「リラックス」・・・等、様々な精神的状態において、
それぞれに対応する脳波が起こることは知られている。それが
超常現象の真実性と何か関係があるのか?w
>>605 後代の人々の畏敬の念が仏陀の神格化に行き着いたという推測もありだと思います
ただそれと同時に
仏教の種々の行法で到達した特別な意識状態を仏陀に仮託して表現した可能性もあると思いますよ
で
仏教的にはそういった意識の領域をさっさとくぐりぬけて解脱を目指すのでしょうけど
繰り返すけどその意味で私は一代氏の
「比喩、方便との但し書きがない限り全て真実」
に同意ですね
609 :
神も仏も名無しさん :2013/10/28(月) 23:58:33.38 ID:oA2LUmFA
生きた身体は、常に変化している。髪も髭も伸びるw。骨でさえ、全面的に 生え変わる。その意味で、生きた死体は、宗教者の大好きな「輪廻転生」を しているのである。 死ねば、身体の変化は不可逆的に停止するから、死とは「輪廻転生の停止」と いうことになる。 これが輪廻転生の最新医学的意味。
>>607 >超常現象の真実性と何か関係があるのか?w
超常現象に思えることが
どこで
起きたかでしょ?
自分が光に包まれた 視野にあるものと自分が一つになった 自分が宇宙大になった。。。などなど
いわゆる現代の科学では妄想と呼ばれるかもしれませんが 特定の行法の実践と固有の指導によって
個人のを越えた共通に経験が起きるのなら それを妄想で片付けるのはどうかと思います
個人の内的体験の評価の基準が必要ではあると思うけど 仏教には既にそれがあるのでは?
611 :
神も仏も名無しさん :2013/10/29(火) 00:01:02.73 ID:HmF8avo0
612 :
神も仏も名無しさん :2013/10/29(火) 00:10:31.11 ID:HmF8avo0
>>610 仏教の「悟り」とは、不自然な身体修行によって人為的に得られた個人の変性
意識(一時的な精神障害)を勘違いしているだけ。原理的には、「狐憑き」と
全く同じ。抗精神病薬の注射一本で回復する。
613 :
パーピマン ◆hVgvvzQ7pw :2013/10/29(火) 00:13:59.11 ID:dss9hYBM
>>610 つまり、こういうこと??
個人の内的体験で起きたことをブッダの超常化表現で表した?w
それでは、あくまでも「個人の心的状態内」での現象でしょ?
そりゃあ、瞑想状態にあるものが、「光に包まれた」みたいな体験を
することもあるでしょw しかし、それを、実際に万人が観測可能な
現象と同一に論じることはいかんでしょ?w
それを許容するのであれば、精神病院の患者が「私は神に会った」というのも
事実になってしまうw
彼は、真実「彼の意識の中ではそれを体験しているわけ」だからw
でも、それをもって「彼は神と会った」・・・・これを真実としていいのか?w
>>613 同じメソッドを同じ指導で実践した多くの人間が
固有の経験をしたのなら
>実際に万人が観測可能な現象
として評価できるでしょ
例えば ランナーズハイは.脳内物質の分泌として確認できるよね
仏教や宗教全般は そこでどのような体験を起こすかその内容を
教典や伝承として集約してるけど
つまりある程度は再現性や共有性があるわけ
精神病の患者は
心のバランスを崩した病的なもので
人為的に宗教的体験に導かれる状態とは違うよね
615 :
神も仏も名無しさん :2013/10/29(火) 00:22:43.01 ID:HmF8avo0
>>608 穴居時代の1個人の精神病の開祖のいうことなど信じないで、穴居時代
から現代に至るまでの巨大な科学的進歩のことを少しは勉強したらどうかw。
例えば医学史を一読すれば、宗教など一発で吹っ飛ぶ。医学書院から漫画でも
出ているw。
パーピマンは人文科学や社会科学は科学じゃないと思うクチ?w 確かニューサイエンスも嫌いじゃなかった?w 私は自然科学だけが科学とは思わないので まぁ今夜は私の主張はこんな感じということで^^
そりゃ サロメさんは死体が生き返ると信じる人 別に十字架の人を批判しないです
618 :
神も仏も名無しさん :2013/10/29(火) 00:35:24.46 ID:HmF8avo0
>>614 健常者が、わざわざ苦労して人為的精神病になる必要はあるまいw。
釈迦とイエスは、明らかに、生来的な精神病。信者は、その痛ましい感染者に
過ぎない。精神病は、患者と接する者に感染するのが、現代の精神医学の定説。
これを「感応精神病」「二人組み精神病(folie a deux)」と呼ぶ。
シュワイツアーの博士論文は「イエスの精神医学的考察」だったw。
620 :
シモン・エレクシア ◆/bVPRrlaFM :2013/10/29(火) 00:41:46.99 ID:OdRfCkVO
シリーズ大乗仏教に搭載された21世紀に入っての最新の仏教研究によると、 大乗仏典の起源は、従来言われた僧院の外の在家信者の改革運動ではなく、 僧院内部、それも部派仏教内部で禅定を積み、三昧の中で仏の教えの 奥義を体験したと自覚した出家僧による、経典創出運動にあるとのことだ。 当時、部派仏教の経は口伝で伝承されており、新たな仏説(経)は伝統と権威をもって 創出する余地がなく、経典という人から遊離した存在に仮託し、著者を秘匿して公刊せざるを得なかった。
621 :
パーピマン ◆hVgvvzQ7pw :2013/10/29(火) 00:42:42.87 ID:dss9hYBM
>>614 wwww だから、そのような共通体験自体を否定はしないさw
だからこそ、仏教は「来てみよ」となるわけだからw
だけど、それとブッダが空を飛んだ を何故、同一に論じるのか?ということww
ある一定のレベルまで修行が進んだ者たちが皆、空を自由に飛び回った
と証言してるわけではないでしょ?w
歴史上、「覚った」と言われる人の舌が、皆、伸びたとも言われてないでしょ?w
この、「空を飛ぶ」「舌が伸びる」等は、外部検証可能な出来事なんだよw
「個人の心的体験」とは、違うのw
ランナーズハイにしても、脳内物質の分泌として外部検証可能でしょ?
だから、確かにそのような状態はある・・・となるわけw
そして、「空を飛ぶ」「舌が伸びる」・・・これらは、一切、その検証が
なされていないのw
622 :
? :2013/10/29(火) 00:49:04.67 ID:Be6PGwpn
>>621 だからループになるけど
仏陀が空を飛んだり 舌が伸びる といった日常起こりえない現象の描写は
特有の意識状態での経験 そういうブッタを目撃したとか
あるいは
その描写を解釈する口伝我失われた
とか
解釈の余地があるわけ
無理に自然科学の枠組みで検証する必要もないわけですから
例えば浄土教方面でも不断念仏の行で世界が金色に輝いて見える。。などという体験が起きるらしいけど
そういった文脈かもしれないですよね
>>622 私はそのスレに今は書き込んでいないです
トリップ泥棒が得あたしに粘着してるのでご用心^^
まぁでも御気になさらずにね
625 :
? :2013/10/29(火) 00:54:01.45 ID:Be6PGwpn
626 :
神も仏も名無しさん :2013/10/29(火) 00:58:05.04 ID:HmF8avo0
>>616 >私は自然科学だけが科学とは思わないので
人文科学も科学だよ。但し、いずれの科学についても、不特定多数人に対する
「検証可能性」「客観性」「批判性」「反証可能性」が、その生命。
君も、科学が好きなら、「宗教の精神病理」や「宗教言説の真偽性」を分析、
解明、批判してご覧w。
627 :
パーピマン ◆hVgvvzQ7pw :2013/10/29(火) 01:02:35.96 ID:dss9hYBM
>>623 >特有の意識状態での経験 そういうブッタを目撃したとか ・・・
問題は、「ブッダが実際に空を飛んだか否か?」なんだよw
ある人間が、(実際は飛んでもいないのに)そのようなものを
目撃したら、それは幻覚なわけw
彼には確かに見えてたんでしょうw でも、それは他の者には見えないのw
そして、如何なる定量観測にもかからないw
そういうのは「幻覚」という語彙で描写される現象だよw
精神病院の患者も見るし、薬を使用すれば誰でも見れるw
ある特定の精神状態になれば、誰でも見れるものだろうが、そう言う人たちが
見たからといって、そのような現象が「実際に起きた」わけではないのw
あくまでも「その人たちにはそのように見えた」という範疇にとどまるわけw
628 :
? :2013/10/29(火) 01:09:04.35 ID:Be6PGwpn
>>627 >問題は、「ブッダが実際に空を飛んだか否か?」なんだよw
自然科学だけを尺度にすれば ですよね
それ以外の領域で考えればまた別の答えになるでしょ?
>ある特定の精神状態になれば、誰でも見れるものだろうが、
特定の行法で特定の指導の結果 時代を超えて多くの人間が体験できた結果を
幻覚と認定するのは 自然科学の領域の人間だけ とも言えるわけですよ
念仏の不断行で世界が金色に輝く体験は自然科学の領域では幻覚に分類するでしょうが
その体験によって体験者が人格によい変容が起きて人生を有意義に過ごせれば
また違う評価も出来るわけで
つまり繰り返すけど パーピマンが 信仰 でくくる問題もそういった自然科学とは異なる枠組みでの
事実
と評価することもできると思いますね
レス番飛んでるせいか、あまり実感がないがw、 3日前に建てたスレが既に600超えてんのか ┐(´ー`)┌ 誰か次スレのこと考えとけよ?w
631 :
神も仏も名無しさん :2013/10/29(火) 01:19:18.98 ID:HmF8avo0
>>628 現在の精神医学で実際に応用されている、宗教由来の「唯一の」治療法は、
浄土真宗の一派の「身調べ」に基づく「内観療法」。但し、「宗教的要素は
一切除外して」使用されている。
>>629 あぼんチェックでの横レス
>> 629(1・2行目)は、あまりにも頓珍漢過ぎるだろw
「内的体験の表明・表現・評価」のレベル(次元・枠組み)じゃないの。
たとえば、
或る人が、大粒の雨に打たれるような内的体験をしたとする。
そのとき、隣に居るBさんCさんが、「雨に振られている」という体験をするかどうか?
いや、もっと言えば、
BさんCさんの衣服が濡れるかどうか?
がポイントなの。
そこで、
或る人が、大粒の雨に打たれるような内的体験をしたとする。
そして、Bさん乃至Dさん等が追体験としてシンクロした体験をした集団Aがあったとする。
このとき、>> 614の如く集団Aの体験を614の如く評価できたとしよう。
このとき、集団Aを囲むEさん乃至Gさん(集団B)が、「雨に振られている」という体験をするかどうか?
いや、もっと言えば、
集団Bの衣服が濡れるかどうか?
がポイントなの。
解る?
ノシ
633 :
神も仏も名無しさん :2013/10/29(火) 01:34:22.01 ID:HmF8avo0
>>629 >体験者が人格によい変容が起きて
「現実感覚の破壊」という「悪い変容」が、すでに起きてるではないか。
この「悪い変容」は、殆ど一生涯、回復が不可能か、若しくは極めて困難
なのである。
いい大人が、人前で、あまりにも無責任なことを、口にすべきではない。
>>633 他人のいい悪いをおまえが決めるな。
そんなのは、本人が決める。
おまえは自分のことだけを行っておけばいい。
大きなお世話だ。
635 :
パーピマン ◆hVgvvzQ7pw :2013/10/29(火) 01:36:33.03 ID:dss9hYBM
>>629 だから、それは「個人の心的状態の変化」の問題でしょ?
オレは、仏教でいう「悟り」も「心的状態の変化」であり、他者に示せる
何らかの現象、例えば、いわゆる「神通」などが行えるなんて、これっぽっちも
思ってないw それらは全て「神格化」の一端だと考えてるからねw
人間が、ある特定の状態、(それが、修行であろうが、薬によるものであろうが)
そのような特異な精神状態にあるものが「見るもの」は、その人にとっては
「ある」でしょうw しかし、それはあくまでも「その人にとっては」なのw
それに比して、例えば「水は100度で沸騰する」という現象は、「誰がやっても」
そのようになるわけ。 実験者の精神状態に左右されるなんてことはないのw
また、実験者の宗教の違いに影響されることもないw
歴史上の事実に即して言えば、「広島に原爆が落とされました」・・・・・
これを「事実として認定」しない人がいるかい?
世界中の誰もが、宗教、心情、信念,信仰の相違にかかわらず、それを
「実際に起きたこと」として認めるでしょ? 何故か?
それが実際に起きたことであることを示す無数の証左が存在するからw
では、「釈迦が空を飛んだ」・・・・・これが事実であることを示す証左は?
経典にそのような記述があったから。 それだけでしょ? 勿論、それが絶対に
なかったとは言い切れないが、その蓋然性は極めて低いわけよw
簡潔にまとめると。。。
>問題は、「ブッダが実際に空を飛んだか否か?」なんだよw
自然科学ではありえないこと
人文科学として仏教を考えればそれはありえること
ある行法を特有の指導で実践することによって 仏教の共同体でそれが事実と
認識できるだけの体験が積み上げられた
それを口承と共に経典として成立させたが 口承が失われるなどして文面が
自然科学的な事実として一人歩きするようになった
いわゆる神話化のひとつの過程ですね
(仏教ではそういった超常現象は悟りの前の一局面で とらわれずやり過ごし通り抜けるべきもの
だといわれているそうですが)
だから自然科学の枠組みでは左右されるべき必要はない
禅の見性体験 悟り が自然科学で解析されるべきではないのと同じで
その意味で一代氏の意見に私は賛成
「比喩、方便との但し書きがない限り全て真実」
>>632 それは単純に集団Bが雨にうたれる体験をせず 雨にうたれる内的経験を共有しなかった
だけですよね
でも集団Aにとってはそれが現実なわけです
服が濡れていないことによって集団Bが雨は降らなかったといっても意味はないんですよ
こういえばいいかな?
戦前の平均的日本人に欧米人が
天皇が凡人で尊敬に値しない 現人神ではないということと同じわけですね
637 :
神も仏も名無しさん :2013/10/29(火) 01:46:08.97 ID:HmF8avo0
>>634 君もカルトだったのか。
宗教に嵌るということは、「自分では客観的な良い、悪い」が決められない、
即ち意思能力がなくなるということ。彼等は病識がなく、少しでも肯定されると、
その病的確信(妄想)を飛躍的に高めてしまう。
病人を放置、悪化させることは、人道に反するぞ。
638 :
パーピマン ◆hVgvvzQ7pw :2013/10/29(火) 01:46:59.38 ID:dss9hYBM
>>636 だったら、それは単なる「信仰」の問題でしょ?w
オレは信仰は否定しないよw
信じたい人は、信じてください というスタンスだからw
だが、それが他者にも観測可能な「個人的体験」を超えた『普遍的現象』である
というなら、「それは違いますよ」 となるw
「広島に原爆が落ちた」という事実と「釈迦が空を飛んだ」という事実を
同一には論じられない・・・・ということw
>>637 アホか。
おまえがカルトだよ。
自分を客観視してみろよ。
お前ごときに他人様にアドバイスできる資格があると本当に思ってるのか?
身の程を知れ。
640 :
神も仏も名無しさん :2013/10/29(火) 01:52:06.19 ID:HmF8avo0
>>639 君が宗教者なら、カルト対策に一度でも関与したことがあるのかね。
中東は言うに及ばず、史上そして現在も、宗教によってどれほどの紛争と被害が
生じているかも見えないのか。新聞読んでいないのか。
>>636 雨に打たれない、を逆にして、
集団Aが雨に打たれない(内的体験の)集団としよう。
この雨を3.11のような津波だとしても、
集団Aは津波に流されていない内的体験である、で済ますのか?
>>640 世界は経済で動いてる。
お前のようなカルトだけ、今でも宗教で戦争が起こっていると素朴に信じている。
643 :
? :2013/10/29(火) 01:55:48.24 ID:Be6PGwpn
>>631 ID:HmF8avo0 さんへ
> 現在の精神医学で実際に応用されている、宗教由来の「唯一の」治療法は
> 浄土真宗の一派の「身調べ」に基づく「内観療法」
> 但し、「宗教的要素は一切除外して」使用されている
宗教的要素を除外しても
心の働きが良い方向へ向かうのであれば良いと思います
ご教示 ありがとう (隠居先生かしら おじゃる?) 屮(_ ._)屮
644 :
パーピマン ◆hVgvvzQ7pw :2013/10/29(火) 01:58:49.45 ID:dss9hYBM
宗教者は、しばしば、この「個人的内的体験」というのを過大に評価 するが、現実は残酷だぞw どのような宗教の信者で、どのように信仰が篤くても、頭の上で 原爆破裂したら、皆、死んじまうw そういう局面では、個人の心的状態など全く役に立たんw 皆、死ぬww まあ、それがわかってるから、イランとアメリカが核問題でもめるわけだがww
>>635 >オレは、仏教でいう「悟り」も「心的状態の変化」であり、
神通に関しては私も保留 仏教で言う神通を経験していませんし
ただ
仏教という枠組みで仏教を論じる場合については 神通 が仏教の重要な要素なら
それを受け入れはします
そういった要素は仏教を理解する重要な要素であるならね
>人間が、ある特定の状態、
自然科学ではそうなのかもしれませんが 人間の共同体が形成する世界を理解するのであれば
個人を共同体に結びつける要素は非常に重要ですよ
それは いつ だれが どのように 行うかによって左右されるとしても 教導で形成される構造が
変化しなければ評価できると思います
>歴史上の事実に即して言えば、
原爆投下はそれこそ 目に見える事実 ですからね
しかし 目には見えないことでも共同体によって形成されたものは実効のある影響を及ぼす
戦時中まで続いた日本の天皇制なんかがそれの典型ですね
>経典にそのような記述があったから。 それだけでしょ?
だから経典の記述の評価の仕方ですよ
私はパーピマンと違って 御海を招くかもしれないけど『神話』は自然科学の外にあるリアリティだと思います
>>641 そうなりますね
最近目にするのだけど 西欧人が孤島に大きな帆船にのって訪れたとき その島の住民はそのハンセンが見えなかった
そういうエピソードご存知ですか?
集団Aにとっては別の認識の仕方で津波を認識するでしょうね 突然大きな力で呼吸を止められ打ちのめされたとか
646 :
神も仏も名無しさん :2013/10/29(火) 02:02:31.57 ID:HmF8avo0
>>642 金で解決できないのが宗教問題。キリスト教の殉教者は、殺されても、親でもない
赤の他人のイエスを棄てることが出来なかったではないか。
君は、金を貰えば、殺されるとなれば、自分の開祖・教祖を棄てられるのかね。
よーく考えてご覧。狂っているとは、どうしても思えないのかね。
>>646 そのレスがお前のカルト信仰(妄想)だよ。
>>638 信仰は個人だけのものではないし 共同体を形成するだけの人数が集まればそれは事実になりうる
原爆投下は物質的な事実
宗教的なものとは違うでしょ
>>644 共同体の神話の構造や人間の認識論の問題だと思うよ^^
ただ教典で仏陀の空中飛行や舌が長くなるとか どういう層がどのように受け止めて
伝えてきたのか非常に興味があるけど
人間は見える物も見えなくなるし 見えないものも見ることがある
だから仏典に関しては
「比喩、方便との但し書きがない限り全て真実」
に賛成です
649 :
? :2013/10/29(火) 02:07:57.85 ID:Be6PGwpn
>>630 さんへ
> 3日前に建てたスレが既に600超えてんのか ┐(´ー`)┌
> 誰か次スレのこと考えとけよ?
「 Lvが、たりません 」 と表示さると思うけど
950以降になったら
とりあえずスレ建てに挑戦してみます スマソ 屮(_ ._)屮
650 :
神も仏も名無しさん :2013/10/29(火) 02:08:34.13 ID:HmF8avo0
>>647 君は、金を沢山貰えば、又は殺されるとなれば、自分の開祖・教祖を棄てられる
のか、答えてくれ。
出来なければ、病気以外には無いだろ。
>>645 >集団Aにとっては別の認識の仕方で津波を認識するでしょうね
そう。そこが重要。
認識の色合いは異なっても、そこに、
(たとえば、肉体に、液体で包まれ、酸素の摂取が遮断され、流木や瓦礫にぶつかり・・・etc.といった負荷がかかるような)
事象が生じているわけ。
それは、認識をしようとしまいと【分け隔てなく】作用するの。
認識の仕方が異なっても【分け隔てなく】作用するの。
(たとえ、超能力者がバリアで守られるが如く作用を受けない、というようなSF場面を想像したとしても、
そこに、【或る事象が顕現している(所縁によって生じている)】ことに変わりはないの。
ここに相違が生じるのは唯識的に考えたときだけなの。)
652 :
パーピマン ◆hVgvvzQ7pw :2013/10/29(火) 02:09:56.83 ID:dss9hYBM
>私はパーピマンと違って 御海を招くかもしれないけど『神話』は自然科学の外にあるリアリティだと思います だから、それが「信仰」なんだってww 実際にそれが実在することを示唆する如何なる証左も存在しないもの・・・ (経典や伝承上のみに描写される存在)・・・・・それを信じることが信仰でしょ? 現象についても同様w そのような事実が実際に起きたことを示す如何なる証左も存在しない・・・ (経典や伝承上のみの記述)・・・・そのような現象を実際に起きた 事実であると認識するのは「信仰」だよw
>>650 あのさぁ。なんで、自分の狂った世界に人を連れ込まないと、会話が出来ないの?
くだらない人生歩み続けてきたんだろうなぁ。
何才か知らないけど、死ぬまでは遅すぎることないから、こんなところにいないで、人生やり直せ。
654 :
神も仏も名無しさん :2013/10/29(火) 02:12:27.46 ID:HmF8avo0
>>653 やっぱり、棄てられないということだなwww。
655 :
安堂 :2013/10/29(火) 02:13:13.65 ID:cjbY4f8S
そろそろ 私の出番ということかな
>>654 捨てるも何も開祖も教祖もおらんwww
これで悪夢から目が覚めたか?
657 :
パーピマン ◆hVgvvzQ7pw :2013/10/29(火) 02:13:39.76 ID:dss9hYBM
>信仰は個人だけのものではないし 共同体を形成するだけの人数が集まればそれは事実になりうる ならんよwww かつて、クリスチャンたちは、ほとんど「天動説」を信じていたでしょ? でも、それは「事実とは異なっていたでしょ?」ww それを信じる人たちの間だけでは、それは確かに事実かもしれないが、 現実の真偽とは無関係さww
658 :
安堂監察官 :2013/10/29(火) 02:15:42.32 ID:cjbY4f8S
あいかわらず こんな馬鹿馬鹿しい議論を継続できるとは最敬礼です∠(`・ω・´)
659 :
神も仏も名無しさん :2013/10/29(火) 02:16:20.01 ID:HmF8avo0
>>656 ならば何故、宗教で狂ったサロメをそれほど擁護する?
病人を放置するのは、人道と大人の常識に反することは確かだろ。
660 :
パーピマン ◆hVgvvzQ7pw :2013/10/29(火) 02:17:10.54 ID:dss9hYBM
>>658 よしよし、お前はいいから、ぽったんの相手でもしてなさいww
>>654 カルトのおっさん、自分が狂ってること、病院の先生だろうが、身内が言おうが、信じなくて、周りに迷惑かけまくってるパターンだろwww
>>659 もはや、意味不明ですwww
662 :
安堂監察官 :2013/10/29(火) 02:18:37.64 ID:cjbY4f8S
はいはい、 もう寝て頭を冷やしなさい。 そんで怒りをおさめろ。
自分のレスも見えなくなるのは不便だな・・w いずれにしろ、 一代の「仏典の記述は、記述のままその通りである」というのと サロメの「仏典の記述は、記述のままその通りである」というのは、明らかに違う印象を受ける。 どのような言い回しをしても、 前者は、認識論的に、当事者に於いて(のみ)、であるのに対して、 後者は、現象的に、当事者を越えて普遍的に、となっているように見える。 少なくとも、今一連の説明を聞く(レスを読む)限りでは・・・。
664 :
安堂監察官 :2013/10/29(火) 02:20:54.37 ID:cjbY4f8S
ポッたんの意向によっては このスレもポッたんが征服せざるをえない状況なのだそうだ・・・
665 :
パーピマン ◆hVgvvzQ7pw :2013/10/29(火) 02:21:22.76 ID:dss9hYBM
>>662 怒り???? 俺がサロメとのやりとりで怒ってると????
オメ〜〜、掘られすぎて頭狂ってんじゃねえの?wwwwwwwwwwww
666 :
神も仏も名無しさん :2013/10/29(火) 02:25:04.34 ID:HmF8avo0
>>664 また見慣れぬカルトが一人増えたな。何処の何系のカルトか、自己紹介キボヌ。
>>651 外界の事象がAや.Bの集団に同一に作用するのはその通りですね
ただそれが超自然の領域の(いわゆる変性意識)領域になると
日常の自然の領域で同一だと思われる事象も果たして同一であるのかどうか。。。です
>>652 そこは平行線ですね
私は自然科学以外の枠組みも考えるので
>>657 それは 自然 の領域をアリストテレスに丸投げしたものが権威になっていたからw
自然の領域に関しては学問も取り扱う権威であった教会に公然と逆らわなければ案外自由でしたよ?w
ただ超自然となると。。。私はそれを大前提にはしませんけどね
そこらへんはもっと考えて見ます
>>663 確かにその通りです
私はパーピマンが 信仰 と呼ぶ領域が変性意識によって認識される別の現実
日常の自然を超えた 超自然の領域に根ざすものだと説明しようとしています^^;
>>665 議論に付き合ってくれてありがとうねw
669 :
パーピマン ◆hVgvvzQ7pw :2013/10/29(火) 02:37:01.28 ID:dss9hYBM
一代ねえwww あいつは、俺とは立ち位置、真反対でめっちゃくちゃやりあったがww あいつは何て言うか、自己の見解を他者に強制しようとするのではなく、 あくまでも「自己の修養の範囲内」に収めようとする姿勢が見えたw 自己を仏教に専心させてその中で向上していこうとねw そういう真摯な姿勢が見て取れたので、一修行者としてそれなりの敬意を もつことができたなw (但し、しばしば、「それは仏教じゃない」と噛み付きまわっていたがww) 一代が、かつてオレに言ったことだが、 「宗教者がしばしば、自己の主張に過激になるのも、その信仰に真摯な 結果なんだ。それを理解してやってくれ。」・・・・ この一言は、「なるほど・・」と思ったが、・・・・ しかし、それにしてもアホ宗教者が多すぎるwwwwww
そりゃサロメはキリスト教徒でしょ? ならば普通の人が信仰や変性意識として処理する部分にも 客観的な事実が含まれている、としないと信仰が成立しなくなる。 キリスト教って言うのは、例えばイエスの復活を実際に起ったこと=客観的な事実として信仰するわけだから。 ただこれっていうのは、信仰者の共同体という枠を外して見ると 事実ではなく信仰として処理されちゃうんだよね。
パーピマンは一つも良いこと言ってないのに、 このスレでデカイ面してんね
672 :
パーピマン ◆hVgvvzQ7pw :2013/10/29(火) 03:09:43.03 ID:dss9hYBM
>>671 うん、そうww
オレはいいことなんて一つも言えないぞww
んで、後学のために、その「良いこと」ってのを、ひとつ言ってくれよww
頭ピーマン先生は優秀ですね で仏教徒 宗は ?
674 :
カラスの唄 ◆S5WLCcUno2 :2013/10/29(火) 07:38:13.14 ID:lTAPblNz
>>582 ヒステリー起こして発狂してんじゃねぇぞ、悪人。
普通の感性を持つ人が仏典を読めば業報輪廻転生は現実にそんなのあるないは別として
ゴータマや仏弟子達は現象世界にあるものとして、自分達の教義の根幹として語っているのは明らかと
感じるわけで、おまえがいくら千の御託を並べようともお前の主張は詭弁でしかねぇんだよ。
PS,
詭弁を好む人は詐欺師と一緒なので、皆さん相手にしないように。
675 :
パーピマン ◆hVgvvzQ7pw :2013/10/29(火) 09:03:52.48 ID:dss9hYBM
wwwwwwwwwwwwww ≪ カラスの唄≫ カラス科 アホカラス属 通常、カラス科は知能が高いことで知られているが、この種だけは 例外的に全ての鳥類の中で最も低い部類に分類される。 食性⇒ 雑食・・・目に入るもの全てを食すと言われ、特に人間の 出すゴミを好み、しばしば人家に侵入するので害鳥として 認識されている。 習性⇒ 「きべん、きべん」と鳴くので、別名、「きべん鳥」とも言われる。 非常に攻撃的で、自己以外の鳥類を見ると攻撃せずにはいられない 性質を持つが、知能が低いので鏡に映った自分の姿に攻撃を仕掛ける 光景がしばしば目撃されている。
676 :
神も仏も名無しさん :2013/10/29(火) 09:26:34.87 ID:q2QXuU0Y
>>674 >仏典を読めば・・自分達の教義の根幹として語っているのは明らか
そういうように「書かれた」自称<教義仏教>もある。
しかし、仏法は、対象化不能の書かれざる、説かれざる法である。
従って、仏法を、対象化して、それ自体を「悟る」ということはありえない。
677 :
神も仏も名無しさん :2013/10/29(火) 09:33:42.31 ID:q2QXuU0Y
>>574 >やはり前後裁断ではないのか。
あなたもダライ・ラマと同じく『世俗的分別と勝義無分別との混乱があります。』(
>>558 )
世俗諦的意味で勝義を『解釈』するのはナンセンスです。無意味な様相に意味を持たせて混乱しているw
・間接現実からの直接現実の示唆では(直接現実は非相対ですから、比喩で)、非生非滅の如く【般若門】です。
禅的には、非心非仏(無門関30)・非生非滅・非因非果・非業非報のそれぞれ四句第4(両端否定形)の如くです。
以上、色即是空:色 → 空
第一義空経では、これを『不實而生(滅)』といっています。
・直接現実からの間接現実の還滅では(直接現実と間接現実の統合連結で)即生即滅【還滅門】です。
ところで、道元のは、【般若門】を透過した勝義から世俗への【還滅門】の様相です。
禅的には、即心即仏(無門関33)、即生即滅、即因即果、即業即報、
以上、空即是色:空 → (還滅)色
第一義空経では、これを『生已盡滅』といっています。
678 :
カラスの唄 ◆S5WLCcUno2 :2013/10/29(火) 09:58:47.85 ID:lTAPblNz
>>675 だからよ〜。普通の感性を持ってる人は、神父が子供向けにサンタクロースの話をしたからといって、
同じく、現代の常識から考えてありえない復活までファンタジーとして語っているとは思わないで、神父は
あくまで復活とはキリスト教の教義の根幹として語っていると分別するんだよ。
それを貴様のような詭弁を好む悪人の手にかかると、一緒くたにしてしまい、神父は明らかにファンタジー
としてサンタクロースを語っているんだから、復活もファンタジーとして語っているんだという
論法を持ってきてるわけ。これを詭弁と言わずに何て言うんだよ。詐欺師が。
679 :
カラスの唄 ◆S5WLCcUno2 :2013/10/29(火) 10:08:14.56 ID:lTAPblNz
>>676 無始無終のてめえの勝義は、言葉で表現するならゼロの領域のことなんだよ。
この一切には無い。ではどこにあるのでしょう?お前の仏教は勝義を無理やり一切に閉じ込めているから
本質的には無意味なただの言葉遊びにしかなっていない。お前の仏教はただの言葉遊びでしかないから知っても、
だからなに?で終わる、現実的には糞の役にも立たないガラクタだ。それくらいは早く理解しようや。
ま、この人も禅系の人。バーピマンもそう。仏教をただの言葉遊びにしてしまっている禅宗は本当に性質が悪い。
仏教の看板を上げながら業報輪廻転生を頑なに否定しながら、これぞお釈迦様の仏教と邪見をばら撒いてる親玉も
ここだし。
680 :
カラスの唄 ◆S5WLCcUno2 :2013/10/29(火) 10:23:57.93 ID:lTAPblNz
なんか大王の仏教はトンチの答えを偉そうにもったいつけてるだけで、 その答えを知れば、ハイよくできました。あなたは悟りました。でも所詮はトンチに過ぎないので そんな答えを知ったところで現実には何も意味も無い糞の役にも立たないものだよね。 本当に下らない。公案系の禅宗はほとんどがそうなんだろうけど。
681 :
神も仏も名無しさん :2013/10/29(火) 10:26:50.37 ID:q2QXuU0Y
>>679 >お前の仏教はただの言葉遊びでしかないから
>>676 >>677 は<説似一物即不中>の消息を敢えてことばにしている。
矛盾なき消息なるが故に<無苦集滅道>(般若心経)
それを還滅して『言葉遊び』=言語ゲームというのは的確だ。
♪♪ 遊びをせんとや生れけむ、戯れせんとや生れけん、
遊ぶ子供の声きけば、我が身さえこそ動がるれ。
舞え舞え蝸牛、舞はぬものならば、馬の子や牛の子に蹴させてん、
踏破せてん、真に美しく舞うたらば、華の園まで遊ばせん。 ♪♪
682 :
パーピマン ◆hVgvvzQ7pw :2013/10/29(火) 10:39:30.29 ID:dss9hYBM
宗教者の中には、他宗への理解、敬意を十分有し、それを自己の信仰と 融和させて、有為に役立てるものもいるが、反対に自己のトンデモ宗教の 論理的補強に利用しようと、つまみぐい的に抜粋し、その真意を捻じ曲げて 使用するものもいるw そのような「なんちゃって宗教者」には以下の言葉がふさわしいだろう。 ⇒ 『混ぜるな危険』 wwwwwwwwwwww かあ〜〜〜〜〜、かあ〜〜〜〜〜〜wwwwwww
683 :
神も仏も名無しさん :2013/10/29(火) 11:04:51.91 ID:hT7hAuU/
>>677 >世俗諦的意味で勝義を『解釈』するのはナンセンスです。無意味な様相に
>意味を持たせて混乱しているw
中論は、「世俗的なことに基づかなければ、第一義は説示しえない」という。
即ち、第一義は、世俗的なことから一歩も逸脱してはならない、ということ。
道元さんは、それを見事に実行されている。前後際断も、世俗の悟りそのままでは
ないか。
衆生は、生存努力という「大修行」を通じて、すでに「還滅門」に達している。
「勝義」こそ、「無意味な様相」「無駄な観念の遊戯」「無意味な分別」「ナン
センス」であることを悟られたし。
禅とは、一切の宗教観念を去って、「生命(我)の声に直接耳を傾ける営み」
であると解する。座禅は、生存努力の擬制に過ぎない。無意味な観念の遊戯と
分別の塊である釈迦やSnを持ち出し、それに執着することは以ての外であろう。
684 :
神も仏も名無しさん :2013/10/29(火) 11:30:21.44 ID:hT7hAuU/
>>668 >私はパーピマンが 信仰 と呼ぶ領域が変性意識によって認識される別の現実
>日常の自然を超えた 超自然の領域に根ざすものだと説明しようとしています^^;
自然に100%依存しなければ生存できない人間が、超自然を語ることほどのナンセンス、
倒錯はない。精神医学は、その倒錯を治療の対象とする。すべて、科学について無知蒙昧
だった古代人釈迦やイエスの精神病の集団的一大感染という精神医学的現象に過ぎないこと
を自覚して、治療に専念されたし。精神医学が存在しなかった当時は、精神病であることが
判らず、希少な精神病者が珍重されただけの話。精神病は、他のすべての病気と同様、
何時の時代にも発生する。宗教は、現代では「狂人の見世物小屋」である。別に「ありが
たいもの」でも何でもないよw。肯定出来る要素は「皆無」である。弊害のみ。
人文科学って名前にこそ科学とあるけど、文学、哲学の総称としてなら 科学ではないよね。それとも科学的見地から文学、哲学を研究するものなの? 変容意識は簡単なものは夢ですね。寝て夢をみるのと同じようなものでしょう。 瞑想の変容意識で極楽浄土や輪廻転生が見えたとしても、そのような世界が実際に あるわけではない。 人間が認識できない形而上の問題を棚上げして問題にしない〜この仏陀の姿勢に学ばなければならない。 神通などは仮にあったとしてもそんな世界は全く重要ではなく、人生に真正面から取り組む事の方が 遥かに大事。スピリチュアルな世界に焦点をあてて捉えるのは仏教の誤った捉え方だと思います。
686 :
宝珠@神智学徒 ◆9XuF3XEACk :2013/10/29(火) 12:17:04.87 ID:q2VTtR+U
>>429 同意します。
>>434 その根拠になっているのが輪廻なんですけれどね。
ちゃんと理由があるから。
687 :
宝珠@神智学徒 ◆9XuF3XEACk :2013/10/29(火) 12:20:18.02 ID:q2VTtR+U
>>363 問1A:
まず、人類の進化という場合には、肉体上の形態面の進化と内面の霊的進化という二つの側面を知る必要があります。
ところが自然科学というのは形態面の一方だけであり、また対するキリスト教などの場合は霊的な面だけを見て進化論
を否定しているわけです。この双方、どちらも一面しか見ようとしていないところに根本的な間違いがあります。
神智学の教えによれば、地球上の動物人間に魂が吹き込まれたのは、今から1850万年前です。ただし、当時のどのよ
うな段階の人類祖先にそれが起こったのかは明確にはされていません。
688 :
神も仏も名無しさん :2013/10/29(火) 12:25:24.74 ID:q2QXuU0Y
>>683 >第一義は、世俗的なことから一歩も逸脱してはならない、ということ。
相が違う(中論24-8)。幻の如き富士山(同25-19)の様相には闇夜のカラスも飛ぶ相もある。
道元のは、【般若門】説似一物即不中を透過した、【還滅門】還滅(間接)現実での言語ゲームによる還滅示唆だ。
禅的には、世俗から見れば?????でも、【一切門】の菩提心凡夫への対「機」(気づくきっかけ・ヒント)になりさえすれば何でもいいのである。
それ自体に意味はない言語ゲームだからだ。
一休には闇夜のカラスの鳴き声が「機」となった。
>衆生は、生存努力という「大修行」を通じて、すでに「還滅門」に達している。
並走しているトップ走者と周回遅れ走者を、こじ付けて同一に扱うのは間違っている。
間接現実と還滅(間接)現実では、同じように見える間接現実でも相が違う。
>「生命(我)の声に直接耳を傾ける営み」
お前の生命(我)とやらの声に直接耳を傾ければ、「貪り」「怒り」「愚痴」という苦しみの声ばかり聞こえるぞ。
>分別の塊である釈迦やSnを持ち出し、それに執着すること
仏法は仏法離脱をもって本懐とする(Sn.1072,金剛般若経6、中部22)。
689 :
宝珠@神智学徒 ◆9XuF3XEACk :2013/10/29(火) 12:30:12.17 ID:q2VTtR+U
自然科学の説く人類祖先(アウストラロピテクス等々)の解説年代というのは、実際とは全く異なるものとみています。 化石などの年代特定に用いる放射性炭素年代測定などというのは実にあやふやなものなのです。 神智学の視点からは、魂が宿ってからが人類の発生(それ以前を動物人間という)だと見なされます。そして、人間とし ての魂が吹き込まれなかった他の諸動物というのは、現状のままならば、この後、何億年を経ようとも人類に進化する ことはありません。彼らは、また別の生物魂を所持しているのです。
690 :
宝珠@神智学徒 ◆9XuF3XEACk :2013/10/29(火) 12:34:26.55 ID:q2VTtR+U
>>363 問2A:
神智学が説くところによれば、この太陽系にはまだ知られていない三つと他に七つ(ヴァルカン系、金星系、地球系、木星系、天王星系、
海王星系)の合計10の惑星系スキームが存在しています。この惑星系には、またそれぞれに七つの所属惑星(アートマー天体、ブッテイ天体、
高位メンタル天体、低位メンタル天体、アストラル天体、濃密物質天体)を抱えて構成されています(保有構成は各惑星系で異なる)。
691 :
神も仏も名無しさん :2013/10/29(火) 14:30:13.54 ID:HbJuKGLd
>>688 >相が違う(中論24-8)。
それが、観念による、無意味で余計な分別。中論24−8は、批判のために
釈迦の2諦を引用しただけ。「世俗的なことに基づかなければ」で、2諦を
実質的に否定している。「あるがままの(眼に映じる)世界」の中に真理を
見出すのが禅のはず。それを超えた観念操作が、迷妄なのである。
>お前の生命(我)とやらの声に直接耳を傾ければ、「貪り」「怒り」「愚痴」
>という苦しみの声ばかり聞こえるぞ。
それが生命の声なら、それが真実。すべて、生命の維持のための必要性から
生じたものであることを、理解すべし。
覚者と凡夫とを差別した時点で、釈迦は落第。
「死にとうない」。これが一休の、そしてすべての人間・生物の「究極の悟り」で
ある。禅者一休に学べ。
692 :
宝珠@神智学徒 ◆9XuF3XEACk :2013/10/29(火) 15:02:22.85 ID:q2VTtR+U
>>690 のつづき
魂の進化の流れはロゴスの御径綸プランに沿って概ね決まっており、魂は各所属惑星を循環する七天体期を過ごして一環ラウンドとし、これ
を七環ラウンド繰り返して一連鎖期チェーン。更に七連鎖期を経てようやく惑星系の一進化系サイクルを終了します。
そして我々、地球人類の進化レベルの位置はこの中にあって、第4連鎖期中の第4環の中期にあるということです。その地球の進化レ
ベル(惑星ロゴスの進化レベル)はこの太陽系内では下位の方にあって五つ(未発見含む)の非神聖惑星の中の一つです。神聖惑星は七つありま
す。
*投稿規制がキツくて小出しにて失礼しています。
693 :
? :2013/10/29(火) 15:19:37.73 ID:Be6PGwpn
とりあえず 仮設としての この世の現象的な生滅と 究極とされるもの を両方とも理解して下さい と言う意味だと思ふ 第二十四章 四つの聖なる真実(四聖諦)の考察 二諦 この世の現象的なもの 究極とされるもの 9. この二つの「もの」の間に引かれた 区分を理解しない者は ブッダの深遠なる真実をも 理解しないであろう 10. 現象的「もの」の中に存する根拠なしに 究極なるものの重要性は説き得ない 究極なるものの重要性を理解することなしに 解脱(涅槃)は達成され得ない
694 :
? :2013/10/29(火) 15:36:00.45 ID:Be6PGwpn
>>693 の続き
私(ID:Be6PGwpn)の今の段階は
チベット・ゲルク派の自立論証派の段階で
有相唯識の段階なので
「 究極とされる 」 とは、どのようなものなのか、わからないけど
例えば、仮に
想受滅させて
縁起したものを離れ
思弁の領域を離れた寂静なる境地であり
苦しみを性質とするものの滅尽であり
形成作用の寂滅であり …
と言うような事なのかも
695 :
宝珠@神智学徒 ◆9XuF3XEACk :2013/10/29(火) 16:17:55.40 ID:q2VTtR+U
>>363 問2A:
神智学が説くところによれば、この太陽系にはまだ知られていない三つと他に七つ(ヴァルカン系、金星系、地球系、木星系、天王星系、
海王星系)の合計10の惑星系スキームが存在しています。この惑星系には、またそれぞれに七つの所属惑星(アートマー天体、ブッテイ天体、
高位メンタル天体、低位メンタル天体、アストラル天体、濃密物質天体)を抱えて構成されています(保有構成は各惑星系で異なる)。
696 :
神も仏も名無しさん :2013/10/29(火) 16:44:24.19 ID:HbJuKGLd
>>693 物は「あるがまま(衆生の眼に映じるまま)」が究極で真理。それを超える「究極」は、
釈迦の脳内妄想に過ぎない。
697 :
宝珠@神智学徒 ◆9XuF3XEACk :2013/10/29(火) 16:53:48.21 ID:q2VTtR+U
>>692 つづき
また、太陽系ロゴスの進化レベルは銀河系内における下位の方です。だから、まだまだ様々な問題が起こります。
我々の太陽系内には異なる10の魂群グループがあり、それぞれに進化系をプランに沿って歩んでいます。もちろん、いずれもすべてがロ
ゴス御自身の分霊モナッドです。
尚、これ以上のことは、私にも不明です。
>>695 重複誤爆
698 :
神も仏も名無しさん :2013/10/29(火) 16:58:42.18 ID:HbJuKGLd
>>694 統合失調症の患者は、対象をあるがまま(眼に映じるまま)に受け入れられ
なくて、何となく「不気味に」「意味あるように」感じる。これがまさに、
釈迦や釈迦カルトの心理状態である。
>>698 事実や現実が出発点になることは、隠居の言うとおりだろう。
宗教がキチガイのたまり場なのもその通り。
ただし〜 神秘的な世界があるのも事実なのだよ〜
生命生命と言う以上、その生命と早く出会ってほしいなあ。
あまりの神秘にびっくりすると思うよ (^^)
700 :
神も仏も名無しさん :2013/10/29(火) 17:48:51.58 ID:KnTaBXNN
>>583 >>620 シモン氏の書き込みはいいね。内容が濃くて学ぶことが多い。
釈迦の舌が伸びるのは、仏法が各地に広まったことを喩えている暗喩かも。
禅定、三昧が大乗経典の背後にあるなら、いままで理解不能だった話も
多少は理解できるかもしれない。業がつきたという漏尽通はある。
過去世を見通す天眼通、宿命通は100%ない。輪廻を見通すことは不可能。
しかし坐禅中に、前世を思わせる自分(アラヤ識)に出会う。
だから輪廻がないとも言い切れない。そういう意味をこめた無記ですね。
701 :
神も仏も名無しさん :2013/10/29(火) 17:58:39.94 ID:HbJuKGLd
>>699 神仏とは異なり、己の生命(我)は、己が対象化できない唯一の存在だから、
出会うことも、知ることも、語ることも出来ない。
しかし、生命現象なら、対象化できる。生命現象の神秘、驚異、複雑さは、
人為的な宗教などとは比べ物にならない。宗教の教典など、幼児の絵本程度。
大の大人が、大真面目に読むものではない。
702 :
神も仏も名無しさん :2013/10/29(火) 18:01:03.64 ID:q2QXuU0Y
>>691 再び、隠居には投了を勧告する。(
>>393 )
>「世俗的なことに基づかなければ」
>「あるがままの(衆生の眼に映じたまま)世界」(
>>696 )
『心(想い)の対象が滅するときには、言語の対象も滅する。そこにあらわれる様相は不生不滅であり、実にニルヴァーナの如くである』(中論18-7)
これが縁起の直接現実(あるがまま)の現観【般若門】だ。』(
>>557 全体参照)
<心(想い)の対象が滅する>様相(勝義)とは、『衆生の眼に映じる』<言語の対象>の様相(世俗)ではない。
ブッダや龍樹にとって縁起の現実には二相(彼岸と此岸)がある、と言うことだ。
>「死にとうない」。これが一休の、そしてすべての人間・生物の「究極の悟り」で
間接現実でも「孤絶・孤我」でなければ、「風狂」はない。
一休にとっては、還滅現実(無分別の分別)での「即孤我即無我」の「風狂」であり、
*徹底した孤独我は、強力な特異点だからこそ、逆説的に無我と消去される(ウィトゲンシュタイン)。
その孤絶のなかで、すべてを包み込む森女に如来の慈悲(無我)を観たのだ。
「死にとむない」に森女への感謝以外の意味はない。
もうこれ以上は見苦しいぞ。
閻魔はさ、世俗と勝義を縁起させてる印象を受ける。 間接現実(世俗)と直接現実(勝義)を縁起させたら落第だな。 空は空ではない。それを空という。みたいなことを言うし、 般若門とか菩提心門とか一切門とか意味不明な言葉を使うから、 自分自身が混乱してしまうのではないだろうか。 もっと簡単に、わかりやすく言ったらどうだろう。 自分の誤りが見えてくるよ。
>>701 自分自身を対象化する方法を教えたのが釈迦ですね。
それが縁起の理法であり、四諦八正道です。
705 :
神も仏も名無しさん :2013/10/29(火) 18:22:50.96 ID:HbJuKGLd
>>702 >そこにあらわれる様相は不生不滅であり、実にニルヴァーナの如くである』
>(中論18-7)
まだ、「言語で対象化」しているw。釈迦の2諦を完全に論破するための、
竜樹の表現の苦労が、手に取るようにわかるw。
706 :
宝珠@神智学徒 ◆9XuF3XEACk :2013/10/29(火) 18:24:26.84 ID:q2VTtR+U
>>379 1/2
うーむ・・。何と言ったらいいでしょうか。。。
確かにまず、「界」(階層)や物質、存在といったものに対する理解を増す必要性があるでしょうね。
神智学によれば、物質界にはまず個体・液体・気体の三界の上位にエーテル界の4つの亜層があるといっています(間もなく存在が確認
されるという)。そして、アストラル界層の7亜層、メンタル界層の7亜層(ゴーザル界含む)があり、更に、ここから上位は純粋に霊的な
界となりますが、ブッディ界層、アートマ界層(ニルヴァーナ境)、アヌパーダカ界層(モナド界)、アーディ界層(ロゴス界)として分類して
います。
707 :
神も仏も名無しさん :2013/10/29(火) 18:25:11.37 ID:q2QXuU0Y
>>703 >もっと簡単に、わかりやすく言ったらどうだろう。
説似一物即不中、隔靴掻痒を自覚しつつ、
勝義を示唆するひとつのツールとして言語を使う(中論24-10)のなら、
できるだけ厳密に規定した、菩提心自己で如理作為した自分の言葉で語るしかない。
龍樹も道元もハイデガーもウィトゲンシュタインもすべて自分の言葉で語った。
決して他人の言葉では語らなかった。
全く未熟ながら、先達のマネをしているだけさ。
根本はブッダの「追体験と再創造」にある。
708 :
神も仏も名無しさん :2013/10/29(火) 18:29:13.62 ID:HbJuKGLd
>>702 >「死にとむない」に森女への感謝以外の意味はない。
森女のためにだけ「死にとうなかった」のか。しかしそれも、「人間」としての
立派な悟りだw。
閻魔が投下した24章20詩から、24章をテーマにしよう。 40詩はどんな意味なのだろうか? 「この縁起を見るものは、すなわち苦、集、滅および道を見る。」 これは竜樹の立場なのか、そうでないのか。
710 :
神も仏も名無しさん :2013/10/29(火) 18:38:37.08 ID:HbJuKGLd
>>707 禅僧なのに、理屈が多すぎ。観念まみれ。何で、西洋哲学者の名前まで出てくる?w
釈迦にまだ執着しているようでは、悟りなど永遠に不可能。
少しは黙って座ってろ。
隠居との議論は無駄だぞw 説得はもちろんだけどwww
712 :
神も仏も名無しさん :2013/10/29(火) 18:54:54.82 ID:HbJuKGLd
>>709 >これは竜樹の立場なのか、そうでないのか。
「(釈迦の縁起ではなく)竜樹の縁起(無自性空)を見る人は」の意味であろう。
竜樹の全力投球による、釈迦の縁起の否定である。
両者の縁起は、意味が全く異なる。
議論ではなくて、生命をテーマにした紙一重の話ですね。 しかし、その紙一重が千里の遠さかもしれない。 それもこれも隠居次第ですね。
714 :
宝珠@神智学徒 ◆9XuF3XEACk :2013/10/29(火) 18:58:35.17 ID:q2VTtR+U
2/2
大雑把にいえば、我々の意識の焦点がより高い境地に留まることができれば、それより下位の界における諸法則と制約からは解放され
自由を得ます。最終的には、物質を自分で意のままに創造もできるようになり、出現させることも変成することも掻き消すこともできま
す。もし望むならば、自分が使用する理想的な肉体も自分で作り上げてこれを着用することもできます。
そういう境地にまで到達すればですが・・・。
>>706 訂正
コーザル界
715 :
神も仏も名無しさん :2013/10/29(火) 19:01:03.80 ID:HbJuKGLd
>>719 中論も、その系譜の道元も大乗仏教も「生命教」。釈迦仏教とは、千里の
遠さがある。
.
キチガイ隠居.とうとう自分で「>>生命教」の看板上げてるw
>>715 .
>>712 同じように読んでいたが、改めて読み直すと、
どうも説一切有部の縁起のことではないかと思い出した。
24章の話の流れと、「この」という指示語からすると
説一切有部の縁起のことかもしれない。
説一切有部は、苦、集、滅、道のそれぞれに「有」を想定するから、
それらが個別に見えるだろと、竜樹が皮肉っている。
そしたら正反対になる。
718 :
神も仏も名無しさん :2013/10/29(火) 19:26:17.47 ID:HbJuKGLd
>>717 第24章の結論部分だよ。釈迦の「苦」はどちら?
釈迦の「苦」が中論の空なら、釈迦は「苦を苦にしないでよい」ということになるw。
般若心経では「無苦集滅道」。
.
>>718 己の苦を以って苦を対象化できないw by キチガイ隠居の生命教
.
般若心経に「無苦集滅道」という言葉がある。 え〜心経は四諦を否定しているのかと思ったが、そうではなく、 説一切有部の、苦集滅道に実体があるという考え方を否定しているのか。 有部は命題にも実体があると考えていたらしい。 この現実は、空とは無関係に苦集滅道が成立している。
721 :
神も仏も名無しさん :2013/10/29(火) 19:40:46.62 ID:HbJuKGLd
>>719 苦は、多くの生命現象のうちの一つに過ぎないから、対象化は可能である。
「生命=苦」と対象化、実有化してしまったのが、釈迦の誤り。キリスト教の
「生命=罪」と、同じ誤り。
722 :
神も仏も名無しさん :2013/10/29(火) 19:44:11.22 ID:Q7L3lmfQ
石飛さんがブログで般若心経のことについて触れていたが 彼女は理解できていたな
. キチガイが「頭が爆発しそうだ」と苦を訴えても. その苦を.お前はどうやって知ると言うのだ? 嘘かも知れないし.気のせいかもかも知れない. . 生命教によればw
724 :
神も仏も名無しさん :2013/10/29(火) 19:51:45.31 ID:HbJuKGLd
>>723 あくまで「我の苦」の話をしている。釈迦は「すべての人間が苦である」ことを
知ってたらしいw。
.
>>724 お前.元精神化の医師だ.最高の国家資格所有者だと言って威張っていたよな.
釈迦のことでなく.「生命教のお前はどうなんだ?」と聞いて居る.
自分自身で「>>生命教
>>715 」と言ったばかりだろう. 誑かしもたいがいにしておけ.
.
>>721 苦を対象化、実有化したのは説一切有部ですよ。
説一切有部が、一切は有と言ったのは間違い。
しかし龍樹が、一切は空と言ったのも間違い。
真実は、有でもなく空でもない、ということだろうか。
727 :
神も仏も名無しさん :2013/10/29(火) 20:53:07.99 ID:SEP9QeQp
>>700 >過去世を見通す天眼通、宿命通は100%ない。輪廻を見通すことは不可能。
>しかし坐禅中に、前世を思わせる自分(アラヤ識)に出会う。
もう少しで天眼通、宿命通のようですのに、実に惜しい方ですね。
728 :
神も仏も名無しさん :2013/10/29(火) 20:54:07.70 ID:HbJuKGLd
>>726 少なくとも中論では、一切は空。「相対性でないものは、ない」。
729 :
神も仏も名無しさん :2013/10/29(火) 20:57:20.38 ID:SEP9QeQp
>>726 >説一切有部が、一切は有と言ったのは間違い。
しかし龍樹が、一切は空と言ったのも間違い。
真実は、有でもなく空でもない、ということだろうか。
もし説一切有部が、一切は空と言ったら、龍樹は一切は有と言ったでしょう。
真実は、有でもなく空でもない、というよりも、「有でもなく空でもない」と言えないことでしょうか。
まあ、あまり中論を読んでおりません者の私見です。
流れが速いですね^^
>>670 宗教の取り扱う領域を自然科学ではなく人文科学 あるいは
社会科学で熱かったらどうなるでしょうかね
信仰による意識の変容は 自然科学では脳波や脳内物質の変化という部分でしか扱えないわけでしょ?
体験そのものについてはべつの方法で調べる必要がある
現代は禁忌であった禅の見性体験や上座bの瞑想体験の具体的な内容でさえインタビューされ記録されているわけで
一歩間違えるとトンデモの世界に踏み込みますけど 思えば仏教に限らず宗教全般 そうやって聖典や教典が
形成されてきたともいえるわけで
>ただこれっていうのは、信仰者の共同体という枠を外して見ると
>事実ではなく信仰として処理されちゃうんだよね。
自然科学の領域ではね
宗教間同志では互いに畏敬しあうと思います
>>728 一切という言葉にだまされているような気がしませんか。
もともとがアビダルマの五位七五法にある上座部の言葉ですよね。
一切だとか一切外だとか言ってるから混乱する。
それより生物と物質の方がしっくりすると思うがどうでしょうか。
生物は空なのか、物質は空なのかならわかりやすい。
生物の生滅は「生命」で説明できる。
物質の生滅も「原子やエネルギー」で説明できる。
これが実体ではないですか。
>>685 人文科学には心理学や人類学も含まれます
まぁキッチリ区分できるものでもないですけどね
>変容意識は簡単なものは夢ですね。寝て夢をみるのと同じようなものでしょう。
>瞑想の変容意識で極楽浄土や輪廻転生が見えたとしても、そのような世界が実際に
>あるわけではない。
夢は脳内のデフラグ作用らしいですけど 瞑想体験はどうでしょうね
個を超えた意識の 超個的な意識の領域が存在しさらにそれを突き抜けて。。。
というトランスパーソナル心理学の扱う領域が存在しうると思います
ここら辺は扱いに注意が必要ですけど
>神通などは仮にあったとしてもそんな世界は全く重要ではなく、人生に真正面から取り組む事の方が
>遥かに大事。スピリチュアルな世界に焦点をあてて捉えるのは仏教の誤った捉え方だと思います。
おおむね同意です 魔境という呼ばれ方もする体験ですし仏教の行法でそういった非日常経験を求めることは
わたしも否定的です
ただ個を超えた体験による人生の肯定的な側面もあるので それらを全て否定的に 病的なものだとも思いません
自分から求めず経験してもとらわれない さっさと通過すべき領域と思います
>>732 追加
トランスパーソナル心理学もカルトやスピリチュアル方面に悪用されやすいから要注意なのですが^^;
有部も竜樹も、この現実における同じ生起消滅を前にして、 有だとか空だとか論争する。しかし現実は、有や空にお構いなしに生滅、 因果関係と相関関係を成立させている。そうしたらもしかして、 この現実は有でもなく空でもないかもしれない、と考えてもよさそう。 生起消滅があれば → 必ず空である、とは言い切れない。 物質の実体は、原子あるいはエネルギーであることがわかっている。 生物の実体は、生命を確認すればいい。確認できたら空は否定される。
735 :
シモン・エレクシア ◆/bVPRrlaFM :2013/10/29(火) 21:52:58.79 ID:OdRfCkVO
>>700 舌の比喩というのは汎宗教的に存在するからね。
例えばヨハネの黙示録ではキリストが
「また、右手に七つの星を持ち、口からは鋭い両刃の剣が出ており、顔は強く照り輝く
太陽のようであった」とある。
古代ユダヤでは鋭利な言葉の力を剣で象徴してきた。
ここでは審判で善悪を分けるイエスの言葉の鋭利さを象徴している。
興味深いことにアステカの太陽神トナティウも有名なアステカのカレンダーの
真ん中で長々としたをぺろりと垂れ下げるが、それも世界を創造する神の
言葉の力を象徴すると解釈されている。
もっとも釈迦の舌伸びがどんな文脈でそうなったのか知らないから、これらを
同様に解釈できるかは知らん。
こう考えてくると、中論24−20は完全に誤りですね。 たとえば、水は蒸発して雲になり、雨になり川になる。 見た目には生起消滅するが、原子レベルでは何も損なわれていない。 生物も肉体は生起消滅するが、五蘊ではない「生命」= 実体は変化しない。 この現実は、空ではないということです。
>>730 いや社会科学の領域でも、だよ。
例えば社会科学の領域でイエスの復活や輪廻転生を扱うときは
それを事実として扱うのではなく、そのような信仰として扱う。
もちろん、実際にそういう現象があったかどうかを検証する人もいるよ。
でもこういった超自然的現象はアカデミックなレベルでは一般に賛同を得られてはいないよね。
宗教者同士でも教義や信仰内容が異なる部分は事実としてではなくそれぞれの信仰として扱うよね。
例えばキリスト教は涅槃や輪廻を事実だとは認めないだろうし
仏教はイエスが神であるとか復活したとかが事実だとは認めないよね。
738 :
神も仏も名無しさん :2013/10/29(火) 22:13:23.63 ID:HbJuKGLd
>>734 中論の空を「相互依存性・関係性・相対性」と解すれば、空ならざる存在は
ない。生命も、両親の相互依存の結果だし、その親、その又親も同様である。
即ち、父母未生以前の面目。また、生命界は、徹頭徹尾共同体であり、個は
他との関連においてのみ存在し得る。
中論の空は、万物・万人に通用する、唯一の普遍の真理である。
>>736 いやいやw
諸法が縁起してある、っつーのは、
「点が集まったり散ったりする」ことじゃないから・・w (^^;)
740 :
神も仏も名無しさん :2013/10/29(火) 22:19:27.51 ID:HbJuKGLd
>>736 原子レベルでも、その関係性が変化する。原子もまた、素粒子の関係的集合体
である。
>>737 だから自然科学的な方法論では扱わない ってことですよ
信仰に含まれる超自然的な現象は自然科学の方法論には馴染まないので
それを信仰する人間そのものを研究する
それによって信仰そのものを追及してゆく
>宗教者同士でも教義や信仰内容が異なる部分は事実としてではなくそれぞれの信仰として扱うよね。
敬意を持って ね
そもそも 信仰 をあくまでも 事実 ではない個人の主観の世界に限定するものだとお考えなのでしょうか?
>>736 中論が誤りかどうかは知らないけど
そこに挙げてるような例は単にタイムスケールを短く取ってるからってだけでしょ。
宇宙の歴史レベルまでスケールを延長すれば最初の頃は
原子は陽子・中性子や電子に、さらにはクォークに分解されてるし
さらに遡ればはエネルギーと区別がつかなくなるし、
生命は40億年程度のスケールで、
たまたま我々が知っている地球上に発生した生命が自己複製情報としてDNAを共通に使ってるってだけで
数十億年後に生命がどのような進化をしてるかわからないよ。
宇宙にはもしかしたら他の高分子を遺伝情報に使う生命体がいるかもしれないし、
そもそも遺伝という形を取らない生命のあり方が存在してるかもしれないし。
なんにしても現在までの科学的成果を一応認めるなら、原子も生命も何かが変化してできあがったものだよね。
743 :
神も仏も名無しさん :2013/10/29(火) 22:29:59.26 ID:HbJuKGLd
生命は、宗教を含む人間のすべての営みの根源。大宇宙を認識して存在あらしめる のも生命。神概念を作ったのも生命。死者には一切不可能。 従って、生命が最上位次元である。生命から見れば、釈迦もイエスも、その 奴隷・奴婢に過ぎないのである。 生命も、自然から発生し、自然の一部である。しかし、自然を認識し、それを 利用できるのも生命だから、生命の根源性、最高次元性は揺らぐことはない。
>>741 信仰を研究するのも信仰を追求するのも一切否定しないよ。
ただ一般レベルで、あるいは科学(社会科学を含む)レベルでは
少なくとも今は事実認定されてないよね、ってこと。
> そもそも 信仰 をあくまでも 事実 ではない個人の主観の世界に限定するものだとお考えなのでしょうか?
個人の主観ということもあるだろうし、共同体に共有された信念ということもあるだろうね。
事実としては扱わないなあ。事実でないとも断定しないけどね。
>>735 なるほど。釈迦の場合も言葉に関係がありそうですね。
経典のどこかに、釈迦には32相という身体的特徴があるらしい。
>>739 法という認識の仕方は疑問ですね。生命は命根でしたっけ。
この方が現実をセピア色にしていまう。
746 :
神も仏も名無しさん :2013/10/29(火) 22:38:05.35 ID:HbJuKGLd
>>744 古生物学でも、地質学でも、天文学でも、物理・化学でも、「神」という言葉
は一言も出てこないw。
>>744 たしかに客観的事実としては超自然の領域を含む宗教の
信仰に関しては事実とは認識はされていないでしょうね
そこらへんに踏み込むためにはかなりの慎重さが必要ですし
>>742 科学には詳しくないので、より厳密な話はお任せするが、
言いたいことは、物質はいくら変化しても、その構成要素は消滅
しないのだから、絶対に空にはならないということ。
生物の場合は、死ねばその肉体は分解して物質になる。
物質の変化は上記の通りだが、もうひとつ生命の行方が問題になる。
これは、五蘊ではない霊魂を想定すれば説明がつく。
物質から生命は絶対に生まれないし、作れない。
生命は五蘊ではないから。
>>743 その生命が五感の対象にならないと、単なる抽象概念でしかない。
神とか霊魂と同じ。生命に霊的なものを想定してますか。
生命現象では生命の証拠にはならない。
死体から生命なるものは、いまだに発見されていない。
現象だけの生命などありえないのでは。
>>748 一応物質も反物質とぶつかって対消滅するよ。
生命を形而上的に定義すれば霊魂とかいう話になっていくのかもしれないけど
普通の定義(環境との間で代謝を行い、環境に適応変化し、自己の複製情報を次代に伝える存在)なら
そもそも霊魂自体必要ないよね。物質から生命が生まれる機序についてもそれなりに
研究は進んでるよ。定説になるまでには至ってないみたいだけどね。
仏教的には生命ってどう定義してるの?
俺は全くの素人ながら、仏教って言うのは諸行無常であらゆるものは相互依存し変化し
実体と言えるものは存在しないのだから執着を捨てましょうね、っていうのが根幹だと思ってたけど違うのかな?
人によってずいぶん解釈は違うようだけどね。
751 :
神も仏も名無しさん :2013/10/29(火) 23:16:40.99 ID:HbJuKGLd
>>748 すべての物質は、原子や素粒子の関係的集合体に過ぎず、いわばスカスカの状態で
あり、その原子を関係的に集合して構成する素粒子も次々に発見されているから、
やはり空である。原子や素粒子だけでは、「形のある物質」にはならない。
なお、霊魂の原義Jivaや聖霊の原義ルーアッハ、プネウマは、いずれも「生命」
である。新約聖書の「人間のどこか外部から、鳩のように舞い降りてきて、イエスの
上に留まるもの」は、「聖霊の捏造、従って冒涜」である。古代人の生命把握は、
的確であった。
752 :
神も仏も名無しさん :2013/10/29(火) 23:23:27.08 ID:SEP9QeQp
一昨年の桜も去年の桜も今年の桜も同じであり、同じではなく、同じで異なり、同じで異なる訳でない。 2500年前の釈尊の時代にはDNAという概念が無かったので、直接知覚しても言葉では衆生に表現できなかったことでしょう。 21世紀でもDNAは塩基の組み合わせ情報であり、情報は質量ゼロ(零)ですが無でも有でもないということです。 でも桜はタンポポにはなりません。。
753 :
神も仏も名無しさん :2013/10/29(火) 23:24:14.19 ID:HbJuKGLd
>>750 >仏教的には生命ってどう定義してるの?
釈迦は、生命を「無明」とし、「苦の根源」と解したw。
>>750 >仏教的には生命ってどう定義してるの?
五蘊仮和合だろうか。これだと物質の集合体になるね。
>実体と言えるものは存在しないのだから執着を捨てましょうね、
>っていうのが根幹だと思ってたけど違うのかな?
自分も素人だけど、あなたのような考え方が普通だろうと思う。
しかし、事物に実体があるとしたら話は変わる。
執着を捨てるだけでなく、事物の実体に出会うことが目標になる。
>>751 >原子や素粒子だけでは、「形のある物質」にはならない。
実際に物質が存在しているのだから、物質にならないわけがない。
エネルギーや物質間に働く力なども考慮する必要もある。
>なお、霊魂の原義Jivaや聖霊の原義ルーアッハ、プネウマは、
>いずれも「生命」である。新約聖書の「人間のどこか外部から・・・
霊魂や聖霊を信じてるの?
756 :
神も仏も名無しさん :2013/10/30(水) 00:37:40.20 ID:FzpY1iVr
仏教における、法とか、一切とか、一切外とかの用語はどうなのだろう? そういった用語を使うと決まった結論に誘導されるように感じる。 2500年の手垢にまみれた言葉だよね。 それより、現実にある生物と物質から、実体の有無を考えたらどうか。 その方が分かりやすいし、分かりやすければ答えを出しやすい。 最大の問題は「生命」にある。「生命」とは何かだよ。
>>748 サイズが小さいだけで、粒の実在を認めちゃったら仏教じゃないよね・・w
単なる唯物論じゃんw
758 :
神も仏も名無しさん :2013/10/30(水) 00:54:43.28 ID:Bc62AwPX
>>757 唯物論と言っても、人間の肉体は物質だし、人間は物質に100%依存しない
限り一瞬も生存できないのだから、人間自体が唯物論だ。
人類の歴史は、生存のための物質的充足の追求の歴史。甘ったれた精神的
充足などではない。
>>757 牛乳 → ヨーグルト → チーズ の変化があった時、
竜樹ならそこに生起消滅を見て空を主張する。
しかし現代人は、その生起消滅が化学変化であることを知っている。
だから、その変化を空とは考えない。
それから、もともと空の思想はセピア色の唯物論だと思うな。
神智学も結局、唯物論なんだね。
だから・・・、牛乳という存在は確かに存在してんの・・・、って話でしょ? 変化するってことは、「牛乳」という存在が、確かに「ある」、とは言えないでしょ。
>>760 原子や分子レベルである、ということだ。階層構造的な実体だね。
ほんと一在家は屑だな・・。(怒
あれだけ言って、まだ解らんか?
>>752 で、
>>759 (
>>754 >>748 )も、在家と同じ。まったくわかってない。
それ単体で自立するものを設定しちゃったら駄目なの。
譬喩の範疇で、(霧や雲や鰯の群れやムクドリの群れ等)最小単位前提の考え方を援用しても、
その先に、きちんと、所縁によって生じている滅しているという構図を見なかったら意味が無い。
最小単位の『粒』は、サイズが違うだけで、
石ころが実在して、その集積が岩山である、ってのと同じで、
『岩山は空で、縁起してて、実在じゃなく、自性をもたないけど、石ころは実在している。
岩山は実在ではない、と言われているけど、石ころが存在しないとは言われていない。
だから、最小単位として(根本・根源として、原因として、これ以上分割できない核として)石ころはある』、
という言明を認めることになるの。
それは、こういうこと↓なの。
『人(五蘊、五蘊存在)は空で、縁起してて、実在じゃなく、自性をもたないけど、アートマン(或いは真我)は実在している。
人間(五蘊、五蘊存在)は実在しない、と言われているけど、アートマン(真我)が存在しないとは言われていない。
だから、最小単位として(根本・根源として、原因として、これ以上分割できない核として)アートマン(真我)はある』
とね。
これが、まったく仏教的でない、というのが判る?
>>761 しかし、「牛乳」って、話だよね・・・?
それに、原子や分子レベルの話でも、「原子核の崩壊」とかあるでしょ?
あと、陽子崩壊実験だっけ?
カミオカンデでやってるでしょ。
理論上は、陽子も寿命があるとされている。
そういうレベルでも無常なんだよ。
仏陀はアートマンの存在を認めていなかったと思ったけど?
>>764 残念ながら、明言されてないのよねんwww
>>752 ID:SEP9QeQp さんへ
> 桜はタンポポにはなりません
http://www.j-theravada.net/pali/key-tanha.html 無明と渇愛がうまく絡み合って
無始なる過去から終わりなく苦しみをつくり出しています
そこから脱出しましょう
客観的に自分を観ることによって
無明と渇愛を消していきましょう
というのがお釈迦さまの教えなのです
_ _ _
人は、色受想行識の五蘊の仮和合した仮りの状態なので
自性ではなく仮りの状態であるからこそ
因と縁の依存によって
心相続(心の流れ)によって
輪廻を繰り返す
この輪廻から解脱する為に
三十七菩提分法と言う方法があると
仮名の空を以って説明します
>>766 の続き
教学としては、とりあえずは
自立論証派
有相唯識派
の段階からはじめて、そして、その次の段階として
無相唯識派
帰謬派
と進めて逝くと、わかりやすいかも
_ _ _
ちなみに、私(ID:J5bTNJfh)の今の段階は
自立論証派
有相唯識派
の段階です
768 :
宝珠@神智学徒 ◆9XuF3XEACk :2013/10/30(水) 08:40:09.67 ID:vaseKmq6
>>407 1/2
わかりません。
積極的に呪法の効力を説いた部分はないと思います。たぶん・・。
あのアングリーラ経の婦人の下で唱えてくるよう指示した部分が唯一なのでは?
そこからゴータマは、唱えることで一定の効果を得ようとするものとしての呪法について、
その目的がゴータマの御心に適うものであれば容認されるものとして、
弟子たちは、そう受け止めて理解したのだろうと思います。
ゴータマが実際に積極的にそういうことを利用されたり、
使わせたかどうかの実際的に記録は皆無かと・・・。
(もし、何かわかったら報告します)
769 :
宝珠@神智学徒 ◆9XuF3XEACk :2013/10/30(水) 08:42:59.01 ID:vaseKmq6
2/2
目的次第で容認して頂けるものとしての理解から、
後代の弟子たちが積極的に使用を始めたのだろうと私は推測しています。
で、現代の密教呪法についてもその使用目的によっては、私はゴータマも容認されるものと見なしています。
ただし、それらの行為が人を解脱成仏へと直接導くようなことはない。そういうものではない。
そのことを、しっかりと分かっていればそれで良いかと。
>>690 訂正:
抜けミスがありました。
×「他に七つ(ヴァルカン系、金星系、地球系、木星系、天王星系、海王星系)」
○「他に七つ(ヴァルカン系、金星系、地球系、木星系、土星系、天王星系、海王星系)」
770 :
宝珠@神智学徒 ◆9XuF3XEACk :2013/10/30(水) 09:03:10.24 ID:vaseKmq6
>>582 “舌がびろ〜んの件“についての私の見解はこちらに訂正させてもらいます。
7割方----ただの神格化であり、実際にそういうことが起こったわけではない。
3割方----神通力を発揮して相手に幻覚を見させた、という可能性はあるかと思う。
そして、空中飛行の件は、正確にいうと「可能」という意味です。
実際に披露されたこともあったかと私は思います。
771 :
神も仏も名無しさん :2013/10/30(水) 09:10:27.03 ID:QK7K/+58
仏法と言うのは @真実の探求 A大慈悲の確信 ま、それが柱じゃな、それ以外に別に仔細はない。 その二本柱を語ったのがゴータマ、非常にややこしくなったのが支那語への翻訳以降。
772 :
宝珠@神智学徒 ◆9XuF3XEACk :2013/10/30(水) 09:21:41.56 ID:vaseKmq6
現象界の性質を知り、高次の領域を単なる知的レベルではなく、それを直知体験した者というのは、この現象界での物質 的制約(物質界の諸法則)からも解放されます。その制御能力(コントロール)の獲得も仏教では説かれています。空中浮 揚・空中飛行もその結果としての一つの事例ということです。 それで、私が何度か紹介したのが、数千年前もの太古の伝説めいた話ではなくて、近代以降においても目撃されている 事例のことです。あのブラヴァツキーも空飛ぶラマ僧を何度か目撃しているし、また、以下に紹介するニール夫人の部分な どは今回、初掲載です。
773 :
宝珠@神智学徒 ◆9XuF3XEACk :2013/10/30(水) 09:24:59.90 ID:vaseKmq6
【近代においてもインドのナゲンドラ・ナート・パドリ(バドリ・マハサヤ)が空中浮揚で知られ、また、チベット 仏教のジェツン・ミラレパを始めとして、チベットには名も知られていない不可思議な僧の空中飛行(浮揚のレベルで はない)が確認されているし、キリスト教聖人では17世紀の聖ヨゼフ、アヴィラの聖テレサなどもいる。 『ヨーガ・スートラ3:39.42』によれば、ウダーナ気の使い方によって身体を浮き上がらせると説く。つまり、技法の 修得の問題なのです(尚、キリスト教聖人の場合は、高次存在の介入による現象)。そして、ただ想いだけでこれを可能 にするのは完成された覚者方だけです。】(一部を修正して再掲載)
774 :
神も仏も名無しさん :2013/10/30(水) 09:42:28.57 ID:EsIP5dPV
>>773 30 :25:2009/04/08(水) 14:34:28 ID:XBmiOTU0
宝珠愚者さんの他スレへの書き込み、少しザッピングさせてもらいましたが
なぜ仏教的なスレにこだわるのか理解しにくい。神智学とある種の共通点が
あるにしても、それを言えば他の宗教との共通点もあるわけで。仏教のこと
は彼らに任せればいいのでは?誰かに理解してもらおうと思うのは、結局
尊大な態度としか受け取られないし、理解してもくれないでしょう。
どこにいっても、鼻つまみ者。
古巣に消えな!
775 :
宝珠@神智学徒 ◆9XuF3XEACk :2013/10/30(水) 09:43:21.30 ID:vaseKmq6
『アレクサンドラ・デビィッド=ニールが「空翔けるラマ僧」をはじめてみたのは、チベットのチャン・タン山地に 行ったときのことだった。このときのラマ僧は、ボールのように地面でバウンドしながら、大きな弧を描いて空を翔けて いった。ラマ僧は眼をカッとみひらき、はるかかなたの空の一点をみつめたまま、フランスの探検隊にはまったく気づか ないようすで行ってしまったという。
776 :
神も仏も名無しさん :2013/10/30(水) 09:50:26.76 ID:EsIP5dPV
>>775 ガラクタ・オカルトもどき成りすまし「仏教」(爆笑)は愚か。
消えな!
舌がビロ〜ンって何のことかと思ったら、 仏の三十二相の「大舌相」ってやつね これは仏の姿であって、人間の身体の姿じゃないし、また、 我で見える姿じゃない。 お釈迦様がブッダとなったとき、表面的な身体を、我の認識で見るんじゃなくて、 我を越えたところから見る姿が、仏の三十二相なんだよ 密教のマンダラの世界もそうだろ。 ああいう世界を我で見る世界と思ってたら、大間違い。 もちろん、浄土真宗とかでいう、極楽浄土ってのもそう。 仏教は我を越える話をしてるんであって、極楽とか、三十二相とかを、 我で見る現象として、判断していることが間違い。 あの世とか、輪廻とかは、越えるべき対象として。 三十二相とか、極楽浄土とかは、超えた後の話なんだよ。
778 :
宝珠@神智学徒 ◆9XuF3XEACk :2013/10/30(水) 10:49:28.95 ID:vaseKmq6
デビィッド=ニールはこのほかにも、急に目の前で姿を消したり、どこからともな くいきなり現れたりするラマ僧の話をいくつか紹介している。』 (アルドルー・トマス著『シャンバラ/中央アジアに聖なる楽園を求めて』1976年著/ユニバース出版社p73)
779 :
神も仏も名無しさん :2013/10/30(水) 11:04:13.23 ID:QK7K/+58
>>778 お前さん騙され易いだろw
せいぜい詐欺とかに気をつけろよ。
780 :
パーピマン ◆hVgvvzQ7pw :2013/10/30(水) 11:11:13.63 ID:skSQFN/b
@
>>768 >>769 お前が挙げたアングリマーラ経は、少なくとも
⇒「釈迦の呪術肯定の証左」としては不適格w 俺が指摘したように
もし、仮に釈迦が「最初から」アングリマーラに「本当のことを言うように」
指示していたのならば、お前の主張が成立する余地はまだ、残されている。
(それでも、かなり苦しいとは思うがww)
しかし、経典の記述は、アングリマーラが「それでは嘘をついたことになってしまう」
と釈迦に言ったことを受けて、
「それでは、仏法に帰依した後は一人も殺してないといいなさい。」・・・
と指示したことになっている。
これでは、「釈迦が真実を言うことを重視していた」とは、とても言えない。
釈迦にとって重要だったのは、先に俺が挙げた二点・・・・・・
まず、妊婦を安心させ無事に出産ささせること
そして、アングリマーラに「お前はもう、以前のお前ではないと認識させること」
これだよww
781 :
パーピマン ◆hVgvvzQ7pw :2013/10/30(水) 11:11:56.14 ID:skSQFN/b
A善呪、護呪についても、 それを積極的に説いている経典を俺は知らないww 蛇毒防止についても、(以前、調べたとき) それに触れている資料は多々あった。 しかし、どれも、「否定しなかった」「許容していた」等の表現で、その効果を釈迦が 積極的に説いたとする資料は皆無だったよw 俺が思うに、釈迦という人物は、非常に「実際的人物」だったと思うねw 「毒矢の喩え」に象徴されるように、「今、何が最も重要なのか?」を常に意識する人 なわけだw その「最重要事項」を理解させるためなら、(本来、自分は信じていないことでも) 方便として、バンバンと使用したと思うぞw そういう人間だったから、その目的とするところが「悪しきものではない」ものは、積極的に 否定することなく黙認という姿勢をとったことは十分、考えられるw その効果自体、本気で信じてなくても、人は初詣でお賽銭投げてお祈りするし、おみくじも引くw そういう人に向かって、「そんなことは効果がないのでやめなさい」っていうのも、また変なやつだw サンタを信じてる子供に「そんなのいねえから」っていう大人も変人だww だから、釈迦も、当時、一般的な世俗慣習として成立していた「蛇毒封じ」の呪を 「そんなの効果ありませんから」・・・なんて、あえて言う必要を感じなかっただろうww ただね、釈迦の本心は、閻魔が質問箱であげたような資料に見えるように、 「呪術の効果」ということに関しては否定的だったことは間違いないと思われるww かなりはっきりと否定的スタンスを打ち出してるからなww (釈迦の神秘的能力を信奉する者は、決してあれらの資料に触れようとしないwww きちんと、あれらの資料の否定論証をすれば良いのにww) 補足だが、「釈迦の舌」の話については、お前は以前も 「幻覚によって、(神通によって)対論者にそのように見させた」可能性はある・・・・と言ってたぞw いつだったかは忘れたがww
782 :
パーピマン ◆hVgvvzQ7pw :2013/10/30(水) 11:53:11.67 ID:skSQFN/b
原子、分子の話が出てたけど・・・・・・・wwwww ああいうところって、異教の人にはとても理解しがたいところなんだろうな・・・ って思うわw 仏教以外の宗教は全て絶対的に「信じる対象」というものを設定するでしょ? その絶対的対象をとても「空」とは考えられないw でも、仏教というのは、まずそこが基本中の基本だと思うのだがw 釈迦と道端の石っころを等価にみなせなければ始まらないww 長老とミリンダ王との対話に「車」の話が出てくるが、 車を構成するそれぞれのパーツを実在と思っては、あの話は成立しないw あるものが存在する限り、必ず「最小構成要素」というものは「存在」する・・・ という思考は理解できるのだが、そこを「存在する」と思っては、仏教は理解できない ・・・・・のと違うかい?wwwwwwww
783 :
宝珠@神智学徒 ◆9XuF3XEACk :2013/10/30(水) 11:58:11.96 ID:vaseKmq6
参考: 『第三章 ヨーガの修習(八)調気の四段階 三・四八 〔アーランバ段階〕…(略)… 三・四九 調気の第二の段階においては、戦慄(ふるえ)が起こり、次の段階では蛙のように飛び歩くと説かれている。さら に修習が増強されると、空中歩行ができるようになる。 三・五〇 ヨーギーは蓮華座を組んだままで、地を離れて空中に浮かぶことができる。この時は輪廻の闇を消す調気の行が成 就したのである。』 (佐保田鶴治著『続・ヨーガ根本教典』平河出版社刊)
784 :
宝珠@神智学徒 ◆9XuF3XEACk :2013/10/30(水) 12:03:05.64 ID:vaseKmq6
>>777 ブッダは我々、普通の人間とは異なるから、
別に舌がビローンと伸びようがいいじゃないか!
ってこと?
>>780 あなたの言いたいことは分かるつもりですが、
しかしそれでも、(真実語)を唱えてくるよう指示したという事実は依然として残っています。
そのアングリマーラに聞き返されるやり取りについては、
アングリマーラに敢えて確認させることで本人に自信を持たせるためだったのでしょう。
厳しい修行に耐えて不殺生戒も立派に守っているのだから。
これは本人の自覚を促す意図と、そして真実語としての効果を発揮するためであったろうと私は思います。
785 :
神も仏も名無しさん :2013/10/30(水) 12:04:31.22 ID:/6th9bM1
>>762 >これが、まったく仏教的でない、というのが判る?
それは単に「釈迦仏教的でない」というだけの意味。釈迦の明らかな論理矛盾、
勘違いに過ぎない「無我」「無」に執着するから、そうなる。
中論の空とは「厳然たる実在」。ただその実在が、構成要素の相互依存、関係性
によって構成されている、というだけ。関係性という抽象性によって構成されて
いるから、特定の物質としての自性はない。あるのは、関係性の変化だけ。
現代の量子力学そのまま。
中論は、釈迦の空という言葉に「ヒントのヒント」を得て(ヒントではなく、初めから
中論の独創かも知れない)、釈迦の縁起に全く新しい意味を与え、それを換骨奪胎
して、コペルニクス的転回を行い、「現代にも通用する普遍の真理」とした
のである。
中村博士は「釈迦には独創性は皆無だった」と言っている。唯一の「独創性」は、
彼の鬱病の症状に過ぎない「一切皆苦」w。
釈迦個人の誤りと狂気から離脱しなければ、「悟り」など永遠に不可能。
大乗仏教では、釈迦個人は、単により高次な存在の象徴化された「飾り物」に
過ぎない。
786 :
宝珠@神智学徒 ◆9XuF3XEACk :2013/10/30(水) 12:16:55.86 ID:vaseKmq6
>>781 1/2
確かに、
そのご意見については特に否定しません。
けれども・・・
>ただね、釈迦の本心は、閻魔が質問箱であげたような資料に見えるように、
>「呪術の効果」ということに関しては否定的だったことは間違いないと思われるww
>かなりはっきりと否定的スタンスを打ち出してるからなww
>(釈迦の神秘的能力を信奉する者は、決してあれらの資料に触れようとしないwww
>きちんと、あれらの資料の否定論証をすれば良いのにww)
それは、
ゴータマの指導される解脱成仏のための菩提分法には不要であるという意味と、
バラモン祭祀や呪術には迷信の類や忌むべき生贄(殺生しまくり)を多く含むことからくる嫌悪でしょうね。
787 :
パーピマン ◆hVgvvzQ7pw :2013/10/30(水) 12:18:58.67 ID:skSQFN/b
>>784 >しかしそれでも、(真実語)を唱えてくるよう指示したという事実は依然として残っています。・・・
wwwwwwwwwwww いやちがうってww
もし、あのとき、アングリマーラが「聞き返さなかったなら」
そのまま、「私は一度も人を殺してません」と言ってしまうことになるww
すなわち嘘をつくことになるわけだw
釈迦はそのことについて、「何ら注意を与えていない」
ただ、「私は人を殺してない(という嘘をつくこと)」を指示してるだけだw
「真実を語れ」などと、これっぽっちも言ってないww
つまり、その時点では「嘘をつく」ことを許容してたのw
それともあれか???
「実は釈迦は、アングリマーラが、『嘘をつくことになってしまうが、いいのか?』
と聞き返してくることを(神通かなんかで)予めわかっていたww
そして、その時点で「仏道に帰依してからは殺していない」ということを、
はっきりとアングリマーラに理解させるために、あえて、最初は
その付帯条件をつけないで指示したw」・・・・・・
こんな物語を設定するか????wwwww
こんな勝手な解釈を付加することを許容するなら、それこそ
「何でもあり」になっちまうぞwwwwwwwwww
>中論の空とは「厳然たる実在」。 実在するとか実在しない〜というのは空ではありません。あるとかないとかいうのを空と言わないのと同じです。 そのいずれでもないから空なのです。 >空中浮揚〜 麻原彰晃しか思い起こせません。写真が色々と紹介されていましたが、単に座禅中ぴょんと飛んだ瞬間を撮ったもの にしか見えませんでした。あれで空中浮揚なんて大笑いです。真剣に信じる人が信じられません。
789 :
パーピマン ◆hVgvvzQ7pw :2013/10/30(水) 12:27:47.63 ID:skSQFN/b
>>786 そうw 呪術の効力を説いている資料はない
この「ない」が重要なんだよw
だけど、お前たち神秘主義信奉者らは、「はっきりと否定してないんだから」
実は釈迦は、「呪術の効力を信じていた」・・・・と繋げてしまうわけw
そして、釈迦の呪術否定と思われる記述も、
「いや、あれはきっと『生贄』などの殺生部分を嫌っただけで、呪術の効力
自体は信じていたに違いない」・・・・とやるわけwwww
全て、自分らの願望による恣意的解釈でしょ?
まあ、「そう信じる」っていう、信仰の話に帰着させるのであれば
いいんだがねwwww
790 :
宝珠@神智学徒 ◆9XuF3XEACk :2013/10/30(水) 12:38:58.46 ID:vaseKmq6
2/2 効力については、中には発揮するものもあるという意味ではゴータマも認められるということだと思います。 それが私の提示した聖句の示すものだろうと思う。 いずれにせよ、ゴータマの下での修行には不要なものですが、 けれども、目的とその使い方(その呪法内容も含め)如何によっては容認される方向性だったのでしょう。 その・・在家自身と在家の接する祈祷師に関してはです。 まっ、密教僧というのは直弟子の範疇外であり、現代のバラモン的位置付けかと・・・。
791 :
宝珠@神智学徒 ◆9XuF3XEACk :2013/10/30(水) 12:54:23.81 ID:vaseKmq6
>>787 >すなわち嘘をつくことになるわけだw --略--
>つまり、その時点では「嘘をつく」ことを許容してたのw
そうかなぁ???
そうは思えないけれど・・・。
>そして、その時点で「仏道に帰依してからは殺していない」ということを、
>はっきりとアングリマーラに理解させるために、あえて、最初は
>その付帯条件をつけないで指示したw」・・・・・・
はい、その通りです。
別に神通とかじゃなくて、目的として最初からそう意図してのものです。
私は最初からそういう理解です。
だからこそ、このやり取り部分が面白いのだし、そこでググッ!!とこれが前面に生きてくるわけ。
792 :
宝珠@神智学徒 ◆9XuF3XEACk :2013/10/30(水) 12:57:20.79 ID:vaseKmq6
>>788 そんな麻原の写真なんかで騙されるほうが恥ずかしい。
私は最初から認めなかった。
ピョンピョン跳ねてて、一番床面から離れた瞬間を撮ったに過ぎないのは一目瞭然。
顔も歪んで醜い・・・。
私が本物の可能性を秘めるものとして期待しているのは成瀬氏です。
成瀬雅春氏の空中浮揚の写真です。動画もあるという話もあったような・・・
私は今、2ch規制でリンクは貼れないので、良かったら検索されて見て下さい。
あともう一人は、俳優の秋野大作さんですね。
まっ、画像を見ての印象ですが・・・。
嘘も方便だなんて、それこそ嘘だ
794 :
宝珠@神智学徒 ◆9XuF3XEACk :2013/10/30(水) 13:15:57.72 ID:vaseKmq6
---余談--- 最近の札所巡礼にて感じたことです。 *其の一 同県ただ一人だけの高野山真言宗の高僧の位階「大僧正」を授与されたという住職の寺院に参拝しての感想。 最初は、どうせ高僧の位階など名ばかりで金を積んで得たものじゃないの? などとあまり期待もしてませんでしたが、 いや、なんと素晴らしく立派なお方なのでしたね。この私の決めつけ勘違いでした。 若い頃に四国遍路を体験してから僧侶になったらしく、今では異国で散っていった旧日本軍兵士の慰霊供養のため に一人、自ら毎年、その辺境の地を訪れて法要を続けてきたもよう。残留日本人たちも自寺院に招いての法要も続け られ、やっと来年あたり、仏像すら無かった辺境の地に立派な観音像を建立できそうだとのこと。 雑草に覆われた悲惨な墓石に僧侶すらも来ないという状況に、宗教者の良心としてとても我慢できなかったのだと いう。
795 :
宝珠@神智学徒 ◆9XuF3XEACk :2013/10/30(水) 13:18:33.49 ID:vaseKmq6
*其の二 宝珠「千手観音さんですね!」。 寺嫁「ええ、でもうちのはただの千手ではなく、目も千個ある千眼千手なんです!!!」 宝珠「ほほー!それは凄いですね!!!」。 寺嫁「はい♪」 別に、この寺嫁さんに対する不満じゃないです。 ただ思うのは、手が千本の方か救済力が強い。目が千個だと更にアップ。いやいや、こちらなんかは顔が十一面もある よ、と・・・。 やや皮肉るけれど、何だかこういうのを見ると、だったらもう、最初から顔が十一面で、目が千個あって、手が千本 ついてる観音にすりゃいいものと思う。 まったく、大乗の創作のホトケはホント・・・と、今更のように疑問符を感じてしまった自分なのでした。 では、また暫くオチです。。。
796 :
神も仏も名無しさん :2013/10/30(水) 13:50:29.52 ID:/6th9bM1
>>788 >実在するとか実在しない〜というのは空ではありません。
人類は、その発生以来、物の有無を、五感の知覚により「一義的に」判断する
こと「のみ」によって生存してきた。
釈迦の「無」は、一発で論破。
> 若い頃に四国遍路を体験してから僧侶になったらしく > 今では異国で散っていった旧日本軍兵士の慰霊供養のために > 一人、自ら毎年、その辺境の地を訪れて法要を続けてきた ちゃんと地道に努力をして その結果の現れとして、高僧になった人もいる と言う事ですね? そして直接、面識が、ある訳ではないけど 縁起一代先生から、たくさんの、お叱りを受けた事があるけど リアルでは縁起一代先生も地道に努力をしている 立派な先生(阿闍梨さま?)だったのかも 普礼真言 − オン サラバ タタギャタ ハンナマンナ ノゥ キャロミ パーリ帰依 − ブッダン・サラナン・ガッチャーミ 屮(_ ._)屮
私も時々夢で空を飛ぶシーンを見ますが、所詮夢です、変容意識の世界です。 瞑想の変容意識で空を飛んだとしてもそれは夢と変わりありません。 つまり外から見ている第三者には全然飛んでいるという事実はないのですから。 誰であろうと物理法則の束縛を越える事は出来ません。 例え仏陀であっても喉も渇き腹も減り風邪も引く〜 物理法則の束縛はあっても精神世界の束縛から解放されたのが仏陀です。 物理世界と精神世界の混同は単なるSFフィクションにしか見えません。(というよりそのものです)
量子だろうが、原子だろうが素粒子だろうが分子だろうが砂粒だろうがピンポン玉だろうが、 サイズが違うだけで、 レゴブロックの組み合わせの如く全てが存在している、ってのと同じなんだけどね。 そういうのは、ギリシャの方にもあったろうし、釈尊在世時のインドにも、“普通に”あった筈なんだが・・w それと全く同じことを仏教が言っているとしたなら、どこに新しさがあろうか?w どこが画期的で、「なんか、マガダの方に、ゴータマという凄ぇ奴がいるらしいぜ?」 と注目され、様々な“やっかみ”“いやがらせ”を受けるだろうか? 更には(現代では)陰謀論的にw毒殺説まで出てくるくらい、珍しかったのはなぜだろうか? なぜ、伝統ヒンドゥ哲学が、批判相手として身構えるのか? 「レゴ仏教」は、六師の中に回収される程度のものでしかないw
素粒子についてザッと調べたんだけど、 昔はどこまで行っても「粒」だろうと考えられていた。 ところが、途中で「粒」じゃなくて、「波動」だろう、・・ってことになった。 そしてアインシュタインか誰かが出てきて、「いや、波動と粒子の二重性を持っている」 ・・・ってことになった。 現代では、「粒」じゃなくて、「粒と波動の二重性」 ・・・ってことになってるんじゃない? これはどういうことか、簡単に調べてみたんだけど、 たとえば、二つの穴が開いているところを、一つの光子を発射させて、 到着地点ではどうなるか調べてみた・・・・ 一つの光子だから、どちらか一方を通過するはずなんだけど、 ところが、二つの穴から波動の広がりが見られた。 到着地点では一つにまとまって、粒子のような性質が見えた・・・ と、こういう感じじゃない? ザッと調べてみたんで、間違いがあるかもしれないけど・・・。 もう粒子とかじゃなくて、波動の段階に入ってるんだよ、科学の世界も。
801 :
神も仏も名無しさん :2013/10/30(水) 16:39:25.54 ID:rpgAXGPd
>>799 >なぜ、伝統ヒンドゥ哲学が、批判相手として身構えるのか?
ヒンドゥ哲学は、釈迦の「無我」「無」をどう批判しているのだろう。
誰か詳しい人教えてくれ。
あんまり馬鹿馬鹿しくて、批判の対象にもなっていないでのではw。
802 :
神も仏も名無しさん :2013/10/30(水) 17:31:40.56 ID:IEdqEM6e
麻原彰晃も六道に堕ちると思うんだけど もうすぐ死ぬから、迷わないように行き先を考えてあげて
> ところが、途中で「粒」じゃなくて、「波動」だろう、・・ってことになった 電子の大きさ・広がりに関して考慮する数値 古典半径: 2.8179402894×10−15 m 上限半径: 1.0×10−18 m クォーク第2版(ブルーバックス)による理論値: 1.0×10−32 m プランク長: 1.6×10−35 m(超弦理論による電子) シュヴァルツシルト半径: 1.3×10−57 m 電子の大きさについては、標準模型では 0 とされるが、大きさを持つかどうか・内部構造を持つかどうかは判明していない _ _ _ 電子はあたかも太陽のまわりを公転する惑星のように原子核のまわりを廻っているとされ 日本の初等教育等、現代でもそのように教えている例もある しかし、ボーアの原子模型を経て、現代の量子力学では 電子はもはや → 確定した位置と速度を持つ点ではなく ← 波動関数であらわされる存在であり たとえば電子が存在するために起きる干渉などの相互作用は、それに従い確率的に起きる 空間におけるこの確率は、雲のようにぼんやりと分布するものになり、これを電子雲という _ _ _ 重力 素粒子物理学では 素粒子間に働く重力相互作用とみなされ 重力子(グラビトン)という素粒子により媒介するとみなされるが 重力子(グラビトン−仮説上の素粒子)は 2012年までのところ未発見である
> 「粒」じゃなくて、「波動」だろう、・・ってことになった 波動関数とは端的に言うと「物体の『状態』そのものの波動」であり この事は物体の状態 (例えば「犬がおなかをすかせています…」ということでさえも)が波で表されることを示しており また波は重ね合わせの原理(波1と波2が同時に存在できる)を満たすため 原理的には物体が同時に複数の相異なる状態を取りえる(シュレーディンガーの猫)ことを示す そのことが「本当に同時に複数の状態を取っている」のか 「人間には認識できない超光速で状態が転移し続けている」のかは議論が分かれる所である しかし実際に1回の実験で観測される物体の状態はただ一つであるし また我々の日常での実感でも、この重ね合わせの原理は矛盾しているように思える その矛盾を回避する為に現在まで多くの解釈が与えられた その中で数学的に等価であり しかし物理的に全く異なる二つの有力な解釈が「コペンハーゲン解釈」「エヴェレット解釈」である コペンハーゲン解釈では、「観測者」の実行する「観測」による「波動関数の収縮」が 物体の観測される状態をただ一つに決定するとされた しかしその「観測者」の満たすべき資質や波動関数の収縮速度が光速を超える事などが問題となった エヴェレット解釈では「波動関数の収縮」を必要とはしない しかし我々が住む日常世界の他に全く異なる並行世界が存在することを期待させるために、様々な空想を生んだ 近年 「デコヒーレンス(The Quantum Decoherence、異なる量子状態間の干渉が断ち切られる現象)」の発見によって 「波動関数の収縮」あるいは「並行世界の消滅」の機構は説明されつつある しかしそれでも「波動関数の実在性」そのものに関する解答は存在していない
鉄則3:人的迷路はコペンハーゲン解釈 皆同時系 同時系エイエイ
806 :
神も仏も名無しさん :2013/10/30(水) 19:00:42.37 ID:ZP6sKTYh
>>804 >コペンハーゲン解釈では、「観測者」の実行する「観測」による「波動関数の収縮」が
>物体の観測される状態をただ一つに決定するとされた
物質の成立も、「人間の生命による観測」の結果であるということ。
その理由は誰にも判らない。まさに「生命の神秘」である。従って、コペンハ
ーゲン解釈も、「収縮」という「根拠のないことが判っている概念」を導入せ
ざるを得なかったのである。
この世界は、あくまで人間の観測による世界(現実界)であり、人間はその
世界以外では存在し得ない。人間が、超自然的なことを考えるのは、全く無意味
で愚かなこと。
中論が「世間の一切の慣習」を無条件の前提としたのは、誠に炯眼であったと
言わざるを得ない。
>>762 >最小単位の『粒』は、サイズが違うだけで・・・
なんかカン違いしている。事象Aがあるとして、それと質的に異なる状態を
Bとする。この関係では、Aの実体はBであると解釈していいと思う。
この関係が連続するならば、物質の実体はA→B→C→D・・・になるが、
それは科学技術の発達によって深まる話に過ぎない。
事物Aのレベル(牛乳→ヨーグルト→チーズ)で生きている人間にとっては、
その生起消滅が分子の変化で生じたのだと理解できれば納得する。
そういうことかと納得する。物質への興味はその程度だね。
808 :
神も仏も名無しさん :2013/10/30(水) 19:59:24.96 ID:VxI1upCc
796隠居の迷言葉 >人類は、その発生以来、物の有無を、五感の知覚により「一義的に」判断する こと「のみ」によって生存してきた。 隠居説によれば眠っている時も手術を受ける時も、五感の知覚があるそうですw カルト隠居教はすげえなw
宝珠さんへ質問 常在普遍の真我のようなものを設定しなくても神智学は成立しうるのではないですか? 宝珠さんの考える神智学は仏教やヒンドゥのように輪廻からの離脱を目的に考えるのでしょうか?
大乗は、竜樹の空と、説一切有部の「5位75法」で成り立っている。 世親が倶舎論にまとめた5位75法を確認しよう。 説一切有部は「法有」 大乗(竜樹)は「法空」を主張している。 無為法(1)・・・虚空・択滅(慧解脱)・非択滅(心解脱・身解脱) 有為法(4) 色法(物質)・・・五感の機能と対象 心法(心) 心所有法(心のはたらき)・・・受、想、信、勤、痴、放逸など 心不相応行法(心に伴わないもの)・・・【命根】 生住異滅ほか
5位75法を見ればわかるように、
>>810 生物の生命は、【命根】として物質と並んで有為法に分類される。
そして大乗は、この無為法・有為法が「空」だと宣言する。
大乗は、竜樹が論争した説一切有部の裏返しだから、空だけでなく、
5位75法もそのまま大乗の理論になっている。
ここに大乗の枠組み、伝統がある。
空だとか5位75法だとかに囚われているから、今の大乗には、
あれ、生命はどこへ行った? と思わせるものがある。
生命をそっちのけに何をやってるのか。
812 :
シモン・エレクシア ◆/bVPRrlaFM :2013/10/30(水) 21:19:12.20 ID:T4fKlHwo
説一切有部は典型的多元論だな。 姿勢としては実有を追求したイオニアの自然哲学に近い。 向こうはせいぜいエンペドクレスの4元で純粋に物質的要素の究極単位を求めたが、 そこに感覚や煩悩やまで加味するあたり、5位75法はインド特有の精神風土の表れだ。 ギリシアの実有追及はデモクリトスのアトモス理論で究極となり、原子論の先取りともなったが、 そこでもアトムの離合集散、すなわち運動の原因については説くことができなった。
説一切有部は多元論ですね。こういった部派仏教があったわけだから、 空や無我が仏教の伝統だなんてとても言えない。 もっとも大乗なら、空や無我が伝統になるのでしょう。 南伝仏教は説一切有部に近いのかもしれませんね。
814 :
パーピマン ◆hVgvvzQ7pw :2013/10/30(水) 23:02:22.85 ID:skSQFN/b
>>791 >はい、その通りです。
じゃ、ねえんだよwwwwwwwwwwwwwwww
それはお前が勝手に願望投射してるだけだろうがwww
いいか? あの部分には、釈迦が真言の効力を説くなんてセリフは全くないのwww
「真実の言葉には、そんな効力がある」なんて一言も言ってないのww
それどころか、最初はアングリマーラに嘘さえつかそうとしているのww
それで、アングリマーラが「嘘はちょっと・・・・」というと、「んなら、仏道に
入ってからは・・・と言えばいいじゃん。 それなら嘘になんないでしょ?w」 っていうわけww
釈迦が言ってるのは、「妊婦を安心させろ」ってことだけなんだよwww
直接的にはこれだけwww さらに穿ってみれば、
「悪業を犯したものでも、仏道に励めば人を救える立場にもなれる」という
多少、自画自賛ぎみの仏法賛歌 なんだよwww
以下に、和訳あげとくから100回読んどきなさいw
これで、「これは真言の効力」を説いた経であるなんて言ったら、国語のテスト
○点だよwwww
815 :
パーピマン ◆hVgvvzQ7pw :2013/10/30(水) 23:03:17.96 ID:skSQFN/b
A アングリマーラは午後に托鉢から帰ると、世尊のおられるところに近づき、世尊に敬礼し、 一方に座った。アングリマーラは世尊にこのように言った「尊師よ、私は午前中に舎衛城に托鉢に入り、 そこで一人の女性が難産で破裂しそうな腹を抱えているのを見ました。私はそこでこのように思いました。 『なんと生きる者たちは煩い悩んでいることか。なんと生きる者たちは煩い悩んでいることか』と」。 「アングリマーラよ、あなたは舎衛城に行きなさい。行って、その女性にこのように言いなさい。 『女人よ、≪私は生まれてこのかた、≫ 故意に生きる者の生命を奪ったという覚えが無い。 その真実によって、あなたの安らぎが、胎児に安らぎがあるように』と」。 「尊師よ、それは私の意図的な虚言と言うことになるでしょう。 尊師よ、私は故意に多くの生きる者たちの生命を奪ったからです」。 「さあ、アングリマーラよ。あなたは舎衛城に行きなさい。行って、その女性にこのように言いなさい。 『女人よ、≪私は聖なる生を得てからこのかた、≫ 故意に活きるものの生命を奪ったという覚えが無い。 その真実によって、あなたにやすらぎが、胎児にやすらぎがあるように』と」。 「分かりました。尊師よ」と、尊者アングリマーラは世尊に答えて舎衛城に行って、その女性にこのように言った。 「女人よ、私は聖なる生を得てからこのかた、故意に生きる者の生命を奪ったという覚えが無い。 その真実によって、あなたにやすらぎが、胎児にやすらぎがあるように」。すると女性にやすらぎが生じ、 胎児にやすらぎが生じた。
816 :
神も仏も名無しさん :2013/10/31(木) 02:05:19.09 ID:6tgnxtIh
>>772 空中浮遊について横レスです。
ヴァチカン公認のエクソシスト達からのレポートの中にも、悪霊憑き者の空中浮遊の事例は近年でもあります。
また本や家具が勝手に動いたり、空中浮遊する話はポルスターガイト現象としてしばしば報告されております。
超心理学でいうところの念力、テレキネシスにも似ております。
釈尊は神通の欠点として、似たことが魔術でもできると説かれております。(参考:長部経典十一経「堅固経」)
魔術でできるのであれば、悪霊(大抵は生前は普通の人)ができてもなんら不思議ではございません。
817 :
神も仏も名無しさん :2013/10/31(木) 03:23:19.68 ID:CbiVFKFV
今度、ももいろクローバーZが出す新曲の曲名が、「GOUNN」になってるな。 歌詞に、「諸行無常」とか、「カルマ」とか、「因果応報」とかが出てくる。 全体的に仏教系の歌になってるw とすると・・・・ 「GOUNN」が何を言ってるのか、このスレの人だったら分かるよね。 多分、「五蘊」だよw
聖ももいろクローバー?
819 :
神も仏も名無しさん :2013/10/31(木) 08:15:50.00 ID:e+Eq5c2R
>>816 世紀の大魔術師
ゼンジー北京大センセもやってる。
『ウソも仕掛けも・・・・・・・・
ちょっと、アルよ』
カルトの得意技。
820 :
神も仏も名無しさん :2013/10/31(木) 08:23:59.70 ID:e+Eq5c2R
821 :
宝珠@神智学徒 ◆9XuF3XEACk :2013/10/31(木) 08:48:25.75 ID:+vau8KSO
>>797 >ちゃんと地道に努力をして
>その結果の現れとして、高僧になった人もいる
>と言う事ですね?
と、思います。
日本仏教界は形骸化して随所で腐敗してきてるようですから、
昇格も権力闘争や、媚と金を積んでというのも増えてる疑いです。
しかし、皆じゃない。努力と誠意と、そして、実力を評価されてという方もいると。
>リアルでは縁起一代先生も地道に努力をしている
>立派な先生(阿闍梨さま?)だったのかも
まー、あれほどの方ですからね・・・。
あの信仰心はホント凄まじい限りです。
私ならば、自己判断を利かせて地獄に連れて行くような師にはつかないし、
途中、そのことに気づいたのならば見切ってしまう。
けれどそこが“地獄の底まで付き従う“というほどの帰依心の顕れなのでしょう。
よく、「それほどの覚悟があるか?」などと問われる話ってあるけれども、まさにあの方にはそういう感じがしました。
その信仰からくる熱烈な帰依心と覚悟の程には、私も心から敬服します。
822 :
宝珠@神智学徒 ◆9XuF3XEACk :2013/10/31(木) 10:25:01.22 ID:+vau8KSO
>>798 基本、仏教僧侶というものはホトケの超常性を認めますよ!
それを信じない者は僧侶を辞めるべきです。
ついていく一般信徒が可哀想です。本当に。。。
あなたの話だと、
救われるべき人が家の中で鍵を掛けられていたのなら、
もう、助けることができない情けないホトケですね。
「だって、鍵が掛かってたから中に入れなったよぉ!」
ホトケがそういうものであるなどとは聞いたことがないです。
823 :
宝珠@神智学徒 ◆9XuF3XEACk :2013/10/31(木) 10:28:29.73 ID:+vau8KSO
>>802 考える必要がないです。
人は自己の行為に従って、自ずと定められた世界へと赴くのです。
それだけ。
>>816 もちろん、そういうことも存じています。
824 :
宝珠@神智学徒 ◆9XuF3XEACk :2013/10/31(木) 10:38:36.07 ID:+vau8KSO
>>809 1/2
“常在普遍の真我などはない”ということなど、ゴータマはいったことがないということ。
そのことを認めないことからくる誤解が広まっているのだと思います。
ゴータマがそのように教えたという理解は間違っています。古い説です。
過去ログ保管庫サイトページの
再度、「本来の無我説」を読まれることをお薦めします。
(規制中にてリンクは無理です)
>常在普遍の真我のようなものを設定しなくても神智学は成立しうるのではないですか?
しないでしょうね。
意味がない。理論が成立しない。
825 :
宝珠@神智学徒 ◆9XuF3XEACk :2013/10/31(木) 10:48:01.92 ID:+vau8KSO
2/2 >宝珠さんの考える神智学は仏教やヒンドゥのように輪廻からの離脱を目的に考えるのでしょうか? “常在普遍の真我などはない”と主張している伝統仏教者だけが間違っているのです。 正しくは無記であって、そうであれば在ってもおかしくなどはないです。 当然、神智学も常在普遍の真我の存在を認め、これを説きます。 神智学は輪廻による学びによって人間は成長するものとして説きます。 そして、いずれこれを卒業するのです。学びが不要となるからです。 学びが必要な間は人は繰り返し転生してきます。 追伸: テーラワーダの指導を受けて瞑想されてるそうで、それはとても素晴らしいこと。 今後も更なる向上がありますように。。。
826 :
宝珠@神智学徒 ◆9XuF3XEACk :2013/10/31(木) 11:08:44.39 ID:+vau8KSO
>>814-815 1/2
アングリマーラが稀代の殺人鬼だったことなどゴータマはよくご存知なのであって、だからこそ最初にワザと「生まれ
てからこのかた〜」と言うよういったのですよ。そうすれば当然、「そんなことはできませんよ!」と、アングリマーラが
驚き困惑することなど最初から目に見えている。
では何故、そんなことをするのかというと、それは真実語の真実たる部分をより強調するための重複の指示の言葉だっ
たからです。出家してからならば絶対に間違いないわけですから、そのことをゴータマからお墨付きの確認を頂いたこと
で、これで本人も納得の上で自信を以て真実語を唱えに行けるのです。そうでもしないと、稀代の殺人鬼で罪滅ぼしの意
識がとても強い彼には確たる自信がつかないからですよ。そのことが、一見するとおかしく見えてしまう遣り取りをされ
たゴータマの意図ですよ。
827 :
宝珠@神智学徒 ◆9XuF3XEACk :2013/10/31(木) 11:11:17.21 ID:+vau8KSO
2/2 それと、ゴータマによる「真実語」(その効力を意図した用い方)の使用という理解は私の妄想による独創などではあり ませんから。これは当時のインドに真実語という習慣があって、ゴータマもこれを使わせたという記録だということ。仏教 学をしっかりやってる学者ならば皆、ご存じかと。 まっ確かに、サンスクリット語のマントラを唱えるよう指示したというものではないですけれどもね 『ブッダの時代、アングリマーラという仏弟子がいた。彼は、もと残忍な凶賊であったが、ブッダの教化で比丘になった。 ある時、彼が托鉢していると、難産の婦人を見かけた。当時、お坊さんに真実の言葉を唱えてもらうと安産するという俗信 があり、真実語で婦人を助けようとした。しかし、何百人もの殺人をした彼にとって、自分の過去についての真実の告白は どうしてもできないので、ブッダの所へ帰り、教えを求めた。そして彼はブッダに教えられた「私が仏弟子となって以後、 決して他を害したことはありません」という真実語を婦人の前で唱えたところ、彼女は安産した。(『中部経典』八六)。』 (大谷大学/教員エッセイ読むページ)
828 :
神も仏も名無しさん :2013/10/31(木) 11:13:07.82 ID:CbiVFKFV
829 :
神も仏も名無しさん :2013/10/31(木) 11:25:16.84 ID:e+Eq5c2R
宝珠には、ほんとアクビが出るわw
ここまでのワンパターン繰り返しはアラシだぞ。
レイシズム神智学の巣窟へお引取りくださいませ。
>>822 >基本、仏教僧侶というものはホトケの超常性を認めますよ!
>>825 >“常在普遍の真我などはない”・・正しくは無記であって、そうであれば在ってもおかしくなどはないです
オカルト仏教は、一切法=現生的なる仏法ではない(相応部35-23・70)。
仏道を外れた修行の妨げとなる邪見・妄想=ゴミ・ガラクタだ。
リサイクルも効かん。
「無記」とはは修業者の六処による(肯定・否定の)検証不能のドグマでしかなく→如理作意(中部15)不能、
修証道にとって妨害観念妄想だから相手にしない<無視>ということ。
無記→『在ってもおかしくなどはない』←これを一切外妄想という。
無記→『ホトケの超常性を認めますよ!』←これを一切外妄想という。
無記→『常在普遍の真我の存在を認め』←これを一切外妄想という。
無記→『業報輪廻転生は現実である』←これを一切外妄想という。
無記→『アンパンマンは実在する』←これを一切外妄想という。
菩提心凡夫にとって検証可能な経験主義的証明ができてから、
「現生的なる法」(相応部35-70)と主張せよ。
顔を洗って、出直して恋!
>>822 だから、仏陀もただの人間であったのですよ。
物理法則の壁を破るスーパーマンじゃない。
彼が、到達しえたのは精神世界の壁を破る事。
混同して捉えるのは仏教の間違った解釈であると思います。
仏典に書かれている超常現象こそ、後代の付加つまり仏陀の神格化に他なりません。
それを言葉どおり、額面どおり受け取るのは間違いです。
そのような神格化した表現を抜き去って読む姿勢が正しいと思います。
仏陀と言えども100発100中で説けば全て説得できたわけではありません。
中には説得できずに、相手から軽くあしらわれたりされた事もありました。
人間対人間ですから当然です。
831 :
パーピマン ◆hVgvvzQ7pw :2013/10/31(木) 11:44:30.59 ID:Vxyuy7N1
>>826 wwwwwwwwwwwwwwwwww
だから、そんなのは、おめ〜の勝手な願望投射だろうがwwww
「生まれてこの方」という表現は、「妊婦を安心させる誇張表現」
たとえ嘘であってもそのようにいうことによって、妊婦は安心するww
だから、たとえ真実でなくてもそう言いなさい・・・・という意味にも
充分取れるのwww 実際、釈迦はそういう意味で言ったんだろうよww
もし、アングリマーラが、
⇒「 ≪生まれてこの方≫ といえば、嘘をついたことになる。しかし、
それによって、この妊婦は安心し無事出産できるだろう。ならば、この場合は
嘘をつくことも、また許されるに違いない。釈迦の真意はそういうことか。」
と理解して、そういうことも充分あり得るわけwwww
(また、実際そのような記述の経典もあるでしょ? )wwww
アングリマーラがそこにこだわって、聞き返したから、
「んなら、こう言いなさい」と訂正したんだよwwww
832 :
パーピマン ◆hVgvvzQ7pw :2013/10/31(木) 11:45:15.71 ID:Vxyuy7N1
それから、その大谷大学の アホの解説wwwwwwww 全然違うでしょ????wwwwwwwwww 最初に釈迦が言った「生まれてこの方」の説明をすっとばしてるでしょ?www あれは、「真実語」を言うかどうか? がポイントではないのww @妊婦を安心させて無事出産させることが最大目的 さらにAアングリマーラは以前とは違う、・・・ということを示すのが時点のポイント もし、アングリマーラが、 ⇒のように考えて、 「わかりました。行ってきます。」 と言って、 妊婦に 「私は生まれてこの方人を殺したことはありません。・・・・・」と言ったらどうなるの?? 釈迦は「え〜〜〜〜〜〜???? ホントにそのまま言っちゃったの? ダメじゃん、 それ、嘘じゃん。」・・・・とでも言うのか?wwww 釈迦はそんなにアホで、意地の悪い馬鹿なのか?wwww お前。俺があげた和訳、みんなに見せて聞いてみ?wwww それから、「真実語」についてだがwwwwwwwwwwwwwww 釈迦が、その効果を認めて説いた記録あげてみいやwwwwww いったいどこの仏典にそれがあるか??? 全て世俗習慣、および、後代の密教信徒が用いたものだろうが?ww 釈迦が「呪」の効力を説いたというならまず、その資料を提示しなww
833 :
パーピマン ◆hVgvvzQ7pw :2013/10/31(木) 11:55:59.42 ID:Vxyuy7N1
しかし、何で異教の奴らが仏教に拘ると「勝手読み」するのかね???
>>815 のアングリマーラ経よんで、ふっつに考えたら、100人が100人
おれと同じ解釈すると思うがなw
あれが「呪法の効力」を説いた経だなんて、真言や念仏の効力を説きたいために
恣意的に捻じ曲げて利用してると思われても仕方ないだろう?www
また、そういうことをするから、返って自己の信仰を胡散臭いものと思わせてしまうw
同じ宗派を信仰する真摯な者にとって迷惑以外の何物でもないと思うがwwww
「信仰」は信仰ででいいのw
それを変な屁理屈で自己正当化を図るから、トンデモ宗教と思われちまうんだよw
いい加減、そのへん理解すればいいのにww
834 :
パーピマン ◆hVgvvzQ7pw :2013/10/31(木) 12:05:56.37 ID:Vxyuy7N1
補足すると、 あのアングリマーラが「それでは嘘をついたことになる」と釈迦に 聞き返す場面・・・・あれも、ちゃんとそれなりの意味がある 「以前は、人を殺すことを何とも思ってなかったアングリマーラが、 人に嘘をつくことさえ拘るようになった。それほど、仏道に帰依して 変わったのだ。」・・・・・暗にそのような仏道賛歌を匂わせてるwww と、思われるww
835 :
神も仏も名無しさん :2013/10/31(木) 14:33:09.28 ID:jrMHEAmN
>>808 >隠居説によれば眠っている時も手術を受ける時も、五感の知覚があるそうですw
>カルト隠居教はすげえなw
「生きている」からこそ、睡眠もあり麻酔もかかる。あんまりアホなことを
いうな。
カルトの源泉は、釈迦とイエス。すべてのカルトが、「例外なく」この二人に
群がるとぃう事実で、如実に証明されている。
836 :
神も仏も名無しさん :2013/10/31(木) 17:47:18.53 ID:3FK9jtNc
837論点ボカシプロ・カルト教祖隠居はソ連コミュニストの手先であり国賊であり、非国民である! 戦後賠償はスリランカ政府代表の野演説による仏陀の言葉で救われたのである。 分割統治されずに済んだのである。 サンフランシスコ平和会議でのJRジャヤワルデネ代表演説 を参照、 隠居は日本は分割統治されるべきと主張するコミュニストの手先であることは明確である!
837 :
神も仏も名無しさん :2013/10/31(木) 18:02:05.73 ID:jrMHEAmN
>>836 私は、忌むべき左翼思想の源流を追求するうちに、ギリシャ哲学→キリスト教
→マルクス主義→リベラルという系譜に到達したのだが。
釈迦とイエスには、類似点があるのが問題。
838 :
神も仏も名無しさん :2013/10/31(木) 18:30:12.77 ID:jrMHEAmN
>>836 >「憎しみは憎しみによっては止まず、ただ愛によってのみ止む」
この句は、どの仏典にあるの?
839 :
神も仏も名無しさん :2013/10/31(木) 19:29:55.99 ID:3FK9jtNc
『法句経』第5番
>>824 >>825 近代主義の非我論も無我否定ではないと思いますよ
>しないでしょうね
永遠普遍の真我がなくても 知識を学びながら輪廻を卒業するという過程は成立するのでは?
通俗仏教の生命論や
アドヴァイタは真我ではなくブラフマン前提でこの消滅を教えていると思いますが
>>833 仏教的には異教じゃなくて外道でしょww
私は別に勝って読みはしてないけど?w
ニューサイエンス読み あるいは. トランスパーソナル読み だなw
愛によって止む、とは言ってないけどなw
842 :
神も仏も名無しさん :2013/10/31(木) 21:14:10.25 ID:jrMHEAmN
>>839 ありがと。「怨みによって怨みは止まず」はいい言葉だ。蒋介石もこの言葉
を引いて、日本に対する賠償請求と放棄したと思う。
東洋思想と西洋思想(キリスト教思想)との相違が、象徴的に表わされている。
例の「己が身に顧みて、殺してはならぬ。殺さしめてはならぬ」の感動的な
一句も法句経。Snに比べると、法句経には感動的な言葉が多い。釈迦にしては
出来過ぎ。どうせ弟子の言葉だろうw。
843 :
神も仏も名無しさん :2013/11/01(金) 01:00:40.63 ID:hoFmdB+b
>>816 >ヴァチカン公認のエクソシスト達からのレポートの中にも、悪霊憑き者の空中浮遊の事例は近年でもあります。
>>819 >『ウソも仕掛けも・・・・・・・・ちょっと、アルよ』
エクソシスト達は基本は牧師、カトリックの僧侶ですから、「坊さん達が嘘つきか?」ということになります。
空中浮遊以外にも、読心術や知るはずのない外国語を話す能力、口から大量の釘を吐き出すなどの現象の報告が
カトリックのお坊さん達からなされております(原始仏典に記載の神通と一部似ております)。
それに比べて、輪廻や空の議論をしている日本の仏教界は平和に感じる次第です。神道も同様です。
844 :
神も仏も名無しさん :2013/11/01(金) 01:19:15.59 ID:hoFmdB+b
>>843 続き
70年代、イタリア半島全体でわずか20人ほどだったエクソシストは、90年代に200人を超え、現在(2010年の報告)は300人を数える。
にもかかわらず、彼らが暮らす教会や修道院には、ひっきりなしに電話が鳴り、全員が寝る暇もないほど大忙しだという。
(因みにエクソシストはドイツにはいないが、アメリカには若干いるとのことです。)
多分、密教系の僧侶は既に日本版エクソシストを実践中だと思いますので、ご存じの方は情報を提供下さい。
>>844 お聞きしますが その本は日本のカトリック中央協議会の認可されているものですか?
846 :
神も仏も名無しさん :2013/11/01(金) 01:42:44.63 ID:hoFmdB+b
>>845 サロメさん
>お聞きしますが その本は日本のカトリック中央協議会の認可されているものですか?
多分、認可はされていないと思いますが、貴方(貴女)は調べることができますか?
お聞きしますが、ヴァチカン公認のエクソシスト養成講座のことはご存じですか?
(ネット情報より)
カトリック教会の厳密なエクソシスムは教会法に沿ってなされるもので、叙階された司祭が、司教の特別な認可を受け、医学的なケアの上、行うことができる。
2007年、教皇ベネディクト16世は、各司教区にエクソシスト(悪魔祓いの祈祷師)を配置すると宣言。悪魔崇拝に対しては、悪魔祓いによる対決姿勢を示した。
しかし、急速に広まる悪魔崇拝のため、エクソシストの需要は今後増え続ける一方で、人員が足りなくなることが予想されている。
今回の会議により、その養成がさらに急がれることになりそうだ。
(2011/3/30 NEWS)
Exorcism is the subject of a six-day conference being held this week at the Regina Apostolorum Pontifical University in Rome, which is under the Vatican's authority.
>>846 カトリックの教理 カテキズムでは祓魔の規定がありますが それは精神病を含む あらゆる病気によるものではないと
確認する必要があり 司教の許可も必要です
まず在家さんがカトリック中央協議会にご確認されてはいかがでしょうか?
848 :
神も仏も名無しさん :2013/11/01(金) 07:44:34.84 ID:hoFmdB+b
>>847 サロメさん
話を整理しますとヴァチカン公認のエクソシスト養成講座のことを記載した本があります。
その本が日本のカトリック中央協議会の認可済みか否かが、仏教板で重要ですか。
その本がヴァチカン権威の認可済みか否かが、仏教板で重要ですか。
それともヴァチカン公認のエクソシスト養成講座の有無が、仏教板で重要ですか。
それともヴァチカン公認のエクソシスト養成講座の有無が、キリスト教板で重要ですか。
四択から敢えて選べば、三番目と四番目が重要かと考えます。
密教について書かれている仏教図書があって、その本が真言宗の認可済みか否かを問うことは重要ですか?
念仏について書かれている仏教図書があって、その本が浄土宗の認可済みか否かを問うことは重要ですか?
もし重要だと思うのであれば、重要だと思う人が調べることでしょう。
849 :
神も仏も名無しさん :2013/11/01(金) 09:41:31.69 ID:cuWzt9Es
いい加減にスレ違いキチガイ・レスがうざい。
850 :
神も仏も名無しさん :2013/11/01(金) 09:48:09.98 ID:cuWzt9Es
>>843 >エクソシスト達は基本は牧師、カトリックの僧侶ですから、「坊さん達が嘘つきか?」ということになります。
オカルト坊主は基本、ウソつきだ。
851 :
神も仏も名無しさん :2013/11/01(金) 09:57:09.19 ID:cuWzt9Es
ウソとは、自分が検証できていないのに、 何かに書かれていたことを、または妄想したことを <事実である>ということをいう。 この意味で信仰とはウソつきである。
852 :
名無し :2013/11/01(金) 10:27:56.60 ID:iacaaAXK
名古屋の日泰寺は、無事安泰ですよね?
853 :
神も仏も名無しさん :2013/11/01(金) 10:29:27.91 ID:UxKK8Dmi
>>851 >この意味で信仰とはウソつきである。
同意。パーピーマンは「信仰は認める。しかし、それを普遍的なものとして
語ることは許されない」と言ったが、それは甘いのではないか。それでは、
嘘を奨励することになるし、信仰者は「普遍的なもの」だと信じるからこそ、
信仰しているのである。だから、他人に布教するのではないか。肉親さえ、
宗教のベールを通さない限り、見ることができなくなる。
科学が驚異的な発達を遂げ、さらに遂げつつある現代において、穴居時代の
人間の言ったことを大真面目に信じることなど、現代人にはもはや許されない
ことだと思う。
自分の日常に仏教が根付いてるからといって、 現実論と解釈してはいけない。 仏教はもともと形而上のことを問題にしているのだ。 だからこそ、宗教ということになるのだ。 現実論を語りたいなら、仏教を語るな。 仏教は現実論じゃない。
>>844 ID:hoFmdB+b さんへ
> 密教系の僧侶は既に日本版エクソシストを実践中だと思いますので、ご存じの方は情報を提供下さい
人が死ぬ時に
仮設としての
我愛と、戯論(けろん)と、善悪業によって
中有身が形成される
− これに対処する為に −
密教においては
仏が大悲・大智によって衆生に応じることを「加(加被)」
衆生がそれを受け入れることを「持(摂持)」と解釈し
双方が相応一致することで
死後の成仏をはじめとする各種の効果を成就させる
_ _ _
他力本願(たりきほんがん)
浄土真宗で「他力」とは
それ自体の自性ではなく
因と縁の依存によって
「他」とは衆生を指し
「力」とは衆生を救済し続ける如来の本願力(はたらき)をいう
856 :
神も仏も名無しさん :2013/11/01(金) 12:06:15.58 ID:hoFmdB+b
>>855 >死後の成仏をはじめとする各種の効果を成就させる
密教系では加持で憑依している「中有」を除くお坊さんがおられるということですね。
エクソシストはイタリヤで300人以上とのことですが、密教系お坊さんはどの位おられるのでしょうか。
857 :
神も仏も名無しさん :2013/11/01(金) 12:12:23.09 ID:hoFmdB+b
>>856 サロメさん情報では、カテキズムでは祓魔の規定があり、司教の許可も必要とのことです。
密教系での加持でも規定とか真言宗権威の許可が必要なのでしょうかね。
落武者の「中有」を除くお坊さんにもいつか遭遇するかも知れません。 (^0^)/
>>854 >仏教はもともと形而上のことを問題にしているのだ。
仏教は形而上の事を無記として問題にしない。
>仏教は現実論じゃない。
全く現実論です。
あなたの認識は180度違う。
>>858 なぜ現実論と言い切れるのか・・・?
仏教の経典は、それが初期のものでも、生まれ変わりを前提としているではないか。
比喩というなら、それを具体的に説明出来ないといけない。
一方的に自分の、超現実を認めたくない、という主観で仏教の教えを現実論と決め付けてはならない。
> 密教系では加持で憑依している「中有」を除くお坊さんがおられるということですね > エクソシストはイタリヤで300人以上とのことですが、密教系お坊さんはどの位おられるのでしょうか 密教の場合は それ自体の自性ではなく 因と縁の依存によって 「 中有を除く 」 ではなくて成仏へと導く、と言う事だと思ふ 死後の成仏をはじめとする各種の効果を成就させる これが基本であり前提なので 「中有などは無い」とするなら密教僧を目指さなければ良い、と言う話しの流れになる そう言う訳で、実践は、ともかくとして、教学としては 密教僧は、成仏へと導く、と言う事を前提としている と言う事だと思ふ _ _ _ 空海「弁顕密二教論」 「三十七菩提分法是れ法宝なり」 曹洞宗道元禅師様が「正法眼蔵」の第六十 「この三十七菩提分法、即ち仏祖の眼晴鼻穴、皮肉骨髄、手足面目なり。 仏祖一枚、これを三十七菩提分法と参学しきたれり」
>仏教の経典は、それが初期のものでも、生まれ変わりを前提としているではないか。 スッタニパータの最古層では、輪廻という言葉すら出てこず、輪廻を表す言葉が使われても 否定的に使われるだけで、しかも登場頻度もわずか数回だけ。 古層になると輪廻という言葉が使われ、輪廻に付随する神通など枝葉が増え、積極肯定して 使われ、登場頻度も激増する。 人間仏陀を想像するにおいて、形而上の超常現象などは、後代の付加、仏陀の神格化に他ならない。 そのような要素を排除して読めば仏教がいかに現実を説くものであるかが分かるでしょう。
862 :
宝珠@神智学徒 ◆9XuF3XEACk :2013/11/01(金) 13:07:17.04 ID:h/w71kSO
>>833 取りあえず、
この真実語の件については終わりにしましょう。
お互いに見解の違いありということで。。。
ちなみに、
“ゴータマがアングリマーラに真実語を唱えさせた”という意味での解説は以前、
TV放送においても私は確認しています。
古い話で記憶が曖昧ですが、中村 元氏か奈良康明氏です。
863 :
宝珠@神智学徒 ◆9XuF3XEACk :2013/11/01(金) 13:09:50.12 ID:h/w71kSO
>>840 真我がないということは、
輪廻の卒業はそのまま消滅の「無」を意味するということ。
自己消滅して「無」となるための学びとは、これ如何に?
アドヴァイタのラマナ・マハリシは、「真我のみが重要であり、唯、真我しか存在しない」と言っています。
真我であるアートマンはブラフマンの個の部分ですから。
(ちなみ、輪廻主体は真我ではないです。それは「魂」ジーヴァです)
確かに、
真我については知らないで進むということはもちろんありです。
そういった実務重視の姿勢がゴータマの手法なのでしょう。それはそれでいい。
ただし、このスレの住人のように真我について否定したり、罵倒する愚弄を呈すことがないならば。
>>861 輪廻という言葉が使われてなくても、あの世とか、来世という言葉が使われてるだろ?
今この世にいるのも、そういう過去世があったから、という前提の教えなんだよ。
輪廻という言葉がなくても、輪廻を如実に語っているんだよ。
865 :
宝珠@神智学徒 ◆9XuF3XEACk :2013/11/01(金) 13:11:42.26 ID:h/w71kSO
>>844 >>856 詳しい情報でなくてすみません。
心霊存在の認知と中有からの死後成仏についての理解は、
日本仏教では、やはり真言宗(僧侶)がダントツに明るいものと思われます。
いわゆる“拝み屋” などと呼ばれているこれらの真言僧は醍醐派(修験道含む)に多いようです。
真言僧でもそういうものを全く信じない方々も大勢なので、彼らは“拝み屋” たちのことを好ましく見ていません。
近々、私の派での公式見解についても調べてみます(直接確認したいと思う)。
>>861 >後代の付加、仏陀の神格化に他ならない。
ならばスッタニパーダは仏教じゃないってことになる。
スッタニパーダが本物の仏教ではなく、ブッダを神格化させるための付加だとするならば、
一体、何をもって仏教というのか・・・?
自分の都合の良い部分をとって、「これは仏陀の教えである これは後代の付加である」 という判断をするなら、
それは釈迦の教えを自分の主観の下に置く、とんでもない行為だよ。
>>860 の続き
法華経の場合は
仏の智慧を熟考し尊重し尊奉して
愛欲の心を想受滅させて
地獄に墜ちた衆生を救い上げ
かれらを悟りへ導く
(たとえ、それが生物学的な線上に乗せ得るかどうかを含めたとしても)、 輪廻に関する記述の有無が「現実論かどうか?」ということを左右するわけじゃないだろw 輪廻に関する記述がなくても、非現実的で夢想的な場合もあり得るぜ?w 逆もまた然りだがw 現実に即しているかどうか(≒日日に活かし得るものかどうか)と輪廻やその他は、ま別の話でしょ。
>>866 あなたが輪廻を信じるのはあなたの自由。
私が形而上の事を問題にしないのは私の自由。
私は私の立場からあなたに仏教を語るな〜なんて暴言は吐きません。
あなたはあなたの立場から、輪廻を信じないものは仏教を語るな〜と暴言を吐きます。
>>854 さて、どちらが人間仏陀に近いでしょうか?
そもそも仏教を現実論にしたい人は、形而上のことを洞察出来ない、 頭の悪い人が多い。 形而上のことは、学問では指し計れないからね。 洞察するより他にない。 形而上のことを相手にするとき、二つの極端に分かれる。 オカルトにハマってしまうか、現実論でそれらを徹底否定するか。 これはどっちも同じ。 本当の真実を見出せない。 仏教はただ単にオカルトってわけじゃない。 現実を越えながら、この現実生活を素晴らしいものに変え得る。 欲を越える、自己中心の考えを越える、ってだけじゃ、世界をより良くすることは出来ない。 それでは抑圧に繋がってしまうし、またもし、我を越えた世界に真理がなければ、 それは単なる廃人だ。 我を超えて繋がる真理が無ければ、何にもならない。 その真理もまた、形而上のことだ。 輪廻否定派は、こうした真理まで一緒に否定してしまうため、始末に負えない。 これでは仏教の意味がない。
871 :
宝珠@神智学徒 ◆9XuF3XEACk :2013/11/01(金) 13:32:06.38 ID:h/w71kSO
>>816 >>819 私は心霊存在によるポルターガイスト現象を目撃体験済です。
浮揚ではありませんが、無人で物品移動する瞬間をハッキリとこの目で見ています。
心霊レベルですらそういうことが可能なのであれば、一切智者であられるブッダであれば一体、どれほどのことか。
そう見なせば、ブッダの神通というのは迷信でも何でもない実際にあった事実だと思います。
872 :
宝珠@神智学徒 ◆9XuF3XEACk :2013/11/01(金) 13:34:41.38 ID:h/w71kSO
>>861 そういうのは、
仏教を単なる哲学か道徳にしてしまうだけです。
ならば、この世には自然科学と心理カウンセラーとかがあればそれでいいことになる。
輪廻転生なしでは仏教理論は成立しないですから。
矛盾をきたして崩壊する。
>>864 おおっ!!!
やっと真っ当な理解者の登場ですね(歓迎)。
ID:H6ootrQP氏
>>870 形而上を否定する立場ではありません。
科学的に説明できない真実世界というのはあって当たり前。
無記というのは肯定、否定しないというものです。
問題にしない。
形而上問題肯定派は完璧にオカルトに嵌っています。
宝珠さんがオカルトでなく何でしょうか?↓
輪廻転生に別惑星まで登場させて解説し、人が浮揚したり、水中生活できたり
1万年生きる事もでき、空気中からエネルギーをとるので何年も物を食べず飲まず生きられる〜
そのような神通を持つ人間仏陀が何故たったの80歳で死んだのでしょうか?
>>868 何度も言うように、「日々に生かしえる仏教」止まりでは、本当の仏教の教えじゃない。
それでは全く意味がない。
そりゃ単なる哲学だ。
輪廻を認めることが重要なんじゃない。
問題はその先なんだよ。
その先の真理を見出すために、まず、仏教が前提として話ていることを、
認めないといけない。
そうしないと、仏教の本質は分からない。
>>869 え〜っとですね、仏教はまず、形而上の世界のことなんですよ。
ここの認識からもう間違ってる。
あなたが形而上の世界を問題にしたくないのなら、あなたは仏教から手を引くべきだ。
少なくとも外国の人ならそうするだろ。
ところが、日本人には仏教が根付いてる。
だから仏教を否定するわけにはいかない。
そこで、現実的解釈が必要になった。
もうごり押ししてるわけよ、仏教現実論主義者は。
これは仏教史上、最大の危機だと思うね。
まず現実論者は、仏教が形而上のことを語っているとするならば、
それは巷にあふれるオカルトと同じだと考えてる。
これはとんでもないことだよ。
仏教をその辺のオカルトと同じにしてる。
その上で、そういう仏教に替わる、現実的な仏教を作り出してる。
これはお釈迦様への挑戦だよね。
すごいよね、現代人は。
偉大な釈迦の教えを、自分の理解できる、都合のいい範疇に引き下げるんだから。
これはとんでもないことだよ。
私は形而上積極肯定派こそ仏教から手を引くべきと思います。
>>863 宝珠@神智学徒 ◆9XuF3XEACk ID:h/w71kSO さんへ
> 真我について否定したり、罵倒する愚弄を呈すことがないならば
真我とは何か、わからないけど
私(ID:q9ufCQzX)の今の段階は
自立論証派・有相唯識派、の段階なので
真我について罵倒する愚弄を呈す、と言う事はないけど
ただし、教学としては
永久不滅・常住不変であるなら、この今の状態から解脱する事は出来ない
− これに対して −
色受想行識の五蘊の仮和合した仮りの状態である
仮りの状態であるからこそ、この今の状態から解脱する事が出来る
と衆生に説明する為に、仮名の空を以って説明した
と言う事かも
>>869 そういう問題じゃないよw
看板を使うなら、伝統を抑えなさい、ということ。
もし、『新しい』解釈で進むなら、
《新規に看板を作り直す》か、《従来の内容の抜本的改訂と周知》が必要になります。
ちなみに後者で行こうとしているのが、宝珠・在家・カラス・隠居なわけです。
前者を採る人は今のところ誰も居ません。
>>874 (
>>872 )
でも、
心理カウンセリングで何が悪いのか?ってのは、本気で疑問に思うが?w
(勿論、自身の心理での苦悩だが)
そこ以外に何があるのかと逆に思うね。
アノーマー河を渡ったのはなぜか?菩提樹下に坐ったのはなぜか?
とね。
879 :
宝珠@神智学徒 ◆9XuF3XEACk :2013/11/01(金) 13:55:43.36 ID:h/w71kSO
>>873 別に私のことはオカルティストで結構です。
私は知られざることについて学ぶ者です。実に光栄なこと。
>そのような神通を持つ人間仏陀が何故たったの80歳で死んだのでしょうか?
ゴータマもその気になれば延命でも何でも可能。そのことを理解できず、
ゴータマからのせっかくの慈悲的な申し出を受け入れなかったアーナンダのミスによって、
ゴータマは存命を辞めたのですよ。
『マハ−パリニッバーナ・スッタンタ』(パーリ涅槃経)を確認してくださいな。
ちょうど今のあなたみたいにゴータマの延命の言葉の意味が理解できなかったからね、アーナンダは。
「そんなことができる筈がないし、んじゃーどういう意味なんだろ?」てね。
そうこうしているうちに、「もういいや!あとは頑張ってね。」となったのさ。
分かりました?
>>879 大パリニッパーナは何度も読んで知っています。
あなたは仏典に書かれている事を一字一句そのまま信じるオカルティストですから
そのように読めば良いでしょう。
1万年生きるつもりで、現在も人間仏陀が「私はもう2500歳だが、まだお前らに教えを説こう〜」
と言ってくれた方が遥かに説得力があるのですがねえw
>>876 の続き
> 真我
サーンキヤの場合は
プルシャは
プラクリティから様々な原理が展開してゆくことを観察するのみで
プルシャそれ自体は変化することがない、とする
人はプラクリティから展開した理性、自我意識などを主体であると思い込む錯覚に陥っているが
本来の自我であるプルシャに目覚めることで解脱が果たされるとしている
サーンキヤ学派はヨーガ学派と対になり、ヨーガを理論面から基礎付ける役割を果たしている
_ _ _
我は、常住であり
他との何らの関係をもたないで単独で存在することができるものと考え
それは働きのうえで自由自在の力をもつとした
この我によって人間生存は根拠付けられ、支配されていると考えるのである
− これに対して −
釈迦はこのような実我観念を批判し
「 我として認められるものはない 」 として、諸法無我と説いた
これを色受想行識の五蘊について説き
人間生存は無我である五蘊の仮和合したものであるから仮りの存在であると説いた
>>879 地震が起きたのは、あいつが掃除をサボったせいだ
と言ってるのと同じだなw >延命サイン見逃し
やな感じw
いや、敬遠サイン見逃してサヨナラ負けしたピッチャーかwww
883 :
宝珠@神智学徒 ◆9XuF3XEACk :2013/11/01(金) 14:05:33.19 ID:h/w71kSO
>>877 >前者を採る人は今のところ誰も居ません。
今はきていないけれども、
一代はその典型でしょ!!
違う?
>>8769
>色受想行識の五蘊の仮和合した仮りの状態
そう。
これ(仮和合の自己)から抜け出したら真我に目覚める。
それが大悟(覚り)です。ゴータマはただ真我を説くことをしなかっただけ。
従来の手法ではなくて、新しく異なるアプローチを用いることにした、と。
884 :
宝珠@神智学徒 ◆9XuF3XEACk :2013/11/01(金) 14:09:05.47 ID:h/w71kSO
>>882 確かに、嫌な感じかもだけど。
それが仏典が伝えていることですから。
885 :
宝珠@神智学徒 ◆9XuF3XEACk :2013/11/01(金) 14:17:24.81 ID:h/w71kSO
>>881 すみませんが、
私(宝珠)が「真我」というときはサーンキャ哲学のことは意図していません。
ていうより、サーンキャ哲学とは同一視で読まないように宜しくお願いします。
私は、意図的に敢えて「真我」を不変永遠の自性として述べていますから(よって、サーンキャ哲学とは異なる)。
暫くオチます。。。
886 :
宝珠@神智学徒 ◆9XuF3XEACk :2013/11/01(金) 14:25:56.51 ID:h/w71kSO
>>880 >あなたは仏典に書かれている事を一字一句そのまま信じるオカルティストですから
全部ではない。
>そのように読めば良いでしょう。
わたしは、事例をいくつも知っているから。
その理論についてもある程度は理解し把握しています。
そのことにより、理解し信頼を寄せている。
その辺があなた方との決定的な違いです。
つまり、あなた方は何も知らないから。
オカルト 目で見たり、触れて感じたりすることのできないことを意味する そのような知識の探求とそれによって得られた知識体系は「オカルティズム」と呼ばれている 万有引力 重力 重力子(グラビトン)という素粒子により媒介するとみなされるが 素粒子としての重力子は現在のところ未発見である ダークエネルギー(暗黒エネルギー) 真の正体は現状ではほぼ推測の対象 暗黒物質(ダークマター) 電磁相互作用をせずかつ色電荷を持たない 光学的には観測できないとされる仮説上の物質である "人間が見知ることが出来る物質とはほとんど反応しない"などともされており そもそも本当に存在するのか、もし存在するとしたらどのような正体なのか 何で出来ているか、未だに確認されておらず、不明のままである ↑ (膨大な税金を使ったとしても) 目で見たり、触れて感じたりすることのできないことを探求するのは楽しい
888 :
神も仏も名無しさん :2013/11/01(金) 14:33:00.78 ID:hoFmdB+b
>>873 >そのような神通を持つ人間仏陀が何故たったの80歳で死んだのでしょうか?
法華経の如来寿量品第十六にも理由を具体的に説かれておりますけど。。
私が解説するまでもないでしょう。
そういえばアーナンダでさえも仏に狎れてしまっていたようですね。況や衆生をや。
>>886 >そのことにより、理解し信頼を寄せている。
つまり類は友を呼ぶという事ですね。分かります。神智学徒というのは皆そうなんですね。
万有引力やダークエネルギーや暗黒物質は広義ではオカルトかもしれないが、科学的検証の
過程にあるのでまだマシ。
人間の空中浮揚やら1万年以上生きられるやら食べず飲まずで生きられるやら人間の輪廻主体は
別惑星から来た〜は科学的検証すらされず、さも実在するかのように主張する、コレを真のオカルトと言う。
サーンキヤの場合は プルシャそれ自体は変化することがない プラクリティから様々な原理が展開してゆく − これに対して − 「真我」を不変永遠の自性として述べていますから(よって、サーンキャ哲学とは異なる) _ _ _ ↑同じような感じに見えますが?
>>883 >一代はその典型
いや真逆。 彼は、「(貴方も含めてw)相手に対して
『看板使うな。使うなら、せめて分家としての但し書きを付けるかリニューアルするかしろ』」と言ってただけ。
ちなみに
>>873 も
>>879 も、
≪叶わなかった事象の不成立原因を、【誰かのせい】にしたくなる、しなければ整理受容し難い≫
ってのも、ヒトの思考の癖だがな・・・w
「これが叶わない筈がないんだ!叶わなかったのには、きっと深い理由がある筈!d(>∀<)」
「こんなことが起きるなんて考えられない!理由が無い!きっと、裏の裏に大きな意義があるんだ!Σ(゚д゚;)」
>>877 伝統的ってのがどういうことのなのか分からないけど、
あの世とか、来世とか、っていう話は、仏教の伝統的な話だよね。
それを否定して伝統も糞もない。
むしろ、どちらが伝統を破壊しているか。
仏教を現時的な解釈にすり替えている方こそ、伝統を破壊してると言えるだろう。
ただ、その伝統をもとに、極端なオカルト解釈をするのも伝統の破壊だが、
あの世、来世、と言った話の内容をする分は、少なくとも仏教の古典的な話をしているわけで、
伝統の破壊でもなんでもない。
>>892 だから一代は、「凡夫の常識への阿諛」と言ったのでしょ。
> 科学的検証の過程にあるのでまだマシ この検証をするのは 如来か? 人か? 如来は、戯論を過ぎるが、而し − これに対して − 世間は、顛倒の故に、虚妄の法を生じる 人は、戯論を生じて慧眼を破る
>>893 補
が、原典批判的姿勢を失ったらアウトだよ。
或いは、仏の視座と日常視座の混淆もね。
上で出てた三十二相にしても、
「“生物としての人間”の姿ではなく、仏の姿である」という説明はアリだろう。
が、それならばそれとして説かれなければならない。
そこをすっ飛ばして、舌が長い・水かきがあるetc.etc.言うだけでは、
(→「生物としての肉体がそうであった)」では、カルト新興宗教と少しも変わらないw
そういう所を押さえずには、この21世紀に於いては、
紡がれる言葉として「最初から」見向きもされないものになるか、
とことん超常現象の深みに魅かれるか、
どっちかしかないと思うよ。(このスレや2chの各宗教板みたいにw)
> 最初から見向きもされないものになるか > とことん超常現象の深みに魅かれるか 私の場合は 落武者を見た、と言う事を、きっかけとして それが、教学として 密教 → 瑜伽師地論(ゆがしじろん) → 根本仏典 → 中論 → 般若経などを ↑ 勉強させて頂く、と言う事に、つながってます 屮(_ ._)屮
中道は仏教の宗旨。 ここを押さえずして、輪廻転生こそ前提、土台〜なんていうのは根本から間違っている。 中道は形而上の事をあるともないとも言わないから中道なのです。 中道であり、無記であり、空であり、縁起であり〜これらは基本的に同じ事なのです。 形而上の問題をあるともないとも言わない。 自らは根本を履き違えしておきながら、他人に仏教を語るな〜なんて笑止千万。
898 :
宝珠@神智学徒 ◆9XuF3XEACk :2013/11/01(金) 15:47:21.16 ID:h/w71kSO
>>890 1/2
まっ、どの立場(視点)から見るか?説くか?の違いにしか過ぎませんが、私は混同する誤解を避けるべく一緒にはしないようにしています。
サーンキャ哲学というのは、元々からして(ヨーガとも)別ものなんですよ。単に理論づけに後から利用することにしただけで、ハッキリ
いってあまりパッとしたものではないと思います。何だか、採ってつけた感じですから。
プラクリティは純粋に非精神性の物質根本原理です。プルシャとは完全に別物であり、これとは同一起源にも遡れないし、決して融合し
一つになることもない。このプラクリティのことを「自性」といっています。ていうよりは、訳されていますかな?
しかし、この私の場合はというと、現象界は「無自性」(空)であって、真我だけが自性であるとしているのです。ですから、真我のことを
サーンキャ哲学用語を使用してプルシャなど呼ぶことも決してしないのですよ。
>真我だけが自性であるとしている 完璧な我執。我執以外の何者でもない。仏陀が最も戒めたもの。
900 :
宝珠@神智学徒 ◆9XuF3XEACk :2013/11/01(金) 15:50:47.96 ID:h/w71kSO
2/2 私は 「真我」=「アートマン」=「モナド」(モナッド)=神智学用語の「スピリット」(霊)として使っています。 ですから、サーンキャの「プルシャ」、日本的感覚での「魂」(ジーヴァ)や「霊」などと混同されると困るのです。 *?さんは、 佐保田鶴治(訳著)『ヨーガ根本経典』は持っていますか? もしなかったのなら、強くお薦めします。サーンキャ哲学についても解説されていますから。
901 :
宝珠@神智学徒 ◆9XuF3XEACk :2013/11/01(金) 15:55:18.72 ID:h/w71kSO
>>899 いいから黙っててくれます?
ワーワーしないで。
ゴータマは“説かなかった”だけです。
このことで論理矛盾は起きませんから。
>>898 宝珠@神智学徒 さんへ
むずかしくて理解出来ないところもあるけど
とりあえずは了解
宝珠さんの言う「真我」とは何か、わからないけど
私の今の段階は
自立論証派・有相唯識派、の段階なので
「 真我について罵倒する愚弄を呈す 」
と言うような事をしないように気をつけます スマソ 屮(_ ._)屮
904 :
宝珠@神智学徒 ◆9XuF3XEACk :2013/11/01(金) 16:15:55.60 ID:h/w71kSO
閻魔さんも 宝珠さんの事を愛しているのかも その愛がある故に 憎悪・憎しみと言う心の働きが現れて 宝珠さんに対して 横合いから手出しや干渉をする・おせっかいをする と言う事が 因と縁の依存によって現れているとか ( ↑ 冗談です スマソ 屮(_ ._)屮 )
>>895 オカルトの問題点は何かって言うと、それは、そうした形而上的にある空なる存在を、
実際にあると(自性があるかごときに) 扱うから問題なんだよね。
ただ、仏教はそういうものが混沌としてて、我を超えた真理など(仏など)の形而上的なことと、
現象世界の輪廻やあの世といった、空なるものの存在とが、ごっちゃになってる。
「すべての現象世界は空だ」と、言うとき、その中には輪廻やあの世も、仏教的には入ってる。
現象的な世界に輪廻やあの世が有るか無いか・・・っていう議論になるなら、
仏教的に言えば、「有る」 だよ。
だからこそ、経典でさんざん前世や来世の話が出て来る。
ただ、それらが常住の存在であるかどうか・・・、ってなってくると、「それらは空だ」 ということになる。
仏の三十二相の話は、我を超えた、解脱の世界の話であって、それが現象世界的に存在するかのように語られれば、
それは違うと、言わざる負えない
ここのところの区別は、一旦、輪廻やあの世を現象的なものとして認めないと、
出来ないよ。
>>897 輪廻やあの世のみならず、今目の前にある物でさえ、空であり、中道なんだよ。
>現象的な世界に輪廻やあの世が有るか無いか・・・っていう議論になるなら、 >仏教的に言えば、「有る」 だよ。 有ると言った瞬間に空ではなくなる。空の何たるかが全く理解できていない。 非有非無非空を掴まない限り無用な論議。
あのね・・・・、空を説くとき、空の対象となるものを認めないと、 空は説けないんだよ。 ある物事を、空なり無なり説くとき、その物事を凡夫の立場に立って、「あなたはそう見えるよね?」 って 認めないと、その後の話が出来ないんだよ。 それを、「凡夫の認識の対象」となる段階で、そんなものは無いんだ、というのが間違ってるってこと。 だから 「(凡夫の認識では)有る」 と言っている。 あなたは、何と言うのかな・・・・、非常に短絡的な発想をしている。