ACIM(A Course In Miracles)・奇跡のコース 23
1 :
神も仏も名無しさん :
2013/06/10(月) 23:14:06.68 ID:d4F0yNEg ACIM(A Course In Miracles)「奇跡のコース/奇跡講座/他」とは、
純粋に非二元論的な霊性(スピリチュアリティ)の教えのひとつで
NYのコロンビア大学医学部の助教授だったヘレン・シャックマン博士が
7年間に渡りイエス・キリストから来たとされるインスピレーションを書きとめ
編集・校正し出版された本です。(現在では20の言語で出版されています。)
ACIMはテキストとワークブック、教師用マニュアルの3つから成り、
実践を通じて真理の悟りにたどり着く事を目標としています。
前スレ
ACIM(A Course In Miracles)・奇跡のコース 22
http://uni.2ch.net/test/read.cgi/psy/1361024358/ *・゜゚・*:.。..。.:*・'邦訳出版について'・*:.。. .。.:*・゜゚・*
『奇跡のコース』第一巻/テキスト(2010/12/4)
『奇跡のコース』第二巻/学習者のためのワークブック、教師のためのマニュアル(2012/12/12)
ナチュラル・スピリット社から出版。訳者は、大内博氏(玉川大学元教授)。FIP非公認版
『奇跡講座』中央アート出版社。(2011/12/15)
FACIMワープニック博士の監督下、JACIMの加藤三代子氏・澤井美子氏による共訳で邦訳。FIP公認版
個人試訳もサイト、ブログ、メルマガ等で入手可能。
2 :
神も仏も名無しさん :2013/06/11(火) 17:02:50.10 ID:BEIkmSfV
3 :
神も仏も名無しさん :2013/06/11(火) 18:45:02.91 ID:RWBWfrad
世界が現実(リアル)なら罪も現実(リアル)。彼らは有罪、あなたも有罪。
彼らが本当は何もしていないから無辜であるなら、
あなたも本当は何もしていないから無辜。
>>1 乙。
4 :
神も仏も名無しさん :2013/06/11(火) 19:07:46.22 ID:j4XOfqHg
(´・ω・`)乙
>>1 乙は絶対言わない これはポニーテールなんだから・・
5 :
神も仏も名無しさん :2013/06/11(火) 20:53:49.17 ID:CPzoW4g7
6 :
神も仏も名無しさん :2013/06/11(火) 21:09:10.30 ID:z8yGn8Nh
아침
8 :
神も仏も名無しさん :2013/06/12(水) 14:06:30.49 ID:ARs5jJby
おっ、jacim更新来ている。 でも中央アート出版のキャンペーンでワークブック編買ったら 不良品で交換してもらうときの往復送料こっち持ちだったから 俺はamazonか楽天で買う予定。
9 :
神も仏も名無しさん :2013/06/12(水) 21:07:51.12 ID:t8G6cn3f
>>7 さん
> 아침
あれ、おてんばさんもここ見てるんですね d(^_^o)
僕、分かりますよね。
ハングルはなんて読むんですか?
いつも自分と他人の容姿を批判する癖を見てみない振りはもうするのやめよう… はぁ
>>9 自己レス
分かりました。アチムですね? 朝=おはよう ですね
ちょっと聞いてくれ。 ずっと前、過去スレにハゲの話題が何度が挙がって 悩んでいる学習者に対して色々とアドバイスがあったんだな。 その時は、気休めっぽい感じがなきしもあらず、って感じ だったのだが、最近、『メカニック』って映画を見て そこで主演のジェイソン・ステイサムというハゲの俳優が スゲー魅力的だったんだわ。 「ハゲは個性」というのがはっきり分かった。 結論:誰一人、事実に対して怒ることはない。常に事実に対する解釈が 否定的な感情をもたらすのである。(by教師用マニュアル)
ハゲは似合う人と似合わない人がいるから・・・
坊主にしたら学徒兵ってあだ名がついたよ
坊主にしてストイックに学習、ってわけでもないだろうが 最近また自学自習の学習者のブログが増えてきたような気がする。
今日の主題概念 「髪の毛が後退しているのではない。私が前進しているのである」 by毛籍のコース
やあ。久しぶり。 規制されてた。w
☆ 名無しで来てたくせに〜!ww
ききき来てないよハアハア
20 :
神も仏も名無しさん :2013/06/13(木) 23:46:34.38 ID:nmhqzmWn
来てたな〜(^O^)
皆さんに質問させて下さい。 ACIMってやっぱりワークショップやオフ会やセッションみたいなのに参加したほうが学びが則されますか? ずーっとひとりで学習しててもいいのでしょうか? 参加したことがあるのですがそこの中心の人物にどうやら好まれなかったらしくSNSで友達から外されました。 とても参加してよかったと思っていたので本当にショックでまた参加する気になれません。 私はその方の話を熱心に聞いていただけで失礼な発言などしていないし…。あんなににこやかに話して下さっていたのになぁと…
>>21 その人がここを見ているかもしれないから、突っ込んだことは言えないような気がするよ。
敢えて言えば、今回のことで、コースの学習は基本自学自習であり、仲間やグループの態度に
依存するものではないという事を学ばせてくれたんじゃないか。
ある意味、その人から卒業するいい機会かもしれない。
(グループ学習をやめたり、他の学習者から学ぶのをやめなければならない
という事ではなく、精神的に依存しないという事ね)
>>23 依存どうこう以前に一回お話しただけだしSNSはライトユーザーなので日記や写真のupみたいなのもお互いなくてやりとりもなかったです。
まさか神の教師に苦しめられるなんて思ってなかった。まじで聖霊は何を思ってるんだろう…
>>24 うーん、その話の通りだと、友達というよりも一回話しただけの知り合いだから、
先方の都合で友達から外されたとしても、大きなショックを受けるまではいかないような
気がするけどな。また、その人はあなたを嫌っているわけではない可能性も出てきた。
しかし、「苦しめられる」という表現があるところを見ても、浅い関係以外の何かがあるのような気がする。
その人自身ではなくて、その人の友達と仲が良かったとか?
>>25 参加した人の中には外されてない人と外された人がいるようで
私は外された人の中に入るわけです。
皆さんがその方とどれくらい親しいかも何回お会いしてるのかも分からないですけどね。
それに今度からはもう参加しないでと言われてるようなものでは…?
今年は色んなワークショップに積極的に参加しようと思っていただけに恐くなって…もうひとりで学習しようかなと。
27 :
神も仏も名無しさん :2013/06/14(金) 23:15:44.61 ID:jQA9WQJN
以前も書き込んだがなぜかいい歯医者さんに巡り会わない。 いいと思っても最後に必ず失敗される。(虫歯じゃなかったのに 神経を抜かれたり、また違うところで最初は丁寧だったのに急に粗い仕上げで 削りすぎで銀歯との隙間が痛んだり、それを違うところに治しに行ったら 昨日また違う隙間を削られて痛むところが増えた…←今ここ ここ数か月なんとなくじんわり痛いのがずーーーっと続いている感じで せんべいを食べても痛いのでなんとかしたいのだが意を決して行ったのが 昨日の歯医者…もうなんか、自分はこれからずっと一生歯に悩まされる 人生なのかも…とすら思えてきて怖い。これが自分の恐怖の意識の投影 なのは頭では分かる。でも結局恐怖を克服できずに同じことの繰り返し。 本当、もうこりごり。体は現実じゃないと思ってもこの世界で 生きてる限り痛みと付き合っていかなければならない。自分がそういう 状況を引き寄せてるっていうのもよ〜〜〜くわかるけど、どうすれば そういうトラウマを克服できるんだ…最近は新しいことをするのが 怖くてたまらない。自分の選ぶことに自信がもてない。どうしたら 最善の方法がわかるのか。瞑想して聖霊に聞いてもいまいちわからない。 絶望の中であえいでいるより超ポジティブを装っていればいいのか?? 何が正解か、自分に聞いてわかればそれが一番だが今は自分が一番 信用ならない…。
>>26 他の人達は外されなかったのに、あなただけがハブられたような形になったと
感じているんだね。
その人はオープンなグループではなく、仲いい人だけでやりたかったのかな。
これ以上は第三者というか、知らない人達の事だから分からないな。
それでも私としては、その人の自由を認めてあげる方を薦めるね。
自分の親しい仲間内だけでやりたいのだとすれば、気に入らないとしても
それを認めること。それがあなた自身の自由を認める道でもあるから。
逆に完全にオープンな、来るものは拒まずというグループもあるはずだから
あなたはそちらの方に参加すればいいんじゃないか。
29 :
神も仏も名無しさん :2013/06/15(土) 03:05:03.27 ID:a9eFtyby
いろんな人間が集まれば、 必ず、気の合う人同士のグループ化は避けられないよね。 そういうのが嫌なら、自分が成長して、主催者になるのが1番。
>>27 虫歯になるのはストレス・罪悪感が原因としても
良い歯医者(先生)に恵まれないのは、コースの教えがあなたに相応しくないことを象徴しているのでは
相性とかあるし、試しにコースの学習をやめてみてはいかがでしょう?
相性というより、まだ早いってことはありえるかもね その前に、状況をどう見るかが重要なのであって、 状況の変更を願うってのはACIMの教えとはちょっと違う
32 :
☆ :2013/06/15(土) 11:51:31.28 ID:kydr/GwB
赦しのレッスンをしたいなら スピ系のグループやワークショップに参加するのが一番手っ取り早いって誰かが言ってたな。 そして、教える人も学ぶ人も結局はひとりしかいないってことらしいよ。
>>28 来るもの拒まずなはずだったんですけどね。そうじゃなかったってことですね。
二元性にいる限り罪悪感の投影は避けられない。神の教師が何人いても
いい勉強でした。
神の教師なんてそんな大したものではないよ。 決して特別ではない普通の人間。 教師用マニュアルを読めば、この言葉に特別な意味を 賦与する必要が全然ないことが分かる。 コース初学者が抱いている神の教師のイメージは 恐らくthe advanced teacher of Godの事だと思うが、 それはもうゴール目前の人間の事であって、大多数は そんな状態ではないと思った方がいい。
一般的な目で見れば、そもそも最初から神の教師ではなかったのだ しかし聖霊的解釈すれば私達と同じき癒されなければならない人であり、自分を新たなステップへ導いてくれる人であり神の教師であった グループを主宰してるから・・ コースを長年学んでるから・・ 他人から持ち上げられてるから・・ という理由で神の教師に祭り上げ、=聖霊の意志=神の意志 という認識は間違いである 要は本来平等である兄弟を、特別な何かに祭り上げたあなたの知覚の修正を教えくれた出来事ではないのかと思う 色んな会に参加しなければ理解は難しい、というならば不完全な道(コース)だ 他者に依るのではなく自分の内にあるのが神へ帰る道である
>>35 別に聖霊の意志や神の意志とまで祭り上げてはいないですけどね。兄弟なんてみんな特別な関係ですし
ただコースはひとりじゃ理解が難しい。
>>35 >他者に依るのではなく自分の内にあるのが神へ帰る道である
なるほど〜。
コースに書いてある真理は、コースの本の中にあるのではなく、
自分の内にあるということですね。
は?他者なんていないよ。
イランの指導者が穏健派になったね
40 :
神も仏も名無しさん :2013/06/17(月) 00:33:39.48 ID:tvzJkdwS
>>31 大事なのは心身ともに健康で幸福感を感じて生きること
それを損なうようなら、どんな立派な教えだって本末転倒、価値がないでしょ
そもそも俺たちは聖霊じゃないんだし
家庭の医学のステマ
コース学習者の方に質問です。 コースには第一のレベル、第二のレベルと二つのレベルがありますが、 第一のレベルって、どのように想像すれば良いのでしょうか? この物理的世界である第二のレベルは分かるのですが(当たり前か)、 第一のレベルとやらが、どうもうまく想像できません。 皆さんはどのようにお考え、想像しているのでしょうか?
43 :
神も仏も名無しさん :2013/06/17(月) 18:45:18.62 ID:f+uao+6f
想像するとは創造することであ〜る。w
>>42 レベル1は、形而上学のレベルと思ってくれればオッケー。
(例:世界は存在しない。時間は存在しない。エゴは存在しない。)
そしてこれは想像しなくてもオッケー。
コース自体、レベル1については、言葉で表現できないものを
詳細に説明しても意味がないから、ぞれに時間を費やさないというスタンス。
ただし、レベル1とレベル2を対比させ、明確にすることは重要。
両者を混同してしまわないように。
(例:レベル1→選択は必要ない。レベル2→エゴか聖霊かの選択が必要)
愛は奇跡の結果ではなく原因である。 無辜は赦しの結果ではなく原因である。
>>43 適当言ってるでしょ〜w
創造も良く分かりませんが、これは最初から理解不能ということなので、
諦めがつきやすいw
しかし、わたしの知らないところで、わたしは何を創造しているんでしょうね。
>>44 想像しなくてもオッケーだったのですか。
一生懸命イメージしようとしていて損をしましたw
もうちょい質問なのですが、
物理的世界であるレベル2において、聖霊を選択することで、
レベル1における分離を癒すということなのでしょうか?
ということであれば、
わたしたちがすべきことは、
この世界において聖霊を選択しつづけようと努力することだけで、
レベル1のことについては、何も気にしなくて良いということでしょうか?
レベル1とやらが気になるんですよねw
あと、知覚を変えるというのは、 考え方を変えるということと同じと捉えてオッケー?
>>44 レベル1では分離自体起っていないというスタンスなので
癒す必要はない。
>レベル1のことについては、何も気にしなくて良いということでしょうか?
ある意味その通りだが、レベル1も理論的な側面としてしっかり学ぶことは必要だよ。
そうでなければレベル2についても誤解してしまうからね。
特に聖霊を選ぶってことを、ほぼ確実に誤解する。
>あと、知覚を変えるというのは、
>考え方を変えるということと同じと捉えてオッケー?
考え方というより、考え方の源を変えるということと
同じと捉えてオッケー。ファイナル勉さん。
>>48 ご回答ありがとうございます。
>レベル1では分離自体起っていないというスタンスなので
>癒す必要はない。
わたしもそう思っていたのですが、
最近、JACIMのHPを確認したら、レベル1において分離があることを発見し、
ちょっと混乱してしまったんですよね。
JACIMの図解
http://www.jacim.com/acim/?page_id=147 レベル1というから、1なる状態と勘違いしてしまったのかもしれません。
>考え方というより、考え方の源を変えるということと
>同じと捉えてオッケー。
そっか〜。源が変われば、自然と考え方が変わるんですもんね。
これが、「考えは源を離れない」というあの有名な言葉が意味するところですね。
ガッテン承知の助!!
50 :
神も仏も名無しさん :2013/06/17(月) 21:49:41.08 ID:8hXdcyAH
う〜ん。レベル1の分離のところに、肉体・世界と書いてあるから、 物理的世界もレベル1なのかな〜。ますます分かりません!
>>49 その図では、レベル1において
一なる心と分離した心を対比させており。
「存在するのは一なる心のみであり、分離した心は
それが正しい心であろうと間違った心であろうと存在していない」
ということを説明しているのであって、いわば、智識と知覚との対比のこと。
決して「分離が起っている」ことを説明しているのではない。
「この図の意味については、必ず理論のページを参照してください。」
と書いてある通り、まずは理論をしっかり把握すること。
52 :
神も仏も名無しさん :2013/06/17(月) 21:58:35.61 ID:8hXdcyAH
>>52 蛇足かもしれないけど、コースの前書きの「what it says」に
大まかな理論が分かり易く載っている。
これの翻訳は、JACIMサイトの「『奇跡講座』とは?」→「教義」の
部分で読める。
レベル1において、夢の外の一つのサンシップが、啓示という体験を受け取り、 レベル2において、夢の中の複数のサンシップが、奇跡という行動を与え合う、 ことを可能にするのが償いの機構として神とサンシップを結ぶ聖霊=キリスト?
啓示を受け取る媒体が祈り=感謝で、 奇跡を与え合う媒体が赦し=祝福だっけ。
>>53 ありがとうございます。
まだ腑に落ちた感覚がないのですが、
レベル1は智識・天国の領域を指していて、
しかし、そのレベル1において実際には起こっていない『分離』が生じ、
心の中のその分離した部分によって、
この物理的世界(レベル2)が投影されることになった。
そして、この物理的世界が出来上がったことで、心の中に『知覚』という機能が生じ、
その知覚には、『正しい心の状態』を反映した知覚と、
『間違った心の状態』を反映をした知覚の2つがある。
ということでオッケー???
ちなみに、死後の世界は、レベル1、レベル2どっちなのでしょう?
うーん。難しい・・・。
これが腑に落ちないと先に進めないような気がする〜w
従来通りの死後の世界ならレベル2に属する可能性がある 死んだことがないのでどうなってるかわからない
>>57 >死んだことがないのでどうなってるかわからない
至極ごもっともですw
アドヴァイダは伸びてるのにここはさっぱりだな 初期の奴らはどこに消えた?アドヴァイダに流れて行ったのか?
いや、マネゲか。あそこの伸びは凄い
死んだことがないから死については分からないが、しかし、それでは生きていることについて
分かっているのかというと、未だに何なのかサッパリ分からない。生きていること自体が謎だ。
とすると、実は生きていないのか?w
>>59 伸びないスレを赦すと良いかも知れない。w
セドナメソッドの創始者(的な)Lester Levensonのkeys to the ultimate freedomっていう本を読んでたら ACIMと言ってることがドンかぶりだった 元になったグループセッションが行われたのが1960年代だからACIMより前から同じようなこと言ってる人はいたんだな
この生活とか人格のような社会的なものや この人生とか身体のような個人的なものだけじゃなくて この生命とか宇宙のような全体的なものまでもすべて 幻想だと言っているんだね。 そこに起こっている一見ネガティブなことも、 一見ポジティブなことも。
知覚として心の外に投影された幻想や、 記憶として心の内に投影された幻想ではなく、 その幻想に対する反応と、 反応の根底にある信念を、 判断することなく観察することで、 自我の虚偽と世界の不在が納得されるんだね。
65 :
神も仏も名無しさん :2013/06/21(金) 18:43:18.34 ID:pRovxRcW
>>30 >>31 ありがとう、かなり批判されるかと思ったけれど、
優しい言葉をかけられて涙が出るかと思うほど嬉しかった。
歯を磨かないとお母さんのように抜いたりしないといけなくなる!
と小さい時から刷り込まれていて虫歯には恐怖、罪悪感をもっていた
のはあると思う。
最初に神経を抜かれた歯医者は奇跡のコースを知る前で、
その後から今も真面目に毎日コースを実践している訳ではないので
コースのせいというよりコースを実践してないせいかも…?
しかしコースに取り組んでも混乱するというか今何のために
これをやっているのか、がわからなくていらいらするというか、
毎日取り組めないのは事実なので確かに今の自分にはあってないのかも
しれない。コース以外の方法を探るなんて考えたこともなかったが、
考えてみる必要があるような気がしてきた。
ちなみに最後に違うところを削られた歯医者に今予約を取り消す
電話をしたら、最初に歯の全体の様子をチェックしてないため、
保険申請できない。そのために今月中に来てくれないと困る、と言われ
そういや最初に全体チェックしてなかったし、朝一番なのに治療道具の
台の上が汚かったりどれだけ歯の摩耗じゃなくて前の歯医者に
削られたと訴えてもかみ合わせが悪い、と取り合ってくれなかったり
あまりにもお粗末すぎる…。違うところ削られたからもう行きません。
と言って切ったけどこれだけひどいと電話がかかってきそうで怖い。
ネットの評判がこんなにあてにならなかったのは初めてだなあ。
もう、この状況から何か学ばないとまた繰り返しそうだけれど、
自分ではどこをどう学んだらいいのかわかりません。歯医者が
トラウマになってしまっているので罪悪感や恐怖心をなんとか
しないといけないんだろうけれど、自分は完全である!みたいに
自信を持つだけでもいいのだろうか、なんだか正しい奇跡のコース
の活用方法がわかりません…どなたかご自分の見解を教えていただけると
助かりますm(__)m
黙れ。
赦しなさい
うぃ。 黙るな。 ふー…。
愛のようなものを感じてコースを始め、コースと自分が響き合うように感じていたものだが、 今は噴出する底無しの憎悪が、コース自体もそんな憎悪の塊をくりぬいた偶像に見せるほどだ。 でもそんな巨大な闇に対して、勇気も使わずに向き合えていること自体奇跡かもしれない。
70 :
神も仏も名無しさん :2013/06/22(土) 07:50:36.68 ID:fAKrN/RM
★あなたの仕事は赦すこと。 そして後は聖霊に全てを信頼して委ねること。 『いつやるか? 今でしょ!』
>>65 それより歯はちゃんと磨いてたの?悪化する前に歯医者行ってたの?
それとコースは引き寄せの法則かなにかと勘違いしているように見えるけど。
奇跡講座 テキスト編 [単行本]
ヘレン・シャックマン (著), 加藤三代子 (翻訳), 澤井美子 (翻訳)
http://www.amazon.co.jp/dp/4813606547/ 単行本: 864ページ
出版社: 中央アート出版社 (2013/6/25)
言語 日本語
ISBN-10: 4813606547
ISBN-13: 978-4813606543
発売日: 2013/6/25
価格: ¥ 5,250
>>74 自宅用と仕事場用に2冊注文しちゃいました。
贈答用にまた買っちゃうかも〜。
>>65 コースって「起こったことから何かを学ぶ」ことについて言及してなくね?
テキストは半年前に読んで以降放置しちゃってるが、そういう記述を見た記憶がない
いま起こってることって、本来は無くてよかった誤創造のものだから、
それをただひたすら赦して聖霊に明け渡し、あとは聖霊が修正するのを見るなり感じるだけじゃなかろうか
>>79 「心配」というのがそもそも幻想で
心配なんか最初からない
ないものを信じて作り上げた現実が
目の前に投影されてるだけ
心配なんてもとからないんだから
心配してる自分を許し手放せ
っていう意味じゃないの?
俺は
>>73 じゃないし、このコースを知って3日くらいの初心者だからかなり誤解してるかもしれんけど。
81 :
神も仏も名無しさん :2013/06/23(日) 14:03:09.98 ID:y5fd816o
>>78 すみません。言葉遣いを間違えました。
奇跡のコースの重要概念のひとつ『投影』を分かりやすく説明してくれているって、
書けば良かったですね。
「ゆるし」ばっかりで、
こういう重要な概念を理解されていない方も多いんじゃないかなって思いまして。
82 :
73 :2013/06/24(月) 09:30:42.80 ID:JPvVJyS0
83 :
神も仏も名無しさん :2013/06/24(月) 11:51:59.29 ID:A9ESZx8l
>>65 以来久しぶりに書き込みます、
色々な意見ありがとうございます。
赦すっていうのが具体的にどんな感じなのかをまだつかみきれていない
のがコースを難しくしている原因の一つかもしれません。
昔は嫌なことがあっても私が過去世でその人に同じことしたのかも、
とか相手も人で完全ではないから〜などと水に流すように
忘れてゆるしていたのですがこのやりかたであっているのでしょうか?
それともこれは完全に赦したことにならないのでしょうか。
赦し方がわからなくてどんどん問題が溜まっていってるのも一因かも。
虫歯については小学校のときに治した銀歯の中が虫歯になってて、
他の銀歯の中も治したほうがいいのかも?と自分で判断して
やってもらったら仕上げで削られすぎた、という経緯で普段も
完璧かといわれると磨いてはいるけど年を経るごとに全体的に
少しづつ進行してる感じかな…ひょっとしたら説明が
うるさくて医者に嫌われるのかもしれない。
自分の恐怖や説明を前面に出しすぎるのかも。
しかし、じわ〜と痛い状況が何か月も続くと精神的にやられてくる。
普通の人なら我慢する程度なのか?自分が大騒ぎしてるだけ?
母も神経痛で毎日辛そうだ。毎日続く痛み、もっというと死への恐怖、
が赦すべきことなのだろう。子供も最近体の要精密検査だといわれたり
ACIMでいこう!みたいに怒涛の赦すべき事項が山ほど来るかも?
という恐怖もある。(でもそういう勝手に疑心暗鬼になって将来に
不安を感じてしまう悪しき習慣を断たねば…)
問題に直面した時の具体的な対処法がわかってないんだろうな、
今、を選択して生きる、みたいな本も読んでいるがコースも
このやりかたで構わないのだろうか。
今、赦すこと、を続けるということなのだろうか。
>>82 それじゃ分からない
どう心配ないのか教えて
85 :
73 :2013/06/24(月) 18:03:04.62 ID:JPvVJyS0
86 :
神も仏も名無しさん :2013/06/24(月) 18:47:16.03 ID:VYA8RNKw
★【赦す】=気に食わない人や事象を初めから起っていないことと大目にみて見逃してやり聖霊に差し出すこと(すまんが詳細はACIMを読んでくれ)。おk?
>>83 歯医者さんを信頼してますか?(愛)
自分を攻撃してくる敵だと思っていますか?(恐怖や罪悪感)
という視点はどうでしょう?
自分に振り返るべきところはありますか?
89 :
73 :2013/06/24(月) 20:04:57.90 ID:JPvVJyS0
>>87 その聞き方じゃ教えにくいよ。
なぜ聞くのかとなぜ私に聞くのかが見えないから。
90 :
73 :2013/06/24(月) 21:25:05.04 ID:JPvVJyS0
ごめんにょ。
>>83 過去生とか、人は完全ではないという条件付きの赦しは、単に一時的に譲歩しているだけにすぎない
言ってみれば、殴るのを先延ばしにしてるだけ
殴らないという選択もまだ足りない
殴る・殴られる必要など無いと気づく必要がある(そこまで行くには心の訓練が必要になる)
歯医者が合わないと感じるなら変える
その合わなかった歯医者は、口に合わない食べ物と同じく、そういうものとして投影されたのだとして赦す
腕が悪いとか、態度が悪いとか、そういう断罪をしない
すべては真実から目を背けるために自らが投影した偽物
断罪は、偽物を偽物と気がつかせないように自分で張る煙幕
我々は自分で道しるべの方向を変えたことを忘れている
誰がこの矢印を逆にしたのだと憤慨する必要はない
矢印を逆にしたのは自分なのだと(いまは信じられなくても)了解し(あるいは気づき)、ただ元に戻せばいい
元に戻すのは聖霊の役目であるので、聖霊にその仕事を譲る必要がある
歯医者の腕を向上させるとか、態度を改善させるとか、やってもやらなくても変わらない
やりたかったらやればいいけど、訓練されていない心の状態においては、そこにエゴを交えず、”聖霊と共に”本当の愛を持って行うことは困難だろう
今の段階では、それらの仕事は聖霊に任せたほうが幸せになれる
歯医者を断罪しないと、ではこの原因はどこにあるのかと視点が別の方向へ向く(エゴが矛先を変える)
矛先は、自分や、歯磨き指導をしなかった親、甘い物にあふれる社会に向くだろう
それらも同じようにして、そういう風に出来ているのだと赦す
そして、歯磨きをして甘い物を控えればいい
92 :
73 :2013/06/25(火) 00:38:57.87 ID:kErB4U9R
「空が落ちてくる、もう誰にも止められない、 僕は苦しみながら死んでゆく、ああ耐えられない!」 でも空は落ちてこない。空は落ちたりできない。 それが大丈夫な理由。 「空が落ちてきたぞ!雨ふってきたー。 もう誰にも止められない!傘さそ。 僕は苦しみながら死んでいくんだ!ピチピチチャプチャプランランラン♪ ああ耐えられない!虹みっけ☆」 空が落ちてくるごっこをしててもちゃんと空が落ちてこない体験は続いてる。 それが心配ない理由。
>>92 どうしてイジメはあるのだろう?
苦しみながら死を選ぶ子供がいるのは何故?
>>93 どうして、何故についての答えとしては、本人がエゴと共にそれを選択したから
そして、私(私たち)が、投影対象である彼らをそのように見ることを選択したからだろう
彼らがエゴと共に何を目的として、何を手段として選んだのか
単にそれだけの話なのだが、その形態の大小に目を奪われると騙されてしまう
形態というのは時代によって大きさが変わる
いじめは、その小グループ内で生存するための一手段
死を選ぶのは苦しみから逃れる、あるいは相手を社会的に罰する一手段
いじめっこグループに属するのは生存の一手段
転校するのは苦しみから逃れる一手段
いじめられもしない、いじめもしない、完全中立の状態に自分を置くのは生存の一手段
いじめに対して、いじめそのものの無意味さ、理不尽さを主張して状態を変化させるのは、苦しみから逃れる一手段
いじめを、徴兵制度賛成に変えても通る
いまの時代、いまの日本において徴兵制度に賛成すると(扱いは小さいが)平和を乱すやつ扱いされたりする
しかし戦時中は賛成しないと村八分や非国民扱い、敵国のスパイ扱いされる大ごとになる
ACIMはこれらの目的と手段に対して別の道を提供する
世界は無く、我々も夢の住人であるのだから、いじめをする必要もされる必要もない
苦しみのただ中に身を置く必要も、苦しみと真っ向から立ち向かう必要もない
必要ないからといって、ただじっと瞑想しているのは多くの場合は無理なので、聖霊が個々人に則した目覚めへの道を用意する
でもそういう理解の入り口に至るのはいじめにあってからかなり先なんですよね。
96 :
73 :2013/06/25(火) 23:46:53.72 ID:kErB4U9R
>>93 イジメ?どこにあるの?
苦しみながら死を選ぶ子供?どこにいるの?
ああ!イジメがある!
ああ!苦しみながら死を選ぶ子供がいる!
どこに?
ちょっと出して見せてごらん。
赦すって幻想を無かったことにする前に、幻想の苦を見つめられるようになる作業が実際には主だね。
98 :
73 :2013/06/26(水) 00:35:09.38 ID:EqwBc3HQ
イジメって何?
苦しむって何?
死を選ぶって何?
子供って何?
>>97 幻想の苦を見つめるのは裁き。
苦の幻想性を見つめるのが赦し。
>>96 イジメは実際にあるのです。
私も何度死のうと思った事か・・・。
苦しみが存在するのは歯が痛くて苦しんでいる人がこのスレにいる事からも分かるでしょう。
成田山とか本当に諸魔調伏の霊力があるところで護摩でも焚いてもらえば?
>>99 苦しみとして固定している場合は、苦しみ以外には感じられないが、
前世の行いの贖罪だったり、あるいは生まれる前に自分で設定した学習機会だったりしたことがわかると、
それは苦しみとは別のものに形を変える
ACIMはそういう形での贖罪や苦しみの設定は、究極的には無意味なことだと切り捨てているのだけどね
ACIMの特徴の一つは、神の子を神の子以外として扱っていないことだと思う
さっき突然浮かんできた言葉があったわ 愛すると愛さないは同じ事 どちらも意識的に行われるもので、自然に行われるものではない 考えてみれば、俺はACIMに従って、愛せない人間を愛そうと勤めてきたけど、 愛せないという基礎を保存したまま愛そうとしてたわけだ 何かの拍子に基礎が露わになったら、いつもの調子に逆戻りするのは当たり前だな
>>89 答えになってないから
じゃあどう質問しろと?
テキスト販売されてる?
>>104 ネット書店の一つで販売されてるのを確認した
エゴというのは神の子の中の邪悪な面でいいのかな?
>>106 エゴってのは、神の子が、自身の本当の姿を忘れるためにでっち上げた妄想みたいな感じ
例えるなら、めちゃめちゃ温厚な名優が、悪の帝王を演じてるようなもの
演技がうますぎて、見てるほう(エゴの目に該当)からしてみれば怒りと恐れすら覚えるが、
演じてる本人や周りのスタッフ(神の子、聖霊、神に該当)は、彼が役柄とは正反対の生き方をしていることをわかっているので、
彼が台本に従ってどれほど酷い台詞を言ったとしても、人柄に似合わない酷い台詞だなwとか普段と正反対で演技大変そうだなwと笑って安心して見ていられる
わかりやすさ優先で例えたのでACIMの言ってることと若干ずれてる
詳しくはテキストなりワークなりを見てくれ
誰もが邪悪な面を持っている 演技で自殺の練習をさせたりしないよ 演技でもやっていい事ではないし
その点についてはACIMを読もう テキストのほうがいい 演技ってのは例えであって、ACIMには出てこない 107書いたあとで反省したが、ACIMに書いてあることを、 例えわかりやすくするためだとしてもねじ曲げるのって誤解を招くだけだな
いつもの粘着だから相手にするだけ無駄だよ。
AGA?治療の進歩を見るとハゲは近い将来結構治りそうだね
奇跡に難易度がないのなら、 奇跡によって髪を生やすこともできるのでしょうか?
>>112 奇跡によって死んだ人が蘇らないのと一緒で
残念ながら死んだ毛根は奇跡によっても生き返らない
髪がなければ人に好かれないかもしれないという恐れや
自分はふさふさでなければならないというプライド
そういう髪への執着を手放したら
髪がなくても悩まずむしろ武器にして人から愛される人間になれるのでは
髪が薄くなるのは、そういう学びができる機会だと俺は思う。
ACIMで行こうでは医者ですら手離した病気を治すというのがあったな
>>113 仰るとおりですね。
でも、でも、でも〜、やっぱりまだハゲたくないです!
ハゲる恐怖に逆らえないです。
ほかにまだまだ赦さないといけない在庫が沢山あるので、
ACIMを実践してからは止めていた、
とりあえず、今日からまたプロペシアを飲むことにいたしました。
我が頭髪に幸あれ!
プロペシアは現状維持が精いっぱいだけどな 俺はもう手遅れ。聖霊に頼んでも声も聞こえず 乗り越えられないの分かりきってるくせに
>>116 え〜。お医者さんは、髪の毛が太くなるって言ってたけど・・・。
気にせずヅラでも付けてみれば良いのではないか? そして帽子のように毎日気分で被るヅラを変え、たまにわざとズラしたり落としたりしてウケを狙う。 基本は体が幻想であり「私」ではないことを忘れないことだ。「私」は体ではないのでハゲも何もない。その概念自体が意味をなさない。 このことは逆に言うと体の髪の毛ふさふさでもこれと言って何か足しになることがあるわけではないことを意味する。 もちろんエゴの視点から見れば損得はあるよに見えるのだがそれは丸ごと全部幻想だ。 金持ちに人が群がるのと似たようなもので、金をくれるから友達であるかのような芝居をするやつが周りを取り囲む。 だから金の切れ目が縁の切れ目になる。元々偽物の幻想の縁だから最初からないのと同じなのだが。
脱マネゲスレに投稿しようと思ったけどこちらにします。
ツールズ [単行本]
フィル・スタッツ (著), バリー・マイケルズ (著), 野津智子 (翻訳)
http://www.amazon.co.jp/dp/4152093099 一年くらい前に出版された本ですが、これはいいですよ。
ACIMerにとっても、文字通りのサポートツールとして利用できるでしょう。
これとQE(クォンタム・エントレインメント)とACIMは相性いいです。
現在のところ3種の神器です。
ツールズのハイヤーフォース、QEのピュアアウェアネス、ACIMのホーリースピリット。 すべて同じです。
>>118 肉体が幻想なら、頭髪も幻想だということは、
頭では分かっているのですが・・・。
122 :
神も仏も名無しさん :2013/06/30(日) 08:14:02.45 ID:2RlyaClM
>>121 わかります
私も中学生のころから将来もしかしたら禿げるんじゃないかノイローゼにかかりました。
とにかく頭が気になる風が吹けば気になる私の場合額が広く毛の量も少なめ、
オマケに事故で十数センチの傷まであり悩みましたノイローゼになりました。
それでも今、うん十歳、なんとか生きてきました、リアルなスレチになりますが
方法は禿げてもかっこいい、元気で皆に愛されてるような人などを目標手本にする。
私の場合はアメリカ俳優ジャックニコルソン(笑)頑張りましょう!
ハゲになりたくないと思うということは 他のハゲの人に対して、こうはなりたくないという 嫌悪や可哀想な気持ちが含まれる それは少なくともACIMでいう「愛」の方向ではない 将来頭髪がなくなってしまうだろう自分を赦し愛すことができるなら 自分は悩まなくてすむし、他のハゲの人に対しても 愛の方向で接することができる しかし、かっこいいハゲはズルいよねw
>>121 ですが、
赦しのレッスンとして、
結構多くの方が、毛髪のレッスンを受けているようで、
なんだかちょっぴり嬉しいです。
>>121 頭とか体とかだけが部分的に幻想というわけではなくて、世界全体が幻想なので、例えばハゲを笑う人も
また幻想だ(もちろんハゲをカッコイイという人も幻想だが)。更にハゲに悩む人も幻想で実在していない。
何人かの役者でそういう芝居をしているようなものと考えても良い。
なので思い切り悩んで思い切り不安になり必死になって医者に相談したりヅラを探し回ったとしても良い。
それもまた幻想なのでこうであってはいけないということはない。やりたければ徹底的にやれば良い。
(これは多分後になって「なんで俺はあの時あんなに必死だったんだろう?」という感じの笑い話になる)。
そういえばチャプリンの名言に「人生はクローズアップで見ると悲劇、ロングショットで見ると喜劇」という
のがあるが、正にそういうことでもある。恐らくのめり込み過ぎるとどんな人生でも悲劇にしか見えなくなる。
しかし少し離れて見るとそのままなのにそれは喜劇になる。幻想にどの程度リアリティを与えて真実だと
信じ込んでいるかの違いだ。
>>125 わたしの毛髪への執着は、
この世界に対する執着の象徴のような気がしております。
ただ、ほんと喜劇ですよね。
こんなエゴを笑い飛ばしてやりたいです。
何で植毛しないの?
128 :
神も仏も名無しさん :2013/07/01(月) 09:02:53.72 ID:PZXj5t7q
>>123 良いこと仰る!
コース学習者としての取るべき態度ですね。
超亀レス。未だ需要あるか分からないが。
>>56 基本的な事として、レベル1,2というのは、その内容を説明するためのものではない。
コースが二つのレベル、二つの視点の上で書かれているということであって、物理世界が
レベル2かどうか、という質問は全く的外れであり、そもそもそんなことは問題ではないのだよ。
その上で
>>56 の質問に簡単に答えると、
・物理世界はレベル1から見れば幻影であり全く存在しない。それを投影している心も存在しない。
・物理世界はレベル2から見ても幻影であり存在しないが、心がそれに対する知覚を訂正するための教室となり得る。
(物理世界を死後の世界に置き換えても全く同じ。コースが語っているのは心に対してだから)
ちなみに、
>>56 の質問には、レベル1,2というよりも、
第1〜4の分裂という文脈で説明した方がしっくり来るような気がする。
この4つの分裂についてはFACIMのサイトにある「Excerpt Series」
→「The Metaphysics of Separation and Forgiveness」で詳しく解説されている。
英語が難しければ、『神の使者』の3章か4章にも書いてあった筈だから、
そちらを読んでみたら。
ゲイリーさんの3作目まだ〜?
何でACIMを知ったのが出来損ないの私なのか不思議 木村藤子さんとかのほうがふさわしいのに。
>>129 >>130 >>131 ありがとうございます!
いつもながらに、無駄のない、的確な説明ですね。
とっても為になりました。
今、「天国から離れて」の2回目を読んでいますが、
いろいろと教えてもらったおかげで、すご〜く面白く読めてます。
コースを読んでいると、
時たま、推理小説を読んでいるような気がします。
コースを少しずつ理解しはじめると、
これまで犯人(自我)だと信じていた人物は、じつはまったく存在せず、
姿かたちはまったくないのだけれど、じつはその目に見えない存在が真犯人(神)で、
しかも、常に自分と一緒にいただなんて!
コースは読んでいて、本当に飽きません。
>>134 『天国から離れて』はコースの解説本ではないから、
副読本としては、あまり人気ないかもしれない。
情報収集のように書いてある内容をただ暗記してもあまり役に立たないが、
ヘレンを自分とは異なった存在にはせず、自分の事のように学ぶ姿勢を
持って読めば、非常に多くの事が学べると思う。
人によって必要なメッセージは異なっていると思うが、私としてはまず
ヘレンに対するイエスの態度が、正しさよりも恐れを減らすことを主眼に
置いていた、というところは覚えておいた方がいいと思う。
>>135 『天国から離れて』は、ほんと為になっています。
いろいろと教えてもらえたことで、コースの肝みたいのものを掴むことができたような気がします。
思い返せば、それまでは、
コースを知的に理解することに重点を置いてしまっていたんですよね。
それよりも何よりも、
教えに対する真摯な姿勢、自分自身に限りなく誠実であること、意欲的であること、
そういうことが大切だったということを理解することができ、
そのことで、コースの理解がぐ〜んと深まりました。
ヘレンさんとわたしは、
共通点が多いので(ビルさんも)、
自分の事のように学ぶことで、イエスの言葉がほんと心に沁みてきます。
>ヘレンに対するイエスの態度が、
>正しさよりも恐れを減らすことを主眼に置いていた、というところは覚えておいた方がいいと思う。
なるほど〜。
わたしも恐の感情が強いです。しかと心に留めておきます。
いつも的確なアドバイスに感謝です!
>>135 またひとつご質問があるのですが、もう啓示とやらは体験されましたか?
>>137 啓示の体験はねえ・・多分ないと思うな。
自我から、というか思考から完全に解放されて
自分が今まで体験したとのとは別種の平安に満たされた、というのはある。
しかしゲイリーの本で書いてあったような、宇宙が消滅したという感覚では
ないので、そういったのが啓示であるなら、私の体験は違うような気もする。
正直その当時は平安だけだったので、外側はどうでもよかった。
そして今は啓示自体、体験しようがしまいがどうでもいいと思っている。
ここはゲイリー否定派と肯定派どれくらいの割合なのけ?
>>149 そのHP、知らない人ばかりなので
とりあえずクリシュナムルティのところと
一般人?のところをいくつか読んでみた。
それで申し訳ないが、あんまり興味ないな〜と思った。
それと、私自身まだ未熟でもっと学習を深めていけば、いずれ啓示を得られるかも
しれないが、無くても困らないし、わざわざそれを欲する理由もないよ。
赦し以外に何のとりえもない、ただの学習者で結構だから。
>>141 早速、見ていただいてありがとうございます。
わたしもじつは、あんまり見ていないんですw
「赦し以外に何のとりえもない、ただの学習者」って言葉、
とっても良いですね。
啓示を欲する気持ちはありますが、
それって、特別性を求めていることになるのかもしれませんね。
的を得ない絶賛を引きつけるのは、自分の心に慢心が表れた時らしいな 卑下慢は特に自覚しづらい
>>144 言ってることが難しくてよく分かんないです。
でも、なにかとても大切なことを仰ってると思うので
流さずに理解したいです。
例え話とか、くだいて易しく教えて頂けませんか?
147 :
神も仏も名無しさん :2013/07/08(月) 01:14:19.23 ID:uAEy6alk
久しぶり〜書き込めるかな?
>>123 コースでは肉体=死であり幻想で、スピリットとは対極にあるもの
体から派生する意識=エゴだから
この世の価値、言い換えるならエゴの価値観を信じるならば
強さこそが価値であり勝ち(この世においての勝者)だからなぁ
肉体的な強さや美しさが損なわれるのは恐怖でしかない
日々目撃する…例えばまばらになる頭髪w、ぽにょったお腹、たるんだ皮膚等々 ((私))の価値が、どんどん失われるような気がして、怖くて仕方がないだろう だから人は植毛したり整形したりする、それで本当に自分の価値が上がるだろうか? 肉体やこの世界(この現実)の価値を信じるならそうだろうけどね しかし、コースではそれらは元々存在すらしていない幻想だと教えている その幻想に力を与えるために躍起になっているのがエゴに踊らされている私たちなんだよねw
>>149 無価値だから脱毛した方がいいかもね。
眉毛もいらね。
永久脱毛する。
散髪代も不要。
>>150 現世の執着を断つために、坊さんや尼さんは剃髪をする
(現代日本の坊主は、あんま関係ないけどね生臭坊主多いし)
怪談に「髪の毛」がよく登場するけど、生(性)への執着の象徴なのかもね
生々しい業のシンボルとしての髪の毛、(死んでも死にきれないとかさw)
肉体が幻想だからといって安易に死んでもいいか?殺してもいいか?ってと違うよね
>>150 のような極端な意見はそれと似てるなww
>肉体が幻想だからといって安易に死んでもいいか?殺してもいいか?ってと違うよね 現世の執着が無いなら毛も肉体もどうでも良くなるはずですね。
執着がないのなら、わざわざ肉体を殺そうとはしない そして毛を引っこ抜こうともしない あなたはパンの耳への執着があるか 執着があるなら、パンの耳をつけたままか取り去るかで小一時間悩むだろうが、 執着がないのなら、パンの耳がついてようとついて無かろうとかぶりつくだろう
自然であるものを自然なままにするというのが無執着の一つの形態であると思う 自然であるものを、不自然にするあるいは、自然なまま保とうとするというのは、 その自然であるものに執着している=支配下に置こうとしている(コントロールしようとする)ことの表れである
暑い時に、「暑いぞくぬやろ!」というのも まさに自然の流れといえよう。
くぬやろというのが恨み節であるのなら、自分で作った世界に自分で文句を言ってるとても不自然な状態になる 暑いというのは、ただ暑い状態が認識されているだけなので、そこからは何も派生しない 身体は幻想であるという言葉を思い出すと、暑さもまた幻想にすぎないとわかる ではその幻をさも実在するかのように感じているのは何者であるのか そして、その幻を糧にして様々な恨み節を生成しているのは何者であるのか
前々から思っていたこと ちゃんと生きないと、ちゃんと死ねない(成仏できないw) 未練や執着を残して死んで尚、幻想の中に留まっている 生きている時以上の苦痛を伴った蒙昧の中に ちゃんと生きるってどういうことか?ってずっと考えてた わかったような、わからないような、もやもやした感じがずっとしてた なんとなく「わかる」んだけどきちんと言語化できないってか ACIM的に言うと・・・死んだって幻想から抜けられるとは限らない
生きているってことは、チャンスなんだなと心からそう思う この世は幻想の世界であり舞台装置、幻想の向こう側を見るための道具(方法)が揃えられている そのひとつがACIM、 ホーリースピリット(天使でも守護霊でも仏でもキリストでもなんでもいい) の助力と導きを得られることになっている
>>156 そんな難しく考えんでもいいんでないかい、くぬやろ!
『スピリット・ジャンキー―ミラクルワーカーとして生きる 』
ガブリエル・バーンスティン (著), 香咲 弥須子 (翻訳), ティケリー裕子 (翻訳)
http://www.amazon.co.jp/dp/4864510857/ 単行本(ソフトカバー)
出版社: ナチュラルスピリット (2013/7/13)
言語 日本語
ISBN-10: 4864510857
ISBN-13: 978-4864510851
発売日: 2013/7/13
彼女の奇跡は、あなたの奇跡です。
『ニューヨーク・タイムズ』ベストセラー
『奇跡のコース』の教師 マリアン・ウィリアムソン推薦!
恋愛依存症、薬物依存症、摂食障害、事業の破綻……。
そこから立ち直った新進気鋭のスピリチュアル・リーダーが
たどった奇跡への道。
「今のわたしは、かつてのわたしとまったく違います。
わたしは今、『奇跡のコース』がいう「幸せな夢」にいます。
それは心が愛と同調し、奇跡が自然なことである場所です。」
「本書は、幸せを手に入れる方法を教えているわけではありま
せん。あなたの内側にすでにある幸せに対して、あなたがつ
くったブロックを解放するための方法を示しています。新し
い知覚への旅へと導き、まったく新しい人生の視野を提供し
ています。あなたは、問題も憎しみも消えて、子どものよう
に無邪気な喜びへの信頼を取り戻すことでしょう。」
>>149 そうなんです。
自分の髪が薄くなるに従って、自分自身の価値さえも減じていくような気がして、
ものすごく恐いんです。
ハゲ=笑い者みたいな固定観念もあります。
幸せな夢、の意味が分かりました。 今、奇跡があたりまえの世界に来ています。 いや、すでにいた事に気づきました。 生まれてきた世界には愛しかなかった。 愛を学ばせるために、世界のすべてがある。 すべて自分が作り上げた幻想 リアル過ぎる夢。 俺が真に幸せになれるよう 人生を体験させてくれる。 あんなにみじめで苦しいと思っていた自分の人生が 今、すべてに意味があることに気づけました。 この人生を体験できて、今本当に幸せです。
今さっき愛とは真逆の体験したので、そういう書き込みは励みになりますありがとう
>>162 素敵な書き込みサンキュー、ヨンキュー、オダキュー(^-^)
>>162 愛を学ばせるため
すべてに意味がある
神対信者くせええええぇぇぇえぇぇぇ
>>165 そうかな?
聖霊はこの世界を学校として見るのだから、
愛を学ばせるためにすべてに意味があるということとACIMは、
矛盾していないような。
167 :
神も仏も名無しさん :2013/07/10(水) 18:20:31.29 ID:KQnitcP2
ACIMは愛を教える教材ではないってどっかに書いてありましたよ
元々、学ぶ前から永遠の一体であり愛なんだし、わざわざ今更学ぶ必要もないでしょうし(笑)
どちらかというと「愛を思い出す」の方が正解なのではないでしょうか
この世は学びの学校ととらえることは見方としては可能かもしれませんが、
本筋からすれば、あくまで無意味な悪夢、無意味な幻想世界からの脱却、訂正、目を覚ます、が
ACIMの本来の目的であり、そのために自我が投影誤創造した幻想(無意味な世界)を聖霊が目覚めの為に教材として活用する。
この世界(本来は実在してない世界なのですが)に何らかの意味があるとするのではなく聖霊が目覚めの為の教材として
本来無意味な世界に教材として(活用利用する為に)意味をもたせた。
初めからこんな世界に意味があるなんてことは全くなく(元々自我がこしらえた実在しない悪夢な幻想世界でしかないんだから)
後から聖霊が目覚めの教材として(活用する為に)意味をもたせた、
だから目覚めの為に自我ではなく聖霊を選びなさい、という方が見方としては正しいのではないでしょうか?
>>166 さんもわかっているとは思いますがね。
>>167 この世界の存在意義は、
常に愛を選択することで、自分が愛そのものだったことを思い出す、
ということで良いかな?
>>168 選択することはできないよ
愛しかないわけだから
ただ、我々は愛に対立要素が実在すると信じている
だから、愛しかないことを知っている聖霊に尋ねる必要がある(それは心の訓練にもなる)
動物好きの人にとっては、犬とか猫とか鳥で説明するとわかりやすいかもしれない
世の中にはかわいくない動物は居ないわけだが、我々はかわいくない動物の存在を信じてしまっている状態だ
だからかわいくない動物を無理矢理にでも見つけることは可能だ(ぶさいく猫とか、奇妙な顔した鳥とか)
しかしながら、動物好きにとっては、それらのぶさいく猫でもかわいい
動物好きにとってすべての動物はかわいいので、かわいくない動物(除外すべき動物)という概念自体がない
動物好きと共に行うすべての行為が、「動物のため」を前提にしているように、我々が聖霊と共に行うすべての行為が愛になる
仮に聖霊と共に人を殴ったとしても、それは愛になる
ここでエゴは、殴るというのは愛ではないとジャッジを下すのだけど、「愛しかない」のでそのジャッジ自体が無意味なものになる
何が愛かを判断するということは、何が愛ではないかを判断することにもなるので、自動的に愛以外という幻想を作り出してしまっている
170 :
神も仏も名無しさん :2013/07/11(木) 08:05:52.55 ID:KgW9aTly
自分が愛そのものだと思い出す、全体であり一体だったと気付く、 自分が一度も神から離れたことなどなかったと理解する 分離は無かった→罪悪感など無い→投影は無い→世界は無い→自我は消えるしか無い(笑) その為に 肉体の目ではなく、聖霊の心眼を通して見ましょう、聞きましょう、考えましょう、対応しましょう というようなことがコーステキストに書いてありました。
>>166 学校だったら目覚めさせる必要ないでしょ
一連の書き込みをさらっと読んでみたが、これは第一に言葉の細かい表現の違いに見える。
コースでは愛を学ぶとは表現されていない。なので、「聖霊は教えない、ただ思い出させる」
という表現が使われている。
学ぶのは、愛の自覚を阻んでいる障害の取り除き方であって、愛そのものではない。
しかし障害が取り除かれて、一時的にでも愛を思い出した状態になれば、
「この出来事が、愛を学ばせてくれた」という印象を持つのはおかしなことじゃない。
後は、まあ・・・
>>162 は何となくコースと何かを併用しているような印象を
受けるが、正確なところは分からん。
コースと節税と鍋料理の教えを併用してると見たがどうか
>>174 政令(聖霊)に逆らうと不味い飯を食うことになる
中央アート出版の奇跡講座と ナチュラルスピリットの奇跡のコースは 同じものを別の翻訳。ということでしょうか。 香咲さんの本で気になったものから手にしているのですが 本格的に始めるなら順番などあるのでしょうか、
>>175 鍋料理の所が弱いな・・・。
しかし山田君、座布団一枚。
私が静まって、真理に耳を傾けられますように。
176に書き込んだ者です。 178さん、詳しく教えて頂いて感謝です! 参考サイト先に学び方指南もありました。 心が動くものを選んでみようと思います。 ありがとうございました!
心が緩やかに変わっていくので、最初のうちは変化を実感できないかもしれないが、 年単位で振り返ると、学び始めたときと今とではまるで人が変わったような思考体系になっていることに気がつく
>>177 それも含めて、全体のバランスも大切です。。。
公認版をやっと手に入れました。 文字フォント等は大内版とほとんど変わらないのに、 本の厚さは三分の二くらいになっていますね。 大内版のほうが、〜です、〜ます、調になっているので 親しみは持ちやすいのかもしれないですが、 やはり公認版は日本語訳が自然というか、 ずっとよく理解できるような印象です。 これから残りの人生、一生つきあっていく本になると思います。 日本語訳の公認版が手に入れられる時代に生きている幸運を ただただ感謝するのみです。
はよ給料日、はよはよ
>>184 こういう書評なら大歓迎です
参考になりました。
ありがとうございます!
>>186 さんこちらこそありがとうごさいます。
こうして見ず知らずの方とも、ともにコースを実践する「きょうだい」として
交流できることにも感謝です。
189 :
神も仏も名無しさん :2013/07/15(月) 18:28:21.78 ID:s/zAK3g/
泣けたわ〜w
ゲイリーさん来年4月来日だって みんなはセミナー申し込む?
鈴木光司の『エッジ』という本が凄く面白いよ。 コースの学習者だったら、凄く楽しく読めると思う。 ご参考までに。
奇跡講座における『奇跡』って、 知覚の変化ということなんだけど、本当にそれだけ? 何か分からないけど、 不思議な偶然によって、物事が好転していくような出来事、 それは奇跡じゃないのかな?
聖霊に委ねることで、最善を知っている聖霊が見せてくれるもの。 フランク・キンズロー氏のEQにおけるユーフィーリングが聖霊とほぼ同じことであることが最近わかった。 厳密に言えば、聖霊を知覚した時のことを後でエゴが定義付けた感覚、かもしれないけど。 聖霊が知っている最善なることが、物質的変化として後かはらエゴが知覚したつもりになるなら、 それも奇跡と言えるでしょう。
EQじゃなくてQEだった。それと別にステマじゃないからね。 それと最近Anazonで「ACIMで行こう!」という自費出版本?を買って今読んでますが、 アメリカ人が書いた関連書と違い、まるで友人のブログでも読んでいるようで なかなかリアルでいいです。 スピリット・ジャンキーというACIM関連本も買いましたが、こちらは未読です。 あとはゲイリーさんの3冊目がいつ邦訳されるか、というところですか。
華麗にスルー
A Course In Miraclesは、A だから The Course…じゃないから、 コースは数多ある目覚めへの道のうちのひとつである、ってことなんだろう コースは必修である、とも書かれている 誰もがその人に一番良いタイミングで、コースを学習するよう導かれるってことか? それともコースがやろうとしていることは、エゴの向こう側を見る(スピリットで見る)こと だから、だれもがエゴという幻想を幻想として見極める必要があるんだろうと思う フランク・キンズロー氏の本2冊目が出版された、薄いのに高いけどw 氏の解説はわかりやすくて良い ただ、瞑想でユーフィーリングを体験したとしても ユーフィーリングにも色々あって、平和とか至福の感覚、もっと強烈な体験もある 光やヴィジョンを見るなんてことも起こるけれど エゴとは何かを知らないと、結局いつの間にかエゴの罠に引っかかってる 毎日何度も何度も、エゴのドラマに巻き込まれている自分に気づく エゴが見せる幻想、妄念って奴ね、それを訂正する、または通り抜ける作業は 一生かかるだろうなという気はしている それほどエゴって奴は複雑怪奇でしつこくて堅固なものなんだよなw
例え一時目覚めたと感じても、実はすぐにエゴの罠に落っこちているw (自称「覚者」がいっぱいいる) コースには「特別性の終焉」ってのがあって、コースをやっている人なら知ってるだろうけど 自分だけが特別だと思いたい、特別にも両極あるけどねw 自分もそうだった、子供の頃から見えなくてもいいものが見えて、なぜ自分だけと 悩んだ時期もあったが、特別であること思い込んでいたのも、エゴの罠だと気づいたよ しかし、コースの本は何度読んでもw、首を傾げたくなる箇所にぶち当たる
198 :
神も仏も名無しさん :2013/07/25(木) 18:21:26.04 ID:+eQanvvr
そもそもエゴって頭で考えて 何とかしようとしてもどうにもならないものですよね だって考えてるそのものがエゴなんだから(エゴは生き残りに必死のはずだし、笑) 僕らはただそんなエゴをコースにそって赦し、後は聖霊に差し出し任せることしか出来ないんでしょうね エゴにエゴの解決と消去を頼んでもへ理屈と嘘で誤魔化そうとしてくるだろうから、 後は聖霊に任せてひたすらお願いするしかない、最終的には全ては他力本願ってことなんでしょうかね。
エゴってのは「思い込み」でできているw 生まれた国、民族共通の幻想である「部族的信念」それから 親から子に受け継がれる「家族的信念」「宗教的信念」ってのもある 宗教的信念とは、その国や地域で信じられているものもあるし、生まれた家で信じられたものもある 宗教的信念と書いたけど、共産主義とか軍国主義とか主体思想とか そういうのも含めていいと思う、それらだって宗教と変わらない 個人の経験から生まれる「信念」もある、それらから生じる「価値観」があって 多くの人が共有するもの〜個人的なものまで様々だ そういった思い込みの集合体と思い込みから派生する感情がエゴって奴の正体だ それを私たちは「私」と呼んでいる
エゴって奴は、わたしが「私」と呼ぶものの正体は、一貫性があると思っているよね? だけど、例えば今日は髪型を褒められて機嫌がよいので、職場の後輩のミスも笑って見過したが 明日になれば、上司から嫌味を言われて嫌な気分になり、 「わたしが叱られたのは後輩のせいだ」と責任転嫁する(どっかの党のようだなww) 実際この件に関して後輩はまったく無関係なのにだ、自分の非を認めたくないから 人のせいにする(または自分を犠牲者として捉える、エゴが大好きなゲームだ) 幸せな時は人に親切にするけど、イライラした日には気づいたら他人に八つ当たりしている 心の空模様で考えも態度も変える、しかもそれを「正当化」する それがエゴだよw エゴってのは、私が日ごろ「私」と呼ぶものは何だろう? 日々自分の心を観察してみると、何の批判も評価もせず、誤魔化さず冷静に見つめると いかに一貫性がなく、分裂していて、狂っているかわかる これはACIMを知る前に、某所で教えられた「心鏡の行」ってやつで学んだんだけどね 本当の「私」とは何か?エゴの向こう側にある 他力本願ではないと思うよ、エゴのトリックを見破って、エゴではなく 本当の自分が目撃することを選択する、自力では難しいから聖霊にお願いする エゴのやり方を知るにはかなり意識的になる必要がある、てか気づきが必要になる
>>200 訂正
本当の自分が目撃 →本当の自分を目撃 に訂正
ACIMでは、投影という概念が重要になってくるけど
人々は、国家間も、お互いに自分の内にある恐れや怒りや敵意や不満やら
相手に投影し憎しみ合ったり、嘆いたり、している
つか長くなるからやめるけど、エゴのドラマに気づかないと
本当の「気づき」は起こらない、一時的なもので終わる
>>196 そうそう、だからキンズローの言うeufeeligを自覚してそれに浸り実生活に応用したり、
というのはそれはそれでいいんだが、その後の過程が重要なんだね。
覚醒自体は瞬時に起きてもそれが定着するには時間がかかる、
とアジャシャンティやレナード・ジェイコブスン等も異口同音に言っている。
覚醒しただけでは道の先のほうに外の自由な世界の光を発見した、
というだけで、それだけでも大いなる第一歩ではあるけれども、
牢獄から抜け出すには、牢獄全体の構造をよく知り抜いた上で、
看守に見つからぬように慎重かつ巧妙に“実際に”脱獄しなくてはならない。
現代人の牢獄は複雑怪奇な迷路のよう、 知識や情報が増えるってことは、いろいろ便利な反面 それらを使いこなすどころか、振り回されているのが現状だし 例えば健康法ひとつとったって、 やれ、玄米菜食にすれば癌にならないとか、 逆に米を含めて糖質が体に悪いから肉などタンパク質中心に食えば健康になるとか 正反対の情報があって、何を信じたらいいかわからなくなっているw それぞれもっともらしい「理屈」が書かれてあるし 健康法に限らず、あらゆる分野で色んなことを言う人がいて、何が本当かわからないw 政治だって経済だって法律だって、何人もの「専門家」が分析するけどさ 「専門家」によって言うこと違うしwたまたま当たったり、外れたりする 理論なんてそんなもんだしw 100年前に比べて、現代の情報量の多さといったら 心の交通整理をするのが大変だ、うまく整理できずに情報の海でおぼれている人がいる一方 ものの見方を固定化することによって、都合の悪い情報を遮断し、他の見方をあえて しないようにしている人もいる、それじゃ心は固まって硬く狭くなるのにな 理屈なんてものは、残念ながら大体は「エゴ」を守るために使われている ようだ 先生は、ある段階にくると外部の知識や情報は必要なくなる 「直接知」が働くから、だそうだが その域に到達できるとは思えないw、直観が働くことは時々あるけどね
価値観の多様化するのは悪いことばかりじゃないけど、 感情が揺れやすくなる、何を信じていいのかわからず、迷いやすくなるからね 感情が揺れると(動揺すると)、人格の器(エネルギーを入れる器)の表面が散りやすくなり うまくエネルギーが流れなくなる、すると精神を病むんだ うつ病とか神経症とか、もっと深いところがおかしくなることもある それが文明病、「クリミナルマインド」ってアメリカのテレビシリーズがあるけど 闇が深くなり感性までおかしくなると、奇妙な妄念に囚われる人がでてくる 誰でもエゴって奴は狂っているんだけど(分裂しているんだけど) なんつーか内側に闇に向かって、何重にも捻じれてしまうことがある、 その捻じれに捻じれて光が届かない闇(妄念体)をつくる、それが見えるんだけどw 闇がね、エネルギー体に顕れる、 発展途上の(未開の)無知ゆえの狂気ってのもあるんだど 文明の病ってのもあるんだよな、思い込みが妄念体って化け物をつくってしまう
それを防ぐには自分のエゴを客観視するしかない、思い込みの罠に囚われないためには エゴの闇の深さも(というか魂を取り巻くバームクーヘン状の闇の層) 人によって違う、その層が薄い人もいれば闇が深い人もいる それをインド哲学ならカルマと呼ぶだろうし、心理学ならシャドー(影)と呼ぶのかもしれない キリスト教なら罪、神道なら穢れ、仏教ならマーヤー(幻) いやエゴが見る世界そのものが幻なんだけどね
現代人の心は何重もの壁に囲まれた牢獄のようだ
207 :
神も仏も名無しさん :2013/07/26(金) 07:51:30.62 ID:DTwKKwKs
エゴリン
韓国人を見ていると、 エゴについてよく理解できるような気がする。
>>196 アドヴァイタやっててもコースと同じ道を通る部分はある
その意味で、必修要素は混じっていると感じる
全部が全部必修かどうかはわからないが、罪の意識を無くすのは非常に重要だと思う
罪の意識を持ったままでは幸福になろうとせず、また悟りを得ることもできないだろうから
アドヴァイタやるっておかしいな 学んでいてもかな でもあれ実践するものだからおかしくないのか
>>208 彼らは、もう存在しない過去しか見てないし
"悪い部分だけ"を見て、今と恩恵が観れない
今は日本が脱皮してる時期なので光が強くなれば影が濃くなるように
国家的に国家エゴとしての御役目を演じてるのでしょう
>>211 しかも韓国人の過去って、捏造した過去ですもんね。
けど、
コース的には、
存在したと思われた過去でさえも、
一度も存在したことがないって言うから、
捏造した過去も、捏造していない過去も、過去という点では同じなんですかね。
究極的に同じでしょう 「過去は存在しない」 と、こういって政治に無関心なのも日本国民として気が引けるけど・・ この世界は、日本が親でありその他の世界は子であり、親を潰せば子も存在しない (子が生まれたから親も必要ないというこの世の時間の法則はツッコミはなしw) これは過去の神道に示されてきたように日本は世界の雛形であり、世界の元であるという事は一目瞭然 (詳細は適当にググれば出てくる) ↑は全部この世界での話 究極的には全員神の子の下に平等 どこに生まれようがどこに住んでようが関係ない
>>197 に関連して最近考えてることだけど、
第6感や7感みたいなものは、5感と同じで特別視されるようなものではない(取得者が少ないだけ)
これを逆転して、5感もまた特別な能力としてみると、我々が普段行うことのもったいなさがあぶり出される
霊視によって他人の汚点を暴く、特殊な治癒能力を金儲けのために使うのを勿体ないと思うように、
目によって他人の汚点を見て、口(発声)によって他人を罵るのはなんと勿体ないことか
政治の事で思い出したが、ACIMやっていて自民党が嫌いな人 結構いるようだね。参院選で自民党が勝ったので憲法改悪だ、徴兵制だと。 自民党だからと無批判に信じることは否定するが、逆に自民党を批判する内容なら 出所の不確かなソースや扇動を無批判に信じたがっているのに気付いていないのは 勿体ないと思った。 ついでながら、これはクリシュナムルティを反権威、反伝統のツールとして 使うのと同じ匂いがする。
>>213 韓国を見ていると、
エゴは悲惨にしか導かないということが良く分かります(中国も)。
どんな手段を使ってでも1番になりたがったり、
常に被害者意識に囚われていたり、
すぐに人のせいにして謝罪と賠償と要求したり等々、
日本人の目からすれば、腹が立つことばかりです。
けど、ここまで極端でなくても、
このようなエゴの傾向はわたしも持っているので、
ほんと反面教師になります。
けど、安倍さんがACIMを学んで、
それを実践したら、
瞬く間の間に、中国に占領されるかと思うのですが、
でも、日本の歴史上、悟りを得て政治を実践した人といえば、
聖徳太子がいますよね。
聖徳太子の言葉、
世間虚仮(せけんこけ)、唯仏是真(ゆいぶつぜしん)
『この世にある物事はすべて仮の物であり、仏のみが真実であるということ』
というのは、まさにコースの要約になってます。
日本の歴史上、最も偉大で、影響力があったのは、聖徳太子だという歴史家もいるみたいです。
その聖徳太子が、親鸞の夢に出てきたり、イエス・キリストと共通点が沢山あるというのは、
すごく興味深いところだと思うのです。
『和をもって尊しとなす』から始まる17条の憲法は、
ACIMの学習においても、すごく多くの学びを得られるような気がしています。
どうして韓国や中国を見るのかと考えたことはある? 周りの人を見ないで、わざわざ外国、それも国単位という曖昧な存在を見るのだろうか
218 :
神も仏も名無しさん :2013/07/27(土) 07:43:21.76 ID:ic1CXSJ+
怒りを海外に投影分散させて 国内の怒りをつかのま鎮める為だね 悪いのは俺たちじゃない、悪いのは奴らだ!! しかしそれで国内の怒りが消えるはずもなく…。 これってリアルに韓国中国がいつも政治的に使う手だ いや、日本もたまに使うか(笑) まあ、韓国中国を山本君小林君と置き換えて日本を「俺」として考えたとしても同じことか…。 あっ、そうか!わかったぞ 同じことだったんだね 罪悪感と怒りの投影
>>217 な、なるほど〜!
深く考えたことなかったです。
国単位という曖昧な存在を見ることで、
目の前の、具体的で個人的な赦しの機会を見逃させようという、エゴのトリックなのかな?
「過去」は存在しないと同じ あるとしたら、「過去」の記憶(記憶ってのは曖昧なものだ)と その過去をどう見るか、つまりは「解釈」があるだけ 「解釈」なんてものはどーとでもなるw その勝手な解釈で捉えた「過去」をありもしない「未来」に投影している 今の人類が何かの拍子に全滅したら、人類の記憶とともに21世紀に起こったできごとは どこにも存在しなくなる
国同士の投影合戦 ついつい巻き込まれるってか加担してしまう 自分の敵意を相手に投影し、怒りや憎しみを募らせる 特○会がやっているようなことを、互いにやりあえば 怒りと憎しみの応酬が止まらず、いつしか暴力という形になって現実化する (つまりはテロや戦争という悲劇的で残虐な現実が顕れる) 悪意の感情をぶつけられても、理性的に受け止めるしかない それが悪意のどす黒い炎を燃え上がらせないために必要なこと なんだと反省している。
互いに許しあえる日が来るのは、いつだろう? まぁ100年以上かかるだろうなw
自分も相手も赦したら、それでもう自分の仕事は終わり
「はいはい、許した許した」では本当に許したことにはならないw 自分の深い心まで見ているだろうか? エゴのトリックは巧妙で、日韓関係のようなわかりやすい形でばかり顕れるわけじゃないし 自称「いい人」っているでしょ、 その人は自分のことを愛に溢れた「善意の人」だと思っている 岡目八目って奴で、自分のことってのは、自分じゃ中々気づかないもんだ 自分が思う自分のイメージと、他人から見る自分象が全然違ったりする 他人にレッテルを貼って、それとはわかりにくい形で暗に他人を攻撃する または、「わたしはOKだけど、あなたはOKじゃない」 「あなたはダメで劣っている、それに比べてわたしはこんなに優れている」 というなことを言動に表す「善意の人」っているでしょ、 これも投影合戦なんだよね 自分をダメだと信じている人、自分を無価値だと思い込んでいる人の前には上記のような(((善意の人)))が顕れて(身近にいて) そこを攻撃する人が顕れる、「おまえは何でそんなにダメなんだ」とわかりやすい形で 表明してくる人もいれば、上記のような自称善意の人の形として現れることもあるw 他人を自分の価値観ではかって、攻撃する人間も(色んなタイプがいる) 駄目な人間というレッテルを誰かに貼らないと、自分より劣った人間を外に見ないと 優れた私、愛に溢れた私、スピリチュアルな私wとか、そういうのもエゴだから 外に、劣っている誰か、ダメな誰かを投影しないと、エゴは成立しないってことになる
>>224 最後わかり難い文章ですまん
つまり「優れた私」「愛に溢れた私」「スピリチャルな私」←なんでもいいw
という私(エゴ)が存在するためには、
外側に「劣った奴」「ダメな人」が存在しないと(投影しないと)成り立たない
自分のエゴが何をしているか気づいていればいいけど
自称「善意の人」ほど気づかないもんでね
傍から見てわかりやすい「攻撃的な人」「嫌な奴」の方が実は自覚があるのかもしれない
って思うことが多いな…
悪意、苛め、攻撃、色んな形があって ドラマ「半沢直樹」なんてのはわかりやすいけどw あれは悪意を自覚してるだけマシ もっとも隠微な目には見えない「苛め」「悪意」ってのが存在する、 善意の皮をかぶった悪意、無自覚な悪意、これがね…なんとも厄介で 特にスピリチュアルな善意をかぶった悪意の渦を目撃したことがあるけど ぞっとするほど不快な悪臭が漂ってくる、悪魔ってのは神を逆手に取るのだ好きなんだよなw
投影、決めつけが犯罪者を産むのも事実だ 誰が見ても嫌な奴から、または攻撃的な人から 「お前はダメだ」とか「無価値だ」という メッセージを受け取っても、「そんなことあるか」って反発することのが多いけど レッテルを貼ってくるのが「立派な人」「善意の人」だったら? (「」をつけたのには意味があるw) 例えば学校の先生とか、周囲から立派な人だとか善い人だとか見られている人から ことあるごとに「お前はダメだ」というメッセージを受け取ったら 言葉の端端に、態度に、行動に、思いってのは顕れる そういうメッセージ(有言、または無言の)を受け取った子供はどうなるだろう? 自分の価値を疑うようになるだろうね、下手すれば、 鬱積した怒りや不満を社会に投影するようになるだろう 犯罪者になる人には、本人に一番責任がある、それは間違いないけど 周囲の人間も、もちろんあなたも私にも、責任はある 特に親御さんとか、先生とか、責任は重いよな 子供や若い人は未熟で、しかも敏感だから、他人から向けられる「思い」を 無条件で受け取りやすい
オカルト話ですまんが 昔、集落の災厄や、罪や穢れを誰かに(村で爪弾きされているような人に)押し付けて 人身御供にしたり人柱にしたってな話があるけど 現代でも形は変わっているが、同じことが行われている 「苛め」とかね 私たちは誰かに「罪」を被せることで、自分たちは罪を免れる(免れた)と錯覚している 罪人の女が石打の刑になるところに、キリストが通りかかった 「罪のないものからまず、石を投げなさい」とキリスト言ったら、年老いたものから順に その場から去って行き、そして誰もいなくなった。。 ってエピソードが聖書にある 無意識に自分の身代わりに(誰かを裁いたり、人身御供にしたり)している それに気づかないと、エゴの投影のゲームは永遠に終わらないだろうな
最近嫌なもの見ちゃったよ、意外なところでさ 善意と愛に溢れているはずの場所で、化け物なんて怖くないんだよw 悪霊だろうが、「ウザいからあっちへ行け」で一蹴して終わり 中にはしつこいのもいるが 本当に怖いのは…生きてる人間だよ
ゲイリーさんの3作目どうして日本で発売されないのか
そもそもまだ出版されてなくね? Love isなんとかって題だったと思う ゲイリーのサイトにも載ってない 何冊書こうとも同じ内容になるんだろうから、 もう書かないでいいやって決めたかもしれない 公式サイトに現状載ってるかもしれないが英語読めん
アメリカでの発売が今年の10月8日予定になってる。 出発されるのは間違いないみたいだ。 邦訳版は来年以降だろうね。
出発じゃなくて出版w
連投すまん。 訳者はまた吉田利子さんかもしれないが、 ヘレン・シュチクマンというのだけはいい加減シャックマンに訂正して欲しいね。
235 :
神も仏も名無しさん :2013/07/31(水) 20:08:21.33 ID:ZyWsGvQj
自我の思考を眺めていると、 赦す、赦さないうんぬんの前に、 自我の思考とひとつになり、自我の思考がすっと消えていく感覚を覚えるのだけれど、 こういう方法は、コース的にはどうなのだろう。
>>221 とは言うものの、抗議し訂正し、場合によっては反撃することもそれはそれで必要。
このまま放置してると、世界各国の都市に慰安婦像が作られることになる。
赦す、のは聖霊の仕事、我々はやるべきことはやらなければ、
間接的に彼らの投影に基づく悪事を手助けしてしまうこたとになる。
あなたが変わらないことには、見える幻想(あなたから投影された結果)は変わらない 幻想を幻想とちゃんと見抜けるようになったら、慰安婦像のことはどうでもよくなるだろう あなたはあなたの意志を持って、自分が作った幻想に巻き込まれないようにする 韓国憎しを続けようとするなら、敵対勢力(という幻想)を維持するために慰安婦像が作られる幻想を投影するかもしれない 慰安婦像反対運動に参加するしないは関係ない 参加しながらでも幻想を見抜くことはできる
238 :
神も仏も名無しさん :2013/08/01(木) 08:04:28.29 ID:xeLGRNuB
あなたは 正しいを選ぶか? 幸せを選ぶか? ってどっかに書いてあったよ
別に韓国は憎くも何ともないよ。 しかし、この幻影の世界であっても我々は食べなければ肉体を維持できないし、 そのためにお金も必要。 同様に、不当な言い掛かりをつけられ不利益を被っているのなら、 それに対して抗議しこちらの言い分を主張することに何ら臆する必要はない。 あなたを強盗が襲ってきたなら股関を蹴り上げて撃退することに何の躊躇がいるかね? パーサも同様のことを言ってただろう?
それを不利益と思うのなら、不利益になる 不利益と思わないのなら、不利益にはならない それだけのことだよ どちらもエゴによって決定される判断
ではあなあたは強盗に襲われても、それを不利益と見なさず、 なれるがままにしておくか? シーザーのものはシーザーへ。 たとえ幻影であったとしても、この世の出来事はこの世のやり方で淡々と処理していくだけ。 神の子は如何なる不利益も被らないが、 幻影の世界がリアルだと感じているエゴは不利益を被る。 それを無視することは赦しではないよ? 何度も言うように、我々は赦すことなんかできない。 それは聖霊の仕事。
奇しくも
>>235 氏が述べておられるように、
自我の思考、そして反応、行動?これらをただ感じ切る。
そうするとそれはスッと消えていく。
ACIMではこの時、聖霊にそれを委ねる。
QEなら、ユーフィーリング。
それだけのこと。
すべてを丸ごとまるっと委ねる。
自分が不快に感じている、ということも含めて。
自分が不快だ、腹が立つ、という思いをなかったことにしようとすれば、
それこそがエゴの生き残りのための巧妙な策略にはまっていることになるよ。
エゴはエゴを守ろうとするから、腹が立ったり攻撃したくなる すなわち私のプライド、私の社会的地位、私の財産、エトセトラ 私がより良い私になるために(と勝手にエゴが主張する「私」になるためにw) 努力し、理想の自己像に近づこうとする 知的な私、おしゃれな私、美しい(ハンサムな)私、リッチな私、立派な私 その「私」という「自己像」を攻撃された又は脅かされたと(感じる)と 人は感情的になり攻撃的になる どんな「私」をより大事にするかは人によって違うけどね 例えば白雪姫の継母ならば、「世界で一番美しい私」を脅かす存在である白雪姫を 亡き者にしようと策謀を巡らし、実際に毒を仕込んだリンゴで殺そうとした 「知的な私」という自己像にこだわれば、お前は馬鹿だと誰かに言われたら 相手をやり込めるか、酷いと抹殺したくなるだろうし 「社会的地位」=私という意識が強ければ、有能な部下が脅威になる コースではエゴを守らなくてもいいと、「特別な私」になる必要はないと言っている 何も証明する必要はないし、誰にも特別な私をアピールする必要はない、認めてもらう必要もない すでに私は完璧だから(スピリットとして私はw)わかるんだけどね 何も守る必要はない、とはいっても実際問題、 家を出る必要があるときは、鍵をかけるだろうし 女性なら日光が燦々と降り注ぐ真夏には、日焼け止め塗ったり日傘をさすだろうし 仕事してれ「実績」を証明したり、俺はできるんだよとアピールしなかったら 生き残れないってこともあらぁねw、 その辺がね、どうなんだろ?って思うこともあるけどねw
エゴが考える「理想の私」「こうあるべき私」になろうと必死になる そのあらまほしき形は人それぞれだけどw わき目もふらずひたすら金儲けにいそしむ人、死ぬ思いで痩せようと食事制限する人、 一日に何冊も本を読んだり、ネットで情報を集めることに時間をかける人もいれば 人一倍流行に敏感にお洒落に気を配る人もいる それが必ずしも「幸せ」には繋がらないのは確かだね 美しくなろうと無茶な美容整形を繰り返し、逆の結果を招く=顔面崩壊…こともある お金持ちになったはいいが、孤独になりちっとも幸せを感じない人もいる (汚いやり方で人から恨みを買うとかねw) エゴが提示する「こうなれば幸せになれる」というまやかしを信じて 突っ走って失敗するってことは、よくあることだ 私たちは何が最善か知らない、でも天は(神でも仏でも宇宙でもw) そして聖霊は知っているってことなんだろうけど 最善に導いてくれる存在がホーリースピリット まぁ守護霊でも守護天使でもなんでもいいんだろうけど エゴは何が本当に大事で必要か知らない、エゴを修正してもらう必要があるってこと ユーフィーリングの状態になると直観を受け取りやすくなるってのはあるね
コースでは聖霊(ホーリースピリット)に祈れば、答えをくれるとか導いてくれると 書いてある ホーリースピリットって言葉になじみのない日本人は、その言葉だけでなんか気持ち悪いw 父なる神とか聖霊とか聞くと(見ると)胡散臭く感じる人も多いだろう 古今東西昔から、人を導く高次元の存在ってのがいるとされていて それを「守護霊」とか「指導霊」と呼ぼうが、天使と呼ぼうが、神の導きや仏の導きと呼ぼうが スピリチュアルティーチャーとか呼ぼうが同じものと考えて良いと思う (あちらにはあちら世界の分類とか階級とかあるのかもしれないが、 この世の人間は、それを詳しく知る必要もないんだろうなw) ただそれらの意識と同調するには、ユーフィーリングの状態にならないと 難しいのかもしれない、イライラしたり腹が立ったりしているときは 閃きは下りてこない、よく散々考えて考えてもうどうしようもなくなって 諦めたときとか、気を抜いたとき、すっと閃きが下りてくるってな話を聞く 3上の説(三上説)とかってのもあるし
私が「私」と呼ぶ私=エゴってのは、前にもどっかで書いたけど 思い込みの集合体だ、よく観察するとエゴって奴は支離滅裂なんだが… 痩せさえしたら、(または美しくなりさえしたら)、 彼氏ができて幸せになれると信じている私 ○億円あれば、幸せだろうと信じている私 有能な私、仕事ができる私 でも、仕事ができる私は、女としては可愛げがない、と思っている私 自立している私、知的な私 でも、彼氏と別れたら生きていけない私 他にも、酒や薬やギャンブルにおぼれる駄目な私とか色々内在している 中には相矛盾する「私」が共存していて 痩せたら(彼氏ができてw)幸せになれると主張する私と スィーツを食べたら幸せな気分になれると言う私は、内的葛藤を起こす 仕事ができて有能な私は、可愛げがないから男に捨てられるかもと恐れる私と葛藤するし たくさんの「私」が存在し、相反する「私」が心の中で戦い、 無駄なエネルギーを消耗している、エゴってのは分裂していて狂っている それは何も個人の中で起こるだけじゃなく、集団の価値観の中でも起こる イスラムの一部の過激派が通学中の少女を銃撃したというニュースを見た (イスラム教全体の価値観がそうではないが) 女性が教育を受けることは、イスラムの教えに反するという信念を持った大の男たちが それに反する価値観、または信念を持ったか弱い一人の少女に銃口を向ける 全く違う文化圏から見たら狂気の沙汰とも思えるが エゴって奴は、統一した確固とした何かがあるわけでもない、単なる思い込みの集合体で 内部を見ると全くお粗末なものなのに、自分を守ろるためなら何でもする、 (集団のエゴも同じ、組織ってのはそういうものだ) エゴは、脅かされたるととてつもない恐怖を覚え、脅かすと信じる対象を攻撃する 虐殺、強姦(民族浄化)、戦争により大量破壊なんでもあり エゴが正しいとか間違っているとか、主張したら気を付けた方がいい 「正しくありたいか?それとも幸せになりたいか?」
学習続けていくと、静寂な領域が多くを占めていって、 同時にエゴの喧噪が小さくなって、ついでに持続もしなくなってくるから非常に楽 静寂に身を置いているからか、エゴが騒いだらすぐに気づくようにもなった
ワークブックのレッスンを一日しっかりやろうとしたら、 テキストなんて読めなくね?
250 :
神も仏も名無しさん :2013/08/02(金) 07:46:47.24 ID:5vCICWgD
実は私もテキスト読んでいると ふと、一瞬神の懐にいた頃の幸せな記憶がよみがえってくるような そんな気がするときがあるんですが… それが妙に心地良く楽しいんだよね。 気のせいかな(笑)
251 :
神も仏も名無しさん :2013/08/02(金) 08:19:19.34 ID:hYbS+o5u
わたしもそんな瞬間ありますよ!
>>249 ワークやってる期間は1ページずつ読むとか
ワークお休みして少しずつ読むとか
ってか、ワークを厳密にやらないかんという強迫観念はまずいと思う 自然に行われるのを目指すわけだから、意識的に行うのを習慣にするより、 気づいたときにやるってほうが精神的にも楽なのでは
ゲイリーさんでさえもう一回生まれ変われなければならなかったとか エゴの解体は相当手ごわいな
まずそのサイトはACIMを利用しているがACIMではない。 宇宙の消滅、と聞いて、そもそも宇宙なるものが我々の外側に存在していると考え、 それが消滅するはずがない、と返しているところから、 それはイェシュアではない、とわかる。
257 :
神も仏も名無しさん :2013/08/04(日) 08:23:04.15 ID:V1CEs/ip
宇宙を神と勘違いしてる人いがいと多いよね
嫌な気分、怖い気分になったときは これを違った見方できることを聖霊に祈っているんですけれど いい気分や充実感を感じた事も別な見方できることを聖霊に祈った方が いいんですか?
>>254 ゲイリーはトマスの生まれ変わりだけど
どうして使徒トマスはゲイリーに生まれなければならなかったの?
トマスの何が足りなかったんだろうね・・・?
ゲイリーには役割があって生まれて来たのかもしれない 知らんけど 人類の肥大したエゴを救済するために でないとカルマ終わらない、コースを学ぶことは1000年の時短って 入門の本だったかに書いてあったけど エゴの正体ややり方を知らないでいると、どんどんカルマ(罪、穢れ、シャドー、闇、何と呼ぼうと)を 作り出してしまうから この世ではそれを「妄念」と呼んでいいんじゃないかと思う
悪しき思い、思い込み 罪悪感や敵意や憎悪を生み出す 中国や韓国は国策として反日教育をしているけど 外側に敵をつくることで、内側の結束させるというよく使われる手法 エゴのやり方も同じ、敵とか悪とかを外側に投影することで エゴはエゴを守っている、エゴの巧妙なやり方 思い込みという妄念を膨らませることで、エゴは自分の正体を隠す 内側に捻じれいって闇を孕む
特に現代は頭でっかちになってるせいか?「妄念」を膨らませやすい 「妄念って何かというと、平たく言えば「思い込み」なんだけど それが…とんでもないところに行くことがあるんだよね 妄想が膨らんで現実との境界がわからなくなる 現代病だね、頭の中だけで過ごしているような人もいるから コースではエゴが見る現実は真実ではないと教えているけど エゴというフィルターを通してみる現実(リアル)は真のリアルじゃない 自分が妄念(思い込みの牢獄)の中にいることを自覚するのも難しい 先生も言ってたな「頭でっかちが増えた」って
気のレベルでみると、40歳ぐらいを境に、言葉が浮遊している人が増えた と書いてもわかる人は少ないかもしれない 言葉が、心の場(人体を取り囲む卵型のオーラフィールド、気の器とか人格の器と呼ぶ)の 表面を浮遊しているように見える、心の場の深いところへ行かない なぜだろう?経験の裏打ちのない「思考」ってのは 心の深いところに行かない、現代人は知識や情報は増えたけど 実際に経験してないのかもしれない(リアルに生きてない)
それと内省ってか、自分と対話してないのかもしれない 知り合いにもすぐに「なんで〜」「どーして〜」って聞く人がいるけど 他人に聞く前にまず考えろって思う 疑問を自覚して熟考して(煮詰めて)、それを内側に発っしないと(自分への問いかけ) 答えは見つからないよ、何に向かって問うているのか?内なる叡智って奴 それは、ホーリースピリットと同じだ それをやらないと、いつまでも漠然とした疑問が曖昧な形のまま残る
>>264 40代っていうと社会に出てからすぐバブル崩壊を経験した世代じゃないかな
いままで通用していた現実的な手法がまるで通用しなくなったせいで、中身の無い精神論に頼らざるを得なくて、
だけどその精神論の内容を体験したり実践したりはしていないから、説得力が無く浮いた言葉になるのでは
脳は記憶の中にある?
269 :
神も仏も名無しさん :2013/08/10(土) 11:37:49.95 ID:yeBYU857
記憶ってアカシックレコード?とかいうやつに全て保存されてるんでしょ? でも、輪廻転生とかアカシックレコードとかって 全て分離の世界での話しらしいからね 分離はない、分離は無かったってのがACIMなんだから輪廻転生もアカシックレコードとかも別にどうでもいっしょ。
>>269 じゃあ無かった事ではなく実際に起った事の話をしてよ。
何がオコッタの?
何も起こってない
その時、東日本大震災は起きた
それは、どの視点に立つかだと思うけどw 肉体が「在る」この次元から見たら、それは起こった 魂(スピリット)の次元から見たら、起こらなかった 神との分離はなかったのだから、そもそも生まれてもいなし肉体もないし 肉体から見る世界は存在しない、魂の見た夢に過ぎない? 肉体がどんな悪夢を見ようとも、例えばホロコースト送りにされ 尊厳を踏みにじられたように感じていたとしても 殺人鬼に切り刻まれても、スピリットは一点の曇りない、傷つくことも穢れることもない それは完璧な完全なまま時間の存在しない次元にある ってかそれしかない、この世の生活は存在しない この世時間で何万年何億年も経過したように感じても 目覚めてしまえば一瞬の夢(スパーク)に過ぎないってのがACIMだよね?
悟りに至った人も、すべては一瞬の想像が拡張されたに過ぎないと言ってる ちなみにプンジャジって人 覚醒の炎 P226を参照 この人はガンジス川のほとりで自分のすべての前世を見た、というより体験したそうだ その間もガンジス川にいる自分を認識していたという
てか、肉体こそが悪夢だな スピリットの次元では、罪も悪も存在しない、そもそも何も起こらなかったのだから だから、この世の肉体の目ではなく、スピリット(もしくは神の子)として 本当のことを目撃するように、ホーリースピリットに頼む エゴの視点から見たらこの世は、不条理で、矛盾だらけ、悪意と敵意に満ちている ように見える、絶望的な悲劇、許せない悪党、正義など存在しない、地獄のような世界も見えるし これが神の創造物か?否、エゴの見ている夢だってのが 肉体というのは、=死であり、分離であり、エゴの象徴?でもある、 スピリットの永久不滅の性質と「愛」=絶対善とは真逆の存在 人間は、絶対矛盾の自己同一 どっちの視点で生きるか?、ってことでいいのかな?
瞑想で高い波動に同調すると、そこには魔も悪も悪意も存在しない 愛と平安がそこになる、シンプルな世界だよ でもこっちに戻ってくると、魔もいるしw奴らは私にとっては竹馬の友だww 人間の心(主に潜在意識)を棲家にしている 邪悪さってのは、複雑怪奇で奇妙で醜悪だ、見た目もねw 「平気でうそをつく人たち」って本の、第4章 悲しい人間に出てくる 女ストーカーの見る夢、複雑で奇妙な機械だったかな、あれ思い出す 奇妙で複雑で役に立たないが、文字通り自分の作品である、エゴってのは 愛着があるんだよw(魔)もねww、だから捨てがたい離れがたい
兄弟や親戚付き合いは、ほんとストレス溜まる 他人と接する時には気にならないどうでもいい言動に反応して凄く腹が立つ もう赦しの概念もへったくれもねえわ!! が、帰宅して冷静になってみるとそっけない態度を取った事に後悔する まあ結局血縁関係がある家族って、他人より親和性が高いし、相手に色んな事を求めちゃうんだろうな 怒りや攻撃的な思いも愛を求める感情の裏返しだ そして身近な人間だから自分の憎悪を投影しやすい そういうときは極力距離を置いたほうがお互いの関係の為には良いと思った 下手に関わると心の準備が出来てないときは後々深刻な関係に繋がるかも知れない 辛い目にあって強制的な課題を経て時間を短縮するか、 時間をかけて課題を先延ばしにして覚悟が出来るまで待つか…
役に立たないどころか、あらゆる苦痛と苦悩の元なのに エゴはエゴを守るために、奇妙な構造物をつくり続ける 海に何か沈めるとフジツボがくっついて、フジツボの塊になり中にあるものを隠す ゴツゴツして不格好で気味の悪い、どんな思いがフジツボをくっつけるのか? そしてそれが役に立たない、何も守ってないってことを ちゃんと認知(認識ではない)しないと、いくらフジツボこそぎ落そうとしても そいつは減らないんだよねw
>>277 俺は昔、家族に殺意すらわいていたが、ここ最近は軽く流せるようになった
まだむかつくこともあるけど、昔に比べればかなり変化している
何をどうしたらこういう状態になるのかわからんのでアドバイスできないが、
実家暮らしなので家族と離れたことはない
離れても離れなくても同じだと思う
結局、外の反応にどう答えるのかは自分自身なんだから
>>277 近しい間柄ってのは、最も濃い影を投影するエゴのドラマだよw
ヒンズー教でいうなら重いカルマが反映されている
聖霊に見せて下さいと頼んでも 本人に見る気がなければ、それは明らかにならないだろうな ライフワークとして、ずっと「悪」とは何か?って疑問を持っていた 悪とはやってはいけないことをすることだろうか? 例えば殺人、確かに人を殺せば罪だけど、必ずしも殺人犯が酷く邪悪な波動を醸しているか っていうとそうじゃない 暗く陰湿で嫌な臭いのする波動を醸している、ドブのような濁った色の 放っている人が、DQN〜社会的地位のある人間まで身分や地位関係なく いることに気づいた 社会的地位も信用もあり、交通違反もしないような「善人」が (ボランティア活動やチャリティーに熱心だったりすることもある) 上記のような気味の悪い波動を醸していることもある スコット・ペックの本を読んで、少し明確になったような気がしたが なぜ邪悪になるのか?それは「無自覚さ」じゃないかと思うんだよね
>>279 >>280 レスサンキュー
離れているときは兄弟親戚を大切に思うし、言葉の上だけじゃなくて本当に感謝している
しかし会ったら腹立つ時もある…
今日がたまたまその時だった(怒)
今日は考えるのも面倒だし酒飲んで問題先延ばしするわw
「善人」と書いたけど、邪悪な人間は必ず誰か(単数か複数かは色々だが特に弱いもの)を 傷つけ、不幸に陥れているんだよね、被害者が必ずいるの それは違法でないかもしれない「平気でうそをつく人たち」って本を読んでみ 誰でも怒りや嫉妬などの悪意が湧く、それ自体が問題じゃない それを認知するか否かで心の有り様がまったく違うって長くなったので またの機会に書くかも
奇跡のコースがなぜ「奇跡」なのか? 奇跡を見る必要があるのか? それは私たちが現実だと思っているものが「幻想」だと「わかる」ためだ 時に物理の法則、てかこの世の法則(理科系の人に怒られるかもしれないが、 実際法則なんてものは存在しないのかもしれない、いやこの世は法というか理(ことわり)より 知が優先する世界(なんだそうだ)この世の摂理<<<<知性性 奇跡はあらゆる「法則」を無視して起こる(こともある) 私たちがリアルだと思っているものが、実は実体のないものなのだということを 知る手立てというかね この「幻想」って奴は非常に厄介で、肉体は幻想だと言われても 腹は減るし、足指を挟んだら転げまわるほど痛いし、鼻毛のチェックをするのに 鏡を見れば、昨日と同じ顔した自分がそこにいる 肉体を実体、魂を幻と感じてしまうのも無理はない わかりやすい例
自分の頭の整理のために使わせてもらってるな 何か意見があったら書いてほしい A Course In Miraclesは、The Course…ではなくAだと言うことは、 覚醒のためのひとつの道である、たくさんある道のひとつだってこと (この宗教、この教え、この道だけが絶対で他は認めなってところは 暴力的であることが非常に多い、または反社会的な組織に変形していくか) 一方で、コースは必須である、誰もが一度は必ず通る道だとも書かれている そこが解せなかったのだが、エゴとは何か?エゴの正体は?(なぜ幻なのか) エゴはどのようにエゴを防衛するか?を観察して、エゴ超える経験を実感しない限り 上記のフジツボのように、エゴの幻想は次々生まれて、その向こう側(本質)が顕れる ことはない、例え一時悟りの境地に入れたとしても、神を垣間見ても フジツボがくっついてしまう 一時、エゴの向こう側を見ることはさほど難しいことではない 神秘体験して、「俺は神になった、仏になった」と錯覚すればまんまと 魔の思うつぼにはまったことになる(魔境って奴ね) ユーフィーリング(瞬間ヒーリング)の本の厚さと、ACIMの分量を比べれば うんざりするけどさw、読むのも根気がいるしww
リアリティを垣間見て満足してしまうと、エゴ(に住まう魔)って奴は、狡猾だからね すぐに闇に引っ張られてしまう ここから邪悪の話に繋がるんだけど、流石に自分でもウザいので後日w
そのリアリティを垣間見た程度で、私悟りました、ってなってる人増えてるね。 スカイプ使ってかなり高額なセッションやったりワークショップ開いたりして。 ある人もACIMのワークブックやってたら悟りました、と言ってそういう活動している。 その人はACIMのテキストは必要ないとも言っていた。 つまりエゴの構造を知り尽くすというプロセスを自ら放棄してしまってるんだね。 いずれおかしな方向に行ってしまうこと必至だが(というかすでにそうなりつつある)、 ああいう安直安易な悟り伝授ビジネスにはくれぐれも注意しよう。
だからACIMが絶対ではないんだてばw、人によって受け入れやすい入りやすい 教えってのがある、その人の生まれた時代、民族、思想的背景、個人的経験 人それぞれだから 伝統的な宗教であれ、スピリチュアルであれ、その人にとって必要かもしれないし この世に誰にとっても完璧な思想も宗教もないんだよw 気づきに必要な段階も人によって違うし 巷のスピリチュアルティーチャーだって、誰かに何らかの示唆をもたらしている 例えその教えが多少歪でもね
>>273 >目覚めてしまえば一瞬の夢(スパーク)に過ぎないってのがACIMだよね?
一瞬の夢(スパーク)程度の事は残念ながら起こってしまうってのがACIM?
完璧な完全なまま時間の存在しない次元のみを一瞬たりとも途切れる事無く体験する・・・という訳ではないの?
ACIMに縁がない、または入り込めない人だって当然いるだろうけど 今まだそのタイミングでないのかもしれないし 今のその人にあった、別の方法論、学びや気づきがあるのかもしれない つーことだよ、巷のスピリチュアルティーチャーや偉い坊さんや神父さんでなくても それこそ誰かの何気ない一言で、開いたページの一節で気づかされることだってある 負うた子に教えられ、ってこともあるでしょ 自分より未熟だと思う相手からだって学ぶことがある
>>288 それはそうなんだけど、生徒に、ACIMテキストは読まなくていい、
ワークブックだけやればそれでいい、
と教えているのは明らかにミスリードだと思うよ。
‘もしやるのであれば’コース全体に取り組むことが必要だからね。
>>289 いや、う〜ん何だろう色々誤解があるな
わたしの個人的なACIM観だから
つまりスピリットの時間がない世界を言葉で表現するのは無理なのよ
その時間が存在しない次元から見たら、この世の何千年の何億年の歴史も
ほんの一瞬の夢も同じだってこと、つっても経験してみないとこの感覚はわからない
と思うよ
>>291 あ〜だからぁ、ACIMはそうなんだろうけど
何もACIMである必要はないと言ってる、これをやらなきゃ損ってことでもない
その人にとって一番良いタイミングがあるはずだから
例えスピリチュアルとは無縁の人生を送っていても、ACIMを学ぶよりずっと
実り多い人生ってこともあるんだよ
スピリチュアルを学ぶ=尊いわけじゃない
そりゃその通りです。
ACIMと出会って学ぶ機会を得た、幸運だと捉えてもいいけどさ (何せ1000年の時短になるってんだから) 別に学んでるからって偉いわけでも、学んでいない人より優れているわけでもない 単にそのタイミングが来たってだけの話だ これをやってるから偉い、スピリチュアルだから凄いとか進化しているって 思うのは驕りってか、悪悟り(魔境)と変わんないよww
前スレにも確か書いたけど、ACIMの方法論が他と一線を画す?(ように私には思える)のは 今までの方法論はボトムアップ つまり、エゴ、または未熟な自分から→覚醒、解脱、神との合一等々へ向かうって方向性だった だけどACIMはトップダウンってか、方向性が逆なのよ 完全無欠の神の子であるスピリット→エゴを見るやり方なの スピリットとしてこの世を見る、神の子の自分を経験する その橋渡しをホーリースピリットに委ねるってやり方でね エゴがエゴを解体しようと思っても無理っちゃ無理だから 確かに時短になるだろうなとは思う でも色々罠もありそうだwけど(それはどの道も同じだけど)
コインの裏表で、同じことなんだろうけどね
例えば伝統的なヨガ
一般的に知られている体操のようなハタヨーガ、だけじゃなく
色んな種類ってか道が用意されていた
ttp://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%A8%E3%83%BC%E3%82%AC カルマヨーガ、ラージャヨーガ、バクティヨーガ、クリヤヨーガ等々
愛と献身の道、知識の道、禁欲と瞑想の道、色々
その人の個性に合わせて選べる、でもいくゆくはすべての徳性を備える必要がある
それが神との合一の道、でもって、大抵の人は徳性のバランスが悪い、
だけどこのやり方だと膨大な時間がかかるし、悪しきカルマも積んでしまうから
永遠に悟れないかもしれないw上記の例でいうなら悪しきカルマ=フジツボねww
効率アップのため(時短のため)天から降ろされたのが
エゴ→スピリットではなく、スピリットありきのACIMなのではないかな?と思うわけ
わたしたちの本質が貴重な宝物がいっぱいつまった宝箱だとしても 海にいる限り、フジツボやら色んな貝やらヒトデやサンゴがひっついて 元の形がわからんゴツゴツした妙な形のものになっている でも、海にいる限り(生きている限り) フジツボは生まれるんだよね、フジツボ=エゴの思い、またはカルマね (エゴの思いもカルマも同じものだ) 無念無想でいようと思ったら植物状態でいなくちゃならない 生きてるってことは、心は色んな思いを生んでしまう 何かを思うということは、それだけでカルマを産む 海にいる(生きてる)ってことは、フジツボは消せない(思念は生まれる) 宝箱にひっつけない方法はあるかもしれない それにはって、いい加減今度こそやめるw
>>287 そのテキストいらないって人はとんでもないな
いっちょとっちめてやるか
となるのがエゴの罠だな
正すのであればACIM以外すべてを相手にしなければならない
外を見て内を見ず
「acimで行こう」に欲しいものを我慢していらないというのは抑圧で抑圧を抱えてると天国に行けない。 というのがあって今まで願望=エゴだと勘違いしてました。ややこしいね。 このようなacimの実践書、どんどん出て欲しいね。聖霊のサインとかいまいち分からんし。
「スピリットジャンキー」もいいね。エゴの器用ぶりとか詳しく書かれて参考になった。 このスレで否定していた使命を燃やすというところはニューエイジと変わらんなと思った。 テキスト、似たようなことを繰り返し述べてるみたいで敬遠していたが、また一から読みなおそうかな。
願望=エゴって、どっからそんな話が出てきたの?ってかACIMテキストとか読んだ? まぁエゴの願望にしろ欲望にしろ、捻じ曲げられ歪められてはいても 元はスピリットの思いのはずだから、抑圧するんじゃなくて 本当の自分、スピリットの自分を目撃させて下さい。 とホーリースピリットに祈る エゴから見る世界は狂ってる、エゴの欲望も狂っているってことだろうね
エゴの願望(欲望でも同じ)ってのは色々だろうけど スピリット(光)から離れて、捻じれに捻じれて病んでくると(病み=闇) 変態的になってくるw いやマジでwwサドマゾの世界とか「ハイヒールで踏まれたい」とかww 「監禁したい」とか「人を残虐に殺したい」なんてものまで エゴってのは狂ってる、その闇がどれだけ深いかは人によるけどね 本来の自己の願望は、自分だけが得をするとか、うまい汁を吸うとか 欲の達成のために人を不幸にしたり犠牲にするなんてあり得ないはず、 なぜならすべての人のスピリットと繋がっているから いやそもそも「他人」なんて存在しないから
エゴってのはそもそも狂ってるんだけど、闇の深さは人それぞれって気がするな そう先に書いた邪悪にも関係するんだけど、まとまったら書くよw
エゴって奴は…複雑怪奇で巧妙で狡猾だ ヒンズー教のヨーガの考え方だと 人間は転生して経験を積んで、魂を成長させあらゆる徳性を身につけて 神に近づく、ってな考え方で 他の宗教も、神へ近づくための教えのはずが、 例えば、人としてやっていいことと、やってはいけないことを教え諭したり 「殺してはダメですよ」「盗んではいけませんよ」とかね でも宗教にエゴが絡むと、権力者の道具になったり、人を悟りに導くはずが 宗教の教えに縛られて、真理を見失う 日に何回もお祈りをしなきゃならないとか、安息日には電気のスイッチも押せないとか 教えを守らないと地獄に落ちるとか天罰が下るとか、新たな罪悪感と恐れを生み出している 解脱(解放)どころか、拘束になってしまう その宗教ができ時代には役に立ったかもしれない「教え」も 今は時代遅れになっているってこともある、真実とはこれこれこうすれば見つかるとか 箇条書きにされた教えを守れば神さまから褒められるってものでもない エゴも宗教も構造は同じだ エゴはエゴを守ろうとして、宗教は宗教を守ろうとして 蒙昧の闇の牢獄を築く、本末転倒な結果になるw
何も宗教ばかりではない、共産主義とか資本主義、主体思想、等々思想だって 宗教と同じだよ、それらはビリーフの集まりでしかない、必ず矛盾が生まれる エゴと同じく狂っている でもまぁ宗教だって、社会秩序を保つため等、それなりに役には立ってきた ただし、それは神に近づく道にはなりえない たまに、カソリックのお偉いさん(司教とか)が少年に性的暴行を働いたとかニュースを目にする 人を教え導くはずの宗教指導者の金絡み、色絡みの不祥事、権力をめぐる戦いを目にする 宗教同士の紛争とか、テロなんかを見ると 宗教とは胡散臭い危険なものってイメージを持たれるのも仕方がない でもそれは神が引き起こしたことではなく、人間のエゴが引き起こしたものでねw 善い人間になろうとすると、善人という自己イメージに囚われるようになる 上記の少年に性的暴行を加えた司教様は、自分の中の欲望を見ないようにした 自己イメージに合わない自分を否定することで「司教様」という自己像を守ろうとした その結果、欲望は目の届かない闇の中で大きく膨らんでやがてモンスターになって 少年に襲い掛かった、そんなことをしでかしても「司教様」の自己像を持ち続けることができる 聖職者でいられるのは、自分自信を切り離して闇に葬っているからでね
そういう世界の見え方、それがエゴの投影。
>>243 にも書いたけど
エゴにとって大事なものは「○○な私」という自己像(イメージ)
「スピリチュアルな私」または「悟った俺」は
スピリチュアルじゃない悟っていない俗物を攻撃または軽蔑することで
その自己イメージを守り強化する
自己イメージは複数あって、ひとそれぞれこだわりがあるってのは
>>243 にも書いた
でもって、中でも大事に思っている自己イメージを攻撃された感じると
人は攻撃的になり、人殺しさえするんだよ
その自己イメージを守るためなら、平気でうそをつくようになる
誰に嘘をつくのか?自分自身にだよ
言い訳、自己正当かすることで、エゴはエゴを守ろうとする
>>308 わたしは世界を見てるんじゃないよ
エゴを見てるんだよw
自分のエゴをよく見てごらんよ、
自分にとって都合の悪い自分、見たくない自分、を無視し、ときに覆い隠そうとする
正体を知られてはマズイからねw
それで自分で自分に嘘をつき、正当化し、他人に責任をなすりつける(これが投影)
邪悪っていうのは無自覚さだと↑に書いたけど
エゴは守りたい自己像を守るために、他人を犠牲にするんだよ
それが邪悪の正体
すげー長くなるから続きはあとで書くかも エゴはエゴを解体できない だからホーリースピリットの出番になるわけだが 自分の心を誤魔化さず、ちゃんと見ないとエゴの罠にひっかかってしまう
うん、だから延々とエゴのおしゃべり。一人語り。 それを自覚してればいいんじゃないの?
確かにウザいかな? どっかにも書いたけど、悪って何だろう?とういう疑問がずっとあってね わたしには人のエネルギーが見えるんだけど 子供の頃から、はた目には明るくていい子、成績優秀で出来の良い子の「闇」が見えていた または自称善人の闇をね、その人を見て大勢が「良い人」だと評するかもしれない その人自身も自分自身を「善人」だと思っているかもしれない (半ば自覚がある人のが多いけどねw) でもその人から漂う邪悪なエネルギーが見える、 で、探っていくと必ずと、その人は誰かを苦しめている、継続的に特定の人ってこともあるし 似たようなタイプばかりを狙って苛めるってケースもあるし 自分の子供や家族ってことも少なくない、
悪党とか不良と呼ばれる、素行の悪い人でも心が真っ直ぐできれいな人がいる 外側から見えるその人と、内面世界は違ったりする
自分は全然ウザくないよ。 参考になる人もいるからいいんじゃない? 書きたいことを書いていけばそれでいいよ。
邪悪なエネルギーっては「悪意」だよ、しかも巧妙に偽装されている
それただの投影だよ つまりあなたの中の悪意を反映してくれてるの コースやってんだからまさか分かるよね
ID:v7cVoHOvはネガティブな愚痴が止まらない困ったババアのようだ 仏教やACIMなんか学んだって自尊心の慰めにしかなっていないだろう
あなたの体験の“質”を決定づけるのはあなたの進化の“程度”です。 ある段階以上に進化すると憎しみを抱かなくなります。 愛のみを抱くようになります。 苦を感じず幸せばかりを感じるようになります。 難しいことですが、しかし真実です。 苦しみを何とも思わない段階まで到達すると、いかなる環境にも影響されなくなります」 ≪十一章 みんな永遠の旅の仲間 シルバー・バーチの霊訓(六)≫
その「進化」という概念が間違ってるんだけどね。
ACIMでも学習を続けていくと心が楽になってくるから 以前と比べたら進歩したと言えるのでは
322 :
神も仏も名無しさん :2013/08/13(火) 07:46:26.61 ID:8ikCcYZw
よく読んだな〜シルバーバーチ 懐かしい。 シルバーバーチは因縁因果律が神だと言ってたね、 俺もそう思った。 自動的に裁く裁かれるってこと、悪いことはするな、いいことをしなさいと。 ACIM読み始めてシルバーバーチは卒業した。
ダルマ(本質、スピリット)を取り巻くのがカルマ(肉体とエゴ)だよw まぁ見方は色々あるさ 真の自己であるスピリット自体は、すでに完全無欠な「神の子」なんだから進化する必要はない 分離は起こらず、罪も恐怖も罪悪感も、この世も肉体もない、すべては幻想ってか悪夢で その考え方からすると、進化はあり得ないって考え方だ 一方、神の子であるスピリットは、自分の一部(光源の光線の一端)を この世つまり物質次元まで延長させて、肉体という衣をまとい この物質次元を経験することを選んだ、 攻殻機動隊の映画「イノセンス」で少佐が自分の意識の一部を、人形にダウンロードするシーンがある 少佐が意識を引き上げると、人形はだたの木偶に戻る、あれに似てるw 肉体として生きた意識というかキャラクター自体は残り、何度もこの世に戻ってきて 転生を繰り返し、意識を拡大する使命を負っている、わたしたちは永遠の自己である 魂(スピリット)の分霊であり、分霊の目的はこの地上での経験を真の自己に、 フィードバックすることと、真の自己の意思をこの世で実現すること そして最終的には、意識を拡大させて分霊→本体との合一を果たす。 というか分霊自体が進化というか拡大して、本体と同じになる 多宇宙論(マルチバース理論)ってのがあるけど、どんどん増殖する宇宙のイメージ あれと一緒で、わたしたちは宇宙の幼生体、進化途上の存在
さて、どっちが本当なんだろうか?霊的進化とか向上って考え方は 大昔から古今東西に主に秘教(エソテリズム)として存在した 秘教だから少数の人間にのみ伝承されたか、師が弟子に直接伝えたかして あまり公にはなっていない どっちも本当かもしれないし、どっちも嘘かもしれないw そんなことは「わからない」少なくても今は知らないくてもいい
「エソテリズム」も今の時代、限定されてはいるが入手可能になってきてはいるが 時代は進化しているのか?それともそれも幻想か?w ACIMがすごいところは、エゴがどういう風に私たちを騙すか そのやり方を見せてくれるから、そしてそれを訂正してくれる 例えば、真の霊的進化とエゴが思う「進化」は違う エゴが思う進化とか進歩は間違っているかもしれない エゴは主張する「資格を取っておくべきだ」「お金をもっと稼がなきゃ」 「もっと綺麗にならなくちゃ(もっと痩せなくちゃ)」「勉強して知識を蓄えよう」 等々、より良い自分になるためのリストをこしらえる 「○○より成績を上げなくちゃ」「○○より出世したい」「○○には負けられない」 他人との競うのも大好きだw
>>325 のような願望が悪いと言っているのではないので、誤解のないように
ただ上記のリストを見ると、本当にそれが必要なのか疑問なものもある
エゴは主張する「○○さえ手に入れれば幸せになれる」本当にそうか?
必死で追い求めて手に入れても心は満たされない、満たされたとしてもほんの一時
心はまた騒ぎ出す、「〜しなくては、○○が必要だ」
恐怖や貪欲が動機だと、決して心は満たされない、これがエゴの騙しだ
エゴはエゴを守るために恐怖とか欲を煽る、心は取りつかれたようにそれを求める
そしてそれが手に入らないとき、またはエゴの計画を実行できないとき
敗北感や罪悪感に苛まれる、そうやってエゴは罪悪感を増やして
エゴを守っている、ってまた長くなったからこの辺でやめるw
クリスチャン系の学校に行ってたからね、わたしたちが「神の子」なら なぜ悪人がいるのか不思議だった、邪悪さというのは人間特有で 動物に「邪悪」は存在しない、どんな獰猛な動物も邪悪ではない エゴの闇に住む邪悪とは何か?なぜ心に闇が生じるのか?
宗教とかスピリチュアルの胡散臭さ、嘘臭さwwの正体は何だろう? 宗教ったって何万種類もあるし、一口にスピリチュアルといっても玉石混交だし 中には崇高な教え、心を変えるのに役に立つ教えもたくさんある だけど上記のエゴの罠のひとつ、悪魔が好んで使う手法に 「崇高な私」「スピリチュアルな私」「神に選ばれた特別な私」等々ってのがあって (コースには特別性の終焉ってのがあるけど) これもエゴの巧妙な罠でねw エゴは主張する、「もっと霊性を高めなきゃ」「悟らなければ」 より良い自分(より高い自分)になろうとするエゴってのがいて 強迫観念にまでなる人がいる、必ず瞑想しなきゃ、ベジタリアンにならなきゃ わたしはその辺の俗人とは違うのよ、ってな具合に または、より神に近づくために「善人にならなきゃ」もしくは「わたしは善人である」 という自己イメージを持っていて 自分の悪意や暗い衝動を、潜在意識の闇に押し込めて 自分がそうなりたい自己像とは違う自分の側面を、初めは半ば無自覚に(どんどん自覚がなくなる) 無視するようになる、するとどうなるか?人はどんどん邪悪になっていく 誰でも「穢れた」思いを抱く、「穢れた」というのもレッテル貼りなんだけど 自分では認めたくない思いを抱く、それを「これは自分じゃない」と言って無視すると 切り離すと、その思いはどんどん闇の中で逆に大きく育ってしまう って続きはまた今度ww
蛇足だけど、昔付き合いで参加した某「スピリチュアルな集い」 気色悪い波動が漂ってて気分が悪くなるほどだった 「あなたは波動が高いですね」「素晴らしい光を放ってますよ」などなど 互いに褒め殺し合っているw わたしには黒っぽい蛇っぽいエネルギーが絡み合っているように見えるんですけど 偽装善人、腹の中は嫉妬とか、他人の持ち物をチャックしたり(ブランドチェックねw) 私の方が進化しているわ、優れているわ、他人と比較しては優越感に浸ったり あいつには負けないぞとライバル意識を抱いたり、様々な人間臭い波動が漂っていた PTAとかの集まりと変わらんのじゃね?って思ったのを覚えている スピリチュアルを強く志向するほど、俗っぽい欲望やエゴや悪意には完全に無自覚だった 素晴らしい波動です?、どこが?
宗教、特にカルトは、宗教を隠れ蓑にした金儲け(色漁りが目的ってところもw) もしくは権力を志向する 表向き目的は霊性の進化向上とか、神への奉仕(帰依)、社会貢献とか見せかけて、 本音は生臭くて世俗的で欲深い、それと同じでね 見せかけと中身の見事な分離により、人間臭さが際立つってかww
331 :
神も仏も名無しさん :2013/08/13(火) 15:29:43.24 ID:HXDaD6q9
↑が胡散臭さの正体w
332 :
神も仏も名無しさん :2013/08/13(火) 18:28:14.92 ID:phQp/9VD
スピリチュアルを商売や金儲けの糧にして成功者ヅラしてる人ほど 胡散臭い人達はいないでしょう。
数年前にデビューしたあるブロガーも当初は霊的な事柄での金銭の授受を全否定してて、 この業界に一石投じてくれると、その辺りはそれなりに支持してたんだけどな。 結局今では作家として印税収入とアフィによりに悠々自適生活。 そもそも過度に否定している事自体が、金を肯定していることの裏返しだから、 彼は自分が満たされる環境に立たされた時に心が動いたものと推察する。 もう彼は「この世界の住人」だから仕方ない。
スピリチュアルティーチャーと呼ばれる人はいっぱいいる ピンキリだろうけどww 有名どころじゃ、ウエイン・W・ダイアー、エックハルト・トール … 最近注目されてる?の「ユーフィーリング」の著者とか、 日本にもたくさんいるでしょ、この世で生きるにゃ金がいる 何をするにも金がかかる、別に本を売って金を儲けること自体が悪いことじゃない 需要があるから供給がある その本が超インチキ本でもねw買う人がいるから商売が成り立つ スピリチュアルに限らず、トンデモな本は巷に溢れているよw 本でもネットの書き込みでも、(テレビや他の媒体でも) 言葉には魂が宿る、それが口から発せられたとき、またはどこかに書き込んだとき それは波動になるんだよw 水面に水滴を落とすと波紋を描く、どんな形でも情報を発すれば 人々の心に影響を与える、自分の発したものは自分に戻ってくる どんな形でも戻ってくるか?嘘やインチキを書けばどうなるか? 小説などのエンタメなら、読む方もそうだと思って読むけどね 要するに自己責任だよね
キリストの言葉 「口に入るものは人を汚さない。口から出るものこそ人を汚すのである」 口から入るものは食い物で、出るものはゲロじゃなくて 「あなたがたも、まだ悟らないのか。 すべて口に入るものは、 腹を通って外に出されることが分からないのか。 しかし、口から出て来るものは、心から出て来るので、これこそ人を汚す。 悪意、殺意、姦淫、みだらな行い、盗み、偽証、悪口などは、心から出て来るからである。 これが人を汚す。」 書いたものも言葉であることには変わらない、心から出たものに変わらない。
魂(ACIMならスピリット、仏教ならダルマ)の周囲にバームクーヘン状に 何層にも(層の厚さは人による)重なる黒っぽいエネルギーの層 それを影(シャドー)と呼ぼうと、闇と呼ぼうと、業(カルマ)と呼ぼうと 穢れと呼ぼうと、罪と呼ぼうと同じものだ バームクーヘンって書いたけど、あんなに均等じゃなし、常に蠢いている 干渉波動、魂の思いを遮っている(もしくは歪めている)のが見える これをつくっているのがエゴの思考体系で エゴの思考体型に気づかないと、延々とこの闇の波動をつくり続けることになる、 つまりカルマを積み上げることになって、輪廻の輪から出られない ↑で宝箱にひっつくフジツボの例えを書いたけど いくら善行を積んでカルマ(フジツボ)をこそげ落としても エゴが妄念を作り出し、罪の思いを外側に投影し、エゴにもとづいて行動すれば それがカルマになる ACIMがすごいところは、エゴが何をしているか気づくことにより、そして許しを行うことにより 新たな妄念をつくりださない、カルマを作り出さないってことなんだ バームクーヘン状の暗いエネルギーを増やさなくて済む いや、聖霊に委ねることで消すこともできるってところなんだ スピリットジャンキーって本読んだけど、エゴの思考体系がわかりやすく書いてある
量子テレポーテーション成功だってさ また予言のひとつ 量子コンピュータが成就しそうだ
338 :
神も仏も名無しさん :2013/08/15(木) 16:12:59.07 ID:Ts9rq2vz
わたしは何も知らない
独自の知識をおだてられるままに振りかざしてた人ってマスター気取りさんなのかな 少し残念…
呼んだ?
あんた生きてたのか ・・いやまてよ、今お盆だからな
サマディ氏もまったく見なくなったね。 引き寄せスレで大学での肩書が変わって忙しくなった、と書いてたけど。
ACIM勉強会とかセミナー?みたいなのっていろんな所でやってるんだね なんか怪しげなのもあるけど
>>343 ネット上での勉強会ならタダやで
どこでやってるかって?
ここや
ACIMはACIMでも主催者の解釈が入ってるからよく見極めたほうがいいよね 本当にカラーが違うから
>>346 昔、というか3〜4年前だがスレ創成期には
大天国、サマディ(確か二人いた筈)、マスター気取り、俺訳、顏文字とか
個性あふれる面々がいたなあ。あ、後マルチポストマンも。
喧々囂々もあったが、そこから学んだ人も多かったと思う。
あの時代の学習者が今勉強会を開いたりしているのだろうか。
江原さんみたいな能力の持ち主にアセンデッドマスターがつけばいいのにね
ハゲのレッスンが、わたしには荷が重過ぎる。
>>350 ハゲを赦して受け入れるのが一番シンプル。
しかしそれができないのだろう。
だからハゲ(自分にとっての弱み)をどうこうするよりも、
他の強みを引き出すようにすれば?
身体鍛えるとか。常に身なりを清潔に保つとか。
>>350 もう育毛とかのレベルじゃないのかな?
そうじゃなければ心の問題(考え方の問題)になってくる
自分も形は違うけど深い悩みを持つ者で、悩みや課題の最中は自殺の衝動に駆られたり、
出口の無いトンネルに入ったような感覚、永遠に苦しみが続くような感覚、自分の努力ではどうにもならないような感覚に苛まれたけど、
その1つ1つを乗り越えた分だけ心に得た財産は非常に大きく、あの時あの体験が無かったら今のような感覚は味わえなかったなあ、としみじみ思う
丁度、苦労して山の頂上でご来光を見たような感覚です
ヘリコプターで山頂に行った人間には絶対に味わえない心の財産です
悩んでる最中は孤独ですが、常に見守っている存在があることを”後から”認識します
課題中に認識できないからといって悪いことはありません
人間は生まれる前に色んなリスクを了承して生まれてきており、
1つの課題をゴールするときは、「色々悩んだけど振り返ったら幸せだったなあ」と、感謝するときが"必ず"やってきます
その課題は、神から離れるために、エゴが無意味に設定したものというのがACIMの教えじゃなかったっけ?
それは究極的な意味 コースによれば云々と字句に引っかからないように
課題があることを肯定してるようにも読めたからさ そうじゃないならいいんだ
>>356 課題というのが、人生において乗り越えなければならない困難を指すのであれば、
課題として取り上げられるものがあるかと言われればYes
課題として認識しているかと言われるとNo
なんだけど、課題ってのは何を指すの?
いや、単純に課題が無いと楽観主義者なのかなと思っただけw
>>350 もしかして頭皮堅い?
もしそうなら、毎日根気良く頭皮マッサージで
頭皮をとにかく柔らかくして血流を良くする
現在分かってるベストな方法のひとつがこれ
健闘を祈る
人の気持ちを理解してあげましょう
人の気持ちって愛以外は理解できないんじゃね? レベル1(神)において他人は幻想であり、理解の対象が無い レベル2(この世界)において、他人の気持ちを見る場合、それは想像の領域を抜け出せない 仮にエスパーが他人の気持ちを手に取るようにわかったとしても、レベル1によってそれらは無に帰すわけで、実在するものを見ることができない ACIMでは愛だけが実在するとされているから、理解しない・できなくても、愛を成せばいいのでは
愛は理解するっていうか体感するものか?
偏ると辞典のようになるから やっぱりワークによる訓練が大切なんだなと思った
>>364 そんな難しいことじゃなくて、あなたは苦しんでいる人を見かけたら
手を差し伸べないのかね。
そこで「苦しんでいる人は幻想」「他人の気持ちは理解することはできない」
「それを見ている自分の見方が云々」とか理屈こねてたら、文字通り
「馬鹿ですか?とっとと助けろよ」と言われるのはイナメナイヨネ?
コースはそんなアホなもんじゃない。
シルバーバーチ読み直してるけど、ACIM触れた後だと混乱することが増えるよね。 苦しみは魂の肥やしとバーチは言うがACIMではエゴが存続するためと言ってるね。 人生に意味があって生まれてくるというのは嘘だよね。
嘘ではないと思うよwだから見る角度というか捉え方の違いでさ わたしたちの本質は魂(スピリット、ゴーストではないよw) 仏教でいうなら法(ダルマ)なのかな? わたしたちが分離の幻想を抱く前は、それこそ浄化の必要のないスピリットだったわけよw スリットすなわちACIMで言うなら「神の子」に苦しみはない 苦しんでいるのは幻想=エゴの方で、スピリット(神の子)は今も昔も(そもそも時間がないw) 神のもとにいて平和と愛と幸福の状態にある 魂の見る悪夢=エゴこそあらゆる苦の根源だw
聖書の有名な逸話、放蕩息子のように父(神)の元を離れて この世のあらゆる享楽や艱難辛苦を味わって疲れ果て 父の元(天国)へ帰る途上にいる この世の経験に意味があると、教える教えもある ダスカロス(東方キリスト教の影響を受けている)とかね 全然文化圏が違う神道系の先生の教えも、多少ニュアンスは違っても 非常によく似ていた ↑のどっかに書いたけど、永遠の自己の分霊である現在のパーソナリティ(私たちのこと)は この世での経験を学びにして、苦労もして成長し、意識を拡大しつつ 永遠の自己に近づいて、自己を完成させ、ある程度完成をみると霊的な道に誘われ 悟りを啓き→解脱へ至る ACIMはあなたはエゴではなく魂なんだよ、ってところから始まるから ↑のどっかにも書いたけど、方向性が逆?トップダウン?なだけで に見えるだけで、やることは同じな気がするが、聖霊が介入するかどうか 従来のやり方では効率悪いっちゃ悪いw それに今の時代「師=マスター」に出会える確率は低いからね
>>367 愛を成せばいいと書いたでしょ
愛を成せるようになるまで、思考を挟まず自然に身体が動くようになるまで訓練する必要がある
同情だけでは足りない
その先がまだある
逆から見るなら、同情まで行ってはいけない
愛にとどまりなさいってところか
同情は弱者を作り出しがちだが、たとえ相手が屈強な人間であっても、
彼を助けたいと思ったら、ストレートにそれを成せばいい
>>367 見えている世界は自分の内面が投影されたものなので、そこに苦しんでいる人が
出てくるということは自分が苦しんでいるということで、要するにその人は自分なので、
助けるならば自分を助けているのと同じになる。助けないならば自分を助けていない
のと同じになる。
どちらが良いか? その選択は常に自由だ。どちらが良いとか悪いとかも実際にはない。
ただ、やはり助けといた方が良いんじゃないだろうかね。
>>350 です。
皆さん、心優しきアドバイスありがとうございます(涙)。
>>351 そうなんですよね。なかなかハゲていく自分を受け入れられなくて・・・。
ハゲは重たい十字架となって、わたしの上にのしかかってきます。
けれども、悩んでいく中で、そんな自分を赦したり、受け入れたりすることは、
そもそもエゴと同一化している自分にとっては不可能なことなのだと気が付きました。
聖霊の視点、イエスの視点に立ってこそ、初めてそんな自分を丸ごと受け入れることが出来るようになるのだと。
でも、そう気が付いたからといって、少しの間は気が楽になっても、
しばらく経つと、すぐに落ち込んでしまっております(笑)。
>>352 まだどうにか、もしかしたら育毛でどうにか出来る範囲かもしれません。
でも、もういっそのこと、つるっぱげになって、スキンヘッドで生活した方が楽なのかもって思ってみたり。
けど、ACIMによれば、ハゲになったのも、わたしがエゴの台本に同意して、自ら望んだことなんですよね。
ほんとかよ!って思わずにはいられませんが、これを乗り越えたら、わたしにもご来光が見えるのかな。
もちろん、ハゲ頭からくるご来光じゃなくて(笑)。
ほかにも沢山のレッスンを抱えているので、今のわたしは、仰るとおり出口の見えないトンネルに迷い込んだかのようです。
「奇跡に難易度はない」ということを胸に、克服していけたら良いな〜。
>>359 いつも緊張しているので、頭皮はガッチガチです。
ほんと、今すぐにでも頭皮の問題から逃避したいです。しゃれじゃなく(笑)。
アドバイスに従って、頭皮マッサージしております。
>>361 植毛にはやはり抵抗があるんですよね。
今期待しているのは、やはりIPS細胞です。
国家的事業として、日本の頭脳を集めて、研究をもっと加速化して欲しいです。
待てるのはあと、2,3年かな〜。
>>119 亀レスですがツールズ読破しました。
神は自分に似せて人間をつくったが創造する力はつくれなくて
人間を困難な状況におくことで創造できるようにした、という話は
ACIMと相反すると思いましたが、内容自体はとても良かったと思います。
ツール4「感謝の流れ」はまさに今自分に必要だったタイミングで知れました。
この本を教えて頂きありがとうございます。m(_ _)m
お、jacim更新来ている。
>>374 119です。ありがとうございます。
ツールズはなかなか厳しい部分もありますが、
じっくりと取り組んでいきたいですね。
悪い方に変わるきっかけになったできごと(トラウマとか)を 違った見方ができることを聖霊に祈るって効きますね。
>>373 これではっきりしましたね。あなたはハゲを望んでるんです。それを持っていたい
だから植毛に抵抗がある。ハゲで悩みたいんですね
ハゲは形態であり手段でしかないから、見るのならハゲを手段に何を望んでいるのかのほうでは
>>378 形而上学ではそうなのかもしれませんが、
この世界では嫌で嫌でたまらないです(涙)。
>>379 ハゲを手段にわたしは何を望んでいるのでしょうか?
>>380 ハゲで何を悩んでいるのか
その悩みの原因はハゲだけなのか
ハゲてなかった場合、その悩みは本当に解消できたのか
そもそもその悩みは、本当に悩んでいることなのだろうか
悩んでいることなら、なぜ悩むのだろうか
このあたりを探ってみるのはどうだろう
たぶん、多層にいろんなものを隠してると思う
根底には、神から離れた不完全な私という信念(あるいはそう有り続けたいという願望)を隠してるのだろうけどね
>>380 私はハゲのせいで○○できない ←この○○にあてはまることを考えてみて。
私はハゲのおかげで洗髪が楽だし経済的だ。
美ハゲ
ハゲ何人いるんだ?w
388 :
神も仏も名無しさん :2013/08/27(火) 07:56:24.68 ID:zVNoYbD+
私はカラダじゃない 私はハゲじゃない 私は無辜の全体であり不死の精霊である。
仮に禿げた聖霊だったとして、その聖霊を信じられなくなるのかね
ワプニックもハゲだし、動画とか見ても もう少しゆっくりと、そして厳かに話したりすれば もっと多くの聞き手を引き付けることができると思うのだが、 彼は多分、自分を高く見せることにはあまり興味がないのだろう。 それはある意味欠点ともいえるが、自学自習のコースにおいては 彼の言葉を聞き取れるまで努力すればいいだけの話でもある。
ハゲがダメなら植毛さればいいじゃない。 でもエンタープライズ号のピカード船長とか、 亡くなった三宅久之さんくらいだったら、 逆に髪の手入れしなくていいから毎日楽そうでいいけどな。 毎朝頭洗ってドライヤーで乾かしてwaxで仕上げて、 って考えようによっちゃホントに時間と労力の無駄だよな。
392 :
神も仏も名無しさん :2013/08/28(水) 00:33:05.68 ID:yyUxGUew
お前らハゲだから他人事のように言うけど、顔が焼けたり事故で醜くなってもやはり同じこといえるんだろうか。 俺は自分がなったことないからわからん。でもお前らみたく冷静ではいられないと思う。
393 :
神も仏も名無しさん :2013/08/28(水) 08:58:41.85 ID:eRjeAJwh
394 :
神も仏も名無しさん :2013/08/28(水) 09:13:06.75 ID:XRsGxH/N
グロ注意
>>392 事件・事故・病によって肉体が変化したり損壊した人を避ける、あるいは見ないようにするってのは、
美醜ではなく、自分が脆い身体であるということを自覚したくないという意味合いのほうが強いのでは
臭い酸っぱい苦いものは腐ってる可能性があるから近寄らないし食べないってのと同じじゃないかな
造形に関して言えば、誰もが醜いと思う
だから人は、美しい人を探さず、絵を描いたり、粘土こねたり石を削ったりして、究極の美を求める
それは翻って、誰もが醜くないってことになるのでは
美の基準自体、時代によって変わるものだし
なぜここがハゲスレに?
ハゲしい愛 ハゲまし愛
ムラヴィンスキー格好いい
>>398 今の時代はギーレン。
ってか、ムラヴィンスキーの名前がこのスレで出て来るとは・・。
火野正平もかっこいいよ。
趣旨が違ってたらごめんなさい。 似たようなこと実践してるんだけど、実践したらあと少しの所で、 これを許したら(自分の中の観念ね)、世捨て人になるぜ〜いいのか〜チラッみたいなささやきが 消えません。 それもこれもエゴの声なんだと一瞬離れることができるけど エゴだとかどうのとかいうドグマが嘘だったらどうすんの? という根本的な疑問までくっついてきて自分に脅しをかける。そこで許せなくなる。 どうやったらその人にとっての「大問題」をそうでないと実感できるようになるんだろう? 一遍で突き抜けたいとは言わないけど最初のとっかかりすらわからん。 それが動かしがたいと思われている社会的通念ならなおさら。
なぜ世捨て人になるの? 悟ったら仙人にならなきゃならないと思ってるとか?
いえ、 仕事をしたいんですけど選び過ぎてるんです。すごくこだわりがあり、自分の全てのような気さえします。 このまま決まらなかったらどうしようという気持ちが強すぎて、 でも資格スキル持ちで目標が高すぎて妥協ができない。妥協すればすぐ決まるんですけど。 働かないなんてあり得ない、という気持ちは常識も常識ですよね。 今のご時世実家がお金持ちでない限り。 その罪悪感を許したいんですけど…そうすればこだわりもとれるかなと。 しかし「働かなくても良い」という方向でいわば執着を取り除こうと もっとプレーンに捉え得ようとしても全然無理です。 女性なんですが例えば家事手伝いののちいい人に見初められて…とかいう 可能性もありますよね。でもその機会がきても自分にはできない。 ガンガン稼いで今までの恩を家族に返さないとダメなんだという思いが強いんです。 これACIMと外れてますかね。世界というか自分の外部の方を許すのがACIMですよね。他人とか。 私の場合外部に問題ないんですよ。自分だけがダメ人間だって思いが強い。 自分を完全に許してしまうと「仕事なんていいや〜」ってなってしまって 初志貫徹どころか自分は幸せだけどかなり周りに迷惑かけまくる人間になるんじゃないかという意味で 世捨て人=社会の常識をかなぐり捨てた人間という表現になりました。まあ既に迷惑かけてるからこそ 「避けたい」と思ってるんですけどね。 長くなったすみません
作業仮説って言葉知ってる? わたしには魂(本質、ACIMではスピリットと呼ばれる光)の周りに バームクーヘン状の影というか闇というか、汚い色のエネルギー波が囲んで見えるのが見える 何層にもわたって(バームクーヘンは比喩で、あんなに均等な層ではない) それがヒンズー教なら業(カルマ)と呼ばれるもの ユングの心理学なら影(シャドー)、神道なら罪、穢れ キリスト教なら罪(原罪)、仏教なら幻(マーヤー)なんじゃないかなと思っていた 何年も前からオカ板に書いてるけどねww ACIM関連の香咲さんの新書の本のイラストに描写されていたのは スピリットの周囲を取り囲む黒っぽいヒダヒダ、それが「エゴ」だと書かれていた まぁこの方がわかりやすい 魂(スピリット、光)というのはこの次元よりはるかに高い次元から来ている それが肉体を持つ経験をするという明確な意図と意志を持って 光の末端をこの次元にまで延長してしてきた、 そして肉体に宿りった、肉体には人格という器があって それは肉体の思いと魂の思いの両方が混ざり合って、心というものを形成し 文字通りその人の思いを反映する、人は意志による選択でもって自分の心をつくることができる 気のエネルギーとかが絡むんだけど、まぁスレチだし話が長くなるか端折る
>>404 は某所で教えられたことの簡略版、自分がいつも見ているものが何なのか
やっと納得がいった気がした、だけど記憶が抜け落ちているし師はなくなったし
大事なところが抜け落ちている気がする
ACIMとは見方というか捉え方が違うが、見る角度が違うだけで本質は一緒のような気がする
でもって、
バームクーヘンの層、これが分厚い人と、薄い人がいるんだよね
薄い人は多分運が良いだろうね、スピリットの思いが(つまりは神の思いでもある)
人格に届きやすいから、自分の人生の目的や、それを達成する方法も
霊的な知識なんてなくても自然にわかる
だけど、この層が分厚いと自分が何のために生まれたのか?
何がしたいのかすらわからないと思うよ
純粋意識であるスピリットは、ACIMでは「神の子」であって 一度も神のもとから分離したことがなく、今も昔も(いや時間のない次元だからw) 変わらぬ輝きをたたえている、この世の経験がどんなものであれ それ自体が傷つくことも穢れることもない 私=エゴ(スピリットの周りのヒダヒダ)ではなく 私=スピリット(魂、神の子)なら、何の問題もないw 苦痛もなければ欠乏もない、憎しみも投影合戦による諍いもない 神の意志がすなわち私の意志で、この世は調和の取れた平和で豊かな世界になるw ところがヒダヒダを自分だと思うから、この世は悪夢になる 残虐で苦痛に満ちた醜い欲望と陰謀が渦巻く世界にwww 奇跡はすべての人々の権利ですが、 はじめに浄化が必要です そう、浄化する必要があるんだよ、魂の周囲の汚れをね ↑の方で書いた、宝箱にひっつくフジツボを取らないと、宝物は出てこられないw
わたしがやろうとしていること、個人的にやらなきゃならないことは わかっているんだけど、いくつかピースが欠けていて それを今探している、こうやって駄長文を書いているのも 意識の奥からキーワードを引っ張りだせることがあるから それと他の人の書き込みがヒントになることがあるから ↑は個人的な探究だけど、足らないピース探し 人の心ってのは、自覚しないとどんどんフジツボを増やしてしまうんだよね 人の思いが、憎しみや恨みなどの暗い波動を産み、妄念を産み、 それを外側の世界に投影して、互いに罵り合い憎しみ合い、攻撃し合う それをやめない限り、いつまでたっても負債(バームクーヘン状の影)は消えない ACIMは、魂の思いと反する干渉エネルギー(ヒダヒダ、フジツボ)を 許すことでそれを少しずつ消す作業をする そして自分の思いに自覚的になって、汚れた思いを心につくらないようにできる いくらこの世で善行を積んでも、心が野放しだと、カルマとうかシャドーをどんどん つくって現実化してしまうからね
ダスカロスは、穢れた思い(魂の周りにこびりつくヒダヒダ)を 汚れたエレメンタルと呼んだ(良いエレメンタルもある)、 聖書には「穢れた霊」と表現されている(マタイ12章43〜) 人の思いは想念体というエネルギー体になって それを放ったら、世界に影響を及ぼし、そして必ず自分に戻ってくる 何倍にもなって…(人を呪わば穴二つって言葉があるでしょ) これはカルマと同じ、自分の行為や、思いは自分に戻ってくる 行為の背景には必ず意志があり、意志の背景には「思い」がある そして人は自分の思いをいつも選択している 自分で自分の心をつくり、運命をつくっているって長くなったらやめる
つけたし その人の思いや行為が、スピリットつまりは神の思いと同じ方向を向いているなら スピリットの周りにひっついている穢れ=干渉波動にはならない 神に諍う思い、つまり愛ではない思い=エゴの思いを選択した結果が 影(闇)の積み上げ(バームクーヘン)w 人は自分の本質が、ヒダヒダじゃなくて、スピリットであると悟るときがくる それが今日なのか?何億年後なのかはその人の選択次第なのかもしれない ちなみにヒダヒダの層が分厚い人、罪の思いや妄念を日々製造している人は 瞑想してもなかなか心の平安を感じないはずだ またはユーフィーリング(最近はやっている?みたいけど) なぜか?悪しきエレメンタルが邪魔するから、悪しきエレメンタルは 依存症やアル中などの中毒にも関係している、精神的に不安定になるのも エレメンタルという想念体が何度も何度も戻ってきて、手が付けれらないほど 巨大化してしまっているから、(もちろんそれを浄化することは可能だけど) なぜそうなるのか? ひとつは自分に嘘をつくから、あと認知の誤り、そして妄念 つづく
作業仮説ってのは、仮にスピリットがあるとして、エゴがあるとして 考えてみるってことね
推敲してから貼らないとなw
>>ID:On+/YSEn たぶんだが、そのバウムクーヘンの芯のとこに隠れてるハズのスピリットがエゴだよ。 そのスピリットと思っちゃってるやつを捨ててみればバウムクーヘンが形成されたことがないのがわかると思う。 周りにバウムクーヘンなんかできちゃうような何かをACIMのいうスピリットと混同すると最初の一歩で間違う。 ぶっちゃけそのスピリット、スピリチュアルエゴだと思うよ。
ACIMは、汚れた想いを心に作らないようにすることで経験をよりよいものにするんじゃなくて、 汚れた想いとか悪い経験などのジャッジをする心と、そうではないほうの心を区別するんだと思うよ。 そして、そうではないほうの心の目で見ることで、ジャッジをするほうの心を癒すのだと思うよ。 癒された心は、想いをすべて神の愛の表現や、経験をすべて天国へ導く踏み石として見るようになるよ。
もしちがったら、ごめんね。
>>403 ACIMの赦しは、自分を好き放題にさせることとは違うよ。
自分という個別の人間が実在であるという観念を取り消すものだよ。
外の世界を赦すというのは、外の世界を助けてあげることじゃないよ。
外の世界という固定した何かが実在であるという観念から自由になることだよ。
家族という身体と人格の集合体を想像することをやめたら残るもの、
自分というレッテルとストーリーを語るのを止めたら現れること、
それを見出すのがACIMの赦しだと思うよ。
>>415 ありがとう。
好き放題ってわけじゃないんだけどね。
なるほど、外を許すっていうのは、何もかもをあるがままに認める事かと思ってました。
実在であるという観念から自由になる…少し難しいですな。幻想を幻想と見抜く、って感じですか?
自由を体感する前にまず体や「私」と「あなた」の区別やらの規定すら幻想である、
と知識の上で考えて一応納得wして前提にしてしまって、
自他の区別がないとなれば、自他の区別なく許しまくれと思いましたw
本屋で邦訳の1読んだけど難しかった、趣旨が見えなかった。
その自分が個別の何かであるという幻想を見抜くためにはやはり実践しかないんだろうな…
とてもそうは思えないことがあると投げ出したくなる。
言葉で書かれたら理解するのにどうしても思考能力を使うし、
その見抜くという作業にかかる、かかろうとするのも
思考がしゃしゃってきて何かすり変わってる気がする。
>>416 ワークブックやると実感伴ってくるよ。
たしかにいきなりテキストは難しい。
テキストを読んでいたら、 一枚の葉っぱにも神の神秘があるというような文章があったんだけど、 神って、物理的なこの世界には一切関わっていないというのがACIMじゃなかったのかな〜。 混乱する! 詳しい方教えてください。
よーし、出勤前に回答だ。
>>418 一番楽なのは、FACIMが提示しているレベル1、2の概念を身に付けることだが、
しかしもっと重要なのは、コースは心(知覚、智識)について語っているのであって
外的な事象について語っているのではないということ(外的な事象に対する「知覚」について語っている)。
一枚の葉っぱは神の創造ではない、というのは物理世界は神の創造ではないから。
一枚の葉っぱにも神の神秘がある、というのは聖霊の知覚によれば外側が何であれ
神を反映した知覚になるから。
>>419 聖霊の知覚というのは神の創造ではない事象を神の神秘と誤認識する事?
神の創造ではない事象は神とは無関係と見抜くのが正しい認識です。
421 :
416 :2013/08/31(土) 09:01:40.80 ID:Rpu8JEot
>>417 そうなんだ。勉強みたくテキストが先だって思いこんでたよ。
ワークブック立ち読みしてみる。ありがとう!
>>412 肉体と重ねると、人の鳩尾のちょい上ぐらいに光が見えるんだよ
それを「魂」「本質」と呼んでいる
それはまるで星の瞬きのように輝いている
人によって、色彩や瞬き方というか微妙に違うんだけど
それはもう言葉にできないほど美しい、皆自分がどれだけ美しいか知らない
それの光源を追っていくと、知性性と名付けているところに行くんだけど
言葉では説明できない、その先もあると思うがそれ以上意識を飛ばすと
多分体に戻れな、つってもわからんだろうな
その光自体は決して汚れないし、傷つかない
だけどこちら側肉体が存在する次元に近い側から見ると
その光を遮る雲のようなものが存在する(ように見える)雲ってのも喩だからw
つまり地上では、どんなに分厚い雲が覆い暗くなっていたとしても、大雨が降っていたとしても
分厚い雲の向こう側には太陽が輝いている、それと同じ、太陽自体が暗くなっているのではなくて
私たちの意識が生み出す雲(この世ではそれをカルマ、シャドー、心の闇、罪穢れ等と呼ばれている)が
太陽を隠してしまっているってことね
そのために地上=私たちの意識までスピリット(魂)の思いが届かない
この雲が分厚い人と、薄い人がいるのは確かだよ 雲が分厚く地上を覆っていて、太陽が顔を出す隙間が全くない 一方、雲が薄い人は、雲間から太陽の光が洩れて、太陽の光と暖かさが地上に届く そういう人はACIMやスピリチュアル的な何かや宗教とは全く無縁でも 自分の道がわかっている、素直に自分が今なすべことに向かって邁進できる 神の御心を受け取って、その愛を感じ愛に生きる(本人にそういう意識はなくても) ところが地上を分厚い雲が覆ってしまっている人、いや雲どころか嵐の中にいるような人もいる 地上=意識に光や暖かさが届いていない その人の心に愛はなく、何をしたらよいのかもわからず混乱している ときに暴力的で残忍ですらある その雲を生み出してるのは、神ではなく、自分の心でね、神の御心(仏性でもいいけど)を 遮っているのは自分の意識が生み出す、暗い想念(罪の思い、邪悪な思い)そして妄念 この妄念ってのが曲者で、妄念が妄念を産んでどんどん膨らむからw
自分の思考を信じると、妄念は膨らんでいく ああこれは単なる思考だ、今自分の心にあるのは「観念」に過ぎないとわかれば 妄念が膨らむこともないんだけどね 「私は何も知らない」 「わたしは、今、ありのままの姿を見ていません」 「わたしは、ニュートラルな物事を見ていません。 「わたしには、ニュートラルな思いなどないからです。」 妄念というのは、真実を歪めて見せるから あいつら俺の悪口を言っているに違いない、あいつが噂を流したんだ等々とか 神は俺たち人類をあざ笑っている、雲の上で胡坐をかいて酒でも飲みながら 俺たちが右往左往しているのを楽しんでいるサディストなんだ(これ実際にある人の思念を拾ったもの) 人の思考って面白いもんで、勝手なイメージや考えをさも真実のように思い込んでしまうことがある それが妄念、頭の中はガラクタでいっぱいw 植え付けられた信念、価値観、経験から体得した信念、人の心はそれらでできている ただそれらが本当に正しいかどうかなんてわからないし、たいていの人は疑問にすら思わない ACIMは心理療法の体系にもなっている、頭の中のガラクタを整理できるしw ガラクタを生み出すのも抑えられる
425 :
神も仏も名無しさん :2013/08/31(土) 11:02:10.47 ID:ql8VymmN
426 :
神も仏も名無しさん :2013/08/31(土) 11:10:51.16 ID:ql8VymmN
ついでに「神使」も立ち読みしてみたら?赦しの理解が進むかもしれませんよ。
まぁ捉え方だけど、 人は日々無意識のうちに太陽を遮る黒雲をつくっているんだよ 心の癖は人によってさまざまで、より妄念を募らせやすい人がいることも確かでね 自分の側からしか物事を見ようとしない人とか 客観性に欠けるとか、相手の立場や気持ちを慮ることができな人とか 心が未熟だと、子供のように自分の感情だけに囚われて周囲が見えない 「おもちゃ欲しいよ〜」って喚きながら、お店の床の上をジタバタするような3歳児の心には 欲望と不満しかない 小学生にもなれば親の懐具合も考えるし、周囲の目も気にするようになる 心の成熟度合いによっても、雲の産出量も違うけどねww
428 :
416 :2013/08/31(土) 11:29:26.25 ID:Rpu8JEot
まずはザックリ把握したいんでw
禅的な考えを主軸にしてるんだけど最近ブレるんで共通解を見つけたくてウロウロしてますw
こんなんじゃバイアスかかった読み方してしまいそうだけども…
>>426 使いの方も見てみるよ、あった気がする。
あのコーナーいくのちょっと恥ずかしいというか気おくれするんだけど
上のレスの厚い雲って分かる。私多分超合金の雲だったはず
生まれたては完璧に全に繋がってたのが少しずつ離れて、
あらゆる経験、大人の知恵を取り入れながら雲を厚くしたんだろう。
自分で作った価値観に縛られ1人で四苦八苦。パントマイムみたいね。
優等生だったからね。
>>421 ワークブックの内容はブログでも見れるよ。
430 :
416 :2013/08/31(土) 11:30:18.34 ID:Rpu8JEot
>大人の知恵を取り入れながら雲を厚くしたんだろう ってそりゃ、だから大人の知恵というよりは「妄念」だよww ↑の例えの太陽の光は愛であり叡智でもある、この世の知識とは違う「叡智の光」 赤ちゃんの心は確かに「叡智、全知」または純粋意識そのものだけど 赤ん坊は一人ではこの世で生きていけないよね まっさらな赤ちゃんの心はプレの状態、プレとトランスは似て非なりww トランスは悟りのことね
知識をいくら積み上げても智慧(叡智)にはならない 逆に叡智が知識を使って人を導くことはあっても 知識は知識以上にはならなんのよ 叡智をホーリースピリットと言い換えることもできるよね
433 :
神も仏も名無しさん :2013/08/31(土) 13:00:09.87 ID:JI938xO/
>>420 >聖霊の知覚というのは神の創造ではない事象を神の神秘と誤認識する事?
まあ、コースの定義によれば、それは誤認識ではなく真の知覚というのだが、
その通りだよ。何故そんなことが出来るのかといえば、「世界は無い」から。
全てはあなたの心の中の話だよ。
>神の創造ではない事象は神とは無関係と見抜くのが正しい認識です。
ほう、それはどうやって見抜くのかね?
一応言っておくが、ワークブックの特に第二部を読めば、
コースがそんなことを目指していないことが分かると思うがね。
>>419 出勤前のお忙しい時間にありがとう〜。
コースって、ほんと難しいw
一枚の葉っぱにも神の神秘があるというのは、
この世界における自然の神秘というものとは違うのかな。
コースには、『ひとつ、ひとつの全ての部分に全体が含まれる』これが神の法則である、
ということが書いてあって、
これは、例えば、ひとつ、ひとつの全ての細胞の中に、全体のDNAの情報が含まれるというような、
自然の神秘が神の神秘ということなのかなって思っているのですが。
この意味で、
この世界の外側の事象全てに神の神秘が隠れているということなら、
理解しやすいのですが・・・
>>434 >一枚の葉っぱにも神の神秘があるというのは、
>この世界における自然の神秘というものとは違うのかな。
全然違う、っていうか、神の神秘というのは真の知覚の比喩。
正しい知覚、聖霊の知覚、解釈でもいけど。
自然というのものは本来ニュートラル。
間違った知覚で見れば、自然の神秘というのも
人工物を攻撃する材料として使われるだろう。
しかし自然に触れることで全てのものとの一体感を感じられるとすれば
その時に真の知覚になっている可能性はある。
435続き >これは、例えば、ひとつ、ひとつの全ての細胞の中に、全体のDNAの情報が含まれるというような、 >自然の神秘が神の神秘ということなのかなって思っているのですが。 ACIMの教師?の中にはこのようなことを教えている人もいるかもしれないし 全く役に立たないとは言わないけど、コースと全面的に符合しているわけではないから これを採用するとコースがシンプルではなくなるよ。
神の創造物は、神の延長である神の子だけ?
さらに続き この世界の事象全てに神の神秘が隠れているという理由は (1)外側に見える世界は、分裂した心の中から投影している幻想に過ぎないから。 (2)分裂した心の中には正しい心と間違った心があり、正しい心から見れば、 この世界の事象は全て愛の表現か、愛を求める呼び声と見なされるから。 434の例と何が違うのかといえば、個別があって全体と繋がっているのではなく、 個別というものはなく全体のみというところ。 例えば、一つの細胞と全く関係なさそうな無機物だって 心のレベルでは同じものと見なされる。
>個別というものはなく全体のみというところ。 「平気でうそをつく人たち」って本を読んでみ 自分とは違う悪魔のような人もいるのだよ
その悪魔のような人は誰が認識している?
俺俺
しばらくなりを潜めていた例の人か。 スルー推奨。 悪魔の存在を信じたい人はどうぞご自由に。
445 :
神も仏も名無しさん :2013/08/31(土) 23:40:36.64 ID:BUBaNIeV
聖霊の知覚によれば外側が何であれ神を反映した知覚になるなら イエスは目玉をくり抜く行為にも神を感じるのかな・・・
446 :
神も仏も名無しさん :2013/08/31(土) 23:47:16.78 ID:7db3sOhN
あ
447 :
神も仏も名無しさん :2013/08/31(土) 23:55:48.84 ID:7db3sOhN
目ん玉くり抜き魔は悪夢の登場人物 その悪夢をでっち上げたのは自分。 神から分離したと思い込みその罪悪感と恐怖と怒りを投影して 自分が誤創造した夢の登場人物が目ん玉くり抜き魔。
でも目ん玉くり抜き魔も一人の人間(中国人)としてこの世に居るよね。
逆説的に言うのなら、確かにその悪魔が存在していると思うのなら、 その悪魔を救うまでは、あなたの完全なる救済もあり得ない
もっと厳密にするか 悪魔→断罪すべき人間
逆説的に言うのなら、確かにその悪魔が存在していないと思うのなら、 その悪魔を救わなくても完全なる救済に達する?
452 :
神も仏も名無しさん :2013/09/01(日) 01:36:31.33 ID:QEXGguaf
目ん玉くり抜き魔がこの世に居るとみて怖がったり怒ったりするのがエゴ 目ん玉くり抜き魔は実在しないとみるのがACIMの考え方 目ん玉くり抜き魔を批判し裁いて実在のものにしたいのがエゴ。 目ん玉くり抜き魔が実在なら世界は実在。 世界が実在なら神との分離はあったことになる。 だが、神は決して分離しない。 分離は無いなら目ん玉くり抜き魔は実在しないことになる エゴはどうしても目ん玉くり抜き魔を実在にしておきたい なぜならこの世界を実在にしておきたいから しかし神に分離はあり得ないなら この世界は実在しない。 この世界が実在しないのなら目ん玉くり抜き魔も実在しない。
453 :
神も仏も名無しさん :2013/09/01(日) 02:02:10.76 ID:0RlqKB/G
赦しってどうやるか教えてください。私もう自殺するしかないレベルの人間関係と経済状況なんだ。容姿は松井怜奈に似てるって言われるけど、重度の精神病で友達が居ません。
454 :
神も仏も名無しさん :2013/09/01(日) 02:06:43.65 ID:0RlqKB/G
奇跡のコースと副読本二冊もってますが、記憶力がなく頭に入りません。 簡単で効果のある方法ないでしょうか?
>>452 実在するこの世界で目ん玉くり抜き魔も目ん玉くり抜かれた子もその他多くの人も暮らしている
このスレを見ている人もたった一人ではないのだよ
世界が実在しても神との分離はないのではないかな
一枚の葉っぱが目ん玉くり抜きが世界の全ての事象が神の創造ならば・・・
この世界で暮らして何をしても神と一体
神と一体(笑)
まだ読んでない分際であれだけど 世界は妄念、であり自分のエゴが作り上げてる、っていう前提だと、 世界の事象(に見えるものは)各人がそれぞれ作り上げているもので、 他人の世界にそれがあるからって共通して自分にもあるとは言えないんじゃないかな。 同じ世界を見ることができないというか他人の妄念がそのままの状態で自分にあるとはいえないというか。 中国の悪人もそうだけど、 こんなに嫌な人がいた!って言われても、その人の世界にいるだけであって 少なくとも自分には「こんなに嫌な人がいた!」って訴える人位しかいない。 そこに積極的に関わると妄念を新たに作ってる気がしないでもない。
>>457 世界が客観的に実在している事を認めないのかね?
このスレだって住人達は同一の文章が見えているだろ
それぞれが違う文章を見ているならコミュニケーション取れまいて
456では「神と一体(笑)」という文章が見えるがお前は何が見えるのだね?
世界が客観的に存在しているじゃないか、と認識しているお前はどこまで信用できるのだ?w このスレだって住人達は同一の文章が見えている、それは本当の意味での現実なのか、それとも悪夢なのか。 神と一体(笑) お前はそんなことは何一つ、まったく実感していないだろうがw
>>458 私にはあなたが「自分を認めてほしいー」必死になって
訴えているように見えるのだが・・・。
上で書いている悪魔と同じように。
そして世界が客観的に見えるのは当たり前だよ。
そう知覚しているのだから。
>>460 お前は世界は客観的なものではないと思っているのか?
実はこのスレの住人はそれぞれ違う文章を見ていると・・・
で、お前から見て456は何と書いてあるのか?
お前の言う客観とは何か。定義を書いてみよ。
主観から独立して存在する外界の事物
>>458 わかんないよ。
だから、前提だと、と書いた。
普通に考えたら客観的に世界は存在するように感じるね。
それを解除してくのがこのスレの本の趣旨だけど
その考え方を採用しないならしないでいいんじゃない。
妄念を作る(といったら語弊あるかな)元が、恐らく思考なんだろうけど 言葉も思考と切っては切り離せない。言葉で表現して共通解はみつからないとおもう。 合成の誤謬というか 一つの考えを基に反証を探しだすとごろごろ出てくるので答え合わせは難しいかもね。 完全に個人の範囲内でないと難しい 私は本を結構ウサンクセーと思いながらwパラパラ見たけど、内なる神を掘り起こすという意味では、 共感できる。 その意味でイデオロギー化や一般化はそぐわないし、宗教みたいに組織化もありえない。 一般的な共通認識を探ること自体が無益なのかもねと思う。 実践上の各々が感じたことの確認レベルはできると思う。 理論を戦わせるのは不毛かもね。
>>435 >>436 >>438 詳しくほんとありがとう〜<(_ _)>
おかげさまで、
ACIMの中で使われている『知覚』という言葉の理解が深まった!
心の中の解釈次第で、
外側の世界の見え方、感じ方が変わってくるんだね。
また一歩、神の子に近づいたw
いま、マスター気取りさんオススメの本、 『喜びから人生を生きる〜臨死体験が教えてくれたこと』(アニータ・ムアジャーニ) を読んでいるけど、 これもまた、ACIMの理解に役立つ!
>>469 とても具体的に語ってくれているので、
テキストに書いてあることがすごく理解できるね。
聖霊の知覚によれば外側が何であれ神を反映した知覚になるなら イエスは目玉をくり抜く行為にも神を感じるのかな・・・
聖霊の知覚では、目玉をくり抜く行為をするような人間は存在しないでしょう。 世界を知覚するのではなく、知覚が世界を創造しているのだから。
>>471 仮定の話は無意味だが、それは行為者の愛を求める呼び声として知覚されるだろう。
たとえ表面上は否認されていたとしても、彼らは恐怖に怯え、助けを求めているんだ。
夢のたとえをシンプルに受け取ればいいんだよ 夢の中で何が起こっても、起きてからは残らない しかし夢の中では、すべてが現実にあるもののように思える
475 :
神も仏も名無しさん :2013/09/02(月) 11:23:01.98 ID:Lr3jDp6K
夢の責任は自分にある。
とあるブログでシンクロニシティについて話題になったけど、あれACIM的には聖霊からの サインだよね?
コースは必修というのは、ヘレンがイエスにこれ選択科目やんね?!とボケたとき、 いんや必修科目じゃわりゃー!!とイエスがツッコんだのを、ケンが編集し忘れたんだって。 内輪のジョークなんよ。 あと、赤ちゃんは無垢じゃなくてエゴまみれで産まれてくる、 自分じゃ生きれないし親に対して気遣いがないのはその証拠、ってケンは言ってた。 ケンは児童心理学者であるからして、正しいと思うよ。 無垢というのはバカという意味とは全く違う。
そうなんだ、わたしが某所で教えられたのは 赤ちゃんは「知性(叡智)」ではあるけれど、 ソフトウェアやデータの入ってないPCみたいなもんで、知性の幼生体、 この世で生きるには、この世に合わせなきゃならない 「躾」ってのは基本プログラム(OS)で、生活のリズム整っていた方が 体には良いはず、なぜならエネルギーがちゃんと入るから なぜ口うるさく、生活リズムを整えろとか早寝早起きしろって言うかと言ったら そうした方がエネルギーがちゃんと入るからで 起きる時間や寝る時間、食べる時間がむちゃくちゃだとエネルギーが入りにくい そうなると体も頭も働かないんだよね、下手すりゃ病気になる この世のルールも覚えなきゃならない、この世界にはさまざまな掟があるから それが正しいか間違っているか関わらず、この社会の一員としてのルールに従わなきゃならない 人間一人じゃ生きていけないからね 体というのは制限だし、死の象徴だし、この世に生まれるってことは不自由だってことで わたしたちが魂(光)のときは、差異はなかったのに、この世は 富める者と貧しき者がいて、地位が高い低いとか、民族とか人種とか 男女とか、身長差から容姿の美醜まであらゆる格差がある世界 絶対矛盾の自己同一、魂としての自分と肉体としてこの世にある自分 真逆のものが同居している
魂の世界は制限なんてなかった、自由だった、時間も存在しない世界 終わりのない世界、誰かが誰かより上だとか下だとか、恵まれているとか優れている なんてこともない、究極は皆ひとつだし、 肉体を持ったとたん、制限だらけになる、必ず衰えて死ぬ、色んな制約に縛られる 飯は食わなきゃならないし、そのために働かなきゃならなかったり 大変なんだよ、魂(光)だったことなんて忘れる 鏡を見れば毎日同じ顔が映るし、それが自分だと思ってしまう
私が、私でないものを、見る、というのが、 抑圧、投影、知覚、 ヘレンの示した誤創造、 身体と、世界は、分離している、というのが、 罪、罪悪感、恐怖、 ケンの示すエゴの三位一体、 身体ではないものと、世界ではないものは、分離していない、というのが、 神、キリスト、聖霊、 イエスの示した三位一体、 彼は、彼であるものを、見ないことがない、というのが、 受容、延長、智識、 コースの示す創造、 みたいな感じじゃないかな…。 精神的、肉体的、現象的、関係的に、すごい速さで私が溶解している…。 隠されてた私の、暗さと黒さと汚さと、深さと広さと大きさがハンパない…。 私の溶解は甘美だし、隠されてた私は愛おしい…。 怖がっていない部分が怖い…怖がっていない部分に取り残されるのが怖い… 怖がっていない部分に取り込まれるのが怖い…怖がっている部分が怖い… 怖がるのが怖い…怖がらないのも怖い…。
赤ちゃんはエゴなのか? 赤ちゃんが新品のPCのように生まれてくるにはわけがある 生まれてから、この地球のリズムに合わせなきゃないし (エネルギーがうまく入るように) 生まれた地域の社会の掟やルールに従わないと生きていけない 生まれる国や文化によって、それは違うから 西洋文化圏に生まれるのと、イスラム教の国に生まれるのでは 文化が全然違うから、知らず知らず特定の価値観や信念を身につけてしまうよね (そうでないと生きていけない) 民族や国家や宗教的信念や価値観、その家系の家訓のようなもの、個人の経験から生まれた信念 それらが「私」=エゴだよ 人間のすごいところは、誰もどうやって考えるのか教えてないのに 考えることができるってこと、心について誰も教えてないのに その人の心の世界は日々つくられるってこと 人間は知性性というところ(この世界を言葉で表現するのが難しい)から この物理的次元の地球に来ている、そしてそれはこの世の摂理よりも優先される 理(ことわり)より知が優先される
わたしたちは知性体だ、知ることを志向して(方向性を帯びて) この世に来ている、って教えられたんだよね 積極的に自ら望んで、物質世界というかこの世界を知る(体験する) ためにこの世界に来た ACIMだとこの世の経験は「悪夢」になるけどw
>>472 イエスは磔にされて槍で人を刺す人を身近に見たのでは
>>473 恐怖に怯え助けを求める事が聖霊にとっては神の反映なのですね
>>474 イエスは目覚めてもこの世界が見えてACIMを伝えた訳だけど
目覚めても消えない世界は現実という事でしょうか
イエスが何を知覚していたか、どうしてあなたにわかるのですか?
485 :
神も仏も名無しさん :2013/09/03(火) 08:59:36.32 ID:Z8c02GwG
>>483 そうだよ、あなたようにこのスレで恐怖に怯え必死に助けを
求めている人間も神の反映だから。
>>477 赤ん坊のときの記憶を持ってる人の話では、
どうして男に生まれたんだとか、窮屈で全然動けないとか、ちゃんと自我と言えるものがあるようだ
>>483 目覚めても消えない世界
それは夢の中で起きてトイレに行って、全然尿が止まらず、これもまた夢なのだと気が付くようなもの
自分は起きたと確信しても、自分(エゴ)の確信でしかない
自分の経験から言うと、目覚めというのは、目覚めたと確信する、
確信を持ち続ける(努力して維持し続ける)のではなくて、
目覚めが当たり前の状態になることのような気がする
ACIMとかアドヴァイタとか悟りとかは脳科学で説明出来るんではないかな?所謂心理的セラピーになるが、社会的な成功や 豊かさには結びつきにくい。
エックハルト・トール系、仏教系のいまここに集中する、エゴを観察する等の取り組みをしている人は数え切れないが、どうも気休め程度の効果な感じ。ACIMはどうだろう?
489 :
神も仏も名無しさん :2013/09/03(火) 15:00:07.39 ID:3wTxHa7N
acimは銭儲けや名声とは無関係。
でもACIMかたってお金とるアレコレは多くないですか?
492 :
神も仏も名無しさん :2013/09/03(火) 16:45:20.29 ID:3wTxHa7N
来年4月ゲイリーレナードさんのセミナー2日で36000円(1日18000円)。
すごく商業主義な金儲けやないかーい!
>>488 ACIMだって、
いまここにいることの大切さ、エゴを観察することの大切さには言及しているよ。
ゲイリーだって、飛行機代や滞在費だけでも何十万円とかかるだろうから それに加えて会場費、イベント会社の宣伝費やスタッフの人件費などを 加えて、参加者が数十人程度と見込んで最終的に一人2万円位で利益が 出るという見積もりじゃないのかな。 しかしそれを抜きにしても、スピリチュアルのような、ある意味虚業を 本業にしてビジネスするのはやめた方がいいと思う。 NPOみたいな非営利団体にすれば、決められた給与以上のものは 得られないから、金儲けに走る必要がなくなるかもしれないが。
>>493 自分が手にすることができるお金には限界があるという、
エゴの観点からするとそうだよね。
497 :
神も仏も名無しさん :2013/09/03(火) 20:26:52.56 ID:bzbkHK6n
カネ儲け=スピリチュアル的な成功者みたいなのは全くの勘違い
どうも何をするにも恐怖がつきまとう 無いと言われても感じてる以上は恐怖だ PCのパーツ換装すら、静電気で壊したらどうしようと思って先延ばししてしまう
でもさ、このスレがあれば、 セミナーに行く必要を感じない。
500 :
神も仏も名無しさん :2013/09/03(火) 23:05:53.24 ID:PWUrHS1r
高いお金払ってセミナー行く人たちっていうのは、お金払えば、 自分の覚醒がより進むとでも思ってるんですか? つけこまれちゃうだけじゃん。
ゲイリー自体、エゴ的意識がまだ強いし、神使、不死現もゲイリーの個人的なバイアスが多い。鵜呑みには出来ない。
ま、生活必需品でないものの値段が幾らになっていようがどうでも良いな。 値段を問題視する人はそれに何か特別な価値があると思い込んでいてそれを求めているんじゃないか? スピに限らずそういう人って居るよね。AKBの商売のやり方が汚いとかどこかのスレで書いてた人もいたし。 でも求めてない人にはどうでも良い話だよな。麻薬中毒のやつが売人に値上げするなと言っているのと同じようなもんだし。 そりゃ心の底から本当に欲しいだろうし手に入らないことは苦しいんだろうけどね。 でもそれで天国に行けるかのような幻想を見抜いて求めることを止めない限りその苦しみは終わらないよね。
>>501 ゲイリーさんの本だけだと、ACIMを理解は出来ないよね。
504 :
神も仏も名無しさん :2013/09/04(水) 00:04:54.10 ID:LnMVj3DX
でも逆にゲイリーさんの本が無かったら、たぶんACIMはサッパリわからんかったと思うわ、 キリスト教に偏見あったし、テキスト読んでもおそらく途中で投げてたな。 別にゲイリーさんのファンじゃないけどね
マスター何とかさん、言ってることは分かるが、それは努力目標であって、簡単には体現出来ないよ〜。恋人と遊びたいし、美味しいもの食べたいのw
>503さん。そうだね〜特にワークブックの実践が必要だよね。まず世界に対する知覚を修正しないと。
スピリットである自分と肉体を持つ自分=エゴが葛藤するのは仕方がない しばらくは行ったり来たりするんだろうな スピリットである自分に目覚める=悟りの瞬間で その瞬間を迎えたときは、笑いがこみあげて来て 目の前がパーっと啓けた感じがしたのを覚えている わたしは肉体ではない、わたしは自分の思考や感情でもない、って だいぶ前の話だけど 悟りの瞬間を迎えるのが目的じゃなくて、始まりに過ぎない それは次の扉が開きかけたしるしってだけで、自分の神聖を実感したからといって 神や仏になれるわけじゃなく、相変わらずエゴのままの自分がいる (ここで勘違いして悪悟り=魔境に堕ちる人もいるけどね) 今始まったばかり、肉体を持つ何のなにがし(名前)という自分には 地上での責任と義務があるし、それを果たさなければならない 一方スピリットである自分にも意図があって、この二つを調和させるのは 結構難しいんだなと感じている
多分、普通とは違った経験を何度か通るだろう 小さな悟り「ああそうなんだ」という実感=頭で「わかる」とは全く異次元の わかるという感覚 神秘体験のようなことも起こるかもしれない、知覚体験の変化でものの見方が変わったり でもそれを特別なことだと思うと、とたんにエゴの罠に嵌る
>>505 無理をする必要はないよ。嘘が嘘と分かれば普通はもうそれを求める気は起きなくなるから。
スパゲティがあるように見えても実はそれが蝋で作ったイミテーションだと分かればそれを食べたいとは思わなくなるだろう?
これはそれが本物だと信じながら我慢しているのとは違う。単にそれを食べられないものだと見破っただけで我慢は一切していない。
ただ、横で見ているまだ見破っていない人から見れば禁欲的な人に見えてしまうかも知れないけどね。それはただの勘違い。
>>510 その時々で適当に食えるもの食ってるだけかな。
512 :
神も仏も名無しさん :2013/09/04(水) 21:57:50.60 ID:yHCUbCHT
好きな食いもの: やっぱ奇跡のフルコースかな。
ますたー気取りさんは、執着が少ないんだね。独特な表現いいと思うし、本書いたら売れそうだw
514 :
神も仏も名無しさん :2013/09/05(木) 00:38:25.81 ID:Wl4qjSX8
覚醒や救済に必要な智識や知恵、キリスト意識、聖霊の助けは、すべて、私たちの 内側に既に存在しているわけです。と、コースも言ってるんだと思う。 そのことが多少なりとも分かっていれば、別にセミナーなんか行く必要ないじゃん。 不安(?)になって、あれやこれやと外側に探してしまうこと自体が、自分の智識の否定 になってしまうんだと思う。 それから、高額なお金取るセミナーでなくても、なんかコースの読書会みたいなとこ行ったら、 思いもかけずヘンな人がいて不快な思いしたみたいな書き込みも、このスレ見てると結構 あるじゃん。なんていうか、神の子としての自分に確信持たないで不安定に外側ばかり 探していると、相手が意識的にやっているかどうかは別として、そういうとこにつけこんでくる 他人のエゴが現れるんだと思う。 関連書もワプニックやゲイリー3〜4冊読みましたけど、もうそれで十分。あれやこれやに気を 取られて、時間やお金取られるぐらいなら、テキストを毎日少しづつでも 丁寧に読んだ方が良いというのが、最近の印象。
515 :
神も仏も名無しさん :2013/09/05(木) 09:16:59.57 ID:uJ3SNuu8
きどりんさんのついったーのぞくといつもおいしそーなのたべてますよー(笑)
>>504 確かにね〜。
でも、よくあんな分厚くて、難しい本を翻訳して、出版しようと思ったよね。
これもまた神による計画のひとつなのかな〜。
>>506 そっか!そういうことか!
今のわたしには、とても有難い一文だった。ありがとう。
ビジョン(心眼)の習得には、 映画インセプションがとても役に立つよ〜。
518 :
神も仏も名無しさん :2013/09/05(木) 12:11:00.83 ID:478iB77Y
マトリックスって映画、ACIMに影響されてませんかあ〜?
>>518 影響されているかどうかは知らないけど、
マトリックスよりも、インセプションの方が集中力を使うので、
効果あるような気がするよ〜。
半沢直樹、最近知ったけどあらすじとか見る限り、エゴまみれのドラマだよね アシマーならそもそもそんなエゴまみれな世界には入らないな
521 :
神も仏も名無しさん :2013/09/05(木) 13:55:58.55 ID:uJ3SNuu8
倍返しィーーー。WWW
赦しと聖なる関係について学べるドラマは 最近ではあまちゃん一択。
大河の八重の桜でも、新島襄が結構深いことを言ってたりします。 本当に新島襄がそんなことを言ったのかどうかはわからないし、 脚本書いている人が何もわからずにそういう台詞をつくっているのかもしれないけど。 でも史実として新島襄の口癖は「はじめに神」だったんだそうです。 わたしが何をするかではなく神がなさろうとすることをあるがままにそうなさせなさい、みたいな。
奇跡は、すべての人の権利である。だが、浄化がまず必要である。 エゴのゲームを見抜くのは難しいしい、エゴはスピリットにとって代わられのを 恐れているから、自分を守るために無知の蒙昧の闇の中に浸っていたいんだ 自覚するのが怖い、罪悪感と恐れに苦しめられる方がマシだと思ってる その闇から抜け出すには、ホーリースピリットに委ねる でもその前に自覚が必要だ、自分の抱えている罪悪感、恐怖、そしてシャドーを見なくては (自覚しなくては)はじまらない 一生かかると思って間違いない
エゴが好むトリックは「これさえ手に入れば幸せになれる」とか 「こうなったら幸せになれる」って奴ね それを手に入れるために、そういう状況になるために、幸せになるための方法を ひねり出す、ダイエットから引き寄せの法則までw 痩せさえすれば愛されて幸せになれる?(または整形して美しくなれば幸せになれる、等々) 本当に? 部長になれば幸せになれる、金持ちになれば幸せになれる、そのためには 同僚を引きずりおろさなきゃ(何かのドラマのようにw) 人を騙してでも金儲けしなきゃ、 他にも○○大学にさえ入学できれば、将来は約束されるとか だからうちの子には猛勉強させなきゃ…等々エゴってのは、偽物を追わせる 本当の幸せ、心の平安は、すでにそこにある、魂の声さえ聴ければ 本物の情熱がわかるのに、聴いちゃいない、偽物の声を追いかける
信じていることは本当だろうか? 部族的信念から個人的な信念まで、人の心は信念とそれから生じる価値観でできている そもそもそれが間違っていたら? 誰も自分の心が何でできてるか、心がどんな構造をしているか知ろうとしない それが不思議だ、
527 :
神も仏も名無しさん :2013/09/05(木) 18:22:40.32 ID:7hOWQC6W
>>525 >偽物を追わせる エゴ
今の自分に一番必要な答えをありがとう。
半沢直樹の動画ちょっと見たけど、大袈裟なとこもあるけど、現実にもありうるよね 倍返しなんざ分離強めるエゴの典型例だよね。ACIM学ぶと上から目線でドラマ見れるようになるなw
肉体から離脱できる半透明の肉体って意味での魂は信念だというのがコースだったと思う。 レナード・ジェイコブソンさんはマインドにはある肉体人生と同一化しているやつがいて、 例えばユダヤ人の誰々だと思い込んでいるマインドはその肉体がなくなったあともずっと ユダヤ人の誰々の魂だと名乗るのでレナードさんはそのマインドを魂と呼んであげている、 と言っている動画を見たよ。そのマインドとコミュニケーションするための言葉の方便だ。 コースはもう一つべつの意味でも魂という言葉を使っていて、 それは心が肉体との同一化を離れて霊との同一化だけが残るとき、 もうその心は霊と区別がないので永遠という意味での魂と呼べるというニュアンスだったと思う。 前世というのは時間の領域、つまり記憶だから幻想だね。 赤ちゃんというのは肉体の領域、つまり知覚だから幻想だね。 地上であれ霊界であれ、それは夢だからあまり区別はなく、 実相という、夢ではないものに復帰するには、 あらゆるレベルでの分離というものを、信じていない教師の声を聴く必要があるよ。 コースで聖なる瞬間と呼んでいるそのヴィジョンに触れれば、 まず誰が悟るのかとか誰が悟ってるのかみたいな質問や 悟ったらああなるのか悟ってないからああなるのかみたいな関心が的外れすぎるのがわかって 安らいだ沈黙の中で怒りや恐れはすべて無いものに戻るよ。
魂(スピリット)と霊(ゴースト)はまったく違う エソテリックな教えによると、ボディは肉体以外にも複数あるんだそうだ 日本語なら幽体とか霊体と呼ぶんだろう アストラル体とかメンタル体とかコーザル体とか(この辺の区別はよくわからないが) 魂とは何か?マインド(思想信条、観念、思考、感情)を超えた何かだ 聖なる瞬間ってかヴィジョンとは >「あるがままの全体的知覚」、「全体的知覚」とは知覚している知覚者と >知覚されている対象の間に分離がない純粋な知覚状態のことであり… クリシュナムルティの自我の終焉より クリシュナムルティならACIMや聖霊すれ、そんなもん幻想だと否定しそうけど
クリシュナムルティならACIMや聖霊すれ → クリシュナムルティならACIMや聖霊すら に訂正 >観念や信念への固執は真理の正しい知覚をもたらさないばかりか、 >人と人との間に争いをもたらす。政治的イデオロギーや民族のアイデンティティー、 >宗教的信条の対立は世界中で争いの源になっている。 >「神を信じる者は神を発見することはできない」とクリシュナムルティは明言している。 >神とか悟りを開いた人にすがろうとするのは >不安から逃れようとする精神の働きであるという。 と、手厳しい… ACIMも扱い方を誤ると、他の宗教や思想と変わらなくなってしまう 頼ってしまうとダメなんだろうな、常に自分を開いておかないと これだけが真理だと思い込むと、新たな牢獄をつくる結果になってしまう
ワークをやっていて思ったんだけど ついつい「わかっているつもり」になってしまう つまり、コースを矮小化してしまう危険がある、コースを安全圏にしてしまうというか コースとはこういうものだという固定観念がいつの間にかできてしまう でもって単純化というか、パターン化してしまうことがある 主観が入り込むと解釈が生まれる どんな宗教でも、宗派とか流派が生まれる、つまり枝分かれするよね 仏教だってイスラム教だって、何百何千の支流が生まれる(亜流を含めるともっとだ) キリスト教も、カソリックとプロテスタント(とその他)に枝分かれし、 それぞれいくつもの派閥が存在する ACIMも流派らしきのが存在するってことは、微妙に解釈が違うんだろうか?
533 :
神も仏も名無しさん :2013/09/06(金) 14:30:51.70 ID:xtKMDaQY
「自分には何も分からない」 そんな不確実性の中で生きることを、 コースは教えてくれている。 コースはただの手段。 本当に重要なのは、自分の中の神であり、愛。
534 :
神も仏も名無しさん :2013/09/06(金) 14:40:37.75 ID:xtKMDaQY
コースは難しいけど、それは真理が単純過ぎるから。
自分を無条件の愛の中で無条件に愛せるようになれば、 学びは終了。
コースそれ自体には意味がない。 本当に意味があるのは、コースが教えようとしている無条件の愛。
537 :
神も仏も名無しさん :2013/09/06(金) 17:20:33.24 ID:s/jXTaYm
難しい質問してすみません。愛ってなんですか?
答えになってないけど、日本語の「愛」と英語「LOVE」は違う言葉だよね ニュアンスが違う 日本語の「神」と英語の「GOD」が違うように、
539 :
神も仏も名無しさん :2013/09/06(金) 18:30:10.84 ID:Cv+QjpXe
神や愛の定義なんて、欧米人の中でも人それぞれじゃない?
>>537 思いやるとか尊重するとかで良いのはないかな。但し、全てに対してでなければうまく行かないと思う。
>>537 全てのものである愛を定義することは、本来、出来ないことだよね。
私には愛というものが分からないし、自分自身についても 分かっていない、と素直に言える人間はACIMに向いているかも しれない。これは卑下ではなく正直さだから。
何も分からない人はどんな教えにも向いているじゃろ 教祖に唯々諾々と無心に従うだけ
544 :
神も仏も名無しさん :2013/09/06(金) 23:52:19.39 ID:BJqISKZK
この世次元では、我々は、愛の反映というかきらめき程度のものを、 たまにちらっちらっと感じるぐらいしかできないんだろうな。 罪悪感の投影ゲームにどれだけ気づいて、どれだけそれをやめられるかが鍵だね。 神の無条件の愛なんて分かります?分からないっていうのが正直なとこだよね。
神と一体化して神の無条件の愛がよく分かっていた時でさえ神から逃げたのでは? 元の鞘には戻りたくないのが神の子の悲願じゃね
546 :
神も仏も名無しさん :2013/09/07(土) 06:26:54.92 ID:Hbi9cl0S
神から逃げたように見えても実は逃げてなかった、神からの分離は一度たりとも無かったっていうのがACIMですからね
神の無条件の愛が分からなくなり神とは音信不通状態の絶縁なのだから実質的に分離したといえるのでは ACIMの建前では「神と常に一体で逃げようと思た事すらないwww」との事だが
548 :
神も仏も名無しさん :2013/09/07(土) 07:01:59.01 ID:Hbi9cl0S
そこらへんの事情はエゴ思考で考えてもエゴを納得させる答えは見つからないようです 矛盾しているようですが、分離は一度も無かった、よって罪悪感も存在しない、無辜である、 だから神と今でも一体だったってことにただ気がつきさえすればよい、となるのがACIMのようです
神と今でも一体なら無条件の愛が分からなくなったりしないんじゃね? 神と一体でも無条件の愛を感じないものかね
550 :
神も仏も名無しさん :2013/09/07(土) 07:37:05.36 ID:Hbi9cl0S
神と今でもひとつだと完全に気がついたその時は全ては当たり前のように理解されてる状態にあるようです
今は神の子は神と一体であると完全には気づいていない状態であるという事かね 神と一体化して神の無条件の愛がよく分かっていた時でさえ神との一体を完全には気づきたくなかったという事ではないのかね
552 :
神も仏も名無しさん :2013/09/07(土) 07:56:41.90 ID:Hbi9cl0S
気づきたく無かった?そんなことはないと思いますよ、現に私は気づきたいと思ってますから★
神の子の意志とは無関係に神の無条件の愛が分からなくなり神と音信不通状態になるという事かね?
554 :
神も仏も名無しさん :2013/09/07(土) 08:38:00.09 ID:H97Cpu2L
あんたも朝からしつこいね〜(笑)
555 :
神も仏も名無しさん :2013/09/07(土) 08:38:50.11 ID:Hbi9cl0S
おっとォ〜 555GET!
神の子の意志とは無関係に神の無条件の愛が分からなくなり神と音信不通状態になるという事かね?
>>543 一側面では当っているが、たとえ宗教の教祖から何を教えてもらおうが
結局は何も分かっていない、何も知らないということを認められるかが鍵だな。
この教祖というのは、別に宗教団体に限らず、自分の崇拝の対象のこと。
大体は今まで溜め込んできた観念なのだが。
ACIMを読んだって何も分からないよ。答えは言葉の中にはない。
>>557 >ACIMを読んだって何も分からないよ。答えは言葉の中にはない。
素晴らしいお言葉であります<(_ _)>
>>556 お前はまず自分の心の病を何とかすることから始めなさい。
ACIMも神対もお前には相応しくない。
みんな「神」に対して漠然としたイメージを持っている それは生まれた国や民族の文化の影響を必ず受けているし 個人的な経験によっても違ってくるが その自分の頭つーかマインドがこしらえた「神」を「神」だと思っているw わかりにくくなってしまったw マインドがこしらえた神という観念は、観念であって本物の「神」じゃない わたしが知っていると思っている神は、自分のマインドが作り出したものだ ということを意識してないと、自分が投影した神の幻影と対面することになる
旧約聖書に描かれている神のイメージは、怒れる神、復讐の神で キリストが主役の新約の方は、神の性格が変化している、愛と寛容と赦しの神に 子供の頃から教会に通い、牧師さんや神父さんの説教を聞き、聖書に親しんだ キリスト教圏の人たちと、日本人ではコースの捉え方が違ってくるだろうな わたしはミッションスクールに通ってたから、「罪悪感」がなんとなくわかるけど 日本人にはわかりにくいかもしれんし、神に対するイメージも全然違う 八百万の神々に対する恐れと聖書に出てくる神への恐れは異質なものだしね
日本人の場合は、絶対的な神という概念がない 捨てる神ありゃ拾う神ありw、神様がだめなら仏様におすがりしようとか 逃げ場があるんだよね、でもって西洋人ほど神を(深層心理で)恐れてはいないし 信じてもいないんだよな
ACIMの言う、神とはいまも一体 ってのと 悟った人が言う、みな常に悟っている ってのは、意味合いとしては同じだと思う 後者については、そういう状態を経験して、なるほどその通りとわかった ただ、経験しないとわからない それに経験しただけなので、やっぱりまだ悟りに至っていないと思っている 悟っていないという思いは信念であり執着なんだろうな
恐ろしい旧約の神のイメージ、なんせ洪水で人類皆殺しにしたり 神に背き、悪徳に染まったソドムとゴモラの街を火柱で滅したり 息子を生贄にしろって命令されたり、もの凄く怖いイメージと、 神を信じて改心すれば許されて天国へ行けるという希望と植え付けられていて キリスト教圏の人々の深層意識に強く刻まれている、 神に背くことは恐ろしいことだと 無神論者でも意識の深いところに神は存在して、 神や神の御心について考えた事がない人はいないだろう 日本の神様はあんまり強く自分を信奉しろとは言わないんだよねw 鳥居の前を無視して横切りこともできるし まぁ神社で無礼な真似をしなければ、触らなければ祟らないし 願いを叶えてくれるし、怖いというより親しみやすい感じがする コースを読んでもピンと来ない日本人の方が多いだろう
565 :
神も仏も名無しさん :2013/09/07(土) 16:24:53.71 ID:6kbR9dKZ
なぜ、そもそも、神の子は、神から離れて存在してみようと思ったのかな? 独立した自我が欲しかったから? あれ?でも、そもそも自我が生まれてなかったら、そういう考え自体が浮かばないじゃん? どっちが先なんだ?今日考えていて、分からなくなった。
元々、神から独立した自我を持っていたのだろう 神との一体状態とは神に圧倒されてそれにまだ気づいていなかった頃の話 一旦自我が確立すると神に取り込まれる事はなくなる
567 :
神も仏も名無しさん :2013/09/07(土) 16:51:51.45 ID:Hbi9cl0S
>>567 誤認識する自我は一度も生じておらず神と一体のままならACIMの学習自体が不要だろうに
お前は何が言いたいのかね?
それは本当にそうかね? お前のその認識が正しいという根拠はどこにある? お前自身が誤謬であれば、その認識そのものの正当性が否定される。
570 :
神も仏も名無しさん :2013/09/07(土) 17:25:29.37 ID:6kbR9dKZ
565です。 レスありがとうございます。 ワプニック氏の回答などから整理して考えて見ますと、 こういった質問自体が、自我から出てくるものであり、自我の実在を前提と している。 しかし、コースでは、実相においては自我は一度も生じていないと教えている。 当然、分離も起きていない。 このような、自我や分離の幻影を知覚から取り除くことが赦しであり、神の愛へと 戻る方法である。 といったところですかね。
そうか? 間違っていても誤謬可能な自我があるということだろう 自我が無ければ誤謬も出来まいて
>>570 自我や分離の幻影を知覚から取り除くという事自体が自我が生じた事を認めているのでは
生じていなければ取り除く必要はなかろう
最初から自我の無い状態ならば
573 :
神も仏も名無しさん :2013/09/07(土) 17:50:21.90 ID:6kbR9dKZ
>>571 >>572 ???
JS9MBt4hさんは、今日になってから、このスレの人々に噛み付きまくっているようですが、
あなたはコースをほとんど読んでいませんね??
あなたの書き込み自体がそのこと露呈させてますよ。失礼ですが、コースの内容
がほとんど理解できていないわけです。
自我は存在していないというのが、コースの大前提だと思いますよ。
我々の錯覚な訳です。
>>573 >自我は存在していないというのが、コースの大前提だと思いますよ。
>我々の錯覚な訳です。
自我は存在していないなら錯覚しているのは自我ではないという事か?
存在すらしない自我に錯覚は無理だろう
575 :
神も仏も名無しさん :2013/09/07(土) 18:01:47.72 ID:Hbi9cl0S
>>570 さすがですね、理想的な名回答だと思います。
>>575 >こういった質問自体が、自我から出てくるものであり、自我の実在を前提としている。
こういった質問自体が出てくる事が自我の実在の証拠ということでは?
自我が実在しなければこういった質問自体が出てこない訳でしょ
577 :
神も仏も名無しさん :2013/09/07(土) 18:21:48.34 ID:6kbR9dKZ
うーん、錯覚するという事象自体がつまり事実には基づいていないわけです。 ですから、実在していない自我が自我の実在を錯覚してしまうということは、 ある意味で我々の知覚の中で、成り立ってしまうように感じられるんじゃないかな。 それを解除していくことが、テキストの理論であり、ワークの実践なのではないですか。
>>577 錯覚するという事象自体が無いのなら我々の中で錯覚が成り立つ事もないのではないかな
錯覚するという事象自体が無いなら錯覚が起きようがない
579 :
神も仏も名無しさん :2013/09/07(土) 18:45:57.67 ID:Hbi9cl0S
あなたのは自我の解釈ではないでしょうか? もう一方に聖霊の解釈というものもあります あなたは自我と聖霊どちらを教師に選びますか? 二人共選ぶことは出来ません どちらか一人を選ぶことになります。
>>579 聖霊の解釈というのは「錯覚するという事象自体が無いけど錯覚は起きる」という主張ですか?
今、FACIMのサイト見たら、ワプニックが入院中で、 検査の結果肺に腺癌(ゆっくりとした進行の)が 見つかったらしい。医者と治療計画を話し合っているとか。 なんだかんだ言っても、もう70過ぎだからな・・・。 FACIMの膨大な資料を考えても、年の割に頑張りすぎだと思う。
>医者と治療計画を話し合っているとか。 奇跡に難易度は無かったのでは? まあ肺癌だとそうも言ってられないか
>>582 >奇跡に難易度は無かったのでは?
その通りだが、それがどうかしたか?
奇跡とは自我がのぞんでいることではない。
なんだかビジョンとやらが身についてきたような気がする(≧m≦)ぷっ!
>>573 コースを読んでいないのにコースの内容に文句をつけ続けてる人は前から居るんで、同じ人ではないだろうか
読まずに批判ってのは、口をつけてない料理に駄目出しするようなもの
おまえは海原雄山か
>>577 @神の子として無条件の愛を味わっている
↓
A存在しない自我が勝手に(神の子とは無関係に)錯覚を始めた(非存在の思いであるが故に本当は起こっていない)
↓
Bすると神の子の至福状態から存在しない自我の錯覚の体験が始まる
↓
Cテキストの理論ワークの実践で錯覚を終わらせる
↓
D神の子として無条件の愛を味わっている
↓
E存在しない自我が勝手に・・・
588 :
神も仏も名無しさん :2013/09/08(日) 07:10:17.76 ID:86gpJf7R
視点の移動、ということを体験していないと
>>587 のような疑問を抱いてしまう。
これが自分だ、と思っているその自分ではない本当の自分がいる。
そこにあるきっかけでひょいと視点が移動する経験をしたことがなければわからない。
人は生きているうちに一度死んで、再び生まれ変わってこなければ神の国には入れない。
ひょいと視点が移動すると言っているのだが 本当の自分からそうでない自分へ、だけど >Bすると神の子の至福状態から存在しない自我の錯覚の体験が始まる
591 :
神も仏も名無しさん :2013/09/08(日) 08:16:22.84 ID:86gpJf7R
>>590 実際にそれを体験してから発言しろ。
お前は観念という妄想に耽溺しているだけなのだよ。ん?
587の何処が間違っているのか? 文句があれば具体的に指摘しなさい
視点の転位について何もわかってないからさ。
595 :
神も仏も名無しさん :2013/09/08(日) 15:00:28.42 ID:+PQLXxzf
>>587 中途半端な学習者が、コースを読んで自我の非実在を理解したつもりで実は理解しきれてなく、
同じところをぐるんぐるんとループしてしまうということが言いたいのかな?
そういう意味での説明だったら、別に間違ったこといってるわけでもないんじゃない?
まあ今の私たちの状態wの、あるレベルでの説明にはなってるんじゃないの。
最近ACIMに絶望しかけていたのですが、今回のjacim更新の質問66を見たら やる気が再燃してきましたよー!!
と思いましたが今
>>581 の書き込みに気付いてまた絶望……。
>>595 いえいえ
Dは完全に解脱して天国に至った状態を指しているのだけど
Eは非存在の自我が新たに錯覚を始めた時の事
599 :
神も仏も名無しさん :2013/09/08(日) 16:06:45.98 ID:+PQLXxzf
>>596 >>597 どうして?今後彼の病気が進行するにしろ治るにしろ、そういった「人生の外的
映像」の変化には、大して意味はない。そこからどれだけの内的気づきを引き出せるかが、
彼の一番の関心事なのではないかな。それは彼が一番良くわかってることなんじゃない?
あなたはあなたの問題をどう捉えて自分の心の中でどう処理するか(すべては
自我の投影な訳だから、不快と思われる状況だとしても恐れたりする必要は
まったく無い)のみに、集中してればいいんだよ。あなたが恐れたり、恐怖心持ったり
絶望感に打ちのめされたりする必要はまったくない。それは、誰の助けにもなりません。
600 :
神も仏も名無しさん :2013/09/08(日) 16:22:53.55 ID:+PQLXxzf
>>598 ん?何か私は的外れなこと言ったかな?
あなたの言いたいことは一人の学習者というよりも、もっとひろく、神の子全体
という視点から言いたかったのかな?まあ、神の子も究極には一人しかいないわけですが。
いずれにしろ、Dで完全に解脱を遂げた後、Eで自我が新たに再燃するというつながりが
よくわからないのですが。繰り返し起こってしまうということ?時系列ではない?
>>600 >いずれにしろ、Dで完全に解脱を遂げた後、Eで自我が新たに再燃するというつながりがよくわからないのですが
天国の神の子にとって非存在の自我は無関係だから自我が錯覚するのは止められないよね
自我が過去の思い出の回想を始めたらどうなる?
非存在自我「あの時の天ぷらは美味かったなあ・・・温泉も気持ちよかった・・・」
夢で見た天ぷらにうまいもまずいも無いんだけどな
>>602 旨いものを食べた事がないのかね
貧乏人は大変ですね
ACIMは夢の中のうまい物巡りガイドブックじゃないよ
>>604 非存在自我が勝手にうまい物巡り始める可能性はないのかね?
無いね 非存在って書いてるじゃん
>>606 お前が貧乏過ぎてうまい物巡りしたことがない事はわかったわ
そしてこの世にうまい物巡りするだけの余裕のある人なんて居ないと思っているんだね
かわいそうに
エゴの解釈の手本みたいなレスだなw こちらが書いてないこと、見えないこと、聞こえないこと、 それら本当は判断不可能なものを、判断できたかのように盛り込んで、 事実とは違う結果を導き出し、コミュニケーションを不可能にする これと同じことをみんなやっており、そして俺もやってきた よくよく考えると、茨の崖道渡ってきたようなものだな
粘着神対狂信者よ、お前がACIMを理解できない要因のひとつは、 お前が時間というものをリアルなものだと捉えていることだ。 時間は過去から未来に一直線に流れているものだと思い込んでいる。 しかしそのような時間の概念さえもがまったくの妄想なのだ。 お前はなにも知らない、お前はなにも理解していない、 それを受け入れるまでは、お前はずっとニューエイジの妄想に留まり、 まるで朝鮮人のように嫌がらせを続けることしかできないだろう。
まぁみんないい夢みたいだけで、本気で目覚めたくはないんだよなw
苦痛や苦悩は夢から目覚める動機やきっかけになるんだが それは避けたい、映画「マトリックス」じゃないけど 何でも思い通りになって、美味しい思いをいっぱいする夢を見ていたい エゴは夢をコントロールして思い通りにしたいが、夢の中からでたくはない それが本音かもな
目覚めを経験しないままなら、良い夢を見たいと思うに留まるだろうけど、 目覚めはどんな夢よりも良いという話だから、遅かれ速かれ目覚めに向かう意思は芽生えるのでは
613 :
神も仏も名無しさん :2013/09/08(日) 23:40:23.31 ID:zN2FW5Cl
みなさんよくわかっているとは思いますが、この世がつらいのは、良い思いが続かないからなんですよね どんなに美味しいもの食べても飲んでも楽しい思いを経験しても必ず終わりがあります どんなに素敵な人と幸せな期間を過ごせてもいずれはお別れの時がやってくる 死別でも生き別れでも好きでも嫌いでも、それは人だけに限りませんよね 当スレでお馴染みの薄毛問題もしかりでしょう、若く華やかな時期はいずれは自分の元から去っていきます 幸せを求めて努力追及し味わう快楽、失う財産が多ければ多いほど最期はむなしさと悔しさ無念淋しさが残るのではないでしょうか その原因はなんなのでしょう?この(夢の)世界では永遠は得られないからなのでしょう。残念です。
さっさとビンタでもして叩きおこせばそれで終わりなのにこんな面倒なプロセスをしなければ ならんかと小一時間。もう何億年間も眠ってるのかと
薄毛でもカネ持ってたらだいたいが愛してくれるよ
でも、愛してるのは金であって、薄毛でもなきゃ、薄毛のその人でもないっしょw
子供を見てみると、 気に入らないことがあると泣く、暴れる、駄々をこねる、拗ねる 欲望と衝動のままで、自分の行動に責任を取らない(自分は悪くないという) 他人のせいにする、感情のまま、感情が傷つくと(害されたと感じると)攻撃的になる 少し大人になると、自分の行動に責任を持つようになる、出来事の全体を見ることが できるようになる、(相手が怒ったのは、相手のおもちゃを勝手に使ったからだなと理解する) すぐに攻撃的になるのではなく、感情を害してもまず考えるようになる そのうち争いを起こさない知恵がつく、相手の領域を侵さないようにしようとか 他人のものを勝手に使わないようになる… 人の体はある程度の年齢になると成長を止めるけど 心は一生かかって、またはたくさんの人生を通して成長を続ける
何でもかんでも思い通りに行ったら、心は成長しないよ エゴは人生をコントロールしようとするけれど、子供のわがままが全部通ったら? 「欲しいよ〜」と叫んだら、その通りになったら? とんでもない小皇帝ができあがる 何でもかんでもエゴ(子供)の思い通りには行かない 人生に起こることを決めるのはエゴではない 起こることに「ノー」とは言えないんだよね、嫌なことも起こってしまう (誤解のないように、悪党に殺されそうになったり奪われそうになっても 抵抗するなってんじゃないからね) こんな貧乏な家に、口うるさい親の元に生まれたくなかった こんな不細工な顔に、薄毛の遺伝子を持て生まれたくなかった といっても、それは自分が望んだこと、自分って言ってもエゴの自分ではなく 魂(本質、真我、全知)が望んだことで、それにノーとは言えない
>>599 まあ、そうかもしれませんが……。
acimの中核人物ってヘレンさんは膵臓癌、ビルさんは心臓麻痺と
ろくなことになっていないって印象なんで
ワプニク先生が最後の希望だったのでショックです。
acimには聖霊に従っていれば病気しない的なことが書いてありましたし。
620 :
神も仏も名無しさん :2013/09/09(月) 17:11:09.93 ID:4/DHwXUL
>>619 他人がなぜそもそも病気をしてしまうのか。その本当の理由っていうのは、
厳密にはあなたには分からないでしょ?
たとえば、ガンや心臓病であれば、食生活やストレスなどのいくつか肉体的な要因をあげることが
できるかもしれない。でもそれだって、100%完全な原因の説明には成りえないと思う。
まして、病気の原因が、その人の精神的心理的問題ならなおさら。他の人の全人生や全心理的内容物
なんて、私たちには知りようもないわけだからね。それ以外にも、別次元からの投影として
病気が現れるということもあるのかもしれない。
で、結局、理由がそもそも分からないことに対してあなたが勝手に恐怖心を持ったり失望したり
するっていうこと自体が、相手の人たちに対して判断を加えてしまうことにしかならないわけ
です。で、結局あなたがそこで何をやっているかというと、自分の恐怖心や罪悪感を相手の状況に
投影してしまっているわけです。
これらの心の動きって言うのは、あなたと相手の人の両方の、神性の否定にしかならないと思いますが。
もしあなたが、今何らかの不調や病気を抱えているとして、それが主にあなたの霊的な問題から来ているとする。
あなたが自分のことを本当に掘り下げて考えて聖霊の導きにあわせて修正できれば、
病気が奇跡的に治ったりする可能性もゼロではないと思う。あなたが責任持って、変えたりできる部分ていうのは、
そこまでではないのかな。
621 :
神も仏も名無しさん :2013/09/09(月) 18:55:28.09 ID:8mAbctn+
>>614 >もう何億年間も眠ってるのかと
あちら側の時間の無い世界ではマバタキする間に終わってしまうような一瞬の夢のひとときなのでしょうね
>>619 コースを「正しく」やっていたら身体が病気にならない筈だというのは、
根本的なところで誤解しているよ。
病気というのは、「心が分離を信じること」と同義であって
身体の症状とは何の関係もない。
コース学習者ではないが、ラマナ・マハルシやクリシュナムルティも
癌で亡くなった。
ワプニックの本の中に、その辺の内容を取り扱った
「The Healing Power of Kindness」という2部作の
本があるので、これが邦訳されることを願う。
>>622 ということは、
悟った方の心も、その心の奥底では分離を信じ続けていたから、
病気になったということですか?
この世界のものはこの世界のもの、シーザーのものはシーザーへ。 悟れば病気にならない、悟ればこの世は思うがまま、なのではなくて、 なるように任せておく、幻影はいずれ崩れ去り消えさるのだから。 ラマナも何度も入院して手術するように勧められたにも関わらず、 癌をそのまま放置しておいた。
>>622 コースの見方では、悟った人間(癒された心)は病気ではないということ。
身体に癌の症状が出ていたとしても。
そして身体が健康と認められる状態であろうが、分離を信じている人間は病気だということだ。
間違えた
>>621 宛だった。
それと、コースの習熟度などを外側で図ろうとしているのなら、やめた方がいい。
心が癒されているかどうかと身体の症状には関連性はない。
既に起ったことを再解釈をしているのだから。
とりあえずコースの実践をするとある人は肺癌で七転八倒しある人は貼付にされて虐殺されるという訳ですな なるほど・・・
幸福な夢とかいう御伽話はどうするんだろう
>>628 いや、そうとは限らんぞ。
病院のベッドで苦しまずポックリ逝くかもしれんね。
ビルの最期も、ポックリ逝ったみたいだし。
病気だと解釈すればなんでも病気に出来る 良い夢をみたいのなら、製薬会社を興せばいい 平伏親知らずが向きを変えてまっすぐハエールを作ってくれ スプレータイプで頼む
>>629 自分自身好きな夢を見ればいいじゃないか。
人から聞いた話がそんなに怖いのかね?
>>618 >といっても、それは自分が望んだこと、自分って言ってもエゴの自分ではなく
>魂(本質、真我、全知)が望んだことで、それにノーとは言えない
神の使者によれば、この世に生まれるという選択はエゴによるものであり、
そこで起こるものもエゴがあらかじめ書き記したシナリオである
聖霊はそのシナリオを救済のために使い、神の元へ誘う
のではなかったっけ?
634 :
神も仏も名無しさん :2013/09/09(月) 21:17:46.95 ID:8mAbctn+
誰でも最終的には病気で死ぬのはしょうがないですよね イエスも十字架で処刑されましたし。 病死でも処刑でもそれぞれに理由があるのでしょうし(夢の中での理由)簡単にいっちゃえば全て目覚める為の赦しのレッスンにしちゃえばいいのでしょうしね 夢のストーリーのラストが病死でも問題なのはその夢から覚めることですから。 病気の体を赦しながら安らかに目覚めることができれば赦しのレッスンは終了しますよ。 幸福な夢というおかげ話しはオマケ程度に考えて下さい 夢の中での幸福なんてあちら側の幸福に比べたらへみたいなものらしいですから(笑)
幸福かどうかの判断を行うのはエゴであり、エゴがなくなれば、何が起きても幸福の内にある 逆に何が起きても不幸だと思っていたら、どんな幸福が与えられようとも不幸からは逃れられない ヘレンはイエスと交信できるというこの上ない幸福を与えられていた(得ていた?)が、 天国より〜を読むと、本人は幸福だとは思ってなかったっぽい
幸福な夢とは外側、この世界で起こっている事とは関係ないよ。 夢の形が変わるのではなくて、赦しによって罪悪感が癒されることで 夢に対する自分自身の見方が変わるんだよ。
イエスはヘレン一人も幸福に出来なかったという訳だね イエス自身も悲惨な最期だし これは危険思想だな
638 :
神も仏も名無しさん :2013/09/09(月) 21:31:11.81 ID:8mAbctn+
危険思想(爆)
>>636 詭弁乙
死ぬにしても健全な体で安らかに大往生が望ましい
肺癌とか貼付とかで幸福になることなど有りえません
「健全な精神は健全な肉体に宿る」
http://leina.blog.eonet.jp/blogfolder/2011/08/post-64c3.html 発生する場所(原発巣)によって様々な種類の癌が有るわけですが、私が最もかかりたくないなと感じた癌は、肺癌です。
最期の死の瞬間まで、窒息と闘いながら悶え苦しむという最悪の病気だと思いました。
肝臓癌なども随分悲惨ですが終末期は意識が朦朧としている分、さほど目を覆いたくなる程ではないですが、肺癌は最期の最期まで頭はしっかりしています。それがよけいに・・・
具体的には、
右も左も無数の癌で肺内が占拠され、四六時中、血の混じった痰が産生されます。なので、満足に眠る事さえできなくなります。
廊下を歩いていても、いきなり喉から血を噴き出して倒れます。
ベッドでは身体は闘病で疲れきっていてウトウトしかかるのに、それをあざ笑うかの様に痰が吹き出てきて、むせて咳き込んで・・・
寝させてくれません。苦しくて仰向けになる事すらできません。
精神的にも参ってしまい、本来すごく人間の出来た人であってもイライラして周囲に当たり散らす様にもなります。
ベッドの周りは血痰とティッシュの山。
あんな拷問の様な苦痛は、マジないわー(>_<;)と思いました。
入院すれば、普段どれほど幸福に満ちた生活を出来ているかわかる
でもエゴの選んだ幸福は長続きしない
痛みが出たら、痛みのない入院生活を幸福だったと思うだろう
エゴはAとBを比較して幸不幸を決め続ける
>>637 ACIMを読みたくない人間にはACIMを読ませることができないように、
幸福を望まない人間を幸福にはできない
幸福、悟り、目覚め、なんでもいいが、それらを得るには、欲求と強い意志が必要になると思う
ただ、これは転じて執着や足枷に変わることがある
悟りたいと思うということは、悟っていないという信念を生み出す
>>639 そうか。あなたが肺癌が嫌だと思うのは自由だが、
想像上の恐怖を続けるのは大変じゃないのか?
私は遠慮しておくよ。
>>639 君は幸せになりたくないと叫んでいる
君の持ってきた資料がその証拠だ
癌患者の最後なんて千差万別で、うちの祖父母はただ静かに衰弱していった
しかし君は酷い描写のものを持ってきて、こんなに酷いことが現実にあると訴えている
現実にあってほしいから、わざわざ提示する
現実にあってほしくない酷いことというのは、普通は誰もが目を背け、わざわざ他人に提示したりしない
君は提示し、現実にあってほしいと願っている
その願いは君の目にする範囲で実現するかもしれない
幸福な例を提示せず、不幸な例を提示するのは、不幸になりたいという心からの叫びだ
それにまず気づいて、不幸を望み選ぶ姿勢を正した方が、これからの人生はいくらか好転するだろう
>>625 >>626 ありがとうございます。
現在、精神的な病からくる身体症状で苦しんでいて、
それを治すために、コースを学習していたのですが、
わたしの態度が根本的に間違っていたことに気が付きました。
>>639 >>636 さんの説明を詭弁と言ってしまったら、
コースを学習することに意味が無くなってしまいますよ。
関係ないけど、法然と親鸞は当時の寿命からすれば、桁違いだよね。
>>643 ナルホド
ワプニク様なら肺は癌で一杯でも心は幸せで一杯であるというわけですな
今更なのですが、 身体って、外側の出来事だったんですね。 ということは、 ガンであろうと、健康体であろうと、 聖霊の知覚、正しい近くからすれば、どっちでもいいわけですね。
>>646 その辺の解釈が難しいのでしょうね。
外側の出来事(この場合はガン)がどうであろうと、
心の安らぎを感じられるということをコースは目指していますが、
だからといって、ガンを治療せずに放置していてもいいということにはならないのでしょうから。
>>646 というか、あなたは当事者でないのにそれ程こだわるのは、
ワプニックがどうのこうのより、自分自身の事で何か心配事が
あるんじゃないのか?
このスレで何度も言われている通り、外側を変ようとしても解決しないよ。
>>648 肺癌でもワプニク様なら安らぎを感じると?
>>645 では悲惨ではない癌を教えてもらいたい
>>647 視点を変えれば、入院するというのは、自分が見知らぬ人から保護を受けている状態になる
また入院患者同士での気遣いもある
それは他人をいたわるという愛の表現と言えるのではないだろうか
俺は現時点においては、金を貰っても他人の面倒は見たくないから、彼らを尊敬する
>>648 それはラマナの態度が参考になる
ラマナは弟子のやりたいように治療させた
身体が無いのだから、治療をしてもしなくても同じ
ということは、わざわざ「治療をする」あるいは「治療をしない」という選択もしない
>>651 >では悲惨ではない癌を教えてもらいたい
お主の祖父母の罹ったやつ
>>650 少なくとも言えることはお前は悲惨な最期を迎えるよ。
そういうオーラが出ている。
苦悶の表情を浮かべて冷たくなっている映像も見える。
>ということは、わざわざ「治療をする」あるいは「治療をしない」という選択もしない ワプニクは医者と治療計画を話し合っているようだが わざわざ「治療をする」という選択をしたわけだな 身体が無いのだから、治療をしてもしなくても同じとは思っていないようだ
>>653 必死に人の不幸を念じるお前が悲惨な最期を迎えるのだ
可愛そうな人・・・
>>654 そう、どちらでも構わない、ということ。
君のように病気を怖れ、世界を怖れ、世界に対して深刻にはならないということ。
君は大変だね、君にとって世界は実在してるのだから、
すべての現象を一々深刻に受け取らなくてはならないのだからね。
>>655 こちらから見えていることをそのまま伝えただけだよ。
凄い形相で横死している。
>>657 もっと具体的に
俺は凶悪犯罪に遭ったのか?スズメバチの群れに襲われたのか?北極熊に食べられたのか?どんな奇病になった?
詳しく頼むw
659 :
神も仏も名無しさん :2013/09/09(月) 22:53:14.30 ID:8mAbctn+
癌になるのは辛いよ、でもなっちゃったものは仕方が無いのだから、そもそも癌になるのはエゴが「カラダはお前自身だ」と思わせる為の策略としてカラダに注目させてる証拠なんだよね、 だから「カラダは私じゃない、私は不死の精霊であり全体であり無辜である」と思いながら病気を赦し癌を聖霊に委ねればいいんだよ。あとのことは全て聖霊にお任せする。ただそれだけのこと。 それがACIM。
話は変わるが、miraclestudies.netで 「The Most Commonly asked Questions about A Course in Miracles」の全文のページが削除されたのか、しばらくの間 見れなくなっていたのだが、いつの間にか見れるようになっていた。 ちなみにここで、「The Fifty Miracle Principles of A Course in Miracles」の 全文も読める。
>>659 「カラダは私じゃない、私は不死の精霊であり全体であり無辜である」「全て聖霊にお任せする」
そんなこと肺癌になるまえからワプニクは散々念じてきた事だろう
でも肺癌になるのは避けられなかった・・・
全て聖霊にお任せして肺癌になった・・・
これがACIM。
癌になることが最善ってこともあるさ つか、誰でもいずれ死ぬ、死ぬ=悪いことではない 例えエゴが望まなくても、エゴはすべてコントロールしようとするけど エゴは何が最善か知らない
663 :
神も仏も名無しさん :2013/09/10(火) 00:11:58.97 ID:WtVwhJOU
>>661 あなたがそう解釈するならそれはそれでいいんじゃないかな
あなたにとってのACIMがそうならどこか他の病気治し癌封じの宗教団体に入ったほうがいいだろうね。
>>530 悪いんだけどコースでは魂はソウル、霊はスピリットって読むんだよ。
自分がもの凄く苦しいのにあなたは救われていますよなんて言われたら ふざけるなって思わない?結局自分の感覚が一番大事なのではと 経験上思う。
667 :
カイン :2013/09/10(火) 17:36:04.15 ID:uGpOSaqJ
ACIMもクリシュナムルティの教えと同様に誰もゴール出来てないものなのかもな・・・。
668 :
カイン :2013/09/10(火) 17:43:31.14 ID:uGpOSaqJ
不死現を読んだ印象だが長年赦しの実践をしたゲイリーが「こんな程度なの?」と思ったんだよな。
669 :
カイン :2013/09/10(火) 17:59:33.60 ID:uGpOSaqJ
で、思ったのだが、仏教の止観が一番無難なんじゃないかなとね。ACIM、K、ラマナの教えは悟後の修行に感じる。
あー、天国に戻りてー。 毎日、苦し過ぎるよー。
>>665 私もその子羊でございますが・・。
いや、真面目な話、私は翻訳家ではなくただの会社員で、
著作権の絡みもあるから、JACIMに頼むのが一番いいのでは。
20人位嘆願すれば、やってくれるかも。
二元論の世界から、苦痛を取り除くなんてことはできない 生と死、正誤、善と悪、苦痛と快楽、 死を恐れるのは二元論の世界に住んでいるから 心が葛藤するのもそうで 一元論の世界に死は存在しないし、苦痛もない でもこの世界に偶々触れるとき、智慧や幸福や愛の感覚がもたらされるが 常にこの状態でいることはできない(ほとんど人が) 一元論の世界=天国へは、死んでから行くものではなくて 意識の状態のことなんだけど、二元論の世界に居ながら永遠に続く幸福を望んでしまう だから絶望するんだよな
エゴは二元論の世界の産物だから、真の自己(それを何と呼ぼうと) ソウルでもスピリットでも(スピリットって訳はたしか香咲さんだったかも、 間違ってたらごめん)の世界は一元論の世界 真の自己でいるとき、エゴは存在することができなくなる だから偽の幸福を追わせようと画策する、心を、欲望を掻き立てる 「〜があったら幸福になれる」「〜を手に入れろ」 それは、時に物質的な何かだったり、お金とかねw、社会的な地位や特定の人物 そうあって欲しい状態かもしれない(美しい容貌だったり) それを追いかけて手に入れても、満足していられる時間はたかが知れている
675 :
カイン :2013/09/10(火) 20:00:46.58 ID:j7yCkFvS
そうだな〜。この世に老病死の苦を埋め合わせるような快楽は存在しないな。しかし、悟りがもっとイージーなら良かったのになあw
676 :
カイン :2013/09/10(火) 20:09:26.87 ID:j7yCkFvS
でも偽の幸福もないと辛いもんやでw今ある幸せ(家族、友達、財産)が明日全部無くなったらタヒるかもw
世俗的な欲をすべて諦めろってんじゃないのよ それを持ちながら天国に入ることだってできる (聖書には真逆のことが書かれているが) ただエゴに騙されて、それを手に入れなければ幸せになれないって思い込みや 執着がいけないのであって、 この世の全てを捨てて禅の修行しなきゃ悟れないってわけでもないでしょ まず神の国(天国のこと)と神の義を求めよ 全ての必要は満たされるって聖書にも書いてあるが、エゴは神の国なんて求めたくないw
赦しって誤解されがちだよね。 自分では、赦すことが出来ないから。 自分には赦す必要がない、 そう思ったほうが、よっぽど赦しになるような。
このスレを見ていて思うのだが、
コースをそんなにくそ真面目に捉えずに
もっとユーモアを取り入れてやった方が
いいと思う。
これはビル伝のタイトルでもあるが、
笑いを忘れちゃいけないよ。
という訳で、主(マスター)気取りよ、憐れみたまえ。
>>666 の彼を救い給え。
>>679 哀れむことは可能なのだが救うのは無理だな。
イエスも病気治したとか新約聖書に書いてあるが、だいたいは治った直後に「あなたの信仰があなたを救った」とか言っていて、要するに自分で自分を救っただけだよと言っている。
つまり、イエスは救うどころか何もしていない。せいぜいその切っ掛けを与えた程度ということだ。
後で弟子をあちこちに行かせて病気治療等をやらせたことになっているが、それも同じこと。
弟子に特別な力が与えられたわけではない。
でもさ、 コースだなんていう難解な書物に、関わるだなんて、 みんな、大変な人生を送ってきたんだろうなー。 まあ、その中でも、おいらが1番大変だけどねw
笑いが必要なのは分かるけど、 コースを読んでいても、笑えないよね。 イエスにユーモアがあれば、良かった!
684 :
カイン :2013/09/10(火) 21:46:43.88 ID:EfLMgOkJ
大内訳、スッと頭に入ってこないな。つかもっと解りやすく出来んじゃね?無駄に難解なんだよ。
685 :
神も仏も名無しさん :2013/09/10(火) 21:57:05.27 ID:WtVwhJOU
イエスが十字架で槍で突かれて死刑になったそうですが 死ぬ直前に「神は何で私を見捨てるのでしょうか〜www」 って問いながら死んでいったって本当でしょうか? 最期は自分の信仰に疑問を持って死んでいったのかなって? いや、そんなこと言ってキリスト教批判してた偉い坊さんがいたんで。
>>681 そこを何とか今回ばかりは主のお力でサービスを・・・と言いたいところだが、
まあ救いというのは、第一に自分自身に力があることを気付かせることだろうな。
>>683 コース読んでいると、真面目一辺倒ではないし、結構懐深いよ。
そしてこれは翻訳じゃ分からないけど、原書では韻のリズムに気を使っているしダジャレも一応ある。
687 :
カイン :2013/09/10(火) 22:02:12.21 ID:EfLMgOkJ
皆がコースを手にしたきっかけを教えてほしい。俺は幸せな夢を見たいからだなw
688 :
カイン :2013/09/10(火) 22:58:14.55 ID:qMZW8ag7
こういう場面でコースの教えが役立ったとかでもいい教えてちょw華麗にスルーしないで(笑)
>>684 大内訳は訳がこなれてない
翻訳された日本語になってると感じる部分がある
690 :
神も仏も名無しさん :2013/09/11(水) 01:23:11.98 ID:GL+O/QRT
>>684 大内訳は、こなれてないっていうか、なんか私は“軽い”と感じた。
なんかスピっぽいっていうか。カタカナも多用しすぎじゃない?
今、公認訳の「奇跡講座」読んでるけど、こっちの方がずっと品があるというか
端正な感じでずっと良いと思う。といってもこっちはまだ半分も読んでいないんだけどw
両方きっちり読み比べた人いたら、感想教えて欲しいです。
691 :
神も仏も名無しさん :2013/09/11(水) 01:28:30.31 ID:GL+O/QRT
>>679 ユーモア取り入れた方がいいというのは、私も賛成です。
なんかこのスレ見てると、時々、大人げない言い合いwwみたいなのが、たまに
始まるじゃない?ああいうのも、良い意味での大人のユーモアのセンスとか
があれば、もっとうまくかわせるのではないかな。
大人げない言い合いww つまり「わたしは正しくて」「あなたは間違っている」この立場こそが ずばり二元論でしょうw 個人的な諍いから国際紛争まで、上記のような対立の構造が原因だよw 自分の正しさを証明するために、相手を打ち負かさなきゃならないと エゴは主張する、外的世界ではディベートから戦争まで、 内的世界では自己矛盾→葛藤が起こり、心の平安が失われる コースでは、「正しくありたいか?それとも幸せになりたいか?」 宗教やイデオロギーの対立は、信念や価値観の対立で、その信念や価値観は 単なる思考の産物に過ぎない、エゴの「わたし」はそれらでできている 絶対的に正しい信念も価値観も存在しないってことをまず悟る必要がある
大人げない言い争いはよくない、 という価値判断もエゴの産物ねw
良くないとは言ってないよ、幼稚だとは思うけど 結局打つまかしたい、相手を踏みつけてやりたい それが本音でしょう
>>667 クリシュナムルティは那智タケシって人が本読んで覚醒したって言っていた。
696 :
神も仏も名無しさん :2013/09/11(水) 15:19:33.22 ID:J+DSzd6e
ゲイリー新刊10月8日に発売 翻訳はまだまだ先か
697 :
神も仏も名無しさん :2013/09/11(水) 15:27:03.78 ID:Vy1vIRdc
ゲイリーさんの来日セミナーが来年4月だからそのあたりかな
言い合いと感じたレスは見たことがないんだがな・・・
>>685 ACIM的には…
キリストはそんなことは言っていない、後世の人間が勝手にこしらえた
キリストはそのときは幽体離脱して、十字架刑の様子を余裕で眺めてた
キリスト教の解釈の一つでは…
キリストは全人類が負うべき罪と罰を一身に引き受けた
当然、神から見捨てられるという最悪の罰も引き受けた
だから十字架上ではそう叫ばなければ贖いが完了したことにならない
700 :
カイン :2013/09/11(水) 18:31:03.36 ID:OawCFtZ9
>>690 やはり大内訳より公認の訳の方がいいのかね。まあ俺の根気の問題もあると思うけどw
701 :
神も仏も名無しさん :2013/09/11(水) 18:40:47.85 ID:IDRjIOwN
>>699 は〜
いろんな解釈があるんですねえ
「おー神よ〜あなたは何故私を御見捨てになるのでしょうかぁW」
と叫びながら死んでいった、彼は死ぬ間際、自分の信仰に疑問を持って死んでいったのです、だから私はキリスト教は信じないと、
某大教団の有名な大教祖様がたくさんの信者達の前で演説してたんで私も単純に信じてましたが・・・何でも簡単に信じるもんじゃないっスね、
レスに感謝。
コースも将来的にはいろんな解釈の違いから分裂してゆくのかもしれませんね。
702 :
カイン :2013/09/11(水) 18:41:08.03 ID:OawCFtZ9
>>695 そうなんだ初耳だ。Kで悟れるということは 生まれつきのセンスがあったのではと思う。
>>691 私はどっちかといえば、大人げない言い合いもたまにはよし、本音で語り合えよ
くぬ野郎っていうスタンスだけど、このスレでは理論の部分に関してくそまじめ過ぎ。
ユーモアは、そのカチカチの心を柔らかくしてくれるんじゃないのか。
非二元論にこだわって、非人間的になるくらいだったら、
二元論の考えを採用して人間的になった方がよっぽどましかと思われる。
蛇足だが、ゲイリー本では、兄弟同士の心の結びつきこそが分離を癒すというのが
あまり語られていないから、コース本体を主軸にしないと非人間論に堕ちてしまう
危険性があるということを一応書いておく。
704 :
カイン :2013/09/11(水) 19:26:40.29 ID:js9iqjMg
ワプニクが病気だそうだが、どうにもならんもんなのかね。エックハルト・トールは内なる身体に根をおろせば、病気になりにくくなると言っているが。
>二元論の考えを採用して人間的になった方がよっぽどましかと思われる ACIM全否定ワロタ、まぁ瞬間の悟りの体験は持続しない その瞬間得られた智慧も、疑念とか感情(復讐心とか)で掻き消える 普通はね、思考ってのはそういうもんだしw
>>703 >非二元論にこだわって、非人間的になるくらいだったら、
>二元論の考えを採用して人間的になった方がよっぽどましかと思われる。
非二元だと非人間的になる? だとしたら単に理論を知って振り回してるだけなのでは?
708 :
神も仏も名無しさん :2013/09/12(木) 07:14:36.58 ID:A0UxUfed
>>706 わたしの神よ、わたしの神よ
なぜわたしをお見捨てになるのか。
なぜわたしを遠く離れ、救おうとせず
呻きも言葉も聞いてくださらないのか。(第1節)
《この続きがあったのですねw》
わたしの魂は必ず命を得
子孫は神に仕え
主のことを来るべき代に語り伝え
成し遂げてくださった恵みの御業(みわざ)を
民の末に告げ知らせるでしょう。(第30-32節)
これで合点がいきました
レスサンクス。
709 :
神も仏も名無しさん :2013/09/12(木) 09:19:14.83 ID:uMFWtlOw
>>705 ACIMを全否定?我こそはACIMを全肯定する者なり。
・・・というのは冗談だが、聖書の言葉で説明すれば、
「わたしに向かって、『主よ、主よ』と言う者が皆、
天の国に入るわけではない。
わたしの天の父の御心を行う者だけが入るのである。」
>>707 非二元論=非人間論とは言っていないよ。こだわりすぎると
そうなると言っている。後、知識だけでなく分かっていたら
それこそ非二元とか二元とかどうでもよくない?
論理(思考)は論理(思考)であって、それ以上でもそれ以下でもない 頭がいくら悟り(真実)をねつ造しようと言葉をこねくっても 悟りは言葉を超えたもので、どこへもたどり着かない 思考にしがみついているうちは堂々巡りをするだけ 二元論つまりは、エゴとは分離の幻想のことで 天国から分離してしまったエゴが見るこの世界は、あらゆる悲劇と苦悩に満ちている エゴが見る悪夢は、戦争や民族紛争や個人レベルの諍いまで あらゆる残虐行為が行われ、政治的組織的腐敗、不公正が見える 正しいものや善人が報われるわけでもないw 上記のようなことは、個人の内面でも起こっている 自分の思考を逐次、取捨選択せずにありのままを書いてみることを勧めるよ エゴの抵抗に遭ってなかなかうまくいかないだろうけどね いかに自分勝手で、独善的で、偏執的で(ときに分裂的で)、 矛盾だらけかわかるからw人によってはまとまりのある思考の流れを形成している人もいるけど これも千差万別で、支離滅裂で狂ってるとしか言いようのない人もいる 自分の内に葛藤そして争い、自己矛盾があるうちは、世界は平和にならないだろうねw 人々の内面の転写というか、反映がこの世界だから この世を天国にするには、分離状態を解消しなきゃならない
自分の思考を信じる(強い思い込み)=エゴにどっぷり浸かっているってことだから まず、エゴと距離を置くために、自分の思考を観察することをお勧めするよ 客観的になれないと、エゴがどんなトリックを使って自分を騙すか、 わからないからね エゴは盲信させて、偽物を本物のように偽装するのが得意だから 自分語りで恐縮なんだが、大事な人の死をきっかけに、心に大きな怒りを抱えた時期があった わたしは常に憤慨していた、世の中はなんでこんなに不公正なんだ? なぜ善人が死んで悪人がのさばっているんだ?等々自問自答の日々が続いた あるとき、瞑想を終えて、コーヒーを入れているときだった 全き公正さの中に自分がいることに気づいた、これを言葉にすると陳腐で矛盾だらけになるんだけど 衝撃的な悟りの瞬間だった、不公正なんて存在しない!
魂(真我、全知、スピリット等なんと呼ぼうと)の次元で見ると 全ては完璧で、公正そのもの エゴが見る幻想の世界では、不公正で不平等に見えても だから心配しなくてもいい、悪人が未来永劫良い思いするなんてことはないからw
わたしたちの知覚は限定されている、エゴは何も見ていない 「わたしは何も知らない」「本当のことを見ていない」 この世界が破壊的で不公正で不平等なのは、エゴがそうだからw エゴが見る世界は幻なのに、それが真実だと信じているから 私の見た瞬間のヴィジョンは、思考とは別次元から来た「閃き」というか 衝撃的だった、思考が納得したわけじゃないけど、あれ以来 怒りに煮えたぎるような感情は消えた
神はこの世界を作ってはいない。 このことは確信してよい。 つかの間の幻の世界、 罪深い者、有罪な者、 恐れる者、苦しむ者、孤独な者、 死すべき肉体の中に宿る心などについて、 神は知ることなど出来ない。 レッスン152.5
715 :
神も仏も名無しさん :2013/09/12(木) 18:32:56.27 ID:uEsOO8zi
砂漠の中の蜃気楼。
何が?エゴが?つかまたおまいかww ちゃんと文章化してくれなきゃ何が言いたいのかわからないよ
>>716 この世界は神の創ったものではなく、砂漠の中の蜃気楼に
過ぎないってことを言いたいのではないのか。
>>714 あなたはこの世界を知覚している。
このことは否認すべきではない。
つかの間の幻の世界、
罪深い者、有罪な者、
恐れる者、苦しむ者、孤独な者、
死すべき肉体の中に宿る心などについて、
これこそが、あなたが自分自身に対して
抱いているイメージである。
あ、どうでもいいが、私は709ね。715ではない。
719 :
神も仏も名無しさん :2013/09/12(木) 19:14:49.16 ID:jjw5Thwc
他人が書いた文章からきちんと言いたいこと読み取るって、結構難しいよね。 なんか微妙に意味を捉え違えられちゃったりすることは良くあると思う。 でもこのスレ見てて皆さんそれぞれの視点やそのときの気分wwで、それぞれ にいいこと言ってるんだと思う。なんかこういう言い方って不正確 に聞こえるかもしれないけど。完全に真理そのものをズバッと言える人はいないし。
720 :
カイン :2013/09/12(木) 20:17:06.42 ID:hGyeLsuh
>>687 なるほど〜。マスター気取りさんのレス面白いし、いつも勉強になります。
721 :
カイン :2013/09/12(木) 20:28:42.86 ID:hGyeLsuh
>>711 自分は理不尽な出来事は全部がギャグ、フィクションだと思ってるよ。ノーマインド、お気楽に生きた方が世界貢献になる。
なんかバカバカしくなってきたww
話は違うけど、子供って 「それって良いの悪いの?」聞くんだよね 世の中そんなに単純じゃないのに、 「僕は正しい、ママは間違ってる」、または「ママが正しい、僕は間違っている」 でもって、間違ってるママは悪い、逆に、間違ってる僕は悪い、になる 二元論、しかも単純な二元論でものを考える 間違ってるか正しいか、良い(善)か悪か これがある程度ものがわかってくると、そう物事は単純ではないとわかる イエスかノーか的な単純な考え方からは卒業するんだけど 稀に・・・・
724 :
カイン :2013/09/12(木) 20:55:08.82 ID:hGyeLsuh
まあ、家族や友人の死とかなら分からんでもないが、「世界」とか深刻に考えないで明け渡した方がいい。
725 :
カイン :2013/09/12(木) 21:27:45.93 ID:hGyeLsuh
>>719 たしかに。長文連投する方は心がかなり乱れている気がしてな。不必要な重荷を背負ってる感じ。
726 :
神も仏も名無しさん :2013/09/12(木) 21:45:23.98 ID:8iDQ1iiL
重荷ねぇww、 私達の攻撃の想念を審判せずに正視することこそが、自我を無に戻す。 したがって、罪悪感や恐れを持たずに自我を正視することが贖罪の本質である。 一度これをはじめてしまうと、心の奥の方にある未解決の(未浄化の) 色んなものが意識の表層に浮上してくる、人生の問題という形をとるかもしれないし トラウマや影(シャドー、認めたくない自我の一面)と対面しなきゃならないし カルマ的な何かとか、浄化のプロセスは辛いし不快かもしれない まぁ聖霊が助けてくれるってのが救いなんだけどね
悟りの体験は入口に過ぎない、一度リアリティを垣間見たから「悟った」って話じゃなくて 真の自己に立ち返るプロセスに入った、ってことで何もかも解決じゃないんだよね そこを勘違いすると、エゴの罠、魔境wとかに嵌ってしまう
>>726 ほぅ、私の書き込みに対してはまあともかくとして、
>>715 をあなたはどのように読んだのかな?
ぜひ聞かせてもらえるとありがたいな。
>>714 イエスが神に教えてあげれば神も知ることが出来るよ。
モテキっていうDVDが最高に面白かった!
732 :
神も仏も名無しさん :2013/09/13(金) 08:09:41.80 ID:6TWP+Xgb
>>730 言われてみればそうだ、そしてイエス=神でもあるからイエスが知ってれば神も知ってることになる、因みに聖霊も神で我々の源も神だ、
イエス=神であるから、イエスがモテキを知っていたら
神にもモテキ到来!?聖お兄さんみたいな展開だな・・・。
冗談は抜きにして、
>>732 の論法はACIMでは当てはまらない。
権威問題といって、詳しくはテキストを読めとしか言えんが、
簡単に言えば、神が神の子を創ったのであって、神の子が神を
創ったのではないというのがACIMでは核となる部分である。
よって、神がこの世界を知らないのであれば、
神の子もこの世界を知らないことになる。
ちなみに神の子とはイエスであれ我々でもある。
735 :
神も仏も名無しさん :2013/09/13(金) 15:07:23.64 ID:xmLj79aV
映画マン オブ スティールを観て、 神の子の無敵感覚を思い出そう!
聖☆お兄さんは、笑えるから、 コース学習者向けだね! あと、何気にオススメなのが、 臨死江古田ちゃん。 臨死江古田ちゃんを読まずにエゴを語るなかれ。
みんなも、オススメの映画、漫画など教えてね!
738 :
神も仏も名無しさん :2013/09/13(金) 18:28:45.07 ID:zEzm/2ch
>>715 いゃあ〜イミフな短文レスは私です(爆)失礼w
★イミフ短文レスソース→→「神使」P118
〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜
あなたは砂漠を夢見ており、そこにはあなたを支配し、苦しめる者の「蜃気楼」があるが、そのイメージはあなたから来ている。
父はその砂漠をつくらず、あなたがたのわが家はやはり彼とともにある。
戻るためにはあなたの兄弟を赦しなさい。そのときにだけ、あなたはあなた自身を赦すだろう。
〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜
↑↑
ココ
読んでて何気に
『砂漠の中の蜃気楼』と
レスしたくなり思わず書き込みましたが、何かお騒がせしちゃいましたか?(笑)
>>733 > よって、神がこの世界を知らないのであれば、
> 神の子もこの世界を知らないことになる。
> ちなみに神の子とはイエスであれ我々でもある。
対偶というのか、我々がこの世界を知っているなら神も知っている事になるのかな。
>>739 今の我々の意識(この世界が存在しているように見える)を起点にすれば、
神もこの世界を知っているはずだ、という結論に導きたいという気持ちは分かる。
しかし神がこの世界を知らないということを起点にすれば、我々の意識が
間違っている、というよりもそもそも存在していないという結論になるね。
これが733の言いたかったこと。
だが、これは形而上学なので、あまり実践的なものではない。
子供の見る夢の内容を親は知らないが、子供が唸っているのはわかるので起こそうとする
>>740 神にとって我々の意識は存在していないという事は我々と神は完全に分離しているという事では・・・。
>>742 だから我々の意識を起点にすれば、神は別の存在に見えるね。
コースもそういう形で書かれているよ。とても親切でしょう。
>>743 イエス自身が「自分と神は別の存在で分離している」と思っているようなのですか?
コースは、ふたつのレベルで書かれているから、ややこしいね。 形而上学においては、 神はこの世界のことを知らず、 神も神の子もひとつのものとして存在している。 けれども、 この世界においては、神の子が我が家に戻ってこられるよう、 私たちを導いてくれる神の計画というのものがある。 「世界はない」 「神はこの世界を知らない」というのは、 すべて形而上学的なレベルのものだから、 その知識でもって、 この世界を認識しようとすることは、レベルの混同になってしまう。
糞無駄な何もかも
同じ「神」という言葉を使っていても、 レベル1とレベル2では、その意味合いは違ってくる。 喩えて言うならば、 江戸時代にも、現代にも、「お城」はあるけれど、 お城の意味合いは、江戸時代と現代とでは、違うって感じかな?
レベル1神とレベル2神も分離しているのですか? 互いの交流もない?
>>748 神は神だけど、その働きがレベル1とレベル2では違うって感じかな。
神というのはレベル1とレベル2にまたがって存在しているのですね。 神は全てといいますから。
コースの難しいところは、 キリスト教の用語(三位一体)を使って、 悟り(天国)へと導こうとしているところかな。 他の精神世界の本では、 三位一体の立場を取る必要ないから、 わたしたちを導いてくれる聖霊が神ということになっている。
必要性は全て満たされるっていうのは腹が減ったら空から食べ物が落ちてくるってことじゃないよ 腹が減るのも空から食べ物が落ちてくるのも幻想だと気づいていることが起こるよ 非常に奇妙なことだが、腹が減っているというのは、仮説にすぎないんだ そこに食べ物があるとかないとかも、よく調べてみるとたんなる思考なんだ もちろん腹が減ってもいいし食べてもいいわけだが、 それに飽きたり疲れたり縛られてる感じがして怒りや苦痛を感じたら、 それから自由になるためにそういう観察を行うことは可能ですよということ。 そして遅かれ早かれみんなそうするし必ず気づく、他に道はない。 兄弟を赦せというのは兄弟の悪事を大目に見ろってことじゃないよ 兄弟の肉体と自我と台本は幻想だと気づいているものに道を譲れって意味だよ それができないときは自分の肉体と自我と台本を幻想だと気づいているものに道を譲れって意味だよ その気づいているものには肉体も自我も台本もないよ
753 :
神も仏も名無しさん :2013/09/13(金) 23:00:27.31 ID:9UNTx7OR
>>741 眠ってる子供の見てる夢の中まで親は関われないしそもそも夢なんていうのは現実ではないのだから無に等しい、神といえども無にまでは関われない、引っ叩いて叩き起こすのもかわいそう、だからただ優しく起してあげましょうということでしょうね、
まあ、起してくれるなら別に叩き起こされても構いませんがねw
>>750 本来、レベル2も、レベル1なんよ。
一元も二元も一緒。
ただ、一元を起点とした見方と、二元を起点とした見方があって、
それをごっちゃにすると、コースはちんぷんかんぷん。
コースと他の道の違うところは、 コースは、キリスト教世界観の修正という、 余分なところが混じっているところかな。
>>520 なんで半沢だけエゴまみれだとおもうわけ
>>750 だから、繰り返すが、我々の意識(レベル2)を起点とすれば
すべてというのは、レベル1、レベル2が含まれることになるが
そうはならないんだよ。レベルという概念自体もない。
神以外のものは存在していない。
つまり「今、自分がここで存在していて、イエスがいて神がいる」
という意識は存在していない。
理屈じゃ絶対に分からないし、受け入れられないのは分かる。
あなたの一連の書込みを見ても、全て前提が同じだから。
神以外のものは存在していないなら夢見る神の子はどこに存在しているのか?
753などは神が神の子を創って神の子が眠ったという事だが
だが、そんな事を言っても、今ここにいると信じている我々にとっては 絵に描いた餅だ。 だからこそ、「眠っている神の子を神が目覚めさせようと聖霊を送った」 というように、核となる形而上学とは矛盾するが、我々でも理解できる物語で 書かれているのだよ。コースの語っていることを体験できるようにする為に。 この物語について、ああでもない、こうでもないというのは趣旨を完全に 見誤っている。気に入らないのなら、他の物語を使えばいい。
764 :
神も仏も名無しさん :2013/09/14(土) 12:32:13.51 ID:zKffousf
夢から覚めたその場所は、まだ夢の中でした&#9836; by インセプション
>>763 >この物語について、ああでもない、こうでもないというのは趣旨を完全に
見誤っている。気に入らないのなら、他の物語を使えばいい。
ほんとその通りだね!
他の物語といえば、
代表的なものとして、
完全なる無限の神が、自分の無限の力を試したくって、
この有限の世界を作ったというのがあるよね。
この世界は遊園地ってやつ。
これは、コースとは対立する考え方だけど、
わたし自身は、この考え方は、深刻にならずにすむところが、とても良いと思う。
何度も書いて恐縮なんだけど、
コースの場合は、キリスト教的世界を利用して書かれているから、
あのような物語になっただけで、
一元から二元が発生した説明がされていれば、物語はなんだって良いと思う。
この点に関して、
ゲイリーさんは、コースの物語だけを真実としているふしがあって、
わたしはそれは違うと思う。
766 :
神も仏も名無しさん :2013/09/14(土) 12:58:04.38 ID:DZU+stO0
やはり、神はこの世界に一切感知せずノータッチってのがコースの根幹だからねぇ〜 そこらへんは譲れないだろw
>>766 コース的にはそうかもしれないけど、
他の物語、神話でも、天国は可能だってことだよ。
だから、
他の道を選んでいる人に対して、
コースの世界観を押し付けることは無意味だってこと。
>>765 迷惑なヤローだな、その神は
全知全能かも知れんが至仁至愛ではない、むしろ優しさゼロ
俺ら完全にシムシティの住人やん
>>765 いや、神=自分ということだよ。
自分自身の無限性を知りたいために、
自分でこの世界と肉体を作ったということね。
770 :
神も仏も名無しさん :2013/09/14(土) 14:31:16.48 ID:DZU+stO0
>
>>767 >コースの世界観を押し付けることは無意味だってこと。
って言うより
コースにそんな世界観押し付けられたらコースの魅力無くなっちゃうじゃんw
こんな不気味で残酷で哀しい世界にはやはり神は全く関わっていなかったんだって断言してるところにコースのコースたる魅力があるんだからさ。
それにこの世界に神が少しでも関わっていたと肯定すればこの世界も実在ってとこになっちゃうだろ〜w
ACIMのような小難しい本wが必要なほどに エゴが複雑怪奇になってしまった 心が捻じれに捻じれて、闇を増大している(邪悪な感性) これって一瞬先祖がえりじゃね?って思うことがある
一瞬はミスタイプ、一種の
>>773 ACIMのどこが小難しいのかね。
あれほど単純なのも珍しい。
>>772 マネゲは読んだことがないのだが、印象としては
古くからのスピリチュアルな知識を利用した
情報商材のような雰囲気がする。
著者がダイレクトマーケティングを専門としている
ことから、本の売り方を徹底的に研究している感じ。
777 :
神も仏も名無しさん :2013/09/14(土) 20:32:39.93 ID:DZU+stO0
777GET! 実在するものは脅かされない。 実在しないものは存在しない。 ここに神の平安がある。 《奇跡講座ワークブック編P11》
肝心なのは自分が平安であるかどうかなんだけど・・・ 赤の他人である神が平安なのはどうでもいいよ
779 :
神も仏も名無しさん :2013/09/15(日) 00:41:07.98 ID:ilyuqp8q
>>778 だ か ら、
コースでは、実相において神と神の子であるあなたは、完全にひとつである
って言ってるんだってば!!!
大丈夫???
「赤の他人である神」なんていませんよ。しっかりしてちょwww
780 :
神も仏も名無しさん :2013/09/15(日) 01:13:38.73 ID:ilyuqp8q
>>773 >>775 難しく考えたりする必要は全然ないと思う。
コースを読んでるときに、自分が完璧に神に愛されてるってことを、どこかで
直知できればいいんだと思う。
その愛を感じられれば自然に、自我を手放したり赦したり、他人に思いやりを
もてるようになるんだと思う。そこから先は自然に起きてくる気がする。奇跡って、
世界で一番自然に起きることなんでしょww
>>779 「実相における神」と「この世の自分」とは何か関係があるのですか?
関係が無ければ赤の他人でしょ?
>>780 実相における神はこの世の自分の事は知らないのでしょ
神は知らない人を愛するのかな
すべてはエゴにとって理解可能な喩え話に過ぎない、ということを何度言えばわかるのかね、こいつはw
分かりやすくても真っ赤な嘘なら意味がない 難しかろうが真実を知りたい
コースは、普遍的な神学は不可能だって、言ってるんだよ。 議論をしたければ、不毛な議論を一生することだって、出来る。 コースが目指しているのは、体験だよ。 体験を目指すつもりがないのなら、 コースをいくら学習したって、意味ないんだ。 そこんとこ、よろしくメカドック!
コースの形而上学って何だったんだろう
まあ、車の免許で言ったら、 学科教習って感じかな。 学科教習だけで、車を運転することは出来ない。 かといって、実技だけだと、うまく運転できるようになるまでに時間がかかりすぎる。
あとね、忘れやすいんだけど、 コースを学ぶ動機な常に心の安らぎだよ。 心の安らぎが欲しいから、コースを学んでいるってことを忘れると、 ついつい間違った方向に逸れてしまいがち。
神が無限性を体験するために遊園地を作ったっていうニューエイジ思想自体が、 コースが解体しようとしている認識そのもので、エゴの思考システムだから、 その「気楽さ」というのは無意識の罪悪感に対する抑圧であって完全にニセモノで、 ニューエイジ思想によって自分は幸せじゃく不幸になってるって、 自覚するところからコースの赦しは始まるんでないっけね。 まず神ではなくて私が、無限性を体験するためではなく愛を体験しないために、 遊園地ではなく監獄を作った、だが神を離れて作ったものを神は現実にしないし、 神を離れていないものが神を離れたことを神はご存知ないし、したがって 神を離れたものが神を離れて何かを作ったという事実がないのだが、 それを信じているならその観念を一つずつ真実に照らして吟味し、 それを感じているならその現象を一つずつ実相に照らして吟味することで、 幻想は非実在であり実在は幻想ではないということに気づかせることができる 存在が我々の中にはいて、その存在を教師にすることで、我々は地獄の迷路と 逆さまの悪夢から一歩ずつ抜け出ることができるというのがコースでせう。
引き寄せにしても、ニューエイジ的な創造にしても、 そこには「求める」ということがあると思うのね。 で、求めるというのは不足を感じるからなんだけど、 不足を感じるのは100%エゴなの。 愛というのは不足できないものなので、 不足を感じているとしたら愛にいないということになるのね。 愛にいないことができるのはエゴだけなのよ。 で、エゴは愛にいることもできないのよ。 だからエゴではないものはエゴを赦す、手放す、明け渡すことができるんだけど、 エゴにはそれはできないの。 つまり赦す、手放す、明け渡すなどができないのはエゴなのよ。 私は私のエゴではない、って聴いて自由や平和や喜びを感じるのがエゴではないものね。 私は私のエゴではない、って聴いて恐れや怒りや嘆きを感じるのがエゴね。 エゴに対して完全にいらないって思えるのがエゴではないものね。 エゴに対して絶対にいらなくないって思うのはエゴね。
>>788 あんまり、コースの形而上学にはこだわり過ぎない方が良いと思うよ。
このことに関しては、
ゲイリーさんは過ちを犯してしまったような気がする。
そんな形而上学がない、禅でも救済は可能だし、
一生を瞑想に費やすことでも、救済は可能だって、イエスは言っている。
ただ、それだと時間は食うは、退屈だはで、オススメはしていないみたいだけどね。
791 :
神も仏も名無しさん :2013/09/15(日) 16:48:16.53 ID:Y3RmJ/d/
>>788-789 分析力ありますね、よく分析してます。鈍いんで3回読んでやっと理解できました(笑)
つまり、要点は次の二つだろう。 1.コースは他の教えとは異なっている 2.コースが目指しているゴールにはコース以外の教えによっても到達できる もう少し補足すれば、コースの赦しを本当に活用するためには、コースの形而上学を 歪まずに理解することが必要だから、コースをやるのなら、神が体験したくて二元性を 創ったという考えはNGとなる。ここはよく間違えられやすいが、コース以外の形而上学を 使って、実践だけコースのワークなり赦しなりを適用するのはやめた方がいいと思う。 聖書に出てくる、革袋と酒のたとえ話の通りだ。
793 :
神も仏も名無しさん :2013/09/16(月) 01:59:01.40 ID:v6iNnsDD
ま、いずれにしても、神が無数の体験をしたいが為にこの世界を創って、自分を 無数に分割してこの世界へ送り込んだみたいなニューエイジの考え方は、困ったものだと私も 常々思っています。神がこの世界を創って無数の神の子を送り込んだとして、その 結果はご覧の通り、混迷を極めているわけですね。で、それがどういう方向へ 収束/収斂していくかの方向性は、彼らは示せないわけですね。 ま、いつかの時点で時を見て神がすべてを引き上げてくれるみたいに思いたいんで しょうが、そういうことは起こらないわけです。当たらない予言を繰り返して、 それをビジネスにしたりしてるわけです。 自分の外側に神や救済者を想定して探してるうちは、絶対ダメなんだなあ。 それに比べたら、すべてはエゴによる幻影で非実在と斬って捨てるw、コースの 教えの方がずっと真実なんだろうな。自分が本当の意味で主体的に動ける…っていうか、 知覚の修正をすることで偽の主体としてのエゴを消してしまえばいいわけだから。 それができれば世界も消滅するんでしょ?
794 :
神も仏も名無しさん :2013/09/16(月) 04:24:08.55 ID:2ytHOoEB
世界は存在しない! これがこのコースが教えようとしている中心概念である。 レッスン132 奇跡講座ワークブック編P290上段14行目
>>793 ああそうだね
エゴを消してしまえば良いのだから簡単だね
さあさあどうぞ消してごらん
それができれば世界も消滅するんでしょ?
>>795 どうすればエゴを簡単に消せるのか、
教えてください、大先生。
そしてそもそも世界とは一体なんですか?
世界の定義を解説してください、大先生。
理屈で理解しようと思うと、絶対無理w 悟りとは理屈を超える瞬間だから ACIMの考え方を学ぶのはいいと思うけど、観念論になると違うとこ行くよ 体験を積み重ねるのが目的でワークは書かれたから 某所より転載 >西洋型の思考様式では、賛成か反対か、正面から向き合って意見を述べ合って終わりです。 >A→B→Cと順に話が進みます。ところが東洋型の思考様式は、 >賛成意見・反対意見の一対では終わらずに、多様な視点からのものの見方を想定して、 >考え方を順に並べていって、螺旋階段を昇るように、少しずつ高い見地へと移行していく形を取るのです。 リニアな思考では、相矛盾する(ように見える)理論を包括することはできない
人間のちっぽけな脳みそで、すべてが理解できると思う方が傲慢だ わたしたちの「知覚」自体、制限されたものだしね 例えば視力、猛禽類が見る世界と、犬が見る世界、昆虫が見る世界では 同じものを同じ視点で見ても、見え方が違う 張力もそう、人間が聞こえる範囲とイルカやクジラが聞こえる範囲も違う 同じ人類でも年齢で違ったり薄るしね、モスキート音とか 嗅覚も、犬が感じる臭いの感覚とそれから受け取る情報と わたしたち人間のそれは違う 感覚や思考には限界がある、わたしたち=限界だから スピリットに限界はない(ってのがACIMの理論だけどね) 悟りとは限界→スピリットへの移行の瞬間ともい言えるかも
禅問答=悟りを啓くための問答(公案禅)は 不合理っていうか理屈で考えてはわからない問題を師弟の間でやり取りする 理屈を超えないと見えないものがある 個人的意見だけどACIMの世界観だけが絶対だと思うと かえって「理論」に囚われてしまいそうな気がするけどな
ACIMって「キリスト」「神の子」「聖霊」って言葉がいっぱい出てくるし キリスト教文化が基盤になっているけど 本質は、仏教的だw
>>789 足らない(不足)から、持ってないから、
宇宙は無尽蔵な豊かさで愛そのもの、だから、宇宙から取り寄せよう
いや引き寄せようって発想だと
持ってない不完全な私と、満ち足りた完璧な宇宙の二元論になるねw
不完全な私(エゴ)が完全な宇宙にねだるってか感じ?
それだといつも「不足です」「欲しい」という現実が顕れるだけってことになる
>>797 某所より転載
>西洋型の思考様式では、賛成か反対か、正面から向き合って意見を述べ合って終わりです。
>A→B→Cと順に話が進みます。ところが東洋型の思考様式は、
>賛成意見・反対意見の一対では終わらずに、多様な視点からのものの見方を想定して、
>考え方を順に並べていって、螺旋階段を昇るように、少しずつ高い見地へと移行していく形を取るのです。
ACIMについて直接は関係ないが、ちょっと気になった。
この西洋についての理解が乱暴すぎる。
西洋には上記の演繹法だけでなく、帰納的プロセスもあるし、
それに結論を最後ではなく最初に持ってくるのが西洋の
特徴の一つというところも抜けている。
また、個人的にコースが上記の東洋的な思考形式の流れになっているのは、
思考形式云々よりも、長大な変奏曲として書かれているからだと思っている。
西洋音楽は、有名なソナタ形式からして一直線ではなく、循環的な
流れになっている。変奏曲というのがどういうものなのか分からなければ
有名なバッハのゴルトベルク変奏曲でも聴いてみるといい。
(個人的にはベートーヴェンの32の変奏曲の方が趣旨を伝えやすいかな)
変奏同士で比べてみると、どこに関連があるのか分からない、もしくは
矛盾しているだろうと思われても、全体を貫くテーマは一つで、それが
中心となって統一感を生み出しているから。
スピリット=阿頼耶識
阿頼耶識というのは別名、蔵識、一切種子識ともいい、 エゴの活動の一切を記録し蓄え、あらたな因縁因果を創り出す元になる部分、 だからスピリットではないな。阿頼耶識こそが世界という幻影を創り出す大元だ。 つまりそれはマザーでありマトリックス、マハーマーヤ、マーヤを生みだす母体。 (阿頼耶識縁起) ACIMでいうスピリットはその先にあるもの。 真言宗では八識としての阿頼耶識のその先に、 九識としての阿摩羅識、十識としての乾栗陀耶識を設定している。
聖霊と会話を会話を試みようとすると耳鳴りがなるのは何故なんだ? 聖霊が俺に何かしらのサインを送ってるのか?
806 :
神も仏も名無しさん :2013/09/16(月) 21:42:20.99 ID:0ORSvK/2
聖霊は常にあなたに重大なサインを送り続けている 問題なのは、エゴの声が大き過ぎて聖霊の声が聴こえないということだ、w 耳鳴りは無意識のエゴの抵抗かもしれない。
>>804 ほぉ
唯識=すべては心の顕れである、つまり心を変えれば自分も世界も変わる
知ったかしたけど、唯識論は難しい、てか仏教ってのは難解だけど
ざっと読み飛ばせるものじゃないな
ACIMは唯識論を超えるだろうか?
ヘレンさんの中で仏教とかフロイト心理学とかキリスト教の神学が入り混じって
生まれたのがACIMなのかもって思うことがあるな
同時期に生まれたトランスパーソナル心理学も仏教ってか唯識論がベースに入ってるし
ヘレンさんは心理学者だけど、当時多分「禅」とかブームだったはず
(よくわからんけど)仏教の知識はある程度あったんじゃないかな
奇妙な融合を果たして生まれたのがACIM
仏教的な「他力」の要素も入ってるしw
十識:乾栗陀耶識=神我 九識:阿摩羅識 =真我 ということだそうなので、 ACIMでは乾栗陀耶識は父なる神、阿摩羅識は子(キリスト)になるのかな? で、その阿摩羅識=キリストを阿頼耶識の側から感知すると聖霊として認識される? まあ、そんな比較対照してもあまり意味はないのかもしれないが。
知覚の変更というのがよくわからない。我々は何をすればいいのか。
日常的な意識しかなかったのが、 あるとき天国ビジョン(神と一つの自分と自分と一つの兄弟と兄弟と一つの神しかいない世界)と 地獄ビジョン(神はいなくて自分もいなくて兄弟もいなくて一つになれないことしかない世界)に分裂。 日常モードさん御臨終、天国モードが現実で地獄モードが幻想らしいと判明。 その後日常さんは非日常さんとして天国or地獄を選り分けるand選び取る生活へ移行、現在悪戦苦闘中。
811 :
神も仏も名無しさん :2013/09/17(火) 17:01:18.18 ID:uy22vUg5
>>802 ゴルトベルク変奏曲はいいですね。書いてくれたから久しぶりに聴きたくなった。
いろんな人の演奏聴いたけど、ガヴリーロフの演奏が一番癖がなくて自分は好き。
コース読むときのBGMとしてもおススメ。
812 :
神も仏も名無しさん :2013/09/17(火) 17:05:36.99 ID:uy22vUg5
>>807 ヘレンさんて仏教の知識あったのかな?あまり聞いた事がない。まあインテリ
だったから少しは知ってたのかも。
コースはどうしてもキリスト教との比較が良く論じられますが、やはり、
仏教との比較も考えておいた方が、より理解も深まるのですかね?
>>806 自分を裏切った人に対して怒りが収まらない。ACIMによれば自分が創造した憎しみの
投影を信じてしまった自分に腹を立てているというのがなかなか信じられない。
エゴの抵抗が耳鳴りに表れてるのか、もう本当に耳鳴りが絶え間ない
>>812 807の書き込みの唯識(すべては心の顕れである、つまり心を変えれば自分も世界も変わる )云々は、
ニューソートでも教えている考え方だよ。確かヘレンは子供の頃にクリスチャンサイエンスに触れていた筈。
ちなみに、ビルも子供の頃、両親がクリスチャンサイエンスを熱心にやっていたのだが、ビルのお姉さんが
子供の時に亡くなってしまったことで、教えから離れたという。
だから、クリスチャンサイエンスとコースには似たような部分もあるにはある。
私は両者については、肝心な部分が全く別物だと思っているが。
クリスチャンサイエンスは、唯識論とは比べ物にはならないよ なんつーか幼稚ってか… フロイトが生まれる千数百年もも前に、仏教は無意識の領域に光を当てていた 心の世界、深層にダイブしてインナーワールドを探る そこは、外に広がる宇宙より広大な宇宙が広がっている…? 唯識論ほどエゴを丹念に説明してくれるものはないかもしれない つーか難しいんだよwわたしの脳みそには
仏教と心理学とエソテリックとキリスト教が同居している あとは量子力学か?wそれがACIM
1960年代ってのは、どうなんだろ ヒッピーとか、LSDとかマジックマッシュルームでトリップ、とかサイケデリックとか 禅が流行ったり、ニューサイエンスに、トランスパーソナル心理学とか 従来の価値観に疑問を持つ時代だったのかな? 新しい宗教=スピリチュアル、新しい科学、新しい生き方を模索してた時代 物質的価値より精神的な目覚めを追い求める、アクエリアスの時代とか呼ばれた ACIMが生まれた時代ってのは、↑のような感じだったのかな? 単語の羅列になってしまったww、中身は良く知らない
60年代は、外側の世界から内面の世界に人々が関心を向けた時代 いや大昔から、仏教徒やヨーギはずっとそれをやっていたんだよね 西洋なら「カバラ」、カバラは西洋のヨーガ、 心の世界を探求していた、自分が何者かを知るために 現代の心理学はまだまだ先人の知恵に追いついてないのかもしれない 心理学者のユングは特殊な感覚を持っていた(それを霊感とは呼びたくないがw) この世界をどう捉えるか?自分の目や耳や鼻が捉える世界はリアルなのか? それとも幻なのか?、あの世が本物でこの世が夢か幻なのかもしれないとか 考えると面白いねw
>>816 ACIMのソースはヘレンの自我を越えたところから来ているが
表現された形はヘレンの自我に影響を受けていると思う。
ヘレン自身は仏教には直接関わりがあったのかといえば
そうではない気がするなあ。興味もなかったのでは。
無神論だったので神秘主義も同様に。
仏教に似たようなところは、プラトン、カント、ショーペンハウアーの
ような哲学が源流のような気がするよ。
反対にビルはCIA時代に様々な教えを調べ、研究したと思う。
それがACIMを「キリスト教のヴェーダンタ」と表現したことに
繋がるのではないか。
そうかなぁ、これはじめて読んだときは、これはキリスト教の形を借りた 大乗仏教じゃね?って思ったんだけど まぁそれほど仏教に詳しくないから恥ずかしいんだけどさ 何冊か速読した程度だったんで、でも頭に浮かんだ世界観がとっても似てた
最初にこれ読んだ時、速読で読んだんだけど、普通の読書でもイメージするだろうけど 速読では心の空間に複数のイメージ同時に湧き上がる 読むたびにイメージ体験が違うから面白いんだけど これ最初に高速読みしたとき、イメージ野に阿弥陀如来が出てきて 「南無阿弥陀仏」って言葉が浮かんできた、「あれ?」その時はビックリしたけど 南無阿弥陀仏って、「阿弥陀さまに帰依します」、ってことで 聖霊にお任せしますてのと同じなんだと思った 自分の心の中(中心に)阿弥陀仏の神々しい光を置く、阿弥陀様に委ねることで救われる 心に平安が訪れる、 てか、心理学と仏教とヨーガをちゃんと勉強したいなw
私もACIMに阿弥陀仏のイメージを持ったことがあるが 何年も学習を続けていると、仏教とも違う、というよりも これはイエスとの個人的な対話であると思った。 難しい用語や神学というものはあくまでも装飾品であって イエス自身は親しみやすい兄ちゃんである。 そんなつまんない事を一生懸命やらないで 一緒に楽しもうぜ〜って感じ。
823 :
神も仏も名無しさん :2013/09/18(水) 09:31:00.72 ID:S10dqnNF
くだらねぇー玩具は投げ捨てて、さぁー俺と一緒に光の世界で盛り上がろーぜぇー、WW テカ?(笑)
キリストも聖霊も阿弥陀仏も同じようなもんだよw そりゃ多少はニュアンスが違うんだろうけどさ 要するに、「愛」「叡智」そして「平和」 小さい頃から仏像見るのが趣味でw変な子供だったと思うけど キリスト教なら、そんなもん「偶像」だって言うんだろうけどね その像の造形がどうとか、文化的価値とかよりも、それを見た人々の思いの波動wが 宿っていて、それを感じるから好きなんだよね 何百年もの間、人々がどんな思いで祈ったのか、感じることができる 静謐と平安、平和を希求する心を感じる 心の中に聖霊(観音様でもマリアさまでも天使でも同じことだよ)を招く 招くというと外がらお客さんとして入ってくるイメージだけど 自分の中にそれはある、内なる神、内なる仏、内なる愛(または叡智)だ それと一体になることで、平和を実現する 世の中を平和にしようと思ったら、一人一人の心が平和でなくちゃならない >すべては心の顕れである、つまり心を変えれば自分も世界も変わる
>>813 その裏切った、怒りが収まらないという行為には、エゴの判断基準が存在している
判断基準もエゴも最初から無いものなので、一切消して、その人をただ見てみる
赦しとは、解放とも言い換えられると思う
エゴも、エゴの提供した材料も、握りしめずにすべて解放する
>>824 私はACIMは阿弥陀のイメージとは違うと思っているよ。
イメージを超えたところでは同じと言ってもいいかもしれないが。
どうもなあ、宗教やスピリチュアルな世界ではよく
「全ては同じ、方便の違いのみ」というような言説が
大手を振って歩いていて、見た感じ素晴らしいと思えるが、
しかし逆にこれを持ち出している限り、全然成長しないような気が
するんだよな。
教えそのままではなく、自分が作ったイメージ通りに学ぶようになるから。
一言で言えば、「能書きはいいからコースをやれ」
パズドラにハマって、 コースどころではなくなってしまった・・・
1、コースの学習者は人間ではない。 人間を作った存在は人間の限界に影響されない。 人間は実在しない。 2、空は肉体である。(空即是色) 意識は自我の領域である。 仏教の真我はコースの真の自己とは無関係。 コースの真の自己は抽象。 抽象は具象にならない。 自我は抽象を理解できない。 仏教の悟りはコースの救済ではない。 神と神の愛の存在しない幻想の領域をすべてと教える教えは自我の教え。 3、肉体はコースを学習できない。 微細な肉体としての魂もコースを学習できない。 自我の分離の信念の投影としての肉体や魂は実在しない。 肉体や魂を改善しようとするのは自我のコース。 4、結果は原因になれない。 西洋や東洋を作った存在は西洋や東洋の影響下にない。 日本人やアメリカ人を作った存在は日本人やアメリカ人ではない。 歴史を作った存在は歴史の産物ではない。 西洋や東洋、日本や外国、歴史はことごとく幻想であり実在しない。 5、コースの教えはこの世界に由来しない。 コースの学習者は世界の中にはいない。 コースの教師はこの世界の中にはいない。 聖霊の声はこの世界とは接点がない。 ナショナリズムから神の使者やゲイリーさんを攻撃したり、 自我の思想の流れの中にコースを位置づけようとする試みはすべて誤り。
神の使者やゲイリーさんがナショナリズムから攻撃されているという幻影。
6、時間は実在しない。 輪廻はない。前世はない。進化はない。脳はない。 ただし、コースが聖霊と呼び教師と呼ぶ存在が、 禅やヨガ、アドヴァイタやスーフィズム、 ニューエイジやクリスチャンサイエンス、 唯識や唯心、唯物や量子物理、 ヒーリングや医学、政治やスポーツ、 アイドルやグル、知り合いや知らない人、 ニュースや思い出、景色や生き物、 その他あらゆる象徴を使って、夢見る心に働きかけないということはない。 聖霊は分離の象徴を使って分離がないことを語ることはあるが、 象徴そのものを実在にして分離そのものを強化することはない。 聖霊は分離を認識できないのでそれを強化することができない。 分離を認識しそれを強化する教師はただしく自我であると認識しなければならない。 聖霊の声を聴くには、聖霊の声を聴きたいという意欲が必要となる。 聖霊の声を聴く訓練とは、つまり、欲望と意欲を区別し、欲望は真の欲求ではなく、 偽の欲求で、意欲こそが真の欲求であり、偽の欲求ではないということを、 学習するということ。つまり欲求の源泉を精査し峻別するということ。 自我がほしいものはあなたがほしいものではなく、あなたを滅ぼすものである。 あなたは自我を滅ぼしたいのではなく、自らの不滅を思い出したいのである。 聖霊はあなたがほんとうにほしいものを知っているが、自我はそれを知らない。 だから自我はあなたの友人にはなれない。 あなたは自我を通して兄弟に関わることもできるし、 聖霊を通して兄弟に関わることもできる。 あなたが兄弟に教えるレッスンをあなたは学ぶ。 兄弟はあなた自身だから。
>>829 私は、その部分は逆じゃないか?と思った。
『神の使者』の原書には、ゲイリーが共和党嫌いでナショナリズムを
嫌悪していたような記述があるんだぜ。
闇の勢力(笑)が翻訳の際に都合の悪い情報を削除したんだー
とかは言うつもりはないが。
私自身はその部分に関してどうでもいいと思っているが、『神の使者』は
原書の全てを翻訳しておらず、少々とはいえない分量の文章が省かれている
という前知識は有用かもしれないね。
832 :
神も仏も名無しさん :2013/09/18(水) 20:48:16.45 ID:eM5EfdwX
神使ゲイリーって年より若く見えるな、少しメタボリックだが。
>>826 究極のところはすべての宗教はひとつだよ、本質はひとつ
人々が直接神(仏でも、宇宙意識でもw何でもいいけど)を体感する時代が来る
そうなったとき、既存の宗教の役割は終わる
特定の宗教がなくならなくても、少なくとも宗教間の紛争はなくなる、
キリストとお釈迦さんが同時代に生きていたとして、ムハンマドでもいいけど
彼らが互いに争うなんて考えられない
宗教は表面は文化の影響を受けるし、時の為政者や権力者のエゴによって
または人々の都合(エゴねw)で歪められはしたけど
一定の役割があった、ACIMはキリスト教のイメージが強すぎて
日本人には受け入れがたい面がある、残念なことに…
キリスト教圏の「神」の概念やイメージと、日本人の「神」はまったく違うし
聖霊なんつってもピンと来ない、阿弥陀如来や観音様のがしっくりくるw
あんまりひとつの体系に囚われると、どうしても観念が固定化する 瑜伽唯識論を読んでみると、心とは何か理解が深まるかもしれないよ (エゴの捉え方がかなり似ているし、唯識はさらに奥深い) 聖なる科学―真理の科学的解説って本もお勧め、キリスト教とヒンズー教の 根本が一致していることを究明するための本だそうだ
宇宙には数多の銀河とか星団が存在する、例えばアンドロメダ銀河というと イメージが湧くと思う、遠目で見ると楕円の光の渦、近寄ってみると 無数の星々で構成されている、ボイジャーでもイトカワでも何でもいいけど 自分が探査機になったつもりで、アンドロメダの周辺を回って 観察しているところを想像してみる すると見る角度で、アンドロメダ銀河の景色が違って見える 物事には色んな見方がある、群盲象を評すってね
>>834 一つに捉われるのと、一つに集中するのは意味が違う。
中国武術を例にすると、「千招を知るをおそれず、 一招に熟するをおそれよ」
という言葉があって、千の技を覚えるよりも一つの技を徹底的に鍛錬させ
その根本原理を身につけさせるんだよ。
これは一つの例だが、コース始めたと思ったらアドヴァイタに手を出し、今度は
ヨーガ、続いて仏教と、色んなことに手を出して、色んなことに詳しくなり、
「全ての教えは同じだ」と知った風なことを言ったところで、実際のところ
何も身についていない、なんてことにならないようにな。
837 :
神も仏も名無しさん :2013/09/18(水) 23:12:04.63 ID:eM5EfdwX
そういえば、神使の132ページにこんなことが書いてあったな。 アーテン: 好きなだけ長いあいだ、霊性のビュッフェの列に並んでいればいいさ。 もちろん、きみ自身がその気にならなければ心の訓練なんかできない。決めるのはきみだ。 だがきみはいつもJから学ぶというのはどういうことか知りたがっていたじゃないか。いま、チャンスが訪れたんだよ。 まあ、あっちゃこっちゃ目移りしてても始まらないってことだろう。
目移りしてる、というのはあなたの投影じゃないのかな? 実はACIMを疑っている?
839 :
神も仏も名無しさん :2013/09/18(水) 23:55:05.99 ID:eM5EfdwX
別に〜 投影なんかしてるつもりないし 目移りもしてないが、何か?
と、エゴは言い訳をする。
841 :
神も仏も名無しさん :2013/09/19(木) 00:03:55.84 ID:eM5EfdwX
(爆笑)www
中国武術の技は知らんが 理解ってのは情報と情報が結びついたときに起こる 脳のシナプス?神経が連結して、新たな理解が生まれる、または理解が深まる アハ体験って奴ね 自分は速読をするんだが、速読ってのは普通の読み方とは情報処理の仕方が異なる その本を内容を地図化するっていったらわかるかな?いやわからんかww 心の深いところに本の情報をしまうんだけど、読んだとき理解できるとは限らないんだ 年齢を経て知識が増えて、経験を積むことで、「わかる」ことがある 意識の奥の方にしまっておいた情報が突然、顕在意識に浮上して あああれはそういうことだったんだ!、経験や新たに出会った情報と結びつくことで わかる体験が深まるっていうのかな? ただし、情報に振り回されるタイプの人は一気に色んなもん入れない方がいいけどね
>>836 大学受験の参考書でそれやったわw
あれが良いと言われれば買ってちょっとやって、
それよりこれが良いと言われたものに移って、
最後までやった参考書は一つもなかった
かなりきれいだったけどブックオフで30冊500円とかそんなもの
パズドラやってる?
ACIMで説明されているこれは仏教ではこのことなんだろうね、 と書いてるだけなのに、それがどうしてACIMにちょっと手を出しては 心変りして仏教に浮気して・・・みたいな解釈になるのか不思議だね。 まあ、このようにしてエゴは世界を歪みとともに感知している、 というひとつのサンプルかもしれないw
>>844 そういうゲームに「はまる」ということは、真の問題から目をそらす口実になってることがある
楽しんで遊ぶことが出来ていれば特に問題ないが、はまってる状態というのはたいてい長時間遊ぶわけで、
ACIM学習も含めたいくつかの仕事(やったほうがいいこと)は後回しにされる
仕事が頭に浮かびながらゲームに没頭するという状態は、仕事からの逃避と違いがない
個人的にSNS課金ゲームはパチンコより確率操作しやすい、
遊ぶ側にとってはされやすいギャンブルという印象でやる気にならない
裏側に関わってる人間が身近にいて結構黒い話を聞かせて貰った
ACIMに没頭するという状態は、現世からの逃避と違いがない
848 :
神も仏も名無しさん :2013/09/19(木) 08:31:59.43 ID:/NCrEGW6
そのとおり 悪夢からの逃避行だよ 悪夢みながらコレは夢だとわかって覚めろ覚めろと夢の中を逃げ回った経験ないかな? 俺はある。
おっさんになってもゲームなんかやってんの?w みっともないよww
>>846 まさしく、その通りでした。
お金はそれほど、使っていませんが、
仕事などおろそかにしてしまってました。
>>849 ですなw
でも、ほんとよく出来たゲームで、多くの人がハマるのも納得です。
>>836 でもさ、
コース関連の書物だけで、コースを理解できるとは到底思えないよね。
特に、日本のコース学習者は。
知らぬ間に随分と話しが進んでいた。
836を書いた者でございます。
>>838 私に言っているのかは分からんけど、投影というのはその通りだよ。
そうであろうとなかろうと行動は変わらないと思うが。
>>842 私も中国武術自体は経験はないが、これは普遍的なものだと思うから
理解というのは、直覚と言ってもいいかも。
記憶から引き出されるというよりも「あ、そうか」と身体、全存在からパッと分かる。
>>845 すまんね。書き込みNoに対してというよりも、
ID:qfmhNrJ/との一連の話ということで書き込んでいるのでね。
ま、投影と言っても問題ない。私も何となく思いついたことを
書いただけだし。ID:qfmhNrJ/に対して個人的にどうこうはないよ。
>>851 コースを理解するには、本当のところ赦しを行うことが第一で
それを助けてくれるものは何だって有用だよ。
後、日本のコース学習者といっても、邦訳されたものの中で
頑張って学習するよりも、英語を勉強して、海外の本からも
学ぶようになることを勧める。
正直玉石混合だと思うが、自分で取捨選択して学習できるから
自学自習にはもってこい。
英語をある程度読めるようになるまでは時間がかかるだろうが、
コースを一生かけてやるなら、それも視野に入れた方がいいと思う。
こうやって我々が外国の書物を難なく取り寄せたり、 遠方の人間と即コミュニケーションを取れるようになったのも、 魚座の時代と呼ばれる神の経綸のおかげなんだよなぁ。 愛と赦しを全世界に広めるためには、 愛と赦しよりもまず文明の発達を優先させなきゃどうにもしょうがない。
悪夢を見ている我々は神と関係あるのでしょうか?
856 :
神も仏も名無しさん :2013/09/20(金) 07:00:20.26 ID:3ATqd7dZ
貴方のソースは神です。
神は悪夢を見る存在を創ったのでしょうか?
858 :
神も仏も名無しさん :2013/09/20(金) 07:51:29.82 ID:3ATqd7dZ
あなたは夜寝る時夢をみるでしょ?悪夢にうなされた時、それを御両親のせいにしますか? 自分のケツは自分で拭くしかありません。
神の御業を悪夢と見做してるのは他でもないあなた方です。
神を知らないお前に、なぜ神のみわざ云々言えるのか
>>858 生まれてこなければ苦しみもない
生んだ以上は不幸にしない義務がある
>>853 コースのために英語を学ぶまでの根性はないな〜。
翻訳を待ちたいです。
863 :
神も仏も名無しさん :2013/09/20(金) 21:21:10.39 ID:i8KPG4bZ
>>860 神を「知ってる」人はいないよ。神を「知る」ことはできない。
>>861 親にあなたを「幸せ」にすることはできないよ。心の内容物は自分で変える
しかない、大人であればね。
神は悪夢も悪夢を見る人(エゴ)もつくってない。ですから、自分の中に
悪夢や地獄や恐怖や罪悪感を抱え込んだり、こっそりと隠し持つ必要は
まったくない。これらはすべて幻影。これらの幻影を一掃してしまって、
代わりに愛や光で満たすこと。というよりも、自分が常に愛や光そのもの
だったことに気づくこと。
神の全体像なんて絶対に私たちには分からない。ただ、より、神に近づくための
ツールはコースはいろいろと提供してくれてるんだと思う。実地にやってみなければ
話にならない。それによって心に何らかの変化があればよいし、なければ今の
あなたにあってないのかもしれない。無理して苦しむ必要はないよ。
よくよく考えると、いま起きているときに見る景色と、夢の中で見る景色は全く同じなんだよね いまは起きているという自覚があるから、夢は夢だと思うけど、 夢の中で「確実に起きた」と実感した経験があるので、 いま夢を見ているのか起きているのか本当は自信がない 夢だろうと起きていようと、いつもと同じように過ごすのが一番安全だと思う 何の話をしたかったのか忘れたw
>>863 神は幻影を抱え込んだり、こっそりと隠し持つ子を創ったのですか?
神が子を創らなければ子は苦しまなかったのではないでしょうか
神が創造が結局、苦を生んだのです
>>865 そこにこだわっていたら、
先に進めないよ〜。
気持ちは分かるけどねw
867 :
神も仏も名無しさん :2013/09/20(金) 22:49:14.75 ID:CkvKQFg6
この世界の責任は100%自分にある。 親のせいにしてたら始まらない
>>867 私は、私の見ている世界の被害者ではないってやつだね!
869 :
神も仏も名無しさん :2013/09/21(土) 00:41:50.84 ID:WV1hrB8E
>>868 そう、よくわかったね、コースの一番カナメの部分ね。
この前この本見つけたんだが(スピ関係の本なので変な所がないわけではないが)、
基本は押さえられてて結構良い感じがした。但し著者は大変胡散臭く見える怪しい人だ。w
内容はホ・オポノポノを簡略化した、ある意味パクリなのだが、うまいことまとめた感じ。
幸せを呼ぶ自愛メソッド
http://www.amazon.co.jp/dp/B00D8R82GG 人生を創造する自愛メソッド
http://www.amazon.co.jp/dp/4046539259 上が最初に出た本で下が2巻目の新しい本。内容は大差ないので読むとしてもどちらか
一方で良いかも知れない。(上の本は電子書籍版もあってそれだと少し安い。電子書籍版は
Amazonだけでなく他の電子書籍サイト(hontoとか)でも売っていて、ポイントが幾ら付くかとか
全て売値が違うので自分が一番得をするサイトを探した方が良い)。
そういう本は著者が実際に体験したものなのか、それとも他の本をうまくまとめたものなのか
>>872 一応体験が元になっているように見える。確認のしようがないけどね。あと、体験談は本人だけのではなくセミナーに来た人のもある。
それと科学的に説明しようとしている部分はやはりその他スピ本同様に失敗していると思った。
変に科学的に説明しようとしない方が良いとAmazonのレビューに書いている人がいたが俺もそう思った。
その辺りを読むとエゴが反応して嘘くせーと感じてしまい全部放棄する事になるかも知れない。w
しかしそこは肝心な所ではない。
>>870 今読んでます。とっても良い本ですね〜。
自分を愛し、祝福していなかったことに気づきました。
訓練されてない心は何も成し遂げられない 魂の進化というものはない ↑これ矛盾してない?
真面目に答えろや
幻想世界における視点:いま見えている分裂した神の子達の世界においては、心の訓練によってエゴではなく聖霊を選べるようになる 実相世界における視点:神の子は永遠不滅なので進化=エゴの考えるレベル差は生まれない ってことでは
879 :
神も仏も名無しさん :2013/09/22(日) 21:08:23.11 ID:ugVxtaQr
>
>>875 この世界ではやはりコースを学んで心を訓練しなくちゃね
そのためにコースがあるんだから
しかしタマシイそのものには進化やレベルは無いよね
だって元々完成された一体(神)なんだから、これ以上進化しようがない。
世界は無い
神はある。GOD is
これ以上進化しようがない元々完成された一体(神)は存在しない世界を錯覚してしまうのでやはりコースを学んで心を訓練しなくちゃね、という事か でも、これ以上進化しようがないのでコースを学んでも訓練されてない心のままの状態で永遠
ま、要するに、 レベル1は完成しているけど、 我々はこの世界、レベル2に存在していると信じているので、 レベル1に戻るために、日々学び、不断の努力で成長していかないといけないって感じ。
レベル1の完成している我々(一体神)はこの世界レベル2に存在していると信じてしまっていて さらにレベル1に戻るために、日々学び、不断の努力で成長していかないとも信じている って事か
>>880 分かる奴だけ分かればいい(ドヤァ
話は変わるが、amazon.comでのゲイリーの3冊目の目次と1章の10ページ位が見れる。
以下目次(適当訳)
1.あなたはどうありたい?
2.これまでの生を巡る
3.台本は書かれているが、まだ完全に決まったわけではない;次元の性質
4.悟った心のための身体の癒し
5.トマスとタダイのレッスン
6.ゲイリーのレッスン
7.この生のアーテン
8.パーサの最後のレッスン
9.アーテンの最後のレッスン
10.愛は誰も忘れない
1章の訳はめんどいのでやらない。もうすぐ出るし。
おお、今まで半沢直樹見ていたわ。すまんな。
>>880 、お前何俺に成りすましてんだよww倍返ししてやるぞw
SBのいうところの魂の進化はエゴでなく聖霊を選べるようにするのと同義なんだな。聖霊の選択に精神力はいる。 周りを見る限り進化はなくとも魂に年齢はあるような気はするな。
887 :
神も仏も名無しさん :2013/09/23(月) 02:15:31.88 ID:1JHuwu+S
888 :
神も仏も名無しさん :2013/09/23(月) 12:30:09.86 ID:svs/vXC7
888get! やっと涼しくなってきましたね。気分がいいです。 今週はいろいろ勉強して、一気に覚醒を進めたいです。
>>889 まことに光栄の極みでございます。
いや、冗談だけど。
とりあえず最初の10ページの部分もざっと読んだが、
ゲイリーに出来事があって(今回はカレンさんとの離婚と
他のコース教師やスピリチュアルな教師からの攻撃等)、
そこから赦しについての話し合い、という基本は2冊目と同じ。
他の教え、他のコース教師との違いについて語るのも
同じかな。
もちろんゲイリーの出来事に絡めているから
全く同じではないのだが。
>>890 面白そ〜。興味津々!
ゲイリーさん、
コースのほかの教師や、他の霊性の道の教師に対して、
批判的なことを書いていたから、攻撃されちゃったのね。
わたしも、この点に関しては、ゲイリーさんは、残念だったと思う。
892 :
神も仏も名無しさん :2013/09/23(月) 22:22:36.97 ID:ZfJD+QFz
ゲイリーだって悪口、二枚舌、批判、陰口、噂話、愚痴るくらいはあるだろう、仕方が無いぜ 俺と同じだ、赦してやろうぜ、w
>>891 それは仕方がない面もあるかな。
ゲイリーたちは「コースの教えに妥協はない」という言葉を守っていて、
そこから見れば「妥協した教え方をしている教師は間違っている」となるから。
しかしここで重要なのは、一緒になって「誰々は間違っている」と指摘する事じゃなくて
(同様に、コースを教えているゲイリーが他者批判をしていると裁くことでもなく)
コースの妥協のない教えを学ぶことだと思う。
アーテンパーサもそこを学んで欲しいのじゃないか。
ゲイリーの本のそんな熱心な信望者じゃない自分が、アーテンパーサの代弁みたいな
事を言うのも奇妙だが。
んー、やっぱりゲイリー本読む前に、テキストきちんと読んだ方がいいな。 でなければ、「妥協のない教え」というのも間違って解釈されかねない。
ゲイリー離婚とはお前、本当に赦し実践してるのかよ。 facebookの一緒に写る女性は誰なんだ?そういえば子供いたっけ?
>>895 最近読み始めた人?
シンディについては、日本でもよく知られていることだと思うが・・・。
シンディはアーテンの前世に当たる人だったっけ? で、パーサがゲイリーの来世?
>>897 話題になったのは2〜3年前(結婚したのはもう少し後)だから、
当時の過去スレを調べれば見つかると思う。
2009年にちょっと話題になってたぐらいだな。しかし当時のほうが今よりもレベルの高い話をしているという。 神使出たばかりだというのにすいぶん前から勉強していた印象。前世からの蓄積かな。 ゲイリーの年齢話題になってたが1950年生まれで、ACIMに出会ったのが42歳の頃か。ここの住人も 40代以上が多いかな?俺はやはり早熟すぎだか。早熟すぎてもいいことだらけではないんだかな。
902 :
神も仏も名無しさん :2013/09/25(水) 01:13:43.71 ID:O9Z+V1ky
>>901 2009年のスレのほうがレベルが高かったんですか?
だったらこのスレも高い方へひっぱってよw
まあ年々コースの読者が増えるにしたがって読み始めの人や初心者も増えてく
わけだから。初心者っぽい質問が増えるのも仕方ないというか当たり前だと思う。
ちょマニアだが英語でやるときbrotherをbelovedに置き換えると個人的にすごい感覚になた 日本語のひとは兄弟てとこをを最愛の人てしてみるとなんかすご ちなみにコースを変えようとしたり改善しようとしたりするのはエゴの罠らしいが赦した(ぉぃ きみときみの最愛の人は一緒だ とか きみの最愛の人を赦せ とか きみの最愛の人はきみの救いのためにここにいる とか。 あなたは私の兄弟、って心の中とか頭の中で呼びかけるのもすごい威力があるけど、 きみは僕の最愛の人、って魂の内と腹の底から呼びかけるのはかなり破壊力がある。 この思考は僕の最愛の人だ この物体は僕の最愛の人だ この身体は僕の最愛の人だ 僕は一日中最愛の人に包まれている 今日一日は僕の最愛の人のためにある 最愛の人の声を聴けますように
ああ。 名乗るときは わたしはあなたの最愛の者 が、いちばんいいな。 呼びかけるときは あなたは愛 わたしはあなたの最愛の者 わたしは愛 あなたはわたしの最愛の者 エゴを脱ぎ捨てるのもいいけどスピリットを放射するのはいい。
905 :
神も仏も名無しさん :2013/09/25(水) 06:12:34.22 ID:AfygKTHA
翻訳って大事だなって思った
906 :
神も仏も名無しさん :2013/09/25(水) 06:13:46.93 ID:AfygKTHA
信じた翻訳家を信じて読むしかないな
>>902 ・2009年頃といえば、田中さん以外の邦訳も出てなかったし、
日本語といえば神の使者・不死というあなたの現実の訳文と
後は自分たちで何とかするしかないという状態だったから
色々な資料を自ら求めて必死で吸収しようとした。
なので、昔にもかかわらず、今も邦訳されていない祈りの歌とか
ワプニックの著作からの言及があったり、色んなネタがあることに
気づく。
・今はレストランで料理が出てくるのを待っている状態。
お金さえ払えば、公認版の翻訳が手に入る。
気に入らなかったら文句を言えばいい。
金払っているのだからその権利がある。
マニュアル編が出版まだだが、もう少し待ってやる。
今の学習者が軒並みこのような感じだとは思わないが、
上記のような志の対比があるような気がしないでもない。
908 :
神も仏も名無しさん :2013/09/26(木) 10:56:12.92 ID:lgRAMrBQ
ゲイリーさんの新刊早く読みたいな〜翻訳早くお願いしますw でも、実際どのように実践したらよいのか具体的によくわからなかったが 最近出たスピリットジャンキー読んでリアルな赦し方、っていうか内側のガイド に常に話しかける、聞く、っていうのがそっか、こうやるのか〜って やっと理解できた感じ。自分みたいな初心者におすすめ。 以前ゲイリーさんの講演会では意外と他の人の愚痴をさらっと言うので あれ?なんかすごく聖人じゃないとACIMの意味ないのかと思ってたけど 普通の人の感覚で解脱できるのかな?って疑問だった。 本当に本の中で軽く悪態をつく感じがそのまんまだったようなw だからもう一回生まれないといけないのか、それともそういうキャラでも 内面が赦しまくってればオッケーなのか?ちょっと疑問に思ったりして。
909 :
神も仏も名無しさん :2013/09/26(木) 12:47:23.28 ID:pLaBgtsY
あのね、ゲイリーがタヌキや熊五郎みたく不細工な容姿で愚痴っぽく悪態つくタダの気にくわないおっさんでもそんなことはどうでもいいの ゲイリーなんて人はどうでもいい、問題は本の内容。聖霊はわたし達を教え導く場合、方法として ときには憎いカタキ(敵)の口(言葉)だって利用することもあるんだからね、W
ゲイリーが大和田常務みたいな人でもいいって事か。
911 :
神も仏も名無しさん :2013/09/26(木) 13:35:17.23 ID:D8Xu6uWL
100倍がえしィィーーーーwww
この動画はユーザーにより削除されました。
>>913 あちゃ〜。
有料だけど、NHKオンデマンドなら見れます。
大和田常務「ゼロを倍にしても、100倍にしても、答えはゼロです。半沢くん。」(半沢直樹) イエス「確かにゼロに掛け算は可能ですが、しかし答えはゼロです。半沢くん。」(レッスン16) キバヤシ「大和田常務とは、実はイエスだったんだ!」 ナワヤ他「な、何だってー!!」
「もう生まれ変わらないと宣言したお釈迦様でさえもう一度生まれ変わっている」とありましたが、この事について何か知っている方はいらっしゃいますでしょうか? 例えば、ナーガルジュナに生まれ変わったと何処かに書いてあったとか・・・ 生まれ変わらなければならなかった理由とかについての情報などが何処かに書かれてありましたでしょうか? ご存知の方がいらっしゃいましたら教えてくださいませ。 仏教者にとっての良い思索命題になると思われるのです。
917 :
神も仏も名無しさん :2013/09/26(木) 22:07:20.37 ID:Awnpz6tv
前世とか来世とか生まれ変わりとか輪廻とかってみな幻想でしょ、時間が無い世界ではそんなのジェンジェン関係無い 時間て幻想でしょ。
918 :
神も仏も名無しさん :2013/09/26(木) 23:43:47.48 ID:/5E82bBH
ひとつひとつの魂が、 輪廻転生を繰り返しながら、完成に近づいていくという考えは、 間違っていると思うよ。
919 :
神も仏も名無しさん :2013/09/26(木) 23:47:17.10 ID:/5E82bBH
なぜなら、もう完成されているから。 この点に関して、 ゲイリーさんは誤解しているか、 それとも、伝え方が上手くないか、そのどちらかだと思ってる。
悪人も完璧なんですよね?当然
魂が完璧だなんて心の奥底では信じてないでしょ
922 :
神も仏も名無しさん :2013/09/27(金) 00:17:01.34 ID:gM0yvxGn
仏教って悪人や善人、差はあるけど修行し輪廻を繰り返しながら最後は個々みなそれぞれが 努力に応じて涅槃に入るって感じだね コースは分離の夢、幻想から目を覚まして本来あるべき姿、完璧な一体、神(愛)である自分を思い出しましょう って感じかな。
本当に完璧な一体、神(愛)であるなら分離の夢など見ませんから・・・
分離の夢なんて実在しませんから。
925 :
神も仏も名無しさん :2013/09/27(金) 07:55:59.94 ID:ngoC8Gzv
そうそう、分離は夢だから決して実在しないし起こってないことを起こってないことと認識してゆくのがコースね
輪廻を繰り返しながら完成に近づいていくという考えは、 時間が、過去→現在→未来と動く直線的なものというの前提だから、 それだと、コースを理解することは難しくなっちゃうよね。
だからそれはどのレベル(相)で見るかだよね ワプニックさんも1000年の時間短縮になるって確か何かに書いてたから 人間1000年も生きないでしょ 実相のレベルから見たら、この世もあの世も幻想で、時間も存在しなければ 肉体も存在しない、つまりは輪廻転生など存在しないってことになる でも、エゴのレベルで見れば、スピリットの方が幻想のように思えるw 肉体やこの世界がリアル過ぎるほどリアルに感じる エゴのレベルで見れば、宿業と言って、運気や縁は過去からやってくる 善因善果悪因悪果、つまり今一生懸命頑張っていても報われないように見えるのは 宿業のせいだけど、無駄ではないよね、来世の自分のためになるw
瞑想中高い波動の世界に逝くと、現在、過去、未来が同時に起こっているように 見える世界がある 今が変われば、繋がる世界(過去も未来も)変わるんじゃね?って思ったね 今が大事ってのは本当にそうなんだなと思うけど 日常、なじみの波動に戻るとついそれを忘れてしまう
エゴという幻から見たら、神も、神の子(スピリット)も、聖霊も幻に感じるでしょう まぁね普通は、幻って言われてもねぇ、幻の方がよほどリアルだわ スピリットって言われても、この世にいる限りは衣食住は必要だし 風呂にも入らなきゃならないし、税金払わなきゃならないし、義務やら責任やら 面倒なことだらけ、お金は稼がなきゃならないし、日々生活に追われる 怪我したり病気になれば痛かったり痒かったり、 コースの本なんて放り投げたくなるわww でも、体がなくなってみると、価値観逆転すんのよね、今まで大事だったものが お金とか物とか土地とかw、あっちに逝ったら必要ないし それらを得るために躍起になってたのに、あれれ? あっちで問われることがあるとしたら「どれだけ愛したか?」それだけなんだよねw
もしくは「愛に背いたか」…,愛とは神であり、すべてだと 生まれて愛し、愛して死ぬ、
完璧な一体、神(愛)が分離の夢を見るなら完璧な存在とは言えない
932 :
神も仏も名無しさん :2013/09/27(金) 22:37:29.24 ID:o/0k+axo
「自我は、このコースが与えない多くの答えを要求するだろう。質問の形をしているだけで答えることが不可能なものを、このコースは質問として認識することはしない。
自我は、『不可能なことが、どのようにして起こったのか』、『何に対して、不可能なことが起こったのか』と尋ねるだろう。しかも、数多くの形で尋ねるだろう。
だが、それには答えはない。ただ体験があるのみである。これだけを求めなさい。神学的理論によって、あなたの歩みを遅らせてはならない。」(C-in.4)
http://www.jacim.com/acim/?p=1259
>>916 です
みなさんのさまざまなお答えに感謝いたします。
ゲイリーさんの本では、「釈尊でさえもう一度生まれ変わった」とすると同時に「輪廻転生はそのように見えるものです」とも書かれてありますね。
ここに、ゲイリーの主張(アーサ)を理解する鍵が在るように思えるのです。
自分だと思っている現在意識の本質(たましい・霊)の傾向は連綿と続いているのか?
それとも、雲黒斎さんの近著「もっと、あの世に聞いたこの世の仕組み」にチラと書かれていたように「生まれ変わる時に他の人生経験を一部巻き込むことがある」(注:ソースを探しましたが見つからなかったのでウロ覚えで書きました)
雲さんのいう通りならば、アーサの説明も納得できます。
不二一元から見れば「輪廻転生のように見えるものも一元」なのでしょう。
確かに釈尊という個性は他の多くの人達の人生の中にも反映されていますからね。
ここら辺の、事情をうまく説明する言葉はないものでしょうかねぇ・・
ACIMは自分が悟るには最高の教えだと思います。
しかし人に伝えるのは、本当に難しいですね (笑)
934 :
神も仏も名無しさん :2013/09/28(土) 02:19:10.29 ID:EjdOkkw1
仏教では、時間は普通に過去→現在→未来へと流れていると考えているのですか? それ以外の考え方を取る宗派などはないのですか? コースは「神の永遠の今」「時間はエゴが作り出す幻影」というスタンスですが、 これは頭で考えても分からないですよね。もっと違う境地にいかないと、見えて こないんでしょうね。 このようなコースの時間の概念は、コース独自のものなのですか?
935 :
神も仏も名無しさん :2013/09/28(土) 08:16:43.01 ID:K6rCzw8+
別にコース独自でもないでしょ〜 時間と空間を飛び越えるとか時間と空間を超越するとかよく言うじゃん。 釈迦だって生老病死を超越してニルヴァーナに入った?ニルヴァーナって時間も空間も無いんじゃない?
>>932 ハゲをどうにかしたい人が、夢の中でまで禿げてるのは何故か
夢の中では自分の思い通りになるはずなのに、ハゲ続けてるのは何故か
と問うようなものか
>>933 アーサって書くと初学者が混乱するから、ちゃんとパーテンって書いた方がいい
>>932 イエスは、完璧な一体は完璧であるが故に夢なんぞ見ない、と答えれば良い
充分に答えることが可能だが
それで不都合があるのかね
ゴテンクスとかゴジータみたいなものか
>>938 お前にとってACIMという存在はなにか不都合でもあるのね?w
ゲイリーさんもコースの教師に敵意なんか抱いたりなんかしちゃったりして これで一つ業因を作っちゃったわけだから来世はどうなるか分からんね パーサはパラレルワールドということで
942 :
神も仏も名無しさん :2013/09/28(土) 11:39:15.52 ID:gxpWjlJy
ゲイリーをどうしても地獄に落としたいようだね
ゲイリーの悪口というか軽口はジョークみたいなものじゃないの?
レッスン299「永遠なる聖性が私に中に宿っている。」 「私の聖性は、私の理解力や知力をはるかに凌駕している。 しかしその創造主である父なる神は、私の聖性を、ご自身のものとして認めている。 私の意志と父の意志が一緒に、それを理解する。そしてまた、一つになった私たちの意志は、 それが事実だと知っている。」 父よ、私の聖性は私から発するものではありません。それは私の罪によって破壊されることはありません。 聖性は私の個人のものではなく攻撃によって苦しむことはありません。 幻想は聖性を隠すことはできますが、その輝きを消すことはできず、その光を曇らせることもできません。 それは永遠に完璧であり、いかなるものにも影響されることなく存在しています。 その聖性の中で、すべてのものは「あなた」が創造されたままに有り続けるので すべてのものが癒されます。 そして、私は自分の聖性を知ることができます。というのは、私は「聖性そのもの」に創造されたからです。 そして、御自身を知らしめることが「あなたの意志」であるがゆえに、 私は自分の「源」を知ることができます。
>>941 おーい、コースで採用しているのは因果の法則であって
(それも特殊なやつ。結果を否定することで原因を否定するとか)
因果応報の考え方を採用しているのは、仏教であってコースではない。
しかも来世とか云々しているのは大乗だけじゃん。
大乗、小乗のほかに、中乗と無乗と小さそうで小さくない少し辛いラー油
948 :
神も仏も名無しさん :2013/09/28(土) 21:02:26.43 ID:gxpWjlJy
>>946 コースで採用しているのは因果の法則(しかも特殊なやつ)
→→★結果を否定することで原因を否定する。
このイカサマ世界を全否定することで分離を完全に否定する。
まさに言い得て妙だw
別に全否定はしてないだろ 幻想は聖性を隠すことすら出来ると正式に認めておられるのだが
隠されていると思いこんでるだけ というのが正確な表現になるのでは たとえば催眠術で有名人になったと錯覚したとしても、 それは錯覚であり、自分は一般人のままである それは催眠術が「私を有名人にした」わけではなく、 また「私が一般人である」ことを隠したわけでもない 単に錯覚してるだけ
錯覚は実際に起り得ることだという事だな 恒常的に聖性を自覚し続ける訳ではないと
どういう訳で錯覚したのかは知らんが 錯覚と聖性の間を行き来するのが我らの運命という訳か
頭の中の概念としてだけ捉えようとするからそういう間抜けな結論になるんだろうなw お前はもう救いようがないのだからそう思っておけばよろしいw
錯覚が実際に起り得るという事はなあ、 あまちゃんが今日で終わってしまって、あまロス症候群になった人が 「神はあまロス症候群になる力を与えた。錯覚は実際に起り得ることだ」と 大真面目に語るようなものだ。 正気の人間は「いやいやいや」を手を振るだろう。
何言っているか分からん 日本語ですかね?
錯覚が起こりえるというか、自分の経験からすると、錯覚を持続させ続けているというほうが近い あるいは錯覚と正気のどちらかを選んでいる 錯覚が突然消えて正気に戻るときは、本当に過去が一切消えてしまう テレビの催眠術ショーみたいなものかもな ヤクザになりなさいと言われて、しょうがないから口汚く罵るんだけど、客席にいる自分の親を見て急に正気に戻ってしまうみたいな 自分(聖性)は維持されており恒常的に自覚し続けている これは覆せない事実としてベースにある そのベースに、かりそめの自己としてのヤクザ(エゴ)を上乗せして、まるで自分が最初からヤクザ者だったかのように振る舞うことは出来るが、 それはヤクザな言葉や行動を選択し続けているだけなので、心によって本来の自己を選択、あるいは本来の自己が現れたら、ヤクザらしさは消え去ってしまう
書いておいてアレだけど、エゴで考えてる以上は、解釈できるように想像するしかないわな 実際はエゴに解釈できないんだから考えても仕方ないか
>>955 あまちゃんを知らないのか。こりゃ失礼。
ネットでも話題になっていると思っていたが。
もしかして日本人ではない?
同じことを何度も繰り返しているし。
まあ「あまロス症候群」の部分をパラノイアの症状に
変えてみても応用はできる。
>>956 >錯覚が突然消えて正気に戻るときは、本当に過去が一切消えてしまう
その後、この世に戻ってきた時は消えたかに思われた過去が見事に蘇ったのですか?
本当は過去は消えてなくて隠れていただけですかね
>>958 日本語でお願いします
>>959 ここは日本です。
日本語を勉強して読めるようになって下さい。
ついでにあまちゃんもおすすめします。
つーか、イエスは貼付にされた事を憶えているのだろ 正気に戻っても過去は消えとらんな アーテンパーサは過去を忘れたのかね
>>959 >>961 過去が消えるっていうのは、脳の病気で過去の記憶がなくなるとか、そういうものじゃない
表現するなら過去が消える以外に言いようがないのだが、
実際には「今この瞬間」にある状態においても過去は読み出せた(家に何が置いてあるかという記憶を探れた)し、
自分の経験してきたことを語ることができただろう
ただ過去は確実に消えていたわけで、未体験者に対するうまい説明ができん
「過去は消えた」より「過去は遠い別世界の出来事のように思える」でいいだろう
964 :
神も仏も名無しさん :2013/09/29(日) 00:00:11.35 ID:O9PRrd2G
あまちゃんて尼さんの一種かな?人気あったんだ、全く知らんかったわw
>>963 お前が考えているような意味での「過去」など存在しないのだ。
お前は今のお前の頭というスペックの範囲内でしか物事を捉えられない。
しかし時間・空間のカラクリはお前のそのスペックをはるかに超えている。
お前には何も理解することはできない、これからも永遠に。
>>964 若き小説家が出家して俗世間から離れて修行するドラマだよ。
そして25年前の出来事が「起らなかった」と赦すことで、
過去を解き放つという本家コースもびっくりの展開だ。
967 :
神も仏も名無しさん :2013/09/29(日) 08:01:17.61 ID:IyhQCbZL
>>966 へ〜
瀬戸内寂聴さんみたいな物語だね〜w
>>961 イエスは磔のときはすでに正気、
あの世へ行ってから目覚めたのはブッダ、
それコースで一番言われてるから
イエスは何歳位の時に正気に目覚めたのかな?
>>968 神の使者ではなくコースで一番言われている事なの?
へんじがない、ただのしかばねのようだ
▷たたかう ▷にげる ▷ゆるす
>>971 このセリフどこかで聞いたことあるが思い出せないw
自己解決w小学の時にやったドラクエじゃないかw思い出せないわけだw
ただのしかばねに口紅を塗って、ドレスを着せて かわいがっているのが私たちなのデス。
γ ( _ノ / __ ,、'" . `' 、 i`ー _ ', . l| !| i""!| }: }i |{ !j 〈| 'J |! }j :} _ノ;し i} {J | ,、-,、' ハ- 、 ( .( '、_ _ ,ノ ノ:i ) ,、'""`ー---‐'"フ、_ - _,、' -'" ( _ ,、'"  ̄ `ー--─'"
今自覚した。俺は特別になりたい。
978 :
神も仏も名無しさん :2013/10/05(土) 16:58:01.87 ID:KVbBHbGh
誰もいないの? みんな元気?
元気だよー
980 :
神も仏も名無しさん :2013/10/05(土) 17:37:28.26 ID:KVbBHbGh
あっ、マスター気取りさんがいたw 良かったw 今心底ほっとしたw
ゲイリーの三冊目、アメリカでは既に購入できるようで レビュー書いている人もいる模様。
982 :
神も仏も名無しさん :2013/10/06(日) 08:52:54.14 ID:H+luN1/0
『生命のなく頃に解:覚愛し編』 ゲイリーR.レナード 10/8発売
親父に腹立ってぶっ殺したいと思っているとき、 ACIMに攻撃は愛を求める叫びと書いてあったが そんなふうには思えなかったので俺は愛なんて求めていないと思ったら 怒りと殺意が無くなった。 それで怒りと攻撃心があったのは愛を求めていたからだったんだな、と思った。 あと愛なんて求めていないと思った自分の感覚も正確なものでは無いと思った。
愛があったから憎悪がある
986 :
神も仏も名無しさん :
2013/10/06(日) 23:41:50.74 ID:zmQREDcb