911 :
神も仏も名無しさん:2013/02/18(月) 23:10:03.99 ID:48pOeaED
>>908 >釈迦はホームレスだが?
釈迦も生存(お布施)のために、「生存苦」を説かなければならなかったW。
912 :
てすと:2013/02/18(月) 23:14:27.08 ID:tTPQmY7L
>>910 失礼。楽して生きようなんて無責任な事言うから仏教徒だと思った。
真面目に社会的な義務を果たす事が一番大事。
神にすがったり、社会から逃げ出したり、そういうのは良くないね。
913 :
神も仏も名無しさん:2013/02/18(月) 23:18:26.35 ID:48pOeaED
釈迦とイエスだけが、「生命」という「根源」に思い至れなかった。
914 :
前世は一在家 ◆2o6x38TRbE :2013/02/18(月) 23:20:01.00 ID:h6Qu/yo/
>>892 >わたしは念仏愛好者なんですが、神智学では念仏は(称名)どういった位置づけにあるんでしょうか?
横レスで失礼します。祖父の寝言の中に「念仏」がございましたので紹介致します。
(昭和5年10月8日 念仏A)
只仏様に向って拝むだけでは何の役にも立たん、大低念仏を唱えれば助けて貰えると思って念仏を唱える、他の人から見ればあの人は念仏を唱えるから真の有る念仏の人だと思って居る、
凡夫は悲しいものですね、毎日御苦労なさる、自分自身に仏を実現する事が何よりも肝心と思う、仏の道を実現せな真の信仰では無い、徒らに念仏ばかりでは無理が出来る、
どんな事でも事柄が終って行く、そこが仏の慈悲で有難いと思う。(中略)
風邪を引いたと云ってそれ何処何処の医者じゃとか湯治じゃと云って少し位の事でも、あなた方はお金が沢山有るから良いか知らぬが一旦無情の風が吹いて来た時にはどれ位金が有っても役に立たぬ、
其の時の医者は只日頃喜こんで居る阿弥陀様の念仏の一声じゃ、そこの念仏喜ばして貰えば立ち処にして浄土に往生して貰えるのじゃ、仲々臨終になって本当に喜こべる者は少ない、
死んで行く時になっても、もう少し生きていれば金が溜るとか何とか云って臨終迄そんな事を考えておって喜こぶ事が出来ない、どうぞ日頃から其の心掛けが大事じゃ
http://minamotonoshin.life.coocan.jp/5nen1218.html
感情は錯覚の部分もある。生命反射といえる。
宗教の錯覚性を考察すると生命反射に則るものであり、
迷妄と愛欲のツープラトンであるといえるが、
何に反射しているかと言えば、心の隙間に他ならないだろう。
所謂、依存性が錯覚を引き起こしていると言える。
916 :
てすと:2013/02/18(月) 23:23:42.02 ID:tTPQmY7L
>>913 それはないな。
釈迦は小国の王子のままでは絶対殺されると思って、国民や妻子を置いて国を捨てる賭けに出た。
彼ほど生命に拘った人物はいないだろう。
917 :
前世は一在家 ◆2o6x38TRbE :2013/02/18(月) 23:32:39.78 ID:h6Qu/yo/
>>865 宝珠氏
>恐らく、エドガーケイシーに近似した現象かと思われます。
>トランス状態(当人は憶えていない)に入って、アカシックレコード(あらゆる情報の宇宙的な記録庫)から (中略)
>要するに、語られた内容の正確性や有用性が問われると思います。
>在家さんの祖父の例は、仏教で修行をされていたイニシエートによる関与の可能性が妥当でしょう。
貴重なコメントを有難うございます。
確かに寝言を言っている時はトランス状態(当人は憶えていない)に入っていたのかも知れませんね。
918 :
神も仏も名無しさん:2013/02/18(月) 23:32:54.79 ID:VTZTJHt0
>>895 善悪など本当は無いのだ。善悪に囚われない獣は生まれながらに悟っているなどとほざき、
道徳を否定するかの禅宗は、実社会でも実害ありまくりだろ。善悪に囚われない生き様が涅槃なら、
サイコパス即涅槃になるからね。
1だけど、このスレが1000になる前に次スレ立ててね:-)
920 :
神も仏も名無しさん:2013/02/18(月) 23:39:58.88 ID:UZW8YAvT
>>890 >こんな時間に来客? デリ嬢?w
帰ってまいりました。
そんな色気のある話ではなくw
いつもの楽しい悪友連中が、いつも通り飲み会に誘いに来ただけですよ
調子に乗って、飲みすぎたw
俺は動物の死体とか見ると、とりあえず南無阿弥陀仏とは唱える。
もう生命反射の領域に食い込んでいるといえるだろう。
精神的な苦が死体に対してあるのが事実であるが、唱えれば
あら不思議、苦は消え去ると言える。
これもまた錯覚性の成せる業ではあるが便利だから使って損はない。
922 :
神も仏も名無しさん:2013/02/18(月) 23:50:59.46 ID:UZW8YAvT
>>899 >小林秀雄の「無常ということ」から出題されて
問題文を見ていないので、なんとも分からないのですが、
以前議論スレ43とか44あたりで「無常ということ」が話題になりました。
どうもアタシには小林の「無常」の把握に違和感がありましたね。
『イイところに来ているが、二項相対のままでは関を越えられない。
この問題は前スレ43の
>>987小林秀雄「無常ということ」と同根だ。
なぜなら、生女房(一言芳談)も小林秀雄も「無常」を捉えそこなっている。
一切は空常なること、即ち
無常なるものもなく、無常ならぬもの(恒常)もないからである。
無常ゆえ濁世を逃れて極楽浄土に救いを求める(生女房)のが浄土(無常ならぬもの:小林秀雄)思想の根幹だとはいえ、
それは方便にすぎず、
出世間のまなざしで、世間(濁世)の只中で慶安に生きなおすのが仏法である。
世間とニルヴァーナ(浄土と言ってもよい)は不一不二だからだ(中論25-19・20参照)。
「現代人」に至ってはいわずもがなだ。
また、「歴史」は過去ではなく現在である。
ゆえに、歴史には動物も多数いるのである。
てか、小林の言いグサは「動物」に失礼だろうw』(議論スレ44
>>11)
このスレにいつものようにオイラ氏に絡まれましたw
>>918 俺もここで語られる仏教はサイコパス的と思っていたが、そうでなく
感情の種類が違うといえるだろう。大人の感情と子供の感情が違うように。
しかし、カラスも浅いよなぁ・・w
>>918 どこの禅宗が、道徳を否定してるのか? とw
ヤクザ映画を撮ってる監督はヤクザなのか?と。演じている役者はヤクザなのか?と。
「石にかじりついてでも頑張れ」と助言する者は、本当にかじりつけと言ってるのか?と。
十牛図の教えは、本当に牛を飼い、乗りこなせと言ってるのか?と。
馬鹿じゃねーの?
死を前にして無常を感じてなんだか沸き起こる感情を言語化したら念仏だったりするね。
阿弥陀様に救ってほしいというか、すでに阿弥陀様の中にいるというか。
926 :
神も仏も名無しさん:2013/02/18(月) 23:57:52.14 ID:UZW8YAvT
>>902 >例えば、「美しい花がある。花の美しさなどない」も、理解が難しいそうだ。
これも、触れたことがあります。
『985 :神も仏も名無しさん:2012/07/31(火) 19:47:26.05 ID:1OHlZBbI
>>984 「美しい花がある。花の美しさなどない。」(小林秀雄)
988 :神も仏も名無しさん:2012/07/31(火) 22:19:26.26 ID:HsJAbUdN
>>985 >美しい花がある。花の美しさなどない
美しい花はない。花の美しさなどもない。
「柳は緑 花は紅」 』(仏教議論スレッド43より)
>>926 そこは、
美しさもなければ花もない、だろ?w
928 :
神も仏も名無しさん:2013/02/19(火) 00:05:39.67 ID:VTZTJHt0
>>924 十牛図が悟りなら普通に凡夫は悟っているよな。始めから禅宗などいらないわけで。
ちゅうか悟りは空っぽじゃねぇし。滅尽定が禅定のゴールじゃないわけよ。禅宗は底が浅いね。
929 :
神も仏も名無しさん:2013/02/19(火) 00:10:45.42 ID:Yx/S3skn
>>922 >前スレ43の
>>987小林秀雄「無常ということ」と同根だ。
『987 :神も仏も名無しさん:2012/07/31(火) 22:13:37.56 ID:0MDmNIjZ
だとすると釈迦はある種の実在論者であった可能性も高いな
あらゆるものを仮象と切り捨てられるのは切り捨てられないものを掴んでいたからとも言える
「現代人は無常と言うものを鎌倉の生女房ほどわかっていない
無常ならぬものを見失ったからである」小林秀雄 』
この小林の「」の問いは十分に吟味されていない。
このスレの流れからは、あて先は当然隠居だw
930 :
SRKWブッダ ◆qj7I8AavIk :2013/02/19(火) 00:11:02.51 ID:N95Kfony
禅とは、常にこころが(本性に)目覚めていて、一切こころが揺らがない(外面的)様子を言う。
人がこの境地に達すると、他人によっても、自分自身によっても、何によっても動揺することがない。
これは、覚りによって得られる一つの果報である。
***
>>680 一代氏
> >「戯論」については
>>33-34に引いたところのスッタニパータにある「パパンチャ」に対する戯論という訳語を用いたもので、(私が疎いところの)中論的な意味は念頭に置いていませんでした。
> では、どのような意味で捉えているのでしょう?
解脱に資さない、出世間とは無縁な、縁起観に欠いたところの思考の産物です。
932 :
前世は一在家 ◆2o6x38TRbE :2013/02/19(火) 00:12:32.09 ID:c8booa7b
>>914 一在家
>横レスで失礼します。祖父の寝言の中に「念仏」がございましたので紹介致します。
この念仏と関係のありそうな「一念帰命」の話も紹介をば。
(昭和6年2月4日 一念帰命)
或る男が病気にかかり御薬師様に三千七百二十一日の間願かけをした。毎日願かけをしても居ても一向に病は治るばかりか重なる一方であった。
其の男は腹を立てて「折角わしがこうして毎日、日参するにそれが判らぬかこのど薬師め」と果ては勿体なくもつばをかけるなどした。
其の時何処からともなく一人の上品なお爺さんが現われ「お前は何をして居る」と問われると委細を物語りたり、
するとそのお爺さんは「お前の云うのももっともな事だがもう一遍一心にお願いしてみよ。」と云って何処ともなく立去りたり、
その男は再び一週間の願かけをしたが思う様に渉らない、もう一日で満願と云う日一心に御願いした。
その内に知らず知らずうとうとと其の薬師堂の前で寝てしまった。目をあいてみて吃驚した。自分の体はすっと治ってしまって居る。
遂に全快したことじゃ、何事も一念がなければならぬ。
丁度断崖から千仭の谷へ落ちて当惑して居る所へ上から救いの網を下して貰ったに気付き一念にすがる心と同じじゃ。
弥陀の慈悲にすがる一念帰命なり。
http://minamotonoshin.life.coocan.jp/6nen1721.html
933 :
神も仏も名無しさん:2013/02/19(火) 00:18:33.97 ID:GvSbM/oy
>>922 いよいよ空理空論中論教患者さんは仏教の根幹でもある一切行無常を否定して、
一切空常などと抜かしてるわけだが。いつもながら中論教患者の邪見は凄まじいですな。
特にこの人は重症だ。
>>758 宝珠愚者氏
> ハイアラキーの長「マイトレーヤ」です。
> 仏教が説き待ち望んでいるゴータマが到来を予告した未来仏/弥勒その方です。
> 意識で創りあげた肉体(「ファミリア」大抵の場合はどこかに実在する人間からのコピー)を
> 使われているマイトレーヤ、その彼の肉体に接触し、暫しの対話をしています。
> 23年ほど前の実体験で、神智学に傾倒して3年ほどした頃に一度だけです。
愚者さんが「マイトレーヤ」と見做すその方の「教え」は最要点としては一体どういうものなのでしょう?
935 :
神も仏も名無しさん:2013/02/19(火) 00:20:29.12 ID:FFV/gGKw
手かざしカルトの三軍信者いる〜?(笑)
せっかくだからおめえこのスレで手かざしやってたら金粉がタライいっぱい
降ってっきましたってお笑い体験談話してやれよwwww
じっさまのエドーガーケーシー高峰の語録に説得力持たせるためによwww
936 :
てすと:2013/02/19(火) 00:22:24.09 ID:6yuRcunY
>>930 何が起きても心が揺るがない、というのを悟りの性質の一つにするのはありなんじゃないの。
でも、動揺したっていいじゃない。
座禅してるときに好きな女の子が隣に座って思わずドキドキしてしまう。
そんな時は坊主に一発叩かれてアイタと言っておけばよい。
君たち真面目に考えすぎなんだよ。
937 :
神も仏も名無しさん:2013/02/19(火) 00:22:50.98 ID:Yx/S3skn
>>927 >美しさもなければ花もない
四句第4で無分別様相の示唆なら「美しさでもなければ、花でもない」でしょうね。
それでは二項相対のままだと、誤解されかねません。
無ばかりの般若心経が虚無論だと誤解されるように。
れいの、 美しい山(分別)→山に非ず(無分別)→山(無分別の分別)ですね。
>>928 そういう意味で例を出したんじゃねーよw
件の流れを何も解ってねーな・・・ ┐(´ー`)┌
939 :
前世は一在家 ◆2o6x38TRbE :2013/02/19(火) 00:32:54.33 ID:c8booa7b
>>935 >せっかくだからおめえこのスレで手かざしやってたら金粉がタライいっぱい
>降ってっきましたってお笑い体験談話してやれよwwww
降ってきたという話でなく、タライというよりも洗面器一杯をひっくり返したような
金粉が部屋の畳一面に現れたという30年以上前の話ですよ。
その場には私を含めて3名がおり、スプーンで金粉をすくって食べてみましたが、
実体感も味も無い不思議な体験でした。
まあ弘法大師が天皇の御前で全身から光を発したという逸話もその場に居合わせた
当時の仏教界トップの面々以外は信じられないでしょうが、私は自身の神秘体験から
十分にあり得ると思っております。
現代の仏教界ではこのような神秘体験はもう起こらないのでしょうか。
証果がまだあるというチベット仏教では多分あるかと存じます。
>>937 冗長過ぎるw
あの流れで、
( >美しい花はない。花の美しさなどもない。 の)
次に来る語は
「まだ花が残っとろうが!」だろ?ってことだ。
百丈の如く鼻を捻られて来いw
現成公案だね
942 :
神も仏も名無しさん:2013/02/19(火) 00:43:39.28 ID:Yx/S3skn
>>933(カラス)
>仏教の根幹でもある一切行無常を否定して、一切空常などと抜かしてるわけだが。
間接現実(世俗:指)における直接現実(勝義:月)の“示唆(比喩)”として、
四句第4のフォームを用いる。
このフォームも滅することで、(オイラ氏的には)戯論寂滅へ導く。
⇒『非無常非恒常』(一切行空常:無常なるものでもなく、無常ならぬもの(恒常)でもないからである)
943 :
神も仏も名無しさん:2013/02/19(火) 00:45:27.28 ID:Yx/S3skn
944 :
神も仏も名無しさん:2013/02/19(火) 00:51:30.05 ID:GvSbM/oy
>>938 言葉遊びの悟りごっこでしかないお前らの話なんかどうでもいいんだよ。
945 :
神も仏も名無しさん:2013/02/19(火) 00:52:39.62 ID:FFV/gGKw
>>939 何でそこで食う必要があったんだよwww
食うなんて後から思いついた発想だろ(笑)
946 :
SRKWブッダ ◆qj7I8AavIk :2013/02/19(火) 00:59:27.41 ID:N95Kfony
ごっこやまねごとは、捨てたものではない。
ごっこやまねごとは、ついには本物になるからである。
覚った人は、皆、最初はごっこやまねごとから始めたのである。
このことには例外はない。
***
947 :
神も仏も名無しさん:2013/02/19(火) 01:00:36.43 ID:GvSbM/oy
>>944 いやいやw
貴方が、「禅宗は道徳を否定している」(かの如き)発言をされたから、
例を挙げてください、と言っているのです。
その根拠を遠まわしに聞くのです。
もし、その根拠が、各種公案の破天荒な言動(或いは様々な場面での一転語)であるなら、
それは924のような、或る種理念・イデア的な位置付けでの基本姿勢、であるだけで、
世俗の善悪を不問にするわけではないからです。
もし、2chの(悟りスレとか机や机もどきのw)台詞から言ってるなら、それは野狐ですよ、と。
また、世に出ている種々の著作について言っているなら、
誰の何のどこ、と具体的に引用していただけると助かります。
禅は基本、TPOに依存しますし、人によっては、(たとえ有名人でも)野狐な場合もありますから。
つか、↑のようなことだって、解ってるでしょ? それでも敢えての928でしょ?w
949 :
神も仏も名無しさん:2013/02/19(火) 01:22:30.32 ID:GvSbM/oy
>>948 いやいや野狐どころか本職の坊さんがいってたぞ。当時バカルカっていう理屈っぽい禅かぶれのアホがいて、
こ奴も禅思想を盾にした典型的な道徳否定論者でその坊主、バカルカを大変高く評価しておった。類は友を呼ぶだな。
じゃ一つ聞くが、お宅は世俗の道徳は否定しないそうだが、禅宗の教えでなぜそうなるのか説明してもらおうか。
>>947 言葉遊びは貴方でしょう?w
(私が知るのは原仏スレからですが)、その一貫ぶりには感服します。
>>949 野狐って、プロかアマチュアかという違いじゃないんだけど・・(^^;
野狐なプロもいれば明眼のアマもいるだろうよw (つか、2ch内の話かよwww)
>なぜそうなるのか
「禅が道徳を肯定する」理由? (つか、そもそも否定してないのに、何を言うことがあるのかわからんが・・w)
百歩譲って老婆親切を発揮すれば、
TPOに従うからだよ。(※但し個人差ありw)
商品の宣伝にもあるだろ?w これは個人の感想ですとか効き目には個人差があります、とかw
電車の中で大声で騒ぐ酔っ払いに、
注意するも個々のスキルにあったTPO、注意しないも個々のスキルにあったTPOさ。
951 :
神も仏も名無しさん:2013/02/19(火) 01:34:56.89 ID:ob9neoO+
「美しい花(物質)」は実在だが、「美しさ(観念)」は非実在。そこがミソ。
人類は、そして恐らくは他のすべての動物も、五感の知覚によって「実在」「非実在」
を「一義的に」判断することによってのみ、生存を続けている。
「あるでもない、ないでもない」などと考えるのは、動物として欠陥があると
いうこと。それが釈迦である。まさに「犬猫にも劣る存在」。
竜樹は「無」「無我」などというアホなことは、一言も言っていない。
952 :
神も仏も名無しさん:2013/02/19(火) 03:01:53.64 ID:GvSbM/oy
>>950 言葉遊びなのはどうみてもお前らだろ。とんちの答えを見つけても本質的には何の意味もないぞ。
で、やっぱり禅宗ではなぜ道徳が必要かは世俗的な意味では説明出来ても、宗教的な意味では説明出来ないわけだ。
おまえんとこは仏教の看板をあげながら業報輪廻転生を認めないものな。ところがスッタニパータを読むとゴータマさんは業報も説いているし輪廻転生も説いている。
そして随分道徳的なことも説いている。究極の境地に達したものは四無量心を絶えず起こしていなければならないとまで説いている。
これはうまく世渡りするにはTPOに合わせてそうやっていけばいいなどという単なる世俗的な教えか?
君らは業報輪廻転生を否定するならゴータマの仏教の看板を下ろせよ。禅宗はゴータマの仏教とは違うんだからよ。
道徳を否定していた禅宗の坊主は、名無しでこそこそやってるお前や、アホ一代とちがって、自分所の寺もHPも晒して堂々と話してたぞ。邪見だけどな。
たしかハンドルは、せったんとかいったかな?名無しでこそこそやってるここの坊主二人とは偉い違いだな。
953 :
神も仏も名無しさん:2013/02/19(火) 03:10:05.60 ID:GvSbM/oy
己のエゴをこよなく愛する悪人ほど業報論を頑なに拒否するものだ。
そんなの受け入れたら己の心に巣食うエゴイズムの赴くままに生きられなくなるからな。だから
己のエゴをこよなく愛する悪人共は本能的に業報論を拒否する。
954 :
神も仏も名無しさん:2013/02/19(火) 03:38:24.05 ID:ob9neoO+
禅は、道徳を、最高次元である己の生命に直接聞く。下位次元である1個人の
妄想に聞くよりも、普遍性と信頼性は桁違いである。
「仏道とは、己に習うなり」(道元)
955 :
神も仏も名無しさん:2013/02/19(火) 03:48:07.88 ID:ob9neoO+
道徳とは、肉体的本能である生存本能に基づく、共生のための技術概念である
ことを忘れてはならない。1個人の人為的観念ではない。また、輪廻転生とい
う「脅迫」に基づくものでもない。生存本能は、独りでは生存を維持できない
ことを、これも本能的に知っているからである。
956 :
神も仏も名無しさん:2013/02/19(火) 06:29:23.51 ID:YO4KZWuk
禅は八正道否定してるのかw
957 :
神も仏も名無しさん:2013/02/19(火) 06:35:55.79 ID:E81lwogc
>>924 >どこの禅宗が、道徳を否定してるのか? とw
机とか遊びとかのここの野狐禅宗でしょ
958 :
神も仏も名無しさん:2013/02/19(火) 06:43:34.83 ID:E81lwogc
>>931 880.(PTS874)
想を思うものでなく、妄想を思うものでなく、無想でもなく、非想でもない。このようになったものが無色です。想に依るのは戯論行(妄想から成るもの)です。
マハーニッデーサ:
「想に依るのは戯論行」という、他ならぬ戯論が戯論行です。渇愛・戯論行、見解・戯論行、慢心・戯論行は想に依るもの、想から起こるもの。想から生じるもの、想が源ですというのが、想に依るのが戯論行です。
佛説義足經
T0198_.04.0181c13: 不想想不色想 非無想不行想
T0198_.04.0181c14: 一切斷不著者 因想本戲隨苦
想を想うのでなく、色を想うのでなく、 無想でなく、行想でないのが、
一切を断じた執著しない者です。想に因りのが戯論で苦が従う。
922.(PTS916)
[世尊曰く]「戯論行による〈私は考えている〉というすべての根を止滅せよ。どんな内的渇愛を抑制するために常に念じて学べ」
マハーニッデーサ:「「戯論行による〈私は考えている〉というすべての根を止滅せよ」という、他ならぬ戯論が戯論行です。
渇愛・戯論行、見解・戯論行、慢心・戯論行。何が渇愛・戯論の根か? 無明の根、不如理作意の根、我慢の根、無慚の根、無愧の根、掉挙の根。
これが渇愛・戯論の根。何が見解・戯論の根か? 無明の根、不如理作意の根、我慢の根、無慚の根、無愧の根、掉挙の根。これが見解・戯論の根。
[世尊についての語釈、中略]
959 :
神も仏も名無しさん:2013/02/19(火) 06:45:23.03 ID:YO4KZWuk
仏教の戒律は社会秩序の維持が目的ではぶっちゃけない
瞑想するたびに湧いてくる雑念を破壊する為の技術的なもんだな
瞑想は潜る為にする
戒律は潜る為に邪魔になるしがらみの直接的な破壊だ
潜ることと潜る為に邪魔なものを除去することは区別すべきだ
日本人はここらへんの厳密さをかいて俺はスゲェからお釈迦様の言い分なんか無視して肉食妻帯煩悩丸出しでも平気だ
大丈夫だってことでいきなり重い服着て瞑想するから深く潜れないんだな
960 :
神も仏も名無しさん:
「〈私は考えている〉というすべてを止滅せよ」という、「考えている」というのは般若です。つまり般若、智慧、分析、考察、法の分析
[中略]
般若、般若の器官、般若の力、般若の刃、般若の高楼、般若の光明、般若の輝き、般若の灯火、般若の宝、迷いなきこと、法の分析、正見です。
「私はいる」というのは「色の中に私はある」「私は慢心がある」「私は怒っている」という随眠です。「受のために、想のために、諸行の中に、識の中に私はある」「私は慢心がある」「私は怒っている」という随眠というです。
[世尊曰く]「戯論行による根」という「〈私は考えている〉というすべてを止滅せよ」という、戯論行による根と我慢と考えによる全てを止め、止滅し、消滅し、鎮め、滅し、安らぐ。戯論行による〈私は考えている〉というすべての根を止滅せよ。
MN18: Madhupiṇḍikasuttaṃ CSCD201;PTS109
ビクよ! 何かに依る人に戯論想行(妄想から成るもの)が起こり働く。
アッタカター:「何かに依る」という、この状態・中性は、何かの因によって何か因が有るという意味です。「戯論想行」という、このうち「行」とは、構成物です。
「戯論想」とは、渇愛・慢心・見解の戯論に相応する想です。あるいは想という名で他ならぬ戯論を呼ぶのです。それ故、戯論の構成物という、これがここでの意味です。
佛性論
T1610_.31.0803b16: 復次説法身事。事者以無相爲事。五陰
T1610_.31.0803b17: 相於中盡無餘故。又以無戲論爲事。戲論有
T1610_.31.0803b18: 三。一貪愛二我慢。三諸見。是三戲論如來滅
T1610_.31.0803b19: 之已盡故。以無戲論爲事。戲論者。有三義。一
T1610_.31.0803b20: 能違礙實理。二名虚誑世間。三障隔解脱。初
T1610_.31.0803b21: 違正境。次違正行。後違正得。合此三義。名爲
T1610_.31.0803b22: 戲論。又戲論有九種。一通計我。二的計是我。
T1610_.31.0803b23: 三計我應生。四計我不更生。五計我有色應
T1610_.31.0803b24: 生。六計我無色應生。七計我有想應生。八計
T1610_.31.0803b25: 我無想應生。九計我非想非非想應生。一通