>>931 880.(PTS874)
想を思うものでなく、妄想を思うものでなく、無想でもなく、非想でもない。このようになったものが無色です。想に依るのは戯論行(妄想から成るもの)です。
マハーニッデーサ:
「想に依るのは戯論行」という、他ならぬ戯論が戯論行です。渇愛・戯論行、見解・戯論行、慢心・戯論行は想に依るもの、想から起こるもの。想から生じるもの、想が源ですというのが、想に依るのが戯論行です。
佛説義足經
T0198_.04.0181c13: 不想想不色想 非無想不行想
T0198_.04.0181c14: 一切斷不著者 因想本戲隨苦
想を想うのでなく、色を想うのでなく、 無想でなく、行想でないのが、
一切を断じた執著しない者です。想に因りのが戯論で苦が従う。
922.(PTS916)
[世尊曰く]「戯論行による〈私は考えている〉というすべての根を止滅せよ。どんな内的渇愛を抑制するために常に念じて学べ」
マハーニッデーサ:「「戯論行による〈私は考えている〉というすべての根を止滅せよ」という、他ならぬ戯論が戯論行です。
渇愛・戯論行、見解・戯論行、慢心・戯論行。何が渇愛・戯論の根か? 無明の根、不如理作意の根、我慢の根、無慚の根、無愧の根、掉挙の根。
これが渇愛・戯論の根。何が見解・戯論の根か? 無明の根、不如理作意の根、我慢の根、無慚の根、無愧の根、掉挙の根。これが見解・戯論の根。
[世尊についての語釈、中略]