>>664 さすが冷静かつ鋭い分析と批評だと感嘆します。
>>531-532 >んー?というと、涅槃はこの世界、一切とは別のところにあるってこと?
>そうなると、一切の外にまで話が広がってしまうよ。
「一切」→「有為」(縁起の現象界)→無常苦の世界
「一切外」→「無為」(非縁起の涅槃)→恒常楽の境地
(『ウダーナ』8:1.8:3、及び水野『要語』参照のこと)
>>538 >これが、やっぱりかなり苦しいと思う。超越できない者は一切しか知覚できないって、
>一切智者とされるブッダも含まれて、もっと凄い人がいるってことになっちゃうよ。
超越できない者には一切に限定されるのであって、けれどもブッダは違う。ただ単に、知覚でき
ない凡夫や未完成者を相手にした場合、“非超越者にとっては一切しかない”と教えただけ。
そのような者たちには形而上学論議は控え、無記の態度を採ることになる。
>>535 ただし、仏教が説く「一切」というのは、唯物論を超えた幅広い超常的範囲をも含みます。
また、神智学においてはエーテル界、アストラル界、メンタル界までは物質の範囲であると規定し
ています。いずれ科学の発展によって、エーテル質料、アストラル原子、メンタル原子・・・が確認
されるのでしょう。