1 :
口下手番長220:
2 :
ユビキタス ◆AFU2rOqH7nac :2013/01/05(土) 19:56:21.43 ID:IE9pVP30
前スレ219
>585
>アングリマーラの事例は、具体的でしょう?
いいえ、題材としては具体的だが、それをあなたが解釈したような内容だとすると
その「表現」は十分でなく、不足であり、具体的でない、抽象的だと述べたのです。
アングリマーラ経の経典記述はあくまでも何千年にも地獄で苦しむであろう
その行為の果報を現在に受けているだけです。
あなたが言うように現世で十年石をぶつけられるだけで何千年の報いは解消されて
しまうのだという表現がない。
この悪業の報いは帳消しにできるのだというはっきりした表現が絶対に必要なんです。
どうしてかわかりますか?
3 :
ユビキタス ◆AFU2rOqH7nac :2013/01/05(土) 20:04:00.97 ID:IE9pVP30
>585
>アングリマーラの事例は、具体的でしょう?
あなたも釈尊は常識外れを説いたと書いている。
誰もが当たり前に理解できる常識ではない。非常識を説いた。
ならばそこのところをはっきり示さねばなりません。
たしかにこの翻訳表現は、下手をするとあなたのなしたように拡大解釈もされる恐れもあります。
しかし拡大解釈はしてはならないのだが。
非常識な教えなら拡大解釈なのかどうなのか曖昧な表現をするのではなく
(何千年にも及ぶ報いの苦しみが今既に受け始まっているというのであれば
あの経典表現はちっとも曖昧ではないのだが)はっきりと報いはこれで解消されて
しまうのだから耐えよと表現をより具体的にしなければならない。
4 :
ユビキタス ◆AFU2rOqH7nac :2013/01/05(土) 20:12:39.10 ID:IE9pVP30
>585
>アングリマーラの事例は、具体的でしょう?
覆水盆に還らず。これが誰もが理解して否定し得ない常識です。
ならば999人も殺して何千年も地獄で報いの苦しみを受けるはずの人がたった十年の
迫害に対する辛抱で帳消しにできてしまうという教えは、まさに覆水盆に還るがごときです。
ならばその理由を細々と説明せねば理解してもらえません。
ほら、他の善行為によって相殺される原理なのだよ。おやおや、阿闍世王などは
父親殺しても如来の前で懺悔しただけで報いは軽減されてしまうのだよと。
普通に懺悔してもそうはならないが、如来は便利なんだから活用しなさいと説く。
理由を理解する以前に帳消しになることをはっきり明文化して示さねばならない。
そうしなけりゃ誰も常識を超えられないではないか?
5 :
ユビキタス ◆AFU2rOqH7nac :2013/01/05(土) 20:27:03.36 ID:IE9pVP30
>585
>釈尊は、アングリマーラの業報・苦果は、多生において長い期間受けねばならない
>と、説いています。これを禁固1千年の刑だとしましょう。
>それが仏道を修することにより、現世だけの禁固10年で済んだわけです。
>ね、禁固990年分を、消滅させてしまったわけです。
そう、そういうあなたが書いた「表現」こそが具体的な表現なんです。
だから釈尊もそういう表現をせねば説得できないのです。
千年の禁固の九百九十年が消滅するという具体的な表現を聞いて、皆この非常識な
教えに初めて驚き、理由も聞いて初めて理解できるのです。
人によって、これって拡大解釈に過ぎないのではないか?自信ないなあなんて
表現では通用しない。
釈尊は自分の教えを正しく理解してもらうために弟子に質問を促した上で
私は全てを説き尽くしたと満足してこの世を離れたのです。
こんな大切なことがこれっぽっちの表現に終わるはずがない。
つまりそんな非常識は説かなかったのです。
6 :
ユビキタス ◆AFU2rOqH7nac :2013/01/05(土) 20:40:22.60 ID:IE9pVP30
>585
>釈尊は、アングリマーラの業報・苦果は、多生において長い期間受けねばならない
>と、説いています。これを禁固1千年の刑だとしましょう。
>それが仏道を修することにより、現世だけの禁固10年で済んだわけです。
>ね、禁固990年分を、消滅させてしまったわけです。
釈尊の経典を読んで気が付くのは、同じことをくどくどと何度も説いてしつこいということです。
また言葉巧みに具体的に比喩を交えて、これでもかと言わんばかりに話の聞き手に
対して理解を促す。
あなたが九百九十年の消滅ですよなんて添えるように。
だから本当に常識を超えた救いを説くのならば、そういう一番大切なところを
さらっと省略して説いて、言いたいことの残りは察しておくれやす、皆まで言わせんといて、
なんて変な京都人みたいな表現は絶対にしまへんのや。
7 :
神も仏も名無しさん:2013/01/05(土) 21:32:34.01 ID:wcmQYZ0G
8 :
深山 ◆Y0jS4ug6fQ :2013/01/05(土) 21:33:05.52 ID:/Kp0wx48
レス219
>585 :神も仏も名無しさん:2013/01/05(土) 10:00:58.78 ID:Zcj2svrG
>それが仏道を修することにより、現世だけの禁固10年で済んだわけです。
そのようにどこに書いてあるのですか。
あなたは書いていないことを勝手に読んでいる。
釈尊は、今受けている苦難は、地獄に落ちる数千年分の苦の一部だと
説いている。
それをあなたは、まとめて受けたと勝手な読み方をしているだけです。
ましてや、業の報いを減らしたかのような事は釈尊は一言も言っていない。
他の信者さんたちは、準シュダオンさんは毎度、批判側の指摘ばかりでなく、
経典の記述をまったく無視しているのがおわかりでしょう。
彼が無視している点は二点あります。
9 :
深山 ◆Y0jS4ug6fQ :2013/01/05(土) 21:39:41.77 ID:/Kp0wx48
1.大量殺人の業の報いが血を流しただけでどうして終わるのだ?
業の報いは釈尊はそのまま来ると説いている。
仏道修行で消えるとか軽減されるなんて嘘です。
アングリマーラの経典でもそんなことは一切説かれていない。
経典に一言もないのに準シュダオンさんはあるかのように嘘を書いている。
阿含経には業の報い(悪因縁)を消すなんて教法はありません。
解脱者である大目連も業の報いによって殺された。
業の報いは消えないとはっきりと大目連は述べており、
これをサーリプッタもその場で認めた。
釈尊の二大弟子と呼ばれる二人が、業の報いは消えないと述べたのですよ。
もちろん釈尊も業の報いを帳消しにするなどと説いたことは一度もありません。
業の報いは輪廻を通じてでも必ず「本人にそのまま返る」と説いている。
では、アングリマーラの業の報いの残りはどこに行ったのか?
仏教に業の報いを帳消しにする教法や修行があると主張したいなら、
まずその阿含経を示しなさい。
準シュダオンさんは示せないから、まるで書いてあるかのように
適当に口先で誤魔化しているのです。
10 :
深山 ◆Y0jS4ug6fQ :2013/01/05(土) 21:44:49.37 ID:/Kp0wx48
2.因縁解脱したのなら、解脱の後にどうして業の報いを受けるのか?
アングリマーラが血だらけになったのは解脱した後です(スレ219の475)。
業の報いを帳消しにすること、つまり因縁解脱が解脱なら、
解脱した後に業の報いを受けるのはおかしい。
大目連も解脱した後に異教徒に殺されている。
大目連は解脱者、仏陀です。
しかし、生きている限り、業の報いからは逃れられなかったと
本人が述べている。
「我本造る所の行極めて深重たり、要(かな)らず報いを索受して、終に避くべからず。」
(『國訳一切経 阿含部 8』292頁)
大目連すらも業の報いを必ず受けて、避けることができないと言っているのに、
大量殺人をしたアングリマーラだけが業の報いを帳消しにしてもらい、
血を流しただけで済むなんてあり得ますか。
釈尊もまた、行為の報いを受けているから、入滅の三ヶ月前に大病を患い、
死ぬような苦しみと闘い、さらにキノコが原因で苦しみながら亡くなった。
これらの事実を見れば、業の報いを消滅させるのが解脱だなんて成り立たない。
11 :
深山 ◆Y0jS4ug6fQ :2013/01/05(土) 21:51:11.78 ID:/Kp0wx48
>585 :神も仏も名無しさん:2013/01/05(土) 10:00:58.78 ID:Zcj2svrG
>1、古くは煩悩の火が吹き消された状態の安らぎで、悟りの境地いう。
>2、すべての束縛から解脱することを涅槃という。
>3、生命の火が吹き消されたということで入滅、死去をいう。
恒例の国語の時間です。
準シュダオンさんの読解力では上記の三つが別物に見えるらしい。
「山田さんは父親であり、息子であり、夫である」という記述を、
山田さんが三人いると準シュダオンさんは解釈するそうです。
他の信者さんたちは上記をどのように解釈しますか。
1〜3は涅槃という一つのことを別な切り口や表現をしただけです。
まず信者さんたちにしっかりと見てほしいのは、どこにも因縁解脱に
相当する言葉も概念もない点です。
因縁を切ること、業を切ること、カルマから解脱することなどの
表記やそのように解釈できる言葉も概念もありません。
まず1ですが、これがもっとも簡単でもっとも明瞭な表記です。
だから、涅槃と同義語である解脱の定義は次のようになっています。
「仏教では煩悩(ぼんのう)から解放されて自由な心境となることをいう.」(岩波仏教辞典)
両者の意味するところが、まったく同じであることをまず理解してください。
涅槃や解脱とは煩悩から解放されること、煩悩が消えた状態です。
どこにも因縁解脱、カルマ解脱などありません。
12 :
深山 ◆Y0jS4ug6fQ :2013/01/05(土) 21:57:02.50 ID:/Kp0wx48
>585 :神も仏も名無しさん:2013/01/05(土) 10:00:58.78 ID:Zcj2svrG
>2、すべての束縛から解脱することを涅槃という。
準シュダオンさんは束縛を、業の報い(悪因縁)などと勝手に解釈しているが、
阿含経や仏教辞典のどこにそんな解釈があるのだ?
仏教の束縛とは何か、信者さんたちは思い当たりませんか。
応説経に、「結縛」というのが出てくる。
「縛・・・煩悩(ぼんのう)を表す術語の一つ」(岩波仏教辞典)
実は、先に引用した解脱の説明にも、その前に次のように書いてある。
「束縛から解き放す意.仏教では煩悩(ぼんのう)から解放されて
自由な心境となることをいう.」(岩波仏教辞典)
この記述を読めば、
「束縛から解き放つ」=「煩悩から解放される」
であることは明かです。
上記の2の「束縛」とは煩悩のことであり、1と同じ意味です。
13 :
深山 ◆Y0jS4ug6fQ :2013/01/05(土) 22:02:41.22 ID:/Kp0wx48
>585 :神も仏も名無しさん:2013/01/05(土) 10:00:58.78 ID:Zcj2svrG
>3、生命の火が吹き消されたということで入滅、死去をいう。
これは解脱者が死亡した時の状態を表現しただけです。
信者さんたちも知っている無余依涅槃です。
生きている時の解脱は、まだ輪廻の世界にいるのだから業の報いを受けるが、
亡くなれば、六道から脱出して、二度と生まれ変わることはないから、
「生命の火が吹き消された」になる。
無余依涅槃とは解脱ですから、解脱とは煩悩から解放された状態です。
無余依涅槃を得るためには、原則として生きている間に涅槃に到達する必要がある。
だから、3は1や2と同じ意味です。
3は解脱の内の亡くなる時のこと、つまり無余依涅槃を指しているにすぎない。
上記のこの説明のどこにカルマ解脱があるのですか。
業の報いが帳消しになるなど一言もない。
そもそも業の報いの話すら出てこない。
影も形もないのに、準シュダオンさんの目には、2〜3に業解脱や
因縁解脱が見えるらしい。
私は何度も読んでも、どこにも因縁解脱なんて片鱗も読めない。
14 :
深山 ◆Y0jS4ug6fQ :2013/01/05(土) 22:07:23.41 ID:/Kp0wx48
>585 :神も仏も名無しさん:2013/01/05(土) 10:00:58.78 ID:Zcj2svrG
>まぁ、2と3をレスすると因縁滅の桐山論を肯定するはめになるからよね。
1〜3は同じ意味であり、切り口が違うだけだから、1のみを私はいつも引用するのです。
準シュダオンさんみたいに一つで説明されても理解できず、
三つの切り口で説明されるとさらなる誤解をする人もいる。
「山田さんは父親であり、息子であり、夫である」が何をたとえているのか、
準シュダオンさんは相変わらず分からないでしょう?
1から3の説明はほぼ「1=2=3」なのに、準シュダオンさんは
涅槃とは「1+2+3」であると解釈した。
しかも、1〜3のどこにも因縁解脱、業解脱など言葉も概念もないのに
準シュダオンさんはこれらから因縁解脱と読めるそうだ。
今回の指摘は、涅槃の問題ですらなく、準シュダオンさんの読解力が最低であり、
あるがままの文章は見えず、ありもしない文章が読めることを示しただけです。
15 :
深山 ◆Y0jS4ug6fQ :2013/01/05(土) 22:11:55.59 ID:/Kp0wx48
>585 :神も仏も名無しさん:2013/01/05(土) 10:00:58.78 ID:Zcj2svrG
>まぁ、2と3をレスすると因縁滅の桐山論を肯定するはめになるからよね。
信者さんたちに着目してほしいのは、準シュダオンさんの低い国語力だけでなく、
「書いていない言葉や概念を読んでいる」点です。
1〜3には因縁解脱などカケラも出てこないのに、準シュダオンさんは
まるで因縁解脱の証拠を見つけたかのようなデカイ態度です。
これは信者さんたちも同じですよ。
桐山さんの講義した阿含経にはどこにも因縁解脱など言葉も概念も出てこない。
出てくるのはひたすら漏尽解脱(煩悩解脱)です。
読んでいる応説経も三供養品も、どちらも漏尽解脱しか出てこない。
でも、信者さんたちは釈尊が因縁解脱を説いたと信じている。
準シュダオンさんほどには知性が低くないと思うなら、阿含経に出て来たこと
がない因縁解脱を阿含経にあると信じている自分に疑問を持ってください。
16 :
深山 ◆Y0jS4ug6fQ :2013/01/05(土) 22:15:11.89 ID:/Kp0wx48
>>1さん、ユビキタスさん、
スレ立てありがとうございます。
17 :
神も仏も名無しさん:2013/01/06(日) 07:53:41.41 ID:e3d79Wev
経典によると阿羅漢は仏陀(如来)が備え持つ十号(種)の内の一つで
阿羅漢=仏陀(如来)ではなく阿羅漢+残りの九種を備えてえて仏陀(如来)ね
阿羅漢の一種だけで=仏陀は桐山管長の直説でしょ。
19 :
神も仏も名無しさん:2013/01/06(日) 09:44:41.19 ID:W5IeVpvI
>あなたが言うように現世で十年石をぶつけられるだけで何千年の報いは解消されて
>しまうのだという表現がない。
>この悪業の報いは帳消しにできるのだというはっきりした表現が絶対に必要なんです。
>どうしてかわかりますか?
あなた、仏教辞典があるんでしょ?アングリマーラを調べてみなさいよ。
アングリマーラは悟りを得た、とされてるのですよ。悪業を帳消しにしなければ
悟りを得て解脱することは出来ないでしょう。
一つの経典だけでなしに、辞典などとも突き合わせて総合的な判断をすべきですよ。
20 :
神も仏も名無しさん:2013/01/06(日) 09:58:17.95 ID:W5IeVpvI
深山くんはまだ悪あがきをしてるようだw哀れだね。
では悟りのイロハを、イ解脱、ロ滅、ハ涅槃、辞典で復習しましょう。
イ、「解脱」とは、1、煩悩から解放された自由な心境。
4、インドでは輪廻からの解脱を意味する。
ロ、「滅}とは, 3,苦悩が消滅して、
2、業のはたらきが停止した悟りの境地。
ハ、「涅槃」とは、1、煩悩の火が吹き消された状態の安らぎ悟りの境地。
3、すべての束縛から解脱することを解脱という。
4、生命の火が吹き消されたということで入滅、死去をいう。
と、いうことです。番号は、1煩悩、2業・業力 3業報苦果 4輪廻滅という
意味です。深山くんは、1の煩悩しか知らない、だから35点、落第です。
21 :
神も仏も名無しさん:2013/01/06(日) 10:10:09.08 ID:W5IeVpvI
ユビキタスくんは、真理に気づくのに遅すぎるということはない。
早く深山くんの呪いから解放されて、前に進むことだ。
呪いにかかっていると、モッガラーナに来世がないことまで忘れてしまうw。
煩悩→業→苦、という循環は、苦で終了するわけではないよ。
苦→煩悩→業、という具合に、無明が無くなるまで循環する。
だから、苦を残したまま煩悩を断つことはできない。あるいは、
深山教では、「苦」の定義を間違えてるかも知れない。
憂、愁、悩、悲、などは仏教では心苦、苦と定義されている。
辞典で確かめて深山くんに教えてあげなさい。あんたが教える番だよ。
だから、憂いや悲しみを抱えたままで、平安な境地なんてのはあり得ないね。
22 :
ユビキタス ◆AFU2rOqH7nac :2013/01/06(日) 10:30:59.07 ID:+4NjpsmX
>>19 >あなた、仏教辞典があるんでしょ?アングリマーラを調べてみなさいよ。
辞典というものはまず第一に経典記述をもとにまとめられ、アビダルマなど後世の
論書も参考にされる。経典と論書の内容に微妙な差がある場合は、時代を分けて
断り書きをして、経典記述と別に提示します。
経典にも原始経典と大乗経典とは分けてそれぞれ示され、混同は避けさせています。
我々が根拠にすべきは原始経典の記述です。
アングリマーラ経(中部経典の第86経)あったればこそ後の論にも展開するのであり
アングリマーラ経の経典記述こそ指標にすべきなのに、どうしてあなたは読まないのか?
23 :
ユビキタス ◆AFU2rOqH7nac :2013/01/06(日) 10:40:24.62 ID:+4NjpsmX
>>19 >アングリマーラは悟りを得た、とされてるのですよ。悪業を帳消しにしなければ
>悟りを得て解脱することは出来ないでしょう。
前スレの何を読んでいるのか?
私も深山さんもアングリマーラ経(中部経典第86経央掘摩経)の現代語訳を
示してあげた。再度要約するにあたり、あなたに倣って番号も時代順に付番しましょう。
@アングリマーラは梵行の完成をみて阿羅漢の解脱を得たことを認証された。
Aその後托鉢に出たアングリマーラは石をぶつけられ血を流しボロボロになった。
Bそれを見て釈尊は「おまえのなした行為の果報を今受けているのだ。耐えよ」と激励した。
24 :
神も仏も名無しさん:2013/01/06(日) 10:48:15.09 ID:jz4HwaYm
>>20 >番号は、1煩悩、2業・業力 3業報苦果 4輪廻滅という意味です。
勝手な拡張解釈。
>煩悩→業→苦、という循環は、苦で終了するわけではないよ。
>苦→煩悩→業、という具合に、無明が無くなるまで循環する。
苦を滅するのではなく苦の原因である我執を滅することで煩悩・業が滅し
果である苦も滅するのです。四諦を正しく読むとそうなる。桐山四諦論は誤り。
.
25 :
神も仏も名無しさん:2013/01/06(日) 11:08:30.09 ID:jz4HwaYm
>>21 >だから、苦を残したまま煩悩を断つことはできない。
苦を切って煩悩を無くすのではない。それでは本末転倒。
苦の原因である我執を滅することで煩悩・業が滅し、果である苦も滅するのです。
桐山教は苦の原因を悪因縁(悪い星)にすり替えた。これはダマシであり詐欺です。
苦の原因は我執であり煩悩なのです。これを滅することが釈尊の教えです。
.
26 :
ユビキタス ◆AFU2rOqH7nac :2013/01/06(日) 11:10:54.78 ID:+4NjpsmX
>>19 >アングリマーラは悟りを得た、とされてるのですよ。悪業を帳消しにしなければ
>悟りを得て解脱することは出来ないでしょう。
ほら?@→A→Bの時代順を見てみなさい。
あなたの言う悪業を帳消しにしないと解脱を得られないとの主張を中部経典第86経は
完全に否定しているではないか?
27 :
ユビキタス ◆AFU2rOqH7nac :2013/01/06(日) 11:37:57.15 ID:+4NjpsmX
>>21 >呪いにかかっていると、モッガラーナに来世がないことまで忘れてしまうw。
モッガラーナに来世がないのは煩悩が一切なくなる涅槃に入ったからです。
悪業が帳消しになったからではない。
>だから、憂いや悲しみを抱えたままで、平安な境地なんてのはあり得ないね。
アングリマーラにはいくら石をぶつけられて痛い、苦痛だからといって
憂いも悲しみも怒りも怨みもありませんよ。
28 :
ユビキタス ◆AFU2rOqH7nac :2013/01/06(日) 12:05:47.46 ID:+4NjpsmX
>>21 >だから、憂いや悲しみを抱えたままで、平安な境地なんてのはあり得ないね。
あなたも手塚治虫の漫画「ブッダ」をお読みですよね。
ダイバダッタはブッダを殺そうと爪に毒をしのばせ、引っ掻いて毒殺しようとする。
しかしその毒が途中でダイバダッタに回り、ダイバダッタは死に絶える。
ダイバダッタは臨終の際、ブッダに告げる。
「私はあなたになりたかった。あなたが憎かった」
ブッダはダイバダッタに声を掛ける。
「おまえの敵はおまえの心だったのだ」
29 :
ユビキタス ◆AFU2rOqH7nac :2013/01/06(日) 12:15:45.77 ID:+4NjpsmX
>>21 >だから、憂いや悲しみを抱えたままで、平安な境地なんてのはあり得ないね。
手塚ブッダ、手塚ダイバダッタにしても、このダイバダッタのこの煩悩がなくなれば、
如何に心が平安になるかわかるでしょう?
平安とは快楽ではないんですよ。
囚われがなくなれば心は落ち着いている。たとえ外界に不遇な事があろうと。
30 :
ユビキタス ◆AFU2rOqH7nac :2013/01/06(日) 12:38:31.21 ID:+4NjpsmX
>>21 >だから、憂いや悲しみを抱えたままで、平安な境地なんてのはあり得ないね。
芥川竜之介の杜子春の話もしましたよね?
杜子春は仙人になることを諦めた時点で、何も得られず元の平凡な世知辛くもある
生活に逆戻りだが、それを喜んで受け入れた。
杜子春は囚われを捨てただけでそれ自体心の平安を少し得たと言える。
私にはあなたが心の平安に一番程遠いのがよくわかる。
あなたに自覚がなくても、傍目から見て気の毒なくらい苦しさが見て取れる。
31 :
深山 ◆Y0jS4ug6fQ :2013/01/06(日) 12:55:48.69 ID:cXqrgBYr
>>18 :神も仏も名無しさん:2013/01/06(日) 08:12:10.04 ID:DniM6/yq
>阿羅漢の一種だけで=仏陀は桐山管長の直説でしょ。
仏の十号を十種類の仏だと思っているようですね。
解脱者を十種類の称号で呼んだのです。
だから、「如来=応供=阿羅漢=正遍知・・・・=仏」です。
桐山さんが唱えた説ではなく、これが仏教の常識です。
大乗仏教が後に、解脱した弟子たちを卑しめるために、阿羅漢を一ランク下に
置いたことを取り上げているだけで、桐山さんの説ではありません。
桐山さんをまるで何かの発見者のように錯覚しているようだが、
大半が他人のパクリで、桐山さんの新発見なんて一つもない。
桐山さんの新発見と称する物は、たとえば三福道とか、
仙尼経の異陰など、すべて嘘です。
32 :
深山 ◆Y0jS4ug6fQ :2013/01/06(日) 13:01:42.40 ID:cXqrgBYr
>>20 :神も仏も名無しさん:2013/01/06(日) 09:58:17.95 ID:W5IeVpvI
>では悟りのイロハを、イ解脱、ロ滅、ハ涅槃、辞典で復習しましょう。
信者さんたちはよく準シュダオンさんの文章を読んで、
何を誤魔化している見抜くことで正しい仏教を理解してください。
アゴン宗の良い所は、アゴン宗のインチキを見分けると、
正しい仏教が理解できるようになることです。
準シュダオンさんのすり替えに気がつきましたか。
実際は「解脱=滅=涅槃」なのに、まるで別物であるかのように書いている。
釈尊は一つの概念を様々な表現を用いた。
特に、解脱と涅槃は釈尊の発明ではなく、当時のインド宗教で
使われていた言葉をそのまま採用し、内容を変えたのです。
解脱・・・仏教では煩悩(ぼんのう)から解放されて自由な心境となることをいう.
滅・・・涅槃(ねはん)は<滅>と漢訳されることがある
涅槃・・・古くは煩悩(ぼんのう)の火が吹き消された状態の安らぎ,悟りの境地をいう.
(岩波仏教辞典)
ごらんのように、解脱、滅、涅槃は全部同じ意味です。
それをまるで別物であるかのように準シュダオンさんは見せかけようと必死です。
どうしてわかりますか。
どこを探しても、因縁解脱(業解脱)などないからです。
それを何とか詭弁で因縁解脱があるかのように見せかけたいのです。
33 :
深山 ◆Y0jS4ug6fQ :2013/01/06(日) 13:07:09.42 ID:cXqrgBYr
>>20 :神も仏も名無しさん:2013/01/06(日) 09:58:17.95 ID:W5IeVpvI
>イ、「解脱」とは、1、煩悩から解放された自由な心境。
4、インドでは輪廻からの解脱を意味する。
信者の皆さんごらんください。
どこに因縁解脱があるのですか。
準シュダオンさんですら、解脱が因縁解脱だと根拠を示せないのです。
仏教辞典には因縁解脱なんてないからです。
解脱とは煩悩から解放されること、これ以外には意味がありません。
インドでは輪廻から解脱することを解脱と言った。
そして、釈尊はその方法として、煩悩から解放されることで解脱すると
説いたのです。
煩悩から解放されることで輪廻から解脱と説いたことが
仏教の最大のウリであり、オリジナルです。
34 :
深山 ◆Y0jS4ug6fQ :2013/01/06(日) 13:12:17.31 ID:cXqrgBYr
>>20 :神も仏も名無しさん:2013/01/06(日) 09:58:17.95 ID:W5IeVpvI
>ロ、「滅}とは, 3,苦悩が消滅して、
> 2、業のはたらきが停止した悟りの境地。
信者さんたちは、「業のはたらきが停止」と聞いて、
業解脱(因縁解脱)だ、カルマ解脱のことだと思いませんでしたか。
それは錯覚であり、準シュダオンさんの誤魔化しです。
なぜなら、仏教の業には信者さんたちが信じているような、
悪因縁(業の報い)などという意味はない。
業・・・原語の基本的意味は,<なすこと><なすもの><なす力>などで,
<作用><行為><行為対象><祭祀>などを表す語としてインド思想一般で広く用いられた.
(岩波仏教辞典)
これが業の意味で、簡単にいうなら、行為です。
どこにもアゴン宗のいうような意味はないことに驚いてください。
身口意の三業とは、体により行為、話す行為、心に思うことを指す。
「業のはたらきが停止した悟りの境地」とは、これらの身口意の行為が
停止したという意味です。
煩悩とは身口意の三業に現れる。
煩悩そのものが出てくるのではなく、煩悩は身口意の三業に現れるのです。
煩悩を切るとは、身口意の三業に現れた煩悩を断ちきることから、
「業のはたらきの停止」と表現したのです。
どこにもアゴン宗の言うような、業の報いの停止なんて意味はありません。
35 :
深山 ◆Y0jS4ug6fQ :2013/01/06(日) 13:18:20.10 ID:cXqrgBYr
>>20 :神も仏も名無しさん:2013/01/06(日) 09:58:17.95 ID:W5IeVpvI
>ハ、「涅槃」とは、1、煩悩の火が吹き消された状態の安らぎ悟りの境地。
> 3、すべての束縛から解脱することを解脱という。
> 4、生命の火が吹き消されたということで入滅、死去をい
涅槃については
>>11以降ですでに説明しました。
準シュダオンさんが私の指摘をまったく無視している点に着目してください。
なぜなら、反論できないからです。
同じ説明を繰り返しましょう。
上記3の束縛とは煩悩のことで、煩悩からの解放ですから1と同じ。
上記4の生命の火が消えるのを涅槃というのは、無余依涅槃のことで、
無余依涅槃とは、生きている間に煩悩を断ちきって解脱することが前提です。
煩悩が消滅して輪廻をしないから、生命の火は消えている。
つまり、いずれも涅槃とは煩悩を断ちきることです。
どこにもアゴン宗のいうような、業の報いを切るなんてありません。
36 :
深山 ◆Y0jS4ug6fQ :2013/01/06(日) 13:23:43.75 ID:cXqrgBYr
>>21 :神も仏も名無しさん:2013/01/06(日) 10:10:09.08 ID:W5IeVpvI
>煩悩→業→苦、という循環は、苦で終了するわけではないよ。
>苦→煩悩→業、という具合に、無明が無くなるまで循環する。
信者さんたちは上記の準シュダオンさんのインチキ教義を理解することで、
本当の仏教を学びましょう。
「煩悩→業→苦」という教法は仏教にはあるが、「苦→煩悩→業」などありません。
信者さんたちの中には、両方とも阿含経にあるかのように錯覚しませんでしたか。
それなのです。
嘘つきたちはこういうすり替えをする。
信者さんたちに気をつけてほしいのは、準シュダオンさんだけでなく、
桐山さんも、本当の仏教を示し、その後に自分のオカルト説を
付け加えて、本物であるかのように見せかけることです。
これは桐山さんの本などには随所に見られるから、気をつけてください。
自説を正当化するための小手先の誤魔化しです。
つまり、桐山さんも準シュダオンさんの文章は、そのままは読むのではなく、
まずどんな嘘やインチキや誤魔化しやすり替えが入っているのかと
疑ってかかることです。
彼らは嘘がなんともない。
37 :
深山 ◆Y0jS4ug6fQ :2013/01/06(日) 13:29:31.92 ID:cXqrgBYr
>>21 :神も仏も名無しさん:2013/01/06(日) 10:10:09.08 ID:W5IeVpvI
>煩悩→業→苦、という循環は、苦で終了するわけではないよ。
>苦→煩悩→業、という具合に、無明が無くなるまで循環する。
仏教には「苦→煩悩→業」などありませんが、「煩悩→業→苦」はあります。
煩悩が行為(業)となって現れ、苦を受けるという意味です。
これは
>>34で説明したとおりです。
欲望という煩悩がそのまま出てくるのではなく、身口意の行為(業)の中に現れてくる。
桐山ゲイカは性欲という煩悩を、E川さんに「今夜にでも」と誘うという行為(業)に出した。
E川さんを愛人にするという行為(業)の結果が、八十歳代にして愛人に訴えられ、
エロ教祖として全国に知れ渡るという苦を受けた。
ごらんのように、「煩悩→業→苦」そのままです。
つまり、釈尊は苦の元は煩悩であり、煩悩をなくせば苦はなくなると説いた。
桐山さんが性欲という煩悩に囚われなければ、エロ教祖として恥をかくこともなかった。
だから、煩悩を減らし、なくしなさいと説いているのです。
どこにも悪因縁を切れば苦がなくなるなどという教法はありません。
>仏の十号を十種類の仏だと思っているようですね。
>解脱者を十種類の称号で呼んだのです。
頭に血が昇っているんでしょうか?w
10号=十種類の仏がいる文章に読めるとこがおかしいですね。
如来=十の称号は
阿羅漢=十の称号になるわけないでしょう。
阿羅漢であっても智恵が優れていたり神通が優れていたり
舎利仏や目蓮のようにどちらかに偏るバラつきがありますから
まだ精進の入り口なんですがねw
39 :
深山 ◆Y0jS4ug6fQ :2013/01/06(日) 13:36:24.19 ID:cXqrgBYr
>>21 :神も仏も名無しさん:2013/01/06(日) 10:10:09.08 ID:W5IeVpvI
>煩悩→業→苦、という循環は、苦で終了するわけではないよ。
>苦→煩悩→業、という具合に、無明が無くなるまで循環する。
仏教には「苦→煩悩→業」などないことは、
今、議論しているアグリマーラや大目連を見れば十分です。
アングリマーラは石をぶつけられ血だらけになり、「苦」が生じたが、
彼は新たに煩悩に囚われることなく、その煩悩に基づく行為もしなかった。
大目連は異教徒に強打され、「苦」が生じたが、その苦から煩悩を
生じることはなく、煩悩がないのだから、それに基づく行為(業)もなかった。
苦があれば煩悩が生じるなんて、桐山さんや準シュダオンさんは
まさにそうだろうが、解脱者たちは違うのです。
桐山さんや準シュダオンさんみたいに煩悩が大好きで、煩悩が好物で、
欲望や執着のままに生きている人たちには理解できないし、理解したくない。
煩悩を減らせなんて一番彼らが嫌うことだからです。
だから、桐山さんも準シュダオンさんも、必死に、煩悩を捨てるという教法を
矮小化して、無視しようとしている。
こういう彼らの煩悩を無明というのです。
40 :
深山 ◆Y0jS4ug6fQ :2013/01/06(日) 13:43:35.60 ID:cXqrgBYr
>>19 :神も仏も名無しさん:2013/01/06(日) 09:44:41.19 ID:W5IeVpvI
>悪業を帳消しにしなければ
>悟りを得て解脱することは出来ないでしょう。
準シュダオンさんは何度説明されても理解できない。
信者さんたちは準シュダオンさんのような決めつけではなく、
批判側が引用した現実の阿含経を良くみることです。
アングリマーラは解脱した後に、石を投げられたのです。
悪業が帳消しになどなっていない。
大目連は解脱した後に異教徒に襲われて殺された。
そしてはっきりと彼はこれは自分の業の報いであると述べている。
悪業の報いを帳消しにしなければ解脱できないというなら、
アングリマーラも大目連も解脱していないことになる。
だが、二人とも解脱者、仏陀です。
なによりも、信者さんたちに気がついてほしいのは、
悪業の報いを帳消しにしなければ解脱できないなどという教法は
阿含経どころか、どんな仏教にも存在しないことです。
アゴン宗など一部の新興宗教の珍説であって、大乗仏教ですら、そんな教法はありません。
信者さんたちが信じている因縁解脱なんて桐山さんの作り話、
オカルト、嘘、インチキにすぎない。
41 :
深山 ◆Y0jS4ug6fQ :2013/01/06(日) 13:52:34.72 ID:cXqrgBYr
>>38 :神も仏も名無しさん:2013/01/06(日) 13:34:56.81 ID:DniM6/yq
>如来=十の称号は
>阿羅漢=十の称号になるわけないでしょう。
「山田さんは父親であり、息子であり、夫である」を
山田さんの三号と呼んでいるのと同じです。
山田さんという同一人物の属性を述べているにすぎない。
仏の十号も同様で、解脱者の様々な特性の呼び名です。
大乗仏教が、仏弟子たちを卑しめるために、わざわざ阿羅漢を
一つ下の位に位置づけた。
もちろん、これは嘘で、釈尊も仏弟子たちも同じ解脱者であり、
阿羅漢であり、仏です。
釈尊時代もすでに釈尊が独覚であることから、特別扱いし、
他の阿羅漢をその下と見る風潮はあった。
弟子たちが釈尊を尊重し、自分より上とみなし、特別扱いするのは当たり前です。
だが、教義から言うなら、解脱者たちは全員が阿羅漢です。
桐山さんはさも自分の発見であるかのように臭わせているが、
彼のオリジナルの指摘ではありません。
42 :
神も仏も名無しさん:2013/01/06(日) 14:00:03.69 ID:DniM6/yq
阿羅漢は供養に値する人の意味で
阿羅漢≠如来でなく如来≒阿羅漢が正しく
試験で阿羅漢=如来が正しいか
如来=阿羅漢が正しいかで二択が出て
阿羅漢=如来に○印したら不正解になりますよ。
______________________
如来の十号
一号、供養に値する人、阿羅漢
二号、完全に悟った人、等正覚
三号、明行を具えた人、明行足
四号、最善の世に逝く人、善逝
五号、世間を解するも人、世間解
六号、最高に優れた人、無上士
七号、衆生を導く人、調御丈夫
八号、天人を教えるも人、天人師
九号、真理に目覚めた人、仏陀
十号、世で最も尊い人、世尊
43 :
ユビキタス ◆AFU2rOqH7nac :2013/01/06(日) 14:07:05.88 ID:+4NjpsmX
>>42 お〜い、生半可〜。
応供がないぞ〜www
>お〜い、生半可〜。
>応供がないぞ〜www
プッW
阿羅漢=応供・福田が含まれてますが
45 :
深山 ◆Y0jS4ug6fQ :2013/01/06(日) 14:24:05.77 ID:cXqrgBYr
>>42 :神も仏も名無しさん:2013/01/06(日) 14:00:03.69 ID:DniM6/yq
>阿羅漢は供養に値する人の意味で
>阿羅漢≠如来でなく如来≒阿羅漢が正しく
「=」で結んだのが気に入らないというなら撤回しましょう。
十号はすべての解脱者の特性を現しているという意味で「=」で結んだ。
「山田さんは父親だ」というのを「山田=父親」と表現したのです。
もちろん、父親とは山田さんのみを表す、なんて意味ではありません。
たとえば、応供、供養に値する人とは、実は解脱者だけでなく、
出家した比丘はすべて供養に値する人です。
つまり、応供とは如来の一つの特性で、十号はすべての解脱者に当てはまる属性です。
しかし、「如来≒阿羅漢」というのは桐山さんが指摘した大乗仏教の
考えそのまんまではありませんか。
釈尊が如来と阿羅漢を区別しているとは知りませんでした。
経典を示してください。
46 :
神も仏も名無しさん:2013/01/06(日) 15:10:08.83 ID:3roU0OWv
如来ってのは略語だわな <真如の法を説くためにこの世に来た>
つまり最も先覚者である。
釈尊の指導を受け後から仏陀になった阿羅漢達は
自己を如来とは称せ無かった。
阿羅漢達は釈尊に遠慮したのではない、そもそも位が違うのである。
ではその如来位のAAA各付けを誰がしたのでしょうか?
47 :
ユビキタス ◆AFU2rOqH7nac :2013/01/06(日) 15:11:13.43 ID:+4NjpsmX
>>43 アラハンの音写が阿羅漢、してその漢訳の意味が応供ですからね。
時に確認の質問なんだが、あなたが書いていることは、桐山さんは如来も阿羅漢を
混同していると批判したいわけですか?
大蔵経典を調べても阿羅漢は如来という文章は見つかりませんけど。
如来(釈尊)と阿羅漢弟子と区別してあるようですね。
別譯雜阿含經
念汝當念佛諸功徳憶佛十號 如來 應供 正遍知 明行足 善逝 世間解 無上士
調御丈夫 天人師 佛世尊 是名念佛云何念法如來所説勝妙之法等同慶善現在得
阿羅漢は如来と同等の悟りを得た者という話なら別でしょうね
>>42の>九の真理に目覚めた人、仏陀は私の間違いで
阿羅漢は仏陀であっているでしょう。
しかし如来は釈尊そのものを経典では指すようですね。
51 :
ユビキタス ◆AFU2rOqH7nac :2013/01/06(日) 16:03:10.13 ID:+4NjpsmX
>>50 桐山アゴン宗批判、あるいは擁護と何か関係ありますか?
大してなければ私はレスを付けるのをやめたい。
52 :
深山 ◆Y0jS4ug6fQ :2013/01/06(日) 16:20:40.98 ID:cXqrgBYr
>>46 :神も仏も名無しさん:2013/01/06(日) 15:10:08.83 ID:3roU0OWv
>阿羅漢達は釈尊に遠慮したのではない、そもそも位が違うのである。
阿含経のどこにこういう指摘があるのでしょうか。
私は反論しているのではなく、質問しているのです。
釈尊が如来という言葉について詳しい定義をしているのを読んだことがない。
「オレ様は如来、オマイ等は阿羅漢、格が違う」なんて読んだことがない。
また釈尊の教法を読んでいても、そのような厳密な定義をする人とは思えない。
なのに、どうして如来と阿羅漢が違うと言えるのですか。
阿羅漢など十号についても、明瞭な区別を付けた例とか、
ランク付けをした話なんて見たことがないから、質問しているのです。
必要なことは釈尊本人がそのような区別をしているかどうかです。
ありませんよね。
十号は強調したい内容を別な表現で何度も繰り返す、というそれだけのことで、
どれも解脱者くらいの意味です。
53 :
深山 ◆Y0jS4ug6fQ :2013/01/06(日) 16:27:47.36 ID:cXqrgBYr
>>48 :神も仏も名無しさん:2013/01/06(日) 15:17:27.25 ID:DniM6/yq
>念汝當念佛諸功徳憶佛十號 如來 應供 正遍知 明行足 善逝 世間解 無上士
>調御丈夫 天人師 佛世尊 是名念佛云何念法如來所説勝妙之法等同慶善現在得
仏の十号そのまんまですよね。
如来が阿羅漢だとはないと言うが、この記述では、十号が対等に並んでいるのだから、
解脱者をこのように十種類の名称で並べたと見るのが普通ではありませんか。
それでこの経典をどう読めば、「如来≒阿羅漢」と読めるのですか。
「阿羅漢+残りの九種を備えてえて仏陀」(
>>18)には読めません。
上記の引用だけで言うなら、如来も応供(阿羅漢)も区別しているように見えません。
解脱者たちを如来と言おうが、阿羅漢と言おうが同じに見えます。
阿含経でよくあることで、同じ内容をくり返し説明しているだけです。
>>51のユビキタスさんの指摘と関連しているのだが、
私があなたにレスをつけているのは、一つ気になることがあるからです。
48さんはまさか、応供(阿羅漢)と如来は違うから、桐山さんの「応供の如来」
という表現はおかしくないと言いたいのではありませんよね?
48さんはそんな意図はないと思うのだが、そこが気になってレスをつけているのです。
ぜひ、「そんな意図はない」と否定してください。
また、そのような意図がなければ、ユビキタスさんの指摘どおり、
スレの主旨から外れますので、議論はこれで終わりにしたいと思います。
阿含経では釈尊の次に出る如来は如来等正覚者彌勒といっていますから
お経では生徒が先生と同じ教養を身につけた如来(先生)と阿羅漢(生徒)の呼称は先生と生徒の区別だね
55 :
神も仏も名無しさん:2013/01/06(日) 16:39:09.48 ID:3A9a6G8O
バウッダのP37〜P41を読む限り、
如来は釈尊だけでなくジャイナ教でも使用されていた。
釈尊の別称として100以上あり、その内の最も著名なものを10だけ
数えあげて、これを「仏の十号」と名づける例が、かなり古くから行われている。
と書いてあるから、同じ一人の覚者を指した言葉ではないですか。
>>53 >如来が阿羅漢だとはないと言うが
教養があるようですが話を反対に摺り変えしないでねw
血が昇ってるようですから頭を冷やしたほうがいいですよ。
>>42 阿羅漢≠如来でなく如来≒阿羅漢が正しく
試験で阿羅漢=如来が正しいか
如来=阿羅漢が正しいかで二択が出て
阿羅漢=如来に○印したら不正解になりますよ。
記号を付け間違えたかな?
阿羅漢<如来=×
如来<阿羅漢=○
58 :
神も仏も名無しさん:2013/01/06(日) 17:07:36.75 ID:jz4HwaYm
>>56 それが桐山擁護や批判にどんな意味があるのか?
明確にしてから論じれば。
.
すごく簡単に言えば
1+1=3の間違いを1+1=4が正しいんだとではいかんかなと
60 :
神も仏も名無しさん:2013/01/06(日) 17:45:10.65 ID:jz4HwaYm
>>59 それで ??
桐山さんとどう関係があるかだ。
.
桐山さんが阿羅漢が如来だと言ってるなら不正解で
阿羅漢は如来の十号の一つで仏陀だと言ってるなら正解じゃないの
62 :
ユビキタス ◆AFU2rOqH7nac :2013/01/06(日) 18:16:12.16 ID:+4NjpsmX
>>61 わかりました。あなたの阿羅漢≒如来であり完璧なイコールには相当しないのだと
いう主張はわかりました。
桐山さんが間違っているのかいないのかもそれにかかっているということもわかりました。
ならば、この阿羅漢如来論はもう終わりにしましょう。
どちらにしてもアゴン宗批判にも擁護にも重要なテーマとはなり得ないと判断したからです。
あなたのことを生半可と暴言を吐いたことは謝罪しますが、あなたもスレ趣旨を
よく理解してください。
63 :
神も仏も名無しさん:2013/01/06(日) 18:50:16.89 ID:W5IeVpvI
>仏教には「苦→煩悩→業」などありませんが、「煩悩→業→苦」はあります。
>煩悩が行為(業)となって現れ、苦を受けるという意味です。
ユビキタスくんは、深山くんのここ↑をよく考えるようにね。多くの学者先生は、
煩悩→業→苦、を説明して、だから煩悩を滅すれば苦も滅する、と説明して終わり
にしています。しかし、釈尊は12因縁で、7感受→8渇愛、と説いているのです。
苦から煩悩が生じると説いているのですが、これを説明してる学者さんは、いるの
ですかね?
激しい咽喉の渇き(苦)が水を欲するを例えて渇愛(煩悩)という、との解説はよ
く目にします。そういう煩悩を無くせば苦もなくなる、とかね。
しかし、自分の頭で考えてみなさいよ。咽喉の渇きをそのままにして、水が欲しい
という欲望を、捨てることが出来ますか?
学者先生方は、水を欲しがらねば咽喉の渇きは消える、そのように説明します。
しかし、それは無理です。
咽喉の渇きを消す法はないのか?そこから阿含仏教はスタートします。
そして、それは可能だとします。
釈尊はキノコを食べて腹痛を起こしましたが、その苦から煩悩を起こしません。
凡人ならば、激しい腹痛から煩悩を起こすのです、この先病気になったら医療費が
大変だな、などと考えてケチケチの煩悩を起こす、とかね。
これが、7感受→8渇愛、の縁起ですね。
64 :
ユビキタス ◆AFU2rOqH7nac :2013/01/06(日) 19:20:14.04 ID:+4NjpsmX
>>63 >しかし、釈尊は12因縁で、7感受→8渇愛、と説いているのです。
>苦から煩悩が生じると説いているのですが、これを説明してる学者さんは、いるの
>ですかね?
どうして感受→渇愛が苦から煩悩が生まれた話になるのか?
名色、六処、受は人間の感覚器官により外界からの刺激を感受作用を表している。
これ自体に苦も煩悩もない。
受の後の愛→取こそが煩悩が活躍するシーンなのだが、それは喉の渇きを癒す為に
潤す貪りを愛と表現した。
喉の渇きは苦ではなく、煩悩の働きの表現です。
単なる感受作用から煩悩を以て拡大増幅して貪り取り入れることを表します。
65 :
深山 ◆Y0jS4ug6fQ :2013/01/06(日) 19:21:24.31 ID:cXqrgBYr
>>56 :神も仏も名無しさん:2013/01/06(日) 16:39:26.88 ID:DniM6/yq
>教養があるようですが話を反対に摺り変えしないでねw
話をすり替えてなどいません。
あなたのわかりにくい文章と表現を理解しろというほうが無理です。
あなたの主張には根拠がないと指摘したのです。
「阿羅漢<如来」「如来<阿羅漢」がどちらであるかを質問したのではなく、
何を主張しているのかよくわからないから、元となった文章、つまり
阿含経のどこに書いてあるのかと質問したのです。
「如来≒阿羅漢」と、如来と阿羅漢が別物であるかのようにあなたは書いたが、
実は阿含経の根拠などない。
私から指摘されてから、あわてて検索したのでしょう?
だが、探せなかった。
あなたが引用した阿含経のどこに「如来≒阿羅漢」とあるのだ?
どう読んでも、解脱者の名称、属性として対等に並んでおり、
釈尊は両者は違うなんて説明はしていない。
あなたの主張がなんであるか、私は未だに理解できないが、
いずれにしろ、根拠がありません。
66 :
ユビキタス ◆AFU2rOqH7nac :2013/01/06(日) 19:27:05.68 ID:+4NjpsmX
>>63 >しかし、釈尊は12因縁で、7感受→8渇愛、と説いているのです。
>苦から煩悩が生じると説いているのですが、これを説明してる学者さんは、いるの
>ですかね?
喉の渇きを潤すが如き激しい貪りを渇愛と表現した。
喉の渇きではなく貪りにウエイトがかかっている。
外界からの刺激を感受するにあたって、貪りの煩悩が働いているのです。
この貪りはもともと人間に備わったものであり、外界の刺激で喉のか渇きという
一種の外傷の被害が生じて苦が生じたなんて話ではない。
67 :
深山 ◆Y0jS4ug6fQ :2013/01/06(日) 19:27:14.82 ID:cXqrgBYr
>>61 :神も仏も名無しさん:2013/01/06(日) 17:53:24.36 ID:DniM6/yq
>桐山さんが阿羅漢が如来だと言ってるなら不正解で
>阿羅漢は如来の十号の一つで仏陀だと言ってるなら正解じゃないの
やはりスレ違いですね。
アゴン宗では如来と仏陀の区別はつけていません。
ですから、あなたの配点からすると、桐山さんは不正解です。
だが、アゴン宗批判にもならない。
なぜなら、その主張の根拠を示せないからです。
あなたが根拠を示して桐山さんの過ちを指摘したのなら、
多くの読者は納得するだろうが、
>>48が根拠では批判側すら納得しない。
岩波仏教辞典の「如来」には次のような説明がある。
「初期の仏典では語義説明がされていない」
つまり、阿含経では如来は厳密には定義されていないのです。
定義もされていないのに、○○とは違うなどと主張しても意味がない。
阿含経の根拠を示してほしいと言われても、あなたは何も出せない。
結局、擁護でもなければ、批判にもならない。
スレ違いです。
68 :
ユビキタス ◆AFU2rOqH7nac :2013/01/06(日) 19:37:48.45 ID:+4NjpsmX
>>63 >しかし、釈尊は12因縁で、7感受→8渇愛、と説いているのです。
>苦から煩悩が生じると説いているのですが、これを説明してる学者さんは、いるの
>ですかね?
無明の煩悩から始まり、渇愛の煩悩も介在する十二縁起の話を出すならば
その煩悩から苦が生じる苦とは何かと言えば、最後の老死です。
しかし老死の苦の前に生がある。
すなわちこの世に生まれてくるということです。
69 :
ユビキタス ◆AFU2rOqH7nac :2013/01/06(日) 19:42:18.26 ID:+4NjpsmX
>>63 >しかし、釈尊は12因縁で、7感受→8渇愛、と説いているのです。
>苦から煩悩が生じると説いているのですが、これを説明してる学者さんは、いるの
>ですかね?
私たちがオギャーと産まれてきたのは実は無明から始まり感覚機能と愛着煩悩も
介在して生存を選び取る因果作用を説明したのです。
四苦八苦のとりわけ四苦。生老病死という苦はどうして生じたのかを説明したのです。
煩悩があるから老化の苦が生じたのではなく、まず誕生が生じたのです。
70 :
ユビキタス ◆AFU2rOqH7nac :2013/01/06(日) 19:45:51.07 ID:+4NjpsmX
>>63 >しかし、釈尊は12因縁で、7感受→8渇愛、と説いているのです。
>苦から煩悩が生じると説いているのですが、これを説明してる学者さんは、いるの
>ですかね?
あなたは不思議に思ったことありませんか?
四苦八苦の四苦、すなわち生老病死だが老病死が苦なのはわかるが、どうして生苦、
生を苦にしてしまうのか?老病死は生があるからには当たり前に起こる話であり
この苦は避けられない。だから生まれてくること自体が苦なんです。
71 :
ユビキタス ◆AFU2rOqH7nac :2013/01/06(日) 19:50:35.49 ID:+4NjpsmX
>>63 >しかし、釈尊は12因縁で、7感受→8渇愛、と説いているのです。
>苦から煩悩が生じると説いているのですが、これを説明してる学者さんは、いるの
>ですかね?
無明や愛着の煩悩があるからこの世に生が生じたことを示すのが十二縁起です。
だからまず四苦八苦をテーマに掲げたその苦は前世から煩悩あることによって
またしてもこの世に生を選び取ってしまったからだと説明している。
ならばその根本解決とは生まれてこなくなることです。
72 :
ユビキタス ◆AFU2rOqH7nac :2013/01/06(日) 19:54:09.00 ID:+4NjpsmX
>>63 >しかし、釈尊は12因縁で、7感受→8渇愛、と説いているのです。
>苦から煩悩が生じると説いているのですが、これを説明してる学者さんは、いるの
>ですかね?
なぜなら生まれてくる限り老病死の苦は必ずつきまとうからです。
この苦をなくそうと思ったら次には生まれて来ないことです。
今はもはや生まれて来てしまっているのだから老病死の苦は避けられない。
ならば次は生まれて来ない、これしか根本解決はありません。
73 :
ユビキタス ◆AFU2rOqH7nac :2013/01/06(日) 19:59:04.99 ID:+4NjpsmX
>>63 >しかし、釈尊は12因縁で、7感受→8渇愛、と説いているのです。
>苦から煩悩が生じると説いているのですが、これを説明してる学者さんは、いるの
>ですかね?
ところが桐山因縁解脱って、生はそのまま受けながら、ガンなどの病苦は避けたいな、
事故死などは避けたいなという話であり、こんな都合のよい御利益は釈尊の
十二縁起と何も関係なく、十二因縁を根拠に因縁解脱なんて話が成り立たないのです。
74 :
ユビキタス ◆AFU2rOqH7nac :2013/01/06(日) 20:08:27.87 ID:+4NjpsmX
>>63 >しかし、自分の頭で考えてみなさいよ。咽喉の渇きをそのままにして、水が欲しい
>という欲望を、捨てることが出来ますか?
ここに最近人気もある壇蜜みたいな若い女性がいます。
これが名色。これをあなたの六処の感覚器官を経て感受作用として刺激が入ってきた。
それをあなたは喉の渇きを潤すがごとき激しい貪りの愛着煩悩で抱きたいと思い、
抱いた(取)
これって性欲の苦はやっちまって解消せねば解決しない話ですか。
おっと「やる」なんて放送カットだよ、好楽さん。(今日の笑点参照)
75 :
ユビキタス ◆AFU2rOqH7nac :2013/01/06(日) 20:15:20.06 ID:+4NjpsmX
補足:今日の笑点
お題は元気な爺さんに扮した回答者が婆さんに扮した司会者歌丸に対して
声をかけ、歌丸が「年齢を考えなさい」と返されて、また返すというもの。
好楽「婆さん、子どもを作ろう」
歌丸「年齢を考えなさい」
好楽「じゃあ他の女を探してやろう」
他の落語家「やろうはまずいんじゃない。放送カットだよ」
76 :
ユビキタス ◆AFU2rOqH7nac :2013/01/06(日) 20:25:05.00 ID:+4NjpsmX
>>63 >しかし、自分の頭で考えてみなさいよ。咽喉の渇きをそのままにして、水が欲しい
>という欲望を、捨てることが出来ますか?
つまりあなたは渇愛という言葉、喉の渇きについて、これを単に激しい貪りの比喩表現
とはせずに、喉の炎症は薬によって鎮痛治療せねば健全な仕事も出来ぬではないか
という話にすり替えただけなんですな。
77 :
天照 ◆MO30b8Jwoo :2013/01/06(日) 20:56:00.81 ID:/MRPkLfp
突然ですが、失礼いたします。
以前掲示板で話題が出ていましたが、阿含宗初の高額初護摩札(10万円のジュンテイ尊初護摩札)や
管長メッセージや守護霊授与に関する資料をUPしたHPを作成しました。
http://agon.ojaru.jp/ 阿含宗関連資料P
メニューのPから各項目へ入ってご覧いただけるようになっています。
また今年の法施である恵比寿大黒天などの法施は資料が入り次第UPします。
(現在はまだ入荷してないのでUPできません)
とりあえず資料Pなので詳しい解説や批判内容はほとんど書いていません。
後に折を見て自分も意見を掲示板で書いて行けたら、と思っています。
皆様の考察と検証の一助になりますことを祈って、合掌。
78 :
無関係な人間です ◆/r5j5C8KiI :2013/01/06(日) 21:30:35.69 ID:XTiclyUe
お詫びです。
スレが立たない、という投稿があったので、代わりにトライをしたら、スレが立ったのですが、
操作のミスで、219のままだったのと、既に220が出来ている事に気がつきませんでした。
どうも、私のミスでみなさまにご迷惑をおかけして、申し訳ありませんでした。
ですから、新しく出来た219は無視して下さい。
>>65 刷り替えてたじゃん
阿羅漢は如来であると言ったと
阿含経だろうと阿羅漢と如来は区別してないから
弟子達も如来での記述していいと言ってるようなもんだね。
誰の言葉か判別つかん思考じゃん
わざわざ経典でタタギャター(先生)とアルハットの呼称の違い教示する必要ないでしょう。
80 :
天照 ◆MO30b8Jwoo :2013/01/07(月) 05:58:12.55 ID:jZ6/TWmK
>>77 追記
今朝新しいPを追加。
今年の京都護摩についてのちらしや法施のチラシ画像らをUP。
一部まだ教団自体で公開してない物以外は載っています。
如何に阿含宗が釣り商法なのかを垣間見る機会です。
どうぞご覧ください。
パーリ仏典
http://www.bukkyouoshie.com/suta/ 経典学習の際の注意〜原始仏教原理主義になってはならない
注意が必要なのは、経典に書いてある文言を絶対視してしまうことです。
経典に書いてあることを正確に理解することは学習上、必要ではありますが、
経典に書いてあることを絶対視過ぎると、これは誤りになります。
原始仏教原理主義になってはならない
しかし経典に忠実になりすぎると、いわゆる「原理主義」となって排他性が出てきます。
「そんなこと経典に書いていないじゃないか」とか、何事も経典を参照して正確性を求めます。これが原理主義です。
文字化された経典学習だけでは仏教は体得できない
仏教徒は、理屈や理論で学び実践するだけではありません。理
屈や理論の向こうにあるものに基づいて実践していくものであると思っています。
頭でっかちで、理屈や理論に偏重し、知らぬ間に偏狭性な心になるような原理主義にはなってはならないでしょう。
http://www.bukkyouoshie.com/suta/kyoutencyuui.html
82 :
神も仏も名無しさん:2013/01/07(月) 07:50:09.07 ID:mHfHJ4EC
83 :
Rashin:2013/01/07(月) 11:26:25.02 ID:CeEpcs6a
>81 :神も仏も名無しさん:2013/01/07(月) 06:18:55.13 ID:x63g/SIW
>経典学習の際の注意〜原始仏教原理主義になってはならない
桐山さんは、釈迦金口の教えが阿含経にしかないと主張している。
桐山さんは、阿含経を標榜しているのだからその原典たる阿含経に
照らして桐山矛盾を批判している。
ここは、原点・原典主義である桐山さんを批判する場所ですから、
批判側へのあなたの非難は当たりません。
>文字化された経典学習だけでは仏教は体得できない
仏教徒は、理屈や理論で学び実践するだけではありません。
これもスレを理解していない証拠です。
批判側の立場は、釈尊信仰という信者目線で批判していない。
ここは信仰掲示板ではなく、あくまでも桐山アゴン宗の批判板です。
84 :
神も仏も名無しさん:2013/01/07(月) 11:43:55.80 ID:Qz55BlMp
>>74 :ユビキタス ◆AFU2rOqH7nac :2013/01/06(日) 20:08:27.87 ID:+4NjpsmX
>ここに最近人気もある壇蜜みたいな若い女性がいます。
壇蜜さんを最近テレビで見ましたが、人気があるんでしょうか?
私にはどこがいいのかさっぱりわからない。貪りの愛着煩悩もまだしっかりあるのに。
あの女性には何のエロスも感じない。何故かアラフォーの方に魅力を感じますね。歳なんでしょうw
>>73 >ところが桐山因縁解脱って、生はそのまま受けながら、ガンなどの病苦は避けたいな、
>事故死などは避けたいなという話であり、こんな都合のよい御利益は釈尊の
>十二縁起と何も関係なく、十二因縁を根拠に因縁解脱なんて話が成り立たないのです。
我執がプンプンしてますね。煩悩全開です。
自分に都合のよいことばかりの追求です。諸法が無我なのに、その反対の追求です。
そして、十二因縁のどこをどう読めば「苦から煩悩が生じる」なんてタワケが出てくるのか?
釈尊に弓を向けてどうするんでしょう。
.
85 :
Rashin:2013/01/07(月) 11:55:54.17 ID:CeEpcs6a
>81 :神も仏も名無しさん:2013/01/07(月) 06:18:55.13 ID:x63g/SIW
>理屈や理論の向こうにあるものに基づいて実践していくものであると思っています。
頭でっかちで、理屈や理論に偏重し、知らぬ間に偏狭性な心になるような原理主義にはなってはならないでしょう。
このような目線で主張していること自体、桐山擁護に関係するようです。
桐山さんは、「学者物知り後回し」などと言って実践こそ信仰修行だと、
述べていましたから、桐山説の匂いがプンプンしています。
その「理屈や理論の向こうにあるものに基づいて」とは、何があるのですか?
桐山さんの実践とは他者が確認しようのないモノばかりです。
釈尊の基本的思想を「理屈や理論」でコネ回しているのは誰あろう擁護側です。
阿含経では、釈尊は「師に握り拳はない」と書かれているのですから、
阿含経に記された範囲の実践をすれば桐山さんもアゴン宗も批判されない。
しかし桐山さんは偏重どころか都合で拡大解釈し、経典ねつ造までしています。
阿含経には、「因縁解脱」も「三福道」も無いのだから仏教ではなく外道です。
86 :
深山 ◆Y0jS4ug6fQ :2013/01/07(月) 12:22:17.85 ID:69EUSLdZ
>>79 :神も仏も名無しさん:2013/01/07(月) 01:01:30.31 ID:x63g/SIW
同じ事を書きます。
あなたは
>>18で、桐山さんが阿羅漢と如来との区別をつけないのは間違いだと
指摘したらしい(よくわからないが、たぶんそういう意味でしょう)。
それが事実なら、桐山批判の一つとなる。
だから、批判側は歓迎なのです。
だが、根拠となる経典としてあなたは十号を示しただけで、
両者が別物であるということは示せなかった(
>>48)。
そうなると、十号の記述をどう読むかという国語の解釈の問題であって、
あなたの解釈がそのまま阿含経にあるわけではない。
一つの概念を様々な表記をすることは阿含経では珍しくないからです。
たとえば煩悩は毒、障、結、縛、纏、魔、火など様々な表現があるが、
だからといってこれらの言葉に上下関係があるのではなく、
一つの言葉を当時の人たちが知る様々な言葉で置き換えたにすぎない。
桐山批判なら大いに歓迎したいが、あなたの書いた内容では
根拠に乏しく信者への説得力がありません。
解釈を問うと、ここにいる準シュダオンさんのように、
「束縛」を業の報い(悪因縁)などと解釈する愚か者も出てくる(
>>20)。
したがって、新たに阿含経の根拠や学者の解釈を示してもらわないかぎり、
スレの主旨からいって、ここでの議論は終了です。
87 :
深山 ◆Y0jS4ug6fQ :2013/01/07(月) 12:27:46.00 ID:69EUSLdZ
>>78 :無関係な人間です ◆/r5j5C8KiI :2013/01/06(日) 21:30:35.69 ID:XTiclyUe
いつもスレ立てにご協力いただきましてありがとうございます。
このまま漂流させてスレ落ちにしてしまうという手と、そうでなくても
スレが立たずに困っているのだから、有効利用するという手もあります。
たとえば、この220の後の221として使い、
さらに次にスレを立てる時は221とせず、222とするという手です。
いずれ倉庫に格納され、あのスレ(219)を221番目に入れるだけですから、
さしたる問題ではありません。
219の2に「番号が219から221に変わった」と書き入れておくという手です。
また、スレ落ちしないように、たまに書き込んでおく必要があるかもしれせん。
他の方の意見はいかがでしょうか。
88 :
Rashin:2013/01/07(月) 12:32:31.93 ID:CeEpcs6a
>また、スレ落ちしないように、たまに書き込んでおく必要があるかもしれせん。
他の方の意見はいかがでしょうか。
賛成します、無関係さんの折角のスレ立てを大事にしたい思いです。
>1 スレ立て感謝します。
>>86 経典に違いがあるのか私が質問した後に区別の表記が無いのは
あなたもそれで知ったようですね。
最初から知っていたら経典の記述を教えてほしいとはいわない。
あなたのの言い分では500羅漢像も500如来像でいいんじゃないの。
経典では呼称の区別として先(如来)と徒(阿羅漢)の違いを幼児でも判るのを
いちいち解説してるほうがおかしい。
90 :
深山 ◆Y0jS4ug6fQ :2013/01/07(月) 13:02:42.08 ID:69EUSLdZ
>>89 :神も仏も名無しさん:2013/01/07(月) 12:39:59.70 ID:2YpfDuYQ
>経典に違いがあるのか私が質問した後に区別の表記が無いのは
>あなたもそれで知ったようですね。
相変わらず一度読んでも意味がよくわからない文章です。
私は如来と阿羅漢の区別なんて今までも今もつけていません。
あなたは違うと主張しているらしいが、根拠が示されていない。
ですから、議論はそこまでです。
読者からスレ違いだという苦情が出る前に、お引き取りください。
>>87 >また、スレ落ちしないように、たまに書き込んでおく必要があるかもしれせん。
>他の方の意見はいかがでしょうか。
無関係さんが善意の間違いで立てたスレを次の221スレとして有効活用することに賛成です。
しかし最終的にそれを決めるのは当スレが500ログあたりになってきて、そろそろ
残りが不安になってきた時でよいと思います。
すなわちスレ落ちせずに無傷で残っていた場合です。
>>90 あなたは如来と阿羅漢の格の違いは無いといいたいそれだけ
だが阿含経典で如来と言えば釈尊だとも認めたくないらしい
93 :
ユビキタス ◆AFU2rOqH7nac :2013/01/07(月) 13:16:47.97 ID:nRXALrSE
>>87 >また、スレ落ちしないように、たまに書き込んでおく必要があるかもしれせん。
>他の方の意見はいかがでしょうか。
落ちないように保守するのも大切かもしれませんが、無理に保守せずとも
落ちたら落ちたで仕方ない。まあ最初から削除依頼はしないというだけですね。
保守ならよいが、最近ヂミズさんも見かけませんが、違反スレみたいな荒らしに
埋められてしまったら、それも程度問題ですが、その時に協議しましょう。
94 :
Rashin:2013/01/07(月) 17:15:44.64 ID:CeEpcs6a
>>77 >>80:天照 ◆MO30b8Jwoo :2013/01/06(日) 20:56:00.81 ID:/MRPkLfp
>如何に阿含宗が釣り商法なのかを垣間見る機会です。どうぞご覧ください。
資料ありがとうございます、久々に見ましたが、一言で言えば「おぞましい」限りです。
嘗ては私もその釣り餌に飛びついた一人なので生意気は申せないが、法施の数々が余りにも
おぞましく、ご利益のオンパレードです。
さらには管長メッセージは常の通り、どこかの新装開店と同様にただ看板メニューを
東伝ブータン仏教に挿げ替えて星祭りを敢行するそうで、その内容は、「法脈、秘伝秘法、
新法号、神秘、霊力、特製祈念」等々の羅列、何度も掲示されていますが再度噛みしめたい。
(ヒンドゥー教と叙情詩 中村元選集−111頁)
『例えばある種の修行者・バラモンがたは、信者から与えられた施しの
食物を食べて〔生活しながら〕次のような卑しい術、邪悪な生活手段に
よって生活を営んでいます。すなわち、四肢の特徴により、前兆により、
自然現象の異変により、夢見により、身体の特徴により、鼠に噛まれた
衣服によるなどの諸種の運命判断、また火を焚く護摩の術〔用法の異なる
種々の〕杓子を用いる護摩の術、もみがら・ぬか・脱穀した穀物・凝乳・
油を備える護摩の術・種子などを口から火の中に吐き出して行う護摩の術、
〔右膝からとった〕血をささげる護摩の術、また〔指の関節などの〕身体を
見て呪文を唱えて行う運命判断、家を建てる土地の相の判断、畑の判断、
山犬の鳴き声による占いの判断、悪霊祓いの呪術、地の中の宝や金鉱を
みつけるために占う術、蛇呪文、鳥や烏の鳴き声による運命判断、これからの
人の生きられる寿命の予知、矢から身をまもる呪文、 動物の鳴き声による
運命判断〔などを生活手段としている〕。 しかしこのような卑しい術を
行なわないのが、また修行僧の戒めの一つです。−後略−』
95 :
Rashin:2013/01/07(月) 18:13:30.39 ID:CeEpcs6a
>>81 :神も仏も名無しさん:2013/01/07(月) 06:18:55.13 ID:x63g/SIW
>文字化された経典学習だけでは仏教は体得できない
仏教徒は、理屈や理論で学び実践するだけではありません。
理屈や理論の向こうにあるものに基づいて実践していくものであると思っています。
批判するうえでは経典や学説を参考しなければならない。
アゴン宗が阿含経経典の範疇で実践修行を教導するなら良し。
だが、上記主張は阿含経における実践とは何かを知らないようです。
仏教は、「漏盡解脱」を修行目的として説かれています。
煩悩を統御し、できるだけ減らすこと、新たな欲を抑え、滅することです。
しかしアゴン宗桐山さんは、
http://agon.ojaru.jp/ 阿含宗関連資料Pを
見る限り、信者に多くの欲を植え付けるような扇動をしている。
それが、「理屈や理論の向こうにあるものに基づいて実践」では無い筈です。
96 :
無関係な人間です ◆/r5j5C8KiI :2013/01/07(月) 18:35:34.13 ID:y/xA1HbE
寛大なご対応に感謝申し上げます。
では、おおせの通りにさせていただきます。どうも、このたびは失礼をしました。
97 :
神も仏も名無しさん:2013/01/07(月) 18:40:36.59 ID:6BaCms7O
ヤバイ、欲を煽られたぁ
信者でない私も欲しくなってきた
>>95 >上記主張は阿含経における実践とは何かを知らないようです。
>仏教は、「漏盡解脱」を修行目的として説かれています。
>煩悩を統御し、できるだけ減らすこと、新たな欲を抑え、滅することです。
↑
浄土の坊さんでも誰でも知ってるいる慢心の説教ですか
阿含経における実践の基本は大乗にもチベットにもありますがw
チベットでは上座、大乗、金剛乗の三つ形態で一つで最初に上座(小乗)から
学びますが。
北伝の阿含経も南伝のパーリ三蔵もジャイナの思想が混入してるのが歴史学上の事実ともなっています。
100 :
神も仏も名無しさん:2013/01/07(月) 19:39:46.63 ID:9UZhPrma
>>99 > 北伝の阿含経も南伝のパーリ三蔵もジャイナの思想が混入してるのが歴史学上の事実ともなっています。
本当ですか?
そういう話しは初めて聞きました。
詳しい説明をお願いします。
102 :
ユビキタス ◆AFU2rOqH7nac :2013/01/07(月) 20:10:59.84 ID:nRXALrSE
>>84 壇蜜さんを最近テレビで見ましたが、人気があるんでしょうか?
いや、私もあなたと同じレベルの認知度ですよ。
お正月にテレビ観てたら壇蜜なんてのが出て来た。
一応最近聞いたことある名前だ。壇ふみの娘?・・・いや、あの大女は独身のはずだ。
グラビアアイドルとのこと。男をそそる仕事をしているのかと認識して
題材例に挙げただけです。私の好みでもない。
103 :
神も仏も名無しさん:2013/01/07(月) 20:15:38.37 ID:9UZhPrma
>>181 その話しですか。
根本仏教そのものがジャイナ教などで使用していた言葉を使用しているのは周知のこと。
だからといって、根本仏教がジャイナ教の思想が混入していたとはいえない。
ジャイナ教と仏教とは似ていることも周知の事実。
だがジャイナ教と仏教とは異なる。
似た部分だけを取り出して、仏教はジャイナ教が混入している(だから根本経典は誤っている)というのは短絡的。
根本経典に誤りがあるから、阿含宗の説く教えも間違いとは言い切れないといいたいのだろうが、そういう論じ方を示威的という。
根本経典云々以前に、またあなたが示しているサイトの論説以前に、
阿含宗は根本的に誤っているということ。
どんなに詭弁を弄しても、桐山さんは嘘付きで間違いを押し通しているということ。
104 :
神も仏も名無しさん:2013/01/07(月) 20:17:34.57 ID:9UZhPrma
>>103 訂正
誤)だからといって、根本仏教がジャイナ教の思想が混入していたとはいえない。
正)だからといって、根本仏教がジャイナ教の思想と同じとはいえない。
105 :
深山 ◆Y0jS4ug6fQ :2013/01/07(月) 20:35:06.74 ID:69EUSLdZ
>>92 :神も仏も名無しさん:2013/01/07(月) 13:13:00.85 ID:2YpfDuYQ
>あなたは如来と阿羅漢の格の違いは無いといいたいそれだけ
>だが阿含経典で如来と言えば釈尊だとも認めたくないらしい
良くスレの主旨を読んでください。
ここは仏教スレではなく、アゴン宗という詐欺宗教の批判スレです。
批判でも擁護でもアゴン宗に関連したことならかまわない。
だが、あなたの上記の主張は十号についての解釈の議論です。
あなたの主張に対して私なりの意見や反論はあるが、しない、
なぜかわかりますか。
スレ違いの議論は住人や読者に迷惑だからです。
この件には終わりにして、仏教の知識があるなら、
桐山アゴン宗のおかしい点をその観点から指摘してほしい。
ただし、経典や学者の説など、それなりの根拠を求められます。
106 :
ユビキタス ◆AFU2rOqH7nac :2013/01/07(月) 20:49:11.57 ID:nRXALrSE
>>84 >あの女性には何のエロスも感じない。何故かアラフォーの方に魅力を感じますね。歳なんでしょうw
では壇蜜をやめてあなたの好きなアラフォーの人妻にしましょう。
アラフォーの人妻があなたに話し掛けてきた。
あなたは彼女にフェロモンを感じ(受)、愛おしく思った。(愛)
んで金を握らせズコバコやっちまっただよ。(取)
>>81 「仏教の教えと瞑想〜原始仏教の世界」
http://www.bukkyouoshie.com/ あなたここ全部読んでないでしょう?揚げ足を取るだけでコピペしただけじゃないの。
「誤った仏教が多い日本」
http://www.bukkyouoshie.com/zakki/ayamari.html ”たとえば、宿命や運命を転換するという教え、守護霊が得られるというもの、現世利益を約束する、人生での成功を教える、前世を見ることができる、超能力が得られる等々。
こういったものは、仏教の主目的にはなりません。修行していく過程において、このようなことが起きたり、得られるケースもあるようです。
しかし、絶対ではなく、仏教本来の目的でもなく、強いて言うなら二次的、三次的な副産物です。
特に宿命を転換する、因縁を切るといったものは、本来の仏教にはありません。
本来の仏教では、心が清まる中で、人間関係や環境が整い、その結果、状況が好転するということはあります。
いわゆる明確な因果関係において「運命が好転する」ケースですね。
しかし、何か呪文を唱えて運命を転換するとか、祈祷や祈念によって転換する魔法のようなものは、
仏教にはありません。もしあったとしても、それは仏教本来のものではないということになります。”
108 :
ユビキタス ◆AFU2rOqH7nac :2013/01/07(月) 21:03:39.59 ID:nRXALrSE
>>84 >あの女性には何のエロスも感じない。何故かアラフォーの方に魅力を感じますね。歳なんでしょうw
ところで何でこんな話してるかわかってます?
あなたは
>>63で
>しかし、釈尊は12因縁で、7感受→8渇愛、と説いているのです。
>苦から煩悩が生じると説いているのですが、これを説明してる学者さんは、いるの
>ですかね?
と示した。渇愛を喉の渇きを潤すことを求める貪りの愛着と言うよりも喉の炎症の苦
のように位置付けて、水を飲みたい欲望を捨ててどうして喉の渇きの苦が解消されようか
とわけのわからん話をした。
109 :
ユビキタス ◆AFU2rOqH7nac :2013/01/07(月) 21:10:35.27 ID:nRXALrSE
>>84 >あの女性には何のエロスも感じない。何故かアラフォーの方に魅力を感じますね。歳なんでしょうw
渇愛を煩悩とせずに苦だとすり替えたのがあなただが、逆であり渇愛の煩悩があるから
求め求めて執着して離さず、次の生を選び取り、それは老死の苦を生成する話です。
喉が渇いたら水を飲めばよいのですよ。釈尊は人間として万人にある食欲を満たす為の食事をとっては
ならないなんて説いていない。適量最小限とればよい。
だからアラフォーの人妻が現れたからと言って、やっちゃ駄目ですよ。
やらないと耐えられない?
110 :
ユビキタス ◆AFU2rOqH7nac :2013/01/07(月) 21:16:15.02 ID:nRXALrSE
>>84 >そして、十二因縁のどこをどう読めば「苦から煩悩が生じる」なんてタワケが出てくるのか?
そのタワケを説いたのはあなたですよ。↓
>しかし、釈尊は12因縁で、7感受→8渇愛、と説いているのです。
>苦から煩悩が生じると説いているのですが、これを説明してる学者さんは、いるの
>ですかね?
111 :
ユビキタス ◆AFU2rOqH7nac :2013/01/07(月) 21:25:04.39 ID:nRXALrSE
・・・と、ここまで書いて、あれ?と気が付いた。
私は
>>84さんを
>>63を書いた準シュダオンさんだと思い込んでいたが
どうも違うようですね。
寧ろ
>>84さんは、
>>73の指摘批判に同意して
>>63の準シュダオンさんに反レスを付けた
と見るのが正しいのでしょうか?
だとすると私の早とちりですのでご容赦ください。
112 :
ユビキタス ◆AFU2rOqH7nac :2013/01/07(月) 21:40:25.83 ID:nRXALrSE
阿羅漢如来考察論議について物申したい。
私は経典根拠はさておき阿羅漢≒如来の説を認めました。
完全無欠まったく同じニュアンスのイコールなんてことはない。
でも≒なら繋げる。
それでいいじゃないですか?
桐山さんの認識もその程度の精度だと思われるし、また我々の精度も≒です。
だから批判の題材にならないからやめましょうと示した。
113 :
神も仏も名無しさん:2013/01/07(月) 21:48:25.97 ID:Qz55BlMp
>>111 十二因縁(名色から有まで)壇蜜編ですw
壇蜜(名色)→眼(六処)→見る(触)→欲求(愛)→執着(取)→煩悩多き生存(有)
【 詳細 】
<名色(みょうしき)> 名称と形態 → 名前は壇蜜、職業(形)はグラビアアイドル
↓
<六処(ろくしょ)> 六つの感覚器官→ 特に視覚(眼)でアピール
↓
<触(そく)> 接触→ 壇蜜を五感と意根で捉える
↓
<受(じゅ)> 感受→ 壇蜜の艶めかしい肉体や振る舞いをキャッチ
↓
<愛(あい)>欲求→ 壇蜜に好感し激しい欲望を抱く
↓
<取(しゅ)>執着→ 壇蜜に執着しビデオ・雑誌・関連グッズを集める
↓
<有(う)>生存→ 煩悩まみれで生存する有情となる
.
114 :
ユビキタス ◆AFU2rOqH7nac :2013/01/07(月) 21:50:36.86 ID:nRXALrSE
我々の言葉尻を捉えるイチャモンに過ぎないのなら、こんなところにもレス可能です。
>>18 阿羅漢=仏陀(如来)ではなく阿羅漢+残りの九種を備えてえて仏陀(如来)ね。
この表現も決して正確とは言えませんよ。足し算の問題ではない。
阿羅漢+9=如来なんて言うが、十号たる賛辞称号なんてたまたま10を数えただけです。
もっと増やして48号にだって増やせます。
その場合、阿羅漢+9では48に満たないから如来とは言えないなんて話になるか?
そう考えると十号分類自体が意味がなく、やはり阿羅漢単独でも如来の境涯を
相当説明できる。
115 :
神も仏も名無しさん:2013/01/07(月) 22:33:42.71 ID:4QLPFhmx
もう一度
>>55を読んだら如何でしょうか?
釈尊ひとりの別称だけでも100以上あるのですよ。
その内の10が如来の十号ですよ。
116 :
ユビキタス ◆AFU2rOqH7nac :2013/01/07(月) 23:04:43.29 ID:nRXALrSE
>>81 経典学習の際の注意〜原始仏教原理主義になってはならない
はい、一般論的にはそのとおりだと思い、あなたが貼ってくれたサイトは素晴らしく
参考になると思います。
で、だからどうしたんですか?
このスレで何番のどういう内容が経典原理主義の弊に陥り、間違っていて
批判にも擁護にも妥当でないと指摘したいのか?
具体的に示してください。
さもないと準シュダオンさんの一般論モドキと変わらない。
117 :
ユビキタス ◆AFU2rOqH7nac :2013/01/07(月) 23:09:19.19 ID:nRXALrSE
>>98 >阿含経における実践の基本は大乗にもチベットにもありますがw
>チベットでは上座、大乗、金剛乗の三つ形態で一つで最初に上座(小乗)から
学びますが。
はい、大乗仏教においても煩悩解脱が基本であることなんて当たり前です。
ところが桐山さんは煩悩解脱は小解脱に過ぎないなどと大乗仏教ですら言わないことを説き
のみならず煩悩を煽ることばかり提示して自ら煩悩に溺れて苦しんでいます。
これを指摘しているだけなんですが、ここにあなたのその提示の何が必要であり
関係してくるのでしょうか?
118 :
ユビキタス ◆AFU2rOqH7nac :2013/01/07(月) 23:14:02.17 ID:nRXALrSE
>>99 北伝の阿含経も南伝のパーリ三蔵もジャイナの思想が混入してるのが歴史学上の事実ともなっています。
はい、そういう面も指摘されていることは私も知ってますが、だからどうしたのですか?
桐山アゴン宗の批判と擁護の議論において、ジャイナ教の混入はどちらにどのように
作用するのですか?
具体的に示してください。
あくまでもアゴン宗批判と擁護の具体的ネタに関連して。
またアゴン宗のことを知らない、語れないのならば、スレにおいて何の機能も
できないのだから立ち去ってください。
119 :
神も仏も名無しさん:2013/01/08(火) 00:05:10.56 ID:zP5cIulk
>>63 >釈尊は12因縁で、7感受→8渇愛、と説いているのです。
>苦から煩悩が生じると説いているのですが、これを説明してる学者さんは、いるの
>ですかね?
どこに苦から煩悩が生じると説いているのか?
出典、出所を明示してください。
煩悩とは身心を乱し悩ませ智慧を妨げる心の働きです。
最も根本的な三つの煩悩は貪・瞋・癡(とん・じん・ち)です。
貪欲(とんよく)・・・ むさぼり(必要以上に)求める心
瞋恚(しんに) ・・・ 怒りの心
愚癡(ぐち) ・・・ 真理に対する無知の心
です。
煩悩は、我執(自己中心の考え、それにもとづく事物への執着)から生ずると言われる。
ではなぜ我執があるのか?
それは生命が「我」を仮設しないと活動を始めることが出来ないからです。
そして認識するもの全てを本当のものだと思って執着します。執着があってはじめて認識が可能なのです。
この活動の本質は自己中心的ですから、煩悩が生じるのもうなずけます。
.
何か御託を並べても、
宗教と言うよりパチンコに近い阿含宗
121 :
神も仏も名無しさん:2013/01/08(火) 06:48:12.10 ID:BAXJSJtW
>>120 ジャンジャン出します!詐欺商品!
出ます!出します!取られ(搾取)ます!
結局、真実を知った後は踊らされたことを知るのと、財布の中身が減ったり費やした
後の寂しさ・虚しさ・哀しさだけが残るってか?
本当にそうだなあ
114 :ユ>ビキタス ◆AFU2rOqH7nac :2013/01/07(月) 21:50:36.86 ID:nRXALrSE
>我々の言葉尻を捉えるイチャモンに過ぎないのなら、こんなところにもレス可能です。
>もっと増やして48号にだって増やせます。
どうせAKB48と鉄人28号から引っ掛けたんだろw
阿弥陀の誓願48から引っ掛けたとは思えんな。
123 :
ユビキタス ◆AFU2rOqH7nac :2013/01/08(火) 07:47:43.30 ID:Ykw0b3zj
124 :
神も仏も名無しさん:2013/01/08(火) 07:51:10.87 ID:2+e56utn
125 :
霊感商売人 ◆a.ryGxLpW2 :2013/01/08(火) 08:03:15.87 ID:13UeS52B
守護霊の次が守護神かと思いきや今度は又守護霊様かい。
ジリジリ勿体ぶらせて待たせて信者の欲張り風船パンク寸前に又
守護霊を持ってくるとは流石霊感商売人だぁ。
126 :
霊感商売人 ◆a.ryGxLpW2 :2013/01/08(火) 08:11:22.68 ID:0Qa0kgtt
守護霊の次は守護仏でその又次は守護大菩薩が待ってるかも
そして次が守護如来が控えているかも。信者の欲は限りなく続く。
127 :
ユビキタス ◆AFU2rOqH7nac :2013/01/08(火) 08:18:32.53 ID:Ykw0b3zj
>>81 経典学習の際の注意〜原始仏教原理主義になってはならない
今回貼ってくれたパーリ仏典のサイトで、特に印象に残ったのはカーラーマ経の節です。
「自分が確認できないことに対して、関わらない」という姿勢です。
すなわち仏教ではあくまでも自分の頭で考え、自分で確認することが求められるのだから
地獄、天界、輪廻、さらには涅槃から悟りまで、今この場で確認なんかできません。
だから考えたり追い求めたりしない。スルーする。悟りだって悟らないうちは
どんなもんだか確認できないのだから求めすらしない。
128 :
ユビキタス ◆AFU2rOqH7nac :2013/01/08(火) 08:22:09.85 ID:Ykw0b3zj
「自分で確認できないことに対して、関わらない」
桐山さんは「21世紀は智慧の時代」で涅槃は体験によって得るしかないと釈尊の
言葉を引用し、またここの擁護側信者さんも理屈よりも実践体験を重視することを説く。
しかしそのこととカーラーマ経に見る姿勢とはニュアンスはまるで違う。
129 :
ユビキタス ◆AFU2rOqH7nac :2013/01/08(火) 08:37:14.41 ID:Ykw0b3zj
「自分で確認できないことに対して、関わらない」
自分で確認できないことに対して関わらないことを説いた釈尊が説いたことは
もっぱら自分の心を浄めることです。
自分の心に貪りや怒りなどの煩悩が起きてないか観察してこれを浄め取り除くこと
だけが常に自分で確認できることです。
そしてこれこそが仏教の実践の全てと言ってよい。
悟り、涅槃なんてものは自分の心を浄める延長線上にあるのだから
そんなものを期待するのでなく目の前の煩悩だけを相手にしていればよい。
130 :
ユビキタス ◆AFU2rOqH7nac :2013/01/08(火) 08:43:51.23 ID:Ykw0b3zj
「自分で確認できないことに対して、関わらない」
信者さんが実践体験主義を説くのはこのようなニュアンスとは違い、神秘世界の
ことは特殊な修行を実践して、いつの日か自分も神秘を体験するのだから
今からあれこれ理屈を言うなという、自分で確認できない世界を追い求めている。
準シュダオンさんは言った。輪廻とか科学で証明できない世界を説く仏教は
常識を超えたものであると。
そうでもないのです。
常識で確認できる実践だけやっていればよい世界なんです。
131 :
神も仏も名無しさん:2013/01/08(火) 10:47:20.94 ID:zP5cIulk
132 :
神も仏も名無しさん:2013/01/08(火) 11:29:37.59 ID:zP5cIulk
133 :
Rashin:2013/01/08(火) 11:47:56.28 ID:JTzEAIwe
>>98 :神も仏も名無しさん:2013/01/07(月) 19:03:03.84 ID:x63g/SIW
>阿含経における実践の基本は大乗にもチベットにもありますがw
チベットでは上座、大乗、金剛乗の三つ形態で一つで最初に上座(小乗)から学びますが。
アゴン宗的”ゴッダ煮教”を彷彿させる答えですが、学説では大乗経典から
釈尊の教えを知ることはまず不可能と考えられているのが一般的です。@
また、参掲のURL曽我氏の中村博士韻文重視論指摘は、拙速な結論です。A
ーバウッダ―仏教(中村 元,三枝 充悳)52頁ー
@:言い換えれば、ゴータマ・ブッダ(釈尊)の教えそのものは、
現在伝えられている「阿含経」を、広義のインド学・仏教学に基づいて、
充分に検討し、研究して、 はじめて知られ得る。
そして、その他のきわめて多数の諸経典、とくに大乗経典からは、
まったく知ることができない。
A:阿含経テクストの伝える釈尊の教えは、そのほとんどが問いに対する答えから
成っており、その問いにしても、また答えにしても、その原型は常識的に考えても
”散文”であった、と断定してよいであろう。(バウッダ―仏教 中村 元 132頁)
桐山さんは、北伝・東伝・南伝を統合した完全仏教などと自己独善の主観に満足し、
ますます妄想だけは肥大化しているようです。
134 :
深山 ◆Y0jS4ug6fQ :2013/01/08(火) 12:07:24.36 ID:ToMkJa1s
初護摩報告
信者さんから初護摩の様子の話を聞きました。
本人の表現をそのまま用います。
「3日の正月護摩は、爺ちゃんは両脇を抱えられて登場、登壇した。
表白を読み、護摩を焚いた。
ただし、隣に深田氏が付きっきりで、全ての所作を話しかけて指示していた。
修法の途中、回転椅子で振り向いて九字を切ったが、
(タラクとアーンクの合成文字)梵字一文字と星九字のみ短いものであり、
往年の重ね九字ではなかった。
さすがに爺ちゃんの護摩となると会場は満席に近かったが、
法要が終わるなり、蜘蛛の子を散らすように帰って行った。
乾杯では、爺ちゃんは、あろうことか酒飲んで楽しそうに壇上で黒田節を
歌っていた。」
135 :
深山 ◆Y0jS4ug6fQ :2013/01/08(火) 12:09:27.49 ID:ToMkJa1s
初護摩報告続き
「五日に護摩札を取りに行ったところ、いつものようにガラン堂で、
信者より職員の方が多かった。。。というより、ほとんど
信者はいなかった。シーンとしていた。
大して忙しくもないはずなのに、別院の本堂内は物置のように
あちこちに椅子やテーブルが雑然と積まれており、無造作に白
布が掛けられていて、どこか落ち着かず、雑然としてちっとも
片付いていない。寺院だか倉庫だか分からない。
昔は、今の季節なら正月の法要が終わるなり、護摩木作りと拡
販活動で騒がしかったはずですが、星まつりの新ポスター(エ
グザイル風のガラの悪い兄ちゃんのアップ)が玄関に貼ってあ
るだけで、何かパッとしない様子。
会員は老人ばかりになってしまった。」
>>133 それはもう時代錯誤だね
その話は1800年代以前の話だね
それ以前に中国も日本も一部のい層は知っていても
四国48箇所御遍路信仰など否定することになるから
隠匿されたのは歴史の事実。
137 :
神も仏も名無しさん:2013/01/08(火) 14:41:56.61 ID:Kt13A8JL
119判っているようでいてそうでもない。
他人の仏教論義を引き移して満足。
例えば ある男が女性に 惚れて(欲)振られる(怒る)つけ回す(痴漢となる)
彼の三悪道の始まりは、惚れるという心理を起こした男の心情である。
ここで問題なのは、振られ男をどうしたら救えるのか?である。
この人は、最初から持った己の因縁が悪いので好きな女性に相手にされないのであり
必ずや?女性に迷惑をかける男である。(恋愛 職業 人生問題一般)
この男の心中は悩みでグズグズである。
119氏は私が頷けるようなお答えと方法を(つまりお助け)を提示して頂きたい。
もしかすると街頭の八卦見の方がまっとうなお答えを出すやもしれませんな 呵呵
仏教がインドで滅びた大きな原因は、空しい理屈 空しい机上の論を弄んだ学者の
責任莫大と言われている。
>仏教がインドで滅びた大きな原因
外を否定し内に入り内も否定し内側に嵌りすぎた結果であり
ダルマの回し方があらゆるものを否定し滅っして
在家衆を外側から開放しても内側からの
大我・梵我の霊域をも取り去ってしまった業かな。
だからシャンカラに斬られたんかな?
神通力はヨーガスートラに似た意識の三昧の状態過程が
ここへ入ってから生じるもので
執着を捨てるというのは別の話だから、
だから神通力の無い阿羅漢もいたんだろうね。
大我・梵我も四禅定・天も捉え方の違いであって
三昧の領域は同じ。
最終的に欲界の崩壊(消滅)という形でくるのかな?
(長い時を経て欲界は崩壊し衆生の大部分は光音天に生じるby起源経)
モッガラーナがコーサラ軍の釈迦族への進軍を神通力で負かそうとしたのを
釈尊は止めてるしね。
139 :
神も仏も名無しさん:2013/01/08(火) 20:18:48.66 ID:zP5cIulk
>>137 :神も仏も名無しさん:2013/01/08(火) 14:41:56.61 ID:Kt13A8JL
>他人の仏教論義を引き移して満足。
書き込み内容が誤りだと思った場合はその理由を相手に分かるように論理的に説明する必要がある。
その場合、自分勝手な論理ではなく誰もが納得できるように既に公表され認められている仏教の言葉や概念、論理を用いるのが普通です。
だから私の反論はWikipediaやWikidharmaを参照して書いたものが多い。
逆に、だからこそ読み手は調べることもでき、納得もでき、信頼してもらえる確率も高くなると思う。
私は準さんや宝生さんなどの自分教で語ることはほとんどありません。
>この人は、最初から持った己の因縁が悪いので好きな女性に相手にされないのであり
>必ずや?女性に迷惑をかける男である。(恋愛 職業 人生問題一般)
> この男の心中は悩みでグズグズである。
>119氏は私が頷けるようなお答えと方法を(つまりお助け)を提示して頂きたい。
このスレッドの趣旨に則って桐山因縁論の誤りを指摘し桐山さんの詐欺行為を糾弾している訳です。
あなたの質問はスレ違いだが、敢えて答えましょう。
宝生教の観音様にお伺いをたてて御霊論をいただけばよいでしょう。
お礼には羊羹をさし上げてください。宝生観音が喜びますから。
.
140 :
ユビキタス ◆AFU2rOqH7nac :2013/01/08(火) 22:53:18.84 ID:Ykw0b3zj
アゴン宗に限らず宗教スレ読んでて、いや、宗教に限ったことでもないが、
世の中には知識はあっても当たり前の知恵が回らない使えねーのがおるよなあ。
141 :
深山 ◆Y0jS4ug6fQ :2013/01/08(火) 22:54:52.46 ID:9/IA/tRJ
>>137 :神も仏も名無しさん:2013/01/08(火) 14:41:56.61 ID:Kt13A8JL
>ここで問題なのは、振られ男をどうしたら救えるのか?である。
宝生さんて、完全に桐山教に汚染され、漬物状態になっているのですね。
何でも悪因縁でしか物が考えられない。
ここに来てあなたは数年たち、少しは釈尊の説いた仏教の解説を読んだはずです。
するとたいていの人は、好き嫌いは別として、どうやら桐山さんの説いた
因縁切りの話と、釈尊の教法とは違う物だと理解する。
だが、驚くべきことに宝生さんも準シュダオンさんもまったく学習しない。
桐山教を選ぶか、釈尊の仏教を選ぶかは自由です。
だが、その前に、普通の知性があるなら、それも十歳以上の子供の知性があれば、
これだけ多くの人から説明されたら、桐山教と釈迦仏教の区別くらいつく。
ところが、宝生さんも準シュダオンさんも何年説明されても、
桐山教と釈迦仏教では、目標も手段も結果もまったく別だということが
どうしても理解できない。
私はお二人を見ていて、その理解力の低さにいつも驚嘆する。
もっとも半世紀も仏教を売り物にしながら、未だに解脱の意味を
理解できない桐山さんの信者なのだから、当然かもしれない。
142 :
深山 ◆Y0jS4ug6fQ :2013/01/08(火) 23:00:12.87 ID:9/IA/tRJ
>>137 :神も仏も名無しさん:2013/01/08(火) 14:41:56.61 ID:Kt13A8JL
>ここで問題なのは、振られ男をどうしたら救えるのか?である。
異性にふられた男を救う方法を釈尊が示せないとあなたは思っているらしい。
そこが驚異的なのです。
釈尊の教法は煩雑複雑なものではなく、十歳の子供でもわかる。
釈尊にはたいへん失礼だが、ものすごく単純で、わかりやすい。
だが、あなたはその簡単な答がわからないのですね。
釈尊の答は簡単で「捨てろ」です。
異性への執着や愛欲を減らし捨てろ、これが釈尊の答えです。
男が、あなたいう悪い因縁で異性に持てないかどうかなんてどうでも良い。
持てる男にも、持てない男にも、釈尊の教法とは、
異性への執着や愛欲を減らし捨てろ、これだけです。
異性への執着や愛欲を捨てたら、確かに問題はすべて解決する。
これのどこが机上の空論なのですか。
143 :
深山 ◆Y0jS4ug6fQ :2013/01/08(火) 23:05:58.20 ID:9/IA/tRJ
>>137 :神も仏も名無しさん:2013/01/08(火) 14:41:56.61 ID:Kt13A8JL
>ここで問題なのは、振られ男をどうしたら救えるのか?である。
異性に対する基本的な姿勢を釈尊はアーナンダに示している。
「見るな、話しかけるな、慎んでおれ」
これは『ブッダ最後の旅』の131ページにあります。
そういうと、「それは出家に対する戒律だ」と反論するでしょう。
宝生さんは桐山教に汚染されて、出家と在家では成仏ホーが違うなどと
教えられているから、そんな間抜けな反論が出て来るのです。
出家も在家も修行の基本は同じで、程度や罰則が違うだけです。
たとえば、出家は異性は全面禁止、在家は邪淫は禁止と少しゆるめだが、
欲貪をなくすためには梵行として性的な関係もすべて断ち切るというのがあります。
在家も性的な関係をすべて捨てない限り、アナゴンにはなれない。
ましてや、出家を自称しながら、孫のような年齢の色っぽい愛人がいるなんて論外です。
こんなヤカラが阿羅漢であるはずがない。
アナゴンになるためには出家と同様に性的な関係はすべて断ち切らなければなない。
つまり、釈尊が出家に説いた「見るな、話しかけるな、慎んでおれ」は
程度の差こそあれ、在家も守るべき規範なのです。
144 :
深山 ◆Y0jS4ug6fQ :2013/01/08(火) 23:12:52.99 ID:9/IA/tRJ
>>137 :神も仏も名無しさん:2013/01/08(火) 14:41:56.61 ID:Kt13A8JL
>ここで問題なのは、振られ男をどうしたら救えるのか?である。
宝生さんをモデルにしたと思われる、その持てない振られ男も異性に対して、
「見るな、話しかけるな、慎んでおれ」を守るなら、
ふられることもなく、ふられて怒ることもない。
ご覧のように、釈尊の言ったとおりにすれば、問題が解決する。
宝生さんにふられるという悪因縁があろうが、
宝生さんが全然異性に持てないという三悪道に落ちていようが、
宝生さんが異性からまったく相手にされない人でも、
「見るな、話しかけるな、慎んでおれ」を守るなら、
問題は即刻解決することに気がつきませんか。
桐山教みたいに因縁切りだの先祖供養なんて回りくどいことは何もない。
一銭もかからず、しかも即刻、効果が出てくる。
欲望や執着を捨てれば、捨てた分、苦は減り、新たに生じることはない。
145 :
深山 ◆Y0jS4ug6fQ :2013/01/08(火) 23:18:17.71 ID:9/IA/tRJ
>>137 :神も仏も名無しさん:2013/01/08(火) 14:41:56.61 ID:Kt13A8JL
>ここで問題なのは、振られ男をどうしたら救えるのか?である。
「見るな、話しかけるな、慎んでおれ」を守らないで、
性欲のまま、持てるからといって女に手を出したらどうなるか。
その見本を示したのが桐山ゲイカです。
桐山さんは女性にものすごくもてた。
桐山さんが声をかければ、付いていく女性信者はたくさんいたでしょう。
そして、実際に桐山ゲイカは「今夜にでも」と実行した。
女にもてるようになどという祈願などしなくても、自分の望みどおり、
欲望のままに色っぽい女を物にできた。
だが、その結果をごらんなさい。
八十歳代にして、愛人から裁判に訴えられた世にも珍しいエロ教祖になった。
ギネスに登録できるのではあるまいか。
桐山さんも恥知らずだから、自分が大恥をかいたことなど覚えても
いないだろうが、世間は忘れない。
あまりに面白いから、世間が忘れても、私が言い続けてあげます。
女に持てて、欲しい女が手に入っても、ごらんのように苦が生じた。
持てるか持てないか、悪い因縁があるかどうかが問題の元でも、
ましてや解決の方向ではない。
釈尊の「捨てろ」こそが正しいことが、桐山ゲイカというエロ教祖の顛末を見てもわかります。
146 :
深山 ◆Y0jS4ug6fQ :2013/01/08(火) 23:24:16.84 ID:9/IA/tRJ
>>137 :神も仏も名無しさん:2013/01/08(火) 14:41:56.61 ID:Kt13A8JL
>仏教がインドで滅びた大きな原因は、空しい理屈 空しい机上の論を弄んだ学者の
>責任莫大と言われている。
責任を問うなら、桐山さんや宝生さん、準シュダオンさんです。
因縁切りだの御霊示だのと口から出任せのインチキを並べて、
他人を救えるようなホラをふき、金品を巻き上げた。
ま、宝生さんの場合、虎屋の羊羹だけだから、巻き上げたとは言えないし、
準シュダオンさんの話などまともに聞く信者などいないから、
被害があったとは言えません。
いずれにしろ、インチキ御霊示で人を騙したことには変わりない。
責任をとれなんて言いません。
なんせ、桐山さんも宝生さんも準シュダオンさんも、無責任を百年間煮詰めて、
天日干しにして、さらにエキスだけ吸い取ったような人たちです。
あなた方の辞書には責任なんて言葉はない。
そうやって三人ともその場しのぎの嘘や詭弁で人生を渡ってきたのだろうが、
幸い、仏教では、業の報いを説いている。
桐山教と違い、釈尊によれば、業の報いは必ず本人に返っていき、
輪廻先までしっかりと追いかけていくという。
これだけ釈尊という如来を使って己の自惚れのために嘘をつき、
人を騙し、たぶらかしてきたその悪業の報いとはどのようなものか。
神通力にはあまり興味がないが、お三方については、ゴンネンと
ミショウしてみたいものだと思っています。
147 :
ユビちゃん先生 ◆AFU2rOqH7nac :2013/01/09(水) 00:03:27.92 ID:Ykw0b3zj
>>137 >ここで問題なのは、振られ男をどうしたら救えるのか?である。
ユビキタス聖師と名乗りたいところだが、釈尊のような厳しさは自分自身に対してすら
ないので堀北真希になったつもりでお答えしますわ。梅ちゃん先生見たことないけど。
振られてもその場で泣いてまた元気を出して次の恋愛をすればよいのです。
その為の学びとすればよい。怒ったり間違っても痴漢にならねばよいのです。
失恋ごときを因縁にするとは、そんな根性だから持てないのです。
独身のユビが言うなって?ほっとけ(笑)
聖書の人類がアダムとイブから始まったのは本当かどうかで、
現代のミトコンドリア遺伝子学 で地球の全人類は今から20万年の
アフリカで一人の母イブとアダムから始まったのは証明されて
聖書の正しさが立証されていますが
仏典の起源経や釈尊の宿命通でもこれに関することはふれてないですね。
偉大なヨギ・クリシュナでも気づけなかったんですかね?
>>148 地球の全人類は今から20万年の
訂正
地球の全人類は今から20万年前に
150 :
ユビちゃん先生:2013/01/09(水) 07:36:10.27 ID:wv63V6ol
旧約聖書の「創世記」では、神が作ったアダムとイブが人類の祖先とされている。
保守的なキリスト教会では教義となっていることもあり、GallopとPew Researchによる
調査では米国人の4割が人類はアダムとイブの子孫だと信じているという。しかし、
現在ではキリスト教系の科学者たちでも、創世記の物語が事実であるとは
信じることはできないと公言することがある(NPRの記事、 本家/.)。
カナダのキリスト教系大学、Trinity Western Universityの生物学者で、
BioLogosのシニアフェローでもあるDennis Venema氏は「我々が20年以上に
渡って集めてきた遺伝子学的な証拠に反する」という。遺伝子配列をみれば、
数千年前とされる創世記よりもはるか昔に霊長類の中から現在の
人類が誕生したのは明らかであり、遺伝子の多様性からみれば、
過去に人類の総数が1万人以下の時期があるとは考えられないとしている。
また、わずか数千年の間に人類が2人の祖先から枝分かれしたとするなら、
天文学的な割合で変異していることになり、変異しすぎて
人類は存在していないだろうとも述べたとのこと。
151 :
神も仏も名無しさん:2013/01/09(水) 07:50:20.42 ID:E8rtpnHU
152 :
神も仏も名無しさん:2013/01/09(水) 08:27:10.20 ID:iFcrSM4r
全国霊感商法対策弁護士連絡会
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153 :
神も仏も名無しさん:2013/01/09(水) 19:48:36.18 ID:xSmQ6hJL
テスト
154 :
神も仏も名無しさん:2013/01/10(木) 07:51:40.32 ID:6h5vcgmf
155 :
神も仏も名無しさん:2013/01/10(木) 13:00:03.78 ID:oSFiws1V
>どこに苦から煩悩が生じると説いているのか?
>出典、出所を明示してください。
ここの理解が、知識と智慧の分かれ目であるともいえるのだが、知識としての
12因縁はあんたも知っているでしょう?
無明という煩悩を縁として行という業が生じ、行(業)を縁として、識・名色・
六処・触・感受、という苦が生じ、感受(苦)を縁として渇愛・取の煩悩を生じ、
渇愛・取(煩悩)を縁として有(業)が生じ、有(業)を縁として生老死(苦)
が生じる、とは、阿含経のあちらこちらで、釈尊が説いているでしょう。
どの出典を示したら良いのか、経が多すぎて、選べないですよw。
このようにね、煩悩→業→苦の循環において輪廻する縁起のあり方を解釈した
代表例が12因縁なのですよ。(ここは、仏教辞典の解説の受け売り)
だから、煩悩と苦は相互依存というか、お互いを生じさせる因縁なわけです。
諸法は因縁によりて生ず、とは誰でも知っているでしょう?
では煩悩は何を因縁として生じるのですか?
調べていけば、苦を因縁として渇愛煩悩が生じる、と釈尊が説いてることに
気づくでしょう。
学者が書いてることしか知らないのでは、いくら知識を集めても智慧ではありま
せん。知識を智慧に転換する力が必要ですね。
その点、深山くんなんてのは、学者が書いてる知識ばかり集めても、智慧が少し
もない。将棋の定跡についてはプロ棋士並に詳しいが、いざ指してみるとアホか
と思うようなヘボ将棋しか指せないのです。だからぁ、話にならんですの。
経文を理解するのに、国語力は大した重要ではないのです。
そのあたりが、深山ユビキタス教では、ちいとも解っていないね。
国語教師がみなシュダオンになれるか?というと、そうはいかんのです。
文盲であっても、シュダオンに成れるしね。
156 :
神も仏も名無しさん:2013/01/10(木) 13:27:09.07 ID:oSFiws1V
>アゴン宗に限らず宗教スレ読んでて、いや、宗教に限ったことでもないが、
>世の中には知識はあっても当たり前の知恵が回らない使えねーのがおるよなあ。
深山教はその代表例だってことが、まだ解りませんか?
「煩悩を断滅して心が平安になれば、業報(苦果)を受けても関係ない」とか。
まるで笑い話だって、ことに気づくでしょう?
「憂いや悲」は苦なのですよ。大きな業報の苦を受けて、心が憂いや悲しみで
いっぱいなのに、私の心は平安です、なんて言えないでしょ?
煩悩を断ずるには苦を断じないといけないし、苦を断ずるには煩悩を断じない
といけない、ということですわ。だから、管長の因縁手鏡表には、○○因縁
と煩悩が、セットで記載されているでしょう。煩悩を断じなければ話にならない
ことは、人間改造の原理と方法に詳しく解説されてるし、修行読本にも詳しく
書かれてるし、輪廻する葦にも詳しく書かれています。
それを何で今更、深山くんが、延々と、頭に血を昇らせてレスするのか?
あなた達の修行てのは、煩悩を断つことを疎かにしてたからでしょ。
でもね、煩悩を断つ修行を欠いていたのは、あんた達だけなのよw。
煩悩を煽られた、なんていう始末ですからね、気の毒で、笑うに笑えないわけよw。
157 :
ユビキタス ◆AFU2rOqH7nac :2013/01/10(木) 14:16:49.17 ID:w1w6SofH
>>155 >国語教師がみなシュダオンになれるか?というと、そうはいかんのです。
今日は時間があるのでいろいろレスを付けたいが、まず順不同だが、ここから付ける。
国語教師というよりも当たり前の国語力、文章読解力がある人ならば文盲の人も含めて
シュダオンになれます。
と言うよりも当たり前の国語力さえあればシュダオンになれます。
158 :
ユビキタス ◆AFU2rOqH7nac :2013/01/10(木) 14:19:32.03 ID:w1w6SofH
>>155 >国語教師がみなシュダオンになれるか?というと、そうはいかんのです。
そう聞いてあなたはえっ?と吃驚しましたか?
あなたは知識だけでシュダオンになれるかいな、と鬼の首を取ったかのような想いで
書いたでしょうね。しかし私の回答は知識だけでシュダオンになれるなんですから。
159 :
ユビキタス ◆AFU2rOqH7nac :2013/01/10(木) 14:29:29.42 ID:w1w6SofH
>>155 >国語教師がみなシュダオンになれるか?というと、そうはいかんのです。
あなたが
>>156でレスを付けた私の文章、すなわち知識があっても知恵の回らん奴が
おるよなあというのは、あなたを評したのでもなく、阿羅漢=如来なのかどうかを
書いていた人を指している。たしかに彼は仏教知識はそこそこあるかもしれない。
しかしせっかく知識を持っていても、使い道としての知恵が足りないゆえに、スレの趣旨にあった書き込みが
できないのです。それを指したつもりだ。
で、シュダオンになれる知識とはこういう当たり前の知恵も包含します。
160 :
ユビキタス ◆AFU2rOqH7nac :2013/01/10(木) 14:43:00.39 ID:w1w6SofH
>>155 >国語教師がみなシュダオンになれるか?というと、そうはいかんのです。
シュダオンになる基本は正しい知識です。
すなわち教えに対する正しい理解認識です。
これさえできればもうシュダオンです。
そんな大胆なことを言っていいのか?とこちらを心配するよりも前に、もう一度
シュダオンとは何かについて考え直してみてください。
桐山オカルトシュダオンではないシュダオンを。
それは桐山さんが「輪廻する葦」などで紹介した十結煩悩との関係、すなわち
十結煩悩を読み直してみてください。
161 :
ユビキタス ◆AFU2rOqH7nac :2013/01/10(木) 15:01:01.41 ID:w1w6SofH
>>155 >国語教師がみなシュダオンになれるか?というと、そうはいかんのです。
シュダオンは十結煩悩のうち三結煩悩までを断った状態を言い桐山本に間違いありません。
そして三結とは身見、疑惑、戒取であり、その意味も含めて桐山本の解説に間違いありません。
そこで皆さんは三結の解説とシュダオンの関係を読んだ時に「あれ?」と思いませんでしたか?
私は思いました。三結の内容は全て理解認識の誤謬ではありませんか?
つまりこれは正しい教えを聞いて理解して克服できるものです。
それだけだとわかるのに、どうして青いオーラがどうこう変な話になるのか?
162 :
ユビキタス ◆AFU2rOqH7nac :2013/01/10(木) 15:12:34.12 ID:w1w6SofH
>>155 >国語教師がみなシュダオンになれるか?というと、そうはいかんのです。
シュダオンは聖者の流れに預るものとされていますが、もちろん完成された聖者でも
ないことはアゴン宗信者でも納得されるでしょう。
すなわち欲貪や瞋恚などはまだ断ててない。
だからいろいろ欲しがりもするし、怒りもする煩悩が残ってる人です。
出家ならば戒律が他律的にも厳しいからよいが、在家などは時に誘惑に負けることも
あるでしょう。いかん酒飲んでもた。スケベ屋さんに行ってもた。怒鳴りつけてもた。
すなわち「やらかし」もあるわけです。
163 :
ユビキタス ◆AFU2rOqH7nac :2013/01/10(木) 15:21:10.43 ID:w1w6SofH
>>155 >国語教師がみなシュダオンになれるか?というと、そうはいかんのです。
しかしまあある程度のやらかしの挫折をしてしまっても、釈尊の教えさえきっちりと
理解できていれば、反省してまたやり直そうと精進できるわけです。
だからこそ不退転とも言われる所以だと思います。
これが教えを理解していない状態と比較するならば、酒飲んで何が悪い?
スケベ屋に行って何が悪い?怒り飛ばして何が悪い?となり、やはりそれは
雲泥の差があると見るべきですね。
164 :
ユビキタス ◆AFU2rOqH7nac :2013/01/10(木) 15:27:10.16 ID:w1w6SofH
>>155 >国語教師がみなシュダオンになれるか?というと、そうはいかんのです。
感情面のコントロールは難しいからなかなか克服できないが、理知の面だけなら
教えを聞いて理解するだけで克服できる。あとは感情面も含めて深化実践あるのみです。
言うは易く、行うは難しはどの世界にも通用し、仏道修行でも例外ではない。
しかしきちんと永続的に実践するのはまだま未熟でも理解するだけなら簡単ですから
理解できた人を段階的にシュダオンと呼ぶわけです。
つまり言葉で説かれたわかりやすい教えを当たり前に理解する国語力、読解力が
あれば、文盲でもシュダオンの完成です。
165 :
ユビキタス ◆AFU2rOqH7nac :2013/01/10(木) 15:43:58.45 ID:w1w6SofH
>>155 >国語教師がみなシュダオンになれるか?というと、そうはいかんのです。
数年前に私の知人が神奈川県横須賀市の久里浜にある国立のアルコール依存症
専門の病院に入院した話を書いた。
私が関心もったのは知人の治癒もさることながら久里浜方式と言われるアルコール依存症
の治療システムとは如何に?というものでした。
例えば禁煙外来なんてのがある。あれはニコチンパッチを肌に貼ってニコチンを
吸収させて煙草の吸入をせずとも耐えられるところから始める
無理のないシステムがあるのだが、久里浜方式とは如何なる魔法があるのか?
166 :
ユビキタス ◆AFU2rOqH7nac :2013/01/10(木) 16:16:20.76 ID:w1w6SofH
>>155 >国語教師がみなシュダオンになれるか?というと、そうはいかんのです。
久里浜のアルコール専門の国立病院に何ヶ月も入院して現在退院している知人に
聞いた話では、久里浜方式とは決して魔法でもなんでもない。
最初の3週間内科病棟にてアルコールによりいかれた器官の修復治療をし、
それが済むと精神病棟に移り、作業療法含めた精神科治療を3ヶ月行う。
内科病棟にいる時から始まるのが、患者に対する徹底的なレクチャーです。
167 :
ユビキタス ◆AFU2rOqH7nac :2013/01/10(木) 16:23:21.36 ID:w1w6SofH
>>155 >国語教師がみなシュダオンになれるか?というと、そうはいかんのです。
アルコールのメカニズム、如何にアルコールが害であるか、禁酒の必要性を
徹頭徹尾説くわけです。また精神病棟に移ってからは積極的に外出も外泊もさせ
誘惑のある中、自律的に禁酒させる。もちろん禁酒外来みたいなニコチンパッチに
代わるものはなく、最初からアルコールは一滴も飲めない。
このような治療だが治るか治らないかは自己の意志にかかっています。
治らない人もいる。しかし治る人は治る。
168 :
ユビキタス ◆AFU2rOqH7nac :2013/01/10(木) 16:47:43.44 ID:w1w6SofH
>>155 >国語教師がみなシュダオンになれるか?というと、そうはいかんのです。
私は知人から久里浜方式の概要を聞いて、なるほどと理解しました。
かつてアゴン宗に毒されていた信者時代であれば、魔法を私も求めたことでしょう。
しかし世の中そんな都合のよい魔法なんてありません。
久里浜方式とは要するに教えの徹底です。教えを説いて理解させて徹底的に実行させる。
しかしこれこそが王道です。
まず三結から除き、退院後も含めて五結の克服をさせる。
169 :
ユビキタス ◆AFU2rOqH7nac :2013/01/10(木) 16:58:13.11 ID:w1w6SofH
>>155 >国語教師がみなシュダオンになれるか?というと、そうはいかんのです。
五結の克服ですら、基本は教えの理解と徹底実践です。
ましてやシュダオンとも段階的に分類される定義は三結断っても欲貪や瞋恚などは
残している状態です。
三結という理解認識に対する迷いには教えを聞いて理解するしかありません。
アゴン宗だけがおかしなオカルト聖者にしてしまった。
シュダオンの説明にあたり、正しい仏教を引用しながらも、少し考えてみれば
この煩悩を克服しただけで、なんでそうなるの?ってな突飛な飛躍、逸脱をした。
170 :
Rashin:2013/01/10(木) 17:19:34.51 ID:XdyE97gD
>>21:煩悩→業→苦、という循環は、苦で終了するわけではないよ。
苦→煩悩→業、という具合に、無明が無くなるまで循環する。
>>156 >煩悩を断ずるには苦を断じないといけないし、苦を断ずるには煩悩を断じない
といけない、ということですわ。
煩悩(岩波仏教辞典)
身心を乱し悩ませる汚れた心的活動の総称.輪廻転生をもたらす業を
引き起こすことによって,業とともに,衆生を苦しみに満ちた迷いの
世界に繋ぎ止めておく原因となるものである.
外面に現れた行為(業)よりは,むしろその動機となる内面の惑(煩悩)を
重視するのが仏教の特徴であり,それゆえ伝統的な仏教における実践の
主眼は,業そのものよりは煩悩を取り除くこと(断惑)に向けられている.
【初期仏教】阿含経典では,随眠・漏・取・縛・結・使などさまざまな
呼称のもとに,煩悩に相当する種々の要素が挙げられているが,それらの
中で代表的なものは〈貪〉(貪欲.むさぼり)〈瞋〉(瞋恚.にくしみ)
(癡)(愚癡.無知)のいわゆる三毒である.四諦説の枠組みのなかでは,
飽くことを知らない欲望(渇愛),すなわち,貪が人生苦をもたらす根源で
あるとされる.十二支縁起(十二因縁)説においても,渇愛は生死のも苦しみを
たらす原因として重視されるが,そのさらに根源には,仏教の道理に対する
無知(無明), 即ち癡があるとされるのである.
171 :
ユビキタス ◆AFU2rOqH7nac :2013/01/10(木) 17:21:47.39 ID:w1w6SofH
>>155 >どの出典を示したら良いのか、経が多すぎて、選べないですよw。
将棋がどうのこうの人を蔑むのに使う下手な例え話は書けても、肝心の出典も
引用も自分の主張に沿った具体例も出せないのですね。
出したのは渇愛という単語のみだが、あなたはこれを欲望と見ずに苦と見た。
たしかに欲望が起こるのは苦があるからです。満たされてないから不満であり
苦しく、これを何とかしたくて欲望が湧く。
しかしてあなたはその苦は欲望のままに達成されてこそ解消できる、そういう解消が
必要だとした。
172 :
ユビキタス ◆AFU2rOqH7nac :2013/01/10(木) 17:28:55.76 ID:w1w6SofH
>>155 >どの出典を示したら良いのか、経が多すぎて、選べないですよw。
渇愛、のどの渇きを出して、これは苦である。苦なんだから解消させにゃあと
のどの炎症は治療しなければならない話と混同した。
そして水を飲ませずにのどの渇きの苦が解消されようか?などと話をすり替えた。
人間が生きていくには水は必要で、不足するとのどが渇くのだから水は必要なだけ
飲めばよい話です。飲んでも食べてもならないなんて話はない。
問題はその欲求とそれを満たす程度の話であり、私は壇蜜の例え話を出した。
173 :
ユビキタス ◆AFU2rOqH7nac :2013/01/10(木) 17:42:18.16 ID:w1w6SofH
>>155 >どの出典を示したら良いのか、経が多すぎて、選べないですよw。
壇蜜に色気を感じるかどうかはさておき色気を感じる愛着作用がある。
これは狂おしいほど苦しい話です。この欲求が満たされないのは苦だ。
苦は解消されねばならない。だから私は壇蜜と・・・
と欲求のままにそれを充足することが最善の道なのか?と示したのです。
つまり苦の捉え方も煩悩の捉え方も無茶苦茶です。
壇蜜に色気を感じてしまったからと言って、三遊亭好楽みたいに「やろう」なんて
取をしなけりゃならん話か?
174 :
ユビキタス ◆AFU2rOqH7nac :2013/01/10(木) 17:49:32.46 ID:w1w6SofH
>>156 >「煩悩を断滅して心が平安になれば、業報(苦果)を受けても関係ない」とか。
>まるで笑い話だって、ことに気づくでしょう?
>「憂いや悲」は苦なのですよ。大きな業報の苦を受けて、心が憂いや悲しみで
>いっぱいなのに、私の心は平安です、なんて言えないでしょ?
仏教とは救ってもらう宗教ではなく悟る道なんだから、ほらね、悟れない人は
こうして何度も説明しても理解すらできないのです。
心の平安とは心の快楽ではありません。
煩悩に囚われないことです。
175 :
Rashin:2013/01/10(木) 17:57:57.67 ID:XdyE97gD
>>21:煩悩→業→苦、という循環は、苦で終了するわけではないよ。
苦→煩悩→業、という具合に、無明が無くなるまで循環する。
>>156 >煩悩を断ずるには苦を断じないといけないし、苦を断ずるには煩悩を断じない
といけない、ということですわ。
【苦の超克−初期仏教・部派仏教】初期仏教や部派仏教では,この苦を直視し,
これを超克することが最大の過大であった.そこで苦は,重要な教説の中心に
据えられている.無常・苦・無我の教えは,五取蘊(生きものを構成するとともに
その執着の対象となる物質的(色),精神的(受・想・行・識)な五要素.→五蘊)は
無常であり,苦であり,無我であるということを如実に知見して,この世界を厭い離れ,
貪欲を滅して解脱せよと説く.縁起説は苦の代表である老死の原因を探求して
渇愛や無明(無知)を見出し,これらを滅すれば苦も滅するとした.
四諦説は以上の二つの教えを総合して,現実の世界は苦であり(苦諦),その原因は
渇愛などの煩悩であり(集諦),これを滅すれば苦も滅する(滅諦),そのためには
八つの正しい道(八正道)を行ぜよ(道諦)と説くものである.-後略-(岩波仏教辞典)
176 :
ユビキタス ◆AFU2rOqH7nac :2013/01/10(木) 18:06:51.78 ID:w1w6SofH
>>156 >「煩悩を断滅して心が平安になれば、業報(苦果)を受けても関係ない」とか。
>まるで笑い話だって、ことに気づくでしょう?
>「憂いや悲」は苦なのですよ。大きな業報の苦を受けて、心が憂いや悲しみで
>いっぱいなのに、私の心は平安です、なんて言えないでしょ?
そりゃ痛いものは痛く、腹痛は苦しい話です。
またサーリプッタやモッガラーナが死んだことは釈尊にとっても深い悲しみでありました。
しかしだからと言ってそれらは煩悩には発展しません。
177 :
ユビキタス ◆AFU2rOqH7nac :2013/01/10(木) 18:11:22.22 ID:w1w6SofH
>>156 >「憂いや悲」は苦なのですよ。大きな業報の苦を受けて、心が憂いや悲しみで
>いっぱいなのに、私の心は平安です、なんて言えないでしょ?
病気なんて人間と生まれたからにゃ当たり前の話であり、もうこれは受け入れるしかない話です。
人の死もね。悲しみを覚えるのはよいが、いつまでも戻って来いなんて不可能な
ことは考えません。
そういう煩悩に発展しないことが心の平安です。
痛いなんて真っ平御免、悲しいことなんか真っ平御免なんて理にもあわない
不当な欲求煩悩は捨てねばならないのです。
178 :
ユビキタス ◆AFU2rOqH7nac :2013/01/10(木) 18:41:36.68 ID:w1w6SofH
>>156 >「煩悩を断滅して心が平安になれば、業報(苦果)を受けても関係ない」とか。
>まるで笑い話だって、ことに気づくでしょう?
>「憂いや悲」は苦なのですよ。大きな業報の苦を受けて、心が憂いや悲しみで
>いっぱいなのに、私の心は平安です、なんて言えないでしょ?
満たされない欲求があるから苦しい。
この欲求をいつまでも求める限り永遠に苦から逃れられません。
だからその欲求を見直して捨てようよというのが仏教の教えです。
さすれば壇蜜を抱きたい狂おしい欲求の苦からも解放されるわけです。
179 :
神も仏も名無しさん:2013/01/10(木) 19:53:02.77 ID:90MuoOKQ
ゾンビのじいちゃ〜ん、まだ屁理屈思い付かないの〜〜〜。
もう半月以上経っちゃったよ〜〜ん。
じいちゃんの大好きな石原暴走老人のことが「紙の爆弾」一月号に・・・読んで見な。
180 :
神も仏も名無しさん:2013/01/11(金) 07:52:30.36 ID:QE+SqEtX
181 :
深山 ◆Y0jS4ug6fQ :2013/01/11(金) 12:30:08.48 ID:60UOMjyF
>>155 :神も仏も名無しさん:2013/01/10(木) 13:00:03.78 ID:oSFiws1V
>このようにね、煩悩→業→苦の循環において輪廻する縁起のあり方を解釈した
>代表例が12因縁なのですよ。(ここは、仏教辞典の解説の受け売り)
またどさくさに紛れて嘘が始まった。
あなたの説明のどこが「仏教辞典の解説の受け売り」なのだ。
その仏教辞典の原文を引用してみなさい。
あるはずがない。
識・名色・ 六処・触・感受がなんで苦なのだ?
3)識(しき)(識別作用),
4)名色(みょうしき)(名称と形態),
5)六処(ろくしょ)(六入(ろくにゅう).六つの領域,眼(げん)耳(に)鼻(び)舌(ぜつ)身(しん)意(い)の6感官),
6)触(そく)(接触),
7)受(じゅ)(感受作用),(岩波仏教辞典)
これらは苦を生み出すものであって、苦そのものではない。
受とは感受作用であり、これが渇愛という煩悩を生み出すと説明しているのであって、
どこにも苦が煩悩を生み出すなんてありません。
釈尊は十二縁起を用いて、どのように煩悩から苦が生じるかを説明したのです。
「この場合,<無明>によって<行>が生じるという関係性を観察し,
<行>より次第して<生><老死>という苦が成立することを知り」(岩波仏教辞典)
ごらんのように、十二縁起の「苦」とは「<生><老死>」を指します。
読者の皆さんはくれぐれも準シュダオンさんのインチキ解説に惑わされないように。
182 :
深山 ◆Y0jS4ug6fQ :2013/01/11(金) 12:35:45.79 ID:60UOMjyF
>>155 :神も仏も名無しさん:2013/01/10(木) 13:00:03.78 ID:oSFiws1V
>どの出典を示したら良いのか、経が多すぎて、選べないですよw。
また準シュダオンさんのハッタリです。
あなたは二年前も、アゴンさんから「預流向が聖者でないと釈尊が述べている経典を
示してくれ」と言われて、たくさんあると言いました。
だが、出せなかった。
なにせ、そんなことが書いてある経典は一つもない。
そんなことを主張している学者も一人もいない。
十二縁起の中に、苦によって煩悩が生じるなんてありません。
信者さんたちも準シュダオンさんが因縁解脱の根拠とする経典を
出せないことを良くみてください。
これは準シュダオンさんが無能で卑怯者だというだけでなく、
実際にそんな経典は存在しないからです。
十年間、まるでそれがあるかのような曲解を並べるだけで、
何一つ彼は出せない。
これは準シュダオンさんが無能で卑怯者だということもあるが、
桐山さんでも出せない。
なぜなら、仏教には因縁解脱なんて存在しないからです。
183 :
深山 ◆Y0jS4ug6fQ :2013/01/11(金) 12:40:57.42 ID:60UOMjyF
>>155 :神も仏も名無しさん:2013/01/10(木) 13:00:03.78 ID:oSFiws1V
>国語教師がみなシュダオンになれるか?というと、そうはいかんのです。
>文盲であっても、シュダオンに成れるしね。
国語教師がシュダオンになれるなんて誰が主張したのですか。
こうやって批判側が言いもしないことを勝手に作り出して、
反論して論破したつもりでいるだから、オメデタイというか、性格が悪い。
準シュダオンさんは、文盲という言葉を用いて、
まるで知的に理解しなくてもシュダオンになれるかのような書き方をしている。
嘘です。
仏教は知的な理解なしには前には進めない。
その意味では知的に理解していない信者さんたちは仏教徒ですらない。
知的な理解が基本になっていることを示す典型が、チューラパンタカで、
彼は知的障害者だったから、簡単な詩句すら覚えられず、
ましてや教法はまるで理解できなかった。
だから、彼は解脱の道を歩むこともできず、追い出されそうになった。
では、釈尊はどうやって彼を解脱に導いたのか。
信者さんたちも良く経典を読んでみることです。
アゴン宗流に徳を積むことですか。
違います。
184 :
深山 ◆Y0jS4ug6fQ :2013/01/11(金) 12:45:59.20 ID:60UOMjyF
>>155 :神も仏も名無しさん:2013/01/10(木) 13:00:03.78 ID:oSFiws1V
>文盲であっても、シュダオンに成れるしね。
釈尊はチューラパンタカが知的に仏教を理解できるように工夫しただけです。
一説には、雑巾を与えて、簡単な詩句を唱えさせた。
仏道修行とは、煩悩という垢を雑巾で拭いてきれいにすることだと気付かせるためです。
やがて彼はそれを理解した。
理解した後は何をすれば良いかわかったから、修行が早く、解脱した。
信者さんたちに驚いてほしいのは、知的障害者であっても解脱した点です。
そういうと信者さんたちは、「徳を積んだからだ」などというが、
経典を良くみてほしい。
アゴン宗でいう徳を積むなんて話は出てきません。
ましてや、彼は出家です。
彼がしたことは雑巾で拭くという行為から、煩悩を捨てることだと理解しただけで、
その後は自力で煩悩を捨てて、解脱した。
しかも、信者さんたちがもっと驚かなければならないことがある。
それは解脱しても彼の知的障害は治らなかったことです。
185 :
深山 ◆Y0jS4ug6fQ :2013/01/11(金) 12:56:34.35 ID:60UOMjyF
>>155 :神も仏も名無しさん:2013/01/10(木) 13:00:03.78 ID:oSFiws1V
>文盲であっても、シュダオンに成れるしね。
チューラパンタカは解脱しても知的障害はそのまま残った。
だから、外道たちが彼をからかって「仏教の説明をしてみろ」と質問した。
彼は答えられず、サーリプッタが助けに入ったという話が経典が残っています。
煩悩を捨てることだと理解しても、それを他人に説明するほどの知性すら
彼にはなかったのです。
だが、彼は解脱者だった。
これはアゴン宗の教義からいって二つ矛盾します。
一つは、桐山さんは解脱とはブッタの智慧と呼ぶような高度の知性を得るとしている。
だが、現実のチューラパンタカという解脱者は知的障害はそのままだった。
二つ目に、業の報いが消えていない。
チューラパンタカの知的障害もまた前世の悪業の報いとされています。
アゴン宗流に業の報い(悪因縁)を断ち切ることが解脱なら、
知的障害という業の報いも消えたはずです。
だが、現実のチューラパンタカという解脱者はの脳障害の因縁はそのままだった。
またしても、実際の解脱者の姿がアゴン宗の教義と矛盾した。
と言うよりも、ことごとく矛盾するのです。
186 :
深山 ◆Y0jS4ug6fQ :2013/01/11(金) 13:01:50.84 ID:60UOMjyF
>>156 :神も仏も名無しさん:2013/01/10(木) 13:27:09.07 ID:oSFiws1V
>「煩悩を断滅して心が平安になれば、業報(苦果)を受けても関係ない」とか。
>まるで笑い話だって、ことに気づくでしょう?
チューラパンタカは解脱したにもかかわらず、
1.仏陀の智慧というような高度な智慧など獲得していない、
2.悪因縁が切れていない、
ことになり、アゴン宗の教義と矛盾します。
信者さんたちはこれをどう見ますか。
大目連、アングリマーラ、そしてチューラパンタカと、
有名な解脱者たちは何ら業の報い、悪因縁など切っていないのです。
準シュダオンさんがどんな屁理屈を並べようが、
こういう現実の解脱者たちの姿を見たら、因縁解脱が
仏教の解脱だなんて嘘だとわかります。
187 :
深山 ◆Y0jS4ug6fQ :2013/01/11(金) 13:08:13.35 ID:60UOMjyF
>>156 :神も仏も名無しさん:2013/01/10(木) 13:27:09.07 ID:oSFiws1V
>「煩悩を断滅して心が平安になれば、業報(苦果)を受けても関係ない」とか。
>まるで笑い話だって、ことに気づくでしょう?
準シュダオンさんのように無知を丸出しにして上記のようにアザ笑っても、
仏教の解脱は煩悩からの解放であって、業の報いなんて関係ありません。
仏教の解脱は因縁解脱(業解脱)などではありません。
「仏教では煩悩(ぼんのう)から解放されて自由な心境となることをいう.」
(岩波仏教辞典)
これが仏教の解脱です。
どこにも業の報いを消すのが解脱だなんてありません。
大目連、アングリマーラ、チューラパンタカは煩悩を捨てたから解脱者なのです。
因縁解脱なんて桐山さんの作り話、オカルトで、アゴン宗などの一部の
新興宗教以外、大乗仏教ですら、そんなバカなことを言っていない。
なぜなら、彼らは信者さんたちと違い、経典を読み、因縁解脱など主張したら、
矛盾することを知っているからです。
因縁解脱なんて言い出したら、大目連、アングリマーラ、チューラパンタカ、
いやそればかりか釈尊本人の姿ですら、矛盾することになる。
彼らは業の報いをそのまま受けている。
だが、業の報いという苦を受けても、誰一人、煩悩を作ることはなかった。
信者さんたちはまず因縁解脱というオカルトを捨てて、
釈尊の説いた正しい解脱を理解することです。
仏教は正しい理解なくて一歩も進めません。
だから、知恵の宗教と呼ばれるのですよ。
188 :
神も仏も名無しさん:2013/01/11(金) 13:41:51.81 ID:h7g5Z3AC
>準シュダオンさんのように無知を丸出しにして上記のようにアザ笑っても、
>仏教の解脱は煩悩からの解放であって、業の報いなんて関係ありません。
>仏教の解脱は因縁解脱(業解脱)などではありません。
>「仏教では煩悩(ぼんのう)から解放されて自由な心境となることをいう.」
(岩波仏教辞典)
>これが仏教の解脱です。
>どこにも業の報いを消すのが解脱だなんてありません。
準シュダオンくんは、呆れて相手にしないようだから、我が答えてあげようw。
煩悩から解放されて、というのは、業からも解放される、という意味なのじゃよ。
だから、同じ辞典の「滅」の説明に、苦悩が消滅して業のはたらきが停止した悟り、
とあるわけじゃよ。
煩悩が滅するから業が生じないのも真理であるが、
業が滅するから煩悩が生じなくなるのも真理なのだ。だから「業が停止した悟り」
深山くんのは一番幼稚な考えね。
経文には、「煩悩を断滅して解脱した」という表現が一番多いけど、あなたのような
解釈では間違いです。煩悩滅とは、業滅、苦滅、生死滅、ということが含められて
いることを理解しないと、落第なのです。だから、あなたは修行に失敗したのです。
というわけなのよ。煩悩滅と、片方だけ言っても、50点にしかならないの。
業の滅、或いは苦の滅、を言って、100点なわけね。
煩悩滅の煩悩無量誓願断、だけじゃ、大乗仏教でも50点未満ですよ。
法門無量誓願知、というように、理法をマスターしなくちゃ悟りにならないのよ。
189 :
神も仏も名無しさん:2013/01/11(金) 14:10:54.52 ID:h7g5Z3AC
>>どこに苦から煩悩が生じると説いているのか?
>>出典、出所を明示してください。
>ここの理解が、知識と智慧の分かれ目であるともいえるのだが、知識としての
>12因縁はあんたも知っているでしょう?
知識と知識を組み合わせて、新しい知識・結論を作り出せたら知識か智慧か?
A=BとB=C、という知識があれば、普通の智慧があればA=Cだと導きだせる。
だが、いつも深山くんなどは、A=Cとどこに書いてあるか?とくるw、智慧がないね。
1の知識・・・→「四念処観の一つ、感受は苦なり」、を知っているでしょう?
感受には楽の感受もあるわけだが、楽が壊れるとき苦に転じるという意味で、
一切皆苦というね。ということから、感受=苦です。
次に2の知識・・・→「感受を縁として渇愛が生じる」との12因縁を知っていますか?
釈尊が、苦(感受)を縁として渇愛が生じる、と説いていることを。
眼耳鼻舌身意の感受から、渇愛が生じる、と説いているのです。
1と2の知識から、我は釈尊は「苦から煩悩が生じる」と、説いているのです。
「苦から煩悩が生じる」を、3の知識としましょう。
1と2の知識から、3の知識が生じること、当然でしょ?
1A=B、2B=C、であるならば、3A=Cであることは当然でしょ?屁理屈ぬけばねw。
190 :
神も仏も名無しさん:2013/01/11(金) 14:12:11.58 ID:RrFTHbSM
>>188 わけのわからん講釈たれてないで、183-187を読めや。
お前の戯言は「つまらん」
191 :
神も仏も名無しさん:2013/01/11(金) 14:15:26.79 ID:RrFTHbSM
>>190 書き込む場所を間違えました。撤回します。188さん、すみません。
192 :
Rashin:2013/01/11(金) 14:56:49.41 ID:2whTlM9j
>ということから、感受=苦です。
↓
病気=苦です。→苦から病気は生じるのである、???
>「感受を縁として渇愛が生じる」との12因縁を知っていますか?
十二因縁:(岩波仏教辞典)
現実の人生の苦悩の根元を追求し,その根源を断つことによって
苦悩を滅するための12の条件を系列化したもの.
無明:(岩波仏教辞典)
また,十二因縁の第一支とされる.すなわち,無明を縁として,行・
識・…・生・老死の諸法が生じ,無明が滅すれば,それらの諸法は
滅するという.
193 :
神も仏も名無しさん:2013/01/11(金) 15:04:33.90 ID:h7g5Z3AC
>>「憂いや悲」は苦なのですよ。大きな業報の苦を受けて、心が憂いや悲しみで
>>いっぱいなのに、私の心は平安です、なんて言えないでしょ?
>病気なんて人間と生まれたからにゃ当たり前の話であり、もうこれは受け入れるしかない話です。
>人の死もね。悲しみを覚えるのはよいが、いつまでも戻って来いなんて不可能な
>ことは考えません。
>そういう煩悩に発展しないことが心の平安です。
それは↑仏教の定義では、煩悩ではなくて苦なのよ、心苦というw。
>痛いなんて真っ平御免、悲しいことなんか真っ平御免なんて理にもあわない
>不当な欲求煩悩は捨てねばならないのです。
憂いや悲しみは、煩悩ではなくて、苦なのよw。あんたら、基本用語からして
無知だったのねぇ!だから、話が合わんのも無理なかったわけだ。
ところで深山くんは、悟り・涅槃とは、煩悩滅だというバカの一つ覚えしか言わん。
もしかしたら、滅の説明に、業のはたらきが停止した悟りの境地である涅槃、
と書いてある、我の持つ岩波仏経教辞典は欠陥書なのかも知れない。
そこで、ユビキタスくんにお願いだが、あなたの持つ岩波仏教辞典の「滅」の
説明に、何て書いてあるか教えてくれませんか?
やはり滅の説明にも、深山くんが言うように煩悩からの解放と書いてありますか?
それならば深山くんが正しくて、我の辞典が欠陥品なのでしょう。
そうではなくて、もしもユビくんの辞典にも、業のはたらき云々、と書いてある
ならば、早く深山くんの呪いから逃げた方がよいよ。
アングリマーラは師の呪いにかかって、大量殺人したとも言われてますからね。
194 :
Rashin:2013/01/11(金) 15:25:38.51 ID:2whTlM9j
滅:(岩波仏教辞典)
漢字仏教文献には〈滅〉が頻出するが,いづれも基本義は,
消え失せる(こと),ほろびる(こと).まず,苦悩が消滅して
業のはたらきが停止した悟りの境地である涅槃は〈滅〉と
かんやくされることがある.
195 :
Rashin:2013/01/11(金) 15:56:58.15 ID:2whTlM9j
ー岩波仏教辞典ー
涅槃:仏教における修行上の究極目標.インド思想では解脱を
究極の目的とするのが通例であるが,仏教は最初期から,
解脱とともにこの涅槃の語を用いて修行実践の目的を指し示した.
【伝統的な語義解釈】古くは煩悩の火が吹き消された状態の安らぎ,
悟りの境地をいう.
「涅槃とは何か.煩悩の根本といわれる貪欲の滅,瞋恚(怒り)の滅,
愚癡の滅をいう」というように,これら三つ(三毒,三火)を止滅した状態を
涅槃の第一義とする.「すべての束縛から解脱することを涅槃という」
196 :
Rashin:2013/01/11(金) 16:20:23.71 ID:2whTlM9j
釈尊は、解脱についても明解に述べています。
いわく、「不死の門は開かれた」と。
死なないとは、生じない世界です。
桐山さんの「因縁解脱」など仏教の概念に無いのです。
アングリマーラが作った多くの悪業は残っていても、
アングリマーラが解脱したからどこにも生じない。
悪業を作り報いを受けるべき主を、どこにも見つけられない。
釈尊は、これを次の比ゆで表しています。
その人の汚れは消えうせ、食べ物を貪らず、その人の解脱の境地は
空にして無想であるならば、かれの足跡は知りがたい。――
空飛ぶ鳥の迹の知りがたいように。(ダンマパダ第九章)
一切行は無常なり 生ずれば必ず死あり 生ぜずば即ち死せず
此の滅を最楽と為す
(『國訳一切経 阿含部9』大東出版社、65頁 )
197 :
Rashin:2013/01/11(金) 16:40:07.71 ID:2whTlM9j
>憂いや悲しみは、煩悩ではなくて、苦なのよw。
(仏陀その生涯と思想 増谷文雄)
「では比丘たちよ、有聞の聖弟子と無聞の凡夫とは、いかなる点に
おいて異なっているであろうか。
比丘たちよ、よく聞き、よく思ってみるがよい。未だ正法を
聞かざる凡夫は二種の受を感ずる。それは身における受と
心における受とである。
それはたとうれば、第一の箭をもって刺され、さらに第二の箭を
もって刺されるに似ている。
彼はいまだ正法を了知せざるがゆえに、もし五欲において楽受を
うければ、それが愛執するがゆえにさらにたちまち欲貪の煩悩の
縛するところとなる。
またもし苦受をうくることあれば、それに対して瞋恚を生ずるが
ゆえに、また瞋恚の煩悩のとらうるところとなる。
それに反して、すでに教法を聞くことを得たる聖弟子は、
ただ一つの受を感ずるのみである。
これをたとうえれば、身における受は感ずるけれど、
心における受を感ずることはないであろう。
これをたとうれば、第一の箭をもって刺され、されど第二の箭を
受くることなきに似ている。
なんとなれば、彼はすでに正法を知るがゆえに、もし五欲において
楽受をうけても、彼はこれに愛執することなきがゆえに、
その心をさわがしその意を乱すにいたらず。
またもし苦受を味わうことがあっても、彼はそれに対して瞋恚を
生ずることなきがゆえに、また煩悩の擾乱するところがない。
これを第二の箭を受くることなしというのである。」
198 :
Rashin:2013/01/11(金) 16:43:38.78 ID:2whTlM9j
>憂いや悲しみは、煩悩ではなくて、苦なのよw。
ー解説引用ー
わたしどもは、ともすれば、仏陀もしくは阿羅漢といえば、
苦楽ともに滅しつくして、寒厳枯木のごとき存在となりきって
いるかに考えがちである。
だが、釈尊の子の説法は、明らかにそのような考え方は間違いで
あることを語っている。
聖者といえども、聖弟子といえども、凡俗の人々とおなじように、
「楽受を感じ、苦受を感じ、非苦非楽受をも感ずる」のである。
美しいものを見ては美しいと感じ、愛しいものを見ては愛しいと感ずる。
また、醜いものをみれば醜いと感じ、憎いものをみれば憎いと感ずる。
そのことは少しも異なるところがない。
だが、彼らはけっして「第二の箭」を受けないのである。
「第二の箭」を受けざるがゆえに、苦受もまた楽受も、さらに彼らの心の
平和をかき乱すにいたらない、と釈尊は説いている。
(仏陀その生涯と思想 増谷文雄)167頁
199 :
Rashin:2013/01/11(金) 17:49:19.30 ID:2whTlM9j
桐山さんがいかにブッダの知恵を獲得したとエラぶり、
豪語しても、中学生ほどの国語力もないようです。
桐山さんの造語した「因縁解脱」は、意味をなしていない。
仏典には「漏盡解脱」はあります。
仏教辞典で、「漏盡」とは、煩悩の尽きた状態とある。
つまり、「漏盡解脱」とは煩悩を尽くし煩悩から
解放された(解脱)との意味になる。
しかし、「因縁解脱」とは因縁を解脱するというように、
原因を煩悩から解放する(解脱)との意味不明を生じ、
文章の体もなしていない。
これが直木賞を取れる実力を持った小説家だそうです。
>>188 嘘つきだね、準シュダオンさんは。
本人なのに他人のフリをしても、バレバレなんだよw
201 :
神も仏も名無しさん:2013/01/11(金) 20:51:13.72 ID:oC9uslpN
202 :
神も仏も名無しさん:2013/01/11(金) 21:08:38.52 ID:jOJWK6VX
キリヤマ(外道)ゲイカが煩悩秘密クジを引くんですか?
203 :
深山 ◆Y0jS4ug6fQ :2013/01/11(金) 23:14:34.47 ID:LvUeTqxT
>>188 :神も仏も名無しさん:2013/01/11(金) 13:41:51.81 ID:h7g5Z3AC
>準シュダオンくんは、呆れて相手にしないようだから、我が答えてあげようw。
>煩悩から解放されて、というのは、業からも解放される、という意味なのじゃよ。
>だから、同じ辞典の「滅」の説明に、苦悩が消滅して業のはたらきが停止した悟り、
>とあるわけじゃよ。
また準シュダオンさんの「針の飛んだレコード」です。
相手の反論を完全無視するのだから、同じ話をいつまででもやれる。
この件は
>>20で自分が書いたことも、
>>32以降で私から反論されたことも
きれいに忘れている。
ごらんのように自分が書いた記憶さえも一週間持たない。
「業のはたらきが停止」の件は
>>34で私が反論して、
準シュダオンさんの説など成り立たないことを説明している。
彼は読んでも理解できないから記憶もしない。
準シュダオンさんは脳が「滅」になって、「準シュダオンくんは」などと
自分が誰なのかもわからなくなっている。
仏教でもなく、アゴン宗の教義でもない準シュダオン教は放置するとして、
信者さんたちは仏教辞典を読み、正しい解脱、涅槃、滅の意味を知ってください。
204 :
深山 ◆Y0jS4ug6fQ :2013/01/11(金) 23:19:35.89 ID:LvUeTqxT
解脱「仏教では煩悩(ぼんのう)から解放されて自由な心境となることをいう.」
涅槃「古くは煩悩(ぼんのう)の火が吹き消された状態の安らぎ,悟りの境地をいう.」
入滅「すなわち欲望の炎が吹き消された状態」
(岩波仏教辞典)
信者さんたちはまず上記の記述を良く読んでください。
解脱、涅槃、入滅はすべて同じ意味です。
その共通した説明内容は何でしょうか。
普通の国語力で読み取ってください。
煩悩からの解放、煩悩が吹き消された、欲望が吹き消されたことです。
要するに、煩悩を断ちきることです。
他に解釈のしようがないほど明瞭です。
仏教の目標である解脱や涅槃とは煩悩を断ちきることです。
ところが、桐山さんによれば釈尊の解脱とは煩悩を断ちきることだけではないという。
205 :
深山 ◆Y0jS4ug6fQ :2013/01/11(金) 23:24:51.52 ID:LvUeTqxT
「仏陀は、業からの脱出、業からの超越を説いて、成仏法を教えた。」
(『修行者座右宝鑑』106頁)
桐山ゲイカによれば、業からの脱出こそが解脱だという。
これは桐山さんの主張では一貫しており、業からの脱出を因縁解脱と言っている。
そこでもう一度、
>>204に引用した岩波仏教辞典の解脱や涅槃と意味を比較してほしい。
信者さんたちがどちらを信じるかは別として、まず普通の読解力で読み比べた時、
まったく別であることに気がつきませんか。
桐山さんの説明には煩悩なんて言葉すら出てこない。
辞典には桐山さんの言うような業解脱については何もない。
阿含経でも同様であることは信者さんたちも知っているはずです。
読誦している応説経では、煩悩、結、縛、纏を切れとあり、いずれも煩悩のことです。
三供養品の三善根とは、貪瞋癡という三つの煩悩を切ることです。
出家経では、十結を断じて阿羅漢になるというが、この十結も煩悩です。
信者さんたちが読んでいる経典ですら、釈尊は煩悩を捨てることしか説いていない。
どこにも、桐山さんの主張のような、業解脱、因縁解脱など
文字も概念も出てこないのです。
もし、そんな言葉や概念があるなら、準シュダオンさんが
阿含経から引用していただろうが、未だかつて彼も出したことはない。
桐山さんも『超脳思考をめざせ』という本の中で、議員から
経典の根拠を質問されているが、縁起や四諦の話を出して誤魔化している。
桐山さんですら出せないのです。
なぜなら、因縁解脱や業解脱など仏教には昔から存在しないからです。
そこで準シュダオンさんはさらなる詭弁を並べた。
それが「滅」の説明文です。
206 :
深山 ◆Y0jS4ug6fQ :2013/01/11(金) 23:30:05.21 ID:LvUeTqxT
滅「苦悩が消滅して業(ごう)のはたらきが停止した悟りの境地で
ある涅槃(ねはん)は<滅>と漢訳されることがある.」
(岩波仏教辞典)
滅とは、上記にもあるように、解脱や涅槃と同じ意味です。
涅槃と同じ意味なのだから、
涅槃「古くは煩悩(ぼんのう)の火が吹き消された状態の安らぎ,悟りの境地をいう.」
これと同じということになる。
普通に読めば、滅もまた解脱と同じで、煩悩から解放されることに他ならない。
ところが、準シュダオンさんは「業のはたらきが停止」にインネンを付けた。
業を停止させるのだから、桐山ゲイカのいう業解脱、因縁解脱だというのです。
もちろん、誤魔化しなのだが、準シュダオンさんが何を誤魔化しているか、
信者さんたちはわかりますか。
もし、わかったら、少なくともその方は仏教を理解し始めている。
答は、もちろん、業の意味が仏教とアゴン宗では違うのです。
207 :
深山 ◆Y0jS4ug6fQ :2013/01/11(金) 23:35:35.71 ID:LvUeTqxT
「仏教は、この、カルマを断ちカルマの輪廻からの脱出を教えるのである。
では、カルマとはなにか?
ものみながみずから具えるひとつのカである。
その力のゆえにそのものは存在し、さまざまな相をつくり出す。
だから、カルマとはすべてのものの存在原理であり、存在の根本動力である。」
(『一九九九年カルマと霊障からの脱出』280頁)
桐山説では、業(カルマ)とは人間だけでなく、この世界が存在し、動く根本動力だという。
アゴン宗の悪因縁とは、この桐山説の業のことです。
だが、これは100%桐山オカルト説です。
インドで生まれた業にはこんな壮大な意味はありません。
前世での行為(業)の報いは、来世を含めて必ずもたらされる、というのが
業報思想であり、釈尊時代の前からあった。
だから、業に行為という意味だけでなく、業の報いを伝える潜在的な力という意味も
含ませる思想はインドにすでにありました。
しかし、桐山さんみたいに、この世界のありとあらゆることの背景に
業という神秘力があるのだという思想はありません。
信者さんたちが信じている業は、仏教どころか、インド思想にすら
存在しない、桐山説にすぎないオカルトです。
信者さんたちの信じている業を仏教の常識だと思っていませんでしたか。
現実はごらんのように、アゴン宗の業は仏教には存在しないオカルトです。
釈尊の用いた業の意味は「行為」という極めて限定的なものです。
208 :
深山 ◆Y0jS4ug6fQ :2013/01/11(金) 23:41:14.75 ID:LvUeTqxT
業「・・身体にかかわる行為を<身業(しんごう)>,言語にかかわる行為を
<口業(くごう)>または<語業(ごごう)>,意思にかかわる行為を<意業(いごう)>
といって三業に区別されるが,・・・」(岩波仏教辞典)
これが仏教の業の正しい説明です。
>>207の桐山説と読み比べてください。
まったく意味が違うと言ってもいいくらい違うことに気がつきませんか。
なまじ信者さんたちは身口意の三業などと、普段から仏教用語を
使っているから、自分では業の意味を理解したつもりでいる。
だが、現実にはぜんぜん違った意味に用いている。
桐山説の業が運命となって出てきたのが悪因縁です。
だが、上記の行為という意味の業のどこに運命という意味があるのだ?
日本語の行為という言葉に運命という意味がないのと同じで、
仏教の業に運命などという意味はありません。
信者さんたちにぜひ正しく仏教を理解してもらいたい。
桐山さんの説を信じているのは自由です。
だが、少なくとも、学者たちの定義は、
「業(カルマ)=行為」
であることをしっかりと覚えてください。
学者の定義した滅を理解するには、学者の定義した業の意味を覚えてもらうしかない。
それを彼の脳味噌のようにグチャグチャにしているのが準シュダオンさんです。
209 :
深山 ◆Y0jS4ug6fQ :2013/01/11(金) 23:46:02.31 ID:LvUeTqxT
滅「苦悩が消滅して業(ごう)のはたらきが停止した悟りの境地である涅槃(ねはん)
は<滅>と漢訳されることがある.」(岩波仏教辞典)
仏教の「滅」とは解脱や涅槃と同じ意味です。
準シュダオンさんの説では、上記の「業のはたらきが停止」が、
アゴン宗の因縁切りだというのです。
業の意味を理解したなら、そんな説が成り立たないことはすぐにわかります。
ここでの業の意味とは、
>>207の桐山説の業ではなく、
>>208の学者の定義した業です。
「業=行為」なのだから、「業のはたらきの停止」とは、
「身口意の行為の働きの停止」
という意味です。
上記の文章の中には、「因縁を切ること」「業を切ること」などどこにもない。
では「業のはたらきが停止」とは具体的に何でしょうか。
「身口意の行為の働きの停止」というのだから、身体も動かさず、
口もきかず、心も停止させたまま??
死んだらそうなるかもしれないが、滅とは解脱や涅槃のことですから、
生きている釈尊など解脱者たちを指します。
現実の彼らは動き、しゃべり、心に思っている。
「身口意の行為の働きの停止」はしていない。
いいえ、停止しているのです。
210 :
深山 ◆Y0jS4ug6fQ :2013/01/11(金) 23:52:38.21 ID:LvUeTqxT
滅「苦悩が消滅して業(ごう)のはたらきが停止した悟りの境地である涅槃(ねはん)
は<滅>と漢訳されることがある.」(岩波仏教辞典)
煩悩は煩悩のままに出てくるのではなく、身口意の行為(業)に出てくる。
性欲は「今夜にでも」というE川さんを誘う行為に、
怒りは「このバカつまみ出せ」という行為に現れる。
煩悩それ自体が現れるのではなく、すべて身体、言葉、心に現れてくる。
煩悩とは身口意の三業そのものです。
煩悩を断ちきるとは、煩悩を身口意の三業に表さないことです。
これを行為(業)の停止というのです。
つまり、行為の停止とは煩悩に囚われないことです。
E川さんを「今夜にでも」と誘うという行為を停止し、
オバサンを「このバカつまみ出せ」という暴力行為を停止することが
煩悩に囚われない、出さないということです。
つまり、業(行為)の停止です。
こうやってみれば、滅が涅槃と同じ意味だという記述とも辻褄が合います。
解脱、涅槃、入滅、滅など表現は違うがすべて同じ内容、つまり、
解脱「仏教では煩悩(ぼんのう)から解放されて自由な心境となることをいう.」
に集約される。
仏教にはどこにも因縁切り、業解脱などというものはありません。
アゴン宗は業の意味もオカルト、解脱の意味もオカルト、
つまりオカルト宗教であり、仏教ですらありません。
211 :
深山 ◆Y0jS4ug6fQ :2013/01/11(金) 23:57:39.56 ID:LvUeTqxT
>>200 :神も仏も名無しさん:2013/01/11(金) 17:49:26.60 ID:nmeyDCGh
>本人なのに他人のフリをしても、バレバレなんだよw
準シュダオンさんは正月で年始回りと称してタダ酒とタダ飯を食らいながら、
訪問先で自慢話を垂れ流してきたが、行く場所もなくなり、ここに戻ってきた。
自分がどれほど周囲から嫌われているか自覚がないのだから、幸せなことです。
本人は頭を隠して、誰からも見えないと思っているのですから、
調子を合わせてあげましょう。
188が準シュダオンさんだなんて、誰も気がついていませんよ〜。
嘘つきのシッポが丸見えだなんて、誰もわからない。
文章から主張までソノマンマじゃねえか、なんて誰も思っていないさ。
見え透いたことを書きやがって、なんて誰も思っていませんよね。
188さんが、あの嘘つきで、自惚れ屋で、ハッタリ屋で、理解力が低く、
記憶力は壊滅状態で、人を小馬鹿にするしか能がない準シュダオンさんと
同じだなんて、そんなこと言ったら気の毒ですよ。
現実世界であれだけ嫌われ者の準シュダオンさんと同じだなんて、侮辱ですよね。
準シュダオンさんに間違われるくらいなら、ゴキやネズミに
間違われたほうがまだましです。
212 :
深山 ◆Y0jS4ug6fQ :2013/01/12(土) 00:04:46.35 ID:rwntA9MN
>201 :神も仏も名無しさん:2013/01/11(金) 20:51:13.72 ID:oC9uslpN
★和田局長ご指導
「ご指導」!!!
和田さんの「ご指導」って、最近では普通に使われているのでしょうか。
ご指導というのは、基本的には桐山さんに使う言葉だと思っていたが、
最近は和田さんにも使うようだ。
これは興味深い。
信者さんたちは、和田さんの高級マンションや高級ハンドバッグを買うために、
和田さんの「ご指導」に従い、大黒天が高笑いするくらい、
しっかりと貢いでください。
213 :
神も仏も名無しさん:2013/01/12(土) 07:51:32.35 ID:i2sAbQbr
214 :
恵比寿大黒天曼荼羅と福太鼓が セットで30万円っすか〜!:2013/01/12(土) 07:55:23.58 ID:CCcmyhGO
★【今年の星まつり霊感グッズ】★
いつものようにモッタイツケル桐山氏:
「この最高の財福守護神を曼荼羅にしてお分けするのは、
少々惜しい気もしますが、信徒諸君の運がよくなることを願って、
特別にお授けすることにいたしました。」
《管長メッセージより》
恵比寿大黒天曼荼羅と福太鼓が
セットで30万円っすか〜!
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桐山さんの持仏だそうですが〜
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別に「お授け」必要無い〜っすョ
お気持ちだけで充分ですから〜(笑)
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いくらかかるか計算してみましょう〜
これでいつものように何も教えてくれなかったら
詐欺っすね〜本当にィ(爆笑)
宗教ビジネス花盛り〜♪
輪廻転生は金かかりますぅ〜
215 :
ユビキタス ◆AFU2rOqH7nac :2013/01/12(土) 08:07:15.18 ID:cACCWUZv
>>193 >それは↑仏教の定義では、煩悩ではなくて苦なのよ、心苦というw。
>憂いや悲しみは、煩悩ではなくて、苦なのよw。あんたら、基本用語からして
>無知だったのねぇ!だから、話が合わんのも無理なかったわけだ。
いいえ、煩悩です。痛みは苦であり、死もまた苦であり、他人の死を悲しむのも苦
ですが、いつまでもそれに囚われて離さないのが煩悩なんです。
満たされない欲求を苦なんて感じるのが煩悩で、補償しようとすること自体が煩悩なんです。
216 :
ユビキタス ◆AFU2rOqH7nac :2013/01/12(土) 08:16:08.31 ID:cACCWUZv
>>193 >それは↑仏教の定義では、煩悩ではなくて苦なのよ、心苦というw。
壇蜜にドキンと色気を感じた人がいたとして普通それはそれだけのことに済みますよね。
しかし、たまらん!やりてえ!もういてもたってもいられない!のどの渇きのようだ!
この狂おしい欲求は苦ですか?煩悩でしょうが!
つまり苦を滅するために欲求を充足するなんて話に進めてはイカン!
217 :
ユビキタス ◆AFU2rOqH7nac :2013/01/12(土) 08:25:01.96 ID:cACCWUZv
>>193 >そこで、ユビキタスくんにお願いだが、あなたの持つ岩波仏教辞典の「滅」の
>説明に、何て書いてあるか教えてくれませんか?
早々とラシンさんが
>>194で引用してくれたとおりですよ。岩波仏教辞典の第二版。
苦悩を消滅とありますよね。これって事故などの現象がなくなるのではなく
あくまでも主体たる自分の心の問題が解消されることです。
つまりはラシンさんが
>>197-198で増谷博士の引用をしている通り、一の矢は受けても
二の矢は受けないから苦悩は消滅する。
218 :
ユビキタス ◆AFU2rOqH7nac :2013/01/12(土) 08:31:02.03 ID:cACCWUZv
>>193 >そこで、ユビキタスくんにお願いだが、あなたの持つ岩波仏教辞典の「滅」の
>説明に、何て書いてあるか教えてくれませんか?
一の矢は受けるのです。それを避けるなんて不可能です。
避けられる、避けたいなんて考えること自体が煩悩なんです。
しかしその煩悩を取り除いて悟れば、一の矢で受けた損害は仕方ないとして
それ以上の苦悩にも発展しないから、二の矢を受けないと言うのです。
219 :
ユビキタス ◆AFU2rOqH7nac :2013/01/12(土) 08:39:05.11 ID:cACCWUZv
>>193 >そこで、ユビキタスくんにお願いだが、あなたの持つ岩波仏教辞典の「滅」の
>説明に、何て書いてあるか教えてくれませんか?
業のはたらきを停止するとは深山さんが解説しているように三業(身業、語業、意業)
の悪い行いをなくすことです。
この業をウンメイの業だとするならば「停止」とはどういうことだ?
死んでもはや生まれ変わらない、何も生じないことしかない。
苦しい人生もない代わりに楽しい人生もない。
生きていながら災難避けて安楽な人生なんて因縁解脱には相当しない。
220 :
ユビキタス ◆AFU2rOqH7nac :2013/01/12(土) 12:56:58.61 ID:cACCWUZv
>>193 >そこで、ユビキタスくんにお願いだが、あなたの持つ岩波仏教辞典の「滅」の
>説明に、何て書いてあるか教えてくれませんか?
>まず,苦悩が消滅して業のはたらきが停止した悟りの境地である涅槃は〈滅〉と 漢訳されることがある.
業のはたらきの停止が業報を受けなくなることだと解釈ならば上記は順番がおかしくないか?
あなたの主張だと、まず業報を受けないから苦がなくなるというものです。
どうして先に苦悩が消滅してから、業報を受ける働きが停止するのか?
221 :
神も仏も名無しさん:2013/01/12(土) 12:58:34.20 ID:zdrNYRwL
>>156 >「煩悩を断滅して心が平安になれば、業報(苦果)を受けても関係ない」とか。
>まるで笑い話だって、ことに気づくでしょう?
>「憂いや悲」は苦なのですよ。大きな業報の苦を受けて、心が憂いや悲しみで
>いっぱいなのに、私の心は平安です、なんて言えないでしょ?
Rashinさんの反論(
>>197-198)や深山さん(
>>207-219)の反論、そしてユビさんの再反論(
>>215-219)をよく読むべきだね。
ここに準シュダオンさんの疑問に対する回答が正確に述べられています。
これが分からんようでは死んでも地獄へ行くしかない。
準シュダオンさん以外の読者の為にネットからの引用をここにもう一度書きましょう。
<苦はどうしておこるか>
「南伝大蔵経」15巻、323頁。11巻下、412頁によれば
見たり、聞いたり、感じたり、考えたり、という六識による作用で「苦受」「楽受」「非苦非楽」を感じる。
<仏弟子でないものは第二、第三の矢を受ける>
「苦受」によって、心に「瞋恚」をおこす。すると「欲楽」を喜ぶ。仏道を知らない凡夫は、欲楽以外には苦受を克服するすべを知らないからである。
「楽受」を喜ぶ凡夫は、それより生じる染欲の煩悩に執着する。凡夫は、これらの苦楽受の生起、甘味、患難、それからの出要とを如実に知らない。
知らない者は、「非苦非楽」より生ずる無明の煩悩のままに留まる。
「楽受」を感ずれば繋縛されて感じ、「苦受」を感ずれば繋縛されて感じ、「非苦非楽」を感ずれば繋縛されて感ずる。
仏道を知らない凡夫は、苦受によって、憂へ疲れ悲しみ泣き迷う。身に属する苦と、心に属する苦の両方を感じる。
第一の矢を受けるや、第二、第三の矢を受けるようなものである。
続く
222 :
神も仏も名無しさん:2013/01/12(土) 13:01:27.73 ID:zdrNYRwL
(続221)
<釈尊の弟子たちは、第一の矢のみ>
一方、釈尊のおしえの通り、修行するものは、第一の矢しか受けない。苦受に触れられても、憂へず疲れず悲しまず泣かず迷わない。
身に属する苦はあっても、心に属する苦ではない。第一の矢しか受けない。(「南伝大蔵経」15巻、324頁。11巻下、414頁)
見たり、聞いたり、感じたり、考えたり、という六識による作用で「苦受」「楽受」「非苦非楽」を感じる。仏弟子は「苦受」があっても、心に「瞋恚」をおこさない。
苦受があっても「欲楽」を喜ばない。「楽受」を喜ばない弟子は、それより生じる染欲の煩悩に執着しない。
彼は、これらの苦楽受の生起、甘味、患難、それからの出要とを如実に知る。知らない者は、「非苦非楽」より生ずる無明の煩悩に依らない。
仏弟子は「楽受」を感じれば繋縛を離れてこれを感じ、「苦受」を感ずれば繋縛を離れてこれを感じ、「非苦非楽」を感ずれば繋縛を離れてこれを感ずる。
以上の説明で、仏道を行じない(貪・瞋・悪見などを自己洞察しない)者は、同じような出来事、症状に直面して、憂へ疲れ悲しみ泣き迷うが、
仏弟子は、ただ、その第一の出来事、症状を直に受けるのみであり、憂へ疲れ悲しみ泣き迷うことがない。
これは、因果の否定ではなくて、偏見や認知のゆがみによる思考などによって「苦受する」ような心に発展させないようになるということである。
続く
223 :
ユビキタス ◆AFU2rOqH7nac :2013/01/12(土) 13:03:09.95 ID:cACCWUZv
>>193 >そこで、ユビキタスくんにお願いだが、あなたの持つ岩波仏教辞典の「滅」の
>説明に、何て書いてあるか教えてくれませんか?
>まず,苦悩が消滅して業のはたらきが停止した悟りの境地である涅槃は〈滅〉と 漢訳されることがある.
答えは簡単で業報を受ける受けないなど関係なく、煩悩を滅することで不要な苦悩は消滅し、
(外面的な苦境は残りそのまま受ける)後は煩悩がなくなったことにより身口意の三業において
悪い行いが停止する涅槃を得るわけです。
224 :
神も仏も名無しさん:2013/01/12(土) 13:03:52.95 ID:zdrNYRwL
(続222)
頭のよい人でも神経症やうつ病になる。病因と治る理屈を了解しても、感情(怒り、不安など)を抑制できない間は、理屈は吹き飛び、治らない。
理屈がわかる頭のよい人でも、感情を処理できないと、心の病気になり、犯罪をも犯すことは、心理療法があきらかにしている。
理屈や思想を言うは易いが、感情・衝動を抑制することは難い。
苦は貪(自分の好きなものを貪る)・瞋(怒る、自分の貪を妨げるものを憎悪する)・痴(心をしらない)・悪見(自我で偏った思想見解を絶対視)から起こるが、
思想、理屈を了解しても貪瞋痴・悪見が起こる(「南伝大蔵経」3巻、149頁)からである。
高等教育を受けた知性ある人々でありながら、毎年多くの人が自殺することでわかる。
また、詳細な仏教の研究者や宗教者でさえも、修行(自己洞察というすぐれた実践であるのに)を「嫌い」、その憎悪、嫌悪の感情に
振り回され(苦受である)て、実践を否定する学説(見取見)に固執(貪り)したり、自宗絶対主義という見取見を持つという簡単な
例から、人は、理屈や思想で生きるのではなくて、感情で生きることが明らかである。
知識の了解だけでは、貪・瞋・痴を抑制できない。実践による自己洞察が必要である。
以上、ネットから引用
.
225 :
神も仏も名無しさん:2013/01/12(土) 13:55:55.90 ID:zdrNYRwL
>>221 >凡夫は、
>「楽受」を感ずれば繋縛されて感じ、「苦受」を感ずれば繋縛されて感じ、「非苦非楽」を感ずれば繋縛されて感ずる。
>仏道を知らない凡夫は、苦受によって、憂へ疲れ悲しみ泣き迷う。身に属する苦と、心に属する苦の両方を感じる。
>
>>222 >仏弟子は
>「楽受」を感じれば繋縛を離れてこれを感じ、「苦受」を感ずれば繋縛を離れてこれを感じ、「非苦非楽」を感ずれば繋縛を離れてこれを感ずる。
>仏道を行じない(貪・瞋・悪見などを自己洞察しない)者は、同じような出来事、症状に直面して、憂へ疲れ悲しみ泣き迷うが、
>仏弟子は、ただ、その第一の出来事、症状を直に受けるのみであり、憂へ疲れ悲しみ泣き迷うことがない。
上記の違いを比較し、よく噛みしめて読んでください。
つまり
凡夫は→繋縛されて感じる、 仏弟子は→繋縛を離れてこれを感じる。 つまり「○受」を受けても煩悩に縛り付けられない。
第一の矢を受けても煩悩が立ち上がらず第二第三の矢を受けない。
.
226 :
神も仏も名無しさん:2013/01/12(土) 13:57:52.77 ID:zdrNYRwL
<準シュダオン氏について語るスレ>より抜粋
30 :深山:2012/05/17(木) 22:45:47 ID:mF5LETb20
>>19 :棕 櫚:2012/05/17(木) 18:29:27 ID:bmq3yOns0
>第一の矢は身で第二の矢は心なんですから何か納得がいきません? ?
棕櫚さんは、解脱者とは何も感じないと誤解しているのではありませんか。
解脱者とは何も感じないのではなく、感じたことに囚われない人たちです。
感じるとは第一の矢であり、囚われるのが第二の矢です。
第一の矢が肉体のみ、第二の矢が心という意味ではありません。
煩悩の誘いは常にあるが、彼らはそれに捉えられることがなかった人たちです。
釈尊ですら、常に煩悩のささやきがあったことは、あなたの引用した
経典の中にも、悪魔が釈尊にささやく場面があるのをみれば十分です。
釈尊のいう悪魔とは煩悩です(と本人も説明している)。
つまり、釈尊でさえも、死ぬまで煩悩が語りかけていた。
だが、煩悩に囚われ左右されることはなかった。
これが第二の矢に射貫かれなかったという意味です。
続く
227 :
神も仏も名無しさん:2013/01/12(土) 13:59:42.34 ID:zdrNYRwL
(続226)
<準シュダオン氏について語るスレ>より
31 :深山:2012/05/17(木) 22:49:31 ID:mF5LETb20
>>19 :棕 櫚:2012/05/17(木) 18:29:27 ID:bmq3yOns0
>第一の矢は身で第二の矢は心なんですから何か納得がいきません? ?
解脱者もおいしい食べ物を食べればおいしいと感じる。
だから、釈尊は腐ったようなまずい味だとわかり、
自分以外の者には食べさせるなとチュンダに指示した。
この判断どおり、釈尊はこれを食べて食あたりになり、亡くなった。
ブッダガヤのある地域を釈尊は「美しい」と後に語っています。
だから、そこから推測するなら、解脱者も美人を見れば、
その女が美しいと認識したはずです。
解脱とは美醜の判断がつかなくなることではありません。
しかし、そこからが俗人の私とは違う。
私は美人を見ると、美しいと感じるだけでなく、本能的に血圧が上がり、
瞳孔が開き、口元がにやつき、身体の一部に血液が集中し、
頭の中には欲望とあらぬ妄想が広がる。
つまり、第二の矢に射貫かれたというよりも、積極的に射貫かれる(笑)。
煩悩の誘いに喜んで乗っかる。
この点では桐山さんと同じです。
だが、解脱者や清浄の比丘たちは違います。
続く
228 :
神も仏も名無しさん:2013/01/12(土) 14:32:41.83 ID:zdrNYRwL
(続227)
<準シュダオン氏について語るスレ>より
32 :深山:2012/05/17(木) 22:52:45 ID:mF5LETb20
>>19 :棕 櫚:2012/05/17(木) 18:29:27 ID:bmq3yOns0
>第一の矢は身で第二の矢は心なんですから何か納得がいきません? ?
解脱者レベルになると、美人も姿の美しい雌牛も同じなのでしょう。
だから、釈尊は、美人の娘を提供しましょうという申し出に、
「糞の入った袋はいらない」と拒絶している。
つまり、釈尊から見たら、美人とは「糞の入った美しい袋」です。
釈尊も袋が美しいのはわかる。
だが、そんなものは釈尊は欲しくない(私や桐山さんのような俗人は違う)。
ただし、初心の比丘はそうはいかず、我々と同じような煩悩が起きてくる。
そこで彼らは自分に起きた煩悩を観察する。
俗人の私がニヤニヤしながらエリカ様のお姿を頭から足先まで観察している間、
彼らは自分の中に起きた欲望という煩悩を観察する。
目線が俗人と清浄の比丘では正反対なのです。
俗人の私は煩悩と一心同体であり、利害が完全に一致しているから、
美女の目線や声や香水など五感によって、積極的に煩悩と協調する。
自分と煩悩との間に何の差も隙間もありません。
だが、比丘たちは煩悩と一体ではなく、煩悩をまず観察する。
美人ではなく、自分を見る。
ここに凡夫と聖者の境があります。
続く
229 :
神も仏も名無しさん:2013/01/12(土) 14:55:49.59 ID:zdrNYRwL
(続228)
<準シュダオン氏について語るスレ>より
33 :深山:2012/05/17(木) 22:55:21 ID:mF5LETb20
>>19 :棕 櫚:2012/05/17(木) 18:29:27 ID:bmq3yOns0
>第一の矢は身で第二の矢は心なんですから何か納得がいきません? ?
煩悩を観察し、分析し、考察するのが比丘たちの修行です。
そこで使われる手法が縁起であり、基本は無常や無我です。
それらの説明は別として、まず、観察によって煩悩と自分とを
分離するというこの作業に驚きませんか。
私は指摘されるまで気がつかなかった。
なにせ、煩悩とは表裏一体、生まれてからずっと、いや前世からの大親友ですから、
これをまるで他人のように観察するなど、友を裏切る行為です(笑)。
ところが、これがすごい効果がある。
どう効果があるかは棕櫚さん自身が試してください。
欲望、執着、怒り、慢心などがわき起こった時、それを観察するのです。
対象となる相手を見るのではなく、自分の心に起こったこれらの
感情を観察するのです。
つまり、エリカ様を見るのではなく、エリカ様を見ている自分を見る。
いきなり煩悩を押さえつけようとせず、静かにただ観察するのです。
続く
230 :
神も仏も名無しさん:2013/01/12(土) 15:18:43.55 ID:zdrNYRwL
(続229)
<準シュダオン氏について語るスレ>より
34 :深山:2012/05/17(木) 22:59:54 ID:mF5LETb20
>>19 :棕 櫚:2012/05/17(木) 18:29:27 ID:bmq3yOns0
>第一の矢は身で第二の矢は心なんですから何か納得がいきません? ?
他のスレで、「欲望をなくしただけで解脱するなら苦労しない」
などと桐山さんの口真似をする老人脳がいた。
彼らは釈尊の説いた方法をまったく知らないし、知る努力もしない愚か者たちです。
彼らがこういう態度を取る理由は煩悩と不離一体で、煩悩から離れたくないからです。
だから、「八正道などつまらない倫理道徳、オシエだ」などと侮蔑する。
そこまで侮蔑するなら、せめてそのつまらないという倫理道徳を
守ってから発言すればいいのに、自らは病気になるほど美食飽食を続け、
愛人を何人も囲い、名誉欲を垂れ流しにして、信者を騙し、
霊感商法で金を集め、社会的な成功を得ようとしている。
こんな普通の倫理道徳すらも守らない者には言う資格すらない。
.
(終わり)
231 :
神も仏も名無しさん:2013/01/12(土) 18:16:30.02 ID:zdrNYRwL
>>224 :神も仏も名無しさん:2013/01/12(土) 13:03:52.95 ID:zdrNYRwL
>また、詳細な仏教の研究者や宗教者でさえも、修行(自己洞察というすぐれた実践であるのに)を「嫌い」、その憎悪、嫌悪の感情に
>振り回され(苦受である)て、実践を否定する学説(見取見)に固執(貪り)したり、自宗絶対主義という見取見を持つという簡単な
>例から、人は、理屈や思想で生きるのではなくて、感情で生きることが明らかである。
>知識の了解だけでは、貪・瞋・痴を抑制できない。実践による自己洞察が必要である。
>>229 :深山:2012/05/17(木) 22:55:21 ID:mF5LETb20
>煩悩を観察し、分析し、考察するのが比丘たちの修行です。
>そこで使われる手法が縁起であり、基本は無常や無我です。
>それらの説明は別として、まず、観察によって煩悩と自分とを
>分離するというこの作業に驚きませんか。
>私は指摘されるまで気がつかなかった。
現在はヴィパッサナー「内観」の瞑想が有名です。
いい、悪いは別にして、ネットでも上座部仏教系のヴィパッサナー瞑想を確認することができます。
観察することを中心とし、釈尊が開拓し、悟りを開いた仏教独自の瞑想方法とされる。
ヴィパッサナーとは「よく観る」「物事をあるがままに見る」という意味で、
仏教においては、集中力を育てるサマタ瞑想と、物事をあるがままに観察するヴィパッサナー瞑想とが
双修され、この点は南伝仏教でも北伝仏教でも変わらない。
(Wikipediaより)
.
>>214 > 「この最高の財福守護神を曼荼羅にしてお分けするのは、
> 少々惜しい気もしますが、信徒諸君の運がよくなることを願って、
> 特別にお授けすることにいたしました。」
> 《管長メッセージより》
「少々惜しい気もしますが」
聖者らしからぬ、この俗人らしさが魅力だわぁ、ゲイカさまったらお茶目、キャー好き好き!
…なんで信者に出し惜しみするのかね。何で惜しいの?独り占めにしたいのか?
ありがたいモノを特別に販売します!ありがたく買いたまえ。買えよ。買えよ!
…これ何?これが釈尊グッズ?煩悩爆発ゴリヤクじゃないか!煩悩大好きなのかよ!
大黒天の腹が破裂するまで煩悩を貪りまくれ!
233 :
神も仏も名無しさん:2013/01/12(土) 23:46:48.60 ID:6IkCSLYx
自称準シュダオンじゃないゾンビ脳のじいちゃ〜〜ん。
まだ屁理屈考えつかないの〜〜〜。健常脳より○○じゃぁないのかぇ〜〜〜。
深山さんの言う通り、もう記憶にないのかな。スレも220になってから随分経つからな〜。
よし、もう一回書くよ。
前スレ264
その脳梗塞の桐山氏は、石原東京都知事と対談して、優れた発言をしているw。
あんたは、脳梗塞の人より劣る、健常脳しかないのだよw。
解るかい?あなたの健常脳は、脳梗塞脳よりも劣っている、ということw。
お前は石原都知事が好きだな〜。あのじいさんは原子爆弾でも作ろうかという暴走老人だよな。
詐欺師と暴走老人が対談して、どんな優れた発言をしたのか、お伺いいたします。
(全く興味ないんで読んでないから)
飛ぶ鳥を落とす勢いの維新橋下が石原と組んだとたんに失速したよね〜〜。
その意味がゾンビ脳で解るのか?
>264本当は解っているから、教えてしんぜようw。善業の白いブーメランは悪業の
黒いブーメランとは逆周りして自分に還って来るのだよ。逆周りだから、ブーメラン
どうしが衝突する、で、白いブーメランが勝つと悪果を受けなくなるのだよ。
このように解っていても解らないとレスすることもあるんが、日本人の美徳というものさ。
あんたの健常脳は、我がゾンビ脳より劣るらしいノウw。
ほう、そうすると俺が指摘したように白いブーメランが負けて阿含宗でいう、悪因縁の
脳障害の因縁という悪果を受けた訳だ。ゾンビ脳のじいさん、何が言いたいの???
優れた発言って教えてしんぜてくれよ〜。それ解らない内はレス出気ないじゃん。
んでさ〜。「紙の爆弾」一月号だけどさぁ。500円だから買って読んでみなよ。
皆さんにもオヌヌメだよ。表紙裏の衆議院バトルロイヤル見たら爆笑間違いなし(^o^)/
小沢が野田に十六文キック、ワロタ。石原が表紙だからすぐ判るよ〜ん。
234 :
神も仏も名無しさん:2013/01/13(日) 01:04:26.40 ID:kS6Y+i+M
記者諸君 二月十一日は京都花山に行きたまえ大護摩の火炎の姿に二佛同座および
諸天善神および佛菩薩及び龍神眷属および美しい先祖が君を待つだろう
デジタルカメラの性能に驚く君たちの笑顔が僕には見える。
信仰の現場そのものの現地取材せずに宗教を語るなかれ 穴賢こ 穴賢こ
235 :
神も仏も名無しさん:2013/01/13(日) 05:58:31.95 ID:oeI9voXq
>>234 ほう。フライパンのフランベよろしく起きた「火」や偶然何かの形に写った炎を
拝み奉う錯誤宗教イベントが懲りずに行われる。あの映る炎に魂も何も無いのにね。
信仰の現場?そんなもの過去に嫌というほど体験しとるわ。
狂った信者には物事の正常な思考も視る事もできなくなるらしい。
236 :
神も仏も名無しさん:2013/01/13(日) 07:50:40.39 ID:ssRTvsUX
237 :
糖尿病→脳梗塞→痴呆症→要介護→桐山老人に法力なんか無いやん!:2013/01/13(日) 07:56:01.48 ID:gJNQ6Aw8
★【今年の星まつり霊感商売集金グッズ】★
いつものようにモッタイぶる桐山氏:
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《管長メッセージより》
恵比寿大黒天曼荼羅と福太鼓が
セットで30万円っすか〜!
いくらなんでも高杉でっしょ(爆)
桐山さんの持仏だそうですが〜
毎回毎回随分とたくさんいろんな持仏お持ちなんすね〜(笑)
別に「お授け」必要無い〜っすョ
お気持ちだけで充分ですわ〜(笑)
あと、
『準胝尊秘密光明七宝輪宝』、
『霊障魔除光明宝蓮華』
『準胝尊秘密光明曼荼羅』、
『水晶龍神御尊像』、
これ全部【輪廻転生瞑想法の法具】なんだそうですョ
ビンゴで全部揃えないとダメみたいっす〜(爆)
いくらかかるか計算してみましょう〜
これでいつものように何も教えてくれなかったら
詐欺っすよね〜本当にィ(爆笑)
輪廻転生するのに本当にこんなにたくさんの
オモチャ必要なんでしょうかね〜?
皆さん金出す前によ〜く考えましょうね。
宗教ビジネス花盛り〜♪
238 :
神も仏も名無しさん:2013/01/13(日) 10:37:33.03 ID:7BXMJK2R
>>234 :神も仏も名無しさん:2013/01/13(日) 01:04:26.40 ID:kS6Y+i+M
>大護摩の火炎の姿に二佛同座および諸天善神および佛菩薩及び龍神眷属
>および美しい先祖が君を待つだろう
>デジタルカメラの性能に驚く君たちの笑顔が僕には見える。
そんな凄い大護摩なら火炎にはドラえもんやウルトラマンも現形するでしょう?
お姿をデジカメで撮影して拝んだらいい。
ドラえもんやウルトラマンの力は絶大ですから、さぞかし霊験やご利益があるでしょう。
.
239 :
神も仏も名無しさん:2013/01/13(日) 11:53:11.13 ID:3CnoK3H4
今年は、どんな醜態を晒してくれるのだろうか。
桐山さん、長生きしてね!
240 :
深山 ◆Y0jS4ug6fQ :2013/01/13(日) 12:05:45.24 ID:7CawpBkc
>>234 :神も仏も名無しさん:2013/01/13(日) 01:04:26.40 ID:kS6Y+i+M
>大護摩の火炎の姿に二佛同座および諸天善神および佛菩薩及び龍神眷属
>および美しい先祖が君を待つだろう
恒例の現形ゴッコですか。
アゴン宗では現形をアゴン宗が正法であることの証拠としている。
だが、大きな火の写真を撮れば、それらしい姿が映ることは、ここでも何度も紹介された。
よその護摩でも写真を撮れば似たような現形があります。
http://www.ermjp.com/honoo/0306/index.htm これは中華鍋に現形した龍です。
信者さんたちはこれを本物だと認めるのですね?
認めるなら、龍とは中華鍋にも現形するくらい頻繁に出てくるありふれた存在であり、
アゴン宗だけが特殊だという証拠にはならない。
認めないというなら、ではアゴン宗の現形とどう違うのかということになる。
中華鍋の炎も龍のように見えるから、アゴン宗の龍神と何も変わらない。
両者の区別はつきません。
普通の知性があれば、中華鍋の現形龍は、アゴン宗の現形など意味も価値も
ない証拠だと気がつくはずです。
241 :
深山 ◆Y0jS4ug6fQ :2013/01/13(日) 12:10:59.52 ID:7CawpBkc
>>234 :神も仏も名無しさん:2013/01/13(日) 01:04:26.40 ID:kS6Y+i+M
>大護摩の火炎の姿に二佛同座および諸天善神および佛菩薩及び龍神眷属
信者さんたちに問いかけたいのは、桐山さんは龍神現形が正法であることの
証拠と言っているが、それは理屈が逆で、アゴン宗の今の姿こそが、
現形が嘘だという証拠です。
桐山さんの現在の姿こそが神仏現形が嘘である何よりの証拠です。
あれが本物の仏教の神仏の現形なら、その後アゴン宗の本物の
仏教として発展しても良いのではありませんか。
だが、現実のアゴン宗はそうではない。
信者の数が減っていることだけを言っているのでありません。
時間がたてばたつほど、桐山さんの醜態と、教義の嘘が暴露されている。
桐山さんの愛人がばれたのは2009年だが、その始まり1989年です。
しかも、桐山さんにはこれ以前から愛人がいた。
教義のデタラメさは新興宗教の中でも群を抜いている。
三宝が偽物なんて、作ろうとしてもできない偉業です。
本尊は偽仏舎利、三福道の阿含経を捏造、桐山さんは僧侶ですらないなど、
三宝が偽物なら、そもそもアゴン宗は仏教教団としてなり立たない。
そればかりか、解脱の定義を間違えている。
解脱の定義が違ったら、目的が違っているのだから、致命傷です。
242 :
深山 ◆Y0jS4ug6fQ :2013/01/13(日) 12:16:51.16 ID:7CawpBkc
>>234 :神も仏も名無しさん:2013/01/13(日) 01:04:26.40 ID:kS6Y+i+M
>大護摩の火炎の姿に二佛同座および諸天善神および佛菩薩及び龍神眷属
皆さんも神仏の立場になって考えてみてください。
仏教教団ですらないアゴン宗に、仏教を守護する神仏が現形したらおかしい。
桐山さんは釈尊の煩悩解脱を小解脱と卑しめた。
釈尊の教法を否定するような外道に、神仏が現形するはずがないでしょう。
護摩を釈尊は禁止しているのですよ。
釈尊が禁止している護摩に本人や神仏が姿を現すなんてありえますか。
神仏の立場でなくも、普通の知性や良識で考えてみてください。
護摩という禁止事項を破り、釈尊ができないと言っている死者成仏を
できると言い、霊障解脱などという釈尊が説いたこともない内容を
さも説いたかのような嘘を並べているのがアゴン宗です。
釈尊の教法をことごとく否定し、違背し、裏切り、罵っているアゴン宗に
仏教の神仏が現形するはずがない。
243 :
ユビキタス ◆AFU2rOqH7nac :2013/01/13(日) 12:19:02.65 ID:KXPkh9xa
浪華恵比寿大黒天とやらは桐山さんが今から20年前にお会いした神さんなんだそうですな。
その時から福太鼓を持っていたようで、桐山さんはこれをもらってその時から
すごい効験があり、財服を授ける神様としては最高なんだそうな。
今は大阪で活躍しているというのは、アゴン宗の大阪の道場で祀っているということなのか
今宮戎神社とか大国町とか大阪には恵比寿・大黒を祀る神社など多いが
こういうもとから大阪の風土にあって庶民に親しまれてきたものなのか
私は星モビでも公表されている管長メッセージから推し量るしかありません。
宝生さんや準シュダオンさんなど信者なら正しい情報に正してください。
244 :
深山 ◆Y0jS4ug6fQ :2013/01/13(日) 12:22:23.02 ID:7CawpBkc
>>234 :神も仏も名無しさん:2013/01/13(日) 01:04:26.40 ID:kS6Y+i+M
>大護摩の火炎の姿に二佛同座および諸天善神および佛菩薩及び龍神眷属
煩悩を断ちきることを説いた釈尊を守護するはずの神仏が、
俗人よりも煩悩の多い桐山ゲイカの祈りに応えるはずがありません。
仏教の聖や清浄とは煩悩がないという意味です。
信者さんたちは霊的不浄などと唱えているが、そんなものは仏教には存在しません。
仏教の神仏は煩悩から解放された存在、煩悩からの解放を説く存在なのですよ。
桐山さんは食欲、性欲、名誉欲、執着、怒り、害心など、
普通の人よりもはるかに煩悩が多い。
仏教から見たら、桐山さんは強烈に不浄な人です。
仏教の神仏なら鼻をつまんでしまうような人です。
信者さんたちも汚物が捨ててある所や、ヤクザがたむろしている所には
行きませんよね。
神仏も同様です。
護摩でお願い事とか、霊障解脱など、信者さんたちは仏道だと思っているが、
釈迦仏教からみたら、それは外道の不浄なお祭りです。
アゴン宗の霊的浄化そのものが仏教から見たら不浄なのです。
245 :
深山 ◆Y0jS4ug6fQ :2013/01/13(日) 12:27:17.78 ID:7CawpBkc
>>234 :神も仏も名無しさん:2013/01/13(日) 01:04:26.40 ID:kS6Y+i+M
>大護摩の火炎の姿に二佛同座および諸天善神および佛菩薩及び龍神眷属
アゴン宗に現形した存在が仏教とは関係ことはその姿からもわかります。
アゴン宗の現形の代表と言えば、応供の如来です。
そもそも、名前からしておかしい。
応供も如来も同じ事です。
応供の如来なんて、山に登山、馬から落馬、と言っているのと変わりないくらい
おかしな日本語で、もちろん仏教用語ではありません。
意味もおかしい。
桐山さんは応供をそのまま漢文読みして「供養に応える」などと
言っているが、応供とは供養に応えるという意味ではなく、
「供養に値する」という意味です。
応供の如来は、「供養に応えるぞ」と御霊示を垂れたというから、
なんと仏教用語もわからないくらい頭の悪い如来ということになる。
「供養に応える」なんて如来は仏教には存在しません。
応供の如来なんて桐山さんの無知から来る作り話なのが、これを見てもわかる。
246 :
ユビキタス ◆AFU2rOqH7nac :2013/01/13(日) 12:35:08.16 ID:KXPkh9xa
アゴン宗にやって来る風来坊みたいな神仏さんは最初から地理的にどこか別の所にいたのか
興味深いものがあります。マップなど作ってみては?
1979年の初護摩に現形した「我は金龍である」と自ら名乗った金龍さんも
もとは別の洞窟みたいなところにいたんですよ。
岐阜県在住のYさんという信徒がいた。高齢にて千座行などをする修行会員ではなく
信徒会員だったようだが、自分の菩提寺に預けていた仏舎利を、その寺の経営が
嘆かわしいことから取り返して観音慈恵会に寄贈した。
そのYさんがアゴン宗に変わったばかりの桐山さんに変な写真を持ち込んだ。
これが金龍さんです。
247 :
深山 ◆Y0jS4ug6fQ :2013/01/13(日) 12:38:05.36 ID:7CawpBkc
>>234 :神も仏も名無しさん:2013/01/13(日) 01:04:26.40 ID:kS6Y+i+M
>大護摩の火炎の姿に二佛同座および諸天善神および佛菩薩及び龍神眷属
応供の如来はその姿もおかしい。
三身即一の一つは釈迦如来だという。
だが、その釈尊が身体に飾りをつけて、背を丸めて、
何か後ろめたいかのように、横を向いて現形するのですか。
信者さんたちも知っているだろうが、釈尊や比丘たちは衣類と鉢以外は
所有する物はなく、もちろん、身体に飾りを付けるなんて論外です。
本物の釈尊や解脱者が飾りを付けて出てくるなんて、ありえないのです。
もっとおかしいのは、応供の如来の衣の裾の下から、後ろに白いシッポが出ている。
信者さんたちももう一度良く、あの写真を見てごらんなさい。
白くて長い見事なシッポが後ろから出てくる。
あれが霊的な存在なら、シッポの生えた動物霊ということになる。
それなら、身体に飾りをつけ、背を丸めて、横向いているのもわかる。
如来のふりをして出てきたが、シッポまで隠せなかった。
信者さんたちが拝んでいるのは動物霊ということになる。
それなら、桐山さんのあの欲だらけ、執着だらけなのも説明がつきます。
248 :
ユビキタス ◆AFU2rOqH7nac :2013/01/13(日) 12:44:43.01 ID:KXPkh9xa
この金龍さんは、Yさんが趣味道楽で金塊探しをしていたのだそうだ。
まあ山師ですな。そこである山を仲間と掘っていた。
高齢にて千座行も免除されていたわりには元気なこと。
そこでその金山を掘っていて、ある岐路で右に進むべきか左に進むべきかと
迷っているところを桐山さんに指導を求めた。
桐山さんもまあ仏舎利くれた恩あるYさんのことだから特別サービスで教えてあげた。
すると掘り進むと突如強い霊気に襲われ皆バタバタ倒れた。
Yさんは霊気の襲ってくる方向にフラッシュをたいて写真を撮った。
そこに写っていたのが金龍さんだった。
249 :
ユビキタス ◆AFU2rOqH7nac :2013/01/13(日) 12:53:10.57 ID:KXPkh9xa
その写真はよく見るとただの洞窟内の岩なんだが、光と影の具合で龍に見える。
それを初護摩間近にして桐山さんに持ち込んだ。
桐山さんはこの写真を手にして初護摩に臨んでお伺いした。
で「我は金龍なり」とお答えが下がった。これまである金山を守っていたのだが
アゴン宗で活躍したくわざわざ来たのだそうです。
写真に撮られてからノコノコついてきたのですな。
新幹線代もYさんが持ってくれたし、Yさんは知らずに金龍さんに使われていたわけです。
これは月刊アーガマの創刊号あたりにも掲載されている桐山さんの話です。
250 :
ユビキタス ◆AFU2rOqH7nac :2013/01/13(日) 13:02:22.09 ID:KXPkh9xa
このようにアゴン宗には、もともと日本のどこかに住んでいた風来坊のような神仏がおわします。
桐山さんが20年前に会った浪華恵比寿大黒天なんてのもどこか大阪界隈の繁華街
あたりで知り合い、お土産に福太鼓までもらったのでしょうか?
感得の世界というものは我々凡人にはばかりしれぬものです。
私はこんなになるなら凡人のままでいるのがマシですが。
それにしても思うのは財福を授けること最強はよいが、本来ならば解脱と宝生の
徳を備えた仏舎利尊さえあれば無敵ではなかったのか?
重たい装備を背負わされてさぞ重荷であろうと気の毒に思う。
251 :
ユビキタス ◆AFU2rOqH7nac :2013/01/13(日) 13:11:17.47 ID:KXPkh9xa
浪華恵比寿大黒天という神さんは桐山さんに出会う前、どこで何をしていたのか?
きっと神様だから大衆に御利益を授けていたのでしょう。
金龍さんみたいに誰も来ない山奥で、あげるもんかと守っていたわけでもありますまい。
つまり商都大阪で信仰されていた。
それを桐山さんが横取りしたか、恵比寿大黒天さんが気前よくあんたはんにも
分けてあげまっせと来たのかよくわからないが、要するに伊勢の式年遷宮を
今度は現地では何もできないから自分の陣地で焚き火して、ついでに伊勢神宮とは
関係のあるはずもない高名な演奏家でも呼んで祝ったことにする便乗に過ぎません。
252 :
ユビキタス ◆AFU2rOqH7nac :2013/01/13(日) 13:20:10.39 ID:KXPkh9xa
ですから浪華恵比寿大黒天の曼荼羅だの福太鼓だのはこのような人気取り便乗グッズ
に過ぎないのだから、いっそ昨年国民栄誉賞を取った吉田沙保里とかなでしこジャパンとか
に便乗したグッズを作ればいいんですよ。
金メダルパワーとか銀メダルパワーとか称してね。
写真は肖像権に触れる恐れがあるから、下手な絵を描かせてサオリ曼荼羅とか
なでしこ曼荼羅とか。
もちろん吉田さんや澤さんたちの知った話ではない。
大事なことは桐山さんも焚く焚き火の近くに置いて、法を修したと言ってしまえば
ドンドコ焚き火を有り難がる愚かな原始人どもは買ってもくれます。
253 :
神も仏も名無しさん:2013/01/13(日) 13:24:34.64 ID:pXcxoXnF
254 :
深山 ◆Y0jS4ug6fQ :2013/01/13(日) 14:40:39.24 ID:7CawpBkc
>>234 :神も仏も名無しさん:2013/01/13(日) 01:04:26.40 ID:kS6Y+i+M
>大護摩の火炎の姿に二佛同座および諸天善神および佛菩薩及び龍神眷属
龍神の現形はもっとおかしい。
おかしいというよりも、桐山さんの無知がここに良く現れている。
仏教には龍などいないことを信者さんたちは知っていますか。
龍や龍神などインド仏教には存在しない。
そういうと、「阿含経にムチャリンダが出てくる」と反論する方もいるでしょう。
そのとおりなのだが、彼らは龍や龍神ではありません。
原語はナーガといい、これは蛇のことです。
だから、彼らは蛇王ではあるかもしれないが、龍王などではありません。
仏教に限らず、インドの伝承には龍はいません。
中国人たちが、自分たちの伝承に合わせてナーガを龍王と「誤訳」した。
日本は中国から仏教を輸入して、仏画などでも取り上げられているから、
普通の日本人は仏教には龍がいると信じている。
しかし、これは無知です。
そして、その無知の一人が、阿含経を読破し、仏陀の智慧を持つという桐山さんです。
255 :
深山 ◆Y0jS4ug6fQ :2013/01/13(日) 14:46:36.83 ID:7CawpBkc
>>234 :神も仏も名無しさん:2013/01/13(日) 01:04:26.40 ID:kS6Y+i+M
>大護摩の火炎の姿に二佛同座および諸天善神および佛菩薩及び龍神眷属
桐山さんが龍神現形などと言ったのを見れば、桐山さんは、
1.阿含経をろくに読んでいない、
2.霊視能力などない、
ということがはっきりとわかります。
阿含経をきちんと読めば、ナーガは龍ではなく蛇だとわかる。
だが、桐山さんは阿含経など斜め読みで、それもアゴン宗を立宗してから
読み始めたから、ろくに知らない。
無知でも、本当に霊視能力があれば、最初は龍だと誤解していても、
途中から蛇だと気がつくはずです。
ご本人に龍なのか蛇なのか、御霊示を仰いでみればよい。
だが、桐山さんは未だに、普通の日本人のように龍だと思いこんでいる。
桐山さんには霊視能力などなく、御霊示も嘘だと、こういう事から簡単にわかるのです。
ブッダの智慧に至ってはお笑いです。
これだけ嘘とデタラメがわかっても、宝生さんは星まつりに行って、
写真を撮り、「現形だあ」と連想ゲームで遊ぶのだそうです。
この人を見ると、無明が根本煩悩だというのもよくわかる。
256 :
神も仏も名無しさん:2013/01/13(日) 15:48:00.89 ID:pXcxoXnF
257 :
神も仏も名無しさん:2013/01/13(日) 15:54:49.79 ID:pXcxoXnF
258 :
ユビキタス ◆AFU2rOqH7nac :2013/01/13(日) 17:52:05.11 ID:KXPkh9xa
龍神というのは密教の定義で言うと大日如来の変化身なんだそうです。
ちなみに不動明王は教令輪身だそうで。
で、真正仏舎利を本尊に据えると、その大日如来自体を概念上の仏、架空の仏、
実在しない仏と位置付けました。
しかし実在のシャカの真正のホネだからこそ釈迦如来として宿ることにより
そこから派生するシャカのアミダだのシャカの大日不動だの存在できる理由を作った。
(その代わりよそのアミダなどはそんなもん実在するか?空想じゃねーかと存在を否定します)
しかして金山を守って近寄る者を頭痛攻撃で倒していた金龍さんはオシャカとの
関係はいかほどでしょうか?その辺のチンピラ神だったりして。
259 :
神も仏も名無しさん:2013/01/13(日) 17:58:59.86 ID:pXcxoXnF
260 :
ユビキタス ◆AFU2rOqH7nac :2013/01/13(日) 18:13:38.16 ID:KXPkh9xa
恵比寿神は日本産であることはよく知られています。
七福神にはインド産、中国産ある中、えべっさんは日本産です。
民俗学的には漂着神として流れ来たる移民に対する尊敬を表して、魚を手にして
福をもたらすものとした。
まあそんな蘊蓄はどうでもよいが、仏教とは関係ない神さまです。
ですから解脱していない。
261 :
ユビキタス ◆AFU2rOqH7nac :2013/01/13(日) 18:19:35.37 ID:KXPkh9xa
桐山さんはかつて飯綱の術の伝授のチャンスを、かのイズナ神は解脱していない
空の悟りによらない有の通力しか持たない神だから、根本的な救いをもたらさない
ものとしてこれを斥けた。
しかしてアゴン宗管長の桐山さんは20年前に浪速の地あたりで、「まいど」と出会い、
福太鼓までプレゼントされた大黒ともタッグを組んでる恵比寿さんは有なの?空なの?
シャカの成仏法によらねば解脱は得られないはずですけどー。
262 :
神も仏も名無しさん:2013/01/13(日) 18:32:22.92 ID:pXcxoXnF
263 :
神も仏も名無しさん:2013/01/13(日) 18:59:19.98 ID:pXcxoXnF
264 :
神も仏も名無しさん:2013/01/13(日) 19:23:15.26 ID:t2zQDBb/
阿含宗管長直伝、秘法「独鈷の加持」奥伝
霊障秘伝(極秘伝)
発霊した者が酒を希望する事がある。これは例え神霊を名乗っても
狐狸犬猫の類である。人霊神霊は酒を嫌うものである。
桐山「龍神様が酒を飲みたいと言うから俺が飲む」
弟子「管長ゲイカ、どうぞ」
桐山「一杯じゃぁ足らん」
弟子「もう一杯持って来ました、どうぞ」
桐山「っしゃー、黒田節じやぁ〜。さぁけはぁ飲めぇ飲めぇ〜〜」
めちゃめちゃ面白れぇー。
265 :
神も仏も名無しさん:2013/01/13(日) 19:43:47.18 ID:pXcxoXnF
>甘ちゃんスレに嫌がらせをしては喜んでいるお前はどうなのだ
ぜんぜん喜んでねえズラ www 面倒だわ、手を掛けさせやがって www
>自分の都合の良いようにしているのが己だと気づかず、
オマエら苦し紛れに コピペは信者の所為だあ〜〜〜なんて言い始めやがった www 深山に至っては
> 最初は批判側がしていても、このスレに対する妨害をみたら、やめている。
なんて言い始めた。「最初は批判側がしていた」と推測でも認めてんじゃんwww
で?やめている? なんでやめてるって決めれんのよ。www しかも止めたなら
結局批判者側の非を認めた!!!!!!!! ってことだろうが。 そのくせ謝罪もせず。ロクでもねえ奴らだ wwwwwww
> しょうがないのはお前だ
これだ。 認めてるくせに反省の弁を述べる器量も無い。言ってることも論理破綻炸裂し放題。
まさにこいつら民主党みたいだ。 www 低脳ども w
266 :
神も仏も名無しさん:2013/01/13(日) 22:41:50.19 ID:t2zQDBb/
今年の星祭りはW田が獅子座に座って修法するって??管長気取りか?
素人が修法しても霊障のほとけが成仏するんかぇ。????
桐山の家族しか管長になれんぜよ。W田、お前何思い上がっちょるんな〜〜〜。
しっかし、まぁ、信者もこんなのに良く護摩木を託せるな〜不思議じゃ。
267 :
神も仏も名無しさん:2013/01/14(月) 01:55:38.22 ID:R/13lXmh
南無大日大聖不動明王と拝みますのは、密教信者の習い。
とは言うものの不動尊の儀軌を供養しますと明王明妃とお唱えする。
成るほど不動明王様には奥様がおられる訳であります。
シヴァ神の所変が不動明王なのだそうです。
睨下が升酒をお代わりし黒田節まで歌った理由は「積年の問題が
解決して肩の荷が降りたから」なのであります。
因縁がやっと解けた嬉しさだったらしいですな 呵呵大笑!
268 :
神も仏も名無しさん:2013/01/14(月) 02:16:56.71 ID:ZuDeIi0K
>>267 ここにまた気血外が一人訳のわからないことを言っています。
269 :
神も仏も名無しさん:2013/01/14(月) 06:32:52.88 ID:qm7UenX0
>>267 積年の問題って何だ?
不動明王とは狐狸犬猫の類?
仏教の導師(あくまでも自称だが)が嬉しかったら酒飲んでもいいのか?
270 :
神も仏も名無しさん:2013/01/14(月) 07:51:58.48 ID:pJzZ5QIW
271 :
深山 ◆Y0jS4ug6fQ :2013/01/14(月) 12:08:49.01 ID:5LAxD5jk
>>267 :神も仏も名無しさん:2013/01/14(月) 01:55:38.22 ID:R/13lXmh
>シヴァ神の所変が不動明王なのだそうです。
信者さんたちは不動明王だけでなく、大黒天もシヴァの化身だと知っていますか。
本尊の準胝観音の元の姿はドゥルガーというシヴァの奥さんの一人です。
私はしばしば、アゴン宗など仏教ではなく、外道にすぎないと批判する。
信者さんたちは悪口だと言うだろうが、実際、あなた方が
拝んでいる多くの神仏は仏教ではなく、ヒンドゥー教からの出稼ぎの神様です。
密教など、仏教の皮をかぶったヒンドゥー教にすぎないのだから、当然です。
「釈迦の成仏ホーによる○○」と言われると、信者さんたちの頭は
思考停止して、何でも受け入れる。
「釈迦の成仏ホー」は信者さんたちにガラクタを買わせるための
暗示、キーワードのようなものですよね。
せめて知性が残っているか、欲望を少し減らせば、
その暗示からも解放されるのだろうが、宝生さんのように欲望は強烈で、
しかもその欲望を慢心で過剰包装しているから、どうにもならない。
アゴン宗という宗教が外道であるだけでなく、教祖も信者もまた外道の
行いそのものをしている。
「行為(業)によって外道なのだ」がソノマンマです。
272 :
深山 ◆Y0jS4ug6fQ :2013/01/14(月) 12:13:49.43 ID:5LAxD5jk
>>267 :神も仏も名無しさん:2013/01/14(月) 01:55:38.22 ID:R/13lXmh
> 睨下が升酒をお代わりし黒田節まで歌った理由は「積年の問題が
>解決して肩の荷が降りたから」なのであります。
>因縁がやっと解けた嬉しさだったらしいですな 呵呵大笑!
二十数年も前に、因縁を完全に解脱したと宣言したはずの
桐山ゲイカには未だに解けぬ因縁があったのですね。
因縁が切れていなければアゴン宗では有余依涅槃の聖者とは言わない。
では、今までの桐山ゲイカは何だったのだ?
あなたはそんな矛盾すらも理解できないような呵呵大笑のオメデタイ脳です。
宝生さんはその「積年の問題」なんて実は何も知らない。
さも何か知っているかのように書いているハッタリ男です。
その積年の問題は、聞いて呆れるような内容でしょう。
桐山さんは頭がアサッテになっているから、黒田節まで出たというそれだけです。
それは過去の桐山さんの態度や反応を見ればわかる。
273 :
深山 ◆Y0jS4ug6fQ :2013/01/14(月) 12:18:14.28 ID:5LAxD5jk
>>267 :神も仏も名無しさん:2013/01/14(月) 01:55:38.22 ID:R/13lXmh
> 睨下が升酒をお代わりし黒田節まで歌った理由は「積年の問題が
>解決して肩の荷が降りたから」なのであります。
>因縁がやっと解けた嬉しさだったらしいですな 呵呵大笑!
昔、中国大柴燈護摩が一時頓挫した時、W田さんを団長とする親善団を
中国に派遣して交渉した。
交渉がうまくいって、W田さんはパーティーで「黒田節を踊った」そうです。
中国大柴燈護摩が終わった後のパーティーでは、桐山さんは奥さんとダンスをしたり、
信者の間に入り込み、一人でクルクルと回りながら、上機嫌で踊っていたそうです。
実際は、中国柴燈護摩なんて内護摩すら焚けず、寺を閉め切って、短時間の
勤行しただけですから、大失敗です。
しかし、桐山さんが上機嫌だったのは、そんな行事なんかどうでもよく、
中国の中央政府の幹部と深いつながりができたことが理由だった。
他人の不幸を利用してお金を集め中国側に貢いだ。
これが今日までの朝貢外交の始まりであり、やがて北京大学名誉教授など
様々な勲章となって実を結んだ。
その意味では桐山さんがクルクルと一人で踊っていたのも道理です。
桐山さんにとって、残留孤児の養父母なんて実はどうでもよく、
中国側とコネができた事、これが慶事なのです。
今回、問題が解決したと言っても、桐山さんのエゴ丸出しの問題や、
欲望という利害にからんだ内容でしょう。
そして煩悩丸出しの内容を聞いても、宝生さんのような信者はそれを
慶事と受け取るくらい、脳味噌がオメデタイ。
上から下まで、エゴと我欲丸出しの教団です。
274 :
神も仏も名無しさん:2013/01/14(月) 13:51:56.42 ID:qm7UenX0
密教は、神や仏をおがんで、そのおかげや御利益をいただいて幸福になろうとか、
なにかうまいことにありつこうとか、安心やなぐさめ、さとりや休息を得たい
などとはいっさい考えないのである。密教は、自己鍛錬ー自分をトレーニング
することにより、神や仏の持つ能力や精神的特質に肉迫しようとするのだから
そうして実際にそういう力をあたえる技術を準備しているのだからー。
例えば、神サマや仏サマやおまんだらサマをおがんで一心におねがいし、
受験の合格を懇願するのではなく「求聞持聡明法」という大脳の組織を一変してしまう
脳力開発のシステムを持ってい、それで受験者に最優秀の成績をとらせ堂堂とトップで
合格させてしまおうというのだからー。 密教超能力の秘密280ページ
阿含宗って、神サマ、仏サマ、おまんだらサマ、お守り、御札のオンパレードだね。
文殊菩薩の御札買って一心におがんで受験合格をおねだりしてるのって、滑稽だよね。
求聞持聡明法はどこへやら〜〜。(爆笑)
目がカメラに耳がテープレコーダーに(桐山の妄想小説)信者さん目を醒ませ。
275 :
ユビキタス ◆AFU2rOqH7nac :2013/01/14(月) 14:39:09.18 ID:Ur0hzVYq
Yさんこと安田利一さんの仏舎利と金龍にまつわる話は、過去ログのヌマエビさんの
「偽の真正仏舎利」の中にもありますし、こちらにまとめられています。
//agon.konjiki.jp/bussyari.html
結局金は掘り当てられた様子もないし、その金龍の写真なんて公開もされてません。
岩の写真なら公開すればいいでしょうが。
276 :
神も仏も名無しさん:2013/01/14(月) 23:55:54.95 ID:88V4dav8
277 :
神も仏も名無しさん:2013/01/15(火) 00:05:42.58 ID:bInLkVvV
278 :
神も仏も名無しさん:2013/01/15(火) 00:12:40.30 ID:bInLkVvV
279 :
神も仏も名無しさん:2013/01/15(火) 05:37:42.16 ID:hHCeIeVQ
阿含宗さん、岩の写真公開してくれ〜(爆)
281 :
神も仏も名無しさん:2013/01/15(火) 07:51:16.27 ID:9RrxLLrp
>>279 かの金龍さんは1979年の初護摩に間に合って出たものの(出たと言われても
こちらにはわからないが)1980年の星まつりにも現形されてその写真が金龍さまとして
信者にも頒布販売されているとのことです。
だから金鉱脈を守ってる時の姿も公開すればいいのに恥ずかしいのかしら。
アゴン宗では1978年の火龍をナンダ、1980年の金龍をウパナンダとしています。
ウパナンダは山の中で金を守っていたのが、安田さんの写真に収まり、携行して
行ってもらわねば、アゴン宗にたどり着けなかったようです。
283 :
指北真希 ◆AFU2rOqH7nac :2013/01/15(火) 07:54:25.46 ID:ZDYuamgt
284 :
ユビキタス ◆AFU2rOqH7nac :2013/01/15(火) 08:04:57.88 ID:ZDYuamgt
浪華恵比寿大黒天>>>>>>>>金龍
なんだそうです。財福を授けるにあたり。
285 :
神も仏も名無しさん:2013/01/15(火) 10:30:52.21 ID:pfXIX/ZN
阿含の子らよ!たちあがれ!
燃えるぜ!星まつり!
アドレナリン全開!
今が、その時、機は熟した!
燃えに燃え燃えて世界のすみずみにまで、
この祈りのパワーを、送り届けよう!
今まさにその時!
同志よ花山へ、集結だ!
286 :
神も仏も名無しさん:2013/01/15(火) 10:50:08.61 ID:HwIQKGIO
中国にこびへつらうアゴンの巣窟!! 売国奴のたまり場掃討すべし
こういう無能裏切り者のバイ菌の繁茂を許してならず
懺悔するは今ぞ お前等の金で中国は武装し銃口を日本に向ける
非国民!売国奴アゴン!!日本から消えよ!!
287 :
神も仏も名無しさん:2013/01/15(火) 11:14:03.50 ID:pfXIX/ZN
今年の星まつりは何かが起きる!
めちゃくちゃ燃えてきたぜよ!
同志の皆様花山で、お待ちしております!
神集いの聖地花山で、お会いしましょう!
288 :
深山 ◆Y0jS4ug6fQ :2013/01/15(火) 12:10:36.68 ID:IKlR+4Fn
>>285 :神も仏も名無しさん:2013/01/15(火) 10:30:52.21 ID:pfXIX/ZN
>今が、その時、機は熟した!
>燃えに燃え燃えて世界のすみずみにまで、
>この祈りのパワーを、送り届けよう!
熟しすぎて、しなびているように見えます。
釈尊の説いた仏教には「祈り」なんてありませんよ。
祈りで何かを変えるなんて、仏教にはありません。
アゴン宗は、釈尊の教法である八正道などを「倫理道徳にすぎない。
オシャカの成仏ホー、成仏リキこそが大事だ」などと、
まるで自分たちには特殊な力があるかのように強調する。
ところが、その成仏リキとやらが出ているという星まつりの
イベントでは、焚き火と「祈り」です。
成仏ホー、成仏リキと偉そうに叫びながら、
出てきたのは「祈り」だそうだ。
信者さんたちは何かその落差を感じることはないのだろうか。
289 :
深山 ◆Y0jS4ug6fQ :2013/01/15(火) 12:16:46.58 ID:IKlR+4Fn
>>285 :神も仏も名無しさん:2013/01/15(火) 10:30:52.21 ID:pfXIX/ZN
>燃えに燃え燃えて世界のすみずみにまで、
>この祈りのパワーを、送り届けよう!
大焚き火に桐山ゲイカが「エイッ」と気合いをかけると、
その成仏リキとやらが本尊から出てきて、霊障のホトケたちの
出した霊障のカルマがきれいになって、世の中が平和になる、
桐山ゲイカが眉をひそめて成仏リキを発する姿や、それに
合わせて世界の平和を祈る自分たちの姿が美しい、
激しく揺れる巨大な炎を見ると、そこに神仏が現れ、
信者の祈りに応えてくれる、
こんなふうに信者さんたちは「空想」している。
私はその場にいたことがある人間だから、信者さんたちの思い込みはよくわかります。
だが、それは思い込みという空想ですよね。
成仏リキとかパワーと言わなければならないような、どんな現象があるのですか。
現形なんてそれらしい姿を神仏だと思い込んでいるにすぎないことは、
すでに
>>240以降で説明しました。
あれは星まつりが本物ではなく、偽物であることの証明です。
身体に飾りをつけて、後ろからシッポを出した応供の如来や、
仏教には存在しない龍神、こんな物が現形しているのは偽物の証拠です。
290 :
深山 ◆Y0jS4ug6fQ :2013/01/15(火) 12:21:59.83 ID:IKlR+4Fn
>>285 :神も仏も名無しさん:2013/01/15(火) 10:30:52.21 ID:pfXIX/ZN
>燃えに燃え燃えて世界のすみずみにまで、
>この祈りのパワーを、送り届けよう!
四十年も山の上で焚き火をして、その効果は具体的に何があるのですか。
批判を抜きにして、効果など見たことがない。
285さんのいう「祈りのパワー」って、何?
キャッチコピーのような、耳に心地よい言葉を並べれば、それが現実に
なるわけではありませんよ。
パワーなんて、念力のようなものが自分にあると信じている。
砂場で超能力ゴッコをしている子供と同じです。
焚き火はどんなに仰々しい様式で焚いても、焚き火です。
海外での護摩でも、台湾で護摩を焚いたら大地震が起きて、
ニューヨークで護摩を焚いた翌年にはテロが起きて、
イスラエルで護摩を焚いた数ヶ月後には、ガザを空爆して、
子供を含めた多くの死者を出した。
福島で土地浄霊をしていたようだが、東日本大震災が起きた。
原発が崩壊して、今でも多くの避難民を出しているのに、
それでアゴン宗の護摩は何の役に立ったのだ?
パワーとは遠くから焚き火や音楽会を開くことですか。
291 :
深山 ◆Y0jS4ug6fQ :2013/01/15(火) 12:32:50.47 ID:IKlR+4Fn
>>285 :神も仏も名無しさん:2013/01/15(火) 10:30:52.21 ID:pfXIX/ZN
>燃えに燃え燃えて世界のすみずみにまで、
>この祈りのパワーを、送り届けよう!
世界平和などと口では言うが、桐山さんは、尖閣問題を引き起こした石原さんと
意見が同じらしい。
原発再開も賛成らしい。
石原さんの政治姿勢に賛否を申し上げるつもりはない。
石原さんが核武装、現憲法の廃止、軍事大国を目指しているのは明かです。
桐山さんはこの石原さんに賛成らしい。
そこで信者さんたちも問われるのです。
アゴン宗の祈りとは、核武装、現憲法の廃止、軍事大国、原発再開なのですね。
信者さんたちはこれに賛成なのですか。
そう言えば、イスラエルからもライオンの図像をもらったが、
あれは武力で平和を維持するという考えです。
現実にイスラエルはそれをしている。
桐山さんは嘆きの壁の前で、宗教大臣にイスラエルに「支持」を
表明した数少ない日本人です。
イスラエルは、ごらんのように、武力による平和を目標としている。
石原さんも同様で、アメリカに依存しない軍事力を持ち、
中国にも対抗できるように、核武装をすると主張している。
こういうイスラエルや石原さんを支持している桐山さんのいう世界平和とは、
武力による平和ということになる。
292 :
深山 ◆Y0jS4ug6fQ :2013/01/15(火) 12:38:34.73 ID:IKlR+4Fn
>>285 :神も仏も名無しさん:2013/01/15(火) 10:30:52.21 ID:pfXIX/ZN
>燃えに燃え燃えて世界のすみずみにまで、
>この祈りのパワーを、送り届けよう!
信者さんたちは、武力による平和を支持する桐山さんの意見に賛成なのか。
念のために言うが、信者さんたちがイスラエルや石原さんのような
武力による世界平和を支持することの是非を言ってるのではありません。
また、信者さんたちが原発再開に大賛成でもかまわない。
現実に原発再開は国民の半数近くが容認しているようだし、石原さんの政党も
五十議席も取れたのだから、国民の支持を受けているのは事実です。
信者さんたちが京都の山の上で、焚き火をしながら、
骨の仏様に祈るのは、核武装した軍事大国としての平和であり、
生活の基盤を失った原発難民が何十万人いても、これから子供たちに
ガンが多発しても、電気さえ供給してくれれば何でも良い、
という祈りなのかと尋ねているのです。
信仰は自由なのだから、こういう祈りでもかまいませんよ。
285さんの祈りのパワーとは原発の電力を使っているらしい。
他の信者さんたちは本当にそれで良いのかと質問しているのです。
293 :
深山 ◆Y0jS4ug6fQ :2013/01/15(火) 12:46:26.22 ID:IKlR+4Fn
>>285 :神も仏も名無しさん:2013/01/15(火) 10:30:52.21 ID:pfXIX/ZN
>燃えに燃え燃えて世界のすみずみにまで、
>この祈りのパワーを、送り届けよう!
軍事力で相手を圧倒して平和を維持するなんて、もちろん、
仏教に反する考えです。
信者さんたちもご存じのように、仏教は非暴力であり、
それも正当防衛さえしないほど極端な非暴力です。
釈尊はヴァッジ族を滅ぼそうとした阿闍世王の試みを必死にやめさせている。
シャカ族を滅ぼそうとしたヴィドーダバにも身を挺してやめるように説いている。
だから、釈尊に聞いてみなくても、
石原さんやイスラエルの姿勢は仏教のあり方とは違うのはわかります。
皮肉を言うなら、アゴン宗は仏教ではなく、星まつりは外道の祭りであり、
釈迦仏教とは違うから、燃えて軍事力に平和、他人の大きな犠牲の上に成り
立つ電力供給を祈っても、矛盾はしない。
どうせ、星まつりなど仏教の神仏は見向きもしない。
もし、信者さんがそれを正しくないと思っているなら、
星まつりで祈るのはやめたほうがいい。
あそこでの祈りとは、石原さんやイスラエルのような軍事的な平和であり、
他人を犠牲にしても良いという考えが元になっており、
護摩木などで祈るなら、こういう考えを支持したのと同じです。
285さんのように言葉に浮かれるのではなく、
自分に問いかけて自分で善悪を判断することです。
294 :
Rashin:2013/01/15(火) 14:09:02.56 ID:JgVop34P
>燃えに燃え燃えて世界のすみずみにまで、
この祈りのパワーを、送り届けよう!
いったい今まで何度、機が熟したのでしょうか?
この「子らよ、同志よ」との表現自体が何やら革命遊びの政治的集団のようです。
このような空疎な標語の羅列こそ、アゴン宗の無力感を露呈している。
その「祈りのパワー」とやらで、チベット虐殺や大気汚染問題あるいはアフリカ・
マリの虐殺、シリアやイスラエルの一般市民への空爆が阻止され解決されたか。
アゴン宗は毎年焚火をして来たが、今までにどんな成果を上げたのですか?
阿含経には、祈りで平和を達成した祈りで平和を為せ、なんて話しはありません。
釈尊は、釈迦族を滅亡させようとしたヴィドゥーダバ王に直接会って諭している。
当時の釈迦族は、釈尊に帰依していたが軍事力は保持していた。
伝承によればその時コーサラ軍を威嚇しその圧倒的兵力で侵攻を諦めさせたが、
釈迦族の若者兵士が相手兵を殺傷してしまったことで、釈迦族は滅亡を選んだ。
また釈尊は、大目連の通力での救済案すら不可能だと退けている。
結果釈尊は、釈迦族の滅亡を防げなかった。
釈尊は国の政治に関与しないが、それでも暴力行為の空しさを説いています。
アゴン宗が阿含経を掲げるなら、釈尊の非暴力に従い暴力行為を為している者を
言葉で戒めるべきでしょう。
桐山さんは同じように現地へ行き、その国々の指導者に掛け合ったのですか。
今まで桐山さんの平和熱唱は遠近から祈るだけで、指導者側に会えた時でも、
その権力に阿ねた姿しか示せませんでした。
その桐山アゴン宗が、世界平和祈願などと仏教禁止の護摩を焚いても、
それは悪いジョークでしかない。
295 :
神も仏も名無しさん:2013/01/15(火) 17:10:14.90 ID:6YQ9xTQk
イスラエル(ユダヤ教)の獅子の意味と天皇の繋がり
日ユ同祖論 - Wikipedia
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E6%97%A5%E3%83%A6%E5%90%8C%E7%A5%96%E8%AB%96 獅子と一角獣
天皇家や神道において獅子と一角獣は重要な意味を持つが、獅子はユダ族の紋章であり、
一角獣は北イスラエル王国の王族であるヨセフ族の紋章である。京都御所(清涼殿)には天皇家の紋章として、
獅子(ライオン)と一角獣(ユニコーン)の紋章があったとされており、天皇の王冠には一角獣が描かれている
とされている(『日本固有文明の謎はユダヤで解ける』、徳間書店)。現在でも京都御所清涼殿昼御座奥の
御帳台(天皇の椅子)の前左右には、頭頂に長い一角を持つ狛犬と角のないものが置かれている(『日本
名建築写真選集第18巻京都御所』、新潮社の写真)。天皇の即位に用いられる高御座の台座にも獅子と
一角獣(麒麟)と思われる絵が描かれている。平凡社の『大百科事典』や平凡社の『世界大百科事典』では、
狛犬について、「平安時代には…清涼殿の御帳前や…獅子と狛犬が置かれ、口を開いたのを獅子として左に置き、
口を閉じ頭に一角を持つものを狛犬として右に置いた」とあり、京都下鴨神社の左の狛犬には角があると
記されている。『狛犬辞典』戎光祥社には、京都御所紫しい殿障子絵として同様のものが掲載されているほか、
八坂神社等の一角を持つ狛犬写真が多数掲載されている(下賀茂神社や八坂神社には秦一族の影響がありうる)。
なお、ユダヤ系大財閥であるロスチャイルド家も同様のライオンとユニコーンの紋章を持つ(建物の入り口などに
二匹の獅子が置かれる例は世界各地にあるが、これは古代イスラエル神殿(ソロモン神殿)の
王座の横の二匹の獅子(I列王記10:19)に由来するといわれる。)(紋章を参照)
296 :
神も仏も名無しさん:2013/01/15(火) 17:11:27.41 ID:6YQ9xTQk
仏教と獅子(インド)
これまで見てきたように、古代オリエントで生まれた獅子は様々な文化とともに各地に伝播し、
やがてシルクロードによってインドにもたらされていきました。そして紀元前326年頃にアレクサンダー大王は
インドに侵入すると、東西文化の交流がいっそう盛んとなりました。紀元前268年、マウリア王朝のアショーカ王は
仏教を守護し、仏教の聖地サルナートに記念石柱を建てました。この石柱は4頭の牡獅子が円盤上に乗り、
東西南北を睨む構図となっています。
このような様式はペルシャのペルセポリス宮殿(紀元前520年〜331年)にも見られます。
http://guardianlions.blogspot.jp/2010/02/2.html
297 :
神も仏も名無しさん:2013/01/15(火) 19:37:03.15 ID:lEpTNUjq
キリヤマ(ボンノウ、オオホラフキ)ゲイカ、の密教の超能力ですが?
ゲイカにそのチカラは無いと、思いますが。(エロチカラはある。性欲は人一倍)
タダシ、センス悪い。
そもそも、釈尊は超能力を、どう言われていますか?
また、それを行使する事を、どう言われていますか?
どなたか、教えてくれませんか?
298 :
神も仏も名無しさん:2013/01/15(火) 20:12:46.84 ID:cKlhx4vL
#1 <一切>
南伝 相応部経典 35−23
かようにわたしは聞いた。
ある時、世尊は、サーヴァッテイー(舎衛城)のジェータ(祇陀)林なるアナータピンデイカ(給孤独)の園にましました。
その時、世尊は、「比丘たちよ」と呼ばせたまい、彼ら比丘たちは、「大徳よ」と答えた。そこで、世尊は、つぎのように
説いて仰せられた。
「比丘たちよ、なにおか一切となすであろうか。それは、眼と色(物体)とである。耳と声とである。鼻と香とである。舌と
味とである。身と触(感触)とである。意と法(観念)とである。」
「比丘たちよ、これらを名づけて一切というのである。比丘たちよ、もし人ありて、<わたしは、この一切を捨てて他の
一切を説こう>と、そのように言うものがあったならば、それは、ただ言葉があるのみであって、他の人の問いに遇えば、
よく説明できないばかりか、さらに困難に陥るであろう。何故であろうか。比丘たちよ、それは、ありもしないものを語
っているからである」
-----------------------------------------------------------------------------------------------------------------
*増谷文雄「阿含経典」(筑摩書房) 第3卷 31頁より抜粋
永野 武の『ゴータマ・ブディズム』より
299 :
神も仏も名無しさん:2013/01/15(火) 20:14:47.54 ID:cKlhx4vL
>>298 <このお経の essence>
ある時、世尊は、つぎのように仰せられた。
なにおか一切となすであろうか。それは、眼と色(眼の対象)、耳と声、鼻と香、舌と味、身と触(touch)、意と法
(dhamma) とである。これらを名づけて一切という。
もし人ありて、「わたしは、この一切を捨てて他の一切を説こう」と、そのように言うものがあったならば、それは、ただ
言葉があるのみであって、他の人の問いに遇えば、よく説明できないばかりか、さらに困難に陥るであろう。何故であろうか。
それは、ありもしないものを語っているからである。
<凝縮 essence>
なにおか一切となすであろうか。それは、眼と色(眼の対象)、耳と声、鼻と香、舌と味、身と触(touch)、意と法(dhamma) とである。
これらを名づけて一切という。
.永野 武
300 :
神も仏も名無しさん:2013/01/15(火) 20:20:52.03 ID:cKlhx4vL
#2 <知るべきもの>
南伝 相応部経典 23−4
かようにわたしは聞いた。
ある時、世尊は、サーヴァッテイー(舎衛城)のジェータ(祇陀)林なるアナータピンデイカ(給孤独)の園にましました。
その時、長老ラーダ(羅陀)は、世尊のましますところに至り、世尊を拝して、その傍らに坐した。
傍らに坐したラーダにむかって、世尊は仰せられた。
「ラーダよ、いま、知らるべきものと、あまねく知ることと、および、あまねく知れる人について、説こうと思う。よく聞い
ておくがよい」
そして、世尊は説きたもうた。
「ラーダよ、知らねばならぬものとは、なんであろうか。ラーダよ、色(肉体)は知らねばならぬものである。受(感覚)は
知らねばならぬものである。想(表象)は知らねばならぬものである。行(意思)は知らねばならぬものである。また、識
(意識)は知らねばならぬものである。ラーダよ、こういうものを、知らるべきものであるというのである。
ラーダよ、では、あまねく知るとは、どういうことであろうか。ラーダよ、貪欲を滅しつくすことと、瞋恚を滅しつくすことと、
愚痴を滅しつくすことである。ラーダよ、そういうことを、あまねく知るというのである。
では、あまねく知れる人とは、どういう人であろうか。それは、阿羅漢を指していう言葉である。その名をこれこれといい、
その姓をこれこれという長老がそれなのである。ラーダよ、そのような人を呼んで、あまねく知れる人とはいうのである」
------------------------------------------------------------------------------------------------------------------
*増谷文雄「阿含経典」(筑摩書房)第2巻 223頁より抜粋
永野 武の『ゴータマ・ブディズム』
301 :
神も仏も名無しさん:2013/01/15(火) 20:24:42.34 ID:cKlhx4vL
>>300 <このお経の essence>
ある時、世尊は、仰せられた。
知るべきものと、あまねく知ることについて説こうと思う。
世尊は説きたもうた。
知らねばならぬものとは、なんであろうか。
(1) 色 (body) は知らねばならぬものである。
(2) 受(感覚)は知らねばならぬものである。
(3) 想(知覚)は知らねばならぬものである。
(4) 行(脳の中枢)は知らねばならぬものである。
(5) 識(意識/認識)は知らねばならぬものである。
こういうものを、知るべきものであるという。
では、あまねく知るとは、どういうことであろうか。
(1) 貪欲を滅しつくすことと、
(2) 瞋恚を滅しつくすことと、
(3) 愚痴を滅しつくすことである。
そういうことを、あまねく知るというのである。
<凝縮 essence>
色、受、想、行、識 は、知るべきものである。
色は、知るべきものである。
受想行識は、知るべきものである。
貪欲、瞋恚、愚痴を滅尽することを、あまねく知るという。
.永野 武
302 :
神も仏も名無しさん:2013/01/15(火) 20:33:27.48 ID:L/RBEC8b
キリヤマさん、総本殿建立の時、東京にいて、大阪の事が見えると言っていた。
ある意味、プライバシーの侵害ではないか?
どこまでも、犯罪に縁のある、キリヤマさん!
ホラー、カルト、だけではない。
303 :
神も仏も名無しさん:2013/01/15(火) 20:51:40.12 ID:cKlhx4vL
#3 <涅槃>
南伝 相応部経典 38ー1
かようにわたしは聞いた。
ある時、長老サーリプッタ(舎利弗)は、マガダ(摩掲陀)の国のナーラカ(那羅迦)という村に住していた。その時、
ジャンプカーダカ(閻浮車)なる遊行者が、長老サーリプッタを訪れてきて、たがいに会釈をかわし、親愛にして慇懇
なる談話を交えて、やがて傍らに坐した。
「友サ−リプッタよ、涅槃、涅槃といわれるが、いったい、涅槃とはなんであろうか」
「友よ、およそ貪欲の壊滅、瞋恚の壊滅、愚痴の壊滅、これを称して涅槃というのである」
「では、友よ、その涅槃を実現するに道があるであろうか。そこにいたる方法があるであろうか」
「友よ、その涅槃を実現するには道がある。そこにいたる方法がある」
「では、友よ、その涅槃を実現する道とはなにか。そこにいたる方法とはなんであろうか」
「友よ、聖なる八支の道こそは、その涅槃を実現する道である。それは、すなわち、正見、正思、正語、正業、正命、
正精進、正念、正定である。これが、その涅槃を実現する道であり、そこにいたる方法なのである」
「友よ、この涅槃を実現する道は、まことに善い。そこにいたる方法は、まことに素晴らしい。友サ−リプッタよ、
それはまた勤め励むに足る」
--------------------------------------------------------------------------------
*増谷文雄「阿含経典(筑摩書房)第3巻87頁より抜粋より抜粋
永野 武の『ゴータマ・ブディズム』
304 :
神も仏も名無しさん:2013/01/15(火) 20:53:12.65 ID:cKlhx4vL
>>303 <このお経の essence>
ある時、ジャンプカーダカが、長老サーリプッタを訪れてきた。
涅槃、涅槃といわれるが、涅槃とはなんであろうか。
貪欲の壊滅、瞋恚の壊滅、愚痴の壊滅、これを称して涅槃というのである。
涅槃を実現するに道があるであろうか。そこにいたる方法があるであろうか。
涅槃を実現する道がある。そこにいたる方法がある。
涅槃を実現する道はなにか。そこにいたる方法はなんであろうか。
八正道こそは、その涅槃を実現する道である。それは、すなわち、正見、正思、正語、正業、正命、正精進、正念、
正定である。これが、その涅槃を実現する道であり、そこにいたる方法である。
涅槃を実現する道は、まことに善い。そこにいたる方法は、まことに素晴らしい。それは勤め励むに足る。
<凝縮 essence>
貪瞋痴の壊滅を涅槃という。
八正道は、涅槃を実現する道である。
八正道は、正見、正思、正語、正業、正命、正精進、正念、正定である。
.永野 武
305 :
神も仏も名無しさん:2013/01/15(火) 21:03:38.79 ID:cKlhx4vL
#4 <一比丘>
南伝 相応部経典 45−7
かようにわたしは聞いた。
ある時、世尊は、サーヴァッテイー(舎衛城)のジェータ(祇陀)林なるアナータピンデイカ(給孤独)の園にましました。
その時、一人の比丘があり、世尊のましますところに到り、世尊を拝して、その傍らに坐した。傍らに坐したかの比丘は、
世尊に申しあげた。
「大徳よ、貪欲の調伏、瞋恚の調伏、愚痴の調伏と仰せられますが、大徳よ、いったい、貪欲の調伏、瞋恚の調伏、愚痴の
調伏とは、なにを指していう言葉で、ありましょうか」
「比丘よ、貪欲の調伏、瞋恚の調伏、愚痴の調伏とは、涅槃のさまを指していう言葉である。これをもって、もろもろの煩悩
の滅尽を説くのである」
世尊がかくのごとく説きたまえるとき、かの比丘は、また世尊に申しあげた。
「大徳よ、また、不死、不死と仰せられますが、大徳よ、いったい、不死とはいかなることでありましょうか。また、不死に
いたる道は、どのようなものでありましょうか」
「比丘よ、貪欲の壊滅、瞋恚の壊滅、愚痴の壊滅、これを名づけて不死というのである。そして、かの聖なる八支の道こそ
が、不死にいたる道である。すなわち、正見、正思、正語、正業、正命、正精進、正念、正定である」
--------------------------------------------------------------------------------
*増谷文雄「阿含経典」(筑摩書房) 第3巻 149頁より抜粋
永野 武の『ゴータマ・ブディズム』
306 :
神も仏も名無しさん:2013/01/15(火) 21:05:50.40 ID:cKlhx4vL
>>305 <このお経の essence>
ある時、一人の比丘が、世尊に申しあげた。
「貪瞋痴の調伏と仰せられますが、貪瞋痴の調伏とは、なにを指していう言葉で、ありましょうか。
貪瞋痴の調伏とは、涅槃のさまを指していう言葉である。
かの比丘は、また世尊に申しあげた。
不死、不死と仰せられますが、不死とはいかなることでありましょうか。
また、不死にいたる道は、どのようなものでありましょうか。
貪瞋痴の壊滅を名づけて不死という。
八正道が、涅槃/不死にいたる道、すなわち、正見、正思、正
語、正業、正命、正精進、正念、正定である。
<<凝縮 essence>
貪瞋痴の調伏/壊滅を、涅槃とも不死ともいう。
八正道は、涅槃/不死にいたる道である。
八正道は、正見、正思、正語、正業、正命、正精進、正念、正定である。
.永野 武
307 :
神も仏も名無しさん:2013/01/15(火) 21:22:14.58 ID:cKlhx4vL
#5 <シンサパー>
南伝 相応部経典 56ー31
かようにわたしは聞いた。
ある時、世尊は、コーサンビーのシンサパー林にましました。
その時、世尊は、その手にすこしばかりのシンサパーの葉をとって、比丘たちに告げて仰せられた。
「比丘たちよ、汝らはいかに思うか。わたしが手にとっている少しばかりのシンサパーの葉と、この上のシンサパー林に
あるそれといずれが多いであろうか」
「大徳よ、世尊がその手にとりたまえるシンサパーの葉は少なく、この上のシンサパー林にあるそれは多うございます」
「比丘たちよ、それとおなじように、わたしが証知して、しかも、汝らに説かざるところは多くして、説けるところは少い
のである。比丘たちよ、では、なにゆえに、わたしは、それらを説かなかったであろうか。比丘たちよ、それは役にも立た
ず、梵行のはじめともならず、厭離、離貪、滅尽、寂静、証智、等覚、涅槃にも資することがない。そのゆえに、わたしは
説かないのである。
比丘たちよ、では、わたしは、何を説いたであろうか。比丘たちよ、<こは苦なり>とわたしは説いた。<こは苦の生起な
り>とわたしは説いた。<こは苦の滅尽なり>とわたしは説いた。また、<こは苦の滅尽にいたる道なり>とわたしは説いた。
比丘たちよ、では、なにゆえに、わたしは、それらを説いたであろうか。比丘たちよ、それは役に立ち、梵行のはじめとな
り、厭離、離貪、滅尽、寂静、証智、等覚、涅槃に資するからである。そのゆえに、わたしは説いたのである。
されば、比丘たちよ、<こは苦なり>と勉励するがよい。<こは苦の生起なり>と勉励するがよい。<こは苦の滅尽なり>と
勉励するがよい。また、<こは苦の滅尽にいたる道なり>と勉励するがよいのである」
--------------------------------------------------------------------------------
*増谷文雄「阿含経典」(筑摩書房) 第3巻 283頁より抜粋
永野 武の『ゴータマ・ブディズム』
308 :
神も仏も名無しさん:2013/01/15(火) 21:24:54.53 ID:cKlhx4vL
>>307 <このお経の essence>
勉励するを、精進すると書き替えます。
四つの真理 という文字を入れましょう。
わたしが証知して、汝らに説かざるところは多くして、説けるところは少い。
なにゆえに、わたしは、それらを説かなかったのであろうか。それは役にも立たず、梵行のはじめともならず、滅尽、涅槃にも
資することがない。そのゆえに、わたしは説かない。
わたしは、何を説いたであろうか。わたしは四つの真理 を説いた。
なにゆえに、わたしは、四つの真理 を説いたであろうか。それは役に立ち、梵行のはじめとなり、滅尽、涅槃に資するから
である。そのゆえに、わたしは説いた。
されば、四つの真理 を精進するがよい。
<凝縮 essence>
わたしは、四つの真理(四諦)を説いた。
わたしは、四つの真理(四諦)は、滅尽、涅槃に資するから説いた。
.永野 武
309 :
神も仏も名無しさん:2013/01/15(火) 21:42:37.70 ID:cKlhx4vL
#6 <善男子>
南伝 相応部経典 56−3
かようにわたしは聞いた。
ある時、世尊は、バーラーナシー(波羅捺)のイシパタナ・ミガダーヤ(仙人住処・鹿野苑)にましました。その時、世尊は、
比丘たちに告げて仰せられた。
「比丘たちよ、過去世においても、善男子の、まさしく家を出でて出家せるものは、すべて、この四つの聖諦を、あるがままに、
はっきりと理解せんがためであった。比丘たちよ、未来世においても、善男子の、まさしく家を出でて出家せるものは、すべて、
この四つの聖諦を、あるがままにはっきりと理解せんがためであろう。また、比丘たちよ、現在においても、善男子の、まさし
く家を出でて出家するものは、すべて、この四つの聖諦を、あるがままに、はっきりと理解せんがためである。
では、その四つの聖諦とは何であろうか。それは、苦の聖諦、苦の生起の聖諦、苦の滅尽の聖諦、苦の滅尽にいたる道の聖諦である。
比丘たちよ、過去世において、まさしく家を出でて出家せる善男子も、すべてこの四つの聖諦を、あるがままに、はっきりと
理解せんがためであった。また、未来世において、まさしく家を出でて出家する善男子も、..また、現在において、まさしく
家を出でて出家する善男子も、すべて、この四つの聖諦を、あるがままに、はっきりと理解せんがためである。
これによりて、比丘たちよ、<こは苦なり>と勉励するがよい。<こは苦の生起なり>と勉励するがよい。<こは苦の滅尽なり>
と勉励するがよい。<こは苦の滅尽に到る道なり>と勉励するがよいのである」
--------------------------------------------------------------------------------
*増谷文雄「阿含経典」(筑摩書房) 第3巻 250頁より抜粋
永野 武の『ゴータマ・ブディズム』
310 :
神も仏も名無しさん:2013/01/15(火) 21:45:47.26 ID:cKlhx4vL
>309
<このお経の essence>
聖諦は真理、四つの聖諦は「四つの真理」と書き替えます。勉励は精進と書き替えます。
ある時、世尊は、仰せられた。
過去世においても、善男子の、まさしく家を出でて出家せるものは、すべて、この「四つの真理」を、あるがままに、はっ
きりと理解せんがためであった。未来世においても、善男子の、まさしく家を出でて出家せるものは、すべて、この「四つ
の真理」を、あるがままに、はっきりと理解せんがためであろう。現在においても、善男子の、まさしく家を出でて出家す
るものは、すべて、この「四つの真理」を、あるがままに、はっきりと理解せんがためである。
過去世において、まさしく家を出でて出家せる善男子も、すべてこの「四つの真理」を、あるがままに、はっきりと理解せ
んがためであった。未来世において、まさしく家を出でて出家する善男子も、..現在において、まさしく家を出でて出家
する善男子も、すべて、この「四つの真理」を、あるがままに、はっきりと理解せんがためである。
これによりて、「四つの真理」を精進するがよい。
<凝縮 essence>
過去世、未来世、現在においてを、いつの時代も、と書き替えます。
いつの時代も、釈迦の弟子たちは、すべて、この「四つの真理」を理解せんがために、精進する。
.永野 武
311 :
神も仏も名無しさん:2013/01/15(火) 22:03:38.90 ID:zNR+lVCO
役にたたない事を、声だかに叫んで、
業の報いを受ける、エロゲイカ!
はたして、ちゃんと業の報いを受けているのか?
エロゲイカ、地獄に向かって。まっしぐら!
312 :
神も仏も名無しさん:2013/01/15(火) 22:13:33.76 ID:cKlhx4vL
#7 <苦行のこと>
南伝 相応部経典 4−1
かようにわたしは聞いた。
ある時、世尊は、ウルヴェーラー(優留毘羅)村の、ネーランジャラー(尼連禅)河のほとり、アジャパーラ・ニグローダ
(阿闍波羅尼倶律陀)の樹の下にましました。まさしく、正覚を成就したもうた時のことであった。
その時、世尊は、ただひとり坐し、静かな思索のうちにあって、つぎのような思いをなしたもうた。
「ああ、わたしは、あの苦行から離れてよかった。ああ、わたしは、あのなんの利益もない苦行から離れてよかった。ぴた
りと正念 (sati) に住して、さとりをうることができて、ほんとうによかった」
その時、悪しきものマーラ(魔羅)は、世尊の心に思うところを知って、世尊のいますところに到った。到って偈をもって、
世尊に語りかけていった。
「苦行を離れざればこそ、若き人は清めらるるなり。汝、浄めの道をさまよい離れて、清からずして清しと思えり」
その時、世尊は、これはあしきものマーラであると知って、偈をもってあしきもの魔羅に答えて仰せられた。
「不死をねがうに、いかなる苦行も、利をもたらすことなしと知った。陸にあげられた舟の艪舵のごとく、すべて利をも
たらすことはない。わたしは、戒と定と慧とにより、この悟りの道を修めきたって、ついに無上の清浄にいたった」
(以下省略)
--------------------------------------------------------------------------------
*増谷文雄「阿含経典」(筑摩書房)第4巻 118頁より抜粋
永野 武の『ゴータマ・ブディズム』
313 :
神も仏も名無しさん:2013/01/15(火) 22:15:41.45 ID:cKlhx4vL
>>312 <このお経の essence>
世尊は、正覚を成就した時、つぎのような思いをなした。
わたしは、なんの利益もない苦行から離れてよかった。正念 (sati) に住して、さとりをうることができて、ほんとうに
よかった。
その時、悪しきものマーラは、世尊に語りかけた。「苦行を離れざればこそ、若き人は清めらるるなり。
汝、浄めの道をさまよい離れて、清からずして清しと思えり」
その時、世尊は、仰せられた。「不死をねがうに、いかなる苦行も、利をもたらすことなしと知った。
わたしは、戒と定と慧とにより、この悟りの道を修めて、ついに無上の清浄にいたった」
<凝縮 essence>
いかなる苦行も、利をもたらすことなし。
わたしは、なんの利益もない苦行から離れてよかった。
わたしは、戒と定と慧とにより、悟りの道を修め、無上の清浄にいたった。
.永野 武
314 :
神も仏も名無しさん:2013/01/15(火) 23:04:11.70 ID:cKlhx4vL
#8 <八正道>
南伝 長部経典 22 大念処経 21
次に、比丘等よ、苦滅道聖諦とは何ぞや。八支聖道、即ち正見、正思、正語、正業、正命、正精進、正念・正定これなり。
而して、比丘等よ、正見とは何ぞや。実に比丘等よ、苦に関する知、苦の集に関する知、苦の滅に関する知、苦の滅に
到る道に関する知、これぞ、比丘等よ、正見とは名づけらる。
次に、比丘等よ、正思とは何ぞや。無欲の思、無恚の思、無害の思、これぞ、比丘等よ、正思とは名づけらる。
次に、比丘等よ、正業とは何ぞや。殺生よりの禁制、不与取よりの禁制、邪淫よりの禁制、これぞ、比丘等よ、正業とは
名づけらる。
次に、比丘等よ、正命とは何ぞや。ここに比丘等よ、聖弟子は邪命を捨て、正命に依りて命(生活)を営む。これぞ、比
丘等よ、正命とは名づけらる。
次に、比丘等よ、正精進とは何ぞや。ここに比丘等よ、比丘は未生の悪、不善の法を生ぜざらしめむとの決意を起すに
努力し、精進を為し、心を緊張せしむるに勤む。巳生の悪、不善の法を遠離せむとの決意を起すに努力し、精進を為し、
心を緊張せしむるに勤む。未生の善法を生ぜしめむとの決意を起すに努力し、精進を為し、心を緊張せしむるに勤む。
巳生の善法を住せしめ、惑乱せしめず、増長し、充満し、成立し、成就せしむる決意を起すに努力し、精進を為し、心を
緊張せしむるに勤む。これぞ、比丘等よ、正精進とは名づけらる。
(続)
315 :
神も仏も名無しさん:2013/01/15(火) 23:05:26.43 ID:cKlhx4vL
(続314)
次に、比丘等よ、正念とは何ぞや。ここに比丘等よ、比丘は身に就きて身を観じて住し、精励し、正念正智にし世の欲と
悩とを捨し、受に就きて乃至心に就きて乃至法に就きて法を観じて住し、精励し、正念正智にして、世の欲と悩とを捨す。
これぞ、比丘等よ、正念とは名づけらる。
次に、比丘等よ、正定とは何ぞや。ここに比丘等よ、比丘は欲を去り、不善法を離れて有尋有伺にして、離より生ぜる
喜と楽とのある初禅に達して住す。尋伺を滅して、内心静安となり、心専一となり、無尋無伺にして、定より生ぜる喜
と楽とのある第二禅に達して住す。更に喜を離れ捨となりて住し、正念正智にして、身を以て楽を感受し、唯、諸聖者
が、「これ捨にして正念楽住なり」と説ける第三禅に達して住す。次に楽を捨て、苦を離れ、前に感じたる悦と憂とを
共に滅したるが故に不苦不楽にして、捨念清浄となれる第四禅に達して住す。これぞ、比丘等よ、正定とは名づけらる。
比丘等よ、これぞ苦滅道聖諦とは名づけらる。
--------------------------------------------------------------------------------
*南伝大蔵経(大蔵出版社) 長部経典 22 大念処経 21より抜粋
永野 武の『ゴータマ・ブディズム』
316 :
神も仏も名無しさん:2013/01/15(火) 23:09:47.71 ID:cKlhx4vL
>>315 <このお経の essence>
苦滅道聖諦と八支聖道を八正道、正思:無欲の思、無恚の思、無害の思を不貪の思、不瞋の思、不痴の思と書き替えます。
欲と悩は貪瞋痴と、書き替えます。
八正道とは何ぞや。
八正道、すなわち、正見、正思、正語、正業、正命、正精進、正念・正定これなり。
(1) 正見とは何ぞや。苦に関する知、苦の集に関する知、苦の滅に関する知、苦の滅に到る道に関する知、
これ[四つの智慧]ぞ、正見とは名づける。
(2) 正思とは何ぞや。不貪の思、不瞋の思、不痴の思、これぞ、正思とは名づけらる。
(3) 正語とは何ぞや。両舌よりの禁制、悪口よりの禁制、妄語よりの禁制、綺語よりの禁制、これぞ、正語とは名づけらる。
(4) 正業とは何ぞや。殺生よりの禁制、不与取よりの禁制、邪淫よりの禁制、これぞ、正業とは名づけらる。
(5) 正命とは何ぞや。聖弟子は邪命を捨て、正命に依りて命(生活)を営む。これぞ、正命とは名づけらる。
(6)正精進とは何ぞや。未生の悪、不善の法を生ぜざらしめむとの決意を起すに努力し、精進を為し、心を緊張せし
むるに勤む。巳生の悪、不善の法を遠離せむとの決意を起すに努力し、精進を為し、心を緊張せしむるに勤む。
未生の善法を生ぜしめむとの決意を起すに努力し、精進を為し、心を緊張せしむる
に勤む。巳生の善法を住せしめ、惑乱せしめず、増長し、充満し、成立し、成就せしむる決意を起すに努力し、
精進を為し、心を緊張せしむるに勤む。これぞ、正精進とは名づけらる。
(続)
317 :
神も仏も名無しさん:2013/01/15(火) 23:11:13.97 ID:cKlhx4vL
続316)
(7)正念とは何ぞや。身に就きて身を観じて住し、精励し、正念正智にし貪瞋痴をし、受に就きて乃至心に就きて
乃至法に就きて法を観じて住し、精励し、正念正智にして、貪瞋痴を捨す。これぞ、正念とは名づけらる。
(8)次に、正定とは何ぞや。欲を去り、不善法を離れて有尋有伺にして、離より生ぜる喜と楽とのある初禅に達し
て住す。尋伺を滅して、内心静安となり、心専一となり、無尋無伺にて、定より生ぜる喜と楽とのある第二禅
に達して住す。更に喜を離れ捨となりて住し、正念正智にして、身を以て楽を感受し、唯、諸聖者が、
「これ捨にして正念楽住なり」と説ける第三禅に達して住す。次に楽を捨て、苦を離れ、前に感じたる悦と
憂とを共に滅したるが故に不苦不楽にして、捨念清浄となれる第四禅に達して住す。これぞ、正定とは名づけらる。
.
318 :
神も仏も名無しさん:2013/01/15(火) 23:14:17.91 ID:cKlhx4vL
>>317 註
パーリ聖典のお経を讀んでいますと、八正道は、上記にように、いつでも、正見(四つの智慧)、正思、正語、正業、正命、
正精進、正念、正定の順序で書いてあります。
私は、八正道のpractice(修行)を開始するに当り、書いてある通り、正見(四つの智慧)、正思、正語、正業、正命、
正精進、正念、正定の順序で、practice(修行)を開始しようと試みました。
この場合は、正見(四つの智慧)の内容を他人から学ばないことには、次の戒(正思、正語、正業)、正しい生活(正命)、
正精進、正念、正定のpracticeを行うことができません。
私は、熟考し、次のように、讀み替えました。正しい生活(正命)を開始して、正精進し、戒(正思、正語、正業)を守り、
正念、正定のpracticeをすれば、その結果として、正見(四つの智慧)が生ずる、と。
すなわち、私は、八正道を、正命(正しい生活)、正精進、正業、正語、正思、正念、正定、正見(四つの智慧)と書き替え、
正命(正しい生活)を開始しました。
私は、正しい生活(正命)の中で、正精進し、戒(正思、正語、正業)を守り、正念、正定のpracticeを励みました。
その結果、私に、正見(四つの智慧)が生じました。
私は、今後、八正道は、正命、正精進、正業、正語、正思、正念・正定、正見(四つの智慧)と書きます。
パーリ聖典の八正道のように、正見(四つの智慧)から始める場合は、正見(四つの智慧)の内容を他人から学ばざるを得ません。
他人から学ばず、自力で正見(四つの智慧)が生ずるように励みましょう。
.永野 武
319 :
神も仏も名無しさん:2013/01/15(火) 23:19:38.59 ID:cKlhx4vL
>>318 <凝縮 essence>
八正道とは、正命・正精進・正業・正語・正思・正念・正定・正見です。
正命(正しい生活)
邪しまな生活を捨て、正しい生活をする。
2.正精進
(1) 不善(貪瞋痴)が未だ生じ (arise し) ていないならば、不善(貪瞋痴)が生じ (arise し) ないように精進する。
(2) 不善(貪瞋痴)が既に生じ (ariseし) たならば、不善(貪瞋痴)が滅 (cease) するように精進する。
(3) 善(不貪不瞋不痴)が未だ生じ (arise し) ていないならば、善(不貪不瞋不痴)が生ず (arise す) るように精進する。
(4) 善(不貪不瞋不痴)が既に生じ (arise し) たならば、善(不貪不瞋不痴)が滅 (cease) しないように精進する。
3.正業(正しい行為)
(1) 殺生よりの禁制とは、不殺生:生物を殺さない。
(2) 不与取よりの禁制とは、不偸盗:与えられない物を取らない。盗まない。
(3) 邪淫よりの禁制とは、不邪淫: immoralな sexをしない。
4.正語
(1) 両舌よりの禁制とは、不両舌:二枚舌を使わない。
(2) 悪口よりの禁制とは、不悪口:悪口を言わない。
(3) 妄語よりの禁制とは、不妄語:うそを言わない。
(4) 綺語よりの禁制とは、不綺語:無駄話をしない。
5.正思(正しい考え)
(1) 不貪の思:貪が生じているときは考えない。貪が生じていないときに考える。
(2) 不瞋の思:瞋が生じているときは考えない。瞋が生じていないときに考える。
(3) 不痴の思:痴が生じているときは考えない。痴が生じていないときに考える。
(続)
320 :
神も仏も名無しさん:2013/01/15(火) 23:21:02.47 ID:cKlhx4vL
(続319)
6.正念 (sati)
(1) 身 (body) につきて身 (body)を観じて住し、正念正智、貪瞋痴を捨す。
(2) 受につきて受を観じて住し、正念正智、貪瞋痴を捨す。
(3) 心につきて心を観じて住し、正念正智、貪瞋痴を捨す。
(4) 法につきて法を観じて住し、正念正智、貪瞋痴を捨す。
7.正定 (samadhi)
(1) 第一定 有尋有伺、貪瞋痴の離より生ずる喜と楽を経験する
(2) 第二定 無尋無伺、定 (samadhi) より生ずる喜と楽を経験する。
(3) 第三定 喜を離れ、正念 (sati) 正智 (buddhi)、身を以て楽を経験する。upekkha 生ず。vipassana 生ず。
(4) 第四定 楽を離れ、正念 (sati) 正智 (buddhi)、不貪不瞋不痴(araga, adosa, amoha) を経験する。
8.正見(四つの智慧)
(1) 釈迦の教えは、貪瞋痴についての教えです。
(2) 貪瞋痴の生(arise) についての智慧、
(3) 貪瞋痴の滅(cease) についての智慧、
(4) 貪瞋痴を滅(cease) にする道についての智慧
が生ずる。
.永野 武
321 :
神も仏も名無しさん:2013/01/15(火) 23:34:34.53 ID:cKlhx4vL
#9 <無明>
南伝 相応部経典 38−9
かようにわたしは聞いた。
ある時、長老サーリプッタ(舎利弗)は、マガダ(摩掲陀)の国のナーラカ(那羅迦)という村に住していた。
その時、ジャンプカーダカ(閻浮車)なる遊行者が、長老サーリプッタを訪れてきて、たがいに会釈をかわし、親愛に
みちた慇懃なる談話をまじえて、やがてその傍らに坐した。
傍らに坐したジャンプカーダカは、長老サーリプッタにいった。
「友サーリプッタよ、無明、無明といわれるが、友よ、いったい、無明とはなんであろうか」
「友よ、およそ、苦についての無智、苦の生起についての無智、苦の滅尽についての無智、および、苦の滅尽にいたる
道についての無智、友よ、これを称して無明というのである」
「では、友よ、それらの無明を捨て去ってしまう道があるだろうか。そこにいたる方法があるであろうか」
「友よ、それらの無明を捨て去ってしまうには道がある。そこにいたる方法があるのである」
「では、友よ、それらの無明を捨て去ってしまう道とはなにか。そこにいたる方法とはなんであろうか」
「友よ、かの聖なる八支の道こそは、それらの無明を捨て去ってしまう道である。それは、すなわち、正見、正思、正語、
正業、正命、正精進、正念、正定である。友よ、これが、それらの無明を捨て去ってしまう道であり、そこにいたる方法
なのである」
「友よ、この無明を捨て去ってしまう道は、まことに善い。そこにいたる方法は、まことに素晴らしい。友サーリプッタよ、
それはまた勤めはげむに足る」
--------------------------------------------------------------------------------
*増谷文雄「阿含経典」(筑摩書房)第3巻 267頁より抜粋
永野 武の『ゴータマ・ブディズム』
322 :
深山 ◆Y0jS4ug6fQ :2013/01/15(火) 23:36:14.53 ID:kIGPc4JM
>>321さんへ
何を主張したくて、ここに書き込んでおられるのでしょうか。
>>1の主旨にあるように、ここはアゴン宗批判のスレであって、
仏教議論のスレではありません。
永野武さんの個人的な解釈を披露されているようですが、
ここは個人の修行体験を披露するスレでもありません。
経典をただ引用するのではなく、アゴン宗の批判、擁護と
どう関係しているのか、何をおっしゃりたいのか、先に説明をされたほうが
読者にはわかりやすいかと思います。
323 :
神も仏も名無しさん:2013/01/15(火) 23:37:58.68 ID:cKlhx4vL
>>321 <このお経の essence>
ある時、ジャンプカーダカなる遊行者が、長老サーリプッタに言った。
無明、無明といわれるが、無明とはなんであろうか。
苦についての無智、苦の生起についての無智、苦の滅尽についての無智、および、苦の滅尽にいたる道について
の無智、(四つの智慧が生じていないこと)を無明というのである。
では、それら無明を捨て去ってしまう道があるだろうか。そこにいたる方法があるであろうか。
それらの無明を捨て去ってしまう道がある。そこにいたる方法がある。
それらの無明を捨て去ってしまう道とはなにか。そこにいたる方法とはなんであろうか。
かの八支の道こそは、それらの無明を捨て去ってしまう道である。それは、すなわち、正見、正思、正語、正業、
正命、正精進、正念、正定である。これが、無明を捨て去ってしまう道であり、そこにいたる方法なのである。
<凝縮 essence1>
八支の道を八正道と書き替えます。
無明とはなんであろうか。
四つの智慧が生じていないことを無明という。
無明を捨て去ってしまう道、方法があるであろうか。
無明を捨て去ってしまうには道、方法がある。
無明を捨て去ってしまう道、方法はなんであろうか。
八正道は、無明を捨て去ってしまう道、それは、すなわち、正
見、正思、正語、正業、正命、正精進、正念、正定である。
(続)
324 :
神も仏も名無しさん:2013/01/15(火) 23:42:33.38 ID:cKlhx4vL
<凝縮 essence2>
無智と無明は異なります。
四つの智慧が生じていないことは無明ではありません。無智です。
無智は、未だ、正見(四つの智慧)が生じていないことです。
無明は、未だ、四つの真理を理解していないことです。
四つの真理を理解していないことを、無明といいます。
八正道は、無明を捨て去る道、すなわち、正見、正思、正語、
正業、正命、正精進、正念、正定である。
.永野 武
325 :
深山 ◆Y0jS4ug6fQ :2013/01/15(火) 23:47:23.06 ID:kIGPc4JM
>>324さん
こちらからの意見を完全無視して貼り付けを続けるつもりですか。
このままだと、あなたの書き込みは「新手の妨害」としかみなされません。
批判を妨害するために、阿含経や本から引用して貼り付けて、
スレを消耗させるという作戦に見えます。
そのように見なされたくなければ、どういう目的で何のために
これらを書き込んでいるのか、あなた自身の意見を書いてはどうでしょうか。
326 :
深山 ◆Y0jS4ug6fQ :2013/01/16(水) 00:19:37.89 ID:NDSkdhu3
>>324さん
結局、返事はなしですか。
あなたは永野さんご自身なのでしょうか。
自分の体得した八正道の理解を教えてあげようというお気持ちですか。
それでしたら、逆効果です。
スレの主旨すらも理解できない人が、八正道を説いても笑われるだけです。
スレの主旨を無視して自分の考えを宣伝するばかりで、質問されても
無視するような人は、八正道を解説する前に、世間の常識を学んだほうが良い。
そんな人の八正道の解説など聞くに値しない。
ここにいる批判側は、桐山ゲイカという、愛人がいて、食欲すら抑えられず、
名誉があるが上にも欲しがりながら、自分を有余依涅槃の聖者と称した男を見てきたのです。
今も支離滅裂の自分教をこれこそ正しい仏教だと滔々と並べる信者を
相手にして、ウンザリさせられている。
そこにさらに自分教を延々と書き込まれても、迷惑なだけです。
327 :
神も仏も名無しさん:2013/01/16(水) 01:08:59.72 ID:W16OIggN
>>326 >あなたは永野さんご自身なのでしょうか。
これは失礼しました。規制が掛かり途中で書き込み出来なくなりました。
返事が遅れまして申しわけございません。
書いているのは永野武さん本人ではありません。1913年の生まれですから、もし御存命なら100歳です。
ネットで偶然永野武さんのサイトを見つけ、『釈迦の教えーGotama Buddhism』を読んでみたところ
とても良い内容で、これは阿含宗の信者にも読んでもらって邪教から目を覚ましてもらおうと書き込んだ次第です。
ちょっと夢中になってしまい皆さんにご迷惑をお掛けしました。ここに謹んでお詫び申しあげます。
328 :
深山 ◆Y0jS4ug6fQ :2013/01/16(水) 01:30:59.10 ID:NDSkdhu3
>>327 :神も仏も名無しさん:2013/01/16(水) 01:08:59.72 ID:W16OIggN
そうでしたか。
こちらも誤解して、きつい口調で申し上げて失礼しました。
329 :
ユビキタス ◆AFU2rOqH7nac :2013/01/16(水) 07:50:34.84 ID:tgvGSd/n
>>327 >とても良い内容で、これは阿含宗の信者にも読んでもらって邪教から目を覚ましてもらおうと書き込んだ次第です。
その場合は今回のようにまとめて貼るのは賢明ではなく、寧ろ逆効果ですらあります。
貼るのならば、折に触れて随所随所出すことが求められます。
折に触れてとは、擁護側信者の書き込み内容に鑑みて、それに関連する話とか、
あるいは例えば星まつりも近づいたので、護摩祈祷に対する態度とか自分でテーマを決める。
どのネタにどれを選択して貼ってどう論じまとめるか。
これは結構知恵も必要な話で自分自身の勉強にもなります。
330 :
神も仏も名無しさん:2013/01/16(水) 07:52:03.93 ID:BBPfhn7y
331 :
神も仏も名無しさん:2013/01/16(水) 07:55:50.48 ID:lZqL0ZY/
ドイツのヒットラーって人も演説がうまくて
民衆がその気になっちゃったんだよね
今、阿含の子等よとか、集え、とか
その中身の無い言葉じりだけに酔いしれて
桐山さんのスローガンに踊らされてる人は
ヒットラーに踊らされてた人達と大差ないね
「ドイツ国民の幸せ、世界平和の名の元、集えアウシュビッツへ!」
正義の為にドイツ国民の為にとか言っちゃって
なんでもかんでも正当化して
あの大量大虐殺がおこなわれた
みなその気になっちゃって、聞く耳を持たず助言を聞かず自分を誤魔化し続けあの大量虐殺が正当化されていった。
全く同じ手法。
そこの踊らされてる人
阿含の子等よ?(はあ?)
集え?(何で〜?)
時は来た?(どうして〜?)
ヤバイんじゃない?そういうの。
そうやって桐山さんの集金活動を手伝わされてるだけってことに早く気づきましょうね
それで貴方の輪廻転生先は安泰ってことですか(笑)
332 :
ユビキタス ◆AFU2rOqH7nac :2013/01/16(水) 08:12:45.46 ID:tgvGSd/n
>>331 >ドイツのヒットラーって人も演説がうまくて
>民衆がその気になっちゃったんだよね
桐山さんでヒットラー的な効果のあった演説は日本武道館でのオーラの祭典で、
「祈りは人を浄めます。祈りは人を高めます。祈りによって仏を動かし、祈りによって
神を動かす。祈りによって世界平和を実現せねばならぬ」
拳をあげて力強く説くその雄叫びは感動的ですらあります。
しかしその内容は冷静に考えて「そうかなあ?」と当初ビデオを見ながら疑問に
思ったものです。
333 :
海老ちゅ ◆a.ryGxLpW2 :2013/01/16(水) 08:15:16.98 ID:Xs22nhaL
恵比寿大黒天曼荼羅と福太鼓が
セットで30万円でっか〜!
めっちゃ高杉やろ〜(爆)
桐山はんの持仏やて〜
持仏多過ぎ〜(笑)
あとな、
『準胝尊秘密光明七宝輪宝』、
『霊障魔除光明宝蓮華』
『準胝尊秘密光明曼荼羅』、
『水晶龍神御尊像』、
これ全部輪廻転生瞑想法の法具やて〜
早よ揃えんと教えてくれへんで〜(爆)
ナンボかかるか計算してみ〜
これで何も教えてくれへんかったら
詐欺でっせ〜ホンマに(爆笑)
334 :
ユビキタス ◆AFU2rOqH7nac :2013/01/16(水) 08:21:54.91 ID:tgvGSd/n
>>331 >ドイツのヒットラーって人も演説がうまくて
>民衆がその気になっちゃったんだよね
今星モビのサイトで星まつりヒステリーを読むことができます。
1970年の富士天母台での第一回柴燈護摩の趣旨が載っています。
世界平和を実現するにあたり、我々は信仰者であるから、デモやアジやゲバなどに
走らず、静かにしかし力強く一念、一心を送るのみである。しかしてその一念は
念力で生木に火をつけるものであるから、どんなデモやアジやゲバよりも力があり
角材をふるう必要がない。
皆さんはこの趣旨をどう思われますか?
335 :
神も仏も名無しさん:2013/01/16(水) 08:23:01.39 ID:i6Igbgf0
336 :
ユビキタス ◆AFU2rOqH7nac :2013/01/16(水) 08:31:39.78 ID:tgvGSd/n
>>331 >ドイツのヒットラーって人も演説がうまくて
>民衆がその気になっちゃったんだよね
当時は学生運動もまだ盛んな時代で、たしかに闘争的であり暴力的でありました。
しかしデモなどというものはミャンマーの僧侶なども軍事政権に対して
デモ行進を行うなど本来暴力によらぬ意見表明であります。
意見、主張があるのならば表明して話し合い論じなければなりません。
それは非常に大切なことです。
だから暴力がいけないからと言って、安易にこちらサイドで黙って祈ることに
何の価値があろうか?それって甚だ卑怯ですよね。
後で都合のよい結果が出た時のみ横取りする。
337 :
ユビキタス ◆AFU2rOqH7nac :2013/01/16(水) 08:39:11.89 ID:tgvGSd/n
>恵比寿大黒天曼荼羅と福太鼓が
>セットで30万円でっか〜!
>めっちゃ高杉やろ〜(爆)
金龍様ご写真が瓦供養10口分、つまり3万円相当でした(応供の仏が20口
6万年相当でしたっけ)から、10倍の値打ちで
浪華恵比寿大黒天>>>>>>>>>>金龍ですな。
そんなもん買うて並べたら金龍さんの祟りに遭いまっせ〜。
何しろ金鉱脈におった頃は、近寄る人がバタバタ倒れたそうですから。
338 :
神も仏も名無しさん:2013/01/16(水) 09:12:18.69 ID:cSAR+71d
>>燃えに燃え燃えて世界のすみずみにまで、
>>この祈りのパワーを、送り届けよう!
>熟しすぎて、しなびているように見えます。
>釈尊の説いた仏教には「祈り」なんてありませんよ。
>祈りで何かを変えるなんて、仏教にはありません。
あんたのは深山教であって、釈尊教ではないぞよ。
何度もレスしたが、釈尊は、アジャセ王に「聖人に懺悔するならば罪過は軽減され
る」と説いた。で、アジャセ王は「私が愚かでした。罪をお許しください」と、
釈尊に懺悔して、帰依し、ウパソクになったのです。
懺悔して罪の軽減を懇願するのは、祈り、そのものだろうが、アホにはそれが解らないw。
また、釈尊は六思念を説いている。念仏、念法、念僧、念天、・・という六つだね。
思念の集中は祈りに通じることを知りなさいね。
キリスト教では「祈り」は信者の三大義務の一つだね。
また、釈尊自身「我は聖なる求めのもとに出家した」と、説いている。
聖なる求めとは、言葉を変えたら、聖なる祈願のことだと知るがよい。
339 :
神も仏も名無しさん:2013/01/16(水) 09:56:41.98 ID:cSAR+71d
>釈尊の説いた仏教には「祈り」なんてありませんよ。
>祈りで何かを変えるなんて、仏教にはありません。
あんたのは深山教であって、釈尊教ではないぞよ。
何度も書いたが、深山ユビキタス教は、初期大乗仏教であるかも知れないが、
阿含仏教ではないね。だから阿含宗を落第した、とも言えるだろう。
阿含仏教の「悟り」を理解せねばいけないのに、頭に血が昇っているから、
全体的な理解ができないのだろう。
阿含仏教の悟りは、一つだけいえばいいというものではない。
「涅槃」「解脱」「滅」「正覚」を、辞典で引いて確かめて見なさい。
阿含仏教の悟りとは、
1、煩悩から解放された状態
2、業のはたらきが停止した状態
3、苦悩が消滅した状態
4、生死輪廻から解脱した状態
5、四諦・八正道・縁起などの理法を悟ったこと
と、まぁ、ざっと、以上の五つのことが辞典に記してあるね。
だから阿含仏教を論じるには、以上の五つについて、ある程度の理解が必須であるよ。
なのに、深山ユビキタス教では、1番の煩悩しか知らないw。
己が煩悩塗れであることを知らないようだね。
上記の2〜5について学ぶことが、煩悩を断つ第一歩、なんですけどね。
340 :
深山 ◆Y0jS4ug6fQ :2013/01/16(水) 12:23:38.84 ID:utrACtbt
>>338 :神も仏も名無しさん:2013/01/16(水) 09:12:18.69 ID:cSAR+71d
>懺悔して罪の軽減を懇願するのは、祈り、そのものだろうが、アホにはそれが解らないw。
準シュダオンさんは煩悩と苦を同じだと言ってみたり、
今度は懺悔と祈りが同じだという。
どうしてそんなに国語力が低いのだろう。
懺悔と祈りは、普通の日本語でも区別している。
あなたの脳味噌は、他人を罵倒すること以外は、グチャグチャに混ぜっているのですね。
懺悔は自分の罪を告白することです。
アゴン宗の祈りとは願望達成、欲望の成就です。
準シュダオンさんの脳がこんな程度の違いも区別が付かないのは、
正月のタダ酒の飲み過ぎですか・・・あ、元々そんな程度の脳なのだ。
脳細胞の代わりに慢心と無知が入っているのでしたね。
341 :
深山 ◆Y0jS4ug6fQ :2013/01/16(水) 12:28:42.92 ID:utrACtbt
>>338 :神も仏も名無しさん:2013/01/16(水) 09:12:18.69 ID:cSAR+71d
>また、釈尊は六思念を説いている。念仏、念法、念僧、念天、・・という六つだね。
>思念の集中は祈りに通じることを知りなさいね。
準シュダオンさんは桐山さんと同じで、応供を供養に応えるという意味だと思っていますね。
「念」も念じることだと思っているのでしょう?
アゴン宗では念力なんて言葉を使うから、何か力を込めて祈ることだ
準シュダオンさんは錯覚している。
そういうのを無知というのです。
念「これは記憶して忘れないことで,仏教において重要な実践徳目の
一つとされた.」(岩波仏教辞典)
三十七道品にも出てくる「念」とはこういう意味であって、
念力とか、祈るなんて意味はありません。
342 :
深山 ◆Y0jS4ug6fQ :2013/01/16(水) 12:33:45.42 ID:utrACtbt
>>339 :神も仏も名無しさん:2013/01/16(水) 09:56:41.98 ID:cSAR+71d
>阿含仏教の悟りは、一つだけいえばいいというものではない。
>「涅槃」「解脱」「滅」「正覚」を、辞典で引いて確かめて見なさい。
また同じ主張が始まった。
準シュダオンさんの脳って、針の飛んだレコードなんですね。
こちらの反論は完全無視して、同じ事を何度も何度も繰り返す。
>>203で反論したのが先週の金曜日で5日しかたっていないのに・・・
あ、そうか、準シュダオンさんの記憶力では自分が書いたことも
一週間と覚えていられなかったのだ。
ましてや他人の書いたことなど、三分で消失するんでしたね。
準シュダオンさんは間違いなく将来、「おれはまだ飯を食っていない」
と言い出して、周囲から嫌われます。
今でも嫌われているから同じか。
343 :
深山 ◆Y0jS4ug6fQ :2013/01/16(水) 12:38:53.13 ID:utrACtbt
>>339 :神も仏も名無しさん:2013/01/16(水) 09:56:41.98 ID:cSAR+71d
1、煩悩から解放された状態
2、業のはたらきが停止した状態
3、苦悩が消滅した状態
4、生死輪廻から解脱した状態
5、四諦・八正道・縁起などの理法を悟ったこと
あなたには上記の五つが別なことに見えるのでしょう?
これらは全部同じ意味です。
「山田さん、太郎さん、息子、父親、夫」と書かれると、
準シュダオンさんの頭では五人の人間に見えるのですね。
だが、これは山田太郎という一人の人物の切り口を変えた表現です。
同様に、上記の五つは、同じことを別な切り口から述べているにすぎない。
「涅槃」「解脱」「滅」「正覚」は全て同じ内容を別な表現をしているにすぎない。
中身は同じです。
私は準シュダオンさんの解釈を読んでいていつもおもしろいと
思うのは、別な表現をされると別な物であると解釈する点です。
「山田さん、太郎さん、息子、父親、夫とあるのだから、五人いるのだ。
お前には見えないのか、アホww」と言っているようなものです。
要するにあなたは文章が読めない。
その低い読解力でよく県庁の試験に合格したものだと不思議です。
コネを使って、お金で入ったのでしょう?
344 :
深山 ◆Y0jS4ug6fQ :2013/01/16(水) 12:44:06.10 ID:utrACtbt
>>339 :神も仏も名無しさん:2013/01/16(水) 09:56:41.98 ID:cSAR+71d
1、煩悩から解放された状態
2、業のはたらきが停止した状態
「業のはたらき」とは、信者さんたちの信じているような業とは
意味が違うことを先週
>>203以降で説明しました。
煩悩は行為(業)に出るから、業の働きを停止するとは、
煩悩の働きを停止するという意味で、1と同じです。
3、苦悩が消滅した状態
十二縁起では、煩悩が苦を生じており、苦をなくすには
煩悩を断てば良いと述べています。
「煩悩→苦」というのが仏教の基本的な考えです。
苦をなくすには煩悩を断てばよいのだから、
苦がなくなるとは煩悩を断った状態です。
つまり、3の苦悩が消滅した状態とは煩悩がなくなった状態で、1と同じです。
345 :
深山 ◆Y0jS4ug6fQ :2013/01/16(水) 12:49:22.14 ID:utrACtbt
>>339 :神も仏も名無しさん:2013/01/16(水) 09:56:41.98 ID:cSAR+71d
4、生死輪廻から解脱した状態
釈尊は煩悩があるから輪廻すると説いた。
信者さんたちが知っている経典で言うと、仙尼経の
「慢を断じないから、別な陰を生じて輪廻する」という一文です。
煩悩を断じないから輪廻転生するというのです。
この点を信者さんたちはしっかりと見てほしい。
桐山さんは「業の報いで輪廻する」としている。
だから、業の報いである悪因縁を断ち切ると解脱するとしている。
だが、仙尼経が典型であるように、そんなことは言っておらず、
「煩悩があるから輪廻する」と説いているのです。
そして煩悩を断ちきることで輪廻が止むという。
つまり、「生死輪廻から解脱した状態」とは煩悩を断ちきった状態を
意味し、1と同じ意味です。
346 :
深山 ◆Y0jS4ug6fQ :2013/01/16(水) 12:54:36.63 ID:utrACtbt
>>339 :神も仏も名無しさん:2013/01/16(水) 09:56:41.98 ID:cSAR+71d
5、四諦・八正道・縁起などの理法を悟ったこと
四諦は苦集滅道であり、岩波仏教辞典によれば次のようにあります。
「<集諦>とは,苦の生起する原因についての真理であり,その原因は,再生をもたらし,喜びと貪りをともない,ここかしこに歓喜を求める渇愛(かつあい)にあるとされる.
<滅諦>とは,苦の止滅についての真理であり,それは,渇愛が完全に捨て去られた状態をいう.」
ごらんのように、渇愛という煩悩こそが苦の原因であり、
渇愛を捨てることが苦の死滅であると説いている。
つまり、四諦とは、煩悩を断ちきることを説いているのだから、1と同じです。
次に八正道とは次のようなものです。
八正道「苦(く)の滅(めつ)に導く八つの正しい実践徳目」(岩波仏教辞典)
苦を滅っするための実践方法です。
すでに四諦にあるように、苦を滅するとは、煩悩を捨てることです。
他でもない四諦の「道」とは八正道のことです。
「<道諦>とは,苦の止滅に到る道筋についての真理であり,正見(しょうけん)・正思惟(しょうしゆい)などのいわゆる八正道(はっしょうどう)として示される.」
苦の元は煩悩であり、その煩悩を捨てるための実践徳目が八正道です。
つまり、八正道とは煩悩を捨てることであり、1と意味は同じです。
347 :
深山 ◆Y0jS4ug6fQ :2013/01/16(水) 12:59:48.23 ID:utrACtbt
>>339 :神も仏も名無しさん:2013/01/16(水) 09:56:41.98 ID:cSAR+71d
5、四諦・八正道・縁起などの理法を悟ったこと
縁起とは、たとえば十二縁起が典型です。
十二縁起では、無明という煩悩から始まり、老死という苦が生じる過程を
説明したものです。
つまり「無明→行→・・・→老死」とは「煩悩→苦」の実例です。
そして、十二縁起では、煩悩(無明)から苦(老死)が生じるのだから、
煩悩がなければ苦は生じない、と説明しています。
煩悩を断ちきれば苦は生じないのだから、煩悩を断ちきりなさいと
釈尊は説いています。
縁起を用いて煩悩を断ちきる必要性を説いたのですから、
煩悩を断ち切れという1と意味が同じです。
以上のように1〜5はすべて、煩悩を断ち切れ、という同じ意味です。
準シュダオンさん以外の信者さんたちはおわかりでしょう。
どこにもアゴン宗の言うような因縁解脱、業解脱などありません。
最初から最後まで、煩悩を断ち切れ、これだけです。
348 :
深山 ◆Y0jS4ug6fQ :2013/01/16(水) 13:05:21.63 ID:utrACtbt
>>339 :神も仏も名無しさん:2013/01/16(水) 09:56:41.98 ID:cSAR+71d
素直に経典を読み、素直に学者の解説を読むならば、煩悩を断ち切れ、
と説いていることは十歳の子供でもわかる。
ところが、準シュダオンさんはそれすら理解できない。
どうしてだと思いますか。
信者さんたちに着目してほしいのは、準シュダオンさんがこういう
解釈をしているのは、知性が低いからだけでない点です。
彼の目を曇らせているのは単なる無知ではなく、慢心です。
信者さんたちに準シュダオンさんを反面教師にしてほしいのです。
なぜなら、信者さんたちも程度の差こそあれ、
準シュダオンさんと似たような状態だからです。
準シュダオンさんのほどの屁理屈屋でも、因縁解脱の根拠を示せない。
当たり前で、桐山さんの作り話だから、阿含経にあるはずがない。
信者さんたちは、阿含経に存在しない因縁解脱を信じて、
阿含経に存在しない祈りを、阿含経で禁止された護摩にささげている。
こういう自分に疑問を持つべきです。
349 :
神も仏も名無しさん:2013/01/16(水) 14:20:06.19 ID:JgVTUiYd
;;;
350 :
神も仏も名無しさん:2013/01/16(水) 15:15:10.10 ID:JgVTUiYd
351 :
神も仏も名無しさん:2013/01/16(水) 15:30:12.76 ID:JgVTUiYd
352 :
神も仏も名無しさん:2013/01/16(水) 16:46:00.38 ID:JgVTUiYd
353 :
神も仏も名無しさん:2013/01/16(水) 18:27:19.01 ID:JgVTUiYd
354 :
神も仏も名無しさん:2013/01/16(水) 19:29:14.03 ID:cSAR+71d
>>懺悔して罪の軽減を懇願するのは、祈り、そのものだろうが、アホにはそれが解らないw。
>準シュダオンさんは煩悩と苦を同じだと言ってみたり、
今度は懺悔と祈りが同じだという。
どうしてそんなに国語力が低いのだろう。
懺悔と祈りは、普通の日本語でも区別している。
アホめがw。あんたも岩波仏教辞典をもっているようだから、「祈り」という
項を引いて勉強したまえw。
懺悔、感謝、救済、などは、祈りの内容だと解説しているぜよw。
煩悩や苦悩の意味もろくに知らん深山くんだから、仕方ないが、
いい加減、己のピエロ、に気づいたらどうかね?
355 :
神も仏も名無しさん:2013/01/16(水) 19:43:15.65 ID:EvwRU/F8
観音慈恵会設立は昭和30年前後だろう。
その当時の宗教一般用語として「因縁が云々」「因縁談」をよく用いたらしい
悪しき因縁といえば話がアッサリ通じた様子がある。
天理教の開祖でも因縁なんて言うわけだ。
阿含宗を仏敵として世間から消滅させたい心の因縁は
<流行る宗教を憎悪する因縁>なんて云うものかね
356 :
神も仏も名無しさん:2013/01/16(水) 19:49:08.88 ID:cSAR+71d
>阿含仏教の悟りとは、
1、煩悩から解放された状態
2、業のはたらきが停止した状態
3、苦悩が消滅した状態
4、生死輪廻から解脱した状態
5、四諦・八正道・縁起などの理法を悟ったこと
これだけじゃ、準シュダオンくんに叱られちゃうなぁw。
彼が強調したことを、6、として付け加えよう。
6、悟りは縁起を超越し、縁起を滅した世界とされた。
が、上記に付け加える内容だよ。
深山教では、煩悩から解放された状態、が悟りというバカの一つ覚えだw。
それじゃあ、阿含仏教の悟りにはならない。
交通事故で脳がイカレタ植物人間だって、煩悩から解放されてるぜ、てのよ。
それは悟りではない。が、深山くんは悟りだというw。
準シュダオンくんが言うように、深山とはカルト信仰で頭がイカレタ、代名詞なんだ。
オウム真理教17年目の真実、というNHk番組に、頭のイカレタ、元女性信者が
深山という仮名で登場した。番組編成会議では、何で深山という仮名なのか?
と、議題になったであろう。普通のドラマでは、まず出て来ない姓だ。
が、スレッドに書きまくる、深山なるHNのレスを見たら、NHKスタッフも納得する
だろうね。こいつはイカレテルとね。
はたから見たら、そういう状態に深山くんはあるのですよ。憤慨してもダメw。
懺悔は祈りの一部、だというのは仏教辞典に書いてあるのよ。
あんたのように、神仏に我欲をねだるのが祈りだと思ってる輩には、解らないの。
あんたはそういう祈りしかしたことがないのだよね、気の毒にw。
357 :
神も仏も名無しさん:2013/01/16(水) 20:19:00.00 ID:JgVTUiYd
358 :
神も仏も名無しさん:2013/01/16(水) 21:04:56.12 ID:exbvhraP
>>356 自称準シュダオンではないゾンビ脳のおじいちゃ〜〜ん。
>>233ですけど、えぇかげんに俺の質問に答えたらどないやねん。カス、ボケ、クズ、アホ。
359 :
神も仏も名無しさん:2013/01/16(水) 21:14:42.44 ID:SdmDZtU9
あぼん臭
360 :
神も仏も名無しさん:2013/01/16(水) 21:15:34.15 ID:bJEXGBPW
ゾンビ脳の準じいちゃん、着信拒否にできんかね?
>>356 準シュダオンくんの友達が準シュダオンくんですか。見ていて悲しいわ。
0床の祟り、悪インネン解脱なんていう教義で、何十年も
バカノヒトツオボエ教で世の人々を手玉に取ったオカルティーな
宗教香具師さんは、世の中はちょろいぜ!と悟ったんですね。
362 :
無関係な人間です ◆/r5j5C8KiI :2013/01/16(水) 22:48:50.21 ID:y/3rB6b5
>>356 すみませんが、内容が支離滅裂です。そして、品性という点では、たとえようもなく下品です。
恥ずかしくないのですか?
363 :
深山 ◆Y0jS4ug6fQ :2013/01/16(水) 23:29:05.07 ID:ZlxAChCs
>>354 :神も仏も名無しさん:2013/01/16(水) 19:29:14.03 ID:cSAR+71d
>アホめがw。あんたも岩波仏教辞典をもっているようだから、「祈り」という
>項を引いて勉強したまえw。
>懺悔、感謝、救済、などは、祈りの内容だと解説しているぜよw。
相変わらず、準シュダオンさんは書いていない文章が読める。
私が岩波仏教辞典も調べないで書いていると思っているのがおもしろい。
祈り いのり(岩波仏教辞典)
「本来的には,崇拝対象としての神や仏と信仰者との内面的な交わり・対話を意味し,懺悔(さんげ),感謝,救済,神仏との合一(神秘体験),願望の達成(祈願),呪術(じゅじゅつ)的行為(祈祷(きとう))などをその内容とする」
岩波仏教辞典の「祈り」のどこに、釈迦仏教の祈りが書いてあるのだ?
読めばわかるように、今日の仏教も含めた祈りを説明しているだけです。
私は「釈尊の説いた仏教に祈りなどない」「仏教には元々祈りなどない」
と書いているのです。
岩波仏教辞典には護摩の説明もある。
だが、釈迦仏教では護摩は禁止です。
岩波仏教辞典には祈りの説明もある。
だが、阿含経には祈りなんて出てこない。
どうして準シュダオンさんはこんな簡単な仕分けができないのでしょう。
信者さんたちも良く見てほしい。
準シュダオンさんは「祈り」の阿含経の根拠が示せないのです。
もちろんそんなものはありません。
釈尊は祈りなど説いていない。
釈迦仏教には祈りなどありません。
364 :
深山 ◆Y0jS4ug6fQ :2013/01/16(水) 23:34:19.31 ID:ZlxAChCs
>>356 :神も仏も名無しさん:2013/01/16(水) 19:49:08.88 ID:cSAR+71d
>深山教では、煩悩から解放された状態、が悟りというバカの一つ覚えだw。
>>339で準シュダオンさんは、アゴン宗の因縁解脱、業解脱が
仏教にあるとして、仏教辞典から五つの根拠を示した。
だが、私からそれらはすべて、煩悩を断ちきるという意味だ、と反論された。
まず信者さんたちに、これに対する356の準シュダオンさんの反応を見てほしい。
見苦しいですよね。
356で長々と、またお得意のNHKの話まで出しているが、
誤魔化そうと必死なのです。
具体的な反論は一つもなく、ただ「バカの一つ覚えだw」と恒例の罵りです。
どう見ても、準シュダオンさんの罵りこそが「バカの一つ覚えだw」ですよね。
準シュダオンさんは反論できずに、罵りしか返せなかった。
信者さんたちは他人事だと見ないで、屁理屈魔の準シュダオンさんでさえも、
何一つアゴン宗の因縁解脱について擁護できないことに着目してほしい。
これを見ても、阿含経には因縁解脱、業解脱なんてないのがわかります。
準シュダオンさんでなくても、桐山さんでも因縁解脱の根拠など出せません。
なぜなら、因縁解脱なんて阿含経どころか大乗仏教すら存在しないからです。
365 :
深山 ◆Y0jS4ug6fQ :2013/01/16(水) 23:39:18.51 ID:ZlxAChCs
>>356 :神も仏も名無しさん:2013/01/16(水) 19:49:08.88 ID:cSAR+71d
>6、悟りは縁起を超越し、縁起を滅した世界とされた。
また縁起滅のご病気が始まりましたね。
何度反論されても反論内容は完全無視して同じ主張を繰り返す。
読者の皆さんも「またアレか」とウンザリしているでしょうが、
以下に示すように、これは準シュダオンさんの定期的な「発作」です。
知的な障害や、心の病などの病んだ人には寛容に対応しましょう。
>201 :準シュダオン:2009/08/10(月) 10:05:15 ID:ybulEK.c0
>「縁起の滅」です。縁起=因縁ですから、「因縁の滅」でも同じです。
>539 :準シュダオン:2009/12/10(木) 13:28:36 ID:P9JinFks0
>辞典で解説してるように、学者先生はこのことを「さとりは縁起の滅した
世界」と表現してるわけです。
>389 :準シュダオン:2010/06/21(月) 16:09:53 ID:agsP6ENM0
>とおりな訳です。無上滅=縁起滅=因縁滅(因縁解脱)なのです。
>59 :準シュダオン:2011/01/30(日) 10:01:08 ID:1F7rdgXk0
>因縁解脱=因縁滅=縁起解脱=縁起滅、であることの理解が必要です。
>700 :準シュダオン:2011/12/10(土) 11:02:15
>ね!、さとりは「縁起の滅」と説明されています。
>356 :神も仏も名無しさん:2012/09/16(日) 16:28:31.21 ID:EnO/U0Ug
>縁起の滅と、縁起の法則の滅との違いを理解できていますか?
366 :
深山 ◆Y0jS4ug6fQ :2013/01/16(水) 23:44:30.84 ID:ZlxAChCs
岩波仏教辞典
「初期仏教・部派仏教
初期仏教時代の縁起説は,苦しみ悩む有情(うじょう)が主題となったため,
老死という苦しみの原因を無明(無知)に求める<十二支縁起>(十二因縁)説が
代表的なものであった.
続く部派仏教時代には,これを過去世・現在世・未来世の三世にわたる
業の因果関係とみる三世両重の<業感(ごうかん)縁起>説として解釈することが行われたが(説一切有部(せついっさいうぶ)),
一般諸科学の発達に促されて世界観も広がったため,
客観世界や客観的現象までも説明しうる<六因・四縁・五果>(説一切有部)や
<二十四縁>(南方上座部)というような縁起説も説かれるようになった.
しかしこの段階までの縁起説は,迷いの世界(有為(うい))のみを説明するものであり,
悟りの世界(無為)は縁起の中に含まれなかったから,
悟りは滅(めつ)や解脱(げだつ)と表現され,縁起を超越し縁起の滅した世界とされた.」
367 :
深山 ◆Y0jS4ug6fQ :2013/01/16(水) 23:50:03.08 ID:ZlxAChCs
「悟りは滅(めつ)や解脱(げだつ)と表現され,縁起を超越し縁起の滅した世界とされた.」
>>366は準シュダオンさんが根拠としている縁起滅の説明です。
問題点は二つに分かれます。
一つ目は国語の解釈です。
これは初期仏教と部派仏教の縁起の説明です。
問題は、最後の「縁起の滅した世界」という考えが、初期仏教を含めた説明なのか、
それとも、部派仏教に限定したものなのか、という解釈です。
つまり、「しかしこの段階まで・・・縁起の滅した世界とされた」を
部派仏教での説明と読むか、それとも初期仏教も含めた説明と読むかという違いです。
準シュダオンさんはもちろん、初期仏教も含めた解釈としている。
だが、文章は明瞭に初期仏教と部派仏教の説明を区別している。
「しかしこの段階まで」とは、「部派仏教の段階までは」という意味です。
部派仏教の段階では、縁起滅ととらえたという意味ですから、
内容は初期仏教とは違っている。
両者が同じなら、そもそも分けて説明する必要がありません。
これは、文章の国語の解釈の問題です。
そこで二つ目ですが、部派仏教の説明であると解釈しないと意味の上からもおかしい。
初期仏教、つまり釈尊が説いた仏教には、縁起滅などという思想は存在しないからです。
阿含経には縁起を滅するなんて言葉も概念もないばかりか、
縁起が滅したら仏教が成り立たないのです。
368 :
深山 ◆Y0jS4ug6fQ :2013/01/16(水) 23:55:13.63 ID:ZlxAChCs
「悟りは滅(めつ)や解脱(げだつ)と表現され,縁起を超越し縁起の滅した世界とされた.」
第一に、縁起が滅する、つまり縁起が成り立たないなら、
解脱できなくなり、仏教は崩壊する。
十二縁起とは、どうすれば解脱するかを説いた内容です。
無明という煩悩をなくせば老死という苦がなくなる、というのが十二縁起です。
「無明→苦」(=輪廻)
「無明をなくす→苦がなくなる」(=解脱)
こういう物事の成り立ちを縁起というのです。
釈尊は無明という煩悩を断ちきることで解脱すると説いた。
縁起が成り立たないなら、「無明をなくす→苦がなくなる」が成り立たなく
なるのですから、輪廻は止まず、解脱しないことになる。
縁起が成り立つことが、仏教の教法の基本なのです。
縁起が成り立つから仏教が成り立っている。
縁起が滅してしまったら、解脱そのものができなくなる。
仏教は崩壊します。
369 :
深山 ◆Y0jS4ug6fQ :2013/01/17(木) 00:00:24.31 ID:7Z2xDVdb
「悟りは滅(めつ)や解脱(げだつ)と表現され,縁起を超越し縁起の滅した世界とされた.」
第二に、現実の釈尊などの解脱者たちは縁起など滅していない。
縁起を滅したら、縁起が成り立たなくなるのだから、
「AだからB」などの原因と結果の因果関係が成り立たなくなるはずです。
だが、現実に、大目連は前世の悪業で異教徒に殺された。
「悪業→報い→殺される」とちゃんと縁起が成り立っている。
釈尊も「毒キノコを食べた→食あたりで亡くなった」と縁起が成り立っている。
なによりも、「煩悩を断ちきった→解脱」という縁起が成り立っているから、
彼らは解脱者だった。
解脱者である彼らにも縁起が成り立っているからこそ、解脱し、
また行為の報いもそのままに受けた。
どこをどう見ても、悟りや解脱が縁起の滅などではありません。
370 :
深山 ◆Y0jS4ug6fQ :2013/01/17(木) 00:05:46.39 ID:7Z2xDVdb
「悟りは滅(めつ)や解脱(げだつ)と表現され,縁起を超越し縁起の滅した世界とされた.」
この縁起滅の話には、実は阿含経に元があるのです。
それは縁起滅ではなく、縁起と縁滅、あるいは、縁生と縁滅です。
「これあればかれあり、これ生じるが故にかれ生ず、
これなければかれなし、これ滅するが故にかれ滅す。」
(『仏教要語の基礎知識』水野弘元158ページ)
これが縁起の基本的な方程式です。
これを内容に応じて、次のよう表現もします。
縁生・・これあればかれあり、これ生じるが故にかれ生ず、
縁滅・・これなければかれなし、これ滅するが故にかれ滅す。
縁滅とは、縁起が滅するという話ではなく、
煩悩が滅すれば、苦も滅するという意味の滅です。
これを部派仏教の人たちが拡大解釈というか、意味もわからず、
縁起を滅するなどと表現したのでしょう。
ただし、アビダルマの解説本を調べても、縁起を滅した
世界などという記述は探せません。
そして後世、オカルト教団の愚か者が、これを引用し、縁起を滅することが
因縁解脱だ、などと意味不明の発作を起こすようになったのです。
以上が、縁起滅の縁起です。
371 :
深山 ◆Y0jS4ug6fQ :2013/01/17(木) 00:13:04.39 ID:7Z2xDVdb
岩波仏教辞典
「初期仏教・部派仏教
初期仏教時代の縁起説は,苦しみ悩む有情(うじょう)が主題となったため,
老死という苦しみの原因を無明(無知)に求める<十二支縁起>(十二因縁)説が
代表的なものであった.」
準シュダオンさんは因縁解脱が阿含経にもあると主張したくて、
縁起滅の話を出した。
せっかくですから、信者さんたちはもっと初期仏教の
縁起の説明をしっかりと読んでほしい。
ごらんのように、どこにも因縁解脱などありません。
苦の原因は無明という煩悩であると述べている。
アゴン宗は「苦の原因は因縁(縁起)」であると述べている。
「苦の原因は縁起(因縁)である」となります。
信者さんたちは意味がわかりますか。
苦の原因が煩悩だというならわかる。
だが、苦の原因が縁起であるって、何ですか??
縁起って
>>370で示した内容で、原因と結果の流れを示すものです。
それが苦の原因とは、いったいどういう意味?
言葉としても、日本語としても、仏教用語としても
「苦の原因は縁起である」なんて意味不明です。
いかに信者さんたちが信じている因縁解脱なんて言葉からしても
おかしいか、気がつきませんか。
因縁解脱なんて、言葉も内容も、すべて桐山さんの作り話です。
372 :
深山 ◆Y0jS4ug6fQ :2013/01/17(木) 00:27:29.01 ID:7Z2xDVdb
>>355 :神も仏も名無しさん:2013/01/16(水) 19:43:15.65 ID:EvwRU/F8
>観音慈恵会設立は昭和30年前後だろう。
>その当時の宗教一般用語として「因縁が云々」「因縁談」をよく用いたらしい
>悪しき因縁といえば話がアッサリ通じた様子がある。
>天理教の開祖でも因縁なんて言うわけだ。
宝生さんにはこの経緯を説明したように記憶しているが、
私の思い違いか、あなたの記憶力のなさなのか。
アゴン宗のいう因縁、因縁切りはアゴン宗のオリジナルではありません。
一番の源は天理教や霊友会です。
特に霊友会こそが、この間違った因縁を広めた張本人です。
霊友会の教祖は無学で、因縁の説明を聞いても理解できなかった。
そこで、これを簡単に運命の星のような意味に捉えたのです。
「色情の因縁」などという言葉はこの教団の発明です。
また、これらの因縁は先祖供養の不足から起きるとした。
今日のアゴン宗の教義そのままです。
教祖はそのまま信者に教えたから、ちょうどアゴン宗の信者たちのように、
仏教の因縁とは運命の星なのだと誤解した。
アゴン宗と違い、霊友会は巨大教団になり、また分裂したから、
その膨大な信者が因縁切りの話をしたものだから、
社会全般で、因縁とは運命の星のような意味に使われるようになった。
だから、宝生さんの言うように、慈恵会を作った当時、
巷で因縁と言えば今のアゴン宗のような使い方をしていたのは当たり前です。
しかし、どんなに広まっても、間違いは間違いです。
まともに仏教を学んでいたら、そんな間違いはしません。
373 :
神も仏も名無しさん:2013/01/17(木) 00:30:09.50 ID:aVo4f2DT
374 :
深山 ◆Y0jS4ug6fQ :2013/01/17(木) 00:35:22.47 ID:7Z2xDVdb
>>355 :神も仏も名無しさん:2013/01/16(水) 19:43:15.65 ID:EvwRU/F8
>悪しき因縁といえば話がアッサリ通じた様子がある。
分裂した教団の一つが立正佼成会で、桐山さんはここから教義の
大半をパクッタ。
もちろん、因縁や因縁切りはそのまま物まね。
立正佼成会の教祖が手相や九星占いで因縁透視をしているのを見て、
桐山さんは四柱推命をあてはめて因縁透視と称した。
仏舎利をもらう、ローマ教皇と会う、アウシュビッツなどの慰霊、
いずれも立正佼成会が先です。
阿含経を取り入れることすら、立正佼成会の物まねです。
桐山さんはまともな仏教など学んでいない。
彼にとって宗教はエラクなって世にでることの道具にすぎない。
それは最初期に彼がどこと関わったかを見れば十分です。
巨大教団である立正佼成会とか、北野恵宝とか、いかがわしい連中と関わった。
本当に仏道を求める人なら、こんな所に行きません。
立正佼成会のような巨大教団を物まねして、北野恵宝のインチキ呪術を使い、
自分も百万人規模の教団を作り、一旗揚げようとしていたのです。
未だに因縁切りなどと言っているのを見れば、桐山さんが
正当な仏教など学ぶ気もなかったことは明瞭です。
「エラクなりたい」これが桐山さんの若い頃から今に到るまで
一貫した欲望であり、本音であり、目標です。
仏教も阿含経も釈尊も、そのための道具にすぎない。
桐山さんにあるのは欲望や執着だけで、求道心などありません。
375 :
神も仏も名無しさん:2013/01/17(木) 01:08:50.12 ID:aVo4f2DT
376 :
神も仏も名無しさん:2013/01/17(木) 07:50:48.04 ID:rO/r3eCc
377 :
神も仏も名無しさん:2013/01/17(木) 07:55:08.29 ID:CoAMu9Ct
これだけは言っとく
霊感グッズ(法施)目当ての金出し(修行)はお釈迦さまが認めません!
星まつりって金集めのイベント興行だろ?
阿含宗の運営側の要求通り金をただ払っていれば成仏間違いなしなんて
呑気に思っていたらアテが違うぞ
阿含宗の運営側はあんたら信者からどうしたら金を集められるか
頭の中身は新しい企画づくりでいっぱいなだけだ。
これだけは言っておく
阿含宗の運営側の言う通り金を出し続けても成仏は出来ない。
成仏は金では買えない
護摩木を運営側の言う通り数万本買っても決して成仏は出来ない。
378 :
神も仏も名無しさん:2013/01/17(木) 07:56:55.52 ID:8K6WkqJE
これだけは言っとく
霊感グッズ(法施)目当ての金出し(修行)はお釈迦さまが認めません!
星まつりって金集めのイベント興行だろ?
阿含宗の運営側の要求通り金をただ払っていれば成仏間違いなしなんて
呑気に思っていたらアテが違うぞ
阿含宗の運営側はあんたら信者からどうしたら金を集められるか
頭の中身は新しい企画づくりでいっぱいなだけだ。
これだけは言っておく
阿含宗の運営側の言う通り金を出し続けても成仏は出来ない。
成仏は金では買えない
護摩木を運営側の言う通り数万本買っても決して成仏は出来ない。
379 :
ユビキタス ◆AFU2rOqH7nac :2013/01/17(木) 08:10:41.04 ID:LPeqwmV4
>>338 >懺悔して罪の軽減を懇願するのは、祈り、そのものだろうが、アホにはそれが解らないw。
懺悔をしても罪の軽減なんて祈りません。
懺悔は自分の罪をありのままに認めて反省することです。
そしてもう二度とすまいと誓うことです。
だからこそ阿闍世王の古く悪い自己が破壊されたと説くのです。
しかしだからと言って無罪放免で刑は受けなくてもよいなんてことはありません。
自分が為した悪業に対してはいかなる報いをも甘んじて受ける覚悟もできています
だからこそこれが本当の反省・懺悔といえ、罪の報いの軽減など祈る奴は懺悔してない
証拠です。
380 :
ユビキタス ◆AFU2rOqH7nac :2013/01/17(木) 08:22:47.93 ID:LPeqwmV4
>>338 >懺悔して罪の軽減を懇願するのは、祈り、そのものだろうが、アホにはそれが解らないw。
罪の軽減と罪の報いの軽減を混同してはならぬ。
罪の軽減とは本人が罪を認めて反省し、もう二度とすまいするのだからこれは改善です。
できれば罪を犯す前に改善できていればよかったが、覆水盆に還らずで
やってしまったことは取り消せない。
しかしだからと言って反省しないでいたら、どうしようもないではないか?
地獄に堕ちようとその人の輪廻は終わりではない。
ならばまず改心、回心してこそ新たなるスタートです。それが試練の道でも。
それが罪の軽減です。それは祈るものでなく、今この瞬間反省懺悔すればよい。
381 :
ユビキタス ◆AFU2rOqH7nac :2013/01/17(木) 08:32:15.56 ID:LPeqwmV4
>>338 >懺悔して罪の軽減を懇願するのは、祈り、そのものだろうが、アホにはそれが解らないw。
懇願なんて情けないことしなくても懺悔をすればよい。
懺悔するのに仏の前だの人の前だの関係ない。
自分自身に面と向かって反省懺悔する。
特別な仏の前で懺悔されれば報いも軽減されるなんて話は桐山さんですら
説いていない自分勝手教です。
桐山さんは宗教は懺悔から始まると言った。
もちろん桐山さんはその実自分のことに懺悔などしておらず建前に過ぎないのはよくわかる。
しかし宗教は懺悔から始まるとは一般論的に賛成であり、釈尊の仏教とも共通します。
しかしそれは懺悔するだけで報いが軽減するなんて話ではない。
382 :
ユビキタス ◆AFU2rOqH7nac :2013/01/17(木) 08:40:32.25 ID:LPeqwmV4
>>338 >懺悔して罪の軽減を懇願するのは、祈り、そのものだろうが、アホにはそれが解らないw。
桐山さんが言う宗教は懺悔から始まるとは、古い悪い自己を否定することを認め
改善努力する覚悟ができているということです。
だからスタートなんです。報いも受けなくなったぞラッキー♪なんてゴールではない。
あなたには南無阿弥陀仏と感謝の念仏を唱えただけで極楽浄土間違いなしという
浄土真宗が相応しいと思う。
ただし桐山さんはそういう浄土真宗を最も軽蔑しているのです。
阿含宗が宗教だなんて誰が言うんだい? 文科省ですか。そうですか。どうも申し訳ありません。
384 :
神も仏も名無しさん:2013/01/17(木) 09:30:31.60 ID:UEGNBnBs
皆さんご存知の通り、今日は阪神・淡路大震災のあった日です。
死者:6,434名 行方不明者:3名 負傷者:43,792名、
被災された方々の平安を祈ります。
ところで、この前日、桐山 靖雄(堤 眞壽雄)は何をしていたでしょうか?
385 :
神も仏も名無しさん:2013/01/17(木) 09:35:14.89 ID:UEGNBnBs
阪神・淡路大震災の前日、桐山 靖雄(堤 眞壽雄)は、
阿含宗総本山(京都)にて冥徳祭をしていたのです。
その後、著書にて他教団と死者数の比較をして信者獲得を目論んだのです。
386 :
神も仏も名無しさん:2013/01/17(木) 09:39:47.63 ID:UEGNBnBs
震災後に死者の数を他教団と比較するなど血も涙もない行為でもってのほかです。
387 :
神も仏も名無しさん:2013/01/17(木) 11:50:58.40 ID:kCRR60wY
388 :
Rashin:2013/01/17(木) 11:55:16.79 ID:FzD6Vx8U
>>355:阿含宗を仏敵として世間から消滅させたい心の因縁は
<流行る宗教を憎悪する因縁>なんて云うものかね
持って回った表現ですが、そのような憎悪の心を因縁と解釈するのは、
仏語として間違いであり、そういう人間を「心クセ」が悪いという。
正しい仏語を以下に引用します。
因縁(岩波仏教辞典)
仏教では,因と縁,または因も縁も同じ意味(因即縁)ということで
一つに結びつけたもの.広くは原因一般をさす.すなわち,すべては
縁起している.つまり因縁によって生じている(因縁生)と説き,
因縁は仏教思想の核心を示す語である.
仏語の意味を理解して代弁するなら、「アゴン宗を仏教から排除したい
憎悪心は、アゴン宗の隆盛に「嫉妬」する心が原因である」となるが、
批判側の誰の言葉や指摘に、その憎悪心や嫉妬心があるのでしょうか。
むしろ現アゴン宗は、余りにも凋落し桐山さんのあの恥かきップリに、
憐憫とは言わぬまでも、嘲笑する気持ちくらいは沸いております。
しかしそれを認めたくない信者さんの擁護心とは、「批判側が憎悪し
嫉妬している」、何に?、「アゴン宗の隆盛躍進だ!」ということで、
今年の初笑い大賞を進呈します。
389 :
神も仏も名無しさん:2013/01/17(木) 12:06:28.84 ID:kCRR60wY
390 :
Rashin:2013/01/17(木) 12:11:23.18 ID:FzD6Vx8U
>準シュダオンくんが言うように、深山とはカルト信仰で頭がイカレタ、代名詞なんだ。
オウム真理教17年目の真実、というNHk番組に、頭のイカレタ、元女性信者が
深山という仮名で登場した。
根も葉もない連想ゲームのような非常にタチの悪い印象操作で、
こういう表現こそ、悪口という。
無理やりつなぎ合わせたところで、その稚拙さは「お前の母ちゃん○○○」の
ような失笑に耐えないナンクセです。
それが通るなら、「麻原」「松本」姓の人を無闇に中傷できることになり、
これが行歴を深めたアゴン宗信者さんでは、他の信者さんが余りに迷惑です。
といことで、今年の初笑い大賞に続く「中」賞は、
>>356さんを推薦します。
391 :
神も仏も名無しさん:2013/01/17(木) 12:31:36.72 ID:kCRR60wY
392 :
Rashin:2013/01/17(木) 14:01:07.78 ID:FzD6Vx8U
>6、悟りは縁起を超越し、縁起を滅した世界とされた。
が、上記に付け加える内容だよ。
縁:(岩波仏教辞典)
広義には,原因一般,あらゆる条件をいい,狭義には,結果を引き起こす
ための直接的・内的原因を(因)というのに対し,これを外から補助する
間接的原因(縁)という.
縁起:(岩波仏教辞典)
縁って生起すること.
此れを縁とすること,の意をもつ〈比縁性〉(縁性)も同義.
以上要点を見れば、どちらも原因結果という因果関係を表す意味です。
仏説はこれを以て、生存の苦悩はいかに生起し,また消滅するかを示していて、
学説は以下の通りに解説しています。
「縁生とは、縁りて生ずる、縁滅とは、縁りて滅す。」
(仏陀-その生涯と思想 増谷文雄68頁)
「それは、かの縁生にして縁滅なる理法に、人間の再生を実践として
当てはめたものであって、それによって釈尊は、この苦なる人生の
よって生ずるゆえんを知り、およびこの苦なる人生をよって克服すべき
ゆえんを知ったのである。」(69頁)
394 :
阿含宗桐山氏は本当は薄情なのか?:2013/01/17(木) 18:48:55.92 ID:GdchLaQ4
自宅療養中の弟子から阿含宗桐山靖雄管長へ質問状が届いたそうです
↓↓↓↓↓↓↓↓↓↓↓↓↓↓↓↓↓
『ダルマチャクラ』(1994年6月、60号、15頁〜)
私は昨年の十一月、体に変調をきたして入院しました。最初は、尿道と便道との間に
穴が開く奇病ということでした。ところが点滴をしているうちに便が出なくなり、放っ
ておくと腹膜炎を起こすということで、急遽、人工肛門の手術を受けました。昨年末に
退院し、現在は自宅療養中です。数日前に家内が泣きながら明かしたところでは、S字
型結腸ガンだということで、数年前に発病したもようです。ちょうど、天命殺の頃では
ないかと思います。私は、入行以後、家族全員を入行させ、家の守護仏も戴き、解脱供
養や冥徳供養など、ほとんどあらゆることをしてまいりました。また、メディテーショ
ン(瞑想)に人一倍励んだと思っています。メディテーションさえしていれば絶対にガ
ンになどならない、という信念を持っていました。したがって、一切の保険に入ってお
りません。これがまた家内を大いに怒らせているのですが、私自身、ガンといわれても
信じられません。
「こんなにあらゆることをしているのに、なぜ!」
と家内はいいます。また、
「阿合宗でよけいな死者の霊などにかかわるから、こんなことになってしまったんだ」
などともいいます。もともと家内は私の信仰に批判的で、ことあるごとに、
「阿合宗はお金がかかる」
といって、異義を申していました。しかし私は、
「管長の威力は絶対なのだ」
といって、今日までなんとか引っ張ってきたのですが、もう限界のようです。これ以
上、家内を説得できそうにありません。かといって、財布のひもを握っているのは家内
です。今後の私はどうすればよろしいのでしょうか。この病気は、いったいどのように
説明すればよいのでしょうか
395 :
阿含宗桐山氏は本当は薄情なのか?:2013/01/17(木) 18:51:25.34 ID:iCJfSUD5
ーーー★ーーーーー☆ーーーー★
それに対する桐山氏の回答は・・・
【元信者さんのコメントレス】
★二人まとめて山門から放り出した★
8: 2009/01/29(木) 00:58:21
桐山の人間性を思い知った件。
熱心に修行したにも拘らずガンになり自分が苦しみ、周囲にも迷惑をかけ、
立場を失い、桐山ゲイカに助けを求めた信者に対して
『ダルマチャクラ』(1994年6月、60号、15頁〜)
で弱り切った質問者を責め続けたのには正直コイツは鬼だと思ったね。
普通の人なら同情の気持ちを持つべき時なのに桐山ゲイカは
信者への同情など微塵もなく、自分の不快感も露わに、
八つ当たりのように、最初から最後まで質問者を責め続け
終いにはガンで苦しみ、妻からも批判されて、泣いている信者に
「阿含宗をやめろ」と指導したのです。
さらには、サプリメントを摂っていない、例祭に来ていないと二つも因縁をつけて、
奥さんには「夫の運気を剋する因縁」をオマケにつけてあげて、
二人まとめて山門から放り出した。
本当に情けない話で、これを聴いたとき心底腹が立つと同時に
コイツは絶対聖者ではなく正真正銘の詐欺師だと悟ったね。
〜〜〜〜〜☆〜〜〜〜〜★〜〜〜〜〜
阿含宗の桐山さんてこんなに冷たい人だったのでしょうか?
めんどくさい信者は辞めても構わん
正法宣布、阿含宗拡大の為には犠牲と切り捨ては止むを得ん
そんなことで俺を悩ませるな
とでも言うのでしょうか正直、幻滅しました
信者の皆さん、あなたが癌になったら阿含宗桐山氏に安心して泣いてすがれますか?
それとも歴代の大先達のように
歯を食いしばり無念と諦めでひっそりと死んでいきますか。
396 :
神も仏も名無しさん:2013/01/17(木) 19:26:52.27 ID:ELyBWGqg
397 :
ユビキタス ◆AFU2rOqH7nac :2013/01/17(木) 20:23:24.65 ID:LPeqwmV4
>>338 >また、釈尊は六思念を説いている。念仏、念法、念僧、念天、・・という六つだね。
>思念の集中は祈りに通じることを知りなさいね。
六念処は念仏、念法、念僧、念戒、念施(捨)、念天なんですが、どうして
念戒と念施を省いたのですか?ふふふ。
深山さんが書いているようにこの念とは念じただけでエイヤとやろうなんて話ではなく
常に心に留めて忘れないということです。すなわち仏法僧の三宝を尊ぶことを忘れない。
戒律を守り布施喜捨することを忘れず、その果報で天に生じることを忘れない。
念天とは天国よいとこ一度はおいでの世界を念じて逝っちゃうのではなく
生天を目指すことを忘れないから戒も施も忘れない。そして実行に移す。
どこが祈りなんだか?
398 :
神も仏も名無しさん:2013/01/17(木) 20:26:34.80 ID:ELyBWGqg
399 :
ユビキタス ◆AFU2rOqH7nac :2013/01/17(木) 22:20:53.39 ID:LPeqwmV4
>>338 >また、釈尊は六思念を説いている。念仏、念法、念僧、念天、・・という六つだね。
>思念の集中は祈りに通じることを知りなさいね。
念仏なんて聞いて、南無阿弥陀仏を唱えるともれなく極楽浄土に行けるよなんて
話を想像するからいかんのです。
六念処は原始経典にて説かれているから阿弥陀だの薬師だの大乗の空想の如来などいない。
仏とは悟りを開いた人、解脱を成し遂げた人で釈尊その人です。
で、釈尊は言葉で教えをこんこんと説くだけで何の力も貸してくれません。
ですから念仏、仏を念じるとは常に解脱を成し遂げた尊者を敬い、念頭に忘れず
単に恭しく敬礼するだけでなく自らも仏に近づくために模範として教えを実行することです。
400 :
ユビキタス ◆AFU2rOqH7nac :2013/01/17(木) 22:28:46.74 ID:LPeqwmV4
>>338 >また、釈尊は六思念を説いている。念仏、念法、念僧、念天、・・という六つだね。
>思念の集中は祈りに通じることを知りなさいね。
釈尊が祈りを否定したのは、神であろうが自分以外の存在に頼る心を依存心の煩悩と
斥けたからです。アゴン宗の祈りもそうではないか?ホトケという高い存在を念じて
接近したつもりになって、力であれ徳であれ御利益であれ何かを戴こうという魂胆です。
しかし釈尊はあくまでも自立の道を説いて、自分で努力してつかむ道しか説かなかった。
尊い人の尊い教えを自力で実行努力するためには常に意識の中に忘れないことが
肝要であり、これが念です。
どこにも祈りなどない。
とりわけおねだりする祈りなんか微塵にも無い。
401 :
ユビキタス ◆AFU2rOqH7nac :2013/01/17(木) 22:36:59.13 ID:LPeqwmV4
>>338 >また、釈尊は六思念を説いている。念仏、念法、念僧、念天、・・という六つだね。
>思念の集中は祈りに通じることを知りなさいね。
そう言うと信者さんの中には、いや、祈りというのは自分のおねだりではなく
他人の幸福を祈ることであり、他人を救うことであり、これは慈悲の実践なんだ
と言う人がいるでしょう。
しかし同じですよ。他人の幸福は誰でも願います。願ってよろしい。
しかし自分が願っても、それを実現するのは本人が努力などしてなんとかするしかない。
あるいは困っている人を助けたかったら、現実的な援助に尽力することですね。
お金を貸してあげる。労力を提供する。相談にのってあげて知恵をアドバイスするなど。
ほら?どこにも祈りなど無い。
402 :
神も仏も名無しさん:2013/01/17(木) 23:05:10.85 ID:+4EobTCY
403 :
神も仏も名無しさん:2013/01/17(木) 23:30:14.98 ID:pmDfkcPg
天罰、業報
違いは?
404 :
神も仏も名無しさん:2013/01/17(木) 23:47:44.02 ID:+4EobTCY
405 :
神も仏も名無しさん:2013/01/18(金) 02:13:44.55 ID:F4pSzSDR
立○○○会には斉○さん SGI会には狭○さんという有り難い指導者が居た
オットこれ以上は書けんよ 顔が引き攣る御仁が続出だよな。
日本の仏教諸宗は、実態が密教の思考法のアレンジであるのだな。
薄い濃いの違いはあってもだよ。
此処で批判をしな下がるる人たちは、既に後陣を拝しているのに
未だ気が付いていない。
他日 桐山猊下の屁でも嗅ぎなされと言われるよ。
是れの意味がわかる人は玄人である。
何だお前の文章は意味不明だろうって云う 君が素人ならそんなものさ。
406 :
神も仏も名無しさん:2013/01/18(金) 02:27:28.63 ID:TsIOwtWL
・・・・
だいぶ昔のことをふと思い出してしまった。
もう何十年も昔のことだが、法友の中の一人が会社を辞めてある本部の職員になった。
今まで仲良くしていた一人で修行の帰りには車で駅まで一時間以上もかかって送ってあげたこともあった。
ところが職員になって3カ月くらいしたらとてもよそよそしくなってしまった。
私達を見る目も何故か今までと違いちょっと高圧的に見えた。我々の態度や行動が気になるようで、いちいち
チェックを入れ、いろいろ指示する様になった。
彼のそんな行動に皆が戸惑ってしまい気まずくなって近寄らなくなってしまった。
そうこうしている内に女性職員と問題を起こし彼は別の遠いところへ飛ばされてしまった。
あれから一度も彼に会ったことはない。あれは一体何だったんだろう・・・?
今でも時々思い出してしまうのです。
407 :
神も仏も名無しさん:2013/01/18(金) 07:51:20.82 ID:k827OW2Z
408 :
ユビキタス ◆AFU2rOqH7nac :2013/01/18(金) 07:52:33.90 ID:+Am4SbWg
>>405 >是れの意味がわかる人は玄人である。
>何だお前の文章は意味不明だろうって云う 君が素人ならそんなものさ。
素人だの玄人の問題ではなく、意味不明はあなたの文章が日本語になっていないのです。
例えば後陣を拝するは、後塵を拝するの誤字だろうことはまだよいが、
しな下がるるなんて日本語はない。
ない日本語を使われても無効であり、社会に通用しません。
あなたは勿体をつけているつもりなんだろうが、実はそうでなく、この辺があなたの
本当の国語力の限界だと思う。
そして文章表現力の著しい欠損はそのまま文章読解力の著しい欠損も包含されている
と思われ、それがあなたは桐山さんが何を説きたいのかすら理解できない。
409 :
糖尿病→脳梗塞→痴呆症→要介護→桐山老人に法力なんか無いやん!:2013/01/18(金) 08:01:24.48 ID:oupsfRoa
ただの爺さんやん(爆)!
410 :
ユビキタス ◆AFU2rOqH7nac :2013/01/18(金) 08:04:27.77 ID:+Am4SbWg
>>405 > 日本の仏教諸宗は、実態が密教の思考法のアレンジであるのだな。
>薄い濃いの違いはあってもだよ。
> 此処で批判をしな下がるる人たちは、既に後陣を拝しているのに
>未だ気が付いていない。
日本の仏教諸宗が釈尊が排斥した呪術的になっていることぐらいわかります。
これは真言天台の密教でなくても、お経を和訳しないで漢文のまま声に出して読み
聴く檀家信徒なども意味もわからんと、それだけでその音が呪術的な効力を発揮
しているかのように夢想させているわけですから。
しかし釈尊の仏教にはそんなわけのわからん密蔵の神秘などなく、あくまでも
言葉で表現し、頭で理解して生活に実践する顕教そのものです。
排斥したはずの祈りを復活させた密教呪術化は仏教の堕落です。
411 :
ユビキタス ◆AFU2rOqH7nac :2013/01/18(金) 08:14:35.86 ID:+Am4SbWg
>>405 > 日本の仏教諸宗は、実態が密教の思考法のアレンジであるのだな。
>薄い濃いの違いはあってもだよ。
> 此処で批判をしな下がるる人たちは、既に後陣を拝しているのに
>未だ気が付いていない。
桐山さんは日本の仏教諸宗など悉く批判否定しています。
われアゴン宗だけが正しく尊いとしています。
日本仏教諸宗に共通する密教呪術的風土こそがわが力の源泉などとは申しません。
あなたの密教的呪術好きはわかるが、桐山さんは本来自分も好きだった日本密教
をも否定してまでアゴン経を前に出したのです。
そういう桐山さんの意図も気持ちも建前すらも汲み取れないのが、あなたの
国語力の限界であり、準シュダオンさん同様、本来批判側に対峙する擁護側信者の
代表にすらなれないのです。
阿含経も読まないし。
412 :
神も仏も名無しさん:2013/01/18(金) 08:44:57.90 ID:u3Wh2qkt
全国霊感商法対策弁護士連絡会
〒163-8691 東京都新宿区新宿郵便局私書箱231号
tel 03−3358−6179 fax 03−3353−4679
時間がありません。早く行動に移しましょう。
413 :
ユビキタス ◆AFU2rOqH7nac :2013/01/18(金) 08:48:24.60 ID:+Am4SbWg
>>383 >阿含宗が宗教だなんて誰が言うんだい? 文科省ですか。そうですか。どうも申し訳ありません。
いや、アゴン宗の場合、宗教法人の認可は東京都など都道府県であり、
文部科学大臣ではなかったと思います。
関東別院とか地方自治体から認可を受ける。
ところがアゴン宗全体としての全国組織としては法人認可されていない宗教団体です。
大教団ですと全国組織も文部科学省の認可を受けるわけですが、アゴン宗は
そこには至っていません。
414 :
神も仏も名無しさん:2013/01/18(金) 10:22:21.20 ID:T7HNEWZh
>熟しすぎて、しなびているように見えます。
>釈尊の説いた仏教には「祈り」なんてありませんよ。
>祈りで何かを変えるなんて、仏教にはありません。
いくらアホでもこれ↑はレベル低すぎw。
ユビキタスくんも「祈り」を辞典で勉強しなさいな、深山教から目覚めるかもw。
辞典には、懺悔、感謝、救済、とか出てますよ。偶像に御利益祈願しかしたこと
のない深山教では、懺悔、感謝、が祈りだとは、あぇー、夢にも思うめぇw。
あと辞典には「一般的には、逆境や危機に直面したときに現われ出る人間の本能
とでもいうべき願心をさす」と、祈りを説明していますね。
解ったかい!祈りとは、人間の本能とでもいうべき願心をいうのじゃよ、願心を。
釈尊は、聖なる求めで出家したのじゃよ。聖なる願心(祈り)から出家したのじゃ。
以来、釈尊は80歳で亡くなるまで、求道の修行を続けたのじゃ、辞典で「修行」を
引いて勉強してみなさい。そう書いてあるから。
求道とは、祈りの道なのじゃよ。釈尊は、釈尊も働け、と言った農夫に、答えて
いるじゃろ、「我にとって、信仰が蒔く種である、智慧が鋤である」とかね。
釈尊にとっても、信仰が芯なのであるよ、そして信仰には祈りがつきものさ。
仏教には祈りがない、などとはとんだ戯言なのさ、愚か者の言うことだね。
そういう輩は、経典に何が書いてあるか、読み取れないのだ。
ほんと、深山に住む猿程度の頭しかないのだねw。
415 :
Rashin:2013/01/18(金) 11:29:01.39 ID:akYKsNTv
>あと辞典には「一般的には、逆境や危機に直面したときに現われ出る人間の本能
とでもいうべき願心をさす」と、祈りを説明していますね。
論点は、阿含経に「願望を祈れ」と有るか無いかです。
仏教辞典は、初期仏教から大乗まで網羅されている。
その辞典の中でも、阿含経に基づく解説を取り上げ、
桐山さんの齟齬を指摘することを心がけている。
仏教辞典の「祈り」の解説が阿含経から抽出されたものではない。
416 :
Rashin:2013/01/18(金) 11:49:34.61 ID:akYKsNTv
マッジマ・ニカーヤ131
「人は過去を追ってはならぬ。未来を願ってはならぬ。
およそ過ぎ去ったものはすでに捨てられており、
また未来はまだやって来ていない。」
417 :
深山 ◆Y0jS4ug6fQ :2013/01/18(金) 12:20:09.22 ID:6+Pr8AvR
>>354 :神も仏も名無しさん:2013/01/16(水) 19:29:14.03 ID:cSAR+71d
>アホめがw。あんたも岩波仏教辞典をもっているようだから、「祈り」という
>>414 :神も仏も名無しさん:2013/01/18(金) 10:22:21.20 ID:T7HNEWZh
>いくらアホでもこれ↑はレベル低すぎw。
準シュダオンさんの祈りはアホという罵りらしい。
祈りなどときれい事を主張する連中に限って、こうやってアホを連発して、
「このバカつまみ出せ」などと暴力を働く。
信者さんたちは準シュダオンさんの主張の根拠を見てください。
何にもない。
「辞典で勉強しなさい」これだけです。
根拠を示せないから、こんな程度と、後は罵りを書くだけ。
その辞典を私が
>>363に引用しました。
どこに釈尊が祈りを説いたとあるのですか。
書いてもいないことを勝手に準シュダオンさんがそのように読んでいるだけです。
岩波仏教辞典は釈迦仏教についてだけ述べた辞典ではないから、
その中には当然、後の仏教も含まれる。
だから、護摩の記述もあるが、もちろん、釈尊は護摩を禁止した。
釈尊が禁止した行為も、後の仏教が取り入れていれば岩波仏教辞典では説明してある。
祈りも同じです。
だが、釈尊は祈りなど説いていません。
418 :
深山 ◆Y0jS4ug6fQ :2013/01/18(金) 12:25:14.17 ID:6+Pr8AvR
>>414 :神も仏も名無しさん:2013/01/18(金) 10:22:21.20 ID:T7HNEWZh
>解ったかい!祈りとは、人間の本能とでもいうべき願心をいうのじゃよ、願心を。
準シュダオンさんも良いことを言いますねえ。
そのとおりだから、釈尊は祈りをしないのです。
あなたの言うように、祈りなど人間の本能にすぎない。
本能とは、欲望、執着、怒り、無明などです。
これらの本能を押さえて捨てることを釈尊は説いた。
だから、あなたの指摘のように、祈りは本能だから、
釈尊の教法では捨てるべき物の一つです。
本能に基づく祈りを実践したのが桐山さんです。
桐山さんは本能とでもいうべき願心から、「今夜にでも」と女に手を出し、
「食いしん坊だから大食いする」などと食欲も抑えられず、
金で買った北京大学名誉教授を「奇蹟といっていい」などど、
留まることのない名誉欲を満たそうとした。
釈尊はこういう本能を押さえるように説いたのです。
ですから、本能そのものである祈りは釈迦仏教では禁止です。
419 :
深山 ◆Y0jS4ug6fQ :2013/01/18(金) 12:30:24.96 ID:6+Pr8AvR
>>414 :神も仏も名無しさん:2013/01/18(金) 10:22:21.20 ID:T7HNEWZh
>以来、釈尊は80歳で亡くなるまで、求道の修行を続けたのじゃ、辞典で「修行」を
修行(岩波仏教辞典)
「仏教における修行とは,真実の自己を実現するために,みずからの行いを正し修めることである」
「初期仏教以来,修行の目的は苦滅の境地に達することで,そのために戒(かい)定(じょう)慧(え)の三学が順次に修せられてきた」
「ゴータマ‐ブッダ(釈尊)の出家目的が聖求(しょうぐ)(ariyapariyesan,聖なるものの探求)であり,菩提樹下で悟りを開き覚者(かくしゃ)となって80歳で入滅するまで,ひたすら聖求の道を歩み続けたと,ブッダみずからが語っている.」
修行の説明を引用しました。
このどこに祈りがあるのだ?
神仏に祈るどころか「みずからの行いを正し」とある。
戒定慧とは、神仏に祈ることではなく、自らが行うことです。
釈尊の聖なるものの探求の「聖」とは、具体的に実践した人が聖者であり、
聖者とは、凡夫と正反対の存在、つまり預流向から阿羅漢に至るまでの
仏道を歩む者たちを指します。
彼らの共通点は、ただ一つ、煩悩からの解放です。
つまり、釈尊の修行とは解脱を目指すことであり、それは煩悩からの
解放の道を歩むことに他ならない。
どこにも祈りなんてありません。
420 :
深山 ◆Y0jS4ug6fQ :2013/01/18(金) 12:36:28.81 ID:6+Pr8AvR
>>414 :神も仏も名無しさん:2013/01/18(金) 10:22:21.20 ID:T7HNEWZh
>いるじゃろ、「我にとって、信仰が蒔く種である、智慧が鋤である」とかね。
>釈尊にとっても、信仰が芯なのであるよ、そして信仰には祈りがつきものさ。
信者さんたちに準シュダオンさんのシドロモドロぶりを良く見てほしい。
因縁解脱(業解脱)も祈りの話も、彼はいっさい阿含経の根拠を示せない。
岩波仏教辞典などの記述の勝手な解釈をして、
さも釈尊が因縁解脱や祈りを説いたかのように見せかけているだけです。
あとは私をアホだのサルだのと罵ることで、いかにも自分の
主張が正しいかのように見せかけるという一番低劣な手段しかない。
そもそも、釈尊が誰に何を祈るのだ?
解脱者である比丘たちが誰に何を祈るのだ?
釈尊が神仏に祈っていたなんて信者さんたちは本気で信じているのですか。
無知と思い込みもそこまで来るとすさまじい。
信者さんたちは祈りが美しいと錯覚しているから、気にもしないだろうが、
他者に何かを祈るとは、欲望であり、依存にすぎない。
いずれも釈尊は捨てるように説いたことです。
こういう釈尊が在家に対してさえも、祈りを説くはずがなかろう。
祈りを説いたら、釈尊の説いている教法と矛盾するのです。
そんなこともわかりませんか。
421 :
深山 ◆Y0jS4ug6fQ :2013/01/18(金) 12:42:42.19 ID:6+Pr8AvR
「人は過去を追ってはならぬ。未来を願ってはならぬ。」(
>>416)
ラシンさんが阿含経の根拠を示してくれました。
信者さんたちは良くみてください。
釈尊は祈りや祈願を否定しており、禁止している。
祈り いのり(岩波仏教辞典)
「本来的には,崇拝対象としての神や仏と信仰者との内面的な交わり・対話を意味し,懺悔(さんげ),感謝,救済,神仏との合一(神秘体験),願望の達成(祈願),呪術(じゅじゅつ)的行為(祈祷(きとう))などをその内容とする」
岩波仏教辞典の祈りの説明の中に「呪術的行為(祈祷)」も含まれています。
釈迦仏教には呪術も祈祷もないばかりか、禁止です。
護摩は呪術行為であり、信者さんたちはその護摩に祈っている。
「内面的な交わり・対話」とか、「神仏との合一」なんて阿含経のどこにあるのだ?
信者さんたちはこういうのが仏教だと思いこんでいるが、
阿含経にはこんなことは存在しない。
桐山さんがこれまで講義した阿含経のどこに、祈り、神仏との内面的対話、
神仏との合意、願望の達成、呪術的行為、祈祷があるのだ?
全部、護摩と同じで後世の仏教徒たちが勝手に付け加えた内容です。
星まつりが何重にも釈尊の教法に違反しているのがわかります。
オシャカの骨とやらに、釈尊が禁止した護摩、祈りをささげる。
釈尊が説いてもいない因縁解脱を祈り、釈尊ができないと言っている死者成仏を祈る。
こういう行為に、準シュダオンさんや宝生さん以外の信者さんたちは、
何か矛盾を感じませんか。
422 :
深山 ◆Y0jS4ug6fQ :2013/01/18(金) 12:50:48.43 ID:6+Pr8AvR
>>405 :神も仏も名無しさん:2013/01/18(金) 02:13:44.55 ID:F4pSzSDR
>何だお前の文章は意味不明だろうって云う 君が素人ならそんなものさ。
宝生さんの文章が意味不明なのは二つ理由がある。
一つはあなた表現力があまりに稚拙だということ。
しかし、これは必ずしも決定的な理由ではありません。
文章が下手でも、誠意をもって書けば、やがては意味が通じる。
二つ目の理由こそが本当の理由で、それは、
「矮小な自分を何とか大きく見せようとハッタリをきかせている」からです。
文章の言外に、自分が何かとてつもない情報を知っているかのように、
未来を透視して高度な観点から述べているかのように、
霊的な存在と交流できるかのように見せかけるために、
空虚な言葉を並べているだけのハッタリ男です。
あなたは出てきた当初から、まるでアゴン宗内部や桐山さんについて
詳しく知っているかのようなハッタリを効かせ、私など見事にそれにひっかかった。
だが、予言は当たらず、言葉に責任を持たず、書き込むにつれて、
あなたは自己顕示欲から煩悩という毒ガスで風船のように
膨らんでいるだけの人間だとわかった。
アゴン宗ではそれほど珍しくもありません。
423 :
深山 ◆Y0jS4ug6fQ :2013/01/18(金) 12:54:56.08 ID:6+Pr8AvR
>>405 :神も仏も名無しさん:2013/01/18(金) 02:13:44.55 ID:F4pSzSDR
>何だお前の文章は意味不明だろうって云う 君が素人ならそんなものさ。
矮小な自分を大きく見せて人を騙そうとする点では、
宝生さんはまさに桐山ゲイカのお弟子さんです。
桐山さんも、自分を超能力者、メシア、有余依涅槃の聖者などと
実力を伴わない肩書きを勝手に付けて、自分を大きく見せた。
仏陀の智慧どころか、桐山さんには人並みの知性すらないから、
解脱の意味を未だに知らない。
事物の明快な認識力どころか、目の前の現状把握すらできない。
念力護摩なんてもちろん嘘で、手品にすぎない。
オシャカの成仏ホーという嘘も、釈尊や阿含経という虎の威を借りただけです。
全部、ハッタリ、嘘です。
こういう桐山さんに宝生さんは深く共鳴するのでしょう?
たしかにお二人はハッタリという点で似た者どうしです。
しかし、一つ違うのは、桐山さんは天才的な詐欺師だから、多くの人を騙せたが、
あなたは詐欺師の才能すらないから、簡単にハッタリがばれてしまう。
だから、収穫は未だに虎屋の羊羹一つです。
でも、喜びなさい。
詐欺師の才能がないから、桐山さんのような悪業を積むこともなく、
ここでピエロとしてあざ笑われるだけで済んでいるのです。
424 :
ユビキタス ◆AFU2rOqH7nac :2013/01/18(金) 12:58:49.59 ID:+Am4SbWg
>>414 >辞典には、懺悔、感謝、救済、とか出てますよ。偶像に御利益祈願しかしたこと
>のない深山教では、懺悔、感謝、が祈りだとは、あぇー、夢にも思うめぇw。
仏教辞典というのは古今東西広まり変遷した仏教全般を守備範囲としますから
釈迦仏教以降の仏教の祈りも解説しますしね。
懺悔の祈り、感謝の祈りと、懺悔も感謝も広義の祈りに含まれると言うのであれば
懺悔や感謝までは否定しません。
否定するのは懺悔することによって罪の報いをご破算にしてもらおう、それは
特別な如来だから可能なのだ、その偉大なる力にすがりましょうなんて依存です。
願いを叶えてもらう祈りなんて否定しています。
懺悔は懺悔だけで価値があるのです。
アゴン宗の祈りとは自他の願いを偉大なる力で叶えてもらおうという欲望充足と
依存の煩悩です。
425 :
【ブッダのことば】:2013/01/18(金) 18:20:38.02 ID:ZpPZHhJi
そしてブッダは言われた。
「『師の教えもこれまでだ、もう師はいない!』
とお前たちは思うかも知れない。
だがそれは間違っている。私の亡き後は、
これまで私が教え、説いたことが
お前たちの師となるのだ」
ティーガ・ニカーヤ
※ブッダの教え(阿含経)を
商業目的のために
ねじ曲げて私欲に利用する桐山靖雄は
「師」ではない。
426 :
忍法帖【Lv=40,xxxPT】(1+0:3) :2013/01/18(金) 19:23:49.63 ID:E/IcvrSF
てす
427 :
神も仏も名無しさん:2013/01/18(金) 21:16:44.33 ID:T7HNEWZh
>これだけは言っておく
>阿含宗の運営側の言う通り金を出し続けても成仏は出来ない。
>成仏は金では買えない
>護摩木を運営側の言う通り数万本買っても決して成仏は出来ない。
それには異議がないよw。
管長だとて、護摩木だけで成仏できるとは、いっていないよw。
成仏は金では買えない、そのとおりだよ。管長が何時、金で買えると言ったかねw?
428 :
神も仏も名無しさん:2013/01/18(金) 21:43:36.94 ID:T7HNEWZh
>否定するのは懺悔することによって罪の報いをご破算にしてもらおう、それは
>特別な如来だから可能なのだ、その偉大なる力にすがりましょうなんて依存です。
>願いを叶えてもらう祈りなんて否定しています。
それはね、常識では、阿含仏教に説く釈尊の言葉が理解不能なわけですよ。
業の滅、苦悩(業報)の滅、生死の滅、解脱知見、とかいう解脱の条件が、
凡人には理解不能なわけです。だから、深山くんなどの猿は、己に理解が
可能な、煩悩滅だけを悟りだと考えてしまうw。
だが、現代では欲望を抱く脳の場所まで解っている。
だからといって、欲貪を抱く悩の部分を、手術で削除すれば、欲望解脱と
言えるのかね?それは解脱ではない。深山くんには、それが解らない。
智慧が煩悩を排除するのだ、と、そういう理が、深山くんには解らない。
知識をいくら集めても、智慧にはならない。
智慧とは、力なのである。
智慧は、修行でのみ、身につく。
智慧が身につくと、知識のみ振り回す深山くんの哀れさが、観える。
429 :
神も仏も名無しさん:2013/01/18(金) 22:11:53.55 ID:exY3y4pE
>>428 自称準シュダオンではないゾンビ脳のクズじいさん。
>>233ですけど、えぇかげんに答えたらどうやねん。
430 :
深山 ◆Y0jS4ug6fQ :2013/01/18(金) 23:31:17.85 ID:cGsyfj9U
1991年3月3日、関東別院定例会
「いったい、管長とともに何をやるのかといったら、
はっきりいうなら、わたくしのやっていることをそのまま諸君もやればいいわけです。
私は何をやっているか。
人を集め、金を集めているんですよ、私の今やっていることは。
法を説き、法を施すと同時に、人を集め、金を集め、この二つをやっているわけですよ。
人を集めとは布教して信徒をどんどん増やしていく。
同時に浄財を集めて、総本殿その他を立派に建立していくってことでしょう。
要するに、金を集めるか、人を集めるかってこと。管長はそれをやっているんですよ。
十何年、二十何年というもの、一生懸命、金を集め、人を集め、これしかないわけです。
そのために法を説き、法を施しているわけでしょう。
諸君が私の弟子であるならば、管長と同じ事を何分の一でも、
何十分の一でもやってくれたならば、私にとって、これ以上のことはないわけです。
だから、金のある人は金を集めて、浄財として仏様に奉納しなさいよ。
金はないけど、人を集められるって人は、人に説いて一人でも二人でも集めなさい。 」
431 :
深山 ◆Y0jS4ug6fQ :2013/01/18(金) 23:35:32.02 ID:cGsyfj9U
>>427 :神も仏も名無しさん:2013/01/18(金) 21:16:44.33 ID:T7HNEWZh
>成仏は金では買えない、そのとおりだよ。管長が何時、金で買えると言ったかねw?
桐山さんが言ったのを
>>430に示しました。
言葉尻をとらえて振り回しても無駄です。
準シュダオンさんの無知です。
アゴン宗では徳を積むことが成仏の条件となっている。
徳を積む方法を桐山さんははっきりとお金と勧誘だと述べている。
桐山さんは定例会で、成仏するためには金と人、または金か人を
アゴン宗に差し出せと言っている。
桐山さんはその両方をしたから成仏したのだと言っている。
つまり成仏を金で買えると言っているのです。
あなたはこういう定例会など出たこともなく、空想で物を言っている。
ただの空想ならまだ良い。
準シュダオンさんは金も人も出したくないから、自己弁護しているだけです。
他人がその汚い腹の中に気がつかないと思って、偉そうにお説教を垂れる。
卑劣な男ですね。
432 :
深山 ◆Y0jS4ug6fQ :2013/01/18(金) 23:40:59.74 ID:cGsyfj9U
>>428 :神も仏も名無しさん:2013/01/18(金) 21:43:36.94 ID:T7HNEWZh
>それはね、常識では、阿含仏教に説く釈尊の言葉が理解不能なわけですよ。
>智慧が身につくと、知識のみ振り回す深山くんの哀れさが、観える。
準シュダオンさんは、仏教辞典から引用して、さんざん
我流の屁理屈を並べていながら、やり込められて言葉に詰まると、
常識では理解不能だと始まる。
知識のみ振り回すなどと言っている準シュダオンさんは
仏教辞典の知識を振り回して、我流の解釈をしまくった。
それが通用しないと、今度は知識を小馬鹿にする。
準シュダオンさんには智慧があるのだそうだ。
これはおもしろい。
十年も付き合っているが、準シュダオンさんの腹黒さ、根性の悪さ、
自惚れ、侮蔑心、無責任、無知と無能はさんざん見たが、
未だに反省心や謙虚さ、そして智慧とやらは見たことがない。
本当の智慧のある人は、本人ではなく、他人が「あの人は智慧がある」と
誉めるものです。
智慧がある人が、おれは智慧があるなんて威張らない。
智慧があるなどと威張るのは智慧がない何よりの証拠です。
433 :
深山 ◆Y0jS4ug6fQ :2013/01/18(金) 23:47:35.39 ID:cGsyfj9U
>>428 :神も仏も名無しさん:2013/01/18(金) 21:43:36.94 ID:T7HNEWZh
>智慧が身につくと、知識のみ振り回す深山くんの哀れさが、観える。
桐山さんはいつも「他人には見えない物」「客観的に測れない物」で勝負する。
たとえば成仏リキがそうです。
信者さんたちで誰か死者が成仏するのを確認しましたか。
できるはずがない。
なぜなら、正しい霊視力を持つためには成仏リキが必要だからです。
霊障、悪因縁、天命殺、これらも桐山さんしかわからない。
ブッダの智慧もそうです。
ブッダの智慧を持った人でないとわからないのだから、
結局、桐山さんにしかしかわからない。
試験問題を作ったのも、答案を書いたのも、採点したのも、
全部桐山さんで、満点だという。
だが、その採点された試験問題を誰も見たことがないのと同じです。
桐山さんの力自慢とは、このように実は「他人には見えない物」
「客観的に測れない物」だけだと気がついていますか。
こういう見えない物で力自慢する人は他にもいて、
宝生さんは観音様からの御霊示など霊能力を自慢するし、
準シュダオンさんも自分には智慧があるのだと自惚れている。
だが、彼らの共通点は「現実世界では何も力のない人」たちです。
ただし、桐山さんだけは現実世界で大きな能力を一つ持っている。
それは人を騙す特別な才能で、天才と言っていい。
434 :
深山 ◆Y0jS4ug6fQ :2013/01/18(金) 23:52:46.73 ID:cGsyfj9U
>>428 :神も仏も名無しさん:2013/01/18(金) 21:43:36.94 ID:T7HNEWZh
>それはね、常識では、阿含仏教に説く釈尊の言葉が理解不能なわけですよ。
準シュダオンさんは、因縁解脱や祈りについて
具体的に阿含経の根拠を出すことができなかった。
存在しないのだから、当たり前です。
そこで苦し紛れに、批判側は「知識あるが智慧がない」と始まった。
知識は具体的にここに書くことができるが、その智慧とやらは何なのか。
もちろん、準シュダオンさんは出すことができない。
桐山さんと同じで、「他人には見えない物」「客観的に測れない物」を
出すしか彼には逃げ道がないからです。
だが、現実の準シュダオンさんは、自分の間違いを認めないのだから、
智慧があるのではなく、ただの負け犬の遠吠えです。
彼の遠吠えはどうでも良いから、信者さんたちは、
阿含経には因縁解脱も祈りもない、という事実を受け入れることです。
いや、祈りは阿含経にないどころか、禁止です。(
>>416)
435 :
深山 ◆Y0jS4ug6fQ :2013/01/18(金) 23:58:43.27 ID:cGsyfj9U
>>428 :神も仏も名無しさん:2013/01/18(金) 21:43:36.94 ID:T7HNEWZh
>それはね、常識では、阿含仏教に説く釈尊の言葉が理解不能なわけですよ。
信者さんたちも気をつけてほしいのは、
「釈尊の教法は高度の物だから、凡夫の自分には理解できるはずがなく、
桐山ゲイカのようなブッダの智慧がない理解できないのだ」と
思いこんでいる信者さんたちがいることです。
だが、これはありえない。
また信者さんたちの中には、自分で理解するよりも桐山ゲイカに
お任せして、言われたとおりにすれば良いのだと言う人もいる。
それはあまりに怠慢ではありませんか。
二千五百年前の人たちは大半が無学だった。
その彼らが、道端で釈尊の教法を聞いて理解し、実践したのですよ。
その教法を、今日の普通の日本人が聞いて理解できないなどありえない。
普通に日本語が読めて、十歳の子供の読解力があれば、釈尊の教法は理解できます。
桐山さんや他人に頼らないと理解できないような難しい内容ではありません。
桐山さんは信者さんたちに釈尊の本当の教法理解してほしくないのです。
理解してもらっては困るのです。
436 :
深山 ◆Y0jS4ug6fQ :2013/01/19(土) 00:03:48.04 ID:JiWZVEYq
>>428 :神も仏も名無しさん:2013/01/18(金) 21:43:36.94 ID:T7HNEWZh
>それはね、常識では、阿含仏教に説く釈尊の言葉が理解不能なわけですよ。
理由の一つは、自分が特別な能力を持っていると威張り、
自分だけが理解できると独占したいから。
そしてもっと重要な理由は、信者さんたちに釈尊の教法を理解されてしまうと、
桐山教の商売があがったりになるからです。
釈尊の教法は欲を減らせというものです。
ところが、アゴン宗では欲を減らしてもらっては困る。
超能力が欲しい、悪い因縁を切りたい、運を良くしたい、
守護霊をもって楽をしたい、白馬の王子様が現れますように、
そしてついには来世も美男美女に生まれますように、なとど、
世間の俗人すらも持たないようなとんでもない欲望すら持っている。
釈尊がこれらを否定し、欲望を減らし、捨てるように説いた。
護摩木祈願などするなと説いたのです。
これでは護摩木は売れない。
アゴン宗の基本給である護摩木が売れなければ商売が成り立たない。
それでは桐山さんの勲章も買えないし、愛人も囲えないし、
W田さんのハンドバッグも買えない。
だから、信者さんたちには釈尊の本当の教法を知ってほしくないのです。
437 :
深山 ◆Y0jS4ug6fQ :2013/01/19(土) 00:08:18.24 ID:JiWZVEYq
>>428 :神も仏も名無しさん:2013/01/18(金) 21:43:36.94 ID:T7HNEWZh
>それはね、常識では、阿含仏教に説く釈尊の言葉が理解不能なわけですよ。
間脳を開かないと釈尊の教法を理解できなかったのなら、
二千五百年前の無学な人たちはどうやって理解できたのですか。
オシャカの成仏ホーを体得しないと実践できないというなら、
教法を聞いて、すぐに理解して実践したという経典の記述をどう説明するのか。
仏教をきちんと学んでいれば、早い遅いはあっても、
桐山アゴン宗が仏教とは似ても似つかないことに気がつく。
アゴン宗の大黒柱になっている死者成仏を釈尊は否定し、
因縁切りなどできないと説き、祈りは禁止し、護摩も占いも禁止です。
阿含経を一つでも理解したら、四諦の意味を理解したら、
星まつりなどするなと言われなくてもしない。
護摩も占いも禁止などされなくても、できなくなるのです。
釈尊のいう知恵とは、普通意味での知恵であり、
それは四諦に代表される教法を理解するという意味です。
桐山さんの言うような摩訶不思議な神秘力でもなんでもない。
四諦を理解するのが釈尊のいう知恵です。
その四諦の内容をことごとく否定している桐山さんにも
アゴン宗にも智慧などあろうはずがない。
無知と狂信、慢心と恥知らずが轟音を立てて燃えているのがアゴン宗です。
438 :
神も仏も名無しさん:2013/01/19(土) 02:01:09.11 ID:JYJpoiq6
439 :
神も仏も名無しさん:2013/01/19(土) 07:50:51.15 ID:+63fottt
440 :
三福道:2013/01/19(土) 08:01:54.83 ID:9qaTjY8K
☆☆☆三福道☆☆☆三福道☆☆☆三福道☆☆☆三福道☆☆☆
>>427 >成仏は金では買えない、そのとおりだよ。
>管長が何時、金で買えると言ったかねw?
桐山さん
確か、
在家信者が成仏する方法として
三福道を説いてますよねぇ。
【1】.如来(応供、仏舎利尊)の身元に金を出しなさい。
【2】.正法(阿含の成仏法)の身元に金を出しなさい。
【3】.正衆(桐山靖雄さん)の身元に金を出しなさい。
三福道の実践で在家信者は成仏できると
桐山さん言ってませんでしたっけ?
間違ってたらごめんなさい。
441 :
ユビキタス ◆AFU2rOqH7nac :2013/01/19(土) 08:27:00.40 ID:DUiKP1Y4
>>427 >管長だとて、護摩木だけで成仏できるとは、いっていないよw。
>成仏は金では買えない、そのとおりだよ。管長が何時、金で買えると言ったかねw?
護摩木に限定した話と成仏という究極の最終目標を出すことで話をごまかしているようですが、
金で買える、金でしか買えないものがあるのです。
霊障解脱がそれですよ。これは解脱供養によってしか解消されません。
しかも霊障というのは施主個人に対して夥しく無数に霊視されるのは現実が示しています。
これらに対して桐山さんは君たちがいくら勤行などで頑張ったところで、生涯のうちに
不成仏霊の1体を成仏させられるかどうかといったところと言って、自分が修する解脱供養しか
霊障掃除はできないとしている。
もちろん経済的な理由で無理をしてまで解脱供養をすることはない。
しかしその代わり霊障は解消されぬまま、解脱供養を申し込まない限り一生取り憑きます。
だから成仏にたどり着きません。
成仏は金だけではないのかもしれない。
しかし金、それも大金を貢がねば達成不能だとわかります。
442 :
神も仏も名無しさん:2013/01/19(土) 13:49:55.81 ID:G6j1LuRe
>>440:間違ってたらごめんなさい。
間違ってません!
>>427:管長だとて、護摩木だけで成仏できるとは、いっていないよw。
成仏は金では買えない、そのとおりだよ。管長が何時、金で買えると言ったかねw?
アゴン信者の けち的言いわけ! それで言いわけ?
445 :
神も仏も名無しさん:2013/01/19(土) 21:37:23.87 ID:M8omZd6D
桐山さんは
千座行だけで成仏できるって言っている。(一九九九年カルマと霊障からの脱出139ページ近辺)
信者から金を巻き上げるために解脱供養などを考えた訳でしょう。
446 :
神も仏も名無しさん:2013/01/19(土) 22:26:16.26 ID:5EsXpcqi
447 :
神も仏も名無しさん:2013/01/19(土) 22:32:17.17 ID:5EsXpcqi
448 :
神も仏も名無しさん:2013/01/19(土) 22:46:06.12 ID:5EsXpcqi
449 :
神も仏も名無しさん:2013/01/19(土) 23:22:36.45 ID:M8omZd6D
ジュンテイ尊因縁解脱千座行法は、三つの力を持っています。それは、
1、自分を(因縁解脱して)成仏させる。
2、自分にかかわりのある不成仏霊を成仏させる。
3、修行の過程において、守護神、守護霊を持つことができるようになる。
以上の三つの力です。 一九九九年カルマと霊障からの脱出139ページ
450 :
神も仏も名無しさん:2013/01/19(土) 23:26:24.87 ID:5EsXpcqi
451 :
神も仏も名無しさん:2013/01/20(日) 00:29:24.28 ID:pBQeUi1o
そういいますと、すぐに、こういう質問が出るかも知れませんね。
そのジュンテイ尊因縁解脱千座行法をやれば、だれでも因縁解脱ができ、成仏することができるんですか?
と。
もちろん、だれでも因縁解脱し、成仏します。
どうしてですか?
どうしてですかって、この法はそういう力を持っているからです。
一九九九年カルマと霊障からの脱出141ページ
452 :
(゚m゚*)プッ:2013/01/20(日) 07:44:40.73 ID:57+AhNbF
453 :
神も仏も名無しさん:2013/01/20(日) 07:50:57.27 ID:8q0odxd0
454 :
☆☆☆消したくとも消せない阿含宗桐山氏の二大失態☆☆☆:2013/01/20(日) 08:03:38.11 ID:Io321lX4
桐山靖雄氏といえば
織田信長タイプ?
豊臣秀吉タイプ?
徳川家康タイプ?
ちょっと考えてみたんだけど
やっぱ
どっちかといえば秀吉かな?と思った。
桐山さんは口だけ達者で信長みたく潔く引退もできず
さりとて、
徳川のように阿含宗がこれから先桐山さんの死後も安泰に存続し続けるとは
とても思えない。
とすると、やはり秀吉タイプだろう。
一代で衰退していくタイプ。
後継者も作らず育たず現れず。
桐山氏のピークも世紀末まで。
そして桐山氏はしくじった
【痴呆と女】だ。
求聞持脳の天才、自称因縁解脱者が脳梗塞を発病し、こともあろうにボケてしまった。
ボケたということはそれだけで
宗教者、求道者として、
因縁解脱と求聞持法成就に失敗したことの確かな証明である。
これで阿含宗の宣伝看板の因縁解脱と求聞持法は無に帰した。
そして、
女信者に手を出し話しがこじれ裁判沙汰になった一件。
このことは本人黙して語らず
ただただ黙ったまま死んでいくつもりだろう。
この消したくとも消せない阿含宗桐山氏の二大失態。
この二つで桐山氏の宗教者としての功績などすべて吹っ飛んだ。
評価も地に落ちた。
この二つは阿含宗桐山氏が死んでも末代まで
語り継がれることであろう。
因縁解脱宿命転換の僧侶、宗教者としては致命的である。
455 :
ユビキタス ◆AFU2rOqH7nac :2013/01/20(日) 09:21:42.32 ID:t8TzBcZ/
>>454 3択とは言え究極の選択のような命題だな。
どれをあてはめても妥当でない。
究極の選択というのは昔あった、自分の娘がガッツ石松の顔に似るのと、ガッツ石松の頭に似る
のとどちらかしか選べないとしたらどちらを選ぶかというヤツ。
456 :
ユビキタス ◆AFU2rOqH7nac :2013/01/20(日) 09:34:41.90 ID:t8TzBcZ/
むしろ
大久保清タイプ
宮崎勤タイプ
のどちらだろうか?という命題の方があってるかな?
これは大久保かな?
457 :
神も仏も名無しさん:2013/01/20(日) 10:10:50.39 ID:vxMp3cQN
>懺悔や感謝までは否定しません。
>否定するのは懺悔することによって罪の報いをご破算にしてもらおう、それは
>特別な如来だから可能なのだ、その偉大なる力にすがりましょうなんて依存です。
依存といったとて、釈尊がそのように説いているのだから、しょうがないw。
聖人(釈尊等)に懺悔すれば罪過は軽減される、とアジャセ王にも説いている。
>願いを叶えてもらう祈りなんて否定しています。
懺悔だって罪過を軽減してほしいという願い・祈りだろがw。
>懺悔は懺悔だけで価値があるのです。
釈尊はそんな↑こと言っていない。そういうのは深山ユビキタス戯言狂教だw。
458 :
ユビキタス ◆AFU2rOqH7nac :2013/01/20(日) 10:12:57.78 ID:t8TzBcZ/
>>428 >それはね、常識では、阿含仏教に説く釈尊の言葉が理解不能なわけですよ。
釈尊の仏教に対する無知丸出しですね。
一部の経典を勝手な解釈でしか読んでないからです。
釈尊はわからないことがあったら質問を促し、丁寧に答え、同じ教えを、手を変え品を変え
何度も繰り返して説いて、その上で「私は全てを説き尽くした。教師の握り拳はない」と
発言しているのです。
その釈尊がどうして凡人には理解不能、わけのわからん修行でわけのわからん智慧を得た
者にしかわからない文底秘沈なんか説きません。文底秘沈も握り拳に入るのですよ。
459 :
神も仏も名無しさん:2013/01/20(日) 10:24:44.50 ID:vxMp3cQN
>金で買える、金でしか買えないものがあるのです。
>霊障解脱がそれですよ。これは解脱供養によってしか解消されません。
>しかも霊障というのは施主個人に対して夥しく無数に霊視されるのは現実が示しています。
>これらに対して桐山さんは君たちがいくら勤行などで頑張ったところで、生涯のうちに
>不成仏霊の1体を成仏させられるかどうかといったところと言って、自分が修する解脱供養しか
>霊障掃除はできないとしている。
馬鹿な指摘だねw。管長は人を見て法を説いてるのだね。ユビキタスくんみたいな
信徒には、見込みがないから、君達が頑張っても霊障掃除はできない、と説く。
しかし、優れた信徒たちには、頑張って早く自分で霊障解脱させられる力を持ちなさい、
と、説いてるのです。見込みのない信徒は、そういう管長の言葉を耳にする機会はない
のです。「自分で霊障解脱させる力を持ちなさい」、との言葉を耳にした信徒は、
将来性があるのです。そのような弟子が、管長の跡を継いで、霊障解脱供養の法を
引き継いでいくのです。
そうでなければ、解脱供養法は管長一代で途絶えてしまうでしょw。
460 :
ユビキタス ◆AFU2rOqH7nac :2013/01/20(日) 10:24:52.10 ID:t8TzBcZ/
>>428 >それはね、常識では、阿含仏教に説く釈尊の言葉が理解不能なわけですよ。
それから
>>81で示されたパーリ仏典
http://www.bukkyouoshie.com/suta/ のカーラーマ経のところを読みなさい。
自分で確認できないことには関わらないのが仏教の姿勢なんですよ。
ですから業の破壊とは業報の運命なんて確認できないものの話ではなく
今自分で自覚できる自分の身口意における煩悩の破壊なんですよ。
ちょうど
>>457に現れたが、懺悔と懺悔の祈りは違います。
キリスト教に見る懺悔は主に赦したまえと祈る。
仏教では祈りません。懺悔は懺悔だけであり、罪を認め、反省して、二度としまいと
誓うことで、仏の前なんて関係ない。人の前ですらない。
自分の前で誓うことだけが価値がある。
もう二度と父親殺しに類した罪を犯さないからです。業は破壊された。
461 :
ユビキタス ◆AFU2rOqH7nac :2013/01/20(日) 10:41:09.51 ID:t8TzBcZ/
>>459 >馬鹿な指摘だねw。管長は人を見て法を説いてるのだね。ユビキタスくんみたいな
>信徒には、見込みがないから、君達が頑張っても霊障掃除はできない、と説く。
>しかし、優れた信徒たちには、頑張って早く自分で霊障解脱させられる力を持ちなさい、
>と、説いてるのです。見込みのない信徒は、そういう管長の言葉を耳にする機会はない
>のです。「自分で霊障解脱させる力を持ちなさい」、との言葉を耳にした信徒は、
>将来性があるのです。そのような弟子が、管長の跡を継いで、霊障解脱供養の法を
>引き継いでいくのです。
また桐山さんも説きもしない桐山さんに反することを説いてますが、
まあそれに付き合ってみましょうか。
おあいにく様ユビキタスくんのような批判をする奴はもう退会しているから
信徒ではありません。残っているのは桐山さんに従順な信徒だけであり、
そういう信徒の前で桐山さんは例祭法話を垂れたのです。
管長の後継となるような将来性、見込みのある信徒は限られているでしょう。
もし万人にその可能性があるならば、奮起を促す為に、自分で霊障解脱ができるように
ハッパをかけ、またその裏付けとなる指導を自らします。
仮に一部のエリートは桐山さんの解脱供養サービスは必要ないとするならば
他の一般信徒はやはり必要ということではないですか?
管長後継にもなれない素質のない君たちは金を出し続けないと霊障で苦しむよと。
462 :
神も仏も名無しさん:2013/01/20(日) 10:46:22.56 ID:pBQeUi1o
>>459 自称準シュダオンではない、ゾンビ脳のクズじいさん。
>>233ですけど、いいかげんに逃げるのをやめて答えたらどうやねん。
例によって自分が都合が悪くなると完全無視ですか???いつものパターンか??
健常脳より優れているんじゃなかったのか?
詐欺師桐山と石原暴走老人が対談してどんな優れた発言をしたのかな??
教えてしんぜてくれよ〜〜〜。じいちゃ〜〜〜ん。
463 :
神も仏も名無しさん:2013/01/20(日) 10:51:42.21 ID:vxMp3cQN
>自分で確認できないことには関わらないのが仏教の姿勢なんですよ。
>ですから業の破壊とは業報の運命なんて確認できないものの話ではなく
>今自分で自覚できる自分の身口意における煩悩の破壊なんですよ。
勝手に仏教を創るなってのよ、深山ユビキタス狂教さんw。
あんたのレスは、深山くんと同じで、レベルが低すぎるわけよ。
身口意における煩悩の破壊ですと?馬鹿もいい加減にせんかよ。
煩悩とは意のはたらきであって、身と口の行為は煩悩とは言わない、業という。
業とは輪廻転生をあらしめる一種の力と認識されている(辞典で業を引いて勉強しなさい)。
だから、生死輪廻滅とは、業の滅をも意味しているのだね。
業を行為とのみ解釈するのも間違いであるよ。
業は、業力を生み、業力が業報を生む。
それを破壊せねば解脱はないのだよ、それを阿含経典は示している。
不堕悪趣(又は、悪道尽)とは、最も酷い憂・愁・悲、といった業報の破壊を
意味している。必尽苦際、という語も同じ意味さね。
煩悩から苦が生まれ、苦から煩悩が生まれる、煩悩と苦は相互依存の関係だ。
また煩悩自体が自己増殖もする性質を持つことは、管長本にも書いてある。
だから、煩悩と苦の両方を意識していかねば、成就はないのだね。
不堕悪趣、悪趣=苦なのであって、悪趣≠煩悩なのだよ。
そういう基本を知らないから、深山ユビキタス狂教は始末が悪い。
仏陀とは、真理を悟った人、という意味なのだ、煩悩のない人だけでは不正解だ。
手術で煩悩を起こす脳ミソを取っても、仏陀ではないのだ。
464 :
神も仏も名無しさん:2013/01/20(日) 11:08:33.62 ID:pBQeUi1o
まだ屁理屈を思いつかないの〜〜〜。ゾンビじいちゃ〜〜〜ん。無視すんなよ〜〜〜。
465 :
ユビキタス ◆AFU2rOqH7nac :2013/01/20(日) 11:22:15.75 ID:t8TzBcZ/
>>463 >身口意における煩悩の破壊ですと?馬鹿もいい加減にせんかよ。
>煩悩とは意のはたらきであって、身と口の行為は煩悩とは言わない、業という。
正確には身口意の三業の破壊ですよ。業の破壊です。
しかしそれは歩かない、しゃべらない、考えないではないでしょ?
煩悩によって起こされた言動を破壊する。起こさないようにする。
煩悩に基づく言動を起こさないとは根本にある煩悩をなくすことです。
だから省略して、身口意における煩悩の破壊と表現したのです。
だから深山さんなども桐山さんのE川さんとの愛人交際を例に出します。
E川さんみたいな当時若い女性から慕われて、妻もいる桐山さんは意業で
よからぬことを考えてしまっただけならまだよかった。
しかし語業で「今夜にでも」と言葉の誘いをし、身業でホテルで・・・
このように煩悩とは身口意の三業において現れるのです。
意業レベルから根絶するのは難しいかもしれない。
ならばせめて身業、語業で相手に被害を与える行動だけでもなくせないか?
そこから始めるべきでしょうが。
466 :
ユビキタス ◆AFU2rOqH7nac :2013/01/20(日) 11:46:23.03 ID:t8TzBcZ/
>>457 >懺悔だって罪過を軽減してほしいという願い・祈りだろがw。
いつもながら世間に晒してあげたいくらいの恥ずかしいみっともない書き込みです。
自分のなしたことを悪いと悟り、反省して自首してきた人がいた場合、
自首したのは罪の刑罰を軽くしてもらうのが目的で、それがならないのならば
わたしゃ自首なんかしないよと言っているのです。
その考えの延長ならば、とりあえず憎い奴がいたらぶっ殺すなりぶん殴るなりすればよい。
な〜に、後で如来の前で懺悔すれば無罪放免さ。
467 :
深山 ◆Y0jS4ug6fQ :2013/01/20(日) 12:03:23.50 ID:uZ6nmFex
「ところが、今、聖人の教えのもとで懺悔することができるならば、
そのままみずからに利益となるのです。私はあなたを憐れむからからこそ、
あなたが懺悔することを認めましょう。」
「あの阿闍世王は、罪過は軽減され、もう重い咎もなくなった。」
(『現代語訳阿含経典5』平河出版社、190−191ページ)
沙門果経
春秋社「原始仏典第一巻 長部経典T」より
「たしかに、大王よ、あなたは愚かさなままに、迷いのままに、悪いままに罪を犯しました。
つまり、あなたは正しい父君、正義の国王を殺してしまいました。しかし大王よ。
あなたが罪を罪として認め、法に従って懺悔するからには、わたしたちはそのあなたを
〔そのまま〕受け入れましょう。なぜならば大王よ、罪を罪として認め、法に従って
懺悔し、将来において自己制御をするということ、それが聖者〔ブッダ〕の戒律の
繁栄というものであるからです」
(107〜108頁)
468 :
深山 ◆Y0jS4ug6fQ :2013/01/20(日) 12:08:33.97 ID:uZ6nmFex
>457 :神も仏も名無しさん:2013/01/20(日) 10:10:50.39 ID:vxMp3cQN
>聖人(釈尊等)に懺悔すれば罪過は軽減される、とアジャセ王にも説いている。
また始まった。
すでに私やユビキタスさんから、経典の根拠まで引用されて示されても、
こうやって同じ主張を繰り返す。
準シュダオンさんが何を主張したいか、信者さんたちのために説明すると、
>>467に引用した漢訳経典にあるように、
「釈尊に告白するだけで罪過が軽減すると述べている。
業報が軽減するのだから、これは因縁解脱を説いている」
というのです。
国語力が壊滅状態の準シュダオンさんが、罪過を勝手な解釈を
しただけの脈絡のない主張であり、アゴン宗にはそんな教義ないから、
準シュダオン教にすぎません。
三週間ほどたっているから、準シュダオンの頭には何も残っていない。
性格が悪すぎて他人を無視することがなんともとないのか、
頭が悪くて理解も記憶もできないのか、それとも両方か。
懺悔すると業の報いが軽減されるという主張が成り立たないことは、
1.罪と業の報いは同じではない。
2.南伝パーリ仏典には阿闍世王の罪過が軽減されるなんて記述はない。
3.仏教では懺悔こそがスタート
これが理由です。
では、一つずつ再度説明しましょう。
469 :
深山 ◆Y0jS4ug6fQ :2013/01/20(日) 12:13:40.03 ID:uZ6nmFex
1.罪と業の報いは同じではない。
まずは準シュダオンさんの国語力の問題です。
漢訳だろうかパーリ仏典だろうが、罪過の軽減とあるだけで、
どこにも悪業の報いが消えるなどと書いていない。
準シュダオンさんには書いていない文章が読めるのです。
釈尊は罪過、つまり罪だと述べているだけです。
「罪」と「業の報い」とは意味も内容も違うことは
準シュダオンさん以外の方は理解できますよね。
ところが、準シュダオンさんのミソもクソも一緒の脳味噌では、
こんな小学生でもわかるようなことが区別が付かないのです。
準シュダオンさんは、罪の告白を、悪業の報いが減ると
勝手に読み違えているのです。
この人の頭って、どうしてこうも滅茶苦茶、グチャグチャなんでしょう。
こんな程度の区別もつかない知能なのに、適当に自分に都合の良いように
読み替えるのを、本人は頭が良いことだと思いこんでいる。
恥じる心がないから、何度こういう間違いを指摘されても、修正が効かない。
470 :
深山 ◆Y0jS4ug6fQ :2013/01/20(日) 12:18:43.89 ID:uZ6nmFex
2.南伝パーリ仏典には阿闍世王の罪過が軽減されるなんて記述はない。
>>467に引用したのは、準シュダオンさんが主張する経典の、
漢訳経典とパーリ仏典です。
パーリ仏典には罪過の軽減という言葉すらない。
信者さんたちは両者を読み比べて、準シュダオンさんのように、
罪過の軽減を悪業の報いが軽減されたと読みますか。
漢訳経典の罪過の軽減とは、その前の釈尊の言葉の内容をまとめたものです。
それらは、「聖人に告白するなら利益になる」というものです。
どこにも、悪業の報いが軽減するなんて言葉はありません。
自分の悪業を正直に懺悔告白し、反省することを奨励しているのです。
南伝のほうはより詳しく懺悔の意味を説明しています。
懺悔がどういう位置づけなのかは次の一文に集約されています。
「罪を罪として認め、法に従って懺悔し、将来において自己制御をする」
そこで、ここからが三つ目の理由で、これが一番重要な理由です。
471 :
深山 ◆Y0jS4ug6fQ :2013/01/20(日) 12:24:06.61 ID:uZ6nmFex
3.懺悔こそが仏道のスタート
「罪を罪として認め、法に従って懺悔し、将来において自己制御をする」
上記の文章こそは罪の告白の意味です。
三つの段階を釈尊は説いています。
それらは、罪を認める、懺悔する、二度と同じことをしない、です。
まず、罪を認めることです。
どんな分野でも罪を認めないところに進歩なんかあるはずもない。
自分の為している悪業をまず認めることから始まる。
桐山さんや信者さんたちは、死者成仏や護摩や占いを釈尊が認め方のような
嘘を世間に広めている。
これは悪業です。
だが、信者さんたちはこれを悪業と指摘されても、認めるどころか、
仏への供養、徳を積むなどの善業だと信じて譲らない。
釈尊が説いてもいないことを説いたかのように宣伝するのは、
悪業そのもので、宗教的には大悪業です。
まず悪業を悪業と素直に認めること、これが第一段階です。
だが、信者さんたちはその第一段階すらもしようともせず、
護摩木祈願をして、他人にも勧めて、星まつりに参加するという。
「罪を罪として認め」は他人に言っているのではなく、
釈尊は信者さんたちに言っているのです。
472 :
深山 ◆Y0jS4ug6fQ :2013/01/20(日) 12:29:11.14 ID:uZ6nmFex
3.懺悔こそが仏道のスタート
「罪を罪として認め、法に従って懺悔し、将来において自己制御をする」
次が「法に従い懺悔」することです。
漢訳では聖者の前でとある。
準シュダオンさんはまるで、聖者に話すと業の報いが
軽くなるかのような話をしているが、これは桐山さんでさえ、
そんなことは説いていないのだから、準シュダオン教です。
法に従い懺悔するとは、悪業がどのよう原因で行われたのか、
それを追求することです(縁起)。
阿闍世王は欲望から父親を殺したと述べている。
また釈尊は、「愚かさなままに、迷いのままに、悪いまま」が原因だと指摘した。
つまり、釈尊は煩悩が原因だと指摘し、阿闍世もそれを認めた。
これが法に従い聖者の前で懺悔するという意味です。
アゴン宗は釈尊の法に従っていない。
だから、すべての原因を悪因縁や霊障のせいにしている。
自分の悪業を自分の煩悩と認めるのではなく、
因縁や霊障のせいにしているだから、釈尊の法に基づいた懺悔ではありません。
信者さんたちは「法に従い懺悔」をしていない。
473 :
深山 ◆Y0jS4ug6fQ :2013/01/20(日) 12:34:21.62 ID:uZ6nmFex
3.懺悔こそが仏道のスタート
「罪を罪として認め、法に従って懺悔し、将来において自己制御をする」
三番目に「自己制御」して二度としないことです。
悪因縁のせいにして「わかっちゃいるけどやめられない」ではなく、
罪を認め、法に従い懺悔したら、二度としないのです。
釈尊が強調しているのは、この三番目が目的であることが
準シュダオンさん以外の信者さんたちはおわかりでしょう。
そして、正しく釈尊の教法を理解しているなら、
これが四正勤であることに気がつくはずです。
四つの正勤の最初の二つに、次のようにあります。
1)すでに起こっている悪を断つ努力.
2)いまだ生じていない悪は,これを起こさない努力.(岩波仏教辞典)
四正勤が上記の「罪を罪として・・・」と述べている内容そのものだと
気がつきましたか。
釈尊が説いた懺悔とは四正勤そのものです。
以上のように、釈尊の説く懺悔には業の報いを消すとか、悪因縁を
切るなどの意味はありません。
474 :
深山 ◆Y0jS4ug6fQ :2013/01/20(日) 12:41:10.13 ID:uZ6nmFex
>>459 :神も仏も名無しさん:2013/01/20(日) 10:24:44.50 ID:vxMp3cQN
>しかし、優れた信徒たちには、頑張って早く自分で霊障解脱させられる力を持ちなさい、
それでその「優れた信徒たち」とはどこにいるのだ?
解脱供養が始まってからすでに三十数年たち、
仏陀の法が伝授されてからさえも二十数年たち、
練脳塾が開かれてからもすでに十数年たっている。
ところが、未だに誰一人オシャカの成仏ホーの片鱗すら
体得した人がいない。
桐山さんはヨレヨレで弟子の育成どころか、
自分の身さえも保てない状態です。
法務部のF田さんですら、解脱供養の護摩を焚いてはいるが、
桐山さんから成仏ホーなんて習っていない。
どうしてただの一人もいないのだ?
私が驚くのは、このような反論が出てくることさえも、
準シュダオンさんの脳味噌では予想していないことです。
私が信者側なら、誰もいないではないかとあざ笑われのを
予想して、あなたみたいなことは絶対に書かない。
準シュダオンさんて、他人をあざ笑うことに夢中で、
自分が笑われていることに気がついていないのですね。
それがとても面白い。
475 :
深山 ◆Y0jS4ug6fQ :2013/01/20(日) 12:47:43.12 ID:uZ6nmFex
>>459 :神も仏も名無しさん:2013/01/20(日) 10:24:44.50 ID:vxMp3cQN
>そうでなければ、解脱供養法は管長一代で途絶えてしまうでしょw。
いいえ、途絶えません。
解脱供養は大事な収入源なのだから、途絶えさせるはずはない。
だが、解脱供養できる「優れた信徒」も出てこない。
桐山さんの死後も、せいぜい桐山さんから任された人が、
たとえばF田さんのような人が、仏界にいる桐山ゲイカから成仏リキを
授けてもらい、解脱供養ができる、などという方法を採用するでしょう。
それもこれも、オシャカの成仏リキの嘘がばれないための、
またその詐欺手法が教団から持ち出されないようにするためのインチキ作戦です。
オシャカの成仏ホーという言葉を聞かせると信者たちは思考能力を失い、
財布の紐をゆるめるのだから、解脱供養などオシャカの成仏ホーという
詐欺手法は一子相伝の秘伝として伝えていくはずです。
釈尊は内外を問わず法を伝え、自分には秘密など何もないと述べた。
これがインチキ教祖と本物の仏陀の違いです。
476 :
神も仏も名無しさん:2013/01/20(日) 13:20:34.28 ID:vxMp3cQN
>その考えの延長ならば、とりあえず憎い奴がいたらぶっ殺すなりぶん殴るなりすればよい。
>な〜に、後で如来の前で懺悔すれば無罪放免さ。
罪過の軽減とは、無罪放免ではないw。無罪放免と考えるのが深山ユビキタス狂よw。
477 :
神も仏も名無しさん:2013/01/20(日) 13:35:20.09 ID:vxMp3cQN
>そういいますと、すぐに、こういう質問が出るかも知れませんね。
>そのジュンテイ尊因縁解脱千座行法をやれば、だれでも因縁解脱ができ、成仏することができるんですか?
と。
>もちろん、だれでも因縁解脱し、成仏します。
>どうしてですか?
>どうしてですかって、この法はそういう力を持っているからです。
> 一九九九年カルマと霊障からの脱出141ページ
あのねのね、千座行をやれば誰でも因縁解脱・成仏するという管長の言葉に、
ウソはないでしょう。だがね、誰でも千座行をやれると考えるのは、アホなのよ。
千座行には、戒行と課行があるでしょ、それを実行するのはかなり困難なわけよ。
だから、千座行をやれば成仏できるけど、千座行をやれる人は限られてくるわけね。
でもそれを言うと、最初から諦める人が多いだろうから、言えないのでしょねw。
478 :
神も仏も名無しさん:2013/01/20(日) 13:51:01.17 ID:vxMp3cQN
>正確には身口意の三業の破壊ですよ。業の破壊です。
>しかしそれは歩かない、しゃべらない、考えないではないでしょ?
>煩悩によって起こされた言動を破壊する。起こさないようにする。
>煩悩に基づく言動を起こさないとは根本にある煩悩をなくすことです。
そう考えるのは勝手だが、それは深山ユビキタス狂であって、釈尊仏教ではない。
アングリマーラの例は象徴的だから、それを理解すれば、すべて解る。
アングリマーラは、大量殺人の悪業を犯したね。
普通ならば、アングリマーラは長い間、地獄餓鬼畜生という悪趣に落ちねばいけない。
その地獄餓鬼畜生という悪趣は、悪業に対する業報としてある。
しかし、アングリマーラはどうなったかね?
釈尊に懺悔して、帰依して、仏道を歩んだ結果、地獄餓鬼畜生の悪趣に落ちること
なく、現世で成仏したと伝えられている。
つまり、自分が犯した悪業による業報を消滅させたわけであるよ。
それが阿含仏教の説くところなのじゃ。
が、そういうのは深山ユビキタス狂の理窟にあわんと考えて、業滅などない、
あるのは煩悩滅だけだ、と、深山ユビキタ倫理道徳仏教は言うわけだw。
毒にも薬にもならない、間の抜けた教えだ、浄土真宗に転向した方が良いねw。
479 :
Rashin:2013/01/20(日) 15:31:52.53 ID:7HSDDg7A
>つまり、自分が犯した悪業による業報を消滅させたわけであるよ。
それが阿含仏教の説くところなのじゃ。
勝手な作り話です。
業報を消滅させたのではなく、汚れ(煩悩)を消滅したと告白している。
-引用-(仏弟子の告白 テーラガータ 中村 元訳)
890妄執を離れ、執著することなく、感官の門を護り、よくみずから制御し、
罪悪の根を除き去って、わたしは汚れの消滅に達した。
891わたしは師(ブッダ)に仕え、ブッダの教え(の実行)をなしとげた。
重い荷をおろし、迷いの生存にみちびくものを、根こそぎにした。
アングリマーラ長老
480 :
ユビキタス ◆AFU2rOqH7nac :2013/01/20(日) 15:36:20.54 ID:t8TzBcZ/
>>476 罪過の軽減とは、無罪放免ではないw。無罪放免と考えるのが深山ユビキタス狂よw。
ええ、それでは無罪放免ではないのならば、具体的にどうなることなのか
軽減という単語だけでなく、あなたの言葉で示してみなさい。
481 :
Rashin:2013/01/20(日) 15:49:56.64 ID:7HSDDg7A
【煩悩】ぼんのう 悪い心のはたらき。煩擾悩乱の意。わずらいなやみ。
心身をわずらわし、悩ます精神作用。心身をわずらわすはたらき。
心身を悩ますもの。心のけがれ、よごれ。妄念。要するに、心身を苦しめ、
わずらわす精神作用の総称。(佛教語大辞典)
482 :
ユビキタス ◆AFU2rOqH7nac :2013/01/20(日) 15:51:46.77 ID:t8TzBcZ/
>>477 >千座行には、戒行と課行があるでしょ、それを実行するのはかなり困難なわけよ。
あのねのね、あなたがレスをするためにコピペしたのは
>>451ですよね。
で、この
>>451さんが何を言いたくて、これを書いたのか、まずはそれを調べてから
レスを付けた方がいいですよ。
>>451さんのIDを遡ればよい。すると
>>449が見つかり、
>>445に遡れる。
>>451に解脱供養の話が出て来ますよね。
解脱供養という一体10万円のサービスを、夥しい数を供養せねば霊障の掃除をすることができない、
霊障を解消できねば桐山さんの説く成仏など果たせるわけがないと示したのは昨日の私です。
霊障抱えた仏っていますか?また成仏とは桐山さんによると因縁解脱です。
つまり解脱供養をしないと因縁解脱の成仏は不可能ということになる。
それを千座行だけで因縁解脱できると書いたのは矛盾だと
>>445=
>>449=
>>451さんは示したのですよ。
その回答になっていますか?
483 :
神も仏も名無しさん:2013/01/20(日) 15:54:17.81 ID:pBQeUi1o
>>477 あのねのね、千座行をやれば誰でも因縁解脱・成仏するという管長の言葉に
ウソはないでしょう。
桐山が因縁解脱してないんだからウソに決まってんじゃん。
脳障害の因縁、刑獄の因縁、色情の因縁、中途挫折の因縁、逆恩の因縁、
因縁だらけだよね。
484 :
Rashin:2013/01/20(日) 16:00:01.46 ID:7HSDDg7A
>つまり、自分が犯した悪業による業報を消滅させたわけであるよ。
890妄執を離れ、執著することなく、感官の門を護り、よくみずから制御し、
罪悪の根を除き去って、わたしは汚れの消滅に達した。
【滅】F 苦悩が消滅すること。業のはたらきが停止すること。
煩悩の絶滅。一切煩悩や悪を離れ、ほろぼすこと。(佛教語大辞典)
485 :
神も仏も名無しさん:2013/01/20(日) 16:00:23.58 ID:GeWQEfRj
因縁解脱して仏陀になって桐山さんが、なぜ脳梗塞になったり、愛人を囲ったり、その愛人から訴訟
され裁判ざたになったたり、薬事法違反で有罪になったり、糖尿病になったり、多くの信者から金返せと
裁判沙汰になったりするんですか。完全に因縁を切った人は、もうこんなことにはならないのではないの
ですか。
信者の皆さん、どうなんですか。答えてください。
486 :
ユビキタス ◆AFU2rOqH7nac :2013/01/20(日) 16:04:03.08 ID:t8TzBcZ/
>>478 >しかし、アングリマーラはどうなったかね?
>釈尊に懺悔して、帰依して、仏道を歩んだ結果、地獄餓鬼畜生の悪趣に落ちること
>なく、現世で成仏したと伝えられている。
>つまり、自分が犯した悪業による業報を消滅させたわけであるよ。
だから何度も示しているが、中部経典央掘摩経(アングリマーラ経)の原文くらい読みなさいな。
懺悔して、仏道に励んだ結果、現世で成仏したのはその通りですよ。
しかしその成仏の認可、証果を得た後、托鉢に出たら、石をぶつけられ
流血、ボロボロになる攻撃を受けたのですよ。
それを見て釈尊は、それはおまえのなした殺人の悪業の報いなんだから耐えて受けよと
示したのです。
尚、アングリマーラの死後どうなるかなんてことはこの経典は示していません。
解脱、成仏が先で悪業の報いを受けたのが後なんです。
487 :
ユビキタス ◆AFU2rOqH7nac :2013/01/20(日) 16:08:22.24 ID:t8TzBcZ/
488 :
神も仏も名無しさん:2013/01/20(日) 16:13:40.85 ID:pBQeUi1o
>>482 ユビキタスさん、表現力の乏しい私のレスをフォローしていただきありがとうございます。
いままでにも何度かありました。小学校時代から作文が苦手なもので、これからも
よろしくお願いいたします。
489 :
ユビキタス ◆AFU2rOqH7nac :2013/01/20(日) 16:34:59.97 ID:t8TzBcZ/
つまり千座行だけで因縁解脱できる、その千座行には戒行、課行もセットになっては
いるものの、解脱供養までセットになっているとまでは表現できない。
守護霊を持てが発売された頃から解脱供養が本格的に始まった。
1999年カルマと霊障からの脱出の発売もまだそれから1年のことです。
当初はどこの家庭にも不成仏霊の一体から二体あるという表現だった。
だから千座行の効果を機能させる前提として解脱供養もやっておかねばならない
という程度の認識だった。つまりせいぜい2〜3回の解脱供養手術をやることが
千座行投薬治療の一環だと思っていたわけだ。
しかし蓋をあけてみると、年中手術を繰り返さねばならない。(教団では注射という
表現でしたね)
千座行から進化した解脱宝生行ですが、解脱宝生行には解脱供養も含まれているなんて
言い方はされずに別扱いです。
解脱供養はそれほど大きな必須科目になったのです。有料高額の。
490 :
ユビキタス ◆AFU2rOqH7nac :2013/01/20(日) 17:04:08.17 ID:t8TzBcZ/
そもそも千座行で因縁が切れると宣伝してたわけだが、当初は本当に一日一座の
千日の行で切れて、晴れて満願を迎えるという宣伝は千座行和讃を読んでも明らかだった。
すなわち初の333座で親の因縁をほどき、中の333座で自分の因縁を切り、
満の333座で我が子の因縁を断ち切ることを示した。
これが桐山さんが奈良の正倉院から千座行法典を伝書ごと発掘し、付随の伝書には
そのように記述伝えられていたから、これをそのまま信徒にも示してはみたけれども
現実にはそうもいかないもので、一度の千座行では済まないものだったのだと
いうことならまだわかる。
しかし千座行は決して古くから伝わっていたものでもなく、桐山さんが作ったもので
和讃も桐山さんが御霊示により作ったものだと言う。
ならばその御霊示なんて嘘じゃんとなる。
てか昭和34年に千座行を指導開始して、和讃も、自分の作った言い伝えも改めて
いないというのもおかしい。
過去からの実績を検証もしないで入行したこちらも浅はかだったが、
やはりあちらが騙したのです。
491 :
神も仏も名無しさん:2013/01/20(日) 17:13:02.40 ID:pBQeUi1o
>>477 誰でも千座行をやれると考えるのは、アホなのよ。
千座行には、戒行と課行があるでしょ、それを実行するのはかなり困難なわけよ。
幸いに、密教には「法」がある。単なる教えや道理にない力を発揮する。顕教の教えや、
倫理、道徳は、本人が実行しなければなんらの力も発生しないが(そうして因縁わるき者は
ぜったい実行できない!)密教は、「法」の「力」が、実行しなければならぬように本人を
推進してゆく。本人が、意識的にも、無意識的にも、実行しなければならなくなるのだ。
それが不思議な密教の法の力というものなのだ。
「因縁解脱の千座行」は、運をよくし、力をつけ、徳を積ませる。徳が積めるように、
運がよくなり、力がつくのだ。 密教超能力のカリキュラム 216〜217ページ
桐山さんは本人が意識する、しないに関わらず出来るって、それが法の力だって言ってる(^o^)/
492 :
ユビキタス ◆AFU2rOqH7nac :2013/01/20(日) 18:35:16.70 ID:t8TzBcZ/
>>477 >あのねのね、千座行をやれば誰でも因縁解脱・成仏するという管長の言葉に、
>ウソはないでしょう。だがね、誰でも千座行をやれると考えるのは、アホなのよ。
>千座行には、戒行と課行があるでしょ、それを実行するのはかなり困難なわけよ。
解脱供養の話はさておき、戒行・課行の話ですが、戒行・課行とは何ですか?
そしてあなたにはどのような戒行・課行が課され、どう実行しているのか?
まさかナモナモやってるだけで何もしてないわけでは・・・あるかwww
本来ならその人個人の因縁に見合った個別の戒行・課行が課され、それは非常に
難しく実行困難であるが、しかしそれを実行してこそ因縁が切れるとした。
もちろん自力だけでなく神仏の冥助も説くが。
個別プランでなく共通の課行としては道場奉仕などのボン行やお導き、護摩木勧進などがある。
お導き13人なんて難しいのもあった。道場奉仕などはその気になればいつでもでき、
やる気次第です。
あなたのように難しいからそれは表向きには隠しておくなんて情けない話は
あなたらしくお笑いだが。
493 :
ユビキタス ◆AFU2rOqH7nac :2013/01/20(日) 19:12:54.36 ID:t8TzBcZ/
>>477 >あのねのね、千座行をやれば誰でも因縁解脱・成仏するという管長の言葉に、
>ウソはないでしょう。だがね、誰でも千座行をやれると考えるのは、アホなのよ。
大切なのは、解脱供養の必要性であれ、戒行・課行の達成であれ、きちんと基準を
示すことですよ。長年の歴史があるのならば、その実績が指標となる。
駄目なら駄目だという。観音慈恵会を開いて因縁解脱を志したが、半世紀経っても
その成果が出ないならば無責任な宣伝などしてはならない。
古い言い伝えなどでなく自分が作った千座行で初座・中座・満座などとご丁寧に
分けて示してまで、千日で因縁が切れるかのような根拠の無い宣伝をするな。
解脱供養が必要ならば、それは一人につきどの程度の供養が必要になるのか最初から示せ。
戒行・課行は個別プランがあるのならば約束通り示せ、難しくてもやり通す
情熱を持った信徒はいる。準シュダオンさんみたいな怠け者ばかり想定できないのだ。
なんか美味しそうな話ばかり並べて、そこに至るまでにどれだけの時間も含めた
投資が必要なのか示せ。無責任な宣伝をするな。
494 :
ユビキタス ◆AFU2rOqH7nac :2013/01/20(日) 19:48:06.46 ID:t8TzBcZ/
桐山さんの誇大宣伝の特徴は作り話を活用することです。
実話ではなく作り話を示す。
例えば「チャンネルをまわせ」にある「にんじんの系譜」。
中学生の啓太少年は気が弱くムラ気があり、人前で話せないお嬢扱いです。
これに家庭教師の石川先生が実は空手の達人で空手をきちんと教えてくれる。
しかしある日空手部の伍一ドンに、立花先輩の前で落とし前をつけさせてやると脅される。
頼みの石川先生は九州に行ってしまっていて相談もできない。
啓太は貝になった。家出も考えた。
その時チャンネルは回った。
予定より早く帰ってきた石川先生がアドバイスをくれた。
それに従い、啓太は翌日立花先輩の前で堂々とピンアン初段と二段の型を示してみせ、
高い評価を認められた。伍一ドンはしゅんとした。
そしてその後の啓太は英語のフリートーキングもクラスのマドンナのタカ子を相手に
得意なもんだというハッピーエンド。
これを桐山さんは多少脚色はあるものの実話であると示している。
この話をどう解釈するか考えてみよう。
495 :
ユビキタス ◆AFU2rOqH7nac :2013/01/20(日) 20:39:42.83 ID:t8TzBcZ/
これは全くの作り話である可能性も強いのだが、似たような実話があり
それを極端に脚色したものかもしれない。
それも含めて考察する。
まず啓太は不思議に一日にして変身している。きっかけは石川先生のアドバイス
だけのようです。
恐れていた立花先輩はそんな聞き分けのない人ではなく大丈夫なんだと聞かされ
まず安心。しかしだからと言って、啓太の小心はそれだけで解消されるのか?
そりゃたしかに啓太少年は石川先生の指導で普段から空手の型はマスターしていた
から付け焼き刃ではありませんよ。やればできますよ。
またこれを機会にもともと英会話の学力もそこそこあるんだから青少年が
ひょんなことで自信を持つことによって変身を遂げることはあるかもしれない。
しかしこれって、そんな程度に過ぎないお話?
また啓太少年のムラ気とは因縁の現れのはずだ。
その因縁というのはアドバイス一つで切れるもの?
実は観音慈恵会信者だった石川先生はアドバイス以外のものを伝授したのかもしれない。
だったら一日で小心もムラ気も克服できる秘法って何だよ?
496 :
ユビキタス ◆AFU2rOqH7nac :2013/01/20(日) 20:49:47.23 ID:t8TzBcZ/
訂正。啓太が立花先輩の前で演武してみせ人格の転換を立証してみせたのは
翌日ではなく翌週でした。
しかし1週間そこらでこれだけ気弱な男が雄々しくなれる魔法とは?
そんなものがあるのなら1週間で人格転換してみせる因縁解脱の実例が他にもあるはずだ。
啓太は短期で因縁解脱を成し遂げたのか?
因縁解脱をするにも紆余曲折を経てそれなりの時間がかかるはずだ。
そうでなければ大した因縁ですらなかったことになる。
だからもし、このにんじんの系譜のエピソードに元ネタがあるのなら
もともと気弱な少年が観音慈恵会の信者でもあった家庭教師から入行を勧められ
紆余曲折を経て時間をかけて、最後は自分の欠点も克服したという話しかない。
ならばそれを示すのに、どうしてこんな手のこんだ魔法話のような脚色を添えて
嘘の話にするのか?
全く読者に対して誠意がない。読者を騙している。
497 :
ユビキタス ◆AFU2rOqH7nac :2013/01/20(日) 21:49:24.18 ID:t8TzBcZ/
作り話にどうでもよい話だが、にんじんの系譜を読み直したが、伍一ドンに脅されたその日
石川先生は休みで啓太は会えなかったのだが、一週間ほど教授と共に九州に
行って帰って来ないとのことだ。それで啓太も焦ったわけだ。
それが石川先生が予定より1日早く帰ってきて啓太に会えたので立花先輩との
面会前に間に合ったわけです。
すなわち秘密のトレーニングを一週間もするような猶予はない。
観音慈恵会への例祭入行すら間に合わないと見てよいと思う。
石川先生の師事する桐山密教との関連などお守り袋か護摩木くらいしか接点がない。
もちろん石川先生が桐山直伝の秘法など学んでいるはずもないし、そんな都合のよい
秘法などない。
石川先生自身自分も弱虫だったがある転機(桐山密教入信と言いたいのでしょうな)
により弱虫を克服したとある。もちろん変わるには努力が必要だが、努力すれば
必ず変わることが出来ると啓太を励ましていた。その努力が一週間にも満たない
付け焼き刃であるはずもない。
498 :
ユビキタス ◆AFU2rOqH7nac :2013/01/20(日) 22:01:35.73 ID:t8TzBcZ/
「ここに書かれた出来事は、すべて真実のものである。ただ、読みやすいように、
私が、人生の繁雑で無駄な出来事を整理要約して記述したに過ぎない。
もしもあなたが欲するなら、この三つの物語の主人公にはいつでも会うことができるのだ。」
(チャンネルをまわせ 1975年7月5日二版 121頁より)
脚色とすら書いていない。
啓太のムラ気は今なら霊障の疑いありなんてインネン付けるでしょうね。
解脱供養せずとも啓太のムラ気は解消しましたとさ。
因縁でも霊障でもなかった?
だったらチャンネルをまわせ=因縁を変えろのテーマに使えるネタで無いじゃん。
はい、作り話、作り話。
誇大宣伝ではなく嘘の宣伝。
499 :
神も仏も名無しさん:2013/01/20(日) 22:11:10.88 ID:fVyOBp8r
500 :
深山 ◆Y0jS4ug6fQ :2013/01/20(日) 22:25:40.28 ID:MDb8g/jC
>>463 :神も仏も名無しさん:2013/01/20(日) 10:51:42.21 ID:vxMp3cQN
>煩悩とは意のはたらきであって、身と口の行為は煩悩とは言わない、業という。
これは準シュダオンさんの間違いです。
これを見ても、桐山さんと同じで、あなたは煩悩を制御するなど、
理解どころか、試してみたことさえもないのがよくわかる。
煩悩は煩悩単独でひょっこり出てくるのではありません。
あるというなら、出してごらんなさい。
煩悩単独では捕まえることなどできません。
煩悩は身口意の三業に現れるのです。
身口意の三業に現れる煩悩を制御するのです。
三業(行為)に現れた煩悩を制御し、三業(行為)に煩悩が現れないようにする、
このように釈尊は業(行為)を説いたから、業論者と呼ばれ、
自らも業論者であると自認していた。
身口意の三業の制御こそが煩悩の制御です。
501 :
神も仏も名無しさん:2013/01/20(日) 22:26:26.40 ID:fVyOBp8r
502 :
ユビキタス ◆AFU2rOqH7nac :2013/01/20(日) 22:30:55.29 ID:t8TzBcZ/
ましてや「チャンネルをまわせ」の目玉は桐山流ソンディ心理学ですよ。
にんじんの系譜の啓太少年はソンディ心理学から見てどうであり、それの解消に
どうやったと言うのだ?
503 :
深山 ◆Y0jS4ug6fQ :2013/01/20(日) 22:31:24.25 ID:MDb8g/jC
>>463 :神も仏も名無しさん:2013/01/20(日) 10:51:42.21 ID:vxMp3cQN
>手術で煩悩を起こす脳ミソを取っても、仏陀ではないのだ。
準シュダオンさんがこれを書くのは二度目であり、あなたは反論して
おかないと調子に乗って書き続けるだろうから、反論します。
手術でどうやって煩悩を取り除くのですか。
相変わらず、あなたは自分のわずかばかりの知識に勝手な
解釈を加えて、とんでもない主張をする。
あなたの主張の背景にあるのはロボトミーのことですよね。
前頭葉を切り離すことで、鬱病が改善されたという手術です。
チンパンジーは穏やかな性格になり、人間も無気力になるという副作用が出てきた。
あなたはこれを手術で欲望がなくなったと勘違いしているのですよね。
あなたは、無気力と欲望の制御とが違うことすらわからない。
ロボトミーでは、無気力だけでなく、抑制が効かない、つまり
感情のコントロールが出来ないなどの副作用もみられる。
煩悩の制御という点では逆効果です。
これのどこが煩悩を手術で取り去ったことになるのだ?
504 :
深山 ◆Y0jS4ug6fQ :2013/01/20(日) 22:37:13.43 ID:MDb8g/jC
>>463 :神も仏も名無しさん:2013/01/20(日) 10:51:42.21 ID:vxMp3cQN
>手術で煩悩を起こす脳ミソを取っても、仏陀ではないのだ。
準シュダオンさんや桐山さんは煩悩を制御してみようとしたこともない。
頭から小馬鹿にして、試したこともないのです。
だから、煩悩を減らすとか、制御することを、
認知症でボーッとした老人のような状態だと思いこんでいる。
これが仏教のことをまるっきり知らず、阿含経も読んだことがない人なら、
勝手にそのように空想で思いこんでいても驚かないが、桐山さんは
阿含経の講義をしながら、準シュダオンさんも偉そうに阿含経を
唱えながら、経典にある釈尊たちの状態をまるで理解できない。
煩悩を制御することを、手術で無気力になった状態と同じだというのだから、
あまりの見識の低さに絶句する。
505 :
深山 ◆Y0jS4ug6fQ :2013/01/20(日) 22:42:18.94 ID:MDb8g/jC
>>478 :神も仏も名無しさん:2013/01/20(日) 13:51:01.17 ID:vxMp3cQN
>あるのは煩悩滅だけだ、と、深山ユビキタ倫理道徳仏教は言うわけだw
煩悩を制御するとは、ボーッとした状態とは正反対なのです。
強烈に覚醒した状態で、一瞬たりとも自分を忘れることがなく、
常に常に自分の身口意の三業(行為)を監視し続けるのです。
その一つのやり方が四念処です。
桐山さんは、四念処を瞑想であり、万物が流転する様子を
頭の中で空想することだと言っている。
どうやったらここまで愚かな解釈ができるのだろうと、さすがは
準シュダオンさんの師匠だけのことがあると感心する。
経典や学者の解説を読んだら、こんな愚かな解釈はできません。
四念処は瞑想などではない。
瞑想も食事もトイレも、常に四念処を続けるのです。
眠っている時ですら、それをするのだという。
一瞬たりとも気を抜かず、自分の身口意の三業に
煩悩が現れないように気をつけるのを、信者さんたちは
ただの倫理道徳に見えるのですか。
あるいは脳の手術をして意欲を低下させれば簡単にできるとか、
これを小解脱や「倫理道徳仏教」だと思いますか。
小馬鹿にする前に、一分でもいいから、試してみることです。
506 :
深山 ◆Y0jS4ug6fQ :2013/01/20(日) 22:48:54.00 ID:MDb8g/jC
>>478 :神も仏も名無しさん:2013/01/20(日) 13:51:01.17 ID:vxMp3cQN
>あるのは煩悩滅だけだ、と、深山ユビキタ倫理道徳仏教は言うわけだw
信者さんたちも桐山さんから、「煩悩を断ちきるなんて倫理道徳の
レベルであり、本当の仏法とは、カルマを断ちきる成仏リキという力
そのものなのだ」と教えられている。
その結果、上記の準シュダオンさんのように倫理道徳を侮蔑する。
しかも、侮蔑している連中に限って、人並みの倫理道徳すらも守っていない。
準シュダオンさんは嘘は平気で、自分の間違いはいっさい認めず、
他人を罵らないでは一行も書けないほど倫理観の低い人であり、
彼が模範にしている桐山さんは言うに及ばずです。
桐山さんの作った教義は嘘だらけ、人を騙す、霊障で脅かす、
女に手を出す、批判本の出版を妨害する、右翼と関わり、
ヤクザに貢ぐなど、人並みの倫理道徳さえを守っていない。
こういう連中には、倫理道徳仏教などと侮蔑的に言う資格すらない。
507 :
深山 ◆Y0jS4ug6fQ :2013/01/20(日) 22:54:59.03 ID:MDb8g/jC
>>478 :神も仏も名無しさん:2013/01/20(日) 13:51:01.17 ID:vxMp3cQN
>あるのは煩悩滅だけだ、と、深山ユビキタ倫理道徳仏教は言うわけだw
信者さんたちがこの人並みの倫理道徳すら守れない桐山さんを
成仏リキを持った聖者だと崇拝するのは信仰の自由です。
だが、それならせめて釈尊の名前を出すのはやめたらどうか。
桐山さんは釈尊の煩悩解脱を小解脱と罵った。
煩悩を切ることなど倫理道徳のオシエにすぎないと小馬鹿にしている。
だったら釈尊の名前や阿含経を語るのはやめてはどうか。
アゴン宗は業解脱を最高の解脱として、護摩を使って死者成仏や
現世利益を説く教団にすぎず、仏教ではない。
釈尊を小馬鹿にして、足で踏んづけながら、
それでいて自分たちの宗教の宣伝のためなら釈尊や阿含経を使う。
私は信者さんたち全員が、桐山さんや準シュダオンさんほどには
悪質な人間だとは思っていない。
知らないから、しているのですよね。
だが、ここで何度も説明を受けた。
批判側は具体的に阿含経を出し、説明した。
もはや無視して良いことではありません。
508 :
深山 ◆Y0jS4ug6fQ :2013/01/20(日) 23:01:33.66 ID:MDb8g/jC
>>478 :神も仏も名無しさん:2013/01/20(日) 13:51:01.17 ID:vxMp3cQN
>つまり、自分が犯した悪業による業報を消滅させたわけであるよ。
「妄執を離れ、執著することなく、感官の門を護り、よくみずから制御し、
罪悪の根を除き去って、わたしは汚れの消滅に達した。」(
>>479)
アングリマーラの件一つをとっても、準シュダオンさんは
業の報いを消滅させたと因縁解脱を唱えている。
だが、ただ反論を無視して吠えるだけで、何一つ文章の証拠は出せない。
一方、批判側は具体的な経典を引用し、アングリマーラが解脱した後に
石を投げられるなど、業解脱では説明がつかないことを何度も示した。
また、479でラシンさんが引用した経典を見ればわかるように、
アングリマーラ自身が、煩悩を断ちきったと述べており、
どこにも業解脱したなどとは述べていない。
いかがですか。
これほど明瞭な証拠を突きつけられても、まだ信者さんたちは
釈尊が業解脱(因縁解脱)を説いたと主張するのでしょうか。
509 :
神も仏も名無しさん:2013/01/20(日) 23:06:31.99 ID:fVyOBp8r
510 :
深山 ◆Y0jS4ug6fQ :2013/01/20(日) 23:06:54.57 ID:MDb8g/jC
>>478 :神も仏も名無しさん:2013/01/20(日) 13:51:01.17 ID:vxMp3cQN
>つまり、自分が犯した悪業による業報を消滅させたわけであるよ。
信者さんたちが信じているような仏教は阿含経には存在しない。
釈尊の教法を選ぶのも、桐山さんを選ぶのも自由だが、
少なくとも、釈尊の教法を倫理道徳にすぎないと侮蔑して、
釈尊の頭に足をかけるような行為だけはやめてはどうか。
批判側の文章を読んで理解できる内に釈尊か桐山さんか、
どちらかを選択することです。
そうしないと、準シュダオンさんがそうであるように、
知性が失われてしまうと、理解さえもできなくなる。
こうなってしまったら、もうおしまいです。
釈尊を罵倒するという悪業を一生このまま作ることになる。
釈尊に供養することが大きな功徳になるなら、
釈尊を罵倒することがどれほどの大悪業でしょう。
今信者さんたちのしていることは、大乗仏教が経典を捏造したよりも
もっと悪いことです。
少なくとも彼らは解脱の意味を変えたりはしなかった。
阿含経と称して偽経典を作ったりもしなかった。
死者成仏や霊障解脱、地球壊滅なんて説いていなかった。
信者さんたちはどれほどの悪業に自分が加担しているのか、
自覚したほうが良い。
徳を積んだつもりで、悪業を為してどうするのですか。
511 :
神も仏も名無しさん:2013/01/20(日) 23:08:23.94 ID:fVyOBp8r
512 :
神も仏も名無しさん:2013/01/21(月) 07:51:00.66 ID:IKXcmtmE
513 :
神も仏も名無しさん:2013/01/21(月) 09:08:36.90 ID:iRicTtcs
514 :
神も仏も名無しさん:2013/01/21(月) 15:19:57.12 ID:y7UOfujW
一言、
怒りは蛇の猛毒と同じであり、欲は美しい蓮の花のようなものである ブッダ
よく見るとアゴン宗は欲望だらけです。
解脱者は食事を「欲しい」から取るのではなく
必要・不可欠だから取るようです。
体を維持するのに必要な分しか取りません。
桐山さんは聖者宣言までしていますが、どうなんでしょうか。
.
515 :
神も仏も名無しさん:2013/01/21(月) 19:38:40.05 ID:dmpwEZZB
われは、キリヤマ外道アゴン宗のインネンツケ偽大僧正、偽アジャリ、
キリヤマの性雄なるぞ!
女性信者のイテコマシを伝授しておる。
不満のあるやつは、つまみ出せ!
これが、キリヤマ性邪の方針である。
女性信者のエロそうな子のみ、ホテルで指導する。
これが、方針である。
不満のある奴は、つまみ出せ。
職員に、女性関係で問題のある奴は、クビである。
不満のある奴は、つまみ出せ!
タダシ、一族と○田はなにをしてもよろしい!
こらが、方針である。
不満のある奴は、つまみ出せ!
すみません。つまらない事を長く書きました。
516 :
神も仏も名無しさん:2013/01/21(月) 23:40:22.25 ID:+Ue6CuVT
517 :
神も仏も名無しさん:2013/01/22(火) 02:06:35.87 ID:+jnvmj6d
ストーカーってこっそり日陰のカビのように行動する人物です。
この手合いに悩まされている人は,護摩木にその趣旨を祈願記入してみましょう。
ストーカーには悪い狐みたいな悪霊が引っ付いていることが多いのです。
ストーカー本人の姓名が判明していると最も効果的ですね。
数年前までは桐山猊下の手に余ったんですが,今は法力充分です
<<付きまとい色情男縁切り 祈願>>とでも祈願してください。
518 :
神も仏も名無しさん:2013/01/22(火) 07:49:56.87 ID:D8Npve+r
519 :
神も仏も名無しさん:2013/01/22(火) 08:07:18.08 ID:zDem/O5M
相談1.
(僕ん家の爺ちゃんが脳硬塞から最近とうとう呆け始めました)
【脳硬塞認知症完治祈願】
脳障害の因縁あり
※三代前の縁者でボケて亡くなった先祖あり
桐山管長猊下に指導を受けよ
相談2.
(僕ん家の爺ちゃんが最近愛人と上手に別れられず困ってます)
【愛人縁切り成就祈願】
色情の因縁強し
※不成仏霊一体あり。
桐山管長猊下に指導を受けよ
相談3.
(僕ん家の爺ちゃんがとうとう愛人に裁判に訴えられました、どうしましょう)
【愛人裁判円満勝訴祈願】
色情の因縁+刑獄の因縁強く
※霊障の恐れあり※
桐山管長猊下に指導を受けよ
520 :
ユビキタス ◆AFU2rOqH7nac :2013/01/22(火) 08:08:58.49 ID:XGj0WRDx
>>517 >ストーカーってこっそり日陰のカビのように行動する人物です。
>この手合いに悩まされている人は,護摩木にその趣旨を祈願記入してみましょう。
私は友人がストーカーに悩まされていて、護摩木等いろいろ祈願も特別しましたが
全く効果ありませんでしたよ。
あなたは実例、実体験を根拠に書いているのですか?
521 :
ユビキタス ◆AFU2rOqH7nac :2013/01/22(火) 08:12:20.51 ID:XGj0WRDx
>>517 >ストーカーには悪い狐みたいな悪霊が引っ付いていることが多いのです。
しかし、例えばストーカーに殺されたら被害者の方に横変死の因縁があったことになり、
またストーカーに遭う人、遭わない人がいる中、遭う人にはその人の人格など関係なく
怨集の因縁があったことになり、話は簡単に行かなくなります。特にアゴン宗の場合。
霊障の疑いもあり、解脱供養も必要になること濃厚ですね。
522 :
ユビキタス ◆AFU2rOqH7nac :2013/01/22(火) 10:27:04.82 ID:XGj0WRDx
>>517 >数年前までは桐山猊下の手に余ったんですが,今は法力充分です
これは何を根拠に書いているのですか?
数年前は手に余していたと言う根拠は?今は効力があると言う根拠は?
あなた自身がはっきりと確認した実体験、さらに複数のサンプルに基づかねば、
ストーカーに悩む被害者に対して根拠の無い話を公に提示するのは不誠実になります。
523 :
神も仏も名無しさん:2013/01/22(火) 10:29:32.66 ID:LPa4cF4Y
524 :
神も仏も名無しさん:2013/01/22(火) 10:43:41.96 ID:/it1RLuu
>>あのねのね、千座行をやれば誰でも因縁解脱・成仏するという管長の言葉に、
>>ウソはないでしょう。だがね、誰でも千座行をやれると考えるのは、アホなのよ。
>大切なのは、解脱供養の必要性であれ、戒行・課行の達成であれ、きちんと基準を
>示すことですよ。長年の歴史があるのならば、その実績が指標となる。
基準なんて出せるわけないでしょw、それぞれ各自の因縁が違うのだもん。
因縁の強いものはより多く修行せい、てなことしかいえないだろうよ。
釈尊だとて、基準なんか示していないよ、釈尊が、禅定は一日○時間やれ、
なんて基準を示してるかいw?
525 :
神も仏も名無しさん:2013/01/22(火) 10:56:20.07 ID:/it1RLuu
>懺悔して、仏道に励んだ結果、現世で成仏したのはその通りですよ。
>しかしその成仏の認可、証果を得た後、托鉢に出たら、石をぶつけられ
>流血、ボロボロになる攻撃を受けたのですよ。
それは修行中のことだと思われるね。
>それを見て釈尊は、それはおまえのなした殺人の悪業の報いなんだから耐えて受けよと 示したのです。
本来であれば、多生において長い期間受けねばいけなかった苦果が、現世での短い苦果に
軽減されたわけです。
>尚、アングリマーラの死後どうなるかなんてことはこの経典は示していません。
経典に示すも何も、解脱者には来世がないことは、阿含経の常識だってのよ。
深山ダイバダッタ狂には、業力、業報、の滅についての認識が0点、なのですね。
浄土真宗的な仏教観です。それはそれでよろしい。過去の人の思考法ですから。
526 :
神も仏も名無しさん:2013/01/22(火) 11:05:49.52 ID:k8qh03xB
今日の一考:
もう多く歳を取ってしまったが
あなたは生きる意味、存在の意味を考えたことがあるか?
私は学生時代に考えたことがある。
人間は何の為に生きているのか、存在の意味及び意義は何か?
まわりの人を見ても
毎日ご飯を食べ、仕事し、風呂に入りそして寝る。
また起きてご飯を食べ仕事し・・・それの繰り返し、それしかやってない。
そして人生の途中で死んでいく。 とても虚しく感じてしまう。
それでは、仏教はこの問題をどう考えているのか?
仏教の答えは
渇愛・煩悩・執着があるから生きているのだ、ということです。
至極簡単であるがとても深い言葉だ。
渇愛があるから、いくら生きいても、満足に至らず、生きていたいのに
みんな死んでいく。渇愛がある限り、死んでもまた生を合成してしまう。
つまり、転生するのです。これが限りなく続く。
ゆえに渇愛をなくし解脱することを「生きる目的」にするべきだ。
ブッダ釈尊の教えに納得すれば有意義な人生の目的が現れる。
(「 原訳 スッタ・ニパータ」より一部引用 )
527 :
神も仏も名無しさん:2013/01/22(火) 11:09:43.92 ID:k98qiMSa
528 :
深山 ◆Y0jS4ug6fQ :2013/01/22(火) 12:10:25.82 ID:SZzPAKAf
『原始仏典 6』春秋社、212〜213頁)
そのとき、長老アングリマーラは、一人離れて精進し、努力し、専念して住していた。
まもなく、そのために良家の息子たちが正しく家から家なき状態に出家する、
その無上なる梵行の究極を、現実世界において自ら証知し、体験して住していた。
「生は尽きた、梵行は完成した。なさるべきことは、なされた。さらにこの状態には
戻らない」と証知した。
そのとき、長老アングリマーラは、朝早く衣類を着て鉢をもって
サーヴァッティーに托鉢のために入った。
しかし、そのとき、他の人が投げた土塊が、長老アングリマーラの体にあたった。
529 :
深山 ◆Y0jS4ug6fQ :2013/01/22(火) 12:15:49.16 ID:SZzPAKAf
>>525 :神も仏も名無しさん:2013/01/22(火) 10:56:20.07 ID:/it1RLuu
>それは修行中のことだと思われるね。
また始まった。
「思われるね」という準シュダオンさんの感想はいらないのです。
>>528の経典を読みなさい。
経典には解脱した後で、ぶつけられたとある。
私とユビキタスさんから具体的に何回か経典を引用されても、
準シュダオンさんの頭の中は通過です。
脳の代わりに慢心でできたザルが入っている。
他の信者さんたちは経典を良く御覧ください。
「生は尽きた、梵行は完成した。なさるべきことは、なされた。
さらにこの状態には戻らない」
とは阿含経では解脱した時の常套句です。
そのように解脱を自覚した後で、アングリマーラは托鉢に出かけて、
土塊をぶつけられ、血だらけになって帰ってきた。
信者さんたちはアゴン宗の因縁切りと矛盾することに気がつきませんか。
530 :
Rashin:2013/01/22(火) 12:18:15.10 ID:jApNhxGg
>経典に示すも何も、解脱者には来世がないことは、阿含経の常識だってのよ。
その阿含経をくつがえすようなことを、師桐山ゲイカはご著書で
仰せになっています。
桐山ゲイカは、有余涅槃者と自称しているのだから当然来世はない、
はずが?、現世の贅沢三昧とダマシ成果に飽き足らず、
さらにまだ来世に期待し、来世でもダマシの宗教をヤルキ満々です。
自分の思うように自分を変え、自分の望むもの、願うことは、
かならず実現させずにおかない、 そして、それは現世だけでなく、
来世さえも思うままにつくり変える――、 (中略)
「輪廻転生瞑想法」をおこなえば、だれでも――、もちろん、
あなただって、思うままの人生をつくりだし、理想の来世を迎えることが
できるのである。(輪廻転生瞑想法T 桐山靖雄)
531 :
神も仏も名無しさん:2013/01/22(火) 12:19:09.81 ID:k98qiMSa
532 :
神も仏も名無しさん:2013/01/22(火) 12:20:49.05 ID:k98qiMSa
>>221 :任務を果たすだけで、準シュダオンさんの株は上がるのです。柔軟な対応のできる人だと評価が上がる。
2ちゃんで株が上がるとか下がるとか www こういうところが。どこまで気付かないんだろうなあ。これが、
所謂馬鹿の壁、ってやつか。w
しかしここの批判者は弱い反論ばっかりで、いつまでも自分たちの責務を果たさないよな。
個人情報暴露するすると言ってやらなかったり。ま、そもそもできないことを言ったのだろうが。 ほんとうに薄い奴らだ。w
>>221 :任務を果たすだけで、準シュダオンさんの株は上がるのです。柔軟な対応のできる人だと評価が上がる。
2ちゃんで株が上がるとか下がるとか www こういうところが。どこまで気付かないんだろうなあ。これが、
所謂馬鹿の壁、ってやつか。w
しかしここの批判者は弱い反論ばっかりで、いつまでも自分たちの責務を果たさないよな。
個人情報暴露するすると言ってやらなかったり。ま、そもそもできないことを言ったのだろうが。 ほんとうに薄い奴らだ。w
>>221 :任務を果たすだけで、準シュダオンさんの株は上がるのです。柔軟な対応のできる人だと評価が上がる。
2ちゃんで株が上がるとか下がるとか www こういうところが。どこまで気付かないんだろうなあ。これが、
所謂馬鹿の壁、ってやつか。w
しかしここの批判者は弱い反論ばっかりで、いつまでも自分たちの責務を果たさないよな。
個人情報暴露するすると言ってやらなかったり。ま、そもそもできないことを言ったのだろうが。 ほんとうに薄い奴らだ。w
>>221 :任務を果たすだけで、準シュダオンさんの株は上がるのです。柔軟な対応のできる人だと評価が上がる。
2ちゃんで株が上がるとか下がるとか www こういうところが。どこまで気付かないんだろうなあ。これが、
所謂馬鹿の壁、ってやつか。w
しかしここの批判者は弱い反論ばっかりで、いつまでも自分たちの責務を果たさないよな。
個人情報暴露するすると言ってやらなかったり。ま、そもそもできないことを言ったのだろうが。 ほんとうに薄い奴らだ。w
533 :
深山 ◆Y0jS4ug6fQ :2013/01/22(火) 12:21:04.56 ID:SZzPAKAf
「しかし、そのとき、他の人が投げた土塊が、長老アングリマーラの体にあたった。」
>>528 準シュダオンさん以外の信者さんたちは、この経典を良く見てほしい。
アゴン宗の主張と違いますよ。
たとえば、経典研究家の森川さんが、この件を、
「・・・地獄に行くはずだった運命を完全に転換して・・・・」
(『アゴンマガジン』50号、54頁)
と書いて、アングリマーラは因縁解脱(業解脱)したと述べている。
これはアゴン宗の教義であり、その意味では準シュダオンさんの
主張はアゴン宗の主張と同じです。
だが、解脱した後に石を投げられたことは業解脱したという
主張と矛盾します。
悪因縁とは過去の行為の報いなのだから、それを断ち切ったら、
報いを受けるはずがない。
だが、アングリマーラは悪業の報いを受けて血だらけになっている。
因縁解脱などしていない。
アングリマーラは解脱者であるにもかかわらず、業の報いを受けていた。
信者さんたちはこの経典の事実がアゴン宗の因縁切り、因縁解脱を
真っ向から否定していることに気がつきませんか。
そればかりか、アングリマーラ本人も因縁解脱したなどとは述べていない。
534 :
深山 ◆Y0jS4ug6fQ :2013/01/22(火) 12:26:50.84 ID:SZzPAKAf
「妄執を離れ、執著することなく、感官の門を護り、よくみずから制御し、
罪悪の根を除き去って、わたしは汚れの消滅に達した。」
(『仏弟子の告白』174ページ、
>>479)
これはアングリマーラの告白です。
準シュダオンさん以外の信者さんたちは良く読んでください。
どこに因縁を切った、悪業の報いを解脱したとありますか。
ここに並んでいるのは全部、煩悩を切ったという話です。
妄執、執着、感官、罪悪の根、汚れ、これらは煩悩の事です。
特に、ここでの罪悪とは彼の為した大量殺人を指しているのでしょう。
だが、彼はその罪悪の根を除いたとあるだけで、罪悪の報いを除いたとは述べていない。
罪悪の根とは、害心という煩悩であることを釈尊がこの経典の中で指摘しています。
本人の告白の中にすら煩悩を断ちきった話はあっても、
因縁解脱なんて言葉すらも出てこない。
信者さんたちも普通の日本語でこれらの経典を読んでください。
どこをどう読んだら、悪因縁を切ったとか、業の報いを帳消しにしたなんて
話が出てくるのだ?
535 :
深山 ◆Y0jS4ug6fQ :2013/01/22(火) 12:32:06.19 ID:SZzPAKAf
>>525 :神も仏も名無しさん:2013/01/22(火) 10:56:20.07 ID:/it1RLuu
>本来であれば、多生において長い期間受けねばいけなかった苦果が、現世での短い苦果に
>軽減されたわけです。
他の信者さんたちにお聞きするが、上記の準シュダオンさんの
主張に相当する阿含経はどこにあるのか。
引用した経典には、そんな言葉は一言も出てこない。
釈尊は彼に、本来受けるべき業の報いを今受け始めているのだと述べているだけです。
それを森川さんと準シュダオンさんは曲解して、すべて受けたという。
彼は99人とも999人とも言われる人を殺し、
釈尊によれば、地獄で数千年苦しむべき内容だという。
これだけの大悪業の報いを石を投げられて血だらけになっただけで、
どうやって帳消しになるのですか。
他の信者さんたちは、阿含経に書いていないことを勝手な空想で解釈するのではなく、
書いてあるとおりに読み、理解することです。
アングリマーラに限らず、阿含経のどこにも、業の報いを帳消しにしたとか、
運命を転換したなんて言葉や内容は出てきません。
まともな知性のない準シュダオンさんなら矛盾を感じないだろうが、
他の信者さんたちは、アングリマーラが解脱した後に業の報いを
受けていることがアゴン宗の教義に矛盾していることがわかりますよね?
またアングリマーラの告白には因縁解脱や業の報いを断ち切って
運命を変えたなど一言もないことは認めますよね。
阿含経のアングリマーラとアゴン宗の教義とは矛盾する。
どちらが間違っているのか、よおく考えてほしい。
536 :
神も仏も名無しさん:2013/01/22(火) 12:34:09.57 ID:k98qiMSa
537 :
神も仏も名無しさん:2013/01/22(火) 12:37:10.19 ID:k98qiMSa
538 :
神も仏も名無しさん:2013/01/22(火) 12:42:55.42 ID:k98qiMSa
>>235 :俺は信者だって批判も否定もできるんだぜというポーズを示す。
またまた甘い推論だよな。w 無関係者がコピペしてるとか www だったらなんで阿含宗のコピペだけされんだよ。
苦し紛れにも程がある。www
>>235 :俺は信者だって批判も否定もできるんだぜというポーズを示す。
またまた甘い推論だよな。w 無関係者がコピペしてるとか www だったらなんで阿含宗のコピペだけされんだよ。
苦し紛れにも程がある。www
>>235 :俺は信者だって批判も否定もできるんだぜというポーズを示す。
またまた甘い推論だよな。w 無関係者がコピペしてるとか www だったらなんで阿含宗のコピペだけされんだよ。
苦し紛れにも程がある。www
>>235 :俺は信者だって批判も否定もできるんだぜというポーズを示す。
またまた甘い推論だよな。w 無関係者がコピペしてるとか www だったらなんで阿含宗のコピペだけされんだよ。
苦し紛れにも程がある。www
>>235 :俺は信者だって批判も否定もできるんだぜというポーズを示す。
またまた甘い推論だよな。w 無関係者がコピペしてるとか www だったらなんで阿含宗のコピペだけされんだよ。
苦し紛れにも程がある。www
>>235 :俺は信者だって批判も否定もできるんだぜというポーズを示す。
またまた甘い推論だよな。w 無関係者がコピペしてるとか www だったらなんで阿含宗のコピペだけされんだよ。
苦し紛れにも程がある。www
>>235 :俺は信者だって批判も否定もできるんだぜというポーズを示す。
またまた甘い推論だよな。w 無関係者がコピペしてるとか www だったらなんで阿含宗のコピペだけされんだよ。
苦し紛れにも程がある。www
>>235 :俺は信者だって批判も否定もできるんだぜというポーズを示す。
またまた甘い推論だよな。w 無関係者がコピペしてるとか www だったらなんで阿含宗のコピペだけされんだよ。
苦し紛れにも程がある。www
539 :
ユビキタス ◆AFU2rOqH7nac :2013/01/22(火) 13:26:08.80 ID:jtUlh5fo
>>517 >ストーカー本人の姓名が判明していると最も効果的ですね。
私は友人につきまとうストーカーが誰であるか名前などわからなかった。
彼女自身はわかっていたようでもあるが。
そこで当時私が護摩木祈願をし、お手配願いもして、ストーカー難撲滅を祈ったわけだが、
空しくも感じた。やはりこれは本人が祈願するしかない。
いや、単なる護摩木祈願だけでは駄目で、これは解脱供養も因縁切りの行も必要になろうと思った。
(尚、警察には届けている)
540 :
神も仏も名無しさん:2013/01/22(火) 14:03:52.53 ID:g5ekHOgF
541 :
Rashin:2013/01/22(火) 14:17:33.68 ID:59GfdcIJ
>深山ダイバダッタ狂には、業力、業報、の滅についての認識が0点、なのですね。
深山さんはじめ批判側は自己の主観を述べず、経典や仏教辞典を
つとめて正確に、引用掲示しています。
桐山さんも仏典や学説を引用するが、その引用正確性には無頓着で、
自己主張を補完すべく、主観的に捻じ曲げて解釈をほどこしている。
0点というなら、桐山さんやあなたです。
批判側の引用姿勢は、ユビキタスさんが幾度か述べているように、
漢訳経ならパーリ仏典にその原資を確認するほど、慎重を期しています。
あなたもごくまれに辞典などを引用するが、桐山さんと変わらない。
「業力、業報、の滅」というアゴン宗のようなオカルト認識や意味では、
どの経典にも存在しない。
業力ごうりき
〈業〉はサンスクリット語のkarmanの漢訳語で,行為の意.
善業は楽果を,悪業は苦果を引き起こす働き・力があり,
これを〈業力〉という.(岩波仏教辞典)
542 :
Rashin:2013/01/22(火) 14:20:43.20 ID:59GfdcIJ
>深山ダイバダッタ狂には、業力、業報、の滅についての認識が0点、なのですね。
辞典にあるように業力とは、業果を引き起こす働きや力です。
業の報いが滅する(チャラになる・相殺される)などの思想は、
仏教にはありません。
身・口・意の行為によって因果応報でその報いをそれぞれ受ける、
と説かれている。
解脱者であろうが、生きている今世では報いが生じ受け続けるのです。
666 けだし何者の業も滅びることはない。それは必ずもどってきて、
業をつくった主がそれを受ける(スッタニパータ)
だが、滅(無余涅槃)とはあなたの言うように「解脱者には来世がない」
ので、報いを受けるべく境涯は存在しないということです。
ウバシーヴァが解脱しても存在し続けるか否かを釈尊に質問した答えです。
師は答えた、
「ウバシーヴァよ。滅びてしまった者には、それを測る基準が
存在しない。
かれを、ああだ、こうだと論ずるよすがが、かれには存在しない。
あらゆることがらがすっかり絶やされたとき、あらゆる論議の道は
すっかり絶えてしまったのである。」(スッタニパータ1076 )
543 :
神も仏も名無しさん:2013/01/22(火) 14:33:41.03 ID:g5ekHOgF
544 :
ユビキタス ◆AFU2rOqH7nac :2013/01/22(火) 15:00:56.86 ID:jtUlh5fo
>>517 >ストーカー本人の姓名が判明していると最も効果的ですね。
しかし職場の寮から実家に避難し、就労も収入も不能になった彼女にアゴン宗の
大金投資など勧められるだろうか?と躊躇した。
そこで宝生さんにも準シュダオンさんにも訊きたいのだが、あなたはこういう
ストーカーのような深刻な悩みに対する実の問題や相談などに対処したことが
あるだろうか?
その時にどう働いて、結果はどうだったのか?
そういう実体験の無い脳天気さんは気軽に無責任な発言をしないで欲しい。
>>517 色女史のストーカーから逃れたいのなら
「付きまとい色情女縁切り 祈願」
法力で退けられるんですか
和解金じゃなくて
546 :
ユビキタス ◆AFU2rOqH7nac :2013/01/22(火) 22:29:53.35 ID:jtUlh5fo
>>524 >基準なんて出せるわけないでしょw、それぞれ各自の因縁が違うのだもん。
いえ、ところが桐山さんは先に基準を示したのです。それも現実からかけ離れた基準だから、
せめてこれを現状に見合ったより現実に近いものに補正せよと提言しているのです。
それはまず一つは千座行の初座・中座・満座の三座の行で自分はもとより我が子の因縁まで
切って、
三行済ませて千日目
満願迎える嬉しさよ
八十億劫積もり来し
生死の罪も消ゆという
なんて歌って期待を持たせたのを訂正せよ。
547 :
ユビキタス ◆AFU2rOqH7nac :2013/01/22(火) 22:37:40.21 ID:jtUlh5fo
>>524 >基準なんて出せるわけないでしょw、それぞれ各自の因縁が違うのだもん。
だってあの和讃桐山さんの創作で千座行も桐山さんの創作でしょ?
自分で根拠の無いものを提示して、1959年から始めて長年その通りの実績も無いくせに
どうしてアゴン宗になってからまでその無責任効能を提示し続けたのか?
もとよりこちらも千日で因縁切れたらもう用はない、サイナラなんて言う気はない。
一生信仰と修行を続けるつもりで入信した。
しかし因縁解脱の宣伝文句と現実にこうまでギャップがあり過ぎるのは解せない。
548 :
ユビキタス ◆AFU2rOqH7nac :2013/01/22(火) 22:55:13.93 ID:jtUlh5fo
>>524 >基準なんて出せるわけないでしょw、それぞれ各自の因縁が違うのだもん。
次に「どこの家庭にも一体か二体の不成仏霊があるものだ」と示して解脱供養を
開始したのだけれども、一人の施主に対して一体や二体で済むはずがなく、数十はざらで
エンドレスかのように思われる。それも特例ではないのです。
つまり数十の霊障が憑いていたのです。
霊障の除去は因縁解脱の大前提です。
つまり金をうんと投資しなければ因縁解脱は無理で、それを千座行で因縁が切れる
なんて説くのは如何なる神経か?
549 :
ユビキタス ◆AFU2rOqH7nac :2013/01/22(火) 23:07:31.86 ID:jtUlh5fo
>>524 >基準なんて出せるわけないでしょw、それぞれ各自の因縁が違うのだもん。
当初の宣伝が根拠が無いのだが、当初の見通しが現実にそぐわないとわかったら
修正するのが誠意というもので、修正しないのは騙しに過ぎません。
宗務局に限らず、信者の皆さんがお導きをする時、自分がしているのと同じように
金の投資がかなり必要な現実を隠すことなく正直に話して、納得了承の上入信させてますか?
それを欠くことは結局騙しであり、あなたの罪ですよ。
ストーカーで苦しむ被害者に、責任を持って苦の滅たる因縁解脱を勧められますか?
550 :
ユビキタス ◆AFU2rOqH7nac :2013/01/22(火) 23:36:07.92 ID:jtUlh5fo
>>524 >基準なんて出せるわけないでしょw、それぞれ各自の因縁が違うのだもん。
昔ザビビで「よ」さんらと議論をしていた時、「よ」さんは問題を抱えた人に
問題解決のために入信を勧めてはならないと彼自身は結論付けていた。
しかし「よ」さんの理念とは別に、アゴン宗では「苦しむ人の杖となれ」と言って
ストーカー難などに深刻に悩む人を見つけたらカモと思えという指導です。
私は椎間板ヘルニアの再発で入院した時、思った通り来やがったよ、学会員の同僚が。
普段勧誘しなかったくせに、ここがチャンスと見たのでしょう。
しかしアゴン宗も同じことしますよ。
551 :
ユビキタス ◆AFU2rOqH7nac :2013/01/22(火) 23:48:55.65 ID:jtUlh5fo
信者の皆さんに申し上げたいのは、自分がアゴン宗の信仰をやめられなくて
在籍し続けたいのならば、せめて無責任なお導きなどしてくれるな。
もしお導きするのならば、アゴン宗の金と時間の投資の現実を包み隠さず話してください。
それが誠意というものです。
桐山さんは自分は専門外のことには妥協もするが、殊自分が専門とする宗教に関しては
一切妥協をしないと述べた。
妥協しないとは商売理由に嘘で騙さないはずですよね?
せめて信者の皆さんだけは妥協せずに正直を貫いてください。
552 :
神も仏も名無しさん:2013/01/23(水) 07:51:05.93 ID:UK+BhBk+
553 :
ユビキタス ◆AFU2rOqH7nac :2013/01/23(水) 12:56:46.45 ID:IDqlkY3X
次スレは無関係さんが誤って立ててしまったスレを有効活用ということでよろしいですね。
554 :
Rashin:2013/01/23(水) 13:54:40.72 ID:Vz+Q/IDJ
555 :
神も仏も名無しさん:2013/01/23(水) 21:17:24.27 ID:t50ynpMY
556 :
神も仏も名無しさん:2013/01/23(水) 21:32:35.83 ID:t50ynpMY
557 :
神も仏も名無しさん:2013/01/23(水) 21:56:10.40 ID:RmjyGxIs
558 :
神も仏も名無しさん:2013/01/24(木) 07:49:02.58 ID:z0IJtw9y
559 :
僕ん家の爺ちゃんに御指導お願いしますの件【相談1〜3】:2013/01/24(木) 09:01:11.32 ID:Y1DZReQY
相談1.
(僕ん家の爺ちゃんが脳硬塞から最近とうとう呆け始めました)
護摩木30日祈願せよ:
【脳硬塞認知症完治祈願】
因縁御霊視:
脳障害の因縁あり
※三代前の縁者でボケて亡くなった先祖あり
桐山管長猊下に指導を受けよ
相談2.
(僕ん家の爺ちゃんが最近愛人と上手に別れられず困ってます)
護摩木60日祈願せよ:
【愛人縁切り成就祈願】
因縁御霊視:
色情の因縁強し
※不成仏霊一体あり。
桐山管長猊下に指導を受けよ
相談3.
(僕ん家の爺ちゃんがとうとう愛人に裁判に訴えられました、どうしましょう)
護摩木90日祈願せよ:
【愛人裁判円満勝訴祈願】
因縁御霊視:
色情の因縁+刑獄の因縁強く
※霊障の恐れあり※
桐山管長猊下に指導を受けよ
560 :
神も仏も名無しさん:2013/01/24(木) 10:19:27.39 ID:GgE24Qla
>>559 該当者と指導者が、全部が桐山本人じゃんw
うまいこと言うね、言い得て妙、最高の皮肉。
だけど、あいつ、恥ずかしげもなく、相変わらず居直って、聖者面してまるで他人事のようだぜ。
そんな男についていく信者の目も落ちたもんだ。
.
561 :
ライター山田(山田 直樹)さんこういう本を書いてください:2013/01/24(木) 15:17:31.60 ID:cJ0GD6uP
阿含宗の幹部が暴露本を出版!
信者歴35年の現役幹部が内部告発!
■■■霊感商法のなれの果てに■■■
・・・私はこうして桐山靖雄の手先となった!・・・
ある日、本誌に一本の電話が。
「わたくしはもう良心の呵責に耐えられません」
罪の意識から吐露するように告白した現役幹部信者が説き明かす桐山靖雄の驚愕の手口とは!?
悪用厳禁!
昭和から平成にかけてマルチ商法も真似た捕まらない霊感商法「阿含商法」、その実態が明らかになる!
「霊感商法のなれの果てに」〜目次より〜
・霊感商法は集団ぐるみの隠ぺい行為
・人を騙すことも百も承知で行う
・お導きだ!基金だ!桐山靖雄の怒声が鳴り響く日々
・桐山靖雄は詐欺の天才だ
・霊感商法として人々を騙し続ける桐山靖雄の手口とは!?
・捕まらない霊感商法の極意とは!?
・人々を騙す霊的詐術のテクニックとは!?
・年間数億円もの裏金が闇社会に流れる構造
・司法より下された霊感商法として阿含宗?
・今こそ霊感商法から身を守ろう
・阿含宗の幹部が緊急出版した理由とは!?
・離婚、親子断絶、苦悩の日々
・費やした金額5000万円信者がゴロゴロ
・二度と悪の手先とならないために
騙されないためのサバイバル必読本!
一家に一冊、座右の書
只今、絶賛予約受付中!
562 :
神も仏も名無しさん:2013/01/24(木) 19:33:10.83 ID:UHO3FBGq
10冊ください。施本します。
エロゲイカ、その際は、サイン入りを一冊、呆施として、あげます。
『百事如意』入りをあげます。
うれしくね〜
563 :
神も仏も名無しさん:2013/01/24(木) 22:32:00.80 ID:oLwMFDLA
564 :
神も仏も名無しさん:2013/01/24(木) 22:37:32.17 ID:EUC/gokv
565 :
神も仏も名無しさん:2013/01/24(木) 22:53:20.98 ID:MeTF7IVb
ゾンビ脳のじぃちゃん、完全に無視しゃがったな。では敗北宣言と受け止めておく。
僕の説が正しいので良いということで(笑)
566 :
神も仏も名無しさん:2013/01/25(金) 07:50:58.00 ID:R9PgV/lb
567 :
☆絶対省いてはいけないこと☆信者の欲望揺さぶりの儀式☆:2013/01/25(金) 08:03:45.99 ID:3eTk7WOf
☆世の中には省いていいことと決して省いてはいけないことがある☆
いつも信者にこういいながら
阿含宗桐山靖雄は
例祭の相当の長い時間を
護摩木のゴホービ授与の為にあてていたのである。
『このゴホービは私が直々に信者一人一人にお渡しする、時間がかかってもそうする、
世の中には決して省いてはいけないことがある』
といいながらまだ金を出さない信者の前でもったいぶって
ゴホービをチラつかせゴホービ授与式をこれでもかと言うほど信者に演出して見せたのである。
信者の「欲しい」という欲望を
煽りクスグり駆り立てる為に
霊感商品というゴホービで
信者の金を釣る為に
見せしめの為に盛大に時間をかけて
ゴホービ授与式を行った。
信者の預金口座から金を引き出させる為に。
信者の欲望を煽りに煽った
その為には平気でウソもついた
「今回限り」
これが桐山さんのペテンである
この希少価値の欲望をとことん煽って信者から金を集めるだけ集めた
そしてまた次の年素知らぬ顔して昨年の商品を登場させたのである。
「今回限り」
「法具に使う」
「教材にする」「私の持仏だ」
「仏様から許可がおりた」
「仏様からのゴホービである」
この手口で信者から莫大な金を集めてきた。
ときには見せびらかし、ときには煽り、信者の欲望を揺さぶり駆り立てるゴホービ授与式
【信者の欲望を揺さぶり煽る欲望の為のゴホービ儀式】
これが桐山さんにとって絶対省いてはならないことだったのである。
568 :
ユビキタス ◆AFU2rOqH7nac :2013/01/25(金) 08:30:35.77 ID:60rS85FI
そもそも大白身法千座行なんてものは、当初はインド南天の鉄塔から龍樹菩薩が発見し、
日本にも伝えられ、聖徳太子も平清盛もこれを修したなどと宣伝していたわけです。
これ本当の話で、私が入行した1974年頃にはそういう資料も目にしてますよ。
今自分の手元にはありませんけどね。
それが後に自分が作ったという話にコロコロ変わる。
そんないい加減な千座行が大白身法の名前を三世因縁解脱成仏法に取り替えている
だけでそのままアゴン宗になっても現在に至るまで継承されています。
最初から嘘だったものは、これをなくさない限り改善もできないのですが
改善すらしていないのです。
569 :
神も仏も名無しさん:2013/01/25(金) 11:40:22.61 ID:GqbMrMxD
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26日(土)
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------------------
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570 :
神も仏も名無しさん:2013/01/25(金) 22:38:21.12 ID:c8yDq55w
571 :
神も仏も名無しさん:2013/01/25(金) 22:40:55.31 ID:c8yDq55w
572 :
神も仏も名無しさん:2013/01/25(金) 22:52:10.76 ID:Qs2/W/s5
>567 ワロタ
たしかに仏舎利ペンダントは今回限りって言って、次の年は御霊示でブレスレットがあるじゃないか〜
てなって・・・欲望を煽ること煽ること(爆)
名ばかりの仏教、外道街道まっしぐら
573 :
ユビキタス ◆AFU2rOqH7nac :2013/01/25(金) 23:25:23.62 ID:60rS85FI
>>572 ペンダントはその年限り、しかしブレスレットなら宜しいと御霊示があったとか
話していたが、結局何年か経って、またペンダントも煽りグッズに加えました。
574 :
神も仏も名無しさん:2013/01/25(金) 23:42:36.94 ID:c8yDq55w
575 :
神も仏も名無しさん:2013/01/25(金) 23:55:09.23 ID:Fz9tEKgL
今日の深夜便:
四聖諦の中の最も重要なポイントは、苦の生起は「渇愛」に縁って起きる、ということで
釈尊の悟りの根本は、この「渇愛」の発見にこそあったと言えます。
(ダンマパダ153番)
家の作者(作り手)を探し求め 幾度も生まれ、輪廻の中を 得ることもなく、彷徨(さまよ)った
(ダンマパダ154番)
家の作者よ、お前は見られた 二度と家を作りえず お前の垂木(たるき)はすべて折れ
棟木(むなぎ)も破滅されている 私の心は無作にいたり 渇愛の滅に到達す
意訳:
『私は、輪廻を造りだす原因(家の作者)を探し求めて、何度も生まれ変わり、死に変わりして輪廻の中をさ迷い続けた。
だがついに、私はその原因(家の作り手)を発見した(お前は見られた!私に見つかってしまったのだ!)。
それ故に、私はもう、家の材料となる垂木も棟木も壊してしまって、私は輪廻に赴くような何ものも作ることがない。
それは、(家の作り手である)渇愛 を滅すること に到達したからなのだ。』
これを読んでも
釈尊にとって、「渇愛 の発見」が如何に重要であったかが、そのままストレートに吐露されている内容でよくわかる。
桐山さんもタンハー(渇愛)を前面に打ち出した時期がありましたが、今やそのタンハーに染まり、操られて外道街道を
まっしぐらに突き進むめくら象に成り下がってしまった。
.
576 :
神も仏も名無しさん:2013/01/26(土) 00:01:17.06 ID:QZJ07Wqr
577 :
神も仏も名無しさん:2013/01/26(土) 01:16:06.22 ID:TXDADz1M
578 :
神も仏も名無しさん:2013/01/26(土) 07:51:41.21 ID:aaMR+Ydt
579 :
☆集めていたのは祈りではなく金でした(笑)阿含の集金まつり☆:2013/01/26(土) 08:15:08.49 ID:dOOcaYbC
阿含の星まつりは莫大な金が動きます。
{一本100円であの護摩木の山です、計算してみましょう}※5万円10万円護摩木もあるそうです。
桐山さん曰く
「3000万本の護摩木には三千万人の祈りが込められている」と
よくシラけるような言葉をアホみたく叫んでいましたが・・・
実際は信者一人一人に千本二千本護摩木を買わせてできた
信者に10〜20万円で買わせて作らせただけのただのヤラセ護摩木の山ですから(3000万本護摩木に三千万人の祈り?笑)
全くシラけてお話しにもなりません。
桐山さんの「信者に買わせる行為」は
世界平和や釈迦を世に出すスローガンのもと正当化されていましたが、
全部完全なヤラセのズルです{ヤラセのズルで積み上げた護摩木の山です}
桐山本ベストセラーは私も言われるまま買って(ベストセラーにしたいから10冊買えと桐山さんに言われ)世界を救う為の梵行?ということでしたが、
行き先は自宅の押入れの中でした(笑)
全て金の出処は信者のガマ口です。(それを桐山氏はあてにしています)(信者は教団の大切な大黒様)(爆笑)
信者は入行退会入れ代わる程都合がよい
桐山さんに信者を育てるつもりは毛頭ないからです。
ブツブツ文句を言ういろいろと昔の事を知っている出がらしの古参信者は辞めても構わん
金のある何も知らない新入行者を連れてきなさい
といったところでしょう(阿含宗のメインは金集めでサブにおまけでたまに修行があります)
「去る者は追わず」が桐山さんの口癖でした。そして後継者はお山です(笑)
もともと後継者など鼻から作るつもりなど無かったわけですからね
阿含宗の規約に
※後継者は親族血族に限る※
とチャッカリ明記されてるそうですから。
阿含宗にとって年に一度の欠かすことのできない
毎年莫大な金が動く巨大集金イベント『阿含の集金まつり』になどシラけて全く行く気にもなりません。
そして私が阿含宗を辞めた理由は
1★自称因縁解脱の指導者桐山さん自身の因縁が全く切れていないという歴然たる事実、現象【脳障害の因縁「ボケ」色情の因縁「愛人」刑獄の因縁「裁判」】
2★キチガイ集金冥徳守護霊システム(((一千万円以上要求された)))※それでも世間相場以下だとぬかしおったわい(-人-)
3★愛人裁判【十数年も自称仏陀がお気に入りの美人信者を囲っていた(笑える。爆)】
580 :
神も仏も名無しさん:2013/01/26(土) 09:02:40.71 ID:kFhdVPWU
>これを読んでも
>釈尊にとって、「渇愛 の発見」が如何に重要であったかが、そのままストレートに吐露されている内容でよくわかる。
咽喉の渇いた人が水を求める例えで、渇愛としたのね。咽喉の渇き(苦)が水を求める(煩悩)わけ
です、苦が煩悩を生むという教えです。
>桐山さんもタンハー(渇愛)を前面に打ち出した時期がありましたが、今やそのタンハーに染まり、操られて外道街道を
>まっしぐらに突き進むめくら象に成り下がってしまった。
あなたは表面しか見えていないのです。もし、あなたが昔へ行って、釈尊を見たならば、
連日連夜、長者から豪華な施食供養を受ける釈尊を、食道楽タンハーに染まった釈尊だと思うでしょうなぁ。
581 :
神も仏も名無しさん:2013/01/26(土) 09:11:09.82 ID:kFhdVPWU
>>基準なんて出せるわけないでしょw、それぞれ各自の因縁が違うのだもん。
>いえ、ところが桐山さんは先に基準を示したのです。それも現実からかけ離れた基準だから、
>せめてこれを現状に見合ったより現実に近いものに補正せよと提言しているのです。
教祖に補正を提言するなんざぁ、大笑いだ。
他人の教義にケチ付けるのなら、あんたが新教を立てたらいいだろうがw。
582 :
神も仏も名無しさん:2013/01/26(土) 09:18:37.63 ID:kFhdVPWU
>>基準なんて出せるわけないでしょw、それぞれ各自の因縁が違うのだもん。
>だってあの和讃桐山さんの創作で千座行も桐山さんの創作でしょ?
>自分で根拠の無いものを提示して、1959年から始めて長年その通りの実績も無いくせに
>どうしてアゴン宗になってからまでその無責任効能を提示し続けたのか?
そういうのを世間では、鴉の勝手でしょ、というのw。
>もとよりこちらも千日で因縁切れたらもう用はない、サイナラなんて言う気はない。
>一生信仰と修行を続けるつもりで入信した。
それはあんたが世間とズレテル証拠だよ。
普通の人は、因縁切れたら、はいサヨナラよ、と考えるね。
583 :
神も仏も名無しさん:2013/01/26(土) 09:27:02.09 ID:kFhdVPWU
>次に「どこの家庭にも一体か二体の不成仏霊があるものだ」と示して解脱供養を
>開始したのだけれども、一人の施主に対して一体や二体で済むはずがなく、数十はざらで
>エンドレスかのように思われる。それも特例ではないのです。
>つまり数十の霊障が憑いていたのです。
>霊障の除去は因縁解脱の大前提です。
霊視能力を身につけてから、そういう確信を得たわけでしょ。
>つまり金をうんと投資しなければ因縁解脱は無理で、それを千座行で因縁が切れる
>なんて説くのは如何なる神経か?
千座行を始めた頃は、霊視能力が欠けていたのでしょうから、ああ仕方なかんべさ。
584 :
神も仏も名無しさん:2013/01/26(土) 09:32:06.94 ID:kFhdVPWU
>金の投資がかなり必要な現実を隠すことなく正直に話して、納得了承の上入信させてますか?
>それを欠くことは結局騙しであり、あなたの罪ですよ。
あのね、金がかなり必要だと思うのは、あなたの妄想にすぎないのよw。
最低限、月額2千円の会費を払っていれば、会員資格は維持されるわけなのよw。
585 :
ねぎ:2013/01/26(土) 09:34:51.32 ID:LD/Lan/G
>>579 一本だけ買えばいいぢゃん
なんで千本も買うの?
テレビ放送している局もあるわけだし
冬の京都観光の一つとして売り出しているのだから
裏で信者が千本も二千本も購入させられているのであれば
番組中に暴露すればいいのにね。
でもカルト問題化しないなぜ?
586 :
神も仏も名無しさん:2013/01/26(土) 09:36:34.46 ID:kFhdVPWU
>信者の皆さんに申し上げたいのは、自分がアゴン宗の信仰をやめられなくて
>在籍し続けたいのならば、せめて無責任なお導きなどしてくれるな。
>もしお導きするのならば、アゴン宗の金と時間の投資の現実を包み隠さず話してください。
あんたねぇ、他人の生き方に注文つけるよりは、自分の生き方に注文つけなさいな。
587 :
ねぎ:2013/01/26(土) 09:40:01.75 ID:LD/Lan/G
588 :
神も仏も名無しさん:2013/01/26(土) 09:46:58.06 ID:kFhdVPWU
>:僕ん家の爺ちゃんに御指導お願いしますの件【相談1〜3】:2013/01/24(木) 09:01:11.32 ID:Y1DZReQY
>相談1.
>(僕ん家の爺ちゃんが脳硬塞から最近とうとう呆け始めました)
>護摩木30日祈願せよ:
【脳硬塞認知症完治祈願】
そういう回答では落第w。
さっさと死ねるように、麻生副総理に相談しなさい。
>脳障害の因縁あり
呆けたんだから、言われなくても解るっての。
>相談2.
>(僕ん家の爺ちゃんが最近愛人と上手に別れられず困ってます)
>護摩木60日祈願せよ:
>【愛人縁切り成就祈願】
この回答↑も落第!
別れられないなら、別れなければ問題はない。
もっと愛人が増えるように、護摩木祈願をするべし。
589 :
神も仏も名無しさん:2013/01/26(土) 10:03:46.40 ID:kFhdVPWU
>
>>586 >ちなみにキミは何本、購入しているの?
最近は数えたことないよ。
多い年で、2千本くらいかなぁ。
少ない年は、百本くらいか?
590 :
ねぎ:2013/01/26(土) 10:13:20.20 ID:LD/Lan/G
>>589 回答サンクス。
年によって違ったり、憶えてないということは
星まつりに際してまとめて購入しているわけではなく
一年を通じて事あるごとに(悩みとか願い)
購入して冬のこの時期に一年分の護摩木をまとめて供養するというシステムなの?
591 :
神も仏も名無しさん:2013/01/26(土) 11:01:59.48 ID:y0qKU+3A
>>544 困った人に沢山のお金を出しましょうなんてのは駄目だ。
護摩木 千円分で好いじゃないですか、真剣に念力込めて<ストーカー退治>を
祈願しましょうよ。
先祖からの瞑助のため供養護摩木500円、悪人退治に500円が上手い配分になるのである。
544さんは、今までの人生で神仏に救済を祈ったことが皆無なほど幸福な御仁だ。
592 :
深山 ◆Y0jS4ug6fQ :2013/01/26(土) 12:03:04.71 ID:756P2YoV
>>580 :神も仏も名無しさん:2013/01/26(土) 09:02:40.71 ID:kFhdVPWU
>です、苦が煩悩を生むという教えです。
また嘘を平気で書く。
あなたのは準シュダオン教で、アゴン宗ですらない。
煩悩が苦を生むのです。
十二縁起のどこに苦が煩悩を生むとあるのだ?
ここはアゴン宗を批判するスレであって、
あなたの個人の宗教観を議論したければ別スレを立てろと
何度言われたらわかるのだ?
十年間言われ続けて、未だに学習できない。
593 :
深山 ◆Y0jS4ug6fQ :2013/01/26(土) 12:08:09.62 ID:756P2YoV
>>580 :神も仏も名無しさん:2013/01/26(土) 09:02:40.71 ID:kFhdVPWU
>あなたは表面しか見えていないのです。もし、あなたが昔へ行って、釈尊を見たならば、
>連日連夜、長者から豪華な施食供養を受ける釈尊を、食道楽タンハーに染まった釈尊だと思うでしょうなぁ。
連日連夜???
あなたはこんなことも知らないのですね。
出家は午前中に一食取るのみで、連夜なんて食べるはずがない。
釈尊が毎日、あちらこちらに招待されて食っていたとまだ信じている。
準シュダオンさんはだいぶん前にもこれを出して、私から笑われたのを
当然、覚えていない。
招待など例外であり、大半は托鉢です。
だから、アンバパーリの招待を受けても、他の貴族たちの招待は断った。
連日というなら、次の日にすればいいのに、断っているのです。
連日連夜ってのは、桐山さんやあなたのことでしょう?
桐山さんも滝行の途中で修行者を放置して、信者の家で接待を受けていたという。
桐山さんもあなたも生活習慣病になるほど食べ続け、
それでもまだ桐山さんもあなたも食欲が抑えられず、
桐山さんは京都からわざわざ弁当を持ってこさせ、
準シュダオンさんは意地汚くタダ飯を喰らい、タダ酒を飲む。
食欲のままの自分たちと釈尊を同列にしないことです。
594 :
深山 ◆Y0jS4ug6fQ :2013/01/26(土) 12:13:15.87 ID:756P2YoV
>>581 :神も仏も名無しさん:2013/01/26(土) 09:11:09.82 ID:kFhdVPWU
>教祖に補正を提言するなんざぁ、大笑いだ。
>他人の教義にケチ付けるのなら、あんたが新教を立てたらいいだろうがw。
>>586 :神も仏も名無しさん:2013/01/26(土) 09:36:34.46 ID:kFhdVPWU
>あんたねぇ、他人の生き方に注文つけるよりは、自分の生き方に注文つけなさいな。
桐山批判にケチをつけるなら、準シュダオンさんが新スレを立てなさい。
ここは桐山アゴン宗を批判するスレです。
教義を批判するのはこのスレでは正しい。
宗教詐欺師の桐山さんの生き方を批判するのもここでは正しい。
それにケチや注文をつけている準シュダオンさんのほうがおかしい。
こういうピント外れで筋違いなことを書くのは、準シュダオンさんは
ここが何のスレなのか、何を議論しているのか忘れてしまうからでしょう?
595 :
深山 ◆Y0jS4ug6fQ :2013/01/26(土) 12:18:25.71 ID:756P2YoV
>>582 :神も仏も名無しさん:2013/01/26(土) 09:18:37.63 ID:kFhdVPWU
>そういうのを世間では、鴉の勝手でしょ、というのw。
いいえ、これを世間では嘘というのです。
桐山さんはインスピレーションで和讃を書いたと述べている。
だが、実は完全に他人の文章のパクリだった。
準シュダオンさんがこういう桐山さんの嘘が気にならず、
カラスの勝手などと言うのは、あなた自身が嘘の常習犯だからです。
同じ嘘つきだから、桐山さんの嘘が気にならない。
嘘つき同士、同病相憐れむというのです。
だが、世間では、こういうのを嘘つきといいます。
アゴン宗の教義の中で桐山さんが作り上げた大半が
こんなふうに嘘やパクリでできている。
さすがは宗教詐欺師だけのことがあって、金太郎飴のように
どこを切っても嘘とパクリしか出てこない。
そして同じような嘘つきの信者は、こういう桐山さんの
嘘を見ても、何も感じない。
他の信者さんたちは、桐山さんの嘘をどう思いましたか。
596 :
深山 ◆Y0jS4ug6fQ :2013/01/26(土) 12:23:46.29 ID:756P2YoV
>>582 :神も仏も名無しさん:2013/01/26(土) 09:18:37.63 ID:kFhdVPWU
>それはあんたが世間とズレテル証拠だよ。
>普通の人は、因縁切れたら、はいサヨナラよ、と考えるね。
なるほど、これが準シュダオンさんが入信した時の考えですね。
いかにも準シュダオンさんらしく、セコイ。
あなたは仕事でうまくいかなくなり、宗教に逃げ込んだ。
超能力でも獲得して逆転してやれと思ったのでしょう?
だから、因縁が切れ、超能力が獲得できれば、こんな宗教は
オサラバだと思っていた。
嘘つきは泥棒の始まりというが、あなたはまさに嘘つきであり、
泥棒みたいにおいしい所だけいただいて、あとはトンズラするつもりでいたのだ。
その姿勢にあなたの人生観や生き方、宗教観が表れていて、
実にわかりやすい。
そして、こういう点だけは桐山さんとそっくりです。
あまりにわかりやすくて、エゴイストぶりに鼻をつまみます。
鼻をつまむなどと書かれても、あなたはなぜ鼻をつままれるのか
意味がわからないし、ただの悪口だと思っている。
恥知らずだから、自分が悪臭を放っていることがわからない。
597 :
深山 ◆Y0jS4ug6fQ :2013/01/26(土) 12:29:00.16 ID:756P2YoV
>>583 :神も仏も名無しさん:2013/01/26(土) 09:27:02.09 ID:kFhdVPWU
>霊視能力を身につけてから、そういう確信を得たわけでしょ。
では、桐山さんが身につけた霊能力で霊視したという十八人の
霊障武士の元となった、信州幕末の上意討ちの証拠を示してみなさい。
信州幕末には上意討ちなんてない。
信州全体の死者が五十数人なのに、18人も上意討ちされて
記録が残らないはずないし、藩主は隠す必要もなく、遺族は隠すはずもない。
百姓一揆の首謀者の名前すら残っているのに、武士が上意討ちという
公務によって殺された記録が残らないなどありえない。
ソンディが異母兄の生まれ変わりだと桐山さんは霊視した。
ソンディは異母兄に四歳から育てられたのに、
どうして生まれ変われるのか、説明してみなさい。
できるはずがない。
これらの事例はアゴン宗の教義にもなっているくらいの
桐山さんの霊能力の重大な証拠です。
他にも霊視に基づいた地球壊滅の大予言があるが、
これも二度も繰り返したのにバカ外れ。
桐山さんに霊能力があると言いたいなら、これらの根拠を
示してからにしなさい。
もちろん、準シュダオンさんにそれができるはずがない。
あなたは口先だけの無責任男です。
598 :
ねぎ:2013/01/26(土) 12:29:11.02 ID:LD/Lan/G
>>593 貴族の招待を断ったのは、先約があったからですよ。
逆だったら、アンバパーリの招待を断ってますよ。
貴族が別の日に招待すれば釈尊は受けてますよ
しかし貴族は遊女ごときの招待を断って、自分たちの招待を受けなかったことに
腹をたてたんです。
釈尊の基本はどんな料理であっても布施されるものは拒まずです。
最後に接待された際の料理は直訳すると「野ブタ やわらかい」という二つの語なのですが
きのこと言う説もありますが、豚肉という説もあります。
初期仏教の時代は肉であろうと招待されれば、食べたのです。
599 :
ねぎ:2013/01/26(土) 12:33:36.51 ID:LD/Lan/G
桐山批判は大いに結構なのだが、
批判するのであれば、「正しい仏教理解」に基づいてされてくださいな
まあ何が正しいのかは議論の分かれるところではありますが
攻撃の為の非難と批判は違うと私は思います。
桐山批判側に、この一線を越える方が多いと
第三者からは、悪意あっての攻撃のように見えます
600 :
深山 ◆Y0jS4ug6fQ :2013/01/26(土) 12:34:41.04 ID:756P2YoV
>>583 :神も仏も名無しさん:2013/01/26(土) 09:27:02.09 ID:kFhdVPWU
>千座行を始めた頃は、霊視能力が欠けていたのでしょうから、ああ仕方なかんべさ。
これは驚いた。
桐山さんの能力が嘘だと認めるのですね。
そのとおりで、千座行を始め頃も今も桐山さんに霊能力なんてない。
まるで昔はなかったが、今はあるかのように誤魔化したつもりだろうが、
そうはいかない。
今、霊視能力があるというなら、上意討ちとソンディの証拠を出しなさい。
霊障のカルマで地球が壊滅すると二度も桐山さんは大予言をした。
地球の上を厚く霊障のカルマが覆っていると今でも言っている。
だが、霊障のカルマを霊視できるのは桐山さん一人で、その霊視の
正しさの証拠となるのが1999年と2010年まで地球壊滅だった。
どこに地球壊滅があったのだ?
13救いの輪などど、さんざん脅かすだけ脅かし、金品を巻き
上げただけで、何にもない。
桐山さんの霊能力など本人と信者が作り出した妄想にすぎない。
彼には巷の霊能者のほどの能力もありません。
601 :
深山 ◆Y0jS4ug6fQ :2013/01/26(土) 12:39:48.78 ID:756P2YoV
>>584 :神も仏も名無しさん:2013/01/26(土) 09:32:06.94 ID:kFhdVPWU
>あのね、金がかなり必要だと思うのは、あなたの妄想にすぎないのよw。
>最低限、月額2千円の会費を払っていれば、会員資格は維持されるわけなのよw。
相変わらず、話をすり替えて、誤魔化しですね。
あなたは信者でいることと、因縁を切ることをすり替えている。
信者でいるためには二千円で良いが、因縁を切るためには二千円では足りない。
霊障を解くには解脱供養や冥徳供養が必要です。
桐山さんが出している内容はすべて修行に必要だと述べている。
何一つ無駄なことや、必要のないことなど出していない。
全部するのが言われた通りにすることです。
桐山さんは、言われたとおりすれば因縁が切れると言った。
その言われた通りにするとは、二つしかなく、金と人を出すことです。
そして大半がお金を出すことです。
因縁切りであれ、なんであれ、アゴン宗で正しい修行、
桐山ゲイカの指示したとおりの修行をするためには巨額のお金がかかる。
いくら、あなたが会費の話とすり替えても無駄で、
信者、元信者を問わず、アゴン宗でお金がかかることは皆さん認める。
あなたは、自分が出さない言い訳をしたいだけです。
602 :
深山 ◆Y0jS4ug6fQ :
>>588 :神も仏も名無しさん:2013/01/26(土) 09:46:58.06 ID:kFhdVPWU
>さっさと死ねるように、麻生副総理に相談しなさい。
>別れられないなら、別れなければ問題はない。
>もっと愛人が増えるように、護摩木祈願をするべし。
批判側を小馬鹿にしたつもりで書いてるのだろうが、
桐山さんに上記のように助言してあげたらどうか。
準シュダオンさんも脳梗塞ですよ。
暴飲暴食が原因の糖尿病から脳梗塞や心筋梗塞は定番メニューです。
すると、「さっさと死ねるように」とあなたは自分にも言っているのですね。
批判側はあなたと違い、桐山ゲイカにさっさと死ねなんて言わない。
まったく逆で、「ヨレヨレ長生き」です。
今年も御輿に担がれて出てくるでしょう。
古い信者や元信者なら知っているように、桐山さんは、
「自分の足で山に登れないなら、山伏をやめる」と宣言していた。
そればかりか、よその柴燈護摩を焚く人たちを「老人ばかり」と
鼻先で小馬鹿にしていた。
だが、小馬鹿にしていた老人山伏よりももっとみっともない姿で
人前に出てくることになった。
もっとも、桐山さんは準シュダオンさんと同じで、自分の言葉に
責任なんて持たないし、羞恥心のあり方が普通と違うから、
恥ずかしいなんて思っていない。