952 :
神も仏も名無しさん:2012/08/25(土) 21:37:59.86 ID:IswuZjgK
>>950 それは証明じゃなくて、直接知覚だから
その体験を信じるわけでしょう。例えば、今、自分が実在すると信じるように。
証明というのは後代、ダルマキールティ以降たくさん行われましたが、
結局、凡人にとって信じるか信じないかでしょう。
それは基本的に仏教を信じるか信じないかに繋がると思います。
別に信じない人は、信じなければいい。ただそれだけでしょう。
953 :
神も仏も名無しさん:2012/08/26(日) 00:04:34.21 ID:V1hENFnY
偉いお坊さんにお願いがあります。
どうか、★パチンコ問題を追及 糾弾していく51★に来てお説教してください。
パチンコは賭博で、人を惑わし、人を狂わせると思います。
ただの娯楽じゃないと思います。偉いお坊さんの考えを聞かせてください。
失礼しました。
>>876 閻魔大師
それは非想非非想処と何か「決定的な」違いはあるのでしょうか?
結局、禅定を細分化しただけで、あくまでも禅定内の物事に終止しているのでは?
正覚仏の教える仏教は、最終的に「覚った」結果として
「それは言葉で表現不能である(不立文字)」というような
サンジャヤ・ベーラッティプッタばりの教えに至るわけではないと思います。
もちろん、禅定を得るための教えとしては、アリだと思います。
でも禅定を得ることが、仏教の目的ではないでしょう。
禅定を目的とし、禅定の価値を専らとする範囲内においては、アールニー仙人、
ラーマプッタ仙人を蔑むことができましょうか?
そして禅定だけで覚ったと勘違いする外道に対して「決定的な違い」を握っている
正覚仏の仏教では、禅定を殊更取り上げて、前面に押し出すことはしません。
実際に仏門に入った修行者レベルの現場では、禅定は実際的な「手段」として日常的に
扱われるのだろうと思いますが、俗世間に対して教えを説く場面で、そんなものを
敢えて取り沙汰することはないでしょう。それでは外道と何ら違いがありませんから。
そもそもの「目的」からして決定的な違いがあるのです。
>>869 それは、どこを正統派と見なすかによるでしょうね。
ただ現主流派を正統派なんだと位置付けるのならば、
分派というのはすべて正統派に対する異端派扱いされることになります。
ご存知かもしれませんが、
歴史的に『神智学協会』というのはほぼ同時期に大分裂を起したのです。
しかし、どう見てもその根本的な原因というのは、
現主流派である国際本部インド・アディヤールのネオ神智学、
第二会長アニー・ベサントの後継団体にあったのであって、
ブラヴァツキーの死後を受け継いだベサントによる権威主義体制による悪運営で、
組織が腐敗堕落して空中分解したことにあります。
>>957 >正式に追放 ( >自分達の思想を神智学とは )
(伝統内の評価や実際の確執の様相の双方含め)、
ダイバダッタのような位置付けになるのかしらん?w
>>951 >>952 レスありがとう、今見返すとひどい内容でしたが
急いでたのでひどいことになってしまいました。
ただいまかえりましたので・・・。
960 :
1/2遊びをせんとや生まれけむ:2012/08/26(日) 10:35:51.84 ID:HTCz7XKE
>>954 不説さん
>それは非想非非想処と何か「決定的な」違いはあるのでしょうか?
禅定・瞑想レベルと智慧(無分別智)とは別です。
しかし、学問的に分類分別して識りたいとも思いません。
識らない、と言っておきます。(それでも後述)
理屈で識らないと不安なのですか?(
>>312>>325)
失礼ですが、それじゃ 【?】氏とおなじ陥穽に落ちますよ。
961 :
2/2遊びをせんとや生まれけむ:2012/08/26(日) 10:38:17.29 ID:HTCz7XKE
>そもそもの「目的」
『人間は死後も存在するという考え方があろうと、人間は死後存在しないいう考え方があろうと、
まさに、生老病死はあり、悲嘆苦憂悩はある。現実にそれらを征服することをわたしは教えるのである。』(マッジマ・ニカーヤ63)
この『現実に』という言葉はじつに重いですね。
ブッダは徹底したリアリスト(シュルレアリスム)です。
縁起の現実(あるがまま)です。 莫妄想です。(直接「現実」を透過した)間接『現実』です。
色即是空(坐水月道場:法灯明:直接現実) ← フィードバック → 空即是色(修空華万行:自灯明:間接現実)
>俗世間に対して教えを説く場面で、そんなものを
・総合コンサルタントの要諦 待機説法(
>>391)
・本懐(
>>220>>322 )
『ブッダに非想非非想処を伝授したラーマプトラ仙(修定主義)とブッダの違いは、
「実存苦の超克」という鋭い本懐・問題意識があるからこそ、
“非想非非想処定において”も尚働く無分別智(あるがままの縁起の現観をもたらす智慧)の発見(気づき)に繋がったのだ、と言っている。
「智慧」による「中道」の「悟り」というブッダの独創的なスタイルやウリ文句ができたのだ。
一般的な固定化されたマハーカッサパ教テキスト伝承化石「仏教」上の話ではない。』
>>961 議論スレで尋ねるにはナンセンスな質問かもしれんけど、
あなたは非想非非想処まで到達しているのか?
963 :
遊びをせんとや生まれけむ:2012/08/26(日) 13:31:51.07 ID:HTCz7XKE
>>962 >あなたは非想非非想処まで到達しているのか?
不識 & ノーコメント
964 :
神も仏も名無しさん:2012/08/26(日) 17:01:49.44 ID:pNzlt/ML
「実存苦」などという言葉を使うのは、やめるべきである。
「実存苦」は「実存楽」によって相殺され、その残高が「実存楽」の
プラスになるからこそ、人類がこれまで生存してきたのである。
「実存苦」とは、釈迦の、中道に反した病的執着・煩悩に過ぎない
ことを、精神医学的に理解する必要がある。
釈迦も、「苦を説く」ことに、「実存楽」を得、80歳過ぎまで
「実存」したのである。
輪廻転生と人格障害
http://uni.2ch.net/test/read.cgi/entrance2/1338784341/794 794 名前:机龍之介 ◆8Z1PfzdK1. [] 投稿日:2012/08/26(日) 12:24:06.72 ID:yoYgF9Qx
>ただ世俗の言い習わしに沿って仮設するなら、魂、意識、心相続が輪廻するということもできる。
そもそも縁起一代氏は、「仮設」って意味をよくご存知ない。
だから、いくら一代氏と議論しても、話が噛み合うことはない。
簡単にいうと、仮設(仮説)ってのは「想定」のことだよ。
じゃあ、なんで想定として理論構築せねばならんのか?
ってとこを、縁起一代氏は分かってない。
これは無自性(本質・本体なるものはない)だからだ!!
無自性だから、そもそも理論構築は無理。
これを前提として、中論は構成されちょるんです。
このコンセンサスなくして、中論は語ちることは出来ない。
机www
痛過ぎるw
>>964 『 >「実存楽」 』とかw 新しいな。
けど、「実存苦」に対する“対概念”としては非常に興味深い・・。
が・・・ 『 >80歳過ぎまで「実存」したのである。 』
wwwwwwwwwwwww
それ、所謂《実存》じゃねーだろwww
隠居も相変わらずユルイ頭だ・・w
「実在」ではなく、わざわざ「実存」と表現するところには、「実在」とは違うニュアンスが込められるからだろが。
んとに、言葉の使用法に関してデリカシーが欠けとるな・・。
でもディオって、結局はカーズ様たちから見れば効率の良い餌にすぎないんだよな
>>957 ベイリー追放の件については、彼女が協会所属中に覚者からの通信を得て著作を発表した
ことが協会から異端視されたからでした。何故ならば、ベサントにとっては覚者と交信できるの
は、絶対に“アディヤール神智学協会の『秘教部門』のみ”でなければならなかったからで、こう
いったところにもベサントの権威主義が如何なく発揮されているわけです。
ところが、ハイアラキーの覚者方が選択するコンタクティというのは、そういう人間が勝手に線
引きした地位階級などは関係がなかった。寧ろ、これらの権威主義体制とか結晶化し、硬直し
てしまった組織やグループというのは、ハイアラキーの覚者方はその手足としてはもう使われる
ことがないということ。
従って、ブラヴァツキー亡き後の協会では覚者の直指導は二度となされなかったし、今後もな
いでしょう。そして協会は、今だに自分ら以外のところで覚者の通信が起こることはない、という
満心に陥ったままであり、これが実態なのです。
レーリッヒもまた、ほぼ同様の内容で脱会分派しています。
シュタイナーとクリシュナムルティ両名も協会のこの組織的活動の在り方にウンザリしたのであ
り、シュタイナーの場合はハイアラキーという概念そのものが受け入れられなかった。彼は本質
的に神秘主義的キリスト教徒であって、彼の個人的見解においては、最後までキリスト(マイトレ
ーヤ)の肉体次元の再臨などというアイディアは理解することができなかった。
そして、そこへきて協会総意としてのクリシュナムルティ・マイトレーヤ運動などというの、彼に
とってとても絶えられるものではありませんでした。
クリシュナムルティはハイアラキーに対する否定ではなかったけれども、組織活動とドグマ(教義)
の捉われから脱却する方向性において独自に歩みを進めていったということです。
>自分達の思想を神智学とは名乗っていないでしょ
覚者方のとられる包括的な精神を捻じ曲げてしまったのは一体、どこなのか?
それにより、当時の有能な協会員たち大勢がいなくなってしまったという事実をお忘れですか?
例えばもしも、南方仏教が現大乗仏教の各宗門に仏教の看板を取下げるよう発令したらどうなる
でしょうね・・・。
>神智学協会の会報誌や勉強会を見ても、彼らの名前が出てくることもないよ
>まあそういうことだね
権威に従属するつもりなし。協会の公認などはこちらから願い下げです
(もちろん協会が反省して、心を入換えて素直に認めるというのならば歓迎しますが)。
という姿勢にあるのではないかと、私は思いますが・・・ハテどうでしょう?
*スレ違いということもあり、この件についてはこの辺にします。m(__)m
>>965 >簡単にいうと、仮設(仮説)ってのは「想定」のことだよ。
>これは無自性(本質・本体なるものはない)だからだ!!
>無自性だから、そもそも理論構築は無理。
ちょっと違うと思います。
実体無きものを論ずる際に仮設というのでしょう。
当然、肉体の維持存続と日常生活のすべてが仮設ということになるし、
この仮設は何も・・・・目に見えるものごとだけに限定するわけじゃない。
輪廻する機体も本物の実体ではなく、仮設です。
これは何も無いのではなくて、仮設としては存在しています。
肉体が在るのと同程度の意味合いとして。
971 :
神も仏も名無しさん:2012/08/27(月) 06:37:26.96 ID:/32wHCz5
>>970 仮設というのは原語がプラジュニャプティで、潜在力としての行・業が世間に言い習わしによって記号化(ラベリング)されて表象されることを言う。
もちろん、無自性・空性だからできること。しかし、それを縁起・此縁性として論理だって説明したところ、そしてそれこそ無我・空性を覚るための観法であるところに仏教の本質がある。
このプラジュニャプティはニュートラルな非主体的概念だけど、だからこそ分かりにくいので、それを主体的にヴィジュニャプティと言い換えたのが唯識だと思われる。
ヴィジュニャプティは、同じ語形で二つの意味で使われる。
1. vi-√jñap+ktin 識、了。
2. vi-√jñā+ṇic+kti 教、表。
1.が唯識の識、つまり知覚、認識。2.は無表業の表。こちらは表象で、プラジュニャプティにより接近するように思われる。
いずれにせよ、机が全くなにも分かってないのは明らか。
机氏へ
年末の株購入正解でしたね、楽しいでしょ?
忙しかったので未購入で残念でした!
又、チャンスがあったら教えて下さい 今度はトライするかもです
>>970 >実体無きものを論ずる際に仮設というのでしょう。
これはそのとおり。
>これは何も無いのではなくて、仮設としては存在しています。
無自性だから、こういう論理はありえない。少しヒントを・・・
AとB(主客)は対立関係には成り得ない。→無自性だから。
よってAとBを仮設して論理構築。→本来はアリエナイ。
論理において縁起の理論構築。→これによってAとBは成立、→世俗締と名づく。
(空即是色)
AとBは無自性だから、これにおいてAとBは寂滅。
第一義締においてしかAとBは成立しない。ということだよ。→無我の説明
だから最初が(色即是空)。AとB(主客)は何ぞや?と問題提起。
色即是空は空即是色となる。
中論の偉大なとこは、仮設といふ論法において勝義締を導き出してるとこだよ。
つまりAとBの寂滅(戯論)において、自性を論破しちょるんです。
寂滅したもんが、心相続することはアリエナイんでつ。
何故なら、仮設(これが戯論)という論法手段でしかないもんが相続する訳がない。
974 :
神も仏も名無しさん:2012/08/27(月) 09:11:55.40 ID:/32wHCz5
>>973 たく、規制なのに恥さらすなって、何も分かってないくせに
中論は勝義を導き出してるんじゃなくて、四句分別で諸法が実在するという戯論を寂滅に導いているわけ。
これが還滅門の縁起で、中道の観法、つまり中観なわけ。
しかも、中論24.18では逆に諸法がどのように仮設されるかも簡潔に示している。
これは詩句だけでは分からないから、諸註や、『入中論自註』や『中観荘厳論自註』
さらに、その根拠となった『勝義空性経』などを参照する必要がある。
仮設として因果がなければ、お前自身が書いてる言葉の意味や論理がないってことになるぜ。
ほんと、アホなんだって自覚した方が後生だぜ。
以上、他の人のために書いた。当分、これで誤解する人もそういないだろうから、勝手に妄想つらねてくれ
975 :
神も仏も名無しさん:2012/08/27(月) 13:35:20.74 ID:/32wHCz5
>>974 >四句分別で諸法が実在するという戯論を寂滅に導いているわけ。
ちと、問題あり、以下に訂正しとく
四句分別で諸法が実在する、虚無であるといった戯論を寂滅に導いているわけ。
976 :
机龍之介@規制代行:2012/08/27(月) 16:00:32.93 ID:4STxca85
>>975 >四句分別で諸法が実在する、虚無であるといった戯論を寂滅に導いているわけ。
無自性だから、そもそも四句分別という主客対立そのものの論理矛盾。
(これが自性だったら論理矛盾はしない)
じゃあ、無自性をどう立証するか?つまり自性(有部)を叩けるか?
って話になる。
貴殿だったらどうゆうふうに有部の矛盾を指摘する?
そうだね、私だったら「かのようであったなら」。と先ず仮設する。
これしか方法はないからね。
つまり縁起でしか無自性は語ちれない。
第一義が空(無差別)であって、主客(差別)そのものは二義である。つうことだね。
四句分別は主客対立だから、無自性では対立にならんだろ?
だから私は「先ず矛盾に気づけ」と、逝っておるんでつ。
977 :
神も仏も名無しさん:2012/08/27(月) 16:15:15.33 ID:4hDsQpUH
>>970 「仮設」という言葉は、龍樹が、その説明の困難さの故に、苦し紛れに、
ついうっかりと使ってしまったのではないでしょうか。
「仮設」も実体だから、龍樹はたちまち矛盾に陥ってしまう。
彼の言いたかったのは、単に「関係性」という「抽象観念」による構成だから、
実体であっても自性はない、ということではないでしょうか。
>>970 >この仮設は何も・・・・目に見えるものごとだけに限定するわけじゃない。
>輪廻する基体も本物の実体ではなく、仮設です。
>肉体が在るのと同程度の意味合いとして。
w
どっちでも同じw
貴方に限らず皆そう。物質的なもの(≒肉体)についてしか言ってない。見えていない。
*(だから、(隠居の如く)心経の「色即是空」にしか言及しない。
五蘊全てについて見て、初めて意味のある文句なのに・・・。)
喜びも悲しみも怒りも憎しみも愛情も、心的事象もまた仮設なわけ。(勿論、概念や名称なぞ言わずもがな)
そこには、名色の別も無く、ただ諸法が縁起するのみ。
輪廻云々とか肉体云々とかじゃないの。
物質的なものを仮設と見ることが困難なのではなく、(およそあらゆる)諸法を仮設と見ることが困難なの。
そう、まさに、貴方や在家やカラス等「アートマン論者」のように・・。
979 :
遊びをせんとや生まれけむ:2012/08/27(月) 17:50:12.76 ID:xM3ZFGkV
おやおや、帰ってみれば、皆さん、面白そうですねえw
メシの支度+ファミリータイムなので、見学しときます。
>>977 >「仮設」も実体だから
>実体であっても自性はない
なんやそれ?新説か?
詳しい話を書いといてやw
「なにか」として人間が捉えたものが全て仮設であるというのはいいとして、
物自体への仏教的アプローチはどうすんだろね。
981 :
神も仏も名無しさん:2012/08/27(月) 18:26:20.71 ID:iaVixb7H
>>980 物質(色)に対しては、四念処の「身不浄」さえ忘れなければよい。
また、「法無我」の法については、
意根・意識の対象である法境が無我(縁起・無自性・空)であるとわかれば充分。
つまり、肉体は綺麗じゃないし、心で考えたことははうさんくさいので、執着するな、と。
982 :
神も仏も名無しさん:2012/08/27(月) 18:34:50.83 ID:4hDsQpUH
>>981 >つまり、肉体は綺麗じゃないし、心で考えたことははうさんくさいので、
>執着するな、と。
そんなこという奴は、宗教者としてばかりでなく、人間としての資格も
初めからない。浅薄さと人間差別極まりない。一体、どこのどいつか。
唯識は物自体も感覚器官も阿頼耶識がつくるもんだから、観念論じゃないの?物自体なんてものがない
有部は法体恒有だけど、この法ってのは五位七十五法のことかな、だったら物自体はあるね
984 :
神も仏も名無しさん:2012/08/27(月) 19:49:04.41 ID:/32wHCz5
>>980 物自体というのは妄想、あるいは捉えられないものなら考えてもしかたないというのが仏教的アプローチ
>>981 そんな観念的なスローガンじゃないと思うよ
>>983 古唯識だとアーラヤも空でしょ。
985 :
絶対神:2012/08/27(月) 20:13:53.89 ID:rvS59R7n
>>984 「そもそも、どうしようもない事を延々と考え続けるのが人間である」
『その結果、自殺する事も幾らでもある』
判らない事を考えてもしょうがないという論法では
「何の解決にもならない」
986 :
絶対神:2012/08/27(月) 20:18:33.47 ID:rvS59R7n
「当たり前なんだが」
『疑問に明確に答えてもらう事はないにしても』
「問題点を解決して貰う事なしに「解決」はあり得ない」
なぜ、共産主義などが破綻するのかというと
『そもそも人間に理想社会を実現する「実力」がないからである』
人間には、「この世界の問題点を解決する力が、元々ないのである」
つまり、前から言っているように
「元々、現実を変える事なしに、問題の解決というのは「あり得ない」のである」
(そういう意味では、元々、「宗教」では、『誰も救われない』)
百万言、言葉を尽くすよりも、現実を変えて貰った方が
「よっぽどありがたいのである」
987 :
絶対神:2012/08/27(月) 20:21:37.40 ID:rvS59R7n
「前から言っているが」
『人を本当に根本的に救えるのは『人間』ではない』
「「神」である」(この点、釈迦や、仏教は
根本的に誤っていると言わざるを得ない)
お金の登場以来、物理と同じく単位を相互変換できる便利な道具として使われてますが・・・・・・
>>986 それ、神はいないと言ってるのと同じ
物質を与えることで満足させられるつまり悪魔と取引しろということを言ってるわけで
990 :
絶対神:2012/08/27(月) 20:26:43.15 ID:rvS59R7n
「単純に言った場合」
『人間が「真理」を知る必要なんて『元々ない』のである』
「単に、「神」に「問題点」を解決さえして貰えれば、「それでいいのだ」」
極論すれば、無病息災で、争いも悩みも苦しみもない世界を与えて貰えれば
それでよいのであって
「何が正しいとか、何が真理であるかなどを」
『追及する必要はない』(それはあまり本質的な
問題ではない。寧ろ、現実的、物的な問題からの「逃避」にしか見えないなあ……)
こう言ってはなんだけど、一般的に言って、社会的に成功していないから宗教に
人は逃げ場を求めるのであって
「世俗的に成功して満たされていれば、わざわざ宗教など求めないのではないか?」
991 :
絶対神:2012/08/27(月) 20:33:37.00 ID:rvS59R7n
『ある面における「神」の「効能」は』
『「奇跡」の力で、人を救ってくれるとか』
「世の終わりに、永遠の楽園を齎してくれるとかいう面ばかりではなく」
『健全な「思考停止」をさせてくれるところだと思う』
「人は、「神」という言葉を持ち出した時に」
『そこで「追及」をやめる事が出来るのだ』
そういう意味では、「神」は『非常に人間の精神にとって良い存在である』
>>990 それがニーチェが言ったらしいけど
キリスト教徒のルサンチマンだ。
真理を放棄して偽の真理を植え付けられ偽の神を拝ませられているということだ。
おめでたいことだよ。
実際問題さ、科学の最先端についてそれほど詳しくは知らんが
まあ、この世が素粒子とやらがCP対称性を失ったがゆえに仮に束の間存在しているような宇宙だとしても
人智においては、現象を説明するのに物をかんがえていかないといけないのはたしかなんじゃないのかね
いうなれば、この世のものが縁起による仮合であるとしても、合わされた何物かを留意しないといけないのじゃないの?
でないと、縁起によって流転するといっても、この世には法則がある。この法則はゆうなれば、いかに縁起するかの法則であるが
その法則が、なぜ起こるかというと、この宇宙の固有性と言ってしまえば早いが、人智の及ぶ範囲内においても
その物自体の固有性に依っているということが分かる。
たとえば、犬というものが同じ犬というものを量産していく現象について、縁起と言えるとはいえ、本質、より的確な言い方をすれば
犬という生物の生体機能、生態からそうであるから、と言った方が早いだろう
人生の幸不幸で人は真理探求の手を休めるものではない
真理探究は仏教の目指すところじゃないんだけど。
人間は本性上神であったし、目に見えるすべてが神であった。しかしそれを「知る」のは不可能だ…知る者が知られる者では有り得ないから
999 :
神も仏も名無しさん:2012/08/27(月) 20:48:41.88 ID:4hDsQpUH
>>992 ニーチェのいう「弱者のルサンチマン」とは、弱者が力では敵わない強者に
対抗するために、「愛」「神」「正義」「善」「倫理」などの観念を作り出すこと。
あなた方が神でなかったら、神など初めから存在しなかったしこれからも存在しないだろう。しかしあなた方は神であった
1001 :
1001:
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