1 :
神も仏も名無しさん:
2 :
Ope:2012/07/01(日) 02:59:29.42 ID:/JGirIky
スレが終わっていたので立てました。
3 :
Ope:2012/07/01(日) 03:17:06.27 ID:/JGirIky
> あと、このスレには「さとり=こころ」っていう共通認識があるって先日聞いたんですが
> そういうの皆さんはあるんですか?
共通認識なんてないもの=悟り じゃなかろうか
> 悟っている、悟ってないってそんなに大事なこと?
少し見ないうちに、まともになったのか
> 預流果まで行っている方はチラホラいる気が
もしかしたら、眠っているときに段階があるのかもしれんが
どちらにしろ50歩100歩で眠っていることに変わりは無いが
> 世界は想像以上に複雑で要求が多く、直視しがたいほどです。
すべて想像だから複雑なのだ
4 :
神も仏も名無しさん:2012/07/01(日) 04:31:33.63 ID:QDJ9BRa/
俺の場合は、「さとり=こころ」じゃなくて
「さとり=精神力」になってる
人毎にテーマが違うのかどうかはわからん
過去を捨てられない理由わかった
過去を捨てるのは最後で修行が完成してからになりそう
人生はレールが決まっててサポートもあって後は放任の気がした
しかし今一つ釈然とせんな、方向性がどうも違う
何かが違うが、どうでもよかったりするw
>2
Opeさん、スレ立てありがとうございます。
>>1 Opeさんスレ立てありがとうございます
気がつけば7月、今年も夏がやってきました(オリンピック付きで)
でわ夏に因んで俳句を一つ、コホン...
蝉時雨
心にかかる 夏の影
皆様どうぞ良い夏を
m(_ _)m
>>1 Opeさんスレ立てありがとうございます。
>>5 amaさんはだいたいどのぐらいの頻度でスレを
チェックされてます?
>>6 悟り子さんのところはセミが鳴き始めましたか、
私のところはまだですが、もうそろそろですね
せっかくですから脇句を一つ
山を賑わす 夏木立
>>前スレ995
http://uni.2ch.net/test/read.cgi/psy/1339372034/995 > 995 名前:オレって名無しかよ!? 投稿日:2012/07/01(日) 01:20:27.05 ID:Yi/gEdPE
>
>>993 > 基本的な質問だけど
> 悟っている、悟ってないってそんなに大事なこと?
大事か大事ではないかは、人によります。
例えば幼子は成長と共に積み木遊びをしなくなります。
自分がもう積み木遊びは卒業して、次の遊びに向かう頃と
思えるならば、悟りは助けになるでしょう。
まだ積み木遊びが必要で、次の遊びはもう少し先と感じる
なら、悟りの出番はまだ少し先でしょう。
このとき、気をつけなければいけないのは積み木遊びと
悟りはそれぞれに独自の意味や価値といったものを持つと
いうことだと思うのです。
決して、積み木遊びより、悟りのほうが価値があるから
大事ということではなく、その逆も然りです。
それぞれに、欠けがえのない、他に代わるもののない
大切な意味や価値といったものを持ちます。
要は価値の問題ではなく、選択の問題だと思うのです。
9 :
神も仏も名無しさん:2012/07/01(日) 13:47:22.69 ID:QDJ9BRa/
人生に意味など本当になかった
無我とは感覚的なもんだ
悟りにおいては仏教、宗教、無宗教のどこにも優位性はない
人は勝手に悟る。全くの自由であり行動次第である
10 :
無しよ:2012/07/01(日) 15:12:55.85 ID:fDy/RDc+
みなさん質問にお答えいただき有難うございました
このスレはそんな共通認識が無かったようですね
釣られました(笑)精進します
>>9 >人生に意味など本当になかった
私もその一言につきます。
唐突にそれを理解した日から、ショックで離人症になりました
サルトルが嘔吐した気持ちがよくわかりました
>>8 ゴメンナサイ、言葉足らずでしたね。
「他人が悟っている、悟ってないってそんなに大事なこと?」ですね。
今となっては、どうでもイイですけど・・・・・
12 :
無しよ:2012/07/01(日) 16:29:15.48 ID:fDy/RDc+
>>1 Opeさんスレ立てありがとうございます。
後出しでもうしわけありません
>すべて想像だから複雑なのだ
すべて想像だから単純なんだろ
14 :
473:2012/07/01(日) 19:54:37.88 ID:gIGdiUIO
ほのかに、ほのかに、自分自身を変えようとしている。
そんな事実に気づきます。
事実に気づく事は大事。
>>13 真実は単純でも複雑でもないのだと思います。
しかし、私は数万あるかもしれない影響を数十ぐらいに見積もって捻じ曲げていたと感じています。
私の想像する世界は真実の世界に比べて相対的にはるかに単純であり、それに気づいたとき、世界は今までより複雑に感じられました。
・ j∨.:.:.:.:.:.:.:.:.:.:..:.:.:.:.:.:.:.:.:.:.:.:ヽ,
__... -=¬.:.:.:.:.:.:.:.:.:.:.:.:.:.:.:.:.:.:.:.:.:.:.:.:.:.:.:.:>
``ヽ、.:.:.:..:.:.:.:.:..:.:.:.:.:.:.:.:.:.:.:.:.:.:.:.:.:.:.:.:.ヽ 何
o ./.:.:.:.:.:..:.:.:.:.:.:.:.:..:.:.:.:.:.:.:.:.::.:.:.:.:.:.:.:.:/ .悟 が
O /.:.:.:.:.:.:.:.:.:.:/`ヽ、.:.:.:.:ト、.:.:.:.ト、.:.:.:.厶 り
∠_,ィ.:.:.:.:.:.:.:.:.:厶斗rf \.:| ヽ.:.| ヽ.:.:./ か
ヽ, fヽx/ Y.:.:.:.:/7:::/f! {! ヾ ヽ! ∨ よ
∨! ''"'´ /}::≧x {! ヽ ,'' ,ィ≦_ り
レf´ __ `ヽー }j{、ー/ __ 7
自 何 厶 ((O)) 竺 ((O))ム,イ , ィ
分 が / `¨´ , i!i! 、 `¨´ _,厶イ^}| ,/^ヽ{
で. 私 ⌒>{¨f¨´ ^ ^ `¨¨こ, ム'' |/ ・ .
悟 か イ:::{⌒¨¬ー‐―一¬¨´ }ヽ 厶イ{ノ{__,ィ_
れ で >i「i「}TfTfTfTfTfTfT{!「i「i!i}/::::.'. '. '. '.
よ.. `>{f¨´ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄¨}⌒)'ヘ:::::::.'. '. '. '.
. !!! く:`ヽ、`¬=ー―一¬´/^ヽ}::::::::.'. '. '. '
「 : : : .`ー .._... ' . : : : /}::::::::::.'. '. '.
16 :
ろん:2012/07/01(日) 21:42:32.49 ID:EqEVdPO/
私なんてものは世間体、他人がどう思うか、自分がどう思うかぐらいのもんでしかない。。
お釈迦様は偉大だというのと、それを信じてる自分はエライというのとあんまり変わらん。。w
何かがスゴイというのは、自分がスゴイといってるようなもんだな。。
何かを崇拝する共同体の共同幻想があり、その中での評価があり、オレはそんなの関係ないという、反発あり、全て世間なんだわさ。。
夢の中の夢。。
17 :
ろん:2012/07/01(日) 22:13:38.16 ID:EqEVdPO/
世間の価値観を否定して、仏教的価値観で生きる、修行が進んだとか、果を得たとか、悟ったとか。。ww
で、いい気になって、どうしようもない俗臭をプンプンさせて、自分だけ気付かない。。
そういう自分を恥じるというのがなけりゃ―、単なるルサンチマンみたいなもんだ、仏教修行なんてもんは。。
暴走族仕様の高校中退のバイク少年が近所を暴走し危険で迷惑です
殺意があるくらいです
どのような考え方で向き合うべきでしょうか
よろしくおねがいします
19 :
無しよ:2012/07/02(月) 00:06:38.37 ID:fDy/RDc+
>>18 警察に通報もしくは相談するのがよろしいのでは。
それが正攻法だと思います。
20 :
安道:2012/07/02(月) 00:20:26.57 ID:Kim3UL+d
>>18 緊急を要する「110」番通報ではなく、
警察相談専用電話の「#9110」でお願いします。
21 :
無しよ:2012/07/02(月) 00:30:20.67 ID:lGr/UtcO
22 :
473:2012/07/02(月) 01:02:06.88 ID:ntBqvLet
何かしらの結果を求める欲望による動きは、自らの自然なありようと対立する。
自らの動きを止めようとすることも、自らの自然なありようと対立する。
>>18 彼は注目を欲しています。
彼の苦しみを吸い込み、愛を吐き出します。
そして実は彼のだと思った苦しみは私自身の苦しみだったかもしれません。
>>18 @直ちに全く何の不満も無く何もしない。
A直ちに全く何の不満も無く対策を練ります。
怒りも対立も期待せず、最も穏便な方法をとり続けます。
具体的には19でよいかと。
19の回答は考えさせられるな。
「殺意があるくらいです」に答えることが本質だと思うが、結局は警察なんだよなぁ。
自分もそう思ったもん。
カルマが見えたら、バイク少年と18さんの関係を説明できるんだろうなぁ。
24 :
無しよ:2012/07/02(月) 01:48:56.17 ID:lGr/UtcO
>>22 >自らの自然なありよう
自然とは?
473さんに
恩寵を祈ってます
知り合いってことなんじゃないの?
26 :
473:2012/07/02(月) 03:58:38.80 ID:ntBqvLet
自我はは本性である愛を押さえ込もうとして日々疲弊しているかもしれません。
もともとあるものを押さえ込んで必死に保っているのが私なのかもしれません。
愛は獲得するものではなく、見出すものですらなく、自我が生き残るため必死になって押さえ込もうとしているものかもしれません。
もし、愛は私にとって未知のものなので、愛無き安息、愛無き静寂を想像してしまいますが、
安息には愛が、静寂には愛が、必ず共にあるのかもしれません。
安息も静寂も知らないのだからあらかじめあれこれ予測しても仕方ないのかもしれません。
>>24 自然とは
何かしらの結果を求める欲望による動きでなく
また自らの動きを止めようとすることでない
未知の何かではないでしょうか。
自然とは、私が自然を知らないという事です。
27 :
473:2012/07/02(月) 04:11:24.68 ID:ntBqvLet
いや、実はそれは自然ではないのでしょう。
それはどこまでも私の観念ですから。
それは自然ではないのです。
だからこそ自然と呼びます。
だけど、ではなく、だからこそ自然と呼びます。
そんな風に金剛般若経では様々なものごとが描写されていました。
ブッダは真実をありのまま描いたと述べています。
それゆえの理にかなった、不可思議な、ナンセンスな描写に思います。
>>7 > amaさんはだいたいどのぐらいの頻度でスレを
> チェックされてます?
その時々の優先順位によりますが、
最低でも1日1回はチェックしています。
(ただ長文や大量の書き込みがあるときはちゃんと読めていません。)
(あと、分かりづらいときも・・・)
>>7 すみません、なにかご質問があったでしょうか?
瞑想のやりかた教えて
自然には、あるがままの姿(平常心)で対応したい
わかっちゃいるけど難しい
人生は後悔の連続だよ
冷静に受け止め、冷静に判断、解決に自分を導く
それもまた、あるがままの姿である
人から何か言われて腹を立てる
人なんだから誤りもおおいに含まれる
重要なのは、その何かの中に
自分を戒めるものがなかったか
全ては自分の為にやっている
恥じることはない
肉体がある以上、他との衝突は免れません。
透明人間でもない限り、誰にも自分を譲らずに歩くことなど不可能なのに
それを忘れてしまいがちですよね。
しかし、言葉での衝突は最小限に抑えることもある程度は可能ですね。
例えば、私は赤色と青色が好きです、と言っても否定されることは少ないですが
私は赤色と青色が綺麗なので好きなのです、と言ったら、それはおかしい、黄色も緑色も綺麗だよ!
などど、言われて、落ち着いて聞いてみれば言った方と聞いた方の認識の違いから起こる誤解
言った方は別に他の色を否定したわけではないし、嫌いとも言ってはいないから
そのことを説明すれば誤解はとけるはず。
しかし現実はそう簡単にはいかず、ボタンの掛け違いが続いていく。
それを冷静に受け止めて、不可抗力も起こり得るし、それもまたあり。
後悔より反省で乗り切ると致しましょうか…。
多くの場合、自分が正しいと思う勘違いからきますね
「うわ、根本から間違えとった」と思うこともしばしば
気づきは成長の証と前向きに捉えたいものです
35 :
18:2012/07/02(月) 11:24:07.24 ID:mRApFwCv
みなさん回答ありがとうございます
今に始まった事ではございませんので残念ながら警察は無意味です
私は彼らを排除する解決法を伺いたいのではなく、それ(バイク少年、騒音、暴走)をもう変えられない
事実とした上での精神的なそれについての「とらえ方」「考え方」をもっと深く教えて頂いて解説して頂きたいです
「彼は注目を欲しています。
彼の苦しみを吸い込み、愛を吐き出します。
そして実は彼のだと思った苦しみは私自身の苦しみだったかもしれません。 」
「カルマが見えたら、バイク少年と18さんの関係を説明できるんだろうなぁ。 」
注目の発言ですが私自身の未熟さがゆえに真意を理解出来ずにいます
よろしくおねがいします
36 :
473:2012/07/02(月) 11:37:20.05 ID:ntBqvLet
誤解や怒りはどこから来るのでしょうか。
もともと私や相手は、誰かにぶつけてしまいたい悲しみや憎しみを背負っているのかもしれません。
誰かに受け入れられなかったというつらい記憶が噴出しているのかもしれません。
問題は表面的な意見の対立ではなく、内側にある悲しみの種かもしれません。
それが癒されない限り私は人に無茶な言いがかりをつけますし、人はわたしに無茶な言いがかりをつけるかもしれません。
無茶な要求をされても聞きがたいですし、聞いても相手の悲しみは癒えません。
全く別のなにか。
憎しみは憎しみを消し去りはしない、愛だけが憎しみを消し去ると聞きます。
憎しみどころか正論でも憎しみは消えないみたいですね。
そういわれればそうなのです。
>>35 未熟さもなにも迷惑なものは変わらないでしょ
警察に頼るしかないのに無意味なのが問題と思う
働きかけが弱いのか、本当に仕方のないものなのか
時期をまつしかないのか、諦めるしかないのか
38 :
473:2012/07/02(月) 11:47:35.76 ID:ntBqvLet
>>35 単純に私の都合で彼を見れば、それは単にうるさいです。殺意を感じます。
私たちは、自分の都合を考える事が自分の幸せに直結すると意識せずに思い込んでいたのではないでしょうか。
今回のケースはそうではないという事実を示しているように思います。
物事は見方で全く変わります。
彼は父や母に無条件に受け入れられなかった。期待にこたえられなかった。
彼らは仲間内では認め合っている。
だけど、彼らの仲間の規範そのものが、社会への劣等感で出来上がっているかもしれない。
自分たちをアピールせずにはいられない。
どんな形でもいいから人に見てもらわないではいられない。
とても苦しんでいる。
私の都合、私のペースの世界というものが強固だと、彼は生涯として認識されます。
しかし、それが脇に置かれると、聞こえてくるのは音ではなく彼の注目を求める苦しみではないでしょうか。
39 :
473:2012/07/02(月) 11:58:59.61 ID:ntBqvLet
40 :
473:2012/07/02(月) 12:02:59.21 ID:ntBqvLet
苦しむとしてもそれは良い兆候、必須の兆候のようです。
自分のなかに湧き起こつている感覚への全面的な自覚とともに、静かに坐りなさい。
自分が拒絶され、侮辱されたという痛みの感覚を、客観的に見るのだ。
そうすれば、あなたはそこにいるのがその人だけではないことに驚くだろう。
かつて自分を侮辱したすべての男たち、女たち、すべての人びとが記憶のなかで、うごめきはじめる。
あなたは、思い出すだけでなく想像のなかで再び体験しはじめる。
一種の原初体験のなかに入ってゆくだろう。
アティーシャは、「ただ自分自身であれ」と言う。
苦痛がどんなものであれ、苦悩がどんなものであれ、あるがままにしておくがいい。
はじめに全面的な強烈さの中でそれを体験しなさい。 それはむずかしい。
胸が張り裂けるほどだ。あなたは子供のように泣き出すかもしれない。
深い苦痛のなかで地面を転げまわるかもしれない。肉体はねじれを通過するかもしれない。
突然、苦痛がハートだけでなく体中にあることに気づくかもしれない。
あらゆるところが痛んでいる、全身が苦痛以外の何物でもない
私の経験から言わせていただくと、かつて私の部屋の上の階の方が、男の子三人育てていらした。
私はその両親と親しかったので、やんちゃな子供たちが騒ぐ音がそれほど気にならない。
いずれは、大きくなっていくし、学校幼稚園にも行き始める。
しかし、私と同じ階の後から入居した方はその騒音が我慢できない、無理もありません。
私は、上の階の友人の奥さんが子供をなだめるのに苦労していることを知っていましたので
複雑な思いでおりました。いつも周りに遠慮しているようにも見えましたので。
つまり誰も悪い人はいないわけでして、後から入居した人が悪意を抱いたとしても当然責められるものでもありませんし
誰にもどうすることもできませんでした。
またこんなこともありました。
それは、別の住まいのときのこと、上の階の中学生の息子さんが、結構長い間スーパーボールのようなもので
遊んでいるらしく、コン、コン、コン、コン、コンコンコン…、流石にイライラしましたね。
あちら様とは挨拶を交わすくらいで特に親しくもない間柄、以前の子供たちから比べれば時間も限られているし
休みの日に特に気になるというものでしたが、このイラつき方の違いはなんだろう?
むしろ、前回は静かな方が熱でも出したのか元気がない、なんて心配だったくらいなのに。
結局、私の場合は気が小さいのもあって苦情は言いに行きませんでしたが、何だ、気分で随分感じ方が違うものだと思いましたね。
音もある程度続いて、あるときからピタリと止みましたのでね。
なんにも参考にならないと思いますが、誰にでも言えることですみません。
暴走族は「自己満足」が走ってるだけです
こちらも正義の衣をまとった「自己満足」であがけるだけあがく
駄目なら許容という「自己満足」を発動されるしかない
忍耐力、理解力が必要かもしれませんね
43 :
ノスタルジア:2012/07/02(月) 13:39:02.97 ID:88h2m79B
ロボットも鉱物人間なわけであり、その名を見れば分かるようにハートがない。
いや無いってことは無いのだが、覆い隠されていると言ったらいいのか?
私たちも動物人間なわけであり、その名を見れば分かるようにハートがない。
いや無いって事は無いのだが、覆い隠されていると言ったらいいのか?
動物人間である以前に僕はエクであり、間違いなくマインドコントロールされない
ほどエクの結束は強い。エクの結束とはようは団結力のことであり、皆さんは
宇宙人であれ、地底人であれ、未来人であれ、神仏であれ、エクによって
マインドコントロールされているだけのハートもマインドもない、やくざ凡夫で
ある。ハートもマインドも心でさえも持ったことないんじゃないでしょうか?
みなさんは自尊心からいや私はすごいんだというかもしれないが、みなさんは
集団無意識の人格化であり、何ら平凡な過程に進んでいる何ら平凡な王様お姫様
である。自尊心は拡大し自分が王であるといったメルエムという者にしか結局
自分を持って行けない王様お姫様なのです。所詮みなさんの頭でシャンバラを
作ろうとしても絶対王政にしかならないのです。それは漫画、アニメ、映画、ドラマ
ラジオでさえも証明している。みなさんはそれをまだ知らない。エス(集団無意識
の人格化)で居て下さい。くれぐれもエクを自分の概念として食わないように。
自分が自分じゃなくなってしまいますよ。wwwwww
怒っている自分や、殺意を感じる自分などいない。
怒りや、殺意を感じる思考があるのみ。
その思考を自分だと思いこんでいる。
ただ、それだけの事。
その自分に執着しているだけ。
何か事が起きたとき、すぐにこれは何の因縁か?
なんて考える癖が付いてしまっていますよね。
原因や結果がはっきりしている場合もありますが
心はいつも揺れ動く、移り気な恋人でありますね。
そう、移り気な恋人に執着すると、散々な目に合いますよ。
これも経験からですが…。
思考の前に感受作用がある
あるものを避けることはできない
感受作用を弱めることはできる
経験を積み慣れる、意識をしない、あるがままを受け入れる
これらには心の強さが求められます
心が強くなれば、見落としていたものへの感受が生まれます
また、その感受を弱めるために心を強くします
感受対心のいたちごっこです
感受に騙されない強い心を作って下さい
思考に騙されない強い心を作って下さい
揺れ動かない恋人を得ることですね。
同じ心ですが。
50 :
18:2012/07/02(月) 18:16:55.09 ID:mRApFwCv
わたしが言える立場ではありませんが少し勉強して学んだ仏教のスタンスである「相手の苦しみを理解する」という
基本(?)はこれはこちらの「相手に対しての勝手な解釈」で良いのでしょうか?
今回の場合は親でも友人でもなく様子も見れず完全な他人で接する事が出来ない状況ですよね
この話を相談させて頂いて「高校中退→疎外感→バイクが自己主張」というような典型的なとらえ方
「彼らの疎外感からくるストレスを認めてあげよう」という流れになる事は分かっていました
ですが、彼らと対談でもしない以上、彼らがなんの目的でそういう行為に至っているか分かりませんよね?
他人には騒音でもバイクの音が自分にとって魅力、疾走感が魅力、ただ単純に「バイクという趣味を楽しんでいる」のかも知れない
なぜそういう行為に至っているかは彼らと対談しないと絶対に分からない事だと思います
それが分からないのに「彼らの苦しみを理解する」という事はどういう事でしょうか?
わたしはみなさんや自分の考え方で「彼らにも理由がある」という優しいスタンスで考えてはいます
ですが、彼らとお話をしないと分からない事をこちらの勝手な解釈で自己完結のようなスタンスで本当に良いのでしょうか?
それが非常に気がかりです
>>50 騒音を騒音と感じてしまうのが問題なのかもしれませんね。
今回は暴走族でしたが、電車の騒音や工事の騒音、
近所の赤ちゃんの鳴き声や下手な楽器演奏なんかでも同じように感じるのでしょうか?
彼らにどんな理由があろうと、住民の迷惑は動かし難いことではありますね。
未熟な若者が無分別な行いをすれば、正すことも大人の義務とも言えますが
どうやら、聞く耳はないと思ったほうが良さそうです。
彼らもやがては現実に向き合わなければならない時が来るはずです。
53 :
18:2012/07/02(月) 19:20:27.65 ID:mRApFwCv
54 :
18:2012/07/02(月) 19:31:41.22 ID:mRApFwCv
473さん
ありがとうございます
まだ終わりではないので思想を聞かせてください
みなさんも議論していただければ真摯に学びたいと考えているので
よろしくおねがいします
55 :
18:2012/07/02(月) 19:48:02.96 ID:mRApFwCv
うわさをすれば始まりましたね
56 :
473:2012/07/02(月) 20:35:41.68 ID:ntBqvLet
>>50 趣味で楽しんでいるだけという事でしたら、その趣味は迷惑なのでやめてください。
時間を限定してください。
音が出ないバイク、スピードか、場所を変えてください。
「ああそうですか」
という事になると思います。
彼らと対談しても、彼らを深く感じない限り何もわからないでしょう。
彼ら自身自分自身を深く感じる事をさけ、避けられるような行為、文化を好んでいいるとは思いませんか。
愛が無く、落ち着きがなく、至福がなく、何故か騒音がある。
苦しみなくしてどうしてそれがおき得るでしょうか。
そしてここからが核心なのですが、私たち自身も苦しみによって自分の本来の愛のリズム、
疎外されていない今を生きる感覚を失っているがゆえに、それがないということが当たり前として認知されているのかもしれません。
核心は、自らの苦しみと愛とを見出す事と思います。
そうすれば違う世界観が開示されてゆくのではないでしょうか。
彼らの苦しみを感じるというのはひとつの例えです。いろいろな見え方があるでしょう。
いろいろな受け取り方と、そして私の求める欲があり、与える愛があります。
全て私次第なのです。自らのあるように世界は見え、出来事はきっかけになる。
難しいのですが、引用すると。
http://plaza.rakuten.co.jp/vijay/diary/200412090000/
57 :
473:2012/07/02(月) 20:43:54.26 ID:ntBqvLet
相手の苦しみを推理しようとするではなく、自分の苦しみを理解するにつれて、相手も苦しんでいるのだと感じられ、
怒りが減ってゆくのではないでしょうか。
自らの苦しみである過去と、至福である現在を共に感じる内に、他者の苦しみと、愛と、共感が起こるように思います。
それすらひとつの幻影かもしれません。
しかし同じ幻影なら悪夢である必要はありません。
これが最初の投稿の趣旨です。
58 :
473:2012/07/02(月) 20:53:07.35 ID:ntBqvLet
高校中退→疎外感→バイクが自己主張
不良、族と限定しなくても、もっと広範なそういうタイプの若者文化があります。
そういうひとと身近に接していた経験があります。
例え見当違いでもハッピーな想像が浮かんでくるほうがいいですよね。
それも無理に頭を働かせても一時的なので、腹の立つ想像が浮かんでこない自分に変わらなければいけない。
自己の変容を希求するか、こちらも罵詈雑言をなげかけるか、無理して理解者を気取りつつ怒りで煮えたくるか。
3つの選択があるかと。
自分自身を例にしても、今の自分のままで事を根本的に好転させる方法は無いように思います。
思い込みを思い込みで考察しても、出てくる結論はやっぱり思い込み
>>7 >山を賑わす 夏木立
素敵な脇句をありがとうございます
夏の日の生命の萌え盛る様な情景の記憶に揺蕩う心の切迫感さえ胸に迫るようです
>>8 つまり本当は本人が良ければそれで良いのですね
61 :
18:2012/07/02(月) 21:29:35.65 ID:mRApFwCv
>>53 読ませていただきました
既に御自身で答えを出してられるようにお見受けしました
要約すると
「私の中の価値判断がバイクの音に対して私に不必要に不快の念を覚えさせている」
といったことのようです
おやっ、何か変だと思ったらコテハン抜けてた。
64 :
18:2012/07/02(月) 22:09:33.70 ID:mRApFwCv
65 :
473:2012/07/02(月) 22:23:00.17 ID:ntBqvLet
>>18さん
答えは一つではないです。
というより私は、無心の領域の回答、愛の領域の回答、行動の領域の回答を意識して分けて書いています。
そして、今できる事しかできないと思うのです。
絶対に今我慢できない。愛が不足しているかもしれないが、正直、無理。
無心の探求も音のせいでどうしても無理。
という時は、はっきりと音をなくすための行動をとるべきですし、引越しもありです。
単純な行動力ではなく、怒りが出てしまいます。
怒っても、憎んでも解決とは関係がありません。
解決を希求するなら、署名活動や警察との対話などを粘り強くやり続けるだけです。
これは、憎しみにとらわれず、なすべきことを直ちに行うという、行動における巧みさで、愛と同じく
私たちが憧れるものではないでしょうか。
怒ったり憎んだりするとすれば、それは、私の中に誰かと戦わずにいられない苦しみがあるからかもしれません。
(だから結局、苦しみと愛の自己内部の問題は避けては通れないところがあります)
66 :
473:2012/07/02(月) 22:55:02.13 ID:ntBqvLet
独り暮らしでしたら引越しはありです。
というか引越しという人は多いかもしれません。
67 :
473:2012/07/03(火) 00:12:43.61 ID:l0S79ADS
と、あちらのほうで、実に賢明に考察なされていますね。
その上で、どの方向にも進む事ができます。
68 :
無しよ:2012/07/03(火) 00:16:06.84 ID:4vqob0Hm
>>18 そういうことでしたら
この世は苦海であることを受け入れるしかないでしょう
自分の殺意と正義感と相手を理解したい気持ちなどのなかで葛藤してらっしゃるようで
そこは共感します。それは大変に苦しいものですから。
どこにいってもどんな状況でも、事態の改善と増悪は自分のままならないものです
平和を期待しても苦しいだけですよね。
期待があると…大変に苦しいです。
>>29 amaさん宛の質問は特には出ていなかったのでご安心を。
amaさんがそっと見守っている気はずっとしていたのですが、
あえて言葉に残したかっただけですので。
>>35 外部から否応無しに、こちらはなーんにも悪くないのに受ける仕打ちってあるよね。
それが過ぎて、ある日、ピンって感じで別の自分の出来事との関係を感じる時がある。
そんな時は、昔のいやーな仕打ちから何かを学ぶ事ができる。
もつれた糸がほどけるみたいな感じで。
できれば、振り返る前の只中で、その何かに気付きたい。
そのためには自分の存在をいやーな出来事に開く必要があるように思う。
そうすれば、未来を克服するきっかけが得られるかもしれない。
わかんないけど。
>>18 > どのような考え方で向き合うべきでしょうか
答えとなる考え方は、二つしかないと思います。
バイクの音に向かっていくか、怒りそのものに向き合うか、です。
バイクの音に向かっていくのも結構です。
たくさんの人から助言、励まし、注目、解決までの様々なイベント、、、
うまく達成した暁には拍手さえ貰えるかもしれません。
なかなか刺激的な道です。大いに楽しまれると良いでしょう。
ただ、薄々感づいているとは思いますが、この道は繰り返し(輪廻)です。
バイクの音の次に、別の新しい音が出たら、どうしますか?
また、その新しい音に反応して、同じような道を繰り返すのを望まれますか?
もし、それを望まれるなら、心ゆくまでその道を歩まれますように。
それはいまのあなたには必要なことです。この道にはこの道の価値があります。
もう一つの道は、怒りそのものに向きあう道です。
この怒り、苛立ちはどこから来るのだろう?感情の高ぶりとは何だろう?と
自己を見つめていく道です。
こちらは、地味です。他の人に話すと「抱え込むのは良くない」や「そんな
こと考えても無駄」など、まず理解は得られません(体験談)。
さらにややこしいことに、書店に行けばこの対処法については、山ほど書籍が
出ているように、こちらもたくさんの対処療法があります。
ただ、そういった中でも、対処療法でなく、根本的に解決できる方法となると
私の識る限りでは悟り以外に思いつくものは無いです。
怒りについては私も悩むことがあります。そんなときは法句経に思いを馳せる
ようにしています。ご参考になれば幸いです。
法句経
http://ja.wikisource.org/wiki/%E6%B3%95%E5%8F%A5%E7%B5%8C
誤記失礼
誤)対処療法
正)対症療法
74 :
暗曇:2012/07/03(火) 03:06:09.13 ID:2CZ4JzgG
「悟り」とか「法」とかいうのは
『借り物競走』をしているにすぎない・・・・。
>>74 積年の叡智の結晶だからなぁ…
それに従ってみるのも一興かと
しかし問題を輪廻と見るのは斬れ味あるなぁ…
我々の輪廻でもあるわけで…
さて、この輪廻から抜けられるかな…
俺は瞑想で抜けようとしているがw
>>30 > 瞑想のやりかた教えて
座ったり、歩いたり、掃除をしたり、
いろいろな形があります。
どのような形がご自分に合っているか、
模索されてみてください。
一方、どのような形であれ、
本質的には、
ご自身の現実(あるがまま)と向き合うことだと思います。
よくやる間違いに、
「心を静めなければ瞑想じゃない」
というのがあったりしますが、
ザワザワ、イライラ、ムラムラ、
ムカムカ、モヤモヤ、などなど、
それぞれ、私の現実なんですよね。
「それ」や「これ」と向き合って、
認め、受け入れ、それとひとつになることが、
瞑想のすべてだと思います。
amaへのご質問は、
アンカーをつけるか、
>>amaへ
などとしていただけると助かります。
雑念ひっつかまえて追いかけるのも瞑想だね
早く無を楽しみたいぜよ
瞑想ってホントにいるのかな?
必要性がイマイチ分からん。
80 :
473:2012/07/03(火) 16:44:07.26 ID:l0S79ADS
>>76 それでも、「向き合って、 認め、受け入れ、それとひとつになること」
というのは向き合わず受け入れない表面的な思考、その人の癖に気づく事であって、
万人向けの発言ではないのかもしれません。
前スレでそれがうまくできないと仰ってましたから、どうできないのか自覚しているという事こそあるがままへの入り口であり、
あるがままへの障害の放棄であり、各々が自分自身を省みるきっかけになるかもしれません。
私たちはあるがままを受け入れない事こそが幸福につながると思い込んでいるし、それ以外の言語は理解できません。
それこそがひとつのあるがままだという実情があります。(笑)
なぜあるがままなのか、精神にとっては根拠が不在なのです。あるがままを理解しないのが仕事かのようです
精神がそれを納得するやりかたとしては、あるがままを拒む精神ゆえに逆のあるがままが新鮮で精神で希求してしまう。
もう一つ精神によらぬ在り方の変化は、あるがままを受け入れないという事が苦しみであると見抜く事で、それはただ静まる。
それにしても、amaさんの瞑想の提示は、ほとんど果報も体験も約束していないという意味で実にすばらしく思います。
何の約束もしないからこそ、だからこその瞑想ですから。
私はあれこれ行いを分けてしまいますが、amaさんの提示した方向で突き詰めると
瞑想とはいかなる行いにも、時間にも束縛されない、見るという事。
そうなのかもしれません。
その内に、いまいるとおもっている苦しみの元は、本当はいらないものと理解されるのでは。なにか、そんな。
81 :
473:2012/07/03(火) 17:59:33.24 ID:l0S79ADS
事というのはそれを目的としてしまう言葉ですね。
見守り続ける。それは瞑想ではないものではないでしょう。
その内にあらゆる物事は起こりうるでしょう。
>>79 必要な人には必要
必要でない人には必要ないでしょ
自分が必要ないと思えばいらないよ
自分に持ってない物を持たないと幸せになれないと
勘違いしてる面が誰にもあるからなぁ…
既に幸せの中にいると思わんとね
あるがままやね
>>76 この瞑想についての話に、amaさんの悟りのすべてが詰まっていますね
85 :
473:2012/07/03(火) 20:24:17.58 ID:l0S79ADS
>>76 1つになると言われると、では1つになる前の普段の自分がいるのであってそれは語られなくていいのか。
なろうとする主体があるのだろうか。そんな感じがあるのです。
「瞑想においては苦しみと苦しむ者の分離は無い。」
というような表現はそのあたりに気を使っており、おそらく瞑想そのものをより緻密に表現したのかもしれません。
>>64 >自分の傲慢と間違った正義感が邪魔をしているように思えます
>それは完全に消えることはないと思います
これは傲慢と間違った正義感にとっては致命的な気づきですね(笑)
そのままそっと見守っている感じで良いのではないでしょうか?
自分が2人いるんだよ
二重人格みたいな交互でなくて、同時に2人いる
誰でもそうだ
アートマンとか、そんなんじゃない
理想の自分と現実の自分がいる。実際、存在する
理想の自分は目一杯、背伸びしている
だから現実の自分との間にギャップができる
そこが苦の種やね
理想の自分を現実の自分まで落として一致させるんだ
だから、あるがままが重要
だから、静かに一致させる行為(瞑想)が必要
だから、すでに一致してる人には不要なんだよ
88 :
long:2012/07/03(火) 22:07:22.01 ID:KVHIB/HX
そう、自分一つしかないのに、自分が見えるわけない。。
あるがままなんて概念があるのも、変な話だ。。
そんなもの、ホントは見えるはずのないものだから。。
見えはしないよ
2人いると感じるんだよ。割と感じる人はいると思う
あるがままも感覚だね
見えるわけないし
>>60 > つまり本当は本人が良ければそれで良いのですね
それもまた一つの選択だと思うのです。
ただ、一つ言えるのは菩提樹の下で散々迷った挙句、
「本人が良ければそれで良い」
とはせずに、教え諭すことを決めた人のおかげで、
世界は彼の素晴らしい祝福を受けられました。
>>76 amaさんが一番最初に続けられた瞑想はどんなものですか?
理想の自分とは、現実の自分と錯覚したものです
言葉を消した所に、あるがままの自分がいます
93 :
Long :2012/07/03(火) 22:54:55.01 ID:KVHIB/HX
理想の自分なんてどっから仕入れてきたのか?
はじめからあったわけないしね〜。。
理想の自分とは、思考と感受作用による錯覚です
錯覚したまま、これが本当の自分と錯覚するんです
はじめからあったものではないです
95 :
473:2012/07/03(火) 23:07:56.42 ID:l0S79ADS
自分自身を非難して何とか変えようとしている自分が既にいたとします。
(もしいなかったら、何の問題も無く悟っているかもしれませんし、少なくともその問題は無いので良しとしましょう。)
既にいたとしたら、あるがままという言葉も事態に気づかせるショックとして有用でも、言葉としては他の言葉と同じく無力です。
言葉とは、「自分の知っているものに名前をつける働き」です。
それゆえに、どんな言葉も、既に現状としてある自分を非難する自分という主体が使うものであり、その非難そのものにいろいろな名前をつけるだけに終始します。
また、自分を非難する自分それ自身の概念はあくまでその避難するパターンの中でしか使えないので、
それが無かった状態を想像する事は不可能で、来歴を追う事も不可能でしょう。
その非難に「あるがまま」と名づけてもしかたないし、その非難が「非難する前はどうだったか」考察してもむべなるかな。
沈黙のうちに実際の自分の心の働きに気づく事ができる。そんな積み重ねです。
96 :
473:2012/07/03(火) 23:09:14.91 ID:l0S79ADS
積み重ね。引き剥がし?
はじめからあったもの
それは現在進行形で成長しています
それが、あるがままの自分です
今の自分を自分と思ってるのは錯覚です
決して見えはしません
考えてもわかりません
瞑想以外に知る術はありません
「あるがまま」と思ったとたん、「あるがまま」じゃなくなるなぁ。
100 :
Lon:2012/07/04(水) 00:03:14.81 ID:KVHIB/HX
自分はこうだ、と思った瞬間に客観ではなくて、主観的認識になってしまう。。
言いかえらば妄想なんだわさ。。
101 :
Lon:2012/07/04(水) 00:03:56.15 ID:KVHIB/HX
ま、妄想も楽しいんだけどな。。
夢の中で自分を演じて楽しむも好し。。
102 :
Lon:2012/07/04(水) 00:05:45.09 ID:jIOHmA1Z
自分というパーソナリティ、キャラが必要な時って、社会的役割を担ってる時だけだよね。。
人間関係があるときのみ。。
一人でいるとき、自分に悩むってのが僕にはわからんな。。
自分がどうかなんて考える必要もないんだから。。
103 :
Lon:2012/07/04(水) 00:08:40.96 ID:jIOHmA1Z
どういう形であれ状態であれ、無自性である、空である。。
言い換えれば、幻である。。
だから、自分の性格とかキャラなんてどうでもいいんだわさ、あっはっは、悪人も善人もおんなじ。。
おいらはわりかし、人が悪いかもだな〜。。ww
104 :
神も仏も名無しさん:2012/07/04(水) 00:37:48.64 ID:tfHEFtsY
必要であるとか、必要でないとか、どう決めるん?
例えば、瞑想は必要かどうか?
では、食事を摂るは必要?
何が何の為に必要なの?
無我なら、どうするん?
105 :
闇藤:2012/07/04(水) 00:45:51.77 ID:utjS7Bsm
>>104 必要なのはオーダーメイド禅だよ。。。
汎用性がある禅や瞑想などない。
オーダーメイドだ・・・。
だから汝自身を知ることが極めて重要になる・・・。
108 :
Lon:2012/07/04(水) 00:48:56.02 ID:jIOHmA1Z
>>104 本来修行は必要ない。。
けれど実際は必要な場合が圧倒的に多い。。
99パーセント必要、迷いに対する薬としてね。。
迷いがなければ薬も要らんということ。。
109 :
闇藤:2012/07/04(水) 00:49:38.51 ID:utjS7Bsm
>>107 方法などない・・・。
だからオーダーメイドなのだよ・・・。
いや、そうではなくて、何が何の為に必要なのかなと
食事は、肉体を維持する為に必要
じゃあ、瞑想はどなの?
111 :
Ope:2012/07/04(水) 00:52:11.10 ID:jEBvdMLu
>>35 > 事実とした上での精神的なそれについての「とらえ方」「考え方」をもっと深く教えて頂いて解説して頂きたいです
野田政権の暴走の方が問題だけどな
>>28 > 最低でも1日1回はチェックしています。
おお、さすがスレ主、すごい。
112 :
Ope:2012/07/04(水) 00:53:27.07 ID:jEBvdMLu
>>18 > どのような考え方で向き合うべきでしょうか
まず、勝てそうかどうか見る
いけそうだったら、1人の時をねらうべし
113 :
闇藤:2012/07/04(水) 00:57:53.75 ID:utjS7Bsm
>>110 そんなこと考える必要ないね・・・。
人の行為のすべてに理由付けする必要性も全く感じないし・・・。
どうしてそんなこと考えるんだろう。。。
無我じゃなくて非我!
我と思ってる我は我非ずってこと。我ではない我がいるんだよw
例えば、王子を例にとると
王子として教育受けたもの全て、王子として持ったプライド等の感受、思考、
その全てが錯覚となる。
食事なら腹が減るから食事をする
瞑想は本来の自分を取り戻す手段としてある
自分を取り戻して、どうなるかは知らん
116 :
ロワン:2012/07/04(水) 01:19:25.75 ID:jIOHmA1Z
>>112
野蛮な人ってきら〜い
118 :
闇藤:2012/07/04(水) 01:24:11.71 ID:utjS7Bsm
ほんまに暴走族やら喧嘩やら無知な輩は野蛮やのう〜。
この世のものとは思えんわ〜。。
>>115 我とは識別作用。ここにいると認識する個体
120 :
473:2012/07/04(水) 01:51:11.41 ID:iGOdKTsV
思春期までに、冷笑的で、経済的な安定にしか興味がなく、たわいの無い事に執着する、協調性の無い自分の思考パターンができた。
(気が優しく、物事の本質を見極めるという部分は思考ではないものなのでこの場合除外)
思春期から、社会思想や文学、ユートピア的な経済学を独自研究する。
(インターネットの時代はいいですね。自分が考えた事はダグラスの社会信用論にほぼ内包されます)
その後、自分自身にうんざりして宗教の実践と、副産物として思想を覚える。
(世間で成功するか、自分にうんざりするかが宗教の必要性を生み出すと聞きます。世間での失敗が動機なら世間の延長上の動機ですから。)
そして、私の中で一番強い本質的な部分は、宗教的な思想どころか社会思想的な部分ですらなく、
思春期までの当たり前の日本人の部分なんですね。
その当たり前の日本人の部分を、社会思想、道徳や、宗教思想は非難しますが、
それは自分自身が誰であったかを忘れさせてしまいます。
思考によって思考を判断すると、思考は美しくも醜くもなりえますが、沈黙において思考に気づく際には思考に区別はありません。
どんな思考もただ思考なのです。さらに思考と無思考の区別も無く自由に泳ぐかもしれません。
自分を宗教思想的な人物だという無自覚な認識、自分を道徳的社会思想にかなった人間だという無自覚な認識は、
一番支配力が強いある意味私自身である最初に形成された欲望の集積である日本人である自分を非難してしまいます。
それらは、最初の私を身勝手と、強欲と、搾取と、執着と非難しますが、そういった非難ではなく、
その思考の動きそのものと出会わなければ理解はありえないように思うのです。
特に邪悪とか言うのでなく、自覚の無いただの思考の集まりなんですよ。きっと。
非難というのも、その心の動きがある自分自身がつけた名前なので、非難と名づけているうちはその心の動きを直接認知する事はできません。
命名は全て仮の話になります。
>>120 >非難と名づけているうちはその心の動きを直接認知する事はできません。
名付けないと、その対象を見つめることが出来ない。
まず見つめないと直接認知まで辿り着けない。
言葉が言葉のために踊ってますね。
あなたの文書は好きではない。
122 :
473:2012/07/04(水) 02:03:28.40 ID:iGOdKTsV
後で身につけた知識は表面的に運用できますが、世界の認識や感情の反応において殆ど主導権を持ってません。
思春期までに身に着けた無自覚なパターンが絶賛活躍中です。
それを非難する代替品である知識に休んでいただかないと、その最初に身に着けた無自覚なパターンに自分自身で出会えない。
他人に指摘されても直接それを理解する事はできません。
言葉による理解は表面的な人格による自己非難という形になるでしょう。
子供の頃は全存在が外界を吸収する器官だ思う。
年をとったら、真剣に集中して観ないとだめですねぇ。
本当に思考する時は主体は消え去る。
あなたと真逆ですわ
>>123 >本当に思考する時は主体は消え去る。
主体が消えたら、何が思考してるの?
思考対象になってるのでは。
働きに
>>125 ゴメン、良く分からなかったんだけど、どういう意味?
127 :
闇藤:2012/07/04(水) 02:32:00.79 ID:utjS7Bsm
思考に主体などない。。
思考が現れて消えるだけ。
その思考に主などいない・・・。
>>91 私が一番初めにやった瞑想は、
呼吸に集中するというものです。
吸うときに鼻の中を通る吸気に意識を集中します。
でも、たいして長くは続けていません。
日課のように続けてやった瞑想というのはひとつもないです。
比較的継続してやったのは行為に集中するという瞑想です。
>>128 やってみたけど、上手くいかない!!
考えないと思考が出てこない。
多分、これ俺に向いてないわ。
131 :
18:2012/07/04(水) 11:50:52.46 ID:sOqXc1N3
473さんやその他のみなさんありがとうございました
目から鱗の回答ばかりで身にしみました
こちらのみなさんの冷静な態度を見ていると少し気性の荒い性格や傲慢や自我を恥ずかしく思い、
またこれではいけないと思うと同時にめげない心をや平和な心を自分自身で作り上げて行きたいと思いました
これからも物事に対しての色々なとらえ方をおしえていただけると幸いです
ありがとうございました
>>131 少し気性の荒い性格や傲慢や自我を直すなら食事療法も有りと思う
・刺激物を取らない
・糖分や脂分を過度に摂取しない
・満腹にならない
俺も切れやすいから、これらの厳しい戒律を設けようと思っています
あとは若年性健忘症のケもあるから
文章を手書きで書くとか、吸気の訓練とか、行為の集中とか
興味を持つ対象を増やすとかしていきたいです
133 :
473:2012/07/04(水) 18:36:05.23 ID:iGOdKTsV
何も非難されるべきものは無い。
私はそれが好きなだけなのだ。そしてそれが苦しみをもたらす。
私はそれを当然と思っているだけなのだ。そしてそれは地獄を恒常的なものにしている。
>>131 あなたは何か方法を求めるのでもなく、他者の指摘を鵜呑みにする事も無く、
事実である今まで自覚していなかった自分の感情に出会われました。
その自覚が成長するにつれ苦しみの種はますます減って行かれることでしょう。
恥ずかしがる事はありません。
みな自分の本音で感情が動きます。自分がこころから正しいと思うように感じ、生きているだけです。
私たちは他者との比較や対面ではなく、自分自身が本音で正しいと思っている事は何か、そしてその帰結は何か自分自身で直面し、見定めねばなりません。
それを瞑想というかもしれません。
ただ注意深く、自らの生を生き切る事。
OSHOによるクリシュナムルティーの要約、瞑想の精髄だとか。
人生が苦というのは、苦とした方が人生の耐性とか生活とか成長とかに
都合がいいんだよ
楽をご褒美に間に挟まないと、やってられないよ
135 :
473:2012/07/04(水) 19:05:04.89 ID:iGOdKTsV
父と母が守ってくれるそんな何不自由ない世界。
子供のころの甘い夢。
甘い夢にくつろぐ事はできない。
夢は夢と知っているから。
経済競争があり、就職や地位の競争があり、インフレで資産が目減りするリスクがあるかと思えば、デフレで株価が下がるリスクもある。
何の保護も無い、いつ死ぬとも知れない現実。
しかし、そんな現実にこそ、ただ現実にこそ、くつろげるのではないか。
幼いころの甘い夢で抵抗しないから。
楽ばかりしてちゃ成長しないし、生活にも支障でるし
耐性ないからすぐ恐怖に襲われるよ
マジレスすまん
親戚のオバサンやその娘の従姉妹がある新興宗教の信者でして私とある金持ち在家信者の方の
娘さんとの仲を取り持とうと必死なもんで困ってます
その娘さんはドン引きするくらいその宗教にハマってて役職とかにも就いてるらしく
顔面偏差値は中〜中の上、為人(ひととなり)は金持ちだからか知らんけど愛想なくて
なにかにつけ宗教の話に例えたりするKYでよくても中の下ってところです
付き合う彼氏とは自分が宗教に割いてるからかいつも逃げられてばかりでなかなか結婚ができないそうです
その宗教は宇宙のパワーがどうたら系の説法って訳ではありませんが(お布施は他の新興宗教同様もちろんかかりますが)
私は宗教には一切興味ありませんしオバサンや従姉妹に何度か集会に誘われてその娘さんとお会いしましたが
その娘さんをとても好きになれそうにはありません
宗教とかバカらしいとか胡散臭いとか金儲けの詐欺まがいとハッキリ言って従姉妹との仲が壊れるのは嫌ですし
「俺に好きになってもらいたいならハッキリ言え、金持ちと思ってお高くとまってんじゃねえよ」
と直接、本人に言ってもし好きです嫌いにならないでとか言われたら責任とれません
いくら金持ちの養子になるとは言えその宗教女の尻に敷かれてしまう人生が見えてます
中途半端に集会に行ったりすると彼女に誤解されそうだしどうすればいいでしょうか?
なぜ、あんたらは、すぐ自分の問題に置き換えてしまうん?
人間が、食べ物を摂取するのは、自分の空腹を満たす為とか
じゃあ、みんなが一斉に、それを悟ってご飯をたべるのは欲だから、やめよう!とかなったら、食物連鎖の仕組みが破綻するとは思えんのか?
理由なんてないとかほざく輩もおるが、理由なんてのは、後から確認するもんでしょ
世の中なんて、あんたらのちっこい脳ミソでジタバタしてもてんで見当違い
で、何を悟ったってんだ?
>>90 >「本人が良ければそれで良い」
とはせずに、教え諭すことを決めた人のおかげで、世界は彼の素晴らしい祝福を受けられました。
♪彼の生は人がいかなる存在になりうるかとゆうの一つの可能性を示したのかもしれませんね☆
>>138 >世の中なんて、あんたらのちっこい脳ミソでジタバタしてもてんで見当違い
そんな感じもします
>で、何を悟ったってんだ?
思考でジタバタしても見当違い、みたいなことかもしれませんね
>>138 >じゃあ、みんなが一斉に、それを悟ってご飯をたべるのは欲だから、やめよう!とかなったら、食物連鎖の仕組みが破綻するとは思えんのか?
全然、思わない。みんなが一斉にご飯食べるのやめたら他の生き物がみんなの代わりをするだけ。
食物連鎖が破綻する訳がない。
>世の中なんて、あんたらのちっこい脳ミソでジタバタしてもてんで見当違い
あなたも俺らと同じちっこい脳ミソなんだから、結局俺らと同じで見当違いだよね。
>で、何を悟ったってんだ?
さあ、悟りは悟りが無いからこそ悟りと呼ばれているんだよ、ほほほ。
太りすぎて肥満になるのは、食べすぎたことの報いである
輪廻なのである
ほっておくと、えらいことになるのである
ダイエットすることに苦などないのである
楽を放棄するのが苦なのである
>>137 好きにしたらいい
目が覚めるのを待つか、宗教ごっこにつきあうか
地道に彼女を正気に戻す遊びをするか
悟りが無いってことを悟ったってんなら、悟りはあるってことだな
あんたのそとに
悟りはあると思えば在るし、無いと思えば無い。
俺の外に有るものに価値はない、それらは時とともに現れては消えていく。
悟りはダイエットに成功しただけでは得られない
いやに体が軽いなぁ。ダイエットして良かった
そう感じて初めて得られる
>>142 >目が覚めるのを待つか
永遠にない
>宗教ごっこにつきあうか
別にイイ女ではないからその女とヤリたいとかって訳でもないし
教祖やその教えや救ってもらったエピソードを延々マンセーすんの聞いてるだけでも嘔吐がでるし
>地道に彼女を正気に戻す遊びをするか
一番愉しそうだけどそういう器量や図太さは俺は残念ながら持ち合わせて無いしな・・・
つーか、いつの間にか熱くなってマインドコントロール解くのにマジになってそうだし
とにかく宗教板で聞いてよかった ちょっと楽になりました 助言ありがとう
147 :
Ope:2012/07/04(水) 22:54:52.31 ID:jEBvdMLu
>>144 > 俺の外に有るものに価値はない、それらは時とともに現れては消えていく。
オレの外って何?そんなものあったか
>>137 でどうしたいのか?
>>130 > 考えないと思考が出てこない。
思考は自ら作り出していると思い込んでいるからそうなる
148 :
Ope:2012/07/04(水) 22:57:51.91 ID:jEBvdMLu
>>116 取れないぶどうは、きっと美味しくないと言い訳しているきつねが多そうに見えたもので
149 :
Ope:2012/07/04(水) 23:02:35.61 ID:jEBvdMLu
>>114 >瞑想は本来の自分を取り戻す手段としてある
誰がそんなこと言ってたの?
>>147 >オレの外って何?そんなものあったか
別に内、外の区別は無いけど
>>144みたいに書いたら、何となくカッコイイでしょ。
>思考は自ら作り出していると思い込んでいるからそうなる
思考が溢れ出てたことは過去にあるけど、
いったん止まってしまったら、一生懸命考えないと思考なんて出てこないよ。
懐疑派は騙せんのw
遊びじゃよw
>>150 カッコイイけど当たってるよ
勝手にポンと出た言葉
よく考えれば腑に落ちる
>>129 ありがとうございます、一つの参考としてみます。
153 :
安堂:2012/07/05(木) 00:18:21.34 ID:KigWrAgx
思考ばかりが止まらない人って、過思考症候群とでもいうのかな・・・。
思想膿漏か・・・
154 :
ろんたま:2012/07/05(木) 00:22:26.33 ID:VN99G2PI
思考ばっかりでも、無思考でも、縁あってそうなっとるというだけで、優劣も善し悪しもないよ。。
思考が出なくなった、悟りに近づいたとか、そんなのは妄想。。
実体として捉えてたら、いつまでも妄想に捕まりつづける。。
155 :
ろんたま:2012/07/05(木) 00:29:35.75 ID:VN99G2PI
民意に反してでも消費増税を強行する、のだめ政権。。
国債の評価が下がるとか、国家の信頼性が損なわれるとか、外面、外部の評価を一番大事にする。。
陰謀があるかどうかは知らんが、やっぱり日本人病かもだな。。
欧米にどう見られるかとか評価されるかなんてことばかりを気にする奴隷根性。。
実際には全然危機的状況にないのに、消費増税で、さらに景気が悪化したら、世紀の大失策だろう。。
>>134 苦という語が出たので、一つマメ知識を。
経典などでいう苦という言葉はパーリ語のdukkhaを漢訳した
ものです。
このdukkhaは何を意味するかというと概念的には「循環」とか
「繰り返し」に近いです。
AさんがBさんに何か言う、BさんはAさんに言われたことに
反応してAさんに言い返す、AさんはBさんに反応してまた
言い返す、今度はBさんがまた・・・
というような循環、繰り返しを指す言葉で、第一義的には
感情的な「苦しい」を表す言葉ではないです。
このため、一切皆苦、といったときの苦は感情的なものでは
なくて、このdukkha(循環)を指すと思えば、スッキリする人も
いるのではないかと思うのです。
>>156 テーマは輪廻からの脱却でしょ
なんで脱却したいかといったら
いつまでも自分の尻尾追いかけまわして
グルグルやってるからだよ
俺はこの状態を見ていて見苦しいの苦と取るよ
苦しいなら除けばいい
循環が邪魔なら除けばいい
どちらにしても除く対象だよ
158 :
安堂:2012/07/05(木) 01:37:21.04 ID:KigWrAgx
>>154 実体とか非実体とかは関係ない・・。
>>155 消費税増で消費落ち込み、税収ダウン、財政悪化の悪循環・・・。
「贅沢は敵だ!」という戦時標語の時代になるだろう・・・。
電力足らなくて国民に呼びかけたらみんな節電してくれて停電阻止するという国民なんだから。
悟りはあると思えばあるし、
悟りは無いと思えば無いと
では、何故悟りは無いと言ったのかね
残念ながら、何か大きな勘違いをしている様だね
160 :
Ope:2012/07/05(木) 02:01:14.23 ID:tDgZxO03
>>150 > いったん止まってしまったら、一生懸命考えないと思考なんて出てこないよ。
・・・
止まるって・・・
そういうことか
歩くことが止められない人がいたとする
それは歩くことが不自由だから、歩いたり止まったりすることができない
もしも、歩くことが不自由で無くなったとしたら、歩くことも止まることも何不自由なくできる
思考も同じなんだよ
止まったら、動きが悪くなるわけじゃない
むしろ動きが良くなる
161 :
安堂:2012/07/05(木) 02:01:37.57 ID:KigWrAgx
>>159 私の言った適当なことをいちいち覚えてるのかい。
無駄な努力というものだ。。。
162 :
Ope:2012/07/05(木) 02:04:42.83 ID:tDgZxO03
へんてこな喩えをしたが、意味するところはわかるだろう
163 :
Ope:2012/07/05(木) 02:10:12.25 ID:tDgZxO03
>>154 > 思考ばっかりでも、無思考でも、縁あってそうなっとるというだけで、優劣も善し悪しもないよ。。
> 思考が出なくなった、悟りに近づいたとか、そんなのは妄想。。
そうそう
自我がなくなったら、悟りだというのもあったっけ
思考が止められない人はいるそうだ・・・。
私にはまったくわからないが・・・。
物書きを生業としてる人には多いんじゃないかな・・・。
165 :
安堂:2012/07/05(木) 02:13:13.39 ID:KigWrAgx
あれ・・・何故か健康板用のコテになってしもうた・・・。
166 :
Ope:2012/07/05(木) 02:14:27.13 ID:tDgZxO03
健康に気をつかってるんだね
167 :
安堂:2012/07/05(木) 02:18:13.41 ID:KigWrAgx
血液腎臓心臓肝臓肺がやばい・・・。
俺そのうち死ぬよたぶん・・・。
>>163 >自我がなくなったら、悟りだというのもあったっけ
貴方には自我がもうないのですか
あと、以前にどこかで「自我は心臓にある」と発言されていたことが
あったと思うのですが、あれはどういうことなのでしょうか
興味深いので、よければ少し自我とは何なのかお聞かせください
そして、自我がなくなることで、具体的にどのような感覚的な変化があるのか、
聞いてみたいです
自我があると思ってた頃と比べて、何が大きく変わりましたか
>思考が出なくなった、悟りに近づいたとか、そんなのは妄想。。
これも少し、色んな方(amaさんにも)に聞いてみたいことです
「悟りしかない」と気付かれるのは良いのですが、それで一発で
何もかもあらゆる思い込みから解放されるのか、ということです
つまり、悟りそのものは「それしかない」「一つしかない」
「そもそも一つなので、一つとすら認識もできない」とかそういう次元で言えば、
当然、悟りは一発という話もわかるんです
でも、いくら「悟った」と言っても、たとえばヤクザが怖いとか、死ぬのが怖い、
そんな当たり前のままなら、面白くないな、と思うんですね
つまり、どれだけ色んな思い込みから軽くなってて、実際にどれだけ自在に
行動できるか、そういうことで悟りをどれだけ納得しているか、
といった深浅って、やっぱあると思うんですよ 実際、どう思われますか
思考が止められない人は多くおられます
自分勝手な言動や、突然話しの変わる人はその傾向があります
なぜなら、自分の思考に向かって思考してますからね
たとえば、ヤクザが怖いと言うとき、どのヤクザが怖いのでしょう?
怖いヤクザもいますが、怖くないヤクザもいます
こんなこと言うと怒られますが(笑)
要するに、どのようなイメージを好んで観ているか?
もしくは、自在なのか?
ということです
>たとえば、ヤクザが怖いと言うとき、どのヤクザが怖いのでしょう?
ヤクザというか、度を超えた暴力、拷問です
たとえば、手足を切られるとか、そういうレベルの暴力を背景に
凄まれても、何一つ物怖じせずに喧嘩できるのか、ということです
つまり、肉体がある、肉体に同化している、という思い込みから本当に
解放されているのか、のテストみたいなもんです
何もかも幻想だとか、思い込みだとか、夢だとか、ゲームだと気付いているのなら、
苦しんだり、恐怖したり、そうした感情がたとえ縁あって「ただ起こった」
のだとしても、巻き込まれないという選択はできると思うんですよ
「あるがまま、ただ起きてるだけ」「根っこのない幻想だ」と、気付いているのであれば
だとしたら、本当に「悟った」のであれば、何も怖いものってないんじゃないのかなって
何もかも自在に、どういう感情を味わうか、行動するか選べるだろう、と
そうじゃないのであれば、やっぱりそれはただ知的に悟りを理解しているだけなんだな、と
思うんですよ そして、どれだけ思い込みに同化せずに自在に在り方を選べるのか、それで
悟りが浅いか深いかといった話も成立すると思うわけです
みなさんどう思われますか
なぜ、度を超えた暴力をうけるのでしょう?
ただ、なんの原因もなく、度を超えた暴力をうけるのですか?
そりゃあ、警察へ行った方がいい
そんな、ほとんど起こることのない、稀な事象に思考を使われるから、原因を見落とすんじゃない?
目の前で観たことないし、そんなの
夢とかゲームみたいな恐怖の話を問題提起されても困るわ
映画だな、ソウとか…
>>169 私の申し上げる悟りは、
死ぬのが怖くなくなることでも、
思い込みがなくなるとことでもないのです。
お役に立てなかったらすみません。
(その意味で、悟りに深いとか浅いとかはないのです。)
ヤクザが怖いのは魔にとりこまれるのが怖いんだよ
葛藤とは天使対悪魔の戦いだよ
自分の中での戦いに勝利できるか否か
怒りを表面に出したら負け
悪魔対悪魔の戦いになるだけ
死や思い込みも考え方は同じ
勝つというより飲み込むと表現した方が良いな
自分の中にあるものだからな
176 :
神も仏も名無しさん:2012/07/05(木) 09:48:18.43 ID:uWTNLn/b
>>amaさん
なら何で、「死は存在しない」と見抜いたいう人たちが使い、またそういう人たちを表現する「悟り」
という言葉を使うのですか。
それはあなた自身へのごまかしであり、また聞く方はただただ混乱してしまいます。
そういう意味ではごまかしというのは他者の混乱を食って存在するのかもしれません。
あなたの言っていることは要は見てみぬふりをする事で、
生と死の区別を代表とするあらゆる区別のうちに私たちがとらわれているという認識と
その脱出についてまるで表現されていません。
悟り、については間違った事を言っていないかも知れません。
しかしあなたは、悟りちょっとに思い込み殆どという構成でできあがっているのでしょう?
あるがままを語るなら悟りばっかり語っていても仕方ないじゃないですか。
前スレッドの最後のほうにあったテーラワーダの悟りの4つの階梯ですが、仮に人が悟りの1番目の階梯を見出しても、
永遠に消える部分は1500の欲望のうち3つのみ。
永遠に消えるという事が、普通の人の現れては消えるという事と異質なのですが、1497については普通の人と同じなのですね。
177 :
神も仏も名無しさん:2012/07/05(木) 09:54:13.94 ID:uWTNLn/b
その3つの成果に執着して、のこり1497が放置されていることに気づかないと先に進めません。
だから2番目の悟りの段階が後で付け加えられたのかもしれませんね。
思考、区別は思考じゃないでしょうか。
生と死、男と女、大企業とフリーターなど。
自分が今どこにいるか関係なく、これらの軸で物事を区別していると、これらの軸の中に私たちの存在はとらわれてしまいます。
その認識が思考なのでしょう。とするとこれは本当に微妙なものです。
これが止まったなんて人がいるのでしょうか。止まる以前に自覚しにくいですし、直面もしたくないなにかですよ。これは。
178 :
神も仏も名無しさん:2012/07/05(木) 10:03:27.76 ID:4oYoJgV4
だから、ここで言う「悟り」ってのは、仏教などで言う「悟り」とは
違うんだろ?ww
「あるがまま教」・・・・これでいいんじゃねえ?wwww
179 :
神も仏も名無しさん:2012/07/05(木) 10:05:27.95 ID:uWTNLn/b
>>172 それ(悟り)しかないなら、それ以外無いということになると思います。
ということは、それ以外があるなら、、、、
それ(悟り)しかないというのは思い込みであり嘘である。
でも、悟りしかないって仰ってましたっけ。amaさん。
悟りの種と様々な恐れの両方が混じったのが人間なのだからそれをまとめてあるがままでいいですね。
悟ったら欲望が消えるというより、欲望が消えた分だけそこには何もなく、それが悟りの働きをするのではないでしょうか。
悟りは生死の恐怖が消える事ではない。
だけど生死の恐怖という大きな区別が消えれば、そこには大きななにもない。大きな悟りの働きがありそうです。
卵か鶏か見たいな話ですね。
180 :
神も仏も名無しさん:2012/07/05(木) 10:11:19.86 ID:uWTNLn/b
>>178 「あるがまま教」
ある意味その通りなのですが、表現に容赦がなさすぎる(汗)
(それだってめったに起こらないことだろうから怪しいのですが)
3つの欲望に対して永遠にあるがままであっても、残り1497についてはできたりできなかったりですからね。
1000ぐらいは気づいてもいないのが普通じゃないでしょうか。
amaさんは自分がいかにあるがままで生きれていないか直視しないで、教条主義で繰り返されるとね。「あるがまま教」ですねえ。
181 :
神も仏も名無しさん:2012/07/05(木) 10:22:29.48 ID:4oYoJgV4
>ある意味その通りなのですが、表現に容赦がなさすぎる(汗)
ケタケタケタww
そら、「慈悲に満ち溢れた菩薩さま」なら、ともかく
こんなとこで、「悟りとは・・・・」なんて語ってる奴なんて、
自己承認欲求の権化でしょう?www
鬼和尚風味で言うと、
「何故、自分は悟りについて語りたがるのか? 己をよく観察するのじゃ。わっはっはっは〜〜」
というところか?www
「あるがまま教」でもイイけど、
「あるがまま」に囚われると「あるがまま」じゃ無くなるんで
別に「あるがまま」に拘らなくてもイイと思うよ
183 :
神も仏も名無しさん:2012/07/05(木) 10:38:05.46 ID:4oYoJgV4
>別に「あるがまま」に拘らなくてもイイと思うよ
こだわってる奴が多くね? このスレにはww
「あるがままなんです」「 それになりきるんるんです 」
「始めから、そうであることに気づくだけなんです」
「もともと『それ 』であったに過ぎません」・・・・・
言い回しは色々だが、皆、根っこは「原初肯定」www
おもいっきしこだわってるwwww
184 :
18:2012/07/05(木) 11:46:03.33 ID:zOQMRcLt
あるがまま教という事で少し入って行きますが、わたしが暴走族で困っているとして
「あるがままに」「自分自身の行動を」という事で
もしその連中を殺してしまった場合はこちらにいらっしゃる方々はわたしになんと声をかけて下さるのでしょうか?
いくら困っていようとも殺人は絶対にいけない事なのでその過ちを犯し後悔してみなさんに助けを乞う場合は
いったいどう接して下さるのでしょうか
やっぱり心の中では「殺人者めが」という気持ちも少しは残ってしまうものですか
もしそれが全くないのならそれこそ本当の神みたいな存在だと思いますがどうなのでしょう
(下らない質問ですが予告でもなんでもないので安心して下さい)
>>0peさん
連中を暴力で倒せばいいというようなご意見ですが、こちらはなまじそれが出来そうで
やってしまう気性もあるので逆に困っているんですね
刑務所はいやです
>>184 正直に書いちゃうと、
自分と関係の無い人物が殺人を犯しても、特に何とも思わないよ。
それに、過去に殺人を犯した人間と出会っても、
俺を殺そうとしなければ普通に接するよ。
でも、今まさに人を殺そうとしてる現場に出くわしたら速攻逃げるね!!
そんなに暴走族が嫌いなら、
その嫌いな暴走族に対して1000回「ありがとうございます」って感謝するとイイよ。
難しいけど、やってみると心が楽になるよ。
186 :
神も仏も名無しさん:2012/07/05(木) 15:16:42.37 ID:uWTNLn/b
>>184 人殺しの何が悪いんでしょうか。
リスクリターンが合わないので、あなた自身が単にやらないと思います。
人殺しは悪いというより、人殺しと社会的制裁は単にセットなので分けて考える事はないかと。
あやまちは、そのリスクリターンを忘れるぐらいうっかりと感情にとらわれてしまうということでしょう。
(しかしこういう表現は良い馬に通ずるもので、悪い馬には有無を言わせず言い聞かせるしか本人のためにならない)
目が覚めていれば絶対にやらない何かです。
殺すところまで行かなくても、なにかに不満を感じるのは自分自身にとって苦しい事ですし、
かつ社会的にも良いリターンは期待できません。
しかし、私たちはそれでも怒る事が本音では正しいと思っているのです。だから怒ります。
聞きかじった知識で非難するには及びません。
自分が正しいと思ってる事がどんなことで、どんな帰結を生むのか知る事が瞑想です。
187 :
神も仏も名無しさん:2012/07/05(木) 15:19:20.95 ID:uWTNLn/b
>>184 怒りは厄介です。
穏便に町内会と署名と警察に動いてもらう事をさりげなくやって、達成感すらない。
平凡な日常。
と、事をすっきり収めたくない何かです。
そうやって私は丸く収まる話を、、。
188 :
神も仏も名無しさん:2012/07/05(木) 15:47:12.17 ID:uWTNLn/b
>>184 人を殺してしまう事は自らの肉体の破滅を意味します。
また、そこにいたるまでの怒りにとらわれることは、自らの神性、良心の破滅を意味します。
その圧倒的な感情を意識できるのでしたらその感情は鎮まるでしょう。もともと出たりしないでしょう。
しかし、その圧倒的な感情があるならそれに振り回されないために、強い道徳、規則が必要になってくるのではないでしょうか。
あなたにとって暴力は悪い事だという強い戒めは、あなたがそれをしたいゆえに必要です。
日々留意する事は、あなたの激情を理解する助けになり、それは徐々に鎮まってゆくでしょう。
そして今それを何とか押さえつけようと頑張っている道徳もまた鎮まってゆくでしょう。
人は自分自身のバランスを取るために、自分の本音と逆のことを信奉する必要があります。
その葛藤が苦しいのです。
瞑想によって本音は鎮まり、信奉する事は役目を終えるでしょう。
平凡な生活を信奉する私は、本音である詐欺と欺瞞への情熱を理解しなければならないかもしれません。
宗教、感情のレベルではきれいでも、お金に汚いんですよね。(これも前述のバランスでしょう)
私は騙して利益を得るのが好きだ。(商取引株取引のルールの中で)そして、多分これを好む事で自分自身が悲鳴を上げている。
あるがままを信奉する人は現実回避傾向が強い人でしょう。
人によって違いますが、その信奉する物事の方向性自体は間違ってないと思うのです。
要点は、それができないからこそ信奉しているのだと理解して、日々自らの
体と、思考と、感情に気づいている事です。
いや、やはり信奉するのは危険です。
人は穏やかさを信奉すると自らの凶暴さに出会わず、空想上の穏やかさを求めてしまうでしょう。
平凡さ、あるがままについても同じです。
規範を求める事ではなく、実際に動き続けている本音が静まる事こそ瞑想の指し示す何かかもしれません。
あのさ、殺すとか、殺されるとか、全部妄想だとは思わんのか?
そういった妄想を発信し続けるのが、自分って妄想なんだけど、、、
まあ、まずは、自分の妄想に気づかなきゃ、どんだけ長文書こうが、妄想の垂れ流しにすぎんし、
誰もあんたの妄想癖は治せない
そうして、自分っていう設定こそが、妄想だって気づくとき、天地がひっくり返る
みんな、根本的な思想に間違いがある
それに、気づかずにあーだ、こーだ言っても、自分という妄想でぶつかる
で、人と自分は考え方が違うとスネる
でも、良く考えた方がいい
自分ってなに?
>>184 いや、現実に人を殺せる力があるんだろ
それぐらい俺だってあるさ
だが、俺は怖いからやらんよ
それが、自然な姿だ
怒れば魔に取り込まれることも知ってるからね
そりゃ時と場合によっては暴力も振るうだろ
でも希望としては怒らないでおきたい
怒りは最終手段にしたい
あるがまま=自然としないのは、自然には悪もあるからさ
良心的意味合いで使ってる
良心の方の自然は多少余分なものがついてても、
現実のものと大差ない
充分に成長してるだろ?
>>184 殺せば解決するのではなく、殺してもまた別のものに困らせられます。
珍走に困ってる人と、困ってない人がいるという事実も見なけれはなりません。
素手で人を殺せる人間なんか想像以上に多いと思っていい
そいつらは魔に取り込まれない限り平和主義だよ
人を殺せると知ってることが恐怖をつのらせるからね
そうやって、思考と同一化していくから、いつまでたっても、目覚めんのだよ
>>194 そうか目覚めたか
そいつはよかったなw
パソコンの前に座ってカタカタやってるだけの人間が、人を殺すだの、殺されるだのさー
思考の世界だろ
そりゃあ、妄想だから
あんたは、殺すだの殺されるだのをしてるんじゃなくて、思考してんだ
わかるか?
まず、自分が何をどーしたいか考えてみれ
妄想抜きでなw
198 :
神も仏も名無しさん:2012/07/05(木) 19:16:51.05 ID:uWTNLn/b
>>189 私の論点は殺人に対する非難やそれにおける罪の意識です。
殺人そのものは仮のものですけど、殺人に対する質問者の非難は日々影響している現実です。
欲深になってはいけない、社会の役に立てとは親から言われたけど、実際世の中は要らないものをいかに割高で売りつけ、
そして社員をいかに薄給でこき使うかの闘争であり、それに勝利しなければ使われる側になる。
もしくはその使われる側も学歴という仕事と何の関係もないことで順位が引かれる。
そうやって安全な立場に身をおいておいて、欲深になるな、人を騙すなといっても、それは
あんたの勤めてる会社の創始者や、あんたの会社のこき使ってる下請けや提携会社がやってるんだよ。
そして私を愛してくれお金も惜しまなかったたくさんの人たち。
共通点は相当えげつない闘争に勝利して、商売相手を破壊、ユーザーの財布を破壊しているという事。
そのお金で私を愛してくれました。分かち合ってくれました。はて?これは分かちあいだろうか。
彼らはみな搾取を非難するが、その生き様、その勤め先は搾取の権化だ。
そして、そもそも欲深な事と搾取の何が悪いのかわからない。今思ってみれば経験的にそれが悪いといえる要素がない。
結局詐欺師として独り立ちしなければ、良し悪し以前にそれがなにかもわからない。
199 :
神も仏も名無しさん:2012/07/05(木) 19:18:13.86 ID:uWTNLn/b
クリシュナムルティーは、その事実である貪欲さの働きを理解したとき、精神は静まる。
そして鎮まった精神からは創造的な働きが生まれる。そのようにいいます。
創造的な働き!
それはきっと搾取してからちょっと施す事ではない(笑)
貪欲さ、搾取への欲望の何が悪いのか。
私はそれをみみづてに聞いただけで実体験として知らない。
よくよく覚者の話を思い返すと、それを見つめるとそれは他のエネルギーに変換されるらしい。
搾取を自己非難しても葛藤になる。しかしエネルギーが変化するなら葛藤はない。
ヴァルミキやアングリマーラは、自らの怒りと狂気を生き切った。
それゆえに何の判断もなくそれを見る事ができた。
同じ人生は歩めないが、寓話としてこの話の示すテーマは重い。
人はあるものしか、いききったものしか捨てられない。
ただ、貪欲な人間同士相談して、もっと期待値が高く、収入の安定した社会を築けないのかというのは別のレベルで問題。
貪欲さを否定せずにユートピアを作る事も不可能ではない。しかしみせかけの争いに踊らされ支配者に踊らされる。
その程度の意識もないのは現実。
>>197 いや〜
自分抜きで、何をどうしたいか?
だろ〜な〜
妄想抜きならな
あんたら、言うてる事、無茶苦茶やで〜w
自分主張の塊やがな
自分を中心におかんと妄想が妄想を呼ぶだけとわからんか?
>>201 このスレで既に答えた
これ以上悟りについて戯論するつもりはない
もし、中心においてる自分が、妄想だとしたら、どおする・・・?
>>207 では、あなたにとって自分とは何?
妄想?
言葉ですかね
言葉が感情をもつんやね
それとも感情を持つ言葉?
感情は感情
また、別の問題
自分=感情ではないでしょう
そういう、自分という言葉のもつ幻想を取っ払ったら、自分というものは何か?
という事なんです
みつけたら悟ると思うよ
自分という言葉を使わずに
自分を観ればよい
>>184 >やっぱり心の中では「殺人者めが」という気持ちも少しは残ってしまうものですか
残るかもしれません
ある種の悲しみを感じたりするかもしれません
とゆう想像に基づいた自我の働きを感じました
>>184 >(下らない質問ですが予告でもなんでもないので安心して下さい)
安心しました
>>184 必要な注意を払い出来ることをしたらあとは気にしないのが良いかもしれません
「このことに関してどれくらい意識を振り分ける価値があるのか?」
とゆう問いも役に立つかもしれません
217 :
神も仏も名無しさん:2012/07/05(木) 20:49:13.58 ID:uWTNLn/b
自分を特定の形の幸せに強いたらそれは幸せではありえないだろう。
自分自身の現状と、自分自身の可能性を模索する勇気ある者だけが。
畢竟自分の現状も、自分のあるがままの可能性も、誰も知らない。過去は参考にできない。
どんな形で私はくつろぎを見出すのか。誰も知らない。
こんなお話がありましたので紹介しましょう
弟子:悟りとはなんでしょうか?
導師:食事はすみましたか?
弟子:はい
導師:なら茶碗を洗いなさい
219 :
ろん:2012/07/05(木) 21:02:14.51 ID:VN99G2PI
>>184 あららら、まだ言ってんのか。。
怒ってるあなたに原因があるってことには思い至らないのだろうか?
危険運転、迷惑行為が悪い、これは誰でもわかってるけどさ。。
中卒では、レートの高い職にはありつけんとかも法であって、そのアンチとして、不良行為などの暴走がある。。
そもそもそういう社会のシステム、法、従順な奴隷のみを要請する家畜工場としての国家とか。。
そういう側を無批判に盲信して、こっちは被害者向こうが加害者とかさ。。
そういうのあなたの思い込みに過ぎんよ。。
暴走族見て喜ぶ人も多いww、バリバリ伝説とかの世代だと、元暴走族で今はま人間とかいっぱいいるしねー。。
怒りだけじゃなくて、怒り生じさせる自分の思考の問題点に気づくこと。。
あとは、向こうに対する理解とか慈悲とかそう言うものが、足りないんでないのかねー。。
220 :
ろん:2012/07/05(木) 21:08:09.59 ID:VN99G2PI
暴走少年に贈る鎮魂歌。。
BUCK-TICK MACHINE-Remodel- 25周年ver.
http://www.youtube.com/watch?v=u60utD4VneA おいらもどっか不良的なところ、青春のシッポをまだまだ引きずっていると感じる。。w
これがなくなる時が来るかどうかはわからん。。
というか、官僚だろうが、サラリーマンだろうが、どっか不良的なところってあるのよ。。
それがエゴと言うものだから。。
ネグリと言う思想家は、アウトノミア運動と言って、空き家のアパート、マンションを占拠するとかそういう運動をやってたわけ。
もともとこの世の富は、みんなのものだ、もともと俺たちのものだ、と言う思想は思想としては十分成り立つもの。。
私有財産を認めるも思想、イデオロギー、、それが正しいっつー根拠はない。。ww
ただ国家の法によって保護されているのみ。。
ここらへん、左翼思想をちょっとでも知ってりゃーわかることなんだがね。。
221 :
ろん:2012/07/05(木) 21:10:37.95 ID:VN99G2PI
松本大洋『青い春』と言う不良マンガもおすすめだなー。。
不良の心がわからんと言うのが、僕にはわからん。。
悟りとは何か?
とても古くからある質問で、良い質問です。
この質問に対する回答の中でも私の好きなものの一つは
維摩の一黙です。お気に入りなのです。
>>218 これもとても美しい話ですね。
語り得ないことをよく表しているかと思います。
また、その所作自体が悟りであることも。
導師さんはその身を以って示されたのでしょうが、
お弟子さんにはきっとチンプンカンプンだったのでしょうね。
223 :
18:2012/07/05(木) 22:18:36.77 ID:zOQMRcLt
悟り子さん
>>「このことに関してどれくらい意識を振り分ける価値があるのか?」
すばらし考えをいただきました
ありがとうございました
224 :
暗道:2012/07/06(金) 00:14:07.95 ID:b5v15LSf
今日はひさしぶりに坐禅して抗重力筋を鍛えたので
セロトニン増えた模様だ。。。
225 :
473:2012/07/06(金) 00:23:31.76 ID:8h+7SUQ+
個として生まれた。
人間の一員として生きることは、その様々な事における数千の区別をも共有する事を意味する。
そして人間の一員なればこそ社会や人間に不満が生まれうる。
独り在ればなにに不満がもてるだろうか。
個であり、まったくの独りである状態からこそ全体性への飛躍があるらしい。
確かに、人間の一員としてみんなの事を考えている状態はたった独りのときより遥かに全体性から遠く離れていると感ずる。
まず、人間としての数千の区別、しがらみ。そういったたわいなくても、しがらみである一点で生死のしがらみとかわらないしがらみ達。
これらがどうにかなってないで根本的なしがらみを見出し見極めようとしても土台順番が逆なのか。
226 :
ろん:2012/07/06(金) 00:39:22.21 ID:rWUklG6t
仙高フ絵に△□○というのがあるでしょ。。
まーいろんな解釈があり、解釈するのが間違ってるという考えもあるけど、
思想教養なしで、社会的な法に同一化しちまうと、頭コチコチの□人間になっちまう。。
それ以前の不良少年が、△だとして、△が□に矯正されるのみ。。
で、○は円相であり、悟りであり、柔軟心だとすると、一つの進化論みたいになる。。
ホントは進化なんつー言い方もミスリーディングなんだが、一つの見方としてはいいんではないかと思う。。
□であってはどうしても角が立つ、自分が収まりきらない、これじゃーダメだというのが発心かもね。。
しかし、別に□は経る必要がない、△から○にワープする行き方もあるんではないかと思う。。
心理システムというか、思考、考えが固まっていない、いわば不安定な人間のほうが、悟りやすいんでないかねー。。
コチコチに固まってしまった人は、なかなか○になるのが難しいかもだと思う。。
227 :
暗道:2012/07/06(金) 00:39:41.28 ID:b5v15LSf
修行してるときは独り。
全体性への飛躍はあるが・・・
気づく者は少ない・・・
だがそれは掛け替えのないものになる。
228 :
ろん:2012/07/06(金) 00:42:58.92 ID:rWUklG6t
ありゃ間違えた・・□△○だった。。
それだと、□を否定して、△、上昇、発心、悟りという順番か。。
とにかく国家の思考、というのは、子供のころからわれわれを洗脳して縛るものだね。。
小学生で、将来何になりたいとかさ・・そんなこと聞くもんじゃないんだよ、ホントは。。
そうじゃなくて、どういう人生を送りたいか考えさせるべきなんだ。。
いろんなものを見せて、思考の素材を与えながらね。。
229 :
ろん:2012/07/06(金) 00:44:15.69 ID:rWUklG6t
古代インドとかの図像学だと□は地、△は火、○は風かな。。
230 :
暗道:2012/07/06(金) 00:45:50.10 ID:b5v15LSf
△□○って、おでんみたいですね・・・。
231 :
ろん:2012/07/06(金) 00:46:59.37 ID:rWUklG6t
>>227 独りとか全体とかそんなもんあったら、修行になってないんでないの?
232 :
ろん:2012/07/06(金) 00:47:43.48 ID:rWUklG6t
>>230 まー単なる思い付きで書いたもんかもだけどね。。
233 :
暗道:2012/07/06(金) 00:49:47.77 ID:b5v15LSf
>>231 そりゃあ、「これでいいのか?」という疑問はあるに決まってる。
暗中模索というのか・・・。
この方針で間違いないとか思ってたら修行者じゃないですよ・・・。
234 :
ろん:2012/07/06(金) 00:54:46.65 ID:rWUklG6t
>>233 方向性なしの今、いいも悪いもないところ、認識の生じる以前だな。。
修行者なんつーのもないんだよ・・たまたま縁あってそうやっとるというだけ。。
235 :
ろん:2012/07/06(金) 00:57:22.60 ID:rWUklG6t
目指すべきところなんてほんとはないんだが、あるとすれば、小さな自分が消えたころ、自他の境界がなくなったところだろう。。
たしかに、まともに坐っていれば、全体との一体感、安心感みたいなものは感じるんだよね。。
でも、別にそれを得たんじゃなくて、もともと当たり前になったものなんだと思うぜ。。
自我に閉じ込められてしまってから、忘れてしまったものだ。。
236 :
ろん:2012/07/06(金) 00:58:00.76 ID:rWUklG6t
当たり前にあった、と書きたかった。。
237 :
暗道:2012/07/06(金) 00:58:39.75 ID:b5v15LSf
明日は七夕だな・・・。
短冊に何をお願いするかなあ・・・。
織姫様と彦星様が会える日・・・。うっふっふ・・・。
人参を短冊切りにしてきんぴらごぼうでもつくろうかな・・・
238 :
ろん:2012/07/06(金) 01:01:27.36 ID:rWUklG6t
オレはあの竹が飾ってあるの見るのが好きだけどな〜。。
人の願い事見るのも好き・・けっこう大爆笑の願い事も多かったりする。。
239 :
暗道:2012/07/06(金) 01:02:27.90 ID:b5v15LSf
>>235 「それを得た」とするか、「もともと当たり前にあった」とするかはわからないけど・・・。
もともとあったとしても全然思い出せないのだが・・・。
もしかして前世とかの話なの?
240 :
ろん:2012/07/06(金) 01:05:45.44 ID:rWUklG6t
>>239 もともとあった記憶は僕にはあるけどな〜。。
幼稚園に行く以前、2,3歳のころの僕は、宇宙と一体だったというか、悟ってたというか。。w
なんか3歳くらいに、乖離が生じた気がするな・・まーアタックがあってのことなんだろうが。。
>>239 >もしかして前世とかの話なの?
今、この瞬間の暗道自身の話だよ。
今の話だから、思い出せる訳無いよ。
242 :
ろん:2012/07/06(金) 01:08:03.49 ID:rWUklG6t
そういうアタックとか、乖離とかない人には、あたりまえの安心感みたいなものがあって、
別に修行とかしようと思わないし、思考、分別、感受性、思いやり等まともで、まっとうに生きてんのよ。。
おれらみたいな、与太もんじゃなくてね。。ww
243 :
ろん:2012/07/06(金) 01:11:10.17 ID:rWUklG6t
乖離が生じる以前は、ものすごく意識がクリアーだった。。
そのまま生きてれば、今頃おいらは、天才エリートになってたかもだな。。ww
エネルギー的に言っても、後頭部とか頭頂部が、整ってない、僕の場合はね。。
そういうのわかるようになるのは、ヨガとかやったおかげなんだろうけど。。
244 :
暗道:2012/07/06(金) 01:11:10.93 ID:b5v15LSf
>>240 あーダメだ。幼稚園以前とかは全く記憶に無い・・・。
アタックって?
245 :
ろん:2012/07/06(金) 01:14:17.46 ID:rWUklG6t
>>244 僕の場合は、親だね、両親。。
どっちもパワフルだったし、そのころ家ではいろいろあったんだよ。。
246 :
暗道:2012/07/06(金) 01:23:03.19 ID:b5v15LSf
>>242 我々は与太もんだな。それは自分が最もよく痛感しながら生きてきた・・・。ハァ〜・・。
>>245 私は両親ではなく、祖父母かもしれんな・・・。
祖父は軍人で、生きて内地に戻ったが死ぬまで軍国主義者みないな・・・。
現在の2ちゃんの右翼みたいのとは比べものにならん本物の戦前の精神の塊だな。
247 :
ろん:2012/07/06(金) 01:26:07.39 ID:rWUklG6t
生気がないような子供とか、若者、ものが覚えられないとか、コミュニケーション能力がないとかは明らかに、そういうアタックによってやられていると思う。。
日本の家庭の70パーセントは機能不全家族らしい。。
けっこう高学歴とか、優等生にそういうところで育った人たちが多いから、そういうやつらが人の上に立つと、
ちょっと問題だったりする。。
まーいじめの構造というのは、弱いものが弱い者をいじめる。。
強いものは自分に満足しているから、人をいじめたりはしない、そんなことに関心はない。。
日本はどっかいじめ社会、家庭から会社から、経済構造から、全部そうだな。。
そこらへん上にいるものが、目覚めて、よくしていかなければならないだろう。。
248 :
ろん:2012/07/06(金) 01:28:21.61 ID:rWUklG6t
>>246 僕のGちゃんも、おっかなかったらしいが、僕の生まれる、1,2年前に死んじゃったので知らん。。
軍歌とか酔っぱらって、がなるオジーちゃんいたら面白かったんだろうけど。。w
249 :
ろん:2012/07/06(金) 01:36:14.57 ID:rWUklG6t
日本の近代化とは、西洋が200年くらいかけてやったことを、5,60年でなし遂げたわけだから、ものすごい圧力というか、強烈な歪みを残したんだろうね。。
天皇中心のスーパー家父長制、縦社会、封建社会を近代に接ぎ木したような、歪んだ国家だったのかもしれんね。。
おフランスみたいな自由な雰囲気ではない・・まーフランス、イタリアとかは文化はいいけど、戦争したら、弱いというのもあるんだろうけれど。。
250 :
暗道:2012/07/06(金) 01:36:30.96 ID:b5v15LSf
>>248 私のGちゃんは母方も父方も軍人・・・。
同時代を生き抜いた人たちと、とにかく軍歌歌ってた・・・。
彼らにとって昭和は永遠に終わらなかったのだろう・・・。
>>218 おう、腑に落ちた
普通に解釈すれば悟りとは道理だ
この話は、弟子が何をどうしたいか、どうしてもらいたいか
導師が何をどうしたいか、どうしてもらいたいか
ここまでがワンセットになってる
252 :
ろん:2012/07/06(金) 01:42:46.64 ID:rWUklG6t
>>250 東山寺の接心の打ち上げwでも、弟子の人が軍歌歌ってたよ。。
師匠が、景気のいい歌歌えとかいうからね〜。。
253 :
暗道:2012/07/06(金) 01:48:30.48 ID:b5v15LSf
>>249 プロイセン王国をモデルにしたのだよ。
欧米列強の植民地主義がいつまで続いていたのかはわからん。
だが、極東の島国が列強の植民地と成らずに独立を守っていたというのは
彼ら西洋人に衝撃を与えただろう。我々の真似をして堂々と対抗してくる勢力があらわれたという。
西洋人というのは支配者面をした気違いだったのさ・・・。
254 :
ろん:2012/07/06(金) 01:48:47.05 ID:rWUklG6t
>>251 あんまし早合点せずに、無門関第七則ちゃんと読んだ方がいいと思うが。。
>>254 めんどくさいから読まない
それが道理だよ
256 :
ろん:2012/07/06(金) 01:56:15.42 ID:rWUklG6t
>>253 まーいくら大和魂とか言ったって、西洋人の狡猾さにはかなわなかったということよ。。
明治維新や日露戦争の勝利を美化するなかれ。。
維新はそれによって利を得る、イギリスの勢力に助けられたものだし、日露戦争だって、莫大な戦費はロスチャイルドから借りたもの。。
彼らは、自分たちの利益にならなくなれば、簡単に梯子を外す。。
太平洋戦争への参戦も敗戦も、おそらく、何十年も前から計画されていたことかもしれない。。
ナイーブすぎる日本人は、いまだに彼らの狡猾さを知らない。。
アダムとイブを誘惑した蛇のような知恵・・それに対抗する智慧といったって、ソフトパワーくらいしかないんだな、こっちには。。
257 :
暗道:2012/07/06(金) 01:56:53.11 ID:b5v15LSf
私が昔に見た、心の仕組みドットコム、とかいう人と似てるね・・・。
258 :
ろん:2012/07/06(金) 01:59:17.08 ID:rWUklG6t
>>255 無門が言ってるのは、趙州(師の方ね)があまり簡単に言い過ぎたものだから、弟子が誤解してしまったわいということ。。
だから、その話だけで分かったつもりになるのは拙速なの。。
めんどうなことに捉われなければ
心はスッキリするもんさ
自分がどうしたいか
相手がいるなら相手がどうしたいか
ここだけ押さえとけばいい
まぁ、お邪魔しましたw
260 :
暗道:2012/07/06(金) 02:07:47.55 ID:b5v15LSf
>>256 そりゃそうだ。あの連中欧米人は汚い。狡猾だ・・・。
だから日本人は前に出たいじめの話と同じで
外からの異物排除については非常に残酷なのだ・・・。
あの連中欧米人は、そういう日本人的国民性を理解して攻略してくる。
日本が20年も浮かび上がれないのは、そういうことなのだ。
日本が外圧に弱いのは、
西洋人が「ああ我々を中に入れてくれないの?なら我々もあんたらに協力しないからね」ということ。
日本は何らかの譲歩したくないものがある。それを知り尽くして西洋人は人質を取ったかのような
脅迫めいた交渉をしてくるのだろう。
TPPだってそうだよ。運命共同体みたいになってない日本を切り崩したいのだ。
牙城ってのはなかなかウザいものでね・・・。
261 :
ろん:2012/07/06(金) 02:17:54.08 ID:rWUklG6t
>>260 欧米人全体ということじゃないけどね。。
日本で暮らしてる欧米人は、いい人が多いように思うし。。
まあ一部の金融マフィアみたいな連中、大企業と政治家、支配階層のような連中が悪なんでないのかね〜。。
わからんけど。。
イギリス、アメリカは国家の施策として、製造業じゃなっくて、金融で儲けて、それによって税金稼ぎましょうなんてこと考えて実行したのよ。。
だから、国家と強欲資本主義みたいなのはセットなの。。
でも、今ほとんどの国々は、そういうやつらに反旗を翻してると思うけどね。。
どうなることやらだけど。。
262 :
暗道:2012/07/06(金) 02:32:09.70 ID:b5v15LSf
>>261 そのために米英では社会主義的施策は打てない・・・。
ウォール街の連中だけ儲けさせる。
アホ金融道はインチキイカサマだから滅びるけどね。
狡猾だからそうならないように作戦立ててるぞ・・・・。
それを読み切って叩きつぶすくらいしないと日本は終わる。
>>176 「死は存在しない」というのは、
誰も死を体験できない、
という意味ではないのですか?
私たちは、自分以外の人や動物が動かなくなって息をしなくなる様子を見て、
それを「死」と呼んでいますが、
自分が同じようになったのを体験できた人はいないですよね。
死は頭の中にだけつまり想像の中にだけ存在するので、
恐怖を感じるのではないでしょうか?
264 :
神も仏も名無しさん:2012/07/06(金) 08:40:12.65 ID:8h+7SUQ+
>>263 それはなんともいえない事です。
恐怖を現に感じてしまう私たち自身がそう推論する事はできますが、依然として恐怖しているという現実があるのではないでしょうか。
あるがままに私たちは死を恐れていればいい。それに抵抗する事がいっそうの恐怖を呼ぶというのは悟りに通ずる態度に思います。
しかし、また、あるがままでない、区別があるからこそ、生死の区別をする主体とその恐怖があるともいえるかもしれません。
そして生死、とは直接的な死だけではなく、金銭的な不安全般も指すでしょう。
私は死を、感覚的苦痛を恐怖しています。
その恐怖は現実であり、その恐怖と戦うことは強めるというのは知恵でありつつも、
既に何らかの真実と闘っているからこそその恐怖が在るという実情でもあります。
どの道何らかの無知、あやまち、思い込みを自分のうちに見出さなければ現状の変化はありそうにないです。
「死は存在しない」
というのは私たちは生死と、それにまつわる権力を区別しており、それを欲し恐れているが、
その区別と区別する主体がなければそれは単に区別されないし区別する人もいない。
「生きているうちも感覚への恐怖がなく」、自分自身が正に体を焼かれる際も体という思い、死という思いがわかない。認識が現れない。
そういった表現であったと自分では思います。
>>263 それでamaさんは、死という認識と、認識する主体、それにまつわる思いが消滅して悟りと言ってるのかなと。
それに逆らわないという事は瞑想ですが、それがあるということは自分のなかにあるがままの態度でない部分が厳然として存在する事を意味しています。
想像の中に存在していればそれは私たちにとって現実なのであまり慰めになりません。
想像の中にあるということを現実といい、想像がないことを真実と言うのではないでしょうか。
あるがままでないものを見出す事があるがままへの道に必要なものの一つでしょう。
それにばかりとらわれるのも変ですが、実情に無感覚になるのもいただけない。
絶叫して死んだとしても一瞬
苦しみがどれほど続くかわかりませんが
できれば眠るように安らかに死にたいですね
ジェットコースターが降りる前の心境でしょうか
この心境の克服が今生の課題かと
ただ坐るだけなら、死んだ人を目指すようなものなのです。
肉体が本当に死んでいる人を形だけ坐らせる
生きていて死んだ人のように無になろうとして坐る
生きていてただあるがままに坐る(只管打坐)
生きている肉体とただの肉片との違い
肉体が自分ではないことが分かるはずです。
267 :
神も仏も名無しさん:2012/07/06(金) 09:08:02.84 ID:8h+7SUQ+
>>263 ただ、死の恐怖というものの、実際には死の恐怖じゃないのかもしれません。
それにあるがままに出会えば、それは感覚や飢えの恐怖かもしれませんが、
あらゆるばかげた事の執着と繰り返しを求める欲の集合体かもしれません。
それは一つの混沌とした宇宙なのではないでしょうか。
そういう意味で「死の恐怖」という名前付けも事実の複雑さ、広大さ、強大さをむしろ
単純化して小さくしていると思うのです。
名前をつけると事実に出会えない。その想像の強さという事実に。
私は自分が肉体だという思い。その思いそのものに出会った事すらありません。
その強い執着を外から名前をつけるのが関の山なのです。
268 :
神も仏も名無しさん:2012/07/06(金) 10:14:14.65 ID:8h+7SUQ+
>>227 現状としての自分の思いが経れば減るほど、それは
人間という思い−個という思い−全体という思い−無心
と表現も変わってゆくのでしょう。
そういうように思う、ということではなく、実情としての自らの思いが減ってゆく様を描いているのだと思います。
実情として人間という思いに捕われている私にとって、時折触れられる個という思いというのは、より思いが少ない状態で、
私にとっては空そのものなのです。
個としての思いしかなくなれば、多分全体性という思いが空として感じられるのでしょうし、個という思いという言葉で示される思い少なき状態は
新しい空ではなくもはや締め付ける鎖となっているかもしれません。
逆に実情のほうに何の思いもなく、実情において空であるなら、単に宗教も修行も無修行も単に縁のないものになっているような気がします。
目標としての言葉ではなく、実情を表す言葉として使われると思いが減ってゆく様として表現されると、
金剛経のように、何々である。といっても何々というものがあるわけではない。
というように不可思議な描写になるかもしれません。
積み重ねる描写ではなく、全くの空でもなく、思いが減ってゆく、認識が変わりゆくという変化を言葉にするというのは非常に微妙な作業なのでしょう。
目標を掲げたいわけでもなく、全くの空でもないので、それ以外の言葉で語る事になります。
269 :
神も仏も名無しさん:2012/07/06(金) 12:21:25.70 ID:8h+7SUQ+
一仕事終わったら瞑想しようって思ってる自分がいる。
すると瞑想と仕事という分裂が自分の中にできる。
というか恒常的にできてしまっているんだろう。
それが分析や調べ物だからとて瞑想と両立しないわけじゃない。
どこかであきらめていた。
仕事や調べ物にかかわる自分のマインドはこれでは瞑想している自分と分断されてしまう。
瞑想は仕事のまつわる自分以外だけが参加する部分的なものというわけだ。
そりゃ、仕事中の瞑想は難しい。知らぬ間に自分を忘れてしまう。
できるぶんだけ。
270 :
神も仏も名無しさん:2012/07/06(金) 15:51:35.84 ID:8h+7SUQ+
>>amaさん
ややこしい事を書いたので単純化します。
ブッダの前世の記憶 王に四肢切断されたが体という思い。自己という思いすらわかなかったと。
光明を得た尼さん 死期を悟り生きたまま焼かれる事で弟子の前を去った
イエスキリスト 磔と槍での処刑
イスラムの覚醒者 マンスール 目をくりぬかれ四肢切断 歓喜に満ち血を神にささげた
20世紀の覚者
グルジェフ 羊水1リットル 麻酔は使わず
ラマナマハリシ 咽頭癌 激痛にとらわれないようだ
ラーマクリシュナ 咽頭癌 激痛はないかのようだったといいます
OSHO アメリカから放射線をうけたとかどうとか 晩年は歯といい全身がひどい状態だった模様。
わたしにとってあるがままとは、あるがままではないという事実があり、かつそれを非難せずにあるがままであるということです。
また、様々な事であるがままではない事実に気付いてすらない可能性があるということです。
その可能性を示すのが上記の人々です。
自分自身の区別とそれがもたらす苦しみに直面すればものすごく苦しいが、直面する事でその区別そのものが消えるという事。
自分自身の区別とそれがもたらす苦しみがあるがそれをどうこうしようとすることで余計苦しみはしない。他の当たり前の生活に意識を切り替える。
両者は違うものですが、共にあるがままと表されやすいでしょう。
しかし、悟った人の言うあるがままは前者です。
後者は無謀な自我によって自我を破壊しようとする試みから離れている分非常に知性的であたり前に生きられます。
しかしただ当たり前なだけで悟った人々が示す超越を示してはいません。
271 :
神も仏も名無しさん:2012/07/06(金) 16:17:02.47 ID:8h+7SUQ+
重要な物事というのは自分がそう定義していただけなのだと後で気付く事はありますが、
取るに足らない物事には注意が必要でしょう。
取るに足らない物事という評価は、この評価基準を別の評価基準が裁いているだけであって、
この評価基準を持っている自分にとっては事実としてそれはものすごく大切な事なんです。
どんな評価基準を持ち、どんな執着を持ち、どんな事をものすごく大切に思っているか。
それに気付く事が大事に思うのです。
その対象の物事がどうとかではなく、どう思っているか。
結局人は自分が評価する軸のなかに捕われ、執着するものそのものになってしまっているのだから。
こころひとつですべてのものごとはあらわれる。
272 :
神も仏も名無しさん:2012/07/06(金) 16:36:17.29 ID:sFZyXgW/
悟りを開くと何か得することあんの?
また悟りを開いた事で逆に損したり苦痛に陥る場合もあるの?
>>272 悟りを開いても、得も無ければ損もないよ。
損得という分別を超えるのが悟りだからね。
でも、悟りがあるのかと言われれば、あるともないとも言えないね。
>>273 また嘘言ってるのか
君はその悟りを自分の拠り所にして、人生楽しんでるんだろ
なら、得でいいだろ
まだそんなに、悟りに関しては的を得たことを言っておきたいとか
気にしてるのか
>>274 嘘、ウソか?
嘘って何だろ?
他人にとっての嘘が自分にとっての真実ならば、
それは嘘なのだろうか? それとも真実なのだろうか?
まあ、別に嘘でも真実でもどっちでもイイけどね。
>君はその悟りを自分の拠り所にして、人生楽しんでるんだろ
在るのか無いのかハッキリしないモノは拠り所にはならないと思うよ。
>まだそんなに、悟りに関しては的を得たことを言っておきたいとか
思ったことは書いてるけど、的を得てるとは思ってないよ。
俺よりamaさんやロンや悟り子さんの方がよっぽど的を得てると思うよ。
>>275 君が反論するってことは、悟りに関して自分なりにイメージ持ってるってことだろ
つまり、拠り所にしてるんだろ
肉体が自分のものでないというのは嘘だね
誰も普段、肉体のことなんて気にしちゃいないよ
肉体丸々が自分ということにいいかげん気付け
それと我執から離れるのは正解だが、
我から離れるのは大きな間違い
だから自分を見失うんだ
覚悟を決めるのはいつも自分
自分がなけりゃ、覚も梧もないわな
>>276 >君が反論するってことは、悟りに関して自分なりにイメージ持ってるってことだろ
安価したから応えただけだよ。
悟りについてイメージ持ってるように見えるなら、イメージ持ってるんじゃない?
まわりばっかりキョロキョロ見て
顔色、仕草をうかがうヤツばかり
少しは自分を見ろよ!
といっても鏡じゃなくて、内面だよ!
まわり見なくとも、画面見てるヤツも同罪だ
そうだ、俺だよw
自分の内面を見るではなく観るだ
単純に客観視だ
外界を観るなぞ普通に誰でもできるわ
【あるがまま】について
金斗雲に乗って飛び回る孫悟空はお釈迦様の手のひらの上から簡単に出られると思っていたらしいですね・
>>156 >一切皆苦、といったときの苦は感情的なものではなくて、このdukkha(循環)を指すと思えば、スッキリする人も
いるのではないかと思うのです。
♪スッキリしました
>>272 >悟りを開くと何か得することあんの?
本質的な部分が気楽になるとゆうのはあるでしょうね
体の感覚や自我の感覚等はあるのですが
意識の中心が醒めている感じです
>>272 >また悟りを開いた事で逆に損したり苦痛に陥る場合もあるの?
覚者やってみない?
みたいな感じのことを言われて困惑したことはありました
>>285 恐怖心が微かにも残ってますか?
残ってれば全然悟れてないですよ
あと羞恥心とか
街中でスッポンポンになっても恥ずかしくないとか
これは簡単そうだなw
>>277 肉体丸々が自分だとすると、自分の肉体は、肉体の肉体となりますね
自分はどこへ行ったのでしょうか?
>>288 一休さんかよw
自分の手や足でも見てみて
自分の肉体が肉体を見てるに過ぎん
>>289 だから、自分の肉体ってのは、あなたが言うには、肉体が自分なんでしょ?
だから、肉体の肉体であって、自分なんていないじゃないですか?
自分の肉体が肉体を観てるってのはおかしいと思う
自分の手や足も、手や足が自分なんであって、なんかおかしい…
手の指を思いっきりそらしてみ?
痛いのは誰だ?
>>291 自分の指が痛いとしましょう。
では、指は誰ですか?
>>292 痛いのは自分だ
そして指は自分の一部だよ
こういう話は皆がみんなわかるわけじゃないんだよなぁ。
当たり前のことなのに不思議だ。
唯物論と唯心論の橋がないんだよなぁ。
生命についての学が。
肉体に心がないなどとは言うとらん
心も肉体の一部じゃ
自分とはなんですか?
自分とは、肉体丸々ですか?
自分の一部と言うとき、その中心はどこにありますか?
もし、手が自分であれば、手が中心となり、手は自分の一部ではないはずです
自分そのものです
自分とはなんでしょう?
>>295 動物には心はありますか?
植物には心はありますか?
岩には心はありますか?
一つづつ答えて頂けないでしょうか?
>>296 ある美女と街中でぶつかって、中身(自分)が入れ替わったとします。
美女のナイスバディですが、その美女がなぜか自分です。
肉体は自分とは本質的には関係ないと思います。
愛着はあれども。
>>297 識別作用だから何か反応すれば心はあるだろうね
岩にはない
>>298 中身が入れ替わるということは、思いが入れ替わるということでしょうか?
ということは、思いが自分なんでしょうか?
>>299 >識別作用だから何か反応すれば心はあるだろうね
心は簡単にいうと快・不快から出来てる思いの場。
植物は心がないと思うよ。
動物と鉱物の間で分かりづらいと思うけど。
>>298 なるほど、中心は脳やろね
入れ替わった体が自分になるんだね
>>300 動物には心がある。では、その心が人間に移ったら、その動物は、「自分」を意識するのか?
しないと思う。
思いは自分ではなく、「ある」が自分だと思う。
>>301 じゃあ植物には心がないでいいよ
植物じゃないからわからんよw
305 :
神も仏も名無しさん:2012/07/06(金) 23:03:02.81 ID:8h+7SUQ+
>>292 実際に足がつったり、家が燃えたり、手足をもがれたり、癌になって激痛が走ったら、
そんな問答は忘れてしまう。そのレトリックは瞑想の入り口としてはすばらしいが実効性を持たない。
役に立たないのです。
私たちは肉体に、感覚に同化(執着)「しているという事実」が現状ではないでしょうか。
肉体が心を作るのはおっしゃるとおり無理そうですね。
心が肉体に執着しているので死せる運命があり、苦痛に弱い肉体は外界の影響を受けやすく、
それに執着している心もゆさぶられます。
>>303 ということは、今現在に自分は「ない」ということですね
307 :
473:2012/07/06(金) 23:08:13.90 ID:8h+7SUQ+
静寂な精神は真理を見出さずにいられないらしいです。
然るに私の精神は混乱しています。
混乱しているからこそ、考える事が必要です。
行動の指針や人生の指針がなければただ混乱そのものであり何もできなくなってしまいます。
しかし、その混乱が鎮まるためにはどんな考えも、方向も、見解も、概念も、体験も、非体験も、全体も、空も
役に立ちそうにありません。
これらはその混乱した精神が作り出したもの、想像しているものだからです。
混乱している。
暫定的な活動の決定のため思考は必要だが、混乱をどうこうする事は不可能。
混乱しているから何らかの指針に頼ろうとする。頼ると混乱がそれを使う。それでは混乱は続く。
人間は混乱そのものだ。そうでなければ静寂な精神において真理を見出し散るだろう。
混乱そのものなのだ。混乱を生きよう。
>>305 レトリックではありませんよ
「自分」が繰り出すトリックの話ですよ
>>306 >今現在に自分は「ない」ということですね
それは、Yes or No と答えるしかないかと。
通常、私達は自分自身を肉体や心だと思っています。でも、肉体や心が何らかの出来事でごっそり入れ替わってしまったとしても、自信をもって自分と言う。
その自信の核は「ある」です。
「ある」は通常の意味での自分ではないですが、その自分の核になってるものだと思う。
心が肉体の影響を受けまくるのは事実だ
じゃあ、心を肉体から切り離すか?そんなことが可能か?
肉体丸々を鍛えればいいだけじゃよ
>>309 だから、その自信を持って自分という、自分とはなんなんですかね?
その核とは?
>>311 なんの物質なんだろね?w
空でないことを祈る
>>311 「ある」としか言えないw
「ある」は自分しか差せないから厳密には言語化も出来ないし。形もなんにもないから。
ちなみに
>>309はYes and Noだった。。。
>>313 揚げ足とりみたいに思われますがw
「ある」をさす自分はなんですかね?
自分が、自分という「ある」をさすということになりますが
まあ、仏教の教えに、諸法無我という教えがあります
そこらへんに、何か腑に落ちる何かがあるとか、ないとか…
意識が薄い状態なら感受作用も薄くなる
意識が濃い状態で感受作用を薄くするには…
気のもちようとか、マインドコントロールしかないな…
捨てる離すしかないのか…
>>314 >「ある」をさす自分はなんですかね?
何もささないし、させないと思います。
強いていうなら、「ある」がさす自分は幻想かと。※一般的な意味での自分なので。
>諸法無我という教えがあります
輪廻を意識に置くと、確かに一般的な意味での我は幻想みたいなものかも。
輪廻を含んだ意味での縁起のほうにフォーカスを当てるのは何となく分かる。
でも、それを通じて一段階上の我が見えてくるけど、それも幻想なんだろうな。
心対脳みそだな
心は脳みそを騙す
脳みそは心を騙すことができる
さて、心に騙されない脳みそを作るには?
瞑想しかないか…結跏趺坐しかねーな
>>317 結跏趺坐で鍛えながら、捨てる離すで心を騙くらかす
必要ないものと捉えることで捨てることができる
離すは意識から遠ざける
320 :
Ope:2012/07/07(土) 01:11:10.99 ID:+3Wkdolm
>>168 自我とは像を結ぶ機能のことです。
機能なので使えばいつでも結ぶことができます。
それが胸の真ん中辺りに像を結ぶのですが、心臓と関係があるのかは知りません。
321 :
Ope:2012/07/07(土) 01:33:20.19 ID:+3Wkdolm
>>184 > 刑務所はいやです
そんな極端にならなくてもいいじゃない
ちょっと注意すればいいんだよ
といっても、捕まえられないから、居場所探すしかないけど
>>319 こんなクイズはどうでしょう?
何も思わないとき、自分はどこにいるでしょう?
今すぐにでもできる簡単なゲームです
323 :
Ope:2012/07/07(土) 01:58:03.49 ID:+3Wkdolm
>>218 続き
導師:なら茶碗を洗いなさい
弟子:歯を磨くのが先です
導師:うっかりしてました
弟子:はい
導師:次は茶碗を洗いなさい
弟子:自分の茶碗は自分で洗いましょう
導師:食事はすみましたか?
弟子:すでに終わってますが
導師:なら私の茶碗を洗いなさい 修行です
弟子:私の茶碗が先です
導師:うっかりしてました
弟子:はい
導師:次は私の茶碗を洗いなさい
弟子:考えておきます
324 :
安藤:2012/07/07(土) 02:47:34.31 ID:ufV63l07
寺に私の茶碗などない。
日本の家庭では、大抵が自分の箸を持っている。それは珍しいことなのだ。
フォーク、スプーン、ナイフも全部自分用がある人はなかなかいないだろう。
>>322 答えは、ここにいる
話の意図が見えんぞw
あぁ見えたわ
識別作用がない限り何もないと言いたいんだな
だから意識するなとゆーとる
それに単なる錯覚だ
>>264 人は未知のものを恐れますよね。
つまり、見ていないものを恐れる。
「幽霊の正体見たり枯れ尾花」とはよく言ったもので、
正体が分かってしまうと怖くもなんともない。
でも死の正体は分からないのです。
つまり死んだ後のことは確かめようがない。
なのにそこに思いをはせてしまうことがこの恐怖の原因でしょう。
死が怖いのは、その後のことをああだこうだと想像するからで、
想像しなければ怖くない。
ただそれだけのことみたいです。
それは、錯覚だと認識する自分ではないでしょうか?
世の中は、全て錯覚だと認識する人もいます
しかし、良く考えてみてください
もし、自分が錯覚だとしたら、、、
何が錯覚でしょうね
自分って何ですか?
自分は、いますか?
認識を偽とするなら飯食うなよな
横っ面引っ叩いて目を覚ませ
>>327 死後が怖いのは嘘
死の直前どんだけ痛くて苦しいんじゃろ、というのが怖いのである
実際のところ、死ぬのは嫌だけど、あんまり怖くはなかろ?
>>264 あるがままというのは、現実のことですよね?
あるがままでない(なりきれない)という現実(あるがまま)があるだけですね。
何かを嫌ったり抵抗したりといったこともあるがままですから、
あるがまま以外はないのです。
私に関するすありとあらゆるべての現実があるがままです。
ですから、あるがままであるとか、あるがままでないとか、という二元的なことではなく、
そっくりそのままの現実のことです。
ですからこれについてはOKもNGもないのです。
私が手出しできないもの(こと)です。
(手出ししてもいいですが、手出ししてしまうことに手出しできないのです。
言い方を変えると、抵抗してしまうことに抵抗できない。)
>>960 そんなことはない、馬、いや馬さんは、生まれながらの馬だ…
ヒ、ヒーン
失礼、今や鬼さんを退けこのスレの主のように、居座っているようだが、この観自在さんにはお見通し…かもしれん
いずれ、けちょんけちょんにしてやるからな〜、って言ってみるテスト
あるがままでないのは、死後とか死の直前に思いを馳せること
あるがままは、そんなくだらねーこと考えねーよのこと
行過ぎた予測ってことだろな
あ、ごめん間違えた
別にビビってるわけじゃ(ry
335 :
Ope:2012/07/07(土) 09:38:42.53 ID:+3Wkdolm
>>324 自分の茶碗を洗って欲しい導師と
それを見透かした弟子の珍問答
>>334 > あ、ごめん間違えた
オレムのスレだっけ
>>335 え、オレム、スレやってんの?
ツレないやつだな〜
>>270 > ブッダ 〜 OSHO
昔の人が言ったことは、本当のことかどうか私には分かりません。
それがどんなに説得力があり状況証拠があっても、です。
一方、これらのことが本当のことだったとして、
悟りとは、また別の事柄でしょう。
悟っても普通の人は後世に残りませんが、
悟っても悟らなくてもヒーローは後世に語り継がれます。
痛みや恐怖を感じないのが悟りで、
そうでないのは悟りではないのなら、
二元論になってしまいますが、
やっぱりそうなのですか?
338 :
Ope:2012/07/07(土) 09:43:13.76 ID:+3Wkdolm
>>324 自分の茶碗を洗って欲しい導師と
それを見透かした弟子の珍問答だから難しく考えないでよ
339 :
ろん:2012/07/07(土) 09:44:12.71 ID:MU0fN/tz
>>331 そう。。
それにそっくりそのままの現実と言うものも実体はない。。
あるいはそれを見ている時には、もうなくなっている、過去の幻を見ている。。
見えるはずのないものを見ている・・見なければ無い、ないがまま。。
今とは手の着けようがない。。
一瞬一瞬既に生き切っているし、死に切っている、仏である、完了している。。
どうしてこれに気づかないのか。。
340 :
Ope:2012/07/07(土) 09:44:12.59 ID:+3Wkdolm
341 :
ろん:2012/07/07(土) 09:45:10.68 ID:MU0fN/tz
昨日はオレムじゃなくて、オムレツ食べた〜。。w
>>270(後半部分)
どこを探しても、
当たり前な普通な平凡でその辺の石ころのような私しかいないみたいです。
楽しみ喜び葛藤し苦しむ・・・あるいはあるがままでないこの現実・・・、
そこに落ち着くことを私は悟り体験と呼んでおり、
この悟り体験をすることで、誰もが悟っている(悟り以外にない)ことが分かるのですね。
343 :
ろん:2012/07/07(土) 09:49:17.20 ID:MU0fN/tz
そもそも無門関第七則は、最初の質問が「悟りとはなんでしょうか」ではないんだよ〜。。
岩波文庫の訳だと
「私はこの道場に入ったばかりの新米でございます。
一つ尊いお示しをいただきたいと思います」
原文だと、「尊い」なんて形容詞もない。。
単に「指示したまえ」とあるのみ。。
なんだよ、みんなして〜…
今日は、七夕なんだから、みんな、優しくしてね♡
>>330 確かに死後はたいして怖くないですね。
死より、苦痛が怖いのです。
346 :
ろん:2012/07/07(土) 09:53:49.47 ID:MU0fN/tz
今の自己の他に求めるから、成仏していることに気づかないんだろうな。。
今の自己なんてものもないし、見えない、わからないんだけど。。
われわれはみな、自分の思い、認識に騙されて、自分がある、他があるように惑っているのだろう。。
>>345 でもって、苦痛の真っ只中にいるときは、恐怖はないのですね。
348 :
ろん:2012/07/07(土) 09:58:36.81 ID:MU0fN/tz
おいらは茶碗を洗う前にまず、ご飯を炊かなくちゃなのだ〜。。
飯炊き女☆〜い。。ww
>>344 そういえば今日は願い事(理想)を書く日ですね。
350 :
神も仏も名無しさん:2012/07/07(土) 10:01:06.94 ID:PqVoEm0A
>>327 恐怖
感覚への執着、苦痛への恐怖、人間関係への執着、家への執着、家族への執着、仕事への執着、権力、金銭への執着
快楽への執着があります。
これらへの執着はそれがそっくりそのまま慢性の恐怖になっているでしょう。
死そのものだけを怖がる事は仰るとおり不可能です。
これらへの恐怖全体をよく見もせずに「死の恐怖」と名づけがちですが、良く観察すると
執着と恐怖の集合体のように思えます。
これが鎮まる事によって見出されるのが悟りと定義されているように思います。
>>337 前スレッドで言葉の定義についての考察があります。
悟りといわれているものという伝統的な定義があるのです。
その伝統的な定義を無視して悟りという言葉を使うのは何故ですか?
自分の言葉、現代語、日常用語の範疇で語られれば良いのではないでしょうか。
「感じない」というのは「感じてしまう我々」の「想像」であり、仰るとおり「2元性」です。
我々にとってはそうですし、amaさんも二元論を作り出してしまいました。
感じてしまう我々にとって、感じないことは二元生です。しかし、感じる主体が存在しなければ、感じることと感じないことの区別が存在し得ない。
(というようなことを言ってるんです。このへんは私に理解しかねる事です。)
翻って、彼らはあらゆる区別がなく、認識はなく、認識者は無いといいます。それゆえに無上の完全なる悟りだといいます。
悟り、は仏教の用語としての特色が強いので、金剛、般若心経の単行本を読んで、
本当に悟りという単語を使うのが適切かどうか調べてみたらいかがでしょうか。
自分の思っているものと違ったら悟りという単語は使おうとしなくなるでしょう。
そういう伝統と定義のある、悟り、という言葉なのです。
たかが言葉ですが、定義を無視した用法に固執するのは何故ですか。
どういった執着でしょうか。
七夕の夜に、運命の男女が巡り合う
なんて、ロマンチックなんや〜
352 :
ろん:2012/07/07(土) 10:16:33.29 ID:MU0fN/tz
>>338 そっかー、おれもアンドーでもダマくらかして、炊事、食器洗いとかやらせることにするか。。ww
353 :
神も仏も名無しさん:2012/07/07(土) 10:22:03.17 ID:PqVoEm0A
>あるがままであるとか、あるがままでないとか、という二元的なことではなく、
そっくりそのままの現実のことです。
それは理論上のことで実態を示していない。
実際にはあるがままの態度でないから、執着があるから、区別があり快楽と苦しみがあるのではないでしょうか。
本来それに対してなにも言うべきではないのかもしれません。
混乱があり執着があり2元性を作る精神が見出せる非2元性(あるがまま)は事実である2元性の抑圧もしくは痛み止めにすぎないでしょう。
あるがままは大本の、事実としての2元性の精神が作り出す夢に過ぎないでしょう。
そうやって元の執着は生き続けます。
そういったことをしなければ、大本の精神は鎮まる可能性があるでしょう。
あるがままという悟り体験は旧来の精神「による」、自分自身への解釈でありそれが体験を作ります。
そしてそうやって旧来の精神は生き残ります。
精神が活動し続ける限り真実は見出せないのではないでしょうか。
354 :
神も仏も名無しさん:2012/07/07(土) 10:28:28.59 ID:PqVoEm0A
>そっくりそのままの現実
同じなのです。
そっくりそのままの現実でないということとの対比になります。
言葉には二元的な働きがあります。
事実である私たちの精神の働きが、それを延命させるために利用します。
利用者が同じなので、到着地点、コースも同じでしょう。
どの言葉を使っても、利用者とその目的に違いがないので実質的に同じでしょう。
355 :
神も仏も名無しさん:2012/07/07(土) 10:31:23.51 ID:PqVoEm0A
>そっくりそのままの現実
同じなのです。
そっくりそのままの現実でないということとの対比になります。
言葉には二元的な働きがあります。
事実である私たちの精神の働きが、それを延命させるために利用します。
利用者が同じなので、到着地点、コースも同じでしょう。
どの言葉を使っても、利用者とその目的に違いがないので実質的に同じでしょう。
356 :
ろん:2012/07/07(土) 10:41:10.07 ID:MU0fN/tz
>>353 だからお前はこんなところでバカの見本やってないで、坐って無心になるしかないだろう。。
無心と言う意識すらないんだよ。。
執着とか精神とか解釈とか、みんなお前がやらかしてるだけで、amaさんにはないの。。
向こう側へ行ってから、こっちの言葉でしょうがなく表現してるだけ。。
駄文のビチ糞垂れてないで、実際の修行をしろと言うだけ。。
あーでもないこーでもない言い訳、能書きばっかのほんにしょーもないやつ。。
357 :
ろん:2012/07/07(土) 10:43:47.14 ID:MU0fN/tz
というか、駄文のビチ糞の方が好きで、修行する気はないのかもだな。。
おれの方がわかってマース、とか思い込んでるのかも知らん。。
ホントに根っからのバカなんだろう。。
358 :
神も仏も名無しさん:2012/07/07(土) 10:48:47.23 ID:PqVoEm0A
迷いと悟り、無明と光明、2元性と1元性、実体と空、あるとない、ないとある、部分と全体
どんな言葉も精神がその限界を超えようとそれを利用してしまう。ないという言明もあるという実感という下地があってのことが殆どでしょう。
最初片方を追うのは致し方ない。
次に自分はそれを目指しているという事と、自分はそうではないということに気付く。批判するのではなくただ気付く。この仮定で概念というものが想像だけで現実の自分の精神=私を変革しない事に気づく。
そうなればあとは両方を手放し自らの精神の延命作用を手放し、、。
359 :
ろん:2012/07/07(土) 10:55:32.33 ID:MU0fN/tz
あらあら、またびち糞垂れてるのか。。
360 :
神も仏も名無しさん:2012/07/07(土) 11:01:26.92 ID:PqVoEm0A
>>amaさん
非常に微妙な話なのですが全容が見えてきました。
あるがまま−あるがままでないという言葉を例として使うと(あらゆる概念が当てはめられあらゆる概念は対立軸があります)
@執着と恐怖の集合体である精神があるがままという知識でそれを想像することで、精神は生き残る。
Aかといって自らをあるがままではないと裁く事でも、精神は生き残る。
その両方を自覚無自覚にかかわらず代わる代わるやっている気がします。
全容を理解すれば、対立軸を作る概念に頼るという事をやめるのでしょう。
また、その中間点として、もし瞑想というものが起こり、意識というものがあり、かつ精神が完全に鎮まっていないなら、
その人は自らのうちにあるがままの意識とあるがままでない態度の精神を両方見出すでしょう。
かれは意識のあるがままの働きを良いものとして出なく事実として語り、あるがままでない精神の働きを悪く言わず事実として語り、
全容に目覚める事を語るでしょう。
これは中間地点として重要なのかもしれません。対立軸のある概念を使って、限界まで対立させず客観的に語ろうとしてますが、
結局のところ精神と対立軸から逃れられるという事はないでしょう。
前述の概念の放棄に落ち着くでしょう。
私は概念を放棄していない。かといってそれを責めるのは概念。
概念を放棄しようとするのも概念。
どうしようもない。
361 :
神も仏も名無しさん:2012/07/07(土) 11:20:16.56 ID:PqVoEm0A
>>amaさん
迷いと悟り、無明と光明、2元性と1元性、実体と空、あるとない、ないとある、部分と全体
精神は同じように、後者を目指し自分自身を前者と非難するようです。
そうして精神は自身を永続させようとするようです。
精神と信念の関係性はまことに微妙で、強力です。
実際この働きを理解していなくては、生まれたときから(もしくはその前から)溜め込んだ記憶と体験と執着の集大成である精神から
自由になっている可能性など初めから無いように思います。
これにおいては、答えがあるのではなく、答えへの執着をいかに解きほぐすかという表現においてその人の信念の働きへの理解が現れます。
私の答えもあなたの答えも答えは答えであり、答えに頼っていては、相手を答えに頼らせてしまえば、
信念を強化し、集大成である精神を存続させてしまいます。
amaさん
本当にあるがままなら、執着は減っていくでしょう
執着を保存するのが、あるがままと思っているのなら、勘違いですね
363 :
神も仏も名無しさん:2012/07/07(土) 11:25:13.12 ID:PqVoEm0A
>>362 自らのこととして痛感します。
ありがとうございます。
364 :
ろん:2012/07/07(土) 11:29:18.31 ID:MU0fN/tz
>>358 マジレスすると、変革が起こらなければならないという思い込みが、変革を永遠に先送りする。。
すなわち、未来に変革がありうる、という期待が、我執が、堂々巡りの醜態晒しの原因になっているわけ。。
>>360 全容に目覚めることがありうる、と言う夢、妄想を見ているだけ。。
結局お前は、ガラクタクソ知識によって、夢を見させられている。。
目覚めると言ったら、対象が消える、ないことがわかるというだけ。。
「全容」と言う対象があることはあり得ない。。
対象が意識による構成であることに気づくだけなんだ。。
それでも対象は現れ続ける、あとは夢と戯れるのみ。。
ま、要は我執、自分だけこんなに勉強してます、偉いんですみたいな、競争心とか、プライドを手放さなない限り無理なんだがな。。
びちびちウンコの垂れ流しがいつまでたっても終わらない。。ww
365 :
ろん:2012/07/07(土) 11:32:10.92 ID:MU0fN/tz
今に落ち着けば、変革なんぞ要らないことがわかる。。
今に落ち着けない我欲がある限る無理なんだよ、理屈じゃなくて実際の話。。
いつまでも醜い我執の塊とそれに対応する屁理屈駄文長文の醜態を晒し続ける。。
マトモな人たちから見ればただの狂人だ。。
まぁ未来予測が不要といえば嘘になる
必要なものなら先の先まで考えて可
要不要を判断するなら今に留った方がよいね
367 :
神も仏も名無しさん:2012/07/07(土) 12:14:50.07 ID:PqVoEm0A
他者とのかかわりにおいて
自分を非難すると、他人を非難すると。
自分を考察すると、他人を考察すると。
混乱している精神は存続し続ける。精神にとっては4つの作業は自己の存続という意味で同じものです。
全く違うかに見える4つの働きですが。
精神が考察や非難をやめて初めて、大本の精神の働きは弱まり始める。
倒錯のセンターは止まり、別のセンターが働き始める。
目指しているものを語るのは夢想に過ぎないが、深い夢から目覚め、夢が浅いものになったときの目覚めの体験は瞑想の賜物であり、
それはさらに浅い夢から見れば未だに眠りだが、目覚めとして暫定的に語られ、その目覚めの軌跡を共有できたらと思う。
各段階や、各前提で、言葉は全く違う役割を負っている。
みんな書き込みできてイイなぁ。
今日は仕事だから、こっそり昼休みに書き込み。
>>335 >>336 このコテハンで書き込んでるのは、このスレと鬼と馬が戯れてるスレだけだよ。
スレ立てしたのは立体視画像のスレだけで、今は休業中ですね。
大いなる意識が自我の妄執を根底から覆すらしい・・・。
370 :
神も仏も名無しさん:2012/07/07(土) 12:22:34.28 ID:PqVoEm0A
>>364 変革が起こらなければならないという思い−このままでいいという思い
その両端です。
人は片方に捕われていないと思っているときはもう片方に捕われている事が多いです。
それに、変革が起きないという現実について語っています。
執着が消えないのは、「現に」変革を起こそうとしているか、このままでいいと思っているか
どちらかの働きがあるのかもしれません。
起こるべきと思わなければ変革が起きるなら、もう起きててもいいでしょう。起きてないなら何かしら実際には思っているのかも。
ある用法で全容とかという言葉を使っています。
別の用法で解釈されてもなんとも。
371 :
ろん:2012/07/07(土) 12:27:09.91 ID:MU0fN/tz
>>370 なんもないんだから、何とも思いようがない。。
おまえは何でも人の言葉を自己のガラクタ知識を基に判断するが、まったく意味のないことだ。。
ああでもないこうでもない意味のない妄想垂れ流し、スレ汚し野郎。。
372 :
ろん:2012/07/07(土) 12:28:24.54 ID:MU0fN/tz
迷っているもの、勘違いしているものの言葉には、何の実質もない、要はただの屁理屈、言いわけ。。
自己正当化と他者の否定、要はごみカス。。
この世界を構成しているのは物理的に言うならば
「物質」ということになる・・・。
ただし物質は眼耳鼻舌身意の対象として捉えられるだけである。
一切が無であるならば、無ということを捉えることができない。
無が無を捉えるという事態が起こるのだろう・・・。
我執が強まると、心以上に身体に負担がかかるようになる・・・。
煩悩は眼耳鼻舌身意と色声香味触法を貪ることによって肥大する。
徳川家康の
「人の一生は 重き荷を負うて 遠き道を往くが如し」
とは肥大化した我執を背負っていく人の姿であろう・・・。
>>370 たとえば、好き⇔嫌いなら、片方に捕らわれていなければ
もう片方に傾くことはない
普通は頭の奥底にしまわれて、意識しない状態になる
変革から離れて、落ち着いて考えてみろってことだと思うよ
/==///___
/ //∠___>
/ //<⌒\ \
`/=(/ |\ \ ヽ
/ / _⊥_ヽ |\|
/ | 一||ノ
=/ |幸切|
/ |福の|
|で生|
|あき|
|れと|
|安し|
|穏生|
|でけ|
|ある|
|れも|
|安の|
|楽は|
|で |
|あ |
|れ_ノ
L_//
377 :
473:2012/07/07(土) 17:06:03.10 ID:PqVoEm0A
ある―ない。
というのは絶対的な事実を示しているもののようで、その実人間の精神が作り出した人為的な対立する概念でしかない。
自分の中に精神を超えたものが「ある」。
全ての苦しみや問題や、また悟りの段階といったものは「ない」。
これらは逆の考え方に捕われている人を目覚めさせる刺激でしかなく、別にそれが真実というわけではないのでしょう。
嘘に嘘をぶつけるといった感じで、目が覚めます。
このあるということも、ないということも、別にそういう事実があるということを述べたわけではないのでしょう。
これを精神が言葉として、概念として利用したならやはり精神は存続するというのが問題です。
本来のメッセージはいかなる、
自己観念も、真実における結論も、目標も持たず、
自分自身の現状に留意していなさいというように吸収すれば誤解の心配はありません。
ただ気付いてるという質に誘うための仕掛けなのでしょう。
自分自身の現状において
別に苦しみがあると考察する必要もなく、
そういったものはないと考察する必要もない。
未だ悟っていないと思う必要もなく
悟りは既に内にあると思う必要もない
どのような思いも精神の延命の、信念の機能です。
あくまでこれらの考察は逆の観念に取り付かれていたときの目覚ましとしてのみ有用でした。
だから「あり、かつなく、かつあるのではなく、かつないのでもない」というのが
精神による事実誤認を避けるための最低限の表現かもしれません。
本家ジャイナ教ではもっとややこしいですし、要点は文脈全体によってある―ない
という概念の対立軸のどちらにも精神が寄りかかれないような印象を構築する事なのでしょう。
378 :
473:2012/07/07(土) 17:12:00.43 ID:PqVoEm0A
>>371 精神が精神の混乱を認めなくないので、それを「ない」といって否定するケースは非常に多いのです。
意識や悟りが「ある」といって逃避するケースも多いです。
両者は同じことをしているのですが言葉の違いで言い争い、自己の混乱を投影しあい、
お望みどおりの混乱からの逃避が完成します。
精神が混乱していなければ、精神が完全に静まっているのでしたら真理を見出していないという事はありえないのです。
ほかに何の障害も提示されていません。(仏教的には)
人は自分自身の精神の混乱や、作り出している種種の苦悩を見たくないから、さまざまな手段でその直面を妨げようとします。
他人への好意、他人への悪意、快楽、ゲーム、ファンタジーいろいろありますがこの場合は宗教的なある―ないの観念です。
精神の混乱がなければ、精神が鎮まっていれば真理との障壁はなく、真理を、悟りを見出しているでしょう。
然るに精神が混乱していると気付き、それをただ見守る事が瞑想です。
混乱していないと思い、かつ真理を見出していない人は、混乱に気付いてすらいない。
気付く用意すらできていないというだけです。
確かにそういう人の主観としてはそういったものはない。ないという哲学に固執する。
宗教をそういうように利用します。
混乱した精神の特徴は、自分が正しく相手が狂っているとして物事を投影する事です。
混乱した精神の持ち主は自分が非常に正常だと感じています。静かな精神は自分も他人も正常だとも間違っているとも感じません。主観的な価値基準が静まっているからです。
混乱した精神そのものには決して自分自身が混乱しているという事を見る事はできません。
混乱した精神以外の何かの働きがあるのかもしれませんねw
379 :
473:2012/07/07(土) 17:14:37.41 ID:PqVoEm0A
混乱した精神の働き以外の働きだけが
当の混乱した精神に気付く事ができます。
でも現状、があるだけです。混乱と意識で自分をわける気もありません。
私は混乱だけではないし、意識だけでもない。
その両方でも多分ないのでしょう。
380 :
473:2012/07/07(土) 17:15:48.23 ID:PqVoEm0A
あるという方向で十分話したので、ないといってバランスをとってみました。
悟りの在る無しを論ずるのは、愛の在る無しを論ずるのと、
本質的には同じ分野だと思うのです。
ただ、愛は悟りに比べて人気がありますね。随所で語られ、
描かれ、宣伝さえされます。
しかし、愛が一般的に語られるようになったのは、近代に
入ってからでしょう。
少なくとも人間が誰かの所有物であった時代では通じない
概念でした。
そう考えると、悟りは今は通じにくい概念ですが、時代が
進めば一般的なテーマになるのかもしれません。
382 :
473:2012/07/07(土) 18:29:05.62 ID:PqVoEm0A
こういった抽象論は人間が自分自身の実情から逃避したいがためのものでしかないかもしれません。
最初に究極のものに関心を持って、それに挫折して、自分自身の現状に興味を持つというのがそもそものありふれた道のりなのかもしれない。
すぐにジャンプするということは現実には起こらないみたいですね。
現状の我々はもっと身近な事から関心を持ってゆくべきかもしれません。
383 :
473:2012/07/07(土) 18:30:29.06 ID:PqVoEm0A
@他者に批判されたときの必要あっての自己否定
他人に非難されたとき、それがどういった種類のものであろうと、自分が自分を強く非難する事に気づく。
不思議な事に日常でも明らかに自分に非があることと、非がないことで嫌悪を表現されたとき、自分自身の反応は似通っているのだ。
普通、人は子供のころ単純に自分勝手である。自分の都合しか見えない思考を身につける。
それでは生きてゆけない。
それゆえに自己保存のために「他人に嫌われたら何が何でも自分が悪い」と判断する思考によってバランスを取って
自身の生存を確保しているのではないだろうか。
(不良っぽい人たちと付き合ってわかるのは彼らは生活における義務などで注意を受けることに本当に傷つきやすいのです。)
そして自分で自分を余りに傷つけてしまうものだから、他者に非難される事は恐ろしい事であり、いつも身構えるし、非難されたときは非難し返す事になる。
解決としては、その2つの危ういバランスに気付く事。自己破滅的な身勝手さが未だ生きていることに気がつく事でしょう。
自分の言動への意識があれば、身勝手な行動を正しいと思いこむ事はない。
良心、愛があれば、他者の事を気遣い、自らを収めるでしょう。
そうであれば、もう他者からの批判を何もかも自己批判に結びつける「必要」はありません。
こちらの落ち度か、相手の言いがかりか、真実を述べたからか、
何故相手が嫌悪の情を表明しているのか客観的に判断できるようになるのではないでしょうか。
またこの構造ゆえに、他人経由の自己否定は私たちの無意識にたまっており、精神に影響を与え続けています。
他者に非難される事は嫌いと思っていると、その記憶は抑圧されます。そして非難されるとこの抑圧した記憶が活動し始め自己否定の活動をし始めます。
そのとき非難された内容はトリガーに過ぎないと思います。
生きていれば他者に非難される事もある。押さえるべきところだけ押さえて非難されたり賞賛されたりしながら独り生きる。
という覚醒、独存の境地にあり、そして過去人から受け入れられなかった記憶を現実否認して抑圧せず、過ぎ去った事実として手放せれば、、、。
384 :
Ope:2012/07/07(土) 18:34:06.02 ID:+3Wkdolm
>>341 > 昨日はオレムじゃなくて、オムレツ食べた〜。。w
オレムは不味そうだ
>>342 > 誰もが悟っている(悟り以外にない)ことが分かるのですね。
そりゃ嘘だ
>>350 > 悟りといわれているものという伝統的な定義があるのです。
どういう定義なのかよく読み取れなかったけど
誰が定義したとしてもそれは嘘だ
>>352 > おれもアンドーでもダマくらかして、炊事、食器洗いとかやらせることにするか。。ww
アンドーナツなら作れるかも
>>376 じゃ何食べてんだ
385 :
Ope:2012/07/07(土) 18:36:32.02 ID:+3Wkdolm
>>381 > 悟りの在る無しを論ずるのは、愛の在る無しを論ずるのと、
> 本質的には同じ分野だと思うのです。
同じものだからな
>>381 俺は、悟りの在る無しを論ずるのは、宇宙人の在る無しを論ずるのと、
本質的には同じ分野だと思うのです・・・・・・なんてね。
387 :
473:2012/07/07(土) 18:44:55.61 ID:PqVoEm0A
私は自然現象には文句を言わない。
米は実るのに時間がかかります。雨は降ります。日本は寒いです。
だけど、どうして社会現象には同様の態度で望めずにあれこれ注文をつけてしまうのでしょうか。
それはあれこれ注文をつけるという事をどこかで仕入れて、切り離せないぐらい染み付いてしまったからでしょうか。
私の家は中産階級です。
中産階級なので権力や貪欲を非難しつつ、権力や貪欲によって成り立った組織に入れてもらうことを私に教育しました。
上流階級では、権力や貪欲を単に正しい事として教えてくれるのでそういった混乱はありません。
(自らのハートを見失わないといういみでは中産階級のほうがいいのです。が、中産階級はどうしようもない矛盾を伝統として持っています。)
世の中のあらゆる価値基準は、あるがままの人間では不足だと人間を駆り立てます。
道徳はその現実を否認して抑圧してしまいます。
現実には多くの価値基準があり、その価値基準はあるがままの私を非難している。
その現実を私は受け入れられない。
そして、その価値観の群れに影響を受けず、何がしかの価値観を自らの意思で選んでそれに付き合うということもできない。
無自覚に活動する多くの価値観が私に様々な事を強要し続けている。
それも、その価値観をあるがままに受け入れないで、他の価値観、道徳によって否認してしまったからかもしれない。
価値観の対立が内にある限り、その両方は無意識に、自動的に活動する。
上流階級に従いつつかつそれを批判する、中産階級の自己保全と道徳の自己矛盾は実に厄介な伝統です。
388 :
473:2012/07/07(土) 18:53:12.15 ID:PqVoEm0A
>>384 amaさん
悟りは言葉なので、言葉というものは共通の定義で運用する事が前提とされていると思います。
amaさんがそれを悟りといってしまうと、仏教で言う悟りは別の単語を当てなければいけなくなるのです。
そのあたり面倒なのですね。
amaさんは今までに語られた悟りとは関係のない私自身の声明としての悟りです。
と言わないで
「悟りと言うものは」
なんて過去語られた悟りと同一であるかのように匂わす。
結局過去に表明された悟りの権威を借りたいようにしか見えない。
>>387 勝手に思った事を書き込むんだが
世界には大きく分けて、
「あるがまま」のモノと「ホントは無いんだが有ると思ってる」モノがあるんじゃないだろうか?
この文章の中だと、自然現象、米、雨が「あるがまま」のモノで、
社会現象、中産階級、権力、価値観、道徳が「ホントは無いんだが有ると思ってる」モノだと思う。
>>286 >恐怖心が微かにも残ってますか?
残ってれば全然悟れてないですよ
・恐怖心はあります
例えば突然大きな音がしたらビックリします
ただ恐怖に気づいている部分に恐怖は無いです
全てがその周辺で起きては過ぎ去ります
あるがままで良いへの自我による反応予測リスト
1.まずあるがままとあるがままじゃ無いを分ける
2.あるがままになろうとする
3.あるがままになろうすることを否定する
4.正しいあるがままを追求する
以下追加あったらどうぞ
>>294 >唯物論と唯心論の橋がないんだよなぁ。
唯物論:心は物質です
唯心論:物質は心です
同じことでは?
>>337 >これらのことが本当のことだったとして、
悟りとは、また別の事柄でしょう。
・実際末期癌でも悠然としていた人々の話はよく聞きますね
悟り子の伯父もそうでした
>>338 なるほど、そんなお話だったのですね
勉強になりました
ありがとうございます
m(_ _)m
>>347 >でもって、苦痛の真っ只中にいるときは、恐怖はないのですね
でもって、恐怖の真っ只中にいるときも恐怖はないのですね
>>391 じゃ、追加でこれもお願いします。
5「あるがまま」の全てが根拠のない妄想だと思う
6「あるがまま」に囚われるあまり、あるがまま以外のモノを否定する。
7「あるがまま」を全てに結びつける。
こんなもんでしょうか?
>>349 >そういえば今日は願い事(理想)を書く日ですね
そういえば悟り子は覚者と話してみたいとゆう願い事(理想)があったのですが
特にそのことで苦しんだ記憶は無いです
むしろその願いがあること自体楽しい感じでした
>>286 悟りの最終段階までいけばそのような状態になるのでしょうが、
そんな人は滅多にいません。
たいていは、少し階段をあがったところで、恐怖のみならず、
煩悩と呼ばれる諸々のものが尽きていません。
それでもそれは悟りです。
我をちょっとだけ離れたとしても、それは悟りといっていいものです。
このあたりはもう言葉の定義の問題ですが、我を去ったことが
在る・無いは、一つの明確な区分です。
あなたはどうですか?あなたは悟りをどう定義していますか?
>>399 いわゆる空気が読めることですね
一般的に言われる場、空間との一体化
五感をなくすというより五感フル稼働です
ここは勘違いしてました
今に生きることにより恐怖・煩悩は縮小するはずです
釈迦に隙はあったか、なかったか、普通だったかを考えると
隙がない気がします。根拠はありません
妄想を捨て煩悩をもたなければ心は純粋、あるがままです
402 :
473:2012/07/07(土) 20:19:40.34 ID:PqVoEm0A
>>371 >>381 あるというおもいがあるという夢を見せる。
ないというおもいがないという夢を見せる。
あるはないの反対の概念に過ぎない。
ないはあるの反対の概念に過ぎない。
そしてそれを行ったり来たりします。
それに気をつけていましょうということで、私は概念の一端に反対はいたしません。
両端に油断なくすることを補足いたします。
空間との一体化には心脳体の一体化は、もちろん前提になります
404 :
473:2012/07/07(土) 20:35:39.69 ID:PqVoEm0A
>>391 目標 あるがままでない自分を否定する。―あるがままであろうとする。
投影 あるがままでない他人を否定する。―自分はあるがままだと肯定する。
自我はどんな言葉もこのように利用しようとするでしょう。
この内向きの2元性、外向きの2元性。信念の働きを理解する事が大切かと思います。
どんな言葉もこのように使われれば同じです。この信念の牢獄から脱出させて脱出したら捨てられるような言葉の働き。方便と言います。
ただ
>>362さんが指摘されたのは、非常に微妙な内向きの葛藤回避のテクニックです。
苦しみも恐怖も何も変わらないでしょうが、必要以上にそれに苦しむ事はなくなりそうです。
>>396 それは瞑想と言われるものじゃないでしょうか。
悟りというと瞑想とさとりがごっちゃになります。
瞑想といわれるものを悟りと名づけると、おそらくそこで探求がストップしてしまうでしょう。
苦しみと闘う苦しみは消えるが、苦しみは残る。
実に結構です。
ただ、悟りと言われてきたものではない。
>>393 認識者と認識の超克であると示されています。
ただ、それだけだと口だけになるので、本当にそうでないとありえないような
外から見てわかる記述、伝説が残されているようです。
認識と認識者の超克があれば自動的に恐怖は存在し得ないでしょう。
405 :
473:2012/07/07(土) 20:41:08.40 ID:PqVoEm0A
>認識と認識者の超克があれば自動的に恐怖は存在し得ないでしょう。
ということが本当にあるかはわかりません。
しかしこれを悟りと言うのが仏教での定義なのです。
悟りという言葉を使うなら定義に従って使うか、定義が違うなら別の言葉を使うかするのが普通だと思います。
>>399 そういう意味ですら悟っていない人にとってはそうでしょう。
しかし、そういう意味で悟った人にとってそういう悟りは体得した自然なものであり、認識されません。
自らの残っている束縛、欲望に意識が向かうのです。
五戒の中の、あらゆる生き物を殺してはならない
ここに過度の感受を感じます
感性を研ぎ澄ませるなら怠惰も生まれません
悟り=心というのは感性を重視する意味で当たっていると思います
407 :
473:2012/07/07(土) 21:11:04.26 ID:PqVoEm0A
>>399 あのテーラワーダの悟りの4つの階梯を私が他の人にこのスレで提示されたとき絶賛しました。
それは苦行の果てに瞑想が起こったときに自由になる部分を正確に描写しており、
なおかつその部分しか自由になっていないと戒めていると言う事です。
これは段階を上ってゆくと言うものであると言うより、そこが終着点だと思ってそれを悟りだと思って探求を
やめてしまわない為の仕掛けに見えるのです。
最初の3つに自由になって有頂天になるのが一番目。
3つにおいて限界まで修行する事でその3つの欲望から永遠に離れられ、不変の意識が、ごくわずかなものであれど備わります。
2番目はそれを何とか回避すれば残り1497にとらわれているという事実に向かい始めるという状態です。
のこり1497にいまいち無自覚な1番目の人は悟りについて得意気に話すかもしれませんが、2番目の人は自分の状況を鑑みてとてもそんな事は言えません。
こんな風に経典は読む人によって読み方は全く変わります。
最初のその3つから離れる。瞑想を見出すのに、普通は限界まで修行する必要があります。
外から論評していても内実はつかめません。
いつか自らの全てをかけて挑戦してみるといいです。
やり方はOSHOを参考にすることをお勧めします。
TOTALに何かに打ち込む事でのみ反面として動機の十全な急速の一瞬が起き得るでしょう。
408 :
ろん:2012/07/07(土) 21:46:47.75 ID:MU0fN/tz
409 :
473:2012/07/07(土) 22:46:37.92 ID:PqVoEm0A
世間の無数の価値観で自らを否定し苦しむ事が私。
世間を否定して世間と対立することが私。
両者の葛藤が私。
これは現状としてある。
私がどのように思うかと言う事とは関係ない。私自身だ。
どのような信条も、私が使う事になるので、この私という構造を永続させる。
私の表面的な信条とは関係なく、半ば自動的に世間を否定し、また自動的に世間の価値観で己をさいなんでいる。
それに気付く事は、おもしろい。
410 :
ろん:2012/07/07(土) 22:51:43.10 ID:MU0fN/tz
>>373 五感はそもそも対象化してないだろ。。
何かわからないけど変な音がするとかさ・・対象化するのは、認識作用の働き。。
この認識作用を知るとすれば、僕らは何も知れない。主観的構成の外に何があるかわからないということになる。。
これが無と言うことね。。ほかの言い方もあるけれど。。
魚行きて魚の如し、とり飛んでとりの如し、と道元が言うように、〜のようなものとして意識に現われる、としか言えない。
世界に処すること虚空の如く、泥水に蓮華がつかないかの如く、という在り方が可能なのは、そう言ったことから来る。。
411 :
ろん:2012/07/07(土) 22:52:55.30 ID:MU0fN/tz
>>374 ヒッグス粒子が溜っちまうんかなー。。
それで、473みたいな頭コチコチで、自動解釈機械みたいな、アホになる。。
412 :
ろん:2012/07/07(土) 22:54:28.48 ID:MU0fN/tz
>>384 >オレムは不味そうだ
あっはっは、どうしてそんなに嫌いなのか。。w
>アンドーナツなら作れるかも
あまりにもベタ過ぎです。。w
413 :
ろん:2012/07/07(土) 22:58:00.52 ID:MU0fN/tz
>>378 すべて自分のことを言ってるようにしか聞こえん。。ww
そんなに精神が混乱してるやつなんているのかww
日本語がわからない、聞こえないのお前が一番混乱してるように思うけどなー。。
おれの周りにはそんなに混乱しとるやつはいないぞ。。ww
2ちゃんねるが仕事のお前くらいのもんだ。。ww
414 :
ろん:2012/07/07(土) 23:01:53.45 ID:MU0fN/tz
>>402 だからお前だけなんだってww、あるとかないとか言って、対立がどうのこうの・・アホですか。。ww
ただ普通に生きとれば、まともにやっとれば、あるとかないとか言って悩むやつなんておらんよ。。ww
2ちゃんねるに膨大な時間と精力をつぎ込み、ワンパターンの屁理屈しか言えない頭オカシイ人。。
415 :
ろん:2012/07/07(土) 23:03:43.38 ID:MU0fN/tz
うーん、日本酒とかけっこう飲んだけど、まだつぶれてはおらん。。
仕事するか、また飲みに行くか、どっちにしようかなー。。w
文字で感性を表しきれない
ここに根本的な問題がありますね
釈迦が無記を通した理由かもしれません
私の方はようやく心が定まりました
あとは独り歩むのみです
417 :
無しよ:2012/07/07(土) 23:54:27.50 ID:WVXLCB8Q
418 :
神も仏も名無しさん:2012/07/08(日) 00:33:55.81 ID:J2ObNSPa
そしてロンは飲みにいった・・・
419 :
473:2012/07/08(日) 00:58:55.85 ID:O8E0iCQ1
409の補足
世間の無数の価値観で自らを否定し苦しむ事が私。
世間を否定して世間と対立することが私。
両者の葛藤が私。
というようなものがあるわけではないのです。
精神の一部が静まった後で、ああこれが静まったんだなと言う事はできます。
幻は静まり、幻だと認識できたものを描写する事はできます。
しかし、無意識を考察し、それを探しに行くのは依然として精神の働きであり、精神の既存のパターンを強化するだけです。
それを聞く人も、そういう幻を幻として見つけようとしたり消し去ろうとしたりしても、精神が作り出す2重の夢にはまってしまいます。
精神の働きを自覚するそのきっかけとして、我々はこうこうこれと言った無意識の影響を受けているという事はできます。
しかし、それは探しても見つからないし、止めようとしても止まらない。
私、精神そのものが静まれば静まったのはこれであったと言う事ができるだけです。
それゆえに金剛経では、なになにというものはない。だからこそなになにというのだ。
と表現しているのかもしれません。
>>414 苦しみ、執着、無意識、混乱
それらがないと主張し続けるのは何故でしょう。
本当に無いと思っているのであればそれほど必死に否定する理由はないでしょう。
本音と逆のことを主張するのはだれしも。
420 :
安道:2012/07/08(日) 01:28:38.61 ID:tlYm89vB
「安道名津」は大人気だったよ。
JINの影響で・・・。
>>407 四沙門果の説明は観光ガイドのようなもので、「…正確に描写しており」
などと絶賛されるほどのものではありません。
たしかにわかりやすいガイドとは思いますが、それも菩薩五十二位などと
に比べてわかりやすいガイドというだけで、ガイドブック程度の域です。
ですから観光ガイドをありがたがるだけで、実際の観光地に行かないよう
では本末転倒です。
> 外から論評していても内実はつかめません。
まったくその通りです。論評していても内実は掴めません。
> いつか自らの全てをかけて挑戦してみるといいです。
既に行い、預流果を得ました。いまは次のステップへの準備中です。
他方、あなたはいつになったら、論評から挑戦へ移るのですか?
> やり方はOSHOを参考にすることをお勧めします。
OSHOのオレンジブックには200近いやり方(瞑想法)が載っていたと
思います。そのOSHOのやり方のどれをあなたは試しましたか?
422 :
473:2012/07/08(日) 02:12:46.32 ID:O8E0iCQ1
>>421 >既に行い、預流果を得ました。
本当に得た人間はそのように語らないでしょう。
一つ目の理由としてそこにいたるまでの偽物の体験が非常に多く、非常に多くの人がそこで引っかかっているからです。
そこにいたるまで自分自身がなんども偽物の体験に引っかかって、瞑想が起きていないのに瞑想だと勘違いし続けてきたので、表現に慎重になります。
また、それを得た人間でしか説明できないようなことを自分自身の言葉で語るでしょう。
407は階梯の要点をまるで見てきたかのようにその人特有の観点で述べていますね。
>私の手法
非常にオーソドックスです。ダイナミック、クンダリーニ、ジベリッシュなど基本的な技法に参加していました。
後はどんなときも意識しようとすることを試みていました。
423 :
473:2012/07/08(日) 02:17:09.15 ID:O8E0iCQ1
>>413 これがいつも特定、不特定の他者の不見識や思い込みを非難している人間の言葉なのだから実に面白い。
混乱しているということと、あなたの日々の他者への非難はその指し示す内容はそうは違わない。
また、私の言う混乱の定義は悟っていないという非常に広範な定義です。
精神が静まっていれば悟りへの障害はない。というのであれば混乱がないことは悟りであり、悟っていないと言う事は混乱している。
混乱に気付いているのが瞑想であるなら、混乱に気付いてもいないのが瞑想以前である。
混乱に気付いていない人にとって主観として混乱は存在しないが、実際にはある。
424 :
473:2012/07/08(日) 02:22:13.26 ID:O8E0iCQ1
>>421 それとですね。
私はあの悟りの4つの階梯は、ガイドとして全く評価してませんでしたよね。
これはその段階を見出した人とっては描写が詳細であり賞賛すべきもの。
そしてそこまで帰ってきた人がそこで止まらないため見事な仕掛けでもある。
が、そこに行くためには役に立たない。
だから、まず修行して最初の段階を見出すべきだ。
というのが407の趣旨ですが、まるで話の内容についてゆけていません。
それに気付く事ができれば、先に進めます。
もう知っていると思ったらそれまでです。
私の書き込みはここの対話に瞑想して自分で始めて気付いた事であり、知っている事を書いているわけではありません。
失敗や、的を得た指摘には感謝し、謝罪しております。
間違いを認める以外に成長の形はありえないでしょう。
473は言いたいことをもっと端的に言えないのだろうか?
426 :
無しよ:2012/07/08(日) 02:51:41.51 ID:JYDoWdLe
473さんの文章は読みづらいが、我慢して読むと納得できる事もしばしば書いてあります
正しさの塊みたいな文章ですよね
正しく描写し、論旨を正しく伝えるために、長くなる、というような書き方(ただの想像ですが)を感じ、そこに共感はあります
でも、正しさのために書いている、自分の正しさのアピール感も多々感じるので、
そうするといつも読む気が失せてしまいます。もう、一人勝ち、的な…
でも読む気がなくなるのもしゃくにさわるので、がんばって読んでいくと、意味はわかるんですよね
しばしば書かれる感謝や謝罪の気持ちは行間から少しもにじみ出ていないとしか感じないし、そこも共感します
みんなに「お前にだけは負けたくねえ」という競争心を抱かせる逸材ではなかろうかと
みんなあなたに愛されたいだけ。失礼しました。
427 :
473:2012/07/08(日) 02:55:31.61 ID:O8E0iCQ1
精神が信念の働きを脱し、そしていかに精神の働きから自由になるかという試みですので、いいたいことがあるのか不明だと言う事があります。
端的に表さず、あらゆる観点を同時に肯定し、かつ否定し、煙に巻くというスタイルですので助長さは宿命かもしれません。
でもそれにしても無駄が目立ちます。
書き込んでちょっと経つと不備に気がついてしまうものですから、あとで付け足してしまいます。
一呼吸おいて、付け足して、それをまとめてから書いたほうがいいですね。
428 :
473:2012/07/08(日) 03:36:35.21 ID:O8E0iCQ1
>もう、一人勝ち、的な… >みんなあなたに愛されたいだけ。
私は他者に影響されてしまうので、その影響を脱しようとします。
そこに戦いがあります。よってそこに愛はない。苦しみ、信念にすがらざるおえない人々への優しさはない。
自分自身の内戦で手一杯なのですね。
そんなことをしていれば、返ってくる反応も推してしるべしですね。
独り探求しており、他者は鏡に過ぎない。
相手の見識は考慮しておらず、一人勝ち、的とは的を得た描写に思います。
相談相手としてではなく鏡として見ています。
自分の話についてくる人がいればよし、むしろ誤解によって面白い鏡の役をしてくれる事を必要としているのかもしれません。
このあたり@独り探求して他者は自己を知るための触媒として利用するか、
Aみんなと一緒に自分自身の葛藤から逃避すべく観念に逃げるか
どっちかしか思い当たりません。
ブッダも同等以上のものがいなければ独りできっぱり行けと言います。
そしてB他者を気遣い、愛にあふれて共に歩む
ことができるのは悟りなんでしょうね。
私は人を傷つけています。今はそれが必要なのかもしれません。
必要でないならやめろというのはあります。
(利用できる人は利用できる内容の書き込みでもあるんですが)
>にじみ出ていないとしか感じないし、そこも共感します
あなたが馬鹿やってくれたおかげで自分自身もいかに馬鹿かわかったよといってもねw
ありがとうというより、同様の部分が私から消え私にとってあなたはいなくなったよということで、それが大部分のスタイルです。
共感するんですか。それは面白いです。
しかし、普通に言われる愛情や感謝のやり取りも起きることはあります。
相手が見解を発して私に影響を与えようとようとしていない場合、相手に受容的な態度がある場合に限ってなので、このスレッドでは珍しいです。
それに愛情の交感があってもいつしか相手は観念を表明するので、いつものパターンに。
、、、、一応、影響を受けなくなったことには反応しなくなってるんですけどね。
429 :
473:2012/07/08(日) 03:44:55.47 ID:O8E0iCQ1
このままでは寿命で死ぬ。
迷いを早く終わらせて労働に専心しないと貯金が増えず死ぬ可能性が増える。
というか、働いてお金があってもも何らかの要因で寿命を全うできず死ぬ可能性は十分ある。
という切迫感が瞑想にないんだ。
将来に悟るために生き残らないといけないから今お金を稼ぐというものの。
そんなんより今日明日のパンも命も知れないほうがいろいろ身が入るだろう。
>>350 > 悟りといわれているものという伝統的な定義があるのです。
ウィキペディアによると、
「悟り(さとり)は知らなかったことを知ること、気がつくこと、感づくこと」だそうですが・・・。
原田雪渓氏によると、
「動物のように生きるようなもの」だそうです。
伝統的といえば、この方こそ、「The伝統」とされているのでは?
(違っていたらすみません。)
こっちが本当、いやあっちが本当だ、とやりだすときりがありませんので、
まあ、ほどほどにしておきたいと思います。
> その伝統的な定義を無視して悟りという言葉を使うのは何故ですか?
「一般にはこういわれているけど、本当はこうじゃない?」
みたいな話を共有できると面白いなあとは思います。
>>350 > 翻って、彼らはあらゆる区別がなく、認識はなく、認識者は無いといいます。それゆえに無上の完全なる悟りだといいます。
認識者がいないことはしょっちゅうではないのですか?
認識者を起こせば認識者はいますし、
起こさなければいないのでは?
認識者について調べようとすると、認識者が現れますよね。
たとえば、認識者はいるのだろうか?という姿勢が私にあると、
その時点で、認識者が創られます。
では、五感が認識者なのでしょうか?
・・・
・・・
・・・
とすると、また、認識者が現れます。(笑)
つまり、認識者がいることを前提に出発してしまっているのですね。
432 :
ろん:2012/07/08(日) 10:01:13.66 ID:16qf4yfb
>>418 いやいや、寝ました。。w
一次会だけでけっこう飲んでたからね。。
>>353 > >あるがままであるとか、あるがままでないとか、という二元的なことではなく、
> そっくりそのままの現実のことです。
>
> それは理論上のことで実態を示していない。
いえ、そうではなく・・・、
「あるがまま」が駄目なら「実態」でもいいです。
「あるがまま」という概念を持ち出した時点で、
現実から遠ざかりますよね。
これは、「実態」という概念であっても同じことで、
きりがないです。
> 実際にはあるがままの態度でないから、執着があるから、区別があり快楽と苦しみがあるのではないでしょうか。
「あるがまま」には、態度もなにもないのです。
快楽と苦しみがあるのは、まさにあるがままであるからなのです。
つまり、実際にこのような私の実態あるから、快楽と苦しみがあるのですね。
抵抗があるとか、超えようとしているとか、そのままでいようとか、とかとか・・・、
どうであれ、473さんの今のご様子があります。
その有様そっくりそのままに落ち着いてしまうこと(自分になること)を悟りと申し上げています。
「自分になる」は、二元に見えるかもしれませんが、
もともと自分ですから、なるもならないもなく一元ですよね。
(もちろん、そこに実態があるわけでも、理解できるものがあるわけでもありませんが・・・。)
434 :
ろん:2012/07/08(日) 10:06:00.45 ID:16qf4yfb
>>414 何言ってんの。。
そんなこと言ってない。。
あなたはこっちの言うことがわかってないんだって。。
先入観の投影、知識の投影しかできんのだろうねー。。
ガラクタ知識の穴倉に閉じ籠って、未知の世界がないと思い込みたい。。
対話にならんから、ずっと閉じ籠ってろって言ってんの。。
435 :
ろん:2012/07/08(日) 10:09:15.38 ID:16qf4yfb
>>423 言ってること全部間違い・・思い込み、勘違い。。
436 :
ろん:2012/07/08(日) 10:12:50.29 ID:16qf4yfb
437 :
§:2012/07/08(日) 10:28:22.80 ID:no73ebAC
悟りとか覚醒も人によって定義がそれぞれなんですね・・・
438 :
ろん:2012/07/08(日) 10:33:21.83 ID:16qf4yfb
473はまずはこれに参じろ。。
基本中の基本だ。。
勘違いはまず、ないものをあるとお妄ことの中にあるんだよ。。
觀自在菩薩。行深般若波羅蜜多時。照見五蘊皆空。度一切苦厄。
舍利子。色不異空。空不異色。色即是空。空即是色。受想行識亦復如是。
舍利子。是諸法空相。不生不滅。不垢不淨不摯s減。
是故空中。無色。無受想行識。無眼耳鼻舌身意。無色聲香味觸法。無眼界。乃至無意識界。
無無明。亦無無明盡。乃至無老死。亦無老死盡。無苦集滅道。無智亦無得。
以無所得故。菩提薩?。依般若波羅蜜多故。心無?礙。無?礙故。無有恐怖。遠離顛倒夢想。究竟涅槃。
三世諸佛。依般若波羅蜜多故。得阿耨多羅三藐三菩提。
故知般若波羅蜜多。是大神咒。是大明咒是無上咒。是無等等咒。能除一切苦。真實不?故。
?般若波羅蜜多咒即?咒曰
?帝?帝 般羅?帝 般羅僧?帝菩提僧莎訶
般若波羅蜜多心經
439 :
ろん:2012/07/08(日) 10:46:59.81 ID:16qf4yfb
ないと言うのは、存在しないとか現象がないと言うことではなく、何の実体もない、水の泡みたいなもんだと言うこと。。
バブリーな夢の世界と言うだけ。。
その夢を真実在と思い込んでの七転八倒を仮に輪廻とか迷いと言っとるだけ。。
その迷いもまた実体のない夢なんだけどね。。
>>421 >既に行い、預流果を得ました
預流果は強烈な内省によりもたらされます
あくまで非我の体験、感覚ですから
語ることはできませんよね
あとは、心が定まった者勝ちです
いつ何時も心が定まっていなければなりません
2chに書き殴って満足するのとは、訳が違います
それに、言葉遊びは混迷を深めます
心が定まらない限りは偽であり苦しみは続きます
それが妄想でも、偽でもかまわないんです
真や偽を超えたところに、それはあります
だって、心が定まっているんだから、そんなもの
どうだっていいじゃありませんか
441 :
安道:2012/07/08(日) 11:44:07.22 ID:tlYm89vB
露と落ち 露と消えにし 我が身かな 浪速のことは 夢のまた夢
豊臣秀吉 御辞世
442 :
473:2012/07/08(日) 11:47:40.18 ID:O8E0iCQ1
何の実体もない、水の泡みたいなもんだ
と、言い聞かせてそれに捕われている自分から逃避することができるるが本音は全く違うと言う事がよくある。ということを419では述べていたかと思います。
だからそういう言明は自他への影響を鑑み慎重になってしかるべきなのでは。
僧燦曰く、
物事の実在を主張しても、物事の空虚を主張しても、共にその誤りに落ちると。
わたしのいうないも実体がない、水の泡のようとろんさんが言う意味とそうは違わない感覚で述べています。
論点はそこではないのでは。
実体がないと言う表現ではなく、ない、と言う表現を私が好むのは、実体がないと言う表現は実体があると思う普通の心を抑圧する働きがあるように思うからです。
このあたり好みなのですが、ろんさんへレスするときろんさんの語法に合わせなかったのは私のミスです。
ともかく論点はここではない。
443 :
ろん:2012/07/08(日) 11:55:19.31 ID:16qf4yfb
>>442 取り繕ったって、嘘バレバレよ。。
おまえは迷っている人がいるとか、みんな迷ってると言ってる。。
これは、実体がないと言うことがわかったら、あり得ない言明だなよ。。
混乱があるというのそうだ。。
迷っている人には混乱があるとか・・いや、迷いもないし、混乱もない。。
おまえの誤った認識があるように錯覚しているだけだとこっちは言ってるの。。
そもそも〜の人がいる、という認識があり得ない・・空と言うことがわかっていればね。。
444 :
473:2012/07/08(日) 11:56:15.19 ID:O8E0iCQ1
>>433 @
それについて、何と申し上げるべき事でしょうか。
それが何々であると意識したとたん、その働きは止まってしまわないでしょうか。
またその悟りを希求したとたんそれは、その働きではなくその働きのような精神の作り出す夢になってしまわないでしょうか。
362さんの
amaさん
「本当にあるがままなら、執着は減っていくでしょう
執着を保存するのが、あるがままと思っているのなら、勘違いですね 」
というのは非常に良いところをついているように思います。
私はそのamaさんが悟りと言う働きがおきるような書き込みをしています。
その働きが死なないような書き込みをしています。
amaさんは悟りと言いゴールのような錯覚を与えていませんか?
>落ち着く事、というのは精神がその精神の既存の働きに安穏とするように仕向けていませんか。
起きた事を言葉としてあらわしてしまうと、今度はその言葉は自分にも他人にも夢を与えてしまうのです。
そうなるように、そうなった状態から落ちないようにかたることと、それについて描写しそれを解説したり求めてしまう事は違います。
>>441 残念ながら、その句は非我を表していません
だからといって秀吉が非我を体験したかどうかは
わかりません
446 :
473:2012/07/08(日) 12:00:40.67 ID:O8E0iCQ1
>>433 A
そしてそこで語られている事は普通、瞑想や、くつろぎという言葉が当てられているかと思います。
それに悟りと言うゴールを暗示するような言葉を当てるのは違和感があります。
その違和感を362はいってるかもしれません。
私にとっての違和感は、何故瞑想に該当する内容を、究極の表現である悟りにするのかということです。
その中身そのものに反論はないのです。
精神にあるがままである瞑想の状態から、精神が見るあるがままの夢
に落ちてしまうような言葉を使っている事に疑問を感じるのです。
447 :
安道:2012/07/08(日) 12:03:04.30 ID:tlYm89vB
>>445 非我ってなんですか?
私も坐禅が足りないので、
まだまだ夢の中なのです・・・・。
448 :
ろん:2012/07/08(日) 12:04:32.47 ID:16qf4yfb
賢明な人ならこう考えることができる。。
「すべての人が迷っている」のではなくて、私がそう思い込んでいるだけではないのかと。。
「すべての人に混乱がある」のではなくて、そういう認識が私に生じているだけなのではないかと。。
さらにいえば、473の場合は、グル願望、スピリチャルリーダー願望みたいな、幼稚なヒロイズムがあるから、
「すべての人が迷っている」でなければマズイんだよww
すべての人が迷っているから、今まで詰め込んだ知識が活きるのだし、スピリチュアルな知識を身に着けた私に価値が生じることになる。。
自分だけが迷える衆生を助けることができると。。ww
ウルトラマンか戦隊ヒーローか・・そういうマンガの世界に生きている、妄想人間だってことだよ、要は。。
【お題】
「友情」とはなんでしょうか?
>>447 そこに坐禅は不要です
自分って何?を問い続けていけば必ず辿りつけると思います
451 :
473:2012/07/08(日) 12:10:26.29 ID:O8E0iCQ1
賢明な人ならこう考えることができる。
473の場合は、グル願望、スピリチャルリーダー願望みたいな、幼稚なヒロイズムがある
私がそう思い込んでいるだけではないのかと。
そういう認識が私に生じているだけなのではないかと。
452 :
ろん:2012/07/08(日) 12:10:48.81 ID:16qf4yfb
あとはまー思考、分析に価値があると思い込んでるーつーことだな。。
そもそも思考の対象が生じた時点で、錯覚なのだから、その錯覚について、あれこれ分析判断したって何の意味もない。。
自分が悟っていなければ、妄想ウンコの垂れ流しにかならない。。
長文を書くのは、オショーかクリシュナムルティのなりきりさんなのだろう。。
バカほど文が長くて、内容がない、と言う見本のようなものなのにな。。w
453 :
ろん:2012/07/08(日) 12:12:03.38 ID:16qf4yfb
>>451 そうだけど、当たってるだろーが。。ww
認識でも当たってりゃー、その通りなのよ。。w
454 :
473:2012/07/08(日) 12:12:14.32 ID:O8E0iCQ1
実体はない。
これって実体をたくさんの物事に感じておびえている人が好みそうなフレーズですね。
本当に実体を感じていない人は、わざわざありもしない 実体 がなんていわないと思うのです。
ないものはただないでしょう。
と言っても私はあると感じているのが実情なのでその辺は正直に行きます。
455 :
安道:2012/07/08(日) 12:13:10.11 ID:tlYm89vB
>>450 坐禅をしろとか、必要無いとか・・・
自分って何?と問えとか・・・
面白いですね
456 :
ろん:2012/07/08(日) 12:14:02.20 ID:16qf4yfb
>>454 ぜんぜん正直になれてない。。ww
正直になるなら、黙って修行でもしてろと言うこと。。
>>448 >賢明な人ならこう考えることができる。。
「すべての人が迷っている」のではなくて、私がそう思い込んでいるだけではないのかと。。
なるほど、勉強になりました
ありがとうございます
m(_ _)m
458 :
473:2012/07/08(日) 12:17:54.81 ID:O8E0iCQ1
>>453 本当にそうだと思うなら。
認識でも当たってりゃー、その通りなのよ。
とか言えませんって。
あなた悟った人への基準を443で出していますが、こういう基準は物事を限界なくゆがめて見る事ができます。
そもそも、悟りの言明ではなく、悟ってない人のための方便として古くからあるあまりにありふれたものなのですけどね。
>>422 >>既に行い、預流果を得ました。
> 本当に得た人間はそのように語らないでしょう。
語る語らないはその人の選択です。あなたの選択ではありません。
必要と感じれば、「語るときもある」ぐらいです。
また、果を得たときは「果を得た」との知見が生じます(解脱知見)。
ただ、ここでいう得るだの生じるだのは仮の我の上の話であって、
本当のところは何も得ず、何も生まれていません(無生法忍)。
ちょうどいいことに、認識者と認識されるものの関係については、
amaさんが
>>431でやりとりされているので、是非そちらも参照して
ください。
特に、以下はとても鋭いと思います。
> 認識者がいることを前提に出発してしまっているのですね。
自らの果がまだまだ駆け出しなのを思い知るよい機会でした。
>>448 >賢明な人ならこう考えることができる。。
「すべての人が迷っている」のではなくて、私がそう思い込んでいるだけではないのかと。。
♪私が思っていることは私が思っていることなのですね
461 :
ろん:2012/07/08(日) 12:23:20.67 ID:16qf4yfb
>>458 だから、なんでお前は勘違いしまくるのか。。ww
>>443のどこが悟った人の基準なんじゃ、ボケ。。
空と言うことがわかったら、こうなると言ってるだけに過ぎんのに。。
462 :
473:2012/07/08(日) 12:24:05.01 ID:O8E0iCQ1
偏った事を書いたらいつか私の書き込みを読んで誰かが偏った影響を受けてしまう。
それゆえにプラスマイナスゼロにとりあえずしておこうと後で補足し、伸びてしまいますね。
>>457 やっぱりそれが問題の原因そのものへのアプローチなのかもしれません。
知的賛同は良くない。しかし。
463 :
ろん:2012/07/08(日) 12:24:45.64 ID:16qf4yfb
>>460 うん、そう。。
物わかりがいいねー。。
464 :
ろん:2012/07/08(日) 12:28:23.45 ID:16qf4yfb
>>462 いや、おまえの書き込みなんざまともに読んでるやつはそんなにおらんと思うぞ。。
僕だって僕に対するレスしか読んでないし。。
読んだって、意味ないんだから、影響受ける人なんていないだろうよ。。w
長文書いて自己満足しているアホがいるなーと言うくらいなもん。。
あっはっは、そんなに自分の影響力があると思ってんのか。。ww
バカも休み休み言え。。w
465 :
473:2012/07/08(日) 12:30:01.83 ID:O8E0iCQ1
>>431 無意識な状態では認識者に気付く事ができず認識だけがあるでしょう。
瞑想において認識者が自覚されるでしょう。前者の状態で認識者を探しにゆくと言う事ではありません。
そして認識者と認識があるという関係に覚めているところから、その関係性が創作であり、苦の元であったと気付く。らしいです。
認識者が認識を作っていると言う自覚が瞑想であり、悟りの一瞥と言われるでしょう。
それを探しにいくということは、まだ認識者がいると言う事を知らない。
認識者が作り出した認識と言う像に踊らされていると言う事を意味している。(のではないかな)
466 :
473:2012/07/08(日) 12:31:27.71 ID:O8E0iCQ1
空と言うことがわかったらこうだという基準
基準があると物事はゆがめて見る事ができる。
論点が見えないのは相変わらずだねえ。基準の話ですよw
467 :
473:2012/07/08(日) 12:32:59.39 ID:O8E0iCQ1
>>459 本当にそれを見てきた人にしか語れない、その人ならではのユニークな表現。
本当にそれを見てきた人なら語れるはずだけどね。
受け売りばかり。
話にはまるでついていけてない。
>>450 座禅は心を定めるのに非常に役にたちます。必要なのはここです
>>449 友情とは依存です。愛情も依存、2chへの書き込みも依存
自己も依存です。強弱ありますが他にも依存対象はいっぱいあるでしょうね
469 :
473:2012/07/08(日) 12:36:48.97 ID:O8E0iCQ1
amaさん
>>433 無意識な状態では認識者に気付く事ができず認識だけがあるでしょう。
瞑想において認識者が自覚されるでしょう。前者の状態で認識者を探しにゆくと言う事ではありません。
そして認識者と認識があるという関係に覚めているところから、その関係性が創作であり、苦の元であったと気付く。らしいです。
認識者が認識を作っていると言う自覚が瞑想であり、悟りの一瞥と言われるでしょう。
それを探しにいくということは、まだ認識者がいると言う事を知らない。
認識者が作り出した認識と言う像に踊らされているという事を意味している。(のではないかな)
わかっているとは思いますが
依存とは執着です
自分にとって意味のある執着とは何か?
考えてもいいかもしれません
471 :
473:2012/07/08(日) 12:58:53.80 ID:O8E0iCQ1
「友情」とはなんでしょうか?
その問いは多くの忘れている事を思い起こさせます。
不純なものを意識の炎で燃やし尽くす道と
純粋なものに身をゆだねる道があると聞きます。
後者の道は純粋性。愛の道でしょう。どのような状況においても愛を与え、愛を受け取ります。
愛でない不純なもにおいて受け渡しする事はないでしょう。
友情。これは深い言葉です。
これは非常に遠いものに思います。
深みに達した人間同士の全面的なコミット。
自らを知らず信念に振り回される私がうかがい知れるものですら無いように思います。
その通り、友情は概念的構築から外れている存在です
>>440 > 預流果は強烈な内省によりもたらされます
私のときはまさしくそれでしたが、あなたのときも強烈な
内省でしたか?中には歩いていて突然開けたと言う人も
いるもので。
> あくまで非我の体験、感覚ですから
> 語ることはできませんよね
心情的な体験談としては語れますが、そういうことでは
ないですね。それは語り得ない(語り尽くせない)です。
ただ、それは林檎の味を語り得ないのと、同じ分野なの
かもしれません。
> 心が定まらない限りは偽であり苦しみは続きます
心という語の指すものは人によって印象・範囲が違うので
難しいですが、言わんとすることが十二因縁のようなもの
だとするならば、その通りですね。
> だって、心が定まっているんだから、そんなもの
> どうだっていいじゃありませんか
あなたは平安を見出されましたか?
もう経験すべきことは全て経験し、何も思い残すことはない
境地ですか?
>>467 体験すればわかることですが、解脱知見も無生法忍もありますよ。
あなたは、ろんさんの指摘をまず真摯に受け止めることから始め
られると良いでしょう。
彼は言い方はあるかもしれませんが、的を得た指摘をしています。
的を得ていることがわかるのは、あなたが「我」を一度でもいいから
離れたときになるでしょうが。。。
これも受け売りではない話ですが、ついてこれますか?
475 :
473:2012/07/08(日) 13:28:30.16 ID:O8E0iCQ1
どうしても他者の言葉と言うのは
「自分がもしこういうならこういう意味で言うだろう」
という解釈のフィルターがまず入るのですね。
相手は良くも悪くも多かれ少なかれ別の意味をこめて言っているのですが。
私たちは自分と異なる言葉を使う相手には、悪い意味を与えがちです。
彼の言っている意味をとろうとする事そのものがまれです。
そしてとろうとしても、取れない事に気づきます。
自分自身の意味の構築のパターンから自由でないのに相手の意味構築はわからない。
大きな誤解はしないように気をつけることぐらいはできるのでうまくやるより大きく間違わない事が大切でしょうか。
込めた意味の解釈をずらされた私も相手もいらだちます。
こうして今日も平和じゃない世の中です。
うん。
しかたないね。
大体本音、意味づけのほうがずれていたら、そもそも実情として違っているわけだから
言葉は相互理解の道具たりえず、論争に火をくべる事しかできないかもしれない。
異なる実存の両者において言葉とは和解の方策ではなく、争いを表面化させずやり過ごすために使われるべきかもしれない。
476 :
473:2012/07/08(日) 13:42:18.18 ID:O8E0iCQ1
>>474 目覚めのほうは対象として存在するわけではないので、目覚めた人であってこそ
自らのまた一般的な、眠り、欲望について自らの言葉で
現代語で語る事ができるようになるでしょう。
目覚めの一瞥にも体験は副産物としてありますが、想像上の瞑想、解放の夢の体験のほうが
体験としては強烈だったりするので、体験そのものはこれと特定できるものではないですね。
体験そのものではなく、物事の認識がそれまでと変わってしまうのです。
過ぎた体験ではなく永続性のある「小さな」変化の事です。
1500分の3だけは目覚めているので(小さな変化)それが中心となって広大な欲望の群れを認知し始めます。
それまでは自らは欲望そのものなのでけっして欲望を直接認知できません。
できるのは自らでなく、対象としての欲ではない自らであるところの欲望でなく、
想像上の悟りや、想像通りできる体験について語ることだけです。
束縛された精神は解放の夢に憧れ、その通りの体験ができます。
あとはその体験に経典の概念をこじつけて当てはめれば精神は自らを偽り延命できます。
もう得たと思ったらそこまででしょう。
それが決定的な差でしょう。
それにそもそも悟りの段階と言ったものがあるわけではないのです。
それは過渡期としての夢です。
(と言っても私にとってたとえば4段目は幻ではなく、あるものとして映るのです。それは4番目じゃないからですねw
このへんの逆説)
477 :
473:2012/07/08(日) 14:29:52.45 ID:O8E0iCQ1
その仮の段階の意味で悟った人、目覚めの一瞥を得た人は、
悟りに「ついて」あるパターンを持って語ることを好まないでしょう。
むしろ悟りに「よって」あらゆる物事を語ることを好むでしょう。
悟りについて語り精神が悟りを目指さすよう、夢見るよう仕向けるより、
信念の働きが弱まるように語り精神が静まりそれそのものを見出すように自他にはたらきかけるでしょう。
これが持ってないものを概念で求めている人と、持っているものによってそれを生きている人間の差ではないでしょうか。
未だ目覚めていない内は、目覚めていないと言う事を本当の意味で知る事はできない。
しかしそれでも観察と経典の力を借り、自らの実情を知的にでも理解し、修行の果てに利己的な努力を一瞬でも落としうる。
しかし、実情を知的にでも理解していたらであり、既に自由だと思っている捕われた精神は精神を超えたものを見出す事は決してない。
ここで目覚めたときその体験と目覚めにおぼれ探求をやめてしまう危険性なのか誘惑なのかがあります。
誘惑に乗らなければこの時点で初めて自分が牢獄の中にいることを実感できます。
目覚めがなければ牢獄の中にいることすら実感はできません。
その上で、その牢獄の中にいると言う実感の元でこそ、その牢獄が自らそれに執着しているが故のものであると
見抜く機会もあるでしょう。
最初は牢獄に執着している事そのものなのでそれに気付けない。
気付けないが知的にでも当たりをつけ修行すれば一瞬でも抜けうる。
そしてそれにおぼれなければ、、と。
要は宗教の本と言うのは膨大な落とし穴回避です。
OSHOやグルジェフや、クリシュナムルティーの講和があんなに長いのは悟りはシンプルでも
人が落ちうる落とし穴のほうは無限にあるのでそれを先回りしなければならないからでしょう。
478 :
ろん:2012/07/08(日) 14:46:34.96 ID:16qf4yfb
>>477 >OSHOやグルジェフや、クリシュナムルティーの講和があんなに長いのは
473と同じで、見聞はあっても実際は見たことがないから、何にもわからなかったからです。。w
要はプロパガンダ演説と一緒。。ww
>>476 あなたは「まだ」の人です。
あなたは、目覚めた人を語るどころか、amaさんや悟り子さんろんさんや何人かの
名無しさん達のいる境地(内的な理解)すら辿り着いていないです。
目覚めの一瞥などと書かれても、根本的な無理解に基づいた考察から成り立って
いるため、奇妙な、ピエロのような、チグハグの論になっています。
そして、その根本的な無理解は書物や表層的な考察にて正されるものではないです。
正すやり方を非常に簡単にいえば
>>15になります。
あなたは、あなたが分析・理解しようとしていることに、本当に必要な内的な理解・
体験・経験・洞察・把握(言葉は人それぞれです)を、まだ経ていません。
私達はイチャイチャしてますね
私達は大まじめにイチャイチャしています
(悟り子も含めて)
ろんさんと473さんの関係も友情以外の何物でもなく
他も全てそうなのでしょうね
このイチャイチャに終わりは無いのかもしれません・
481 :
ろん:2012/07/08(日) 14:59:03.29 ID:16qf4yfb
>>480 人妻とイチャイチャっていいな〜。。w
今度僕んちに来てよ。。ww
>>480 まさにあなたと私の目の前のスレで広がっているものですね。
> このイチャイチャに終わりは無いのかもしれません
私もイチャイチャ好きです。
ただ、これもまた過ぎ去るものだと思うのです。
では、過ぎ去るのはいつか?
この遊びは何度か繰り返すのは優美です。楽しいです。
でも、何十回も、何百回も・・・と考えたときどうでしょうか。
>>216の問いを引用するようですが、
このことに関してどれくらい意識を振り分ける価値があるのか?
と問うたときが、終わりの兆しなのかもしれません。
483 :
473:2012/07/08(日) 15:12:49.15 ID:O8E0iCQ1
>>479 中身が、ない。私がそう思うからそうだとしか述べていないですね。
中身も理由もないので、これに対するお答えは、「はあ、そうかもしれないしそうでないかもしれないですねえ。」
と言うしかありません。ねえ。どうして根拠のないこれに賛成できるの?
理解した人はこうで、理解してない人はこうだと473は提示しているのにあなたは何も提示せず結論から入る。
話についていけてない。
>>480 私はそれに気付いていないですが、あなたがそれに気付いているのは良い事です。
気付いていない事に気づいている。それを瞑想と言います。
484 :
473:2012/07/08(日) 15:16:55.52 ID:O8E0iCQ1
落とし穴に落ちた事がない人が、精神を超えた場合、落とし穴について語らず、
また、落とし穴に落ちないように配慮した表現もしない可能性を考えていました。
が、精神の、自我の狡猾さを鑑みるに、それは殆どないことと誰もが直接間接に表現していたとは思います。
精神は自分が主人であるあらゆる可能性を決してあきらめない。
それゆえに私たちはあらゆる落ち方をする。
それゆえに、その人の理解は、落とし穴にいかに落ちないかとう描写で表されるでしょう。
いかに落とし穴に落ちないかと言う仕掛けで間接的に表されているでしょう。
落とし穴にはまってしまっている人だけが、それを警告しなければ、それに落ちにくい表現に苦心する事もありません。
わかりえぬこと。
>>483 「理解した人がこうで、理解していない人はこう」というのはこれのことです?
・悟りに「ついて」あるパターンを持って語ることを好まないでしょう。
・むしろ悟りに「よって」あらゆる物事を語ることを好むでしょう。
この区分け自体がパターンですが、それ自体はどう思っているのですか?
486 :
473:2012/07/08(日) 15:35:27.27 ID:O8E0iCQ1
>>479 あなたのいうところの
>amaさんや悟り子さんろんさんや何人かの 名無しさん達のいる境地(内的な理解)
が私の中に見出されなかったのは規定路線であり、それは当然です。
私は同じ想像上の悟りを共有するつもりはもともとありませんでしたから。おお、私はそのようなものは要らないはずだった。
いらないはずなのにないと言われると、えー、ないのーと思ってしまうから精神の反応は油断ならない。
認識が違うのだから、互いにそのように評価しあうのはただただ自然な事です。
あなたからみると、あなたのいうところの、>根本的な無理解
が私に備わっているようにみえる言う事はどちらかというと安心するべき事実です。
だから互いの評価が互いに最低なのは自然な規定路線なので、それは語らずに
内容についてのやり取りをすればいいのではないでしょうか。
>>481 悟り子は架空の虹であり
この世のどこを探しても見つから無いのですが...いつでも貴方と共にいます
私達は永遠に一つです
(なにしろ私以外いないのですから・)
488 :
473:2012/07/08(日) 15:47:14.22 ID:O8E0iCQ1
>>476 477
についての内容が間違いと言う主張ではないようですから、
実際に理解している人ならではの加筆修正をなさればよいでしょう。
自ら見出した人は付け足して広がりや精密さを補足できるでしょう。
それを見事な形で見せられたならあなたの理解の証となるでしょう。
根拠のない473への低い評価で相対的に自身を表明しようとするのは単純な自我の比較の働きです。
476、477の内容を種に、あなた自身の悟りによってその内容をより真に迫ったものとして広げられるなら
それは説得力を持つでしょう。「あなた自身が何か」という表現になるでしょう。
>>486 あなたにとっては悟りは想像上の産物かもしれませんが、
それは人間に起こりうる普遍的な状態ですよ。
> あなたからみると、あなたのいうところの、>根本的な無理解
> が私に備わっているようにみえる言う事はどちらかというと安心
> するべき事実です。
あなたが良いならそれでもいいですが、それならOSHOや
クリシュナムルティは何も読めてないことになりますね。
そうなると、結局、473は「空疎なおしゃべりの域」との指摘は
あってますね。
>>473 確かに歩いていて突然開ける人もいるでしょうね
でもそれなりの過程は踏んでいるはずです
>平安を見出されましたか?
それらしきものは得ましたが、まだまだ強化が必要です
悟りが何なのかについては、
ないでもなく、あるでもなく
また、あるでもなく、ないでもなきもの
です
だから道ゆく人は、それに向かい歩みます
いきなりゴールには誰も辿りつけないからです
492 :
473:2012/07/08(日) 16:05:48.25 ID:O8E0iCQ1
あなたからみると、あなたのいうところの
は
OSHOや クリシュナムルティからみるかれらがいうところの
と同一だと自動的に決定されている。
これに気付かないのが無意識。
というように473はいつでも根拠あって指摘してるのですね。
493 :
473:2012/07/08(日) 16:08:21.20 ID:O8E0iCQ1
尊敬も非難も受ける。
雨と晴れのよう。
共にうけるのはほぼ必然的な事実なのですが、
片方を好み片方を嫌う事で内面的な地獄を作ってしまいます。
尊敬も、軽蔑も、どう扱ったらいいのかわからない。
私は私だ。
その言明のきらめきよ。
494 :
473:2012/07/08(日) 16:15:52.61 ID:O8E0iCQ1
>>489 >あなたにとっては悟りは想像上の産物かもしれませんが、
それは人間に起こりうる普遍的な状態ですよ。
473はこんな事言ってない。
想像上の悟りと、想像を超えたと言うところの悟りがある。
後者を見出した人は前者でないものとして後者を語る。
それが後者を見出した客観的な証拠になる。
前者について語れない人は前者にどっぷり浸かっている。
その状況判断でニカサ・アアさんを判別しています。
473は基本的に判断基準を提示して判断を提示しています。
>>490 恐れ入りました。悟り子さんは悟りを生きてますね。
時間は「今」しか存在せず、「現在過去未来」は常に想起の中でしかない。
この知恵は悟りがくれました。あと比較することが無意味であることも。
ただ、深いところで理解しても、表層は凝り固まっているので
>>482のような
愚問をしてしまいました。
去るのは「今」しかないですね。永遠の「今」以外に時間はないのですから。
496 :
ろん:2012/07/08(日) 16:19:56.23 ID:16qf4yfb
觀自在菩薩 行深般若波羅蜜多・・・
>>496 照見五蘊皆空の空ってよく分からないんだよね。空ってどういうこと?
なにもないってことじゃないんでしょう?
>>494 > 473は基本的に判断基準を提示して判断を提示しています。
あなたの判断基準は根本的な誤解に基づいているものなので、
たいてい的外れです(ときどきいい線いっているのはあります)。
また、473さんの提示はよく文章が整えられているようにも見えますが、
それは語尾・語調が整っているだけで、あなた自身の認識が
>>454のように、実体について「私はあると感じている」という段階である
以上、あなたは「まだ」の段階なのです。
ちなみに、「想像上の悟りと・・・」とまた悟りについて語っていますが、
実際に確かめたことはありますか?
また、「想像を超えたと言うところの悟りがある」と言いますが、具体的に
どういうことかわかって言ってますか?
悟りは悟る前の想像を平気で超えるのはその通りで、むしろ予想された
悟りは悟りではないのもよく言われることです。
私の場合は、最初の悟りを得る前まで自分が持っていた価値観、知識が
「全て間違い、間違いとはいかなくても非常に部分的、もしくは不十分」
という感覚でした。悟りがもたらしてくれたものは、「世界への接し方」の
根本的な変革です。
そして、私の場合は、仏教をかじる前だったので、悟りを得たあとから、
般若心経を読んで、あぁ、この体験は「悟り」というのだ、と”後から”
悟りを言語化できました。
473さんにはこういった体験・感覚はありますか?
断見とマーヤには注意した方がよろしいかと…
500 :
473:2012/07/08(日) 16:56:27.54 ID:O8E0iCQ1
>>454のように、実体について「私はあると感じている」という段階である
以上、あなたは「まだ」の段階なのです。
ならあの悟りの4つの階梯は嘘という事になる。
なぜなら1497の欲望が、精神のざわめきがあると感じている実情があるからです。
表層意識でないという体験をしているのは1500分の3に過ぎないのです。
1497の未解決の欲望が499倍の実際なのです。
と、いうことが分かるのが第2の悟りで、第一の悟りでは全くわからないのか、、。
どちらにせよ第一で満足するために第一の悟りがあるのではないので、次にゆきましょう。
>ちなみに、「想像上の悟りと・・・」とまた悟りについて語っていますが、
実際に確かめたことはありますか?
また、「想像を超えたと言うところの悟りがある」と言いますが、具体的に
どういうことかわかって言ってますか?
それこそあなた自身が、わかっているなら、あなた自身がわかっているならこういえますというような
表現をすれば、あなた自身に判別方法があれば今までの473の書き込みから判定できるでしょう。
はい判ってる。とは誰でもいえるので意味のある答えには思えません。
想像上の悟りとそうでない悟りをわかっている人は、私の書き込みについて、想像上の悟りに落ち込まない
しかけや配慮があるから多分この人は想像上のものから抜け出している、抜け出していないと判別できます。
そしてより説得力のある、真に迫った描写で、私が書いた方向性でそれよりより真に迫ったものに補足もできるでしょう。
同等なら連作と補足になるでしょう。
>>499 ありがとう、断見も迷いも意識はしてます。
しかし、時間と言葉と能力の制約の中でできる限り部分となると
こんな感じになってしまいました。
書き落とした瞬間、既にいくらか違ってますね。
もうね、悟りが渡せるものなら、直接渡したいです。
言語は制約が多いし、間接的だしで、まどろっこしくて。
502 :
473:2012/07/08(日) 17:11:30.32 ID:O8E0iCQ1
>473さんにはこういった体験・感覚はありますか?
既に提示してるかもしれませんよ。
>体験そのものではなく、物事の認識がそれまでと変わってしまうのです。
過ぎた体験ではなく永続性のある「小さな」変化の事です。
1500分の3だけは目覚めているので(小さな変化)それが中心となって広大な欲望の群れを認知し始めます。
それまでは自らは欲望そのものなのでけっして欲望を直接認知できません。
>”後から” 悟りを言語化できました。
瞑想が起きれば、技法は落ちる。という言葉がありましたが、完全に無視していました。
瞑想などもう自分はできていると思っていましたが、瞑想が起きて初めて
自分は不断の欲望であり一瞬でも目覚めた事はなかったと見出しました。
方向性は似てるのですが、「般若心経の悟り」として言語化するんですか?
私はもっとささやかな瞑想や覚醒という言葉の指し示すところ、それが今までなかったと言うところを見出しました。
>最初の悟りを得る前まで自分が持っていた価値観、知識が
結局新しい体験で、新しい価値観や知識に鞍替えしているならある意味状況は変わりません。
価値観や知識から一瞬でも自由になれば、それに捕われない態度が出始めるのです。
そして知識と価値観が作り出す悟りの体験の危険性も理解し始めます。
どんな知識もどんな価値観も、精神がそれを利用しようとするなら、「精神が延命するだけで全く同じです。」
>>501 ニカサ・アアさんは預流果である事に、こだわり過ぎだと思うよ。
預流果やそれ以上の境地は、早い遅いの違いはあっても
人はいづれ辿り着くんだから、何か特別なモノだという思いは捨てたほうがイイと思うよ。
504 :
ろん:2012/07/08(日) 17:30:30.44 ID:16qf4yfb
行深般若波羅蜜多
なんというか、473さんは休日でも平日でも四六時中2chにいるな。
悟りとか自我への執着以前に、2ch依存なのでは?
何というか、素直にその人の言ってることと行動を見ればいいと思う。。。
>>500 真に迫った描写をお望みのようなのでズケズケと言います。
あなたが書いたものを読んで、あなたが解っていないことは
解ってました。
473は自分でよく解っていないことを、上辺だけで言っている
ことがバレてますよ
ということの自覚を促したかっただけです。
> 想像上の悟りに落ち込まないしかけや配慮があるから多分
> この人は想像上のものから抜け出している
これはあなたが周囲の人に思われたいイメージですね。
そこに誘導したいのでしょうが、あなたをそのように判別は
できないです。
まだ騙せる人はいるでしょうが、見る人が見れば、あなたは
空も無我も論じられるレベルには「まだ」いないです。
なぜなら体験を語れず、
>>454のような実体について致命的な
勘違いをしたままだから、あなたは「まだ」の人です。
507 :
§:2012/07/08(日) 17:42:11.99 ID:no73ebAC
無意識に埋まっている憎悪がどれだけ凶悪か・・・
少し垣間見えただけで色々と危なくなったことあります。
普段どれだけ蓋をしてないことにしているか・・・悟りを語るのも蓋にすぎない。。。
508 :
473:2012/07/08(日) 17:47:24.93 ID:O8E0iCQ1
>2ch依存なのでは? ですよねー。
以前というかそれが自我ですねー。
数年前の自分の書き込みを見てきたが非常に整っていて美しかった。
自分の無意識にあまり目覚めていないころ。
それでも判断基準なしに相手にレッテルを貼ったりしてはいなかった。
やはり目覚めの一瞥があって、価値基準を提示せずに一方的に他者非難するのは違和感がある。
この完全に自動的な価値観との同一化と、他者評価。
これをやってしまう回数が多いようだと、目覚めの一瞥より、己の価値観との完全同化を単に示している。
自分自身が言葉であるうちは自分自身を定義する言葉を非難されたら、自動的に相手の存在を否定せざるを得ない。
理由の提示は不可能だ。その理由が自分そのものなので認識できない。
自分の定義が言葉だけでなく、意識が増えるほどに、受ける言葉は意味を失い、根拠なきレッテル張りも減るでしょう。
というより、私は私を言葉による評価だと思っていて、しかも気に入らない過去の評価を抑圧してると感じる。
509 :
473:2012/07/08(日) 17:49:54.40 ID:O8E0iCQ1
>>506 500の前半に答えていない。
後半についてあなたができないのであれば判断する力量もまたない。
見事な飛ばし読みによる返答。
誰と会話してます?
>>503 まさにその通りです。
今は両手でぎゅっと握っているので、次が入ってくる余地がない
です。困りましたねぇ・・・。
> 人はいづれ辿り着くんだから、何か特別なモノだという思いは
> 捨てたほうがイイと思うよ。
ここまで悟り切りたい(切実)
というのはさておき、何にもしてないわけではないのですよ。
ここにいるのは他に進んだ人達がいて、自分が特別なモノでは
ないことの理解・体験・実感を進めるためでもあります。
他のコテさん言動や、オレさんのような指摘がある度に特別な
モノとの認識は薄くなるので。
そして、この戦略はおかげ様でちょっと成功しつつあります。
511 :
473:2012/07/08(日) 17:51:00.26 ID:O8E0iCQ1
>上辺だけで言っている
2年前の書き込みはそうだったなあ。
今はのこり1497のほうがメインですので。
512 :
ろん:2012/07/08(日) 17:52:45.75 ID:16qf4yfb
473にとっては、2ちゃんの書き込み=自己のようだ。。。ww
2チャネル依存どころじゃなくて、2チャンネル命wwww
513 :
ろん:2012/07/08(日) 17:53:54.66 ID:16qf4yfb
病人を観察するスレになっちまったようだ。。w
やれやれだな。。
>>509 >>500の前半は何をどうとったらそんな解釈になるか、
図りかねたのでスルーしました。
どのみち、その解釈を聞いたとしてもあなたの悟りに対する
解釈自体、砂上の楼閣なので、例え言葉を重ねても、
的が外れ続けるだけで、会話にならない点からもスルーです。
強いて言えば、473さんが「まだ」な時点で、厳しいようですが、
悟りについてあなたから聞くことは何もありません。
515 :
473:2012/07/08(日) 17:59:43.25 ID:O8E0iCQ1
>あなたが書いたものを読んで、あなたが解っていないことは 解ってました。
こんな意味不明な断定をする人が解かっている事を解かっていないというのはすばらしい事です。
解ってしまったら大変です。
悟りを発明しろよ!?♪。
517 :
473:2012/07/08(日) 18:03:16.28 ID:O8E0iCQ1
>>514 私が聞いてたんですけどね。
この方向性で表現できたら、それは理解してない人にはまねできないものだろうからやってくださいと。
私よりうまくやってくださいと。
518 :
無しよ:2012/07/08(日) 18:17:10.62 ID:JYDoWdLe
>>428 我々は473さんの悟りの踏み台ってことですね
修羅だなぁ…もっとそれを出してくれてもいいのに
おまいらは俺の踏み台なんだよ、とかわかりやすく言ってほしい
自我に愛なんかないですもんね
>いつか自らの全てをかけて挑戦してみるといいです。
と、瞑想云々のとこでおっしゃってましたが
鏡を見ることにも瞑想と同じくらいの勢いで
いつか473さんのすべてを賭けられてみたい…踏み台としては!
いまんところ473さんにかまってもらってちょっと良い気分です
>>518 >我々は473さんの悟りの踏み台ってことですね
踏み台にしたけりゃ、いつでもどうぞと言いたいが
踏み台は踏んで上に上がるからこそ踏み台なのに
踏み台の前で足踏み続けてるようじゃ踏み台を続ける甲斐がない。
473はまともだよ
悟りについて語れること、悟りを理解していること、
それはおまけ
自分に本当に正直なのか、そこにしか真実はない
473は寝ぼけているわけじゃない
月を指す指を、指すことがどんなに上手になっても
意味がないことを知ってるだけ
521 :
ろん:2012/07/08(日) 18:46:12.52 ID:16qf4yfb
>>520 意味がないことを知れば、ふつう沈黙するのではないか?
というか、自分未だし、自救不了なら、まずは自分の修行をするのが当たり前だ。。
救われていないやつが、わーわーギャーギャー喚いて、認めてくれーとか言っても、周りはただ閉口するだけ。。
自分で自分の長文にうっとりして、尊敬してくれるやつがいるに違いない、と思い込んでいる、と言うのはよ〜くわかった。。ww
ナルシシズム性自閉症というか、要するに自分だけの妄想宇宙に住んでる人だから、周りが何言おうが、まったく理解できんのよ。。
病気の人には何を言っても無駄だと思う。。
経過を見守るのみだ。。w
522 :
Ope:2012/07/08(日) 19:35:26.68 ID:b4cEfQjK
>>395 > 勉強になりました
ありがたいお話の対極として
どうでもいい話をくっつけてみました
>>399 > 在る・無いは、一つの明確な区分です。
一瞬、寝言を言っているからといって起きているわけじゃないし
区分なんてないんじゃないかな
>>412 > あまりにもベタ過ぎです。。w
ドラやきなら買って来れるかも だったらどうかな
・・・
絶句だな
>>515 あなたはあなたが書いたものを以って判断してくれと言い、
そのとおりに判断した結果です。
具体的に判断されると「意味不明な断定」とは、それこそ、基
準を示さずに結論だけですよね。
断見常見の多さ故、アラが目立つ
突っ走ってる間は何も見えないもんさ
近いから皆が助けるの図にも見える
実際のところは良く分からんが…
必ずいつかは止まる日がくる
525 :
473:2012/07/08(日) 19:41:56.24 ID:O8E0iCQ1
>>518 他者を救おうとする事は自分にも他人にも害悪を与えてしまいます。
それをしない事で精一杯。
そのように表面で表現できるのですが、じゃあそれって実際どういうことなのと示したのが428です。
428でいる事すら大変ですよ。精神は隙を見ては教化の相手を探して自他の眠りを深めますから。
>いつか473さんのすべてを賭けられてみたい…踏み台としては!
そういうゆとりやユーモアのセンスのある人は473を判断基準で裁いて、自己の混乱を投影して、無茶苦茶言ったりしないので踏み台にはなりませんね。
>いつか自らの全てをかけて挑戦してみるといいです。
適切な時期や用意があり、それがその人個人の成功を保証するでしょう。
挑戦する前におおよその用意を済ませてしまっている場合もあれば、用意を済ます前に瞑想に全力投球せざるを得ない
精神構造であるということもあり、そちらは瞑想を見出す事ができてもそこからが大変です。
一番しっくりする時期にコミットするのが一番の近道だと思います。
>>519 そういうこと言う人は私を喜ばせるので踏み台になりません。
ただ、目が覚めますね。
526 :
Ope:2012/07/08(日) 19:47:55.00 ID:b4cEfQjK
>>425 > 473は言いたいことをもっと端的に言えないのだろうか?
脳内の思考が止まらないのだろう
>>449 > 「友情」とはなんでしょうか?
種の性質として、1人ではいられない
という傾向を持っているから友情が生まれてくる
おそらく集団で生活する宿命があるからなのだろう
もしも、我が落ちたり弱くなったとすれば
集団のなかでも1人であり
集団に依存することはなくなるだろう
527 :
473:2012/07/08(日) 19:49:56.44 ID:O8E0iCQ1
わずかな層が消えるたびに消えた層を言語化すると、皮むきが進まないどころか停滞する。
この辺反面教師に。
>>502 > 1500分の3だけは目覚めているので(小さな変化)・・・
惜しい所ですが、目は覚めてないでしょう。逃している、と思います。
無常であること、無我であることの字面だけ理解しているだけです。
自己申請されるのは構いませんが、ろんさんとの数スレにも及ぶやり
取りを見ても、「1500分の3だけ目覚めている」には遠く及ばないです。
それは目が覚めていれば、有身見、疑、戒禁取を滅しているので
あれば、無我を背景とした会話が可能ですが、それができないから
数レスにも及ぶ問答に及んでいるものと思います。
お互いに目が覚めていれば、
>>482と
>>490のように一瞬で終わる
話です。
>>522 > 区分なんてないんじゃないかな
はい、区分はないです。その通りです。
全ての区分と比較は無意味です。全てはそのものの自体であり、
レッテル張りをして区分できないもので、また表現できない欠けがえのない
価値を有しており、他と比べられるものはないです。
ただ、何かを説明する上では、悟りと迷い、あれとこれ、こういうモノと
そういうモノ、過去と未来、部分と全体、いまといつか、というように、分けて
説明せねばなりません。
それらの区分が幻想であることを承知で、分けました。
決めずに、区分せずに、選び出さずに説明する方法が何かあると良い
のですが、、、現実には方便として分けずにはいられないかと。
530 :
ろん:2012/07/08(日) 20:22:49.49 ID:16qf4yfb
>>522 >絶句だな
いやいや、そんな自虐的にならなくても。。w
御椀を洗わせたい師匠の話はけっこうおもしろかったし。。
これからもどんどんOpeギャグを書き込んでください。。
たぶんおもしろいですから・・ってフォローになってるのか。。ww
531 :
473:2012/07/08(日) 20:46:20.58 ID:O8E0iCQ1
どんな観念も持たなければ変革が起きうるというのは語弊がありました。
どんな観念も古い精神がそれ自身を超えようとする葛藤をもたらします。
ただ、それがなくなるというだけです。
ここで2つの道があるでしょう。
古き精神の範囲内でなるべく苦しまず生きる道。
何の変化の保証もなく、ただ死に向かうだけであっても、今までと同じよりはましだと、
それを見つめたまま死んでもいいと、古くからの精神の動機に覚めることです。
>>502 > 「般若心経の悟り」として言語化するんですか?
般若心経を通して、仏教で描く悟りが自身の体験と一致したため、「悟り」とのラベリングを
行ったまです。
五蘊皆空から究竟涅槃まで読んで、般若波羅蜜の意味はさておき、自身の体験と照らして、
認識の一致を見たという感じです。
> 結局新しい体験で、新しい価値観や知識に鞍替えしているならある意味状況は変わりません。
> 価値観や知識から一瞬でも自由になれば、それに捕われない態度が出始めるのです。
> そして知識と価値観が作り出す悟りの体験の危険性も理解し始めます。
> どんな知識もどんな価値観も、精神がそれを利用しようとするなら、「精神が延命するだけで
> 全く同じです。」
上記はあなたの憶測ですね。悟りを表していません。特に「全く同じ」ではありません。
同じように見えるだけです。
悟りはWindowsに例えると、OSがVerUpするようなものです。
一見、同じAPで、そのAPが同じ見た目、挙動をしたとしても、そのAPを処理する体系・やり方が
全く異なっています。
そして、中には動かせないAPがあるかもしれません。そして、四沙門果で説明するならば、最初
のVerUpで動かせなくなるのが有身見、疑、戒禁取といったものです。
533 :
ろん:2012/07/08(日) 21:10:14.86 ID:16qf4yfb
>>531 おまえは2ちゃんを卒業するか、休むかしないと、変革は起きえない。。ww
キッパリと断言できます。。ww
534 :
ろん:2012/07/08(日) 21:13:08.68 ID:16qf4yfb
いつまでたってもクリシュナムルティの口マネ、オショーのばったもんじゃーなー。。w
天国のオショーは呆れてるぞ・・オレの弟子はバカでバカでどうしょうもないと。。ww
>>497 空とは実体がないことを指します。
# ここでいう実体とは「他の何者にも依らず、それだけで存在できるもの」と
# 定義します。
この世界はどんなものでも全て縁が寄り合わさって成り立っているだけです。
それは、あなたも私もそうです。
無限に続く水面を思い浮かべてください。
そこに小さな水面の盛り上がり(突起)が2つかあるとします。
それがあなたや私です。
この水面の盛り上がりは、実は小さな波が無数に一時的に重なって、
たまたまそこが盛り上がっているだけです。
波の一つ一つはとても小さく、縁と呼ばれます。
その一つ一つがあなたや私の構成要素ですが、どれもあなたや私ではありません。
また、水面に新しい波が立てばあなたと私のと見えている突起も、その波の影響も
受けます。これが縁によりて生ずるということ(縁起)です。
縁が生じてたまたま事象(水面の突起)が生じているが、突起自体は実体ではない。
このように見るのが空です。
536 :
ろん:2012/07/08(日) 21:33:35.67 ID:16qf4yfb
水の如く、空の雲の如しだね。。
自分がどんな形であろうが、執着しない、というか自分を認識しない、忘じている。。
修行ではなくて、そのまま・・だから禅宗の修行僧は、雲水さんと言われる。。
>>535 お答えありがとうございます。
とすると突起(事象)に実体はないとしても水面は在るわけですよね。
この万物の実体ともいえる水面にあたるものっていうのはなんなんでしょう?
538 :
神も仏も名無しさん:2012/07/08(日) 21:44:25.04 ID:J2ObNSPa
>>481 ロンは女好きだな ダメだこりゃ
うまくいかんな
>>537 「存在」
でも、「存在」には事象での存在は無い。
540 :
ろん:2012/07/08(日) 22:25:35.49 ID:16qf4yfb
541 :
ろん:2012/07/08(日) 22:26:23.11 ID:16qf4yfb
オレムの方が、女大好き、エロ大好き。。ww
542 :
神も仏も名無しさん:2012/07/08(日) 22:36:20.44 ID:J2ObNSPa
>>540 独身を貫いたほうがよさそうだな こりゃ
543 :
ろん:2012/07/08(日) 22:37:10.04 ID:16qf4yfb
>>542 なんでてめーは人の心配ばかりしてるんだ、コラァ。。
544 :
神も仏も名無しさん:2012/07/08(日) 22:53:11.95 ID:J2ObNSPa
>>543 女が欲しければ素直に風俗に行くが良かろう おまいさんのばあい
545 :
ろん:2012/07/08(日) 23:46:29.01 ID:16qf4yfb
何を言ってるんだろう?
このひとは・・フーゾクへ行けとかダメだこりゃとか、意味の分からん奴だなー。。
>>541 うん、俺、女大好き、エロ大好き
そもそも女性の嫌いな男っている?
いるなぁ確かに
547 :
安道:2012/07/09(月) 00:21:25.35 ID:dHb9hrOj
一切有為法は夢幻泡影なり・・・
548 :
安道:2012/07/09(月) 00:34:13.38 ID:dHb9hrOj
473は壮大な夢を書いておられるようだ・・・・。
しかし、本人が夢の中だと気づいてないようだ・・・。
549 :
安道:2012/07/09(月) 00:37:05.30 ID:dHb9hrOj
邯鄲の夢
趙の時代に「廬生」という若者が人生の目標も定まらぬまま故郷を離れ、趙の都の邯鄲に赴く。
廬生はそこで呂翁という道士(日本でいう仙人)に出会い、延々と僅かな田畑を持つだけの自らの身の不平を語った。
するとその道士は夢が叶うという枕を廬生に授ける。そして廬生はその枕を使ってみると、みるみる出世し嫁も貰い、
時には冤罪で投獄され、名声を求めたことを後悔して自殺しようとしたり、運よく処罰を免れたり、
冤罪が晴らされ信義を取り戻ししたりしながら栄旺栄華を極め、国王にも就き賢臣の誉れを恣に至る。
子や孫にも恵まれ、幸福な生活を送った。しかし年齢には勝てず、多くの人々に惜しまれながら眠るように死んだ。
ふと目覚めると、実は最初に呂翁という道士に出会った当日であり、寝る前に火に掛けた栗粥がまだ煮揚がってさえいなかった。
全ては夢であり束の間の出来事であったのである。
廬生は枕元に居た呂翁に「人生の栄枯盛衰全てを見ました。先生は私の欲を払ってくださった」と丁寧に礼を言い、故郷へ帰って行った。
『枕中記』
550 :
安道:2012/07/09(月) 00:41:07.17 ID:dHb9hrOj
胡蝶の夢
以前のこと、わたし荘周は夢の中で胡蝶となった。喜々として胡蝶になりきっていた。
自分でも楽しくて心ゆくばかりにひらひらと舞っていた。荘周であることは全く念頭になかった。はっと目が覚めると、これはしたり、荘周ではないか。
ところで、荘周である私が夢の中で胡蝶となったのか、自分は実は胡蝶であって、いま夢を見て荘周となっているのか、いずれが本当か私にはわからない。
荘周と胡蝶とには確かに、形の上では区別があるはずだ。しかし主体としての自分には変わりは無く、これが物の変化というものである。
『荘子』
551 :
安道:2012/07/09(月) 01:01:23.11 ID:dHb9hrOj
どうやら悟りスレの馬さんは
鬼が使う「意識」という語の意味がわかってないようだ・・・。
大抵の瞑想者が知る「意識」は「純粋意識」といわれ、
かなり多くの人が用いる言葉である・・・。
恐らく「唯識」から来ているものと思われる。
552 :
Ope:2012/07/09(月) 01:05:59.02 ID:qWq3wfQl
>>529 > それらの区分が幻想であることを承知で、分けました。
そうですか
悟りの最終段階が幻想であると承知しているということですね
>>530 > これからもどんどんOpeギャグを書き込んでください。。
弟子:考えておきます
>>480 > このイチャイチャに終わりは無いのかもしれません・
人は独りでいると発狂するようです
しかし・・・
独りに問題ない人もいます
孤独と悟りこれわかりますか
553 :
安道:2012/07/09(月) 01:07:15.94 ID:dHb9hrOj
すべてが意識である。という・・・。
このように使用する時は、三界唯心万法唯識と
同じ表現になる・・・。
ただしこの意識は、誰かの意識にはならない。
つまり誰のものでもない意識という言い方になるのだろう・・・。
唖の人が夢を見たようなもので、ただ自分一人で噛みしめるよりほかない。
>>552 >悟りの最終段階が幻想であると承知しているということですね
悟りそのものが幻想である、なんてのはどうでしょう?
555 :
無しよ:2012/07/09(月) 01:54:15.33 ID:Jp83VVMF
悟りからの解放〜
556 :
ろん:2012/07/09(月) 02:11:36.10 ID:ZRScAzIM
>>547 おいらの最近のモットーは、色即是空とかじゃなくて、塵塵三昧よ。。
わかる、これ?
碧巌録のどっかにあった。。
要するに生活仕事、細かいこともおろそかにしないということだな。。
557 :
ろん:2012/07/09(月) 02:16:14.60 ID:ZRScAzIM
>>552 >孤独と悟りこれわかりますか
孤独を好むようになる人もいるかもだな、悟ったら。。
おいらは独りも人と一緒もどっちも好きだけど。。
人付き合いを避けもせず、求めもせず、といったところか。。
達磨さんは独り、面壁九歳と言われるけど、ホントに坐禅ばっかしてたんだろうか??
558 :
ろん:2012/07/09(月) 02:16:55.36 ID:ZRScAzIM
塵塵三昧、未だ成らずなのだけれど。。w
559 :
無しよ:2012/07/09(月) 02:53:28.87 ID:Jp83VVMF
>>525 オレムさん >踏み台の前で足踏み続けてるようじゃ踏み台を続ける甲斐がない。
473さん >踏み台にはなりませんね。
ということは踏んでもくれないのか
オレムさん的に言えば実は誰も踏んでくれてないのか…
わかった
ということは…試し斬りでしたか
>他者を救おうとする事は自分にも他人にも害悪を与えてしまいます
それはそう思う。自分で自分を救えるのに、というまさしくそれ
だが、あなたのその偏執的な正しさも、結局は「正しさの手本」としての
ある意味誰かこれを見ている人への教化にも思えるときがあってね
救いたいを止めるのって絶対無理だって。影響されないのも無理だけど
影響されるのも、救いたいのも、それはじゃあほんとにあなた自身なの?…と問いたい
判断基準で裁いて、自己の混乱を投影して、無茶苦茶言ってみるぜ
560 :
473:2012/07/09(月) 09:16:33.07 ID:gnl/WSsd
>>528 >無我を背景とした会話が可能ですが
「可能」
そう、表面的にそれを行う事は第一の悟りでなくてもできますし、第一の悟りの人は非常にうまくやるでしょう。
しかし無意識は怒りに煮えたぎっています。無意識とはそんなものではないでしょうか。
しかし
>一来果では、有身見、疑、戒禁取の三結は当然消えていますが、その他に、欲、怒り、無知の三煩悩が、いずれも弱くなります。
「え〜っ、たったそれだけ?」はい、それだけです。
というように第2の悟りにあっても「そうある」ことはできないのです。
第2の悟りに入り始めて、ようやくそれらが減り始めるというぐらいですから、自分自身の凶暴な無意識が活動している事を自覚して、
ようやくここでそうすることはできてもそうあってはいない事を知識として出なく実感として気付き取り組み始めます。
あなたはこのポイント以外を重視しますが、このポイントを見逃すのはこの部分をまだ内部的に理解していないからであり、
このポイントの重要さに気付いていた仏陀がこの段階を付け加え強調したのではないでしょうか。
561 :
473:2012/07/09(月) 09:23:39.31 ID:gnl/WSsd
>>559 奴隷になりたい。
ああ、これ無意識の本音です。
提示された価値観によって己のあるがままを否定し、進んで奴隷となり、その価値観そのものになってしまう事で、
経済的な、精神的な安心を図りたい。
会社や社会にある無数のばかげた因習に進んで身をささげ、誇りを持ってそれに染まりきりたい。
そうすればとにかく安心だ。
これが理想や、規範や、社会的価値観のマインドの実情かと思います。
外向的
それに従うと、人はその価値観そのものになり、また分裂症気質になります。
これらの価値観は人のハートを満足させないため、ハートを満たす別の人格が必要になります。
空虚さを感じる人生ですが、それからの逃避方法はふんだんにあります。
内向的
そしてそれに従わないと、自分自身を責め立て始めます。
そういう人は自分自身の感情と調和し、空虚さは感じないですが、社会としっくり来ず、
また内部の社会の声が自己批判して苦しい。
>>444 > それが何々であると意識したとたん、その働きは止まってしまわないでしょうか。
意識(認識)できるものは、過去ですね。
「それ」は意識(認識)できないです。
できないけど「それ」の真っ只中を生きていますよね。
それで十分なのに、なぜ、わざわざ意識(認識)するのか?ということです。
> またその悟りを希求したとたんそれは、その働きではなくその働きのような精神の作り出す夢になってしまわないでしょうか。
悟り体験は一度したら忘れ捨て去るべきでしょうね。
> 「本当にあるがままなら、執着は減っていくでしょう
> 執着を保存するのが、あるがままと思っているのなら、勘違いですね 」
> というのは非常に良いところをついているように思います。
執着が減るのですか?
執着に苦しまなくなるのではなく?
> 私はそのamaさんが悟りと言う働きがおきるような書き込みをしています。
> その働きが死なないような書き込みをしています。
そんな書き込みができるのですか?
人をコントロールできるとお考えではないですよね。
> amaさんは悟りと言いゴールのような錯覚を与えていませんか?
どのように受け止められるかは分かりません。
> >落ち着く事、というのは精神がその精神の既存の働きに安穏とするように仕向けていませんか。
何を危惧していらっしゃるのでしょう?
自分にしがみつきすぎだよw
悟りは自力じゃどうにもできないよ
他力によってそうなってしまうものだから
もっと気を楽にして宇宙とダンスしなさいな
神とでも無意識とでもなんでもいいけどw
>>446 473さんがその理想や夢をお捨てになっても、
その違和感や疑問は残るのでしょうか?
566 :
473:2012/07/09(月) 09:37:35.85 ID:gnl/WSsd
>>559 私はそういう社会的規範に目覚めてはいません。それは昔に植えつけられてしまいました。
それらは今でも動いていて、私はそれを嫌い、抑圧しています。
抑圧していると理解はありません。
自分の中のそれに目覚めるのではなく、社会の、また他人が投げかける規範や理想に、自分の中にあるそれの蓄積を投影して
闘ってしまいます。
というような事に気付くためには、私の中のそういう植えつけられた価値観を活性化させるような非難が必要だったのでしょう。
社会、宗教、道徳の理想と、それに反抗するマインド。そんな葛藤の構造。
特にどうすればいいという事ではなく、毛嫌いしていた因習の奴隷が、毛嫌いしていたからこそそっくりそのまま自分の中で活動しているという事に気付けたのは不幸中の幸い。
OSHOは良くこれについて語っていたのですが、その重要性に気付くのはそれに気付いてからでした。
抑圧しようと(内向)乗っ取られようと(外向)それはタイプの違いで優劣はありません。
何をしても無駄なのは同じかもしれませんが、出発地点が違うので起こる物事も違うでしょう。
宗教的信念、思想というのもそれに乗っ取られて進んで奴隷となる事で自身の無意識の不安を和らげる働きがあります。
その奴隷となった人は誇りを持って他の人をその奴隷にしようとするでしょう。
567 :
473:2012/07/09(月) 09:46:48.55 ID:gnl/WSsd
>なぜ、わざわざ意識(認識)するのか?ということです。
でも、それすらないときは無意識であり、とある思考にとっとられてその思考の通り夢遊病者のように生きているかもしれません。
その意識、認識を、意識する人を意識することが起きるのが悟りなんていわれると思います。
意識は苦しみをもたらしますが、人は無意識に落ちる事もできれば、意識に覚醒する事もできると、そのように聞きます。
>そんな書き込みができるのですか?
消極的な意味合いです。その働きを阻害する信念の働きが起き難いような表現です。
>執着が減るのですか?
え?減らないのですか。
減らなくてもいいのですが、それが無いと見出すのが仏教の悟りなので、何で悟りという単語使うのかな。
減らなくても悟りというなら、仏教否定かもしれず、それは面白いです。
別の見解を持つのはいいのですが、別の見解で同じ単語を使うと気になります。
>>531 の選択があるだけでしょう。といっても選択できるのは前者だけで、後者は選択ならざるものかもしれません。
568 :
473:2012/07/09(月) 09:55:20.00 ID:gnl/WSsd
>amaさん 567続きです。
473さんがその理想や夢をお捨てになっても、その違和感や疑問は残るのでしょうか?
表面的なそれに頼る事をやめると実態が現れてくるのではないでしょうか。
何とびっくり、その集合体が活動していました。
表層の、意識化にあるレベルで理想を捨てる事も大変な恐怖を生みます。
それは何の変化も実は保証していないからです。
理想を捨てたら変化が起きるという理想も捨てなければいけないので、大変不安です。
あるがままとは、あるがままという観念ではないものですね。
精神があるがままという感覚を持つときは既存の精神既存の執着や不安の全てがあるがままという夢を一時的に
みるのであって、あるがままという観念は執着を存続させてしまうものです。
それではないあるがままを伝えるには、「前者のように誤解されないための細心の注意を払った表現が必要ではないでしょうか。」
というより、まず私自身観念として自身を騙さないよう注意しなければなりません。
まず表面的にすてると決意する次元がるでしょう。
表面的な部分で実際に捨てるという事実の次元があるでしょう。
そうしたら無意識全体のその集積である、、、、、、。実際もう言葉で表すのが野暮な次元でしょう。
569 :
473:2012/07/09(月) 10:00:39.01 ID:gnl/WSsd
>>532 >悟りを表していません。
それはそうです。悟りでないものについて話す事で悟りを示唆しています。
全く同じというのは語弊があるでしょう。
精神の構造に変化があったからこそ、新しい価値観を持つという事もあります。
反面、中身は殆ど変わってないのに価値観だけ変わる場合、瞑想体験により自分を特別だと思いより自分自身に対して無自覚になり、
もとある精神の傾向がより悪化する場合があります。
瞑想体験は成長の副産物なのですが、その副産物に執着すると、むしろ何もしないより悪い結果になる事も多いと聞きます。
体験への執着は自己の特別視であり、正にその分だけ自己への目覚めが減少するのではないでしょうか。
それはOSHOもクリシュナムルティーもグルジェフも警告しているのです。
570 :
473:2012/07/09(月) 10:21:37.73 ID:gnl/WSsd
>>565 は、あなた自身がその理想から自由なのなら、amaのいうそれに疑問を感じるのでしょうかということですね。
要は自由になりきっていないから噛み付いてしまうということがわかってきました。
しかしamaさん自身にとってはまた他人事であり、amaさんにとってはこの指摘は一つの外界からの挑戦でしょう。
それに互いに深刻になってはいけないと思いますが、相手の言説に矛盾を感じた場合聞いてみて
なんらかの目覚めの一瞥となる回答や、互いの価値観の見直しや変革の契機とするのもいいと思います。
精神は放っておけば静まる幻だというなら、
精神によってそれを悟りとして、あるがままとして、無意識として、空として、言葉でいわなくてもそういう思いでそういう体験をする事は、
精神の延命活動であるといえるでしょう。
だから宗教というのは結局、、、。
571 :
473:2012/07/09(月) 10:23:01.18 ID:gnl/WSsd
精神が静まってゆくさまを描写して生き残ろうとする精神。
572 :
473:2012/07/09(月) 10:29:03.49 ID:gnl/WSsd
>>532 預流果で消えるのは、この、たった三つの煩悩だけです。しかも全て見解・邪見・無知に関するもので、欲も怒りも何も消えていませんから、
預流果になっても怒りっぽい性格も欲深な心も、まだほとんど変わっていません。
意識の表層では凄い体験をするときもありますが、目覚めたのはごくわずかな部分ですので、
無意識ではかつての欲望が活動してますし、表層意識も普通に乗っ取られます。
しかし、OSHOはこういいます。
無意識なのだが無意識に気付いている。
無意識なときに自分が何をやってしまっているのか自覚しているという事です。
それゆえに。
>ただし預流者は、どんな悪業をしても、それを隠し通したり、ごまかしたりするウソつきの性格だけは直っています。自分の悪事を正直に告白して懺悔します。
自分の犯した悪を隠し続けたり、隠すためにごまかしたりウソをついたりする、その心のいや〜な気分に耐えられないのです。
だが悪いことを考えるし、罪も犯しますが、自覚症状だけはあるようです。
573 :
473:2012/07/09(月) 10:32:20.32 ID:gnl/WSsd
>>532 >預流果で消えるのは、この、たった三つの煩悩だけです。しかも全て見解・邪見・無知に関するもので、欲も怒りも何も消えていませんから、
預流果になっても怒りっぽい性格も欲深な心も、まだほとんど変わっていません。
これも4つの階梯からの引用です。
預流果であるひとはこの部分を読み飛ばして、他の部分だけを自分に当てはめたりしないでしょう。
自分の体験についても、この部分についても訳隔てなく意識するでしょう。
>>569 >それはOSHOもクリシュナムルティーもグルジェフも警告しているのです。
473さんの話は、OSHOやリシュナムルティーやグルジェフが全て正しいというのが前提になっていますね。
それはそれで構いませんが、彼がが間違っているとは考えないんですか?
それとも、彼らが全て正しいと言える根拠を持っているのですか?
575 :
473:2012/07/09(月) 10:47:13.36 ID:gnl/WSsd
>>574 彼とは4つの階梯と、OSHO、クリシュナムルティーは正しいんじゃないだろうかという
前提の下で会話しています。
言葉は所詮相対的なツールに過ぎないので、会話にはルールが必要です。
共通のルールで、共通の言語体系でやり取りする事でお互い自身表現できます。
何かしら共通の前提が無いと会話は不可能だと思います。
宗教に共通要素がないなら日常的な要素でもいいですし、なにかしらの共通要素は必要です。
何が正しいという前提が無い同士でしたら、沈黙しあうだけでしょうね。
それに私は、それらの思想に影響されている事を自覚している意識です。
どんな思想とも関係ありませんといえるような意識もあるのですが、無意識であらゆる思想の影響を受けています。
うん。ややこしい。
576 :
473:2012/07/09(月) 10:54:33.32 ID:gnl/WSsd
>>559 「偏執的な正しさ」
そうなのね。自分の心の傷ゆえに、相手の都合をかまわず噛み付く狂犬。
正確に言うと「偏執的な信念の破壊。正しさと間違いという観念の破壊。」を「正しいと思ってる」
あ、やっぱ正しいと思っている。
しかし間違っているというのとも違うし、あなたの信念による表面的な安定を壊してごめんなさい
とあやまるのもなんか最悪のエゴだ。
だから私は狂ってると、他者の安息を破壊していると自覚しよう。
「他の人も無自覚にやってるしね」
だから
「信念の破壊は正しい事ではないんだよ。」
ということを諭せる他の信念はない。
ただ、目覚め、成り行きがあるのみだ。
私は今こうであるし、こうであることを謝っても、誇っても仕方ない。
また別のとき、別のときに私はそのときの今を表現するしかない。
あるがままなのかな。
こういう狂人がここにいる。
苦受 楽受 不苦不楽受を元に心が立ち上がる。たいていそれ。
苦は嫌悪になり
楽は渇望になり
不苦不楽は迷妄になる。
あるがままやあるがままにない、どやこやも人間は何でも思い通りにならんのに、
どうにかしようとする、どうにかしようと考えるから言われた言葉。
空とは無いということではない。無常ということ。
手をすべらせてしまったとき、今と分離された自分にハッとする。
今に全霊を注ぐ、いつのまにか今を忘れ思考してる、それに気づく、今に戻る、
この全てが修行。基本は呼吸をみる。
思考を否定してるんじゃない。
思考があるからこそ教えや修行がある。
思考は無常。
何事にも失敗や成功 否定や肯定を作りたがるこの心は無常。修行も無常。
あるがままは無常。生死も無常。
そこかしこに人が生まれ死に植物が生まれ死に動物が死に虫が生まれ細菌が生まれ死ぬ。全てが無常。そこに生死はない。
578 :
473:2012/07/09(月) 11:24:44.68 ID:gnl/WSsd
>>559 561続き。
自分だけのこととして語ってもいいのですが、自分自身のことと、経典で言われる事を組み合わせ、
仮定として人間一般として論じてみましょう。
誰もが自分の夢の中で自分自身と戦っている。
それを他人に当てはめあってる。
各々が完全に個人的な問題なのだ。
そもそも互いが互いの夢に閉じこもり出会い自体がないのだ。
などといいつつ、それを伝えようとする矛盾。
いや、誰かに脱出してもらって、それでという事なのだろうか。
amaさんもボロが出てきたなー
生きのびるために死んだフリをするのが上手い人だ
>>579 どの辺からボロが出てるのか詳しく教えて?
581 :
561:2012/07/09(月) 17:14:40.92 ID:gnl/WSsd
外向的
それに従うと、人はその価値観そのものになり、また分裂症気質になります。
これらの価値観は人のハートを満足させないため、ハートを満たす別の人格が必要になります。
空虚さを感じる人生ですが、それからの逃避方法はふんだんにあります。
いや、その空虚さが実は相当強いもののようで、だからこそ人はより多くの権力やお金や、
理解しがたい刺激やお酒を過度に求めるのでしょう。
ひと時たりとも自分自身にくつろげない状態です。
そしてその抑圧されたハートからくる感情の苦しみは、あらゆる形で発散され、それを与え合って大きくしてゆきます。
社会の悲惨さも、一人ひとりが価値観の奴隷であり、ハートが苦しんでいて、その苦しみを投げつけあう以上必然かもしれません。
経済的な苦しみを今まで見ていましたが、
外交的な人間は全員地獄にいつつそれを抑圧するために外部に投げていますし、
内向的な人間も別種の地獄におり、なんとか自分の権益を確保しつつ冷笑的になっている。
人間の内面という次元でのこの世の中はおぞましい地獄だ。
だからだろうか。
覚者は経済的な問題を直接扱わず、執拗に人間の心の救済をしようとしていた。
彼らは人々が自覚している経済的な問題より、人々が無自覚な心理的な苦しみのほうが
より差し迫って見えたのかもしれない。
582 :
473:2012/07/09(月) 17:28:34.76 ID:gnl/WSsd
>>580 平凡な精神は世の中の、自分の内の少しの事しか認知しないから、
内部葛藤も世間との葛藤も少ない。
あるがままに幸せに暮らせる。
が、その精神のパターンに目覚める事は難しい。
苦しみが無いとそれから目覚める動機がないから。
良くも悪くもない。悟りへの道のりはここでよく止まる。
その幸せなあるがままの生に飽きるまで。
非凡な精神は、非常に広範に複雑に自己や外界を捉えるから、
内部葛藤も外部との葛藤もある。
あるがままがものすごい苦しみなのだ。
こういった精神は精神を超えるのか精神が死ぬのかしないかぎり苦しむ。
発狂か悟りかのどちらかしかないとOSHOはいう。
各々の道のりがある。
目的地は同じでも、スピードが違うし、コースも違う。
そして後者の人は前者を知ってるが、前者の人はそういった風に自分以外の人間に興味を持たないのでわからない。
583 :
473:2012/07/09(月) 17:29:41.55 ID:gnl/WSsd
>>580 はアンカーミスです。
半分関係あるけど、ない。
584 :
ノスタルジア:2012/07/09(月) 17:46:59.75 ID:SpOI02mh
ウオークインと言われる自分の魂と自分以外の魂の入れ替えは本当に
起こるのか?マインドの現実がこの僕の三次元世界,宇宙なわけであって,
僕が思うにハートの現実というのになれば,マインドの現実は自由意志を持った
ものに変わり,行動は元々自分なので,自分に適した行動をするだろう。
マインドの画面からハートの画面に切り替わるのだ。そのハートの世界は
どの現実を経験するのではなく,とりあえず五次元波動に移行するので,
不安定なフィールド無き,無我の「境地」にとどまるのである。そこから無数の
王国に出入りして遊ぶのだ。それは王国というものしか僕には見えないが,
とても限度無き行をするのだ。
以上 新しいレムリア の自分なりの解釈。
>>582 なるほど、俺は平凡な精神と言う訳ですか?
まあ、確かに平凡ですね。
でも、そこまでして悟りを目指す動機が良く分からない。
何のために悟りを目指してるの?
>>580 貴方は本当に、書いた誰かがいると思っているのですか
>380
>悟りは今は通じにくい概念ですが、時代が進めば一般的なテーマになるのかもしれません
・職場や学校や人の集まり、テレビ、ラジオ等で普通に悟りの話がされる時代とか楽しそうですね
夢の一億総覚者社会
世界は一つ 人類は皆仏陀...とか
588 :
ノスタルジア:2012/07/09(月) 18:08:02.02 ID:SpOI02mh
この地球は動物や植物がいるが,ペガサスやユニコーンや,天馬や不死鳥は
いないだろう。それらは僕は緑の宇宙街では通用しない。聖域として悪魔も
来ないし,天使も来ないし,神も来ないし,仏も来ない。別種の者から離別して
いるのだ。人間の楽園が僕の言う緑の宇宙街なのだ。どこまでも夢見て,
希望を持って,おもしろおかしいのが緑の宇宙街なのだ。もちろん害のない
樹木や建築物はあるかもしれないが,太陽も無く,道路もなく,水もなく
人間という存在はあるが肉はなく,摩訶不思議な領域なのだ。とても楽しい
わくわくするところなのだ。限定性が介入することを極端に嫌う宇宙街なのだ。
創造の禁術,過ちを僕は認めたくない。つまり人間がいないと,この世界,宇宙
が変化が起きないように、創造主にはなれないのだから。人間の未熟さに僕は
共感する。真の悟りっていうのは浄土を作ると言うことでしょう。それは否定
出来ないですよね。必ず真の悟りの一側面としてある。
>>382 >現状の我々はもっと身近な事から関心を持ってゆくべきかもしれません
そう、外から帰ったら、うがい手洗い、出かける時にはハンカチとティッシュを持って
使ったものは元の場所に片付けて・・・
>>394 >唯心論(ゆいしんろん、英: Spiritualism)とは、人間・社会において
、心、もしくはその働きこそは至上の要因であるとする存在論における立場の一つ。その反対が、唯物論になる
了解しました
>>397 >5「あるがまま」の全てが根拠のない妄想だと思う
ありそうですね
例えば「あるがまま」=リラックスした自然体とか、観念とか考える人は、いそうな気がします
>>586 >貴方は本当に、書いた誰かがいると思っているのですか
誰も書いていないのに書き込みがそこにある!!
これって何か怖い話?
>>397 >6「あるがまま」に囚われるあまり、あるがまま以外のモノを否定する
「あるがまま」=プリミティブライフと考えたりもありそうですね
あと「私はあるがままの境地を会得した」
等と言う人がいても悟り子は驚きませんとも
>>397 7「あるがまま」を全てに結びつける
これも根っこに「あるがまま」と「あるがままで無い」がありそうです
そして人がそのような観念を通して全てを見ることも「あるがまま」なのですね
欲求、依存、執着の元を確認しました
意識の確認と同時に胸の中央ど真ん中において球状の気泡を確認
この気泡が希望、愛情、苦しみ等に変化するものと思われます
気泡でありますが、なんらかの微粒な物質かもしれません
尚、消滅方法は不明
何もないところから風船のように膨らむイメージ
大きさは意識の上ではパチンコ玉程度と思われます
それにより意識が変化することも確認
麻薬的作用があるものと見られます
597 :
Ope:2012/07/09(月) 19:15:39.41 ID:qWq3wfQl
>>554 > 悟りそのものが幻想である、なんてのはどうでしょう?
じゃ、何が幻想でないの?
>>569 > それはOSHOもクリシュナムルティーもグルジェフも警告しているのです。
473は盲信しすぎだとは思わないのか?
その蓄えた知識を全て捨てない限り
いや、何の役にもたたないことをわからない限り
その永久ループからは抜けられん
598 :
Ope:2012/07/09(月) 19:23:44.42 ID:qWq3wfQl
>>592 > これって何か怖い話?
記憶喪失ってことだろ
>>593 > あと「私はあるがままの境地を会得した」
> 等と言う人がいても悟り子は驚きませんとも
驚かないけれど
また変な人がでて来た
と思ってしまう
>>597 >じゃ、何が幻想でないの?
今日の夕飯の肉じゃがとか・・・・・
600 :
Ope:2012/07/09(月) 19:27:13.17 ID:qWq3wfQl
今週のオレすごい
スレ主でもないのに、結構、スレ読んだし
・・・半分、・・・いや3ぶんの1は読んだ
601 :
Ope:2012/07/09(月) 19:28:14.64 ID:qWq3wfQl
>>599 > 今日の夕飯の肉じゃがとか・・・・・
感覚器官の投影が全てなの?
>>601 マジレスすると、幻想かそうでないかってどこで見分けてる?
俺は良く分からないから、そのままにしてる。
473は気泡(欲)を生成、消化しまくっており欲の権化と化してます
悟り(欲を作らない)とは全く逆方向に進んでいます
妄想は全て泡による作用と思われます
604 :
473:2012/07/09(月) 20:30:15.80 ID:gnl/WSsd
>>amaさん
>>580 既存の精神が
平時の内部葛藤を避け、
自分自身を変革しようという不可能な試みの夜葛藤を避け、
また一つの執着の苦しみそのものと対峙する事による苦しみと、精神活動の消滅の機会を避ける。
amaさんのいう悟りはそんなものとして提示されていますね。
彼の言う執着と闘わないということは上記を示しているように見えます。
本当に執着と闘わなければ、より苦しむでしょう。執着の全貌と直面するでしょう。
全貌と直面すればそれは留まる事ができず消滅に向かうでしょう。
しかし、ここで執着に苦しまないのだと、既存の精神が経験する事により、
既存の精神はそれを自分自身で変えようとする苦しみから逃れる事になりますが、
既存の精神、執着が背伸びせず自己肯定するという状態であり、単に現状が維持されます。
別にこれ自体特に悪い事だと思いません。
瞑想してゆき、あるところでその歩みを止め精神に支配権を渡せばこうなるだけで、特に非難の対象とも思えません。
だが、これをもって「いわゆる悟り」というのはどうしたって無理がありますね。
明らかに異なる概念である悟りなんて言葉使わなければいいのに良く考えもせず当てはめてるあたり馬鹿だなあと思うし、
紛らわしいなあと思うのです。
どれだけいっても悟りという言葉を使うのはおかしいという部分にだけはレスもないので、自覚したくもなければ変える気もないのでしょうか。
瞑想のある段階を示している事に間違いはないのですけど。
605 :
473:2012/07/09(月) 20:37:34.77 ID:gnl/WSsd
>>オレムさん。
いろいろニュアンスを込めている表現なのですよ。
何故悟るか。悟りを目指す理由はありません。
そうでないと苦しくて仕方が無いと自覚すればそうなるしかないというだけの話です。
凡庸な精神は、あまり苦しむ構造事態がないので、苦しみをあまり感じない境地に早々とたどり着き、
それ以上進まない事が多いです。苦しくないのにどうして自らを焼き尽くす事を選ぶでしょう。
そしてオレムさん。
おそらくあなたはどちらかというと非凡な精神たる潜在性があります。
でもまだ気が狂うほどその視野が広がっていないのだと思います。
それに非凡でも平凡でも瞑想、自己の精神の全体像の自覚が広がってゆかない事には
苦しみとは部分的にしか出会えず、気が狂うほどの苦しみに出会う事もできないでしょう。
>>603 自分が作っているものなら自分でなくせるでしょう。
もしあなたがそれを成功させたらご指導ください。
606 :
473:2012/07/09(月) 20:39:48.70 ID:gnl/WSsd
苦しみからの解放を探求するのでなく、憧れの元自分を投げ捨てるという方向性もあるようですよ。
苦しみからの解放を目指すのが悟りの動機で、悟りを得ようとするのは単に世俗的な欲望です。
これは悟りとは言わないで、愛というのでしょうけど。
607 :
§:2012/07/09(月) 20:41:27.71 ID:D6eLITJk
>>601 >感覚器官の投影が全てなの?
どうやら、投影が知覚を作り出すようです。
(受け売り半分、実感半分ですが)
608 :
473:2012/07/09(月) 20:56:24.96 ID:gnl/WSsd
>>amaさん
604続き
瞑想のある段階を示している事に間違いはないのですけど。
というように提示すれば害もないですが、amaさんはそのように生き続ける事を「悟り」といってしまいますからね。
確実に既存の執着の延命を謳っているのであり、反仏教、反悟り、反光明の主張そのものなんですよ。
ほっておけば消えるかもしれないものなのに、あるがままになったりそれになったりしたら、
それに抵抗する苦しみは消えても、
元の執着による苦しみのほうは消えない。
609 :
Ope:2012/07/09(月) 21:52:42.10 ID:9CZT7pmE
>>602 > マジレスすると、幻想かそうでないかってどこで見分けてる?
> 俺は良く分からないから、そのままにしてる。
意味がわからん
見分けるも何も
幻覚は幻覚
妄想は妄想
現実は現実
間違い様があるか
推測ですが既に餓鬼道に入ってませんか?
苦しみ→アドレナリンのような物質?→苦しみ→アドレナリン…
のような輪廻(繰り返し)かもしれません
このまま死ねば数万年?数兆年?の餓鬼地獄かもしれません
まだ生があるので間に合います
悔い改めて逆方向に向くのです
虚心坦懐の方向へ向くのです
悟りは欲を消滅、生成もさせないことにより起こる
身体の覚醒作用です。逆方向の幻影作用ではありません
>>605 とりあえず快楽を得ることで消滅はします
次に生成させないことが重要です
輪廻は避けねばなりません
612 :
Ope:2012/07/09(月) 22:00:43.89 ID:9CZT7pmE
>>607 >
>>601 > >感覚器官の投影が全てなの?
> どうやら、投影が知覚を作り出すようです。
思考や感情や感覚の
投影を知覚している といったほうがいいけど
>>609 夢の中で、夢と気付かなければ それは現実
夢と気付けば それは夢
夢と現実を見分ける方法なんてあるのか? って話ですよ。
>幻覚は幻覚
>妄想は妄想
>現実は現実
>間違い様があるか
Opeは幻覚、妄想、現実の意味を知っているけど実際に見たことないのかな?
614 :
Ope:2012/07/09(月) 22:07:29.67 ID:9CZT7pmE
>>602 > マジレスすると、幻想かそうでないかってどこで見分けてる?
ちなみに
>>600は幻想
615 :
Ope:2012/07/09(月) 22:16:31.14 ID:9CZT7pmE
>>605 > そうでないと苦しくて仕方が無いと自覚すればそうなるしかないというだけの話です。
どうして、その1本満ちしかないと思い込んでいるの?
> 苦しくないのにどうして自らを焼き尽くす事を選ぶでしょう。
どうして、それしかないと思い込んでいるの?
> 気が狂うほどの苦しみに出会う事もできないでしょう。
どうしてそう思い込んでいるの?
悟りとは苦しみの代償か?
仏とはサディストか?
欲望とか願望により苦しみが生起します。苦を繰り返し(輪廻)と捉えても
さしつかえありません。
欲を減らしていく作業においては禁断症状以外の苦しみはありません。
欲を減らせば減らすほど静寂を得て心は平穏になります。
代償として快楽は放棄しなければなりません。
快楽と苦は相対線上にあります。
>>537 水面にあたるものは実相と呼ばれます。
それは見えるままに認めてよいのです。
それが実体でないことを了解しつつ、なおかつ、そのままに。
水面という見え方は否定しなくていいのです。
あなたという水面も私という水面も、それはそれでいるのですから、
実体でないことを了解しつつ、認めてあげてください。
実体がないこと(空相)も真実ですが、見えるまま(実相)もまた真実
なのです。経典ではこれを、
色不異空 空不異色 色即是空 空即是色
と表しています。この中でも色即是空は人気がありますね。
>>572-573 > 預流果で消えるのは、この、たった三つの煩悩だけです。
その通りです。
私の状態とぴったりです。その三つだけ消えて、貪恚痴もそのまま残っています。
現実の生活や意識で三つ以外の煩悩が、残りまくりなのは全く否定しません。
なので、四沙門果はいまの私にとってはぴったり来るガイドラインなのです。
> その心のいや〜な気分に耐えられないのです
ここもそうですね。戒というわけではなく、傾向としてそのようになりますが、
その傾向もまた無常です。
また、次の一来果の解説を読んでも、「あぁ、そのあたりが弱まるだろうなぁ」という
気になります。二度目の無我にはまだ至っていませんが、我が弱まるのを感じることは
あります。そんなときは貪恚痴の三つが弱まるのを感じるので、次の果ではたぶんそう
なるだろうという感覚があります。
この感覚がもっと実感できるようになると一来果向になるのでしょうね。
620 :
ろん:2012/07/10(火) 00:49:17.40 ID:Af0LhJ/P
>>615 >どうしてそう思い込んでいるの?
単に凡庸な奴が悟ってるわけない、悟れるわけないと、他を否定したいだけなんですよ。。
他を否定したいという妄執、インドのオショーとクリシュナムルティ以外悟ってるわけない、
そんなことは許せん、あってはならないという、彼の言う凶暴な無意識が、意識をしてそう思わせずにいられないのでしょう。。ww
自分が崇拝する光明を得た偉大なるマスターたち、それ以外は落とし穴にはまってるだけで、悟ってるわけないんです。。
彼の世界ではそうでなければならないんです。。
すべて自分の盲信するマスターたちの言葉、思想を通してしか見れないから、すべてを歪んでみているんです。。
で、偉大なるマスターたちの教えを学んだ自分が一番偉いんですよ。。ww
そういうわかりやすい、盲信、妄想の構造を持っていると思います。。
宗教家を盲信しているものが、どういった思考パターンに陥るか、典型的なサンプルだと思います。。
621 :
ろん:2012/07/10(火) 01:05:13.04 ID:Af0LhJ/P
>>605 >自己の精神の全体像の自覚
おまえの場合、コレ
>>620ね。。
それで2ちゃんねる命で、もっともらしいこと言って、何の中身もない。。
全部間違っているというオチ。。
そもそも、自分が悟ってないのに、悟りわかってないのに、どうしてラジニシやジッドゥが悟っているとわかるのか?
たぶん、文章に酔ってしまって、偉大なマスターに違いない、と思い込んでいるだけなのだろう。。
622 :
ろん:2012/07/10(火) 01:13:42.28 ID:Af0LhJ/P
聞いた話だが、ラジニーシが死んだとき、ガネーシャが空から迎えに来たという。。
霊感のある人の話らしいけど、まあ、あり得んことはないなーと思う。。
彼は、大学の講師とかやってて頭がいいから、本を読んで理解していたことを言っていただけなのだろう。。
その頃は、禅の祖録の英訳も出始めたころだからね。。
あと、彼はクンダリーニも上がっていたとは思う。。
だけど、クンダリーニ上がるだけでは、誰も悟れんからねー。。
ただエネルギーが活性化するだけの話だから。。
クリシュナムルティは、大悟はしとらんよ、たぶん。。
彼が言ってるのは、スピリチュアリティを向上させるにはどうすればいいかみたいな話。。
静寂に至るにはどうするかとか、なんつーかそれ自体、ミスリーディングな話だ。。
俗人、俗な生活を脱して、どうやって沈黙に達するかとか、まあどーてことないお説教。。
スピリチュアルな人が喜びそうなお話と、格調の高い文章であるってだけ。。ww
623 :
473:2012/07/10(火) 01:14:56.60 ID:IFH1mJfF
特に正しい宗教というものがあるわけではありません。
事実に留意させ、真実にに目覚めさせるように使われるか。
欲し、夢見させ、自分の事実を抑圧するために使ってしまうか。
どのような働きがあるかは出会った人次第です。
事実に留意させ、真実に目覚めさせる働きが起きたのなら、もうその人にとって
悟りも、光明も、無も、空も自らを束縛する言葉に過ぎないかもしれません。
一つの仕掛けはその役目を終えたなら手放されなければならない。
そしていつしか仕掛けというそのものも。
624 :
安藤:2012/07/10(火) 01:20:32.78 ID:VJ9wb3S2
羅寺西や栗栖南無流体は悟ってないのか・・・。
それ以前に他人が悟ってるか悟ってないかって
わかるものではないのだよなあ・・・・。
625 :
473:2012/07/10(火) 01:20:51.35 ID:IFH1mJfF
>>618 というわけで、4つの階梯があなたの留意と目覚めの方向に働きますように。
>>615 自分の執着の全て、無意識の全てを、それ同士対立させず全て明るみにする際に
もともとある苦しみがまとめて意識されてゆきます。
もし、それがないというのでしたら、おめでとう。
あなたは表層意識が静まったただけで真実への障壁はありません。
626 :
ろん:2012/07/10(火) 01:21:14.99 ID:Af0LhJ/P
クリシュナムルティでもラジニーシでも、大半は心理学の話しかしとらん。。
依存や逃避をどうやって、抜け出すかなんて、どうでもいい話。。ww
その結果、どうやって自分を変えるか、変革を起こすかなどと言う、誤った観念を信者に植え付けてしまう。。
ラジニーシもあるがままと言ったけれど、自分があると思ってる人のあるがままだから、
全体が間違った話にしかならない。。
Kでもラジニシでも、自分がある、が前提。。
ある自分をどうやって無くすかと言う、間違いの上に間違いを重ねた、嘘八百のスピリチュアル講和を垂れ流す。。
あり得ん話だよ、全て彼らの言ってることは間違っている。。
そのままではよくないし、自分がある、あるがままとあるがままでない状態がある。。
信者たちはみんな迷っているから、私の話を聞いて、自分を変えなければならない。。
要は新興宗教の教祖たちと一緒です、オウムと全く一緒。。ww
>>590 悟り子さんの言わんとしてることは分かるんです。
A=Bだろうが、B=Aだろうが同じことだっていうのは。
でも、私はそうでなく、唯物論や唯心論はA=AもしくはB=Bって言ってるように思うわけです。
なぜなら、唯物論は心を環境や肉体の中の物質しかみないし、唯心論は表層しか見ない。
中間にある生命に意識を向ければ、両極にあるものを世界の中に組み入れることができるのに。そう思うわけです。
物質、生命、心が具体的にどのように相互連関しているか、について詳しいことは説明出来ないけれど。。。
ただ遠い将来、宗教とは違う文脈で人は生命の学を打ち立てると思う。
>>627 生命とは何か? って問いの答えが見つからないと始まらない話ですね。
629 :
ろん:2012/07/10(火) 01:29:08.27 ID:Af0LhJ/P
>>623 宗教なんてあってはならないし、事実なんてものもない。。
ただ法があるだけ、あるものが、あるようにあるだけ。。
他に付け加えることがあってはならない。。
おまえは嘘八百の説法を信じ込んでいる、何の根拠もなしにね。。
>>614のように、事実があるというのは妄想ね。。
事実も無くなった人を、無事の人と言う。。
無事是貴人というやつだ。。
>>628 >生命とは何か? って問いの答えが見つからないと始まらない話ですね。
はい。
植物にあって、鉱物にないもの。
睡眠中の人にあって、死体にないもの。
当たり前すぎて、気づけないけど、意識を向けるとよく分かる。
物質、心とは異なる人や生き物の構成要素です。
631 :
ろん:2012/07/10(火) 01:32:09.44 ID:Af0LhJ/P
事実もないとは、Kとかラジニシが夢にも思わなかったこと。。
日本の禅師たちは、ラジニシの写真見ただけで、こりゃダメだと思ったという。。
本の中身読むまでもないの。。w
あとは、まともな洞察力ありゃ―、Kでもラジニシでも、こんなんいくら読んだって、何にもならん、なんの力もないとわかる。。
ようは、いいはなし、よさげな話してるだけに過ぎんから。。
632 :
473:2012/07/10(火) 01:43:42.01 ID:IFH1mJfF
>事実もないとは、Kとかラジニシが夢にも思わなかったこと。
そりゃそうだ。それを思ったら、自分はそれを思っているという事実になってしまうから。
それは思いがないということでしょう。
それは言語化しないという方便もあれば、言語化するという方便もある。
方便として働けば嘘をついていい。いや、嘘でしか真実は伝えられないから方便という。
>>630 あなたを、あなたにしてるのは生命? それとも他の何か?
634 :
ろん:2012/07/10(火) 01:46:34.75 ID:Af0LhJ/P
実際としては、迷悟はある。。
しかし、理として、迷悟、善悪、混乱と静寂など、二元相対を説いているものは全部ダメだ。。
法と言うものがわかってないということだから。。
法がない=ただの人間性向上、宗教、スピリチュアル、ありがたいお説教と言うだけ。。
根本が何もわかってないの。。
根本は法、現象の、存在の本質、法則、これがわかれば、人間もないし、迷悟も善悪もない。。
二元相対を説くものは、全部偽であり、誤っている。。
それはそれら二つを分かつ、人間の主観の中にしか存在しないから、錯覚の中にしかありえないから。。
635 :
ろん:2012/07/10(火) 01:48:52.33 ID:Af0LhJ/P
636 :
473:2012/07/10(火) 01:49:53.31 ID:IFH1mJfF
ダルマ、僧燦、慧能、馬祖、臨済
彼らに比べ日本の現代禅のいかに貧弱な事か。
形だけで中身は死んでしまっているように見える。
彼らに並ぶ禅師が日本にいたらやる事は一つ。
今信じられている禅の形態を破壊し、
人に自分の実際の心の動きという事実に目覚めさせ、また真実へ跳躍する目覚めを喚起するような、
新しい大嘘、方便を作り出す事だろう。
古いものには人は執着してしまい、その働きは失われる。
どんな教えであろうと、使い方次第。
そして捨てるという事までが教え。
637 :
473:2012/07/10(火) 01:51:27.33 ID:IFH1mJfF
それは思いがないということでしょう。
ことというより状態でしょうか。
言葉を超えているものについては語らない。
そこにたどり着くような嘘をつく。
そうした祖師も多い。
638 :
ろん:2012/07/10(火) 01:51:47.80 ID:Af0LhJ/P
事実がない、は473にはわからん。。
>>633 >あなたを、あなたにしてるのは生命? それとも他の何か?
他の何かです。
水面の話が前出でありましたが、
私を私にしているのは水面です。
波が立って水柱が出来ます。
それが自分である、という幻想です。
自分である、という幻想を持てるのは水面の圧倒的な実存が下地にあるからだと考えています。
生命は水柱を形づくる作用、と形容できるかもしれません。
640 :
473:2012/07/10(火) 01:54:05.13 ID:IFH1mJfF
わかりたくありませんw
それはわかるのではなく、そういう状態ですから。
事実があると思っている状態、事実が無いという状態。
それはわかることではない。
641 :
ろん:2012/07/10(火) 01:55:05.59 ID:Af0LhJ/P
>>636 >人に自分の実際の心の動きという事実に目覚めさせ、また真実へ跳躍する目覚めを喚起するような、
新しい大嘘、方便を作り出す事だろう。
ダルマ、僧燦、慧能、馬祖、臨済をのどこをどう読んだら、上記のような妄想が出てくるのだろう。。
バカは何を読んでもわからないだろう。。
で、どこにそんなことが書いてあるんだ?
642 :
ろん:2012/07/10(火) 01:56:25.14 ID:Af0LhJ/P
ははーわかった、473はオショー講和とか、そういうインチキでしか、上記の祖録を読んだことがないのだろう。。
あるいは、読んでも何にもわからなかったかどちらかだな。。
>>639 おもしろい話だね。
最後に、生命と水面はどう関連してると思う?
644 :
神も仏も名無しさん:2012/07/10(火) 02:02:12.99 ID:aSTaUjRI
Hyoumentyouryoku
645 :
ろん:2012/07/10(火) 02:02:18.11 ID:Af0LhJ/P
>>636 どうして、「彼らに並ぶものがいない」とか、自分だけの偉大で時う別な存在を妄想するのか。。
まったく目立たないし、説教なんぞしないけど、まったく仏そのものの、禅僧というは、そこらにいるものだよ。。
会ったことないのだろうか?
会ったことのない妄想の、偉大な禅師たちが好きなのだろう。。
スーパーマンとか、ウルトラマンに憧れる幼稚園児みたいなもんだ。。
誰かがすごい、と思うことは、それを知っている自分がすごい、と言ってるのと同じだから。。
岩波の『無門関』、現代語訳付き、これすらまともに読んだことないのだろう。。
偉大な禅師たちと、そうではない凡庸な今の禅と・・そういう比較相対でしかものを見られない・・もはやこの勘違い野郎は、何を言っても無駄なのだろう。。
646 :
473:2012/07/10(火) 02:05:42.86 ID:IFH1mJfF
言葉という時点で嘘さ。 by 老子
>>643 水柱を「形作る」作用です。
この、私である夢を可能にするためには、
肉体と生命が必要だと思います。
その条件があって、始めて私と心が生じます。
なので、機械に心を持たせることは今のところ出来ないと思います。生命がかけてるからです。
同様に、心のある物質も見つかりません。
648 :
ろん:2012/07/10(火) 02:07:10.01 ID:Af0LhJ/P
人がいる、すら間違いなのに、光明を得た偉大で特別な人たちと、そうでない凡庸で俗な人たちがいて、という、この妄想はどうやっても拭い去れないらしいな。。
そういうやつには仏教も瞑想も禅も無理だ。。
要は特別な存在になりたい、という、妄想から抜けられないのだから。。
649 :
ろん:2012/07/10(火) 02:09:23.15 ID:Af0LhJ/P
特別な人はどこにもいません、お釈迦様ですら、と言っても信じられんのだろうな、473には。。
三法印から、まずはお勉強するといい。。
わかったら、特別な存在と言う妄想は消えるだろうけど・・まあ無理だろうな。。
650 :
473:2012/07/10(火) 02:10:25.19 ID:IFH1mJfF
いや、あなたのスタイルにお付き合いしただけだが。
こういう自分の言動を覚えていない事を無意識という。
>>645 >どうして、「彼らに並ぶものがいない」とか、自分だけの偉大で時う別な存在を妄想するのか。
という人が
>日本の禅師たちは、ラジニシの写真見ただけで、こりゃダメだと思ったという。。
本の中身読むまでもないの。。w
あとは、まともな洞察力ありゃ―、Kでもラジニシでも、こんなんいくら読んだって、何にもならん、なんの力もないとわかる。
そうそう、ちなみに、基本的に単行本で原文は愛読していました。
651 :
473:2012/07/10(火) 02:11:21.39 ID:IFH1mJfF
わかったら、特別な存在と言う妄想は消えるだろうけど・・まあ無理だろうな
絶対に無理です。
あなたが私にそれがあると夢見てるものだから。
652 :
473:2012/07/10(火) 02:15:24.32 ID:IFH1mJfF
むしろ、今の伝統を失った人が特別な人ですね。
自分のことを特別だと思うことこそ平凡というものです。
勉強する事で人は特別になり、それを忘れる事で自然に戻る。
特別でない人が昔の禅師。
653 :
ろん:2012/07/10(火) 02:15:37.47 ID:Af0LhJ/P
>>651 仏に会ったことがない、と言うのは不幸だね。。
僕の近所にはそういう人がいたから、幼い時から会っていたんだよ。。
ただニコニコして、何の変哲もない、禅宗の庵主様だったけれど、あとになってあの人は仏だったとわかった。。
もっともらしいこと言う偽物に騙されて、一生を台無しにする、まあ知ったこっちゃないけどな。。
654 :
ろん:2012/07/10(火) 02:19:03.20 ID:Af0LhJ/P
他にも何人かいるけど、ラジニシみたいなカリスマ風吹かす、のとは真逆の人よ、みんな。。
禅宗以外でもいる・・仏教がどうの、悟りがどうのなんて一切言わんの。。
聞けば、教えてくれることもあるけどね。。
655 :
473:2012/07/10(火) 02:35:19.59 ID:IFH1mJfF
仏教がどうの、悟りがどうのなんて一切言わんの。
当然それが身についていれば、それを言う人を執拗に、誰もいないのに架空の誰かを指して日常的に批判したりはしないでしょう。
であれば、あなたも悟りを言わず、それを言う人も批判せず。
それを実行したうえで、時々654のような事を言えば自己欺瞞にはまらないのですけどね。
臨在は、特別な姿を出して、相手がそれにうっとりしてしまったらそれを取り上げる。
特別な姿を出しても相手にしないような修行者はめったにいないなんていっていました。
方便としてどのような姿も出しえるでしょう。
彼らはその中核が特別でなく、特徴もない。
けど、アルハトでなくボーティサットヴァは特別なふりをする事が多いみたいです。
それは彼らが働きかけた相手次第でしょう。
656 :
ろん:2012/07/10(火) 02:40:39.55 ID:Af0LhJ/P
>>655 だから、臨在なんて、あなたにはわからんよ。。
どうしてわかってないないのに、わかったつもりになれるのか?
そこらへん、もう求道者としての資質が全くない。。
わかってないのに、何でもわかったつもりになれる、妄想の人。。
どうして知らないことについて、沈黙できないのだろうか?
そんなんでここの人は誰もダマくらかせないぜ。。
ホントに恥ずかしくないんだろうか?
657 :
ろん:2012/07/10(火) 02:43:19.57 ID:Af0LhJ/P
臨済の間違い・・つられた。。
>>631 写真見ただけで、こりゃダメだと判断とかどうなんだろう。。。要するに見た目でしょ?
あなたは外見だけで本なり論文なりを読むまでもないっていわれたらどう思います?
659 :
473:2012/07/10(火) 03:33:37.38 ID:IFH1mJfF
>どうしてわかってないないのに、わかったつもりになれるのか?
まず、ろんによる、ろんのわかっているということを473はわかっていない。それは事実でしょう。
そういった個人的な主観を共有する事に意味があるとは思えません。
そういったものは重荷でしかないので重荷を背負っていないという事はいい事かもしれません。
わかるという事はそもそも自我による誤解の作用であり、どうあるか。
だから、私は自分自身のありざまを説明する事と、いかに物事がわからないかという謎賭けのためにしか言葉は使いません。
理解とは自分がそうでないものを捉えようとする自我の詐術に過ぎませんから。
また、会話は言葉を使わざるを得ません。
空もOSHOも同じく言葉に過ぎず、また全ての体系は仮のものに過ぎません。
仮のものを愛そうと、また敵視しようとそれはあまり変わりません。
仮のものを真に受ける人のおかしさは。
660 :
ろん:2012/07/10(火) 04:34:05.59 ID:Af0LhJ/P
じゃ、問題出そうか?
お釈迦様は、何にも悟ってない、これはどういうことだろうか?
473の好きな、方便だぞ、、
661 :
ろん:2012/07/10(火) 04:36:19.30 ID:Af0LhJ/P
ま、公案とは要するに、何でも本読んだだけで言葉覚えただけでわかった気になる、473みたいな敬神慢心バカを黙らせるためなんだろうな。。w
一つでも参じてみればいい。。
662 :
ろん:2012/07/10(火) 04:37:29.32 ID:Af0LhJ/P
軽心慢心バカの間違い。。
まーおれも多かれ少なかれそうかもだが。。w
663 :
ろん:2012/07/10(火) 04:46:19.78 ID:Af0LhJ/P
もう一つ、簡単な奴。。
セッキョウと言う弓の名人がいて、あるとき六祖に出会った。。
六祖:おまえは弓の名人と聞くが、一つの矢で何頭の鹿を射止めることができる?
セッキョウ:名人とは言っても、一つの矢では一つの鹿しか射止めることはできません。
六祖:一度に一頭の鹿しか射止めることしかできないなら、名人とは言えん。鹿野群れごと射止めることが出来なくてどうする?
(僕の記憶によるので、細かいところは違うかもだけど、だいたいこんな話)
さて、どういうことでしょうか?
664 :
ろん:2012/07/10(火) 04:51:59.51 ID:Af0LhJ/P
こう言われた、セッキョウは、即座に大悟したそうだ。。
>>567 > >執着が減るのですか?
> え?減らないのですか。
分かりませんが、減らせる必要を感じないもので・・・。
> 減らなくてもいいのですが、それが無いと見出すのが仏教の悟りなので、何で悟りという単語使うのかな。
> 減らなくても悟りというなら、仏教否定かもしれず、それは面白いです。
般若心経には「不生不滅」とありますが、
解釈がいろいろあるのでしょうか?
>>570 >
>>565 > は、あなた自身がその理想から自由なのなら、amaのいうそれに疑問を感じるのでしょうかということですね。
悟りに求めていらっしゃるものがありますよね。
悟るとこうなるはず、というのがおありだと思います。
でも、ひょっとすると悟ってもどうにもならないかもしれません。
その場合は、悟りとは別のものを求めて生きてゆかれるのかもしれません。
667 :
素人A:2012/07/10(火) 08:44:58.09 ID:7Q4Z58fr
飯食わんでも全然生きられるとしたら、何で飯食わないと遺憾のかとおもう。
でも煩悩があり楽しけりゃ食うのは当たり前。空は至難の業だけど食う楽しみや
色々楽しい無駄な事?無駄じゃ無い、楽しい後は苦しい着ても空だけは死なん自由だ。
我々は苦しいと文句でて、楽しいと文句少ない、空たちばなし、さあとりあえずはまあよい天気。
暇だつまらん、色色な立場から妄想する立ち話、とにかく今はいい眺めだ。誇大妄想だ←いててて
ぽつ師匠空教わった。色即是空は即空即是色と返す。孝子師匠も言った空の色は皆も同じ色と
見ているのだろうかと。そろそろ仕事頭に切り替えないとでもどうせ暇、金儲け作戦に頭使え、
あそうだ今日は将棋王位戦が熱とあるそこえ行かん。
>>658 お恥ずかしい話、俺も初めてサイババ見た時は「こりゃダメだ」って思っちゃったよ。
だって、アフロなんだもん。
669 :
473:2012/07/10(火) 09:21:18.23 ID:IFH1mJfF
>>666 >般若心経には「不生不滅」とありますが
執着は生まれた事もないので消える事もない。
といってるのでしょうか。
非論理的な表現なので突っ込んでも仕方ないかもしれません。
どちらにせよ執着が保持された状態の事では無さそうです。
これを持ち出してどうしてamaさんの解釈と同じだと思ったのですか。
>悟るとこうなるはず。
それは各々自身の変革の願望のことですね。
それに悟りと名をつけてるからそうなるので、それに無自覚だと会話において互いに混乱してしまいます。
そうでなはく行き違いをなくしたり、相手を混乱させたくないならこの状態を悟りと名づける。
悟りというのは言葉に過ぎないので、言葉の本来の用法はこんなところじゃないでしょうか。
悟りを求めているのなら、それは精神による探求なので精神はどうにもなりません。
精神に何か変化があったときに、それを悟りとただ名づけるのならそれほど弊害はありません。
が、精神によって名づけたとたん精神の消滅か変化かそういうものが止まっちゃうんですよね。
名づけるという精神の働きとどうかせずに名づけられるところにいるまで名づける事も求める事と同じく
停滞をもたらすので探求ではない。
>分かりませんが、減らせる必要を感じないもので・・・。
いいんですよ。582でそう言ってます。
しかし、あなたのその状態を悟りと名づけるのはちょっと目に付くかなと。それだけです。
普通それを悟りと名づけないので、周りの人を混乱させたいのならどーぞ。
限定された意味での悟りならともかく単品で使うと「不生不滅」を連想します。
670 :
473:2012/07/10(火) 09:27:53.42 ID:IFH1mJfF
さて、どういうことでしょうか?
すでにどうこう思っている人がそれを自覚して、それを捨て去るという事ですから。
私がどういう状態にあるかによって、私が何に目覚めるかは過去の例と変わるわけです。
どういうこと、というのは既存の精神、自我による解釈です。
既に問いかけが方便ではない。
どういうことか、こういうこと。というのは自我を太らせる。
どのような自分の無知が明らかになったか。方便はそのように使われます。
その方便は一見私と何の関係もないことのようだが、
自分の他者への攻撃意識というものを自覚させる。
目標一人と戦っているうちはなんてことの無いように見えるが、
それを世界全体に向かって放っているのが良いかといわれると、
悪いとは思わぬが、はたとなる。
671 :
473:2012/07/10(火) 09:35:54.61 ID:IFH1mJfF
>悟りとは別のものを求めて
なんだろうな。
つまりamaさんは悟りを求めているのですね。
ある次元ではものすごい失言なのですが、それが本心でしたらそれはそれでいいのかもしれません。
悟りは求める対象ではなく、求める事からの自由を暗示する言葉だったりします。
地涌きの菩薩みたいに地面から出現できますか?
空中に浮かぶ多宝塔を呼び出せますか?
673 :
473:2012/07/10(火) 09:46:45.11 ID:IFH1mJfF
>お釈迦様は、何にも悟ってない、これはどういうことだろうか?
どういうことでもなく、ただそういうありようなんでしょう。
どういうことという次元ではないでしょう。
何も求めないというありように名前をつける必然性は無いですね。
名前をつけない。概念化しない。
しかし名前をつけないということではない。概念化しないということではない。
674 :
473:2012/07/10(火) 09:50:10.97 ID:IFH1mJfF
>>669 671
amaさん宛です。
>>672 私はできません。
そういうイマ経にあるような描写において、人の常識を揺さぶる効果があるなら多分製作者の意図通りでしょう。
頂上の力を夢見させてしまうなら、本当のことでも言わないほうがいいかも。
他力とは簡単な言葉をほんによく思いついたなあ。
あるがままを全てに結び付けると上にあるがそれは言葉だけだのう。
あるがままとは人はどうにかしたくてマネージメントしだし、
コントローし出してどつにもならんから苦を生むことへの言葉だのう。
他力とは実に簡潔にいったものだ。
拈華微笑のこと。
お釈迦様は善悪など本当はないと言った者を戒めた。
確かにそうなのだが
そうすると平気で人を殺したり悪いことをしだす人間が現れるからそういうことは言ってはならないと。
二元的になってる訳ではないんだよ。
人が無常を知らず立ち向かい苦を生む。
これもあるがまま。分かっているが敢えてあるがままに。
他力だと言ってるんだね〜。
676 :
神も仏も名無しさん:2012/07/10(火) 10:44:43.62 ID:t7boNmBW
「私は悟りました」
「私は悟っています」・・・・・・通常、このような言動に接したとき
この「悟り」という語彙が指示する意味は、いわゆる「宗教的意味合いにおける」
「悟り」であると解するわな。 ここは特に宗教板なわけだからww
では、上記の 「私は悟っています」 を仏教的に解すると
→「執着を脱し、煩悩を吹き消し、あらゆる苦を滅した状態・・・・」
→「心が鎮まり、迷妄を脱し、縁起を完全に了解している状態・・・」
などと言われるわけだw
ところが、「とるに足らない、ほんのちょっとした気づき」を勝手に「悟り」
と定義したり、 また、そのような、「わかったぞ感」を体験したことをもって、
「自分は悟った。」と言われると、読む方にとっては、甚だ迷惑なのは確かだわなww
大まかな野球のルールを覚えて、バッティングセンターで何本かいい当たり飛ばした
だけで、「野球というのはですね・・・・・」なんて語り出されても笑っちゃうだけだろ?www
「悟りとは・・・・・」 なんて語りだすのなら、 せめて
『私に苦はない。あるゆる執着を脱した。唯一の執着があるとすれば、全ての者を
ひとり残らず成道させることだけです。』・・・・・このくらいのことを言い切る境地に
達してからにせえよwwwww
677 :
神も仏も名無しさん:2012/07/10(火) 10:58:11.35 ID:t7boNmBW
俺が、このスレで 『悟った』 こと
→「ロンは、473が嫌いだ」www
>>676 そんな事言ったら、このスレ終わっちゃうじゃん!!
679 :
神も仏も名無しさん:2012/07/10(火) 11:04:42.73 ID:t7boNmBW
>そんな事言ったら、このスレ終わっちゃうじゃん!!
wwwwwww そういうのを「杞憂」と言うwww
「勘違いバカ」は、決して消えることはないwww
(悟りどころか、「自分は神だ」と言ってる奴も大勢いるwwww)
680 :
473:2012/07/10(火) 16:21:49.27 ID:IFH1mJfF
もういらないものだと思ってしまっていた。
なにかが必要、利用すると思っているうちは使ってしまえばそれに対する思考はいったん
奥に引っ込むわけだが、それはもういらないという思考は決して弱まることなくまとわり続ける。
なろうとするとこういう馬鹿をやってしまう。
ありように正直であるほかない。
変化は物事の本性だから、しがみついたり、変えようとしたりしなければ
私自身が死に、生まれる。
681 :
ろん:2012/07/10(火) 16:27:23.16 ID:Af0LhJ/P
>>669 >それは各々自身の変革の願望のことですね。
>それに悟りと名をつけてるからそうなるので、それに無自覚だと会話において互いに混乱してしまいます。
おまえだけだろう、悟る前に悟りはこうだと勝手に思ってわかった気になってるのは。。ww
何度言ったらわかるのか??わかるわけないと言っている。。チラとでもみない限りは。。
アマさんは見てるけど、あんたは明らかにてんで勘違いしてるの。。
混乱するのは、おまえが勝手に思い込んでいる悟りと、アマさんが言っていることが違うからだろう。。
知識と照らし合わせて違うんじゃないかとか、憶測しているというだけ。。
>そうでなはく行き違いをなくしたり、相手を混乱させたくないならこの状態を悟りと名づける。
>悟りというのは言葉に過ぎないので、言葉の本来の用法はこんなところじゃないでしょうか。
だから、悟ってないものにとっては、悟りはX、?に過ぎん。。
これが悟りだとは、決してわからないもの。
どうしてわかっているように語るのだろうか?
悟る以前にあれこれ思う、語る、まったく意味のないこと。。
682 :
ろん:2012/07/10(火) 16:29:24.29 ID:Af0LhJ/P
悟るとこうなるはず、と勝手に思い込んでてんで勘違いを喚いてるのは、473だけ。。
しかも、アマさんは悟っていないだろうという憶測で語っている。。
自分悟らなければわかるはずがないのに、ホントにバカな奴。。
683 :
ろん:2012/07/10(火) 16:36:58.39 ID:Af0LhJ/P
アマさんは確実に見てはいる、わかっていると思うよ。。
間違ったこと言わないもの。。
禅の祖録で語られていることとも一致する。。
雪渓師が言っていることも理解しているだろう。。
わかってないのはアホの473。。
こいつは勘違いしまくりで、自分の妄想を正しいと思い込んでるから、わかっている人に対して、それは違うだろうとか・・ホントちゃんちゃらおかしいんだよ。。
684 :
473:2012/07/10(火) 16:48:48.12 ID:IFH1mJfF
表面でいらんと思ったらいると思ってる無意識への気付きは失われる。
その構造に気付かない限り永遠の内戦になる。
そしてその内戦は外界に投影される。
周りの人を捻じ曲げて解釈し役割を与える。
685 :
473:2012/07/10(火) 17:28:45.52 ID:IFH1mJfF
まあ666
は473への指摘ではなく、私もあなたもみんなそうですよねという意味にしか取れない。
特にamaは他者に一方的なそういうレッテル張りはしない。
ろんもamaのいってる事を単純に見ればいい。
感覚で通ずる事はあるかもしれないが、いってることは逆だ。
686 :
473:2012/07/10(火) 17:42:38.11 ID:IFH1mJfF
誰しも宗教を未知へのガイダンスとしてではなく、既存の自分の経験から把握してわかった気になってしまう。
それが少なければ少ないほど成長の可能性が残る。
現代人は昔の人と違い、複雑なマインドと抑圧されたハートがある。
真実に直接跳躍するような宗教の技法は使う事はできない。
知識の肥やしになるのが落ちなのです。
特に真実に肉薄しているような般若や禅はただ誤用される。
現代人が宗教を志すなら、まず、自分の立ち位置から始めなければいけない。
それには基本的に現代宗教の力を借りるしかない。
例えそれが光明を得た人のものでなくても、現代人向けに宗教に赴く用意をさせるような体系であればそれが唯一今役にたつものだから。
自我の牢獄を自覚しており苦しんでいる探求者であれば、誠実に自分自身に使えるものに落ち着くでしょう。
といっても現代宗教にはうとく、OSHOしか知らない。しかし彼も30年前の人。
高度成長期の、雇用が安定してた時代の人だ。
>禅の祖録で語られていることとも一致する。
彼らが現代人向けに一から語り始めたら、最初の段階と最後の段階でその言説は相当矛盾するでしょう。
それはブッダでも同じ事。
また、彼らはその当時の思い込みと逆のことを言うし、自分の教えが協議になり始めたらそれを破壊する。
正しい教えなどない。教えもない。
我々がどのような影響を受けるのか。そういう事実があるだけです。
687 :
473:2012/07/10(火) 18:02:14.10 ID:IFH1mJfF
ろんにわかっているといわれる程度なのよね。AMAも。
私だったら謹んで辞退するけど。
688 :
473:2012/07/10(火) 18:48:57.01 ID:IFH1mJfF
669 671とレスして、どうして他人におせっかいを焼くのだろう。
他者というものが存在せず、このスレッドを見ているときにだけ未知の出会いと別れがある。
ことは起こるだけで何の希望もない。花が咲くように自然に対話が起きる。
というわけでもなんでもなく、自分の中に他者像というものがあり、それによって人を買いかぶったり、
修正しようと善意でおせっかいを焼いたり。そういうことを普段から考えている。
それって、どういうことだろう。良し悪しではなく、何を自身にもたらしているか。
それは他者像への執着、相互理解への執着かもしれない。憧れの相手の必要性や、自分を支配してしまった思想の新しい犠牲者を求めているのかもしれない。
他者を助けようとする事はあらゆる種類の他者の夢を、他者という思い、人間という思いを持ち続け、それに左右されている事かもしれない。
他者は存在しない。だからこのスレッドに来る。
そんな人を待っている。
>>400 >今に生きることにより恐怖・煩悩は縮小するはずです
確かにたいていの恐怖は想像ですね
あと人は恐怖とゆう観念に恐怖しているところはありそうです
恐怖する自分を想像して恐怖しているのかもしれません
>>404 >目標 あるがままでない自分を否定する。―あるがままであろうとする
投影 あるがままでない他人を否定する。―自分はあるがままだと肯定する
・否定がエゴの生き残り戦略かもしれませんね
そしてその様な心理作用もまたあるがままなのですね
>>404 >
>>396 それは瞑想と言われるものじゃないでしょうか。
悟りというと瞑想とさとりがごっちゃになります
>>396は一般的な体験の話のつもりでした
でも確かにただ「それ」であることは甘美なる体験かもしれませんね・
>>405 >>認識と認識者の超克があれば自動的に恐怖は存在し得ないでしょう
平たく言うと恐怖は想像の中にあるとゆうことでしょうか?
>>405 >悟りという言葉を使うなら定義に従って使うか、定義が違うなら別の言葉を使うかするのが普通だと思います
・ヨナミさんの言うことが正しい可能性もあります
一方悟りとゆう言葉を人がどんな意味で使っても良い気もします
そして悟りの定義自体が悟りそのものを比喩的にしか言い表せていない可能性もあるかもしれません
>>668 根拠があれば見た目で判断しても全然いいと思うんですけどね
オーラが見えるっていう人もいるし
たぶんその禅の方々はそういう超能力的なものを持ってたんでしょうね
695 :
473:2012/07/10(火) 20:34:42.51 ID:IFH1mJfF
>>692 いや、知らんですよ。いつもそれについては知らんといってるじゃないですか。
これは哲学論議です。
悟りをさも体得したとような人が、執着はなくならないというので、悟っていない人から見る悟りの一般的イメージ、
悟ってない人が知的に理解するブッダいう悟りってこういうものじゃないのですかと、単純に哲学的論議をしています。
この悟っていない人からの悟り像と、悟りという言語の運用方法。
そういう話なのに、まるで
>>認識と認識者の超克
が473であるかのように473が語ったというのはやめてくださいね。
それは知らないと、だけどそうみえるけど実はそうでない偽ものについては知っていると473は述べていました。
認識と認識者の超克>=恐怖は存在し得ない
こういうのは実際に超克してなくても論理的に類推できるじゃないですか。
結構しょうもない、わかりやすい話をしているのです。
だけどamaさんはわかりにくい話にもって煙に巻こうとする。
473はいつも会話の前提を綿密に定義してしゃべっています。
それゆえに、レス相手によって、会話の次元も、言葉の定義も違います。
それを読み取るには、中身と言葉の違い、またどういうルールで両者が対話しているのか理解する感受性も必要です。
ま、473を買いかぶる人は473が超克であるかのように誤解するでしょうし、その信念が473の存在と対立するような人は
それを不遜といってののしるかもしれません。
事実としては、あくまで哲学のゲーム、言語の運用の話で、そんなこといってないというだけです。
696 :
473:2012/07/10(火) 21:29:35.02 ID:IFH1mJfF
>ろんさん
ただニコニコして、何の変哲もない、禅宗の庵主様
amaさん
愛にあふれたと頓悟の教えの白隠
なんか似た感じがありますね。
ところでろんさんは上記の人たちと正反対の振る舞いをしているわけです。
ろんさんに彼らの何がわかるでしょうか。悟らないと悟りがわからないように、彼らのようでないろんさんに彼らの何がわかるのでしょう。
彼らをわかったふりをして、自分も彼らのようであるという錯覚に陥っていませんか。
彼らは論争しませんし、ましてや非難しない。
彼らを基準にするととろんさんはそれから遠く離れています。
ましてや彼らをだしに他者を批判するなど、彼らは悲しむでしょう。
だれを基準にする事はないじゃないですか。
人それぞれの歩みがあります。
ろんさんは道の歩みにおいて彼らの平穏さとは全く別の輝きを示すでしょう。
無理に彼らの温厚さを真似しようとしても、それこそあるがままの自分を抑圧するだけです。
697 :
473:2012/07/10(火) 21:31:02.49 ID:IFH1mJfF
>>693 私も同じく思います。
688他多数で表現しました。
698 :
ろん:2012/07/10(火) 21:41:40.12 ID:Af0LhJ/P
>>695 おまえに哲学的議論なんぞ、できるわけないじゃないか。。
アタマが悪すぎるよ・・文章読めばわかる。。
人の言うことまったく理解できないし・・自分の誤り、無知を絶対認められない人。。
しかも、おまえは悟りについて知らないのだから、対話なんぞできるわけないではないか。。
教わることはあったとしても、対等な対話は無理だ。。
レスもらえるだけで感謝した方がいいんじゃないか。。
なのにこれ。。。。。。
>>687 ホントに終わってんなー。。
どうしようもない。。
699 :
ろん:2012/07/10(火) 21:50:14.14 ID:Af0LhJ/P
>>696 性格、人格、個性は関係ない。
その人の法、理解、のみを見ればいい。。
禅僧だって、臨済と趙州、一休と良寛、みんな違うではないか。。
ボロクソに批判するのは、お前のためにやってんだよ。。
見てられない、スレ汚しだから、腐臭がプンプンするからと言うのもあるけどな。。w
正受老人は、白隠の鼻をつまみねじ上げ、崖から突き落とした。。
罵られるくらいで、罵った方を恨むのは、修行者と言えないだろう。。
感謝されても恨まれる筋合いはない。。ww
700 :
ろん:2012/07/10(火) 21:59:55.76 ID:Af0LhJ/P
実際の修行をしないやつが、修行の成果が全くがないやつが、いくら対話したって無意味だよ。。
修行をするものだけが進む、あるいは退く、自分自身へと退いて行く、もともとの自己へ還ることができる。。
進化するとか、真理へ跳躍するなんて言うのは嘘・・余計なものが落ちて、もとへ戻るというだけ。。
こんなとこで、政治的自己宣伝(あるいはラジニシの宣伝か・・)演説やってて、しかもその無意味さに気づかない、まともな修行者からしたら、
鼻つまみ者以外の何物でもない。。
どうでもいい思考のループ、袋小路ををゆっくりと回転する、その閉ざされた妄想の闇・・外の世界を見ることはないのかもしれないな。。
自分の思考、知識、思い込み、妄想の暗室に住まい続けるうちは。。
701 :
ろん:2012/07/10(火) 22:06:09.84 ID:Af0LhJ/P
朝起きたら、押し入れのふすまと一つになっていた、と言うのが悟りの一瞥だ。。
余計な思考、妄想、ガラクタ知識が落ちれば、見たものと一つになる、と言う体験が生まれるだろう。。
これが三昧だ。。
思考、知識、思い込みがあるうちは、脳内妄想の闇の中をぐるぐる回り続けるだけ。。
702 :
473:2012/07/10(火) 22:48:41.77 ID:IFH1mJfF
>>693 どのみち完全な悟りを開くまでは誰もが夢の中です。
自分の、他人の、本当のことなんかわかりゃしませんし、
だれもが自分の夢で勝手に物事や他者を解釈するおざ得ません。
悟りという言葉も無数の使われ方をするでしょう。
どこまで他人を自分の夢から脱出するために利用できるか。
他人を憎んでも、愛しても、助けようとしても、どの道執着であり、自分の夢を存続させる。それは自我の罠に嵌ってしまう。
愛に自分や他人があるならそれは愛の道ではないでしょう。どうかお気をつけて。
>>700 >性格、人格、個性は関係ない。
恒例の自分の前言否定いただきました。
>意思の疎通
言葉は単なる相対性のツールなので、それに何を込めるかが肝心。
人によって言葉は異なる定義で使うので、自分の定義に固執すると、相手の言っていることを誤解する事になる。
自分の定義と自分の言葉に同化してしまっている人間は、自分の定義以外で他者の言葉を読み取る能力がない。
言葉に反応し、自分の経験と言語の関係において、相手が込めた意味は無視して、自分の定義で賛成、反対する。
基本的に意図でなく言葉に反応しすぎ。しかも自分の都合のいいように。
>進化するとか、真理へ跳躍するなんて言うのは嘘・・余計なものが落ちて、もとへ戻るというだけ。
@この2つは文脈によって同じ意味になりうる。
A同じことを言っていても違う事をこめていることがある。本物と偽者という事など。
宗教の入り口の案内なので、宗教に縁がない人にも理解できる表現にしないといけない。
ここで後者の表現をしたら、まったくの初心者が、全く無意識な人間が分不相応な知識を身につけてしまう。
そういうことは無意識な、入り口ではなく出口についてだけの知識をかき集める人には関係ないかもしれないが、
その危険性を知る人は表現を気をつける。
と、こういう473の意図まで読んでようやく会話になる。
703 :
473:2012/07/10(火) 22:57:40.11 ID:IFH1mJfF
跳ぼうとしても、落ちる事を期待しても同じ。
思想は精神を存続させる。
そもそもそれに名前をつける必然性はない。
用途に応じて相対性である言語を仮のものとして使う。
別に飛ぶわけでもないし、落ちるわけでもない。
それは共に精神が描く概念であり、精神を越えた物事ではない。
704 :
ろん:2012/07/10(火) 22:59:49.42 ID:Af0LhJ/P
>>703 無くすべき精神、心があると思っている、クリちゃんの受け売り、勘違いね。。
705 :
ろん:2012/07/10(火) 23:01:00.00 ID:Af0LhJ/P
>>700 どこをどうとったら、前言否定になるんだ?
人の言ってることわからん、自分のいいようにしか取れないのだろう、すべて。。
706 :
ろん:2012/07/10(火) 23:01:42.86 ID:Af0LhJ/P
707 :
ろん:2012/07/10(火) 23:03:11.86 ID:Af0LhJ/P
精神を超えるとか精神を存続させるとか何を言ってんのか?
誤解の上の誤解だな。。
708 :
ろん:2012/07/10(火) 23:04:26.89 ID:Af0LhJ/P
何かがあると思う、判断する、無くそうとか超えようとか、自分のシッポを追っかける、バカ犬のようだ。。ww
709 :
473:2012/07/10(火) 23:12:03.98 ID:IFH1mJfF
>>704 精神とは自我と似たような意味合いかな。
自我はろんにないのですか。
それとも自我が自我が無いと思っているのですか。
710 :
473:2012/07/10(火) 23:17:42.19 ID:IFH1mJfF
自我が人はいないと思い込むというのは、仏教の誤用の代表的なもの。
ひどくそれをやってしまう人もいれば、微妙にそれをやってしまう人もいる。
人はいないというのは言葉に過ぎない。言葉としてのそれの影響から脱しなければそれそのものを見出す事はない。
乗りおわったら捨てられる船だが、そもそもこれに乗るまでの準備が長い。
711 :
ろん:2012/07/10(火) 23:25:52.15 ID:Af0LhJ/P
>>709 自我はある、がその働きには実体がない。。
仏法中には法しかない、自我でなく法、精神ではなく法。。
それを意識的に判断したり、いじくることはない。
ただ坐るのみ、それと一つになるのみ。。
712 :
473:2012/07/10(火) 23:26:32.62 ID:IFH1mJfF
精神って対象、客体ではなく、主体、単に私という意味なんだけど、
ろんは私(主体)を意識しないで客体しか意識してないのかな。
私、主体によって客体の映像を消してしまえばそれが空だというのかな。
私、主体のほうは全く持って生きているのだけど。
713 :
ろん:2012/07/10(火) 23:28:46.36 ID:Af0LhJ/P
>>712 主観と客観は同時生成だ、一方が消えれば、もう片方も消える。。
一方が現われれば、もう一方も現れる。。
ただ、妄想を妄想と知り、否定も肯定もしない、雲が流れるまま。。
蒙を除かず、真を求めず。。
714 :
473:2012/07/10(火) 23:29:30.91 ID:IFH1mJfF
自我が自我が無いと思っているってことですね。
自我にとって自我の働きは実体として経験されます。
715 :
ろん:2012/07/10(火) 23:29:51.00 ID:Af0LhJ/P
君見ずや 絶学無為の間道人 妄を除かず、真を求めず
>>669 amaさんは悟ってますよ。仏陀みたいな最終段階ではないかもしれませんが、
悟りです。
私も最初はどのぐらいだろうと思って、スレ1や2であれこれ質問している
なかで、自分が見出したこと照らしあわせて、どうもamaさんも見出している、
そして、それを自分よりうまく使いこなしている、と思えたからです。
主観と言われるかもしれませんが、相手の悟りを確かめるのは、これしか
方法がないのです。
質問と回答の中で、相手がその「なにか」をどれだけ把握しているかを確か
めます。
言葉そのものではありません。受け答えの調子というべきもの…そういった
気配を嗅ぎ分けます。
悟りはそれを表現する人間各々の知性、知識、教育、伝統、心情、性向、
信念といった幾重もの層を通して表現されるため、どうしても色がついて
しまいます。ただ、色の出方には特定できない特定の傾向があります。
その傾向を嗅ぎ分けるには自分の悟りとあいてのそれを照らし合わせるしか
ありません。
でも、あなたはまだそれができません。あなたには悟りがないからです。
蓄えた知識やそれに基づいた分析は意味を成さないのです。
結論ばかりで根拠を示せないため、また「決め付け」と言われるかもしれま
せんが、悟りとはそういう世界です。
悟りを識るためには悟る必要があるという、どうしようもない領域なのです。
717 :
ろん:2012/07/10(火) 23:31:46.65 ID:Af0LhJ/P
>>714 実体はない、わかる?
縁によってあるというだけ、仏教の基本中の基本。。
その働きのまま、自我が問題ではない、それを問題にするのが問題なのだ。。
もっとも、473の場合は実際問題だと思うが。。ww
718 :
ろん:2012/07/10(火) 23:35:13.16 ID:Af0LhJ/P
473は、実際長い間、継続的に坐ったという経験がないだろう。。
それではダメだろう。。
アマさんのように、坐らずとも、瞑想が起こる人はいるが、473見たいのは意識的に坐らん限り無理だな。。
思い込み、知識を忘れてひたすら坐る、一定期間黙って、2ちゃんなんぞやらずに坐らん限り、堂々巡りが収まらないだろう。。
>>717 ろんは実体ってどんなモノだか分かる?
俺は残念だけど、今まで実体って見たこと無いよ。
ついでに言えば、実は「空」も見たこと無い。でも、空(そら)は見たことあるよ。
720 :
473:2012/07/10(火) 23:39:20.40 ID:IFH1mJfF
>>713 精神が主体にあてはまり、客体が飛ぶ事や落ちる事という主体の経験=客体として似た意味合いになります。
跳ぼうとしても、落ちる事を期待しても同じ。
思想は精神を存続させる。
そもそもそれに名前をつける必然性はない。
用途に応じて相対性である言語を仮のものとして使う。
別に飛ぶわけでもないし、落ちるわけでもない。
それは共に精神が描く概念であり、精神を越えた物事ではない。
しかし713は究極の意味で悟りを得ていなければあくまで受け売りじゃないでしょうか。分かりっこない。
自我がある状態で見出せる事とは思えません。
受け売りは受け売りでいいのです。
受け売りと明記し、また他者が受け売りだのと文句を言わなければ。
473受け売りはちゃんと明記しますよ。
似ていてもここで気がついた事を自分の言葉で書きます。
>>688 ここにいる中で、一番、他者像による生滅反応の連鎖(dukkha)に
引きづられているのは、他ならぬあなたです。
あたなが最初にスレ1に登場した直後についたレスをもう覚えて
いないでしょうけどあなたは473、474と連投した後にこんなことを
レスされてます。
悟りを開いたことあるけど何か質問ある?
http://toki.2ch.net/test/read.cgi/psy/1288429092/475 475 名前:神も仏も名無しさん 投稿日:2011/09/17(土) 16:05:08.60 ID:fJaLHKRH
批判よりどうやったら悟れるか聞いた方がいいよ
せっかく悟った人がいるのだから
他者を批判しつづけて十ヶ月のあなたが
>>688のようなことをいうのは、
天に唾するようなものです。
722 :
ろん:2012/07/10(火) 23:44:54.47 ID:Af0LhJ/P
>>720 主体あっても、その意志によってはどうにもならんて。。
あるいは私と言うものはない。。
落ちるとか飛ぶとか妄想しても意味がないし。。
期待や求心は余計、ただそのまま、働きのままにあることによって、余計なものが消えてゆく、心が一つになっていくということ。。
これが瞑想であり、禅だ。。
723 :
ろん:2012/07/10(火) 23:48:43.00 ID:Af0LhJ/P
とにかくなんもわかってない、思い込みと本の受け売り知識しかないのが、もっともらしい文章書いたつもりで、認められよう、尊敬されようとかやっても無駄。。
みんなの鼻つまみ者、単に醜いだけ。。
だから、法を学んで、実際坐るしかないだろう、意味のないことやってないで。。
724 :
473:2012/07/10(火) 23:49:30.92 ID:IFH1mJfF
>>716 その
自分が見出したこと照らしあわせて、どうもamaさんも見出している、
そして、それを自分よりうまく使いこなしている、と思えたからです。
それが私の中に見出されなかったのですね。それは幻想の働きかも知れず、それがないというのは良い事かもしれません。
あなたに見えるものにどの程度の価値があるかはわかりませんが、あなたはそれを大事にすればよろしいでしょう。
他者評価も結構ですが、結局そんな不確かな事より、何らかのきっかけになるかと対話したほうがいいでしょう。
結局あなたは初はテーラワーダをその全体の文脈で捉えられていなかったのです。
そもそも私は自分がその悟りのどの段階にいるとか言っていません。
ただ、それについての話を表現すればよいのです。
自己主張も他者評価も不要です。
725 :
ろん:2012/07/10(火) 23:51:06.35 ID:Af0LhJ/P
>>724 だから、おまえ自身悟ってないのに、どうしてその判断が、幻想かそうでないかわかるんだ?
わかるわけないだろ?
どこまでアタマ悪いのか?
あるいは単に強情なのか?
自分を持たない
価値なんてものは最初からありゃせん
自分を持ってはならないと意識してもいかん
自然体は意識すれば自然体でなくなる
ただ、よくよく気をつける。
これだけでいいんだよ
727 :
473:2012/07/10(火) 23:56:31.76 ID:IFH1mJfF
批判ねえ。
根拠なしのレッテル張りのことですね。
あまり縁がなさそうです。
矛盾を指摘したり、その人のあり方とそのひとの知識を見分けるために対話したり、そんな感じです。
それやると相手は批判してくるんだけどね。
そういう欺瞞が大嫌いでドッカに巻き込まれているというのは自己申告してる通りなので、うん、そうですよ。
それを自分に見ず、他人にだけ見るのが、第一の悟りとは書いてなかったけどね。
728 :
473:2012/07/10(火) 23:59:04.73 ID:IFH1mJfF
>>725 逆にどうしてそれが幻想で無いとわかる?
かもしれないってね。
それに、そのレベルの悟りなら縁がないとは言いません。
いつもの悟ってないとは究極のそれだからね。
会話のルールが違う事わかってるかな。
それも私が持ってるように見えないってのがろんの夢でしょう。
ああ、夢じゃないかもしれんが、473は夢の中なので、わからないんだ。
もしあなたが悟ってたらごめんね。
妙悟は心路を窮めて絶せんことを要す。
祖関透らず心路絶せずんば、
尽く是れ依草附木の精霊ならん。
>>625 > というわけで、4つの階梯があなたの留意と目覚めの方向に働きますように。
ありがとう。でもそれは悟りには役に立たないでしょうね。
731 :
473:2012/07/11(水) 00:00:27.31 ID:MYA2M4wc
結局あなたは最初はテーラワーダをその全体の文脈で捉えられていなかったのです。
これ、幻想じゃないしね。
732 :
ろん:2012/07/11(水) 00:01:40.76 ID:Qex7I/QP
>>728 いやいやお前は、チラとも見たことがない。。
チラとでも見れば、あなたみたいな妄想人間にはなれない。。
もっとまともなこと書くだろう。。
734 :
473:2012/07/11(水) 00:03:48.72 ID:MYA2M4wc
473は悟っていないといいながら悟ってるかもしれない。
ろんが悟ってるんじゃないならこういうどんでん返しもある。
473は悟ってないといってるんだけどね。
732みたいにあらかじめ決め付けると、ろんが悟ってない場合、悟れなくなりますね。
この喧騒が建設的な方向に動く気がしない。
長文でスレが埋め尽くされるだけのような。。。
指摘したのだから、それが指摘対象の中で芽になり、花が咲くまで待つのもありなのでは?
736 :
ろん:2012/07/11(水) 00:05:39.55 ID:Af0LhJ/P
>>734 はっきりわかるものだから、かも知れないとか言わないの、見たら。。w
473は何度自作自演を失敗してるんだよ・・・。
そこまでして自己の信仰を維持したいのか・・・。
久しぶりにあきれたわ・・・・・・・・・・・・・・・wwwwwwwwwwwwwwwwww
738 :
473:2012/07/11(水) 00:06:53.88 ID:MYA2M4wc
夢の中なんだから
批判を受け入れてもその解釈は夢にねじまがり
批判を受け入れなくてもその解釈は夢にねじまがる
だからいかに自己イメージ、他者からのイメージの影響を脱するか。
目覚めているか。
ある一定の理解(上で言われている預流果)を超えたら、
自分でわかるし、超えた人同士も会話を見てればわかるもんだよ
740 :
473:2012/07/11(水) 00:14:19.81 ID:MYA2M4wc
いや、それ、わかった風な事いう人が独り増えただけ、、
偽物であったばあいその人はどんな風にわかるか
本物の場合そのひとは前者とどう違う感じ方をし、表現するのか。
説得力のあるやつを頼む。
739とか何もいってねーのと同じじゃねーか。
カラスは黒い。普遍のイメージ
それを真ではないと言うのは、たやすい
しかし、疲れんか?なのそれ、おいしいの?
少しは休め
>>740 達していない人には何を言っても理解はできないんだよ。
何をどう説明しても疑問しか出てこないの。
自分で達するしかないんだよ。
743 :
473:2012/07/11(水) 00:18:08.07 ID:MYA2M4wc
リアルで会話したら10分で終わりそうなんですけどね。
2ちゃんならではの誤解が楽しめます。
批判を受けるたびにいろいろ新鮮なネタが出てくるのでなんだかんだいってやめられない。
騒動は続いてるけど、話題はころころ変わってる。
>>743 もういいかげん、大人しくすれば?
いくらやっても満足しないよ。
腕が痒くて掻き始めて、痒いとこ広がって、全身が痒くなってどうしようもなくなったみたいな感じw
745 :
473:2012/07/11(水) 00:21:43.77 ID:MYA2M4wc
>>742 そうかね。
達したなんていう人は誤解している可能性が非常に強い。
疑問しかわかない状況のほうがそれは方便として機能している。
達して理解したというのが殆ど偽者なんだから危ないんじゃないの。
達してたら理解もないのでは?
本当に達するというのは正にその人だけのものであり、孤独なものだというのはある。
認められても認める人がそこまで達してないのじゃどうしようもない。
746 :
473:2012/07/11(水) 00:23:13.32 ID:MYA2M4wc
休めってなあ。
テレビ見たり長電話するのと違いがわからないけど。
まあ、そろそろ悪乗りしだしたので。
>>745 ここであなたと議論するつもりはないよ。
そんなことは無駄じゃないか。
あなたも気づけばいっぺんにわかるよ。
748 :
473:2012/07/11(水) 00:25:55.01 ID:MYA2M4wc
>>747 おやおや、せっかく何もわかってない事がわかるかもしれないチャンスを。
>>724 amaさんや私の悟りを幻想と思いたいなら、それはそれで今のあなたに必要なことで
しょうから続けなさい。そして、いつかはそれが幻想でないことに気づくでしょうから。
悟りは気づきです。それは誰にでも訪れる可能性があります。そういうものです。
> 結局あなたは初はテーラワーダをその全体の文脈で捉えられていなかったのです。
前にも言いましたが、あなたから悟りについて教えてもらうことは何もありません。
般若心経の一偈ですらまともに話せない今のあなたでは、最初の果がどんなもので
あるかすら把握できていないです。ましてその全体像の把握など到底無理です。
>>748 > おやおや、せっかく何もわかってない事がわかるかもしれないチャンスを。
それはあなたに必要なことです。無知の知は悟りが教えてくれることの一つですよ。
みんな何の話ししてるの?
難し過ぎて分かんない。
今日は雲がキレイだったよ!
悟りスレで燃料投下(挑発)してどうするんだか。。。
悟りの前に大人になれってリアルの生活で指摘されてそう。
いろんな人が。
>>743 あなたが初登場したときに、10分間考えて最初のアドバイスを受け入れていれば、
ひょっとしたらいまごろはこっち側にいたかもしれません。
475 名前:神も仏も名無しさん 投稿日:2011/09/17(土) 16:05:08.60 ID:fJaLHKRH
批判よりどうやったら悟れるか聞いた方がいいよ
せっかく悟った人がいるのだから
十ヶ月もたっても相変わらずの人が、10分で終わるとは到底思えません。
754 :
473:2012/07/11(水) 00:33:31.89 ID:MYA2M4wc
異なる、夢
これを過小評価してはいけないかもしれない。
蟻が象になる事もありうる。
他人の夢はあまりに違ってるかもしれないし、自分の夢を見ているとそれがわからない。
達するとか達していないとか
優れているとか優れていないとか
俺は悟ってるから、あんたより優れているんだよ
書いてなくとも伝わる
たぶん、それじゃあ抜けられんと思うよ
>>752 自分のエゴに気付くイイチャンスかもしれませんぞ
>>756 そうかもね。
でも、わざわざエゴを膨らませる誘導をしなくてもいいのに。。。
758 :
473:2012/07/11(水) 00:41:29.20 ID:MYA2M4wc
違う夢、違う価値観から投下された批判を、
自分の夢で解釈して自己批判して傷ついているのか?
もし自分と同じ夢の人から批判されたらそれは一大事、本当に自分が不注意な証拠だから、深刻だ。
ああ、
ゆ め の な か に い る
しかもこの夢自分のなのにろくでもない働き。
758さんのID面白いね。Aを足したらMAYAだよ。
760 :
473:2012/07/11(水) 01:09:25.93 ID:MYA2M4wc
>>756 実際のことろ異なる夢の住人の他者の言動は予測できないのに、予測できると思っていて、
予想外の事がおきると傷つく。
>>404 あなたは探り求めすぎます。
探り求めようとすると、あらかじめ予期したもののみしか、
あなたの目には入らなくなります。
あなたの中で意識または無意識に想定されたシナリオ、
もしくはそれに近いもの、そんな予定調和があなたの
活動ですが、そんなものは探求とは言いません。
それは敷かれたレールの上を走るようなものです。
しかし、悟りはレールの上ではなく、あなたの中にあるものです。
OHSOからもクリシュナムルティからも、あなたの憧れ、尊敬する
人たちの教え(レール)の中から悟りを得られることはありません。
この点では、amaさんの
>>666の指摘は当を得た指摘です。
悟りに求めていらっしゃるものがありますよね。
悟るとこうなるはず、というのがおありだと思います。
あなたの繰り返しの原因は、これです。あなたは予期し過ぎなのです。
> 瞑想といわれるものを悟りと名づけると、おそらくそこで探求が
> ストップしてしまうでしょう。
是非ストップさせてください。全部止めちゃってください。
763 :
473:2012/07/11(水) 01:20:25.37 ID:MYA2M4wc
>>760 驚くだけじゃすまないみたい。
深く感情面で同化してるんだと思う。
例えば、空気読めてなくて、磔になって処刑されるとして、
驚くだけで済んだら相当。
普通傷つく。
だけど、驚くだけですまない私ってなんか笑っちゃうね。
>>763 そこで傷つけない人は嘘つきだと思う。
傷つくことに同化しなくてもいいけど、
傷ついてることには変わりない。
765 :
473:2012/07/11(水) 01:23:21.33 ID:MYA2M4wc
>>666の指摘
それ指摘じゃない。AMAさんの自分の悟りへの態度の告白。
でなければ、相手になすりつけたも勝ち。
そういう指摘は相手の言動の部分を抜いて、これはこういうことですよねといわなければいけない。
他にどうしようもない。
473はこういうけど、それはわかってないからで、わかってる人はこういうんですよと、
わかってる人は言えるのです。
473はいつもそのスタイルで指摘しています。
だから他者にレッテルを貼る必要がないのです。
766 :
473:2012/07/11(水) 01:25:30.26 ID:MYA2M4wc
大体473は自分自身のことを語るとき、悟りという単語は使わない。
悟りという言葉は他者との会話用で自分用のものとして使ってない。
どうやって求めるのかね。
767 :
473:2012/07/11(水) 01:27:36.33 ID:MYA2M4wc
>>764 痛がる事はないけど、傷ついてもいいのでしょうね。
うん。ありがとう。
768 :
神も仏も名無しさん:2012/07/11(水) 01:29:09.82 ID:VKVjVUoO
なんか、異様にスレが進んでるなwwww
大勢の覚者さんが、473をいじめてるのか?wwwww
769 :
山頂:2012/07/11(水) 01:30:36.05 ID:UieO8SML
>>1 質問あります。
竹島は日本の領土と言い切れますか?
尖閣諸島は日本の領土とと言い切れますか?
一宗一派に拘わる人はたいへん
生きにくい時代になっています。
「人を責めは敵を作り、人を褒めは友を作り」
という尺度から、
すべての因果関係は分かります。
>>766 分からないものをどうやって求めるの?
会話用であれば、会話する相手に合わせればいい。
会話してる相手の話を良く聞いて、悟りをどういう意味で使ってるのか知ろうとし、理解して、相手が使用してるように使用すればいいだけ。
>>755 彼の優位に立とうとしました。それは確かです。
自尊心からくる火で身を焦がしながら書いてました。
我が強くなると火も強くなりますね。
772 :
ろん:2012/07/11(水) 01:32:21.54 ID:Qex7I/QP
>>766 自分の発言に意味がない、とは気づかないのだろうか?
それらにまだ価値があると思い込んでいるのだろうか?
憶測、知識、思い込み、思考、これらは全て妄想だよ。。
われわれは、本当の意味では、何一つ知ることができない。。
知る=主観に過ぎないから・・その中にいるうちは、悟りは訪れようがない。。
自分でいっぱいいっぱいの人のところに、それが入ってくることなどあろうか?
自分を虚しく空じているところにのみ、それが入ってくる可能性があるのに。。
オショー・タロットで、マインドのカードってあるだろう、あれがあなただよ。。
773 :
山頂:2012/07/11(水) 01:32:24.90 ID:UieO8SML
仏教では、万法をすべて一に帰すと講じ、
道教では、元を抱いて一を守ると講じ、
儒教では、中を執りて一に貫くと講じ、
キリスト教では、黙祷して一に親しむと講じ、
イスラム教では、真を清めて一に返ると講じている。
五教の根源は同じ一理によって生じたが、今では各宗各派に分かれている。
各聖者の生まれた時代と土地の違いによって表現に異なるところがあるが、
その根本と実体はすべて一理から流れ出たものである。
774 :
山頂:2012/07/11(水) 01:34:37.62 ID:UieO8SML
「虹は7色」と言ったら、「5色でしょ?」とオランダ人から言われた。
動物行動学者の日高敏隆さんが著書で紹介しているエピソードだ(『動物の言い分 人間の言い分』角川書店)
日本人は、(1)赤(2)だいだい(3)黄(4)緑(5)青(6)藍(7)すみれ、の7色と見る。
オランダ人は、(1)赤(2)オレンジ(3)黄(4)緑(5)青、の5色。
「藍や、すみれ色は?」と聞くと、「それは青が濃いだけです」
考えてみれば、光の色は連続しているので、どのように区分けするかは、
見る人の感覚の問題。
http://uni.2ch.net/test/read.cgi/psy/1313926419/13
775 :
473:2012/07/11(水) 01:40:35.92 ID:MYA2M4wc
>>770>amaさん
>分からないものをどうやって求めるの?
それを言い出したamaさんに質問中。
そう、そしてその会話に参加してない人が異なる意味で取って473に指摘してくる。
473は傷つく。傷つくのは、760というわけです。
amaさんもとんだ人たちに支持されてますね。
amaさんの悟りは基本的にあるタイプの人たちに誤用されやすいものかもしれません。
amaさんそれでも続けますか?
>>768 大笑いです。ほんとおかしいんだけどそれwww
776 :
ぐらふ・アハサン ◆5Binta/bcg :2012/07/11(水) 01:41:39.60 ID:6g+S5DZZ
>>667 A ちゃん
メシを喰わなきゃ死ぬよ、そりゃ、誰でも・・・
ただ、喰うために生きるのではなく、生きるための喰う。
植物は、太陽光を食って、生き、
草食動物は、植物食んで太陽エネルギー喰い、
肉食動物は、草食動物を喰い、太陽エナジーを喰い、
雑食動物は、それらを残らず喰って、太陽の熱をからだに取り込み、太陽となる。
777 :
神も仏も名無しさん:2012/07/11(水) 01:41:44.33 ID:VKVjVUoO
つまり〜〜〜、
「473は達していない」
「473は分かっていない」・・・・別にいいんじゃねえの?www
何か不満なのか? >473www
(っと、 これまた、ま〜〜〜〜〜〜〜たく「達しっていない」俺は
思うんだがwwwww)
>>765 あなたが
>>765でやっていることは、まさに
「自分のシナリオに逃げ込む」
ことですよ。
>>765の↓のように読めるのは、あなたのシナリオだけです。
> それ指摘じゃない。AMAさんの自分の悟りへの態度の告白。
> でなければ、相手になすりつけたも勝ち。
>>666は普通にあなたへの指摘(優しく言えば語りかけ)と読めますよ。
>>775 分からないのは473さんです。amaさんではないです。
amaさんは悟りを使って会話をしています。その中身がなんであれ。
あなたがamaさんと悟りという単語を使って会話したいのであれば、amaさんに合わせればいい。それだけ。
あなたは悟りを別に求めていない。でも悟りについての会話には参加したい。
だから、相手の話にちゃんと真剣に耳を傾ける。
それでいいのでは?
780 :
473:2012/07/11(水) 01:46:15.26 ID:MYA2M4wc
>>772 意味をもたず、価値ももたないように、気をつけて述べています。
それがろんさんにはたくさんあるのですね。
知る=主観に過ぎないから・・その中にいるうちは、悟りは訪れようがない。。
自分でいっぱいいっぱいの人のところに、それが入ってくることなどあろうか?
大変ですね。
>>777 自称達してる方も他称達していない方も、「悟り」に振り回されてるって点じゃ同じだと思うよ。
782 :
神も仏も名無しさん:2012/07/11(水) 01:47:09.38 ID:VKVjVUoO
お! ポったん登場ww
これは、いつもの「知ったかバカろん」攻撃が始まるか?www
783 :
473:2012/07/11(水) 02:11:36.81 ID:MYA2M4wc
>>779 >693
の悟り子さん経由で過去の状況を参照ください。
amaさんの言う悟りの内容についてはそれなりに相互理解が取れてる感じはありますけど。どうなんでしょうね。
要は命名だけの問題。
ブッダと同一化して自分を偽りたいんじゃなければ単に悟りを別の単語に変えればいいんじゃないという話。
というかamaさんとは悟りという単語を使わず話したいという提案なわけなんですけどね。
>>783 >というかamaさんとは悟りという単語を使わず話したいという提案なわけなんですけどね。
こういうところがあなたの課題なんでしょうね。
おやすみなさい。
785 :
473:2012/07/11(水) 02:18:28.03 ID:MYA2M4wc
まさにその通り。
おやすみなさい。
786 :
ろん:2012/07/11(水) 02:21:39.91 ID:Qex7I/QP
>ブッダと同一化して自分を偽りたいんじゃなければ
これが473の本音だろうね。。
こいつは何を言っても無駄だ。。
自分の妄想ザトリと他を比較して、amaさんは悟ってないと。。
amaさんは、もう473の相手はしない方がいいと思うが。。
腹の底で、人を見下して、慇懃無礼、屁理屈を言ってケチをつける・・その繰り返し。。
要は、オショウとか現代のマスター以外で本物はいない、いるはずはないと、それを確かめたいだけなのだから。。
787 :
神も仏も名無しさん:2012/07/11(水) 02:22:38.41 ID:VKVjVUoO
>というかamaさんとは悟りという単語を使わず話したいという提案なわけなんですけどね。
wwwww また、そういう無茶を言うww
「悟り」という表記がもつ、「伝統的価値」あるいは「ブランド的価値」を
知らないわけはあるまいwwww
788 :
ろん:2012/07/11(水) 02:23:30.06 ID:Qex7I/QP
妄執、妄想の塊、まともに相手するのがアホらしくなった。。
789 :
Ope:2012/07/11(水) 02:59:25.72 ID:dg+JLegf
>>769 >
>>1 >
> 質問あります。
> 竹島は日本の領土と言い切れますか?
> 尖閣諸島は日本の領土とと言い切れますか?
いつでも言い切れるキッパリ
> 一宗一派に拘わる人はたいへん
> 生きにくい時代になっています。
昔から、宗派が分かれてたくさんあるところをみると
派閥争いは、やめられないらしい
> 「人を責めは敵を作り、人を褒めは友を作り」
> という尺度から、
> すべての因果関係は分かります。
1つを盲信するところが、おかしいことに気がつかないのだろうか
790 :
Ope:2012/07/11(水) 03:05:13.89 ID:dg+JLegf
>>784 >
>>783 > >というかamaさんとは悟りという単語を使わず話したいという提案なわけなんですけどね。
> こういうところがあなたの課題なんでしょうね。
どういうことだろう?
あなたの割り込む話ではないだろうに
提案を受け入れるか拒否するかはamaさんしだいだろう
>>786 > 腹の底で、人を見下して、慇懃無礼、屁理屈を言ってケチをつける・・その繰り返し。。
> 要は、オショウとか現代のマスター以外で本物はいない、いるはずはないと、それを確かめたいだけなのだから。。
そうは見えないけど
791 :
Ope:2012/07/11(水) 03:15:55.00 ID:dg+JLegf
>>771 > 彼の優位に立とうとしました。それは確かです。
それはある。違いを見せることはある。
動機が違うけれど。
具体的な悟りの現れ方を書いても
あまり、役にたったことは無いな。
792 :
山頂:2012/07/11(水) 03:20:52.66 ID:UieO8SML
>>789 今ほどテンポの速い時代はない。
テレビなどは買っている最中に値下げしてしまうことも珍しくない。
一世紀前はそうではなかった!
1年間に2回稲作を行う所もありますが、
ほとんどは1年間に1回稲作を行います。
今年のやることと去年のやることはそんなに変わらない。
そんな時代背景を思い出して、歴史的事件を考えてみましょう。
1905年1月28日、日本政府は竹島を島根県隠岐に編入した。
1910年8月22日、日本が大韓帝国を併合した。
竹島の日本編入から韓国併合まで僅か5年7月、
竹島の日本編入は韓国併合の第一歩と言ってもいいでしょう。
2011年韓国政府は武力によって竹島を占有していた。
北朝鮮も竹島は自国の最東端の領土であると主張している。
まぁ、主張は自由です。北朝鮮は武力で竹島を占有していない。
おそらく、北朝鮮が武力で竹島を占有したら、
在日米軍の嫌がらせは堪えられないでしょう?
793 :
山頂:2012/07/11(水) 03:21:39.32 ID:UieO8SML
>>789 今ほどテンポの速い時代はない。
テレビなどは買っている最中に値下げしてしまうことも珍しくない。
一世紀前はそうではなかった!
1年間に2回稲作を行う所もありますが、
ほとんどは1年間に1回稲作を行います。
今年のやることと去年のやることはそんなに変わらない。
そんな時代背景を思い出して、歴史的事件を考えてみましょう。
琉球王国は、1429年から1879年にかけて沖縄本島を中心に存在した王国。
1879年日本が琉球王国を併合した。
1895年日本が台湾を併合した。
琉球併合から台湾併合まで僅か16年。
琉球併合は台湾併合の第一歩と言ってもいいでしょう。
琉球王国と台湾の間に尖閣諸島(釣魚島)があります。
その尖閣諸島(釣魚島)は台湾の領土であるか?
琉球の領土であるか?はっきり解りません。
日本は琉球王国を併合し、尖閣諸島は日本の領土と主張している。
台湾は尖閣諸島は台湾の領土と主張している。
中国政府は尖閣諸島は台湾の領土であり、台湾は中国の一部ですから、
尖閣諸島は中国政府の領土と主張している。
在日米軍は尖閣諸島の一部を占有しているから、
台湾も中国もあまり大きな声で言えないのは実情。
794 :
山頂:2012/07/11(水) 03:22:51.71 ID:UieO8SML
悟りを開いたというか、
あんたはまったく悟っておりません!
795 :
Ope:2012/07/11(水) 03:29:55.68 ID:dg+JLegf
>>765 > 473はこういうけど、それはわかってないからで、わかってる人はこういうんですよと、
> わかってる人は言えるのです。
> 473はいつもそのスタイルで指摘しています。
> だから他者にレッテルを貼る必要がないのです。
なるほど
そのスタンスで話をしていたのか
それで、○○はこういっている△△はこういっていると
書いていたわけね
そうすると素朴な疑問が湧いてくる
「わかっている人」というのはレッテルを貼っていることじゃないだろうか
喜んでいる
怒っている
笑っている
泣いている
優劣など何処にあろうか
俺は剣術に優れている、では
両腕がないなら、、、
病に臥すなら、、、
老いていまうなら、、、
死んでしまうなら、、、
それがどうしたというのだ
その人がね、死んでたら、死そのものなら、悟りに段階も深さもないとか
言っていいよ
自分がまだ生きてると思ってるのに、悟りはこれしかない、とか言うから
嘘になる
amaさんは悟りを理解しているし、一瞥もしているでしょう
素敵でまともなことも言います でも、誠実とは言えない
生悟り、無事禅扱いされても仕方ない
>>669 >
>>666 > >般若心経には「不生不滅」とありますが
> 執着は生まれた事もないので消える事もない。
> といってるのでしょうか。
> 非論理的な表現なので突っ込んでも仕方ないかもしれません。
> どちらにせよ執着が保持された状態の事では無さそうです。
> これを持ち出してどうしてamaさんの解釈と同じだと思ったのですか。
執着にせよ何にせよ、生まれることも滅することもないわけですから、
それをわざわざ消さなくてもいいという理解です。
もちろん保持する必要もないでしょう。
仏教を否定しているわけではありません。
>>671 > つまりamaさんは悟りを求めているのですね。
いえ、求めていません。
(というか求めることが出来ない。)
473さんのことを確認しただけです。
ご自身でそのようにおっしゃっていませんでしたっけ?
>>775 > amaさんそれでも続けますか?
このスレッドのことでしょうか?
書き込みがなくなれば自然に終わると思います。
もしくは次スレを立てるのをやめたほうが良いでしょうか?
801 :
473:2012/07/11(水) 08:43:38.49 ID:MYA2M4wc
>執着にせよ何にせよ、生まれることも滅することもないわけですから、
それをわざわざ消さなくてもいいという理解です。
実際にはあるんだから、ある状態で悟りを語るのに無理があるんじゃないですか。
執着があることは別にありふれたamaさんの自己申告ですよね。
そうあることと、知ってる事は別じゃないですか。
たったそれだけの話なんですけどね。そうあるわけではないけど一足飛びの理解で悟りを自称したいなら止めはしません。
>>671 > いえ、求めていません。
さて。少なくとも直近の流れからそう話を持ってくるのにはちょっと無理がありました。
現にamaさんもここからそう取れるとは提示できないわけですよね。
私は求める事ができない人間だ−他人は求めている
そうやって他人はそうなんだと役割を与えてしまうという事はあります。ありふれた投影の働きかもしれません。話が飛んでますから。
そうやって他者をだしにして自己アピールしたがるという言動に見えてしまいます。
そもそも悟りを求めるかどうかという話ですらなかったので、
執着のこってて悟りを理解しているというのに無理があるんじゃないのという
本当にシンプルな話です。
802 :
473:2012/07/11(水) 08:50:38.41 ID:MYA2M4wc
>>795 そういわれるとちょっと違うかも。
あくまでわかってるわかってないは申告する話ではなく、レッテルは貼らない。
ただ、あなたはこれについてこういっているけど、実際にはこうではないのか。
また、あなたが持ち出してるこのひとはこういってるよとか、
どこまでも話しメインです。
過去の人を引用してその人の言動をどうこう言う事はあまりないです。
どうこう言うときは自身の言葉でおこないます。
相手自身がつかってる理論でしたら理論と言動に矛盾があれば普通に使う事もあります。
私はわかってる、相手はわかってないと直接言うどころか匂わす必要も無いと思います。
それは言うほうも言われるほうも目覚めから遠ざかりそうです。
803 :
473:2012/07/11(水) 08:56:44.02 ID:MYA2M4wc
amaさん 801続き
>>執着にせよ何にせよ、生まれることも滅することもないわけですから、
それをわざわざ消さなくてもいいという理解です。
だから悟ってはいないけど、自分なりに悟りはこういうものではないかと思っているという事に過ぎないのに、
悟ったかのように話すのですか?
むしろブッダのこの定義を否定して、執着が残っていようと悟りだと言い切るならあなたの自由なのです。
でもどこまでもそれには逆らわないでわかったような事を言う。この辺女々しいですね。
どこまでもブッダの言う事には逆らわないのに、仏陀の定義する状態とあなたの状態は違うのに、
自身が悟りにあるというスタンスで悟りという言葉を使うのですか?
787でも笑われています。
>>793 >今ほどテンポの速い時代はない。
>テレビなどは買っている最中に値下げしてしまうことも珍しくない。
>一世紀前はそうではなかった!
細かい話だけど、世界で初めてブラウン管を使ったテレビの送受信実験が行われたのが1911年だから
一世紀前はテレビの発売はされてなかったと思うよ。
805 :
473:2012/07/11(水) 09:29:24.72 ID:MYA2M4wc
×だから悟ってはいないけど
○だから執着はあるのに
806 :
473:2012/07/11(水) 09:48:30.37 ID:MYA2M4wc
amaさん
>>800 > このスレッドのことでしょうか?
スレッドは続ければいいのでは。
私は求める事ができない人間だ−他人は求めている
そうやって他人はそうなんだと役割を与えてしまうという事はあります。
取り巻きと一緒に他者に対して優位に立とうとする心理的搾取についてじゃないでしょうか。
求める事ができません?
わざとらしい。いちいちそんな事を主張する事自体が余計な振る舞いです。
変な方向に話題を飛ばしてすいませんで事は終わるのに、そうやって自己防御して印象付けようとする。
求める事ができないならそういったことはどうでもいいのでただ話題を元に戻せばいいのに。
807 :
神も仏も名無しさん:2012/07/11(水) 09:51:53.98 ID:VKVjVUoO
>>800 >もしくは次スレを立てるのをやめたほうが良いでしょうか?
あっれ〜〜〜〜?w
悟りオタ 達から、「俺ってこんなに分かってるぜ〜〜」って
アピールする場を減らしますか?ww
まあ、もう一つ「鬼スレ」があるけど、あそこは、鬼が自分以外の
覚者を認めたの見たことないし、
「馬」っていう強烈なキャラがいて、ぬるいこと言うとボロクソに
叩かれるから、みんなで仲良く悟りごっこするのには適してないと
思うけどねwww
>>771 >自尊心からくる火で身を焦がしながら書いてました。
>我が強くなると火も強くなりますね。
ニカサさんはラッキーですね。
473さんの何がニカサさんの自尊心に火を付けたのか、
その時ニカサさんの心はどう動いたかをつぶさに調べれば
ニカサさんにある、消すべき大きな煩悩のひとつがハッキリしますね。
809 :
神も仏も名無しさん:2012/07/11(水) 10:10:51.85 ID:VKVjVUoO
なるほどww 473と話すときは、消火器 必携ということだなwwww
ここ真近の書き込みにおいて、 俺が473に対しての評価を上げたポイント・・
『打たれ強さ』 wwwww これだけは大したもんだwwww
羨ましいと妬ましいは同じベクトルのものか?
個の集まりと集団は異なるものなのか?
何事も疑ってかかれと言われてすぐさま肯くのは問題があるのではないか?
生命の重みは皆平等という論理を否定するのは聡明か暗愚か?
1番好きな異性と2番目に好きな異性がいたとして、1番好きな異性が遠ざかったら2番目に好きな異性が1番になるのか?
811 :
473:2012/07/11(水) 10:49:07.05 ID:MYA2M4wc
あなたはわかっていない。
という直接、間接の表現があるが、
もし私がわかっていないなら、私は私がわかっていない事もわからないし、相手がわかっていることもわからない。
そう、もし私がわかってないなら相手がわかってる事がわからない。
わかってない事がわかるぐらいなら、もうわかってる。
だから、ただ自覚の作用によってのみ無常は期待できる。
移り変わる事に努力は要らず、我々は移り変わらぬようにこそ努力しているようだから。
だから、473は、相手にレッテルを貼る形で評価しない。
今こういう働きがあなたの中に見えるので気付いたらどうか。ただそれだけ。
473はあなたのこの表現はあなたのこういう本音を出していませんか。
あなたは、あなた自身のこういう言動をどう思いますか。
とただ自分自身に意識が向くように仕向ける。
自分自身が自身の本音を探るように。
わからない人がわかる人がわかってるとわかるはずがないのに、私はわかっていると印象付ける。
されるほうはまさに混乱を与えられているようなもの。それを言う人の内部葛藤をそのままくれてるんだから当然だけど。
だから私ーあなた、の関係を感じさせるように述べると混乱はただ増えるだけ。
わたしーあなた、でなく、自身の夢におのおの気付く。
ここに落ち着こうではないですか。
812 :
473:2012/07/11(水) 10:52:15.28 ID:MYA2M4wc
話のきっかけはわたしーあなたです。
さもなければ会話は起こりえません。
しかし、最終的にどこに落ち着けるかです。
仮として生まれた、わたしーあなたは、最終的にもとよりさらに静まる。
最終的にもとより静まってこそ、会話の意味もありましょう。
要するに私スタート?
てか、レッテル貼ってないていってたけど概念ーラベルーレッテル
なしに人間同士会話成り立つのかな?
全部あれそれこれで話さなくちゃに、ならない?
レッテル貼ってないてレッテル貼ってない?
814 :
473:2012/07/11(水) 12:48:45.95 ID:MYA2M4wc
>要するに私スタート?
完全に仮のものか、それに深刻か、おのおの違いはあれど、それはそうでしょう。
>概念ーラベルーレッテル なしに人間同士会話成り立つのかな?
語られている事に注視して他者評価でそれを捻じ曲げないぐらいの意味かと。
概念やレッテルを使って話を盛り上げるのはいいですけど、仮のものである一種の軽さを忘れてはならないと思います。
批判も賞賛も危ない。悟りの段階というものはない。だから悟りの段階という。
あると思うと、落ちる。
ほめられるほうも危険なのです。
>>814 自身の夢とかレッテルとかなんでもいいけれど、一つだけ確かなことがあります。
あなたの「行動」です。
これだけ2chに入り浸ってどうするの?
そんな時間があったら他のもっと素敵なことが出来るだろうに。
エゴが肥大してるので、少し休んで自分を見つめる時間をもっと多くすれば良いと思うよ。
817 :
473:2012/07/11(水) 15:55:35.64 ID:MYA2M4wc
>amaさん
473 執着がないことを悟りと名づけているのが本来の語法では?
ama 悟りに求めてらっしゃるものがりますよね
え?執着がなく当然求める事もないという状態に悟りというただの言葉を当てはめるという作業をしてるだけですけど。
446でもその内容でしたし。一体どこからその話が出てきたのでしょう。
かなり無自覚に473を捻じ曲げ、書いていることに対応できていません。
求める事は執着の類似系なので、求めるという事は提示した執着がないという状態とかけ離れている。
話題がとんだ。
じゃあ、その求めるという事はどこから出てきたの?
473の提示した話題の中にそれがないなら本人が抑圧してるものの投影以外ない。
amaさん自身の執着じゃないでしょうか。
執着があるのは別にいいのですが、求めるという事と執着にたいした差はありません。
悟りに執着しようと、他のことに執着しようと、「執着である」のです。
それは「求める事である」ということと中身において大差はありません。
表層意識で求めないという体験をして、無意識は相変わらず執着があり、当然求める事もある。
それは巧妙に他者に転嫁される。
露骨にやる人が多い中あなたは上手にやってるのではないでしょうか。
という話もあるのですが、元の話は、それに悟りって名づけるのはいわゆる人が連想する無執着の状態を悟りって名づける事と矛盾するよね。
と、そうあるわけではないのに、理解、推測で悟った気になってるのですか。
という事です。
>>468 >友情とは依存です。愛情も依存、2chへの書き込みも依存
自己も依存です。強弱ありますが他にも依存対象はいっぱいあるでしょうね
・なるほど、ある関係性を通してしか体験できないことがありますね
依存と非依存もその一つでしょうね
>>470 >執着とは何か?
考えてもいいかもしれません
・ある特定のことに心が囚われることでしょうか?
あるいはその囚われにより体験する苦しみかもしれません
あと、執着には執着対象を失うことに対する恐怖があるように感じます
>>471 >「友情」とはなんでしょうか?
>どのような状況においても愛を与え、愛を受け取ります
・私達がお互いに送り合う愛以上に重要なものは何も無いのかもしれませんね
それ以外のことは全て瑣末なことなのかもしれません・
>>522 でわ悟り子も漫画で読んだどうでも良い話を一つ
僧:迷いは晴れましたか?
Aさん:まだまだ
10年後
僧:迷いは晴れましたかな?
Aさん:まだまだ
30年後
僧:あんた、たんに働きたくないだけなんじゃ...
Aさん:!
覚者A:私は存在しない、全ては幻想でありよって執着も存在しない
覚者B:私の他には何も無い、全ては現実でありよって執着も私に他ならない
ただ「これ」があるのですね・
823 :
ろん:2012/07/11(水) 18:47:28.57 ID:Qex7I/QP
>>801 執着があるのに悟りを語るのに無理がるというが、
その根拠はいずこに?
経典のどこかに書いてあるのか?
824 :
473:2012/07/11(水) 19:06:16.45 ID:MYA2M4wc
>amaさん
473 執着がないことを悟りと名づけているのが本来の語法では?
(ここでは悟りはただの言葉に過ぎない)
ama 悟りに求めてらっしゃるものがりますよね
ama もし悟ったとしてもそれがどういうものかは
「もし悟ったとしても」、これもどこから来たのでしょう。
473はある状態に悟りという言葉をあてるという話をしているだけなので、悟りというものがあるとは提示していません。
遠まわしに悟りというものはありませんと言っています。悟りという言葉はあるので、どう使うかという事でした。
「もし悟ったとしても」というのはamaさん自身の悟りへのイメージ以外出所がないのです。
「この概念に悟りという言葉を当てるかといっても、悟りにこの概念を連想すると473は言ってないですから。」
amaさんは悟りという言葉にこの場合特定の現象を連想させています。
473は、他者が客観的に判断しやすい次元で、こういう状態にこういう名前がついているよねという次元で話をしているだけです。
今回473はそもそも悟りというものがあるとすらいってないので、amaさんは誰と会話してるのかなあと。
amaさん自身が悟りという言葉に概念を連想しているのに473がそれをしているといわれてちょっと混乱してしまいました。
ある種辛辣ですいませんが、自我は自分を騙そうとします。
目覚めの一瞥を受けた後自我に騙されて歩みを止めると非常に魅力的な表現をするようになるのですね。
あなたに罪はないが、影響を受けかけた473としてはあまりゆとりがない。
825 :
473:2012/07/11(水) 19:39:22.40 ID:MYA2M4wc
>amaさん
824補足
遠まわしに悟りというものはありませんと言っています。
遠まわしということは、つまり。
「悟りというもの」とは、悟りという言葉に連想する個々人の自我が作り出す概念であるという事です。
それは厄介な自我の一部に過ぎないとそういうことです。
執着のない状態であるという悟り「というもの」は執着である自我が作る想像で存在しえません。
それと違って、執着のない状態が悟りと名づけられてるんじゃないのとは、平常の会話の次元です。見栄と自己顕示の次元です。
826 :
473:2012/07/11(水) 19:53:42.28 ID:MYA2M4wc
>>822 >覚者B:私の他には何も無い、全ては現実でありよって執着も私に他ならない
誰の言葉ですか?文脈で捉えないとこういうことだと意味がとりきれませんがこのフレーズだけで感じることを。
前半は個人と全体の境界がないことを同じことを違う言葉で表現してるようですが、
後半部分、私のほかに何もないなら現実とそうでないものの区別はつかないので現実とはいえないですし、特定の部分への執着も起き得ない。
特定の、体への執着はこの場合消滅しているわけで、私たちの知る意味での執着があっても、というような意味には取れません。
前半は語られてきた知恵、後半は覚者でない人の想像でかかれたものに思います。
全体への執着はいわゆる執着とは性質が違います。それが最後の執着とも聞きます。
その執着すらない覚醒者でも、全体性への執着を方便で表現する事はあるでしょう。
それにこれがamaさんと言うのでしょうか。
無意識の個への執着や様々な恐怖を、表層自我がうまく覆い隠しているという人間の平凡なありようを
かれは余すことなく表現しているように思いますが。苦しみに逆らう苦しみという無知から逃れて、あとは既存の自我を保全した安全運転。
(でもそれができるためには、一度目覚めていなければ、できないと、、、、目覚めの後こそ自我が復権しようとし堕落する一番危険な場所。
そうしつこいぐらい言われている。)
473は
執着をなくそうとするのは執着の働き、執着があっていいというのも執着の働き。
純然たる目覚めが無常に身を投げる鍵ではないかと、謎をかけておきます。
827 :
473:2012/07/11(水) 20:01:21.44 ID:MYA2M4wc
>>822 でも、久しく忘れていた、全体性への執着という概念。
第6の次元といわれるので、無といわれる第7の次元より我々には身近かもしれません。
執着がなくなる前に、範囲の限定が解除されるほうが先かもしれませんね。
828 :
473:2012/07/11(水) 20:07:42.23 ID:MYA2M4wc
>>822 ちなみに、全体性を知らなくても、
「あ、これ、普通の人が想像で書いている。」
という部分は普通の人でも見抜けます。
体得してない真理については当然語れませんが、自我が知らない事をいかに語るかという事は自分の詐術を克服するにつれ見えてゆきます。
829 :
ろん:2012/07/11(水) 21:01:27.71 ID:Qex7I/QP
ポッタンよりひどいアラシだな。。
見栄と自己顕示、自己アピール・・全部473そのものではないか。。ww
自己投影と言いがかりでなくなんだろう?
830 :
ろん:2012/07/11(水) 21:03:22.01 ID:Qex7I/QP
しかも朝からずっと言ってる。。ww
なんと言う妄執だろう。。
恥ずかしくないんだろうか??
810:神も仏も名無しさん :sage:2012/07/11(水) 10:18:11.58 ID:VPi1xL52
羨ましいと妬ましいは同じベクトルのものか?
個の集まりと集団は異なるものなのか?
何事も疑ってかかれと言われてすぐさま肯くのは問題があるのではないか?
生命の重みは皆平等という論理を否定するのは聡明か暗愚か?
1番好きな異性と2番目に好きな異性がいたとして、1番好きな異性が遠ざかったら2番目に好きな異性が1番になるのか?
>>831 810:神も仏も名無しさん :sage:2012/07/11(水) 10:18:11.58 ID:VPi1xL52
>羨ましいと妬ましいは同じベクトルのものか?
評価を行うスクリーンの大きさに依る。かな?
>個の集まりと集団は異なるものなのか?
個々が同じ思想、同じ係数を持つかに依る?
>何事も疑ってかかれと言われてすぐさま肯くのは問題があるのではないか?
疑いつつも肯。が出来るので、バッファリングすれば吉?
>生命の重みは皆平等という論理を否定するのは聡明か暗愚か?
全ての事象が等価ですね。
>1番好きな異性と2番目に好きな異性がいたとして、1番好きな異性が遠ざかったら2番目に好きな異性が1番になるのか?
主観に依る。
遠距離に酔う人も居ますよ?
(´・ω・`)問答好きよねー
>>811 > だから、473は、相手にレッテルを貼る形で評価しない。
以下はあなたの過去の発言です。これはレッテルですよね。
>>486 > だから互いの評価が互いに最低なのは自然な規定路線
>>780 > 自分でいっぱいいっぱいの人のところに、
あなたは自己に迫る問いかけをされると、相手にレッテル貼ってます。
レッテルを張ることで、相手を避け、自我を守る傾向があります。
それは、あなたが
>>133でいうとおり、あなたの本音の感情だからです。
>>133 > みな自分の本音で感情が動きます。自分がこころから正しいと思うように感じ、
> 生きているだけです。
言葉はいくらでも誤魔化せますが、感情は誤魔化せません。
結局、あなたは、そのときどきの自分に素直なままです。
あなたは他の人から「博識なスピリチュアルリーダー」とでも見られたいので
しょうが、その試みはどのぐらい成功しましたか?
一度、あなたの足跡であるこのスレを振り返ってみてはいかがですか?
>>808 > 473さんの何がニカサさんの自尊心に火を付けたのか、
> その時ニカサさんの心はどう動いたかをつぶさに調べれば
火をつけた火種より、薪である己れをどうにかしないと、ですね。
> ニカサさんにある、消すべき大きな煩悩のひとつがハッキリしますね。
瞋恚・・・そんな呼ばれ方をします。確かに大きな煩悩です。
835 :
473:2012/07/11(水) 22:30:01.71 ID:MYA2M4wc
> だから互いの評価が互いに最低なのは自然な規定路線
これは客観性で、主観的な一方的なレッテルの張り合いを俯瞰して、
そしてそれに深刻にならぬようそくしていますね。
主観でそう感じてしまうのは我々の現実です。
互いにそう感じてるんだけど、互いに夢なんだろうから深刻にならないほうがいいし、
これを表現すると水掛け論になって時間の無駄なんですよ。
他者評価より、トピックについて深く意見を交し合おうという事ですね。
> 自分でいっぱいいっぱいの人のところに、
いうまでもなくろんちゃんの発言です。
自他の精神、自我の詐術を見抜くのが目的だから、博識と思われるのではなく、
自我が自分を守ろうとする際のあらゆる反発を受けるでしょうね。
自分の受ける影響を感じて、他者を鏡として自分を見て、また他者を観察してそれについていろいろな見識がたまりました。
基本473は悟りでないもの、自我のトリックへの注意を語るだけですから。
偽りを偽りとして知れば真実は明らかになる。
836 :
473:2012/07/11(水) 22:39:16.70 ID:MYA2M4wc
結局、あなたは、そのときどきの自分に素直なままです。
いい事じゃないですか。
偽るのはよくないですけど、単に出さないほうがいいことはありますよね。
出したら帰ってきてその結果どういう気持ちになるか。
穏やかなふりはしなくても、怒りを表出させる事もない。
133の意味は、無意識で怒りがある人は、無意識は怒りは正しく、怒りには利益があると思ってるから怒るのだと。
表層意識の知識やまた理性の無力さを示唆したものですね。
837 :
473:2012/07/11(水) 22:40:49.41 ID:MYA2M4wc
レッテル張ると、無意識の好感や敵意が強化され固着しちゃうんですよ。
それはしないほうがいいかな。
かといってそれで評価している本音が消えるわけではない。
>>800 ここは続けるのが宜しいでしょうが、もし、amaさんが去られても幾人かは
残られる気がします。
ただ、法をまともに扱える場や人は少ないのが現実ですので、amaさんには
留まって欲しいです。
839 :
ろん:2012/07/11(水) 22:58:11.67 ID:Qex7I/QP
実は前から思ってたんだが、473は僕の知ってる、某サニヤシンじゃなかろうか。。
ミクシィで知り合って、マイミクになったんだけど、うざいからちょっと前に切った。。
HPあるし、スピリチュアル・カウンセラーみたいなことやワークショップみたいなことやってるやつ。
人に教えてやる調子で長文書く、その文体がそっくりなのだけど、ちがううかね〜?
>>835 > > 自分でいっぱいいっぱいの人のところに、
> いうまでもなくろんちゃんの発言です。
不覚。てっきりあなたがろんさんを揶揄したのかと思ってました。
ろんさんをいっぱいいっぱいとは473さんにしては妙な表現とは
思ってましたが、逆なら納得です。
>>834 >瞋恚・・・そんな呼ばれ方をします。確かに大きな煩悩です。
あら、名前を付けましたか? 何かもったいないですね。
この473さんはレッテルを貼らないと言ってるけど貼ってますよそこかしこで。
今はamaさんに貼ってますね。
そして概念と言うことを都合良く解釈してその都度変化してることにも気づいてないですね。
名前忘れたけど鬼スレに一時期いた浄土真宗の息子と似たようなもんと推測します。
縁起に依り触らなければいずれ消えていきますよ。
みんなして触るのは彼の思う壷ではないかな。
843 :
ぐらふ・アハサン ◆5Binta/bcg :2012/07/11(水) 23:31:43.51 ID:xu6yWXy8
>>829 ソレダァ!!(。・_・)/=============∋−圀→ロンッ!!
> ポッタンよりひどいアラシだな。。
糖質だろ、おまい!
>>835 > 主観でそう感じてしまうのは我々の現実です。
いいえ、それはあなたの現実です。他の人の現実ではありません。
あなたは自己を守ろうとするときに相手に取引を持ちかける傾向がありますね。
例えば
>>775ではamaさんにこう取引を持ちかけています。
・473は被害者 ← 自分で蒔いた種を刈り取っているだけです
・473を認めて欲しい。そうすればamaさんを認めるから。
・473を攻撃する人たちは、全部悪い奴(レッテル貼り)
・そんな悪い奴らではなくて、473を選びなさい
・473を選ばないなら、スレを放棄しなさい
・放棄してくれれば、473が逃げ出した形にならず473の自尊心は守られるから
こう書くと酷い有り様ですが、自尊心を守るためにもっと酷いことをする人は
たくさんいるので、まだかわいいものです。
そして今度は
>>835では「お互い不干渉で」という取引しようとしてますね。
でも私のいる現実は
>>535や
>>617のようにあなたも私も同じ水面にいる現実です。
あなたが揺らげば私も揺らぎ、私が揺らげばあなたも揺らぐ現実です。
不干渉ではいられないのです。あなたは私であり、私はあなたですから。
あなたの世界観では、客観と主観は区別されているようですが、同じ水面の上
では、その二項は対立しえないのですよ。同じ水面に主客はないのです。
846 :
473:2012/07/11(水) 23:40:52.69 ID:MYA2M4wc
本人の言動を詳細に捉えようとしているだけで、こうだという決め付けはしてないように思いますが?
むしろ473はamaさんといわずあらゆる人のレッテルを剥がそうとしてるんですけどね。
レッテルは、貼っても、貼られても尊敬も軽蔑も自我に力を与えます。真に受けない覚醒が不在なら。
>>846 > むしろ473はamaさんといわずあらゆる人のレッテルを
> 剥がそうとしてるんですけどね。
そんなことは出来はしないからお止めなさい。
例え、仏陀が十度、473さんのためにその身を焼いたとしても、
473さんの一番小さな苦ですら取り除けないように。
848 :
473:2012/07/11(水) 23:53:56.08 ID:MYA2M4wc
>>844 その認めてもらうという発想があなたの住んでる世界なんですよ。
話がつながらないというのはつらいと473は言う。認めてもらうなにも共通認識がない人間に認めてもらってどうするのか。
私の悩みは事実である共通認識の欠如に嘆いている事だから。それが775なんだけど、あなたの次元で読むと844。
844はそんな他者の承認欲求の世界に人を巻き込んで、一緒に認め合いたいのですか?
amaの自己欺瞞はあんまり見たくないというだけですねえ。
認めてもらうという働きが自我のものですし、大体彼に473の何がわかるのですか?
彼の夢の中で473がどう映ろうと、彼の問題です。
互いに眠りが同程度覚めていれば共感があるでしょう。
不干渉?
積極的にトピックについて意見を交わせばいいではないですか。
あなたは経典の特定の形にこだわらず、他の形で自分を表現できますか?
本当に体得してるのなら他の形を一方的には批判しません。
懸念を表しつつも、この方向で表現でき、進めるのではというあなた独自の表現も併せて可能なはずです。
849 :
無しよ:2012/07/12(木) 00:04:56.97 ID:TD/lVTPm
ふと思ったんですが…
473さんとノスタルジアさんて、正反対のベクトルなんだけど
そっくりに感じるのは私だけでしょうか?
なんつーか、狂気と偏執とたまにまともなこと言う割合とか
単なる印象にすぎません
つまり、ちょっかいともいう
850 :
473:2012/07/12(木) 00:10:37.05 ID:jcQN7P3C
きっちり共通要素を抜き出して自分のこととしても考察するのは敏感さだけど、
人間丸ごと同カテゴリにくくろうとするのは自我による、不可解な物事を無理やりにでも区分けして
安心しようとする働きかもしれませんね。
ある基準ではそうかもしれません。
本当にそうかもしれません。
事実は全然違うかもしれません。
851 :
無しよ:2012/07/12(木) 00:47:13.52 ID:TD/lVTPm
>>850 せっかくレッテル貼って協力したのに…
私のことなんかどうでもいいんです。鏡なんですから。
ムッとした!くらい言ってください
頭使って他人の正しい分析してる場合ですか(←分析はやはり正しい←試し斬りか)
「どのみち誰も踏まれない」の意味が分かりかけてきたぜ…くっ
>>842 もしかして、浄土真宗の息子さんってノスさんですかね
書き込んで更新かけたら先に言われてた(笑)
なんというシンクロなんだ
久しぶりに本気で怒ったせいで幻想見たよ
この世は1つに帰す、じゃなくて既に1つだった
この世はブラフマンだけだった
部分的なものが気体→液体→固体のように姿を変えてるだけで
輪廻転生は、この世の中で当然のように行われる
悟りとは、この世の流れに止まることで、見えないものが見えるというもの
涅槃は部分的な我(アートマン)が反乱分子となり静寂の空間に移ると思われる
一瞬だが壮大な夢だったw
amaさんの言い分はamaさんが行わないと意味が無いというか、なんでソコに興味が沸かないのだろう?
あと、悟り自体はオカルトな事ではなくて、憲法からでも心理学からでも辿れると思うのですが、この辺りを争って頂けるとROMとしてもうちょっと楽しめるのですがw
精神的疾患を薬に頼るのは、周辺環境の不条理を社会的な事情で整理できないからで、この辺考えると悟りを得たとしても個人的にはいいこと無いと思います。
>>850 共通認識が数式にあたるのか係数にあたるのか迄は解らないのですが、見当たらないのは淋しいですか?
>>829 アラシの一番の対象方法はスルーだよ。
ろんさんが火つけたんだから、しっかり自分を抑えてスルーしてね。
そしたら、他の人もスルーするようになるから。
それが、473さんの一番のためになるし。
>>806 > 私は求める事ができない人間だ
いえ、そういう意味ではありません。
悟りには何も求めることが出来ないという意味です。
言葉足らずですみません。
>>817 > 求める事は執着の類似系なので、求めるという事は提示した執着がないという状態とかけ離れている。
ごめんなさい。
私の勘違いでした。
別の執着のことだと思っていました。
おっしゃるとおり、悟りに執着があると悟れません。
厳密には、執着や期待といったものが悟りの直近まで私を連れて行ってくれますが、
(執着があるから一生懸命修行するとかとか・・・)
最後は捨てる必要があります。(捨てざるを得ない。)
悟りに何かを期待すると、肩透かしを食らうでしょうね。
で、amaに執着があるのか?
というご質問だったと思いますが、悟りに対する執着はないです。
もっと言うと悟りは実体がなく執着できる代物ではないのですね。
一方、もっとゆっくり出来る自分の時間が欲しい、という執着は結構強いです。
あと麺類もやばいです。
何もないと思っちゃいけないよ
一つのものだけは確実にある
我々はその一部さ
あるといえばある
思考に執着しちゃいけないよ
俺は麺類からも離れたよ
858 :
473:2012/07/12(木) 09:28:26.14 ID:jcQN7P3C
>>856 >おっしゃるとおり、悟りに執着があると悟れません。
悟れません。というフレーズに悟りへの執着、イメージがちらほらw
悟りに執着があると、まあ、つまり、今までどおりの執着の生が続くのでしょうね。
質問はamaさんの執着があるかじゃないよ。執着についての態度をamaさん語ってたし、執着もあるって言ってた。
悟りに執着があっても、他のことに執着があっても、執着そのものからの解放が悟りなんて聞きますからね。
そして自分としては執着は、一見快楽の元、そして私の存在そのものの苦しみの元。
で、まあ、執着が残ってる状態を悟りとは言わないほうが聞くほうとしては混乱が少ないんじゃないの、と。
一切の執着を捨て去り悟りへ向かうのだみたいなことを仏陀は言うじゃないですか。
>おっしゃるとおり、悟りに執着があると悟れません。
執着がある状態で、さも知ってるように悟りを語るのは、ありなの?
それは自我の犠牲になってる典型的な言動なんだけど。
わざとやるならありだけど、意識せずやってるならあまりよくない。
ここが最初からの素朴な話題です。
amaさんの場合それで性格が壊れたりしないけど、同じ事をある種の人たちがやるとすごいことになるんだよね。悪影響しかない。
同じ自我の犠牲、知識の犠牲になるにしても、元の意識が違う。
>>856 おっしゃるとおり、悟りに執着があると悟れません。
amaさんの言う「悟りに執着」って
このスレの自称悟り人が持ってるのを良く見かける
「私は悟っている」って執着と同じモノ? それとも違うモノ?
860 :
473:2012/07/12(木) 09:40:42.99 ID:jcQN7P3C
意識度合い、性格によってその振る舞いには大きな変化があるが、自我のトリックは変わらない。
少し気付きが花開くたびに新たに自我のトリックの犠牲になってしまう。
少し意識が開いたら、
すぐに自我は、これは瞑想だ。瞑想を知らない人を助けよう。と、他者は瞑想を知らないと、役割を投影する。
実際もうそれは自我のものになっており、その人自身も忘れており、つまり知らないのだ。
それがあるまままでも、あるがままではない気の毒な人を助けようとなるし、
それが空でも、空を知らないかわいそうな人を助けようとなるし、
自我のトリックを知ったでも、自我のトリックを知らない人を助けようとなってしまう。(あはは)
しかし、すでにその目覚めは体験に落ち、自我は主導権を握り返している。
そのとき見出したものは既に見失っているのだ。
それがどんなに微妙なものであっても要は、自身の執着が、自我が生き残るためにやっていること。
犠牲者は主に本人であるが、それは周りに伝播する。
そして誰もが犠牲になっているためその忠告も投影であり、自我は互いに投影しあい、状況は悪化する。
その目覚めも、第3の次元である感情的体験、第4の次元である精神そのものの現実的な体験、
第4のの精神の作った映像を超えた第5の次元である目覚めの一瞥と、次元が違い、
細かな目覚めの度合いについては無限の段階がある。
進めば進むほど、そのトリックは微妙なものになる。
第4次元は精神の領域なのでどんな体験も可能であり、かつあくまで夢である。ここが一番手ごわい。
第5の次元に目覚めて自我の犠牲になるとユニークで美しい自我になる。多くの人が幸せを見出し旅を辞める。
ここからは概念が障害となる、自分自身を失う旅というから。
目覚めに近づいては、目覚めては新しい方法で自我に騙され人は歩んでゆく。
結局は騙されつつも、恒常的に働く意識のプロセスは瞑想と共に進化してゆく事ができる。
意識の進歩はあるのだけど、相変わらず騙されているのだという認識が気付きを養い、慢心を戒める。かも。
>>856 >>執着や期待といったものが悟りの直近まで私を連れて行ってくれますが、
(執着があるから一生懸命修行するとかとか・・・)
最後は捨てる必要があります。(捨てざるを得ない。)
悟りに何かを期待すると、肩透かしを食らうでしょうね。
激しく同意します。
ご自分の時間がないんですね。時間とはいったいなんなんでしょうね。
ぼくの場合はたばこですね。執着してるつもりがないのがまたなんとも難しいんです。
知らん間にたばこがなくなってるんですよ。
悟りは求めれば得られないということはどうやら本当のようですね。
今ここのすべてを味わう。 これだけでも悟りだと聞いて実践しています。
ただずっとはできないですね。たとえば今朝、家族を駅に送るときぼくの車が通行人の邪魔に
なったらしく、物凄い顔で睨まれました。帰りの途中で電話がかかってきました。
今、駅で降ろした家族からで「めがねを車の中に忘れた」と。
そのときぼくはハッとしました。 なんと僕は運転中にさっきの通行人の顔やなぜそういう顔をしたのだろうかと考えていました。今ここの運転から分断されていたんですね。
運転に集中していれば助手席の上に置いてあっためがねに気づけたかもしれないと思いました。
そしてこのすべての行程が修行なんだなと痛感しました。
862 :
473:2012/07/12(木) 09:44:42.22 ID:jcQN7P3C
悟りや、愛など宗教の方向で存分に自我の犠牲になったので方向が変わったが、
自他の自我を知ろうとする自我。
自他の自我を分析しようとする自我自他のもしくは自我と闘う自我。
自他の自我を超越しようとする自我。
結局自我の犠牲になってしまっている。473の自我は自我が嫌いで自我が好き。なんだそりゃ。
悟りと自我と、両方向に自我が関心を持つというのは一つの過渡期かもしれない。
誤解を解こうとすることは、誤解をする事と同じ次元ではないだろうか。
そこに留まることは自身の自我の犠牲になる事かも。
話せばわかる誤解ではなくて、実情としての誤解。
だが諦めが悪い私。
863 :
473:2012/07/12(木) 09:47:40.62 ID:jcQN7P3C
>>859 悟りというイメージがったらすでにそれは自我による概念の投影では。
自己という思いが、悟りという思いをもっている。
悟りというものにイメージを持っていることはそれそのものが、もう執着ですね。
私がそれであり、それに悟りと名づけるのか。
私は私であり、悟りに私の願望をこめるのか。
473さんへ
実によく考えてますね。 表現力もある。ただ他人を攻撃しない方がいい。
それとできるだけ概念をつかわず話してるんでしょうがややこしくてなんて言ってるか分からないからもっと簡潔に。
スレが荒れるだけだよ。
これだけでも十分、人の迷惑でしょう。
あなたの嫌悪する悪影響と同じ直線上にありますよ。
865 :
ろん:2012/07/12(木) 11:29:16.33 ID:RCpmPQuZ
>>854 いや、もうどうとも思ってない、単にアホだなってくらい。。ww
まあアラシ対アラシ、ポッタンVS473とかになったら面白いかなと。。ww
そんな変な想像してくらい。。
アラシをしてアラシと戦わしめよ、アホ対アホのアホアホ合戦とかね。。w
・・禅スレのスレ主ww、公案の第一人者のポッタンよ。。w
アーナンダが旗を倒す公案貼ってくれないかな〜。。w
無門関か碧巖のどっちかにあったはず。。
悟りとして何かしらあると思ってるのが、473の錯覚なわけだからね〜。。
866 :
神も仏も名無しさん:2012/07/12(木) 11:29:21.63 ID:+iJUQjG9
>>864 >実によく考えてますね。・・・・・473は考えるのが好きなんだよwww
>表現力もある。・・・・・ねえだろ?wwww
>スレが荒れるだけだよ。 ・・・・・・さて、問題はここだww
スレが荒れる? 473の書き込みは、果たしてスレ荒しか?
ここは、(自称)悟った人が、「質問ある?」というスレだろ?
なら、473がamaに色々聞いてもいいわけだ。 また、そのレスについて納得の
いかないところがあれば、当然、異論を唱えても良しw 違うかい?w
それとも、ここはamaを取り巻いて、「すごいですね〜〜amaさんは。実は私も、
わかってるんですよ。」 と馴れ合うスレなわけか?ww
ただ、473もねえ・・・・・・・ww
とりあえず、473は 自分の見解の趣旨を簡潔かつ明瞭に表現出来るように
訓練しようwwww
867 :
ろん:2012/07/12(木) 11:31:59.50 ID:RCpmPQuZ
今日もご機嫌、音楽を聴いてノリノリのろん様から見ると、
2ちゃんに粘着してる473はホントに可哀想な奴だと思うよ。。w
他に楽しいことないんだろうか?
868 :
ろん:2012/07/12(木) 11:42:36.49 ID:RCpmPQuZ
>>860 第何の次元云々は、オショウの『神秘の探求』だったかの話だろ。。
おいらは必要ないと思ったから、実家に送っちまっていまないんだが。。w
禅の悟り、仏教の悟りとクンダリーニは無関係。。
100パー無関係なんだよ。。
だから、アマさんとかにそういう話をしても無意味。。
なんで関係ないか、わかるかな?
473氏は、自我の励起(権利・義務の励起?)による言葉の発動を主体に見てる。(自他に対して)
のだと思う。
氏はinとoutに"あるがまま"を使っていることと、スレ保全の義務の励起が無いので、荒らし扱いされてしまうけど、荒らしでは無いと思う。
氏の長文と一見した複雑さは、読む人の理解のために一に特殊相対性理論の逆算の様なものを当てているからで、優しさなのだけど。
時間の無い人には迷惑かもしれん。
俺も過去ログ辿るの諦めたしwww
一定の見解を保っているので、見なくても良いかな的な諦めもあるんだけどね。
でもさ、どう見ても書いてるうちに「なんのために?」が脱落してないか?
そうすると、あとは己の過去の行為を正当化するループに入っちゃうんだよね
無限ループって恐ろしくね?
>>870 自我の励起は、文面だけでは理解出来ないから仕方ない。
のと、お互いの興味の赴くまま。
amaさんの被害はスレとスレ主としての義務の励起が、有るだろうから真面目に対処しようとすると面倒な処。
これは「やっちまったアハハハハ」で流して良いと思うのだけど、そう出来ないのが権利・義務のめんどくささ。
ハンデ戦?なのです。
>>868 禅って漸進的な進化ってないよね。いろんなことが究極的な見地からの言明になってる
全ての人はすでに仏だとかそのままで悟ってるとかそんなの
でも十牛図っていうのは段階を認めてると思う。このあたりを御教授していただきたいです
873 :
ろん:2012/07/12(木) 12:37:21.27 ID:RCpmPQuZ
>>872 存在と言うか、そのものに認識が追いつくまでのプロセスでしかないんじゃないの?
あんなものは。。
そのものといったら、誰だってはじめからそのものなのだから?
その、そのものと一つになる、と言うははじめからなっている、と言うのに気付くのが4番目くらいかな〜?
874 :
ろん:2012/07/12(木) 12:38:41.07 ID:RCpmPQuZ
ポッタンちゃん、無門関第二十二則貼って〜(ハート)。。w
875 :
ろん:2012/07/12(木) 12:41:41.74 ID:RCpmPQuZ
平常心是道・・2ちゃんねるで、妄執を晒して恥を知らないのは、平常心に非ず。。w
>>873 プロセスということは認識するまではやっぱり段階があるんですね。ありがとうございました
877 :
ろん:2012/07/12(木) 12:58:31.54 ID:RCpmPQuZ
そのものがわかった後で振り返ったら、プロセスなんぞなかった、と言うことなんだけどね。。
878 :
ろん:2012/07/12(木) 12:59:22.58 ID:RCpmPQuZ
わからないも法、迷いも法ということだから・・そのまんまでいいの、ホントは。。
879 :
473:2012/07/12(木) 13:14:01.09 ID:jcQN7P3C
>>amaさん
なんでもないひと。というのが道教にあります。
ブッダは、占い師にあなたは何者ですかと問われたときに、どの範疇にも首を振らなかったと聞きます。
でも私はなんでもない人だという主張のことではありません。
なんでもないひと。あらゆる自己評価の束縛がないこと。
ところが自我の方は私は無だ、全体だ、個だ、精神現象だ、思考だ、感情だ、肉体だと7重の執着(とその組み合わせ)
をするので一歩一歩必要なことを飛び越えようとしないで進むには段階も役に立つことがあります。
しかし、そろそろ悟りというものを手放す機縁かもしれない。そういった概念は4番目のものであり、あなた自身の目覚めより
あなたの個性より自我の束縛は強い。
と、まあこういうことを書くと、自身の自我への愛と憎しみのことも思い当たる。
>>872 いまいる段階から進むのが唯一の方法なので、生きた禅のマスターがいれば、複雑な精神と抑圧された感情をもつ
現代人に合った基礎的なワークを作るでしょうね。
いきなり究極のことから始めると、覚醒、思考、感情、体の全体の理解ではなく、知識に偏重したものになるから、
ただの空想癖になり、より無意識になり、自己との接触が希薄になる。
たとえ偽者でも現代のマスターのほうがいいかも。途中で乗り換えればいいから。
>>866 言われる通り確かに悟りについて質問するスレですね。
ただ私には彼はamaさんにどうにか「悟ってない」と言わせようとしてるように見えます。質問というには甚だ逸脱してる風にとれます。
彼の何がamaさんに対する嫌悪を生んでるのか知りませんが
せっかく頑張ってるのにもったいないなと感じたから言ったまでです。
スレが荒れるの発言も私見に過ぎないので撤回します。ごめんなさい。
881 :
473:2012/07/12(木) 13:22:19.11 ID:jcQN7P3C
>>872 ちなみにやりのこしがあると戻ってそれを整えなければなりません。
そうしないとあるところで止まります。
アンバランスな進歩の穴埋めは骨が折れます。(この辺その人の個性の宿命だと思いますが)
心はやらず現在地から一歩一歩進む人の歩みは誰よりも早く、
飛び越えて何かをつかんだと思っている人は一歩も動いていない。
882 :
ろん:2012/07/12(木) 13:27:11.06 ID:RCpmPQuZ
歩みを進むれば、遠近にあらず、迷うて山河の固を隔つ・・
動くからわけわからなくなるんだよ。。。
この世の全てが縁起で起こるのならば
amaさんと473さん、ろんさん、ニカサさんとの間には
きっと何かの縁があるんでしょう。
縁が尽きるまで縁に従うのも悪くないですよ。
885 :
ろん:2012/07/12(木) 13:43:34.00 ID:RCpmPQuZ
473は、今が見えてない、感じられないんだろうな。。
いつまでたっても自己確認、他を概念に当てはめてあなたのポジションはどうとか、妄想の闇の中。。
そういうの止めろってのに。。
886 :
ろん:2012/07/12(木) 13:46:50.03 ID:RCpmPQuZ
悟りと言う何かしらあると思っている。。
そうじゃない、自己があるだけなんだよ。。
今の自己・・今にあったら、見えない、わからないけれど、自由と安心はそこにしかない。。
自分が自分になってない、いつまでも分析する、分裂する、是非善悪する、あっはっは、何のためにそんな無駄なことやってるのか。。w
887 :
ろん:2012/07/12(木) 13:48:27.59 ID:RCpmPQuZ
言いかえらば無心、手放し、自他ともに捉えないということ。。
万法ともに我にあらざる時節、惑いなく悟りなく・・・
>>885 >今が見えてない、感じられないんだろうな。。
>いつまでたっても自己確認、他を概念に当てはめてあなたのポジションはどうとか、妄想の闇の中。。
473さんの味方をする訳じゃありませんが
俺を含めて、このスレにいる人達も同じようなもんじゃないの?
今を見るのは難しいし、感じる事も難しい。
妄想から抜け出したいと思ってもなかなか抜け出せない、そんな感じじゃない?
止めて止めれるものならば、とっくに止めてるよって人も多いんじゃないかな。
>飛び越えて何かをつかんだと思っている人は一歩も動いていない。
言ってしまえば、こっちが大正解なんだけどね。
>>882 >>883 の両氏で面白いのは473氏の否定の筈なのだけど、スケールやスクリーンを広く当てるとお互いの肯定になるんだよねw
止まったままじや何も得られない。
動いて迷う。
止まって迷いから新しい解を得る。
良く出来てるwww
でも最小のスケールだと反目し合ってるように見える不思議。
891 :
ろん:2012/07/12(木) 13:55:17.34 ID:RCpmPQuZ
>>888 いや、見えるまま、聞こえるまま、匂いがするまま、肌で触るまま、味わうまま、それがとりあえずの今だな。。
そんだけで足りてるはずなのに、なんで他を求めるのかってこと。。
893 :
ろん:2012/07/12(木) 13:59:26.97 ID:RCpmPQuZ
>>890 いや、彼は何か得なければならないと思い込んでいる。。
もとからこうある、と言うことに気づいていないから。。
>>893 その文の続きは、
迷ったら歩みを止めてみろ。
でしょ?
否定に因る迷いのプレゼントは、歩みを止めて新しい解へ繋がるから、本意じゃ無いのかも知れないけど、狙ったように上手く出来てるw
そして473氏はまだ迷っていませんよ?
895 :
473:2012/07/12(木) 14:16:45.42 ID:jcQN7P3C
>>872 oshoを読んでいるということの矛盾してること、矛盾してること。
「私は牢獄の中にいます」 「牢獄など存在しない」
「私は自由を感じています」「牢獄の中で自由を夢見ているだけだ。束縛だけが自由を感じさせる。」
特定の答えはありません。
人それぞれの誤解があります。
右に偏ったり左に偏ったり、その偏りの影響から脱するのが、瞑想であったり、
いうことがころころ変わる生きた師の影響です。
生きた師がいないなら、自分を未知へと解放するような部分を目覚めの契機とするといいのでしょう。
>>893 もとからこうあると思ったら、何か得なければいけないと思うこととあんまり変わりませんよ。
前者は自我の怠惰と自己肯定、後者は自我が自我自身を超えようとする不可能な試み。
それは2つでひとつの対となる相対的な価値観です。人は結構この2つを行ったりきたりしますね。
思想にはまって自我の犠牲になってる人の特徴は、もう片方の価値観を他者に当てはめて非難すること。
そのどちらでもないんですよ。先入観は持たないほうがいい。自我にだまされる。
オショーの言葉が矛盾しているように見えるのは、それぞれの文脈を混同しているからです。
実際に自我の牢獄で苦しんでいる人には「牢獄など存在しない」と言うし
私は自由を感じています、と言う人には存在しない牢獄を妄想するから自由になるという発想が生まれる、というだけ。
生きた師から直接その人の性質にあったアドバイスがあれば、一番良いのでしょうね。
>>893 「彼は何か得なければならないと思い込んでいる。。」これが思い込みなら
ろんの言う「そうじゃない、自己があるだけなんだよ。。
今の自己・・今にあったら、見えない、わからないけれど、自由と安心はそこにしかない。。 」
これも思い込みじゃないの?
自己は知識で知ってる人は多いけど
実際に「私は自己である」って実感した人(言い方、変かな?)って このスレでも数人でしょ。
まあ、、そういう人が言うんなら理解できるけど・・・・・
ろんは自己を知識で知ってる人なの? それとも、「私は自己である」って実感した人なの?
898 :
ろん:2012/07/12(木) 15:15:51.77 ID:RCpmPQuZ
>>897 どちらでもない。。
自己なんて、つかみようがない、知りようがない、だから知らんままと言うだけ。。
>>898 自身−(憲法・ネイティブに基づく権利・義務)=我
我と法は、個人の入力と出力の抵抗になります。
ただし、社会形成の為に法は入力と出力に残さないといけません。
現実は法が乱れるので入力に我を持ち不条理が入らないように防御します。
不条理を入力し、出力に不条理が入るとその出力は犯罪性が高い物になります。
入力した不条理を内に留めた状態が精神疾患です。
900 :
473:2012/07/12(木) 15:38:16.87 ID:jcQN7P3C
自我から解放されて始めて自我という言葉、概念を使っても自我の犠牲にならない。
というように突き詰めると、基本的に何の言葉でも使うと自我の犠牲になるといえる。
どんな概念も自我の範疇であるといえる。
何もいえなくなる。思い描けなくなる。
>>880 amaさんはいわゆる究極の悟りという意味あいでは悟っていないといろいろな意味で公言しているので
そのあたりの問題はないと思いますよ。
自分に正直な彼は好きですし、どうでもいいことにいちいち好奇心をはさまない彼のような質も好きです。
求めないということ、という概念でくくられた悟りの概念にとらわれて、美しいのだけど本来の個性が鈍り、
そこで歩みが止まるのはもったいないじゃないですか。
この部分だけは473は論争の種にするのですね。影響されかけた身としては。
悟った人はカテゴリに収まらないように思うのです。それが悟りというカテゴリであっても悟りー非悟りのカテゴリに過ぎませんから。
901 :
473:2012/07/12(木) 15:57:54.17 ID:jcQN7P3C
>ここはamaを取り巻いて、「すごいですね〜〜amaさんは。実は私も、
わかってるんですよ。」 と馴れ合うスレなわけか?ww
>とりあえず、473は 自分の見解の趣旨を簡潔かつ明瞭に表現出来るように
訓練しようwwww
簡潔で、それでいて笑い飛ばすようなユーモアの響きがあるというのは今のところ真似できそうになく、
おっしゃるとおり課題ですね。
マインドに眩暈を起こさせるのが473のスタイルなのでそれはそれってことで。
902 :
ろん:2012/07/12(木) 16:12:39.80 ID:RCpmPQuZ
>>899 法がわかれば、不条理なんてないんだがな。。
まともを立てなければ、精神疾患もないし。。
二つわけてみているのが、我なんじゃないのか。。
>>898 >自己なんて、つかみようがない、知りようがない、だから知らんままと言うだけ。。
素朴な疑問なんだけど、
「自己なんて、つかみようがない、知りようがない」って言ってるのに
どうして「自己があるだけなんだよ」って言い切れたの?
>>902 法は整理されている前提ですよ。
ネイティブは深層心理での了承や、積み重ねた歴史による精査。
現実や特例に不条理が入ります。
我は対外的には錯誤の権利・義務になりますが、文章での説明は無理だと思ってます。
(´・ω・`)ごめんね?
905 :
ぐらふ・アハサン ◆5Binta/bcg :2012/07/12(木) 16:30:10.80 ID:7kgxHCcG
>>902 戯論のケェーRon害 あらし さん
>法がわかれば、不条理なんてないんだがな。。
〜れば、家庭科・・・いな、仮定か・・、で、ご不条理 って、なに?
906 :
ろん:2012/07/12(木) 16:52:02.86 ID:RCpmPQuZ
>>903 あるない言ってもしゃあないけど、あるということと知りえないということは、何にも矛盾しないんじゃないか?
907 :
ろん:2012/07/12(木) 16:54:14.28 ID:RCpmPQuZ
水槽の中の魚・・いることはわかるけど、魚になってみなければ魚とは何かわからん。。
魚自身もわかってないだろう。。w
ましてや他が悟ってるとかいないとか、わかるわけないのにな。。
それにこだわる大バカ野郎もいる。。
>>861 どうこうしようと思うから失敗する
何も考えなく感覚のなすがままで失敗する
考えすぎて感情を無視して失敗する
悟りも価値あるものではない
ただ、よくよく気をつける
ここだけ注意しとけばよろしい
あくまで自然体でな
>>907 >水槽の中の魚・・いることはわかるけど、魚になってみなければ魚とは何かわからん。。
ふむふむ、なるほど、自己はいることは分かるけど、自己にならないと自己とは何か分からないってことか・・・・
何だか、はぐらかされた気がするけど、まあイイや。
>>907 (ФωФ)おしい!
そこでスケールとスクリーン(水槽)の大きさを色々変えてみるんですよ。
911 :
ろん:2012/07/12(木) 17:15:48.12 ID:RCpmPQuZ
>>909 わからないに落ち着いて初めて、わかったがウソとわかる、と言った感じかな。。
知らぬが仏なり。。
知ってるは妄想なり。。
912 :
初めての人:2012/07/12(木) 17:16:42.27 ID:ydcufqaX
悟りの状態についての質問ですが
その状態だと、全ての事象、生命を平等に感じられると
文献は、忘れちゃいましたが書いて在った事を記憶しています。
実際にどうですか?
純粋な興味から伺います
913 :
ぐらふ・アハサン ◆5Binta/bcg :2012/07/12(木) 17:28:55.90 ID:7kgxHCcG
>>907 そのたぐいろん害 さん
(◎_◎) ン?
せ にさとり半分とは、言ったが、やつぁー 聞く耳を持ってなかったよな。
職業病で、壇上から、垂れる事はできても、対話が不可だった。
不可と言えば、ジョーズ
聞ければ、ものの上手とや、云われけむ・・・
おまいも そのたぐいだなー
914 :
ぐらふ・アハサン ◆5Binta/bcg :2012/07/12(木) 17:33:23.12 ID:7kgxHCcG
>>911 そのたぐいろん害 あらし さん
真性 ばか!
>知らぬが仏なり。。知ってるは妄想なり。。
知るは〜であり、知らぬは〜である、と!!??
ハクンダヨ ボカスカ! o(>_<")っ★)゜o゜)/ o(`^´)θ☆)゜o゜)/ o(⌒∇)9★。オリャ・:*○
>>912 悟ってないけど
意識はしないね
平等というものを感じることもないと言えば嘘になるかな
そのうち勝手に平等に向かうだろ
って感じだろうね
916 :
ろん:2012/07/12(木) 17:45:33.29 ID:RCpmPQuZ
>>913 対話が不可って、あっはっは、473と言ってること同じだな〜。。
というか対話なんぞして何になるんだろ?
認めてもらった、わかってくれた、よかった、握手しようってか?
917 :
ろん:2012/07/12(木) 17:46:16.15 ID:RCpmPQuZ
>>915 なるほど、その状態を言語に変換すると
矛盾すると聞いたのですが
その意味少し理解できた気がします。
919 :
ぐらふ・アハサン ◆5Binta/bcg :2012/07/12(木) 17:59:11.26 ID:7kgxHCcG
>>917 そのたぐいろん害 あらし さん
>
>>914 > ナイス突っ込みありがとう。。w
つっこみなら、 ボケは?
920 :
ぐらふ・アハサン ◆5Binta/bcg :2012/07/12(木) 18:14:00.72 ID:7kgxHCcG
>>916 そのたぐいろん害 あらし さん
>
>>913 > 対話なんぞして何になるんだろ?
社会的存在ではなく、
おまいが、1と言う存在であれば、対話は要らない。
独白で、よい。
さとりとは?と問われ、この庭の柏の樹だよ、とと答えた老師。
なんだろうか、柏の樹。レイソルジュでは無いのは、明白・・
921 :
ぐらふ・アハサン ◆5Binta/bcg :2012/07/12(木) 18:15:59.01 ID:7kgxHCcG
>>920 訂正
さとりとは?と問われ、この庭の柏の樹だよ、とと答えた老師。
↓
さとりとは?と問われ、この庭の柏の樹だよ、 と答えた老師。
922 :
ろん:2012/07/12(木) 18:19:50.04 ID:RCpmPQuZ
>>921 なんだっていいんだよ、蝉がミンミンでもいいし、トイレの壁紙でもいいし。。
カラスがカーでもいい、なんと言っても同じだ。。
923 :
ぐらふ・アハサン ◆5Binta/bcg :2012/07/12(木) 18:27:30.31 ID:7kgxHCcG
>>922 そのたぐいろん害 あらし さん
アゴの上下運動じゃない。ぺらぺらぺら と。
心身一如。
岡本太郎も言う、 ばくはつだ。
ニゲルヘ(-.-ヘ;)... コソッ・・・コロコロコロコロ... ((((((BOMB))))))
>>526 >種の性質として、1人ではいられない
という傾向を持っているから友情が生まれてくる
∴なるほど、遺伝子レベルで他者との関係を求めるのはありそうです
人は一人でいるよりは敵意とゆう関係でも他者と関わりたいのかもしれませんね
>>526 >もしも、我が落ちたり弱くなったとすれば
集団のなかでも1人であり
集団に依存することはなくなるだろう
・一人在ることのできる人同士の友情は涼やかなイメージがあります
フフ♪(はぁと)・
>>552 >孤独と悟りこれわかりますか
♪孤独は分離の幻想の中で疎外感を感じている状態
悟りは分離の幻想から醒めて私の他には何も無いと気づいている状態でしょうか?
悟りと愛は同じものだとおっしゃってましたね
>>555 >悟りからの解放〜
悟りは一日1時間
・・・なんちゃって
929 :
ぐらふ・アハサン ◆5Binta/bcg :2012/07/12(木) 19:03:03.11 ID:7kgxHCcG
>>928 > 悟りは一日1時間 ・・・なんちゃって
・・・メモメモφ(ロ-ロ^)えぇ〜、何ですとー?
473さん あなたは一境性 三昧 サマーディと呼ばれるものを体験したことはありますか?
このスレの上の方で体験も否定されてたと覚えてますがならばなにをもって信とするのですか?
この三昧の状態では今まで二元的に観てたものごとが違ってみえます。もしあるのならば、
さらにその状態の観察を続けてみてください。どうなるのかを観察してください。分析しようとしないでください。
理論化しようとしないでください。答えを得ようとしないでください。
ただただ、あるままを観て下さい。一体どうなっていくのかを。
あんぱんを食べたことのない人間にいくら言葉で説明してもあんぱんを食べるという経験を勝ることはできません。
あなたをみてるとドーナッツの穴コンプレックスを思い起こさせます。
穴がドーナッツだのドーナッツは空間を作っている円状のものだのいつまでも終わらない話を。
私はあなたに言いたい。 いいからドーナッツを食べてみろと。 それがドーナッツだよとね。
あなたの根本には二元論が見えます。ただ
>>900で言ってる、
>なにもいえなくなる。思い描けなくなる。これですね。以前、安堂さんという方が「坐っても意味がない」とおっしゃってたが、
まさにそれなんですよ。こんなの意味が無い 無駄なことだ。 これで初めてスタートなんですよ。
931 :
473:2012/07/12(木) 19:28:44.12 ID:jcQN7P3C
外部から手に入れた知識、信念に投資しすぎると、
それがその人の内部葛藤、混乱、あらゆる恐怖、心の傷から自身を守る防波堤となってしまっている。
それが揺らぐときあまりに大きな動揺が走る。
そのあまりに動揺なのでそれを受け止めることはできない。
それを受け止める様な意識は防波堤に頼っていた分全くない。
心はどうにかその動揺から自分を守らなければいけない。
できることは、その動揺の元をとにかく否定すること。
もしくはその動揺の元に完全に信服してそれを新たな防波堤にすることだ。
どっちの役目でも新たな精神安定剤扱いになる。
悟り子さんの空気感が好きです。
まったり。。。
記号の名で書き込みしたものです。
他の方にも、感謝していますし、大変興味深く見入っております。
>>853 他のスレで美の追求の果てに悟り得た人が居ました
あとは「私」の追求で得た人も居ました。
お二人とも、最初の段階の悟りのようでしたが、
それに至る道はいろいろあるかと思います。
それも「追求の果てに」以外にも「道歩いてて」という人も居ますしね。
934 :
473:2012/07/12(木) 19:41:45.00 ID:jcQN7P3C
>>930 何で信がいるのだろう。疑いがあるからでしょうか。
その信が理論化じゃないでしょうか。
分析を介さず、分析者を介さず体験があるのでしょうか。
スタートと解釈するのは誰でしょうか。
473はこのようにかたるもの。です。
>>848 共通認識なんてそれこそ幻想ですよ。
あなたは、まだあなたの心の中のイメージを通してしか、何か他のものを
見ることができていません。概念が概念を呼んでいるというべきか・・・。
> あなたは経典の特定の形にこだわらず、他の形で自分を表現できますか?
いくらでも。悟りが先で、経典はその表現です(そのため怪しい経典も
なかにはあります・・・)。
それはこれまでもしてきましたし、これからもそうでしょう。
あなたには気づかなかったみたいですが、水面の例えはそれですよ。
936 :
ろん:2012/07/12(木) 19:53:06.74 ID:RCpmPQuZ
>>930 坐っても意味が無い、ではなく、坐るしかない、と僕は感じているけどね。。
苦はない、迷いもない、が、まだ見たものと完全に一つになっていない、とは感じているのよ、正直。。
公案ふりかざして、知ったかぶり、はできても、自己を忘じきっていない、という感はあるのね。。
これは日常ではなくて、たまにちゃんと坐った時に感じること。。
坐が教えてくれることなんだ。。
坐禅が呼んでるような〜って。。w
>>920 柏の樹が本当に見えるのならそれは確かに悟りですね。
938 :
473:2012/07/12(木) 19:54:31.04 ID:jcQN7P3C
>根本には二元論が見えます。
自我と二元論は似たようなもので、その影響は受けている。
しかし根本には、見えます。というのは投影でしかない。
そんなの誰でも持ってるので、他人に見ても仕方ない。
誰も彼もなく、それに覚める仕掛けがあるといいよね。
大体473の「根本」が二元論だったら変革の可能性がないじゃないの。
939 :
ろん:2012/07/12(木) 19:54:56.48 ID:RCpmPQuZ
動中工夫とか平常心とかはあっても、坐るのがダントツにスピードが違う。。
日常での観察とか言ってるやつは、坐って、何生分も卒業するということがわかり得ないだろうと思う。。
940 :
ぐらふ・アハサン ◆5Binta/bcg :2012/07/12(木) 20:03:30.28 ID:R4caDBFQ
>>936 そのたぐいろん害 あらし さん
おまい、おまいは ばかだ。
>>933 その方々はどんな印象を持たれたのか、お分かりでしたら聞かせて欲しいのですけど。
自分は時系列がバラバラで、不思議な式の様なものをが入ったのが2回と、昔の仕事に通じたのが2回。
死に方に関するお伽噺で言わんとしてることが同じ3つの話。
1つは津波てんでんこですが、元は同じ話か同じ人達だったのじゃないかなー的な。
おおおお
おそれすに…orz
943 :
ぐらふ・アハサン ◆5Binta/bcg :2012/07/12(木) 20:06:56.75 ID:R4caDBFQ
>>939 そのたぐいろん害 あらし さん
おまい、おまいは あほだ。
>>939 >動中工夫とか平常心とかはあっても、坐るのがダントツにスピードが違う。。
ろんはスピード上げて、どこに行こうとしてるの?
945 :
ぐらふ・アハサン ◆5Binta/bcg :2012/07/12(木) 20:15:19.32 ID:R4caDBFQ
>>944 > ろんはスピード上げて、どこに行こうとしてるの?
真理を尋ねず。bakaろんはスピード上げて、どこに行こうとしてる...
>>935 >あなたは、まだあなたの心の中のイメージを通してしか、何か他のものを
>見ることができていません。概念が概念を呼んでいるというべきか・・・。
あたかも、あなたが心の中のイメージを通さずに何かを見ているような口ぶりですが
俺の見たところ、あなたも「私は悟っている」というイメージを通してしか
他の物を見ていないようですよ。
>>945 >真理を尋ねず。bakaろんはスピード上げて、どこに行こうとしてる...
真理はどこにある? そこが分からずに書き込んでも、てんで的外れだろ。
948 :
ぐらふ・アハサン ◆5Binta/bcg :2012/07/12(木) 20:19:21.11 ID:R4caDBFQ
>>946 イメージ・・・
(-_・)ン? 竹下夢二(イメジ)?
949 :
ぐらふ・アハサン ◆5Binta/bcg :2012/07/12(木) 20:21:23.02 ID:R4caDBFQ
>>947 > 真理はどこにある? そこが分からずに書き込んでも、てんで的外れだろ。
(-_・)ン? どこにある?わかってんなら、おしえろ!
>>912 > その状態だと、全ての事象、生命を平等に感じられると
はい、その通りです。
悟りが訪れれば、もう自分を再生することもありません。
自己イメージを保つのを止めてしまっているからです。
自己イメージを保つのを止めてしまうと煩悩が消えます。
薪がなくなった火が消えるように。
そのあと、最初に静寂が訪れます。静かになって自分の中が空っぽに
なります。
このときになれば、時間概念や比較することから開放され、全ての事象、
生命を一切の価値判断を交えず、レッテルを貼らずに本当の意味での
「ありのままに」見えます。
そして、自身から宇宙の果てまでどんなものでも平等にたった一つの
真理、即ち、
これ生じるとき、かれ生じ、これ滅するとき、かれ滅す
によって完全に統一されていることがわかります。
世界に戦争も貧困もあるけれど、世界は「完全で完璧」なのです。
同時にどこを探しても縁起を超えるような存在(=神)は原理的に
存在し得ないいないということが事実として了解できます。
同時にいままで自分が教わったことや描いていたことが「全部ウソ」と
わかります。だって全体でないから。そして全体が真実であるから。
同時に全てのものと仲直りします。自分が分け隔てていた一切のものと
仲直りします。邂逅といってもいいです。
そして、いまでもどこから来たのか全く見当がつかないのですが、
至福
が訪れます。胸の奥、存在の深奥から、自我意識によって蓋をされて
いた至福が蓋がなくなったので、当然のように沸き上がってきます。
それは泉から水が湧き出るように自然な流れです。
人間は自性として、何も求める必要も真似る必要も努力する必要もなく、
それ自身として至福な存在なのです。
その状態では、全ての事象、生命を本当に平等に、何も比べることなく
優劣をつけることなく、一切の全てに対し、心から賛同します。
何も私に対立するものはなく、私から何かに対立することもない…。
そんな状態が悟りです。
# とりあえず悟りと名付けてますが、法でもニルヴァーナでも覚醒でも
解脱でも適当に呼んでください。どうせ同じものです。
952 :
ぐらふ・アハサン ◆5Binta/bcg :2012/07/12(木) 20:28:30.01 ID:R4caDBFQ
>>947 おい!まだかよ!ぼけが かきこんじゃったじゃねーか。
>>946 > 俺の見たところ、あなたも「私は悟っている」というイメージを通してしか
えぇ、その通りです。あなたは正しく見てます。まさにその通りの私です。
身を纏う以上、顕現は現れ続けます。それはそれで良いと思うのです。
954 :
ぐらふ・アハサン ◆5Binta/bcg :2012/07/12(木) 20:31:42.97 ID:R4caDBFQ
>>947 おい!いえねーんなら、からむな!ぼけ!
955 :
ろん:2012/07/12(木) 20:34:26.94 ID:RCpmPQuZ
ポッタンの観察も面白いな。。w
結局逆ギレして終わりかよww
オカルトで内容飛び飛びになると解んないな。
>>954 ここにも、そこにも、どこにでも!!
こんな簡単なこと自分で見つけろ
958 :
ぐらふ・アハサン ◆5Binta/bcg :2012/07/12(木) 20:38:47.49 ID:R4caDBFQ
>>955 でたか けつのこまけーあな そのたぐいろん害 あらし さん
> ポッタンの観察も面白いな。。w 結局逆ギレして終わりかよww
で、柏の樹とは? ボカスカ!! ( ´Д`)ノ ☆)><)
959 :
ぐらふ・アハサン ◆5Binta/bcg :2012/07/12(木) 20:41:40.81 ID:R4caDBFQ
>>957 >
>>954 > ここにも、そこにも、どこにでも!! こんな簡単なこと自分で見つけろ
(▼▼ )( ▼▼)どこだ、はっきりしろ、ぼけ!
>>959 真理が分からなきゃ、俺が言ったところでどれが真理か分からないと思うよ。
>>941 解釈を通さないで事象に接することが、どういうことかを書物や
知識でなく、体験として識っている印象を受けました。
ちなみにその二人ではありませんが、自己を通さずに
世界を見ている人(悟った人と呼んでもいいかもしれません)を
リアルで二人見たことがあります。
どちらも、内面から何にも遮られることのない子供のような
微笑みをたたえ、淀みが全くないオーラを纏っているかのような
雰囲気で、100m先からでも、見分けがつくぐらいでした。
背格好はどこにでもいそうな風体ですが、笑顔の質が違いました。
さて、仏という字は本来は佛と書き「人に非らず(あらず)」の意です。
沸騰の沸は「水だけど水に非ず」です。
その二人が目覚める前の姿を知っていたので、
目覚めたあとは
「この間まで人だったけれどもう人ではなくなった」
そんな感じを抱きました。少なくとも別人になってました。
962 :
ぐらふ・アハサン ◆5Binta/bcg :2012/07/12(木) 20:46:15.21 ID:R4caDBFQ
963 :
ろん:2012/07/12(木) 20:46:30.82 ID:RCpmPQuZ
>>958 ちゃんと見たらそれしかないわけだから・・何何とは言えないものだろう。。
無心になって、柏の木になってろって話。。
バカ言ってないで、木を見て木になってろってことだよ。。
964 :
ぐらふ・アハサン ◆5Binta/bcg :2012/07/12(木) 20:48:14.80 ID:R4caDBFQ
>>962 訂正
その さtpりを 聞かせてくれ!
↓
その さとりを 聞かせてくれ!
>>962 「さtpり」って初めて聞くんで知らない
>>936 > 苦はない、迷いもない、が、まだ見たものと完全に一つになっていない、とは感じているのよ、正直。。
苦も迷いもない先で、どんなものを見たのでしょうか?
967 :
ぐらふ・アハサン ◆5Binta/bcg :2012/07/12(木) 20:51:40.86 ID:R4caDBFQ
>>963 脳が足りてない そのたぐいろん害 あらし さん
> ちゃんと見たらそれしかないわけだから・・何何とは言えないものだろう。。 無心になって、柏の木になってろって話。。 バカ言ってないで、木を見て木になってろってことだよ。。
真性のバカ?
一の如しとは、悟りだが、 一如って なんなんだ!?
968 :
ぐらふ・アハサン ◆5Binta/bcg :2012/07/12(木) 20:52:58.31 ID:R4caDBFQ
>>965 >
>>962 > 「さtpり」って初めて聞くんで知らない
そこか?お前の言うしんりは! ぼけ!
>>895 > そのどちらでもないんですよ。先入観は持たないほうがいい。自我にだまされる。
良い方向ですね、その方向はとても良いです。
473さんはときどき近い所に来ているのですが、
またすぐ他の所に行ってしまうのです。
まるで目の見えない人が、探し物をして回るように。
観ることなしに観るとき、初めて一輪の花を見ることができます。
970 :
ろん:2012/07/12(木) 20:55:51.00 ID:RCpmPQuZ
>>366 散らかった部屋かな。。
みんなちゃんと黙って坐禅しとるよ、ポットも茶碗も。。w
うるさいのはおれだけ。。w
>>968 ぼけ!って言われて答えるのも馬鹿らしいね。
この話はここでオシマイ!!
972 :
ろん:2012/07/12(木) 20:56:47.00 ID:RCpmPQuZ
>>967 お前の言ってる一如ってただの言葉だろう、どっかで拾ってきた言葉に過ぎん。。
973 :
ぐらふ・アハサン ◆5Binta/bcg :2012/07/12(木) 21:00:45.40 ID:R4caDBFQ
>>971 >
>>968 > ぼけ!って言われて答えるのも馬鹿らしいね。 この話はここでオシマイ!!
しんりに まみえず・・・ぼけ!
974 :
ぐらふ・アハサン ◆5Binta/bcg :2012/07/12(木) 21:02:51.80 ID:R4caDBFQ
>>972 ぺらぺらぺら そのたぐいろん害 あらし さん
>
>>967 > お前の言ってる一如ってただの言葉だろう、どっかで拾ってきた言葉に過ぎん。。
おまい、おまいが、丸出しだ。ぺら、にくわえて、うすっぺらいなー ぼけ!
>>973 真理がどんなモノであれ、自分で掴んでこその真理だぞ。
人から聞いた真理は、ただの「知識」に過ぎない。
976 :
ろん:2012/07/12(木) 21:05:13.84 ID:RCpmPQuZ
ポッタンってかわいいね。。
でも食べたら不味そうだww
977 :
ぐらふ・アハサン ◆5Binta/bcg :2012/07/12(木) 21:08:09.90 ID:R4caDBFQ
>>975 >
>>973 > 真理がどんなモノであれ、自分で掴んでこその真理だぞ。 人から聞いた真理は、ただの「知識」に過ぎない。
んなーこたー どうでもいいから おしえろ!
978 :
ぐらふ・アハサン ◆5Binta/bcg :2012/07/12(木) 21:11:54.55 ID:R4caDBFQ
>>976 けつに帆をかけ そのたぐいろん害 あらし さん
> ポッタンってかわいいね。。 でも食べたら不味そうだww
うそでぬりかためて、どうやら、だめか。
一如を いっぺんに聞いては 弱脳ろん には、まずかった。一とは?
979 :
ろん:2012/07/12(木) 21:12:31.03 ID:RCpmPQuZ
>>977 自知するしかないものを教えられない。。
北極の寒さは北極に行かなければわからないと同じ。。
980 :
ぐらふ・アハサン ◆5Binta/bcg :2012/07/12(木) 21:17:23.50 ID:R4caDBFQ
>>979 ggrks そのたぐいろん害 あらし さん
> 自知するしかないものを教えられない。。 北極の寒さは北極に行かなければわからないと同じ。。
pまい、じっけんそうちって しってる?
再現可能だぞ。行かずとも。
柏の樹って、あ 何だ!
>>961 あ ありがとう( ̄□ ̄)
行き着く先は人外っすか…
妙な感じが有って不安だったけど、煩悩が有るぶん自分はマダマダっぽい。
働かなきゃならんしー(´・ω・`)
982 :
ろん:2012/07/12(木) 21:21:00.35 ID:RCpmPQuZ
>>980 あっそ。。
だったら、冷凍ポッタンになってろよww
983 :
ぐらふ・アハサン ◆5Binta/bcg :2012/07/12(木) 21:22:35.61 ID:R4caDBFQ
>>980 訂正
pまい、じっけんそうちって しってる? 再現可能だぞ。行かずとも。 柏の樹って、あ 何だ!
↓
おまい、じっけんそうちって しってる? 再現可能だぞ。行かずとも。 柏の樹って、あ 何だ!
984 :
ぐらふ・アハサン ◆5Binta/bcg :2012/07/12(木) 21:25:12.65 ID:R4caDBFQ
>>982 しったか そのたぐいろん害 あらし さん
> あっそ。。 だったら、冷凍ポッタンになってろよww
おまい、べんぴ だな、( ´дゝ`)クダラネー
一とは?
985 :
473:2012/07/12(木) 21:33:18.81 ID:jcQN7P3C
>>969 良いというのは自我だし、方向の設定も自我。
近いところも自我の解釈。
473の言ったことを良い、方向、近い、と自我が解釈したなら473の仕掛けは役に立たなかったのだ。
あなたの空想に近かったのかな?
986 :
ぐらふ・アハサン ◆5Binta/bcg :2012/07/12(木) 21:40:19.67 ID:R4caDBFQ
>>984 おい! ばかろんにほとのこときいちゃだめだ。 あごの 上下運動なんだから、やつは。。。
987 :
ぐらふ・アハサン ◆5Binta/bcg :2012/07/12(木) 21:42:01.36 ID:R4caDBFQ
>>986 訂正
おい! ばかろんにほとのこときいちゃだめだ。 あごの 上下運動なんだから、やつは。。
↓
おい! ばかろんにほんとのこときいちゃだめだ。 あごの 上下運動なんだから、やつは。。
988 :
ろん:2012/07/12(木) 21:44:45.56 ID:RCpmPQuZ
989 :
473:2012/07/12(木) 21:45:29.39 ID:jcQN7P3C
>>981 空想癖の誇大妄想かもしれませんよ。
そのコテの言動をちょっと拾ってみればいいです。
この人が解釈を解さず物事を見る他者を理解できると思いますか?
自分がそれにあったことがあるから自分もできると思う、ありがちな自我のやり口かもしれません。
表面的にいい人になろうとすると、むしろ中身が保存されたままになりますから。
990 :
ぐらふ・アハサン ◆5Binta/bcg :2012/07/12(木) 21:47:45.55 ID:R4caDBFQ
>>988 弱脳 そのたぐいろん害 あらし さん
> 口を開く前に説き終っておるぞよ。。
(゜Д゜) ハア?? なにを、聞かせろ! それと、柏の樹とは? それは、どうした!聞かせろ!
991 :
ろん:2012/07/12(木) 21:52:22.26 ID:RCpmPQuZ
>>990 言うことなんてないよ、おバカさん。。w
992 :
無しよ:2012/07/12(木) 22:06:36.33 ID:TD/lVTPm
ろんさんってこの方にずっとくっつかれてるんですか?
993 :
ろん:2012/07/12(木) 22:19:14.29 ID:RCpmPQuZ
金魚のフンみたいなもんかな〜。。w
994 :
神も仏も名無しさん:2012/07/12(木) 22:21:04.26 ID:+iJUQjG9
どうした? ぽったんwww
エライ気合入っとるな、今日はwww
995 :
無しよ:2012/07/12(木) 22:26:13.96 ID:TD/lVTPm
水槽の水が汚れるので定期的に掃除しましょう的なやつですか
ろんさんが金魚のイメージになります
996 :
ろん:2012/07/12(木) 22:34:36.78 ID:RCpmPQuZ
今水槽のリセットしてるよ。。
砂利から水草からすべて変える。。
熱帯魚すくいして、新天地に移すの。。
997 :
無しよ:2012/07/12(木) 22:41:51.68 ID:TD/lVTPm
軽く食物連鎖見学してる気分
>>989 人から見られる印象がかなり変わってしまったんで。
気にしてたんですよねw
これ以上進めたくない&女子高生はたぶん永遠に好きなんで、ちょっと安心しました。
100先から人外には、今のところ困るし生きていけない。
999 :
安堂:2012/07/12(木) 23:19:31.26 ID:5ZDk0f1x
なんだもう終わりかよ・・・・
1000 :
Ope:2012/07/12(木) 23:19:38.52 ID:U4bHsDy8
あれれ、この前立てたような気がするがもう終わりか
このスレは歳かな
執着が問題じゃないんだよね
ここが勘違い
1001 :
1001:
このスレッドは1000を超えました。
もう書けないので、新しいスレッドを立ててくださいです。。。