315 :
神も仏も名無しさん:
後期中観派は結局のところ外界を実在と捉えるのか非実在と捉えるのかどっちなの?
決着ついてないにしてもどっちが有利だったの?
もし後期において非実在であったなら後期だと有部だけが実在としてたの?
觀如來品第二十二
五陰和合の故に有るならば即ち自性は無い
空は則ち説けない
空でなくても説けない
空、非空は共であろうと共でなかろうと説けない
但だ仮名を以って説くのみだ
如来の滅後について
有るか?無いか?有であり無であるのか?
と思惟してはならない
如来は戯論を過ぎるが
而し人は戯論を生ずる
中論觀四諦品第二十四
一切の法は性空だが
世俗諦とは
世間は顛倒の故に虚妄の法を生じ
世間には是れが実である
諸の賢聖は真に顛倒の性を知るが故に
一切の法は皆、空で無生だ、と知り
聖人には是れが第一義諦で実と名づける
中論觀顛倒品第二十三
無常の中に常に著する、是れを則ち顛倒と名づける
著を憶想して此彼、有無等を分別する、と名づける
無漏法に至るまで尚お不生の相と名づけない
顛倒に因り顛倒の者が有る
無漏法に至ってない顛倒の中に住している世俗の人々は
後期において非実在であったなら後期だと
有部だけが実在として、有るか?無いか?と思惟してはならない
無漏法に至って、やっと第一義諦を体感会得できる
と言う事なんじゃなイカ? おじゃる?
320 :
神も仏も名無しさん:2012/08/02(木) 05:52:27.93 ID:dCmgKwcB
>>315 そんなのどっちとも捉えないに決まってるでしょ。
中観はxである、xでないという四句分別から逃れた戯論寂滅を目指すので、
なんらかの見解を提示したり、思想を批判して何らかの思想構築するものじゃないから。
少なくとも月称菩薩はそうだ。
>>320 べつに中観の真理について聞いてるわけではないんだ。
認識の対象として認められる対象は有るのか、それとも心でしかないのか。
という点について中期(月称を含む)までは中観系は唯識の
外界は存在せず認識の対象は存在しない
って考えを否定して、外界の実在を唱えていて、
それが後期のシャータンラクシタやカマラシーラやハリバドラになっちゃうと唯識色が強くなっちゃって
実在とも非実在とも主張されるようになっちゃって、じゃあ、そこで結局どっちなの?ってことが聞きたかったんだ。
蛇足だけど、
>なんらかの見解を提示したり、思想を批判して何らかの思想構築するものじゃないから。
>少なくとも月称菩薩はそうだ。
っていってるけど、プラサンナパダーだってバーヴィヴェーカを批判して組み上げたモノでしょ?
っていうか帰謬論証という立場というか方法は他の思想の批判の上に成り立つものだよね。