1 :
神も仏も名無しさん :
2012/04/16(月) 01:39:23.61 ID:HUNwRJ58
2 :
バカ女 :2012/04/16(月) 01:40:50.41 ID:HUNwRJ58
ろんのアホがみなさんに感染しないように、少し紹介します。私の考えはフッサールとはちがいます。 超越論的還元が解き放つのは、首尾一貫して継続されるべき、まったく新しい種類の経験、 すなわち、超越論的経験である。 この還元によって、あらゆる場面で隠れて機能している絶対的主観性とその超越論的生が開示される。 実在的な客観も理念的な客観もそれらのすべては、この超越論的な生の志向的綜合によって構成され、 定立的な存在の妥当性を付与されるのである。 超越論的還元は、こうしてひとつの絶対的な現象学的学の主題となる領域を提供するのであり、 そしてこの学は、すべての超越論的ないし理性論的問題提起を内蔵しているがゆえに、 超越論的学と呼ばれるのである。・・・・・ 全集 第9巻 『現象学的心理学』 しかし、この結論は論理的必然でもあるのです。 現象学的還元とは、一切の超越者(私に内在的に与えられていないもの)に無効の符号をつけることであり、 すなわち、その超越者の実在と妥当性をそのまま定立しないで、せいぜい妥当現象として定立することである。 たとえば、一切の心理学や自然科学など、あらゆる科学を私はただ現象として利用しうるにすぎず、 したがって、それらを私にとって、認識批判学の手がかりになりうる妥当的真理の体系として、 また前提としても、仮説としてさえも、利用してはならない。 この還元によって初めてわれわれは、もはやなんらの超越性をも提示することのない 絶対的所与性を獲得するのである。・・・・・ 全集 第2巻 『現象学の理念』 「私に内在的に与えられていないもの」、つまり私たちが日常生活を送るために必要な素朴な信念の体系 すなわち、超越者を無効にすることで、純粋体験(現象学的還元による現象)という領野が開かれます。 これはまったく新しい種類の経験であり、超越論的経験(経験を成立させる条件としての純粋経験)です。 しかし、それは「私に内在的に与えられていないもの」を無効にすることのなかに、すでに内在しています。 現象学的還元において、経験の主体たる「私」は無効にできないと、はじめから主張しているのですから。
3 :
バカ女 :2012/04/16(月) 01:43:35.10 ID:HUNwRJ58
前スレ871 >あなたはわかってないと思うけど、一言で言えば、ハイデガーは哲学じゃないの。。 形而上学だから哲学ではない、って言いたいんでしょう? よく見かけるアホの典型。 >哲学科の中でも、ハイデガー主義者はいるけど、まともな厳密な学じゃないから、 >ゲリアン(ハイデゲリアンの略ね)といわれて、あんまり相手にされなかったりする。。 くだらない流行に染まっていい気になってる恥知らずが ↑ ここにいますよ。 ろんにハイデガーは理解できないよ。それ以前に読んですらいない。バレバレ ハイデガーは・・・・・結局主観性から出発して、議論を構築するってやってるわけだから。。前スレ825 では、ハイデガーはフッサールの他者理解(間主観的世界)についてどう思っていたでしょうか? >ハイデガー自身は天才かもだよ。。 >けれどハイデガーに心酔する人たちは、まともな哲学やってない人たちなんだよ。。 >まあ学部生レベルだとそういう話だな。。 >大学の教員になって、まだやってる人たちは、そういうことわかったうえでやってるから、いいんだけど。。 はいはい、どうでもいいから。(苦笑)
4 :
バカ女 :2012/04/16(月) 01:45:51.84 ID:HUNwRJ58
前スレ873 >厳密に論理構築した哲学って、ドイツだとスピノザ、カント、フッサールくらい。。 >ヘーゲルとハイデガーは、こうですって、根拠もなく断定してるだけだから。。ww >まあ、クリアーに思考するのが好きな人、思想なんか要らん、哲学がやりたいという人は、 >まず、ヘーゲルやハイデガーには行かない。。 >カント、フッサールか言語哲学に行く。。 >カント、フッサール、言語哲学、は地味だから、つまらんかもだけど、 >まあまっとうな哲学と言ったら、そっちだし、まともな哲学の基本を理解せずして、思想だけやると、 >まず、まともなものにはならない。。 >哲学科で、西洋哲学全体を踏まえた上でやるなら、まだいいんだけどね。。 ↑ 知ったか、落ちこぼれの戯言、哲学と格闘したことがない証拠、猿でもわかる哲学入門、 スピノザもカントもフッサールもヘーゲルもハイデガーも言語哲学も・・・知らないんだから、騙るな! 入門書で哲学史を学ぶことは哲学ではありません。 系譜をながめたり、分野の系統をたどることも哲学ではありません。 哲学は哲学することです。 哲学は自分の頭で考えることです。 哲学の書物を開いても、思考の痕跡を追うだけでは、哲学の営みではありません。 哲学者の思考を生きるのでなければ、哲学しているとは言いません。 入門書に意味がないのは、哲学者の生き生きとした探求に出逢えないからです。 哲学は流行りの思想を知ることでもなければ、流行りを吹聴することでもありません。 哲学は哲学することです。 哲学は自分の頭で考えることです。
>>1 スレ立て乙であります・・・。
何やら哲学戦争に発展しておるようであります。
6 :
神も仏も名無しさん :2012/04/16(月) 02:18:13.24 ID:/ZZfiQhj
>>1 スレ立て乙です〜
哲学と悟りの違いってなんなんでしょ〜ね〜
>>6 ほぼ関係ないでしょう。
哲学が言葉で真理に至ろうとするならば、
仏教は身体で悟りに至ろうとするのでしょう。
8 :
バカ女 :2012/04/16(月) 02:36:07.93 ID:HUNwRJ58
>>2 もちろん「私」と呼ぼうと「絶対的主観性」(超越論的主観性)呼ぼうと、
「私」には、いかなる内容も実在性も求められません。
なぜなら現象学的還元において、超越者の実存とその妥当性はエポケーされているからです。
ハイデガーは『存在と時間』の中で、現象学的還元による現象を、以下のように位置づけます。
存在は絶対的超越である。現存在の存在の超越は、
そのなかにもっとも根底的な個体化の可能性と必然性とが伏在しているかぎり、
殊別的な超越である。
超越としての存在を開示することは、すべて、超越的認識である。
現象学的真理(存在の開示態)は、超越的真理である。
現象学的還元による現象は、ハイデガーにとっては「存在の開示態」なのです。
現象学的真理(超越的真理)において、フッサールとハイデガーは一致します。
けれど、ここを基点として、フッサールは個別の現象について「何であるか」を、
つまり「本質」を問う作業に入っていきます。(形相的還元)
ここから先は、方法論はともかく、やっていることは認識論の範疇ですから、
信頼していた弟子ハイデガーと袂を分かたなければならないのは必然なのです。
現象学的記述の方法的意味は、解意するということである。
現存在の現象学のロゴスは、解意という性格をそなえている。
このはたらきをつうじて、現存在は自身にそなわる存在了解に、存在の本来的な意味と、
現存在自身の存在の根本的諸構造とが打ち明けられるのである。
ハイデガーにとって、現象学的還元による現象は、そこから存在論がはじめられる原点なのです。
9 :
バカ女 :2012/04/16(月) 02:41:34.89 ID:HUNwRJ58
>>8 >ハイデガーにとって、現象学的還元による現象は、そこから存在論がはじめられる原点なのです。
訂正
ハイデガーにとって、現象学的還元は、そこから存在論がはじめられる原点なのです。
つまり、現象学的還元に、存在論への方法的意義を認めているということです。
>>7 しかし、言葉では至れない…
言葉を発すると、言葉を発した自分が生ずる。
正に、主体ですね〜
言葉を止めても、思考する限り、思考する自分が生ずる。
ハムスターが、回転車の中を走っている様な感じですかね〜w
自分が止まるしかないのでしょ〜ね〜
11 :
バカ女 :2012/04/16(月) 02:52:36.45 ID:HUNwRJ58
>>7 >哲学が言葉で真理に至ろうとするならば、
>仏教は身体で悟りに至ろうとするのでしょう。
大悟くんは、お元気ですか? 奥さんを大事にしていますか?
アンポンが奥さんと子どもを大切にして共に生きていくことが悟りです。
くらいに思っていれば、間違うことはありません。
おやすみなさい。
バカ女史のろん教授への怒りは収まりそうもありませんね。 今後の二人の対決も見どころです。
13 :
473 :2012/04/16(月) 06:01:35.34 ID:4vvIzOnU
ブッダが生きていたころのインドでは修行者は尊敬されていました。 もしブッダが現代の日本や、まして中国に生まれていたら全く違う生活規範を作り上げていたはずです。 作物を植えたら生えてくる。これは人間が持つ所与の知恵じゃないでしょうか。 大地の人間への愛であり、植えて分かち合うのは人間による愛です。 いつも食べたいと思っていたり、作物の成長をいつも気にかけていたり、植えないで期待していたり、 そういうのは欲といわれると思います。
14 :
神も仏も名無しさん :2012/04/16(月) 06:26:29.81 ID:B8FRIvMh
種を蒔いたら放っておく 素晴らしいすな 植えるのはやりすぎかもしれませんが(笑
15 :
神も仏も名無しさん :2012/04/16(月) 06:32:09.66 ID:B8FRIvMh
愛とかいう単語を使い始めたら一旦止まってみるべき そこには人間の傲慢さが隠されてはいませんか?
スレ立てありがとうございます。
前スレ
>>894 > 迷える子羊って言うけどさ、ホントに迷っているんだろうかね。。
> 正しく訳せば、迷子の子羊か。。
なんのことはない、迷わせているのは私ですね。
「ひとつ」になっていないから、つまりそれになりきれていないから、
迷っているように見えるだけなのかもしれません。
> ・・無門禅師の話だと、シッポはもう穴に落ちて見つからないそうだけど。。
> 通り過ぎれば穴に落ち、 引き返しても粉みじん。
穴とは何でしょうか?
引き返して、もう一度見ようとしても、そのときのままではない・・・。
前スレ
>>898 > 大人は、いつまでもくよくよするかもだな〜。。
ああだこうだと評価・分析・解説したいのですね。
19 :
ろん :2012/04/16(月) 07:53:53.24 ID:EPFNAkH4
20 :
ろん :2012/04/16(月) 08:03:12.07 ID:EPFNAkH4
前スレ956 ぜんぜんわかってないじゃん。。 西田とフッサールをごっちゃにしてるという指摘もズバリ当たってる。。 西田は禅を経験した人だから、主客の消滅と言う体験があることは知っていたと思う。。 しかし、それを哲学として構築しようなんてしたから、いろいろ矛盾は生じるし、 僕からしたら、哲学にすることに意味はないと思う。。 一方フッサールは、明確に主客があるのよ。。 ウィキなんて見てないけどさ、『デカルト的省察』の議論を知ってますか? 地平と言う概念で、いまだ経験したことのないもの、未知の対象を規定し、 さらには、自己の純粋意識による哲学の構築と言うそのものを放棄し、 他者との共同主観性を根拠に哲学を確実なものにしようとする。。 すなわちこうした試みそのものが、純粋意識、あるいは還元による、超越論的哲学告知気の試みの破綻であるわけ。。 (つづく)
21 :
ろん :2012/04/16(月) 08:09:43.98 ID:EPFNAkH4
続きは消えちゃったから、またあとでだけど、一体バカ女はハイデガーを持ち上げて何が主張したいんだろうか。。。 ぼくは、フッサールが抜けているから、あなたにはまともな哲学的思考ができていないと言いたいのだけどれど、バカ女の方が主張したいことが不明だな。。 まあいいや・・どうせ意味ないんだろうか。。
22 :
ろん :2012/04/16(月) 08:12:46.39 ID:EPFNAkH4
哲学研究者と言うものは、例えばハイデガーでもその主張を自己の主張にしてるわけじゃないし、 それを自己の武器みたいに思って、自我を強めるなんてこともない。。 マトモな人たちだからあたりまえだけど。。 まあ、バカ女は何らかの武器が欲しいんだろう。。 精神分析的に言えば、去勢の否認とか、ファロスの代理とかになるんだろうなー。。 要するに、幼児的な万能感にいつまでもしがみ付くガキと言うことだ。。
23 :
ろん :2012/04/16(月) 08:16:03.44 ID:EPFNAkH4
>>17 迷わせている私があるのかなー。。
たとえばぼくのおチンコが、穴に突っ込みたいと思ったとしてww、僕が思ってるんだろうか?
おチンコの部分欲動と言うか、おチンコの願望に過ぎないと思うんですが。。。。。
無門が言う穴に堕ちというは、単にシッポが無くなったことの説明だと思いますが。。
24 :
ろん :2012/04/16(月) 08:20:41.99 ID:EPFNAkH4
まあおチンコの欲動は長続きしないから、あまり気にしませんが、おチンコの願望に従ったほうが楽しそうだって時は、おチンコ様にしたがっちゃうかな〜ww 飛び出していったヒツジについて行ってしまう羊飼い。。 いや、おいらは、羊飼いを無視して遊びに行く羊そのものかもだ。。
25 :
ろん :2012/04/16(月) 08:23:05.36 ID:EPFNAkH4
>>3 形而上学ですらないじゃんww わからんかなー?まともな形而上学と、恣意的で無根拠な青年の主張との違いが。。
26 :
ろん :2012/04/16(月) 08:24:35.88 ID:EPFNAkH4
ハイデガーにおける存在とは神の被造物、あるいは神です。。 よってそういう宗教観念、キリスト教観念を再び取り戻そうとする試みなのよ、要するに。。 だからダメなの。。
8スレ
>>894 >単に好きなとこに遊びに行ってるだけなんじゃないだろうか。。
帰りたくなった時には、帰ってくるんじゃないだろうか
公園で友達と野球して
川で泥んこになって遊んで
家に帰ってお風呂に入ってご飯食べて寝て
そしてまた遊びに行くのですね
それが真相かもしれません
全ては全ての遊びかもしれませんね
29 :
473 :2012/04/16(月) 09:12:55.11 ID:YOP3jhVk
世界は母なのです。世界を敵としてしまっては主客の分離は避け得ない。 世の中はいい人ばかりです。 みな誠実で、寛容で、あまりに私がひどいと時々怒ってしまうこともありますが、優しく導いてくれます。 これはあくまで主観であって、そのいい人は多かれ少なかれ自分自身の見つめたくない部分は自分に見ず、相手に投影して、 そして主観的に寛容で誠実でいい人だと感じているようです。 不思議なことにいろんな人がいますがその平常時の主観は実に似通っているのですね。 自分に認めたくないことをつつかれるとすぐ怒る人なんかはある意味普通の人です。 しかし自己回避が強くサイコパスに近づくと、あらゆる自分に不都合なことはスルーするか相手に投影して、心底自分は普通の人間であり 周りの人は哀れな人として見たり、かわいそうな自分を根拠無く責め立てる人としてみたりするようです。 この辺、本当に誠実な人も不実な人も一見主観が似通っているような。 悪い人というのは私の主観を通じて他人を評価するところに存在するだけで、悪い人だと思っている主観は存在しない。
30 :
473 :2012/04/16(月) 09:13:10.52 ID:YOP3jhVk
仏陀は食中毒で亡くなりましたが、最後の食事を布施してくれた人に感謝してこの世を去っていったようです。 最初の食事は母が与え、最後の食事は彼が与えてくれた。彼は特別な人だと。 仏陀にあっては敵は存在せず、全てが祝福だったようです。全ては捉え方なのだと。 (ちなみに体だけということですと、ラマナマハリシ、ラーマクリシュナは喉の癌、グルジェフは交通事故からの持病で最後は数リットルの腹水 oshoは歯の病と放射線をうけて体中がひどい苦痛だったようです。20世紀の覚者はクリシュナムルティ以外は壮絶な身体の苦痛にあったようですが、 彼らはただ見守り微笑んでおり、むしろ周りにいる人が見守れず苦しんでいたようです。 しかしこういった単純な体のことよりも、普通敵意を見るようなことに覚者は全く敵意を見出さない事により身近な感銘を受けます)
8スレ899 >格子戸越しに見なければというけれど、むしろものを見えなくしているのは格子戸の格子ではなく、格子戸の周りの壁では。 壁のことは公案に書かれていないことから察するに この公案においては、格子(戸)が価値判断のメタファーなのかもしれませんね ただ8スレ616では >格子窓の向こうに牛が通り過ぎていくのを見る と書いているのです 「格子戸」ではなくて「格子窓」をくぐり抜ける牛... イメージするとなんともシュールな感じがします (笑) ちなみにに悟り子は473さんのご推察の通り「格子窓」の向こうを牛が横切るのを見る と解釈してました
哲学論議は興味がないんで、どうでもイイな。
>>21 >一体バカ女はハイデガーを持ち上げて何が主張したいんだろうか。。。
バカ女さんの主張したいのは、「自分の悟りについての哲学的な考察の正しさ」じゃないかな。
>>22 >精神分析的に言えば、去勢の否認とか、ファロスの代理とかになるんだろうなー。。
>要するに、幼児的な万能感にいつまでもしがみ付くガキと言うことだ。。
病気である自分に対する絶対肯定の根拠が、バカ女さんの「哲学理論」だから
これを否定することは自分自身の否定に繋がるから話としては切実だよ。
なるほどな〜 でもここは、悟りのスレだからな〜 肯定も否定も超えなきゃだな〜 超えるというか、観るというか…
>>6 >哲学と悟りの違いってなんなんでしょ〜ね〜
あくまでも私見ですが
哲学は厳密にして精緻な言語的思考により何かを言語的に概念化する学問であり
悟りは平たく言うと開かれた心で自由闊達に生を生きる在り方だと感じます
あくまでも御参考までに
何もない、と通り過ぎることこそが、穴に落ちることだと思いますね…。
38 :
神も仏も名無しさん :2012/04/16(月) 12:15:04.09 ID:B8FRIvMh
たぶん哲学が面白くないのは悟るまでのはなしだからだよ 悟ったならその先をはなさんとな
哲学の話は難しいんで、バカにも分かるサイトはどこかにないですか?
>>36 なるほど〜
しかし、哲学ってのは、意味のわからん言葉を並べてる様にしか観えんな〜
最終的に何がしたいのか、ようわからんw
向こうの、ノスさんと変わらんのじゃない?w
正法眼蔵の方がよっぽど哲学の様な気がするんだが…
おおっ、イカン!! ずっとコテハン抜けてた!!
43 :
ろん :2012/04/16(月) 18:06:40.25 ID:EPFNAkH4
>>27 ああお茶どうも。。 でもこのスレ立てたのはバカ女だからね。。 僕は、>>19にあるように同じスレをまた立ててしまった。。。 男とはおっ立てるのが好きな種族なのか。。ww
44 :
ろん :2012/04/16(月) 18:11:08.94 ID:EPFNAkH4
>>34 そうだな〜。。
基地にどう対応するかって、マンガがどっかに貼ってあって、それによると否定しない方がいいということらしい。。
否定も肯定もしない。。w
話題を変える。。ww
今日の天気はいいね〜。。
桜も散ったね〜。。
とか言ってればいいのかも。。ww
否定すると火に油を注ぐように妄想が膨張して、逆効果らしい。。
というか、はじめからカウンセラーのとこにでも行けばいいものを。。
45 :
ろん :2012/04/16(月) 18:19:44.84 ID:EPFNAkH4
去勢とはすなわち自己万能感の放棄であって、大人にって社会に参入するに当たっては、誰もが受け入れるあたりまえなことなんだ。。 で、自己万能感の根拠が哲学知識って、まあ、傍から見たら、意味ない、しょーもないことやってんだけど、 本人とっちゃーそれが、自我そのものだから捨てられないのだろう。。 捨てられないなら、論文でも書いて学会誌にでも投稿すればいい。。 あるいはブログとかホームページにでも書いて、感想も求むとかやればいいこと。。 まあ論文は無理だろうけどね、テクストを原文で読む根性がなきゃアカデミズムではやっていけん。。 とにかく、10枚くらいでもいいから、理路整然と自分の考えをまとめる、と言うことができないと、人から見て何を主張したいのかわからない。。 おそらく「私は頭がいい」とか「哲学を知っている」と言うこと以外何もないのだろうけど。。ww
今日は、やけに雀がちゅんちゅん
>>45 なんだか、中島敦の「山月記」を思い出したよ。
「臆病な自尊心と、尊大な羞恥心」だっけ。
48 :
《アラシを呼ぶ男》 ◆Arasi/MT2E :2012/04/17(火) 00:03:11.18 ID:AJLZwNUC
49 :
安堂 :2012/04/17(火) 01:04:21.75 ID:8raKr6yz
神のみぞ万能なのだよ・・・。
哲学とはカルトにハマるより怖ろしい自己完結型盲信といえる・・・。
レベル2って・・・低すぎ・・・。 修行が足りん。
俺もやってみた。
結構、レベルあるな。
54 :
神も仏も名無しさん :2012/04/17(火) 01:44:07.96 ID:+Wwfrvo8
>哲学とはカルトにハマるより怖ろしい自己完結型盲信といえる・・・。 ww上手いこと言えるようになったじゃないか、安堂w 悟りオタクになるのも、同じようなもんだぞwwww
55 :
安堂 :2012/04/17(火) 01:53:14.26 ID:8raKr6yz
まあ教理化は哲学化と同じだからですね・・・。 哲学とは病気の一種で、哲学病といわれております。 長年確信していた信念が壊れた時に患いやすい病でしょう。最悪狂死するがね・・・。
56 :
ろん :2012/04/17(火) 02:04:20.87 ID:qlrOU7TY
僕は哲学科の友達が何人かいて、一人だけアカデミシャンの道をまだ続けてる。。 ただここ2年くらい連絡を取ってないから、何をやってるのかわからない。。 哲学の場合はは途中でやめて、一般企業に就職する場合が多い。。 僕の友達も、3人大学院まで行って、一人は修士で辞めた。 もう一人は博士課程途中で辞めて、就職・結婚。。 もう一人はフリーターでヒモ生活だったんだけど、今は何してるわからん。。 今も哲学続けてるのは、大学非常勤しながら結婚もしたみたいだけど、職に就いたかはわからんな〜。。 こんど、連絡取ってみようと思ってるけど。。 ついでに言うと、鬼スレで馬を〆るとか〆ないとかで、やり合ってたやつはたぶんこのうちの一人。。 こいつは頭よかったんだけど、言ってる言葉まるでアホなんだよん〜、あっはっは。。 みんなメチャクチャおもろいやつらだった。。 あーひとり留学して学位取って来た女の子は、小学校の先生やってるよ、今。。 学部卒で、地方局のレポーターになった娘もいたな〜。。 おいらは哲学科じゃないんだけどね。。
57 :
安堂 :2012/04/17(火) 02:15:28.38 ID:8raKr6yz
哲学科なんか行くなら神学部にでも行って司祭にでもなった方がいいだろう。 まあ日本は神学部なんかほぼないけど・・・。哲学部は一つもないだろう。 大学というシステムがヨーロッパの修道院起源の聖職者医者法律家養成の専門部門だから。
58 :
ろん :2012/04/17(火) 02:24:15.31 ID:qlrOU7TY
>>47 詩人になれなくて、虎になっちゃう話だっけ。。
>>51 おれもレベル知りて〜。。
どうやって出すの?
59 :
バカ女 :2012/04/17(火) 02:27:29.65 ID:v3yEyiY8
>>20 >西田とフッサールをごっちゃにしてるという指摘もズバリ当たってる。。
真性のバカですか? ろんはもう少し勉強しなさい。
経験するというのは事実そのままに知るの意である。
全く自己の細工を棄てて、事実に従うて知るのである。
純粋というのは、普通に経験といっている者も
その実は何らかの思想を交えているから、毫も思慮分別を加えない、
真に経験そのままの状態をいうのである。
たとえば、色を見、音を聞く刹那、未だこれが外物の作用であるとか、
我がこれを感じているとかいうような考のないのみならず、
この色、この音は何であるという判断すら加わらない前をいうのである。
それで純粋経験は直接経験と同一である。
自己の意識状態を直下に経験した時、未だ主もなく客もない、
知識とその対象が全く合一している。
これが経験の最醇なる者である。・・・・・ 西田幾多郎『善の研究』岩波文庫
冒頭のあまりにも有名な部分の抜粋ですが、
はっきりと「自己の意識状態を直下に経験した時」と書いてあります。
とは言っても、いわゆる意識を思い描いてしまうのでは話になりません。
純粋経験とは、主客が没する経験ですが、経験であるからこそ主客は消滅しません。
この逆説が理解できなければ、真の哲学には近づくことさえかなわないと思います。
60 :
ろん :2012/04/17(火) 02:27:38.72 ID:qlrOU7TY
>>57 結局ルネサンス以降の西洋の思想は、神との対決なんだよ。。
哲学の中で、神を無視するもの、その影を残す者、哲学的に変奏するもの。。
ニーチェのように真っ向から批判するもの・・ハイデガーのように、巧妙に復活させるもの。。
いろいろだね。。
61 :
ろん :2012/04/17(火) 02:31:02.02 ID:qlrOU7TY
>>59 だから、経験的には主客未分。。
哲学的には主客分裂、というだけ。。
逆説でもなんでもない。
あんまり意味のない考察だと思うが。。。
62 :
バカ女 :2012/04/17(火) 02:33:46.47 ID:v3yEyiY8
>>20 >西田は禅を経験した人だから、主客の消滅と言う体験があることは知っていたと思う。。
>しかし、それを哲学として構築しようなんてしたから、いろいろ矛盾は生じるし、
>僕からしたら、哲学にすることに意味はないと思う。。
ろんは先達の域まで到達してないのに、その手前で簡単に明らめることを諦めています。
私のような天才は別ですが、凡人は一歩一歩あきらめずに近づいていくしかありません。
>一方フッサールは、明確に主客があるのよ。。
フッサールは『イデーンT』で「純粋体験の領域が超越論的なのは、現象学的還元によって
素材とノエシス的諸形式との絶対的領域が見出されるから」とハッキリ書いています。
現象学的還元は、超越論的主観性への還元(デカルトのエゴ・コギトへの還元)ですから、
超越論的独我論を導きます。(あらかじめ言っておけば、フッサール自身が言っています)
フッサールは、フレーゲとの対話により心理学主義を捨てましたが、新カント派との交流から、
今度は「純粋自我」(心理学主義に対抗するものとしてのそれ)を立て、
そこから現象学的還元に至るのですから、この意味でも主観を立てるのは必然に思われます。
>他者との共同主観性を根拠に哲学を確実なものにしようとする。。
共同主観性は、フッサールが思うようには成立しません。ここから先は有料です。(笑)
ウィトゲンシュタインの哲学は、フッサールとの対決によって導かれていると言われます。
私は、弟子のハイデガーは、おそらくウィトゲンシュタインの独我論を経由して、
自らの存在論を打ち立てています。
哲学者研究に興味はないので、妄想でかまいませんが、これが解明へのヒントです。
63 :
安堂 :2012/04/17(火) 02:34:24.77 ID:8raKr6yz
>>58 名前欄があるでしょ。ここに例えばろんなら、以下のように入力する。
名前:ろん !ninja
>>60 神か・・・。ユダヤ教の前はゾロアスター教があったから、そのあたりから一神教の形成と見るべきか。
64 :
バカ女 :2012/04/17(火) 02:36:35.44 ID:v3yEyiY8
>>21 >一体バカ女はハイデガーを持ち上げて何が主張したいんだろうか。。。
ハイデガーについては批判した記憶はあっても持ち上げた記憶がありません。
私は共同主観性についてハイデガーがどう考えていたか、ろんに質問しましたが、
ろんがそれに答えられたら、フッサールの誤りにも気づくことができるでしょう。
もし哲学というものが、思索の問題事象すなわち存在の真理へとまずもって関わる
という可能性をたえず阻止することにのみ従事するならば、そのかぎりにおいて、
そうした哲学は、自分の扱う問題事象の容易ならざるむずかしさにいつの日か
ぶつかって崩れ折れるという危険なぞ露知らずその外部に立って、
みずからの安全性の保たれたものにとどまる。
それゆえに、挫折に関してこれを上から見下ろしながらあれこれ論評するような
「哲学する」やり方などは、みずから挫折のなかに立って思索するやり方からは、
一つの裂け目によって分け隔てられているのである。・・・・・ 『ヒューマニズムについて』
>ぼくは、フッサールが抜けているから、あなたにはまともな哲学的思考ができていない
フッサールは、現象学的還元が到達点で、あとは山を下るばかりです。
現象学的還元のアイデアはすばらしいけど、それ以外に見るものはありません。
65 :
ろん :2012/04/17(火) 02:44:49.83 ID:qlrOU7TY
>>62 だからなんで僕が『デカルト的省察』の話をしてるのに『イデーン』に戻るんだよ?
『デカルト的省察』が独我論を超えようとして転回した後の思想。。
現象学は独我論だという批判にこたえようとしてるんだよ。。
フッサールで主客が残らないというのは、はっきり言ってトンデモです。。
主客が残らない厳密な学が完成したなら、今頃みんなフッサール主義者になっているだろう。。
限界があるから、過去のものとされているの。。
こういうのも常識なんだがねー。。
僕はフッサールのゼミに出てたことあるんだけど、
先生はそういう限界を全部わかっててやってるのよ。。
ノエマ・ノエシスと分ける限りは主客が残らざるを得ないと。
今度こそ!
あっはっは、レベル40って、おれつえーじゃんww
69 :
安堂 :2012/04/17(火) 03:20:23.69 ID:8raKr6yz
70 :
バカ女 :2012/04/17(火) 03:23:51.39 ID:v3yEyiY8
なんか規制みたいで書けません。どうなってるの?
>>22 >まあ、バカ女は何らかの武器が欲しいんだろう。。
ろんにとやかく言われなければなにも言い返しません。
>要するに、幼児的な万能感にいつまでもしがみ付くガキと言うことだ。。
ろん自身の解説ですか?
>>61 >だから、経験的には主客未分。。
とんでもなく話がすれ違っています。よく読んで。
主客は経験が成立するための条件なのね。
まさか主客がなくても経験が成立するとか思ってるわけ?
>逆説でもなんでもない。
ろんはわかってないの・・・・・自分で考えてね。
71 :
バカ女 :2012/04/17(火) 03:30:03.68 ID:v3yEyiY8
>>65 >『デカルト的省察』が独我論を超えようとして転回した後の思想。。
>現象学は独我論だという批判にこたえようとしてるんだよ。。
後期はタガが外れたと前スレのときに書いたよ。
>フッサールで主客が残らないというのは、はっきり言ってトンデモです。。
一言もそんなことは言ってません。
私は、はじめから主客がある、って書き続けているのに、なに言ってんの?
>ノエマ・ノエシスと分ける限りは主客が残らざるを得ないと。
純粋体験の領域が超越論的なのは、現象学的還元によって
素材とノエシス的諸形式との絶対的領域が見出されるから
って書いてあるのに、なに言ってんの?
私をやっつけたい気持ちはわかるけど、冷静になってよ。
私は悟りの境地でも、ひとつになる境地でも、絶対に主客の形式は消滅しない、
って主張し続けてきているわけだから、フッサールが主客を消滅させたなんて
思っているはずがないでしょうに。
とにかく話しがすれ違っているから、冷静になって読み返しましょう。
72 :
安堂 :2012/04/17(火) 03:33:45.53 ID:8raKr6yz
73 :
バカ女 :2012/04/17(火) 03:47:52.45 ID:v3yEyiY8
>>25 >形而上学ですらないじゃんww
なにがどうたらだから形而上学ですらない、と言えなきゃアホの戯言でしょうが。
>わからんかなー?まともな形而上学と、恣意的で無根拠な青年の主張との違いが。。
なにひとつもわかっていないのに、わかっているふりをする。それが、ろんという風景。
>>26 >ハイデガーにおける存在とは神の被造物、あるいは神です。。
>よってそういう宗教観念、キリスト教観念を再び取り戻そうとする試みなのよ、要するに。。
嘘ばっか言うな! どこで言ってるのか示しなよ。
ハイデガーは神存在/非存在についてはなにも言わないし、
少なくとも自分の哲学上では、有神論者でも無神論者でもありません。
74 :
ろん :2012/04/17(火) 03:59:54.52 ID:qlrOU7TY
>>70 >主客は経験が成立するための条件なのね。
まさか主客がなくても経験が成立するとか思ってるわけ?
主客も経験もありません。。
その時々の現象があるだけです。。
道元が言ってるように、ものを意識するときにあるのはものだけ。。
こころとを意識するときにあるのは心だけ。。
ものを意識したということを過去から振り返って、ものが意識できたのだから、
意識するもの、ノエシスでもいいけど、そういう主観があったと想定してるだけなんです。。
現象学的に観察すれば、今働いている意識と言うものはつねに一つだということです。。
主客とは経験を知的に振り返って、概念的に分割しただけと言うことです。。
禅者にとってはあたりまえ。。
哲学者はわかってないかもだけどね。。
75 :
ろん :2012/04/17(火) 04:02:16.22 ID:qlrOU7TY
>>71 超越論的と言う言葉の意味ホントにわかってますか?
ちょっと説明してみてくださいよ。。
ぜんぜんわかってないように思えるんだが。。
76 :
ろん :2012/04/17(火) 04:07:16.74 ID:qlrOU7TY
>>73 >どこで言ってるのか示しなよ。
どこで言ってるか知らんが(最後期で顕著だと思う)、全体としてハイデガーの存在の扱い自体がそうでしょ。。
神じゃなかったら、ただの質料、ものでいいじゃん・・ゴミと一緒でしょ。。w
それをなぜ御大層なものの如く扱うのか。。
ハイデガーの存在は神だってのは、デリダを始め後の人の多くが言ってること。
Onto-teo-theologyだったか(?)、存在神学なんて言われてる。。
77 :
バカ女 :2012/04/17(火) 04:15:50.60 ID:v3yEyiY8
>>74 勘違いしてすみません、はないの? それでいいの?
>主客も経験もありません。。
>その時々の現象があるだけです。。
現象があるだけ、などとどうして言えるんですか?
>道元が言ってるように、ものを意識するときにあるのはものだけ。。
>こころとを意識するときにあるのは心だけ。。
「意識する」ときにあるのは「もの」だけ、が、ただ「ものがある」ということなら、
どうして、意識する、などという行為が必要なんですか?
>ものを意識したということを過去から振り返って、ものが意識できたのだから、
>意識するもの、ノエシスでもいいけど、そういう主観があったと想定してるだけなんです。。
まさに、ろんの主観でしょう。
>現象学的に観察すれば、今働いている意識と言うものはつねに一つだということです。。
今働いている意識は、どうして働く必要があるのですか?
それ以前に、どうして意識がないといけないんですか?
78 :
バカ女 :2012/04/17(火) 04:19:12.84 ID:v3yEyiY8
>>75 >超越論的と言う言葉の意味ホントにわかってますか?
フッサール自身の言葉に、どんな疑問があるのか言ってみなよ。
>ちょっと説明してみてくださいよ。。
ろんがわかってないんでしょ。人に説明させるな!
>ぜんぜんわかってないように思えるんだが。。
おまえがな。
79 :
ろん :2012/04/17(火) 04:22:15.52 ID:qlrOU7TY
>>77 現象以外に何かあると考える方がおかしいだろ。。
誰にでも存在すると言えるものは、心とその内容だけでしょ。。
見てるものも心と言えば心、ものといえばもの。。
見方が違うだけだな。。
意識する行為なんてなくとも、意識してるではないかww
働く必要があるんじゃなくて、はじめから人間として完成してるんだから、
ただ生活すればいい。。
意識がないといけないんですかとか愚問だよ、そういう生物だってだけ。。w
80 :
バカ女 :2012/04/17(火) 04:23:17.77 ID:v3yEyiY8
>>76 >どこで言ってるか知らんが(最後期で顕著だと思う)、全体としてハイデガーの存在の扱い自体がそうでしょ。。
>神じゃなかったら、ただの質料、ものでいいじゃん・・ゴミと一緒でしょ。。w
>それをなぜ御大層なものの如く扱うのか。。
ひどいな、おい。話す気にならないわ。
ろんが、存在、存在、言ってた存在はいったいなに? ゴミをご大層に扱ってたのか?
>ハイデガーの存在は神だってのは、デリダを始め後の人の多くが言ってること。
デリダが言ってることを丸呑みか? 卑しい性格だわ。
81 :
ろん :2012/04/17(火) 04:23:23.17 ID:qlrOU7TY
>>78 いや、あなたがわかってるかどうかが問題でしょ。。
簡潔に説明できんの?
82 :
473 :2012/04/17(火) 04:42:41.18 ID:aiGjxN5B
基本的にろん氏は、こだわりが強く、劣等感が強く、権威に敏感。 その他の欲望も人一倍ある。 それを禅のロジックで押さえつけてるだけですから。 主客があるという女史への、そして個人として哲学を生きているといってる女史への、 まあそんなもの見ちゃいません。投影するためのスクリーンがあるだけで、他者からの指摘は、見ないことにしてるんだ。相手するほうがバカだろwww 相手に自分のコンプレックスを投げつけてそれを否定するだけ。 それに同調する人がいるのがこのスレのすごいところだけど。 宗教は本当は自分自身の人並みの広大な欲望に直面する道なのですが、 殆どの人は、また最終的に道に入る人でも、本来の欲望に2乗する形で宗教の夢を上書きしてしまいます。 夢を去るところを夢の解決という夢を上書きしてしまうのですね。 言葉の上では夢を去っているつもりでも、その振る舞いは普通の人より神経症的だし、今回も自分のコンプレックスを女史に投げつけていましたからね。 スレ主も良性だけどやっていることは同じ。 それとひとつになるといっても、それを、またそれとの分離を作り出しているのが私なのに、 その私がそれを愛しそれになりきろうとするのは、私を残してより強めることでしかない。 やはり2重の夢の方向なのだ。夢想ばかりで自分を掘り下げようとしない。 だからその私が創作した愛の根底にある私の悲しみや怒りや傲慢さをama氏の言動に見る。
83 :
473 :2012/04/17(火) 04:56:50.18 ID:aiGjxN5B
「体験に執着しない」 体験しているのが、体験を体験として認知しているのが、経験の総体である私です。 私は瞑想体験を記憶してしまっており、それが心地よいものならそう記憶します。 すると、それ以外のこと、人生全般のことが相対的に好ましくなくなってしまいます。 私を見つめていれば、生には連続性は無く跳躍がある。体験という地平は薄れる。 しかし、私が復権しそれを体験としてしまうと、それを言葉にしようとして人に伝えようとしてしまう。 要は私からの開放という個人的なワークが中断されてしまう。 人助けは、自分助けの中断。 どうしようもなくなって人とのかかわりに活路を見出すならいいのですが、順調なところ分かち合おうとするのは私の復権ですね。 あらゆる記憶の総体である私。私があらゆる喜びと苦しみと、恐れ、希望、欲望、問題、計画を作り出します。 つまり私が生み出すものはそれを受容し過ぎさらし、一見希薄なれど前述のものの全ての生みの親である私を やはり受容的に受動的に見つめる。 私をそのままに解放の夢を見るのは逆走ですし、それを回避して自分自身の現状と対峙しても、あらゆることを生み出す中心としての 私をそのままに苦しみだけ回避しようとするのが陥りやすいところです。 恐れを見つめることは、対応する執着や欲望、私のアイデンティティそのものを見つめることであり、 変容というのは全体的なものであり部分的にどうこうなる性質のものではありません。
84 :
473 :2012/04/17(火) 05:07:10.72 ID:aiGjxN5B
>>82 少し訂正
主客があるという女史への、そして個人として哲学を生きているといってる女史へのちぐはぐな
言動は正に問うに落ちず語るに落ちるといった感で彼の世界観がよく見えます。
基本的にろん氏は、こだわりが強く、劣等感が強く、権威に敏感。 その他の欲望も人一倍ある。
それを禅のロジックで押さえつけてるだけ、というか投影マシーン。
矛盾する言動や、相手の発言していないことへの反論を指摘されるとそれはいつもスルーしますが、まあそんなもの見ちゃいません。
投影するためのスクリーン候補があるだけで、自分自身に注意は決して向けない。
「自分を見るという言葉は相手に忠告するために利用します 。」わかりますか。言葉はあくまで使用者の道具であり、ここまで無力なのです(笑)
相手に自分のコンプレックスを投げつけてそれを否定するだけ、という機能が完全無自覚なまま働きます。
それに同調する人がいるのがこのスレのすごいところだけど。
本来、禅は主格が無いと嘯くのではなく、強烈に自分の主客の認識に向かい合います。
「道をお尋ねしたい」「これは美しい山であることよ」「山の話をお伺いしたわけではありません」
「仏の子よ、山を越えない限り、道に入ることはできない」
宗教は本当は自分自身の人並みの広大な欲望に直面する道なのですが、 殆どの人は、また最終的に道に入る人でも、
本来の欲望に2乗する形で宗教の夢を上書きしてしまいます。 夢を去るところを夢の解決という夢を上書きしてしまうのですね。
スレ主も良性だけどやっていることは同じ。だから一見ぜんぜん違いそうな人と話しが合う。
それとひとつになるといっても、それを、またそれとの分離を作り出しているのが私なのに、 その私がそれを愛しそれになりきろうとするのは、
私を残してより強めることでしかない。 そこには傲慢さがそこはかとなく現れる。やはり2重の夢の方向なのだ。夢想ばかりで自分を掘り下げようとしない。
だからその私が創作した愛の根底にある私の悲しみや怒りや傲慢さがama氏の言動の奥底にあらざるを得ない。
85 :
バカ女 :2012/04/17(火) 05:29:26.99 ID:v3yEyiY8
>>79 ごめん、書き込めなかった。
逃げないで、一つひとつの質問にちゃんと答えてほしかったけど、
ろんだもん、仕方ないね。
>現象以外に何かあると考える方がおかしいだろ。。
じゃあ、なんで、存在、存在、存在、とご大層に書いてたわけ?
もし現象の意味で存在と書いてたなら、
これからは、現象、現象、現象、って書いてくださいね。
>誰にでも存在すると言えるものは、心とその内容だけでしょ。。
心があると思ってるんだ? どこどこ見せて
それからバカ女には心がありますか? 教えて教えて
>見てるものも心と言えば心、ものといえばもの。。見方が違うだけだな。。
心にないものは存在しませんか?
>意識する行為なんてなくとも、意識してるではないかww
>働く必要があるんじゃなくて、はじめから人間として完成してるんだから、
>ただ生活すればいい。。
単なる与太話ということでいいよね?
>意識がないといけないんですかとか愚問だよ、そういう生物だってだけ。。w
話になりません。もういいよ、君、いらない。
86 :
バカ女 :2012/04/17(火) 06:08:08.83 ID:v3yEyiY8
>>81 >簡潔に説明できんの?
なんでわからないの?
純粋体験の領域が超越論的なのは、現象学的還元によって
素材とノエシス的諸形式との絶対的領域が見出されるから
って書いてある通りだよ。
素材というのは、現象を構成するところのそれ。
ノエシス的諸形式は、意識する作用の諸形式。
わかった?
現象学的還元は、認識判断の暗黙の前提(存在/真理妥当)を停止することであり、
それにより見出される絶対領域は、認識判断の暗黙の前提が成立するための基盤なので
「超越論的」と呼ばれる。ならわかるの?
そこから超越者が超越者として構成されるところの基盤として見出されるから超越論的なの。
わかった?
ろんのデタラメの訂正ばかりで、ろんは勉強できていいけど、私にはなにもありません。
私には、ろんから得るものがひとつもありません。不公平です。私にもなにかください。
あっ、そうだ、公案の答えでいいや。
87 :
473 :2012/04/17(火) 06:09:00.84 ID:9ZK4kEq6
哲学に興味を持ったり、また哲学を批判的に評論したりしている人は、 内部的には哲学に魅惑され影響を受けています。それゆえの反動です。 バカ女氏のいうことは思考の世界においては至極もっともなことばかりなので特に反論もないですし、 できるとすれば宗教に誘うくらいです。 でなければ一体何を言うことがあるのでしょうか。 というぐらい宗教に対しても飄々としていられればよかったのですけど。 言葉だけは私とおなじという宗教の概念にはどうも引っかかってしまう。 経験の総体である私が、判断して体験としてまた言語化する。 この働きがある限り、言葉には惑わされる。
88 :
バカ女 :2012/04/17(火) 06:14:46.44 ID:v3yEyiY8
存在の真理の思索は、無神論でもないが、有神論でもなく、 ひとえに慎ましく存在の真理に奉仕する。 しかしながら、このような指摘をしたからといって、思索される−べきものとしての 存在の真理のなかへと突き進むよう提示する思索は、けっして有神論を取る決断を 下したつもりもないのである。 そうした思索は、無神論的であることができないのと同様に、 有神論的であることもできないのである。 しかし、そうであるというのも、どうでもよいという冷淡な態度にもとづいてではなく、 むしろ、思索としての思索に対して立てられた限界を尊重するがゆえにであり、 しかもこうした限界が立てられているのも、思索に対して思索される−べきものとして みずからを与えてくるところのもの、すなわち、存在の真理によって、 まさにその限界が立てられているからである。 ――― ハイデガー『ヒューマニズムについて』ちくま学芸文庫 今日はこれで。
89 :
バカ女 :2012/04/17(火) 06:23:40.33 ID:v3yEyiY8
473さんが嫌でなければ、レスさせていただきます。 ろんの悪口は一切なしでお願いします。 とりあえず、今日は失礼します。
あんたらは、それで、ハッピーなんかね? ハッピーなら、それでいいんだけどね〜
「悟り」のスレで哲学の話は読むのが難しくて疲れるよ。 なんてったって人の名前や固有名詞が知らないものばかりだからね。 でも、哲学者が「悟り」をどう捉えていたのかには興味があるな。
そうなんだよね〜 ただ、他人に分からない言葉を並べて優越感にひたってるだけの様な気がする。 自分に向き合うとは、程遠い… まあ、哲学とか、悟りとか分別するのもナンセンス。 自己とは何か、世界とは何か、その境目は? それを訳のわからん言葉で誤魔化さずに、思索すればよかろうが…
>>1 あっ大変失礼しました
f^_^;
麗しの乙女さん、スレ立てありがとうございます
m(_ _)m
麗しの乙女さんに花を
言葉とは、自分との対話でもあります。 複雑な言葉は、自分の心をも複雑にしてしまいます。 みなさん、できるだけ、簡単な言葉で、語ってみてはいかがでしょうか? 哲学を簡単な言葉で表すというアプローチは、とても興味深く思います。
>>15 >愛とかいう単語を使い始めたら一旦止まってみるべき
そこには人間の傲慢さが隠されてはいませんか?
あと痛みや悲しみや怒りや憎しみや無力感や退屈や絶望や不安や自己正当化など
色々な感情が隠されているのかもしれませんね
96 :
神も仏も名無しさん :2012/04/17(火) 09:22:15.33 ID:+Wwfrvo8
>ただ、他人に分からない言葉を並べて優越感にひたってるだけの様な気がする。 wwwwwwww
>>30 >仏陀にあっては敵は存在せず、全てが祝福だったようです。全ては捉え方なのだと
全ての体験に祝福が隠されているとわかっていたとしたら
私達は今までとは違う在り方をするのかもしれませんね
98 :
神も仏も名無しさん :2012/04/17(火) 09:23:59.19 ID:+Wwfrvo8
どうした?wwww 473はw 誰もレスしてくれないので、毒吐き始めたのか?wwww
>>38 >悟ったならその先をはなさんとな
>その先をはなさんとな
>はなさんとな
つまり「話さんとな」と「放さんとな」をかけているわけですね
わかります
(o^∀^o)
100 :
神も仏も名無しさん :2012/04/17(火) 12:38:52.75 ID:BHYxPExY
急に変な質問してすみません。 自分は最近人生の中間点あたりに差し掛かりこう思い始めました。 今まで自分に降りかかった出来事総ては今の自分を創るためのイベントだった。 苦しみも悲しみも今考えればそれが幸せそのものだった。 今の自分の生活環境は決して良いとは言えないが、今の自分が大好きでたまらない。 そしてこれから起こるであろう出来事はどんな苦しいものでも悲しいものでも受け入れようと思っている。 逃げ出したくなったら逃げるかも知れないが、受け入れる時が来れば自然と受け入れるだろう。 取り敢えず今自分がやりたいことを心行くまで楽しもう。 そう思っている。 成仏は生きているうちにするもの。重罪者等は心に虚が有る限り死んでも成仏できない。 死んだ後も被害を受けた人間や重罪者の親族が苦しみを味わったり憎み続ける度また、 TVなどで取り上げられる度重罪者の魂は呼び戻され苦しみを味わい続ける。 死を迎えると魂は同じ1つの塊に吸収され、また生まれ変わる。 自分が死を迎えたら、次に生まれ変わるのは何でも良い。 また人間に生まれようなんて思ってもいない。色々な生き物に生まれ変わりその一生を全うしようと思っている。 また、人間に生まれ変わるも良し、永遠に生まれ変わらないならそれも良し。 本当はこの世に神など存在しないと思っている。もしあるとすればそれは異星人だとおもう。 心霊現象は人間が作り出したもので実際は存在しないと思っている。 この考えは宗教的考えなのだろうか?普通の人間的考えなのだろうか。 もし宗教的考え方だとすれば何の宗教に似ているのか? 悟った人、物知りさん教えて下さい。
仏道をならふといふは、自己をならふなり。 自己をならふといふは、自己をわするるなり。 自己をわするるといふは、万法に証せらるるなり。 万法に証せらるるといふは、自己の心身および佗己の心身をして脱落せしむるなり。 道元禅師
>>100 割りと普通の考え方だと思うよ。
前半はアセッション系、後半は日本人に多く見られる仏教的世界観だと思う。
自分が納得してるんだったら、それでイイんだと思うよ。
103 :
神も仏も名無しさん :2012/04/17(火) 14:52:44.43 ID:fP68rrmt
相手が悪く見える=自分がある道徳の殻に閉じこもっているからそれを通して見ると非難がましくなってしまう かつ苦しい =自分の中にある矛盾がその人を通じて活動的になる。愛情と憎しみ、道徳と怒り。 逆に言いますと、相手が悪く見えず、かつ苦しみもない、相手がよくも見えず、かつ喜びもない(よく見えるときは不特定多数への非難が必然です) そんな時、私には傷がない。 苦しまないのには他人に投げる方法もある。これはやるときは無意識なので、意識的に解明するのは骨が折れる。 相手が悪く見え、かつ自分は苦しくない。 明らかな矛盾を突っ込まれる≫相手があまりにバカなことを言うからそういうことを言ったかもしれない。それについて謝るのは相手のためにならない。 話してもいないことに反論してそれを突っ込まれる≫単にそう見えるし、真相はそうなのだろうけど、論理が飛躍しているというなら別の方向から再開しよう。 普通だったら自分が夢の中にいて現実を捻じ曲げて近くしていることを疑って苦しむのですけどね。 自分が間違っているとは夢にも思えない何か。 それには苦しみは無く、成長もない。 ≫バカ女さん 一体あなたは(わたしもか)どんな人と言葉を交わしていたのでしょう。 ろんさんを自分の道徳で批判しているうちは彼というか彼のような心の働きは見えてきません。 私がろんさんについて語ることは議論しているあなたにもそれが及ぶのはそのとおりです。議論している自分が馬鹿馬鹿しくなってしまう。 しかし、先ほどいったとおり言葉は無力です。あなたとかれに共通認識はありえません。同意も否定も空しいものです。 また、あなたも単純な内容解説ではなく、レッテル、等級を生きている人に張ることがあるので、あなたもあなたのいう「悪口」の対象者になります。 また程度こそ違えど、あなたも自分の愛憎を土台として純然たる愛を描くことを避けられないでしょう。人事だろうか。 私自身も無意識でこれらをやっているのでしょうね。
104 :
473 :2012/04/17(火) 15:18:17.33 ID:fP68rrmt
「私がいなくなったら誰がお金を稼ぐのか。」 答え ご飯をたべたりトイレにいったりする人が同じのりでやってくれるよ。 お金を稼ぐ私ですが、実はその私こそが世界に対立し、仕事を苦労ごとにしてしまう張本人だったりしないでしょうか。 困難な世界を作っておいてそれに気づかず、その世界で生きてゆくために私は必須なのだと自我は言います。
>>104 473さんは、何か心境の変化でもあったの?
文体が変わってるみたいだけど・・・・・・
106 :
ろん :2012/04/17(火) 16:25:39.81 ID:qlrOU7TY
>>85 うーん、はなしにならん。。
自分の頭でわかってないんだよ、要するに。。
僕の言ってることにせよ、フッサールにせよ、ハイデガーにせよ。。
言葉覚えてわかってる気になってるだけだね。。
107 :
ろん :2012/04/17(火) 16:31:04.96 ID:qlrOU7TY
>>86 まー100点満点で言うと、2,30点です。。
一番大事なことが言われていない。。
超越論的と言う言葉はね、フッサールだけに言われることじゃないよ。。
哲学わかってる人にとっては、普通に論文等で使われる言葉。。
というか、本来フッサールから切り離して説明しなければならない基本タームなんです。。
フッサールを引用しても、まるきし説明できてない。。
な〜んもわかってないということ。。
わかった気になってるだけで、自分がわかってることとわかってないことがわからない人。。
哲学以前の問題だわさ・・前から言ってんだけどね。。
う〜ん、哲学はさっぱり分からないんで ろんとバカ女さん、どっちが正しいのか分からないや。 とりあえず、どっちが優秀か知りたいんだけどどうすればイイ?
109 :
ろん :2012/04/17(火) 16:46:40.19 ID:qlrOU7TY
>>107 超越論的を一言で説明すると、経験を超えているということです。。
これだけで5,60点。。
これが一番大事なことだから。。
神でない人間が、transcendentz(超越)とは言えないから、transcendantal(超越論的)と言って、哲学が成立する条件、可能性を志向したわけです。。
ここまで書いて、7,80点。。
カントの場合transcendantalは、先験的と訳されている場合もあるけど、原文では同じです。。
超越論的認識論とは、単に経験的ではないというだけ。。
経験しなくとも三段論法等の推論でわかるということ。。
ここまでで90〜100点です。。
最初に言ったのはカントだってのが常識なのに、フッサールで説明しようとするところがまずっ持ってダメダメです。。
基本知識がなさすぎです。。
お話になりません。。
110 :
ろん :2012/04/17(火) 16:49:07.45 ID:qlrOU7TY
アンカー間違えた。。
>>86 に対してね。。
な〜んか小学生相手にしてるみて。。
111 :
ろん :2012/04/17(火) 16:50:24.41 ID:qlrOU7TY
で、このカントの用語使用を前提として、フッサールとの違いを説明できたら、 花丸だったのに、まー無理でしたね。。 残念残念。。
横文字使ってる分、ろんの方が優秀っぽく見えるね。
113 :
ろん :2012/04/17(火) 17:05:06.54 ID:qlrOU7TY
>>109 ×transcendantal
○transcendental
114 :
ろん :2012/04/17(火) 17:09:55.28 ID:qlrOU7TY
>>112 というか、原文の同じ単語が、訳者によってさまざまに訳されるのだから、翻訳だけで哲学なんてできるわけない。。
少なくとも重要概念は、原書の単語を確認しなければ、わかるわけないの。。
これは哲学だけじゃなくて、西洋の学問やる場合はすべてに言えることだけどね。。
ろんはただの知恵オクレだろ
俺って名無しかよさん、私の考えはやっぱりごく普通の仏教観だったのですね。ありがとうございました。
フットサルなら、やったことあるけどな〜
>>116 自分で導き出した考えは、どんなものでも自分だけのオリジナルですよ。
たまたま他の物と似てるなんて良くある事です。
「悟り」も何千年も前から研究されてますから
自分自身で編み出したアイデアでも先人の言葉に似てたりするもんです。
119 :
473 :2012/04/17(火) 23:41:39.83 ID:kX4M/+If
>>15 >愛とかいう単語を使い始めたら一旦止まってみるべき
そこには人間の傲慢さが隠されてはいませんか?
84でそれについて考察しております。
しかし、元の書き込みは、種を植えて作物が実るは大地の愛、実りを分かち合うは人類の愛
自我とは関わりのない自然の働き、また人類の思想と関係ない人類の動物としての天性の働き
こういった当たり前のこと、私と関わりないところに愛はあまねく。
そのような意味をこめてレスしてあります。愛についても意識についてもただ普通に表現しただけでは自我による傲慢さを避けられないでしょう。
それゆえにいつも何かしらの工夫をして表現しているのです。
私が愛することは決してないでしょう。
私が愛するというとき、それは尊敬する人に対しては嫉妬が含まれており、
気の毒だと思う人に対しては傲慢さがあったり、またこんな愚かな人たちが存在すること自体気に食わないという憎しみが隠れていることでしょう。
それゆえに「愛憎」と申します。人を愛するなというのは、裏に憎しみがあるような愛憎に、私から目覚めよということです。
仏陀は、他者に対する要求が一切ないのです。一切ないのに他者を助けようとするのです。
ですから私たちとは全く異質です。私が人を助けようとするとき他者のあるがままへの拒絶があるのです。
そしてこの拒絶ゆえに他者が恐ろしいのです。これは投影です。
私という定義、私という行動規範、アイデンティティは他者の拒絶による憎しみと恐怖を約束します。そこで
>>29 −30です。
120 :
ろん :2012/04/17(火) 23:59:12.36 ID:qlrOU7TY
おいバカの473。。 長文書くやつが多くなると、また書けなくなるからもうやめとけ。。 おまえの言ってることは意味ないだっつーの。。
121 :
ろん :2012/04/18(水) 00:00:04.07 ID:K5npsQKN
>>17 ごめんなさい。。
>>23-24 じゃ答えになってないかもですね。。。
ひとつになるというのがどういうことか?
ならないとはどういうことかと言うことをもう一度考える必要があると思います。。
ほんとは常に自己と言うものは一つです。。
いくつか感情や思考があっても、表に出ることは一つですね。。
例えば、対人関係で不安などがあっても、表に出さずににこやかに元気よく談笑することができます。。
人間にはじめから備わった素晴らしい機能だと思います。
不安をまったく意識できてなかったり、意識的に否定していれば、問題かもしれませんが、
そういうのは病気の場合で、普通はそれでうまく社会が回っているわけです。。
>>120 細かい事は言いっこ無しですぜ、旦那!!
123 :
ろん :2012/04/18(水) 00:08:29.36 ID:K5npsQKN
やっぱちょっと長めの文だと書き込めないみたい。。 後で書くか、それともやめるか。。 長文書くやつが多すぎるんだよ、バカの考え止むに似たり。。
124 :
ろん :2012/04/18(水) 00:10:44.01 ID:K5npsQKN
>>122 473に言ってくれ。。
特殊投影理論、バカの一つ覚えwの繰り言繰り返しまくりだからな〜。。
125 :
バカ女 :2012/04/18(水) 00:14:15.43 ID:xS6If4qX
>>107 >超越論的と言う言葉はね、フッサールだけに言われることじゃないよ。。
>哲学わかってる人にとっては、普通に論文等で使われる言葉。。
>というか、本来フッサールから切り離して説明しなければならない基本タームなんです。。
アホか! 基本タームとか恥ずかしいから言うな! だから入門書なの、ろんは。
私は、ろんの先生じゃないんだからさ、少しくらい自分で勉強しなさいよ!
超越論的還元は、デカルトの方法的懐疑とも微妙に(そこが肝心)ちがうし、
カントの「超越論的」とも微妙に(そこが肝心)ちがう。
だからこそ、フッサールに即して言わないと正確じゃなくなるんだよ。
だから、超越論的を「フッサールから切り離して説明したら"まちがい"」なの。
懐疑の強度はデカルトのほうが大きいから、もしデカルトの強度で懐疑すれば、
フッサールの超越論的還元により見出される超越論的領野も否定されうるけど、
まさにこの「否定性」をこそ、フッサールは「棚上げ」にするんだよ。
これが真理/存在妥当の停止という意味での「超越論的」の位置づけなんです。
カントの場合は、「対象に関する認識ではなく、むしろ我々が一般に
対象を認識する仕方に関する認識を"超越論的"と名づける」(B25)になります。
対してフッサールの場合は、対象に関する認識そのものをエポケーするんです。
だから、エゴ・コギトへの到達という結果は同じでも"方法論"がまったく違います。
以上のように、デカルトとカントとの異同を理解するのでなければ、
フッサールにおける「超越論的」を理解していることにはなりません。
いい加減なことばっか言ってんなよ! ろんは0点、やり直し!
126 :
ろん :2012/04/18(水) 00:16:21.65 ID:K5npsQKN
>>17 >>74 も参考にしてください。。
実は瞬間瞬間で見ていくと、心はつねに一つです。。
身心も一つです。。
自分を見てる時も一つ、外を見てる時も一つ。。
まあ、CPUの速度によっては、並列分散処理みたいに、ラジオ聞きながら勉強とかもできるんですが、
ホントは瞬間瞬間で、勉強とラジオと高速で往復してるんですよ、意識が。。
で、はじめから、迷いと言うものはどこにもありません。。
ただ、内と外、自他が分裂してしまうことによって、世界とかい離してしまうようです。。
自我の膜が消えると、主客がなくなって、世界と一つと言う感覚になりますね。。
127 :
バカ女 :2012/04/18(水) 00:17:03.08 ID:xS6If4qX
>>109 >超越論的を一言で説明すると、経験を超えているということです。。
頭悪すぎ。アホの重ね着しても中身は空っぽだよ。
純粋体験は、通常の『経験を超えている』「まったく新しい種類の経験」だけど、
>>2 それだから純粋体験の領域が「超越論的」と言われるわけではありません。
>>86 純粋体験は「まったく新しい種類の経験」であっても、あくまでも「経験」です。
カントの場合のア・プリオリは「経験が成立するための条件」だから『経験を超えてる』の意。
時空(感性の直感形式)や純粋悟性概念(カテゴリ)は、経験を成立させるための条件であり、
経験に先立ち、経験に由来しない、経験を成立させる形式だから、ア・プリオリと呼ばれます。
カントとフッサールでは「超越論的」の意味がちがうんだよ。わかった?
>神でない人間が、transcendentz(超越)とは言えないから、transcendantal(超越論的)と言って、
>哲学が成立する条件、可能性を志向したわけです。。
>>86 にも書いたように、超越論的還元による現象あるいは純粋体験は、
「そこから超越者が超越者として構成されるところの基盤として見出されるから超越論的」なの。
どうすんのよ、これ ↑
フッサールでは「超越」や「超越論的」の概念もその使用法も、カントとはちがうの。わかった?
>最初に言ったのはカントだってのが常識なのに、
>フッサールで説明しようとするところがまずっ持ってダメダメです。。
カントで説明したらまちがい! フッサールで説明しなければならないことがわかりましたね。
128 :
バカ女 :2012/04/18(水) 00:18:36.13 ID:xS6If4qX
>>114 >というか、原文の同じ単語が、訳者によってさまざまに訳されるのだから、
>翻訳だけで哲学なんてできるわけない。。
>少なくとも重要概念は、原書の単語を確認しなければ、わかるわけないの。。
>これは哲学だけじゃなくて、西洋の学問やる場合はすべてに言えることだけどね。。
なにもわかってないんだから、生意気言わないの。
じゃあ、質問。
悟性 Verstand は、独語 Verstehen (理解する)の名詞形ですが、
英語では Understand の名詞形は、Understanding で「知性」と訳されます。
共に語源は、ラテン語の Intel-lectus (知性)ですから、
悟性 Verstand と、知性 Understanding は、ほぼ同じことです。
では、カントが使用する悟性 Verstand を「知性」と訳さないのはなぜですか?
もう一つ質問。
主体という翻訳語の初出はいつですか。どのような変遷を経て成立したのですか。
また、主体は主観とはちがうのですか。
129 :
ろん :2012/04/18(水) 00:26:11.56 ID:K5npsQKN
>>125 言ってること全然意味ないね。。
勘違いしてるだけだから。。
還元がなぜ、超越論的なんですか?
はい、簡潔に説明してちょ。。
これが大事なことなんだから。。
130 :
バカ女 :2012/04/18(水) 00:28:41.67 ID:xS6If4qX
>>103 >ろんさんを自分の道徳で批判しているうちは彼というか彼のような心の働きは見えてきません。
私にとっては、馴れ合い、戯れている、という程度です。
私がどんなにろんと喧嘩しても、たぶんあなたのようにはろんを否定できません。
否定しない、ではなく、できません。
>私がろんさんについて語ることは議論しているあなたにもそれが及ぶのはそのとおりです。
>議論している自分が馬鹿馬鹿しくなってしまう。
あなたとの対話のなかにろんの悪口なり批評なりが挟まれるのが嫌なんです。
悪口を言いたければ、私はろんに直接に言います。それが私のやりかたです。
>しかし、先ほどいったとおり言葉は無力です。あなたとかれに共通認識はありえません。
>同意も否定も空しいものです。
そうでもないかもしれません。当事者でもないのにどうしてそんなことがわかるのでしょう。
>また、あなたも単純な内容解説ではなく、レッテル、等級を生きている人に張ることがあるので、
>あなたもあなたのいう「悪口」の対象者になります。
私は承知で遊んでいるんです。それに解説なんていりません。
攻略本を読んでからゲームするなんて楽しくないと思いませんか?
>また程度こそ違えど、あなたも自分の愛憎を土台として純然たる愛を描くことを避けられないでしょう。
普段あなたの書き込みを読んでいないので意味がわかりません。
読むべき場所を教えてくれたら(前スレ)でも、それを読んでからレスさせてもらいます。
131 :
ろん :2012/04/18(水) 00:29:18.20 ID:K5npsQKN
>>127 意味ない。。
還元と言うものが、デカルトと同じく「方法的」に過ぎないということがわかってない。。
それが忘れられてます。。
学部生レベル以下。。
アホですね。。
132 :
ろん :2012/04/18(水) 00:31:30.85 ID:K5npsQKN
>>128 批判哲学なんだから、知性と訳しちゃダメだろ、あたりまえ。。
理性の下に悟性を置いてるんだから、当然だな、愚問です。。
133 :
ろん :2012/04/18(水) 00:32:51.29 ID:K5npsQKN
>>128 主体と言う悟の初出。
知らん。。
カントにおいては当然出てる、アンチノミーで言われるわけだから。。
その前にあったかどうかはわからんね。。
134 :
ろん :2012/04/18(水) 00:33:51.85 ID:K5npsQKN
>>130 473は同じ妄想パターンを繰り返してる、病人みたいなやつだから、相手しちゃダメ。。w
この流れはしばらく続くのかな? ちょっと飽きてきたんだけど・・・・・ 俺は内容は良く解んないんだけど、同じ所をグルグル回ってる気がする。
136 :
バカ女 :2012/04/18(水) 00:40:42.45 ID:xS6If4qX
>>129 >還元がなぜ、超越論的なんですか?
だいじょうぶか?
現象学的還元は「超越論的」な還元でしょうが。
その後に形相的還元が続くけど、それはもう説明済み。
現象学的還元(超越論的還元および形相的還元)とでも書けば満足ですか?
忙しいので、くだらない書き込みは無視するから。
137 :
ろん :2012/04/18(水) 00:44:44.82 ID:K5npsQKN
カントでもフッサールでも、現代の文脈と言うか、視点から理解しないと意味ないと思う。。 カントはそのまんまでも現代に通用するところあるけど、フッサールとハイデガーは全くそうはいかん。。 これらは批判から読んだ方がいいくらい。。 僕なんかは基本現代思想から入ったわけだから、デリダの批判から先に読んでるわけ。。 記号の問題を無視して、認識を語るということ自体、現代ではほぼ無意味。。 もちろん、ソシュールが哲学に導入される以前だから、しゃーないんだけど、記号論なしでの認識論とか哲学って、現代では実用性と言うのはほとんどないと思う。。
>>135 だったら出しゃばってねぇで黙ってろや
なんかスネオみたいでキモイんだよなおまえ
139 :
バカ女 :2012/04/18(水) 00:48:04.82 ID:xS6If4qX
>>131 >還元と言うものが、デカルトと同じく「方法的」に過ぎないということがわかってない。。
>それが忘れられてます。。
いい加減にしろ! 単なるいちゃもんじゃないか!
カントが言う「超越論的」の意味で使ったらまちがい、これ基本!
ろんは、フッサールがやりたかったことが、まったくわかってないんだよ。
もしデカルトのように「真/偽という基準」を残してしまったら、
超越論的還元ではなくなってしまう。
逆にデカルトからすれば、超越論的領野は「明証的に真であると認めたもの」にはなりえない。
140 :
ろん :2012/04/18(水) 00:49:32.60 ID:K5npsQKN
>>136 何をおっしゃるおサルさん。。w
現象学的還元を超越論的とみなすか、そうでないとみなすかは、その哲学者の考え次第です。。
ここは大事なポイントで、フッサール自体晩年では、超越論的自己と言うものが、成立しえないのではないかという疑念と言うか、懐疑を持っていた。。
というか、彼は自分の哲学体系自体全部意味ないんじゃないかってことも言ってんだよ。。
だから、還元がホントに超越論的と言えるのかと言う問題は、フッサールを自分なりに理解する過程において、必須の課題です。。
あなたはまだ、超越論的の意味が分かってないみたいだが。。。。w
142 :
ろん :2012/04/18(水) 00:52:54.40 ID:K5npsQKN
要するに何が言いたいかと言うと、還元する前の世界とした後の世界って、実際には何も変わらないでしょ。。w ただ存在判断をカッコに入れるだけ。。ww そんなことだけで、ホントに超越論性を確保できるのかと言う問題。。 僕は確保できるわけないと思う。。 単に素朴実在論でないというだけの違いでしかないと思う。。
143 :
バカ女 :2012/04/18(水) 00:54:23.97 ID:xS6If4qX
>>132 >批判哲学なんだから、知性と訳しちゃダメだろ、あたりまえ。。
>理性の下に悟性を置いてるんだから、当然だな、愚問です。。
もともとスコラ哲学以来「理性 対 知性」という図式があったんだから
理性批判というだけなら、知性を持ち上げてもいいはずじゃないの?
>>133 >主体と言う悟の初出。
>知らん。。
おしえてあげなーい。(笑)
144 :
ろん :2012/04/18(水) 00:59:59.35 ID:K5npsQKN
>>139 哲学者とは思えないおっしゃりようですな〜。。
お子ちゃまそのものですよ。。w
>もしデカルトのように「真/偽という基準」を残してしまったら、
超越論的還元ではなくなってしまう。
ここなんか、まったく頭使ってないことがミエミエじゃんか。。
真偽と言う基準がなく、還元後の現象に立ち現れるものが全て真なら、ただの独我論でしょ。。
幻覚で「俺は宇宙人に命を狙われている、窓から見てたんだー」と還元後のwフッサリアンが叫んだとする。。
けれど、彼は分裂病患者で、彼が見たものは幻覚でした。。
でも実在をカッコに入れれば、彼の言っていることはすべて真となる。。
こんなんで厳密な学ができるのでしょうか?
無理に決まってませんか?
どうでしょうか?
145 :
バカ女 :2012/04/18(水) 01:03:59.45 ID:xS6If4qX
>>137 >僕なんかは基本現代思想から入ったわけだから、デリダの批判から先に読んでるわけ。。
>記号の問題を無視して、認識を語るということ自体、現代ではほぼ無意味。。
それについては理解できるところもあります。
ここでは書きにくいけど、私の理論も記号論によって解明しているところが多分にあります。
>>140 >何をおっしゃるおサルさん。。w
いやいや、そっちのおサルさんのほうこそ、考え方次第というなら、もっと寛大になってくださいな。
>あなたはまだ、超越論的の意味が分かってないみたいだが。。。。w
いえいえ、あなたほどではありません。
146 :
ろん :2012/04/18(水) 01:08:56.33 ID:K5npsQKN
まともに哲学を学ぶ人と言うのは、自己の問題なんかじゃなく、それが現代世界にとってどういう意味を持つかってことを考えてやってんのよ。。 だから、最新の哲学思想を踏まえつつ、古典を学ぶ。。 自分の自我を肥やして、2ちゃんでエバるためにやるとか、ガキそのものですな〜。。 古典で言われてること、それ自体に意味がある、価値があると思って、それを孔子の言葉のように、哲学者の言葉を持ち出して云々とか、アホとしか思えんよ。。
147 :
バカ女 :2012/04/18(水) 01:09:11.95 ID:xS6If4qX
>>142 >要するに何が言いたいかと言うと、還元する前の世界とした後の世界って、実際には何も変わらないでしょ。。w
ずいぶん日本語がむずかしいけど、なにも変わらない、ところに爽やかな風が吹くんだと思います。
>そんなことだけで、ホントに超越論性を確保できるのかと言う問題。。
>僕は確保できるわけないと思う。。
>単に素朴実在論でないというだけの違いでしかないと思う。。
私もろん以上になんの前触れもなくストンと落とすけど、その後が長いんだよね。
148 :
ろん :2012/04/18(水) 01:11:49.91 ID:K5npsQKN
普通に考えれば、自分は自分、一つしかない。。 経験的自己と超越論的自己なんてふうに分けられるわけないってこと。。 そこらのオヤジに言ってみるといいよ・・あなたは還元してないからダメなんです。。 経験的自己しかないからダメなんですとか。。w アホでしょ。。 フッサール哲学は、まあアイデアはいいけど、哲学としては破綻してるんですよ、最初から。。
149 :
ろん :2012/04/18(水) 01:18:16.38 ID:K5npsQKN
オレの友達もみんなそうだったけど、哲学なんてやってもバカは治らんしさ。。 治るどころかさらにバカになっていってんのよ。。 それで、あるところでおなか一杯になって、足を洗うわけだ。。w 僕にとって唯一意味があったのは、精神分析くらいだなー。。 フロイト、ラカンね。。 現代社会の問題を解決するために、アクチュアリティはありますよ、いまだに。。 禅から言ったら、解決しなくていいww ってことになっちまうんだけど。。
150 :
バカ女 :2012/04/18(水) 01:19:58.86 ID:xS6If4qX
>>144 ろんがフッサリアンという設定なんだけど、逆になってない?
本来、私が言うセリフをろんが言ってるから、むず痒いんだけど・・・
>真偽と言う基準がなく、還元後の現象に立ち現れるものが全て真なら、ただの独我論でしょ。。
還元後の世界は、そのままの世界だよ。宙吊りにしていたものが、ぜんぶ落ちてくるんだから。
そうそうそれと独我論の問題が大きいと思う。
ハイデガーは、それを見抜いていたのもあって共同主観性を否定するんだよ。
独我が集まったところで「共同」になるわけないじゃん、ってね。
もうひとつ理由があるけど、それはそのうち私が話すんじゃないかな?
>どうでしょうか?
ろんがフッサリアンなの!
151 :
ろん :2012/04/18(水) 01:25:14.49 ID:K5npsQKN
>>150 ハイデガーはそもそも、厳密な学を目指してないから。。ww
存在の立ち上げとかピュシズがどうたらとか、要するに組織化した現代社会にもう一度、自然的なエネルギーを復活させたかったんじゃないの?
知らんけど。。
でも、そのピュシスとか存在の生起みたいなものをナチスに見てしまって失敗したんだろう。。
152 :
バカ女 :2012/04/18(水) 01:26:44.25 ID:xS6If4qX
>>146 >まともに哲学を学ぶ人と言うのは、自己の問題なんかじゃなく、
>それが現代世界にとってどういう意味を持つかってことを考えてやってんのよ。。
>だから、最新の哲学思想を踏まえつつ、古典を学ぶ。。
私の哲学は人生哲学だよ。私が生きていることにかかわる哲学。
>自分の自我を肥やして、2ちゃんでエバるためにやるとか、ガキそのものですな〜。。
私は威張ったフリだけど、ろんは本気じゃん。それを大人げないって言うの。ガキに対して。
>それを孔子の言葉のように、哲学者の言葉を持ち出して云々とか、アホとしか思えんよ。。
ろんがアホだから、私もアホになっちゃうんだよ。
153 :
ろん :2012/04/18(水) 01:30:04.70 ID:K5npsQKN
>>152 人生哲学か〜、古いね〜。。
それだったら、ドリアン助川改めなんだっけ?
朝日の人生相談とか読んでた方がいいと思うけどね〜。。
僕はほとんど読まんけど。。
ドリアン助川はなかなかおもろいと思うよ、悟りに近いとこまで行ってる気がする。。
154 :
ろん :2012/04/18(水) 01:31:02.44 ID:K5npsQKN
人間だものとかww
155 :
バカ女 :2012/04/18(水) 01:32:20.81 ID:xS6If4qX
>>148 >普通に考えれば、自分は自分、一つしかない。。
>経験的自己と超越論的自己なんてふうに分けられるわけないってこと。。
一つしかないのは、身体だよ。それを置き去りにしてる。認識なんてずっと後のこと。
>フッサール哲学は、まあアイデアはいいけど、哲学としては破綻してるんですよ、最初から。。
もうその辺にしておいたら。少しはお世話になってるんだから。
>>149 >僕にとって唯一意味があったのは、精神分析くらいだなー。。
>フロイト、ラカンね。。
理論で病気は治らないよ。言葉遊びするには持って来いかもしれないけど。
156 :
473 :2012/04/18(水) 01:35:13.66 ID:KH6sYgLy
自分も他の人も何をしてもいいのです。 ただ、与えたものが帰ってくるので、もし意識していたなら普通自殺行為はしないでしょう。 また、問題なのは無意識の行動には自覚がない、また結果への欲望があるので、その行動の帰結が 自分に帰ってきたとき精神的にショックを受けて苦しみます。 無意識な行動はその結果が全く予測できず、また無意識な欲望と挫折であり、大変な災難です。 その点リアルで一つ一つ気をつけてゆきたいです。 日々自分のことを気をつけていると、気をつけていない人に不満が出るどころか、彼の直面しているであろう自殺行為による災難を気の毒に思うようになるかもしれません。 生活における自分の傲慢な発言(たわいもない世間話をどう話すかというそれだけのことです)に幸い自覚はあります。 自覚すれば気をつけるようになりそれをしなくなるので人間関係は変わってきます。 しかし自覚し足りないみたいです。
157 :
ろん :2012/04/18(水) 01:40:43.35 ID:K5npsQKN
>>155 治らずとも、自覚することに意味はある。。
まあラカンもいっぱい批判されてるけどね、でもその理論でいろんなことがわかるのよ、ほんとにいろんなことが。。
でも、もちろん病識だけでは意味ないと悟ったから、ヨガとか坐禅に行ったのさ。。
158 :
バカ女 :2012/04/18(水) 01:44:00.54 ID:xS6If4qX
>>151 >ハイデガーはそもそも、厳密な学を目指してないから。。ww
対象にはなりえないですから、存在は。
前に引いた文章にも存在の認識は"超越的"認識ってあるように
超越論的を超えているという意味では、厳密な学にはなりえません。
だからといって、存在こそが問われるべきと思っている人もいます。私とか。
好きでやってるんだから、放っておけばいいんです。
>存在の立ち上げとかピュシズがどうたらとか、要するに組織化した現代社会にもう一度、
>自然的なエネルギーを復活させたかったんじゃないの? 知らんけど。。
どうかな?
>でも、そのピュシスとか存在の生起みたいなものをナチスに見てしまって失敗したんだろう。。
そう思います。
でも本当に存在の奇跡に出逢っていれば、ナチにはくみしないはずなんですけど。
もしかしたらハイデガーは、思索だけで存在にたどり着いたのかもしれません。
159 :
バカ女 :2012/04/18(水) 01:46:46.23 ID:xS6If4qX
>>153 >ドリアン助川はなかなかおもろいと思うよ、悟りに近いとこまで行ってる気がする。。
詩を叫ぶ人でしたっけ? よく知りません。
>>154 >人間だものとかww
そっち系は生理的に無理かも。
160 :
ろん :2012/04/18(水) 01:53:12.00 ID:K5npsQKN
とにかく、哲学でも思想でも宗教でも、それを身に着けてとりえにしてしまうと、「本当の自分」がなんだかわからなくなる。。 何のとりえもなし、が本当の自分だよ。。 放てば満てり。。
161 :
バカ女 :2012/04/18(水) 01:54:44.03 ID:xS6If4qX
>>157 >治らずとも、自覚することに意味はある。。
フロイト−ラカン系列が有効なのは神経症だけじゃないかな?
>まあラカンもいっぱい批判されてるけどね、でもその理論でいろんなことがわかるのよ、ほんとにいろんなことが。。
小説とか題材にして話したら面白いかも。カミュとかカフカとか。
>でも、もちろん病識だけでは意味ないと悟ったから、ヨガとか坐禅に行ったのさ。。
病識あるんかい! 私のお仲間じゃないか?
162 :
バカ女 :2012/04/18(水) 02:04:57.60 ID:xS6If4qX
>>160 >とにかく、哲学でも思想でも宗教でも、それを身に着けてとりえにしてしまうと、「本当の自分」がなんだかわからなくなる。。
>何のとりえもなし、が本当の自分だよ。。
>放てば満てり。。
うん、それはわかる。(と思っているつもり)
哲学板でも、もともと私はマイ哲学の急先鋒で、普段自分が不思議に思っていることや疑問について日常言語で哲学する、
というのを目指していたんだけど、それだと人生相談板になっちゃう。やっぱそれだと趣旨がちがうし。
なんだかんだ工夫しても、けっきょく私は考えることが好きなんです。
取り柄にしたい気持ちとかないんです、ほんとうに。ただ、生きてると考えちゃう。放てば満てり。。知ってるんだけどな。。
163 :
バカ女 :2012/04/18(水) 02:14:15.79 ID:xS6If4qX
連投規制かな? 私もこれでたぶん規制に入ります。 おやすみ。
164 :
安堂 :2012/04/18(水) 02:28:57.64 ID:EF60ZY0B
何のとりえもない、動くモノである安堂が来ました・・・。 「喜び」とは、過去の記憶かもしれないと最近ふと思いました・・・。
真夜中の 馬車駆け抜ける 石畳かな
木偶の坊 取り柄なき自己 つまらなすぎ Lv3か一日一LVか
これ慢心によって『自分は勝れている』と 思ってはならない。 『自分は劣っている』とか、 また『自分は等しい』とか 思ってはならない。 いろいろの質問を受けても、 自己を妄想せずにおれ。
168 :
ろん :2012/04/18(水) 03:36:31.45 ID:K5npsQKN
>>165 虎の欠けたるが如く 馬の夜目の如し。。
洞山大師に叱られそうだわ。。
>>166 僕は坐ればスッキリするけどなー。。
最近坐ってない。。これから坐るか。。
坐禅でスッキリ? 便座にでも座ってんじゃないの・・・。 坐禅はつまらなすぎ
170 :
ろん :2012/04/18(水) 04:01:04.04 ID:K5npsQKN
>>169 時節が熟してないのかね〜。。
最初20分とか思っても、だんだん入ってくれば、もっともっとって、時間の許す限り坐りたくなったりしない?
一番の快楽だと思うよ、坐禅は。。
つまらないってことは、まだ世俗に未練があるんだよ、恋したい年頃とかなのか。。
171 :
ろん :2012/04/18(水) 04:19:53.59 ID:K5npsQKN
ま、坐禅がつまらんかったら、その時間ほかのことに使って、何かすればいい、面白いことすればいいだけじゃないのかな〜。。 はじめから無問題なんだから、何やったっていいんだよ、それで満足できれば。。
流されて 流されて どこへゆくやら 繰り返す 繰り返す いいこともやなことも〜♪ さびしいよって 泣いてても 何ももとへは もう戻らない 欲しいものはいつでも 遠い雲の上〜♪ 働いて 働いて 汗に埋もれて 間違えて 間違えて 手も足も出せなくて〜♪ さびしいよって 泣いてても 何ももとへは もう戻らない 欲しいものはいつでも 遠い雲の上〜♪ 明日もどこか 祭りを探して この世の向こうへ 連れていっておくれ〜♪ 夢の中 雲の上 夢の中 雲の上〜♪ 遠くまで〜♪
173 :
473 :2012/04/18(水) 06:32:08.24 ID:e2Eg2Bcf
≫バカ女さん
知っててやっている?ご自身の感情にあまり向き合わないのですね。
知らないからこそできるのです。知っていたら自分のためにも他人のためにもならない振る舞いはできないものです。
与えたものが帰ってきます。普通人にレッテルを貼る人、侮辱する人はされることを好まぬものですが、それをすることがされることを呼び込みます。
私は事実の描写に勤めるだけで悪口など申しませんが、あなたは悪口と認識した。 その認識があなたの世界観を物語っています。
そして人は決して自由に振舞えない。自分の意思というが不随意の感情に動かされているだけです。
それが人間です。 また昔のコメントですと前スレ
>>553 -555 になります。
≫ろんさん
もちろん473は、ワンパターンのことを言うだけの狂人であなたは誠実な禅者の卵です。
ただ、誰もが多かれ少なかれ自分のことを公正と思い、他人のことを自己中心的だと思っているので、
あなたと他者には争いが絶えないでしょう。
そしてその理由をあなたが知ることはない。あなたが自身を知らない限り。
(あ、いつも他人がおかしいからとご存知でしたね。問題は他人もあなたがおかしいからだと知ってることなのですが。)
あなたが、(一般的に人間が)誰かと仲良くできるのは共通の敵がいるときだけです。
正に私に悪意が向かうことで、ろんさんとバカ女さんの悪意の投影が減り対話が柔らかくなっているのが生きた証拠ですね。
愛憎一体のメカニズムが伺えます。誰かへの憎しみは誰かへの愛が基調にあり、誰かへの愛は誰かへの憎しみを基調としているものです。
その愛憎の法則の全体像に覚めるよう仏陀は仰いました。
なにものも愛するな。そのように慈悲に満ちて仰いました。不思議な扉です。
174 :
473 :2012/04/18(水) 06:36:44.84 ID:e2Eg2Bcf
座禅 苦しみに向き合えばそれは融け大いなる喜びが生まれる。 次は深い苦しみに出会い、それに向き合えばより深い喜びとなる。 今つまらないのでしたら、つまらなさに直面すれば大いなる楽しみがきっと生まれてきます。 つまらなさ、それは大いなる鍵。あまりに微妙な私の働きなので向き合うのは大変です。 ちなみにろんさんのいう座禅は座禅と書いて逃避と読みますね。 何やっても彼が自分に直面するなどとありえないことです。 一見同じことをやっているようでも全く逆のことをしている可能性が高いので注意です。 「人を迷わせてはならない」と仏陀は仰ります。迷わされないようご注意を。
175 :
473 :2012/04/18(水) 06:37:01.92 ID:e2Eg2Bcf
逃避は別にいいのです。 ですが座禅と逃避、異なることに同じ名前をつけると混乱してしまいますね。 いや、これも誠実な瞑想者は混乱させられてしまいますが、 逃避を試みている人は自分が瞑想していると思えるので自己の安定につながりますね。 他者に問題を投影しないと自己を保てない人は気の毒な人ともいえますが、 それは影響を受けない目覚めた意識にとってのことであり、 修行者にとっては邪悪といえ近づくべきでない人間です。 一種の精神的な搾取なのです。 誰かが愚かな劣った人間の役を引き受けてあげないといけない。
>>169 座禅は自己と向きあうには良いメソッドだと思うけど、
何をすればイイか分からないとつまらないかもね。
>>95 >あと痛みや悲しみや怒りや憎しみや無力感や退屈や絶望や不安や自己正当化など
色々な感情が隠されているのかもしれませんね
ただどんな感情であれ気づきの光で見つめるなら美しい恋人として生に喜びをもたらしてくれるのかもしれません・
>>173 >正に私に悪意が向かうことで、ろんさんとバカ女さんの悪意の投影が減り対話が柔らかくなっているのが生きた証拠ですね。
確かに2人の対話が柔らかくなってきたと思うけど、
473さんに2人の悪意が向かったからっていうのは無理があるんじゃないかな。
単純に2人の精神状態が落ち着いたからだと思うよ。
473さんの言うところの無意識とは、 自我が思い描く「こうでありたい」とゆう理想の自己イメージを脅かすような感情を感じている自分に 本当は気づいているのに気づかないふりをして理想の自分のイメージを守ろうとする心理のことかもしれませんね
女:悟りを開くにはどうしたら良いのでしょう? 導師:自分を見つめることです 女:わかりました(ガサゴソ カパッ) 導師:そう、コンパクトミラーがあると、いつでも化粧直しができてとっても便利ですね...
>>180 実際に、自己を写すコンパクトミラーがあると「悟り」も楽でしょうね。
私から直接、自己は見えないから何かに写すしかないんですが、
写すのに便利なモノが無いですからね。
(大抵、歪んでるか曇ってますね)
182 :
神も仏も名無しさん :2012/04/18(水) 10:21:55.81 ID:GrBL86gY
>確かに2人の対話が柔らかくなってきたと思うけど、 >473さんに2人の悪意が向かったからっていうのは無理があるんじゃないかな。 >単純に2人の精神状態が落ち着いたからだと思うよ。 ケタケタケタ つまり、あれか? 473の発言は、「常に自分の分析は正しく、自分は他者から意識されるべき存在である」 という『無意識』の願望が『投影』されたもの・・・・ こういうことか?wwwww
悟りとは、行くべきところもすべきこともないし、 いまの自分以外の何者にもなる必要もないと理解することである。
悟りとは、経験していないことを知ること、 それによって経験するということだ。 知ることによって経験への扉が開かれる。 逆もまた真である。
>>183 >悟りとは、行くべきところもすべきこともないし、
>いまの自分以外の何者にもなる必要もないと理解することである。
「いまの自分」とは何を指すのでしょう?
思考でしょうか?
心でしょうか?
意識でしょうか?
知識でしょうか?
186 :
473 :2012/04/18(水) 15:33:23.46 ID:LCUvISh3
私たちは自分が話した、思い描いた対象になることはできません。 論理的に証明した対象になることもできません。 私たちは、それを思い描く主体でしかないのです。 白隠が仰るには「いい人になろうとするほど悪い人になってしまう」 記憶と執着の総体である、主体としての私が私たちの実体です。 それに覆われてしまった、意識と良心が私たちの可能性です。 人は自分の主体に向かい合わず、客体としての、「体験としての」解放を真理を語ります。 それは仏陀の言う他者を迷わせることであり、またそれは迷わせる他者、自分を信じてくれる他者を 必要とすること、精神的に自立できなくなることにつながります。 それゆえに仏陀は他者を迷わせると地獄に落ちるという事実を語ります。 単純な言葉に非常に高度な人間心理の帰結が描写されており、今なお新鮮です。
187 :
473 :2012/04/18(水) 15:44:10.45 ID:LCUvISh3
>>179 いわゆる愛には何かへの憎しみが隠れている。
愛は夢の中の依存の対象、憎しみは自分が対峙すべき事実の投影。
それを避けえた勇気ある者は、その2つの矛盾という苦しみに直面する。
もし愛憎が苦しみなら、好悪を超えたブッダたちに深く心酔することはどうだろう。
その教えを自ら歩むならいかにして愛すことができよう。いかにして憎むことができよう。
188 :
473 :2012/04/18(水) 16:35:06.71 ID:LCUvISh3
>>182 突っ込んで見ると私はあまり意味を持ちませんね。
というよりそのときの473のレスは自他を迷わせる理論と夢の構造を紐解き誰もが自分の事実に直面するようにした働きでしかなく、
それが私というわけでもない。
互いに自分の目を背けたい事実を投影しあっていたところ、(別にお互いが同レベルで無くても起こる)
473という事実と直面しない人間心理を描写する厄介な人間が現れたので、
お互いに協力して自分の直面したくないものから目をそむけることにしたのでしょう。
そもそも思想というのは自分の、世界の事実と直面するとあまりに苦しいからそれから目を背けるために
使われるものでしかありません。473という事実の脅威があれば協力して逃げれそうなら逃げるのは不思議ではありません。
そこには473が映るのではなく、直面したくない事実の投影があるだけです。
473に反発するのではなく、473を通じて自分に反発するだけで、473は関係あるようなないような。
次の投影先は473かもしれませんし、他の誰かかもしれませんし、
「この場にいない不特定の異なる意見を持つ人々」であることも多いでしょう。
でも、自己回避性向の強い人は、異なる意見を持つ人をむりやりこのスレにいる人に当てはめて
それに反論したり助けてあげようとしたりするから、とても面白いことになります。
>>188 他人の事より、まず自分の事じゃないの。
190 :
神も仏も名無しさん :2012/04/18(水) 21:14:27.60 ID:XKKmL1bg
みんなさー 結論だけじゃなくて根拠は話さないの?
191 :
神も仏も名無しさん :2012/04/18(水) 21:29:36.25 ID:XKKmL1bg
>>181 あ、それぴかぴかの信仰心がよく映るよ
俺の経験上だからもっと簡単なのもあるかもしれないけどね
ちなみに托鉢は鏡に映すためにやるんだ
やらずに綺麗に磨かれた信仰心に出会えたら相当運がいい
193 :
《アラシを呼ぶ男》 ◆Arasi/MT2E :2012/04/18(水) 22:35:34.92 ID:sCP+O0h7
>>192 >
>>185 > 魂こそ「自分の中心」である。
では、そのたましいを わたしのてのひらに のっけて 見せてくれ。 (人∀・)タノム
>>192 「魂」って実際なんだと思う?
質量はある?
体積はある?
色は?
形は?
どうして魂があると言い切れるの?
>>191 綺麗に磨かれた信仰心で、どうやって自己を写すの?
って言うか、信仰心に自己って写る?
>>193 >>194 瞑想を続けると、まれに魂の青白い炎を見ることができる。
魂は、まるでオーラのように、身体を覆っている。
やはり冥想はオカルトなのか
>>196 え〜、そりゃスゴイ体験だね!!
他に変わった体験って何かある?
199 :
473 :2012/04/18(水) 23:18:26.55 ID:/B5qmc89
誰もが自分だけは特別で自分だけは例外だと思っている。 社会で生きるということはそういう人たちの中で生きるということだ。 その傾向がひどい人間ほど、要求と現実が乖離するので苦しむ。 だから何も責めることはない。 が、そういうこととは別に無条件でそれに反感を持つ、ぶつかる部分がある。 それは私自身の、自分だけは例外という「恥知らず」な部分でしかありえないだろう。 なんとしても私だけは生き残るという、動物的なそしてまた人間的な原初の感情の巣窟。 これがある限り無条件に私は自己を特別視するし、他者を本当に受け入れることはない。
>>195 映ったよ
どうやって映す→
そういう相手との日々のコミュニケーションで映る
ただの修行者の身でありながら、相手から見ると
こちらは信仰心の向かう対象側の存在になってしまうのよね(異教であっても)
そう接してこられると、自分の中にあるものを総動員して
相手に向かわざるを得なくなる(自己が映る所以)
この相手に何か恩返し出来るものといえば、修行の中で得たものしかないから
自分が今まで真摯に向かってきたかどうかが問われるんだわ
問われた結果は、真摯に向かっているのなら
みんな同じような慣用句になるとおもう
最近どうでもよくなった。 ある状態がいいとされてるならそれもべつにいいよと。 一生カレーのことだけ考えて生きるのがそんな大事なのかね? 幸せがいいのかね? なにがいいのか考えてたら、カレーも神も一緒だと気が付いて、 どうでもよくなった。
>>198 神や天使とテレパシーで会話できるようになった。
信仰を持っていれば、誰にでもできる。
>>200 なるほどね、そういう方法もあるんだ。
勉強になったよ、どうもありがとう。
>>203 こちらこそありがとう
文章を読んで貰えるのは嬉しいことです
他にも方法はあると思うけど、自分が経験したのはこれだったの
ほいではおやすみなさいまし
ずっと静観してきたけど、ロンの哲学理解はどうなってんだ? よく、あそこまでデタラメの嘘八百を書き並べられるな・・・。
>>170-171 >最初20分とか思っても、だんだん入ってくれば、もっともっとって、時間の許す限り坐りたくなったりしない?
>一番の快楽だと思うよ、坐禅は。。
そんなアホな・・・。ただ座ってるだけで、快楽とかねえだよ・・・。
世俗に未練があるとダメなの・・・。いつになく山ごもりの修行者ぶってますね。
あまのじゃくみたいな人だな、ロンは・・・。カッカッカ
安さん酔ってはるんか?
209 :
バカ女 :2012/04/19(木) 00:22:17.19 ID:yo3AQgB7
>>173 >知っていたら自分のためにも他人のためにもならない振る舞いはできないものです。
私はみなさんを傷つけることを承知でやっているんですから知っています。
でも「自分のためにも他人のためにもならない」とは思っていません。
私がこれまで成長させてもらったそのままにそのように実践しています。
>普通人にレッテルを貼る人、侮辱する人はされることを好まぬものですが、
>それをすることがされることを呼び込みます。
それをやってそれに気づきそれを超えていくという経路なんです。ご存知のように。
>私は事実の描写に勤めるだけで悪口など申しませんが、あなたは悪口と認識した。
あなたの言葉を受け取る相手がどう思うのか、です。
>あなたが、(一般的に人間が)誰かと仲良くできるのは共通の敵がいるときだけです。
>正に私に悪意が向かうことで、ろんさんとバカ女さんの悪意の投影が減り
>対話が柔らかくなっているのが生きた証拠ですね。
あなたの事実の描写のとおりで、もしそれに価値があるとしたら、
私たち2人のために、あなたがみずからを犠牲にした場合です。
チャンスは、あなたに目の前に転がっています。
210 :
バカ女 :2012/04/19(木) 00:28:24.97 ID:yo3AQgB7
前スレ553 >純粋経験といいましても、自分の普段の主観が土台にあって、 >そうでない経験というものを知性によって作って、それを純粋経験と呼ぶのでは主観の2乗です。 純粋経験は、主観の土台、そこから私やあなたが生まれてくる場所です。 >そういったことは論理を極限まで突き詰めてゆけば彼女自身の理解という形で現れるでしょう。 あなたは論理を極限まで突き詰めたことがあるのですね? どのような「あなた自身の理解という形」が現れたのですか? 前スレ554 >対象を否定するのではない、原初の無。これを荘子さんが正に生きていた場合、 >それを人に伝えようとした場合、 言葉の否定という形で言葉を使わざるを得ないのです。 「原初の無」は不可能です。 「原初」という規定がすでに「始まりと終わり」を想定しているからです。 始まりの始まりが想定される以上「原初」という位置づけは宙に浮いてしまいます。 「有」に先行する「無」という想定の誤りに気づかず、論理を否定しているだけです。 前スレ555 >真実、客観を捉えようと限界までの思索に入り、そしてそれゆえに非常に混乱します。 客観を捉えようとする思考は単純です。すでに主客の枠組みがあるのですから。 もちろん、その物自体を認識することは人間には不可能です。 寡聞にして知らなかったのですが「我1は我2にあらず、ゆえに我3と呼ばれる」が、 私の理論における定式らしいことを最近(昨年)ある人から教えてもらいました。 「我1は我2にあらず」には、実は「我1は我2であり」が並び立っていますし、 我123は、それぞれ同じ我ではありませんし、また我1はいきなり成立することはなく 「我1は我1」という自同律の成立が先行してはじめて可能になりますし……などなど 鈴木大拙には見出されていない事の真相を、私はすでに哲学的に解明しています。
>>207 哲学は不要の学問。理解する意味がない・・・。病人の慰めにすぎない。
>>208 私はあまり酔わない。
かれは諸々の欲の想いに囚われて、困窮者のように考えこむ。
このような人は、他人からのとどく非難の声を聞いて恥いってしまう。
そうして他人に詰られたときには虚言に陥る。
すなわち、自らを傷つける刃(悪行)をつくるのである。
これがかれの大きな難所である。
感覚の世界を言葉にするんは、難しいもんやね 感覚を感覚のままにちゃいまっか
心と身体と分けたとして、大抵の人間が言う「心」は 「傲慢」「高慢」「エゴ」のことだ・・・。 実は心的意識より身体意識が本質的なものだ。osho的に言えば、 「真の自己とエゴとは、あまりにも混同されやすいというのが問題だ。 あなたが真の自己だと思い込んでいるのは、九十九パーセントの確率で、エゴにすぎない。」 我々が通常「意識」というのは、言葉は想念を指したり、思考やその内容や思考作用全体を指しているが、 身体意識というのが別にある。これは自我が去ると現れるが、心的意識が消えるわけではない。 身体意識だけでは人間的活動は不可能だからだ。バランスが大事であって、頭でっかちは身体意識を無視したあり方といえる・・・。
214 :
バカ女 :2012/04/19(木) 00:46:31.71 ID:yo3AQgB7
こういう文章は書きたくないんですが、473さんを真似て473さんを分析させてください。 会ったことはないですが、たぶんゴータマくんとバカ女は似たようなもんです。 あなたは、ゴータマくんやおしょうさんやだれかさんのように直接出会わない相手には寛容だけど もしあなたがゴータマくんに直接会えたら、あなたはゴータマくんを批判しないではいられません。 最初は崇拝するかもしれないけど、いずれ満足できなくなるはず。ゴータマくんも人間ですからね。 あなたの批判力は、あなた自身を通り抜けてしまいます。 あなたはあなた自身を責めているつもりかもしれませんが、ちっとも自分を見つめてはいません。 もしかしたらあなたはあなた自身を生きたことがないのかもしれません。 あなたはまじめで良い子ではなかったですか、よく規範に従う子どもではなかったですか? あなたはあなた自身を生きるのではなく、思想に生きているように見えます。 あなた自身が批判しているのではなく、思想が他人や社会や世界を批判しているのです。 もちろん、あなた自身も例外ではなく責められているでしょう。 思想に自分を明け渡してしまうと、すべてに対して直接向き合うことができなくなってしまいます。 まちがっている友人を許せないとき、あなたが許せないのではなく、思想が友人を許さないのです。 たとえば、あなたには異性に対する理想像があり、こうであってほしい・・・・・が山ほどあるとします。 でも実際にだれかを好きなって付き合ってみると、絶対こんな女はヤダーーっと思っていたことを ことごとく彼女が満たしていたとしても、あなたはなんの問題もなくすべて許してしまえるでしょう。 それが好きになるということだからです。 これができないときには、すでに指摘したような問題があると考えられます。いかがでしょうか?
215 :
バカ女 :2012/04/19(木) 00:49:22.51 ID:yo3AQgB7
きょうはこれで、おやすみなさい。
エゴというのを前面に出せばあなたは傷つくことになる。 割れた瓶に醍醐を蓄えておくことはできない。新しい葡萄酒は新しい革袋にいれるものだ・・・。 戦のときに胸当てや縦を背中に付ける者はいない。 それなのにエゴを前面に出して、身体をその後ろに置くからおかしくなるのである・・。本末転倒だ。 エゴが弱まれば身体の後ろに退くものだ。大将が最前線で敵に向かっていけば誰が指揮をできるだろうか。 エゴが前にあったのでは、身体もやる気をなくす。前線にいてこそ力を発揮する。
事件は、頭で起きてるんやない、 事件は、身体で起きてるんや ってなんかあったな
@@CCOOOO AACCOOOO GGGGOOOO GGGGOOOO ㉜㉜㉜㉜㉜㉜㉜㉜ ㉜㉜㉜㉜㉜㉜㉜㉜ ㉜㉜㉜㉜㉜㉜㉜㉜ ㉜㉜㉜㉜㉜㉜㉜㉜
220 :
473 :2012/04/19(木) 01:06:31.89 ID:iusAg8Ig
>>209 まず
>>186 が返信になります。
≫自ら犠牲になった場合
いや、見事な知性です。徳性をなんと美しく描写していることか。
私はそれを行うでしょう。どうせ投影されるのだから自ら進んでやったほうがよほど事は丸く収まります。
ただ、ここは悟りスレなので、人を迷わせること、主体が夢をみて現実を回避するようなことについてはそれを暴いてゆきます。
そういう書き込みばかりでなければそれへの解明以外にもレスはできるのですが。
しかし、いくら物分りがよくとも、あなたの考えるとおり、あなたはあることも振舞うこともできない。
あなたのようにうまく、美しく語ることは、人にそれへの憧れを生じさせる。それはすばらしい入り口です。
しかし、正にそうあるためには役に立っていない。それはあなたの書き込みから明らかでしょうし、あなた自身日々の自分の感情がどんなものかご存知でしょう。
221 :
473 :2012/04/19(木) 01:08:44.53 ID:iusAg8Ig
≫知性的な回答と刻々の覚醒 知性的な回答は後で振り返って解釈するだけで、現在に役に立たないのです。 現在刻々と私を動かすものは、過去の記憶、執着、その総体から来る反応であり、刻々とその総体を 意識することによってのみ自らの愛憎のパターンは変容しえます。 あなたの徳性、愛についての理論は、あなたの中にある無数の価値観の内のひとつでしかありません。 知的な回答は非常にもろい。知的な結論で自分の感情も認知も操作できない。「私は不自由だ。」 これが思索の果てに見出した事実です。だから私は思索に賛成も反対もしない。 なぜなら肝心のあなたという主体はそれとは(ほぼ)関係なく存在しているからです。 (投影と詐欺的な希望の流布はスレ違いだから解説してゆきますけれど) 知性的な人間ほど、前スレで提示したよう安易な結論に飛びつかないし、複雑である生を広範に捉えるのでより混乱するということと、 迷信的でないので自分の信条と自分の実態のいかんともしがたいずれに気づきやすいということです。 ≫原初の無 原初の無でありそれは原初でないと表現いたしましょうか。 しかし表現そのものに意味はありません。表現者が私なのですから。 何があろうとそれには成れません。今私は私という主体でしかないのです。
@@BBBGGGGGGGG AABBBGGGGGGGG AABBBGGGGGGGG DDDDDGGGGGGGG DDDDDGGGGGGGG DDDDDGGGGGGGG DDDDDGGGGGGGG DDDDDGGGGGGGG LLLLLLLLLLLLL LLLLLLLLLLLLL LLLLLLLLLLLLL LLLLLLLLLLLLL LLLLLLLLLLLLL LLLLLLLLLLLLL LLLLLLLLLLLLL LLLLLLLLLLLLL LLLLLLLLLLLLL LLLLLLLLLLLLL LLLLLLLLLLLLL LLLLLLLLLLLLL LLLLLLLLLLLLL
なんや、パズルみたいや
人生は、ぶつかり稽古 どす恋、どす恋
>>226 佛仮経子だれだそりゃ?
ぶつけることもうないんやで〜。
つまらんの〜。
ロン・ポールは出てこんのか!あの悪党めが!
せやな〜 デートでもしとるんかな
このスレのスレ主はama尊者ではないか。
私も含めて彼に多大な迷惑をかけているではないか!
いわば、他人の家に土足で踏み込んで乱闘しているようなものだ。
>>228 デートじゃなくて、酒飲みながら美女を囲んで宴会でもしているに違いない・・・。
表面上穏やかで、内容は超厳格な意地汚い魔物である・・・。
同定される者は多い。まあ、ああいう人がいるとおもしろい。
でも・・・、まあお考えがあってのことだろう、僕が逆立ちしても勝てないくらい頭はいいから・・。
↓こういう人は極めて面白い罪人だ。
3 :考える名無しさん:2006/11/15(水) 23:22:24
>>1 おいおいwwwww
ついに俺のマラの臭さに降参したガキまでご登場かよm9。゚(゚^Д^゚)゚。プギャーーーッハッハーヒャヒャヒャヒャヒャヒャ
よほど俺の釜堀一筋30年のマラへのルサウンチマンが尽きたようだなぁニヤニヤ
ま、もとから俺様のウンコのおおきさには対抗すらできていなかったわけだが( ´,_ゝ`)
はっきり言っておこう。 「悟り」「大悟」「解脱」「神」「仏」「宇宙」「世界」などのものは カント的に言えば『超越論的仮象』だ・・・。 僕は何ものかの陰謀によって、邪魔されているようだ・・・。 あなたがたが普通に幸福であったらいい。僕も幸福になりたい嫉妬であるが。 君たち(ある人々)幸あれ・・。
仮象でも仮性でも、ええんちゃいまっか なんぼずるむけやったかて、 ちんこもちんこだけでは、使いもんになれへん ちんこも、身体の一部の仮象にすぎひん
>>232 ええよ。それでええ・・・。
ただ、フィジカルならちんこも入れるところあるがな・・・。
メンタル的なことは君にはわからん・・・。
これは僕の問題や。部外者は入ってこれんのや。
たとえどんだけモテへん男やろうがな・・・僕らのとは微妙に違ってんねん・・・。
カント的に言えば『超越論的仮象』といえば使い勝手がええ・・。
せやけど、人には救う相手が救う者と合ってなければならへん・・・。
もうだめだ・・・。 人が誠心誠意に言ったことを切って捨てた・・。 僕には無理だよ・・・。 人の愛を斬ったのだ・・・。 僕の「愛」は誰も到達し得ないと同時に、等えなものだったのに・・・。 君にこそ托そう 『超越論的仮象』に以下の言葉に付け加えてくれる方募集・・。 「悟り」「大悟」「解脱」「神」「仏」「宇宙」「世界」「来世」
235 :
弥勒菩薩 :2012/04/19(木) 03:02:21.42 ID:wBSUTxsR
すべて
これは「陰謀」だ! 完全に阻止する!撤退だ
なつかしい感覚じゃないか? 恨み辛みに怨恨とか?僕の得意分野だ。 そんなものは僕はすでに通過したのだが・・。 貴様等のために一言のこしておこう・・・。 相手が誰であろうと・・・相手が死んでいようと・・・相手が見えなくても・・・。 まあガンバレ・・・。 だが、来た者は自己の出自を忘れてはならない。 その最上快たるを、なにものにも明け渡してはならない・・。
ろん という政治犯は退散せよ!
241 :
473 :2012/04/19(木) 05:21:46.92 ID:/R/7uocy
≫あなたはあなた自身を生きるのではなく、思想に生きているように見えます。 あなた自身が批判しているのではなく、思想が他人や社会や世界を批判しているのです。 無意識の総体があり、それに条件付けられた表面の思想は、自分のやってしまったことを後悔したり評論することしかできないでしょう。 ましてその表面の思想ではなく自分によって生きると言ったところで、結局もとの無意識が作る世界にしたがって批判してしまうでしょう。 思想に生きる。 思想に生きれたらどんなに楽か。思想に生きれるぐらいなら自分自身で生きることも可能でしょう。 しかし、思想には生きられないのです。もっと根本的に私は不自由なのです。 思想、知性は自分のやってしまったことを後付で分析して痛みを和らげ、学習した気にさせますが、 また同じことをしてしまいます。それでまた新しい結論を出すかもしれませんが、また同じことをしてしまいます。 もしもうやらなくなっても今度は別の難題が持ち上がるでしょう。 むしろ私は思想によって自らの痛みを回避するのではなく、思想から自由になることによって、この根本的な不自由に向かっています。 そういう意味でいろいろどうでもよいことから自由になった気がします。 何から自由になったか思い出せないぐらいどうでもいいものであり、それは世界への嘆きと避けがたい憎しみから私を守ってくれたもの数々です。
242 :
473 :2012/04/19(木) 05:22:53.07 ID:/R/7uocy
≫あなたはあなた自身を生きるのではなく、思想に生きているように見えます。 あなた自身が批判しているのではなく、思想が他人や社会や世界を批判しているのです。 規範に従う人間には自己矛盾はありません。一方的に他者を非難して、自分の非難憤慨するメカニズムを探求しようとはしないでしょう。 独自の良心があり、社会の建前と実態の違いを子供のときから嘆いていました。 実態と宗教理念の乖離に混乱していたというのはあり、それは自分が宗教思想から自由でないからこそ起きた事です。 (程度の問題で完全に不自由なら、内省無用の論争になります) むしろより深い問題は、人々に対する嘆きです。 前スレの817で考察しています。 私自身の自我の原型、認識、風景の原型から来る嘆きです。 私は自分の理想に閉じこもり世の中をおびえる弱虫です。 特に隠してはいませんでしたし、それを見出してくれたことはうれしく思います。 人それぞれの原型があるでしょう。 どんな原型も事実と対立しますから、人は規範に従ったり、投影のゲームに参加して痛みを和らげます。 投影のゲームに参加している人はこの嘆きとは無縁です。 投影のゲームに参加せず、この嘆き、自分自身を通り抜け、自由に世界を泳ぐ、そんなひとなら私を脱出させる手助けができるかもしれません。
243 :
473 :2012/04/19(木) 05:24:08.25 ID:/R/7uocy
≫ もしあなたがゴータマくんに直接会えたら、あなたはゴータマくんを批判しないではいられません。 最初は崇拝するかもしれないけど、いずれ満足できなくなるはず。ゴータマくんも人間ですからね。 私は師に満足できなくなることを知っていますし、批判したくなることも知っています。 自分の問題としてかみ締めるでしょう。それを表出させることはないでしょう。 自分に満足できるかどうかであり、客体である師には余り意味はありません。 むしろ師こそ私を満足させまいとして働きかける、最愛の敵でしょう。 彼は私の思い込みを破壊するようなことをわざわざ選んで語るでしょう。 崇拝したら後で非難する。それは人間一般の法則ではないでしょうか。 それへの理解があって初めて人は師に要求し批判するのではなく、自分を破壊してくれる師に自らを差し出すことができます。 私がかつての師とともにあるのは、満足するためではなく、私の奥底で共感する何かがあるからです。 実に見事に人間の心理の推移を描きますね。でもこれは私が対象である必要があったのかな。 なぜなら私のどの書き込みに対応しているかわからないので私に対してというより、人間の心理についての講義のようです。 私だから自分のこととしてみますが、普通の人なら自分の書き込みに対応してないので困惑するでしょう。 この考察をあなたがあなた自身に当てはめたら、といいたいところですが、 こういった考察は瞑想のきっかけとしては便利であるものの、考察そのものは混乱をより深めるだけなのでなんとも。 あなたもあなたが提示する人間の心理の枠組みから自由ではないでしょう。 だからそんなあなたが相手が一方的にそうだという形で提示するのは反感を生みます。 反感を生んでしまったらあなたのメッセージと逆の効果が出てしまいます。 また第3者の読み手も自分をなおざりにしてその相手を責め立てるでしょう。
244 :
473 :2012/04/19(木) 05:28:29.38 ID:/R/7uocy
>>214 。真摯な考察が提示されました。
真剣に相手に向き合うことは自分自身に向き合うことでもあるのでそんなに恥じることはありません。
むしろ互いに非難しあうのがよくてなんでこっちが駄目なのか。
それに無意識レベルで214の内容に該当しない人間はいないので人間一般の話です。
大まかな内容について。
他者や世界を否定するのは、自分でも認知している表面的な信条か、無意識に染み付いている思想でしょう。
それが無ければ他者を否定する理由もないでしょう。それは私がずっと提示していたことであり、いかにその束縛を抜けるかです。
分析すれば分析者は抜けた気になるかもしれませんが、分析者には自己を統御する力はありません。
≫好きになるということ
感情的に人を好きになり受け入れることは、好意が帰ってくることを望んでのことであり、一時的な協定に過ぎません。互いが互いの期待を満たせないとなると不満が募るでしょう。
またそのとき彼女以外に対して閉鎖的になってしまっておりそちらに対立を作ります。結局同じことです。
245 :
473 :2012/04/19(木) 05:28:59.35 ID:/R/7uocy
≫あなたの批判力は、あなた自身を通り抜けてしまいます。 あなたはあなた自身を責めているつもりかもしれませんが、ちっとも自分を見つめてはいません。 まず、あらゆる批判力は無意味です。それは抑圧にしかなりません。 だから私は私をあえて責めません。それは当然として問題はあえてでない無意識の部分です。 無意識の規範からくる批判、そしてさらにそれに対する他の枠組みによるそれへの批判。その内部対立。それに刻々と気づくことを語っていました。 あなたは私がそれをコントロール可能だと思うかもしれませんが、普通の意味では不可能です。 それを認めるにはまずあなたはあなた自身がコントロール不可能だと認めなければなりません。 ≫ちっとも自分を見つめてはいません。 これは実際に見つめて生きるということはどういうことか生き様を示せる人が仕上げにいう言葉です。 これはある意味相対的な問題になるのです。あなた自身が見つめて生きており、それがどういうことかもう少し詳しく語ったり、 そうである人しか言えない何かで示唆したり、何かがいるでしょう。そうでないとブーメランになってしまう言葉です。 あなたのいう「自分を見つめること」というのが何かは確実にはわかりません。 しかし誰もが試し、無駄だと悟った何かのような気がします。そういう意味で実にほほえましいです。
>>126 確かに、見ることに意識を集中しながら、
同時に聞くことに意識を集中することは出来ないですね。
同時にやっているように見えるのは、
超高速で意識が駆け巡っているからのようです。
実際には、それに意識を集中しているとき、
つまり、完全にそれになりきっているときは、
それしかない・・・。
私たちは、五感や思考や感情といったものに超高速で意識を駆け巡らせているため、
それらが、まとまったひとつのものであるように誤解しているのかも・・・。
体があって、考えがあって、感情があって、
というように、それらが同時に存在しているかのように見えてしまっていますが、
実際には、それらは、一度たりとも同時に存在したためしがないです。
これらが同時に存在していると思うから、
「私」というものが存在しているかのように思えてしまうのかもしれません。
あるいは、対象とひとつにならずに、
距離を置き、あちらこちらに意識を分散させることで、
「私」というものを発生させているようにも見えます。
満足も不満足も比較の中にしかない・・・。 その中にいるとき、比較ができないですね。 ただそれだけになってしまっているとき、 比較のしようがないです。 でも、それだけになりきれない。 尻尾が残る。 残ると言っている観察者がいる・・・。 残っているように見えるだけなのかも・・・。 なりきれるときはなりきり、 なりきれないときはなりきれない。 なりきれなきゃダメとか、オールオアナッシングが、迷いなのかも・・・。 釈迦は中庸と言ったそうですが・・・。 味わい深い公案です。
いつもひとつなのに、ひとつになっていないように見えるのは、 しっかり見ていないからなのかもしれません。 腫れ物に触るように見ている。 チラ見してるような感じ・・・。 見たくないのですね。 見たくないときの心理と、見ようとするときの心理は、 結局同じ動きなのかもしれません。
>>126 確かにもともとひとつしかないです。
これは分裂しようがない・・・。
なのに分裂しているように見えるのは、
距離を置くからなんでしょうね。
250 :
ろん :2012/04/19(木) 07:51:51.50 ID:pKHRtWG2
今日はお休み、週休三日制だりょーん。。
>>206 自分が一つになっていく、解脱していく感じってあるでしょ。。
もちろん、そういうのに拘るのはよくないんだけどさ、実際あるから坐るのが好きになる人がいるんでしょ。。
わからんのかなー。。
世俗に未練あってもいいよ、僕だって、いろいろ欲望あるもん。。
けど、欲望は半分どうでもいいというのもある。。
最優先事項は、そっちじゃないと。。
まあ、気長にやるしかないと思うけどね。。
251 :
ろん :2012/04/19(木) 08:17:31.91 ID:pKHRtWG2
>>229 淫乱魔女たちと乱痴気パーティーしてたよ〜ん。。
われ悪魔と血の契約をし絶倫を手に入れリ。。
おまえも来るか、うっふっふ。。
252 :
ろん :2012/04/19(木) 08:20:15.84 ID:pKHRtWG2
>>231 おいらが不幸になる呪いをかけてやった。。
のたうちまわるがよい、あっはっは。。
253 :
ろん :2012/04/19(木) 08:38:53.40 ID:pKHRtWG2
>>246 そうですね。。
だから、修行の目安としては、何をするときもそれと一つになっている、それ自体、そのものになるということがあるわけです。。
ですが雑念があってはならないと考えると、また実際との分離が生じてしまいますから、
雑念があるときは、雑念と一つなんだよ、もと三昧なんだよと、理解する必要がある。。
もと三昧だから、今の他にある悟りとか、無心とか、そういう架空が落ちるということでもあります。。
だんだんと日常以外何にもなくなってしまう。。
平常心是道です。
>>253 >平常心是道です。
なるほど、深い言葉ですね。
255 :
ろん :2012/04/19(木) 08:49:47.84 ID:pKHRtWG2
雪渓師の本にあったんだけど、雪渓師が草むしりをしていると後ろから義衍師が声をかける。。 「雪渓さん、何をしていますか」と。。 これどういうことかわかるかな?
>>255 ただの世間話って言いたいけど、多分違うんだろうな。
257 :
ろん :2012/04/19(木) 09:03:29.60 ID:pKHRtWG2
>>256 うん、もうちっと本質的なことだろうね。。
>>255 ろんに聞いてみたい事あるんだけど・・・・
「禅では、修行が進むと自分の自我ってどうなるの?」
自我は残るの? 消えるの?
それと、もうひとつ
「禅の修行の中で自我と向き合うものって何かあるの?」
分かる範囲で良いんで教えて下さい。
>>181 写すのに便利なモノが無いですからね。
(大抵、歪んでるか曇ってますね)
そうですね、純粋なメタ視点とゆうのは無理かもしれません
ただ「私は私を知らない」とゆう理解は
人をとても注意深く意識的にするかもしれません
>>187 >いわゆる愛には何かへの憎しみが隠れている
「愛憎」の愛は文字通り相対的なのですね
まあ、食事への愛は空腹への憎しみ
クーラーへの愛は酷暑への憎しみ
睡眠への愛は眠たさへの憎しみと言っても良いかもしれません・
>>187 >愛は夢の中の依存の対象、憎しみは自分が対峙すべき事実の投影
例えるなら空腹時の食事への思いが愛で
空腹を憎む気持ちが対峙すべき空腹とゆう事実の投影とゆう感じでしょうか?
>>187 >もし愛憎が苦しみなら、好悪を超えたブッダたちに深く心酔することはどうだろう
その深い心酔もコントラスト故であり闇の中で光を見つけたが故の高揚感なのかもしれません
つまりブッダじゃ無い者達も深い心酔の協力者なのかもしれません・
263 :
ろん :2012/04/19(木) 10:53:13.65 ID:pKHRtWG2
>>258 自我が一つになるということ。。
一つになったら、自我は見えないから、消えたように感じる。。
心理学的問題があったりして、分裂が大きければ、治す必要性、統合する必要性もあるかもしれない。。
けれど、病気がない人は向き合う必要なんてないんじゃないかな?
人によるんでないの?
坐りつづければ、次第に消えてゆく問題でもあるだろうけど。。
一つになってない、なぜかという、その問題を自覚する必要はあるのかもね。。
264 :
ろん :2012/04/19(木) 10:55:05.53 ID:pKHRtWG2
禅は薬だから、飲んだら忘れないとと言うのもある。。 自分の他に悟りがある、禅がある、と思っていたら、一つにはならないだろう。。 禅は薬として使うもの、健康になったら、不要になるものだ。。
>>263 なるほどです。
悟りでもいろんな方法があるんですね。
勉強になりました。どうもありがとうございます。
266 :
473 :2012/04/19(木) 16:43:20.47 ID:l1lzQBLG
>>260 チベット仏教ではよく歌によって仏教を表現したいたようです。
これは散文ではなく詩なので、いつもの私の文章と同じやり方で解釈されると弱ってしまいます。
1行目はともかく、2,3行目は散文として解析すると私も同意できません。
4行目の収束、また4行まとめての文脈で
の何らかの勢いをつけるためのものでありそうじっくり理解してゆくものではありません。
歌で返してくれていいですし、4行まとめての感想をいただくのもうれしいです。
一応3行目について補足すれば、自らが愛してしまったら何かを嫌ってしまう。
ちょっと意地悪ですが、普通のやり方で473とamaさんを共に100パーセント愛することは不可能です。(ましてや性質の悪い人ともなると)
類似点も多いですが、結構相違していますから。
自ら愛すことが葛藤を生む。仏陀を愛しても当然葛藤を生む。
しかし心から心酔する。この心というのは無意識を含む心全体であり、心酔するというのはそれを深く受け入れそれに酔うというようなイメージです。
そして自らの足で立って、誰も愛さない、誰も憎まない。
そこには尊厳とあまねく慈悲があることでしょう。
そのかけら、隙間の光ぐらいはありますが、私も道の途上です。
267 :
473 :2012/04/19(木) 16:43:41.49 ID:l1lzQBLG
生命のエネルギーの広がり、愛にあふれた平穏な日常もあれば、 苦しみと対峙せず、生も愛も殺してしまった死んだ平穏な日常もある。
どこに、そんな違いがあるんやろか
愛って殺せるものなんだろうか? 100パーセント愛するってなんだろう? 30パーセント愛したりもするんだろうか? 60パーセントの愛と70パーセントの愛に何か違いがあるんだろうか? う〜ん、愛って難しい。
愛っちゅうのは、縁によって紡がれるんやろな〜 愛し合ってるか〜い
271 :
神も仏も名無しさん :2012/04/19(木) 19:49:02.52 ID:QrjlCqNd
愛は単なる都合の良い言葉だよ 面倒だからその先を場合分けせず、愛ですませちゃうだけ ストーカーと変わんないよ
272 :
ろん :2012/04/19(木) 19:55:21.92 ID:pKHRtWG2
日本は、父系性社会をやめて、母系制夜這い制度を復活させれば、少子化は解消すると思うね。。 あるいは万葉の歌垣みたいなことをやるとか。。 愛が根本じゃなくて、性の快楽を基盤にして、男女関係を紡ぐべきだよ。。 愛とかキリスト教の妄想。。 日本を夜這い天国にする、・・これが少子化解消のためのウルトラCかもだな。。
273 :
《アラシを呼ぶ男》 ◆Arasi/MT2E :2012/04/19(木) 19:58:53.96 ID:7QDNFEV+
若いころの臨済禅師(りんざいぜんじ)の修行は、直向き(ひたむき)で、純一(じゅんいつ)であった。 それを見ていた首座(しゅそ、)が 「この人はまだ若いが、人と違ったところがある」 と感心し、質問した。 「そなたはここに来てどれ程か?」 臨済 「三年です」。 首座 「これまで黄檗(おうばく)和尚に参(さん)じた事があるか」 臨済 「まだ参じたことはありません。何を聞いたらよいのかもわかりません」 首座 「どうして、仏法の根本は何ですか?と問わないのだ」 臨済は黄檗和尚に参じて 「仏法の根本」を質問したが、その声がまだ終わらないうちに 打ちすえられた。 戻ってきた臨済禅師に首座が様子をきいた。 「まだ言い終わらないうちに打ちすえられ、訳が分かりません」 主座 「ならば再度質問してこい」 こうして、三たび質問して、三たび打たれた。 臨済は首座に言った。 「幸いに慈悲をこうむって和尚に質問することができ、三度問いを発して三度打たれました。深い意味を悟ることができません。他の所で修行したいです」 首座は答えた。 「下山する時には、必ず和尚に挨拶してから行きなさい」 首座は先に黄檗和尚に会って言った。 「あの若者は甚だ真面目(まじめ)です。やって来たら導いてやってください。将来かならず一株の大樹となり、人々のために涼しい木陰を作ることでしょう」 臨済が出立(しゅったつ)の挨拶に行くと、黄檗禅師は言った。 「そなたは 大愚(たいぐ)和尚の所に行きなさい。その他の所に行くな。きっとそなたのために説いてくれるだろう」 臨済は大愚和尚のところに行った。 大愚 「どこから来た」。 臨済 「黄檗和尚の所から来ました」 大愚 「黄檗和尚はどのように教えているのか」 臨済 「私は三たび仏法の根本を聞いて、三たび打たれました。私に落ち度(おちど)があったのかどうか、それすらも分かりません」 大愚 「なんと、黄檗和尚はまるで老婆(ろうば)のように親切だ。くたくたになるまで教えてくれたのに、更にわしの所までやって来て落ち度があったかどうかと聞くのか!」 臨済は言下(げんか)に大悟(たいご)して言った。 「黄檗和尚の仏法は、根本そのものだ」 臨済禅師は黄檗和尚のもとに帰り、その法を嗣(つ)いだのであった。
274 :
ろん :2012/04/19(木) 20:00:12.76 ID:pKHRtWG2
ブータンとか途上国ではいまだに夜這い天国な国が多いらしい。。 天皇を頂点とする強い国家のための家制度と父系性。。 こんなのはもともとの日本の風習には会わん。。 手をつないで街を歩いて何が楽しいのか? 虚栄心の満足以外の何があるだろうか? 日本とかアジアはもともと母系社会、かかあ天下、女性を大事にする通い婚制度なんかいいんじゃないかな〜。。
275 :
ろん :2012/04/19(木) 20:09:42.09 ID:pKHRtWG2
まあ血のつながりより、家の伝統、家風を重んじるという抽象性が、国家の成立のために必要なのかもしれんが、 システムと言うものは何でも、それが完成した時に、エネルギーを失うんだろうなー。。 エネルギーとか欲望はつねに既にシステムを超えたものであるはずなのに、 いつの間にかシステムが個人を欲望をエネルギーを抑え込み、 生殖能力や性欲すらが低下してしまった国、それが日本なんじゃなかろうか。。 生殖と種の繁栄なんかよりも、個人のキャリアとか楽しみを重視する、それはそれで社会の発展の成果ともいえるかもだが、 やっぱり何かを見失っているという気がする。。 NWOの人工削減計画とか言わないけどさ、それもあるかもしれんしねー。。
>>274 >手をつないで街を歩いて何が楽しいのか?
すごく楽しいって書くと、ここだと変人扱いかな?
でも、楽しい。
恥ずかしいから冬場はコートのポケットの中で手をつなぐよ。
277 :
ろん :2012/04/19(木) 20:30:27.27 ID:pKHRtWG2
恋愛至上主義じゃなくてさ、性愛至上主義だったら、まだわかる気がするんだよね。。 ゼータ・ガンダムの名台詞にもある。 世の中には男と女しかいないのよ・・・(レコア・ロンド) それに対するシャアの反応は。。。 私に・・何をしろと言うのだ・・・ やっぱおいらはシャアに近い面もある気がする、シャアが一番カッケ―よ、アムロなんかよりも。。
278 :
ろん :2012/04/19(木) 20:32:57.20 ID:pKHRtWG2
>>276 いや、僕は他人の好き嫌いはどうでもいいんだけどね。。
おいらは、よっぽと自分と合う人じゃないと、一緒に長い時間を過ごす気になれないというのがある。。
夜だけの恋人の方が欲しいかもだな。。
>>277 性愛そのものより、その前のイチャイチャする感じが好き。
280 :
神も仏も名無しさん :2012/04/19(木) 20:34:32.35 ID:QrjlCqNd
>>275 生殖と種の繁栄を考えたら、宇宙に出ないといけなくなるので
地球大好きひきこもりでもいいんじゃないかなー?
ここで止めると伝わらないと思うので以下蛇足
種の繁栄は地球を捨てることに繋がるのは誰でもわかる
逆はまた独りよがりで違う ←考えるのが面倒くさくなるとこれを悟りと勘違いする
だから、ちょうどよく繁栄するのがいいんじゃない?
やっぱりそのためには悟りだよねー
281 :
ろん :2012/04/19(木) 20:40:22.30 ID:pKHRtWG2
>>279 いや、性行為で満足するのが一番燃焼感があっていいと思うけどねー。。
>>280 いや、そんな大それた話してない。。
あくまで日本一国での話。。
一億人維持すればいいかもだけどね・・そのうち、揺り戻しでベビーブームが来るかもしれんし。。
危機があったり、貧乏だったりした方が子供をつくるという話もある。。
常ならずだから、下降傾向がいつまでも続くというわけじゃないんだろう、出生率。。
282 :
神も仏も名無しさん :2012/04/19(木) 20:44:01.89 ID:QrjlCqNd
>>281 だいそれたーって
根本みていったらそんな話題でしょこれ
スレ違いだけどねwww
普通「愛」と言ったら限定的な愛の対極を指していて、 太陽のように分け隔てなく無条件に愛するのを愛といい、人間には実行不可能だから、 小さな愛でもって愛、愛と言うのは嘘っぽく聞こえる。大抵それは自己愛。 ・禁欲主義はいけぬ、恋愛は神聖であるといつて、しかもこれを自然主義的、本能的で、すなはち自己と同大程度に決行し、満足せむとするのが凡夫である。 ・これを拡充して宇宙大に実行するのが神である。 ・神は三千世界の蒼生は、皆わが愛子となし、一切の万有を済度せむとするの、大欲望がある。 ・凡俗はわが妻子眷属のみを愛し、すこしも他を顧みないのみならず、自己のみが満足し、他を知らざるの小貪欲を擅(ほしいまま)にするものである。
284 :
神も仏も名無しさん :2012/04/19(木) 21:04:23.18 ID:QrjlCqNd
>>283 太陽は分け隔てなく特定の影響を与える
このほうがまだ近い
人間の賢しらな善し悪し判断をまぜなさんな
285 :
ろん :2012/04/19(木) 21:05:49.24 ID:pKHRtWG2
神みたいに万人を愛する人って、なんか違う、変な人の気がするな。。 愛想がいい、こだわりがないくらいでいいよ、いい人の定義ってのは。。 自分は自分、他人は他人とスパッと切れてる人の方が、いい人のように思う。。 隣人を愛せとか変な観念もってない人の方がいい。。
286 :
神も仏も名無しさん :2012/04/19(木) 21:08:00.24 ID:QrjlCqNd
287 :
ろん :2012/04/19(木) 21:09:38.81 ID:pKHRtWG2
しかし、リアルで愛がある人ってのは、別に性格がいい人ってわけでもない。。 口がきたなかったり、何でもズバズバ言って、遠慮がなかったりする。。 愛がどうのとか思ってないと思うけどね、当人は。。
288 :
ろん :2012/04/19(木) 21:11:52.11 ID:pKHRtWG2
ハートが開いているということ、エネルギーが大きいということは、自然とその上のチャクラまで開発されている場合が多いのだと思う。。 そういう人はちゃんと現実が見えていて、道理がわかっている人。。 ズバズバものを言っても、だいたい正しかったりもする。。
>>288 チャクラ開いてても使い方が分からず
宝の持ち腐れになってたりするんだよね、これが。
290 :
ろん :2012/04/19(木) 22:34:19.03 ID:pKHRtWG2
チャクラなんか、そんなに意識する必要もないと思うけどね。。 ヨガやるのもダンスを習うのもいいかもしれん。。 けれど、それらでエネルギーの流れがよくなり、チャクラが目覚めたとしても、根本の無明が取り除かれるわけではないから。。 禅はチャクラとは関係がない、しかし、額のチャクラがある程度活性化しない限り、クリアーにならないんじゃーと言う気もする。。
291 :
ろん :2012/04/19(木) 22:37:12.61 ID:pKHRtWG2
禅の形をエネルギー的に見ると、左足が上で、左手が上。。 これは右側のエネルギー、すなわち方便を重視した大乗的スタイルなんじゃないかって気がする。。 ダイジは、クンダリーニ・ヨガは逆だと言っていた。。 これはすなわち、世界を捨てて、解脱する方向性なのかもしれない。。。 まー推測であって、はっきりとした確信があるわけじゃないんだけど。。
292 :
ろん :2012/04/19(木) 22:40:31.84 ID:pKHRtWG2
足を痛めないために、左右の足を組み替えつつ坐るのがいいなんていう人もいるね。。 これがホントかどうか、僕にはちょっとわからん。。 気がもっとわかる人に訊かないとわからないだろう。。
293 :
ろん :2012/04/19(木) 22:49:29.64 ID:pKHRtWG2
根本無明を母に象徴される物質界として、それらからの解脱を目指すのがヨガ。。 そうじゃなくて、無明は自我による自他の分割とか、認識によるものとして、それらの脱落に向かうのが禅、と言うことになるかな。。 そもそも方向性が違うから、ごっちゃにはできないかもしれない。。
294 :
ろん :2012/04/19(木) 22:53:51.22 ID:pKHRtWG2
プルシャってそういうことだよね・・サーンキャ哲学。。 身心二元論で、幽体離脱みたいなことをやったり、身体や物質からの自由を目指す。。 禅の場合は、識に問題があるのだから、法を学んで、坐禅を組み続ければ、無明は自然に脱落するという。。 ヨガは自分が世界を超越して、世界から解脱しなければならない。。 禅は横の合一、すなわち平行な悟り。。 ヨガは超越、すなわち垂直な解脱。。
295 :
神も仏も名無しさん :2012/04/19(木) 22:55:19.30 ID:s6k7vRxV
何かね? チャクラとか、エネルギーとかwww オカルトですか?wwwww
296 :
ろん :2012/04/19(木) 22:56:54.63 ID:pKHRtWG2
オカルトとは、すなわち隠された技術、知識だね。。 今は公開されてるから知らない方が、無知と言うことになるが。。
297 :
神も仏も名無しさん :2012/04/19(木) 22:58:33.19 ID:s6k7vRxV
通常、日本で「オカルト」と言うと、 「科学的根拠」なしのトンデモ説という意味合いが強いがwwww
今はオカルトの持つ秘密とか秘伝が少なくなった気がする。 ネットで「発勁の秘伝」が20万で売ってるのを見たときはビックリした。
299 :
神も仏も名無しさん :2012/04/19(木) 23:31:36.50 ID:+Tfmw7iy
やだよね、こういう話がわからないくせに、なんで宗教版にくるんだろね。
300 :
神も仏も名無しさん :2012/04/19(木) 23:33:43.57 ID:s6k7vRxV
>やだよね、こういう話がわからないくせに、なんで宗教版にくるんだろね。 なんだよ? こういう話ってwwww
301 :
神も仏も名無しさん :2012/04/19(木) 23:37:24.52 ID:+Tfmw7iy
>>300 は?チャクラとかエネルギーだとかの話だろ。
wwwwばっかりつけて誤魔化してんじゃねーぞ?コラ。
302 :
神も仏も名無しさん :2012/04/19(木) 23:39:20.59 ID:s6k7vRxV
>>301 は〜〜〜〜〜〜〜〜?wwwww
チャクラだの、わけの分からんエネルギーだのを信じないと
宗教板に来ちゃいけないわけ?wwwwwww
誰が決めたんだよ? カスwwwww
303 :
神も仏も名無しさん :2012/04/19(木) 23:39:36.61 ID:+Tfmw7iy
実際にさあ、そういうものを感じてる人もいるわけよ。 自分にはわからないからって、頭ごなしに否定して馬鹿にすれば格好がつくと思ってるみたいだけど、 そういうの邪魔だからさ?わかる?
304 :
神も仏も名無しさん :2012/04/19(木) 23:41:09.78 ID:s6k7vRxV
いつから、宗教板は、脳内お花畑の「オカルト馬鹿」専用になったんだ?www
305 :
神も仏も名無しさん :2012/04/19(木) 23:42:15.61 ID:+Tfmw7iy
あんたいつも他人のレスにチャチャ入れしてるだけじゃん。 ホントに役立たず、って感じ。 どっかいけば?
306 :
神も仏も名無しさん :2012/04/19(木) 23:44:43.96 ID:s6k7vRxV
>そういうの邪魔だからさ?わかる? 何? お前が邪魔に思う奴は、宗教板にくるなってか?wwww どこまで、自己中なの? オカルトバカってwwwww
307 :
神も仏も名無しさん :2012/04/19(木) 23:46:55.18 ID:s6k7vRxV
>>305 何? 役たたず? 役に立ってるのいるの?wwww
俺は好きな様にやってるだけねwww
お前がどっか行けば?wwwww
308 :
神も仏も名無しさん :2012/04/19(木) 23:49:08.41 ID:+Tfmw7iy
>>306 だってあんたがしてること意味ないじゃん。
なんで黙ってROMができないんだろうね。
悟りスレなんだからそういう話題がでるのはごく自然だろ?
それをオカルト扱いして一蹴するほうがイカれてるだろ。アホか。
309 :
神も仏も名無しさん :2012/04/19(木) 23:51:21.35 ID:+Tfmw7iy
ゲラゲラ他人のこと馬鹿にしてほんの束の間の優越感に浸りたいだけの雑魚だな。 消えろ。以上。
310 :
神も仏も名無しさん :2012/04/19(木) 23:52:40.01 ID:s6k7vRxV
>>308 何? 意味って?wwwww
黙ってロムしないといけないの?www
チャクラだの、わけの分からんエネルギーだの・・・・
十分オカルトでしょ?wwww
311 :
神も仏も名無しさん :2012/04/19(木) 23:54:23.22 ID:s6k7vRxV
>>309 何で消えなければいけないの?wwww
オメ〜〜が気にいらない奴はこのスレ禁止ですか?www
お前が消えなwwww
昨日は酔っぱらって訳わからないパズルを書いてしまって 申し訳ありませんでした・・・。
前のスレでポッたんがよいヒントを与えてくれた・・・。 Qu'est-ce que c'est?とは仏語である。 英語ならWhat is it?にでもなるのかな・・。 それ何ですか?ってな意味だろう・・。 瞑想する者はQu'est-ce que c'est?Qu'est-ce que c'est?と 四六時中問わなければならない・・・。
>>252 呪いか?呪禁堂の安堂をなめるんじゃねえぜ・・。
>>255 わかります。「雪渓さん、何をしていますか」ということです・・・。
>>279 それいいですね。相手の吐息が首筋にかかると僕は失神します・・・。
>>281 日本人の性交回数は世界で最下位らしいじゃん・・・。働き過ぎと人間関係のストレスでやる気なしなんでしょう。
夜這い復活させても、疲れて這う気にもならんという有様。終戦から60年以上経ってるのに月月火水木金金の艦隊勤務を
続けてるからこうなる・・・。日本は未だ戦争後遺症が治ってないってことだ。
>>293 僕は禅ではなくてヨガをやってきたのかもしれないです・・・。
ずっと禅なのだと勘違いしてました・・・・。
>>293 >根本無明を母に象徴される物質界として、それらからの解脱を目指すのがヨガ。。
>そうじゃなくて、無明は自我による自他の分割とか、認識によるものとして、それらの脱落に向かうのが禅、と言うことになるかな。。
>そもそも方向性が違うから、ごっちゃにはできないかもしれない。。
禅とヨガは全く違います。
ヨガとはこの世から消え去ることを目的としたものです・・・。
消えながら生きているというものです。チャクラは人によって曖昧なのです・・。
禅がそのものになりきるとすれば、
ヨガとは出来る限り引き下がることです・・・。
向き不向きはあります。ヨガの方が大衆向けです。禅というのはいわゆる学人向けです。
なぜかといえば、実践することで何らかの力を得られるというのがヨガだからです・・・。
禅というのは意識がこんがらがった人向けです。それ以外の人にはあまり意味がありません・・・。
禅は集中治療室行きの人だけです。
ヨガと禅だと、 ある一定の所まで来るとどちらかに方向転換することは不可能になる・・・。 もちろんはじめから置換不能の場合も多い・・・。
319 :
神も仏も名無しさん :2012/04/20(金) 02:55:24.47 ID:d/xNog+Z
単直・・・・確か昔、よくAA張ってたやつだな?wwwww まろ、とか、天狗とか、好きだったなwwww
>>319 お茶をよく持ってきてくれた方だった・・・。
素敵な人
まあ自演作戦は良好だ・・・。 一匹でも釣れればそれでよい
>>318 なるほどなー
ここら以外にも色々あるんやな
安さんおおきにm(_ _)m
ってかまた酔うてまんのか?w
いやー、さっき金縛りにあいましたわー エネルギーも活性化しとるし、どないなるんやろか〜 まあ、ええかぁw
チャクラで思い出したけど、室戸岬で出会った蓮華、あれサハスラーラや 外側に観えるってのはようわからんけど、この間ぐーぐるで検索してて、確信しましたわ あら、虚空蔵の虚空華やね あ、独り言、独り言w ほな、さいなら(^-^)/
328 :
ろん :2012/04/20(金) 05:01:51.69 ID:n/TEJKGe
>>314 ケツくせ〜、ケツくせ〜、紙がない〜。。
ケツくせ〜、ケツくせ〜、拭いてない〜。。
>>315 >わかります。「雪渓さん、何をしていますか」ということです・・・。
それじゃー、言う意味がないねー。。
329 :
473 :2012/04/20(金) 05:20:47.08 ID:1MrboRLa
>>214 バカ女さん
≫思想に生きている。自分の人生を生きていない。
私はこれまでの経験の総体であり、いかんともしがたい嘆きと悲しみに怒りに満ちている。
なのにそこから私はなにかしら、なんとか生きようとしている。
道徳、世間知、宗教、ブッダたちそれらを参考にして何とか乗り切ろうとしている。
確かにそれは不毛です。
ただ、それをしなければ正に社会にも他者にも適応できない原始的な自我に直面します。
それに覚め続けていられるような覚醒が無ければ危なくて、一切の理想と道徳を捨て去ることはできないでしょう。
そしてその厄介な私を捨てられたら、「私」という偶発的な出来事への解釈=経験に束縛された借り物の生に終焉が訪れるかもしれません。
思想、というかもっと包括的な意味での模倣。それで人はなんとか自己を保っています。
他人に見るのはたやすいですので、自分に見る一助としてください。
それを他人に見てもそれからあなたが自由というわけではなく、
しかも自分に見てもそれは模倣して生きている主体が自分はそれを知っているから自分は模倣していないと言い訳しているだけです。
そしてそれからの自由は刻々の理解の意識の働きです。
「自分で生きれば何とかなる」かのようにあなたは言いますが、あらゆる代案はもとの私がもくろむ何らかの模倣でしかなく、また元の私が単に生きるのは不可能です。
状況に対応してできることだけをやりつつ、私の嘆きと悲しみと実現不可能な理想に付き合うことにします。
また、人は素直に泣いていいのだと思います。悲しみを抑えず泣いてしまえば、悲しみを抑えるためにさまざまな共感や投影のゲームをしている人の悲しみも見えてきますから。
しかしねー 開き易さってのは、遺伝と関係あるんかね? 先祖が修行してたとかさー まあ、確かにうちは曹洞宗なんやけど
>>255 > 「雪渓さん、何をしていますか」と。。
ひとつになっているかどうかを試しているのでしょうか?
>>255 >雪渓師の本にあったんだけど、雪渓師が草むしりをしていると後ろから義衍師が声をかける。。
「雪渓さん、何をしていますか」と。。
>これどういうことかわかるかな?
・
>>246 >私たちは、五感や思考や感情といったものに超高速で意識を駆け巡らせているため、
それらが、まとまったひとつのものであるように誤解しているのかも・・・
だから「あ」の字の全体を一度に正確に見ようとすると見れ無いのですね
(笑)
>>266 >これは散文ではなく詩なので、いつもの私の文章と同じやり方で解釈されると弱ってしまいます
あっ、そうでしたか
道理でいつもと文体が違ったのですね
気づきませんで失礼いたしました
f^_^;
>歌で返してくれていいですし、4行まとめての感想をいただくのもうれしいです
じゃあ歌で返します
Please wait a little.
>>247 >なりきれなきゃダメとか、オールオアナッシングが、迷いなのかも・・・。
釈迦は中庸と言ったそうですが・・・
オールオアナッシングゲームを止めたら人はとてもくつろげるかもしれませんね
>>247 >でも、それだけになりきれない。
>尻尾が残る。
>残ると言っている観察者がいる・・・。
観察者が無くなれば、観察されるモノも無くなり
それだけになりきれそうな気がする。
まあ、気がするってだけなんだけどね。
>>266 >普通のやり方で473と
amaさんを共に100パーセント愛することは不可能です
ドキ!愛憎の愛ですね
「牡丹と薔薇」とかゆうドラマがありましたね
(笑)
>心酔するというのはそれを深く受け入れそれに酔うというようなイメージです
受容は至福の鍵かもしれませんね・
>>334 >>187 海は労せず雲となり
雲は労せず雨となり
雨は労せず川となり
川は労せず海に至る
照らし続ける太陽の光・
339 :
473 :2012/04/20(金) 12:59:32.15 ID:1MrboRLa
>>214 バカ女さん
思考は周期のあるものや、つかの間であったり、うつろうものであったり、また同時に2つ起こっているものの1つだけを、
とりだしてそれが永遠で唯一のものであるかのように認識する作用であるかと思います。
生死から生を取り出し、愛憎から愛を取り出します。
宗教といわれたものは、分割する思考では基本的には認識しずらい、認識し続けることはほぼ不可能な、
愛憎や生死や怒りと喜びの周期に「巻き込まれるパターンを抜ける」実践術であると思います。
入り口としてはいろいろ誘惑や甘い文言が必要になりますが、中核は簡素なもののようです。
340 :
473 :2012/04/20(金) 13:00:03.84 ID:1MrboRLa
>>214 バカ女さん
愛、いわゆる愛は、前述の私であることの嘆きと世界と対立することからの孤独から逃れるため、
互いに互いを完全に受容し合おうという希望であり協定であるといえるのではないでしょうか。
また、互いに相手が相手の理想どおりに振舞おうという協定ではないでしょうか。
しかし、受容は自分を受け入れ続けて在り独りであって愛にあふれている人間だけに起こりえることで、
一人でいるとき苦しんでいる人間はいつまでもは受容し続けられず、また相手の理想どおりに振舞うのも永続はしないのです。
そして、「相手のどんなこともうけいれる」のは、どんなことも受け入れる愛と、「どんなことも」と
ちゃっかり評価している憎しみ、相手がいつか自分の理想どおりになるという理想(憎しみ)が含まれていませんでしょうか。
一人の人間を深く愛すからこそ深く憎みもしているのではないでしょうか。
また、誰かを愛しているとき、無意識ではその誰かと反する属性のものを憎んでいます。
愛憎といいます。それは周期でもあり、同時に起こっていることでもあります。
宗教はその部分だけを切り取るのではなく相補的なその現象の初めから終わりまで全体をとらえます。
それに巻き込まれることは心労ではないでしょうか。巻き込まれなければそれは正にその通りのものなのでしょう。
大仰な理論にせずとも誰もがひと時は幸せです。それがひと時だけであり、またそのひと時を永続化させようとして苦しむのが2重の苦しみでありました。
宗教はそれはどうしようもないことだと理解して、異なる地平に飛び立とうとする実践術のようです。
こういった背景もあって宗教は思想を持たないし、部分を切り取ってそれを希望とするのではなく、パターンに巻き込まれることと抑圧という現実を去ることを語っています。
341 :
473 :2012/04/20(金) 14:25:30.15 ID:1MrboRLa
自然をテーマにするのはちょっと苦手ですが、暫定として。 海は雲を知らず 雲は雨を知らず 雨は川を知らず 川は海を知らず 太陽は全てを照らす なることは、なろうとすること。なろうとすることは心労であり、それを見つめることも一仕事。 全てを照らす太陽が本性だと見抜けば、水滴は今にくつろぐことでしょう。 と、329の都合もあるのでちょっと無理をしてしまいました。では。
342 :
473 :2012/04/20(金) 16:28:45.74 ID:60iwo7Pu
順序的に3つくらい前の内容になります。
>>214 バカ女さん
267
にあるように思想の対立じゃないんです。思想は同じ?です。
異なるのはその前提となる、主観、経験の蓄積、感情の型ではないでしょうか。
人は経験の蓄積、主観ゆえに、思想だけではなく、思想以前のレベルで、
世界と、もしくは異なる経験を蓄積した異なる感情の型を持つ他者との葛藤があるようです。
(世でいうそりが合わない。)
経験する主体から、経験を蓄積する主体から自由にならないとこの嘆きは消えそうにありません。
その経験も思想が作ったといえなくもないですが、それは無意識的なコントロール不能のものであり、
またこうこうこういう思想だと明文化できる代物でもないでしょう。
(生まれてからの経験の蓄積を全部明文化しますか?しかもこれは前の経験が次の思想と経験を条件付けるという乗数効果が働きます。
思考での把握は一瞬でも不可能ですし、把握し続けることはさらにありえない。)
そもそも、それを把握するのが今までの主体では役に立ちそうにありません。
今の私の主体から認識される客体である世界、他者がすでに平穏でない。 はじめがこれではどうしようもない。
また、普通主体に気づくことは不可能です。思索は主体が思い描く世界を絶対の前提としてそこから始まるから。
気づくといいましても客体として主体に気づくわけではありません。
このあたりに宗教の実践があります。思考によらないなにかが。
不自由だと知る人はその分自由であり、不自由だと知らない人は不自由である。パターンの中で生きる動物がそれを知らないように。
智者は自由の不自由もなく私がないといい、そして本当にそうかなと思わせるような振る舞いをしていたようですが、これは私の及ばぬ話です。
343 :
ろん :2012/04/20(金) 17:39:41.71 ID:n/TEJKGe
>>331 でしょうね。
草むしりになっていたら、草むしりしてるという意識はないかもしれません。。
何をしているかわからないかもですね。。w
>>332 なんじゃそらー?
ふと、おもた 一言で、草むしりと言うても しゃがむ、抜く草を確認する、腕を曲げ伸ばす、引っ張る…などなど 無限の動作が含まれてる 一言では、表せまへんな〜w
345 :
神も仏も名無しさん :2012/04/20(金) 19:50:04.75 ID:gfzwUC9r
誰かわからんし前後がわからんからあれだけど 単に草むしりしてたら止めるな
>>335 >オールオアナッシングゲームを止めたら人はとてもくつろげるかもしれませんね
「有りか無しか」って事かな?
「有り」と「無し」は別の要素だから
「有りも無ければ、有りじゃないも無し」
「無しも無ければ、無しじゃないも無し」
思考的には、おかしな文章だけど
認識的には、これで「中道」って言うんだから何か不思議だ。
ただ沈黙するという簡単なことがなぜできないのかしら
>>347 何が沈黙するの?
それとも、誰がの方がイイ?
>>350 沈黙することは簡単なはずなのに沈黙をやぶってしまう自分に向けて
何か問いかけてるのかなって
理由は分からん
352 :
神も仏も名無しさん :2012/04/21(土) 00:50:56.52 ID:3z4KA0+J
>>350 どうした?w こっちではお行儀いいが、鬼スレではキレてたじゃないか?ww
(ちなみに、鬼スレでお前にレス付けてたのは俺じゃないぞwwwww)
>>352 キレてたっけ?!
キレたっぽく書いてただけだよ。
あっちのスレだと激しく罵らないと伝わらないからね。
354 :
神も仏も名無しさん :2012/04/21(土) 01:44:16.99 ID:3z4KA0+J
鬼スレはもう完全に精神病棟化しとるwwwww
求心があると沈黙できない・・・。
356 :
473 :2012/04/21(土) 02:24:33.02 ID:b728JT4y
自己中心的な打算とお金儲け、体の維持にしか喜びを得ない部分。 むしろそれ以外のことにしか喜びを得ない部分。ただの感傷から愛、瞑想的な体験まで全て。 この2つを入れ替わり何とかバランスをとってゆくのが人生でしたが、この2つは決定的に対立している。 それは葛藤を生んでいる。自分のためにささやかに糧を得ようとするだけでこんなに苦しむとは喜劇だが、真実に逆らうということはそんなものなのかもしれない。 バランスをとるという不毛な作業はやめて、一度この自己中心的な働きを捨てて見るしかないのかもしれない。 今までいくら考えても見えてこなかった、おそらく今見て見ぬふりをしてるであろう、 非利己的な、全体による全体のための仕事というあり方を見出せるかもしれない。 しかし、それを見出すには想像を絶するものを捨てなければ見えそうにない。 今あるままの自分では決して見出せないものがある。
>>356 なんらかの手法をとること自体がだめなのだ。
もちろんバランスをとるという不毛な作業もそうだ。
万事休せばよい・・・。
358 :
ろん :2012/04/21(土) 03:05:44.73 ID:TXm9Rp1k
やることやるだけなのに何をうだうだ。。
>>358 ごめん、レベルの出し方教えたときのままで、
ろんの名前欄最後に空白が入っている・・・。そういうのが気になる・・・。
ろんこそうだうだだ。お互い様だ。
360 :
ろん :2012/04/21(土) 04:01:24.39 ID:TXm9Rp1k
>>359 いや、上のやつに言ったんだけどね。。
あんまりまともな仕事してないんだろうか、かれは。。
361 :
473 :2012/04/21(土) 06:38:01.20 ID:X10qe/sr
329をまるで忘れていた。 いわゆる自我の原型としての自己中心性が、理想を作る。 理想はよい社会であったり宗教であったりその集まり。 自己中心性と理想が争いつつ、代わる代わる主導権を握っている。 そして両方とも事実に逆らっている。 自己中心性と理想は内部で合い争うが、事実に逆らっているのは同じ。 本当にハートで生きるならそれ自体が行動だろうから、客体としての理想なんか必要だろうか。 理想は自己中心性の反映でしかないのかもしれない。 もちろん、ハートがあってこそ自己中心性に条件付けられているとはいえ、理想という夢。 いつか現実になるかもしれない夢が現れて探求は始まるのだろうけど。 要はなーんもわからん。わかってることが役に立たないと見えてきただけましとはいえるけれど。
まだまだ、納得いかなうならもっと悩みなよ。
>>336 観察者がなくなれば・・・、というより、
それだけになりきったときに観察者がいないのかも・・・。
向かわんと擬すれば即ち乖く(めざそうとすると、すぐにそむく
>>343 たしかに好きなことに没頭しているときは、
何かをやっているという自覚がないです。
これを、嫌いなことにも適用できれば、怖いものなしですね。
367 :
ろん :2012/04/21(土) 09:23:30.41 ID:TXm9Rp1k
>>365 「何かをやる」と言う認識が可能なのは、その何かと離れている時だけなんですね。。
好き嫌いと言うのは、好きなものがあるから、嫌いがあるのかもしれません。。
僕の場合、自我の楽しみが中心にあるときは、自我が喜ぶこととそうでないことがあるようです。。
それが悪いというわけではないですが、僕の場合、仕事にかかりっきりにならなければならない時、やはりネット見たいとか本を読みたいとか、2ちゃんねるしたいとかそういうのを我慢しなければならないからやなんだろうと思います。。
実は陰謀論とかにハマってなかった時とか、もっと自我の薄い状態にいたときは、そんなにデスクワークが苦手でもなかったんですよ。。
自宅でやるデスクワーク、これがぼっくの最も苦手とするものです。。
締切があって、それっきりにならなければ終わらないのですが、どうしてもぎりぎりになってしまいます。。
もっと、手早く終わることもできたはずなのにです。。
修行不足を痛感しますねー。。w
368 :
ろん :2012/04/21(土) 09:29:59.52 ID:TXm9Rp1k
まあ陰謀論は、自分なりの答えを出したけどね。。 要するに、テレビやネットで報じられない裏世界の事情や意図、謀略があるのは事実。。 世界を自分たちの思うように動かしてきた、動かしている人々がいるのも事実。。 歴史の教科書に載っていない、裏の歴史があるのも事実。。 しかし、陰謀論は、デマや嘘や憶測も多い。。 根本的なことの無知や理解の無さから来るものも多い。。 また、何でもかんでも自らの陰謀の枠組みに当てはめて判断するので、間違っていることも多い。。 この世の悪の原因を、秘密結社等単一の原因に還元して思考する単純化は、実際の複雑な政治、経済、国際関係の動きを十分に解き明かす者ではない。。 多極化を迎えた現代においてはなおさらである。。
369 :
ろん :2012/04/21(土) 09:38:34.39 ID:TXm9Rp1k
陰謀論のメルマガやブログなどは、週刊誌などで言ういわゆる「とばし記事」が多く、 センセーションを煽るものを、信頼性の薄いところから引っ張ってきて、載せていたりする。。 過去の歴史的事実については、ある程度、裏が取れたり、信ぴょう性を測ることもできるが、 今のことはわからない。裏を取りずらい。。未来のことはもっとわからない。。 ユーロ危機、アメリカ・デフォルト危機(これはまた今年の年末に来ると言われる、だんだんサイクルが短くなっている)等、 国家の借金による、破綻を煽るのは、国家の借金を個人の借金を同質のものとみているため、 いたずらに、不安恐怖を掻き立てている。。 金融危機の問題は、このままのシステムを続ける限り、解決困難であり、リセットが必要のようにも思われるが、 どうなっていくかはまだわからない。。
370 :
ろん :2012/04/21(土) 09:51:54.24 ID:TXm9Rp1k
金融資本を牛耳る者たちによる、富の寡占や搾取を糾弾するのは、おそらく、冷戦の終焉とともに力を失ってしまった左翼的イデオロギーが批判していたものの代替物であろう。。 資本主義そのものを批判できなくなったため、資本主義内部の巨悪を糾弾するというものである。。 しかし、陰謀論者たちは、自らが捉えられている、イデオロギー性に無自覚であるため、 自らが正義であり、糾弾対象が悪であるという、勧善懲悪的な図式に捕えられている。。 テレビのニュースや新聞で言われることなどが、ほとんどプロパガンダであり、 われわれに、悪と正義を正反対に捉えさせるほどの、悪質な洗脳装置であるというのも事実である。。 新聞はまあ読んだ方がいいかもだが、大手新聞以外や、週刊誌などにも目を通した方がいい。。 ネット情報も、見た方がいい。。 ベンジャミンやコシミズなども、100パーセント信じられるとは到底言い難いが、彼らの見立てや情報が正しく、表立って伝えられることの嘘や、裏事情を暴露していることも少なくない。。 一度火傷したことのあるものは上手に火にあたるという。。 陰謀論は、あまりハマりすぎない程度に、ほどほどに付き合うのがいいだろう。。
371 :
ろん :2012/04/21(土) 09:58:14.74 ID:TXm9Rp1k
本当はジジェクなんかが言うように、問題はイデオロギーや思想かも知らんなー。。 奪い合いから分かち合いへ、みたいな単純なことかもしれん。。 競争に勝ち抜いて、いいポジションをゲットしなければ生き残れん、あるいは競争で一人勝ちするのが善であるみたいな、新自由主義はやっぱりくるってるだろう。。 競争と分配のバランス、修正資本主義くらいでいいのかもしれん、制度は。。 あとは人々の考えがどう変わるか。。 ホントの富や豊かさはどこにあるのか、どういった在り方にあるのかと言うことかなー。。
372 :
神も仏も名無しさん :2012/04/21(土) 10:04:18.26 ID:3z4KA0+J
>>370 wwwwwwwwww 俺は陰謀論など全く関心がなくて知らなかったが、ちょっと
ググッてみたwwwwww
ろん、お前マジで、コシミズなんて奴の言を信じてるのか?www
完全な妄想性統合失調症だろ?あれwwww
東日本大震災、福島原発事故に関する主張読んだのか?wwww
373 :
ろん :2012/04/21(土) 10:06:38.81 ID:TXm9Rp1k
もう一つの問題は、保守と革新だと思う。。 保守の考えって、要するに啓蒙によって人間がよくなるものではないから、 ある程度の階級制、が必要だというもの。。 イルミナティとか、自分たちが支配者でなければならないなんてのは、おかしいのだが、 保守の根本的なテーゼは否定しがたいものもあるだろう。。 それに対する革新と言うのは、そもそも上位のポジションを獲得している者たちが、利己的で堕落しており、 現場がわかってない、大して教養もない、バカもいっぱいいるから、既存体制を改革していこうというもの。。 この方向性もある程度は必要だろう。。
374 :
ろん :2012/04/21(土) 10:08:12.86 ID:TXm9Rp1k
>>372 個別事項に関しては、正誤あって当然。。
競馬の予想屋と同じに思えばいいのさ。。
当たってることが多ければ、一目置くという感じ。。
375 :
ろん :2012/04/21(土) 10:12:29.76 ID:TXm9Rp1k
ジジェクの甘いところは、オランダ、スペイン、イギリス、アメリカと続いた力による支配と言う現実を見てないところかな。。 ドルで石油を売らないとか、金(きん)じゃなきゃ売らないとか言ってる国にはぶっ潰すと言って、実際ぶっ潰してしまう。。 テレビや新聞には、それがさもいいことをしたかのように、悪を打倒した正義のように芳じらられる。。 今のシリアも然りイランも然り・・善悪が逆さまに報じられるのが、マスゴミの世界。。 さーてこれからどうなっていくのやら。。
376 :
ろん :2012/04/21(土) 10:16:00.59 ID:TXm9Rp1k
>>368 2行目、訂正
テレビやネットでは報じられない→ テレビや新聞では報じられない
・・・以上、スレ違い陰謀論レポートでした。。w
377 :
神も仏も名無しさん :2012/04/21(土) 10:22:18.44 ID:3z4KA0+J
>>374 wwwwwww お前の陰謀論のソースは、
「東日本大震災が、ロックフェラー財団による活断層爆破が原因、また
福島原発事故は原子爆弾によるもの・・・・」
と、主張するような「トンデモさん」かよ?wwwww
こういうこと書くから、お前の言には、胡散臭さがただようんだよwww
>>346 >「有りか無しか」って事かな?
直訳すると全てか無かだと思います
この文脈ではオールオアナッシングゲームは
ものごとや状況や他者を単純化して良いとか悪いとか
決めつけたがるパターン化した思考の癖の意味合いで使っています
473さんの言う、人は無意識に支配されているとゆう考えも ろんさんの言う人は陰謀によって支配されているとゆう考えも、いずれも興味深く感じます 個人と社会の違いこそあれ、この二つには相通じるものを感じるのです 簡単に言うと 人類の在り方は個人の在り方が拡大されたものなのかもしれませんね まあ、社会が個人の集まりであることを考えると当然のことなのかもしれません
>>356 >バランスをとるという不毛な作業はやめて、一度この自己中心的な働きを捨てて見るしかないのかもしれない
葛藤に抵抗すればするほど葛藤は強化され
葛藤をただ眺めていれば葛藤は弱くなるかもしれません
>>378 知ったかぶってしまいました、テヘペロ!!
ろんの「陰謀論」と473さんの「自己中心性と理想の対立」は 両方ともに「思い込み」の問題なんだと思うよ。 でも、こういう俺の意見も思い込みだったりするんだよね。
383 :
ろん :2012/04/21(土) 12:04:04.27 ID:TXm9Rp1k
>>379 そういうこったね。。
悪人どもと言ったって、われわれの中にも同じ悪がある。。
それを忘れたら、投影と否認の病的妄想症と変わらんことになっちまう。。
だからといって、事実としての世界権力者が存在している、ということを見落としてはならない。。
384 :
ろん :2012/04/21(土) 12:06:27.84 ID:TXm9Rp1k
思い込みなしに、事実を知るということが重要。。 それが不可能と言うのはアホ。。 思い込みの存在を知って、それを除くことも可能なのだから。。 まあ世界の情勢が知りたいというのは、僕の趣味みたいなものかもだけど、大乗の徒と言ったら、 それもいいんだろうと思う。。 世俗の人間だしね。。
385 :
ろん :2012/04/21(土) 12:08:29.00 ID:TXm9Rp1k
事実は善悪価値判断を除いて、知ることが可能。。 悪を叩きのめせ―!!とか叫んでるわけでもないのよ。。 まずは正確な情勢を知る必要があるということ。。
386 :
神も仏も名無しさん :2012/04/21(土) 12:18:51.74 ID:XB/y1cEA
>>371 競争して1人勝ちが狂っているとわかるのに、なぜ人間という種がひとり勝ちを続けるのかね
通りすがりですが、 物理現象を眺めるように世界の動き、社会の動きを眺める そこに人々の思いの相を重ねてみて、それぞれにフォーカスして感じてみる そしてまた、そこから出る… みたいに、立ち位置やフォーカスを自在に変えられるのが理想かな
>>383 世界権力者の話は面白いけど日本にいて手に入る情報は偏ってない?
ヨーロッパやアメリアの情報は入りやすいけど、
イスラム教圏やカトリック関連の情報がほとんど入ってこない。
389 :
神も仏も名無しさん :2012/04/21(土) 12:28:36.38 ID:XB/y1cEA
390 :
ろん :2012/04/21(土) 12:43:41.75 ID:TXm9Rp1k
>>386 それはあなたの思い込み。実際は相互依存で成り立っている。
>>388 それは勉強不足、いくらでも情報はあるよ。。
391 :
ろん :2012/04/21(土) 12:47:39.73 ID:TXm9Rp1k
>>387 そうねえ・・無心に帰る時と言うのは必要だよね。。
コツがつかめれば、割とすぐ入れるようになる。。
フォーカス無しの心ね。フォーカス無しから、また平常心に戻ると、フォーカスが合うようになる。。
心のピントが現実にあってることが必要うだね。。
情報だけだったり、自己の思考分別だけどと、ピントがずれてくる。。
392 :
ろん :2012/04/21(土) 12:48:07.67 ID:TXm9Rp1k
だからほんとは毎日坐るのが理想なんだろうなー。。
ろんって周期的に陰謀論語るけど 陰謀論語りたい時ってどんな気分のとき?
394 :
ろん :2012/04/21(土) 14:12:27.06 ID:TXm9Rp1k
>>393 まあいろいろ心理状態とかもあるのかもだけど、新ネタとか、新しい見方考え方を発見した時かな〜?
オレの中の情報が、陰謀論が、語ってくれとせがむ時か。。ww
395 :
ろん :2012/04/21(土) 14:16:47.14 ID:TXm9Rp1k
最近のオモシロ陰謀説は、金正恩が横田めぐみの息子だって説。。 ググるといろいろあるし、本も出てるよ。。 顔も似てると言えば似てるでしょ。。 横田さん夫妻には日本政府高官が会って、口止めされてるらしい。。 極秘面会とかやればいいのにね・・外交は全部国民に知らせる必要とかないのよ。。 ホントは国際電話とかで話してるかもしれんよ。。
396 :
473 :2012/04/21(土) 14:58:03.67 ID:b728JT4y
≫たしかに好きなことに没頭しているときは、 何かをやっているという自覚がないです。 これを、嫌いなことにも適用できれば、怖いものなしですね。 ≫僕の場合、自我の楽しみが中心にあるときは、自我が喜ぶこととそうでないことがあるようです。。 それが悪いというわけではないです。 私が無意識ということで指し示しているのはこういう不随意の認識や好き嫌いのことです。 だれしも無意識に好き嫌いを持ち、好きなことをするときは無意識になれるし、嫌いなことをするときは時間がゆっくりして進まない。 これは2つでひとつの現象であり、片方だけ捨てようとするamaさんは無謀な試みをされているとしかいえません。 また、無意識−表層意識と無意識ー意識ー覚醒の2つの軸での無意識という言葉を私は使っています。 紛らわしいのですが、他に適当な言葉が無いので。
>>396 自我と超自我の対立って感じでしょうか。
398 :
ろん :2012/04/21(土) 15:51:26.53 ID:TXm9Rp1k
473は、人のことはいいから、まずは自分の病気を自覚したまえ。。 悟ったらしい人を見ると、悟ってるんじゃないかという無意識の恐れを抑圧し、悟ってないに違いないという願望に基づいて否定せずにはいられない。。 これがあなたの病気だよ。。
399 :
ろん :2012/04/21(土) 15:53:09.11 ID:TXm9Rp1k
そもそもが悟った人=偉大な覚醒者とか、特別な存在という思い込みがあるのが一番の障害だな。。 無意識じゃなくて、誤った知識、無知、無理解による障害だ。。
400 :
ろん :2012/04/21(土) 15:53:50.63 ID:TXm9Rp1k
473はどこまで行っても自分正しい、人間違ってるの一点張り、それ自体が病気そのもの。。
401 :
神も仏も名無しさん :2012/04/21(土) 16:03:30.19 ID:3z4KA0+J
>悟ったらしい人を見ると、悟ってるんじゃないかという無意識の恐れを抑圧し、悟ってないに違いないという願望に基づいて否定せずにはいられない。。 >これがあなたの病気だよ。。 きっついなあ、ろんwwww そこまで、ズバッと言うか?wwww
>>398 いままでの、このスレの流れで
悟ったらしい人ってamaさんくらいだよね。
>>400 >473はどこまで行っても自分正しい、人間違ってるの一点張り、それ自体が病気そのもの。。
ろんが言うと説得力があるな。
404 :
神も仏も名無しさん :2012/04/21(土) 19:49:41.69 ID:XB/y1cEA
>>390 思い込んでるのは世間一般な
つまり、その社会に属し守られているならば俺も含め皆が同じこと
見て見ぬふりだ
405 :
ろん :2012/04/21(土) 20:00:28.84 ID:TXm9Rp1k
406 :
神も仏も名無しさん :2012/04/21(土) 23:24:29.29 ID:3z4KA0+J
>いままでの、このスレの流れで >悟ったらしい人ってamaさんくらいだよね。 ちと聞きたいんだが、(このスレの初期をみてないんで) まず、このスレを創設したのはamaというひとなのかい? さらに、amaさんは、「私は悟っている」宣言、もしくは、 「悟りを分かっていますよ」発言をしているのかな?w
>>406 そうですよ。
このスレの最初のスレ主はamaさんですよ。
最初は悟ってるamaさんにいろいろ質問をぶつけるスレだったんです。
中でも1番絡んでたのが473さんでしたね。
今よりも、もっと訳の分からない書き込みしてましたよ。
今、懐かしくなって過去ログ漁ってたら 一番最初のスレの43から書き込んでたよ。 ここ1年位の自分の変化に驚かされるな。
>>388 イスラム教圏のニュースならば、
カタールのテレビ局アルジャジーラがいいかも。
>>406 スレッドタイトルが
>悟りを開いたことあるけど
になってるから、amaさんは悟りを開いたのでしょう。
>>409 そこではサウジ家の派閥闘争や暗躍が放送されないのですよ。
陰謀論的に言って情報不足なのです。
412 :
神も仏も名無しさん :2012/04/22(日) 01:28:22.58 ID:vWyS8yr2
>>407 ほ〜〜〜〜〜、最初の1スレ立てたのは別の人で、途中からamaさんが
スレ主に変わったのかと思ってたww
なるほど、すると、安堂も言ってるが、スレタイに
「悟りを開いたことあるけど」とあるのだから、ama
さんは覚者であると自己宣言していると見て良いのかな?www
414 :
神も仏も名無しさん :2012/04/22(日) 01:40:09.58 ID:vWyS8yr2
>>411 >そこではサウジ家の派閥闘争や暗躍が放送されないのですよ。
>陰謀論的に言って情報不足なのです。
よく知りませんけどサウジ家ってサウジアラビアの王家のことですかね。
ブッシュJrとの陰謀があったとかなかったとか・・・。
それにしても過去ログのamaさんのかきこみは為になるなあ。
初代スレから読む価値はあるなあ。
>>387 >物理現象を眺めるように世界の動き、社会の動きを眺める
>そこに人々の思いの相を重ねてみて、それぞれにフォーカスして感じてみる
>そしてまた、そこから出る…
>みたいに、立ち位置やフォーカスを自在に変えられるのが理想かな
物理現象だと大袈裟すぎますよ・・・。地球の超高速公転の物理現象を眺めることはできません。
目の前にあるモノだけしっかり見ればいいのかなあと思います・・・。
まあ私の思い込みかもしれませんが、目の前のモノをよく見られれば、
人々の思いのようなものは、違和感やはみだし感のようなかたちで感じることは
できるようになるかもしれません・・・。まあわかりませんけど・・・。
安さんもそろそろ、高速回転観える様になるやろw
そういう時期はきてるよ
オレが死んだら、オレはどうなるの? 完全な無になるの?天国地獄に行くの?生まれ変わるの?
ぼくらは、瞬間、瞬間に死んで 瞬間、瞬間に生きている 子どものころ、草むらのなかでバッタをおいかけ がむしゃらに、生き、がむしゃらに、死んでいた それは、今も変わらず、これからも永遠に変わらない きみは、別れに涙を流すけれど ぼくは、泣けなかった だって、また会えると信じるし それを、支えてくれている何かを感じていたから でも、泣いてもよかったな それしかできないことを知ったから 泣いてもよかったな
421 :
神も仏も名無しさん :2012/04/22(日) 03:30:02.70 ID:7PWY3IJE
>>419 そもそも俺というものはどこまでで区切るかの単位でしかない
認識を変えれば答えは何通りでもある
>>420 いい詩なのかなあ・・。
別れに涙を流せないとは・・・。
あなたは思春期以降に恋に落ちてませんね?たぶん?性欲一辺倒?
それでもいいと思います・・・。恋をしない人もいますし。
私はあなたがこれからの人生で恋をしたら心配です・・・。
>>419 >オレが死んだら、オレはどうなるの?
>完全な無になるの?天国地獄に行くの?生まれ変わるの?
意識を失って肉体は立ち上がれなくなって横たわり、
火葬されて骨は墓に入るのでしょう・・。
>>396 悟り子の私見ですが
amaさんの言いたいことは
「不快だと感じることを好きになる」では無く
「不快だと感じているなら不快だと感じている今をそのまま受け入れる」
とかいった在り方のことだと感じます
>>420 そんな感じもします
草とか気温とか地面の近い感じとか
黄色も赤も空も風も
どこからともなく聞こえる暑い夏の日の甲子園の実況中継...
サイダーのときめき
笑う扇風機
遠くで道路を横切る猫
426 :
ろん :2012/04/22(日) 09:21:17.55 ID:WBo5SYpO
自我の問題って、自我があったり好き嫌いがあるのが問題じゃなくて、それらを取り扱うのが問題と言うこと。。 自分を取り扱わなければ、自分ないようなもん。。 悟りは自己を明らめる、自心を明らめる。 法では自我は即無我であり、心は即無心と言われる。。 どうしてそれがわからないのか、見えないのか、あるように思うのか、そこら辺の探求かな。。
427 :
ろん :2012/04/22(日) 09:28:29.32 ID:WBo5SYpO
現象は即無自性なり、無我なり。。 しかるに、すべては平等であり、分別すべきなきなり。。 迷悟はあっても、迷悟に迷わぬなり、無心なり。。 分別なければ、真実は目の前に明らかなり、すべて真にして、転倒夢想なし。。
428 :
ろん :2012/04/22(日) 09:32:27.33 ID:WBo5SYpO
僕がなぜ陰謀論を言うかって、やっぱ世界のことを知って、それを伝える、人々をリードする知識人でなければみたいな思い込みがあるからだろう。。 でも、社会的な立場から言ったら、それで別に間違ってない。。 テレビや新聞では言われない、裏世界、裏事情がある、まーこのこともにもだんだん人々は気付き始めたようだけど。。
429 :
ろん :2012/04/22(日) 09:43:07.14 ID:WBo5SYpO
>>425 生きてる実感だよね。。
かい離して生きることの反対。。
物の世界と一体と言うのかなー。。
いつの間にか自然や物じゃなくて、意味や価値の世界に生きるようになってしまった。。
脳内の、主観的世界に生きるようになってしまった。。
坐禅をするとこの自意識の球体が、はじけてものと一体になる、世界と一つになる。。
そういう実感が目安だと思うんだな。。
あたま空っぽになって、音、物、匂い、と一つになる、それらの鮮烈さ、瑞々しさ、そういう生の充足。。
せったんさんもよく言ってた、200パーセント生きとかね。。
>>367 特に嫌なことをやる前は逡巡がありますね。
まずは比較から始めるみたいです。(笑)
その中に飛び込んでしまえば、それしかないのに・・・。
また、飛び込んだ後も、楽しかった思い出を引っ張り出してくる・・・。
好きなこと、つまり快楽を長引かせたいという欲求が曲者なのかも・・・。
一瞬一瞬、それそのものになって完結して(終わらせて)しまえば良いのでしょうが、
これがなかなか・・・。
できないならできないで、できない自分になりきるしかないですね。
(できないことは良くないこと、という幼いころの刷り込みがあったりします。)
>>368 昔、某大手電機メーカーの方とお付き合いがあったとき、
似たようなお話を伺ったことがあります。
>>385 > まずは正確な情勢を知る必要があるということ。。
単純に、これはありますね。
>>419 自分が死ぬことを知ることはないのかもしれませんね。
死は、想像の中だけにあるのかも・・・。
>>426 自我の構造が分かってしまったのなら、
それを引きずる必要はないですね。
435 :
ろん :2012/04/22(日) 12:30:04.41 ID:WBo5SYpO
>>430 >できないならできないで、できない自分になりきるしかないですね。
(できないことは良くないこと、という幼いころの刷り込みがあったりします。)
いや、終わったことはどうでもよくて、次ちゃんとやることが大事なんです。。
過去のことは関係ない。。
社会に出たらいいわるいじゃなくて、ちゃんと信頼に応えられるかと言うことですよ。。
436 :
ろん :2012/04/22(日) 12:35:13.30 ID:WBo5SYpO
>>431 その人がどうやってそういうことを知ったのかも問題ですが、社会の階層によって情報格差があるんですね。。
階層の上にいる人たちが当然知っていることを、下の人は全く知らない場合が多い。。
さらには、ニュースや新聞には、書かれないことがあったり、プロパガンダ的な操作があったりもする。。
ニュースよりも新聞はなんぼかマシかもですが。。
>>432 そう。。
最近の民主党の動きを見ていると、ちっとはマシな方に行ってるんじゃないかと言う気もします。。
437 :
ろん :2012/04/22(日) 12:39:49.71 ID:WBo5SYpO
>>434 そう、ないものは引きずりようはない。。
あることは、どうしたらもっとよくなるか。。
仏向上事って言うと大げさか・・まずはま人間になって、整理整頓からな〜。。
438 :
ろん :2012/04/22(日) 12:50:28.51 ID:WBo5SYpO
しかし、IMFに5兆円も出したってのは、何なんだろね。。 何かメリットあるんかいな? 利子つけて返してくれるんならいいかもだが。。。
>>438 出すときに出しとかないと
日本が破綻した時に出してもらえないからじゃないの?
440 :
ろん :2012/04/22(日) 16:14:32.17 ID:WBo5SYpO
>>439 日本が破綻しらIMFなんかには救えないよ。。
経済規模が違うから。。
というかIMFって何のためにあるのか?
それこそ陰謀だろ。。
韓国みたいな小国に金を貸して食い物にするとか、そういうことしかしないんじゃない?
441 :
ろん :2012/04/22(日) 16:22:06.49 ID:WBo5SYpO
要するに国が銀行から金を借りる。。 返せなくなるとIMFから融資を受ける代わりに、緊縮財政、増税などを強いる。。 国民や企業の金が、巻き上げられて、奪われる。。 銀行は利子をつけてお金を返してもらう、海外の銀行ね。。 国民は失業、高金利、低賃金にあえぐと。。 要するに、国際金融資本の味方、国民の敵、そんなとこだ。。 ギリシアが借金踏み倒すつもりだという説があるけど、そっちの方が正しいかもだ。。
陰謀論自体は悪いとは思わないけど 陰謀論へのこだわりは明らかに悟りの邪魔だと思うよ。
443 :
神も仏も名無しさん :2012/04/22(日) 17:47:19.57 ID:7PWY3IJE
経世済民的に考えたら悟りと経済は並列だからな 経済をとるか悟りをとるかって話はしてもいいかもね 経済ありきでは話にならない
444 :
ろん :2012/04/22(日) 19:03:48.38 ID:WBo5SYpO
>>442 まー一つの見方に過ぎんけどね。。
ヨーロッパの危機に備えるという意味、円高対策とかあるらしいけど、
それも今のシステムを前提としたものに過ぎん。。
銀行が金かして儲けるって、経済成長ありきなんだけど、
それが今先進国ではないわけでしょ。。
銀行潰れた方がいいと言っても、それもできん。。
どうするのよ?って、根本的なことを考え直さなきゃの時期なのかもしれん。。
わからんけどね。。
悟り云々は関係ない。事実を知ればそれについて自分なりに考えるというだけ。。
>>440 不思議なことに
破綻した韓国は発展して
破綻しなかった日本は失われた20年といわれるほど発展しなかった
らしい
>>438 円安誘導で買ったドルの使い道がなかったのか
あるいは実は財政は全く困っていないかの
どちらかだろうな
>>419 人間だけがそのようなことを思い巡らせるわけなんだよな
木は切り倒したらどうなるか
A4の紙を2つに裂いたらどうなるか
それならわかるだろう
>>408 > 一番最初のスレの43から書き込んでたよ。
結構、古いのだな
>>406 > まず、このスレを創設したのはamaというひとなのかい?
それ、思うよな、同じだ
>>399 > そもそもが悟った人=偉大な覚醒者とか、特別な存在という思い込みがあるのが一番の障害だな。。
それはいえる
悟った人、覚醒者がいるという思い込みも・・・以下省略
>>387 > 立ち位置やフォーカスを自在に変えられるのが理想かな
どちらが重要かを握りしめなければいい
>>380 > 葛藤に抵抗すればするほど葛藤は強化され
> 葛藤をただ眺めていれば葛藤は弱くなるかもしれません
思い込みに蓋をすれば後で開くことが難しくなるだろうね
>>367 家にいて会社のデスクワークはとてもできないな
第一、思い出すことができない
会社にいて家のことも同じように、思い出すことができない
なにかメモしてれば別だけど
>>453 ろんは大学の助教って話だから
自宅で論文を書くのがデスクワークだそうだよ。
455 :
ろん :2012/04/22(日) 21:51:02.54 ID:WBo5SYpO
>>445 いやー韓国サムソンなどの一部の大企業だけが発展して、中小は大変らしいですよ。。
ウォンが安いから、とかアメリカの技術供与があったとか、いろいろ言われてますね。。
というかOperrationさん、お久しぶりです。。w
456 :
ろん :2012/04/22(日) 21:53:03.91 ID:WBo5SYpO
>>446 意味のない為替介入して、そのドルで米国債買うというのが、昔のパターンだったらしいですが、
止めたんでしょうか?ドルのままで持ってんのかなー。。
日本の外貨準備額は、すごいという話も聞きますが・・いくらだったか忘れました。。
457 :
ろん :2012/04/22(日) 21:57:39.28 ID:WBo5SYpO
>>453 仕事は家に持ち帰らないのか、いいですねー。。
確かに仕事場でいろいろやってから帰る人も多いなー。。
おれもそうすればいいのか。。
>>454 助教とか言ってないし、論文だけじゃないし、論文はそんなに嫌でもないんだよー。。
>>455 サムスン電子やLG電子は大金を出して日本人技術者を引き抜いたらしいです。
家族ごと韓国に住まわせて一生面倒を見る優待ぶりだとか・・。
>>455 お久しぶりです。
コテつけるの忘れてました。
>>457 持ち帰らない のではなく
持ち帰れない といったところです。
>>459 > サムスン電子やLG電子は大金を出して日本人技術者を引き抜いたらしいです。
今後は中国がヘッドハンティングするのかな
>>379 > 473さんの言う、人は無意識に支配されているとゆう考えも
ま、無意識は意識しない、意識したくないからあるのであって、特に無意識が意識を乗っ取っているわけでもないがなあ
> ろんさんの言う人は陰謀によって支配されているとゆう考えも
誰の陰謀なんだろう?
>>347 > ただ沈黙するという簡単なことがなぜできないのかしら
何かをせずにはいられない
意味を持たせずにはいられない
気になるから興味があるから、そこに惹かれてしまう
どうでも良いことであれば、やがて気にならなくなる
>>462 >今後は中国がヘッドハンティングするのかな
中国は・・・、ちょっと遠慮するだろうなあ・・・。
かの日には、わたしが父の内におり、
あなたがたがわたしの内におり、
わたしもあなたがたの内にいることが、
あなたがたに分かる。
>>337 > 「牡丹と薔薇」とかゆうドラマがありましたね
昼ドラらしいですね
>>330 > しかしねー
> 開き易さってのは、遺伝と関係あるんかね?
遺伝も性格も人格も関係ない
毎朝6時に起きるとして
予定より早く4時に起きてしまった
さて、どうしてだろう
『心を尽くし、知恵を尽くし、 力を尽くして神を愛し、また隣人を自分のように愛する』 ということは、どんな焼き尽くす献げ物やいけにえよりも優れています。
イエスは言われた。 「聖書にこう書いてあるのを、まだ読んだことがないのか。 『家を建てる者の捨てた石、これが隅の親石となった。 これは、主がなさったことで、 わたしたちの目には不思議に見える。』 従って、この石は、 信じているあなたがたには掛けがえのないものですが、 信じない 者たちにとっては 「家を建てる者の捨てた石、これが隅の親石となった」
>>273 > 「黄檗和尚の仏法は、根本そのものだ」
なるほど。
>>465 > あなたがたに分かる。
そうなっていることはいつかはわかる
>>441 >要するに国が銀行から金を借りる
返せなくなるとIMFから融資を受ける代わりに、緊縮財政、増税などを強いる
国民や企業の金が、巻き上げられて、奪われる
簡単に言うと国が国民からお金を借りて返せなくなると国が国民からお金を巻き上げるとゆうことでしょうか?
>>450 >悟った人、覚醒者がいるという思い込みも
それは覚醒者とか便宜上言われている「それ」をどう言葉で表現するかとゆう言語表現上の問題かもしれませんね
月を指し示す指みたいなものかもしれません
>>460 お久しぶりです
コテ英語にしてみました
>>463 >無意識は意識しない、意識したくないからあるのであって、特に無意識が意識を乗っ取っているわけでもないがなあ
そう、意識したくないのですね
例えば怒りがそこにあっても、その怒りを意識したくない心理とかはありそうです
自己イメージを傷つけるのかもしれませんね
>>473 続き
>>452 >思い込みに蓋をすれば後で開くことが難しくなるだろうね
同感です
例えば自分は怒ってなどいないとゆう思い込みは怒りの感情を感じた事実に蓋をして無意識に追いやるかもしれませんね
>>474 続き
そして蓋をされ逃げ場を失った怒りはその人の中にいつまでも留まり続けるのかもしれません
そしてその人の思考や感情や行動に密かに影響を与え続けるのかもしれませんね
>>473 −475
怒りの感情をためこむということはありますよね。
溜め込んでいると、怒りを誘発するような事実に対面する前からすでに怒っており、後は
何らかのはけ口を待っているだけで、些細なことに溜め込んでいる怒りを発散します。
これはそれに気づくことや何らかの形で発散することでひとまずの解決を得そうです。
しかし、何々に怒りを感じる価値観自体は死んでおりませんので、それは無意識にもぐり「私」を構成するでしょう。
何故無意識にもぐるかというと、それが表層意識にあったら絶えず全面戦争モードになってしまうからではないでしょうか。それは危険すぎます。
価値観に乗っとられず、反発もせず、来ては去るものとして覚醒していることができるでしょうか。
基本的にそれはできません。まずその概念自体普通の人は無縁ですので、社会に適合する価値観で抑圧する一手です。
こういった抑圧された価値観が、私の世界の認識を作ります。
この世界の認識を作って牢獄に閉じ込められた後で、表層意識はその世界で苦闘します。
基本的に表層意識より抑圧した価値観である無意識のほうが広大なのです。
だからだれも表層意識によって自分の世界認識も、他者認識も、自分の感情もコントロールすることができません。
これらはほぼ無意識が決定してしまって、表層意識はいつもその処理に追われる事になります。 (処理したり、見ぬ振りしたり、分析したり、正当化したり)
その抑圧した広大な価値観に覚めていれば徐々に無意識は意識の光に照らされその割合を減らすでしょう。
表層意識が増えるというより、無意識の束縛が減ることは表層意識と無意識の境界が薄まり、覚醒といわれる質に変容してゆくことを示しているかもしれません。
(逆に言うとその境界が強まり、人格が分裂するということもあります。それは退化でありますが安楽の道でもありましょう)
>>473 −475
また、表層意識というものがまた一定しないものです。
基本的に何か外界との接触があれば(友人、家族、上司、映画、危機、女性)
対応する無意識の思考が、新たな表層意識の中核としてその座を占めることになるでしょう。
このとき意識が残っていれば、それは新たな表層意識といえますが、それは先ほどまでと別のものでしょう。
自分を観察していれば、表層意識が主に何種類かあると気づきます。(小さいものを含めると膨大でしょうけ)
外界に左右されるものもありますが、抑圧しているが故に時間的な周期で内面で入れ替わるものもあります。こちらは気づくのが難しい。
また、たびたび外部の反応で無意識の思考と完全に同化してしまい、表層意識はその思考に乗っ取られ、事が終わるまで自己意識は失われます。
「無意識になる」方の無意識です。
これもありふれた人間の描写であり、瞑想者だけが自分がそうであることに気づいてゆけます。
478 :
ろん :2012/04/23(月) 22:55:04.98 ID:eHlddDfp
>>470 >簡単に言うと国が国民からお金を借りて返せなくなると国が国民からお金を巻き上げるとゆうことでしょうか?
国内でお金を回してる場合はそうでしょう。
韓国の場合は外国から借りてたんじゃないかな?
別に悟りを開くためには「坐禅」だけが手段ではないと思う・・・。 私なぞは「坐禅」よりも「歩く禅」が大半だ。 通勤通学でもできるし、坐禅よりも健康的であるし、 私は坐ることよりも合っている。 合う合わないは人によるが・・・。
>>478 自意識の球体が、はじけてものと一体になる、世界と一つになった後は
どうすればいいんですか?
481 :
空えもん :2012/04/24(火) 04:02:41.30 ID:rs1MBccc
我と一緒にいるだけでしょ〜かね
>>436 > その人がどうやってそういうことを知ったのかも問題ですが、社会の階層によって情報格差があるんですね。。
実際に会ったと言っていました。
上司に同行して末席に同席したらしいです。
その人は「神がいた」とか言ってました。
自分が虫けらだと分かった、とも言ってました。
来年の春ころに株価を下落させるとか、
いついつにアレを流行らせるとか、
そんな話を聞いて衝撃を受けたと言ってました。
あと、
○○(当時の某女性アイドル)はなかなか良かったよ、今度は△△をたのむ。
のようなことも言ってたとか・・・。
>>437 > あることは、どうしたらもっとよくなるか。。
本当に・・・、人はなんにでもなれる・・・。
悩める人にもなれるし、迷える人にもなれる。
そう明な人にも、偽悪的な人にも、トリックスターにも、柔和な人にも、なんにでも。
「これでいいのだろうか?」と考えると、「これでいいのだろうか?」になる。
結局自分が考えた通りの者になっている。
それだけのことでした。
(考える前に行為すると人じゃないものになりますが・・・。)
> 仏向上事って言うと大げさか・・まずはま人間になって、整理整頓からな〜。。
軽い運動もいいですね。
料理もいい。
掃除もいい。
http://www2s.biglobe.ne.jp/~SHUJI/hanasi/shurihandoku.htm 私は、この話がとても好きで、読むたびに泣けてきます。
私も、頭の回転があまりよろしくないので、とても親近感があるのです。
私も、一つのことしか出来ません。
何かをしながら人の話を聞いたりとかできない・・・。
難しいことが分からなければ悟れないのであれば、
あるいは、なにか特技がなければ悟れないのであれば、
そんな悟りはいらない、と熱くなっていた時期がありました。
>>477 長いスパンで見ると人類はまだまだ進化の途中なのかもしれませんね
>>478 お金は天下の廻りものなのですね
円とはよく言ったものです
お金と言語の二つによる価値観の形成や それにともなって生じるであろう未来への希望や不安 過去への価値判断 これらは人間の苦悩と言ったものに深く関わっているのかもしれませんね
>>483 良いお話ですね
実は物事を難しく考え無い人にとって悟りはとても簡単なのかもしれません
心の貧しい人々は幸いである
天の国はその人達のものである
(イエス)
487 :
ろん :2012/04/24(火) 23:20:30.07 ID:n75snHR0
>>480 好きにすればいいんじゃないの?
知らん。。
>>482 ふ〜ん、そんなやつはタイーホしなきゃだめだな。。w
>>483 うーん、掃除や整理整頓はいいですね〜、ウチもだんだん綺麗になってこたかな。。
488 :
安堂 :2012/04/25(水) 01:04:47.87 ID:Nedub47Q
>>487 >好きにすればいいんじゃないの?
>知らん。。
左様ですか。お忙しいところ済みませんでした・・・。
489 :
操作 :2012/04/25(水) 01:17:47.77 ID:37rEWWl9
490 :
安堂 :2012/04/25(水) 01:39:24.90 ID:Nedub47Q
>>482 そんな人変な人。
秘密結社だかなんだか知りませんが証拠もないのに信じてもしょうがないですよ。
信じたい人の間でだけ存在するのかもしれませんね。
それは面白いことですし、都市伝説としても話題になるでしょう・・・。
a
>>482 陰謀を駆使して世界を思い通りにしたい人には
したいようにさせておけばイイ。
この世界の富と権力を独占しても死後の世界にまで持ち出せる訳じゃないし
富と権力で無明が晴れる事もないしね。
無明が晴れる事と比べたら、富や権力にどれほどの価値があるんだろ?
>>482 >来年の春ころに株価を下落させるとか、
>いついつにアレを流行らせるとか
>○○(当時の某女性アイドル)はなかなか良かったよ、今度は△△をたのむ
広告業界の重鎮さんかもしれませんね(笑)
このスレも過疎ってきたね
495 :
安堂 :2012/04/26(木) 02:10:45.11 ID:78oJ4Ex+
>>494 そんなことありません!
中途半端な連中は消え、最後まで戦う者が残るのです!
栄光めざし、はばたけよ!
いざゆけ!無敵の悟り軍団!
いざゆけ!炎の悟り軍団!
我等の我等の悟り帝國!
496 :
観自在さん :2012/04/26(木) 02:54:48.05 ID:3Jmbq2bD
また、訳のわからんことをw
497 :
安堂 :2012/04/26(木) 03:25:20.98 ID:78oJ4Ex+
>>495 悟りを開いた人間は特殊な者である。
であるから、悟者は組合や結社をするものなのだ・・・。
いわゆるそういった組織に属することが大切だ・・・。
悟った者は必ず結社や組合の類の組織を形成するものだ・・・。
これは真理である。
498 :
安堂 :2012/04/26(木) 03:27:55.72 ID:78oJ4Ex+
悟った者の特徴を教えておこう・・・。 悟った人は「悟った人」を見分ける事ができる・・・。 これは本当である・・。 故に悟った者同士で同盟や宗派を形成することになる。
499 :
安堂 :2012/04/26(木) 03:33:41.59 ID:78oJ4Ex+
悟りと言えば必ず悟り宣伝がある・・・。 必ずその人物の師匠や弟子が何ものか見ておくべきだ・・。 師弟関係は発言を見ればわかるものだ・・・。 ただし、あれは認めない、これも認めない、と 頑固な老人のような偏見に陥った者は相手にしないことだ・・・。 そういった者は、主に言葉に囚われており、 修行者についても言葉で釣られるかどうかを尺度としている・・・。 これは完全な失敗といえる。 こういった不全者の師匠は責任を取らなければならない。
500 :
安堂 :2012/04/26(木) 04:05:45.39 ID:78oJ4Ex+
500
501 :
安堂 :2012/04/26(木) 04:09:26.22 ID:78oJ4Ex+
Ronは大変優れた人であれど 「言葉」に釣られるかどうかに引っかかりすぎた下僕。これがいかん。 基準として用いるのは「言葉」だ。本人が「言葉」に弱かっただけである。 他者もそれと同様であろうとの推測の元にあらゆる手法を引く。 まったく愚かしいこと。 東山寺や発心寺が認めたとは到底思えないものだ。
現れる ろんがきらいなんだね・・・。。w
503 :
安堂 :2012/04/26(木) 04:34:21.88 ID:78oJ4Ex+
悟っておいてあえて責任をとろうとするとは立派だなあ
>>501 ろんはろん、安堂は安堂だろ。
人の悟りをどうこう言うより、まず自分の悟りに専念だよ。
悟りが良く分からなかったら人に素直に聞くのもアリだよ。
507 :
観自在さん :2012/04/26(木) 12:16:57.19 ID:3Jmbq2bD
他人と、自分を比較することはできない。 なぜなら、そんなものはないからだ。 諸法無我
>>507 無いのは「他人」かな?「自分」かな?
それとも、「比較」かな?
「悟り」は、いくら悟ってもキリがない。 次々と悟るべきことが湧いて出てくる。 残りの人生を、淡々と送ることが大切w それを言っている、禅の僧侶がいるね!
>>501 >東山寺や発心寺が認めたとは到底思えないものだ。
無学なんで良く知らないのだが、ろんが認められるって事は
この2人の教えは「悟りを思考で捉えよ」とか「悟りについて頭で考えろ」
っていう教えなのかな?
過疎ってて何か暇だなあ、 もう悟りは流行らないのかなぁ
512 :
安堂 :2012/04/27(金) 01:24:46.25 ID:f2EjDeeD
>>506 >悟りが良く分からなかったら人に素直に聞くのもアリだよ。
あれだよ、悟りの種類がありすぎる・・・。
どれがどれだかわからない。
>>510 よくわからないけど、悟り終わって悟り無し、ということらしい。
悟り体験も禅も無かったことにして日常を目の前向いて生きるとかいうことらしい。
それなら悟りがもとから必要ない。大きく捉えるなら、宗教自体の否定を言っても良い。
>>511 私の悟りも廃れた・・・。
ポッたんのところでは常に大流行しているが・・・。
513 :
安堂 :2012/04/27(金) 01:29:34.94 ID:f2EjDeeD
私が基地外みたいに振る舞うのは「悟り」がそんな無事禅のような ものに矮小化されることへの反旗でもあるのだ。 あなたがたもそう思うだろ?なあ。 悟りというものが、単なる病院や、脱洗脳カウンセリングや、リハビリのようなもの であってはならない。 そういうものではないのだと・・・。
514 :
安堂 :2012/04/27(金) 01:40:25.50 ID:f2EjDeeD
悟りを元に戻ることだとする。人は生まれた時は悟っているが、 その後に言葉を習ったりして、悟りから遠のくらしい。昔の歌にも詠われていたかな・・・。 そうだとして、そうなるのは人間として自然であるからではないか。 人は経験で色々学ぶものであるが、悟りが元に戻る、 思慮分別もない赤ん坊のような状態に戻ることだとしたら、(当然経験や能力まで赤ん坊になるわけではない) 我々は社会性を持った人間ではなくなってしまう。
515 :
安堂 :2012/04/27(金) 01:49:05.38 ID:f2EjDeeD
そんな事態になるなら、悟ったら「ただの人」になるなんて言えない。 何がただの人か!心は心を知らぬと言い、自己は自己を見ること不可能と言い、 最後は「ただの人」とはどういうことか。 「ただの人」と言えることが完全な矛盾である。 自己を見ない、自己見ること不可なんだからね。 悟る前も木を切り水を運ぶ、悟った後も木を切り水を運ぶ・・・・。 そりゃ悟りの前後も日常でやることに変わりはないだろう。 つまり木を切り水を運ぶはどうでもいい。飯を喰らい糞をすると言い換えてもいい。 眼点はそこではない。
516 :
安堂 :2012/04/27(金) 01:53:46.04 ID:f2EjDeeD
栄光めざし、はばたけよ! いざゆけ!無敵の若鷹軍団! いざゆけ!炎の若鷹軍団! 我等の我等のソフトバンクホークス! まさか9回に逆転満塁ホームラン打たれるとはな・・・・・・。
>>515 自己は、自己を見ることは出来ないが自己そのものなので特に問題はないな。
今の安堂は思考や観念などで混乱しているが
今の時点で既に自己なんだ。
だから、自己そのものになっても今の安堂と変わる所は無いんだ。
でも、それに気付くのは自己そのものになってからで
混乱してる今の状態では自分が自己だと知ってはいるが
自分が自己だという実感が無い。
実感がなければ自分が自己だとは言い切れないだろう。
518 :
安堂 :2012/04/27(金) 02:13:02.54 ID:f2EjDeeD
>>517 「自己」と「自分」を使い分けてる意味がわからん。
解説どうぞ。
519 :
安堂 :2012/04/27(金) 02:34:12.93 ID:f2EjDeeD
お答えいただけないならば、私が答えよう。 「自己」とは真理である本質である。 「自分」とはつまり周辺自我みたいなものである。 私は常に「自己」に住まうことを修行と心得ておる。 故に修行に終わりはないのである。 今の時点で既に自己であるということだが、 だからそれで終了して何の行と言えましょうぞ!
520 :
神も仏も名無しさん :2012/04/27(金) 02:56:51.37 ID:LlwID92u
悟りとは欲望を全て消し去ること 性欲、物欲、食欲、睡眠、傲慢、怒り 多くの欲を捨て、そして無というものを得ようとする そして気づくのだ。悟りを開きたいというのも欲望なのだと。無を得ようとする欲なのだと そしてそれを越えてまた気づく 人間の最大の欲望は生きたいという欲だと 全ては己が生きるための欲望なのだ 悟りの境地は即身成仏である 生きる人間に悟りは開けない
521 :
安堂 :2012/04/27(金) 04:03:06.24 ID:f2EjDeeD
大いなる神ご自身が、沢山の星を創り、 天空の真ん中に天軸を掛け、高いところに柱を立て、 大きな火でそれをお測りになるであろう。 それを見ることは人間たちにとって、大きな恐れとなる。 その火の火花は、禍いを行なう悪しき人々の群れを滅ぼすであろう。 一旦は、人々が神を宥める時期が来よう。 しかし彼らには、果てることのない苦痛をとどめることはできない。 しかし、ダビデの家によって、すべては完成する。 というのは、神ご自身が彼に御座を手渡されたからである。 まずはじめに「自己」という真理ありき。 「自己」を知ることは恐れだ。その自己を知ることで禍は滅びに瀕する。 人々が神を宥めるとは、真理たる「自己」を蔑ろにして高慢に陥ることである。 故に果てることのない苦痛を受ける。 ダビデの家とは、真正の修行者のことである。 真正の修行者だけは住まうであろうと・・・。
522 :
神も仏も名無しさん :2012/04/27(金) 06:43:52.11 ID:Md0rCrHq
>>520 では、どうするのが適切といえますかね
具体例をお願いします
>>518 >「自己」と「自分」を使い分けてる意味がわからん。
両方共「私」って書くと分かりにくいからだよ。
>>519 >私は常に「自己」に住まうことを修行と心得ておる。
>故に修行に終わりはないのである。
安堂は今この時点で既に「自己」だよ。
今までだって「自己」だったし、これからも「自己」だよ。
でも、安堂は自分が「自己」だと気付いてないし
「自己」だという実感もなければ納得もしていない。
だから、「自己」に気付き実感を得て納得するのが修行だよ。
>今の時点で既に自己であるということだが、
>だからそれで終了して何の行と言えましょうぞ!
安堂は「自己」について気付いてもいないし、実感を得てないし、
納得もしてないから行は終了してないよ。
自己に向き合うこともしてないから行自体始まってないとさえ言える。
>>520 >悟りとは欲望を全て消し去ること
性欲、食欲、睡眠、
>多くの欲を捨て、そして無というものを得ようとする
何故それが悟りだと思われるのでしょうか?
対人用の人格
527 :
神も仏も名無しさん :2012/04/27(金) 11:11:05.09 ID:hBnt/D/e
>観自在 見てんだろ?wwww なんだよ? あの捨てセリフはwww あれじゃあ、 「俺はわかってるぜ〜〜〜w お前らマダマダ。 早く俺のレベルまで上がってこいw」・・・・・ まるで相手にされずに悔しまぎれに逃げ出してるだけじゃねえか?wwww あれじゃあ、悟りスレの住人がみな、小学生なみだと思われるぞwwww せめて、ama くらいの対応ができんのかい?www
528 :
観自在さん :2012/04/27(金) 11:29:42.45 ID:bPXyQlUl
ああ、観てるよw 素直な感想を言っただけだよ。 まあ、その言葉に引っかかるならそれまででしょw 別にあなたには言ってないし… しかし、あんたが言う程わかってるのかね?あそこの住人は ちゃんと、仕切ってくださいよw
529 :
神も仏も名無しさん :2012/04/27(金) 11:49:32.70 ID:hBnt/D/e
>しかし、あんたが言う程わかってるのかね?あそこの住人は wwwwww あそこの住人は、それこそ玉石混合wwww 隠居のようなアホもいるしなwwww しかし、何度も言ったが、多くの者は、経典、学説の記述のみを重視し、 実践、体験を軽視してるじゃねえんだよww 今、あっちでお前が絡んでる奴も実践重視だよw だがな、こんな文字のみの掲示板で、自分の体験を根拠に語ってなんになる? 皆、「オレの方がわかってる。お前はマダマダ。」・・・・と、こうしかならないだろ? このスレの今までの流れを見ても、わかるだろうが? 悟りを自分の体験を元に『語る』ことの愚かしさがまだ、わからんのか?ww 俺は全く悟ってないのでwww、以下は、推測だが、 「悟り」ってのは、どこまでいっても「個人の体験」の範疇なんだよww 個人で「頷く」しかないものww 違うか?www それがわからずに、ちょっと普段と変わった意識をもった途端、 「オレ、悟ったんじゃんねえ?」 と、「悟り」を『語り』始めるww 悟りを『語る』時点で、もう、全然、『悟ってねえ』と俺は、思うがねwwww あそこの多くのものは、それくらいは了解してるのよww だから、悟りについて『語ら』ないのww (一人、机ってアホはやたら、語りたがるが、皆からまるで相手にされていないwwww) 自分が、どこまでの境地に至ったか? なんて語るものではないでしょ?wwww 犬が笑うぞwwww
530 :
観自在さん :2012/04/27(金) 11:55:29.20 ID:/Cl97PL9
だから、爆弾ほりこんでるんですよw くだらんからw
531 :
観自在さん :2012/04/27(金) 11:56:24.41 ID:/Cl97PL9
あんたは、菩薩行を知らんのかね?
532 :
神も仏も名無しさん :2012/04/27(金) 11:58:28.02 ID:hBnt/D/e
>>530 >くだらんからw
wwwwwww 一人勘違いして、「分かったような気になって」
「言葉遊び」を必死になってやって、「俺様すごい」をアピールするほうが
「くだらん」と思うぞwwwwww
>>529 イイ事言うね!!
特に「「悟り」ってのは、どこまでいっても「個人の体験」の範疇なんだよww 」
ってところが痺れるね!!
ところで、実践ってどんな事するの?
ただ座ってるだけじゃダメだよね?
534 :
観自在さん :2012/04/27(金) 12:00:24.17 ID:/Cl97PL9
しかしねー、悟りってのはあるんだよw 悟ってる人もわかる。 安さんも言ってたけどねー
535 :
神も仏も名無しさん :2012/04/27(金) 12:06:33.70 ID:hBnt/D/e
>あんたは、菩薩行を知らんのかね? wwwwwww お前は菩薩か? ありがたくって涙がでるぞwww >ところで、実践ってどんな事するの? いや〜〜〜〜〜、俺は仏教徒ではないんでwww 彼らは、今までの話からすると、禅?瞑想? 托鉢?なんかか? それ以外の日常の修行は、よく知らんw リアルについては皆、あまり 触れないんでねww 今、観自在が絡んでる奴は、それこそ、頭のてっぺんから、足のつま先まで どこを押しても、「仏教」って音がしそうな奴だぞwww どこぞの本山で修行をした後、かなり長い間、チベットで修行してたはずだwww
>>535 >どこぞの本山で修行をした後、かなり長い間、チベットで修行してたはずだwww
それは本格的だね。
どこに行っても、外の世界に答えを求めてるうちはダメだろうね。
537 :
観自在さん :2012/04/27(金) 14:02:56.14 ID:bPXyQlUl
>>535 菩薩かどうかは、あんたらが決めることやw
チベットで修行したからどうだとか言ってる時点で、あんたもたかが知れてるなw
東大に行ったから賢いと思ってんだろw
原発事故後の東大教授とか観てみろw
あれが、人類にとって賢い行為か?
くだらなすぎるわw
>>537 「賢い」かどうかに囚われて分別働かせてるうちは、まだまだだと思うよ。
539 :
観自在さん :2012/04/27(金) 14:16:33.89 ID:bPXyQlUl
>>538 それは、そのままかえすよ。
まだまだだと分別してるんだろw
>>539 ここの書き込みだけでそれが判れば大したものだよ。
「まだまだだと思う」って書き込みにそんなに反応するうちは
ホントにまだまだだって思うよ。
541 :
観自在さん :2012/04/27(金) 14:23:44.54 ID:bPXyQlUl
>>540 反応って、あんたが書いたんじゃねーかw
何言ってんだかw
542 :
観自在さん :2012/04/27(金) 14:25:56.23 ID:bPXyQlUl
それに、ここの書き込みじゃなくて、昨日議論スレで遊んでた続きだよ。 仏教マニアに集中砲火にあったからねw
>>541 それぐらいの書き込みは全力でスルーしないと、
観自在の名が泣くよ。
>>542 そりゃ大変だね、慰めてやろうか?
544 :
観自在さん :2012/04/27(金) 14:34:08.42 ID:bPXyQlUl
別にスルーする必要がないw 暇だしw ま、怒ってもないから安心しろw おれは、まだまだで構わんからw ま、経典を読むことが個人体験じゃないって思ってるやつがいたから、それも個人体験だろうがと言ってやってたぐらいだわ。 たいしたことじゃねーw
545 :
観自在さん :2012/04/27(金) 14:36:57.89 ID:bPXyQlUl
あっこの連中は、自分自慢をするなと自我を張ってるどーしよーもない連中だとわかったぐらいかw
546 :
神も仏も名無しさん :2012/04/27(金) 14:43:03.44 ID:hBnt/D/e
>>537 >チベットで修行したからどうだとか言ってる時点で、あんたもたかが知れてるなw
>東大に行ったから賢いと思ってんだろw
wwwwww もう、どうしようもねえなwwwwww
妄想、吹きまくりかよ?www 大した菩薩さまだことwwww
俺が、そのことを言ったのは、
>>533 で聞かれたからw
彼らの「実践」の一端を俺の知る範囲で答えただけww
それを、勝手に俺が「チベットでの修行をすごいと思ってる」などと
妄想してwwwww
どこが『観自在』なんだよwww 妄想による決めつけの一方向しか見えねえ馬鹿じゃねえかwww
>>545 まあ、悟りは個人体験以外の何物でもないからな。
それに人に伝えられる物でもないし。
伝えられない悟りを伝えようとするのは、
俺は悟ってるって思い込んでる自我だけだろうからな。
本当に悟ってたら「悟り」がどこにも無いって気付くだろうし、
悟りが自分だけの物じゃないって分かるだろうし。
548 :
神も仏も名無しさん :2012/04/27(金) 14:47:43.88 ID:hBnt/D/e
>仏教マニアに集中砲火にあったからねw wwww 「悟りマニア」の勘違い野郎よりは、いいんじゃねえか? >あっこの連中は、自分自慢をするなと自我を張ってるどーしよーもない連中だとわかったぐらいかw 「自分自慢をしたくていけない菩薩さま」かよwwwww それって何菩薩ってんだ?wwwww
549 :
観自在さん :2012/04/27(金) 14:48:25.82 ID:bPXyQlUl
>>546 うふふw
そーゆーのが必要ないって言ってるだけだよw
はっきりゆーが、あそこにはあんたが言う程大したのおらんぞw
ま、一人ぐらいおるかもしらんが…
あたまでっかちなのばっかだわw
自分置き去りにしてなw
550 :
神も仏も名無しさん :2012/04/27(金) 14:50:58.01 ID:hBnt/D/e
>はっきりゆーが、あそこにはあんたが言う程大したのおらんぞw あ!!! 菩薩さまが、 『分別シテル』 wwwwwwwwww
551 :
観自在さん :2012/04/27(金) 14:53:19.45 ID:bPXyQlUl
>>548 別に自慢なんかしてないじゃんw
聞かれたから答えてただけで。
そしたら、勝手に自慢だととらえられただけ。
その心が自分だと思わんのだから、どーしよーもないって言ってんのよw
悟りマニアと仏教マニアのどっちがましとか言ってる時点で…
552 :
観自在さん :2012/04/27(金) 14:55:09.11 ID:bPXyQlUl
>>550 自分が抜け落ちりゃ、正確に分別できんだよ。
それを観自在と言ってるだけ。
553 :
神も仏も名無しさん :2012/04/27(金) 14:58:20.95 ID:hBnt/D/e
>>551 あれ?自慢じゃなかったの?ww
なんか、何か「お前らマダマダ。悟りが何か分かってない。
早く俺のレベルまで上がってこい。」 みたいなこと言ってたが?wwww
554 :
神も仏も名無しさん :2012/04/27(金) 15:03:20.49 ID:hBnt/D/e
>>552 wwwwwww ナルホドwwwww
自分は別格w 「自分が抜け落ちてるから、正確に分別できる」とwwww
だから、「俺様の言うことは正しい」と?wwwwww
ったく、どこまで「俺様すごい」なんだよwwww
555 :
観自在さん :2012/04/27(金) 15:04:44.85 ID:bPXyQlUl
いや、違うな。 おれが言いたかったのは、自分自慢の為に仏教経典を利用するなってこと。 そんなことばっかしてるから仏教がつまらんと思われんだ。 おれは、何度か、自分とはなんだ?と質問したんだよ。 でも、答えてくれたのはたったの一人だったわ。 自分知ろうとしないで、仏教語ってるからくだらねーなーって、そう思っただけ。 釣りしてただけだな、うん。 ま、あんたがひっかかったんだけどw
556 :
観自在さん :2012/04/27(金) 15:06:33.45 ID:bPXyQlUl
>>554 それは、あんたの自我がそー思ってんだ。
wwwばっか付けてないで、ちゃんとかかってこいよ。
558 :
観自在さん :2012/04/27(金) 15:11:48.30 ID:bPXyQlUl
560 :
神も仏も名無しさん :2012/04/27(金) 15:16:17.94 ID:hBnt/D/e
>それは、あんたの自我がそー思ってんだ。 wwwwwwww またこれかよ?wwwww つまると、「それは、あんたの自我がそう思ってるだけ。」 それは、「貴方が、そう考えてるだけ。」・・・・・ と、相手の見解を、その個人独自の意見とすることで逃げるwwww そして、お決まりの wwwwww 批判。
561 :
観自在さん :2012/04/27(金) 15:16:52.09 ID:bPXyQlUl
562 :
神も仏も名無しさん :2012/04/27(金) 15:18:42.42 ID:hBnt/D/e
どうした? 「自分」って、何なんだよ? お前は、「抜け落ちてるから」分かってるんだろ?www 教えてくれよww もったいつけるなwwwww
563 :
観自在さん :2012/04/27(金) 15:19:05.01 ID:bPXyQlUl
>>560 批判なんかしとらんがw
どこ観てんだ?
564 :
観自在さん :2012/04/27(金) 15:32:20.20 ID:bPXyQlUl
>>564 そんな態度だから叩かれるんだぜ。
まあ、俺は叩いたりしないけど・・・・
566 :
神も仏も名無しさん :2012/04/27(金) 15:44:39.40 ID:hBnt/D/e
んで、結局、これかよwwwww 人には「かかってこい」とか言っておきながら、 「うふふw」 でおしまいかよwwww
567 :
神も仏も名無しさん :2012/04/27(金) 15:55:39.95 ID:LlwID92u
結局悟り開いた奴がこんなとこ見に来ないって
568 :
神も仏も名無しさん :2012/04/27(金) 16:02:49.65 ID:hBnt/D/e
>結局悟り開いた奴がこんなとこ見に来ないって www それを言ってしまうと身も蓋もないww 少し遊ばせてくれwwww
569 :
観自在さん :2012/04/27(金) 16:08:09.36 ID:bPXyQlUl
>>566 自分で考えてみろってこった。
そんなこともせんと経典ばっか探してるからあっちはつまらんと言ったんだよ。
570 :
神も仏も名無しさん :2012/04/27(金) 16:10:34.66 ID:hBnt/D/e
>>566 え〜〜〜〜〜〜〜〜? 結局、答えられないの?wwww
「抜け落ちてるんじゃ」ねえのか?wwww
自分で答えられないことを相手に聞くなんて、アホですか?wwwwww
571 :
神も仏も名無しさん :2012/04/27(金) 16:11:06.15 ID:hBnt/D/e
566→569
572 :
観自在さん :2012/04/27(金) 16:16:36.21 ID:bPXyQlUl
>>569 何だかんだ言っても、結局分かってないって事だな。
574 :
観自在さん :2012/04/27(金) 16:22:58.34 ID:bPXyQlUl
>>573 では聞くが、あんたは、何がわかって、何がわからないんだ?
わかるって何だ?
洞察してみなはれ。
>>574 そんなにムキになるなよ。
俺は何も分かって無いって事を分かってるし、
これからも分かることも無ければ分からないことも無いって分かってる。
それでイイんだ。
576 :
観自在さん :2012/04/27(金) 17:11:25.11 ID:bPXyQlUl
>>575 ムキになんかなってねーよw
で、わかるって何だ?
577 :
観自在さん :2012/04/27(金) 17:21:47.96 ID:bPXyQlUl
あとな、あんたは、悟りは個人体験みたいなことを言ってるが、個人体験じゃない体験ってなんだ? 経典を勉強するのがそれと違うと思うか?
過去は未来からやってくる。 天使もその日その日にやってくるのだ。パタパタ(^u^)
>>576 >で、わかるって何だ?
何だろ?
俺は何にも分からないって、さっき書いたよね。
>577
>個人体験じゃない体験ってなんだ?
自分が体験するものは全部個人体験だろ。
自分が体験してないものは個人体験じゃないね。
経典を勉強するのも寝るのも飯食うのも
自分が体験すれば個人体験。
経典の勉強しても自分が体験しなければ個人体験じゃないね。
でも、言葉の意味を確認してどうするの?
580 :
神も仏も名無しさん :2012/04/27(金) 18:47:25.94 ID:zKTpdNpC
万人が共通して体験するものもあると思う。例えば、誕生と臨終、生と死。 個人体験だが、同時に共通体験とでも言うべきものだろう。
581 :
神も仏も名無しさん :2012/04/27(金) 18:58:37.36 ID:zKTpdNpC
体験そのものは言葉で正確に表現できないだろう。 しかし道案内、こうすれば体験できるよ、みたいな話はできるし、 だいたいこんな感じだ、みたいな話もできると思う。 そうじゃなければ、言葉そのものが成立しない。
582 :
神も仏も名無しさん :2012/04/27(金) 19:07:44.16 ID:zKTpdNpC
まず体験があり、それがベースにあって言葉をイメージし、 言葉を理解する。これが順序ではないだろうか。 最初から言葉があって、それをストレートに理解するのではない。 これではチンプンカンプンの外国語だよね。
体験を言語化する過程を思考という。 思考には盛り込まなければならない基準がいくつもある。 その基準は千差万別である。 笑わせるにも喜ばすにも納得させるにも空気を知ることが肝要だ。 空気はいつも中立なのだ。
584 :
観自在さん :2012/04/27(金) 21:59:36.52 ID:bPXyQlUl
>>579 おいおい、自分が体験してないものは個人体験どころか体験でもねーだろw
妄想ですら妄想体験だw
要するに体験は、全部個人体験だ。
言葉の意味を確認するのは、あんただよ。
585 :
観自在さん :2012/04/27(金) 22:06:15.92 ID:bPXyQlUl
あんたは、個人体験を人に伝えられないってゆーとるが、あんたが誰かに話す今日あった出来事や、上司のグチや、テレビの話題は、個人体験ではないというのか? あんたは、人に伝えないのか? 自分の体験を。
>>584 「体験」って言葉だけ取れば、自分の体験も他人の体験も含まれるだろ。
それに、「体験」って言葉の意味は一緒でも
「体験」って言葉からイメージする印象は人によって違うから
言い争う気にもならないね。
>>585 俺は「悟り」は人に伝えられないって書いたけど
個人体験は人に伝えられないって書いてないぞ。
書いてないことに噛み付かれても困るよ。
587 :
観自在さん :2012/04/27(金) 22:33:18.16 ID:bPXyQlUl
>>586 他人の体験をどうやって知るんだ?
あんたが体験するんだろ?
その事を聞いて。
そんな詭弁無意味だぜw
他人の体験を知るのも自分の体験だ。
要するに、妄想体験なんだよw
>まあ、悟りは個人体験以外の何物でもないからな。
>それに人に伝えられる物でもないし。
嘘はよくねーぜw
このへんのくだり観てみろw
>>533
588 :
観自在さん :2012/04/27(金) 22:37:22.86 ID:bPXyQlUl
あんたは詭弁ってわかってやってんのか?それとも本気か? 個人体験から自分他人にすり替えとるけどw
589 :
神も仏も名無しさん :2012/04/27(金) 23:19:38.13 ID:hBnt/D/e
なんだ? まだ、やってんのかよwwww
590 :
観自在さん :2012/04/27(金) 23:41:22.19 ID:bPXyQlUl
おう、あんたも言ってたよな〜 悟りはどこまでいっても、個人体験の範疇だってw 偉そうにw 個人体験の範疇じゃない体験を教えてもらおうか?w
>>587 面倒くさいから詭弁でも妄想体験でもイイよ。
>>まあ、悟りは個人体験以外の何物でもないからな。
>>それに人に伝えられる物でもないし。
>嘘はよくねーぜw
>このへんのくだり観てみろw
悟りは個人的体験で人には伝えられない。
でも、個人的体験と呼ばれるものは人に伝えることが出来る。
間違ってないじゃん。
592 :
観自在さん :2012/04/27(金) 23:49:47.97 ID:bPXyQlUl
>>591 何言葉遊びしてんのw
偽もんちゃんw
体験を正確に言葉で伝えることは、できんのだよw
すべてなw
594 :
観自在さん :2012/04/28(土) 00:01:33.56 ID:neHKeTUQ
あはは〜w 自説も何も当たり前のことじゃねーかw ほんと、くっだらねーなw 試してみりゃいいだろw 今日あった体験を話してみろw さて、伝わるかな〜w
>>594 ここまでの書き込みで良く分かった。
お前が自分と呼んでるものは「強い承認欲求を持ったエゴ」だ。
なんだ、全然悟れてないじゃないか。
でもまあ、これで疑問が解けた、スッキリした。
596 :
観自在さん :2012/04/28(土) 00:13:11.20 ID:neHKeTUQ
でもな〜、ひとつだけ伝える方法があるんだわ。 それはな、体験させるんだよ。 体験する方法を教えることだよ。
悟ってない人間には興味ないなぁ。 エゴまる出しだもんなぁ。
598 :
観自在さん :2012/04/28(土) 00:18:56.04 ID:neHKeTUQ
それは、あんたのだよ。 さっさと体験しろよw 逃げてんじゃねー
ああ、イヤだイヤだ。 エゴまる出しだよ、恥ずかしい。
600 :
神も仏も名無しさん :2012/04/28(土) 00:21:01.66 ID:DMhRpYoD
ヘレンケラーに言葉を教えるため、サリバン先生は彼女の手に水をかけ、 繰り返し「水」という指文字を彼女の手のひらに書く。 これが言葉の原点であり、言葉は事実や現実との対応関係があって成立する。 しかし「空」の場合はこの対応関係がない。だから基本的に「空」は 言葉で表現できない。語れるのは「空」に至るプロセスだけ。
601 :
観自在さん :2012/04/28(土) 00:23:08.06 ID:neHKeTUQ
602 :
神も仏も名無しさん :2012/04/28(土) 00:32:19.76 ID:DMhRpYoD
百歳八萬の宝蔵を談論すとも三毒の属 いずくんぞ調伏せんや 空海
603 :
観自在さん :2012/04/28(土) 00:32:27.83 ID:neHKeTUQ
自分を体験するんだよ。
604 :
神も仏も名無しさん :2012/04/28(土) 00:48:25.93 ID:DMhRpYoD
(602 属は「賊」の間違いなので訂正する。) 話が混乱するのは、仏教の「空」が体験できないからだと思う。 しかし龍樹がウソをついたわけではなく、 そこにはプロセスとしてしか認識できないという困難さがある。 渦を巻いて「空」=「虚無」に落ちて行く。これが「空」だ。
605 :
神も仏も名無しさん :2012/04/28(土) 01:08:42.94 ID:BeoePgHD
>>590 >悟りはどこまでいっても、個人体験の範疇だってw
>偉そうにw
なに一人で舞い上がってんだ?ww 馬鹿じゃねえの?wwwww
>個人体験の範疇じゃない体験を教えてもらおうか?w
wwwwwwwwwww お前は「日本語の不自由な人」ですか?wwwwwww
>>605 どうした?舞い上がっちゃってw
>>529 あたりを観ると、悟りは個人体験の範疇だから、語るにあたいしないようなことを言っとるが、
経典を勉強することは個人体験の範疇ではないのかね?
だから、個人体験の範疇じゃない体験ってのを教えてくれ。
日本語わかるか?
607 :
観自在さん :2012/04/28(土) 01:28:44.28 ID:neHKeTUQ
あら、コテコテ
608 :
安堂 :2012/04/28(土) 01:45:36.81 ID:M/QiGzj4
まあ、皆様もいろいろとお考えあってよろしいですな。 思索をめぐらしているところを仏像にしたのが半跏思惟像なんだそうだ。 私なんぞはロダンの考える人なんて作品は半跏思惟像のパクリに思えてならないんだよね・・。
609 :
神も仏も名無しさん :2012/04/28(土) 02:05:00.26 ID:BeoePgHD
俺が言ったのは >俺は全く悟ってないのでwww、以下は、推測だが、 >「悟り」ってのは、どこまでいっても「個人の体験」の範疇なんだよww >個人で「頷く」しかないものww 違うか?www >それがわからずに、ちょっと普段と変わった意識をもった途端、 >「オレ、悟ったんじゃんねえ?」 と、「悟り」を『語り』始めるww >悟りを『語る』時点で、もう、全然、『悟ってねえ』と俺は、思うがねwwww これねwwwww これ読んで「個人の体験の範疇」と言った意味がわからんわけ?ww どんだけ読解力がないんだ、このバカはwwww 人間てのは、思考を共有出来るわけでないから、他者の体験が、正確に理解出来るはずは 無いの。 んなこたあ、言うまでもなく当たり前のことwww しかし、自己の体験と比して、他者の体験も十分、推測可能な場合が多いんだよw 「身内が死んで悲しい。」・・・・このような感情も、身内が死んで悲しんだことが ある人間には、十分、理解できるのww 勿論、それらの感情が正確に一致している なんて言わないが、十分な相似型として把握されるわけ。 そのようにして、 対話が成立し、コミュニケーションが成立してるんだよwwww そこには、一定の共通認識というものがあるのwww
610 :
神も仏も名無しさん :2012/04/28(土) 02:05:57.21 ID:BeoePgHD
では、「悟り」は? まず、「悟り」というものが、どういうものであるか? の共通認識からして極めて あやふやなわけww 「何をもって悟りとなすか?」・・・・これがまず、はっきりしないww だから、各個人が、様々な自己の心境の変化を勝手に「悟った」というわけwww では、「悟った」という人がいたとしようか?www 他者が、この人の心境をわかるかい?ww 「悟り」というものが一般に何をもって「悟りとなすか?」の共通認識も無い上に、 この人が「何を悟りとしているか?」もわからず、さらに、この人の心境がそれに達して いるかもわからんwww つまり外的検証可能性が、ほとんど無いのww 逆に言えば、「自己の悟りを他者に証する」 ことも不可能なわけww 悟りってのは、あくまでも、「個人が」、ある心境の変化を体験し、そして、 その「個人が」、「自分は悟った」と認定するしかないのwwww つまり、その人個人の体験、判断を超えず、外的検証により、その正しさを証する ことが不可能なわけwww 一般的に「共通認識の成立している」心的状況とは全く異なり 他者が推測することさえも拒絶する概念なんだよwwww だから、 →「どこまでいっても「個人の体験」の範疇」 と言ったわけだし、 →「個人で「頷く」しかないものww」 と、言ったのwwwww (って言うか、こんなこと普通に説明せんでもわかるだろ?wwwww)
611 :
観自在さん :2012/04/28(土) 02:19:58.02 ID:neHKeTUQ
>>610 どっちにしたって語ってる本人にしたら、「体験を語ってる」にすぎねーだろw
なーに分別してんだw
この体験を語るのはいいが、この体験を語るのは駄目だと。
そこにあんたらの大好きなエゴが観えるんだがw
しかしまー、悟りってのも、共通認識があるんだわw
自分が認識できんことを共通認識じゃないだなんだと言われてもなーw
612 :
神も仏も名無しさん :2012/04/28(土) 02:31:25.65 ID:BeoePgHD
>>611 wwwwwww 真正のアホか?wwwwwwwww
「体験は全て等価」か?wwwww
→「昨日、部屋に悪魔が来て話をしたんだけど、感動したよ。」
→「昨日、子供が初孫、生んだんだけど、感動したよ。」・・・・・・
お前の中では、これらが同じわけねwwwwww
いや〜〜〜〜〜、「分別しない奴」は、楽しそうだなww
脳内お花畑でwwwwww
613 :
観自在さん :2012/04/28(土) 02:35:06.35 ID:neHKeTUQ
>>612 体験は体験として全て等価さ。
価値のある体験と、価値のない体験なんてない。
価値があると思うか、思わないか、だ。
614 :
神も仏も名無しさん :2012/04/28(土) 02:35:08.92 ID:BeoePgHD
>自分が認識できんことを共通認識じゃないだなんだと言われてもなーw wwwwww 世の中は面白いもんで、「太陽が実は冷たい」と認識してるやつがいるんだよwww 俺は、これを認識できんなあwww これを「共通認識」ではないと言ったらダメ?wwwwwwww
615 :
観自在さん :2012/04/28(土) 02:36:54.90 ID:neHKeTUQ
616 :
神も仏も名無しさん :2012/04/28(土) 02:39:47.00 ID:BeoePgHD
>>613 誰が「価値」の話をしたか? 勝手に論点ずらすんじゃねえぞ、カスwww
体験には、外的検証の可能な体験と、外的検証の殆ど不可能な体験があると
言ってんだろうが?wwwww
そして、後者を「個人の体験の範疇」と表記したと言ってんだろうが?
勝手に「価値論」スライドさせて、ごまかすんじゃねえぞ、バカタレがw
617 :
神も仏も名無しさん :2012/04/28(土) 02:43:51.41 ID:BeoePgHD
>>615 >支離滅裂だぞ。
どこがや?www
「極一部の者しか認識しない、特異な見解は、共通認識とは言えない。」
と言ってるんだが、読解力不足でわからなかった?wwww
618 :
観自在さん :2012/04/28(土) 02:44:46.25 ID:neHKeTUQ
>>616 あんたが、等価って言い出したんだろ。
等価=価値が等しい、じゃないのか?
だからさー、外的検証が可能な体験は、「個人の体験の範疇」じゃないのか?
って聞いてるんだが…
619 :
観自在さん :2012/04/28(土) 02:50:14.20 ID:neHKeTUQ
さあ、論点をずらさずに、答えて貰えるかな?
620 :
神も仏も名無しさん :2012/04/28(土) 02:54:54.46 ID:BeoePgHD
>>618 wwwwwww
>等価=価値が等しい、じゃないのか?
もうどうしようもねえな?www
「等価」と言っても、一般的意味における「価値」の有るなしの
意味ばかりじゃねえんだよww
『ある側面において同等に評価できる』・・・という意味ww
>だからさー、外的検証が可能な体験は、「個人の体験の範疇」じゃないのか?
>って聞いてるんだが…
wwwwwww 「体験」という語彙は、通常は「個人の体験」を指示する語ww
だから、 「外的検証が可能な体験」も、勿論、「個人の体験」なわけww
んなこたあ、当たり前なの。
俺が言ってる、「個人の体験の範疇」という意味は、そうではないでしょ?
外的検証の極めて困難な、個人の判断に委ねられるしかない体験・・・・
を指して言ってるといったでしょ?
日本語読めないの?www
621 :
観自在さん :2012/04/28(土) 02:58:05.21 ID:neHKeTUQ
勝手に意味を変えて、言い訳をしてどうする?
622 :
神も仏も名無しさん :2012/04/28(土) 03:01:26.39 ID:BeoePgHD
>>621 どこがや?wwwwww
お前は極めて、頭悪そうなんで、丁寧に
>>609 >>610 で解説したろうが?
もしかして、3行以上は読めないアホなの?wwwww
623 :
安堂 :2012/04/28(土) 03:04:07.90 ID:M/QiGzj4
何だWの悲劇だな。 こやつも悟りstopperの一味か・・・。御苦労なこった。
624 :
神も仏も名無しさん :2012/04/28(土) 03:05:58.93 ID:BeoePgHD
何だ? 悟りstopper ってwwwww
625 :
観自在さん :2012/04/28(土) 03:07:06.25 ID:neHKeTUQ
>>622 あんたの言っとることなんて、三行で充分だわw
俺の価値観が正しい!www
だろw
626 :
神も仏も名無しさん :2012/04/28(土) 03:09:20.79 ID:GA0WPctA
等価とは 2つのものがまったく同じであること。 同じ処理をやらせたときにどの処理をやらせても結果が同じであること。 人間に当て嵌めると? さてどうなる?
627 :
安堂 :2012/04/28(土) 03:13:12.80 ID:M/QiGzj4
どうでもよい。 よくこんなつまらんこと延々とやってられますなあ。 敬意を表します・・・。
628 :
神も仏も名無しさん :2012/04/28(土) 03:18:53.83 ID:BeoePgHD
>>625 ハイハイ、もう具体的反論はなしで、罵倒にチェンジですか?
wwww 意外に早かったなwww
>俺の価値観が正しい!www
ブーメラン職人、乙wwwwwwwwww
それで、悟りを語るなんて、「お前の悟り」ってのは、やけに安っぽい
ものなんだなwwwwwww
よくそれで、「抜け落ちてるから、正しい判断ができる」だの
「菩薩」だの言えたな?wwwww
恥ずかしくないの?www
629 :
神も仏も名無しさん :2012/04/28(土) 03:18:58.83 ID:GA0WPctA
そうかな?脳は使ってなんぼ。議論万歳 科学的見地の等価だと同じ結果を求められるが、感情のある人間だと同じ体験をしても、感情は人それぞれだろ?
630 :
観自在さん :2012/04/28(土) 03:22:35.68 ID:neHKeTUQ
>>628 罵倒なんかしてない。
事実を言ったまでだ。
事実を事実と受け取れないから、罵倒されてる様に感じるだけだわ。
ってか、もうやめた方がいいんじゃねーか?
あんたのためだ。
631 :
神も仏も名無しさん :2012/04/28(土) 03:23:05.28 ID:GA0WPctA
625が劣勢か?
632 :
神も仏も名無しさん :2012/04/28(土) 03:29:47.57 ID:BeoePgHD
>>630 >事実を言ったまでだ。
wwwwwwww そうなんだよねwww、
お宅さんは、「抜け落ちて、正しく分別出来る人」だから、
お宅の言うことは、事実なんだよねwwww
そして、それを事実と受けとれない、こっちが間違ってるわけだwwwww
ったく、どこまで、「俺様信仰」が強いんだ? このバカはwwww
633 :
安堂 :2012/04/28(土) 03:30:18.61 ID:M/QiGzj4
ヒント:ある禅の連中は『反語』というのを多用する。 これはまったく本当と真逆のことを言うこと。
634 :
観自在さん :2012/04/28(土) 03:39:16.83 ID:neHKeTUQ
>>632 あんたは、
>>620 で、外的検証が可能な体験も、外的検証が不可能な体験も、個人の体験だと言ってるじゃないか。
それが事実だよ。
それ以上にこっちが正しいとかなんとか言ったって、それはあんたの価値観としか言い様がないんじゃないのか?
635 :
神も仏も名無しさん :2012/04/28(土) 04:34:09.13 ID:BeoePgHD
>>634 >それ以上にこっちが正しいとかなんとか言ったって、それはあんたの価値観としか言い様がないんじゃないのか?
「正しい」とか「正しくない」じゃねえだろうが?wwww
「外的検証不能な個人の心的状況」と「外的検証が可能な体験」は
等価ではないと言ってるの?www
後者は多くの者の共通認識の上にその是非が、判断、推測可能だが、
前者はそれが不可能だから、あくまでも、「個人の判断に委ねるしかない」・・
それを「個人の体験の範疇」と言ったのwwww
まだ、わからないの?
お前は「体験」というだけで、それが全て「等価」であり、全くそれらに
差異を見いだせないのwwww
「悟ったという思い」 と 「身内を失った思い」 を全く同じように
解釈してるんだよwwww
詳細に説明したろうが?www
それを「お前がそう思ってるに過ぎない。一般的にはそうではない。」というなら
反論どうぞwwwww
記号の魔術っすね。システムからは出られない!!汗
637 :
観自在さん :2012/04/28(土) 04:46:18.82 ID:neHKeTUQ
>>635 まあ、一般的にどうかという事と、平等智の視点から観るのとは、少し違って観えるんだわ。
だから、一般的だからという視点で悟りを捉えることほど愚かな事はない。
なぜなら、その一般的という自我のフィルターがいらんよって話だからなー。
というか、あんた、同じとこぐるぐる回ってるの気付かんの?
観てる位置が違うんだよ。
わたしは、観自在だから。
639 :
神も仏も名無しさん :2012/04/28(土) 05:28:05.03 ID:BeoePgHD
>>637 だから、お前は「自分は抜け落ちてる。よって、正しい
分別ができる。視点がお前のような凡夫とは、そもそも違うんだよ。
だから、事実を言ってるの。 それが分からないお前の方が間違ってるの。」
・・・・こう言ってるだけwwwww
そらあ、まず、自分を上位に設定して、そこから、もの言えば
自分は全て正当化できるわなwwwwww
>観てる位置が違うんだよ。
wwwwwwww 典型的な「悟り馬鹿」じゃんwwwww
「自分は分かってる」→「お前はマダマダ」wwwww
ったく、どんだけ「俺様信仰」が強いんだ? このバカはwww
「自分に執着しまくり」wwwww
640 :
観自在さん :2012/04/28(土) 05:35:49.20 ID:neHKeTUQ
これ以上話すこともない。 もう、あんたは、自分の嘘を取り繕うだけだから。 おれは、その手助けはできない。 はっきりと言っただろう。 個人の体験に価値をつけているのは自分だよと。 どんな体験であろうと。 自分が、抜け落ちれば、価値は価値として平等に観ることができる。 平等というのは、価値が無いという訳ではない。 それそのものの価値はいいんだよ。 余計な思い込みの価値が落ちれば。 そうすれば、自在に観ることができる。 しかし、これはこちらからの視点だ。 だから、実践して、自分が価値をつけていることを見抜く必要がある。 そうやって、自分と他人に価値をつけて比較しとる事にも気付かんのだろう。 しかし、その自分というものが、幻なんだから、救われない。 そのまわりを、回り続けるんだよ。 あなたは、幻の方が好きらしい。
641 :
観自在さん :2012/04/28(土) 05:37:31.17 ID:neHKeTUQ
あなたは、議論スレで偉そうにしてる方があってる。
642 :
神も仏も名無しさん :2012/04/28(土) 05:43:27.04 ID:BeoePgHD
→「自分は抜け落ちてる。よって正しい分別が可能。」 →「自分は平等智を得ている。お前らとは視点が違う。」 →「自分は菩薩である。」 →「お前らはマダマダ。早く俺のレベルまで追いついてこい。」 wwwwwwwww まあ、今までも、「勘違いバカ」は沢山いたけど これほど、見事な「俺ってすごい」ちゃん、も珍しいなwwwww 普通なら、恥ずかしくて、ここまでよう言わんwwww 悟っちゃうと、恥ずかしいって認識がなくなって、無制限に 「俺様自慢」を始めちゃうものなのか?wwwww 他に「覚者さん」いたら、おせ〜〜〜〜てwwwww
643 :
観自在さん :2012/04/28(土) 05:45:40.86 ID:neHKeTUQ
もし、真剣に話したいなら、まずそのwwwをつけないで話すべきだ。 あまりにもくだらなすぎる。 それだけ、自我が立っても気付かんのだから、盲にもほどがある。
644 :
神も仏も名無しさん :2012/04/28(土) 05:45:45.87 ID:BeoePgHD
>>640 え〜〜〜〜〜〜〜と、 簡単にまとめると、
「俺様エライ」 「あんたはダメ}
こういうこと?wwwwwww
645 :
観自在さん :2012/04/28(土) 05:51:36.37 ID:bkZLDzyy
わざと、自我を立たせてるのに、あわれなやつだ。 完全に同化してしまっているじゃないか。 もうやめた方があんたのためだ。
646 :
神も仏も名無しさん :2012/04/28(土) 06:05:22.86 ID:BeoePgHD
wwwwwwwww もうダメだねwwwwww 「エライ俺様の言うこと聴かない、あんたはダメ」って、お説教モード 突入で、逃走ですか?wwww それが、お前の逃げ方なわけだwww 大した「菩薩さま」だことwwwww >これ以上話すこともない。 >もう、あんたは、自分の嘘を取り繕うだけだから。 と、勝手に大嘘ついて、人を嘘つき呼ばわりして、それを脱げ出す口実に して、自分を正当化するwwww >しかし、これはこちらからの視点だ。 「こちらからの視点」wwwwwww すごいねえwww この「カス菩薩さま」の視点ってなんだろう? 無根拠に自分を上位設定して、相手を批判する視点なのかな?wwww >わざと、自我を立たせてるのに、あわれなやつだ。 >完全に同化してしまっているじゃないか。 何だ? こいつww 妄想吹きまくりで、発狂寸前なのか?wwww 「あわれなやつ」「あんたのため」wwwwww ちょっと前にいた、473なら、 「このような表現がでるのも、相手に同情するフリをして、自己の 優位性を保持しようとする『無意識の現れ』である。」 とか、言いそうだなwwww
647 :
観自在さん :2012/04/28(土) 06:12:01.13 ID:neHKeTUQ
もう会話すら無理な状態じゃないか。 何を言ったってあんたの中に分離がある以上、冷静な判断は無理だ。 ってか、あんた悟りスレに何しにきてんの?
648 :
観自在さん :2012/04/28(土) 06:16:16.97 ID:neHKeTUQ
もう残る道は発狂しかないぞ。 もうやめとけ。
まあ、おれももうやめとくわ。 すまんかったな。
>>529 >悟りを自分の体験を元に『語る』ことの愚かしさがまだ、わからんのか?
>「悟り」ってのは、どこまでいっても「個人の体験」の範疇なんだよ
たから自分の体験を元に語るのではないでしょうか?
釈迦は本で読んだ知識を元に語ったのですか?
651 :
神も仏も名無しさん :2012/04/28(土) 10:10:32.81 ID:BeoePgHD
>>647 驚いたねww 今までのやりとりで、「思い上がった」「勘違い」バカ
であることは、わかっていたが、さらに「姑息さ」まで加わるか?www
>もう会話すら無理な状態じゃないか。
まるで、会話が成立していないのが、こちらの責任みたいな言い草だなwwww
途中まで、必死こいて反論していたくせに、それが不能とわかったら、
「自分は抜け落ちてるから正し分別できるだの、平等智を得ているから視点が違う」
だの言い出して、無根拠に自己の正当化を図り出したのは誰ですか?wwwww
ちゃんとログが残ってるんだけどwww
『自分は特別な存在で、自分の見解は全て正しい。よって、お前は間違い。』
wwwwww こんなこと言い出したら、対話が成立するはずなかろう?wwwww
→『自分は抜け落ちているので、その分別は正しい。』
→『自分は平等智を得ており、視点が違うので、その見解は正しい。』
こんなこと言う奴と対話が成立すると思うかね?www
『自分は神である。よって、自分の言うことは正しい。』 と言ってるのと
変わらんwwww
652 :
神も仏も名無しさん :2012/04/28(土) 10:11:24.21 ID:BeoePgHD
しかし、まあ、今回のやり取りで、お前が、自分のことを →『自分は抜け落ちているので、その分別は正しい。』 →『自分は平等智を得ており、視点が違うので、その見解は正しい。』 ありがたい『菩薩さま』であると思っていることが判ったことは収穫だったわwww さて、これからどうなるのかね? 皆がお前のことを @ありがたい菩薩さまのお言葉だ。その見解に間違いはない。 と思うか? Aなんだ、唯の思い上がった「勘違いバカ」じゃん と思うか? どっちだと、思う?www それから、これからのお前の呼称を考えてんだけど、「カス菩薩」「勘違い菩薩」 「姑息菩薩」・・・・・どれがいいかな?wwww これ以後は、どれかで呼ばさせてもらうことにしたいんだがwww (今回、大恥さらしたからといって、コテ外したりするか?wwww)
>>650 続き
悟り子の私見ですが
釈迦は悟りたくて苦行を重ねたけど悟れなかった
そして最後には悟ることを諦めた
そして悟りが「起こった」
つまり自分を「どうにかしたい」とゆう自分への執着を手放したときに深い安らぎが訪れた
そこで釈迦は苦しみとは執着であり悟りとは執着を手放すことだと語ったのではないでしょうか?
654 :
神も仏も名無しさん :2012/04/28(土) 10:26:53.20 ID:BeoePgHD
>>650 wwww
>釈迦は本で読んだ知識を元に語ったのですか?
釈迦と「なんちゃって覚者」を一緒にするなよwww
俺が言ってるのは、「悟りというのは、あくまでも外部にその正しさを
証することが殆ど不可能な『個人的体験の範疇』のことである」
よって、悟りについて『語って』も、ほとんどが、
「見てみて俺様の境地w 俺ってすごくわかってるんだよ。」という
『俺様自慢』にしかならないのwwww このスレがそれを如実に証明してるでしょ?ww
悟りについてそれを『語る』ことが出来るのは、「真の覚者」のみだろう?
それも、悟った後に最終解脱の道をとらず、菩薩道に進み、衆生を救済するため
その必要性から「悟りを語る」・・・・・
真の覚者が、本気で衆生救済のために悟りを語っているのなら、こんなとこで
「俺様自慢」してるんじゃなくて、社会に飛び出して真っ向から、その
活動に取り組めばよいww
2ちゃんで、「悟りとは・・・・」なんてやってるうちは、皆、
俺様自漫がしたいだけの「なんちゃって覚者さん」でしょ?www
なんちゃって覚者でも、何を悟ったか語ってくれれば ネタとして面白いのに勿体つけて語ろうとしないのが一番ダメだね。
656 :
神も仏も名無しさん :2012/04/28(土) 11:31:33.75 ID:BeoePgHD
>ネタとして面白いのに・・・・・ wwwwww それは確かに言えるw 笑わせてくれるネタなら、さらに言うことなしwwww
議論スレ737での、観自在さんの発言 >わたしも、室戸岬で、虚空の明星に出会ったからです。 どんな体験だったのか、詳しく聞いてみたいですね。
658 :
神も仏も名無しさん :2012/04/28(土) 11:42:12.21 ID:BeoePgHD
>>657 そういや、そんなことも言ってたなwww
今度は、空海かい?wwwww
659 :
観自在さん :2012/04/28(土) 13:49:59.10 ID:neHKeTUQ
まだやってんのか? どうしようもないやつだなw まあ、あんたのやってる「覚者」なんていない!ってのも所詮「個人の体験の範疇」なんだがな〜 わっかんねーかな〜w あんたが、そう信じてるだけって話し。 まあ、あんたの論調だと、世間一般で言われることが正解で、それ以外は、勝手な思い込みだと… それが、勝手な思い込みだときづかんのか? まあ、あんたに論理なんかわからんのだろうな〜 矛盾してたってwwwつけて誤魔化すだけだからな〜w 餓鬼なんだよw よーく、自分の論理の無茶苦茶さを見直してみろ
660 :
観自在さん :2012/04/28(土) 14:14:00.02 ID:neHKeTUQ
おれは、何度か体験を語ってるぞ。 でも、おれはグルになる気もさらさらないし、盲信させるつもりもない。 なぜ、覚者が語らないかって? そうなることを知っているからじゃないかw まあ、わざとそうする人もいるんだろうけど、危険をわかってるからな。 室戸岬での話しを少しだけしよう。 まあ、簡単に言うと、虚空華を観たんだよ。 個人の体験の範疇だがw で、気付いたのさ。 室戸岬から、地球を観たら、水平線は、どこまでいっても水平。 地球は丸いと言うけれど、水平なんだよ。 でも、それを実際に観たって、丸いと思うんだよ、人間は。 思いを観てんだよ。 思いに観せられてんだよ。 だから、論理的矛盾を目の前で指摘されたって、矛盾してないって思いを観るから、どつぼに嵌るんだわ。 ちったーわかったか? まあ、言葉で伝える場合、言葉に対する思いを観てしまうから、伝わりにくいんだよ。 あんたが「個人の体験」って言葉に二重の意味をつけてしまう様にな。 ご都合主義なんだわw
661 :
観自在さん :2012/04/28(土) 14:18:39.56 ID:neHKeTUQ
662 :
観自在さん :2012/04/28(土) 14:56:30.11 ID:neHKeTUQ
しかしまー、「なんちゃって覚者」を暴いてる「俺様自慢」を見せられてもなーwww
663 :
神も仏も名無しさん :2012/04/28(土) 15:59:06.02 ID:gA+lavXh
草の人? 私はコテつけるのは基本やめようかと思います。 私は模倣した言葉を羅列するわけではないのでそもそも真似は困難ですし、明らかな偽者を見分けられないのを見るのも楽しいかもしれません。 草の人のwwwwwwは好きです。 なんか爽やかに使われますよね。私はそんなに美しく草は生やせません。 草の人は優れた現実感覚を持っています。 逃避、抑圧、白昼夢などこれらをよく判別されるかと思います。 ただ、似非宗教をからかうという安全な立場にいるだけでなく自分自身で真実を探索なされたらとは思います。 もったいないなあと。 夢を暴くと人は怒るんですよ。それは必要なものだから、無理に取り上げる訳にも行かない。 何かを信じ込んでいる人を改心させたらまずその人はあなたを同じように信じ込んであなたを閉口させるでしょう。 (本人そのものは変わらないので) 「憎しみによって憎しみをなくすことはできない。愛だけが憎しみを消し去ることができる。それが永遠の法だ」 そうブッダは述べていて、そのとおり私は愛が無く無力で、半端なことをして人々を困らせているなあと思ったのでした。
664 :
神も仏も名無しさん :2012/04/28(土) 16:14:51.06 ID:nzmSSi+I
>>660 室戸岬での体験は、
空海の「谷響きを惜しまず、明星来影す」ではないのですか。
地平線は水平であり、丸みを感じなかったとか?
観自在が悟っているのかどうかは分からないが、 観自在には、「この人の教えを聞いてみたい」 と思わせる何かが完全に欠けているな。 なんか、とてつもなくどうでもイイのだ。
666 :
神も仏も名無しさん :2012/04/28(土) 16:23:00.24 ID:BeoePgHD
>>659 どうした? 勘違い菩薩さまよwwww
やめるんじゃなかったのかよ?wwww
悔しくって、言い返さずにはいられないの?wwww
>矛盾してたってwwwつけて誤魔化すだけだからな〜w
その矛盾点をひとつも指摘できずに、
「自分は菩薩。平等智を得ている。だから俺様の言うことは正しい。」で
逃げ出したのは誰?wwwww
そして、ガキだとか罵倒するだけで、自己正当化を図るwwww
あ!!!! お前の言うことは、「罵倒」じゃなくて、「事実の指摘」
だったんだっけ?wwwwwwwww
大した「菩薩」だよwww
>よーく、自分の論理の無茶苦茶さを見直してみろ
その論理の無茶苦茶さがひとつも指摘できない平等智ってwwwwwww
>>663 どうした? 「473」は止めたのか?
まあ、別にコテ必要性も感じないがw
一旦落ち、
>473 暇なら、この「勘違い菩薩さま」の精神分析でもしちゃれやww
もしかしたら、自分の思い上がりに気がつくかもしれんぞwww
(まあ、ここまで、見事なバカはちょっといないんで無理とは思うがwwwww)
667 :
観自在さん :2012/04/28(土) 16:30:23.83 ID:neHKeTUQ
わたしは、空海さんではありませんからw わたしが観たのは虚空華です。 水平というのは、一般的に平(たいら)という意味です。 建築とかでも水平を取るでしょう。 水平線は、どこまで行っても水平なんですよw 当たり前かw 丸みがあったら水平じゃないでしょう。 昔の人は、観たまんまで考えたから、地球は平だと思ったんですよ。 でも、現代人は、知識として丸いと知っているから、眼の前の景色が、平でも、丸く観てしまうのです。 一度実際に見通しのいい海へ行って観ればわかりますよw 要するに、人は、観たいものを観て、観たくないものを観ないのです。 それは、無意識的に行なわれます。 そこに自我の働きがある。 実際の事実がどうあろうがね。
668 :
観自在さん :2012/04/28(土) 16:36:40.18 ID:neHKeTUQ
十一面観音という菩薩がいますね。 十一の顔を使って、その人の自我を映し出すのですよ。
669 :
神も仏も名無しさん :2012/04/28(土) 16:41:24.57 ID:nzmSSi+I
>>667 そういう傾向は確かにありますね。
人は主観的であり、客観的な立場にはなかなかなれない。
ところで「虚空華」とは何ですか。
>>667 >要するに、人は、観たいものを観て、観たくないものを観ないのです。
>それは、無意識的に行なわれます。
>そこに自我の働きがある。
>実際の事実がどうあろうがね。
なんだイイ事も言うんじゃないの!!
要するに、私は、観たいもの(悟っている自分)を観て、
観たくないもの(ホントは悟っていない自分)を観ないのです。
それは、無意識的に行なわれます。
そこに自我の働きがある。
実際の事実がどうあろうがね。
こうすると完璧だな。うん、間違えてない。
671 :
神も仏も名無しさん :2012/04/28(土) 16:48:44.32 ID:nzmSSi+I
>>667 そうか? 水平線が丸みをおびている、というのが虚空華か。
672 :
観自在さん :2012/04/28(土) 16:51:21.82 ID:neHKeTUQ
673 :
神も仏も名無しさん :2012/04/28(土) 17:05:46.54 ID:nzmSSi+I
>>672 観自在さんのはわたしの体験と異なるね。
気になったので聞いたけど、答えてくれてありがとう。
674 :
観自在さん :2012/04/28(土) 17:12:55.75 ID:neHKeTUQ
>>673 いえいえ。
また、あなたの体験も教えてください。
675 :
神も仏も名無しさん :2012/04/28(土) 17:29:40.20 ID:nzmSSi+I
>>674 宗教板ではずいぶん書き込んだよ、だいたいひとり言だったけど。
でも書き込みしながら自分を整理していたようにも思う。
最近では、究極の到達「悟り」スレ
少し長いけど、これを読んでもらえたらだいたいわかると思う。
676 :
神も仏も名無しさん :2012/04/28(土) 23:31:18.87 ID:BeoePgHD
んで、思い上がった「勘違い菩薩さま」は、逃走したまんまか?www まあ、いいけどね、あんなカスww ただ、大嘘つくのだけはいただけないねwww >だから、論理的矛盾を目の前で指摘されたって、・・・・・ どこがや?ってなるわなww 一体どのレスで論理矛盾を指摘したのかいね?wwwww 夢の中でか?wwww あ〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜 >要するに、私は、観たいもの(矛盾を指摘してるエライ自分)を観て、 >観たくないもの(ホントは反論出来ずに逃げ出した自分)を観ないのです。 >それは、無意識的に行なわれます。 >そこに自我の働きがある。 >実際の事実がどうあろうがね。 こういうことか?wwwwwwww
677 :
バカ女 :2012/04/28(土) 23:34:13.93 ID:upNwunsV
473さん、たいへん遅くなりました。 以下は、全体に対してのレスになります。 思想は、473さんの記憶(経験)に大きく影響されて織りなされています。 記憶(経験)は「主体が/記憶する(経験する)」という構図を前提にしていますが、 言語を習得した後にやって来た後発者の主体にとって、記憶(経験)は先輩です。 記憶(経験)が「主体のもの」になる前から、すでに記憶(経験)は成立していました。 むしろ構図は反転して「記憶(経験)が主体を根拠づけている」のではないでしょうか。 「主体を苦しめる」という意味での無意識は、主体の記憶(経験)にはならなかった 記憶ならざる記憶(経験ならざる経験)なのでしょう。 きっと想い出したくない、辛く痛みを伴う、強烈すぎる等の記憶(経験)なのでしょう。 記憶(経験)は、主体を超過しうるのです。だからこそ、不随意に活動するわけです。 無意識が主体を翻弄する、という仕組みを理解することは容易かもしれませんが、 記憶ならざる記憶(経験ならざる経験)を「主体のもの」にすることは困難でしょう。 心の動きを逐次観察することによる意識化では、本質的には解決されないでしょう。 記憶ならざる記憶(経験ならざる経験)を主体のもとへと召喚しなければなりません。 記憶の真偽より、記憶を主体のもとに再統合する試み(物語の創作)が必要でしょう。 他者に対する嘆きや憎しみや怒りが原因もなく繰り返し起こることはないと思います。 それは、少しずつ時間をかけて見い出し解決していくしかないのではないでしょうか。
678 :
神も仏も名無しさん :2012/04/28(土) 23:53:15.50 ID:GA0WPctA
サトリます☆ サトリンサトリンハトポッポ♪
679 :
観自在さん :2012/04/28(土) 23:54:00.27 ID:neHKeTUQ
>>675 なるほど、一通り読ませていただきました。
大変面白い考察だと思います。
特に、蛇と神、龍神体験というあたりは素晴らしい。
わたしは、クンダリニーヨーガで初めの体験をしましたから、蛇がある方向からみると蛇ですが、逆転すると龍神である様な感じはとてもわかります。
わたしは、知識があまりありませんので、是非また、ここにも参加して、教えてくださいm(_ _)m
680 :
神も仏も名無しさん :2012/04/29(日) 00:10:37.90 ID:EvL3DaxM
>>677 思索の次元においては特に問題は見当たりません。よくまとまっていると思います。
ただ、そのやり方によってそれをやりおおせた人はいないのではないでしょうか。
ブッダたちには生き方の記録ががあります。生死をかまわぬ不安も安心も存在しない自然な生き方があり、
またゆとりに満ちあいにあふれている。
そんな彼らがある方向で取り組むこと、そしてまた言葉の上ではない独存を伝えています。
ひとつの賭けです。失うものは苦しみぐらいのものです。
バカ女さんが示唆する方向は成功者を私は知りません。
自分自身で成功もせず、また成功した先達もいないのに、またあなたはある方法を私に勧め、
そして自分の希望として持ちましたね。
「記憶ならざる記憶(経験ならざる経験)を主体のもとへと召喚しなければなりません。 」
なりませんとは強い表現です。何の根拠や実績があるのでしょう。やや狂信めいていませんか。
全くの未知のへの旅、憶測として述べるのでしたら違和感はありませんがこれは。
681 :
神も仏も名無しさん :2012/04/29(日) 00:29:44.41 ID:EvL3DaxM
>>476-477 に人間に確たる主体が存在しない、外部に反応する思考の寄せ集めであるという観察があります。
このあたりグルジェフが詳しいのですが。
また、バカ女さんがいう主体は私の言う表層意識のことではないでしょうか。
私が言う主体は、主に潜在意識がつくりだす世界と自己の関係、感覚そのものです。
私は表層意識ではなく、世界観そのものを作る潜在意識のことを主体といい続けております。
まず、私の述べていることを別の読み取り方で読まれております。
普段あなたが読んでいる本とは別のことを延べ、別の言葉の用法で述べております。
ご注意ください。(文を読めば主体や覚醒が何であるかわかるように書いております。)
主体に気づくというのは、表層思考が潜在意識を模索するのではなく、
潜在意識と表層意識の全体に覚め続けることです。
それが無ければ一切の変革はありえないように思いますし、それがあるからこそ私たちは無意識と表層意識の葛藤に気づくこともできるのでしょう。
潜在意識と表層意識を超えた意識というものが存在しなければ、私たちは次々完全に表層意識が切り替わるロボットであり、葛藤は無かったでしょうから。
バカ女さんの「物語」は過去を消せますか?もうひとつ思考が増え、もうひとつ潜在意識が増えるだけではないでしょうか。
というのも、表層意識に新しいものがくれば、元のものは潜在意識に引っ込むからです。
一つ一つの思考は全く持って矛盾します。体、感情、各社会、家族、矛盾していて当然であり、それゆえに統合ではなくオンオフにしか救いはありません。
ひっくるめて表層意識に持ってきたら、混乱で気を失ってしまうでしょう。
潜在意識全てをオンオフできる覚醒があるという人がおり、それを生きて示した人がいますからまずは私は賭けてみました。
賭ければ、内に共鳴するものがあり、不安は徐々に収まりました。
現代社会に悟りは必要なのだろうか?
683 :
神も仏も名無しさん :2012/04/29(日) 08:20:04.46 ID:aiPN4maE
>>679 観自在さん
少しでも共感してもらえたら光栄です。
クンダリニーは知らないですが、同じ体験をどう解釈し、どう表現するかで
異なった主張が生まれるのかもしれません。このスレは勉強になり
時々見てますが、みなさん個性的で魅力的ですね。
【お題】 音に注意しましょう 聞こえる音を「これは何の音」と解釈せずに 純粋に音そのものを意識的に聴いてみましょう
>>654 >釈迦と「なんちゃって覚者」を一緒にするなよ
Wさんの中の釈迦は別格なのですね
>悟りについてそれを『語る』ことが出来るのは、「真の覚者」のみだろう?
それは「真の覚者」じゃ無い悟り子にはわかりません
「真の覚者」ならわかっているのかもしれませんね
>>654 >悟りについて『語って』も、ほとんどが、
「見てみて俺様の境地w 俺ってすごくわかってるんだよ。」という
『俺様自慢』にしかならないの
それも有りだと感じます
>>654 >真の覚者が、本気で衆生救済のために悟りを語っているのなら、こんなとこで
「俺様自慢」してるんじゃなくて、社会に飛び出して真っ向から、その
活動に取り組めばよい
それは例えば、たく鉢しながら全国を廻って法を説いたり
寺院や公会堂で弟子達や一般人に法を説いたり...とかいった感じでしょうか?
688 :
神も仏も名無しさん :2012/04/29(日) 09:52:50.27 ID:s1fEVSBE
>>685 >Wさんの中の釈迦は別格なのですね
俺は仏教徒ではないんで、別に釈迦に特別な思い入れはないぞw
ただ、同じ「悟りを語る」にしても、『衆生を救いたいがために、己の人生の
全てをかけてそれに取り組むの』と『ちょっと、何かの本を読んで悟った気になり
こんなとこで、俺様自慢を繰り返すバカ』をいっしょにしたら、いかんでしょ?
というのwwww
>>686 >それも有りだと感じます
なるほどwwww 勘違いバカには、好きなだけ『語らせて』無根拠な虚栄心を
満足させてやれ・・・・・こういうわけだなwwwwww
689 :
神も仏も名無しさん :2012/04/29(日) 09:54:56.24 ID:s1fEVSBE
>>687 具体的な活動法は、その人が必要であると思う方法を
とれば良いのでは?ww
>>687 ひとつの見方から偉そうなこというけどごめんね。
法を私(わたくし)するって仏教ではありえないんですよ。
してはいけないでなくてできないってこと。
純粋に、意識的に聴いて見ようというお題そのものが余計ごとじゃないんですか?
犬や猫はもちろん、普通のひとでもそんな手続きいらないんじゃないですか、心のお荷物じゃないですか?
しつこいようだけど、わたくしのことじゃないんです、聞く事も見ることも
もちろん悟りと呼ばれるものも。
691 :
神も仏も名無しさん :2012/04/29(日) 10:03:38.48 ID:6Qw//v4P
>>682 現代社会そのものを考える時に必要すな
現代社会を前提とするならいらんすな
>>654 >2ちゃんで、「悟りとは・・・・」なんてやってるうちは、皆、
俺様自漫がしたいだけの「なんちゃって覚者さん」でしょ?
つまり
「真の覚者は2ちゃんねるで悟りについて語ったりはしない」
とゆう見解なのですね?
「貴方がたは皆兄弟だ、貴方がたは皆いと高きものの子だ」
とか言うのはやはりWさんとしては2ちゃんねるではなく
山の上とか寺院とか公会堂とか路上とかで、肉声かマイクで直接説法者の姿を見せて語るべきである
とかゆうふうにお感じになられますか?
>>689 >具体的な活動法は、その人が必要であると思う方法を
とれば良いのでは?
じゃあ2ちゃんねるが必要だと思うのなら2ちゃんねるも有りですね
>>684 ひとつの見方から偉そうなこというけどごめんね。
法を私(わたくし)するって仏教ではありえないんですよ。
してはいけないでなくてできないってこと。
純粋に、意識的に聴いて見ようというお題そのものが余計ごとじゃないんですか?
貴方がそう感じるのなら、それが貴方の正解です
>>694 わざわざお返事ありがとう。せっかくですが正解という持ち物はいらないです。
聞き苦しくなかったですか?
あなたにはあなたの考えがおありになったんでしょう。
横槍入れてすみません。続けてください。
696 :
神も仏も名無しさん :2012/04/29(日) 12:23:13.93 ID:s1fEVSBE
>>693 >じゃあ2ちゃんねるが必要だと思うのなら2ちゃんねるも有りですね
そらあ、本当に悟っている人が、衆生救済にとって、実社会で活動することなく、
この2ちゃんで「悟りとは・・・」と語ってるのが最も有効と考えるのなら、
それも有りだろうwwwwww
しかし、お前の考える「悟った人」ってのは、現実の取り組みなどせずに、
2ちゃんで「悟りについて語ってる人」なのか?wwww
まあ、お前がそう考えるなら、それが「お前の正解」なんだろうがwwww
648 名前:観自在さん[sage] 投稿日:2012/04/28(土) 06:16:16.97 ID:neHKeTUQ [22/32] もう残る道は発狂しかないぞ。 もうやめとけ。 649 名前:神も仏も名無しさん[sage] 投稿日:2012/04/28(土) 06:22:42.16 ID:neHKeTUQ [23/32] まあ、おれももうやめとくわ。 すまんかったな。 ↑こういうところ胡散臭ぇしキモイ コテつけたり外したり他人に成り済ましたりさあ・・ 確か俺様はオダギリジョーに似てるっつー妄想アピールまでしてたな
698 :
神も仏も名無しさん :2012/04/29(日) 16:33:59.85 ID:8B12QYPE
>>684 音を純粋に楽しむ。これがほんとの音楽ですね。
自分を音にのせて楽しむ。言葉は邪魔。歌のない音楽がいいですね。
699 :
神も仏も名無しさん :2012/04/29(日) 17:06:56.72 ID:8B12QYPE
言葉は必要だと思うが、言葉があるからドロドロになる。 愛とか憎とか、好きだとか嫌いだとか。 言葉がなければ、あるがままに近くなるのではないだろうか。 言葉なしで、行動だけで自分の思いを伝えることは意外に難しい。 しかしこれが、生き物の本来的な姿のようにも思う。
700get
>>696 >しかし、お前の考える「悟った人」ってのは、現実の取り組みなどせずに、
>2ちゃんで「悟りについて語ってる人」なのか?wwww
悟っても特にすることないから2CHで草生やしててもイイんと違う?
オダギリジョーに似ているのか・・・。 安藤は誰似だろ・・・。
703 :
操作 :2012/04/29(日) 23:56:03.02 ID:ZHZiaoFa
>>690 > わたくしのことじゃないんです、聞く事も見ることも もちろん悟りと呼ばれるものも。
だよね。
>>679 > 特に、蛇と神、龍神体験というあたりは素晴らしい。
まだ成人していないころ、龍神の水っていうのを飲んだな。
そこに、これが龍神様だという写真がたくさん貼ってあって、透明でロープ状でうろこのようなものが写っていて
なんだこりゃ?ただの光の加減じゃないの
と思っていたら・・・
そうじゃなかった
くわばらくわばら
>>665 > 観自在には、「この人の教えを聞いてみたい」
> と思わせる何かが完全に欠けているな。
どうしてそんなことが気になる?
>>660 > 室戸岬での話しを少しだけしよう。
> まあ、簡単に言うと、虚空華を観たんだよ。
> 個人の体験の範疇だがw
虚空の華ですか・・・
なんとなく言わんとすることは汲み取れます
室戸岬は一度行ってみたい
>>547 > 悟りは個人体験以外の何物でもないからな。
日本語は難しいな ○○以外、△△ない で2度否定しているから肯定ということかな
1度の否定で良いと思うが・・
悟りは個人体験以外 である
704 :
神も仏も名無しさん :2012/04/30(月) 00:00:38.62 ID:XN4RSrjT
>>677 私が言う主体のイメージは
広大な潜在意識が世界像を作り、表層意識によって思考する。(よって表層意識は潜在意識に支配されている)
また、表層意識と潜在意識は頻繁に入れ替わり、人間は潜在+表層としてみれば一定の存在に近い(急な変化は無い)
が、表層意識や不随意の欲望という点では非常に安定しない存在である。
表層の思考や不随意の欲望に同化し、広大な潜在意識の矛盾に気づいていない人間はその知性の次元が低い。
また表層意識もしくは潜在意識から来る不随意の欲望に同化して無意識になることが、この潜在意識の矛盾から逃れる方法であり、
ひとはそうせざるを得ない。が、そうなると、右手のしたことは左手は知らず、しかも互いに責任を取らないという悲惨なことになる。
実利嗜好なのか、感情的なのかわからない私たちの矛盾のゆえんである。
表層意識、無意識的な欲望から始まり全ての潜在意識思考をオンオフでき、また外界に誘発されてひとつの思考にのっとられることがない。
思考より上位である意識の存在がないと基本的に袋小路であり、それが無いならおとなしく前述の分裂症に甘んじたほうが幸せである。
そして、思考より上位の意識?覚醒?は思考への執着を手放すことによってしか見出せない。
≫「物語」「表層意識に持ってくる」
潜在意識の思考はいつでも無意識にわれわれをのっとるし、それを表層思考に持ってきたら、こんどは今までの表層思考が潜在意識に追いやられる。
それゆえに人は聖者と悪人をいったりきたりする。
思考はどこまで言っても思考であり、潜在意識=世界の影響を受ける。
思考の集団である潜在意識に影響を受けた思考が潜在意識を乗り越えることは不可能。
>>703 >どうしてそんなことが気になる?
お前には関係ない話しだ。
706 :
操作 :2012/04/30(月) 00:05:21.14 ID:WuQVduU7
>>675 > 最近では、究極の到達「悟り」スレ
> 少し長いけど、これを読んでもらえたらだいたいわかると思う。
全部、読めないけど
>大乗経典は偽経だから役立たない。
そうでもない。
南無阿弥陀仏。
これだけで十分だがなあ
707 :
操作 :2012/04/30(月) 00:10:30.54 ID:WuQVduU7
>>705 > お前には関係ない話しだ。
観自在さんの書いていることは、そんなに悪くない。
それだけだ。
>>707 だったら観自在の話しを聞いてやれ。
あいつは自分の話を喜んで聞いてくれる人を求めてる。
それが自分の「承認欲求」を満たすことになるからだ。
俺は悟っていない人間の話を面白がって聞く趣味はない。
まあ、実際に面白い話なら聞いてやってもイイけど。
709 :
操作 :2012/04/30(月) 00:23:02.62 ID:WuQVduU7
>>708 > 俺は悟っていない人間の話を面白がって聞く趣味はない。
> まあ、実際に面白い話なら聞いてやってもイイけど。
ということは、
「バカ女」さんは悟っている人間の話で、聞きたいけれど
観自在さんは悟っていない人間の話だから聞きたくない。
ということか。
どちらが面白いかといえば、観自在さんの話の方が面白そうだが、受け取り方はいろいろってことだな
710 :
操作 :2012/04/30(月) 00:28:36.62 ID:WuQVduU7
>>533 > イイ事言うね!!
> 特に「「悟り」ってのは、どこまでいっても「個人の体験」の範疇なんだよww 」
> ってところが痺れるね!!
本当ですか?悟りって個人体験なの?
>>709 俺が面白いと感じたのは、
世界の答え、バカ女さん、ノスタルジアくらい。
ホントに悟ってる人はここで書き込んだりしないだろ。
まあ、このスレ見たりはしてるかもしれないけど。
観自在の話は俺にとってどこかで聞いいたような話ばかりで
オリジナリティに欠けていると思う。
>>710 >本当ですか?悟りって個人体験なの?
悟りって何だと思ってる?
まあ、正確には体験ですら無いとも思うが・・・・
713 :
操作 :2012/04/30(月) 00:35:34.32 ID:WuQVduU7
>>493 > 広告業界の重鎮さんかもしれませんね(笑)
あぶない宗教にしか聞こえませんが・・・
>>712 個人体験じゃないことは確かだけど
何かって言われると
何も答えられない
表現することは、一部分を照らし出してしか表現できないから、
全体を語ることはできない
だから、一部分を照らし出してもらわないと それを書くことはできないな
>>714 >個人体験じゃないことは確かだけど
あなたが体験することは全て「個人体験」だけど
それでも悟りは個人体験じゃないのか?
仏教も十分危ない宗教だわなwww で阿保の観自在の肩を持つオペは悟りって何だと思ってるんだよ? 早く答えてやれよwww
718 :
操作 :2012/04/30(月) 01:02:40.50 ID:WuQVduU7
>>716 > あなたが体験することは全て「個人体験」だけど
> それでも悟りは個人体験じゃないのか?
個人体験と読んでいるのは観念であり記憶のことを指しているのだろう
悟りとは記憶や観念や個人には関わりがなく進行中のものじゃないのだろうか
ダロウwww ダロウカwww
>>718 >個人体験と読んでいるのは観念であり記憶のことを指しているのだろう
意味が分からん????
どういうこと????
721 :
操作 :2012/04/30(月) 01:07:32.27 ID:WuQVduU7
>>720 漢字変換ミスだった
あなたが個人体験と呼んでいる悟りは、観念であり記憶から作られたものだろう?
しかし、悟りってのは、観念や記憶とは何の関係もない
回りくどいんだよ阿保www 悟りとは"誰"の進行中のものなんだよwww って言われてもしゃーないなこりゃwww 答えになってねえよ 悟りとは何だって聞かれてんだよオペちゃんよー
>しかし、悟りってのは、観念や記憶とは何の関係もない 誰がんなこと言ってんのよwww
>>721 難しい質問だったか・・・
まあ、いいや。
726 :
操作 :2012/04/30(月) 01:16:57.95 ID:WuQVduU7
あちゃーw 自傷覚者さーん 迷い進行中の凡夫ちゃんが「悟りって何?」って聞いてますよー ここのスレタイは何ですかーwww
>>726 安心してちゃダメだろ。
もっと勉強しなさい。
今のままじゃ自称悟り人に騙されて人生棒に振るよ!!
子ども「ねえねえおとーさーん。さとりってなーにー?」 ボンクラ親父「わっかんねー(汗)」 子ども「わかんないならもういいよ」 ボンクラ親父「・・・ホッ。」
ボンクラ親父「観自在さんの書いていることは、そんなに悪くない。」 子ども「なんで?」 ボンクラ親父「俺の観念でそう分別したからだ(キリッ!」
731 :
操作 :2012/04/30(月) 01:37:42.84 ID:WuQVduU7
>>728 > 安心してちゃダメだろ。
教えてください
悟りって何ですか?
>>731 悟りそのものは教えたりしないが、ひとつヒントだけ
「自分の中にしか答えはない!!」以上。
733 :
安堂 :2012/04/30(月) 03:28:33.92 ID:S1kyyhmI
個人体験とはなかなか・・・おもしろい。 悟りが個人体験なのか・・・? 悟りの体験だろうが、一切の感情的体験だろうが、 それは【あなた】が体験している・・・ということでしょう。 しかし本当にあなた個人の体験なのか・・・? あなたの心が体験しているのでしょうかねえ・・・。 あなた以外の人の体験や感情なのかもしれませんが・・・。 >安藤は誰似だろ・・・。 私はフジモリ大統領に似てるよ・・・。
734 :
神も仏も名無しさん :2012/04/30(月) 06:12:58.82 ID:6++Jv05K
悟りは女みたいなものだろ。出会うまでは、興味深々だが、出会って恋をして結婚して 10年もすると空気みたいに当たり前になる。 悟ったばかりのころはワアワアと騒ぐが、そのうち騒がなくなる。 なんせ当たり前のことだから。もっともそのうちの幾人かは食うに困る。手に職もない。 芸もない。だから悟りをダシにして稼ぐ。
>>696 >本当に悟っている人が、衆生救済にとって、実社会で活動することなく、
この2ちゃんで「悟りとは・・・」と語ってるのが最も有効と考えるのなら、
それも有りだろう
有りなのですね
>>698 >音を純粋に楽しむ。これがほんとの音楽ですね
同感です
悟り子は特に雨の音が好きです
あと小鳥の鳴き声も捨て難いですね
737 :
神も仏も名無しさん :2012/04/30(月) 09:22:40.60 ID:+hQCSIm2
>>735 wwwwwww お前は文脈全体で、その趣旨を捉えるということが出来ない
低能くんなの?wwwwwww
「もし」「仮に」「可能性は限りなくゼロに近いが」「本当に悟っている人がそのような
認識をもつことが万が一にもあるとすれば」・・・・・・それは有りだろう
という付帯条件付きねwwwwwww
738 :
神も仏も名無しさん :2012/04/30(月) 09:27:27.81 ID:+hQCSIm2
この「悟り子」ってのも、あれか?www 「勘違い菩薩」の「観自在のバカ」と同様に、ひとの書き込みのごく一部を 取り出し、それを恣意的に用いて他者の見解をねじ曲げるバカか?wwww
>>732 > 「自分の中にしか答えはない!!」以上。
まるで答になっていない。
やり直し。
>>732 >>712 > 悟りって何だと思ってる?
の結果が↓これか
>「自分の中にしか答えはない!!」
なんだそりゃ。まるでだめ。
悟りってのは、「個人体験」で「自分の中にあるもの」らしいが
いつからそんな狭い暗い小さいものになったのだ
>>733 を少し読んでみ
>>739 ヒントって書いてあるのに「答えになってない」だって、ワロス!!
>>740 自分の外に答えを求めてるうちは駄目だよ。
>>741 >いつからそんな狭い暗い小さいものになったのだ
それはお前が「自分」を狭い暗い小さいものだと思い込んでるからだろ。
まず、何も考えず、何のイメージも持たず、言葉を使わずに
自分と向き合え。まずは、そこからだ。
安堂も「自分が誰か?」分かってないから参考にならないぞ。
自分が誰かも分ってないのに個人体験が何を意味するか分かる訳ないだろ。
>>736 >悟り子は特に雨の音が好きです
雨の音ですか。いいですねえ。
自然には裏表がないので、安心して自分を委ねられますね。
>あと小鳥の鳴き声も捨て難いですね 小鳥もいい。それにウグイス、カッコー、山鳩、ヒバリ、スズメなどなど、 バラエテイー豊かで不思議なくらい。繰り返し教えてやれば、 どの鳥も人間の言葉をしゃべるのではないかと思わせる。
747 :
神も仏も名無しさん :2012/04/30(月) 12:47:42.86 ID:YWC1Rke9
カラスはうるさい。朝早くから鳴き交わし、集団で行動している。 言葉の数は少ないのだろうが、かれらは会話していると思う。 ニワトリはけたたましい。しかし大昔、初めてニワトリの声を聞いた人は、 それはもうびっくりし、神の使いのように感じたかもしれない。 神の使いと言えば八咫烏もいるね。
748 :
神も仏も名無しさん :2012/04/30(月) 16:59:50.39 ID:J66gMFw4
>>735 悟り子さんに賛成。2chで「悟り」を語るのはまったく自然ですね。
むしろ、こういった場所こそ最適だと思う。
教授・小説家・宗教家などの有名人が書いた本は、 悟りに関する限り、全部が全部、眉唾物だと思ってまちがいない。 世俗社会で成功した連中にホンモノはいない。
ネット社会は玉石混交である。ホンモノを見分けるには、長い間、 注意して観察し、また洞察力がなければならない。 中村元訳『神々との対話』第二章第一節「結髪の行者」を参照のこと。
仏教スレに共通したテーマは「空」だが、 この「空」は、見ることも聞くことも匂いを嗅ぐことも味わうことも 触れることもできない。それを体験することは永遠にできない。 では「空」を悟るにはどうしたらいいのか。 縁起のプロセス、そのことの中に「空」の片鱗を窺い知るだけである。
空そのものは体験できないから、空について何かを語ろうとすれば、 空を窺い知った経緯を語ることになる。これが、空についての、 多くの逸話が生まれてくる理由だろう。空そのものを直感してはいるが、 プロセスとか、具体的な場面としてしか語れない。
空のプロセスは、縁起とか、太極図の陰陽とか、弁証法の正反合である。 こういったものを体得すれば、これらが無意識を掘り進む道具になり、 意識と無意識をつなぐラセン階段になる。
754 :
神も仏も名無しさん :2012/04/30(月) 20:03:52.04 ID:Uf3+XWPb
空を悟れば、人生観が急激に変わるばかりでなく、 無意識へのアプローチが可能になることも大きな収穫である。 創世記28章12節「すると、彼(ヤコブ)は夢を見た。先端が天まで達する 階段が地に向かって伸びており、しかも、神の御使いたちがそれを上ったり 下ったりしていた。」〜これはそのことを例えているように思う。
悟り子さんのお題 ・・・
>>684 【
言葉や、裏表のない無生物や、人間の裏表のある生き方などに広がり、
空を考える上で参考になりました。
>>744 安堂の言葉もわからず
井の中の蛙 大海を知らず
>>748 > 悟り子さんに賛成。2chで「悟り」を語るのはまったく自然ですね。
悟りを語ることは
無音を音で表現するのに似ている
それは無理なことだよ
<井の中の蛙 大海を知らず> 自分の狭い知識や見解に囚(とら)われ、他に広い世界があることを知ら ないで、得々と振る舞っている者のことを蛙に喩えた言葉。 自分のまわりのせまい 範囲 ( はんい ) だけでものを考えていることのたとえ。 狭い世界に閉じこもって、広い世界のあることを知らない。 こうやって意味を並べておけば、意味くらいはわかるだろう
悟りは喩えれば大海のようなもので、自分の中、外、体験なんぞの小さいものではない
>>758 せっかくヒントをやったのに無駄にしてしまうのか、嘆かわしい。
もしも万が一悟ることがあれば、俺の優しさに心からの涙を流すだろう。
>>757 そこまで分かっているのに、それが自分の事だと気づかないとは・・・・
悲しい通りこして呆れるね。
>>756 確かに空そのものを語ることはできない。
空そのものは虚無だから何も語れない。しかし空に至るプロセスなら、
具体的な何かを感じることができる。
何かを感じるのであれば何かを語ることもできる。
大乗の「空」はどうしたらわかるのか。 坐禅をして禅定を体験すれば「空」がわかる、というのは間違っている。 禅定ではなく思考であって、たとえば善悪の関係を考えることで「空」を 直感する以外にない。この場合、悟りについて何かを語れるとすれば、 善悪の関係を考えた経過ということになる。
763 :
神も仏も名無しさん :2012/04/30(月) 23:45:30.03 ID:FwJe0oCF
繰り返すと、坐禅の禅定は「空」を知るためのものではない。 坐禅ではなく、あれこれ考えることの中に「空」に至る経過がある。 語れるのはこの経過だけであり、空は虚無であり、虚無だから空それ自体は 体験できるものではなく、何も語れない。ただ虚無を直感するだけ。 人間は不思議なもので、虚無を直感する能力がある。
>>762 > 悟りについて何かを語れるとすれば、
> 善悪の関係を考えた経過ということになる。
この場合どう語るのでしょう?
>>763 > 坐禅ではなく、あれこれ考えることの中に「空」に至る経過がある。
「空」に至ってどうなるのでしょう。
あれこれ考えない方がよいかもしれませんよ。
>>764 善そのものしかなければ、善の意味が消えてしまう。
善は悪があることによって善でありうる。逆も同じであり、
善悪は相互依存の関係によって意味を持つ。
これは縁起だが、その実体は空である、という語り方になる。
>>766 > これは縁起だが、その実体は空である、という語り方になる。
「空」とはそういう意味だったのですか。
観念の否定ですね。
>>765 順調な人生なら、人生の意味など最初から考えないと思う。
何らかの逆境によって人生を考え始める。そして川の水はどうなり、
海の水はどうなり、雨がどうして降って来るのかを知る。
酔生夢死から抜け出すには、まず人生の意味を知ることが肝心である。
>>767 空は虚無だから、言語による観念が生じる余地はない。
中論第18章7偈
心の境地が滅したときには、言語の対象もなくなる。
770 :
神も仏も名無しさん :2012/05/01(火) 00:49:29.42 ID:Te/NBW/6
太極図も同じ。円の中で陰陽が争っているが、それは時間の経過の中で すべて無の中に消えていく運命にある。これが諸行無常、諸法無我である。 その運命を洞察し、受け入れることができれば涅槃寂静になる。 悲観的で同意できないかもしれないが、まずは空を押さえておく必要がある。 空はその後の神秘体験に必要不可欠な道具である。
>>768 > 酔生夢死から抜け出すには、まず人生の意味を知ることが肝心である。
どんな意味を知ったのでしょう
酔生夢死の人生と意味のある人生は違うのですかね
私の隣に何箇所参りとか言って死後の準備をしている人が居て
まだまだ先が長いのに、死後の心配してどうするのかって人がいますがね
>>771 今話しているのは「空」についてだけど、
生きていることが虚無であればどう生きてもいいことになる。
しかし個人的には、それだったらよく生きようと思った。
そういう選択をしたのは運命のような気がする。
空から離れるなら、最近は夢に翻弄されることが少なくなり、 夢の中で周囲を観察して判断するようになっている。 それから蛇だか竜だかの夢を立て続けに2回見た。合計5回になる。
>>769 「空」は「虚無」じゃないぞ。
「有で無ければ、有で無いも無く」、「無で無ければ、無で無いも無い」。
これが「空」だよ。
思考で考えて「虚無」と捉える人もいるが
認識的に、これで「中道」だと捉えるのが正しい。
775 :
安堂 :2012/05/01(火) 01:33:53.17 ID:Z6TYdHYg
ふと思い出した・・・。寺の柱で一本だけ逆さまに建てるというものだ・・・・。 『悟り』などという完成は私には似合わない・・・ そういえばファウストにもこんなのがあった・・・。
>>774 有と無とを対立させる四句分別が成立するのだろうか。
それはないと思う。明日やりましょう。オチ。
777 :
安堂 :2012/05/01(火) 01:39:01.41 ID:Z6TYdHYg
道化役 「(中略)何しろ充実した人間生活に手を突っ込みなさい。 誰でもそれを経験していながら、ただ無意識なんです。そいつを掴まえさせすれば、面白いものができますよ。 雑然たる絵の中に、ちょいとはっきりした所を入れ、間違いだらけの中に、一点真理の光を点じる。 そうすると最上のお酒が醸されて、それが全世界の人を元気づけ、啓発するのです。そこで選り抜きの すぐれた若者があなたの芝居に集まり、その啓示に慎んで耳を傾けます。そしてデリケートな心がらのものは あなたの作品から、メランコリックな養分を吸い取ります。やがてこの気持ち、あの気持ちがそそりたてられて、 銘々が自分の心に持っているものを見出すって訳です。若い人たちはまだ泣くことも笑うこともできます。 感情の飛躍を尊び、色や形の世界も喜べるんです。 出来上がった人間は、何を与えても満足しないが、 出来かかっている人間は、いつも有り難がって頂戴するもんですよ。」
>>775 安堂さんのファンだよ。でも今日は眠いのでまたね。
779 :
安堂 :2012/05/01(火) 01:46:59.96 ID:Z6TYdHYg
詩人 「では私自身まだ出来かかっていたあの時代を取り返してください。 鬱積した詩の泉が滾々と尽きることなく湧き出でた時代。 霧が世界を覆い隠し、花の蕾が来るべき奇蹟を約束し、 また谷という谷に豊かに咲き満ちた千の花々を私が手折ったあの時代を。 私は何にも持ってはいなかったが、それでも、真理への欲求と、 錯覚を喜ぶ心とで満ち足りていた。どうか私にあの不羈なるままの衝動を、 深い、悩みに満ちた幸福を、憎しみの念力と愛の威力とを、 私の青春を、取り戻して下さい」 このやり取りなど、まさによい。 『出来上がった人間は、何を与えても満足しないが、 出来かかっている人間は、いつも有り難がって頂戴するもんですよ。』 などという言葉の「出来かかっている人間」とは我々そのものだ。
>>776 これは言語を超えた認識の話だから
言語的思考の上に成り立つ四句分別では成立しないぞ。
アプローチの方法が間違ってる。
781 :
安堂 :2012/05/01(火) 02:03:35.07 ID:Z6TYdHYg
>>779 私が求めるのは真理であって、ファンではない。
【お題】 1.悟りは個人的な体験ではない 2.悟りは個人的な体験である どうでしょうか?
>>782 どうも「体験」って書くと
「体験」って言葉に引っ張られる人が多いみたいだから
1.悟りは個人的なモノではない
2.悟りは個人的なモノである
のほうがイイんじゃないでしょうか?
>>745 多分人は意識のどこかで、初源的な生命そのままとしての自己を感じていたいとゆう部分があるのでしょうね
それはとかく観念的になりがちな自我意識への生命としての自己の自然な揺り戻しなのかもしれません
ただ、それを言葉で悟りとか覚醒とか言ったとたんに観念的で胡散臭くなってしまうところがあるのかもしれません(笑)
>>744 >安堂も「自分が誰か?」分かってないから参考にならないぞ
これはある意味永遠の謎かもしれません
ko re
>>755 大変恐縮ですm(_ _)m
お役に立てたのなら望外の喜びです(-^〇^-)
>>756 >悟りを語ることは
>無音を音で表現するのに似ている
そこでOperationさんにお題を一つ
私達がいつも見ている色は何色でしょうか?
>>772 > 生きていることが虚無であればどう生きてもいいことになる。
そうだな
生きていることに意味を見出したいが、望みどおりの意味がかなわないならば、虚無に感じるだろうが
生きていることに意味を持たず今生きていればどう生きてもいいことになる。
>>773 > それから蛇だか竜だかの夢を立て続けに2回見た。合計5回になる。
竜がなにか言ってたの?
>>775 > ふと思い出した・・・。寺の柱で一本だけ逆さまに建てるというものだ・・・・。
> 『悟り』などという完成は私には似合わない・・・
完成したら、悟りじゃないわな
>>787 > 私達がいつも見ている色は何色でしょうか?
無色の色は反射させることで色としてみることが出来ます。
お返しにお題
悟りの色は何色でしょうか?
>>790 の続き
反射させて見る色は反射した対象物によって色が変わり、また見る側のレンズによっても色が変わります
>>781 >私が求めるのは真理であって、ファンではない
「求めないこと」を求めている感じでしょうか?
>>783 >どうも「体験」って書くと「体験」って言葉に引っ張られる人が多いみたいだから
1.悟りは個人的なモノではない
2.悟りは個人的なモノである
のほうがイイんじゃないでしょうか?
じゃあそれも有りで
>>789 >完成したら、悟りじゃないわな
もともと完璧なモノを見て「完成してない」と言い放つ
誰が「完成してない」と思っているのか?
どうして「完成してない」と思うのか?
そこが分かれば答えは出ている。
>>774 >「有で無ければ、有で無いも無く」、「無で無ければ、無で無いも無い」。
これは四句分別の最後の文章と同一である。しかしこの領域は存在しない。
四句分別・・・有、無、有かつ無(矛盾)、有でもなく無でもない(無)
>>795 だからこれは、言語による思考で考えると矛盾してると感じるけど
認識で捉えると矛盾がないのだ。
言語の枠を飛び越えてみなさい!!
>これが「空」だよ。 >思考で考えて「虚無」と捉える人もいるが 有でもなく無でもない領域は存在しない。ゆえに「虚無」が正しい。
>>797 思考で捉えるなと言ってるそばから思考で捉えてしまう。
そこが問題だとは気付かないのだろうか?
異なる前提の話をしているのに
注意も聞かずに聞いた内容を歪めてしまう。
どうしたもんじゃろね。
>>796 チョットマッテネ
>認識的に、これで「中道」だと捉えるのが正しい。
中道は有無とは異なる。常見(有神論)と断見(唯物論)を排除する話である。
しかし、空を考える場合は、この方が適切なように思う。
有かつ無の領域は矛盾している。従ってこの領域も存在しない。 ということは、有と無とは別ものであることになる。 有と無は、有るか無いかのどちらかである。 空とは無関係ではないのか・・・どうだろう・・・微妙なものがあるね。
>>799 別に有無の話はしてないし・・・・・
常見や断見も含めた両方の偏った見方に依らない
不断不常の中道の話をしてるんで、これで合ってる。
それじゃあ、常見(有神論)と断見(唯物論)を図にしてみよう。 想像で、二つの円を少し重ねて描く。 ひとつは常見の円(神や霊魂がいる)、もうひとつは断見の円(物質的な世界) 中道とは、常見でもなく断見でもないから、 神でもなく霊魂でもなく物質でもないところ、「虚無」である。
有無で考えても、中道で考えても、縁起で考えても、太極図で考えても、 弁証法で考えても、人間は「虚無」であると宣告されている。 この「虚無」が「空」だと称されているのではないか。
>>802 同じ事繰り返すの飽きてきたんだけど・・・・
常見でもなく断見でもないを言語的思考で捉えると「虚無」でもイイんだけど、
でも、認識で捉えると「虚無」じゃないって言ってるだけなんだけど・・・
もしかして自分の「認識」がどうなってるか知らないとか?
805 :
神も仏も名無しさん :2012/05/01(火) 16:28:40.59 ID:sMk8yER9
>>782-783 空が「虚無」であれば、空を体験することはできない。
五感、眼耳鼻舌身を刺激しない以上、空については何も体験できないし、
何も体験できないのだから、何も語ることができない。
この事情があるので空を語る困難さがある。
>>804 何かを認識する手段は何だろう。
感覚? 言葉?
>>806 認識する手段じゃなくて「認識」そのものについて。
難しいようなら最初は「言語による認識」から始めてみたら。
>>807 言葉の原点は体験にあり、体験は感覚によって成立する。
だから認識の原点は感覚なのだろうが、空は虚無だから感覚では
とらえられない。何かをとらえたと思っても、
それは単なる想念にすぎない。いっときの空想かも知れない。
ここまで書き込んで、ふと思ったのだが 「私が誰か?」分からないと「私の認識」も分からないのだろうか?
>>809 いいことに気づいたね。たぶんそうだろうと思う。
中道の図を進化させよう。 まず大きめの四角形を描く。これは虚無の世界を表す。 その中に、常見、断見の二つの円を少し重ねて描く。 そうすると、常見(神、霊魂)と断見(物質、大地)と、 その二つが同時に成立する領域と、どちらでもない虚無の領域ができる。
二つが同時に成立する領域、AかつB これが生き物の世界であり、生き物は「矛盾」を生きている。 どちらでもない虚無の領域、AでもなくBでもない これが「空」であり、龍樹がイメージした縁起の世界である。
813 :
神も仏も名無しさん :2012/05/01(火) 17:51:59.06 ID:0YcC/lTf
この図は他スレでも紹介したことがあるが、 ビッグバン仮説を前提にした存在の二元論モデルになっている。 今回、オレムさんとの話で、この図が「中道」と密接な関係があることに 気づかせてもらった。ありがとう。
>>795 > これは四句分別の最後の文章と同一である。
> 四句分別・・・有、無、有かつ無(矛盾)、有でもなく無でもない(無)
コピーした言葉を、あたかもコピーしていないかのように振る舞っていたのか?
いくらアタマが回らないからってズルしたらだめ
オレって名無しかよ!?⇒以後コピー禁止
>>797 > 有でもなく無でもない領域は存在しない。ゆえに「虚無」が正しい。
観念の否定じゃなかったの?
>>802 > それじゃあ、常見(有神論)と断見(唯物論)を図にしてみよう。
だんだん、観念の否定じゃなくなってきてるけど
>>813 宇宙はダークマターとダークエネルギーが95%を占めている
>>814 コピーじゃないよ。
比べてみたら分かるよ。
四句分別は言語的思考の分野、俺のは認識の話、全然違うよ。
>観念の否定じゃなかったの?
違ったみたいだね。
817 :
バカ女 :2012/05/01(火) 23:13:45.91 ID:Cl66u/Gn
>>680 あなたには他者への敵意や憎しみや怒りが顕著です。
にもかかわらず、あなたはそれがどこから来るのかを知りません。
それを探求しようとはしないから、それは「あなたのもの」にはなりません。
「あなたのもの」にならないから、あなたはそれをコントロールできません。
コントロールできないから、他者への敵意や憎しみや怒りが消えません。
自分を見つめることは苦痛ですが、この循環を止められる有効な方法です。
>生死をかまわぬ不安も安心も存在しない自然な生き方があり、またゆとりに満ちあいにあふれている。
これほど不自然な生き方はありません。不安も安心もないような生は人間の生ではありません。
自己満足の極みが、ゆとりです。人生から逃げて手に入るものは、愛なき生、他者なき生です。
>そんな彼らがある方向で取り組むこと、そしてまた言葉の上ではない独存を伝えています。
他者を抹殺し尽くせば、愛なき独我が誕生します。独我と悪は一致します。
悪とは、等しきものを等しく扱わない宣言であり、同格の他者の実存を否定することに他なりません。
等しき他者の抹殺、同格の他者の不在が、独存です。
独存は、一度きりの存在の奇跡、愛の開闢を共に享受する他者の絶対否定であり、悪です。
私たちは、存在忘却の極致において、新しい境位に至りますが、そこは愛なき不毛の地です。
また、愛の対立項は憎しみではなく、無関心です。(不関心のほうが正確かもしれません)
存在の奇跡が愛そのものであり、愛は無差別ですから、あなたと他者を差別しません。これが善です。
現象と存在との二元論を採れば、普遍(存在)からの徹底的な個(現象)の離反が、独存です。
あなたのブッダや禅における悟りの境地は、愛の欠如によってもたらされる無機質な世界です。
善悪そのものは善悪ではありませんが、現象世界では善悪として表現されざるをえません。
818 :
バカ女 :2012/05/01(火) 23:17:27.19 ID:Cl66u/Gn
>>680 >バカ女さんが示唆する方向は成功者を私は知りません。
神経症の治療が成功した人はいくらでもいるでしょう。
私たちは、みんな神経症であるとも言われていますから、
神経症の範疇であれば、有効な問題の解決方法とも言えます。
>自分自身で成功もせず、また成功した先達もいないのに、
私が書いたのは、神経症の治療方法です。
>「記憶ならざる記憶(経験ならざる経験)を主体のもとへと召喚しなければなりません。 」
>なりませんとは強い表現です。何の根拠や実績があるのでしょう。やや狂信めいていませんか。
私が言っているのは、神経症の治療方法の一つですから、根拠も実績もあります。
病気ではなくても、逃げずに自分を見つめられる人なら、実践している方法です。
問題は、現実に存在する問題から目をそらし「思索の次元においては特に問題は見当たりません」
などど言って、そこから自己欺瞞によって自分を別の次元に位置づけてしまうことです。
あなたの他者への敵意、憎しみ、怒りは、生まれつきですか? 違うならそうなる原因があります。
あなたには、他者への敵意や憎しみや怒りがどこから来ているのかわかっていません。
私は、それがわからないままでは、いつまで経っても解決しません、と言っています。
あなたに意識化されるような無意識は、無意識と呼ばれるようなものではありません。
はじめから意識化できるものを意識化しても、一時の自己満足だけで無駄な努力です。
あなたは、きっとこう思っているはずです。私たちは「自分を見つめていない」から、
本来もっている他者への敵意や憎しみや怒りに気づかない、と。
このような投影による転嫁をくりかえしても、なにひとつ解決しません。
というより、問題は記憶ならざる記憶ではなく、あなたには原因がわかっているのではないですか?
あなたの他者への敵意や憎しみや怒りが、本当はそこから来ることを知っているのではないですか?
819 :
バカ女 :2012/05/01(火) 23:20:17.74 ID:Cl66u/Gn
>>681 >バカ女さんの「物語」は過去を消せますか?
やっぱり本当は、過去が、原因が、わかっているのでしょう?
私が提案しているのは、過去を消すことではありません。
主体のものにならなかった記憶を主体のものにすることです。
主体の過去にならなかった記憶を、主体の過去の記憶にすることです。
>それゆえに統合ではなくオンオフにしか救いはありません。
あなたの問題は、他者への憎しみや怒りをどうすることもできないことです。
体、感情、各社会、家族など、表層の矛盾を解決しても原因がそのままなら、
憎んだり怒ったりを自動人形のように続けなければなりません。
問題の原因が過去にあり、その過去をあなたは想起できるのでしょう?
その過去の経験を話してくれないと、一緒に考えることができません。
>ひっくるめて表層意識に持ってきたら、混乱で気を失ってしまうでしょう。
つらい経験をされて来たんですね。たしか前スレにも書いてありました。
どうやったらあなたと一緒に考えていくことができますか?
>潜在意識全てをオンオフできる覚醒があるという人がおり、
「私という意識」や「私のもの一般」を切り離すことはできますが、
潜在意識全てというのは、むずかしいように思います。
少なくとも感覚遮断するのでなければ、オフにしたことにはなりませんから。
それに意識されない潜在意識を意識できる超越的意識の存在もあやしいです。
身体に存在根拠をもたない魂のような存在を想定しているのと同じだから。
820 :
バカ女 :2012/05/01(火) 23:22:44.53 ID:Cl66u/Gn
>>704 >広大な潜在意識が世界像を作り、表層意識によって思考する。(よって表層意識は潜在意識に支配されている)
「広大な潜在意識が世界像を作り、表層意識によって思考する」と
「表層意識は潜在意識に支配されている」は、別の事柄ですから「よって」にはなりません。
潜在意識が表層意識を作っているのでなければ、支配することはできないということです。
>表層意識、無意識的な欲望から始まり全ての潜在意識思考をオンオフでき、
>また外界に誘発されてひとつの思考にのっとられることがない。
>思考より上位である意識の存在がないと基本的に袋小路であり、
そもそも意識は思考ではありません。
また、思考そのものは中立的であり、感情的色彩を取り除くことが可能です。
言語的判断でもなく、本能的判断でもないオンオフの判断が可能であるためには、
身体を超越している存在者、たとえば魂の存在を承認しないかぎりは不可能です。
>そして、思考より上位の意識?覚醒?は思考への執着を手放すことによってしか見出せない。
その意識は、超越的意識ではなく、魂でもなく、あなたがよく知っている意識です。
ちなみに、意識は見出されるのではなく、というのも見出されたのでは対象化が避けられないからです。
通常、対象化は、思考作用によるモノ化のことですから、これでは思考を手放したことにはなりません。
ですから、そうではなく、感情や思考の働きを一時無効にすることで、意識そのものが残存するのです。
オンオフは意志がおこなっているのですが、すでに思考や感情が無効にされていますから、
あたかも意識によってオンオフが実行されているかのように錯覚されてしまうのでしょう。
というより、すべてがあるようにあり、起こるように起こるという事実を、ただ静かに清明に観ている
あるいは、そのような状態を保っている、と言ったほうが実態に近いと思います。
821 :
バカ女 :2012/05/01(火) 23:55:21.21 ID:Cl66u/Gn
>>681 >また、バカ女さんがいう主体は私の言う表層意識のことではないでしょうか。
意識は意識できないので影を仮構します。それが自己です。
意識は意識できないから意識に対峙する何ものかがいないと成立しません。
何ものかが主体として意識されてはじめて自己意識(自己認識)が成立します。
意識の主体として対象(世界)に向き合うのが自己ということです。
自己意識は、意識が意識を意識することではなく、意識が自己を意識することです。
この自己意識が「私という意識」です。
意識の経験は、反省作用によって自己という世界に内包されます。→「私のもの」
意識そのものは、自己という世界に内包することができません。(対象化できません)
世界に内包するという作用がないので、自己を意識する意識は自己には封印できません。
意識があるかぎり(意識の自己化/対象化が繰り返され、玉ねぎのような入れ子状に
多層化してしまうので)自己は自己として完結しません。
意識にしてみれば、(原理的には)自己も他者同様の対象者にすぎません。
自己が他者化しない理由は、意識の主体として自己が措定されるからです。
いいかえれば、言語の思考(モノ化)作用により、「存在しているモノ」として
この世界の中に位置づけられざるをえなかった意識が、すなわち自己だからです。
自己とは、意識そのものが対象化されないことからくる存在の影とも言えます。
意識そのものが対象化されないために「存在しているコト」に気づかれません。
対象化されない意識そのものが「存在しているコト」が、意識の存在の影です。
意識の独存(独一、独在)性は、存在の比類なさへの意識の重ね描きによる幻想です。
思考は、存在の比類なさを取り逃すと同時に、必然的にそれを読み換えてしまいます。
独存とは「私という意識」や「私のもの」を捨て去ることによって結果的に招来される
個の超越という境位であり、普遍(存在)からの徹底的な離反によって実現可能ですが、
まさにそれゆえに(自己や他者の実存からは自由になりますが)愛なき不毛な境位です。
822 :
バカ女 :2012/05/02(水) 00:03:09.46 ID:8OPbLI3z
>>821 あなたが言う表層意識、潜在意識、超越意識(主体を超える意識)は、
私の表現では、(意識は意識できませんから)意識されない意識そのものが超越意識、
自己意識が表層意識、記憶ならざる記憶および生の形式が潜在意識に相当するでしょう。
ただし、オカルトに援用されるような分析心理学の解釈とは距離を置きたいと思っています。
生の形式とは、たとえば二足歩行、言語の獲得など、学習や訓練だけでは身につけられない
先天的な能力が介在していると考えられるものと、歴史、伝統、文化、習俗、道徳、教育など
たとえ無自覚であれ、後天的に習得されていくものとに二分されると思いますが、
どちらにしろ、それらに従うか否かではなく、それらを自覚できているか否かが問題になります。
たとえば、心(内面)、私(人称)、時間(時制)、空間(場所)、様相(可能、現実、必然)、
論理(因果)、意志(自由)、感情(喜怒哀楽)など、疑われることが少ないこれらの想定が、
まさに私たちの生の形式による仮構的創作であることに気づくことが、自覚するということです。
上記以上に自覚されていないのは、生きていること、存在していること、そのことでしょう。
あまりにも乖離しているために、それ自身でありながら、それ自身であることができません。
これを称して存在忘却と呼びます。
現象には、存在(生命)の裏づけがありますが、存在(生命)は現象しませんので、
現象に伴われているリアリティを通じて了解されるしかありません。
しかし、ネガティブな現象にともなうリアリティは、苦痛へのリアリティですから、
苦痛に耐え切れず、それを記憶ならざる記憶として隠蔽してしまうこともあります。
生きていくために「主体の記憶にしてはならない」と脳が判断したのだから
それを「主体のもの」にする作業を強制するつもりはありませんが、
それでもそれを行わないかぎり、いつまで経っても忘却された苦痛(記憶)に
付き纏われつづけることもまた事実なのです。
でも、あなたは本当は原因(過去)がわかっていますよね?
823 :
バカ女 :2012/05/02(水) 00:06:15.54 ID:8OPbLI3z
>>822 「意識されない」ことは、特別な事態ではなく、むしろそれが常態でしょう。
意識しながら何かを行うことは、むしろ特別な事態にかぎられるでしょう。
忘却された苦痛もまた「主体ならざる主体」になって生きつづけなければなりません。
でも、もし記憶が無意識の沈むだけなら、問題は起こらないのではないでしょうか?
なぜなら、過去を生きることはできないし、過去が生きることもないだろうからです。
心理学では、あたかも抑圧された記憶が、ひとりでに活動するかのように説きますが、
いったいどのような根拠にもとづいているのでしょうか。(おそらく無根拠でしょう)
私が知るかぎり、これにヒントを与えてくれるのは、脳科学の知見です。
脳科学では、私たちが「私という意識」によって自分と信じている主体を「言語的意識」と呼びます。
つまり、「非言語的意識」が対概念として想定されていますから、
この時点で「言語的主体」と「非言語的主体」が、すでに考えられています。
ですから、「主体ならざる主体」を「非言語的意識(主体)」と仮定することができます。
たとえば、解離性同一性障害(多重人格)が可能であるとすれば(批判が多くあります)
そもそも人格の同一性が、他の人格の抑圧によって仮構されたものである可能性が出てきます。
つまり、「言語的主体のもの」にならなかった記憶は「非言語的主体のもの」になっていると
想定することができるのです。
脳科学では、人格の自己同一性は、前頭連合野の異常によって保てなくなると考えます。
たとえば、コギト「我思う」の働きに相当するとされている前頭前野に位置する46野は、
3つのサブ領野群から構成されていて、それぞれが相同の働きをしていると同時に
個別の「我思う」の働き(感情の制御の仕方、個別の記憶へのアクセス)を担っている
と考えられています。
つまり、左右脳 × 3つのサブ領野群 = 6つのサブ領野群およびその組み合わせを
それぞれに個別の「我思う」の働きの可能性として考えることができるわけです。
824 :
バカ女 :2012/05/02(水) 00:12:17.63 ID:8OPbLI3z
>>823 脳の正常な状態とは、それぞれの領野群がお互いに協調して統合された状態を指します。
他の人格でもありうる可能性の抑圧により、あたかも唯一の人格が存在するかのように
仮構された「自己同一性」を保つことが、脳科学における正常の概念になります。
たとえば、均衡状態が破れて、それぞれの領野群がお互いに協調しなくなり、
独立して振る舞うようになれば「多重人格」が発症する、というように説明されます。
このように私たちの脳は、さまざまに独立分化した機能を「自己同一性」の働きによって、
「同じひとりの私」に帰属させて統合しているのです。
とは言っても、私たちが日常「私」と信じているのは、左脳側の「言語的意識」であって、
右脳側の「非言語的意識」ではありません。
たとえば、癲癇の治療で左右脳を連結している脳梁を分断した分離脳患者では、
あたかも左右の脳に別々の「私」が宿っているかのような状態になります。
右脳にのみコップを見せると、患者(言語的意識)は、何を見たのかを語れません。
「何が見えますか」と聞いても、「何も見えていない」と答えてしまいます。
しかし、それを手に取るように指示すれば、左手(非言語的意識)がコップを手に取ります。
つまり、言語による思考作用(対象の認識機能)が左脳に偏在しているために、
右脳に入力されたコップが脳梁を介して左脳に伝わらないかぎり「コップは存在しない」のです。
無意識へと沈められた記憶は、それが記憶でありかぎり「主体のもの」として刻まれます。
「非言語的主体のもの」あるいは他の可能的「主体(人格)のもの」になるのでしょう。
解離性同一性障害においても、人格と記憶は一対一対応しています。
記憶は「主体のもの」になるようになっているのです。
生きられる主体が、少なくとも可能性において単一ではない以上、
「主体のもの」にはならなかった記憶は、言語的意識からすれば無意識に他ならない
主体ならざる主体の記憶になるのでしょう。
主体ならざる主体は、言語的意識が拒絶した記憶を基盤にして生きるしかありません。
これがあたかも抑圧された記憶が生きているかのような図式の正体ではないでしょうか。
825 :
安堂 :2012/05/02(水) 00:29:53.93 ID:yCf1apzn
これは某禅僧の言葉だが・・・ 〜がない。つまり、「無い」というのは、 「無い」というものが「ある」のと同じことなのだとか・・・。
>>825 言語的思考ではそうだね。
「無」ってホントは「何も無い」って意味のはずなのに
言語的思考では「無」をあたかも存在するもののように扱ったりするもんね。
827 :
安堂 :2012/05/02(水) 00:40:43.34 ID:yCf1apzn
>>785 >安堂も「自分が誰か?」分かってないから参考にならないぞ
>>これはある意味永遠の謎かもしれません
「キサーゴータミーの譬え」を知っていますか?
我が子を失った母親キサーゴータミーは子供の死に嘆き悲しみます。
母親は我が子の亡骸を抱えたまま、生き返らせてくれる人がいないか探し回ります。
ゴータマさんに会うと、なんと「生き返らせよう」といいました。
ただし「死者を出したことのない家族からカラシ種をもらってきなさい」ということでした。
母親は次から次へ死者の出ていない家を探しまわりますが、まったく見つかりません・・・。
そして、彼女は知るのです。生まれた者は皆必ず死ぬのだと・・・。
828 :
安堂 :2012/05/02(水) 00:57:34.04 ID:yCf1apzn
http://www.youtube.com/watch?v=ldSoKfFYKqM この動画は以前みたことあったが、
一昨日の夜中にテレビでやってた・・・。NHKだったのか・・・。
脳卒中で悟りを開いたらしい・・・。
右脳と左脳の世界があって、右脳の世界はすばらしくて、
すべての人間関係やらのストレスから解放されたとか・・・。
本人は右脳世界に入ったり出たりできるようになったらしいけど、
脳卒中から回復するのに8年もかかったようだ。
脳科学の視点からもおもしろい記録だ。
829 :
神も仏も名無しさん :2012/05/02(水) 01:00:06.21 ID:eQ91WHlu
≫これほど不自然な生き方はありません。不安も安心もないような生は人間の生ではありません。 自分でもこれは表現に疑問がありました。生き方ではなく在り方でした。 私の普通の人のバカ女さんの在り方においては彼らの生き方は不自然です。 しかしかれらが生死が無く得失が無いような在り方をしていれば、生き方もまたかわってくるでしょうし、 また同じ生き方でも認知も内面も全く異なるものになるでしょう。 あなたはあなたのあり方で判断していることに無警戒です。 ≫あなたには他者への敵意や憎しみや怒りが顕著です。 個人的な記憶への執着や、体への執着は即世界への敵対であったり、他者との対立を生みます。 これは個人であることの必然であり、あとはそれをかわすなり抑圧するなり、また「社会の価値観に乗っ取られて自分自身を憎んだり」してかわす事ができるだけです。 顕著と申されますが、私はありふれたそれを持っているだけです。順応と自己への憎しみが薄い分、他者や世界との対立の分量が多いです。 顕著と申されますが、顕著であるゆえんがわかりません。 バカ女さんのほうが表面的には敵意を表現されてましたし、自己の憎しみを放り出して「あなたは」というのは不思議です。 基本的に人は自分自身の潜在的な憎しみ、そもそも潜在意識のほうが広く、「潜在意識の憎しみは表面意識と違い常時活動している」 を認知することは困難です。だれもが自分のそれを他者に投影します。 私は投影された憎しみには責任が持てません。私の表面的ではない、私が即憎しみであることに困っていることができるだけです。
830 :
神も仏も名無しさん :2012/05/02(水) 01:02:15.90 ID:eQ91WHlu
≫主体の記憶にしないと 主体の記憶にしたら常時何かに憤慨していないといけないから大変なので、人は抑圧しないといけない。 要点は、人は価値判断を捨てることができない、価値判断を忘れることができないということです。 それは他者や世界と対立し、しかも、自分が持っている複数のそれ同士対立します。全部同時に表層意識に持ってきますか? またあなたはそれを主体にもってくればといいますが、もってくるまでもなく潜在意識が主体の土台です。 表層意識とは外界に刺激されて今主導権を握っている価値基準であり、それはさっきまで潜在意識であったものです。 つまり要点は、これが無意識に起こり各価値基準に順次のっとられる人間は、外界に左右されてあるときは愛し、あるときは憎むのです。 愛憎であり、慈悲ではないのです。 ≫意識は意識を捉えられない 意識が捉えられる無意識は意識の一部でしかない であるならばバカ女さんの仰ること、やっていることも全く無駄のようにも思います。 覚醒とは、潜在意識(経験と感情から作られる世界)と表層意識(外界の刺激から主導権を握った価値基準や表出した感情) 全体にただ覚めていることをいいます。 ただ覚めていれば、潜在意識にある価値基準は静まり始め、それは自我そのものが静まり始めることを意味し、潜在意識と表層意識の葛藤も緩みます。 また価値基準に支配されそれが表層意識を乗っ取り、無意識になってしまうことも避けられます。 覚醒はなにか決断したりする機能ではなく、その主観的な世界観を緩め、主観的な感情を緩め、 自然なふるまいと穏やかで快活な感情表現が起こる隙間を確保するものです。消極的なものなのです。 それに覚めるには、覚めることであるには あなたのいう意識や思考をゆるめてそれを去ることです。
831 :
神も仏も名無しさん :2012/05/02(水) 01:02:41.91 ID:eQ91WHlu
≫バカ女さんへ 3投目 さもなければあなたはあなたの経験を前提とした言葉を使って他者とすれ違っていることに気づかないでしょう。 私はバカ女さんの主観や世界観をつかめていないことをわかっています。 また憎しみにも気づいています。何度自己申告したことでしょう。 気づいているから私は日常でも憎しみを露にすることは殆ど無く、憎しみの感情も起きません。 自分が憎しみそのものだと気づいておりそれが表面にでて事態を悪化させ他者を傷つけたり、自分の表面の感情を乱したりさせないのです。 そして自分が憎しみそのものだと気づいている覚醒は憎しみではない。 逆に言えば、それ以外はすべて自己の経験への執着であり外界への恐怖や憎しみである自我の「派生物」に過ぎないのではないでしょうか。 ≫どうやったらあなたと一緒に考えていくことができますか? 異なる経験を蓄積し、異なる世界観を持つあなたがどうやって私と共に考えることができるでしょうか。 私は自分がそれをできないことを知っています。 異なる経験を蓄積し、異なる世界観を持つ両者が互いに貢献できることは、そのかかわりを通じて自分の主観性を、 しかも主観性の苦しみ、主観性ゆえの世界への恐れ、他者への憎しみを理解してゆくことです。 自己の主観を暴いて行く旅の内にだけ、他者と同様の体験をする可能性が含まれています。 宗教とレッテルを貼る必要は無く、思考を休ませ、意識を休ませ、先ほど述べた覚醒が訪れるのを待っていて見てください。 その非行為のうちに私と似たような(どこまでも同じではない)喜びや苦しみやそのどちらでもないものを体験なさったり、理解なされることでしょう。 客観的な存在に還れば客観的に他者の体験や世界観を内部で再現できるかもしれません。
>>828 安堂も左脳とその言語中枢を失えば悟れるかもよ。
俺は御免だけど。
文章をいっぱい書ける人って尊敬するなぁ。
834 :
安堂 :2012/05/02(水) 01:12:21.93 ID:yCf1apzn
>>832 まあ莫迦女史の話だと脳梁をぶった切らないとだめらしいな・・・。
脳梁は男性より女性の方が太い。
ゲイの脳梁は女性と同じくらいらしいと解剖でわかってるらしいので
俺も左脳と言語中枢を失うわけにはいかんな。
言語中枢失ったら人間じゃなくなるし・・・。
左脳が死んだら右半身が動かなくなるじゃないか・・・。
某終身名誉監督みたいになりたくない・・・・・。
やはり悟りは無理か・・・。
というか悟った人なんか元からいないんじゃないが・・・。
>>834 >悟った人なんか元からいないんじゃないが・・・
悟り自体有るのか無いのかハッキリしないし
宗派によっては元から悟ってるってところもあるみたいだから
悟りは気にしなくてもイイんじゃないか。
もっと別のアプローチから考えようぜ。
836 :
安堂 :2012/05/02(水) 01:31:14.14 ID:yCf1apzn
>>835 やはりね、脳科学的アプローチが最も宗教性を排除できる科学的なものだと思うよ。
まあ脳科学も絶対的ではないし、解明されてないことが多すぎるがね・・・。
澤口とか茂木とか養老あたりの書籍を読めばいいと思うね・・・。
その他のアプローチは「板挟みにさせる」みたいのがある。
一つの見解ともう一つの見解が、真っ向から対立していて、
自分の中でもその両者の意見が対立してしまうというジレンマを作り出す・・。危険かね。
それは被験者がどちらか一方の見解に偏向して党派心を持つようにしないことだな。
そうなると被験者が政治思想の勢力争いの片棒を担ぐようになってまうからな。
あくまでもジレンマは被験者本人の中になければならん。
>>836 脳科学かぁ、脳科学は面白そうなんだけど
行き着く先がオカルトとか宗教っぽいんだよな。
最初は科学的根拠があるのに、そのうち主観が入りだして
最後は信じなさいだったりするもんな。
838 :
安堂 :2012/05/02(水) 01:37:09.67 ID:yCf1apzn
ただこういうのは条件があってね。「その人に依る」ということ・・・。 これはどういうことなのかというと、その人がーそうだな、 白黒ハッキリつけなきゃいられないって人いるじゃない。 そういう人の場合に限る。哲学なんか典型的にそういう人向けで、 曖昧を一切赦さず何もかも厳密に明確な断定とその証拠を求める人・・。 自然科学だと、〜の定理とか、〜の法則があるけど、 どうしてそういう法則なのか?という疑念すら晴れないくらいの人。 「そうなってんだからしょうがねぇだろが!」とか通用しない人だな。 そういう人ってあまりいない。というか希少価値が付くぐらいいない。 俺もそうじゃないしね・・・。
俺も適当でいい加減な人間だからなあ。
840 :
安堂 :2012/05/02(水) 01:49:55.03 ID:yCf1apzn
>>837 それはしょうがないですね・・・。
風見しんごさんというタレントなんか長女を数年前交通事故で亡くして、
自分が何を悪いことをしたのですか?と問い詰めるくらい憔悴したらしい。
そういった大不幸というのは、大抵は「何故」となるわけですね。なぜ「私の娘が?」と。
周りの人も「偶然です」とか「運が悪かった」とか「そうなる運命だった」なんて言えませんよ。
「そうだったんだからしょうがない」なんて言っても納得するわけないんですね。
そこで出てくるのが「宗教」とすると、『神』や『佛』などの超越的存在を持ち出しますね。
神による定め。佛のお呼びとか。それでそこに引っかかると、「神仏」という超越的存在の
決定事項ですからしょうがないと引く人もいるわけです。
そんなの信じられるかアホ!っていう人は哲学者です。
人が生まれたら死ぬと決めているのは何者か?
何がピタゴラスの定理だ。誰がそんなこと決めてるのか?
私事であれば、なぜ私はゲイなのか?ということですかね・・・。
841 :
安堂 :2012/05/02(水) 02:11:33.73 ID:yCf1apzn
>>839 適当でいい加減な人間でいられるのは幸いなこってすわ。
俺なんかどうにもなりませんわ。ゲイだから死ねということになりますわ。
母胎内で性的嗜好が決まるのは確かだ、俺は幼稚園以前から男が好きだったからね。
でもそんなことは普通周りの親や家族やら周囲の人間に咎められて、おかしいとされるもんだ。
だから「お前はおかしい。女を好きになるのが普通だ。それが普通だ。お前はおかしい」と。
そんなのを植え付けられて育った子供は、「そういうものかなあ」と無理矢理自分を納得させるようになるが、
その後、中学性ぐらいになれば二次性徴で真実を知るだろう。まさに青天の霹靂で
自分がこうだと思い込まされていたことが自分によって揺り動かされる。自分大震災だ。
性教育も満足にない日本では尚更だろう。ゲイならオネエ系とかいうテレビ向けのしかいないし。
ゲイは振る舞いは男性なら男性の人が殆どであり、あからさまにオネエ系なのはテレビ向けのキャラ造りに
すぎないことだ。
自分がゲイではないかとう疑念が走っても、それを否定する方向に猛発進するしかない。
自己否定をして、そうではないのだと自分に嘘をつき続け、中学でも高校でも形成された自分像と
本来の自分は全く別。おかま野郎ホモ野郎は侮蔑対象の代表格であるところを自己欺瞞と欺きで
生きねばならない。
842 :
神も仏も名無しさん :2012/05/02(水) 02:23:06.83 ID:N2nHQ+12
>>バカ女さんへ 4投目 ≫初めに(今更) 私が述べていることはそれを理論化して、知識として、イメージとして蓄えるためにあるのではなく、 その全体の文脈を受け取ることにより実存、表層潜在意識全体にショックを与えて覚醒の一助とするために語っています。 理解すれば語ることはできますが、語って理解を伝えることはできません。 触媒であり、冗談であり、歌であるようななにかです。 だから私はこう考えることによって何々の理解に達したということではありません。 考えないことで、記憶の総体である自己そのものが少し緩み、その後考えるとぜんぜん違う考えが出てきます。 その後考えるとをやめればもっと進みが速いというのはよく言われますが、いろいろ足場を固めないとだめなのかもしれません。 ≫「思索の次元においては特に問題は見当たりません」 解釈はいろいろ可能です。 これは、普段バカ女さんが親しんでいるフィールドでお答えする限り特に反論の余地の見当たらないことです。 ですから、それとは違うフィールドや次元でお答えするので話がそれているように思うかもしれませんがご了承ください。 という意味でしかありません。 思索が自己認識において無意味だという主張をしている人間があなたの言う意味でこの言葉を出すはずはありませんので、もう一呼吸おいて読解願います。 相手の文脈に沿った解釈をせず、部分的にあなたの独断で解釈してそれに反論されても困るのですが、 しかしこれは私を含めて誰もが悪気無くやってしまうことなのですよね。 むしろ愛情と正義感に駆られてやるところがあります。 ということは主観的な愛情や正義感は、客観的に見ると自己投影や憎しみでしかないということかもしれません。
843 :
安堂 :2012/05/02(水) 02:26:23.87 ID:yCf1apzn
しかも、女と付き合わなければならないなんて最悪の事態だ。(あれはどうする?) 好きでもないのに周りを欺いてつきあってんだぜとか感を醸し出すのかアホって感じで。 人生の全てがウソになる・・・。私の人生はウソで出来たものだ。 私は何故ゲイなのだろうか?私をゲイにしたのは誰か? 親なのか?だが隔世遺伝とかも考えられる。遺伝子の浸透率にも環境にも左右される。 それを左右するのは神だ!神仏を怨んだことは数知れずあった。 人のせいにしたが、なんで俺のせいになるのだろうか? 「選択の結果です」とかいう連中もいたが、お前が異性愛選択したのか?と聞いたら黙ったので 単なる宗教者だと斬り捨てた。 不幸だけ並べるなら他にもありすぎて書ききれない。 もちろんその不幸の分の対をなす絶頂の幸福もあるが・・・。 こういうことは普通喋らないのが現代社会らしいなあ。なんか恥とされるらしい・・・。 そうなると独参やカトリック教の告解は増えるかなあ。 まあ、それ以前に救急隊としてのメンタルヘルスの部隊は増加すること間違いなしだろう。
今回のバカ女さんの書き込みはすごい。鋭い分析だね。 680さんって473の名前で書き込んでた人ですよね? 自分もいつも何かに敵意をもって怒ってる印象を持ってる。 独存を愛なき不毛な境位っていっちゃうのは女性だからでしょうね。 やっぱり女性っていうのは愛志向というか誰かから愛されてナンボなんだろうね。 一人でいてなにが楽しいのっていうw独存に価値を見出すのは男性ってことでしょ。 バカ女さんよく分ってるしそこまで言語化して表現できるのすごいと思うよ。
845 :
安堂 :2012/05/02(水) 02:42:22.22 ID:yCf1apzn
ネカフェの経営はぼちぼちですか?
846 :
安堂 :2012/05/02(水) 02:50:19.28 ID:yCf1apzn
ああ、私は途轍もない悲しみいるのです。同僚にあしらわれ、嘲笑され、 いるとこも無きに等しいです。 わたくしはやはり救われないのでしょうか? なぜですか? やはり「神」という超越的存在を導きます。 何も答えられない・・・。 悟りを開いたスレなどは、 キリスト教へ改宗させるための 予備スレであったと思っています・・・。
847 :
安堂 :2012/05/02(水) 03:03:41.35 ID:yCf1apzn
方々よ、陣痛は女人にとって痛いものであろうが恐れることはない。たかが陣痛力ぞ。 メンタリストのdaitoなる者もいる時勢ぞ。 我々も引き下がりましょう。 私が欲するはその工作に非ず、真理であると。 君よそうではないか?
848 :
安堂 :2012/05/02(水) 03:20:47.50 ID:yCf1apzn
849 :
安堂 :2012/05/02(水) 03:32:09.68 ID:yCf1apzn
なんだよ イルミナティの配下かよ 知らねえ・・・。
850 :
安堂 :2012/05/02(水) 03:44:32.23 ID:yCf1apzn
日本国内の宗教しかシランのか? 何の意味もなさんわ・・・・・。 おお我が翼よ、この無意味を笑い飛ばすことになろう・・・。 バカか・・・。2ch内なら任せる。勝手にやってくれ。
851 :
安堂 :2012/05/02(水) 03:49:12.76 ID:yCf1apzn
一人一教とは常識にござるぞ。 悟りなんか恐れるな! お前はお前を逝け!
852 :
安堂 :2012/05/02(水) 04:02:14.34 ID:yCf1apzn
結局は自作自演だかなんだしんねんが、 江戸っ子をなめてんだな! ざけんなてめれてか もしらんぜりょあsちせtじぇおpw:
853 :
安堂 :2012/05/02(水) 04:07:10.71 ID:yCf1apzn
854 :
安堂 :2012/05/02(水) 04:10:31.72 ID:yCf1apzn
855 :
安堂 :2012/05/02(水) 05:00:32.90 ID:yCf1apzn
春こいと 木の陰の想い ますますと by勝利 爆発だ
856 :
安堂 :2012/05/02(水) 05:08:09.13 ID:yCf1apzn
まあ気sをつけよ それの九条家えだから あらんとあそししえあが 防壁のランペキの和蘭オタクを承認してる たわけ。なんたる 手落ちか。揺る三ぞそのかこん
857 :
神も仏も名無しさん :2012/05/02(水) 06:36:02.97 ID:ZgTh6mJM
>>バカ女さんへ 5投目 340や173に述べたように、何かを愛すれば何かを憎む。 他人を愛すれば自分を憎む(自分自身の不足感を作る)。 というのが愛憎という私たちが持ちがちなありふれたものです。 愛の反対が憎しみなど述べておりません。私たちは愛憎に生きていると述べていました。 一瞬自他の境界が無いような境地を見出すかもしれません。 それこそ至高のものとしての「愛」なのでしょう。「愛」と愛憎は全く関係の無いものです。(「愛」を私は慈悲と便宜的に名づけてあります。) しかし、自己保身と記憶と価値判断の総体から来る愛憎と「愛」はよくよく混同されるのです。 「愛」を見出した人であるほど、私たちが囚われがちな愛憎の方のメカニズムに気づくのが自然です。 スタート地点、現状を飛ばして何を語るのでしょうか。 愛憎から脱したときだけ、価値判断の蓄積の影響から脱したときだけ、「愛」の可能性があるのではないでしょうか。 孤立した自我がが一体感という夢を見ているだけということがよくおきるのです。 愛の夢を見ただけかもしれない、もしくは一時的に「愛」と邂逅したかもしれない。 ですが、私たちの殆どの時間は愛憎の世界に閉じ込められており、その自覚が肝要です。 バカ女さんは実存が「愛」そのものである割合が多いか、すごされる時間の殆どですか? 一瞬何かの折に、何かをしているときにそういったスペースに入ることはあるでしょう。 しかしそれが主なるものになって人生を生き切るのは全く別次元のことです。 むしろ人はその一瞬の「愛」ゆえにそれ以外の時間において自他においてなおざりになり、敵意や憎しみを発散するということがよくあるのです。 自分自身ははその全体において理解する必要があります。 いや、生全体に変容が無いような「愛」は自我が作り出したもっともらしい夢であり、自我を強化するものでしかないかもしれません。 だから私は「愛」を軽々しく語らないのです。
858 :
神も仏も名無しさん :2012/05/02(水) 06:36:18.42 ID:ZgTh6mJM
≫敵意
でしょうねえ。個人的な経験や理想があり、それが共有できない相手、共感ができず誤解しあうだけの相手、
また、いつ命を奪うかもしれない外界を恐れて憎んでいますから。
ただこれ、このスレにいる全ての人間が全ての他者に敵意を見ています。
(フィーリングが似ていて共通の他者に敵意を投影している場合除く。)
他人に敵意を感じる=自分は敵意を持たず生きている と思ったらそれは逆で、
自分に敵意が無いときは、他人はただただ意味の無いことにおびえているように見えてきたりするのではないでしょうか。
すると自然と温かい言葉をかけずにはいられない、のではないでしょうか。
私は嘘つきたくないのでその振りはいたしません。
>>844 だから客観的に分析するというのはとても困難です。
バカ女さんもあなたも決して自分に見ない。
共感できない人同士がもつ潜在的な敵意というのはあまりにありふれています。
このスレの全員に私は見ますし、スレ主も普段から抑圧して見えますし、彼は腐りきっていないから
それをある程度表現してくれたこともあります。いい人ぶったら自分自身の現実と出会えません。
あなたの文体からはおびえと敵意が、内容からは投影と批評による自己逃避が伺えます。
私は憎しみで、それに気づいていて、、さて私は何者でしょう。
いや、本当に憎しみそのものとであったら、敵を殺すか、憎しみを捨てる=私が死ぬかの2択を突きつけられる。
道徳を捨てれば私たちは憎しみだ、「憎しみという私を捨てる準備」、が無ければ道徳は不可欠だ。
>>788 >生きていることに意味を持たず今生きていればどう生きてもいいことになる
神:画用紙とクレヨンは用意しといたから好きな絵を描いて遊んでね
>>789 >竜がなにか言ってたの?
竜自体がメッセージだったのかもしれません
>>790 そう、私達はいつも無色を見ているのにそれに気づかなかったりしますね
同様にいつも無音を聴いていてそれに気づかず
同様にいつも今ここに在るのにそれを求めたりするのですね
海の中で海を探す魚の話がありましたね(笑)
>>790 >悟りの色は何色でしょうか?
フルカラーに3000点!
無色透明に1000点!
不明に500点!
の、三点買いで勝負!
>>858 >このスレにいる全ての人間が全ての他者に敵意を見ています
「おはようございます、今日は良い天気ですね」
こんなありふれた挨拶すら敵意だととる人はとるでしょう
あまり思考を深刻に捉えないとゆうのも手かもしれません
無論この悟り子のレスも敵意と解釈する余地はいくらでもあるでしょう
言葉はとは元々そうしたものではないでしょうか?
このスレの住人って何かしら心に問題を抱えているのかな? でも悟りで心の問題を解決するより、 直接心の問題に向き合ったほうが解決は早いと思うけど。
864 :
神も仏も名無しさん :2012/05/02(水) 09:38:04.25 ID:iPkzp6DD
>このスレの住人って何かしら心に問題を抱えているのかな? wwwwwwwww その可能性は、かなり高そうだなwwwww
865 :
神も仏も名無しさん :2012/05/02(水) 09:54:26.94 ID:iPkzp6DD
>681 :神も仏も名無しさん:2012/04/30(月) 23:45:28.37 ID:/Qo4BKl7 >他のコトで他人に勝てないから、悟りという何やら凄そうなものを >手に入れて優越感に浸りたいんだろw 鬼スレで、こんなこと言ってる奴がいたw 「ギクッ」っとした人いない?wwwwwwwwww
何を言っとるんですか? この国は、神の国ですよ。 あんたら、が勝手に悩み、苦しむことは許されとらん。 アマテラス大神もスサノオ神もそんなこと望んでおられんよ。 ホトケもええが、この国は神の国であること、忘れんな!
>>859 画用紙とクレヨンのたとえはいいですね。
同じなら、いい色でファンタジックな絵を描きたいと思ったが、
相手がいるのでなかなかムズムズ(TT)
>>860 控えめに現れたので、遊びにやって来たかもしれないです。
>>858 >このスレにいる全ての人間が全ての他者に敵意を見ています
こうゆう全体をひとくくりにして判断を下す思考の先にあるのが彼我の対立ではないでしょうか?
民族、人種、性別、宗教宗派、思想、資本主義と社会主義、果ては趣味や性的嗜好、服装のセンスや出身地
学歴、年収、容姿、職業等の違いによる軋轢や対立や暴力や抗争や戦争
あらゆる人の造りだした分断の元にあるのが
「彼らは全てこうだ」
とゆう決めつけではないでしょうか?
しかしまー、悟ることが先決や。 ものごと見据えてなけりゃー、この峠はこせん。 今、日本が大変になってることは、皆さんお分かりだろう。 日本が大変なることは、世界が大変なること。 その自覚がなけりゃー、日本人とは呼べん。 キリストなんかに、うつつぬかしとる場合やないで〜 龍神様は、お怒りやで〜
>>862 言葉のない生き物を想像したらいいですよね。
かれらは愛や憎を行動でストレートに表現しなければならない。
愛はじつは憎だなどというウソが通用しない。
人間の場合は、言葉に翻弄され過ぎているのではないかと思う。
>>863 空と精神分析は車の両輪ではないだろうか。
中道は、中論24章18偈の「どんな縁起でも、それをわれわれは 空と説く。それは仮に設けられたものであって、それはすなわち 中道である。」から語られている。 これを図解すると、昨日の常見、断見の図と同じになるね。
>>863 >悟りで心の問題を解決するより、直接心の問題に向き合ったほうが解決は早いと思うけど
はい先生!
悟り子はそれが悟りだと思います!
人生どんと来い!
みたいな感じの在り方でしょうね悟りって
(o^∀^o)
有と無の扱いは、中論でも微妙なように思う。 この二つは、オンとオフのスイッチとして理解すべきものかもしれない。 我がある、我がない、のような使い方であり、述語ですね。
876 :
神も仏も名無しさん :2012/05/02(水) 11:46:56.74 ID:iPkzp6DD
「バカ女」と「473」は、基本、立ち位置は同じw 後は、マシンの性能比べか?www
>>874 >人生どんと来い!
>みたいな感じの在り方でしょうね悟りって
絶対的な価値を持ってるって感じでしょうね。
>>876 議論してる訳じゃなさそうだから
性能比べにはならないんじゃない?
879 :
神も仏も名無しさん :2012/05/02(水) 15:26:27.00 ID:iPkzp6DD
>>878 お互い、相手の見解の瑕疵を指摘しあってるんだから、同じことwwww
880 :
神も仏も名無しさん :2012/05/02(水) 16:56:40.37 ID:rbcJeK4H
>>862 ちょっと片側しか述べなかったのであまりにも重かったと反省しております。
他人が敵意を持っているように見えるのは自分が他人に敵意を持っているからなので、
自分が敵意を持っていなければただ人々はおびえて自分自身の空想と戦っているように見えて
自然温かな言葉が出るのではないでしょうか。
そして私からも出ないし、悟り子さんからも出ない。これが出るのは自分自身の敵意のメカニズムにさめていなければ可能性が無いのではないでしょうか。
自分自身の敵意に気づいている人だけが敵意から自由である可能性があり、その気づきは敵意ではありません。
また愛にあふれるほどに、自分の愛に無頓着になり自分の敵意にこそ気づくのではないでしょうか。自分の敵意に気づきもしないひとは無自覚に、婉曲に他者や世界を攻撃します。(私含めブッダ以外全員ということです)
自分の愛に頓着する人は愛の無い人ではないでしょうか。
その単純な挨拶に敵意を見るのは不可能です。しかし身振りやその感じに、個ー全体の対立からくる恐れ、恐れから来る敵意
を全くこめないでいることは困難でしょうし、また何かについて述べ始めればそれを出さないことも不可能でしょう。
まず、自分に見つけることです。見つけるということは、敵意でないものに目覚めるということです。
覚醒してゆくか、愛に自らを投げ込むか、敵意ならざるものに目覚めてこそ、自分の敵意を見ることができます。
また、自らが敵意そのものであり敵意から逃れられないことを痛感したときにだけそれは起こりうるともいえます。
882 :
神も仏も名無しさん :2012/05/02(水) 17:12:18.96 ID:iPkzp6DD
>切磋琢磨ではないですかね なるほどwww
レスの中には「うんこれはいい」と思うものもある。 たとえば「求めれば求めるほど、貧しい自分をますます意識してしまう」 みたいのがあった。これにはまったく同意するというか、 かってそう思い、今もそう思っている。
訂正 うんこれはいい → うん、これはいい うんこレスとは違うからね(^^)
レスの中には「うんこもれればいい」と思うものもある。
右のうと左のうのとうごうこそが、よがのごくい
887 :
神も仏も名無しさん :2012/05/02(水) 21:22:22.25 ID:PtbGgyGW
この連休中には悟りたい
わっほんとだ。これは吉兆ぽい。
天台宗の三諦円融とか一念三千とかは、
空を言葉で表現しようとした歴史的労作なのだろうと思う。
しかし、空そのものは虚無だから、禅宗の不立文字の方がより適切である。
中論の縁起→空→仮→中の流れ(
>>873 )をよく読めば、
これらの相互関係を空間的に把握できるかどうかが鍵になっている。
891 :
神も仏も名無しさん :2012/05/02(水) 22:25:03.87 ID:PtbGgyGW
中論24章18偈はまるで時間の流れのように書かれている。 しかしそれは、空間的な関係として把握すべきものではないだろうか。 竜樹は四句分別を自家薬篭中の物として縦横に駆使する。 であれば18偈が、四句分別を前提にしていても不思議ではない。 むしろ逆に、そう読むべきものではないのだろうか。
892 :
神も仏も名無しさん :2012/05/02(水) 22:48:44.82 ID:PtbGgyGW
しつこいかもしれないが、愛憎(善悪)を四句分別しよう。 大きめの四角形は、虚無であり、空である。 その中に、愛と憎との二つの円を少し重ねて描く。これが愛憎の縁起である。 重なった部分が、言葉で生きる人間の住む世界になる。 人間は愛憎を同時に生きる矛盾した存在なのだ。
スマン、いい加減飽きてきた。
竜樹は言う。愛とか憎とかは仮にそう設定された言葉(名称)であり、 その実体は空であり、そう理解するのが中道であると。 ということは、愛しているとか、憎いヤツだとか言うのは、 単なる仮設(言葉・名称)であり、その中身はカラッポという話になる。 つまり、愛や憎の実体は、カラッポ、空、虚無である。
>>893 シツコクテゴメンネ スルーシテクレ ニッポンジンハ 2000ネン コノハナシヲヤッテキタノダネ
愛でもない憎でもないという領域は、二つの円以外の虚無ということになる。
これが大乗でいう空だということになる。
パウロ、ローマ書5.3〜4 苦難は忍耐を、忍耐は練達を、練達は希望を生む。
897 :
神も仏も名無しさん :2012/05/02(水) 23:51:51.09 ID:PtbGgyGW
我があるから我慢できない。我があるうちはダメだろうと思う。 忍耐することが悟りを得る第一歩かもしれない。 男なら我慢しなさい。
>>815 > 違ったみたいだね。
観念の否定だったらストライクじゃないがボールでもない
空の言葉だけだと何か意味不明だが
ま色即是空、空即是色から何かわかるけどな
>>826 > 言語的思考では「無」をあたかも存在するもののように扱ったりするもんね。
「無」を知らんようだな
>>860 > 竜自体がメッセージだったのかもしれません
そういえば、昔、龍神を祭っている所に写真が一杯貼ってあって、
透明のロープのようなもので表面にうろこ模様になっていて、
これが龍神だと書いてあった。
なんじゃこりゃ?ただの光の写り具合だろうと思っていたら・・・
その後、1ヶ月程して写真をとったら
それが左上に写っていて小さくうろこ模様がある、まあ、ただの光の加減だろうと思っていたら
またしばらく後の室内写真も写っていて、今度は身体の周りを、ロープ状のうろこ模様が写っている
カメラの調子で写ったのだろう
別の機会にもまたまた写っていて
どうやら、本当に何かがまとわりついているようだった
オレの写真の周囲しか写らないし
でそれ以来写真を撮るのが怖くなって
3年ぐらい後に撮ったら写っていなくでほっとしたことがあった。
それ以来、あれが写ることはなくなった。
>>861 > 海の中で海を探す魚の話がありましたね(笑)
?そんな物語ありましたっけ?人魚姫?
>
>>790 > 三点買いで勝負!
全部正解
>>889 > わっほんとだ。これは吉兆ぽい。
悟りって吉兆なのか
>>899 >「無」を知らんようだな
おや、「無」を知ってるような口ぶりですね〜
ホントに知ってるのかな?
903 :
安堂 :2012/05/03(木) 02:40:42.97 ID:HmkBPaNS
ゴールデンウィーク雨ばっかりとか最悪や! 真理は「我」が知る者に非ずやな! 何ものか真理を是知らんとす。 言わずもがな渠である・・・。
904 :
安堂 :2012/05/03(木) 02:58:14.18 ID:HmkBPaNS
平年より高かった・・・。待ってました。仙台育英高出。 でも中台有事が周辺GKだった九年にやっていたと・・・話すことが できました。それだけ山梨大学を見てから、初開催する全米で 面白いなと感じました・・・。人間の程度によって違います・・・。 だがアナリストしてました・・・。年間配当は従来予想を下回っている・・・。 平意見からの迷惑メールの攻城を謀ります・・。まだ足りない・・・。 背景には限りがあります・・。つまり2つのみんなで盛り上がっているときは 国内26ノ7。4位以下は一緒に歌いたいCo2もかっこいいな・・・。 リリースのアルバム人命よりも大切にしたいです・・。 初めてイメージが一塁に送られました。 目下方改定引いたら南無最高検・・・。同市内では問題ないです・・。 これからも長生きしてください・・・。五輪はありえない。
期待をするから腹が立つ
906 :
安堂 :2012/05/03(木) 03:14:17.76 ID:HmkBPaNS
見てて楽しいです・・・。あの2人いるということです・・・。 岡山理大府のはつらい彼から行う。ますます高まっている。 それ自体が異例だが、イルミナティはまだみんなやってない 喜びと話すが、まだまだ自分のボールが多かった・・・。 中でもあるイルミナティにだされることだったので話をしたらすぐ 消えてしまった。これでどうだ。慶光さんは山間部で先月見たけど。 監督とされる一方ありがとうですけど、これが亡くなった斉藤さん ならではの4位で本体で味わえなかった。そしてである、 東地区はメッツがリードしている。6ヶ国協議か・・・・。 調べでは割高でも、やっぱり来期の選手でした。その授与される ある日になるようなイルミナティが多いようです。 変わってそう思う・・・。
907 :
安堂 :2012/05/03(木) 04:24:36.29 ID:HmkBPaNS
まあ全部我が自作自演というものでござるよ。 ∧_∧ ∧_∧ (´<_` ;) ・・な、なんと見事な、 ( ´_ゝ`) / ⌒i / \ / ィ | | / ̄ ̄ ̄ ̄// ̄ ̄ ̄ ̄// ̄ ̄ ̄ ̄// ̄ ̄ ̄ ̄// ̄ ̄ ̄ ̄/ __ _/ Prius // FMV // VAIO // Mebius // LaVie /____ \/_/ ̄ ̄ ̄ ̄// ̄ ̄ ̄ ̄// ̄ ̄ ̄ ̄// ̄ ̄ ̄ ̄// ̄ ̄ ̄ ̄/ _ /ThinkPad //WinBook//DynaBook//Libretto // Presario/ \/_/ ̄ ̄ ̄ ̄// ̄ ̄ ̄ ̄// ̄ ̄ ̄ ̄// ̄ ̄ ̄ ̄// ̄ ̄ ̄ ̄/ _ / Inspiron //Endeavor//InterLink // Evo //Let'sNote/ \/____//____//____//____//____/ │ │ │ │ │ ┌─┐ └────┴────┴────┴────┴───────コ.│
908 :
安堂 :2012/05/03(木) 04:51:50.91 ID:HmkBPaNS
ゲイになれば悟りを開いたのも同じ。 これはマジです。 まあ頑張って下さい。 ゴールデンですよ、
>>871 >人間の場合は、言葉に翻弄され過ぎているのではないかと思う
海より深く同意します
心の苦しみの9割強は言葉による思考 定義 比較 概念 等が作りあげている感があります
言葉無しで生を体験すれば、全く別の感覚が得られるかもしれませんね
>>877 >絶対的な価値を持ってるって感じでしょうね
絶対的な価値等何も無い...とゆう言明にすら絶対的な価値等無い。
だから絶対的な価値を持ちたければ持っても良いのです
といった感じかもしれません
>>859 ←コレ
>>880 >ちょっと片側しか述べなかったのであまりにも重かったと反省しております
>自分の敵意に気づきもしないひとは無自覚に、婉曲に他者や世界を攻撃します。(私含めブッダ以外全員ということです)
さらに重くなってませんか?
>>880 >他人が敵意を持っているように見えるのは自分が他人に敵意を持っているから
そんな感じもします
人は自分の意識以外体験できないでしょうから
>>880 >自分が敵意を持っていなければただ人々はおびえて自分自身の空想と戦っているように見えて
自然温かな言葉が出るのではないでしょうか
悟り子が知る限りにおいて人は誰しも臆病なものです
程度の差はありますけど
それを我が身として許せるかどうかのことかもしれませんね
>>880 >そして私からも出ないし、悟り子さんからも出ない
人は自分の持っているものしか与えられませんものね
これは裏を返すと、誰も「貴方」に敵意など持っていないとゆうことではないでしょうか?
>>880 >自身の敵意のメカニズム
自我は私は正義、相手は悪、といった役割を振り当ててドラマを演じることに、ある種の充足感を感じるのかもしれません
アニメ 漫画 テレビドラマ等、単純化された正義の味方が主人公の作品も少なくないですね(笑)
>>880 >自分自身の敵意に気づいている人だけが敵意から自由である可能性があり
「また私は例のドラマを演じたいらしい」
と気づくことは癒しをもたらすかもしれませんね
>>880 >気づきは敵意ではありません
そうですね、そして意識の焦点を当てられたものは拡大する傾向があるようです
気づきに気づくことは自我の演じたがるドラマから自由になる助けになるかもしれません
>>880 >また愛にあふれるほどに、自分の愛に無頓着になり自分の敵意にこそ気づくのではないでしょうか
愛にあふれると自分の中の敵意にすらも敵意を持たなくなるかもしれませんよ?(笑)
>>880 >自分の敵意に気づきもしないひとは無自覚に、婉曲に他者や世界を攻撃します
何かを守りたいのかもしれませんね
>(私含めブッダ以外全員ということです)
ブッダを知っているのですか?
>>880 >自分の愛に頓着する人は愛の無い人ではないでしょうか
愛には自分用の愛や他人用の愛があるのですか?
>まず、自分に見つけることです。見つけるということは、敵意でないものに目覚めるということです
まるごと敵意の人間も珍しいのでは?
悟り子さんは今日暇なの?
>>880 >自らが敵意そのものであり
敵意そのものの人間等一人もいないかもしれませんよ?
その思考パターンは典型的な自我のオール オア ナッシングゲームではないですか?
皆さんその人の理解力の範囲内で愛を求めているだけなのかもしれません
>>880 >自分の敵意に気づきもしないひとは無自覚に、婉曲に他者や世界を攻撃します。(私含めブッダ以外全員ということです)
ブッダとゆう理想像が一体性を呼ぶか対立を呼ぶかは本人次第かもしれませんね
自他への赦しが分かれ道かもしれません
>>900 >?そんな物語ありましたっけ?人魚姫?
すみません、よく考えたら無かったかもしれませんm(_ _)m
>>921 >悟り子さんは今日暇なの?
はい
926 :
神も仏も名無しさん :2012/05/03(木) 12:44:46.18 ID:cUtRilZ8
預流果に悟ってしまったようなのですが、悟りの閉じ方がわかりません。
>>926 悟りを閉じるなんてもったいない。川の流れに身をまかせ、
ひたすら流されてください。
>>901 >悟りって吉兆なのか
IDが吉兆なのであって、悟り自体は至福の方ですかね
>>909 >海より深く同意します
恐縮です。飼ってないけど、犬や猫は全身で感情を表現しますよね。
それだけで癒される。ただ演技っぽさを感じた時もあります(^^)
四句分別の図を使うと、愛や憎を理解しやすいと思う。 愛と憎の円が重なった部分、人間は愛憎という矛盾を生きている。 愛でないものは憎であるか虚無(無関心?)である。 周囲の無関心は、見る人の気持ち、周囲への好意や敵意によって左右され、 それを愛に近いもの、あるいは憎に近いものとして感じとる。
形の無いもんを形にする意味はあるんかのー?
虚無は五感の対象にならないから、感じることも語ることもできない。 でも人は、何もないまったくの虚無をなんとなくわかっている。 有るとか「無い」とか言うのもそうだろう。いちばん近い体験としては、 手術で全身麻酔をした時の、記憶のない時間そのものだろうか。 時間が飛んでしまう。だから虚無を体験している?
愛とは虚無か? 憎とは虚無か?
>>931 人は虚無を知っている可能性がある。その由来は人の物質性かも。
そら、「虚無」と名付けた時点で知ってるだろw
愛とは精神的なもの(神・命)であり、 憎とは物質的なもの(宇宙・大地)だろうか。
「空」は「仮名」だって言ってるのに 言葉だけが独り歩きしていく。
938 :
神も仏も名無しさん :2012/05/03(木) 15:13:28.18 ID:cUtRilZ8
縁起を言い換えただけでしょ>空
愛があるなら、ここに出してみよ。 憎があるなら、ここに出してみよ。
>>938 縁起とは何ですか?
スーパーで買えますか?
941 :
神も仏も名無しさん :2012/05/03(木) 15:17:45.01 ID:cUtRilZ8
物事が相互依存関係で成り立っており、常に変化しているってこと。 スーパーで買い物するのも、買う人、売る人、売られる(買われる)商品やサービスがあって それらが関係しあって成り立つこと。 物でも事でも、縁起に依らないものはない。
942 :
神も仏も名無しさん :2012/05/03(木) 15:18:45.54 ID:cUtRilZ8
難しいことでも、簡単なことでも 複雑なことでも、単純なことでも 縁起に依らないものはない
失礼。虚無の由来は人の物質性ではないね。別の何かだ。 無関心の由来が人の物質性かも。
言葉を観ずに、縁起を観ろってこった。
945 :
神も仏も名無しさん :2012/05/03(木) 15:23:25.07 ID:cUtRilZ8
唯一、解脱(あるいは涅槃)だけが縁起(因果関係)からの脱却を意味するが 論理的に立証することはできない。 論理的証明とは、因果関係を説明するものだから。 ゆえに解脱や涅槃は信仰であり宗教なのだと思う。
946 :
神も仏も名無しさん :2012/05/03(木) 15:25:52.59 ID:cUtRilZ8
まぁ、お釈迦さまが嘘をつくとも思えないけど。
>>941 >物事が相互依存関係で成り立っており、常に変化しているってこと。
常に変化してるのに、物事が相互依存関係で成り立つって良く分かるね?
でも、縁起が分かって何かいい事ってあるの?
948 :
神も仏も名無しさん :2012/05/03(木) 15:36:22.51 ID:cUtRilZ8
わかるさ。 どんなたとえでもいいけど、 火で水を湧かすとお湯になったり蒸気になったりするの 日常的に見てるはずじゃない。
949 :
神も仏も名無しさん :2012/05/03(木) 15:37:16.48 ID:q/Lh7Bh+
≫悟り子さんへ ≫これは裏を返すと、誰も「貴方」に敵意など持っていないとゆうことではないでしょうか? 全くそのとおりです。私に対する反論や指摘などいつもいつもその人自身の投影です。 誰もが自分における外界における事実を恐れ、それを攻撃してるのであって私との出会いはありません。 ただ、その現実にあってその現実に嘆かないで自然な対話が起こるのを許すというのはなかなか難しいです。 人は全く分かり合っておらず独りであるということを受け入れるより、理解を期待してあい争うほうを選びがちではあります。 基本的に私は悟り子さんが反論されたことを述べておりません。 悟り子さんが読解した意味で私がそれを述べたのだとしたら私はとんだ馬鹿な事をいったもので、ひどい役を押し付けられたものです。 (例えば文脈を受け取れば、自身の愛というのは私は愛があるという自意識をもつという意味です。反して自分の憎しみに気づこうとすること(責めるのではない)は愛の態度ではないでしょうか) ≫全体の文意です 自己と世界が分かたれたものだというあり方が根本にあれば、自己は自然と対立し、死と対立し、他者と対立するでしょう。 その根本的なあり方から、喜怒哀楽、愛憎、あらゆるものが生まれますが、その本質は恐怖と敵意ではないでしょうか。 その生まれるものが敵意だけといったわけではありません。あらゆるものを生む自我の本質が恐れと敵意であると述べただけなのです。 逆に、自己と世界が分かたれたものでなければ、自然は征服するものではなく共に育つものであり、生死はあるがままであり意識されず、 また他者も意識されず、全体性の統一の中で与え受け取るでしょう。 そういった在り方をする存在にも喜怒哀楽、愛憎があるでしょうけど、こういった本質を持つ存在においては憎しみも怒りもその本質は愛ではないでしょうか。 彼らの怒りは慈悲と呼ばれる。自我にあって怒りであったものが慈悲に変容されているのでしょうか。共に他者と関わるエネルギーなので元は同じかもしれません。
失礼。物質の間には力が働いており、どうも無関心ではないね。
そうするとやはり、無関心は虚無に由来するのかも ・・・
>>943
>>948 縁起って状態の変化のこと?
水からお湯、蒸気に変化するのは状態の変化で
水の分子構造が変わる訳じゃないんだ。
952 :
神も仏も名無しさん :2012/05/03(木) 15:55:32.99 ID:cUtRilZ8
>>951 状態の変化は、縁起から導かれた三つの結論のうちのひとつだよね。
諸行無常という。
諸行無常、諸法無我、一切行苦という三法印は、どれも縁起から
導かれた論理的帰結のはず。
水の分子構造が云々てのは、諸行無常なことは変わらないじゃんて
いう、よくあるアレと同じ質問かや?
なんか議論スレでやってるのよく見かけるけど、難しい専門用語は
わかんない。
953 :
神も仏も名無しさん :2012/05/03(木) 15:58:32.65 ID:cUtRilZ8
龍樹が中論のなかでやったことって、要するに 縁起と三法印の論証だよね。 日本仏教って、どうも空を神秘的に捕らえようとする癖があるけど そんな難しいこと言ってないはずなんだがな。
>>952 涅槃寂静も縁起から導かれた論理的帰結かな?
955 :
神も仏も名無しさん :2012/05/03(木) 16:00:31.94 ID:cUtRilZ8
論理的には無理だろね。
956 :
神も仏も名無しさん :2012/05/03(木) 16:01:22.35 ID:cUtRilZ8
縁起から飛び出しちゃったのが涅槃(なんでしょ?)なわけで。 知らんけど。
涅槃も、仏道による縁起だと思うが…
縁によりおこる故に空ですよ。 内だけでは何も起こりえず、外だけでは何も起こりえず ただ縁により生ずるものがある。
もう、じゅうぶん(十分・充分)だと悟る。
外側の縁と、内側の縁が一如となり、螺旋となることが、DNAモデルにも示されています。
その仕組みを暴けば、龍神さまの力を授かり、新しい境地の世界となると言い伝えられています。
それにはまず、岩戸ひらきが必要です。
無関心の由来だが、なんとなく見当がついてきた。 人間は、愛と憎との円が重なった部分、愛かつ憎という矛盾を生きている。 この矛盾は、縁起であり空であり虚無である。どういうことかと言えば、 人間の精神は虚無そのものを背景にして成立しているようなのだ。 命(神)と物質(大地)などの縁起で考えても同様である。
ではなぜ虚無に落ち込まないのか。たぶん時間のベクトルが <虚無→愛かつ憎>なのであって、虚無に落ち込まないようなストッパーが 精神の中に仕込まれているのだろう。愛かつ憎は虚無なのだが、 その虚無は時間を逆行することでしか成立しない。つまり人間の精神は、 時間の不可逆性によって不可能を可能にしているわけだ。
965 :
神も仏も名無しさん :2012/05/03(木) 22:39:37.74 ID:XrgOPRdO
過去の体験はできないが、過去を思い出すことはできる。 その過去は、人間の中に「愛かつ憎」という矛盾として痕跡を残している。 それに由来する精神的態度が「無関心」ではないだろうか。 虚無(空)は、もはや体験不可能な、宇宙の記憶のようなものかもしれない。 ・・・愛と憎は、時間の不可逆性によって成立し、区別されている。
視点を変えれば、ものごとが縁起し、運動し、時間が流れていないと、 虚無に落ち込んでしまうと言うことだろうか。 竜樹は運動も時間も否定するから、かれがイメージしたのは虚無だよね。
968 :
安堂 :2012/05/04(金) 02:21:39.94 ID:uGXngOuZ
オナニーやセックスして絶頂を迎えるときに 「宇宙と1つになる」というイメージを膨らますのも イメージトレーニングとして修行になります・・・・。
どの段階の悟りですか?
970 :
安堂 :2012/05/04(金) 02:39:29.63 ID:uGXngOuZ
>>969 初めて御意を得ます。当板耶蘇教の重鎮
サロメ殿であらせられますな。
某の悟りの段階など預流果かそれにも及ばぬ程度でござる・・・。
>>970 ヨーガや上座部でサマディ突入しなよ^^
972 :
安堂 :2012/05/04(金) 02:50:36.71 ID:uGXngOuZ
>>971 サロメ猊下、そう簡単には往かぬもの故でござります。
時節というのもあります。
時の風が吹かねばサマーディへの突入も為し難しかと。
天主教だとバクティとおなじだからねー 献愛しぬいて浮かび上がったり空中に^^ ロムさせてもらうわ^^
974 :
安堂 :2012/05/04(金) 02:59:53.07 ID:uGXngOuZ
>>973 そのように願います。
万軍の主は正義のゆえに高くされ
聖なる神は恵みの御業のゆえにあがめられる。
聖なる、聖なる、聖なる万軍の主。主の栄光は、地をすべて覆う。
万軍の主をのみ、聖なる方とせよ。
あなたたちが畏るべき方は主。御前におののくべき方は主。
万軍の主によってお前は顧みられる。
雷鳴、地震、大音響と共につむじ風、嵐、焼き尽くす炎のうちに。
>>925 とても美しいお話ですね
前々から感じていたのですが
悟りの為のお話とゆうのは悟りを抜きにしても
ユーモアとウイットに富んでいて純粋にお話として面白い話が多いと感じます
こういった法話が今の小説などの源流になったのかもしれませんね
>>929 >ただ演技っぽさを感じた時もあります(^^)
悟り子はあるとき犬と二人で一つの部屋にいるとゆう体験をしました
最初は「部屋に犬がいる」
とゆう感覚だったのですが、しばらくすると完全に「貴方と私」
とゆう感じになってました(笑)
>>949 >誰もが自分における外界における事実を恐れ、それを攻撃してるのであって私との出会いはありません
人は他者が何を考えているか不安に思ってたりしますが
その他者も他者が何を考えているか不安に思ってたりするのですね(笑)
>>949 >人は全く分かり合っておらず独りであるということを受け入れるより
>理解を期待してあい争うほうを選びがちではあります
対話>議論>論戦>口論>罵りあい>肉弾戦
こんな感じでしょうか?
>>949 >基本的に私は悟り子さんが反論されたことを述べておりません
あっ、そうでしたかf^_^;悟り子のフィルターを通して473さんを見ていたのですね
>>949 >悟り子さんが読解した意味で私がそれを述べたのだとしたら私はとんだ馬鹿な事をいったもので、ひどい役を押し付けられたものです
大変申し訳ありませんでしたm(_ _)m
あえてそうゆう役を引き受けてくださったのかと思い込んでました
失礼いたしました
>>949 >例えば文脈を受け取れば、自身の愛というのは私は愛があるという自意識をもつという意味です
了解しました
>私は愛があるという自意識をもつという意味です
その愛を認めない他者に反感を感じたりするのですね?
>>949 >自己と世界が分かたれたものだというあり方が根本にあれば、自己は自然と対立し、死と対立し、他者と対立するでしょう
多分これが自我意識の最大の幻想であり、あらゆる葛藤の本質なのでしょうね
>>949 >あらゆるものを生む自我の本質が恐れと敵意であると述べただけなのです
そうゆう意味合いでしたか、了解しました
まあ根本は不安なのかもしれません
不安は人間が死を予測できる生物である以上は無理からぬところもあるのでしょうね多分
>>949 >自分の憎しみに気づこうとすること(責めるのではない)は愛の態度ではないでしょうか
はい、自分を価値判断せずに見つめるのは誠実さへつながる姿勢であり、誠実さは愛の確かな特質でしょう
>>949 >逆に、自己と世界が分かたれたものでなければ、自然は征服するものではなく共に育つものであり、生死はあるがままであり意識されず、
また他者も意識されず、全体性の統一の中で与え受け取るでしょう
黄金時代の人類ですね
>>949 >彼らの怒りは慈悲と呼ばれる。自我にあって怒りであったものが慈悲に変容されているのでしょうか。共に他者と関わるエネルギーなので元は同じかもしれません
そうでしょうね
「それ」に怒りとか慈悲とか名前をつけるからややこしくなるのであって
ただ、その場の状況に感応して、エネルギーが適切に動いているだけなのかもしれません
987 :
神も仏も名無しさん :2012/05/04(金) 14:55:39.25 ID:p6K6nUaL
>>悟り子さん 伝わったようでとても嬉しく思います。 未熟な自分でもこういったことが伝えられたのかと思うと心が軽くなります。 これはとてもとても深い話です。自分自身それを手探りの中旅をしています。 祖師達はいつも我々の根本的な変革だけを求めました。表面的な変化は根本が変わっていなければ結局元に戻って無意味だからでしょうか。 しかし、根本的な変化が必要だと悟るまで自分のいろいろな面と付き合い、そして発見してゆかなければならない気もします。 お互い自分にとっての自然なリズムで自分を掘り進めて行きましょう。 誠実さは愛の土壌となり、愛も誠実さの土壌となります。 また他者との問題についてはたぶん殆ど全てが、前述の表層意識と潜在意識の対立を原因としているようです。 ある価値基準だったり、ある自己中心的な思考を理解するのではなく押し込んでいた場合、 第一にそれを気づかぬうちに直接婉曲にやっていてしまいますし、第2にそれを他者に投影してしまいます。 もともと内戦があるので、それと本来はかかわりの無い他者が自分自身が抱えている敵に見えてしまいます。戦いは内にあるのです。 その敵も時にはそれが主人になり先ほど表層意識を構成していた価値基準が敵になってしまうので、その構造全体が問題で道徳と自己中心性は2つでひとつのものであり、 そうでないものとして覚醒、愛があるようです。
988 :
神も仏も名無しさん :2012/05/04(金) 14:56:13.55 ID:p6K6nUaL
>>820 バカ女さんへ
≫潜在意識が表層意識を作っているのでなければ、支配することはできないということです。
このあたり自分もあいまいで分かっていなかったようです。
生の各場面、各人間に対応するための価値基準の群れ、社会的なそれと個人的な価値基準の群れ、
それらで私は構成されていますが、それらは相矛盾するので混乱します。
その混乱ゆえに、その混乱を統括して全体の方向性を定めるための表層意識が作られ、その表層意識は
それらの価値基準とそれに伴う感情や欲望を抑圧します。
この時点で表層意識―潜在意識という「意識の構造」がはじめて出来上がります。潜在と表層は2つで1つの構造です。
また、平常時はこの表層意識は私の全ての価値基準と、勘定的記憶と欲望をコントロールすべく思索し人生の指針を研究しますが、
外部から何か刺激があった際は押さえつけている価値基準や感情にあっさりのっとられます。
表層意識での怒らないとか何々はもうしないという決断は、より深い現実であり広大である潜在意識にあっさり覆されてしまうのです。
また平常時においても表層意識は考えることは自由ですが、肉体的エネルギー、感情のエネルギーは潜在意識が大きな部分を握っています。
表層意識はそれらを自由に動かすことはできません。表層意識が何を考えようとそのとおり行動することは困難です。
表層意識で無理に行動した場合確実にその反動があります。
敬虔な聖職者が教会の外では実にずるがしこかったり、疑い深い科学者は研究室の外では実に純朴だったり。
それゆえに、表層意識ー潜在意識という意識の構造全体を見て、意識同士価値基準同士の主導権争いではなく、
各意識が主人ではなく召使となるような目覚めが必要とされます。
そしてそれは表層意識に頼らず、表装ー潜在意識全体を見守ることで自然と現れてきます。
>>924 > 海の中で海を探す魚の話がありましたね
でも、その喩は・・・
まるで、悟りを求めている姿
悟りたい、悟るにはどうしたらいいか、どうしたら悟れるか
悟りを求めて彷徨う姿
のようです
>>940 > スーパーで買えますか?
お前、子供じゃなかったのか
> 縁起とは何ですか?
・・・自分で考えろ
>>952 > 諸行無常、諸法無我、一切行苦という三法印は、どれも縁起から
> 導かれた論理的帰結のはず。
帰納法ではなく演繹法だろうね
その前に
諸行無常、諸法無我、涅槃寂静 じゃなかったっけ
>>976 > 悟り子はあるとき犬と二人で一つの部屋にいるとゆう体験をしました
どういう意味なんでしょう?
まさか犬と・・・
Operationは、ちょっと考えてから書き込むとイイぞ。
>>992 > Operationは、ちょっと考えてから書き込むとイイぞ。
なんだ?
やっぱり子供だったか
>>993 Operationは大人だって言うなら次スレ立てろよ!!
俺は子供だから次スレ立てれない!!
子供パワーしか出せない ERROR! ERROR:新このホストでは、しばらくスレッドが立てられません。 またの機会にどうぞ。。。
まあ、次スレがなくとも子は育つというし
スレがなくとも2ちゃんねるはあるし
2ちゃんねるなくとも、なんでもあるし 続けたければ、いずれ立つ
なかったら無かったでそれもよし
そんときゃそんとき
1001 :
1001 :
Over 1000 Thread このスレッドは1000を超えました。 もう書けないので、新しいスレッドを立ててくださいです。。。