悟りを開いたことあるけど何か質問ある?8

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1神も仏も名無しさん
「悟りを開いたことあるけど何か質問ある?」
http://toki.2ch.net/test/read.cgi/psy/1288429092/
「悟りを開いたことあるけど何か質問ある?2」
http://toki.2ch.net/test/read.cgi/psy/1318248610/
「悟りを開いたことあるけど何か質問ある?3」
http://uni.2ch.net/test/read.cgi/psy/1321746325/
「悟りを開いたことあるけど何か質問ある?4」
http://uni.2ch.net/test/read.cgi/psy/1325210358/
「悟りを開いたことあるけど何か質問ある?5」
http://uni.2ch.net/test/read.cgi/psy/1328932254/
「悟りを開いたけど何か質問ある?6」
http://uni.2ch.net/test/read.cgi/psy/1330618604/
*前スレ
「悟りを開いたことあるけど何か質問ある?7」
http://uni.2ch.net/test/read.cgi/psy/1331509305/

このスレの主はamaです。
ご質問は、できるだけ日常の言葉を使っていただけると助かります。
2神も仏も名無しさん:2012/04/03(火) 00:55:04.83 ID:52TnsXM/
悟り子の事が書いてあったよ!!!!!!
http://www1.ttcn.ne.jp/turu/27sittosin.htm
3神も仏も名無しさん:2012/04/03(火) 01:27:39.55 ID:I6Z2/A85
>>http://uni.2ch.net/test/read.cgi/psy/1331509305/942
>これは幼少期から続く状況です。
たった1つの方法しか知らないが、まず無理だな。
救いを放棄することは出来ぬ相談だ。
4安堂 ◆3LK.0gZrV2 :2012/04/03(火) 01:50:06.06 ID:ePQ3V3NE
>>前963 ama氏
>恐れをひたすら感じてそれ一色になってしまうことです。
>「なりきる」というやつです。
>それだけになるのです。
>感じてそれとひとつになる・・・。
>なんであれ、それだけになる・・・。

私は恐怖に抵抗はしません。体が強ばりますが・・・。
「なりきる」とはひたすら恐怖を感じ続けることだと思います。
これはやったことがありますが、なぜか恐怖が鳩尾や胃のあたりから生じている気がしました。
私は3歳から数年くらいは病弱で、風邪熱嘔吐病院注射薬服用・・・という有様でした・・・。
最近までこのようなことは全く現在の恐怖と関係ないと思い込んでいましたが、
幼児の医者での強制注射や歯科医での強制治療がトラウマになって、
思春期以降に女性では強姦恐怖にまで関連する例があるらしいので、
とりあえずこの辺りをかたづけてみます。ありがとう尼さん。
5オレって名無しかよ!?:2012/04/03(火) 01:56:04.86 ID:V8wKR7Ji
>>4
安堂、無理するなよ。
6安堂 ◆3LK.0gZrV2 :2012/04/03(火) 01:57:54.08 ID:ePQ3V3NE
>>前964 悟り子氏
>全体は全体であり
>実在は実在であり
そうですね。ラーマクリシュナみたいですね。よくしりませんが・・・。
それはそれですね。

>>前965 オレ名無し
>2つ目は、「恐れ」がどこから起こっているかを観察し
>「恐れ」そのものを理解すること。
視野狭窄に陥っていたようです。
もう少し理論より臨床側の意見も聞くようにします。
7神も仏も名無しさん:2012/04/03(火) 01:59:23.82 ID:Z9R01InE
スレ立ておつぱい\(^o^)/
8安堂 ◆3LK.0gZrV2 :2012/04/03(火) 02:03:51.59 ID:ePQ3V3NE
>>前966
これは以前の話ですが。極度の不安は仕事で紛らわすことはできなかったですね。
何かを手段として紛らわすというのはできなかったです。死ぬかと思いました・・・。
おかげで今はそれよりか優しい恐れです・・・。

>>前968 私の愛する968へ
>恐れこそ正常なのだ。
>人はいつも真理を何やら静寂めいたものにしたがる。

>全力だ。命がけだ。一生、その痛みと苦しみと踊り続けろ。そこが悟りだ。

あなたの意見を軽視しているわけではないけれども、違うと思われます・・・。
9安堂 ◆3LK.0gZrV2 :2012/04/03(火) 02:12:39.40 ID:ePQ3V3NE
>>前970 473氏
なるほど、基本的なわかりやすいものと思います。
相反すること同士が争っている。
苦の原因が渇愛というのと同じでしょうねえ。

>>前972
相変わらずOSHOの言葉は秀逸ですね・・。ゼロを発見したインド人らしい語りです。
彼の講話の殆どはおそらく英語を和訳したものでしょうねえ。
あまり知りませんがヒンディー語などは、数式のような等式を基調とした
言語構造であるように思えます。読み手に疑念が生じづらい断定性をもっているのかもしれません。
10473:2012/04/03(火) 03:00:32.28 ID:hR0ihOdy
前スレ>>963
分析しないという認識もない、
分析者がいない状態において私は私そのものです。
私は恐怖そのものです。

そのときもはや時間というものはないのではないでしょうか。
私は恐怖そのものであり、また時間から解放された刻々と変化する即時性にあります。
その即時性においてわれわれは死に続け、また新生し続けます。
もちろんそのとき、過去の産物である恐怖も死に続けていることでしょう。

どうも私たちは過去の産物にそのまた過去の産物である分析や方法論を当てて、
唯一の解決の場である現在を回避するようです。
11安堂 ◆3LK.0gZrV2 :2012/04/03(火) 03:14:33.14 ID:ePQ3V3NE
>>5

無理してませんです。
皆様のあたたかいご意見に感謝です・・・。
本日は脳内睡眠物質の蓄積により就寝させて戴きます・・・
12バカ女:2012/04/03(火) 03:49:15.05 ID:K/1SF4k+
>>991
>いいえ、必要無いですよ。
了解です。

>あれはあれで嘘のない私の過去の体験なのですが、
理論上、オレムさんのような方向・方法での悟りは可能ですから、
というより、そちらを悟りと位置づけて批判しているわけだから、
別に嘘とは思っていません。

好意的に記述すれば、単独者の超越による悟りでは、生の形式の規定により捨象されていた
感性的なものが復活してくるので、そのようにそのような姿で世界は現われてくるのですが、
(だれでも小さい頃には世界はキラキラと光り輝いていたはず、のバージョンアップ版です)
(個人差が大きいですが)それを俗に「あるがままの世界」と呼びます。

それは見い出されるのではなく、もともとはじめからそこにあるから現れているだけですが、
生の形式を捨て去ることで辿り着く境地なので、動機からして生の形式への否定があります。
もちろん、あくまでそこは人間の世界であり、コウモリの世界になるわけではありませんが。

探求することや問うことの根拠の方を奪うことで探求や問いを無効化するというやり方には、
ある種の開放感や幸福感が伴われることも多く、それはそもそも生の形式を否定することで
そこへと至っているからです。(世界や他者とのあいだに隔たりが生じることもあります)

付け加えるなら、探求することや問うことの否定さえも雲散霧消する境地においては、
すべては、ただ「あるがまま」ということであり、ニヒリズムがつけ入る隙はありません。
そこは唯一評価できるところですが、それ以外は生の形式の否定からはじまっているので、
いくら境地において探求や問いへの否定が消滅するとしても、境地が生の形式の否定により
成立しているわけですから、やはりそれは単独者の超越であり、無差別方向ではありません。
それは、存在の奇跡なき超越であり、存在の奇跡に於いて出逢いうる他者なき境地なのです。

>一周回って元に戻ってしまったかのようですね。
私は歓迎します。
13バカ女:2012/04/03(火) 03:51:16.15 ID:K/1SF4k+
>>993
>個人的には、誤りの中でしか学べない事も多いですからたくさん誤って方がイイと思っています。
狂ってしまうことも、死んでしまうこともあるから、注意を呼びかけています。
薬がよく効いてしまう人とそうでない人がいるように、向き不向きもあります。

>日本では自分だけじゃなく他者を助けるために「悟りたい」って思ってる人が多いんですよ。
わかりますけど、おそらくその方向性では悟れません。
逆、逆なんです。
無差別(愛)方向の悟り(と呼ぶと私も悟っていることになっちゃうけど?)により、
つまり、それは存在の奇跡に於いて他者と出逢いうるということですが・・・
もう飽きたでしょうから、お話を作れば、以下。

事物や個体を区別するのは、私たち人間の生の形式による区別にすぎませんから、
砂浜の砂をすくって太陽の光にかざして指の間からこぼれ落ちるのを見ていたら
小さな一粒の砂にも、世界そのものを、存在を、観てしまうことがあるでしょう。

一粒の砂と自分の区別がつかなくなってしまうとき、そこには愛が溢れています。
我に返って絶対に私ではない一粒の砂を見つめるとき、私には責任が生まれます。

そうして幾万もの砂を踏みつぶして家路につく頃には、私は日焼けを気にしてるけど、
それでも、一粒の砂が存在していることに気づいた私は、あなたの存在を疑わないし、
あなたを大切に感じるその大切さを大切にします、それがあなたへの責任だからです。

というような展開ですから、俗っぽさは許してもらうとして、むしろ逆ですよ、逆。
「他者を助けるために」なんて「ごーまんかましてよかですか? 」と聞かれたら、
当然 NO ですよね? そんなでっかい煩悩もってこられても悟くんが困りますから。
他者を助けるために悟る必要なんてないのに悟りたいのは、超能力者になりたいのと同じでは?
14バカ女:2012/04/03(火) 03:56:48.11 ID:K/1SF4k+
>>997
>結局、あなたがあなたに為していることの原因は考えすぎるってことかな。
私は哲学徒ですから「考えすぎ」との指摘は褒め言葉ですね。どうも。
オペさんがいい加減なことを言ってたら、バシバシ突っ込みますから。
あぁでもオペさんの書き込みはあまり読まないので安心してください。

>そこは正しいこと書いています。
>無意味を悟るのですよ
>そして何も分かっていないことを悟る
どうしてこう自己満足に浸る人が多いかなぁ?
いえいえ、オペさんも入ってますから。

「無意味」は言葉ですから、ちゃんと文脈に応じた使い方があり意味もあるんですよ。
あるいは、無意味であっても無意義ではないからこそ、私は言葉を捨てないわけです。

どうして無意味と決めつけてしまうのか、その原因がわかりますか?
それはね、超越についてはわからない、あるいは考えることにさえ根拠がないとして
勝手に根拠を剥奪してしまうからです。

その結果が、無意味の垂れ流し、思考停止の怠惰「不立文字の立場」ですよ。
でも、私たちは超越して(も)いるのです。

たとえば、私たちは「存在していること」を了解できます。
了解という表現を使うわけは、存在が対象にはなりえない超越だからです。
つまり、言語の限界を超えているという自覚があるから、了解という表現をします。

でも、現に了解しているじゃない?
現象を通じてであれ超越を了解できるということは、私たちが超越していないかぎり不可能です。
それがわかれば(超越的に理解できれば)、言語の限界を超えているにもかかわらず語れる、
ということもわかります。(超越的に理解できるし、理解されるからです)
15ama ◆BmUbLWewsM :2012/04/03(火) 07:02:15.46 ID:h7+3Y7NE
>>全スレ960 安堂さんへ。

こちらのブログによると、
http://blogs.yahoo.co.jp/nisisakaemachi/23649342.html

> そこで、セロトニン増量大作戦それはリズム運動
> 毎朝、朝日をたっぷり浴びながら深呼吸し、朝食を良く噛んで食べる。
> そしてウォーキングやジョギングをする。
> セロトニン神経を鍛えれば分泌量が増えるのです。
> 結論として規則正しい生活とバランスの取れた食事。そう言う事です。
> 当り前の事でした。継続は力なり。頑張りましょう。

とのことでした。
16悟り子 ◆AAyxyMDKw6 :2012/04/03(火) 09:10:14.74 ID:F3zw8rMJ
新スレ開けましておめでとうございます
本スレもよろしくお願いします
m(_ _)m

amaさん呼ばれてますよ
http://www.youtube.com/watch?v=3LmbH1wdjy4
17悟り子 ◆AAyxyMDKw6 :2012/04/03(火) 09:24:38.02 ID:F3zw8rMJ
7スレ975
>「全てを受け入れる」も「あるがままをあるがままに観る」も、人間には不可能ですが?

先入観無しに見るとか生を体験するとかいったことを
「あるがままをあるがままに観る」とか「全てを受け入れる」とか表現しています
18オレって名無しかよ!?:2012/04/03(火) 09:36:46.46 ID:V8wKR7Ji
>>12
>それを俗に「あるがままの世界」と呼びます。
私は「観念」の抜け落ちた純粋に現象のみの世界を「あるがままの世界」と呼んでいますね。
この「あるがままの世界」も人によって解釈が違うんで面白いところです。

>それは、存在の奇跡なき超越であり、存在の奇跡に於いて出逢いうる他者なき境地なのです。
バカ女さんの「他者」が何を指すのか、どうもピンと来ませんね。
現象に存在する自分とは別の人格を持つ他者の事なのか?
それとも、自分の観念の世界の中にある自分とは違う存在である他者なのか?
もしくは、自分の観念の中にある自分と同質の他者なのか?

「悟り」の説明で良く言われる「自他ともに無く」というのは、あくまで観念の世界の話で
実際の現象に存在する他者が消えてなくなる訳じゃないですよ。
現象の世界の他者は私と別の人格を持つ個人で、自分で考え自分で選択しています。
だから、私が他者に出来ることはせいぜい困ったときに手を差し伸べる事くらいで
ほとんど何も出来ませんね。でも、手を差し伸べても拒絶される事が多いです。
私が「自他ともに存在していない」って書き込んでおきながら
こうしてバカ女さんにちょっかい出してるのを見れば良く分かりますね。
19神も仏も名無しさん:2012/04/03(火) 09:59:36.21 ID:2pdakhvP
あるがままという言葉も本当に捉え方が難しいですね。
苦しければ苦しいままで、なんて言われると、死ねと言われているような気がしたものですが。
今はそのようにしか表現出来なかっただけだと分かりますが。
誰でも自分を守りたい本能が働いている、でもそれだから生きていける。
車が来ても避ける危機感が無ければ即あの世行きですから。
世界はあるがままに変わり続ける、誰がどう思おうと、実体があろうがなかろうが。
でもそれが耐えられない、災難は私だけ避けてくれ、他の人は仕方が無い。
みんな無意識にそう思う、全く無理からぬ心情で、誰も非難できない。
しかし起こることはどうあっても起こる、それが受け入れられないから苦しむ。
自分が肉体でしかないと思っているから、それを失うことを受け入れられない。
私などは、むしろ全て無くなってしまうほうがスッキリしていいのですが…。
20神も仏も名無しさん:2012/04/03(火) 10:24:12.89 ID:Ql88gpx1
「あるがまま教」wwww
21神も仏も名無しさん:2012/04/03(火) 10:31:49.60 ID:2pdakhvP
そして自分が肉体で無いから生まれるとするなら、この世に未練なく全てが無くなってしまうことを望めば
それでお仕舞い、なんて目論んでいるんですが、これはあり、なし、やってみないと分かりませんねw
22神も仏も名無しさん:2012/04/03(火) 10:32:56.30 ID:Z9R01InE
ええじゃないか\(^o^)/
ええじゃないか\(^o^)/
ええじゃないか\(^o^)/
23オレって名無しかよ!?:2012/04/03(火) 12:58:33.00 ID:V8wKR7Ji
>>13
>狂ってしまうことも、死んでしまうこともあるから、注意を呼びかけています。
そのあたりも個人の自由じゃないでしょうか。
ほどほどの所で立ち止まって引き返すのも勇気だと思いますよ。

>それでも、一粒の砂が存在していることに気づいた私は、あなたの存在を疑わないし、
>あなたを大切に感じるその大切さを大切にします、それがあなたへの責任だからです。
存在うんぬん関係無しに目の前にいるんだったら、それでイイんじゃないのかな?
責任とか考えずに目の前にいる人を大切にする、それだけで十分だと思いますよ。

>「他者を助けるために」なんて「ごーまんかましてよかですか? 」と聞かれたら、
>当然 NO ですよね? そんなでっかい煩悩もってこられても悟くんが困りますから。
これは、あくまで入り口だからキッカケは何でもイイんですよ。
煩悩や傲慢でも、イイイじゃないですか。
悟りに向かう途中でいろんな経験をして、最終的に他者に手を差し伸べられる人になる。
それでイイんだと思います。
医者を目指す学生が最初はお金や名誉が目的で医療を道を選んだとしても
医者を目指す途中でいろいろ経験し学んだ結果、
患者のことを第一に考えられる医者になったなら当初の思いはどうでもイイんだと思いますよ。

前から聞こうと思ってたんですが、「悟り」のスレが沢山ある中で
バカ女さんはどうしてこのスレを選んだの?
24473:2012/04/03(火) 13:10:05.20 ID:eQJWP07y
昨日くつろぎのさなか、
この体は自分のものですらない。
いずれ失われる、一時借りているものに過ぎないのだ。
などと感じて幸せでした。

が、翌朝起きてみると、いつもどおりの執着と恐怖のエゴ、しかも昨日の体験を記憶しているエゴが
必死にそれを再現しようとしているのです。
執着と恐怖そのものであるエゴが開放の体験を再現しようともがき葛藤しています。

そもそも、開放の体験も自我の原初的な執着あってこそのものだったのでしょう。
くつろぎ、瞑想の本質は、対象として捕らえるものではない無として示唆されている何かなのでしょう。
その無に近づくたびに、自我は自らの執着の反対物としての開放の夢を見て、その無を捻じ曲げて体験として記憶し、
そして翌日その記憶からそれを再現しようと無謀な試みを行うようです。
記録されうるもの、あらゆる体験はそれが苦しみでも解放でも記憶としてそれは私を束縛するようです。

本当の開放は自分が解放されていると気づくことがないようなものなのでしょう。

束縛に対し開放を求め、迷いに対し悟りを求める愚かさ。
この愚かさの理解が瞑想だと聞きます。
楽はいつまでも苦を含むようです。
古い心を捨て、苦楽を捨て、何の区別もない全き目覚めがあるのでしょうか。
25473:2012/04/03(火) 13:16:51.48 ID:eQJWP07y
前スレのこのリンク先は非常に参考になります。
私たちは過度に他者を美化してそれに依存する必要性や、
他者を欠点ある存在としてみて自己嫌悪から逃れる必要性を抱えています。

自分自身がこれから解放されていれば他者はもう問題にならないのでしょうけど、
自我がわずかでも夢を見ているうちは、自我の過程が完全に白日の下にさらされるまでは、
これらの働きから完全に開放されることはないのではないでしょうか。
oshoもグルジェフも、光明を得るまで人は野蛮だ、完全な人間だけが他者を気にしないでいられる
と述べています。人は自らを写す鏡です。

度が過ぎると境界性人格障害として特記される様ですが、これは人間が誰しも
多かれ少なかれ抱えている実に普遍的なテーマに思います。

http://homepage1.nifty.com/eggs/iryou/gihou/projectiv_id.html

http://oneiromancy.holy.jp/blog/archives/2008/10/post_21.html

ttp://cherishchu.exblog.jp/11152666/
26神も仏も名無しさん:2012/04/03(火) 13:18:20.37 ID:Z9R01InE
現象は、エネルギーと異ならず
エネルギーは、現象と異ならず

現象は、即ちエネルギーであり
エネルギーは、即ち現象である

我々は、エネルギーと現象の媒介である
どの現象にエネルギーを使うかは、自由である
エネルギーとは時間に比例する
そこで、こんな公式ができる


好きな女にゃとことん時間をかけろ!
27神も仏も名無しさん:2012/04/03(火) 22:59:07.27 ID:52TnsXM/
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%BF%AB%E6%A5%BD%E4%B8%BB%E7%BE%A9
http://detail.chiebukuro.yahoo.co.jp/qa/question_detail/q127324432
http://kotobank.jp/word/%E5%BF%AB%E6%A5%BD%E4%B8%BB%E7%BE%A9


悟る人っていうのは究極の快楽主義者だよ
だから真の快楽主義者ならいつかは必ず悟る事が出来る(今世は無理でも)

ここで自演してる気持ち悪いババア(悟り子)は100万回生まれ変わっても悟れないよ(ゝω・*)vキャピ♪
28473:2012/04/03(火) 23:42:17.26 ID:Cm6Knfxf
お金をほしがるか、感覚をほしがるか、愛のある人でありたいと欲するか、
無欲を欲するか、安全を欲するか。
その欲同士の葛藤が混乱です。
しかし、どれを選んでも、欲は不足感というものを作り欲するがゆえに苦しみ、外に外に求めて奪いあうことになります。

欲さなければ満たされている。
満たされていればあふれ出て与えることになる。
与えれば帰ってくる。(特にお金持ちにならないでしょうけど自然に生活は回ります)

何をそのとき与えるのか。どのような行動をするのか。
それは過去に条件付けられたあらゆる欲望と関係のないもの全く未知のものでしょう。
何も欲せず待っていれば、満ち溢れ、与え、受け取るサイクルは現れる。

人々は苦しんでいます。物質的な必要もありますし、心理的な必要もあります。
幸せに満ち溢れている人は、無茶な贅沢を与えて人々の欲求不満をあおったりはしませんが、
歓喜に満ちて自然と人々の肉体的心理的欲求を満たしてゆくのではないでしょうか。

しかし、動機が違うと人は働きすぎてうまくやりすぎて他者の仕事を奪ってしまうこともあります。
29神も仏も名無しさん:2012/04/03(火) 23:53:37.36 ID:s95Vm0Dw
>何も欲せず待っていれば、満ち溢れ、与え、受け取るサイクルは現れる
本気で言ってんのか、お前
30473:2012/04/04(水) 01:17:10.17 ID:rd2YSQhv
非常にデリケートなことになります。

一定以上の収入が必要な場合、また搾取する側に回らないとどうしようもない場合、
何とかつけた職がシェアの奪い合い、売りつけあい以外のなんでもない場合、そういったことはありえます。

しかし、満ち溢れた人はそれに巻き込まれないでしょう。
彼は奪い合いません。彼は自分の体という観念がありません。
かれは奪うことの喜びも、奪うことによる苦しみからも離れています。
稼いだお金を親類や、瞑想を志す人たちのために援助するかもしれませんが、
そういった表面のことではなく、かれは私という思い、奪う、奪われるという思いから
離れているのではないでしょうか。彼は社会を変えられません。自分を変容させました。

特にお金が必要な立場でないのなら、日本において生きることができないということはなさそうです。
バイトで一人暮らしとか無茶な状況でなければ。一人はしんどいですからね。
31473:2012/04/04(水) 01:17:47.85 ID:rd2YSQhv
満ち溢れている人は農産物を作るのか、パンを焼くのか。
マッサージをする、カウンセリングをする?でもこれは仕事というより宗教で生計立ててるので例外としますね。

満ち溢れている人はゆとりがあるので人の気持ちがわかります。
新製品の開発ができます。顧客の満足や不満が理解できます。
とても気持ちのいいネットショップも立ち上げられます。
これを奪い合いという側面で見れば奪い合いですが、与えているという側面で見れば与えています。

与える人はこれらの人の気持ちを慮る能力を誤用して、強欲のまま暴利をむさぼり、
人々を依存させて高い利益を取ったり、ほかの商売敵をつぶすべく独占を画策したりしないでしょう。
確かに世の中のきれいごとは奪い合い、独占、依存させて高く売りつけることのカモフラージュです。

しかし、本当に満ち溢れて与える人がそういったことに関わったなら、
自分も従業員もお客さんも商売敵さえも、みんな幸せにしてゆくのではないでしょうか。

私たちは強欲な商売という現実と戦うのではなく、バランスの取れた生き方を実践するべきだったのかもしれません。
32安堂 ◆3LK.0gZrV2 :2012/04/04(水) 02:24:05.73 ID:4pBcPC9A
>>15
なるほど。精神医学的にはそうなるのですね。
33神も仏も名無しさん:2012/04/04(水) 02:27:53.93 ID:Eph3FuJd
パニ障ですか?
34安堂 ◆3LK.0gZrV2 :2012/04/04(水) 02:41:21.47 ID:4pBcPC9A
>>26
肌と肌の触れあいは大切みたいです。

>>33
パニック障害ではありません・・・。
35473:2012/04/04(水) 02:58:47.74 ID:qySvkRSs
奪うことの何がいけないのでしょうか。
欲望において奪うことは正しいことであり、体の安全にとっては良いことです。
それは私たちの欲望の本音ではないでしょうか。

しかしその反面、欲望は奪うことは、私たちの満ち溢れる幸せとの繋がりを絶ち、絶え間ない欲求不満をもたらします。
また不安、恐怖をもたらします。
それゆえに私たちは道徳において欲望、奪い合いを否定し、充足と安息を求めるのではないでしょうか。

結局これは奪いつつも、奪うことの苦しみから逃れたいという虫のいい考えです。
元の欲望と、道徳という欲望が合わさってバランスではなく葛藤と混乱になってしまいます。
奪うことを正しいと思っているし、かつその苦しみからは抜けたいので道徳や悟りを語るのが我々です。

宗教は、欲望や、奪い奪われるという認識、悪夢を否定しません。
結局それは苦悩をもたらすということを、個々人が理解する道を示しただけです。
道徳的な意味で悪いからではなく、苦しみの原因だと理解することによって、
なんの葛藤もなく捨て去られるのではないでしょうか。
欲望は我々を乞食にし、欲さなければ満ち溢れます。
36安堂 ◆3LK.0gZrV2 :2012/04/04(水) 03:11:46.34 ID:4pBcPC9A
>>35
そのとおりですね。
奪って奪って奪い尽くすことが悟りの使命でしょうねえ。
37神も仏も名無しさん:2012/04/04(水) 12:24:21.41 ID:IXNm1nLH
罪を感じたり他者へ植え付けたり
罪など無いと感じたり他者を安心させようとしたり
罪を感じても「知るか」としらばっくれたり
この先も誰一人として例外なく“何をやってもいい”を体現し続ける
38さんちゅ ◆PyuQX798ps :2012/04/04(水) 13:38:22.99 ID:3UZKU7Wy
「わかった」と言うことはあるかもしれないよ。

だが、その時が来たら、

もっと「わかる」べきことがあるのに気づくだろう。

わかればわかるほど、

もっとわかるべきことがあるとわかるからだ。

だから、成長し、わかっていくプロセスは決して終わらない。

わかるかな?

あなたの魂がびっくりするようなことは何もない。

新しいことは何もない。
39神も仏も名無しさん:2012/04/04(水) 14:04:13.08 ID:CL0J33UF
先日、人がいなくなったら、この地球はどうなるか?というテレビ番組を観ました。
人がいなくなると5年ほどで、道路は、植物に覆い尽くされるそうです。

人は、自分達だけが奪っているという罪の意識に苛まれますが、自然だって、人がいなければ、人間の文明を奪ってしまうのです。

この様な、絶妙なバランスの上にこの世は成り立っており、それを人間の立場からのみ考えるのは、いかがなもんでしょうか?
それこそが、自我なんではないでしょうか?

テレビの話に戻しますが、人のいなくなった世界は、寂しいもんです…
全ての世界を知る人がいないのですからね。
40神も仏も名無しさん:2012/04/04(水) 19:08:47.10 ID:dxXl8dvY
悟りを開いた人は誰?
41オレって名無しかよ!?:2012/04/04(水) 19:22:32.75 ID:Gzl3L3J5
>>40
ある意味、みんな悟ってる。
悟ってるって気付いてないけど悟ってる。
でも、今は悟ってない。
悟ってないから悟ってる。
42バカ女:2012/04/05(木) 00:52:47.94 ID:0rZQiiN0
>>17
>先入観無しに見るとか生を体験するとかいったことを
>「あるがままをあるがままに観る」とか「全てを受け入れる」とか表現しています

あなたは、単に思考を脱落させて「先入観念なし」に、と言っているだけです。
思考を脱落させないかぎり「先入観念なし」の状態には、絶対にならないからです。

それでも「あるがままの世界」は現れないし「あるがままに観る」こともできません。
にもかかわらず、それを「あるがままをあるがままに観る」と主張されるのであれば、
それは人間の限界を知らない傲慢な態度ではありませんか、と言っているんです。

「先入観念なし」の世界も、「先入観念あり」の世界も、共に人間の世界です。
生の形式に限界づけられて存在している人間には、たとえ知情意を脱落させても
あるがままの世界は現れないし、あるがままに世界を観ることもできません。

ましてや「すべてを受け入れる」なんて人間には不可能です。
「すべてを受け入れる」は真理ですが、この世界の中の出来事ではありません。
相対化されずにはいられない生成消滅するこの世界では「すべてを受け入れる」
ということが絶対に不可能なんです。

「先入観念なし」の世界と「先入観念あり」の世界とは、同格の世界です。
どちらも「あるがままの人間の世界」ですから、
あたかも「先入観念なし」の世界が優越しているかのような表現は控えるべきです。

あなたは、すべて受け入れることができないことを知っていて、それを隠しています。
否定を契機にしているかぎり、どのような境地も、あるがままには届いていません。
それに気づきさえすれば、すべてを受け入れることができるかもしれません。
43バカ女:2012/04/05(木) 01:17:34.21 ID:0rZQiiN0
>>18
>私は「観念」の抜け落ちた純粋に現象のみの世界を「あるがままの世界」と呼んでいますね。
>この「あるがままの世界」も人によって解釈が違うんで面白いところです。

前々スレでのろんさんとの議論で「あるがままの世界」がありえないことを主張しています。
「あるがままの世界」ではなく「世界そのもの」という表現でしたが同じことです。

生の形式を無効にしたはずなのに、当のその生の形式によって表象される世界が、
「あるがままの世界」であることに気づかなければなりません。

しかも生の形式を無効にするという否定の契機が含まれているかぎり、
絶対に「あるがままの世界」は現れません。

「あるがままの世界」は、もし全知全能の神がいるなら、その神だけに許されている表現です。
"有限者"である人間には「あるがままの世界」は現れません。

>バカ女さんの「他者」が何を指すのか、どうもピンと来ませんね。

他者=すべての存在者=すべての現象、です。

>「悟り」の説明で良く言われる「自他ともに無く」というのは、あくまで観念の世界の話で
>実際の現象に存在する他者が消えてなくなる訳じゃないですよ。

そういう問題ではありません。

絶対に対象にはならない存在への態度は、絶対に現前することのない愛への責任です。
絶対に現前することのない愛への態度が、絶対に他なるものであるあなたへの責任です。

真理は現前しません。真理を読みくだせば、あなたに読み換えられて頽落してしまう。
真理は、あなたのものではないからです。
44バカ女:2012/04/05(木) 01:50:43.65 ID:0rZQiiN0
>>23
>そのあたりも個人の自由じゃないでしょうか。

その態度を、私は、カラマーゾフ式の「すべてが許されている」と呼んでいます。
存在における、だから愛における「すべてが許されている」との違いは決定的です。

オレムさんがイワンで、私がアリョーシャです。接吻はしませんけど。
悟りの2つの方向性にピッタリ一致します。

>存在うんぬん関係無しに目の前にいるんだったら、それでイイんじゃないのかな?
>責任とか考えずに目の前にいる人を大切にする、それだけで十分だと思いますよ。

私の言葉が、まったくオレムさんには届かないのでしょうね。
そんな話はしてないから。

>これは、あくまで入り口だからキッカケは何でもイイんですよ。

これもまったく伝わっていないですね。

悟りには大きく2つの境地があり、2つの境地は倫理的には別の世界です。

その人がこれまで人生の諸問題にどう向き合ってきたか、どのようにとらえて、
どのように考えてきたのか、そういう準備や動機が決定的に重要なんです。

>前から聞こうと思ってたんですが、「悟り」のスレが沢山ある中で
>バカ女さんはどうしてこのスレを選んだの?

たぶん私がよく知っている人の書き込みを見つけたからです。
45オレって名無しかよ!?:2012/04/05(木) 01:51:52.62 ID:3/cKrxXq
>>43
>「あるがままの世界」は、もし全知全能の神がいるなら、その神だけに許されている表現です。
>"有限者"である人間には「あるがままの世界」は現れません。

なるほど、「あるがままの世界」って使っちゃいけないんだね。
だったら「私の目に映る世界」ならイイのかな?

>他者=すべての存在者=すべての現象、です。

良く分かりましたよ。
他者が現象なら、「悟り」が行き着く先は「存在の奇跡に於いて出逢いうる他者なき境地」じゃないですね。
だって、他者いますもん。間違いなく。

>真理は現前しません。真理を読みくだせば、あなたに読み換えられて頽落してしまう。
>真理は、あなたのものではないからです。

私は真理と呼ばれるようなものは何も持ってないので、その通りだと思います。

>絶対に対象にはならない存在への態度は、絶対に現前することのない愛への責任です。
>絶対に現前することのない愛への態度が、絶対に他なるものであるあなたへの責任です。

この辺りは、バカにも分かるようにもう少しわかり易くお願いします。
46オレって名無しかよ!?:2012/04/05(木) 01:59:16.41 ID:3/cKrxXq
>>44

>その態度を、私は、カラマーゾフ式の「すべてが許されている」と呼んでいます。
>存在における、だから愛における「すべてが許されている」との違いは決定的です。

どう違うのか聞いてもイイ?

>オレムさんがイワンで、私がアリョーシャです。接吻はしませんけど。

あら、残念!!

>私の言葉が、まったくオレムさんには届かないのでしょうね。
>そんな話はしてないから。

それは失礼しました。

>悟りには大きく2つの境地があり、2つの境地は倫理的には別の世界です。

これまでに、そんな話ありましたっけ?

>その人がこれまで人生の諸問題にどう向き合ってきたか、どのようにとらえて、
>どのように考えてきたのか、そういう準備や動機が決定的に重要なんです。

どう重要になるのか良かったら教えて下さい。
47安堂 ◆3LK.0gZrV2 :2012/04/05(木) 02:04:27.85 ID:09US9VGI
>>41
>ある意味、みんな悟ってる。
>悟ってるって気付いてないけど悟ってる。
>でも、今は悟ってない。
>悟ってないから悟ってる。

言い尽くされてような言葉で申し訳ないが、
「あなたの右の眼が右の眼を見ることはできない」ということではないでしょうか。
言葉通りで、右の眼球は右の眼球自体を見ることできないですよね・・・。
上記の言葉は悟りの基準とすることが可能な気がします・・・。
「悟り自体が悟り自体を知ることはできない。」と置き換えてもよいのではないでしょうか。
全世界は全世界を知ることができない。全宇宙は全宇宙を知ることはできない。
全ては全てを知ることはかなわない。無いものが無いものを捉えることはできない。
48安堂 ◆3LK.0gZrV2 :2012/04/05(木) 02:12:24.96 ID:09US9VGI
かけがえのない仲間が100人いるとします。その内の1人がどこかで迷子になりいなくなってしまった・・・。
残りの99人は、いなくなった1人のために捜索隊を出したりするでしょう。

残りの99人が誰も気づかずに、はぐれた1人が他の人々を探すこともあるでしょう。
しかし、残りの99人も手分けして捜索した方が速く迷子の1人を発見できるでしょう・・・。
49バカ女:2012/04/05(木) 02:13:17.52 ID:0rZQiiN0
>>45
>なるほど、「あるがままの世界」って使っちゃいけないんだね。
>だったら「私の目に映る世界」ならイイのかな?

神さま関係なしに、論理的にありえない世界が「あるがままの世界」ですから、
そこは勘違いしないでください。
私は哲学徒なので、神さまをもちだして問いを解消するようなことはしません。

>良く分かりましたよ。

ぜんぜんわかっていませんよ。

現象としてのオレムさんには、彼女を想うことも愛することもできません。

オレムさんはロボットだから、オレムさんの恋は実りません。
オレムさんは、存在を通じてはじめて彼女に出逢います。
思うより面倒な仕組みになっています。

現象する「私」 ⇔ 現象する「あなた」、が不可能なので、
現象する「私」-----→<存在>←-----現象する「あなた」、です。

以前紹介した西田が言うように「私の底には汝が、汝の底には私が」になっています。
存在者同士は「底=存在」を通じて出逢うしかないんです。

現象としての存在者同士は、絶対に他なるものです。
「テーブルの上のコップ」は、それ以外の「すべてではない」ことによって存在します。
特に言語存在者同士の論理空間の独立性は、重なり合うことのない別の世界を示します。
50バカ女:2012/04/05(木) 02:29:11.01 ID:0rZQiiN0
>>45
>この辺りは、バカにも分かるようにもう少しわかり易くお願いします。

 真理は現前しません。真理を読みくだせば、あなたに読み換えられて頽落してしまう。
 真理は、あなたのものではないからです。

ですよ。これまで私がしてきたお話しを理解してくれていたらわかるはずです。

>>46
>どう違うのか聞いてもイイ?

さんざんお話ししてきました。お願いしますよ。

>これまでに、そんな話ありましたっけ?

オレムさんだけが悟っていて、私が悟ってない設定になっていたので。(笑)
私は悟りたいなんて一度も思ったことがないし、悟ってるなんて思ってもいないけど、
ひとつになるの境地は、オレムさんのそれとは対極の境地として位置づけられます。
私は曲がりなりにも両方の境地を経験しているので理論化することが可能だったんです。

>どう重要になるのか良かったら教えて下さい。

書いてありますよ? これでも工夫して書いてるんですよ。

否定の契機、たとえばオレムさんの場合なら、自我の否定と言えば伝わりますか?
そういう契機をもっているかぎり、ひとつになる境地にはなかなか至れません。
というより、入り口に立った時には、どちらに進むか決まっているとも言えます。
オレムさんはその境地を捨てたんだから、アリョーシャがいるところに行ってください。
51安堂 ◆3LK.0gZrV2 :2012/04/05(木) 02:38:30.39 ID:09US9VGI

失礼なことを言って申し訳ありませんが・・・
この『バカ女』という方の明晰な哲学性から私の所見をすると
この方は女性ではないですね・・・。
恐れ入る明眼です・・・。(本当に女性だったらすいません・・・)
Ladyに「話しかけるな!」と言われているので、もちろん私の独り言ですが・・・。
52バカ女:2012/04/05(木) 02:56:36.80 ID:0rZQiiN0
>>51
独り言でも今度聞こえたら引っぱたきます!

>>47
>「あなたの右の眼が右の眼を見ることはできない」ということではないでしょうか。
>言葉通りで、右の眼球は右の眼球自体を見ることできないですよね・・・。

鏡に映せば見られます。

視野の中に現われるものには、見ている主体が不在だ、ということです。
見えている世界については記述できても、見ているというまさにそのことは記述できません。
死がないのは、生に終わりがないから、というのも同様の事柄です。
禅で言われる有無が生じた謎なんかも同じ論理の中にあります。

すべて考えれば解決できる問題ばかりですから、もう少し考えてみましょう。
53安堂 ◆3LK.0gZrV2 :2012/04/05(木) 03:21:06.43 ID:09US9VGI
>>52
>独り言でも今度聞こえたら引っぱたきます!

上等です。今後もご活躍ください・・・。
(あっ!これは寝言ですけど・・・)
54バカ女:2012/04/05(木) 03:33:53.28 ID:0rZQiiN0

アンポン向け特別サービス授業 禅のバカさ加減、例えば有無について @

私たちの世界は現象の世界である。これを禅では「有」と表現するらしい。
そして有は有ならざるところから生じたと考え、有ならざるそれを「無」
と呼ぶらしい。(対象ではありません)

たしかに現象側から見られた存在は無と見分けがつけられませんが、
禅における無は、有の根拠でありながら、有と同次元に措定されています。
これでは無も生じたのではないか?と無限遡及を懐疑されるのは必然です。

まず、現象(有)と存在(無)との次元が異なっていることが理解されるべきです。
これを哲学では「存在論的差異」(現象と存在の位相は異なる)と呼びます。
無限遡及が起きるのは、現象(有)と存在(無)を同次元に位置づけるからであり、
そこで禅の思考では、苦し紛れに「有無未分の場所」を要請することになります。

でも「有無未分の場所」の要請が、論理的要請であることには気づきません。
どこまで行っても「場所の有無」は問われ続けるのです。(無限遡及します)
禅の思考では、論理という私たちの生の形式を通り越して短絡させてしまう。
ともかく、発生論的に「はじまり」を求めても答えが出ないことには気づきました。
それで「有無未分の場所」を想定したのだから、ここでは無限遡及は問いません。

にもかかわらず、現にこの世界(有)は存在している。
そこで、本来「一」であるはずの「有無」が、どうして分離したのか?
などと考える始末になります。
もちろん、答えなんてでません。
そこで「有無がどうして分離したのか?」という問い自体を抹消してしまう。
これが禅の「不立文字」の立場であり、「無意味」の正体です。

考える能力がないからって「考えるのやーめた」なんて
ずいぶん禅はポジティブですね、みなさん納得して「無意味を悟る」らしいです。
55バカ女:2012/04/05(木) 03:38:14.35 ID:0rZQiiN0

アンポン向け特別サービス授業 禅のバカさ加減、例えば有無について A

で、禅は、有無の分離について考えるのをやめたはずなのに
今度は、それは隠された神秘ではなく、思考の側に問題がある、と言い出す。

やっと生の形式という世界把握の前提に気づくわけです。
この前提が「有無の分離」という問題を生じさせている、と。
それだけではなく、思考によって解明できないということは、
それが思考以前の生の形式だから、と留まるところを知りません。

そこで生の形式の抹殺計画を思いつく。(前提への盲従にも気づかず)
前提にとらわれないようにするために、2つの事実を宙吊りにする。
「有無についてはわからない」と「現に世界は存在している」を。

どうなるかと言えば、有無の区別はつかない、と言ったそのことさえ
はたして有るのか無いのかわからない、というような始末になる。

なぜなら「現に世界は存在している」という有からはじめたつもりが、
気づいてみたら有は無によって限界づけられていた。
でも「有無についてはわからない」のだから、その考えも無効である。
こういうメチャクチャを「支離滅裂」と呼びます。

要するに「有は有ならざるものから生じた」=「無から有が生じた」
という考えが間違いなので、最初に戻って考えなおすべきなのです。
「生じる」という事態は、この世界の、だから有の形式だからです。
最初に指摘したように有無を同一の次元に位置づけるから誤ります。
それでは有に対する相対無の域を超えません。

安堂さんは、今日からアンポンになりました。地獄からポンと解脱する意です。
けっして☆アンポンタン☆の略ではありませんので勘違いしないでくださいね。
56バカ女:2012/04/05(木) 03:44:26.33 ID:0rZQiiN0

アンポン向け特別サービス授業 禅のバカさ加減、例えば有無について B

さて、「無から有が生じた」という推測が間違っているのでした。
「有が無に限界づけられる」とは、この世界が生成消滅している事実を
有無に投影しているからで、相対無に対して有を限界づけているのです。
これは現象の範疇ですから「存在忘却」に気づかれなければなりません。

禅では「現に世界が存在している」ことも「知らざる」で通すようです。
探求や問いが、例の「支離滅裂」に陥る構造を明らかにしたのだから、
そのような努力は避けるべきであり、探求や問いが前提していることを、
だから「現に世界が存在している」ことを、抹消するべきであると説きます。

・ 現象なき、ただ在る、が、おそよ無とは区別が付けられないことを、
・ すでに存在している私たちにとって、存在こそが限界であることを、
・ だから無はしりぞけられなければならないことを「知るべき」です。

例えば、禅では「存在を考えること」と「死を考えること」が同列に並びます。
これは明らかにまちがっていて、現に存在しているのだから存在は考えられる。
けれど、死は、この世界の中には存在しないし、生の出来事でもないのだから、
考えることはできません。

死を考えることは、生の向こう側を考えることですから、もしそれが可能なら、
私たちは、死んだことがあることになりますが、それは不可能です。
なぜなら、死んでいながら生きていること、はできないからです。
もしそれが可能なら、私たちにはこの世とあの世とのあいだの境界線が
見えるのでなければなりません。それが、死んでいながら生きている、だからです。

この論法で有無を考えれば、無が不可能であることが明らかになります。
私たちには「現に世界が存在している」ことしか知りえないのだから、
余計なことは考えずに「現に世界が存在している」ことを解明すればいいんです。
57安堂 ◆3LK.0gZrV2 :2012/04/05(木) 03:54:07.80 ID:09US9VGI
>>54-55

すまん。私は安堂アンポンタンだが・・・、
ですが、そんな何とか真理教みたいなやばい思考回路は持ってないです・・・・。勘弁してください。
私はあんぽんたんといわれる、アハさん・ポッたん・あらしを呼ぶ男とは別人なのです。
禅的思考を知るほど禅まみれではありませんし、不立文字の解釈もどーなんでしょう?
「考えるのやーめた」で考えるのをやめられたら哲学者ではありません・・・。
58安堂 ◆3LK.0gZrV2 :2012/04/05(木) 04:02:21.76 ID:09US9VGI
>>55-56

これは素晴らしすぎる。
あなたの師匠は誰ですか?
呼んでいて笑いがとまらないほど斬新です。私なんか無視してください。
あなたは私なんかと話をする次元にいません。崇高な天上の方です。

バカ女さま、あなたを見くびっておりました・・・。
あなたは神のお一人です。
私が邪魔しなければよかったのでした・・・。すいません
59バカ女:2012/04/05(木) 04:17:21.07 ID:0rZQiiN0
>>57
>すまん。私は安堂アンポンタンだが・・・、
>ですが、そんな何とか真理教みたいなやばい思考回路は持ってないです・・・・。勘弁してください。
さっき適当にググって書いただけだから、思いっきりまちがえてる可能性大。
ツッコミ入れやすいかな?なーんて、やさしいんだもん私。

>禅的思考を知るほど禅まみれではありませんし、
それはよかったです。

>不立文字の解釈もどーなんでしょう?
不立文字ってなんですかー? りっぱに文字だと思うんですが・・・禅の妙なこだわりが理解できません。

>「考えるのやーめた」で考えるのをやめられたら哲学者ではありません・・・。
それはすみませんでした。アンポンさんは哲学者だったんですね。
どうして宗教板にいるんですか?

>>58
>あなたの師匠は誰ですか?
考え方の核は、カントとウィトゲンシュタインです。
「あるがままの世界」「すべてを受け入れる」批判は、カントです。

さっきの「目は目を見られない」は『論考』からですよね?

>呼んでいて笑いがとまらないほど斬新です。私なんか無視してください。
本気で言ってくれてるなら嬉しい、ありがとう。
無視なんかしないので、いつでも話し掛けてください。
60安堂 ◆3LK.0gZrV2 :2012/04/05(木) 04:42:12.36 ID:09US9VGI
いいんじゃないでしょうか。
論理哲学論考なんか知りませんが、
よほどヴィトゲンシュタイン好きなのでしょうねえ
61バカ女:2012/04/05(木) 04:53:00.77 ID:0rZQiiN0
もともと自分の中にある考えを代弁してくれているように感じられました。
そういう意味では読まなくてもなにが書かれているのかわかるくらいです。
読むとわからないんで、読みませんけど。(^_^;)
じゃあ、またね、バイバイ。
62安堂 ◆3LK.0gZrV2 :2012/04/05(木) 05:07:39.47 ID:09US9VGI

バカ女は捨てきれなかった・・。
美を求め笑顔で多くの人生をyjfcいvlb
63ama ◆BmUbLWewsM :2012/04/05(木) 07:26:13.06 ID:Ujlymc8/
>>40
分かりません。
永遠の謎です。
64ama ◆BmUbLWewsM :2012/04/05(木) 07:28:58.78 ID:Ujlymc8/
良くても生きているし、悪くても生きている。
善悪や優劣よりも先に「これ」がありますね。
価値判断の負けです。
65オレって名無しかよ!?:2012/04/05(木) 08:14:58.04 ID:3/cKrxXq
>>47
それって適当に言葉を繋げてそれっぽく見せてるだけだから
特に意味は無いですよ。
66神も仏も名無しさん:2012/04/05(木) 08:42:02.12 ID:xtQysa9S
特に意味がないってすごいことだよね
逆に特に意味があるってなんだろうね
67オレって名無しかよ!?:2012/04/05(木) 09:11:29.47 ID:3/cKrxXq
>>50
>オレムさんだけが悟っていて、私が悟ってない設定になっていたので。(笑)
>私は悟りたいなんて一度も思ったことがないし、悟ってるなんて思ってもいないけど、
>ひとつになるの境地は、オレムさんのそれとは対極の境地として位置づけられます。
>私は曲がりなりにも両方の境地を経験しているので理論化することが可能だったんです。

そうじゃないかと思ってましたが、
バカ女さんから何も言われてなかったんで気付かないフリをしてました。
立ち位置がハッキリしたんで、今まで言わずにいた事を言わせて下さい。
(これでも、バカ女さんが傷付くかと思って今まで黙ってたんですよ)

バカ女さんのその理論はバカ女さんの観念の世界だけで成り立つ理論で
他の人には成り立たない独り善がりの理論ですよ。
恐らく、あなたの理論を支持出来る人は、誰もいないでしょう。
それは、あなたの観念に存在するモノを私達の誰も持っていないからです。
そもそも他者を攻撃したりすることでしか確認出来ない理論が必要なんでしょうか?


それに、バカ女さんは「存在の奇跡に於いて他者と出逢う」なんて良く書いてますけど
実際、バカ女さんに「他者」っていませんよね。
あなたの言う「他者」って自分の優秀さを証明したり自尊心を満たすだけに存在する
「自分より劣った者たち」ですよね。
目の前にいる「他者」の姿が、あなたに見えていますか?分かろうと努力していますか?

勝手な事を書き込みましたが、悪気があっての事じゃないので許してください。
68悟り子 ◆AAyxyMDKw6 :2012/04/05(木) 09:16:35.57 ID:hSlj5Vmy
>>42
今この瞬間を受け入れること
あるいは今この瞬間に心理的に抵抗しないこと
あるいは既にそうであることを否定しないこと
とかいった感じの在り方を「あるがままをあるがままに観る」とか「全てを受け入れる」とか表現してます
69悟り子 ◆AAyxyMDKw6 :2012/04/05(木) 09:27:02.95 ID:hSlj5Vmy
>>64
>善悪や優劣よりも先に「これ」がありますね

そう、そして[「これ」を解釈した結果得た概念]は[「これ」を解釈した結果得た概念]なのですね
そしてその概念も、その概念にたいする今の悟り子の解説も(笑)
70オレって名無しかよ!?:2012/04/05(木) 09:30:30.11 ID:3/cKrxXq
>>50
>私は曲がりなりにも両方の境地を経験しているので理論化することが可能だったんです。

バカ女さんは自我の否定はしてたみたいだけど
自我の消滅(消失?)は経験してないよね?

>オレムさんはその境地を捨てたんだから、アリョーシャがいるところに行ってください。

別に境地を自分で捨てたわけじゃないけど・・・、大いなる力に導かれたんだよね。
71神も仏も名無しさん:2012/04/05(木) 09:35:27.54 ID:rbw8OQ8I
>あなたの言う「他者」って自分の優秀さを証明したり自尊心を満たすだけに存在する
>「自分より劣った者たち」ですよね。

ケタケタケタ

>勝手な事を書き込みましたが、悪気があっての事じゃないので許してください。

そうかああ?ww
「もう一度、己の心をよく観察するのじゃ。わっはっはっは〜〜〜」
72オレって名無しかよ!?:2012/04/05(木) 10:01:47.58 ID:3/cKrxXq
>>71
もしかして、何か俺に言いたいことでもあるの?
あるんだったら、安価つけて聞いてくれる。
73神も仏も名無しさん:2012/04/05(木) 10:14:13.65 ID:rbw8OQ8I
>>72  
>もしかして、何か俺に言いたいことでもあるの?
>あるんだったら、安価つけて聞いてくれる。

wwww いや、気にしないでいいぞww
こっちは、面白いと思った書き込みに、勝手に感想書いてるだけだからwww

74オレって名無しかよ!?:2012/04/05(木) 10:17:24.75 ID:3/cKrxXq
>>73
ああ、そうなんだ。
もし、何か聞きたいことがあるんなら聞いてくれ。
出来る範囲で答えるから。
75神も仏も名無しさん:2012/04/05(木) 10:29:28.25 ID:rbw8OQ8I
>>74 
>もし、何か聞きたいことがあるんなら聞いてくれ。

ww 今のところないなあw
ただ、傍観者から一言、言わせてもらうとね、
御宅とバカ女とのやりとり、もう結構長くなるけど、
レスのやりとりが、お互いの発言の断片に終始することが多くて、
論点がボヤケテわからんぞww
お互いの使用する語彙の意味あいも、すれ違っていたことが多かったし、
もう少し根本から丁寧に詰めていったら?

このまんまじゃ、相手の発言の行間に自分の思い込みを投射して、
すれ違いばっかりでしょ?wwwww
76オレって名無しかよ!?:2012/04/05(木) 10:52:22.48 ID:3/cKrxXq
>>75
うん、実はあのやり取りはもともと議論じゃないんだ。
俺は他人の「観念の世界」を知るのが好きで
特殊な観念を持つ人の書き込みにレスしたくなるクセがあるんだ。
最近だと「世界の答え」や「バカ女」それに「ノスタルジア」かな。

だから、あの長々とした書き込みはバカ女さんの「観念の世界」を
知るためにやってたことで他に特に理由はないんだ。

それに、バカ女さんはレッテル貼りや思い込みが酷いから
すれ違いはしょうがないと思ってる。

これ以上新しい事も出てこないし、そろそろ潮時かな。
77神も仏も名無しさん:2012/04/05(木) 11:05:40.03 ID:rbw8OQ8I
>特殊な観念を持つ人の書き込みにレスしたくなるクセがあるんだ。
>最近だと「世界の答え」や「バカ女」それに「ノスタルジア」かな。

wwwwwww 「世界の答え」、「ノスタルジア」ww
何だ?  妄想癖のあるものの思考に興味があるのか?
変わったやつだなあww

そういえば、以前、「てすと」ってやつが
「キチガイウオッチングは楽しいぞ」って言ってたなww

>それに、バカ女さんはレッテル貼りや思い込みが酷いから
>すれ違いはしょうがないと思ってる。

wwww あ〜〜あ、こういう事かくから、「ムキ〜〜〜」って噛み付いてくるのにwww



78オレって名無しかよ!?:2012/04/05(木) 11:19:47.44 ID:3/cKrxXq
>>77
>何だ?  妄想癖のあるものの思考に興味があるのか?
>変わったやつだなあww

うん、そうだね。
どっちかって言うと思考より「世界観」かな。
見えてる世界は同じ物のはずなのに違って観えるってのが面白いね。
こういう人達と直接会うのは怖いけど、ネットならそんなに怖くないしね。
最近はノスタルジアが面白いね。
彼の発想は独特で何だかクセになるね。

>wwww あ〜〜あ、こういう事かくから、「ムキ〜〜〜」って噛み付いてくるのにwww

彼女が噛み付いてくるのは自分の理論でねじ伏せられる人だけだよ。
自分の理論がおびやかされる相手は彼女の方から拒絶するよ、いろんな理屈つけて。
79473:2012/04/05(木) 12:53:53.76 ID:Tbzn/V0T
私のために生きようとすると、世界との衝突があるどころか、私内部にまで葛藤が起きるのです。
しかし誰のためでもなく流れていれば行ったことは自分に帰ってきて意図しないのにみんな幸せになってゆきます。

実は、「全体の流れ」だけが事実であり、
私という「思い」体という「思い」感覚という「思い」家族への愛着という「思い」
の方こそが努力し続けられないと維持できない思い込みなのではないでしょうか。

根本的なパラダイムの転換であり、私を注視する事で私というものが
無条件な事実でなく一種の努力であるという事実が垣間見えてきます。
80473:2012/04/05(木) 14:11:09.06 ID:hUJUppbS
私がこれを語っていないならいいのですが、
実際問題として私はこれを自他に語りたくてたまらないらしく、
(皿を洗ってこの考えがしつこくまとわりつくので一目瞭然(笑))
まさにそれこそが事実への抵抗であり元の木阿弥といえます。

私は何かを支配し奪いたいと欲します、その戦いによって得たり失ったりともかく極端に行ったり疲れ果てたりすると、
こんどは何か偉大なものと一体化したい、依存したいという正反対の欲求が生まれてきます。
それが極端に行くと今度は戦いへの欲求や希望がわいてきます。

正反対の欲望が互いを互いの足場として、いつも極端に行ってはその反対側が魅力的になり行ったりきたりします。
前者は男性的欲求であり後者は女性的欲求でしょうか。
欲望は相補的な正反対の欲求2つを必ず含んでいるものであり、それは私たちの生活の中から発見されます。
外見では一見関係ない2つの欲求が内部ではきっちりと相補的な正反対のものだったり。

欲するものと逆のものがもたらされるとわかるとくつろぐといいます。
81473:2012/04/05(木) 14:13:00.19 ID:hUJUppbS
>>バカ女さん
言葉通りに人間は生きられないという認識が宗教にはあります。
実際にどのように、どのような心持ちで生きるかが禅が受け持つ領域になります。

観念で禅を把握してその観念どおりに生きようとしている人がいれば、バカ女さんの反論は実に的を得ているように思います。
何らかの前提は決してその前提からの自由を生まぬがゆえに真理に行き着くことはない。
とお分かりであれば、もはや課題はどう考えるかではなく、どう感じて生きているのかという日々の事実ではないでしょうか。

死を知らないのに死を論じることはできないというのはそのとおりです。
それゆえに古来宗教では死は存在しないといいますし、現代宗教ではもう少し突っ込んで
肉体的心理的な経験への執着から生み出される恐怖のことを人は死と名づけているのであって、
人は実際には死を怖がっているのではなく、既存のものを失うことを怖がっているのだと論じています。
ただこれは自分の理論ではなく、自分の刻々と動いている心を見つめることで自然と開示されてゆくべきことなので、
あまり多くを語らず、とりあえず「死」とわかりやすく入門者のために銘打っているのだと思います。
82473:2012/04/05(木) 14:13:16.92 ID:hUJUppbS
>>67>>71
67自体がまさに前述の
http://homepage1.nifty.com/eggs/iryou/gihou/projectiv_id.html
http://oneiromancy.holy.jp/blog/archives/2008/10/post_21.html
ttp://cherishchu.exblog.jp/11152666/
自分と同様の傾向がある人間に自分の受け入れがたい傾向を投影しそれを「助けようとして」
自分との対峙から回避します。

誰もが自分の見たくない部分を他人に投げつけます。
それが私という機能です。私はそれをしないという人は自我を理解できていません。
私はそれでしかない、他者は自らを映す鏡でしかないと痛感する人は一歩一歩進みますが、
しかし実際問題私がある限り投影、投影、投影のみが生です。
他者を他者として受け取ることなどわずかな部分、わずかな時間の隙間です。

自分の無意識と記憶と感情の全体と向き合うことができないのに、どうやって他者を他者として受け入れられるのでしょう。

自分の経験を前提とするから誰にもわかられない、誰のこともわからない。
それがあらゆる人間です。
平凡な羊は似たような妄想を持つのでそれに気づき難いですが、大きな羊迷える羊は個人として自立した妄想を持つがゆえに、
他者のではなく自分自身の主観に気づく可能性があります。
群集という逃げ場のない彼、彼女は自分を見つめざるを得ないのです。
83神も仏も名無しさん:2012/04/05(木) 23:04:18.58 ID:rbw8OQ8I
>>78 おい、お前、昨日「鬼スレ」でおれにチャチャ入れてきたやつじゃねえか?ww

あの時は、シャレでお終いにしたが、このスレの書き込みはシャレじゃないのか?wwww
84神も仏も名無しさん:2012/04/05(木) 23:06:56.25 ID:rbw8OQ8I
>>78 それと、ノスのこと「師匠」とか呼んでるが、
お前もしかして、以前、俺のこと「パーピマン師匠」とか呼んでいたやつか?w
85オレって名無しかよ!?:2012/04/05(木) 23:13:38.32 ID:3/cKrxXq
>>83
お前、あの時の奴か。

>あの時は、シャレでお終いにしたが、このスレの書き込みはシャレじゃないのか?

ここでの書き込みはシャレのもあれば、マジなのもある。
それは読む人が決めればイイよ。

>>84

>お前もしかして、以前、俺のこと「パーピマン師匠」とか呼んでいたやつか?w

誰だ、それ。
お前と会ったのは昨日が初めてじゃないのか?
コテハン付いてないと誰が誰だか分かんね〜な。
86神も仏も名無しさん:2012/04/05(木) 23:15:43.25 ID:rbw8OQ8I
>>85  なるほどww  バカ女へのレスはマジというわけかいwww

>誰だ、それ。

別人ねw
87神も仏も名無しさん:2012/04/05(木) 23:23:50.58 ID:QyYov58D
悟りにも段階があるよ
解脱か光明かどこを目指すかで全然違ってくる
自我を捨てるだけで満足出来るならそれでいいしさ
でもたったひとつの不純物さえも許せないっていうなら解脱になる
まあでも誰も悟れないから無駄な話だけどね

それが起きる可能性のある人をあげるなら
どんだけ自分が人間やってる事に違和感を感じられるかだね
本当の違和感を感じた事のない人は近付いたらダメな世界だよ
下手に近付いたら精神崩壊して破滅するよ

あと子供の頃からどれだけ闇に馴染んでるかも重要だね
闇を心地よいと思える資質がないなら意味ないよ
死に対しての恐怖心が強い人なんて論外だよ
88安堂 ◆3LK.0gZrV2 :2012/04/06(金) 01:27:21.11 ID:yuV/qwSx
>>64 ama師

>善悪や優劣よりも先に「これ」がありますね。
「それ」があります。
しかし日常では価値判断の方が断然重要と思われますが・・・。

>>65
>それって適当に言葉を繋げてそれっぽく見せてるだけだから
>特に意味は無いですよ。
ただ思ったことを言葉にしただけです・・・。
確かに特に意味はないのですが・・・。
89神も仏も名無しさん:2012/04/06(金) 01:34:07.67 ID:nAIpI/uh
悟りに終わりはあるのか?
悟りには段階があるというが、例えば、気付きや、光明を観たり、自我の理解、世界との一体、神通力、超能力などなど。
果たして、それに終わりがあるとしたら、何?
自我の死になるんかな〜?
自我が空に解けたとしても、経験する自我がなくても、経験はあるしな〜・・・
どういうことなんだろう?
90オレって名無しかよ!?:2012/04/06(金) 01:43:32.99 ID:kyASDpWZ
>>89
最終的に「悟った」って感覚が無くなれば、そこで終わり。
91神も仏も名無しさん:2012/04/06(金) 01:48:53.51 ID:nAIpI/uh
元から悟ったって感覚がないんだけど、どうしよ〜・・・
92オレって名無しかよ!?:2012/04/06(金) 02:00:40.56 ID:kyASDpWZ
>>91
まずは、自分と似た考えの「悟り」から目指してみたら。
93安堂 ◆3LK.0gZrV2 :2012/04/06(金) 02:09:24.37 ID:yuV/qwSx
よくわかりませんが、「悟り」という言葉はバラモン教や仏教など東洋の宗教で
用いられる言葉です。
もし宗教的なことを何もしらない無頓着な外国人がいて、
その人が「悟った」ならどうなるでしょうか?
94神も仏も名無しさん:2012/04/06(金) 02:13:08.81 ID:nAIpI/uh
ということは、超能力系か・・・
95神も仏も名無しさん:2012/04/06(金) 02:30:13.05 ID:BgsQtrsq
>最終的に「悟った」って感覚が無くなれば、そこで終わり。

なんだよwww
お前も、「自称」悟った君かよwwww
96安堂 ◆3LK.0gZrV2 :2012/04/06(金) 02:37:21.52 ID:yuV/qwSx
釈迦牟尼という人、つまり今のインドあたりのどこかのマガダ王国だったか、
そこの王子であったゴータマという王子が悟りを得て、仏教の開祖とされている・・・。
ゴータマ王子は出家して当時のバラモン教やらの境地をいろいろと体験され、
「あれでもこれでもない」として、ついに悟ったといわれている・・・。
よく考えると、ゴータマ王子は「これまでの伝承や言い伝えではないもの」を悟った、
ということになる・・・。
そうだとすれば、釈迦やそれ以後の伝承や言い伝えで言われる「悟り」を自身の経験と
当てはめて「悟りかどうか」判別することは不可能だと思われる。
つまり「悟りとは─────ということ」という悟りの定義に至ることが無効化されるはずである。
「同一基準の悟りという到達点」というのを否定するのであるならば、
我々個々の存在も千差万別であることは当然であるので、悟り続けているということになる・・・。
まったく「悟り」という言葉はやっかいなのだと思われる。
「悟り」という「言葉」がある時点で、それの何らかの統一的意味内容が形成されるわけであるから・・・。

97神も仏も名無しさん:2012/04/06(金) 02:45:56.33 ID:nAIpI/uh
自我の理解と、超能力が同列にならんじゃうから、よくわかんなくなっちゃうんだよね〜
しかし、自我が薄れると、超能力が発揮されるようなこともあるような気がする。

エイ、ヤー!(超能力使用中)
98神も仏も名無しさん:2012/04/06(金) 02:49:14.72 ID:BgsQtrsq
>しかし、自我が薄れると、超能力が発揮されるようなこともあるような気がする。

ねえだろww
99安堂 ◆3LK.0gZrV2 :2012/04/06(金) 02:54:34.88 ID:yuV/qwSx
要するに、我々は社会的にレールが敷かれているとか、独自の道を切り開いている、などの
「道」を越えて、誰もが悟り続けているのではないかと思われる・・・。
孫文であったか・・・多くの人が通るようになればそれが道になると言ったのは・・・・。

そうでなくても、我々一人一人は、これまで生きてきた人や生物また、現代の60億ともいわれる
人々の中で、誰一人同じ「道」を歩んではいないだろう・・・。
そんなことは絶対的にありえないのではなかろうか・・・。

唯一人だけが歩む道、誰もが歩む道・・・。
かの者はこちらへ、かの者はあちらへ、また別の者はそちらへ・・・、
故郷が消えることになり最後に広場に集まった人々・・・誰もが同一の方向へは行かない・・・。
「私は北へ」「私は南へ」「私は東へ」「私は西へ」「私は北西へ」「私は南東へ」・・・・・・・・・・・(略)
我々一人一人がそうであるならば、故郷は心の中にだけある・・・・・。
100神も仏も名無しさん:2012/04/06(金) 02:58:19.90 ID:nAIpI/uh
>>98
もしかして、ちみは超能力童貞か?
101神も仏も名無しさん:2012/04/06(金) 02:59:28.28 ID:BgsQtrsq
>>100  なんですか? その、「超能力童貞」とか言うの?wwww
102神も仏も名無しさん:2012/04/06(金) 03:07:46.55 ID:nAIpI/uh
>>101
つまりだな〜、超能力が童貞ってことだ。
あ、でも30歳まで童貞だと、魔法が使えるって言うよな・・・
ってことは、童貞は超能力者かもしれん。
103神も仏も名無しさん:2012/04/06(金) 03:09:38.01 ID:nAIpI/uh
童貞は恥ずかしがることではないぞよ、諸君!
104神も仏も名無しさん:2012/04/06(金) 03:10:00.92 ID:BgsQtrsq
>>101
>つまりだな〜、超能力が童貞ってことだ。

意味わからんwww  もしかして、超能力が使える人がいると言いたいの?ww
105安堂 ◆3LK.0gZrV2 :2012/04/06(金) 03:11:57.46 ID:yuV/qwSx
超能力は超能力板があるが・・・。
私が六神通を語ると、
とんでもないオカルト騒ぎになるのでやめておきます・・・。
童貞かどうか処女かどうかは関係ないと思われます・・・。
106神も仏も名無しさん:2012/04/06(金) 03:15:43.73 ID:BgsQtrsq
>私が六神通を語ると、

wwww 安堂〜〜〜〜、お前もしかして

「私には、神足通がある。毎晩、空を飛び回ってるぞよ。」
とか、言い出すんじゃねえだろうな?wwwww
107神も仏も名無しさん:2012/04/06(金) 03:17:02.46 ID:nAIpI/uh
>>104
いるに決まってんじゃん!
スプーンまげのなんとか少年とか、ユリゲラーとかさぁ・・・
というか、超能力とか、フツーでしょ?
108神も仏も名無しさん:2012/04/06(金) 03:18:45.04 ID:BgsQtrsq
>>107 なんだ、ネタだったのかww

本気で信じちゃってる人かと思ったww
109神も仏も名無しさん:2012/04/06(金) 03:25:43.22 ID:nAIpI/uh
>>108
ネタな訳ないじゃんw
あるよー
110安堂 ◆3LK.0gZrV2 :2012/04/06(金) 03:29:32.36 ID:yuV/qwSx
>>106
飛べたらいいですね・・・。それは私の夢です。
人がマシン無しに空を飛ぶ・・・。まあ夢ですよね・・・。

もしかして、パーピマン閣下であらせられますな・・・。
私はパーピマン師匠とはお呼びしておりません。
あくまで「デーモン小暮閣下」と同じ『悪魔』の一種として「パーピマン閣下」とお呼びしております。
まあ、私はその人に合った「敬称」をつけるのが好きなだけなのですが・・・。
固定ハンドルの方には、大抵そのハンドル名に合った敬称をつけています・・・。
111安堂 ◆3LK.0gZrV2 :2012/04/06(金) 03:39:05.18 ID:yuV/qwSx

>>93>>96>>99

誰か応答くださいな。何もないの寂しいのです。
誰でもよいので見解を。
112神も仏も名無しさん:2012/04/06(金) 03:53:32.69 ID:nAIpI/uh
ピーマンちゃんもいないみたいなんで、なんか書くか・・・
ってか、おれも同じような見解なんですよね〜
悟りの定義ってのがよくわからん。
こことかで観てると、自我を解決したら、悟りなのかなとか思うけど、別に大した事じゃない気がするし、
超能力だって大したことじゃないし、意識に目覚めたとしても、それが悟りなのかもわからん。
やはり、それぞれの持ち場で悟っていくしかないんだろ〜ね〜
超能力童貞でも悟れるんだろうし・・・
113神も仏も名無しさん:2012/04/06(金) 06:19:18.41 ID:uhmf/Me9
個々に用意された悟りというものがある。悟りの達成ゲームをどこまでも追求していくことが、
その人にとっての悟りであることは正直、稀だ。本来、実にマニアックな道だ。
だから、多くの人は無理に背伸びしなくて、釈迦やキリストを目指さなくてもいい。

君が君である為に必要なものなど何もない。それがそれである為に必要なものなど何もない。
そのことを全身全霊で思い出すこと、それが先ず、第一の悟りだ。
つまり、世界を平らにすること。もう何もかもが同じに見える。

そして、と同時に、それでも好きなものを感じ、選び取っていくこと、
それが第二の悟りだ。多くの宗教はここを軽視しすぎている。そのせいで、
世界を止めることだけが、悟りであるかのように語る者が実に多い。
114神も仏も名無しさん:2012/04/06(金) 06:21:44.96 ID:uhmf/Me9
何かになる必要を感じ、その為に何かを選んで生きること、それが従来だが、そこを脱し、
何にもなる必要がなくなること。だが、そこで終わりではない。もう一度、選んでいけばいい。
そうして、君は君を本当に生きはじめる。だから言うのだ。
これはただの長い長い呼吸のようなものだと。

境涯の深さなんてバカげたことをやるのであれば、第一の、世界をどれだけ真っ白に
戻せているかが試される。でも、本当に全ての価値を帳消しにしてみれば、分かるはずだ。
こんなものはゴールじゃないって。ゴールなんてやっぱないんだなってつくづく感じる。
そっから、どれだけ好きな絵を描いていくか。今度はもうどれだけ迷えるかが悟りになる。
115神も仏も名無しさん:2012/04/06(金) 06:24:54.14 ID:uhmf/Me9
あと、悟りだなんだの知識を山ほど抱えているのに、未だに大マジで苦しんでいる人が
多いようなので、もう一度、話をしておく。
俺はよく「ずっと不安でいろ」「不安こそ、恐れこそ正常なのだ」と投げかける。
だが、多くの場合は「いや、それでは救いがないじゃないですか。僕の欲しいものは
そんなものじゃないですよ」と大マジに反発されてしまう。だが、救いなど一つも要らない。

もう種明かしをしよう。君が君である為に必要なものなど何もない。何の足場も要らない。
だから、もう一生、安心なんかしなくていい、と本当に本当に覚悟を決めれば、
君は本当の安心と出会う。

完全な不安が完全な安心なのだ。完全な恐れが完全な寛ぎだ。そして、
完全な迷いが完全な悟りだ。だから、もっと弱くていい。もっと迷っていい。
そうして一生、揺らぎ続ければいい。
116ama ◆BmUbLWewsM :2012/04/06(金) 07:22:55.33 ID:TbDwLlF7
>>88
> しかし日常では価値判断の方が断然重要と思われますが・・・。

それはたとえばどのようなケースでしょうか?
117神も仏も名無しさん:2012/04/06(金) 07:28:07.37 ID:UNZwaqBl
>完全な不安が完全な安心なのだ。
これはわかるな
家で悟った状態で平安なまま会社に行く
そこですごい理不尽なめにあって怒ったりするからな
あれ、理想と現実のギャップで怒りが出るんだよな

戦争の中に放り出されても完全だと思えたら本物かもw
118ama ◆BmUbLWewsM :2012/04/06(金) 07:36:30.05 ID:TbDwLlF7
宗教は組織を存続させるための力がどうしても働きますよね。
今日で私たちの宗派は解体します、というわけにはいかないのです。
伝統を守らなければならない・・・。

一方、釈迦は組織なく独りで悟られた・・・
のであれば、やはり、私たちも独りで悟らねばならないように思います。

釈迦は、どうして自分が悟ったと分かったのでしょうか?
119悟り子 ◆AAyxyMDKw6 :2012/04/06(金) 08:22:25.82 ID:A1kSkECs
>>111
>誰か応答くださいな。
誰でもよいので見解を

愛してます
貴方と私は同じものです
全ては一つです
愛だけが実在します
貴方が主に思うことを貴方は体験します
120悟り子 ◆AAyxyMDKw6 :2012/04/06(金) 08:27:10.55 ID:A1kSkECs
>>118
>釈迦は、どうして自分が悟ったと分かったのでしょうか?

何しろ釈迦の悟り自体悟り子は知らないのですが
仮に釈迦が悟ったとわかったのなら深い受容の中で「在る」ことの至福を体験して悟ったとわかったのでしょうね多分
121オレって名無しかよ!?:2012/04/06(金) 08:46:01.89 ID:kyASDpWZ
>>118
>釈迦は、どうして自分が悟ったと分かったのでしょうか?

分からない。
そもそも、「悟り」って言葉を最初に誰が使ったかによっても答えが変わってくるね。
122オレって名無しかよ!?:2012/04/06(金) 09:01:02.99 ID:kyASDpWZ
>>111
暇なんで答えるけど、
それらの問いって全部「毒矢の喩え」なんじゃないの?
123神も仏も名無しさん:2012/04/06(金) 09:06:02.04 ID:0B2d/i9L
空も悟りも言葉にした瞬間概念やイメージに摩り替わってしまうから表現できないもの、なんでしょうね。
ただ不変にそれである、みたいな、やっぱり自分で分かるしかないのでしょうね。
常に不変でないことが不変である、とか、言葉にすると無限に文脈が広がっていって収拾がつかない。
124神も仏も名無しさん:2012/04/06(金) 09:09:14.45 ID:0B2d/i9L
まず苦を滅する事、それが最優先ですね。
125神も仏も名無しさん:2012/04/06(金) 09:10:05.34 ID:0B2d/i9L
そのためには、心を整える。
126悟り子 ◆AAyxyMDKw6 :2012/04/06(金) 09:10:29.51 ID:A1kSkECs
>>117
>>完全な不安が完全な安心なのだ。

>これはわかるな

なんであれ「それ」そのものであるとき、つまり深い受容性に満ちているとき
平安があるのかもしれませんね
127悟り子 ◆AAyxyMDKw6 :2012/04/06(金) 09:28:08.67 ID:A1kSkECs
>>80
>私がこれを語っていないならいいのですが

私が語っていないのかもしれません・

>実際問題として私はこれを自他に語りたくてたまらないらしく

それは気づきが起こっている可能性があります
128神も仏も名無しさん:2012/04/06(金) 11:02:26.91 ID:BgsQtrsq
>>116 安堂は登場が遅いんで、ちょっと横レスねww

>> しかし日常では価値判断の方が断然重要と思われますが・・・。

>それはたとえばどのようなケースでしょうか?


この場合の「日常」とは、世俗における営み全般のことでしょう?
それこそ、今日の夕飯を何にするか? から、・・どこの学校に進学するか?
どのような職に就くか? 誰と結婚してどのような家庭を築き、どのような
人生を送るか? ・・・・選挙、政治、裁判・・  およそ、価値判断を要さない
ものは皆無と言っても良いですな。
日常を回転させている全ての判断に、是非の決定が関与し、それなくしては
世俗が崩壊してしまいますねw

129神も仏も名無しさん:2012/04/06(金) 11:03:12.59 ID:BgsQtrsq
一方で、「分別しない」「全てはひとつ」「あるがまま」「いまここ」・・・
などの「認識論」にたった視点からの、物言いも有りうるが、それはあくまでも
「そういう見方も出来る」という、観念的な視点の一つの提示に過ぎません。
ところがですなww
その観念的視点を、「自分がたどり着いた真理」であると思い込み、
「それが分かってるボクちゃんエライ・・・」
「自分の見解に賛意、賞賛を示さないお前は、まだまだダメ・・・ 」
と、やりだすwww
そういう奴に限って、世俗的価値体系を軽視し、観念論的視点を上位に設定したがるw

認識論というのは確かに面白いが、どのような、判断、認識、結論にたどりついたとしても
それは脳というマクロな機能の産物である蓋然性が最も高いわけだw
それを身体から分離させて、未知の根源に帰結させるようなオカルト路線に行くなら、
話は変わるでしょうがw

このスレに限らず、「悟り」について語りたがる奴って、ホント多いでしょ?w
そういう奴の書き込みって、必ず「ボクちゃんは分かってるんだよ」っていう意識が
見え隠れするw  観察、観察って散々言われてるんだから、
「なんで自分は悟りを語りたがるのか?」  って自分の心をまず観察すれば良いのにw
そう思いませんか?wwww
(後半は「分かってる君」に対する感想になっちゃったなwwww)
130オレって名無しかよ!?:2012/04/06(金) 11:11:20.24 ID:kyASDpWZ
>>129
「お前らは分かってないんだ」って言い出す人も観念だよね。
真理は真理じゃないから真理なんだって言葉もあるもんね。
131神も仏も名無しさん:2012/04/06(金) 11:18:02.94 ID:BgsQtrsq
>>130
>「お前らは分かってないんだ」って言い出す人も観念だよね。

「お前らは分かってないんだ」って言い出す奴は、「自分は分かってる」
と思い込んでる奴だろ?ww

>真理は真理じゃないから真理なんだって言葉もあるもんね。

意味わかんねwww
132オレって名無しかよ!?:2012/04/06(金) 11:23:42.02 ID:kyASDpWZ
>>131
>「お前らは分かってないんだ」って言い出す奴は、「自分は分かってる」
>と思い込んでる奴だろ?ww

自分からは自分が見えないから
「自分は分かってる」って思い込んでるかどうか分らないと思うよ。

実際、あなたはどっち?
「自分は分かってる」って思い込んでるほう? 思い込んでないほう?
133神も仏も名無しさん:2012/04/06(金) 11:31:29.32 ID:BgsQtrsq
>>132
>「自分は分かってる」って思い込んでるかどうか分らないと思うよ。

他から見れば、見え見えだろうwww

>実際、あなたはどっち?
>「自分は分かってる」って思い込んでるほう? 思い込んでないほう?

wwwwwww  問い自体が成立しないw
俺は、「そのような認識、視点」を「あくまでも、一つの見方」としか
捉えていない。  すなわち、「真実である実相」というものがあり、
「それを分かっているとか、分かっていないとか」いう視点をとらないww
 「真実である実相」というものを立てなければ、そもそも、それを
「分かってるもクソもない」だろ?www

134オレって名無しかよ!?:2012/04/06(金) 11:35:10.64 ID:kyASDpWZ
>>133
>俺は、「そのような認識、視点」を「あくまでも、一つの見方」としか
>捉えていない。  すなわち、「真実である実相」というものがあり、
>「それを分かっているとか、分かっていないとか」いう視点をとらないww

これが全部、観念であり思い込みじゃないの?
思い込みじゃないって言い切れる?
135神も仏も名無しさん:2012/04/06(金) 11:42:21.74 ID:BgsQtrsq
>>134  あのなあ、www
そういうことを言う奴が多いが、
「・・・・がある。」  「・・・・が無い」
を等価に捉えるなよwww  基本中の基本だぞww
「存在」と「非存在」は非対称・・・当たり前ねw

だから、「・・・・・が無いとホントに言えるか?それはお前の思い込みじゃ
ないのか?」  とか言い出す奴がいるが、(特に神とか霊の存在を主張する奴ww)
そういうのはもう、対話以前の認識力不足でしょ?

そういや、お前、鬼スレで「ニュートリノも昔は発見されていなかった」
なんて言ってたが、あれはシャレでなくて、まさか本気だったんじゃねえだろうな?ww
136オレって名無しかよ!?:2012/04/06(金) 11:57:05.39 ID:kyASDpWZ
>>135
>そういうことを言う奴が多いが、
>「・・・・がある。」  「・・・・が無い」
>を等価に捉えるなよwww  基本中の基本だぞww
>「存在」と「非存在」は非対称・・・当たり前ねw

そんな事聞いてないよ。

>俺は、「そのような認識、視点」を「あくまでも、一つの見方」としか
>捉えていない。

この部分の「捉えていない」ってのが思い込みじゃないのか?って聞いてるの。


>「それを分かっているとか、分かっていないとか」いう視点をとらない

この部分で言えば「視点をとらない」とか。
137神も仏も名無しさん:2012/04/06(金) 12:08:12.63 ID:BgsQtrsq
>>136 だからなあ、
俺は、「何か真実である世界の実相」というものを立てないのw
だから、そういうものを前提とする視点は、
「その人がそういうものをあるものとして、それに対する「一つの見方」
としか捉えない」のwww
天国の実在を信じてる人に対して、「なるほど。貴方はそのような世界観を
持っているのですね。」という感想をもつことw

>この部分で言えば「視点をとらない」とか。

「真実の実相」というものを立てないのだから、
「分かっているもクソもないでしょ?」  そういう視点自体が有り得ないww
138オレって名無しかよ!?:2012/04/06(金) 12:15:24.76 ID:kyASDpWZ
>>137
どうも、伝わらないなあ。

>俺は、「何か真実である世界の実相」というものを立てないのw
>だから、そういうものを前提とする視点は、
>「その人がそういうものをあるものとして、それに対する「一つの見方」
>としか捉えない」のwww
>天国の実在を信じてる人に対して、「なるほど。貴方はそのような世界観を
>持っているのですね。」という感想をもつことw

この部分は個人の意見なんで、さっきから何も聞いてないよ。
俺の聞きたいのは、「捉えてない」とか「視点をとらない」って言うのは
個人の主観だから何も言う気がないんだけど
この個人の主観にすでに「思い込み」が入っているんじゃないか?って事なの。
139神も仏も名無しさん:2012/04/06(金) 12:16:38.34 ID:BgsQtrsq
補足
「ある対象に対して、現実に観測、確認されているデータに基づかない、
または有意な仮説に基づかない実相を仮設し、真実はこうである・・・」
との見解を示すこと。

これを(観念的な)「一つの見方」と表現したのw
140神も仏も名無しさん:2012/04/06(金) 12:24:48.67 ID:BgsQtrsq
>この個人の主観にすでに「思い込み」が入っているんじゃないか?って事なの。

判断基準のこと?
認識、判断を下すには当然、その裁断者の主観というものが混入せざるを得ないw
当たり前のことねww
是非の判断は、蓋然性の高低でしょ?
「単なる個人の見解」だけを論拠とするか?  あるいは、現時点までの
人類普遍の知見を元に判断するかの違い。  勿論、前者を採用すると
妄想に過ぎない可能性が強くなるww

少なくとも、この現象世界のシステムの判断に最も有効なツールは
現時点では科学とされている。思想、宗教によらずねww

141神も仏も名無しさん:2012/04/06(金) 12:35:33.14 ID:BgsQtrsq
俺としては、「真実なる世界の実相」・・・こういものをまず、あるとしないわけ

だから、「そういうものがあるとする前提に立つ≪視点をとらない≫」わけw
この≪視点を取らない≫ を指して、「それは貴方の主観でしょ?」と言われても
しょうがないでしょ?www

実際、確認されていないものを「無いと看做している」ことに対して
「それは貴方の主観です」  なんてやられたら、対話が成立しないでしょ?
142オレって名無しかよ!?:2012/04/06(金) 12:57:34.96 ID:kyASDpWZ
>>141
ゴメン、やっぱり伝わってないな。
何で伝わらないんだろ、俺の説明が悪いんだな。

>実際、確認されていないものを「無いと看做している」ことに対して
>「それは貴方の主観です」  なんてやられたら、対話が成立しないでしょ?

あなたの主観の内容自体は別にどうでもイイんです。
私が最初から聞いてるのは、
「主観の中に思い込みが入っているかどうか、主観から分かるの?」って事だけです。

これで伝わらないのなら、あきらめます。
143473:2012/04/06(金) 13:03:10.21 ID:UmgvK1Ao
>>5つくらいの書き込みへのレスです。
自らの欲望、またそれに伴う恐怖に逃げ場を作らず向かい合うことで、
逃げ場の無い過去は現在に焼き尽くされ、栄光ある現性と触れ合うことが起きます。

しかし、その喜びは次なるより根本的な束縛と出会うための準備に過ぎないのではないでしょうか。
ブッダはたまねぎの皮の喩えを出しています。
喜びすらなくなってしまうまで、喜びの後に次なる束縛との対峙と苦しみが待っているのでしょう。

かくして道は体験を積み上げるのではなく、あらゆる体験の記憶の束縛という重荷を下ろしてゆく作業に似ています。
何かを積み上げてゆくのは道でも悟りでもなく、また各自積み上げたものが同じなわけも無く意思の疎通は困難でしょう。
しかし、自分がある程度自由になっており、「タイプの科学」に精通していればわずかながら予測することはできそうです。
どちらにせよ、道は手放して自由になってゆくことを示唆しています。
手放してゆくうちにみなそれぞれ大いなる体験と大いなる苦しみに出会うのですが、それはあくまで副産物、障害に類するものではないでしょうか。
それが副産物だとわかっていれば押し付け合いの危険は薄れます。
144神も仏も名無しさん:2012/04/06(金) 15:15:41.14 ID:BgsQtrsq
>>142 だから言ってるじゃん、ww
「どのような判断であれ、その裁断者の主観の混入を完全に排除することは不可能」
これは、主観というものが「判断」という行為自体に内在する必要要素なのだから当然w
後は、その「判断」から如何に「恣意性」を排除し、客観性を高めるか? という問題。

「地球は丸い」・・・・・これは正しいか?間違いか?
この御題に対して、「正しい」という「判断」を下したとする。

「いや、ちょっとまてよ。俺は地球は丸いと思ってるんだが、ホントにそうか?
もしかしたら、その判断は俺の主観で行なったのだから、思い込みかもしれないぞ。
単なるオレ個人の思い込みではなく、正しいことはどうやったら担保されるかな?
@人に聞いてみる
A地球に関するデータの精査
B写真、画像等のチェック
Cその他、「地球が丸い」とされる根拠の確認・・・・
などにより、個人の思い込みではなく、普遍性を有する客観的事実であることの
蓋然性を高められそうだ。 よしやってみよう。」
・・・・・勿論、実際にこんなことするアホはいないだろうが、こういうことだろ?
判断の難しい事例になるほど、個人の主観による思い込みの混入の度合いが増すので
それを出来るだけ排除するために、外部判断に依拠する。
皆、そうやって自己の判断に客観性を持たせているわけ。
そのような判断と個人の判断「だけ」の見解を等価に評価してはいかんでしょ?
145オレって名無しかよ!?:2012/04/06(金) 16:30:55.51 ID:kyASDpWZ
>>144
やっぱり、伝わらなかったか・・・・・残念。
146バカ女:2012/04/06(金) 18:06:36.58 ID:R3rt26KB
>>67
>立ち位置がハッキリしたんで、今まで言わずにいた事を言わせて下さい。
いくらでもどうぞ。

>(これでも、バカ女さんが傷付くかと思って今まで黙ってたんですよ)
同じように思って、こちらからお断りしました。
私は心配いりませんので、思う存分吐き出してください。

>バカ女さんのその理論はバカ女さんの観念の世界だけで成り立つ理論で
>他の人には成り立たない独り善がりの理論ですよ。
そうでもありません。理解されたり理解されなかったりします。

>恐らく、あなたの理論を支持出来る人は、誰もいないでしょう。
なんの問題もありません。

>それは、あなたの観念に存在するモノを私達の誰も持っていないからです。
私の頭はあなたの頭ではありません。

>そもそも他者を攻撃したりすることでしか確認出来ない理論が必要なんでしょうか?
かんたんに伝えるより、むかついてもらうほうが伝わります。自分のためではありません。

>あなたの言う「他者」って自分の優秀さを証明したり自尊心を満たすだけに存在する
>「自分より劣った者たち」ですよね。
私は天才なので優秀さを証明する必要がありません。隠しても証明されてしまいます。
天から与えられた才能にうぬぼれて自尊心を満たそうなんて思ったことがありません。

>目の前にいる「他者」の姿が、あなたに見えていますか?分かろうと努力していますか?
甘えん坊さんに無意味なサービスはしません。

>勝手な事を書き込みましたが、悪気があっての事じゃないので許してください。
気にしないでください。
147バカ女:2012/04/06(金) 18:08:04.66 ID:R3rt26KB
>>68
>今この瞬間を受け入れること
>あるいは今この瞬間に心理的に抵抗しないこと
>あるいは既にそうであることを否定しないこと
>とかいった感じの在り方を
>「あるがままをあるがままに観る」とか「全てを受け入れる」とか表現してます

(^_^)OKです。
148バカ女:2012/04/06(金) 18:10:34.07 ID:R3rt26KB
>>70
>バカ女さんは自我の否定はしてたみたいだけど
>自我の消滅(消失?)は経験してないよね?

意識は自我の構成要素ですが、ここでは自我という表現をひかえます。
また「意識の形式に従って意識の内容が構成される」と考えます。

イメージ:意識の形式というある形をもったビンがあり、
そのビンの形に沿って意識の内容(経験)が詰め込まれる。

どちらの境地でも、事態が成立するなら、意識は消滅していません。
もはや内容をもたない意識でも、その意識を通じて存在は了解されます。
これは必然です。

存在に没する、が、ひとつになる境地ですが、
没する事態では、意識の内容は極限にまで縮退(*1)しています。
意識の内容が極限まで縮退した状態が「意識(の形式)が存在していること」です。

ひとつになるとは対極の境地は、オレムさんがご存知のそれですから説明は省略します。

 *1 体験上は、意識の内容が消滅して悟り状態に入るので
   消滅と表現したくなりますが、悟りは意識をともなった事態の成立ですから
   それもまた一つの経験になります。ですから、意識内容はゼロとは言えません。
   ゆえに、消滅ではなく縮退と表現します。

>別に境地を自分で捨てたわけじゃないけど・・・、大いなる力に導かれたんだよね。

ちょっと前に書いたように、離人症似状態を抜けたのではありませんか。
いずれそうなるようになっています。
境地の純粋さで言うなら、離人症似状態のほうが本来です。逆に思われていますが。
こういう細かいところまで、私の理論なら指摘できます。
149神も仏も名無しさん:2012/04/06(金) 18:19:04.84 ID:cqskPgf/
>>118
>釈迦は、どうして自分が悟ったと分かったのでしょうか?

求めるものがなくなった、何にもなくなった。

迷いの根源がわかった、ということかなー。。

僕もここら辺、不徹底で、理解でしかないのかもだけど、結局人の認識が全てをつくっている。
悟りも、迷いも、苦しみも。。

認識が落ちて、何にもなくなった時、すべてが終わった。。

すべてが消えて、すべてがある。。

こちらには何もなくて、存在が、世界がそこにある。。

逆に迷っている時は、存在が見えなくて、自分の中にだけ、認識による、是非善悪、苦や苦からの解放、迷いや悟りなどがある。。
150バカ女:2012/04/06(金) 18:23:05.57 ID:R3rt26KB
>>93
>もし宗教的なことを何もしらない無頓着な外国人がいて、
>その人が「悟った」ならどうなるでしょうか?

ヨーロッパ圏には、神さまがいますから、神さまがいないと仮定しても
やはり超越を希求する人間は出てくるでしょう。

なぜなら、人間は価値の選択をしながら生きているので
しかもその人はその人にとっての良きものを選択しているはずですから
もしその人が自覚的な人間であれば、超越をかいま見ることになります。

俗っぽい例をあげれば、神話や神を創作することでしょう。
原始共同体の場合には、近代社会のそれとは異なるでしょうが、
なにかしら目に見えない世界を含み入れた物語を創作するでしょう。

上記の推測が言えるためには、言語を獲得していることが絶対条件です。
151バカ女:2012/04/06(金) 18:25:47.52 ID:R3rt26KB
>>96
>「あれでもこれでもない」として、ついに悟ったといわれている・・・。
>よく考えると、ゴータマ王子は「これまでの伝承や言い伝えではないもの」を悟った、
>ということになる・・・。

ゴータマの悟りには「・・・でない」という否定の契機が含み込まれているのでしょうか?
それとも最後には「・・・でない」を脱したのでしょうか?

「これまでの伝承や言い伝えではないもの」という否定の契機によって悟りの境地が
実現されているなら、悟りには否定の契機が含み込まれていることになります。
悟りも人間の経験である以上、因果は脱せられないと指摘することが可能だからです。

「・・・でない」を脱するとは、最後には「すべて・・・でない」に至ったということです。
「すべて・・・でない」は、「すべて・・・でない」自身をも「・・・でない」と否定するので
けっきょく否定の否定で「すべて・・・である」ことになります。
「すべて・・・でない」は「すべを受け入れる」という絶対肯定に言い替え可能でしょう。

>「同一基準の悟りという到達点」というのを否定するのであるならば、

悟りといっても、生きていることや存在していることから脱しているわけではありません。
少なくとも悟りは、生きていることや存在していることの上に成り立っている事態です。
悟りには関係なく、生きていることや存在していることは、私たち人間の同一基準です。

>我々個々の存在も千差万別であることは当然であるので、悟り続けているということになる・・・。

論理的に飛躍しています。
人それぞれの悟りがありうる と それぞれの人が悟り続けているかどうかは関係がありません。
人それぞれに生き方があり、それぞれの人はそのように生き続けている、とは言えるでしょうが。
つまり安堂さんは、私たち人間の生を神の視点でながめて、それを悟りに写像しているわけです。
152バカ女:2012/04/06(金) 18:28:19.82 ID:R3rt26KB
>>99
>要するに、我々は社会的にレールが敷かれているとか、独自の道を切り開いている、などの
>「道」を越えて、誰もが悟り続けているのではないかと思われる・・・。

やっぱり写像のようです。
安堂さんの論理では、他人の悟りは知りえず、俺にわかるのは自分の悟りだけだ、のはずです。
にもかかわらず、神の視点で他人の悟りまでながめて、悟りの「同一基準」を発見しています。
個人に帰する悟りは、人それぞれだからわからないはずでしたよね?

超えられた「道」のことを、私たち人間の「生の形式」と呼びます。
巨大な頭をもっているとか、二足歩行するとか、言語を獲得しているとか、
そういう特定の形式によって、私たち人間になしうる事態の可能性も規定されています。
もっと自由になりたくて、肉体を放棄して異次元旅行をしてしまう人もいるようですが。

悟りは、私たち人間がみずからの「生の形式」を超えようとする試みです。
この試みを可能にしている条件が言語であることは言うまでもありません。
親元から独立しても親孝行はしたほうがいいですし、やがて自分も家庭をもつでしょう。
というのがバカ女が推薦する人の道です。

>我々一人一人がそうであるならば、故郷は心の中にだけある・・・・・。

ここには、安堂さんが思っているより深い断絶があります。
神の視点を抹消して冷静に見つめるなら、私たちの経験は一致することがありません。
私の世界Aは、絶対にあなたの世界Bではなく、AかつBであるところはありません。
にもかかわらず、実際にはそうなっていないところが「私たちの世界」のすごさです。
153ろん:2012/04/06(金) 18:30:56.86 ID:cqskPgf/
154ろん:2012/04/06(金) 18:38:43.61 ID:cqskPgf/
155オレって名無しかよ!?:2012/04/06(金) 18:46:08.25 ID:kyASDpWZ
>>146
バカ女さんが来てるようなので、ひとつ質問。

全てを肯定する「存在の奇跡」によって
「弱い自分」は受け入れられたの? 愛してあげられたの?
156バカ女:2012/04/06(金) 20:14:19.20 ID:R3rt26KB
>>155
>全てを肯定する「存在の奇跡」によって
>「弱い自分」は受け入れられたの? 愛してあげられたの?

存在の奇跡においては、そういう観点が成り立ちません。

どこかでも書いたように、この世界に戻ってくれば、
存在における愛は、この世界の慈愛(慈悲)に解釈されざるをえず、
しかも慈愛(慈悲)の「すべてを愛する」が実現されることはありえず、
できるだけ多くの存在者を慈しみ愛することに変質せざるをえません。

この事実を、私は「読み換えられて頽落する」と表現します。
真理は真理とは言えず、かならず読み換えられてしまいます。

私たち人間は、存在と現象の「あいだ」を生きています。それが人生です。
私たち人間は、二律背反の「あいだ」を生き抜かなければならない存在者です。

「すべてを受け入れる」も、この世界の中での出来事ではありえず、
超越においてはじめて成立する事柄です。たとえば、今この瞬間において。

私が存在を無差別と表現するのも、なにかを、「弱い自分」を、受け入れるということが、
存在においては、もはや意味をなさなくなることを示すためです。
あるいは、存在を愛と呼ぶのは、存在の奇跡においては、なにかを、「弱い自分」を
愛するということが、もはや意味をなさなくなることを示すためです。

はじめからすべてが受け入れられているし、すべてが愛されています。
存在の奇跡において、はじめからすべてが絶対肯定されています。

私は私を受け入れているし、愛していると、私が言うことが、
言っているそばから、頽落せざるをえないことが理解されるのであれば、
私は私を受け入れているし、愛していると、オレムさんに言うことができます。
157オレって名無しかよ!?:2012/04/06(金) 20:27:14.16 ID:kyASDpWZ
>>156
それを聞いて安心しました。
バカ女さんは「弱い自分」を嫌っているのかと思い、ずっと気になっていました。

聞きたいことは全部聞いたので、もうイイです。

では、バイナラ!!
158バカ女:2012/04/06(金) 21:18:40.72 ID:R3rt26KB
>>157
ありがとうございました。さようなら。
159神も仏も名無しさん:2012/04/06(金) 21:54:38.26 ID:+fr2THfS
悟りの断片すら見た事ないのに悟り子だって( ´,_ゝ`)プッ
>>119
>(自分を)愛してます
>貴方と私は同じもの(と言っておけばそれっぽいぞ)です
>全ては一つ(とりあえずこれは言っておくか)です
>(自分に対する)愛だけが実在します
>貴方が主に思うことを貴方は体験します(私って理解があって素敵ね)
悟り子の言う愛は自己愛の事だから信じちゃダメだよぅ
>>120
実際は至福じゃなくて苦痛からの解放だよ!!
>>127
気付きを体験した事もない悟り子がまた嘘を吐いたよ!!!!!
160神も仏も名無しさん:2012/04/06(金) 21:58:40.14 ID:+fr2THfS
バカ女さんは上の方で悟りたくないって言ってた
でも悟りって苦痛からの解放だよ
バカ女さんは苦しんでるように見えるよ
苦しいから苦しくなくなりたいというのは悟りたいっていうのと同じだよ
161473:2012/04/06(金) 22:54:10.75 ID:hKv4tNvC
過去の束縛から自由である時、そこに苦はない。
苦しみをなくすのではなく、単に苦しみを生まない。

だが、過去の記憶、自我は、苦のない境地において、
愛の夢、自由の夢、あふれ出る夢、などなどさまざまな美しい夢を見てしまう。

そして翌日目が覚めると、昨日のあふれ出る愛や自由を再現しようと古い心が自分の主導権を握っている。
古い心が主導権を握っているので欲望、恐怖、単体に引っかからないならその総合である混乱も復活しており、
昨日の愛や自由の夢の記憶があるので余計ややこしくなっている。

これ、現性を愛と見なす主体はなにか、私の憎しみではないだろうか。
与えることと見なすのは私の強欲ではないだろうか。
自由と見なすのは私の束縛ではないだろうか。

自分自身と逆のものを対象として見出すことにより私たちの古い心は延命を図り続けます。
良くなろうとすることにはいつも起点に私がいます。
そして私とはとまった点ではなく、円運動する欲望の現象です。
よりよくなろうとしなければ私という円運動の現象は、、
162オレって名無しかよ!?:2012/04/07(土) 00:01:31.22 ID:kyASDpWZ
>>158
こちらこそ、ありがとうございました。さようなら。
163バカ女:2012/04/07(土) 00:24:18.58 ID:pVjY0wG/
>>160
>バカ女さんは上の方で悟りたくないって言ってた
悟りたいと思ったことがありません、では?

>でも悟りって苦痛からの解放だよ
どのような現実にも、どのような苦痛にも、どのような孤独にも、どのような静寂にも
みずからの心身が完全に自由で思い通りになったらいいのに、と思う人はいるでしょう。

>バカ女さんは苦しんでるように見えるよ
憐れまれたり同情されたりするのが大ッキライですが、
大量の輸血が必要で、なんだか知らない人からも血をもらっていたり・・・
憐れみにも同情にも感謝しないとね。今は、ありがとう、って言えるかな?

>苦しいから苦しくなくなりたいというのは悟りたいっていうのと同じだよ
悟りたいとも悟りたくないとも思ったこともありませんが、
両方の頂上まで登って来ました。
エベレストじゃなくて高尾山くらいかもしれないけど。

で、頂上を極めることより、山頂と山頂のあいだの切り立った稜線(尾根?)を
転げ落ちないようにバランスよく歩きたい、という登山術の方に興味があります。
喩えがマズイかも?(登山用語?がちがってたらごめんなさい)
164神も仏も名無しさん:2012/04/07(土) 00:35:37.25 ID:VkI963By
>>145 何だ?  もう終わりか?  ww

自分の疑問点を的確に伝達できるくらいの表現能力をみにつけろよww
165オレって名無しかよ!?:2012/04/07(土) 00:49:14.87 ID:A9b6VZ13
>>164
分かってて、答えをズラすのは意地悪だと思うよ。
ホントに分かってないんなら読解力以前の話だと思うし・・・
166神も仏も名無しさん:2012/04/07(土) 00:53:08.90 ID:VkI963By
>>165 なんだ? その
> 分かってて、答えをズラすのは意地悪だと思うよ。

って?wwww
167オレって名無しかよ!?:2012/04/07(土) 00:57:02.56 ID:A9b6VZ13
>>166
俺のした質問て、
「主観の中に思い込みが入っているかどうか、主観から分かるの?」って事だけだよ。
イエスかノーかで答えられる質問なのにはぐらかすのはズルイよ。
168神も仏も名無しさん:2012/04/07(土) 01:21:57.48 ID:VkI963By
>>167 それには答えているはずだけどww

もう少し厳密に詰めようか?ww
「思い込み」→客観性を欠いた、恣意性の高い判断   でいいか?

そして、「在る事例に対して判断を下すとき、そこにはその裁断者の
主観が混入する。それを完全に排除することは原理的に不可能。
では、その主観の混入した判断において、「思い込み」と表現される
極めて恣意性の高い、言い換えれば、客観性を欠いた、独善的な認識
が働いているのか?」・・・・・これを裁断者が自ら判断出来るのか?
こういうことだわな?wwww

それは裁断者のスタンス次第でしょ?
自己の見解に固執するあまり、その客観性の欠如から目をそらすのであれば
「思い込み」による判断の可能性は強まる。  しかし、
自己の見解を第三者的に見る、あるいは否定的スタンスを持って検証する
姿勢を保持する・・・・・言い換えれば、外部判断の検証を許容するのであれば
「思い込み」を主観から排除できるでしょ?
つまり、「自分一人の主観による判断」では、「思い込み」が排除されて
いない可能性がある、あるいは、思い込みの発見が困難な場合があるので
「自己の主観」によらない、知見、外部判断によって、客観性を担保する。

こう説明したはずだが?wwww
何かおかしいか?  どこが、はぐらかしているのか?
きっちり説明してるがねwww
169安堂 ◆3LK.0gZrV2 :2012/04/07(土) 01:26:38.42 ID:gFBXinSw
>>166
>>128さんがうまいこと代弁してくださいました・・・。

>>151
>「すべて・・・でない」は「すべを受け入れる」という絶対肯定に言い替え可能でしょう。
そういうことですね。
同一基準の悟りという到達点=生きていることや存在していること、とするなら
同一基準でよいのでしょう・・・。
人それぞれに生き方があり、それぞれの人はそのように生き続けているのは
悟り続けているのと同じですね。
170神も仏も名無しさん:2012/04/07(土) 01:29:12.70 ID:GCxYAyts
ミラーのもげた車で東一宮まで逃げ帰った。
コンビニでドリンクを買った。人間じゃないものを撥ねたことにしてくれと死人イエスに祈った。
翌日になってから通報した。
牧師としてどこが間違っているの?
東一宮の枡田さんは完全無欠の聖人です。
171神も仏も名無しさん:2012/04/07(土) 01:38:20.84 ID:VkI963By
安堂きた〜〜〜〜ww

「上手い代弁」だったか?www
172安堂 ◆3LK.0gZrV2 :2012/04/07(土) 01:40:20.93 ID:gFBXinSw
>>152
誰もが悟り続けているのではないかと思われる、とは私の想像のことですね・・・。
同一基準を見出したわけではないです、まあ誰でもそうじゃなかろうか、実際はわからんけど・・・
ということですな・・・。
肉体を放棄して異次元旅行は楽しみなことです。いつかやってみたいと思います。
家庭か・・・。過去を思い出すと涙が溢れてくるものです・・・・。
神の視点はよくわかりません。私は神ではないので。客観的視点のことを言っておられるのかな。

一生懸命答えてくれてありがとう。
あなたがルートヴィヒ・ウィトゲンシュタインが好きな理由がわかった様なきがします・・・。
173安堂 ◆3LK.0gZrV2 :2012/04/07(土) 01:43:20.86 ID:gFBXinSw
>>171
あなたでしたか・・・。代わりに答えてくれて助かりました。
「美味い大便」でしたよ・・。オェッ!
174神も仏も名無しさん:2012/04/07(土) 01:45:34.25 ID:VkI963By
>神の視点はよくわかりません。

神の視点のことは知らんが、悪魔の視点のことなら、俺に聞けよwww
175安堂 ◆3LK.0gZrV2 :2012/04/07(土) 02:02:55.85 ID:gFBXinSw
>>174
ルシファーとでもお呼びしましょうか。
かつては名のある大天使長だったと伺っております・・。
『悪魔の視点』とはどのようなものですか?
176神も仏も名無しさん:2012/04/07(土) 02:08:33.80 ID:VkI963By
>『悪魔の視点』とはどのようなものですか?

安堂のようなアホの子の書き込みを見ては、
「どっか面白い突っ込みどころないかな〜〜〜〜?」 って、
キョロキョロしてることwwww

ケタケタケタ
177バカ女:2012/04/07(土) 02:13:46.74 ID:pVjY0wG/
>>169
>同一基準の悟りという到達点=生きていることや存在していること、とするなら
>同一基準でよいのでしょう・・・。

同一基準ですが、それは忘却されているのが常態です。
ある意味では、悟りは忘れられていたそれを想い出すようなものです。
玉ねぎを剥いていったらそれに突き当たるのですからね。
とはいっても、突き当たれるようなそれ(対象)ではないのですが。

>人それぞれに生き方があり、それぞれの人はそのように生き続けているのは
>悟り続けているのと同じですね。

その通りですが、それは今上で言ったように「存在忘却」していたのでは、
すべての人間に仏性を見い出すようなもので、スタティックな構造論にすぎません。
私の理論解説のように。(^_^;)
178バカ女:2012/04/07(土) 02:17:53.67 ID:pVjY0wG/
>>172
>誰もが悟り続けているのではないかと思われる、とは私の想像のことですね・・・。
>同一基準を見出したわけではないです、まあ誰でもそうじゃなかろうか、実際はわからんけど・・・
>ということですな・・・。

安堂さんが言っていることは真理ですが、意地悪な人にツッコまれたら反論できないかも?
とは思います。

>肉体を放棄して異次元旅行は楽しみなことです。いつかやってみたいと思います。

カントは、スウェーデンボルグの『霊界日記』について
「内容は肯諾しないが、これほど理性的な本はない」と評価しています。
カントは、スピリチュアリズムに対しては肯定も否定もしないで
第三の立場「形而上学」を選択することを宣言しているつもりでしょう。

カントは、神や霊界を理性の向こう側の「物自体」に預けました。
そうすることで理性の限界を示したのが『純粋理性批判』でしょう。
ユングなんかは、スピリチュアリズムに肯定的な態度を表明するときに
カントの『視霊者の夢』を典拠にしたりしていますね。

>家庭か・・・。過去を思い出すと涙が溢れてくるものです・・・・。
あのー比喩なんですけど、、、親=言語です。
言語批判が悟りの前提みたいになってるので、そんなこと言わないで
悟くんの親なんだから、もっと愛してあげてくださいよ、と。

>神の視点はよくわかりません。私は神ではないので。客観的視点のことを言っておられるのかな。
俯瞰する視点ですね。
もともとは他人の心(自分とは別の世界)を想像する能力として芽生えます。
179ろん:2012/04/07(土) 02:45:18.03 ID:0H0VN5v/
スウェーデン・ボルクはフリーメーソン。。
180安堂 ◆3LK.0gZrV2 :2012/04/07(土) 02:46:25.25 ID:gFBXinSw
>>177
玉ねぎを剥いていったらそれに突き当たるとは、良い表現ですね。最後は口に入れてあげるのでしょうかね。
スタティックな構造論?申し訳ない。難しすぎてわかりません・・・。

>>178
私の言うことは意地悪な人にツッコまれたら反論できないかもです。やっぱりドMなんですかね。
スウェーデンボルグなんてよくご存じですね。
2chでスウェーデンボリを知っているのは、
小さなヨハネ宣教師、「機械的唯物論」者師、ろん先生、くらいですよ・・・。
親=言語ですか。比喩表現だったのですか・・・。我が子の名は「大悟」です・・・。
俯瞰というのは他人の心(自分とは別の世界)を想像する能力ですか。
我々は共感能力は持っていますが、他人の心を知る術は究極的にはありませんね。
想像するだけならできますが・・・。
ですから他人の心を慮るというのを、本邦では独自の文化で発展させてきたようです・・・。
181ろん:2012/04/07(土) 02:54:53.12 ID:0H0VN5v/
>>172
>誰もが悟り続けている

そうとも言えるけど、悟りとは認識以前の自己自身だから、それを悟りと規定したら認識・観念になってしまって遠ざかる。。

悟りとか迷いとかそういう観念、認識のないところだよ。。

無心と言ってもいいが、そう言うとまた、認識あってはならないのかと言う二元論になる。。

だから、認識・観念・思考があっても、それ自身と言ったらそれ自身。。

それ自身に落ち着く=自や他はこうだという観念に惑わされないこと。。
182ろん:2012/04/07(土) 02:58:26.76 ID:0H0VN5v/
悟りとは何かと考えるより、何がほんとうか、実相かと参窮した方がいい。。

何がほんとうかと考えるより、何が嘘か、架空かとということがわかった方がいい。。

わかることは頭の中のこと=架空、観念、認識。。

わからないこと=実相だ。。

だから真っ暗闇の中を一人旅と、町野さんなんかは言うのだろう。。
183神も仏も名無しさん:2012/04/07(土) 03:09:46.27 ID:KR9L31oP
相変わらず傲慢野郎は胡散臭いなwww
やっと発情期は終わったか?w
184安堂 ◆3LK.0gZrV2 :2012/04/07(土) 03:13:12.13 ID:gFBXinSw
>>176
そういうこと言ってると、私が佛になりかわって悪霊退散の儀式をしてしまうかもです・・。
まあ真言を連発するだけですけど・・・。真言宗は密教で、密教の開祖は龍猛で、釈迦尊ではないのですが。

>>179
瑞典堀もメイスンだったのですね・・・。

>>181
ろん教授、お忙しいところありがとうございます。
「悟り」「無心」という語を使えば、二元論になるのでしょう・・・。
体験から取り出して観念化するのが人間とも言えますし・・・。
知る人ぞ知る、と言えばまたおかしいのでしょうねえ・・・。
そこはバカ女女史の究極知り得ない(語り得ない事には沈黙?ウィトゲンシュタイン風)とのことかと・・・。
185ろん:2012/04/07(土) 03:23:47.89 ID:0H0VN5v/
>>184
他人事みたいな言い草だな。。
186安堂 ◆3LK.0gZrV2 :2012/04/07(土) 03:24:01.60 ID:gFBXinSw
>>182

わかったことは真理にあらずですか。
わからぬことはあるが・・・。これが実相かね?と思うが。
町野さんは「真っ暗闇」というようですね・・・。
ブログはよく見てますよ・・。原田雪渓老師に参じた人ですよね・・。敷居が高いですなぁ。
町野さんも早大出らしいし、雪渓老師も明大出の大日本帝国海軍主計官だったそうですな。
わたしゃ阿呆だからよくわからんですよ・・・。
187神も仏も名無しさん:2012/04/07(土) 03:37:31.63 ID:VkI963By
>>180
>2chでスウェーデンボリを知っているのは、
>小さなヨハネ宣教師、「機械的唯物論」者師、ろん先生、くらいですよ・・・。

キチガイ「ネヨ」を知らんのか?www

>>184
>まあ真言を連発するだけですけど・・・。

ノウマク サンマンダ バザラダン カン

ノウマク サンマンダ バサラダン
アンドウ アホダ  ソハタヤ
ウンタラタ カンマン

ノウマク サラバタタギャテイビャク
アンドウ キチガイ  サラバタタラタ
センダマカロシャダ ケンギャキギャキ
サラバビギナン ウンタラタ カンマン

ケタケタケタ
188安堂 ◆3LK.0gZrV2 :2012/04/07(土) 03:57:32.60 ID:gFBXinSw
>>185
福田内閣総理大臣「私は自分自身を客観的に見る事が出来るんです!あなたとは違うんです!」

>>187
ひどいよ・・・。
僕のことバカにして・・・。
よし
189ama ◆BmUbLWewsM :2012/04/07(土) 07:21:26.77 ID:zx9p7WdU
>>169
> >>128さんがうまいこと代弁してくださいました・・・。

そういう意味でしたか・・・。
190ama ◆BmUbLWewsM :2012/04/07(土) 07:50:53.15 ID:zx9p7WdU
>>48
これは、なんのたとえでしょうか?
191オレって名無しかよ!?:2012/04/07(土) 08:15:02.72 ID:A9b6VZ13
>>168
>「在る事例に対して判断を下すとき、そこにはその裁断者の
>主観が混入する。それを完全に排除することは原理的に不可能。
>では、その主観の混入した判断において、「思い込み」と表現される
>極めて恣意性の高い、言い換えれば、客観性を欠いた、独善的な認識
>が働いているのか?」・・・・・これを裁断者が自ら判断出来るのか?
>こういうことだわな?wwww

そうそう、ここまでは伝わってるから問題はないと思う。

>つまり、「自分一人の主観による判断」では、「思い込み」が排除されて
>いない可能性がある、あるいは、思い込みの発見が困難な場合があるので
>「自己の主観」によらない、知見、外部判断によって、客観性を担保する。

これって「外部判断によらないと、主観では思い込みの有無が判断出来ない」
って読み替えてもイイ?
読み替えてもイイんなら、これが答えでスッキリするんだけど・・・・
192ろん:2012/04/07(土) 11:04:44.10 ID:0H0VN5v/
>>186
わからぬことはあるじゃなくて、全部わかるはずがない、わかったらウソ。。

出身大学とか関係ない。。

禅は単純なの、まず端的に答えを示す。

求めるものははじめからないです、はじめからそのものです。。

で、はじめから答えそのものであるものが、なぜそうなれないか、なっていることがわからないのか、その探求だな。。

そのものになりなさいと・・・なっているにもかかわらず。。

>>188
客観的に見れるわけないだろ、根本的には。。

見る、認識すると言ったら、すべて主観でしかないよ。。

認識する以前の世界が、そのものなんだよ。。
193ろん:2012/04/07(土) 11:08:32.86 ID:0H0VN5v/
町野さんのブログだと、雪渓師の『The 禅』は入手不可とあったけど、昨日だったか、アマゾン見たら、中古がいっぱいあったよ。。

一番安いので、6000円、高いので6万だったかな。。

アメリカとかドイツで、初心の人にもわかるように説いたから、一番わかりやすい本だ。。
194神も仏も名無しさん:2012/04/07(土) 11:16:33.50 ID:VkI963By
>>191
>これって「外部判断によらないと、主観では思い込みの有無が判断出来ない」
>って読み替えてもイイ?

だから、判断を下す対象のレベルによるってww
何で、そうやってイエス、ノーの二択に帰結させたがるのかな?wwww

最高裁までもつれ込むような判断の難しい事例には、当然、外部判断に
よる検証が必要だろう。また、科学の分野において、新理論の確立など未知の
領域に踏み込む場合も、外部判断の検証を仰がねば、「個人の思い込み」で
した    で終わってしまう可能性が高い。  しかし、
「火に手をかざすと熱い。下手すると火傷する。」・・・・このような判断は
外部検証に依らずとも、「思い込み」である可能性は、殆どなく、その
主観による判断に「思い込み」を危惧する必要性はない。
(我々が、日常生活を送るにあたって行う、無数の認識、判断もこの類のものであり
外部検証を要するものは、ほとんど無い。)

外部検証というのは、あくまでも「判断」の正しさ  を高める補助手段であり、
殆どの「判断」においては、そのような必要性はなく、個人の主観による判断に
「思い込み」の混入を危惧する必要性はない。
(ちなみに、自己の判断を信頼できず、常に「思い込み」ではなかろうか?  という
不安に取り憑かれているものは「強迫性障害」であるので、専門医に相談をwwww)
195神も仏も名無しさん:2012/04/07(土) 11:17:26.99 ID:VkI963By
少し補足しておくと、
「自己の認識、判断の確からしさ」・・・・・すなわち、「思い込み」は、
本当にないのか?  
これは、フレームをどの辺りまで拡張するかによる。 最大限まで、拡張してしまうと
「全ての」認識、判断から、その「確からしさ」が消滅し、意味を失う。
つまり、我々のこの世界の外に「外部世界」を設定し、我々を含む世界の総てが、その
外部世界の存在によって創造された   という可能性も許容してしまう。 
我々すべてが、その思考、認識、判断を自己の意思によるものと(通常)考えているが
実は全て外部存在によるプログラムの結果に過ぎない。 どのような考えをもとうが
「そのように考えるように設定されている」に過ぎない。
よくSFに出てくるホログラムワールド、ラッセルの世界5分前創造仮説、マトリックス、
なんかの世界観に近いか?w
こうなると、全ての判断が「思い込み」だww
自分で考えてると思っても、「そう考えるようにさせられてる」だけ。 外部判断に
よる検証なども全く無意味。 それも、そのように設定されているだけだからw

と、まあ、ここまで世界観の拡張を許せば、それこそ「客観性」など、全くなく、
「主観」さえも消失する。  まさに究極の「思い込み」だwww
だが、当然、我々はそのような世界観を「現実のもの」とは看做さない。
それが真実であることを示唆する如何なる証拠も見いだせないからだ。 よって、
その可能性を完全に排除することはしないが、「限りなくゼロ」に近いものとして
「無し」に近似させる。

要は、どこで「線引き」をするかなんだよw
「自己の判断の思い込みの混入」も同じw   「思い込み」の混入を完全に排除することは
原理的に不可能であるが、通常は、それを考慮する必要はない、すなわち可能性が
限りなくゼロに近いので「ない」に近似させても良い「判断」がほとんどww
この世界がホログラムワールドである可能性を完全にゼロに出来ない限り、形而上的視点による
お遊びに本気でのめり込んでもしょうがないぞwwwww
196オレって名無しかよ!?:2012/04/07(土) 11:51:30.39 ID:A9b6VZ13
>>194>>195
結局、「主観に思い込みが入ることは殆ど無い、
だから主観で思い込みの有無を判断する必要無い」って事でイイ?
197神も仏も名無しさん:2012/04/07(土) 12:17:53.20 ID:VkI963By
>>196 だから、何でそうやって「総てを」まとめて「画一的に」規定しようと
するわけ?www

その判断対象によるって、繰り返し言ってるじゃんww

俺の知ってるバカに
「宗教ってのは全て邪悪。撲滅すべきだ。」と全て引っ括めて総論的に
批判するアホがいるんだが、 お前の言ってることもそれと変わらんぞww

それぞれのケースにおいて、「思い込み」の有無を疑う必要性があるか?  を
検討するほどの柔軟性も持ち合わせていないのか?www
198神も仏も名無しさん:2012/04/07(土) 12:41:02.66 ID:VkI963By
判断を行う「主体」と、その「判断対象」、  この双方をケースバイケースで
考える必要があるでしょ?ww

何でもかんでも「独善的に」「常に自分の考えが正しい」と考えるアホなら
極めて判断の容易な事例においても、勝手な「思い込み」において間違った
結論に帰結するかもしれない。  反対に、
客観性を重視し、常に自己の見解から恣意性を排除するように務めているものでも
人の生死に関わるような案件に個人で判断を下すのには負担が重すぎるでしょ?
そのような場合には外部判断を仰ぎ、「個人の思い込み」を排除するように
する必要があるでしょ?ww

「画一的に」  まとめて・・・・・であると規定するほうがおかしいでしょ?wwww
199オレって名無しかよ!?:2012/04/07(土) 12:55:30.28 ID:A9b6VZ13
>>189
ここまで付き合ってくれて、どうもありがとう。

ここで一番最初の質問に戻るね。

実際、あなたはどっち?
「自分は分かってる」って思い込んでるほう? 思い込んでないほう?

俺は、あなたが思い込みの多い人だと思うよ。
200オレって名無しかよ!?:2012/04/07(土) 12:56:23.65 ID:A9b6VZ13
>>199
安価間違えた。>>198だった、ゴメンナサイ。
201473:2012/04/07(土) 13:30:16.71 ID:jCFzGX6s
>> しかし日常では価値判断の方が断然重要と思われますが・・・。

私たちが、私たちのあらゆる執着から自由であり、またこの価値判断を使う側にあって
それに巻き込まれていなければ正にそのとおりです。
問題は、価値判断に巻き込まれ、欲望となって現実と戦い現実に不満を覚えたり、
絶え間ない自己不充足感を覚えるということなのです。
そしてその不充足感は当然のように、際限の無い贅沢を生み、それから逃れるためのあらゆる逃避、
国家や階層への同一化と自己の苦しみの原因を外部に求めることによる争いを生みます。

価値判断の思考に巻き込まれていないとき、その人は自分で考えているという自覚無く「良い」ものでなく
「適当」であるものに向かい流れているのではないでしょうか。
202473:2012/04/07(土) 13:37:38.84 ID:jCFzGX6s
無意識の欲望の群れ、混乱。
その混乱とどうかしてしまうから、表層意識である混乱無く物事を片付けようとする自意識が
生まれるのではないだろうか。
その自意識は見事にもともとの欲望の群れである混乱、エネルギーの葛藤をより強くする。

この自意識は自意識単体で存在しうるだろうか。
あくまで背景である無意識の欲望の群れがあり、その混乱が自己を超えようとして生んでいるのではないだろうか。
無意識との同化が自意識であり、互いを延命させているのではないだろうか。
すでに同化してしまっているならあらゆる試みは無駄に終わる。
自意識が自由な存在か、それとも無意識が作ったものに過ぎないか。
それは先に捨ててみてようやくわかることかもしれない。
本来思考というのは長く存在し続けられない。それが消えないというのはなにか自分でそれを存続させているはずなのです。
自由たろうとする自意識こそ、不自由である無意識が作ったそれを存続させる悪魔の使いだと本では言いますが、事実を確認するというのは骨が折れます。
特定の欲望で見るのはまだ見やすいのですが、不特定の群れは。
203オレって名無しかよ!?:2012/04/07(土) 14:47:30.03 ID:A9b6VZ13
>>199
>俺は、あなたが思い込みの多い人だと思うよ。
う〜ん、ちょっと言い過ぎたかな。
言い過ぎたようならゴメンネ!


問題は自己解決しました。
欲しかったモノは頂きました。どうもありがとう。
204神も仏も名無しさん:2012/04/07(土) 14:57:54.72 ID:VkI963By
>>199
>実際、あなたはどっち?
>「自分は分かってる」って思い込んでるほう? 思い込んでないほう?

それも答えたねwwww  なんで繰り返さなくてはいけないわけ?wwww
「問い」自体が成立しないwww   って言ったよね?ww

→『貴方は霊界のシステムを自分で分かっている』って、思い込んでるほう?
思い込んでないほう?

・・・・・いえ、そもそも「霊界」というものが存在すると思ってませんから、・・

霊界の存在を認めないひとは、このように答えるでしょ?www
「分かってる」という(あるいは、「分かってない」)は、「霊界」というものが
あることが前提としての「問い」だね?wwww

もう一度、初めのほうの俺のレスを読み直してくるようにww
(そういえば、バカ女もしばしば「それは回答済みです」というレスをつけてたが
お前はちょっと前のほうで書かれたレスをすぐ忘れて同じ質問を繰り返すのか?w)

205神も仏も名無しさん:2012/04/07(土) 15:01:24.71 ID:VkI963By
>>俺は、あなたが思い込みの多い人だと思うよ。
>う〜ん、ちょっと言い過ぎたかな。
>言い過ぎたようならゴメンネ!

いや、別に謝らなくてもよいwww
お前自身が、「主観による判断における『思い込み』」の
典型例を提示してみせたわけだからOKだろ?www

206オレって名無しかよ!?:2012/04/07(土) 15:13:44.43 ID:A9b6VZ13
>>204
>お前はちょっと前のほうで書かれたレスをすぐ忘れて同じ質問を繰り返すのか?w)

忘れてる訳じゃないけど、わざと同じ質問してみたりはする。
そういう反応も含めて「欲しいモノ」だったりするんだよね。
207オレって名無しかよ!?:2012/04/07(土) 15:34:50.04 ID:A9b6VZ13
>>205
>お前自身が、「主観による判断における『思い込み』」の
>典型例を提示してみせたわけだからOKだろ?www

これが今の俺の課題だよ。

主観の中に初めから存在する「思い込み」に、
主観の立場から気付く事が出来るのか。
この「思い込み」は主観と同化してるんで見つけるのが難しいんだ。
208473 :2012/04/07(土) 17:56:21.83 ID:Pwni6Vtu
自分が喜んでいる、苦しんでいると思い、それを言葉にします。
しかし、実際私は言葉によってその状態になったわけではありません。

私のすべての記憶と欲望とその分裂、そのときどの欲望が活性化していてどの欲望が疲れて休んでいるか、
それとその時点での覚醒、これらのバランスでその時点での私の現状が生まれています。
これを苦しい、くつろいでいるなど、一言で表すというのは無謀です。
長い文章を書けば自分のそれらの総合的な状態が現れてはきますが。

また、増して自分以外の人間は自分とは別のそれらがあり、そのときのバランスがあります。
それを、他者の主観を加味した上で伝えるのでなければ、伝えようとしたこととは別のことを他者は受け取るでしょう。
他者が私に賛成するとき、それはその人の経験が私の言葉を解釈して得たものに賛成しているのであって、
互いの共通認識というものは生まれていません。

自分の意識、無意識、記憶、欲望のサイクル全てに覚醒することは困難です。
まして他者のものにまで覚醒し、2つの異なった夢を橋渡しするのは正に至難であり、
光明を得た人の中でもできるのはごくわずかと聞きます。

人との関わりの中で私は私の主観に気づかされます。
他者の主観はわかりません。他者の欺瞞を暴くのはそこまで難しくないですが、
他者の主観を自分のことのように感じて本当に他者を客観的に把握するのは、
自分の主観がわからないぐらいなのでありえないことです。
209473 :2012/04/07(土) 18:05:43.20 ID:Pwni6Vtu
なんとなく、無理しないでくつろいで普通に生きたいと私は感じている。
一見罪の無い意識かもしれない。
しかし実際にやっていることは、自分の欲望の群れ、混乱を見ないでそれを抑圧している。
思考は他の思考を見ることができない。
思考は他の思考を抑圧することしかできない。覚醒との明確な違い。
一見無害な思考でも、やはり思考は思考なのか。

ただ今の自分に満たされていればそこに抑圧は無い。
抑圧、葛藤が無ければ、それ以外の世界の門が開かれる。
この門の先のことはそれを苦しみと名づけても喜びと名づけても門は閉まってしまう。
名づける人が過去の経験であり欲望の総体、自我そのものであるから。
210473:2012/04/07(土) 20:17:35.95 ID:jCFzGX6s
苦痛があり、それから逃避するからこそ無意識になることができ、
快楽を味わうことができる。

苦しみがあるからこそ、それからの開放という希望を見ることができる。

もし苦しみが無ければ、快楽はありえない。いわゆる喜びも無く、希望も無い。(必要も無いでしょうけど)
それに私は耐えられないから、苦しみを必要とし、快楽に染まり、喜びを謳歌し、希望に満ち溢れるのだ。
基底に苦しみを抱えつつ。
211《アラシを呼ぶ男》 ◆Arasi/MT2E :2012/04/07(土) 20:20:07.27 ID:Cc51TdkX
>>192

その 変な 言葉遣い、 権威付けか?

あしっどわーむらんにんぐ

虫唾が走るって Car ?
212オレって名無しかよ!?:2012/04/07(土) 22:18:23.08 ID:A9b6VZ13
言葉って難しい、なかなか人に伝わらない。
213《アラシを呼ぶ男》 ◆Arasi/MT2E :2012/04/07(土) 23:35:54.69 ID:wcZ6kr4x
>>212

700万年前に分かれたゴリラは、コミュニケーションの方法として、顔を覗き込む。
眼を見るのだ、
しかも至近距離からジィーッと。

文字のない世界とは、このようなものになった。

眼を見れば、言葉や文字の助けなど要らない、と言うわけだ。

一夫多妻で、10〜15の固体で構成される家族社会。
国家や民族など無い。
国境も無い。

平和である。

人間と比べて、平和で一貫している。

人は狩猟生活から、農耕社会へと変遷していった。
土地には、より多くの収穫を目指し、肥料もくれて肥沃な農地を育て上げていった。
だからたやすく農地は他に渡せなくなった。
ここから戦争が生まれた。
食料をめぐって人は、他の人々と争う、ゴリラたちが樹上の木の枝のベッドでまどろむ午後に。
214神も仏も名無しさん:2012/04/08(日) 00:40:49.70 ID:ADl47Qy8
言葉や観念から離れることが悟りならば
人間よりゴリラの方が悟ってるのか
215バカ女:2012/04/08(日) 01:16:50.39 ID:6OHk+Jpv
>>180
>玉ねぎを剥いていったらそれに突き当たるとは、良い表現ですね。

玉ねぎを剥いていっても突き当たる芯なんてないんです。
なーんにもなくなって、まるごとぜんぶになるんです。

>スタティックな構造論?申し訳ない。難しすぎてわかりません・・・。

生き続けている、悟り続けていると言っても、それだけなら見たまんまです。
とんでもない奇跡について書いているのに、そのようには感じられません。
もし神さまの天地創造を目撃したら、びっくり仰天します。
それを記述しようとしたら「神は天地を創造した」では終わりません。
もっといきいきと創造の現場をダイナミックに記述するはずです。(喩えです)

>我が子の名は「大悟」です・・・。

どうして「大悟」っていう名前にしたの?って質問されたらなんて答えるんですか?

「大悟」が悟りの頂点なんでしょうか?
どんなふうに説明されているんでしょう? 時間があるときに教えてください。

>我々は共感能力は持っていますが、他人の心を知る術は究極的にはありませんね。

私に心があるように他人にもあるだろうという、私やあなたの心ある振る舞いによって
あるものとしての心が成立します。(なにか足りません)

>ですから他人の心を慮るというのを、本邦では独自の文化で発展させてきたようです・・・。

人間の生物学的進化、言語の獲得、歴史、文化、伝統、慣習によって、
私たち人間は心ある振る舞いをしている、と本気で思っていますか?(なにか欠けています)
216バカ女:2012/04/08(日) 01:22:13.72 ID:6OHk+Jpv
>>184

名前が出ているので横レスします。

>そこはバカ女女史の究極知り得ない
>(語り得ない事には沈黙?ウィトゲンシュタイン風)とのことかと・・・。

いえ、私は知りうると思っているので思いっきり語っています。
ウィトゲンシュタインが立てかけた梯子は上りきって、
今は屋根の上からも降りて大地に立っています。

ウィトゲンシュタインは、あまりにも身近で決して対象には堕さない
おのずからそれ自身であることが、倫理(存在)であることには気づいていたけど、
どうしてそれに気づくことができるのか?と問うことはできませんでした。
なぜなら、彼は独我論者だから、と私は考えています。

ウィトゲンシュタインの独我論とは、簡単に言えば「世界は私の世界」だから
絶対に「世界はあなたの世界」ではないし、それぞれの世界があるのでもない。
だから重要な意味で私には隣人がいない、というような考え方です。
217安堂 ◆3LK.0gZrV2 :2012/04/08(日) 01:42:27.07 ID:Ceg4dq22
>>215-216
そうですか、ありがとうございました・・・。
218安堂 ◆3LK.0gZrV2 :2012/04/08(日) 01:45:29.09 ID:Ceg4dq22
>>211

まあ、この私安堂がろん先生のような偽禅者に欺されることはないので
ご安心ください・・・。
219安堂 ◆3LK.0gZrV2 :2012/04/08(日) 01:59:04.90 ID:Ceg4dq22

すべては緩りとくつろぐことにある。
精神と肉体の緊張とは、何らかのアンバランスによるものだ。
いいかね、悟りを目指すものは、
さらなる緊張をも強いられるであろう。
だが、私は解放を常に与えている。
それに気づくかどうかはあなたがた次第だ。
それまであなたがたは、氷河のようだ。
固まって全く流れていない河。
または部分的に氷って滞っていて、一部にだけ流れている
動脈硬化のような河だ。
雪解けの時は必ず来る。
解放の時だ。迷わず瞑想をしてくれたまえ。
220ろん:2012/04/08(日) 02:54:48.02 ID:w3XKSBw5
>>218
バカやろ。。

偽物も何も、あたりまえの基本を言ってるのに、まだわからんのか。。

なぜ自己を忘ぜよと道元が言うのか?

いつまでたってもわからんちんのドアホなままやのう。。
221473:2012/04/08(日) 03:12:08.13 ID:TijgibRJ
互いの目を見つめあう方が言葉よりより多くのことを伝え合えるのでしょう。
言葉は誤解を生みます。

禅では牛を例えに使います。
牛とは、私たちの体、感情、生命のエネルギーそのものの例えです。

私たちはいつも何かを、生の指針を知ろうとしています。
しかし知ろうとすることは、その牛、エネルギーとつながりのない単に思考の中だけの
妄想であり、自分の実体であるエネルギーをかき乱すだけではないでしょうか。

知ろうとするのではなく、単に在って生きるというありようがあります。
単に在って生きる人には、何の方向性もなく、何の希望もなく、悟りも迷いもありません。
そこには偽りがない。偽りがない。そして何の保証もない。何の目的もない。
222安堂 ◆3LK.0gZrV2 :2012/04/08(日) 03:14:00.66 ID:Ceg4dq22
>>220

僕をバカでドアホだと馬鹿にしつづけるのか?

あなたこそなぜわからないのか?

私はかねがね言い続けてきた。私は自分の見たものしか信じないのです。
223473:2012/04/08(日) 04:06:13.04 ID:TijgibRJ
>>220
何故言ったかというと、ある相手に、あるタイミングで、ある言い方をすることによって
相手はショックを受けて本当に自己を束の間か永遠にか忘じたからでしょう。
(自己を忘じようと思うのでもなく、自己を忘じたと思ったのでなく)

あくまで禅の言葉は仕掛けであり、これを理論として、道筋として利用しようとしてしまうことは、
単に自我が思考によってその自我自身を超えようとする不可能な試み(内戦)になってしまいます。
これが禅の基本ではないでしょうか。
224ろん:2012/04/08(日) 04:15:56.53 ID:w3XKSBw5
>>222
信じる信じないじゃなくてさ、簡単な法を理屈を理解できんのかと言ってるの?

何によって迷っているか、自分で自分を捉える、対象を捉える、その認識のうちに振り回されることによって迷ってるわけ。。

認識を手放せば、あるいはそれが偽りだと理解すれば、それは束縛する力を失う。。

それだけのことだよ、基本は。。

それをわからずに、いつまでたっても迷いだ悟りだ、いやリラックスだなんだとか、意味のない言辞をほざき続ける愚が止むということ。。

おまえの言ってること意味なんだよ、何書いても。。

かすってもないんだから。。
225ろん:2012/04/08(日) 04:24:16.30 ID:w3XKSBw5
>>221
迷いの原理と言うものをきちんと理解すれば、一発で方づくと言う側面はある。。

それが悟りと言うわかじゃないけど、少なくとも間違った修行とか方向性は落ちる。。
正しい修行ができるということだ。。

単に在るでもいいけど、あなたみたいにそれができない人に、どうすればできるかということを知るのは必要だろう。。

>>223
ちゃんとまともに読んだり聞いたりすれば、道筋として示せるのが禅なの。。

上に書いた『The 禅』でもそうだけど、きちんとした師家は、はっきりと単純な理を示します。
理屈で納得して、少なくとも考えの上では迷わないという状態へもって行ける。。

マトモな修行者はすぐに納得してその通りにやります。。

そういう提唱本その他の文章はあるし、師家もいるのに何でわかろうとしないのだ、わからないのだ、ということ。。

ついでに言うと道元が自己を忘ずると言ったのは、正法眼蔵に書いてあることだから、対機説法ではない。。

道元は道筋を説いているわけ。。
226ろん:2012/04/08(日) 04:28:28.81 ID:w3XKSBw5
>>223
>単に自我が思考によってその自我自身を超えようとする不可能な試み(内戦)になってしまいます。

自我でどうこうする必要が全くないということがわかるのだから、そんなことにはなりようがない。。

自我を超えねば、なんて誤解も消える。。

私と言うものはない、中心となるものは何にもないと言うことなのだから。。

自我は自然に努力を止めるだろう、その必要がないことを知るのだから。。
227473:2012/04/08(日) 04:40:07.40 ID:TijgibRJ
これは無自覚のことですが、自分の現状を混乱と名付けたり無明と名付けたりして、
静寂や光明を、いやもっと微妙な形、それからの脱出として求めてしまっている。
(無自覚なので名づけているというより2元対立を非言語のレベルで持ち込んでいる)

わざわざ自分の現状にネガティブなレッテルを張って、自分をありのままに見ないで、
そして実際にありうるかどうかすらわからない架空のポジティブな目標を目指す。
出発もゴールも完全な夢。そして現実の自分のエネルギーとのかい離から来る苦しみ。

光明は、無明から光明への2元性の旅では無いようなのです。
良くも悪くもない、無明でも光明でもない、未来に希望を持たずに今あるがままの自分が変容し続けること、
変容し続けているのに良くも悪くもなっていない。そんな不思議な旅。
光明を得ていない人は光明を得た人とそうでない人を区別するが、光明を得た人は彼らが言うには
光明と無明の区別も、そもそも自他の区分けすらないといいます。
そんな人たちに近づくのに、自分をあるものとみなし、あるものになろうとするのは方向性が違う気もします。

瓦は磨いても鏡にならない。明晰で自由な心を求めるより、混乱でしかありえない心を捨ててしまえばいいのか。
いや、混乱でしかない心をそのまま受け入れて放置してしまいましょうか。
228473:2012/04/08(日) 04:50:28.71 ID:TijgibRJ
>>225
自我である我々が「自我は存在しない」という言葉から得られるのは、
自我を土台とした上での自我による夢にすぎません。

自我でない存在が自我は存在しないと言明することと我々が自我から無我を想像することには
全く質的な違いがあるのです。
また自我でない存在は、自我である存在がそれを理屈でとらえて、自我による無我という夢を
作ってしまわないように注意を払って万事を計らうでしょう。

理解するのは誰ですか、自我です。
納得するのは誰ですか、自我です。
わかるのは誰ですか、自我でしょう。
間違った方向性が落ちたというのは誰ですか、自我ではないでしょうか。
正しい、マトモなどというのは誰でしょうか。自我の働きです。

正しいとを理解するのは自我の仕業です。
一つ一つ自らの過ちを見出してゆく(間違っていると責めるわけでもないです)、自我の働きを理解してゆく。
正邪の区別は消えてゆきます。
道筋など持たず、刻々の心の働きを見守ります。
229473:2012/04/08(日) 04:59:48.61 ID:TijgibRJ
>>226
言葉というのは非常に美しいものだと思います。

しかし、自我に果たしてそれが理解できるでしょうか。言葉は自我全体に影響を与えるでしょうか。

自我が「(自我)は何もしなくていい」と理解するとき、(自我)は自我そのものではなく、自我が投影するまた別の夢にすぎません。
結局自我はその言葉に自分自身を延命させる希望を投影するだけではないでしょうか。
なにもしなくていいと当の自我は希望を持って待ち続けるのです。
自我は思考、経験の集合体であり、「(自我)はなにもしなくていい」という新しい思考が加わることになります。
そして新しい思考を加え自我はより混乱します。
自我による理解ではなく、理解しようとする当の自我の解明が必要なのではないでしょうか。
230ろん:2012/04/08(日) 05:32:51.40 ID:w3XKSBw5
>>228
たわごとと思い込みの羅列に過ぎんよ。。

自我が存在しないなんて言ってないよ、よく読め。。

「私と言うものは存在しない」と言ってる。。

理解するものは何かって、何にもないよ、理解するという事実、作用があるだけに過ぎん。。

理解する作用が自我にあると言ってもいいけど、それで何か問題があると思ってるのはあなたの自我だよな。。

僕は何の問題もないと思う。。

自我を無くすとか無我になるとか自我を越えねばとか、そういう勘違いがないから。。

正邪と言うものはあるよ、あなた自身正邪の区別をもたないのが正だと言ってる。。

それ自身正邪ではないか。。

僕はそうは思わないが。。
231ろん:2012/04/08(日) 05:39:25.52 ID:w3XKSBw5
>>229
半分正しいけど半分間違っている。。

あなたは自我を実体視して、それを余計なものと決めつけてるから、いつまでたっても埒が開かんの。。

自我に実体はない、自我がないんじゃないよ、自我はある、けれど、どこにも中心はなく、感覚作用、表象作用、思考作用等の集まりに過ぎない。。

正しいのは、「何もしなくていい」とも思っていてはいけないことだ。。

これが答えだというのを持ってはいけない。。

しかし、迷いにも悟りにも原理があり、それを祖師方は解き明かし、言葉で持って伝え、道を示したことによって、それに続く弟子たちが法灯を維持してきた。。

これが答えだというのをいつまでも持っていてはいけないというのは正しいが、いったんは理解して、納得する必要がある。。

でなければ、いつまでたってもあなたみたいに、是非善悪二元論の中でにっちもさっちもいかなくなって埒が開かないだろう。。
232ろん:2012/04/08(日) 05:50:53.32 ID:w3XKSBw5
私は自我だとか、あっはっは、勝手にそう思い込んで、混乱してるだけ。。

「自我だ」って誰が思っているのか、だれでもない、そういう思い込み、認識があるに過ぎんのだが、
473は何でも自我のせいにしたいらしいな。。

バカ女みたいにカントでも知ってたらちっとは、話が分かるかな?

認識はあくまでも頭の中のもの、私は自我だとか納得するのが自我だとか、私は自我だとか、云々・・それが存在自体に安住できない原因ではないか。。

物自体と言うか、存在は、認識とは一致しない、われわれはみんな自我じゃなくて、存在だ。。

認識、思い込みがなければ、迷うことはない。。

こんなあたりまえなこと言ってんのに、なんでわからんのだろうか?
233ろん:2012/04/08(日) 06:02:53.31 ID:w3XKSBw5
自我に問題があるんじゃくて、自我による誤った認識に問題があるんだよ。。

自分があると思う、他人があると思う、物事に実体があると思う。。

そういう誤った認識が問題なだけ。。

ないものを捉えて、自我だ無意識だなんだかんだ、是非善悪・・実体がなければ、是非善悪もないんよ、究極的には。。

迷悟もないし・・迷悟があると思うのが迷いだというだけ。。

正邪がないのが、正しいとか、ものすごい矛盾だし、余計な思い込みなの。。

十牛図にあるではないか、「正邪弁ぜずんば、真偽なんぞ分かたん(正邪を区別することができないならば、どうして真偽がわかるだろうか)」
第二図だったかな。。
234ろん:2012/04/08(日) 06:12:31.56 ID:w3XKSBw5
安堂も473も本当はそのままで法だし、そのままで悟ってる。。

けれど、自分を捉えて、実体があると思ってる、自分があると思ってる、他人があると思ってるから、それがわからんと言うだけ。。

自分も他人もホントはわからんのよ・・だから自分捉えずに、日常生活の働きそのままになってれば、脱落するということ。。

認識できない、その向こうにある働きそのものになりきれずに、自分を捉えて是非を関するから、安心できんと言うこと。。
235神も仏も名無しさん:2012/04/08(日) 07:28:52.64 ID:Vlqg1BuI
473よ、お前さんはなかなか面白い。
236悟り子 ◆AAyxyMDKw6 :2012/04/08(日) 08:26:08.95 ID:I6CsNRs7
>>212
>言葉って難しい、なかなか人に伝わらない

覚者A「悟りとは自分を忘じることです」

覚者B「悟りとは自分を覚えていることです」

確かに難しいですね
237悟り子 ◆AAyxyMDKw6 :2012/04/08(日) 08:36:30.47 ID:I6CsNRs7
>>214
>>言葉や観念から離れることが悟りならば
人間よりゴリラの方が悟ってるのか

無我=悟りなら
ある意味万物が悟ってます
ただこのスレの文脈で言う悟りは人間の知性を超えた覚醒であって
人間の知性を失った覚醒じゃ無いのかもしれません
238悟り子 ◆AAyxyMDKw6 :2012/04/08(日) 08:41:23.64 ID:I6CsNRs7
>>229
思考で思考と戦っても勝ち目は無いのかもしれませんね
239悟り子 ◆AAyxyMDKw6 :2012/04/08(日) 08:56:05.04 ID:I6CsNRs7
>>210
>苦しみがあるからこそ、それからの開放という希望を見ることができる

お腹が減るから食事が待ち遠しい感じでしょうか?
240悟り子 ◆AAyxyMDKw6 :2012/04/08(日) 09:03:38.08 ID:I6CsNRs7
>>118
これは悟り子の想像ですが
仏陀は悟りを開け無い自分を受け入れたのかもしれませんね
受容できない自分を受容したとゆうか

そして全面的な受容が起こった
241ama ◆BmUbLWewsM :2012/04/08(日) 09:08:34.79 ID:shW6qnn2
>>193
私はこちらで、電子書籍版を735円で買いました。
http://www.ebookjapan.jp/ebj/book/60002383.html
仏教の用語にはだいぶ困りましたが、
とても胸落ちするところもあり、
まだ途中ですが、
当たり前のことが当たり前にならなくて困ってしまっている「私」というものが、
正確に書かれていると思いました。
(できればもう少し日常の言葉で語ってほしかったですが・・・。(哀))
242悟り子 ◆AAyxyMDKw6 :2012/04/08(日) 09:12:56.68 ID:I6CsNRs7
導師「自分を手放せばそれが悟りです」

弟子「分かりました」

弟子(私は自分を手放す...私は自分を手放す...私は自分を手放す...)

導師(...などと非言語的に繰り返してるんだろうなぁ)
243ama ◆BmUbLWewsM :2012/04/08(日) 09:44:04.96 ID:shW6qnn2
>>232
> 認識はあくまでも頭の中のもの、私は自我だとか納得するのが自我だとか、私は自我だとか、云々・・それが存在自体に安住できない原因ではないか。。

つまり、

自我という人がいるわけではない。

自我が納得しているわけではなく、
納得するという作用を自我と呼んでいる。

ということでしょうか?
244ama ◆BmUbLWewsM :2012/04/08(日) 09:51:06.64 ID:shW6qnn2
>>240
すべてを受け入れる・・・。
言葉にすると単純なことのように思えますが、
実際にはこれがなかなか・・・。
おっしゃるとおり、受け入れられない自分を受け入れることが出来ないからでしょうね。
そこにはやっぱり価値判断があるように思えます。
なにか素晴らしいものになりたい自分というのがいて、
これが、全面的な受容を邪魔するのかもしれません。
私たちは自分が嫌いなのです。(笑)
245神も仏も名無しさん:2012/04/08(日) 10:09:52.35 ID:ADl47Qy8
覚者「すべてを受け入れなさい」
一般人「あなたの持ってる一億をくれ」
覚者「いやです」
一般人「すべて受け入れるんじゃないのか」
覚者「例外はあります!!」
246神も仏も名無しさん:2012/04/08(日) 10:57:36.31 ID:tIMDp/LO
まあね、どんな計らいをしても災難は訪れる、泣いても笑っても同じ。
それが腑に落ちると、可笑しくなるというか、自分の馬鹿さ加減が。
好きなだけ計らってもいいんだけど、そこのところが根っこのほうで分かっていれば。
災難に遭うときは遭うがいいと思うと、不思議と災難のほうが手加減してくれる。
恐れると返って心に恐れが増幅する。金縛りにあったようで自由が利かない。
心はあってない、なくてある、それを無視すると拮抗作用が働いて苦しみが増す。
247オレって名無しかよ!?:2012/04/08(日) 11:26:59.02 ID:IwXRSEJA
>>245
「すべてを受け入れる」のと「相手の言いなりになる」のは
ちょっと違うと思うな。
どこが違うのか良く分かんないけど。
248オレって名無しかよ!?:2012/04/08(日) 11:33:11.60 ID:IwXRSEJA
>>224
「認識」って、どうすれば手放せますか?
手放そうと思っても付いてきます。
249神も仏も名無しさん:2012/04/08(日) 11:40:53.38 ID:tIMDp/LO
そうですね。気にしないように計らうと、返って拮抗する。
それが心、心はないはず、そう思おうとすればするほど強迫観念が生まれる。
認識を手放そうとすればするほど手放せない。
250神も仏も名無しさん:2012/04/08(日) 12:38:27.03 ID:ADl47Qy8
子供「100点取ったよー」
覚者「観念をなくしなさい。自分の中に留まっていなさい」
次の日
子供「0点取ったよー」
覚者「観念をなく自分の中に留まりすばらしい」
この子供は大人になってホームレスになったのであった。
251神も仏も名無しさん:2012/04/08(日) 12:50:36.87 ID:tIMDp/LO
金持ちになろうとすればするほどお金が足りないと思う。
普通にしていても満足していればお金に困らない。
このカラクリは何でしょうね。
ホームレスでも満足している人はいるのでしょうね…。
252神も仏も名無しさん:2012/04/08(日) 13:03:23.07 ID:ADl47Qy8
修行歴40年の禅者
公衆の前では
 「観念を無くし認識をなくし選択をなくしなさい。
 過去もなく未来もなく、ただ現在に留まりなさい。本当の真実に出会います」
心の中では
 「観念を無くそうとすればするほど観念にとらわれ
 欲望・認識を無くそうとすればするほど欲望に追われる
 過去未来をなくし現在にとどまればとどまるほど過去と未来が頭からはなれない
 瞑想・集中すればするほど強い自我ができてしまった
 40年間何をしてきたのだろう。しかし職歴はないし食う為に説き続けるしかない・・」
253473 :2012/04/08(日) 15:49:20.98 ID:6vmPyIUp
>>230
473の定義する言葉に対してあなたの定義で反駁なされるのではなく、473の提示している内容を読み取っていただけるとスムーズになるかと思います。
ろんさんがいう私は473のいう自我です。ろんさんがいう自我が473のいう(自我)です。
473の先ほどの書き込みの自我ということばを私という言葉に置き換えて再読いただけば、私の伝えようとした内容への誤解も減るのではないでしょうか。

>>240
実にわかりやすい喩えですね。
あるときは表層意識で言語的に唱えます。
あるときは表層意識で非言語的に目指します。(これは大切なことです。私たちの常日頃の欲求不満はこれをやっているからではないでしょうか)
そしてあるときは当然他の言語的非言語的概念が主導権を握るのでそれは無意識にもぐり、
無意識からそれを目指すことになり私たちの実存はかき乱されます。

新しい理論や経験、また認識でさえもそれは新たに積み上げられるものであり、
古い記憶や執着を消すものではありません。しかし古い記憶や執着そのものである私がそれそのものに気づくことはできるでしょうか。
古い記憶や執着が私そのものでありまたそれは幻であると師は言います。
しかしそれを私が理解するのではなく、私を理解するという実地が起こるには、、。

254473 :2012/04/08(日) 15:49:56.79 ID:6vmPyIUp
ただ、言葉は私たちの古いパターンを揺さぶるので、その言葉の刺激で
あたらしいもの、名状しがたい喜びに出会うことはあります。
しかしそれは言葉に従ったからではないので、その後その言葉によって再現しようとしても再現できません。
その喜びを記憶して再現しようとしても、再現しようとする本体が過去の記憶と執着なので内部葛藤に終わってしまいます。

言葉は刺激として役に立つことはあります。
しかし、その言葉も、その言葉によっておきた体験の記憶も手放してゆかないとそれは毒に変わります。
美しい言葉、それは開放への契機になりうるのですが、恐ろしい束縛にもなりえます。
255473 :2012/04/08(日) 15:51:42.43 ID:6vmPyIUp
「自らの過ちを見よ。他人の過ちを見逃せ」-ダンマパダ

今表層の意識があり、またそれに抑圧されている膨大な過去があります。
今好んでいるものが表層に上り、今好ましくないとしているものは無意識に抑圧されています。

私はあるものが好きで、かつそれが嫌いでもあります。
その両方に気づくと混乱します。(混乱に抵抗しなければ覚醒といわれたり受容といわれたりすることがあります)
その混乱を避けるため人間には表層意識と無意識があるのではないでしょうか。
あるときは私はそれが好きだし、表層と無意識が入れ替わって今度はそれが嫌いになります。

今自分が嫌っているもの、「かつ無意識ではそれを愛しているもの」は私たちにとって葛藤の種です。
私たちはその嫌っているものを他者に投影して、それを攻撃したり、「ああそれはいけないことなのです。何とか救って差し上げなくては」
と助けようとすることで、自分が無意識に抱えているものとその混乱を他者に背負ってもらおうとするのではないでしょうか。
そして、この重荷を背負ってもらいやすい相手とは、過ちをもつ相手ではないでしょうか。
過ちにある他者を見ると、この投影への欲望が起きてきます。
意識で何かが好きで、無意識でそれを憎んでいるという混乱と向き合っていたのに、
いつのまにか論戦や他者を助けるという使命感の高揚感に摩り替わっています。
そうやって人々は葛藤を避け、自己の矛盾を放置どころか強化します。
それをブッダは戒めました。自らの過ちから眼を背ける機会はいくらでもあります。
その誘惑に気をつけなさいと。他者の過ちは誘惑です。それを見逃せと。
256ろん:2012/04/08(日) 16:58:12.42 ID:w3XKSBw5
>>253
定義の問題じゃなくて、あなたが、自我を、私と言うものを実体視して問題視してることが誤りなの。。

このことを理解してから、お返事を下さい。。

仏教は簡単ですよ。。

私はない、、だから問題にならない。。
もちろんこれを頭で答えとして持ったら、間違いだけど、根本はこれです、、無です。。

この無を透過しないから、すべての認識が間違ってしまう。。

無意識が問題だ、自我が問題だ、表層意識と深層意識がどうの・・・全部あなたが問題をつくっているだけ。。
もちそん、世俗的には、無意識が問題になることもあるでしょう。。

しかし、そういうのは仏法ではない、そられを実体視することから抜け出さないと、いつまでたっても、幻の中。。
257ろん:2012/04/08(日) 17:12:45.54 ID:w3XKSBw5
>>242
そういう理解でいいと思います。。

>>248
いや、別に認識あったっていいんですよ。。

だけど、それが頭の中だけのもの、仮のことだって、理解することが大事なんです。。
認識と言うのは、人間の世界の中だけの話でしょ。。

だから、認識に使われるのではなくて、使うようにする、使いながら、捉われないということかなー。。
258ろん:2012/04/08(日) 17:14:42.33 ID:w3XKSBw5
アンカー間違えた。。

>>243
そう言う理解でいいと思います。。
259オレって名無しかよ!?:2012/04/08(日) 17:48:33.31 ID:IwXRSEJA
>>257
ろんさんは悟って良かったですか?
260ろん:2012/04/08(日) 18:27:55.19 ID:w3XKSBw5
>>259
いや、僕はまだ修行中。。
261ろん:2012/04/08(日) 18:29:34.23 ID:w3XKSBw5
>>241
あー電子書籍もあったんですねー。。
262神も仏も名無しさん:2012/04/08(日) 20:23:45.07 ID:ADl47Qy8
>>260
修行中ということはまだ >>252 ですかね?
263473 :2012/04/08(日) 21:12:23.71 ID:fkx57Fy/
>>256
≫このことを理解してから
いったい何を理解するのでしょうか。
主体は私は存在しないということを理解するというのは、主体は私は存在しないということを
見抜くということですよね。それは悟り、光明と言われるものではないでしょうか。

では実際に見抜くという光明以外の理解とはなんでしょうか。
それは実際の認識ではなく、他人のの言葉を借りているだけではないでしょうか。
それは自我であるとらわれ、そしてそこから抜け出そうとする努力の苦しみ(むろん無自覚な思考の働き)から逃れるための
一時的な甘い夢であり抑圧でしかありえないのではないでしょうか。

現状私たちにとって私はあります。それが出発点です。
私が存在しないことを実際に見出すのはかまいませんが、なぜ先んじてそれがないということを理解できるのでしょうか。

473は問題を作っているのではなく、我々の現状を描写しているだけです。現状を理解する一つのヒント、刺激です。
自我を問題視も肯定もしません。それに無知であり振り回されている状態から、
自我を理解したうえで便利ならなら使えばいいし苦の元なら離れればいいという
先走った結論のない個人的な探求を提示しています。
ブッダは玉ねぎのたとえを使います。473が語ったことはすべて幻です。(そう何度も述べています)
しかし実際に幻の中にとらわれている我々は自分自身でそれが幻であることを実地で見出してゆかねばなりません。
自己を理解せず結論を先取りするのは気晴らしにはなりますが、自己はより強まり苦しみが戻ってきます。
264473 :2012/04/08(日) 21:13:33.07 ID:fkx57Fy/
二元論に散々傾倒してうんざりしていたがゆえに、非2元論はとてつもなく新鮮に見えた。
それゆえにそれに転向したが、過去からの二元論を好むという(というか思考も言葉も二元性そのものなのだから当たり前のことです)
傾向が消えたわけではない。二元論は自分の内部で生きている。
両者は相容れないので葛藤するのだがそれは一見何の理由も見当たらないとてつもない混乱と苦しみであり、それに醒めている事は大変なことである。
それに対して二元論を他者に投影してそれに反対し、批判し、諭したり、救ってあげたりするのはなんとも楽しいことなのだ。
その誘惑たるやすごいものがあります。
かくして、他者の提示する二元論に対して、もしくは投影がひどいと他者が言っていることを捻じ曲げてまでそれに反論します。
が、それは実際には自分自身の古くからある2元性に対して反論しているだけなのです。
(自分の中にある過去、無意識の二元論に反対しての非二元論は、本来非指し示された二元と真逆で、2元論の2乗ともいえる最強の二元論ではないでしょうか)
というような人がいる。
また
非二元論に傾倒したがそれに携わる人々と自分に絶望したので、反非二元論に転向した。
(そもそもその非2元論は、二元性を作る前への回帰ではなく、二元性からさらに作り上げた非2元性という2重の夢なのでしょうけど)
しかし、非2元論を好む過去が消滅したわけではないのでそれは抑圧しているに過ぎない。
他者にその非2元論を投影してそれに反論して内部葛藤を回避する。
投影の度合いが平均より重い場合は、他者は自分がいってもいないことに対してその人が反論するのに驚くことになります。
投影がそんなに重くない場合、一見相手が言っていることに反論しているように見える。
しかし実際は自分が表層意識で嫌い無意識で好んでいるものを投影している。
というような人もいました。

そして473はその両者に突っ込みを入れて、その両者がはまっている罠に自分もはまっているということを忘れようとしているのか、
それともそのかかわりを通じてその両方を自分のうちに見ようとしているのか。(そのときの目覚め次第でしょう)
265神も仏も名無しさん:2012/04/08(日) 21:42:56.01 ID:nHaz/H2X
一か二か一と二で三ならわかるけど
二のひとつひとつを語るのはないよな
266ろん:2012/04/08(日) 21:45:15.05 ID:w3XKSBw5
>>263
私がないと言うのは、事実です。。

甘い夢でも抑圧でもありません。。

で、それを見抜いて確かめて納得する、それが光明と思ってるかもしれませんが、たぶんちがうでしょう。。
だから、まだ修行中だと言っている。。

何かを他人の言葉から理として理解する、それから本当にそうかどうか、実際事自分で見て確かめる、それに納得して、さらに修行を続ける。。
そういう過程を言っています。。もっとも過程無しに、スパっと行く人もいるかもしれません。。
また、理からすれば、過程がないことを理解することもできるでしょう。。
でも、それは悟りではありませんねー。。

理解する→自分で確かめてみる→納得するというステップはあって当然と思うのですが、
あなたは、理解するのが自我の甘い夢だとか言って否定しています。。

どうしてですか?

プロセスとして、法を理解するというステップはたいてい必要なはずですが。。
267ろん:2012/04/08(日) 21:50:57.72 ID:w3XKSBw5
>>263
僕が理解すべきと言うのは、すべての現象に実体はないと言うことです。。
これを本当にわかっていますか?
あなたのいままでの問題の立てかたでは、わかっていないと思いました。。

仏法は心理学やその他のセラピーやワークとは別です。。

個人的に473さんは、神経症的な傾向があると思いますが、それも仏法では法のうちです。。
そのままでいいんです。。分裂症でも、境界例でも同じです。。
でも、本人が楽になるためには、そう言うものを治した方がいいともうますが。。

無意識とか抑圧であっても、まったく実体はありませんし、そのままで法です。。
それを問題視して、治癒すべきと言うのは、心理学や世俗的な要請であって、仏法とは全く関係がありません。。

そこらへんがわかってないと思いました。。
268オレって名無しかよ!?:2012/04/08(日) 21:51:55.44 ID:IwXRSEJA
>>266
ろんさん、法は理解しないとヤッパリまずいですか?
法は難しくて良く分かりません。
269ろん:2012/04/08(日) 21:56:12.14 ID:w3XKSBw5
>>263
>473は問題を作っているのではなく、我々の現状を描写しているだけです。現状を理解する一つのヒント、刺激です。

他人にヒントを出してるって、ずいぶん上からマリコですな〜w

これが、あなたの場合、自己の神経症の投影に過ぎないと僕なんかはものすごく感じます。。

今の若人はそんなに抑圧なんてないよ、はっきし言って・・神経症的な人も少ないでしょう。。
だから、そういうのを「我々の現状」というのは、おかしいですね・・あなた自身の投影が全ての人「我々」にあてはまるわけじゃないじゃないですか。。

さらには、自我や煩悩も無くさなければいけないわけではありません。。

あなたは自我や煩悩悪者扱いして、無くさなければ悟れないと思っていないでしょうか?

思っていたら、間違っています。。
そこらへんん、僕があなたに理解すべきと言っていることです。。
270ろん:2012/04/08(日) 22:00:33.99 ID:w3XKSBw5
>>264
仏法をきちんと学んで、理解すれば、二元論にはなり得ません。。

法、実際、実相、それをきちんと参究してください。。

二元論は人の頭の中、思い込みの中にしかありませんから。。

無我であり、空であると・・それが根本です。。

無我と空からは二元論は出てこられません。。
271神も仏も名無しさん:2012/04/08(日) 22:04:56.64 ID:ADl47Qy8
悟った人の誰かの弟子とか悟りの理論を勉強してる人って
実際、悟ってる人いないよねー
何でだと思う?
言葉自体が2元で非2元だと言っても言葉にした時点で2元になるから
観念に執着が生じ悟れないと言うジレンマになる

悟ってる人を調べると大抵若いころから光明を得ていたとかそんなのばっかだよ
272ろん:2012/04/08(日) 22:05:25.32 ID:w3XKSBw5
>>268
そりゃ理解した方がいいでしょー。。

でも、誰でもそのままで法なんだよ。。

こうだと認識すると、そのままからズレてしまうけど、ズレることも法なんだ。。
273オレって名無しかよ!?:2012/04/08(日) 22:22:18.60 ID:IwXRSEJA
>>272
俺も、そのまんまで法なの?
274ろん:2012/04/08(日) 22:40:44.94 ID:w3XKSBw5
>>273
そうだよ。。

だから、手を付けなければいいだけ。。
275473:2012/04/08(日) 22:44:43.73 ID:bJS4X90q
≫私がないと言うのは、事実です。。
それはそれを事実だと見出した人の事実であって、ブッダ以外にとって事実ではない。
あなたが言う場合それは推測でしかなく、推測するのはあなたであり、あなたの見る夢です。

≫僕が理解すべきと言うのは、すべての現象に実体はないと言うことです。
それを理解していればあらゆることへのこだわり、生死や肉体的苦痛に左右されることも無いでしょう。
それを理解するというのは実に偉大なことであり、それを理解した人は普通の人と違うように(普通の人以上に普通にともいえるでしょうか)
振舞われることでしょう。その言動に優美さがあることでしょう。もしくは荒木のような生命力が宿っていることでしょう。
ブッダは新しいのでそれを前もって予測はできませんが。
276ろん:2012/04/08(日) 22:59:49.26 ID:w3XKSBw5
>>275
>それはそれを事実だと見出した人の事実であって、ブッダ以外にとって事実ではない。
あなたが言う場合それは推測でしかなく、推測するのはあなたであり、あなたの見る夢です。

どうしてこういうふうに断定できるの?

断定していること自体おかしいと思わんか?

何の根拠もなく、他人がわかっていないと断定しているわけだねー。。

あなたがそう思いたいという願望によって、事実を捻じ曲げていると思わんか。。

僕からすると、相当重症の病気に見えるよ。。

地球が丸いというのは、それを確かめたひとだけにとっての事実だろうか?

確かめるか否かに関わらず事実である・・事実と言うのはすべてそうなのだが。。

>それを理解していればあらゆることへのこだわり、生死や肉体的苦痛に左右されることも無いでしょう。
それを理解するというのは実に偉大なことであり、それを理解した人は普通の人と違うように(普通の人以上に普通にともいえるでしょうか)
振舞われることでしょう。その言動に優美さがあることでしょう。もしくは荒木のような生命力が宿っていることでしょう。
ブッダは新しいのでそれを前もって予測はできませんが。

これは言わずもがなの思い込み、幻想。。
そりゃ誤った理解による我執と言うのは、なくなるかもしれない。。
しかし、肉体的苦痛に左右されないとは、人間じゃないね。。
優美さがあるとか・・あるかもしれんが、必ずあるとも限らない。。

理解するのが偉大だとか、そんなことまったくないよ。。
あたりまえのことに気づいてあたりまえになるというだけ。。
277ろん:2012/04/08(日) 23:05:48.75 ID:w3XKSBw5
すべての現象は縁起によって生滅する、ゆえに無常であり、無我であり、実体はなく、是非善悪を超えたものである。。

これは、この法は人がつくったものじゃない、お釈迦様が発見して初めてといたかもしれないが、お釈迦様が発見数る前からそうであった事実。。

誰もがこの中にあり、実体を捉えずに、そのままであれば、問題がなかったのに、認識によって、自我によって、是非善悪をするので、迷うよいうになってしまった。。

これは誰でも説明されればわかること、これがわかることが見性と言うわけじゃない。。

それは単に仏法がわかったということに過ぎず、正しい修行ができるための前提に過ぎない。。

逆にこれがまだわからなければ、誤解にさらに誤解を重ねて、修行と称して、おかしな観念に囚われ、無駄な努力を続けることになる。。

だから、まずは法を聞いて理解するのが必要だと言っているだけ。。
278ろん:2012/04/08(日) 23:09:24.06 ID:w3XKSBw5
473は、法がわかる=悟りと勘違いしている。。

よって、完全に悟ってない僕はそれをわかってないと。。

そうじゃなくて、誰でもちゃんと学んで確かめればわかること。。

これは別に見性でもなくて、正しい修行ができるための土台に過ぎないと言ってんの。。

法がわかるは単に法がわかるというだけよ。。
279473:2012/04/08(日) 23:11:25.38 ID:X/aF+I+c
私は困っていました。
特定の欲望に振り回されるおろかさを悟ったのか、行為か休息のどちらかだけでいいと骨身にしみたのか、
特定の欲望は出てこないのですが、なんかめっちゃ欲しがってる。
何を欲しがってるのか知らないけどものすごく強く欲しがっている。
そしてその欲望に振り回されまいと抵抗する他の欲望もあり均衡しています。
均衡、、、、地獄のことです。

これが何か思い当たりました。これは私が安息と永遠性を求めているという私という名前の欲望です。
私即この欲望でしょう。特定の恐怖と欲望に振り回されないとき私は単に永遠を求めるでしょう。
言葉でもイメージでもない欲望なのですが、この欲望が好んで利用しそうな言葉やイメージは、

「私は存在しない。問題は存在しない」もしくは「喜びも苦しみも等しく受け入れる」です。

この2つの思想の持ち主たちは常日頃論争しているのですが、ロジックこそ正反対であるものの、前述の私という欲望
にとっては等しく安らぎの夢を見るべく利用できる概念ではないでしょうか。

この欲望が抵抗を押しのけて主導権を握ると、先ほどの2つの言葉の言葉通りの体験ができます。
普段の私たちの現実認識を覆い隠すような現実以上にリアルな夢を見るためには、分裂した弱いエネルギーではなく、
統合された大きなエネルギーを必要とします。
瞑想で人はエネルギーを統合できるので、瞑想に励んだ人は自分の思想どおりの体験をすることができます。(瞑想じゃなく集中なのですけど)
私であり束縛であり問題であるからこそ体験できる、究極の意識の光、安息、すべてが幻だと理解できる英知。(という夢)
それまでのあらゆる体験より強烈なのでこれを体験を超えた認識だと名づけることもよくあります。
280473:2012/04/08(日) 23:11:54.34 ID:X/aF+I+c
これらの体験であったり非体験のようなものを引き起こすのは私であり努力です。
究極の安息や静寂の夢を楽しめますが、作り出した当の自我は強まり苦しみも強まります。
またより自己閉鎖的になります。

この2つの思想は、「私」が望む原初の欲望ではないでしょうか。
あらゆる個人的な欲望が止んだ際最後に残るのは最初からあるこれではないでしょうか。
私はいつもこの2つを、この2つによる(つかの間の)安息を欲していました。
前者の現実の否定とそれからの逃避、後者の開き直り。私(自我)が私を変容しないままトータルな安息を得る格好のやり方です。

それに対して最初の悟りというのは、あらゆる欲望、あらゆる努力が無駄であったことからの大いなる挫折。
挫折に覚めていて、その涙に覚めているとき、その時に起きるくつろぎです。自我ならぬものとの初めてのふれあい。

と、特定の夢に乗る可能性をつぶしただけで、瓶からガチョウは出てこない。困った困った。
変な選択肢を2つ削れただけで御の字です。幸あれ。
281ろん:2012/04/08(日) 23:12:36.30 ID:w3XKSBw5
十牛図だって、そうではないか。。

法を学んで、理解して、その乗り物に乗って楽ちんで進む。。

で、八図で、何にもなくなったところが、大悟。。

僕はたぶん八図までは行ってないだろう。。

だけど、その前にはっきりとわかるということはあるんだよ、それがまず大事だと言ってるだけ。。
282473:2012/04/09(月) 00:03:59.74 ID:P8qKZFKT
≫ろんさん
あなたにとっては事実ではないと言い切った件は申し訳ないです。「あなた」はブッダでない人間にとってと修正します。
所で、あなたにとって事実なのでしょうか。
話をそらせたようですが。
あなたにとってそれが事実ならそれを語ればよく、あなたにとっての事実が何かへの恐怖や欲望ならそれを話せばいいのでは。

≫段階
私から始まったら永遠に私から抜け出すことはありません。私が学び、私が体験しそれを蓄積して私は強まります。
私は過去の経験の総体、私というパターン、車輪のことです。同じパターンを回っていれば当然未知の悟りと縁はありません。

たまねぎの皮をむくというのは私が消えてゆく道です。私が死んで行くということです。
学ぶという態度はたまねぎの皮を増やすということで正に逆を行くことであり進歩どころか退行しています。
それは学識であったり経験であったり体験であったりです。
あらゆる経験を手放してゆくのが道ではないでしょうか。
それが起こり始めれば、人に見下されていると思うことはなく、友愛と態度が徐々に身についてきます。

手放しの方法?
一切が苦しみ。逃げ場の無い現実の中で人は何にも希望を持たず、(私)の死を受け入れる。
何らかの信念や指針や理論があればそれを希望にして私は生き延びる。
一切の希望が無いということをそのとき時のレベルで認識し、私が追い詰められたとき、
私は(部分的に)死んでゆく。なんとか一枚皮がむかれたのだ。
283バカ女:2012/04/09(月) 00:21:42.70 ID:Menhep9b
>>217

生き続けていることが悟り続けていることだ!なんて言う人は山ほどいるけれど、
その実相についてわかっている人はごくわずかしかいません。

わかっているなら語れないことをも含めて語れるのでなければ、
そもそもそれを言えるに至った経緯なんてもってない証拠です。

経験もウソならその知もウソ、ぜんぶ丸ごとデタラメということです。
けっきょくなんにもわかっていないということを告白しているにすぎません。

以上がスタティックな構造論の意味です。私の優しさを理解しないとイジメるよ!

他人の悟りについてはわからない、が、みんな悟り続けている、になるわけないでしょ!
論理もメチャクチャだけど、それ以前に関係ないものを関係づける妄想力が痛いつーの!

だから安堂はアンポンなんだよ、自覚しなさい!
284バカ女:2012/04/09(月) 00:25:28.63 ID:Menhep9b
>>219
>すべては緩りとくつろぐことにある。
それでいいならハッパでもやって捕まりなさい。

>精神と肉体の緊張とは、何らかのアンバランスによるものだ。
病は気からって小学生でも知ってる。本当はアンポンは小学生。

>いいかね、悟りを目指すものは、
>さらなる緊張をも強いられるであろう。
思い込み。こだわりのない人なら緊張なんてありません。
自分や他者への執着、生存への執着、経験や物への執着、世界への執着があるということです。
武士になりなさい。侍アンポンに。

>だが、私は解放を常に与えている。
>それに気づくかどうかはあなたがた次第だ。
アンポンは半分病気。一人で生きられるの?
だいじょうぶなら勝手にすればいいけど、
じゃないなら仲間はずれにならないように、ピッとしなさい!

>雪解けの時は必ず来る。
来ない人には来ない。200万年生きられるなら一度くらいは来るかもしれない。
不条理な差別がこの世界の原理なんだからしょうがありません。

>迷わず瞑想をしてくれたまえ。
瞑想至上主義は逃げぐせをつけるだけ。逃げた悟りは逃げた悟り。ほどほどが一番!
この世界を絶対肯定するところに向かうのでなければ、瞑想なんでジャマなだけ。
悟りは、ほどほどへの通過点だよ。緩りとくつろぐことばかりじゃダメなんだからね。

どうせアンポンは勘違いするだろうから特別に教えてあげれば、
絶対肯定は「アンポンがそうすること」じゃないんだからね。例の「・・・でない」だよ。
アンポンがそうすることができるかのように勘違いさせるのは、駄々をこねる自我なの。
285バカ女:2012/04/09(月) 00:34:15.81 ID:Menhep9b
>>195

名無しさんにしてはいいこと言ってるけど、もし私への批判なら、
というのも、私の話しをそのようなものとして受け取るバカやアホがいるからなんだけど、
もしそこに私が含まれているなら、禿げない程度にあなたを叩きますが、どうなんですか?

ホログラムワールド(暗在系、内蔵秩序)の"考え方"にも見るべきものはあります。
路傍の石に世界を観る、という超越的感性がない人には超越的理解もできないですが。

明日「火に手をかざすと冷たい。下手すると凍傷になる。」かもしれないということが、
あなたが言う「蓋然性」の意味するところだから「思い込み」の可能性は排除できません。
科学の法則その他においても、この意味では仮説の範疇を超えることは不可能です。
だから問題は「火に手をかざすと熱い。下手すると火傷する。」の客観的妥当性が、
どのようにして保証されているのか、という点が考えられなければなりません。

たとえば、これまで人間が発見したさまざまな法則に基づいて
コンピュータにあれこれ計算させると、月への軌道がわかって
その計算に基づいてロケットを飛ばしてみると、計算どおりに月に到着するのは、
いったいどういうわけなのか?

というのが、認識論における本質的な問いであり、蓋然性の客観的妥当性についての
ダイレクトな問いです。
ラッセルの世界5分前創造仮説なんて出してくるんだから、カントなんて常識でしょ?

ちなみにラッセルはウィトゲンシュタインの師匠ですが、
哲学的には弟子に尊敬されたことはありません。
世界5分前創造仮説なんていう、世界にとってはどうでもいいことを考えているからです。
それがわかっているかわかっていないかで、本物の哲学者かどうかが決まります。

オレムさんが言っている「わかってるかわかってないか」は、この次元でしょうね。たぶん。
私のようにむずかしく?考えているわけではなく、体験によって導かれる問いなんだけどね。
あ、でもここにいる人には名無しさんがするような話しが必要かも。wwwwwでなくてさ。
286バカ女:2012/04/09(月) 00:37:49.36 ID:Menhep9b
>>232
>バカ女みたいにカントでも知ってたらちっとは、話が分かるかな?

どうでもいいことですが、ろんさんが言うことはそのとおりですね、あいかわらず。
チラッと目に入ってくるものしか読んでないけど、名無しにレスしそうになりました。(笑)

>物自体と言うか、存在は、認識とは一致しない、われわれはみんな自我じゃなくて、存在だ。。

おもわずにやけてしまいます。残念ながら伝わらないと思います。お疲れさまです。(^_^)
287神も仏も名無しさん:2012/04/09(月) 00:44:48.81 ID:QbW1PVz5
>>271
教えるからじゃね
正解を前に正解するには一旦間違わないといかんのに間違えられない
288ろん:2012/04/09(月) 01:05:52.29 ID:tD6qDYHB
>>228
ブッダとはあなた自身であり、私自身であり、すべての存在がブッダです。。

事実とは、認識のあとに来るものですね。。

認識がなければ何もありません。。

私を認めなければ私はないし、他人を認めなければ他人もないし、事実を認めなければ事実もありません。。

認識以前の、自他もなく、あれやこれもないところ・・これが実相ですが、認識の中にはありません。。

事実とは現象とそれを認識したものが事実でしょう。
法とは現象の本質であるので、これも事実でしょう。。

思い込みではない、客観的な実在、法則が事実であるとも言えます。。
289オレって名無しかよ!?:2012/04/09(月) 01:08:11.00 ID:N985z090
>>285
やっぱり、バカ女さんは頭がイイなあ。
290ろん:2012/04/09(月) 01:12:08.96 ID:tD6qDYHB
>>282
>私から始まったら永遠に私から抜け出すことはありません。私が学び、私が体験しそれを蓄積して私は強まります。
私は過去の経験の総体、私というパターン、車輪のことです。同じパターンを回っていれば当然未知の悟りと縁はありません。

このことが、実際であるか、思い込みであるかと言うことが、あなたにとって参窮すべき課題でしょう。。
悟りのために私が変容しなければならないとあなたは思っているようです。。
同じパターンから抜け出さなければならないと。。
どうしてそのように思うのでしょうか?

筋道を立てて、根拠を挙げて、証明できますか?

できないなら、どこかで聞いたことや自分が思ったことから来る、思い込みに過ぎないかもしれません。。

そもそも、私があって、その私を私が抜けださなければならない、と思っているのは誰でしょう?

そう思っている限りは抜け出すことはないのではないでしょうか?

私を認めることが始まりであるなら、私を認めることを止めてはいかがでしょう。。
認める以前のそれ、認識以前のそれが、実在です。。。
実在である自己に安住して、抜け出すとか抜け出さないとか言う架空の問題を離れたらいかがでしょうか?
291ろん:2012/04/09(月) 01:23:05.67 ID:tD6qDYHB
>>282
>たまねぎの皮をむくというのは私が消えてゆく道です。私が死んで行くということです。

そうですが、私と言うものをあると思っていたら、いつまでたっても消えないでしょう。。
あなたがあると思ってるからあるのですよ・・あなたの認識によってあるのです。。
だからまずはそれを手放す、本当ではないと知るということが必要でしょう。

>学ぶという態度はたまねぎの皮を増やすということで正に逆を行くことであり進歩どころか退行しています。
それは学識であったり経験であったり体験であったりです。
あらゆる経験を手放してゆくのが道ではないでしょうか。

それもいったん納得した後では手放すべきですが、何もわからずにいれば、いたずらに迷いに支配されるままです。。
いったんは学ぶ必要があるでしょう。。でなければ、出口もわからず、出口の鍵を持たずに、迷路に閉じ込められるようなものです。。

>何らかの信念や指針や理論があればそれを希望にして私は生き延びる。

一切の理論を持ってはいけないとは、オショウがよく言ってたことですね。。
正しい法を知らないマスターにとっては都合のいい逃げ方だと思います。。
実際オショウは、悟りの偉大さとか素晴らしさだけを誇張して、幻想を抱かせ、依存させ、何の解決も示さずに、悟りの糸口すら見つけられないままの悟り難民の弟子を大量に残して、旅立ちました。。
オショウの言ってることは大半が嘘です。。正しいことも言ってますが、嘘も大量に言っているので、彼の言うことを信頼しないようにしましょう。。
彼の言うことを正しいと思っていたら、永遠にさまよい続けるでしょう。。
マトモに仏法を学んだ方がいいです。。
292安堂 ◆3LK.0gZrV2 :2012/04/09(月) 01:57:13.28 ID:VoAqWwFG
>>234
>けれど、自分を捉えて、実体があると思ってる、自分があると思ってる、他人があると思ってるから、それがわからんと言うだけ。。
>自分も他人もホントはわからんのよ・・だから自分捉えずに、日常生活の働きそのままになってれば、脱落するということ。。
>認識できない、その向こうにある働きそのものになりきれずに、自分を捉えて是非を関するから、安心できんと言うこと。。

だから私は言ったでしょうが。自分の外を見ることはできない、と・・・。
外を見ることができないならば、外はないかもしれない。
それは自分の内しかないことである。そして、自分を内ともいえないことである。
囲いがないということは自分とも言えないことである・・・。
293ろん:2012/04/09(月) 02:14:59.61 ID:tD6qDYHB
>>292
内と外の区別がなくなるまで坐ってください、ってせったんさんは言ってたな。。
294神も仏も名無しさん:2012/04/09(月) 02:20:03.69 ID:BANLPY4r
>>285 wwwwwww  あれ?  バカ女が俺にレス付けてるwww
 どうした?w  何か気に障ったのか?w

>名無しさんにしてはいいこと言ってるけど、もし私への批判なら、・・・

どの辺りに引っかかって、「私への批判」の疑惑が生じたのかわからんが、
流れを見れば、 「オレって名無しかよ!?:」 へのレスだとわかるでしょ?ww

一つ言っておくと、

>明日「火に手をかざすと冷たい。下手すると凍傷になる。」・・・・

以下の話に出てくるような、いわゆる、「現実の事象」における蓋然性は、
「無矛盾の整合性のとれた理論」と「それに基づく再現性」によって担保されているんだけどww

>・・・・計算どおりに月に到着するのは、
>いったいどういうわけなのか?

wwwww 計算が間違ってなかったからでしょう?w




295安堂 ◆3LK.0gZrV2 :2012/04/09(月) 02:21:46.10 ID:VoAqWwFG
>>293

動中の巧夫なんて内と外の区別がなくたってからだよ、とかも言っていた・・・。
oshoの変なところは救済思想みたいのですかね・・・。
彼の影響を受けた多くの人に見られる傾向が、救済。
何か地獄にいる罪人を救済するかの如き仰々しさと事大主義・・・。
発明した瞑想のバラエティだけはおもしろいんだが・・・。
296ろん:2012/04/09(月) 02:30:19.54 ID:tD6qDYHB
>>295
救済思想・・そうだね。。

世間や世俗的な在り方を否定することろから出発するから、おかしくなるんだろうね。。

世俗も自我も法そのものなのに、それを乗り越えねばみたいな変な思い込みがあるみたいだね。。
297神も仏も名無しさん:2012/04/09(月) 02:32:43.41 ID:BANLPY4r
いつまで経っても、ろんと473の議論はかみ合わないwwww
(それが面白いんだけどww)
298神も仏も名無しさん:2012/04/09(月) 02:36:43.59 ID:BANLPY4r
>>295 安堂先生、  ロン先生は、473について「精神疾患」を抱えていると
診断されたのですが、この所見についてはどのように判断されますか?
正しいでしょうか?  それとも誤診でしょうか?www
299安堂 ◆3LK.0gZrV2 :2012/04/09(月) 02:51:55.06 ID:VoAqWwFG
>>298

 >>276のことですか?
「診断」は医師がするものだと思われますが・・・。

まあ、ろん先生なら「私はない」というのは、見出す見出さずにかかわらずに
「私はない」と言うでしょう。
「精神疾患」というか、唯物主義や脳科学のなれの果て・・・ですかね・・・。わかりませんが。
300安堂 ◆3LK.0gZrV2 :2012/04/09(月) 02:55:23.46 ID:VoAqWwFG
寝。
301473:2012/04/09(月) 02:56:14.09 ID:m3VXS78z
≫あなたがあると思ってるからあるのですよ・・あなたの認識によってあるのです。。
だからまずはそれを手放す、本当ではないと知るということが必要でしょう。

このことが、実際であるか、思い込みであるかと言うことが、あなたにとって参窮すべき課題でしょう。。
これがあなたにとって実際であるならあると思わないことも可能なはずで、ないという実際の認識があるということでしょうか。
事実上私からの開放があるでしょう。

、、ブーメランは気をつけましょう。

≫悟りのために私が変容しなければならないとあなたは思っているようです。。
どちらかというとこれはあなたに合わせて悟りという概念を持ち出しました。
苦しみがあればそれから逃れようとするのは当然なので私の場合は悟ろうとするまでも無く現状維持を望みません。

≫たまねぎの皮
?かれるべきは宗教以後のものではありません。宗教の知識や体験は、宗教に入る前のたまねぎに足されたものです。
宗教以前のもともとの私を剥き始めるのが本当のスタートです。
そしてもともとの私が剥かれ始めるのでなければ、方便は失敗であったということです。
もともとの自分は剥かれ、宗教の分はひとまず足され複雑ではありそうです。
302473:2012/04/09(月) 02:56:49.14 ID:m3VXS78z
≫このことが、実際であるか、思い込みであるかと言うことが、あなたにとって参窮すべき課題でしょう。。
同じパターンから抜け出さなければならないと。。
どうしてそのように思うのでしょうか?
筋道を立てて、根拠を挙げて、証明できますか?

概要をお話します。詳細は他の書き込みから拾っていただかないと膨大になってしまいそうです。
@パターン
苦しみのパターンがあります。苦しみのパターンから抜け出ます。抜けるべきかどうかという議論は必要ありません。
苦しみのパターンにありながらそれを自覚せず、悟りという希望を持ってしまうと逆にその苦しみのパターンに自覚無くはまってしまうでしょう。
また苦しみを否定しないというのも詭弁で、人は無意識に苦しみから逃れたいという欲望を持つもので、むしろその逃れたいという欲望こそ苦しみを強めます。
これにとどまりたい人はいないので、いやとどまれないので、人はこれに無自覚になるための信条を求めるか、
あらゆる希望に幻滅し正に自分自身に幻滅した人は逃避のための信条ではなく自分が死ぬための方便を求めることになります。
303473:2012/04/09(月) 02:57:24.20 ID:m3VXS78z
A積み重ね
宗教的な知識からもたらされる体験、体験を超えたという感覚、静寂。
それらのもたらす喜び、喜びへの執着からくる反作用としての苦しみ、そのサイクルの全体を瞑想の中で理解したとき、
その知識への依存と体験は消え去ります。残るのは宗教を知る前からの心です。
そして昔からの心が自らの安息のために宗教的な知識を利用していたのだという事実が開示されます。
私はほぼ全ての方便が方便としての役割を終え、それが役に立ったのは私の作った区別ゆえだとも見出しました。
実際に身に着けて捨ててみると昔のものは残っているというか昔からのものとはなんだったのか出会い始めたという所です。

私は非常に怖がりの質なので、もし私がろんさんと同じ考えを持つとしたらその恐怖を紛らわすためにその論理を使い、
何の問題も無いという安息の夢を見ることでしょう。その安息の夢は事実よりよほどリアリティーのあるすさまじい体験でしょう。
その安息の夢のサイクルを理解することは、自らの恐怖を感じないようにする安全弁を破壊することです。
何故そんなことをするのか。 (というか私の場合はなぜその逃避の誘惑を蹴るのかということです)
それは日々の喜怒哀楽に振り回されるのではなくそのパターンを認識しており、明日に希望が無いからです。
結構苦しいので自殺するか、パターン以外の何かを見出すかになるのです。
意識は、覚醒は、パターンに気づくのはとても危険なことです。
304神も仏も名無しさん:2012/04/09(月) 03:06:18.28 ID:BANLPY4r
つまり、473の見解を簡潔にまとめると

「ロンは脳内お花畑で白昼夢に耽っている」とwww
305ろん:2012/04/09(月) 03:59:35.94 ID:tD6qDYHB
>>301
あなたは宗教と言うが、縁起と無我は、実際の事実であって、宗教以前のものだ。。

それを宗教による知識としてしか、思えないなら、あなたがわかっていない、迷っているというだけだろう。。

>>301
苦しみには原因があり、原因が除かれれば、滅するというのも事実。。
それを知識だ、架空だと想い続けるなら、あなたは悟りなどには縁がないのだろう。。

>>303
あなたが知識によって安息の夢を見たたというなら、それは事実だろうが、あなたの事実が誰にでもあてはまると考えるのはおかしい。。
先ほど指摘した「我々の現状」という言葉も同じだが、あなたは自分に当てはまることが万人に当てはまるような幻想を井であいている。。
自分以外がみな自分と同じだという思い込み、その中に閉じ込めれれていると言えるだろう。。
哲学で言えば、独我論と言うやつだな。。自我の牢獄につながれているのだよ。。

とにかく、あなたは他人の悟りも、理解も何も認めたくないのだろう。。

偉大な悟りとやらは、オショウ以外には達せられていないに違いない、無我なんぞ凡人にわかるはずはない、知識に依存して夢を見ているに違いないと、そう思いたい、そう思わずにはいられない、そうでなければがまんがならない、それがあなたの現状のようだな。。
306ろん:2012/04/09(月) 04:07:28.11 ID:tD6qDYHB
僕は473のような苦は全くない。。

流れのままに漂う木の葉のようなものだ。。

473は、理論も知識を捨てろと言いながら、他人を否定するため、世間を否定するためにものすごい執着があるようだ。。

473のレスを読んでいると、こっちまで心が重くなるよ、この鈍重さ、執着、自分で気づかないかね?

理論も知識も嘘だというなら、どうして、こんなところに執着して、僕の書き込みを否定するにエネルギーを費やす。。

僕はもともと安堂にレスしたわけで、473に何か言ったわけではない。。

473は僕からすると、重症すぎて、思い込みが強すぎて、どうにもならないだろうと思っているから、相手にしない方がいいと思っていたんだよ。。

まあ、何を思い込んでも勝手だけど。。

理論も知識も嘘ならば、こんなところで、無駄な書き込みしてないで、バカになって生きればいい。。

何にも知らないパーになればいいものを・・そっちのほうが、よっぽど仏に近い。。

こんなところで、自己PR演説やりまくっているよりは。。
307ろん:2012/04/09(月) 04:11:30.40 ID:tD6qDYHB
473は自分自身病気なんだろうが、それだけじゃなくて、すべての人を無意識に支配されてるだ、抑圧があるだ、知識に依存してるだなんだ、すべてジャッジして病気にしてしまう。。

健康で何にも問題ない人(ホントはたいてい健康でなんの問題もないのだが・・)をすべて病人と診断してしまうやぶ医者のようなものだ。。

そして、他人をジャッジして病人と診断する医者のようなものだと自分を思い込んでいる。。

いや、あなたが一番病気なんですが・・と誰かが言ってやらないと気付かないみたいだな。。

いや、言われても認めようとは決してしないのだろうが。。
308ろん:2012/04/09(月) 04:13:31.78 ID:tD6qDYHB
あなたには問題があります、無意識に抑圧があります、知識に依存することは罠です。。

だからそれを指摘してくれる僕が必要なんです、僕の話を聞いてください、と言ったところだろう。。
309神も仏も名無しさん:2012/04/09(月) 07:19:21.97 ID:QTfJ/kdW
>>291
>実際オショウは、悟りの偉大さとか素晴らしさだけを誇張して、幻想を抱かせ、依存させ、
>何の解決も示さずに、悟りの糸口すら見つけられないままの悟り難民の弟子を大量に残して、旅立ちました。
オショウだけでなく宗教そのものがそうなんじゃね
悟った人が何百億人に一人いるかいないかというような理論を信じれば確率的に
ほとんどの人が分裂するはず?
310悟り子 ◆AAyxyMDKw6 :2012/04/09(月) 08:36:32.14 ID:anJNqile
>>212
>言葉って難しい、なかなか人に伝わらない

覚者A「私はいない」

覚者B「私の他にはなにも無い」

どっちやねん!
とツッコミ入れたくなる方もいらっしゃるでしょうね(笑)
311神も仏も名無しさん:2012/04/09(月) 08:44:11.96 ID:jf+/pUq9
どっちも正しい、と言ったら、今度は分別するな!
もう、言葉は道具だからね、道具に振り回されているのは誰かって?
312悟り子 ◆AAyxyMDKw6 :2012/04/09(月) 08:47:32.04 ID:anJNqile
>>244
受け入れられない自分を受け入れるとゆうのは
価値判断している自分を価値判断せずに観ることと言っても良いかもしれません
自我に賛成もせず反対もせずに自我を観ている感じとも言えましょうか
313オレって名無しかよ!?:2012/04/09(月) 08:50:12.90 ID:N985z090
>>310
「私は、私が存在しないからこそ私なのだ」って言う人もいるね。
314オレって名無しかよ!?:2012/04/09(月) 08:54:09.54 ID:N985z090
>>312
受け入れられない自分を受け入れるって、
「受け入れられない自分もアリだよ」って感じじゃないかと勝手に思ってる。
315悟り子 ◆AAyxyMDKw6 :2012/04/09(月) 09:06:17.23 ID:anJNqile
>>255
悟り子の知る限りにおいては、エゴは餌を与え無いと弱っていくようです
だからエゴは周期的にいろんなドラマを無意識に演じて
「私の物語」を楽しんでエネルギーを補給したりするのかもしれません
316悟り子 ◆AAyxyMDKw6 :2012/04/09(月) 09:20:44.43 ID:anJNqile
>>244
今ふと思ったのですが
オール オア ナッシングとゆうのはわりと思考が陥りやすいパターンかもしれませんね

>>314
>受け入れられない自分を受け入れるって、「受け入れられない自分もアリだよ」って感じじゃないかと勝手に思ってる

アリで
317473:2012/04/09(月) 12:01:03.13 ID:ak8oxVob
≫しかし、肉体的苦痛に左右されないとは、人間じゃないね。。
この一言が、体があると思い、私があると思い、感覚があると思っているということを示しています。
またそれは非人間的なことだという思いもあります。
(思っているではなく、思いがあるです。それは重要な違いです)

そういう思いがあること自体は別に人間として普通です。私にもあります。
そういう思いがありまた、(あなたがあるとおもってるからあるんだよ)
かも知れないので、その思いと体や感覚や私があるということが自らが作り出したものであるかどうか
実際に解明してゆけばいいのではないでしょうか。
そのためには自分にまつわる事実とまず出会わなければならないのです。
自分が実際にそう思っているその思いが存在しないと見抜いたなら、般若心境で言われる純然たる空を見出すのではないでしょうか。
私という思いも体も感覚器官もあらゆるものが、、、という。


あえて体がある。私がある。感覚があると思っている人はそうそういません。
これは「基本的にあらかじめそう思ってしまっている」からそれがあるのです。(と祖師たちは言います)
「私というからだと感覚器官」があると、思おうとないと思おうとそれは、あらかじめあると思っていることの
上書きにしか過ぎず、どちらも混乱を助長するものでしかないのではないでしょうか。

本質的なところであると思うかないと思うか(いやないと思うのは変なのであると思わないか)選択する自由など存在しないのです。
318473:2012/04/09(月) 12:01:48.43 ID:ak8oxVob
@まず、基本的に何かがあるという前提からしかしゃべれない。
ろんさんは誰かがあるといっているところにそれは無いんだよというだけの簡単なお仕事です。
でも、誰も何かがあるといってなかったらどうするんだろう。

何かを語るということはあると思っているとは限りません。
それがあると思いがちだよねと仮定として出し、それが本当にあるのかどうか
検証してみましょうというスタンスで提示することもできます。

A何かが無いと思う。
自分が起点になって何かがないということは、
「いや、あると思ってるからこそわざわざないと言ってるんでしょ」と誰もが思う。
自分でも気づく。だからこれはなかなか言い出しにくい。
単一の無ではなく、いつも「何かが」ないという。この何かがの部分がそれがあると心の奥底で思っていることを暴露している。
319神も仏も名無しさん:2012/04/09(月) 12:34:17.78 ID:zZ8lMHPG
まともなのはパーピマンと473だけだなwww
後は、棚上げ嘘吐きばっかだなwww
320473:2012/04/09(月) 12:50:17.83 ID:gDlAzs7E
≫しかし、肉体的苦痛に左右されないとは、人間じゃないね。。
この一言が、体があると思い、私があると思い、感覚があると思っているということを示しています。
またそれは非人間的なことだという思いもあります。
(思っているではなく、思いがあるです。それは重要な違いです)

そういう思いがあること自体は別に人間として普通です。私にもあります。
そういう思いがありまた、(あなたがあるとおもってるからあるんだよ)
かも知れないので、その思いと体や感覚や私があるということが自らが作り出したものであるかどうか
実際に解明してゆけばいいのではないでしょうか。
そのためには自分にまつわる事実とまず出会わなければならないのです。
自分が実際にそう思っているその思いが存在しないと見抜いたなら、般若心境で言われる純然たる空を見出すのではないでしょうか。
私という思いも体も感覚器官もあらゆるものが、、、という。


あえて体がある。私がある。感覚があると思っている人はそうそういません。
これは「基本的にあらかじめそう思ってしまっている」からそれがあるのです。(と祖師たちは言います)
「私というからだと感覚器官」があると、思おうとないと思おうとそれは、あらかじめあると思っていることの
上書きにしか過ぎず、どちらも混乱を助長するものでしかないのではないでしょうか。

本質的なところであると思うかないと思うか(いやないと思うのは変なのであると思わないか)選択する自由など存在しないのです。
321473:2012/04/09(月) 12:51:02.09 ID:gDlAzs7E
>>320すまん
322神も仏も名無しさん:2012/04/09(月) 15:42:15.80 ID:tnprfdbv

ここにいる固定は全員精神病W

精神病棟24時w
323473:2012/04/09(月) 17:29:37.68 ID:P8qKZFKT
B普通瞑想はあると思っている心を休ませて事実と向き合います。
その急速においてあるという表層の思いは当然としてあるという認識そのものがくつろいでゆきます。
あると思う心を過ぎ去らせてゆけばよいだけで、わざわざないという自然に現れない考えを持ち出すことも無い。

Cあると思うのでもなく、ないと思うのでもない。
その思いなき在り様は、ないと思うこととは質をことにします。
何かが無いという対象志向が無く、私とあなたという志向がなく、あらゆる物事の区別が無く、その香りを全体に漂わせます。
思いが無いときは、何かが無いというニュアンスを残しません。何かが、ではなく単なる無、不二のくつろぎです。

そうか。ひとつならうまくいっていたものも部分として取り出すとうまくいかない。
わたしを全体から区分けすること自体がわたしをうまくいかなくするのか。
あるない以前の認識の問題。

≫psなんでつっかかるのか
自分自身を解明するためのヒントにさせていただいています。ご存知のとおりおかげで2つの見逃していたことに気づきました。
また、私だけでなく別の人もあなたに反感を持つのは、
実際ろんさんにとって体も私も感覚もあるのにそれが無いと語っていると思われるように語っているからでしょう。
また、あなたはとても賢く論理の切れ味があるのでそれをやっている人の中でも目立ちます。
あなたは良くも悪くも目立たれるでしょう。しかし賢明さと、あなたがどういう人であるかは別口なのです。
その賢明さをみんなの役に立てたいということでしたら、自分の認識であることを自分の言葉でかたり、完全にそうといえないものは
謙虚な姿勢で祖師からお借りしているという態度でその切れ味のある仏法を披露すればそれによって人々は気分を害さずあなたを頼りにするのではないでしょうか。
324473:2012/04/09(月) 17:30:31.13 ID:P8qKZFKT
自分が正しいとマトモだと感じ、他者が間違っているイカレていると感じていれば、
他者に意識が集中され、また正しいと感じるものへの精神的な依存は安心をもたらし、
私という苦しみから逃れることでしょう。
この性質が強ければ強いほど苦しみから逃避でき、そして周りにそれを投げつけるので顰蹙を受けます。

(この要素があるかないかではなく、これに囚われているか既に脱出したかです。
脱出していないということは囚われているということです。精神のありふれた働きですから。
囚われていることの自覚が大切です。)

これ、私たちが映画やスポーツを見る理由でもあるのです。
正しい側と一体化して精神的に依存し、悪い側を攻撃して自分の苦しみから逃げます。
つまり、非常にありふれた精神の働きであり、私の中にもあるのです。
私はこれを知っています。これは醜いと感じています。知っているので抑圧します。大々的にはやりません。
でも抑圧しているだけでそれはあるので何気に恒常的にやっていますし、
また、それをやっている人を批判するという方法でこの欲望を満たそうともしているようです。
気をつけよう。気をつけないと、自分の事実から目を背けてしまう。
投影、投影というのは自分が押さえつけている、自分の中にあると認めたくないものを他人が持っていると
思い込んで攻撃する作用です。 自分にあると思っているものは投影という作用は起きません。
325473:2012/04/09(月) 17:30:46.91 ID:P8qKZFKT
≫夢
夢もありふれた精神の働きです。
夢を見ていない人、夢から脱出した人は、人々の夢がどんなものかその実態の描写ができるでしょう。
言葉で切り捨てるようなことはないでしょう。
夢のなかにどっぷり使っている人はだれも夢など見ていないというでしょう。
目覚め(始め)るというのは夢を見ているという事実に気づくということです。
夢の中に住んでいるのでなければ目覚める必要もない。

夢を見ているうちは私という苦しみに出会うこともありません。
苦がないというのは、表層の安楽な夢から覚めた後に来る、自らの悪夢と対峙し
それもまた存在しないと看過することです。
苦しみと出会わないのではなく、苦しみが存在しないという覚醒。

しかし夢は必要です。今すぐその安全弁がなくなったら大変です。
しかしそれがどんな夢かです。依存と攻撃性の夢が必要ということではなく、
友愛、感謝、慈悲そういった夢が提示されています。
そのあたり私は見境がないわけではありません。
326473:2012/04/09(月) 17:33:57.26 ID:P8qKZFKT
前述のは私が見る夢ということなのですが、もっと本質的に私たちは夢の中にいることが観察されます。

私は他人が私の主観を理解しているのに出会ったことがほぼありません。
いつもなにか捻じ曲げられて受け取られます。
また、私が他者の主観を理解しているということもありません。
「このスレにいるほかの方の主観がありありと想像できますかといわれたら否です。」

主観に囚われていれば誰も他者の主観が理解できないので、実に多くの誤解があり、また他者はいつも私たちの予想を裏切ります。
他者の主観がわかっていれば、誤解のメカニズムも予測できる分ある程度回避できますし、予想外の行動に驚くこともここまでないでしょう。

他者の主観が理解できないのは自分も主観に囚われているからだということが、人との関わりでわかって来ます。
(いつも人は私の予測から外れます。いつも他人は私の想定外の誤解をするのも他者の主観をわかってない証拠です)
だれもが個人的な主観、夢の中に閉じこもっており、相互理解はありえず、争い、互いに欲しあい、怯えあっています。
(私を外側から肯定も否定もするのではなく、私の主観そのもの(の24時間の移り変わり)を描写できる人います?)

自分の主観という夢の中に囚われていて、客観的に自分の主観も他者の主観も捉えることができないので、
誰が正しく誰が間違っているか以前の問題です。
夢の中にいる他人に何を言いうるか、また自分の主観を知らないで私の主観もわからない他人が当てになりうるか。
他者は自分を理解するための鏡でしかない。
結局自分に投げ返される。
327473:2012/04/09(月) 17:34:07.63 ID:P8qKZFKT
主観は、その人の心の総体のなかで何が表層に出てきて何が押し込められているかで
その時々変わるものなので、主観=その人ということではないです。
もちろんその人の心の全体を理解しなければその人のそのときの(レスしたときの)主観と、主観の移り変わりのパターンなど
理解できるものではありません。

大体、自分のそれを理解するだけでも手に余る仕事です。
328473:2012/04/09(月) 18:17:19.98 ID:P8qKZFKT
大間違いです。
夢の中にいる他人に何を言いうるか

夢の中にいる私が他人に何を言いうるか
でした。
普通文脈からこちらに補正して読み取っていただけるでしょうけど。
329《アラシを呼ぶ男》 ◆Arasi/MT2E :2012/04/09(月) 21:30:14.76 ID:YgHjGYEA
>>221 輿無差 さん

> 互いの目を見つめあう方が言葉よりより多くのことを伝え合えるのでしょう。  言葉は誤解を生みます。
禅では牛を例えに使います。 牛とは、私たちの体、感情、生命のエネルギーそのものの例えです。
私たちはいつも何かを、生の指針を知ろうとしています。
しかし知ろうとすることは、その牛、エネルギーとつながりのない単に思考の中だけの 妄想であり、自分の実体であるエネルギーをかき乱すだけではないでしょうか。
知ろうとするのではなく、単に在って生きるというありようがあります。
単に在って生きる人には、何の方向性もなく、何の希望もなく、悟りも迷いもありません。
そこには偽りがない。
偽りがない。
そして何の保証もない。
何の目的もない。 』

ゴリラとヒトは、、700万年前に別れましたが、ゴリラもヒトもその後独自の進化をしました。
言葉を得たヒトは、言葉によって進化し、ゴリラは言葉に拠らない進化をしました。
ですから、ゴリラのほうyがヒトよりはるかに言葉に依拠しないコミュニケーションの方法を得たのです。
眼は外界を脳が直接見るための手段である、と言います。

牛とは、見性という事ですね。
見牛のあとは、聖体長養30年の修行と言う事です。
色即せ空、がさとり。
そして
空即是空と十牛、にってんすいしゅ、街にぶらりと入っていく、と言うことですね。
330《アラシを呼ぶ男》 ◆Arasi/MT2E :2012/04/09(月) 21:35:15.08 ID:YgHjGYEA
>>329
訂正
色即せ空、がさとり。
   ↓
色即是空、がさとり。
331ろん:2012/04/09(月) 22:38:31.50 ID:tD6qDYHB
まー今日は飲み会で実に楽しかった。。

最初はあまり乗り気でなかったのだけれど、はじめて会話した同僚がすこぶる優秀ででびっくり。。

悟りがなんだ無意識がなんだ、オショウがなんだのアホとは大違い、ちゃんとリアルと向き合って実践しているわ。。

オショウカルトに洗脳されたアホにはまた酔いが引いてからレスしてやるとしようか。。

まあ言ってることどうせ意味ないんだろうから、レスする意味もないかもだが。。
332オレって名無しかよ!?:2012/04/09(月) 22:46:10.75 ID:N985z090
>>331
別に無理して書かなくてもイイんじゃね。
333ろん:2012/04/09(月) 22:48:12.08 ID:tD6qDYHB
>>332
そうかもね・・仕事も始まって忙しいし・・あほポッタンと同じ扱いで虫でもいいかもしれない。。

カルト脳のやつに何言っても無駄だろうから。。
334バカ女:2012/04/09(月) 23:56:41.42 ID:Menhep9b
>>294
>どの辺りに引っかかって、「私への批判」の疑惑が生じたのかわからんが、
私への揶揄でなかったのなら、もういいです。疑ってごめんなさい。
335バカ女:2012/04/10(火) 00:16:50.05 ID:fgmCRwpt
>>236 トピックを利用させてもらいます。問いに答えられることを示します。
>覚者A「悟りとは自分を忘じることです」
>覚者B「悟りとは自分を覚えていることです」

Aは、人間らしい言語を用いた認識や解釈を一旦無効にしている状態。

Bは、Aの状態が「存在していること」を了解すること。本来の自分の了解です。

補足すれば、
Aは、「私のもの(経験、知識、思考、感情など)」や「私は私(自同律)」という
意識の内容を一旦脇に置くこと。(意志まで脇に置くのは危険です)
Bは、Aの内容をもたない意識(の形式)が存在しているという、まさに「そのこと」。
注意しなければならないのは、意識がなければ悟りという経験が成立しないということです。

さらにBを補足すれば、
私という概念は、生きている、存在しているという、「そのこと」として意識されます。
つまり、それが原初的な<私という概念>の定義なんですが、すぐさま<それ>は忘却されて、
というのも<それ>は、それとして指し示せるような具体的な「対象にはなりえない」からです。
そこでパパママにバカ女と呼ばれている具体的な対象(身体)が私なんだということになります。
これが「私はバカ女です」の成立です。

言うまでもありませんが、前提として言語の獲得が「私が成立するための」絶対条件です。

悟りという試みも、たとえば「私という概念」を捨てて「自分を覚えている」ためにも、
言語の獲得なしには、つまり「私という概念」が成立していなければ不可能なんです。

つまり、トピックで言うかぎりでの悟りとは、「私はバカ女です」という「私という概念」を忘れて
原初の<私という概念>を想い出すようなものです。(自然にそういう成り行きになります)
とは言っても、生きていること、存在していること、が客観的な対象になるわけではありません。

言語は、悟りの境地を可能にする条件であり、悟りの境地を不可能にする条件でもあります。
336バカ女:2012/04/10(火) 00:31:07.73 ID:fgmCRwpt
>>237 トピックを利用させてもらいます。問いに答えられることを示します。

無我の状態を悟りと名付けるのは勝手ですが、それなら我を忘れて人を殺しても悟りです。
悟りの境地で殺人はできないですが、ある種の悟りが悪の思想を産み出すことはあります。

「ある意味」は、もちろん非言語的存在者の存在充実と悟りの境地とが重なるからですが、
感性の鋭い人であれば、路傍の石の圧倒的な存在充実にクラクラするかもしれません。
路傍の石ひとつにすべてを見ることもあるでしょう。
路傍の石を通じて存在に出逢い、存在に於いてすべてを観ているからです。

万物はひとつとして存在という裏づけのないものはありませんから、
「ある意味万物が悟ってます」とは、存在に於いて、ということであり、それ以外ではありえません。
もし万物が存在しているなら「存在していること」は確実である、と言っているだけなのです。
存在している"もの"としての「万物が存在している」(現象)には、存在している"こと"、
すなわち、存在の裏づけがないから存在根拠がありません。だから「実体がない」と言われます。

言語を獲得していない人間以外の存在者では、悟りを目指すことはできませんし、
悟りの境地を、我に返ったあとで対象化する(意識する)こともできませんし、
悟りは、存在に於ける(自己意識ではない)意識の体験ですから、意識がないと成立しません。
つまり、存在に於いて = 悟り、ではありません。悟り「 ・ 」には意識が介在するのです。
人間の知性的直観(意識ですが)は、超越(存在)を了解します。

また、万物はすでに悟っている、つまり万物は存在に於いて現象している、だから悟っている、
と表現したくなるのと、よく似たものに「仏性」という言い方があります。(同じことですが)
えっ? こんな私にも? と、なんとなーくありがたい気になるだけです。わかっていないとね。
色即是空は現象世界における実相はいい得ていますがそれだけです。悟りとは関係がありません。
現象即存在=差異即同一に気づかれるのでなければなりません。ホントにバカが多くて困ります。
337バカ女:2012/04/10(火) 00:39:59.51 ID:fgmCRwpt

>悟り子さんへ

トッピク楽しませてもらいました。ありがとう。

悟り子さんへの要望なんですが、覚者A、Bさんの情報がほしいです。
覚者悟り子の言葉なら、それでもいいので、それを教えてください。

それから悟り子さんの考えも聞いてみたいです。
その後が長いかもしれませんので、無理にとは言いません。
338473:2012/04/10(火) 00:43:10.79 ID:LKUrGVwR
≫たまねぎの皮
http://homepage1.nifty.com/eggs/iryou/gihou/projectiv_id.html
http://oneiromancy.holy.jp/blog/archives/2008/10/post_21.html
自分と同様の傾向がある人間に自分の受け入れがたい傾向を投影しそれを「助けようとして」 自分との対峙から回避します。
程度こそ違えど誰もがやることなので、私たちは生きている限り絶対に他者から批判されます。(真理の言葉でブッダもそうおっしゃる)
みたいになったり、、自分は知っていて他人は知らないと思い上がり(単に自己逃避なのだけど) 、正しいと思ってることへの心理的依存と
間違っているとみなした対象への攻撃心による自己逃避から、平均的な人間が持つ内省すらむしろ仏法によって失うことがあれば、
それを皮が増えるといいました。

そういった人には宗教ではなく、世間で成功して自分自身に幻滅しうんざりするという準備こそ必要なのです。
もしくは徹底的に自分に振り回され苦しみ、心底自分自身から解放されたいと痛切に泣き叫んでいるか。

そうでなければ基本的に自我は自らの野心を満たしに宗教にかかわるので、それに適した方便が与えられる必要があります。
究極の真理にかかわることではなく日々の振る舞いや心持についての方便でないと誤用されます。
339473:2012/04/10(火) 00:45:12.63 ID:LKUrGVwR
仏教で言えば真理の言葉や感興のことばなどが適しているのではないでしょうか。(もっと近い時代の近代宗教のほうがわかりやすいでしょうけど)
「正しい」という言葉が多く使われているので誤解を招きやすいですが、その正しさとは自分より劣っている人や過ちを犯した人を責めず、
自らの咎を見る。そして自らの日々の行いを記憶する。理想に逃げることなく、他者を評論することなく、自己を制御し己の主人たれということであり。
自分が正しいと思うこととは全く趣を異にします。
他者を責めることなく己を知り統御しようとする方向に進ませるのが正しい法ではないでしょうか。
同じ法も、異なる人間、異なる時代でまったく違った働きをします。
(473にしましても自分は正常で相手は異常だというのではなく、他者とのかかわりにおいて自分の過ちを見る手助けとしています。
人間の過ちにそうそう特別なものはありません。他人がやった過ちは、私もやっているか、抑圧しているか、今は目覚めているのでなんとか
とらわれていないかであり、自分にとって無縁ということはありません。私たちはつながっています。
また他者としてでなく心の働きという一般的な形で提示し、各々が各々の内に探求できるよう押し付けないように気をつけています。)

自分の無知さを認識してより謙虚に、柔らかになってゆけば法は有効だったということであり、逆なら方便は機能しなかったのです。
何を考えるかではなく、どんな人か。宗教の守備範囲です。
340473:2012/04/10(火) 00:45:29.62 ID:LKUrGVwR
言葉にならない希望の群れ。
永遠の安息を約束するという空約束の群れ。
それが静まると、


認識者がいなければ認識はないだろう


という苦が消えるなど希望のカテゴリーではない、
主体も客体も問わない純然たる消失の招待状が来ます。
341バカ女:2012/04/10(火) 01:00:15.67 ID:fgmCRwpt
>>294

時間が余ったので追加してみます。どうでもいい内容の反論なら受け付けません。

>以下の話に出てくるような、いわゆる、「現実の事象」における蓋然性は、
>「無矛盾の整合性のとれた理論」と「それに基づく再現性」によって担保されているんだけどww

だから「無矛盾の整合性のとれた理論」の客観的な妥当性は、どうやって保証されているんですか?

小学生用に質問し直せば、1+1=2 は、いったいだれのどんな権利で決められているんですか?

まさか人間が普遍的な真理を見つけ続けているとか、そんなバカらしい妄想に浸っているんですか?

これが意外にどっぷり浸ってる人が多いからびっくりします。

ねぇーどうして? そういうもんなの そういうもんってなんなの? そういう決まりなの
そういう決まりってなんなの みんなでそういうことにしようって決めたの そういうことかー
これ以来、ぜんぶそのようにしか思わなくなりました。今では、そういうもん=生の形式です。

それから名無しさんが蓋然性の根拠にしている再現性は、帰納なのね、演繹ですら無根拠なのに。
そうじゃないとオカルトになっちゃうから仕方ないけどさ。

ご存知のように、ゲーデルの不完全性定理では、ある理論が無矛盾であるかぎり、
その理論は自己の無矛盾性を自己によっては証明することができません。
言い直せば、無矛盾な公理系がその内部に矛盾を含まないなら、
無矛盾な公理系が矛盾を含まないことは、無矛盾な公理系によっては証明できません。(第二不完全性定理)
また、無矛盾な公理系の内部には、真偽の決定が不可能な命題が必ず存在します。(第一不完全性定理)
無矛盾性がその公理系自身の内部では証明できないということは、いかなる公理も仮説の資格しかもたない
ということであり、すなわち公理の絶対性が否定されているということです。

これ言わせたくて無矛盾とか使ったんでしょ? はい、名無しさんの思いどおり。うれしい?
342安堂:2012/04/10(火) 01:07:33.23 ID:hUFUfRui
>>323>>339     473氏
>Cあると思うのでもなく、ないと思うのでもない。
 その思いなき在り様は、ないと思うこととは質をことにします。
 何かが無いという対象志向が無く、私とあなたという志向がなく、あらゆる物事の区別が無く、その香りを全体に漂わせます。
 思いが無いときは、何かが無いというニュアンスを残しません。何かが、ではなく単なる無、不二のくつろぎです。

これは正しいので評価します。
それと真理のことばと感興のことばについても概ねよいですね・・・。
343安堂 ◆3LK.0gZrV2 :2012/04/10(火) 01:20:17.76 ID:hUFUfRui

しかしながら、
473氏のCについていえば、

「香り」はないでしょう。
変な匂いが全体に漂うことはありません。だとしたら香りではないです。

単なる無、不二のくつろぎとも言えないと思われます。
「無」ではなく、「不二」ではなく、「くつろぎ」ではないと思われます。

我々は問いかけることしかできません・・・。
しかし、いくら問いかけても答えは返ってこないでしょう・・・。
344バカ女:2012/04/10(火) 01:25:02.09 ID:fgmCRwpt
>>294

名無しさんは、無矛盾な公理系が世界を開くと考えているようですが(私もそう思います)、
ある公理系が「世界そのもの」の原理だと思い込んでしまえるその感覚が理解できません。
そもそも矛盾するいくつもの公理系を立てないと、この世界は解明できないようになっています。

たとえば、物質世界と生物世界、生物世界と心の世界は、それぞれ別の公理系なんじゃないの?
どうして物質から生命が生まれたのか? どうして生命から心が誕生したのか?
(もちろん、問い自体が不適切な可能性が十分にあります)

世界を語り尽くせる公理なんてどこにもないし、公理はどれもとりあえずの公理にすぎません。
しかもそれは人間の生の形式に貼り付いたものであり、人間の都合にそってはいるけれども、
それによって認識される/経験される世界が「世界そのもの」である根拠はどこにもありません。

そもそもどうやったら、そのもの自体を知ることができるのでしょうか?

「カラスは黒い」という認識の正しさを確認するためにカラスを調べてみたら、たしかにカラスは黒かった。
この認識は正しいでしょうか? いったいなにを証明したのでしょうか?

「カラスは黒い」という認識と、たしかに「カラスは黒かった」という認識とを比べるのは、
「カラスは黒い」を確かめたことになるのでしょうか? もちろん、そのようなことにはなりません。

対象と認識は一致しません。だから対象そのもの(そのもの自体)を認識することはできません。
では「カラスは黒い」という認識の客観的妥当性を、どこに求めたらいいのでしょうか?
345オレって名無しかよ!?:2012/04/10(火) 01:29:41.81 ID:dl4LfkZp
難しい話が続くと眠くなるね。
346安堂 ◆3LK.0gZrV2 :2012/04/10(火) 01:32:51.83 ID:hUFUfRui

我々は問うことしかできません。
そして、問いに対する答えは来ない。

ここに『無我』に関する、重大なヒントが隠されているのです・・・。
不二のくつろぎ無としても、我がある・・・。

なぜなのでしょう・・・。
それに問いかけてみましょう・・・。
「無我」が真理であるなら、この世界は存在しないではないか。
347オレって名無しかよ!?:2012/04/10(火) 01:39:09.59 ID:dl4LfkZp
>>346
>「無我」が真理であるなら、この世界は存在しないではないか。

実際に存在してるのか、存在してないのか確かめてみたら。
348安堂 ◆3LK.0gZrV2 :2012/04/10(火) 01:44:54.81 ID:hUFUfRui
>>347

私は常に世界が実際に存在してるのか、存在してないのか
検証し続けてきました・・・。

この世界は存在しているとは言い難い、
夢のようなものでした・・・。

それは湖の中からプクプクと湖面に昇ってきて、
ポンッと消え去るアブクのようなものです・・・。
実際に現象世界はアブクのようだから甘美なのです・・・。
349バカ女:2012/04/10(火) 01:48:03.89 ID:fgmCRwpt
>>294

そこでカントは「経験の可能性の条件が、同時に経験の対象の可能性の条件である」と考えました。
可能性の条件とは、空間、時間、因果(→論理)、その他の純粋悟性概念(カテゴリー)などです。

私の表現では、少なくとも感性(感覚、知覚)まで拡張して、人間の「生の形式」になりますが、
ともかく、私たちの経験の可能性の条件である「生の形式」が、経験の対象の可能性の条件でもある、
ということになります。あえて極端な表現をすれば、
たとえば「私が/あなたが存在していると認識するから/あなたが存在している」ということです。(笑)

つまり、カントは認識が対象に従うのではなく「対象が認識に従う」という発想の逆転をしたのでした。
この考え方によってのみ、はじめて認識の「客観的妥当性」が保証されうる、
という認識論における大革命を「コペルニクス的転回」と呼びます。

で、私が名無しさんに言いたいのは、上記のように「私たちの認識はどのようにして可能なのか?」
について考えるのであれば、自然科学の法則やその形式というのも、
私たち人間の「生の形式」が投げ与えられてはじめて成立しているのではないか、
科学的な認識というのは、こうした経験には依らないアプリオリな形式のうちでのみ可能なのではないか?
ということです。

また、カントの論理を使用する場合、カントは認識しうる現象世界と物自体の世界とを峻別したのだから、
しかも現象世界の根拠としての物自体の世界を現象世界の外部に放り出したのだから、
私がカントの論理を使用し、さらに「物自体=存在」と考えているかのようなことを言うのは、
認識論における手付かずの物自体を存在論に位相転位すれば存在になるだろうと考えているからです。
とは言っても、物自体は認識論においては実体であり、存在者の「真の姿」という意が強く、
必ずしも存在と一致する概念(概念にはなり得ない概念ですが)ではありません。(自覚が必要です)
で、それ(私の言やカント)を知る人に、バカ女は「外部世界を設定している」と批判される可能性があり、
私の話しをそういう気分で聞く人がいれば、禿げない程度に叩きますよ、ということになります。

以上
350オレって名無しかよ!?:2012/04/10(火) 01:53:04.56 ID:dl4LfkZp
>>348
>この世界は存在しているとは言い難い、
>夢のようなものでした・・・。

夢とはまた中途半端な・・・
存在しているなら「存在している」、
存在していないなら「存在していない」
どちらかにハッキリ決めたらどうでしょうか?
351神も仏も名無しさん:2012/04/10(火) 01:57:31.72 ID:mPN01GJ9
>>341
>時間が余ったので追加してみます。どうでもいい内容の反論なら受け付けません。

馬鹿か?お前はwwww
自分の気に入ったレスしか受け付けないと?www

その前に、自分の書き込みに対して、レスをもらえるのが当然と考えているわけか?
自分の書き込み自体が、「どうでもいい内容」の可能性は考慮しないのか?www

どこまで、独善的なんだ? お前はwwww
352オレって名無しかよ!?:2012/04/10(火) 02:01:51.89 ID:dl4LfkZp
>>351
でも、そうやって書かれると反論したくなるんじゃないの?
353バカ女:2012/04/10(火) 02:04:57.96 ID:fgmCRwpt

真実の実相とは、私たちが生きている"こと、"存在している"こと"です。
私たちとは、すべての生きとし生ける"もの"、在りとし在る"もの"です。
これが世界の実相です。

それは想像することすら許されない全知全能の創造神においてのそれとは違うかもしれません。
という物言いさえ徹底的にナンセンスなところに、みずからの限界を設定することができる
というところに、私たち人間の能力は使われるべきではないでしょうか?
また、このような限界づけが可能であるなら、私が言った世界についての真実の実相も
あながちテタラメとも言えないことになります。

もちろん、私の物言いは認識論の限界を超えています。
私たちのうちだれひとりも、生きていることを、存在していることを認識できたことがないからです。
それでも、あなたは「あなたが存在していることを知っている」のです。
不都合なら「身体」でもかまわないけど、ともかくもそれは認めざるえないはずです。

たとえあなたが「実体がない」などと申し立てたところで、それを否定したことににはなりません。
あなたが「実体がない」と吠えたところで、あなた自身もなにが言いたいのかわかっていません。
現に存在しているその身体に「実体がない」なら、どうして消えてなくならないんですか?
と疑われるのは必然であり、あなたはそれに答えることができません。これをマヤカシと言います。
徹底的に考えたことがない怠け者の戯言です。このスレに溢れていますね。バカばっかりです。

真理は真理とは言えないからこそ真理である、としっかり言えるのでなければなりません。
真理は言えないけど、どうして言えないのかについて言うことはできなければなりません。
言語は真理を取り逃がす。いえ、取り逃がすのでなければなりません。
取り逃がしたのだから、取り逃がしたことが示されなければなりません。それが真理です。
354安堂 ◆3LK.0gZrV2 :2012/04/10(火) 02:06:02.66 ID:hUFUfRui
>>350

>夢とはまた中途半端な・・・
>存在しているなら「存在している」、
>存在していないなら「存在していない」
>どちらかにハッキリ決めたらどうでしょうか?

ですからね、夢のようなものが存在している・・・。
「存在」という言葉は適当ではないですな・・・。

「夢が現象している」とでも言えるでしょう。
存在がないか、存在があるか・・・。

存在という語の意味自体が溶けてしまって存在ではなくなった・・・。
355神も仏も名無しさん:2012/04/10(火) 02:06:07.96 ID:mPN01GJ9
>>352
>でも、そうやって書かれると反論したくなるんじゃないの?

wwwww い〜〜〜〜〜や、俺の常住スレにも、時々、こういうバカが
現れるが、スルーでしょ?

こういう掲示板でのやりとりは、最低限、「対話が成立する」相手でなければ
意味ないしwww
356安堂 ◆3LK.0gZrV2 :2012/04/10(火) 02:12:08.52 ID:hUFUfRui

まあ全レスを相手にしてたら時間の無駄だし・・・。
自己判断で優先価値のあるものから回答して、
回答するに値せず、とされたレスはスルーでしょう。
誰もがする通常の対応ですね・・・。

多くの著書を出版しているような大学教授や研究者には
色々な書簡が届くらしいです・・・。
中には、どうでもいいことについて
何十枚も書いて寄越すらしい。そんなのに一々対応するのは合理的ではありませんでしょうなあ。

357オレって名無しかよ!?:2012/04/10(火) 02:13:38.43 ID:dl4LfkZp
仏教では「実体が無い」って言うのは「自性」が無いってことだよね。
モノは、それぞれ固有の「存在」を持たないって意味だったはず。

358バカ女:2012/04/10(火) 02:15:10.86 ID:fgmCRwpt
>>351
>自分の気に入ったレスしか受け付けないと?www

おまえが脳足りんなの知ってるからだよ、事実アホじゃん。

>その前に、自分の書き込みに対して、レスをもらえるのが当然と考えているわけか?

はぁ? うぬぼれないでよ、おまえにレスなんてしてほしくないから、釘刺してるんじゃない。

>自分の書き込み自体が、「どうでもいい内容」の可能性は考慮しないのか?www

このスレにはアホとバカしかいないから気が抜けたんじゃないの? 

>どこまで、独善的なんだ? お前はwwww

wwwwwwwくんに説教されてんの私?wwwwwwww
 
359オレって名無しかよ!?:2012/04/10(火) 02:16:30.70 ID:dl4LfkZp
>>354
>ですからね、夢のようなものが存在している・・・。
>「存在」という言葉は適当ではないですな・・・。
>「夢が現象している」とでも言えるでしょう。
>存在がないか、存在があるか・・・。

そうでしたか、それでは生きづらくありませんか?
360神も仏も名無しさん:2012/04/10(火) 02:18:49.30 ID:mPN01GJ9
>>358 wwwwww  何だ? レスしてもらえないとわかったら、今度は罵倒ですか?

どうしようもねえな、このキチガイ女はwwww

まあ、自分で自分のことを「天才」とか言ってるアホは相手にしても
しょうがないでしょ?wwww
361バカ女:2012/04/10(火) 02:20:01.34 ID:fgmCRwpt
>>355
>wwwww い〜〜〜〜〜や、俺の常住スレにも、時々、こういうバカが
>現れるが、スルーでしょ?

wwwwwくんには、自分の巣にかえりな!

>こういう掲示板でのやりとりは、最低限、「対話が成立する」相手でなければ
>意味ないしwww

いやいや、こっちがお断りしてるだろうが。忘れたんか? 痴呆症か? さっさと死ねよ。

顔出すとイジメ続けるけど、いいの。弱虫くん。

おーいwwwwwwwくん、自分のレス読み返してみなよ、アホ丸出しだから。

なんだかんだ言って逃げるのよね、腰抜け君たちは。それでも男の子なんか?
362神も仏も名無しさん:2012/04/10(火) 02:22:04.74 ID:mPN01GJ9
なんか、キチガイが切れて、一人でわめき散らしてるwwww

お前は、こんなとこに居なくていいから、精神科に行って専門医に
診てもらいなwww
363バカ女:2012/04/10(火) 02:22:26.63 ID:fgmCRwpt
>>360
>>358 wwwwww  何だ? レスしてもらえないとわかったら、今度は罵倒ですか?

だからあたしから断ってんだろうが、忘れんな!

>まあ、自分で自分のことを「天才」とか言ってるアホは相手にしても
>しょうがないでしょ?wwww

でたでた、逃げる奴の常套句、みんな同じ。女相手に逃げなさい、情けないね。
364安堂 ◆3LK.0gZrV2 :2012/04/10(火) 02:22:40.57 ID:hUFUfRui
>>359
>そうでしたか、それでは生きづらくありませんか?

私の見解不足かもしれませんが、
どうしてあなたから、生きづらくはないかという問いが出るのかわかりません・・・。

私は健康で活発に生き生きと生きられればそれでよい・・・。
酒と桜の散る様と光と人々の姿・・・。

現世(うつしよ)は美しくあればよい。
365バカ女:2012/04/10(火) 02:24:06.13 ID:fgmCRwpt
>>362
>お前は、こんなとこに居なくていいから、精神科に行って専門医に
>診てもらいなwww

宣言しまくりの精神病者に向かって、診てもらいなさいだって。恥ずかしくないの?
366神も仏も名無しさん:2012/04/10(火) 02:24:36.29 ID:mPN01GJ9
>>363  逃げるってwwwww

いやいや、普通、誰でもキチガイは相手にしたくないでしょ?wwww
367オレって名無しかよ!?:2012/04/10(火) 02:25:55.30 ID:dl4LfkZp
>>364
余計なお世話でしたね。
以前、自分も同じような感じだったんで
過去の自分のつもりで書いてしまいました。
368神も仏も名無しさん:2012/04/10(火) 02:26:34.74 ID:mPN01GJ9
>宣言しまくりの精神病者に向かって、診てもらいなさいだって

何? 宣伝しまくりって?www
369バカ女:2012/04/10(火) 02:26:49.23 ID:fgmCRwpt

wwww使うなら、貫けよ、wwwwくんに、聖人君子ぶられてもねー

なにやってきたんだよ、おまえは。自分だけは別なんだねーいいねー
370神も仏も名無しさん:2012/04/10(火) 02:29:11.42 ID:mPN01GJ9
>>369 また、意味のわからんことをwwww

もしかして、妄想入りまくり?www
371バカ女:2012/04/10(火) 02:31:18.74 ID:fgmCRwpt
>>366
>いやいや、普通、誰でもキチガイは相手にしたくないでしょ?wwww

基地外だけど、言ってることは基地外じゃないもん。

どうせ、知らなかったとか言うんでしょ? あーやだやだ

>>368
>何? 宣伝しまくりって?www

ほら、でた、知らないふり。

こっちは基地外宣言してやってだから、迷惑言われたら、どうしようもないだろうが。
なんにもわかってないじゃん、聖人君子ぶりやがって。

だいじょうぶ、怒ってないから。お前みたい奴ばっかだから、慣れてる。
372安堂 ◆3LK.0gZrV2 :2012/04/10(火) 02:34:29.08 ID:hUFUfRui

パーピマンやめなよ。
かわいそうだよ・・・。本人は必死かもだよ・・・。

哲学を理詰めで突き詰めてやってる人は繊細なんです。
私は哲学板で気が狂っておかしくなってしまった人を多く見た・・・。

以下はせったん老師の見解だが、こういう人には慌てた対応はよくない・・・。
1 自分は正しいんだいいんだという、実はその根拠がない、
2 従いすべてに能書きが付く、反対されればされるほど鋭利に精妙になる、
3 それでもっていっぱいになっているから、人のこと他のことが見えない、
4 自分正しいという以外いやそれ自身もふくめて物語の中、
5 ゆるやかに回転する堂々巡りが次第に早くなる、
6 回路が焼き切れてついには発狂
373バカ女:2012/04/10(火) 02:40:19.02 ID:fgmCRwpt

アンポンに言われるくらいなら、死んだほうがマシだっちゅーの。ふるっ

人格批判とかしてんじゃんーよ、自分が偉くなった気なん? アホだねー

>私は哲学板で気が狂っておかしくなってしまった人を多く見た・・・。

嘘つくな! デタラメは顔だけにしろ!

私は中学のときから10年来てるし、ローカルールだって私が作ったんだ。
そのわたしがデタラメだって言っているんだから、言い逃れできないよ、嘘つきアンポン。
374バカ女:2012/04/10(火) 02:44:48.63 ID:fgmCRwpt
>>353 まったくやっと書き終わった。邪魔するな! つづきです。

真理は唯一絶対の真実でなければならないから、真偽も正誤も善悪も美醜も超えています。
それらの一切について問えないということが、唯一絶対であるということだからです。

ここに至って、生きていること、存在していることが統一されなければならない要請が生じます。
だからこそ、私は、現象(存在者)の原理である「生成消滅する」ものに生物を含めるのです。
対して、生きている"こと"、存在している"こと"、は「生成消滅しない」ことになります。
生きている"こと"は、未生であり、存在している"こと"は、無(現象しないこと)です。

おそらく現象と存在(生命)は「一者」ですが、今は説明の便宜上から二元論を採用しています。
ウィトゲンシュタインの表現を借りれば、「一者」がマクロコスモスだとすれば、
私たちはミクロコスモスです。
現象であり∧存在でもある、という絶対矛盾のあいだの自己同一者である、
という構造は「一者」も「存在者」も同じだからです。

「現象世界の実相」の表現である「色即是空」を真似れば「現象即存在」=「差異即同一」です。
「現象即存在」=「差異即同一」は、現象と存在とのあいだの存在論的「差異の同一」ですが、
それを私は『存在論的差異の反復』と呼び、この反復こそが世界の創造原理であると考えます。

「色即是空」というのは、現象の無根拠(存在の裏づけがない)を言い当てているのですが、
そこまでわかっていながら「現象即存在」には気づかないのは「存在忘却」しているからです。

禅をググって、ちょっとだけ禅における「有無」について触れてみましたが、>>54-56
おそらく有無という現象次元でのそれにすぎない二元論への執着が「存在忘却」の原因です。
経験的には存在に至っていながら、いざしゃべりだすと有無の概念へのこだわりに支配され、
それについては語りえない、語ろうとする根拠の方を奪う・・・などと間抜けもほどほどにしろ!
「間抜け」とはよく言ったものです。「あいだ」にこそ、すべてが詰まっているのですからね。
375神も仏も名無しさん:2012/04/10(火) 02:47:13.45 ID:mPN01GJ9
なんかもう、一人でヒステリーおこして、「キ〜〜〜〜〜〜」ですか?www

つまり、触っちゃいけない「真正さん」だったってことか?ww
それは失礼しましたwww
376ろん:2012/04/10(火) 02:47:48.37 ID:/Ihz6Wv8
>>317
ぜんぜん僕はそんな話してない。。存在とか肉体の話ではない。。
お釈迦様自体、肉体的苦痛を超えるなんて話をしてない、それを持ち出すのがアホ。。

>>318
ぜんぜん私の言ってることとは違う。。
僕の言ってることをまったく理解できていないね。。

>>324
僕の言ってることはそんなに難しくもなく、きちんと説明しているのだが、まったくわかっていない。。
話しても無駄ですね。。もともとあなたに言ってないからいいが。。
ここまで頭悪いと、手の施しようがないね。。

>>324
実際あなたがイカれているという可能性を考えない、考えられないのはなぜでしょう?
そっから逃れるための方向転換なんろうねえ。。
377ろん:2012/04/10(火) 02:50:25.60 ID:/Ihz6Wv8
ここまで、473の書き込みをざっと目を通しただけで答えたが、バカだから、まともに読む必要もない。。
まさに同じパターンのことしか言ってないのだから。。

カルト脳の典型だね、同じパターンの繰り返しで受け答えし、他人の言うことをまったく理解できないということ。。
まあ対話する意味が全くないわ。。
378バカ女:2012/04/10(火) 03:04:43.28 ID:fgmCRwpt
>>372
>以下はせったん老師の見解だが、こういう人には慌てた対応はよくない・・・。
楽しいの、私は。わかってないなー、だからアンポンなんだよ。

>自分は正しいんだいいんだという、実はその根拠がない、
命懸けで考えてるの、こっちは。
にもかかわらず、反論を待ってるんだよ、論破されることを心待ちにしてる。
わからないと思うよ、アンポンに哲学徒の気持ちは。
まぁここでは恩返しのつもり。だんだん良くなってきたように感じています。
基地外の恩返しほど、無心なものはないと思うよ。

>従いすべてに能書きが付く、反対されればされるほど鋭利に精妙になる、
反対の質によります。バカにバカなこと言われたらバカ女だってカチンとくるよ。

>それでもっていっぱいになっているから、人のこと他のことが見えない、
いっぱいになんてなったことなんて最近ないよ。修行してるからね。
中学生の時から、大学の先生とか相手にしてたもん。
レスする時、手が震えました。でもレスしたかったから勉強しました。

>自分が正しいという以外いやそれ自身もふくめて物語の中、
正しい病にはかからないのよ、哲学徒は。そりゃー正しい、間違いないって言うけど。
それは一番はじめに書いた通りの理由から。哲学は哲学することだから止まったら終わり。

>ゆるやかに回転する堂々巡りが次第に早くなる、
イミわかんない。それよりアンポンは比喩がわかるようになりなさい。変な匂いとか言わないで。

>回路が焼き切れてついには発狂
知らないからそういうことが言えるんだよね。まぁいいや。

アンポンの計画通り、落ち着いたことにしてあげる。ありがとう。
379安堂 ◆3LK.0gZrV2 :2012/04/10(火) 03:06:05.87 ID:hUFUfRui

禅会で、
「偏った頑固な思想の持ち主お断り」というのはわかる気がする・・・。
独参とかやってる師家とかすげぇ精神的重労働なんだろうなぁ・・・。
380神も仏も名無しさん:2012/04/10(火) 03:14:21.48 ID:mPN01GJ9
>「偏った頑固な思想の持ち主お断り」

平たく言えば、「キチガイお断り」ってことか?wwww
381安堂 ◆3LK.0gZrV2 :2012/04/10(火) 03:18:07.09 ID:hUFUfRui
>>378

私も哲学板が長いからわかるよ、哲学徒の気持ちは・・・。別に哲学科でなくても。

私も今よりももっと基地外で、しかも哲学基地外だったから。哲学は不得手でも。
初めは精神病だとを自分でも疑ったものだ・・・。

あるとき抜けますね・・・。
人に押しつける型になる場合と、何らかの形で引っこ抜かれる型。
まあ、いい花婿が見つかるといいですね・・・。
382安堂 ◆3LK.0gZrV2 :2012/04/10(火) 03:24:13.51 ID:hUFUfRui
>>380
さあ、変なのに取り憑かれると迷惑だから
じゃないですかね・・・。
寝る
383ろん:2012/04/10(火) 03:25:30.45 ID:/Ihz6Wv8
>>372
まさに473そのものじゃないか。。

まー相手にしない方がいいのだろう、そういいうやつは。。
384バカ女:2012/04/10(火) 03:47:49.40 ID:fgmCRwpt

悟りの前段階としての純粋経験についての考察 @

それぞれがまとまっていません(まだ連結していません)がとりあえず。

第三者から見られるなら「ある人がバラの花をながめている」ような状況でも
ある人とバラの花との区別がなく、ある人とバラの花が同じ一つの事態であるようなとき
それを「純粋経験」と呼びますが、純粋経験においては世界は対象化されていませんから
「私のもの」にはなりません。(私という意識もありません)

ですから、いまだ主もなく客もなく、という純粋経験においては、
情報は「未加工」である、と我に返った後の「私」には思い込まれますが、
それ以前が忘却されています。

感覚(知覚)情報は、記号化されることにより、各神経系での処理が可能になります。
外界の情報を記号化するということは、外界と自分とを分け隔てるということですが、
この主客の分離によって、個体は主体となり、外界を受容するという事態が成立します。
「人間である」または「私である」以前に、この「主体」は、すでに成立しています。

ですから、二次的に生じた心を起点にするのではなく、身体としての主体を捉え直せば、
心身二元論を採用するより(身体に心が住まうかのような想定をするより)
むしろ「生きている身体の自己意識」が「心」であると想定したほうが自然でしょう。

よく言うように「私」より「身体」が先ですから、身体は「私のもの」ではありません。
私たちは、身体そのものを生きている、と考えたほうがスッキリするのではないでしょうか。
385バカ女:2012/04/10(火) 03:49:32.00 ID:fgmCRwpt

悟りの前段階としての純粋経験について A

たとえば、知情意を脱落させても意識の領野は開かれていて
情報は飛び込んできますが、「意識する」という能動性がありませんから、
情報は「私のもの」にはなりません。(私という意識もありません)

それでも、ある音声が人間の話す声であれば、それは人間の言葉として処理されます。
この意味で、一度言語が獲得されてしまったら、それ以前には戻れないのでしょう。
(身体的主体と言語の獲得以後の精神的主体(心、私)とは入れ子状になっています)
ですから「表象」は、たとえば「バラの花」は「私に」与えられるのでなければなりません。

多様であるはずの、だから離散するはずの情報は「何ものか」のもとに統一されています。
この「何ものか」が、「私は考える、ゆえに私は存在する」の後者の「私」なんですが、
つまり、多様な情報は「私が存在していること」へ、すなわち「一」へと統一されます。

しかし「人間」または「私」以前の「主体」、つまりこの身体には一つの意識が随伴する、
と考えられますが、本来の主体とは「一つの身体」であり、「私」は二次的ですから、
人間の身体における生の形式を「私」は超えられないこともまた事実なのです。

その目がまなざした先にあるバラの花が、もう「バラの花」とは呼ばれなくなってもなお、
やはり<それ>は、カブトムシに現われるそれではなく、人間の身体にとってのそれなのです。
386バカ女:2012/04/10(火) 03:51:26.82 ID:fgmCRwpt

悟りの前段階としての純粋経験について B

個体が個体でありうるのは、感性によって受容された感覚内容としての外界が
情報として生起するからですが、この情報はけっして物自体ではなく、
個体にとっての記号化された「それ」なのです。

たとえば、エンヤを聴いていて気分がやすらぐのなら、その「気分」はエンヤの音楽が、
神経伝達物質(セロトニン)の分泌によって情報に変換されて現象したということです。

また、たとえば「バラの花がある」という事態は、
感性によって受容された感覚内容(バラの花の諸要素)が悟性によって
対象として構成されるまでは、バラの花と情報(身体)とは、一つの相互作用として主客未分です。

つまり、感覚情報が言語の媒介性によって、それとして指示(志向)されるまでは、
視覚的に表現すれば、バラの花の感覚情報そのものの「見え」自体は、
「純粋経験」に他ならないということになります。

たしかに純粋経験のような事態における人間の状態性としてのバラの花は、
自然科学が言う客観的な事物ではありませんが、それが人間の感覚によって構成されたものであり、
それによって人間の経験も構成されるのであれば、それはいつでも現実に起こっていることなのです。
純粋経験とは、だから私たちの経験が成立するための条件(地盤、基盤)なのです。

ただ「それ」として意識化される際には、それが「私」の個体性や形式性を超越していることに
気づかされてしまうために(情報の捨象が行われていないために抽象によって概念化できない)
心の状態としてはとらえきれないにもかかわらず「鮮烈なリアリティ」をもった経験として
思い返されることになります。
387安堂 ◆3LK.0gZrV2 :2012/04/10(火) 03:52:35.85 ID:hUFUfRui

最後に
「超繊細」です・・・どーぞっ!
http://www.youtube.com/watch?v=oOOIOoIMnqk&feature=related
388473:2012/04/10(火) 03:54:02.68 ID:LKUrGVwR
>>324
実際あなたがイカれているという可能性を考えない、考えられないのはなぜでしょう?
そっから逃れるための方向転換なんろうねえ。

324の後半部分を読んでこういう感想が出てくるのは凄い。
根拠のない正しいという妄想にすがり、架空の悪を他人になすりつけ自己逃避する心の働きを自分のうちに見ることが、そうなのか?
が、そう驚くことでもありません。
それに覚めていない限り、ひとは正しいという主観的妄想と、間違っているという主観的妄想(自分の認めたくない部分の投げ付けでもある)
で人や物事を2分してしまいます。
この方には自分か473のどちらかがまともでどちらかがイカれているとしか物事の認知ができないようです。
ずっと、心はありふれていてそれに覚めるだけ、自他を評価するでなく責めるでなくただ共に目覚めてあろうと誘っているのに。
だれも正しくもイカレてもいません。その人その人の心の働きとそれへの自覚があるだけです。

私のことを非常に尊敬していた人もいましたが、その人も
その人の主観的な理想に私を当てはめ、そして自分の認めたくない部分を他人に投影して攻め立てていました。
私はその人に、あなたが責めているのは自分自身だよと示すと彼は私に反発して去ってゆきました。
つまり、私に賛同していたのは彼の夢の中であり、私のメッセージを共有していたわけではなかった。

私を愛すこともなく憎むこともなく、独りたって歩く人はいないだろうか。
正しいという夢想も間違いという夢想もなく、独り目覚めに努める人はいないだろうか。
そういう人とこそ共に歩める。
389ろん:2012/04/10(火) 05:15:24.64 ID:/Ihz6Wv8
>>388
アンカーも間違ってるし、言ってることも相変わらずイカレてんなー。。

あなたはあなた自身がやってることに自覚が全くないでしょう。。

あなたがやっていることは何か?
私の言ったことに対する「否定」ですね。。
これは今までのやり取りを見れば明らかです。。
あなたから言ってきたことです、僕はあなたに言ってないのだから。。

で、その否定ですが、まともな思考手順を踏める人なら、まず僕の言ってることを理解しようとします。
理解したうえで否定するなり、批判するなり、肯定するなり、納得するなり、スルーするなりまあするわけですね。。
他人の言ったことを正しく理解した上での以上の反応が、まともな反応と言えるわけです。。

だけど、あなたは、何度いろんな言い方で説明されても正しく理解できてないわけです。。
ふつう、理解できなければ、正直にわからんと言うか、ほっとくか、わかろうと努力するか、あるいはホントかどうか確かめようとするわけです。。
これらがまともな人の対応。。

それに対して、あなたは理解もできないことをまともな論理も根拠もなく否定して、その否定に対して論駁されると、今度は心理学の理論を持ち出して、自己防衛する。。
あっはっは、僕を批判しないでくれ〜、、僕は悪くないんだ〜、あなたの自我の投影何過ぎなんだよ〜と。。w
うふふ、自分がアホなこと言ってるから、論駁されるだけなのに、それを僕の自我の投影機能に転嫁して、自分の愚をイカれてるところを決して見ないようにしてるわけです。。
あっはっは、まさに投影ですよ、あなたの。。
巧妙なようでいて、実にバカバカしい逃避機制ですww
見事過ぎるほどにに>>372そのもののパターンです。。
面白いですな〜、実にww
390473:2012/04/10(火) 05:34:31.32 ID:noCUnJdy
>>317
ぜんぜん僕はそんな話してない。

ええと、どんな話をしてるかは問題ではないのです。
人は自分が話したとおりの存在ではなく、自分が実際に思っているとおりの存在なのです。
私は、私があなたが何を話しているかではなく、実際にどう思っているかを対象にしております。

話したとおりの考えたとおりの存在に自分がなれるのでしたら、私も自重しないでいろいろ語るでしょう。
391473:2012/04/10(火) 06:20:57.86 ID:noCUnJdy
語っているロジックそのものにはには殆ど対立が見られない。
同意見か、今はわからないので実際に見出せたら同意見か実は違うか言いますということだけで、
反対するようなものはなかったかな。どこに反論や否定があるのでしょう。
今はわからないので実際にそれを見出そうとする態度はそれへの反対、否定とみなされるのでしょうか?

反対や否定ととられたのは「正しい理解」

自分自身で実際に見出すか、そうでなければ「わからない」
自分の本音、自分の現実と出会ってそれをみつめる。

という態度の差でしょうか。
392ろん:2012/04/10(火) 06:34:46.34 ID:/Ihz6Wv8
>>390-391
文書にも論理にもなってないので、何を言っているかわからない。。

だいぶ壊れてきてるようだよ。。

まー無理してレスせずに、ちょっと落ち着いて休んだらどうだね?
393473:2012/04/10(火) 06:36:31.20 ID:noCUnJdy
前のレスでいう共通部分は仏教の真理の描写についてであって、いわゆる人間観は真逆でしたね。
394ろん:2012/04/10(火) 06:37:38.51 ID:/Ihz6Wv8
というか、473は2ちゃんねる辞めた方がいいかもだな。。

人から尊敬されたい、注目されたいと言う願望は誰しにもあるだろうが、473はそれに支配され、頑迷に執着するがゆえに、反論や欠点を指摘されることに耐えられないようだ。。

自分が病人ではなくて、どうしても教師であり医者でありと言う、そういう自我イメージ、ロールパターンにしがみ付いているのだろう。。

マトモになりたかったら、足を洗うことだね。。
395オレって名無しかよ!?:2012/04/10(火) 06:45:29.55 ID:dl4LfkZp
みんな落ち着いて話をすればイイと思うよ。
396473:2012/04/10(火) 06:56:47.98 ID:noCUnJdy
考察されたのは、人は安息の夢を見るための精神的依存先である理想や文化規範と、自分のうちに認めたくないものの投影先である敵とを必要とするということです。
正しいというカテゴリと間違いというカテゴリに人や集団を当てはめ、依存と批判によって自己の葛藤を回避します。

それゆえに、もし全く同じ思想を持つ平均的な人間が集まっても、決してそこに平和はないでしょう。
投影の、自己責任の逃避への必要性から人は批判の対象である他者を必要とするので、いくらかの人が先んじて
自分の思想を変えてしまい、既存の思想をもっている人たちと批判しあうでしょう。
(実際外部に共通の敵がいるうちはまとまっていた人々も、それがいなくなるとその内部で分裂するというのはよく確認される事実です。)

国家や企業や階層の争いは、人の心理的な必要に応えたものであり、人間が今のままである限り必然ではないでしょうか。

もし自分と同じ思想、実存であるような人間だけで世界が構成されていたとしても、互いに依存と投影の誘惑に打ち勝って平和を保つことができるか疑わしい。
397ろん:2012/04/10(火) 07:48:31.11 ID:/Ihz6Wv8
>>396
すべての人がお前とおんなじだったらそうだろうな。。

依存対象として批判すべき他者を必要とする・・こんなのが万人に当てはまると思うか。。

万人に当てはまったら、世界に今のような秩序も平和もないだろう。。

万人がそうであり、それがさも問題であると主張し続けること、これがお前の依存対象なわけだ。。

オレの人間を批判したにせよ、論を批判したにせよ、それがお前の依存なんだろ。。

何言っても自分のことじゃないか、アホらし。。

人間社会があれば、正邪、是非、善悪が存在し、批判すべき人も断代もあるだろう。。

それを全部自我の依存とか、投影と否認の理論(心理学理論の中でもっとも単純なバカでもわかる理論だが・・)に還元するのは明らかに、誤りと言える。。

まったくまともな思考能力があるとは思えんよ。。
398ろん:2012/04/10(火) 07:49:26.55 ID:/Ihz6Wv8
断代じゃなくて、団体ね。。
399悟り子 ◆AAyxyMDKw6 :2012/04/10(火) 08:21:18.13 ID:gVPrUuJI
>>337
>覚者A、Bさんの情報がほしいです

特にどの覚者とか考えてませんでした

>それから悟り子さんの考えも聞いてみたいです

「自分を忘じる」は気づき(哲学徒さんの言う純粋経験)で在ること
「自分を覚えていること」は思考や感情に気づいていること
を言っているのかもしれません

忘じるが外的現象への気づき
覚えているは内的現象への気づきと言っても良いかもしれません
どちらも今在る現象への気づきと言っても良いかもしれません
400473:2012/04/10(火) 08:24:16.25 ID:IMrvQn0Z
>>384  >>394
が正に
http://homepage1.nifty.com/eggs/iryou/gihou/projectiv_id.html
http://oneiromancy.holy.jp/blog/archives/2008/10/post_21.html
で例示されている言動とそっくりですね。

それはともかく、他人は変えられないといいますが、やはりそういった知識では
他人を変えたい欲なのか他人に代わって欲しい希望なのかが静かになるわけではないようです。
ただ単に他人が変わるという期待を持たず、変わらないと絶望もせず、そのときそのときのかかわりを大切にする。
結果はわからくていい。
そうであれば無用な無謀なエネルギーは投入しないですむかもしれません。
過去の全ての他者への希望の積み重ねが私からエネルギーを奪っているようです。そちらもすっきりするかも。
401神も仏も名無しさん:2012/04/10(火) 08:27:01.03 ID:qLS6vH//
悟りに一番大切なのは価値観・観念への執着をなくすこと
ここは悟りから一番遠いと断言できる
402絶対神:2012/04/10(火) 08:29:35.39 ID:e6xY2/n2
>>396
  「まあ、当たり前だが、兄弟であろうが、親子であろうは人々は争う」

          『別に思想的対立で争うわけではない』

「たまたま虫のいどろこが悪かったとか、会社で嫌な事があったからむしゃくしゃしてとか」

   『実に下らない事で喧嘩をし、場合によっては殺しもするものだ』
馬鹿じゃない限り、自分たちの家庭内を見ても

   「人間の世界から争いが永久になくならない事は簡単に理解できる」
403絶対神:2012/04/10(火) 08:31:00.32 ID:e6xY2/n2
>>401
      「そもそも、悟り自体が、価値観であり、観念です」

     『あなたの言っている事は、根本的に矛盾していますし』

              「元々、不可能です」
404オレって名無しかよ!?:2012/04/10(火) 08:31:27.73 ID:dl4LfkZp
悟りの目的のひとつは「苦の消滅」だと思う。
でも、「悟り」を目指すことによって苦が引き起こされてる人が多いと思う。
405絶対神:2012/04/10(火) 08:32:58.22 ID:e6xY2/n2
    「もし、釈迦というものが意図的に騙すつもりがなかったのなら」

       『極端に男尊女卑的な時代の、王子様だったから』

      「周りの人が、はいはい、言う事を聞いてくれたので」

     『現実というものを理解できていなかったのではないか?』
そもそも、封建時代の王子様に

       「庶民の苦労に満ちた生活の「何が判るんだい?」」
406神も仏も名無しさん:2012/04/10(火) 08:38:04.27 ID:qLS6vH//
>>403
観念を無くすということでなく観念への執着を無くすということ
同じ人が同じことを言っても
片方が観念への執着がないなら悟っているといえる
407絶対神:2012/04/10(火) 08:45:39.34 ID:e6xY2/n2
 「ある意味、「宗教的」な事すら王子に教わらなきゃならないなんて」

         『凄いカースト制度そのものだと思う』ww

         「物凄い、「仏教」は、矛盾している」(笑)
408悟り子 ◆AAyxyMDKw6 :2012/04/10(火) 08:47:30.90 ID:gVPrUuJI
>>336
>それなら我を忘れて人を殺しても悟りです

(悟り子の考え)
この文脈で言う「我を忘れる」は
我(我執)に囚われて無我(価値判断しない公正中立な視点)を忘れたことを表現しているのかもしれません
つまり「我を忘れる」の「我」は無我なのかもしれませんね

たんに後先考えずに暴走することを言っているのかもしれませんけどf^_^;
その場合は「自分を覚えていなかった」
ことが暴走の原因かもしれません
「自分を覚えている」ことができれば、その自覚が暴走を抑止するのかもしれませんね
409オレって名無しかよ!?:2012/04/10(火) 08:48:07.72 ID:dl4LfkZp
>>405
>そもそも、封建時代の王子様に
>「庶民の苦労に満ちた生活の「何が判るんだい?」」

お金と時間に余裕があるから考えられるんじゃないの?
生活に追われると、なかなか考える余裕すらないよ。
それに「生老病死の苦」は金持ち・貧乏関係なく起こるよ。
410オレって名無しかよ!?:2012/04/10(火) 08:53:21.16 ID:dl4LfkZp
>>407
釈迦ってカースト制度の否定してたっけ?
411神も仏も名無しさん:2012/04/10(火) 08:58:12.60 ID:qLS6vH//
>>405
釈迦の時代はあまり仏教は広まってないよ
80歳まで生きたのに文章すら残さなかった徹底ぶりで
集団化もされてない
仏教が広まったのは大乗仏教からかな?
412オレって名無しかよ!?:2012/04/10(火) 09:43:32.64 ID:dl4LfkZp
人は自分の観念の世界から話をし
相手も自分の観念の世界で話を受け取る。
観念の世界が同じであれば問題ないが
観念の世界が違っていると同じ言葉を使っても意思の疎通は起こらない。

人に何かを伝えるのって難しいね。
413神も仏も名無しさん:2012/04/10(火) 11:27:24.35 ID:mPN01GJ9
>>410
>釈迦ってカースト制度の否定してたっけ?

確か、経典の記述上は、「カーストを『社会制度』または『社会問題』として
否定した記述は見当たらなかった」と記憶しているがwww

ただし、(これは仏教部外者である俺の私見だが・・・・とことわっておくが)

釈迦が上記のように『社会制度』として、その批判を表面化させなかったのは
種々の理由があると考えられるが、 少なくとも、釈迦の思想をトータルに見たとき、
それに対する批判的視線は明らかなように思えるが?

「人は『生まれ』によってバラモンとなるのではなく、その『行為』によって
バラモンとなる」・・・・・という言葉からもみて取れると思うがねwwwwww
414神も仏も名無しさん:2012/04/10(火) 13:03:19.23 ID:yhb1Z122
>>412
誠心誠意やってるつもりだったが
結局人にわかって貰おうとかすることがおかしなことだった
他人は主である自分に対して自分について教えてくれる神なのだけど
それが分かってないから他人に対してあれこれ言わなくては、と
自分に過ぎないものに向かって他人がいるかのように思い込んで
分からせようとしたり働きかけてしまうわけ
415オレって名無しかよ!?:2012/04/10(火) 13:13:53.35 ID:dl4LfkZp
>>414
ゴメン、俺、頭悪いから良く分からないや。
416473:2012/04/10(火) 15:41:43.56 ID:OkodZa1l
≫正邪、是非、善悪が存在し、批判すべき人も団体もあるだろう。。
まさにそれこそ仏教が存在しないといい、あなたもそれは存在しないといっていた認識の仕方ではないでしょうか。

(>>408)
邪悪な人、悪い人というのは私たちの判断であり、一体そんな人がいるでしょうか。
それらの人は自分の経験への執着に、ありふれた欲望に覚めていることができなかったのです。
そして、普通の人は実行するチャンスがないのですが彼らはそのチャンスに恵まれてしまったのでしょう。
どんな歴史的犯罪者や暴君も、ありふれた欲望と、恐怖と、そして件の自己正当化と他者への投影に覚めていなかったから
それをやってしまっただけではないでしょうか。(+それをかのうにする権力があったから)
人々は本当は同じことをやりたいと思っているので、それを投影して彼らを邪悪だとののしります。
私は彼らを批判するどころか、彼らの心を自分のうちに見ます。
ありふれた欲望、執着、恐怖。違うのはきっかけと、目覚めだけ。

しかし、これらの目覚めの言語が通用するのは、自分たちが夢の中にいるということに目覚めている人間に対してだけであり、
そうでない人間には正邪、是非の言語しか通用しません。
それゆえに私は正邪の言語を使う必要に迫られます。しかし正邪の認識、正邪のイメージという夢をみる必要はありません。

目覚めの言語と、是非の言語。
仏陀の言う3種類の馬への異なる接し方。
これは全く違う世界、全く違う言語。使い分けるのは本当に大変です。また目覚めは思想や言語ではなく目覚めそのものなので伝え方がまた。
これに混乱していることに気づきました。
417473:2012/04/10(火) 15:42:12.60 ID:OkodZa1l
≫万人がそうであり、それがさも問題であると主張し続けること、これがお前の依存対象なわけだ。
まず、万人がそうであることは問題だとは言っていませんね。
問題になるのは自分自身のそれであり、他者がそうであることの否定、間違い、「イカレ」てるなど批判していません。
他者はそうであるかもしれませんしそうでないかもしれませんが、問題視はしていません。
例え全ての人間が夢遊病者でもそれを問題視するかどうかは各々の選択なのです。
問題、いや唯一それに目覚めることが可能なのは自分自身のそれです。
ただ、できるだけ客観的な他者の認識ができたほうがよいので単に広範な人間心理の実態の解明を追及します。

また、投影は自分の中に見てないものを外部に投げつける無自覚の作用です。
自分のうちに見ている以上それは投影ではなく人間観に関わることではないでしょうか。
単純に書き込みを見れば、あなたは自分には見ないで一方的に自分や他者を、間違い、イカレと評していますね。
その言動が先ほどのリンク先の例そっくりなのです。
これも批判ということにしたいかもしれませんが、もう本当に事実関係の描写であり
わたしもあなたもそれに目覚めましょうという誘いでしかありません。
418ろん:2012/04/10(火) 16:31:54.95 ID:/Ihz6Wv8
>>418
そうだよ、空だったら、是非も善悪もあるはずないと知って、そこに留まらずに、人間である限りは、是非善悪を捨てるわけじゃないのさ。。

>>417
問題視してなかったら、何で言うんだよ?
問題でなければいう必要ないだろ、心理学のページに任せておけばいい。。

自分自身のそれだけが問題なら、あなた自身が、まず目覚めればよい。。

あなたの理論だと、あなたがその投影と否認の輪廻から抜けられないということをことさら強調するのは、
あなた自身の現状の投影に他ならないだろう。。

それを言い続けることがその問題へのあなた自身の陥り、嵌まり込みの症候であるだろう。。

あなたは自分の内にそれを見ていると言いながら、十分には気付いていない。。

ここでまったく同じ理論を、バカの一つ覚えの如く繰り返し続けるその病状がそれだ。。
自分が気付きつつ抜けれれないでいる、その病状を社会や他に投影して、気付いてくださいと、さも教師が生徒を諭すかのように言って回るが、
生徒とあなたが想っている人々にそんな症候はなく、あなた自身にその将校が一番強く観られるということだ。。

・・・と言うことにまであなたは気付いてはいないのではないか?

だから、同じことをぐるぐるぐるぐるループして繰り返し続ける、やっぱり、傍から見たらちょっとおかしいぜ。。
419ろん:2012/04/10(火) 16:34:27.62 ID:/Ihz6Wv8
まちがえた。。
最初のアンカーは>>416だな。。
420オレって名無しかよ!?:2012/04/10(火) 17:09:48.17 ID:dl4LfkZp
>>419
ろんは禅を通して語ることが多いけど、
仏教の他の宗派より禅(曹洞宗?)の方が好き?
421473:2012/04/10(火) 17:55:27.27 ID:OkodZa1l
>>418
それは、(あなたが何度となく言うように)自分が正しい見解を持ち他人は誤った見解を持っている
というような見方で他人を批判しているわけではないというだけです。
他人に問題が無いといったのは、あなたが私が他人を批判しているというような指摘に対してのものです。
文脈が飛んでいます。

私がそれを議題にするのは、私が私の主観を知らず、私が他人の主観を知らず、
そこに混乱と衝突が起きてしまうからです。私自身の態度が問題なわけです。
その構造の解明は自他に及ぶことになります。

≫投影
基本的に投影にあっては他者が邪悪に見えます。また他者が意思をもった存在に見えます。
他者が(夢の中にいると批判するのでなく)夢の中にいるという認識をするということは、他者に
責任を転嫁できないということです。自分に投げ返されてしまうということです。
だから強い投影の傾向がある人は他者に自由意志が無いとは決して認めようとしません。

私が私の中の認めたくなかった欲望に気づいたとき、少し他人が邪悪に見えなくなってきます。
そして事実が少しずつ見えてきます。
それは他人はそんな欲望を持っていなかったということかというと、そういうこともありますが、
むしろ自分が思っていたよりもずっと人はその欲望に左右されており自由意志は存在していなかったという
認識が開示されることもあります。それは、誰にどんな投影をしたかであり、投影された当の本人は全くそういう要素のない人かもしれませんし、
投影された以上の欲望の権化かもしれません。
422473:2012/04/10(火) 17:55:51.52 ID:OkodZa1l
≫自分がはまってるから
まあ、当たり前ですがはまっています。
ところで、正しい、間違い、イカレ、マトモ、正邪という概念を持ってしまってる感じの書き込みを何回か披露したあなたは?
どうも私のことばかり心配していただいて申し訳ないです。

≫万人に当てはまったら、世界に今のような秩序も平和もないだろう。
当てはまっているから、国家の分断、宗派の分断、階層の分断。
そして必須でない企業間闘争や権力の闘争があり、あらゆる場所で些細ないい争いがあるのでは。
投影だけが人間ではありませんし、重い軽いもありますので別に完全な無政府主義の殺し合いが始まるというわけではありません。

万人がこれから脱していたら、前述の対立はゼロとは言いませんが大分緩やかではないでしょうか。ということです。
万人に当てはまってないならこの世界の対立、経済による生存競争、職場や家庭での口論は何を元にしているのでしょう。
自分の受け入れられない部分を投影して他者が邪悪だというイメージを持たないのならどうしてこういったことがおきるのでしょう。
423473:2012/04/10(火) 17:56:07.33 ID:OkodZa1l
≫万人に当てはまったら、世界に今のような秩序も平和もないだろう。
万人がそうであり、それがさも問題であると主張し続けること、これがお前の依存対象なわけだ。。
オレの人間を批判したにせよ、論を批判したにせよ、それがお前の依存なんだろ。。
何言っても自分のことじゃないか、アホらし。

だから私が投影してるとか依存してるとか言い切れるようなことは無いと思いますよ。
事実そうかもしれませんので注意はいたしますが、このロジックは飛びすぎでは。
言ったとしても、「その可能性もあるのでは。もちろん私がそうである可能性もあります」程度のものです。
私なら「両方そうですなあ」ですけど。
このノリでお互い決め付けあったら壮絶なレッテルの張り合いですね。
424ろん:2012/04/10(火) 18:06:35.42 ID:/Ihz6Wv8
どうでもいいわ、実にくだらん。。ww
425神も仏も名無しさん:2012/04/10(火) 18:19:30.40 ID:lbpIGFZp
おまえの説法が一番くだらん。。。
426神も仏も名無しさん:2012/04/10(火) 18:38:43.53 ID:BpqdKFUc
伝えようとする主体が既に、客観の破綻を物語る
植え付けるも自由、賛同するも自由
否定するも自由、中立も自由、ノーコメントも自由

何をやってもいい を体現し続けるのみ
427473:2012/04/10(火) 18:59:58.12 ID:OkodZa1l
あなたにとって発言者であるあなた自身の真意はくだらないものなのでしょうか。
関心はいつもそれとは別のことに向いているような。

私のことを気にしてくれる方は、私にとってはありがたいです。
428473:2012/04/10(火) 19:00:27.11 ID:OkodZa1l
まとめの自己申告タイムです。自分の投影と葛藤のメカニズムが見えてきました。
≫万人に当てはまったら、世界に今のような秩序も平和もないだろう。
新鮮な驚きがありました。
まさか基本的な宗教のロジックで一致する人がこんな認識を持っているとは。
ブッダの真理、感興のことばでの一般人の描写とかクリシュナムルティーとかグルジェフとかに親しんでいるとほぼありえないお言葉。

でも、今までの人生を思い起こせば、、、3種類の認識方法がありました。
@社会のやり方を完全に無自覚に受け入れ、さらに何かを正しいとし、そして何かを間違いとして思い上がりそれを絶えず他者に投げ続ける人々。
仏陀の言う愚か者。真理のことば、感興のことばでその思い上がりを何度となく描いている。真理についても各自の見解を持ち争う。
A無自覚にある程度受け入れてしまっているが、美意識があり、また@の人々の帰結を見ているので、誠実に思いやりを大切に生きようとする人々。
良家の子女?いわゆる良識のある人々。
B2の生き方がもつ内在的な矛盾に気づき、事のすべてに目覚めようと、すべての事の起こりをゆだねようと道に入る。
道に入った人にとっては、真理はひとつ。そして表現は無数にあり彼らは争わないと仏陀は言う。

そして社会のルールはかなりの部分を@の認識とルールが占めています。
私はそれを受け入れられませんでした。Aと概念化されたBに閉じこもってしまい、一切に目覚めて現実を受け入れるということができなかったのです。
また@を嫌いすぎたがためにそれは抑圧された形で私の内部にあります。
(それを指摘するには@に染まっておらず、@を嫌ってもいない目覚めた人でなければ不可能なので、
むしろ@に強く染まった人とのかかわりの中で自分自身で自分の中に見出す必要がありました)

さて、理想という名前の希望がもたらす帰結を見定めよう。理想と現実と目覚めの調和、その区分が存在しないという調和に還ろう。
429神も仏も名無しさん:2012/04/10(火) 19:40:07.09 ID:Jqaxzc4I
そうそうwww
ろんみたいな阿保の発言が一番下らんwww
430神も仏も名無しさん:2012/04/10(火) 20:07:39.20 ID:l3q3KL9H
長文を競い合ってるのかな
理解できてる人は少ない?
ろんは1行明けまで長さを競ってるしw
431オレって名無しかよ!?:2012/04/10(火) 20:09:28.79 ID:dl4LfkZp
長い文章は読むのが面倒くさい。
432オレって名無しかよ!?:2012/04/10(火) 21:36:44.72 ID:dl4LfkZp
今日は、もう終わりかな・・・・
433神も仏も名無しさん:2012/04/10(火) 21:51:12.41 ID:ksxaCLk/
文章長いと眠たくなってくる
糞まじめな大学の偉い長老せんせの講義思い出す
434安堂 ◆3LK.0gZrV2 :2012/04/11(水) 00:37:13.25 ID:UKloZ0OU
>>431

右に同じ・・・。
すし詰めで長文書かれると読む気がしない。

しかもそういう文章にかぎって、
学術書みたいな専門用語やら哲学用語やら満載なのだ。

私のばあいなんぞは
『愛』と書けば、だいたいそれで終わりです・・。
愛自体こそがすべてである・・・。

435オレって名無しかよ!?:2012/04/11(水) 00:42:47.17 ID:d/IsUH7I
>>434
「愛」はイイね。判りやすいところが特にイイね。
でも、このスレには愛が足りない気がする。何でだろ?
436安堂 ◆3LK.0gZrV2 :2012/04/11(水) 00:58:26.20 ID:UKloZ0OU
>>435
文字や言語というのは「愛」を隠してしまいがちからだ・・・。
437ろん:2012/04/11(水) 01:00:53.88 ID:w3dT4vFt
>>428
まず、悟り版の「目覚め」と言う言葉の使い方が違うように感じる。。

仏教で言う目覚めとは、夢から醒めることです。。

どういうことかと言うと、今まで自分が現実と思っていたものは実在ではなかった。。
現実や世間と言うものがあるように思い、自己や他人があるように思って苦しんでいたが、
それは、自我と言う装置によって、構成された幻であり、自我がその構成作用を止めるならば、瞬時に消滅する幻に過ぎないと。。

まー、誰でもまともに坐禅修行してれば、いつかはこういうふうに気づく、夢から目覚めることがある。。

だから、その目覚めが一瞬でも訪れれば、世間を受け入れるとか、理想とのギャッブに苦しむとか、そういう問題は基本的にはクリアするわけですよ。。

坐禅と言うのは、、そもそも何も見ない(半眼)だから、心も対象も自分もないでしょ。。
音が聞こえれば、音になっている、主客もない、無と言う観念もないけど、言葉で言えば、無とか無心とか、涅槃とかになる。。

で、その無心をベースにして、無心にすぐさま入れるようになれが、世間の人々がどうのなんて言うのは、本質的な問題じゃなくなるんですよ。。
自分がまず、世間を忘れること=自己を忘れること、が禅の課題であって、世間を受け入れるとか、世間の人は投影でものを見てるからどうのこうのなんてのは問題じゃないわけ。。
世間にそういう問題があるんじゃなくて、自分がそういう問題を抱えてるだけなわけ。。

あなたが言う「目覚め」は、たんに気づくとか、無意識を意識化すると言いかえるべきだろう。。

仏教で言う目覚めとは、解脱と言うか、世間から抜け出ることだよ、逆に・・だから、そんなのをいつまでも問題にしてる必要はない。。
438神も仏も名無しさん:2012/04/11(水) 01:04:09.75 ID:ngxOB5zp
>>437
そんな程度のことなら初期仏教哲学で勉強しましたし
なにをそんな長々と
439神も仏も名無しさん:2012/04/11(水) 01:06:16.89 ID:ngxOB5zp
座禅をしたところでそんな哲学学べません
足やヒザや腰が痛いだけです
440安堂 ◆3LK.0gZrV2 :2012/04/11(水) 01:09:47.83 ID:UKloZ0OU
473という人は・・・はじめはトリップつけてた気がするが・・・
別の人なのかなあ・・・。

oshoのところの人なのでしょうか密教っぽいですね・・・。
真言宗も密教ですが、密教は仏教とは言い難いですからね。

仏教はだいたいどの宗派も開祖は釈迦牟尼(釈尊)ということになっている??
とりあえず釈迦の教えの延長になっているのでしょうが・・。
真言宗などの密教は、開祖が「龍猛」となってるから、初めから毛並みが違うようだ・・・。
441ろん:2012/04/11(水) 01:13:53.62 ID:w3dT4vFt
諸行無常、諸法無我、涅槃寂静だ三法印。。

涅槃が根本よ、本質。。

無常と無我は半分(というのは、実際の法則に対応しているものだから・・これを知識とか夢とか言うバカは、現実をまともに見れていないのだろう。。)概念だけど、涅槃は自ら、実現しなければならない。。

チラッとでも見なければ、難しいのかもだけど、見ちゃえばあとは、自然とそうなっていく。。

牛を見たことないやつは、まずは見ないとな〜。。

世間なんて気にしてるヒマないよ。。
442オレって名無しかよ!?:2012/04/11(水) 01:14:01.27 ID:d/IsUH7I
>>440
473さんは前にグルジェフのスレで見たことがあるよ。
同じような書き込みしてたんで、すぐ分かったよ。
443《アラシを呼ぶ男》 ◆Arasi/MT2E :2012/04/11(水) 01:16:18.75 ID:MvtdZmnl
愛って、なんだっけ?(゜〜゜)ヾ_
444神も仏も名無しさん:2012/04/11(水) 01:19:13.11 ID:ngxOB5zp
げんゆうさんが
私は修行僧時代に厳しい座禅をしたが
見えてきたものは幻覚の光のような症状だけだと言ってました
涅槃などとてもじゃないが見えないと
445安堂 ◆3LK.0gZrV2 :2012/04/11(水) 01:22:05.74 ID:UKloZ0OU
>>443

どうせはじめから知らないくせに
ど忘れしたフリするんじゃない(T_T)
446ろん:2012/04/11(水) 01:22:17.80 ID:w3dT4vFt
いったんは、虚空に喰われないと・・いつまでたっても、自分を抱えて、世間を抱えて埒が開かん。。

しかも、人々に投影を気付かせれば、平和が訪れるのではないかとか・・要らん心配だ。。

まずは一個、自らが光明であれば、周囲を照らす。。

問題があって、解決法があって、なんて理論を持ってることじゃないよ。。

自らが解脱であり、涅槃であるということだ。。

それはすなわち、普通に生きてるただの人なんだけどね。。
447《アラシを呼ぶ男》 ◆Arasi/MT2E :2012/04/11(水) 01:27:57.91 ID:MvtdZmnl
>>445

> >>443
> どうせはじめから知らないくせに

そそ、だから おそえて・・(*・ω・)*_ _))ペコリン
448神も仏も名無しさん:2012/04/11(水) 01:31:04.15 ID:ZbQQ735u
今はわからなくても、なるほどとふにおちるときがある。
仏教はそーゆーもんだとおもふ。
449安堂 ◆3LK.0gZrV2 :2012/04/11(水) 01:49:54.13 ID:UKloZ0OU
>>447
僕がほろ酔い気分で橋の上から遠くを眺めていると
車のヘッドライトやらビルの明かりでキラキラしている。
ほっとしていると僕の腰を誰かが触れる。やっと来たか・・・。
二人で人混みのなかに消えた・・・。
450《アラシを呼ぶ男》 ◆Arasi/MT2E :2012/04/11(水) 01:53:48.43 ID:MvtdZmnl
>>449

愛とは、性欲の事?
451安堂 ◆3LK.0gZrV2 :2012/04/11(水) 02:03:22.66 ID:UKloZ0OU
>>450
そうですよ・・・。
452バカ女:2012/04/11(水) 02:04:46.34 ID:XFbOaRSv

380 名前:神も仏も名無しさん[] 投稿日:2012/04/10(火) 03:14:21.48 ID:mPN01GJ9
>「偏った頑固な思想の持ち主お断り」

平たく言えば、「キチガイお断り」ってことか?wwww

382 名前:安堂 ◆3LK.0gZrV2 [sage] 投稿日:2012/04/10(火) 03:24:13.51 ID:hUFUfRui
>>380
さあ、変なのに取り憑かれると迷惑だから
じゃないですかね・・・。
寝る


↑↑↑↑↑↑↑↑↑↑↑↑↑↑↑↑↑↑↑

なんなんだろうね、このキモさは。男2匹が同盟組んで、あー恥ずかしい。
453《アラシを呼ぶ男》 ◆Arasi/MT2E :2012/04/11(水) 02:06:10.42 ID:MvtdZmnl
>>451

性欲、食欲、睡眠欲、
このみっつの欲望が、愛なの?
454神も仏も名無しさん:2012/04/11(水) 02:08:50.90 ID:ZbQQ735u
諸君!愛とは、一人ではできんことだ!
455バカ女:2012/04/11(水) 02:10:54.52 ID:XFbOaRSv
>>381
>私も哲学板が長いからわかるよ、哲学徒の気持ちは・・・。別に哲学科でなくても。

ホントかなー、全然わからないように見えるけど、気のせい?
有名なコテ何人言える? 古い順から言ってみて。それで判断します。

>私も今よりももっと基地外で、しかも哲学基地外だったから。哲学は不得手でも。

哲学は真理の探求をすること。不得手なんてありません。

>初めは精神病だとを自分でも疑ったものだ・・・。

アンポンはうつ系、私は天才系。
天才系に言わせてもらえば、うつ系は自己中なの、脳細胞殺す前に自己中治せ!
遺伝子組み換えないと治らない天才系には、うつなんて幸せの絶頂に見えるよ。
うつ系の相談に乗ってると、不条理に思うもの。

>あるとき抜けますね・・・。
>人に押しつける型になる場合と、何らかの形で引っこ抜かれる型。

何らかの形で引っこ抜かれて悟りました? だからその自己中治せって。(笑)

>まあ、いい花婿が見つかるといいですね・・・。

子どもいらない人じゃないとね。その前にキチガイでもいい人じゃないとね。
ってか、そんなやついるかよ、なめたこと言ってると、禿頭にするからな!!!
456安堂 ◆3LK.0gZrV2 :2012/04/11(水) 02:11:17.78 ID:UKloZ0OU
>>453
食欲と睡眠欲は愛ではない。
457《アラシを呼ぶ男》 ◆Arasi/MT2E :2012/04/11(水) 02:15:18.65 ID:MvtdZmnl
>>456

性欲は、生存欲だよね。
458安堂 ◆3LK.0gZrV2 :2012/04/11(水) 02:18:03.57 ID:UKloZ0OU
>>455

コテはよう知らん。いまだに覚えてるのは、
「機械的唯物論」者、哲学者最高位、唯識、ケツ学者性行為、ぴかぁ〜、
THEグル、純一、承狂、ハンニバル、SYN、・・・このくらいしか知らん・・・。
459神も仏も名無しさん:2012/04/11(水) 02:19:25.09 ID:ZbQQ735u
愛ってなんぞ???
460神も仏も名無しさん:2012/04/11(水) 02:22:42.85 ID:JEKN0hCX
今日も、また、キチガイ女が一人で、「キ〜〜〜〜〜〜〜〜」 か?wwwwww

やれやれだねwwww
461安堂 ◆3LK.0gZrV2 :2012/04/11(水) 02:23:46.81 ID:UKloZ0OU
>>457
なんで途中から生理学の見解をゴリ押ししてるんだ?
性欲は性交欲ではない。

>>459
愛の力を信ぜよ!愛の力を信じる者だけが、愛によって救われる!


http://www.youtube.com/watch?NR=1&feature=endscreen&v=IGWOzZ2acGk
462バカ女:2012/04/11(水) 02:25:15.82 ID:XFbOaRSv
>>399
>特にどの覚者とか考えてませんでした

私のように分析して説明することはできなくても
みなさん似たようなことは言っているようですね。

どうしてみなさんは言語能力が不自由なのでしょうか?
はじめに言葉ありき、言葉は超越(存在)への最短距離です。

言葉をもたない動物その他は、はじめから悟っているとか、
そういうデタラメを言うのも、それがわかっていないからなんです。

私たち人間には、存在に於いて、ということが、
すべての存在者への絶対肯定であることを自覚することができます。
対して
言葉をもたない動物その他は、存在に於いて現象しているだけで
存在の奇跡に安住することしかできません。

この差異について、私たちには"考えることができる"ということが、
まさに私たち人間に与えられている人間としての使命だと思います。
463《アラシを呼ぶ男》 ◆Arasi/MT2E :2012/04/11(水) 02:26:10.10 ID:MvtdZmnl
>>461

>性欲は性交欲ではない。

性欲とは?
464バカ女:2012/04/11(水) 02:27:33.13 ID:XFbOaRSv
>>399
>「自分を忘じる」は気づき(哲学徒さんの言う純粋経験)で在ること
>「自分を覚えていること」は思考や感情に気づいていること
>を言っているのかもしれません

私の書き込み読んでくれたんですね、どうもありがとう。

私は、いつでも純粋経験の境地に至ることができますし、
また反対に純粋経験という地盤から意識だけを遊離させることもできます。

公案の氷解のようなバカバカしいやり方に囚われていたのではできません。
たとえば「本来無一物、何処にか塵挨有らん」という態度では不可能です。

これは、一方の真理だけを優越しているからダメなんです。
塵や埃のかけがえのなさは、私たちのそれと変わるものではありません。

本来無一物は、もし本当に理解されるなら、存在に於ける、です。
存在に於けるとは、無差別のことであり、愛そのものです。
塵挨は、現象であり、かけがえのない存在者です。

比類なき愛において塵埃はかけがえのない存在者として現象しています。
このように見られるのでなければ、世界の実相を真に理解しているとは言えません。

悟り子さんの/「自分を覚えていること」は思考や感情に気づいていること/も
そのような境地でなければ、単なる現象を分別したにすぎないことになります。
だからそうではなく、分別されるものとしての思考や感情は無効になっていて、
思考や感情そのものになる、思考や感情が存在しているという「そのこと」に
気づかれていることが「自分を覚えている」ことでなければならないと考えます。
465神も仏も名無しさん:2012/04/11(水) 02:28:12.83 ID:ZbQQ735u
好きと、愛は違うんだろ〜か?
466安堂 ◆3LK.0gZrV2 :2012/04/11(水) 02:41:00.64 ID:UKloZ0OU
>>463

ナルシシズムだよ。
467《アラシを呼ぶ男》 ◆Arasi/MT2E :2012/04/11(水) 02:44:51.45 ID:MvtdZmnl
>>466

性欲とは、自慰行為化・・テッシュ・・
468安堂 ◆3LK.0gZrV2 :2012/04/11(水) 02:50:07.85 ID:UKloZ0OU
>>467

シコシコポッたんの仲間入りしてもうた・・・。
469《アラシを呼ぶ男》 ◆Arasi/MT2E :2012/04/11(水) 02:55:46.23 ID:MvtdZmnl
>>468
> >>467
> シコシコポッたんの仲間入りしてもうた・・・。

ミ(ノ_ _)ノ=3 ドテッ!!

愛は性欲では無い。
イエスの言う愛とは、となりの人を大切にしなさい。
敵を大切にしなさい、と言うことだと思うけどね。
470バカ女:2012/04/11(水) 02:59:47.29 ID:XFbOaRSv
>>399
>忘じるが外的現象への気づき
>覚えているは内的現象への気づきと言っても良いかもしれません
>どちらも今在る現象への気づきと言っても良いかもしれません

同じことを言っているのでしょうが、私の意見を述べさせてもらえば、
「今=在る」と「現象」は別の原理なんです。(と形式上言わせてもらいます)
ですから、内的現象への気づきは、存在への気づきでなければなりません。
現象への囚われを脱し「存在忘却」に気づかれるのでなければなりません。

たとえば、荘子は、私がよく批判する「有無という区別の根拠ほうを奪う」のですが、
有無という区別が、はじめからまちがっているので、まちがったやり方なんですね。
ですから「故に知は、其の知らざる所に止まれば至れり」などとバカしか言えません。
厭悪してるんですよ、言葉を、知を。
だから思索不足による自分に都合のいい結論しかだせないわけです。>>54-56参照

これも最近よく言っていますが、否定を契機にしていたのではダメなんです。
宗教一般がそうですが、人為的なものを厭悪しています。これでは救われません。
すでにこれ以上ない存在の奇跡に住まいながら、それ以上を求めているからです。
はじめから救われていることに気づかれなければなりません。

さて、悟り子さんは「自分を覚えていること」は思考や感情に気づいていること、
とおっしゃいましたが、それは「今この瞬間に於いて、すべてを受け入れている」
ということでなければなりません。これには納得していただけるでしょうか?

今この瞬間に於いて、は、存在に於いて、と同じことなんです。
よく耳にする、今を生きろ!、というのは、存在に於いて、ということなんです。
同じように「思考や感情に気づいていること」も、存在に於いて、ということです。

対象化された思考や感情に気づくのではなく、思考や感情そのものになっている、
すなわち、思考や感情が存在しているという「そのこと」に気づかれていることが、
悟り子さんの「思考や感情に気づいていること」でなければならないと思います。
471神も仏も名無しさん:2012/04/11(水) 03:06:15.54 ID:ZbQQ735u
愛は、気付かせあいなんだろか
ケンカするほど仲がイイみたいな
472安堂 ◆3LK.0gZrV2 :2012/04/11(水) 03:10:51.17 ID:UKloZ0OU
看板が見える。1度高が五百メートル続く優勝!最近の同市50分そのドイツとなっています。
うれしさを記した。だが紹介、城から15位で並んだもっかっているのだ・・・。
第13弾力化、父からのスペシャル後工程に入団、月額会費制だ。最近こんなでした・・・。
明らかにした前日の海外市場に臨んだので、新CMで知られる自転車で走している・・・。
つまり募集した・・。知ってもらうためではない。上値は重い、ああそうですか。
防衛相、価格は未定。部屋に入っていない。金融庁はなかった。
ここになったどうしたらだろう、でも男がいる。さらに案の参院不同意。
73年に開いた買い一巡後始めて、これは二十九日に開催。対北朝鮮でも米国でも
ピクチャーズによって中国の即時に文字を入力とデジタルプロセッシングして
的確な回答が目立った。ぜひ食べても外に出回り、担当者に母校と2-2で
引き分けて運んでいる。ガスについて主脚の出し入れです・・・。
波に乗った・・・。部屋に戻った・・・。アトリエよりそう言った。
今回採決要請へー薬害大主将。氷の上から11位に後退していきたいと・・・。
強い危機感がある。
473バカ女:2012/04/11(水) 03:30:15.84 ID:XFbOaRSv
>>408
>我(我執)に囚われて無我(価値判断しない公正中立な視点)を忘れたことを表現しているのかもしれません
>つまり「我を忘れる」の「我」は無我なのかもしれませんね

無我=悟りには、大きく分けて、
内容をもたない意識されない意識(の形式)だけが超越している場合と、
内容をもたない意識されない意識(の形式)が存在に没している場合の
2つの境地があります。

区別の仕方は簡単で「他者の存在が気にならなくなる」かどうかです。
気にならなくなるのであれば前者で、そうでなければ後者です。
コモンセンスによって日常生活を送る状態の人間は、2つの境地の「あいだ」を生きている
と考えるとわかりやすいと思います。

>たんに後先考えずに暴走することを言っているのかもしれませんけどf^_^;
>その場合は「自分を覚えていなかった」
>ことが暴走の原因かもしれません
>「自分を覚えている」ことができれば、その自覚が暴走を抑止するのかもしれませんね

純粋に無我の境地であれば、行動力は欠如しているし、リアルな人間でもありませんから、
とりあえず、我を忘れる、無我夢中、という位相から考えさせてもらいます。

井戸に落ちそうになっている幼子を我を忘れて助けることもあるでしょう。
価値判断しないからこそ、命を奪うことも助けることも変わらないわけです。
「価値判断しない公正中立な視点」は何もしてくれません。

もし「自分を覚えている」ことが暴走を抑止するのであれば、
それは「価値判断しない公正中立な視点」のためではなく、
もうお話ししたように「自分を覚えている」ことが、存在(愛)に於いて、だからです。
存在忘却から目覚めると、存在(愛)を覚えているんですよ、だから殺せないんです。
474安堂 ◆3LK.0gZrV2 :2012/04/11(水) 03:40:30.87 ID:UKloZ0OU
>>469

生理学の次はキリスト教ですか・・・。
借り物競走をやめなさい・・・。アホか・・・。
475安堂 ◆3LK.0gZrV2 :2012/04/11(水) 03:43:02.49 ID:UKloZ0OU

三世の諸仏や梵天帝釈や神々まで
ポッたん大師は呆れさせるおつもりなのか・・・。
476神も仏も名無しさん:2012/04/11(水) 03:47:42.53 ID:ZbQQ735u
つまり、関係性のみが愛なんですかね〜
477《アラシを呼ぶ男》 ◆Arasi/MT2E :2012/04/11(水) 03:48:39.01 ID:MvtdZmnl
>>474-475

ヽ(~〜~ )ノ ハテ?

性欲は、愛なのか?
と言う、スタート だったのではないか。
では、
愛とは、なんだっけ?(゜〜゜)ヾ?
478麗しの乙女号:2012/04/11(水) 03:51:34.91 ID:XFbOaRSv
>>458
>コテはよう知らん。いまだに覚えてるのは、
>「機械的唯物論」者、哲学者最高位、唯識、ケツ学者性行為、ぴかぁ〜、
>THEグル、純一、承狂、ハンニバル、SYN、・・・このくらいしか知らん・・・。

私より古参は、ぴかぁ〜くらい。

「機械的唯物論」者は、確信犯、哲学者最高位は、まあまあ、唯識は、板違い、
ケツ学者性行為は、バカ、ぴかぁ〜、超バカ、THEグルは、グルじゃない、
純一は、キチ、承狂は、狂ってる、ハンニバルは、左翼、SYNは、つまんない
479安堂 ◆3LK.0gZrV2 :2012/04/11(水) 03:51:40.27 ID:UKloZ0OU
>>477
ナルシシズム・・・。わかったね。
自分を愛するとは性欲。愛は自分を愛すること。自分とは一切。
落着。
480麗しの乙女号:2012/04/11(水) 03:54:02.15 ID:XFbOaRSv
>>469
>イエスの言う愛とは、となりの人を大切にしなさい。
>敵を大切にしなさい、と言うことだと思うけどね。

その通りです。
481《アラシを呼ぶ男》 ◆Arasi/MT2E :2012/04/11(水) 03:56:33.64 ID:MvtdZmnl
>>479
> >>477
> ナルシシズム・・・。わかったね。 自分を愛するとは性欲。愛は自分を愛すること。自分とは一切。 落着。

その自己って、どこにあるの?
482《アラシを呼ぶ男》 ◆Arasi/MT2E :2012/04/11(水) 03:58:49.25 ID:MvtdZmnl
>>480
> >>469

> その通りです。

その通りは、表の通りか、裏どうりか?
483麗しの乙女号:2012/04/11(水) 04:01:01.20 ID:XFbOaRSv

アンポンは、いつ悟ったん?

>自分を愛するとは性欲。愛は自分を愛すること。自分とは一切。

自分、自分、自分・・・・・自己中治さないと、うつも治らないよ。

脳細胞死んだら元に戻らないんだよ、海馬の一部は再生するらしいけど。
484神も仏も名無しさん:2012/04/11(水) 04:12:06.38 ID:JEKN0hCX
このスレ、「自称覚者」と「キチガイ」の見本市か?wwwww
485麗しの乙女号:2012/04/11(水) 04:16:21.30 ID:XFbOaRSv
おまえはバカの見本か?

  恋愛と情熱は消え去ることがあっても、好意は永久に勝利を告げるだろう。

wwwwくんには、ゲーテの言葉を送るよ。

>>482
>その通りは、表の通りか、裏どうりか?

表通りと書かないで、表の通り
裏通りは、そう書かないで、裏どおり

意味ありげの無意味。
486神も仏も名無しさん:2012/04/11(水) 04:19:57.53 ID:ZbQQ735u
んじゃ、恋ってなんや?
487麗しの乙女号:2012/04/11(水) 04:22:35.53 ID:XFbOaRSv
消防かっつーの、恋すればわかるよ
488神も仏も名無しさん:2012/04/11(水) 04:22:54.50 ID:JEKN0hCX
>>485 どうして、コテ変えたんだ?  バカ女のほうがピッタリだったのにwww

しかし、このキチガイ女、
典型的な「自己愛性人格障害」だなwwww
489神も仏も名無しさん:2012/04/11(水) 04:26:16.19 ID:ZbQQ735u
照れてんのか?w

おいら〜、恋させる方だからさ〜
490バカ女:2012/04/11(水) 04:38:51.61 ID:XFbOaRSv

じゃあ、ご期待に応えて。

わかっていってんのか? 
なんとなく決めつけたいだけか?

自己愛(陰性)→ 境界性人格障害

例:卒業間近になって突然退学する なぜ?

身分、序列、地位、財産、階級、権威、権力、職業等によって証明されるのは、
社会の中に位置づけられた自分であって、本当の自分じゃない。
たとえば、良い成績を取ったり偏差値の高い大学を卒業したり、
公に認められた資格や技術を持つことによって、社会に受け入れられることで
親に喜ばれ愛されたとしても、それは本当の自分とはなんの関係もない・・・なんだかんだ。

自己愛(陽性)→ 自己愛性人格障害

彼(彼女)らの場合には、本当の自分とは何の関係もない
他人に優位する理想の自己像を維持する、たとえそれが自己欺瞞であっても
維持されていると思い込むか、今現在の現実によって否定されざるを得ない場合には、
未来においてそうなるだろう理想の自己像までも動員して評価を維持することで愛されようとする。
491神も仏も名無しさん:2012/04/11(水) 04:51:28.38 ID:ZbQQ735u
自分探し系と、セミナー系ね
自己催眠の様な感じなのだろうか?
492473:2012/04/11(水) 04:53:46.30 ID:arozbnNd
細部の違いが結構大きいですので訂正。
特に大きな問題が葛藤でした。
抑圧はしてはいますが私にとって@はそう大きな部分を占めてはいないでしょう。
そして抑圧=投影というわけでもありません。
抑圧していれば投影をしがちではあります。わずかにしているという意味では常時してしまっているでしょう。
が、他者に投影をしようとする欲望と戦うことによりそれに傾いてしまうことを防ぎ、他者を責めるのではなく、
抑圧しているという自分自身の事実に向き合うことが可能になったのだと思います。
投影に傾き、他者の非難をしてしまえば、抑圧に気づくことすらできなくなっていたでしょう。

また自分の理想に閉じこもって現実と戦っているという自分自身の悲喜劇にもまた新たな形で直面できました。
493473:2012/04/11(水) 05:00:41.88 ID:arozbnNd
特別な何かをするまでもなく、私の主観は刻々と現実と融合しようとしている。
刻々と私は死に向かっている。
私、主観、理想が現実と対峙することは苦しい
私、主観、理想が融けて消えてゆくことは苦しい
それは因果や欲望を背景とした普通の苦しみとは異なる存在そのものの大いなる苦しみ。魂の闇夜だ。

この苦しみから抜けられるよと心は誘惑する。
しかし、この空約束である誘惑に乗ってしまっても今までのパターンが帰って来るだけのこと。

何もしていないときに大いなることが起きている。
大いなる苦しみとは正に執着が死に絶えつつあるということ。
ただ苦しいだけではない。それは何かが起きている。
そこから逃げ出すことさえしなければ。希望に引っかからなければ。
494バカ女:2012/04/11(水) 05:02:44.06 ID:XFbOaRSv
>>491 >>490の続き 連投制限出るからこれで最後かも。

そのようにして手に入れた承認や築かれた人間関係を、
そもそも本当の自分は求めていないし、本当の自分が手に入れたものでもない。
それにもかかわらず、そのようなもの(自分とは関係ないもの)を
もし自分が必要と感じて手に入れようとするのであれば、
そのとき自分は、本当に大事なもの(たとえば愛される資格)を
自ら捨ててしまったことになる。
そのようなもの(偽り)をいくら手に入れて身にまとったとしても、
自分は相変わらず空っぽ(空虚な存在)でしかない。

境界例の人は親子関係であるとか偽善的な決まりごとであるとか、
そういう社会の序列や構造が極端に苦手(あるいは嫌い)です。
なぜなら、すでに親との愛情関係にも社会的評価の獲得にも失敗している彼(彼女)らにとって
それらはもう憎悪と嫉妬の対象でしかないからです。
彼(彼女)らは、身分も地位もない生身の関係を強烈に求めています。

例:良い人間関係が続いていても自らわざと壊してしまう なぜ?(気分としては上記と同じ)

そもそも生身の(本当の)自分との関係ではなく偽りの関係なのだから、いずれ壊れてしまう。
本当は自分が原因で壊れるのだと気づいているけど、それは認めたくないので
それが決して自分のせいではなく、生身の自分を見せた途端に逃げ出した相手のせいであると、
あらかじめそのように相手の裏切りを確信して責めることによって
自分が傷つくことから逃げている。

自己催眠というか、ずーっと昔なら戦争とか学生運動とかはけ口があった。
自己欺瞞でも、地位や財産や身分や序列や性差別やいろいろあったでしょ?
当時に当てはめるなら、対象者は理想もそれなりに本気で持っているタイプ。
いわゆるスタティックな社会構造を超えたところに理想を見るヒッピーみたいな。
そういう自由、平等、博愛みたいな人間関係を求めているというか、そういう感じ。
495473:2012/04/11(水) 05:04:21.77 ID:arozbnNd
>>437
のように自分に言い聞かすことは誰にでもできますが、現実に際してその言葉のまま
物事を認識することもその言葉のまま生きることもできない。
それはあまりに見え透いているのだけど知らぬは本人ばかりなり。

「ありふれた人間は、けっして真の苦しみと悲しみを感じない。彼らは、機械的な、決まりきった人生を生きるからだ」
彼らは苦しまないわけではないが、彼らは苦しみに慣れている。また、彼らの苦しみは抑圧されている。彼らは意識の表層でだけ生きており、その下には巨大な地獄が隠されている。
たまにこの地獄が表面化するときもあるが、概して、ありふれた人間は、自分のなかにどれだけの苦しみと惨めさがあるかを知ることなく、人生を終える。
トンネルに入らなければ、それを抜けることはできない。それを迂回する道はない。

ワークとは、無意識を掘り下げること、可能なかぎり深く、その根底にまで達しようとすることだ。自らの生命の生きた源泉に到達するまでの旅路では、大いに苦しまなければならないだろう。

世界には、無数のイカサマ教師がいる。彼らは、闇を迂回する方法、苦しみと悲しみを通り抜けることなく、ただ単純に悟りを開く方法について教えるのを仕事にしている。
苦しみと悲しみのなかに入っていき、その先へと抜ける、というのが正しい道だ。すでにこの道を抜けていった者がいることを知ったうえで、苦しみと悲しみをかき分けて進んでいく。
そのために、師が身近にいることは、絶対に必要なわけではない。あなたにハートがあり、信頼があったなら、二十五世紀前の仏陀さえ、その役を果たせる。それはあなたの信頼次第だ。
http://www.geocities.jp/oshotara/osho_remorse.htm
496473:2012/04/11(水) 05:05:32.25 ID:arozbnNd
>>440
もちろん同じ人です。紛らわしい偽者でもいましたらトリップを再開しますが、あまりその心配もなさそうなので。

あまりカテゴライズする必要もないかと思います。
互いにカテゴライズしなければ、互いにとってそのとき必要とされる方便がその対話から生み出されるのではないでしょうか。
それは古いものかもしれませんし、新しいものかもしれません。
ただ言えるのは、そのとき、その人に役に立つ何かです。

私が知っているのは瞑想と、それにまつわる多くのシステムです。
そのシステムに特にえり好みはありません。同じ事がさまざまな表現手段で表現されています。
全ては相手がどのシステムの言葉に親しんでいるかです。
献身の道と瞑想の道の違いは知っていますが後者を歩んでいないので案内できても実地はわかりません。

大切なのは自己知であって、どの方便を使っているかではないと思うのです。
497473:2012/04/11(水) 05:06:31.86 ID:arozbnNd
それに、宗教は受け取り手しだいです。

苦痛回避と現状肯定のために宗教のロジックを利用しようとする意図があるのでしたら、
どの宗教に触れても、それに利用できる部分をそのように解釈して利用します。

oshoも俗世と宗教の融合というビジョンを掲げた関係もあって、437のように
現状肯定、自己の苦しみと出会うことの拒否のために使われていることが非常に多いです。
今思えばその表現方法が実によく似ている。

真っ当な宗教は重さと軽さの両方を含んでいるようです。
存在の苦しみへの自覚と言う重さ、それがないという真理のきらめきからくる軽さのバランス。
その全体の文脈を受け取ってこそ実際にそれは機能し始めます。

詐欺的といわれるものは一歩的に軽いか、また一方的に重いものです。(後者は厳しい修行のものからカトリックまで)
極端なものは人の欲望にとって心地よく、バランスは人の欲望にとって死を意味しますから。

人はいろいろな言葉をしゃべりますが、その中身のバリエーションはそんなに多くないかもしれません。
498473:2012/04/11(水) 05:08:14.73 ID:arozbnNd
>>428で提示した@の型のマインド。
そのタイプの人にありがちな内省のなさや言動のスタイルをとっているだけあって、
437に書かれていることの中身を見てみると、非常に世間的な人間の人生哲学と
語っていることの中身が非常に似ている。

@の世間的なマインドの人に、世間とどう関わればいいかと問うたら、その人=世間であり
正にそれに取り込まれて深い夢見の中にあるがゆえに、それと同一であるがゆえに対象として認識することなく
「そんなものはない」「ありもしないことを気にするなよ」
という答えが返ってくるでしょう。それを仏教用語と仏教観念で色付けしたのが437のレスではないでしょうか。
「世間的マインドの型」の外にいる人にしか世間とどうするかといった問題は存在しない。

しかし、私にとっての問題はその個人との関わりではなく、社会全体との対立です。
そして個人は何とかできるかもしれなくても、社会に対しては確実な負け戦です。
社会そのものに絶望していればいいところ、一人の人間をどうこうする希望に気をそがれるのは間抜けですね。

≫性欲はナルシズム
そうじゃないでしょうか。
女性的性欲=偉大なものとの一体化による安息
男性的性欲=賞賛され頼られることによる全能感
人はこの2つの欲望を行ったり来たりします。
仕事で前者を満たしていれば性欲は後者、仕事で後者を満たしていれば性欲は前者が担当するようです。
愛は、この2つの欲望の循環ではないものです。
499神も仏も名無しさん:2012/04/11(水) 05:10:54.83 ID:JEKN0hCX
@裏付けとなるものがなにもないのに、一目置かれる存在であることに非常にこだわる。
 あくまでも自分は優れた存在なのだという観念に固執する。 

A自分という人間は特別な人しか理解することができないのだと思ったりする。

B批判に対して過剰に反応する。
 他人から批判されたりすると、すぐにカッとなって怒る。

C高慢で横柄な態度。

ちょっと見ただけでも、これくらいはすぐに当てはまるのがわかるなwww
「自己愛性人格障害」の特徴wwwww
500神も仏も名無しさん:2012/04/11(水) 05:18:20.63 ID:ZbQQ735u
>>494
その様なことは、誰もが持ちうる問題なんじゃないでしょうかね
501神も仏も名無しさん:2012/04/11(水) 05:30:35.85 ID:ZbQQ735u
しかしまあ 空虚をまとえば よかろうが
502バカ女:2012/04/11(水) 05:32:36.55 ID:XFbOaRSv
>>499

まだルサンチマン経由かよ。男らくさっぱりしてよ。シツコイ!

>裏付けとなるものがなにもないのに、一目置かれる存在であることに非常にこだわる。
ぜんぜんない。結果として目立つのは子どもの時からです。

>あくまでも自分は優れた存在なのだという観念に固執する。 
裏づけって何? 良い子であること? 性格がいいこと?

>自分という人間は特別な人しか理解することができないのだと思ったりする。
理解する人は理解するし、理解しない人は理解しない。仕方ないでしょう?

>批判に対して過剰に反応する。
>他人から批判されたりすると、すぐにカッとなって怒る。
怒ってないよ。怒ってたとしても、何十分しかもたない。

>高慢で横柄な態度。
まあね。これも子どもの頃からそう。目上には嫌われる。後輩には慕われる。
2chは年齢層が高い、オジサンばっかだもん。嫌われて当然。

>ちょっと見ただけでも、これくらいはすぐに当てはまるのがわかるなwww
>「自己愛性人格障害」の特徴wwwww
自己愛性人格障害の解説は、私が何人も相手にしてるからその印象です。
会ったらわかるよ、私とは質が違うから。

今日はこれでバイバイ。
503バカ女:2012/04/11(水) 05:39:36.56 ID:XFbOaRSv
>>500
>その様なことは、誰もが持ちうる問題なんじゃないでしょうかね

持ちうるけど、私はもったことがないです。嫌いな考え方なので。

では、ほんとうに抜けます。
504ろん:2012/04/11(水) 05:40:50.14 ID:w3dT4vFt
>>494
だから、結局一人で、比較的安定して生活を楽しめるくらいじゃないと、まともじゃないのかもね。。

一個になる、真個になる・・・諸縁を放捨し、万事を休息せよ(道元)
505神も仏も名無しさん:2012/04/11(水) 05:41:03.26 ID:ngxOB5zp
男らしく…
これブディストの表現としてどうなの?
らしいとか世間常識の規格でしょ
506ろん:2012/04/11(水) 05:41:41.55 ID:w3dT4vFt
2ちゃんねるを休息して、真人間になるか。。www
507ろん:2012/04/11(水) 05:42:18.39 ID:w3dT4vFt
・・・わたしゃもう473の相手するのはやめるよ。。
カルト狂のやつに何言っても無駄だろうから。。

否定されようが、肯定されようが、僕自身には関係がない。。

否定する方、肯定する方の問題、認識でしかないわけだからね。。。
508神も仏も名無しさん:2012/04/11(水) 05:51:03.68 ID:ZbQQ735u
>>503
そのわたしというのが、その思想を持つんですかね〜
それとも、その思想がわたしなんですかね〜

おやすみなさ〜い
509オレって名無しかよ!?:2012/04/11(水) 07:53:07.68 ID:d/IsUH7I
おはようございます。
みんな、今日は仕事じゃないの?
遅くまで大変だね!!
510悟り子 ◆AAyxyMDKw6 :2012/04/11(水) 09:22:08.04 ID:ccJwrD55
>>470
>さて、悟り子さんは「自分を覚えていること」は思考や感情に気づいていること、
とおっしゃいましたが、それは「今この瞬間に於いて、すべてを受け入れている」
ということでなければなりません。これには納得していただけるでしょうか?

はい
511神も仏も名無しさん:2012/04/11(水) 09:30:24.07 ID:JEKN0hCX
>>502   >まだルサンチマン経由かよ。

そうやって、常に自己を上位に設定して、必死に自我の崩壊を防ごうとする
ところも、「自己愛性障害」の一特徴www

>>裏付けとなるものがなにもないのに、一目置かれる存在であることに非常にこだわる。
>ぜんぜんない。結果として目立つのは子どもの時からです。

wwwwwww そうかあ〜? 他者から見れば、バレバレに見えると思うが?w
自己を「天才」と規定したり、随所で他者を低く見る言動を繰り返したり、
少なくとも俺には、 お前が、

「見てみて、私ってこんなに頭がいいんだよ。天才なんだよ。」

って必死にアピールしてるように見えるがwwww
(多分、俺だけではないと思うがww)

>>批判に対して過剰に反応する。
>>他人から批判されたりすると、すぐにカッとなって怒る。
>怒ってないよ。怒ってたとしても、何十分しかもたない。

怒ってるだろwwwwwww   ウソつくなwwwww
パソの前で、「キ〜〜〜〜〜〜〜」となってるのが目に浮かぶようなんだがwwww





512悟り子 ◆AAyxyMDKw6 :2012/04/11(水) 09:38:49.63 ID:ccJwrD55
>>471
>愛は、気付かせあいなんだろか
ケンカするほど仲がイイみたいな

究極的には全てが愛かもしれませんね・

ただ悟り子の私見では全面的な受容から起こる在り方が人の到達しうる最も純粋な愛だと感じます

あくまでも御参考までに
513オレって名無しかよ!?:2012/04/11(水) 10:45:40.27 ID:d/IsUH7I
>>511
>怒ってるだろwwwwwww   ウソつくなwwwww
>パソの前で、「キ〜〜〜〜〜〜〜」となってるのが目に浮かぶようなんだがwwww

「キ〜〜〜〜〜〜〜」となって書き込むのが好きなんだと思うよ。
その証拠に、ここ数日毎日来てるし・・・・・
514オレって名無しかよ!?:2012/04/11(水) 11:03:32.34 ID:d/IsUH7I
>>507
このスレにいる人って自分の書き込みたいこと(自分の中の迷いや混乱など)を
書き込んでるだけで、他人からの意見やアドバイスは必要としてないんじゃないの?
515神も仏も名無しさん:2012/04/11(水) 12:18:48.51 ID:DuGJ5DZb
今のバカ女はちょっと前の傲慢野郎と同じだなwww
で、傲慢野郎も本性隠してるわけだwww
どいつもこいつも同じだな〜www
おまえらほんとお似合いだよw
また前みたいにイチャイチャしろよ〜www
516オレって名無しかよ!?:2012/04/11(水) 13:19:38.97 ID:d/IsUH7I
>>515
確かに先月までは傲慢だったね。
以前の書き込み見ると恥ずかしくなるね。

バカ女さんには振られてしまったので以前のようにはなりませんね。
517神も仏も名無しさん:2012/04/11(水) 15:05:25.28 ID:ZbQQ735u
恥ずかしい 自分の書き込み 自我のもと
518神も仏も名無しさん:2012/04/11(水) 15:10:00.32 ID:ZbQQ735u
ここは、長文書く人多いけど、自分の書き込み読み直してるのかな?
自我丸出しだから、恥ずかしいか?w
519神も仏も名無しさん:2012/04/11(水) 15:14:02.51 ID:ZbQQ735u
自我丸出しの自称覚者さん達かw
520オレって名無しかよ!?:2012/04/11(水) 15:16:01.89 ID:d/IsUH7I
>>518
自我まるだしは、いつもの事だから別に恥ずかしくないけど
表現の稚拙さが今見てみると恥ずかしいね。
521《アラシを呼ぶ男》 ◆Arasi/MT2E :2012/04/11(水) 15:34:04.26 ID:RnGWLiEY
>>485 おとめよ

その通りは、表の通りか、裏どうりか?

表通りと書かないで、表の通り 裏通りは、そう書かないで、裏どおり 意味ありげの無意味。

ここも、さとりを言うスレだろうから、さとりを言ってるよ。
522神も仏も名無しさん:2012/04/11(水) 15:36:30.62 ID:V6GSekjA
相変わらずだな、本当に君達は。
はっきり言ってあげよう。この中で一番境涯がまともなのは実はバカちゃんだ。
御託が余りにも多いが、それは彼女の個性が炸裂しているだけで、何もかも見えている。

個性や自我を悪者に、敵役にしないと悟りだなんだを語れない奴はただのヲタクだ。
一生そのままだろうな。説明が上手くなりたいだけで、実践したいわけじゃない。
そんなに自分なんてものを捨てたいなら、さっさと死ねばいいだろう。

君達一人一人に用意された悟りは別のものなのに、いつまでも誰かの真似、
誰かが敷いた形に自分を合わせようとしている。そこに上手く一致できたら、
ようやく悟ったと言えると思い込んでいる。

もう本当にいいかげんにしようぜ。宗教板の中じゃ、まだまともな賢い連中が
集まっている場だとは思うよ。まだセンスある方だろう。でも、いつまでも
同じとこで引っかかりすぎだ。

大事なことなので、もう一度言うぞ。
君達一人一人に用意された悟りは別のものだ。だから、すり合わせなんて無理だ。
すれ違って当然。分かってて、やってるならいいけど、そうじゃないだろ。

自分の悟りは自分で作れ。その為には一回、すべてぶっ壊す必要がある。
そのぶっ壊すまでの話が何とか共有できるのであって、そっから先はそれぞれの世界だ。
だが、君達のほとんどは実はぶっ壊すことすらできない。ぶっ壊した人の話で空想してるだけだ。
そして、そこでゴールだと思ってる。いいかげんにしようぜ。そっからまた作り直すんだよ。
だから、個性や自我を捨てれば済むと思ってる内は、一生何も見えてこない。

最後にもう一度言っておこう。君達一人一人に用意された悟りは別のものだ。
ここを抜かすと、すべてがただの言葉遊びで終わる。
523オレって名無しかよ!?:2012/04/11(水) 15:38:41.39 ID:d/IsUH7I
>>518
良く考えると恥ずかしい理由が違うな・・・・
「悟り」について語ることや、「悟り」を伝えようとした事が恥ずかしいね。
524神も仏も名無しさん:2012/04/11(水) 16:10:00.04 ID:POuziq6h
この間京都に行ったら 坊主がポルシェを運転していました キリスト教会等は 恵まれない方に食事を与えられたりしています
正直言って坊主は汚いと思うのですがどうでしょうか?
525神も仏も名無しさん:2012/04/11(水) 16:36:49.71 ID:ZbQQ735u
>>523
恥ずかしい理由じゃなくて、恥ずかしいのはだれ?
理由と自分は別にあるのか?
という言葉遊び…
526神も仏も名無しさん:2012/04/11(水) 16:39:41.82 ID:ZbQQ735u
>>524
自分の都合を人にそれとなく押し付けるのも汚いyo!
527オレって名無しかよ!?:2012/04/11(水) 16:45:55.68 ID:d/IsUH7I
>>525
恥ずかしがってるのは、間違いなく自分だね。

>理由と自分は別にあるのか?

さあ、何となく思ったこと書いただけだから
ホントは理由なんて無いのかも・・・・・
528神も仏も名無しさん:2012/04/11(水) 16:57:08.53 ID:ZbQQ735u
>>527
その理由を観逃すからまた繰り返す
529オレって名無しかよ!?:2012/04/11(水) 17:09:07.76 ID:d/IsUH7I
>>528
もう悟りはいらないから、観逃すのもアリでしょ。
530神も仏も名無しさん:2012/04/11(水) 17:19:20.73 ID:ZbQQ735u
>>529
ということは、逃げ続けるんだな〜
根性あるね〜
531神も仏も名無しさん:2012/04/11(水) 17:20:42.05 ID:T1s3jNlA


壮大なる自作自演スレwwwwwwwwww
532オレって名無しかよ!?:2012/04/11(水) 17:22:26.06 ID:d/IsUH7I
>>530
>逃げ続けるんだな〜

自分の中のゴールまで辿り着いたから、もうこれ以上はイイよ。
これからは、普通の人として書き込むよ。
533神も仏も名無しさん:2012/04/11(水) 17:26:36.75 ID:ZbQQ735u
>>532
自分でゴールって決めれるんだ〜
へえー(棒)
534オレって名無しかよ!?:2012/04/11(水) 17:50:45.31 ID:d/IsUH7I
>>533
自分の中で、落ち着くところに落ち着いたら
そこがゴールでしょ。
535神も仏も名無しさん:2012/04/11(水) 17:57:36.90 ID:ZbQQ735u
自分で作った縁を観ることもできず、観ないことがまた因となり、縁となり、果となる。
それで一体何を解決したとおっしゃるのだ?

自分で想像した落ち着くところなぞ、ただの幻。
すぐに消え去る。
本当に落ち着くのは「今」しかあらへん〜
536オレって名無しかよ!?:2012/04/11(水) 18:31:09.37 ID:d/IsUH7I
>>535
もともと縁が生じることも無ければ、縁が果てることもないんだし
解決することもなければ解決すべきこともないんだから
気ままにしてればイイと思うよ。

>本当に落ち着くのは「今」しかあらへん〜
ちゃんと「今」って掴めてる?
「今」と思って「過去」を掴んでない?
537神も仏も名無しさん:2012/04/11(水) 18:41:32.16 ID:ZbQQ735u
>>536
縁が生じないとか、何を言っちゃってんの?w
あんたは、お父さんとお母さんの縁が生じたから、ここにいるんだろw
悟り以前の問題だわ。
538オレって名無しかよ!?:2012/04/11(水) 18:46:27.85 ID:d/IsUH7I
>>537
縁は在ると思えばあるし、無いと思えばない。
しょせん観念の世界の話だよ。

まあ、悟ってない俺に聞く話じゃないな。
539神も仏も名無しさん:2012/04/11(水) 19:09:52.28 ID:ZbQQ735u
>>538
あんた、悟ってないわりに、縁がないとか割と断定してるね。
観念とか、自分の書いた駄文を読み返せる様になってから、言ってくれるか。
540オレって名無しかよ!?:2012/04/11(水) 19:13:35.97 ID:d/IsUH7I
>>539
俺の観念の世界の話だから、割りと断言できてしまうね。
でも、これはあくまで俺の世界の話だから
他の人の役に立たないと思うよ。
541ろん:2012/04/11(水) 19:19:19.16 ID:w3dT4vFt
>>535
そ・・ここでバカなこと書くことが縁をつくることだもんな。。

カルト脳の妄想世界の住人とはえんがちょ・・縁を切って、きれいサッパリさ。。
542ろん:2012/04/11(水) 19:21:23.94 ID:w3dT4vFt
悟りを目指すなら、2ちゃんねるなんてやらない方がいいかもだな。。

悟った人がたまに書くなら、それを見るのもいい、質問するのもいいかもだが、悟ってないやつが、いっぱし気取ってなんだかんだ、長広舌を垂れるのは、百害あって一利なしだ。。

悟っている人なんて一人か二人くらいしかいないだろう、ここでは。。
543神も仏も名無しさん:2012/04/11(水) 19:23:10.80 ID:ZbQQ735u
>>540
だから〜、観念がどうとかまで、達してないって言ってんのw
基本が抜けすぎて、言ってることカオスなんだよ。
この世の法則もあんたの観念が作ってんのか?
まずは、観念ってのが何か考えたほーがいいぞ。
544神も仏も名無しさん:2012/04/11(水) 19:47:24.38 ID:ZbQQ735u
まあ、ある程度まで開いてしまわんとどんだけ言葉でやっても無駄だろ〜な
545オレって名無しかよ!?:2012/04/11(水) 19:54:07.05 ID:d/IsUH7I
>>543
この世の法則って何?
546オレって名無しかよ!?:2012/04/11(水) 19:54:53.81 ID:d/IsUH7I
>>543
基本って何?
547神も仏も名無しさん:2012/04/11(水) 19:58:46.01 ID:n1dDam9O
自己をはこびて万法を修証するを迷いとす、万法すすみて自己を修証するはさとりなり。
548オレって名無しかよ!?:2012/04/11(水) 19:59:10.47 ID:d/IsUH7I
>>543
観念って何?
549神も仏も名無しさん:2012/04/11(水) 20:04:58.44 ID:pEObcaCp
迷えるクレクレ
550神も仏も名無しさん:2012/04/11(水) 20:07:23.38 ID:ZbQQ735u
それらは自分で導き出さなきゃならん。
しかし、その道しるべとして、道元さんの言葉などがある。
551オレって名無しかよ!?:2012/04/11(水) 20:07:49.23 ID:d/IsUH7I
>>549
悟ってない人が学のある人にいろいろ聞くのは普通の事だよ。
だって、いろいろ知りたいもんね。
552神も仏も名無しさん:2012/04/11(水) 20:20:31.44 ID:DuGJ5DZb
ID:ZbQQ735u←阿保の観自在www
553473:2012/04/11(水) 20:51:34.43 ID:40baO6lU
バカ女さんは自分の道を進んでいていい感じじゃないでしょうか。

投影や思い上がりや他者への攻撃で自分から離れようとするのではなく、単に知性によって探索しているように思います。
ソクラテスやニーチェを彷彿とさせますね。
そりゃ人並みの怒りも、思い上がりもありますが、それを認めています。その認めていることが非凡です。
理論によってそれを他人に投影してどんどん自己逃避を悪化させているというわけではありません。
受け入れるという言葉は実際には受け入れているわけではなく抑圧に過ぎませんが、この言葉は
投影による他者攻撃と自己逃避という最悪の事態を生まないのです。知性をよい方向に使っています。

知性というのは基本的に自分個人の経験、主観という土台から夢を作る機能です。
純粋経験といいましても、自分の普段の主観が土台にあって、そうでない経験というものを知性によって作って
それを純粋経験と呼ぶのでは主観の2乗です。
また、論破を心待ちにしているという態度は真正なものであり、誠実さが伺われます。
しかしそれはもっと頼りにできる論理が欲しいというだけであり、論理を行使するのはいつも彼女なので
土台が同じなら結果も同じです。
そういったことは論理を極限まで突き詰めてゆけば彼女自身の理解という形で現れるでしょう。
554473:2012/04/11(水) 20:52:04.41 ID:40baO6lU
論理の否定を彼女は否定しますが、別に荘子は論理を否定したかったわけではないと思います。
対象を否定するのではない、原初の無。これを荘子さんが正に生きていた場合、それを人に伝えようとした場合、 言葉の否定という形で言葉を使わざるを得ないのです。
それゆえに、かれらは何かをしゃべりそのあとでその言葉を否定する。
この場合「言葉でなくかつ言葉でなくもないもの」とかですね。
すなわち、言葉の肯定と言葉の否定を両方行いゼロに返すわけです。マイナスではなくプラスとマイナスでゼロ。
でも、この作業をまねしたからといって依然≪私≫が行う思考活動の領域であり、彼らが見出したものを見出すわけではありません。
555473:2012/04/11(水) 20:53:10.99 ID:40baO6lU
マハヴィーラの7重の論理を思い出します。
>>428で3種類の人間を提示しましたが
@の人は肯定と否定で単純に生きています。
Aの人は肯定の否定、否定の肯定、否定の否定、肯定の肯定など若干の内省的な思考スタイルと、
客観性に近づこうとする努力をします。

しかし、非常に聡明な人間はそれにあきたらず、肯定の否定の肯定や肯定の否定の否定や、、、以下略。
真実、客観を捉えようと限界までの思索に入り、そしてそれゆえに非常に混乱します。

しかし、いくら何重もの肯定と否定で磨き上げようと、
私という主観から出発した思索はどこまで行っても客観のような、真実のようなものでしかなくそれそのものではありえず、
また追求するほどに混乱し、思考にエネルギーが取られることになります。
非常に聡明な、混乱の極地まで行った人こそ、私は何も知らないという透徹した認識を持つことになり、
一切の希望を失い、知る者を知ろうとする強固な決意を抱くにいたります。
556神も仏も名無しさん:2012/04/11(水) 20:59:26.68 ID:40baO6lU
ブッダ曰く
あなたたちはあらゆるところで非難されるだろう。世の人々の多くは非常に性質が悪いから。

ブッダは誰のことも非難しませんでした。ただ彼は彼の道を歩み、彼が確認した事実を語りました。

翻って世間は基本的に服従を要求します。
世間に従わないだけで、世間そして私たちの中にある世間の記憶は私たちを非難します。
祖師はいつも自らの道を歩みました。かつて偉大であった方便でも、それが服従を要求する規範になって
しまっていた場合それに従わなかったのです。
例え世間を非難しなくても、世間は私たちを見つけて不服従を非難します。

自由な人は自らの道を歩みそれが不服従であるが故の非難を受けるということを受け入れています。
そして、必要に応じて抵抗なく世間のやり方にも従います。
その自由が私にはない。
ブッダは、人をののしらないのを始まりとして、非難を耐え忍べと最上の忍耐について説きます。
557ろん:2012/04/11(水) 21:01:47.02 ID:w3dT4vFt
教えだろうが、理論だろうが、思考だろうが、すべては脳内妄想。。

脳内妄想に支配される=無駄な長文を書き散らすw
558オレって名無しかよ!?:2012/04/11(水) 21:05:17.94 ID:d/IsUH7I
>>557
縁を切ったんじゃなかったの?
559神も仏も名無しさん:2012/04/11(水) 21:07:58.56 ID:FGDJ+z3z
>>542
>悟っている人なんて一人か二人くらいしかいないだろう、ここでは。
そんなにいるのか?
560神も仏も名無しさん:2012/04/11(水) 22:33:50.05 ID:DuGJ5DZb
そうそうwww
ろんの戯言も全て思い込みwww
561神も仏も名無しさん:2012/04/11(水) 22:56:08.41 ID:ngxOB5zp
大乗の経典どうり
末法では悟る人はいないというが
本当だな
悟りなんてほんとにあるのかどうか疑わしいくらいだ
562神も仏も名無しさん:2012/04/11(水) 23:07:10.17 ID:ZbQQ735u
まあ、言語なんて一切思い込み。
なんの意味もない記号みたいなもんでもある。
追求するなら、とことんまでやめん事だと思うな〜

全ては思い込みなんてやっても、実際は、
これは思い込みじゃないとかやってる。
それでは平等性智は生まれん。

言葉は言葉として一切思い込み、即ち平等だから、平等性智が生まれる
平等が生まれるから、違いが大事になる(^o^)
563神も仏も名無しさん:2012/04/11(水) 23:11:31.76 ID:DuGJ5DZb
悟り?
んなもんねぇよwww
悟ったなんて思いん込んでる奴はこんなとこに書き込んでないで糞して寝ろwww
564安堂 ◆3LK.0gZrV2 :2012/04/12(木) 02:09:58.06 ID:ong3XLcD
自己愛性人格障害というのは境界例の一種じゃないか。違ったっけ・・。
私のいうナルシシズムは誰でもある。

誰だってナルシシズムなわけだ。
どんな悪いこともどんな良いことをしてもナルシシズム・・・。

つまり我々はナルシシズム的行為しかしない。
また、それ以外の行為を避けようとするように出来ている・・・。
自分だけのナルシシズムは裸の王様。他人を介在させると、「情けは人のためならず(自分のためとなる)」になる・・・。
565test:2012/04/12(木) 02:16:55.63 ID:S6ZLqEzL
test
566安堂 ◆3LK.0gZrV2 :2012/04/12(木) 02:21:14.45 ID:ong3XLcD
>>481

>その自己って、どこにあるの?

自己なぞないのでしょう・・・。自己があるという妄想に穢されていなければ、
五感から入る情報が遮断されることはないと・・・。

禅僧某の言葉で「このものは不思議な自我なき存在者なのです。」というのを見た記憶がある。
567安堂 ◆3LK.0gZrV2 :2012/04/12(木) 02:31:36.61 ID:ong3XLcD

僕のようなダメな修行者は、体験を重視しすぎるからいけない・・・。
ここは悟りスレだから、坐禅や瞑想をする人が大半だろう・・。

そうすると、いろいろな体験をして、それに囚われる・・・。
どんな体験だろうが、「これぞ悟りだ!」などと勘違いする素人は此処にはいないだろう・・。

体験というのはいろいろな体験があって、その度に「修行してきて良かった」などと思うものだ。
だが、そういう体験も長続きはしない。短くて数日か、長くて数年でした僕の場合・・。
そして。それらの過去の体験が、現在の修行を阻害する可能性が多々あると思われる。
568ろん:2012/04/12(木) 02:34:17.01 ID:ML+aEisQ
>>564
たとえば、誰にでも可愛くにっこりと笑いかける魅力的な女性ってさ、自他をを分けない原初的な自己愛のうちにあるわけでさ、これがまあエロティシズムにつながっていたりもする。。

この原初的な自己愛と、分裂を生み出す、ナルシシズムは違うんだよね。。

ナルシシズムは、自他を分けた上でさらに自己を投影する。。よって分裂する。。

けれど原初的な自己愛は分裂しない、自他に愛を放捨する。。そして分別しない。。
569ろん:2012/04/12(木) 02:36:41.19 ID:ML+aEisQ
>>562
うん、分別しないから平等と言うのと、無我だから平等と言うのと、どっちもあるかもだね。。

後者は、抽象思考によって理解される場合もある。。
570ろん:2012/04/12(木) 02:46:10.12 ID:ML+aEisQ
結局頭の中で、世界や人を理解しようとしても、出てくる答えは観念にしかならんのよ。。
あるいはよく言って模造、わるく言えば妄想。。

だから、無心になりなさいと言われる。。

無心になって、くつろいでいると、妄想世界じゃなくて、どっちかと言うと感覚世界に生きるわけだな。。

感覚世界=物の世界、存在の世界。。

これが正覚と言うものだろう・・物がはっきりとよく見えるし、音も聞こえる、香りにも敏感になる。。
存在の世界にどっしりと落ち着いて、大地に根ずいている感覚がある・・・天地万物との一体感と言おうか・・存在世界と繋がっている感覚と言おうか・・安心はそこからやってくる、決して有心ではなく、無心になった時に訪れる感覚。。
571安堂 ◆3LK.0gZrV2 :2012/04/12(木) 02:50:03.59 ID:ong3XLcD

僕は過去の体験にかなりの影響を受ける・・・。
だけれども、同じ体験というのはあり得ないというのが正直なところだ。

ヨガ系では至高体験というかもしれないが、過去のに何度か体験があったとしても、
僕は自身が感じた至高度は関係なく、直近の体験が現在に影響されていることがほとんどだ・・。

だから、過去の体験Aがどんなに素晴らしく高貴で幸福感に満たされているものであっても、
現在から最も近い体験Eに影響されている。
また、その体験を取り戻そうと躍起になってしまう・・・。

>>568
僕は女性の原初的な自己愛の微笑みにエロティシズムを感じることはないけど、
まあ和親的だとは感じる。八方美人かもしれんけど・・。
僕はナルシシズムを心理学的意味で使ってないのでよくわからない・・・。
「自他を分けた」というのが、「自分=一人」と「他者=その他大勢」ということなのか?
572神も仏も名無しさん:2012/04/12(木) 02:51:20.43 ID:2Y+RDf1I
>>570 www

オメ〜、またそんなこと言うと、「頭の中で考えること」が大好きな
奴が、キャンキャンと噛み付いてくるぞwwwwww
573ろん:2012/04/12(木) 03:00:35.31 ID:ML+aEisQ
>>571
自分がどういう境地にいるとか、そういうのは忘れないと、捨てないとだな。。

自分じゃなくて、自分以外に参じる。。外ばっかりに参じる。。

雨の音なら雨の音ばっかりになってる、それが坐禅じゃないのかね〜。。

>「自他を分けた」というのが、「自分=一人」と「他者=その他大勢」ということなのか?

まあそういうことだね。。ナルシストは好悪が激しいから、自分プラスいい奴悪いやつとか好きな奴嫌いな奴じゃないの。。
いや、嫌いな奴いたら悪いってんじゃないけどww
574ろん:2012/04/12(木) 03:01:25.07 ID:ML+aEisQ
>>572
ま〜、自分の中の脳内妄想に向かって、きゃんきゃん言ってるだけだろうからね〜ww
575安堂 ◆3LK.0gZrV2 :2012/04/12(木) 03:01:46.29 ID:ong3XLcD
>感覚世界=物の世界、存在の世界。。
>これが正覚と言うものだろう・・物がはっきりとよく見えるし、音も聞こえる、香りにも敏感になる。。
>存在の世界にどっしりと落ち着いて、大地に根ずいている感覚がある・・・天地万物との一体感と言おうか・・
>存在世界と繋がっている感覚と言おうか・・安心はそこからやってくる、決して有心ではなく、無心になった時に訪れる感覚。。

こういう説明ならわかりやすい。妄想は五感を鈍らせる。いわゆる漬け物状態になって周りが見えない・・・。
視界は開け、音は取捨選択無しに耳に入り、匂いに気づく。
味や触覚は僕の場合は敏感度が落ちるかもしれない。歩いていても地面のアスファルトと同根で地球と一体化した気になり、
物質と空間の差異は消え失せ、膨張し続けていると言われる宇宙の果てすらないように思われる・・・。

そういう時は自己は不在。恐怖でも驚喜でもない。どうでもいい安らぎなのだろうか・・。
だが、こういうことは長続きしない・・・。
ただの体験の一種だろう・・・。体験の一種にしても、数多く体験された体験に共通する性質を持つ物だとは思うが・・・。
576ろん:2012/04/12(木) 03:15:03.21 ID:ML+aEisQ
土の匂いとか、釣りなんかに行った時の草いきれの匂いとか、子供のころから変わんないわけで、そういうの好きだな。。

確固たる自我なんてものが、芽生える前の世界と一体だった自分の感覚がよみがえったりする。。

生きてる実感が戻ってくる感じ。。

>>575
そういうのを体験として捉えるんじゃなくて、そのまんまであったら持続して、そっちがデフォルトになるんじゃないかって思い始めてる。。

自我の中で生きるんじゃなくて、もっと心地いい、生きてる実感のともなった、物質の世界で生きる、感覚の世界で生きる。。

楽に、安心の中に安らって生きる・・これに執着しちゃうのはいけないんだろうが、そっちがホントはあたりまえなんじゃないかと思い始めてるよ。。
577安堂 ◆3LK.0gZrV2 :2012/04/12(木) 03:24:17.20 ID:ong3XLcD
>まあそういうことだね。。ナルシストは好悪が激しいから、自分プラスいい奴悪いやつとか好きな奴嫌いな奴じゃないの。。
>いや、嫌いな奴いたら悪いってんじゃないけどww

ろんは研究者だから周りは男が多いでしょう。若い女性はナルシスト多いと思われます・・・。
異性と接するときには、必ず相手は態度や表情を示すものでしょう。僕は男ですが
ある女性には好かれ、ある女性には嫌われます。
ゲイの僕が誰にでも可愛くにっこりと笑いかけても勘違いされるだけでした・・・。

まあ冗談はさておき、自己愛というのは免れ得ないものだと思いますが・・。
我々は自己と他者の利害を計算して自己愛に適った判断をするのですから。

雨の音なら雨の音ばっかりになってるなんてのは坐禅ではありませんと思います。
雨の音だけに限定することもないでしょう。
コンサートに行けば、演奏の音や観客の咳やくしゃみの音とも一つになりたいのです・・。
578ろん:2012/04/12(木) 03:34:58.15 ID:ML+aEisQ
>>577
男女の見を起こすべからずと言う戒律があるらしいな。。
女を女として見ちゃいかんと言うか、逆に見によって男女が分かれるけど、仏道修行者は、そういう見を起こしちゃいけませんと言うことか。。
まー無理だろうけど、一応考え方としては、わかる。。

コンサートは、音に巻き込まれる感じ、音楽世界に埋没する感じじゃない?
一体になれるのは、車の音とか、鳥の声とか、救急車の音とか環境音の方だと思う。。
579安堂 ◆3LK.0gZrV2 :2012/04/12(木) 03:36:35.66 ID:ong3XLcD
>>576
>そういうのを体験として捉えるんじゃなくて、そのまんまであったら持続して、そっちがデフォルトになるんじゃないかって思い始めてる。。
>自我の中で生きるんじゃなくて、もっと心地いい、生きてる実感のともなった、物質の世界で生きる、感覚の世界で生きる。。
>楽に、安心の中に安らって生きる・・これに執着しちゃうのはいけないんだろうが、そっちがホントはあたりまえなんじゃないかと思い始めてるよ。。

僕は未熟だから、そういう体験すら自我で論理構築してしまう癖があるのです・・・。
哲学にはじまり、体験して、哲学的論理で完結する・・・。執著してしまいますね・・・。

「当たり前のことができないんだ。」と某管理官は言っていました・・・。
デフォルトなのでしょうが、なかなかそう上手くは・・・。

ところで、ろんは戒律についてはどう思われますかね?
580ろん:2012/04/12(木) 03:40:45.77 ID:ML+aEisQ
>>579
まあ、気楽にやろうぜ。。

戒律ねー、まー守れるなら守った方がいいんでないの?
581安堂 ◆3LK.0gZrV2 :2012/04/12(木) 03:48:30.59 ID:ong3XLcD
>>578
>一体になれるのは、車の音とか、鳥の声とか、救急車の音とか環境音の方だと思う。。

生活音や雑音の方がいいかもですね・・・。
交響曲のような音楽だと主旋律に没頭して、マイナーな楽器音を排除してしまいがちですから・・。

>>580
守れるならということでしょうねえ・・・。
「少少戒は廃してもよい」という釈迦の言葉も気になりまして・・・。

ありがとうございました・・・・・・・。
582ろん:2012/04/12(木) 05:11:27.07 ID:ML+aEisQ
>>581
音楽を音楽として聴くときは、音として聴いているんじゃなくて、言葉に近いような意味世界として聴いているように思う。。

だから環境音楽なら、まだ、無心を妨げないかもだが、瞑想音楽でも思うダメだね・・無でなくなってしまう。。






・・・放てば満てり、自己を忘ずるなり。。。
583473:2012/04/12(木) 05:13:01.53 ID:9ix7z1Oy
≫現在から最も近い体験Eに影響されている。
また、その体験を取り戻そうと躍起になってしまう・・・。

それは瞑想者にとって共通のテーマではないでしょうか。
素直に自分をさらけ出すことはすばらしいことであり、未熟と卑下されることはありません。
また、熟練してどうこうする方法はなく私たちは自分自身の心の動きを理解してゆくしかないのではないでしょうか。
安藤さんが「なってしまう」と仰るとおり、これはどうこうしようとすることではなく
自分の心の無自覚な動きを理解してゆくことでしか解決しないのではないでしょうか。

私たちは平常の生でも、感覚や感情などの体験をしていますが、特に瞑想体験といわれるものは
いつも何かを欲しがっている私たちの心がくつろぐことによって、私たちの生命エネルギーが
あふれだしているというエネルギーの状態ではないでしょうか。 そしてそれは当たり前すぎるぐらい当たり前のことかもしれないのです。

ですが、「私」はその当たり前のエネルギーを体験としてしまい、それを記憶し、再現したいと望んでしまいます。
しかし、体験を欲しがって意識が外に向けば内からあふれるエネルギーとのつながりは絶たれてしまうのではないでしょうか。 そして欲求不満が襲ってきます。
「私」は毎回違う体験をしていると感じ、毎回違う方法で再現しようとしますが、
実は無欲という鍵と、葛藤のないあふれるエネルギーという現象としての性質は毎回同じなのかもしれないのです。

そしてある部分の欲望がくつろげば、また別の欲望とそれに伴うエネルギーのブロックに気がつくことになります。
ひとつのものからの開放の喜びにずっと安住はできないようです。
584473:2012/04/12(木) 05:13:37.30 ID:9ix7z1Oy
思考と同化している内は、夢を見ている内は、
自分を含む人間ひとりひとりは大変違って見えるでしょう。

しかし自分が意識であり、思考ではないということに目覚めるようになると、
思考というものが自分にも誰にでも同じように働いていることを見出すでしょう。
使う言葉が違うだけでなんと似た思考の動きであることか。

その強弱や優先順位は人それぞれ異なりますが、部分部分に違いはありません。
思考は実にありふれています。そもそも伝染するものです。
585神も仏も名無しさん:2012/04/12(木) 06:30:27.87 ID:f+siap3Q
俺は他の板では、何かを教えるということをやってはいるが、
ここではやるつもりはない。でも、ヒントぐらいは投げる。
宗教板の住人の特徴は、賢くなりすぎて、素直にゼロから学びなおそう
という謙虚さがほとんど残ってないこと。「正しい悟りについて知ってる僕」
なんてものを、何年もかけて積み上げて、とうとうそこから出られなくなってる。

しかも、ここで一番まともなバカちゃんが、唯一悟りを自称してもいいであろう子が、
師としてのセンスが全くないのも実に悲しいことだ。永遠の挑戦者、生意気な小娘、
それが彼女の深い個性なんだろう。

なにが正しい悟りだ。歴代の師が語っているのはノートを白く戻すとこまでだ。
なんで、そこまでしか語らないか分かるか?そっから先は、自分の悟りは自分で
作っていくからだ。その瞬間その瞬間、作り直していくからだ。完全な迷いが完全な悟り
とはそういうことだ。

なんの形もいらないこと、それを思い出すのが第一の悟りだ。しかし、だからこそ、
どんな形をも作っていけること、それが第二の悟りだ。悟りがこんなにも
むずかしいパズルになってるのはこのせいだ。

つまり、第一の悟りに達するには、まず形を作ることを全面的に捨てないといけない。
だからこそ、君達はいつもそこで引っかかる。「ああ自我はだめだ。個性はだめだ」と。
そうじゃない。その本来両立しないはずの、形がいらないこと、形を作っていくこと、
それが理屈を超えて融合すること、それこそが悟りの深遠さ、凄まじさだ。

本当に本当にもういいかげんにしようぜ。すべてを壊したなら、一周して、自分らしさに
戻ってこいよ。何年やってんだよマジで。悟りだなんだに足を突っ込んだなら、
できれば一年で片を着けようぜ。五年も十年もやってるとか本当にやる気あるのかって話だ。
586神も仏も名無しさん:2012/04/12(木) 06:58:53.50 ID:1A6qMupy
>>585
釈迦に説法w

釈尊あんたは
>何年やってんだよマジで。悟りだなんだに足を突っ込んだなら、
>できれば一年で片を着けようぜ。五年も十年もやってるとか本当にやる気あるのかって話だ。
587神も仏も名無しさん:2012/04/12(木) 07:07:44.27 ID:1A6qMupy
≫現在から最も近い体験Eに影響されている。
また、その体験を取り戻そうと躍起になってしまう・・・。

束縛から悟る順番はこんな感じ
思考>感情・欲望>感覚>至福体験

至福体験を束縛と感じたならば悟ってると言える
588神も仏も名無しさん:2012/04/12(木) 07:19:59.30 ID:f+siap3Q
もう少しだけヒントを言っておこう。

師は「形をつくるな!」と言う。
それで弟子は「ああそうだ!形を作ってはいけないんだ!」と大マジになる。
こうして、何年も何十年も同じ所でつまづく。

形を作らないこと、どんな形もいらないこと、どんな形も作っていいこと、形を作っていくこと。
つまり「形をつくるな!」といった師は本当は「形をつくれ!」って言ってる。

誰の真似でもない、君の本当に深い所から溢れ出るものそのままに、
形を作れと言っている。そうさせる為に、誰かの真似である形を捨てさせようとしている。
しかも、その場その時で、形を作り変え続け、作り直し続けろ、と。ここが本懐だ。

余りにも静的に考えすぎだ。もっと動的になるんだ。
君達を愛してるぞ。さっさとそんな宿題は終わらせて、公園にでも行って
友達と野球でもやってこい。川で遊んで、汚れて帰ってこい。そしたら、
風呂に入って、またきれいになって、寝ろ。そして、またいっぱい遊んでこい。
589ろん:2012/04/12(木) 07:30:53.98 ID:ML+aEisQ
安堂に愛の歌を送るぜ。。

ザ・クロマニヨンズ - 土星にやさしく
http://www.youtube.com/watch?v=5tTfWNvJU1I

愛は土星を救うのだ。。
590悟り子 ◆AAyxyMDKw6 :2012/04/12(木) 08:04:40.78 ID:9Z5ZmAL+
>>580
>まあ、気楽にやろうぜ

はい わかりました
(o^∀^o)
591悟り子 ◆AAyxyMDKw6 :2012/04/12(木) 08:14:58.87 ID:9Z5ZmAL+
>>585
まあ、気楽に行きましょう
(o^∀^o)
592悟り子 ◆AAyxyMDKw6 :2012/04/12(木) 08:23:19.30 ID:9Z5ZmAL+
>>588
>公園にでも行って
友達と野球でもやってこい。川で遊んで、汚れて帰ってこい。(中略)
そして、またいっぱい遊んでこい

じゃあ2チャンで悟りをネタにお喋りを楽しむのもアリですね
(o^∀^o)
593オレって名無しかよ!?:2012/04/12(木) 08:30:05.13 ID:TpZjDh7y
>>585
>なにが正しい悟りだ。歴代の師が語っているのはノートを白く戻すとこまでだ。
>なんで、そこまでしか語らないか分かるか?そっから先は、自分の悟りは自分で
>作っていくからだ。その瞬間その瞬間、作り直していくからだ。完全な迷いが完全な悟り
>とはそういうことだ。

悟り素人なんで良く分かってないって事を前置きした上で聞いてみるけど、
「悟りって作るものじゃなくて、
自分の中から自分以外のものを削り取っていく」って事じゃないの?
594悟り子 ◆AAyxyMDKw6 :2012/04/12(木) 08:37:04.62 ID:9Z5ZmAL+
>>589
「ザ・クロマニヨンズ - 土星にやさしく」ですか・・・素晴らしいスケール感に感動しました

さらなる高みを目指して「銀河系にやさしく」
とか
「宇宙にやさしく」
とかもアリかもしれませんね
...まあ、無くても良い気もしますが・・・
595オレって名無しかよ!?:2012/04/12(木) 08:39:11.74 ID:TpZjDh7y
>>588
>師は「形をつくるな!」と言う。
>それで弟子は「ああそうだ!形を作ってはいけないんだ!」と大マジになる。
>こうして、何年も何十年も同じ所でつまづく。

>形を作らないこと、どんな形もいらないこと、どんな形も作っていいこと、形を作っていくこと。
>つまり「形をつくるな!」といった師は本当は「形をつくれ!」って言ってる。

この師匠が言ってる「形をつくるな!」って
弟子が「形を作ってはいけないんだ!」って『形をつくる』ことも禁止してるだけじゃないの?
596悟り子 ◆AAyxyMDKw6 :2012/04/12(木) 08:42:18.86 ID:9Z5ZmAL+
>>584
>思考は実にありふれています。そもそも伝染するものです

「思考にやさしく」もアリかもしれませんね
ヒロトさん、ご検討のほどを
(o^∀^o)
597神も仏も名無しさん:2012/04/12(木) 09:10:05.97 ID:f+siap3Q
>「悟りって作るものじゃなくて、
>自分の中から自分以外のものを削り取っていく」って事じゃないの?

この問いかけに君達のつまづきの全てが詰まっていると言ってもいい。
つまり、作ることと削ること、これらは両立してはいけない、という思い込みだ。
削ったら、作ればいいし、作ったら、削ればいい。

なんで人は苦しむのか?本来、自然は作ること削ることをバランスよく循環させているのに、
人はそれに逆らい、作ることばかりに重心を置きすぎているからだ。そこで、人は考える。
「ああ作るのはやめよう。削るんだ」と。でも、どこまでも作ることからは逃げられない。
「なんでだなんでだ。どうしてだ」といつまでも引っかかり続ける。

当たり前だ。作ること、削ること、それらは二つでワンセットだからだ。
厳密に言えば、境界線などない。完全に地続きだ。だから、言うのだ。これは「呼吸」だと。
呼吸をしているのに、どちらかを切り落とせると思っている。

だから、師はまず削ることに重心をずらすように促す。そうすれば、気付く。
どうあがいても作ることを完全には切り離せないと。どうしても混じってくる。

自我は捨てるのではない。自我と自我を保てない状態、自らはその二つを含んだ呼吸
であること、それを完全に思い出した時、自我がそこに溶けさるだけだ。

作ること、削ること、この二つを自在にバランスよく味わえるようになること、
それが悟りだ。そのどちらにも、いつまでも留まらない、どこまでもなにものでもない、
それが君の本当の姿だ。そうすれば、苦しみは消える。苦しみと踊れるようになる。

もうこれ以上の解説はしないよ。あとは自分達で考えてほしい。
598ろん:2012/04/12(木) 09:12:59.61 ID:ML+aEisQ
>>594
いや、ただのギャグ、愛は地球を救うのパロディ、転倒だと思うんだけど。。

プロモ初めて見たけど笑ったわ。。

クロマニヨンズってね・・もとはプルーハーツだけど、反体制とかでも愛を歌うわけでもなくて、世間を抜け出しましょうと言う感じなのよ。。

悟り系かな〜、要するに。。
599ろん:2012/04/12(木) 09:15:09.49 ID:ML+aEisQ
ハイ・ロウズの頃からそうだったよ、ヒロトは。。

 ♪アネモネ男爵    退屈を知ってる

  人のために生きる  退屈を知ってる

ゆうつべあるかもだから、探してみてちょ。。
600オレって名無しかよ!?:2012/04/12(木) 09:18:03.24 ID:TpZjDh7y
>>597
まあ、どうでもイイや。面倒くさいし。
601悟り子 ◆AAyxyMDKw6 :2012/04/12(木) 09:27:57.82 ID:9Z5ZmAL+
悟りの先生が悟った後の話をしない本当の理由は
悟った後は本人の自由だと思っているからでしょうね

色々アドバイスしなければいけないようなら多分悟って無いのでしょう
(笑)
602悟り子 ◆AAyxyMDKw6 :2012/04/12(木) 09:42:53.19 ID:9Z5ZmAL+
>>599
「ザ・ブルーハーツ」→「ハイ・ロウズ」→「ザ・クロマニヨンズ」

なんかだんだんとワイルドになって来ている気が
(笑)

まあしかし、ヒロトさんがただ者じゃ無いとゆうのは悟り子も同感です
603神も仏も名無しさん:2012/04/12(木) 09:56:56.64 ID:2Y+RDf1I
>まあ、どうでもイイや。面倒くさいし。

ケタケタケタw
604ろん:2012/04/12(木) 13:17:25.89 ID:ML+aEisQ
>>601
>悟った後

悟りも迷いも法もなんもなくなっちゃうからね。。

人に語るときだけだよ、そういうのがあるのは。。

昔迷わず、今悟らず。。

これは悟ってから言えることかもだが。。

>>602
だんだん抜けてきてる感じだよね。。
605《アラシを呼ぶ男》 ◆Arasi/MT2E :2012/04/12(木) 15:44:16.83 ID:N4kDoIZy
>>521 をとめよ

修行僧、問う、あるがまま とは!?

師、答える、シカゴのギャングのアル・カポネには、有名なおふくろさんが居た。
そして、アル・カポネの子分達にも、恐れられていた。
子分達は、アル・カポネのおふくろさんを指差して、こう言ってリスペクトしたものだ。  『アルがママ!!!』・・・と。
606《アラシを呼ぶ男》 ◆Arasi/MT2E :2012/04/12(木) 15:51:28.17 ID:N4kDoIZy
>>604  なにうそこいてんの?Ron外 さん
> >>601
> >悟った後 悟りも迷いも法もなんもなくなっちゃうからね。。 人に語るときだけだよ、そういうのがあるのは。。 昔迷わず、今悟らず。。 これは悟ってから言えることかもだが。。

井上某のパクリがせ
のさるまねが、Ron

やはり、さとりが半分だなー
つまりは、さとってない。。


語れもしないのに、ウソこきまくるのは、睾丸鞭 かよ。
607《アラシを呼ぶ男》 ◆Arasi/MT2E :2012/04/12(木) 16:18:49.76 ID:N4kDoIZy
 __          〆 ⌒ ヽ
| ● | サッ      i.   ^、,^ i
  ̄ |         (6- (III)(III)
c~~⌒ )       ノ⌒ヽ 、 '◇〉 此処で一旦、駒ー斜瑠でぇーす
  ̄| |   ,____/  \ \⌒\) 
   i ゝ_/ i i      \ノ`\丿 
   ヽ__|  ヽ ヽ    ノ      ノノ
       ゝ  _\ 二ノ
        \. ヽ
          ) )
        / /
       (  く
        \ ο  
          ̄
悟りを開いた人のスレ の避難所 19
http://jbbs.livedoor.jp/bbs/read.cgi/study/8276/1328541982/
悟りを開いたことあるけど何か質問ある?8
http://uni.2ch.net/test/read.cgi/psy/1333175392/
仏教 議論スレッド 35
http://uni.2ch.net/test/read.cgi/psy/1333907164/
悪魔なんて存在しないよね(*´・ω・)(・ω・`*)ネー
http://uni.2ch.net/test/read.cgi/psy/1325157910/
神なんて存在しないよね(*´・ω・)(・ω・`*)ネー 40
http://uni.2ch.net/test/read.cgi/psy/1334148326/
608ろん:2012/04/12(木) 16:35:06.91 ID:ML+aEisQ
>>606
さるまねもなにも、あたりまえのことじゃん。。

どこに法がある?悟りがある?迷いがある?

義衍詞はどこでそんなこと言ってんの?

おいらは知らんのだけど。。
609ろん:2012/04/12(木) 16:38:43.08 ID:ML+aEisQ
一種平懐なれば、泯然として自ずから尽きる(証道歌?)

眼眠らざれば、諸夢自ずから除く(信心銘?)

平等心是道と言ってもおなじだけど、けっこうあたりまえになれない人が多いのかな、精神世界系の人は。。。
610《アラシを呼ぶ男》 ◆Arasi/MT2E :2012/04/12(木) 17:44:49.07 ID:N4kDoIZy
シャキャ族の聖者 ガウタマ・シッダールタは説法の座に上られ、手に持っていた花を少し傾けられた。

修行僧500人の中でただ一人 マハー・カッサパだけが微笑んだ。

SMILE Michael Jackson ≪ 日本語字幕・和訳≫
http://www.youtube.com/watch?v=pyRa_ygq1ncPearl Jam - Smile
611《アラシを呼ぶ男》 ◆Arasi/MT2E :2012/04/12(木) 17:58:31.09 ID:N4kDoIZy
>>608-609 なにうそこいてんの?Ron外 さん

あわてて とりつくろっても、 さとってないひとには、わかりっこないのだろうね。

さるまね といったら さるが きをわるくした、、、よ。。、ヽ`アセ(;~▼~;)アセ、ヽ`
612ろん:2012/04/12(木) 18:22:13.01 ID:ML+aEisQ
>>611
そりゃ悟ってないよ、前から言ってる通り。。

ただわかったというだけだと言ってんの。。
613《アラシを呼ぶ男》 ◆Arasi/MT2E :2012/04/12(木) 18:23:57.93 ID:N4kDoIZy
>>612 なにうそこいてんの?Ron外 さん

> >>611
> そりゃ悟ってないよ、前から言ってる通り。。 ただわかったというだけだと言ってんの。。

分かったって なにを ?
614ろん:2012/04/12(木) 18:28:23.10 ID:ML+aEisQ
無というもの、すなわち現実すら認められないというところ。。

そこまではまだ至れていないという感はあるのよ。。

趙州は言った。「好事もなきに如かず」、いいこともない方がいいと。。

そこまで至れば、もう輪廻を解脱しているということになるのかもしれない。。

けれど、僕はまだ現実でいろいろ迷う、それも余計に迷うことがある。。

迷うというか、ただどっちにしようかと考えてるだけともいえるんだけど、まだまだだという感はあるよ。。

人に説明するくらいは余裕と言う、そのくらいわかっていたとしてもね。。
615ろん:2012/04/12(木) 18:31:09.07 ID:ML+aEisQ
>>613
何が迷いかと言うことかな。。

もちろん迷いもないんだぜ、だけど僕にはまだ、自分を完全に救いきれてはいないのかなと言う感覚はある。。

薄皮一枚残っているという感じかなー。。
616ろん:2012/04/12(木) 18:33:02.36 ID:ML+aEisQ
無門関におもしろい公案がある。。

格子窓の向こうに牛が通り過ぎていくのを見る。。

体は全部通り過ぎたのに、シッポだけが通り過ぎなかった。。

これ如何?

ポっちゃんは答えられるかい?
617ろん:2012/04/12(木) 18:34:02.38 ID:ML+aEisQ
あらら書いちゃった。。

書いちゃうとamaさんも答えなけりゃいけないことになるのか。。。
618《アラシを呼ぶ男》 ◆Arasi/MT2E :2012/04/12(木) 18:37:28.63 ID:N4kDoIZy
>>614 なにをとりつくろってんの?Ron外 さん

形而上的な事は、わからない。

禅は、知らん顔して、やりすごす。
エリオット・ネスだ。
インドの最下層民だ。。アンタッチャブル。

さとりとは、無縁。
619《アラシを呼ぶ男》 ◆Arasi/MT2E :2012/04/12(木) 18:39:32.17 ID:N4kDoIZy
>>615 なにをとりつくろってんの?Ron外 さん

迷いがあるから、さとりがあるんだ。
620ろん:2012/04/12(木) 18:40:14.18 ID:ML+aEisQ
この公案は実に簡単だ。。

もちろん、僕の看方が正しいという保証はないけど、法がわかってる人にとっては、ちょっと考えればわかること。。

そのうちヒントでも出しましょうか?

ヒントなしに答えられる人がいるかな?
621《アラシを呼ぶ男》 ◆Arasi/MT2E :2012/04/12(木) 18:41:50.31 ID:N4kDoIZy
>>616 なにをとりつくろってんの?Ron外 さん

一の如し。

せは、難解(なんげ)、と吐露してたな。
622《アラシを呼ぶ男》 ◆Arasi/MT2E :2012/04/12(木) 18:43:04.28 ID:N4kDoIZy
>>620 なにをとりつくろってんの?Ron外 さん

ほう、ぜひにも、うかがえれば・・・
623ろん:2012/04/12(木) 18:43:37.71 ID:ML+aEisQ
>>618-619
取り繕ってるんかな?

ただ実感を述べたつもりだが。。

ポっちゃんの場合はね、自分はどうかという反省が欠けてんのよ。。
禅はどうでもいい、ポ自身はどうか?
624ろん:2012/04/12(木) 18:45:15.39 ID:ML+aEisQ
>>621-622
大変申し訳ないんですが、あなたは問題外です。。

一万時間くらい坐ってから出直してください。。
625《アラシを呼ぶ男》 ◆Arasi/MT2E :2012/04/12(木) 18:49:02.04 ID:N4kDoIZy
>>623 なにをとりつくろってんの?Ron外 さん

そうだね、とりつくろってるね。

おれおれ、と、じこがあれば、サギになるよ。

むかさい、せに、定型文で返すばかりだから、きいてんのか!と言った事があったなー
ありゃ、耳が悪かったんだな。。
626《アラシを呼ぶ男》 ◆Arasi/MT2E :2012/04/12(木) 18:50:36.59 ID:N4kDoIZy
>>624  なにうそこいてんの?Ron外 さん
> >>621-622
> 大変申し訳ないんですが、あなたは問題外です。。 一万時間くらい坐ってから出直してください。。

ミ(ノ_ _)ノ=3 ドテッ!!

いわねくて、いいよ、(笑)
627《アラシを呼ぶ男》 ◆Arasi/MT2E :2012/04/12(木) 19:02:24.76 ID:R18bdO7H
>>626
訂正
ミ(ノ_ _)ノ=3 ドテッ!! いわねくて、いいよ、(笑)
               ↓
ミ(ノ_ _)ノ=3 ドテッ!! いわなくて、いいよ、(笑)
628《アラシを呼ぶ男》 ◆Arasi/MT2E :2012/04/12(木) 19:07:34.48 ID:R18bdO7H
>>625
訂正
むかさい、せに、定型文で返すばかりだから、きいてんのか!と言った事があったなー ありゃ、耳が悪かったんだな。。
   ↓
むかし、せ に、定型文で返すばかりだから、聞いてんのか!と言った事があったなー ありゃ、耳が悪かったんだな。。
629オレって名無しかよ!?:2012/04/12(木) 19:12:07.78 ID:TpZjDh7y
>>616
考案ってどんな風に応えればイイの?
630《アラシを呼ぶ男》 ◆Arasi/MT2E :2012/04/12(木) 19:32:30.73 ID:R18bdO7H
>>629



公案とは、
問う、答えると言う問答の形式、を言う。
これは禅が時の王に弾圧され、殺害、焚書の追っ手のなか、中国各地の奥地に逃げmmだ僧侶たち。
そこど、その土地の里謡に真理を隠して師弟間で、問われていたもの。

問う答えると言う形式は、
師が問い、修行僧が答えるものと、
修行僧が問い、師が答える、と言う、二つの形式の問答、会話がある。
631《アラシを呼ぶ男》 ◆Arasi/MT2E :2012/04/12(木) 19:33:55.54 ID:R18bdO7H
隻手の声(せきしゅのこえ) 隻手の音声(せきしゅのおんじょう)

白隠が修行者たちを前にして、こう言った。

「隻手声あり、その声を聞け」 (両手を打ち合わせると音がする。では片手ではどんな音がしたのか、それを報告しなさい。)


          ,、‐ ''"  ̄ ``'' ‐- 、              
        /イハ/レ:::/V\∧ド\                
       /::^'´::::::::::::i、::::::::::::::::::::::::::::\   
     ‐'7::::::::::::::::::::::::ハ:ハ::|ヽ:::;、::::::::::::丶   
     /::::::::::::::/!i::/|/  ! ヾ リハ:|;!、:::::::l      
    /´7::::::::::〃|!/_,,、   ''"゛_^`''`‐ly:::ト     
      /|;ィ:::::N,、‐'゛_,,.\   ´''""'ヽ  !;K          
        ! |ハト〈  ,r''"゛  ,       リイ)|    
          `y't     ヽ'         //            
         ! ぃ、     、;:==ヲ   〃 片手であるわたしがたたく 拍手の音を聞きなさい。 
         `'' へ、   ` ‐ '゜   .イ
              `i;、     / l              ,-v-、
                〉 ` ‐ ´   l`ヽ           / _ノ_ノ:^)  
            / !        レ' ヽ_         / _ノ_ノ_ノ /)
                                / ノ ノノ//  
                            ___  /  ______ ノ
                           ("  `ー" 、    ノ  
                            ``ー-、   ゙   ノ    
                             ( `ー''"ー'"  
                               \ /ノ

「両掌相打って音声あり、隻手に何の音声かある」
片手の人がたたく拍手の音を聞いてこい。
632オレって名無しかよ!?:2012/04/12(木) 19:41:35.94 ID:TpZjDh7y
>>631
もしかして乙武さんdisってる?
633《アラシを呼ぶ男》 ◆Arasi/MT2E :2012/04/12(木) 19:47:21.94 ID:R18bdO7H
>>632

ちゃかしは、しつれいだよ、
634オレって名無しかよ!?:2012/04/12(木) 19:58:02.91 ID:TpZjDh7y
>>633
失礼しました。

ぶっちゃけ、全然分かんね。
635《アラシを呼ぶ男》 ◆Arasi/MT2E :2012/04/12(木) 20:20:09.72 ID:R18bdO7H
>>634 俺って さん

> 失礼しました。  ぶっちゃけ、全然分かんね。

いいね、すなおが一番。
良い感性をもってるねー

わからないんだよ、なかなか。

山川草木国土 悉有仏性
さんせんそいうもくこくど しつう ぶっしょう

宇宙がさとってる、と言う。

だから、すでにあなたには、さとりが備わってる。
じゃー、なにもしなくてもいいのか。

寝てたら、ウエイクアップ。 眼を覚ましてもらいたい。

そこで、公案。
何を目覚めるのか、さとり、
さとりとは、真理、ダルマ、法、
それが、色即是空。
すぐに、空即是色へ帰ってくる。
そこがさとり、です。

これらはせつめいだから、説明の中にはさとりは無い。 そこで、公案に取り組むことが大切になる。

片手の人がたたく拍手の音を聞いてください。
636ろん:2012/04/12(木) 20:24:13.40 ID:ML+aEisQ
>>629
まあたとえ話みたいなものだと思うんだよね。。

だから、自分の法の理解から、どういうことなのかってことを言えばいいんでね。。

とか言って、僕自身が公案禅をやったわけじゃない。。

ただ、そういう話があるのを知って、どういうことかなーと考えていて、ある時あーそういうことかと。。
637ろん:2012/04/12(木) 20:34:17.66 ID:ML+aEisQ
公案は、クイズじゃないから、あくまで自分の問題として取り組むことだろうね。。
638《アラシを呼ぶ男》 ◆Arasi/MT2E :2012/04/12(木) 20:46:36.54 ID:R18bdO7H
>>637 睾丸に鞭 ヒィー(>ω<ノ)ノヒィー のron外 さん
> 公案は、クイズじゃないから、あくまで自分の問題として取り組むことだろうね。。

クイズ!? (爆)
639ろん:2012/04/12(木) 22:09:09.05 ID:ML+aEisQ
せったんさんには耳がない、じゃなくて、ポの言うことにはことごとく意味がない、と言うことだっただろうね〜w
640473 :2012/04/12(木) 23:16:56.62 ID:LB1oVRp1
どんなものも嫌ったりしないで生きて行けるって心はいつも私に約束していた。

しかし、嫌いになるかどうかの意思決定以前に、そもそも何かを好きになる自由がないのに気がついた。
勝手に何かを好きになって何かを嫌いになっている。

無意識に好きになるのは、好ましいのはよいことだろうか。
むしろ地獄を内包した心の暴走かもしれない。


私たちは自らの心の動き、自らの心のベールをはがしてゆくことしかできません。
何かがわかったといいそれを誇示するのは、自分の心を土台とした2重の夢であり、またその夢はなかったという
3重の夢です。そして夢は誰かに認めてもらうことを求める。
自らの無知、思い込みに気づくことが知であり、そこには謙虚さがあらわれるのではないでしょうか。

言葉に対応して、どのように語るか。
その細かいニュアンスに、自分を理解さしめる影響か、自分を基調とした更なる夢見に
人を誘うかの正反対の影響がこめられます。
641神も仏も名無しさん:2012/04/12(木) 23:55:41.69 ID:Bc67ZU17
公安は答はないっしょ。
一時期、公安の虎の巻がはやったりしたらしいが。

数息観の息みたいな役割かと思われ


人間には肉体があるのだから、
生理的嫌悪が生じるものや好きなものが生じるはしょうがないっしょ。
642ろん:2012/04/13(金) 00:00:18.26 ID:ItKSFgQ1
無知に気付いたところで、何にも解決なんぞしないんだよ。。w
643ろん:2012/04/13(金) 00:01:07.30 ID:ML+aEisQ
>>641
確かに一つの答えはないね。。
644オレって名無しかよ!?:2012/04/13(金) 00:05:41.80 ID:fddYHhWs
うだうだ考えたって前に進まねーんだよ。
好きなら好き、嫌いなら嫌い、それでイイじゃね〜か。
問題は、好きとか嫌いに囚われて執着してるって事じゃないのか?
645神も仏も名無しさん:2012/04/13(金) 00:23:25.24 ID:Ulr9+CRJ
おおww
いいね〜www
傲慢野郎は本性出して稚拙な文章書いてりゃいいんだよ
で、シコって寝ろwww
先月も今もおまえの性根は何も変わってねーわな〜www
646《アラシを呼ぶ男》 ◆Arasi/MT2E :2012/04/13(金) 00:56:42.14 ID:XNxGxEvc
>>639 睾丸に鞭 ヒィー(>ω<ノ)ノヒィー のron外 さん

> せったんさんには耳がない、じゃなくて、ポの言うことにはことごとく意味がない、と言うことだっただろうね〜w

無思考だったよ。
云わば、犬型。 ワンパターンだ。
個人を見てないから、指導者では無い。
ムリがあったんだろう。
さとり 半分だしなー
悪口も自己を粉飾決算してたからではないかな。
647安堂 ◆3LK.0gZrV2 :2012/04/13(金) 00:57:50.90 ID:6WLdB0lN

いやー昨日は北朝鮮からミサイルが飛んでくると思ったけどなかったな。
でも京都市で暴走交通事故があったね・・・。
ミサイルは今日かな・・・。迎撃したら宣戦布告になるのかな・・・。

>>582
チャイコフスキー聴いてる。瞑想音楽ってどういうのかな?
瞑想音楽?タイスの瞑想曲しか知らない・・・・
http://www.youtube.com/watch?v=mSs-IKvRxjw

>>589
土星wwwwwwwwwwww
着ぐるみが土星に向かって走ってたwww
648《アラシを呼ぶ男》 ◆Arasi/MT2E :2012/04/13(金) 00:58:32.22 ID:XNxGxEvc
>>641

(笑)
わからない、といえる勇気は持ちたいものだね。
649安堂 ◆3LK.0gZrV2 :2012/04/13(金) 01:05:06.46 ID:6WLdB0lN
せったんが好きだったトトロのシーン。水玉が笠に落ちてきてブルブルするところ・・・。

    _,,,,,,......fi.......,,,,,,___
  /  /    i、  ヽ \
 /_...,,-、/,,...-―-、.i、_,-―、i,、>
    〈 〉-―||―、〈 〉
    f,  ゙`‐-||┴"  ヽ
    i' (・) __〒__ (・) ゙、
   i' <_i".. | ||l |.゙|_i> i
   /     ._ || ̄    `、          (⌒i⌒ー、
  /  ̄ ̄  ミし ̄ ゙` 、  ヽ        `ー|‐-、/
  〈    _,,/ ゙~,へ ^ ,ヘヽ i ヽ       .∧ | ∧         (ニxつ
  .| ;イ'''"  ^        ^i | ヽ     ,i  |_,! i、         |
  | :|              | ;| i     i .。|_ 。, `i         |
 .| ;|                   | | ``    i -ー、―-、 |       ∧.| ∧
  | ;|              ,' /      i ,/"^ヘ^i i      ,' ,.゙t'., !
  、; ゙、           / /      i i'       | |     ,'   i   !
  ヽ、 `ー--、、.........,--―' /        i ヽ_,._,/ ,'    i     i
    ` ー--ー"゙ー--―"          ゙ー---―'      ゙ ー--―'
650安堂 ◆3LK.0gZrV2 :2012/04/13(金) 01:26:50.43 ID:6WLdB0lN

9-9-87
6-1-386
17-37-522
4-12-55
3-3-588
9-11-267
14-3-490
5-10-271
10-46-255
651ろん:2012/04/13(金) 02:01:29.77 ID:ItKSFgQ1
>>647
ま、ミサイルは北朝鮮の意志ではなくて、上からの命令だって話もあるね、陰謀説。。

北朝鮮が和平路線に変わっては困る連中は誰か?

アメリカの軍産複合体・・あるいは、アメリカ国家、あるいはもっと上の欧米支配層。。

長期的に見れば、融和路線で行くしかないのに、どうしてミサイルなのか?
おれ強いんだぜ、と言う虚勢でもオナニーでもない気がするのよ、正恩の頭はマトモ・・目を見りゃわかる。。
要するに、北朝鮮の体制そのものが、お上からの命令によって存在するってことよ。。

・・タイス瞑想曲か・・あとで聴いてみるは・・オレは今日バクチクばっか聴いてたよ、後はコッコちゃんか。。
652ろん:2012/04/13(金) 02:02:55.21 ID:ItKSFgQ1
>>649
よくそんな絵を見つけてくるね。。

>>650
なんじゃ?秘数術のまじないか何かか。。。
653ろん:2012/04/13(金) 02:04:47.18 ID:ItKSFgQ1
正恩より目つきのおっかない、ゲンバ大臣が、アメリカに行ってヒラリーばーさんと握手してにっこりww

まあよくできた茶番劇だこと。。
654安堂 ◆3LK.0gZrV2 :2012/04/13(金) 02:25:42.24 ID:6WLdB0lN
>>651
相変わらずCoccoちゃん贔屓ですな。爆竹?
目を見りゃわかるだと????
俺の目をみたら卒倒するぞっっw

>>653
目つきで判断するのはやめたまえ・・。
芥川賞を受賞した田中慎弥先生を馬鹿にしてるだろう・・・。
玄葉外相の目つきは鋭い。政治家の中ではイケメンだ。
同じ目つきがせったん老師と雪渓老師に感じられるのは僕だけか・・・。
もちろん写真見ただけだけどねー。
655安堂 ◆3LK.0gZrV2 :2012/04/13(金) 02:36:44.99 ID:6WLdB0lN

    ___
   ,;f     ヽ
  i:         i
  |         |
  |        |  ///;ト,
  |    ◎  ◎ ) ////゙l゙l;悟った人は眼が違う・・・。見ればわかる。
  (.  >ノ(、_, )ヽ、} l   .i .! |
  ,,∧ヽ !-=ニ=- | │   | .|
/\..\\`ニニ´ !, {   .ノ.ノ
/  \ \ ̄ ̄ ̄../   / .
656安堂 ◆3LK.0gZrV2 :2012/04/13(金) 02:58:17.77 ID:6WLdB0lN

あなたの体のともし火は目である。
目が澄んでいれば、あなたの全身が明るいが、濁っていれば、体も暗い。

EOなんぞは頭頂留意だとか。頂門の眼とは見開かれるものか。
ピラミッドの頂点だと?

一つの秩序の元に回帰するもの・・・。
657安堂 ◆3LK.0gZrV2 :2012/04/13(金) 03:31:11.75 ID:6WLdB0lN

ろん先生は退却した。
まさに毒を以て毒を制すということだ。
知るがよい、彼らの悪事と陰謀を。
だがそれを上回るのは何ものかわかりきったことぞ
658安堂 ◆3LK.0gZrV2 :2012/04/13(金) 03:36:32.73 ID:6WLdB0lN

あべこべ禅師ろん、ということもそうだろう。
まあ僕はすり減ることがない・・。
なぜならば真実は表現されず、削られないからだ。
何を言われようと、減ることはない。
次元が違う。
何の効力もない。
このことは秘密でも何でもない。
ただ引き返してでもという勇気あるなら真の勇者だ。
659安堂 ◆3LK.0gZrV2 :2012/04/13(金) 03:37:34.04 ID:6WLdB0lN
ムスリムの禅者とは私のことか?
660安堂 ◆3LK.0gZrV2 :2012/04/13(金) 03:55:02.41 ID:6WLdB0lN

ろん先生が茶番劇。
すべてろん先生の妄想交響曲です。

私はマークから外されたみたいだね。なんかどういう決定かしらんけど。
本人不服で・・・・・・
661473:2012/04/13(金) 05:44:00.62 ID:o6Jorg0n
無知に気づくことが唯一の開放ではないでしょうか。
というのも無知に気づくことができるものだけが、無知ならざるものであり、
理解や解決法は無知を土台とした夢であったり希望に過ぎないからです。
解決はいつも束縛を基底としていませんでしょうか。

≫ろんさん
自らの理解を誇らなくても、それは振る舞いから来る印象でそれは証明されますし、また無知も暴露されます。
あなた自身がどういう人か断言はいたしませんが、あなたのレスの文章の感じは人々にあまりよい印象を与えないことはいえます。
偽善者ぶっても仕方ないので、ちょっとした気遣いだけでもあれば、レスの印象もあなたの自分自身へのかかわり方もかわってくるのでは。

他者を笑い飛ばす態度は自分から目を背けることでそれはブッダは怠りというでしょう。
それは互いに他者に意識を向けさせてしまいます。
自分を笑うのもいいですが、共に笑うことも互いに自らに意識を向けさせ、そして互いの壁の存在も意識し溶かしてゆくでしょう。

≫オレムさん
どうするかということではなく、好悪において無自覚であり不自由であること、
また好むということの全体的な帰結において私がそしてたぶん多くの人が無知であることが問題なのです。
それは理解されるべきことではないでしょうか。
662ama ◆BmUbLWewsM :2012/04/13(金) 06:59:05.87 ID:B1fBqQ5q
>>616
> 格子窓の向こうに牛が通り過ぎていくのを見る。。
> 体は全部通り過ぎたのに、シッポだけが通り過ぎなかった。。
> これ如何?

格子窓だったから、でしょうか・・・。
体には足があるけどシッポには足がない・・・。

あるいは、実は牛は通り過ぎてはいない・・・。
シッポも残ってはいない・・・。
通り過ぎたと言っているのは私、
シッポが残ったと言っているのも私。

もしくは、牛の体が全部通り過ぎたのにシッポだけが残るのは当たり前で、
とくに理由はない。
「なんで?」と問う私が困った君です。(苦笑)
663ろん:2012/04/13(金) 08:06:53.32 ID:ItKSFgQ1
>>662
もうちょっとひっくり返してみてください。。
『無門関』そのものにはヒントが書いてあって、ひっくり返して答えよと書いてある。。

まず、牛は誰ですか?

それから、公案は、悟りを導くためのものですから、自らの悟りを表わすように答えるもののようです。。
あるいは法の理解を示すでもいい。。
664オレって名無しかよ!?:2012/04/13(金) 08:40:05.07 ID:fddYHhWs
>>663
「牛と私はひとつのモノで決して分かれるモノではない。
 牛が通り過ぎたように見えても、しっぽ位は必ず残る」ってこと?
665神も仏も名無しさん:2012/04/13(金) 09:01:13.82 ID:kRt0rZ3b
まぁいい、ろん君がどや顔で示したその公案、
俺があっさりぶった切ってやろう。

>体は全部通り過ぎたのに、シッポだけが通り過ぎなかった。。

そもそも、「シッポだけ」なんてものがどこにあるのか、教えて貰おうか。
どこから、どこまでが「シッポだけ」なのか。なかったら、そもそも
通り過ぎることすらできないだろう。

問題は「シッポ」ではない。「〜だけ」などというものが、どこにあるのか、
という話だ。

こんなこと言うと、どこからどこまでが格子窓か、そもそも牛なのか、
という話にもなるが、そこまで掘り下げてはクイズにならない。
なにもかも本来は「どこにもないもの」だからな。
666悟り子 ◆AAyxyMDKw6 :2012/04/13(金) 09:14:44.08 ID:7JHpxFaU
>>616
>格子窓の向こうに牛が通り過ぎていくのを見る。。
>体は全部通り過ぎたのに、シッポだけが通り過ぎなかった。。

シッポが無い牛だった

667悟り子 ◆AAyxyMDKw6 :2012/04/13(金) 09:20:48.35 ID:7JHpxFaU
>>631
>「隻手声あり、その声を聞け」 (両手を打ち合わせると音がする。では片手ではどんな音がしたのか、それを報告しなさい。)

無音(静寂)・
668神も仏も名無しさん:2012/04/13(金) 09:32:50.16 ID:kRt0rZ3b
ついでに、隻手にもあっさり答えてみよう。

>「隻手声あり、その声を聞け」

すでに聞いた。

では、無粋な解説をしよう。そもそも隻手声など、どこを探しても見つからない。
「どこにもないもの」だ。その声を聞けという話だ。さて、「どこにもないもの」
それは今どこにあるのか。それは俺でもいいが、その問いを発した貴方ということに
しておこう。さて、その貴方が「その声を聞け」と言った。

すでに聞いた。もう聞きました。それは独り言ですか。

どやぁ。
669悟り子 ◆AAyxyMDKw6 :2012/04/13(金) 09:52:24.95 ID:7JHpxFaU
>>661
>無知に気づくことが唯一の開放ではないでしょうか。
というのも無知に気づくことができるものだけが、無知ならざるものであり

気づくことが唯一の開放ではないでしょうか。
では駄目でしょうか?
670オカルト代表 ◆gNALQEzKvA :2012/04/13(金) 09:53:57.73 ID:kRt0rZ3b
もういいかげん、コテハンつけよう。

今回の公案で、とうとう俺と君達の格の違いが見事に露になってしまったな。

ここで言葉遊び、境涯比べなんてしていても、一生変容など起きないぞ。
もっと具体的なことをした方がいい。もっと修行してる上で出てくる具体的な
迷い、苦しみをぶつけ合うべきだ。

覚醒すれば、嫌でも悟りはついてくる。覚醒したかったら、オカ板に遊びにきてもいいぞ。
ただし、ここでやってるような観念遊びはさせない。具体的に修行して、
具体的に楽になって貰う。

悟りについて上手に喋れるようになりたいだけなのか。本当に本当にその苦しみを
ぶっ壊して、楽になりたいのか。いいかげんどっちなんだ、という話だ。
671オレって名無しかよ!?:2012/04/13(金) 10:09:11.86 ID:fddYHhWs
>>670
具体的な修行って何だ?
チャクラでも開くのか?
672悟り子 ◆AAyxyMDKw6 :2012/04/13(金) 10:13:09.78 ID:7JHpxFaU
>>670
ようこそ悟スレへ
心より歓迎いたします

どうぞごゆるりとなさってくださいな・
(o^∀^o)
673オカルト代表 ◆gNALQEzKvA :2012/04/13(金) 10:23:51.22 ID:kRt0rZ3b
>具体的な修行って何だ?

ここで何もかも詳しくは喋らないが、つまりクンダリーニのことだ。
それを使って、ケツに火を付けて貰う。地獄の始まりだ。悟りを開かないと、
気が狂って死ぬ。助かりたかったら、悟りを開けってことになる。

だらだら五年も十年も、悟ったような悟ってないような、そんな遊びを
続けたいのなら、それでもいい。自分で世界を作り上げて、悟ったことにして、
それで楽になれているんなら、何の問題もない。本当に本当にそれで十分だ。

ただ、本当は自分をごまかしていて、実はまだまだ苦しんでいる、のであれば、
具体的に過程と結果が伴う覚醒という手もあるぞってことだ。宇宙のからの印可証明だ。

もうこれ以上は喋らない。知りたかったら、各自ぐぐってほしい。
674オカルト代表 ◆gNALQEzKvA :2012/04/13(金) 10:33:23.16 ID:kRt0rZ3b
>悟り子ちゃん

ありがとう。
本当は君みたいに、等身大のレベルで満足できるのが一番いいよな。
自分の悟りはこれでいい、というのをしっかり持ってる子だとは前から思ってた。

何も背伸びして、いくとこまでいく必要などない。俺だって、自分で
ここでいい、というレベルでもう探求はやめた。

苦しいか苦しくないか。そこです俺が言いたいのは。悟りについて上手く
喋れるか、それはおまけ、二の次だ。本人がその自分なりの悟りで本当に
楽に生きれているのなら、本当は何の問題もない。
でも、そうじゃないなら、少しは今までと違ったことをしたり、
もっともっと無茶してもいいだろ、とは思う。
675オレって名無しかよ!?:2012/04/13(金) 10:53:43.45 ID:fddYHhWs
>>673
クンダリニー症候群なのかな。
676神も仏も名無しさん:2012/04/13(金) 12:10:28.28 ID:TxlkZc0v
ぽいねーw
677神も仏も名無しさん:2012/04/13(金) 12:13:17.50 ID:TxlkZc0v
ろんさんの牛の公案の答え…

テールスープにして食べちゃった。
とかw
678神も仏も名無しさん:2012/04/13(金) 12:15:11.75 ID:TxlkZc0v
んで、オカ代さんは、何を悟ったと言うんだろうか?w
679神も仏も名無しさん:2012/04/13(金) 13:00:02.38 ID:OeXTJLG+
ソクラテスは悪妻を得て偉大な哲学者になったそうだけど
苦しみも悟るためには不可欠なスパイスだろうね。
あらゆる計らいが通用しないと知ったとき、人ははじめて観念するだろう。
そこで満足するのか、その先を究めたいと思うのか…。
680神も仏も名無しさん:2012/04/13(金) 13:12:16.23 ID:OeXTJLG+
観念するというより、観念を手放すと言う方が分かりやすいかな…。
681オレって名無しかよ!?:2012/04/13(金) 13:14:33.21 ID:fddYHhWs
>>680
観念ってどうやったら手放せるの?
手放そうと思っても付いて来るよ?

って、前にも同じ事書いてたような気がする。
682神も仏も名無しさん:2012/04/13(金) 13:28:09.91 ID:OeXTJLG+
全ての計らいは通用しない、これが正しい、あれが間違い、誰かがああ言った、こう言った
出来る事は全て試した、しかし上手くいかない、自分の捉え方が間違っているのか?
こうすべきだったのか?ああすべきだったのか?心はもう限界を超えている。
今にもパニックになりそうだ、発狂したいが何故か正気で狂う事も出来ない。
孤立無援でどうしていいのか誰にも教えてもらうことは不可能、誰もこの苦しみは理解できまい。
答えはあるのか、答えなど有るはずが無い…、その時、気づくのさ…。
683オレって名無しかよ!?:2012/04/13(金) 13:55:18.68 ID:fddYHhWs
>>682
何に?
684神も仏も名無しさん:2012/04/13(金) 13:57:28.56 ID:OeXTJLG+
それは自分で…気づくしかない。
685オレって名無しかよ!?:2012/04/13(金) 14:00:39.82 ID:fddYHhWs
>>684
そっか、残念。
686473:2012/04/13(金) 14:07:23.94 ID:KjvT3pJq
http://www.geocities.jp/oshotara/osho_remorse.htm
人間はその本質からして苦しみそのものです。
それは欲望と欲求不満という小さな苦しみではなく、愛と良心というブッダへの性質と、
肉体、感覚と恐怖という動物としての相容れない本性がせめぎ合うから。

しかし、これも、ゆっくりと愛に染み渡って成長していくような人と、
その矛盾に直面して大変な苦しみを潜り抜ける人と2種類あるようです。
その人の性質と選んだ方便の違いなのでしょうね。

欲求不満の集合である苦しみ。それを一瞬だけを乗り越えるにも、それには682
さんの仰るようなトータルな絶望が必要?とされるでしょう。
心が何かを約束しては裏切られる。そのサイクルを自覚していれば、逃げ場のない絶望が訪れ
逃げ場がないゆえに自己は死なずにはいられないでしょう。それを私は祝福します。

欲望の群れから一瞬でも抜け出せば、思考から抜け出し自我がまとまれば、
今度は自らの良心と動物的な欲望の群れの作り出す矛盾に相対すると私は認識しています。
687神も仏も名無しさん:2012/04/13(金) 14:15:44.12 ID:OeXTJLG+
本来は自由だということに気づくのてすが、子供のときの自由とは違うのです。
どう違うかは、自分で気づくしかありません。
688473:2012/04/13(金) 15:10:09.61 ID:KjvT3pJq
小さな無知に気がつけば、大きな無知に気がつくことでしょう。
小さな自由がもともとあったことに気がつけば、大いなる束縛に気がつくことでしょう。
それゆえに、何かを思わせぶりに示唆したり誇示することはないでしょう。

束縛だけが自由を語るのではないでしょうか。
自由を語るなら自由に語ることで指し示す他ありません。

一切が自由で一切達成するものはないのだと見抜いた祖師達が指し示していたものを自分自身で
見出したとき、そのとき、今日妙を得たときこそ遠慮なく私は達成をはばかりなく公言するかもしれません。

それは確信犯の嘘であり方便でしょう。
689神も仏も名無しさん:2012/04/13(金) 15:16:38.92 ID:OeXTJLG+
一切が自由ですがそこで終わりではないのです。
しかし、そこで満足するだけで十分に生きていけるのです。
690473:2012/04/13(金) 15:19:54.61 ID:KjvT3pJq
公案なんていうものは、すでに脱出してしまった師の元で取り組むから意味があるのではと思いギブアップ気味でしたが、
牛の公案にふと思い当たることがありました。

「そこにあった虚空を見なかったのですか」と言っておきます。
問われた瞬間にこれに思い当たれば師を殴っていますが、それはとても無理です。
なぜなら私は絶えず現在に心を用いているわけでは無いようだからです。

しっぽだけ通り過ぎなかったのはなぜか。

これを想像したとき、なぜかと思ってしまうのは何故だろう。
私は牛の頭と体が通り過ぎているときからすでにしっぽを予想してしまっている。
心ここにあらず。すでにしっぽが通り過ぎるという夢を見ていて虚空を見逃す。
予想に外れたことが起きて驚く。

牛のしっぽなら驚くだけですむが、他の思い込みならそれでは済まないでしょう。

疑問を感じるように仕向けておいて、疑問を持ったら打つのだから意地悪ですねえ(笑)
なぜかと考えるのではなく、それを逆転させてなぜかと思ってしまう自分の心を見るきっかけ。
見事なものです。
691オレって名無しかよ!?:2012/04/13(金) 15:22:30.42 ID:fddYHhWs
>>687
試してみましたよ。
確かに自分を縛るものからは自由ですが、
世界に完全に組み込まれてしまって、ちっとも自由じゃありません。

どうすればイイでしょう?
692神も仏も名無しさん:2012/04/13(金) 15:28:14.25 ID:OeXTJLG+
>>691
自分で自由とはこれこれだ、あれができるはずこれがないのはおかしい
自分で枠を決めて自分で枠から外れていると嘆く、世界が問題なのでしょうか?
公案に似ていますねw
693オレって名無しかよ!?:2012/04/13(金) 15:37:48.59 ID:fddYHhWs
>>692
>世界が問題なのでしょうか?

世界は問題なさそうです。私も問題なさそうです。
どこにも問題がないのなら、多分問題ないんでしょう。
694ろん:2012/04/13(金) 17:46:26.09 ID:ItKSFgQ1
牛の公案の話。。

みんなよく考えてますね。。
でもまだ不十分なように感じます。。

問題の核心は、「見ている」と言うことじゃないかなーと思う。。

「見る」とはどういうことか。。

また牛とは何なのか??
695ろん:2012/04/13(金) 17:59:50.31 ID:ItKSFgQ1
もう一言言っておこうか。。

はじめから何にもないとか、はじめから牛と見ている人は一体だとか、これでは答えたことになりません。。

一見正しそうですが、応用のきかない、死んだ抽象です。。

空だとか無だとか自他はないとか、主客未分とか、頭でわかっている人はいるかもしれませんが、実際には我々は、自他の中で暮らし、主客を使ってものを見ています。。

このことの矛盾を表わしたものが、この公案でしょう。。

要するに応用問題です。。定理だけわかっていても、実際の問題が解けなければ使えないということです。。
696オレって名無しかよ!?:2012/04/13(金) 18:30:20.55 ID:fddYHhWs
>>695
この公案もヤッパリ、その宗派での「悟り」についてって事になるの?
697神も仏も名無しさん:2012/04/13(金) 18:38:40.19 ID:mysjC1xL
牛は言葉(象徴)です。「牛」よくみてください。「牛」に「尾」はありません(^u^)デ
iiii牛=3
見るとは解釈です。
どうでしょ?
698神も仏も名無しさん:2012/04/13(金) 19:04:00.50 ID:EmI7WOCL
「割り切れない」
699ろん:2012/04/13(金) 19:54:42.10 ID:ItKSFgQ1
>>696
いや、普遍的なものだよ。。
700473:2012/04/13(金) 20:49:00.06 ID:o6Jorg0n
ネットから口語訳をもってきました。
「大きな牛が、狭い木の窓格子をとおりぬけたのだが、最後に尾っぽだけが残って通れないのは何故だろうか?という公案です。」

いやあ、ろんさんの説明だと、窓を横に牛が横切っているのを見ていたらしっぽがなかったというようにも取れるのですが、
窓の奥を横ぎるではなく、前に進んで格子を通り抜けそして引っかかっているということですね。
悟り子さんも私と同じ意味で取っているように思いますが、気のせいかな。

何かを潜り抜け、偉大なる見性を見出したとしても、それはより根源的な束縛の反映ではないだろうか。
有頂天にならずよく気をつけてみるのだ、その開放ゆえにおまえはお前のより深い束縛に気づくのだ。
「それは気づきにくいものだ。それに気づくのは頭が通り抜けたのにしっぽが通り抜けていないということに
気づくぐらいにそれは見逃しやすいものなのだ。」
という戒めとして私は受け取ります。

7回穴を穿ち、8回通り抜けなければ、片時もそれを忘れなかったという仏陀の境地にはたどり着かないと言われます。
禅は宗教の最高峰だと感じます。非常に純化された、非常に自己を深く探求した人たちに向けてのものです。
それゆえにこれが表面的なものにとどまらず深く浸透するには、
ブッダの真理の言葉感動興の言葉にあるような生き方をし自己を純化し、もしくは近代宗教で近代人であるわれわれの束縛を深く理解してゆかなければならないでしょう。
百丈師はただ野良仕事をさせたといいます。これはグルジェフやoshoも同様のことをさせましたが、
我々の方が昔の人よりよりハートからはなれ頭に込み入っていしまっている故に込み入ったことを語らざるを得なかったようです。
701神も仏も名無しさん:2012/04/13(金) 20:59:49.47 ID:e8Z/GDpW
牛の尻尾って、ロンが言ってた薄皮のことじゃねーの
702神も仏も名無しさん:2012/04/13(金) 21:20:02.44 ID:HKXHGebq
模範解答張っとくか。
あんまりそういうの良くないけど

「今、仏道はどこにあるのかね、雪渓さん?」
http://www.geocities.jp/tierrakoya/hamabe/hibi/keiju/hossinji.htm
703《アラシを呼ぶ男》 ◆Arasi/MT2E :2012/04/13(金) 22:34:10.23 ID:SXEo/kYN
>>702

片手の音を聞きました! と飛び込んで来る修行僧に、片手の音は聞こえない、と、お師家さまは、言う。

色即是空をその場で空即是色と戻してくれる。

曹洞宗はどこも、さとり半分だねー・・・メモメモ...φ(◎◎ヘ)...オットットカゼガε=ε=ε=(/ ̄□)/ 〜〜〜□メモマテ〜!
704神も仏も名無しさん:2012/04/13(金) 22:42:22.48 ID:HKXHGebq
>>703
君は色即是空が悟りといってるんだろ。
そして空即是色で悟りから戻ってくる。悟りをいわなくなる
仏といば三日間口をすすげといわれる。これが臨在のやり方だ。
悟り半分なのは君だ。臨在落第生。
705ろん:2012/04/13(金) 23:01:58.52 ID:ItKSFgQ1
>>700
それはポッタン訳とかそういういいかげんなものじゃないの??

94年初版の岩波文庫の訳だと、確かに僕が言ったのでいいんだよ。。
以下の通りです。。

 五祖が言われた、「たとえば水牛が通り過ぎるのを、窓の格子越しに見ていると、頭、
 角、前脚、後脚とすべて通り過ぎてしまっているのに、どういうわけでシッポだけは
 通り過ぎないのだろうか」。


・・・もちろん、原文のテクスト自体にいくつかヴァージョンがあって移動があるのかもしれません。。
でも答えから見ると、その違いがあっても、答え自体はほとんど変わらないと思います。。
706ろん:2012/04/13(金) 23:03:56.12 ID:ItKSFgQ1
訂正。移動じゃなくて異同ね。。

>>701
鋭い!その薄皮はどうして残ってしまうのか?
707ろん:2012/04/13(金) 23:17:57.33 ID:ItKSFgQ1
(無門関第三十八則 牛過窓レイ 口語訳続き)

 無門は言う、もしこの事態に対して、逆の方から真実の目を持って見抜き、
 ハタラキのある一句を投げることができるならば、自分が被っているあら
 ゆる恩に報いることができ、またこの世界で悩み苦しんでいるあらゆる生
 き物を救うこともできるに違いない。しかし、そういうことがまだできないとあ
 らば、是非ともあの水牛の尻尾だけは見届けておくことが先決であろう」。

                                 (以下略)

 西村恵信訳注『岩波文庫』600円
708ろん:2012/04/13(金) 23:32:33.21 ID:ItKSFgQ1
>>647
タイス瞑想曲じゃなくて、真央ちゃんじゃないか。。ww

瞑想じゃなくて、いろいろ妄想しちまうわw
709ろん:2012/04/13(金) 23:38:02.35 ID:ItKSFgQ1
>>700
もう一言・・「偉大な見性」wとか思い込んでるからダメなんだよ、あんたは。。

真理とはまずは、あたりまえな事実、リアリティです。。

眠りから覚めたら、そこには偉大な真実か何か特別なものがあるのか?

いや、単に現実があるだけであり、自分が目覚めたということも忘れて生きるというだけ。。

僕だったら、うがいして、水とお茶かコーヒーを飲み、たばこを吸って、テレビをつけるかネットを見出すか。。w

ネットもテレビも見ないで坐禅してた時期もあったけどね。。
710オレって名無しかよ!?:2012/04/13(金) 23:47:21.79 ID:fddYHhWs
やっぱり、公案は良く分からないな。
でも、禅って面白そうだね。

今から学ぶとしたら、どの人がイイのかな?
711473:2012/04/13(金) 23:48:13.33 ID:q3PElc+1
追加して調べてみましたが、横切って通り過ぎるという意味に普通に取ってよかったみたいですね。
皆さんの回答を見てみると人によって前者、人によって後者で取っている気がしたけど気のせいだったかな。

後者意味で取ると異様に理不尽な状況なのでこれはまた面白かったですが、前者のほうは今にとどまらせようとする働きがあり、
実に禅らしいのでこちらが本来の公案であったかと思います。

方便が機能すれば、今の自分の深みに応じて現在にとどまれる。そしてより深いところにある過去と未来の束縛を探求できる。
712473:2012/04/13(金) 23:52:04.66 ID:q3PElc+1
格子こそ私自身が作った束縛であり、それの手前にいるか奥にいるかは問題ではない。
格子こそ我であり、通り抜けたという強烈な解放感を得たところで、
格子は牛のしっぽを即ち生の本来の流れをつかんで離さないのだ。

格子は無いとはいうまい。今は、格子と戦いつつもそれこそ我であり結局それを愛しているということに気づかせてくれる。
通り抜けようとすることそのものの愚かしさを、自由への渇望そのものの愚かしさを示しているではないか。
713神も仏も名無しさん:2012/04/14(土) 00:06:13.02 ID:7AXeEKKL
いや、本体は通れるんだよ。
でも尻尾は通れない。
肉袋としての人は中身はみんなほとんど変わらないんだけど、表面の皮の差でもって判断するんだな。地球も一緒だよ、大地と空気は薄皮何だがその薄皮のちょっとした差で暑かったり寒かったり、砂漠だったりジャングルだったり。

全てが悟っているから牛は通るんだ。でも私は悟ってないから通れないんだ。
尻尾もね。
714バカ女:2012/04/14(土) 00:59:52.96 ID:EyXQ28Nw

頭、角、前脚、後脚が通りすぎて(存在しなくなって)しまっているのに、じゃなくて、
通りすぎて(存在しなくなって)しまっているから、
シッポだけが通りすぎない(存在しなくならない)で残っている(存在している)のです。

頭、角、前脚、後脚が通りすぎて(存在しなくなって)しまわないと、
シッポは通りすぎること(存在すること)ができませんが、
頭、角、前脚、後脚が通りすぎたからって(存在しなくなったからって)、
シッポまで通りすぎたら(存在しなくなったら)オカルトです。

「未来も過去も現在ではありません」=「生成も消滅も存在ではありません」というこです。

公案を考えついた当人が気づいてないんじゃないですか?
715安堂 ◆3LK.0gZrV2 :2012/04/14(土) 01:02:23.54 ID:Z6QPd07A

いつの間にか公案が出とる・・・。

牛ねえ・・・。俺はこの公案はじめからよくわからない。
格子窓ごしに牛さんが通りすぎるのを見ているのか、
それとも牛さんが格子窓を通りすぎているのか・・・?

シッポが通り過ぎない?牛って自分でシッポ見えるのかなあ?
ケツがデカすぎて無理じゃねえか?
716バカ女:2012/04/14(土) 01:07:53.09 ID:EyXQ28Nw
>>504
>だから、結局一人で、比較的安定して生活を楽しめるくらいじゃないと、まともじゃないのかもね。。

みんなとも遊べる一人で遊べる子どもが理想でしょうか。
このバランスは、生活のすべてに反映されると思います。大人になっても。

>一個になる、真個になる・・・諸縁を放捨し、万事を休息せよ(道元)

真個が真の普遍に対するものならバランスを欠いていると思います。
真と呼べるのは、存在。だから真個とは、存在に於ける個ということです。
真個は、個と普遍の あいだ でなければならないと思います。
このろくでもない、すばらしき世界、を楽しむためには。
717バカ女:2012/04/14(土) 01:12:18.67 ID:EyXQ28Nw
>>508 両立する命題です。ヒント:意識の影、言語が見る夢
>>511 おっさん、シツコイ!
>>510 はい。
>>521 その通りに表も裏もありません。表も裏もないからその通り。
718神も仏も名無しさん:2012/04/14(土) 01:16:57.41 ID:0Da5yBLL
あ、ちょうどバカ女さんがいた
前スレで人を殺す云々のレスをした者です。
あのときは突然レス途切れてしまってごめんなさいね。
規制で書き込みできない状態でした。
もうスレまたいでずいぶん経ってしまったので話し蒸し返す気はありませんが、
放り出したまんまで気になっていたので、とりあえずご挨拶まで。

またそのうち機会がありましたら。
719バカ女:2012/04/14(土) 01:18:43.50 ID:EyXQ28Nw
>>715
>格子窓ごしに牛さんが通りすぎるのを見ているのか、

それがすべて。アンポン悟りました!

>それとも牛さんが格子窓を通りすぎているのか・・・?

あら、ただのアンポンに戻りました。

>シッポが通り過ぎない?牛って自分でシッポ見えるのかなあ?
>ケツがデカすぎて無理じゃねえか?

アンポンらしくていい感じ。
720バカ女:2012/04/14(土) 01:22:05.51 ID:EyXQ28Nw
>>718
どうぞ気になさらないください。
今度お話できるときには、少しぶりっ子して良い子になるつもりです。
そのときには、よろしくお願いします。
721ろん:2012/04/14(土) 01:27:59.10 ID:LKt0k6lF
>無門は言う、もしこの事態に対して、逆の方から真実の目を持って見抜き、
 ハタラキのある一句を投げることができるならば

ここんとこちゃんと踏まえてくださいな、皆さん。。

踏まえないで一句を言うこともできるが、根本は、「逆の方から」と言うことだと思う。。
722オレって名無しかよ!?:2012/04/14(土) 01:29:46.25 ID:GjMi4wOE
>>721
ろんは答えを知ってるの?
723ろん:2012/04/14(土) 01:30:03.75 ID:LKt0k6lF
「逆の方から」って言うのを原文に戻すと、「転倒して」。。

転倒と言えば、仏教になじんでいる人ならすぐ思いつく。。

転倒○○。。
724ろん:2012/04/14(土) 01:32:07.96 ID:LKt0k6lF
>>722
知ってるつもり。。ww

ただし、責任は負いません。。

原文ちゃんと引用したんだから、おいらもみんなと同じ立場にあるとも言えるかもだが。。。
725ろん:2012/04/14(土) 01:33:13.73 ID:LKt0k6lF
とにかく問題を解消する、氷晶する一句でなければ役に立たんのだよ。。
726ろん:2012/04/14(土) 01:34:03.25 ID:LKt0k6lF
間違った、氷消ね。。氷が解けてなくなるということ。。
727オレって名無しかよ!?:2012/04/14(土) 01:35:49.73 ID:GjMi4wOE
>>725
う〜ん、恥ずかしながらサッパリ分からん。
728ろん:2012/04/14(土) 01:36:23.29 ID:LKt0k6lF
>>716
概念で存在とか普遍とか言ってもね〜。。

実感、実際が大事だと思うのよ。。
729安堂 ◆3LK.0gZrV2 :2012/04/14(土) 01:38:21.06 ID:Z6QPd07A

「転倒」じゃなくて「顛倒」ですよ。

遠離一切顛倒夢想・・・・。

究竟涅槃三世諸佛・・・。

僕も西村訳は持ってるけど、西村教授は悟ってるのかね。
730バカ女:2012/04/14(土) 01:40:10.87 ID:EyXQ28Nw
>>728
存在が概念に思えるその頭がおかしいんじゃない。
概念以前でしょ、存在してるんだから。
そこからしか始められないし、すでにその中にいるのに
それをすっ飛ばしてなんだかんだ言うからおかしくなる。
道元も所詮そのレベルなんじゃない? 知らないけどさ。
731ろん:2012/04/14(土) 01:40:44.28 ID:LKt0k6lF
>>727
まあ普通は、専門僧堂で、何年もかけて答えを出す、透過するものらしいから、簡単にはわからんかもなのよ。。

だから、心の片隅に置いて、修行を続けるのもいいかも。。

いや、忘れて、生活三昧、仕事三昧になって、一心になった時ふっと気を抜いて思い出してみると〜、!!なんてこともあるかもしれん。。。
732オレって名無しかよ!?:2012/04/14(土) 01:41:31.71 ID:GjMi4wOE
>>728
普遍かどうかは知らないけど「存在」そのものは概念じゃないよ。
どちらっていえば実感に近いよ。
733ろん:2012/04/14(土) 01:41:50.47 ID:LKt0k6lF
>>729
いや単に顛倒が旧漢字と言うだけだと思うけど。。
734ろん:2012/04/14(土) 01:43:26.07 ID:LKt0k6lF
>>730
存在に安住できたら、それで終わりで、哲学も禅も要らんわけだろ。。

逆に言うと、存在そのものがなぜ概念や観念の世界に迷ってしまったのかと。。
735オレって名無しかよ!?:2012/04/14(土) 01:45:32.69 ID:GjMi4wOE
>>731
今から禅の勉強するとしたら誰の教えが判りやすいと思う?
736ろん:2012/04/14(土) 01:47:40.40 ID:LKt0k6lF
バカ女の哲学知識はね、系統だってないから、いろんなところに綻びがあるのよ。。

ハイデガーの前にまずフッサールでしょ、順番からしたら。。

近代哲学の到達点としてのフッサールを乗り越えるために、ギリシア古代哲学を持ってくきて、存在云々言い始めるんだが、存在だけを考えていても、心の本質は見えんのよ。。

フッサールの現象学の方が、心の本質に迫ることを言ってる面もあるの。。

確かに存在も大切だけどね。。
737ろん:2012/04/14(土) 01:50:26.46 ID:LKt0k6lF
>>735
原田雪渓師、町野久義さん、それから実際面を協調して言うのは、川上雪担師かな。。

井上義衍師の本もネットで探せば手に入るんでないかと思う。。
738バカ女:2012/04/14(土) 01:51:17.18 ID:EyXQ28Nw
>>731
>まあ普通は、専門僧堂で、何年もかけて答えを出す、透過するものらしいから、簡単にはわからんかもなのよ。。

何年もかけて、ということであるなら、それはまちがっていると思う。
何年もかけなければならないなら、その過程には構築という作業が入ります。
構築して壊すという作業に何年もかけるということ自体が、そこから離れることです。
眼の前にあるのに、いえ、自分がそれであるのに、それを見ようとするから、
何年もかけないといけない大層なものになっちゃう。というか、そういうものに仕立てあげているんです。
当たり前のことは大層なことではないし、だれでもすでにそこにいるのに権威付けて遠ざけているだけです。

  概念で存在とか普遍とか言ってもね〜。。

これがすべを語ってるよ、ろん自身を。
739オレって名無しかよ!?:2012/04/14(土) 01:52:05.67 ID:GjMi4wOE
>>737
ありがとう、今度探してみるよ。
740ろん:2012/04/14(土) 01:56:42.63 ID:LKt0k6lF
>>738
だから、あなたみたいに目の前にあるとわかっていても悟れないわけでしょ。。

目の前にあるだけじゃー、使えないのよ、実際は。。

だから、基本応用問題集として、『無門関』みたいな教科書がある。。

時間がかかるかからないは、その人次第で、見性して、公案の答え方、考え方がわかったら、いくらでも透過できるようになる。。

そしたら、ホントに自由な人になれるんだよ。。
741安堂 ◆3LK.0gZrV2 :2012/04/14(土) 02:01:28.12 ID:Z6QPd07A
「顛倒」の旧字体は「顛倒」だと思ったが・・。まあ「転倒」とたいした違いないけど。
存在論はよく知らん。実存主義だと傴僂やロンパリの本場かもね。

>>735
俺のイチオシは白隠慧鶴。

>>737
その法系だと飯田攩隠老師を忘れとる・・・。
742ろん:2012/04/14(土) 02:01:28.85 ID:LKt0k6lF
そうそうもう言ってん。。

五祖は言う、「たとえば・・・

この「たとえば」は大事…何を喩えているかと言うと、われわれがみんな陥っている迷い、だろうね。。
743バカ女:2012/04/14(土) 02:01:36.19 ID:EyXQ28Nw
>>734
>存在に安住できたら、それで終わりで、哲学も禅も要らんわけだろ。。

そうじゃない。道元を見なさい。彼は一個と言う、これは存在じゃないよ。
道元みたいな言説がまかり通っているから、存在を持ち出せないといけないわけ。

道元は「存在忘却」してますから、こんな人の言うことを、まともに受け取らないでください。
と、言わなければならないの。

「存在そのものがなぜ概念や観念の世界に迷ってしまったのか」ではなくて、
禅のような間抜けに「あいだ」を教えてあげてるために降りてきてるの。

有無のあいだではなく、有(現象)と存在の「あいだ」を教えるためには、
存在をモノ化してでも「存在忘却」に気づかせないとならないからです。
744オレって名無しかよ!?:2012/04/14(土) 02:06:56.26 ID:GjMi4wOE
>>741
この場合の「存在」って存在論よりアドヴァイタ(不二一元論)の方が近いと思うよ。
745安堂 ◆3LK.0gZrV2 :2012/04/14(土) 02:18:57.55 ID:Z6QPd07A
>>744

このスレのでしょうね。
http://uni.2ch.net/test/read.cgi/psy/1332324579/

実は、僕は禅よりこっちのが好きなんだよね・・・。
生まれながらの宗教者向きだから・・。
746神も仏も名無しさん:2012/04/14(土) 02:20:06.12 ID:SfGXC87E
>>717
>>511 おっさん、シツコイ!

wwwww  しつこい?www  
お前が、絡んできたのだろうが?  キチガイ女www

キチガイは、こんなとこにいないで入院してろ、カスwwwww
747ろん:2012/04/14(土) 02:20:12.60 ID:LKt0k6lF
>>743
あなたは哲学的思索をしてるんでなくて、読み漁ってわかったものをテキトーにミックスして言ってるだけとしか見えない。。

木村敏だったけ?あいだの哲学って。

それ自体まったくの不十分、ハイデガーは全くもって反対方向。。

解決どころか、迷いの方へ、がけっぷちに向かってまっしぐらです。。

ロンパリサルトルさんもダメね・・西洋のロゴサントリズムは、70年代くらいではっきりと終っています。。
それがわからないのは、哲学史を最後までちゃんとやってないから。。
748ろん:2012/04/14(土) 02:23:00.28 ID:LKt0k6lF
デリダとレヴィナスその他によるハイデガー批判を知っとりますか?

あるいは、フッサールとハイデガーの方向性の違いを説明できますか?

まあ、ここらへんがわからんと、意味ないよ、哲学を気取っても。。
749オレって名無しかよ!?:2012/04/14(土) 02:23:21.11 ID:GjMi4wOE
>>745
ああ、そのスレですね。
俺も「私は誰?」って探求の仕方がシンプルで好きなんですよね。
750《アラシを呼ぶ男》 ◆Arasi/MT2E :2012/04/14(土) 02:24:33.52 ID:EhqtoeZT
曹洞宗も さとる前は やはり さとりを求める。

初関(しょかん)を透(とお)る。

これには、二つの公案がある。

無字の公案、
あるいは
隻手の音声

この二つの内、一つをお師家様は与える。

初関を透れ。
751安堂 ◆3LK.0gZrV2 :2012/04/14(土) 02:28:08.09 ID:Z6QPd07A

哲学史の最先端?
現代思想ではデイヴィッド・チャーマーズを越えた人は知らんが・・・。

>>750
ポッたん閣下・・・。
KYぶりが鳩山元首相のイラン訪問のレベルと越えとりますがな・・・。
752神も仏も名無しさん:2012/04/14(土) 02:29:38.77 ID:SfGXC87E
>>747 おお〜〜、今日は、ロンが過激だwwww

公案がお題になってるから、テンション高めか?www
753バカ女:2012/04/14(土) 02:29:50.18 ID:EyXQ28Nw
>>736

ろんが現象学よりなのは、すでに私自身が指摘しているでしょ。わかってる。
で、現象学は存在論になり切れないから、弟子のハイデガーが存在論をやるわけです。
フッサール自身が、自分の哲学は存在論ではないと、どこかで言ってたはず。

つまり、現象学では「存在忘却」については、言及できない。
でもそれはフッサールの現象学が劣っているとか使いものにならないからではありません。
単に存在を扱わないという格率のもとに現象学をやっているだけです。後期に少しタガが外れましたが。

超越論的領野と言っても、要は意識の領野なわけで、現象としての意識の領野なんだよね。
カントの超越論的主観と大差ありません。で。これでは意識の反面しか見てないんです。

カントの時代から意識の働き(フッサールでいう意識の志向性)としての超越論的主観と
意識そのものである超越論的対象との問題が残っていて、これはフィヒテやシェリングに引き継がれたけど
完全に解決されたとは言いがたく、やっぱりそれは存在論の位相にかかわるものだからです。

ハイデガーは、たしかにこういう主観の問題については疎いし興味がありません。
彼の存在論が、根本的にまちがっているのもここから来ているのですが、それは横に置きます。
で、超越論的対象とは、超越論的主観(志向性)を保証する構造、すなわち対象性一般の根拠のことですが、
これは存在論に越境する概念なので、認識論の範疇では解決されません。

まあぜんぶ私が解決しましたが、追々機会があれば披瀝します。
754ろん:2012/04/14(土) 02:30:35.18 ID:LKt0k6lF
>>751
哲学の最前線は、哲学の分化、多様化、解体でしょ。。

まーめんどうだから、自分で調べて遅れ、おれもそろそろ落ちるわ。。
755神も仏も名無しさん:2012/04/14(土) 02:31:25.15 ID:SfGXC87E
うわ〜〜〜〜、ぽったんまで来たwwww

相も変わらず、隻手の音声 www
756オレって名無しかよ!?:2012/04/14(土) 02:35:00.06 ID:GjMi4wOE
「悟り」が何であるかを知るよりも
「どうすれば悟れるのか」を知りたい人が多いんじゃないかな?
757ろん:2012/04/14(土) 02:35:31.41 ID:LKt0k6lF
>>753
いや、全然フッサールを理解してないよ。。

ハイデガーがなぜおかしいかって、歴史的なものも見なけりゃあかんよ。。

一時大戦で負けて、ナチスが台頭する、そしてフッサールは亡命・・ハイデガーはフライブルク大学だったかの総長に就任。。。
758バカ女:2012/04/14(土) 02:39:46.45 ID:EyXQ28Nw
>>740
>だから、あなたみたいに目の前にあるとわかっていても悟れないわけでしょ。。

ここの人はみんなそうなんだけど、一面しか見てないの。

色即是空(現象)の境位にいるから、私が 存在 を対峙させたの。

でも、存在一元論もまたまちがっているのね。

現象と存在のあいだ、つまり当たり前のこの世界に戻ってこないとダメなの。

それができないことをバランスが悪いと、私は言ってるんです。

それが悟りかどうかなんて関心がありません。

極端はよくないんじゃない?っていう私の感想にすぎませんから。
759ろん:2012/04/14(土) 02:42:54.07 ID:LKt0k6lF
>>758
ぜんぜんダメです。。

不味いちゃんぽんみたいなことばっかりだわ。。
760安堂 ◆3LK.0gZrV2 :2012/04/14(土) 02:43:13.42 ID:Z6QPd07A

そういいえば、
昔、岩波から復古版でフッサールの「純粋現象学及現象学的哲学考案」
てのが出版されたけど・・・
旧字体ばっかりで読む気にならなかったわ・・・。


ハイデッガーはナチ党党員じゃなかったか?
こいつぜったい悪い奴だぞ・・・。
761《アラシを呼ぶ男》 ◆Arasi/MT2E :2012/04/14(土) 02:43:57.49 ID:EhqtoeZT
悪魔なんて存在しないよね(*´・ω・)(・ω・`*)ネー
http://uni.2ch.net/test/read.cgi/psy/1325157910/
神なんて存在しないよね(*´・ω・)(・ω・`*)ネー 40
http://uni.2ch.net/test/read.cgi/psy/1334148326/
仏教 議論スレッド 35
http://uni.2ch.net/test/read.cgi/psy/1333907164/
762バカ女:2012/04/14(土) 02:45:51.51 ID:EyXQ28Nw
>>747
>>743へのレスになってないけど?

>それがわからないのは、哲学史を最後までちゃんとやってないから。。

でたでた、だから哲学史は哲学じゃないって。まだわかんないの?

哲学者に学ぶことはあっても、それが自分の血となり肉とならなければゴミです。
哲学史に興味があるのは哲学学者です。哲学者は哲学するひとです。
763ろん:2012/04/14(土) 02:48:34.59 ID:LKt0k6lF
〉>762
そうですか。じゃー哲学版の方を荒しに行ってください。。
764オカルト代表 ◆gNALQEzKvA :2012/04/14(土) 02:49:27.54 ID:R/ysysft
本当に救いようがないな。

やはり、悟りについて上手に喋れるようになりたいだけか。
本来、君は何にもなれないし、なる必要もないのに、
いつまでもいつまでも「正しい」悟りに通じた人にでもなろうと大マジだな。
何もかも分かっていて、わざとやってるならいいよ。でも、違うだろ。
それが君の苦しみの一番の原因だって、いいかげんに気付いた方がいいな。

完全な迷いが完全な悟りだ。これ以上の定義はない。

「どこかだけ」を迷いで、「どこかだけ」を悟りにしようとしている。
そりゃいつまでも見つからないわな。本当に「どこかだけ」に正しい悟りがあると、
思っているわけだ。見つかるわけないだろ。そして、見つかる必要もない。

いつまでもいつまでも答えを見つけられない、辿り着けない君、その君自身が
すべての答えそのものだ。意味わからないか。
いいかげん視点を変えよう。どう答えを出すかではない。どうしても答えが出ないこと、
それをどう受け止めるかだ。これも意味わからないか。

解説はしないよ。意味わからなくてもいいよ。一つもわかってない時、
君はすべてをわかっている。答えそのものだ。
765《アラシを呼ぶ男》 ◆Arasi/MT2E :2012/04/14(土) 02:49:42.49 ID:EhqtoeZT
時間、空間を言う曹洞宗は禅宗tとしては珍しい主張をする。
ハイ・ソーデッカー も時空を言う。。
766バカ女:2012/04/14(土) 02:49:52.72 ID:EyXQ28Nw
>>748

だから、私は現前の形而上学批判を脱構築してるの。

書いたけど、フッサールの現象学は認識論。「現象」学なの。

現象と存在は別の原理なの。別の公理系だから別にやってるんでしょ。
767《アラシを呼ぶ男》 ◆Arasi/MT2E :2012/04/14(土) 02:52:23.18 ID:EhqtoeZT
公案は、
問答が答えになっている。
768ろん:2012/04/14(土) 02:53:47.13 ID:LKt0k6lF
>>766
はい、お利口さんだから、あっちへお行き。。
769バカ女:2012/04/14(土) 02:56:24.93 ID:EyXQ28Nw
>>757
>ハイデガーがなぜおかしいかって、歴史的なものも見なけりゃあかんよ。。
>一時大戦で負けて、ナチスが台頭する、そしてフッサールは亡命・・
>ハイデガーはフライブルク大学だったかの総長に就任。。。

ハイデガー批判は、さんざん哲学板でしていますが、悟りとは関係ないでしょ。

関係付ければ「存在一元論」は全体主義を招来します。

だから極端はダメだって言ってるんです。
かけがえのない存在者一人ひとりを忘れちゃいけないって。
770神も仏も名無しさん:2012/04/14(土) 02:56:41.19 ID:SfGXC87E
「牛の体は・・・・・のことで、尻尾とは・・・・・のことで、そして・・・」

なんて解説したら、公案なんて、唯の意地悪クイズでしょ?wwww

俺が正解を教えてやろう・・・・

「牛はうまい」    はい、これが正解wwwwww
771安堂 ◆3LK.0gZrV2 :2012/04/14(土) 02:57:45.12 ID:Z6QPd07A
>>761
『天使と悪魔』のユアンはかっこよかった・・・。

>>763
哲学板は哲学の体をなしていないです。
プギャオという荒らしに24時間荒らされまくりで壊滅状態の廃墟となりました・・・。

>>767
(存在)了解!ハイデッガー!!
772ろん:2012/04/14(土) 03:00:56.54 ID:LKt0k6lF
>>769
まったくお話にならない。。

哲学版なんてまともに見たことないが、ちゃんと大学で哲学やった人はわずかだろう。。

やったとしても、どこの大学ですか?と言うような人たちだと思う。。
773安堂 ◆3LK.0gZrV2 :2012/04/14(土) 03:01:53.42 ID:Z6QPd07A
>>770
>「牛はうまい」    はい、これが正解wwwwww

僕も牛肉好きだけど、ベジタリアンが見たら憤慨するぞ、マジで。
「牛はうまい」とか・・・愚か者!

http://saisyoku.com/slaughter_cow.htm
774バカ女:2012/04/14(土) 03:02:57.32 ID:EyXQ28Nw
>>759
>ぜんぜんダメです。。
>不味いちゃんぽんみたいなことばっかりだわ。。

たんなるろんの感想を言われても、どうにもできないって。
ちゃんと論駁してくんなきゃ。

>>763
>そうですか。じゃー哲学版の方を荒しに行ってください。。

ろんが批判的なハイデガーとやってることが同じじゃん。
775神も仏も名無しさん:2012/04/14(土) 03:03:58.30 ID:SfGXC87E
>>773
>僕も牛肉好きだけど、ベジタリアンが見たら憤慨するぞ、マジで。

wwwww うまいものは、うまい。
これぞ、真理wwww  はっはっはっは〜〜〜
776ろん:2012/04/14(土) 03:05:46.05 ID:LKt0k6lF
まず基本は、自分がわからないこと、知らないことと知ってることの境界線が引けなきゃだめだ。。

それができない人、自我の欲望だけで暴走する人は、哲学以前、人間以前のクズでございます。。
777オレって名無しかよ!?:2012/04/14(土) 03:08:29.53 ID:GjMi4wOE
ブーメラン ブーメラン ブーメラン ブーメラン
きっとあなたに戻って来るだろう
778バカ女:2012/04/14(土) 03:09:41.84 ID:EyXQ28Nw
>>768
>はい、お利口さんだから、あっちへお行き。。

はいはい、いつものように遁走してください。

>>772
>まったくお話にならない。。

だから、なになにがどうたらだからお話にならない、と言え。
それ以前に、こだわってる視点からして、ろんはダメ。

哲学の内容と哲学者の人間性や生き方は関係ありません。
ニーチェも利用されたね。
でもそれでニーチェ哲学の価値が落ちるわけじゃない。
殺人鬼だって才能があれば、泣けるメロディーを作れる。
779ろん:2012/04/14(土) 03:13:38.73 ID:LKt0k6lF
>関係付ければ「存在一元論」は全体主義を招来します。

存在一元論から全体主義には直結しない。。
はい、ではなぜハイデガー哲学は全体主義になるでしょうか?

>だから極端はダメだって言ってるんです。

これは哲学的思考じゃーないね。。
極端でも現代に生き残る哲学はいくらでもあるだろーが。。

>かけがえのない存在者一人ひとりを忘れちゃいけないって。

だから、なんで?
哲学的に説明してないじゃないか。。
無根拠なことを、まったく無意味なこと言ってるぜ、哲学的には。。
780バカ女:2012/04/14(土) 03:14:06.59 ID:EyXQ28Nw
>>776
>まず基本は、自分がわからないこと、知らないことと知ってることの境界線が引けなきゃだめだ。。

 存在 を真似しだしたと思ったら、今度は境界線も真似するんだ、いやー見下げたもんです。

気軽に 存在 境界線 とか使うな、わかってないんだから。

>それができない人、自我の欲望だけで暴走する人は、哲学以前、人間以前のクズでございます。。

おまえがな。私と話すと化けの皮がはがれるからやめておきなよ、ろん。
781安堂 ◆3LK.0gZrV2 :2012/04/14(土) 03:14:48.01 ID:Z6QPd07A
>>775
そうか。パーピマン閣下は人間じゃなくて悪魔だった・・。
料理などしたことなくて当たり前・・・。
生きてる牛にそのまま食らいついているのです。
僕が悪魔の頭ベルゼブルだとも知らずに・・・。

>>777 ラッキーセブン
因果応報ですよ・・・。自業自得。

ろん先生はこれからしばらく精神的泥沼に入るでしょう・・・。
782ろん:2012/04/14(土) 03:17:08.42 ID:LKt0k6lF
大学でやる哲学の厳密さを経ないで、テキトー出まかせ言って、哲学者とかアホ丸出しで、見てる方がこっ恥ずかしいくらいだわ。。

マトモになりたけりゃ、通信教育でもいいから、まともに習わなけりゃ意味がないよ、まったく。。

高校生の小論文の方がまだましだわ。。
783神も仏も名無しさん:2012/04/14(土) 03:23:22.30 ID:SfGXC87E
>ろん先生はこれからしばらく精神的泥沼に入るでしょう・・・。

wwwww もしかして、安堂はアンチろん派か?ww
784安堂 ◆3LK.0gZrV2 :2012/04/14(土) 03:26:13.59 ID:Z6QPd07A

哲学とは高尚すぎて僕の手には全く負えません・・・。

僕も一つ公案を出したいと思います・・。
えー、正方形の独房に囚人が囚われています・・・。
扉は隙間無く閉じられ、窓もありません。もちろん他に出られるような隙間も。
独房の中に物は一切無く、囚人一人です。
ある朝、看守が独房内を覗くと、寝ている囚人と共にブタが一匹入り込んでいました。
いったいブタはどこから入り込んだのでしょうか?
785神も仏も名無しさん:2012/04/14(土) 03:27:38.40 ID:SfGXC87E
>>784  簡単じゃんwwww

「その囚人が、産んだの」www
786安堂 ◆3LK.0gZrV2 :2012/04/14(土) 03:33:37.69 ID:Z6QPd07A
>>783
僕はジャニーズ系の板も見るけど、
必ず「アンチ」ってのがいますね・・・。

>>785
>「その囚人が、産んだの」www
ブーブーブヒィ〜wwwwww
787バカ女:2012/04/14(土) 03:36:18.71 ID:EyXQ28Nw
>>779
>存在一元論から全体主義には直結しない。。
>はい、ではなぜハイデガー哲学は全体主義になるでしょうか?

ハイデガーは、存在の真理を歴史的な現成だと信じ、それをナチに重ね得た。
・・・・・どうのこうのはどうでもよく、すでに指摘しているように、
ハイデガーは、存在者を忘れてしまったからまちがえた。こちらが根本。

ハイデガーは、存在者と存在の二元論的区別をしています。
これをやっちゃうと、存在者に存在が遍在していることに気づかれなくなります。
とてつもなく大きく世界を包み込むような、かぎりなく広く遥かなものように
存在を全体性としてとらえてしまうと、理想主義的全体主義(国家・覇権主義)に
踊らされてしまうことになります。

存在論は、存在の奇跡、神秘、驚愕などからはじまります。
もちろん、自分や路傍の石に存在驚愕してもいいのですが。
だから概念的に仕立てあげるままでは、ハイデガーのように存在は頽落します。

>これは哲学的思考じゃーないね。。

悟りも言葉にすれば思想ですが、それは別にいいのですが、悟りの2面にも気づかず、
だから「あいだ」にも気づかないようでは、ガキっぽいですね、
という感想をもっているということです。

>哲学的に説明してないじゃないか。。

さんざん説明してきている。ろんが読んでないか、理解できないアホか、そのどちらか。
788バカ女:2012/04/14(土) 03:39:00.95 ID:EyXQ28Nw
>>782
>大学でやる哲学の厳密さを経ないで、テキトー出まかせ言って、哲学者とかアホ丸出しで、
>見てる方がこっ恥ずかしいくらいだわ。。

だからね、ろんの感想には根拠がないって言ってるの。
単なる感想、悪口でないなら、根拠がある批判にしなさい、と言ってるの。
いつも逃げてばっかじゃん。ってこと。
789ろん:2012/04/14(土) 03:51:08.08 ID:LKt0k6lF
>>787
>ハイデガーは、存在の真理を歴史的な現成だと信じ、それをナチに重ね得た。

ハイデガーのテクストのどこからそれを立証できますか?

>・・・・・どうのこうのはどうでもよく、すでに指摘しているように、
ハイデガーは、存在者を忘れてしまったからまちがえた。こちらが根本。

どのテクストのどこから言えますか?

>ハイデガーは、存在者と存在の二元論的区別をしています。

どこで?どういうふうに?説明が必要です。。

>これをやっちゃうと、存在者に存在が遍在していることに気づかれなくなります。

違う。もう一度テクストを読み返しなさい。

>とてつもなく大きく世界を包み込むような、かぎりなく広く遥かなものように
存在を全体性としてとらえてしまうと、理想主義的全体主義(国家・覇権主義)に
踊らされてしまうことになります。

なぜ?哲学がどうして政治に結びつくの?あなたが理解する全体主義の定義は何?
790《アラシを呼ぶ男》 ◆Arasi/MT2E :2012/04/14(土) 03:56:32.42 ID:fiBdWiQW
>>771  Ann ちゃん

公案に対して、如浄が始めたのが、只管打坐(しかんたざ)。

公案禅が中国全土を覆いつくし、
隆盛のピークを過ぎて、陳腐化していった。
公案解答集にもあるとおり、形式化していたからね、当時は。
それで、対抗して出てきたのが、只管打坐(しかんたざ)。

坐禅の姿が、公案になってる。
これは、一発クリアーをねらう。
791バカ女:2012/04/14(土) 04:00:00.37 ID:EyXQ28Nw
>>789

人に質問するなら、自分の解釈をまず提示しろよ。

>ハイデガーのテクストのどこからそれを立証できますか?
興味があれば『存在と時間』から読み直したら?
戦中・戦後でも変遷するしね。興味があるなら。

>ハイデガーは、存在者を忘れてしまったからまちがえた。こちらが根本。
『存在と時間』から読み直したら?

>どこで?どういうふうに?説明が必要です。。
『存在と時間』から読み直したら?

>違う。もう一度テクストを読み返しなさい。
『存在と時間』から読み直したら?

>なぜ?哲学がどうして政治に結びつくの?あなたが理解する全体主義の定義は何?
ナチが現われるべくして現れたと、ハイデガーは思ったんだよ。
もちろん、個人としての野心もあったでしょう。ろんが書いたのはそれでしょ?

ハイデガーの場合、時間の矢が、過去→未来ではなく、未来→過去なのね。
既に定められた未来がやってきた、存在の真理が到来した、
というように自分の存在論から解釈したんだよ。
792バカ女:2012/04/14(土) 04:04:35.25 ID:EyXQ28Nw
>>791
>戦中・戦後でも変遷するしね。興味があるなら。

戦前・戦後でも変遷するしね。興味があるなら。

に訂正。

だいたいろんはハイデガーの存在論には、
個別の存在者(個人?)がいないだなんだ言ってたのに
なんで反論するのか意味不明です。

そこを詳しく知りたい。
793安堂 ◆3LK.0gZrV2 :2012/04/14(土) 04:06:14.18 ID:Z6QPd07A
>>790
僕の坐禅の姿がポッたん閣下に一発ぶちかますのです。
僕の尻に敷かれる気分はどうですか???


ろん先生は常々肝心なことは申されない方です・・・。
そういう手法を得意とするお人なのです・・・。
473氏に対してもそうでしょう・・・。
794バカ女:2012/04/14(土) 04:09:27.90 ID:EyXQ28Nw

存在へと身を開き・そこへと出で立ちながら、存在の真理を損なわれないように守るのが
「存在の牧者」である人間だと、ハイデガーは言います。
つまり、ハイデガーは、こう言っていることになります。
「存在の牧者」である人間(存在者)は、存在ではないのだ、と。
ここには、あきらかに人間(存在者)と存在との二元論的区別が見られます。
もちろん、この二元論的区別こそ、ハイデガーが言うところの「存在論的差異」なのですが。

ところが人間(存在者)は、ハイデガーが言うようにはなっていません。
人間が存在するとは「人間が存在しているコト」です。
すなわち、存在者が存在するとは「存在しているモノが存在しているコト」に他ならない。
そうではないあり方ができない、ということを、私は『存在論的必然性』と呼んでいます。

ですから、人間(存在者)は、すでにそこにいるのです。
ハイデガーに言わせれば、すでに存在の真理へと投げ出されているのが人間なのです。
すでにそこにいるのに、いったいどうやってそこへと出で立つことができるでしょうか?
そこへと出で立つためには、すでに存在の真理へと投げ出されている人間(存在者)が、
再びそこへと出で立つのでなければならないのですから、そのようなことはできません。

ハイデガーの「存在へと身を開き・そこへと出で立ちながら」のような言葉づかいは、
存在者と存在の二元論的区別によるものなのです。
「存在の牧者」とは、存在によって投げ出された人間なのですから。
795ろん:2012/04/14(土) 04:09:30.39 ID:LKt0k6lF
>>791
『存在と時間』のどこのページのどのセンテンスをどう解釈したら、あなたの意見が正しいと立証できるのか説明しなさい。。

ぼくは、あなたとは全く違う方向からの理解ですよ、ハイデガーのナチス問題については。。

あなたの意見を立証する責任はあなたにあるわけだから。。

>ナチが現われるべくして現れたと、ハイデガーは思ったんだよ。

だから、どこで言ってるの?

>ハイデガーの場合、時間の矢が、過去→未来ではなく、未来→過去なのね。

これと、

>既に定められた未来がやってきた、存在の真理が到来した、
というように自分の存在論から解釈したんだよ。

これのつながりも不十分・・自分の論理が論理になっていない、と言うことに自分でまったく気づけない。
レポートとしてももちろん、卒論でも通じません。。

落第します。。

問題外です、以上。。
796安堂 ◆3LK.0gZrV2 :2012/04/14(土) 04:12:32.84 ID:Z6QPd07A

ろん先生の講義を履修すると卒業できない・・・(という噂だ)。

本日は脳内睡眠物質の蓄積により終審させて戴きます・・・。
本日はこれにて散会いたします。・・・。
797ろん:2012/04/14(土) 04:16:03.80 ID:LKt0k6lF
>>792
>だいたいろんはハイデガーの存在論には、
個別の存在者(個人?)がいないだなんだ言ってたのに
なんで反論するのか意味不明です。

だから、言ってるじゃないか。。
哲学の理論と、倫理性や政治性は別だと。。

存在一元論と言ったり二元論と言ったりする矛盾もわからんが、一元論、二元論と言うことと、倫理性や政治性は別だよ、基本的に。。

だから、そのつながりをハイデガーの哲学内部から、説明することは難しいと思う。。

存在一元論と言うのは、あくまで哲学の議論です。。

ナチズムや全体主義と言うのは、政治や倫理の問題です。。

この二つの問題の次元の違いが分かってないみたいだね。。
798バカ女:2012/04/14(土) 04:16:03.85 ID:EyXQ28Nw
>>794

すでに存在の真理へと投げ出されている人間が、ふたたびそこへと出で立つというのは、
存在の真理へと投げ出されている人間が「存在忘却」しているからなのであり、
だから「ふたたびそこへと出で立つ」とは「存在の奇跡」に気づくことに他ならないのです。
すなわち、存在の真理に投げ出されている人間が、存在の真理に気づくということは、
存在忘却に気づいた人間が、ふたたび存在の真理へと出で立つことに他ならないのです。
だから、ハイデガーが言っているのは、存在忘却に気づいた人間、すなわち存在の奇跡に気づいた人間こそ、
存在の真理を損なわれないように守っていくことができる人間であり、
それが「存在の牧者」であるとハイデガーは言っているのです。

という反論が可能です。これはハイデガー「転回」後の「存在の真理」についてですね。
戦後、反省しなければならず「存在→人間」から「人間→存在」への転回をしたということです。

まぁ、それでも私はハイデガーの存在論を「存在の奇跡なき存在論」と思いますけどね。
799ろん:2012/04/14(土) 04:21:31.66 ID:LKt0k6lF
個別の存在者がいなくとも、倫理は成立するし、ナチに反対することもできる。。

なぜなら、哲学と倫理、そして政治は別問題だから。。

哲学と倫理、政治をつなげるには、ぜんぜん別の見方が必要だろうね。。

デリダやレヴィナスの議論が一番わかりやすいと思うが、まあ自分で読んでくれ。。
800バカ女:2012/04/14(土) 04:24:54.61 ID:EyXQ28Nw
>>797
>だから、言ってるじゃないか。。
>哲学の理論と、倫理性や政治性は別だと。。

本来無関係な自分の哲学を出世のために利用した、と?
まあ、そうかもしれませんが。

>存在一元論と言ったり二元論と言ったりする矛盾もわからんが、一元論、二元論と言うことと、倫理性や政治性は別だよ、基本的に。。

そう言ってくれれば、私がハイデガーの口車に乗っている可能性があるので、とくに反論はないです。

ハイデガーは、存在と存在者との存在論的差異を発見したけれど、存在者は「存在ではない」という傾きがあります。
晦渋な言葉づかいで乗り切っているように見えますが、やはりそのようにしか思われません。
>>794でも触れていますが、そういう感想です。

>この二つの問題の次元の違いが分かってないみたいだね。。

私自身がよく指摘することですから無自覚ではありません。
哲学者の生き方と哲学の内容は関係ないとも言いましたよ。
今回のような解釈の遊びも否定はしてないので、あり、ですが。
801バカ女:2012/04/14(土) 04:31:21.67 ID:EyXQ28Nw
>>799
>哲学と倫理、政治をつなげるには、ぜんぜん別の見方が必要だろうね。。
>デリダやレヴィナスの議論が一番わかりやすいと思うが、まあ自分で読んでくれ。。

はい、了解しました。

言っておけば、私はデリダの脱構築を脱構築したいわけです。
倫理とこの世界をつなげたいという哲学的野望ですが。
アウシュビッツを考えるということ自体の倫理性についても考えたりしています。
802ろん:2012/04/14(土) 04:44:13.88 ID:LKt0k6lF
政治的に言ったら、全体主義の反対は、民主主義とか、個人主義とかかもだが、哲学的に言えば、多元主義とか多極主義とか、要するに差異を認める思考になる。。

相対主義と言ったら聞こえが悪いが、自分とは全く違う考え、感覚、世界観をもつ他者と言うものを認める思考が、哲学的全体主義に対するアンチかな。。

だから、レヴィナスは他者と言い、ハイデガーには他者が存在しないという。。

またデリダは、差異と言い、ハイデガー哲学の差異を書いた同一者による専制と見る。。

昔読んだもので、もう忘れたが、基本そんなとこだろう。。
803ろん:2012/04/14(土) 04:48:23.83 ID:LKt0k6lF
デリダの『エクリチュールと差異』とか懐かしいな〜。。

おいらの青春の本だぜ。。

ギリシア性=知性=ハイデガーと、ユダヤ性=倫理性=レヴィナスの両方を批判して、どっちかと言うとレヴィナスの方へつくんだけど、差異のままに留まるのは無理だと、言語の不可避性から、批判もしているわけ。。

まー今読んでも全部はわからんかもだな・・「暴力と形而上学」。。
804ろん:2012/04/14(土) 04:50:03.82 ID:LKt0k6lF
>>802
訂正、「ハイデガー哲学を差異を欠いた同一者の専制と見る」。。
805バカ女:2012/04/14(土) 04:52:26.31 ID:EyXQ28Nw
>>795
>『存在と時間』のどこのページのどのセンテンスをどう解釈したら、あなたの意見が正しいと立証できるのか説明しなさい。。

ハイデガーの場合は、全体をつかまないと。転回するしね。
まあ、でもシッカリ読めば問題は浮上すると思いますよ。
「存在忘却」から目覚めていれば、批判したくなるはずです。

>あなたの意見を立証する責任はあなたにあるわけだから。。

立証ってね、ハイデガーが認めているわけではないよ。
ハイデガーの存在論に「存在者のかけがえのなさ」が内包されていれば、
ということは、ほんとうに存在の奇跡に気づいていれば、
それが、すなわち「存在者のかけがえのなさ」なのだから
ナチにくみしたりしないと、私が思っているだけだよ。
「哲学と政治」は無関係という一般常識を外して解釈すれば。

>だから、どこで言ってるの?
だから『存在と時間』から読みなよ、それから理解してから言ってよ。
ハイデガーの「既有的に将来する」という考えを理解してから
「存在の真理とは歴史的な現成である」につなげて考えてください。

>これのつながりも不十分・・自分の論理が論理になっていない、と言うことに自分でまったく気づけない。
だから、それは天国にいるハイデガーに言ってよ。
806バカ女:2012/04/14(土) 05:04:25.12 ID:EyXQ28Nw
>>795
>ぼくは、あなたとは全く違う方向からの理解ですよ、ハイデガーのナチス問題については。。

だから、ろんは「哲学と政治は関係ない」っていう常識を言ってるだけだよ。ハイデガーなんて関係ない。
私はハイデガーの考え方には、ナチに与するような隙があると言ってるの。
それは『存在と時間』を読めばわかるし、少し引いた『ヒューマニズムについて』を読んでも、
そのように解釈することができる。というのは、私の意見です。

だから、ろんが私と同じように読んでいて、それはこうじゃないか?と言うならわかるけど
そうじゃないなら、私がろんが言う「哲学と政治は関係ない」をどう思うかの問題でしょ?
それについて反論するつもりはないと言っています。
別次元で話してるんだから噛み合うはずがないからです。

私は普段から、ろんにも言ったけど、哲学は人生の諸問題を解決しないと言っています。
当然、政治もそこに含まれます。人の生による諸問題だから。

後は、ろんがハイデガーを読んで、私と同じ土俵に上がってこないと無理です。
807バカ女:2012/04/14(土) 05:11:41.51 ID:EyXQ28Nw
>>802
>政治的に言ったら、全体主義の反対は、民主主義とか、個人主義とかかもだが、
>哲学的に言えば、多元主義とか多極主義とか、要するに差異を認める思考になる。。
>相対主義と言ったら聞こえが悪いが、自分とは全く違う考え、感覚、世界観をもつ他者と言うものを認める思考が、
>哲学的全体主義に対するアンチかな。。

だから哲学史の変遷の解説は哲学じゃないって。

>だから、レヴィナスは他者と言い、ハイデガーには他者が存在しないという。。
>またデリダは、差異と言い、ハイデガー哲学の差異を書いた同一者による専制と見る。。
>昔読んだもので、もう忘れたが、基本そんなとこだろう。。

哲学の内容が身についてないと単なる解説だよ。

「差異を書いた同一者による専制」が起こるのは、存在の奇跡なき存在論だから、
つまり、存在の奇跡即存在者の肯定なんだよ(ここは哲学を超えるけど)。
存在者の肯定とは「存在者のかけがえのなさ」への眼差しなんです。
もしハイデガーに、この眼差しがあれば「専制」などという事態にはならなかった。
と、私が解釈しているということです。
808バカ女:2012/04/14(土) 05:17:29.05 ID:EyXQ28Nw
>>803

存在についてのデリダの考え方を使えば、私になりには以下のようになります。

存在するのでなければ世界は成立しないので、存在とは世界の原事実であると言えます。
しかし、そこから世界が開かれるという起源性と開かれた世界の現前性の要請するものが
同時に満たされることはありません。
なぜなら、存在は、存在によって開かれた世界の存在者ではありえないからです。
現前するのは、つねに存在者であり、存在者の現前性が生の有限性にかかわるものだとすれば
存在の起源性は死における永遠性の様相を持つと言えるでしょう。

お互いの絶対否定である存在者と存在とが同一性を保とうとするならば
どうしても双方の「あいだ」での差異の反復が必要になってきます。
なぜなら、存在者とは、決して現前ぜず、またすることのなかった存在(の痕跡)との
差異の反復そのもののことであり、それによって生み出された現象に他ならないからです。

また、この反復が可能であるためには、双方の「あいだ」が必要になりますが
ここに不可避的に介在してくるのが、記号の物質性および媒介性であることから
存在者を成立させる構造そのものに、すでに汚染が内包されていると考えられます。
すなわち、存在者の成立を待って、それではない、という仕方でしか
気づかれることのない存在が、この汚染を回避することは原理的に不可能なのです。

存在がどこまでも存在の痕跡に留まるのは、非在である存在の不在によってこそ成立するのが
存在者なのであり、だから存在者とは、いつも「すでに存在した」ものなのです。
だからといって、私は存在者が「存在を経験することは不可能ではないか」とは考えません。
なぜなら、存在(今この瞬間)を経験しているのでなければ存在者は存在できないと思うからです。
809バカ女:2012/04/14(土) 05:53:26.17 ID:EyXQ28Nw
ろん、終わりでいいの? じゃあ、抜けますよ。 
810神も仏も名無しさん:2012/04/14(土) 06:11:11.96 ID:wzTAsrEg
生死をはなれんとおもはむ人、まさにこの旨をあきらむべしもし。
人、生死のほかにほとけをもとむれば、ながえをきたにして越にむかひ、おもてをみなみにして北斗をみんとするがごとし。
いよいよ生死の因をあつめて、さらに解脱のみちをうしなヘり。

ただ生死すなわち涅槃とこころえて、生死としていとふべきもなく、涅槃としてねがふべきもなし
このときはじめて、生死をはなるる分あり。

生より死にうつるとこころうるは、これあやまりなり。
生はひとときのくらいにて、すでにさきありのちあり。
かるがゆゑに、仏法のなかには、生すなはち不生といふ。
滅もひとときのくらゐにて、またさきありのちあり、これによりて滅すなはち不滅といふ。

生というときには、生よりほかにものなく滅というときは、滅のほかにものなし。
かるがゆゑに、生きたらば、ただこれ生、滅きたらばこれ滅にむかひてつかふべし。
いとうことなかれ、ねがふことなかれ。

この生死は、すなはち佛の御いのちなり。

これをいとひすてんとすれば、すなはち佛の御いのちをうしなはんとするなり。
これにとどまりて、生死に著すれば、これも佛のいのちをうしなうなり。佛のありさまをとどむるなり

いとうことなく、したうことなき、このときはじめて、佛のこころにいる。
ただし心をもてはかることなかれ、ことばをもていうことなかれ

ただわが身をも心をも、はなちわすれて、佛のいへになげいれて、
佛のかたよりおこなわれて、これにしたがひもてゆくときちからをもいれず、こころをもつひやさずして、生死をはなれ佛となる。
たれの人か、こころにとどこほるべき。

正法眼蔵 「生死」
811ろん:2012/04/14(土) 06:23:29.15 ID:LKt0k6lF
何度も言うが、フッサールの理解を書いてはハイデガーの存在論もわからない。。

バカ女の言ってることは、素朴実在論と同じ。。

すなわち、超越論的な志向が芽生える以前の素朴的無批判的主観性の肯定。。

存在と言ったところで、主観と客観と言う哲学の大問題を、どうやって乗り越えるのかがどこにも示されていない。。

よって哲学以前である、バカである、問題外である、以上。。
812473:2012/04/14(土) 06:44:55.22 ID:KjdBaCgj
>>709  ≫偉大な見性
「偉大な」としましたが、もっとわかりやすく(あるがままという観念)として書いておけばよかったかもしれない。
格子を通り抜けたという見性は言うまでも無く、大仰なものではなくはじめから自由だった何もかも当たり前だったということです。
それゆえに私は偉大だといいました。 紛らわしいですが、「なにかの達成」ではなく「何かを潜り抜け」というところに読解のヒントがあります。

もし単純に偉大なと読んだとしても、基本的に偉大な何かと認識するのはなぜかという、偉大なと感じることの滑稽さの仕組みを書いているのに何故そう読めるのでしょうか。
伝えたいのは平穏で何もかも自然、と感じるのは束縛が根底にあるからであり、やはり自分を振り返らなければならないということです。

平穏無事を理解したという夢を見ている人は絶えず他人を笑い飛ばす必要性に駆られます。
また、何もかも自然だという見性を偉大だと思うからこそ、人を笑えるし傲慢な態度を取れるのではないでしょうか。
むしろ、ろんさんの態度こそ実に見性を偉大だと思っている人の言動ではないでしょうか。
そうやって奥底にある深刻さから逃避し続けることができます。
深刻なのは、達成に傲慢になっているのは、いつも他人であり自分ではないと思えるのです。

お前が、あんたは、などというと、それを言い返されます。そして互いに自分から逃げ、互いに自分は正しく相手は間違っていると思い
自らの無知を覆い隠すでしょう。互いのためになりません。あらあらしい言葉を使うなとブッダは仰います。
それは基本です。困難で、大切な基本です。それに対して禅は最高峰なのです。
微妙な形で私も無礼なのです。自他の区別があるうちは「あらあらしい言葉」のさししめす「ふるまい」をしています。 それは申し訳ないです。

また707の解説は、覚醒でも弟子でもなく学徒のものとお見受けします。
覚者とは明らかに異質というか、その思念の流れが実に普通の人です。
いわゆる普通の人の精神で大げさな言葉を使っている。背伸びしている。
813473:2012/04/14(土) 06:49:10.06 ID:KjdBaCgj
もしくは無門さんも覚者なのに、なぜかあまりそれらしくない言葉で解説されており、
私には理解できないか。どうにもこの解説は公案でもなければ、共通の経験や下地が無いので評価不能です。

牛は通り過ぎたのですよね。別にそこで止まったわけではない。
牛が通りがかって、しっぽがとおりがかる直前の時をつかむというのは科学の態度であり禅の態度ではない。
その態度は生命の流れ、刻々の現在を遮断してしまう。
私はしっぽがない牛と読み取り、現性における大いなるヒントを得ました。
また、しっぽはあるのだが本体は通り過ぎてしまった、もしくはしっぽが引っかかって通れないというように捉ええると、
私の2番目の解釈と同じく私は解釈します。

しかし、私を今かたどっているのは意識なのであって主義の集まりではないはずなのだ。
なのに、他者に期待し干渉することで婉曲に理想を押し付けている。
それは、意識と臨機応変以外のものを自分だとみなし、同じように他者に要求するからか。
言葉でみな自由、何物にも囚われるなといった所で、それを言うことに囚われて他者と対立していたら世話は無い。
祖師は人々の中にもぐることができた。ブッダいわく、自らより劣るものに溶け込むことができればそれは最上の、、なにかでした。
こうあれと他人に言わなくても、こうあるなといえば、いわなくても望めば同じことか。
誰もが自らに目覚めることでしか変容し得ない。概念の伝達は、人間の中身は同じまま別のことをしゃべるようにするだけ。
目覚めは人に与えるほど有り余っているだろうか。むしろ不足気味ではないだろうか。
独りになるのもいいし、他人は神であるというのもいい。
814473:2012/04/14(土) 06:49:26.70 ID:KjdBaCgj
女史はそのあふれ出る情熱を哲学という器で表現しているだけであり、哲学だから即文字だけということでもなさそうです。
>>553 -555
で思想ということについて考察したとおり、その表現にこだわっていると表現はできても進展は無いであろうことが残念ではあります。

むしろ宗教に関わる、瞑想に関わる人間は、平穏無事を強調するあまり生を殺してしまうことを注意しないといけない。
現実を生きる道もあれば、現実を自分を殺してしまう道もある。
禅や仏教は、自分を他人を封殺してしまいたいという精神にとって格好の利用の対象になる。
有無を言わさず自他を封殺すればもう苦しみは感じずに済む。

だがわからない。良かれと思って作ったのが「私」だが、必然的にそれは他者へも要求され、
帰結として他者への不満が募り、いらいらする。
一切の道徳が無ければくつろぐ。くつろいでいれば、くつろぎしか出てこない。
一切の道徳は捨ててしまって、そこから出てくる怒りが一過してしまえば、あとは道徳は必要なく道徳を他人に要求する苦しみも無いのかもしれない。
賢明な方はそんなこといってる私の先を越してしまって下さい。
815473:2012/04/14(土) 06:50:01.00 ID:KjdBaCgj
自分が批判されそうなことで他人を批判しておけば自分は批判されない。
自分自身の特性かもしれないことで他人を批判しておけば自分はそれを持っていないと確信できる。

これは誰もが持つ一時的な痛み止めの機能なんですが、常態化することもあるんですね。
どんなに客観的に見て明らかな自分の行動も、それにおいて他者を批判するだけで本当に心底自分に見なくて済むんです。
いや、こりゃ天国だなあ。

と、思ったら甘かった。
でもね、まず、口げんかでは内部的に絶対負けない代わりに、リアルであらゆる人から嫌われます。
それと、悪いのはいつも他人、それも自分のとても劣悪な質を全部他人になすり付けるから、
絶えず他者に憤慨することになり怒りが晴れることは無い。
これは地獄だ。

自分の中にあるこの構造の影響から脱出すれば、他者のこれも問題にはならないのでしょう。
816神も仏も名無しさん:2012/04/14(土) 06:50:18.85 ID:unAy3Fpb
存在とか悟りに関することには哲学は無力だよ
実生活にも哲学はかなり無力なわけ
理論的な科学が現代社会を作ったから理論的な哲学も有用なんだと言う
勘違い君なんだよ
存在に関しては瞑想や体験がすべてで理論はマイナスでしかない
817473:2012/04/14(土) 06:50:34.56 ID:KjdBaCgj
投影、じゃないな。
投影は抑圧してるものを相手の役割にさせること。

当然あるだろうと思われる内省がない、論理も無い。
目的は他者否定と自己正当化だけ。そのためだけになんて難しい言葉と修行までしたのかしら。

投影じゃないけど、期待しちゃってるんだろうなあ。
人々に。まして高度な言葉を使う人には期待ひとしお。
相手が人間だって期待しても実際には、悪意をばら撒くマシーンかもしれないのに。

大体相手に良心どころか理性だって期待するのもおかしい。
それはあればあるしなけりゃないのだ。
同じ言葉を使ってると余計混乱するし、自分以外の人間はころっとだまされるのがほっとけない?
しかし、言葉が同じだということに目をつむれば本来まったく別の種類の人間のような。

正しい間違いではなく、愛が土台であり扉なのですね。
818悟り子 ◆AAyxyMDKw6 :2012/04/14(土) 08:07:36.18 ID:+CAElAm0
>>40
>悟りを開いた人は誰?

誰でもないのかもしれません
819悟り子 ◆AAyxyMDKw6 :2012/04/14(土) 08:22:28.62 ID:+CAElAm0
>>764
>いつまでもいつまでも答えを見つけられない、辿り着けない君、その君自身が
すべての答えそのものだ

そんな感じもします
既製品の答え(過去)を持ち歩くことは生の答え(今)を逃す道ですね
でもそれすらも生の答えかもしれません

「悟りについて上手く話せるボクちゃん偉いでしょう?」
さえ神の遊戯であり迷いの体験とゆう甘美な今であり
光を映しだす闇であり存在の詩であり...

・・・そして愛なのかもしれません・
820悟り子 ◆AAyxyMDKw6 :2012/04/14(土) 08:29:00.60 ID:+CAElAm0
>>784
>扉は隙間無く閉じられ、窓もありません
>いったいブタはどこから入り込んだのでしょうか?

扉でしょうか?
隙間無く閉じてたけど看守が鍵をかけ忘れていて
外から押せば開くタイプの扉だったとか?
821ama ◆BmUbLWewsM :2012/04/14(土) 08:57:46.15 ID:tcP7etbD
>>663
牛とは「私」のことでしょうか?
ちゃんと全体を見ないと・・・ということでしょうか。

シッポが残ってしまった、と見てしまっているところに迷いがあるのかもしれません。
残ったのではないのかもしれません。
残ったことをとてもひそやかに問題視していることが問題なのかも・・・。

格子戸(価値判断)を取り払うとシッポは残っていないのかもしれませんが、
格子戸越しに見てシッポを残すのもこれまたあるがままであり「私」の現実です。

一方では、たしかに、格子戸ゆえに部分しか見えないのでシッポが残ってしまった。
格子戸越しに見るのをやめれば、全体をしっかりと見ることができ、分離も起こらない。
そっちとこっちに分けなければ、「私」はおらず、ただ「ひとつ」だけがある。

牛の体が「私」なら、シッポを回収するために戻ってくるでしょう。
「ひとつ」になってしまえば・・・。

羊がたった1匹でも迷子になるなら、残りの99匹をほおっておいてでも、
私は捜しに行って必ず見つけ出し、つれて帰ります。
100匹で「ひとつ」なので。

つまり、私は、辛く苦しい感情や、ひそやかに無視している思考を見出し、
それと「ひとつ」になります。
もともと「ひとつ」だったので・・・。

そして「ひとつ」になれない「私」もこれまた現実。

こういった現実の中に入っていかないと・・・。

・・・とこんなところで降参です。
822悟り子 ◆AAyxyMDKw6 :2012/04/14(土) 09:02:56.36 ID:+CAElAm0
>>816
それを言い表す言葉はなく(それとゆう言葉も含めて)
それに関する話は比喩でありメアファーであり示唆でありすべからく方便なのですね

その合意の基に悟りに関する話では
行間を読むとか文脈を汲み取って意味合いを察するとかの意識の姿勢とでもいったものが求められる感はありますね

生は言語的な理解や理論的整合性といったものを超えて「ただ在る何か」であり
それを言い表わそうとするときに、不必要に言語表現の正解さにこだわる益は無いのでしょうね多分

そもそも言語ではリンゴの味さえ正確には言い表せないのですから(笑)
823ろん:2012/04/14(土) 11:49:07.90 ID:LKt0k6lF
>>821
だいぶ近いところに来ましたが、まだもうちょっとですね。。

「牛が私」ならって、言っておいて、まだ格子窓のこっちから見ているのはおかしくないでしょうか?
牛は格子窓を問題にするでしょうか?

全体とか、尻尾を回収するために戻ってくるwwと言うところで、大幅減点です。。

ホントにわかると、もっと短い言葉でズバッと一句言えるはずです。。

問題を氷解する一句が出てくるはずです。。
824神も仏も名無しさん:2012/04/14(土) 12:29:31.86 ID:8yvfutl8
格子窓は分母。牛は分子。
825ろん:2012/04/14(土) 14:20:33.67 ID:LKt0k6lF
また哲学の話になっちゃうけど、僕は哲学を否定しません。。

まあ厳密に、深く考える、根本を解き明かす、とことん考え尽くすという営みがあるって知るだけでもやる価値はあると思う。。
大学の哲学科で、3,4年かけてみっちりやる。。
まあそれで世間に出た人は、やっぱりバカにはならないというか、ちょっと人よりちがったところがあるという漢字にはなる。。

けれど禅とのつながりで言うと、哲学は禅の実際からすると成り立たないし、あんまり役に立つものではない。。
役に立つのは哲学の批判的側面。。
たとえば、カントの理性批判とか、フッサールの現象学的還元なんてアイデアは、知ってると、心の問題を追及するのに役立つ場合もあるかもしれない。。

西洋哲学とはやはり、アリストテレスから始まったとするのがまっとう。。
Aと言う大前提があって、AならばB、BならばCとなるが云々とやる。。
けれど、ハイデガーはこういうアリストテレス以降を否定して、ソクラテス以前に戻ろうとしているわけ。。
けど、その試みがどこまで成功したかってわからないんだよ。。
なぜかというと、結局主観性から出発して、議論を構築するってやってるわけだから。。
ソクラテス以前の、一元性、自然さ、野性味・・万物の根源を言って、それですべてお終いと言う単純素朴さには戻ることはできない。
そこが彼の限界だろうと思う。。
826ろん:2012/04/14(土) 14:27:21.90 ID:LKt0k6lF
禅と言うものは、純粋意識と言うか、なにもわからない、わかりようがないと言うのが前提で、そこから、現実世界に流れ出していきます。。

だから、まずAと言う前提を成り立たせることができない。。

AならばBというまえに、まず、Aが成り立たないのだから、どうにもならない。。

Aがあると言っても、あると思っている人の認識の中にあるだけでしょ、認識の外にありますか?
ないですよね?と言われてお終いなわけ。。

実存と言おうが、存在と言おうが、主観と言おうが、成り立ちません。。
よって客観もありません。。

現象主義に近いですが、現象主義も成り立ちません。。

西田が何言ったとか、田辺元はそれをこう批判してとか、まったくすべて無意味、九鬼修三が、ハイデガーと話して、おまえはどうしてそんなに優秀なんだと言われた。。
けれど、哲学者の中だけで成り立つ優秀さに過ぎません。。

ここら辺がわからないと、哲学から禅を見ても、全くトンチンカンな見方しかできないということになる。。
827オレって名無しかよ!?:2012/04/14(土) 15:43:06.02 ID:GjMi4wOE
>>826
その話は禅だけじゃなく本来は仏教全般に言える事だと思う。
でも、ども宗派でも「悟り」を思考で理解しようとする人多いよね。
828ろん:2012/04/14(土) 15:50:13.83 ID:LKt0k6lF
>>827
まあ、思考・認識が生じる以前だからね。。

自分を凡夫とか仏とか思う以前の話・・頭いいとかアホとかwそう思う以前だよ。。
829ろん:2012/04/14(土) 15:56:20.87 ID:LKt0k6lF
おいらも別にアホでもクソでもwいいんだけど、まあ研究者としてメシくって君なら、さも優秀そうに、頭よさそうに見せなきゃならん時ってのもあるんだよ。。

だから、そういう仮面とか衣装みたいなもんをいつまでも着てないで、着脱自由と言うか、基本無心にならんとなーとか思う時もある。。

無心で難しいこと考えて、資料読んで、論文書くとかね。。w

おれって天才!?とか思っちまっても、スルースルーですよ、基本は。。

本音を言うと天才とは思えんけどね。。ほんとに天才だったら、今頃もっと偉くなってるだろうってww

こんなとこで草生やしてないってのww
830オレって名無しかよ!?:2012/04/14(土) 16:11:40.69 ID:GjMi4wOE
>>829
天才とか凡人とか関係なく、嘘・偽りのない「自分」でいればイイだけなんじゃないかって思うよ。

でも、なかなかそう出来ない。難しいもんだなとも思う。
831ろん:2012/04/14(土) 16:27:28.38 ID:LKt0k6lF
>>830
まあ天才と言うのは幻想だろうからね。。
ただの頭の良し悪しとか、本読んで理解するスピードが段違いに違う人を仮に天才とか言うだけの話。。
あとは本質を問えるかどうか、問題の枠組みを転換できるかどうか。。
時代を変えてきた人たちも天才って言われるよね。。

自分と言うのはないからさ・・研究者ってのも単なる社会の中の一歯車に過ぎんし。。

世間を渡っていくための、肩書に過ぎんのよ、所詮は。。
難しいこと知ってるくらいで、後は普通の人と変わらんし。。

まあ研究者になりきって研究者を忘れろって言われるかもだな、まだそこまで行ってないかもだし。。
ハンパ研究者のハンパ禅仏教徒ww
832ろん:2012/04/14(土) 16:29:44.79 ID:LKt0k6lF
禅なんぞ忘れて研究に打ち込むのが、今の僕のやるべきことかもね。。

あっはっは、公案なんぞ出しちまったから、それにはある程度付き合うけど、哲学自慢女郎はもう御免蒙るかな。。w
833ろん:2012/04/14(土) 16:30:57.75 ID:LKt0k6lF
でもしか研究者にはもう既に成りきっている!!
834473:2012/04/14(土) 16:50:05.92 ID:BskbW+Se
苦しみを全く受け止めず外に撒き散らす人がいる。
非常に表面的な生をバランスよく生きる人がいる。
それなりの深みのある喜びと苦しみをバランスよく生きる人がいる。

自らの深みに降り、魂の闇夜と光り輝く意識を探求しようとする人もいる。

今の深みでバランスよく生きる人もいれば、より深い喜びと苦しみに入って行こうとする人もいる。
今の自分に正直な人もいればそれを偽る人もいる。

あらゆる人がいるようだ。世界は、人々の流れは実に捕らえがたい。
私の想像を超えている。
835オレって名無しかよ!?:2012/04/14(土) 16:59:46.57 ID:GjMi4wOE
>>834
世界を捕らえるより「己」を捕らえるほうが先だと思うよ。
836ろん:2012/04/14(土) 17:33:03.80 ID:LKt0k6lF
心の深みがあるとか無意識があるとか、要するにクリアーじゃないってだけに過ぎんわけよ。。

現実を生きろって言う時の現実が苦なんじゃなくて、胡蝶の夢のような世界を自ら構成してくる苦しんでるだけってことでさ。。

そのベールを引き裂いて、決まりきった世界から抜け出せば、あとは自由があり、遊びがあり、楽しみがありってだけなのよ。。

肉体の苦しみだけは、取り除けないかもだがな。。
837ろん:2012/04/14(土) 17:36:42.68 ID:LKt0k6lF
まあ、所帯もつか、持たいないかとか、野心を持つか持たないかにもよるけどね。。

それは選択の自由に含まれるから、好きにすればいいだけ。。

持たない方の楽もあるし、持つ方の楽しみ喜びもあるだろう。。
しかし妻子があったら、束縛はきつくなるだろうし、苦が生じる因も増えることになる。。

なんにせよ、好きにすればいいんだよ、自分を「自分で」縛らないならば。。
838オレって名無しかよ!?:2012/04/14(土) 17:49:08.87 ID:GjMi4wOE
>>836
>肉体の苦しみだけは、取り除けないかもだがな。。

取り除けないのは肉体の「痛み」だね。
839ろん:2012/04/14(土) 18:11:19.36 ID:LKt0k6lF
世間の法則、ルールの中でやっていくというのは、縛りであるように見えて、それが当たり前になったら、縛りでもなんでもない、あたりまえに過ぎないわけ。。

仏教が問題とする苦って、それじゃないんだよね。。

世間のルール法則じゃなくて、自分で自分を苦しめるという自己関係性、自己束縛を解き放つということに過ぎない。。

自己を解き放った時には、世間のルールも絶対的なものではなくて、相対的、つくりものに過ぎないことにも気づくだろう。。
840ろん:2012/04/14(土) 18:12:37.40 ID:LKt0k6lF
>>838
ああ。。
841神も仏も名無しさん:2012/04/14(土) 19:04:07.37 ID:Yclyfrec
>>821
公案は答えがあるということではなく、公案を通じて自分と向き合いそれを理解してゆくことなので、
amaさん自身の正直な回答が大切であり、またamaさんそのものに対応できる師だけが本当の対応をできるのでしょう。

私はしっぽが残っていることに気づかないという戒めに取りますし、amaさんは残ったことを問題視することを追及しています。
この2つは共に理解されるべきことであり、今2人は別のことを生のテーマにしているのでしょう。

amaさんは格子戸ごしに見なかればと仰いますが、それは壁の破壊でしょうか。
もともとが「通り過ぎたのに」という時間の側面がもとの公案にあるので、
壁の破壊がありとすれば、牛がそこに止まって立ち尽くしている状況でないとと無理なような。

また格子戸が価値判断(私)であり、牛が生命なら、私がしっぽだけ握り締めて肝心の生(牛)をまるごと取り逃がしているとも言えませんでしょうか。

元の公案にしたがって考察するのも大切ですが、少々捻じ曲げたとしても自分自身を搾り出すほうが大切に思うので取り方は厳格にしなくてもいいとは思います。
一匹の羊のために引き返す。それは愛です。
しかし、私は一匹の羊にしがみつき99匹の羊を丸ごと逃していてそれに気がついていないのかもしれないのです。

>>835
世界への驚嘆や、それを捉えようとすることの絶望はひとつの鍵になりませんでしょうか。
842473:2012/04/14(土) 19:05:51.08 ID:Yclyfrec
無意識から生まれた表層の思考は、いつも無意識を理解していると思い込む。
無意識から脱出する夢を見る。希望を持つ。空約束をする。
しかし無意識がどうやって無意識を超えるのか。

無意識があれば私=無意識であり、それに気づいていることしかできない。
無意識から自由であるような実際の認識や振る舞いは不可能だ。

無意識が無ければそれは即自由なのでしょう。自由を語る必要も無く、それを生きる。
無意識に条件付けられた思考が希望を持つ限り何も変わりはしない。

私がやっているのはその帰結の観察と絶望の提供でしかない。
絶望は最初は苦いが、それだけが苦しみのパターンを死なせうる。

無意識は今働いており、それから抜け出すのも今をおいてない。
無意識から生まれる思考が作り出した概念は、今刻々と働いている無意識に対して無力だ。

今だけが刻々と働く無意識から自由になれるスペースだ。今刻々と生き続けることができる。
普段の意識の試みが、不断の覚醒にいつかたどり着くと先達は言う。

それゆえに自らを掘り下げることと、今あることを宗教は仕向ける。
そう、掘り下げるように仕向ける。考察を積み上げさせないように。
そして、今あるように仕向ける。今あらざる得ないような空白を生んだり、希望を全て取り上げる。
843神も仏も名無しさん:2012/04/14(土) 19:52:22.20 ID:wzTAsrEg
仏教の法門は八万四千と言われひと通りではない
http://www.nurs.or.jp/~academy/butten/nyubodai8.htm
844神も仏も名無しさん:2012/04/14(土) 21:53:57.36 ID:RjrPS+Zz
質問、僧侶がメガネしたまま座禅するのを見たことあるんですが、
目が悪い人はメガネしたまま座禅するのですか?
845バカ女:2012/04/15(日) 00:17:51.37 ID:ucedvmjy
>>811
>何度も言うが、フッサールの理解を書いてはハイデガーの存在論もわからない。。

ろんがフッサール万歳なのは「わかってる」って前から言ってるじゃない。
ろんはアホだからフッサールの理解が必要なの。アホを私に押し付けないでよ。

フッサールとハイデガーは、哲学をはじめるにあたっての起点を共有していただけだよ。
起点を山の頂上とすれば、フッサールは山から降り、ハイデガーは頂上に山小屋を立てた。
下山するフッサールと頂上に住まい続けるハイデガーとが袂を分かつのは当然でしょうに。

>バカ女の言ってることは、素朴実在論と同じ。。

 920 自分:バカ女[sage] 投稿日:2012/03/01(木) 22:23:45.76 ID:xZ3fseb2 [4/10]

  >真偽とは人が立てた問題において存立しますが、
  >真偽を決める自然界は、人間の認識とはかかわりなくあるということです。。
  なるほど素朴実在論ですか。
  そうでもないか、真偽を決めるのは俺様よ そう泣く子も黙る自然界よ ぐははー

  大見出し「世界に衝撃 バカ女博士が発見した万有引力の法則は、世界そのものの法則だった」
  詳細記事「博士によると万有引力の法則は言語による解釈とは一切の関わりがないらしいのだ」

よっぽど悔しかったんだね、アホだから。

ろんは、もしかしたら上で言った山の頂上と自然をごっちゃにしてるんじゃないの?

天才の私からすれば、鈍牛ならぬフッサールのまどろっこしい思考にはとても耐えられません。
鈍重なろんには、フッサールがお似合い。
846バカ女:2012/04/15(日) 00:19:37.71 ID:ucedvmjy
>>811
>すなわち、超越論的な志向が芽生える以前の素朴的無批判的主観性の肯定。。

未だ主もなく客もない純粋経験について書いたばっかじゃん。アホか!

現象学的還元による現象、つまり純粋体験とどこがちがうん?

ハイデガーなら存在の開示態(現象学的真理)、このスレなら悟りの境位、どこがちがうん?

>存在と言ったところで、主観と客観と言う哲学の大問題を、
>どうやって乗り越えるのかがどこにも示されていない。。

大した問題じゃない、ろんがアホなだけ。(苦笑)

超越論的還元による現象=純粋体験を定式化すれば「私には〜と思われる」でいいと思う。
デカルトのコギトやカントの超越論的統覚を引き継ぎつつ超えようとしてるんだから。

ここで誤解しないでほしいのは「私には〜と思われる」は主客未分のひとつの全体としての
<それ>なのであって、主客が分離した上で取り出された「それ」ではないということです。

私は、純粋経験(=純粋体験)の境位から、いきなり主客が創発するとは考えません。
純粋経験での主客未分には、主客が潜在態(可能性)として内蔵されていると考えます。
それを目に見えるようにするためには「私には〜と思われる」と示すのがいいと思います。

フッサール用語を使えば、純粋体験において絶対的主観性とその超越論的生が開示され、
開示された境位を超越論的領野と呼びます。

で、フッサールは、客観は超越論的生の志向的総合によって構成されると考えるわけです。
超越論的還元による「私には〜と思われる」がそのまま主観と客観の形式ということです。
すなわち、志向的総合、つまり意識は常に「なにものかの意識」である、ということです。
847《アラシを呼ぶ男》 ◆Arasi/MT2E :2012/04/15(日) 00:51:45.20 ID:FVsrwtV+
>>793 Ann ちゃん
> >>790
> 僕の坐禅の姿がポッたん閣下に一発ぶちかますのです。  僕の尻に敷かれる気分はどうですか???

>一発ぶちかます

ぶつかり稽古? ドスコイ !?

>僕の尻に敷かれる気分

それは、ヒッピー な。。Hip だけに・・
848オレって名無しかよ!?:2012/04/15(日) 01:30:24.22 ID:AJ5TrhyT
今日は人いないね、出直すか。
849安堂 ◆3LK.0gZrV2 :2012/04/15(日) 01:41:37.90 ID:7PeqXyto
坐禅おわった・・・。

>>847
すこし笑いました。
ポッたんは妙なかわいらしさが文面に表れますね・・・。
850安堂 ◆3LK.0gZrV2 :2012/04/15(日) 02:07:57.65 ID:7PeqXyto

今日は誰もいないな・・・。
ろんの大演説でみんなクタクタなのかね・・・。

結局、ここでも「主客問題」が火元になるのか。
もう飽きた感が・・
851神も仏も名無しさん:2012/04/15(日) 02:11:14.34 ID:rzFsGnLr
>結局、ここでも「主客問題」が火元になるのか。

wwww 悟りオタクから、「主客問題」とったら何が残るか?wwww
852神も仏も名無しさん:2012/04/15(日) 02:13:32.82 ID:QdJFYE4T
哲学に関しては、人間が物事を完全に客観的に見るなんて無理ってとこまでわかればいいと思うんだけどね
あとはこの複雑系の世界の中でどうくつろいでいられるかじゃないかね
853オレって名無しかよ!?:2012/04/15(日) 02:19:01.76 ID:AJ5TrhyT
主客問題って何?
854安堂 ◆3LK.0gZrV2 :2012/04/15(日) 02:20:54.62 ID:7PeqXyto
>>851
悟りという妄想が崩壊して
人それぞれになる・・・。当然のことだけれども・・・。

>>852
よって、完全に客観的に見るなんてのは幻想であることがわかる。
だから人それぞれ。バベルの塔は、はじめから砂上の楼閣だったのです・・・。
855《アラシを呼ぶ男》 ◆Arasi/MT2E :2012/04/15(日) 02:25:53.32 ID:FVsrwtV+
>>849 Ann ちゃん

フランス語では、ケツクセ〜 と言うとか・・・
856神も仏も名無しさん:2012/04/15(日) 02:27:29.80 ID:rzFsGnLr
>主客問題って何?

www 暇なときにやれば時間つぶしになるお遊戯w
857オレって名無しかよ!?:2012/04/15(日) 02:30:10.84 ID:AJ5TrhyT
主客問題をググってみたけど、これって「悟り」に関係ないね。
858安堂 ◆3LK.0gZrV2 :2012/04/15(日) 02:32:55.20 ID:7PeqXyto
>>855
qu'est-ce que c'est?
Viva La Amour!

>>853
http://mimizun.com/log/2ch/philo/1010427881/
こんな話だろう・・・。
859《アラシを呼ぶ男》 ◆Arasi/MT2E :2012/04/15(日) 02:35:31.65 ID:FVsrwtV+
>>858

、(;^ω^)アセアセ

ケツカセー でも いいかも・・
860オレって名無しかよ!?:2012/04/15(日) 02:37:37.25 ID:AJ5TrhyT
>>858
そのスレ読んでみたけど、ノス師匠の話みたいだな。
861安堂 ◆3LK.0gZrV2 :2012/04/15(日) 02:46:30.11 ID:7PeqXyto
>>860
http://upload.wikimedia.org/wikipedia/commons/1/17/Yin_yang.svg
↑このマークを見て欲しい・・。

黒い丸●が自分だとして、そのまわりを白い海(世界)が取り巻いている。
同時に、黒い海(自分)の中にある、白い丸○(世界)。
そして、それらを一つの円としている。

世界の中に自分があるのか?
自分の中に世界があるのか?
という永遠の質問をあらわしている・・・。
862オレって名無しかよ!?:2012/04/15(日) 02:56:02.38 ID:AJ5TrhyT
>>861
>世界の中に自分があるのか?
>自分の中に世界があるのか?
>という永遠の質問をあらわしている・・・。

物質世界の中では、世界の自分があるし
意識の世界の中では、自分の中に世界がある。
2つの世界を共通する1つの捉え方で見るのに無理があるんじゃないかな・・・・

それに「悟り」の世界では世界と自分が共に無いから質問自体が成り立たないと思う。
863オレって名無しかよ!?:2012/04/15(日) 02:58:10.69 ID:AJ5TrhyT
すいません、今日はもう落ちます。おやすみなさい。
864安堂 ◆3LK.0gZrV2 :2012/04/15(日) 03:00:24.37 ID:7PeqXyto
>>862

僕は論理的思考が苦手だからよくわからないけど・・・、
とりあえず言ってることに違和感を持たざるを得ない・・・。
なぜかわからんが・・・。
865神も仏も名無しさん:2012/04/15(日) 03:20:57.34 ID:yk0nKUCm
>世界の中に自分があるのか?
>自分の中に世界があるのか?
覚者なら両方正しいというだろう

論理的には間違いなことが正しいという悟りの世界では
哲学・科学がまったくに役に立たないと言うことを示しているな
866安堂 ◆3LK.0gZrV2 :2012/04/15(日) 03:22:32.56 ID:7PeqXyto

『万軍の主は、イスラエルの神』と唱えられる御名が、

とこしえにあがめられますように。

本日はこれにて散会いたします・・・。
867473:2012/04/15(日) 04:33:10.07 ID:LZvZs2en
呂祖師が仰るには
思考を見つめるのではなく、その去来を許し、その隙間を見出せと。

「内省を推し進めても何も得られない。想念がどこから現れたのか見るのでよしとし、その先を極めようとしてはならない」

想念においても、より複雑である混乱や、複雑かつ微妙な(私)についても同様なのでしょう。
問題が生まれる以前の空のスペースに親しむ。

もちろん希望に取り付かれ開放の夢ばかり見て、想念も混乱も抑圧してしまっていてはこの言明に意味はありません。
根源と空を求め、求めたとおりの夢を見てしまうでしょう。
やはり、生の中で自らの無知を痛感し、絶望するという入り口あってのこととは思います。
868ろん:2012/04/15(日) 06:15:28.25 ID:bAMpcy01
>バカ女女史

悪いこと言わないから、とにかく大学に入るか、リアルのハイデガー読書会でもいいから言って、まともな哲学研究者に会ってみてください。。
あなたの自称哲学は、2ちゃんねる以外では通用しないカスみたいなもんです。。
自己満足以外の何物でもなく、飛躍しまくりで、自分の推測と、思い込みと、まともな論理、理解の区別もできていません。
僕は頭がいい人の文章と言うか、クリアーな人の文章はわかります。。
ミクシィで哲学が専門の東大出の大学の講師が(僕も大学の講師ですが・・)禅の公案について自分の考えを書いていました。
西田を引用しながら書いていましたが、至極まっとうで、クリアーなものでした。。
それはやはり、まっとうなアカデミズムで鍛錬を積んでいるからです。。
とにかく、最初は10枚でもいいから、レポートを書いて誰か信頼できる人に見てもらうとかして、
だんだんと哲学をまっとうに論じる訓練が必要でしょう。。
それは、2ちゃんねるでは不可能なことです。。
読書量も知識も足りないと思います。。
偏りがあるし、哲学研究者なら知っていて当然な知識があなたには欠けています。。
主観と客観のアポリアと言うか、哲学上の大問題も、ぜんぜんまともに理解できていないので、
こっちからすると、まったく議論することがバカらしいんですよ。。
ようするに、オナニー以外の何物でもない行為なんです、あなたの書き込みは。。
よって、僕は相手にする気がありません。。あしからず。。
869ろん:2012/04/15(日) 06:21:16.38 ID:bAMpcy01
最初は大学のイクステンション(夏休みとかの公開講座)でも行ってさ、自分の質問や意見を先生にぶつけてみればいんだよ。。

それは、どんなバカな質問でも、不理解から来るものであっても、バカ女さんの法がお客様なわけだから、丁寧にどこが間違ってるか教えてもらえるはずですよ。。
870ろん:2012/04/15(日) 07:03:34.94 ID:bAMpcy01
>>846
だからな〜〜んにもわかってない。。

還元による現象が純粋経験?
そんなことどこで言ってんの?
西田とごっちゃにしてるだけちゃうか?

後半もレスするのもアホらしいけど、答えてやろうか。。
要するに、あなたは超越論的云々とか一部の用語理解があるだけで、全体の構造がわかってないから、
言ってることに意味がない。。

還元しても、ノエマとノエシスを分ければ、主客の問題は残る。
解決できるものではない。。
単に実在があるかどうかの問いがカッコに入れられるだけと言うことです。。

金取るぞ、コラーw
871ろん:2012/04/15(日) 07:19:54.84 ID:bAMpcy01
>>845
あなたはわかってないと思うけど、一言で言えば、ハイデガーは哲学じゃないの。。
哲学じゃなくて、思想と言うこと。。
哲学科の中でも、ハイデガー主義者はいるけど、まともな厳密な学じゃないから、ゲリアン(ハイデゲリアンの略ね)といわれて、あんまり相手にされなかったりする。。
ハイデガー自身は天才かもだよ。。
けれどハイデガーに心酔する人たちは、まともな哲学やってない人たちなんだよ。。

まあ学部生レベルだとそういう話だな。。
大学の教員になって、まだやってる人たちは、そういうことわかったうえでやってるから、いいんだけど。。
872ろん:2012/04/15(日) 07:22:49.49 ID:bAMpcy01
哲学じゃなくて思想と言うことは、要するに恣意的な意見、主張を述べているにすぎないということ。。

窮乏にあえぐ敗戦国における、一青年の主張ですww
873ろん:2012/04/15(日) 07:31:34.50 ID:bAMpcy01
厳密に論理構築した哲学って、ドイツだとスピノザ、カント、フッサールくらい。。

ヘーゲルとハイデガーは、こうですって、根拠もなく断定してるだけだから。。ww

まあ、クリアーに思考するのが好きな人、思想なんか要らん、哲学がやりたいという人は、
まず、ヘーゲルやハイデガーには行かない。。

カント、フッサールか言語哲学に行く。。

カント、フッサール、言語哲学、は地味だから、つまらんかもだけど、まあまっとうな哲学と言ったら、そっちだし、まともな哲学の基本を理解せずして、思想だけやると、まず、まともなものにはならない。。

哲学科で、西洋哲学全体を踏まえた上でやるなら、まだいいんだけどね。。
874ろん:2012/04/15(日) 07:38:02.99 ID:bAMpcy01
>>861
大極図でしょ。。
大局図って、自我を持って二元性の中で生きる在り方を表わしてると思うねー。。

二元性が消滅すると、禅の円相になるんでしょう。。
875ama ◆BmUbLWewsM :2012/04/15(日) 08:30:40.01 ID:iN3grEil
>>823
難題ですね。

もうひとつ分かったことは、
自分が過ぎ去ったことも尻尾を残したことも、
牛(私)は知ることがないということです。

過ぎ去ったとか残ったと言っている、格子越しに見ているのは誰なのでしょう?
876ろん:2012/04/15(日) 08:54:56.52 ID:bAMpcy01
>>875
そう、だから自分を見ている自分が余計と言うことなんですよ。。

自分を見たって自分をわかるはずはないのに、見て何か問題があると思い込んでいる。。

そういうことの喩えだと思えば、間違いじゃないんだと思います。

もう一つ、牛=悟りと取ることもできると思います。

悟りとは自分を見ない、忘ずるということなのに、どうして見てしまうのか?

どうして認識以前の自己=悟りを自分で見て、まだ至れていないとか、悟ってないとか余計なことを思うのか、と言う喩えでもあると思います。。

けっこう基本的な問題だと思うんですよ、これは。。

けれど、実際には見ちゃうでしょ、わかってはいても。。
見たっていいんですが、おかしなことやってるのに気付きなさいと、そう言う五祖のお示しだと思うんですね。。
877悟り子 ◆AAyxyMDKw6 :2012/04/15(日) 08:55:53.53 ID:nD3I+FGv
>>852
>哲学に関しては、人間が物事を完全に客観的に見るなんて無理ってとこまでわかればいいと思うんだけどね

そう、全ては主観ですね 「私」が見ている花は「私」の意識に映しだされた映像としての花であり
その映像自体「私」の意識に他なりません
878ろん:2012/04/15(日) 09:04:46.70 ID:bAMpcy01
>>877
 花は花 月は昔の月なれど 見る者のものになりにけるかな

至道無難禅師の歌で、せったんさんがよく言ってたんですが、悟った後の感慨ですよ。。

昔と同じ花だけど、昔は主観で、自分の心を投影して観ていた。。
見るものの心を見ているに過ぎなかった。。

自分の心がなくなったら、花は花、月は月・・自分無しの風景ですね。。

自分あった時も、花は花で、月は月ではあったんですが。。
879悟り子 ◆AAyxyMDKw6 :2012/04/15(日) 09:05:44.30 ID:nD3I+FGv
>>861
>世界の中に自分があるのか?
自分の中に世界があるのか?
という永遠の質問をあらわしている・・・

本当は中も外も無いのかもしれませんね
自分と世界は同じものなのかもしれません
880悟り子 ◆AAyxyMDKw6 :2012/04/15(日) 09:19:25.99 ID:nD3I+FGv
>>878
>自分の心がなくなったら、花は花、月は月・・自分無しの風景ですね。。

ただそれが在るのですね・
881神も仏も名無しさん:2012/04/15(日) 09:28:27.86 ID:yk0nKUCm
>>876
牛が心、尻尾が真我なのでは
一般人は牛=心を必死で探しても尻尾=真我を
見付ける人はいない
882ろん:2012/04/15(日) 09:49:20.58 ID:bAMpcy01
>>881
だから、それらを外に求めるのがおかしいという話なんです。

内に求めても同じですが。
883オカルト代表 ◆gNALQEzKvA :2012/04/15(日) 11:12:25.52 ID:JSVsJ22s
やはり迷いと悟りは両立してはいけない、という思い込みか。
本当に根が深いな。

迷いと完全に断絶した悟りを取り出したいわけだな。
では、そんなものがあるとして、どうやってそこまで辿り着くのだろうか。
それを知った人はどうやって迷いまで戻ってきて、人々に話すのだろうか。
何たって断絶してるんだからな。繋がって混ざっててはいけないのだろう。

さて、そんなものはどこにあるんだろうか。そして、それをずっと探している君は
どこにいるんだろうか。今までもこれからもどこにいるんだろうか。

解説はしないよ。意味わからないか。わかりたくないんだろうな。
884ろん:2012/04/15(日) 11:28:30.55 ID:bAMpcy01
>>883
いや、人に話す必要なんてない。

みんなそれなわけだから、断絶も何もない。。

ただ内も外もなく、自他なくあればいいというだけ。。

こういう掲示板だと、話し手である私と、相手と言う風に分裂するから、どうしても自他は出ちゃうけどね。。

あんあたは、自分以外みんな迷ってるように言うから、それが分裂してるということ。。
そういう言い方自体おかしいんです。。
885オカルト代表 ◆gNALQEzKvA :2012/04/15(日) 11:40:11.95 ID:JSVsJ22s
いずれにしても、どんなことを語っていたとしても、
それで本人が楽に生きれているなら、何も問題はないよ。

楽になっているのなら、それで十分だ。もうあとは遊び心で悟りを
語っているんだな。皆そうなんだな。それなら、何も言うことはない。
886ろん:2012/04/15(日) 12:03:45.24 ID:bAMpcy01
>>885
苦であろうが、楽であろうが同じではないかい?

あなた自身の分別が余計だと思うが。。
887オカルト代表 ◆gNALQEzKvA :2012/04/15(日) 12:07:59.56 ID:JSVsJ22s
ああ、余計でいいよ。そうしてまた俺は迷ったわけだ。
よし、これからも迷っていこう。
888神も仏も名無しさん:2012/04/15(日) 12:13:28.21 ID:Yv7DBvHf
答えを持ってしまったんだろうね〜
889オレって名無しかよ!?:2012/04/15(日) 12:39:11.57 ID:AJ5TrhyT
>>888
答えって何?

持てるような答えってどこにも無いと思うけど・・・・・
890ろん:2012/04/15(日) 12:42:25.79 ID:bAMpcy01
>>889
そう、シッポがないって騒いでるだけだから気にするな。。w
891神も仏も名無しさん:2012/04/15(日) 12:46:19.61 ID:pH4LdlKN
>>846
バカ女とノスタルジアはどこか似ている

どこが似てるのかはハッキリしないが
892悟り子 ◆AAyxyMDKw6 :2012/04/15(日) 12:56:52.02 ID:nD3I+FGv
>>821
>羊がたった1匹でも迷子になるなら、残りの99匹をほおっておいてでも、
私は捜しに行って必ず見つけ出し、つれて帰ります。
100匹で「ひとつ」なので。
つまり、私は、辛く苦しい感情や、ひそやかに無視している思考を見出し、
それと「ひとつ」になります

私は善い羊飼いなのですね

主(私)は羊達(「私」)を青草の原に休ませ(受け入れて)
 憩いの水のほとりに伴い(それと一つになり)、魂(愛 平安 喜び)を生き返らせてくださる・

私は甦りなのですね
893悟り子 ◆AAyxyMDKw6 :2012/04/15(日) 16:46:16.46 ID:nD3I+FGv
>>841
>amaさんは格子戸ごしに見なかればと仰いますが、それは壁の破壊でしょうか。
>また格子戸が価値判断(私)であり、牛が生命なら、私がしっぽだけ握り締めて肝心の生(牛)をまるごと取り逃がしているとも言えませんでしょうか。

>>821
>格子戸(価値判断)を取り払うとシッポは残っていないのかもしれませんが、
格子戸越しに見てシッポを残すのもこれまたあるがままであり「私」の現実です。
894ろん:2012/04/15(日) 18:10:54.21 ID:bAMpcy01
>>892
迷える子羊って言うけどさ、ホントに迷っているんだろうかね。。
正しく訳せば、迷子の子羊か。。

ホントはそうじゃなって、単に好きなとこに遊びに行ってるだけなんじゃないだろうか。。

帰りたくなった時には、帰ってくるんじゃないだろうか。。

・・無門禅師の話だと、シッポはもう穴に落ちて見つからないそうだけど。。

最後のところの口語訳だけ言うと以下のようになる。。


 通り過ぎれば穴に落ち、 引き返しても粉みじん。

 いったい尻尾と言うやつは、 なんとも奇怪千万さ。

                         (西村恵心訳)
895ろん:2012/04/15(日) 18:13:20.19 ID:bAMpcy01
もちろん無門禅師の見方が、唯一じゃないけど、これだと、過去の自分の幻を見てるってことの喩えでもありそうだ。。

もちろん見れるものはすべて過去でしかないんだが、過ぎ去ったことは消えてしまったのに、なぜかある、残ってしまう。。

それは過去の幻を見て掴んでいるからでしょう。。

過去を振り返って、見てももうないんですよね、終わってしまってること、死んでしまっていることだから。。
896ろん:2012/04/15(日) 18:14:47.04 ID:bAMpcy01
一瞬一瞬新しく生まれ変わっている、一瞬一瞬過去の自分は死んでいる。。

死んだ自分をあげつらっても意味はない、評価しても何にもならんと言うことだろう。。
897ろん:2012/04/15(日) 18:16:57.69 ID:bAMpcy01
引用の前に「頌って言う、」を書くの忘れた。。
898ろん:2012/04/15(日) 18:18:25.19 ID:bAMpcy01
子供は切り替わり早いでしょう。。

amaさんの子供さんが何歳か知らないが、泣いてる子供におもしろいギャグとか言うと、すぐに笑ったりする。。

大人は、いつまでもくよくよするかもだな〜。。
899473:2012/04/15(日) 18:21:55.01 ID:LZvZs2en
>>893
格子戸越しに見なければというけれど、むしろものを見えなくしているのは格子戸の格子ではなく、格子戸の周りの壁では。
格子戸を取り払うとは何を取り払うのか。むしろ格子戸だけが隙間なのに。
どちらにせよそれを取り払うということは私を取り払うということであり、生半な応答で表現できることではない。

また、牛が私といいつつ、格子、価値判断が私の現実というのは分裂がある。
価値判断に囚われつつも自分は牛であり自由を謳歌しているもりでいるというように見える。
まるで価値判断と自分が別のもののように、価値判断を破壊できるかのように、
また私が価値判断と別物かのように語る。それを語るのはまた別の価値判断でしかないのではないだろうか。

私が無視している感情や思考を見つけ出しというのは自己欺瞞なのです。
まさにその私がそれから目を背けるメカニズムであるから。
自分の本心と逆のことを言っては自我のメカニズムは延命します。
無意識に開放を望んでおいて、悟りを求めることはばかげてると言えば、根底にある人間らしい1万の欲望の混乱から目を背けられるように。

基本的に彼は好きなものは見ますし好きでないものからは完全に目を背けます。
それゆえに安定していられます。それもそこそこの深みにおいて。そして彼の好むものは健全です。
473ももちろん100匹の羊のうちの何匹かなのですが、見ぬふりをしている。473の中に彼が見出してない羊は何匹かいるでしょうに。

普通の人が10匹しか羊を同時に見られないとして、死ぬほどの修行した人は20匹は見られるでしょうか。
それが30匹になると少々苦しくなってまいりますし(程よい成長への刺激ともいえます)、40匹になると非常に混乱して安定を保てないでしょう。
100匹同時に認識したら、それはあまりにも情報が多すぎて昏倒してしまうか、それを照らすほどの光で自らを掘り尽くし根源にいたるかのどちらかでしょう。
900473:2012/04/15(日) 18:46:25.45 ID:gFWjOtAB
今は、何てことないかちょっとけだるいだけなのに、あることに直面すると欲、争い、そして恐怖がわいてくる。
不思議だ。なんてことないと感じている人と、怖がってる人は同じ人かな?
異なる部分が主導権を握ってるかもしれないけど、同一人物の異なる反応かもしれない。

私があるかぎり、喜怒哀楽の一切の可能性が残り、そしてその可能性を回避することはできないのか。
901473:2012/04/15(日) 19:12:40.85 ID:L2Ij3HM2
私が即束縛であり、私が即苦しみである。
と言ってるものの実際にはそう思ってないようなのです。
やはり、束縛の反対物としての悟りや、あるがままや、悟りを欲しないことや、自分を見ることと通じて
「私の苦しみは私のせいなんかではなく私が何とかできる」
と思っており、それゆえに私は誘惑や希望に弱く、人が提示する誘惑や希望に反対する。

乗せられないのはそれが無益だという経験があるからでもあるし、
その弊害をいちいち分析するのは実際ちゃっかり影響を受けているから自分自身が受けてる影響を否定するためであったりします。

他人を見れば、「その人自身が問題でありなのにその人は自分自身の望みと反することを表面的に言って自分をごまかしている」
と見えるのですね。これはそれを自分自身に適用できれば大いなる財産になるでしょう。
他人の例を参考にしないで自分に見るのは非常に困難な何かです。

先達が言うには私が私の苦悩を解決した例はないとの事なのですが、私は私自身が原因だと認めようとしません。
私自身が原因といっても大体どうすればいいのか。(そりゃ自分自身が原因だと本心では思ってないからだよたぶん)
かといって自力では一向に解決しそうにないので、自分自身の認識で自分のせいだと見抜けるように日々観察しています。
902ろん:2012/04/15(日) 19:23:24.41 ID:bAMpcy01
囚人,473。。

悪妻の横暴におびえる、恐妻家か?

あるいは会社の上司に怯える、無力なサラリーマンか?

いやいやひとり言、想像に過ぎんけどね。。
903ろん:2012/04/15(日) 19:56:20.84 ID:bAMpcy01
格子窓のこっちにいる人の視点で言ったらね。。

牛なんてどうでもいいってことなの。。

シッポがあろうがなかろうが知るかw関係ないと言うことだね。。

はじめから見なけりゃいいだけの話。。

見たってシッポが見えなかったなーでお終い。。

まあ自他を気にし過ぎる人はとことん気になるんだろうねー。。

いやーそうじゃなくて、もっと好きに人生を楽しめよと言いたくなる。。。
904ろん:2012/04/15(日) 20:02:24.26 ID:bAMpcy01
あとはやはり一つの宗教とか教えとか思想を正しいと思い込んでしまうと、それ知らない人々が気になって仕方ないのかもしれない。。

禅なんてもんは、もともとないものだから、わかったら、ハイさよならでお終いだけど、

他の宗教はどうも違うみたいね。。w

カルトとカルトじゃない宗教の違いって何だろ。。

信じ込んでわれわれが正しいって思いこんじまったら、なんでもカルトと変わりがないように思うけどね。。
905神も仏も名無しさん:2012/04/15(日) 21:48:32.34 ID:yk0nKUCm
カルト・洗脳とは
この世が幻影とするならばこの世の何かを信じ進もうとすること
違うものとは
すべてを捨て進まず戻らず信じず忘れること
906473:2012/04/15(日) 22:02:05.33 ID:/aQxZIu1
非常に不自由な人間の特徴は自分が不自由だと認められないことにある。
それと直面しないために、悟りとあるがままという無意識の対立軸をもって自己の内部で争わせたり、
他者と議論する。
直面してしまったら悟りもあるがままもなく自己に働きかけなければならなくなる。
907473:2012/04/15(日) 22:04:25.20 ID:/aQxZIu1
私の存在が、対人関係や、性の問題や、お金の問題、さまざまな決定に関する問題を作り出す。

しかし、これらの問題は私の在り方が作り出すものなので本質的に解決不可能に思う。
対人や性の問題は存在そのものが希薄なので消えうるが、金銭上の決定に関することは避けられない。

この避けられない問題に直面して、かつそれをどうともしようとせず、全ての問題の中心である私にむかう。
問題は基本的に解決が不可能か、困難。しかも解決すると私という苦しみがより鮮明になる。
金銭的に将来が不安だったり、かといって仕事がうまくいっても自分に合わず苦しみだったり、
仕事は楽しいようでも、お金に不安が無いことがむしろ私である苦しみを鮮明にしたり。

どうやっても私という唯一の問題が残る。
よって勇気がいる。枝葉を無視して中心に向かう勇気が。
908ろん:2012/04/15(日) 22:08:02.61 ID:bAMpcy01
自由とか不自由ってどこにあるんだろう?

あるがままってどこにあるんだろう?

悟りとか迷いってどこにあるんだろう?

それらを認める認識があるだけってことに気づかないんだろうか?
909ろん:2012/04/15(日) 22:12:54.16 ID:bAMpcy01
英語話者は、ノー・プロブレムってよく使うけどさ、問題あっても、それをどうとるかの方が大事なんだよ。。

針小棒大に悩む人まったく気にしに無い人、解決しようと考えて行動するが悩まない人、いろいろだね。。

悟ったら解決するなんてのは嘘よ。。

問題は実際の在り方や行動によってしか解決しない。。
910神も仏も名無しさん:2012/04/15(日) 23:15:05.55 ID:yk0nKUCm
>悟ったら解決するなんてのは嘘よ。。
実社会生活だと逆に問題を大きくする可能性があるね

仕事なんかで忙しい時に悟った人がのろのろ仕事していたとする
心は悩みがなく幸福なんだけど
他の人ができない分の仕事を押し付けられて火の車になる

だから悟った人は社会から離れた人がほとんど

できる人ほど、悟った人の「不完全が完全である」などの言動にかちんときたりするw
911ろん:2012/04/15(日) 23:38:25.99 ID:bAMpcy01
いや、かえってよく働くのが見性した人だろう。。

僕はまだそうなりきれてないね〜、、なりきれてるところとなりきれてないところがある。。

仕事場では、張り切ってやってるけど、家に帰ると怠けちまうとか、好きなことやってることが多いわけだから。。
912神も仏も名無しさん:2012/04/15(日) 23:46:52.55 ID:3iXQocdQ
仕事は内容次第だろ
かけ離れてりゃ>>910になる

農業とかでギリじゃね
913神も仏も名無しさん:2012/04/16(月) 00:01:38.37 ID:yk0nKUCm
悟った人が得意な仕事:ブルーカラー系、農業、力仕事、事務、宗教
不得意な仕事:営業、政治、サービス業

わからない:研究職

まあ、悟ったら仕事をできるできない以前に仕事をやらないな
914473:2012/04/16(月) 00:02:53.95 ID:blyE5QV6
それらを認める認識があり、それらがある。

認識があるからだと、その認識から生まれた思考が解説しても、一時的な痛み止めにしかならない。
認識が無くなりそれらが無くなることにはつながらない。
現状維持か余計混乱するかです。
915473:2012/04/16(月) 00:04:22.82 ID:RnyVDTOL
ろんさんの公案の解釈はまさにろんさん自身を表している。
正しいとか間違いとかではなく。

自己を通り抜けた光明を得た師や弟子が公案そのものを破壊することは時々ありますが、
それはいつも前例が無く美しく、生気にあふれており、いい意味でめちゃくちゃで笑わせてくれる。

自分から逃げ出している人がこの公案に取り組んだら一見似たような回答を出すことでしょう。
916神も仏も名無しさん:2012/04/16(月) 00:04:33.61 ID:DO7kZNCB
サトッたら衣1枚に托鉢一つで
世界中どこまでも布教の旅に出るんじゃないの?
917神も仏も名無しさん:2012/04/16(月) 00:10:32.13 ID:idAANyQb
>>913
する必要がないもんな

>>916
布教の旅っていうか人間とは極力離れると思うよ
托鉢は悟ってからも悟る前にも必要だな
918オレって名無しかよ!?:2012/04/16(月) 00:10:56.84 ID:rLyD28Yb
>>913
完全に悟ると普通の人と一緒だから
普通にいろんな仕事をするよ。

仕事が出来ないのは中途半端に悟った人だよ。
919神も仏も名無しさん:2012/04/16(月) 00:12:38.41 ID:pZ6R9lFX
お釈迦さまは悟った後
衣1枚の姿で歩き回ってたじゃないの?
しかも御年80を過ぎても過酷な布教の旅へ出て布教してた
920神も仏も名無しさん:2012/04/16(月) 00:13:30.53 ID:idAANyQb
人間社会は捨てたもんじゃない
って状態だったらそうするのかもな

仕事もね
921神も仏も名無しさん:2012/04/16(月) 00:14:03.08 ID:pZ6R9lFX
菩薩の姿はまだ装飾品をつけてるが
仏になると布1枚になってる
922神も仏も名無しさん:2012/04/16(月) 00:16:08.36 ID:anvutKC3
>>918
それは理想論だと思うな
実際にそういう悟っても普通の仕事をしてる人を上げてよ?
逆はいっぱいいるよ
923オレって名無しかよ!?:2012/04/16(月) 00:23:32.98 ID:rLyD28Yb
>>922
完全に悟った人は自分から悟ってるって言わないから
普通の人に紛れて生活してる。

ここで言っても誰も知らない本当に普通のオジサンやオバサン。
数は少ないけど間違いなく存在してる。

ここで名前を出して皆知ってる覚者で完全に悟った人は殆どいない。
924神も仏も名無しさん:2012/04/16(月) 00:28:02.47 ID:anvutKC3
>>923
それは完全な推測でしょ
自分がそうだとか
身近にそういう人がいたと言うなら信ぴょう性があるんだが・・
925神も仏も名無しさん:2012/04/16(月) 00:31:07.20 ID:pZ6R9lFX
悟った人なら
とっくに龍樹みたいに教範を大量に書き始めて多くの菩薩に支持され
それを布教して歴史に名を刻んでると思う
926神も仏も名無しさん:2012/04/16(月) 00:31:51.05 ID:/ZZfiQhj
空海の行った偉業は、仕事ではないんかね?
927神も仏も名無しさん:2012/04/16(月) 00:34:41.65 ID:idAANyQb
現代と偉大な先輩たちの時代ではあまりにも状況が違いすぎる
人間の欲望はすげーな
928オレって名無しかよ!?:2012/04/16(月) 00:35:35.85 ID:rLyD28Yb
>>924
本当に悟った人は自分が悟ってるって言わないものなのよ・・・
929473:2012/04/16(月) 00:37:10.68 ID:QE7X3/i8
二サルタガッタマハラジ(近代インドの覚者) タバコ屋さん
ムジッド(スーフィー) 商人
カビール(インドの聖者) 機織り
グルジェフ(近代のスーフィー継承者) トルコ絨毯売りと何でも
ヴィルマルキルティ(仏陀の時代の伝説の在家の人) 一族の切り盛りをしてたとか

仕事に問題がない人はむしろ私という問題に直面するのでそれがいやで逆に新しく問題を作りたがるとか。
私がなければ問題という認識が生まれませんし、私という逃れられぬ欲求不満と葛藤と恐怖の土壌も無いんでしょうね。

目立ちたがらないブッダは人知れず普通に世の中に溶け込んでいたのではないでしょうか。仕事ができないということはないと思うので。
教えようとしたブッダは変わった行動をとりますし、中には教える気もないのにマイペースで目立ってしまった人もいるかもしれません。
どちらにせよ生涯仕事を捨てないようなブッダはあまり教えることを重視しなかったのではないでしょうか。結果そもそも知られることがない。
930神も仏も名無しさん:2012/04/16(月) 00:38:30.11 ID:anvutKC3
>>928
なら本当に悟った人と
釈迦みたいに布教している偽の悟った人の違いを教えて
931神も仏も名無しさん:2012/04/16(月) 00:40:47.32 ID:/ZZfiQhj
おそらく、悟ったなら「仕事」という定義が余り無意味になるかもしれません。

仕事=奉仕なら、正しい教えを解く事も仕事となるし、仕事=お金なら、お金を手に入れる方法を考えるでしょうし、実際には、困らないでしょう〜

要するに、仕事=人生とは、捉えなくなる可能性があります。
ま、人は自分の都合で考えるので、それが抜けると、仕事=仕事となるんですね。
932神も仏も名無しさん:2012/04/16(月) 00:41:07.58 ID:pZ6R9lFX
偽物は時間とともにメッキが剥がれる
933神も仏も名無しさん:2012/04/16(月) 00:43:48.11 ID:idAANyQb
>>923
質問
現代文明の中での普通の生活と悟り(特に実践)
これは矛盾しないんですか?
934オレって名無しかよ!?:2012/04/16(月) 00:44:37.48 ID:rLyD28Yb
>>930
悟りに本物も偽物もないよ。
悟ればみんな「悟った人」だよ。

ただ、悟った後に「自分は悟っている」って感覚が残っているのが中途半端に悟った人で、
「自分は悟っている」って感覚が抜け落ちた人が完全に悟った人。

釈迦は「自分は悟っている」って感覚が抜け落ちてるみたいだから完全に悟った人だね。
935オレって名無しかよ!?:2012/04/16(月) 00:47:33.94 ID:rLyD28Yb
>>933
完全に悟ってしまえば自分と悟りは同じもので
普通の生活そのものが実践になるね。
936神も仏も名無しさん:2012/04/16(月) 00:47:50.60 ID:/uVuGLkq
この間知り合った人に、観術をやれば悟れるよ、人生楽になるよってセミナーに誘われたけど、怪しい宗教っぽいなと・・・
誰か観術知ってる人いません?
セミナー行って大丈夫かな?
937神も仏も名無しさん:2012/04/16(月) 00:49:59.13 ID:anvutKC3
>>934
>感覚が抜け落ちてるみたいだから
ちょっとあやふやだねw

「自分は悟っている」という感覚があるから
慈悲が生じて布教するんじゃね
悟れば真理・法を知ったと言う認識が生じるはず
938神も仏も名無しさん:2012/04/16(月) 00:52:35.57 ID:idAANyQb
>>935
いや、あの…理論屋さんならともかく、実践したら
文明の中で普通の生活は出来ないんじゃないですか?

その人たち何食べて生きてるの?
939神も仏も名無しさん:2012/04/16(月) 00:52:57.28 ID:pZ6R9lFX
お釈迦様の悟りはもはや解脱状態であり
声聞れべるのちっこい悟りと比較したらいかんのだろ
940神も仏も名無しさん:2012/04/16(月) 00:57:11.56 ID:/ZZfiQhj
>>936
セミナーかあ〜
観術ってなんなんでしょ〜ねw
止観とかなんかな〜
瞑想セミナーかなんかかな?
坐るんだったら、お寺とかのがいいんじゃね?
おれも、行ったことないけどw
941神も仏も名無しさん:2012/04/16(月) 00:58:26.76 ID:pZ6R9lFX
原始仏典には最終解脱をすると
過去世や未来の世を見渡せることができるなどなど
さまざまな神通力などが生じるとある
942神も仏も名無しさん:2012/04/16(月) 00:59:32.17 ID:/ZZfiQhj
>>937
自分が悟っているというのは、語弊があるんですよ。
自分がない。
諸法無我ですからねw
943オレって名無しかよ!?:2012/04/16(月) 01:00:20.05 ID:rLyD28Yb
>>937
>悟れば真理・法を知ったと言う認識が生じるはず

この真理・法を知ったと言う認識から執着が生まれるんで、
手放したほうがイイって話。
944オレって名無しかよ!?:2012/04/16(月) 01:02:59.54 ID:rLyD28Yb
>>942
諸法無我の「我」って「私」って意味じゃないよね? 確か。
945オレって名無しかよ!?:2012/04/16(月) 01:04:20.20 ID:rLyD28Yb
>>938
う〜ん、悟りの実践ってどんな事想像してる?
946神も仏も名無しさん:2012/04/16(月) 01:05:36.08 ID:pZ6R9lFX

縁起でなりたつもの
以外のものが
実体で永久不変のもので我でありつまりダンマ
947神も仏も名無しさん:2012/04/16(月) 01:07:11.91 ID:anvutKC3
もうちょっと、現実を想像したほうが良い
風俗の勧誘の仕事をしている人が悟ったとする
諸法無我、涅槃寂静、如実知見を得て
風俗の勧誘の仕事を普通にするとは思えんな・・
948神も仏も名無しさん:2012/04/16(月) 01:11:10.38 ID:idAANyQb
>>945
どんなことーってその前に答えてくれよww
何食ってんの?

あと、悟ったのが真理なら捨てられるわけないよ
真理はただそこにあるものだから、俺らにはどうすることもできない
捨てるというなら見て見ぬふりを始めるのと同じだよ

悟りの実践って言った時に俺が食えるのは多分ひとつだけ
949神も仏も名無しさん:2012/04/16(月) 01:12:30.23 ID:/uVuGLkq
>>340
レスありがとう
なんかパンフレットには観術で悟って世界をひとつにしますとか、政治的なことも書いてあって、瞑想とかじゃないみたい
悟りとかのお手軽セミナー他に知らないから気になってるけど、変な宗教団体だったら怖くて

やっぱり、京都のお寺に行くことにします
950神も仏も名無しさん:2012/04/16(月) 01:14:45.22 ID:/ZZfiQhj
>>944
言葉の定義は難しいのですが、ぼくの観じるところを書きます。

諸行は無常ですので、固定された自分というものはありません。
「わたしは悟った」と言っても、悟ったわたしは、通り過ぎ、今のわたしとは違うのです。
そして、そのわたしにも、自性がなく、縁によって生じている。
それが、無我であると、思うんですが。
951オレって名無しかよ!?:2012/04/16(月) 01:15:30.47 ID:rLyD28Yb
>>948
普通に飯食ってるよ。
952神も仏も名無しさん:2012/04/16(月) 01:19:06.08 ID:pZ6R9lFX
くしゃ論によると
ダルマによって行いが生まれそれが方向性となるので
過去の自分と今の自分が生滅を繰り返し転々バラバラになって生まれ変わるということはないとか
953バカ女:2012/04/16(月) 01:21:11.49 ID:HUNwRJ58
>>868 ろん、能書きばかり言わないでね。

>飛躍しまくりで、自分の推測と、思い込みと、まともな論理、理解の区別もできていません。

ろんの発言は、感想なの。もしろんが自分が言っていることを証明しようとしたら
きっちりと反論してみせるしかないわけ。それが唯一の証明の仕方なのね。

ろんは、いつも逃げてばかり、能書きたれてね。詐欺師のパーフォマンスと変わらない。
ろんが言っていることが正しいかどうかは、議論のなかでのみ証明されるのです。

ろんは、捨て台詞を残して逃げてばかり、それが事実です。もうすべてが証明されています。

>(僕も大学の講師ですが・・)

聞いてないよ。(苦笑) 私はろんの話の内容と行動しか見ていません。

>読書量も知識も足りないと思います。。
>偏りがあるし、哲学研究者なら知っていて当然な知識があなたには欠けています。。

繰り返すけど、それはろんが自分の知識でもって私に反論して見せなければ証明できません。

>主観と客観のアポリアと言うか、哲学上の大問題も、ぜんぜんまともに理解できていないので、

繰り返すけど、ろんが私に反論できなければ、私が理解できていないことを証明できません。
ハッタリ打って逃げてばかりじゃ単なる悪口にすぎません。

>こっちからすると、まったく議論することがバカらしいんですよ。。

ちっとも変わらないから、もしかしたら自覚がないのかもしれません。
ろんが言っているのは、議論から逃げる人の常套句です。
954神も仏も名無しさん:2012/04/16(月) 01:24:18.52 ID:/ZZfiQhj
>>952
それは、悟ったあとかもしれませんね。

自分が抜け落ちれば、世界だけが残る。
如来クラスになると、その世界をコントロールできる様になるらしい…

ま、わたしは、流されてるぐらいかw
でも、不思議と上手く流れるんですよね〜w
955神も仏も名無しさん:2012/04/16(月) 01:26:41.89 ID:idAANyQb
>>951
答えてくれてありがとね。

でも、俺は農業も否定したいんだ。
あれって、必要以上に食うために自然の摂理から外して
人間の食う物を選んで作ってるでそ。つまりこれは欲の始まり。
だから俺が食えるのは自然に生えてる植物(の一部)だけになる。

こんなこと言ってたら人間社会と折り合う場所がないのよね。
だから、別の考え方があるなら具体的な話を聞きたかったんだー。
956バカ女
>>869
>最初は大学のイクステンション(夏休みとかの公開講座)でも行ってさ、
> 〜〜〜 丁寧にどこが間違ってるか教えてもらえるはずですよ。。

言ってて恥ずかしくなりませんか? 自分をよく見つめなさい。

>>870
>還元による現象が純粋経験?
>そんなことどこで言ってんの?

はぁ? 知りもしないでフッサールの名前出したわけ? アホくさ、死ね!
ウィキにすら書いてある! ろんの得意なノエシス/ノエマの項を読めよ!

>西田とごっちゃにしてるだけちゃうか?

西田も知らないんだから、名前を出すな。名前を並べるだけなら猿でもできるわ。

>還元しても、ノエマとノエシスを分ければ、主客の問題は残る。

ろんの「主客を乗り越える」は、まさか主客の消滅か? ← アホの境地ここにあり。

未だ主もなく客もない純粋経験でも、フッサールの純粋体験でも、無我でも忘我でも、
それが経験であり、体験であるかぎり、主客の消滅はありえないの。
経験が成立するための形式なの。

悟りでもひとつになる境地でも、それが成立するなら経験なの、経験は生の出来事なの。
経験が成立しないと無なの、無は経験できないの、無は不可能なの。

>金取るぞ、コラーw

ふざけるな! ろんの低レベルには、小学生の頃の私でもあきれるわ。