仏教 議論スレッド 24

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952教皇:2011/10/28(金) 23:42:19.01 ID:/XdszBML
東洋では神無しで生きる技術が大昔から開発されてるからその点は助かるかもね。
953神も仏も名無しさん:2011/10/28(金) 23:43:43.08 ID:vTeonANG
>>951
で、到達して以降、
そうした条件付けは取り払われたままでよいか?
ということは、大きく検討に値すると思うよ。
954教皇:2011/10/28(金) 23:51:47.84 ID:/XdszBML
条件付けが取り払われば、本来の自然性が働き出して、条件付けをする必要もなく、純粋な行為が生まれると言う見方が一つ。
結局、これだと梵我一如みたいな話しにもなるよね
内的神と合一するみたいな。
ユングの言う「自己実現」

一方、条件付けが全て消えると何にもない
白紙であると
白紙である故に自由に書き込めば良いと
白紙になるだけでは何の意味もないからね
955神も仏も名無しさん:2011/10/28(金) 23:53:32.19 ID:UQKfJHcB
>>894
>そういった言語習慣に基づく論理構造が、たんに習慣で空、実体のないものであり
つまりチベット仏教は超論理、論理の超越を説く、と
それは神秘体験至上主義じゃないんですかね・・・?
徹底して論理的なアーガマ・ニカーヤ(なにしろ論理学がつくれるくらい)とは真逆の方向へ向かってるような
956神も仏も名無しさん:2011/10/28(金) 23:55:16.93 ID:vTeonANG
>>954
いや、そういうことじゃなくて、
条件付けを取り払ったまま生活できるのか?ということ。
勿論、そこが桃源郷であれば、難なく可能だとは思うけど。
957教皇:2011/10/28(金) 23:58:11.04 ID:/XdszBML
何故、瞑想センターでは
条件付けを取り除きなさいといいつつ
「生きとし生けるものが幸せでありますように」という条件付けをするのか。
つまり余計なものを剥がして、新しい洗脳をしている訳だよな
まあこれで「グルは神である」とか無意識のレベルで条件付けられればまるでオウムだが
一応個人崇拝もないしセンターへの忠誠を誓わせられる訳ではない訳で
誰も損をしない公共善にかなったプラスの洗脳とも言える訳だが
条件付けは条件付けだ。
958教皇:2011/10/28(金) 23:59:56.28 ID:/XdszBML
956
そりゃ出来るよ
余計な条件付けがない分臨機応変に生活に対応出来る
959神も仏も名無しさん:2011/10/29(土) 00:00:39.74 ID:UQKfJHcB
>>873
>ナモーと言ったらナマクと言えと怒られるわけで・・・・
そりゃきついですね
でも伝統もいいけど慈雲尊者よろしくサンスクリット原典回帰に行ってもいいと思いますけどね、特に真言宗は
960教皇:2011/10/29(土) 00:07:22.36 ID:99ATHZkE
社会とは基本的に公共善を目指している訳だが
生命は公共善に適う条件付けだけを持っている訳ではない
ゆえに色々失敗したりもする訳だ。
条件付けが無く、内なる自然が公共善を目指すものならば
条件付けを取っ払えばむしろ日常生活の全てがうまく行くだろう
反社会的な条件付けに足を取られる事がないからね
961教皇:2011/10/29(土) 00:10:32.49 ID:99ATHZkE
現実の社会が公共善を目指しているかどうかは別にとして社会の理想は公共善の達成だろう
果たして自然は公共善を目指すだろうか
それは信仰に過ぎないんじゃないかな
自然は自然に過ぎず何の価値観も持たない。
ただ現れては消えるだけ
だから公共善にしたがった条件付けをするんじゃないか
962神も仏も名無しさん:2011/10/29(土) 00:10:53.17 ID:X2ay4upb
>>958
条件付けすること無しに(臨機応変に)対応?
ありえんでしょwww
963教皇:2011/10/29(土) 00:15:47.63 ID:99ATHZkE
条件付けというのはあくまで感情的反応の条件付けの事だよ
964神も仏も名無しさん:2011/10/29(土) 00:20:10.98 ID:X2ay4upb
そか。横からスマンかったw m(_ _)m
965教皇:2011/10/29(土) 00:20:58.30 ID:99ATHZkE
つまり好きとか嫌いで行動しなくなる訳だ
と同時に仏教寺院では「生命讃歌の条件付け」をしているので
生命を害するのは感情的なレベルで嫌になると思われる
966神も仏も名無しさん:2011/10/29(土) 00:23:20.72 ID:C+ku6tCJ
>仏教寺院では「生命讃歌の条件付け」をしているので
たしかにwww
967神も仏も名無しさん:2011/10/29(土) 00:33:39.12 ID:/q/p8j0z
東洋の根っこに神様がいるかいないか、簡単には言えないみたいだよ。
ユングだったっけ「見えざる神」とかなんとか言ったのは、ユングという人西洋と東洋の中間あたりに
いる人のような気がするな。
968承狂 ◆TptLNQXPVWuJ :2011/10/29(土) 00:48:54.82 ID:80hmux7V
>873
仏教をツールとしか見てないからそんな話になる。
信仰というものは、学術研究ではない。

例えば、生物学的にはネアンデルタール人だと科学的に実証されたとしても普通の感性なら自分は日本人だと思うだろう。
継承されてきた伝統には、様々な矛盾と共にそれなりの善さがある。

つーか代替品と従来品に格段の差が無ければ代替品に変える理由は無いわな。(笑)


(^。^)尤も、日本なんて既に亡国だから宗教なんて意味無いかも知れんが♪
969神も仏も名無しさん:2011/10/29(土) 01:11:28.96 ID:vWrrlIMl
>>922
>ニーチェの思想の根幹は 生命などという一般概念の否定にあると思うの
>だがどうだね

ニーチェは、哲学に「生物学的」という概念を初めて導入することにより、
キリスト教や哲学を根本から破壊したのである。「生物学的」とは、「生命現象
を現す肉体」即ち「生命(生存本能)」を意味する。

「生命」は、白紙どころか、あらゆる条件と知恵がぎっしりと詰まっている。
だからこそ、人類は、無限の期間、存続し続けている。「生命」を無明とした
釈迦は、根本的に誤っている。

「超人」とは、宗教や哲学などあらゆる「観念的なものから離脱し、己の生命
だけによって立つ者」、即ち「平凡な生活者」のことであると解する。テレビで、
ある精神医学者が、「超人」とは「引き篭もり」のことである、と言っていた。
「何物をも信じず、何物にも依存せず、只、己の生命の指示のみを信じる」。
これは一面当たっていると思う。
970888:2011/10/29(土) 01:16:12.38 ID:a6AJuLl9
皆様ご迷惑おかけしました。
なにぶん仏教用語は全然に等しいぐらい知らないもので…
私はただ物の道理を知りたいだけなんです
>>915さんの
「比丘たちよ、ここに比丘は身において身を【観つづけ】(anupassati)、
熱心に、正知をそなえ、念をそなえ、(AtApI sampajAno satimA)
いいたいのはここなんです。
観つづけることが、そのまま正知に繋がり、念を呼ぶんです。
観つづけることが全てを引き起こす気がするんです。
この道理がわかるかた、いらっしゃいましたらお願いします。
971承狂 ◆TptLNQXPVWuJ :2011/10/29(土) 01:19:43.31 ID:80hmux7V
(^。^)あはははは♪
相変わらずバカだなぁ。
良いかい?
ヒッキーなんてのは、アニメやネットや薬物に依存した適応障害者だ。


(^。^)お前もそうだろ?(笑)
972神も仏も名無しさん:2011/10/29(土) 01:22:51.59 ID:vWrrlIMl
心的作用や思考・感情とは、本来、状況の変化に応じた肉体(生命)の維持のためのもの。
「心自体のために心を使う」宗教は、「心の目的外使用」「心の濫用」「心のオナニー」
である。
973承狂 ◆TptLNQXPVWuJ :2011/10/29(土) 01:27:21.44 ID:80hmux7V
>972
ふむふむ、
つまり、精神作用とか心とか言うのは、生物の進化の過程でポッと湧いて出た訳ですな?
(^。^)いやぁ、実に道理を弁えたお話ですなぁ。(笑)
974888:2011/10/29(土) 01:40:21.64 ID:a6AJuLl9
すいません。自己解決しました。
『身において身を』ここは自分の感覚を研ぎ澄ませるのは重要なのですが、
観るのは自己の内面でなく、外の景色・現実の景色です。
たわごとすいませんでした。
975神も仏も名無しさん:2011/10/29(土) 01:48:23.54 ID:vWrrlIMl
>>971
ヒッキーは、やろうと思えば本質論はやれる。宗教者は開祖や経典からの「借り物」
だけで、自分独自の普遍的本質論は一切やれない。自分ではやっているつもりでも、
開祖・経典の「枠内」で足掻いているに過ぎない。

>>973
心は、人類の発生時から存在し、現代まで、実質的には何も変化してはいない。
「状況の変化に応じて肉体(生命)を維持するためのソフト」だから、時代の如何を
問わない。
976承狂 ◆TptLNQXPVWuJ :2011/10/29(土) 01:58:41.63 ID:80hmux7V
>975
え?人類発生時?
それって、ホモサピエンスサピエンスがその辺の地中から湧いて出たって事?
それとも、
いや、まさか、
進化の過程で、こっから新人って境目があるとか考えてんの!?
いやいや、いくら君でも、まさかそんなバカな事は考えてないよな?
神様だか宇宙人だかが人類を作ったとか考えてんだよな?(笑)

(^。^)さぁ吐け♪
977神も仏も名無しさん:2011/10/29(土) 02:04:23.75 ID:vWrrlIMl
>>935
「善きもの美しきもの強きもの」などの「観念」に囚われた者は、「超人」では
ないよw。ニーチェが徹底的に批判したキリスト教やカントと何らの相違もないでは
ないか。そのような「観念の呪縛」から離脱し得た者が、「超人」なのである。
978神も仏も名無しさん:2011/10/29(土) 02:11:53.47 ID:a6AJuLl9
超人?は現実を徹底的に捉えた者だと思うよw
内面は嘘の塊だからねw
979神も仏も名無しさん:2011/10/29(土) 02:12:42.42 ID:vWrrlIMl
>>976
自然によって「作られた」人間のちっぽけな頭脳で、「人間がどこから来たか」
など考えても分るわけが無い。「人間の思考能力の範囲」を忘れてはならない。

人間は、そんな「思い上がり」を捨てて、与えられた生命に忠実に生きるだけで
よい。
980承狂 ◆TptLNQXPVWuJ :2011/10/29(土) 02:22:24.23 ID:80hmux7V
>979
あ〜、判るわぁ。
居るよね、たまに。
「人間の思考能力の範囲」を考えず、
「思い上がり」をして、他人の信仰をネットの駄文で変えようとする奴とかね〜。

(^。^)まぁ、彼ら?も同じ猿なんだから、多少は大目に見てやろうぜ?(笑)
981神も仏も名無しさん:2011/10/29(土) 02:29:47.35 ID:a6AJuLl9
それは違うねw
書き込みはただのラベリングなのさw
982神も仏も名無しさん:2011/10/29(土) 02:32:08.49 ID:a6AJuLl9
よくいるのが、やってみもせず考えもせずにに批判するヤツw
滑稽だねw
釈迦を見習ったらどうだいw
983承狂 ◆TptLNQXPVWuJ :2011/10/29(土) 02:43:04.53 ID:80hmux7V
>970を書いて>982を書ける、その面の皮の厚さには脱帽だ♪(笑)
984神も仏も名無しさん:2011/10/29(土) 02:53:44.58 ID:a6AJuLl9
仏教の魔力なんかね
もの凄く真剣に考えてくれたんだろうなって
申し訳なくなったんだよね
982は素直に物の道理と釈迦の偉大さを言いたかっただけw
985承狂 ◆TptLNQXPVWuJ :2011/10/29(土) 03:01:23.63 ID:80hmux7V
因みに、念ずるという言葉は、単なるラベル張りでは無い。
行住坐臥一切時に於いて心を一にして雑念を払いひたすら行ずるを仏家では念ずるという。
従って、
あ、俺今、チョ〜歩いてんな〜♪
などという考えは雑念でしかない。
986神も仏も名無しさん:2011/10/29(土) 03:08:21.91 ID:a6AJuLl9
簡単に言うと記憶術
右脳ラベル張り
勉強のできるヤツはラベル張りが上手いだけなんだよ
同時に読解力もつく、今は絶対無理な英文も当時は情景が浮かんだものだよね
要はこの応用を瞑想に生かすだけ
987神も仏も名無しさん:2011/10/29(土) 03:30:20.76 ID:a6AJuLl9
五感を使って、あるがままを捉えるんだよ
脳で考えたら落ちこぼれるw
憶測だけど釈迦はこれをやってるね
精神は勝手にあるがままになる
その後に、あるがままの思念が沸いてくるって寸法だよ
俺は釈迦を尊敬してるから思ってることは包み隠さず書くよw
ここを隠しちゃうと、あるがままから離れるw
988基地外:2011/10/29(土) 03:41:35.33 ID:QDhLaIe4
貴方達はいったい何と戦っているの
ですか? σ(^_^;)?
989承狂 ◆TptLNQXPVWuJ :2011/10/29(土) 03:45:05.43 ID:80hmux7V
あるがままと如實知自心ってのは違うよ。
自在境ってのは、自我や身体的制限からも自在って意味だ。
でもまぁ、釈尊があるがままで対機説法されたと、本気で思ってんなら好きにすりゃぁ良い。

(^。^)俺の知った事じゃねーしな。
990神も仏も名無しさん:2011/10/29(土) 04:02:45.28 ID:a6AJuLl9
>>988
因縁とw
>>989
無理だろうが、やってみればわかるw
我が消えていくのが手に取るようにわかるよ
あるがままから生まれる正しい思念からのものですよ
正しい思念は真理への悟りに変化するしくみ
991神も仏も名無しさん:2011/10/29(土) 04:08:18.38 ID:a6AJuLl9
くれぐれも瞑想ですからねw
脳を使えば負け。我が出る
992神も仏も名無しさん:2011/10/29(土) 04:13:42.50 ID:MnG3TFSv
時間がないので、あまりきっちり読んでないセブンへの詳細なコメントは、
重要な論点だと思うので、明日、新スレでしたいです。

とりあえず以下、

>>944
そう。伝統説で止前提として観と以降する、四念処でもそれは自然に成立する。
四念処をヴィパサナーと言い換えて、伝統説の方便として説いてるので混乱がある。

>>955
まったく逆だよ。『般若経』『中論』はもちろんアーガマ・ニカーヤでも説かれている。
『清浄道論』でも説かれてるよ。詳細な論証は『入中論自註』に明か。
『カッチャーナへの教え』『勝義空性経』『ウダーナヴァルガ』等に説かれている。
それが分からないのでは、話しにならない。

>>970
>>観つづけることが、そのまま正知に繋がり、念を呼ぶんです。

だから、始めは念、途中から止になることがあり、
その時は本当の観(ヴィパサナー)が成立するです。
これは伝統的に四念処と呼ばれる修行法で、ヴィパサナーとは呼ばれません。
ヴィパサナー・観と呼ばれるのは、止・三昧が成立してから。

この四念処をヴィパサナーと呼ぶのはハマーシ流で、
その流れを受ける、あるいはその方法を使う人たちをニューウェーヴ・テーラワーダと呼んでます。

993神も仏も名無しさん:2011/10/29(土) 04:16:52.20 ID:a6AJuLl9
う〜ん、難しい。脳を使うなは語弊がある。考えるなが正解。
でも思念する解きは考えなきゃダメなんですよw難しいなぁ…
994神も仏も名無しさん:2011/10/29(土) 04:43:03.63 ID:a6AJuLl9
>>992
ありがとうございます。四念処は今日初めて聞いたので後で勉強してみます。
どちらもやってますです。後者は訓練と捉えてますです。
やっぱり仏教用語で人に言ってもらったほうが、わかりやすいな;
995基地外:2011/10/29(土) 05:07:38.86 ID:QDhLaIe4
>>990
薬の効能書を一生懸命読みといても
病は癒され無いのではないですか?
南無(^人^)
996神も仏も名無しさん:2011/10/29(土) 06:21:44.53 ID:C+ku6tCJ
新スレ立てました

仏教 議論スレッド 25
http://toki.2ch.net/test/read.cgi/psy/1319836819/
997神も仏も名無しさん:2011/10/29(土) 06:22:28.32 ID:C+ku6tCJ
うめ
998神も仏も名無しさん:2011/10/29(土) 06:42:11.82 ID:99ATHZkE
999神も仏も名無しさん:2011/10/29(土) 09:42:01.84 ID:X2ay4upb
>>992
こっちが厳密でないんだから、ざっくりでいいよ、ざっくりでw
そこまでまだ手を広げてないから、今はあれ以上のことは言えんし。


少し付加しておくと、「 >止前提 」というのが、
・「止」の状態から(―止の状態に入り、続いて―)順次「随観」「観」へ移行する
ということなのか
・「止」の修練は日々修され積まれる中、それとは別に(―止は止、観は観として―)「随観」「観」もまた修める
ということなのか

こんな感じでもあるのかな?
たとえていえば、バッティングの練習と走塁の練習みたいなもんか。
(打てなきゃ塁にでないから)バッティングが先で(完成される必要が)ある、と言えるかどうか、みたいな・・。
1000神も仏も名無しさん:2011/10/29(土) 09:44:21.99 ID:X2ay4upb
>>992
追記:
944後段で挙げた連載開始時の頃の大法輪は、出版社から贈呈されてて手許にあるんじゃない?w
10011001
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