g
豚どもにはアラーの呪いが降りかかるだろう
323 :
思慮 ◆AIOdk12HhuOj :2014/05/12(月) 23:52:57.05 ID:PZuGxPIA
■信仰=欲望
―身を修めて、死ぬ時の到来を願っている人―(ブッダのことば)―自分の命を憎む者は、それを保って永遠の命に至るであろう―(ヨハネ)
―「わが神、わが神、どうしてわたしをお見捨てになったのですか―(マルコ)
―イスラエルの家の失われた羊以外の者には、つかわされていない。」しかし、女は近寄りイエスを拝して言った〜イエスは答えて言われた。「子供たちのパンを取って小犬にやるの
はよろしくない」。すると女は言った、「主よ、お言葉どおりです。でも、小犬もその主人の食卓から落ちるパンくずは、いたたきます」。そこでイエスは答えて言われた、「女よ、
あなたの信仰は見あげたものである。―(マタイ)
324 :
思慮 ◆AIOdk12HhuOj :2014/05/12(月) 23:53:59.26 ID:PZuGxPIA
□宇宙ができる前は、平安(争い一切無し)安らぎ(悩み・苦しみ・思い煩い無い=身体無い)
―自分自身を憎んだ者は、いまだかって、ひとりもいない〜おのれを育て養うのが常である〜自分の妻を自分自身のように愛しなさい〜父と母とを敬え〜主の薫陶と訓戒とによって、
彼らを育てなさい〜肉による主人に従いなさい。人にへつらおうとして目先だけの勤めをするのではなく―(エペソ)
―どの方向に心でさがし求めてみても、自分よりもさらに愛しいものをどこにも見出さなかった。そのように、他人にとってもそれぞれ自己がいとしいのである―(感興のことば)
信仰の原因=苦しいなど で安らぎを得ようとする者はいなかった。善い者でも助ける神はいなかった。それぞれ人間でいたいと生まれたことをよく理解し、
325 :
神も仏も名無しさん:2014/05/12(月) 23:54:41.96 ID:wNSx1X4r
神と人類の最終目的はここに書かれてある。
21:1わたしはまた、新しい天と新しい地とを見た。先の天と地とは消え去り、海もなくなってしまった。
21:2また、聖なる都、新しいエルサレムが、夫のために着飾った花嫁のように用意をととのえて、神のもとを出て、天から下って来るのを見た。
21:3また、御座から大きな声が叫ぶのを聞いた、「見よ、神の幕屋が人と共にあり、神が人と共に住み、人は神の民となり、神自ら人と共にいまして、
21:4人の目から涙を全くぬぐいとって下さる。もはや、死もなく、悲しみも、叫びも、痛みもない。先のものが、すでに過ぎ去ったからである」。
(ヨハネの黙示録)
これがいつか達成できればいい。
それが達成できれば、途中がどんなに悲惨であっても、
>「先のものが、すでに過ぎ去ったからである」。
つまり、「なかったことになるから」
326 :
思慮 ◆AIOdk12HhuOj :2014/05/12(月) 23:55:41.20 ID:PZuGxPIA
―正しい行いをなす人は、この世で非難されることがなく〜法にしたがって生き、恥を知り〜自分のなすべきことを行う人を、世人は好ましいと見なす〜
他人を訓戒せよ、教えさとせ〜悪人と善人とは、死後には異なったところにおもむく―(感興のことば)
―律法を持たない異邦人が、自然のままで、律法の命じる事を行うなら〜彼らにとっては自分自身が律法〜そのことを彼らの良心も共にあかしをして―(ローマ)
洗脳ではなく、ひとりひとりが自分を愛し大切だと思うことをよく理解し、死者供養、神頼み、その他呪文のように意味不明な言葉をやたらにつぶやくこと、物質的な物を拝んで
何らかの益があると思うこと、妙なこと、供え物を霊が喜ぶ・墓参りしないといけない・お布施しないと死者が善い所に行けない・一切は無い・・・人間の教育のみを宗教としてゆ
るす・・・しかない。
>>295 Great Sprit では?
このスレ思慮が無いやつがコピペ連投してるだけだな
328 :
思慮 ◆AIOdk12HhuOj :2014/05/13(火) 00:44:49.75 ID:phRyZcTR
無の人々がいて、物質が生起してない世界・・・平安・安らぎ=神通力・何でもできる神 と共に在ったとしよう。
バーチャルアンポンチン世界を望んで、失楽をよしとしたとしよう。
しかし、信仰として頼りとできるものは、無になることのみであり、
無の人々が望んでバーチャルアンポンチン世界に生まれても、それぞれ思考を尊重されることを真実とし、それぞれ生まれた者を大切にすることを真実とする。
世に打ちひしがれた者・失われた羊たちが苦しんで神という偉大なものを想定して信仰しても、この世の者ではない(無)に近いことをよしとするしかなく(神に対する罪論)
だけのみとなる。
重い荷に耐えられる人々(=この世の苦難に自然のまま耐えられる人々)―律法を持たない異邦人― とあるように、他者への配慮もある人間をよしとして育てるしかない。
※この世の者となって人間だけがいると認めて、からし種一粒ほども信仰のない者を認め、神に罪に定められない者となり生きる
329 :
思慮 ◆AIOdk12HhuOj :2014/05/13(火) 00:48:31.87 ID:phRyZcTR
―また人を罪に定めるな。そうすれば、自分も罪に定められることがないであろう。ゆるしてやれ。そうすれば、自分もゆるされるであろう〜自分の目にある梁を見ないで、どうし
て兄弟にむかって、兄弟よ、あなたの目にあるちりを取らせてくださいと言えようか〜わたしを主よ、主よ、と呼びながら、なぜわたしの言うことを行わないのか―(ルカ)
―世の中のどこにも、わたしは害いを見ない〜他人の過失を見るなかれ〜ただ自分のしたこととしなかったことだけを見よ―(真理のことば)
□他者信仰「熱い」か「冷たい」の二極端
―イスラエルの家の失われた羊以外の者には、つかわされていない―と書いてあるように、世に打ちひしがれ神を信じる者が徹底して地上のものに心を引かれないよう日々努め
めること か 何にも信仰の無い者として善悪のみ人間だけのこととして認めるのみ。地上のものに心を引かれず何事も思い煩わないよう努めない人々が、神様信仰ありますと
言っても、宇宙を通り越え無の平安・安らぎに届き、「怒り・迷惑」な者となっている。
330 :
思慮 ◆AIOdk12HhuOj :2014/05/13(火) 22:17:28.38 ID:phRyZcTR
―イスラエルの家の失われた羊以外の者には、つかわされていない―盲人は見え〜貧しい人々は福音を聞かされている。わたしにつまずかない者は、さいわいである―(マタイ)
神への信仰は地上のものに心を一切引かれず、この世の者ではない者となること。貧しい人々や世に打ちひしがれた人々は、世にあるものを貪らず、衣食があれば足りるよう
な暮らしを喜び、何事も思い煩わないよう努めることで、まだ近い者として喜ばれる。人の手で作られた物を喜び、必要としながら、神様に信仰ありますという者どもは、神
の「怒り・迷惑」な者なのだ。そうしない者への信仰は、罪が大きい。
―聖霊に満ち〜荒野を〜そのあいだ何も食べず―(ルカ) 人の手で作られたものが一切無い所で飢え命を失ったとしても、神には迷惑な者とならず、むしろ喜ばれる。
□そういった信仰も無く自分の命を憎むことなく生まれた時点で罪は無い
生まれた人に罪は無く、信仰もできないが、そういったことを理解して人の命の大切さ尊さ、人権を尊重することで、自分を愛し生まれた人々は救われる。
隣人の愛として、瀕死の人を助けることの教えは、人間として生まれたいという人々の救いである。自己愛のみでなく、他者への配慮もある人間が、かえって益をも
たらす。〔子を怒らせないよう言い聞かせる〕
ルサンチマンのヒーロー
332 :
自由:2014/05/14(水) 16:58:25.38 ID:aM7zifVh
>>327 ありがとうございます(=^0^=)
Great Spirits なるほど。こりゃー凄いよwwwww
中庸で往く事にします。wwwwwwwwwwwwwwwwwwwwww
i
334 :
思慮 ◆AIOdk12HhuOj :2014/05/17(土) 10:52:23.26 ID:hIqR//mw
誰が何を言おうと変化はない 神を知らぬ者に対話するつもりはない
神は地上のものに心を一切引かれない者のみ信仰ありとする法律をつくった存在(実在)
□□□神が私たち生まれる者のために一切信仰の無い者と決め、生まれるものは、何も信じず罪汚れなく生まれた□□□
■全て信仰する者は善い所に決して入ることはできない■
―ユダヤにいる人々は山へ逃げよ―(ルカ)聖霊に満ち荒野の者のように、森に住み心静まり清浄な行者のように、何ひとつ信じず大自然は楽しい、清々しい朝と喜んでいる人々の
ように、家の中で快楽やゲームをする子供よりも、外で元気に遊ぶ子のほうがまだ健全と思われるように、世の中にあくせくし思い煩わない子供が何も信じず罪汚れのないように、
―今日われらは美しい太陽を見、美しく晴れた朝に逢い、気もちもよく起き上がった―(ブッダのことば)信じるのは神の怒り敵、迷惑な者で、何も信じず健康的な心の者のみ
善い所に生まれるようにされた。病気でそれどころではない者や貧窮で思い煩い信じようとする人々も、世の欲得なことにあくせくせず安静にしたり、何事も思い煩わないよう
心得るしかないとされた。
335 :
思慮 ◆AIOdk12HhuOj :2014/05/17(土) 10:53:36.85 ID:hIqR//mw
□誰も人間に生まれたいという生存状態のみあり、神などいないと(神)=信仰の無駄
神の『カ』信仰の『シ』でもあれば、世の健全な心「何事も思い煩わず大自然を楽しんでいる人々」でなければならず、世の欲得なことにあくせくし思い煩っては決してならない。
何も持たず生まれた者が最も善い状態で、快楽や物欲、金や五欲の対象にあくせくし思い煩うことを決して良いと思ってはならない。大自然を喜ぶような心を心得よ。
誰ひとり尊重し、他の者が自分のために働いてくれると思ってはならない。世に非常識な者どもも多いが、あなたは彼らに敵意・怒り・憎しみを抱いて思い煩ってはならない。
私は大自然を喜ぶような者、世と世の中にあるものから離れ、何事も思い煩わない心のみつながり、「神が」といって他者への善悪を思う者を決してゆるさない。
神にとって男女は不浄な所のみの違いだけだ、ひとりでいる者は善い。男女が結びついたら、相手のことを思うのは人間として当然のことだ。また他者への配慮もある人間は当然の
ことだ『愛』衣食住のない人々に衣食住をといって働いたり分け与えたりすること、貧しい人々への配慮ある行為、世の者どもの足ることを知らない貪りのため、金や物欲や五欲の
対象のためにあくせく仕えて思い煩ったり悩んだり苦しむことを良いとしては決してならない(地の奴隷・悪魔の者ども)
336 :
思慮 ◆AIOdk12HhuOj :2014/05/17(土) 10:58:11.90 ID:hIqR//mw
■自分は富んでいる、豊かになった、なんの不自由もないと言っているが
お前は昔と違い様々な物に満ち、喜んで暮らしているが、神を信じ悪魔の物を神のもののように喜ぶことを、決して私はゆるさない。自制は最も大事なものなのだ と。
天にあるもの、地上のものに心を一切引かれず、何でもできる状態にあった。神の法律により何も信仰のない者として生まれさせ、生まれた時点では健全であった。
信仰として、聖霊に満ち荒野、森に住み心静まり清浄な行者を善いと受け入れる心ある者のみ、永遠に在るものとつながるようにされた・・いつまでも変化なし。
■宗教はアフターフォロー(救い)【異邦人の自然のままでの見上げた信仰を受け入れること】
聖霊に満ち荒野・森に住み心静まり・・・大自然を喜ぶような清々しい心をよしとし、世の欲得なことにあくせくする過労をよくないことと受け入れ、地球環境破壊につながる貪り
を戒める。
悩み苦しみ思い煩わない善・・・誰でも公平で、金だけ欲して働かないことは悪い。金は天に持って行けず、貧しい人々にも与え使えるようにすれば喜ばれ、この世での景気の下支
えになる。過剰な貪りに仕えることは悪。他者への配慮もある人間としての良識ある行動。
子とかの役割・・・天にあるものを善いと心得ながら生存状態もあるようになったわけで、愛、喜び、平和、寛容、慈愛、善意、忠実、柔和、自制といっても、神への信仰までに至
至らない人間として当たり前のこと。人間でなかったら肉だけの滅び。
n
338 :
明治天皇の孫G林田V ◆WSZ7beIuXw :2014/05/19(月) 20:36:30.39 ID:Klrk7ZGh
339 :
自由:2014/05/20(火) 23:52:11.36 ID:7Ly+4XeB
k
g
342 :
思慮 ◆AIOdk12HhuOj :2014/05/24(土) 07:54:03.10 ID:A40VPx+Z
□神に喜ばれるのは異邦人の見上げた信仰のみ
『イスラエルの家の失われた羊以外の者にはつかわされていない』「主よ、お言葉どおりです。でも、小犬もその主人の食卓から落ちるパンくずは、いたたきます」。そこでイエスは
答えて言われた。あなたの信仰は見あげたものである。―
◇誰も自分の命を憎むことなく生まれた、世の欲得なことにあくせく思い煩うことも無い罪汚れの無い子供、清々しい心をよしとすることで宗教は決定されている◇
『目の前の人は、その状態で二度と逢えない』宗教形式は一切無く、人間の命の大切さ尊さ、目の前の人を愛したり、自分のなすべき範囲が自然のままわかり、世の人々の悩み苦しみ
思い煩いを取り除くことを善いと心得、施したり分け与えたり、「よい天気ですね」と思い煩わない心で挨拶をしたり、日々の生活から離れて大自然などを楽しんだり、病苦の人が世
の欲得なことから離れて安静にし、自然のまま天にある山を移すほどの力に頼ったり・・・・・とってつけたような醜い宗教形式はなく、スムースなことが神の喜び
343 :
思慮 ◆AIOdk12HhuOj :2014/05/24(土) 07:55:01.33 ID:A40VPx+Z
■地上で罪をゆるす権威
◇神の沈黙と不在を喜びなさい 「何かしたいこともある下界」の者が、神様信仰ありとされることに怒り、迷惑な神の存在。〔盲人は見え〜貧しい人々は福音を聞かされている〕と
あるように、地上のものに心を一切引かれない者以外、神に信仰ありの者としてゆるさない。この世の者ではない山を移すほどの力の者となったイエスを神の義と信じ、むしろ貧し
い人々が神の義の者に近いようにすることで、信じてもむしろ喜ばれる。
男女の悩みも、神にとって汚い所の違いだけであって、『肉の欲・目の欲・持ち物の誇りに神の愛は一切無い』とたとえひとりでいても、大自然を喜ぶような健やかな心であるなら喜
ばれる。清浄な国(神の義)に無いものを恥ずかしいと思って隠しているだけなのである。そのことは人間として賢い。
■神様、罪人の私をおゆるし下さい と 愚かな人間
人類に神のように正しく、誰かを支配できる者はいない。SEXで生まれた子であるから。神の義は山を移すほどの者、イエスや生きながら彼岸に達した釈迦(神通力あり)しか
いない。
344 :
思慮 ◆AIOdk12HhuOj :2014/05/24(土) 08:04:46.99 ID:A40VPx+Z
■イスラエルよ、聞け
主なるあなたの神を愛せよ 自分を愛するようにあなたの隣人を愛せよ―すべての燔祭や犠牲よりも、はるかに大事なことです―イエスは、彼が適切な答えをしたのを見て「あなたは
神の国から遠くはない」
釈迦が世間の宗教的行為を悪魔ナムチと批判したように、修行完成者として慈しみやあわれみを教え、素晴らしい者・罪過なき者を教えたように、宗教的行為は一切無く、
聖霊に満ち荒野の者のように、森に住み心静まりの者のように、快楽やゲームを楽しんでいる子より外で元気に遊ぶ子のほうが健全と思われるように、大自然を楽しんでいる人々
のように、物欲や五欲・快楽・享楽から離れた者は神に近く、他者への配慮もある人間は『神にとって良識ある者』で、そんなに遠くはない。
洗脳支配(悪魔のおもちゃ)でなく、大自然を楽しんでいる清々しい心を信仰の頼りとさせ、得た自己のため、人々の金や物欲や気ままな五欲のためにあくせくし人々が悩み苦しみ
思い煩うことがないよう、また、思い上がらない程度の人々の悩み苦しみ思い煩いを取り除くことは善いとするよう、宗教は人類に仕えるためだけにある。
本来はそういったことは自然体で知っていなければいけないのだ。生まれた状態で信仰を知るようにさせ、人間の喜びはあっても、貪欲のためにあくせくし、悩み苦しみ思い煩う
ためや、他人の労を平気とし金だけを得るためをよしとする子にしない状態にさせた。また、他者への配慮もある人間教育は、家庭や学校で教えねばならないこと。
神とは、意志薄弱のクセに自己主張の強い奴が、他を圧倒したいために使う、葵の御紋。
ところが、現代ではそれが頭の弱すぎる要因として見抜かれてるから、逆に無神論者を養成するきっかけになってるところがお笑い。
現実に神なんて信じてる奴がいたら、痛すぎて、動物園のパンダのようにいじられておしまい。
かわいそうで見てられない場合の方が多い。
346 :
自由:2014/05/28(水) 01:32:12.21 ID:YBPP0oc0
You can hear the whistle blow a hundred miles,a hundred miles,a hudred miles,a hundred miles,a hundred miles・・♪
Five hundred miles away from home. ♪
神は概念
348 :
自由:2014/06/02(月) 04:44:52.92 ID:iP0VOWdI
一つのパターンとして・・・
どんなに人格が破壊されても、最後に残る概念って、みっつあるんだ。
1. 神 2. 恋愛 3. 自己肯定
>>347さんは、そんなんを辛いと思わないかい・・・?
共感性って、何よりも価値があるよね・・・?
349 :
神も仏も名無しさん:2014/06/03(火) 18:25:47.25 ID:cHZzxcMR
350 :
自由:2014/06/05(木) 17:46:50.22 ID:z5V7tBxF
スピリチュアリズムの弱さは、受け手側の人間に原因がある事が解る。
余りにも低次元の自己満足の質問に、いちいち丁寧に答えて、見る見るうちに無駄に衰弱して行く
バーチの姿が解る。
まるで十字架に付けられて、大量出血し見る見るうちに弱体化してる観のごとく答えられなくなって行く。
従って今のスピリチュアリズムは弱すぎ、いずれ羊の皮を被ってなりすます狼に占領され、カルトが乱立し、
聖霊が汚されるのは、時間の問題だろう。
オマイラは、馬鹿だ !!
351 :
思慮 ◆AIOdk12HhuOj :2014/06/05(木) 21:21:47.95 ID:0tyK7fGF
神に宗教と信仰は全く関係無い存在。
人間の宗教を否定され、信仰を否定される。ある特定の宗教が国の70パーセントを占めたとしよう。宗教など関係なく人間の命の大切さ・尊さを思うのが人間であるとされている。
神は、神への信仰は と言えば地上のものに心を一切引かれず神のわざとひとつになったイエスのみ。
わたくしはもはや母胎に入ることはないであろう。神よ、もしも雨を降らそうと望むなら、雨を降らせよ 世捨て人として生きながら彼岸に達した釈迦(神通力の領域)
のみ。
「お前たちには、分別のない信仰のために怒り、恥ずかしい思いでいる」そのように全て勝手な信仰の者どもに神は非常に怒っていらっしゃる。
◇聖霊に満ち荒野・森に住み心静まり◇ 大自然を楽しみ清々しい心でいる人々や、まだ汚れのない子供のように世の中の欲得なことにあくせくせず何事も思い煩わない人々には、
神は恥ずかしい思いをされていない。
352 :
思慮 ◆AIOdk12HhuOj :2014/06/05(木) 21:28:20.80 ID:0tyK7fGF
山へ逃げよ〜この患難の後、日は暗くなり、月はその光を放つことをやめ〜天地は滅びるであろう。しかしわたしの言葉は滅びることがない―(マルコ)
月も照らさず、太陽も輝かない〜自己の沈黙をみずから知るがままに―(感興のことば)
神はそういったことが起きないと、地上に神への信仰が一切無いと決められている。―隣り人とはだれのことですか〜強盗どもが彼を襲い〜だれが強盗に襲われた人の隣り人になっ
たと思うか〜彼が言った、「その人に慈悲深い行いをした人です」―(ルカ)
人間の五欲・金・物欲・自分を偉い者として誇ること・・・は神にとって滅び。人の手で作られたものを必要とし暮らす限り、愚かな人間で神を信仰できますという者は一切いない。
□□□平安と安らぎ□□□ のみが神と人間の共通認識
―真理を行っている者は光に来る。その人のおこないの、神にあってなされたということが、明らかにされるためである―(ヨハネ)
353 :
思慮 ◆AIOdk12HhuOj :2014/06/05(木) 21:30:16.96 ID:0tyK7fGF
無である時に莫大な力があり、敵意や憎しみ・恨み・怒りなどなく平安で肉の欲、目の欲、持ち物の誇り無く身体もない時に苦しみも全く無い。全ての者の知性で知れるように在る。
滅びない者は何事も思い煩わない心、大自然を喜ぶような心、救いの信仰として聖霊に満ち荒野・森に住み心静まり清浄な行者をよしと受け入れさせ、地上のものに心を引かれない
者は決して滅びない者と認識させる。
神のわざであわれみの行いをし、一切の生きとし生ける者をあわれむ修行完成者として、滅びない国の者は一切悩み苦しみ思い煩わないことをよしすることを認識させ、地上で瀕死
の人を助けたり、困り苦しみ思い煩う人々を助けたりすることを永遠につながるとわからせる。
悪しき者
肉の欲・目の欲・持ち物の誇り・富・自分を偉い者とすること・・・は悪魔の者どもで、それらのためにあくせく仕え思い煩い苦しんでも、決して善い所に行けない滅びの者と神に
知られている。それらのものに人類がいくらあくせく仕えて思い煩っても、いつかは滅び、聖霊に満ち荒野の者のような者は決して滅びることはない。
神にとっては、「あるがまま、そのまま」のことだけであり、「心の無い獣のような者ども」は滅びに至る。
354 :
思慮 ◆AIOdk12HhuOj :2014/06/07(土) 12:35:30.28 ID:NB9KX/SG
■神は神への信仰として□地上のものに心を一切引かれず山を移すほどの力□の者とならないと信仰ありとしてゆるさない
人間の身勝手な信仰は一切ゆるさず、神の怒りの者ども
□神への道はある(神への信仰として喜ばれる行為)
聖霊に満ち荒野・森に住み心静まり清浄な行者「衣食があれば足り、何事も思い煩わないよう努める者」
世の中の欲得なことにあくせくしない汚れの無い子供や何も信じずとも大自然を楽しみ清々しい心を喜んでいる者は、不完全であってもまだ神の恥ではない
□無信仰な人間を尊重されている
人間の命の大切さ尊さを思い、自分だけ助かるのではなく、他者の命のことも思う人間、世の中でも他者への配慮もある人間は、神にとっても人間である
宗教・信仰している全く関係なく、人間の命の大切さ尊さが速やかに行われる行為そのものが、人間という存在である
355 :
思慮 ◆AIOdk12HhuOj :2014/06/07(土) 12:36:23.51 ID:NB9KX/SG
□唯一、平安と安らぎは神と人との共通認識
たとえば <海で溺れた子供を命を賭けて助けようとして全員死んだとしても、彼は勇敢な行為をした> に変化があってはいけない。肉(物質)と死(消滅)だけを考慮し<彼
は無知で馬鹿な行為をした>という世になってはいけない。
―人がその友のために自分の命を捨てること、これよりも大きな愛はない―(ヨハネ)は死んで一切消滅するのではなく、一切皆苦で無い所が在るを無意識に感じて行われ、究極の
他者への配慮もある行為で報われる。
世の欲得なことより大自然を楽しみ喜ぶような心で、清浄な国に近いものを第一とする人類は平和・「神のご加護を」といって戦争する者どもは、神は永遠にゆるさない方。
人間として他者への配慮もあり、平穏に暮らす人々を護る戦いは、人間としてゆるされる。殺人や暴力などをなくす法律などは、世を治める人間として当然。
356 :
思慮 ◆AIOdk12HhuOj :2014/06/07(土) 12:41:13.24 ID:NB9KX/SG
□人々の悩み苦しみ思い煩いを取り除く行為
―律法の中でもっと重要な、公平とあわれみと忠実とを見のがしている―(マタイ)―苛酷なることなく、貪欲なることなく、動揺して煩悩に悩まされることなく、万物に対して平
等である―(ブッダのことば)
そんな完全な信仰(山を移すほどの力と地上のものに心を引かれない)はできないが、物質界でも一切の人間でいたいと生まれた者を尊重されている。
格差是正を思う心と、それを善いとする考えは共通認識である。
■悪魔の滅び
富に仕えること、人々の気ままな五欲や物欲にあくせく仕え、悩み苦しみ思い煩うこと、自己愛のみに生き、自分を偉い者と心得、また、人々の労苦で作られた者を必要としながら、
自ら信仰深く他人を従えることができると思う人々・・・
宗教は人間でいたいと生まれた者に仕えることであり、束縛は悪で、神は私利私欲や五欲・物欲の追求にあくせくし悩み苦しみ思い煩うことは、一切ゆるさない存在。
357 :
自由:2014/06/08(日) 17:11:10.76 ID:W2osUHzn
お ! ナザレの旦那 !
「転宝輪」に自縛霊がこびり付いてて、さっきから、巧く廻りやせんですぜぃ。
「さとるくん」どこ行ったんだいねェ〜? 「さとるくん」いないねェ〜?
358 :
自由:2014/06/24(火) 12:00:51.94 ID:1RRmhrrV
無能な神はいらない
バーチお前も無能だな
有能な悪魔のほうがよい
359 :
自由:2014/06/25(水) 05:00:58.41 ID:thJ8oRgs
天上界よわすぎ wwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwww
まだ にんげんかいのほうが まし
360 :
思慮 ◆AIOdk12HhuOj :2014/06/27(金) 22:23:23.75 ID:sKu0v+xz
神は人間の感情の中にある。しかし、実在する霊的な存在は『神の右』(霊から得た知識)しかなく、それを釈迦は「光り輝く神々」として、五欲の対象・肉の欲、目の欲、持ち物の誇
りなど、この世でもそれらを捨てた人間ほど「神に近い」と教えようとされた。そして、イエスは今後も信仰対象となる存在はいないとして、『この世の者ではない』『山を移すほどの
力と一つ』の者として、神への信仰を現し、自分の命を憎むことなく生まれた多くの人々にとって「からし種一粒ほどの信仰のない者」を正直に説き、世に打ちひしがれ信仰をしようと
した『イスラエルの失われた子羊』に「神への信仰を教えた」
◎そして信仰は感情ではなく、『天の者・地の者』の共通認識として、『聖霊に満ち荒野の者・森に住み心静まり清浄な行者』のように、まだ汚れの無い子供のように、世の中の欲得な
ことにあくせく思い煩うことなく、大自然を清々しいものと喜ぶ者のように、「地のことに何事も思い煩わない心」の中に神と永遠の命につながるものは在ると教え、「消え行く霧・
この身は泡沫のごとくと知れ」がいくら人間の信仰対象物を拝んでも、永遠につながらないと教えた。
361 :
思慮 ◆AIOdk12HhuOj :2014/06/27(金) 22:26:49.98 ID:sKu0v+xz
神は自分の命を憎むことなく生まれた人間=神にからし種一粒ほどの信仰のない者=重荷を背負い(神の義の国ではその重荷から開放される)苦しみ多き地の不完全な人間=神への信仰
の甘えから自立しなければならない人間=まだ汚れの無い子供が人間の宗教に全く毒されず生まれたこと=神により人間の命の尊さ大切さを思う人間は当然の人間=それを行っても、神
への信仰には至らず獣でない当然の人間=正しい者は「いつ行ったか?」わからないほど行い=律法を持たない異邦人でも自然のままで行える=異邦人の見上げた信仰・・・・・
を全ての者に受け入れられるように宗教の役割、信仰の救いはある。
修行完成者としてたとえ何も持たなくても一切の生きとし生けるものへの慈しみはこの世では崇高・一切の生きとし生けるものをあわれむ修行完成者として罪過は存在しないと、釈迦は
宗教の役割(理想像)を示し、イエスは神のわざで「あわれみの行い」を行い、信仰対象となった。
362 :
思慮 ◆AIOdk12HhuOj :2014/06/27(金) 22:28:03.41 ID:sKu0v+xz
まだ汚れの無い子供のように、世の欲得なことから一切離れ、何も善いことができなくとも、ただ足り喜んで暮らす者は、かえって神に喜ばれるが、欲得もある人間の暮らしの中で、他
者への配慮もある人間、人々の悩み苦しみ思い煩いを取り除いてあげようとすることは善いことかもしれない、自分のこと・世の中が金や物や五欲、その他のことで人々の悩み苦しみ思
い煩わせても平気で当然と思うことは悪いこと・・・当然の人間で、獣ではなく、まだ神への信仰に至ることができない心ある人間。その人間が、益をもたらすよう救い、心ある人間が、
滅ぼされないようすること・・・肉は決して神と永遠の命に至ることはなく、人々の金(富)への貪欲や仕え、肉の欲・目の欲・持ち物の誇りにあくせく仕え思い煩っても、人々の悩み・
苦しみ・思い煩いを取り除いてあげようとすることを善いと受け入れることができないなら、決して善いところに生まれることはできない。
神への信仰は地上のものに心を引かれず、全てのものが悩み苦しみ思い煩わないことを喜ぶ者の国と一つであるが、地上のものを必要として暮らさねばならない人が、金や物や五欲や自
分自身のみこよなく愛することなく、天のものを受け入れて暮らせば、地上で益をもたらし、永遠の命を得られるという救い。本来は自然のままでも知れないといけないのである。
神にとって知っていなければならないことを知れなかったので、間違わないようにする救いのみ。神が愛情深い存在ではないのである。
363 :
思慮 ◆AIOdk12HhuOj :2014/06/28(土) 07:31:05.81 ID:7nwwDeMh
■神を汚す言葉もゆるされる
―人には、その犯すすべての罪も神を汚す言葉も、ゆるされる〜聖霊を汚す言葉は、ゆるされることはない―(マタイ)
イエスは盲人で口のきけない人をいやされた・・・聖霊を汚す言葉は、神と永遠に反する。しかし、神はしばしの間あらわれてたちまち消え行く霧にすぎない人間の信仰をゆるさず、
山をも移すイエスの姿のような者とならないと、信仰ありとされない。信じてしない者の罪は大きい。また、肉として永遠に神を知れない人間の存在。
だから―もし、からし種一粒ほどの信仰があるなら、この桑の木に、『抜け出して海に植われ』と言ったとしても、その言葉どおりになるであろう―(ルカ)
神への道はあるが(地上のものに心引かれず、何事も思い煩わないことを常)世の中で誰も神を信じることはできない。神と世と世にあるものとは敵対であり、世を愛する心に
より、神と永遠の命を知れぬ者となる。「神が」といって世を制することができない。
364 :
思慮 ◆AIOdk12HhuOj :2014/06/28(土) 07:33:52.42 ID:7nwwDeMh
□真理を行っている者は光に来る
―真理を行っている者は光に来る。その人のおこないの、神にあってなされたということが、明らかにされるためである―(ヨハネ)
肉と世は神を信じることは一切できないが、『聖霊に満ち荒野・森に住み心静まり清浄な行者』が朽ちない神と永遠の命とにつながっている。盲人や口のきけない人をいやされた者
の行い、生きとし生ける者をあわれむ修行完成者が朽ちない永遠の命とつながっている。
人類に隠れたことを明らかにして、〔このまま人間として神と永遠の命はないが、地上のものに一切関係なく心も引かれず、一切悩み苦しみ思い煩うことがなくなる、悪も一切無い、
人間でない世界を無意識のうちに知っている〕
―神の国はいつ来るのか〜「神の国は、見られるかたちで来るものではない。また『見よ、ここにある』『あそこにある』などとも言えない。神の国は、実にあなたがたのただ中
にあるのだ―(ルカ)
365 :
思慮 ◆AIOdk12HhuOj :2014/06/28(土) 07:39:04.36 ID:7nwwDeMh
□隣人の愛として瀕死の人を助けるたとえ
―あなたがたは、わたしが空腹のときに食べさせ、かわいていたときに飲ませ、旅人であったときに宿を貸し〜『主よ、いつ、わたしたちは〜『わたしの兄弟であるこれらの最も小さ
い者のひとりにしたのは―(マタイ)
―学び修めた賢明な人は〜食乞う人々を飲食物をもって満足せしめよ。心に喜んで、撒き散らし、「与えよ」「与えよ」と語る。かれは、天が雨降らすごとくに、その轟きを発する
のである〜貧窮なる人々、旅行く人々、宿無き人々、乞う人々に施しとして与えよ―(神々との対話)
神は感情ではなく現象であり、心ある人々が、瀕死の者を助けたり、悩み苦しみ思い煩わないように、衣食住のない人々に衣食住をといって働いてあげる。世間を苦しみもあるも
のとして耐え(他人を尊重し、自分の思いどおりにならないことも含め)、聖霊に満ち荒野の者のように、大自然を楽しみ何事も思い煩わない近い者が平和を築く。肉でありながら
何か信仰できると自任する者が対立する。
ただ中にあり、何も信仰がないがしている。そういったことがむしろ神と永遠の命につながってされたことだ・・・洗脳ではなく間違わないようにするため。
他者への配慮もある心ある者が益をもたらし、自己愛のみで金や私利私欲のみに生きることによって益が得られない地とされた。
366 :
平家物語馬耳自由:2014/06/29(日) 07:03:04.19 ID:2hBdEM94
酷い貧乏なのに、思い切ってネットをした理由は、世界中の「三宝、(ウィキ見ろコラ)」を探すためだった。
ウィキでは、解りにくいので説明しよう。
仏・法・僧この三つがすべて揃う事をもって、三宝として初めて成立し人類という種族を存続させられる。三つが正式に揃うのは極めて希で、もしそろったら大切にしなくてはならない。
仏とは、その思想の本尊であり、法とは、科学を越えた具体的な奇跡を起こす手段そのものの簡単明瞭な原理、僧とは、純真にして純情な人々の真心のかたまりである。
思慮よ、自由はその渇き求める過程できみの決まりきった訳の解らないスレに何度かふかくにも涙した。(意味など解らなくとも、2/3読もめば、平安を見た)(´;ω;`)
だから、自由はせんえつなかかがら君の問に自分なりに愚痴を答えよう。
バーチは最後に、両膝に無邪気な子供を載せて、「今日は、大人は一人もいない事にします。かわいい妖聖を置いて行きます。」
・・・思慮ほどの御人なら、解るよな、この日のバーチが誰だったのか ?
今、自由は、君の言う所のわたしの隣人、「釈迦」の霊的な点滴によって、保っている。
気がむけばつづく、向かなければもううたない。
勘違いしてるようだが、無神論とは、神を否定してるのではない。
有神論者が神の存在を証明できないから、存在しないと言ってるだけのこと。
小保方ちゃんがスタップ細胞は存在すると言っても、科学的に証明できないどころかインチキ詐欺だと露わになってしまったから、存在しないと言ってるだけのこと。
有神論者が神の存在を証明したら、神は存在するといつでも転回できるのが、無神論者。
神を否定してるわけではないんだよ。
有神論者は、ちゃんと理解しましょうね。
368 :
思慮 ◆AIOdk12HhuOj :2014/07/13(日) 07:44:47.54 ID:kYAf70Ni
□科学的に証明しようとする試み
前世の記憶や臨死体験が客観的にあるかないかを調査で、疑えないことが判明したという。
しかし、私は愛情深い神はいないと知っているし、『神の右という地上のものに心を一切引かれない国のみが神への信仰と言われたし』からし種一粒ほどの信仰の無い状態の人間で、
『人間になりたいと生まれた人間と尊重』が私たちの存在と言われたし、
―この幕屋の中で苦しみもだえている〜肉体を宿としている間は主から離れていることを、よく知っている〜善であれ悪であれ、自分の行ったことに応じて、それぞれ報いを受けね
ばならないからである―(コリント)
しかし、神にとって善悪は天のみ、肉体を宿としている地は、何も信仰の無い者の地で、信じれば罪のみである。
神頼み、宗教的行為・行事は、地上のものに心を引かれず、何事も思い煩わないことのみ。病気の者が、世の欲得なことから離れて安静にするように、神が在るように益を求めて行わ
ねばならない。
369 :
思慮 ◆AIOdk12HhuOj :2014/07/13(日) 07:46:19.22 ID:kYAf70Ni
□信仰対象は決まっている
一切の人物や人間の作った信仰対象物、宗教的行為・行事に真実は無い。天上にいる悪魔が獣のような心無い者どもを釣り殺し宗教で束縛するのである。
【森に住み心静まり清浄な行者で世捨て人 聖霊に満ち荒野で断食(しかし、この世の者ではない者とならないと神の義ではない)】
【人間の信仰に毒されず、世の欲得なことに汚されず生まれた汚れのない子供の状態と、大人になっても大自然は美しい、清々しいと感じる心や自制心あり世の欲得なことにあ
くせくしない心】
□善悪は自分の命を憎むことなく生まれた全ての人間を尊重し知っている
―真理を行っている者は光に来る。その人のおこないの、神にあってなされたということが、明らかにされるためである―(ヨハネ)―律法を持たない異邦人が自然のままで〜律法の
要求がその心にしるされている〜彼らの良心も共にあかしをして―(ローマ)
370 :
思慮 ◆AIOdk12HhuOj :
□悪魔教(人間の宗教)を否定し知っていることを確実にさせる救いのみ
―自分自身を憎んだ者は、いまだかってひとりもいない〜主の薫陶と訓戒によって、彼らを育てなさい―(エペソ)
―恥を知り、真実を語り、自分のなすべきことを行う人を、世人は好ましいと見なす。他人に愛される人は、まだ自分のためにもよいことをするのである〜他人を訓戒せよ、教えさと
せ〜悪人と善人とは、死後には異なったところにおもむく―(感興のことば)
神が沈黙と不在を装っていても、善悪は皆知っている(はず)。信仰あればこの世の者ではないし、神頼や宗教行為は、清々しい朝だと喜ぶような心や、世のことに思い煩わないよう
に努め自制に努めるしかない。
しかし、獣のような心のない者どもは、他者(神)により天上の悪霊の楽しみとし、人間の宗教的行為などで釣り殺し束縛される。世にある事実そのものなのである。
人間の尊重や悪から遠ざけることを常と教えないと、宗教の役割どころか、役立たずの宗教に束縛させられ、束縛させられたまま死を迎える。