―あなたがたのだれにも負担をかけまいと、日夜、労苦し努力して働きつづけた(テサロニケ)―そなたのために仕事をしてくれる人々がいるのではない(悪魔との対話) ―わたしが空腹のときに食べさせ、かわいていたときに飲ませ、旅人であったときに宿を貸し〜『主よ、いつ、わたしたちは―(マタイ) ―学び修めた賢明な人は〜食乞う人々を飲食物をもって満足せしめよ〜貧窮なる人々、旅行く人々、宿無き人々、乞う人々に施しとして与えよ―(神々との対話) 自分の欲得のために人々に負担をかけてはいけない、働こう。地のことで悩み苦しみ思い煩っている人々への配慮、こういった知らぬ間に行っている行為が神と永遠 につながっているのである。自ら思い煩いを取り除いて喜ばれようとしない者は、人々の少々のあやまちをゆるし、世の困難・苦難に耐えて生きなければならないの である。地に苦難があっても、私たちが悪いのみが神。妙な宗教行為によっても、誰も逃れることができないのである。 妙な御利益や信仰深さはないと理解し、―父母につかえること、妻子を愛し護ること―(ブッダのことば)―自分の妻を自分自身のように愛しなさい〜父と母とを 敬え―(エペソ) それぞれの人が自分を愛しいと理解し、他者への配慮もある人間が人間で、自分を正しい者として他人を支配し、私利私欲のためだけにあくせ く生きることを、人らしからぬ地の奴隷、悪魔の子と思わねばならない。ひとりでも衣食があれば足り、何事も思い煩わないよう努めている人は、神に信仰深く喜ば れている。
―森に住み、心静まり、清浄な行者たちは〜未来のことにあくせくすることもなく―(神々との対話)
―イエスは聖霊に満ちて〜荒野を〜そのあいだ何も食べず―(ルカ) ―わたしはこの世の者ではない―(ヨハネ)
こういった行いが神への信仰、神を現そうとされた行為である。全ての者の信仰である。
―人には、その犯すすべての罪も神を汚す言葉も、ゆるされる。しかし、聖霊を汚す言葉は、ゆるされることはない―
この世の者ではなかったら、山を移すほどの力・神通力の域に達して、神に信仰あり愛され、やっと神に義とされる。「そんな信仰できるか!」が人間(神に対する罪人)で
ある。 だが無知な人間どもが、死後の者を人間の手でなんとかできる(供養)くどくど祈ったり・呪文のような意味不明なことばをつぶやいたり、供え物をしたり・・・
>>143
169 :
思慮 ◆AIOdk12HhuOj :2013/11/02(土) 12:04:29.27 ID:aoqk1pc/
□人間の宗教に毒されず生まれた汚れのない者が ―善悪を知るものとなった。彼は手を伸べ、命の木からも取って食べ、永久に生きるかもしれない―(創世記) ―正しい行いをなす人は、この世で非難されることがなく〜法にしたがって生き、恥を知り〜自分のなすべきことを行う人を、世人は好ましいと見なす〜 他人を訓戒せよ、教えさとせ〜悪人と善人とは、死後には異なったところにおもむく―(仏) ―主の薫陶と訓戒とによって、彼らを育てなさい―(エペソ) 無知無明の宗教から、人間になりたいとして生まれた人々に役立つよう宗教指導された。何も人間の宗教に汚されず生まれ、誰も自分の命を憎むことなく生まれ、その人間 を大切に思うようにされたのは神であり、義は別に在り、信仰のないもののようにされたのも神であるから。 だから、物や金や宗教などより、人間の命の大切さが心にある者は、正しいのである。
170 :
20→18→15 :2013/11/02(土) 14:55:38.75 ID:NhvshwOc
ビックバンこそ唯一神である
171 :
神も仏も名無しさん :2013/11/02(土) 15:07:53.36 ID:NN/EOxtU
>>170 君は随分と難しいことを考えているんだね、偉いね。
172 :
神も仏も名無しさん :2013/11/02(土) 17:00:34.27 ID:ydcNR9t1
神ってのは、自分を生かしてくれるもののことを言うんじゃねえのか?
173 :
人生は修行である :2013/11/02(土) 17:45:09.59 ID:QDN39+PI
神はある存在するのです それを証明出来るのは如来だけです 如来は全ての奇蹟を起こせます物質化現象も他人の心も読めます 菩薩ではまだまだです修行が足りません 我々の魂が進化し神の心に同通するのですそれが人生の目標です
174 :
思慮 ◆AIOdk12HhuOj :2013/11/03(日) 09:26:05.67 ID:M+n8yeF5
□□□真理を見る人には何ものも存在しない□□□ ―この世の有様は過ぎ去る―不朽の神の栄光を変えて、朽ちる人間や鳥や獣や這うものの像に似せたのである―あなたがたは、しばしの間あらわれて、たちまち消え行く霧にすぎない ―日は暗くなり、月はその光を放つことをやめ、星は空から落ち〜これらの事が、ことごとく起きるまでは、この時代は滅びることがない。天地は滅びるであろう。しかしわたしの言葉 は滅びることがない。その日、その時は、だれも知らない。天にいる御使たちも、また子も知らない。ただ父だけが知っておられる―(新約聖書) ―世の中は泡沫のごとし〜世の中はかげろうのごとし〜身体は泡沫のごとし〜身体はかげろうのごとしと見よ〜すてに有ったものが存在せず、虚空も無く、識別作用も無く、太陽も存在 せず、月も存在しないところのその境地を、わたくしはよく知っている〜(感興のことば)―世界の終極に達しないで、苦しみから離脱することはあり得ない〜世界を知れる人、聡明な 人、清らかな行いを修めた人は、世界の終極に至る人となるであろう〜この世もかの世をも望まない―(神々との対話) ―偶像なるものは実際は世に存在しないこと〜万物はこの神から出て〜この神に帰する。また、唯一の主イエス・キリストのみがいますのである―(コリント) ◎◎◎人間のどんな信仰も、その身体の消滅とともに消える偽りの信仰である◎◎◎
175 :
思慮 ◆AIOdk12HhuOj :2013/11/03(日) 09:46:57.64 ID:M+n8yeF5
■人を生かすのは霊 とは ―森に住み、心静まり、清浄な行者たちは〜未来のことにあくせくすることもなく―(神々との対話) ―イエスは聖霊に満ちて〜荒野を〜そのあいだ何も食べず―(ルカ) 偽りを信じさせられ、人間の信仰に汚された人々。―主にあっていつも喜びなさい〜あなたがたの寛容を、みんなの人に示しなさい。主は近い。何事も思い煩ってはならない― (ピリピ) 悪しき者の配下・妄執に従属した世の欲得な行いにあくせくし思い煩い、悩み苦しんでいる者たちより、『何事も思い煩わないで喜んでいる者』のほうが、山を移すほどの力・ 神通力の域にに近く、神への信仰にも近い。 ―汝もまた信仰を捨て去れ―(ブッダのことば)―何ものかを信ずることなく、作られざるものを知り―(真理のことば) ―からし種一粒ほどの信仰があるなら、この山にむかって〜あなたがたにできない事は、何もないであろう―(マタイ) からし種一粒ほどの信仰もできない人間の状態であるが、そういったことを信じ行うことにより、霊によって生かされる。
176 :
思慮 ◆AIOdk12HhuOj :2013/11/03(日) 23:02:52.97 ID:M+n8yeF5
■神により肉である人間はからし種一粒ほどの信仰のない者とされた 神の働きにより、まだ汚れのない幼い子は世のことにあくせくし思い煩い苦しむことなく、人間の宗教にも汚されることもなく、自分の命を憎むことなく、生まれた者を大切にするよう 生まれた。 神の働きにより、肉である人間は人間の宗教に汚されることなく、『聖霊に満ちて荒野』の者のように、世の欲得なことに思い煩い悩み苦しんでくよくよとしている者より、大自然を楽 しみ、世と自己との思い煩いのない者のほうが健康的だと思うようにされた。 人間の多くはいつもということなく、【そんなことできるか!そんなものあるか!・・・】信仰深いと自任できる者はない、そう多くはないとされた。そこで、人間の手で造られた物を 信仰対象と好み、信じて善い者のようにしてはいけない。
177 :
思慮 ◆AIOdk12HhuOj :2013/11/03(日) 23:23:06.62 ID:M+n8yeF5
□それぞれ人間になりたいと生まれたと認めること 一切皆苦、―この幕屋の中で苦しみもだえている〜肉体を宿としている間は主から離れていることを、よく知っている―(コリント)何一つ信仰なく生まれたため、神にとって完全な者 のようにしないなら、地のあるがまま苦しみもだえていることを知ること。人間の宗教により、不正にそれらを回避できると思ってはいけない。 ―「わたしには子がある。わたしには財がある」と思って愚かな者は悩む。しかしすでに自己が自分のものではない〜もしも愚者がみずから愚であると考えれば、すなわち賢者である― (真理のことば) ―自分を義人だと自任して、他人を見下げている人たちに対して〜「神よ、わたしはほかの人たちのような貪欲な者〜『神様、罪人のわたしをおゆるしください』〜おおよそ、自分を高 くする者は低くされ、自分を低くする者は高くされるであろう―(ルカ)
178 :
思慮 ◆AIOdk12HhuOj :2013/11/03(日) 23:57:24.85 ID:M+n8yeF5
自然災害などで全てを失っても、暴動や略奪、嘆き悲しみ続けて生きる人々より、それらに耐え、立派だと識者から尊敬されるように、 また、おいしい物を食べて自分は偉いとするなら軽蔑され、立派な持ち物を誇り、他人を見下している人が、好ましいと思われないように、 『世の物を必要とし暮らしながら、自分は信仰深く偉い、つくすのは当然だという者は誰もいない』 ―苛酷なることなく、貪欲なることなく〜万物に対して平等である―(ブッダのことば) ―律法の中でもっと重要な、公平とあわれみと忠実とを見のがしている―(マタイ) 様々な事情で、働けない人々の尊重。しかし、人々に負担をかけまいとして働こうとすることは当然である。 被災者など衣食住のない人々に衣食住を・・・あわれみは人にとって大切なことである。しかし、信仰深く人々に負担をかけても平気だと思う者は誰もいない。 そういったことの救い=宗教の立場だけがあるだけで、神にとっては地上のものに心を一切引かれず、何事も思い煩わないことのみ、信仰深い者とゆるされる。
179 :
思慮 ◆AIOdk12HhuOj :2013/11/04(月) 09:08:00.48 ID:yTHVB/Ps
■偶像なるものは実際世に存在しないこと、神は、神が、信仰は、宗教的行為は・・・ 一切無い■
□信仰対象は無く、尊敬すること
まだ汚れのない幼な子が世の欲得なことにあくせくせず、思い煩わないように、
―今日われらは美しい太陽を見、美しく晴れた朝に逢い、気もちよく起き上がった―(ブッダのことば)
何ひとつ信じないで、「清々しい朝だ」と世の中のことにあくせくすることもなく、何事も思い煩わない者のほうが清い。
>>143 >>144 のように、【悪魔ナムチの軍隊】と呼ばれる人間の宗教に汚されることもない。
―森に住み、心静まり、清浄な行者たちは〜未来のことにあくせくすることもなく―(神々との対話)
―イエスは聖霊に満ちて〜荒野を〜そのあいだ何も食べず―(ルカ)
そして、この世の者ではなく、神のわざ、神通力の領域に達した者を敬することにより、明らかに知恵のない無知無明の宗教から、何が清いかわからせようとされた。
180 :
思慮 ◆AIOdk12HhuOj :2013/11/04(月) 09:29:33.20 ID:yTHVB/Ps
■何も信じることができず、苦しみに耐えねばならない世 ―園に植え、林に植え、橋を作り、井戸の舎や貯水池を作る人々、休息所を与える人々、かれらの功徳は、昼夜に常に増大する―(神々との対話) ―もしもこの世に誠実、自制、貧窮なる人々への施し(施与)、耐え忍びよるもさらに勝れたものがあるなら―(ブッダのことば) ―肉による主人に従いなさい。人にへつらおうとして目先だけの勤めをするのでなく〜あなたがたが知っているとおり、だれでも良いことを行なえば― ―学び修めた賢明な人は〜食乞う人々を飲食物をもって満足せしめよ〜貧窮なる人々、旅行く人々、宿無き人々、乞う人々に施しとして与えよ―(仏) ―空腹のときに食べさせ、かわいていたときに飲ませ、旅人であったときに宿を貸し、裸であったときに着せ、病気のときに見舞い―(イエス) ―あなたがたのだれにも負担をかけまいと、日夜、労苦し努力して働きつづけた(テサロニケ)―そなたのために仕事をしてくれる人々がいるのではない(悪魔との対話) 誰でも自分を愛し生まれ、人々に負担をかけまいとして働こうとする心、衣食住のない人々に衣食住をといって働き、自然災害などで失った人々に施したりする人々。『正しい者 はいつ行ったか?】 神は在る。 無意識のうちにあり、その働きに従おうとさせる。 肉の宗教は何にも役に立たないものである。 真実を信仰させ、地上の真実に従おうとさせる。宗教の役割としてなさったこと。
181 :
20→18→15 :2013/11/04(月) 16:01:08.79 ID:spD2Mlqx
個々の民族をまとめる力→民族神 この宇宙を造り、地球に生命をもたらしたもの→宇宙神、絶対神
182 :
思慮 ◆AIOdk12HhuOj :2013/11/04(月) 19:58:22.66 ID:yTHVB/Ps
□□□神は一切人間に批判されない存在である□□□ ―聖書全体にわたり、ご自身についてしるしてある事どもを、説きあかされた―(ルカ) ―わたしを愛さない者はわたしの言葉を守らない―(ヨハネ) ―『主よ、主よ』と言う者が、みな天国にはいるのではなく、ただ、天にいますわが父の御旨を行う者だけが、はいるのである―(マタイ) □□□仏教は、修行という名目で、人間を調教した□□□ ―この世では自己こそ自分の主である。他人がどうして自分の主であろうか?〜他人がどうして自分の主であろうか?賢者は、自分の身をよくととのえて、徳行を達成する〜いろい ろの幸せを得る―すべて悪しきことをなさず、善いことを行い、自己の心を清めること、これが仏の教えである。わかち与える人には功徳が増大する―(感興のことば)
183 :
思慮 ◆AIOdk12HhuOj :2013/11/04(月) 19:58:55.93 ID:yTHVB/Ps
■思い煩い、苦しんで信仰に頼ろうが(神頼み等、他を頼りとすること)■ ―森に住み、心静まり、清浄な行者たちは〜未来のことにあくせくすることもなく―(神々との対話) ―イエスは聖霊に満ちて〜荒野を〜そのあいだ何も食べず―(ルカ) そのように、離欲を達成し、世と自己との思い煩いを一切取り除こうとしなければならない。 人の手で造られた物を必要としながら、『主よ、主よ、神よ、神よ』といって信仰できる者は、ひとりもいない。 ―からし種一粒ほどの信仰があるなら、この山にむかって〜あなたがたにできない事は、何もないであろう―(マタイ) 神よといって救われる人間は誰もおらず、その他人間の肉の思いで作った宗教により、御利益や救われることは、一切無い。真実に従おうとしない者どもは、明らかに知恵の ない無知無明の者だけなのだ。
184 :
思慮 ◆AIOdk12HhuOj :2013/11/04(月) 20:31:03.56 ID:yTHVB/Ps
■被造物・アートマンである人間は無にならないと(肉を一切捨てないと)神を信仰できる者とならない神の法律■ ―神を信じなさい〜だれでもこの山に、動き出して、海の中にはいれと言い、その言ったことは必ず成ると、心に疑わないで信じるなら、そのとおりに成るであろう―(マルコ) ―山を移すほどの強い信仰があっても、もし愛がなければ、わたしは無に等しい― 無にならないと神に信仰ありとされない神の法律。無から有(被造世界・アートマン世界・物質界)が生まれ、一切信仰ができない神の法律に従わねばならない者となった。 しかし、信仰したいと信仰を求める時、地上のものに心を引かれず、世と自己との思い煩いを捨て、神に近づこうとすること。世への思い、善悪への思いを一切捨て去らねば ならない。神が悪を憎むような、善悪を説くことはないのである。宇宙はビックバーンから生まれたという識者、有識者のほうが世を治めるにふさわしいとされた。 世にあるものを捨て、何事も思い煩わないことに熱心にならず、何か信仰深いと自任して、他の人々と対立する・・・そういったことは神の法律に背いたからである。 何も信仰のない有識者が世を治める・・・これは世界の共通認識とならないといけない。
185 :
思慮 ◆AIOdk12HhuOj :2013/11/05(火) 19:33:57.39 ID:tcoOOvce
□正常な知者が世を救うようにされた ―この平安の境地に達して〜他の識者の非難を受ける下劣な行いを、決してしてはならない。一切の生きとし生けるものは、幸福であれ、安穏であれ、安楽であれ〜(ブッダの ことば) ―あなたがたのいのちは、どんなものであるか。あなたがたは、しばしの間あらわれて、たちまち消え行く霧にすぎない―(ヤコブ) 人間として永遠に神を知れない者と理解し、無から物質界が生まれたように、人知では測り知れず、比較にならない力・・・ 信じたからという行いでもなく、何ひとつ何も信じなくとも、生まれた生命を尊重できる人々・・・こういった識者、有識者が世の中を救うよう創られた。
186 :
思慮 ◆AIOdk12HhuOj :2013/11/05(火) 19:51:33.98 ID:tcoOOvce
■神への信仰深さ、神よ主よ・・・喜んでいるわけでなく、その正反対 信じる者は罪しかない。 ―父がわたしと一緒におられるのである〜わたしにあって平安を得るためである。あなたがたは、この世ではなやみがある。しかし、勇気を出しなさい。わたしはすてに世に勝っ っている―(ヨハネ) 地上で罪をゆるす権威。地上の者に一切心を引かれない者だけが神への信仰ありとされる者。それ以外の者は信じるがために『罪』しかない。 ―あなたがたは、わたしが空腹のときに食べさせ〜正しい者たちは答えて言うであろう、『主よ、いつ、わたしたちは『あなたがたによく言っておく。わたしの兄弟であるこれら の最も小さい者のひとりにしたのは』 最も小さい者のほうが神に近い。その他の者たちは神様と言えるどころか、神には罪しかない。
187 :
思慮 ◆AIOdk12HhuOj :2013/11/05(火) 20:10:09.05 ID:tcoOOvce
□神への信仰は何もないと教えること ―からし種一粒ほどの信仰があるなら、この山にむかって〜あなたがたにできない事は、何もないであろう―(マタイ) ―主の薫陶と訓戒とによって、彼らを育てなさい―(エペソ) ―自分の命を憎む者は、それを保って永遠の命に至るであろう―(ヨハネ)―自分自身を憎んだ者は、いまだかって、ひとりもいない―(エペソ) 被造物である人間が御利益を望んで信仰しても、その御利益は一切ない。信仰は一切ない。人間にあるのは、自分を愛し生まれてきた人々を大切にするよう教えることだけである。 ―神と人との間の仲保者もただひとりであって、それは人なるキリスト・イエスである―(テモテ) 神の言葉を正しく知るために信仰対象となられた。
188 :
思慮 ◆AIOdk12HhuOj :2013/11/23(土) 01:23:45.55 ID:DBt7kK+N
人間になりたいと生まれた罪人=眠りについた人間 誰も神に信仰ありと自任できない者となり、 隠れたことでしかわからない存在となった。 神の善に近い 聖霊に満ち荒野の者のように、森に住み心静まり清浄な行者のように、何事も思い煩わない者だけ神の善に近い。 善悪を知る賢さ 識者 快楽・物質・金・自分の意見や心に思ったことを正しいと言張ることなく、生まれた人間を第一と思慮できる人々。 この世の者ではない世界があってはいけないため、「からし種一粒ほどの信仰のない」神の律法が地上に隠されている。
189 :
神も仏も名無しさん :2013/11/24(日) 20:43:44.50 ID:gdn/Vuiz
>>1 勝手に思っていることを書いておく。
人間のいいところを全部集めた完璧超人みたいなもの
190 :
思慮 ◆AIOdk12HhuOj :2013/11/26(火) 21:00:38.26 ID:HjKyz9rw
―神は、わたしたちの内に住まわせた霊を、ねたむほどに愛しておられる―(ヤコブ) 『しばしの間あらわれてたちまち消え行く霧にすぎない、この身は泡沫のごとくと知れ』 人間の勝手な思いすら無い。―敵を愛し、人によくしてやり〜いと高き者は、恩を知らぬ者にも悪人にも、なさけ深いからである。あなたがたの父なる神が慈悲深いように、 あなたがたも慈悲深い者となれ―(ルカ)―究極の理想に通じた人が、この平安の境地に達して〜上に、下に、また横に、障害なく怨みなく敵意なき慈しみを行うべし〜この世 では、この状態を崇高な境地―(ブッダのことば)
191 :
思慮 ◆AIOdk12HhuOj :2013/11/26(火) 21:01:47.96 ID:HjKyz9rw
□□□真理を見る人には何ものも存在しない□□□ ―この世の有様は過ぎ去る―不朽の神の栄光を変えて、朽ちる人間や鳥や獣や這うものの像に似せたのである―あなたがたは、しばしの間あらわれて、たちまち消え行く霧にすぎない ―日は暗くなり、月はその光を放つことをやめ、星は空から落ち〜これらの事が、ことごとく起きるまでは、この時代は滅びることがない。天地は滅びるであろう。しかしわたしの言葉 は滅びることがない。その日、その時は、だれも知らない。天にいる御使たちも、また子も知らない。ただ父だけが知っておられる―(新約聖書) ―世の中は泡沫のごとし〜世の中はかげろうのごとし〜身体は泡沫のごとし〜身体はかげろうのごとしと見よ〜すてに有ったものが存在せず、虚空も無く、識別作用も無く、太陽も存在 せず、月も存在しないところのその境地を、わたくしはよく知っている〜(感興のことば)―世界の終極に達しないで、苦しみから離脱することはあり得ない〜世界を知れる人、聡明な 人、清らかな行いを修めた人は、世界の終極に至る人となるであろう〜この世もかの世をも望まない―(神々との対話) ―偶像なるものは実際は世に存在しないこと〜万物はこの神から出て〜この神に帰する。また、唯一の主イエス・キリストのみがいますのである―(コリント)
192 :
思慮 ◆AIOdk12HhuOj :2013/11/26(火) 21:45:52.30 ID:HjKyz9rw
□平安と安らぎ 人格が唯一の神ではない ―人知ではとうてい測り知ることのできない神の平安が、あなたがたの心と思いとを―(ピリピ)―〔そして「やすかれ」と言われた。〕―(ルカ) ―究極の理想に通じた人が、この平安の境地に達して―安らぎは虚妄ならざるものである―(ブッダのことば) 知者と愚者とに別れ、このような身体も限定的で敵意を抱き争ったり憎んだり怒ったりせず、理性的な行いで今を過ごそうとする。 偶像礼拝者は人間的に善いような神を想像する。しかし、しばしの間あらわれて、たちまち消え行く霧にすぎない自己(肉)と世と世にあるものより、超越した素晴らしい国を 信じて、寛容で何事も思い煩わないような平安な心を得る。 朽ちる人間が偶像を抱けるような存在なら、人間を超越した素晴らしい存在ではないのである。偶像は愚かな人間の創造物や愚かな心が抱く人格に過ぎない。
193 :
思慮 ◆AIOdk12HhuOj :2013/11/28(木) 21:11:54.49 ID:RVG8bAm/
□神とは、神の栄光の者しか信仰ありと認めない存在 ■神とは、いるとかいないとか、人が善人であるとか悪人であるとか、人間の思いを一切嫌う存在 ■信仰深いと自任(あなたはどうなのだ) ―イエスは聖霊に満ちて〜荒野を〜そのあいだ何も食べず―(ルカ) ―森に住み、心静まり、清浄な行者たちは〜未来のことにあくせくすることもなく―(神々との対話) まだ汚れのない子供が世と自己とに何事も思い煩わず人間の信仰に汚されず生まれたように、大自然を楽しみ清々しい心の者が、何も信じなくとも健康的だと思われるよう に、「地上のものに一切心を引かれず、私に近いものを常に求めなさい」
194 :
思慮 ◆AIOdk12HhuOj :2013/11/28(木) 21:42:22.71 ID:RVG8bAm/
□神の栄光から離れ、何も信じない愚かな人間だ ―「神よ、わたしはほかの人たちのような貪欲な者〜『神様、罪人のわたしをおゆるしください』〜おおよそ、自分を高くする者も低くされ、自分を低くする者は高くされるであろ う―(ルカ) ―「わたしには子がある〜」と思って愚かな者は悩む。しかしすでに自己が自分のものではない〜もしも愚者がみずから愚であると考えれば、すなわち賢者である―(真理のことば) ―この世で自分の命を憎む者―(ヨハネ)―自分自身を憎んだ者は、いまだかって、ひとりもいない〜自分の妻を自分自身のように愛しなさい―(エペソ) ―山を移すほどの強い信仰があっても、もし愛がなければ、わたしは無に等しい― 神への信仰深い者、栄光のために自分の命を憎みなさい、否、人それぞれ自分を愛おしく思い生まれたではないか。
195 :
思慮 ◆AIOdk12HhuOj :2013/11/28(木) 21:46:09.90 ID:RVG8bAm/
■耐え忍んで善を行っても当たり前の人間 ―この幕屋の中にいるわたしたちは、重荷を負って苦しみもだえている〜肉体を宿としている間は主から離れていることを、よく知っている〜善であれ悪であれ、自分の行ったこと に応じて、それぞれ報いを受けねばならない―(コリント) ―善悪を知るものとなった。彼は手を伸べ、命の木からも取って食べ、永久に生きるかもしれない―(創世記) ―正しい行いをなす人は、この世で非難されることがなく〜法にしたがって生き、恥を知り〜自分のなすべきことを行う人を、世人は好ましいと見なす〜 他人を訓戒せよ、教えさとせ〜悪人と善人とは、死後には異なったところにおもむく―(仏) ―主の薫陶と訓戒とによって、彼らを育てなさい―(エペソ) 偶像礼拝者は獣のような頭しかなく、信仰のない者として眠らせられた地で、生まれたいとして生まれた人を大切にし尊重することは、永久に生きることなのである。 神は言葉でしかつながってはいない。信仰はできず、神は言葉でしかわからない存在となった。
呼んだかな
197 :
神も仏も名無しさん :2014/01/27(月) 04:16:45.86 ID:34M8VVg/
神の囁きは汚ない囁き、悪魔の囁き
結局、「神のあるところに真の平和なし」(by歴史) ですよ。
199 :
神も仏も名無しさん :2014/01/29(水) 12:43:12.94 ID:j/bMyiZH
適当な思想やら現象やら物やら人やらに「神」というレッテルを貼れば、 その宗教において、レッテルを貼られた物は「神」。 ただそれだけの事。 だから、スンゲー力があってーとか、ナントカカントカっていう別の次元があってーとか、 その手のオカルトは全部嘘。でっち上げ。 神を奉るためのデコレーションの一部に過ぎない。
200 :
神も仏も名無しさん :2014/01/29(水) 13:23:06.72 ID:nUy6wbiz
神か、ろくなもんじゃないわ
201 :
神も仏も名無しさん :2014/01/29(水) 19:05:26.89 ID:YgN4dDIq
>>198 「敵なんかいない。君にそっくりな奴がいるだけさ」by安心院なじみ
『めだかボックス』より
202 :
神も仏も名無しさん :2014/01/29(水) 19:07:35.02 ID:zFRuPrTV
妄想
203 :
思慮 ◆AIOdk12HhuOj :2014/01/30(木) 23:14:14.52 ID:OHF1ybJI
■神とは、地上のものに心を一切引かれない者のみを信仰ありと認める存在 □人間とは、誰でも自分の命を憎むことなく生まれたように、「人間になりたい」と生まれたもので、神には一切信仰ありと認められない存在。 神により、人間の状態ではいないようにされた。神によりいないようにされた人間が「いる、いない」で論じ合うことは一切無意味なことにされた。 ■宗教 無所有でも何事も思い煩わない者ほど善人で、世間で人間の活動を貪る者ほど「何かしたいこともある人間」だけで愚かな者とされた。この世で自分を正しい者だと自任できる 者は誰もおらず、自分を偉く正しい者として他人を支配することを平気とできない人間の存在とし、人間を尊重する教育を宗教の役割とされた。 □神 良識的な行いができない人々が多くても、無所有でも何事も思い煩わない者ほど信仰深い者とされた。多くの者たちはそれを求めず生まれ、神はいないようにされた。
んなわけねーじゃんjk
205 :
鬼平の秘蔵っ子 :2014/02/28(金) 10:10:13.71 ID:U8SOrURB
神とは、人間に対する揶揄のたまもの。 お前不完全だろ?完全なおれにひれ伏せ!!みたいな。 人を理解するために、より便宜をはかる思考の存在をぶっ立てたわけよ。 つまり、数字でいえば、0とう原点回帰させて、位置を図るそんな手法になってるわけ。 だから神は、存在するか!?と言われれば、YES。 蜃気楼は、目に見えるやろ? 蜃気楼は存在するか??みたいな話や。 実際、思考の目でみえてるわけさ。完全体至高神がなwwガハハハ 神を超えるものについても言及しとこう。つまり、パラドックスや。 異次元をもってくると、別世界の概念で、神とう0原点を超える。0ダッシュ原点世界をみえてくる。 そんな感じ。次元の上昇とは、もっともっとイマジネーションを膨らませろいうこっちゃ。
206 :
神も仏も名無しさん :2014/03/01(土) 06:52:37.86 ID:i/wcB5QI
つぶなら瞳で餌を食べてる牛ちゃん 君たちはやがて殺されて人間に食べられてしまうんだよ 君たちは知らないだろうけど
207 :
神も仏も名無しさん :2014/03/03(月) 11:10:14.17 ID:yq9j3xBp
この世はどんな汚ない手を使っても富と名声を得た者は神の御加護がある (金と権力で他国を侵略し更なる富を得た某国の連中など) 逆に病弱や貧乏な人間は神からイジメられ切り捨てられる 俺の言ってる事に間違いは有るかな?
208 :
神も仏も名無しさん :2014/03/05(水) 14:18:05.10 ID:JG9HYwmw
ただの金持なら喧嘩せずかも知れないが、権力が絡むと闘争には際限がない。 支配者も疲れる。
209 :
自由 :2014/03/06(木) 01:03:27.28 ID:9ofFJ2Zq
自由とは、拘束されない状態をいう。 拘束されるものは、有限な存在としての人間である。 人間の自由に関しては、科学的技術の飛躍的発展、及び生物としての限界という 点からも考察する必要があろう。 科学技術の発展は、人間を各種の労働から開放するにちがいないし、 また、さらに、生命を人為的につくりだすことも考えられる。 その場合、人間は、現在悩んでいるすべての社会的障害を克服するであろうが、 人間の生命そのものは、何百歳というほどまでは延びないであろう。 このことは、なにを意味するであろうか。 将来、宇宙開発が発展すれば、人間は太陽系の諸惑星を往復できるようになるかもしれないが、 それでも、太陽系を越えて、銀河系宇宙の果てにさえ行くことはできないにちがいない。 少なくとも、人間の一代、ないしは数代で到達することのできる距離は、 おそらく銀河系宇宙の100分の1にも達することはできないのである。 人間は、光の速度(1秒間に30万キロ)を越えることはできない。 すなわち、広大な宇宙の中では、生物としての人間の技術的自由というものは、 きわめて小さいものということができる。 小学館 大日本百科事典 荒 正人 から抜粋 生きとし生けるものは、在りもしない自由をなぜ求めるのでしょう ? ないっていうのは解っているのに・・・・ (?_?)
210 :
自由 :2014/03/06(木) 01:10:29.35 ID:9ofFJ2Zq
>>209 小学館 大日本百科事典 「自由」 荒 正人 から抜粋
211 :
d(・∀・)y一~~イケメン学者 :2014/03/06(木) 07:29:58.91 ID:bLqp4SOd
/\ \ __/ / ̄/ /\ _\/ /_\ / / ̄ ∧_∧ \/__(;・ ∀・) 目あるものは読みなさい。 / と ノ ハァ 神とはなにか? それは「良心」のことだった。 / 人 Y ハァ \/し'(_)
212 :
自由 :2014/03/08(土) 04:37:30.23 ID:1mQEGDrv
「彼」が十字架に付いたのは良心からですか ? 「彼」が背負っていたのは良心だったのですか ? 「神」が「彼」を使わしたのは良心からですか ? イケメン学者と称する者よ、あなたには何の興味ももてない・・・
213 :
d(・∀・)y一~~イケメン学者 :2014/03/08(土) 09:19:27.28 ID:qCOmSNZc
/\ \ __/ / ̄/ /\ _\/ /_\ / / ̄ ∧_∧ \/__(;・ ∀・) 目あるものは読みなさい。 / と ノ ハァ 彼は目覚めた者だった、彼のような目覚めた者を捕らえて処刑するのは不可能だ。 / 人 Y ハァ しかし彼氏捕まったのは彼がそう望んだからだ、彼の中の「良心」がそう望んだからだ。 \/し'(_) そして原罪という間違った概念に苦しんでいた人々を開放した。彼自身が人々の原罪を 一身に引き受けて。因みに伝承によると彼が復活してふらっと街に出歩いていても誰も彼だと気付かなかった、 彼が飯屋でパンを食べていた時、偶然居合わせていた弟子たちに彼は発見された。なぜなら彼のパンのちぎり方は 独特の癖があり弟子たちはその癖を知っていたからだった。
214 :
自由 :2014/03/09(日) 17:30:35.27 ID:ZA1v4I8O
宗教学上の「神」。形而学上の「神」。概念上の「神」。 "こうであってほしい" と言う 「神」。 謂わば、人間が造った「神」・・・「偶像」。 指一本動かすことの出来ない「神」。 こういうのを「虚論・けろん」と言うのだよ。 と、苦しんでいた私に、 教えてくれたかつての師が懐かしい・・・。
215 :
神も仏も名無しさん :2014/03/12(水) 03:54:19.33 ID:WondDc8B
深淵の闇・・・・・・・・・・・輝き・・・・・・・・・・・・・・・ 永遠・・・・・・・・・・・・・刹那(せつな)・・・・・・・・・・・ 広大無辺・・・・・・・・・・・微細・・・・・・・・・・・・・・・ 独り・・・・・・・・・・・・・皆んな・・・・・・・・・・・・・・ 至福・・・・・・・・・・・・・悲しみ・・・・・・・・・・・・・・ 罪深きままで・・・・・・・・・未完成なままで・・・・・・・・・・ 平安・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
216 :
神も仏も名無しさん :2014/03/12(水) 06:48:27.26 ID:BRgG817I
信者さん達が言う神が作った地球、その地球が地震を起こし大勢の人々が恐怖と苦しみと共に亡くなって3年か
217 :
思慮 ◆AIOdk12HhuOj :2014/03/14(金) 22:15:06.91 ID:BwKMLEUG
□神への信仰 『地上のものに心を引かれず、全てのものが思い煩いなく喜び、あなたがたは何でもできる』国をよしとし、実在。そこをよしとせず、罪を犯したため、神は怒り、敵意を抱き、 自動車(身体を与えた) ―もし、からし種一粒ほどの信仰があるなら、この山にむかって『ここからあそこに移れ』と言えば、移るであろう。このように、あなたがたにできない事は、何もないであろう と、神は非常にに安心され、ドライバーは目覚め運転をするであろう。 ■無(人知ではとうてい測り知ることのできない力)から宇宙が発生=ビックバン 安全運転のため(自動車)とドライバーのために、たとえて宗教を人間に与えた。 ―山へ逃げよ〜天地は滅びるであろう。しかしわたしの言葉は滅びることがない〜夜には出て行ってオリブという山ですごしておられた―(ルカ) 天地を望む思いも、主よ、主よ(神よ、神よ)という言葉も、自動車であり、決して神に逢うことはできない。しかし、言葉は永遠であり、私といた時のようなドライバーであり、あな たがたはただ中にあるものだけで、神への信仰につながりがある。
218 :
思慮 ◆AIOdk12HhuOj :2014/03/14(金) 22:16:10.04 ID:BwKMLEUG
■わずかな食物どころが命乞いさえできない ―この世で自分の命を憎む者は、それを保って永遠の命に至るであろう―(ヨハネ)―自分自身を憎んだ者は、いまだかっていない―(エペソ) 自動車は如何なる願い事も聞き届けられない。自分の命を憎んで生まれた者がいないように、神が許可されたようにしなさい=からし種一粒ほどの人間となったが、人間は人間を尊重し 合うであろう。 ―祈りと断食とによらなければ―(マタイ)世に打ちひしがれ悩み苦しみ思い煩いをいやされる、神とともにいた善いもののように、みこころが天にあるように、地上のものに心を引か れずに祈れば、あなたがたは何でもできる。しかし、神は自動車でいたいことも知っておられ、 ―あなたがたの間で偉くなりたいと思う者は、仕える人となり―(マルコ)身体の悩み苦しみを治す者を医者として尊敬したり、多くを失っても暴動などをせず、耐えている人々を偉い と尊敬したり・・・自動車である罪人も、ドライバーが目覚め、天にあるもののようにしてれば、あなたがたは何でもできる。
219 :
思慮 ◆AIOdk12HhuOj :2014/03/14(金) 22:17:15.71 ID:BwKMLEUG
■悪魔は役立たず 肉を誇るだけ、肉の欲・目の欲・持ち物の誇りを貪り、まるで正しい者、正しいこととしていた人々は裏切られる。世の栄華や権威を貪っても、自動車でドライバーでなく、神に関係な い者となる。 ―あなたがたのだれにも負担をかけまいと、日夜、労苦し努力し働き続けた―(テサロニケ)―空腹のときに食べさせ、かわいていたときに飲ませ、旅人であったときに宿を貸し〜正し い者たちは答えて言うであろう、『主よ、いつ、わたしたちは・・・』 自分の欲得のために他人を悩み苦しまそうとせず、負担をかけまいと働こう、衣食住のない人々に衣食住をといって働いたり施したり・・・人々の悩み苦しみ思い煩いを取り除くことは 善い、自分の欲得のために他人を悩み苦しませることは悪い・・・神はドライバーと一緒にこの世で働いておられる。そしてドライバーは神と一緒にいる日が来る。 神は自動車が意識できないが、そういった知識のみ与える存在。
220 :
思慮 ◆AIOdk12HhuOj :2014/03/15(土) 11:55:06.71 ID:16ZjkRVD
□□ 神と宗教は様子 □□ □ビッグバンから生まれた個体はつながりなく消える 万物はこの神から出て、この神に帰する ―日は暗くなり、月はその光を放つことをやめ〜天地は滅びるであろう。しかしわたしの言葉は滅びることがない―(マルコ) ―世界の終極に達しないで苦しみを消滅する、と説くのではない〜太陽も存在せず、月も存在しないところのその境地を、わたくしはよく知っている―(感興のことば) ―神を信じなさい〜だれでもこの山に、動き出して、海の中にはいれと言い〜なんでも祈り求めることは、すでにかなえられたと信じなさい―(マルコ) ―あなたがたのいのちは、どんなものであるか。あなたがたは、しばしの間あらわれて、たちまち消え行く霧にすぎない―(ヤコブ) ―身体は泡沫のごとしと見よ―(感興のことば) 全て何事も思い煩うことのない無から―この幕屋の中で苦しみもだえている〜肉体を宿としている間は主から離れていることを、よく知っている〜善であれ悪であれ、自分 の行ったことに応じて―(コリント)―最後も何事も思い煩うことのない者に帰する。肉体は消え行くものだから、いくら天を望んでも、神よ主よといっても、通じないことで あると知りなさい。
221 :
思慮 ◆AIOdk12HhuOj :2014/03/15(土) 11:55:54.21 ID:16ZjkRVD
□生まれた人の道 死ぬ時の到来を願っている人(ブッダのことば)→自分は愛しいものだ ―どの方向に心でさがし求めてみても、自分よりもさらに愛しいものをどこにも見出さなかった。そのように、他人にとってもそれぞれ自己がいとしいのである―(感興のことば) 自分の命を憎むことなく生まれた人間。まだ幼い子供は、世の欲得なことにあくせくせず、世の欲得に思い煩うことなく、汚れのない心の状態であった。 天にないもの、不浄な所を恥ずかしいと隠し、賢くなり、男女の性差も意識するようにもなった。 □人々に負担をかけまいと働こうとする意識 得た自己のため、世の貪欲なことのため、他人に負担をかけたり悩ませたり苦しめても平気であってはならない ―そなたのために仕事をしてくれる人々がいるのではない―園に植え、林に植え、橋を作り、井戸の舎や貯水池を作る人々、休息所を与える人々、かれらの功徳は、昼夜に常に 増大する―(神々との対話)
222 :
思慮 ◆AIOdk12HhuOj :2014/03/15(土) 11:57:31.76 ID:16ZjkRVD
□生きとし生けるものをあわれみ ―学び修めた賢明な人は、食乞う人々に飲食物を与えよ〜貧窮なる人々、旅行く人々、宿無き人々、乞う人々に施しとして与えよ―(神々との対話) しかし、あなたがたのただ中にあるもの、他人を悩ませ苦しめることは悪い、他人の悩み苦しみ思い煩いを取り除くことは善いという心は、何でもできる力と共にあり、また永遠で もあり、この世で益をもたらしている―と教え。 ■悪しき者と滅び 肉の欲、目の欲、持ち物の誇り(新約) 金や物や目の刺激などの希求とそれらをまるで良いことのように教える情報。 ―悪魔・悪しき者に向かって「色かたちと、感受作用と、表象作用と、識別作用と、形成されたものと―(悪魔との対話) 無の莫大な力と、有を貪ることへの破壊・破滅。無に従い適度(自制)することにより、生存は有利なものになる。悪しき者を貪れば過労・過労死、地球環境破壊、金だけを求めて も益は得られず、世の悩み苦しみを取り除こうとして分け与え、使用することにより、不況もなく適度に楽しめる有(地)の構造―と宗教の教え。
223 :
思慮 ◆AIOdk12HhuOj :2014/03/15(土) 16:24:34.40 ID:16ZjkRVD
■神 肉体を宿とし主から離れていることをよく知っている=罪人=から種一粒ほどの信仰もない=神の言葉 神が決めたもの=神は肉体を宿としている地にいないようにされた □幼な子 聖霊に満ち荒野 森に住み心静まり 世の欲得なことに思い煩うことなく、何事も思い煩わない人は、主に近い=何でもできる神にまだ近い= これが宗教的努めだと ■悪魔に努める者どもは苦しみ滅びる 自分の命を憎むことなく生まれた人を害し、苦しめ、悩まして喜んだり、傷つけ、殺してしまうことは悪いと知っている。 しかし、世の金への貪りや、富に仕えることを善いと思ったり、人々の肉の欲、目の欲、持ち物の誇りにあくせく仕え苦しみ悩み思い煩っても、決して善い国に戻ることはでき ない=神の律法。 無にならないとわからないほどの莫大な力に反し、金を得て目の欲、持ち物の誇りなど貪ることが善いと思っていた人々に、それらに仕えたものが苦悩を与えた。 しかし、多くを失っても耐え、暴動や略奪をせず立派だと思われた人々もいる。 在る、この世の者でなく感情や人間の思いを超越したところの無の力は在る。
224 :
思慮 ◆AIOdk12HhuOj :2014/03/15(土) 16:50:37.40 ID:16ZjkRVD
□富 ―富を得ると、自分を楽しませ、喜ばせ、父母・妻子・友人を楽しませ〜愚劣な人が富を得ると、自ら用いることなく、他人にも与えない。健康な人・智慧のある人は、富を得たな らば、自ら用い、またなすべきことをなす―ことばと心を正しくするようにこころがけ、身に悪事をなさないで、もしも飲食豊かな富んだ家に住んでいるならば、まことあり、柔和 で、よくわかち与え、温かい心でいるならば〜来世を恐れる必要はない―(神々との対話) ―貧しい人々に分け与えるようになるために、自分の手で正当な働きをしなさい。悪い言葉をいっさい、あなたがたの口から出してはいけない―(エペソ) 幼い子供のように思い煩うことなく人の状態を望んで生まれた人。天にあるものに反しあくせくすることも、貪りをよしとしてあくせくすることも永遠の命でない。しかし、「人間 でいたい目的」を持って生まれた人々が、金銭に執着せず、わが物という執着から離れ、自ら楽しませ喜ばせ、他人にも分かち与え、使えるようにしてあげることで、不景気という 悩み苦しみはなくなる。 幼い子供のように、大自然を楽しみ喜んでいる人々の心のように、あくせく思い煩うことなく人間に生まれた喜びで、適度に楽しむことも、地に生まれた目的を達成している。
225 :
思慮 ◆AIOdk12HhuOj :2014/03/15(土) 16:53:12.57 ID:16ZjkRVD
□喜び 何事も思い煩わない喜びと、人間に生まれても思い煩うことをよしとせず、感謝して喜び楽しむことは、無にならないとわからないほどの莫大な力にも通じ、その人に益をもたらす。 しかし、たとえ多くを失っても、貧窮でも、衣食があればそれに足りたり、大自然を喜びとしたりする人々は、むしろ「山を移すほどの力」「神通力」の国のものに近い。耐える者 こそ、神も褒め称える。地上のものに心を一切引かれない国を義としていらっしゃる。 ■誇らない人 人になりたいと生まれた喜びのための活動 ―神よ、わたしはほかの人たちのような貪欲な者〜神様、罪人のわたしをおゆるしください〜自分を低くするものは高くされ―(ルカ) ―しかしすでに自己が自分のものではない〜もしも愚者がみずから愚であると考えれば、すなわち賢者である―(真理のことば) 人間の活動は人間になりたいと生まれた欲求のためで、おいしい物を食べて、自分を偉い者としないように、それらに仕えても、自分を偉く正しい者としない。 人間でいたいと生まれた喜びを確認して、人々の富への貪欲、肉の欲・目の欲・持ち物の誇りにあくせくし仕え思い煩っても、自分を偉い者と誇っても、地の奴隷・悪魔の子とし て、決して善い所に生まれることはできないようにされたのである。
226 :
自由 :2014/03/15(土) 21:45:45.04 ID:NngRVt8c
人生で起きる全てが、 善人である事もさえも・・・ 悪人である事もさえも・・・ 生まれて来た時点で・・・もう決まっているというのであるのなら・・・ そして、人がその運命からのがれられないなら・・・ 一体、人生に何の意味が有ると言うのでしょうか ? この世界は、一切が無意味になります。 どうして ? この世界は存在するのでしょうか ? (´;ω;`)
227 :
思慮 ◆AIOdk12HhuOj :2014/03/16(日) 00:50:32.42 ID:nALycRNv
神のことしかわからない。或いは悪魔のこと。 ■全世界は悪しき者の配下 ―悪魔はイエスを高い所へ連れて行き、またたくまに世界のすべての国々を見せて言った、「これらの国々の権威と栄華とをみんな、あなたにあげましょう。それらはわたしに任せ られていて―(ルカ) ―世間は妄執によって導かれる〜妄執という一つのものに、一切のものが従属した―(神々との対話) 善人・悪人は決まっていないし、人間の運命も決まっていない。悪い世の中の時、子を怒らせないで教えようとする選民思想はある。 全員悪人で、苦しみから逃れることはできないようにされた。必要な物を得させるため、栄華や権威を他の者たちより得ようとする競争意識は、他者(神?悪魔?)により得て、人 間となった。この世は下界、欲界と呼ばれる所なのである。
228 :
思慮 ◆AIOdk12HhuOj :2014/03/16(日) 00:53:46.67 ID:nALycRNv
■この世の者である限り ―世界の終極に達しないで苦しみを消滅する、と説くのではない〜世界の終極に達しないで、苦しみから離脱することはあり得ない。それ故に、世界を知れる人、聡明な人、清らか な行いを修めた人は、世界の終極に至るであろう。かれは、悪を静めて、世界の終極を知り、この世をもかの世をも望まない―(神々との対話) ―父母につかえること、妻子を愛し護ること、仕事に秩序あり混乱せぬこと、これがこよなき幸せである―(ブッダのことば) ―自分の妻を自分自身のように愛しなさい。妻もまた夫を敬いなさい〜主にあって両親に従いなさい〜肉による主人に従いなさい―(エペソ) 下界であり欲界では、『愛』。自分の命を憎むことなく生まれた人々を尊重してあげ、自ら楽しませ喜ばせたり、肉の主人に誠実に仕えてあげたり・・・・ しかし、苦しみから逃れることはできないのである。人間の信仰により、楽のみを追い求めることはできない。
229 :
思慮 ◆AIOdk12HhuOj :2014/03/16(日) 00:55:00.06 ID:nALycRNv
■信仰深さと善と正しいと自任できる者 神はむしろ地上のものに心を引かれず、何事も思い煩わない者を常とし、熱心に努める人を善い、信仰深いと自任できる者とされた。人間の幸せが得られない状態でも、悪を行わず、 地上のものに心を引かれない国をよしとして、何事も思い煩わない者のみ、善い者とされた。 この世界は人の世として存在するが、迷い、悩み、苦しんでいるなら―世の中のどこにも、わたしは害いを見ない―(悪魔との対話)―罪に定めるな〜ゆるしてやれ―(ルカ) 害いを見たり、この世を悪いと思ったりするなら、『地上のものに心を引かれず、何事も思い煩わないことに努めること』まだ汚れのない幼い子供のように、大自然を喜び清々 しい心で何も思い煩わない者のように、善いことを実践するしか道はないのである。
230 :
自由 :2014/03/16(日) 05:12:22.77 ID:ual69551
僕はもう、この世も、あの世も望みません。 答えてくれて、ありがとう・・・ どうか、早くお休み下さい・・・ このレスは、美しい・・・・
231 :
自由 :2014/03/16(日) 05:49:38.79 ID:ual69551
震災でおびただしい方が失われました。 おびただしい財産が、二束三文になりました。 現在も、おびただしい動物が苦しんでいます。 復興で、おびただしい人々が、被爆し続けています。 神など、糞でも食べていれぱ゛よいのですwww。 耐えられる限界を遥かに越えた苦しみを、 神よ、あなたは、いつも私たちにあたえられます。 人が人らしく生きて行ける世の中、 それは、いつになったらかなうのですか ? 僕は人間だ。 あなた・神・から好かれようとは思ってもいない。 ただ神よ、あなたは、何時まで苦しみ続けるつもりだ。 あんまりでは、無いか。 思慮よ・・・・・・・・ 休んでください。゜
232 :
神も仏も名無しさん :2014/03/21(金) 07:27:10.83 ID:eoZggkcJ
宇宙の真髄 三昧耶 曼荼羅 びやんど ざ ですくりぷしょん Beyand the Description. 言葉の表現を超えるもの 凡ゆる物の帰るべき所。 親の想い
233 :
思慮 ◆AIOdk12HhuOj :2014/03/25(火) 22:45:45.80 ID:bl2s9oPb
■神はたとえ話しかわからない 神は一切洗脳しない方 広大な大自然で神と共に暮らしていた。神は「私とおれ!」神とともに一切思い煩いのない喜び・・・しかし、神は神と共に喜ぶだけのことを嫌ったので、神は自動車(身体)を与え た。そして、神は(私に一切信仰の無い者だ)として非常に安心された。 ドライバーは2人とも微笑んで運転を楽しみ、ガス欠で困っている人にガソリンを分け与え、ドライブに疲れた時、パーキングエリアで何もせず、ただ休憩をした。 別のドライバーは、故障車を見て邪魔であったので、その車にガソリンを撒き、火をつけ爆発させた。中のドライバーは非常に苦しんだのである。 多くの自動車のドライバーは、ドライバーを苦しめることは悪いと判断し、ガソリンを撒くようなドライバーの自動車を排除しようとした。 ※そのドライブ中、全然神を必要としなかったのである。
234 :
思慮 ◆AIOdk12HhuOj :2014/03/25(火) 22:47:57.83 ID:bl2s9oPb
そして、ドライブも終わり、自動車から降り、神と共に暮らす日が来て、ガス欠で困っている人にたとえ次のガソリンススタンドまでのガソリンを与えても、もっと与えても、そのこ とは正しいことであったとわかり、疲れた時、パーキングエリアで休息をすることは正しいことであったとわかり、中のドライバーを苦しめることは悪いとわかるのである。 ドライバーは神と共にいると楽しくないといってドライブを楽しんだが、神もまた自分への信仰のないかわりに自動車を与え、そのことは当然とされていた。 □耐え忍びと他者への配慮もある人間の自己集中、 信仰を捨て去れ、何ものをも信ずることなく、からし種一粒ほどの信仰のない・・・神の律法である。肉体がある以上、あなたがたは何も信じることはできない。 神にとってもそのままの地である。 ◎信じてよいのは聖霊に満ち荒野、森に住み心静まり、世の中と自己とに思い煩わない心。
神とは、現代では社会的弱者の現実逃避場所。 為政者や金持ちの娯楽、あるいは金儲けの手段&社会的弱者の洗脳コントロールツール。 一般人には、キチガイのスティグマ。
236 :
自由 :2014/03/30(日) 00:11:26.16 ID:azoEp1br
バーチ・・ あなたは・えいえんについてのはなしを好む・・ もう・・たどりついただろうか・・? 人間社会に執着して・ヒトをすくわんとするならば・・ バーチよ・・ あなたの神のあなたへの願いを・かなえてやってはどうか・・ あなたの神のあなたへの願いとは・すなわち・・ バーチよ・・ あなたが・神のえいえんに・たどりつくこと・ではないだろうか・・ ちがっていたら・・ごめんね・・・
神なら人を殺してもいいのかい? なんか納得いかない
238 :
思慮 ◆AIOdk12HhuOj :2014/03/31(月) 21:49:29.19 ID:o98ovSR/
神とは、肉=獣=人間の思ったこと の判断を拒絶 未来の有能な科学者のみ理解できる存在 朽ちる人間が何を信じようと―何を信じまいと―人間の宗教を否定しようと―洗脳され正常な人間でないようにされようと・・・・・ 神の法律 ―もし、からし種一粒ほどの信仰があるなら、この山にむかって『ここからあそこに移れ』と言えば、移るであろう。このように、あなたがたにできない事は、何もないであろう ―(新約聖書) ―汝もまた信仰を捨て去れ―(ブッダのことば)―何ものかを信ずることもなく―(真理のことば) 人間は全く信仰のできないものとされた存在。
239 :
思慮 ◆AIOdk12HhuOj :2014/03/31(月) 21:50:48.59 ID:o98ovSR/
■宗教を望む人々よ(物や金、得た自己を第一とせず) 他者への配慮もある者は良いとする存在 ―死ぬ時の到来を願っている人―(ブッダのことば)―自分よりもさらに愛しいものをどこにも見出さなかった。そのように、他人にとってもそれぞれ自己がいとしいのである ―(感興のことば) ―この世で自分の命を憎む者は、それを保って永遠の命に至るであろう―(ヨハネ)―自分自身を憎んだ者は、いまだかっていない―(エペソ) ―善悪を知るものとなった。彼は手を伸べ、命の木からも取って食べ、永久に生きるかもしれない―(創世記) ―正しい行いをなす人は、この世で非難されることがなく〜法にしたがって生き、恥を知り〜自分のなすべきことを行う人を、世人は好ましいと見なす〜 他人を訓戒せよ、教えさとせ〜悪人と善人とは、死後には異なったところにおもむく―(仏) ―主の薫陶と訓戒とによって、彼らを育てなさい―(エペソ) ―悪魔の征服者〜善悪の両者に汚されません―(ブッダのことば) 動物と同じような程度の低い人間には、無にならないとわからないほどの力を理解できない。 人間の宗教や盲目的な批判者を人間の宗教的思いにより(批判も含め)、釣り殺す=束縛する という存在。
240 :
思慮 ◆AIOdk12HhuOj :2014/03/31(月) 22:10:25.58 ID:o98ovSR/
神が人を殺す=何かしでかす=良い者や悪い者に危害を加える=人間の勝手な妄想 【在る】 ―山へ逃げよ―(マルコ)― イエスは聖霊に満ちて〜荒野を〜そのあいだ何も食べず―(ルカ) ―森の住み、心静まり、清浄な行者たちは、日に一食を取るだけであるが―(仏) ―主にあっていつも喜びなさい〜あなたがたの寛容を、みんなの前に示しなさい。主は近い。何事も思い煩ってはならない―(ピリピ) ―あなたがたのいのちは〜しばしの間あらわれて、たちまち消え行く霧にすぎない―(ヤコブ) まだ汚れのない幼な子のように、世の中のこと自己のことにくよくよ思い煩わないで、大自然などは美しいと思うような清々しい心の者と共に在る。 【益】 ―あなたがたのだれにも負担をかけまいと、日夜、労苦し努力し働き続けた―(テサロニケ)―そなたのために仕事をしてくれる人々がいるのではない―(仏) 得た自己のため、人々から利益を得ようと思わず、誠実に働いてあげようという心に従って、人々の益はある。
241 :
神も仏も名無しさん :2014/04/02(水) 06:31:19.43 ID:ryzf9LvC
以前キリスト教の信者さん達が言ってたが地震や原爆で亡くなるのは前世で悪い事をしたから神の罰を受けたんだって言ってました へぇ〜、神ってそうやって人を殺すんだと呆れ返りました。
242 :
神も仏も名無しさん :2014/04/04(金) 04:27:37.57 ID:CMCrM7LM
>>241 それは仏教の因果応報や輪廻転生の考え方。キリスト教ではない。
阪神大震災・東日本大震災 この二つは間違いなくキリスト教の神が起こしたものである オレが保証する
244 :
思慮 ◆AIOdk12HhuOj :2014/04/04(金) 20:20:59.20 ID:bhtHaKi/
―人がこの世でなす善と悪との両者は、その人の所有するものであり、人はそれを身につけておもむく。それは、かれに従うものである。影がそのからだから離れないように― (神々との対話) ―山を移すほどの強い信仰があっても、もし愛がなければ、わたしたちは無に等しい―(コリント) 神問題に詳しい人格神。私たちは、自然のまま『愛』で生きるはずであった。自分も大切であるが、他者への配慮もある『良識的な人間』 □□□神を求めるほどの強い信仰。神の答えは、無=地上のものに心を一切引かれない者=この世の者ではない=決して死を味わうことのない者□□□のみ
245 :
思慮 ◆AIOdk12HhuOj :2014/04/04(金) 20:22:45.78 ID:bhtHaKi/
■しかし、私たちのやっていることといえば=神の怒り(神の左と言われた)キリスト教なら罪人 ―世間は妄執によって導かれる〜妄執という一つのものに、一切のものが従属した―(神々との対話) ―全世界は悪しき者の配下にあることを、知っている―(ヨハネの第一の手紙) 釈尊が「森に住み、心静まり、―わたくしはもはや母胎に入ることはないであろう。神よ、もしも雨を降らそうと望むなら、雨を降らせよ」 ―イエスは聖霊に満ち〜荒野〜何も食べず―(ルカ) 神の意向のまま『地上のものに心を引かれない』者ではなく、罪人=からし種一粒ほどの信仰のない者=何も信仰のない者が生まれる地なのである。
246 :
思慮 ◆AIOdk12HhuOj :2014/04/04(金) 20:27:35.97 ID:bhtHaKi/
■自動車(身体)は信仰ができない、しかし、『無=妄執に導かれた人間が無にならないとわからないほどの存在=神通力=山を移すほどの者=運転手が目覚めて運転』すれば、 益がもたらされる・・・ということで救いの教えがある。 得た身体のために他人に負担をかけまいと働こう、病気の時に世のものへの貪りから離れ、なるべく安静にするように、人々が贅沢を追求しようとしたら地球環境破壊、男女の快 楽の追求よりも、部屋の中でゲームなどに耽溺するより、外で元気にスポーツする子供のほうが健康的だと思われるように、人々の気ままな欲望の追求のためにあくせく働いても 善人と褒め称えることはなく、過労や過労死が問題とされるように、メタボリックや自然災害などで全てを失っても、略奪せずそれに耐え立派だと思われるように、自分の欲得の ために生きることを美徳とせず、衣食住のない人々に衣食住をといって悩み苦しみ思い煩っている人々にわかち与えたり、働いたり、無にないもの身体の汚い所を恥、隠せば賢い とされたり・・・ 識者=賢者、偶像を思うことなく、良識を思う心で運転手が目覚め、世に益をもたらそうとしている。その心に従おうとする者と神は『在る』=無は在る。正しい者がいつ 行ったか?全てのものの上に在る。自動車社会は、ドライバーに任せて放置させている。良い者も悪い者も雨が降る地のように、神は車社会に何もしない存在。
247 :
神も仏も名無しさん :2014/04/05(土) 06:31:14.11 ID:p8Bpyf+E
>>242 旧約聖書にも新約聖書にも最初は輪廻転生のことが書かれていたみたいだけど欧米人達の事だから自分達の都合の良いように変更しただけでしょ
天地創造で 暗闇がある中、神は光を作り空つくり大地を作り、海が生まれ、地に植物をはえ太陽と月と星をつくった
★なんややっぱり神は地震プレートをつくって地震を起こしてるやん
それを否定するのなら神の天地創造説は嘘っぱち
信者さん達はここをウヤムヤにするから嫌いだ!
248 :
神も仏も名無しさん :2014/04/06(日) 04:25:17.42 ID:/PDiB2Kh
早い話が 地震が起きて人が亡くなるのは A・神は大地をつくったがまさか地震が起こる事まで予想してなくて想定外、つまり神のミスである。 B・地震で亡くなった人達はなんかの罪を犯してたから神が手をくだして殺した。 C・神の天地創造説は全くの嘘っぱちであり地震は自然現象に過ぎない。 答えは何れですか?って事です。 まあ信者さんは答えないでしょうけど
キチガイの代名詞
251 :
自由 :2014/04/08(火) 23:11:05.96 ID:jw84W4OI
>>241 君は、韓国系の耶蘇教、「レギオン」だね。
252 :
神も仏も名無しさん :2014/04/09(水) 11:25:51.66 ID:7z764+oo
>>248 俺的には答えはAじゃないかな
神のやる事は突っ込みどころ満載だし
大地が揺れるなんて命に関わる事だし完全に地球は欠陥品でリコール対象だよw
253 :
思慮 ◆AIOdk12HhuOj :2014/04/10(木) 23:23:25.88 ID:xK0dKiyd
神はたとえ話しかわからない存在 「神様ふぁ〜」「神たまとぼくちん」 □無に在る人々がいる しかし、そういった人々も「神たまとか何とか言っている者どもを気味が悪い」と言っている。 ■有にいる人々がいる 洗脳されていない無宗教の人々多くの人々が「気味が悪い」と言ったとしよう。※神たま以外の○○○たまも真実では、虚妄である。 しかし ―聖霊に満ちて〜荒野― ―森に住み、心静まり― (イエス・仏) 何か信仰したい人々よ、まだ汚れのない子供のように『世の中と自己とに思い煩いを捨て』聖霊に満ちた荒野の者のように、清浄な行者のように、大自然を楽しんで世の中のこ とをくよくよと悩まないでいる者のように、たとえ何もなくとも「何事も思い煩わないでいる者のほうが無に近い」と。
254 :
思慮 ◆AIOdk12HhuOj :2014/04/10(木) 23:27:42.09 ID:xK0dKiyd
獣(畜生)のような人々を「釣り殺せ!論じ合いそのまま終わりにせよ」 無に近く清浄を思わなくとも、重い荷に耐え、身体の病気を治そうとする医者のように、人々の悩み苦しみ思い煩いを取り除こうとする人々が先生と尊敬されるように・・・ 無をいつ行ったか知らぬ間に行っている人々・・疑いなく自分に集中し悪から離れた人々・・無が認める人間である。 ―不朽の神の栄光を変えて、朽ちる人間や鳥や獣は這うものの像に似せたのである―(ローマ) 神といっても、被造物・アートマン(自動車)は一切知ることができず、信仰により認められることはない。無となりドライバーで知り、神通力・山を移すほどの力の領域に ならないと神ではない。いるとか、いないとかというものではない。力がありそうな神は無の領域であり、人間の内にも宿る。
255 :
思慮 ◆AIOdk12HhuOj :2014/04/10(木) 23:30:03.95 ID:xK0dKiyd
―よく聞いておきなさい。これらの事が、ことごとく起きるまでは、この時代は滅びることがない。天地は滅びるであろう。しかしわたしの言葉は決して滅びることがない― (ルカ) ―世界の終極に達しないで苦しみを消滅する、と説くのではない〜意識もそなえ心もある一尋の身体に即して〜世界を知れる人、聡明な人、清らかな行いを修めた人は、世界の 終極に至る人となるであろう〜この世もかの世をも望まない―(神々との対話) 天地を望む心ですら肉であり、そういったものへの信仰ですら肉の思いが増している。しかし、心あり聖霊・清浄な心のある人々は、地に悩みがあってもそれに耐える。 唯一の神とは無であり、地で良い者も悪い者も何もしないが、自然のままでも良心があり、それによって行動する人々や、言葉を受けれ行動する人々により、世に益はもたら される。 自然のままでもドライバーは目覚め、世に益をもたらす。信仰により肉が増すだけの畜生のような者どもは、神によって釣り殺される。 宗教は知性がまともでない者どもを束縛することもすると(=神の教え)
256 :
思慮 ◆AIOdk12HhuOj :2014/04/12(土) 11:24:19.58 ID:IrJPjmWg
【偶像】 神のイメージとは?「でっかい人物がいて、何でもしでかす」「愛情深い神がいて、信じている僕チンよ、よしよししてあげる」「おじさんが熱心に人類を見ている」 ・・・人間が勝手につくった○○○様 その他諸々の宗教的行為でハァハァすることでさえ ―彼らは自ら知者と称しながら、愚かになり、不朽の神の栄光を変えて、朽ちる人間や鳥や這うものの像に似せたのである―(ローマ) 無に在る人々・・・「気味が悪い」と言っている。 有にいる人類・・・正常な人間なら気味が悪い 高速道路で走行中、無の人が出てきて、事故のないように助けようとしよう?それどころか走行中人が出てきてかえって邪魔だ、またそれほどの力はないし、ドライバーが 無のように目覚め、安全運転に努めれば事故がないであろう。無の人々はそれを熟知されている。 この世の者ではない と私を愛し教えを守れ。主よと言う者が決して天国に入ることはできない。生きながら彼岸 平安の境地に達して
257 :
思慮 ◆AIOdk12HhuOj :2014/04/12(土) 11:26:30.13 ID:IrJPjmWg
【畜生・獣】とは しばしの間たちまち現れて消え行く霧にすぎない・この身は泡沫のごとくと知れ―人が死んで亡くなったのを見ては、「かれはもうわたしの力の及ばぬものなのだ」―(ブッダ のことば)多くの呪文をやたらにつぶやいていても〜内心は汚物に汚れ―(悪魔との対話)見えのために長い祈りをする。彼らはもっときびしいさばきを受けるであろう(ルカ) この世またはかの世におけるいかなるかたちでも〜これらはすべて悪魔ナムチの褒め称えるところである(神々との対話) すべての燔祭や犠牲よりも、はるかに大事なことです(マルコ)功徳を得ようとして神をまつり犠牲をささげ〜慈しみの心の功徳の十六分の一にも及ばない(感興) 無料で死んだ人を供養(うんうん)死後のことは私の宗教的行為でできる、とても大切なことだから家を売ってでも、私に施しなさい(とても大きな疑い) 正常な知性の者どおり、死者は意識活動もなくなり、人の手の届かぬものとして別のものとなる。 無益な語句よりなる詩を百もとなえるよりも〜有益なことばを一つ聞く(感興のことば) 自動車がいくら御利益を願い、または何らかの益があると思いこんで意味不明 な語句をくどくど唱えても、かたちあるものを拝んで益があると思わせても、死者が他人の力や信仰で何とかできると思わせても、認知症患者を増やすばかりである。 また、人間になりたいと生まれた人々を無に扱うことも、畜生のような者である。
258 :
思慮 ◆AIOdk12HhuOj :2014/04/12(土) 11:28:36.88 ID:IrJPjmWg
―究極の理想に通じた人が、この平安の境地に達して〜諸々のひとの家で貪ることがない。他の識者の非難を受けるような下劣な行いを、決してしてはならない。一切の生きとし 生けるものは、幸福であれ、安穏であれ、安楽であれ〜母が己が独り子を命を賭けても護るように〜一切の生きとし生けるものどもに対しても、無量の慈しみの意を起こすべし (ブッダのことば)―人がその友のために自分の命を捨てること、これよりも大きな愛はない―(ヨハネ) 僕チンと○○様、教祖と教祖の糞をありがたがって食べる修行もできない、拝むためあちこち行くのが修行であると思うのも目くそ鼻くそである・・・私利私欲の肉だけか? そうではなく、海で溺れてる子供を助ける人、それを善いことだと思う人々・・逆に身体が無くなれば終わりだ、他人を助けることは害で金を得て楽しむだけで生きること は善である・・という知識と教育は無い。 ―律法を持たない異邦人が、自然のままで、律法の命じる事を行うなら〜彼らにとっては自分自身が律法〜そのことを彼らの良心も共にあかしをして―(ローマ) 無は在る。全てのものの上に在る。万物はこの神に帰し、朽ちる自動車は無にならないとわからないが、在る。無の人々は力なく、唯一の神はたとえ話しかわからない存在で ある。
こっちにも貼っとくか 妄想(もうそう:delusion)とは、非合理的かつ訂正不能な思いこみのこと。 妄想を持った本人にはその考えが妄想であるとは認識しない(むしろ病識がない)場合が多い。 精神医学用語であり、根拠が薄弱であるにもかかわらず、確信が異常に強固であるということや、経験、検証、説得によって訂正不能であるということ、内容が非現実的であるということが特徴とされている。
260 :
神も仏も名無しさん :2014/04/12(土) 14:28:00.51 ID:kLr5sRKw
死虜は答えはC
261 :
自由 :2014/04/13(日) 01:14:16.91 ID:t6ixoWGL
我はわがとがを知る、わが罪は常にわが前にあり 詩51:3
262 :
自由 :2014/04/13(日) 01:30:08.08 ID:t6ixoWGL
それはまことに激しい苦行であった。釈尊自ら「過去のどのような修行者も、現在どのような修行者も、現在どのような苦行者も、また未来どのような出家者も、これ以上の苦行をした者はなく、また、これからもないであろう。」と後に言われたほど、世にもまれな苦行であった。 しかし、この苦行も太子の求めるものを与えなかった。 仏教聖典 THE TEACHING OF BUDDHA 13頁
263 :
自由 :2014/04/13(日) 01:35:28.72 ID:t6ixoWGL
主よ、公義をもて我を懲らしたまえ。怒りたもうなかれ、恐らくは我ほろびん エレミヤ10:24
264 :
神も仏も名無しさん :2014/04/13(日) 09:59:16.67 ID:YeCqVkyh
265 :
神も仏も名無しさん :2014/04/14(月) 19:28:57.48 ID:URzJijX+
266 :
神も仏も名無しさん :2014/04/15(火) 07:13:55.14 ID:eiektEkT
大地が揺れて大勢の人が亡くなってるのに、大地をつくったやつが責任を取らないで誰が責任を取るんだよ
267 :
神も仏も名無しさん :2014/04/15(火) 07:18:20.07 ID:4qPA6hJZ
>>266 残された人間にとって悲しいが、神は亡くなった人々を生きていたときよりも
幸せにしてくれるんじゃね?そう信じようよ。
268 :
神も仏も名無しさん :2014/04/15(火) 07:57:52.28 ID:eiektEkT
>>267 死んだ後に幸せになるって地震で亡くなった人々が生き返って証言してない限り信用出来ないな
あなたは家に押し潰されたり炎に焼き死んだり水を飲んで死んだりの苦しみを受け入れられますか?
あまりに命を軽視してませんか?
あなただってその立場になれば逃げるはずですよね、ね
269 :
神も仏も名無しさん :2014/04/15(火) 08:25:19.32 ID:4qPA6hJZ
>>268 証言してもらって慰められるのはあなた。あなたを幸せにするために、
神が亡くなった人々を幸せにするとは限らないのではないかな。
そして、人間は(私は)命を重視し、悲しみが深いが故に、神を信じないと
やってられない。そのくらい悲しいのでは?
270 :
神も仏も名無しさん :2014/04/15(火) 08:37:31.61 ID:eiektEkT
>>269 >人間は(私は)命を重視し、悲しみが深いが故に、神を信じないと
やってられない。そのくらい悲しいのでは?
確かにあなたの言ってる事に同意できます
神は存在しないかも知れないが心の拠り所として存在してるんですよね
271 :
自由 :2014/04/16(水) 11:10:56.25 ID:KeIjPcjy
272 :
神も仏も名無しさん :2014/04/17(木) 14:25:04.97 ID:+GgPKUQy
273 :
思慮 ◆AIOdk12HhuOj :2014/04/18(金) 22:00:14.88 ID:KPlkvlmz
>>266 物質(宇宙)は無から生まれた。私たちは無から肉を得た。責任者は無である。
―よく聞いておきなさい。これらの事が、ことごとく起きるまでは、この時代は滅びることがない。天地は滅びるであろう。しかしわたしの言葉は決して滅びることがない―
(ルカ)
―日は暗くなり、月はその光を放つことをやめ、星は空から落ち―(マルコ)
―世界の終極に達しないで、苦しみから離脱することはあり得ない。それ故に、世界を知れる人、聡明な人、清らかな行いを修めた人は、世界の終極に至る人となろう〜この
世をもかの世をも望まない―(神々との対話)
―そこでは月も照らさず、太陽も輝かない〜自己の沈黙をみずからあるがままに、かたちからも、かたち無きものからも、一切の苦しみから全く解脱する―(感興のことば)
無の人々はいままで忍耐をもって耐えておられた。神は無なのである。有はからし種一粒ほども信仰の無い者で、有が「でかいおじさん、神たまハァハァ」と信じても、
気味が悪く、人間の宗教を信じても「頭が悪いから釣り殺す=人間の無知な宗教的思いで束縛させる」という存在である。無をよしとする存在は、宗教に対して「お前たち
はバカなのか?」という存在なのである。無で終わり、始も実は偶像なるものは存在せず、無である。バカにされたくなければ、まだ汚れのない子供のように・大自然は楽し
といって喜び、世と自己とに何事も思い煩わない者のように、地上のものに心を引かれず何事も思い煩わない心を希求しなければいけない。
274 :
思慮 ◆AIOdk12HhuOj :2014/04/18(金) 22:12:31.66 ID:KPlkvlmz
>>268 死んだ後に幸せになる=宗教的思いで釣り殺す束縛する(無の人々の言) 天地すら肉で神の国はいつごろではなくただ中にある。
人間の思考(六つ666の内の一つで肉)【人間の命の大切さ、尊さ】を思うため、まだ汚れの無い子は無に近く【世の中のことに思い煩うことなく、何事も思い煩うことな
く、汚れのない者だった】死後の世界も何も信じず、唯一の無に従って生まれた。肉は消え去る。目の前の人は、二度と逢えない。家族愛や人間の命の大切さ尊さを思うこと
は、人間にとって大事なこと。
※全部、身体の病気や、汚れの無いと認められる者や、多くを失っても略奪や暴動などせず耐え立派だと思われる人々、快楽や享楽に耽溺せず、外で世の中のことをくよ
くよと思い煩うことなく、元気に楽しんだり(SEXよりスポーツ)大自然を清々しいと思ったり、物欲・快楽・享楽を貪ろうと人間の善を希求しようとしたら、地球環境
破壊の原因となったり、まだ汚れの無い子に反し、自分たちの主義主張、やっていることは正しい・間違っているとして対立したり、利害関係で争ったり・・・
無は山をも移す力・神通力である。無に従い、世の良識ある人々が益をもたらしているように、この世で益をもたらす。無が在るは、無知は偶像礼拝者ではなく、有識者
が「いつ行ったかわからないほどで」益をもたらす。悩みがあって宗教に頼ろうとする人々も、悪魔ナムチ教に従わず、この世の者ではない者を善いと信じて、貪りを捨て、
何事も思い煩いを捨て去ろうと努めるしかない(=神でも無を義とされている)人間には人間のことしかない。悪魔教への洗脳と悪を防ぎ、世に益をもたらすため救いの教え
がある。
275 :
思慮 ◆AIOdk12HhuOj :2014/04/18(金) 22:22:57.97 ID:KPlkvlmz
無の人々は地を何も信仰の無い者【バーチャルアンポンチン】とし無だけをよしとする ―「神よ、わたしはほかの人たちのような貪欲な者〜神様、罪人のわたしをおゆるし下さい」神に義とされて〜おおよそ、自分を高くする者は低くされ―(ルカ) ―「子がある。わたしには財がる」と思って愚かな者は悩む。しかしすでに自己が自分のものではない〜もしも愚者がみずから愚であると考えれば、すなわち賢者である」 ―(真理のことば) 信仰に癒しを求める人々も、この世でない者=何事も思い煩ってはならない者 清浄な行者のように、一切皆苦を知り、世捨て人として安らぎを希求する者しかない。 無の人々は永遠である。苦しみもある地に人間として生まれた■『君が悪い』■として、自然のまま世には苦しみもあるとして耐え生きる人々は、ゆるされるが、 人間の労で得た物を必要とし、「ぼくちん神たま ○○たま信じました その他人間教ハァハァ」という者どもは、永遠に「気味が悪い」のである。 悪魔ナムチ教を捨て、まだ汚れの無い子、清々しい朝、大自然は楽しい といって世の中と自己との思い煩いを捨て去った者を見習い、再生の道を歩むしかないのである。 また、汚れの無い者しかゆるさない神に対して、「何かしたいこともある人間」を認めて、したいことをしている人間が自分を偉いとしないように、おいしい物を食べて、 自分を清い・偉いとしないように、何かしたい人間の愚かさを認めるしかない。
276 :
思慮 ◆AIOdk12HhuOj :2014/04/19(土) 09:45:39.38 ID:1dWcV+ym
「何を論じ合っているのか?」 神はたとえ話しかわからない 万物はこの神に帰するたとえ、物質界は無から始まった。無でしか清浄=神はわからず【バーチャルアンポンチン界】である生存状態の私たちは、また【無】から人間の宗教に 一切汚されることもなく、世のことに思い煩うことなく汚れのない子として生まれた。 ■宗教とは堕落 無に在る人々の「言」で作られたもので、本来は【そのまま】なのである。 汚れの無い子のような者であったり ―今日われらは美しい太陽を見、美しく晴れた朝に逢い、気もちよく起き上がった―(ブッダのことば)清々しいことも喜ぶような心 のある者なら良かったのだが・・・ 無は正しく、有にあるもの男女の汚い所を恥ずかしいと理解し隠すことによって、賢くなった反面、欲情であるとか、快楽に耽溺し心も鈍り正常な判断ができない者とな ったり、世の悩み苦しみ悶えによってそれから逃れるための正常な判断ができない者となったり、酒飲んだり食ったり欲得なことに執着して正常な判断ができない者とな ったり、誰も自分の命を憎むことなく生まれ、自分を愛し生きていることを理解できず、盗ったり害したり害っても悪いと思わない者となったり・・・
277 :
思慮 ◆AIOdk12HhuOj :2014/04/19(土) 09:47:09.35 ID:1dWcV+ym
■おかしくなったのだから人間の勝手な宗教に束縛させて人生を終わらせよ派、もう一回無に従おうとさせて清浄な状態をよしとさせ、正常は何かと教える派、それでもダメな らやはり束縛させる派があり、どちらにせよ自然のままでも良識的な人々を護るためであり、原点(まだ汚れのない子)のように、 ―聖霊に満ちて〜荒野― ―森に住み、心静まり― (イエス・仏)無に近く世の中と自己とに何事も思い煩わない心をよしとし、無を善と受け入れ自制を善いと受け入 れねば、いくら人間どもが「○○○ちゃまハァハァ」と信じ言ったとしても、くどくどと意味不明な言葉をやたらにつぶやいても、供え物をしても、智慧の無い人間が 形あるものを拝ませ信じさせても、無を受け入れず死後の人間がこのような人間のようなものと認知症のような者となって供養に熱心になっても、 ― 一切の戒律や誓いをも捨て、世間の罪過あり或いは罪過なきこの宗教的行為をも捨て、「清浄である」とか「不浄である」とかいってねがい求めることもなく― (ブッダのことば) 宗教行事を行って願い求めても、宗教的行為自身でも、 宇宙より広大な規模、永遠、無の人々に届くほど「気味が悪い」のであり、この世の苦しみは、苦しみがあると知りながら願い生まれた「君が悪い」と。
278 :
思慮 ◆AIOdk12HhuOj :2014/04/19(土) 09:48:31.76 ID:1dWcV+ym
■聖霊に満ち荒野の者、清浄な行者のように、この世の苦しみから逃れる道を常としなかった。もう、神など関係ない。地上は人間しかいないのである。 ―善悪を知るものとなった。彼は手を伸べ、命の木からも取って食べ、永久に生きるかもしれない―(創世記) ―正しい行いをなす人は、この世で非難されることがなく〜法にしたがって生き、恥を知り〜自分のなすべきことを行う人を、世人は好ましいと見なす〜 他人を訓戒せよ、教えさとせ〜悪人と善人とは、死後には異なったところにおもむく―(仏) ―主の薫陶と訓戒とによって、彼らを育てなさい―(エペソ) 無に反し他人の悩み苦しみ思い煩いを取り除いてあげることは善い、得た自己のため他人を害し他人の労を平気とし盗ったりすることは悪い、世の人々を故意に悩み苦しみ 思い煩わせることは悪い・・・など内に無を秘め知っている。無は絶対で正しいのである。 宗教を志そうとする人よ、信じてなんとかなる認知症を悔い改め、人間が自然のままでもある無に従って善い(良い)ことをやれば良くなり、悪いことをやれば悪くなる という理解と教育の知識しかない。誰が?誰のため?誰が言ったから?というものでもなく、無知教(=悪魔ナムチ教)が増せば、世が光り輝かないようになるからであ る。救世主・救い主しかいないのである。また無宗教で他人を害さないよう気をつけている人々がいてもよいのである。
279 :
思慮 ◆AIOdk12HhuOj :2014/04/20(日) 13:00:01.60 ID:aTKGe6oK
無に在る〔唯一の神 物質以外の世界を神〕人々のひとり〔人格神と名前をつける〕 「何を論じ合っているのか、物質界に何かしたいこともあり生まれたのだ」「目的」「愛や良識があればよい」「私は生まれた者を全て尊重している」それが神への信仰では なく「地上のものに心を一切引かれない国の者のみ 神の右だけだ」人間は神の「か」も信仰の「し」もないということ。人間が「か」でも「し」でも一瞬でも思えば、 ―山へ逃げよ―(マルコ)― イエスは聖霊に満ちて〜荒野を〜そのあいだ何も食べず―(ルカ) ―森の住み、心静まり、清浄な行者たちは、日に一食を取るだけであるが―(仏) ―主にあっていつも喜びなさい〜あなたがたの寛容を、みんなの前に示しなさい。主は近い。何事も思い煩ってはならない―(ピリピ) ―あなたがたのいのちは〜しばしの間あらわれて、たちまち消え行く霧にすぎない―(ヤコブ) 人間でもこれらの者のように、地上のものに心を引かないことをよしとし、「何事も思い煩わない」よう努めることのみ。
280 :
思慮 ◆AIOdk12HhuOj :2014/04/20(日) 13:02:22.98 ID:aTKGe6oK
しかし、私は(何かしたいこともあり生まれた・目的・愛や良識)などを聞いて、そんなことが(神への信仰か?)と一瞬思った。 すると、無に在る人々■〔神に仕える人間にとって悪霊のような者ども〕■【獲れ、釣り殺せ!】と【様々な宗教的行為や思いを説いたり、地上のものに心を引かれないことを 説いたり、「来い!」と言ったり、笑ったり怒ったり、からかったりしてきた】 神にとっても人間はそのままで人間は何も信仰のないまま、「それぞれ人間でありたいと生まれてきた」それぞれ自分を愛し、自分の命を憎むことがないよう生まれた者であ ることがわかり、それぞれの人の目的や希望であったり、自由な意思や、人間の命の大切さ尊さ、他人を無にすることなく尊重してあげたり、他者への配慮もある行為は善い と思わねばならない。 では、地上のものに心を引かれない困難も苦難も災害もない国があるのに、どうして地上は自然災害などや苦難や労があるのですか? 聖霊に満ち荒野の者のように森に住み心静まり清浄な行者のように、「地上のものに心を引かれないことを常とし喜び努めないお前が悪い」 信仰を捨て目的があったお前たちが悪いのだ と。
281 :
思慮 ◆AIOdk12HhuOj :2014/04/20(日) 13:04:58.98 ID:aTKGe6oK
□私たちは無の時に神通力と共に在った ―神を信じなさい〜だれでもこの山に、動き出して、海の中にはいれと言い、その言ったことは必ず成ると、心に疑わないで信じるなら、そのとおりに成るであろう〜なんでも 祈り求めることは、すでにかなえられたと信じなさい―(マルコ) 人格が生まれさせたのではない。あなたがたは、生まれたいと心にあったから生まれた。失楽でもある。 □神への道、神への信仰 聖霊に満ち荒野の者のように、森に住み心静まりの者のように、地上のものに心を引かれないことを努め、何事も思い煩わないことに努め、この世の者でなない者のようにな ること、生きながら彼岸なら完全である。 パソコンや人の手で作られたものを必要とし喜び暮らしている以上、どのような人間も特別はなく、特別他人を意のまま、支配できる者はなく、人間になりたいと生まれてきた 者なのだ。神にとってもだ。獣のような者となって理解できない者となってはならない。無視して信仰すれば、悪魔があなたを釣り殺し束縛する。
神も人間が作った妄想概念
宇宙が無からで来たというのも勘違いだ。 哲学的な絶対無など存在しないし、そんなものから宇宙が生まれたというのも誤りだ。
284 :
自由 :2014/04/21(月) 18:58:30.59 ID:l7zD577G
やみね、やみね。 「空」だよ。
そもそもの始まりは何なのかとか、もう人間の思考じゃ及びもつかない話だからな。 宇宙の始まりはビッグバンです。 じゃあ、その前は? 何も無かった。 いつから無かった? もうここまでくると、人間の頭とか感覚じゃ捉えきれない話だ。 物には始まりと終わりが存在するという概念すら、怪しくなってくる。 ただ、それは宗教者達の言う「神」とは、全く異なる。 そもそも自分の想像の付かない物を「神」と定義してきたわけだけど、 その時に「神」と設定した物は科学で解明されている。 解らないから神だというのは単なる思考の放棄で、解らない物は神ではなく 解らない物は、解らない物なだけだな。
286 :
思慮 ◆AIOdk12HhuOj :2014/04/26(土) 01:28:03.65 ID:pjzqag0u
唯一の神=無 人間というものは信仰が一切できない生命 ―光輝く神々のように、喜び食む者となろう―(真理のことば) ―神々といわれるものが、あるいは天に、あるいは地にあるとしても―(コリント) 人間が一切信仰対象とできない存在である。 人間は永遠ではなく「土に帰る」 永遠に逢うことのできない生命を知り、人は『人間の命の大切さ、尊さを思わねばならない』存在。では、死後の者のために供養などをする べきか?意識活動も肉体も無くなり『人間という苦しみを味わうことはない』と知っている。 □病気の人でのたとえ 五欲の対象・享楽や快楽、メタボリック・・・ストレス社会から離れ、安静にして病気の治療に役立とうとする。 □汚れの無い、清々しい、パワースポット 汚れのない子供・・・世の貪り、快楽に耽溺する人々より、それらから離れ無に近い者のほうが清く感じる。
>>286 >―光輝く神々のように、喜び食む者となろう―
マニ教臭いですね・・・・
解離性同一性障害のススメですかそうですか(´・ω・`)
288 :
思慮 ◆AIOdk12HhuOj :2014/04/26(土) 01:38:06.82 ID:pjzqag0u
□無に従えば誰も怒らない ―「おれがいるのだ」という慢心―(感興のことば)「おれがおれがというアートマン」への執着より、無いように相手のことを互いに尊重してあげれば、自由になる。 たとえ何ひとつ無くとも、何事も思い煩わない幸せを全世界の人々が第一とすれば平和になる。人(有)の手でつくられていない大自然をただ喜び、自分の考えを一番正しいと せず、私利私欲も捨て楽しんでいれば平和。自然災害などで多くを失っても耐えている人々を怒る者はいない。 □無に従えば益をもたらす 他者への善悪すら捨て、世のことを思わず無のものを喜ぶ。しかし世(有)の益を得ようとそれぞれの人が欲する。誰もがおれの益のため(有)に他人に負担をかけて平気だとせ ず、悩み苦しみ思い煩わせることを平気とせず、誠実に働き施したとしよう。有(欲しい)より無に従い益をもたらす。 □公共が有を思えば怒り、無を思えば何も思わない 美男美女など(有に勝れた)ものに勝れたからといって物を与えたり五欲の対象を貪れるよう財を与えると納得せず、人々の悩み苦しみ思い煩いを取り除く安穏、安楽な暮らしや 平和のために税金を使おうとすれば受け入れられる。
289 :
思慮 ◆AIOdk12HhuOj :2014/04/26(土) 01:42:31.24 ID:pjzqag0u
―あなたがたは悪い者であるのに、どうして良いことを語ることができようか。おおよそ、心からあふれることを、口が語るのである―(マタイ) 無に在る時の人々は有に在る時でも、「識者」を尊重する。おれがおれが、おれが思ったから・・・というものを捨て、 学識あり有能な人材が『無の莫大な力』を解明する日が来るだろう。それは、いつかわからない。 無に在る人々は、身体も無い世界のみ義としているのではなく、一応、人間の「知恵や理性」を尊重している。「本能的な行いや自分の心に思ったことを正しいと言張り行動する 人々を軽蔑している」 無の益がはっきり解明される日は、もっと遠い未来のようだ。通常の人間はわからないものはわからないままでよいのである。そのほうが賢明。 偶像礼拝、宗教的な思いを抱く者は愚か。このような今の人間(肉)は永遠に知ることも意識もできない。 もちろん無に在る人々は無にある時のほうが勝れていると知っている。もちろん賢くないとか、様々な面で(金無い、物質的に豊かでない、醜い身体・・・)と劣等感があっても、 別に気にしなくてよいのである。
290 :
神も仏も名無しさん :2014/04/26(土) 05:23:46.67 ID:Yr6SEyLh
聖書長文コピペ連投の思慮は全く思慮が足りません 喝!
291 :
思慮 ◆AIOdk12HhuOj :2014/04/26(土) 07:38:22.55 ID:pjzqag0u
宗教は【心からあふれること】六つ【考えは正しい、五感】に執着する者どもを【釣り殺し束縛する】ツールなだけ。 ―山へ逃げよ―(マルコ)― イエスは聖霊に満ちて〜荒野を〜そのあいだ何も食べず―(ルカ) ―森の住み、心静まり、清浄な行者たちは、日に一食を取るだけであるが―(仏) 神の「カ」信仰の「シ」でもあれば、「何事も思い煩わないことを常としていな さい」「まだ汚れのない幼い子は何ひとつ人間の宗教に汚されず生まれた」 ―今日われらは美しい太陽を見、美しく晴れた朝に逢い、気もちもよく起き上がった―(ブッダのことば) ―いのちは〜しばしの間あらわれて、たちまち消え行く霧にすぎない―(ヤコブ)―この身は泡沫のごとしと見よ。この身はかげろうのごとしと見よ―(感興のことば) 永遠に人間として知ることの無い存在。思ったことばかり言う人間の言うことなど聞かなくてよいのである。
292 :
思慮 ◆AIOdk12HhuOj :2014/04/26(土) 07:39:54.93 ID:pjzqag0u
■悪魔教 たとえばある者が「自分の性器を舐めさせ、ついでに食わせてもらおう」としたとしよう。そして人々の前で立派な者に見せ、信仰させたとしよう【人間の教祖】 信者が「教祖の糞も大事なものだ」と他の信者に信仰させたり、「糞はおかしい」と言って「パンツ」が「信仰対象なのだ」と人々に教えたとしよう。彼らを笑い、【別の人間 のつくった信仰対象物】を拝ませても、【宗教的行為に専念】させても「目くそ鼻くそ」なのだ。 人々は迷い、何を信仰したらよいのかわからなくなってしまったとしよう。人間の宗教【悪魔】が彼らを狙っている。 □修行完成者や天 ―イエスはさまざまの病苦と悪霊とに悩む人々をいやし〜わたしにつまずかない者は、さいわいである―(ルカ) ― 一切の生きとし生ける者をあわれむ修行完成者・ブッダに、罪過は存在しない。かれに道から外れることは存在しない―(神々との対話) 生まれ得た自己のために人々を悩み苦しみ思い煩わせることは悪い。人々の悩み苦しみ思い煩いを取り除こうと施すことは善い。あの世もかの世も望まない心。いつ頃でも なくただ中にある。
293 :
思慮 ◆AIOdk12HhuOj :2014/04/26(土) 07:40:42.24 ID:pjzqag0u
□唯一の神は無であり特定の人間の思考を超えた現象である ―そなたのために仕事をしてくれる人々がいるのではない―(悪魔との対話)―だれにも負担をかけまいと、日夜、労苦し努力し働き続けた―(テサロニケ) ―園に植え、林に植え、橋を作り、井戸の舎や貯水池を作る人々、休息所を与える人々、かれらの功徳は、昼夜に常に増大する―(神々との対話) 人々の悩み苦しみ思い煩いを取り除こうと誠実に働くことで益がある。世に思い煩い悩んでも、実際(本当)は世の中のあくせくする営みから離れ、静かに暮らすしかない。 自然災害などで多くを失って困っても、人間の宗教が助けることはなく ―わたしが空腹のときに食べさせ、かわいていたときに飲ませ、旅人であったときに宿を貸し〜『主よ、いつ、わたしたちは―(マタイ) ―学び修めた賢明な人は〜食乞う人々を飲食物をもって満足せしめよ〜貧窮なる人々、旅行く人々、宿無き人々、乞う人々に施しとして与えよ―(神々との対話) 他人の悩み苦しみ思い煩いがわかる心と行為によって救われる。人間には無と真実しか全く存在しないのである。そういったことを皆が理解しないといけない。
294 :
神も仏も名無しさん :2014/04/26(土) 13:32:08.06 ID:PTeeV0c7
また、基地害が増えたのか♪ ほんと、宗教患者って、楽しいよなw
295 :
自由 :2014/04/28(月) 07:22:46.55 ID:Z5sic1FR
どうでもいいけど。高級霊って、原語では「High Sprit」かい? もしそうなら俺だったら、「純粋な思念」って読むからね。 三千年前のインディアンって、BC3千のエリドゥの事ではないのでしょうか?
296 :
思慮 ◆AIOdk12HhuOj :2014/04/29(火) 20:59:10.66 ID:l398Z/RH
―究極の理想に通じた人が、この平安の境地に達して〜他の識者の非難を受けるような下劣な行いを、決してしてはならない。一切の生きとし生けるものは、幸福であれ、安穏で あれ、安楽であれ〜何ぴとをも他人を欺いてはならない〜悩まそうとして怒りの思いをいだいて〜他人に苦痛を与えることを望んではならない〜母が己が独り子を命を賭けても護 るように、そのように一切の生きとし生けるものどもに対しても無量の慈しみ意を起こすべし―(ブッダのことば) ―山を移すほどの強い信仰があっても、もし愛がなければ、わたしたちは無に等しい―(コリント) ―人がその友のために自分の命を捨てること、これよりも大きな愛はない―(ヨハネ) 人間は土に帰り無にならないと神を知ることはできない。目の前の人間は、人間の勝手な宗教的思いなど通じず、その人として永遠に逢うことはできない。これは絶対である。 無に従い、そういったことがわかり、たとえば溺れている他人の子供を我を忘れて命を賭けて助けようとする者は、勇敢だ素晴らしいと思い、
297 :
思慮 ◆AIOdk12HhuOj :2014/04/29(火) 21:42:04.54 ID:l398Z/RH
自分の命の大切さ尊さだけを思い、「子供は遊びに来て海に溺れた、自分は生活のため漁に来て苦労しているのだから、助けないのは当然である」利害だけで生きる人々は、無に よって下劣なのである。 【悪魔ナムチの軍隊 下劣な霊の褒め称える宗教的行為】 かれらは希望し、称讃し〜献供する〜供犠に専念している者どもは、この世の生存を貪って止まない いっさい誓ってはならない―(マタイ)― 一切の戒律や誓いをも捨て、世間の罪過あり或いは罪過なきこの宗教的行為をも捨て(ブッダのことば) 葬儀などやるな―(ブッダ最後の旅)―死人を葬ることは、死人に任せておくがよい(マタイ) 多くの呪文をやたらにつぶやいていても〜内心は汚物に汚れ―(悪魔との対話)見えのために長い祈りをする。彼らはもっときびしいさばきを受けるであろう(ルカ) 献供をささげる〜梵天の召し上がる食物ではないのです―(悪魔との対話)―偶像は何かほんとうにあるものなのか〜人々の供える物は、悪霊ども、すなわち、神ならぬ者 に供えるのである(コリント)
298 :
思慮 ◆AIOdk12HhuOj :2014/04/29(火) 21:49:20.72 ID:l398Z/RH
無益な語句よりなる詩を百もとなえるよりも〜有益なことばを一つ聞く(感興のことば) 功徳(利益)は人々が幸福や安穏・安楽な暮らしのために努力して働くことで生まれるれ悪魔は、聖火に供物をささげてこそ、多くの功徳を積むことができる〜尊師は〜悪しき 者よ(ブッダのことば) 形ある信仰対象物を拝むこと、この世またはかの世におけるいかなるかたちでも〜これらはすべて悪魔ナムチの褒め称えるところである(神々との対話) いまから七日の後に、あなたの頭は七つに裂けてしまえ。偽り(詐偽)をもうけたそのバラモンは、呪詛の作法をして、恐ろしいことを告げた(ブッダのことば) すべての燔祭や犠牲よりも、はるかに大事なことです(マルコ)功徳を得ようとして神をまつり犠牲をささげ〜慈しみの心の功徳の十六分の一にも及ばない(感興) 高級霊は不浄な身体を乗り越え、【無】にならないと信仰ありとしない。何も信じないから、むしろ自然のまま【無】に従っている人々は多い。 他の者に負担をかけまいと働こうという者の中にも無はあり、特定の宗教団体に属さないがために「いつ行ったか」わからない者の中にも無はあり、無への宗教者は多い。 意識的に行う宗教的行為・宗教行事などで、布施などを行い良いと思い、他人が飲み食いしても平気な宗教は、無に対し家畜・獣教である。 無への宗教者がいなかったら、道路すら歩けないほどの地である。下劣で動物のような者は理解できない存在で、識者が何も信じないまま行っている存在でもある。
299 :
思慮 ◆AIOdk12HhuOj :2014/04/30(水) 22:59:53.67 ID:BdXGplrW
■世には無と人間の作った宗教(汚点)がある 無から離れ、少子化でも学校で教育できないような行為で生まれた人間。その人間が「私には信仰がありません」と思うことは真実に従い正しいことなのである。 □過ぎ去るものは虚妄・・・神とは、はっきりと言って何か?言えることすらできないのが正常である。快楽により生まれた人間が信じることも知ることもできない、いないよ うと考えれば当りである。なぜなら、不浄な肉が無くなり清浄となればいなくなるのだから。 ―或るものを、ああだろう、こうだろう、と考えても〜過ぎ去るものは虚妄なるものであるから―(ブッダのことば) ―この世の有様は過ぎ去るからである。わたしはあなたがたが、思い煩わないようにしていてほしい―(コリント) 在る唯一の神のみで、何事も思い煩わないでいる者は近い。人間の思いで、ああだろう、こうだろうと考えてもハズレである。
300 :
思慮 ◆AIOdk12HhuOj :2014/04/30(水) 23:01:40.05 ID:BdXGplrW
■葬儀などやるな―(ブッダ最後の旅)―死人を葬ることは、死人に任せておくがよい(マタイ) 意識活動も無くなり、苦しみも無くなり、人間がいくらどうしようこうしようとしても、どうにもならないものとなる。 生きている人が無に従い【過ぎ去るものは虚妄】として忘れようとしているのに、「私に任せておきなさい」と言わんばかりに、供養と言って思い出させ、逆に布施などを 要求する。詐欺師どもは、内心は汚物に汚れ、無益な語句をくどくど唱える。中には、形ある信仰対象物を拝ませ、何らかの益があると思わせる悪党どももいる。 自然災害で無に従い、多くを失っても耐え、人々から立派だと思われた人々は、それで善いのである。耐え忍ぶことが難しい者が、いつか無になることを信じ喜び期待する。 □善い者・悪い者だからといって何かをしでかす神などいない ―天の父は、悪い者の上にも良い者の上にも、太陽をのぼらせ、正しい者にも正しくない者にも、雨を降らせて下さるからである―(マタイ)
301 :
思慮 ◆AIOdk12HhuOj :2014/04/30(水) 23:08:44.21 ID:BdXGplrW
良いから、悪いから・・・そんな神などいないのである。偶像なるものは実際は世に存在しないこと。重い荷に耐え切れず、宗教にすがろうとする。しかし、実際は彼らさえ食 おうとする者たちがいるだけだ。しかし、真実を言えばいつか無になることを信じ、世の中のことを慎み、何事も思い煩わないよう生きるしかない。誰かを頼りとすることはで きないのだ。 そして、自然災害などで実際悩み苦しみを取り除いてあげようとした人々。 □真理を見る人には何も存在しない そのように無は在る ―真理を見る人には何ものも存在しない。人々は自我観念にたより、また他人という観念にとらわれている―(感興のことば) ―真理を行っている者は光に来る。その人のおこないの、神にあってなされたということが、明らかにされるためである―(ヨハネ) 人間が何ひとつ意識することはできない、また何ものか存在して何かしでかすものでもないが、何事も思い煩わない永遠と、善いと受け入れる心と行動により益をもたらせる ことはある。他人に従属(宗教)せず、自分で生きようとする人々の世でも、その益はある。逆らうとろくなことがないから、人類は逆らうことをしないようにしているだけ だ。(例)過去の人権を責め立てる より、今の人命
302 :
神も仏も名無しさん :2014/05/01(木) 14:44:15.84 ID:gmLc3+PF
こういった、現実逃避が宗教患者が宗教患者と言われる所以だな。 精神病棟の壁とお話する患者と同じ。
思慮 ◆AIOdk12HhuOj に思慮は無い。
304 :
神も仏も名無しさん :2014/05/01(木) 15:33:52.25 ID:/GL+MFWu
本職のプロのポルノ男優が、先日、まとめて、養豚場の豚・家畜みたいに、殺処分されたという連絡があった。なので、いきなり、ポルノアダルトビデオ男優が減ったので、募集を多くしているそうだ。 日本のポルノビデオ・アダルトビデオ業界は、凄く偉い人に嫌われたので、もう終わりです。 何度も警告したのに、改めないので、どんどん男性男優・派遣者・出演を強要している人達を殺害しているし、逮捕もしている。 「支配と優越感…」女子中学生にHさせ撮影 携帯に動画170本! 2014.4.24 大阪市東淀川区豊里の会社員、浅原慎也(36)を逮捕 「10人以上とした…」女子中生とわいせつ行為の無職男を逮捕 コスプレ撮影も 東京都世田谷区代沢、無職、池田瞬(24)を逮捕
305 :
思慮 ◆AIOdk12HhuOj :2014/05/01(木) 19:49:58.23 ID:sQHWIcIm
君たちのような知性の低い者に無が在ることは理解できない。 〜他の識者の非難を受けるような下劣な行いを、決してしてはならない―(ブッダのことば) 識者は既に「いつ行ったかわからないまま」行っている。 ―もし、からし種一粒ほどの信仰があるなら、この山にむかって『ここからあそこに移れ』と言えば、移るであろう。このように、あなたがたにできない事は、何もないであろう ―(新約聖書) ―汝もまた信仰を捨て去れ―(ブッダのことば)―何ものかを信ずることもなく―(真理のことば) 神というもには誰も信仰のできない者ですよ。人間は信仰すらできない。それで生き、ついに「土に帰る」人間のつくった信仰など一切無意味で、無から離れ、自分の命を憎む ことなく生まれた者への
306 :
思慮 ◆AIOdk12HhuOj :2014/05/01(木) 19:51:30.20 ID:sQHWIcIm
―善悪を知るものとなった。彼は手を伸べ、命の木からも取って食べ、永久に生きるかもしれない―(創世記) ―正しい行いをなす人は、この世で非難されることがなく〜法にしたがって生き、恥を知り〜自分のなすべきことを行う人を、世人は好ましいと見なす〜 他人を訓戒せよ、教えさとせ〜悪人と善人とは、死後には異なったところにおもむく―(仏) ―主の薫陶と訓戒とによって、彼らを育てなさい―(エペソ) だけがあるということ。―真理を行っている者は光に来る―(ヨハネ)皆知っているような人間の命の大切さ尊さや、正しいと支配できるものは何も無く、自分の命を憎むこ となく生まれた者を尊重してあげることが宗教を志す人々の役割ということ=人間の尊重、人権
307 :
思慮 ◆AIOdk12HhuOj :2014/05/01(木) 19:53:33.20 ID:sQHWIcIm
多くの呪文をやたらにつぶやいていても〜内心は汚物に汚れ―(悪魔との対話)見えのために長い祈りをする。彼らはもっときびしいさばきを受けるであろう(ルカ) 葬儀などやるな―(ブッダ最後の旅)―死人を葬ることは、死人に任せておくがよい(マタイ) 形ある信仰対象物を拝むこと、この世またはかの世におけるいかなるかたちでも〜これらはすべて悪魔ナムチの褒め称えるところである(神々との対話) いまから七日の後に、あなたの頭は七つに裂けてしまえ。偽り(詐偽)をもうけたそのバラモンは、呪詛の作法をして、恐ろしいことを告げた(ブッダのことば) すべての燔祭や犠牲よりも、はるかに大事なことです(マルコ)功徳を得ようとして神をまつり犠牲をささげ〜慈しみの心の功徳の十六分の一にも及ばない(感興) 無は真実な存在で、人間のつくった宗教は悪魔ナムチ、褒め称えるところである(仏教) 他人に従属して家畜・畜生・獣のような者にならず、他人を尊重、目の前の人を愛しな さいを戒めとする教えは、無を受け入れ忠実なのである。苦しみ思い煩い自分は大切だが他者への思いを善いと受け入れることができない人々は、人間の宗教に騙され家畜化する ことなく、世の中と自分との思い煩いを捨て、いつか無になる日が来ることを望むしかない。
308 :
思慮 ◆AIOdk12HhuOj :2014/05/02(金) 07:50:40.73 ID:a5Dgy36m
□神は言葉である 人間が作った宗教は人類の汚点である ―この平安の境地に達して―安らぎは虚妄ならざるものである。諸々の聖者はそれを真理であると知る―(ブッダのことば) ―人知ではとうてい測り知ることのできない神の平安―(ピリピ)―そして「やすかれ」と言われた―(ルカ) 怒り敵意憎しみ恨みなどによる争い。悩み苦しみ思い煩い・・・宇宙が生まれる以前は、そういったものが一切無い。たとい宇宙が無くなろうと、その後には争いも無く、悩み苦 しみも無く永遠に平安と安らぎが続く。それを信仰対象とし神と呼ぶのである。言葉で【悪しき宗教者どもに従属させられ、畜生のように奉仕させられている】人々を救う。 神は言葉自身である。 ■死人・ゾンビ・・・くどくど祈ったり呪文のように意味不明の言葉を唱えたり、形ある信仰対象物を拝ませ何らかの益があると思わせたり、過ぎ去るものは虚妄として時と共に忘 れねばならない過去の悲しみを供養で思わせたり・・
309 :
思慮 ◆AIOdk12HhuOj :2014/05/02(金) 07:52:13.20 ID:a5Dgy36m
□神により生きる人 ―今日われらは美しい太陽を見、美しく晴れた朝に逢い、気もちもよく起き上がった―(ブッダのことば)聖霊に満ち荒野の者のように森に住み心静まり清浄な行者のように、 何事も思い煩わない人々、清々しく晴れた空を喜ぶ心、その心ある者はゾンビではない。 信仰により正しい者は争うのである。からし種一粒ほどの信仰の無い者を認めるか、―神よ、わたしはほかの人たちのような貪欲な者〜(ではないより)自分を低くする者は高く されるであろう―(ルカ) ―富を得ると、自分を楽しませ、喜ばせ、父母・妻子・友人を楽しませ、喜ばせ〜愚劣な人が富を得ると、自ら用いることなく、他人にも与えない。健康な人・智慧のある人は、富 を得たならば、自ら用い、またなすべきことをなす―(神々との対話) 平安と安らぎと言葉であり、信仰して自分は正しい者のようと自任できるものは何ひとつ無い。まだ愚か者であると認めて楽しんでいる人々のほうが平和である。 神は無とならねば信仰できず、真実な存在である。人間でいたいと生まれた者の自由を奪い、争ってそれを聞き入れる存在はひとつも無い。自制心ある者の束縛をよしとする存在 でも無い。
310 :
思慮 ◆AIOdk12HhuOj :2014/05/03(土) 01:22:36.88 ID:dDSkz8Lz
□神とは人間が作った悪しき宗教に負けないための名称 貧しい、苦難、無知・・・悪しき宗教者たちは、彼らさえ食い物にしようとする。しかし、実際は無所有でも世間を離れてでも、『衣食があれば足り』この世の者ではない=人に とって無になることを信じて耐えるしかない。現代では、人権が尊重され、何も信じなくとも、衣食や住む所を与えられる。当時、宗教にすがれば騙されるだけであっただろう。 (無に近い人は神の人である)足ることを知り、わずかな食物で暮らし・・・素晴らしい者だと信じて耐え救われるしかない。 人間が作った宗教を信じて、誰ひとり奇跡的に金を得たり、住む所を得たり、病苦で苦しんでいる者が治ったりすることは無い。しかし、病気の者が安静にして自分のわがま まを言わず、誠実に病気を治そうとする医者の言うことを聞いて治ることはある。事実に対して素直でなければいけない。
311 :
思慮 ◆AIOdk12HhuOj :2014/05/03(土) 01:24:03.75 ID:dDSkz8Lz
■人の時代(無から遠い)になった今、『他の者たちより自分が正しい信仰や権威ありそうなものを信じて、善悪を思う者は危険である』 我が宗教が正しいと思いなし、自分たちもそれで善いことをしているように錯覚する。他の宗教や何も信じないで暮らす世間の人々と対立となったり、争ったり、戦争をする。 権威ありそうなものを信じ込んで、善悪的なものを聞かされ思うなら、他人のあやまちをゆるさず、危害を加えることもある。 まだ、自分は愚か者と信じて(何も信じなくとも)、貪欲な者、自分を喜ばせ楽しませ・・・している者のほうが(有を満たしている限り)正しい者としない。悪を憎まず、平和 にすることが可能である。※皆で旅行を楽しんだり、おいしい物を食べながら、厳しい顔・青白く真剣な顔で正しいような態度をする者は普通嫌われる。 また、無に反して―「快楽は享受すべきであり、清らかである。快楽のうちに欠点は存在しない」―(感興のことば)物の豊かさや、楽しみへの貪り、享受するべきだと考えてい ると、地球環境破壊になるので、ガス大食いの贅沢な自動車よりも、エコカーに同意することは正しいことなのである。
312 :
思慮 ◆AIOdk12HhuOj :2014/05/03(土) 01:24:46.46 ID:dDSkz8Lz
□からし種一粒ほどもない(新約)信仰を捨て去れ、何ものも信じることなく(仏教) このように神は無であり人類は直そのままであるので、『何も信じない識者』や『大自然などで楽しんで世の中や自己との思い煩いを捨てる人』を見習い、信仰など何も無いと健 康な精神を身につけること。 ―生きとし生ける者は幸せをもとめている。もしも暴力によって生きものを害するなら―(真理のことば) 神とは『悪しき宗教支配から救う名』でもあり、人間として幸せをもとめたり、その人間を尊重する戒めなら宗教をゆるそうとする『名』でもあり、健康な者は医者はいらない、 何も信じない異邦人が自然のままで良心による行いをするならよいとする『名』でもあり、受け入れることを知らず、信じても良心に従おうとしない者を獲る(釣り殺し束縛す る『名』でもある。人間がよくならないと世間はよくならないのだが、信仰により自分に御利益があるとか、生き残れるとか、自己愛に満ちた者を釣り殺し束縛する『名』でも ある。識者や良識ある者ではなく、放置すれば世間に迷惑をかける人々を釣り殺し束縛するのも宗教の役割である。
313 :
自由 :2014/05/03(土) 05:41:17.34 ID:qvm2wWup
マンダラ・・・宇宙の本質・三昧耶・・・人の言葉での描写を超えたもの。 マンダラはそれ自体単体で存在するものではなく、家族、グループ、組織・・・ (存在と言う表現は全く適切ではないが、この場合理解しやすくする為) 1つの集団として存在する。 1つの集団として一体であり、金太郎飴の様に何処を切っても均一で、何処も中心であり、 かつまた、個々の独立自我として各々自由に存在する。 一つには、個とか一体とか言った拘束を超えた存在だ。 それは脳の知識として理解する事は不可能であり、体験・経験として理解する能力は誰でも持っている。 あたかも、ぼた餅を食べて、「旨い !」と感じるが如く。 マンダラの一切の詳しい知識を理解する必要は無いのである。 ただ、こんなもんだと実感で理解すれば良い。学問や知識はいらない。 シルバーバーチの教える「類系」とは即ち、仏教ではこのマンダラに相当するのではないだろうか ? 「霊学」について興味をもたせてくれて、ありがとう。 ちなみに、今、大蛇に食べられて、溶けていく最中です。WWW
314 :
思慮 ◆AIOdk12HhuOj :2014/05/03(土) 11:53:21.98 ID:dDSkz8Lz
■信じることは恐ろしい ―世界の終極に達しないで苦しみを消滅する、と説くのではない〜世界を知れる人、聡明な人、清らかな行いを修めた人は、世界の終極に至る人となるであろう〜かれは、悪を静 めて、世界の終極を知り、この世もかの世をも望まない―(神々との対話) ―その日には、この患難の後、日は暗くなり、月はその光を放つことをやめ〜これらの事が、ことごとく起きるまでは、この時代は滅びることがない。天地は滅びるであろう。し かしわたしの言葉は滅びることがない〜その日〜だれも知らない〜また子も知らない〜気をつけて、目をさましていなさい―(マルコ) しばしの間現れて消え行く霧に過ぎない・この身は泡沫のごとくと知れ。今信じられるものがあること、心に抱ける信仰対象物があること、その他諸々の宗教的行為・行事 ・・・その他一切のものが偶像礼拝であり、その者に清浄・善いものは無く、いつか滅びに至る=肉体が無くなれば心に抱けるものすら無くなり、不浄なものも無くなる。 心も無常で、心に抱ける偶像も汚れで、心もある身体では、大自然を喜べるような清々しい心や、他者への配慮もある心で今在る。いつ頃ではない。
315 :
思慮 ◆AIOdk12HhuOj :2014/05/03(土) 11:56:18.12 ID:dDSkz8Lz
■信じられるものがあるということは不浄 ―『主よ、主よ、〜あなたの名によって悪霊を追い出し、あなたの名によって多くの力あるわざを行ったではありませんか』と言うであろう。そのとき、わたしは彼らにはっきり、 こう言うであろう、『あなたがたを全く知らない。不法を働く者どもよ、行ってしまえ』。―(マタイ) 知恵のある医者でも、何か不思議なものがあれば宗教にはまってしまう場合がある。しかし、人間には人間の知性で理解できるものだけがあり、脳で理解できないものがある と言い、何かを信じさせようとする行為は不法である。これこそ恐ろしい行為で、地獄に行くことは間違いない。地獄も悪しき宗教のために用意されている。 ―山へ逃げよ―(マルコ)― イエスは聖霊に満ちて〜荒野を〜そのあいだ何も食べず―(ルカ) ―森の住み、心静まり、清浄な行者たちは、日に一食を取るだけであるが―(仏) 宗教者に心の健全さを教え、
316 :
思慮 ◆AIOdk12HhuOj :2014/05/03(土) 11:57:39.44 ID:dDSkz8Lz
■悪を静める役割 世界の終わりがないと神に信仰ありの者とされませんが、「私を敬しなさい」と言った私すらわからない。思い煩い信仰のある者よ、世の中で様々な困難・苦難があっても、動揺 せず、あなたが思い煩わないようにしていなさい。心に抱いている天地さえ肉の思いでありません。人間には不思議なものを心に抱ける偶像すらありません。それらを捨て、健康 的な精神と、自分の命を憎むことなく生まれた「(知性を含めて)人間の尊重」だけがあるのです。妙なことを抱いて人間を害ってはいけません。 平安(敵意や憎しみを抱いて争うことは無い 平和) 安らぎ(悩み苦しみ思い煩いも無い) ―真理を見る人には何ものも存在しない。人々は自我観念にたより、また他人という観念にとらわれている―(感興のことば) 何ひとつ無い。しかし、宗教の役割としてゆるされるのは、慈悲や愛を戒めとする人間の尊重だけがゆるされる。そこに人間だけがいるからである。 心で抱ける偶像=知性でわからないことを思わせる、信じさせるのは悪魔の仕業で、決して善い国に入れない。 そういった悪を静めるため―今日われらは美しい太陽を見、美しく晴れた朝に逢い、気もちもよく起き上がった―(ブッダのことば)というような心でいなさい。 彼らには地獄すら無いのである。
317 :
思慮 ◆AIOdk12HhuOj :2014/05/06(火) 17:16:46.28 ID:SRGjb3GJ
□□□宗教とは生まれた子供、人間の命の大切さや尊重(思考も含めて)、自制(欲しいままに生きる者を戒める)□□□ ■地獄 ―自分の粗雑な思考をおさめとり、何ものにも依存することなく、他人を悩ますことなく、束縛の覆いを完全にときほぐして、なんぴとをも謗るな。忍耐、堪忍は最上の苦行であ る〜悪い領域(=地獄など)におもむく人々は多い〜そこでは月も照らさず、太陽も輝かない。聖者はその境地についての自己の沈黙をみずから知るがままに、かたちからも、か たち無きものからも、一切の苦しみから全く解脱する―(感興のことば) 悪しき宗教・・・偶像礼拝、宗教的行為・行事、『妙なもの』への信仰である。また、思考も含めて、人間を尊重しない(騙す)ことは悪なのである。 □再生への道 ―山へ逃げよ―(マルコ)― イエスは聖霊に満ちて〜荒野を〜そのあいだ何も食べず―(ルカ) ―森の住み、心静まり、清浄な行者たちは、日に一食を取るだけであるが―(仏)
318 :
思慮 ◆AIOdk12HhuOj :2014/05/06(火) 17:19:03.10 ID:SRGjb3GJ
□素直な心 ―あなたがたのだれにも負担をかけまいと、日夜、労苦し努力して働き続けた―(テサロニケ) ―そなたのために仕事をしてくれる人々がいるのではない―(悪魔との対話) ■粗末な思考も無い 自己の沈黙をみずから知るがままに、かたちからも、かたち無きものからも・・・・・かたち無きものへの信仰すら無い。始も終わりも、自己の沈黙のみ在る。 あの世もかの世も望まず、そこには誰もあなたのために働いてくれる人々はおらず、様々な困難や苦難に耐え、働かなければいけない状態がある。 ―この世では自己こそ自分の主である。他人がどうして自分の主であろうか〜賢者は、自分の身をよくととのえて、いろいろの幸せを得る―(感興のことば) ―健康な人には医者はいらない。いるのは病人である〜義人を招くためではなく、罪人を招くためである―(ルカ) 無→宇宙=生存⇒人間の命の大切さ尊さなどがあり、汚れの無い子供は偶像を抱かない→たとえ宇宙が滅んでも→無 いつ頃というのでなく、今ただ中にあるもの
319 :
神も仏も名無しさん :2014/05/06(火) 17:23:09.00 ID:WhmEjp/x
神とは経済がピークに達した国を崩壊させる為の一手段
特定の分野がピークってのはバランスの異常だから不安定ってのは特に驚くことも無いだろうに。
g
豚どもにはアラーの呪いが降りかかるだろう
323 :
思慮 ◆AIOdk12HhuOj :2014/05/12(月) 23:52:57.05 ID:PZuGxPIA
■信仰=欲望 ―身を修めて、死ぬ時の到来を願っている人―(ブッダのことば)―自分の命を憎む者は、それを保って永遠の命に至るであろう―(ヨハネ) ―「わが神、わが神、どうしてわたしをお見捨てになったのですか―(マルコ) ―イスラエルの家の失われた羊以外の者には、つかわされていない。」しかし、女は近寄りイエスを拝して言った〜イエスは答えて言われた。「子供たちのパンを取って小犬にやるの はよろしくない」。すると女は言った、「主よ、お言葉どおりです。でも、小犬もその主人の食卓から落ちるパンくずは、いたたきます」。そこでイエスは答えて言われた、「女よ、 あなたの信仰は見あげたものである。―(マタイ)
324 :
思慮 ◆AIOdk12HhuOj :2014/05/12(月) 23:53:59.26 ID:PZuGxPIA
□宇宙ができる前は、平安(争い一切無し)安らぎ(悩み・苦しみ・思い煩い無い=身体無い) ―自分自身を憎んだ者は、いまだかって、ひとりもいない〜おのれを育て養うのが常である〜自分の妻を自分自身のように愛しなさい〜父と母とを敬え〜主の薫陶と訓戒とによって、 彼らを育てなさい〜肉による主人に従いなさい。人にへつらおうとして目先だけの勤めをするのではなく―(エペソ) ―どの方向に心でさがし求めてみても、自分よりもさらに愛しいものをどこにも見出さなかった。そのように、他人にとってもそれぞれ自己がいとしいのである―(感興のことば) 信仰の原因=苦しいなど で安らぎを得ようとする者はいなかった。善い者でも助ける神はいなかった。それぞれ人間でいたいと生まれたことをよく理解し、
325 :
神も仏も名無しさん :2014/05/12(月) 23:54:41.96 ID:wNSx1X4r
神と人類の最終目的はここに書かれてある。 21:1わたしはまた、新しい天と新しい地とを見た。先の天と地とは消え去り、海もなくなってしまった。 21:2また、聖なる都、新しいエルサレムが、夫のために着飾った花嫁のように用意をととのえて、神のもとを出て、天から下って来るのを見た。 21:3また、御座から大きな声が叫ぶのを聞いた、「見よ、神の幕屋が人と共にあり、神が人と共に住み、人は神の民となり、神自ら人と共にいまして、 21:4人の目から涙を全くぬぐいとって下さる。もはや、死もなく、悲しみも、叫びも、痛みもない。先のものが、すでに過ぎ去ったからである」。 (ヨハネの黙示録) これがいつか達成できればいい。 それが達成できれば、途中がどんなに悲惨であっても、 >「先のものが、すでに過ぎ去ったからである」。 つまり、「なかったことになるから」
326 :
思慮 ◆AIOdk12HhuOj :2014/05/12(月) 23:55:41.20 ID:PZuGxPIA
―正しい行いをなす人は、この世で非難されることがなく〜法にしたがって生き、恥を知り〜自分のなすべきことを行う人を、世人は好ましいと見なす〜 他人を訓戒せよ、教えさとせ〜悪人と善人とは、死後には異なったところにおもむく―(感興のことば) ―律法を持たない異邦人が、自然のままで、律法の命じる事を行うなら〜彼らにとっては自分自身が律法〜そのことを彼らの良心も共にあかしをして―(ローマ) 洗脳ではなく、ひとりひとりが自分を愛し大切だと思うことをよく理解し、死者供養、神頼み、その他呪文のように意味不明な言葉をやたらにつぶやくこと、物質的な物を拝んで 何らかの益があると思うこと、妙なこと、供え物を霊が喜ぶ・墓参りしないといけない・お布施しないと死者が善い所に行けない・一切は無い・・・人間の教育のみを宗教としてゆ るす・・・しかない。
>>295 Great Sprit では?
このスレ思慮が無いやつがコピペ連投してるだけだな
328 :
思慮 ◆AIOdk12HhuOj :2014/05/13(火) 00:44:49.75 ID:phRyZcTR
無の人々がいて、物質が生起してない世界・・・平安・安らぎ=神通力・何でもできる神 と共に在ったとしよう。 バーチャルアンポンチン世界を望んで、失楽をよしとしたとしよう。 しかし、信仰として頼りとできるものは、無になることのみであり、 無の人々が望んでバーチャルアンポンチン世界に生まれても、それぞれ思考を尊重されることを真実とし、それぞれ生まれた者を大切にすることを真実とする。 世に打ちひしがれた者・失われた羊たちが苦しんで神という偉大なものを想定して信仰しても、この世の者ではない(無)に近いことをよしとするしかなく(神に対する罪論) だけのみとなる。 重い荷に耐えられる人々(=この世の苦難に自然のまま耐えられる人々)―律法を持たない異邦人― とあるように、他者への配慮もある人間をよしとして育てるしかない。 ※この世の者となって人間だけがいると認めて、からし種一粒ほども信仰のない者を認め、神に罪に定められない者となり生きる
329 :
思慮 ◆AIOdk12HhuOj :2014/05/13(火) 00:48:31.87 ID:phRyZcTR
―また人を罪に定めるな。そうすれば、自分も罪に定められることがないであろう。ゆるしてやれ。そうすれば、自分もゆるされるであろう〜自分の目にある梁を見ないで、どうし て兄弟にむかって、兄弟よ、あなたの目にあるちりを取らせてくださいと言えようか〜わたしを主よ、主よ、と呼びながら、なぜわたしの言うことを行わないのか―(ルカ) ―世の中のどこにも、わたしは害いを見ない〜他人の過失を見るなかれ〜ただ自分のしたこととしなかったことだけを見よ―(真理のことば) □他者信仰「熱い」か「冷たい」の二極端 ―イスラエルの家の失われた羊以外の者には、つかわされていない―と書いてあるように、世に打ちひしがれ神を信じる者が徹底して地上のものに心を引かれないよう日々努め めること か 何にも信仰の無い者として善悪のみ人間だけのこととして認めるのみ。地上のものに心を引かれず何事も思い煩わないよう努めない人々が、神様信仰ありますと 言っても、宇宙を通り越え無の平安・安らぎに届き、「怒り・迷惑」な者となっている。
330 :
思慮 ◆AIOdk12HhuOj :2014/05/13(火) 22:17:28.38 ID:phRyZcTR
―イスラエルの家の失われた羊以外の者には、つかわされていない―盲人は見え〜貧しい人々は福音を聞かされている。わたしにつまずかない者は、さいわいである―(マタイ) 神への信仰は地上のものに心を一切引かれず、この世の者ではない者となること。貧しい人々や世に打ちひしがれた人々は、世にあるものを貪らず、衣食があれば足りるよう な暮らしを喜び、何事も思い煩わないよう努めることで、まだ近い者として喜ばれる。人の手で作られた物を喜び、必要としながら、神様に信仰ありますという者どもは、神 の「怒り・迷惑」な者なのだ。そうしない者への信仰は、罪が大きい。 ―聖霊に満ち〜荒野を〜そのあいだ何も食べず―(ルカ) 人の手で作られたものが一切無い所で飢え命を失ったとしても、神には迷惑な者とならず、むしろ喜ばれる。 □そういった信仰も無く自分の命を憎むことなく生まれた時点で罪は無い 生まれた人に罪は無く、信仰もできないが、そういったことを理解して人の命の大切さ尊さ、人権を尊重することで、自分を愛し生まれた人々は救われる。 隣人の愛として、瀕死の人を助けることの教えは、人間として生まれたいという人々の救いである。自己愛のみでなく、他者への配慮もある人間が、かえって益をも たらす。〔子を怒らせないよう言い聞かせる〕
ルサンチマンのヒーロー
332 :
自由 :2014/05/14(水) 16:58:25.38 ID:aM7zifVh
>>327 ありがとうございます(=^0^=)
Great Spirits なるほど。こりゃー凄いよwwwww
中庸で往く事にします。wwwwwwwwwwwwwwwwwwwwww
i
334 :
思慮 ◆AIOdk12HhuOj :2014/05/17(土) 10:52:23.26 ID:hIqR//mw
誰が何を言おうと変化はない 神を知らぬ者に対話するつもりはない 神は地上のものに心を一切引かれない者のみ信仰ありとする法律をつくった存在(実在) □□□神が私たち生まれる者のために一切信仰の無い者と決め、生まれるものは、何も信じず罪汚れなく生まれた□□□ ■全て信仰する者は善い所に決して入ることはできない■ ―ユダヤにいる人々は山へ逃げよ―(ルカ)聖霊に満ち荒野の者のように、森に住み心静まり清浄な行者のように、何ひとつ信じず大自然は楽しい、清々しい朝と喜んでいる人々の ように、家の中で快楽やゲームをする子供よりも、外で元気に遊ぶ子のほうがまだ健全と思われるように、世の中にあくせくし思い煩わない子供が何も信じず罪汚れのないように、 ―今日われらは美しい太陽を見、美しく晴れた朝に逢い、気もちもよく起き上がった―(ブッダのことば)信じるのは神の怒り敵、迷惑な者で、何も信じず健康的な心の者のみ 善い所に生まれるようにされた。病気でそれどころではない者や貧窮で思い煩い信じようとする人々も、世の欲得なことにあくせくせず安静にしたり、何事も思い煩わないよう 心得るしかないとされた。
335 :
思慮 ◆AIOdk12HhuOj :2014/05/17(土) 10:53:36.85 ID:hIqR//mw
□誰も人間に生まれたいという生存状態のみあり、神などいないと(神)=信仰の無駄 神の『カ』信仰の『シ』でもあれば、世の健全な心「何事も思い煩わず大自然を楽しんでいる人々」でなければならず、世の欲得なことにあくせくし思い煩っては決してならない。 何も持たず生まれた者が最も善い状態で、快楽や物欲、金や五欲の対象にあくせくし思い煩うことを決して良いと思ってはならない。大自然を喜ぶような心を心得よ。 誰ひとり尊重し、他の者が自分のために働いてくれると思ってはならない。世に非常識な者どもも多いが、あなたは彼らに敵意・怒り・憎しみを抱いて思い煩ってはならない。 私は大自然を喜ぶような者、世と世の中にあるものから離れ、何事も思い煩わない心のみつながり、「神が」といって他者への善悪を思う者を決してゆるさない。 神にとって男女は不浄な所のみの違いだけだ、ひとりでいる者は善い。男女が結びついたら、相手のことを思うのは人間として当然のことだ。また他者への配慮もある人間は当然の ことだ『愛』衣食住のない人々に衣食住をといって働いたり分け与えたりすること、貧しい人々への配慮ある行為、世の者どもの足ることを知らない貪りのため、金や物欲や五欲の 対象のためにあくせく仕えて思い煩ったり悩んだり苦しむことを良いとしては決してならない(地の奴隷・悪魔の者ども)
336 :
思慮 ◆AIOdk12HhuOj :2014/05/17(土) 10:58:11.90 ID:hIqR//mw
■自分は富んでいる、豊かになった、なんの不自由もないと言っているが お前は昔と違い様々な物に満ち、喜んで暮らしているが、神を信じ悪魔の物を神のもののように喜ぶことを、決して私はゆるさない。自制は最も大事なものなのだ と。 天にあるもの、地上のものに心を一切引かれず、何でもできる状態にあった。神の法律により何も信仰のない者として生まれさせ、生まれた時点では健全であった。 信仰として、聖霊に満ち荒野、森に住み心静まり清浄な行者を善いと受け入れる心ある者のみ、永遠に在るものとつながるようにされた・・いつまでも変化なし。 ■宗教はアフターフォロー(救い)【異邦人の自然のままでの見上げた信仰を受け入れること】 聖霊に満ち荒野・森に住み心静まり・・・大自然を喜ぶような清々しい心をよしとし、世の欲得なことにあくせくする過労をよくないことと受け入れ、地球環境破壊につながる貪り を戒める。 悩み苦しみ思い煩わない善・・・誰でも公平で、金だけ欲して働かないことは悪い。金は天に持って行けず、貧しい人々にも与え使えるようにすれば喜ばれ、この世での景気の下支 えになる。過剰な貪りに仕えることは悪。他者への配慮もある人間としての良識ある行動。 子とかの役割・・・天にあるものを善いと心得ながら生存状態もあるようになったわけで、愛、喜び、平和、寛容、慈愛、善意、忠実、柔和、自制といっても、神への信仰までに至 至らない人間として当たり前のこと。人間でなかったら肉だけの滅び。
n
338 :
明治天皇の孫G林田V ◆WSZ7beIuXw :2014/05/19(月) 20:36:30.39 ID:Klrk7ZGh
339 :
自由 :2014/05/20(火) 23:52:11.36 ID:7Ly+4XeB
k
g
342 :
思慮 ◆AIOdk12HhuOj :2014/05/24(土) 07:54:03.10 ID:A40VPx+Z
□神に喜ばれるのは異邦人の見上げた信仰のみ 『イスラエルの家の失われた羊以外の者にはつかわされていない』「主よ、お言葉どおりです。でも、小犬もその主人の食卓から落ちるパンくずは、いたたきます」。そこでイエスは 答えて言われた。あなたの信仰は見あげたものである。― ◇誰も自分の命を憎むことなく生まれた、世の欲得なことにあくせく思い煩うことも無い罪汚れの無い子供、清々しい心をよしとすることで宗教は決定されている◇ 『目の前の人は、その状態で二度と逢えない』宗教形式は一切無く、人間の命の大切さ尊さ、目の前の人を愛したり、自分のなすべき範囲が自然のままわかり、世の人々の悩み苦しみ 思い煩いを取り除くことを善いと心得、施したり分け与えたり、「よい天気ですね」と思い煩わない心で挨拶をしたり、日々の生活から離れて大自然などを楽しんだり、病苦の人が世 の欲得なことから離れて安静にし、自然のまま天にある山を移すほどの力に頼ったり・・・・・とってつけたような醜い宗教形式はなく、スムースなことが神の喜び
343 :
思慮 ◆AIOdk12HhuOj :2014/05/24(土) 07:55:01.33 ID:A40VPx+Z
■地上で罪をゆるす権威 ◇神の沈黙と不在を喜びなさい 「何かしたいこともある下界」の者が、神様信仰ありとされることに怒り、迷惑な神の存在。〔盲人は見え〜貧しい人々は福音を聞かされている〕と あるように、地上のものに心を一切引かれない者以外、神に信仰ありの者としてゆるさない。この世の者ではない山を移すほどの力の者となったイエスを神の義と信じ、むしろ貧し い人々が神の義の者に近いようにすることで、信じてもむしろ喜ばれる。 男女の悩みも、神にとって汚い所の違いだけであって、『肉の欲・目の欲・持ち物の誇りに神の愛は一切無い』とたとえひとりでいても、大自然を喜ぶような健やかな心であるなら喜 ばれる。清浄な国(神の義)に無いものを恥ずかしいと思って隠しているだけなのである。そのことは人間として賢い。 ■神様、罪人の私をおゆるし下さい と 愚かな人間 人類に神のように正しく、誰かを支配できる者はいない。SEXで生まれた子であるから。神の義は山を移すほどの者、イエスや生きながら彼岸に達した釈迦(神通力あり)しか いない。
344 :
思慮 ◆AIOdk12HhuOj :2014/05/24(土) 08:04:46.99 ID:A40VPx+Z
■イスラエルよ、聞け 主なるあなたの神を愛せよ 自分を愛するようにあなたの隣人を愛せよ―すべての燔祭や犠牲よりも、はるかに大事なことです―イエスは、彼が適切な答えをしたのを見て「あなたは 神の国から遠くはない」 釈迦が世間の宗教的行為を悪魔ナムチと批判したように、修行完成者として慈しみやあわれみを教え、素晴らしい者・罪過なき者を教えたように、宗教的行為は一切無く、 聖霊に満ち荒野の者のように、森に住み心静まりの者のように、快楽やゲームを楽しんでいる子より外で元気に遊ぶ子のほうが健全と思われるように、大自然を楽しんでいる人々 のように、物欲や五欲・快楽・享楽から離れた者は神に近く、他者への配慮もある人間は『神にとって良識ある者』で、そんなに遠くはない。 洗脳支配(悪魔のおもちゃ)でなく、大自然を楽しんでいる清々しい心を信仰の頼りとさせ、得た自己のため、人々の金や物欲や気ままな五欲のためにあくせくし人々が悩み苦しみ 思い煩うことがないよう、また、思い上がらない程度の人々の悩み苦しみ思い煩いを取り除くことは善いとするよう、宗教は人類に仕えるためだけにある。 本来はそういったことは自然体で知っていなければいけないのだ。生まれた状態で信仰を知るようにさせ、人間の喜びはあっても、貪欲のためにあくせくし、悩み苦しみ思い煩う ためや、他人の労を平気とし金だけを得るためをよしとする子にしない状態にさせた。また、他者への配慮もある人間教育は、家庭や学校で教えねばならないこと。
神とは、意志薄弱のクセに自己主張の強い奴が、他を圧倒したいために使う、葵の御紋。 ところが、現代ではそれが頭の弱すぎる要因として見抜かれてるから、逆に無神論者を養成するきっかけになってるところがお笑い。 現実に神なんて信じてる奴がいたら、痛すぎて、動物園のパンダのようにいじられておしまい。 かわいそうで見てられない場合の方が多い。
346 :
自由 :2014/05/28(水) 01:32:12.21 ID:YBPP0oc0
You can hear the whistle blow a hundred miles,a hundred miles,a hudred miles,a hundred miles,a hundred miles・・♪ Five hundred miles away from home. ♪
神は概念
348 :
自由 :2014/06/02(月) 04:44:52.92 ID:iP0VOWdI
一つのパターンとして・・・
どんなに人格が破壊されても、最後に残る概念って、みっつあるんだ。
1. 神 2. 恋愛 3. 自己肯定
>>347 さんは、そんなんを辛いと思わないかい・・・?
共感性って、何よりも価値があるよね・・・?
349 :
神も仏も名無しさん :2014/06/03(火) 18:25:47.25 ID:cHZzxcMR
350 :
自由 :2014/06/05(木) 17:46:50.22 ID:z5V7tBxF
スピリチュアリズムの弱さは、受け手側の人間に原因がある事が解る。 余りにも低次元の自己満足の質問に、いちいち丁寧に答えて、見る見るうちに無駄に衰弱して行く バーチの姿が解る。 まるで十字架に付けられて、大量出血し見る見るうちに弱体化してる観のごとく答えられなくなって行く。 従って今のスピリチュアリズムは弱すぎ、いずれ羊の皮を被ってなりすます狼に占領され、カルトが乱立し、 聖霊が汚されるのは、時間の問題だろう。 オマイラは、馬鹿だ !!
351 :
思慮 ◆AIOdk12HhuOj :2014/06/05(木) 21:21:47.95 ID:0tyK7fGF
神に宗教と信仰は全く関係無い存在。 人間の宗教を否定され、信仰を否定される。ある特定の宗教が国の70パーセントを占めたとしよう。宗教など関係なく人間の命の大切さ・尊さを思うのが人間であるとされている。 神は、神への信仰は と言えば地上のものに心を一切引かれず神のわざとひとつになったイエスのみ。 わたくしはもはや母胎に入ることはないであろう。神よ、もしも雨を降らそうと望むなら、雨を降らせよ 世捨て人として生きながら彼岸に達した釈迦(神通力の領域) のみ。 「お前たちには、分別のない信仰のために怒り、恥ずかしい思いでいる」そのように全て勝手な信仰の者どもに神は非常に怒っていらっしゃる。 ◇聖霊に満ち荒野・森に住み心静まり◇ 大自然を楽しみ清々しい心でいる人々や、まだ汚れのない子供のように世の中の欲得なことにあくせくせず何事も思い煩わない人々には、 神は恥ずかしい思いをされていない。
352 :
思慮 ◆AIOdk12HhuOj :2014/06/05(木) 21:28:20.80 ID:0tyK7fGF
山へ逃げよ〜この患難の後、日は暗くなり、月はその光を放つことをやめ〜天地は滅びるであろう。しかしわたしの言葉は滅びることがない―(マルコ) 月も照らさず、太陽も輝かない〜自己の沈黙をみずから知るがままに―(感興のことば) 神はそういったことが起きないと、地上に神への信仰が一切無いと決められている。―隣り人とはだれのことですか〜強盗どもが彼を襲い〜だれが強盗に襲われた人の隣り人になっ たと思うか〜彼が言った、「その人に慈悲深い行いをした人です」―(ルカ) 人間の五欲・金・物欲・自分を偉い者として誇ること・・・は神にとって滅び。人の手で作られたものを必要とし暮らす限り、愚かな人間で神を信仰できますという者は一切いない。 □□□平安と安らぎ□□□ のみが神と人間の共通認識 ―真理を行っている者は光に来る。その人のおこないの、神にあってなされたということが、明らかにされるためである―(ヨハネ)
353 :
思慮 ◆AIOdk12HhuOj :2014/06/05(木) 21:30:16.96 ID:0tyK7fGF
無である時に莫大な力があり、敵意や憎しみ・恨み・怒りなどなく平安で肉の欲、目の欲、持ち物の誇り無く身体もない時に苦しみも全く無い。全ての者の知性で知れるように在る。 滅びない者は何事も思い煩わない心、大自然を喜ぶような心、救いの信仰として聖霊に満ち荒野・森に住み心静まり清浄な行者をよしと受け入れさせ、地上のものに心を引かれない 者は決して滅びない者と認識させる。 神のわざであわれみの行いをし、一切の生きとし生ける者をあわれむ修行完成者として、滅びない国の者は一切悩み苦しみ思い煩わないことをよしすることを認識させ、地上で瀕死 の人を助けたり、困り苦しみ思い煩う人々を助けたりすることを永遠につながるとわからせる。 悪しき者 肉の欲・目の欲・持ち物の誇り・富・自分を偉い者とすること・・・は悪魔の者どもで、それらのためにあくせく仕え思い煩い苦しんでも、決して善い所に行けない滅びの者と神に 知られている。それらのものに人類がいくらあくせく仕えて思い煩っても、いつかは滅び、聖霊に満ち荒野の者のような者は決して滅びることはない。 神にとっては、「あるがまま、そのまま」のことだけであり、「心の無い獣のような者ども」は滅びに至る。
354 :
思慮 ◆AIOdk12HhuOj :2014/06/07(土) 12:35:30.28 ID:NB9KX/SG
■神は神への信仰として□地上のものに心を一切引かれず山を移すほどの力□の者とならないと信仰ありとしてゆるさない 人間の身勝手な信仰は一切ゆるさず、神の怒りの者ども □神への道はある(神への信仰として喜ばれる行為) 聖霊に満ち荒野・森に住み心静まり清浄な行者「衣食があれば足り、何事も思い煩わないよう努める者」 世の中の欲得なことにあくせくしない汚れの無い子供や何も信じずとも大自然を楽しみ清々しい心を喜んでいる者は、不完全であってもまだ神の恥ではない □無信仰な人間を尊重されている 人間の命の大切さ尊さを思い、自分だけ助かるのではなく、他者の命のことも思う人間、世の中でも他者への配慮もある人間は、神にとっても人間である 宗教・信仰している全く関係なく、人間の命の大切さ尊さが速やかに行われる行為そのものが、人間という存在である
355 :
思慮 ◆AIOdk12HhuOj :2014/06/07(土) 12:36:23.51 ID:NB9KX/SG
□唯一、平安と安らぎは神と人との共通認識 たとえば <海で溺れた子供を命を賭けて助けようとして全員死んだとしても、彼は勇敢な行為をした> に変化があってはいけない。肉(物質)と死(消滅)だけを考慮し<彼 は無知で馬鹿な行為をした>という世になってはいけない。 ―人がその友のために自分の命を捨てること、これよりも大きな愛はない―(ヨハネ)は死んで一切消滅するのではなく、一切皆苦で無い所が在るを無意識に感じて行われ、究極の 他者への配慮もある行為で報われる。 世の欲得なことより大自然を楽しみ喜ぶような心で、清浄な国に近いものを第一とする人類は平和・「神のご加護を」といって戦争する者どもは、神は永遠にゆるさない方。 人間として他者への配慮もあり、平穏に暮らす人々を護る戦いは、人間としてゆるされる。殺人や暴力などをなくす法律などは、世を治める人間として当然。
356 :
思慮 ◆AIOdk12HhuOj :2014/06/07(土) 12:41:13.24 ID:NB9KX/SG
□人々の悩み苦しみ思い煩いを取り除く行為 ―律法の中でもっと重要な、公平とあわれみと忠実とを見のがしている―(マタイ)―苛酷なることなく、貪欲なることなく、動揺して煩悩に悩まされることなく、万物に対して平 等である―(ブッダのことば) そんな完全な信仰(山を移すほどの力と地上のものに心を引かれない)はできないが、物質界でも一切の人間でいたいと生まれた者を尊重されている。 格差是正を思う心と、それを善いとする考えは共通認識である。 ■悪魔の滅び 富に仕えること、人々の気ままな五欲や物欲にあくせく仕え、悩み苦しみ思い煩うこと、自己愛のみに生き、自分を偉い者と心得、また、人々の労苦で作られた者を必要としながら、 自ら信仰深く他人を従えることができると思う人々・・・ 宗教は人間でいたいと生まれた者に仕えることであり、束縛は悪で、神は私利私欲や五欲・物欲の追求にあくせくし悩み苦しみ思い煩うことは、一切ゆるさない存在。
357 :
自由 :2014/06/08(日) 17:11:10.76 ID:W2osUHzn
お ! ナザレの旦那 ! 「転宝輪」に自縛霊がこびり付いてて、さっきから、巧く廻りやせんですぜぃ。 「さとるくん」どこ行ったんだいねェ〜? 「さとるくん」いないねェ〜?
358 :
自由 :2014/06/24(火) 12:00:51.94 ID:1RRmhrrV
無能な神はいらない バーチお前も無能だな 有能な悪魔のほうがよい
359 :
自由 :2014/06/25(水) 05:00:58.41 ID:thJ8oRgs
天上界よわすぎ wwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwww まだ にんげんかいのほうが まし
360 :
思慮 ◆AIOdk12HhuOj :2014/06/27(金) 22:23:23.75 ID:sKu0v+xz
神は人間の感情の中にある。しかし、実在する霊的な存在は『神の右』(霊から得た知識)しかなく、それを釈迦は「光り輝く神々」として、五欲の対象・肉の欲、目の欲、持ち物の誇 りなど、この世でもそれらを捨てた人間ほど「神に近い」と教えようとされた。そして、イエスは今後も信仰対象となる存在はいないとして、『この世の者ではない』『山を移すほどの 力と一つ』の者として、神への信仰を現し、自分の命を憎むことなく生まれた多くの人々にとって「からし種一粒ほどの信仰のない者」を正直に説き、世に打ちひしがれ信仰をしようと した『イスラエルの失われた子羊』に「神への信仰を教えた」 ◎そして信仰は感情ではなく、『天の者・地の者』の共通認識として、『聖霊に満ち荒野の者・森に住み心静まり清浄な行者』のように、まだ汚れの無い子供のように、世の中の欲得な ことにあくせく思い煩うことなく、大自然を清々しいものと喜ぶ者のように、「地のことに何事も思い煩わない心」の中に神と永遠の命につながるものは在ると教え、「消え行く霧・ この身は泡沫のごとくと知れ」がいくら人間の信仰対象物を拝んでも、永遠につながらないと教えた。
361 :
思慮 ◆AIOdk12HhuOj :2014/06/27(金) 22:26:49.98 ID:sKu0v+xz
神は自分の命を憎むことなく生まれた人間=神にからし種一粒ほどの信仰のない者=重荷を背負い(神の義の国ではその重荷から開放される)苦しみ多き地の不完全な人間=神への信仰 の甘えから自立しなければならない人間=まだ汚れの無い子供が人間の宗教に全く毒されず生まれたこと=神により人間の命の尊さ大切さを思う人間は当然の人間=それを行っても、神 への信仰には至らず獣でない当然の人間=正しい者は「いつ行ったか?」わからないほど行い=律法を持たない異邦人でも自然のままで行える=異邦人の見上げた信仰・・・・・ を全ての者に受け入れられるように宗教の役割、信仰の救いはある。 修行完成者としてたとえ何も持たなくても一切の生きとし生けるものへの慈しみはこの世では崇高・一切の生きとし生けるものをあわれむ修行完成者として罪過は存在しないと、釈迦は 宗教の役割(理想像)を示し、イエスは神のわざで「あわれみの行い」を行い、信仰対象となった。
362 :
思慮 ◆AIOdk12HhuOj :2014/06/27(金) 22:28:03.41 ID:sKu0v+xz
まだ汚れの無い子供のように、世の欲得なことから一切離れ、何も善いことができなくとも、ただ足り喜んで暮らす者は、かえって神に喜ばれるが、欲得もある人間の暮らしの中で、他 者への配慮もある人間、人々の悩み苦しみ思い煩いを取り除いてあげようとすることは善いことかもしれない、自分のこと・世の中が金や物や五欲、その他のことで人々の悩み苦しみ思 い煩わせても平気で当然と思うことは悪いこと・・・当然の人間で、獣ではなく、まだ神への信仰に至ることができない心ある人間。その人間が、益をもたらすよう救い、心ある人間が、 滅ぼされないようすること・・・肉は決して神と永遠の命に至ることはなく、人々の金(富)への貪欲や仕え、肉の欲・目の欲・持ち物の誇りにあくせく仕え思い煩っても、人々の悩み・ 苦しみ・思い煩いを取り除いてあげようとすることを善いと受け入れることができないなら、決して善いところに生まれることはできない。 神への信仰は地上のものに心を引かれず、全てのものが悩み苦しみ思い煩わないことを喜ぶ者の国と一つであるが、地上のものを必要として暮らさねばならない人が、金や物や五欲や自 分自身のみこよなく愛することなく、天のものを受け入れて暮らせば、地上で益をもたらし、永遠の命を得られるという救い。本来は自然のままでも知れないといけないのである。 神にとって知っていなければならないことを知れなかったので、間違わないようにする救いのみ。神が愛情深い存在ではないのである。
363 :
思慮 ◆AIOdk12HhuOj :2014/06/28(土) 07:31:05.81 ID:7nwwDeMh
■神を汚す言葉もゆるされる ―人には、その犯すすべての罪も神を汚す言葉も、ゆるされる〜聖霊を汚す言葉は、ゆるされることはない―(マタイ) イエスは盲人で口のきけない人をいやされた・・・聖霊を汚す言葉は、神と永遠に反する。しかし、神はしばしの間あらわれてたちまち消え行く霧にすぎない人間の信仰をゆるさず、 山をも移すイエスの姿のような者とならないと、信仰ありとされない。信じてしない者の罪は大きい。また、肉として永遠に神を知れない人間の存在。 だから―もし、からし種一粒ほどの信仰があるなら、この桑の木に、『抜け出して海に植われ』と言ったとしても、その言葉どおりになるであろう―(ルカ) 神への道はあるが(地上のものに心引かれず、何事も思い煩わないことを常)世の中で誰も神を信じることはできない。神と世と世にあるものとは敵対であり、世を愛する心に より、神と永遠の命を知れぬ者となる。「神が」といって世を制することができない。
364 :
思慮 ◆AIOdk12HhuOj :2014/06/28(土) 07:33:52.42 ID:7nwwDeMh
□真理を行っている者は光に来る ―真理を行っている者は光に来る。その人のおこないの、神にあってなされたということが、明らかにされるためである―(ヨハネ) 肉と世は神を信じることは一切できないが、『聖霊に満ち荒野・森に住み心静まり清浄な行者』が朽ちない神と永遠の命とにつながっている。盲人や口のきけない人をいやされた者 の行い、生きとし生ける者をあわれむ修行完成者が朽ちない永遠の命とつながっている。 人類に隠れたことを明らかにして、〔このまま人間として神と永遠の命はないが、地上のものに一切関係なく心も引かれず、一切悩み苦しみ思い煩うことがなくなる、悪も一切無い、 人間でない世界を無意識のうちに知っている〕 ―神の国はいつ来るのか〜「神の国は、見られるかたちで来るものではない。また『見よ、ここにある』『あそこにある』などとも言えない。神の国は、実にあなたがたのただ中 にあるのだ―(ルカ)
365 :
思慮 ◆AIOdk12HhuOj :2014/06/28(土) 07:39:04.36 ID:7nwwDeMh
□隣人の愛として瀕死の人を助けるたとえ ―あなたがたは、わたしが空腹のときに食べさせ、かわいていたときに飲ませ、旅人であったときに宿を貸し〜『主よ、いつ、わたしたちは〜『わたしの兄弟であるこれらの最も小さ い者のひとりにしたのは―(マタイ) ―学び修めた賢明な人は〜食乞う人々を飲食物をもって満足せしめよ。心に喜んで、撒き散らし、「与えよ」「与えよ」と語る。かれは、天が雨降らすごとくに、その轟きを発する のである〜貧窮なる人々、旅行く人々、宿無き人々、乞う人々に施しとして与えよ―(神々との対話) 神は感情ではなく現象であり、心ある人々が、瀕死の者を助けたり、悩み苦しみ思い煩わないように、衣食住のない人々に衣食住をといって働いてあげる。世間を苦しみもあるも のとして耐え(他人を尊重し、自分の思いどおりにならないことも含め)、聖霊に満ち荒野の者のように、大自然を楽しみ何事も思い煩わない近い者が平和を築く。肉でありながら 何か信仰できると自任する者が対立する。 ただ中にあり、何も信仰がないがしている。そういったことがむしろ神と永遠の命につながってされたことだ・・・洗脳ではなく間違わないようにするため。 他者への配慮もある心ある者が益をもたらし、自己愛のみで金や私利私欲のみに生きることによって益が得られない地とされた。
366 :
平家物語馬耳自由 :2014/06/29(日) 07:03:04.19 ID:2hBdEM94
酷い貧乏なのに、思い切ってネットをした理由は、世界中の「三宝、(ウィキ見ろコラ)」を探すためだった。 ウィキでは、解りにくいので説明しよう。 仏・法・僧この三つがすべて揃う事をもって、三宝として初めて成立し人類という種族を存続させられる。三つが正式に揃うのは極めて希で、もしそろったら大切にしなくてはならない。 仏とは、その思想の本尊であり、法とは、科学を越えた具体的な奇跡を起こす手段そのものの簡単明瞭な原理、僧とは、純真にして純情な人々の真心のかたまりである。 思慮よ、自由はその渇き求める過程できみの決まりきった訳の解らないスレに何度かふかくにも涙した。(意味など解らなくとも、2/3読もめば、平安を見た)(´;ω;`) だから、自由はせんえつなかかがら君の問に自分なりに愚痴を答えよう。 バーチは最後に、両膝に無邪気な子供を載せて、「今日は、大人は一人もいない事にします。かわいい妖聖を置いて行きます。」 ・・・思慮ほどの御人なら、解るよな、この日のバーチが誰だったのか ? 今、自由は、君の言う所のわたしの隣人、「釈迦」の霊的な点滴によって、保っている。 気がむけばつづく、向かなければもううたない。
勘違いしてるようだが、無神論とは、神を否定してるのではない。 有神論者が神の存在を証明できないから、存在しないと言ってるだけのこと。 小保方ちゃんがスタップ細胞は存在すると言っても、科学的に証明できないどころかインチキ詐欺だと露わになってしまったから、存在しないと言ってるだけのこと。 有神論者が神の存在を証明したら、神は存在するといつでも転回できるのが、無神論者。 神を否定してるわけではないんだよ。 有神論者は、ちゃんと理解しましょうね。
368 :
思慮 ◆AIOdk12HhuOj :2014/07/13(日) 07:44:47.54 ID:kYAf70Ni
□科学的に証明しようとする試み 前世の記憶や臨死体験が客観的にあるかないかを調査で、疑えないことが判明したという。 しかし、私は愛情深い神はいないと知っているし、『神の右という地上のものに心を一切引かれない国のみが神への信仰と言われたし』からし種一粒ほどの信仰の無い状態の人間で、 『人間になりたいと生まれた人間と尊重』が私たちの存在と言われたし、 ―この幕屋の中で苦しみもだえている〜肉体を宿としている間は主から離れていることを、よく知っている〜善であれ悪であれ、自分の行ったことに応じて、それぞれ報いを受けね ばならないからである―(コリント) しかし、神にとって善悪は天のみ、肉体を宿としている地は、何も信仰の無い者の地で、信じれば罪のみである。 神頼み、宗教的行為・行事は、地上のものに心を引かれず、何事も思い煩わないことのみ。病気の者が、世の欲得なことから離れて安静にするように、神が在るように益を求めて行わ ねばならない。
369 :
思慮 ◆AIOdk12HhuOj :2014/07/13(日) 07:46:19.22 ID:kYAf70Ni
□信仰対象は決まっている 一切の人物や人間の作った信仰対象物、宗教的行為・行事に真実は無い。天上にいる悪魔が獣のような心無い者どもを釣り殺し宗教で束縛するのである。 【森に住み心静まり清浄な行者で世捨て人 聖霊に満ち荒野で断食(しかし、この世の者ではない者とならないと神の義ではない)】 【人間の信仰に毒されず、世の欲得なことに汚されず生まれた汚れのない子供の状態と、大人になっても大自然は美しい、清々しいと感じる心や自制心あり世の欲得なことにあ くせくしない心】 □善悪は自分の命を憎むことなく生まれた全ての人間を尊重し知っている ―真理を行っている者は光に来る。その人のおこないの、神にあってなされたということが、明らかにされるためである―(ヨハネ)―律法を持たない異邦人が自然のままで〜律法の 要求がその心にしるされている〜彼らの良心も共にあかしをして―(ローマ)
370 :
思慮 ◆AIOdk12HhuOj :
2014/07/13(日) 07:56:10.95 ID:kYAf70Ni □悪魔教(人間の宗教)を否定し知っていることを確実にさせる救いのみ ―自分自身を憎んだ者は、いまだかってひとりもいない〜主の薫陶と訓戒によって、彼らを育てなさい―(エペソ) ―恥を知り、真実を語り、自分のなすべきことを行う人を、世人は好ましいと見なす。他人に愛される人は、まだ自分のためにもよいことをするのである〜他人を訓戒せよ、教えさと せ〜悪人と善人とは、死後には異なったところにおもむく―(感興のことば) 神が沈黙と不在を装っていても、善悪は皆知っている(はず)。信仰あればこの世の者ではないし、神頼や宗教行為は、清々しい朝だと喜ぶような心や、世のことに思い煩わないよう に努め自制に努めるしかない。 しかし、獣のような心のない者どもは、他者(神)により天上の悪霊の楽しみとし、人間の宗教的行為などで釣り殺し束縛される。世にある事実そのものなのである。 人間の尊重や悪から遠ざけることを常と教えないと、宗教の役割どころか、役立たずの宗教に束縛させられ、束縛させられたまま死を迎える。