1 :
神も仏も名無しさん:
2 :
チゥ(* ^)(◎o◎)ポッたん ◆oOmXnN8feI :2011/08/01(月) 22:39:18.18 ID:qS4sRR7R
3 :
天ぷらその2:2011/08/01(月) 23:45:54.73 ID:Gtnb5oSE
罵詈狂犬禅、だまくらかし野狐禅、ライバル狸禅、野良犬禅、同穴むじな莫妄想禅、
余計な解説を付け加える蛇足禅、分けてる分けない指摘の美容院禅、経典天狗、
一義に似せた二義の擬態カメレオン禅、曖昧模糊のボー禅、一方的に言い放って対峙しない脱兎禅、
他者批判だけ喧しく見解のないカラス禅、他者の批判文を嗜む猫にマタタビ禅、同じ言句を繰り返してシノぐオウム禅、
ビクビクしてまともに対峙しない雀禅、謗りの日向ぼっこ?に加わりたくて無理やり禅句を吐くどら猫禅、
その禅語さえ用いないハイエナ禅、二義を述べて《後は実践実践》と看話意義を否定する枯れ葉禅、
等に陥れば獣道であります。ご注意あれ!!
4 :
たろすけ:2011/08/01(月) 23:49:30.96 ID:Gtnb5oSE
79章の本スレも早めに立てれて、予約ってことで、ここは取っときましょう
5 :
野孤禅スレです:2011/08/03(水) 20:41:01.07 ID:ucpuZkQK
ここはタイトルとは真逆の擬似似非の野狐禅を展開している糞スレである。
ポッタンと称する者が師家気取りを演じている。(本人曰、糞スレだから銀蝿が湧いてしょうがないと)
自己愛性人格障害のこの者は坐禅修行もろくにせず、名誉欲や偽善心、虚栄心など我執煩悩が旺盛である。
三昧と執着の違いも分らず、三昧であれば何でも禅と言い放って、もっぱら日々、競馬三昧、2ch三昧にのめり込んでいる。競馬や低俗なコピペを方々に貼付けては顰蹙を買うほどの俗物である。
本人は無師独悟とか称して、隻手の音を聞いた、その後次々と公案を透ったと大見栄を切っている。
しかし所詮、自分免許の浅はかさ。書込みからは証悟の片鱗すら伺い知ることはできない。
一例が「私は払子を立てた。これが私の禅です」と坊主の真似事が禅だと、恥とも知らず失笑を買っている。
そんな者がどこからか禅語をコピーしては、矛盾に満ちた皮相的で幼稚な取るに足らない曲解を書き込んでいる。
突っ込まれて答えられない質問には、恥隠しのはぐらかしや長文コピペで誤魔化すこと枚挙に暇がない。
またときに、尊大な我執による妄想妄念から、あられもない説法をしでかす。
「すずめさんがチュンチュンとこんにちは、タンポポさんがニコッとこんにちは」と幼児童話レベルの妄想が禅の悟りであると吹聴している。
しかも30年近くもこの有様というから愚かの極みで、恐らくボタンを掛け間違ったまま生涯を終るものと想像できる。
野狐禅に陥ったら、五百生間狐となって迷妄の深淵から抜け出せないというよい例である。
この様に我執に塗れた者が無我を語り、見性せぬ者が空を語るなど、入門者でも胡散臭さを感じて俄に信じる者はいないとは思う。
しかし中には、類は類を呼ぶ、同病相哀れむという諺通り、ポッタンを師とする者が現れた。
素人Aというポッタン酷似の者で、なにやら激しい妄想妄念を、誤字誤変換だらけで書き込んでいる。
最近は師への切替えが混乱し、妄想妄念も激しくなって分裂症も進んでいる様子である。
祖師禅とかけ離れたこの野狐禅スレに、間違って来られる入門者があるやもしれない。
しかし、よもやこの師弟に惑わされることはないと思われる。
万が一のため、ポッタンのように野狐禅に陥って人生を無駄にせぬよう警告の意味で記しておく。
6 :
野孤禅スレです:2011/08/03(水) 20:41:20.19 ID:ucpuZkQK
ぽったんの見性渇望物語である。
まだ、ぽったんが”あは”と名乗っていた時代のことである。
酒場に働く女から金色の炎が立ち上がってるのを見て、見性したというのがことの始まりであった。
勿論、見性とはまったく無縁のことは云うまでもなく、当然のことながら呆れた幼稚さに批判非難紛々であった。
それでもぽったんはそれが見性だという持論で仕切りに反駁したが、誰一人、頷くものがなく、渋々引っ込めざるを得なかった。
暫らくこの自説を封印して大人しくしていたのだが、持って生まれた猛烈な虚栄心はそれで収まる訳はなかった。
次には新たに、「お花さんが微笑んで、おはようとご挨拶」と童話風物語を語り始め、これが見性ですと新説を打立てた。
それが素性の知れぬマンゴー先生とかいう者に見性してると”認定”され、今日までそれがぽったんの唯一の拠り所になってるのは衆知のことである。
しかしそれだけではまだ虚栄心を満足させることができなかった。
その後、「隻手の音声」という公案について、頭の中で組上げた理屈でもって、音を聞いたと吹聴し始めた。
だが、そうはいったものの、ある人物から「本当は聞こえない」と指摘されたことから、組立てた理論が敢なく崩れ落ちてしまった。
すっかり自信を失なってしまったぽったんは、ここでも見性の自説を下さざるを得なかったのである。
その後は、音が聞こえるのは色即是空までで、その体験後は音は聞こえずそれが空即是色であると実に珍妙な見解に変えている。
その度に、都合良く解釈を変えるもので虚言癖もなかなかのものである。
またつい最近では、方々のスレで「無とは何か」などと、公案がパズルであるかの如く回答を募って師匠然を気取っていた。
しかしこれもまた、ある人物からトラック一杯の答えを集めても正解などはないと指摘され、あえなく撤退してしまう嵌めになった。
このようにどれもこれも、もともと見性などしておらず、ただ嘘でもいいから異常体験をしたとの虚栄心と師匠を気取っていたいがためであるのは明らかである。
真に見性してものであれは実体験からくる確固たるものを掴んでいるので、誰が何を言おうと一切右往左往することはないものであるが、この体たらくである。
次は何を言い出すのか実に見ものであるが、このようにポッタンの見性への思いは渇望というより飢餓に近いと言える。
7 :
野孤禅スレです:2011/08/03(水) 20:41:36.68 ID:ucpuZkQK
以前にポッタンの隻手の音声のいい加減さを指摘したが、その後のポッタンの隻手の音声である。
最近では「片手の音は、聞こえないよ、キッパリ!!」に変更したようである。
かって「聞いた」から「聞こえるのは色即是空までで、その体験後は音は聞こえない」に変更したが、驚くなかれ再び三度の変更である。
今度は何に影響されたかは定かでないが、この様に他人の言にいとも簡単に左右されるのは、禅体験からくる確たる根拠がない為である。
そもそも隻手音声の公案とは、「片手で打つ音を”聞いて来い”」という問いである。
その答えが「聞こえません。キッパリ!!」では全く笑い話にもならない。
ポッタンはそんなことすら分からない全くの野孤である。それは禅を頭で理解するものと勘違いしているからこういうことになる。
(禅語の字面をなぞっただけの表面だけを追いかけて知識で理解しようとしているのが、コピー文の随所にみられる)
隻手音声は生易しいものではなく、ある面、無字の公案よりも難しい。
ポッタン如きの野孤がチョコット知識を並べた程度で透過することなど全くのナンセンスである。
「聞いてこい」という師家の問いに対して、「聞こえません。キッパリ」などと公案から逃げずに、日夜真剣に取り組まなくては、到底聞くことが出来ないのは言うまでもない。
さらに聞いたと言うのならば、師家にも聞かせてやらねば証明したことにはならない。
それが真面目な顔して、俗世間人が言うのと変わらぬ「聞こえません。キッパリ」では、師家もこの幼稚さには、ただただ苦笑するしかないだろう。
野孤禅の野孤たる例として、最たるものといってよい。
さらに滑稽なのは「片手の音は、聞こえないよ、キッパリ!!」と答えておきながら、方々のスレで「片手の音を聞いて来い」と師匠面して問うていることである。
この自家撞着にさえ気がつかぬ愚か者に、付ける薬はない。
主体性だとか主人公だなどと、普段偉そうなことを言っているが、この様に借り物の知識ばかりで主体性が全く身についていない口先だけの禅であることがよく分かる。
三十年近くも禅を学んでいるというのに、未だに禅の周りをウロウロして入口にも近寄れず、ちっとも埒のあかない野孤禅ポッタン師匠。
禅の資質、素養が無いに等しいポッタン”師匠”の口から、この次にはどんな言葉が飛び出てくるのか・・・・・、野孤禅は永遠に続く。
8 :
野孤禅スレです:2011/08/03(水) 20:50:37.83 ID:ucpuZkQK
ポッタン野孤禅では、禅語や公案を字面を追って理屈的解釈するものと勘違いをしていると、以前指摘したことがある。
ここでは、最近よく出してくる「眼横鼻直」を例に、その行き着く果てが自家撞着という矛盾であることを説明しよう。
直近によると「主人公、主体性、自由、鼻は直に涅槃」とポッタン流に珍釈している。(これはこれで全く酷いものだが・・)
その言下に「公案は、常識や知識で、これとそれを分けている妄想を、これとそれを分けない、これとそれは 一の如し」などといっている。
しかし何より、己自身が分別心によって、しっかりと区別している矛盾に全く気がついていないのであろうか。
他にも「自己はありません」と言ったかと思うと「自己を語ろうよ」と、「悟りは語れません」と言ったかと思うと「悟りを語ろう」と呼びかけたり、また「リアル(な世界)には・・・・云々」と言って、現実と観念上の世界が夫々別に存在するかのようにハッキリ区別したりする。
これらの例に限らず、悟りや仏の解釈に酷い矛盾があることや、隻手音声を透過したと言っている自身の言動に、甚だしい不一致や我執紛々として悟証の欠片も見出せない支離滅裂なことは、過去スレをちょっと覗いても数多見出される。
禅を、言葉の字面を追って理詰めで解釈するものと勘違いしている者は、必ずこのような矛盾にぶち当たる。
更に悪いことに、指摘された矛盾を取り繕ろうとしたり、相手に打ち勝とうとして、さらに分別心を掻きたてていることである。
矛盾を、さらに矛盾で覆い隠すため、理論武装の屋上屋を重ねていることである。
その様な、禅そっち除けの自我妄執愛に陥って悪循環に嵌ってしまっては、もう手の施しようもない。
その先には精々、禅に手が届かぬ絶望感と人格破綻であろうか。
そして、字面を追いかけた先に禅や悟りがあると思っているようで、空がどうの悟りがどうのと、いくら難解な仏教語を駆使して、己の禅を誇示しようと、素人、入門者の域を出ることはない。
最近では、質問には以前にも増して的確な回答が出せず、拾ってきた仏教語を自己流で解釈して誤魔化すようである。
畢竟、言うなれば十牛図の尋牛にも届かぬ、禅の周りをうろついているだけの単なる野孤なのである。
このように迷妄の底無し淵に落ち込み、禅の入口さえも見出せないで、もがいているのがポッタン野孤禅師匠である。
9 :
野孤禅スレです:2011/08/03(水) 20:51:04.18 ID:ucpuZkQK
今回は、その後の隻手音声の続きであり、以下は最近のそのままの引用である。
「ある禅僧が、隻手の音声を聞いた!お師家様にも喜んでいただこうと足音を踏み鳴らして師家の部屋に飛び込んだとき、お師家様は静かに言われたそうです。片手の音は、聞こえない。
そこが、空即是色です。1秒もかからず、リアルに舞い戻していただいたそうです。 お師家さまの指導下で修行する事のすばらしさは、こういうことにあるのでしょうね」
とある。 しかし、この話は禅を心得た者から見れば、全くバカバカしい限りの虚言、虚構創作であることが明々白々にして容易に分かろう。
まず、隻手の音声を出題した師匠が、未だ法身も会得していない者に、積み上げつつある修行を元の木阿弥に戻す様なことは絶対、口にしないからである。
いわんや「片手の音は聞こえない」などと、音がどうの、聞える、聞えないだのと分別差別の相対概念を、ここで持ち出すなど、まったくのナンセンスである。
かつ、俗世的相対固定観念に捉われたまま、未だ始末できない生煮えな禅匠がいる筈もないからである。
そして「そこが、空即是色です。1秒もかからずリアルに舞い戻していただいたそうです。」と続く。
法身が何たるかも分からないものが、1秒にしてリアルに舞い戻るも何もないものである。
よしんば、万が一そうであるにしても、まずは、無にしろ空にしろ、徹底させて、法身を会得させた後の、まだず〜と先々のことである。
証明する事にさえ苦心してるのに「片手の音は聞こえない」などと、足を引っ張るような愚劣な指導がある筈もないのは参禅したものなら承知のことであろう。
なぜポッタンがろくでもない嘘に満ちた拙話をでっち上げるのか。
それは、ポッタンの脳内で作り上げた「音が聞こえるのは色即是空まで、その後は音は聞こえずそれが空即是色である」という珍妙な屁理屈を正当化しようとの魂胆があるからに他ならない。これを嘘言の屋上屋を重ねるというのである。
ちょっと禅を齧った者にも、容易にわかる幼稚な作り話を、平然と書き込みする愚かさを繰り返すのが、ポッタン野孤禅の本領であろうか。
このように、このスレにはポッタンの虚飾、虚言、嘘妄の作話で満ちているが、初心者は、野孤禅サンプルとしての反面教師としてならともかく、決して野孤禅に惑わされないよう、大いに気をつけて欲しいと思うのである。
10 :
野孤禅スレです:2011/08/03(水) 20:51:26.97 ID:ucpuZkQK
ポッタン禅が、いかに野孤禅なのかを指摘してきたが、最近も野孤禅のよい(?)サンプルを提供してくれている。
その中で、しばしば、不二一如の説法を垂れているので、それを紹介しよう。
最近の曰く、「二は二では無い、一の如し、バカの一つ覚えで、一如と言ってきてるよ。」
そして「視点を弱いものと同じ目線で見ることです。」 「相手とわたしがいて、相手は相手、わたしはわたしが、世間ですが、それでは、いけません。痛みを分かち合う事です。」
と、他人も私もなく一如なのだと、今度は聖人にでも変身したかのような、一見、大変結構なことを語っている。
しかし、これが口先だけのとんだ戯言なのである。
仏教に接しているものならば、五戒は知っているであろう。
その中に不妄語戒と言って、嘘言するなかれ、という人であれば当たり前な戒がある。
ポッタンは、今まで数々の嘘言や作り話で人を騙しているが、嘘言を吐くことは人の尊厳を蔑ろにするから出来ることであり、更に人を騙すのは詐欺にも等しい罪業である。
己が可愛いと思うなら、同様に他人も大切にすると思うのが、自他一如でもあろう。
また公案にしても、正師の元で、印可はおろか透過すらしていない。にも係わらず、師匠面して公案に答えよ、と人を愚弄にした書き込みを続けたりしている。
これらの例に限らず、他にも数々の愚かな行為を繰り返してきているが、これらの所業が他人にはどう写っていると思うのであろうか。
自他一如が分かっているならば、この様な行為はとても出来ることではあるまい。
更に、己が他人を慮る気持ちがないのを棚に上げ、他人には「視点を他人と同じ目線で見ること」と注文をつけている。もう滅茶苦茶である。
ポッタンの自他一如は、いかに自分に都合のよい自己中心的で、それを言うには到底、程遠い行為であるかが分かるであろう。
そもそも、己の所業による不徳を羞じる良識があれば、自他一如の説法する資格などないと思う筈である。
ところが、それを口にするのだから、すでに人を欺いていることだと分かっていないらしい。自他一如などとは、ポッタンの己自身を省みれば、安易に説法できるものではない筈である。
以前、ポッタンの言行不一致を指摘した。
この例も、いかに身につかない単なる口先だけの野孤禅ということを証明してくれている例である。
11 :
野孤禅スレです:2011/08/03(水) 20:57:34.53 ID:ucpuZkQK
野孤禅は野孤の数だけ種類があるが、ポッタン野孤禅は差し詰め、口先禅とでも言ったところだろう。
最近、それに加えて猿真似禅(しかも幼稚的)というのを追加してくれている。
「宇宙未始前の一句をもつて来い。
宇宙が未(いま)だ始まる以前の一句を言いなさい。 だろうか。
わたしは、すっと立ち、両手を後ろにやって、羽をばたつかせながら、口では、チュンチュンと鳴く。」
と、これが「宇宙未始前の一句」の、ポッタンの「どうじゃ」と胸を張った自信満々の回答である。
どこぞの公案回答集から拾ってきた真似かは知らぬが、禅家はそんな猿真似が透る程甘くはない。
精々、化けの皮が剥れるのが関の山である。
無字も、隻手音声の公案も透過していない程度の未熟さは隠し様もなく、隙だらけの回答ですぐに正体を露呈する。
禅の本源が分からぬものが、勘違いをすると、このような、道化師のようなことをしでかすのである。
あらかじめ頭に描いたシナリオを、時と場所と状況も見極めずに、ただ演技するだけである。
如何にうまく演技しようと、所詮、猿真似は猿真似である。
猿は何でも真似をするから猿真似だが、さらに猿真似の芝居をする、これを猿芝居という。
それにつけても、この猿芝居、幼稚さはなんとかならないものか。
毎度の、お遊戯は幼稚園児並ではないか。
「すずめさんがチュンチュンとこんにちは、タンポポさんがニコッとこんにちは」が悟りだと言い、「私は払子を立てた。これが私の禅です」と語った類と同レベルのものである。
これを師家の面前でやれば 「何の演技じゃ、そんな猿芝居は幼稚園でやれ」 と一笑に付されるのが落ちであろう。
「倶胝竪指」では物真似小僧が指をチョン切られただけで済んだが、これが関羽将軍の面前であったなら、ポッタン猿真似禅師匠は首が胴体から離れているかもしれない。実に剣呑である。
ところでポッタンは人を笑わせる才能があるようだ。
三十年近くもやっている禅が、ちっともものにならず、しかも今後も見込みがないならば、さっさとイッパツ芸人に転向することを勧めるとしよう。
それとも、これからもポッタン野孤禅師匠の言動で、大いに野孤禅のサンプルを提供してくれるというのだろうか。
12 :
野孤禅スレです:2011/08/03(水) 20:57:49.34 ID:ucpuZkQK
これまで、ポッタン野孤禅の幾つかの実例を挙げて、野孤禅とはどんなものかを見てきた。
それから分かると思うが、ポッタン野孤禅は異常にまで文字語句に執着していることである。
万巻の書を読めば悟りが得られと思い込み、肥しにもならない屁糞知識を頭一杯に詰め込んでいる。
しかも悪い事に、強い自己顕示欲と虚栄心から、他人の悟りを己の悟りと偽るのである。
たとい好意的にとったにしても、頭に詰め込んだ他人の知識で悟った、と錯覚しているのが今のポッタンである。
しかし悟りの理論を組立てる必死の努力も報われず、すぐにボロが出てしまうのは哀れと言うしかない。
また、言葉に執着しているのは、2chでのレスの往来でも往々にして見られる。
ポッタンに好意的なレスには、“φ( ̄ ̄*) メモメモ、と熱心にメモをとるが、拙文(野孤禅スレです)レスのような気に入らないレスには、「内容がない」と言って批判、不満を垂れる。
どうやらポッタンは、よちよち歩きの幼児のように、アンヨがお上手と手を引いて貰いたいらしい。
小児幼稚性向はこれに限らないが、老齢による退行症状のなのであろうか、一層進んでいるようである。
そもそも、禅の本質が文字語句にある筈もないのは言うまでもない。
これが分からない様ならば、達磨が中国に渡った意も分からない。
「内容がない」と文句を垂れる前に、ポッタン己自身に禅の素質の無さを嘆いたほうがよい。
しかも先頃、ポッタンは次の様に語っている。
「法華経と言う経典を主人としてこれにひれ伏せば、こちらは奴隷である。こちらが主人公となって、法華経をこき使えば、こちらは主人公である。汝こそ汝の主人公、他の誰が汝の主人公でありえようか。」
己を知っていれば、書ける筈も無い文章ゆえ、どこからかのコピー文だろう。しかも本当に分かって書いてはいまい。
”法華経”を”文字語句”に置き換えれば、今のポッタンに、そっくり当て嵌まるではないか。
文字語句を追いかけ、振り回され、ひれ伏して文字語句の奴隷となっているのは、ポッタンそのものである。
いみじくも、ポッタン自身のことを指摘しているが如くの文章ではある。
三十年近くも文字語句に溺れている、これはもう性癖と言うべきで、自ら手に負えないようだ。
容易なことでは真ともになりそうもない。実に恐るべしである。
13 :
野孤禅スレです:2011/08/03(水) 21:04:42.82 ID:ucpuZkQK
ポッタンと川上雪担老師との過去の会話の件で、最近、ポッタンが何やら呟いている。
雪担師もすでに遷化されているので替わりに一言、解説しておこう。
ポッタン曰く「彼との会話の争点は、色即是空、空即是色だ。彼には色即是空はあって空即是色が皆無だった。そこを、悟り半分と云ってたのだが、右の耳から左の耳へとスルー。聞く耳を持たない」
まるで雪担師がポッタン野孤禅師以下の語り方である。これ程、身の程知らずの軽口を叩く、厚顔無恥の輩を知らない。
雪担師は、大事を了畢した修行底の禅師であり、仮初めにも一寺の住職で禅を布教している専門の禅家であった。
ろくに修行もせず、屁糞知識を詰込んだだけのポッタン野孤禅師匠、あなたとは全く違うんです。
当時、雪担師はポッタンが禅を知らぬ者と早くから見抜き、無師独覚とか言って、無知も幼稚すぎる色即是空、空即是色の珍釈に呆れ果てていた。
そして、(隻手の音が聞こえるまでが色即是空だとか、その後の聞こえないのが空即是色だなどと言った)愚かな観念をスパッと放り捨て、空のどん底を見て来いと、雪担師独特の語り口で説法していたのである。
その握って離さない固執した自説と、その元の我執から離れることを、色即是空で丁寧に説明していた。
我執に塗れ、空も観てないものが、やれ色即是空だ、空即是色だなどと言ったところで、所詮、青臭い屁理屈でしかない。
まずは、我執を捨て、空の空の空の空、色即是空のみ、空のどん底を観て来いと、空を徹底的に説いたのであった。
然るに、ポッタンは、その意を汲み取れず 「(雪担師は)空即是色が皆無だった」と、いかにも愚鈍なポッタンならではの戯言を言ってる。
青臭い屁理屈などいらぬ、空のどん底をぶち抜けば、全てがガラーッと一転、空即是色が観て取れるのだと言う、雪担師の親切すぎる説法もポッタンの耳には届かなかった。
それどころか「(雪担師は) 自己が立ってる地点から、一歩も踏み出そうとしなかったしできなかった。そこで分かれた。なにか彼の胸の奥にくさびを打ち込めたのか、打ち込めなかったのか」
などと、思わず失笑してしまう程、どこまでも愚か者の視点で嘯いている始末である。
野孤が禅師と同レベルにあると思っているこの野孤感覚。
普通の感覚の持ち主ならば、狂気の振舞いという他ないが、やはり、虚栄心と自己顕示欲の塊の性格異常者である。
14 :
野孤禅スレです:2011/08/03(水) 21:05:04.24 ID:ucpuZkQK
以前、ポッタン野孤禅の行き着く先が、禅に届かぬ絶望感と人格破綻であろうと指摘したことがある。
その兆候が、すでに”雪担氏との会話”の中にあり、ポッタンの性格が異常なものであることを紹介した。
その人格破綻の進み様が、最近の書込みに見れ取れる。
まずは、ポッタンによる無門関「久響竜潭」の書込みの中に、その徴があるので、それを見てみよう。
ポッタン曰 「まっ暗闇は、昼間の明るさの中で、色は、ひとつずつが他と区別して独立している。真っ暗闇に差し出された紙燭の灯りに浮き上がってきた世界はまさにリアル、色の世界である。
ふっと吹き消された世界は、何も差別できない無分別の世界、空である。空であるから、金剛経の注釈書を積みあげ、一句を唱えて引導を渡し松明で火をつけた。」 とある。
竜潭和尚の慧敏な禅のはたらきには気づかず、読み取ることができないポッタンの非力さである。
以前の眼横鼻直での 「眼は水平に自由を、鼻は縦に主体性を表す」と同レベルの、相変わらず皮相的で字面を追い掛けた解釈と幼稚さで、コメントに値するものは何もない。
そして 「だが、(途中略)この人は、空だけを見ただけである。隻手の音声で言うところの、片手の他人がたたく拍手の音を聞いただけである。ここから空即是色へと立ち戻らなければならない」 と続く。
吹滅の因縁を、見解とはいえない屁理屈でしか捉えられないのは、ポッタンの貧粗な力量なら仕方が無い。これでは、香厳撃竹の因縁も分かる筈もない。今は一応、失笑しつつも目を瞑っておくとしよう。
ところが、「師家である竜潭和尚の力不足である。 こうして徳山は竜潭和尚の法を嗣ぐことになった、と言うことであるが、空即是色が未だ透らずである。」
と徳山、竜潭和尚の力量を、ポッタン野孤禅師匠の比ではない、と大言壮語しているのである。
野孤禅を次々暴かれ、後が無いポッタンにとっては、徳山、竜潭の両和尚をコケにし、貶すことによって、ポッタン野孤禅師匠は偉大なり、と虚勢を張りたい気持ちの裏返しである。
ポッタンは、(愚かで悪いのは、ポッタン野孤禅を理解しない世間であり、我こそが大覚者なのだ)、とカルト教祖の論理を主張したいのである。
その伝でいくと、仕舞に全ての祖師方々否定してしまうのは間違いなさそうで、自我肥大のパラノイア(誇大妄想狂)は、深く々々、人格の破綻が進行しているようだ。
15 :
野孤禅スレです:2011/08/03(水) 21:05:28.94 ID:ucpuZkQK
前回は、ポッタンの貧粗な力量を省みずに、雪担老師、更には古仏の徳三、竜譚和尚までも貶し、悟りが不十分と豪語したポッタン、その自我肥大異常性格を暴いた。今や、その自我肥大は止まる事を知らず、人格破綻へと、まっしぐらである。
最近、頻繁に使っているのが、無師独悟(独覚)とかいうポッタン造語である。
無師なのは、本人によると、人嫌いによると言っているので、普段の幼児並性向から、異論を挟む余地は全く無い。
しかし、独悟や独覚となると、悟ったものでも憚り多くて、なかなか口にできる言葉ではない。それを機会ある度に、常套句のように喧伝しているのは、自我の肥大化がどこまで進んで行くのか、の感がある。
本人は 「決して自慢、ひけらかしていってるものでは、ありません」と言い訳しているが、額面どおり受け取るのは安直である。
その言下に「お釈迦様も、沙羅樹の下で瞑想され、暁の空に輝く明けの明星を見られて悟られたのだよ、と言っています。と言うことで、私の無師独悟は、お釈迦様と同じ無師独悟の仲間です。」 と舌の根が乾かぬうちに、本心が別にあると言っているのである。
上から目線はポッタンの常であるが、ポッタンの無師独悟は、釈迦と同様に崇高なものだと、本音が透けて見える。
形は似ているが、内容は月とスッポン、魚目燕石である。
ここまで自我肥大が進行すると、悟りなど無論、望むべくも無い。 自我清算のない悟りがあろう筈もないからである。
しかも、過去スレでは時折、坐禅などいらぬ、と本音を吐露していた坐禅修行が嫌いなポッタンである。
歩み始めた第一歩から、自我清算の方向ではなく、自我増大に走ってしまったのがそもそもの間違いで、しかも正す者のない無師が致命的であった。
三十余年間、肥しにもならない糞知識を頭に詰込むだけで、坐禅修行を怠ってきた代償は余りにも大きく、そのつけが今になって回ってきたのである。
その期間を、自己に謙虚になって、まともに修行していたならば、ここまで自我肥大化していなかったであろうし、少しは悟りに近づいていたとは思うのである。
失った時間が取り戻せる筈も無いが、自我が強大になってしまった上、高齢の今になって、自我の清算など到底適わぬ事であろう。墓場まで野孤禅を連れて行くのは仕方ない。
賢明な諸氏には、決してポッタンの様な轍を踏まず、坐禅修行に力をいれて貰いたいと思うのである。
16 :
野孤禅スレです:2011/08/03(水) 21:13:05.79 ID:ucpuZkQK
| ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄||
||【このスレに来られた方へ】 ||
||★ここは野孤禅の本格スレです。まずそのことを充分、認識してください。 ||
||★野孤禅とはどういうものか、まともでない見本が満載です。 ||
||★ポッタン、素人Aと称するものの発言内容は、まさに野孤禅の見本といえます。 ||
||★素人Aとかいうものはポッタンの携帯黒子ですので、ご注意。 ||
||★この者達の自作自演が多々有ります。相手にならぬようご注意。 ||
||★同様に、かまって貰いたいが為のツリが多々見られます。相手にせぬようご注意。 ||
||★まじめな質問は別スレにてお願いします。 ||
||★誤って、禅の質問をしても、その回答はいい加減と思ってください。 ||
||★本スレの使用目的は、禅に関すること以外、ストレス解消、AAの練習等々、自由です。||
||★書き込む内容は、品格など一切問いません。 ||
||★あらしも排斥しません。 ||
|| 。 ∧_∧ ||
|| \(´・ω・`) いいかな・・? ||
|| ⊂ ⊂ )旦~ ||
||___∧ ∧___∧ ∧___ ∧ ∧__ ∧ ∧___| ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄|_______||
( ∧ ∧__ ( ∧ ∧__( ∧ ∧__( ∧ ∧  ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄
〜(_( ∧ ∧( ( ∧ ∧_ ( ∧ ∧_ ( ∧ ∧ は〜い。
〜(_( ,,)〜(_( ,,)〜(_( ,,)〜(_( ,,)
〜(___ノ 〜(___ノ 〜(___ノ 〜(___ノ
17 :
名無シネマ@上映中:2011/08/04(木) 16:24:01.74 ID:F9MYgtm6
禅宗はよく神秘主義をカルト、あるいは幻覚や妄想と結びつけるよねw
たしかに、麻薬を使ったり、オウム真理教のような、神秘主義を偽った洗脳団体はあるよ。
でもね、本当の神秘主義とは、そういった洗脳・麻薬ではなく、ひたすら
祈りや瞑想などによって、『内なる神聖』『内なる神』に目覚めるということなんだよ。
本当の神人合一とは狂気ではなく、仏教でいう『仏性に目覚める』ということなんだよ!!
『私だけが神だ』というと狂気のようだが、『すべての人が神になれる!』と考えれば、
自然と開けてくるのは、狂気ではなく、むしろ、人間尊重、人間の可能性を信じる道である。
神秘主義にブームあれ!!
国民は基本的に「官僚は腐っている」という認識を持たなければならない。
脱原発と脱官僚支配、マスゴミ排除は同時に行う必要がある。
20 :
野孤禅スレです:2011/08/10(水) 12:57:34.51 ID:dnyiNy9s
無字は、初めて参禅するものに与えられる公案である。これが曲者で、中々透して貰えず、艱難辛苦、大変な苦労を強いられる。
それもその筈である。この世に生を得て後、長年染み付いた黒白つけたがる分別相対観念を根こそぎ絶たねばならないのであるから、チットやソットのことで透過できるわけはない。
昔、菴原の平四郎は、大憤志を発し勇猛の一機で妄想魔境に打ち勝ち、僅か三日で見性した様だ。これなどは稀で、我々凡夫は、昨日より今日、今日より明日、薄皮を一枚々々剥ぐように、自我を清算していくしかない。
そんな凡夫でも、日々努力を続けていけば、何時か因縁が熟した時、見性は訪れる。それは一瞬のことかも知れないし、暫しのことかもしれない。
見性の深さも人によりまちまちで、疑念の深いものは牛の大半を見るかも知れない。あるいは尻尾だけかも知れない。
臨済にしろ白隠にしろ再参して大悟したのであるから、鈍根な我々凡夫は、一度の見性で一見便見のようには行かない。
見性体験は、このような自我清算のまさに身を削る修行があってのことである。修行も無く知識を詰め込んだだけの見性などありえなく、逆に我見を益々強めて遠ざけることにもなりかねない。
ましてや、2chに入り浸り、互いに貶し罵りあって、自我を研ぎ澄ましている様では、とても見性は覚束ない。
一度、すべての我見我慢我欲を清算した後、見性して初関が透れば、こうして無や空がガラーッと分かるものである。
世間には、無や空は観念、概念だから書物で学べば分かるものだ、と甚だしい勘違いをしているものがいる。
書物で無や空が分かり、こと足れりと済むなら、達磨が中国へ渡ることも無かったし、禅はとうの昔に滅んでいただろう。
書物に書いてある空、無の解説は、いわば薬の能書きみたいなもので、読んだから病気が治るわけではないのと同じである。
ポッタンは、「飲み屋の女から金色の炎が立ち上がるのを見た」とか、「父親に、最近、世界が違って見える、と話した」などと、見性したかの様な、思わせ振りなことを語っている。
しかし、強烈な自我の整理も清算もできていないのに見性などありえなく、これは毎度お馴染みの、ポッタンの虚栄心や自己顕示欲からくる作話であろう。
仮に事実ならば、見性とは違う何か脳の悪い病気に冒されているか、89を飲んだ副作用の幻覚ではないのかと疑われるのである。
21 :
チゥ(* ^)(◎o◎)ポッたん ◆oOmXnN8feI :2011/08/10(水) 18:00:14.02 ID:yNa28FNP
>>20 居ぬ かまってちゃん
>ポッタンは、「飲み屋の女から金色の炎が立ち上がるのを見た」とか、「父親に、最近、世界が違って見える、と話した」などと、見性したかの様な、思わせ振りなことを語っている。
しかし、強烈な自我の整理も清算もできていないのに見性などありえなく、これは毎度お馴染みの、ポッタンの虚栄心や自己顕示欲からくる作話であろう。
仮に事実ならば、見性とは違う何か脳の悪い病気に冒されているか、89を飲んだ副作用の幻覚ではないのかと疑われるのである。』
でたらめを書くのは、どうかな。
居ぬ自身が、悟前であるのは、聞かずとも誰の眼にも、自明。
だが、悟前の者が悟後の者にいちゃもんつけるというのは、どういうものか。
しかも、自身のさとりを聞いた事が、無い、これまで一度も・・・
三歳児、
これで、もう、さとりを云ってる。
先に無字の公案の解説をコピペしてたが、それは難解(なんげ)だと嘆いてみせたものだ。
なにひとつ、真理を言って無い。
何故、その部分をコピペするのか。
たとえば、居ぬが無字の公安に参禅していて、まさに難解(なんげ)である、と、実感している日々であるのか。
おまえはどこのやぶをつっついているのだろうか。
そこには、いない。
はるかかなたで、おまえから、今は、もう、見えない、うかがい知れないところ。
ずいぶん時間がたったが、ずっと向こうの方へばかり石を投げてたが、そういうことでは決してあたらない。
こういう言葉で言うのもはばかられるが、解からないなら、解からないなりに真剣に取り組め。
ばかなら、ばかとはっきりと認識して、無知から始めれば良いと思う。
お盆も近いが、お墓の掃除は、もう行ったか?
22 :
たろすけ【下記の文は禅とは無関係です(笑)】:2011/08/10(水) 18:19:49.28 ID:hlv2gUrD
>21
真面目な反論をお願いします
3歳児〜で悟りを言っているでは、禅的に不合格です。
23 :
チゥ(* ^)(◎o◎)ポッたん ◆oOmXnN8feI :2011/08/10(水) 19:13:07.83 ID:nB5lRp9q
>>22 たろ さん
> >21
> 真面目な反論をお願いします。 3歳児〜で悟りを言っているでは、禅的に不合格です。
では、たろ さんは 透ってないのですよ。。。・・・・・……( ̄ε ̄;) ボソッ
24 :
たろすけ【下記の文は禅とは無関係です(笑)】:2011/08/11(木) 00:22:59.07 ID:rk8FMWaT
>>23 作為なき赤心というヤツですね。ソレだけなら特に看話禅でなくてもいいのでは?
禅というからにはもっと突っ込んでの言及をお願いしますよ。
・・・そういえば赤心と言えば老荘でもありましたよね。作為なき事尊しと。
25 :
チゥ(* ^)(◎o◎)ポッたん ◆oOmXnN8feI :2011/08/11(木) 01:02:29.63 ID:S3FmLae6
>>24 たろ さん
説明しちゃってます・・・要りませんよね。
26 :
たろすけ【下記の文は禅とは無関係です(笑)】:2011/08/11(木) 06:06:40.68 ID:rk8FMWaT
>>25 3歳児》では禅のズバリではありませんね。付け足しでも手短な言葉でもない言及でズバリお願いしますよ。
せったん@myoejoe:2005/08/05(金) 19:47:25 ID:mKkOwA5y
住職したてんころお盆の檀経のぜに推理とSFの文庫本買った、10年ほど買い続けてまあなんせほとんど全巻読むってやつ、そうしたらたまった本で根太緩んだ。
うすら:2005/08/05(金) 19:48:55 ID:3RT3Xs4L
せったん老子に聞きたいことがある。
見性すれば、心という亡霊の痛みを感じなくなるんですか?
それとも、数倍敏感に感じるようになるんでしょうか?
せったん@myoejoe:2005/08/05(金) 19:50:53 ID:mKkOwA5y
せがれの高校で本寄付しろっていったで、軽トラ借りてきてみんな乗っけて持ってった、図書司のねえちゃんがダニに食われた声して、もうあのお返ししませんがっていう、ええよって云ったら高調が出て、
せったん@myoejoe:2005/08/05(金) 19:55:29 ID:mKkOwA5y
心という亡霊が失せるってこと、ものごとはっきり敏感になるよ、人の迷うようにはそりゃ迷わんさ、楽しいかっていうと夢中に楽しいんだけど、世の中どうしようもねえ悲惨四苦八苦な、心は痛まず。
せったん@myoejoe:2005/08/05(金) 19:57:16 ID:mKkOwA5y
無心=心がない、ないものはきずつかず、おうさこれを知る見性。
せったん@myoejoe:2005/08/05(金) 20:01:30 ID:mKkOwA5y
高調じゃなく校長が出て、せったん文庫こさえるってえから恥ずかしいこた止めてくれってな、そーしたらあのう申し訳ねえですが、O
嬢の物語とか家畜人ヤプー山田風太郎てのも展示にはちょっとという、あほめが高校生の頭ん中ってそれっきしじゃねーか。
ヤング間合い ◆IUxJn6M0E6 :2005/08/05(金) 20:02:53 ID:lB9RGGx2
あはははは
せったん@myoejoe:2005/08/05(金) 20:03:53 ID:mKkOwA5y
いひせがれにゃ白い目で見られる、今んなってみりゃ絶版本五万とあったな。
せったん@myoejoe:2005/08/05(金) 20:10:10 ID:mKkOwA5y
でさあわしの愛読書はシェークスピアにアイすきロスにドストエー不スキーにカフカにってうひひ要するに右代表みたいのみんな読んだよ、
今の学者や評論家なっちゃねえことはひどいぜ、あんなんに教えられた学生、そりゃもうどーもならんな。そのいっちかすが文部省お役人な。
せったん@myoejoe:2005/08/05(金) 20:12:43 ID:mKkOwA5y
悟り100回ってそりゃ1回の周辺を歩くだけじゃ、悟り終わって悟りのないことを知って下さい、孫悟空じゃないけどどんな大騒ぎも観音さまの掌。
せったん@myoejoe:2005/08/05(金) 20:18:07 ID:mKkOwA5y
吉川町の山中ドライヴしたい人おいで、きのこの時節がいいぜえ、わしきのこ博士猛毒もあるでよう。
あれ?
間違い。
30 :
チゥ(* ^)(◎o◎)ポッたん ◆oOmXnN8feI :2011/08/11(木) 14:36:07.18 ID:V2QiCzb9
31 :
チゥ(* ^)(◎o◎)ポッたん ◆oOmXnN8feI :2011/08/11(木) 14:47:58.64 ID:V2QiCzb9
>>29 > あれ? 間違い。
そそ
やっと気が付いたようだ。
こき使われてるよね。
主人公であるのだから、こき使ってやったら、どうだろうか。
汝こそ汝の主人公他の誰が汝の主人公で有り得るか。by シャキャ族の聖者
> 三歳児、
> これで、もう、さとりを云ってる。
ブフッ!
バカヤロ、コーヒー零しちまったじゃねえか。
幼稚園の前を通ったら、手を合わせなきゃならんじゃねえか、このアホ!
脳ミソも三歳児なみだな。 wwwww
33 :
太呂助【下記の文は禅とは無関係です(笑)】:2011/08/11(木) 21:13:29.82 ID:rk8FMWaT
>>30 >
>>26 たろ さん
> 三歳児で、いいですよ。
何に対しての答えが《3歳児》なんでしょうか?
そもそも問答が問答である所以は、相手に応じた対応というものが重要とされるからですね。
それは、対応する側の禅機としても相手にとっても、その場の状況に対応したものでなくてはダメなのです。
いつでもかつでも《3歳児》では状況に応じた対応がないですね。
まあ・・・よろしい、では修行僧たちが皆3歳児になったとしましょう。
3歳児たちが言います。《寒ー、暑ー》《(何か)食べたーい、ワーンワン》と。
そのときアナタのお答えは?
アナタも一貫して《3歳児であるから一緒に泣きますか?
34 :
チゥ(* ^)(◎o◎)ポッたん ◆oOmXnN8feI :2011/08/11(木) 21:14:04.79 ID:GztKY+wT
>>32 名無し おばかまる出し さん
ひとを笑いものにして、優越感に浸るのは、卑屈な精神かな。
そう言う事は、どうでもいい事。
それより、禅の取り組みをカキコしてくれないかな、どうだろう?
35 :
チゥ(* ^)(◎o◎)ポッたん ◆oOmXnN8feI :2011/08/11(木) 21:17:40.96 ID:GztKY+wT
>>33 たろ さん
三歳児に、執着してませんか。
36 :
太呂助【下記の文は禅とは無関係です(笑)】:2011/08/11(木) 21:27:11.34 ID:rk8FMWaT
>>35 >
>>33 たろ さん
>
> 三歳児に、執着してませんか。
俺が《3歳児》に執着してると捏造すれば、アナタは言葉の責任を放棄できる訳ですか?
カルト論法ですね。
3歳児》はあらゆる状況に対応した答えな訳ですよね?俺はその対応を明らかにしたいんですよ。
当たり前の対応を聞いているダケです、>33で。答えられませんか?
37 :
チゥ(* ^)(◎o◎)ポッたん ◆oOmXnN8feI :2011/08/11(木) 22:06:52.20 ID:GztKY+wT
38 :
太呂助【下記の文は禅とは無関係です(笑)】:2011/08/12(金) 00:38:20.11 ID:yFHYYYW3
>>37 不都合な質問はスルーするのがアナタのやり口なのかね(爆)
・・・いいでしょう。
>
>>36 たろ さん
> 三歳児って、何でしょうね。
36のような疑念の湧かないとこかな。
39 :
太呂助【下記の文は禅とは無関係です(笑)】:2011/08/12(金) 00:43:34.56 ID:yFHYYYW3
訂正
○37のような
×36のような
はて、2chで、禅機なんてあるのかな。
41 :
太呂助【下記の文は禅とは無関係です(笑)】:2011/08/12(金) 07:43:18.62 ID:yFHYYYW3
>>40 あるねぇw
対応にかかった分数(時間)はともかく内容は誤魔化せんからね。
ま、○分もかかりゃエライことだがw
42 :
太呂助【下記の文は禅とは無関係です(笑)】:2011/08/12(金) 07:55:16.93 ID:yFHYYYW3
内容が古語をカミ散らしているダケ、またはデタラメをやっているか、
或いはシッカリ対応してあるか気になる所。
言葉は借り物の上、時間はかかる、相手も見えない、こんなんで、禅機などみることが出来もしないと思うけど。
>>42 > 内容が古語をカミ散らしているダケ、またはデタラメをやっているか、
> 或いはシッカリ対応してあるか気になる所。
何をもって、シッカリ対応、と云ってるのか分からないけれど、言葉で説明していたら禅機など吹き飛んでいるね。
たろすけは、禅問答だとか禅機だとか云っても、要は分かってないんだろう。
三歳児の脳みそしかないんだから、あほぽったんと同じ。 wwww
46 :
太呂助【下記の文は禅とは無関係です(笑)】:2011/08/12(金) 17:11:51.54 ID:yFHYYYW3
>43-44
説明?禅機は説明などしないね(爆)、対応とは適切な言葉だろうね。
相手の意図に対し出てくる対応はボウ喝払子立て以外にも沢山ある。
ボウ喝払子さえ適切なタイミングなしに成立しえないのだから。
どういうタイミングで何を言うかでおおよそ分かる。
47 :
太呂助【下記の文は禅とは無関係です(笑)】:2011/08/12(金) 17:54:33.00 ID:yFHYYYW3
>>45 《助けてくれ、相手してくれ》ってのが行間から読み取れる。まっこと、その哀れなること深甚であるが
悪趣の怨念、不興なること至極であるから、救いだす手立てを講じる諸為は無用
オレはお前を見捨てる。いくら2ちゃんだろうとレスの相手を選ぶ権利くらいあるからな
最後にお前に土産だ、2ちゃん奥義を伝授しよう。
つ
wwwwはw×4に
コレでお前はエコなネラーと呼ばれるようになる(爆)
48 :
太呂助【下記の文は禅とは無関係です(笑)】:2011/08/12(金) 18:19:01.17 ID:yFHYYYW3
この住み訳はよい、コレからは座禅と見性スレはこの2つの章で行こう。喧騒から逃れてせいせいする。
ココで俺がポッタン氏をじっくり批判する。コレで行こうw
キッチリ批判したい者はこの章で、ゴチャゴチャ馴れ合いたいものはモウヒトツの章へ。
>>1の文は品がないなぁ。
なに、この スズメがちゅンちゅんってのは。
タンポポはこんにちは(笑)
たろすけは、禅の根本を全く知らない、ということがよく分かる。
禅問答は、商量の真剣勝負、全身全霊の法戦だわね。
2chで禅問答が出来る位だったら、昔なら、わざわざ参禅などせず、文通でやっていたよ。
それに、たろすけの言い分なら、無字の公案も、隻手も2chで透るってことだわな。
実に笑っちゃう。 wwwwwwwwwwwwwwwwwwww
そういえば、以前、
宮廷、宮城がどうの、平民がこうのとか、大時代がかった、禅問答もどきゴッコをやっていたっけな。
そんな言葉を使うことからして、禅問答、禅機など、力量不相応なことってことだな。wwww
52 :
原発反発:2011/08/12(金) 20:45:38.92 ID:7OZuSxsG
「普天間」保管の放射性廃棄物 知事、通報遅れに不快感
東京の東電本社に廃棄しろ、福島1原発140人不明、の真実
そ〜れは、内緒、東電の暴力団に殺されるから、絶対に教えな〜〜〜〜〜〜〜い。
140人は、致死量の放射能浴びて、死んでるだろ、常識的に考えて。
54 :
チゥ(* ^)(◎o◎)ポッたん ◆oOmXnN8feI :2011/08/13(土) 01:21:30.77 ID:qAfzqw8z
55 :
太呂助【下記の文は禅とは無関係です(笑)】:2011/08/13(土) 04:23:30.23 ID:F2YRYnf8
>>50 同じヤツがID変えて色んな方向から話しかけるのは気色ワルいな。無字、隻手が2ちゃんで通るって何のことかねw×10
修行なしの口頭のみって誰が言ったよ?鈍牛。言葉の使い方で相手が分かるといっとるんだよ。このピンぼけw×4
> そういえば、以前、
>
> 宮廷、宮城がどうの、平民がこうのとか、大時代がかった、禅問答もどきゴッコをやっていたっけな。
> そんな言葉を使うことからして、禅問答、禅機など、力量不相応なことってことだな。wwww
あ、お前、王様〜平民の意味する所がワカランのだな。お前は俺の相手にふさわしくない。失せな。
56 :
太呂助【下記の文は禅とは無関係です(笑)】:2011/08/13(土) 04:50:16.31 ID:F2YRYnf8
>>54 >
>>38 たろ さん
>
> さとり、ですよね。
勿論、アナタが3歳児と表現したのはそうなんでしょうね。
《3歳児》は疑念が起きませんね。無垢でスッキリしている。であるから>38でそう述べたのです。
・・・もしかして、>54はアナタが《3歳児》と表現したのは悟りのコトを言ってるんであって、3歳児そのものを述べていない
と言っているのですか?当たり前だよw、そんなことくらいわかってますよ。アホじゃないんだから。
で、《3歳児ならば》前述の場合、アナタはどうしますか?と訊いたのです。悟りは対応において自在ですからね。
まさか玩具取り上げられて泣くのが悟りじゃありますまい。
或いは、まさか、>38のように答えたら>54のように《悟りですよ》と言い、
[悟りを言っている]と答えていれば《説明に落ちましたね》とか《もともと悟っている。悟りもなければ仏教もない》
とか言うつもりだったんですか?
57 :
太呂助【下記の文は禅とは無関係です(笑)】:2011/08/13(土) 05:05:37.78 ID:F2YRYnf8
3歳児》は悟りを言って述べたコトなのに実際の3歳児への対応を尋ねられるのは、オカシイじゃないか、
ということですか?それはつまりこういう事です。
悟りの無垢で疑念の湧かない側面をアナタは《3歳児》と述べた訳ですよね。
だけど無垢で疑念の湧かない側面のみが悟りではありませんよね、
それゆえ無垢で疑念の湧かない主体が窮したとき《自在なる悟り人》はいかに対応するかということを
あのような状況設定として問うたのです。無垢の二字のみだと寒暑空腹の時にどうしますか?ということです。
悟りの《アナタの言われる》3歳児的な側面ダケだと行き詰まりますよね。悟り人が自在なら
《3歳児》以外の側面が対応するのではないですか?そしてその対応はどのようなものですか?ということです。
58 :
神も仏も名無しさん:2011/08/13(土) 13:49:12.75 ID:gAXmLaBD
あほな。
三歳児は人の持ってるモン欲しけりゃとろうとする。
あかんと言われたら、なんでやくそ、とごねる。
言うとくけど、とると決めてないしごねたろと決めてないで。
その時どのように対応するのが正しい親の態度でしょうか、
てのがとろすけの言う「禅」なんでしょ、教科書ないと一歩も進めへんぼんぼん。
59 :
チゥ(* ^)(◎o◎)ポッたん ◆oOmXnN8feI :2011/08/13(土) 14:29:21.54 ID:PEoWtJ7J
>>56-57 たろ さん
何歳児とは、ほとけである。
ほとけとは、さとりである。
さとりとh、なんですか。
60 :
太呂助【下記の文は禅とは無関係です(笑)】:2011/08/13(土) 21:39:02.00 ID:F2YRYnf8
>>58 > あほな。
> 三歳児は人の持ってるモン欲しけりゃとろうとする。
> あかんと言われたら、なんでやくそ、とごねる。
> 言うとくけど、とると決めてないしごねたろと決めてないで。
> その時どのように対応するのが正しい親の態度でしょうか、
> てのがとろすけの言う「禅」なんでしょ、教科書ないと一歩も進めへんぼんぼん。
《3歳児》ってのは喩えね。実際の3歳児の有り様についてはここでは重要でない。
それに親の態度など聞いてはいない。無垢で作為なし、の有り様が行き詰まったらどーするかということ。
キョーカショ?そんなもんないね。
61 :
太呂助【下記の文は禅とは無関係です(笑)】:2011/08/13(土) 21:41:53.62 ID:F2YRYnf8
>>59 そういうのは、まず訊かれてるコトに答えてからにしよう。そうすればオレも答えるよ。
62 :
神も仏も名無しさん:2011/08/13(土) 21:53:46.93 ID:g+sw4MSx
行き詰まったと思うそれが無明
63 :
太呂助【下記の文は禅とは無関係です(笑)】:2011/08/13(土) 22:11:47.65 ID:F2YRYnf8
>59
野狐禅スレ氏への反論だけでもいいよ。それが無理でも、とにかく訊かれてるコトには答えよう。きちんとした反論もしくは、
きちんとした応対。これくらいやってもらわないとね、話にならない。詭弁、肩透かし、すり替え、自転車操業、と、
もしオレがネラーならとうの昔に暴れてますよ?アナタの対応はそれくらい酷い。
これまで何度も大目に見てきたんですよ。これ以上大目に見るとドラマのエキストラのごとくどうでもよくなり、
ポッタンさんに焦点を合わせるのが難しくなってしまうw、きちんと答えて下さいね。アラシよりオレの方がましでしょうw?
オレの批判に答える方がアナタにとっても良いハズだ。
>>60 とろすけ。
三歳児を無垢で作為なしと解釈しているのはあんた。
それを勝手に行き詰まらせているのもあんた。
さあ答えなさいって、あんたが勝手に決めてるだけやん、答えを考えるのはあんたちゃう?
おもちゃ取り上げられてギャーギャー泣くのも手やね。
作為なしが行き詰まる、ってのは、どういうことなんやろうね?
とろすけ、どういうことなん?
66 :
太呂助【下記の文は禅とは無関係です(笑)】:2011/08/14(日) 05:34:36.68 ID:6luGSJkc
>64
ムダに言葉の積み木を積み重ねなくていいんだよ。
ポッタン氏の《3歳児》が無作為、無垢である事を意味しているというのはテンプレでおおよそ推量できるだろうに。
そして対応力があるなら《3歳児》の無作為を、悟り主体が対応自在に表してそれが崩れぬの無作為であることを示せるだろう。
あの状況下で行き詰まるなら寒暑空腹を乗り越えられぬ《無作為》だという事だよ、
それに泣く云々は高僧の真似事だね、確かそういうやり手が古人にいた、それでもモウヒトツ2つ後に続く言葉対応がある。
猿真似、亜流は良くない。
>65
論理的矛盾を指摘し、してやったりケロケロケロってとこなんだろうが、季節ハズレにも程があるw
トロケロは教科書読まずに卒業するから禅が論理的矛盾なんか気にも止めてないことに気づかないんだよ。
言葉遊びをしてるんじゃないんだからさ。
67 :
太呂助【下記の文は禅とは無関係です(笑)】:2011/08/14(日) 06:15:31.49 ID:6luGSJkc
>65
作為なしを標榜する悟り人《ポッタン氏》が、対応に行き詰まってるという意味だよ。
作為なきゆえに対応できなくても、無作為は崩れないのだから問題ないんじゃないかと言うカモシレンが
禅問答では無作為を標榜する古人も無作為を問答で滞りなく表しており、
問答に参画しないとか、対応しきれなくても無問題と述べるような禅問答の意義を破壊するような事はしない。看話禅だから。
無作為は無作為のままでなく、問答において悟り主体に使われる対応の一要素、悟りの一要素に過ぎない。
ま、これ以上は知らないので言えない。
悟りは三歳児という幼稚禅を躾けようとするご主人と、
自己中ごっこ禅で噛み付こうとする、飼い主と番犬の蹴りあい噛み付き会いだな。(笑
ファザコン禅と戦隊ごっこ禅やろ
70 :
太呂助【下記の文は禅とは無関係です(笑)】:2011/08/15(月) 05:10:30.75 ID:UnOJ0btG
>>68 > 悟りは三歳児という幼稚禅を躾けようとするご主人と、
> 自己中ごっこ禅で噛み付こうとする、飼い主と番犬の蹴りあい噛み付き会いだな。(笑
>
違うな。論理ィの中の蛙に、物の見方《行間、他意解=大海》を教えてる飼い主だよ。
71 :
太呂助【下記の文は禅とは無関係です(笑)】:2011/08/15(月) 06:14:06.44 ID:UnOJ0btG
そろそろ80章を立てようかと思っている。更なる住み分けが必要だからだ。一行家やアラシは禅スレには不要。
そこでポッタン氏のレスを気長に待つとしよう。
基地ガイ専用 ポッたんとたろ助のスレ にしとけば、誰も来ないよ。
73 :
チゥ(* ^)(◎o◎)ポッたん ◆oOmXnN8feI :2011/08/15(月) 14:44:17.03 ID:QzvE7s47
>>61 おぉーo(* ̄○ ̄)ゝーーーーーーいっ! たろ さーん
>
>>59 > そういうのは、まず訊かれてるコトに答えてからにしよう。そうすればオレも答えるよ。
何歳児とは、ほとけである。
ほとけとは、さとりである。
さとりとは、平等である。
平等とは?
74 :
太呂助【下記の文は禅とは無関係です(笑)】:2011/08/15(月) 19:33:33.06 ID:UnOJ0btG
>>72 > 基地ガイ専用 ポッたんとたろ助のスレ にしとけば、誰も来ないよ。
いや、お前は来るよ必ずw、だから問題なんだよw、隔離スレが2つも出来たに関わらず隔離出来ない。
だがしかし自分が檻に入った方が早いって観点は確かに頷けるな、褒めてつかわす。
75 :
太呂助【下記の文は禅とは無関係です(笑)】:2011/08/15(月) 19:46:16.40 ID:UnOJ0btG
>>73 >
>>61 おぉーo(* ̄○ ̄)ゝーーーーーーいっ! たろ さーん
> >
>>59 > > そういうのは、まず訊かれてるコトに答えてからにしよう。そうすればオレも答えるよ。
>
> 何歳児とは、ほとけである。
>
> ほとけとは、さとりである。
>
> さとりとは、平等である。
>
> 平等とは?
そんなことは誰も聞いてないけどね。何歳児(3歳児)が悟りや仏を示して言ってる事くらいは予めわかってるよ。
結局答える気はないんだね。
平等とはさとりである
さとりとはほとけである。
ほとけとは何歳児である
何歳児とは?
>>74 基地外たろ助には、すべて、お褒めのお言葉に聞こえるようだ。
脳ミソの軽さはアルミ1円。(藁
77 :
チゥ(* ^)(◎o◎)ポッたん ◆oOmXnN8feI :2011/08/15(月) 22:58:02.45 ID:ypIkzOf/
>>75 かんがえる事無し くん
何歳児とは、ほとけである。
ほとけとは、さとりである。
さとりとは、平等である。
平等とは、無我である。
無我、とは?
78 :
太呂助【下記の文は禅とは無関係です(笑)】:2011/08/15(月) 23:55:12.04 ID:UnOJ0btG
>>76 >
>>74 >
> 基地外たろ助には、すべて、お褒めのお言葉に聞こえるようだ。
> 脳ミソの軽さはアルミ1円。(藁
褒 め た の は 俺 だ が ?
お前の砂利レスの中に金砂を見たのは俺の目が金ぴかだからよ。
79 :
太呂助【下記の文は禅とは無関係です(笑)】:2011/08/16(火) 00:13:20.95 ID:g+gaHh5G
>>77 考える事無しさん
相手の質問に全く答えない上に、自らの発言を寸分も省みないとは、いやはや瞠目すべき所業。
アナタこそが全く考えることがないから説明も一切合財、回避するんじゃないんですか?
相手の意図も汲み取れず、人の事を考えることなしと認定とはそれこそ考えることがなしなのではありませんか?
アナタ、ご自分が一体何をしてるのかワカッテるのかね?
質問に答えられないのは、何か理由があるからではないの?
その理由コソが何よりの問題で、それを片さないと禅どころじゃないのでは?
>
> 何歳児とは、ほとけである。
>
> ほとけとは、さとりである。
>
> さとりとは、平等である。
>
> 平等とは、無我である。
>
> 無我、とは?
無我とは平等である
平等とは悟りである
悟りとはほとけである
ほとけとは何歳児である
何歳児とは?
80 :
チゥ(* ^)(◎o◎)ポッたん ◆oOmXnN8feI :2011/08/16(火) 00:26:13.18 ID:3d+t2HRv
>>79 哲学とは、考える、と言うことだよ。きみ。
何歳児とは、ほとけである。
ほとけとは、さとりである。
さとりとは、平等である。
平等とは、無我である。
無我、とは、一如である。
一如、とは?
あほと基地外の三歳児並問答ごっこ。 wwww
飼い主ポッタンと、番犬たろ助の、お粗末な意地の張りッこ、じゃね。
83 :
チゥ(* ^)(◎o◎)ポッたん ◆oOmXnN8feI :2011/08/16(火) 23:40:12.57 ID:IkRNSM20
84 :
太呂助【下記の文は禅とは無関係です】:2011/08/17(水) 01:34:02.05 ID:lEw4YYt2
>>80 アナタがしていることが経典のオウム返しに他ならぬと気づかせるために、オウム返しのオウム返し をしているんですよ。
アナタは一体何を答えていると言うんです?
何も答えてない。何一つ。ただ言い換えてるに過ぎない。全く無意味、ナッシング。ナンセンス。
アナタは何も言えてないと気づかせるタメの産婆術なんだよ、チミィ。
> 何歳児とは、ほとけである。
>
> ほとけとは、さとりである。
>
> さとりとは、平等である。
>
> 平等とは、無我である。
>
> 無我、とは、一如である。
>
> 一如、とは?
一如とは無我である
無我とは平等である
平等とはさとりである
さとりとはほとけである
ほとけとは何歳児である
では三たび問う
何歳児とは?
おそらく返ってくる答えは同じようなものだろう。・・・・・いいでしょう、では私が代わりに答えましょう。
何歳児とは?《何歳児とは一如である》
どうです、気づかれましたか。アナタのやってることはこういうことです。
宗教用語の内包的定義を策した自転車操業。宗教語を用いた循環論法的トートロジー。
85 :
太呂助【下記の文は禅とは無関係です】:2011/08/17(水) 01:41:59.93 ID:lEw4YYt2
>>81 > あほと基地外の三歳児並問答ごっこ。 wwww
>
チミにはそう映るんだろな。 ま、期待してないからw
>>82 > 飼い主ポッタンと、番犬たろ助の、お粗末な意地の張りッこ、じゃね。
>
チミは目見えてんのか?自分の身の丈考えて物言えよ。
チミの腐敗的内面を慰謝する場ではないのだよ、ココはw
86 :
太呂助【下記の文は禅とは無関係です】:2011/08/17(水) 01:50:00.03 ID:lEw4YYt2
何歳児とは、ほとけである。
ほとけとは、さとりである。
さとりとは、平等である。
平等とは、無我である。
無我、とは、一如である。
一如、とは何歳児である
何歳児とは、ほとけである。
ほとけとは、さとりである。
さとりとは、平等である。
平等とは、無我である。
無我、とは、一如である。
一如、とは何歳児である
何歳児とは、ほとけである。
ほとけとは、さとりである。
さとりとは、平等である。
平等とは、無我である。
無我、とは、一如である。
一如、とは何歳児である
何歳児とは、ほとけである。
ほとけとは、さとりである。
さとりとは、平等である。
平等とは、無我である。
無我、とは、一如である。
一如、とは何歳児である
何歳児とは、ほとけである。
ほとけとは、さとりである。
さとりとは、平等である。
平等とは、無我である。
無我、とは、一如である。
一如、とは何歳児である
87 :
太呂助【下記の文は禅とは無関係です】:2011/08/17(水) 02:00:06.04 ID:lEw4YYt2
どんな宗教語の質問もこのループの任意の箇所に代入すれば返答が成立する。
誰でも私に質問しなさい、いかなる質問にも答えてあげよう。
さて
・・・・・
私は何かを言えているかな?
私が何も言ってない事を見破れば、ようやく禅寺入門だね
終戦直前、半田の中島飛行機工場を襲った大地震:
「地震の次は何をお見舞いしましょうか」とB29がビラ散布。
ハハハハ・・・・
番犬基地外たろすけを相手するのは、ご主人様、あほぽったんくらいじゃね。
それよりも、狂犬病のお注射を打ってもらったほうがいいんじゃね。
90 :
チゥ(* ^)(◎o◎)ポッたん ◆oOmXnN8feI :2011/08/17(水) 15:13:57.60 ID:vOSEGm4F
>>84 無思考 か くれくれ君
何歳児とは、ほとけである。
ほとけとは、さとりである。
さとりとは、平等である。
平等とは、無我である。
無我、とは、一如である。
一如、とは、如来である。
如来とは?
如来だろ。
イコールにならないもんくっつけて何したいんだ
小学校の算数からやり直せ
あほぽったん。
92 :
チゥ(* ^)(◎o◎)ポッたん ◆oOmXnN8feI :2011/08/17(水) 15:49:15.36 ID:vOSEGm4F
>>91 物まねの猿をやめて、自己を主張しなさい。
93 :
チゥ(* ^)(◎o◎)ポッたん ◆oOmXnN8feI :2011/08/17(水) 16:02:08.36 ID:vOSEGm4F
>>92 > 物まねの猿をやめて、自己を主張しなさい。
汝こそ汝の主人公他の誰が汝の主人公で有り得るか。
94 :
太呂助【下記の文は禅とは無関係です】:2011/08/17(水) 18:55:43.94 ID:lEw4YYt2
>>89 > ハハハハ・・・・
>
> 番犬基地外たろすけを相手するのは、ご主人様、あほぽったんくらいじゃね。
> それよりも、狂犬病のお注射を打ってもらったほうがいいんじゃね。
で、ソレを眺めてる小ネズミといったところか。
狂犬病の注射だ?俺はお前の楽しみを奪うような真似はせんよw
95 :
太呂助【下記の文は禅とは無関係です】:2011/08/17(水) 19:03:40.89 ID:lEw4YYt2
>>90 > 何歳児とは、ほとけである。
>
> ほとけとは、さとりである。
>
> さとりとは、平等である。
>
> 平等とは、無我である。
>
> 無我、とは、一如である。
>
> 一如、とは、如来である。
>
> 如来とは?
文盲なのかねw
如来とは一如である。
一如とは無我である。
無我とは平等である
平等とは悟りである
悟りとはほとけである
ほとけとは何歳児である
では何歳児とは?
96 :
太呂助【下記の文は禅とは無関係です】:2011/08/17(水) 19:05:08.43 ID:lEw4YYt2
>>89 > ハハハハ・・・・
>
> 番犬基地外たろすけを相手するのは、ご主人様、あほぽったんくらいじゃね。
>
> それよりも、狂犬病のお注射を打ってもらったほうがいいんじゃね。
お前の相手をしてる者が二人もいることに驚きだよw
97 :
チゥ(* ^)(◎o◎)ポッたん ◆oOmXnN8feI :2011/08/17(水) 21:34:41.91 ID:Jw3jlMET
>>95 くれくれ 無思考 くん
何歳児とは、ほとけである。
ほとけとは、さとりである。
さとりとは、平等である。
平等とは、無我である。
無我、とは、一如である。
一如、とは、如来である。
如来とは、如である。
如、とは?
ケツの穴が小さい、蚤の金玉の上に、なんでも喰い付くダボハゼのチンカスたろすけ。
たろすけの禅って、ウロウロして腹が座ってない禅なんじゃね。
(このカキコに、またすぐ喰いつくんじゃね) ハハハハハハ・・・・
ハハハハハ・・・・・・
ダボハゼも、今日は喰いつきが悪いようですよ。
100 :
チゥ(* ^)(◎o◎)ポッたん ◆oOmXnN8feI :2011/08/20(土) 21:07:02.19 ID:BQFd84Uf
/::::::::::::::::::::::::ヾヽ
.i:::::::://///::::::::::::::::::|
.|::::::/ ::////⌒⌒ i.:::::ノ
.|:::::/ |::::|
|::/. .ヘ ヘ. |::| | ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄
.⊥|.-(=・).-.(・=)-.|⊥ .|修行僧 趙州に問う、「如何なるか是れ趙州?」
l .!:; ⌒´.し.`⌒ ::|. l |
ゝ.ヘ /ィ _ノ 趙州云く、「東門 西門 南門 北門。」
__,. -‐ヘ <ニ二ニ> /─- __\
_ -‐ ''" / !\  ̄ /!\  ゙̄ー-、 ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄
ハ /. |ヽ  ̄ ̄ /| ヽ ハ
| ヽ く ! . ̄ ̄ ! .> / !
当時の中国の都市は、町の周囲に高い城壁をめぐらし、その東西南北に門を設け、都市への出入はそこからすることになっていた。
趙州和尚は、『さとりとは、「東門 西門 南門 北門。」 』 と答えた。
101 :
太呂助【下記の文は禅とは無関係です】:2011/08/20(土) 21:07:25.92 ID:dyG/oLOh
>98
宗教スレの遍歴をしてみてはどうだろう。様々なコテと色々なやり取りをしてみてはどうだろうか。
御宅はきと、そこで多くのオモシロオカシいレスを目にするだろう。そして嘆息混じりにこう呟くかもしれない
《嗚呼、おれはあのスレで 太郎○○というヤツに長らく粘着して来たが、ココにてそれがようやく間違いあることが判明した。
アイツは上級ネラーの俺の相手として相応しくなかった。おれはバカだった》と。
102 :
太呂助【下記の文は禅とは無関係です】:2011/08/20(土) 21:09:16.70 ID:dyG/oLOh
>>99 > ハハハハハ・・・・・・
> ダボハゼも、今日は喰いつきが悪いようですよ。
自問自答か、このスレは御宅にとって刺激が足らぬように思う。
103 :
太呂助【下記の文は禅とは無関係です】:2011/08/20(土) 21:11:30.85 ID:dyG/oLOh
>>666 > どうしてわたしはこのくそスレを必ず立ち寄ってしまうのか
>
> くそスレに集うハエの一匹なのか
> 灯りに向かって突撃するあほな虫けらなのか
ソレはつまりね、アンタはこのスレの過ちに気づきはするが、キチンと指摘してやる慈悲がないからよ。
相手が本当に変わる事を望まず、いつまでも嘲弄対象であって欲しいからよ。
或いは、
慈悲が多少あり、教化を試みたとしても、頑として変わらない相手への苛立ちを、アンタが乗り越えるほどの意志を持ってないから。
>>667 > 諸君、私はあほが好きだ、
>
> アホ、間抜け、ガイキチ、低能力者がいたらこのスレに来なさい!
やけくそを起こすな、烏合の衆になるな。例え伝わらなくとも指摘した事自体がムダになるということはない。
同じ過ちをしているROM者には伝わったカモしれんじゃないか。そして、それで充分だ。
104 :
チゥ(* ^)(◎o◎)ポッたん ◆oOmXnN8feI :2011/08/20(土) 23:40:50.18 ID:LCRXkGKB
105 :
チゥ(* ^)(◎o◎)ポッたん ◆oOmXnN8feI :2011/08/21(日) 00:14:28.35 ID:EQldYDro
106 :
素人A:2011/08/21(日) 00:20:08.13 ID:OQFImvWV
377 :素人A:2011/08/21(日) 00:18:49.27 ID:OQFImvWV
普通は寝ている時間だけど私も色々明日の朝の分。どんなことがあっても仏さんを
信じなきゃ。仏から見たら一つも間違いがない。頭の善さが違うのだ。盲信じるしかない。
すつとんころりんと転ぶ私を見ててな。私は間違いダラケで心細くて分からんでも
まあ善いか。仏仏。 干し空はいつも。星空はいつも いつも孝子師匠の詩
遥かな空に 輝くShooting Star 願いをのせて 遠く駆け行く
昨日流した涙の想い出 セピア色に変わるまで
見つめていて私の軌跡も未来も すべてをこの手で受けとめたいから
迷いながら生きてる毎日の中で あなたは私を照らしているのね
記憶の箱に 魔法を唱えて 消したい過去は いっぱいあるわ
けれどひたむきに生きた過ちは けして恥じることじゃない
つぶれそうな心をにぎりしめるたび せつなくて深い夜に惑うけど
こんな風につまずく私のことさえ 星空はいつも照らしているから
見つめていて私の軌跡も未来も すべてをこの手で受けとめたいから
迷いながら生きてる毎日の中で あなたは私を照らしているのね
こんな風につまずく私のことさえ 星空はいつも照らしているから
107 :
チゥ(* ^)(◎o◎)ポッたん ◆oOmXnN8feI :2011/08/21(日) 00:36:57.25 ID:EQldYDro
>>106 素人A さん
> Shooting Star
とは、流れ星
のことだね。
108 :
チゥ(* ^)(◎o◎)ポッたん ◆oOmXnN8feI :2011/08/21(日) 01:55:55.57 ID:EQldYDro
109 :
あほぽったん:2011/08/21(日) 10:21:56.35 ID:xjN24dRn
他スレより
以下の文は「空」をあらわしていると思います!!!
>私はソウルの大学生です。日本の皆さんもう一度韓国と戦争して負けますか?
>自分達の政府が発表することを盲目的に信じていませんか?ネット社会で真実の世界を知ることから始めましょう。
>日本ではあの戦争の反省もせずに「朝鮮には負けてない」「正義の併合だった」という悪の帝国主義が再び頭をもたげてきていると聞いています。
>わが李承晩が日本軍を半島から追い払い独島を奪還し更に日本本土まで攻めこんで「朝鮮に併合すべき!」という部下を李氏はいおさめました。
>悪いのは日本軍国主義であり、日本の人民には罪がない。我々が日本人のように虐殺や差別をする訳にはいかない」と同じ亜細亜の民として慈愛の目を向け占領政策をアメリカに任せました。
>しかし日本は反省どころか対馬を占領したまま独島にも魔の手を伸ばそうとしています
>日本軍は13歳の曾祖母をレイプしました。
>曾祖母は処女でした。模範的朝鮮婦女子の純潔精神で自殺したのです。
>私は日本人を許せません
素晴らしいでしょう。超論理です。空です。
海行かば 水漬(みづ)く屍(かばね)
山行かば
草生す屍
大君の
辺にこそ死なめ
かへりみはせじ
長閑には死なじ
113 :
素人A:2011/08/22(月) 06:56:50.38 ID:9Iw9CZLY
もう色々禅すれあつて迷うことばかり。面倒コピー師匠に習ったし細胞分裂だ。
今私が書き込む事もなんかわからん劇の台本で台詞も決まっているのか?ホンとは
皆決まった台詞や動作して未来が分からんというのか?わかんなくてわかっているのは?
不自由を感じているのか。のかのか言う今の書き込みも書かされているのに書いているのか?
まあ見方や法向が色々違うとビル遮那方向からは思うとおり難だろうなあ.北朝鮮とアメリカ
仲良く喧嘩している八百長か?出鱈目も出ターの情報世界から決まった通りに飛びだし
私の自由とは。あ仏が言う法即が起こるのであつて私が怒る言わないよく分からん事場仮。
悟りすれも色々あつてまあ善い面倒なんで後は全部コピーそして鬼さん
>>101,102
バッカなんじゃね。ちんかすになんか話しかけてないよん。
そうやって、レスを返さなければ気がすまない蚤の金玉。
他人の言葉にフラフラして、ちっとも心が落ち着かない、チンカス禅を反省汁。
115 :
チゥ(* ^)(◎o◎)ポッたん ◆oOmXnN8feI :2011/08/22(月) 16:53:22.70 ID:c6ARTTF/
>>113 素人A さん
> もう色々禅すれあつて迷うことばかり。
多いねー
>
116 :
チゥ(* ^)(◎o◎)ポッたん ◆oOmXnN8feI :2011/08/22(月) 17:21:45.43 ID:c6ARTTF/
他スレより
マゴハカワイイ は、たしか健康法の食事のバランスを取る食品のかした文字を分かりやすく言ったものではなかったか。
マゴタチハカワイイと二つ増やして、タ=卵、チ=乳(乳製品) と言うのも、あった。
マゴハヤサシイと言う説
ま め
ご ま
わ かめ
や さい
さ かな
し いたけ
い も
さて、まごは、子の先に在るので、わが子に引き比べると、二の次になる、と思う。
結婚しなかった友人、結婚したが子に出会わなかった友人、その子に出会ったがまだ幼い頃病気の子を見送った友人、子に出会わなかった友人。
孫に出会うというのも、難しい。
117 :
太呂助【下記の文は禅とは無関係です】:2011/08/22(月) 17:29:18.57 ID:Lq9BCYxS
>>114 ア ホ の ま ま で い た い ん だ ろ ?
グズグズとボヤく事しかできないクセに謗りダケは一人前なんだな。
自分のしている事が誰においても無益有害である事に気づけ。それはお手前にとっても例外ではない。
《イヤだ、俺はアホのままでいたい、だから構ってくれ━━━》なんて言われてもね。
だから、俺はお前が思い込んでる程オモシロクねって。いつも真面目にしか答えないし、ふざける時も真面目にしかふざけない。
お前が望む様な応対はしないし、お前のネラーとしての気が済むような言葉を投げ掛けてやる事も出来ない。
お手前は何を期待する?
俺が《何言ってんだよ━━━w、じゃあなコノタコ、また明日なw》なんて言えば満足するのかい?
いいから、自分と類似した思考様式を持つ連中が屯駐するスレを探してみろよ。アイツらはお前を待ってるよ。
そこにはきっとオモシロオカシイヤツらが沢山いて、お前の様なネラーとやり取りしたくてウズウズしてるだろうから。
そしてヤツらの様な者にとっては俺は不興だし、俺にとってもヤツらは不興なのよ。分かったかい?
あと、捏造癖があるのは以降その様な事は憚った方がいいぞ、身を汚す事になる。
・・・ま さ か、そういう宗教心すらないんじゃないだろうな。
118 :
チゥ(* ^)(◎o◎)ポッたん ◆oOmXnN8feI :2011/08/22(月) 19:57:09.83 ID:T+yppQPR
>>117 ハハハハハハ・・・・・ お前なぁ
イッチョ前の口効いて、何やらグダグダ言ってるけど、要は、人の言葉が気になって仕方の無い蚤の金玉なんじゃね。
人のちょっとした批判に、基地外のように狂った罵倒するその根性、お前の禅とやらは、蚤金狂犬禅なんじゃねえの。
もう少し、ウダウダ言う前に根性を鍛えなおしたほうがええのと違うか? ハハハハハ・・・・・
120 :
チゥ(* ^)(◎o◎)ポッたん ◆oOmXnN8feI :2011/08/22(月) 20:19:28.04 ID:T+yppQPR
他スレより
○○ さん
┏○ペコ
大感謝ぁー
>赤肉団上に一無位の真人あり。常に汝ら諸人の面門より出入す。未だ証拠せざる者は看よ看よ
岩山の前に、中が空洞のふたの無い石棺が有る。この石棺に自由自在に出入りしている人が居る。
この ふたつが、ぴったりとひとつになった。
大感謝ぁ〜♪
○┓ペコ
121 :
チゥ(* ^)(◎o◎)ポッたん ◆oOmXnN8feI :2011/08/22(月) 23:36:47.13 ID:T+yppQPR
庭前の柏樹子
_,. -―――- .,_
/ !二_'ヽ、` 、
/\ `¨´ ,.、ヽ
,'::::::::ヽ .!_| ', 修行僧 趙州に問う
i::::::::::::〉 i 如何なるか是れ祖師西来意(そしさいらいい)?
.|::::::::::/ | }.: .|
|;=、::| ‐-ニ''_ー<、{_,ノ -一 |
!ハ.Y . ぇ'无テ,`ヽ}}}ィt于 `|
|.Y }. `二´/' ; |丶ニ ノ
ト、リ ヾ:、 丶 ; | ゙ イ
.l ` ,.__(__,} /
! `'゙! ,.,,.`三'゙、,_ /
,/´{ ミ l /゙,:-…-〜、 ) |
,r{ \ ミ \ `' '≡≡' " ノ 趙州云く、庭前の柏樹子(ていぜんのはくじゅし)。
__ノ ヽ \ ヽ\ 彡 ,イ_
\ \ ヽ 丶. ノ!|ヽ`ヽ、
\ \ヽ `¨¨¨¨´/ |l ト、 `'ー-、__
|
122 :
チゥ(* ^)(◎o◎)ポッたん ◆oOmXnN8feI :2011/08/23(火) 05:30:55.10 ID:+0snglwS
123 :
チゥ(* ^)(◎o◎)ポッたん ◆oOmXnN8feI :2011/08/23(火) 05:41:03.76 ID:+0snglwS
124 :
素人A:2011/08/23(火) 06:59:19.48 ID:7qnWpNIU
私は自分の書き込みも書いたら見返さないのに昨日珍しく鬼さんスレのあれが良い
是がいいを見てシマツタ。店暇だし外のサイトも行くとなくあれも良い是もよい全部
実行したら大変忙しく疲れるだろうなあ。読むだけで疲れた。無為つて今の時代に実行
したら持っている金全部悪徳宗教に取られる可能性大。頭を使い分別心ないと守れないし
生活も成り立たないし.欲がないやる気が起きない努力がないそれは私?何でか私は騙され易い
のに騙されんのは分からんけど。まぐれは異常に当たるし宗教団体には関係しないし会話が
成り立たないので団体は無視され.少しは考えて書こう反省さる。
125 :
素人A:2011/08/23(火) 09:13:37.22 ID:7qnWpNIU
鬼和尚さん。坐禅中に妄想は良くくるが仏は?来ても気が付かない。
そういえばぽつ師匠が片手の公案に夢中で取り組んで片手の人は?片手の人は?
ともがいていた時。目の前の知り合いの和尚さんに.あなたはすずめがチュンチュン
鳴いているのが聞こえないのですかといわれたそうな。観察とは仏というもう一人の
自分の視点で自己観察か?見るだけですよ仏さん余計な事はほっとけで。止観同じか?
でも最初からはうまくできんのか止観分けて行いそのうちに一つになるような。
何にも分からんのに私は出鱈目多い。出鱈目な思いつきは役に立つのか。否定されると
私の気分は良くない.けどまあよい。
126 :
素人A:2011/08/23(火) 15:38:59.70 ID:7qnWpNIU
元有る実体はただ一人あれば.後は元が全部化けたもの。
アートマン有るの?無いの?それもまあ良い。独り言仏仏
127 :
チゥ(* ^)(◎o◎)ポッたん ◆oOmXnN8feI :2011/08/23(火) 18:36:20.82 ID:HO9qliyL
128 :
チゥ(* ^)(◎o◎)ポッたん ◆oOmXnN8feI :2011/08/23(火) 18:39:57.40 ID:HO9qliyL
>>126 素人A さん
> 元有る実体はただ一人あれば.後は元が全部化けたもの。 アートマン有るの?無いの?それもまあ良い。独り言仏仏
たとえば、一人の人間は、60兆個の細胞で、成り立っている。
たtぺば、世界の人口は70億人。
129 :
久しぶり:2011/08/23(火) 20:54:26.40 ID:b7QPpw7E
太呂助 殿
色々噛み付いて頑張っているようだし、誠実さも感じるが、
このポッタンという人間は、屁理屈をこねて、素人をあざ笑うことを
無上の楽しみとする精神異常者だよ。
悟ったなどと笑止千万。
そんなの相手にするのは時間の無駄。
ホットケ。
130 :
うんこちゃん:2011/08/23(火) 21:10:27.00 ID:4H8o7/c/
132 :
たろすけ:2011/08/23(火) 23:34:33.39 ID:K+S4A5mV
>>119 いつお前が批判なんぞしたのかね?w×100
人の批判が気になる?
お前のような精神性の劣った哀れむべきネラーが、批判だとか禅だとか言うことに虫酸が走るだけよ。
ノミの着ん多摩だと?俺のがノミの着ん魂ならお前は魂無(タマナシ)だろw×100
身口意の水準が個自棄並みのお前を俺がここまで相手してやってる理由を考えたことがあるか?
お前は野狐以下。典型的ネラーの○○ネズミ。話しかけられるダケでゾッとするわw
133 :
たろすけ:2011/08/23(火) 23:35:07.20 ID:K+S4A5mV
>>129 > 太呂助 殿
> 色々噛み付いて頑張っているようだし、誠実さも感じるが、
>
> このポッタンという人間は、屁理屈をこねて、素人をあざ笑うことを
> 無上の楽しみとする精神異常者だよ。
> 悟ったなどと笑止千万。
どなたかは存じませぬが、、
そうかね、毎度毎度、拙劣なすり替えをしては初学者にさえ嘲笑われてる風に見えるが。
>
> そんなの相手にするのは時間の無駄。
> ホットケ。
このスレには仏無し。
アナタもポッタン氏療養のボランティアをしなさいw
134 :
チゥ(* ^)(◎o◎)ポッたん ◆oOmXnN8feI :2011/08/23(火) 23:51:18.77 ID:J4X/T13b
>>128 たとえば、一人の人間は、60兆個の細胞で、成り立っている。
しかも、平均体重を60キログラムと想定し概数としての大雑把な数字でもあるのだ。
体重1キログラムには、細胞が1兆個あるはずだという、仮定である。
そして、最小の構成要素である1個の細胞ですら、人間は作れない。
たとえば、世界の人口は70億人。
2050年には、世界の人口は、100億人に達する見通し。
現在、人類は地球4個分の資源を消費している。
アンドロメダ銀河は我が銀河に近づいている。
やがて、接触し、末端部分から爆発が始まる、と言う。
常に存在するものなど無い。
>>134
アンドロメダの前に太陽が新星化する。
136 :
チゥ(* ^)(◎o◎)ポッたん ◆oOmXnN8feI :2011/08/23(火) 23:59:20.66 ID:J4X/T13b
>うんこ
小さい子は、ウンコと言うとおかしいといって笑うなー
子どもかもしれない、ウンコ談義は。。。
心理学的、深層心理的には、ウンコの夢は、お金だ。
さつビンタで、諸事、人生をやっていきたいという願望の持ち主、拝金の亡者と言うことになる。
137 :
たろすけ:2011/08/24(水) 00:14:42.26 ID:vRlEGb5q
>>134 > 常に存在するものなど無い。
優秀な妄想ですね。それは常住不変なんでしょ?だからわざわざ主張する。
風吹かぬ所に波を立てていますね。余計な事しなさんな。
もう還暦近いんでしょう。何やってんだかね。禅捨てて自分の道を追究しなさい。
看話禅に価値はあても、看話禅にコダわることには価値はないです。もう止めなさい。
138 :
チゥ(* ^)(◎o◎)ポッたん ◆oOmXnN8feI :2011/08/24(水) 00:26:36.15 ID:pma4IyHh
他スレより
> 観てたら解決しないよ。。半眼にして、何も見ないということをやらないと。。自分も世界もすべて無くしちゃってください。。
観る、観ないにかかわるな。
半眼、開眼、閉眼、どうでもいい。
自分も世界も、存在は、存在している。
では、色即是空とは、何ぞや、でる。
これは、眼は横についている、を言う。
これは、一如と言い、平等と言う。
さとりは、もうひとつ、鼻は直(たて)についている、と言う。
これは、主体性、である。
また、主人公と言い、自由と言う。
アル・カポネの母親は、しらない。
なんぞ?
アルが、ママ・・・である。
問う。、在るがままは在るのか?
今も無ければ、此処も無い。
内が無いし、外も無い。
だが、無い無い尽くしと言うが、ナイチンゲールは居るぞ。
おっしゃるとおり!無いが在るです。
139 :
チゥ(* ^)(◎o◎)ポッたん ◆oOmXnN8feI :2011/08/24(水) 00:35:17.10 ID:pma4IyHh
>>137 なっとうオクラ さん
構造上人間は、自分の姿をじかに見れないが, あきらかにするのは、なにか。
140 :
たろすけ:2011/08/24(水) 00:54:14.53 ID:vRlEGb5q
>>139 >
>>137 なっとうオクラ さん
>
> 構造上人間は、自分の姿をじかに見れないが, あきらかにするのは、なにか。
そんなことより、自分の白髪の数を数えなさい。
かつて見た炎を追いかけなさい。禅書など捨てよ。自分の経験に比べれば禅書などクソ。
141 :
たろすけ:2011/08/24(水) 01:16:17.90 ID:vRlEGb5q
あの時の続きをやるんですよ。思い出しましたか?
142 :
チゥ(* ^)(◎o◎)ポッたん ◆oOmXnN8feI :2011/08/24(水) 01:21:28.21 ID:pma4IyHh
143 :
チゥ(* ^)(◎o◎)ポッたん ◆oOmXnN8feI :2011/08/24(水) 01:25:11.28 ID:pma4IyHh
144 :
チゥ(* ^)(◎o◎)ポッたん ◆oOmXnN8feI :2011/08/24(水) 01:53:33.48 ID:pma4IyHh
145 :
うんこちゃん:2011/08/24(水) 03:41:29.12 ID:HvAID/oa
146 :
たろすけ:2011/08/24(水) 04:37:08.37 ID:vRlEGb5q
147 :
神も仏も名無しさん:2011/08/24(水) 05:05:12.49 ID:DEMlMLVg
自分と実存のありようが全く違う人間が、祖師たちの言葉、自分が使う同じような言葉を使っていると
ものすごくかき乱されて腹が立つ。
でも何でかき乱されるかというと自分が祖師の言葉にしがみついてしまってるからで、
自分にとって言葉が全く無意味なものになっていれば、言葉に執着して自分を偽る人間に
怒りはなく、言葉に執着しないとつらくて生きていけない人間への慈悲心も出てくるもの
じゃなかろうか。
148 :
147:2011/08/24(水) 05:12:06.53 ID:DEMlMLVg
無心と共にあれば生きた世界とともに流れることができる。
しかし無という観念はその生きた世界を観念でもって死物に変えてしまう。あれこれ
煩わしいから無という観念で塗りつぶしてしまおうというまごう事なき攻撃性だ。
そんなものに当てられたら気分も悪くなる。
苦しみは無いということは見抜けても、思想によって無かったことにはできないのである。
クリシュナムルティの功罪スレからの出張でした。
149 :
たろすけ:2011/08/24(水) 05:19:52.42 ID:vRlEGb5q
>>143 人格が歪に歪んで、巻き返しが効かないほどにネジ曲がった対応しか出来ないんですね。
柔軟さを取り戻そう、オクラ、納豆のようになりなさい。その病的な対応をもっと素直に。
何も恐れる事はない、苦痛ならば批判を少し弛めよう。ご自分を取り戻すんですよ。
攻撃される事を恐れる者は歪な論法を覚え始める。だがそれこそがまさにアラシを呼ぶ。そういう繰り返しは止めましょう。
ポッタンさんは仏教が最も尊いと刷り込まれたんですね。で、刷り込んだのは恐らく学者か学生の類いでしょう?
詐欺なんですよ、商売。或いは単に他人の自己顕示欲に喰われたんです。そして仏教哲学を仏教と誤って捉えてしまった。
失った自分を取り戻そう。それには只、禅や仏教を止めればいいんです。
150 :
147:2011/08/24(水) 06:04:48.62 ID:DEMlMLVg
>>149 他人の欺瞞を指摘しても、自分に欺瞞が全く無いということにはならない。
そうやってまだまだ残っている自分の欺瞞から目をそむけてるのだ。
そうでなかったら何で僕たちはそういった欺瞞にこれほどまで不快を感じるのだろう。
欺瞞はだめだという観念を持っても自分の欺瞞は消えたりしない。
むしろ隠れてより巧妙になるだけだ。
ただ理解がいるのではなかろうか。欺瞞に慈悲を。
151 :
素人A:2011/08/24(水) 06:38:18.66 ID:w1n8EnZi
伸介しゃんが引退したと。芸能人は偉いので暴力団と話しても遺憾のか?法に触れた
わけでもないのに。普通金の無い辞めたら食えない芸能人なら辞めない。見てて
詰らんかった。本人もやるきなく詰らんと思っていたからか?金有る人は思い切って
行動が出来るなあ。金がないと不自由だ。
152 :
たろすけ:2011/08/24(水) 07:11:49.28 ID:vRlEGb5q
>>150 >
>>149 > 他人の欺瞞を指摘しても、自分に欺瞞が全く無いということにはならない。
《他者の欺瞞を指摘する事で自分の欺瞞から目を反らす》というのは、
それこそアナタが指摘対象から除外されてるかの様な物言いだね。
《他者の欺瞞を指摘する事で自分の欺瞞から目を反らす》は、その内容を提示した者が免罪符として用いていない限りにおいては、
諸手を挙げて同意しよう。そして、それは一般的に考えて、人間の性向がそうだとか、
2ちゃんねるの書き込みの相場が当てはまるとか言う話ならわかる。
だがアナタは恐らく話の経緯も知らなければ、相手(ポッタン氏)の対応グセや言行も知らない上でそう言ってるのではなかろうか。
だとしたらその主張内容、やり方はいささか横暴ともいえる。それに加え、
《》内は用い方次第では、それこそ最大最悪の、他者の欺瞞の指摘による自己欺瞞となることはコチラも指摘しておきたい。
> そうやってまだまだ残っている自分の欺瞞から目をそむけてるのだ。
> そうでなかったら何で僕たちはそういった欺瞞にこれほどまで不快を感じるのだろう。
>
> 欺瞞はだめだという観念を持っても自分の欺瞞は消えたりしない。
勿論。
> むしろ隠れてより巧妙になるだけだ。
> ただ理解がいるのではなかろうか。欺瞞に慈悲を。
欺瞞に慈悲は良いよ。
だが本人が行き詰まってるのに誰か指摘してやらないと、そのまま人生仕舞いまで突き進む訳にはいかんでしょ?
目をつぶる類いの慈悲が、相手を生かす場合と頃ス場合があるという事を考えたいと思うね。
153 :
147:2011/08/24(水) 07:42:28.05 ID:DEMlMLVg
147 148 がすでに補足になってるかもしれない。
全部よんで文脈全体からレスしてみてください。
まず文脈全体に自分はそれに気づき始めたが克服はしていないという含みを入れたつもりです。
それにもろ手を上げで同意とおっしゃるが、まさに同意でしかない。
その同意は新たな知的な理解でしかなく、あなたはまた自分自身を理解する機会を失った。
自分自身の理解というのは言葉でさせられるものじゃないし、そしてその道のりはあまりに苦しい。
その準備ができている人間以外に求めるのはあんまりかもしれない。
欺瞞に頼らざるを得ない人間の苦しみとは何だろうか。
今それを学び始めたばかり。
154 :
たろすけ:2011/08/24(水) 08:15:11.43 ID:vRlEGb5q
>>153 > 147 148 がすでに補足になってるかもしれない。
> 全部よんで文脈全体からレスしてみてください。
> まず文脈全体に自分はそれに気づき始めたが克服はしていないという含みを入れたつもりです。
>
>>149 > 他人の欺瞞を指摘しても、自分に欺瞞が全く無いということにはならない。
> そうやってまだまだ残っている自分の欺瞞から目をそむけてるのだ。
↑↑↑↑
コレを中心に考慮すると、アンカー無しの方が文意文脈が伝わりやすいのでは?
> それにもろ手を上げで同意とおっしゃるが、まさに同意でしかない。
自身消化不良のアナタの主張がまさに主張でしかないのと同様だね。
> その同意は新たな知的な理解でしかなく、あなたはまた自分自身を理解する機会を失った。
いいや、違う。アナタは他者の発言を貶め、他者の意図を理解する機会をも失ったのです。
> 自分自身の理解というのは言葉でさせられるものじゃないし、そしてその道のりはあまりに苦しい。
> その準備ができている人間以外に求めるのはあんまりかもしれない。
> 欺瞞に頼らざるを得ない人間の苦しみとは何だろうか。
> 今それを学び始めたばかり。
アナタは学び始めたばかりの消化不良にもかかわらず、他者にアンカー提示をする事で、
自らの欺瞞から、しばし目を反らしたのです。
本日をもって2ちゃんネラーはニューエイジ思想関連書閲覧禁止に致します。
155 :
神も仏も名無しさん:2011/08/24(水) 08:44:18.39 ID:DEMlMLVg
近づくほどに光明を得ていないということが実感できる。
成長するほどに自分の無知が明らかになる。
逆にお訊ねするが、あなたは実際に見出されたのですか。
156 :
神も仏も名無しさん:2011/08/24(水) 08:46:17.86 ID:DEMlMLVg
光明を得ていなければ自分を無知というしかない。
それゆえにしゃべるなということは光明を得ていなければしゃべるに値しないということか。
であるならばあなたは何者ですか。
157 :
チゥ(* ^)(◎o◎)ポッたん ◆oOmXnN8feI :2011/08/24(水) 15:31:18.02 ID:dN4aJ8JA
>>146 ねこあしこんぶ さん
やはり、ご自分は見えないのですねー ・・・
>構造上ね。
そそ、構造上、自己の姿を見ることが出来ないよね。
では、見るには、どういう風にしようか。
158 :
チゥ(* ^)(◎o◎)ポッたん ◆oOmXnN8feI :2011/08/24(水) 15:37:45.92 ID:dN4aJ8JA
>>149 ねこあしこんぶ さん
2ちゃんねるには、モナー と言うAAがありますよね。
( ´∀`)オマエモナー
だが、あなたは モナーではないけど。
言ってあげられる事は、どじぶんをかいけつしなさい。ですね。
159 :
チゥ(* ^)(◎o◎)ポッたん ◆oOmXnN8feI :2011/08/24(水) 15:43:27.14 ID:dN4aJ8JA
>>151 素人A さん
吉本の社長、弁護士同伴の記者会見は、何度も入念なリハーサル、想定問答を熟知してからのものだと、思う。
まあ、3年後には復帰してくるためのものだと、思うけど。
160 :
チゥ(* ^)(◎o◎)ポッたん ◆oOmXnN8feI :2011/08/24(水) 15:53:17.01 ID:2keQ2lJb
>>158 訂正
言ってあげられる事は、どじぶんをかいけつしなさい。ですね。
↓
言ってあげられる事は、ごじぶんをかいけつしなさい。ですね。
161 :
チゥ(* ^)(◎o◎)ポッたん ◆oOmXnN8feI :2011/08/24(水) 18:22:12.21 ID:2keQ2lJb
162 :
チゥ(* ^)(◎o◎)ポッたん ◆oOmXnN8feI :2011/08/24(水) 21:31:22.04 ID:wIc8rS4l
臨済は、三十棒!:2005/08/12(金) 00:15:55 ID:KTSfQ2U1
坐禅と見性 第二七章 ぽっかり浮く
http://life7.2ch.net/test/read.cgi/psy/1123069922/997 そうやって、長い長い時間を、消費してここまでやって来たんだ、遠い目┃電柱┃_ ̄) ジィー・・・・・・
せったん@myoejoe:2005/08/12(金) 09:55:03 ID:KTSfQ2U1
983ものいわざるは腹ふくれるわざ、ただそれだけだと、あっていようがあっていまいがそんなこと気にすっか、いやあんたはえっへ確かに間違ってらあな。
せったん@myoejoe:2005/08/12(金) 09:57:21 ID:KTSfQ2U1
うわイエスに支配されている人から鬱陶しい返事ほくさ。きた、まだ暑いでよもっとてめえ捨てて涼しいこと云ってちょわっはっはあ
ネオ ◆XRhOafI0.w :2005/08/12(金) 10:05:15 ID:a+Vay1TA
ありゃ! せったんのIDがコテ「臨済は、三十棒!」といっしょ、
どうなってんの?
せったん@myoejoe:2005/08/12(金) 11:58:13 ID:o7hZar99
わははわし愚か者で幸せだな、善悪の縄に縛られないですむ、でなんでイエスの御託聞かにゃなんねーんだ、わしにもわかるように教えてくれ、でもやっぱからすさん頭わりーな、智慧というものを使ったことない、かわいそーだな。
せったん@myoejoe:2005/08/12(金) 12:02:43 ID:o7hZar99
ほんとにイエスって人俗物迷妄だなって思う、なんでこんな面倒ごといってついでに不透明なんだ、いよいよ反吐いえね69の御託さ、こりゃさっさと排除せな地球は困惑する。
ぽっ痰とせったんのIDが同じだ、と思ったら違うIDのせったん。
せったん@myoejoe:2005/08/12(金) 20:11:24 ID:qezyBl+C
わしなあ仏を復活して和歌を復活させたよ、これなん一人ルネッサンス、ガラス玉演技じゃないけど、何人何十人羅漢さんよったくって得意技もって、浮世に示すってこと、実にやりがいのある。
せったん@myoejoe:2005/08/12(金) 20:17:17 ID:qezyBl+C
わし音楽大好きだけど音痴でからっきし音楽の脳みそない、絵のほう得意だったけど苦労してへたな詩歌こねまわした、世の中には溢れるほどの才能の人いる、もはやパロデイやニヒルやおむつ僕ちゃんの時代じゃないです、真正面切って、−
せったん@myoejoe:2005/08/12(金) 20:20:12 ID:qezyBl+C
それにゃどーあったってこの事ぶち抜かなきゃ、そーいえばせったんのにせもの出たって京大おねえちゃんがいってたな、ID
とかそーゆーのわし知らないでな、いまんとこ喋ってんのほんものじゃねーかなふん。
へぇ。せったん、どんな絵描いたの?几帳面で浪漫ちっくな感じかなーとか思うんだけど。
166 :
チゥ(* ^)(◎o◎)ポッたん ◆oOmXnN8feI :2011/08/24(水) 22:42:07.01 ID:wIc8rS4l
>>165 > 岡本夏生 温泉ビキニ 峰岸徹さんと。。。
これすごく好き 』
どっちが、すきなのかな?
どっちって?
いっこしか貼ってないけど?
168 :
チゥ(* ^)(◎o◎)ポッたん ◆oOmXnN8feI :2011/08/24(水) 23:07:50.67 ID:wIc8rS4l
169 :
チゥ(* ^)(◎o◎)ポッたん ◆oOmXnN8feI :2011/08/24(水) 23:10:01.16 ID:wIc8rS4l
>>167 ろん丼 さん
> どっちって?
> 岡本夏生 と 峰岸徹 のどっち?
>>169 ばらしたらおもしろくなくなっちゃうじゃん。ぽっ痰、見てみな、それ。
ばらしたらおもしろくなくなっちゃうから。
…ほんとにヤボなやつ…
171 :
チゥ(* ^)(◎o◎)ポッたん ◆oOmXnN8feI :2011/08/24(水) 23:57:52.75 ID:wIc8rS4l
172 :
チゥ(* ^)(◎o◎)ポッたん ◆oOmXnN8feI :2011/08/25(木) 00:02:55.89 ID:ZC7vx/jB
>>170 ろん丼 さん
> ばらしたらおもしろくなくなっちゃうじゃん。ぽっ痰、
そうなんだ・・・(;^ω^)アセアセ
当時のお金で5億稼いだおかもとなつき、かな、すきなのは・・・
173 :
チゥ(* ^)(◎o◎)ポッたん ◆oOmXnN8feI :2011/08/25(木) 00:40:53.74 ID:ZC7vx/jB
174 :
たろすけ:2011/08/25(木) 05:20:59.87 ID:n6L0y4u1
>>140の補足》
禅書などクソと禅書否定したのは、あくまでもポッタン氏に対してのみ投げ掛けた言葉だ。
モチロン、禅書は自体が無価値という事はあり得ない。だがそれが無価値なばかりか有害である場合、状況があり得る。
現に、ポッタン氏は禅書を大いに指標〜依処してるにもかかわらずそれが有害になっているという進退状況であり、それを踏まえた上で述べた。
本来なら、禅書が無価値等という事は迷妄極まりない主張、奮った発言である。
だが使い手によっては進退状況から考慮してそれを破棄した方が寧ろよい場合がある事を述べておきたい。
それは二つある、禅書を大変よく理解できる者、或いはその正反対に全く理解出来ない者、が禅書に依拠する場合だ。
両者は禅書をそれ以上読んでも進展がないばかりか自身の道を妨げる事になり有害無益である。
175 :
たろすけ:2011/08/25(木) 05:22:00.95 ID:n6L0y4u1
>>156 > 光明を得ていなければ自分を無知というしかない。
> それゆえにしゃべるなということは光明を得ていなければしゃべるに値しないということか。
>
> であるならばあなたは何者ですか。
凡夫だよ。宗教詐欺に鋭敏なだけです。
アナタの仰る内容は《》内の用い方を誤らぬ限りにおいては大方 正しいと思いますよ。
ただ、このスレッドは普通に判断されるような状況とは少し事情が違っていましてね。
それに喋るな等と誰も言ってませんよ。ただ私の指摘内容に思い当たる節があればご自覚下されと述べたのです。
176 :
たろすけ:2011/08/25(木) 05:24:12.62 ID:n6L0y4u1
>>157 >
>>146 ねこあしこんぶ さん > やはり、ご自分は見えないのですねー ・・・
>> >構造上ね。
>
> そそ、構造上、自己の姿を見ることが出来ないよね。
> では、見るには、どういう風にしようか。
鏡を見るのです。で、白髪を数えるんですよ。
そして語りかけます
《オーイ、ポッタン何をしてる?シッカリしろ》
と。
177 :
たろすけ:2011/08/25(木) 05:35:20.91 ID:n6L0y4u1
>>158 > 2ちゃんねるには、モナー と言うAAがありますよね。
>
> ( ´∀`)オマエモナー
>
> だが、あなたは モナーではないけど。
>
> 言ってあげられる事は、どじぶんをかいけつしなさい。ですね。
有り難う御座います。
アナタの場合は解決どころではないので、奪われたご自分を取り戻して下さい。
古人の言句と宗教体系に埋没したご自分を。アナタは言わば伝統宗教の被害者なのです。
或いは別の何らかの被害に宗教欲が被さって複雑化した状況の被害者なのです。
このパズルを作成したのはアナタ自身ですが、自らの内面に無自覚なタメに容易には解き難い。
率直に言えば、そのパズルは決して解けません。それゆえ私がパズルを破棄するようお手伝い致します。
なので、この太郎に対して敵愾心をお捨て下さい。私はアナタを侮辱する気はないし、軽んじるつもりもありません。
178 :
素人A:2011/08/25(木) 07:08:22.43 ID:NMq1Qw/C
仏が言うに.「この身は一切の法から成り立っている。起こるときはただ法が起こるのであり.
滅するときも.ただ法が滅するのである。この法が起こるときに.我が起こるとはいわない。
また法が滅するときも.我が滅するとはいわない。さらに前念と後念とは互いに関係しない。
前法と後法とも互いに関わりない。これを海印三昧と名づけるのである。
この海印三昧の時節は「ただ一切の法による」時節ということであり.「ただ一切の法による」
発言である。このときを「この身は一切の法から成り立っている」というのである一切の法から
成り立っている一つの全体相.それがすなわちこの身なのである。けっしてこの身を一つの全
体相として対照的に捉えているのではない。「この身は一切の法から成り立っている」。この
ように.成り立っているこの身を.この身と発言するのである。
「起こるときは.ただ法が起こる」という場合の.この「法が起こる」というのはけっして
「起こる」という足跡を残すのではない。したがって「起こる」ということは.知覚される
のでも知見されるのでもない。このことを「我が起こるのではない」というのである。「我
が起こるとはいわない」場合に.他の人もまた.「この法起こる」と見聞・知覚したり思量・
分別したりするのではない。さらに.このような境地を越えてていつそう深い境地に相見え
る時.まさしく相見えることの身心脱落をえるのである」・・・
179 :
神も仏も名無しさん:2011/08/25(木) 09:30:07.41 ID:TIFtn5B6
≫たろすけ
知識や欺瞞に反発するのは知識ではないが、思考の働きであることに違いはない。
この思考の働きに無自覚である内は多くのものを取り逃がすので、お互い気を付けよう。
宗教詐欺に引っかからなくなったと思ってもそれと対立する思考の働きの犠牲になったりするんだこれが。
結局自分が根本的な原因なのであってそれ以外のものをいくら対峙してもきりがない。
然り。
181 :
素人A:2011/08/25(木) 10:30:35.77 ID:NMq1Qw/C
ぽつたんさんは あれでも 突然光輝く時がある あれーあれー
普段はぼさつとしているように見えるけど 何でかあ
ぽったんさんは、ピュアな人だと思う。
そのぽったんさんが、A師匠の師匠で、そのA師匠が私の師匠で。
だから、みんなそんなに変わらないのでしょう。
183 :
チゥ(* ^)(◎o◎)ポッたん ◆oOmXnN8feI :2011/08/25(木) 15:52:51.65 ID:3/IWzHvk
>>174 鏡は、姿見に限るね さん
把手供行()はしゅきょうこう
ともにてをとっていく
これ、
さとったら、祖佛、祖師方と供に手を取り合って、行く。
と言うものだ。
ほとけとは、おれ。
つまりは、俺が書いたのが、禅書。
禅書を読むとは、
俺が、σ(▼▼;)おれを学んでいる。
184 :
チゥ(* ^)(◎o◎)ポッたん ◆oOmXnN8feI :2011/08/25(木) 15:55:29.75 ID:3/IWzHvk
>>176 すがたみ さん
かがみは、わたしですよ。
かがみは、あなたです。
185 :
チゥ(* ^)(◎o◎)ポッたん ◆oOmXnN8feI :2011/08/25(木) 15:59:52.02 ID:3/IWzHvk
>>177 すがたみを 鏡で見ようと・・・
あなたじしんにめをむけなさい。
186 :
チゥ(* ^)(◎o◎)ポッたん ◆oOmXnN8feI :2011/08/25(木) 16:08:34.49 ID:xNOpzCRU
187 :
チゥ(* ^)(◎o◎)ポッたん ◆oOmXnN8feI :2011/08/25(木) 16:14:37.69 ID:xNOpzCRU
>>181 素人A さん
素人A さんの脳内変換だと思うけど、かがやいている、こいつ、とみえたときは、素人A さんのツボにちょうどはまったんだろうね。
加賀や打ていないとみえたのも、かがやいていたんだけど、
でも、それも 素人A さんしだい・・・(;^ω^)アセアセ
188 :
チゥ(* ^)(◎o◎)ポッたん ◆oOmXnN8feI :2011/08/25(木) 16:21:55.61 ID:xNOpzCRU
>>182 コテ つけてくれませんか?
汝こそ汝の主人公他の誰が汝の主人公で有り得るか。
189 :
チゥ(* ^)(◎o◎)ポッたん ◆oOmXnN8feI :2011/08/25(木) 16:50:59.83 ID:xNOpzCRU
190 :
チゥ(* ^)(◎o◎)ポッたん ◆oOmXnN8feI :2011/08/25(木) 17:12:25.65 ID:xNOpzCRU
191 :
チゥ(* ^)(◎o◎)ポッたん ◆oOmXnN8feI :2011/08/25(木) 19:33:30.08 ID:xNOpzCRU
192 :
チゥ(* ^)(◎o◎)ポッたん ◆oOmXnN8feI :2011/08/25(木) 23:19:08.54 ID:7JrOrL4b
193 :
たろすけ:2011/08/26(金) 05:36:21.93 ID:iL0Yc+R5
>>179 > ≫たろすけ
> 知識や欺瞞に反発するのは知識ではないが、思考の働きであることに違いはない。
> この思考の働きに無自覚である内は多くのものを取り逃がすので、お互い気を付けよう。
>
> 宗教詐欺に引っかからなくなったと思ってもそれと対立する思考の働きの犠牲になったりするんだこれが。
俺は《》内を全て宗教詐欺への陥穽として受け取ってないよ。《》内は宗教の道?を歩む者にとって重要な側面がある事を認めてる。
だから宗教詐欺の反動的な思考の内に生きてはいない。
俺が危惧するのは宗教の一義性を擬態した、悪の二義行為の肯定への布石行為だよ。
例えば善悪はない《一義》は、善悪には拘らない《正しい二義》、或いは慈悲を持つ《正しい二義》等の人としての答えを導き出すよね。
でも宗教詐欺は、善悪はない《一義》を標榜する事で、だから何をしてもよい、それゆえ悪は免除される《誤った二義》を導きだすんだ。
何をしてもよい、は、自由解脱を得た人間ならば、正しい用い方をする。だが宗教詐欺を行う者は何をしてもよい、
で悟った訳でもない者に免罪符を与える。そういう観念を一義の下に流布させるんだ。
> 結局自分が根本的な原因なのであってそれ以外のものをいくら対峙してもきりがない。
ならばポッタン氏の所業は閲覧者に責任があるわけだね、ポッタン氏とは我々の煩悩な訳であるが、
それと同時にポッタン氏は客観的存在でもある訳だよ。つまりポッタン氏を、例え空じてもポッタン氏の相手はできる訳。
つまりポッタン氏の所業が存在する理由は、アナタの指摘通り我々の煩悩の責任であると同時にポッタン自身の選択の所業でもある。
だからポッタン氏が《私の所業がこうであるのはアンタラが空じてないから》と言った所で、ポッタン氏はその責任からは
免れないんだよ。我々が例え指摘を止めた所でね。一義は二義に苦しまない為にあるのであって、二義をメチャクチャなカオスにする為
にある訳じゃないよ。それにね、《○○はアホだ》と短い文で書き込んでるヤツも対峙している訳だよ。
長文氏にばかり目が行き、長文の批判意義が否定されるのは、まさに二義意識で見られる煩悩のなせる業》という観点は見落とされがちだと思うよ。
194 :
たろすけ:2011/08/26(金) 05:45:04.93 ID:iL0Yc+R5
>>183 俺が俺を学ぶのに本などはいらないと思うよ。
>>184 >
>>176 すがたみ さん
>
> かがみは、わたしですよ。
>
> かがみは、あなたです。
鏡職人は鏡の裏で誤りを為す。
相手からの指摘を《ほら、全てアナタのせいダよ》と言い放ち真理《鏡》を盾に、二義の悪の責任回避を主張する。
《善悪はない。己の鏡ゆえに恰もある様に見える》とは悪用されるタメにある真理ではない。
そして真理とは批判の意義を奪うタメにあるのでもない。批判しているからといて一義から外れた行為だという訳でもない。
端的に言えば批判行為と一義は何の関わりもない、一義を理解していてもしていなくても批判はできるのだから。
>>185 >
>>177 すがたみを 鏡で見ようと・・・
> あなたじしんにめをむけなさい。
私が鏡ならその言葉そのまま御宅に向かって反射しますわね。真理を悪用するな。人が真理を語る意義を汚すな。
真理を映す鏡などドコにもない。道を外れた老人がいるダケだ。経典遊びを止めなさい。アナタは自分の仏性を汚してる。
仏性は汚れない等と言ってはならない。人の命はそんな詭弁では一秒も生き延びない。
止めなさい、余りに下らん。アナタは自他共に欺いている。不浄極まりない。
終止符を打つのだ。新しい人生をスタートせよ。
195 :
てすと:2011/08/26(金) 06:53:38.55 ID:7vgnI+hA
てすとじゃ。
196 :
素人A:2011/08/26(金) 06:57:17.70 ID:m6H+hhBH
唐の高宗.長微二年(652).閏9月4日.四祖は突然門人たちを戒めていった。
「あらゆる存在は.悉く解脱している。おまえたちはとこのことを忘れずに護り
念ずるようにせよ。そしてこの法による教化を伝えよ」こう言い終わると坐禅したまま
息を引き取つた。72才であつた。・・・・・良く知るがよい「一切諸法.悉皆解脱」
なのである。この言葉は存在は空であると言うのではない。存在は存在では無いといの
でもない。いま四祖を見てみるに.四祖には「未だ塔に入らざる時」.すなわち生前の
行事もある。また「すでに塔に在る時」.言い換えれば.死後の行事もある。生きるも
のは必ず消滅する.と見るものは.小さな見解である。また消滅したものには.思念や
意識が無いと見るものも.了見がせまいのである。仏道を学ぶものは.こうした狭い
了見にならつてはいけない。生きているものにも不滅ということもあるのであろう.
また.滅したものにも.思念や意識はあるはずだからである。
在るには在るけど娑婆では僧だなあと思うけど目の前バタバタする暗いでないと
生が無いまあよいか。生活に疲れたときは一人でそうだねえと思いだそう。
197 :
チゥ(* ^)(◎o◎)ポッたん ◆oOmXnN8feI :2011/08/26(金) 19:07:42.56 ID:Nuh//G2Q
198 :
179:2011/08/26(金) 20:08:25.12 ID:miYbdM9R
>>193 人は自分が正しいと感じられるような自己欺瞞がなければ生きてゆけない。
統率のとれない思考、意識と無意識、その人の本質と社会からの刷り込み
これらが内部で葛藤して何をすればいいかわからず地獄である。
人は自分は正しいと思い込めるような自己欺瞞であったり、なんらかの他者に迷惑をかけるような
目的に自己を没頭しないではいられない。
「宗教の一義性を擬態した、悪の二義行為の肯定への布石行為」
というのはそのなかでもかなり巧妙なものの一つではあるが、人が葛藤の痛みから逃れるために
何らかの観念に逃避するという実にありふれた物事に過ぎない様に思う。
相手はその欺瞞を取り払って自分と向かい合う準備ができているだろうか。
また我々はその欺瞞を取り払っても大丈夫だと安心させるだけの真理や慈悲を備えているだろうか。
他者についてはこんなところ。
自分についてみれば討論の中で自己欺瞞の巧妙な形態を勉強することになりより騙されなくなるし、
知性は研ぎ澄まされる。
とても勉強になり、精神は鏡のようになる。
だが、決して他者の役には立ってないと思うのだ。他者は自分の自己欺瞞や新たな自己欺瞞にしがみつづけるから。
そして鏡のようになった精神は、あるがままの現実を知覚できるようになっては行くが、どこまでも現実に似た
精巧な夢に過ぎない。
199 :
179:2011/08/26(金) 20:15:48.66 ID:miYbdM9R
人は自らの自我の痛みから逃げる。
真理を悪用しないでいられない。
「宗教の一義性を擬態した、悪の二義行為の肯定への布石行為」
は、私も好まない。
しかし好まないことが重荷になっているところがある。
これと対立して物事を考えることが常態化しているところがあるのだ。
そして対立すればするほど、実は自分の中で「宗教の一義性を擬態した、悪の二義行為の肯定への布石行為」
が根を張ってしまってゆくのだ。
あらゆる真理の悪用をまるで自分のことのように受け入れる。
真理の悪用というのは所詮思考にすぎないのだからいちいち考察するのではなく
自分の思考として受けいれてしまえばよいのではないか。
目に見えぬ特権階級の権力の追及もそれを他者のこととしてではなく自分の事として受け入れたならどうなるだろうか。
権力の追及も確信犯の行為ではなく、自己逃避の無意識的な機械的な事象に過ぎないのではないか。
機械的なことを人間の意志のこもったものと勘違いしていったい私は何をやっているのか。
どうなるかやってみる。
200 :
チゥ(* ^)(◎o◎)ポッたん ◆oOmXnN8feI :2011/08/26(金) 20:51:27.96 ID:CHdpVdVV
201 :
チゥ(* ^)(◎o◎)ポッたん ◆oOmXnN8feI :2011/08/26(金) 20:52:37.99 ID:CHdpVdVV
202 :
たろすけ:2011/08/26(金) 21:29:08.79 ID:iL0Yc+R5
>>198 > 人は自分が正しいと感じられるような自己欺瞞がなければ生きてゆけない。
> 「宗教の一義性を擬態した、悪の二義行為の肯定への布石行為」
> というのはそのなかでもかなり巧妙なものの一つではあるが、人が葛藤の痛みから逃れるために
> 何らかの観念に逃避するという実にありふれた物事に過ぎない様に思う。
宗教の真理の言葉を悪用するという事を、単なる観念逃避と同等に扱う事はできない。
何故なら、それは宗教の言葉の意義を貶めるし、エゴ《通常人にある以上のエゴ》による宗教用語の便宜的常習の使用により、
自分ばかりか他者が宗教に接触する権利(権利と仮に述べる)をも奪うからだ。
それは古人の言句を貶める行為であり、人類の精神的遺産の価値を(個人量ではあるが)減じさせる所業であるから。
その様な定量以上のエゴの撒き散らし蔓延化を、人の生存においてのエゴの必要性として同一視する事は到底できない。
(この場合は明確であるが)たとい両者間に明確な線引きが困難であるとしても、
両者の間には質的な差違がある。それを量的な差違に過ぎず、同レベルで扱えるなどとは詭弁も甚だしい。
203 :
たろすけ:2011/08/26(金) 21:31:21.13 ID:iL0Yc+R5
> 相手はその欺瞞を取り払って自分と向かい合う準備ができているだろうか。
> また我々はその欺瞞を取り払っても大丈夫だと安心させるだけの真理や慈悲を備えているだろうか。
> 他者についてはこんなところ。
>> 自分についてみれば討論の中で自己欺瞞の巧妙な形態を勉強することになりより騙されなくなるし、
> 知性は研ぎ澄まされる。 > とても勉強になり、精神は鏡のようになる。
> だが、決して他者の役には立ってないと思うのだ。他者は自分の自己欺瞞や新たな自己欺瞞にしがみつづけるから。
相手の準備云々は、宗教的欺瞞者当人にとって、他者からの批判無しには永久に整えかねる準備なんだよ。
ここで用いられてきた《鏡》とは、専ら心理的な投影の意味ね。明晰さではなく。
それに討論やその種の《勉強》などで何かに知的に上達したとしても、人が成長するとは思えんね。
批判指摘する事が他者の役に立たないと言うが、直接的に相手をどうとかでなく、間接的には何かに気づく契機になるよね。
> そして鏡のようになった精神は、あるがままの現実を知覚できるようになっては行くが、どこまでも現実に似た > 精巧な夢に過ぎない。
御宅が唯識レベルの悟りを得てるのならともかく、そうでないなら、その類いの言辞を用いる事は、哲学的な陶酔なんだよ。
204 :
たろすけ:2011/08/26(金) 21:32:08.29 ID:iL0Yc+R5
> 人は自らの自我の痛みから逃げる。 > 真理を悪用しないでいられない。
> これと対立して物事を考えることが常態化しているところがあるのだ。
> そして対立すればするほど、実は自分の中で「宗教の一義性を擬態した、悪の二義行為の肯定への布石行為」
> が根を張ってしまってゆくのだ。
人が真理を悪用しないではいられない》等とは意味がわからんね。
そりゃ人が警官に成れば、他者の泥棒行為が目につく様になるだろう。だからと言って人を見たら泥棒と思える風になる訳じゃない。
> あらゆる真理の悪用をまるで自分のことのように受け入れる。
> 真理の悪用というのは所詮思考にすぎないのだからいちいち考察するのではなく
> 自分の思考として受けいれてしまえばよいのではないか。
ソレがカルト論法なんだよ。
と、ここまで言ってる意味は分かるが何が言いたいのか分からんね。
私の批判の自由が侵害されてるとまでは思わんが、依然として宗教詐欺行為が一般人の日常の生存に不可欠?な
エゴの発現と同一視する詭弁を提示され続けている心地だよ。アナタも宗教詐欺に近いね。
205 :
神も仏も名無しさん:2011/08/26(金) 21:36:10.47 ID:miYbdM9R
瞑想して自分の自我の痛みと逃避の必要性を自分の事として認められたら
他者についても理解が深まる。
対立せず受け入れればもともとなかったのだということが理解される。
それはあらゆる宗教や権力の思考についてもいえるんじゃないのかな。
何でたかが宗教詐欺や権力に私は反発するのだろう。
他のたわいのない思考と同じ扱いでいいんじゃないのかな。
206 :
たろすけ:2011/08/26(金) 21:42:27.31 ID:iL0Yc+R5
>>205 > 瞑想して自分の自我の痛みと逃避の必要性を自分の事として認められたら
> 他者についても理解が深まる。
> 対立せず受け入れればもともとなかったのだということが理解される。
隣家に強盗が押し入っても、目を閉じれば、《それはなかったのだ》
こうしてアナタは他者への理解を深めたのである。
> それはあらゆる宗教や権力の思考についてもいえるんじゃないのかな。
> 何でたかが宗教詐欺や権力に私は反発するのだろう。
> 他のたわいのない思考と同じ扱いでいいんじゃないのかな。
ではアナタは何故たかが宗教詐欺批判に反発するのだろう?他のたわいない思考と同じく扱えばよい。
207 :
神も仏も名無しさん:2011/08/26(金) 22:04:40.21 ID:miYbdM9R
≫他のたわいない思考と同じく扱えばよい。
所で全く持ってそれを特別視していると公言していたあなたはどうする?
≫隣家に強盗が押し入っても、目を閉じれば、《それはなかったのだ》
うん。個人の意図的な行為としては存在しないよ。
無意識のなせる現象だ。
208 :
神も仏も名無しさん:2011/08/26(金) 22:07:21.93 ID:4KOUDlVb
奪われて奪われて何にも無しにて
ようやく入り口くらい。
209 :
神も仏も名無しさん:2011/08/26(金) 22:13:53.75 ID:miYbdM9R
その入り口は成功を約束するからある意味成就といってもいいかもしれない。
その入り口に行けるかどうかが問題でいくらでもわき道にそれる。
210 :
素人A:2011/08/26(金) 22:16:46.07 ID:m6H+hhBH
ビル遮那仏も私も皆も一人では寂しい妄想するしかない。それを攻められる
のだろうか少し酔っ払っているか。自己を救う事が世界を救うとキャンベルさん
言っていた良く分からんけど妄想なんだろう。自己安心がナイト遺憾という。
明日から少し前へ進もう。私は本当に何の役立たず何だけど悟り何か関心ないし
出鱈目大石でもまぐれは当たるような.是が良く分からん何でか落書きでも言い
には変わりない。もう風呂は入つて寝よう。また明日。本との私はは実力ゼロでも
出鱈目は当たるだけ。
211 :
神も仏も名無しさん:2011/08/26(金) 22:17:09.53 ID:4KOUDlVb
自分でお大事に抱えるもん自分で捨てられるもん
めったにおらん。
212 :
神も仏も名無しさん:2011/08/26(金) 22:25:12.96 ID:4KOUDlVb
こいつは大事、これは捨てる分別した観念捨てるんじゃなく
分別の主体である捨てる自分を捨てる、
213 :
207:2011/08/26(金) 23:30:08.84 ID:miYbdM9R
自分への忠告、相手への忠告、一緒に見極めようと協力すること。
それをバランスよく配分するよう気を付けている。
気付いてはいても自分が完全にはできていないことをいうときは自分も完全にはできてはいないがと確実に注釈を入れている。
全てが合わさった結果としてみんなでみんなの思考の欺瞞を見極めてゆきましょといった感じ。
どうも君はあなたはどうなんだあなたはどうなんだで自分への注視を忘れがち。
自分ができないことを相手に求めたり、自分がどうか忘れて他者を批判したりどうにも衝動的だ。
他人の欠点だけを見てもね。
自他分け隔てなく見てしまうのが欺瞞の少ない精神の兆候だから。
214 :
神も仏も名無しさん:2011/08/26(金) 23:45:25.40 ID:4KOUDlVb
「できていない」が道。
215 :
チゥ(* ^)(◎o◎)ポッたん ◆oOmXnN8feI :2011/08/26(金) 23:52:28.68 ID:CHdpVdVV
216 :
チゥ(* ^)(◎o◎)ポッたん ◆oOmXnN8feI :2011/08/27(土) 00:04:29.72 ID:4ocwJNnn
217 :
神も仏も名無しさん:2011/08/27(土) 00:25:15.78 ID:Vhoo+ei4
できることに気づくのは自我の働きでしかないから、唯一価値のある気付きは
できないことにおいてのものである。
それも本当に気付いて理解してしまえばできないことも消え去ってしまうのだけど、
もし自覚するんだったらできることよりできないことに対してのほうがましだ。
それが成長の道のりだから。
218 :
チゥ(* ^)(◎o◎)ポッたん ◆oOmXnN8feI :2011/08/27(土) 00:25:50.67 ID:4ocwJNnn
219 :
チゥ(* ^)(◎o◎)ポッたん ◆oOmXnN8feI :2011/08/27(土) 00:51:27.67 ID:4ocwJNnn
220 :
チゥ(* ^)(◎o◎)ポッたん ◆oOmXnN8feI :2011/08/27(土) 00:56:38.07 ID:4ocwJNnn
>>217 (。´д`) ン?
自我って、わたしのことであり、あなたのことだよ。
複の中に虫などが入り込んで、「ジガジガ」するというのは、ちがう・・・
221 :
チゥ(* ^)(◎o◎)ポッたん ◆oOmXnN8feI :2011/08/27(土) 00:59:49.54 ID:4ocwJNnn
>>220 訂正
複の中に虫などが入り込んで、「ジガジガ」するというのは、ちがう・・・
↓
服の中に虫などが入り込んで、「ジガジガ」するというのは、ちがう・・・
222 :
たろすけ:2011/08/27(土) 01:51:06.15 ID:2z9CmBln
>>207 > ≫他のたわいない思考と同じく扱えばよい。
> 所で全く持ってそれを特別視していると公言していたあなたはどうする?
は?アナタが一義で俺の宗教批判をたわいない思考とした故に、アナタのその論法に適応すれば
アナタの発言自体も《宗教詐欺批判への発言》もたわいないモノとなると言ってる。
アナタは気づいてないか知らんが、自分の提示が自縄自縛になっているんだよ。
俺は宗教詐欺批判はたわいないとは思わんね。
207は《たわいない思考》とやらと書けば分かりやすカッタかな
> ≫隣家に強盗が押し入っても、目を閉じれば、《それはなかったのだ》
> うん。個人の意図的な行為としては存在しないよ。 > 無意識のなせる現象だ。
下らん。んなこたぁ瞑想途上で自分で納得する内容だろうが。それのどこが他者理解だ?己事究明だろ。
真理を議論上の道具にするなバカタレ。
> どうも君はあなたはどうなんだあなたはどうなんだで自分への注視を忘れがち。
> 自分ができないことを相手に求めたり、自分がどうか忘れて他者を批判したりどうにも衝動的だ。
> 他人の欠点だけを見てもね。> 自他分け隔てなく見てしまうのが欺瞞の少ない精神の兆候だから。
結局、宗教のカルト論法を理解出来ませんでしたか。ケンカ両成敗ならぬ議論両成敗でお互い様、
お互い気をつけましょうのHR的なモノが御宅の道徳観念の上限ならば、まあ、その譲歩を受け入れましょう。
アナタの真理のカルト用法は断じて許さないが。
コレより指摘内容が自分に当てはまるなら(爆)(どんな批判者なんだよw)
《コレは私にも当てはまるのですが》と文頭に付け加えましょう。たったそれだけでアナタの気は済むのであれば。
しかしなんとみみっちい慈悲だこと。慈悲の意味もわかってない人みたいだから、まあ仕方ないかなw
223 :
神も仏も名無しさん:2011/08/27(土) 02:08:05.83 ID:Vhoo+ei4
≫俺は宗教詐欺批判はたわいないとは思わんね。
たわいないこととして遊べるのでないなら、あなたは常時宗教詐欺批判という思考にとらわれているということになる。
そして人は批判する対象を内に抱え続ける。
思考批判はたわいないし。思考批判を指摘する言明も無論たわいない。
深刻である思考を、深刻な思考批判や、深刻な思考批判の指摘で解決できるものか。
むろん私の言明もたわいのないものだ。
≫アナタの気は済むのであれば。
よほど自分を見たくないらしいね。
別に直接入れなくても内省のある人の文かどうかはよくわかる。
≫宗教のカルト論法
何それ?それと戦うことが常習化してるとそうでないものもそれとしてみちゃうよ。
224 :
素人A:2011/08/27(土) 06:55:02.04 ID:iW5JKn3K
阿弥陀→→→→→→→Aさん
阿弥陀→→→→→→→Bさん
阿弥陀→→→→→→→Cさん
阿弥陀→→→→→→→Dさん
一方通行ばかり良く分からん。阿弥陀別れ分かれ身得て見えん。
一法が通じれば万法が通じるとは?
阿弥陀⇔⇔⇔⇔⇔⇔⇔今此処
あーあだーみだあ無駄な書き込み。
般 僧 掲 若 咒 咒 菩 波 夢 罫 依 智 老 識 色 無 垢 舎 空 利 時 観 摩
若 掲 諦 波 能 是 提 羅 想 礙 般 亦 死 界 声 受 不 利 空 子 照 自 訶
心 諦 羅 除 大 故 蜜 究 故 若 無 亦 無 香 想 浄 子 即 色 見 在 般
経 掲 蜜 一 明 知 多 竟 無 波 得 無 無 味 行 不 是 是 不 五 菩 若
菩 諦 多 切 咒 般 故 涅 有 羅 以 老 明 觸 識 増 諸 色 異 蘊 薩 波
提 咒 苦 是 若 得 槃 恐 蜜 無 死 亦 法 無 不 法 受 空 皆 行 羅
薩 波 即 真 無 波 阿 三 怖 多 所 尽 無 無 眼 減 空 想 空 空 深 蜜
婆 羅 説 実 上 羅 耨 世 遠 故 得 無 無 眼 耳 是 相 行 不 度 般 多
訶 掲 咒 不 咒 蜜 多 諸 離 心 故 苦 明 界 鼻 故 不 識 異 一 若 心
諦 曰 虚 是 多 羅 佛 一 無 菩 集 尽 乃 舌 空 生 亦 色 切 波 経
故 無 是 三 依 切 罫 提 滅 乃 至 身 中 不 復 色 苦 羅
波 説 等 大 藐 般 顛 礙 薩 道 至 無 意 無 滅 如 即 厄 蜜
羅 般 等 神 三 若 倒 無 侘 無 無 意 無 色 不 是 是 舎 多
226 :
チゥ(* ^)(◎o◎)ポッたん ◆oOmXnN8feI :2011/08/27(土) 14:34:09.17 ID:/QX4JZeg
>>224 素人A さん
阿弥陀とは、アミターバ、アミターユと言い、無量光,無量寿の意と言う。
阿弥陀様は光と命のほとけさまである。
曹洞宗には、今此処ははずせない看板だね。
だが、掛ける前は、看板など無かったわけだし、道元を止揚して良いのではないだろうか。
> 阿弥陀⇔⇔⇔⇔⇔⇔⇔今此処
> あーあ、だーみだあ こりゃ あ無駄な書き込みだあ・・・
(爆)
227 :
チゥ(* ^)(◎o◎)ポッたん ◆oOmXnN8feI :2011/08/27(土) 15:03:55.55 ID:/QX4JZeg
228 :
チゥ(* ^)(◎o◎)ポッたん ◆oOmXnN8feI :2011/08/27(土) 15:08:52.85 ID:/QX4JZeg
229 :
野孤禅スレです:2011/08/27(土) 16:46:24.95 ID:9GC2rcUY
ここはタイトルとは真逆の擬似似非の野狐禅を展開している糞スレである。
ポッタンと称する者が師家気取りを演じている。(本人曰、糞スレだから銀蝿が湧いてしょうがないと)
自己愛性人格障害のこの者は坐禅修行もろくにせず、名誉欲や偽善心、虚栄心など我執煩悩が旺盛である。
三昧と執着の違いも分らず、三昧であれば何でも禅と言い放って、もっぱら日々、競馬三昧、2ch三昧にのめり込んでいる。競馬や低俗なコピペを方々に貼付けては顰蹙を買うほどの俗物である。
本人は無師独悟とか称して、隻手の音を聞いた、その後次々と公案を透ったと大見栄を切っている。
しかし所詮、自分免許の浅はかさ。書込みからは証悟の片鱗すら伺い知ることはできない。
一例が「私は払子を立てた。これが私の禅です」と坊主の真似事が禅だと、恥とも知らず失笑を買っている。
そんな者がどこからか禅語をコピーしては、矛盾に満ちた皮相的で幼稚な取るに足らない曲解を書き込んでいる。
突っ込まれて答えられない質問には、恥隠しのはぐらかしや長文コピペで誤魔化すこと枚挙に暇がない。
またときに、尊大な我執による妄想妄念から、あられもない説法をしでかす。
「すずめさんがチュンチュンとこんにちは、タンポポさんがニコッとこんにちは」と幼児童話レベルの妄想が禅の悟りであると吹聴している。
しかも30年近くもこの有様というから愚かの極みで、恐らくボタンを掛け間違ったまま生涯を終るものと想像できる。
野狐禅に陥ったら、五百生間狐となって迷妄の深淵から抜け出せないというよい例である。
この様に我執に塗れた者が無我を語り、見性せぬ者が空を語るなど、入門者でも胡散臭さを感じて俄に信じる者はいないとは思う。
しかし中には、類は類を呼ぶ、同病相哀れむという諺通り、ポッタンを師とする者が現れた。
素人Aというポッタン酷似の者で、なにやら激しい妄想妄念を、誤字誤変換だらけで書き込んでいる。
最近は師への切替えが混乱し、妄想妄念も激しくなって分裂症も進んでいる様子である。
祖師禅とかけ離れたこの野狐禅スレに、間違って来られる入門者があるやもしれない。
しかし、よもやこの師弟に惑わされることはないと思われる。
万が一のため、ポッタンのように野狐禅に陥って人生を無駄にせぬよう警告の意味で記しておく。
230 :
野孤禅スレです:2011/08/27(土) 16:48:27.03 ID:9GC2rcUY
無字は、初めて参禅するものに与えられる公案である。これがまた曲者で、中々透して貰えず、艱難辛苦、大変な苦労を強いられる。
それもその筈である。この世に生を受けて以来、永年染み付いた黒白つけたがる分別相対観念を根こそぎ絶つことを試されているのである。チットやソットのことで透過できる訳が無い。
昔、菴原の平四郎というものが、大憤志を発し勇猛の一機で妄想魔境に打ち勝ち、僅か三日で見性したらしい。これなどは稀で、我々凡夫は、昨日より今日、今日より明日、薄皮を一枚々々剥ぐように、自我を清算していくしかない。
そんな凡夫でも、日々努力をし続ければ、何時か因縁が熟した時、見性は訪れる。それは一瞬の出来事かも知れないし、暫しの事かもしれない。
見性の深さも人による。大疑念のものは牛の大半を見るかも知れない。そうでないものは尻尾だけかも知れない。
臨済にしろ白隠にしろ再参して大悟したくらいだから、鈍根な我々凡夫は、一度の見性で一見便見の様には行かない。
見性体験は、将に身を削る、自我清算の修行があってのことである。修行も無く知識を詰め込んだだけの見性などありえなく、逆に我見を益々強めて遠ざかることにもなる。
ましてや、2chに入り浸り、互いに貶し罵りあい、自我を研いている様では、到底、叶わぬ事である。
また、一たび、我見我慢我欲を清算した後、見性して初関が透れば、無や空がガラーッと分かるものである。
世間には、無や空は観念、概念だから書物で学べば分かるものだ、と甚だしい勘違いをしているものがいる。
書物で無や空が分かり、こと足れりと済むなら、達磨が中国へ渡ることも無かったし、禅はとうの昔に滅んでいただろう。
書物に書いてある空や無の解説は、いわば薬の能書きみたいなもので、読んだから病気が治るわけではないのと同じである。
ポッタンは、「飲み屋の女から金色の炎が立ち上がるのを見た」とか「父親に、最近、世界が違って見える、と話した」などと、見性したかのような思わせ振りを語っている。
しかし上述から分かると思うが、強烈な自我が、一度も整理、清算出来ていない俗物に、見性などありえない。これは毎度お馴染みの、彼の虚栄心や自己顕示欲から来る作り話であろう。
仮に事実としても、何か脳の悪い病気に冒されているか、89をやった副作用か、あるいは何かの幻覚ではないのかと疑われるのである。
231 :
野孤禅スレです:2011/08/27(土) 16:50:28.31 ID:9GC2rcUY
| ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄||
||【このスレに来られた方へ】 ||
||★ここは野孤禅の本格スレです。まずそのことを充分、認識してください。 ||
||★野孤禅とはどういうものか、まともでない見本が満載です。 ||
||★ポッタン、素人Aと称するものの発言内容は、まさに野孤禅の見本といえます。 ||
||★素人Aとかいうものはポッタンの携帯黒子ですので、ご注意。 ||
||★この者達の自作自演が多々有ります。相手にならぬようご注意。 ||
||★同様に、かまって貰いたいが為のツリが多々見られます。相手にせぬようご注意。 ||
||★まじめな質問は別スレにてお願いします。 ||
||★誤って、禅の質問をしても、その回答はいい加減と思ってください。 ||
||★本スレの使用目的は、禅に関すること以外、ストレス解消、AAの練習等々、自由です。||
||★書き込む内容は、品格など一切問いません。 ||
||★あらしも排斥しません。 ||
|| 。 ∧_∧ ||
|| \(´・ω・`) いいかな・・? ||
|| ⊂ ⊂ )旦~ ||
||___∧ ∧___∧ ∧___ ∧ ∧__ ∧ ∧___| ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄|_______||
( ∧ ∧__ ( ∧ ∧__( ∧ ∧__( ∧ ∧  ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄
〜(_( ∧ ∧( ( ∧ ∧_ ( ∧ ∧_ ( ∧ ∧ は〜い。
〜(_( ,,)〜(_( ,,)〜(_( ,,)〜(_( ,,)
〜(___ノ 〜(___ノ 〜(___ノ 〜(___ノ
232 :
チゥ(* ^)(◎o◎)ポッたん ◆oOmXnN8feI :2011/08/27(土) 19:18:52.28 ID:/QX4JZeg
>居ぬ
今朝は過ぎ去って、もう無い。
233 :
チゥ(* ^)(◎o◎)ポッたん ◆oOmXnN8feI :2011/08/27(土) 21:03:13.54 ID:/QX4JZeg
235 :
チゥ(* ^)(◎o◎)ポッたん ◆oOmXnN8feI :2011/08/27(土) 23:59:25.39 ID:PsVjQPUN
236 :
チゥ(* ^)(◎o◎)ポッたん ◆oOmXnN8feI :2011/08/28(日) 01:00:29.90 ID:aSykQvKB
237 :
チゥ(* ^)(◎o◎)ポッたん ◆oOmXnN8feI :2011/08/28(日) 01:30:53.31 ID:aSykQvKB
> 風は見えないが、 頬をさす感覚でわかるし、 木々や草の揺れる様子を観れば風がわかる。
観えないものが、こころですが、風は、こころ でしょうか。
238 :
神も仏も名無しさん:2011/08/28(日) 01:46:54.98 ID:aiW5Z7Nw
テスト
239 :
たろすけ:2011/08/28(日) 01:47:09.75 ID:SfVFjL9s
>>223 > ≫俺は宗教詐欺批判はたわいないとは思わんね。
> たわいないこととして遊べるのでないなら、あなたは常時宗教詐欺批判という思考にとらわれているということになる。
> そして人は批判する対象を内に抱え続ける。
> 思考批判はたわいないし。思考批判を指摘する言明も無論たわいない。
> 深刻である思考を、深刻な思考批判や、深刻な思考批判の指摘で解決できるものか。
> むろん私の言明もたわいのないものだ。
> ≫アナタの気は済むのであれば。
> よほど自分を見たくないらしいね。
> 別に直接入れなくても内省のある人の文かどうかはよくわかる。
いい加減にせい。
宗教的第一義《真理》を、瞑想的な感得をした訳でもない者が、己の主張として一義を用いるなと言ってるんだよ。
呼び掛けだろうと、何だろうと同じだ。それは巧妙至極な似非宗教的エゴ主張だろうが
《私の言明もたわいのないものだ》などと、《私はたわいないこととして遊んでる》という深刻な思考だろう?
これまで御宅の主張内容は、思考を遊んでるという深刻な思考、欺瞞を越えたという欺瞞、なんだよ。
で、思考を遊んでるから思考を高みから批判できる、欺瞞を越えたから欺瞞を高みから批判できるという
《最悪な思考の最悪な欺瞞者》がそれらの超越を騙り、免罪符を掲げて、思考と欺瞞し放題の害悪をばらまいてんだろ。
思考や欺瞞を瞑想的に越えて言ってんじゃないだろ。
> ≫宗教のカルト論法
> 何それ?それと戦うことが常習化してるとそうでないものもそれとしてみちゃうよ。
誰が戦ってるって?単に指摘してるダケだろ。
それこそ御宅が深刻な思考だから、人の批判指摘を戦いの常習化なんて簡単に言えるんだよ。
アナタは《宗教における道徳の二重化》について考察し、論文を書いて来なさい。宗教悪についてよく考える事。
ニュー英字の書き写しはダメだよ。
240 :
たろすけ:2011/08/28(日) 02:34:10.20 ID:SfVFjL9s
>223
私は軽快な思考で批判しているか、深刻な思考で批判しているか、どちらかと言えば後者だ。
何故なら対象者が気の毒だからだ。とてもじゃないが軽快に等なれない。軽快な批判者とは恐らく覚醒者だけだろう。
とはいえ私も対象者に苦しんでいる訳じゃない。が、例え悩まされていたとしても批判というモノの意義が寸分でも減る訳じゃなし。
受け売りの説法など無用。
241 :
神も仏も名無しさん:2011/08/28(日) 07:17:00.61 ID:aiW5Z7Nw
>>239 深刻なうえに深刻な言葉遣いすると悪化するように思うが正直ともいえる。
深刻なのに深刻でないように言うと嘘ではあるが前向きではある。
これどっちでもいいんじゃない。
前者は正直だが誤ってるし、後者は嘘だが正しい。
我々が悟ってでもないかぎりどうやってもぼろが出る。
ロジックが無力であることの表れではないか。
言葉の上ではどっちでもいいんじゃないかな。
ロジックの問題ではなく文全体、文全体の呼吸から出る緊張をほぐす瞑想のムードが大切なんだと思うよ。
ロジック無視してご自身の文章の音律が自他にどのような影響を与えるか見てみるといい。
242 :
神も仏も名無しさん:2011/08/28(日) 07:30:34.11 ID:aiW5Z7Nw
≫宗教的第一義《真理》を、瞑想的な感得をした訳でもない者が
根拠なく決めつけられましても。瞑想は日々実習していましたし今ではするものですらありません。
私は基本的に今の自分にそぐう様な発言しかしません。実際に見出したものを自分の言葉で説明しています。
当然現代語での説明になりますからニューエイジと少々似るのは当たり前です。
光明を得ているわけではないので真理そのものの描写は知らないことなので決してしないでしょ。
またこれは、あなたが体得していないなら他者のそれの判別も不可能ですので、ご自身が体得するまで
私はわからないので他人がそれを体得しているかどうかは気にしないというスタンスのほうが賢明ですよ。
>>224 素人A→→→→→→→→→はずれ
U U U
ぽっとん→→→→→→→スカ
U U U
たろ→→→→→→→→→阿弥陀様
U U U
名無し→→→→→→→→地獄
(縁日のくじ引き)
菊池→→→→→→→→→やきそば
U U U
沙耶ちゃん→→→→→→→ラムネ
U U U
ウルトラマンレオ→→→→→→→墓地一周
U U U
山本太郎→→→→→→→→缶ビール
U U U
ゆき子→→→→→→→→ウインナケチャップ
(前世占い)
素人A→→→→→→→→→徳川家康
U U U
ぽっとん→→→→→→→豊臣秀吉
U U U
たろ→→→→→→→→→織田信長
U U U
名無し→→→→→→→→なまくび
246 :
素人A:2011/08/28(日) 09:22:59.59 ID:yjPfXCXz
此処は見性スレ何だけど生を見るのか上から目線で仏は降りてくるのか良く分からん?
じゃあ悟りは見回り半まで進まんと仏も見えず出鱈目だなあ。まず食欲と性欲と社会欲を
なんとか間とかそれはヨーガ心臓の処まで登って下りにの仏と出会つて拍手するのか?
煩悩は無くならんから安心して上って来い言われても信用が出来るのだろうか。
皆悟っているけど悟ると楽しく無く詰まらないといつまでも遊んでるのは無理と
言われても怒られんと分からんし.永遠不滅は永遠不滅だけが取り柄で平凡が永遠に続く
のだろうか。全然勉強もしないでもう老化に立っているまあ人間レベルの輪廻転生ならと
思うが動物も有るのか.少しだけは心を広くしょう争いごとは慎もう。人が間違っている
と思ってもああそうだねえと言おう。そのほうが人がよい。
(正法眼蔵・佛性の巻より、身現円月相の話・・)
お釈迦さまから数えて第十四代目にあたる龍樹尊者は、
インドの言葉ではナーガルジュナと呼ばれ、ここ唐の国では
龍樹または龍勝などとも呼ばれ、また龍猛という呼び方も
あるようです。
西インドに生まれた人であり、南インドにやってきますが、
そこに住む人たちは、幸せを得るためのものとして
いろいろな信仰がなされていて、龍樹尊者はかれらのために
その不思議なものについて語ります。それを聞いた
人たちの間には、この人には人々を幸せにできる力があり、
このあたりでは一番の人ではないかとウワサが広まり、
またある人は仏性という言葉をもてあそんでいるけれど、
いったいダレがそんなものを見ることができるのだろう?
などと言います。
龍樹 「あなたが仏性を見たいと思うなら、まずなによりも
真っ先に自分という思いを取り除かなくてはいけません 」
ある人 「その仏性は大きいのでしょうか、小さいのでしょうか? 」
龍樹 「仏性は大きくも小さくもなく、広くも狭くもなく、
良いことも見返りもなく、死ぬことでも生きることでもないのです 」
これを聞いた人たちはもっともな理屈がありそうだから、
みんながこの龍樹の話を聞いてみようと思います。
龍樹はまた上座に座りその自在な感覚を表現して
みせますが、それは満月の光輪のようにも見えます。
集まったすべての人たちは、その説法の声を聞こうと
しているので、ダレも龍樹があらわした空気感のような
ものを見ることができません。
>>247 その大衆の中に、お金持ちの息子である迦那提婆 (カーナディーバ)
というものがいました、周りにいる人たちにこう言います。
提婆 「このフンイキのようなものがわかりますか? 」
他の人々 「今わたしたちが見ている様子ではまだ
そんなものはないようだが? 耳にはなにも聞こえないし、
心で意識できるものもなく、身体に感じるようなこともありません 」
提婆 「この目の前にいる尊者さまは、仏性の空気をあらわし、
それをもってわれらに示しているのですが、なにをもって
それを知ることができるのでしょう? その隠されたものは
カタチを持たずまるで満月のような三昧の座り姿にあらわれ、
仏性というものの意味は、周りを柵で囲まれた場所にある
実体のない光のようなものなのです 」
提婆がそう言い終ると光輪のような感覚は消え去り、
龍樹は座りなおして、詩文をあらわします。
身現圓月相、
以表諸佛體、
説法無其形、
用辯非聲色。
身体に丸い月の形を現すことで、
仏の本体をあらわし、
それには形が無いことを説き、
説明するために音や目で見えるものを使いません。
※道元さんがお好きな身現円月相のハナシ、完ぺき
な教えである円経の概念とはかなり切り口がちがいます。
250 :
たろすけ:2011/08/28(日) 10:05:32.14 ID:SfVFjL9s
>>241 > 深刻なうえに深刻な言葉遣いすると悪化するように思うが正直ともいえる。
悪化?何を言ってる?
この世が深刻だろう深刻でなかろうと、宗教詐欺師当人及びその害悪の二次被害者、
三次被害者の不憫さを、真理のカルト用法などでどうやって好転できる?
好転した気にさせて、批判意義を奪い、批判対象者の改善の機会までも奪い兼ねない爆弾だろうが。
> 深刻なのに深刻でないように言うと嘘ではあるが前向きではある。
> これどっちでもいいんじゃない。> 前者は正直だが誤ってるし、後者は嘘だが正しい。
自爆するのは勝手だが他者を巻き込むなよ。
> 我々が悟ってでもないかぎりどうやってもぼろが出る。 > ロジックが無力であることの表れではないか。
> 言葉の上ではどっちでもいいんじゃないかな。
> ロジックの問題ではなく文全体、文全体の呼吸から出る緊張をほぐす瞑想のムードが大切なんだと思うよ。
> ロジック無視してご自身の文章の音律が自他にどのような影響を与えるか見てみるといい。
その場の空気などに注意を払った文に何の意味がある?
その場の空気への恐れと迎合から繰り出された文に瞑想的なムードなんてある訳ないだろ。
そんな大衆臭い文章を韻律重視とか言って欲しくないね。韻律的な文とはもっと美しいもんだよ。
ロジックが無力?違うね。チミの考察が無力なんだよ。全くの。
日々瞑想を実習してる者が、慈悲の意味も知らんの?あり得んね。
御宅の事情なんて知らんよ。瞑想してるというならそれなりの知性や直感の片鱗が見たいもんだね。
どういうスタンスが賢明か知らんが、御宅が賢明でないことは確かだ。瞑想してない一般人よりも
恐らく道徳理解レベルが低い。害の方が遥かに多い。何も言わずに隠遁した方がよい。
251 :
神も仏も名無しさん:2011/08/28(日) 11:04:00.70 ID:aiW5Z7Nw
どんな立派な言葉でも言葉によって真理にたどり着くことはできないのだから、結局文章の与える影響というのは
文章にこもるその人の実存ではないだろうかというのがそもそもの文意です。
そしてあなたは自分の文からどんなあなたの実存がにじみ出ているか注視したことはあるだろうか。
それをやってみてその感想を頂戴したい。
252 :
神も仏も名無しさん:2011/08/28(日) 11:08:02.42 ID:aiW5Z7Nw
私についてはありがたくもお言葉をいただき大変参考になりました。
ですので今度はあなた自身をご覧ください。
他人を見るようにご自身の文章を読んだ場合、そこから感じられる人間の実存はどのようなものか
お伺いいただきたい。
自己の客観化のお手本をお願いします。
254 :
たろすけ:2011/08/28(日) 19:59:38.92 ID:SfVFjL9s
>>251 > どんな立派な言葉でも言葉によって真理にたどり着くことはできないのだから、結局文章の与える影響というのは
> 文章にこもるその人の実存ではないだろうかというのがそもそもの文意です。
言葉は何か気づくきっかけになる。そしてロジックが無力になるか否かは受け手の姿勢如何できまる。
つまり受け手のレベルや姿勢次第で言葉は、神にも個時期にもなる。《はじめに言葉ありき》とはそういう事だと思う。
そして私はポッタン氏に真理を提示してないし、批判や全うなやり取りを迫っている。
この様な荒れ狂ったスレッド状況のなか、声が届くボリュームと荒々しさへの配慮を兼ねてレスをしてる。
そこに、その状況も知らぬ御宅が唐突に介入して来たのだ。
この状況下においては無意味ともいえる誤った真理用法の皮相なロジックの語りかけをもって。
255 :
たろすけ:2011/08/28(日) 20:00:32.28 ID:SfVFjL9s
>>251 ・・・なるほど、アナタの実存はアナタの文から読み取れる訳ですね。
《問われてる事には応えず》《自己の主張内容は旗色次第で可変的に設定し直し》
《他者の批判の意義を奪い、批判が緩和すべきなら、すべきでとって代わる処方箋を明らかにしない》
《一義と二義他者の区別もつかず、二重の道徳化における害悪への危惧心もない》
> そしてあなたは自分の文からどんなあなたの実存がにじみ出ているか注視したことはあるだろうか。
> それをやってみてその感想を頂戴したい。
私はレスを相手の表面的な言葉にではなく相手の目的応じて、対応している。
意味もなく絡むアラシには今後の示唆と叱咤を、チンピラにはチンピラを追い返す対応を、
ピンズレでキレてくる相手には論点を修正して拮抗した対応を、宗教詐欺に引っ掛かる者にはオブラートに包んだ指摘を、
だが懲りずに誤りを通す姿勢を見せる時にはボリュームを上げて、しかし凹み過ぎないように柔和に、
その他の丁寧な人には丁寧に返している。普通の人には普通に。
丁寧 或いは、普通に話しかける人に対チンピラ対応のように応じたりしないし、
弱っている人間を更に追い込む類いの叩き付けるようなレスをしたりはしない。
だがその結果このスレッドに訪問者が減る様な事になっても仕方ないと思う。
何故なら、妙な事の横行する大衆受けのよい胡散臭い調和風味のスレッドになるよりは害が少ないからだ。
256 :
たろすけ:2011/08/28(日) 20:06:21.21 ID:SfVFjL9s
>>252 > 私についてはありがたくもお言葉をいただき大変参考になりました。
> ですので今度はあなた自身をご覧ください。
> 他人を見るようにご自身の文章を読んだ場合、そこから感じられる人間の実存はどのようなものか
> お伺いいただきたい。
> 自己の客観化のお手本をお願いします。
では述べさせて頂くw
太郎某は相手に応じて自在に対応しており、そのキャラは粗暴な訳でも柔和な訳でもない。
対応する相手に応じて、時にバカであったり、賢かったりする。
そのレス内容はまた、恣意的にくどくどしくなったり簡略化されたりする感は否めないにしても、的確な指摘を行っており、
スレッド全体への貢献としてはポッタン氏への嘲弄罵倒冷やかしを基とした他人に悪影響を与えるレスを減らしている。
以上
257 :
神も仏も名無しさん:2011/08/28(日) 20:16:17.95 ID:LV3LO/EF
>>249 はーい、祖師西来意なんて爪の先すら持ち歩いちゃなんねえ、
まして右往左往するもんでもねえ、
ああ、座ってますってよしよしごくろうさん
258 :
神も仏も名無しさん:2011/08/28(日) 22:32:57.75 ID:eLlZjNv7
259 :
神も仏も名無しさん:2011/08/28(日) 22:41:37.95 ID:eLlZjNv7
ハルカ ◆0tZOcyVq86 :2005/08/14(日) 12:58:56 ID:xgzU4qNs
…ったぁく。
絶対的(固定的)善悪は無い。
相対的(可変的)善悪は有る。
こんなもんすら解ってないのかよ。
『絶対的』という条件を前提にしている自分を『常識』として、結論たる『善悪は無い』事だけを言う輩が『断見』だ。
『相対的』という条件を前提にしている自分を『常識』として、結論たる『善悪は有る』事だけを言う輩が『常見』だ。
だから『バカラス』って言うんだよ(嘲笑)
せったん@myoejoe:2005/08/14(日) 13:13:59 ID:Vcah3mAG
わハルカちゃんてえ人出たやっぱどてがらすは役に立つんだ、わしのお盆終わった腹抱えてねんねしよっと、下田村に三千坊のいうのがあったそうで、なんにも残っちゃいないんだけど、坊主ども烏になってのさばるって歌こさえて、そいつがうまくいかない、のさばるは夏の烏か
せったん@myoejoe:2005/08/14(日) 13:23:29 ID:Vcah3mAG
是非善悪とかそーゆーの時所位てんだよな、イエスからすさんみたい定盤星よりも、わしらのほうが百倍も厳密に守るんだぜ、しかも出入り自由っていうな、これがわからんから智慧遅れっていうんだけどさ、智慧をくれっていってみな、つめの垢やっからー
せったん@myoejoe:2005/08/14(日) 13:29:16 ID:Vcah3mAG
心が汚れるとはどういうことか、心無けげ不垢不浄、いいえ無心ないものは汚れっこない、心は汚れないってこと知らないから、汚れるんですようわーどっきたなあ。
ハルカさん登場(せったん登場以降スレを別立てにしていて久しぶりらしい)でせったんのテンションが…
260 :
神も仏も名無しさん:2011/08/28(日) 22:46:39.61 ID:eLlZjNv7
せったん@myoejoe:2005/08/14(日) 13:34:59 ID:Vcah3mAG
宇宙遊泳宇宙空間から地球を眺める101億円だとさ、ぜにあったらゆくかって、光前絶後の事玉露宙に浮かぶ、この事を知るとそーあんまり行きたいとも思はんのです、風景が浮かび上がるようにってえか、えっへここにいりゃ200%な。
せったん@myoejoe:2005/08/14(日) 13:38:35 ID:Vcah3mAG
101億円で行きたい人僧堂祇園精舎を寄付して下さい、半分にまけて50億で我慢すっか、えと女性専用もこさえてやっぱ101億。
せったん@myoejoe:2005/08/14(日) 13:45:28 ID:Vcah3mAG
魂は波のようで質量に転換してとかいうの光の間違いでねーけ、わし光速一定理論アインシュタイン理解できんぜ、だってさ
アンドロメダでさへ行けねーじゃねーか、SF成立せんつまんねえ。
せったん@myoejoe:2005/08/14(日) 13:50:47 ID:Vcah3mAG
からすと同じのがおれにもあるって、あったりまえです、だれにもどんなもんだってあって、だから面白いんだし、うざいやつとうざくないやつとあるだよ。
ンンンンン?
せったん@myoejoe:2005/08/14(日) 13:55:03 ID:Vcah3mAG
そんだからだれか光速一定くつがえしてくれ、どらえもん一匹くれ、うっふ理論によって宇宙変わったら、そりゃからすの思うつぼだな、わしそーしたら家畜人ヤフーになってはいご主人さまって、うわ近頃最悪のジョーク。
そうだよねー、理論によって宇宙変わったら、って変わると思ってる人もいるみたいよ、こことかあそことか
261 :
神も仏も名無しさん:2011/08/28(日) 23:01:48.75 ID:aiW5Z7Nw
>>256 大変お疲れ様です。
人の自己認識は人間存在を理解するにあたり非常に参考になります。
)ピンズレでキレてくる相手には論点を修正して拮抗した対応
あなたからは書いていないことに対する猛烈な反論や、日本語的にどこから出てきたのかわからない反論を受けることが多かったので、
それはご自身のことかと一通り疑ってみたほうがよろしいかもしれません。
262 :
神も仏も名無しさん:2011/08/28(日) 23:05:59.46 ID:eLlZjNv7
せったん@myoejoe:2005/08/14(日) 13:58:31 ID:Vcah3mAG
うざいやつとうざくないやつ、それが面白いんだよ、自分をかえりみないってこと、出しっぱなし、ほら三つのがきとかみれ、そーとーいかれててもうざい感じせんでえ。
お言葉ですが。うざい三歳児もいます。それがおもしろいんですよ。
せったん@myoejoe:2005/08/14(日) 14:06:06 ID:Vcah3mAG
だから赤ん坊っていうと裸でちんちんなるけど、そーじゃないんよ大人の常識あって赤ん坊、実はだれあって赤ん坊なんよ、進化してると思ってる分jh嘘なの、わかっかこれ、かく大人の赤ん坊と喧嘩したら勝てないー
せったん@myoejoe:2005/08/14(日) 14:10:15 ID:Vcah3mAG
無心のありようこれ、でもこれ説明してもうまくいかん、誰あって同じだのにまったく違うんです、うーんなんたって説こうとすると、泣きたくなっちまう、こんなわかりきったことがどーにもこーにもって。
なんかこう、穴を掘るしかないんだけど、そうすると穴ができちゃう、みたいな?
せったん@myoejoe:2005/08/14(日) 14:16:59 ID:Vcah3mAG
えとさだからお釈迦さまのいうこと馬鹿になって信じて、その通り行う以外ないんだけど、なんせ仏説も八万四千巻のお経とか、さんざ歴史の垢くっついて、
歴史の垢ですかw
せったん@myoejoe:2005/08/14(日) 14:21:21 ID:Vcah3mAG
悪い読者うふたといからすさんみたい人は、自分の都合のいいの寄せ集めるきりです、むかし目に一丁字もない百姓出が中国へわたって、どうでもこの事欲しいといって、
せったん@myoejoe:2005/08/14(日) 14:24:53 ID:Vcah3mAG
正師を探しだす、師その手をとっててのひらに丁と書いてこれと指す、四年後についに印下を得て帰る、仙台公の菩提寺の住職になったと聞く。
ちなみにからすさんというのは、流れてきた物知りのというかヘンな理屈の好きなクリスチャンさんです。
263 :
神も仏も名無しさん:2011/08/28(日) 23:24:24.75 ID:eLlZjNv7
せったん@myoejoe:2005/08/14(日) 14:29:05 ID:Vcah3mAG
慧能もと技量なし、他の赤ん坊じゃない自分の中の赤ん坊、如来来たる如しに行き逢えばいいんですよ、てめえが外見赤ん坊になってどうする、じゃあ赤ん坊やめた、死んだあとに返ってねはーい。
せったん@myoejoe:2005/08/14(日) 14:30:51 ID:Vcah3mAG
あわてる乞食は貰いが少ない、じたばたしたらハルカちゃんに逃げられちゃった、
はいはい
名無しさん@3周年:2005/08/14(日) 19:36:50 ID:BRPqSKbW
せったんちゃんもハルカちゃんに叩かれればいい、あれは気持ちがいいものだ。
88:2005/08/14(日) 19:41:38 ID:uWX3056u
そりゃねーべ。キャラ的に言ってw
名無しさん@3周年:2005/08/14(日) 19:50:46 ID:BRPqSKbW
こーゆータイプの年よりはだいたい女王様に弱いんだよ。
なるほど。勉強になります。
せったん@myoejoe:2005/08/14(日) 19:41:37 ID:d+wKS8i6
へえサドマゾいたか、わしマゾっけあんまりねーな文明度低いでサドっけかな、でもハルカちゃんて人めったにない明晰頭脳しとるな、ひょっとして長い人生に二人めかな、もっとも女ってたいてい馬鹿のくせにとんでもねえ能あらな。
カギは文明度ですか
264 :
神も仏も名無しさん:2011/08/28(日) 23:26:47.79 ID:aiW5Z7Nw
>>256 自分がそうだと思っている人はそのように描くが、本当にそうである人間はそのように直接的には書けない。
それをやろうとしているのではなく、そうであるからです。
ですからそうである人はむしろ自分の欠点を基軸とした表現になるでしょう。
あることについて自分が30できていないと説得力があるように描写すれば自然と70できることが浮かび上がってきます。
それだけで確実ではないのですが、文全体にそういった雰囲気が漂わずにはいられないでしょう。
265 :
神も仏も名無しさん:2011/08/28(日) 23:27:47.13 ID:aiW5Z7Nw
また批判に代わるものということですが、今の我々にはありません。
光明を得ることだけがその方策になるでしょう。
というのも
忠告の内容が正しかろうと間違っていようと、忠告者にエゴがあるのなら
ただでさえ自分のエゴを重荷にしている人に更なるエゴを投げつけるようなもの。
直接的に非難しようと、肯定も否定もせず見守ればいいと言葉で取り繕っても、
そこにエゴ、忠告者がいる限りその忠告が非難であることは避けようがない。
私の分析が合っていても合っていなくても、微妙な表現で取り繕った非難と私自身のエゴの重荷を
投げつけていることには変わりなく、投げつけられた方はただただ重荷で不快であるしかない。
結局争いなく問答ができるとすれば質問者が心から他者の助けを必要としている場合であり、そんなときは
質問者の受容性だけではなく、回答者もエゴなく助ける流れに乗りやすいだろうと思う。
誰かに忠告されてかき乱されたとき、忠告した相手のことを思って葛藤していても終わらない。
ただ自分がかき乱されている機会に感謝して忠告の内容は全部忘れてただ覚めている他ない。
そうなれば相手のうっとおしい忠告と、相手に指摘された自分のマインドのパターンの両方が不意に消えている
新しい自分が表れてくるはずだから。
逆にそれができなければ他人の批判を無意識においやりそれが心の傷になり、自分のエゴは表層でさらに強力になってしまうでしょう。
私のことを忘れてくださいますように。
266 :
神も仏も名無しさん:2011/08/28(日) 23:39:38.77 ID:aiW5Z7Nw
非難は思考でしかなく、非難する人がエゴでしかない以上
受け取る人にとってその人のエゴに加えて更なる重荷になる。
非難は思考でしかない。思考は思考を消さない。
その人の元の思考の混乱にさらに思考を追加してどうするのだろう。
相手は追加された思考をとにかく抑圧しないものにしたいと思うでしょう。
語り手のエゴを感じさせず語ることが最低条件に思います。
故に仏陀たちしか人を助けられない。
267 :
神も仏も名無しさん:2011/08/29(月) 00:25:55.25 ID:MIIfNylv
>>266 ねえ。
「私の分析が合っていても合っていなくても、微妙な表現で取り繕った非難と私自身のエゴの重荷を
投げつけていることには変わりなく、投げつけられた方はただただ重荷で不快であるしかない。」
まあ、主に腐海(この誤変換気に入ったw)であるしかないかどうかは知らないけど、
でも、言っちゃうわけでしょ、微妙に取り繕って。
たろすけは助けるつもりじゃなくて叩いて減らしたいらしいから、助けになるにはって話をしてもしょうがない。
でも、言っちゃうわけよね。それは、なに?
268 :
神も仏も名無しさん:2011/08/29(月) 00:57:42.25 ID:jYWftNKf
≫叩いて減らしたいらしいから
おお。大変参考になります。
無心に還ろうとともに歩むのではなく、ある思想にしがみつくのをやめさせて、
自分の考え方を押し付けたいだけなのですね。
その辺の差異に気づきませんでした。
≫でも、言っちゃうわけでしょ、微妙に取り繕って。
良お気づきで。その指摘の仕方も実に争いなく自然です。
仰る通りの私の矛盾です。自己に専念しきれず、未だ外界や人間の法則の探求にうつつを抜かしているのですね。
そう。どんなに取り繕っても光明を得ていない私は他者を助けることはできません。
自分の知的好奇心のために話しているだけなのです。
ですから助けたりしようとはせず言葉の上のやり取りで自他の精神の法則を解明しようとするだけです。
まあそれが脇道なんですけど。このわき道にいつ飽きるんでしょう。
今はそれが好きなんですね。心底無意味だとわかったらやめます。
269 :
神も仏も名無しさん:2011/08/29(月) 01:28:55.65 ID:jYWftNKf
268続き
ああ、私ってば他人のことが解りもしないのに自分のことがわかりもしないのに
他人を助けようとしてたんだよね。
助けられないと薄々わかってもまだ助けるつもりというのがあった。
いやいや。これからは自分と他社を学ばせていただくために対等にお喋りをしようかと思います。
他者を助けられるような人は
255、256のような、その人の自己認識を聞かなくても文を見るだけで理解できるようでなくては話になりません。
本当に他人をわかるというのは困難なものです。もちろん予想の外でした。
270 :
神も仏も名無しさん:2011/08/29(月) 01:58:50.16 ID:NJcT+Dau
他人の悪意を捏造することから、不用意な
非難と理不尽な怒りが起こるね。
だとしたら、わからないっていうのは一概に
愚かであるとは言えないね。
わからないものがわからないものを助ける、
ベターにキレイな光明かもね。
271 :
たろすけ:2011/08/29(月) 03:23:10.83 ID:Tej/kzGp
>>261 > )ピンズレでキレてくる相手には論点を修正して拮抗した対応
> あなたからは書いていないことに対する猛烈な反論や、日本語的にどこから出てきたのかわからない反論を受けることが多かったので、
だろうね。御宅は何も見えてなさそうだし。
御宅は容器について幾度も述べていたが、私は中身について論じているんだよ。
私は指摘された内容、箇所全て理解しているが、そのような表面には応えない。
私は机上の空論となりうる様な重心箇所に論点を置く事をよしとしない。
如何なる内容をもってソレを指摘しているかという事に論点を置いている。
> それをやろうとしているのではなく、そうであるからです。
> ですからそうである人はむしろ自分の欠点を基軸とした表現になるでしょう。
質問にきちんと答えられる様になってから物を言おうね。マトモに答えられないと投影論にすがるのは2ちゃんの相場。
> ≫叩いて減らしたいらしいから
> おお。大変参考になります。
そういう行為は、御宅の実存が実存たる所以なんでしょうなw
>268はアナタの中の最良レスである。わかっているのなら終了しなさい。
272 :
たろすけ:2011/08/29(月) 03:27:56.31 ID:Tej/kzGp
> たろすけは助けるつもりじゃなくて叩いて減らしたいらしいから、助けになるにはって話をしてもしょうがない。
オイオイ。結果的に減らす事に貢献しているけど、単に叩いて減らしてはいないよ。
うっちゃるなよ。
273 :
神も仏も名無しさん:2011/08/29(月) 06:10:35.25 ID:MIIfNylv
274 :
神も仏も名無しさん:2011/08/29(月) 06:28:57.38 ID:MIIfNylv
275 :
神も仏も名無しさん:2011/08/29(月) 06:30:23.32 ID:MIIfNylv
276 :
素人A:2011/08/29(月) 07:20:16.11 ID:Lv9FmsiP
いつも何でしているのか分からんのに。考えたら何で。現実も夢の如し何かなあ。ショーペンハウワア
夢の中では予期されない出来事がーそれは偶然的で.時には悪夢の場合のように恐怖を起こさせるもの
ですがー実際は.隠れた意図にしたがって統制されている脈絡に属します。この意図はその人の意志には
違いないのですが.「夢見る意識とは別な立場から出てくる意志」なのです。これと同様.私達の人生と
いう夢(ないし悪夢)は.私達自身の隠れた意志の産物です。しかし夢と人生の総ての絡み合いは.あた
かも単一の上位の脈絡に属しているように思われます。そうしてショーペンハウワーは言います。「かく
て.現実的な一種の<予定調和>によって各人は.彼自身の形面上学的操縦に従って自分にふさわしいこと
のみ夢に見.かつてあらゆる人生の夢は人為的に入り組んでいるので.各人は自分の都合のいいものを経
験し.同時に他人に必要なことを実行するわけである[・・・]。・・・
「また人生という大きな夢の主体は在る意味で唯一のもの.生への意志であること.多種多様な現象は
時間空間[<生への意志>が形どる形態発生的な場]にじょうけんずけられていること.などを想起するなら
ば.このスケールの大きな思想を前にしてそうたじろぐことも無くなるであろう。それはかの一つの存在
者が夢見る大いなる夢である。しかし同時にその総ての人物が夢見るわけだ。だからいっさいは相互に
絡み合い.適合しあうのである」。 良く分からん南無網だ編みだ空身遇う。
277 :
神も仏も名無しさん:2011/08/29(月) 08:05:05.05 ID:jYWftNKf
だろうね。御宅は何も見えてなさそうだし。
御宅は容器について幾度も述べていたが、私は中身について論じているんだよ。
私は指摘された内容、箇所全て理解しているが、そのような表面には応えない。
いうと思いました。そうだと思ってるんでしょうね。
そうだと思ったりそうしようと思ったりしてできることではなく、それは自己を理解してゆくうち少しずつ起きてゆくことです。
そんなものは皮一枚の夢でありあなたの実体はまるで違う。
実際はその次元はおろか、日本人としてのまともな国語力を前提とした通常の会話もできず、
ありもしない他人の発言のねつ造したり文脈を無視して単語にかみついたりしてるだけ。
投影だけで生きてる精神病院行き候補生ですよ。
あなた他人の主観がわからないということすらわかってないでしょう。
例えばここ、国語的に理解できない
> 我々が悟ってでもないかぎりどうやってもぼろが出る。 > ロジックが無力であることの表れではないか。
> 言葉の上ではどっちでもいいんじゃないかな。
> ロジックの問題ではなく文全体、文全体の呼吸から出る緊張をほぐす瞑想のムードが大切なんだと思うよ。
> ロジック無視してご自身の文章の音律が自他にどのような影響を与えるか見てみるといい。
その場の空気などに注意を払った文に何の意味がある?
その場の空気への恐れと迎合から繰り出された文に瞑想的なムードなんてある訳ないだろ。
そんな大衆臭い文章を韻律重視とか言って欲しくないね。韻律的な文とはもっと美しいもんだよ。
ロジックが無力?違うね。チミの考察が無力なんだよ。全くの。
その場の空気ではなく発言者が発する空気。その人自体の実存の話だったのですが、。
278 :
神も仏も名無しさん:2011/08/29(月) 09:45:28.60 ID:jYWftNKf
)その他の丁寧な人には丁寧に返している。普通の人には普通に。
丁寧 或いは、普通に話しかける人に対チンピラ対応のように応じたりしないし、
弱っている人間を更に追い込む類いの叩き付けるようなレスをしたりはしない。
これはあえて宣言するようなことなのでしょうか。
これは単に回りの人の態度に自分の感情とそこからくる態度が左右されるという
確固たる自己の欠如を示しているだけのように思います。
(最後の一行はよいことだと思いますけど、そんなことをしないなんておもいもしない人間が正常であり
こんなことをしないという人間には違和感があります。人を殺さないと宣言する人間は怖いですよね。)
これは自分を恥じる無いようではあっても誇ることではないですね。
もちろんいつも温和でいようということではないですよ。
他人の態度に対応することと左右されることは別ということです。
279 :
チゥ(* ^)(◎o◎)ポッたん ◆oOmXnN8feI :2011/08/29(月) 15:11:52.15 ID:IZV3YXF0
>>276 >>246 素人A さん
昨日、5ヶ月ぶりの孫二人との夕食後の会話です。
あとは死ぬだけだね。
生まれたから、死ぬんだよ。
俺達は、成長しているよ。
成長の最後が死だよ。
死は成長してるんだね。
生の姿が成長だよ。死は成長のひとつの姿だ。
あとは死が残ってるだけだね。
違うよ、死の前には、病がある。病気だね。
病と死が残っているんだね。
老の中に、病死があるよ。
そうかあ。
何故、老、病、死があるのかと言うと、生(しょう)、生まれてきたから,当然、死があるんだよ。生まれなければ、死は無いよ。
ところで、人間は60兆個に細胞が集まって一人の人間が出来上がってるんだ。
塾の先生が、1キログラム、1兆個の細胞だといっていた。
だったら、俺は32キロだから、32兆個の細胞だ。
おォ。そうだね。
死ぬとじーじの83兆個の細胞が解散していく。
死んだら、幽霊になるよね。テレビで言ってたから。
幽霊はいないんだよ。
まあ、おおよそこんな 会話だったと思う。
孫の成長は、頼もしいかぎりで、、わたしの成長は突然止まる。
祖父が死に、父母が死に、夫婦が死に、子どもが死に、孫が死ぬ、めでたい、と言う人が居た。
280 :
チゥ(* ^)(◎o◎)ポッたん ◆oOmXnN8feI :2011/08/29(月) 15:37:33.00 ID:IZV3YXF0
281 :
チゥ(* ^)(◎o◎)ポッたん ◆oOmXnN8feI :2011/08/29(月) 17:28:58.33 ID:K6Awpf8q
282 :
チンカス製造復活したのかw:2011/08/29(月) 17:49:52.17 ID:EMlbt9D0
しばらく、来ない間にチンカス製造復活w
シコシコ製造ぼったんも、ワイが来ないので寂しそうだなw
そういう時はいつも、野狐氏にやる気の無い返レスw、ワイだと思って、
まあ、シコシコ製造ぼったんを次に相手する時は禅仏教ではもったないのでw
他の仏教解釈でぼったんの精神病理を追求しようw
あ、さいきん、ヨガの瞑想をマスターし始めたたなあw
シコシコ、チンカスを相手しない間にねw
283 :
チンカス製造復活したのかw:2011/08/29(月) 17:52:30.05 ID:EMlbt9D0
チンカスたろすけファン氏には、たろすけ版野狐禅ですシリーズコピペを希望、みてみたいw
284 :
チンカス製造復活したのかw:2011/08/29(月) 18:01:33.25 ID:EMlbt9D0
妄想戦士「ぼったむ」シリーズがやりたいが、連投する気が減っているで、やれない・・・
ぼったんは余裕ポーズで食いついたが、相当堪えたらしがww
こっちが連投するエネルギーが無かったのでw
ストーリーは、たろすけのチンカス弾幕対、ぼったんのシコシコ弾幕の応酬の闘いw
敗北感を拭う為に両者、チンカス弾幕、シコシコ弾幕で防御w
285 :
チゥ(* ^)(◎o◎)ポッたん ◆oOmXnN8feI :2011/08/29(月) 18:08:57.70 ID:K6Awpf8q
286 :
チゥ(* ^)(◎o◎)ポッたん ◆oOmXnN8feI :2011/08/29(月) 18:11:15.09 ID:K6Awpf8q
287 :
神も仏も名無しさん:2011/08/29(月) 20:02:18.39 ID:MIIfNylv
せったん@myoejoe:2005/08/14(日) 20:01:16 ID:d+wKS8i6
変しい変しいハルカ様あなたは僕の大腸よ。
せったん@myoejoe:2005/08/14(日) 20:14:36 ID:d+wKS8i6
ニューロンてあれ神経細胞、いや繊維だかの単位だっけか、なんだニューロン変換て、おしりがわぎなにーありゃわしみたいえらい人が、ナスカちゃんじゃないハルカちゃんに嫌われる、でもおかまちゃんがさ、−
せったん@myoejoe:2005/08/14(日) 20:17:34 ID:d+wKS8i6
親指つったてて、こう切るんじゃない縦に八つに割って埋めこむんだって云った、なーるほどでなくっちゃ感覚ねえ物理的なっちゃう、でもってどこの穴へって聞いてこーんな目で見られた。
せったん@myoejoe:2005/08/14(日) 20:21:18 ID:d+wKS8i6
そんでもって話は弾んで、店紹介してくれた姉御がさ、あたしとってもバナナ切れないっていった、花電車しってっか、知ってらあな、ばななちょんぎれるか、もちよ、へーえけつあつたけえなって、落ちつけたったげらげら。
せったん@myoejoe:2005/08/14(日) 20:29:18 ID:d+wKS8i6
もう駄目だ絶望だつい本性出したハルカさまにそっぽ向かれた頭剃って坊主なる。
めちゃくちゃとばしてんなー、そしてオルメカ巨石に強烈な文化の香り=智慧を感ずる、と。はー。
288 :
たろすけ:2011/08/29(月) 20:38:48.19 ID:Tej/kzGp
>>277 > だろうね。御宅は何も見えてなさそうだし。 > 御宅は容器について幾度も述べていたが、私は中身について論じているんだよ。
> 私は指摘された内容、箇所全て理解しているが、そのような表面には応えない。
> いうと思いました。そうだと思ってるんでしょうね。
> そうだと思ったりそうしようと思ったりしてできることではなく、それは自己を理解してゆくうち少しずつ起きてゆくことです。
> そんなものは皮一枚の夢でありあなたの実体はまるで違う。
> 実際はその次元はおろか、日本人としてのまともな国語力を前提とした通常の会話もできず、
> ありもしない他人の発言のねつ造したり文脈を無視して単語にかみついたりしてるだけ。
> 投影だけで生きてる精神病院行き候補生ですよ。
笑うベキ返答だ。
> あなた他人の主観がわからないということすらわかってないでしょう。 例えばここ、国語的に理解できない
アナタの>241の後半の内容(略)
ソレに対する私のレス>250の中間辺りの文内容(略)
> その場の空気ではなく発言者が発する空気。その人自体の実存の話だったのですが、。
発言者の発する空気》等という内容の発言が、
果たしてアナタの対応から読み取れる実存から切り離して成立しうる主張なのかいな?
宗教の道ってのは、自分の身の丈越えた主張や提起を赦す程に、等閑的な歩み手の歩むモノなのかね?
失礼ながらアナタの文面から実存を察しうるに、
アナタは空気に呑まれ、衆目を恐れた迎合・和的な文繰り出しこそすれ、
到底、ロジックに重点を置かぬ自他配慮を含んだ瞑想的な文云々を述べられる在り方にないと判断したんだよ。
そんな人と、話し手の実存から乖離した、自他配慮の瞑想的な文の素晴らしさや意義について、
《我々》などと言う勿体つけた切り口の下に論じてみた所でそれこそ欺瞞だろ?
だから私は、その無益・空論的な論点をすっ飛ばして、《アナタの精神水準に応じておおよそ記述するであろう文傾向》と
その時アナタが《瞑想文と称するであろうその文内容の実態》について直に言及したんだよ。
・・・端折って申し訳ない。私は説明を簡略化するクセがあるんでw
289 :
たろすけ:2011/08/29(月) 20:39:57.82 ID:Tej/kzGp
>>278 > )その他の丁寧な人には丁寧に返している。普通の人には普通に。
> 丁寧 或いは、普通に話しかける人に対チンピラ対応のように応じたりしないし、
> 弱っている人間を更に追い込む類いの叩き付けるようなレスをしたりはしない。
> これはあえて宣言するようなことなのでしょうか。
> これは単に回りの人の態度に自分の感情とそこからくる態度が左右されるという確固たる自己の欠如を示しているだけのように思います。
> (最後の一行はよいことだと思いますけど、そんなことをしないなんておもいもしない人間が正常であり
> こんなことをしないという人間には違和感があります。人を殺さないと宣言する人間は怖いですよね。)
> これは自分を恥じる無いようではあっても誇ることではないですね。
> もちろんいつも温和でいようということではないですよ。 > 他人の態度に対応することと左右されることは別ということです。
健忘症ですか?
アナタはポッタン氏への私の批判追及を含め、(アナタ風の)慈悲を呼び掛け、目をつぶるベキと述べたではありませんか?
となれば、それは私が自身の対応についての弁明をわざわざしなければならない必要性が生じて来ませんか?
ソレが人間の正常な感覚では?
290 :
たろすけ:2011/08/29(月) 20:43:52.92 ID:Tej/kzGp
>>283 落ち着け大王、お前の事ではないw
お前も禅者ならそういう反応をするなw
291 :
神も仏も名無しさん:2011/08/29(月) 20:49:43.43 ID:MIIfNylv
せったん@myoejoe:2005/08/17(水) 20:30:08 ID:5ja7g9a9
うんそうなあ見性したらもう一回見性して下さい、そうすると見性を忘れるんです、見性のないことを知る、はじめて修菩薩行なんですよ、だって彼岸にわたったらそいつが此岸。
せったん@myoejoe:2005/08/17(水) 20:38:49 ID:5ja7g9a9
一個の器とか年度細工が立派なセンテンスになってる、そりゃ今の言葉の比じゃない、寸秒に正確に伝わる。たしかにオルメカのあれ、寸秒の無駄もない完璧なメッセーじ。
せったん@myoejoe:2005/08/17(水) 20:41:59 ID:5ja7g9a9
モアイにな落っこちていた目ん玉入れると、間抜け面ふっきえて、美しい太陽とあいたい人間になるんだぜ、知ってるかいそれ。
せったん@myoejoe:2005/08/17(水) 20:44:35 ID:5ja7g9a9
仏教の完璧な彫刻は仏足石です、如来お釈迦さんの足型が刻まれてます、すなわちそこに如来が立っているんです、えどこに、そこに、
僥倖だね
せったん@myoejoe:2005/08/17(水) 20:50:20 ID:5ja7g9a9
たとい100万年前の人間だろうが、科学者どもは貧相に醜悪に描く、異星人をみにくくあしざまに描くのと同じ、いいですか必ず美しさがあるんですよ、優しさが、それのないのは科学と現代人だけ。
いいなぁ。
292 :
神も仏も名無しさん:2011/08/29(月) 20:59:38.92 ID:MIIfNylv
せったん@myoejoe:2005/08/17(水) 20:54:01 ID:5ja7g9a9
6世紀の仏教徒と僧の像は完璧に摸していたな、たしかにわしら同僚どもの顔だった、空じきった目つきとか施主家のたんねえ顔とか。
せったん@myoejoe:2005/08/17(水) 20:56:29 ID:5ja7g9a9
痩せてひょろっと酒買い観音に、ずんぐり達磨みたい二つ百済観音像は、どこかに一線残る、思想哲学としてあるんです、そこへ行くと、
せったん@myoejoe:2005/08/17(水) 20:59:11 ID:5ja7g9a9
鎌倉彫刻のよくできの仁王さん、あの膨大なマッスが虚空と等価なんです、実際ぶったまげるです、仏師も大悟徹底せにゃこれはできん、いえ東大寺とか有名なのはちいっと。
ひょ〜。膨大なマッスが虚空と等価、ですか。かっこいい。仁王さんもせったんも。
せったん@myoejoe:2005/08/17(水) 21:02:18 ID:5ja7g9a9
雪舟の水墨画がまさにこれ、ちんぞう頂像といわれる、代々仏祖の像はたいてい合格です、よく見てごらんなさい、極彩色があれ虚空なんですよ、他の絵空事じゃない。
雪舟の画って、なんでも鑑定団とか、nhkのそれっぽい番組とかでちらと見たことしかないけど、なんとも思いようがないような画だなぁ、あたしなんかには。
293 :
チゥ(* ^)(◎o◎)ポッたん ◆oOmXnN8feI :2011/08/29(月) 21:20:18.90 ID:TddS9QC7
294 :
チゥ(* ^)(◎o◎)ポッたん ◆oOmXnN8feI :2011/08/29(月) 21:39:23.02 ID:TddS9QC7
295 :
チゥ(* ^)(◎o◎)ポッたん ◆oOmXnN8feI :2011/08/29(月) 21:52:52.07 ID:TddS9QC7
>死を恐れているが本当は死とは何であるかすら判っていない
では、死とは?
> ↑それはわしが聞く事じゃ。 死とは何じゃ? おぬしにとって死とはどのようなものじゃ?
死とは、成長である
> 死がどのように成長するのじゃ?
おまえに言おう。
死とは、生老病死(しょうろうびょうし)。
生は死であり、
老は死であり、病は死であり、
死は死である。
死は生。
生の成長が老であり
生の成長が病であり、
生の成長が死である。
では、死の成長は、空である。
では、聞こう。空とは?
296 :
神も仏も名無しさん:2011/08/29(月) 22:30:58.98 ID:MIIfNylv
せったん@myoejoe:2005/08/17(水) 21:06:58 ID:5ja7g9a9
45自分が向こう行っちまったらもう苦しまないよ、花も鳥も雲もけものも苦しまないのは、意識が発達してないとかいう、キリスト教独善じゃ届かない、よう知ってるのさ連中、しいかも苦しまない、でなかったら自然は人の慰めにはならんです。
うん。
せったん@myoejoe:2005/08/17(水) 21:10:36 ID:5ja7g9a9
ピカソと子供は無関係な、あいつは練達の人、しかもはなっからヨーロッパの伝統という冠だ、ゆえにあいつの絵の完成は、どこまでいっても批評的、ついには落着を知らぬ。
へぇ。画の完成ってのはわからないや。作風のことを言ってるのかな?落着を知らぬ、か。そういう風に言うんだ。
297 :
チゥ(* ^)(◎o◎)ポッたん ◆oOmXnN8feI :2011/08/29(月) 22:41:39.06 ID:TddS9QC7
298 :
神も仏も名無しさん:2011/08/29(月) 22:46:24.52 ID:MIIfNylv
臨済の喝と三十棒! ◆FNpT2a5MGA :2005/08/17(水) 21:46:02 ID:GuS6ArRl
名前:せったん@myoejoe[sage] 投稿日:2005/08/17(水) 20:22:10 ID:5ja7g9a9
達磨さんにひげあるかってやつか、それちゃんと透過せんとな、井戸がこっち見ている、見ている自分がいない、でもってそいつに住むってこったがな、
でないとただのなぞなぞ、そーゆーこと面白がってちゃ、そらあかんでよ、30棒。
井戸も自分も、無いというのに、どこに住すると言うのだ。
ところで、どうなった?だるまさんのひげ、無くなっちゃってたってよ。
公案には、ぴんと来ないようだから、レスは無理か・・・
:臨済の喝と三十棒! ◆FNpT2a5MGA :2005/08/17(水) 22:11:15 ID:GuS6ArRl
22 眼が見えず、耳が聞こえず、口がきけない三毒の人が、さくらを知りたくてさくらの木に抱きついた。これがさくらだとどうしたら、悟らせるだろうか。
23 ここから、300メートル先のロウソクを吹き消せ。
(……中略……)
29 悉有仏性、犬に仏性はありますか?無,、或いは又、有。
30 ハチの巣に入り込み蜂に刺されず、女王蜂のロイヤルゼリーを持って来い。
あー…萎える
せったん@myoejoe:2005/08/18(木) 08:13:46 ID:vEy+2CvI
ダメですよ、そんなこと云ってちゃ、深い井戸の底にあるように、公案さんこれ知らないの、いずれたった一つでいいんだけど、ひげあるかないか、どういうことか知ってますか、云うてみて下さい、あなたについてのわしの診断は、ぜんぜんなっちょらんていうのです、はい。
せったん@myoejoe:2005/08/18(木) 08:18:52 ID:vEy+2CvI
こういうことしてると自救不了に気がつかないんです、道具扱いじゃない、はたしておれはどうなんだという問題です、臨済宗の人ついにどうにもならんの多いです、公案なんて答え百万とおり、いくらだって解けます。
でも本人は禅修行だか公案修行だか見性だかなんかそんなもののつもりらしくて、どうやら本気でそう思ってるらしくて、うそんて思うけど、似たようなのは他にもいるし、謎だよ。
299 :
神も仏も名無しさん:2011/08/29(月) 22:56:16.20 ID:MIIfNylv
せったん@myoejoe:2005/08/18(木) 09:51:55 ID:UO+UK/EK
だから本当に答えを出してください、たとい手にとった茶碗にころっと入っている、木の葉揺れず自分揺れるも、ついにそこで終わるはずが終わらないってことあります、師家としてそのあとに対応できるか、仏であるかないかなんですよ。
せったん@myoejoe:2005/08/18(木) 09:54:31 ID:UO+UK/EK
師家はすなわち別の公案を出すという、これじゃしょうがない、60さん(*たぶんぽっ痰のこと)もさしずめ自分の答えをお持ちでしょう、それなんにもっわかっちゃいないってことですよ、だからほっぺた食らわせたったのに。
せったん@myoejoe:2005/08/18(木) 09:57:57 ID:UO+UK/EK
南天棒仏教のぶの字も知らず、ひっぱたいて人をかたわにしたり、何十年どえらいめにあわす、臨済宗のこれ刑事事件です、六祖檀教もしくは盤珪禅師まで戻って下さい、うっとうしいだけです。
300 :
チゥ(* ^)(◎o◎)ポッたん ◆oOmXnN8feI :2011/08/29(月) 22:57:23.80 ID:TddS9QC7
301 :
チゥ(* ^)(◎o◎)ポッたん ◆oOmXnN8feI :2011/08/29(月) 23:07:50.83 ID:TddS9QC7
302 :
チゥ(* ^)(◎o◎)ポッたん ◆oOmXnN8feI :2011/08/30(火) 01:23:24.44 ID:uyxBuars
303 :
神も仏も名無しさん:2011/08/30(火) 03:40:33.97 ID:ydj52Rql
@これが無回答
> これは単に回りの人の態度に自分の感情とそこからくる態度が左右されるという確固たる自己の欠如を示しているだけのように思います。
A嘲笑的でとげとげしい文体のあなたと、
様々な宗教の祖師たちの文体を比較すると、
ロジックが似通っていても想像される実際の人物像がほとんど逆のものに想像されるが、
本当に彼らに近づいていると思っておられるのですか。
文体からくるあなた自身のイメージをかんがみると逆走しているように見受けられますが。
304 :
チゥ(* ^)(◎o◎)ポッたん ◆oOmXnN8feI :2011/08/30(火) 03:58:47.01 ID:YZKSqBE3
305 :
素人A:2011/08/30(火) 06:56:16.64 ID:v0OHKuzg
宗教とは何だろう?信仰とは?だいたい団体に入ってない気ままな私が考える事では
ないか?ネタが無くてつい。団体に入ると決まりとかがあって窮屈だしキリスト教等は
一神教を押し付けられるし.今日本では総科学会が多いおばちゃんが多い。だいたい私は
団体生活になれないし.常識も無い。会話も話を聞いてないと言われるし。ここ2ちやんねる
の団体生活はしているのか。ここも気まぐれで来たら.ぽつ師匠が雨風のの中で立っていた
今も変わらず立っているけど不動心?だつた。それから気まぐれで飽きっぽい私でも毎日書き込む
様になつた。偶然でも毎日が続いている。師匠ありがとうと言わんといかんのか?
師匠も毎日何か分からん事を書いているし。鬼さんはうんそうだね毎日だし書き続ける。
続くのは続くから。目的は続くから?息も生きつづける限り続く.死んでも息続けるのか?果ては無い
永遠に行き続けるのだ。いつの間にか考えないに変わって安心になつた。
306 :
神も仏も名無しさん:2011/08/30(火) 07:08:54.38 ID:ydj52Rql
3つめ
≫失礼ながらアナタの文面から実存を察しうるに、
アナタは空気に呑まれ、衆目を恐れた迎合・和的な文繰り出しこそすれ、
到底、ロジックに重点を置かぬ自他配慮を含んだ瞑想的な文云々を述べられる在り方にないと判断したんだよ。
根拠があれば別にいいんですよ。何らかの参考になりますし。
しかし根拠、論拠なしに一方的に相手の実体を決めつけてしまったり、
またそれゆえにあなたの言うことはあなたの実体を伴ってないから答えるに値しないというのがありでは、とても対話とは言えなくなってしまう。
具体的な理由の備わった指摘が伴わない他者評価がありなら、全く同じ文章をあなたに返すこともできるのですよ。それこそ誰でもが。
それではとても対話とは言えない。極端な話バカと互いに言い合うだけと変わらない。
307 :
神も仏も名無しさん:2011/08/30(火) 07:22:17.70 ID:LRX+FtY7
ああ、そう言うこと言うから臨済宗の人がうじゃうじゃ言うのか
>>298 めずらしく 「見ている自分がいない」 とか
正解書いとるやん、発心寺グループの受け売り
マニュアルもすべてデタラメではなかったのね。
でも井戸をのぞく自分と水面から見返す自分は
たしかに存在するわけで、そこらへんの説明がなww
帝網にあるという、お互いを映しあう水晶玉とか・・
>>298 だるまのひげは無門和尚が答えを書いて
ますから引用しとくかね、
(惺惺添朦)
ハッキリとした意識に、あいまいなボンヤリ感を
加えたようなものです。
↑これは禅の一般回答で、文章そのものは
またちょっとちがうこと言ってるんだにゃー・・
310 :
神も仏も名無しさん:2011/08/30(火) 08:47:56.88 ID:jphiuMD4
ポッたんと同じじゃん。
正解持ち歩いて何か見えんの?
311 :
素人A:2011/08/30(火) 08:57:36.58 ID:v0OHKuzg
あみん ひまわり
答えなど何ひとつない まっさらな毎日
曲りくねった白い道が はるかに続いてる
もしあの日ためらいあきらめた 別の生き方選んだら
今どんな私でいたのだろう どんな夢を見つめただろう
降りそそいだ陽ざし浴びて 胸をはる ひまわりに
青い空 うなずくように 涼やかに 微笑んだ
風渡る夏の草原 雲の影流れて
悔やんだり つまずいてきた 昨日を消していく
でも何でもないようなことばかり 心縛って進めない
果てしなく広がる地平線 なんて小さな私だろう
手をのばせば届きそうに 背伸びするひまわりは
高い空 仰ぎ続ける いつの日か 届くよと
でも何でもないようなことばかり 心縛って進めない
果てしなく広がる地平線 なんて小さな私だろう
手をのばせば届きそうに 背伸びするひまわりは
高い空 仰ぎ続ける いつの日か 届くよと
降りそそいだ陽ざし浴びて 胸をはる ひまわりに
青い空 うなずくように 涼やかに 微笑んだ
312 :
素人A:2011/08/30(火) 11:02:33.91 ID:v0OHKuzg
きっといま此処の風景として。私も含めて風景に見える
としたら.考えても考えなくても同でも絵絵のかも知れない。
大自然の中で一人佇んでいる時は、誰でもそんな風になれるのかもしれませんね。
314 :
神も仏も名無しさん:2011/08/30(火) 18:21:54.03 ID:LRX+FtY7
あはは、ほんとに、せったんの言うとおりの人だww
315 :
チゥ(* ^)(◎o◎)ポッたん ◆oOmXnN8feI :2011/08/30(火) 21:26:28.53 ID:lQrJlnn+
316 :
チゥ(* ^)(◎o◎)ポッたん ◆oOmXnN8feI :2011/08/30(火) 21:51:07.96 ID:lQrJlnn+
>>305 素人A さん
>ここ2ちやんねるの団体生活はしているのか。
ここも気まぐれで来たら.ぽつ師匠が雨風のの中で立っていた
今も変わらず立っているけど不動心?だつた。
それから気まぐれで飽きっぽい私でも毎日書き込む様になつた。
偶然でも毎日が続いている。
師匠ありがとうと言わんといかんのか?
師匠も毎日何か分からん事を書いているし。
いつの間にか考えないに変わって安心になつた。 』
以前、太陽の周りを回る公転と、
地球の自転の話を持ち出して、
今、此処と、固定したくても、それは無理な相談だと、言ったことがあった。
多細胞生物は、有性生殖で次世代を残す。
生物学上の勝者は、次世代を残したものである。
一方の単細胞生物は、単性生殖で、2分割して増える。
だから、明確な死と言うものが、無い。
いずれにしても、空(そら)行く雲のように、川の流れのように常に変化して止まない。
生老病死(しょうろうびょうし)の内、生老の次の段階である、病、と死、小5が言ったように、「あとふたつだね」、である。
わたしはそれを、「成長」と言った。
生まれたから、死がある。
それは ホモサピエンスがアフリカで20万年前誕生して以来である。
いや、もっと前、宇宙の誕生以来である。
317 :
チゥ(* ^)(◎o◎)ポッたん ◆oOmXnN8feI :2011/08/30(火) 22:05:41.80 ID:lQrJlnn+
318 :
チゥ(* ^)(◎o◎)ポッたん ◆oOmXnN8feI :2011/08/30(火) 22:25:29.17 ID:lQrJlnn+
319 :
チゥ(* ^)(◎o◎)ポッたん ◆oOmXnN8feI :2011/08/31(水) 00:22:26.48 ID:bbi+4KIK
320 :
たろすけ:2011/08/31(水) 01:01:20.62 ID:YxsSG8oG
>>303> @これが無回答
> これは単に回りの人の態度に自分の感情とそこからくる態度が左右されるという確固たる自己の欠如を示しているだけのように思います。
自分はロクロク答えやしないのに相手には回答の漏れを許さないんだねw
(その箇所はすでにレスした内容からワカルので漏れてるとは思えないが・・・)
回答@
私は超越してないので《社会性》があるんだよ。それは《確固たる自己の欠如》とは違う。
確固たる自己が欠如《してない》ゆえに私のレス姿勢は変わらないが、他者に対する弁明の責任と余地があると考える。
それゆえに、という事だよ。
責任というのは何も大げさな事ではなく、単に、何故このような対応の傾向になるかという説明だよ。
> A嘲笑的でとげとげしい文体のあなたと、 > 様々な宗教の祖師たちの文体を比較すると、
> ロジックが似通っていても想像される実際の人物像がほとんど逆のものに想像されるが、
> 本当に彼らに近づいていると思っておられるのですか。
> 文体からくるあなた自身のイメージをかんがみると逆走しているように見受けられますが。
A嘲笑的でとげとげしいとは心外だね。私は訊かれた事にきちんと答えているし嘲笑してなどいない。
そりゃ笑う箇所くらいあったか知らんよ。
アナタが、私の文体をとげとげしいと言った様に、人によってはそういう印象も受けとる場合もあり得るから
対応について何か批判された場合や、流れ上、ソレに言及する機会を得た時は、既述の様に書き加える事にしている。
アナタが私の文体をおおよそその様に印象しているであろう事も、大体わかっているからね。
321 :
たろすけ:2011/08/31(水) 01:08:17.48 ID:YxsSG8oG
>303
ところで、アナタの文体と祖師たちの・・・で噴飯したよw
なんとおこがましい事。
トンデモナイトンデモナイ。私は只の凡夫に御座います。
比較することさえ能わず。近づこうとも思ってない。私はどこまでも私です。
そしてその結果、仏者となろうとなかろうとソンナのはどうでも良いことと思ってる。
で、それが逆走?で(傍走ならわかる、暴でなく傍)アナタの言うようなものであるなら確かに問題だけどねw
ところで私は祖師の文体を本に何らかの精神の調整を行ったり、ソレを指標にしたりしていないけど?
何故、私の意図や批判が、その文体を考えると、祖師から逆走するモノとなるのでしょう?
全くワカラナイ。
それと何何?ロジックが似通っている?
意識したこともナイね。私はカルト論法とその周辺について述べたダケだが。
322 :
たろすけ:2011/08/31(水) 01:18:32.15 ID:YxsSG8oG
>>306 > 3つめ
> ≫失礼ながらアナタの文面から実存を察しうるに、
> アナタは空気に呑まれ、衆目を恐れた迎合・和的な文繰り出しこそすれ、
> 到底、ロジックに重点を置かぬ自他配慮を含んだ瞑想的な文云々を述べられる在り方にないと判断したんだよ。
>
> 根拠があれば別にいいんですよ。何らかの参考になりますし。
> しかし根拠、論拠なしに一方的に相手の実体を決めつけてしまったり、
> またそれゆえにあなたの言うことはあなたの実体を伴ってないから答えるに値しないというのがありでは、とても対話とは言えなくなってしまう。
> 具体的な理由の備わった指摘が伴わない他者評価がありなら、全く同じ文章をあなたに返すこともできるのですよ。それこそ誰でもが。
> それではとても対話とは言えない。極端な話バカと互いに言い合うだけと変わらない。
それこそコチラが
アナタの306のレス自体が、私の批判文に対する《実体を伴っていない》モノと《アナタに返す》事もできますよ?
もう言ってしまったケレドも。
B何故なら、アナタは
※訊かれている事に答えない。
※論点をずらし食い下がる。
※欺瞞や慈悲の意味について理解が深くない
(コチラ側の見解や批判に対する、理解からの訂正内至反論がない)
※何何について言及が無意味と自覚していながら、ソレについて述べてしまうのを止められない
コレで十分でしょう。
323 :
チゥ(* ^)(◎o◎)ポッたん ◆oOmXnN8feI :2011/08/31(水) 01:50:34.32 ID:bbi+4KIK
324 :
たろすけ:2011/08/31(水) 02:00:38.66 ID:YxsSG8oG
《訂正》
×何故、私の意図や批判が、その文体を考えると、祖師から逆走するモノとなるのでしょう?
何故、私の意図や実存が、その文体を考えると、祖師から逆走するモノとなるのでしょう?
325 :
神も仏も名無しさん:2011/08/31(水) 02:47:08.51 ID:NkIsTGpA
気色の悪い自我復元みたいな話しは精神世界スレに戻って
やれよ。
なんだその屹立した俺の珍個見てーみたいなのは
326 :
神も仏も名無しさん:2011/08/31(水) 03:11:45.94 ID:KolXpekU
しかも屹立したちんこというのはサイの角をかぶせて吊ってあるというシロモノ。
327 :
神も仏も名無しさん:2011/08/31(水) 05:37:04.26 ID:3dHvN4np
≫トンデモナイトンデモナイ。私は只の凡夫に御座います。
であるならば知らないことについて述べたり、他者にアドバイスしたりすることを自己欺瞞という。
また他者への評価も「−−に至っていない」ではなく「−−に引っかかっている」という自分がかつて経験した
つまづきのある程度具体的な指摘があると話がつながるし、知らないことについて話す自己欺瞞からのがらられるでしょう。
≫何故、私の意図や実存が、その文体を考えると、祖師から逆走するモノとなるのでしょう?
批判、押し付け、(ただちにーーべきだという表現があったかな)
また深刻さはすなわち議論や言葉への編重でありたかが言葉に深刻になりすぎている。
深刻になるのは人の性でどうしようもないが意識的にそれではどうしようもない。
祖師に近づく、瞑想に何らかの成果があれば論理をそうそう重視しなくなります。
また過ちの指摘、正しい方向の示唆ではなく、その人の精神の傾向を自認させる手助けというものを重視してゆくようになります。
反対、批判は抑圧と分裂を生むだけ。思考で思考は消せぬのです。
≫※訊かれている事に答えない。
書いてもいないし、後々説明を行けなければ何で聞かれたかもわからぬことを聞かれたのだ。
答えようがないということが解りませんか。
その内実がわかってきた今なら答えることも可能になってきたかもしれませんが。
ロジックのすっ飛ばしは先にやった方に責任があります。すぐに答えが返ってこないのは仕方ないでしょう。
答えるほどに話がそれる。
328 :
神も仏も名無しさん:2011/08/31(水) 05:56:55.28 ID:3dHvN4np
≫対応について何か批判された場合や、流れ上、ソレに言及する機会を得た時は、既述の様に書き加える事にしている。
少し文の印象が変わりました。しかしほかのやり方で表面上その対応が変わったとてそれは本質的な変化ではありません。
誰もが自分でコントロールしきれない自分の精神の型があり、その型であったり塊が流れゆく世界との調和の妨げになります。
自分に形があるならそれに気づいて、愛であったり創造的なものであったり名づけるのは何でもいいので思考の介在しないあり方を
許してゆけばよいのだと思います。
ある形を批判されたらほかの形を持ってくるという対応の問題ではなく、いかなる形も事実性との調和の妨げになります。
両方とも理解されるべき人格の型ではないでしょうか。
≫※何何について言及が無意味と自覚していながら、ソレについて述べてしまうのを止められない
人を助けようとすることは不可能と述べました。
人と話すのは不自然なことではないですし、日常でも人とは話します。
そしてその過程でも自他の精神を理解する助けになります。
自他の主観について無知なので助けることは難しいので、人とのかかわりで学んでゆこうという声明でした。
≫実態と言語が合致することはそもそもまれな現象なのにその合致にこだわりすぎるのが私だったなー。
たろすけさん。言葉というもの過去というものに干渉されなければ絶えず我々は生の流れ全体の流れに祝福されている。
無条件な幸せがある中条件についてあまりこだわりすぎるのももったいない。
なにか言葉で遊ぼうという案件があったらレスを待っております。
無心に無条件の世界の祝福を楽しみたいのでしたらそちらをどうぞ。
便りがないのは幸せなしるしでしょうから。
329 :
神も仏も名無しさん:2011/08/31(水) 06:28:08.82 ID:3dHvN4np
≫※欺瞞や慈悲の意味について理解が深くない
しめたはずなのですがこれは中心的なタームだったかと思い補足させていただきます。
自分ができないことを他者に指摘するときは自分もそれはできない旨を書いたほうがいい。
と私は述べたかと思います。
その理由は別に口げんかの作法ということではなく、単に自分を知るための機会を失うのがもったいないと思うからこそのものです。
他者に落ち度があってもそれを一方的に批判してしまいますと、自分にある落ち度、自分にある固まったパターンを見ることからの
格好の逃避になってしまいます。(それがたろすけ氏が祖師に逆行してると感じた部分でした)
私は自分を見ることを大切にしています。自分のパターンに気づけたら感謝と共に書きます。
できないが道という書き込みもありましたがそうやって自分を見つめています。
自分を見るのが道であり、またそれは他者あってこそはかどるものです。
というようにきちんと説明しないあたり、自分も十分に他人の考え方を考慮せず話しているので話し方が悪いのでしょう。
また327では328の
「実態と言語が合致することはそもそもまれな現象なのにその合致にこだわりすぎる故の憤り」
が文体に表れています。
これはいかに文から実存を指摘するかという一例です。簡潔ですが文体の印象と文体の背景であろう思想を書きだしているかと思います。
それでは。
330 :
素人A:2011/08/31(水) 06:45:16.54 ID:1rvVrBCS
今朝は何を まあよい本写そう
・・この意味はたいへん明快です。総ての宗教的行為がもつ意味となつている。精神上の修行を
長くつくむ個人は.その個人的限界.個性.希望.恐怖に対する執着を完全に放棄する。そうすれば
真実を悟って再生するのに欠くことの出来ない自己消滅にもはや抵抗を示さず。ついには〔超越的な
ものとの〕大いなる一体化の機が熟してる。己の個人的な野心は完全になくなつているので.かれは
生への執着をはなれ.己のなかで何が起こるにせよ.喜んでゆだねる。言い換えれば.一人の無名の
存在になるのである。〔そのとき〕「宇宙の法」はその人者の無条件の同意を得.かれのなかに住みつく。
さあ私は他他コピー鬼さんへ移行
331 :
たろすけ:2011/08/31(水) 08:37:22.65 ID:YxsSG8oG
>>327 知らない事について述べる》というのは?「−−に引っかかっている」とは?意味がワカラナイ。
批判、押し付け、(ただちにーーべきだという表現はなかろうが、こうではないか?と問われたので《何故そうなるのか?》と問い返したのであるが。
言い方捉え方なぞともかく、問い返すのは合点がいかぬからよw、そちらがどうでもよいならどうでもよい。
軽快に問うたゆえ軽快に答える事がアナタの理想の問答というのなら、相手に軽快な解釈を期待、推奨する前に
アナタ自分が《相手の深刻な受け取り》という妄想に対して軽快になったらよかろうに。
後、祖師〜以下の手前勝手な御託による我田引水と、詭弁の煙幕には閉口。
訊かれた事に答えないとは、言うまでもなく《慈悲と欺瞞》を中心にして言っている。
無論その他の回答もご都合の箇所のみであるアナタのその姿勢。
話がそれる?そりゃアナタの顔と身体の向きが別々にあるんだもの(爆)
332 :
たろすけ:2011/08/31(水) 08:43:13.12 ID:YxsSG8oG
>>328 アナタの文の受け取り方なんてどうだっていいよw、下らん我田引水だなぁ。
クリシュナムルティはそういう受け売りの自我増長を許すのかね?巧妙至極の欺瞞、慈悲を履き違えた慈悲と違うの?
人を分類するのは良くない事だがアナタのレス対応は余りに酷い。
ありきたりの2ちゃんネラーのニューエイジ被れその相場であると判断せざるを得ない。
それに事実性の話なんて誰がしましたか?
究極、他者は救済不可能とか、二項対立は事実そのものを認識判断する妨げになるとか何とか流暢に述べた所で、
相手が宗教詐欺に引っ掛かっているという推量・妥当的な事実とその指摘の有効性は減らん。
333 :
たろすけ:2011/08/31(水) 08:46:10.13 ID:YxsSG8oG
>>329 > 実態と言語が合致することはそもそもまれな現象なのにその合致にこだわりすぎる故の憤り
↑↑↑などとは単にアナタの精神姿勢の不手際だろうに。
自らが実存と文体(文内容でない)を願っておきながら、都合が悪くなるとそもそもそういう事は希であると詭弁を弄して逃げる。
さらには《貴方の実存は文体通り、私の実存に関しては=文体として拘るなと、もう滅茶苦茶。
挙げ句の果てには《私は拘わらないからそのイコールは適用されず貴方は拘るから文体通りが適用される》だと?
アナタの実存と文内容は確かに一致している。終始、慈悲なき欺瞞まみれなんだねw
334 :
素人A:2011/08/31(水) 08:54:30.14 ID:1rvVrBCS
普通は修行すればドンドンよくなる法華の太鼓で上達すると思うでも
山登りと一諸で山あり谷ありが本とか。快楽が無限に上昇すれば身が持たないし
生が無い。危ない薬は危険です。知識も今の脳力と遇わせられる程度で後は良く分からん
法が成長か。輪廻転生は落第で留年かいや春夏秋冬太陽は毎日昇り続けて万練り中
成長しないのか?それじゃ成長と言えるのか さあとりあえずは遊ぶぞう まあよい
335 :
神も仏も名無しさん:2011/08/31(水) 09:18:00.47 ID:3dHvN4np
>>333 そのレスはさすがにつまらない。
私はあなたのというか不特定多数の受け売りの理論と実体が一致しないことに怒りを感じていた。
別に自分の話をしているわけではありません。やるかもしれないとは思ってましたがこの読み違いはひどい。
そして文体と実体は基本的に一致するものですよね。
理論と実存の乖離、文体雰囲気と実存の一致というのは大まかな傾向であり、
あなたも前者については問題意識があったように思います。
私自身については基本的に実体験したことしか語らぬようにしているので、あからさまに
知らないことを語るようなことをすることは少ないと思います。
(もししていたとしたら気づいていないだろうから絶対はない)
これについては具体的な指摘をしていただかないことには検証できません。
まあ比較的どうでもいい部分についてのしかも曲解のレスのみというのは面白くないので、
続きを待ってます。
336 :
神も仏も名無しさん:2011/08/31(水) 09:47:04.96 ID:3dHvN4np
ひどいというほどの読み違いでもないか。
でも327はたろすけ氏のレスに憤りを感じている文体が読み取れても自分に憤りがあるようには読めないので
やはりその読み方には無理がある。
337 :
神も仏も名無しさん:2011/08/31(水) 10:09:13.40 ID:3dHvN4np
ロジックと実存の乖離ということもあるけど、
これは人間一般についてだけど人間同士って話がつながらない。
みな固有の夢を見ているので互いにありもしないことを投影しあって事実から離れてしまう。
どんどん曲解しあって事実から離れてしまうことが悲しい。
しかしそれは思考の本質なので、悟りを開くまで事実からかい離せず何かを論じ合う
という当たり前の事すら完璧にはできない。
完璧にはできなくてもそこそこできればまだよいがそこに行くまでにも、自己の夢見における深い理解がいる。
自己の夢見を理解していっても他者の夢見を理解しないとスムーズに対話はできない。
そしてこれは本当に難しい。共通の社会観念ぐらいならともかく個人的な夢の理解は難しいので、、。
あきらめました。まあ気楽にやってこう。
338 :
チゥ(* ^)(◎o◎)ポッたん ◆oOmXnN8feI :2011/08/31(水) 15:19:30.33 ID:NRmL82r1
>>334 素人A さん
成長と言うと、動植物の育っていくさまを想定してしまうね。
個は、産まれる、生まれるところが生老病死(しょうろうびょうし)スタートです。
止まるところは、ありません、
339 :
チゥ(* ^)(◎o◎)ポッたん ◆oOmXnN8feI :2011/08/31(水) 16:10:01.65 ID:NRmL82r1
340 :
チゥ(* ^)(◎o◎)ポッたん ◆oOmXnN8feI :2011/08/31(水) 17:09:37.10 ID:NRmL82r1
341 :
チゥ(* ^)(◎o◎)ポッたん ◆oOmXnN8feI :2011/08/31(水) 22:48:13.10 ID:bqyWcOF7
臨済、遷化(せんげ)に臨(のぞ)み拠坐して云く、吾が滅後、吾が正法眼蔵を滅却することを得ざれ。
三聖 、出(い)でて云く、争(いか)でか敢(あ)えて和尚の正法眼蔵を滅却せん。
済云く、已後(いご)、人有って汝に問わば、汝、他に向って什(な)んとか道(い)わん。
三聖便(すなわ)ち喝(かっ)す。
済云く、誰(たれ)か知らん、吾が正法眼蔵、這(こ)の瞎驢辺に向って滅却することを。言い訖って端然として示寂す。
☆ 遷化という語は僧侶、とりわけ偉大な禅僧の「死」に用いられる語で、入滅・滅度・順世・円寂などと同義語である。
342 :
売国奴:2011/08/31(水) 22:52:07.62 ID:R7/sCrT2
京都大学原子炉実験所助教・小出裕章氏
「原子力なくても火力と水力でまかなえる」が言った事
米国はほんのわずかのロケットを打ち上げた朝鮮を「ならず者国家」と
呼び、 それを理由にさらなる軍拡を進める。そして、日本はその腰巾着と
なって、 朝鮮の脅威をあおる
ワールドトレードセンターでたかが3千人が死んだからと
言ってアフガニスタンで、 そしてイラクで何万人もの人間を
虫けらのごとく殺していく。そのことは 報道もされない。
http://www.rri.kyoto-u.ac.jp/NSRG/kouen/KoreanN.pdf
343 :
チゥ(* ^)(◎o◎)ポッたん ◆oOmXnN8feI :2011/08/31(水) 23:12:10.54 ID:bqyWcOF7
344 :
チゥ(* ^)(◎o◎)ポッたん ◆oOmXnN8feI :2011/08/31(水) 23:36:55.70 ID:bqyWcOF7
345 :
たろすけ:2011/09/01(木) 01:11:39.41 ID:Yhgd8AR9
>>335 私を含めた不特定多数の受け売りだと?噴飯に噴飯を重ねる心地だよw、
受け売りはアナタだ、それはニューエイジのね。理論と実体が一致しないのはアナタだよ。
そして文体=実体では△だね。そうでなく、文の諸要素による総合的な判断=実体だね。
文体、雰囲気=というがアナタの様に内容なく、論点をずらして食い下がり、選択的な回答をしていても慇懃にはできるんだよ。
でもその慇懃さは偽りの柔和さだよね、精神性のある人が他者への影響を慮っている柔和さとは違うよね。
私は曲解してはいない。アナタは文体=実存の等式は他者に遠慮なく適用するが、いざ自分が文体=実存(※)を適用される側になると、
その=は希望的な見方で実際は希であるとケンエンする。(私の場合は文体=実存でなく、文における諸要素の総合=実存)
にもかかわらず、ソレをアナタに適用するのは、私の過剰な深刻さから来ており、ソレが実存として文体にあると詭弁を弄する。
しまいには遊べ遊べと、言葉は深刻である必要はないなどと、文体=実存の重要な役割だという自らの主張をも便宜使いする始末。
>>337 問題なのは言葉と実存の乖離ね。ロジックと実存の乖離なぞ現代では通念として既にあるでしょう。
346 :
たろすけ:2011/09/01(木) 01:31:55.85 ID:Yhgd8AR9
アナタは遊べ遊べと、思考は軽快であるべきだと主張するが、
軽快さとは責任を回避することでもなければ、思考の意義を奪う事でもないだろう。
アナタは自ら掲げる文体(文の雰囲気)=実存の等式の意味の核心をツカミ損ねているからこそ、
自らの文体のみに異常に気を配り、相手のそれを執拗にあげつらうんだよ。
文体=実存を恐れるあまり、アナタは文体に過剰に気を配るがその分(というべきか?)
その他の諸要素が全然、自らの主張で掲げる水準に追い付いてないんだよ。
だからこそ、その歪な有り様のしわ寄せとして、論点ずらし、、選択的な回答(部分部分の回答回避)が生まれる。
アナタは何故この様な事になったのか、よくよく考える必要がある。
347 :
神も仏も名無しさん:2011/09/01(木) 02:33:13.49 ID:UA9lflhE
≫いざ自分が文体=実存(※)を適用される側になると
別に一致がまれだから自分はできていなくても仕方ないなんて全く主張していませんよ。
これも興味深い脳内ストーリーです。そうやって他者の文章を悪い方に曲解するメカニズムは興味深い。
実存と言葉が一致しない、現実認識と現実がいっちしないのは自分の主観に無自覚な瞑想を未修得の人々の事であり、
仕方ないのは自分の乖離についてではなく、他者の乖離を理解してそれに合わせて会話することが難しくてできないということです。
自己弁護なんて全くやってないのにこれ曲解でしょう。
私が乖離してないというわけにではありませんが、具体的な指摘や、背景にある思考については自己分析しても他者に指摘されたことはありません。
そうやって日々自己の乖離を発見するからこそ乖離も少なくなってきているわけで
あなたの指摘には具体的な個所や背景の思考分析がないのです。
だから私のことについては認める認めない、言い逃れの有無以前に指摘自体に意味が感じられないのです。
急にバカと言われても賛成も反対もできないでしょう。だからまずあなたは私への指摘が基本的な指摘の要件を満たしているかどうか思い返すべきでしょう。
348 :
神も仏も名無しさん:2011/09/01(木) 02:52:51.55 ID:UA9lflhE
≫文体に過剰に気を配るが
いいや別にそんなことはないです。気を配ったらマスターみたいになってしまいます。
実態の分析からかい離して夢に基づいて根拠なくきめつける人ばかりという現実に怒り悲しむ傾向があるので、
普通に文に出ていましたね。
実際自分の感情を見つめることが大切なんだと思いますよ。
もともとはたろすけさんもそういう文体を自然に描かせるような、また痛烈な反論をしてしまうような
自分の感情状況を見てみたらいかがかしらということにすぎず、
言葉尻を捕まえてのやりとりになることはもったいないと思うのです。
だからたろすけさんに文体を変えろと言ってるわけではありません。
また思考の意義とはなんでしょう。思考やいろいろなものを約束しますが、実である安息をもたらすものには思えませんが。
≫331 332
こちらの存在を見落としていたようです。
≫知らない事について述べる》というのは?
自分がーーの段階に至ってないのに他者がその段階に至っているかどうかはわからない。
≫「−−に引っかかっている」とは?意味がワカラナイ。
自分がかつて克服したことであるなら相手が何らかの思考や価値観に束縛されていることを看過できる。
何かを得る道ではなく、自己の束縛を見てゆく道であるから、得たという主観的な自我の肥やしになる体験ではなく、
むしろ失ったもの、自己の不自由さの自覚の積み重ねが糧でありまた他者への助けになる。とそんな感じです。
349 :
素人A:2011/09/01(木) 06:32:22.92 ID:THQu99cm
死んだら如何なるのだろうか。何にも考えてなかったら私の仲の仏は修行さぼつて
遊んでばかり家が燃えているのに.正解が無い迷う。ぽつ師匠の無視独語の認可が
ある。鬼和尚の観察がある。色々の現象公案がある。孝子師匠の詩がある。まあ
何とかにはなるは新世界駄目でも古い正解を参考にして輪廻転生で地獄には行かない
ようにしよう。まあ適当に修行はしようかサボって正確の悪い人には地獄絵図がある
かも。私は考えんでも仏によく考えてもらわないと。目の前の坐禅サボるな少しは椅子禅するか。
心の草原
http://www.youtube.com/watch?v=CuXCX1n1HZI
350 :
素人A:2011/09/01(木) 07:09:09.08 ID:THQu99cm
いまのままでは死んでも静かに長続きせずか.とにかく私は落ち着きがない
まあ動にかなる
師匠、やっぱり覗き見しに来てしまいした。
もう次の身体は欲しくないと思う。
でも、運命が押し売りするなら、気付きやすい環境がいいと思う、貧しくても。
352 :
チゥ(* ^)(◎o◎)ポッたん ◆oOmXnN8feI :2011/09/01(木) 14:59:42.89 ID:WL90V93A
>>349 素人A さん
「死んだら、一巻の終わり」 です。
元の分子に戻っていくだけでしょう。
353 :
チゥ(* ^)(◎o◎)ポッたん ◆oOmXnN8feI :2011/09/01(木) 15:53:20.57 ID:WL90V93A
354 :
チゥ(* ^)(◎o◎)ポッたん ◆oOmXnN8feI :2011/09/01(木) 15:54:34.24 ID:WL90V93A
355 :
チゥ(* ^)(◎o◎)ポッたん ◆oOmXnN8feI :2011/09/01(木) 18:25:31.33 ID:scwGTh5K
隻手の音声を聞いたのなら
師、問う、片手のひとがたたく拍手の音を聞いたのなら、灰になった後(死んだあと)、片手の音をお前はどうやって聞くのか?
あほなこと訊くのはおよし。
隻手の音を聞いたなら、灰になった後も聞けるのは、当たり前のことや。
そんなこと訊かんで、早よう聴きなはれ。あほぽったんさん。はっはっはっ・・・
357 :
チゥ(* ^)(◎o◎)ポッたん ◆oOmXnN8feI :2011/09/01(木) 20:20:20.88 ID:scwGTh5K
358 :
チゥ(* ^)(◎o◎)ポッたん ◆oOmXnN8feI :2011/09/01(木) 21:15:52.60 ID:scwGTh5K
359 :
素人A:2011/09/02(金) 06:38:23.63 ID:CJusmac8
師匠は死んだら私の後は物質だから.脳が壊れたら後はないと言う。良く分からん死?
脳で考えているのだから脳知りません。脳は輪から内。感ではある様な気がするが.
すぴりちあるの人や宗教者もガリレイのせいで科学に論争で負けてから生物の定義で
永遠には生きられないそれは物質としての生物。カトリックが負けたのに宗教の総てが
オマケにされた。本と宗教は役に立たないから現世利益では特に仏教は役立たず。
科学宗が偉いのだ。でも金つかまされる反対も出来ず。脳は人間の脳より大きい脳は
ある様な?良く分からん脳力が確かに身得んけど在る様な。私は気が小さいので社会が
こうだと言えば大きな声で言えない事ばかり。真実より平和いい加減な人間だもの。
360 :
素人A:2011/09/02(金) 07:31:39.34 ID:CJusmac8
上空目線という言葉が飛び込んで着た。見えん空と見える身で正解か?
果てない命なんかなあ。私は馬鹿にされても飛び出した思いつきを書くだけ
その場しのぎの安心もあるしその場落ち着きもあるしまあよい。何かヨウガ的
有るなんだけど仏性か心身か.犬にも仏の性というものはありますか.
片手の人の拍手の音声を聞いて来い。3廻り半の処でウロウロ見えるけどそれから
先は見えんけど在るのだろう。輪から内だけ見える。
361 :
神も仏も名無しさん:2011/09/02(金) 18:53:13.81 ID:AP0xRE7+
いつも「解せないなあ」と思うんだけど、公案が先にあったわけじゃないんでしょ?
ある時ある所で師匠と弟子の間にこういう会話がありました、ということなんでしょ?
つまり、その時はライブだったわけでしょ?
それが後々、つまり今時分にまで残って、その間には「こう読むのが正しい」とかなんとかいうのが
出来たのかもしれないけど、当時、そこにあるもの全部でそのやり取りをしたわけでしょ?
これが解れば覚者認定です、とかさ。余計なお世話っていうか、それじゃ基本的に鬼和尚と同じだよな。
過去問なぞっててめーの人生済ませられるんならいなくていいよ、前の人がもうやってるから、って話じゃん。
362 :
神も仏も名無しさん:2011/09/02(金) 18:54:20.25 ID:AP0xRE7+
あ、もしかしてアレ?
お経とおんなじで、公案てのも後でつくったお話なの?
363 :
神も仏も名無しさん:2011/09/02(金) 19:12:28.58 ID:AP0xRE7+
あ、もしかしてぽっ痰てそう思ってるのか。誰かの創作だって。
だから、カバーとかサンプリングとかでオリジナルってことにするのもアリでしょ?みたいな?
だとすれば、出来が悪い、と。
364 :
素人A:2011/09/02(金) 20:01:43.78 ID:CJusmac8
マニュアルがあれば.悟ってなくても人間性で善い和尚にはなれるか?
悟っても教え下手な和尚ではこれも不味いし.生徒には教科書は必要だし
365 :
神も仏も名無しさん:2011/09/02(金) 20:09:56.38 ID:AP0xRE7+
ん?しろうとさんに言ってるわけじゃないよ、為念。
あなたのは読んでないんだ。駄洒落変換だけ拾ってる。
366 :
チゥ(* ^)(◎o◎)ポッたん ◆oOmXnN8feI :2011/09/02(金) 23:54:54.57 ID:ANIfLLAH
>>359-360 素人A さん
宗教とは、明治時代に外国語から翻訳するにあたって、禅宗の言葉を使用した。
おおもとの教え、それが宗教と言う意味であり、禅宗はみずからを宗教と言っていた。
以前は、こころの在り場所は胸であった。
武士などは胆力を鍛えると言って、腹にこころの在り場所を作っていたのかな。
コンピュータが普及したり、携帯が普及して、0と1の無限の数列が脳の働きに似てきたせいか、
こころとは、念と言う。
ねんねん、ころりよ、おころりよ、ぼうやの こころは どこいったぁ〜♪
367 :
チゥ(* ^)(◎o◎)ポッたん ◆oOmXnN8feI :2011/09/02(金) 23:56:59.52 ID:ANIfLLAH
>>364 素人A さん
> マニュアルがあれば.悟ってなくても人間性で善い和尚にはなれるか? 悟っても教え下手な和尚ではこれも不味いし.生徒には教科書は必要だし
生徒は、くれくれ君か・・・
368 :
チゥ(* ^)(◎o◎)ポッたん ◆oOmXnN8feI :2011/09/03(土) 00:09:02.78 ID:m9TU1lhW
隻手の音声を聞いたと言うおまえに聞こう。
師、問う、片手のひとがたたく拍手の音を聞いたのなら、灰になった後(死んだあと)、片手の音をお前はどうやって聞くのか?
師問う、おまえはすでに、片手の音を聞いたと言う、では、わしにも聞かせてみろ。
369 :
チゥ(* ^)(◎o◎)ポッたん ◆oOmXnN8feI :2011/09/03(土) 01:07:57.05 ID:m9TU1lhW
370 :
素人A:2011/09/03(土) 06:31:07.10 ID:/2sW343Q
寝る前にこんなネタ見た空といつて.六○の詩
目に見える現象は多様なあらわれを持っているけど.この多様さは元々二元論の彼方にある。
無限に多様なものどれ一つとして.限りある枠におさまりきれるものはない。
「これはこうだ」とか「それはああだ」と定義つけようとする罠から解き放たれるのだ。そう
すれば.すべての形あるあらわれは.形のない無限が示すさまざまな表情にすぎないし.それ
から切り離すこともできないから.そのままで完全なものなのだということがわかる。
すべての始まりから.あらゆるものはそのままで完全だということがわかれば.何かをする
努力は.総て放棄される。あるがままの自然な状態にとどまっているだけで.不二の三味の境地
が自然に生じ続ける。
元々の先に何にがあるか考え初めても.この詩を書いたチベットの聖者もきっと解らない完全とか
何か言っても解らない.私の弱い頭では到底むり.空の彼方にもつと大きな嘘があるんかなあなんて
あれやこれやつ頭疲れて.私には何か解らないでしょうがないではないか。無理なものは
無理でも何か解らないでいいか諦めよう。私には分からないものだらけイライラするけど
まあよいか。いつたいどのようなものがこのようにきたのか。私には分からないけど
来るものは来る。
371 :
神も仏も名無しさん:2011/09/03(土) 09:10:29.79 ID:RiOSjYox
372 :
素人A:2011/09/03(土) 09:48:44.58 ID:/2sW343Q
この静寂というのが私には実行不可能で.現代人の内でも性格は静かな方ですが
今は台風ニュースや野田首相スポーツの勝ち負け家庭問題ご近所の付き合い
金銭問題暇なときの楽しみ少ないと不満でつまらないというし頭使うのは面倒で
物のかたずけや整理もさぼり.時間も法も守らなきゃならないし時間も電気も
無駄にはと気をつけなければいけないし.その隙に仏教2ちやんねるにやつと
たどり着く。朝は早く起きてさつさと書き込める.お客来ないので店暇な時は
書ける人休みする。悟りじゃなく仕事のさぼりか?金儲け考えよう明日。
今の時代のせいにするな文句は何時でも有る仏物。早起きは山門の徳だ。
秋らしくため息だそう。
373 :
野孤禅スレです:2011/09/03(土) 10:53:49.14 ID:yf/TBhkO
ここはタイトルとは真逆の擬似似非の野狐禅を展開している糞スレである。
ポッタンと称する者が師家気取りを演じている。(本人曰、糞スレだから銀蝿が湧いてしょうがないと)
自己愛性人格障害のこの者は坐禅修行もろくにせず、名誉欲や偽善心、虚栄心など我執煩悩が旺盛である。
三昧と執着の違いも分らず、三昧であれば何でも禅と言い放って、もっぱら日々、競馬三昧、2ch三昧にのめり込んでいる。競馬や低俗なコピペを方々に貼付けては顰蹙を買うほどの俗物である。
本人は無師独悟とか称して、隻手の音を聞いた、その後次々と公案を透ったと大見栄を切っている。
しかし所詮、自分免許の浅はかさ。書込みからは証悟の片鱗すら伺い知ることはできない。
一例が「私は払子を立てた。これが私の禅です」と坊主の真似事が禅だと、恥とも知らず失笑を買っている。
そんな者がどこからか禅語をコピーしては、矛盾に満ちた皮相的で幼稚な取るに足らない曲解を書き込んでいる。
突っ込まれて答えられない質問には、恥隠しのはぐらかしや長文コピペで誤魔化すこと枚挙に暇がない。
またときに、尊大な我執による妄想妄念から、あられもない説法をしでかす。
「すずめさんがチュンチュンとこんにちは、タンポポさんがニコッとこんにちは」と幼児童話レベルの妄想が禅の悟りであると吹聴している。
しかも30年近くもこの有様というから愚かの極みで、恐らくボタンを掛け間違ったまま生涯を終るものと想像できる。
野狐禅に陥ったら、五百生間狐となって迷妄の深淵から抜け出せないというよい例である。
この様に我執に塗れた者が無我を語り、見性せぬ者が空を語るなど、入門者でも胡散臭さを感じて俄に信じる者はいないとは思う。
しかし中には、類は類を呼ぶ、同病相哀れむという諺通り、ポッタンを師とする者が現れた。
素人Aというポッタン酷似の者で、なにやら激しい妄想妄念を、誤字誤変換だらけで書き込んでいる。
最近は師への切替えが混乱し、妄想妄念も激しくなって分裂症も進んでいる様子である。
祖師禅とかけ離れたこの野狐禅スレに、間違って来られる入門者があるやもしれない。
しかし、よもやこの師弟に惑わされることはないと思われる。
万が一のため、ポッタンのように野狐禅に陥って人生を無駄にせぬよう警告の意味で記しておく。
374 :
野孤禅スレです:2011/09/03(土) 10:55:50.80 ID:yf/TBhkO
ぽったんの見性渇望物語である。
まだ、ぽったんが”あは”と名乗っていた時代のことである。
酒場に働く女から金色の炎が立ち上がってるのを見て、見性したというのがことの始まりであった。
勿論、見性とはまったく無縁のことは云うまでもなく、当然のことながら呆れた幼稚さに批判非難紛々であった。
それでもぽったんはそれが見性だという持論で仕切りに反駁したが、誰一人、頷くものがなく、渋々引っ込めざるを得なかった。
暫らくこの自説を封印して大人しくしていたのだが、持って生まれた猛烈な虚栄心はそれで収まる訳はなかった。
次には新たに、「お花さんが微笑んで、おはようとご挨拶」と童話風物語を語り始め、これが見性ですと新説を打立てた。
それが素性の知れぬマンゴー先生とかいう者に見性してると”認定”され、今日までそれがぽったんの唯一の拠り所になってるのは衆知のことである。
しかしそれだけではまだ虚栄心を満足させることができなかった。
その後、「隻手の音声」という公案について、頭の中で組上げた理屈でもって、音を聞いたと吹聴し始めた。
だが、そうはいったものの、ある人物から「本当は聞こえない」と指摘されたことから、組立てた理論が敢なく崩れ落ちてしまった。
すっかり自信を失なってしまったぽったんは、ここでも見性の自説を下さざるを得なかったのである。
その後は、音が聞こえるのは色即是空までで、その体験後は音は聞こえずそれが空即是色であると実に珍妙な見解に変えている。
その度に、都合良く解釈を変えるもので虚言癖もなかなかのものである。
またつい最近では、方々のスレで「無とは何か」などと、公案がパズルであるかの如く回答を募って師匠然を気取っていた。
しかしこれもまた、ある人物からトラック一杯の答えを集めても正解などはないと指摘され、あえなく撤退してしまう嵌めになった。
このようにどれもこれも、もともと見性などしておらず、ただ嘘でもいいから異常体験をしたとの虚栄心と師匠を気取っていたいがためであるのは明らかである。
真に見性してものであれは実体験からくる確固たるものを掴んでいるので、誰が何を言おうと一切右往左往することはないものであるが、この体たらくである。
次は何を言い出すのか実に見ものであるが、このようにポッタンの見性への思いは渇望というより飢餓に近いと言える。
375 :
野孤禅スレです:2011/09/03(土) 11:03:05.46 ID:yf/TBhkO
前回は、ポッタンの貧粗な力量を省みずに、雪担老師、更には古仏の徳三、竜譚和尚までも貶し、悟りが不十分と豪語したポッタン、その自我肥大異常性格を暴いた。今や、その自我肥大は止まる事を知らず、人格破綻へと、まっしぐらである。
最近、頻繁に使っているのが、無師独悟(独覚)とかいうポッタン造語である。
無師なのは、本人によると、人嫌いによると言っているので、普段の幼児並性向から、異論を挟む余地は全く無い。
しかし、独悟や独覚となると、悟ったものでも憚り多くて、なかなか口にできる言葉ではない。それを機会ある度に、常套句のように喧伝しているのは、自我の肥大化がどこまで進んで行くのか、の感がある。
本人は 「決して自慢、ひけらかしていってるものでは、ありません」と言い訳しているが、額面どおり受け取るのは安直である。
その言下に「お釈迦様も、沙羅樹の下で瞑想され、暁の空に輝く明けの明星を見られて悟られたのだよ、と言っています。と言うことで、私の無師独悟は、お釈迦様と同じ無師独悟の仲間です。」 と舌の根が乾かぬうちに、本心が別にあると言っているのである。
上から目線はポッタンの常であるが、ポッタンの無師独悟は、釈迦と同様に崇高なものだと、本音が透けて見える。
形は似ているが、内容は月とスッポン、魚目燕石である。
ここまで自我肥大が進行すると、悟りなど無論、望むべくも無い。 自我清算のない悟りがあろう筈もないからである。
しかも、過去スレでは時折、坐禅などいらぬ、と本音を吐露していた坐禅修行が嫌いなポッタンである。
歩み始めた第一歩から、自我清算の方向ではなく、自我増大に走ってしまったのがそもそもの間違いで、しかも正す者のない無師が致命的であった。
三十余年間、肥しにもならない糞知識を頭に詰込むだけで、坐禅修行を怠ってきた代償は余りにも大きく、そのつけが今になって回ってきたのである。
その期間を、自己に謙虚になって、まともに修行していたならば、ここまで自我肥大化していなかったであろうし、少しは悟りに近づいていたとは思うのである。
失った時間が取り戻せる筈も無いが、自我が強大になってしまった上、高齢の今になって、自我の清算など到底適わぬ事であろう。墓場まで野孤禅を連れて行くのは仕方ない。
賢明な諸氏には、決してポッタンの様な轍を踏まず、坐禅修行に力をいれて貰いたいと思うのである。
376 :
野孤禅スレです:2011/09/03(土) 11:08:18.43 ID:yf/TBhkO
無字は、初めて参禅するものに与えられる公案である。これがまた曲者で、中々透して貰えず、艱難辛苦、大変な苦労を強いられる。
それもその筈である。この世に生を受けて以来、永年染み付いた黒白つけたがる分別相対観念を根こそぎ絶つことを試されているのである。チットやソットのことで透過できる訳が無い。
昔、菴原の平四郎というものが、大憤志を発し勇猛の一機で妄想魔境に打ち勝ち、僅か三日で見性したらしい。これなどは稀で、我々凡夫は、昨日より今日、今日より明日、薄皮を一枚々々剥ぐように、自我を清算していくしかない。
そんな凡夫でも、日々努力をし続ければ、何時か因縁が熟した時、見性は訪れる。それは一瞬の出来事かも知れないし、暫しの事かもしれない。
見性の深さも人による。大疑念のものは牛の大半を見るかも知れない。そうでないものは尻尾だけかも知れない。
臨済にしろ白隠にしろ再参して大悟したくらいだから、鈍根な我々凡夫は、一度の見性で一見便見の様には行かない。
見性体験は、将に身を削る、自我清算の修行があってのことである。修行も無く知識を詰め込んだだけの見性などありえなく、逆に我見を益々強めて遠ざかることにもなる。
ましてや、2chに入り浸り、互いに貶し罵りあい、自我を研いている様では、到底、叶わぬ事である。
また、一たび、我見我慢我欲を清算した後、見性して初関が透れば、無や空がガラーッと分かるものである。
世間には、無や空は観念、概念だから書物で学べば分かるものだ、と甚だしい勘違いをしているものがいる。
書物で無や空が分かり、こと足れりと済むなら、達磨が中国へ渡ることも無かったし、禅はとうの昔に滅んでいただろう。
書物に書いてある空や無の解説は、いわば薬の能書きみたいなもので、読んだから病気が治るわけではないのと同じである。
ポッタンは、「飲み屋の女から金色の炎が立ち上がるのを見た」とか「父親に、最近、世界が違って見える、と話した」などと、見性したかのような思わせ振りを語っている。
しかし上述から分かると思うが、強烈な自我が、一度も整理、清算出来ていない俗物に、見性などありえない。これは毎度お馴染みの、彼の虚栄心や自己顕示欲から来る作り話であろう。
仮に事実としても、何か脳の悪い病気に冒されているか、89をやった副作用か、あるいは何かの幻覚ではないのかと疑われるのである。
377 :
野孤禅スレです:2011/09/03(土) 11:10:19.86 ID:yf/TBhkO
| ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄||
||【このスレに来られた方へ】 ||
||★ここは野孤禅の本格スレです。まずそのことを充分、認識してください。 ||
||★野孤禅とはどういうものか、まともでない見本が満載です。 ||
||★ポッタン、素人Aと称するものの発言内容は、まさに野孤禅の見本といえます。 ||
||★素人Aとかいうものはポッタンの携帯黒子ですので、ご注意。 ||
||★この者達の自作自演が多々有ります。相手にならぬようご注意。 ||
||★同様に、かまって貰いたいが為のツリが多々見られます。相手にせぬようご注意。 ||
||★まじめな質問は別スレにてお願いします。 ||
||★誤って、禅の質問をしても、その回答はいい加減と思ってください。 ||
||★本スレの使用目的は、禅に関すること以外、ストレス解消、AAの練習等々、自由です。||
||★書き込む内容は、品格など一切問いません。 ||
||★あらしも排斥しません。 ||
|| 。 ∧_∧ ||
|| \(´・ω・`) いいかな・・? ||
|| ⊂ ⊂ )旦~ ||
||___∧ ∧___∧ ∧___ ∧ ∧__ ∧ ∧___| ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄|_______||
( ∧ ∧__ ( ∧ ∧__( ∧ ∧__( ∧ ∧  ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄
〜(_( ∧ ∧( ( ∧ ∧_ ( ∧ ∧_ ( ∧ ∧ は〜い。
〜(_( ,,)〜(_( ,,)〜(_( ,,)〜(_( ,,)
〜(___ノ 〜(___ノ 〜(___ノ 〜(___ノ
378 :
神も仏も名無しさん:2011/09/03(土) 15:25:50.80 ID:RiOSjYox
379 :
チゥ(* ^)(◎o◎)ポッたん ◆oOmXnN8feI :2011/09/03(土) 15:32:07.28 ID:iRxNuNIw
380 :
チゥ(* ^)(◎o◎)ポッたん ◆oOmXnN8feI :2011/09/03(土) 15:38:02.22 ID:iRxNuNIw
>>373-377 居ぬ
5レスの無駄消費。うろうろ同じ繰り返しをもう10年か、アルツだな、急げ、病院。
ε=ε=ε=ε=ε=ε=┌(; ̄◇ ̄)┘病院!!!
381 :
チゥ(* ^)(◎o◎)ポッたん ◆oOmXnN8feI :2011/09/03(土) 17:02:09.11 ID:iRxNuNIw
>>372 素人A さん
素人A さんらしく、毎日忙しく立ち働いている様子だね・・・ドア|_・) チラリ!
古人にとって、明日はやってくるのかどうか、それはわからない。
今日、やったところまでが、すべて。
と言いつつ、明日はまた、妻と競馬へ行く予定。
秋競馬が始まるから、馬の名前を忘れないように出かける・・・σ(^_^;)アセアセ...
382 :
チゥ(* ^)(◎o◎)ポッたん ◆oOmXnN8feI :2011/09/03(土) 17:09:13.06 ID:iRxNuNIw
870 名前:素人A[] 投稿日:2011/09/03(土) 06:38:18.57 ID:/2sW343Q [2/3]
>師匠の連続ユーチューブ貼り付けもよく分からんけど修行なんだろうか?
無意味な行為を毎日続けるのも坐禅と似ている様なきがするし.毎日お日様は飽きずに朝を読んでくるし.私も毎日ネタを書くし.鬼さんも毎日書くしろんさんの毎日のお勉強はあるし名無しさんも意味不明書くし
わたしにとってだけは、無意味ではない・・・σ(^_^;)アセアセ...
↑
(*´ノ0`)こそっ・・・それ、自我じゃーん!
383 :
チゥ(* ^)(◎o◎)ポッたん ◆oOmXnN8feI :2011/09/03(土) 17:38:13.05 ID:iRxNuNIw
869 名前:素人A[] 投稿日:2011/09/03(土) 06:31:56.56 ID:/2sW343Q [1/3]
寝る前にこんなネタ見たからといつて.六○の詩
目に見える現象は多様なあらわれを持っているけど.この多様さは元々二元論の彼方にある。
無限に多様なものどれ一つとして.限りある枠におさまりきれるものはない。
「これはこうだ」とか「それはああだ」と定義つけようとする罠から解き放たれるのだ。
そうすれば.すべての形あるあらわれは.形のない無限が示すさまざまな表情にすぎないし.それから切り離すこともできないから.そのままで完全なものなのだということがわかる。
すべての始まりから.あらゆるものはそのままで完全だということがわかれば.何かをする努力は.総て放棄される。
あるがままの自然な状態にとどまっているだけで.不二の三味の境地が自然に生じ続ける。
元々の先に何にがあるか考え初めても.この詩を書いたチベットの聖者もきっと解らない完全とか何か言っても解らない.
私の弱い頭では到底無理、空の彼方にもつと大きな嘘があるんかなあなんてあれやこれやつ頭疲れて.私には何か解らないでしょうがないではないか。
無理なものは無理でも何か解らないでいいか、諦めよう。
私には分からないものだらけイライラするけどまあよいか。
いつたいどのようなものがこのようにきたのか。
私には分からないけど来るものは来る。 』
わからないの連発なので、わからない・・・、ヽ`(~д~*)、ヽ`…(汗)
384 :
チゥ(* ^)(◎o◎)ポッたん ◆oOmXnN8feI :2011/09/04(日) 00:13:21.19 ID:GHD8QYmo
385 :
チゥ(* ^)(◎o◎)ポッたん ◆oOmXnN8feI :2011/09/04(日) 00:28:00.90 ID:GHD8QYmo
386 :
たろすけ:2011/09/04(日) 06:19:09.12 ID:3C2/HPkl
>>347 しばらく2ちゃんには来なかったので。
アナタの基本レス内容は誠実とは程遠い。何故なら
論点がブレる、言い分の執拗な食い下がり、不都合な回答拒否、言葉における深刻さと遊びの便宜使い分け等々から分かるように
レスに《アナタの主張通り》文体=実存を適用すると、アナタは慇懃なモノ言いを保つ事で体面を糊塗しているが、
自ら主張を掲げている自己欺瞞への十分な認識や慈悲》等に到底達していない。
その事から考えるに既述の推量は至極当然であると言える。
よって、興味深い脳内ストーリー等ではなくw、図らずも多少辛辣になってしまった批判内容だ。
> 実存と言葉が一致しない、現実認識と現実がいっちしないのは自分の主観に無自覚な瞑想を未修得の人々の事であり、
> 仕方ないのは自分の乖離についてではなく、他者の乖離を理解してそれに合わせて会話することが難しくてできないということです。
できるできるw
だが私は、専らアナタの文総合により推量されるアナタの実存について述べてるのであって、
アナタのその得意げな、、事実性だのマインドだのといった様な話法に引きずられて話してないんだよ。
勿論アナタの話に合わせて
《ええ、そうですね。マインドの超越無しには、言葉というのは事実性へ限りなく近接しうるのみで
事実そのモノを個的な妄想として間主観的に共有しうる錯誤的な現実認識に他ならないのであり、
祖師たちのような、マインドからの量子的な飛躍が生じない限り、妄想に妄想を重ねた(略》
などと、は話せるがw
《《思考を超越していない者同士》》が得意げにこの様な事を述べ合った所で、学習wwの成果を確かめ合う戯れ言でしかないんだよ。
387 :
たろすけ:2011/09/04(日) 06:27:47.40 ID:3C2/HPkl
>>347 >私への指摘が基本的な指摘の要件を満たしているかどうか
当然。アナタの提示している実存《アナタは慈悲を学び始めた初学者らしいが》は、文体のみその条件を満たしている。
が、その他の諸々の条件は、ソレを満たしてはいないだろう。それゆえ、アナタへの指摘は指摘出来うるダケの要件を満たしている。
それに、何もバカだなどと、は言ってない。
アナタは初学者にありがちな?《ありがちがどうか実際知らんが、2ちゃんにはよくいるゆえ在り来たりな陥穽なんだろう》陳腐な陥穽に落ち込んだダケの人、
或いは、受け売りをソレと気づかず自身の見解として披露している精神・気概を去勢された宗教者たと言っているんですよ。
>>348 アナタの場合、マスターの様な文体ではないが、内容の乏しさ、粉飾に反比例して文体がいやに慇懃だよね。
提起?何故提起なのにアンカーつけたり拘ったりするのだろうか?ソレに、そもそもそういう内容を提起できる水準というのがあるのではないかな。水準に満たない場合は、サイト紹介とかそういうのでよいのでは?
>思考の意義
思考の意義とは思考にできる事を否定しないこと。
388 :
たろすけ:2011/09/04(日) 06:38:46.18 ID:3C2/HPkl
>>348 > 実際自分の感情を見つめることが大切なんだと思いますよ。
> もともとはたろすけさんもそういう文体を自然に描かせるような、また痛烈な反論をしてしまうような
> 自分の感情状況を見てみたらいかがかしらということにすぎず、
> 言葉尻を捕まえてのやりとりになることはもったいないと思うのです。
ここは批判の場、見解を提示できる場です。思考内観はここでやりません。
なので、相手が宗教に関心がある事を前提にして、《内観や気付き等の必要性を》上段構えにして、
この場で有効な批判を、個的な妄想・宗教の二義として《収束・還元化思考する》批判の意義を減じさせてはなりません。
ソレは一義を理解する者のする事ではないし、慈悲行為でもないことを自覚しなさい
また私に何か気付きがあったとしても、ここに批判レスをする事はできます。
そして誰かに何かを促されようと、《例えばソレが欺瞞者からの気付き提起》であろうと、
批判レスをしている時には《何も私の心の気付きの機能が停止している訳ではないし、二義の批判は気付きの不在の証明でもなく》、
また《気付きがあっても批判を止める必要はないので》、《気付きがあった故に、アナタへの批判を撤回内至中断する》
などという事態はなく、撤回されるべき正当性もアナタに生じないのです。私の何らかの気付きの有無には関わらず。
コレが【一義と二義を混同しないこと、二義の超越《一義》は二義をウヤムヤにカオスにしない】道理なのです。
389 :
素人A:2011/09/04(日) 06:39:43.37 ID:/spa2/l1
逃げるとは辛い空静寂から逃げるのか?なめなめさんの貼り付けた動画の聖者?は穴の中で
一人で何日も修行えらい目にあった空えらいのか。脳死でもないのに穴の中に静かにしている。
私は損なこと出来ない。生きているのに息しているだけ腹も減る寂しい苦しい。妄想はきっと
聖者だからしないのかよく分からん。寂しさから逃げられるから色々逃げなきゃ苦しいだけじゃ
辛いし元を正す勇気も内。とにかく今は色々な見える物があるし賑やかではないが
寂しく無い。自由そんなものもあるのかどうか。色々あれやこれやは矛盾の塊りだとは
思う。纏まるは一人静かしか無いのか。いまはまあ善いはまあよい。
390 :
エッチでリッチな なめなめおじさん:2011/09/04(日) 07:49:53.22 ID:MpSHBSyK
素人Aちゃんのおっしゃるとおりじゃのお^^
穴に入ったご本人は別に辛くもなんとないみたいじゃが、
命の危険はあるみたいじゃよ^^
死を乗り越えてるのかも知れんが、怖いもんは怖いでええかものお^^
吾が輩は別の穴なら入りたいのじゃよ^^
391 :
素人A:2011/09/04(日) 09:23:59.92 ID:/spa2/l1
なめなめさん別の穴も二つが一つに合体のエネルギーなのかも知れないね。
天という字も男女二の人が合体すれば天にも昇るのか?まあ生きているうちは
命が危ないから何のエネルギーも性限されているけど天の恵みなんかなあ。
でもおーなにーは一人で何時も出来る空これは何かなあバーチャルといえばバーチャル
だけど妄想も言いし
392 :
神も仏も名無しさん:2011/09/04(日) 10:02:28.38 ID:6SAdUs4x
よーするにたろすけってのは相変わらず、
オレサマにそう読まれるってことはおまえがそーゆー奴だと考えるのが妥当だということだ
ってやってんだ
………プ……。
393 :
エッチでリッチな なめなめおじさん:2011/09/04(日) 10:28:34.01 ID:2ljqNKcH
>>391 そうじゃのお、一人でもええしのお、エロはええのお
エロに国境はないのお^^
394 :
神も仏も名無しさん:2011/09/04(日) 13:44:32.16 ID:BEyxsW5m
>>347 しばらく2ちゃんには来なかったので。
アナタの基本レス内容は誠実とは程遠い。何故なら
論点がブレる、言い分の執拗な食い下がり、不都合な回答拒否、言葉における深刻さと遊びの便宜使い分け等々から分かるように
レスに《アナタの主張通り》文体=実存を適用すると、アナタは慇懃なモノ言いを保つ事で体面を糊塗しているが、
自ら主張を掲げている自己欺瞞への十分な認識や慈悲》等に到底達していない。
その事から考えるに既述の推量は至極当然であると言える。
よって、興味深い脳内ストーリー等ではなくw、図らずも多少辛辣になってしまった批判内容だ。
そうおっしゃるなら具体的な個所の指摘と、それに伴う私の思考のパターンの分析をしてください。
批判の形式というのはそういうことです。
その形式を満たさなければあなたの創造した誰かさんについて議論しなければならなくなります。
文面を直接相手にせず相手の実存を打つという話法もあるのですが、当の私が全く持って他人の事を聞いているようでピンとこないというのでは、
とりあえずそれはやめて具体的な指摘と思考の分析という言語的論理的つながりのあるやり取りから始めるほかないでしょう。
またそれができてこそ文面を相手にしない実存を打つ話法に説得力も生まれるでしょう。
基本的に392さんの言うとおりです。
≫できるできるw
いや、全く話が通じておりませんが。
あなたが私に比べて力量が劣るということは確信を持って言えませんが、
あなたが私の自我を理解してものを言っていることはないと確信を持って言えます。
これについてはあなたの賛成反対を超えた問題です。
私が「私はたろすけ氏がどう受け取るか完全に理解して話している」といった場合
その是非を決める全権がたろすけ氏にあるように。
395 :
神も仏も名無しさん:2011/09/04(日) 13:47:33.29 ID:BEyxsW5m
≫マインドの超越無しには、言葉というのは事実性へ限りなく近接しうるのみで
瞑想の経験無思考の認識がないとこういう哲学的な言葉遊びに落ち込むかもしれない。
これは瞑想とは関係ない純粋な哲学的な言明に感じる。
問題なのは実際のリンゴと言葉のリンゴが異なるというような不可避の問題ではなく、
個人に特有の快感不快感の記憶からくる善悪の観念、2元性の問題です。
リンゴが好きか嫌いかリンゴが正しいか間違っているかなどの観念の差異についてです。
名詞としての言葉と、思考、2元性の象徴としての言葉は別の事です。
というわけで全く意味が取れていません。哲学談義など全くしていないのに哲学談義が返ってくるのは何故でしょう。
たろすけ氏が哲学談義をやってるからじゃないかな。
私の言葉は実践しなければわからない知恵がちりばめられています。
内容が薄いのかそれを読み取れないのかは別の問題です。
396 :
神も仏も名無しさん:2011/09/04(日) 14:22:49.24 ID:BEyxsW5m
≫ここは批判の場、見解を提示できる場です。思考内観はここでやりません。
、
また《気付きがあっても批判を止める必要はないので》、《気付きがあった故に、アナタへの批判を撤回内至中断する》
などという事態はなく、撤回されるべき正当性もアナタに生じないのです。私の何らかの気付きの有無には関わらず。
コレが【一義と二義を混同しないこと、二義の超越《一義》は二義をウヤムヤにカオスにしない】道理なのです。
あなたのおっしゃるロジックは同意できます。
むしろそれは私が語ると実態に合ったものになるでしょう。
私は他人も自分も見るし分析します。
内省を忘れ一方的に他者を攻撃したりもできません。自分を見るのが一番大切なのにその仕事は忘れられない。
とげとげしい言動、皮肉めいた嘲笑。(これは事実に対する自己防御です)
(一般以下の実存という決めつけとレッテル張り、また何かについて考え方をまとめてくることというおしつけ、噴飯という嘲笑による自己防御)
(私の場合は基本的にレッテルなんて貼らないでそこにある思考を分析するだけです。理解すれば消えてしまうものに名前を付けても仕方ありません)
容赦ない批判。
具体的な個所を指摘しない、また相手からは話が通じていないといわれる主観的なレッテル貼り。
これらは他人への攻撃によって自分から目を背ける人間の典型的な姿なので、そうやって言葉でごまかしても一連の態度から
その実態が明らかなものになっています。
また私はである できている あなたは だという決めつけ。
この決めつけこそが無知の最たるもので自分が無意識であったり錯覚を起こしたりする可能性に気づいていないのです。
光明を得るまでそれと無縁ではいられないのに。
≪気づきの不在の証明≫はあなたがずっと存分になさっております。
今回の引用箇所こそあなたの自己欺瞞そのものでしょう。
あなたはそうしようとしてそう思っておられる。しかしこれは思考によって現実化はしません。
それはともかく、私の書き込みの具体的な指摘と分析をお願いいたします。
評価ではなく客観的な分析にしてください。評価、レッテル張りには理屈も事実も不要で好き勝手にできますので。
397 :
神も仏も名無しさん:2011/09/04(日) 14:29:54.24 ID:BEyxsW5m
≫不都合な回答拒否
特に気になるところがあったら催促どうぞ。
どうにも気になるところから優先回答すると互いのニーズにずれがあるやもしれません。
≫言葉における深刻さと遊びの便宜使い分
深刻なら深刻さは理解されるべきでしょうが、かといって無理に遊ぼうとするならそれも不自然で深刻さの裏返しではないでしょうか。
特定の型、観念を持つ必要はないでしょう。
人つねにあやまる事
人にたまされてくるしみ、我にたまされて悦ふ事。
人の死をしりて我死をしらず。
人の是非をえらひ我無作法の事。
本来無といへは無としる事。
仏道に法をたつる事。
仏道に不入は身守る事ならず。
きねんする人有、身の仏を不敬。
貧をくるしみ、のかるる事しらず。
悟を以て仏法と云。悟る人まれなり。
一念悪気ひるかへす事ならず。
これは絶品です。この最後の項行われている人まったくになしといっていいです。
でもまさにこれ仏道です、一つあやまればすでに不可。
人に騙されて苦しみ、我に騙されて悦ぶ事。空手還郷、眼横鼻直にして、他に瞞ぜられずは、仏のありようです、
一神教から共産党までまさにこれ、人に騙されて苦しみ、我に騙されて悦ぶ以外にないです、
あるいは世間一般これです、平和といっては戦争を起こす、人類めったやたらの教育美徳ですか、
せっかくお釈迦さまがこれを知り、仏を示してのちも、めったやたらのでたらめ無明暗黒です、
多少とも気がつく人は、この数箇条よくよく身心もて省みて下さい。
人の死を知りて我死を知らず、万事あやまりのこれが元なんです、いったん死ぬること以外に生きる道なく。
人の是非を択び我無作法の事、すなわちこれ生活の基本ですか、
それじゃまったくに収拾がつかんです。つまらんこってす。
本来無と云えば無と知る事、師家とか坊主学者の類、あるいは悟った悟らぬ人100人が100人これが類ですか、
担いで帰れというわけの、まさにこれ試金石、無と言えば無を知る人も無しなんです、
単純数学ですよ、1は0になるんです、1を観察するものあれば2ですよ。
仏道に法を立てる事。以無所得故にぼーじーさっとば、修菩薩行です、
わしがありようありていに白状すれば、たった今悟った、昨日までのおのれはまったくなっちょらんとこれ毎日やってます、
人は呆れて口をあんぐり、知らぬが仏ですか、仏は仏こっきりまるっきり取り得なし、無上楽あり。
仏道に不入は身を守る、仏道に入らなければ身を守る事が出来ないと思うこと。
仏は身を守るすべばし、わずかに守るべき身心なしをもって長らえるんです。
これをたいていの仏者は、おれは悟っただからといってふんぞり返る、あるいは仏道をもって自己弁護に当る、
てめえ自堕落に二重丸つけて、俗物と不識をごっちゃにする、こりゃ害悪もまあ云う甲斐なし。
祈念する人有り、身の仏を敬わず。仏を願うとは100人中100人これ、
自分を捨ててというとかえって握り締める、捨てるということさえ出来ぬ、情けなや。
貧を苦しみ、逃れることを知らず。とにかく工夫して下さい、もっともたやすいことですよ。
悟りをもって仏と云う、悟る人まれなり、残念ながら未だ一人にも会えず、
悟りという本来を知らぬだれかれ、云ってみりゃ偉い人ばっかりですか、
ほっときゃ偉くなるばっかり、いちばん馬鹿でめちゃくちゃでまるでなってない人やや親し。
一念悪気、チラッとも念あればこれを翻すことならず、これは基本わざです、
一念起こったらもはやそれっきり、だのにあくせくというのが万ず病のもとです、
無心は心無し、かえりみること不可能、無いもの痛まず金剛不壊これ仏法。
400 :
素人A:2011/09/05(月) 06:46:32.34 ID:nJmRHMaB
スターウォーズ
http://www.youtube.com/watch?v=DAhPqj6KEnY キャンベル あの映画のなかの悪の力は.地球上のどの特定の国を指すものではありません。あれは
抽象的な力です。特定の歴史的状況ではなく.ある原理を代表する力なんです。原理と原理がぶつかり合う
話です。<スターウォーズ>のなかで人々がかぶっている怪物の仮面は.現代社会における真の怪物的力を表
すものです。ダースベーダーの仮面がはがされたとき.現れたのは未発達な人間.まだ一個の人格になるに
至ってない人間でした。特徴などまるで無い.奇妙で哀れな顔。 モイヤ それはどういう意味でしょうか。
キャンベル ダースベーダは自分の人間性を発達させていなかった。彼はロボットだつた。自分自身の意志
ではなく.押し付けられたシステムに従って生きる官僚だつた。これは今日私達みんなが直面している脅威
です。システムが私達を押しつぶして人間性を奪ってしまうのか.それとも私達がシステムを利用して人間
の目的に役立てるのか。システムとどういう関係を結べば.それへの強制的な服従を避けられるのか。シス
テムのほうを私達の思考体系に合うように変えようとするのは無駄です。その背景にはあまりにも大きな
歴史的推進力があるので.そんな試みはほんとうに意味があるものは生まれるとは思いません。しかししな
くてはならないことは.自分の置かれた時代に人間らしく生きるすべを学ぶことです。それはまた別なことで
これならできる。自分自身の理想をしっかり持ち続けること.そしてルークがしたように.システムがあなたを
ロボット扱いしょうとすることを拒否することですね。・・・
401 :
たろすけ:2011/09/05(月) 08:17:31.21 ID:HFhwKal0
>>394 思考パタンだ?もう指摘したよ(呆)
慈悲の認識の甘さ、一義の提示による二義への《範疇外への越権行為》意義の低減化、あとは既述の論点ずらしやら何やら。
>具体的な指摘と思考の分析
私は《慈悲》とは目をつぶらない事だと思う《以下略》。
ところが御宅は目をつぶる事が慈悲であるかの様に言ったよね。そのお手前の《慈悲》について伺おうか。
隣家に強盗が押し入っても目をつぶるらしいからね。
> 基本的に392さんの言うとおりです。
コレだけ答えてるのにそんな返しなんですか?人を消費するプロフェッショナルですねw
閑談をする趣味はないのでとっとと要件を言ってくれ。
> 名詞としての言葉と、思考、2元性の象徴としての言葉は別の事です。
思考を基とした対象の摂取と排出は、個我という迷宮を通じて複雑化する。二元以降の社会性に於いて。
方法は二つあるように思う。1)意識の変性を促すモノを通じて一元をさとる、2)二元について語り続ける、命尽きるまで
402 :
たろすけ:2011/09/05(月) 08:18:42.39 ID:HFhwKal0
>>394 >哲学談義
私が哲学談義?w御宅の内容こそ、哲学だろうに。そして、御宅は一貫して我田引水の自己防御をしているよ。
私はハジメから瞑想や内観、気付きの話などしていない。宗教詐欺の批判をしている。
一義と二義を混同するなと或いは、二義批判への一義の越権行為を指摘している。加え御宅のレス内容の糊塗三昧について。
《光明を得てない者が一義内容を盾に、他者の行為を否定するな》ということ。
同じ穴のムジナが古人の威光を借りてムジナ以上の振りをするなということ。一個のムジナが社会ルールに則って批判しているのを、
もう一つのムジナが穴蔵から這い出た体裁を取って、お門違いの宗教ルールを持ち出すなということ。実践スレでやれ。
ソレと>396は書き直せ。人を嘲弄するにも程がある。
あと
>>397の末の文、それこそが言葉における深刻さと遊びの便宜使い分の布石ね。特に分けないのは良い、利用するのがイカン。
403 :
たろすけ:2011/09/05(月) 08:20:07.12 ID:HFhwKal0
>>392 ケロヨンには何も期待していない故勝手にしろ。
404 :
神も仏も名無しさん:2011/09/05(月) 08:43:59.02 ID:KWjH6Ml8
禅は外を見て一様とするのを一義としない。
405 :
神も仏も名無しさん:2011/09/05(月) 08:50:30.24 ID:KWjH6Ml8
外を見て解らないも一義としない。
知った知らない言う自分にかかずりあわないこと。
罪を見ようが見まいが慈悲をほどこせ。
むしろ罪を見るほどに慈悲であるが仏教。
十字軍ポル・ポト独善虐殺とは別のもの。
406 :
神も仏も名無しさん:2011/09/05(月) 10:17:16.28 ID:+OvYkZJF
≫私はハジメから瞑想や内観、気付きの話などしていない。宗教詐欺の批判をしている。
おお、すまんかった。
「瞑想や内観、気付き」
がない限り根本的な解決にはならず人は何らかの思想を持って他の思想と戦い続けることになるので
根本的な解決にはならない。
のであなたのやってることは迷いと迷いの論争でしかないんだけど、まあやりたいのならやればいいか。
ふむ。邪魔してごめんなさい。
しかし一義の体得を求めないのに一義の悪用を攻撃するって中途半端だねえ。
私なら一義の悪用を攻撃するより一義を体得しに行くけどまあ人それぞれだよね。
まあ一義を体得してなくても悪用しているのを区別するのはたやすいし、
自分が一義を理解した気になれるからそれが人をそうさせるんだろうねえ。
407 :
チゥ(* ^)(◎o◎)ポッたん ◆oOmXnN8feI :2011/09/05(月) 14:51:29.34 ID:WyvnbRYv
408 :
チゥ(* ^)(◎o◎)ポッたん ◆oOmXnN8feI :2011/09/05(月) 15:43:44.91 ID:WyvnbRYv
409 :
チゥ(* ^)(◎o◎)ポッたん ◆oOmXnN8feI :2011/09/05(月) 15:52:27.06 ID:WyvnbRYv
410 :
神も仏も名無しさん:2011/09/05(月) 18:38:51.54 ID:Ha9Po4iB
>>403 こういうのって、謎なんだよなぁ。
「たろすけがあたしに何か期待してる」と思ってるとでも?
そんなこと思ってるわけないじゃんねー。
勝手にしろとかさ、たろすけに言ってもらわないと勝手にすることも出来ないと思ってんのかな?
んなわけないじゃんねー。
こいつってー、なんかー、そもそものはじめが先ず、へん。
411 :
神も仏も名無しさん:2011/09/05(月) 19:09:35.40 ID:+OvYkZJF
強盗は意識的な行為ではなく、無意識の帰結なのだから、
強盗を他者として投影して対峙するのではなく、現象として淡々と対処するのが自然。
と述べた覚えはある。
他者がいないということと強盗に対処するということはまた別の話。
どう対処するかは人によって違おう。
むろんたろすけ氏の脳内補正理論とは似て非なるものである。
これが正しいか否か以前に述べたことが歪曲されている。
他者の攻撃によって自己を見つめることを嫌う人はまず自分自身のみたくない部分を他人に投影する。
そうなると他人を見ることもなく自分自身を投影するだけだ。
という証拠がまた一つ重なった。
が、目覚めれば過去からは解放される。
いまたろすけ氏が過去から目覚めて自由になっていればこれは別人について語ったものになる。
412 :
チゥ(* ^)(◎o◎)ポッたん ◆oOmXnN8feI :2011/09/05(月) 21:19:50.89 ID:sezo2GKy
413 :
チゥ(* ^)(◎o◎)ポッたん ◆oOmXnN8feI :2011/09/05(月) 22:58:21.03 ID:sezo2GKy
414 :
たろすけ:2011/09/05(月) 23:20:58.42 ID:HFhwKal0
>>406 ア ホ か ね ?
ハ ジ メ カ ラ ソレを言ってるダケだろ?
ソレに気づかない鈍さ、或いは、確信犯的な一義便宜使いとその周辺を再三指摘してるんだろ。
根本的な解決など誰がドコで試みて、誰がいつ二義批判で解決を図れるなんて言ったよ?
それに、思想を持って他の思想と戦い続けタリなどしてない。柔らかめの批判によって治療を施してるんだよ。ポッタン氏に。
御宅は何か、思想を戦わせる連中等を見つけて、 根本的な解決などと言って 戦 っ て る のかね?
思考の詰めがあまいね。その類いの呼び掛けは常に自家撞着の危険を孕んでいる事に気づきなさい。
それでナゼ矛盾など一々気を付けないといかんか、というのは一義を体験してない者が一義を扱うからそういう不自然な注意の必要性が生じる。
論争など誰がしたよ?私は終始一貫してポッタン氏治療しかしとらんだろ。
>一義を求めないのに悪用区分を
私は一義を求めている。
だが批判している時に一々内観しないし、気付き機能が働いても、批判を撤回、中止すべき理由がない。
二義批判の行為が一義的なアプローチの不在証明であるという御宅の思考の傾向性は道理認識のあまさでしかない。
或いは、その様な認識はキチンとあるが太郎某の文体は例外的な一例だと取り繕つた所で同じ。
>>411 > 強盗は意識的な行為ではなく、無意識の帰結なのだから、
> 強盗を他者として投影して対峙するのではなく、現象として淡々と対処するのが自然。
ソレは自己理解ね他者理解にあらず。御宅は他者理解と述べた。だから問題。
415 :
たろすけ:2011/09/05(月) 23:21:22.29 ID:HFhwKal0
416 :
神も仏も名無しさん:2011/09/05(月) 23:31:49.17 ID:Ha9Po4iB
>>415 うわ。
おもろいって、どっからそんなのが出てくんだろ?
謎だなあこいつのセンス と思うからそう書いてるんであって。
楽しいから反応するのか?って聞くのなんか
たろすけらしいバカさ加減にあふれているって感じ。
勝手にすりゃいいとかわざわざ言っといて
オモロイカどうかきく、このグダグダ加減。
こいつほんと自分が何言ってるかわかってねーんだろな。
417 :
たろすけ:2011/09/05(月) 23:37:12.32 ID:HFhwKal0
>>416 俺のセンスをどうこう言えるセンスかね。
下らないからもう話しかけんな。季節外れなんだよ。
418 :
神も仏も名無しさん:2011/09/05(月) 23:38:59.65 ID:Ha9Po4iB
う わ は は は は w w w w
「ソレは自己理解ね他者理解にあらず」
w w w w 大 笑 い も い い と こ w w w w
419 :
神も仏も名無しさん:2011/09/05(月) 23:41:32.78 ID:Ha9Po4iB
へんなのー、
はなしかけんなだって。
話しかけられた気がしてんのかな?
あたしはたろすけのへなちょこなレスを読んで
何これ〜〜〜ウケル〜〜バカみて〜〜〜いやバカそのもの〜〜
って笑ってるだけなんだけどなあ????
420 :
神も仏も名無しさん:2011/09/05(月) 23:48:09.42 ID:Ha9Po4iB
もしかして、たろすけのいるとこでTVみてて笑ったりすると
「出演者に話しかけてバカかおまえ、聞こえねえんだつーの」とか
素で突っ込まれんのかな???
421 :
神も仏も名無しさん:2011/09/05(月) 23:52:50.39 ID:Ha9Po4iB
あ、ちがうな。
「収録のじゃまになるだろ」とかか……www……
422 :
チゥ(* ^)(◎o◎)ポッたん ◆oOmXnN8feI :2011/09/06(火) 00:21:52.92 ID:dZM0uQSx
423 :
神も仏も名無しさん:2011/09/06(火) 00:33:59.24 ID:yot2Fj8O
宗教詐欺以外の話をしたのにかかわらず延々と宗教詐欺の話に固執するほうが相当おかしい。
その固執が普通の人でもなくおかしい話だが、ましてや道をゆく人の臨機応変さと対極なので、
まさかそんなことにこだわってるなどとは想像できなかった。
つまり現実にいる私、現実の世界の動きに全く対応できず、主観的で自己中心的な予定に従うことしか、
それを押しとすことしかできないということですね。
≫ソレは自己理解ね他者理解にあらず。御宅は他者理解と述べた。だから問題。
自己及び他者の客観的理解ではあるが、他者の主観の理解ではないということでしょうか。
でも、この客観的な理解ができる状態、自己の主観を脱した状態でなければ、
他者の客観化はできずましてや他者の主観などわかりようもないので結局同じこと。
理屈が先走って現実にありえないことを主張している。
他者の主観は決してわからない。自分の主観を完全に理解しないうちは。
自分が投影した他人を他人の真の姿と信じて疑わないうちは無理もない。
424 :
チゥ(* ^)(◎o◎)ポッたん ◆oOmXnN8feI :2011/09/06(火) 02:03:36.96 ID:o5K6mgo6
425 :
チゥ(* ^)(◎o◎)ポッたん ◆oOmXnN8feI :2011/09/06(火) 02:24:55.36 ID:o5K6mgo6
_-- ( ヽ、
/ __\ \)ノ/リ
/ <__ \ \/ノ
/ /<__ \ \ ヘ /⌒/ あなたさぁ...
/ 〆 └--、ヽ、\ - \ |
/ レ\ =ミ=、__/丶 - 〉なんてゆうか...
/ ン/ (- =、 > <( \ |
し/ ミ 'ー--ヘ/ \ミiヽ { ようつべ のコピペ
リ/ / ン /("ミ 、 、ヘ > 、
| /<.o イ 'ー ヾ / >、 ∠/ヽヘ 延々と繰り返してるけどさぁー
,.-/| -=、_/ "| _∠/ \(⌒) ノ \
/ | \ヽ ヽ,-\} ∠ノ ヾ、 / \どうしたいわけ?
 ̄< ! `\ /___ \/ \(
_ \ ! > ー-- イ \_  ̄ ̄\_\ (
!  ̄ ̄ ヽ /{ )\ | ∠ ノ)ヽ、
\ /⌒\ 〉  ̄ / / >\
\ い / / //ノ
\ / / / / ̄
426 :
たろすけ:2011/09/06(火) 04:30:44.93 ID:shjue7To
>>423 > 宗教詐欺以外の話をしたのにかかわらず延々と宗教詐欺の話に固執するほうが相当おかしい。
そうではなく。アナタは俺のポッタン氏への批判《前治療あたり》のジャマをしてるんだよ。
で、アナタの述べる一義についての内容が正しかろうと正しくなかろうとこの場ではお門違いな訳だよ。
例えるなら、
学校の現代国語や倫理などの授業中に、寝ぼけた学生が当てられてもいないのに唐突に物理や数学の公式について答える様なもの。
モーメント力やらインテグラルやら昨日の宿題に答えたはいいが、今は現代国語の時間なんだよ。
なのにその学生はまだ寝ぼけていて《何でコレが間違いなんだ?》《お前ら物理わかってないなあw》《宿題やってないんじゃね?赤点だぞw》
とか言い始めるw、寝ぼけ学生の答えた内容が正解だろうと不正解だろうと、《今は現代国語の時間なんだよ目を覚ませ》、としか言えない。
> それを押しとすことしかできないということですね。
物理は一つ前の授業だったんだよ。←コレを押す以外に何ができる?
> ≫ソレは自己理解ね他者理解にあらず。御宅は他者理解と述べた。だから問題。
> 自己及び他者の客観的理解ではあるが、他者の主観の理解ではないということでしょうか。
他者の主観理解はクドウシャ同士が、或いは師弟が話す内容でしょう。
相手が宗教に関心ある者?という前提ダケで前後脈絡なく話されても閉口します、特にこのスレの状況は特殊なので《略
427 :
たろすけ:2011/09/06(火) 04:55:31.75 ID:shjue7To
>425
謗りは嫌だが、ツッコミがないならないで困るんだね、アンタ何やってるんだw
そんな病的な状態だから禅ドコロじゃないのだよw
さて、選ぼう、ポッタンセレクト3択
@誰かがツッコミを開始する
A放置のまま
Bどギツクない治療が始まる
※上記の文は、氏への嘲弄ではありません。緊張をとぎほぐしています。
428 :
素人A:2011/09/06(火) 06:42:58.92 ID:YUGizU78
歩歩是道場という.まあよいもどうしょうも道場なんか?歩のない将棋き負け将棋。
仏仏文句を言いながら。2ちやん道場を一歩ずつまあええか.師匠の24時間コンビ二
ざ前だ。進歩悟り損な者まあええ。コピー貼り付け技おぼえたし一歩前進。
まだ坐禅中に棚からぼた餅が落ちて頭にゴツンない.偶然のさあとりあえず無い
棚からぼた餅落ちも無く空得ず。あーあ.落ちつかないこのへんで退散。
429 :
素人A:2011/09/06(火) 09:18:32.26 ID:YUGizU78
思いついた事出鱈目ですいません。
御釈迦さんが大衆の面前で 鼻糞をほじくってさしし出した。
大衆唖然 迦葉は泣く泣く笑う
430 :
神も仏も名無しさん:2011/09/06(火) 11:03:28.85 ID:yot2Fj8O
≫そうではなく。アナタは俺のポッタン氏への批判《前治療あたり》のジャマをしてるんだよ。
で、アナタの述べる一義についての内容が正しかろうと正しくなかろうとこの場ではお門違いな訳だよ。
この展開はちょっと予想がついた。
どちらにせよ自分の決めた予定に固執して、思考に固執して現実に対処できないことに変わりはないし、
またポッタン氏と共通の認識共同があってのことではなく、
ポッタン氏も単に自分のスタイルを貫きたいだけなのにたろすけ氏が介入しているだけの事。
その矯正が互いに認知で行われている共同作業なら、それについて直接邪魔はしないだろう。
(邪魔はしなくても意識と無意識と思考の分析を自他に行うかもしれない。)
≫←コレを押す以外に何ができる?
私に押すのは奇妙だ。
これが正しいならポッタンさんの生き方も尊重するのが筋でしょう。
またポッタンさんとたろすけさんを比べてたろすけさんが正しい保証なんて何もないのです。
主観的な夢に染まっている人間の特徴は自分が正しいと思うことです。
正しいと思う人は主観的であり、自己のみたくない部分を投影しているから正しいと感じられるのです。
意識が芽生えるにつれ、正しい間違いではなく、意識か無意識か、固定された思考か臨機応変な対処か、
その区別があるだけになり、自他の区別のない思考への考察があるだけになります。
思考が悪いということではなく、事実に対して主観的で不自然であるがゆえに不必要であるという理解があります。
自分が正しいと感じていたり、また自分より他者の矯正が気になるとしたら、そしてそれが善であり使命であると感じているなら、
無意識な人間はみんなそうであり、それゆえに人々はいがみ合うと知ると良いでしょう。
431 :
チゥ(* ^)(◎o◎)ポッたん ◆oOmXnN8feI :2011/09/06(火) 21:34:33.20 ID:huoH2bOz
432 :
チゥ(* ^)(◎o◎)ポッたん ◆oOmXnN8feI :2011/09/06(火) 22:10:37.64 ID:huoH2bOz
433 :
チゥ(* ^)(◎o◎)ポッたん ◆oOmXnN8feI :2011/09/06(火) 23:35:34.73 ID:2a7mMbhI
>>428-429 素人A さん
> 歩歩是道場
道場でないところは、無い
「 ガウタマ鼻糞(´σ `) ホジホジ ( ´▽`)ノ ● ゴッソリ マハーカッサパニガワラ 」
御釈迦さんが修行僧のあつまりの説法の座で とつぜん鼻糞をほじくってドヤ顔でさしし出した。 サンガは唖然呆然 その中に在ってただ一人、大迦葉はヒキツッテほほえむ 』
434 :
チゥ(* ^)(◎o◎)ポッたん ◆oOmXnN8feI :2011/09/07(水) 00:24:32.27 ID:KJ4OYG3l
435 :
チゥ(* ^)(◎o◎)ポッたん ◆oOmXnN8feI :2011/09/07(水) 01:06:51.91 ID:KJ4OYG3l
> 妄想とは、なんだい?
では おこたえ 申そう。
妄想とは、無いものを在ると思い、在るものを無いと思うこと。
436 :
チゥ(* ^)(◎o◎)ポッたん ◆oOmXnN8feI :2011/09/07(水) 01:58:31.97 ID:KJ4OYG3l
437 :
チゥ(* ^)(◎o◎)ポッたん ◆oOmXnN8feI :2011/09/07(水) 02:29:52.87 ID:KJ4OYG3l
438 :
チゥ(* ^)(◎o◎)ポッたん ◆oOmXnN8feI :2011/09/07(水) 03:16:32.50 ID:KJ4OYG3l
無門関(むもんかん) 第六則 世尊拈花 (せそんねんげ)
釈迦が弟子を集めて説法した時、何も言わずに ただ一枝の花を見せられた。
皆黙った中で 迦葉(マハー、カッサパ)だけが にこりと微笑んだ。
釈迦は 「仏法の神髄を言葉や文字によらず迦葉に伝授した」 と言った 。
○ 第六則 【世尊拈花】 せぞんねんげ
お釈迦さまは昔、霊山でおこなわれた法会で集まった聴衆に向けて一輪の花を差し出して回して見せた。
このとき聴衆は皆意味がわからず黙っていたが、しばらく考えたのち弟子の迦葉のみが真剣だった顔をくずしてにっこり微笑んでみせた。
お釈迦さま曰く
「私には教えの肝心カナメ (正法眼蔵) があって、それは涅槃のふしぎなこころであり、世界は実体があるようでいてそのじつ中身はからっぽであるし、なかなかうまく表現しにくいさとりへの入り口とでも言うべきものがある。
これは言葉や文字では伝わらず、経典や書物で教えることもできませんが、たった今このすばらしい迦葉に伝えることができました。」
439 :
チゥ(* ^)(◎o◎)ポッたん ◆oOmXnN8feI :2011/09/07(水) 03:17:38.15 ID:KJ4OYG3l
440 :
素人A:2011/09/07(水) 06:36:37.94 ID:OAQudeY9
これから先どうなるのだろうか?老化を進んだら壊れた死んだ。身得ない言葉仮.
今朝は何か暗いなあ.イライラするし夢は夢で電車の中で正法眼蔵の本なくして
手にはエロい週刊誌だけ何で道元探したが見つからない.まあよいか夢だし
想定外は日常に来る時代。水害危ない処はあるていど見て想定できるけど金足りなくて
見えない事になるんだろう?国は自分の国の命が一番大事.人も体もっと体大事当たり前
他は身えず.私の仲の仏は私の身を守り見続けている。仏にとってはバーチャルなのにありがとう
善くわからんけど大事にしないとと思う。たまには椅子禅で一緒に一休み社会も一休み宇宙一休み。
いつもでまかせ出たら眼ばかり恥は書いたしまあよいか。
441 :
素人A:2011/09/07(水) 07:33:11.87 ID:OAQudeY9
442 :
たろすけ:2011/09/07(水) 07:37:45.03 ID:2tMiHoln
>>435 > > 妄想とは、なんだい?
>
> では おこたえ 申そう。
>
> 妄想とは、無いものを在ると思い、在るものを無いと思うこと。
妄想とは無いモノを《無いぞ》と思い、有るものを《有るぞ》と思うこと
妄想とは、何か自分の外に妄想があると思イコムこと
妄想とは、妄想ソレを定義づける事で幾ばくかでも妄想を離れると思イコムこと
妄想とは、妄想とは、妄想とは、
オオ、ガンガン妄想が出てくるぞ
妄想とは他者の夢である
妄想とは勝者《悟り人》の論理である
妄想とは妄想である
妄想とは悟りの夢を見たがる凡夫の真実である
妄想とは書の枕で見る夢である
妄想とは悟り人のジョークであり、悟りとは凡夫のジョークである。
妄想とは昨日見た夢であるが、今日見る夢ではない
妄想とは昨日の明日である、今日の事ではない
妄想とは目覚めの中の慚愧である、そしてソノ代名詞にすぎない
だが妄沢山
443 :
神も仏も名無しさん:2011/09/07(水) 12:18:05.69 ID:vJhJEnSm
自己そのものを理解しそれから解放されないで行う思考活動のことを妄想というのだろう。
妄想である自己で妄想を紐解こうとしても無駄なこと。
妄想というのは自分自身の事であり、自分が無知と主観、過去に閉じ込められているという事実を戒めるためのものだろう。
私自身が妄想でありあなた自身が妄想なのだ。
妄想と離れた自己がいると思い込むことこそ妄想の何たるか。
444 :
たろすけ:2011/09/07(水) 18:42:35.65 ID:2tMiHoln
>>443 ノンノンノンw否
443の文内容によると443が妄想文か否かは光明を得ているか否かにかかっている。
443内容曰く、光明を得ているなら443は妄想に対する正しい考察の結果の文であり、
そうでない場合は自分が妄想とは遠くあると思い込んでいる妄想文である、。
445 :
たろすけ:2011/09/07(水) 18:52:25.16 ID:2tMiHoln
それゆえ妄想とは目覚めの慚愧なのだ。ソレは病識に似ている。
自らが快癒してないにもかかわらず、病識の必要性を他者に呼び掛け始めれば、
ソレはもう一つの病の始まりである。
446 :
神も仏も名無しさん:2011/09/07(水) 19:35:03.71 ID:vJhJEnSm
治癒しなければ真理は見えませんが、道のりの途中で自分の妄念や主観に気づいてゆくことはできます。
442が知っているという言明なのに対応して、443はわからないという言明であっただけです。
妄想にとらわれている私は妄想とは何かわかることはできない。
というだけの443の無知であることの言明を
「自分が妄想とは遠くあると思い込んでいる」
という解釈に持ってゆくのは不思議で、また架空の人物が出てきました。
真理についてはわかりませんが無知を認識してゆくことはできます。
それが道なのでしょう。
444、445についても妄想から自由になれない主体がまた明確な結論を出して自我へのしがみつきを強めているなあ
と感じる次第です。
447 :
チゥ(* ^)(◎o◎)ポッたん ◆oOmXnN8feI :2011/09/07(水) 20:23:33.29 ID:ncWMB+IX
>>440 素人A さん
> これから先どうなるのだろうか?
老化を進んだら壊れた死んだ。
見えないことばかり。
今朝は何か暗いなあ.イライラするし、夢は夢で電車の中で正法眼蔵の本失くして手にはエロい週刊誌だけなので道元探したが見つからない.まあよいか夢だし想定外は日常に来る時代。
水害危ない処はあるていど見て想定できるけど金足りなくて見えない事になるんだろう?
国は自分の国の命が一番大事.人も体もっと体大事当たり前他は身えず.私の仲の仏は私の身を守り見続けている。
仏にとってはバーチャルなのにありがとう
善くわからんけど大事にしないとと思う。
たまには椅子禅で一緒に一休み社会も一休み宇宙一休み。
いつもでまかせ出たら眼ばかり恥は書いたしまあよいか。 』
みっつか・・
老化現象は、主に小学生時代だった。
「バケツに水を入れて廊下に立っていなさい」
ほとけとは、愛くるしいものかもしれない。と言うわけで、ほっとけない。。。
椅子禅でお休みするよりもベッドにもぐりこんだほうが、よりいいかも。
John Coltrane(ジョン・コルトレーン) -100
http://www.youtube.com/watch?v=8j_TDoOPnIA&feature=list_related&playnext=1&list=AVGxdCwVVULXdAOWdLfJqreSUZRJ3kUoqm
448 :
チゥ(* ^)(◎o◎)ポッたん ◆oOmXnN8feI :2011/09/07(水) 20:26:56.58 ID:ncWMB+IX
>>442 たろ さん
もう そう のへんでいいのでは?
449 :
チゥ(* ^)(◎o◎)ポッたん ◆oOmXnN8feI :2011/09/07(水) 21:00:55.00 ID:ncWMB+IX
450 :
神も仏も名無しさん:2011/09/07(水) 21:24:29.83 ID:vJhJEnSm
446続き
それゆえ妄想とは目覚めの慚愧なのだ。ソレは病識に似ている。
自らが快癒してないにもかかわらず、病識の必要性を他者に呼び掛け始めれば、
ソレはもう一つの病の始まりである。
@442のように病気をまき散らす人への言及がない。
A443は基本的に人とのかかわりを通じて自分の病理を認識するための声明であります。
他者の矯正が目的というわけではありません。ただ自分に対するように他人にも対するいつもの私でいるだけです。
その経過の中で他者が自己理解を深めることもあるでしょう。
人とのかかわりの中のほうが一人でいるより自己の病理を認識しやすいというところもあり、
たろすけ氏には感謝しております。
451 :
チゥ(* ^)(◎o◎)ポッたん ◆oOmXnN8feI :2011/09/07(水) 21:50:10.31 ID:ncWMB+IX
452 :
チゥ(* ^)(◎o◎)ポッたん ◆oOmXnN8feI :2011/09/07(水) 22:25:33.56 ID:ncWMB+IX
>認識を滅するにはどうしたらいいんでしょう?
しんじまえ、と、お伝えしましょうか・・・
453 :
神も仏も名無しさん:2011/09/07(水) 23:17:22.55 ID:saOp7DZl
>>452 素人Aがアホほど海印三昧書いてただろうに、、
ぽったんって年金生活者?
455 :
チゥ(* ^)(◎o◎)ポッたん ◆oOmXnN8feI :2011/09/08(木) 01:26:04.75 ID:bk6oTokB
456 :
素人A:2011/09/08(木) 07:16:57.14 ID:R7vtRNtb
素人とか初心者の悩みは尽きない.単純な数数観も秋が来るし私は何事も長続きしない。
私の気が向けば続く風任せ思うように行かない。プロじゃないんだしさあとりあえずでよいか。
で何とか私でも参考になる精神統一のアドバイス出鱈目ないか?この詩もみたし。
思いついた楽に精神が統一した。バートン・ノートン 世界の静止点?
まわる世界の静止点。肉でも.肉でないものでもなく. そこからでもなく.そこえでもなく.
その静止点に踊りがある。 しかし停止でもなく.運動でもない。 それを固定点と呼んではいけない。
そこに過去と未来が集まる。そこからの運動でもなく.そこへの運動でもなく。登りでも.降りでもない。
静止点.その点が無ければ 踊りはないのだ. あるいはただ踊りだけだ。
私達は.そこへ行ってきたといえるだけで.何処へとは言えない。どのくらい長くともいえない.そんな
ことを言えば.時間のなかに.それを置く事になるからだ。 実際的な欲望からときはなたれた内面的な自由.
行為と苦しみから解放され. 内面と外面的な.強制されながら.しかし恩○感につつまれて
静止しながら動く白い光〔・・・・〕 私うーん何か解らん銀河の渦画像検索して見ながら
椅子禅もう一つ落ち着かん.イラストも落ち着かん。 あ台風の目だ。グーぐるで 台風の目検索 画像に
おめめぱつちり心が一点に精神楽に集中した。役立たないと言われたくないけど秋の虫の声が聞こえるけど。
http://matome.naver.jp/odai/2128158337067124901/2128159213667371003 素人衆でも精神が集まるとはこんなもんか.まあよいでした。人迷惑な台風でも画像だし何か心は落ち着く
457 :
素人A:2011/09/08(木) 08:55:59.54 ID:R7vtRNtb
師匠 鬼和尚さんは色々な喰う物が詰まった時は。
便秘薬のスルーラックを飲んでるのかなあ。
458 :
ぼったんとたろすけ、はどちらも虚栄心のみw:2011/09/08(木) 10:04:15.72 ID:ZkZtwU/O
たろすけとぼったんが同じなのはw
共に虚栄心が強く、俺が偉いと言う妄想が激しいw
共に、そういう自分を無視し直視せず、垂れ流ししているのさw
ま、そのうち、他仏教、他宗教で引用指摘してやるさw
459 :
ぼったんとたろすけ、はどちらも虚栄心のみw:2011/09/08(木) 10:07:32.16 ID:ZkZtwU/O
ぼったんとたろすけ、
自己を直視できず、ひたすら脳内妄想を製造して自己陶酔に嵌る日々w
自己陶酔を否定されるのを過剰に恐れるw
ま、たろすけがノミの心臓とか言われていたが、
当たっているなw
460 :
ぼったんとたろすけ、はどちらも虚栄心のみw:2011/09/08(木) 10:11:50.49 ID:ZkZtwU/O
昔、単直が、ぼったんに、やんわりと
「十手もちたいのだ」
と言う言い回しをスレの展開で思い出した、
俺は偉い、指導者だ自己陶酔妄想のぼったんとたろすけ、
「十手もちたいのだ」=俺は偉い、指導者だ自己陶酔妄想
と言うことだなw
単直は上品だからなあ、言い回しはやんわりだw
まあ、こいつらには自己直視できるように直接指摘を繰り返す方がいいw
自己陶酔妄想が冷めるまでw
461 :
野狐禅です氏、貼り付け希望:2011/09/08(木) 10:19:11.87 ID:ZkZtwU/O
最近、ワイ、サボり気味なんで、ぼったんの病理指摘希望します。
462 :
神も仏も名無しさん:2011/09/08(木) 11:40:42.27 ID:rho1nSNa
虚栄心に満ちた人格はあらゆる人間と衝突しやすいけど、
紳士的で温和な人格も一見誰とも衝突していないようで内部的には自分のやり方と違う
他者の振る舞いに対して非常に葛藤を感じて生きている。
どんな人格であっても固定したパターンに、自我に同化していると、
@他の固定したパターンと対立してしまい、ストレスなく対処できない
A他者は多かれ少なかれ、多かれ少なかれだが自分の中の架空の人物をこちらに投影してくるので、
こちらに固定した人格があるとそれにもかき乱される。
つまり、いたらダメなようだ。
どんなに人格を磨いてもいたら他人にぶつかる。
いなければ衝突はなくただ対処があり出会いがあるだけだ。
自我は捨てきれないが、それによって何とかしようとする希望が無くなった分どつぼには嵌らない。
自己陶酔妄想は大切な生きがいだから無理に手放させるのは難しいしあまりよくないことかもしれない。
人とのかかわりの中でそれが結局害であると認識すれば勝手に本人の都合で捨てるでしょう。
このスレのやり取りがそれを早めるかもしれませんが、、。
463 :
チゥ(* ^)(◎o◎)ポッたん ◆oOmXnN8feI :2011/09/08(木) 15:20:40.82 ID:joF/J8qK
>>456 素人A さん
世の習いで、ひとは時として部下を持ちことがある。
あるいは、弟子を持つ。
高校新卒であれば、5年間は人事評価をしない。
大学新卒は、3年間は人事評価をしない。
教育、訓練期間として会社は時間とお金をかけて鍛え上げていく。
この期間を過ぎると、会社に利益をもたらすようになる。
そしてその後10年間で会社は先行投資した資金を回収する。
つまり、3年以内の中途退社は大損である。
15年以内は、回収しきれていない。
下は、見習う、
上は見守るである。
なにを見守るのか。
3ヶ月を過ぎたあたりから、我流が出てくるのである。
つまり、教えたとおりにやらないで、楽をしはじめる。
これを、正しいやり方に訂正するのである。
これをあと3ヶ月、丁寧に繰り返す。
6ヶ月目からは、頻繁ではなく、我流が出ても気がつくかどうか見守り,気がツかまければ、訂正する。
1年を過ぎると、自己で我流を発見し、自己で訂正するように、見守る。
3年で、少人数の現場の責任者となる。
10年目は、過去を振り返る頃である。
過去を点検し、さて、今後はどうやっていくのか、我流とは違うわたしのやり方と言うことが問われる。
師匠と肩を並べ、師匠を越えるのである。
この頃、多くの武術や芸能などで、新しい派を形成して分離、独立していくものが出始める。
それもひとつの生き方であろう。
それとは別に、自分の歩いてきた道を横にスライドしていくのではなく、垂直方向に伸びていこう、と言う、いわば、主流派と言う道を歩く人がいる。
足元を深く掘り下げ、過去の師匠方の歩きを学ぶ。
そして、それらを踏まえて、高く垂直方向にどこまでも進もうというわけである。
30年を経ると、その人自体が道となる。
464 :
チゥ(* ^)(◎o◎)ポッたん ◆oOmXnN8feI :2011/09/08(木) 15:27:06.99 ID:joF/J8qK
>>458-461 居ぬ
とどまる水は腐るというが、
おまえをかえりみろよ。
死はもうそこで、てまねいている。
語る自己は無いのだそうだが、生まれたから死がある。
ばかにも平等に。
465 :
チゥ(* ^)(◎o◎)ポッたん ◆oOmXnN8feI :2011/09/08(木) 15:29:28.14 ID:joF/J8qK
466 :
チゥ(* ^)(◎o◎)ポッたん ◆oOmXnN8feI :2011/09/08(木) 16:12:36.60 ID:GRkYraFn
467 :
ねこ:2011/09/08(木) 20:41:21.64 ID:GcPjr6Uq
>>464 ぽったんさん
> おまえをかえりみろよ。
>
> 死はもうそこで、てまねいている。
あちこちマルチポストしまくってる間に終わっちゃいますよ。
468 :
たろすけ:2011/09/08(木) 22:25:36.90 ID:28A255KV
>>446 > 442が知っているという言明なのに対応して、443はわからないという言明であっただけです。
ならば《漠然と》他者に向けて> 妄想である自己で妄想を紐解こうとしても無駄なこと。
などというのは少しチガウでしょう。
ソレは>道のりの途中で自分の妄念や主観に気づいてゆくことに対する働きかけの一つとして
多少道は脇道に逸れても、看過されて然るべきです。
ソレに《わからない》という呼び掛けであろうと言明は同じ言明です。
そんな語り口一つで、レスが批判されうべきモノとなったり、批判を免れうるモノとなったりの差異は生まれません。
ソレに442は知っているという言明ではありません。妄沢山という言明ですw、読み違えですね。
架空の人物が出てきました。読み間違えが多く希望観測・妄想的で、防衛・回避的な話法を身につけているなと感心した次第です。
469 :
たろすけ:2011/09/08(木) 22:27:25.17 ID:28A255KV
>>448 >
>>442 たろ さん
>
> もう そう のへんでいいのでは?
このスレッドに限っては曹洞宗傾向レスのみでは孟宗竹《妄想ダケ》です。
470 :
チゥ(* ^)(◎o◎)ポッたん ◆oOmXnN8feI :2011/09/08(木) 22:29:27.40 ID:R/BvxBmF
471 :
チゥ(* ^)(◎o◎)ポッたん ◆oOmXnN8feI :2011/09/08(木) 22:39:29.04 ID:R/BvxBmF
>>469 たろ さん
> このスレッドは孟宗竹《妄想ダケ》です。
もう、僧 か・・・
472 :
チゥ(* ^)(◎o◎)ポッたん ◆oOmXnN8feI :2011/09/08(木) 22:40:42.82 ID:R/BvxBmF
473 :
たろすけ:2011/09/08(木) 22:52:47.70 ID:28A255KV
>>471 >
>>469 たろ さん
>
> > このスレッドは孟宗竹《妄想ダケ》です。
>
> もう、僧 か・・・
仕方ないです。
もう、そういう事にしておきますか。
474 :
たろすけ:2011/09/08(木) 22:54:22.35 ID:28A255KV
> @他の固定したパターンと対立してしまい、ストレスなく対処できない
> A他者は多かれ少なかれ、多かれ少なかれだが自分の中の架空の人物をこちらに投影してくるので、
よくわかってるじゃないか。それでいいんですよ。
アナタの慇懃さは小手先に過ぎず、精神という内容を容れる容器を変えたダケなんだよ。
俺が一貫して言いたいのは、現代国語の時間に物理の課題の成果を披露するなという事、
そして現代国語の授業中にアナタの物理の課題の成果を誰も肯定しないのは、他学生が何も課題をし忘れた訳でないという事
さらに、慇懃に答えたところで、現代国語の授業中に失礼であるぞ、他学生のジャマになるって事
そして他学生が代国語の授業中だぞ静かにしろって言ったところで、手短に対処したに過ぎずトゲトゲしくはないって事
加え、このクラスは物理《ニューエイジ》選択でなく化学《禅》選択なのでどのみちお門違いも甚だしいという事。
475 :
チゥ(* ^)(◎o◎)ポッたん ◆oOmXnN8feI :2011/09/08(木) 23:36:36.40 ID:R/BvxBmF
http://www.rinnou.net/cont_04/zengo/100501.html 莫妄想)まくもうぞう) 妄想(もうぞう)すること、莫(なか)れ
「無業(むごう)の一生、莫妄想」といわれるように、無業和尚(760〜821)は一生涯、誰が何を尋ねても、「莫妄想」で押し通したといわる。
「妄想無き時、一心(いっしん)是れ一仏国(いちぶつこく)」。 すなわち、妄想を断ち切ってしまえば、それがそのまま悟りの心境です。
「莫(まく)」とは、なかれ(・・・)のことで、禁止の意味を表わします。
「妄想(もうぞう)」とは、一般的には実体のない虚妄(こもう)の想念(そうねん)のことで、色気、食い気、欲気などの邪念、空想、迷心を意味しますが、禅ではもう少し深く考えます。
私たちは、常に、生死、善悪、是非、勝敗など、二つの相対する概念を作り出し、その一方に執して苦しみ、迷うのですが、この二つに分けて見る相対的な分別心そのものが、すでに妄想というのです。
故に莫妄想とは、生死、善悪、是非になり切ってやって行け! というわけです。
“莫(な)かれ”という消極的な言葉に反して、より積極的に、生死、是非、善悪、勝敗などにこだわることなく、全身全霊を挙して一心不乱にやり貫けという。
江戸時代、広島の尾道の済法寺に住した物外(もつがい)和尚(1794〜1867)は、腕力絶倫のため拳骨(げんこつ)和尚と呼ばれた人ですが、あるとき、藩主から呼ばれて入城します。
藩主の病は重く、臨終の時が迫っています。
藩主は、懐から辞世(じせい)の一句を認(したた)めた短冊を和尚に見せます。
「花は根に帰ると聞けば我もまた 生まれぬさきの里に帰らん」
――花は散っても根に帰るといわれる。私もいよいよ死が近づいてきたようです。死んだら、和尚が言っていた生まれぬさきの里、すなわち本来の自己、父母未生(みしょう)以前の消息へ帰ります。
物外和尚、一読して頷(うなず)くかと思いきや、いきなり短冊を放り出し、大声で叱咤(しった)します。
「この期に及んで何を妄想を書いているのだ! 歌なんぞクソ妄想だ! 黙ってさっさと死んでいけばいいのだ!」
これを聞いた藩主、ニッコリ笑って頷き、静かに息絶えたといわれている。
物外和尚は藩主に、死ぬときは“死”一枚、莫妄想、すなわち余計なことは考えないで死んで行け、と教えたのです。 』
476 :
チゥ(* ^)(◎o◎)ポッたん ◆oOmXnN8feI :2011/09/08(木) 23:38:50.36 ID:R/BvxBmF
477 :
チゥ(* ^)(◎o◎)ポッたん ◆oOmXnN8feI :2011/09/08(木) 23:47:24.01 ID:R/BvxBmF
478 :
神も仏も名無しさん:2011/09/09(金) 01:15:38.64 ID:eWw+/8Nl
≫ソレに442は知っているという言明ではありません。妄沢山という言明ですw、読み違えですね。
ああ、やっちゃってたか。これは申し訳ないことをしました。
と、思ったのですが442全体を読んでみて、どこももうたくさんだという感じを感じないのです。
徹頭徹尾自分の思考に浸かっている文面です。
最後に付け足した言葉一つで文全体の意味は変わりません。
言葉一つで事実は、自分は変わらないのです。変われば楽なのですが、、。
479 :
神も仏も名無しさん:2011/09/09(金) 01:25:25.12 ID:eWw+/8Nl
≫よくわかってるじゃないか。それでいいんですよ。
これは自分の事としてわかることを理解といいます。
他人はそうで自分は例外だという感覚があればあるほどそれを理解していないという証拠になります。
474はまさにそんな感じです。
全くわかってない人がさもわかったように言えるのが言葉のややこしいところです。
≫俺が一貫して言いたいのは
別に答えることを強制しているわけではないし、現代日本語、現代論理で分かりやすく話しているので
明確なスレ違いというわけでもないでしょう。他宗教特有の用語を連発したらあれですが。
最初の私の会話の入り方は礼を失していました。それは今お詫びします。
それを整理してしまえばもう別の話題が咲いてしまったのでこれはこれでゆっくり進めてゆけばよいのではないでしょうか。
480 :
チゥ(* ^)(◎o◎)ポッたん ◆oOmXnN8feI :2011/09/09(金) 03:33:39.73 ID:1c5aJYJX
481 :
素人A:2011/09/09(金) 06:21:38.43 ID:IRz+O+d/
真面目に骨骨と要領悪く歩く.大切な事なんかなあぽつ師匠は偉いんだろう。さあとりあえず
前へ一歩ずつ。普通は要領よく近道するんだろうけど.わからんそうすると大切なものを
見ないで進むことになるのか?私は最近しらけ気味だ。それはこういう仕組みだ何てそれがどうした
というのだろうか。要領悪くコツコツ学ばんといかんのか.私は楽したい.手抜き体が多すぎるし
少し反省。少しだけ
482 :
素人A:2011/09/09(金) 08:47:41.75 ID:IRz+O+d/
そうだねえー 皆んな役者としては一流?なんかなあ2ちやん劇場。師匠は師匠で 私は私で
鬼さんは鬼さんで 馬さんは馬さんで 大王さんは大王さんになりきっている
役わすれる暗いに夢中に縁起しなきゃ観劇も白けるし色々遭っても。劇の様な
現実の様な中途半端良くわからん程度が一番まあ良いかも知れない。
わからんけどそのくらいが元元の人もまあよいしそんなに寂しくも無いかも
人生劇場はかつこいい
http://www.youtube.com/watch?v=_OEHf3XisrQ けど2ちやん劇場もまあよい
483 :
神も仏も名無しさん:2011/09/09(金) 11:06:53.21 ID:eWw+/8Nl
≫俺が一貫して言いたいのは
別に話を逸らしたわけではなく、たろすけさんの発言をうけてたろすけさんの真意を聞いたり、
発言者であるたろすけさん自身を考察するのは禅の精神かと思います。
発言者への考察や発言の真意を問うことを許さず、きまった授業、きまった論理の形式を求めるなら
それは禅ではありますまい。ここは理論のやり取り、発表の場ではないのですから。
484 :
神も仏も名無しさん:2011/09/09(金) 13:03:16.47 ID:eWw+/8Nl
≫よくわかってるじゃないか。それでいいんですよ。
自分の事として理解している気配がない人が他者にわかってるじゃないかという認証をするのに違和感を感じるというのもありましたが、
そもそもわかってるとはどういう意味なのだろうか。
知的な理解をわかってるというのなら自分の実体は変わらないまま理解した気になって自我の働きは強まる。
自我はその本性から言って自分の作った世界、自分の都合にそぐわない全てを憎む。
自分の自我の働きを見てみると、たろすけ氏はおろか親族含むすべての人間の憎み、消してしまいたいと思っている。
だけどそれでは自分の生存がままならぬし、気も休まらないから、柔らかな道徳的な対応を自分の生存のために身に着ける必要があったようだ。
とこういったことを知的な理解としてではなく自分の自我の働きであり怒りであったものと直接出会うことができれば、
もうそれと同化してしまうことはない。
自我の働きが怒りでしかないことに気づくということは自我によらない生の動きが目覚めているということであり、
もう演技などしなくても憎しみに染まることはなく憎しみに乗ることはない。
というのもこの憎しみは世界全体を相手にする実にばかばかしいものであるから。
その怒りの全てに直接出会う所まで行かなくても意識的な人間はこの自我の、怒りの働きに無自覚に同化せず、
淡々と現実に処理してゆく理性やユーモアが働き始めるものです。
怒りに出会うきっかけに感謝します。
485 :
チゥ(* ^)(◎o◎)ポッたん ◆oOmXnN8feI :2011/09/09(金) 23:55:39.25 ID:BQYb0zAX
>>481 素人A師匠 さん
> 真面目に骨骨と要領悪く歩く.大切な事なんかなあぽつ師匠は偉いんだろう。
さあとりあえず前へ一歩ずつ。
普通は要領よく近道するんだろうけど.わからんそうすると大切なものを
> 見ないで進むことになるのか?
私は最近しらけ気味だ。
それはこういう仕組みだ何てそれがどうしたというのだろうか。
要領悪くコツコツ学ばんといかんのか.私は楽したい.手抜き体が多すぎるし少し反省。
少しだけ 』
えらくはないよ、俺。
ただ、ねがう。
素人A さん が、くれくれ君卒業をして、一場の主役を張ってくれる事を。。
天台宗だったかな、「一隅を照らす」と言う言葉がある。
他を師匠と呼ぶことで、おれは師匠じゃないから、
> 真面目に骨骨と要領悪く歩く.
それだけでいいんだ、という ポジションから出ようとしない。
わたしにはできるのに、できないよとかいって、サボってるように見える。
チョット苦言を呈した・・・┏○ペコ
よろしくお願いします、素人A 師匠ぉぉぉぉぉー
486 :
チゥ(* ^)(◎o◎)ポッたん ◆oOmXnN8feI :2011/09/09(金) 23:56:32.49 ID:BQYb0zAX
487 :
たろすけ:2011/09/10(土) 01:00:36.85 ID:VCEB+EYB
>>478 自分の思考・妄想が沸騰したと述べています。浸かった文体となっていると漠と示してますね。だが妄沢山と。
読み取れませんかね?w、確信犯的に読解しない者とのやり取りはつかれますなw
それでも私は一つ一つ丁寧にレスをしている。微弱微力ながらこの慈悲をアナタは、煩悩とよぶんだろうねw
だが、このやり取りで他様々な精神構造を理解する機会を得る事が出来た。ユーモアに怒りをもって見る者に感謝します。
> 最後に付け足した言葉一つで文全体の意味は変わりません。
> 言葉一つで事実は、自分は変わらないのです。変われば楽なのですが、、。
ご自分の事をよく分かっておいでですね。だが楽をばかりしておられる。
>>479 自分が当てはまる指摘を他者に呼び掛ける趣味があるようで。まさしく、
アナタのレスは全般的に、自分こそが例外的に高みから指摘できるかのごとき《欺瞞》的な格調に満ち満ちているが
はてニューエイジというのは、自分を顧みるように言ってるんでないの?
して、その教義は、修行途上のモノに何か真理について分かった気にさせ、慢心させ、
頼んでもいないのに他人を《呼び掛けw》の元にエゴに免罪符を与えるのかいな?
呼び掛けやら何やら本来ならエゴと無縁であるべき提示にアンカーつけたり、延いては他人に粘着する必要などなかろうよ?
ソレに何々?話題が咲いた?
何も咲きゃせんわw、あっても徒花か造花の類いだろ?
禅スレでニューエイジ受け売り調のレスなんか場違いだね。《ま、コレはあくまでも俺個人の意見で、住民の総意ではないが》
>>483 理論と発表とはアナタでしょう→>484。禅の精神等と言うものが仮にあるとするなら、その精神はそのようなモノとは無縁。
488 :
たろすけ:2011/09/10(土) 01:10:57.67 ID:VCEB+EYB
>>484 > 自分の自我の働きを見てみると、たろすけ氏はおろか親族含むすべての人間の憎み、消してしまいたいと思っている。
とっとと自分の怒りを消しゃいいだろw?ソレが怒りにまつわる全ての解決法なんだろう?
ソレがアナタの《他者理解》ではないのかい。感謝なんかせずにとっとと消せよw
利他フィードバック我慢慢心・擬態善心確認の凡夫慈悲行、的無我アプローチなんか聞きたかないよw
489 :
たろすけ:2011/09/10(土) 01:34:05.93 ID:VCEB+EYB
>>484 > ≫よくわかってるじゃないか。それでいいんですよ。
> 自分の事として理解している気配がない人が他者にわかってるじゃないかという認証をするのに違和感を感じるというのもありましたが、
ソレはあります。
アナタのレスにおける私への指摘は、一つ前のアナタのレス自身にピタリ当てはまる事が多いのです。
なおかつそれがコチラからの既述した指摘内容に被るんですね。
よほど自分のレスに無自覚か、他者をおちょくっての事としか見えない。
で、ソレに大目に見て返しているんだが、アナタの慈悲観からするとソノ私は慈悲深いという事になるのだろうか
アナタの慈悲は《目をつぶる=慈悲》故に
490 :
チゥ(* ^)(◎o◎)ポッたん ◆oOmXnN8feI :2011/09/10(土) 01:52:59.84 ID:uncf0X8O
http://www.rinnou.net/cont_04/zengo/051001.html 無門関 第十二則 主人公
瑞巌(ずいがん)和尚、毎日自ら主人公と喚(よ)び、復(ま)た自ら応諾(おうだく)す。
及ち云く「惺惺着(せいせいじゃく)や、?(だく)。他時異日、人の瞞(まん)を受くること莫れ、??(だくだく)」
瑞巌和尚という方は、毎日自分自身に向かって「主人公」と呼びかけ、また自分で「ハイ」と返事をしていました。
「はっきりと目を醒ましているか」「ハイ」「これから先も人に騙されなさんなや」「ハイ、ハイ」といって、毎日ひとり言をいっておられたというのです。 』
主人公とは、自由と言うことです。
道元さんの言う 眼は横に、鼻は直に、も 鼻は直にが自由を、主人公を言う。
「おい、主人公、目を覚ましているか」とみずからを覚醒しなければならない。
盤珪(ばんけい)禅師はこういわれる。
『 主(ぬし)と申さば一切に自在なるところの名じゃ。自在とは自ずから在るということではござらんか。』
主体的な自己である主とは、すべてのものに束縛されず自由自在を言う。
また、自在ということは、自ずから在るということで、力まず、自然に無心な己れ自身であること。
心の中に何の思いもないときは、自由自在ですから、どこへ行っても自分の家にいるのと同じで平常心(びょうじょうしん)です。
どこへ行っても遠慮せずにおられます。
お釈迦さまは「この世界はわが家だ」と悟られました。
そして、世界の主人公になられたのですが、それが主体的な自己というものです。
「 汝こそ汝の主人公他の誰が汝の主人公で有り得るか。 」
Aretha Franklin -100
http://www.youtube.com/watch?v=KtBbyglq37E&feature=list_related&playnext=1&list=AVGxdCwVVULXe61HUKknk3PSUElDACS3Z4
491 :
たろすけ:2011/09/10(土) 02:12:16.34 ID:VCEB+EYB
問題の根本を理解してるかw?アナタの課題内容の正誤がどうとか言ってるよりは寧ろ、
俺は、現代国語のw授業中に他教科課題の内容の理解、を訊かれた訳よw
で、
《お前課題やってきたか?》【は?】
《物理(何か他科目名) だよ。物理の課題。》【いま現代国語】
《やってないのか。》【いや、ソレはやって来たよ】
《見せて見ろよ》【いま現代国語だって言ってんだろ】
《何だ、忘れたのかw》【現代国語だってんだろ、バカか?】
《お前性格ワルいな、性格異常じゃね?》【お前バカか?いま傍線箇所を〜簡潔に述べよプリントをやらねーとだろ】
《物理大事だぞ、自覚あるか》 【バカか(ボリューム上げる)?物理の話じゃねーだろ、俺がいつ物理捨てたよ?】
《お前不眠症か?イラついてんのか、性格ワルいな何かあったか?、、ベラベラ》【い ま 国 語 授 業 中(大声)】
教師《そこの二人、後で職員室来なさい》
《嗚呼、いま現代国語の授業中だったのか、謝るよ》【このバカが】
492 :
チゥ(* ^)(◎o◎)ポッたん ◆oOmXnN8feI :2011/09/10(土) 02:17:24.06 ID:uncf0X8O
493 :
たろすけ:2011/09/10(土) 02:21:53.91 ID:VCEB+EYB
職員室後
《で、思うんだケド物理って勉強の一つたし、同じ高等教科だからそんなに間違いじゃねんじゃね?》【は?】
《物理の教科書の文て現代語じゃないか?現代国語に通じるって》【じゃあ、現代国語の文も物理の説明文に通じるんじゃね?】
《お前性格ワルいな、やっぱり課題もやってないだろ》
494 :
チゥ(* ^)(◎o◎)ポッたん ◆oOmXnN8feI :2011/09/10(土) 02:42:13.19 ID:uncf0X8O
495 :
たろすけ:2011/09/10(土) 05:24:24.41 ID:VCEB+EYB
訂正》
×アナタのレスにおける私への指摘は、一つ前のアナタのレス自身にピタリ当てはまる事が多いのです。
○アナタのレスにおける私への指摘は、毎度毎度、一つ前のアナタのレス自身にピタリ当てはまる事が多いのです。
496 :
素人A:2011/09/10(土) 06:35:25.42 ID:/YVSCWfD
行持 仏祖の大道には.必ず.究極なる行の持続がある。それは.めぐりめぐつて.絶えることが
ない。菩提心をおこし.修行し.悟りを開き.涅槃に入る。そのあいだに寸分のすきまもない。行い
は持続し.ひとえにめぐって続いていくのみである。それゆえに.みずから強いて行うでもなく.他
に強いられて行うのでもない。かって汚されたことのない.自然なる行いの持続である。
この行持の功徳が.われわれを支え.他も支える。その意味は.自分の続けている行いが.十方世界
にわたつて.功徳を及ぼしていることであり.そのことは.他人も自分も.気がついていないけれど
も.まさしくそうなつているのである。諸仏や諸祖の続ける行いによって.われわれの行持もまた
実現して.われわれの大道も通達するのである。また逆に.われわれの行持によって.諸仏の行持も
実現し.諸仏の大道が通達することになるのである。(つづく)
497 :
素人A:2011/09/10(土) 06:54:12.74 ID:/YVSCWfD
>>496つづき。 われわれの行持によって.めぐりめぐる力が出てくるのである。その力
によって.仏祖たちも.あるときは.仏の姿になり.あるときは.その姿もなくなり.また
あるときは.仏の心となり.あるときは仏と成って.ひとときの断絶もないのである。また.
この行持によって.日月星辰もあり.この行持によって.大地虚空もあり.この行持によつ
て国土もあれば.衆生もあり.また.身体も精神もある。さらにこの行持によつて.地・水
・火・風の諸要素もあれば.色・受・想・行・識の五蘊もある。行持は.世の人の好む処で
はないけれども.人々はついにはそこえ帰着せねばならないのであろう。過去・現在・未来
の三世の諸仏も.その行持によって.仏となつたのであり.仏となっているのであり.やが
て仏となるのであろう。(つづく)
498 :
素人A:2011/09/10(土) 08:21:21.62 ID:/YVSCWfD
>>497 (つづき) 行持の力は.やがて現れて.菩提心をおこしたり.修行したりする。あるいは.時には現れ
ずに.仏道を見聞することもなく.認知することもない。しかし.たとい現れなくても.その力はなくならない
と学ぶべきである。なせかというと.その力は.隠れたり顕れたり.存在したり亡くなったりすることには関
わらないからである。自分自身を実現していく行持が.現れたり隠れたりするのは.さまざまな縁起によるので
あって.行持を頷いたり.頷かなかつたりするのは.何も特別のことがあるわけではないのである。さまざまな
事が起こってくる縁起は.そのままわれわれの行持であるが.行持そのものは.何が起ころうとも.それに左右
されるものではないことをよくよく功夫し学ぶべきである。
行持そのものを実現する行持は.いまわれわれが営んでいる行待なのである。行持のいまというのは.自分のなか
に本来的に存在しているものではない。また.外から出たり入つたりするようなものでもなく.行持が実現しつつ
あるのをいまとうのである。
499 :
素人A:2011/09/10(土) 09:03:20.48 ID:/YVSCWfD
いまというのである。
500 :
神も仏も名無しさん:2011/09/10(土) 11:01:36.77 ID:T01QWuY/
私についての分析ばっかりですね。たろすけ氏。
自我というのは他人の事ばかり批判して自分のことを顧みないものです。
それを自分の事として痛感するとき、その痛感を書き込めばそれは自分の助けだけでなく
他者の助けにもなるでしょう。
しかし自分の事として痛感せず他者批判に終始しては、自分においての自己欺瞞であり、
他者には混乱をまき散らすでしょう。
何も偽善を進めているのではなく、このありふれた自我の働きを見極め抵抗するだけでいいのです。
それは自己欺瞞とは違います。
また自分が実体験していないことはわからないというのが賢明なあり方かと思います。
実体験してないことについて述べると自己欺瞞ですが自分の無知を痛感しながらのわからないという言葉は
自己欺瞞の恐れはありません。ソクラテスやアインシュタインもわからないことはわからないといいます。
≫アナタのレスにおける私への指摘は、一つ前のアナタのレス自身にピタリ当てはまる事が多いのです。
散々私の文意を読み違えているではありませんか。
あなたの言う私は私ではなく、多分あなた自身でしょう。
≫俺は、現代国語のw授業中に他教科課題の内容の理解、を訊かれた訳よw
そういった予定の観念は個人的なものでも社会的なものでも自我の働きです。
私自身あなた自身についての質問より優先する話題があるとは思えません。
それに、答えるのはあなたの自由なのです。
501 :
神も仏も名無しさん:2011/09/10(土) 11:24:46.27 ID:T01QWuY/
≫アナタの慈悲は《目をつぶる=慈悲》故に
その話はもう終わったんじゃなかったっけな。
もちろんそんなこと言ってないし、対処すると述べましたが。
あなたからみて私がどう見えるかは別に重要な話ではありません。
多かれ少なかれ人は他人を捻じ曲げて自分の中の仮想敵に近づけようとする傾向があるので、
他人ばかり見ていてもきりがありません。
仮想敵を作る自分自身を見なければ戦いは永遠に終わりません。
重要なのは私が私を見ること、あなたがあなたを見ることです。
わたしはいつでもこの大切な方に話を誘導します。
502 :
神も仏も名無しさん:2011/09/10(土) 12:13:39.32 ID:T01QWuY/
≫自我というのは他人の事ばかり批判して自分のことを顧みない
他人のそれが気になるということは同種のものが自分の中にあるかもしれないと覗いていたのでした。
それと同化して表面的な行動としてそれをするということはあまりないと思いますが、
自我の本性としてそれをしたいという欲望がきっちりと抑圧されているのを感じました。
私の自我として活発に活動しているのは世界や他者への悲しみと怒りなのでこれは今のところは
あまり活動的な要因ではないようです。が、油断してるといつこれが母屋をのっとるやら。
仮想敵を作って攻撃して、自分を顧みろという雑音もすべて仮想敵の欺瞞と決めつけるというのは、
日常生活でもよくあることです。
これだけはやってはいけないのでわたしはやらない。やってるやつはけしからん。
そして自分の咎は見つめない。
と全く意味がないか社会に有害なことを掲げる人は多いものです。
そしてこれは私も含めて自我の本性なのでしょう。これに引っかからないよう気を付けましょう。
他者への投影について
世の中は悲劇に満ち溢れていますが、その悲劇を引き起こす人々は悲劇に責任のある人々ですが、
私から見るその人々と実際の人々は別のものです。
人々はある意味邪悪ですが、私が邪悪だと思うような邪悪さではありません。
というわけで、自分から見る他人は自分そのものなのでしょう。
そうやって自分と他者と世界を同一のものとしてみると、いやその時だけに自己理解があると思います。
たろすけ氏もあなたから見た私を自分自身としてみたててみたらいかがですか。
この際私の忠告を見るより自分自身の書き込みを、そして私へのイメージを自分の事として見つめるほうが材料になるでしょう。
503 :
野孤禅スレです:2011/09/10(土) 14:22:41.16 ID:GuPCDMsr
ここはタイトルとは真逆の擬似似非の野狐禅を展開している糞スレである。
ポッタンと称する者が師家気取りを演じている。(本人曰、糞スレだから銀蝿が湧いてしょうがないと)
自己愛性人格障害のこの者は坐禅修行もろくにせず、名誉欲や偽善心、虚栄心など我執煩悩が旺盛である。
三昧と執着の違いも分らず、三昧であれば何でも禅と言い放って、もっぱら日々、競馬三昧、2ch三昧にのめり込んでいる。競馬や低俗なコピペを方々に貼付けては顰蹙を買うほどの俗物である。
本人は無師独悟とか称して、隻手の音を聞いた、その後次々と公案を透ったと大見栄を切っている。
しかし所詮、自分免許の浅はかさ。書込みからは証悟の片鱗すら伺い知ることはできない。
一例が「私は払子を立てた。これが私の禅です」と坊主の真似事が禅だと、恥とも知らず失笑を買っている。
そんな者がどこからか禅語をコピーしては、矛盾に満ちた皮相的で幼稚な取るに足らない曲解を書き込んでいる。
突っ込まれて答えられない質問には、恥隠しのはぐらかしや長文コピペで誤魔化すこと枚挙に暇がない。
またときに、尊大な我執による妄想妄念から、あられもない説法をしでかす。
「すずめさんがチュンチュンとこんにちは、タンポポさんがニコッとこんにちは」と幼児童話レベルの妄想が禅の悟りであると吹聴している。
しかも30年近くもこの有様というから愚かの極みで、恐らくボタンを掛け間違ったまま生涯を終るものと想像できる。
野狐禅に陥ったら、五百生間狐となって迷妄の深淵から抜け出せないというよい例である。
この様に我執に塗れた者が無我を語り、見性せぬ者が空を語るなど、入門者でも胡散臭さを感じて俄に信じる者はいないとは思う。
しかし中には、類は類を呼ぶ、同病相哀れむという諺通り、ポッタンを師とする者が現れた。
素人Aというポッタン酷似の者で、なにやら激しい妄想妄念を、誤字誤変換だらけで書き込んでいる。
最近は師への切替えが混乱し、妄想妄念も激しくなって分裂症も進んでいる様子である。
祖師禅とかけ離れたこの野狐禅スレに、間違って来られる入門者があるやもしれない。
しかし、よもやこの師弟に惑わされることはないと思われる。
万が一のため、ポッタンのように野狐禅に陥って人生を無駄にせぬよう警告の意味で記しておく。
504 :
野孤禅スレです:2011/09/10(土) 14:24:42.94 ID:GuPCDMsr
今回は、その後の隻手音声の続きであり、以下は最近のそのままの引用である。
「ある禅僧が、隻手の音声を聞いた!お師家様にも喜んでいただこうと足音を踏み鳴らして師家の部屋に飛び込んだとき、お師家様は静かに言われたそうです。片手の音は、聞こえない。
そこが、空即是色です。1秒もかからず、リアルに舞い戻していただいたそうです。 お師家さまの指導下で修行する事のすばらしさは、こういうことにあるのでしょうね」
とある。 しかし、この話は禅を心得た者から見れば、全くバカバカしい限りの虚言、虚構創作であることが明々白々にして容易に分かろう。
まず、隻手の音声を出した師匠が、未だ法身も会得していない者に、積み上げつつある修行を元の木阿弥に戻す様なことは絶対、口にしないからである。
いわんや「片手の音は聞こえない」などと、音がどうの、聞える、聞えないだのと分別差別の相対概念を、ここで持ち出すなど、まったくのナンセンスである。
かつ、俗世的相対固定観念に捉われたまま、未だ始末できない生煮えな禅匠がいる筈もないからである。
そして「そこが、空即是色です。1秒もかからずリアルに舞い戻していただいたそうです。」と続く。
法身が何たるかも分からないものが、1秒にしてリアルに舞い戻るも何もないものである。
よしんば、万が一そうであるにしても、まずは、無にしろ空にしろ、徹底させて、法身を会得させた後の、まだず〜と先々のことである。
証明する事にさえ苦心してるのに「片手の音は聞こえない」などと、足を引っ張るような愚劣な指導がある筈もないのは参禅したものなら承知のことであろう。
なぜポッタンがろくでもない嘘に満ちた拙話をでっち上げるのか。
それは、ポッタンの脳内で作り上げた「音が聞こえるのは色即是空まで、その後は音は聞こえずそれが空即是色である」という珍妙な屁理屈の辻褄を合わせようとの魂胆があるからに他ならない。これを嘘言の屋上屋を重ねるというのである。
ちょっと禅を齧った者にも、容易にわかる幼稚な作り話を、平然と書き込みする愚かさを繰り返すのが、ポッタン野孤禅の本領であろうか。
この様に、このスレにはポッタンの虚飾、虚言、嘘妄の作話で満ちているが、初心者は、野孤禅サンプルとしての反面教師としてならともかく、決して野孤禅に惑わされないよう、大いに気をつけて欲しいと思うのである。
505 :
野孤禅スレです:2011/09/10(土) 14:26:44.60 ID:GuPCDMsr
野孤禅は野孤の数だけ種類があるが、ポッタン野孤禅は差し詰め、口先禅とでも言ったところだろう。
最近、それに加えて猿真似禅(しかも幼稚的)というのを追加してくれている。
「宇宙未始前の一句をもつて来い。
宇宙が未(いま)だ始まる以前の一句を言いなさい。 だろうか。
わたしは、すっと立ち、両手を後ろにやって、羽をばたつかせながら、口では、チュンチュンと鳴く。」
と、これが「宇宙未始前の一句」の、ポッタンの「どうじゃ」と胸を張った自信満々の回答である。
どこぞの公案回答集から拾ってきた真似かは知らぬが、禅家はそんな猿真似が透る程甘くはない。
精々、化けの皮が剥れるのが関の山である。
無字も、隻手音声の公案も透過していない程度の未熟さは隠し様もなく、隙だらけの回答ですぐに正体を露呈する。
禅の本源が分からぬものが、勘違いをすると、このような、道化師のようなことをしでかすのである。
あらかじめ頭に描いたシナリオを、時と場所と状況も見極めずに、ただ演技するだけである。
如何にうまく演技しようと、所詮、猿真似は猿真似である。
猿は何でも真似をするから猿真似だが、さらに猿真似の芝居をする、これを猿芝居という。
それにつけても、この猿芝居、幼稚さはなんとかならないものか。
毎度の、お遊戯は幼稚園児並ではないか。
「すずめさんがチュンチュンとこんにちは、タンポポさんがニコッとこんにちは」が悟りだと言い、「私は払子を立てた。これが私の禅です」と語った類と同レベルのものである。
これを師家の面前でやれば 「何の演技じゃ、そんな猿芝居は幼稚園でやれ」 と一笑に付されるのが落ちであろう。
「倶胝竪指」では物真似小僧が指をチョン切られただけで済んだが、これが関羽将軍の面前であったなら、ポッタン猿真似禅師匠は首が胴体から離れているかもしれない。実に剣呑である。
ところでポッタンは人を笑わせる才能があるようだ。
三十年近くもやっている禅が、ちっともものにならず、しかも今後も見込みがないならば、さっさとイッパツ芸人に転向することを勧めるとしよう。
それとも、これからもポッタン野孤禅師匠の言動で、大いに野孤禅のサンプルを提供してくれるというのだろうか。
506 :
野孤禅スレです:2011/09/10(土) 14:33:43.38 ID:GuPCDMsr
前回は、ポッタンの貧粗な力量を省みずに、雪担老師、更には古仏の徳三、竜譚和尚までも貶し、悟りが不十分と豪語したポッタン、その自我肥大異常性格を暴いた。今や、その自我肥大は止まる事を知らず、人格破綻へと、まっしぐらである。
最近、頻繁に使っているのが、無師独悟(独覚)とかいうポッタン造語である。
無師なのは、本人によると、人嫌いによると言っているので、普段の幼児並性向から、異論を挟む余地は全く無い。
しかし、独悟や独覚となると、悟ったものでも憚り多くて、なかなか口にできる言葉ではない。それを機会ある度に、常套句のように喧伝しているのは、自我の肥大化がどこまで進んで行くのか、の感がある。
本人は 「決して自慢、ひけらかしていってるものでは、ありません」と言い訳しているが、額面どおり受け取るのは安直である。
その言下に「お釈迦様も、沙羅樹の下で瞑想され、暁の空に輝く明けの明星を見られて悟られたのだよ、と言っています。と言うことで、私の無師独悟は、お釈迦様と同じ無師独悟の仲間です。」 と舌の根が乾かぬうちに、本心が別にあると言っているのである。
上から目線はポッタンの常であるが、ポッタンの無師独悟は、釈迦と同様に崇高なものだと、本音が透けて見える。
形は似ているが、内容は月とスッポン、魚目燕石である。
ここまで自我肥大が進行すると、悟りなど無論、望むべくも無い。 自我清算のない悟りがあろう筈もないからである。
しかも、過去スレでは時折、坐禅などいらぬ、と本音を吐露していた坐禅修行が嫌いなポッタンである。
歩み始めた第一歩から、自我清算の方向ではなく、自我増大に走ってしまったのがそもそもの間違いで、しかも正す者のない無師が致命的であった。
三十余年間、肥しにもならない糞知識を頭に詰込むだけで、坐禅修行を怠ってきた代償は余りにも大きく、そのつけが今になって回ってきたのである。
その期間を、自己に謙虚になって、まともに修行していたならば、ここまで自我肥大化していなかったであろうし、少しは悟りに近づいていたとは思うのである。
失った時間が取り戻せる筈も無いが、自我が強大になってしまった上、高齢の今になって、自我の清算など到底適わぬ事であろう。墓場まで野孤禅を連れて行くのは仕方ない。
賢明な諸氏には、決してポッタンの様な轍を踏まず、坐禅修行に力をいれて貰いたいと思うのである。
507 :
野孤禅スレです:2011/09/10(土) 14:35:50.62 ID:GuPCDMsr
無字は、初めて参禅するものに与えられる公案である。これがまた曲者で、中々透して貰えず、艱難辛苦、大変な苦労を強いられる。
それもその筈である。この世に生を受けて以来、永年染み付いた黒白つけたがる分別相対観念を根こそぎ絶つことを試されているのである。チットやソットのことで透過できる訳が無い。
昔、菴原の平四郎というものが、大憤志を発し勇猛の一機で妄想魔境に打ち勝ち、僅か三日で見性したらしい。これなどは稀で、我々凡夫は、昨日より今日、今日より明日、薄皮を一枚々々剥ぐように、自我を清算していくしかない。
そんな凡夫でも、日々努力をし続ければ、何時か因縁が熟した時、見性は訪れる。それは一瞬の出来事かも知れないし、暫しの事かもしれない。
見性の深さも人による。大疑念のものは牛の大半を見るかも知れない。そうでないものは尻尾だけかも知れない。
臨済にしろ白隠にしろ再参して大悟したくらいだから、鈍根な我々凡夫は、一度の見性で一見便見の様には行かない。
見性体験は、将に身を削る、自我清算の修行があってのことである。修行も無く知識を詰め込んだだけの見性などありえなく、逆に我見を益々強めて遠ざかることにもなる。
ましてや、2chに入り浸り、互いに貶し罵りあい、自我を研いている様では、到底、叶わぬ事である。
また、一たび、我見我慢我欲を清算した後、見性して初関が透れば、無や空がガラーッと分かるものである。
世間には、無や空は観念、概念だから書物で学べば分かるものだ、と甚だしい勘違いをしているものがいる。
書物で無や空が分かり、こと足れりと済むなら、達磨が中国へ渡ることも無かったし、禅はとうの昔に滅んでいただろう。
書物に書いてある空や無の解説は、いわば薬の能書きみたいなもので、読んだから病気が治るわけではないのと同じである。
ポッタンは、「飲み屋の女から金色の炎が立ち上がるのを見た」とか「父親に、最近、世界が違って見える、と話した」などと、見性したかのような思わせ振りを語っている。
しかし上述から分かると思うが、強烈な自我が、一度も整理、清算出来ていない俗物に、見性などありえない。これは毎度お馴染みの、彼の虚栄心や自己顕示欲から来る作り話であろう。
仮に事実としても、何か脳の悪い病気に冒されているか、89をやった副作用か、あるいは何かの幻覚ではないのかと疑われるのである。
508 :
野孤禅スレです:2011/09/10(土) 14:37:52.11 ID:GuPCDMsr
| ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄||
||【このスレに来られた方へ】 ||
||★ここは野孤禅の本格スレです。まずそのことを充分、認識してください。 ||
||★野孤禅とはどういうものか、まともでない見本が満載です。 ||
||★ポッタン、素人Aと称するものの発言内容は、まさに野孤禅の見本といえます。 ||
||★素人Aとかいうものはポッタンの携帯黒子ですので、ご注意。 ||
||★この者達の自作自演が多々有ります。相手にならぬようご注意。 ||
||★同様に、かまって貰いたいが為のツリが多々見られます。相手にせぬようご注意。 ||
||★まじめな質問は別スレにてお願いします。 ||
||★誤って、禅の質問をしても、その回答はいい加減と思ってください。 ||
||★本スレの使用目的は、禅に関すること以外、ストレス解消、AAの練習等々、自由です。||
||★書き込む内容は、品格など一切問いません。 ||
||★あらしも排斥しません。 ||
|| 。 ∧_∧ ||
|| \(´・ω・`) いいかな・・? ||
|| ⊂ ⊂ )旦~ ||
||___∧ ∧___∧ ∧___ ∧ ∧__ ∧ ∧___| ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄|_______||
( ∧ ∧__ ( ∧ ∧__( ∧ ∧__( ∧ ∧  ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄
〜(_( ∧ ∧( ( ∧ ∧_ ( ∧ ∧_ ( ∧ ∧ は〜い。
〜(_( ,,)〜(_( ,,)〜(_( ,,)〜(_( ,,)
〜(___ノ 〜(___ノ 〜(___ノ 〜(___ノ
509 :
チゥ(* ^)(◎o◎)ポッたん ◆oOmXnN8feI :2011/09/10(土) 14:59:08.91 ID:wUDcLMiL
>>508-503 居ぬ
ポカッ(._+ )☆\(-.-メ) ォィォィ
6レスの無駄か。
自己の展開は無いな。。。
510 :
チゥ(* ^)(◎o◎)ポッたん ◆oOmXnN8feI :2011/09/10(土) 15:14:22.61 ID:wUDcLMiL
>>496-499 素人A さん
せくとの教えなど、解決には役立たないのではないでしょうか。
それより、自分で解決する事ではないでしょうか。
曹洞宗では、禅には珍しく 「いま、ここ」 と、これだけはあるといいますね。
だけど、禅の無免許運転の独覚のわたしには、宗派の教えはありません。
ただ、祖佛、祖師方と供に手を取って歩むだけです。
門前の痩せ狗にも仏性がございますか。
無。
この無には、今も此処も無い、関わらない、。無分別の無です。
511 :
チゥ(* ^)(◎o◎)ポッたん ◆oOmXnN8feI :2011/09/10(土) 15:27:39.16 ID:wUDcLMiL
512 :
チゥ(* ^)(◎o◎)ポッたん ◆oOmXnN8feI :2011/09/10(土) 15:48:20.41 ID:wUDcLMiL
仙腰a尚
仙豪`梵(せんがいぎぼん)(寛延3年(1750)〜天保8年(1837))は、江戸時代後期の臨済宗妙心寺派の禅僧です。
美濃国武儀郡の井藤甚八の子として生まれ、11歳で美濃清泰寺の僧侶となり、19歳の時、武蔵東輝庵の月船禅慧に師事しました。
32歳の時に月船が亡くなったため、東輝庵を辞して諸国を行脚し、38歳の時に妙心寺塔頭雲祥院、大珠院の推挙で、博多聖福寺第122世住持盤谷紹適の弟子となることを承諾、翌年博多へ招かれ、40歳から62歳に至る23年間を聖福寺の第123世住持としてすごしました。
本格的な作画は住職を退任した以降で、禅の教えをユーモアをもって描いています。
その画が仙腰a尚の人柄とともに博多の人々に親しまれ、求められていたことは、「うらめしや わがかくれ家は雪隠(便所)か 来る人ごとに 紙おいていく」という狂歌からもうかがえるでしょう。
『老人六歌仙』なるものがある。
1. 皺(しわ)がよる 黒子(ほくろ)ができる
腰(こし)曲がる 頭はげる ひげ白くなる
2. 手は震(ふる)う 足はよろつく 歯は抜ける
耳は聞こえず 目は疎(うと)くなる
3. 身に添(そ)うは 頭巾(ずきん)襟巻(えりまき) 杖(つえ)眼鏡(めがね)
たんぽ温石(おんじゃく) 尿瓶(しびん) 孫の手
4. 聞きたがる 死にともながる 淋しがる
心は曲がる 欲深くなる
5. くどくなる 気短くなる 愚痴になる
出しゃばりたがる 世話焼きたがる
6. またしても 同じ話に 子を褒(ほ)める
達者自慢(たっしゃじまん)に 人は嫌(いや)がる
Hank Jones -28
http://www.youtube.com/watch?v=BUWZzj0TU1s&feature=list_related&playnext=1&list=AVGxdCwVVULXeqBWMCLiX1TmkSR2inOR5y
513 :
チゥ(* ^)(◎o◎)ポッたん ◆oOmXnN8feI :2011/09/10(土) 17:04:01.35 ID:wUDcLMiL
514 :
チゥ(* ^)(◎o◎)ポッたん ◆oOmXnN8feI :2011/09/10(土) 21:28:18.98 ID:oQlFWtLx
515 :
チゥ(* ^)(◎o◎)ポッたん ◆oOmXnN8feI :2011/09/10(土) 21:48:54.14 ID:oQlFWtLx
>>514 臨済義玄は黄檗希運に嗣法した後、暫く諸方の尊宿を歴訪していた。
いつの頃からか河北省の鎮州に居を定め、同地方のいわば知事の任にあった通称を王常侍という王敬初居士の帰依を受け、その援助で陀川のほとりに臨済院を創建し、そこを根拠に大法を挙揚していた。
ここにいう「上堂」とは、その臨済院における上堂説法のことである。
なお上堂とは七堂伽藍の一つである「法堂に上る」更にくわしくいえば、「法堂の講座台上に上る(陞る)」ことで、「陞座」ともいう。
516 :
チゥ(* ^)(◎o◎)ポッたん ◆oOmXnN8feI :2011/09/10(土) 22:08:32.60 ID:oQlFWtLx
>>515 臨済或る時、汝らのその五尺の肉体上に、これ以上尊い者はない真人が宿ってござる」と、禅の玄旨を端的に示された。
「赤肉団」とは切れば血も出るこの肉体のことである。
「無位」とは「無価の珍宝」の無価などと同じく、人間社会の相対的な物指では計ることの出来ない絶対無上の位である。
「無位の真人」とは、仏に在って増さず、凡夫に在って減ずることなく、万人に本来具わっているという仏性のこと、六祖のいわゆる「本来の面目」のことである。
お互いが坐禅するのは、要するにこの本来の面目、無位の真人をはっきりと見得(けんとく)し、これをスクスクと育てんがためである。
この無位の真人がこの五尺の肉体に宿っており、「常に汝等諸人の面門より出入す」という。
この肉体と共にあり、眼耳鼻舌身意の六根から常に出入し、いつも形影相伴うているというのである。
行住坐臥(ぎょうじゅうざが)共に一緒であるその無位の真人に、はっきりとお目にかかったことのない者は、さあ看よ看よ、トックリと拝めといって、臨済、講座台上からその身をヌーッと突き出された。
すると一人の僧が、これに釣られて出て来て、「如何なるか是れ無位の真人」と問うた。
臨済、この僧の登場を待っていたかのように講座台からポイと下って、その僧の胸倉をグッとつかんで、「是れ什んぞ、サァ道え道え」と迫った。
これで「アッ、これだ」と気がつかなければならぬ所だが、この僧、まだそこ迄熟しておらず、臨済のすさまじい権幕に押されて、ついグジグジッとした。
「擬議」した。
そこで臨済この僧を力いっぱい「托開」突きはなした。
そして無上の尊貴の身でありながら、これでは屎かきべらの値打ちも無いわい」といって、そのままスーッと方丈へ帰ってしまった。 』
PAUL DESMOND -56
http://www.youtube.com/watch?v=Tnygv7J6VNg&feature=list_related&playnext=1&list=AVGxdCwVVULXcmxAJN9P-EEILY7PXMeJyc
517 :
チゥ(* ^)(◎o◎)ポッたん ◆oOmXnN8feI :2011/09/11(日) 02:59:44.17 ID:cEqV4ZR/
518 :
素人A:2011/09/11(日) 06:32:05.67 ID:bwMI1OGI
いまここで考える。師匠は今此処はすぐすぎるというし.曹洞宗に縛られてシマツタ
というし.今此処の環境に縛られ時間に縛られた言葉ではないようだが.さっぱり
解らん今此処は私の前を通り過ぎて行かない。生まれてから現在まで私が覚えている限り
前にある。熟睡しているときはどうだろう良くわからん。脳が休んでいる時は
覚えていられないけど.私が寝ている姿を見た人は私がその時は居たというだろう。
私は師匠の今此処に縛られて曹洞考えつかれた。まあ曹洞宗も環境.臨済宗も環境キリスト教
も環境。今此処が時間や環境という洋服を着ているのか?洋服を着て見える永遠。そういえば
空も透明人間かこれも解らん色々な洋服着れば透明では無くなるし.
519 :
素人A:2011/09/11(日) 09:45:04.34 ID:bwMI1OGI
臨在さんは無位の真人なんて言っている.仏教はヒンズー教やヨーガと何処が
違うのか?違わないけど言葉が違う。真我と無位の真人の違いは.
我とは言わず法という まあ色々あちらの都合があるのだろうか
まあわからんけど大目にみよう.私にはわからん雑な正確で喧嘩いの違はない
520 :
神も仏も名無しさん:2011/09/11(日) 18:46:54.74 ID:BP2mha9k
521 :
たろすけ:2011/09/11(日) 19:31:31.14 ID:RL3gnN+d
>>500 > 私についての分析ばっかりですね。たろすけ氏。
> それを自分の事として痛感するとき、その痛感を書き込めばそれは自分の助けだけでなく
> 他者の助けにもなるでしょう。
成る程、協和目線を推奨なんですね。ソレはソレで結構だが、まず他者に自分の書き込みの趣向を推したくなるという《内面》を
省みてその上で、なおかつ正当性が残ればソコで初めて提案して頂きたい。
でなくば、アナタこそが> 自我というのは他人の事ばかり批判して自分のことを顧みないものです。
に該当し、又してもご自身の指摘内容に自分を含むという事になりかねない。
そして内面考察の推奨文、への移行の仕方、我田引水wが私の批判バカリから尤もらしく行われるとは笑うべき話。
アナタ自身が内面考察をしているなら、批判に対し自分を一旦当てはめ、考察するでしょう。
が、そうでなく、批判バカリ等と捌きにもならぬ捌き口で又してもwアナタこそが
《内面考察を欠いている》故に、批判バカリと評した相手に批判を徹するのだろうね。
> ≫俺は、現代国語のw授業中に他教科課題の内容の理解、を訊かれた訳よw
> そういった予定の観念は個人的なものでも社会的なものでも自我の働きです。
> 私自身あなた自身についての質問より優先する話題があるとは思えません。
予定じゃないね、真っ最中だったんだよ。それと優先話題は禅な。スレタイ読めますか?
> 他人ばかり見ていてもきりがありません。 > 仮想敵を作る自分自身を見なければ戦いは永遠に終わりません。
> 重要なのは私が私を見ること、あなたがあなたを見ることです。
その様な文言は用いられ方次第では、エゴの正当性を主張するモノだと理解しなさい。
>>502 レポートはアナタの趣味でしかない。そしてここは禅スレです。理解しましょう。
そして>500→502では順序を違えています。ゆえ、アナタが目論んだ、内面考察》添付による免罪などは通らず、
単に善意と呼称した確信犯的な行為となっているに過ぎません。気付きましょう。
522 :
たろすけ:2011/09/11(日) 20:00:02.52 ID:RL3gnN+d
>512,514,520
大事なのは、結局はアナタにとって、典涯キボンヌ義厳とは何者かという事です。
523 :
神も仏も名無しさん:2011/09/11(日) 20:17:48.15 ID:84H74Cx1
いや、言葉の真意を問うのが禅でしょう。
それを現代語で行っているだけです。
禅の形は時代とともに変わりましょう。
昔はあのやり方が現代的だったのでしょう。
単純な日本語のやり取りを好まず、過去の禅的な形式のやり取りしか興味がないのでしたら、そちらだけに答えればいいのではないでしょうか。
また別に善意で行っているわけではないので、たろすけ氏を悪だと押し付けているわけではありません。
ただお話をしているだけです。また議論ともいえるでしょう。
もちろん確信犯的な行為であり、善悪はありません。
そして互いが自分の収穫にすればよいのだと思います。
また趣向を押し付けたいのではなく、反論なら良いのですが、
書いた内容を別物として読みとっての反論につきましては、そんなこと書いてませんよ
そんなひといませんよと言って引き戻すしかないだけです。
≫500→502では順序を違えています。
書き込みの順番と内省の時系列は同じではありませんよ。
いの一番に報告というか実践をここに書き込もうと思い立たなかっただけですし、
最悪でも後で内省したのでしたら、今の私は内省済みなのでしょう。
これは刻一刻のものなので今が大切なのですが。
それに文面をみればその人が内省的か否かは明らかなものです。
≫アナタこそが 《内面考察を欠いている》故に、批判バカリと評した相手に批判を徹するのだろうね。
まあそうやって他者ばかり見るのはお約束でしょうか。
そして私は通して事実描写とその意識を喚起しているのであり、批判したことはありません。
批判しても消えませんから、あなたが気を付けてそれから解放されるだけです。
自分が悪いか、他人が悪いかという世界観は難儀ですよ。
524 :
神も仏も名無しさん:2011/09/11(日) 20:36:17.81 ID:84H74Cx1
487 488 489
の文面の雰囲気だけを見て内省的な人の提示した文章に感じるでしょうか。
内省的な文章でない批判的な文章は大抵実際の他人ではなく、架空の仮想敵をその他人に当ては待て非難しているものです。
自分が悪くなくただ普通に生きているだけでもこういった人からこういった形で非難されることはあります。
だからこういった類の非難はあまりまともに取り合わない習慣がつきます。
ただ、何がたろすけ氏とぶつかっているのかなと自分の中を探すと活動中の怒りや、休止中の他者批判による自己逃避
などが見つかりました。
≫その様な文言は用いられ方次第では、エゴの正当性を主張するモノだと理解しなさい。
という文章を使って自分に突きつけられた指摘から逃げようとしているのではあるまいか。
これ、便利ですよね。だれからどんな指摘をされても、この言葉一つで無視できてしまえます。
あなたが見ているわたしがあなた自身ではないのかという問いの答えとしてはあまりに貧弱です。
【マスコミ】フジテレビのドラマで日本を罵倒するスラングが放送 意訳「日本ファック (byフジ)」 「セシウムさん」以上の不祥事?★44
1 :春デブリφ ★:2011/09/11(日) 20:37:28.36 ID:???0
★フジテレビのドラマで日本を罵倒するスラングが映される 意訳「日本 ファック!(by フジ)」
フジテレビで放送されているドラマ『それでも、生きていく』という番組の中に日本を罵倒する一場面があったとして問題に
なっている。その場面とは雑誌がゴミ箱に捨てられているシーンでその雑誌の表紙に「JAP18」と書かれているのだ。
JAP(ジャップ)とはもちろん日本の事なのだが、今は日本のことをジャップと呼ぶのは蔑称扱いとなっている。
それだけならいいのだが、そのあとに書かれている「18」が大問題だ。この「18」は韓国では「シッパル」と発音し、
これに似ている発音の「シッバル」というものがある。この「シッバル」は「この野郎」や「FUCK YOU」という意味を
持っているもので、韓国では「18」そのものをスラングとして使うこともある。
つまり「JAP18」を意訳すると「日本 ファック!」ということになる。こんなメッセージをこっそり残したフジテレビは
何の意図があるのだろうか。デモに対する報復なのだろうか、それとももっとデモして欲しいという煽りなのだろうか。
http://raicho.2ch.net/test/read.cgi/newsplus/1315741048/
526 :
たろすけ:2011/09/12(月) 01:38:30.58 ID:t85aqFy7
>>523 > いや、言葉の真意を問うのが禅でしょう。 > それを現代語で行っているだけです。
> 禅の形は時代とともに変わりましょう。 > 昔はあのやり方が現代的だったのでしょう。
ソレは間違い。
禅というのは喩えれば(喩える事が可能なら)¨コップを用いずに水を飲む事¨であって(容器の新旧はない)、
よって現代風も古風もない。禅書をもう少し読まれた方がよいと思う。或いは禅の解説書を、
ソレでも禅理解には役には立たないかも知れないが通常の読解力があれば、その様な誤解位はトケルだろう。
御宅の580→582の確信犯的な行為は善悪が明白、言い逃れは不可。
内省済みならばもっと意識的に指摘内容を省みて発言しなさい。
批判を事実描写等と批判をその様に述べない者は居らぬだろう、批判の有効範囲を便宜的に用いて
自らの批判が誤りであり、無力である事から逸らしている。アナタの内省は詭弁話法の上達に貢献している。
また、私は自他の善悪等の話等しておらん。
¨善悪の便宜使い¨、¨《詭弁の話法による》前言撤回wの糊塗¨、その姑息さが宗教性とは無縁なんだよ。
ソレに話や議論なと゛結構、御免被る。
>>524 下らねーんだよ。やめろ。
その様な拙劣極まりない、スリ替えをしたところで何の意味も逆転wもない。
思うに、御宅に宗教はまだ早い、宗教はエゴに貢献する便宜使いの道具ではないし、議論の道具でもない、
猛省せよ。
527 :
たろすけ:2011/09/12(月) 02:03:11.00 ID:t85aqFy7
>523
泥棒に盗難防止を呼び掛けられても困る、
その上、耳を傾けないと¨勿体ないですよ、理解の機会を逃しますよ¨等と
閉口絶句食傷辟易の至り。
悪ふざけも甚だしい。
泥棒から完全に足を洗って言ってくれ、そうしたら¨泥棒ではないですよ詐欺師です¨と答えが来た。
挙げ句の果て、¨詐欺師ではない、ただお手伝いに来たとかw、モノを片すお手伝いですか?
泥棒はみなそうでしょう。
528 :
たろすけ:2011/09/12(月) 02:12:56.98 ID:t85aqFy7
訂正》
×禅というのは喩えれば¨コップを用いずに水を飲む事¨であって容器の新旧はない
○禅というのは喩えれば¨コップを用いて水を飲む事¨であって容器の新旧はない
529 :
素人A:2011/09/12(月) 06:46:53.89 ID:gOw49cYn
ヨーガ根本経典 解説 佐保田鶴治 解説ヨーガストラ 昔読んだ本読む。
一の二〔ヨーガの定義〕ヨーガとは心の働きを止滅することである。
〔真我〕一の三 心の作用が止滅されてしまった時は.純粋観照者である真我は自己本来の状態
に止まることしになる。
解説ーこの句を解説するにはサーンキャ(数論哲学)の二元論を知らなければならない。サヘキャは
究極の原理または実在として.自性と真我の二元を立てる。自性は客観の世界.万物の根源なる唯一
実在である。物質構成も精神現象もすべて自性から展開したものである。真我は主観の主観ともいうべき
純粋な精神原理で.各個人の真の自我である。真我は客観的対象をただ見ているだけの純粋な照観者なの
である。心理現象は.自性から展開した無意識の心理器官の変容の上に真我の純粋意識性.または照明が
うつった結果生じたのである。真我自身は独立自存の絶対者で.時間空間の制約をうけず.つねに平和と
光明に満ちた存在である。これが個人真我の本来の在り方なので有るが.この真我が.自性から展開した
客観的な存在と関係した結果.自己本来の姿を見失って.自分が色々な苦を実際にうけているような錯覚
におちいつているのかが.我々の現状である。この錯覚をどうしたら取り去ることができるのか?つまり
ヨーガの狙いは.真我の独存を実現することにある。これがサーンキャ哲学の考える解脱である。心の作用
が止まった状態では.いまだ真が独存すなわち解脱の段階ではないけれども.真我は本来の姿にかえつて.
その状態に止まっていることになるのである。 一の四 その他の場合にあつてはは真我は.色々な作用と
同化した形をとっている。 でした鏡状態か?
530 :
素人A:2011/09/12(月) 07:23:55.47 ID:gOw49cYn
テレビを見ている時は私達はバーチャルを見ているけど心を動かされるけど
バーチャルなんで現実では悪どい殺人のサスペンスなど見てて良いのかと思うけど
まあそれくらいはど゛うせバーチャルなんだという。罰があれば見苦しいから
ばれないように見る。なに言いたいのか良くわからん。解らんわからんほうが
責任がない。悟りの人はバーチャルも責任をと言われると何も考えられない
私はまだまだ悟らないと遁走する。責任なんてないのか良くわからないし■も
ない。おやおやの言うことは効かず遊びまわるだけ.でもたまには坐禅か
少しぐらいのバーチャルはまあ善いか
531 :
神も仏も名無しさん:2011/09/12(月) 11:18:12.50 ID:R2sl2BYu
≫下らねーんだよ。やめろ。
その様な拙劣極まりない、スリ替えをしたところで何の意味も逆転wもない。
思うに、御宅に宗教はまだ早い、宗教はエゴに貢献する便宜使いの道具ではないし、議論の道具でもない、
猛省せよ。
2ちゃんではこういう態度は追いつめられている人の特徴らしいです。
ですからこういった態度は足元を見透かされるので得策とは言えません。
あなたの見ている私はあなた自身なのですからそういう問題ではないでしょう。
だからあなたが宗教が早いと思っている相手は実はあなた自身なのです。
私から見たあなたは私にあるものを当てはめて予想してるにすぎず、あなたが見る私もあなた自身にあるものを当てはめて予想しているに過ぎない。
実際に我々は罪深い人間ですが、その罪を厳密に言い当てることはできないで別の罪を投影しあっているだけなのです。
互いに意思の疎通ができないこと、予想外の返答が来ることからも明らかでしょう。
となると残ってるのは相手は自分自身を当てはめたものなのだと認めることしかないでしょう。
532 :
チゥ(* ^)(◎o◎)ポッたん ◆oOmXnN8feI :2011/09/12(月) 14:57:37.58 ID:qtr/VveX
>>518-519 素人A さん
一の如し、とは言わなくなっているわたしがいます。
無分別、と言っています。
あれかこれかの 分別をしません。
仏教すら無い、禅は無い、と言い出しています。、(;^ω^)アセアセ
533 :
チゥ(* ^)(◎o◎)ポッたん ◆oOmXnN8feI :2011/09/12(月) 14:59:35.79 ID:qtr/VveX
>>529 素人A さん
東洋の智慧は、無我ですからねー・・・
534 :
チゥ(* ^)(◎o◎)ポッたん ◆oOmXnN8feI :2011/09/12(月) 15:28:54.36 ID:iaRObm3x
>>530 素人A さん
バーチャルが、お好きな様子・・・
テレビはバーチャルだそうですが、でh、ラジオはバーチャルではないのですか?
わたしの小さい頃は、紙芝居屋のお兄ちゃんがやってきて、「黄金バット」を朗々と読み上げた。
わたしの眼には、空中に「おうどんバット」が、飛び上がっていた。
これは、バーチャルだろう。
また、小さい頃、父が、桃太郎の話しをしてくれた。
大きな桃が川上から流れてくるのが、はっきり見えた。
535 :
神も仏も名無しさん:2011/09/12(月) 18:06:59.81 ID:u9Etd2GB
片手の拍手が聞こえるようなものだな。
536 :
チゥ(* ^)(◎o◎)ポッたん ◆oOmXnN8feI :2011/09/12(月) 18:35:43.92 ID:q4QnfAJA
【マスコミ】フジテレビのドラマで日本を罵倒するスラングが放送 意訳「日本ファック (byフジ)」 「セシウムさん」以上の不祥事?★55
1 :在日工作員 ばぐ太 ★:2011/09/12(月) 16:22:55.97 ID:???0
★フジテレビのドラマで日本を罵倒するスラングが映される 意訳「日本 ファック!(by フジ)」
フジテレビで放送されているドラマ『それでも、生きていく』という番組の中に日本を罵倒する一場面があったとして問題に
なっている。その場面とは雑誌がゴミ箱に捨てられているシーンでその雑誌の表紙に「JAP18」と書かれているのだ。
JAP(ジャップ)とはもちろん日本の事なのだが、今は日本のことをジャップと呼ぶのは蔑称扱いとなっている。
それだけならいいのだが、そのあとに書かれている「18」が大問題だ。この「18」は韓国では「シッパル」と発音し、
これに似ている発音の「シッバル」というものがある。この「シッバル」は「この野郎」や「FUCK YOU」という意味を
持っているもので、韓国では「18」そのものをスラングとして使うこともある。
つまり「JAP18」を意訳すると「日本 ファック!」ということになる。こんなメッセージをこっそり残したフジテレビは
何の意図があるのだろうか。デモに対する報復なのだろうか、それとももっとデモして欲しいという煽りなのだろうか
http://raicho.2ch.net/test/read.cgi/newsplus/1315818931/
538 :
チゥ(* ^)(◎o◎)ポッたん ◆oOmXnN8feI :2011/09/12(月) 20:43:36.40 ID:q4QnfAJA
539 :
神も仏も名無しさん:2011/09/12(月) 20:52:14.46 ID:u9Etd2GB
>>536 川上から大きな桃が流れてくるのがはっきり見えるようなもの
540 :
チゥ(* ^)(◎o◎)ポッたん ◆oOmXnN8feI :2011/09/12(月) 21:20:08.14 ID:IVps3mrF
541 :
チゥ(* ^)(◎o◎)ポッたん ◆oOmXnN8feI :2011/09/12(月) 21:21:29.67 ID:IVps3mrF
>>539 >
>>536 > 川上から大きな桃が流れてくるのがはっきり見えるようなもの
って、どんなもの?
542 :
神も仏も名無しさん:2011/09/12(月) 21:22:32.64 ID:u9Etd2GB
>>541 おねーちゃんから金色の炎が立ち上がっているのが見えるようなもの
543 :
神も仏も名無しさん:2011/09/12(月) 21:27:18.05 ID:u9Etd2GB
(・ω・):2005/08/19(金) 01:31:44 ID:99NFVPg5
おやすみー馬種
なんて読むのか解らなかったさー
股ね だな
544 :
チゥ(* ^)(◎o◎)ポッたん ◆oOmXnN8feI :2011/09/12(月) 21:29:43.53 ID:IVps3mrF
>>542 >
>>541 > おねーちゃんから金色の炎が立ち上がっているのが見えるようなもの
ホ━━( ゚д゚)━━ゥ
片手のひとがたたく拍手の音が、聞こえたの?
545 :
神も仏も名無しさん:2011/09/12(月) 21:44:57.62 ID:u9Etd2GB
名無しさん@3周年:2005/08/20(土) 14:34:36 ID:n0dV4SrE
>オラッチの経験では、黄金色の炎が、立ち上がるのを何度も見た。
>オラッチの場合は、これから、しばらくして、片手の人がたたく音を聞いた。
そういうのは、見性でも何でもないんです。
捨て去ってください。
臨済の喝と三十棒! ◆FNpT2a5MGA :2005/08/20(土) 15:53:00 ID:u4qYay8K
レス、ありがとう。
当時を思い出してその頃に戻って、カキコしてみました。
まあ、捨てなさい、と言う忠告、ありがとう。
拾うも、捨てるも、無いと思いますよ。
天地宇宙いっぱいのそれは。
せったんさんのおしゃべり好きは、伝染するのかな?(微笑)
せったん@myoejoe:2005/08/20(土) 16:01:00 ID:asgaj7j1
だからねそうやって自分を眺めていてはいかんです、捨てるも捨てないもない、宇宙いぱいのそれという思い込みなんですよ、そうじゃない足実地を踏まず、なんにもなっちゃないってことに、とにかく気がついて下さい。独りよがりしてないんですよ。
臨済の喝と三十棒! ◆FNpT2a5MGA :2005/08/20(土) 16:13:46 ID:u4qYay8K
> だからねそうやって自分を眺めていてはいかんです、
捨てるも捨てないもない、宇宙いぱいのそれという思い込みなんですよ、
そうじゃない足実地を踏まず、なんにもなっちゃないってことに、とにかく気がついて下さい。独りよがりしてないんですよ。
>足実地を踏まず、なんにもなっちゃないってことに、とにかく気がついて下さい。独りよがりしてないんですよ。
以前にも、言ったけど、自己が肥大して 宇宙であるだけでなく、
宇宙の中の自己が居る。
これホントに通じてないのかな?うそみたいだけど、たぶんホントに「宇宙の中の自己が居る」って解っちゃってるつもり(もちろん本人はつもりなんかじゃなく)なんだろうな……
546 :
神も仏も名無しさん:2011/09/12(月) 21:57:50.73 ID:u9Etd2GB
せったん@myoejoe:2005/08/20(土) 16:09:53 ID:asgaj7j1
(……前略……)さっきかなかなが入ってきた、透明な羽の蝉、その四倍大きいくまぜみが、妙高高原にわんさかいた。
せったん@myoejoe:2005/08/20(土) 16:14:18 ID:asgaj7j1
あいつ馬鹿でな、じーつうるさいったら、よってくと黙る、すぐまえの電柱とか草とかにいる、逃げない、つかまえてあほだあっていって飛ばすと、けっこう飛んでく。日本最大の蝉、小さいのはまつむしだけど、はるぜみという蒼く美しいのいるよ。
せったん@myoejoe:2005/08/20(土) 16:18:36 ID:asgaj7j1
自分が肥大して云々j、そりゃ妄想ですよ、ほんとうに宇宙そのものになりきる=あなたのいうとおりになったら、自分についてはなんにも言わないんですよ、自分の説明書きしている仏はないです、このところよくよくお考え下さい。
この、勝手知ったるどこでもドア、いいな。
547 :
神も仏も名無しさん:2011/09/12(月) 22:11:35.96 ID:u9Etd2GB
臨済の喝と三十棒! ◆FNpT2a5MGA :2005/08/20(土) 16:24:40 ID:u4qYay8K
ほとけを求めてないよ。
ほとけを斬るという公案があるけれども、
春風を斬るようだ、と思う。
偏満す、と。
う〜〜〜〜ん…………
…まいーか、どーでも
548 :
神も仏も名無しさん:2011/09/12(月) 22:23:03.99 ID:u9Etd2GB
麻って涼しいな。えらい。
549 :
たろすけ:2011/09/12(月) 23:36:13.64 ID:t85aqFy7
>>531 お前は アホか?
相手は実は自分自身とか投影云々一義にスライドさせて、
宗教の道理〜心理学的な、非世間的道理を利用して、じんかんにおける批判の意義を剥奪するな。
そういう下らない事をせず、批判内容に直接返せ。
一義と二義を曖昧にするのはカルト論法、一義の便宜使いだと理解しな。
> 実際に我々は罪深い人間ですが、その罪を厳密に言い当てることはできないで別の罪を投影しあっているだけなのです。
もし泥棒が《人間は皆泥棒である、
何故なら、あらゆる思考や思想を始めとして個々の着想発明他にオリジナリティー等はなく
それゆえ我々人間は盗奪性を抜きに生きる事はできない》等と
モノを盗みながら宣い、お前に赦免を求めて来たら、お前はその理屈を認め盗難行為を看過するかね?
その内容、理論に頷くダケの正当性が泥棒にあるかい?頷く余地が、道理があっても泥棒を捕まえた後だろ。
泥棒を捕まえた行為は、理屈への理解の不在を意味しないだろ?
550 :
たろすけ:2011/09/12(月) 23:49:49.48 ID:t85aqFy7
>>531 どーせループなんだし、一旦やり取りを白紙に戻そうと思うがいかがか?
551 :
チゥ(* ^)(◎o◎)ポッたん ◆oOmXnN8feI :2011/09/12(月) 23:50:31.25 ID:IVps3mrF
552 :
チゥ(* ^)(◎o◎)ポッたん ◆oOmXnN8feI :2011/09/12(月) 23:51:28.24 ID:IVps3mrF
553 :
たろすけ:2011/09/12(月) 23:52:05.31 ID:t85aqFy7
> 仏教すら無い、禅は無い、と言い出しています。、(;^ω^)アセアセ
そんな焦られても(爆)
554 :
神も仏も名無しさん:2011/09/12(月) 23:58:43.47 ID:R2sl2BYu
549のような内容の話は私は全く興味ないし賛成でも反対でもなかったことにお気づきではないだろうか。
549で批判される内容のようなことを主張した覚えがないのでその批判は自分に関係があるように思えない。
549におけるカルト論法を無理に他人に当てはめて非難して、自分自身の在り方から目をそむけるのも人生か。
私はその批判の意義に賛成でも反対でもなく、ただ、人の実存に興味があるだけです。
結局ただ残るのはあなたの書き込みに出るあなた自身であり、あなたにとっての私の姿というあなた自身であります。
555 :
たろすけ:2011/09/13(火) 00:11:51.74 ID:B4gHCtVU
>>554 > 結局ただ残るのはあなたの書き込みに出るあなた自身であり、あなたにとっての私の姿というあなた自身であります。
俺もそういう我田引水の語りに全く興味ないし、そこに何か道理があるとしても議論に利用するような文に関心はない。
それに、カルト論法とはカルト信者が使うとは限らないんだよ、真意は一義の便宜使いね。
泥棒は喩え話。
で、やり取りを白紙に戻しますか?
556 :
チゥ(* ^)(◎o◎)ポッたん ◆oOmXnN8feI :2011/09/13(火) 00:12:35.48 ID:KIQCuhNd
>>553 たろ さん
仏教すら無い、禅は無い、と言い出しています。、(;^ω^)アセアセ
> そんな焦られても(爆)
だねー。。。,、'`,、 (´∀`) ,、'`,、アハハ
557 :
チゥ(* ^)(◎o◎)ポッたん ◆oOmXnN8feI :2011/09/13(火) 00:16:56.76 ID:KIQCuhNd
558 :
神も仏も名無しさん:2011/09/13(火) 00:33:49.60 ID:vvnc/wDP
555は何を仰っているのかほとんど意味がつかめません。
なるべく現代日本人が理解できるロジックで表現願いします。
また実存への関心の有無を聞いたのであり文はそのための道具にすぎません。文や議論への関心を問うたわけではないです。
落ち着いたふりをして終わらそうとしても、あなたがいかに高圧的で自他に批判的で取り乱していたか一連のレスがそれを表しています。
そうやって終わらすこと、無かったことにすることはできません。
ですが目覚めて過去から解放されることは可能です。
559 :
神も仏も名無しさん:2011/09/13(火) 02:17:55.48 ID:vvnc/wDP
≫泥棒を捕まえた行為は、理屈への理解の不在を意味しないだろ?
ずっと私もそう述べております。一体誰に対して反論しているのですか。
非難や批判する理由はないが、対処はすると。
犯罪へのリスクは存在しないといけないので、懲罰は必要です。
そしてあなたも私も今泥棒をしている訳ではないのですからどこからこのような話が出たか不思議ではありました。
ただ、「盗人をとらえるだけではなく加えて批判もしないなら盗人は増える一方ではないのか」
という質問なら比較的前例のある質問であり、意味が通ります。
しかし社会の問題は国家という分裂や各種合法的な権力による収奪やまた合法的な殺人である戦争であり、
盗みのほとんどは相互依存を基調とした協調的な社会の受け皿が不在であることにあります。
盗みより合法的搾取の方が規模が大きすぎるので前者に興味を占めるのは奇妙ではあります。
盗人について言えるのは、人間らしい生活ができる社会基盤がなければそもそも発生が少ないということ。
犯してしまった後の社会の受け皿がなければ再犯せざるを得ないことです。
それでも盗み癖がある人の場合は、まあ頻繁に服役していただきましょう。
非難によって人は傷つき頑なになり、社会が彼を迫害するほど盗まざるを得ないように人を追いつめてしまう側面もあります。
非難などせず、いつでも人間の相互依存の社会に戻ってきていいんだよと受け入れれば、受け皿があれば犯罪は特殊な例を除いて激減するでしょう。
(それでもいくらかの犯罪は起こりますが淡々と懲役処理し、また完全に社会に適応できない人の場合は精神病院というまた別の方向になります)
しかし、問題は相互依存と共存を基調とする社会が存在しないことです。
そしてこれも既存の社会のへの非難から生まれることはなく、ただ一人一人の人が愛に目覚め、無から新しい社会を創造してゆくほかはないのです。
荘子は盗人より大富豪を罪に問い、仏陀は憎しみは愛によってしか消えはしないと述べました。そして道教と仏教の交わりが禅だと聞きます。
560 :
神も仏も名無しさん:2011/09/13(火) 02:19:44.80 ID:vvnc/wDP
人間らしい生活ができる社会基盤がなければそもそも
あれば でした。
561 :
チゥ(* ^)(◎o◎)ポッたん ◆oOmXnN8feI :2011/09/13(火) 04:04:08.93 ID:CrstYg3g
562 :
素人A:2011/09/13(火) 06:41:07.38 ID:olrfnUu4
〔修習と離欲〕一の一二 心のさまざまな作用をなくするには.修習と離欲という二つの方法
が必要である。
修習とは同じしぐさを何べんとなく繰り返して.それに慣れることである。ヨーガの行法はすべて修習
すなわち練習を骨子としている。修習と離欲の二つの方法をどう使い分けて.心の働きを止め.無くする
かがヨーガの根本的な課題なのである。
一の一三 修習とは.こころの流れの静止をもたらそうとする努力のことである。
静止とは心のはたらきがなくなつて.心理作用の流れが静止してしまつた状態を言う。しかしヨーガ哲学から
いえば.心のエネルギーの転変(発現)は瞬時も止まらないから.静止状態というのは.瞬間ごとの転変がただ
心自体の再生産を繰り返しているだけで.心理現象としての流動を展開していない事だと解釈される。ある
注釈家は静止ということを.サット性の心理作用だけの流れのことで.いわゆる心一境性(精神統一の状態)の
ことであると解釈している。
一の一四 修習は長時間にわたり.休む事無く.厳格に実行されるならば.堅固な基礎をもつたものになる。
「厳格に実行する」というのは苦行.禁欲.信.英知をそなえて修習うに従事すること。「堅固な基礎をもつ
もの」というのは修習の習性ができ上がって.雑念や思いつきのため妨げられることのようなことがない状態
を言う。 一の一五 離欲とは.現に見たりした対象の総てに対して無欲になつた人がいだく.克己者たる自覚
である。 何か書かされているノルマ?けどとにかく経のは書けたやれやれ。
563 :
たろすけ:2011/09/13(火) 08:15:43.93 ID:B4gHCtVU
>>558 そうですか、ならばアナタはシッカリした態度を持つべきですね。他者に実存を問えるダケの議論?(か何か知らないが)姿勢をね。
他者に宗教的な一義を提示できる程のシッカリした態度をね。アナタはモノ言い以外は皆、ブレブレなのだから。
俺が取り乱す?とは何を言ってるんだ?再三同じ事を繰り返し、一義の便宜使いをするアナタにコチラも食傷気味なんでね。
ボリュームを上げる理由は、ただただ馬鹿馬鹿しさを堪える事が出来ない故に。落ち着いたふりなどはしていない。
高圧的な態度?等とよく言える、
アナタのそのグダグダ性懲りもなく続く内面考察だか、他者批判に便利な¨内省を促す議論のスライド話法¨からは
アナタの歪な怒りを感じるケドね。加え、コンガラガッタやり取りをほどき、一旦白紙に戻そうと述べている。
>そうやって終わらすこと、無かったことにすることはできません。
いいですよ。私に向けて存分に怒りを発散させて下さい。如何様にでも、気の済む様に何レスでも。
その後で白紙に戻そう。アナタの気が済まないなら、怒りが清算出来るまで待とう。
やり取り白紙に戻さないにしても、コチラはアナタに関しては過去レスを持ち出さないつもりだ。
アナタは別に俺の既述したレス内容なり何なりを取り上げてもらっても構わない。
私がアナタのレス内容に異を唱えるのは主に以下二点
・一義の便宜用法による二義批判の有効性の否定
¨内観、内省を議論の最中に促す事で、然るべき批判を無効、減退させようという目論みがある¨、
→フェアなやり取り(議論?)になり得ない
・相応しくない精神水準の人による一義の提示
¨他者の二義批判が内省の不在を証明するというアナタの誤てる確信とその道義理解の浅さ¨
道義理解が高くないにもかかわらず(失礼ながら)、一義についてツラツラと述べたがる
→語り手の水準と提示された内容の不一致、それ故、説得力がない
この二つです。
564 :
神も仏も名無しさん:2011/09/13(火) 09:53:58.67 ID:ik51i+Mt
両方荒らしなんだから自分からやめんかい、
どあほ。
565 :
神も仏も名無しさん:2011/09/13(火) 09:57:46.72 ID:vvnc/wDP
批判=あなたの批判的態度の投影
怒り=あなたの怒りの投影
未熟さ=あなた自身の実存の投影
≫相応しくない精神水準の人による
具体的な指摘は一回もなかった。曲解ならあったし、指摘してそれについては言及しなくなったら、
また同じ曲解を持ち出す。
「たろすけ氏がそう思うから」ではなく、「具体的な指摘と分析」がないと、妄想と思われるのは当然。
≫他者の二義批判が内省の不在を証明するというアナタの誤てる確信
もちろんこんな主張もしていません。内省的な人間の指摘と、自己逃避型の人間の批判は別のものです。
光明を得た人間も非難はします。しかし全く違った動機とまた対象という認識の不在が徹底しています。
やはりどなたに反論されているのでしょうか。
そして559は、大きな利己的行為の構造を見落とし、小さなしつけにこだわるのはいかがなものかという提示であるが
返答がありません。
566 :
チゥ(* ^)(◎o◎)ポッたん ◆oOmXnN8feI :2011/09/13(火) 22:01:55.97 ID:ST1YKagD
わたしの手元にも ブックオフで買った YOGAの本があった。
これを05円で買っていたのだった。
リチャード・ヒッツルマん著
YOGA28日エキササイズプランと言う本。
写真が載ってるので、英語が苦手でも、何とかなりそう。
第一日目。
1STDAY
立って手を腰にまわし上半身をぐるぐる、あれこれ回すというもの。
最近は体がすっかり体硬くなってしまって、これでも、相当きつい。
5キロのダンベルを使ってウエイトトレーニングをやっている。
もうひとつは、3年ぐらい前から流行のスロージョギング。
改めて振り返ると、やる事が多い、、(;^ω^)アセアセ
567 :
チゥ(* ^)(◎o◎)ポッたん ◆oOmXnN8feI :2011/09/13(火) 23:21:45.81 ID:ST1YKagD
568 :
チゥ(* ^)(◎o◎)ポッたん ◆oOmXnN8feI :2011/09/14(水) 00:34:20.94 ID:ssgnNGab
569 :
素人A:2011/09/14(水) 06:21:22.87 ID:P25M2b51
宇宙飛行士が見た地球は青かったと.もう偉い目に遇ったのだろうかもう宗教家の
心になつているのかも知れない。目で見るは凄いのだ。地上に戻った宇宙飛行士は
元の木阿弥で見えるのはあれあれか?2ちやんねるの書き込み散々見た後で書き込むと
2ちやんねる人の見える世界で観てることになるのか?私は人の書き込み見ないで
書き込むから2ちやんねるでは妄想になるのか。百聞は一見にしかず?御釈迦さんの説法
より目の前のパソコン?もうそうなっている。すぴりちあるの人は幽霊が見える
でも見えるものは妄想ではなく見えるという真実か?夢も妄想ではないと言う。
でも統合の人の見えるものは妄想というこれは理由が良くわからん。見えるものは見える
と思う。社会に迷惑かけるものは困るからか。
570 :
神も仏も名無しさん:2011/09/14(水) 06:22:12.75 ID:6ik3r16B
荒らしったって、荒らせる場もないじゃんこんなとこ。
せったん@myoejoe:2005/08/20(土) 16:35:06 ID:asgaj7j1
見た目ないんじゃなく、見ている自分がないんです、この相違を知って初めて修行です、これが試金石ですか、魚変じて竜となるんですよ、なったとたん是といいます、語の響きがまったく違うんですよ。
響きが違うってのは、そうなんだと思うわ。禅とは、なんて、ビーフジャーキー並べて牛を作ろうとするようなものでしょ
豚がポークハムの考察をするようなものだ、ってのを思い出した。
自分を知らないのに、自分が在る、やっかいだよね、中身空っぽなのに入れ物だけあるって
空っぽの入れ物調達したのが、空っぽの自分だなんて、訳が分からない話で。
572 :
たろすけ:2011/09/14(水) 12:55:05.02 ID:jlNTL5YW
>>565 通常の議論相手や書き込み手に対し私が取る態度は、このようにはない。
ところがアナタは自分が書き込み手としてルールに則っていると思っている、
だからこそ、ソレへの私の態度が内省を欠いている様に思うダケの話。
だが実際アナタはルールに則っていない、それ故にという事です。
そして、私の今まで態度は、アナタのレス姿勢の¨内省を促す事で指摘批判を不成立させる¨というやり方に対してある訳です。
デフォルトでそういう態度な訳ではない。
だから、アナタが、私の既述レスにある態度を《私の内省欠如故になされた行為》として、一義〜内省を促し、
私の内省不在認定を根拠に、コレからも議論展開するならば、アナタはマトモな書き込み手ではない事になる。
> そして559は、大きな利己的行為の構造を見落とし、小さなしつけにこだわるのはいかがなものかという提示であるが
> 返答がありません。
小さなシツケに拘っている訳じゃない。誰かが警官をやるしかないという事。
シツケが小さかろうとなんだろうとソレをしないことで、そこから小さからぬ悪行為があるかもしれない。
573 :
神も仏も名無しさん:2011/09/14(水) 13:12:12.22 ID:V5Y9CuWY
内省的な人間がする客観的な指摘に対してではなく
内省的な人間はしない批判的な事実とずれがある指摘と認識したから
≫内省を促したのであって
内省を促されたからあなたの書き込みの態度がそういう態度になったわけではない。
あなたの書きこみの態度は初めから一貫しています。中盤それが色濃く出ましたが、最初はそれがなかったわけではありません。
また≫内省を促された
なら、内省的な落ち着いた態度に向かうのが普通で、それゆえに態度が乱れたというのも不思議。
批判指摘というものは基本的に客観的なものではありません。相手の欠点を単純にしてくするのではなく、
事実である他者の欠点とは違う自分の悪の観念をお仕着せるものだからです。
内省がない故に批判指摘を否定しているのではなく、一貫してあなたの言うところの批判指摘には
「それは多分私とは関係ないことです。私が書いていないことに反論された場合どう答えればいいので」
とお返ししていました。
このずれがあったうえで、こういったずれは内省がないことから生まれます、とつながるわけです。
574 :
チゥ(* ^)(◎o◎)ポッたん ◆oOmXnN8feI :2011/09/14(水) 14:33:09.32 ID:5vxe/bgQ
575 :
神も仏も名無しさん:2011/09/14(水) 14:41:51.35 ID:V5Y9CuWY
≫警官は必要
いえ。本当に必要なのは別のものであり警官はことが失敗に終わった後の慰めでしかありません。
すべての個人が自分の強欲や他者を悪人に見立てての自己正当化しているを理解することによってこの社会的な悲劇が解決します。
他者を批判して自分の強欲や攻撃的な精神を理解しないことからこその世界的な経済的政治的な悲劇が生まれます。
だれもが合法的な泥棒であり合法的泥棒同士もしくは違法な泥棒を批判し、批判し合って、自らの泥棒を改めようとしません。
ゆえに他者批判は社会に破滅的な影響をもたらします。
すべての人が自分の強欲や攻撃的精神を見ないで他者の強欲や攻撃的精神を非難しているのです。
全ての人がこの他者非難の習慣をやめなければ世界は混乱の一途です。
576 :
神も仏も名無しさん:2011/09/14(水) 15:46:26.14 ID:V5Y9CuWY
咎のない仏陀が指摘してすら、人は仏陀の中に悪意をねつ造し、お互い様なんだから
仏陀には自分を批判する資格はないと思い正当化します。
ましてや自分自身の事を棚に上げた批判は上記の例以上に確実に、批判された側も自分の事を棚に上げて批判した側を批判することになります。
こうやって互いに正当化しつつ誰も変わらないのです。
以上、普通の人は愚か、仏陀がやってすら批判というものは、「お前に言う資格がない」という反論によって無効化されます。
だれもが他人の欠点を見てお前に言う資格はないと言って批判を無かったことにしようとするので、批判って役に立たないのです。
自己逃避だからダメという以外に、単に役に立ちません。
批判ではなく真理なり、まっとうな生き方を実行しその輪を広めてゆくしかないようです。
一義のロジックのの悪用への非難ではなく一義そのもののみが自他に変革をもたらすのであり、
そして一義のロジックの悪用の批判は一義を会得する障害になるのです。
かくいう私も合法的搾取が気になるということは、自分自身の計算高さに振り回されがちである可能性を暗示していまして、
他人のそれを批判することで自分にとって破壊的なこの因子を理解せず抑圧していたようです。
実際の私の生き方はスローライフな小消費なのですが、表向きの姿と無意識で渦巻くものは別のようです。
或いは時に此の衆の為に、仏寿は無量なりと説き、久しくして乃ち仏を見る者は、為に仏に値ひ難しと説く。
もとあるものに出会うのに難値難偶という、そりゃそういうことなんです、もと仏です、
なんにもせずとも仏、だからおれはいいんだと、いくら決め込んでみても傍迷惑、淋しくうるさったいだけです、
それをしも知識で塗固する、まあなにしろそういうのから脱して下さい。
難値難偶はみな自分勝手よこしまのせいです、悟ったといっては、だからなにしてもいいんだという、ほんとうに困ります。
あるとき接心に妄想煩瑣、これをなんとかしようとて闇雲に坐ったです、
なんとかしよう、納めようなくそうとすればするほどに、妄想煩瑣です、
そりゃ当然です、やってるやつが妄想です。なにしろ真っ黒けになってやっていた、
四日間ぶっとうしてにっちもさっちも行かぬ、体力の限界、もうどうにでもなれと抛った。
とたんにふわ?っとなんにもなくなる、すか?んとないんです、
こりゃどうしたって、わずかに念を取り扱う念がなくなったんです。
妄想が失せたんじゃない、心意識、念というものが失せればそりゃ脳死です、
ぽっと出ぽっと消える所をそのまんまにしておく、雑草は引き抜いたら石の上にという、只管打坐の法が身に付いたんですか。
実に妄想観念という、妄想観念もと我がものにあらず、ほっと浮かぶさえ我がことじゃない、こっちの責任じゃない、
妄想という世間=自分ですか、心という器に去来する客です。もてなし終わったらさよならすりゃいい、
不要なら手を付けなければいい。どうですか、これが出来たら、正しく救いでしょう、
悩みとは何か、幽霊に取り付かれるんです。ぽっと出てもはやないものにしがみつく、
だからどうだとやる、一日中やっているような気がしたりすると立派な心身症です。
人はあるものには悩まない、ないもの、あるかないかわからないものにしてやられるんです、実の手応えがないからです。
無心これ如来です、心は一つこと、真正面に向かい合うんですか、するとないんです、
森羅万象鳥もけものも雪月花も無心でしょう、如来来たる如しです。
あなただけがなぜ食み出して右往左往、まったくの余計ごとではないかと、はいまったくそういうことなんです。
578 :
チゥ(* ^)(◎o◎)ポッたん ◆oOmXnN8feI :2011/09/14(水) 17:42:14.87 ID:4Bj4/+ed
579 :
たろすけ:2011/09/14(水) 20:32:38.58 ID:jlNTL5YW
>>573 オカシナ事に入れ替わってるね。¨内省を促されたから私の態度が変わる変わらない¨?
私は内省を促されてはいないよ。内省の問題にすり替えられたんだよ。
> また≫内省を促された > なら、内省的な落ち着いた態度に向かうのが普通で、それゆえに態度が乱れたというのも不思議。
¨内省¨にすり替えられて、何で内省に向かうべきが普通なんだい?
なおかつ内省の不在の前提をどこまでも根拠にしてくる相手に
> 批判指摘というものは基本的に客観的なものではありません。相手の欠点を単純にしてくするのではなく、
> 事実である他者の欠点とは違う自分の悪の観念をお仕着せるものだからです。
バカだね。客観は存在するんだよ。間主観(偽りの客観)の意味以外にも主観は存在する。
> 内省がない故に批判指摘を否定しているのではなく、一貫してあなたの言うところの批判指摘には
> 「それは多分私とは関係ないことです。
そんな態度でご自分に内省があるとか、何の説得力も持たないよ。
> ≫警官は必要
> いえ。本当に必要なのは別のものであり警官はことが失敗に終わった後の慰めでしかありません。
> すべての個人が自分の強欲や他者を悪人に見立てての自己正当化しているを理解することによってこの社会的な悲劇が解決します。
> 他者を批判して自分の強欲や攻撃的な精神を理解しないことからこその世界的な経済的政治的な悲劇が生まれます。
その位の道理はね、宗教学んでりゃわかるんだよ、だが警官行為(二義批判)即時、暫定的に悪を止めるのに有効である。
この事実を認めない者は人間は皆、道理の水準が大差なく、宗教的な始点に立てるという楽観的な考えで
そんな空論的な事で、警官云々を流されてもね。、
警官行為は必要であり、二番煎じ的な解決法である。が、悪に対する根本的な対応ではない。
持論だか何だかをツラツラ述べられても、辟易なんで。何とかならんかな。
580 :
たろすけ:2011/09/14(水) 20:41:43.17 ID:jlNTL5YW
> 以上、普通の人は愚か、仏陀がやってすら批判というものは、「お前に言う資格がない」という反論によって無効化されます。
宗教ルールを適応し、即時暫定的な解決法をすべて無効にすると、社会次元ルールがその分カオスになり、
少数の宗教道理適応者が現れる以外は、全体的に以前より状態が悪化する事になるよ。
> そして一義のロジックの悪用の批判は一義を会得する障害になるのです。
ソレはならないよ。一般的に考えてどうかは知らんが、意識的に批判する事はできるのだから。
¨自分が出来もしない事は相手に言わない¨という意識があれば二義批判は問題ない。
581 :
たろすけ:2011/09/14(水) 20:49:20.75 ID:jlNTL5YW
《訂正》
× 宗教ルールを適応し、即時暫定的な解決法をすべて無効にすると、社会次元ルールがその分カオスになり、
○ 宗教ルールを適応し、即時暫定的な解決法を無効にすると、その部分の社会次元ルールはカオスになり、
582 :
神も仏も名無しさん:2011/09/14(水) 21:11:42.11 ID:yCDlsxGF
有るのは我ではなく、我執である・・・ということがよく分った。
片手どころか両腕のない者の拍手の音が聞こえる。
両足のない者の結跏趺坐ほど素晴らしいものは無い。
首無し女の歌は殊に切ない。
583 :
神も仏も名無しさん:2011/09/14(水) 21:13:44.23 ID:V5Y9CuWY
> 内省がない故に批判指摘を否定しているのではなく、一貫してあなたの言うところの批判指摘には
> 「それは多分私とは関係ないことです。
≫そんな態度でご自分に内省があるとか、何の説得力も持たないよ。
私の感想としては同意も反感でもなく、誰か他の人が非難されているように感じました。
なにより具体的な指摘とその分析がなく評価だけが押し付けられていたのでどう扱っていいかもわかりません。
自分お話が伝わらず予想外の反応にいらだちを感じることはありました。
これは私の内省の問題でもありますが、あなたの批判が自己投影である非難なのか
意識した人間による客観的な指摘なのかというあなたの問題です。
前者の事はわかりましたから後者について考察願います。
客観は存在します。ですがあなたに?
584 :
神も仏も名無しさん:2011/09/14(水) 21:18:46.29 ID:V5Y9CuWY
盗みは罰すればいいです。それだけです。
そしてより大切なのは社会復帰を完備しておかないと再犯しかないということです。
盗みを悪いという意味を込めてしまいますと、その非難において既得権益を持つ人間が
自己の行為を正当化するために他者批判の手段として使ってしまうでしょう。
決まりをなくせとは言っておりません。
賛成反対以前に話が伝わっていません。
585 :
チゥ(* ^)(◎o◎)ポッたん ◆oOmXnN8feI :2011/09/14(水) 22:55:25.61 ID:2WlylZYC
586 :
チゥ(* ^)(◎o◎)ポッたん ◆oOmXnN8feI :2011/09/14(水) 23:42:32.25 ID:2WlylZYC
臨済録
『 師、衆に示して云く、無事是れ貴人。但だ造作すること莫れ。祇だ是れ平常なり。 』
「造作する」とは、そこら辺の小才子がよくやるように、小ざかしく思慮分別をはたらかせて、あれこれと小細工することである。
そういう小細工・造作をせず、南泉和尚のいわゆる平常心から、当り前の事をスラリと当り前にやること、それがここにいう平常の真義である。
無造作は、きびしい規格に従って如法に修行して悟りを開き、更に悟後の修行にはげんで悟りの臭みを抜き、そうして到達した迷悟両忘の境涯から、あたかも水が低きについて流れ、春到って花が自ら開くようなもの。
些かのはからい心もなく、文字通り自然法爾にはたらき出してこそ、まことの無造作というものである。
そしてここにいう無事とは、まさにこの境涯の謂いなのである。
「貴人」とは万人に本来具わっている仏性を円満によく育てあげた人、小人 に対する大人、た『証道歌』の冒頭に「絶学無為の閑道人、妄想を除かず、真をも求めず」とあったが、その「絶学無為の閑道人」、それがここにいう「貴人」の真義である。
重ねていえば、「無事是れ貴人」とは 無事の境涯に達した人物、絶学無為の閑道人こそは、まことの貴人・大人である。
無事とは、仏や悟り、道の完成を他に求めない心をいう。
貴人とは貴ぶべき人、すなわち仏であり、悟りであり、安心であり、道の完成を意味します。
私たちの心の奥底には、生まれながらにして仏と寸分違(たが)わぬ純粋な人間性、仏になる資質ともいうべき仏性(ぶっしょう)がある。。
それを発見し、自分のものとすることが禅の修行であり、仏になることであり、悟りを得るということです。
私たちは、えてしてそれを外に求めてウロウロするの。
「求心(ぐしん)歇(や)む処(ところ)、即(すなわ)ち無事(ぶじ)」と、臨済禅師は喝破(かっぱ)します。
求める心があるうちは無事ではありません。
「放(はな)てば手に満(み)てり」という言葉がありますが、「求心歇む処」が無事であるのです。
その無事が、そのまま貴人です。
「但(た)だ造作(ぞうさ)すること莫(な)かれ、祇(た)だ是れ平常(びょうじょう)なれ」と、臨済禅師は無事を詳解します。 』
無分別である。
587 :
チゥ(* ^)(◎o◎)ポッたん ◆oOmXnN8feI :2011/09/14(水) 23:44:14.82 ID:2WlylZYC
588 :
チゥ(* ^)(◎o◎)ポッたん ◆oOmXnN8feI :2011/09/14(水) 23:59:16.32 ID:2WlylZYC
> 捜していた『至道無難禅師集』(公田連太郎編著)を本日入手。 昭和33年発行の普及版(春秋社) 定価380円也
どのような手段で入手されたのか?正当にか、不正にか・・・
>唯嫌揀択
>正当⇔不正の相対揀択なし。
では、対価も支払う事が無く・・・さては、まんびきかあ!!!
>師に問う:書架の『至道無難禅師集』如何? 師曰く :くそ
へぇ〜_〆(・∀・*) ソウナンダア
おまいのほんは、くそ・・・φ(*^_^*)メモメモ
くさいだろ。
589 :
たろすけ:2011/09/15(木) 02:14:02.72 ID:Wf7dr14o
>>583 アナタのレス姿勢への指摘〜分析は既述したので、もう繰り返しません。
> これは私の内省の問題でもありますが、あなたの批判が自己投影である非難なのか
> 意識した人間による客観的な指摘なのかというあなたの問題です。 > 前者の事はわかりましたから後者について考察願います。
コレはそっくりそのまま返したいが、無益なので止めておく。
それに私の述べた客観とは、観念的な客観の意味でなく、
批判の有効性は莫妄想で、ろ過しても残るものであり、収束還元化思考で《捌き》省略しきれない要素がある
という意味だ。
590 :
たろすけ:2011/09/15(木) 02:30:52.90 ID:Wf7dr14o
>>584 話を迂回して述べたり、短縮したりするアナタの勝手なペースにコチラが合わす道理がない。
そちら側の内容に相手を合わさせるならばまず説明が足らんでしょう。
そして、盗みが悪い云々、泥棒=批判対象者として、
私は牢屋に入れて罰したりせず、寧ろ取り調べ室でカツ丼を食わすなりしているw、何故ならは話合いが大事だからだ
また、私は既得益権の利用などしていない。そしてコレが一般論として述べられてた話なら興味ない。
591 :
たろすけ:2011/09/15(木) 03:06:09.79 ID:Wf7dr14o
泥棒とは批判されるべき行為者の事を例えて言っていたのだが、そちらの¨罰すればよい¨とはどういう意味だろう
¨復帰の環境¨というのは全うなクドウシャとして再出発の意味?、
それともあるいは宗教利用から縁をきって普通の精神を回復する方向に行き行くということだろうか?
592 :
チゥ(* ^)(◎o◎)ポッたん ◆oOmXnN8feI :2011/09/15(木) 03:29:37.11 ID:LUQ3n89F
593 :
神も仏も名無しさん:2011/09/15(木) 06:13:09.66 ID:R+AAwAMG
>>571 あたし、入れ物調達したおぼえがない。
いや、昨日入れ物つくりやらせてもらった。
難しいよ。
手におさまる茶碗て手の通りにつくればいいんでしょって思ってたんだけど。
594 :
素人A:2011/09/15(木) 06:21:50.77 ID:Pnd2CtPb
ヨーガでは生命の数だけ真我は有ると本来の真我は歓喜に満ちた静寂な存在なのか?
喜びのエネルギーがすご過ぎては真我爆発になるのか?良くわからんけど小さな悦びで
永遠に満足しなきゃ何時までも静かには私は出来ないし.大金持ちなのに金の使い方も
解らず使うこともなく金持っているだけで満足の人がいるとしたら。金使わせようと企む
自性が金使わせようとして色々な智慧つける。智慧も喜びが無ければ関心もなく続かないし
結局法も喜びや苦しみや色々な企みで守らされる。何言いたいのか?企みが有るが
方便と思う法が悩まんですむし.無理しない方法で少しずつやれば成るようになる。
少し不満足だがまあ善い。私は力無くうなずく。なんかイライラもやもやまあ善いか。
595 :
素人A:2011/09/15(木) 06:55:11.40 ID:Pnd2CtPb
>>593 実は私にも無い。
しかしそう思うしかないほど外堀を埋められてしまった。
画家は絵の中に居る、まさにそれしか納得できるすべがない。
それを踏まえて坐ると絶大に心地いいからこのまま突き詰めるよ。
597 :
神も仏も名無しさん:2011/09/15(木) 12:54:39.26 ID:PhFqD6Ys
≫アナタのレス姿勢への指摘〜分析は既述したので、もう繰り返しません。
一切根拠がなかったにかかわらず、やり取りも長いので自分の思い込みを客観的証拠だと脳内で改ざんして既定の覆しがたい事実として認定したということですね。
たろすけさんも一切理由なしにあなたは普通の人以下であなたの文章はすべて欺瞞だと決めつけられたら困惑すると思いますが、
自分がやる分にはOKなのですね。
≫コレはそっくりそのまま返したいが
私の問題の有無とあなたの問題は、関係ないですよ。
反論と、そっくり返すことは別の事です。反論ならまだ自己分析がある。
さんざんあなたの意見に反対なのではなくどこから出てきたのか理解でれませんといわれており、
さんざん曲解を指摘されているのに。
≫私は既得益権の利用などしていない
私も日本では搾取される側ということですが、それでも日本人であること自体の既得権益がありますし、
自分の安全を図ろうとする計算高さという自我は働いていますので、これが働いているうちは実際にやっているかどうか関係なく
広義の泥棒です。機会があれば、そうせざるを得なければやってしまうのが人間であり、私でしょう。
行為としてやらなくてもその自我の計算高さは自我を理解しきるまで我々をかき乱します。
そうやってあっさり言い切れる問題ではありません。
≫泥棒とは批判されるべき行為者の事を例えて言っていたのだが
最初はそう思っていたのですが、あまりに頻発されるし、そして他者を泥棒呼ばわりすることは
あからさまな他者への悪の投影なのでむしろ例えだとは思えなくなっていました。
たしかに、「ひっぱたかなければわからない盗みを繰り返す社会不適応者」はこのスレに未登場なのでなんでこんな話にと不思議ではありました。
598 :
神も仏も名無しさん:2011/09/15(木) 13:23:20.19 ID:PhFqD6Ys
一義を誤解して自己正当化に使われるのは常なので、それが起これば祖師はあたらしい一義の教えをだして
過去のものを否定もしますし、また一義の声明は誤解しかありえない相手には2義的な規律を与えたことと思います。
≫批判されるべき行為者
一義を得ていないのに一義の声明を利用して他者をだましたり金銭を得たりする人々への問題提起でしょうか。
(一義によって盗みや殺しを正当化する人はあまり聞きません)
結局騙されたい人すがりたい人がいる以上偽の一義の声明にでも他の世俗的な快楽にしろ人は何かを求めるので、
一義の声明の悪用とその追随者の問題は一義の誤用ではなくもっと包括的な人間そのものの問題のように思います。
思想によって自分を何か別のものに見せかけるというのはだれもがやっているそしてやらずにいられないことですので、
特定の方法を批判しても、、、。他のやり方を人は探すしかありません。
また批判することが本当に広まってしまったなら、それが新しい思想になり、新しい教団になりかねません。
一義の誤用という悪魔がいれば神を名乗ることもたやすい。
たろすけ氏が必ずそうなるということではなく、同じ人間がやることは同じところに行きつくだろうということです。
それこそ本当の解決には一義を体得した師が必要なのでしょう。
ある信者が趙州従諗禅師に問いました。
「佛陀には煩悩がありますか」趙州「ある!」
信者「どうしてそのようなことがありえましょう。佛陀は解脱した人です。どうして 煩悩があるでしょうか」趙州「それは汝がいまだ救いを得ていないからだ」
信者「もし私が修行し、救いを得た後は、佛陀は煩悩がありますか」
趙州「ある」
信者「私はすでに救われました。佛陀はどうして、まだ煩悩があるのでしょうか」
趙州「まだ一切衆生がいるから」
信者「一切衆生を度し尽くすことなどできません。それでは佛陀は永遠に煩悩の中にいて、超越できないのでしょうか」
趙州「すでに超越しており、煩悩はない」
信者「衆生をいまだ度し尽くさないで、佛陀はどうして煩悩がないのでしょうか」
趙州「佛陀の自性中において、衆生はすべて度し尽くされている」
信者は言下に悟ったようです。
凡夫衆生の煩悩は無明妄想から起こります。それに対して佛陀の煩悩は、慈悲心から生じます。佛陀に煩悩が無いというのは般若の上においての説です。読者各位!あなたには煩悩がありますか。あなたの煩悩は慈悲から生じたものですか。そもそも般若から生じたものですか。
ただ恐れるのは、煩悩から煩悩を生じることです。
600 :
チゥ(* ^)(◎o◎)ポッたん ◆oOmXnN8feI :2011/09/15(木) 15:13:00.01 ID:FZP7dkjQ
>>599 趙州との問答形式になっていますが、
これは、どなたが書かれたものですか?
601 :
チゥ(* ^)(◎o◎)ポッたん ◆oOmXnN8feI :2011/09/15(木) 15:14:35.07 ID:FZP7dkjQ
良寛禅師は終生、修行参禅し、一日とて怠ることがありませんでした。彼が老年になった時のこと。故郷から一通の便りが届きました。
そこには、良寛の甥(おい)が正業につかず、かけ事にふけり、放蕩三昧で、今にも家が傾かんばかりであること、親としては、おじである禅師の大慈大悲にすがって、この甥が反省し、まっとうな人間に生まれかわるよう助けてやってほしいと認(したた)めてありました。
良寛は故郷の情に動かされ苦労を辞せず、三日かかって幼い頃の故郷に戻って来ました。良寛は長年会わなかった甥に出会いました。この甥は非常に喜んで、おじである和尚と集(つど)い、おじと夜をすごしました。
良寛は俗家の寝床で坐禅して一夜を明かしました。翌朝出発に際して甥に言いました。
「思うに、私も年老いてしまった。両手もふるえている。私の草鞋(わらじ)のひもを結ぶのを手伝ってくれないか」
彼の甥は喜んで手伝いました。良寛はやさしく言います。
「ありがとう。見てごらん。人は年を取ると、一日一日と衰えていく。お前も自分を大切にして、若い時にまともになり、仕事の基礎をきちんと整えるんだよ」
禅師は話しを終えると、何事もなく、行ってしまいました。甥の行為に対して、何ら批難をせずに。それ以後、この甥は放蕩生活から足を洗いました。
禅宗の教学法は、時として棒喝により、時として詰問します。一定ではありません。含蓄ある暗示による時もあります。総じて禅の教育は説破しません。言いつくさないことが、自己の全てなのです。
子供を愛する天下の御両親は、この禅心をよく御存知でしょうか。
>>600 http://dharma.fgs.org.tw/shrine/osk/zenwa2.htm
訳者注釈】良寛
1758〜1831。諱は良寛。道号は大愚。曹洞宗の僧。越後(新潟県)出雲崎の名主の旧家に長男として生まれた。
本名は山本栄蔵。長じては名主見習役になったが、十八歳のとき出家。出家後しばらくして越後を去り、備中国玉島(岡山県倉敷市)の円通寺で国仙和尚について修行する。師事すること二十年。国
仙和尚の没後は諸国行脚をし、故郷に帰って来たのは四十歳の頃である。
彼は出雲崎、郷本(ごうもと)、寺泊(てらどまり)の各地の草庵を転々と移り住んだ。その草庵の代表が、国上山(くがみやま)山腹の五合庵で、五合庵に彼は二度にわたって十七年間を暮らした。
漂泊の人生を楽しみ、山林に幽居して自然と語り、禅を語らず托鉢僧の生活を送り、童児と遊び、文人と交わり、詩作と書道を楽しむ清貧の生涯であった。
ある時、招かれざる客、泥棒さんがやって来て、何も盗る物がないので、良寛が寝ている布団を持っていこうとする。
良寛は寝返りを打って、泥棒さんが取りやすいようにしてあげた。
またある時は虱に日向ぼっこをさせてやる。そして日が陰ると、また懐に入れてやる。また子供たちと手毬(てまり)をつき、隠れん坊遊びをしながら禅の道を楽しんだ。
隠れん坊をして、良寛は藁(わら)の中に寝てしまった。子供たちは捜しても見つからないので、家に帰ってしまった。
良寛は藁の中で一夜を寝、翌朝、農家の人が藁の中から出てきた坊さんに驚いた。そんなエピソードが伝わっています。
万葉風の和歌、独自の風格をもつ漢詩に一家をなす書風は高く評価され、著述に『草の露』『草堂庵』などがあります。
慈悲などという贅沢な思いは毛頭満ち合わせていません。
ただ悲しく、苦しいだけです、嘗ての自分を見るのが辛い。
ただそれだけです、私は依然凡夫のままですが…。
傲慢である事も知っています。
× 満ち合わせていません
○ 持ち合わせていません
己一人も救えぬ自分如きが、傲慢である事も知っています。
606 :
チゥ(* ^)(◎o◎)ポッたん ◆oOmXnN8feI :2011/09/15(木) 16:58:04.54 ID:FZP7dkjQ
>>602 台湾の禅の僧 なのですね。
どんな方なのでしょう。
日本で言えば、黄檗宗の禅僧と言うことになるのでしょうか。
607 :
神も仏も名無しさん:2011/09/15(木) 17:09:34.32 ID:PhFqD6Ys
>>599 おお、美しい。
あるといってもまいがいでありないといってもまちがいである不可思議なさとりの世界が伝わってきます。
あるのかないのか知的な結論を出させないよう煙にまく感じがいいですね。
自分に慈悲があると感じる人は傲慢な人です。
傲慢だと思われている人は自分のことを大いに慈悲のある人だと思っているものですし私もそうでした。
仏陀の慈悲は無我という質なのでしょう。彼自身にとってはただただ普通に生きているだけ。
>>602 生き方そのものが伝わってきます。
表面的な説得ではなく人間全体の理解からくる全面的な答えの伝達を感じます。
610 :
チゥ(* ^)(◎o◎)ポッたん ◆oOmXnN8feI :2011/09/15(木) 18:30:34.55 ID:FZP7dkjQ
611 :
597:2011/09/15(木) 19:18:07.59 ID:PhFqD6Ys
批判してでも食い止めなければ社会が混乱するというような書き込みを受けた時点で、
これは社会性の薄い字義のままの泥棒の話だなと合点してしまったようです。
社会が混乱する自己正当化の要因は多々あり、一義による自己正当化や欺瞞という要因は規模として小さいだろうという
思いがありましたので、それが宗教を誤用して道を外れた人たちの比喩であるという前提を社会を崩壊させるような無法者への
懸念であるのかと切り替えてしまったようです。
612 :
野孤禅スレです:2011/09/15(木) 20:26:44.59 ID:dzlc2B5J
ここはタイトルとは真逆の擬似似非の野狐禅を展開している糞スレである。
ポッタンと称する者が師家気取りを演じている。(本人曰、糞スレだから銀蝿が湧いてしょうがないと)
自己愛性人格障害のこの者は坐禅修行もろくにせず、名誉欲や偽善心、虚栄心など我執煩悩が旺盛である。
三昧と執着の違いも分らず、三昧であれば何でも禅と言い放って、もっぱら日々、競馬三昧、2ch三昧にのめり込んでいる。競馬や低俗なコピペを方々に貼付けては顰蹙を買うほどの俗物である。
本人は無師独悟とか称して、隻手の音を聞いた、その後次々と公案を透ったと大見栄を切っている。
しかし所詮、自分免許の浅はかさ。書込みからは証悟の片鱗すら伺い知ることはできない。
一例が「私は払子を立てた。これが私の禅です」と坊主の真似事が禅だと、恥とも知らず失笑を買っている。
そんな者がどこからか禅語をコピーしては、矛盾に満ちた皮相的で幼稚な取るに足らない曲解を書き込んでいる。
突っ込まれて答えられない質問には、恥隠しのはぐらかしや長文コピペで誤魔化すこと枚挙に暇がない。
またときに、尊大な我執による妄想妄念から、あられもない説法をしでかす。
「すずめさんがチュンチュンとこんにちは、タンポポさんがニコッとこんにちは」と幼児童話レベルの妄想が禅の悟りであると吹聴している。
しかも30年近くもこの有様というから愚かの極みで、恐らくボタンを掛け間違ったまま生涯を終るものと想像できる。
野狐禅に陥ったら、五百生間狐となって迷妄の深淵から抜け出せないというよい例である。
この様に我執に塗れた者が無我を語り、見性せぬ者が空を語るなど、入門者でも胡散臭さを感じて俄に信じる者はいないとは思う。
しかし中には、類は類を呼ぶ、同病相哀れむという諺通り、ポッタンを師とする者が現れた。
素人Aというポッタン酷似の者で、なにやら激しい妄想妄念を、誤字誤変換だらけで書き込んでいる。
最近は師への切替えが混乱し、妄想妄念も激しくなって分裂症も進んでいる様子である。
祖師禅とかけ離れたこの野狐禅スレに、間違って来られる入門者があるやもしれない。
しかし、よもやこの師弟に惑わされることはないと思われる。
万が一のため、ポッタンのように野狐禅に陥って人生を無駄にせぬよう警告の意味で記しておく。
613 :
野孤禅スレです:2011/09/15(木) 20:28:43.95 ID:dzlc2B5J
以前、何処かのスレで、禅入門者が2chで真に悟りを得ている者か否かの見分け方を知りたい、という質問があった。
悟りを得ている者を見極めるのは、入門者には難しい。何をもって悟りを得ているかということからして難題である。
しかも、悟りの境地、境涯というものは、同じく悟ったものにしか窺い知れぬものである。
その上、ある者を悟ってると思っても、それは同じ境地にあるだけで、より悟ったものから見れば、未熟ということがよくあることだ。悟りに終着はなく、生涯の課題なのである。
また仏教知識を理路整然と捲くし立てるものが悟っている訳ではない。それは全くの別物である。
有余る知識を持つ理論家が悟っているのであれば、仏教学者は皆悟っていることになる。しかし現実はそうではない。
むしろ、自らの知識の呪縛にあって悟りを得られない方が多いかもしれない。
以前にも言ったことだが、知識は薬の能書きみたいなもので、能書きをいくら集めても、薬効が得られないのと同じである。悟りに知識は無用なのである。
一方、偽の悟りを見分けることは、入門者にも難しいことではない。
まず、偽者は悟りの心境にないので言葉も行為も軽く浮ついていることである。一端の理屈を語っても、こと行動や態度となると、如何に繕っても隠すことはできず、言葉について行けない。所詮、借り物の言葉でしかない。
例を挙げてみよう。ポッタンは、「区別しない」、「分別しない」と頻繁に口にする。(もっとも逃げ口上に使われることが多い)
しかし、本人はこの言葉の意味をよく承知してはいない。彼ほど区別しているものは珍しい位であるからだ。
彼はしばしば「マンゴー先生、素人Aという仏様に出会った」と語る。本人に好意的なものには、諂い卑下するが、逆に本拙稿のようなレスには、狗呼ばわりし異常なほど敵意をむき出し差別する。
また以前、何某から「悟っている」と煽てられては舞上がり、「あなたは仏様です」と手放しで喜んだ。かと思うと「勘違いでした。ポッタンは悟ってはいません」と取り消されると「あなたは悪魔のようです」と、手を還すようにコロッと態度を変えたこともある。
彼が他人の言葉に振り回され、私感情に振り回されるのは日常茶飯事であり、主人公々々々と説法するほど口程にもない。
この様に底が浅いので、言行不一致に注意を払えば、偽の悟りを見分ける簡単な方法の一つにはなるだろう。
614 :
野孤禅スレです:2011/09/15(木) 20:30:45.46 ID:dzlc2B5J
| ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄||
||【このスレに来られた方へ】 ||
||★ここは野孤禅の本格スレです。まずそのことを充分、認識してください。 ||
||★野孤禅とはどういうものか、まともでない見本が満載です。 ||
||★ポッタン、素人Aと称するものの発言内容は、まさに野孤禅の見本といえます。 ||
||★素人Aとかいうものはポッタンの携帯黒子ですので、ご注意。 ||
||★この者達の自作自演が多々有ります。相手にならぬようご注意。 ||
||★同様に、かまって貰いたいが為のツリが多々見られます。相手にせぬようご注意。 ||
||★まじめな質問は別スレにてお願いします。 ||
||★誤って、禅の質問をしても、その回答はいい加減と思ってください。 ||
||★本スレの使用目的は、禅に関すること以外、ストレス解消、AAの練習等々、自由です。||
||★書き込む内容は、品格など一切問いません。 ||
||★あらしも排斥しません。 ||
|| 。 ∧_∧ ||
|| \(´・ω・`) いいかな・・? ||
|| ⊂ ⊂ )旦~ ||
||___∧ ∧___∧ ∧___ ∧ ∧__ ∧ ∧___| ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄|_______||
( ∧ ∧__ ( ∧ ∧__( ∧ ∧__( ∧ ∧  ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄
〜(_( ∧ ∧( ( ∧ ∧_ ( ∧ ∧_ ( ∧ ∧ は〜い。
〜(_( ,,)〜(_( ,,)〜(_( ,,)〜(_( ,,)
〜(___ノ 〜(___ノ 〜(___ノ 〜(___ノ
615 :
チゥ(* ^)(◎o◎)ポッたん ◆oOmXnN8feI :2011/09/15(木) 21:08:41.01 ID:J8aSFzHK
>>614-612 居ても居なくても、どうでもいい、居ぬ
アルツか、同じ事の繰り返し・・・
616 :
チゥ(* ^)(◎o◎)ポッたん ◆oOmXnN8feI :2011/09/15(木) 21:13:15.39 ID:J8aSFzHK
617 :
チゥ(* ^)(◎o◎)ポッたん ◆oOmXnN8feI :2011/09/15(木) 21:34:30.47 ID:J8aSFzHK
>どうもこんばんは 見性とは何ですか?
悟りと涅槃
現代語では、
平等と自由
また、
無差別と、主体性
と言えます。
これを道元さんは、眼は横に、鼻は直(たて)に、(眼横鼻直、がんのうびちょく)と言いました。
618 :
チゥ(* ^)(◎o◎)ポッたん ◆oOmXnN8feI :2011/09/15(木) 21:58:33.64 ID:J8aSFzHK
619 :
チゥ(* ^)(◎o◎)ポッたん ◆oOmXnN8feI :2011/09/15(木) 22:06:04.53 ID:J8aSFzHK
>>618 訂正
ぜぇーんぶを ひっぅるめて、無分別。
↓
ぜぇーんぶを ひっくるめて、無分別。
>>617 ここで使うんかいな
「惺惺添朦」
わかりきった仏の光輝をわざわざぼんやりさせるw
621 :
チゥ(* ^)(◎o◎)ポッたん ◆oOmXnN8feI :2011/09/15(木) 22:22:43.12 ID:J8aSFzHK
622 :
チゥ(* ^)(◎o◎)ポッたん ◆oOmXnN8feI :2011/09/15(木) 22:26:14.25 ID:J8aSFzHK
623 :
素人A:2011/09/16(金) 06:23:04.95 ID:wX6zJYYb
二の54 〔制感〕制感とは.諸感覚が.それぞれの対象と結びつかない結果.まるで
心自身の模造品のようになつた状態をいう。
制感(プラチャーハーラー)とは.諸感覚をその対象から手元に引き戻す。あるいは感覚が対象へ
向かって動こうとするのを引き止めるという意味である。感官がその対象にむすびつこうとする
動きを引き止められて自分独りの状態に取り残されると.感官はあらゆる心理器官の実体である
心の模造品のようになる。諸感覚は心の働きに追従して動くだけになる。各器官がそれぞれ独立
に外界の色.声などの対象と結びつきを止め.器官と心の働きとが一体になっているのが制感の
境地である。
二の五五 制感の行法を修習していくならば.ついには諸感覚に.最高の従順さが生じる。
・・・最高の従順さというときには.心が専念状態にある時に感官もまた外部の知覚を受け付け
ないことを意味している。
後は一休みして果敢といかんのか?はーあ面倒また後々は明日だ。
624 :
たろすけ:2011/09/16(金) 08:11:29.59 ID:s4cOiBOt
>>597 アナタのレス姿勢について以前レスしたのですが、その時ソレに関してはほとんど反論がありませんでしたね。
《具体的な指摘がない》と仰るのも、ハジメの方のレス姿勢への指摘から大分経ってからですね。これが分からない。
後、アナタ言う慈悲とは何か、と言うのかというのも答えがないです。
レス姿勢、述べても仕方ないというような事を言っておきながら、やはりツラツラと述べないと気が済まない、とか
何かしら論点がご自分の語りたい内容にスライドするとか、ソレに対しての私の指摘に答えがありましたか?
具体的な指摘、とは何でしょうか?私はレスの姿勢について述べています。
ハジメの頃のレス姿勢がオカシかった(今でも納得はしてませんがw)のは
アナタがこのスレッドと私の対応を誤解した所から始まったハズですよ。私の対応もソレに応じていました。
で、アナタは何かずれた事を仰ったり我田引水気味に論点がスライドしたりしていますよね。
だが、ソレはアナタのレス姿勢というよりはハジメの誤解がモツレてアナタが憤った事によるレス傾向だろうと私は判断し
一旦白紙に戻そうと言ったのですよ。ですがソレを蒸し返し気味に(私は別に良いwと言いましたが)アナタがまた仰れば、
似たような内容指摘にナルダケです。で、その指摘理由はレス姿勢について既述しているレスが幾らかあるハズですね。
繰り返しませんよ。ソレが横暴だと言うならハジメのレスがナゼ、粘着的で、我田引水気味で、他者の批判の邪魔をしていたのか
述べて下さい。
>
> たろすけさんも一切理由なしにあなたは普通の人以下であなたの文章はすべて欺瞞だと決めつけられたら困惑すると思いますが、
> 自分がやる分にはOKなのですね。
私はアナタのレスが全くに欺瞞だとは言ってない、アナタの他者への欺瞞指摘が¨欺瞞¨だとはいつも述べています。
呼び掛け(と仰るが)を呼び掛けのままにしておかない所にアナタの欺瞞があると述べた。
¨内容が全く欺瞞だとは言ってない¨とはハジメ辺りのレスで私は言っています。内容が正確に用いられている限りは両手を挙げると。
625 :
たろすけ:2011/09/16(金) 08:13:45.21 ID:s4cOiBOt
>611
一義の誤用による害が他の悪より多いか少ないかとかではなく、ここは宗教スレなので、ソレについて述べています。
人が一義を耳にした時、クドウシャとして理解しようと進むか、自己には関わりがない事とするか、
偽るか(二義として誤用、利用)。あるいは保留か。
で、アナタの場合、状況把握にも関わらず確信犯的に居直って論点をスライドし、呼び掛けという名目で講釈を垂れるのです。
だがアナタの場合の誤用は比較的軽く、本当はどういう場面で述べるべき内容かは知っているのだろうなと。(故に確信犯)
ソレに道に躓いて憂さ晴らしのタメにしている風にも見えない、
仮にアナタが真に悪辣な類いや深刻な有り様なら、私はボリュームを上げないよ。
アナタのは悪用とまでは行かないが、迷惑行為ではある。スレ違いだし、余りに執拗なのでボリュームを上げた。
そこに凡夫的な怒りがなかったとは言わない、だが遅れた状況把握(後で気づいた)と居直りに対し
あの様な説明の仕方以外どうしょうもない。
626 :
チゥ(* ^)(◎o◎)ポッたん ◆oOmXnN8feI :2011/09/16(金) 14:18:42.49 ID:bMK3fdlC
627 :
神も仏も名無しさん:2011/09/16(金) 14:33:56.60 ID:r2357Qfg
他者への非難は自分から目を背けようとする行為であるから気を付けましょう。
そしてたろすけさんの分を最初に読んだときそんな感じがしました。
これがあなた自身私自身が一義に至る道における重大な障害であるがゆえに、
他者の一義の誤用については重視しませんでした。
自分が誤用もしなければ、自分の誤用を覆い隠すために他者の誤用の批判もしない。
批判はしなくても指摘ならできるかもしれない。
しかし批判によらない指摘は大変難しい。たとえそこそこできていても相手は批判ととることは多いです。
指摘は難しいし、批判は求道者における大きな障害の一つであるというのがそもそもの論調であり、
そんなに不思議なことを述べた覚えはありません。
628 :
神も仏も名無しさん:2011/09/16(金) 14:51:46.44 ID:r2357Qfg
だから批判的、自己逃避的でないようにお話を続けたり、
俺お前という自己と他者の対立が浮き出ないような返答をなさればよかったかと思います。
別に批判を否定するがゆえにたろすけ氏の論が続けられないということではなく、在り方とやり方の問題でしょう。
最初の書き込みに対しあからさまに他者に反発し、自己と他者という対立の関係性を強めてしまった。
お前がという感覚は本当に都合よく自分の抱えている欠点をあいてになすくりつけられます。
そうでなければ「お前」などいらない。
盤珪禅師「うすひき歌」
不生不滅のこの心なれば 地水火風はかりの宿
生まれ来たりしいにしえ問えば 何も思わぬこの心
来たる如くに心を持てば じきにこの身が生如来(いきにょらい)
よきもあしきも思いしことは おのがこの身のある故ぞ
冬の頃しも喜ぶたき火 夏の来るほどあらいやや
夏の頃しも恋しき風も 秋のはてぬに早にくむ
金を持ったりゃ貧者がいやし 持たぬ昔を忘れたか
鬼の心で集めた金を がきに取られて目がもうた
金がほしさに命を捨てて すてて見たれば金いらず
惜しやほしやと思わぬ故に 今は世界が我が物じゃ
恋しゆかしもただ今ばかり 会わぬ昔が有る故に
思い出すは忘れぬ故に 思い出さねば忘れぬよ
昔思えば夕べの夢じゃ とかく思うは皆うそじゃ
夢と思えば浮世の中に らくもつらきも無き物を
つらき浮世とうらむる人は 夢に心を苦しむる
とかく浮世はもと無いものじゃ 心とめよりただうたえ
過去も未来も本心ばかり 心とめより思い切りやれ
心とめずば浮世はあらじ 何も無きこそ生如来
我と作りし心の鬼が 責めて苦しむ身のとがを
悪をつくれば心が鬼じゃ 外に地獄は無きものを
地獄ぎらいの極楽ずきで 楽な世界に苦をうけた
悪をきらうを善じゃと思う きらう心が悪じゃもの
善をしたこと善じゃとうじゃる うじゃる心が悪じゃわい
善きも悪しきも一つにまるめ 紙につつんで捨てておけ
奇妙不思議は一つも無いぞ 知らにゃ世界が皆不思議
うその世界をまことのように ばかしばかさる化け物じゃ
いつか五欲を身にならわして それに習うて日を暮らす
人におしえはもと無いものじゃ 是非を争う我が身なり
仏道修行をつとめし後は 何もかわりは得ぬものを
迷い悟りはもと無いものじゃ 親も教えぬならいもの
さとる心は我じゃと思え 念と念とが相撲とる
さとろさとろとこの頃せねば 朝のねざめも気が軽い
後世を願うとひいきを願う いとど我慢をそえかけて
後世づとめもこの頃いやと 出入りの息のありしだい
死んで世界によるひる暮らせ それで世界が手に入るぞ
仏様こそおいとしござる そとの飾りがまばゆかろ
内の仏にゃそりゃまだ早い 門の仁王にまずなりやれ
われと浄土をたずねて見たら けっく仏にきらわれた
人にかたきはもと無いものじゃ 是非をあらそう我がなる
因果歴然わがなすことを 知らで迷うは身のひいき
有為の転変身にならわして それに迷うは己が損よ
無為の心はもとより不生 有為が無き故迷い無し
うれしめでたや老いせぬ君に 尋ね会うたりや我ひとり
安く養う浄土はここよ 五万五万の億も無し
人が茶碗をからりと投げば 我は機用の錦で受けよ
632 :
チゥ(* ^)(◎o◎)ポッたん ◆oOmXnN8feI :2011/09/16(金) 20:27:38.01 ID:vwYAoudq
633 :
シコシコぼったん久しぶりw:2011/09/16(金) 20:32:24.94 ID:zjenIbXY
ぼったん、さびしのかw
野狐氏をワイと思ってww
たろすけの良き調教者がいいねw
ぼったんwごまかし、でたらめwうそwはったりw
634 :
シコシコぼったん久しぶりw:2011/09/16(金) 20:36:28.75 ID:zjenIbXY
まあ、禅といい、仏教というのは王道的には、
ぼったん、たろすけのような、うそ、でたらめ、はったりが常のような人間の精神分析には
有用だねw
で、まめに書き込み気になっったら、彼らの病的な精神分析を始めようw
635 :
餓鬼道ぼったん久しぶりw:2011/09/16(金) 20:38:41.26 ID:zjenIbXY
餓鬼道=ぼったん、今日感じる日々w
ほめてくれええw、ぼくちゃんはえらいのだあwと思うぼったんの日々の妄想w
636 :
餓鬼道ぼったん久しぶりw:2011/09/16(金) 20:42:33.03 ID:zjenIbXY
たろすけ=修羅道
こういう感じかもw、
ぼったんは余裕のポーズで餓鬼道w
とはいえ、ぼったんは僕ちゃん偉いのだw餓鬼道で自己を直視せずに
余裕の、居ぬ、レスの無駄だ、と言う、余裕のポーズで自己防衛できた気分妄想ww
637 :
餓鬼道ぼったん久しぶりw:2011/09/16(金) 20:50:19.23 ID:zjenIbXY
ぼったん、たろすけ、は自分自身を騙すのが得意だねw
習慣なんだろうなw
純粋と言う言葉よりも遠い、虚栄、見栄、虚勢、空虚、ていう言葉のイメージがよく似合うw
638 :
餓鬼道ぼったん久しぶりw:2011/09/16(金) 20:57:29.67 ID:zjenIbXY
宗教戦争と言うのも、案外、純粋な精神の喪失、虚栄、見栄、虚勢、が原因かもなW
純粋さ、正直さが、無い奴は、
ぼったん、たろすけのように、
どこまでも虚栄、見栄、虚勢、空虚の世界で自分自身を騙して、他者と関わる、
詐欺師にまともな人間関係困難なのも良く理解できるなW
自己の病的な欲望を基本として詐欺行為をするんだろうなW
うーーん、ぼったん的餓鬼道W
639 :
餓鬼道ぼったん久しぶりw:2011/09/16(金) 20:59:41.99 ID:zjenIbXY
ぼったん、たろすけによれば、たぶん、禅の基本は虚
栄、見栄、虚勢、空虚の世界で自分自身を騙すことから始まるのだろうW
640 :
チゥ(* ^)(◎o◎)ポッたん ◆oOmXnN8feI :2011/09/16(金) 21:35:35.10 ID:vwYAoudq
盤珪禅師「うす引き歌」?「本心歌」
不生不滅の本心なれば、 地水火風は仮の宿?
(不生不滅の本心が宿るこの身体は地水火風の四大元素からなる仮の宿のようなものだ。)
?
生れ来りしいにしえ問えば、何も思わぬこの心?
(我が身がこの世に生まれて来た昔を考えると、何も思わない無念無想の清浄本源心と共に誕生したのだ。煩悩はその後に身につけたもので元々は無かった。)
来る如くに心を持てば 直にこの身が生如来?
(この世に生まれて来た昔の無心な清浄心に立ち返れば、そのままこの身が生き仏である。)
迷い悟りはもと無いものじゃ、親も教えぬ習いもの?
(不生の本心は親から教えられて習うようなものではなく、迷いや悟りも元々無いものだ。)
?
無為の心はもとより不生、有為が無き故迷い無し?
(不生の本心には元から、はからいや変化はないので心に迷いも無い。)
嬉しめでたや老せぬ君に、尋ね会うたりゃ我ひとり?
(嬉しく目出度いことに、不老不死の不生の本心に遂に会うことができたが、会って見ればそれは 真の自分自身であった。)
仏道修行をつとめし後は、何も変わりは得ぬものぞ?
(仏道修行に励んだ結果、悟ったけれども以前と特に変わりはない。)
?
奇妙不思議は一つも無いぞ、知らにゃ世界が皆不思議?
(悟って見ると、世界の一切がありのままに見えてくる。そこには奇妙で不思議なことは一つも無い。むしろ悟る前の方が皆不思議に見えたものだ。)
?
悟ろ悟ろとこの頃せねば、朝の寝ざめも気が軽い ?
(この頃は悟ろう悟ろうと求める心が止んだので、朝もすっきりと目覚め心も軽いものだ。)
641 :
チゥ(* ^)(◎o◎)ポッたん ◆oOmXnN8feI :2011/09/16(金) 21:36:19.57 ID:vwYAoudq
>>640 安く養う浄土はここよ、五万五万の億も無し?
(安養浄土(=極楽浄土)は、お経に説かれるように、西方十万(五万五万)億土の遠くにあるのではない。煩悩苦患が無い真の極楽浄土は今この我が身にあるのだ。)
?
安養浄土はここより外に、五万五万の億も無し?
(安養浄土(=極楽浄土)は、お経に説かれるように、西方十万(五万五万)億土の遠くにあるのではない。 今ここにあるのであって、この身の外にあるのではない。)
?
五万五万の億も無し、安養浄土はここじゃもの?
(安養浄土(=極楽浄土)は、西方十万(五万五万)億土の遠くにあるのではない。 今、この身にあるのだから。)
?
我と浄土をたづねて見たら、けつく仏に嫌われた?
(真の自己と浄土を外に求めて尋ねたら、見当外れのことをするなと仏にきつく嫌われたものだ。)
?
因果歴然わがなすことを、知らで迷うは身のひいき?
(因果の法則を知らずに、悪業を重ねて迷うのは我執・身びいきからくるものだ。)
?
仮の火宅に心を止めて、我と燃やして身を焦がす?
(火宅に喩えられるこの世の五欲(財産欲、色欲、食欲、名誉欲、睡眠欲)に執着し追い求めるのは、我と我が身を燃え焦がすようなものだ。)
惜しや欲しやと思わぬ故に、いわば世界が皆わがものじゃ?
(この世の五欲(財産欲、色欲、食欲、名誉欲、睡眠欲)への執着から離れてみれば、この世界の一切が我がものとなる。)
?
昔思えば夕べの夢じゃ、とかく思うは皆うそじゃ?
(昔思い迷っていたのを今思えば、はかなく消える夢のようなもので、本物ではない)
その解説はまるでなってないからつけんほうがいいよ。
643 :
チゥ(* ^)(◎o◎)ポッたん ◆oOmXnN8feI :2011/09/16(金) 21:40:25.12 ID:vwYAoudq
不生とは、
分別しない、
である。
644 :
チゥ(* ^)(◎o◎)ポッたん ◆oOmXnN8feI :2011/09/16(金) 21:41:53.27 ID:vwYAoudq
645 :
チゥ(* ^)(◎o◎)ポッたん ◆oOmXnN8feI :2011/09/16(金) 22:28:00.13 ID:vwYAoudq
白隠禅師 坐禅和讃
白隠は禅を庶民にも分かり易く説いた。
衆生本来仏なり、 水と氷のごとくにて
水を離れて氷なく、衆生の外に仏なし。
衆生近きを知らずして、遠く求むるはかなさよ、
たとえば水の中に居て、渇を叫ぶが如くなり。
長者の家の子となりて、貧里に迷うに異ならず。
六趣輪廻の因縁は、己が愚痴の闇地なり。
闇地に闇地を踏みそへて、いつか生死を離るべき。
それ摩訶衍の禅定は、称嘆するに余りあり。
布施や持戒の諸波羅蜜、念仏懺悔修行等、
其品多き諸善行、皆此の中に帰するなり。
一座の功をなす人も、積みし無量の罪ほろび、
悪趣いづくにありぬべき、浄土即ち遠からず、
辱くも此の法を、一たび耳にふるゝ時、
讃歎随喜する人は、福を得ること限りなし。
いはんや自ら廻向して、直に自性を証すれば、
自性即ち無性にて、既に戯論を離れたり。
因果一如の門ひらけ、無二無三の道直し。
無相の相を相として、行くも帰るも余所ならず、
無念の念を念として、謳ふも舞ふも法の声、
三昧碍礙の空ひろく、四智円明の月さえん。
此時何をか求むべき、寂滅現前するゆえに、
当処即ち蓮華国、此の身即ち仏なり。
646 :
チゥ(* ^)(◎o◎)ポッたん ◆oOmXnN8feI :2011/09/17(土) 03:02:43.09 ID:543zgvTD
647 :
素人A:2011/09/17(土) 06:18:26.12 ID:u8Eay5kR
続き書かんといかんのか.制感の行私は実行しているのか?全然出来不出来。でも毎日寝ているし
深く寝ている時もある.どうせネタだし面倒だけど次行こう。 〔凝念〕三の一 凝念とは.心を
特定の場所に縛り付けておくことである。
これから前章につづいて.・・この三部門はヨーガの内的部門であって.総称して綜制という.綜制
に属する三部門は一続きの行法体系をなしていく.実際は区別出来ない。さて凝念は制感とは反対に
積極的な心理操作であつて.特定の場所を選んで.そこえ心を縛りつけておくことである。・・この
心理操作は意の働きによつて行われる。「場所」という語は.凝念の対象が具体的なものであることを
示している。例えば.鼻の先.へそ.心臓.などの体の一部や.外界のある事物などが注意集中の対象
に選ばれる。「縛りつける」というのは露骨な表現であるが.心を動かぬように固定することである。
凝念からの部門に入るには.制感の行がじゅうぶんに修習された後でなければならないことは断るまでもない。
私の仲の制感終えたほとけは私を凝念しているのか?何故かいまここの此処の場所に縛り付けられている?
修行じゃ?まあ善いか。そんなにがん張らないまあぼちぼち。あとは他外あしたに続く
第一に無念を打ち立てて宗旨とし、無相を本体とし、無住を根本とするものである。
無相とは、かたちを認めながらそれに執われないこと。
無念とは、ものを思 いながら思いに執われないこと。
無住は人の本性であるから、世間の善悪や、美醜、もしくは、怨みと親しみ、
言葉の刺激やだましあい、すべてそれらは仮の姿で実体のないものと考えて、
あだを報いようなどと思わず、一瞬一瞬の意識のうちに、過ぎ去ったものを思い浮かべないことである。
もし過去の意識と現在の意 識と未来の意識とが一瞬一瞬に連続して断ち切れるならば、それを束縛という。
逆にすべての存在に対して、一瞬一瞬に意識が執われないならば、それこそが束縛がないことだ。
これを無住を根本にするというのである。
諸君、あらゆる かたちに執われないことを無相という。
ほんとうに姿かたちの執われを離れるときは、たちまちそのものの本体は清らかなありのままのものとなる。
これが無相を本体とするというのである。
諸君あらゆる対象に対して、心が汚れないことを無念という。
自己の意識の上で、いつもあらゆる対象からわずらわされず自由であって、対象について心を起こさない。
もしまったく何ものも思わず、思いを全部除ききってしまうならば、
その人の最後の意識が断ち切れるときはそのまま死んでしまい、別の世界に生まれ変わるであろう。
修行者よ、よく考えよ。教えの意味を知らねばならぬ。自分が間違うのはまだしも、
間違いを更に他人に勧め、自分で迷って真意を見ないで、そのうえ仏の説かれた経文をそしるのだ。
だから私は無念を立てて宗旨とするのである。
諸君、何故無念を宗旨と立てるのであるか。
それは、ただ口先で見性を説いても、本性を見ていない人は対象に対して意識を起こし、その意識ですぐに誤った
考えを起こすため、あらゆる煩悩や妄想が、そこから出てくるからである。
自己の本性は本来これであると認めるべきものはなにもないのである。
もし認められ るものがあってみだりに禍福があるなどと説くならば、
これこそ人間の心を迷わす煩悩であり、因果を無視した妄見である。
というわけでここに説く教えは、無念を立てて宗旨とするのである。
諸君、無とは何がないのか、念とは何を念ずるのであるか。
無とは、主観、客観の対立がないことであり、人間の心を迷わす多くの煩悩の心がないことである。
念とは、ありのままの本性を念ずることである。ありのままであることは、つまり念の本体であり、
念はすなわちありのままであることの働きである。ありのままの自性が念を起こすのであって、
眼や耳や鼻や舌に念ずる働きがあるのではない。
ありのままということは、人に生まれながら備わっている心があることである。
だから念を起こすのである。もしありのままということがないならば、
眼や耳やそれに映ずる物の色や形や音声はたちまち滅びてしまうであろう。
諸君、あ りのままの自性が念を起こすから、眼耳鼻舌身意の感覚器官は、
見聞覚知の働きをもちながら、さまざまの対象に汚されず、
しかも人が本来具えている本性はいつも自由自在なのである。
外の対象に対しては、はっきりとあらゆる姿かたちを認識しながらも、
内心には究極の真理をふまえていて微動だもせぬのである
(或る者が)「この頃お示しいただいた不生の理について、近頃は有り難くおぼえるようになりました。
しかしながら、凡夫心だからか、怒って腹が立つことが多いです。
これを止めようと思って、怒りの心を止めますけれども、また生じてしまい、ついに止むことがありません。
このようなことは、どのようにして止めれば良いのでしょうか」と問うた。
禅師の御返答は「その怒りを抑えることは悪い心得である。元から、この心は1つであり、
その1つの心から出る怒りを止めようと思うなら、一心が2つになり、
走る人を後ろから追いかけるようなもので、走るも自分、追うも自分となる。
この心を辿って申し添えるならば、茂った木の下を掃除しているのに、上から木の葉を散らすようなものである。
払い避ければ、サッパリとなるが、また後から散らすようなものである。
止めようと思うのが悪いのである。だからこそ、その起こる念に関わらず、ただ止めようとも思わないのが良いのだ。
止めようとも、止めまいとも思わないのが、不生である」と仰ったところ、彼の人はこの答えを納得し「さてもさても、ありがたや」といって去っていった。
>>629 盤珪さんが中国人の超元禅師から筆をもぎ取って
庭に投げ捨てた伝記は、なかなかエエ話やなー
と思ったけどね。「文字とか言葉ではないんやー !」
みたいに気合が伝わってくるというか、
印可もらってトーゼンというか・・
エスキモ−に生活保護法を適用したら、
いちどきにアル中が増えたのは有名な話である。
アザラシ漁でカツカツの暮らしを立てていたころの
エスキモ−には、酒など高嶺の花だったのだ。
大阪の寒山寺の宗徒だった超禅という男は和泉の庄屋で、
黄檗宗の龍渓和尚に参じて、なかなかの出来と褒められていた・・
http://www5a.biglobe.ne.jp/~oneness/ichi_hp2_261.htm
>>599 これは 「趙州狗子」 と同じで、
A. 俗物自我の場合
B. ほとけの感覚の場合
二つにパターン分けして説明してるに
すぎないのだ、ダレとは言わんけど、このAとBが
ごっちゃになって説明が分けわかんなくなっちゃってる
人たちいますよねー・・
そんでね、このAとBは頭の中のスイッチで
切り替えることができるわけでね、たとえばSPEEDの
ツインボーカルシステムとか、お遍路さんの同行二人の
本来もともとの意味がそれなんですけどねー・・
なんか前スレあたりで話題にした、従容録九十六に
あった九峰不肯の結論ですけど、この 「未夢見在」 の
動画見つけました、寝てはいるけれどまだ夢が
はじまっていないうつらうつら状態のことです。
クリシュナムルティが詩集でさかんに連発してたり、
鬼和尚も目覚めたものは夢を見ないのじゃ、とか
言ってるのでインドで流行ってるらしいんですが、
訳がイマイチの誤訳なんで正しい意味はこの
子犬師匠が教えてくれます。
(ねむたい子犬)
http://www.youtube.com/watch?v=Zx6abx84Y3E
お師匠様が、12月1日に、修行僧達に示していわれるには「私のところでは、
通常の平成が定座でありますから、あちこちのように『今日から定座』などと言って、
特別に必死に務めるようなことはないのです。
眠っている僧がいて、それを或る僧がビシッと叩いたのを、私は叱ったことがありました。
気持ちよく寝ている者を、どうして叩くのか。
眠ってしまえば、あの僧は別のものになってしまうというのだろうか。
(坐禅中に)寝ていろと勧めたりはしないですけれども、眠ったからといって叩くのは、違っているように思うわけです。
今の私のところでは、そのようなことはさせません。眠りなさいと言って、勧めもしませんが、眠っていても叩くことも叱ることもありません。
眠ることを、叱りも誉めもせず、眠らぬことを、誉めも叱りもいたしません。起きれば起きたまま、寝れば寝たままに、眠れば覚めた時の仏心で眠り、覚めれば眠っていた時の仏心で起きている。
眠れば仏心で眠り、覚めれば仏心で覚めていれば、不断の仏心ということになり、常にほかの物でいるというようなことは、しばしの暇もないわけです。
それを眠っていれば、ほかの物になるように思うのが誤りである。起きている時ばかりが仏心で、寝た時にはほかの物になるのならば、法の究極の所ではなくて、不断に流転してしまうというものであります。
皆が、仏になろうと思って精を出す。だからこそ、眠れば叱ったり叩いたりするが、それは誤りです。仏になろうというよりも、皆、人それぞれに親が産み付けたのは、(仏心の)他の物として、産み付けたわけではないのです。
ただ、不生の仏心で寝て、起きれば仏心で起きていれば、普段の生活から「活仏」であるわけで、何時か、仏でないということはないわけです。常に仏なのだから、
この他に、また仏になろうといってもあり得ません。仏になろうとするよりも、仏でいることが良い行為になって、(仏への)近道ですぞ」と。
656 :
チゥ(* ^)(◎o◎)ポッたん ◆oOmXnN8feI :2011/09/17(土) 17:09:38.56 ID:HUBlCd+t
坐禅と見性第58章 二は二ではない一の如し
http://unkar.org/r/psy/1213112495 457 :神も仏も名無しさん[sage]:2008/07/01(火) 13:44:20 ID:D5zYeFHX
趙州洗鉢
趙州、因みに僧問う、某甲乍入叢林、乞う師、指示せよ。
州曰く、喫粥し了りしや未だしや。
僧云く、喫粥し了れり。
州云く、鉢盂を洗い去れ。
其の僧省あり。
僧云く、某甲 乍入叢林、乞う、師、指示せよ。
州云く、喫粥了 や、未だしや?
僧云く、喫粥了。
州云く、鉢盂を洗い去れ。
其の僧 省有り。
或る日のこと、一人の僧が趙州の前に出て来て、「某甲 乍入叢林、乞う、師、指示せよ」「私はつい近頃、当山に参りましたばかりの駆けだしの者でございます。これから、どう修行したら宜しいか、何卆お示し下さいませ」と挨拶した。
和尚、一見して「こやつ、自分で駆けだしの未熟者などと言ってるが、少々修行は出来てる奴、但しその悟りの匂いをまだプンプンさせている程度じゃわい」と看破したが、さりげなく「喫粥了や、未だしや」「もう食事は済ませてきたか、未だか?」と問われた。
この僧こう尋ねられて「喫粥了」「はい、済ませて参りました」と鼻をうごめかして答えた。
すると趙州、「おう、そうか。それじゃのう、使った鉢盂・飯茶碗をよく洗っておきなされよ」「鉢盂を洗い去れ!」と言われた。
こう言われて、この僧「省有り」で、今後どのように修行すべきかに就いて気がついたというのである。」
657 :
チゥ(* ^)(◎o◎)ポッたん ◆oOmXnN8feI :2011/09/17(土) 17:13:24.13 ID:HUBlCd+t
>>656 この問答は表面上、食事は済ませてきたか?
はい済ませて来ました。
それなら食器を洗っておけよ、という。
先ず「食事を済ませて来たか、未だか」とは、単なる食事のことではなく、「悟りを開いて来たか、どうじゃ」という探りであり、この僧さすがに問いの裏の意味を心得ていて「一応の悟りを得て参りましたという肚で、はい、食事を済ませて参りました」と応じた。
ここまで言えば、趙州が「鉢盂を洗い去れ、飯茶碗をよく洗っておけよ」といったのが、「悟りを開いたら、悟りの滓をきれいに洗い去っておけよ」という肚であることは、鈍いお主らにも分るだろう。
古来、「味噌の味噌くさきは上味噌にあらず。
悟りの悟りくさきは上悟りにあらず」と言われているが、確かにその通り。
悟りをひけらかしたり、悟りの臭みをプンプンさせているのは、まだまだ未熟な証拠じゃ。
どなたの作か知らないが、瓢箪の絵を描いて、それに「有る鳴らず無きまだ鳴らずなまなかに 些し有るのがポチャポチャと鳴る」と賛をしたお軸を拝見したことがあることを、今、提唱している間にフト思い出した。
瓢箪の口までタップリと酒が入っておる瓢箪は振っても音がしない。
酒が全く入っていなければ、勿論鳴らない。
それが酒が少々入っていると、いかにも酒が入っておりますぞと宣伝するかのように鳴る、というのである。
悟りが浅くわずかでありその滓がこびりついている間は本物ではない。
趙州和尚の「鉢盂を洗い去れ」の一語は、「悟ったら悟りの滓をぬぐい去ること、それが今後の修行の課題である、そのつもりで修行をなされ」という、まことに適切なお示しなのである。
禅の問答というものは、表面上は、木に竹をついだようにも見えるが、よく味わってみると、その裏に深い滋味のかくされていることが分ろう。」
☆彡
そうなのか。
同じ公案を同じくさとるのであるが、
公案を出すお師家さまのの問いがあり、答えがある、といえる。
わたしは、色即是空を問い、色即是空を答え、
ならば、と
空即是色を問い、
>其の僧省あり。
であると観た。
658 :
チゥ(* ^)(◎o◎)ポッたん ◆oOmXnN8feI :2011/09/17(土) 17:15:17.33 ID:HUBlCd+t
659 :
神も仏も名無しさん:2011/09/17(土) 17:39:12.03 ID:ZH9qDjma
660 :
チゥ(* ^)(◎o◎)ポッたん ◆oOmXnN8feI :2011/09/17(土) 20:00:31.93 ID:HUBlCd+t
661 :
たろすけ:2011/09/17(土) 20:13:40.17 ID:k7Rzc5Bp
>>627 > 他者への非難は自分から目を背けようとする行為であるから気を付けましょう。
では、覚醒してない者が一義を適応する時は、自らの悪行為(〜迷惑行為)を覆い隠そうとしている場合が
あるので、自らを省みて気をつけて下さい。
さて、何度も繰り返しますが
私はそちらの述べた内容を余りドウコウ言ってないですよ。
只、ソレの述べるタイミングとレス姿勢に納得出来ないから反応をデフォルトにしなかったんですよ。
663 :
チゥ(* ^)(◎o◎)ポッたん ◆oOmXnN8feI :2011/09/17(土) 21:07:29.65 ID:HUBlCd+t
趙州録
趙州 衆に示して云く、老僧 三十年前、南方に在(あ)りて、火炉頭(かろとう)、箇の無(む)賓主(ひんしゅ)の話(わ)有り。直(じ)きに如今(にょこん)に至るまで、人の挙著する無し。
趙州和尚、或る時、上堂して会下の大衆に向って、
儂は昔、三十年程以前になるが、南泉老師の下で修行し、更に南方の各地を行脚して廻っていた頃のことじゃが、「火炉頭に賓主無し」と言ったことがあった。しかし、その 後、今日まで、儂のこの語を本当に理解して挙揚しているものは居らんわい。
しかし「火炉頭に賓主無し」という語が面白いので、これを我流に解釈した私釈を披露して、久参の上士と更に世の識者の御示教とを乞おうと思う。
「火炉頭」というのは、火炉のほとりということで、火炉とは、暖炉・囲炉裏・大火鉢、今日ならばストーブなどのことである。
又、「無賓主」とは、賓主の別が無いということである。
臨済和尚に『賓主歴然』の公案のあることは、御承知のとおりである。
賓主とは客と亭主、客観と主観ということで、賓主歴然とは、差別が歴然としていることである。
大と小、長と短、男と女、老と幼などの差別がはっきりしていることである。
従って「無賓主」とはその反対に、差別が無く一味平等だということである。
「火炉頭に賓主無し」とは、炉端では長幼・男女などの差別が無く皆平等であり、睦み合っている。
炉は禅堂に常設されてはいるが、この炉が実際に開かれ火が入るのは陰暦の十月一日からで、翌年の三月の末には閉めることになっている。
冬になり寒くなると禅堂にもこのように炉が開かれるが、その炭火はほんの僅かでしかなく、しかもその側に寄って暖をとれるのは、修行歴の古いものや役位の者だけで、駆けだしの若い者などが寄りつくことは許されない。
その意味で、普通の場合においては「火炉頭 賓主歴然」である。
ところが冬の摂心会いわゆる雪安居の終る冬至の夜、いわゆる「冬夜」には、囲炉裏や大火鉢に炭火がドッサリと置かれ、長老と若僧、先輩と後輩との差別がなく、手をかざして暖をとりながら団欒するのがならわしである。
664 :
チゥ(* ^)(◎o◎)ポッたん ◆oOmXnN8feI :2011/09/17(土) 21:11:33.93 ID:HUBlCd+t
665 :
神も仏も名無しさん:2011/09/17(土) 21:43:24.82 ID:ZH9qDjma
いろいろなところでいろいろな断末魔があがっている
666 :
チゥ(* ^)(◎o◎)ポッたん ◆oOmXnN8feI :2011/09/17(土) 22:08:28.42 ID:HUBlCd+t
667 :
チゥ(* ^)(◎o◎)ポッたん ◆oOmXnN8feI :2011/09/17(土) 22:10:47.76 ID:HUBlCd+t
478KB/500KB を消費。
668 :
チゥ(* ^)(◎o◎)ポッたん ◆oOmXnN8feI :2011/09/17(土) 23:14:07.55 ID:HUBlCd+t
趙州録 庭前の柏樹子
_,. -―――- .,_
/ !二_'ヽ、` 、
/\ `¨´ ,.、ヽ
,'::::::::ヽ .!_| ', 修行僧 趙州に問う
i::::::::::::〉 i 如何(いか)なるか是(こ)れ祖師西来意(そしさいらいい)?
.|::::::::::/ | }.: .|
|;=、::| ‐-ニ''_ー<、{_,ノ -一 |
!ハ.Y . ぇ'无テ,`ヽ}}}ィt于 `|
|.Y }. `二´/' ; |丶ニ ノ
ト、リ ヾ:、 丶 ; | ゙ イ
.l ` ,.__(__,} /
! `'゙! ,.,,.`三'゙、,_ /
,/´{ ミ l /゙,:-…-〜、 ) |
,r{ \ ミ \ `' '≡≡' " ノ 庭前の柏樹子(ていぜんのはくじゅし)。
__ノ ヽ \ ヽ\ 彡 ,イ_
\ \ ヽ 丶. ノ!|ヽ`ヽ、
\ \ヽ `¨¨¨¨´/ |l ト、 `'ー-、__
|
669 :
野孤禅スレです:2011/09/17(土) 23:32:46.30 ID:Izk1pmfE
ここはタイトルとは真逆の擬似似非の野狐禅を展開している糞スレである。
ポッタンと称する者が師家気取りを演じている。(本人曰、糞スレだから銀蝿が湧いてしょうがないと)
自己愛性人格障害のこの者は坐禅修行もろくにせず、名誉欲や偽善心、虚栄心など我執煩悩が旺盛である。
三昧と執着の違いも分らず、三昧であれば何でも禅と言い放って、もっぱら日々、競馬三昧、2ch三昧にのめり込んでいる。競馬や低俗なコピペを方々に貼付けては顰蹙を買うほどの俗物である。
本人は無師独悟とか称して、隻手の音を聞いた、その後次々と公案を透ったと大見栄を切っている。
しかし所詮、自分免許の浅はかさ。書込みからは証悟の片鱗すら伺い知ることはできない。
一例が「私は払子を立てた。これが私の禅です」と坊主の真似事が禅だと、恥とも知らず失笑を買っている。
そんな者がどこからか禅語をコピーしては、矛盾に満ちた皮相的で幼稚な取るに足らない曲解を書き込んでいる。
突っ込まれて答えられない質問には、恥隠しのはぐらかしや長文コピペで誤魔化すこと枚挙に暇がない。
またときに、尊大な我執による妄想妄念から、あられもない説法をしでかす。
「すずめさんがチュンチュンとこんにちは、タンポポさんがニコッとこんにちは」と幼児童話レベルの妄想が禅の悟りであると吹聴している。
しかも30年近くもこの有様というから愚かの極みで、恐らくボタンを掛け間違ったまま生涯を終るものと想像できる。
野狐禅に陥ったら、五百生間狐となって迷妄の深淵から抜け出せないというよい例である。
この様に我執に塗れた者が無我を語り、見性せぬ者が空を語るなど、入門者でも胡散臭さを感じて俄に信じる者はいないとは思う。
しかし中には、類は類を呼ぶ、同病相哀れむという諺通り、ポッタンを師とする者が現れた。
素人Aというポッタン酷似の者で、なにやら激しい妄想妄念を、誤字誤変換だらけで書き込んでいる。
最近は師への切替えが混乱し、妄想妄念も激しくなって分裂症も進んでいる様子である。
祖師禅とかけ離れたこの野狐禅スレに、間違って来られる入門者があるやもしれない。
しかし、よもやこの師弟に惑わされることはないと思われる。
万が一のため、ポッタンのように野狐禅に陥って人生を無駄にせぬよう警告の意味で記しておく。
670 :
野孤禅スレです:2011/09/17(土) 23:34:47.88 ID:Izk1pmfE
以前、ポッタン野孤禅の行き着く先が、禅に届かぬ絶望感と人格破綻であろうと指摘したことがある。
その兆候が、すでに”雪担氏との会話”の中にあり、ポッタンの性格が異常なものであることを紹介した。
その人格破綻の進み様が、最近の書込みに見れ取れる。
まずは、ポッタンによる無門関「久響竜潭」の書込みの中に、その徴があるので、それを見てみよう。
ポッタン曰 「まっ暗闇は、昼間の明るさの中で、色は、ひとつずつが他と区別して独立している。真っ暗闇に差し出された紙燭の灯りに浮き上がってきた世界はまさにリアル、色の世界である。
ふっと吹き消された世界は、何も差別できない無分別の世界、空である。空であるから、金剛経の注釈書を積みあげ、一句を唱えて引導を渡し松明で火をつけた。」 とある。
竜潭和尚の慧敏な禅のはたらきには気づかず、読み取ることができないポッタンの非力さである。
以前の眼横鼻直での 「眼は水平に自由を、鼻は縦に主体性を表す」と同レベルの、相変わらず皮相的で字面を追い掛けた解釈と幼稚さで、コメントに値するものは何もない。
そして 「だが、(途中略)この人は、空だけを見ただけである。隻手の音声で言うところの、片手の他人がたたく拍手の音を聞いただけである。ここから空即是色へと立ち戻らなければならない」 と続く。
吹滅の因縁を、見解とはいえない屁理屈でしか捉えられないのは、ポッタンの貧粗な力量なら仕方が無い。これでは、香厳撃竹の因縁も分かる筈もない。今は一応、失笑しつつも目を瞑っておくとしよう。
ところが、「師家である竜潭和尚の力不足である。 こうして徳山は竜潭和尚の法を嗣ぐことになった、と言うことであるが、空即是色が未だ透らずである。」
と徳山、竜潭和尚の力量を、ポッタン野孤禅師匠の比ではない、と大言壮語しているのである。
野孤禅を次々暴かれ、後が無いポッタンにとっては、徳山、竜潭の両和尚をコケにし、貶すことによって、ポッタン野孤禅師匠は偉大なり、と虚勢を張りたい気持ちの裏返しである。
ポッタンは、(愚かで悪いのは、ポッタン野孤禅を理解しない世間であり、我こそが大覚者なのだ)、とカルト教祖の論理を主張したいのである。
その伝でいくと、仕舞に全ての祖師方々否定してしまうのは間違いなさそうで、自我肥大のパラノイア(誇大妄想狂)は、深く々々、人格の破綻が進行しているようだ。
671 :
野孤禅スレです:2011/09/17(土) 23:36:49.09 ID:Izk1pmfE
前回は、ポッタンの貧粗な力量を省みずに、雪担老師、更には古仏の徳三、竜譚和尚までも貶し、悟りが不十分と豪語したポッタン、その自我肥大異常性格を暴いた。今や、その自我肥大は止まる事を知らず、人格破綻へと、まっしぐらである。
最近、頻繁に使っているのが、無師独悟(独覚)とかいうポッタン造語である。
無師なのは、本人によると、人嫌いによると言っているので、普段の幼児並性向から、異論を挟む余地は全く無い。
しかし、独悟や独覚となると、悟ったものでも憚り多くて、なかなか口にできる言葉ではない。それを機会ある度に、常套句のように喧伝しているのは、自我の肥大化がどこまで進んで行くのか、の感がある。
本人は 「決して自慢、ひけらかしていってるものでは、ありません」と言い訳しているが、額面どおり受け取るのは安直である。
その言下に「お釈迦様も、沙羅樹の下で瞑想され、暁の空に輝く明けの明星を見られて悟られたのだよ、と言っています。と言うことで、私の無師独悟は、お釈迦様と同じ無師独悟の仲間です。」 と舌の根が乾かぬうちに、本心が別にあると言っているのである。
上から目線はポッタンの常であるが、ポッタンの無師独悟は、釈迦と同様に崇高なものだと、本音が透けて見える。
形は似ているが、内容は月とスッポン、魚目燕石である。
ここまで自我肥大が進行すると、悟りなど無論、望むべくも無い。 自我清算のない悟りがあろう筈もないからである。
しかも、過去スレでは時折、坐禅などいらぬ、と本音を吐露していた坐禅修行が嫌いなポッタンである。
歩み始めた第一歩から、自我清算の方向ではなく、自我増大に走ってしまったのがそもそもの間違いで、しかも正す者のない無師が致命的であった。
三十余年間、肥しにもならない糞知識を頭に詰込むだけで、坐禅修行を怠ってきた代償は余りにも大きく、そのつけが今になって回ってきたのである。
その期間を、自己に謙虚になって、まともに修行していたならば、ここまで自我肥大化していなかったであろうし、少しは悟りに近づいていたとは思うのである。
失った時間が取り戻せる筈も無いが、自我が強大になってしまった上、高齢の今になって、自我の清算など到底適わぬ事であろう。墓場まで野孤禅を連れて行くのは仕方ない。
賢明な諸氏には、決してポッタンの様な轍を踏まず、坐禅修行に力をいれて貰いたいと思うのである。
672 :
チゥ(* ^)(◎o◎)ポッたん ◆oOmXnN8feI :2011/09/17(土) 23:39:24.01 ID:HUBlCd+t
673 :
野孤禅スレです:2011/09/17(土) 23:43:32.14 ID:Izk1pmfE
無字は、初めて参禅するものに与えられる公案である。これがまた曲者で、中々透して貰えず、艱難辛苦、大変な苦労を強いられる。
それもその筈である。この世に生を受けて以来、永年染み付いた黒白つけたがる分別相対観念を根こそぎ絶つことを試されているのである。チットやソットのことで透過できる訳が無い。
昔、菴原の平四郎というものが、大憤志を発し勇猛の一機で妄想魔境に打ち勝ち、僅か三日で見性したらしい。これなどは稀で、我々凡夫は、昨日より今日、今日より明日、薄皮を一枚々々剥ぐように、自我を清算していくしかない。
そんな凡夫でも、日々努力を続ければ、因縁が熟した時、何かの契機に見性は訪れる。それは一瞬の出来事かも知れない、暫しの事かもしれない。
見性の深さも人による。大疑念のものは牛の大半を見るかも知れない。そうでないものは尻尾だけかも知れない。
臨済にしろ白隠にしろ再参して大悟したくらいだから、鈍根な我々凡夫は、一度の見性で一見便見の様には行かない。
見性体験は、将に身を削る、自我清算の修行があってのことである。修行も無く知識を詰め込んだだけの見性などありえなく、逆に我見を益々強めて遠ざかることにもなる。
ましてや、2chに入り浸り、互いに貶し罵りあい、自我を研いている様では、到底、叶わぬ事である。
また、一たび、我見我慢我欲を清算した後、見性して初関が透れば、無や空がガラーッと分かるものである。
世間には、無や空は観念、概念だから書物で学べば分かるものだ、と甚だしい勘違いをしているものがいる。
書物で無や空が分かり、こと足れりと済むなら、達磨が中国へ渡ることも無かったし、禅はとうの昔に滅んでいただろう。
書物に書いてある空や無の解説は、いわば薬の能書きみたいなもので、読んだから病気が治るわけではないのと同じである。
ポッタンは、「飲み屋の女から金色の炎が立ち上がるのを見た」とか「父親に、最近、世界が違って見える、と話した」などと、見性したかのような思わせ振りを語っている。
しかし上述から分かると思うが、強烈な自我が、一度も整理、清算出来ていない俗物に、見性などありえない。これは毎度お馴染みの、彼の虚栄心や自己顕示欲から来る作り話であろう。
仮に事実としても、何か脳の悪い病気に冒されているか、89をやった副作用か、あるいは何かの幻覚ではないのかと疑われるのである。
674 :
野孤禅スレです:2011/09/17(土) 23:45:33.70 ID:Izk1pmfE
以前、何処かのスレで、禅入門者が2chで真に悟りを得ている者か否かの見分け方を知りたい、という質問があった。
悟りを得ている者を見極めるのは、入門者には難しい。何をもって悟りを得ているかということからして難題である。
しかも、悟りの境地、境涯というものは、同じく悟ったものにしか窺い知れぬものである。
その上、ある者を悟ってると思っても、それは同じ境地にあるだけで、より悟ったものから見れば、未熟ということがよくあることだ。悟りに終着はなく、生涯の課題なのである。
また仏教知識を理路整然と捲くし立てるものが悟っている訳ではない。それは全くの別物である。
有余る知識を持つ理論家が悟っているのであれば、仏教学者は皆悟っていることになる。しかし現実はそうではない。
むしろ、自らの知識の呪縛にあって悟りを得られない方が多いかもしれない。
以前にも言ったことだが、知識は薬の能書きみたいなもので、能書きをいくら集めても、薬効が得られないのと同じである。悟りに知識は無用なのである。
一方、偽の悟りを見分けることは、入門者にも難しいことではない。
まず、偽者は悟りの心境にないので言葉も行為も軽く浮ついていることである。一端の理屈を語っても、こと行動や態度となると、如何に繕っても隠すことはできず、言葉について行けない。所詮、借り物の言葉でしかない。
例を挙げてみよう。ポッタンは、「区別しない」、「分別しない」と頻繁に口にする。(もっとも逃げ口上に使われることが多い)
しかし、本人はこの言葉の意味をよく承知してはいない。彼ほど区別しているものは珍しい位であるからだ。
彼はしばしば「マンゴー先生、素人Aという仏様に出会った」と語る。本人に好意的なものには、諂い卑下するが、逆に本拙稿のようなレスには、狗呼ばわりし異常なほど敵意をむき出し差別する。
また以前、何某から「悟っている」と煽てられては舞上がり、「あなたは仏様です」と手放しで喜んだ。かと思うと「勘違いでした。ポッタンは悟ってはいません」と取り消されると「あなたは悪魔のようです」と、手を還すようにコロッと態度を変えたこともある。
彼が他人の言葉に振り回され、私感情に振り回されるのは日常茶飯事であり、主人公々々々と説法するほど口程にもない。
この様に底が浅いので、言行不一致に注意を払えば、偽の悟りを見分ける簡単な方法の一つにはなるだろう。
675 :
チゥ(* ^)(◎o◎)ポッたん ◆oOmXnN8feI :2011/09/17(土) 23:47:33.29 ID:HUBlCd+t
>>669-671 居たのか 居ぬ
おまえの命も、例外なく短い。
いそげ。
問う、門前の痩せ狗にも仏性はございますか。
答える、無。
無頭児も、たまには考えるかー
答えをもってこい。
676 :
野孤禅スレです:2011/09/17(土) 23:47:34.88 ID:Izk1pmfE
| ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄||
||【このスレに来られた方へ】 ||
||★ここは野孤禅の本格スレです。まずそのことを充分、認識してください。 ||
||★野孤禅とはどういうものか、まともでない見本が満載です。 ||
||★ポッタン、素人Aと称するものの発言内容は、まさに野孤禅の見本といえます。 ||
||★素人Aとかいうものはポッタンの携帯黒子ですので、ご注意。 ||
||★この者達の自作自演が多々有ります。相手にならぬようご注意。 ||
||★同様に、かまって貰いたいが為のツリが多々見られます。相手にせぬようご注意。 ||
||★まじめな質問は別スレにてお願いします。 ||
||★誤って、禅の質問をしても、その回答はいい加減と思ってください。 ||
||★本スレの使用目的は、禅に関すること以外、ストレス解消、AAの練習等々、自由です。||
||★書き込む内容は、品格など一切問いません。 ||
||★あらしも排斥しません。 ||
|| 。 ∧_∧ ||
|| \(´・ω・`) いいかな・・? ||
|| ⊂ ⊂ )旦~ ||
||___∧ ∧___∧ ∧___ ∧ ∧__ ∧ ∧___| ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄|_______||
( ∧ ∧__ ( ∧ ∧__( ∧ ∧__( ∧ ∧  ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄
〜(_( ∧ ∧( ( ∧ ∧_ ( ∧ ∧_ ( ∧ ∧ は〜い。
〜(_( ,,)〜(_( ,,)〜(_( ,,)〜(_( ,,)
〜(___ノ 〜(___ノ 〜(___ノ 〜(___ノ
677 :
チゥ(* ^)(◎o◎)ポッたん ◆oOmXnN8feI :2011/09/17(土) 23:52:02.95 ID:HUBlCd+t
>>673-574 居ぬでも、いっこうにあるかなうやつもいる。。。
ぐるぐるまわって、めがまわるだろうに。
678 :
チゥ(* ^)(◎o◎)ポッたん ◆oOmXnN8feI :2011/09/17(土) 23:53:54.92 ID:HUBlCd+t
>>676 居ぬ
違うこたえお、まいかいいわなきゃな。
679 :
チゥ(* ^)(◎o◎)ポッたん ◆oOmXnN8feI :2011/09/17(土) 23:55:51.28 ID:HUBlCd+t
\ 趙州録
\ 童稚にして曹州の扈通院にて、師に従いて披剃するも、未だ戒を納めず。
. \ 便 ち池陽に抵り南泉に参じ、泉の偃息に値う。
. \ _______
\ r'´ ̄ ̄ ̄  ̄ ̄ ̄`、::. ___
l} 、:: \ヘ,___,_ ______/::.__| .|___________
|l \:: | | |、:.. | [], _ .|: [ニ]:::::
|l'-,、イ\: | | ∧,,,∧ . |::.. ヘ ̄ ̄,/:::(__)::
|l ´ヽ,ノ: | | (´・ω・`) ,l、:::  ̄ ̄::::::::::::::::
|l | :| | |,r'",´ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄`ヽ、l::::: 泉問うて云く、近離何れの処ぞ?
|l.,\\| :| | ,' :::::... ..::ll:::: 趙州云く、瑞像。
|l | :| | | :::::::... . .:::|l:::: 泉云く、還って瑞像を見るや?
|l__,,| :| | | ::::.... ..:::|l:::: 趙州云く、瑞像を見ず、祗だ臥如来を見る。
|l ̄`~~| :| | | |l:::: 泉 便ち起坐して問う、
|l | :| | | |l:::: 汝は是れ有主の沙弥か? 無主の沙弥か?
|l | :| | | ''"´ |l:::: 趙州云く、有主の沙弥。
|l \\[]:| | | |l:::: 泉云く、那箇か是れ汝の主?
|l ィ'´~ヽ | | ``' |l:::: 趙州 近前して身を躬 して云く、
|l-''´ヽ,/:: | | ''"´ |l:::: 仲冬厳寒、伏して惟るに和尚尊候万福と。
|l /:: | \,'´____..:::::::::::::::_`l__,イ:::: 泉 之を器とし、其の入室を許す。
l}ィ:: | `´::::::::::::::::::::::::::::::`´::::::
680 :
チゥ(* ^)(◎o◎)ポッたん ◆oOmXnN8feI :2011/09/17(土) 23:56:52.33 ID:HUBlCd+t
681 :
チゥ(* ^)(◎o◎)ポッたん ◆oOmXnN8feI :2011/09/18(日) 02:05:10.55 ID:j/Z2UqWD
>>668 三 倶胝竪指
倶胝和尚、凡有詰問、唯擧一指。
後有童子。因外人問、和尚説何法要。童子亦竪指頭。
胝聞遂以刃斷其指。童子、負痛號哭而去。
胝復召之。童子廻首。胝却竪起指。童子忽然領悟。
胝將順世、謂衆曰、吾得天龍一指頭禪、一生受用不盡。言訖示滅。
三 倶胝(ぐてい)、指を竪(た)つ
倶胝和尚、凡そ詰問有らば、唯一指を擧ぐ。
後、童子有り。因みに外人(がいにん)問ふ、
「和尚、何の法要をか説く。」
と。
童子も亦、指頭を竪つ。
胝、聞きて、遂に刃(やいば)を以て其の指を斷つ。童子、痛みを負(お)ひ、號哭して去る。
胝、復た之を召す。 童子、首(かうべ)を廻らす。 胝、却りて指を竪起(じゆき)す。童子、忽然(こつねん)と領悟す。
胝、將に順世(じゆんせ)せんとするに、衆に謂ひて曰く、
「吾、天龍一指頭の禪を得るも、一生、受用して盡きざる。」 と。言ひ訖(をは)りて、滅を示す。
682 :
チゥ(* ^)(◎o◎)ポッたん ◆oOmXnN8feI :2011/09/18(日) 02:10:47.76 ID:j/Z2UqWD
十 清税弧貧
曹山和尚、因僧問云、清税弧貧。乞、師賑濟。
山云、税闍梨。
税、應諾。
山曰、青原白家酒、三盞喫了、猶道未沾唇。
十 清税(せいぜい)孤貧
曹山(さうざん)和尚、因みに僧、問ふて云く、
「清税孤貧、乞う、師、賑濟(しんさい)したまへ。」 と。
山云く、
「税闍梨(ぜいじやり)。」
と。
税、應諾す。
山曰く、「青原白家(せいげんはつか)の酒、三盞(さんさん)喫し了りて、猶ほ道(い)ふや、未だ唇を沾(うるほ)さず、と。」
683 :
チゥ(* ^)(◎o◎)ポッたん ◆oOmXnN8feI :2011/09/18(日) 02:15:28.47 ID:j/Z2UqWD
十一 州勘庵主
趙州、到一庵主處問、有麼有麼。主、竪起拳頭。州云、水淺不是泊?處。便行。又到一庵主處云、有麼有麼。主亦竪起拳頭。州云、能縱能奪、能殺能活。便作禮。
十一 州、庵主(あんじゆ)を勘す
趙州(でうしう)、一庵主の處に到りて問ふ、「有りや、有りや。」 と。
主、拳頭を竪起(じゆき)す。
州云く、「水淺くして是れ?(ふね)を泊する處にあらず。」 と。
便ち行く。
又、一庵主の處に到りて云く、「有りや、有りや。」 と。
主、拳頭を竪起(じゆき)す。
州云く、「能縱能奪(のうじゆうのうだつ)、能殺能活(のうさつのうかつ)。」 と。
便ち禮を作(な)す。
684 :
チゥ(* ^)(◎o◎)ポッたん ◆oOmXnN8feI :
十三 徳山托鉢
徳山、一日托鉢下堂。見雪峰問者老漢鐘未鳴鼓未響、托鉢向甚處去、山便回方丈。峰擧似巖頭。 頭云、大小徳山未會末後句。
山聞令侍者喚巖頭來、問曰、汝不肯老僧那。
巖頭密啓其意。山乃休去。
明日陞座、果與尋常不同。
巖頭至僧堂前、拊掌大笑云、且喜得老漢會末後句。
他後天下人、不奈伊何。
十三 徳山の托鉢(たくはつ)
徳山、一日托鉢して堂に下る。
雪峰(せつぽう)に、「者(こ)の老漢、鐘も未だ鳴らず、鼓も未だ響かざるに、托鉢して甚(いづれ)の處に向かひてか去る。」
と問はれて、山、便ち方丈に囘(かへ)る。
峰、巖頭に擧似(こじ)す。
頭云く、「大小の徳山、未だ末後(まつご)の句を會(ゑ)せず。」 と。
山、聞いて、侍者(じしや)をして巖頭を喚び來らしめ、問ふて曰く、「汝、老僧を肯(うけが)はざるか。」 と。
巖頭、密(ひそか)に其の意を啓(もら)す。
山、乃ち休し去る。
明日(みやうにち)、陞座(しんぞ)、果して尋常(よのつね)と同じからず。
巖頭、僧堂の前に至り、掌(たなごころ)を拊(ふ)し、大笑して云く、「且らく喜び得たり、老漢、末後の句を會せしことを。
他後(ただ)、天下の人、伊(かれ)を奈何(いかん)ともせず。」