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339渡海 難  ◆Fe19/y1.mI
>>232
 地獄に落ちるとはどういうことか。正統派の仏教の説明をしたいと思います。

 親鸞は、教行信証で、涅槃経という古い経典の一部を引用しています。父王を殺し、母后を幽
閉し、クーデターで王位を奪った阿闍世王と釈尊との対話です。阿闍世王は、釈尊と同時代に生
きた歴史上の人物で、クーデターも歴史上の事実だったそうです。
 阿闍世王は、父を殺し、母を幽閉したことを非常に悔い、自分は地獄に堕ちるんじゃないかと
心配しています。釈迦は、次のように言います。

 大王、たとえば涅槃は非有・非無にしてまたこれ有なるがごとし。殺もまたかくのごとし。非
有・非無にしてまたこれ有なりといえども、慙愧の人はすなわちすなわち非有とす。

 阿闍世王よ。悟りというのは有るとも言えない。無いとも言えない。その上で、悟りは存在す
る。殺すというのも同じようなことだ。人殺しというのは有るとは言えない、無いとも言えない。
確かに人殺しというのは有るのだが、慙愧の人に対しては、人殺しは無いと言うべきなのだ。
 慙は天に恥じること、愧は地に恥じること。慙愧とは、人殺しをした人がその行為を心から後
悔していることを言います。人殺しをしても、心から後悔している人に対し、お釈迦様は、人殺
しは存在しないといいます。

 無慙愧の人はすなわち非無とす。果報を受くる者、これを名づけて「有」とす。

 無慙愧の人つまり、人殺しをしても全く後悔しない人、そういう人には非無、つまり人殺しは
存在する。人殺しという事実はあるんだぞと教えるということです。人殺しを行っていれば、そ
の報いつまりお釈迦様から指弾を受けなければなりません。お釈迦様から指弾を受けるという報
いを受けなければなりません。地獄に堕ちるとは、お釈迦様から激しい指弾を受けるという意味
です。地獄に堕ちるぞと、そのように指弾を受けます。人殺しは有るとはそう言う意味です。

 空見の人は、すなわち「非有」とす。有見の人は、すなわち「非無」とす。
340渡海 難  ◆Fe19/y1.mI :2011/07/10(日) 14:56:05.91 ID:x3ylNZDZ
 空見の人、つまり非常に軽薄で、人殺しを平気で行う人は、人殺しなど関係ない、殺(やっ)
ちゃえ、殺(やっ)ちゃえ、と言います。有見の人つまり、非常にこだわりの強い人は、いつま
でもいつまでも過去の不幸を引きずります。こういう人は、人殺しがあればそれから離れること
ができません。両方とも間違いでしょう。

 有有見の者は、また名づけて「有」とす。何をもってのゆえに、有有見の者は果報を得るがゆえ
に、無有見の者はすなわち果報なし。常見の人はすなわち「非有」とす。

 有有見の者つまり、いつまでもいつまでも過去のしがらみから離れられない人、こいう人には
人殺しがあれば、その結果(果報)をずっと引きずります。無有見の者つまりそのしがらみを離
れられる人は、その結果(果報)をいつまでもいつまでもひきずることはありません。ものごと
を落ち着いて冷静に見られる人つまり常見の人は、しがらみから必ず解放されます。つまり果報
はありません。

 無常見の者はすなわち「非無」とす。常常見の者は「無」とすることを得ず。何をもってのゆ
えに、
 ものごとを冷静に見られない人つまり無常見の者は、いつまでもいつまでしがらみを引きずり
報いを受けます。

 常常見の者は悪業果あるがゆえに、このゆえに常常見の者は「無」とすることを得ず。
 常見を常とする人、つまり冷静な判断というものにいつまでもいつまでもこだわり、冷静な判
断というものにむしろ凝り固まる人は、悪い結果を生む。冷静な判断というものに凝り固まる人
は、報いがないとは言えない。

 正法を誹謗する者は地獄堕ちる。正しいことを言おう。間違ったことを言うのは止めよう。そ
う思っている人には、報いつまり地獄はありません。そう言う人に本質的に地獄は存在しないと
いうのが仏教の教えです。正しいことを言おう。間違ったことを言うのは止めよう。そう思って
いる人に、あたかも地獄があるかの如く教えて恐怖を煽るのは、決して仏教ではありません。
341ひみつの検閲さん:2024/12/23(月) 17:59:41 ID:MarkedRes
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削除日時:2012-11-11 10:38:47
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342渡海 難  ◆Fe19/y1.mI :2011/07/10(日) 17:17:48.19 ID:x3ylNZDZ
 釈迦の思想は非常に合理的です。現代司法の考えでは、故意犯は重く罰し、過
失犯は軽く、不可抗力は無罪とします。罪を認め、進んで自白し、謝罪すれば情状
酌量されます。
 紀元前4,5世紀に発した仏教の正しい地獄観は、恐らく1,2世紀頃の古代にお
いてローマ法に影響を与え、人類の普遍的な刑法価値観の基礎になっているので
はないか。そんなふうに考えます。