仏教 議論スレッド 12

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175神も仏も名無しさん
>>171>>173
幾つもあるポイントのひとつは、
「私は(自分は)○○です」や「私は(自分は)○○します」とか「私は(自分は)こう思う」とか言う時は
使用しないんですよ。そういう時は代名詞の「ahaM」なわけです。
「Atman、attA」は、純然たる名詞として用いられるわけです。
それはつまり、常に、「特別な意味合いが付与される」或いは「差異化して意味合いが強調される」時なのです。
 *(ちょうど日本語で「自己」が特殊な意味を帯び、上記のような構文としてはあまり用いられないように・・。
  「自己を見つめ直せ!」とか「自己保身、自己犠牲」とか、或いは「自己完結型(のボランティア)」とか
  「自己とは何か」とか「自己と自我に違いを設けたり」とかetc.etc.)
同じように、「Atman、attA」が、大切なもの、依る辺とすべきものとして述べられている文言が実際にある。
この辺の整合性の取り方に、個々それぞれのスタンスが反映されたりもするw

残された文献と伝承してきた比丘の言葉以外には手がかりがない以上、
そこからの「文脈的類推」(と追体験・相似体験)しかないでしょう。