901 :
神も仏も名無しさん:
ただいま
輝面比 : 99.999%
902 :
神も仏も名無しさん:2011/03/20(日) 02:51:04.45 ID:1jgRvUhF
やっふーい!
輝面比 : 100.000%
輪霊
此処に
存在を
示さん
ある日のテレビで「女芸人」が聴視者を笑わせようと工夫していました。私は息を一つ吸い、一つ吐きました。
またある日のテレビで「ご遺体の見つかった車にはスプレーで×印をつける」という説明をしていました。私はまた息を一つ吸い、一つ吐きました。
またある日の掲示板には壊れた原発に挑む自衛隊の方々への賞賛や感謝の言葉が綴られていました。私はまた一つ吸い、一つ吐きました。
地震以降、怖い思いがふとよぎります。ごく軽いPTSDの症状かもしれません。私はまた一つ吸い、一つ吐いています。
被災は終わっていない。
だけど東京やマスコミでは終わったことになってしまった。
この現実逃避の異常さが気持ち悪いよ。
バブルのときもそうだし、サリンのときのそうだ。国民全体が、いまある危機を見ない。
被災は終わっていない。
マスコミが放送しないから被災を気にしてないのはゆとりだけ位だろ
906 :
素人A:2011/03/20(日) 08:56:25.39 ID:mjxvensK
そうやなあ。テレビ等が平常に復旧して元通りになれば私の周りでも平常になる
情けないなあ私は流されているだけか。水に流すことも出来ない事までドンドン
復旧する。自分の周りに津波が来てないからそうなるのかも。自己というものは
あるのやら環境に流される自己を眺めるあーあしょうがない自分色色な自分を
身ながら何かいていいのやら、あーあとみんなため息つこう、昨日は付近心にも
酒飲みで今は二日酔いだ、
>>888 結局自分の言う事は絶対正しいって言いたいだけのようですね、尊師様。
鬼和尚はいつも、わしを疑うのじゃ、と言っているよ。
どの言葉を己の血とし、肉とするかは己が決める。
犀の角のようにただ独り歩め。
心はあるがままに受け入れる。
それから、実践をすればいいよ。
めっちゃ放送してんやん。
お国はどちら?
中二病患者は好きに悪の道を行きたまえ。自己責任でな。
>>908 鬼は言う事しょっちゅう変わるからね。
それを方便と取るか詭弁と取るかはそれを見た人次第。
本当の意味で疑ってみてるのかね君は?
鬼やそのシンパがよく使う犀の角とかの比喩表現もいわゆる演出だろ。
何かを他人に伝えたいなら、経典にそう書いて有るからってそのまま使うんじゃ無くて、
普通の人にも伝わ言葉を使わないといけないよ。
犀が独りで歩いてる姿を君は見た事あるのかね?
>わしは始めの頃から人の性に合わせてさまざまに導き方を変えておる。
>目覚めた者は常にさまざまな手段で衆生を導く事を考え行うのじゃ。
>やはりわしの書いた通りじゃな。わっはっはっは。
俺はこういう書き込みが鬼の正体をよく現してると思うけどね。
見る側の心が映ってるだけだから、自分を信じるしかないよ。
>>912 それで見た事も無い犀の歩く姿を、経典に書いてあるからと言って引用するんだな。
君は本当に自分を信じてるんだろうか?
泳法をいくら本で学んでも泳げるようにはならん。
経典を初心者に手軽な説明するのはまったくためにならん。
経典は見たことがないけど、昔、宗教の授業で教師が言ってた。
その時は、ピンとこなかったなあ。
でも、犀は角を前にして進む、ってのが気に入ったw
サイの角も自分より優れた者がいないときという条件付き。
経を断章して乱用すべきでない。
なんだ、マハラジかぶれだったのか
>>917 自分より優れたものや劣ってるものってのは誰が判断するんだい?
別に犀の角なんかって比喩表現を使わなく立て、一人で進めで十分だろう
犀の角になるより、教祖になるのが一番簡単だよ。
考えることもない、釈迦やシャンカラ、ニサルからなにか引用すれば、アホが集まるw
>>540
ならば自分の意見とどうどうと主潮すればよい。
誤った経典の引用は己の信用をうしなうだけ。
>>921 自分の言葉で伝えれば良いだろう。
君はどっかの宗派の布教活動をしてるのかね?
犀の角は、誰にも依存しないということだよ。
自分で起こした疑念の解決は、釈迦でさえ邪魔になる。
そんな話をしてるのかね?
俺は自分の意見を言えと自分の意見を言っていないかね?
>>925 ああ、ちゃんと読んだら俺の読みまちがえだった。
俺と同じような意見をわざわざ言ってくる訳無いと言う先入観が働いたようだ。
俺もまだまだ修行が足りないな。
すまなかった。
うちの三才の息子は暗い声で思いは見えないけど思い遣りは見えるって言い続けてる。
怖い・・・・
九官鳥として育てろ
930 :
神も仏も名無しさん:2011/03/20(日) 19:40:01.32 ID:VVjMLwxR
816です。
ラーメンと腹痛以外でも不思議なことがありました。
夢の中で自分が消える夢です。
空港のラウンジから窓ガラス越しに飛行機を眺めていたら、窓に映る
自分の顔を見た瞬間急に自分が自分でなくなる感じがしました。
咄嗟に「なにこれ?やばい!」と思い夢が終りました。
鬼和尚さんこれも厭離ですかね?
>>889 おぬしがあると思えばある。無いと思えば無いのじゃ。
>>892 おぬしは達成する事を目指すというイメージを持っているようじゃのう。
>>881をよく読むのじゃ。ダンマパダ 50もおすすめじゃ。
わっはっはっは。
>>903 いい事じゃ。実践が全てじゃ。
>>907 わしにだまされてはいかんのう。もっと疑うのじゃ。
>>911 いかすことをいうのう。なんし゜ゃわしか。わっはっはっは。
>>930 それは自分が無いと言う体験を夢で予感したようじゃ。
まだ己が無くなると言う事を恐れているのが判るのじゃ。
次は恐れずに観るのじゃ。
自分が無くても意識はあるのじゃ。
今まで自分と思っていたものは、偽りの自我に過ぎないものなのじゃ。
例えばこんな風だな。
地震兵器を開発する億以上の金をかけなくても、それをあると思い込ませる情報操作の費用さえあれば事が足りる。
日本人の世間も安くみたれたものだ。
934 :
神も仏も名無しさん:2011/03/20(日) 20:18:34.96 ID:VVjMLwxR
816です。
夢で予感したということは、自分が持つ無我のイメージを
再生したに過ぎず結局は妄想の範疇で体験したことではないと?
或いはこのまま座禅を続ければ暫くの内に再び直面しうる体験なのでしょうか?
矢継ぎ早で恐縮です。
夢で見ただけで満足できるのって
うらやましいな。
ゲームや映画で虚しさを感じてそれほど楽しめないんだが。
>>926 引用する経文がないなら
己は仏に等しいという増上慢になるよ
恐々謹言
>644 名前:ろん[sage] 投稿日:2011/03/12(土) 00:49:30.39 ID:CzIA9BFd
>
>>643 >バカやろ、周期的に起こるもんを天罰とか言うから変な宗教がはびこるんだよ。。
こんな事言ってる奴が避難所で陰謀がどうたらこうたら言ってるよ
それはどのような経典のどの部分を引用したので?
まあ俺にはそれほどの器が無い。
オカルトごっこに興じる子ども心さえ理解しないのだ。
自らを空しくして他人を容れる器があればこそ全てが来たるが如し。
ましてや泥まみれの中でさえ上座部より清廉な心の蓮の華を咲かすなど
無理な相談だ。
941 :
神も仏も名無しさん:2011/03/20(日) 22:11:54.01 ID:P5DVpdOD
頼れるのは空のみ
人間はバカだから金とか地位とか家族とか間違ったものに頼っちゃうんだよなw
942 :
ろん:2011/03/20(日) 22:49:49.97 ID:WyM7BzEM
>>938 だからどうした?
オレが何を言うかそんなに気になるのか?
943 :
神も仏も名無しさん:2011/03/20(日) 23:44:44.98 ID:nnQyU52G
>>942 >だからどうした?
www
人が何を言うか気にしているのはだーれだ
944 :
ろん:2011/03/21(月) 00:10:04.08 ID:jIRUL+2u
僕は地震と原発、それらをめぐる事象に関心はあっても、バカには関心がない。。
バカには関心なくても、バカの言うことには関心があるみたいね
946 :
神も仏も名無しさん:2011/03/21(月) 00:16:43.72 ID:MpBYLwnW
いやいやいやいや
バカにされてるかもって思うと
もういてもたってもwwww
949 :
素人A:2011/03/21(月) 06:48:30.81 ID:IOclZY0j
画餅 諸仏はすでに悟りを開いているから、万物もまたすでに悟りを開いている。しかし、そうだから
といって、諸仏も万物も、同一の性というものではなく、同一の心というものでもない。同一の性で
もなく同一の心でもないが、悟りを開くときは、相互の悟りがさまたげ合わず実現する。実現する
ときは、その実現が互いに触れ合うことなく現われてくるであろう。これこそ、仏祖の端的な生命で
ある。けっして同一とか相違とか思い測ることを産学の力量と考えてはいけない。それゆえ「一法(一
つの事象)わずかに通ずれば万法(すべての事象)通ず」と言われている。ここにいう「一法に通ず」とい
うのは、一法のこれまでの様子を奪い去つてしまうのではない。また一法を万法と対立せしめるの
でもない。あるいは逆に、一法を万法に対立せしめないようにするのでもない。対立せしめない
ようにするのは、一種のさまたげにほかならない。そうではなく通ずることにおいて。通ずることを
さまたげなくするするときに、一通がかはわち万通となる。一通というのはすなはち万法である。
一法に通じることが、そのまま万法の通じることでもある。
発電所の電線も繋がったようで一安心だ。
神仏の存在に囚われると、自由でなくなる。
常にあれか、これか迷いの迷路。
全てが備わっているのに、それが信じられず、誰かに従う。
目に見えない意識の電線が縦横無尽に行き渡っている。
繋がっている安心を信じられればいいね。
スレ立て出来ない。
ごめん!
東京にはトイレットペーパーがない、
テレビで綺麗な恰好をしているアイドルも襟を立ててる政治家もケツは汚い。
ウォッシュレット乾燥機能付きorマイタオルでOK
インド人はコップ1杯の水と左手で拭くのじゃ
中国人は縄だな
次スレたててきます。
958 :
ろん:2011/03/21(月) 18:13:50.30 ID:jIRUL+2u
また漢字間違いか。。
>>934 体や意識は表面の思考よりも、何倍も多の事をわかっているものじゃ。
厭離を起こすほどに集中力が高まったおぬしに、自我を離れる瞬間を予感させているのじゃ。
自分でも解釈できるイメージでのう。
その時にまだ恐れがあることも知る事が出来るように、そのようなイメージはある。
いずれ本当に自我を離れる時が来るじゃろう。
その時は恐れずにそれに身を任せるのじゃ。
>>947 どういたしましてまたおいでなさい。
>>957 ご苦労さんじゃ。
鬼和尚さん。816です。
ありがとうございます。
また何かあったら宜しくお願いします。
961 :
素人A:2011/03/22(火) 07:13:08.32 ID:5Gqn3VlP
あるとき趙州は次のような詩を示した
「内には炊く米がなく、ただいたずらにあたりの炊飯を眺めるだけ。
饅頭や餅は、前年から口にしない。 今はただ想像して、むなしく唾をのむ。
念を集中することは少なく、なげくことが多い。
多くの雲水のなかでも、法を求めるものはいない。来るものは、ただ茶を求めに来たと言う。
茶を飲んで食うものが無ければ、怒つて去る」
そうやなあ私達も今は愚痴言うのも良いではないか あーあ お前は前から愚痴ダラケではないか。
>>957さん、感謝!
私たちも、悟りを語りに、悟りを求めてここに集う。
様々な思いが錯綜して、実りが無いと罵声を浴びせる者、まがい物であると憤慨するものあり。
来るものは、ただ茶を求めて来たと言う。
茶を飲んで食うものが無ければ、怒って去る。
目くそ鼻くそ
965 :
素人A:2011/03/23(水) 06:32:44.59 ID:8aTI3Xuv
見んなもう不動心や平常に戻ったというのに私はまだ迷っている、この正解は間違い
おしゃかにしろという人もいるし、さとるとなんか情けなくなるようでよくわからん
まあいまは色色が見えるうろうろ迷う様がある。さあとりあえずは辛い時は辛い
悲しいときは悲しい、うれしいときはうれしい、うんそうだねえ
平常なんかに戻って無いぞ。
東京でもまだ体に感じる地震が日に4〜5回は有る。
昨日は坐ってる最中に地震があったが座り続けた。
心も体もグラグラ揺れたよ。
あるがままの平常心だね。
東京には水がない。
だから氷の塊を買ってきた。
俺は水道水飲むけどね。
余は被災した者たちの涙をいただこう
牛乳なら、どこに行っても沢山残っているぞ
>>971 今都内のスーパー行ってきたけど、牛乳無いから豆乳買ったよ。
あっためて飲んだら、マズイ。
それは、すでに豆腐では?
豆乳を熱して、浮き上がった膜でつくった生湯葉も、生姜醤油でいただくとおいしい。
あまった汁に野菜や卵を入れて、お雑炊にもなる。
974 :
神も仏も名無しさん:2011/03/27(日) 02:41:03.82 ID:44s07lwS
自分に克つ
そこにいる。離れても、またそこに戻る。
テスト
鬼和尚こっちにも来てるのかな?
↑きてるのじゃ。
マリックか
おお、きてた!こんばんわ。
勿体無いのでこっちで質問させてください。
>>978 【仏教】悟りを開いた人のスレ26【鬼和尚】
91 鬼和尚 ◆GBl7rog7bM 2008/06/07(土) 21:33:46 ID:eTcLho44
(中略)
わしは毎日寝る前に坐っておる。時間は計っておらんから判らんが、数息観を眠くなるまでやるのじゃ。
観察はあまりし過ぎると、涅槃に入ってしまうから、あまりやらないが、日常で良く人々を観察をしておる。
なかなか面白いものじゃ。
昔のスレを見ているとこんな書きこみがあったのですが、
これは言い換えれば「意図的に保っている」=あえて集中している部分があるということですよね。
最近は「集中力も観察力も本来的にはいらない」というようなニュアンスの発言が散見されるので
矛盾を若干感じるのですが(TPOに合わせて「必要」「不必要」のタイミングを変えているのでしょうが)、
これは悟前の集中力の研鑽が悟後に役に立っているということになるんですかね?
>>980の
>観察はあまりし過ぎると、涅槃に入ってしまう
というのはどういうことですか?
個我を保っていられなくなるから、でしょうか?
>>980 特に集中しなくとも、習慣によって自我は保たれるのじゃ。
悟りを得た後には妙観察智が身につくのじゃ。
本当は何一つ隠さず己の本心を観る事ができるならば、観察力も集中力も要らないのじゃ。
しかし、多くの者はそうではない。
恐怖や不安から自分の本心を隠して生きて来た故に、本心を観るには観察力や集中力が必要になる。
>>981 仮の自我も無くなると彼岸に行ってしまうのじゃ。
他人と話もせず、無為に入ったまま肉体が消滅するのじゃ。
>>982 そのようなものじゃ。
984 :
馬:2011/04/03(日) 21:36:54.10 ID:aFEPB6RL
>>980 おもろい書き込みしてたんだなw
> わしは毎日寝る前に坐っておる。時間は計っておらんから判らんが、数息観を眠くなるまでやるのじゃ。
> 観察はあまりし過ぎると、涅槃に入ってしまうから、あまりやらないが、日常で良く人々を観察をしておる。
> なかなか面白いものじゃ。
やっぱ鬼のアホは、他人の観察を推奨してたんだなw
つくづくアホだな。
こんな奴が平然とダンナバカとかの話を持ち出すのは、
それらにつくづく考えが至らないから平然と出来てしまうんだろう。
都合よく話がコロコロ変わる。
しかし涅槃ってなんだ?
涅槃って所に行ったりした事でもあるのか?
涅槃って所に年賀状も出せるのか?
涅槃ってなんだ?
観察をしすぎると涅槃に入る?どういう意味だね?
観察をし過ぎると涅槃に入ってしまうからあまりやらないが・・・・・だと?
観察の推奨人らしからぬ言葉じゃのう?w
そんなもんを今まで他人に勧めておったのか?アホな奴だなぁ〜wお前は深爪でもして痛みを受けろよw
日常で人を観察しておるなんて芸能人でも趣味でしてるって奴が居るのにだなぁ〜、
自称悟り人が人間観察という行為を声を大にして言うなんてアホだって言ってるだろ。
お前はマックシェイク飲んで頭痛に苛まれろw
かと思えば、ダンナバカだの誰かの思考を持ち出したり。
ほんとそこらの意味を解って書き込みしとるのかね?
ったく大丈夫か?
985 :
馬:2011/04/03(日) 21:52:58.59 ID:aFEPB6RL
>>983 最近のお前は以前のお前より多少マシになったとは思う。
だが変な看板が捨てれない以上、自己矛盾と背中合わせなのは常なんだろうよ。
>特に集中しなくとも、習慣によって自我は保たれるのじゃ。
>仮の自我も無くなると彼岸に行ってしまうのじゃ。 他人と話もせず、無為に入ったまま肉体が消滅するのじゃ。
俺の拙い記憶では、お前には自我が無いって言ってたよな?
上記のお前の妄想にはいささか首を傾げたくなるが、
それらって己の自我が無ければ考えもつかん話だろうからなw
つくづくアホだなぁ〜w
>>983 観察によって仮の自我が無くなるということですか?
集中によってならわかるのですが、観察によってというのは少しわかりません
観察することによって自我という実体がないという意識状態にとどまってしまうからですか?
>>983 なるほど。
過去のレスばかり抽出して申し訳ございませんが、
【仏教】悟りを開いた人のスレ87【天空寺】
854 名前:鬼和尚 ◆GBl7rog7bM [sage] 投稿日:2010/11/14(日) 19:30:53 ID:5bLQFHWk
(中略)
一度己と言うものを観照し、真の悟りを得たならば、いつでも仮の自己を手放し、そこにいけるようになるのじゃ。
すでにそれが仮のものであり、滅する事も、滅する道も知っているからのう。
最初は偶発的に起こると言えよう。
己で己を観ようとして観られるものではないからのう。
戻ってしまうのはサマーディによって一時的に自分を忘れたが、しばらくすると思い出してしまうからじゃのう。
小悟とか、生悟りとか言われるのう。
真の悟りは自我を滅し、認識をも滅した状態じゃ。
それこそが大悟徹底と言われるものじゃ。
それも言葉通りではないがのう。
【相談】悟りを開いた人に聞いてみるスレ【仏教】9
693 名前:鬼和尚 ◆GBl7rog7bM [sage] 投稿日:2010/08/05(木) 20:02:58 ID:Y76jk/0f
(中略)
真の悟りを知らず、サマーディで止まっていると、努力してその状態を維持していかねば直ぐに戻ってしまうのじゃ。
どうやら、僕は小悟の中でのノウハウを聞いていただけみたいでした。
サマーディの中でまだやることがあるみたいですね。
どうもありがとうございました。
悟りの本質は
百万人死んでもどうでもいい
これだけだ すでに奥義は示された。
↑ あ、そぉ。
>>986 仮にでも、もとからでも自我がある状態とは、心身のいずれかについて、その主体が我であると誤って見なしている状態なのじゃ。
強い集中によって心の動きを全て止め、それを観る事で滅する事ができる。
観察によって誤ってなにものかを己と見なしていると、直接見る事でも滅する事もできる。
例えば間違った動きをしている機械があるとしよう。
それを治すのに機械を一度止めて間違いを直すか、止めずに間違った部分だけを治すかの違いとも言えるじゃろう。
心は一度、動き始めると自動機械のように、自らその動きを是正する事が出来ないのじゃ。
一度止めるのは集中の道であり、間違いだけを直すのが観察の道と言えよう。
どちらにしても自我という誤って生じる幻影を、それが間違いであると観る事になるのじゃ。
>>987 どういたしまして、またおいでなさい。