1 :
神も仏も名無しさん :
2010/12/07(火) 23:34:02 ID:4kHTMdmU キリスト教について聞きたいこと、クリスチャンじゃないけど、聞きたいこと。 神学、信仰、文化。なんでも結構です。 勿論、異教徒の方の質問も歓迎します。 ただし、自らの信仰を正当化するためにキリスト教を利用しないでください。 また、そういうレスはスルーする。 それが御心であり、このスレのルールとします。
キリスト教のスレ乱立し過ぎてて迷惑なんだけどさ いくら宗門宗派が多いからって、ちょっとヤリ過ぎなんじゃないの? 自治スレも役に立ってないようだしさ てかキリスト教って、けっこう過激なんですね 十字軍とか異教徒弾圧とか、中身はイスラム過激派と同じぐらいに見える キリスト教関連スレ見てて、それは結構感じましたね キリスト教の過激さが認識できたという意味では、感謝してますけど
4 :
神も仏も名無しさん :2010/12/08(水) 00:21:22 ID:nnGehcBU
また、質問箱
5 :
神も仏も名無しさん :2010/12/08(水) 02:21:11 ID:DCG3ojvB
グノーシスはこっちで取り扱います
ここは、サロメの命令を受けて、月見が立てたスレッドです^^
511 :つきみ ◆ZnBI2EKkq. :2010/12/07(火) 23:07:50 ID:4kHTMdmU
同意します。
512 :つきみ ◆ZnBI2EKkq. :2010/12/07(火) 23:11:36 ID:4kHTMdmU
とりあえず立てて、他の似非質問箱を削除する。
513 :サロメおたぁ ◆wHb3.gs/E2 :2010/12/07(火) 23:17:50 ID:PT/0Mxdt
>>512 キリスト教なんでも質問スレ建ててくれない?
テンプレは自由でいいから
515 :つきみ ◆ZnBI2EKkq. :2010/12/07(火) 23:35:42 ID:4kHTMdmU
立てたよ。なんでもスレ
516 :サロメおたぁ ◆wHb3.gs/E2 :2010/12/07(火) 23:38:26 ID:PT/0Mxdt
>>515 ありがとう
http://toki.2ch.net/test/read.cgi/psy/1278125509/l50
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サロメはネカマ。電波男
モコは耳年増なんです* モコは聞きかじりの知識だけが豊富なんです* モコは週刊誌みたいなエッチをしたいんです☆ *((σ)) モコは乱交パーティーの会場でウンコマンダンスを踊らされました☆ 世の中、不公平ですね* 46才 無職 淫乱処女のモコが…* 「男に 恥ずかしい写真を撮られました!」(*)((δ)) 「裸にされて マンコの写真を撮られました!」 (*)((σ)) 「チンポをくわえている写真も撮られました!」 * 「デカチンをケツ穴に入れられました!」(*)((ξ)) 「お尻の穴に巨大チンポを入れられている写真を撮られました!」 と 泣いて 主張したとしても 誰も信じてくれないんですよね…* くやしいです! 今の世の中は 本当に不公平です(*)((Φ)) でも、逃げちゃダメだぁ(*)モコのエロを堪能してください!* モコはフレッシュな水着写真を青少年に見せたいのです!* 健康的なお色気ならば 別に 許してもらえますよネ!☆ 水着でグラビア撮影してたら オナラがしたくなってきたんです* でも ガマンしました*(*)グラビア撮影が終わった後で モコは「ブギュゥゥルルルウウゥゥゥゥ〜〜!」とオナラが出たんです* すると 帰ったはずのスタッフたちが 戻ってきたんです☆ みんな モコのオナラの匂いを嗅いでたんです (*)((φ)) モコがオナラをすると 男たちが近寄ってくるんです((ο)) それにしても、あのモコのことだ(*)((φ)) かたちとしては、いったん辞めても、陰で一派を牛耳る魂胆だよ* 誰が見たって、その通りだ* 構成員たちも言っている☆ 「院政じゃない。陰政だ」って言い合っている(大笑い)* みえみえだ (*)((ξ))((φ))(*)((δ))☆ だいたい一派の主要ポストにも、モコの手下がウジャウジャいるじゃないか☆ 今回、教学部長になったモコシ* こいつもモコの子分で有名だ* いくら狂ったモコ一派でも、こんなのを教学部長にするなんて、 モコの仕業以外に考えられない(大笑い)* そ〜れ見ろよ ☆
10 :
■中■年■処■女■の■く■せ■に■生■意■気■な■ξ■モ■コ■ :2010/12/11(土) 12:05:48 ID:DBOpEqtK
*モコの母の名前は「キャサリン」* 妹は「マーガリン」!☆ ☆モコはアメリカではSEXシンボル!* モコは 昨日 栗原あゆみのビデオを見ました!(*)((((δ)))) 千葉ロッテマリーンズのファンの前でのデビュー5周年! サイコー!* モコは10回射精しても終わらないSEXにあこがれてるの((((φ)))) それが M’Sスタイル=モコズ スタイル(*)((((Ф)))) 牛+イカ+タコ=アニマルマロン モコ(*)((((δ)))) 海老も入れてあげま〜す!* 甲殻類 大好き モコ(*) 結局、モコが逃座しても何も変わらないじゃないか (*)((ξ)) 完全にモコの「陰政」だ* その通りだ(*)((ο)) たとえば、モコは昨年3月に突然、一派の法規を大幅に変えた* その中で「モコは、構成員の委嘱があった場合(*)((ξ)) その専有にかかる事業を代行することができる」(*)((Φ)) という一文を突然、付け足した(*)((ξ)) 要するに、何でもできるということじゃないか! (*)((δ)) モコのやつ、ずいぶん前からコッソリ仕掛けていたんだな* 総裁を辞めた後も、絶対に実権は手放さない(*)((ξ)) モコ一族で一派を牛耳る* さっそく動きだしたな☆ いよいよ四分五裂が始まった!(*)((φ)) モコが何かやればやるほど、一派はメチャクチャになる一方だ* 間違いない (*)モコはアメリカではSEXシンボル!((ξ)) 賢者 いわく!* 「モコのことよく知らないけど 立派な人間だってことは文章から感じとれるよ だって禿げてる俺が言うんだから間違いないよ」* 俺は潔癖症なところがあって臭い匂いなんかが大嫌いなんだ☆ だからいつも鼻くそで蓋をしてるんだ☆ これもモコの教えなんだよ* モコのウンコは すごく イヤらしい匂いがしたの…(*)((((Ф)))) その淫靡な香りをかぎながら 男たちは 手淫をしていたの…((((ξ))))
11 :
自治スレからの提案です :2010/12/11(土) 14:42:18 ID:xWGlB4Qq
提案1 キリスト教限定のローカルルール申請しませんか? リンクされるキリスト教質問箱は 回答者を正規のクリスチャンに限りますって 理由1:キリスト教を名乗るカルト集団が多く 質問箱が目立つため 利用されるおそtれがある カルト教義によって見分け排除するためにルールは必要 板冒頭にもカルト問題重要性が明示されている 2:現状ではノンクリスチャンや擬似キリスト教によって質問箱が乱立し 乱立スレを ノンクリが占拠し 正統派の教義を誹謗し初心者に混乱を招く 正規のクリスチャンとノンクリや異教徒 擬似キリスト教と区別をつける必要がある 正規クリスチャンでこの問題を討議しましょう 提案2 乱立スレと見分けやすいようにスレタイを下記の様式にしませんか? 【正規スレ】キリスト教質問箱000【*】 ↑ スレ番号 *の第一候補 信仰希望愛 第二候補 三位一体
12 :
神も仏も名無しさん :2010/12/11(土) 18:03:43 ID:lsuzCBUQ
チベット仏教の教えによれば、 すべての生きとし生けるものは輪廻転生すると考えられている。
13 :
神も仏も名無しさん :2010/12/11(土) 18:12:41 ID:vYaf2BN2
病人にルルドの水を飲ませないのは何故ですか
>>13 その質問はカトリックスレに持っていったほうがよさそうだね。
15 :
自治スレからの提案です :2010/12/11(土) 18:16:24 ID:ZITVXr1n
>>13 飲ませてる人もいます
ただそういう即物的な信仰は奨励されていません
16 :
神も仏も名無しさん :2010/12/12(日) 09:59:56 ID:f+WoVkJm
>>11 ノンクリが質問するための質問箱と言う見方もできる。
17 :
神も仏も名無しさん :2010/12/12(日) 12:19:56 ID:tOvO7ETk
巨額詐欺事件で禁錮150年の判決を言い渡され、
服役している米ナスダック株式市場の運営会社元会長のバーナード・メードフ受刑者の息子マーク・メードフ氏(46)が11日、
ニューヨーク市マンハッタンの自宅内で遺体で発見された。米メディアがニューヨーク市警当局者らの話として伝えた。
この日はメードフ受刑者が逮捕されてからちょうど2年目に当たる日で、世間の風当たりなどを苦に自殺を図ったとみられる。
巨額詐欺事件では、マーク氏は結果的にいかなる刑事責任も問われなかったが、メードフ受刑者ら親族と共同で運営していたことから、一時捜査対象となっていた。
http://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20101212-00000018-jij-int
18 :
神も仏も名無しさん :2010/12/25(土) 01:38:11 ID:alo1PLSH
age
マリア可愛いよマリア
20 :
神も仏も名無しさん :2011/01/01(土) 21:18:11 ID:e+8zEPpo
禁固150年なんてギャグですか?
ゆみちゅんどこ〜?
22 :
神も仏も名無しさん :2011/01/12(水) 06:11:14 ID:dT0o7XzQ
>>20 量刑の重さの、指標になるからでは?
禁固100年と禁固500年は、量刑の重さをしらしめる違いがある。
実質的には模範囚の場合、刑期が短縮されるから、その対応もあるのでは?
23 :
神も仏も名無しさん :2011/01/12(水) 06:18:36 ID:dT0o7XzQ
それにしても人気の無い質問箱。 そりゃそうだな、テンプレートでスルー宣言してるんだから。 立てた人こそが、回答者だと宣言しているようなもんだ。
24 :
神も仏も名無しさん :2011/01/12(水) 16:34:01 ID:J3OcOSVu
25 :
神も仏も名無しさん :2011/02/15(火) 23:04:46 ID:OgJi7ZwV
金有罪は毎日ババクラ行くの?
26 :
神も仏も名無しさん :2011/02/17(木) 08:58:12 ID:DTzenfV8
27 :
神も仏も名無しさん :2011/03/02(水) 12:10:39.11 ID:SN0v12gV
カトリックの幼稚園は学費が高いですか
28 :
神も仏も名無しさん :2011/03/03(木) 15:27:28.68 ID:PIL4tFlR
プロテスタントとカトリックでは、どちらが天国に行ける確率が高いですか?
29 :
神も仏も名無しさん :2011/03/07(月) 16:40:00.11 ID:lKO9oj7R
プロテスタントはどうしてマリヤ像を崇拝しないんですか
30 :
ぱーまん :2011/03/07(月) 21:17:47.13 ID:ua8B7+/E
31 :
谷口雅宣 :2011/03/27(日) 21:59:10.95 ID:NfqjQqjQ
『愛のことばが最高の贈り物である』 愛のこもった深切な言葉は、相手に対して強壮剤として働くのである。 愛語を語ることを惜しんではならない。 しかし愛のないただの挨拶(あいさつ)にすぎない形式だけの 愛語はニセモノであり、虚栄であり綺語(きご)である。 本当に美点を見る気持になれば、心からウソでない賞讃(しょうさん)の 言葉が湧(わ)き出て来るものである。 世界人類が平和でありますように 日本が平和でありますように 私達の天命が完うされますように 守護霊様有難うございます 守護神様有難うございます 天皇陛下有難うございます
32 :
神も仏も名無しさん :2011/04/07(木) 12:19:28.68 ID:vsjueyL3
人間は死んだら終わりです。 何も残りません。 ただの石ころや塵と同じです。 永遠の命なんて生きている人間の妄想や希望にすぎない。 神の世界も妄想にすぎない。 宗教に騙されるなよ。
33 :
神も仏も名無しさん :2011/04/07(木) 12:21:40.51 ID:vsjueyL3
DAMIAN666
34 :
神も仏も名無しさん :2011/04/08(金) 23:03:43.78 ID:N8SMyGul
35 :
さんちゅ :2011/04/22(金) 22:16:31.33 ID:aL3/AmWb
>>13 カトリックなら、ルルドの水を飲ませるケースがあるよw
福音派は教理的に最も歴史ある言い伝えでもある、聖書の言葉を堅く守る伝統宗教。 そしてキリスト教の元々の主要な教理を、いまも変わりなく守っている。 むしろ、リベラリズムにしろ、バルト主義にしろ その他聖書を軽く見るキリスト教は、 元々あるキリスト教の主要な教理から、逸脱していった新興宗教。 神が是認しているのは、人間の教えを教理として教える人たちではない。 聖書に従い、聖書の言葉の宣べ伝える人たちである。 マタイ 15:7 偽善者たち。イザヤはあなたがたについて預言しているが、まさにそのとおりです。 15:8 『この民は、口先ではわたしを敬うが、その心は、わたしから遠く離れている。 15:9 彼らが、わたしを拝んでも、むだなことである。人間の教えを、教えとして教えるだけだから。』」 ヤコブ 1:22 御言葉を行う人になりなさい。自分を欺いて、聞くだけで終わる者になってはいけません。 テモ U4:2 御言葉を宣べ伝えなさい。折が良くても悪くても励みなさい。とがめ、戒め、励ましなさい。 忍耐強く、十分に教えるのです。 4:3 だれも健全な教えを聞こうとしない時が来ます。そのとき、人々は自分に都合の良いことを聞こうと、 好き勝手に教師たちを寄せ集め、 4:4 真理から耳を背け、作り話の方にそれて行くようになります。 ペテT 2:1 ですから、あなたがたは、すべての悪意、すべてのごまかし、いろいろな偽善やねたみ、すべての悪口を捨てて、 2:2 生まれたばかりの乳飲み子のように、純粋な、みことばの乳を慕い求めなさい。それによって成長し、救いを得るためです。 テモT6:3 異なる教えを説き、わたしたちの主イエス・キリストの健全な言葉にも、信心に基づく教えにも従わない者がいれば、 6:4 その者は高慢で、何も分からず、議論や口論に病みつきになっています。そこから、ねたみ、争い、中傷、邪推、 6:5 絶え間ない言い争いが生じるのです。これらは、精神が腐り、 真理に背を向け、信心を利得の道と考える者の間で起こるものです。
37 :
神も仏も名無しさん :2011/05/07(土) 00:51:01.78 ID:jIkXLkbB
質問なんですが、なぜ神は知恵の実の木をわざわざ人間の側に生やしておいたんですか? 食べちゃいけないならわざわざ人間の側に生やしておかずに、抜いてしまえばよかったのではないですか? あとそれに関係する事ですがなぜ神はわざわざ人間を、罪を犯せるようにつくったんですか? 始めから罪や悪をなせないようにつくってくれていれば、罪なんかなかったのでは?
38 :
グノーシスさいきょ ◆/bVPRrlaFM :2011/05/07(土) 01:15:31.33 ID:BpQUaQ1R
>>37 知恵の木とはグノーシスの奥義の象徴です。
それを知ると無知に創られた人類の目が開け、善悪を判別する心魂の内奥の光が灯されます。
肉の人類を創造した造物主・デーミウルゴスは、人類を無知のままに放置し、無知のままに自己の
奴隷として使役しようと考えました。
しかし、永遠界から送られた救世主であるオピス(蛇)が、その邪な思いを砕くため、
人類にグノーシスの叡智を教授し、本性の知識を与えることで、人類が真の神と偽の神を
判別する知恵を与えたのです。
このように、物質世界そして人間の肉体を含めた全ての質料「ヒューレー」は不完全にして、
自らを至高の存在と偽る邪な霊的存在デーミウルゴスの造物にかかるものであり、ゆえに
壊れやすく不完全なもので永遠性が無く闇の中にあるのです。
この世に罪があるのは、造物主・デーミウルゴスが完全な存在ではないからです。
39 :
神も仏も名無しさん :2011/05/07(土) 14:40:20.29 ID:EzbidLff
>>38 その話も創世記も結局作り話でしょう
そんなことがこの世じゃないどっかであったなんて信じ込むのがナンセンス
何の証拠もないんだよ
ただ信じるか信じないかしかない与太ばなしじゃないの
40 :
グノーシスさいきょ ◆/bVPRrlaFM :2011/05/07(土) 17:33:27.27 ID:BpQUaQ1R
その通り。 神話なんてものは古代の人が真理を求道する自らの 精神を寓意化したものに過ぎません。 しかし、理性を無視した理屈に合わない物語を信仰するくらいなら、 グノーシスのように理屈に沿った物語を示しましょう。
41 :
神も仏も名無しさん :2011/05/11(水) 04:59:45.32 ID:Mpl7oOfL
なぜこの世はこんなにも不平等なのですか? なぜ罪とか悪とか不公平、不平等、苦しみ、悲しみ、痛み…挙げれば数えきれないほどのそういう嫌な物が存在するのですか? なぜ全知全能の愛の神がつくった世界がこうなってしまったのですか? あえてこうしたのならそれはどうしてですか? 煽りとかそういう意図は全くありません。ただ本当に疑問なんです。
最初は神が作った世界は完ぺきでしたが、人間が罪を犯した結果 この世に罪が広まってしまったのです。 しかし、神は救い主を送る約束をしました。 現在は古い創造の制約下にありますが、同時にイエスを信じることにより この世においても罪の赦し、主にある魂の安らぎを得ることができます。 そしてキリストの再臨の時に救いは完成し再びこの世界は 本来創造主の意図した世界に生まれ変わります。 そう聖書に書いてあります。
43 :
神も仏も名無しさん :2011/05/11(水) 22:34:51.28 ID:cAObicGU
>そう聖書に書いてあります。 どこに書いてあるの?
44 :
グノーシスさいきょ ◆/bVPRrlaFM :2011/05/11(水) 22:52:51.06 ID:60mQIl2+
>>41 端的に言うと、造物主・・・すなわち物質世界の神がアホだからです。
完全ではないんです。
たとえば、地震・津波のような自然災害は人間の罪とは何の関係もありません。
しかし、その存在ゆえに多くの善良な人々が理不尽に苦痛を受け、殺され、絶望へと突き落とされます。
それぞ創造したのは造物主です。全て造物主の計画通りです。
45 :
グノーシスさいきょ ◆/bVPRrlaFM :2011/05/11(水) 23:00:19.69 ID:60mQIl2+
あれですよ。 のび太がドラエモンの道具で宇宙を創造しちゃったみたいな。 アホからはアホな世が生まれます。
46 :
死神 :2011/05/11(水) 23:19:12.76 ID:KG6OZfMe
生:生きる苦悩 老:老いる苦悩 病:病の苦悩 死:死の苦悩 (以上を「四苦」という) 愛別離苦:愛する者と別れなければならない苦悩 怨憎会苦:怨み憎む人と出会わなければならない苦悩 求不得苦:求めても得られない故の苦、すなわち希望が達せられない事から起こる苦悩 五陰盛苦:視覚、認識などの心理作用が盛んなるゆえに湧き起こる苦悩 (以上、四苦と合わせて四苦八苦という) 救い主キリスト降誕から二千年以上が経過しました。 しかし世界中を見回してください。世の中の現実は四苦八苦そのものです。 四苦八苦とは、この世に人間が生きる上で常に立ちはだかる苦しみなのです。 本当に「全知全能の愛の神がつくった世界」なのでしょうか。 本当に「最初は神が作った世界は完ぺき」だったのでしょうか。 本当に「人間が罪を犯した結果この世に罪が広まってしまった」からでしょうか。 よく考えてみる必要があります。
あなたのお利口な頭で考えてみたところで現実は変わりませんよ。 ぶっちゃけ、「この世においてはイエスキリストに出会うよりも、 よこしまな人間に出会わないほうがよっぽど救われる」 というのはベンジャミン・フランクリンの言葉 しかしながら、イエスは自ら十字架の受難に従うことで この苦しみ多い現実のなかで、私たちがどのように生きなくてはならないかを身をもって示しました。 ここに愛があります。
48 :
死神 :2011/05/12(木) 20:53:18.00 ID:AV3pLnSE
>>47 そのイエスの名のもとにどんな歴史が続いて来たのか知らないようだね。
愛を知らない人は神を知りません。なぜなら神は愛だからです。 私たちが神を愛したのではなく、神が私たちを愛して、 私たちの罪の身代わりとして御子イエス・キリストを遣わしました。 ここに愛があります。
50 :
死神 :2011/05/12(木) 21:42:10.35 ID:AV3pLnSE
ヨハネ第一の手紙第4章8-10
51 :
神も仏も名無しさん :2011/05/13(金) 11:19:05.34 ID:XAW3vOUm
>>42 全知全能の神による完全な世界が人間が罪を犯した事で変わったのなら、
ある意味人間が神のつくった世界を別なものに作りかえたわけですよね。
全知全能の神のつくった世界って、そんなやすやすと人間が変えられちゃうような代物なんですか。
そもそもなぜ全知全能の神はわざわざ世界に罪なんてものをつくったのですか?
そしてなぜ人間をわざわざ罪を犯せるような存在につくったのですか?
はじめから罪なんてものが存在しなければ人間は罪を犯しようがなかったし、
人間が罪を犯せない存在であれば罪を犯しようがなかったのでは。
そして全知全能なのだから人間が罪を犯す事を見抜いてやめさせる事もできたのでは。
誰かー 黄金伝説の日本語訳の本売ってるとこ教えてくだちいー…
>51 人工無能とチャットしてキミは楽しいか? 楽しいなら立派な変態だ。 それは神も同じことだろう。
54 :
神も仏も名無しさん :2011/05/13(金) 21:56:59.03 ID:XAW3vOUm
>>53 つまり神は刺激を求めて世界に罪と罪を犯す人間をつくったのですか?
>>52 平凡社ライブラリーという新書レーベルで全訳が出てます。(全4巻)
平凡社のサイトに行ってみたところ、まだ絶版にはなってないので
お近くの書店でお取り寄せになればいいのでは。
神がこの世界を創造した目的は、人間と愛のある交わりを楽しむためです。 そのために人間には自由意思を与えました。
58 :
サロメ koS :2011/05/14(土) 11:00:58.07 ID:RHYHB3+C
>>51 >全知全能の神による完全な世界が
人間がしでかしたのは汚染
罪による影響で世界を汚染したんです 世界を作り変えたわけではありません
>そもそもなぜ全知全能の神はわざわざ世界に罪なんてものをつくったのですか?
罪 とは神への背き 神との不一致のことです
罪という実態があるわけではなく 人間と神との関係性の問題です
ですからそれは人間の問題です
>はじめから罪なんてものが存在しなければ
人間には自由意志があるので 神との関係性も自由意志で選択できるんですよ
始原の状態では
つまり人間の自己責任ですね
59 :
サロメ koS :2011/05/14(土) 11:03:05.23 ID:RHYHB3+C
>>54 神は人間を 実子である御子イエズスと似た存在に
神の養子として創造されました
また御子の立場からすると 人間は対等にあいの関係を持つ親友でもあります
本来の養子 親友の立場から 神に背く状態を選んだのは人間自身です
60 :
神も仏も名無しさん :2011/05/14(土) 11:55:48.21 ID:65lEPzFm
>>59 お前の言う神なんていないんだよ
お前の存在がその証拠だ
まともじゃなさ過ぎる
61 :
サロメ koS :2011/05/14(土) 11:58:05.43 ID:RHYHB3+C
62 :
神も仏も名無しさん :2011/05/14(土) 12:05:20.25 ID:65lEPzFm
>>61 ほら
またアホ丸出し
キリストの神なんか信じるとお前みたいになるってこと
63 :
サロメ koS :2011/05/14(土) 12:07:19.33 ID:RHYHB3+C
神道信じて集団自殺寸前だった連中に言われてもなぁwww
64 :
神も仏も名無しさん :2011/05/14(土) 12:08:40.56 ID:65lEPzFm
十二使徒に一人も女性がいないのはどうしてですか
>>65 イエスが弟子の中から十二使徒を選んだ時、
たまたま女性が含まれていなかった。
67 :
サロメ koS :2011/05/14(土) 18:45:29.39 ID:9TTkNbgI
>>65 あの時代 女性が社会的活動することは容認されていなかったから
68 :
神も仏も名無しさん :2011/05/14(土) 20:53:00.93 ID:rgaINDc4
アフリカでの イスラムとの信者争奪戦には勝てそう?
69 :
グノーシスさいきょ ◆/bVPRrlaFM :2011/05/14(土) 20:58:25.90 ID:B5ojcis6
おそらくイエスにはマグダラを始め多くの女性弟子がいたし、 マリア伝、フィリポ伝にあるように使徒に匹敵する霊的奥義を 授けられた女性もすくなくなかっただろう。 だが、使徒は遠い異邦の地に赴き福音の伝道と宣教活動を行う 過酷な使命を帯びている。マルコ伝にはイエスが12人を2人一組で 送り出した(12使徒の始まり)とされているが、イエス自身、 そのような過酷な職務は女性には無理と判断したのだろう。
70 :
グノーシスさいきょ ◆/bVPRrlaFM :2011/05/14(土) 21:01:52.84 ID:B5ojcis6
ゆえに女性は公権がなかったから、使徒に選ばれなかったという ザコメの主張は完全に間違いです。 イエスにとって使徒は権威ではなく役割に過ぎないのだから。 それを後の使徒たちが権威へとミスリードしただけであって。 イエスはグノーシスと同じく人間を本性で判別するため、女性差別などしません。
71 :
サロメ koS :2011/05/14(土) 21:06:00.96 ID:9TTkNbgI
グノの紙屑同人誌は根拠にはなりませんw
72 :
サロメ koS :2011/05/14(土) 21:06:23.68 ID:9TTkNbgI
73 :
神も仏も名無しさん :2011/05/14(土) 21:08:10.84 ID:65lEPzFm
一般的に女の方が業が深いのは確かだと思うけどね
74 :
神も仏も名無しさん :2011/05/14(土) 21:11:48.71 ID:rgaINDc4
なぜ男の業は過小評価されるのか
75 :
グノーシスさいきょ ◆/bVPRrlaFM :2011/05/14(土) 21:14:08.57 ID:B5ojcis6
____ _,、r'´:::‐、`ヾ‐、`丶、 /:::::l、:{⌒ヾヽ::ト、:ヽ:::::ヽ //!:::i:l:!::ヾ、::::::ヾ::!`ヽ:ヽ:::::ヽ 〃:!:l::::l!:ト、::::liヽ、:::リ:!::i:::ヽ:ヽ::::i i:!::!i::i::::i::!:i:ヾ!:i::::!:、:::!:::l:i:!:ヽヽ:l:! l!::!:!:iト:::!:i:j/代トト、l:ハ::升ト!:l::!:!lj あ、ちなみに li::l::N{:ヾVヘ「 ̄` lハ ソr‐テハ!:l/ !:l!:ト、l::l{` ! j川/ 本性で評価してもサロメは地獄逝きです ヾト辷N! ‐ノ !:l/ Yl:ト、 ヾ==r ノ/ iN \. ` ニ′/}' h 丶、 / ノ ̄´"''‐ 、 `¨´U _rく /癶V⌒!=| ̄ ̄ ̄ ̄ ̄| __,、=T下、``ヽ /‐''"_, -ヘ| | /「 ̄´ ヽヽ \ ヽ/ ´ _,,厶ヘ ∧=、、 |八 \ __/ _,)ヽ___/ ヽ ``=、、
76 :
神も仏も名無しさん :2011/05/14(土) 21:16:27.99 ID:rgaINDc4
ムハンマドが十二使徒にいたら、今頃キリスト教人口は全人類の6割ぐらいは行ってたかも。
77 :
グノーシスさいきょ ◆/bVPRrlaFM :2011/05/14(土) 21:18:44.84 ID:B5ojcis6
____ _,、r'´:::‐、`ヾ‐、`丶、 /:::::l、:{⌒ヾヽ::ト、:ヽ:::::ヽ //!:::i:l:!::ヾ、::::::ヾ::!`ヽ:ヽ:::::ヽ 〃:!:l::::l!:ト、::::liヽ、:::リ:!::i:::ヽ:ヽ::::i i:!::!i::i::::i::!:i:ヾ!:i::::!:、:::!:::l:i:!:ヽヽ:l:! l!::!:!:iト:::!:i:j/代トト、l:ハ::升ト!:l::!:!lj クルアーンって岩波版持ってるけど li::l::N{:ヾVヘ「 ̄` lハ ソr‐テハ!:l/ !:l!:ト、l::l{` ! j川/ すっげーくだらねーのな。 ヾト辷N! ‐ノ !:l/ Yl:ト、 ヾ==r ノ/ ただのおっさんの妄想だわw iN \. ` ニ′/}' h 丶、 / ノ ̄´"''‐ 、 `¨´U _rく /癶V⌒!=| ̄ ̄ ̄ ̄ ̄| __,、=T下、``ヽ /‐''"_, -ヘ| | /「 ̄´ ヽヽ \ ヽ/ ´ _,,厶ヘ ∧=、、 |八 \ __/ _,)ヽ___/ ヽ ``=、、
78 :
サロメ koS :2011/05/14(土) 21:20:18.91 ID:9TTkNbgI
79 :
神も仏も名無しさん :2011/05/14(土) 21:46:35.77 ID:rgaINDc4
外部から見ればグノーシス文書の内容も荒唐無稽に見えるんじゃないの。 「一見荒唐無稽に見える」記述の奥に隠された価値や真理を想定するかどうかの 違いしか無いんじゃないの?
80 :
グノーシスさいきょ ◆/bVPRrlaFM :2011/05/14(土) 21:49:35.00 ID:B5ojcis6
グノーシスは地中海文明で培われた哲学的思弁で満ちてるし、 ゆえにプラトンも読んだことないカスには理解できん難物だろうが、 クルアーンの場合は逆に教祖の教養の無さと稚拙さがありありと読みとれるからなw
81 :
神も仏も名無しさん :2011/05/14(土) 22:01:06.79 ID:65lEPzFm
サロメにはコーランが良く似合う・・ってことでoK
82 :
サロメ koS :2011/05/14(土) 22:07:37.35 ID:9TTkNbgI
83 :
神も仏も名無しさん :2011/05/14(土) 22:11:53.14 ID:rgaINDc4
>>81 以前カトリックアンチだったサロメが今やカトリック信者。
もしかするとイスラムアンチの彼女も未来にはムスリマとなり、
サリーマおたぁ、と改名するのだろうか。
おたぁは日本人クリスチャン女性の名前だから、
日本人ムスリマの名前と組み合わせられるのかもしれない。
84 :
神も仏も名無しさん :2011/05/14(土) 22:17:34.21 ID:65lEPzFm
クルアーン≒コリアーン なんちゃってサロメ
85 :
神も仏も名無しさん :2011/05/14(土) 23:02:14.32 ID:rgaINDc4
かつてのマリア崇敬への攻撃を見るとまるで別人のようにすら見える。 どんな回心があったのだろう。 どうだったの?やはり葛藤はあった?
86 :
グノーシスさいきょ ◆/bVPRrlaFM :2011/05/14(土) 23:05:22.79 ID:B5ojcis6
葛藤なんてないだろ。 真理が裡に無いんだからw
87 :
サロメ koS :2011/05/14(土) 23:26:28.41 ID:9TTkNbgI
>>83 レズビアンを頭から縦に切断する邪教なんてwww
88 :
グノーシスさいきょ ◆/bVPRrlaFM :2011/05/14(土) 23:29:54.29 ID:B5ojcis6
やはりサロメはレズビアンだったか。
89 :
サロメ koS :2011/05/15(日) 00:01:22.13 ID:fhLWB5tc
90 :
神も仏も名無しさん :2011/05/15(日) 01:04:10.27 ID:CEe/oKRa
>>90 『奇跡のコース(A Course in Miracles)』を読め。
現代に現れたイエス・キリストの言葉だ。
92 :
神も仏も名無しさん :2011/05/15(日) 10:25:18.80 ID:TMxly2V9
イエスはどうして腹話術に使われやすいんだろう。
93 :
神も仏も名無しさん :2011/05/15(日) 17:31:12.47 ID:KYF3Vtr2
ムハンマドでACIMる可能性があるのは統一協会ぐらいか?
94 :
神も仏も名無しさん :2011/05/15(日) 20:59:36.16 ID:OnQUoaL/
95 :
サロメ koS :2011/05/15(日) 21:02:48.13 ID:fhLWB5tc
96 :
神も仏も名無しさん :2011/05/15(日) 22:58:17.83 ID:KYF3Vtr2
スンニ派から感化していこう。
97 :
神も仏も名無しさん :2011/06/23(木) 18:54:40.81 ID:KkToD2hb
進化論・創造論スレは、とうとう父さんしてしまいますた^^
98 :
神も仏も名無しさん :2011/07/20(水) 19:31:28.24 ID:zCWVr89q
エホバの証人をね馬鹿とか偽りだとかカルトだとかそう言うひとがなぜいるんでしょうかね?喋り方がいけないんでしょうか服装がいけないんでしょうか?
99 :
子羊通信オススメします :2011/07/22(金) 16:31:42.45 ID:Iq4Z3TVL
100 :
神も仏も名無しさん :2011/07/22(金) 23:53:49.59 ID:esNlZqU1
エホバの証人は、いまや日本のクリスチャン会衆の中で、実質的には最大勢力ですよ! 彼らはバブテスマを受けた正規伝道者しか数に入れませんが、その数は2011年6月末現在で、 22万人をはるかの超えています。 イエスの記念日や、地域大会などに参加する研究生やふつうの信者を加えると、 約40万人に達します。 カトリックは43万人、プロテスタントは50万人と言っていますけど、これは伝道者の数じゃないですあKらね。 日々宣教の業にいそしんでいる活動的な信者数では、「エホバの証人」が最大なんです! 世界では、エホバの証人の正規伝道者は750万人を超えました。 一般信者数では、約2000万人になりますよ。 異端だとか非難するのは、おもにカトリックですが、 彼らこそ、聖書を改竄し、神のみ名を聖書からも賛美歌からも排除するなど、 めちゃくちゃな背教行為を行なっているじゃありませんか! 聖書に記された「大いなるバビロン(権力と寝た大娼婦と聖書では記述)」とは、カトリックのことでもあるんですよ。
>>100 >>聖書に記された「大いなるバビロン(権力と寝た大娼婦と聖書では記述)」とは、カトリックのことでもあるんですよ。
・・何を根拠にカトリックのことだと断言出来るのだ?
102 :
神も仏も名無しさん :2011/07/23(土) 21:24:03.03 ID:ai0OmWNq
断言してはいませんよね。 カトリックのことでもある、と示唆しているだけです。 人の文章は、正確に読みましょう^^ まぁ、カトリックは世界に12億人も信者がいるそうなので、 上から目線になるのも当然なんでしょうが、 だからといって、真実にイエスの教えに則っている教団とはいえないでしょう。 だって、聖書以外に、自分たちで勝手に決めた「聖典」なるものに依り頼み、 教皇をイエスよりも偉い者のように崇拝していますもんね。
103 :
シモン・グノーシス ◆/bVPRrlaFM :2011/07/23(土) 21:26:05.96 ID:6FF0a+J8
聖典を天界の秘儀、教皇をスウェ〜デンボルグに置き換えると まるっきりお前だな
104 :
神も仏も名無しさん :2011/07/23(土) 22:20:36.42 ID:+y2ks6fH
>>102 プロテスタントが使っている新約聖書もカトリック教会が伝えてきた聖伝の一部が文書化したものです
105 :
神も仏も名無しさん :2011/07/23(土) 22:24:25.08 ID:+y2ks6fH
>>102 カトリック教会はキリスト御自身が始められた教会で、教皇も使徒ペテロの時代から続き使徒継承権を持っています。プロテスタントはキリストに由来していない人間が始めた分派。
106 :
神も仏も名無しさん :2011/07/26(火) 02:55:37.11 ID:FfXonnzT
キリストのモデルってソクラテスですよね
107 :
神も仏も名無しさん :2011/07/26(火) 12:25:40.52 ID:FB6pLF6q
いつも思うんだけど、 プロテスタントやエホバは聖書に基づいてカトリックを批判したりするけど、 その聖書を編纂して、聖書たらしめてるのは誰なんだと問いたいね
108 :
神も仏も名無しさん :2011/07/26(火) 16:46:37.33 ID:mxKPRgHq
はぁ、カトリック教会が聖書の編纂したと思ってるの?
109 :
神も仏も名無しさん :2011/07/26(火) 23:36:33.66 ID:7Qg7FwLd
キリスト教ってキリストを神様として崇めてるの? キリストの言う神様を崇めてるの?
>>107 >>聖書に記された「大いなるバビロン(権力と寝た大娼婦と聖書では記述)」とは、カトリックのことでもあるんですよ。
・・何を根拠にカトリックのことだと断言出来るのだ?
>>カトリックのことでもあるんですよ。
・・「ことでもある」と断言しているだろう。この猿。
アンカーミス
>>107 さん、すみませんでした。
>>108 おい、エホビ・ネヨ。お前に聞いているのだ。
112 :
神も仏も名無しさん :2011/07/27(水) 13:01:13.46 ID:pHtFLfgf
>>111 新約聖書は、ローマ時代にイエスの弟子たち(福音書記者)によって
共通口語ギリシア語 (コイネー) で書かれたもの。
それに教会で回覧された種々の手紙や勧告、伝承などを編集したものである。
内容はイエス・キリストの布教 (福音) の記録である4つの「福音書」、
使徒 (特にペテロとパウロ) の業績の記録「使徒行伝」、使徒の書簡13通、
黙示文学である「ヨハネの黙示録」など27書である。
それを、カトリック教会がすべて編纂したとか、カトリック教会のものだと思っているのはアホだけ。
113 :
神も仏も名無しさん :2011/07/27(水) 13:13:27.78 ID:pHtFLfgf
>>111 黙示録やイザヤ書を読めば、「大姦婦バビロン」が、カトリック教会を指しているのは明白なこと。
緋色の獣にまたがっている淫売婦な。
114 :
神も仏も名無しさん :2011/07/27(水) 21:13:53.84 ID:IFsSoZ1M
115 :
神も仏も名無しさん :2011/07/27(水) 22:55:22.70 ID:mJ4bvjyw
「大姦婦バビロン」は、主のみ業によって、滅ぼされます。 ヨハネの啓示は、そうはっきりと予言していますね。 楽しみに待ちましょう^^
116 :
承狂 ◆TptLNQXPVWuJ :2011/07/27(水) 23:24:27.09 ID:BsqYl2rc
>109 キリストの弟子の書いたモノを崇めています。 あと、公会議で決められた解釈も崇めてます。 他にも、おかーちゃんのマリアとか聖別された信者とかも崇めてます。 (^。^)崇むぜー♪ちょー崇むぜー♪(笑)
117 :
神も仏も名無しさん :2011/07/28(木) 01:21:05.28 ID:JODASJsr
創世記には神様が地獄作ったような表記はないけど キリスト教の地獄って、いつ、誰が作ったの?
118 :
承狂 ◆TptLNQXPVWuJ :2011/07/28(木) 02:09:36.88 ID:Jk3fr+na
>117 設定ミスです。(笑) キリスト教とは様々な宗教のコラージュなので、ユダヤ教やミトラ教などから入ってきた概念なのでしょう。
119 :
神も仏も名無しさん :2011/07/28(木) 03:41:34.54 ID:9y2GFo5p
キリスト教信仰者って自殺を止めるときどうやって説得する?
120 :
神も仏も名無しさん :2011/07/28(木) 06:41:11.49 ID:2XbaMDKS
>>108 キリスト教の歴史をきちんと勉強しなさい!
121 :
神も仏も名無しさん :2011/07/28(木) 06:49:53.95 ID:2XbaMDKS
>>112 カトリック教会はイエスの弟子の時代から代々信仰を継承しています、新約聖書の出来事はなくカトリック教会の出来事そのものです。
122 :
神も仏も名無しさん :2011/07/28(木) 06:53:32.00 ID:2XbaMDKS
聖霊降臨(ペンテコステ)のとにキリスト教共同体(カトリック教会)が誕生したとき、聖書はありましたか?聖書は教会が誕生してから後にカトリック教会内で書かれました。新約聖書の使徒行伝はカトリック教会そのものの出来事です。
123 :
神も仏も名無しさん :2011/07/28(木) 08:27:57.57 ID:2XbaMDKS
>>112 新約聖書は、ローマ時代にイエスの弟子たち(福音書記者)によって
共通口語ギリシア語 (コイネー) で書かれたもの。
それに教会で回覧された種々の手紙や勧告、伝承などを編集したものである。
⇒その当時の教会はカトリック教会の事である
124 :
109 :2011/07/29(金) 00:10:04.70 ID:0D4BWsdi
ヨハネパウロさんが胡散臭く感じるのは気のせいでしょうか。 聖書の中でも読むに値するのはヤコブ書だけの様な気もします。 神の御心を知った上で聖書を読めば、その中から正しい言葉を拾い集められるとは思いますが それでは神を教えるキリスト教の存在としては本末転倒かと。
125 :
神も仏も名無しさん :2011/07/30(土) 16:34:17.28 ID:G/6nOBE6
キリスト教の質問箱が乱立しているね(^^)
126 :
神も仏も名無しさん :2011/07/30(土) 16:56:18.42 ID:G/6nOBE6
ヨハネスさんがキリスト教議論スレで紹介していた、 クリシュナの弟子、スワミ・ヴィヴェーカーナンダのウィキを読んでみた。 ヴィシュヌ系かと思っていたが、シヴァ系なのですね。
127 :
神も仏も名無しさん :2011/07/30(土) 17:16:19.01 ID:tMXgQakb
今読んでる本(異星人の郷 創元SF文庫)の中で 14世紀のフランチェスコ会の修道士が 「ペテロのユダヤ的歪曲のせいで教会は腐敗し、魂の教会、真の教育をさいなんでいる しかし、ペテロは凋落し、やがてヨハネの復興がくる」 て言ってるセリフがあるんだけど これどういう意味?
128 :
神も仏も名無しさん :2011/07/30(土) 17:31:07.64 ID:G/6nOBE6
ペテロにはユダヤ教の律法を捨てきれない弱みがあった。 使徒言行録には割礼のないキリスト教徒を差別する話が出てくる。 これに対しヨハネ文書は、キリストを信じれば救われる、 という主張で一貫し、いっさいの差別を排除する。 まあ、キリスト教徒の間には差別がない、という意味なのだろう。
>>126 昔、カール・グスタフ・ユングに興味があっていろいろ調べていた頃にスワミ・ヴィヴェーカーナンダの著書に出会った。
聖書は既に読んでいたが、多くの人は先にスワミ・ヴィヴェーカーナンダを読むべだとさえ思った。
聖書はその後から読んだ方がより冷静に読むことが出来るであろうと思った。彼は間違いなく秀才である。
130 :
神も仏も名無しさん :2011/07/30(土) 17:39:48.51 ID:G/6nOBE6
14世紀の教会内には、いまでは想像しがたい、 いろいろな差別、いじめ、上下関係があったのかもしれない。 その後の宗教改革を暗示するようなセリフのように思う。
131 :
神も仏も名無しさん :2011/07/30(土) 17:48:01.14 ID:G/6nOBE6
>>129 ネットで読んだだけでも秀才であることがわかる。
ヨハネスさんの順番、ヴィヴェーカーナンダ → 聖書 もわかる。
カルト宗教に洗脳されないための予備知識ですよね。
39歳で亡くなったのは残念。
昔から神に愛されると早死にすると言われてますね。
132 :
神も仏も名無しさん :2011/07/30(土) 17:50:06.73 ID:tMXgQakb
>>128 なるほど
まぁペテロは経典・教理主義的で、キリスト教を組織化した人で
ヨハネは信仰義認的であるとして、
清貧を掲げて、教皇批判してた、そのフランチェスコ修道士のキャラクターに合ってるのかな
とか勝手に思ってたけど
こんな感じでいいのかな
>>130 そのキャラは、あんまし修道会でがっつり暮らしてるんじゃなくて、
流れ者で、南ドイツの普通の教会にお世話になってる感じ
133 :
神も仏も名無しさん :2011/07/30(土) 17:57:37.97 ID:tMXgQakb
あ、補足するとそのキャラクターは フランシスコ会から追放された、極端なスピリトゥアル主義の人です
134 :
神も仏も名無しさん :2011/07/30(土) 18:01:52.99 ID:SOBntk2c
>>132 >そのキャラは、あんまし修道会でがっつり暮らしてるんじゃなくて、
>流れ者で、南ドイツの普通の教会にお世話になってる感じ
流れ者 → 教会という組織になじめない。教会への不満がある。
作者はキリスト教の歴史をよく知って書いている。
135 :
神も仏も名無しさん :2011/07/30(土) 18:34:32.06 ID:SOBntk2c
>>132 そういったキャラ設定であれば、なおさら先のセリフに違和感がない。
>>126 ヨハネスさんとはいろいろ話したいのですが、
アニマ・アニムスのこと、雅歌の位置づけ、自我の消滅などなど、
どれもこれも中途半端になってます。
お互い、気が向いたテーマをじっくり書き込んで行きませんか。
さっそくアニマ・アニムスなんかはどうでしょうか。
聖母マリアの出現に興味を持っていろいろ熱心に調べたことがあった。 何かの錯覚現象か催眠現象のようなものだろうと思いつつも調べた。 その結果、特に興味深く思ったのはファチマでの出現であった。 それ以外の出現は真偽不明か捏造である。現代の聖母出現騒動は全然信用出来ない。 グアダルーペとラサレットはかなり事実の可能性はあると思う。しかし断定とまで言い切る勇気はない。 しかし、ルルドでの出現はぼぼ事実と断定し得るであろう。 そして何よりも決定的な出現はファチマである。それは1917年の出来事であり既に20世紀である。 当時の状況はかなり正確に把握されいて疑い切れなかった。この聖母マリアの出現は事実と断定する。 福音書の記録は余りにも古く(約2000年前)記述の仕方も当時の人々の感性によるものである。 福音書そのものの成立のプロセス自体も推定する以外になく「本当らしさ」による以外に真偽は判断出来ない。 初期教父による証言はかなり有効とは言えるだろうが、しかし「かなり本当らしい」と言い得るに留まる。 しかしどうだろう。ファチマは十分に事実と断定出来る。 そして、それはキリスト復活の真相に新たな光を与えるものである。 どちらも不思議な出来事ではあるが不思議な事実であろうことを認める。
>>135 そう出来れば理想的であろうけど好事魔多しでもある。
サロメその他の乱入を止める方法はない。
俺自身もネットに張り付いてぼかりもいられない。
そして、これらテーマは何れをとっても非常に専門的で奥の深いものばかりです。
これらの事情により知り切れトンボのような書き込みになってしまいがちです。
しかし、地道な努力はしてみたいとは思う。
今から暫く用事があるのでPCを落とします。
知り切れトンボ→尻切れトンボ
139 :
神も仏も名無しさん :2011/07/30(土) 19:03:02.22 ID:SOBntk2c
>>136 人間のイメージ形成力にも関係があるのかもしれない。
宗教の修法に関心を持ち、密教やヨーガの修法を調べ始めている。
調べ始めたばかりだが、修行者は神や仏をひたすら念じ、
それをまざまざと思い浮かべる訓練をするらしい。
そしてついには可能になるという。かれらは神仏を拝むのである。
140 :
神も仏も名無しさん :2011/07/30(土) 19:20:21.13 ID:SOBntk2c
(139のつづき) もしかすると、ある特別な環境(戦争や飢餓など)に置かれると、 精神が非常に敏感になり、そのことによって、ファチマの聖母出現や キリストの復活を目の当たりにするのかもしれない。 これらから3通りの解釈ができる。 @ 修行者のは幻覚、ファチマなども幻覚にすぎない。 A 修行者のは幻覚、ファチマなどは背景に神が存在する。 B 修行者の場合も、ファチマの場合も、背景に神が存在する。
これらのどれに当たるのかは、実際に自分で体験しないとわからない。 個人の体験にしても、複数の人が同時に体験したことだとしても、 自分が体験してなければ事実だとは断定できない。 事実かどうかは「わからない」と言うしかない。 視点を変え、そういった現象が信仰に欠かせないものかどうか。 そうだとは思えないのだ。神に形があることに抵抗がある。 興味がないわけではないが、個人的には深入りしないようにしている。
幻を見ること自体は、聖書にいくつもの例がのっている。 新約では、マタイ17章にモーセとエリヤが現れる話、黙示録。 旧約では、エゼキエルとか、ダニエルとか、多数ある。
ファチマの出現は「事実」と認める他にないであろう。 修行とは全く関係ないであろうし特殊な環境下での幻覚でもない。 出現した聖母マリア(カトリック教徒はそう信じている)は、自身を「ロザリオの元后」と名乗っている。 俺はカトリックの解釈である「ロザリオの元后=聖母マリア」は間違いであると考えている。 厳密には、「昔聖母マリアと呼ばれ、今は女神となった者(ロザリオの元后)」が正しいと考える。 それは人類の集合的無意識(阿頼耶識と考えてもよい)に於ける元型(あるいは種子:しゅじ)としてのアニマであろう。 今のところそう考えるのが妥当だと思う。それがこの世界に出現したことになる。 この女神或いはそれに伴う不思議な現象(太陽のダンスが最も顕著である)目撃した者たちはそれらを独立した存在若しくは現象と認識する。 無意識は意識されないから無意識なのであって、だからそれは当然である。 一言でアニマと言っても一定普遍の姿形ではない。 意識の状態(この場合、集団的または社会的意識)に応じて姿を変化させる。 それはヒンズーのパールヴァティ・ドゥルガー・カリーの化身がそうであるように、 佛教の観世音菩薩がそうであるように、である。 出現した女神は、佛教で言うところの「円成実性(完成された意識体)」であろうと考えている。 この考えは更に奥が深いのだろうが、そこから先を語るのは簡単ではない。 尚、これら意識体の物理空間への出現のメカニズムは全くの謎である。 カール・グスタフ・ユングは「空飛ぶ円盤」という著書の中でその出現の意味を説明しているが、 物理的メカニズムは謎としている。
144 :
神も仏も名無しさん :2011/07/30(土) 22:07:50.14 ID:sorPf8QX
これらをどう評価するのか。真実なのか、作り話でしかないのか。 結局、その当人であるか、その場に居合わせないとわからない。 夢の意味を知ろうとするように、これらから神意を読み取ろうとすることは あるかもしれない。しかし、それによって信仰が生まれたとか、 信仰が深まったということにはならないと思う。 これと似たものに奇跡がある。 イエスは、病気を癒したり、死者を復活させたりする。しかし福音書から、 そういった奇跡が信仰につながらないことも明らかである。
>>141 君は自分が神風特攻隊をどうして事実と認めのかをよく考えてご覧。
君自身はその時代に生きていたわけ出来ないし何かの体験したわけでもないはずだ。
一つ注意しておくと俺は信仰を求めている訳ではない。真相を追及しているのだ。
もし君が信仰を求めているのならなら俺の論に躓くだろう。
求めている対象がそもそも異なる。「真相」と「信仰」その違いがある。
>>143 事実なら見てみたい。実際に体験すれば信じられると思う。
アニマ、アニムスの話は理解できる。人間の究極は霊魂であり、
霊魂が性別のない球体であるところから説明できる。
究極に性別がないのに、肉体を持つときは性別を持つことになる。
このギャップが、男ならアニマ、女ならアニムスを生む。
そう理解すれば、心理学上の仮説ではなく、本質的な存在論になる。
>>145 確かに神風特攻隊が幻である可能性もある。
しかし、多くの証言や記録などがあり、信じるだけの十分な根拠がある。
これに対しファチマの場合は、あまりにも情報不足であり、
空中に聖母マリアが出現したと言っても、にわかに信じることはできない。
逆に、何をもって事実と判断したのを聞いてみたい。
148 :
神も仏も名無しさん :2011/07/30(土) 22:56:58.73 ID:sorPf8QX
わたしは聖霊と霊魂を区別している。 創世記にある「神の息」が人間の霊魂になる。この霊魂が永遠の命である。 なぜなら、「神の息」は命のことであり、死ぬはずがないからである。 聖霊は霊魂ではない。聖霊は神であり、神の訪れである。 このふたつを区別すると、新約聖書の正誤がかなり見えてくる。
>>147 君はファチマ関連の書籍資料等を実際に自分で当たってみたことがあるだろうか。
当時の出来事をまとめた書籍があるから、実際にそれを読んでみるとよいだろう。
2000前の出来ごとではなく僅か94年前の1917年(大正6年)の出来事である。
因みに、日露戦争は1904年(明治37年)である。
ファチマの出来事をまとめた書籍は、約2000年前の出来事(キリストの死は紀元後30年頃)をまとめた福音書とは比較さえ出来ない。
ファチマでロザリオの元后からメッセージを託されたルチアは6年前(2005年)まで生きていた。
この出来事を疑わしいとするならば、福音書に書かれてあることなど太陽系の外まで吹き飛んでしまうほど疑わしいことになる。
>>148 その区別は無意味だと思う。
ヨハネ福音書20章
イエスはまた彼らに言われた、「安かれ。父がわたしをおつかわしになったように、わたしもまたあなたがたをつかわす」。
そう言って、彼らに息を吹きかけて仰せになった、「聖霊を受けよ。あなたがたがゆるす罪は、だれの罪でもゆるされ、
あなたがたがゆるさずにおく罪は、そのまま残るであろう」。
>>149 ファチマの出来事を事実だと信じるのは自由だろうと思う。
ただ、わたしにとってはUFOと同じくらいに遠い話であり、
それが事実だったとしても、わたしの生活は何も変わらないだろう。
目の前でロザリオの元后を見たり、UFOを見たりすれば驚くかもしれない。
しかし、驚いただけで終わりかもしれない。
ところでファチマ第三の預言は公開されたのだろうか。
152 :
神も仏も名無しさん :2011/07/30(土) 23:39:20.80 ID:sorPf8QX
>>150 わたしの考えはアリウス派だろうと思う。
イエスを神だとは思っていない。
>>151 俺は「信じる」と云う言葉が好きではないし「信仰」と云う言葉は嫌いだ。
俺にとっては、認められるか認められないかが問題なのだ。
>>ファチマ第三の預言
既に公開されている。しかしバチカンは内容の一部を改竄したと言われている。
ヨハネス23世及びパウルス6世教皇のこの預言に対する姿勢から類推して改竄された可能性は高いだろう。
で、君が俺の書き込みに付いて来る目的は何かね。何を求めているのか。ただの暇つぶしか。
そもそも俺は ID:G/6nOBE6君の要請に答えた形でこちらのスレへ来ているのだか。
154 :
神も仏も名無しさん :2011/07/30(土) 23:58:13.14 ID:uMjpUBsd
キリスト教は、対立のイメージがある。今でも、イスラム教と対立している感じだし 十字軍や、魔女狩りや宗教裁判といった排他的で攻撃的な感じがある。 その一方で、汝を愛せよ?汝の敵を愛せよか知らないけど、愛の大切さを説いている。 これは明らかに矛盾しているし、キリスト教が世界で信じている人は多いのにも関わらず この世界から暴力や戦争は無くなっていない。これが何を意味するか? 宗教は実際に信じて、良くなったか悪くなったかで判断するべき。 教えが立派そうでも、現実によい結果にならなければ信じるべきではないでしょう。
ヨハネ福音書の作家は聖霊と霊魂を同一視していない? 創世記にある話は、聖霊を受けたということなのだろうか。 それでは、すでに聖霊を受けている人間に、再度聖霊を与えることに なってしまわない? 20章のイエスの行為は無意味かと思う。
156 :
神も仏も名無しさん :2011/07/31(日) 00:02:29.75 ID:iw+nV7Ki
キリスト教が正しく、力が有るならば、もっと愛のある世界になっていないとおかしい。 正しい宗教ならば、それ位の力が出るはず。キリスト教は神様頼みで、空想を説いているに過ぎず現実味がない。 人種間での断絶もあるし、今も同性愛をタブー視するなど時代錯誤な面がある。 戒律も多い。人間は欲があるのが自然なのにそれを否定している所がある。これはおかしいと思う。
>>155 実にいい処にに気が付いたようだね。それは扉を開く鍵だ。
しかし、君は俺は質問をスルーしたから俺もスルーさせてもらう。
>>154 >>156 ユダヤ教もキリスト教もイスラム教も排他的な宗教です。
ユダヤ教には選民意識があり、他民族をブタのように思っています。
キリスト教は天国を独占し、キリスト教徒以外は地獄行きです。
イスラム教も同じ。天国はイスラム教徒のものです。
この三つの宗教が争うのは、経典や教義からの必然的な結果です。
アジア人やアフリカ人はサル扱いです。
>>157 スルーしたのではなく、どう答えたらいいかを考えていた。
人間とは何か、神とは何かを考えたい、ということではないだろうか。
そういう流れでヨハネスさんの話を聞きたい。
議論スレはスエデンボルグばかりで、そういった展開になりそうにない。
>>159 なるほど。
それは誠実な姿勢だと思う。君が良い人間性を持っている証だと思う。
多くの人達は、その大切な問いを忘れてしまい目先の優越感ばかりを求め、いつの間にか優越感の奴隷になっている。
俺は君と変わらない。俺は何もかも解明したとは思っていないし何かを悟ったとも思ってはいない。
ただ自分を誤魔化さずに君と同じことを考え続け真相を追い続けているだけの男だ。
神道・佛教・キリスト教・ヒンズー教・深層心理学など。
ここはキリスト教スレだからキリスト教を軸に書き込みをしている。
キリスト教会はカトリックにせよプロテスタント諸派にせよキリストの本当の教えを分っているとは思えない。 教会にはキリストの本当の教えを説く能力がない。 随分以前に同じJohannesの名前で徹底的に(仮に)カトリック護教の立場で書き込みをしてみたことがある。 そして、その立場を貫くことは可能だった。 しかし皮肉なことにカトリック(当然プロテスタントも)はキリストの本当の教えが分っていないことを自ら確認する結果となった。 自分の心は欺けなかった。 キリストの言う「父」とは創世記の創造神ヤハウェではない。 それは真逆であって創造神ヤハウェこそがサタンの正体である。 「聖霊」と「真理の御霊」を混同してはいけない。 すべては「真理の御霊」に他ならない。「父と子と聖霊」とは真理の御霊に一致するから一体なのだ。 真理の御霊は、父なる神となり、子なる神キリストとなり、聖霊となる。 イエズスをキリストと認めるなら旧約の唯一神を退けねばならない。 真理の御霊こそが無始にして唯一であり且つ全てである。 これがキリストの本当の教えであったと認め得る答えである。
>>161 続き
だから、以前にこの書き込みをしたのだ。
372 :Johannes:2011/07/26(火) 16:44:59.30 ID:q7W7iXGP
キリスト教の核心部分は「ヨハネ福音書14章から17章」に集約されている。
そのことに気付いた者は「ヨハネ第一の手紙」の価値を知るであろう。
ヨハネ福音書14章にある次のキリストの言葉は最終回答ででありキリスト復活の真相を示唆する。
---------------------------------------------------------------------------------------------------------------------
それは真理の御霊である。この世はそれを見ようともせず、知ろうともしないので、それを受けることができない。
あなたがたはそれを知っている。なぜなら、それはあなたがたと共におり、またあなたがたのうちにいるからである。
もうしばらくしたら、世はもはやわたしを見なくなるだろう。しかし、あなたがたはわたしを見る。わたしが生きるので、あなたがたも生きるからである。
その日には、わたしはわたしの父におり、あなたがたはわたしにおり、また、わたしがあなたがたにおることが、わかるであろう。
---------------------------------------------------------------------------------------------------------------------
そこを読み解けないのであれば聖書も教会も無意味なものでしかない。
また、このキリストの最終回答は創世記の真相である。
しかしキリスト教会も信者も読み解いているとは思えない。
それがキリスト教の限界である。
>>162 続き
410 :Johannes:2011/07/26(火) 22:17:20.73 ID:q7W7iXGP
>>382 キリストの復活は不可解な出来事である。
しかし「何か不思議な」ことがあったことは否定出来ない。
聖霊降臨についても同様に、それは不可解な出来事である。
しかし自我と意識及び認識され得る現象の原理を考察するならば簡単に否定出来るものではない。
もし真理の御霊が父なる神と子なるキリストの下位にあると考える人がいるならば其れは間違いである。
むしろ真理の御霊こそが生命と存在の根本であって宇宙の真理そのものと考えるのが正しい。
真理の御霊は窮極且つ遍在する真理そのもの考えられる。父と子は真理の御霊は真理の御霊の故に一体と解して誤りはない。
キリスト曰く。
「それ(真理の御霊)はあなたがたと共におり、またあなたがたのうちにいるからである」
「わたしはわたしの父におり、あなたがたはわたしにおり、また、わたしがあなたがたにおることが、わかるであろう」
>>372 このキリストの神観(或いは神の定義)は、それ以前(旧約聖書・ユダヤ人)の神観と決定的に袂を分かって異なっている。
旧約の唯一神は人間を創った存在なのであって、神と人間は最初から分離した異なった存在である。
しかしキリストの説いた神と人間は、明らかに真理の御霊に包括された連続性と一体性を有しているのである。
残念ながら此の事に気付くクリスチャンは殆どいないようである。
>>163 続き
ヨハネ福音書14章20節
「その日には、わたしはわたしの父におり、あなたがたはわたしにおり、また、わたしがあなたがたにおることが、わかるであろう。」
このキリストの言葉は実に大切である。キリストを受け入れる者は父と子の神と一体になる。つまり神として一体なると教えているのである。
これは自我の消滅を意味している。
自我は消滅しても全ての消滅を意味しない。自我は透明となって神の意識に吸収されて一体となり、神の意識は全ての意識を包括する。
それは現在の自分が幼い頃の自分や小学生中学生の頃の自分を包括している様子に類似しているかも知れない。(過去の自分に自我はないことに気付け)
神である私の内に私は存在して生きるのであって、自我の消滅によってこそ真実の命への道が開かれる。だから死んでも生きるのである。
父と子と聖霊なる神は真理の御霊に於いて一体なのであるが、それを超えて一体なのだから、真理の御霊こそが無始にして唯一であり且つ全てなのである。
(なかなかイメージを上手に言葉に出来ないのだが・・)
だからキリストを受け入れる者は自我を透明にしてキリストの愛に一致するための祈りと行いと助けが必要となる。
>>164 続き
聖母マリアがキリストの母であることは福音書を引用するまでもなく明らかであろう。
母とは女性である。イエズスは女性原理により誕生しマリアの母性によって育てられたのである。
つまり誕生は女性原理の為せる業だからである。
ルカ福音書1章35節
「聖霊があなたに臨み、いと高き者の力があなたをおおうでしょう。それゆえに、生れ出る子は聖なるものであり、神の子と、となえられるでしょう。」
ルカ福音書1章38節
「そこでマリヤが言った、『わたしは主のはしためです。お言葉どおりこの身に成りますように』。」・・(注)これは神を受け入れて死を打ち破った一言である。
そして母であるが故に我が子の苦難苦痛と死を自らが身代りになりたいとまで思うのが母の愛である。(聖母マリアは既に神を受け入れて死を打ち破っている)
そのキリストの母・聖母マリアが既に神と一体であることは自明の理である。
キリストを受け入れる者にとって聖母マリアの正体は真理の御霊であり女神である。
真理の御霊は聖霊ともなるし聖母マリアともなる。
ロザリオの祈りが聖母マリアの心と一体となり自我を透明にする為の大切な祈りであると分るだろうか。
また、祈る者自身の内に真理の御霊である聖霊の助けが働くことが分るだろうか。
ロザリオの祈りが産み育てると云う女性原理そのものであることが分るだろうか。
今の段階で俺の言葉では、取り合えずこのくらいの下手な説明しか出来ない。
多々批判は承知の上である。俺は決してマリア教徒ではないが敢えて聖母マリアの説明を追加した。
Johannes論は更に展開する独自論(全ての教会を敵に回す異端論) であるが切りがないので此処で終える。
166 :
子羊通信オススメします :2011/07/31(日) 12:05:13.02 ID:Y3qxCNPf
>>160 いま、いろいろな宗教に関心を持ち始めている。
まだ浅く広くの段階だが、ヨハネスさんの関心ともダブルように思う。
必要なら、ほかの宗教も参考にしましょう。
>>161 創世記2章における「命の息」が「永遠のいのち」だろうと思う。
人間は、創世記3章(蛇の誘惑)で「善悪の知識の木」の実を食べ、
その罪によってエデンの園を追放され、労苦と死ぬ運命を背負うことになる。
キリスト教は「イエスがこの罪を購うから救われる」という教義である。
ということは、イエスは人間の罪だけを清めたのであり、
それによって人間は、罪を犯す前の、神との関係を取り戻すのである。
イエスから「永遠のいのち」を受け取るわけではない。
聖霊は、神そのものであり、神の訪れである。 それは「真理を悟らせる霊」であり、「人間の罪を清める霊」でもある。 人間にはもともと「永遠のいのち」が内在している。 しかしそれは罪によって覆われている。 あらゆる宗教はその罪を祓おうとするわけだが、罪を祓うことに成功すれば、 もともとの「永遠のいのち」が姿を現すことになる。 この「永遠のいのち」が、聖霊とは区別される、人間の「霊魂」である。
>>162 やはり、ヨハネ福音書は聖霊と霊魂を混同しているように思う。
神は「永遠のいのち」である、聖霊は「永遠のいのち」である、
という言い方は正しいと思う。
しかし、個体における「永遠のいのち」は「霊魂」という形になる。
これを区別しないと、ヨハネ福音書のような、理解しにくい文章になる。
神と人間、聖霊と霊魂の関係に、イエスを割り込ませるからか。
>>163 旧約の神観と、新約の神観が違うという指摘はその通り。
新約の神観は、アミダ経や真言宗やヒンズー教に似ているように思う。
信者は、人間→イエス→神 という連続から信仰している。
しかし、そんなに簡単ではないことは、ノルウェーの銃撃事件のように、
キリスト教に関係した数々の凶悪事件が証明している。
旧約にある雅歌は、神と人間の関係をたとえたもの、という見方がある。
かりにそうだとすれば、旧約の神観から逸脱しないだろうか?
>>164 自我の消滅はどういったことなのか。説明を読んでもよくわからない。
わたしという意識は、どこまで行っても消えることがない。
透明になることは、心を脱ぎ捨て、肉体を脱ぎ捨てることで可能になる。
これができれば、人間は透明な「霊魂」そのものになる。
しかしこの霊魂は、神でもなく聖霊でもなく、意識のある個体である。
人間が神になることは決してありえない。
173 :
神も仏も名無しさん :2011/07/31(日) 14:53:16.04 ID:3iMPBR7B
>>165 ヨハネスさんに共感しながらも、大きく交錯してしまったようである。
しかし、その異同を明らかにし、真理を探し、誤りを訂正することの中に、
話を重ねて行く意義もある。なんにせよ、忍耐が基本ですね。
関心を持つ人々の参加があれば、議論がさらに深まるのではないかと思う。
むしろヨハネ福音書の完成度の高さには感動している。 冷静に見るならば新約と旧約の教えはは全然別物と思える。 ただ時代と場所が旧約を背景にした謂わば舞台設定というだけだろう。 だから見かけ上は繋がっているが本質は完全に不連続以上に否定断裂だろう。 自我の説明は本当に難しいくて上手く言葉に出来ないでいる。 いきなり消滅という表現を使ったのが悪かったのかも知れない。 何と言えばいいのか悩む。 変能か変容か変転か・・何れにせよ今あると思い込んでいる自我は確実に消滅する。 しかし暫し留まってしまう場合もあるのかも知れないが。
むしろヨハネ福音書の完成度の高さには感動している。 冷静に見るならば新約と旧約の教えはは全然別物と思える。 ただ時代と場所が旧約を背景にした謂わば舞台設定というだけだろう。 だから見かけ上は繋がっているが本質は完全に不連続以上に否定断裂だろう。 自我の説明は本当に難しいくて上手く言葉に出来ないでいる。 いきなり消滅という表現を使ったのが悪かったのかも知れない。 何と言えばいいのか悩む。 変能か変容か変転か・・何れにせよ今あると思い込んでいる自我は確実に消滅する。 しかし暫し留まってしまう場合もあるのかも知れないが。
すまぬ。ダブった。
イエズス教えた「真理の御霊」はキリスト教固有のものではないと考えている。
全人類と全ての時代に普遍的に有り続ける真理そのものだろう。
だから、それは宗教の違いの垣根を超えるだろう。
もしかしたら宗教に馴染まないのかも知れないし低級な宗教は気付くことがないとも思う。
その表現方法がが変わると宗教紛争になるだけだろうとも思える。
>>173 十人十色だと思うよ。同じ言葉を使っても異なった概念として捉えていることだってあるだろう。
俺と君は同じ真相の追究者だよ。そこに真理を見出したいことを動機としている仲間だろうと思う。
そういう日本人が増えるならば好ましいことだと思う。盲信や狂信は恐ろしいことだ。
また、逆に目先のことだけに囚われて命の真相に背を向けていまうのは哀れだと思う。
178 :
電車男販売。 :2011/07/31(日) 16:10:45.76 ID:ASy7aruZ
キリスト教は暖かい宗教団体ですよね。
179 :
神も仏も名無しさん :2011/07/31(日) 18:47:02.84 ID:ITm6xpHe
>>174 かってはヨハネ福音書を繰り返し読んでいた。
特に14章から17章にかけては、歌い上げるような高揚感があり、
しびれるようなよさがあった。ヨハネは格調が高い。
自我の消滅については、次のように区別する方法もある。 日常的な自分 → 自我 その自我が消滅した後に現れる本当の自分 → 真我 唯識で区別することも可能かもしれない。 意識、無意識(マナ識・アラヤ識) → 自我 意識と無意識が脱落した後の状態 → 根本識(霊魂、アートマン)
183 :
神も仏も名無しさん :2011/08/01(月) 13:28:52.22 ID:7BUNFVvT
雅歌を読み返したが、やはりソロモン王と、ハーレムに所属する娘との恋歌 程度にしか読めない。雅歌を聖書に残した理由がわからない。 ソロモンの歌だと信じられてのことか。 雅歌に神と信者の関係を読む? 旧約の時代はそういった神観ではないし、 そういった読み方は神を冒涜するように感じられる。
184 :
神も仏も名無しさん :2011/08/01(月) 13:45:15.69 ID:4er68Jjo
雅歌は古今和歌集なんだよ・・・・ 百人一首も大体が恋の詩が多いだろ まあそういう息抜きも必要だって事で編纂したんじゃねーかな? まあ神様よか近くの若い姉ちゃんの方がソロモンも好きだったって 事じゃね?
185 :
神も仏も名無しさん :2011/08/01(月) 18:35:24.73 ID:R73FAVSx
やっぱしそーだよね。ソロモンの箴言、コレヘトの言葉が続くと、 なんか気が滅いってくる。雅歌でちょっと一服ですかね。 いままでそんな感じで読んでいたから、読み方としては正解だったか。 議論スレで「神と信者の関係」だと聞き、まさかと思って考えていた。
ユダヤ民族のものと認めた文献は糞も味噌も旧約聖書に保存されて来ただけだ。 正直と言えば正直だが、それ以上に唯一創造神神話に騙された殺虐性に満ちた恐るべき愚民であった。 そんな野蛮な人殺し民族の創造神が唯一の神とは、それだけで十分に馬鹿げた話しと云うものだ。
聖書における、唯一神という強烈なメッセージと、 戦いによって成立し、崩壊したユダヤ国家の歴史とを区別した方がいい。 肥沃なカナンは、奪い奪われるを繰り返した危険な場所であったし、 大国の野心が駆け抜けて行く通り道でもあった。 当然、戦いは熾烈をきわめ、残虐なものにならざるをえなかった。
188 :
神も仏も名無しさん :2011/08/02(火) 19:49:26.23 ID:r+NmZQnI
聖書(特に旧約)の唯一神のメッセージは正しい。 これはギリシャ神話やヒンズー教などの多神教とは隔絶した神観である。 聖書は、ユダヤの歴史にダブらせ、唯一神を伝え、探し続けている。 読者も唯一神を聖書と共に探すべきだろう。 聖書の話は、歴史とたとえ話と作り話とが混然一体になっている。 読者はそこから唯一神のイメージを読み解く必要がある。 神とは何か。聖書はそれなりの答えを出しているのではないだろうか。 ただ、それを受け入れられないだけのようにも思う。
189 :
神も仏も名無しさん :2011/08/02(火) 20:37:45.13 ID:r+NmZQnI
なぜ人間は、神に性別があるなどと思っているのか。 神に性別などあるわけがない。 神に性別がないとすれば、多くの宗教を大鉈で整理することができる。 性別を持つ神は神ではないと断言できる。 キリスト教でも、ヒンズー教でも、仏教や密教でも、神道においても、 その神もあの神もすべて神ではないことになる。 見神をした川面凡児、密教行者、ラーマ・クリシュナ などなど 残念だが、あなたがたの見た神仏は幻覚にすぎない。
190 :
神も仏も名無しさん :2011/08/02(火) 21:21:04.14 ID:r+NmZQnI
坐禅や瞑想の最中に「神仏を見る」こともあるのだろう。 しかしそれはたぶん、幻覚であり魔境である。 仏に逢うては仏を殺せ。祖に逢うては祖を殺せ。羅漢に逢うては羅漢を殺せ。 父母に逢うては父母を殺せ。・・・始めて解脱を得ん。(臨済録) 性別のある神仏など、しょせんニセモノであると禅宗が教えている。 この教えが正しいなら、川面凡児も、ラーマ・クリシュナも真実の神仏を 見たわけではないことになる。イエスは男性だから神ではない。
神に妻がいるわけがない。ましてや子供などいるわけがない。 家族関係が登場するような神々は、人間の家族関係から想像されただけの 神々でしかない。これはいったい何を意味するのだろう。 「神→人間」という関係の神ではなく、 「精神→物質」という関係でとらえられた神ではないだろうか。
>>187-189 完全な間違いである。
>>187 「>>区別した方がいい。」
・・区別する理由がない。理由もなく区別したいのは、自分個人の信仰に都合がいいからであろう。
しかし旧約聖書それ自体が、神と殺虐性に満ちた出来事の関係性を一体的に記述しているのだから区別出来るものではない。
>>188 最初の前提に根拠がない。
「>>聖書(特に旧約)の唯一神のメッセージは正しい。」
・・いきなり、そう「断定」した前提から論を展開しているが、その断定の根拠となる理由が一切示されていない。
その前提は、個人の信仰に過ぎない。
>>189 前レス
>>188 と同様、最初の前提に根拠がない。
「>>神に性別などあるわけがない。」
・・いきなり、そう「断定」した前提から論を展開しているが、その断定の根拠となる理由が一切示されていない。
その前提は、個人の信仰に過ぎない。
----------------------------------------------------------------------------------------------
「個人の信仰」を前提にして、いくら論を展開されても、それはその人個人の信仰に帰結するだけの内容でしかない。
個人の信仰それ自体は、第三者の根拠とは成り得ない。この人は、それに気付くことが出来ないでいる。
信仰が人を盲目にしてしまう典型的な書き込み事例と言える。
>>190-191 「個人の信仰」を前提にして、いくら論を展開されても、それはその人個人の信仰に帰結するだけの内容でしかない。
個人の信仰それ自体は、第三者の根拠とは成り得ない。
194 :
神も仏も名無しさん :2011/08/02(火) 22:26:20.04 ID:r+NmZQnI
痛がる子供に「痛いの痛いの飛んでけー」と呪文を唱えれば痛みが和らぐ。 神々の家族関係は、この言葉の魔力によって成立するのかもしれない。 神々が実際に存在するかどうかは問題ではない。 実際に存在するかのように語られるなら、それを聞く側は子供と同じような 心理状態に落ち込んで、神々を心から信じてしまうのだ。 しかし、神を信仰するというより、言葉を信仰しているという構造である。 偽薬によるプラシーボ効果のようなものである。 古代人の信仰とはそういったものであったろうと思う。そして実は、 現代人の信仰も同じようなものである可能性が非常に高い。
195 :
神も仏も名無しさん :2011/08/03(水) 12:47:22.63 ID:e2G8eevC
目の前に中身が見えない福袋が並べられている。 売れ残り品や、使い物にならないLLサイズが入っているかもしれない。 福袋を買って損か得かは、実際に買ってみないとわからない。 宗教もこれと似たようなものだろう。実際に体験しないとわからない。
福袋の中身を占うことは不可能なわけでもない。 それを売っている店の看板は信用できるか。値段は妥当か。 日ごろの対応は誠実か。商品の能書きは合理的か。買うことを強いないか。 必要以上に隠そうとするような、怪しい素振りはみられないか。
197 :
神も仏も名無しさん :2011/08/03(水) 18:41:33.31 ID:rG8Ik2A+
あとインターネットの口コミサイトも参考になる。たとえば福袋が鬱袋になった店の情報とか。 実際に買ってからのお楽しみとかいうのは無責任。金まるまる損することあるからね。
淋しくて苦しくて、ワラをもつかむ気持ちで宗教にすがったら、 金を損した上に、心にダメージを受けるのでは、踏んだりけったりだね。 それでもだまされる人がつぎつぎに出てくる。 淋しくて苦しくて、という思いにも原因があるのかもしれない。
199 :
神も仏も名無しさん :2011/08/03(水) 20:06:13.43 ID:+/irzuw/
なんとか気持ちを持ちこたえられるなら、 ネットで調べたり、宗教関連の読書をする方が無事だろうと思う。 これなら金も少なくてすみ、自分で考えながら前進することができる。 信じれば救われる、のでは、いくらなんでも安直過ぎるだろう。 いつの時代においても信仰に近道はない。 むしろ遠回りしよう。急がば回れ、弁証法とフロイトをすすめたい。 ささくれた気持ちはフロイトが癒してくれる。
200 :
神も仏も名無しさん :2011/08/03(水) 20:15:51.60 ID:cTPLREdS
一言も話すことなく死んでいった赤ちゃんがたくさんいるのに、あなたたちは「はじめに言葉ありき」という言葉を信じますか?
はじめに存在ありき、の方が真実ですね。
202 :
神も仏も名無しさん :2011/08/03(水) 20:38:48.31 ID:aGfY9HNO
mixiID=33692818 のぞみ=宮崎康治=mixiネーム『さくら』
ヨハネの黙示録に書かれている火の洗礼はいつ起こるのですか?
>>199 家に神棚や仏壇があるだろう。
祓詞(はらえことば)と神棚拝詞。般若心経を唱えればよろしかろう。
お金など掛からない。
205 :
神も仏も名無しさん :2011/08/04(木) 10:42:04.16 ID:yF1FX0xx
世界が沈むほどの水はどこにあるのか どこにいって今は陸地があるのか
206 :
神も仏も名無しさん :2011/08/04(木) 13:19:31.12 ID:HgbhRtuO
南極の氷がとけたらどうするの
>>203 ヨハネ黙示録に火の洗礼の話がありましたか。
黙示録にあるハルマゲドンとか、千年至福のあとの最終決戦のことなら、
それがいつ起こるかは「神のみぞ知る」だろうと思う。
それを何とか読み解こうとするのはむなしい結果に終わるだけ。
>>204 信仰だけの問題なら、形式や見栄えにこだわることはないと思う。
わたしの場合は、心がけや願い事を毎日、単語カードに別々に書き取り、
それを祭壇に置き、さらにそれを心でひとつづつ唱えていく。
自分なりの祈りができるので気に入っている。
209 :
神も仏も名無しさん :2011/08/04(木) 17:24:03.13 ID:HgbhRtuO
210 :
神も仏も名無しさん :2011/08/04(木) 18:13:19.36 ID:1pWVV1yS
>>205 ノアの箱舟もそうだが、世界中に洪水伝説がある。
たとえばムー大陸やアトランティス大陸のように、大地が海に沈めば、
世界中で大洪水が起こる可能性がある。
211 :
神も仏も名無しさん :2011/08/04(木) 18:23:44.82 ID:1pWVV1yS
>>209 あなたは神を信じている? 祈ったことがある?
あなたの祈りは聞いてもらえないの?
212 :
神も仏も名無しさん :2011/08/04(木) 18:38:37.73 ID:HgbhRtuO
213 :
神も仏も名無しさん :2011/08/04(木) 18:44:10.16 ID:1pWVV1yS
>>212 →
>>211 質問するなら、自分が逆に質問された時には誠実に答えるべきだろう。
これが礼儀ではないだろか。
214 :
神も仏も名無しさん :2011/08/04(木) 18:52:08.74 ID:HgbhRtuO
215 :
シモン・グノーシス ◆/bVPRrlaFM :2011/08/04(木) 20:07:01.85 ID:plR+5CS3
火の洗礼などないよ。 ストア派の世界大火が元ネタじゃね? ストア派は自然界は最も純粋な火から生じ→空気→水→土という具合にヒューレー(素材)が 生じたと考える。そして、万物は最終的に始原である火に戻る、つまる世界大火により万物は更新され、 その後再び同じ世界の再生が始まると説く。 ソースの黙示録とか牧会書簡とかは小アジアのヘレニズム系都市で種々の 異教や哲学の影響を受けただろうし、小アジアでも大きな勢力だったグノーシスにも似た考えがある。
216 :
神も仏も名無しさん :2011/08/04(木) 20:14:19.55 ID:UnIsPxq4
なんか信仰したいけど いろいろ有りすぎて わけわかめ
217 :
神も仏も名無しさん :2011/08/04(木) 20:22:11.48 ID:e4NpN1y8
プロテスタントはいろいろありすぎてわけわかめなので初心者には難しいと思います。 初心者は正教かカトリックにいったほうが無難です。プロテスタントはピンきりなので、 正教やカトリックでキリスト教の基本的なことを勉強してからいっても遅くありません。
218 :
神も仏も名無しさん :2011/08/04(木) 20:25:44.75 ID:UnIsPxq4
>>217 さんすこ
もうさー なんも信じれん 話だけでも聞いてくれるもんなのか
てかさ ちゃんとしたキリスト教 学ぶのってむずくない? (とくに日本では) 最近自己中な教会も増えてるから
>>219 キリスト教会の教義には何の価値も見い出せないであろう。
洗脳されて心と時間と労力を奪われ、教会の金蔓にされることがないようくれぐれも注意してほしい。
>>216 何故、信仰したいと思うのか。
信仰することに価値があると思うからなのか。断言するが何の価値もない。
自ら「ある」と認められないものを盲目に信じることなど愚かなことだと思うがな。
俺が日々神棚に拝礼するのは信仰しているからではない。
そこに高貴な御神霊がおわしますと認めているからだ。
俺が日々仏壇に合掌し読経するのは信仰しているからではない。
それが仏様と御先祖に通じると認めているからだ。
仏教では言霊が信じられているから経があるが、キリスト教では経を批判している。 どちらが正しいのでしょうか?
聖書の冒頭、創世記では、言葉による創造が行われている。 ヨハネ福音書でも、初めに言葉があった、言葉は神であった、とある。 聖書に言霊信仰が存在することは明白である。
キリスト教は新約と旧約によって成立する。 仏教の経にあたる聖書を、根本的に否定しているわけではない。 しかし、キリスト教を信じる者同士で争っているのは、 聖書に見られる矛盾や混乱や曖昧さや解釈の相違などに原因がある。 ひとつの、聖書というコップの中の争いである。
224 :
神も仏も名無しさん :2011/08/05(金) 14:02:51.30 ID:d/WXJ8V4
では仏教で、経による統一がなされているかと言えば疑問である。 アミダ経は念仏、ホーレン経は題目、真言宗はマントラや陀羅尼で救われ、 禅宗は自力による悟りを強調している。 アミダ経、ホーレン経、真言宗は、確かに言霊を重視している。 総合大学のような天台法華宗も同じ仲間かもしれない。
神道、ヒンズー教、ユダヤ教、イスラム教などにも言霊信仰がある。 この言霊信仰の本質とは何か。これが重要だろう。 われわれ人間は、昔から今に至るまで、気がつかないうちに、 言葉に操られ、言葉に踊らされていないか。 映像(イメージ)に操られ、映像(イメージ)に踊らされていないか。 宗教だけの問題ではない。マスゴミは人間の弱点を見抜き、 テレビや新聞で洗脳工作を常態化させている。 洗脳から解放されるには、マスゴミを切り捨てる以外に方法がない。
日本キリスト教団も韓国人だらけ、部落の性交団体になってしまったな。 あーやだやだ
わが家は新聞もテレビもない。そのお陰で、刺激がなく、 知らないからマスゴミの堕落にも腹が立たない。嫌なら買わなければいい、 という、ごく当たり前のことを真理だなあと実感するこの頃。
228 :
神も仏も名無しさん :2011/08/06(土) 20:49:02.14 ID:tRBEKFkr
インターネットから雑音が入らなくてよかったね^^ もうネットも止めたら?
229 :
神も仏も名無しさん :2011/08/06(土) 20:55:21.33 ID:XJljO/Gk
230 :
シモン・グノーシス ◆/bVPRrlaFM :2011/08/06(土) 20:57:16.74 ID:mGYUiIZR
そもそもヨハネ伝のロゴスを「言葉」と訳すのは間違いだろ。 ロゴス神学はそれ以前のストア哲学やフィロンのロゴス論、グノーシス思想とか いろいろな神秘主義思想の潮流の中で培われた哲学用語で、そもそも 日本語に訳しきれるようなもんじゃない。「言葉」なんて訳されても、本当の意味が分かる奴はいないだろw
231 :
神も仏も名無しさん :2011/08/06(土) 21:06:09.66 ID:tRBEKFkr
ギリシア語の日常の言葉としては、「ロゴス」はまず第一に「言葉」のことである。 しかし、「ロゴス(logos)」はいろいろな場面で使われる言葉であって、その意味は すっきりとはわかりにくい。もともとは、「一つに集める」という意味の動詞「レゲイン(legein)」 に由来するらしい。 「一つに集める」とは、バラバラに散らばった事物や事実を、数えながら筋目・秩序 にしたがって「とりまとめる」という、一種の秩序をもつ行為のことである。 「ロゴス」が「言葉」のことだというときには、一つひとつの「単語」が文法や用語法と いう「秩序」にしたがって、まとまって全体として統一的な意味をかたちづくるという 事態が考えられいるわけで、そこにはあの「レゲイン」の意味合いを感じ取ることが できるだろう。 ここから、「ロゴス」は、たんに「言葉」だけでなく、秩序、意味、理由、秩序、比例、 算定など、なんらかのパターン(型)、規則的なもの、「理(ことわり)」をもつことを 広くあらわすようになる。 しかし、人間がそのようにバラバラの事物や事実を発見してまとめ上げるという作業を行う ことができるのは、他の動物とはちがって人間は生まれながらに「理性」をそなえ、 「言葉」をつうじてそれを「筋の通ったかたちで表現する」ことができるからである。 そこから、「ロゴス」には、さらに、「理性」、「言論」、「説明」などといった意味が 付け加わってくる。
232 :
神も仏も名無しさん :2011/08/06(土) 21:11:49.07 ID:tRBEKFkr
>日本語に訳しきれるようなもんじゃない。「言葉」なんて訳されても、本当の意味が分かる奴はいないだろw 「言葉}とは、正確には、「神の真理」「光」のことなんだよ。 この(神の真理)にあらゆる「神の権威」が備わっているということで、 神は全能と要られているんよ。つまり、神の真理は「み言葉」であり、主ご自身を意味する。
233 :
シモン・グノーシス ◆/bVPRrlaFM :2011/08/06(土) 21:13:36.59 ID:mGYUiIZR
いやいやヘラクレイトス以来の哲学用語としてのロゴスを単純に「言葉」なんて 逐語訳するから、「言霊」がどーだとかアホな議論が出て来るんだろうがw
234 :
シモン・グノーシス ◆/bVPRrlaFM :2011/08/06(土) 21:15:27.49 ID:mGYUiIZR
初めにロゴスがあった。ロゴスは神と共に在った。ロゴスは神であった。 これでいいんだよ。無学な日本人にはちんぷんかんぷんだろうが、誤訳するくらいなら、 読者に勉強させろって話
235 :
シモン・グノーシス ◆/bVPRrlaFM :2011/08/06(土) 21:18:32.46 ID:mGYUiIZR
>>231 だから、それも日常言語としてのギリシア語を前提とした辞書的な語彙であって、
哲学用語として神秘性を帯びた世界の原理・秩序・神性としてのロゴスの意味とは完全に合致しないんだよ。
ヨハネ伝以前にストア派はロゴスを神と同視していたし、であれば、無理に日常言語の語彙に拘らず、
哲学用語として「ロゴス」と訳しておくべき。
236 :
神も仏も名無しさん :2011/08/06(土) 21:19:30.69 ID:tRBEKFkr
聖書で「ロゴス」は「み言葉」であり、神の真理を意味する。 だから、「み言葉」は、主であるキリストを意味する。 神の真理とは、神の愛であり神の英知のこと。 この中に神の全能があるということ。
237 :
神も仏も名無しさん :2011/08/06(土) 21:21:27.13 ID:tRBEKFkr
グノーシスの言ってる叡智ってどこから来るの? 人の理性はどこに起源があるの? 脳みそから?
238 :
シモン・グノーシス ◆/bVPRrlaFM :2011/08/06(土) 21:22:34.18 ID:mGYUiIZR
お前のスエ〜デンボルグ語って宇宙人言語だろw 俺らには読解不可能だから金星人とでも話してろw
239 :
神も仏も名無しさん :2011/08/06(土) 21:26:41.44 ID:tRBEKFkr
240 :
神も仏も名無しさん :2011/08/06(土) 21:28:56.33 ID:tRBEKFkr
クズ哲学^^
241 :
シモン・グノーシス ◆/bVPRrlaFM :2011/08/06(土) 21:30:11.32 ID:mGYUiIZR
人間の知的能力は全部脳みその産物だよ。 当たり前の話だろw
242 :
神も仏も名無しさん :2011/08/06(土) 21:38:07.89 ID:Y34QShDm
アラム語で言葉を意味する語って、ギリシャ語のロゴスとは かなりニュアンスが違うのかな。
243 :
神も仏も名無しさん :2011/08/06(土) 21:39:07.83 ID:tRBEKFkr
みなさん、これがグノーシス哲学の本質だそうです。 もうグノーシスは唯物論そのものですね^^ ほほー
244 :
シモン・グノーシス ◆/bVPRrlaFM :2011/08/06(土) 21:40:38.37 ID:mGYUiIZR
ってかヨハネ伝は最初からギリシア語で書かれてるし、マルコ伝と違って アラム語で考えた思想をギリシア語に転置する思考の跡も文献学的に認められないから、 アラム語でロゴスがどうとか考える意味もない。
245 :
神も仏も名無しさん :2011/08/06(土) 21:57:08.74 ID:tRBEKFkr
ロゴス/ことば/言葉 「ロゴス」は古典ギリシャ語からヘレニズム時代のコイネー・ギリシャ語に至るまで、 人間の言語活動と理性に関わる実に幅広い意味で用いられた。 それは発言、発話、表現、噂、事柄、計算、知らせ、講話、物語、書物、根拠、意義、 考察、教えといった日常用語のレベルから、「世界理性」や「指導的理性」などの 哲学的述語(ストア派)のレベルにまでわたっている。 ナグ・ハマディ文書を含むグノーシス主義文書は、前者の日常的な語義での用法も、 たとえば『復活に関する教え(ロゴス)』のほか、随所で見せているが、神話論的に 擬人化して用いる場合が多い。その場合の「ロゴス(あるいは「言葉」)」は、 プレーローマ内部の高次のアイオーンであり、神的存在の一つである。
>>229 まず、あなたの感想を書いてくれたらよかったのにー
>>228 ネットがあるから、テレビも新聞もやめたのですねー
やめてみて気がついたのは、PCニュースに羅列されている項目を、
どう選択するかに頭を使うことだろうか。自分なりの編集をしている。
取材はマスコミだが、それを自分で料理して食べている。
言霊・・・言葉が人間に強い影響を与えることは経験的な事実であり、 それを知ることで言葉を操る祭司が登場する。そんなことは当たり前であり、 わざわざ言われなくても知っている、では足りない。 言葉の力を学び、実際に利用することで言霊というものが成立する。 言葉には人間を左右する力がある。これが言霊である。
言霊は音声ばかりではなく文字にも宿るものである。 2chの書き込みで腹を立てたり傷つくこともあるだろう。 それはオンラインでディスプレイを通しても言霊が作用している証拠である。 「言霊」には個人の意識に直接働きかけるものが一般的である。(しかし特殊な言霊もある) また「念」は言霊に類似しているが、一般に言霊が主に聴覚・視覚から意識へと伝搬し、更に自律神経から全身へと作用するのに対し、 念は無意識に入り込み、そこから自律神経を通して全身に作用するし、また一方で意識へ作用する。 例えば誰かに呪いを掛けた場合(それには或る要件を満たす必要がある)、 呪いを受けたものは体調を崩して更に悪化すれば発病するし、同時に精神(意識)が錯乱して奇声を上げたり幻覚幻聴に苦しむことになる。 最悪、死に至る。 言霊を甘くみてはいけない。 念(呪い)を悪用することは厳に慎まねばならない。
>>249 ヨハネスさんの話には全面的に同意したい。
そこでさらに、言葉だけでなく、映像にも力があり、行為にも力がある、
のではないかと。聖書にもそういった話が出てくる。
ホセア書、エゼキエル書4〜5章、エレミヤ書などには、預言者が未来を
象徴的に演じると、それがやがて現実になる。
言葉、映像、行為を象徴的に演じる → それがやがて現実になる。 ワラ人形に五寸釘を打ち込むのも、同じ文脈にある。 この成り行きが呪術の基本的な構造なのだが、 これこそが信仰の正体ではないのか。 つまり、信仰は精神と肉体との関係であり、 神が排除された形で成り立っているのではないか、という疑問である。 唯物論ではないと思っているが、実際には唯物論ではないかという話である。 わかってもらえたろうか。うまく表現できなくてもどかしい。
人は心構えと日常の実践を通して神仏にも悪鬼夜叉にもなり得る。 もし自らの存在を平安(憎しみ怒り恐れ悲しみを克服した清らかで穏やかな慈悲に満ちた)な存在としたければ、 深く「仏法僧」に帰依する道こそ確実であろう。神仏になるとはそういうことなのだ。 その為には正しい修行が必要である。それは難しいものではなくお金が掛かることでもない。 ただ継続することが必要となる。 修業とは神仏と一体となること(即身成仏)に他ならない。 それはその時だけのことではあるが日々継続するうちに徐々に自我が変化して行く。 もしキリスト教に依ろうとするならば、現代ではロザリオの祈りだけが唯一残された武器だろうと思われる。 この祈りは誰にでも出来る簡単なもののようではあるが、その実は非常に高度な祈りであって簡単ではない。 俺は、一見難しそうではあるが、実は佛教の修行の方が日本人には馴染み易いし、簡単で確実だと思っている。 霊は宿るものであって善神善霊もいれば邪神悪霊もいるから怪奇な場所に近づいてはならない。 夏の肝試しで心霊スポットへふざけて行く若者がいるようだが、あれは非常によくない。 「トイレの神様」と言う歌が流行っていたが、あれは満更嘘ではない。 理性と感性を研ぎ澄ませることで悪霊の存在を見抜くことが出来るようになる。
>>252 いろいろ大切なことが書き込まれている。→ いずれ取り上げたい。
なかでも最後の文、「理性と感性を研ぎ澄ませる」という話には納得する。
ぼんやり眺めていてはダメ。耳を澄まし、肌で感じることが大切ですね。
それらをもとに、ほんの少し考える。
正月やお盆の習慣は、親族の霊を家に迎え、供養し、家族の無病息災を願い、 また元の場所にお帰りいただく、という話である。ここで重要なのは、 親族の霊がそこにいる【かのように】もてなすことである。 密教の修行もこれと同じである。大日如来や不動明王を迎え、供養し、 鎮護国家などを願い、また元の場所にお帰りいただく、という話である。 やはり、大日如来などが真実そこにいる【かのように】行われる。
少なくても密教の修法は、インドのプージャ(供養)に源流がある。 基本は供養である。ただ本尊が目的に応じて入れ変わり、 供養の道具立ても少しづつ変わっていく。 密教で求められるものは、如来や明王をまざまざとイメージするような、 イメージ形成力である。月輪観は心に月をイメージし、それを操る。 阿字観は梵字の阿字から大日如来をイメージする。 密教の修法は、供養する中で、たとえば大日如来をイメージし、 そのイメージにお願いしたり、そのイメージと一体になることだったりする。 それを助ける道具立てが、マンダラや真言や印なのである。
密教はイメージ形成力を重視する。それと同時に、それを補助する道具にも きわめて強い関心を持っている。マンダラや真言や印である。 要するに、人間の心に、明瞭なイメージを形成しようという意図がある。 密教僧はそのイメージに祈り、そのイメージを操作するわけである。 そのイメージが、実際に神仏と関係しているかどうかは疑問である。 またさらに、信仰がイメージであるなら、太元帥法による調伏護摩よりも、 呪いのワラ人形に五寸釘を打ち込むほうが効果があるだろう。
さらにいえば、エゼキエル書4章の方がより明瞭なイメージになる。 エゼキエルが作る箱庭の中にイスラエルの未来が示される。 人の子よ、れんがを一つ取って目の前に置き、その上に都であるエルサレムを 刻みなさい。そして、これを包囲し、これに向かって堡塁を建て、塁を築き、 陣営を敷き、破城槌を周囲に配備しなさい。自ら鉄の板を取り、それを自分と 都との間に鉄の壁をとし、あなたの顔を都に向けなさい。 こうして都は包囲される。あなたがそれを包囲するのだ。 これはイスラエルの家に対するしるしである。
258 :
神も仏も名無しさん :2011/08/07(日) 12:07:39.95 ID:KOPNKnfv
いままでの話で、密教(真言、天台)が何をやっているのか、 おおよその見当がついたのではないかと思う。 意外や、人間とは何か、神仏とは何かをまじめに追求しているのではない。 心の中に、神仏をイメージし、これを操ろうという話である。 呪術を中心に構築された宗教と言っていいだろう。 宗祖である空海はこんな宗教を望んでいたのだろうか。
空海は24歳のころ、虚空蔵求聞持法で悟ったと言われる。 この法は雑密(密教)であり、虚空蔵菩薩を供養するものである。 かれは、室戸岬で修法中、明けの明星がやって来るのを見る。 そのころの空海が、貧しかったことを思えば、修法の重点は供養より、 求聞持法の眼目である、陀羅尼をひたすら唱えることだったろうと思われる。 つまりかれは、陀羅尼をひたすら唱えていた、ということである。 これが空海の原点である。
260 :
神も仏も名無しさん :2011/08/07(日) 14:31:44.98 ID:KOPNKnfv
空海の修行と、現在の密教とを比較すれば、何か変だと思わないか。 イメージの形成力も大事だろう。しかし空海は、陀羅尼を反復して解脱した のではないか。空海をまねたらいいのに。 月輪観、阿字観などの、密教の観想法では解脱できないと思う。 さらに言えば、真言、陀羅尼、法具、マンダラ、印形なども邪魔でしかない。 現在の密教路線は、解脱の方法としてまちがっているように思う。
先にも書き込んだが言霊を甘く見てはいけない。 「真言」は言霊とよく似ているが厳密には異なる。 真言を唱えるならばその音声には霊的波動があって必ず御仏に通じ且つ御仏が現れる。 何も感じないかも知れないがそれは事実である。 真言の霊的波動は阿頼耶識の深奥に達し、それはこの世界の何処へでも通じるのであるが、 その阿頼耶識(意識世界)と此の世(物理世界)がどのように連続した構造になっているのかまでは分らない。 御仏や御先祖の霊がそこにいる「いるかのよう」に考えるのは最初に必要な基本的な心の持ちようである。 しかし、やがて本当にいることが分るようになる。 その際に重要になるのが共時性(シンクロニシティ)現象、そして夢(鮮明に覚えている夢・明晰夢・夢枕に立つなど)である。 また共時性と不思議な夢が相互に関連する場合も少なくない。 そこで必要になるのが研ぎ澄まされた理性と感性である。それら現象に何らかの意味・メッセージがあることに気付くのである。 それは虫の知らせ程度のものではなく、より具体的な得心である。 その段階では既に「いるかのように」ではなく「いる(居られる)」と分るようになり全てが事実と知るようになる。 キリスト教ではまず聖書を読んで学ぶことを先行させつつ祈るのが一般的である。 しかし佛教では全く逆である。まずは実践である。 例えば般若心経の意味を知る必要はない。まして御真言の意味を知る必要はない。 何かのお経の意味が知りたければ、それは後からでも十分である。 まず先に手を洗い口をすすぎ身なりを正して神棚に拝礼をする。 それから仏前に正座して姿勢と呼吸を整えるのである。作法をないがしろにしてはいけない。 因みに佛教の読経や真言念唱はキリスト教の「祈り」とは全く性質を異にしたものである。
262 :
神も仏も名無しさん :2011/08/07(日) 18:14:40.04 ID:Sf8Ztdx6
o come, o come, emmanuel 賛美歌94番を聴いてはまりました。 日本語訳だと意味がわかるのですが 英語の歌詞だとイスラエルが出てきますよね。旧約は、ほとんど、知らないので( 歴史的な概略は多少知識があるのですが) 意味がピンときません。 意味や解説などをお教えください。 異邦人の神ということで日本人のみならず世界との接点が出来るのに イスラエルという国をみなさんはどう捉えていますか?
>>262 【ヤハウェ(エホバ)の正体は悪魔である】
あなたがた(ユダヤ人)は自分の父(ヤハウェ=エホバ)、すなわち、悪魔(ヤハウェ=エホバ)から出てきた者であって、その父の欲望どおりを行おうと思っている。
彼は初めから、人殺しであって、真理に立つ者ではない。彼のうちには真理がないからである。彼が偽りを言うとき、いつも自分の本音をはいているのである。
彼は偽り者であり、偽りの父であるからだ。 (ヨハネ福音書 8:44 キリストの言葉)
~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~
【ヤハウェ(エホバ)が悪魔である証拠】
ユダヤ人はモーセやヨシュアやダビデのような人物が現れてローマの支配を覆して、
唯一なる神の選民に相応しい国を回復してくれることを待望していた。
その人物こそが「メシア」だと信じていたのだ。
出エジプト記にあるようなエジプト人虐殺における神の勝利と栄光。
ヨシュア記にあるようなカナン諸国人虐殺における神の勝利と栄光。
サムエル記にあるようなペリシテ人虐殺における神の勝利と栄光。
ユダヤ人はこれらを信じていたが嘘だった。
キリスト(メシア)はユダヤ人の待望していたメシアと違うから処刑されたに過ぎない。
結局ユダヤ人はローマに決戦を挑み西暦70年から73年マサダの戦いで全滅した。
聖書の神は最初から人殺しの神(悪魔)なのであって偽りの父であることが史実として証明されたのである。
尚、現在のユダヤ教徒(ユダヤ人)の人種的起源は、その九割が東ヨーロッパ起源のアシュケナージであって、
マサダの戦い以前の正しい血統を持ったユダヤ民族は流浪と離散の果てにスファラディと呼ばれるようになったが、
民族としての血統の正しさは事実上失われている。
~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~
あなたの神、主であるわたしは、ねたむ神であるから、わたしを憎むものは、父の罪を子に報いて、三四代に及ぼし、
わたしを愛し、わたしの戒めを守るものには、恵みを施して、千代に至るであろう。 (出エジプト記 20:5-6 ヤハウェ=エホバの言葉) ← 【嘘でした】
>>261 真言については、インドの言葉(サンスクリット)ぐらいの認識しかない。
いまのところ日本語以上の意味を持つとは考えられない。
ただヨハネスさんの指摘は覚えておく。やがてピンとくるかもしれない。
>>261 言葉の定義ですが、唯識のマナ識、アラヤ識をどう見ますか。
フロイトなら意識、無意識(マナ識・アラヤ識)だろうと思う。
ユングだと意識、無意識(マナ識)、集合的無意識(アラヤ識)ですか。
>>262 (動画)
http://www.youtube.com/watch?v=DPHh3nMMu-I (以下、コピペです)
O come, O come, Emmanuel,
いらっしゃい、いらっしゃい、イマヌエル
And ransom captive Israel,
(罪に)囚われているイスラエルを贖罪(しょくざい)して下さい。
意味は:イスラエルの人々が罪を犯していますが、イマヌエル様がその人々を救うべきだと歌う人は言っています。
That mourns in lonely exile here
that=Israel
イスラエルは寂しい「故郷から引き離されているところ=exile」で嘆いています。
Until the Son of God appear.
神様の息子が現れるまで。
(Refrain)
Rejoice! Rejoice!
嬉しくなれ!嬉しくなれ!
Emmanuel shall come to thee, O Israel.
thee=you(ドイツ語のdirです。)
イスラエルよ、イマヌエルはあなた(イスラエル)に行くべきだ。
(shallは二つの意味があります。未来形が一つとべきがもう一つである。どっちかな。)
O come, Thou Wisdom from on high,
いらっしゃい、知恵よ、あなた(=知恵)高いところから
Who orderest all things mightily;
パワーをもって、すべてのものを整えています。
To us the path of knowledge show,
我々に知識の道を見せて下さい。
And teach us in her ways to go.
her = 知恵の
知恵の道を歩む事を教えて下さい。
>>261 夢の重要性やシンクロニシティの話はよくわかる。
霊を見たことがあるので、霊界や霊の存在を100%認めている。
良夢や悪夢についても話してみたい。
どれを取り上げたらいいのやら、話してみたいテーマが多過ぎる。
>>266 続き
※この歌詞に於ける「イスラエル」とはキリストの救いに感謝するキリスト教徒の心を、
救い主(=インマヌエル=イエズス・キリスト)を待ち望んでいた頃のイスラエルの人々の心に映して表現しているのです。
つまり、そのイスラエルの人々が待ち望んだ救いが実現した感謝と喜びと信仰の確認を意味しています。
キリスト教の聖歌などで使われる「イスラエル」とはキリストが統治する理想の王国のことであり、そのキリストの救いを得た人々のことです。
現在あるイスラエルという国家と国民のことではありません。
因みに、こちらの曲もどうぞ。霊性の高い曲です。
(動画)
http://www.youtube.com/watch?v=Ufzx52UPVUQ
>>265 フロイトの説いた無意識とは抑圧された意識の押し込まれたゴミ箱のような潜在意識のことです。
フロイトにとって意識の主体とはあくまでも顕在意識のことなのです。
これに対してユングの発見した無意識とは個人的無意識と集合的無意識のことであり、
佛教の末那識・阿頼耶識と類似しています。(むしろユングは末那識・阿頼耶識からヒントを得た。)
ユングは意識の主体がむしろ無意識にあると考え自我自己同一性(アイデンティティ)の認識へと至りました。
>>261 仏教とキリスト教は、似ているところもあれば違うところもある。
まったく別物と割り切って学ぶのもひとつの方法だが、
違いは何かと迷いながら、探しながら学ぶのも方法ではないだろうか。
その際、仏教はこういったもの、キリスト教はこういったもの、という
おおよその「つかみ」が必要になる。これがけっこう大変だ。
浅く広く、いろいろな宗教に通じていなければならない。
>>269 意識、個人的無意識(マナ識)、集団的無意識(アラヤ識)ですね。
ヨハネスさんの言葉の使い方を了解しましたが、
わたしの場合は、マナ識が夢の世界、アラヤ識も自分にウエイトがあり、
集団的無意識という見方はあまりしない。その集団的な部分は、
霊界という共通体験から生じるのではないかと思う。
しかし、違いがわかったので、言葉の使い方には気をつけたい。
>>269 ヨハネスさんはフロイトとユングを正確に表現してくれたと思う。
わたしはフロイトしか知らないので、フロイトを語る以外にないのだが、
ゴミ箱のような無意識の捉え方、性的に理解する偏った夢判断など、
かれの曖昧さ、偏見などが逆に、そうじゃないだろうと刺激してくれた。
フロイトには、自分で考える余地があるような気がする。
なぜかわからないが、ユングにはまったく興味を抱かなかった。
この辺は好き好きなのだろう。
273 :
神も仏も名無しさん :2011/08/07(日) 21:03:03.71 ID:Rr46novp
密教に話を戻せば、空海は求聞持法ですでに解脱しているのに、 なぜ呪術を中心にした密教を請来したのか。 自分の体験が何だったのかを知りたい、という思いもあったのだろう。 それだけではなく、法灯を守るためには天皇を中心とする権力者の庇護が 必要だったからではないか。権力者と妥協する必要があった。 そのため密教の流れが呪術優先へと方向を変える。 こうして解脱ではなく、験力こそが最優先の課題になった。
賛美歌の話を含め、ヨハネスさんには感謝したい。いろいろ学んだよ。 わたしがしっかり読んでいる(^^) 感謝の気持ちを表すため、夢についての奥義を話そう。 夢を変えよう。どうやって変える? 夢の中でも優しく振舞う。そうしたら悪夢が良夢になる。 そのために、日ごろの「心がけ」が重要なのであり、 決定的なのである。
276 :
神も仏も名無しさん :2011/08/07(日) 22:02:15.98 ID:Sf8Ztdx6
>>268 感謝する。つまり、キリストに従うものは、イスラエル人ということか
つーか、二重人格か君は? まず神のことを人如きが理解できるはずがない、でも、いてくださるのは、経験上、知っている
しなくても良い経験をしたからなw ただ、良くして下さる神に感謝するだけ、人なんか子羊ですらないよ、そうであるのにかえりみてくれる方に恩を感じるべき
身の程を知らないと後で困るのはお前だぞ、礼のつもりで言っておく。
>>276 そんなこと言うなよ。ヨハネスの誠意をつくづく感じるぞ。
>>276 何を興奮しているのかよく分らぬが事実を言ったまでのことだ。キリスト教(特にカトリック)ではそうだ、と云う事実なのだ。
有名なRorate Caeliは、日本語で「天よ、露を滴らせ」として知られている。待降節に歌われるものだ。
その歌詞四番がこれだ。
4. Consolamini, consolamini, popule meus :
コンソラミニ、コンソラミニ、ポプレ メウス:
慰められよ、我が民よ、慰められよ:
cito veniet salus tua
チト ヴェニエット サールス トゥア
おまえの救いはすぐに来るだろう:
quare moerore consumeris,
クァーレ メローレ コンスメリス、
何故、おまえはもだえ死のうとするのか、
quia innovavit te dolor?
クィア イノヴァーヴィット テ ドロル?
苦しみがおまえをあらたに襲うといって?
Salvabo te, noli timere,
サルヴァーボ テ、ノリ ティメレ、
我は、おまえを助ける。恐れるな、
ego enim sum Dominus Deus tuus,
エゴ エニム ドミヌス デウス トゥウス、
我は実におまえの主なる天主である、
Sanctus Israel, redemptor tuus.
サンクトゥス イスラエル、レデンプトール トゥウス。
イスラエルの聖なるもの、おまえの贖い主である。
「Sanctus Israel」となっている。
279 :
神も仏も名無しさん :2011/08/07(日) 23:06:22.53 ID:Sf8Ztdx6
>>263 と268が同一人物だとは思えなかっただけ、普通、信仰を持っていれば263の発言は否定するし
真言とか、滝行とか、断食とかやったけど一番強いのは、心から神を信じ恐れないことだよ。
結局、神が一番強いし、頼りになる。なぜ、キリストやブッダが魔法や呪術を禁じたのか今はよくわかる
信仰だけで充分だよ。
>>279 ああ。なるほど。俺はキリスト教会の教義と対立する独自論を展開しているから誤解されてもしょうがない。
Johannes論では、創世記の唯一創造神を否定する。故にクリスチャンとは対立することになる。
(過去レスから引用)
キリスト教の核心部分は「ヨハネ福音書14章から17章」に集約されている。
そのことに気付いた者は「ヨハネ第一の手紙」の価値を知るであろう。
ヨハネ福音書14章にある次のキリストの言葉は最終回答でありキリスト復活の真相を示唆する。
---------------------------------------------------------------------------------------------------------------------
それは真理の御霊である。この世はそれを見ようともせず、知ろうともしないので、それを受けることができない。
あなたがたはそれを知っている。なぜなら、それはあなたがたと共におり、またあなたがたのうちにいるからである。
もうしばらくしたら、世はもはやわたしを見なくなるだろう。しかし、あなたがたはわたしを見る。わたしが生きるので、あなたがたも生きるからである。
その日には、わたしはわたしの父におり、あなたがたはわたしにおり、また、わたしがあなたがたにおることが、わかるであろう。
---------------------------------------------------------------------------------------------------------------------
そこを読み解けないのであれば聖書も教会も無意味なものでしかない。また、このキリストの最終回答は創世記の真相である。
しかしキリスト教会も信者も読み解いているとは思えない。それがキリスト教の限界である。
キリスト曰く。「それ(真理の御霊)はあなたがたと共におり、またあなたがたのうちにいるからである」
「わたしはわたしの父におり、あなたがたはわたしにおり、また、わたしがあなたがたにおることが、わかるであろう」
このキリストの神観(或いは神の定義)は、それ以前(旧約聖書・ユダヤ人)の神観と決定的に袂を分かって異なっている。
旧約の唯一神は人間を創った存在なのであって、神と人間は最初から分離した異なった存在である。
しかしキリストの説いた神と人間は、明らかに真理の御霊に包括された連続性と一体性を有しているのである。
残念ながら此の事に気付くクリスチャンは殆どいない。
ヨハネ福音書14章20節 「その日には、わたしはわたしの父におり、あなたがたはわたしにおり、また、わたしがあなたがたにおることが、わかるであろう。」 このキリストの言葉は実に大切である。キリストを受け入れる者は父と子の神と一体になる。つまり神として一体なると教えているのである。 これは自我の消滅を意味している。 自我は消滅しても全ての消滅を意味しない。自我は透明となって神の意識に吸収されて一体となり、神の意識は全ての意識を包括する。 それは現在の自分が幼い頃の自分や小学生中学生の頃の自分を包括している様子に類似しているかも知れない。(過去の自分に自我はないことに気付け) 神である私の内に私は存在して生きるのであって、自我の消滅によってこそ真実の命への道が開かれる。だから死んでも生きるのである。 父と子と聖霊なる神は真理の御霊に於いて一体なのであるが、それを超えて一体なのだから、真理の御霊こそが無始にして唯一であり且つ全てなのである。 (なかなかイメージを上手に言葉に出来ないのだが・・) だからキリストを受け入れる者は自我を透明にしてキリストの愛に一致するための祈りと行いと助けが必要となる。
(過去レスから引用) 聖母マリアがキリストの母であることは福音書を引用するまでもなく明らかであろう。 母とは女性である。イエズスは女性原理により誕生しマリアの母性によって育てられたのである。 つまり誕生は女性原理の為せる業だからである。 ルカ福音書1章35節 「聖霊があなたに臨み、いと高き者の力があなたをおおうでしょう。それゆえに、生れ出る子は聖なるものであり、神の子と、となえられるでしょう。」 ルカ福音書1章38節 「そこでマリヤが言った、『わたしは主のはしためです。お言葉どおりこの身に成りますように』。」・・(注)これは神を受け入れて死を打ち破った一言である。 そして母であるが故に我が子の苦難苦痛と死を自らが身代りになりたいとまで思うのが母の愛である。(聖母マリアは既に神を受け入れて死を打ち破っている) そのキリストの母・聖母マリアが既に神と一体であることは自明の理である。 キリストを受け入れる者にとって聖母マリアの正体は真理の御霊であり女神である。 真理の御霊は聖霊ともなるし聖母マリアともなる。 ロザリオの祈りが聖母マリアの心と一体となり自我を透明にする為の大切な祈りであると分るだろうか。 また、祈る者自身の内に真理の御霊である聖霊の助けが働くことが分るだろうか。 ロザリオの祈りが産み育てると云う女性原理そのものであることが分るだろうか。 今の段階で俺の言葉では、取り合えずこのくらいの下手な説明しか出来ない。 多々批判は承知の上である。俺は決してマリア教徒ではないが敢えて聖母マリアの説明を追加した。 Johannes論は更に展開する独自論(全ての教会を敵に回す異端論) であるが切りがないので此処で終える。
>>282 について若干補足説明をする
>>「そこでマリヤが言った、『わたしは主のはしためです。お言葉どおりこの身に成りますように』。」・・(注)これは神を受け入れて死を打ち破った一言である。
当時の律法に従えば、父親の分らない子供を妊娠することは死刑(石打)に相当する姦通罪であった。
聖母はそれを承知の上で御使いの言葉を受け入れた。それが、「(注)これは神を受け入れて死を打ち破った一言である。」の意味である。
>>261 >キリスト教ではまず聖書を読んで学ぶことを先行させつつ祈るのが一般的である。
>しかし佛教では全く逆である。まずは実践である。
>例えば般若心経の意味を知る必要はない。まして御真言の意味を知る必要はない。
>何かのお経の意味が知りたければ、それは後からでも十分である。
聖書を学ぶ場合と、仏教を学ぶ場合とは、それを学ぶ方法が異なる。 それはなぜか。その目的が異なるからだろう。 聖書は罪からの救いを目的にしている。人間は生来の罪人なのである。 その罪は心の底から悔い改めるとき、神の訪れ・聖霊によって救われる。 聖霊の訪れは、神の選びであり、人間の自由にはならない。 そのため、神が何を望むのか、それを聖書から学ぶことが課題になる。 神は絶対者であり、祈りと聖書が信仰生活の中心になる。
これに対して仏教は、輪廻転生からの解脱を目的にする。 人間の運命は前世の業によって決まる。これはどうもがいても動かせない。 前世の話だからである。仏教は業(カルマ)の法則を前提にする。
ではどうしたら輪廻転生から解脱できるのか。仏教は神を否定するから、 自力によって輪廻転生から解脱しなければならない。そういった制約のなか、 仏教は輪廻転生を「空」と解釈することで(解脱)を可能にした。 しかし「空」を言葉で理解させることは不可能に近い。 そこで修行の中で「空」を体験させる、というのが仏教の立場なのだろう。 修行が重視されるが、あくまでも「空」を体験させるためである。
聖書と仏教を比較して評価してみよう。 聖書の値打ちは「聖霊」を伝えているところにある。 仏教の値打ちは坐禅の技法を伝えているところにある。 残念だが、空を体験することは不可能である。 重要なのは、坐禅修行における「梵我一如」と「アートマン」の体験である。 結論としては、聖書も坐禅修行も欠かせないのであり、 どちらも残されていてよかったと思う。ふたつは位相が異なっている。 順序は、聖霊 → 梵我一如 → アートマン(霊魂)
ついでに坐禅修行について書いておこうか。 仏教の修行は坐禅だけでなく、いろいろな方法があるのだろう。 しかし、聖霊体験があるなら、数息観だけで十分である。 数息観は、座って、息を数えるだけの単純な坐禅である。 息を吸って吐いてイチ、ニー、サン・・・と数え、ジュウまで行ったら、 またイチ、ニーと繰り返えす。心は息を数えることに集中する。 できたら、だいたい1時間ぐらい座ろう。
集中できなければ丹田に意識を置き、眠くなったら額の中央に意識を置く。 ただし眠くなったら鼻に意識を置くと教える本もある。 わたしは天台小止観の流布本(簡略本)で学んだので額の中央になる。 残念なことに、この流布本を捨ててしまった。必要ならまた買えばいいや、 と思ったのが失敗だった。探しても見つからない。 ともかく辛抱すれば、坐禅するうちに梵我一如のレベルには到達する。 これが仏教で言う「空」だと言えなくもない。
問題はこの先、魔境にある。これは突破できない。 仏教徒もヒンズー教徒も、ここでことごとく粉砕されるだろう。 そして魔境の恐さから坐禅ができなくなる。 神はだまされるようなお方ではない。そのために魔境が備えられている。 神はそこで、心の裏の裏までをお見通しになる。 ではどうしたら魔境を突破できるのか。そのために聖霊体験が欠かせない。 聖霊体験をすることが、魔境を突破する力量とイコールなのである。 ものごとには順序がある。聖霊体験が最初である。
>>291 君は真面目なあまりに考え過ぎているのではなかろうか。
そんなに大袈裟なものではないし難しい事でもない。お金も掛からない。
信じようとする必要もありません。ただ継続することが大切なだけだよ。
聖霊体験はそもそも何も関係ないと思う。
大切なのは「気付くこと(=悟ること)」だと思っています。
継続していれば「気付く」時が来ます。
>>292 確かに気づくことがポイントなのだが、それが聖霊体験に直結する場合と、
そうでない場合とがある。「天よ、露を滴らせ」の露が聖霊なのです。
ヨハネスは聖霊(神の訪れ)と霊魂(永遠の命)を区別していないと思う。
魔境の恐さは昔から知られている。 釈迦は半眼で瞑想し、仏教の坐禅でも基本的に半眼で行う。 仏教は魔境に入ること自体を避けている。 結果として、仏教では「梵我一如」が最高の体験になる。 仏教の修行方針を理解できないではない。仏教徒には聖霊体験がないから、 魔境に入ること自体が危険なのである。神の守護がないから、 ノイローゼになったり、場合によっては命を落とすことになる。 仏に逢うては仏を殺せ、祖に逢うては祖を殺せ、という臨在録の殺仏殺祖は、 魔境を恐れる話として理解したらいいだろう。
わたしも半眼で行うことをすすめる。 聖霊体験がなければ、魔境を突破することは不可能である。 準備がないのに、魔境を体験することは百害あって一利無しである。 ★ ★ ★ 坐禅は半眼を開けて行う 空海は聖霊体験がないのに明星を見たという。しかしこれは例外中の例外。 これとよく似た話で、釈迦は満月を見て成道したとも言われている。 密教の金剛頂経に出てくるらしいが、金剛頂経は7世紀中頃の制作であり、 満月うんぬんの話はだれかの作り話だろうと思う。
今までの話から、坐禅や瞑想をするにも聖霊体験が関係していることが わかってもらえたろうか。聖霊体験がなければよくて梵我一如止まりである。 その先の明けの明星、霊魂体験には99.99・・・%進めない。 なぜそんなに難しいのかと言えば、心を脱ぎ捨て、身体を脱ぎ捨てないと 霊魂にならないからである。生きながらに死ぬことと等しい。 こんなことは不可能に近いし、仮にできたとしても危険過ぎるのである。 危険だと知らないから、危険なことをやって偶然にも体験してしまった、 というのが真実ではないだろうか。空海もそうだったろう。
>>293 では更にはっきり言う。
佛教に於いては聖霊体験など一切考慮しない。
そもそも「聖霊体験」とは何か。
使徒行伝1章2-4をイメージしているのだろうか。
佛教では斯くの如き現象を考慮することはない。
>>ヨハネスは聖霊(神の訪れ)と霊魂(永遠の命)を区別していないと思う。
・・区別するのが誤りだからだ。
佛教では其の区別がそもそもが有ってはならない誤りなのだ。
それは佛教ではない。
そうすると問題は、聖霊体験ができるかどうかであり、 坐禅や瞑想の技術的問題ではないことになる。 技術的には、もっともシンプルな数息観で十分すぎるほど十分である。 念仏や題目や、真言や陀羅尼を唱える必要もない。むしろマイナスである。 当然、ハタヨーガとかクンダリニーヨーガなどは邪道でしかない。 問題は聖霊体験ができるかどうかにある。
>>297 仏教が聖霊体験を考慮しないので、それでは足りないと指摘している。
また使徒言行録の聖霊は、ルカの作り話か、かりに何かあったとしても、
集団ヒステリーのようなものだろうと思う。
聖霊は、頭の中に、斜め上方から落ちてくる雫のようなもの。
霊魂は、意識も感覚もある透明な球。
>>297 仏教やキリスト教の教え以前に、何が真実なのかが優先すると思う。
そう説いているから信じるのではなく、自分の目で確かめ、
自分の頭で考えるようにしたい。めざしの頭も信心から、と言うように、
信仰には人間を盲目にしてしまう力がある。
聖霊とか霊魂とかを、その精神的な意味合いから眺めれば、 ヨハネ福音書15章13節かもしれない。 (友のために自分の命を捨てること、これ以上に大きな愛はない。) 聖霊を体験するのに必要なのは、この愛であり、優しさである。 魔境を乗り切るのも同じ。悪夢を良夢にするのも同じ。 空を説く仏教には、これが欠けていないだろうか。
夢は毎日見る。これを利用しない手はない。 基本的には、その日思ったこと、心を動かしたことが夜の夢になる。 夢を点検すれば自分がどの程度の人間なのかがわかる。 この夢を変える。優しくなれば夢が変わる。 なぜ薬物がダメなのか。サイケな幻覚を見ても無意味だからである。 魔境では、その人の愛や優しさが問われている。 その点から言えば、殺仏殺祖を言う臨在録はカン違いしている。
霊魂が存在することで自我が継続し続けると考えているうちはまだ佛教の外にいる。 いくら考えても無駄であり迷信である。それきキリスト教会レベル。
304 :
神も仏も名無しさん :2011/08/10(水) 10:59:49.64 ID:6y0lAbXl
↑ サルの寝言 仏教はお札を数えてナンマーダーだべ
305 :
神も仏も名無しさん :2011/08/10(水) 11:03:02.71 ID:6y0lAbXl
仏教もグノーシスも思考の主体は、きっと脳みそなんだろな^^ その脳みそが腐った死後に悟りがあると言うから、あたまおかしいんじゃん^^
306 :
承狂 ◆TptLNQXPVWuJ :2011/08/10(水) 16:53:16.91 ID:S0tO4VVY
キリスト教って、親兄弟が死んでも自分達だけは復活するって信じてるんだよな?(笑) (^。^)良い性格してますね♪(笑)
>>303 ヨハネスの話はわからないでもない。
仏教を内側から見るか、外側から見るかの違いではないだろうか。
よく話せば、結局は同じことを言っている可能性が高い。
何を言いたいのか、何となくわかるような気がする。
ただ大乗の空、これはいただけない。 日本の僧侶は、空の思想を証明したいのか、墓場の中で暮らしている。 よくやるよと気の毒に思うが、実際には金勘定ばかり。 僧侶にとっては、生活の糧、墓場こそが有り難い田畑なのだろう。 仏教の発祥地、インドには墓がない。火葬後、ガンジス川に流してしまう。 日本の仏教もインドに学び、散骨にすればいいのに。
仏教は空を説いているが、殺人者にとっては有り難い教えである。 しかし、自分が殺される側になれば、必死に逃げて抵抗するのではないか。 そんな教えが空である。世間は空論といってバカにしている。 こんな邪教が生き残っているから、日本の霊性がいつまでも低迷している。 日本を霊的によみがえらせるには、たとえば宗教法人優遇税制を廃止し、 墓場にしがみついている大乗仏教の糧食を絶つべきだろう。 宗教界にも競争原理が必要である(^^)
310 :
承狂 ◆TptLNQXPVWuJ :2011/08/10(水) 18:57:13.58 ID:S0tO4VVY
キリスト教って、 死んだら魂はどうなってる設定なの?(笑) ハッキリ決まってないよね? 会議で決まってたっけ?(笑)
仏教、キリスト教などなど、そういった枠にはまった考えは、 もはや終りを迎えつつあるのではないだろうか。 ネット社会は、自分の目で確かめ、自分の頭で考える時代である。 仏教もキリスト教もかってのオーラが失われ、無様な残骸になっている。 特に仏教はひどい。僧侶自身が喜怒哀楽に翻弄されて生きているのに、 空などと寝言を語り、まるでペテン師のようではないか。 仏教より、アートマンを説くヒンズー教の方がよっぽどましである。
坐禅の体験には、梵我一如とアートマン(霊魂)体験しか存在しない。 空の体験など絶対にありえない。だから不立文字になる。 空が体験できないものであれば、それは無、虚無であろう。 無、虚無を語るには、Aではない、Bではない、という否定表現でしか 表現できない。これが竜樹の説く空ではないのか。 それはまったく何もないゼロである。
坐禅をするなら、念仏、題目、念唱などはやめた方がいい。 これはすでに書いたことだが、重要なので再度繰り返しておきたい。 心を自然な状態に戻したいなら、坐禅には色をつけない。 息を数えるだけの数息観がベストである。
線香もローソクもやめた方がいい。呼吸を細くするために邪魔でしかない。 掛け軸などの小道具もいらない。何もいらない。ただ座ればいい。 わたしもできなかったが、結跏趺坐ができなければ、 尻の下に枕を置くといい。パイプ枕なら高さを調節できるので重宝する。 住んでいる場所にもよるが、坐禅をするなら春か秋だろうか。 夏は暑くてダメだし、冬は寒くてダメ。 冷房や暖房? どうも気が散って坐禅には向かないようである。
315 :
神も仏も名無しさん :2011/08/12(金) 00:21:13.90 ID:A/jV/xPU
坐禅をする時は半眼でやる。 半眼でやるのは、坐禅中に眠らないためと、魔境に入らないためである。 これが坐禅の基本である。釈迦像を見ても半眼でやっている。 坐禅は半眼でやる。→ ここから重要なことがわかる。 坐禅中の体験は梵我一如か霊魂(アートマン)体験だから、 半眼を基本にする以上、その禅は梵我一如を目指していることになる。 半眼では霊魂(アートマン)体験ができない。 それゆえ大乗は、事前に霊魂(アートマン)体験を排除している。 釈迦も半眼なら梵我一如を体験しただけである。
坐禅にしても瞑想にしても、聖霊体験をしてから始めるべきだろうと思う。 しかし日本では、いきなり坐禅を始めるのが当たり前になっている。 そこでわたしがやっていたことを参考までに書いてみた。 聖霊体験が至難の技だから、まあ好きなようにやってください、 としか言いようがない。興味があるなら聖書のヨブ記を読んでみるがいい。 それを読めば聖霊体験がどれほどのものかがわかるだろう。
いままでの話から、わたしがどんな坐禅をしていたかがわかるだろう。 絶対にマネしてほしくないのだが、周囲を真っ暗にし、 さらにその上、目を閉じてやっていた。 ウソかホントかわからないが、虚空蔵求聞持法に挑んだ僧侶の死亡率は 50%にもなるという。やるなら、それぐらいの覚悟がいる。 わたしには関係ない。自分の責任でやってほしい。
空海、釈迦、十牛図などに、満月や明けの明星が出てくるのは、 かれらがまだ暗いうちに起き、坐禅に打ち込んだことを意味している。 静かだし、涼しいし、周囲はまだ暗闇である。腹の空き具合もいい。 夜が明ける前、これが坐禅には持って来いなのである。
日本人では、空海と夢窓が霊魂(アートマン)体験をしたろうと思う。 記録がないだけで、まだ他にもいるのかもしれない。 なぜ周囲に話さないのか、なぜ詳しい記録を残さないのか。 その理由を整理するのは骨なので、要するに言えば、 だれかに口止めされたかのように、何かを話したいとは思わないのだろう。 情報の乏しい昔は、なおさら沈黙したろうと思う。
それほど霊魂体験(聖霊体験も同じ)は語りにくいのだが、 空海も夢窓も、わかる人にはわかるように、少しだけ自分の体験を語り、 後続への道しるべを残している。 空海・・・『三教指帰』序「谷響きを惜しまず、明星来影す」 夢窓・・・『夢中問答集』「いかなるか典外の法」「八角磨鏡、空裏を走る」
いまはネットで坐禅作法を知ることができる。 それなりの手引書がほしいなら、昔から『天台小止観』がある。 ただこれは正規と簡略と二種類ある。簡略本(流布本)が読みやすい。 簡略本がなければ、正規本を読み飛ばすのもいいだろう。
322 :
神も仏も名無しさん :2011/08/12(金) 22:08:18.44 ID:Ijd3GRvX
坐禅の源流はインドのヨーガにある。 その中でも、古典ヨーガ学派の、八支ヨーガである。 八支ヨーガについて興味があるなら、ネットなどで調べてほしい。 これはラージャヨーガ(王のヨーガという意味)とも言う。 天台小止観より、むしろわかりやすいかもしれない。 いまやネット社会の恩恵で、坐禅作法も本場インドに学べる時代である。 仏教は歴史的使命を終えたと思う。仏教にはウソが多過ぎる。 これからの人はインドに直接学んだ方がいい。
★ ★ ★ 坐禅から話題を変えよう。救いや悟りが必要になるような仕組み、 そういった世界の仕組みをテーマにしてみたいと思う。
このテーマを扱うには、神、人間、両者の関係をある程度定義し、 その中で救いや悟りを考えなくてはならない。 もちろん定義自体を検討する必要がある。 しかし、このふたつを分けて議論した方が混乱しないだろう。 分けた上で議論するなら、それはそれできわめて有意義ではないかと思う。 また、人間には男も女もいるのだから、それも考慮すべきである。
大昔から現在に至るまで、宗教の問題は男性中心に考えられ、 女性のことが蔑ろにされていたのではないか、という疑問を感じている。 神々の世界においても、男神が中心、女神は第二の性に甘んじている。 それはいったいなぜなのか。男女の協力がなければ世界が成立しないのに、 不公平ではないのかと、男であるわたしでさえ思うのだ。 そろそろこんな状況に終止符を打ちたいものである。
まず神が存在するとしよう。この神は(いのち)である。 神は、善そのものであり、正義そのものであり、永遠の存在でもある。 神は普遍的であり、同時に、生き物の霊魂として個別的でもある。 生き物は、神(いのち)と物質からなる存在である。 それゆえこの世界は、神と生き物と物質とに区別できることになる。
別スレでも使ったが、この関係を「四句分別」で整理しよう。 ここで神と物質は、ビッグバンによって同時に誕生したと仮定する。 二元論の採用・・・神と物質は、反発しながら、凹凸のような関係にある。 @ ビッグバン以前の虚無を意味する → 大き目の四角形を描く。 A そこに、神=Aの円、物質=Bの円を、少し重ねて描く。 B ふたつの円が重なった部分、AかつB → 人間を含めた生き物である。 C AでもないBでもない部分 → 虚無
神は、Aの円(Bとの重なりを含む)である。 物質(この世界)は、Bの円(Aとの重なりを含む)である。 人間は、AかつB、神(いのち)であり、同時に物質である。 しかし神は物質ではないから、AかつBという状態は矛盾している。 この矛盾から、人間とは何か、という永遠のテーマが発生する。
人間(生き物)は、AかつBの、矛盾した状態を生きている。 神(いのち)と肉体(物質)を同時に生きている。 この仮説が正しければ、救いと悟りには二つの方法が考えられる。 神(いのち)を知るには、@肉体(物質)を意志力で否定するか、 A実際に肉体(物質)から抜け出るか、である。 @ 具体的な状況下、これができれば、目を開けたまま聖霊体験をする。 A これは坐禅中、魔境を突破することである。→ 霊魂体験である。
この方法論は、神(いのち)を知ることにおいて、男も女も同じである。 男でも非常に困難なのに、女はどうやって可能になるのか。 ヨブ記を読めば、聖霊体験の困難さがわかるだろう。 目を開けたまま、自分の意志で、自分の肉体(物質)を切り刻むのは、 発狂するような苦しみである。ほんの少しでも譲れない。 空海の死ぬほどの苦労を知れば、霊魂体験の困難さもわかるだろう。 霊魂が抜け出ると、ほんとうに死ぬかもしれない。
人間は、神(いのち)と肉体(物質)からなる矛盾した存在である。 これだけでは、まだそこに善も悪も登場しない。 しかし、神を善なるものとした時、その相手方である悪も登場してくる。 悪なるものの正体は物質である。それ以外に何もないからである。
人間は物質が悪であるとは思っていない。なぜなら物質によって生き、 物質の有り難さを百も承知しているからである。 そのため、神を善なるものと考えるとき、その相手方は物質ではなく、 悪魔、悪霊、死霊、呪い、罪深さやケガレなど置き換えられる。 その正体(物質)を無意識の世界に隠してしまう。 神=命=善 であれば、肉体(物質)=死=悪 である。 しかし、肉体(物質)に愛着するから、この等式がまるで読めなくなる。
神と物質が無関係に存在するだけなら、この世は死の世界である。 神と物質が関係することによって、生き物が誕生する。 この地上に人間や生き物がいるのは、苦しみ、罪にまみれるためではなく、 人間や生き物が神の目的になっているからではないのか。神の目的とし、 物質の目的としないのは、物質に意識があるとは考えられないからである。 ただし、意識の有無に関係なく、神と物質は対等な存在である。
神の目的は、この地上に人間や生き物を誕生させることにある? そう考えないと、人間や生き物の存在を否定しなければならなくなる。 しかしこの考え方には異論もあると思う。 アミダ教やキリスト教やイスラム教は、ほんとうの人生は死後にあり、 極楽や天国や楽園での生活にあるのだと教えている。 グノーシスは至高神を設定し、この世を悪神の失敗作として切り捨てる。 ヒンズー教は輪廻転生を説き、この世からの解脱が究極の課題である。 仏教はヒンズー教の流れに位置し、やはり解脱が究極の課題である。
いずれにしろ、この世を否定する考え方には、基本的な欠陥があると思う。 いやなら死ねばいい。しかし簡単に死ねないのは、人間や生き物が元来、 この世で生きていくように設計されているからではないのか。 わりに現実肯定的な教えは、神道、ユダヤ教、儒教、道教などだろうか。 スキのない精緻さ、練り上げた宗教哲学は欠けるが、これらを土台に、 新しい宗教を構築していく必要があるのではないかと思う。
男と女は、この世(肉体・物質)に執着する度合いが根本的に違う。 一般的に言えば、弱い者、幼い者の方が自己愛が強く、この世に執着する。 なぜなら、そうでなければ、この世で育たないからである。 女性・子供・障害者・孤児などは、自己愛が強く、物質への執着心も強い。 それは当然なのであって、そうでなければ生きていけないからである。 こういった心の動きは、神が用意したものだろうと思う。
自己愛や執着心は、褒めるべきでもないが、けなすべきでもない。 それらは罪でもなければ、軽蔑すべきものでもない。 かれらは精一杯生きているだけである、などと思うべきなのだろう。 ただ、それが度を越せば、周囲は迷惑だなあ。 だんだん人が遠ざかって行くだろう。→ これが自然の流れである。 そうされたらかれらも軌道修正する。→ これが自然の流れである。 反応は鈍いが、世の中はうまく出来ているのかもしれない。 心が成長するのは、時間がかかるものなのだろう。
弱い者、幼い者が自己愛が強く、執着心が強いのは当然である。 しかし、成長した時、自分が強くなった時、相手が自分より弱い時は、 自己愛から離れ、執着心からも離れるべきである。 相手への思いやりを学ばなくてはならない。これは男も女も同じである。 世間ズレした大の男が自分中心に行動するなら、 周囲にとっては危険きわまりがない。そういった男は周囲の災いである。 そばにいれば必ず損をし、命を取られる覚悟がいる。 まあ、年取ったおばさんにも、そんな雰囲気の人を見かけることがある。
男は家族を守り、所属する共同体のために戦わなければならない。 だから、死を直感し、生きる意味を探し始める。 男の重大な関心は、神探しであり、神がいるのかいないのかにつきる。 女は、子供を産み、育てなければならない。 そのためには、だれかの助けが欠かせない。自分の弱さを感じるがゆえに、 だれかに愛されたいという思いと、生活を成り立たせる物質への執着心に 心を奪われてしまう。女の心はより物質へと向かう。 神と物質は対等であり、人間が地上で生き続けるためには、 物質に向かう心も必要である。それも神の配慮だと言うことである。
男は神探しをし、女は大地へと向かう。これは一般論に過ぎないが、 人類史上、ナントカ神と名がつく存在を考え出したのは、 すべて男だったのではないかと思う。 だからたとえば、ヒンズー教におけるシバ神の妻、パールヴァティーも、 ドゥルガーも、カーリーも、インドの男性が考え出したものであり、 男性の女性観がイメージされているのではないだろうか。 キリスト教のマリア、旧約聖書のエバ、神道のイザナミなどにも、 同じことが言えるのではないだろうか。地母神もそうだろう。
女性が地母神として崇拝されたのは、土地が広く、自然が豊かであり、 子供がいくらでもほしい時代だった、からではないだろうか。 その後、人口が増え、土地を争うようになれば、働き手としても、 兵士としても男が必要であり、女の地位が低下していく。 地母神は見捨てられ、男神が信仰の中心になる。 このような経過だとすれば、現代は人口が過剰な時代であり、 地母神のような神が復権する可能性はないだろう。 女性信者を呼び集めるため、男神の妻という設定ならありえるだろうが。
>>327 の最初の前提に誤りがあれば、以後演繹された全ては誤りとなる。
そして最初の前提が正しいとは思えない。
>>342 もちろん絶対に正しいとは思わない。暫定的な仮説にすぎない。
女性の救い、女神や地母神など、ヨハネスに持論があるなら聞いてみたい。
こういったテーマは、宗教板になかったのではないだろうか。
すべての男性は、女性である母親から生まれ、育てられる。 もちろん例外はあるだろうが、男性は母親に対して恩恵を感じている。 あらゆる女性を将来の母親と思えば、女性に対する尊敬の念も湧き、 思いやりや優しさを示せるのではないだろうか。母親扱いせよ、ではなく、 母親に対するような思いやりや優しさを示せ、と言う話である。 そういう思いが常識になれば、女性だけでなく男性も大事にされるだろう。 豊穣を願う地母神信仰や、想像の産物である男神に付属する妻よりも、 母親イメージの方が女性の地位向上にベターではないだろうか。
もう少し掘り下げるため、創世記3章「蛇の誘惑」を取り上げよう。 ここにある話は、パウロが原罪として指摘する、人類史上の大事件である。 もちろんキリスト教上の大事件だが、これがイエスの十字架による贖罪に 直結するのである。まさにキリスト教成立の土台と言っていい。 物質の魅力に負け、神の命令に背いてしまう。これが原罪である。 神の命令よりも、自分の判断が優先し、自分の好きなように行動してしまう。 自己愛とか、自分中心とか、そういったことが原罪の内容である。
しかし、四句分別で読めば、まったく違う話になる。 人間にしろ生き物にしろ、この地上に根付くのは簡単ではない。 簡単ではないから、地上に根付くように本能が備えられているのである。 自己愛とか、自分中心とかも、神によって備えられた本能である。 だから、そういった傾向は罪でもないし、仏教で言う無明でもない。 この地上で生きていく武器であり、神が備えたものである。 神が備えたのだから、イエスの贖罪や十字架はいらないことになる。
347 :
神も仏も名無しさん :2011/08/14(日) 23:41:47.96 ID:Pk98gFuU
とはいえ、生涯、自己愛と自分中心でいいかと言えば、そうではない。 そういった傾向から離れ、卒業しなければならない。 それが成人になる、大人になるという意味なのだろうと思う。 しかし実際には、なかなか卒業できない。 物質の円を生きているうちはダメ、神の円を知ることによって卒業できる。 言い換えれば、神を知るかどうかが分かれ道になる。
神が人間に、自己愛や自分中心を備えたのである。 原罪など存在しない。あるいは仏教の無明など存在しない。 人間は常に、精一杯生きているだけだ。
しかし成長するに従い、自己愛や自分中心から卒業しなければならない。 精一杯生きるだけでは足りない。上手に生きることも必要である。 精一杯描いたのだから、どの絵も値打ちがあり、どの絵にも上下などない、 という評価の仕方もあるだろう。その一方で、絵には上手下手がある。 同じ描くなら、上手に描きたいものである。 自己愛や自分中心からスタートしても、いずれはそこから離れ、卒業する。 これが上手に生きることだろうと思う。
自己愛や自分中心から、いずれは卒業しなければならない。 しかし卒業にこだわれば、それらは原罪だというパウロの主張につながる。 あるいは仏教の無明につながる。 だが、原罪や無明という発想には、神の偉大さへの謙虚さが欠けている。 自己愛も自分中心もなければ、生き物はすべて地上から消えてしまうだろう。 生きようとする気力がないから、みんな抜け毛のように死に絶える。
351 :
神も仏も名無しさん :2011/08/15(月) 19:19:17.85 ID:sERY6JLW
パウロは旧約の創造神を否定しているような印象を受ける。 イエスを神の如く祭り上げるが、そのくせ生前のイエスには興味を示さない。 新興宗教を立ち上げようという、狂ったような情熱を感じるのだが、 旧約の創造神への信仰がほんとうにあったのかどうか疑問。 かれの信仰の深さを検証すべきかもしれない。
もうひとつ注意すべきなのは、四句分別でわかるように、 人間は、AかつBという矛盾、神(いのち)と物質を同時に生きている。 それなのに、聖霊体験や霊魂体験ができる特殊な生物でもある。 こういった体験は、自己愛や自分中心から離れるために効果がある。 しかし体験した後は、再び矛盾した存在を生きなければならない。 それでは何も変わらないではないか、と言えば、そうではない。 愛のレベル、あるいは思いのレベルにおいて、質的な変化が生じている。 これが聖霊体験、霊魂体験の決定的な重要性である。
353 :
神も仏も名無しさん :2011/08/17(水) 16:55:11.35 ID:nLURYv3z
★ ★ ★ キリスト教の原罪論、仏教の無明論(十二因縁)は間違っている。 人間の精神は、青虫→さなぎ→チョウという、変態にも似た成長をする。 あらゆる信仰はこの成長論を新しい土台にすべきである。
354 :
神も仏も名無しさん :2011/08/17(水) 17:11:29.25 ID:YMJwBaBS
>>350 イエスの教えには「隣人を自分のように愛しなさい」とある。
パウロも「キリストがしたように、夫は自分の体のように妻を愛しなさい」と教えた。
自分を愛せない人は他人を愛することなどできない。よって卒業しなくてよい。
>>351 ローマ書を読めば?
創造神を肯定し、イエスの役割の重要性を説いていることが分かるだろ?
信仰は深いよ。我らに比べれば
青虫の時期は成長のために欠かせない。 しかし問題なのは、いつまでも青虫の状態を続けることにある。 同じことは、自分に閉じこもる、さなぎ状態にも言える。 時期が来たら、自己愛や自分中心に生きることをやめ、 神を信じ、信仰の道に入らなければならない。 華麗に変身する、それを教えるのが真の宗教ではないだろうか。
神中心って言ってる奴は自分中心ゆえの神中心になってないか気をつけてね。
>>354 大間違いです。
ヨハネ伝15−13「友のために自分の命を捨てること、これ以上に
大きな愛はない。」自己愛を否定することで利他愛が成立する。
パウロは、イエスを神の如くに祭り上げ、十戒の第一に違反する。
358 :
神も仏も名無しさん :2011/08/17(水) 17:23:33.69 ID:YMJwBaBS
>>355 ローマ 12章 2節
あなたがたはこの世に倣ってはなりません。むしろ、心を新たにして自分を変えていただき、
何が神の御心であるか、何が善いことで、神に喜ばれ、また完全なことであるかをわきまえる
ようになりなさい。
この「変える」は字義的には「変態(青虫から蝶への変化)」を表す。
「いただく」とあるから自力でするのではなく、神に頼り、神主導で変わることを謙虚に認めるべき。
>>357 その意味での利他愛を他人に勧めることは自己愛じゃないですか?
基督教が偽善的と言われる所以だ。
361 :
神も仏も名無しさん :2011/08/17(水) 17:44:52.82 ID:YMJwBaBS
>>357 「隣人を自分のように愛しなさい」これは自己愛と利他愛が両立しているぞ。
イエスは隣人愛の最大のものについて語ったんですよ。常に命張れとは教えていないよ。
イエスはぶどう酒を飲み、食事も楽しんだ。逆にイエスは奇跡によってぶどう酒や
食べ物を人々にふるまった。これは両立していないでしょうか?
コリントの信徒への手紙一 11章 3節
ここであなたがたに知っておいてほしいのは、すべての男の頭はキリスト、女の頭は男、
そしてキリストの頭は神であるということです。
パウロは何もイエスを神の如く祭り上げてはいませんが…
>>358 引用した章節もそうなのだが、パウロは肉体を否定することで一貫し、
死んだ者のように生きることを勧めている。
神はこの世を良しとするのだから、パウロの考えは誤りでしょう。
>>359 利他愛は簡単ではないと思う。奥の奥で自己愛と絡み合っている。
結局は自分のためというケースがほとんどでしょうね。
それだから、聖霊体験や霊魂体験が欠かせない。
基督教徒は偽善の愛と一緒に必ず唯一創造神も押し売りする。 それを拒否すると殺戮神ヤハウェが姿を現して神の正義の名において異教徒を滅ぼせと猛り狂う。 それがキリスト教の有りの侭の姿に他ならない。
364 :
シモン・グノーシス ◆/bVPRrlaFM :2011/08/17(水) 18:02:23.54 ID:abx5mKFU
旧約の幹にイエスの教えを無理やり接ぎ木するのは止めようぜw その根幹を否定したのがイエスなんだよw パウロの実存論的救済観(肉体を蔑視し、本性の救済を説く)も グノーシスを含めた当時の時代思潮で、無理やり古臭いユダヤ民族主義で矯正して考える必要はねえよw
>>361 十字架によって人間の罪が赦され、イエスには人間の罪を裁く力もある。
イエスは神の如き存在です。神とイエスと聖霊は一体だと言う、
三位一体の原点はパウロにあるのではないでしょうか。
>>362 なに、その聖霊体験とか霊魂体験だとか。
その体験が無い人は自己愛しか出来ないとでも?
結局キリスト教徒を胡散臭い体験で上位に置く構図だね。
>>366 人間は、神(いのち)と物質(肉体)という矛盾を生きている。
神のような愛を表現することは、物質(肉体)を否定することになる。
そんな愛は日常的に表現できるものではない。
話を誤解している。このスレの前の方も少し読んでほしい。
368 :
シモン・グノーシス ◆/bVPRrlaFM :2011/08/17(水) 18:20:26.56 ID:abx5mKFU
聖霊体験って自己啓発セミナーとかで洗脳されたやつが感じるあれでしょ?
お帰り。シモン・グノーシス
君はいつもいいことを言う
>>364 は図星だ。
ヨハネスが言うように、新約と旧約の神観は異なっている。 新約の神は実質イエスである。キリスト教徒はイエスに祈るのであり、 創造神に祈るのではない。イエスに祈るのは自由だが、個人的には、 イエスは地上で飲み食いした、ただの人間にしか見えない。 旧約は「唯一神がいる」というメッセージとして読むべきだろう。
人間の精神は「青虫→さなぎ→チョウ」という成長過程をたどる、 という話は、昔からけっこうあるのではないだろうか。 プラトンにもあったような気がする。 かりにそうでなくても、静かに思えば多少の心当たりもあるだろう。 それがどうした? ではなく、繰り返しになるが、 この話は、キリスト教の原罪、仏教の無明を否定しているのである。 神に失敗などありえない。神の創造は完全である。
★ ★ ★ さらに話を進めよう。問題は死後の世界である。 はたして霊体や霊界は存在するのか。輪廻転生はありえるのか。 あらゆる生き物は霊魂を持っている。 霊魂は神(いのち)に由来するから、肉体(物質)が滅んでも死ぬことはない。 死んだ肉体から抜け出して生き続ける。その場合、霊魂だけでなく、 霊体(霊の体)に包まれた状態で生き続ける。 霊体があるのだから、霊界(あの世)も存在する。
精神の成長「青虫→さなぎ→チョウ」は死後の世界と関連させることで、 その意味内容がさらに明確になる。死ねば消えてしまうのではなく、 その人間の精神レベルがあの世に持ち越されるのである。 自己愛と自分中心でこの世の春を謳歌して何が悪い。 はた迷惑なこの主張は、死後の世界が登場することで粉砕される。 霊界では、生前の思いが徹底的に問われるのである。 もちろん霊界を信じない自由がある。死んで見ないとわからないものね。 しかし、どの宗教も霊の存在、霊界の存在を教えている。
見たこともないのに、どうして霊や霊界があると言えるのか。 実は見たことがあるのですね。坐禅には魔境体験と言われるものがあり、 霊や霊界を見ることがある。それは夢ではない。 こういうことは、自分で実際に体験しないと信じられないだろう。 魔境体験をしたいなら、まず聖霊体験が順序である。 マタイ伝7−7「求めなさい。そうすれば、与えられる。探しなさい。 そうすれば、見つかる。門をたたきなさい。そうすれば、開かれる。」
死後に問われるものは、その人間の精神レベルである。 それは知識や処世術や技術を意味しない。こういったものは年を取り、 ボケてしまえば失われる。死ねばなおさらである。 そういったものではなく、その人の愛のレベルが持ち越される。 この日常は、ある一定のレベルの愛を元締めとして繰り返されている。 同じ場所を中心に、グルグル回っているようなものである。
愛のレベルが変化しないから、昔の知人に会っても、吹き出したいくらいに まるで同じ、ちっとも変わっていない。 しかし、愛のレベルを変えるのは至難の技である。人格を変えるようなもの。 そしてこの変え難いものが、霊界に持ち越されるのである。 霊界は夢のような世界である。この世でも変えられないのに、 あの世でどうして変えられるのだろう。あの世とはそういうものだから、 ぼんやり生きてはいられない。急ぐ必要がある。
いまの教育制度や社会制度を根本的に変えないといけない。 12歳ごろから、自己愛や、自分中心な生き方から離れることを教え、 15歳ごろから、心理学や哲学や宗教などの概略を教える。 18歳ごろから、さらに深く学ばせる。 20歳〜30歳、実社会で苦労すれば、霊的な頂点に到達するかもしれない。 空海は24歳で霊魂体験をしている。適切に導けば、不可能ではない。 結婚はその後にした方がいい。生活に追われるから、 若くして結婚すると霊的な成長は望めない。
霊的な成長を最優先する社会、 それが当たり前になったときに、日本民族の霊性が向上すると思う。 金儲けばかりでは、日本の明日はないだろう。
最優先すべきは金銭的豊かさ その上に心の安定を図ることなどが可能になります 貧しくて働き詰めでは物質の上位概念についての思考など無理です
貧しくても考えることはできる。 たとえば、修行僧や修道者は、昔から必要最小限の生活をしてきた。 かれらにとって金銭的な豊かさは邪魔でしかない。 普通の社会人でも、求道心があれば、霊的成長を最優先するだろう。 働くよりも、自分の時間をできるだけ確保しようと考える。
ただ、長時間働かなければ、最低の生活も成り立たない場合もある。 生活が成り立たなければ精神が不安定になる。 こういった場合は、仕方なく、金銭的な豊かさが最優先されると思う。 ワープアが1000万人を超えているらしい。 こんな時代では、毎日の仕事と、仕事で疲れた体を癒すだけで一日が終り、 霊的成長を考える余裕などないのかもしれない。 政治が悪いと言うか、経済の仕組みが悪いと言うか、まるで奴隷ですね。
聖霊体験は、精神的に追い詰められることが条件である。 人間は、神(いのち)と物質(肉体)という二重性(矛盾)を生きている。 神を知るには、物質(肉体)である自分を放棄しなければならない。 しかし、この肉体は自分の存在拠点だから、よっぽど追い詰められないと、 自分から放棄することなど思い至らない。それは考慮外なのである。 聖書のヨブ記はそういった話だろう。 ヨブが自分を放棄した瞬間に、神(聖霊)が登場する。
はたして自分で自分を放棄することは可能だろうか。 自分で自分を放棄するとは、自分の手で自分の首を絞めることに等しい。 自分の手で自分の首を絞めることなどできるわけがない。 霊性の重要性を自覚した修行者や求道者であっても同じことである。
これに関してはヨブの場合が参考になる。 神の了解の下、サタンが陣を張り、ヨブを圧倒的な破壊力で追い詰めていく。 サタンの力を借りないと、自分を追い詰めることができない。 サタンを信じるかどうかは別にして、 自分の手で自分の首を絞められないことは理解できるだろう。 自分の首を絞めるどころか、安楽な生活を求めて必死に努力している。 逆のことを考えているのだから、聖霊体験はますます遠ざかる。
385 :
神も仏も名無しさん :2011/08/19(金) 00:10:10.83 ID:CwCMTwy6
自分を放棄したくなるような状況とは、貧困、病気、障害、職場のトラブル、 失恋、伴侶の死、家族の死などだろうか。 要するに、不幸であるときに、神(聖霊)に近づいていく。 幸福なとき、順風満帆であるときは、神(聖霊)から遠ざかっていく。 聖霊体験から言えば、幸福と不幸は世間の常識と真逆である。
聖霊体験をするにはどうするのか、その経緯がわかれば、 若い時の辛労は買うてもせよ、という意味もわかることだろう。 なぜ宗教者には、不幸な家庭の出身者が多いのか。 不幸の中で神に出会うから。 苦労が連続する中、かれらはなぜ発狂寸前まで行くのか。 簡単には自分を放棄できないから。
387 :
神も仏も名無しさん :2011/08/19(金) 20:05:03.29 ID:l+X5CNhg
★ ★ ★ 残念だが、いまの日本には、安心して信じられるような宗教がない。 オリジナルの、日本人として誇れるような宗教がない。 そういう宗教がないなら、新しく考え出せばいいではないか。 いまの日本は、そういう時期なのかもしれない。
388 :
絶対神 :2011/08/19(金) 20:17:04.00 ID:SIepjoi9
>>387 「そもそもどんな宗教も他からかなり影響を与えられている訳で」
オリジナルな宗教なんてないけどね
『それと誰かが自分で意図して考え出した宗教なんて』
「誰が信じるつーの」w
もともと宗教が広まったのは
「民衆が、それが本当に神の啓示だと思い込んでいたからで」
特定の人間が自分たちの都合で作り出した事が最初からわかっていたら
『どの宗教も広まりっこなかったんだよ』(大笑)
強力な宗教が消え、宗教への信頼が失われている現代日本は、 新しい宗教を産み出すチャンスにあるとも言える。 ユダヤ教やキリスト教やイスラム教やヒンズー教や仏教などを 国教にする国々や、それが支配的な国々・・・ いまの日本がこういった国でなくて本当によかった。 逆に、宗教に否定的な共産主義でなくて、本当によかった。
390 :
神も仏も名無しさん :2011/08/19(金) 21:06:23.62 ID:l+X5CNhg
オリジナルより、オリジナリティの方が適切だったかもしれない。 信仰や宗教の土台は、人間の霊的直感や霊的体験にある。 自分の霊的直感で判断し、真実そうに思えるから支持するのだろう。 それが実際に真実であるかどうかは別の話である。
伝統宗教に関して言えば、 どれもこれも100%真実であるとは到底言えない。 しかし、霊的に学ぶべきものがないかと言えばそうでもない。 だから、新しい宗教の方向性が描ければ、 学ぶべきところは学び、切り捨てるべきところは切り捨てればいい。 これが他の宗教から影響を受けるということなのだろう。 最初は、個人個人のイメージとして誕生し、それが小さな流れになり、 やがては日本の大河になれば大成功である。
神はいない。信仰は思い込みに過ぎない。宗教などはインチキであり、 別の目的の手段に過ぎない。確かに、そういった宗教があることも事実である。 そのインチキ性を暴くことも重要だろう。 しかし宗教板で、神を否定するのは、まちがっていないだろうか。 思想の自由だから、神を否定する考えを持つことも認められる。 それと同じように、思想の自由、信仰の自由から、神を信じる自由もある。 神を否定したいなら、哲学板でやるべきではないだろうか。
見たり、触れたりすることのできる物質しか、信じない人々がいる。 かれらは、神を信仰する行為を馬鹿げたものだと考えている。 しかし、見たり触れたりできないものによって、人間は生きている。 心とか命である。もっと謙虚になり、心とか命を考えてみたらどうだろうか。 霊的な体験は、物質の世界ではなく、心の世界で体験する。
395 :
神も仏も名無しさん :2011/08/19(金) 23:22:46.28 ID:8RSyiWOI
肉体(脳を含めて)は物質的なもので、それ自体には思考力というものはなく、 霊魂こそ思考力をもっていることは、理性的に考えればだれでも分かることです。 古来より多くの賢者が、人間の霊魂とは、その人の霊的生命であって、それが不死で あると、多くの書物に記しています。 霊魂はあらゆる面で不死であって、肉体の中で考えているのもこの霊です。 だから、主であるキリストも、こう言われました。 「命を与えるのは霊≠ナある。肉体は、何の役にも立たない。 わたしがあなたがたに話した言葉は霊であり、命である。」(ヨハネ) 「神は霊である。だから、神を礼拝する者は、霊と真理をもって礼拝しなければ ならない。」(ヨハネ)
>>393 どこが気に入らない? 具体的に指摘してくれる(^^)
397 :
神も仏も名無しさん :2011/08/20(土) 07:28:51.30 ID:wseg0NU+
>>395 久しぶりに気持ちのいいレスを読ませてもらった。
神と霊魂を認めることが話の大前提ですね。
唯一神を説く聖書に学ぶべきことは多い。
この書は、新しい宗教の土台とも言うべきものです。
ただし100%の真実ではない。
特に問題になるのは、イエスが三位一体の神であるのかどうか。
ここは避けて通れないでしょう。
新約は旧約を土台に成立する。新約の根っこは旧約にある。 旧約を否定したら、新約、キリスト教が成立しない。 律法中の律法、旧約の十戒に何とあるのか。 出エジプト記20.4 「あなたには、わたしをおいてほかに神があってはならない。」 出エジプト記34.14 「あなたはほかの神を拝んではならない。」 イエスに祈り、イエスを拝むことは十戒に違反していないか。
ヨハネの福音書には何とあるか 8:58b 「アブラハムが生まれる前から、「わたしはある」」 出エジプト記3:14aには 「神はモーセに「わたしはある。わたしはあるという者だ」と言われ、」 とあり、旧約でモーセの前に現れた神が、イエス様であったことがわかります。
十戒にはまた、次のようにも書かれている。 20.5「あなたはいかなる像も造ってはならない。」 34.17「あなたは鋳造の神々を造ってはならない。」 キリスト教は、十字架を造り、それに祈り、拝んでいないだろうか。 イエスが十字架にかかる姿を造り、祈り、拝んでいる人々もいる。 かれらは十戒に違反しているとは思わないのだろうか。
この地上で飲み食いした人。各地を巡回しながら宣教した人。 ホームレスのように暮らした人。自分を神だなどと言わなかった人。 神殿で大暴れした人。あげくに捕まって死刑にされた人。 こんな人間が神であるはずがない。どう考えてもイエスは人間であり、 むしろ人間くさい人間だった感じがしないではない。
>>400 お前、ユダヤ教なのか。日本にも居るのだな。
403 :
神も仏も名無しさん :2011/08/20(土) 10:10:11.67 ID:oc9D6UHf
聖霊により身ごもり、おとめマリアから生まれた人 わたしは道であり、真理であり、命であると言われた人 また、天と地の一切の権能を授かっていると言われ 数々の奇蹟を起こされ病人をいやし、死者を行き返らせた人。 このようは人がただの人間であるわけはありません。 キリストは、神であり人であるのです。 ソッツイーニ主義者の、イエスの人間性だけを認めて、神性を 否定した人は、神の国には入れません。
>>402 ユダヤ教徒はキリスト教のことを「キリスト教」とは言わんよ
理由はわかるだろ?
>>404 皮肉を言われ軽蔑されていることに気付かないほど鈍感なのだな。
一つ教えてやろう。キリスト教徒は本当のイエズスを知らない。
教会のドグマがキリストの教えだと思い込んでいる姿は愚かである。
それがイエズス本人の教えとかけ離れたものであるのは確実なことだ。
406 :
神も仏も名無しさん :2011/08/20(土) 11:26:38.02 ID:ZLbc40V/
>>405 どこが離れているんだ?
具体例を出して指摘してくれ
>>405 俺は
>>400 じゃないから皮肉だとか軽蔑だとか感じようがないよ
ところで理由はわかるのか?
分からないようじゃ軽蔑されるぞ
408 :
神も仏も名無しさん :2011/08/20(土) 11:55:58.83 ID:oc9D6UHf
カトリック教会が説いている無原罪のマリアから生まれた、 無原罪のイエスは、キリストの教えではない。
409 :
神も仏も名無しさん :2011/08/20(土) 12:08:16.34 ID:oc9D6UHf
キリストが十字架の死、神の裁きである死という代価を払うことに より、本来わたし達が受けなければならない罪の裁きである死から買い取った というキリスト教の教義は、イエスの教えではない。 キリスト教会の中心教義である「信仰のみによる義認」は、イエスの教えではない。
410 :
神も仏も名無しさん :2011/08/20(土) 12:37:39.66 ID:oc9D6UHf
カトリック教会にある、聖母マリア・聖人崇敬は、イエスの教えではない。
>>409 イエスが人類の罪を購ったという教義はキリスト教の肝である。
その肝を否定するなら、その教義はいったいだれの教え(パウロ?)であり、
イエスの役割はいったいどこにあるのだろうか。
興味深い主張をしているので、その辺の話を聞いてみたいものである。
その答えは、
>>403 です、では嫌だなあ。
>聖霊により身ごもり、おとめマリアから生まれた人
>わたしは道であり、真理であり、命であると言われた人
>また、天と地の一切の権能を授かっていると言われ
>数々の奇蹟を起こされ病人をいやし、死者を行き返らせた人。
どれもこれも証拠がなく、検証しようもない話に過ぎない。
福音書にそう書いてあるでは真実にならない。
413 :
神も仏も名無しさん :2011/08/20(土) 16:25:40.75 ID:2s6JcWj1
>>403 >キリストは、神であり人であるのです。
>ソッツイーニ主義者の、イエスの人間性だけを認めて、神性を
>否定した人は、神の国には入れません。
ID:oc9D6UHf が、イエスを神であり人である、と考えていることを了解。
しかしその後の文章は、無意味な脅迫だろうと思う。
>>358 >ローマ 12章 2節 ・・・
>この「変える」は字義的には「変態(青虫から蝶への変化)」を表す。
>「いただく」とあるから自力でするのではなく、神に頼り、神主導で
>変わることを謙虚に認めるべき。
自力なのか、他力なのかに関係する、かなりの難問ですね。
キリスト教は他力であり、アミダ教に似た易行道だろうと思います。
個人的には、自力優先を貫く中に、他力が働くと考えます。
まだ適切に表現できないので、もう少し考えさせてください。
>>361 >「隣人を自分のように愛しなさい」これは自己愛と利他愛が両立しているぞ。
>イエスは隣人愛の最大のものについて語ったんですよ。
>常に命張れとは教えていないよ。
自分に憂いがなく、隣人を愛しているだけなら、利他愛だけの話でしょう。
しかし、自分と隣人の利害が衝突したらどうするのですか。
たとえば、家族や国家を守るために死ぬという行為においては、両立しない。
どちらかを選ぶ必要がある。常に命を張る必要はないが、
イザという時には、命を張れる覚悟があるかどうかが問われると思う。
416 :
神も仏も名無しさん :2011/08/20(土) 17:17:16.60 ID:oc9D6UHf
パウロにはキリストが福音書で教えられた教義がほとんどない。 パウロは自分で教義を作ったんだよ。
417 :
神も仏も名無しさん :2011/08/20(土) 17:22:26.93 ID:oc9D6UHf
>>412 福音書を信じないというならここで語るべきものはなのもない。去れ たわけもの
命を張る、ということを、大げさに考えない方がいいと思う。 損を承知で相手に譲る。道を譲る。必要以上の地位や金銭は望まない。 困っている人の力になる。あらゆる命を大切にする。 人間だけでなく、動物や昆虫の命も大切にする。(蚊、ゴギブリを除く) こういったことの積み重ねが、命を張ることではないでしょか。 イザと言う時に心と体が反応する。
>>416 それには共感する。
>>417 だからー、新約の全部を否定しているのではなく、最初から、
学ぶべきもは学び、切り捨てるべきものは切り捨てると言ってる。
イエスを単なる人間だと思えば、新約のよさが光り輝く。
キリスト教なんて、そんなもんですよ。
420 :
神も仏も名無しさん :2011/08/20(土) 17:34:30.80 ID:oc9D6UHf
>こういったことの積み重ねが、命を張ることではないでしょか。 聖書で言っている(命)の意味さえ分かってない。 幼稚な頭でたわごと言うから厨房と言われる。
421 :
神も仏も名無しさん :2011/08/20(土) 17:38:41.49 ID:oc9D6UHf
>>419 >だからー、新約の全部を否定しているのではなく、最初から、
>学ぶべきもは学び、切り捨てるべきものは切り捨てると言ってる。
だから無信仰者と言われてるの。
聖書を自己流で解釈してはならないと言うこと。
人間は悲しいかな、蚊の一匹、その羽音に翻弄されて眠れない。 少しぐらいの血、やってもいいかな、とは思えない。 かゆくて二、三日は憂鬱。掻きすぎれば傷になってさらに長引く。 昆虫と言ってもバカにできない。一寸の虫にも五分の魂だ。 夢の世界では、その昆虫が巨大生物になる。ガメラだったか(^^)
ネットで調べたら、ガメラはカメの先祖のようである。
>>402 ヨハネスはキリスト信者どころか、仏教の空を崇拝する無神論者ではないか。
ロザリオなどと片腹痛いわ。金の字がヨハネスの正体だろう。
425 :
神も仏も名無しさん :2011/08/20(土) 18:04:41.72 ID:2s6JcWj1
UHFはスエデンばあさんではないのか。相変わらずヒマだのう。
ピンサロ行ったのが7年位前の素人童貞な俺はどうしたらいいの 今は自家発電で我慢してます。
427 :
神も仏も名無しさん :2011/08/20(土) 18:39:54.62 ID:2s6JcWj1
重い質問が来ましたね。賢い諸兄はどう思うのでしょうか。 女が欲しければ金を稼ぐ以外にない。仕事につき金を稼ぐことが関門である。 金があること、これが女をものにする関門である。なぜだろう。 女と交われば、子供ができ、子供を育てなくてはならないからである。 多くの宗教者がほぼ独身なのはなぜか。 かれらはひたすら修行に明け暮れる。空海も夢窓もそうである。 いまはネットがある。ネットがあるだけ幸せではないか。
はーい先生なんとなく心が楽になりました(^-^)
>>424 頓珍漢とは君の事だ。
俺はキリスト「信者」ではない。
佛教の「空」とは存在の本性を示す言葉なのであって崇拝の対象になろうはずがない。
俺がロザリオで祈ることはない。
俺は無神論者ではない。
君が俺の正体を知ることは決して有り得ないであろう。
>>426 >>素人童貞な俺はどうしたらいいの
何故「>>どうしたらいい」と考えねばならぬのか。
考える必要などない。
自分は自分だ。自信を持って生きよ。
426です。みなさんありがとうございます。 風俗行ったけれども、まだとりあえずフェラしかされた事ないのです。 謎の童貞を守って自分を信じて頑張ります。では失礼しました
今の状態をまんこ童貞としよう(._.)φ むぅ俺の将来は、神のみぞ知ることか
「離在」って何を意味してるんでしょうか?
434 :
神も仏も名無しさん :2011/08/22(月) 19:53:57.74 ID:eCnuBVph
>>433 エックハルトの言葉だと思うが、もう少し説明できますか。
神秘体験をしたときの具体的な状況がわかれば、かれが何を体験したのか、
その体験が何を意味しているのかを話せるかもしれない。
435 :
神も仏も名無しさん :2011/08/22(月) 20:05:30.80 ID:mapcakA/
•離在 - About www.ne.jp ・要約すると、自己を忘れて、離在に入り、自己と神がひとつであることを自覚することで ある。 自己を忘れるとは、人知というものは無いものと悟ること。 自己と神とがひとつなるとは、人知はすべて神から来ていることを言う。 これは「離在」の正しい意味です。
かれの体験は、覚醒中ですか、瞑想中(坐禅中)ですか。 かれの体験の具体的中身は何だったのですか。 異言を話すとか、明星を見るとか。
体験そのものは、万人に共通するものを持っている。
しかし、その体験から導かれた思想は、その人の個性に応じ、
かなりハバのある表現になる。その思想から逆に、
もともとの体験を具体的に特定するのはなかなか難しい。
>>435 の内容は、思想になっているので、体験の内容がわからない。
しかし、その内容から大胆に推測すれば、覚醒中であり、
聖霊体験の可能性が高いと思う。それで「離在」を話すことは可能。
>>434 そうです。エックハルトの本で見ました。
私は宗教について詳しくはないので、キリスト教の一般的な言葉かと思ってました。
神秘体験に関わる言葉なんですか?あまりそのような記述ではなかったように感じますが。
439 :
神も仏も名無しさん :2011/08/22(月) 21:40:44.69 ID:bsKuDg5o
ファンダメンタリズムについて素朴な質問があるんだけど、イエス自体が自分は比喩でもって 語っていると明言しているのに、聖書を字義通りに捉えるって矛盾してない?
>>439 矛盾していると思う。言葉の一つ一つにこだわるのではなく、
文章や文脈全体を読んで理解すべきだと思う。
441 :
神も仏も名無しさん :2011/08/22(月) 22:06:42.18 ID:bsKuDg5o
>>440 ファンダメンタリズムの人って、こういう疑問をぶつけられたらどう答えてるんだろうね。
>>438 ウィキでエックハルトを読んでみたのですが、何らかの神秘体験がないと
出てこない思想です。自分から「離脱」することは基本的に無理です。
なぜなら人間は、命(霊魂)と物質(肉体)という二重性を生きており、
どちらも生きているのに欠かせないからです。しかし、意志の力で、
物質(肉体)を否定できるなら、運がよければ神の訪れ(聖霊)を体験します。
エックハルトは聖霊を体験しているはずです。
>>435 「離在に入る」という表現になるんですね。
ある精神の状態(段階?)を指す言葉のようですね。
自己を忘れて自覚があるとはちょっと不思議ですが。
>>441 わたしはあまり拘らないので、
プロテスタント系のスレで聞いてみたら面白いかもしれない。
>>443 覚醒中のことなので、自覚は継続しています。
何が変化するかと言えば、過去の自分が神秘体験によって壊滅するのです。
しかし同時に、神の訪れ(聖霊)があり、新しい自分に生まれ変わります。
壊滅が先なのか、神の訪れが先なのか、・・・ほとんど同時です。
体験は一瞬ですが、その影響は強烈であり、その後の人生を一変させます。 なぜ一瞬で終わるのかと言えば、人間は物質(肉体)を離れては基本的に 生きていられないからです。聖霊体験自体が至難の技なのです。 エックハルトの話は、聖霊体験から解読しないと理解できないでしょう。 聖霊体験は一瞬なのですが、自分の欲望、本能から離れることが 神に近づくことなのだと学びます。聖霊体験を含め、これが「離在」なのでは ないかと思います。聖霊体験がないと「離在」はほぼ不可能です。
エックハルトの話は、ヨハネ伝3章にある「イエスとニコデモ」に 関連させるべきであり、仏教の無や空は見当違いだと思う。 聖霊は、イエスとはまったく無関係に体験します。 エックハルトは、異端裁判が盛んな時代に生き、自分の具体的な体験を 語れなかったのかもしれない。書いた本も異端として処分されたと言う。 かれの話がひどく抽象的なのも、そんな時代が影響しているのかもしれない。
補足。「離在に入る」とは、意志力で欲望や本能から離れ、 それらから離れた状態に入ることを言っているのではないですか。 欲望や本能から離れる、という言い方と、重点の置き方が違うだけで 同じことを言っているのだと思う。
450 :
神も仏も名無しさん :2011/08/23(火) 00:27:39.77 ID:K7b9G3/+
両者は若干意味合いが違うようでもある。 聖職者であり神学者であるエックハルトの場合は、世俗から離れているから、 欲望や本能から離れやすく、神との関わりにふけることができる。 ただし、聖霊体験を除けば、完全に離れるわけではない。 しかし、毎日の生活に追いかけられている大多数は、欲望や本能から離れる ことに重点を置かざるを得ないと思う。頭の中は昼間の関係でいっぱい、 それを振り払うことにけっこうな努力を必要とする。
長年の疑問なのですが 欧州はユダヤ民族を排斥・差別してきた歴史がありますが それはイエスを裏切ったユダがユダヤ人だからというのは正しい? でも、イエス自身もユダヤ人だと教会・信者は知っていたのですよね? イエス自身がユダヤ教のなかから出てきたというのに 教会がどうしてそのユダヤを差別せねばならぬ、という理屈が通ったのか そのへんのところを教えていただけないでしょうか。
>>446 自覚のある覚醒なんですね。
神秘体験によって自己の壊滅があるのであって、
自己の壊滅による神秘体験ではないというわけですか。
>>447 「人は再び生まれなければ,神の王国を見ることはできない」
ってとこですか?
仏教など他の宗教でも自己が死ぬことについては言ってるようですね。
「それがどこから来てどこへ行くのかを知らない。霊から生まれる者もみな,そのようだ」
過去と未来のない状態でしょうか。
これもエックハルトや他のまともそうな人は皆言いますよね。
454 :
神も仏も名無しさん :2011/08/23(火) 16:57:07.39 ID:atiosxfq
>>448 >聖霊は、イエスとはまったく無関係に体験します。
聖霊を遣わされるのは主イエスであり、聖霊は主のおん働きのことです。
それは、ヨハネ15.26-27 ヨハネ16.13-15の記述から明らかです。
>>452 ヨハネ3.3、5
「人は、新たに生まれなければ、神の国を見ることは出来ない。
はっきり言っておく。だれでも水と霊によって生まれなければ
神の国に入ることは出来ない。」
「神の国」とは、天界のこと、教会のこと。また、教会は、地上における
神の国です。「水と霊によって生まれる」とは、(信仰の真理)および、
(その真理にもとづく生活)によって生まれかわることです。
「水」は真理のこと、また「霊」は、(神の真理)のもとづく生活のこと。
(みことば)において再生した人たちは、「神の子ら」とか、「神によって
人たち」と言われています。なお、「新しい心と新しい霊」という言葉で
再生を表します。人の「霊」とは、人の心あるいは精神のことです。
>>454 > 「水」は真理のこと、また「霊」は、(神の真理)のもとづく生活のこと。
「水」の真理はなんとなく解ります。「霊」は真理による生活ですか。
キリスト教には神とイエスと同格の「聖霊」というのがありますが、それとはあまり関係ないのでしょうか?
> 人の「霊」とは、人の心あるいは精神のことです。
あ、「霊」って色んな意味がある訳ですね。
「スピリット」みたいな感じかな。いや、英語にも疎いので適当なこと言うてますがw
456 :
神も仏も名無しさん :2011/08/23(火) 18:07:43.72 ID:atiosxfq
>>455 「人は、新たに生まれなければ、神の国を見ることは出来ない。」
人には自由選択力がありますから、その力を使って、主キリストといっしょに
なって行為し、主に結ぶつくことができます。その反面、理由意志を悪用し、
地獄の力に誘引されて行為し、主から離れていくことも出来ます。
人が自分の活動を、主の活動と一致させるとき、これを「協力」と言います。
したがって、再生は救われるための手段であり、(仁愛と信仰)は、再生のための
手段です。現在の教会の信仰には、「信仰のみの義認」であり。人間の協力が
うたわれていませんから、その信仰にもとずく再生は、空文句に過ぎません。
457 :
神も仏も名無しさん :2011/08/23(火) 18:10:07.10 ID:KLkeP6QL
>>451 ユダヤ人が嫌われるのは、ユダに原因があるのではなく、バラバを釈放し、
イエスの処刑を望んだことに原因があるのではないですか。
マタイ伝27.15−26を参考にしてください。
458 :
神も仏も名無しさん :2011/08/23(火) 18:16:52.49 ID:atiosxfq
459 :
神も仏も名無しさん :2011/08/23(火) 18:25:04.21 ID:Fw4+ZDUO
>>452 壊滅が先か、神秘体験が先かは、かなり微妙ですね。
最初は、自分の誤りに気づき、取り返しのつかない人生を「悔いる」
ことから始まり、その「悔いる」最中に聖霊が訪れ、それと同時に
古い自分が壊滅するのです。ふたつは同時のように思います。
460 :
神も仏も名無しさん :2011/08/23(火) 18:32:02.90 ID:atiosxfq
あのね、聖霊が来て真理に導いてくれるというのは、キリストの教えを 実践すると言う意味ですよ。 ある日突然、聖霊がやって来て、ああしろこうしろと教えてくれるという 意味ではないのよ。
>>452 覚醒中に神秘体験をする。これはどういうことなのか。
目を開けているのに幻覚をみる。
その瞬間、幻覚が見え、周囲が見えなくなる。
意識があり、目を開けているのに周囲が見えない。
かわりに幻覚を見ている。こんなことが現実にあるのですね。
頭は、自分でも恐いぐらい冴えに冴え渡る。
脳内物質とか、エンドルフィンとか言っている科学者もいるが、
かれらは何も知らないで適当に話している。
>>460 聖霊を知らないから、そんな子供だましにだまされる。
それでは聞くが、マリアのように、聖霊には子供を孕ませる能力があるのか、
それともキリストの教えが聖霊を意味するのか、どっちなのか、
矛盾なく説明してもらいたいものである。
>>451 >>457 さんに補足すると、一般に新約の中で「反ユダヤ的」と称される部分は
マタイ27:25、ヨハネ8:44あたりでしょうか。
マタイもヨハネもユダヤ人であることからわかるように、これらの聖句は反ユダヤ民族的意図をもっていたとは
考えにくく、ユダヤ教内での自己批判・悔い改めの一環として理解するのが適切であると思われます。
もちろんイエスをメシアと認めるクリスチャン(この当時ではユダヤ教イエス派と言ったほうが適切か)にとっては
イエスをメシアと認めない同胞に対する痛烈な批判の意図があったと思われます。
しかし時代を経てキリスト教がローマ帝国の国教となり、さらに中世のヨーロッパに受け継がれると
聖書が読み解かれる背景が、聖書が書かれた時とは全く違って、キリスト教徒であるヨーロッパ人と
イエスをメシアとは認めなかったユダヤ人という民族的対立軸の中で読まれることになります。
これがユダヤ教内での自己批判がヨーロッパ人の中でのユダヤ民族批判へと変質していった過程であろうと思われます。
ヨハネ伝3章「イエスとニコデモ」の話は、神の訪れである聖霊を受け、 復活し再生する話である。人間は新しく生まれ変われるのです。 この話から、聖霊は、イエスとは無関係にやってくることもわかると思う。 エックハルトも、イエスを神との仲介者としては見ていない。 イエスはわたしたちと同じ人間でしかない。 その当時、かれが異端として裁かれたのは、やむをえないのかもしれない。
465 :
神も仏も名無しさん :2011/08/23(火) 19:40:11.05 ID:atiosxfq
預言者エゼキエルには、教会の状態を表すように主は命ぜられました。 「一枚のかわらをとって自分の前に置き、それにエルサレムの町を描きなさい。 それから町を包囲し、塁を築き、塹壕を掘り、陣営を設け、そのまわりに城壁を くずし配置しなさい。・・・それを自分の左脇の下にして寝なさい。・・・また、 大豆、豆、レンズ豆、あわ、はだか麦をとってパンをつくり、大麦の菓子は 人の糞で焼きなさい。・・・ただし願いによって人の糞の代わりに、牛の糞を用いて もよろしい。・・・左脇をしたにして横になり、それに、イスラエルの家の罪を負い、 寝ている日の間かれらの罪を負うのだ。かれらの罪は三百九十日に値する。 それが終わったら、右脇を下にして寝て、ユダの家の罪を負いなさい。」(エゼキエル4) このようにして、預言者は、イスラエルの家とユダの家の罪を負いました。 それは、罪を取り除くのでも、罪をあがなうものでもなく、ただ罪の表象とか、 印になっただけです。
466 :
神も仏も名無しさん :2011/08/23(火) 19:58:38.50 ID:atiosxfq
>>464 聖霊の派遣とは、主キリストのみ力のことで、主は、ご自分を信じる人たち
の中で、そのみ力を働かせてくださいます。つまり、主は、かれらを改革し、
再生させ、刷新し、活性化し、義化し、悪から清め、ついには救いにいたらせ
ます。それは聖書の随所から、全部はっきりします。
ヨハネ7.38-39
「イエスは言われた。『わたしを信じる者は、聖書に書いてあるとおり、その腹から
生ける水が川となって流れ出るであろう。』これは、イエスを信じる人々が受けよう
としている聖霊をさして言われた。」
「イエスの証は預言の霊なのだ。」(黙示録19.10)
「預言の霊」とは、聖言からくる教義上の真理のことです。
聖霊を遣わされるのは、主キリストであり、主のおん働きであることが理解
できます。
>>465 そうではなく、呪いのワラ人形と同じであり、呪いの箱庭なのです。
未来がそうなるという「印」なのです。だからかれらは預言者と言われる。
世界中どこでも、似たようなことをやっていたのですね。
468 :
神も仏も名無しさん :2011/08/23(火) 20:11:41.03 ID:atiosxfq
聖書の神はイエスキリストだけなのです。 それでこそ一神教と言えます。 それを、父と子と聖霊の三つの位格のに分割するから、わけが分からなくなってくるのです。
>>466 マリアは聖霊で身ごもったとある。その聖霊がイエスの働きなら、
母子相姦という悲惨な結果になる。聖霊を冒涜するな。
470 :
神も仏も名無しさん :2011/08/23(火) 20:19:05.42 ID:Fw4+ZDUO
ネットでエックハルトの説教集のいくつかを読んでみたが、 抽象的でわかりにくく、こういう話をいくら読んでも、何かを了解するという わけにはいかないだろうと思った。たぶんみんな忘れてしまうだろう。 エックハルトのわかりにくさは、聖霊体験の向こう側で、 あれこれ語っているからだろうと思う。体験のない人にはわからない。 もうひとつの問題は、最終的に神と人間を「一」にしてしまうことか。 このことから、かれには霊魂体験がないと思われる。
でも彼はいわゆる神秘体験のない人々に対して説教してますよ。 イエスのたとえ話に通じるところはありませんか? たとえの本当の意味は真剣に深く神を求めているような人にしか解らなかったり。
472 :
神も仏も名無しさん :2011/08/23(火) 20:31:17.91 ID:atiosxfq
>>469 「聖霊があなたに降り、いと高き方の力があなたを包む。」(ルカ1.35)
ここで「聖霊」とは、父であるエホバから出る(神の真理)のことで、
そのときマリアをおおったのは、発出そのもの「いと高き者の力」なのです。
(神の真理)とは、(みことば)のことであるのは、ヨハネによる福音書に記されています。
「(言葉)は神と共にあった。神は(言葉)であった。・・・そうして
(言葉)は肉体となった。」
473 :
うんこちゃん :2011/08/23(火) 20:37:00.25 ID:4H8o7/c/
>>471 エックハルトを評価しているのですが、何か足りないぞ、
それに何を言ってるのか非常にわかりにくいぞ、という話です。
農民や職人も無理や、かれらの女房子供にも無理無理、
おじいさんやおばあさんには念仏のようなもの、
その道の専門家も理解に苦労するだろう。
もうひとりのドイツ神秘思想家ヤコブ・ベーメよりはましか。
475 :
神も仏も名無しさん :2011/08/23(火) 20:52:14.25 ID:atiosxfq
聖霊とは、そのものとしては神ではなく、唯一で遍在される神から発している、 神のおん働きのことを言います。これを(神の真理)と言います。 つまり、聖霊は、旧約の神エホバから出る神的なものを意味します。 だれでも、霊魂や子孫の(いのち)は、父親に由来するものであり、その霊魂 によって、肉体が出来ていることがこの世では知られていません。 ですから、イエスの霊魂や生命は、神エホバからきたものであると言えば、 これ以上はっきりした言い方はありません。 神は、分割されるものでないからこそ、父なる神は、神の霊魂であり、神の 生命です。だからこそ、イエスは神エホバを、ご自分の「父」と何回も呼ばれ ましたし、神エホバは、イエスを、ご自分の「子」と呼ばれたのです。 したがって、キリストの霊魂が、母マリアからきたと言うのを耳にすると、 冗談としか思えません。ローマ・カトリックもプロテスタントも、現在そんな ふうに夢想していますが、(みことば)によって、まだ目覚めていないからです。
>>475 スエデンボルグの弱点は聖霊論にあると見たよ
言っていることが右往左往している
>>474 私にとって、ちんぷんかんぷんなだけでなくキリスト教徒さん(?)にとっても難解なんですね。
それでも「仏教の友」と呼ばれるだけあって、少し仏教が好きな私には勝手な解釈が出来るところもあって結構好きなんですよ。
>農民や職人も無理や、かれらの女房子供にも無理無理、
でしょうね。でもそういった人達に話したことは無いんでしょうかね。
もしあったとしても残っては無いのでしょうね。
478 :
シモン・グノーシス ◆/bVPRrlaFM :2011/08/23(火) 21:24:10.16 ID:aQH3rUue
>>451 ユダヤ人との対立はかなり早い時期から存在するよ。
使徒行伝の中には、ステパノと呼ばれるヘレニストが過激なユダヤ教批判を喧伝したため、
ユダヤ人のリンチに会い殉教、その後、ユダヤ教徒がキリスト教徒に襲撃をかけ、多くの
信徒がサマリヤにまで散らされたと記録されてる。
その他の歴史的記録からしてエルサレム原始教団の保守派(従来通り神殿の権威とユダヤの戒律を遵守する義人ヤコブ・十二使徒を筆頭とする一派)は
この事件の後も何事もなかったように存続しており、この時、ユダヤ教徒と対立した一派が主にヘレニスト(ギリシア語を話し、エルサレム神殿の権威を否定する
などのラディカルな思想を持った一派)だったことが分かるわけだ。
ユダヤ教とキリスト教の対立の原因はかなり複雑な要因が絡んでいて簡単には言えない。
一つに福音書自体がユダヤ教徒をキリストの教えに反発したびたびいざこざを犯したパリサイ派、律法学者などのユダヤ民族主義者たちに代表させていること。
この仇敵として描かれたパリサイ派がユダヤ戦争後に現在まで残るラビ的ユダヤ教を形作り、タルムードを生み出し律法主義を日常生活の隅々にまでいきわたらせたこと、
もあげられるだろう。パリサイ派は当時では複数あるユダヤ教の派閥にすぎなかったが、神殿を失ったユダヤ人はますます戒律重視に走り、
いわば一般の信徒を含めてみながみな「パリサイ主義派していった」。
キリスト教徒の目から見れば、イエスが否定し、「蝮の子」と罵ったパリサイ派がいまやユダヤの本流となり、ユダヤ教徒と同義と化してきた。
イエス対パリサイ派の図式がそのままキリスト教対ユダヤ教の宗教対立へと変容し拡大したわけだ。憎悪の念を抱くのも理由がないではない。
>>475 >聖霊とは、そのものとしては神ではなく、唯一で遍在される神から発している、
>神のおん働きのことを言います。これを(神の真理)と言います。
そうでしたね。思い出しました。そのような解説を読んだ覚えがあります。
神そのものについては考えなくても良いとして、
神の子の具体例はイエスで、聖霊は働きだとすると、またなんとなく三位一体と言われるのが解ったつもりになれます。
480 :
神も仏も名無しさん :2011/08/23(火) 21:32:52.00 ID:atiosxfq
旧約聖書では、神エホバの人間性のことを「エホバの御腕」と言っています。 イザヤ書 「見よ、主なる神。彼は力を帯びて来られ御腕をもって統治される。 主は羊飼いとして群れを養い、御腕をもっと集め 小羊をふところに 抱き、その母を導いて行かれる。」(40.10、11) 「わたしたちの聞いたことを、誰が信じえようか。 主は御腕の力を誰に示されたことがあろうか。」(53.1) 「わたしの手は地の基を据え、わたしの右の手は天を延べた。」(イザヤ48.13) 「主は、御自分の右の手にかけて 力ある御腕にかけて、誓われた。」(イザヤ62.8) 「わが主に賜った主への御言葉。『わたしの右に座に就くがよい。』 わたしはあなたの敵をあなたの足台としよう。主はあなたの力ある杖をシオンから 伸ばされる。敵のただ中で支配せよ。」(詩編110.1-2) 神の右に座るとは、本当に右に座ることではなく、世にあってとられたエホバの 人間性で表される神の全能のことです。この人間性をとおして、神はつまり、 主キリストは地獄の中に入り、滅ぼし、征服なさいました。 これが、人類にキリストが行われた(あがない)の意味です。 これにより地獄の勢力から、全人間はあがなわれたのです。
481 :
神も仏も名無しさん :2011/08/23(火) 22:08:13.74 ID:atiosxfq
>>451 ユダによって裏切られたというのは、(みことば)を保有していたユダヤ民族に
よって裏切られたことです。ユダはユダヤ民族の表象だからです。祭司長や長老
たちによって捕えられ、罪の宣告をうけたということは、ユダヤ教全体からうけた
仕打ちです。
殴打されたり、顔にツバをはきかけられたり、ムチで打たれたり、よしの棒で頭を
なぐられたことは、主の神的真理の面で、(みことば)にたいしてされた仕打ちです。
茨の冠をかむせられたことは、かれらが(みことば)をゆがめたり、冒したりしたことです。
衣服がバラされたり、上衣がクジにかけられたりしたのは、(みことば)の真理がこと
ごとく散らされても、その霊的意味はそのまま保たれたことを意味します。
主の「上衣」は、(みことば)の霊的意味のことです。
主が十字架につけられたことは、(みことば)が全部めちゃくちゃにされ、冒涜され
たことを言っています。主に酢を飲むように差し出されたことは、たとえ、(みこと
ば)がゆがめられても、主がそれをお飲みにならなかったことで、真意が保たれ
たことを示します。
脇腹をさしつかれたことは、(みことば)の真理も、主の善も、ことごとく消滅した
ことを意味します。葬られたことは、母親に由来する遺伝的なものが退けられたことです。
三日目に復活したことは、ご自分と御父の神性との合体つまり栄光のことです。
だからここで分かることは、「不義を負う」(イザヤ53.4、6、11)とは、不義を
取り除くことではなく、(みことば)の真理が冒涜されたことを表します。
482 :
シモン・グノーシス ◆/bVPRrlaFM :2011/08/23(火) 22:27:47.61 ID:aQH3rUue
>>451 なんか頭のおかしい人がすっとんきょうな回答してるけど普通にスルーしていいよ。
キリスト教がユダヤ教を迫害すると言ったけど、先のステパノの例を見て分かるように
当初はユダヤ教がキリスト教を迫害していた。
迫害が酷かったのはパレスチナだけではなく、ディアスポラ(世界各地に移住したユダヤ教共同体)でも同じ、
むしろヘレニストが主体となる分、迫害は先鋭化していた。
既にクラウディウス帝(在位41-54)の頃に、ローマでユダヤ教徒とキリスト教徒がいざこざを犯したため、双方とも
ローマ市から追放されたことが記録に残ってる。
ユダヤ教徒が怒った理由は様々だが、一つはディアスポラの地に既にあったユダヤ人共同体を足がかりにキリスト教徒が
どんどん勢力を伸ばし拡大したこと。当時、ユダヤ教は各地で活発な宣教活動を展開して、ユダヤ教に改宗する異邦人も増えてきていた。
そのいわば「ユダヤ教の下地のある異邦人」をパウロらは標的にして、どんどんとキリスト教へと改宗させていった。異邦人からすれば、
厳格な民族主義的戒律に束縛されないキリスト教の方が遥かに魅力的だったからだ。
だが、ユダヤ教徒にしてみれば、自分たちの共同体を分裂させたうえ異邦人改宗者まで横からかっさらうキリスト教徒の手法には腹が立って
仕方ない。それが先に上げた50年代のローマでの紛争の原因にもなっている。
483 :
神も仏も名無しさん :2011/08/23(火) 23:22:36.57 ID:atiosxfq
>>482 そのような表面的な諍いじゃなく、主キリストの教えと、ユダヤ教の教えには、
決定的な相違があるのですよ。
すなわち、ユダヤ教徒は、かってモーセがエジプトの地からユダヤ民族を解放
し、救ってくれたように自分たちを現世的な意味で救ってくれるメシアを待ち
望んでいたから、キリストを決して救世主とは認めなかったのですよ。
このため、キリストも、弟子たちにご自分のことを「メシア」であることを誰に
も話さないように戒められました。
それはヨハネ伝には、こう記されていることから分かります。
「その群衆の中にはイエスを信じる者が大勢いて、『メシアが来られても、
この人より多くのしるしをなさるだろうか』と言った。」(7.31)
ユダヤ民族は奇跡のために救世主(メシア)を信じたため、ここに意味されて
いるのは明らかに奇跡的な信仰であって、救う信仰ではないということです。
なぜならかれらは外的な人間であり、外的な人間は、強制的に心を打つ奇跡の
ように、単に外なる事柄によってのみ神礼拝へ心を動かされるからです。
結局、ユダヤ人たちは、キリストの救いの教えが理解できなかったのです。
かれらのもっている、メシアの現世的な救からは、キリストの説かれた
神の国での、すなわち、死後における永遠の命を得る救いが理解できなかった
と言うことです。
これが同じ旧約聖書という聖典を共有しながら、キリスト教とユダヤ教がおたがい
相容れない理由ですね。まぁ、三位一体のペルソナの神も、一神教を厳守する
ユダヤ教やイスラム教とも今もなお敵対している理由です。
このスレも猿に汚染されているのか。 猿はホモ・ラピスとかいう変態基督教徒の相手をしてやればよかろう。 あいつなら --猿喜べ-- お前の餌でも釣れるであろうぞ。 お前の力でホモセクシァルの魔境から救出出来るかもな。
485 :
神も仏も名無しさん :2011/08/23(火) 23:31:32.09 ID:atiosxfq
486 :
神も仏も名無しさん :2011/08/23(火) 23:42:02.91 ID:atiosxfq
ヨハネ福音書第6章 47 まことに、まことに、あなたがたに告げます。信じる者は永遠のいのちを持ちます。 48 わたしはいのちのパンです。 49 あなたがたの父祖たちは荒野でマナを食べたが、死にました。 50 しかし、これは天から下って来たパンで、それを食べると死ぬことがないのです。 51 わたしは、天から下って来た生けるパンです。だれでもこのパンを食べるなら、永遠に生きます。またわたしが与えようとするパンは、世のいのちのための、わたしの肉です。 52 すると、ユダヤ人たちは、「この人はどのようにしてその肉を私たちに与えて食べさせることができるのか」と言って互いに議論しあった。 53 イエスは彼らに言われた。「まことに、まことに、あなたがたに告げます。人の子の肉を食べ、またその血を飲まなければ、あなたがたのうちに、いのちはありません。 54 わたしの肉を食べ、わたしの血を飲む者は、永遠のいのちを持っています。わたしは終わりの日にその人をよみがえらせます。 55 わたしの肉はまことの食物、わたしの血はまことの飲み物だからです。 56 わたしの肉を食べ、わたしの血を飲む者は、わたしのうちにとどまり、わたしも彼のうちにとどまります。 57 生ける父がわたしを遣わし、わたしが父によって生きているように、わたしを食べる者も、わたしによって生きるのです。 58 これは天から下って来たパンです。あなたがたの父祖たちが食べて死んだようなものではありません。このパンを食べる者は永遠に生きます。」 59 これは、イエスがカペナウムで教えられたとき、会堂で話されたことである。 60 そこで、弟子たちのうちの多くの者が、これを聞いて言った。「これはひどいことばだ。そんなことをだれが聞いておられようか。」
あなた達気持ち悪いです(笑) 早く死んでください(笑)
488 :
神も仏も名無しさん :2011/08/23(火) 23:48:09.42 ID:atiosxfq
早晩みな死んでいくんだからあわてないあわてない 一休
451です。多くのレスありがとうございます。 世界宗教の相関・基礎はなんとなく頭に入っているのですが 最大の謎が、なぜユダヤ人であったイエスの同胞を徹底して迫害することができたのか 「キリスト教徒たちの心理状態・教会の理屈」が分からないのです。 だって「イエス自身はユダヤ人」なのに。ここが、分からないポイントなのです。 それともイエスと原始教団の使途は別格で 迫害対象とみなしたユダヤ民族とは別物であるという神学を確立していたのでしょうか? (よってそれぞれのレスの論旨が回答になるでしょ、と)
>>489 >>463 で挙げたマタイ27:25、ヨハネ8:44だけでも「教会の理屈」として
反ユダヤ民族主義を展開するには十分でしょう。
問題は「イエスの同胞を徹底して迫害することができたキリスト教徒たちの心理」ですが
神殿を失い律法及び口伝律法(ミシュナーやタルムード)にアイデンティティを求めざるを得なかったユダヤ人の風習は
割礼・食事規定・犠牲体系等を捨ててしまったキリスト教徒たちにとっては十分に異質な存在と映ったはずです。
これに、土地の所有が認められないがゆえに金貸し業に携わざるを得なかったユダヤ人に対する侮蔑・怨恨の感情が
加わったものと思われます。共同体社会が異質なものを排除・迫害するのは普遍的なことですから
「キリストを殺害し自分たちとは異質の風習を持ち、しかも金貸しによって自分たちを騙している」ユダヤ人に対する
迫害が熾烈を極めたのは当然のことと言えるでしょう。
なお「イエス自身はユダヤ人なのに」という理屈はキリスト教徒の間では全く顧みられることはなかったはずです。
なぜならばキリスト教徒にとってイエスは完全なる神であり、人としても完全なる人ですから、ユダヤ人などという
民族的カテゴリーに属すはずもないものだからです。
>>490 民族的カテゴリーに属すはずもないもの
腑に落ちました。
色々考えてきたものの、その視点はそっくり抜けていました。
490さん、ありがとうございます。
エルサレムの街はA.D.66年からA.D.70年頃のユダヤ戦争で 跡形もなくローマに破壊されるんですが、 その後ユダヤ教内部で保守化が進んで 律法などについて"リベラル"なキリスト派の人達が排斥されるようになり ユダヤ教への新規改宗者も少なくなって ユダヤ教とキリスト教の分離が進んだということだったはずなので、 ゲルマン民族に対してキリスト教が布教されはじめたときには、 既にキリスト教の中では「ユダヤ人達はキリストを受け入れなかった結果 宗教的中心地であるエルサレムを失った罪深い奴らだ」みたいな評価だったんじゃないかなあ。
ユダヤ人は自分たちを、神によって選ばれた民族だと思っている。 他の民族は、神に見放された、ゴイム(ブタ)のようなもの。 キリスト教徒は、天国は自分たちのものだと思っている。 非信者は地獄へ落ちる。非信者をいくら殺しても罪にはならない。 イスラム教徒は、自分たちこそ天国に入れると思っている。 アッラーを信じなければ地獄行き。ユダヤ教徒もキリスト教徒も地獄行き。 自分たち以外を否定する教義だから、同じ旧約から生まれた兄弟なのに、 この三つの宗教は三つ巴になって激しく憎みあう。
かれらは、地上を奪い合うだけでなく、天国の争奪戦も繰り広げている。 宗教に対する日本人の感覚が浮世離れしているのかもしれない。 欧米がイスラエルを支持しているのは、ご存知のように、 石油資源の豊富な中東をけん制するネライである。欧米は中東を分断し、 イラクやアフガニスタンやイランを順番に攻撃している。 いまはリビアか。
>>493 それは現実にキリスト教徒、イスラム教徒、ユダヤ教徒が激しく憎み合っているんじゃなくて
ただ単にお前の脳が処理能力を超えてショートしているだけだろ
よいにしろ悪いにしろ、エックハルトの問題点は、 離在によって神に出会う、という主張そのものにあるのかもしれない。
離在に入る、すなわち自分自身から離れることは、 自分が持っている信仰や宗教(キリスト教)から離れることも意味する。 信仰や宗教を含め、いっさいの自分から離れた時、神との出会いが生じる。 神に出会うためには、信仰や宗教がむしろ邪魔になるのである。 いったいだれが、こんなことに気づいたろうか。
499 :
神も仏も名無しさん :2011/08/25(木) 13:03:49.06 ID:OHBfegxJ
いわゆる自我を捨てることでもありますね。 いや、自我を捨てる自分さえ無くならないと。 神を想う(偶像崇拝)ことさえ駄目出しされるのに、 自分を想っていてはどうしようもないわけですね。 でもこういったことを言ってる人は他にもいましたよ。 受け売りのものもあるでしょうけどね。
ごめんなさい。あげちゃった。
501 :
神も仏も名無しさん :2011/08/25(木) 13:07:24.23 ID:SIRDJeTX
宗教(キリスト教)はむしろ、神との出会いを遠ざけてしまう。 そのことを、中世カトリック界の重鎮エックハルトが指摘しているのだ。 キリスト教徒に限らず、あらゆる宗教人は耳を疑うかもしれない。 宗教活動に参加している人、宗教の知識を熱心に学んでいる人、 こういった人々はむしろ、神から遠ざかる道を歩んでいる。 法華経で「ウソも方便」を学んだ人々は迷いの樹海を歩いている。 ではだれが神と出会うのか。(既成の)神仏など信じない人々である。 かれらの中から、神と出会う人間が出てくるのだろう。
>>500 そろそろ上げようと思っていたので、気にしなくていいです。
下がると探しにくいので、随時上げてます。
源流から離れれば離れるほど河は汚れていく。 宗教に似ている。 わたしは無神論者だけど、宗教の必要性と神の存在は必要だと思ってる。
>>501 >ではだれが神と出会うのか。(既成の)神仏など信じない人々である。
創世記にあるように、もともと人は神と共にあったのに余計な知識(?)のために
離れてしまいましたからね。
本当は信じる者は救われないのかも。
で、私はイエスを信用してますw
>>503 ですよね。
宗教を否定したり嫌いだとかと言う人は、ただ本当の所を知らないだけなんだと思います。
まぁ、当たり前ですけどね。一般的な意味での宗教だとw
507 :
神も仏も名無しさん :2011/08/25(木) 18:13:56.93 ID:n4ewdIoD
>>499 >いわゆる自我を捨てることでもありますね。
ここはどこ、わたしはだれ? 重度の痴ほう症になることですね^^
いちどきに全部話せないので、少しづつ話したいと思います。
誤解を招きかねないので、エックハルトとも関連させ、
>>503 の立場へ、
>>504 の立場へ、個人的な考えを順番に書いてみます。
>>503 まったく同感です。
わたし自身、唯物論から、神を信じる者へと180度変わった一人です。
神を信じられないうちは、自分に素直に、唯物主義的な本を読み、
唯物主義的に生きるのが正しいように思います。
その方が理解できるし、記憶に残る。
神につながる勉強としては、唯物弁証法とフロイトをすすめます。
神に関する勉強は、神を知ってからでも遅くはない。
サロメの行動原理をつかんだ。 俺の子供にダイレクトに天皇の座をつなげて権力を誇ろうとしている。 思考盗聴への投資をまったく無に帰せしめようとする売国奴だ。
その都度、その都度、興味を持ったことを学ぶのが大切であり、 これが物事に上達する基本だろうと思う。神を知れば、霊的な書物、 プラトンやエマソンやソローやルソーやゲーテなどをスラスラ読める。 聖書は分量もあるし難解だから、時間がかかるが、聖書も読めるようになる。 そんなに心配することはない。 しかし問題がないわけではない。神を知ったときの状態は、 心も荒地、生活も荒地であることか。
512 :
神も仏も名無しさん :2011/08/25(木) 19:35:01.49 ID:n4ewdIoD
>神につながる勉強としては、唯物弁証法とフロイトをすすめます。 >神を知れば、霊的な書物、 >プラトンやエマソンやソローやルソーやゲーテなどをスラスラ読める。 霊的という意味分かってますか?
>>504 エックハルトは、自分のすべてを捨てて、神の訪れ(聖霊)を体験する。
これ自体は、教会やイエスを経由しないから、異端思想になる。
しかしエックハルトはキリスト教に舞い戻る。なぜか。
この地上で、聖霊体験を記録しているのは聖書だけだからです。
聖書の値打ちは聖霊体験の記録にある。聖霊の描写にある。
こんな本はどこを探してもない。
聖霊を体験した時、それが聖霊であると知るのは、聖書があるお陰なのです。
それが何であるかわからなければ、それは闇の中に消えてしまいます。
>>504 聖書はいろいろな知恵に満ちている。そういうものに早くから触れるのは、
それはそれで多くの収穫があるのではないでしょうか。
神を信じようが信じまいが、人間の目指す美徳は同じだからです。
それにも関わらず問題なのは、信仰者は神を知らないのではないか、
聖霊を知らないのではないか、と言うことでしょうか。
先人が残した遺産の、食い潰しをしているような気がしてならない。
516 :
神も仏も名無しさん :2011/08/25(木) 20:46:57.00 ID:n4ewdIoD
>>512 霊的とは、英語のinspiraitionと同じような概念ですよ。
インスピレーションとは、スピリットを入れることで、この場合のスピリットには、
幽霊的なもの、熱狂的なものはなく、むしろ人間の理性を照らす静かな光の流れ、
どこからか吹いてくる風(ヨハネ3.8)のようなものです。
イエスが「聖霊を受けなさい」と言って、息を吹きかけられたとき、
弟子たちが感じたようなインスピレーションを受けると信じられて
いますが、ただ注意をしなくてはならないのは、説教を聞いているとき
大勢のものが熱意を感じて、感動したとしても、それがその人の心の中
での、神のおん働きだと、思い込まないことです。
そういった熱気は、狂信者たちにも、とんでもない偽りの教義を信じて
いる者にも、ありえることです。
この種の熱意は、そのものとしては、自然的な人間の情熱にしかすぎません。
この世で聖霊が、自分の口をとおして語られたと信じている人は、教会によって
大勢いますが、かれらは、聖霊のインスピレーションで語ったことに反対される
と、「その罪は赦されない」と、マタイの福音書の中の、イエスの(みことば)で
人を脅すようなことをします。多くの狂信者たちは、死後、自分が聖霊だという
気ちがいじみた妄想をいだいています。
517 :
499 :2011/08/25(木) 22:07:23.88 ID:VxOBt5j3
>>507 マジレスしますと、痴呆症なら自分を問うようになることはないのでは?
エックハルトの場合(翻訳)は「我意」を捨てろと言ってますが、
こういうのはキリスト教ではあまり説かれないことなのでしょうか。
我意のあるときは(イエスの言う)愛はありません。つまり神にもつながりませんね。
518 :
504 :2011/08/25(木) 22:38:16.43 ID:VxOBt5j3
>>513 >>515 もし真理を得たなら、それはキリスト教の真理とかイスラムの真理などではなく、
それはただの真理です。
特定の人たちにしか通用しないものは真理ではないですから。
ただそれを表現するときに、キリスト教文化圏の人は聖書の言葉を使うのでしょう。
ただ、本当に
>この地上で、聖霊体験を記録しているのは聖書だけだからです。
なんですか?
勿論、聖書にしか無い記述もあるでしょうが、ヒンドゥー教や仏教の聖典にも
類似するところはあると思いますよ。
どうも真理や神ではなく自分の信仰対象の絶対化を求める人は他の教説を端から認めない
傾向がありますが、そんなことはありませんか?
>>516 霊的なものがどこから流れて来たか、を問題にしているのではない。
それを感じ取る能力を問題にしているのだ。スエデンのコピペばかりだから、
霊的感受性を失っているような印象を受ける。
>>518 聖霊は神の訪れです。神は聖霊そのものなのです。
神を否定する仏教はもちろん、宇宙真理ブラフマンを説くヒンズー教も、
聖霊をまったく説いていません。かれらが聖霊を知っていれば、
必ず唯一神を説きます。聖書の値打ちは聖霊を説くところにあるのです。
しかし、ヒンズー教のよさもあります。それは霊魂(アートマン)を認め、
霊魂を説くところにヒンズー教の値打ちがあるのです。聖書だけでは、
聖霊と霊魂の区別がはっきりしません。
>>461 を書いてからふと思ったのだが、
使途言行録にある、目からうろこが落ちるようなパウロの神秘体験は、
聖霊体験だった可能性が濃厚である。
昼間の出来事なのに、目が見えなくなって幻覚を見る。
パウロの場合は三日間になっているが、これは聖霊を知らないルカの
作文ではないだろうか。ルカらしく、雄弁に筆が滑っている。
神を見るのは一瞬でいい。なぜなら、神は永遠の存在だから。
パウロの三日は、イエスの三日をダブらせているだけのように思う。
522 :
神も仏も名無しさん :2011/08/26(金) 18:39:01.31 ID:m8VyJp91
パウロが第三の天に引き上げられて見てきたこと。 すなわち、言葉では言い表せないものでした。 まぁ、浦島パウロさんですな^^
523 :
神も仏も名無しさん :2011/08/26(金) 18:42:59.06 ID:EsBfxhg7
オレとやりまくってたクリスチャンの元カノ・・・ オレと付き合う前に子供を堕ろしたことあるそうで(>_<) 結婚相手はクリスチャンに限るそうですw アラフォー美人で、パイズリフェラ出来ますよ♪ テクニックあるんで、誰かもらってやってくださいw
パウロ、スエデンボルグは聖霊体験をしたのではないか。 しかし、エックハルトはどうなのだろう? かれの本を読んでいないので、 自信を持って聖霊体験をしたとは言い切れない。 消去法から言えば、エックハルトには霊魂体験がない。 神と人間を「一」にしてしまう考え方には、基本的に霊魂への無知がある。 神がすべてである。神がすべてであるがゆえに、すべては無である、 というのは、かれの思弁に過ぎない。体験からではない。 すべては無である、と主張するのに、かれはその時代を生きていた。
525 :
神も仏も名無しさん :2011/08/26(金) 19:01:26.16 ID:m8VyJp91
>>523 100億円持参金もってこい もらってやるからばい菌万個
526 :
神も仏も名無しさん :2011/08/26(金) 19:06:17.32 ID:EsBfxhg7
>>525 金は持ってないよ♪
あるのは体とテクニックです。
クリスチャンとの結婚希望していますが・・・
527 :
神も仏も名無しさん :2011/08/26(金) 19:16:08.13 ID:m8VyJp91
ハゲイに拾ってもらうほど落ちぶれた女っていったい・・・
529 :
504 :2011/08/26(金) 19:25:56.29 ID:VW5rPB7b
>>520 >聖霊は神の訪れです。神は聖霊そのものなのです。
おお、やっぱり聖霊については数々の解釈というか定義が出てきますね。
しかし神そのものだとしたら私もありがたいです。あまり考えなくていいですから。
>神を否定する仏教はもちろん、宇宙真理ブラフマンを説くヒンズー教も、
>聖霊をまったく説いていません。
そうなんですか。すみません。私の浅い知識ではそれしか言えません。
>かれらが聖霊を知っていれば、
>必ず唯一神を説きます。聖書の値打ちは聖霊を説くところにあるのです。
唯一神の唯一とはどういった意味で仰ってるんでしょう。
ただ一人の神の子と同じ意味でしょうか。
アートマンとは真我とも訳されるもので、ブラフマンと同一とされているようですが、
確かに霊魂という解釈もできそうですね。
でも聖霊と霊魂が紛らわしいんですか?
530 :
504 :2011/08/26(金) 19:53:11.63 ID:VW5rPB7b
>>524 エックハルトは「神は理性」だとも言ってます。
鱗の張り付いていない目でありのままを見極めることを言っているように思えます。
聖霊体験とか霊魂体験といわれるものがどういったものか私には解りませんが、
いわゆる体験という時間のものではない叡智があるように感じます。
>>529 神は命です。個体を超越した命そのものが神です。
そういった神に、あの神、この神などありようがなく、神は唯一です。
ちなみにイエスは神ではありません。人間です。
>>529 人間の霊魂は最初から永遠です。なぜなら人間は、神とは区別された、
神の分身だからです。神は命であり、霊魂も命です。
しかし霊魂には形があり、形があるから個体であり続けるのです。
そういったものだから、肉体が滅んでも霊魂は不滅です。
それなのにキリスト教は、信じれば永遠の命を与えると約束している。
しかし、霊魂=永遠の命だから、この約束は無意味でしょう。
533 :
神も仏も名無しさん :2011/08/26(金) 20:38:12.66 ID:EsBfxhg7
>>527 すごい美人で巨乳でスタイルいいし、性格もいいですよ♪
けど、ちょっと頭とお股が・・・
534 :
神も仏も名無しさん :2011/08/26(金) 20:38:19.20 ID:m8VyJp91
神は人間の数だけいるのか? アホじゃないか
>>534 どっちがアホか。神を知らないから馬鹿げた疑問が出てくる。
キリスト教では、イエスを主であると信じれば、聖霊が与えられ、 永遠の命が与えられると主張している。しかしこれだと、 聖霊を受けることが永遠の命に至ること、のような話になっている。 聖霊と永遠の命が同一視されている。 霊魂=永遠の命だから、キリスト教では聖霊と霊魂が混同されている。 あるいは、人間がもともと持っている霊魂を無視している。
神=命であり、人間の霊魂=命だから、神と人間は「一」になる、 という主張は成立しない。形が無い神の命と、形の有る人間の命とは、 まったく異なっている。個体の霊魂が形を失うと個体でなくなる。 形を失い、個体でなくなることが神との合一である。 しかし実際には、個体は個体であり続け、霊魂は不滅である。 そのため、人間は決して、神と合一することはない。 他の生き物はともかく、人間は神の元には永遠に帰れない。 個体であり続けようとするからである。
死後、神の元にも帰れない、しかし霊魂は不滅である。 そしたら、その霊魂の行き場はどこか。これがいわゆる霊界である。 次元の違う場所に神がいる。その下の方に霊界が広がる。 この霊界に、霊魂が霊の体を持って暮らしている。
パウロの回心はたぶん高熱か何かで三日ほど倒れて キリスト者に介抱されたときに 一種の神秘体験をしたとか、そんなことだと思う
540 :
神も仏も名無しさん :2011/08/27(土) 10:55:08.72 ID:1OiWhGyU
>>539 パウロはいないのだから、もはや回心の真実は永遠にわからない。
そこであれこれ想像するわけですが、それなりの理屈が多少でもあれば、
どう想像しても自由なのでしょう。それにしても気になりますね。
第三の天に引き上げられた、という話とも関連してますね。
コリント(二)12章にある第三の天
天が三つあるのだから、世界を三つ考えなければならないのだが、
そう考えると、
>>538 で書いたように、
この世と霊界(あの世)と神がいる神界の三つではないだろうか。
この世と霊界と神界が、次元的な違いを持ち、順番に並んでいる。
パウロが体験したのはこの三つの世界かもしれない。
しかしこれは、聖霊体験ではなく、霊魂体験になるかもしれない。
パウロの回心は、そう書いてあるように聖霊体験だろう。 しかし第三の天は、神界のことであり、回心とは別の体験だろうと思う。 パウロは神界を見たのかもしれない。そうであれば霊魂体験もしている。 結局パウロは、聖霊体験も霊魂体験もしていることになる。
543 :
神も仏も名無しさん :2011/08/27(土) 11:53:31.75 ID:nZHfDgp9
>>541 そうではないのですよ。
霊界は、天界・地獄・精霊界の三界から構成されています。
総体的にみると、天界には二つの王国があり、種別的にみると、
三層の天界があります。
天界は、はっきり三つの層に分けられています。
それは内奥部にある第三天界、中間部にある第二天界、末端部に
ある第一天界です。
主から発する神性を内面的に受け止めるにも、天使によって
大小があり、より深く内面的に受けている第三天界に住んでいる
天使を「天的天使」、より浅く内面的に受けている第二天界に
住んでいる天使を「霊的天使」と言います。
天界は「天的王国」と「霊的王国」の二つの王国に分けられます。
また、神を信じて道徳的生活を送っていても、教えてもらいたい
とは思わない善霊たちは、末端部の第一天界にいます。
パウロは、聖書の研究者であり、弟子もいる聖書のプロである。 聖霊体験があれば、霊魂体験をした可能性も濃厚である。 イエスは聖霊を受けた後、荒れ野に出かけて悪魔の試練を受ける。 それと同じように、パウロは聖霊を受けた後、アラビヤに退いている。 それから3年後、エルサレムに行きペテロに会っている。 ガラテヤ1.17−18 こういった経過から、パウロの謎が読み解けないだろうか。
>>543 それは霊界の話であり、霊界を細かく分けているだけです。
そういうことではなく、パウロは霊界も、さらにはその上にある、
神のいる神界も見たのではないか、という話です。
それにだいたい、あなたは霊界を見たことがあるのですか。
スエデン本そのままじゃないですか。
546 :
神も仏も名無しさん :2011/08/27(土) 12:31:13.98 ID:nZHfDgp9
>>544 正確に言えば、パウロは自分が第三の天に引き上げられたとは言っていません。
キリストに結ばれて、第三の天まで引き上げられた人を知っていると言っている
だけですね。もしこれが自分のことであればそうとうな欺瞞家ですね。
自分の体験であるなら、自分の体験だとちゃんと書けば良いでしょうにね。
>>545 霊界に上げられて、スェデンブルグのように、天界・地獄・精霊界のすべてを
見てきた人いるんですか?
547 :
神も仏も名無しさん :2011/08/27(土) 12:56:28.68 ID:nZHfDgp9
>>544 サウロの回心は33年ごろで、福音書が成立する以前から、パウロはイエスの教義と
ちがった教義で伝道旅行(第1回が47年ごろ)をしていることが理解できてますか?
>>546 欺瞞家とは思わない。神秘体験は話しにくいのです。
他人の話にしておけば、話したいことだけを話し、それ以上追求されることも
ないでしょう。それにパウロの体験だとも匂わせています。
スエデンだって、その著作のほとんどが第三者による死後出版ですね。
スエデンのように全部見る必要はないのです。いいものだけ見ればいい。
霊界があることを知ればいい。パウロもたぶん、少し見ただけですよ。
549 :
504 :2011/08/27(土) 13:05:36.19 ID:iFrxhsuN
>>531 なんだか一般的な意味以外にも「唯一神」には意味があるような気がしたもので、、
けど多分気のせいでしょう。
お答え、ありがとうございました。
550 :
神も仏も名無しさん :2011/08/27(土) 13:07:14.94 ID:1OiWhGyU
>>547 パウロの手紙にはなぜ一貫性があるのか。不思議である。
かれの話は、用語を入れ替え、話をずらして行くので読みにくい。
それでもかれの話が混乱しないのは、話の土台に体験があるからだろう。
パウロはなぜ生前のイエスに興味を示さないのか。
イエスに学ぶ必要がないから。かれは最初からパウロ教を考えている。
パウロはなぜイエスを神の如くに祭り上げるのか。
新興宗教を立ち上げるための作戦である。アラビヤに退いた3年間、
パウロ教をどう立ち上げるかを練り上げていた。
551 :
神も仏も名無しさん :2011/08/27(土) 13:19:53.54 ID:uMcR2E5e
>>550 ま、パウロみたいな野心家で幾つかの外国語が話せたインテリは
自分が宗教の創始者になろうとしてたのかもな。
イエスを神として自分はその啓示を受けた教祖って事にしたかった
って訳。だからイエスが半端なユダヤ教を改革しようとしてただけの
存在では困る訳さ。だから当時流行ってた宗教のエピソードを幾つ
かパクって処女から生まれ死後三日後に復活したって事にしたんだ
ろうな。
イエスの直属の弟子達は正直言って漁師だとかあまり教養の無い連中
ばかりだったからパウロに良いように掻き回されたって事だね。
552 :
神も仏も名無しさん :2011/08/27(土) 13:23:21.82 ID:nZHfDgp9
531 :神も仏も名無しさん:2011/08/26(金) 20:24:07.88 ID:Dhf8V4Jb
>ちなみにイエスは神ではありません。人間です。
>>549 こんな無知な人間の言うことを鵜呑みにしてはいけません。
イエス・キリストは神であり人であるのです。
これはキリスト教会でも認められていることです。
キリストだけが唯一の神であると認めることが、真のキリスト教です。
アリウス派やソッツイーニ主義者のように、キリストの人間性だけ
を認めて、神性を否定した人には、神にたいする何の信仰もありません。
553 :
神も仏も名無しさん :2011/08/27(土) 13:28:44.30 ID:uMcR2E5e
>>552 イエス・キリストを神の子であると認めるのがキリスト教なのでしょうが
私は一切認めませんのでw
そもそも御都合主義的に処女から生まれたり、死んで三日経ってから
復活する奴なんて信じる訳ねーでしょうがw
世の中は相対的に推移するもので絶対的な存在なんざ居る訳ねーで
しょうが・・・・・
>>552 すみません。私は釈迦も好きな人間ですので、出来るだけ何も信じないようにしてます。
否定するという事ではありません。鵜呑みにしないというだけです。
そういった説もあるという事を知り得ただけでもありがたいです。
イエスについては人間でも神でもかまいません、というか気にしません。
イエスが只者ではないってだけで今のところ十分ですw
そういったレッテルよりもイエスの言葉が重要だと思います。
555 :
神も仏も名無しさん :2011/08/27(土) 13:46:10.98 ID:nZHfDgp9
>>553 イエスを唯一の神として認めないのは、あなたのまったくの自由です。
たんに自然主義的な人は、この世の知識(科学)と自分のチエしか
認めませんから、それもいた仕方ないでしょう。
そのことを、聖書では「善悪の知識の木から取って食べる」と言います。
しかし、聖書には、「あなたたちは聖書も神の力も知らないから、
思い違いをしている」と記されているように、聖書には筆舌を尽くすほどの
神の英知が内在されているのです。このことを知らないうちは、
なにを言っても無駄ですので、これ以上は言いません。
キリストもこのような者たちのことを、目の見えない人と言われています。
>>554 その姿勢は正しいと思う。
自らの主体性を明け渡してはいけない。
いろいろな人がいろいろなことを言う。
最終的には自己責任となることを強く意識して騙されないようしてください。
557 :
神も仏も名無しさん :2011/08/27(土) 16:15:23.63 ID:nZHfDgp9
>>556 不信仰の害毒を撒き散らす愚か者
マルコ
「わたしを信じる…一人をつまずかせる者は、大きな石臼を
首に懸けられて、海に投げ込まれてしまう方がはるかによい」
558 :
神も仏も名無しさん :2011/08/27(土) 16:39:59.75 ID:1OiWhGyU
>>555 イエスが唯一の神?
イエスはこの世で飲み食いした人間にすぎない。
それを決して忘れてはならない。
559 :
神も仏も名無しさん :2011/08/27(土) 16:46:58.10 ID:1OiWhGyU
Johannes には注意してください。 narumi、なみたん、我、金有財など、さまざまなコテを使い 宗教版を荒らしまわっている。在日のようです。
560 :
神も仏も名無しさん :2011/08/27(土) 16:53:03.86 ID:nZHfDgp9
561 :
神も仏も名無しさん :2011/08/27(土) 16:57:36.29 ID:1OiWhGyU
それはあなただろう? スエデン本ばかりではダメだよ。
562 :
神も仏も名無しさん :2011/08/27(土) 16:57:58.22 ID:nZHfDgp9
Johannesは、主キリストの敵です。反キリストの地獄の使者です。 あんな(たわごと)には、決して惑わされないようにしてください。
563 :
神も仏も名無しさん :2011/08/27(土) 17:07:17.12 ID:nZHfDgp9
>>561 だから、>イエスはこの世で飲み食いした人間にすぎない。
なんて、福音書の一つも読んだことあるのですか?
564 :
神も仏も名無しさん :2011/08/27(土) 17:09:04.65 ID:1OiWhGyU
>>562 あなたは議論スレでサロメとJohannesを相手にしてるが、
あなたも在日なのか。日本人ならかれらを相手にするのはもうよそう。
最近の在日や、韓国人の思い上がりは目に余る。
565 :
神も仏も名無しさん :2011/08/27(土) 17:45:10.05 ID:nZHfDgp9
>>564 在日や韓国人のキリスト教は、どうしてダメなんですか。
欧米の人のキリスト教とは違うのですか?
>最近の在日や、韓国人の思い上がりは目に余る。
それは100年前に、日韓併合でかれらのプライドを傷つけた報復ですよ。
いまの世代は、日本が膨大な国家予算をつぎ込んで瀕死の韓国を救った
ことはほとんど教えられていません。
だから、日本人に今なお不信を抱いている人は多いし、お国も民衆の
不満を反日教育で日本人にむけることで、メンツを保ってるんですよ。
中国も同じでしょ。
韓国の独立当時にアメリカの傀儡政権の何とかショウバンだかなんだかが 自身の失政を誤魔化すために反日教育や宣伝をしたのが今に尾を引いているんだろう 中国はそこまでひどくないよ 日本は反韓流なんてバカなことやってないで、 韓国に追い越されそうな現実から逃げないで、 技術、芸能、経済、政治、教育のレベルを挙げるように闘わないと。 二番じゃダメなんだぞ あなたがたは知らないのか。競技場で走る者は、みな走りはするが、 賞を得る者はひとりだけである。あなたがたも、賞を得るように走りなさい。 1Co 9:24
567 :
神も仏も名無しさん :2011/08/27(土) 18:56:10.48 ID:S14/n1uQ
>>565 在日の二人に、猿、猿とバカにされてよく言うよ。しっかりしろ。
日韓併合は、南満州鉄道の敷設権をロシアに売ろうとしたからだろう。
ほっとけば朝鮮は自動的にロシアの支配下になるはずだった。
かりにそうであったら、いまでもロシア領で朝鮮は地球上に存在しない。
それにね、現在、韓国は日本領の竹島を不法占拠している。
日本領に韓国軍が駐留しているのだよ。
568 :
神も仏も名無しさん :2011/08/27(土) 19:17:25.79 ID:nZHfDgp9
>>567 いずれの理由があろうと、武力を立てに、他国を自国に併合するという
ことは、他国の民族感情を、著しく害する結果となることは、明白である。
竹島問題は、国際法上の審判によって解決すればいい。
まず、韓国を国際法の舞台に立たせることが、重要な外交課題だろう。
蝸牛角上の争いになっては、お互い得るものは何もない。
569 :
神も仏も名無しさん :2011/08/27(土) 19:18:26.20 ID:uMcR2E5e
ただ防衛的な意味で朝鮮半島がロシアの手に落ちるのは日本にとって 大変に不都合だったんだよね。 だから異常な程にインフラ整備して国力増強に努めたのさ。 まあ日韓併合で日本も良い事をした、とか書くと異常に怒られちゃう んだけどw 韓国や中国なんて嫌いな国だけど(キリスト教並みに嫌いw)近隣 にある国だからその情勢を安穏と見つめる訳にもいかないんだね。
570 :
神も仏も名無しさん :2011/08/27(土) 19:27:13.72 ID:S14/n1uQ
1904年に日露戦争が起きている。その後に、韓国領土内への、 南満州鉄道の敷設権をロシアに売ろうとする動きが出てくる。 この動きが日本にとってどれほど危険だったか想像がつくだろう。 それから半島にはかって、任那日本府という日本の領土があった。 その土地からは、日本特有の前方後円墳がいくつも見つかり、 日本人実力者が住んでいたこともわかっている。 竹島と一緒に、日本の古い土地を返してもらおうじゃないか。
571 :
神も仏も名無しさん :2011/08/27(土) 19:31:20.44 ID:uMcR2E5e
>>570 領土は欲しいがそこに付随してる韓国人も引き取るのは嫌だね。
あんなうるせー連中要らないじゃん。
ああいうのは中国に引き取って貰った方が良いだろ。どうせ人口が
多いんだし多少増えたって構わないってw
572 :
神も仏も名無しさん :2011/08/27(土) 19:50:31.30 ID:S14/n1uQ
>>571 それもそうだね。竹島だけ返してもらえばいっか。
573 :
神も仏も名無しさん :2011/08/27(土) 19:57:54.50 ID:nZHfDgp9
日本が朝鮮半島や中国大陸に、武力進出したことが、米英仏などの列強の 反感を買って、これが太平洋戦争の直接の要因になったんですよ。 日清戦争で中国に勝った勢いで、日露戦争で大国ロシアに勝った、勝ったの 驕りが、帝国軍人や軍属の理性をマヒさせたのでしょうか? 今日、いかに背広組が制服組を統制する、シビリアン・コントロールが重要かと 確認されているのに、今日、テレビを見ていたら、元航空幕僚長の人が出ていて、 軍人は間違いを犯しません、と言ってたのを聞いてびっくりしますた。 と、同時に前仙石官房長官が、自衛隊は暴力装置と言っていたのを思い出し、 おもわず苦笑しました。
574 :
神も仏も名無しさん :2011/08/27(土) 20:03:51.59 ID:S14/n1uQ
>>573 スエデン本ばかり読んでいるから歴史に無知ですね。
1929年の世界大恐慌がWW2の引き金になったのですよ。
575 :
神も仏も名無しさん :2011/08/27(土) 20:10:41.61 ID:nZHfDgp9
576 :
神も仏も名無しさん :2011/08/27(土) 20:28:42.32 ID:S14/n1uQ
>>575 ニューデール政策はそれほどの効果がなかった。
アメリカにとって日本との戦争は不況対策でもあったのです。
日本を太平洋戦争に向かわせたのはアメリカです。
911がアメリカの自作自演であるように、
日本の真珠湾攻撃もアメリカの誘導によって発生するのです。
小学生の時から国語の成績がよくありませんでした。 良くて60点。普段は25〜40点 親はもう絶縁しましたが、虐待されていて言葉を喋れないように言葉を教えていました。 それで今の時代になってから文系のみの学習障害ではないかと思ったのです。その原因が遺伝子障害か、虐待が原因かわからないのです。 読解力に障害があっても聖書を理解することは出きるでしょうか。 もし、遺伝子障害だとしたら実の親子間の子供なのではないだろうかと不安が募り、聖書を読むほど自信を無くします。 もしかしたら時期が早いだけなのか、時期焦燥でもウサギでもカメでも同じなんだろうかと悩み事が尽きずよけい聖書がわかりません。 旧約と新訳を読まず、片方から始めたら少し易しいでしょうか。
578 :
神も仏も名無しさん :2011/08/27(土) 21:07:36.32 ID:nZHfDgp9
>>576 太平洋戦争当時のアメリカ国民にとって、戦争は好むことではなかったと
言うのが実情であったということです。
しかし、日本が必死に外交による戦争回避を行っていたにもかかわらず、軍部(海軍)
が、宣戦通告をする以前に、ハワイの真珠湾を攻撃したことにより、アメリカ国民の
戦意を高揚させたというのが、定説になっています。
579 :
神も仏も名無しさん :2011/08/27(土) 21:25:51.84 ID:S14/n1uQ
>>577 新約、それも福音書がいいと思います。
パウロの手紙、黙示録は、当面、読む必要はないと思います。
神を知ることが目的なので、読解力はなくてもかまいません。
読解力より、心で感じ取ることが大切だと思います。
一語一語かみ締めるように、ゆっくり体全体で読んでください。
理解するより、感じることの方が大切です。
580 :
神も仏も名無しさん :2011/08/27(土) 21:36:40.33 ID:nZHfDgp9
>>579 >一語一語かみ締めるように、ゆっくり体全体で読んでください。
>理解するより、感じることの方が大切です。
つまり、理性を信仰に服従させて、感覚によって盲信せよということか?
それじゃ、カルト信仰になるしかないべーな。
何しろなにを教えられても、分けわからないうちに信じてしまうのだからね。
こんなのを巷では、「洗脳」とか「マインド・コントロール」とか言ってないの?
あなたは、信仰の意味が分かってません。
信仰とは、真理として認めるということです。
真理を真理として認めるのは、神の光に照らされて、人間の理性を高めることに他ありませんよ。
581 :
神も仏も名無しさん :2011/08/27(土) 21:40:01.84 ID:S14/n1uQ
わたしの読み方を教えましょう。 意味がよくわからないときは、そのままノートに書き写します。 だからノートはけっこう使います。メモ帳としても役に立ちます。 几帳面に書くのではなく、行にこだわらないで、自由に乱雑に書きます。 昔の人は読書量が少ないのに優秀だった。 本が貴重だったので、本を借りて、本を書き写していたのです。 たとえばマルコ福音書をノートに書き写したらどうでしょうか。 福音書の中では、マルコが短く、手ごろだと思います。
582 :
神も仏も名無しさん :2011/08/27(土) 21:44:11.90 ID:nZHfDgp9
>>579 主イエスの教えは、教義のない者にとってはまことに意味不明です。
マルコによる福音書
1017> イエスが道に出て行かれると、ひとりの人が走り寄り、みまえにひざまずいて尋ねた、
「よき師よ、永遠の生命を受けるために、何をしたらよいでしょうか」。
1018> イエスは言われた、「なぜわたしをよき者と言うのか。神ひとりのほかによい者はない。
1019> いましめはあなたの知っているとおりである。『殺すな、姦淫するな、盗むな、偽証を立てるな、
欺き取るな、父と母を敬え』」。
1020> すると、彼は言った、「先生、それらの事はみな、小さい時から守っております」。
1021> イエスは彼に目をとめ、いつくしんで言われた、「あなたに足りないことが一つある。
帰って、持っているものをみな売り払って、貧しい人々に施しなさい。そうすれば、
天に宝を持つようになろう。そして、わたしに従ってきなさい」。
マタイによる福音書
1038> また自分の十字架をとってわたしに従ってこない者はわたしにふさわしくない。
1624> それからイエスは弟子たちに言われた、「だれでもわたしについてきたいと思うなら、
自分を捨て、自分の十字架を負うて、わたしに従ってきなさい。
>一語一語かみ締めるように、ゆっくり体全体で読んでください。
>理解するより、感じることの方が大切です。
そんなたわごとでは、聖書は何一つ理解できませんよ。
583 :
神も仏も名無しさん :2011/08/27(土) 21:50:04.96 ID:S14/n1uQ
いまはノートが安くて助かる。ノートとボールペン(黒、赤) これをけっこう使いますね。 バラバラのメモ用紙はダメですね。保存が悪すぎる。 書いた後、いずれは捨てるのだが、多少は残しておきたい。
>>580 >>582 ゆっくり体全体で読むこと、ノートに書き写すことは、
文章の理解に効果的であり、文章の正しさや誤りにも気がつきやすい
のです。さらにその上、記憶にも残るのです。
586 :
神も仏も名無しさん :2011/08/27(土) 22:04:14.77 ID:nZHfDgp9
>>585 ああ、あなたにの聖書理解とは、聖句を覚えることですか。
587 :
神も仏も名無しさん :2011/08/27(土) 22:13:13.27 ID:nZHfDgp9
>>585 まず、いくら書き写しても生涯この意味は分かららないでしょう。
マルコによる福音書
1021> イエスは彼に目をとめ、いつくしんで言われた、「あなたに足りないことが一つある。
帰って、持っているものをみな売り払って、貧しい人々に施しなさい。そうすれば、
天に宝を持つようになろう。そして、わたしに従ってきなさい」。
マタイによる福音書
1038> また自分の十字架をとってわたしに従ってこない者はわたしにふさわしくない。
1624> それからイエスは弟子たちに言われた、「だれでもわたしについてきたいと思うなら、
自分を捨て、自分の十字架を負うて、わたしに従ってきなさい。
>>578 まったく違います。日米開戦は御前会議で決定されてます。
また、真珠湾攻撃の前に、すでに南方で戦争を開始、
日本がアメリカを攻撃することは時間の問題になっていた。
アメリカはその当時、日本の暗号解読にも成功し、
真珠湾攻撃を事前に察知、日本大使館の開戦通告受け取りを
意図的に遅らせ、真珠湾攻撃は不意打ちだと主張する。
その目的は、アメリカ人の戦意を高揚させることにあった。
自作自演の911とまったく同じです。
577です。 書くことも神を噛み締めることなのですね。 頑張ります! >580 父と子の関係が分かるのですか? そんなふうに心に傷を持つ必要がありますか? あなたを傷つけた人は初めからいなかったと思えばいいのです! 誰でも平安と共に居られます。
590 :
神も仏も名無しさん :2011/08/27(土) 22:46:14.90 ID:S14/n1uQ
>>589 がんばってください。
>>578 スエデンばかり読んでるから、やはり歴史に無知なのがわかりました。
思うのですが、あなたは洗脳されやすいタイプではないですか。
スエデンに洗脳され、マスコミにも洗脳され、だめですねえ。
591 :
神も仏も名無しさん :2011/08/27(土) 23:09:11.15 ID:nZHfDgp9
>>589 はっきり言って、イエスの教えとは、現世的な生活における心の平安のための
信仰ではありません。むしろ、試練の中にあってこそ、人が再生できるという
信仰です。
そのことは、イエスが言われたことから理解できます。
マタイによる福音書
1038> また自分の十字架をとってわたしに従ってこない者はわたしにふさわしくない。
1624> それからイエスは弟子たちに言われた、「だれでもわたしについてきたいと思うなら、
自分を捨て、自分の十字架を負うて、わたしに従ってきなさい。
「十字架」は、試練を意味し、「主に従う」とは、主の神的なものを承認し、主の戒めを守って
生活をすることです。そこで初めて、人は新しく生まれ変わることが来るのです。
すなわち、その人の魂が改革されるほど、人の中から悪が斥けられ、神の善が入ってくるのです。
生きているときには、そのことを当人は知りません。
しかし、主はマタイを通じて言われていることを信じるものは、救われます。
「最後まで耐え忍ぶ者は、救われる。」
これは、科学的に確認できるものではありません。
だから、主の(みことば)を真理として認めるのです。これが信仰の意味です。
>>530 >エックハルトは「神は理性」だとも言ってます。
>鱗の張り付いていない目でありのままを見極めることを言っているように思えます。
>聖霊体験とか霊魂体験といわれるものがどういったものか私には解りませんが、
>いわゆる体験という時間のものではない叡智があるように感じます。
話がエックハルトからそれてしまいすみません。書き込みをしながら、
エックハルトをもう少し知らないと、自信のある書き込みが出来ないことを
感じました。しばらくエックハルトを学びたいと思います。
593 :
神も仏も名無しさん :2011/08/27(土) 23:23:58.91 ID:nZHfDgp9
>>590 >まったく違います。日米開戦は御前会議で決定されてます。
だからね、宣戦布告するまでに外務省は、戦争回避のためにぎりぎりの交渉を
していたということですよ。それが、天皇の御心でもあったのですからね。
しかし、結果的に野村とハルの交渉は決裂し、宣戦布告がされる1時間前に
真珠湾を攻撃したということです。
まず、歴史的事実をちゃんと認識してから言ってください。
594 :
┃・)ノ :2011/08/27(土) 23:46:25.16 ID:bzoClZB4
\もうね、アボカド/ \墓かと/ ___ | | 擬 | ヽ | | 古 | γ⌒^ヽ | | 家 | /:::::::::::::ヽ .| |(,,゚Д゚) /::::::::(,,゚Д゚) |(ノ |) i:::::(ノDole| | ̄| ̄|| ii~ | ゙、:::::::::::::ノ | |凸(~~)凸 U"U  ̄ ̄し`J
聖書は注釈なり解説なりが無いと読んでも意味分かりませんよ 実際に独りで読んでみようとすれば分からないという事が分かると思います 使徒言行録8.30-31 フィリポが走り寄ると、預言者イザヤの書を朗読しているのが聞こえたので、 「読んでいることがお分かりになりますか」と言った。 宦官は、「手引きしてくれる人がなければ、どうして分かりましょう」と言い、 馬車に乗ってそばに座るようにフィリポに頼んだ。
>>595 >聖書は注釈なり解説なりが無いと読んでも意味分かりませんよ
どんな注釈書、解説書がおすすめですか。
598 :
神も仏も名無しさん :2011/08/28(日) 11:11:47.36 ID:xlC3vxnL
>>589 少し追加させてください。福音書ならマルコ伝をすすめますが、
短くて書き写しやすいものとしては、ヤコブの手紙、ヨハネの手紙、
ユダの手紙などが、新約の最後の方にあります。
これらはキリスト教の解説書、注釈書であり、
キリスト教のおおよそを知る上で参考になろうかと思います。
それから、疑問があれば考えたり調べたりするわけですが、
心から納得できないうちは、そのままに放置するのがいいと思います。
いずれ、「ああ、そういうことか」とわかる時がやって来ます。
>>597 オレは岩波の聖書翻訳委員会訳の聖書を普段使っている。
脚注がよい。教派色が希薄で、写本上の異同を明示してくれている。
いずれにせよ、コンメンタールを使うならともかく、使わないで
脚注のない聖書を読むなんて、暴挙だと思う。
韓国では何年か前に、日韓併合を招いた韓国人の子孫を探し出し、 その財産を没収するという愚挙をやってのけた。これほどまでに韓国では、 日韓併合を憎むべき歴史として捉えている。 しかし、この捉え方は正しいのだろうか。 日本が日露戦争を戦った後、そのロシアに韓国内の鉄道敷設権を売るか? その時代は、欧米列強がアジアの植民地化を狙っていたのに。
計画段階にせよ、その当時の韓国人はいったい何を考えていたのだろうか。 日本への警戒心からロシアへ近づこうとしたのかもしれない。 でもその当時の列強の下心にまるで気づいていない。 ロシアは伝統的に不凍港を求めて南下政策を続けている。 韓国の釜山まで、ロシアの南満州鉄道が通じたら、いずれ言いがかりを受け、 あっという間にロシア兵が南下して植民地にされる。
ロシア? 韓国が選ぼうとした相手が悪い。ではなぜ中国ではないのか。 中国も1894年、日本に敗れているのだ。 選択肢は日本かロシアしかなく、その悪い方を選ぼうとしたのである。 かりにそれがそのまま実現したらどうなったのだろう? じきに韓国はロシアの植民地になり、ロシアは日本との戦争を考えるだろう。 日露戦争で失ったものを取り返すためである。
その当時の日本の後ろ盾は、ロシアに対抗する英米である。 そのため、ロシアの野心は実現せず、日本とロシアのにらみ合いが続く。 この状態が続けば、韓国を足場にした日本の大陸進出はなく、 満州国を建設することもなく、日中戦争も起こらず、太平洋戦争も起こらず、 アジアの植民地解放も起こらなかったかもしれない。 そうであれば、韓国も北朝鮮もなく、ロシア領内の異民族扱いだったろう。 ソ連あるいはロシアは、不凍港を決して手放さないからである。
その当時の状況を知れば知るほど、韓国は日本を選ぶべきであったのに、 ロシアを選ぼうとしたから、日韓併合に歴史が振れたのである。 そして日韓併合は、憎むべき歴史なのではなく、韓国が生き延びる 唯一の道だったのではないか、という視点も見えてくる。 その当時、日韓の協力を模索した韓国人もいたようである。 しかし、いまの韓国が、その子孫を探し出し、その財産を没収するのでは、 祖国を救った恩人に残酷な仕打ちをしているとしか思えない。
日韓併合に関しては、その当時の状況から判断すべきであり、 いまの価値判断では善悪を評価できない。日韓併合は歴史の流れであり、 むしろ韓国・北朝鮮にとって良かったのではないだろうか。 植民地ではない。日本人と対等の仲間として合併したのではないか。 韓国人、朝鮮人は、もっともっと歴史を学んだ方がいい。 昔の日本は韓国をずいぶん大事にしていると思う。 ひどい目に逢ったと言うなら、日本人の大多数もひどい目に逢っている。
606 :
神も仏も名無しさん :2011/08/28(日) 13:13:57.83 ID:xlC3vxnL
>>599 >オレは岩波の聖書翻訳委員会訳の聖書を普段使っている。
>脚注がよい。教派色が希薄で、写本上の異同を明示してくれている。
ありがとう、参考になりました。
わたしの場合は、解説とか注釈とかが必要だとも知らず、普通の本のように、
新共同訳をそのまま棒読みして現在に至ります。知らぬが仏ですね。
いろいろ参考にすれば理解が早かったかもしれません。
607 :
神も仏も名無しさん :2011/08/28(日) 18:49:03.93 ID:C62NuOrS
近所に大規模書店がなく、読みたい本が簡単には手に入らない。 手に取って確かめたいので、まだアマゾンとかを利用する考えはない。 エックハルトも含め、いずれは本を探して遠征したい。
聖書に限らないが、聖書の読み方には二通りあると思う。 @ わかろうがわかるまいが、とりあえず全体をざっと読んでしまう。 A そうではなく、注釈や解説などを参考に、少しづつ正確に読んでいく。 どちらも間違っているわけではない。たとえば絵を描くようなものか。 最初は全体をイメージし、それから細部を順次仕上げていく。
610 :
神も仏も名無しさん :2011/08/29(月) 02:03:10.61 ID:n91YiwQq
昨日の夕方、四条大橋東詰で お揃いのTシャツを着た集団が 「君は愛されるために生まれた」と熱唱したり、 「イエスキリストを信じましょう」と 大きな声で叫んでいました。 揃いのTシャツには十字架が描かれ 袖口には六カ国?の国旗が描かれていました。 なんの集団かご存知な人いませんか? 青年ばかりの集団でした。
韓流キリスト風新興宗教の関係者やね。 青年を集中的に狙う宗派としてはヨハン教会なんか有名やけど。
612 :
神も仏も名無しさん :2011/08/29(月) 14:42:18.25 ID:CZx2qVJh
色んな男とやりまくって、不倫して愛人として生活してて 妊娠発覚して、堕ろして、捨てられて、 クリスチャンになった女ってどう思いますか? クリスチャン男性と結婚を希望しているそうですが・・・ 悔い改めてるからおK?
613 :
神も仏も名無しさん :2011/08/29(月) 18:02:25.44 ID:anmtIqee
クリスチャンではないが、だれと比較するのか。 後悔しない女は、まだまだバカなことを繰り返しそうで恐い。 では後悔すればいいのかと言えばそうでもない。 そんな女は、瀬戸内寂聴のように、尼さんにでもなればいい。
これからの宗教を考えた場合、 日韓併合と太平洋戦争を抜きにしては考えられないと思う。 韓国人は日韓併合を今でも根に持っている。日本はひどい国である。 これが韓国人の思いだとしたら、日韓併合を避けては通れない。 韓国系の創価や統一を知るためにも、欠かせない作業だろうと思う。 太平洋戦争を否定されることは、日本人であることを否定されるようなもの。 この戦争には、日本の側にひとかけらの道理もなかったのか。 そんなはずはない。それを検証する作業も欠かせない。
日本人は日韓併合の歴史をほとんど知らない。 なぜなら、学校(中学・高校)で教えようとしないからである。 世界史で小さくなるのは仕方ない。しかし日本史でも積極的に教えない。 石器だとか矢じりだとか、古墳からの出土品などはていねいである。 だから時間が不足する。明治になると駆け足、大正に届けばいい方だろう。 何でこんな時間配分なのか。事実を知らせないためだとしか思えない。 その結果、日本人の大多数は日韓併合の経過を知らない。
616 :
神も仏も名無しさん :2011/08/29(月) 19:29:23.57 ID:X6LTTt3O
近代史や現代史にうとい人が多いから新興宗教の教会を見破れんのや。
では、韓国人(北朝鮮人を含め)は知っているのかと言えば、 韓国の教科書を知らないからわからないが、どうもそんな感じはしない。 韓国も日本と同じような状況なのかもしれない。 だとすれば、自分で歴史年表やネットなどを利用して調べるしかない。 日本人も韓国人(北朝鮮人)も、日韓併合当時の歴史がわかれば、 相手に対して冷静になり、もっと寛容な心が持てるのではないかと思う。 いまの生活から、昔の貧しい生活を非難するのはまちがっている。 その当時は、それが精一杯だったのである。
韓国人や在日は、日韓併合を日本と韓国との合併であり、 アメリカ合衆国の「合衆国」と同じ、ソビエト連邦の「連邦国家」と同じだと 考えられないのかな。ほとんど対等合併ではないか。 それに、日韓併合の期間は35年、意外に短いねえ。
619 :
神も仏も名無しさん :2011/08/29(月) 20:29:52.85 ID:4j1wbj1a
>>618 バカだな、韓国人はマゾヒストだから日本に支配されたくって仕方ねーんだよw
最近、相手にしてくれないからゴネてるってだけさ。ただのツンデレなんだよな。
キリスト教徒はマゾヒストの集合体だが、韓国ってキリスト教徒多いよなw
×韓国ってキリスト教徒多い ○韓国ってキリスト風新興宗教の信者多い
621 :
┃・)ノ :2011/08/29(月) 20:52:05.52 ID:adO2u/SZ
┃・)┌ キリスト教が既にギリシャ神話風ユダヤ教亜流なんだから別にいいんじゃないの? 何とか風は「キリスト教」のお家芸。
>>592 >話がエックハルトからそれてしまいすみません。
こちらこそレスが遅くなりました。私は離在について質問したかっただけですから大丈夫です。
それに私はエックハルトについて語れるほどにはキリスト教自体を知りませんし、
そのつもりもありません。
ただ一つお知らせしたいのは、彼はあなたが仰ったような一度だけで生き方が変わるくらいの
深い何かを垣間見たと話しているということです。
それは魂が霊界とかに行って体験したといったものではありませんけどね。
そして彼は当時異端とされてしまいそうな、いや実際にされてしまったような内容を
思想や信条ではなく真実として魂を賭けて語ります。
けどまぁ強くお勧めはしませんw でも彼のおかげでキリスト教にも興味がもてましたし、
私にはかなり重要になっているという人ではあります。
>>622 それほどの体験なら、やはり聖霊体験(神の訪れ)だろうと思います。
霊魂体験をしていないなら、神も人間も「一」であるという
エックハルトの主張はスジが通っています。また、神しか存在しないなら、
この世は無であるという主張も論理的には一貫しています。
自分を捨てる場合、周囲を窺いながら、少しずつ捨てるのでは成功しない。 捨てるときは、大きく行過ぎるぐらいに捨てなければならない。 どうやって? 生きることを心から「悔いる」ことによって可能になる。 その思いが、欲望、本能を超え、死の向こう側につき抜ける。 そういう悔い方が求められている。 福音の冒頭、イエスの「悔い改めよ」とはそういうことではないか。
625 :
┃・)ノ :2011/08/29(月) 22:11:22.85 ID:adO2u/SZ
捨てたら悔い改められない。当たり前でしょ。馬鹿じゃないの? 宗教信者は自分に酔うよねー。
626 :
神も仏も名無しさん :2011/08/29(月) 22:20:12.70 ID:xh9ABCN4
悔い「改めよ」ですか。 酔ったせいか、悔いると、改めるを区別するのに油断しました。 あー悔いてますね。 冷奴と冷やしトマトを「魚」にしている。 魚で突っ込まないように。
627 :
┃・)ノ :2011/08/30(火) 10:57:20.48 ID:vEw2drp1
┃・)┌ イクトゥス?
628 :
ゲッパリラ王 :2011/08/30(火) 19:16:08.42 ID:b+nSDumW
キリスト教で言う原罪は、人の法で裁くことは可能ですか?
>>627 今日はホンモノの魚です。白身あんかけ。
630 :
神も仏も名無しさん :2011/08/30(火) 20:25:21.05 ID:VLOv9E/v
>>628 キリスト教の原罪は、人間が生きていくための本能のことです。
本能それ自体は、神も裁かないし、人間も裁けません。
ただ、行為の結果により、社会のルールで裁かれるだけです。
631 :
神も仏も名無しさん :2011/08/30(火) 20:30:26.54 ID:ifDzMthb
>>630 社会のルールで裁かれる = キリスト教信者w
キリストを信じようが信じまいが、 悪いことをやれば裁かれると言うことではないですか。
633 :
ゲッパリラ王 :2011/08/30(火) 21:26:10.26 ID:b+nSDumW
×悪いことをすれば裁かれる ○ルールを破れば裁かれる 法律は善悪で人を裁きませんよ
>>633 変わったコテですね、そのコテの由来は何ですか。
635 :
┃・)ノ :2011/08/31(水) 14:12:03.35 ID:S8ICCcPW
┃・)┌ 915 : ゲッパリラ王: 2011/07/25(月) 03:21:49.18 新潟県新潟市生まれ、在住 25歳無職 天秤座O型 好きな漫画家は内藤泰弘 嫌いな漫画家は小畑健 好きな洋楽はハードロック全般 嫌いな洋楽は特にオルタナロック(ヘドが出る)
636 :
神も仏も名無しさん :2011/08/31(水) 18:04:55.91 ID:hAKhd2Dv
>>635 それじゃあ、ハードロックに関係した何かなのだろうね。
下痢腹の王様かと思って心配したよ(^^)
637 :
┃・)ノ :2011/08/31(水) 18:58:02.90 ID:S8ICCcPW
638 :
神も仏も名無しさん :2011/08/31(水) 21:29:36.63 ID:EOmPDOb4
カトリックは、何故ただの人間であるマリアの像をつくって崇めるんですか? マリアの無罪なんて聖書のどこにもないし、マリアの昇天は二十世紀に法王が勝手に決めたことですよね? マグダラのマリアは初期教会に貢献があったそうですが、聖書を見る限り聖母マリアはただの母親ですが。 つーか、処女懐胎なんだから、ダビデの子ヨゼフの血をイエスは受けてないですよね? 何でマタイの福音書にわざわざ書いてあるんですか?
好きな人を救うために自殺しようとおもいます。私の犠牲で彼は救われるでしょうか?
念のため、腹具合の注意事項です。 生卵をやめる。刺身を控える。食べたければ柵買いする。 モヤシ、ヨーグルトを食べる。暑い日は塩分(梅干)と水を補給する。
>>639 彼氏の苦境は何ですか。それがわからないと答えようがないです。
642 :
神も仏も名無しさん :2011/08/31(水) 23:03:50.68 ID:eVk1M2HW
>>638 活版印刷によって聖書が普及、聖書のみのプロテスタントが誕生する。
それ以前は、信者は教会で司祭の説教を聞くだけでした。
聖書と無縁の信者は、教会イコール家族として理解したのではないですか。
家族の視点からは、マリアはイエスの母であり、敬意を払うべき存在です。
同じようにヨセフも、イエスが育った家族の父(養父)になります。
好きな人の両親に敬意を払うのと同じ感覚ではないですか。
しかし福音書では、イエスと家族の関係はあまり良くない。 マタイ福音書10.35−36 平和ではなく剣を 「わたしは敵対させるために来たからである。人をその父に、娘を母に、 嫁をしゅうとめに、こうして自分の家族の者が敵になる。」 同12.46−50 イエスの母と兄弟 イエスがなお群衆に話しておられるとき、その母と兄弟たちが、 話したいことがあって外に立っていた。・・・しかしイエスはその人に お答えになった。「わたしの母とはだれか。わたしの兄弟とはだれか。」
644 :
神も仏も名無しさん :2011/09/02(金) 18:11:35.93 ID:EWz5FiIl
>>638 まずカトリックの教えは聖書に書いてあることが全てじゃない。
聖書の教えはカトリックに伝わる聖伝の一部に過ぎない。
聖母の無原罪もその聖伝で初期のカトリックから信じられてきた教え。
あと聖母マリアの像を崇めるのは偶像崇拝って言いたいんだろうが、
カトリック信者はみなマリア様を天主として崇めているんじゃなく、
主を産んだ御母として崇敬している訳だ。
キリスト教の行法のテーマで少し。 聖霊の訪れがあれば、それによって苦悩の淵にいた人間は救済される。 そして救済された以上、もはや行法など不要ではないのか。 いや、行法が欠かせない。聖霊だけでは足りない。
聖霊によって癒され、神を知るようになれば、 それまでの自分がまるで、手付かずの荒地のようであったことに気づく。 自分しか頭にないうちは気がつかない。 自分から離れ、神を知って始めて、自分の荒地に気がつく。 この荒地を開拓するために行法が欠かせない。
人間は、神との関係で把握できるだけでなく、 物質や環境との関係から、心と体、精神と生活などとしても把握できる。 心や精神は、体や生活と深い関係がある。 体や生活に注意すれば、心や精神によい影響を与えることができる。 そういった経験を通して成立したものが行法である。
行法は、宗教によっても、目的によっても異なる。 キリスト教なら、祈り、瞑想、読書、生活改善、実践活動などがある。 人それぞれだから、どれがいいとはいちがいに言えない。 しかし何にせよ、忍耐強ければ必ず効果が挙がる。
649 :
神も仏も名無しさん :2011/09/03(土) 11:56:30.79 ID:mOjt0Kvp
行法はなにも、救済された後の話ではない。 体や生活に注意すれば、心や精神によい影響を与えることができる。 であれば、救済される前から注意して生活した方がいい。 これをもっぱらにするのが修行である。 神とは何か。自分とは何か。生きる意味とは何か。 日々の生活の中で、こういったことを考え続けるのも修行である。 むしろ、修行の王道であると言っていい。
もうひとつの理由から、聖霊体験だけでは終わらない。 イエスのように、霊に導かれ、荒野で悪魔の試練を受けるため、 瞑想(坐禅)をしなければならない。 霊に導かれ、という部分が不思議ですね。 物事は、聖霊体験→霊魂体験、といった順序で動いていく。
お前ら、隣人愛はどうした。 自分を愛するように敵味方隣人愛して、兄弟たちの為に魂なげうつ教えだろ ( ´∀`) イエス・キリストは十字架にかけらるまで愛したよ
652 :
神も仏も名無しさん :2011/09/07(水) 09:48:01.42 ID:L7aMH4oM
矛盾だらけの聖書に振り回されて、馬鹿杉w クリスチャンって精神病んでる人が大杉w 心病んでるんですね〜♪
>>652 しかしそんなことをいちいち質問スレなんぞに書き込んで憂さ晴らしをしなくてはいけない人はまともなのか?
654 :
神も仏も名無しさん :2011/09/07(水) 22:45:37.44 ID:3oC4MDe7
いいんでないの、2ちゃんだもん
いや悪いとかじゃなくて、わかって書いてるの?って話
656 :
神も仏も名無しさん :2011/09/08(木) 02:25:00.79 ID:+xpdhitJ
私は宇宙は130億年前にできたと思うので創世記は疑問視しているのですが イエスの復活は確信できると思っています。 私と同意見の方いますか?違う意見の方も返事ください。
id の後ろの(2福井A)ってどういう意味ですか?
658 :
神も仏も名無しさん :2011/09/09(金) 18:38:35.42 ID:6WEU4e7C
659 :
神も仏も名無しさん :2011/09/09(金) 21:02:17.20 ID:E0av/qgc
>>652 神を信じないものはそれだけで心病まずにはいられない。
それは他ならず「死の奴隷」とならざるをえないからである。
神を信じないものは例外なく心病んでいる者である。
660 :
神も仏も名無しさん :2011/09/10(土) 00:06:20.54 ID:54NK23X9
661 :
神も仏も名無しさん :2011/09/10(土) 03:01:30.80 ID:yjEZiHrM
皆さんがキリスト教を信じようと思ったのはなぜですか? なぜ教会に通うのですか?
662 :
神も仏も名無しさん :2011/09/10(土) 03:03:19.87 ID:FiVPZ2jN
>>661 新約聖書を読んでキリストの復活が確信できたからです
663 :
神も仏も名無しさん :2011/09/10(土) 03:10:41.29 ID:FiVPZ2jN
>>661 キリストの復活を最初に目撃したのが女だった。当時は女性の証言など相手に
されなかった。それにも関わらず聖書は女を第一目撃者としている。それは真
実だからです。また死を恐れイエスを見捨てた使徒たちが命を惜しまず伝道活
動を始めた。これもイエスの復活を証明しているからです。
664 :
神も仏も名無しさん :2011/09/11(日) 18:16:28.39 ID:g0ix9UdV
ヨハネ福音書の冒頭はいったい何だろう。 わかるような、わからないような、謎めいた不思議な文章ですね。 直感的に、これがキリスト教の肝のように思える。 この問題を棚に上げ、スルーするわけにはいかないかもしれない。
ヨハネ福音書1.1−5 1.1 初めに言があった。言は神と共にあった。言は神であった。 1.2 この言は、初めに神と共にあった。 1.3 万物は言によって成った。成ったもので、言によらずに 成ったものは何一つなかった。 1.4 言の内に命があった。命は人間を照らす光であった。 1.5 光は暗闇の中で輝いている。暗闇は光を理解しなかった。
この問題は順番に考えた方がいいと思う。 イエスを度外視、まず神と言葉の関係を追求してみよう。 神は言葉なのか、神は言葉を話すのか。 結論から先に言えば、神は口を持たないから、神は言葉を話さない。 では言葉とはまったく無関係なのか。そうでもない。 人間は泥人形に命を吹き込まれた神の被造物である。 泥は言葉を話さないから、言葉を話す能力は神からやってきたはずである。 言葉の中にある論理は神に由来している。
言葉は神ではない。しかし言葉は、神の影のようなものを宿している。 これが言葉の論理ロゴスなのだろう。あまり難しく考えない方がいいと思う。 言葉が神でないとしたら、イエスは自動的に神ではなくなる。 イエスを度外視すれば、ヨハネ福音書冒頭の誤りが見えてくる。 言葉は神とイコールではないし、初めに言葉があったわけでもない。 冒頭の文章は、作者のカン違いか、意図的なものである。
668 :
神も仏も名無しさん :2011/09/11(日) 19:18:15.05 ID:otzczzu8
ってか新約聖書って誰かの創作じゃんw イエス・キリストの生涯をドキュメンタリーのように追った物では無いね。 都合良く神の子として改竄、脚色したってだけw
669 :
┃・)ノ :2011/09/11(日) 19:21:36.39 ID:jTAsFZRi
人の善意や悪意は、まずその人の言葉で始まるよ、ということを言っているんだよ。 イエスだって実在した可能性はほぼ0パーセントなんだからね。
670 :
グノーシスの導師シモン ◆/bVPRrlaFM :2011/09/11(日) 19:25:48.36 ID:LvwHk1Xr
いや、実在はするよw
671 :
┃・)ノ :2011/09/11(日) 19:27:56.72 ID:jTAsFZRi
迷信家の観念の上にね。
672 :
グノーシスの導師シモン ◆/bVPRrlaFM :2011/09/11(日) 19:31:55.12 ID:LvwHk1Xr
低脳にゃ無理だろうが、下記を全部論破してから言え 560 :シモン・グノーシス ◆/bVPRrlaFM []:2011/07/18(月) 18:47:01.79 ID:3TcehBAK キリスト非実在を叫ぶアホが現れたら以下の4要件を挙げて論破するように @外部の歴史家の言及 近い時代の史家スエトニウスがユダヤ総督ピラトゥスにより処刑されたクリストゥスとして キリスト教に言及している。その種の事実が否定されるのであれば、豊富な資料を持つスエトニウスは そんな事実はなく、ユダヤ人の虚言であると書いただろう。 A原始キリスト教団におけるキリスト縁者の存在 福音書の直弟子である12使徒の存在にもかかわらず、原始エルサレム教団において、筆頭の立場に付いたのは 義人ヤコブ(キリストの兄弟)やシメオン(キリストの従兄弟にして2代目司教)らキリストの近親縁者だった。 彼らがその地位に付き得たのは生身のキリストが実在しその威光を仰ぎ得たからに他ならず、もし キリストが実在しなかったならば、彼らの血縁による権威自体が使徒たちによって否定され、そのような立場に 立つこともなかっただろう。 Bユダヤ教内部での扱い 対ローマユダヤ戦争に与しなかったキリスト教徒はユダヤ教との憎悪の対象となり、迫害を受けたが、 高名なラビたちですら、キリストの出自を誹謗しながらもその実在自体を否定していない。 もし、キリスト自体が妄想の教祖であったなら、ユダヤ教のラビたちは激しくその点を付き論駁を行っただろう。 C福音書自体のキリスト論をめぐる内的不整合 もし、キリストがいなければキリストを生み出したのは12使徒などの直弟子を名乗る 原始教団の幹部たちと考えるのが当然だが、最古のマルコ伝ですら、むしろ 彼ら原始教団の担い手たち(十二使徒、イエスの親族)に否定的な立場での独自のキリスト論を展開している。 彼らの起点は教団ではなく、むしろイエスそのものにこそある。 これはキリスト非実在論では説明が付かない。
673 :
┃・)ノ :2011/09/11(日) 19:39:47.49 ID:jTAsFZRi
>>668 神を知らない人に神を理解させるのは不可能に近い。
最初の入り口、ウソも方便で神に祭り上げられた可能性もある。
祭り上げられただけなら気の毒だね。
>>669 善意悪意の問題は、話が混乱するから後回しにしよう。
今は人間の善意を前提に、言葉そのものの意味をテーマにしたい。
逆に、人間が言葉を使えない状況を想像してみよう。 その人間の現実は、わけのわからない、得体の知れない、 もそもそと蠢いている脈絡のない影のようなものかもしれない。 こんな風なら生きていられない。すぐに死んでしまう。 現実を言葉によって整理し、記憶し、相互の関係を理解するから 生きることができる。言葉は、鏡にはほど遠いが、現実を鏡のように 写し取ろうとする作業である。現実は言葉に置換される。 言葉によって頭の中に世界の影絵ができる。
こういった能力が最初から人間に備わっていることに感動する。 あるいはその神秘さに打たれる。 神はロゴスである、という判断は、こういう思いを背景にしていないだろうか。 人種や民族を問わず、理解可能な言葉が先天的に存在している事実は、 人知を超える神の存在を思わせるのである。
言葉は神ではない。しかし神と密接に関係した能力でもある。 神は言葉を話さない。しかし人の言葉は神界に届く。 これが祈りの力であり、言霊でもある。 こういったことは理屈ではない。実際に体験しないとわからない。 霊魂には聴覚がある。霊魂の聴覚は神界で何を聞くのか。 神の言葉ではなく、霊魂を呼び戻す自分の声を聞くのである。
霊魂体験は、唯識の、マナ識がアラヤ識を見捨てるということで生じる。 無意識の領域だが、マナ識の自分が、アラヤ識の自分を見捨てる。 深い闇があり、霊魂はその後に突然、神界に現れる。 意識は霊魂にある。意識には触覚と視覚と聴覚がある。 なぜ聴覚があるのか。それにはそれなりの理由があったように思う。 自分が自分を見捨てたのだから、霊魂には地上に戻ってくる動機がない。 地上の自分が、呼び戻さないと永遠に返って来ないのである。
679 :
神も仏も名無しさん :2011/09/11(日) 21:24:50.50 ID:LAzz2K4L
>>669 イエスが存在しなかったなんて言うのは笑ってしまうなあ
霊魂は神の観照者、神を見ているばかりである。反省がない。 神界には反省する動機がまったくないから、放っておくとそのまま死ぬ。 脱魂体験はそれぐらい危険なことだと知ってほしい。 魂の抜けた地上の自分が、霊魂を呼び戻さなければならない。 自分の声が神界にカミナリのように轟く。それぐらいの声が必要なのだろう。 これが言葉の意味である。それは神の言葉ではない。自分の声だ。 地上の自分と霊魂、地上の自分と神界とがつながった一瞬ですね。 言葉でつながる!
坐禅体験の連続の中で、霊魂が自分の体に戻る時に、 自分の霊魂がはるか空中に満月のように浮かんでいるのを見る。 このときの意識は地上の自分にある。 その霊魂が自分に向かって猛烈な勢いで飛び込んでくる。 自分が霊魂を飲み込むのではない。霊魂が自分を飲み込むのである。 この辺の機微は実際に体験しないとわからないだろう。
こういった体験はあまり話したいものではない。 いろいろな理由があるのだが、けっこうな苦労が背景にあることもある。 けっして自慢話にできないような事情がある。 でもたぶん、みんなみんなわからないだろうと思う。 そんなもの体験して何になると思うかもしれない。そんなことはない。 聖霊体験も霊魂体験もそうだが、まず運が良くなる。 そういう体験があり、それを探し求めることが最初だろうと思う。
>>679 その程度で驚くな。
朝鮮人(韓国人)は聖徳太子はいなかったと言っている。
孔子様は朝鮮人、お釈迦さまも朝鮮人だと言っている。
イギリス人は朝鮮人の末裔だとも言っている。
いちいち驚いていては身が持たない世の中になった。
684 :
神も仏も名無しさん :2011/09/13(火) 17:35:06.37 ID:nBbLShXX
言葉(ロゴス)が神でないことは理解できたろうか。 言葉は神の影絵のようなものである。 神は命である。これは正しい。しかし言葉そのものではない。 たとえば神を天然色映画とすれば、言葉は白黒映画のようなものである。 神は「光あれ。」とは言わなかった。 創世記のこの言葉はいったい何だろう。意図的な転倒としか思えない。 夕べがあり、朝があった、というような転倒が、聖書には多用されている。 右手と左手を交錯させる、これもそのひとつである。
言葉では神を伝えられない。白黒映画では天然色映画にならない。 聖書を書いた人たちはそのことを知っていたと思う。 かれらは、そのまま聞き流してしまうような話の中に、えっ何? というような謎を仕組んでいる。 聖書の全体が、禅宗(臨済宗)の公案のようになっている。 その謎を解くことで、読む者が神を直感できるように工夫している。 よくできている公案ではないだろうか。
このように考えれば、聖書を妄信する必要はまったくない。 そうではなく、意味不明な文章を考え抜くことが求められている。 ユダヤ教もキリスト教もイスラム教も経典への追加を禁じている。 その意味は、追加すべき霊的な話が、もはや登場しないと言うのではなく、 神を知る公案集としてはこれで十分だろう、という判断ではないのか。 いつまでもだらだら追加していては逆に読者の重荷になる。 読む気が起きない。聖書やクルアーンはそういった限界に近いと思う。 短すぎても、長すぎてもだめだと思う。
聖書の公案は、神を直感させることに目的がある。 これに対して臨済の公案は、空を強引に信じ込ませるためのものである。 神は存在するのだから、臨済の公案は無意味以上、有害でしかない。 臨在の公案には、そんなくだらないことを考えて何の役に立つのか、と思う。 悪いけどそれが正直な感想である。
そのような自説の展開は議論スレでどうぞ スレ違いです
>>688 堅苦しいことを言うなよ。
たとえば、談話室で議論していても、談話しているのだと弁解するだろう。
それと同じ。自説を展開しているのではなく、キリスト教に興味ある人たちに、
質問を投げかけているのだと解釈してほしいね。
君はキリスト教関係の質問箱を数えたことはあるか。10ぐらいある。
質問したい人はいくらでも質問できる体勢ができている。
そういうことを知った上でこのスレを使っている。
君も自説を展開すればいい。
690 :
ユダ :2011/09/13(火) 20:14:34.92 ID:LFKxmkr6
>>689 ルールはルールだ
自説の展開場として
議論スレがある以上
君の行動は荒らし行為だ
そもそもキリスト教質問箱において
質問に答えてよいのは
伝統的キリスト教であるカトリックだけだ
他の宗派は教議を明確にするにあたって
公的な会議を行った事も
その為の組織構造も持ち合わせてはいないし
キリストの権威を教皇という形で継承しているのは
ローマ・カトリックのみなのだから
691 :
神も仏も名無しさん :2011/09/14(水) 17:37:07.86 ID:zKr8x2fz
インド・ヨーロッパ語族は基本的に「性」を区別するらしい。 男性・女性・中性の三つを区別するもの(より古いタイプの言語らしい)と、 男性・女性の二つを区別するものに分かれる。 ゲルマン語派、スラブ語派、ラテン語派、インド・イラン語派などなど
かれらは名詞の一つ一つを男性と女性に区別して覚える。 何たることだ! かれらの言語は陰陽思想を内在させていたのだ。 陰陽思想は東洋人だけのものではなかった。 言語に組み込んでいる印欧語族の方が徹底しているかもしれない。 たぶん、かれらの優秀性は言語構造に由来している。
世界を男性と女性で色分けする。言語によっては中性というのもあるが、 世界をこの二つで色分けしたら、世界はどう見えるのだろうか。 色っぽいものを感じるはずだ、というのはとりあえず脇に置き、 事物がただ単にそこに置かれているのではなく、最初から相互に関連しあう、 相互補完的なものだと感じるはずである。これは弁証法である。 なぜインド・ヨーロッパ語族から神秘思想が誕生するのか。 かれらの言語がより神に近いからである。
雑談スレでやれ いい加減にしろ
また君か。君はこのスレのテンプレを読んだか。 それでわからないなら、削除申請をすればいいではないか。 嫌ならスルーすればいいんだよ。
それにね、質問箱をあげる必要もある。 宗教板に人がいなくなったから、めったにない質問を待っていたら、 どんどん下がっていき、スレ番が200を超えてしまう。 意味のないデタラメを書いているわけではない。 単なる自己主張ではなく、これでいいのだろうか、という質問でもある。 わたしの話を理解した上での反論なら歓迎する。
697 :
神も仏も名無しさん :2011/09/14(水) 19:15:35.41 ID:zKr8x2fz
罵り合い、断片的な言葉の応酬、得るものがなさそうな会話の連続、 オレ様が一番だと思っていたら話してもムダだと思う。 じっくり話し合えるような場所があってもいいのではないだろうか。 おたがいが収穫をあげるには忍耐がいる。
698 :
グノーシスの導師シモン ◆/bVPRrlaFM :2011/09/14(水) 20:14:26.52 ID:TSR7wHAb
>>694 まあ仮に正規の質問が来たとして答える知能もないお前が偉そうに仕切るなと言う話で
699 :
神も仏も名無しさん :2011/09/14(水) 20:16:22.51 ID:zb5Kwl8A
フジテレビによってなぜか削除されてしまう動画、
この動画だけは見るべき
http://www.youtube.com/watch?v=uPk2TQR15AE 気づいたら、
「my日本」で検索してデモに参加しましょう
<<東京開催分>>
■ 9月16日(金) 11:30- 茅場町花王本社デモ 東京都中央区坂本町公園
■ 9月17日(土) 13:00- 本スレフジテレビ抗議デモ プロムナード公園
■ 9月17日(土) 15:30- 住職スレ フジテレビ+二法案デモ 青海北ふ頭公園
■ 9月19日(月・祝) 13:45- お台場デモ 滝の広場
<<大阪開催分>>
■ 9月18日(日) 13:30- 大阪デモ 中之島公園
■ 9月23日(金・祝) 15:00- 大阪花王デモ 中之島公園
<<名古屋開催分>>
■ 9月18日(日) 14:00- 名古屋デモ 若宮広場
■ 9月24日(土) お散歩オフ開催予定 ◇大規模off板
※ 時間は全てデモの「出発」時間です 集合場所へは30分以上の余裕を持ってお集まりください。
700 :
神も仏も名無しさん :2011/09/14(水) 21:13:52.08 ID:zKr8x2fz
シモン氏の話は刺激的であり、お陰様でかなり前進できたと思う。 この板には尊敬できる人が何人かいる。シモン氏はそのうちの一人ですね。 質問がなければ、自由なテーマでいろいろ書いてほしいものである。 よそのスレのテーマでもいい。該当スレより静かに話せると思う。 話に反応できるようなら反応してみたい。
701 :
神も仏も名無しさん :2011/09/15(木) 19:40:20.30 ID:1TYJ5eAh
シモン氏の話は刺激的であり、お陰様でかなり前進できたと思う。 この板には尊敬できる人が何人かいる。シモン氏はそのうちの一人ですね。 ∩ _rヘ / ヽ∩ . /_ノυ___ιヽ_ \ / / /⌒ ⌒\ ヽ \ ( く /( ●) (●)\ > ) ヨハンネス、お前らの頭は \ `/::::::⌒(__人__)⌒:::::\' / ヽ| |r┬-| |/ \ `ー'´ / (( (ヽ三/) (ヽ三/) )) . (((i ) ___ ( i))) / / /_ノ ヽ_\ ヽ \ ( く /( ●) (●)\ > ) くるくる \ `/::::::⌒(__人__)⌒:::::\' / ヽ|  ̄ |/ \ / ∩∩∩ . ∩∩∩ .∩_:||_:|_:| |_:||_:|_:∩ │ ___ つ ⊂ ___ │ ヽ ノ ___ ヽ ノ / / /_ノ ヽ、_\ ヽ \ ( く o゚((●)) ((●))゚o > ) パーだおwwwwwwwwwwwwwwwwwww \ `/::::::⌒(__人__)⌒:::::\' / ヽ| |r┬-| |/ \ | | | / | | | `ー'´
印欧語族は基本的に事物の性を区別する。今でもだいたいそうらしい。 しかし英語、ペルシア語、アルメニア語では消滅した。 男性と女性を「通性」とし、通性と中性を区別する言語もある。 オランダ語や北ゲルマン語派(デンマーク・ノルウェー・スエーデン)など
印欧語族の言語は、神の業をより正確に反映している。 だからこそ、かれらの中から、偉大な宗教や哲学が生まれて来る。 かれらの言語には自然に弁証法が仕組まれている。 日本語では最初から大差がついている。どうしたらいいか。 弁証法を学べばいい。それも唯物弁証法がいい。入門書程度でいい。 肝心なのは、弁証法を日常的に実践することである。 日本人は、言語学的に、唯物弁証法が必須科目である。
もうひとつある。男性と女性と中性という言語は妙に色っぽい。 フロイトが夢を性的に解釈したのもうなずける。 印欧語族は、世界を性的なものだと見なしているように思う。 心理学も必要であり、これはフロイトを学べばいい。 聖霊体験や霊魂体験にも関係するので、フロイトも必須科目である。 なぜかわからないが、わたしはフロイトを自分の医者に選んでいる。 壊れそうだったから、体全体で、真剣に読んだよ。
印欧語族に比較したら、日本語は不完全過ぎる。 しかしその欠点は、唯物弁証法とフロイト心理学でカバーできる。 ユングやヘーゲルは学ばなくていい。 やってみればわかる。唯物弁証法はあっという間に破綻する。 人間は体験しないとわからない。しかしルカ15章、放蕩息子のように、 破綻するまで体験すれば深刻に学ぶことになる。 若い時の辛労は買うてでもせよ。 苦労を買う、これこそが若さの特権ではないだろうか。
世の中の全員が幸福になりたいと思っている。 他人のために自分が死ぬなんて、絶対に嫌だと思っている。 死にたくない、だからわからなくなる。 聖霊体験や霊魂体験は、精神的に死ぬことの中にある。 それは、死ぬことなんか恐くない、と虚勢を張ることではない。 死に臨んでも、心が少しも騒がないことである。
>>701 582 :Johannes:2011/09/15(木) 23:16:50.46 ID:a/frEdUy
>>580 しかし、猿よ。
AAのなかの「>>ヨハンネス、お前らの頭は くるくる パーだおwwwwwwwwwwwwwwwwwww 」
だが、
>>お前【ら】の頭は・・の【ら】は間違いだ。
---------------------------------------------------------------------------
584 :神も仏も名無しさん:2011/09/15(木) 23:22:02.02 ID:1TYJ5eAh
>>お前【ら】の頭は・・の【ら】は間違いだ。
ヨハンネス+シモン・グノーシスということな タコあたま
----------------------------------------------------------------------------
※猿の浅知恵
心のことや、あの世のことを話すには、言葉を明確にしないと混乱する。 そこでたたき台として基本的な事項を整理してみよう。 整理の基準 ・・・ できるだけ日本語を使う。わかりやすい言葉を使う。
人間の居場所は次の三つである。 現界 ・・・(この世) 霊界 ・・・(あの世) 死者の霊が住む場所。 神界 ・・・(神のいる領域)
人間は三重構造である。 @ 現界では 肉体 ・・・ 心(精神、肉心) ・・・ 霊魂 A 霊界では 霊体 ・・・ 霊心 ・・・ 霊魂
人間の心も重層的である。 @ 意識 ・・・ 対象を認識する。→ 知情意となる。 A 無意識 ・・・ マナ識 + アラヤ識 B 霊魂 ・・・ 人間存在の究極
マナ識 意識はマナ識という無意識の倉庫を照らす懐中電灯のようなものである。 照明が当たれば思い出せるし、照明が当たらなければ思い出せない。 いつまでも暗闇に横たわっている記憶もある。「夢」はマナ識から生まれる。 マナ識の本質は自我執着心。アラヤ識を自分だと思って執着している。 アラヤ識 霊魂を覆い、人間が霊界に行く原因を作っている。 アラヤ識からマナ識、マナ識から意識への展開は、微細なものが 粗大なものにしみ込んでいくように全体に及ぶ。 アラヤ識は自分自身、ひとりの人間として表象されている。
マナ識とアラヤ識は、便利な用語なので、仏教の唯識を参考にしている。 しかしわたしの立場は、世親の唯識三十頌とは多少異なる。 世親はアラヤ識を「転生」の種子と見なしている。転生に関しては、 それが存在する可能性は非常に高いが、その事実を確認したわけではなく、 判断を保留しておきたい。霊体や霊界は見たことがある。 アラヤ識の前に霊魂を位置づけ、世親の8識ではなく9識にすることも違う。 汚れのあるアラヤ識は人間存在の究極ではない。
714 :
神も仏も名無しさん :2011/09/17(土) 18:49:28.81 ID:nGtBfzP2
「識」の話では重要なことがある。 意識 → マナ識 → アラヤ識 → 霊魂 の順番で感覚が鈍くなる と考えてる人はいないだろうか。実際には矢印の方向が逆であり、 意識 ← マナ識 ← アラヤ識 ← 霊魂 の順番で感覚が鈍くなる。 神に近い方が当然精妙であり、霊魂の精妙さはケタ違いである。 霊魂から感覚や意識が生まれる。 であれば、霊魂にもそういったものが最初から備わっている。 霊魂には、人間に必要なあらゆる能力が、可能性として備わっている。
霊魂がじーと神界にいたら対象に変化が生じない。変化が生じなければ 何も認識できない。何も認識できなければまったくの暗闇である。 だからこそ、神界に現れた霊魂は、猛烈なスピードで神界を走り抜ける。 そこは白い霧の世界。霊魂は霧の中を走るから、透明な球体の表面に無数の 霧の粒が降り注ぐ。霊魂はその一粒一粒を数えられるぐらい精妙である。 まず触覚と視覚がある。全体に白っぽい穏やかな明るさがある。 音もなく匂いもなく、何の不満もない。喜怒哀楽がまったくない。 神界はひたすら清浄であり、痛いくらい清浄である。
自分がどこのだれかとか、地上で学んだ知識や経験などは全部消えている。 神と向き合っているのに何が必要だろうか。 個体だから形を持っている。これが唯一の限界である。 しかし不満を感じない。形を失えば個体でなくなるから当然なのだろう。 個体としての限界はあるが、霊魂には神の全知全能が内在している。 神以外に何もいらない。だからそのままになる。 呼ばないと永遠に戻ってこない。
呼び戻す! 魂の抜け殻になった自分が、 自分の霊魂を呼び戻したということは、神界を選ばなかったということか。 いまでも、神界より、変化の多い霊界を選びたい。 完全さにおいて、神界は霊界にまさり、霊界は現界にまさる。 それでも霊界を選び、現界を選ぶということは、それが神の意志だからか。 神(いのち)は地上を目指しているように思える。 死ぬかもしれないような霊魂体験は生涯に一度でいいと思う。 それが坐禅をやらなくなった理由かもしれない。
でも、霊魂体験で学んだことははかりしれない。一度でも体験しないと 信じられる話ではないし、霊魂の話に関する真偽を判別できるようになった。 神や霊魂を否定する仏教はもろに誤りである。 輪廻転生には問題もあるが、アートマンを認めるヒンズー教の方が正しい。 キリスト教の永遠の命は、人間に内在する霊魂とは違うようである。 転生で霊魂の成長を説くような主張、神智学や人智学もニセモノである。 霊魂は最初から完全だから成長のしようがない。
719 :
神も仏も名無しさん :2011/09/17(土) 21:26:56.13 ID:XnON2ooA
>キリスト教の永遠の命は、人間に内在する霊魂とは違うようである。 人の霊魂は(いのち)そのものではなく、神の(いのち)を受ける器官です。 >霊魂は最初から完全だから成長のしようがない。 人の霊魂(霊)とは、人の精神(意志と理性)のことだから、人の成長とともに成長します。
>>719 >人の霊魂は(いのち)そのものではなく、神の(いのち)を受ける器官です。
霊魂の形(球体)と霊魂の内容(いのち)は同時に誕生したのだろうと思う。
神だけが形のない(いのち)でいられる。
>人の霊魂(霊)とは、人の精神(意志と理性)のことだから、
>人の成長とともに成長します。
混乱が生じないように
>>710 で言葉を整理した。読んでください。
わたしは、霊魂と、心(精神、肉心)を区別している。
世間の哲学者や宗教家は、次のように分類できるかもしれない。 @ 霊魂は心や精神から独立していると考える人たち 人間存在の究極の実体を認める。神道やヒンズー教やプラトンなど。 A 心や精神が霊魂だと考える人たち 人間存在の究極の実体を認めない。それはモヤのようなもの。 スエデンは仏教(鈴木大拙)に近いのかもしれない。
722 :
神も仏も名無しさん :2011/09/18(日) 14:05:03.01 ID:XxX7nN1l
スェデン派の考えはそうじゃないよ。 人間の霊(霊魂)は、もやもやのような形のないものではなく、完全に人間の 身体の形をしていて、五感も完全に備わっている。 肉体が物理的実体をなしている人間にたいし、霊は霊的実体をなしている人間で ある。 人の霊とは、人の精神とか心と呼ばれているものであるが、霊(霊魂)そのもの には(いのち)はなく、神こそ(いのち)そのものである。 神の(いのち)とは、(神愛・神知)であり、したがって、人には(いのち)に なるものはないわけで、人の霊(霊魂)が神の(いのち)を受け止めるに応じて (いのち)が与えられている。と言っても、人間が神になるわけではない。 人間は、神を受け入れる器官なのだから。
723 :
神も仏も名無しさん :2011/09/18(日) 19:04:02.18 ID:VMLtYK5r
>>722 言葉の定義が違ったら話しにならない。
大多数の日本人は、心や精神が霊や霊魂などとは思っていない。
霊や霊魂 ≠ 心や精神 であることを確認しよう。
これは言葉の定義、使い方の問題だから。
混乱を避けるため、霊と霊魂の使い分けもしよう。 @ 死者の霊 ・・・ 死者の全体(霊体・霊心・霊魂) → 包括概念 A 神の霊 ・・・ 神そのもの、聖霊も含めていいだろう。 B 霊魂 ・・・ 人間の究極的存在、球体である「タマ」を意味する。
マナ識・アラヤ識が出たので、ついでに霊魂体験の方法にも触れよう。 誕生時のアラヤ識は、前世までの因果によって形成された種子である。 この種子によって今生がスタートする。マナ識はこのアラヤ識を自分だと思って 執着する。その結果、その人間の人生は、アラヤ識によって左右され、 逆にアラヤ識そのものを修正する原因にもなっている。 死ぬ時には、新しいアラヤ識が来世のスタート台として準備されている。 この繰り返しが輪廻転生である。この繰り返しから解放されたいというのが、 インド哲学、インド宗教の最大のテーマである。
この輪廻転生の輪から脱け出ることを解脱という。悟りですね。 どうしたら解脱できるかは、マナ識とアラヤ識の関係の中に語られている。 マナ識がアラヤ識に執着しなければいい。見捨てればいい。 ところが重大な問題がある。マナ識もアラヤ識も無意識に属している。 無意識なのだから、無意識を動かすことは不可能ではないか。 しかし、まったく手がかりがないわけでもない。 夢はマナ識から湧き上がる。だから、この夢を左右できればいい。 いずれにしろ、これらを左右できるかどうかが岐路である。
夢を左右するための王道は、聖霊体験をすることである。 聖霊は神そのものであり、聖霊体験とは神の訪れであり、神を知ることである。 この体験があれば、夢を左右する力を自分のものにできる。 神を知れば、神への絶対的な信頼が生まれる。絶対他力ですね。 聖霊によって癒され、周囲に対して優しい気持ちになれる。 この優しさが夢を左右し、魔境を左右する力になる。 神の世界に近づこうとするのだから、優しくならないと。
ということは、聖霊とは、マナ識を突きぬけ、アラヤ識を突きぬけ、 霊魂を突き抜け、意識にまで到達した神の霊なのだろうか。 聖霊がどこからやって来たかについてはずーと考えてきた。 いきなり頭の中に落ちて来たから、神の雫だとはすぐにわかったが、 どこから落ちて来たのかはわからなかった。 しかし、神界に霊魂がつながり、霊魂から意識、人間が成立するのだから、 霊魂に神の雫が流れ込んだと言うことなのだろう。 体験があっても、こんな簡単なことがなかなかわからないのが実情である。
独り言楽しいか?
聖霊体験はやはり、神を味わう、食べるという表現で正しいと思う。 聖霊体験のすごさは、霊魂体験を凌駕していると言ってもいい。 これができれば、夢や魔境を左右する力が備わる。 そして夢を左右する力、これが運命を左右する力になる。 神を知る、自分自身である霊魂を知る、これもすごいことだと思う。 しかしもうひとつある。運命を左右する力を手に入れる。
病院へ逝け
無意識の世界、あるいは夢の世界を左右する。 それが解脱であり、運命を左右することであり、新しい能力の獲得である。 これらはマナ識がアラヤ識を見捨てることで生じる。
733 :
神も仏も名無しさん :2011/09/19(月) 00:34:00.08 ID:i44HFI8F
聖霊体験や霊魂体験の記録はきわめて少ない。 実際には記録以上に、こういった体験をした人はいたのだろうと思う。 しかし、体験の意味がわからなかったり、 何らかの事情で体験を話さなかったケースもあるのかもしれない。 仏教社会では、霊魂は否定されているから、霊魂体験など話せない。 キリスト教社会でもやはり、うかつに聖霊体験を話せば殺されかねなかった。 ネット社会になり、ようやく自由に話せる時代がやってきた。
聖霊体験や霊魂体験はそれでなくても話しにくい。 2チャンネルだから話せるのであり、 もうひとつの理由はこれまで他人に話さないでいたからである。 本を書く気はないし、ブログをやるつもりもない。
ここで書いている聖霊体験や霊魂体験の話は、ネットを探しても、 本屋を探してもどこにもないだろう。具体的な体験記録はどこにもない。 ほんのひとかけらなら、空海と夢窓が残している。 体験の最初から最後まで、すべてを書き込んだ記録は皆無だろうと思う。 あなたの体験ではないのだから、別に信じなくてもかまわない。 しかしいずれ体験すればわかるだろう。
アラヤ識についてもう少し詳しく書いてみよう。 アラヤ識は、霊魂と「マナ識以下肉体まで」の合作である。 アラヤ識は霊魂によって形成される識である。 霊魂は肉体という牢獄に囚われているとも言われる。しかし実際は、 アラヤ識は霊魂によって生じるのであり、霊魂にとっては自分自身である。 自分自身なのだから、霊魂がアラヤ識を見捨てることはない。
他方で、アラヤ識には「マナ識以下肉体まで」からやって来る経験がある。 この経験がアラヤ識に蓄積されて行く。その中には現界(この世)への執着 から生じた汚れが含まれている。そのため、人間は死後、神界ではなく霊界へ 行くことになる。現界の影響で、アラヤ識は汚れた識に変化する。 マナ識にはアラヤ識を自分自身だと思う自我執着心がある。 人間にはこの自我執着心が「マナ識以下肉体まで」一貫している。 これが仏教の言う無明であり、キリスト教の言う原罪である。
汚れたアラヤ識が霊魂をびっしり覆っている。 この状態は、自分自身である一人の人間として表象される。 経験の全部を箇条書きのように保存することは不可能である。 それよりも合理的なのは人間にすればいい。 人間の姿として保存すれば完璧なコピーができあがる。 汚れたアラヤ識はひとりの人間として登場する。その人間の中に霊魂もある。 これが霊魂と汚れたアラヤ識の関係である。
ここで問題は輪廻転生があるかどうかである。 まず輪廻だが、坐禅中において、汚れたアラヤ識が人間として登場する以上、 輪廻(人間以外の生物への転生)はありえないだろうと思う。 唯識ではアラヤ識が転生を担う。人間のアラヤ識は、人間の姿をしており、 これが来世の一切種子になるからである。人間以外になりようがない。 転生ならありえるのか。これはかなりデリケートである。 坐禅中、アラヤ識として登場した人間は、見た瞬間に自分自身であると直感 する。しかし、現実の自分に似ているかと言えばまったく違う。 これがねー いったいどこからやって来た自分なのかと。
自分の中に、いままで見たこともない自分がいた。 それも、見た瞬間に見捨ててしまいたくなるような自分であった。 実際見捨ててしまった。→ この瞬間に霊魂が体から離れた。 見たこともない人間が自分? 考えられるのはただひとつ、前世の自分である。その可能性が高い。 かりにそうだとすれば、転生はありえることになる。
741 :
神も仏も名無しさん :2011/09/19(月) 12:57:12.63 ID:2VhfIFgE
来世があるかどうかはわからない。しかし前世はあったかもしれない。 前世があるなら、来世もきっとあるのだろう。 転生が存在する可能性は高い、と推測している。
742 :
神も仏も名無しさん :2011/09/19(月) 19:51:24.74 ID:5XMelIb4
釈迦は、人の死後についてはただ分からないとだけ言っている。 それなにの、どうして釈迦が開祖の仏教に輪廻転生の思考が持ち込まれたのか?
人間がこの世に誕生した目的はなんですか?
神のみぞ知る
>>742 釈迦仏教は諸法無我を説く。諸法無我とは要するにアートマン(霊魂)が
存在しないという主張である。アートマンが存在しなければ輪廻転生も存在
しない。これが空の思想だが、坐禅修行をする唯識派から輪廻転生の仕組みが
提案された。修行に基づいた提案であり、世親のアラヤ識が最初だろう。
746 :
神も仏も名無しさん :2011/09/20(火) 00:32:00.30 ID:nh42I8Xe
>>743 その人の立場によって答えは変わってくる。
わたしは、神(命)と大地(物質)は異なるものだと二元的に考えている。
そして神(命)は、大地(物質)を目指しているのだと思う。
人間を含め、地球上の生き物自体が神(命)の目的ではないだろうか。
この世で生きることは幸せであるべきだと思う。
しかし実際はそうなっていない。生きることが苦しみになり、
死んだ方がましだと思う人間がどんどん増えている。何か変ですね。
職場でも地域社会でも、相手との境界線を少しでも侵食しようと窺い、 ヒジを張って周囲を押しのけ歩く人々がいる。 表面は親切そうだが、内心は周囲への敵意に満ちている。 こんな人々が当たり前、世渡りは大変ですね。
転生は存在する可能性が高い。しかし差別やカーストの問題もあり、 誤解されないように、もう少しだけ転生の話をつけ加えたい。
坐禅中、もう一人の自分が川を流れて来る。 仰向けに、頭を先にして全身を10センチほど水に沈ませている。 何やら表情があり、川に沈んでいるのに生きている。 この川は幅二メートル程度の清流、幅は狭いが三途の川である。 自分とはまったく違う別人だが、それが自分であることはすぐにわかった。 なぜ別人なのか。その謎は前世の自分だと考えれば説明できる。 かりにそうだとしても、前世の記憶がまったく思い出せない。なぜか。
これについては、もう一人の自分が川に沈んでいたからだろうと思う。 三途の川は忘却の川である。その川を流されているだから、前世の記憶など ありようはずがない。前世の記憶がなくて当たり前なのだろう。 前世の記憶がなくても、一切種子として機能するのかどうか。 もう一人の自分を見た感じは、機能するような魔力がありそうだった。 ほんの一瞬だが、助けようかどうしようか迷っている。 まったくひきつけるものがないわけではない。
それから坐禅中の意識だが、日常意識→マナ識→霊魂→マナ識→日常意識 へと順番に移って行く。しかしアラヤ識が抜けている。 アラヤ識を見捨てるのだから当然だが、前世の記憶が思い出せないのは、 アラヤ識を抜かしたことに関係しているのだろうか。 しかしアラヤ識は三途の川を流れている。 意識がアラヤ識に移れたとしても、頭の中は真っ白になり、何も思い出せない 状態になるのではないか。これはこれで死ぬ可能性がある。 生きているように見えたが、やはり死体だったのかもしれない。 あるいは、死体のように生きているとか。
752 :
神も仏も名無しさん :2011/09/21(水) 21:02:26.57 ID:oGjcMHfv
いずれにしろ、前世を思わせるアラヤ識があるのに、 前世の内容はまったくわからない。 これ以上の手がかりはないから、結局前世の内容は永遠にわからない。 前世の内容を語るような仏教経典や、それで金儲けしている霊能者などは、 全部作り話、全員インチキだと思ってまちがいない。 転生はあるかもしれない。しかし前世の内容は永遠にわからない。
ついでに「識」について、もう少し追加しておこう。 日常意識には、肉体があり五感(視覚、聴覚、触覚、嗅覚、味覚)がある。 これと同じように、マナ識にも霊魂にも体があり感覚がある。 アラヤ識にも体があった。感覚もあるのかもしれない。
マナ識は夢の世界だと思えばいい。夢の中には自分がいる。感覚もある。 これがマナ識であり、マナ識の体と五感(味覚もある)である。 この体は、霊界に行く時の霊体であると考えられる。 ということは、人間は生きている時に霊体も持っていることになる。 人間は夢の中で霊界を擬似体験している。
霊魂は透明な球体であり、霊魂に五感があることは何度も繰り返している。 ただし、必要に応じて現れる、潜在能力としての五感である。 アラヤ識が人間の体として表象されることはすでに書いた。 問題は五感があるかどうかだが、人間の汚れた経験を蓄積する場所だから、 アラヤ識に五感がないと成立しないのではないだろうか。 たぶんアラヤ識にも五感がある。 結局、霊魂を含め、「識」にはすべて体があり、五感があることになる。
人間は死ぬと肉体を離れて霊界に行く。 その時の構成は、マナ識 + アラヤ識 + 霊魂 マナ識の霊体が霊界の体になる。 転生する時は、アラヤ識 + 霊魂 誕生後に、新しいマナ識、日常意識が形成される。 ということは、転生する瞬間、古いマナ識が脱落するという死が訪れる。 この世への転生ではあるが、霊界にも死があるのかもしれない。
★ ★ ★ 気分を変えて霊界の死でも想像してみようか。 霊界にも死があり、かりに霊体が死ねば霊魂は神界に行くか、 現界(この世)に転生する。
霊界における人間は、マナ識、アラヤ識、霊魂で成り立っている。 マナ識の自分が霊体として霊界に存在している。 霊体の死は、何らかの事情で霊界にいるのが嫌になった時を契機にする。 肉体がないのだから、霊体の死は思いのみに左右されている。 霊界にいても苦しいばかりだとか、もう霊界に本当に飽きてしまったとか、 他にもいろいろな事情があると思うが、そういったときに霊体が死に、 転生が生じるのではないだろうか。
現界であれば、自分から離れた霊魂を呼び戻すことができる。 肉体が依代になるからである。 しかしマナ識である霊体が自分を見捨てたらどうなるのか。 霊体は物質ではないから依代にならない。 その結果、消え去るのはマナ識であり、アラヤ識と霊魂が残される。 この残された自分が次のステージに移る。次は神界か、現界である。
760 :
神も仏も名無しさん :2011/09/22(木) 18:49:23.13 ID:SdR8PScD
霊体のほとんどが現界に転生する。霊魂も神界も知らないからである。 生きることはシンドイ。しかし現界への転生は悪いことではない。 神が大地を目指している。現界への転生は神の摂理なのだろうと思う。
>>760 ソマリアや朝鮮に転生してもいいのか(笑)
>>761 地球じゃなくて、別の星に行ってしまいたいな。
もう少しのんびり暮らしたい。
★ ★ ★ 死後の記憶についてだが、これについては夢が参考になる。 夢は日常意識で見るわけではなく、マナ識で夢を見る。 夢の中の自分はマナ識の自分である。
マナ識の自分が、死後の霊界で霊(霊体)になる。 それゆえ夢を調べれば、死後の状態がどのようなものかがわかる。 夢の中にいる自分は、自分がどこのだれかを意識してるだろうか。 まったく意識していない。日常の記憶を思い出さない。 夢の中では、目の前の変化に振り回されている。
夢の中では、親兄弟のことを忘れている。 政治経済文化、語学数学天文など、ありとあらゆることを忘れている。 目の前が重要であり、そのほかのことは思い出さない。 しかし、夢の中に親兄弟がいれば、親兄弟であることは瞬間的にわかる。 ということは、日常の記憶が残っているわけだ。 目の前に現れないから、必要でないから、思い出さないだけのようである。 これは何を意味するのだろう。
766 :
!ninja :2011/09/24(土) 12:06:46.46 ID:4HymrYsD
YHWHに従ってイエス・キリストを信じるよねー!?♪。
夢の中では、目の前の変化に脊髄反射するだけ。→ 反省がない! 人間には愛(思い)のレベルがあり、それは人によって千差万別なのであるが、 その愛(思い)のレベルから変化に反応し、刻々の夢が紡がれていく。 マナ識には、昼間学んだ大量の記憶がしまいこまれている。 しかし反省がないから、これが夢の世界ではほとんど役に立たない。 同じことが死後の世界でも言える。
768 :
最強のグノーシス派シモン ◆/bVPRrlaFM :2011/09/24(土) 12:33:35.90 ID:0NwPYfix
>>765 現実も同じだよ。
誰も真理を見るまでは、自分が真理を知っていたことを忘れている。
>>768 真理を知ることは、真理を思い出すことなのかもしれない。
自分の中に最初からあるからこそ真理だとわかる。
夢の中、マナ識は脊髄反射をするだけなので、 愛(思い)のレベルを高めること、それを脊髄反射できるぐらい、 しっかり身につけることが大切になる。 愛という言葉だけでは漠然として無内容に近い。 それを把握するには、愛を味わい、愛を食べてみる必要がある。 命の木からその実を取って食べる。これが必要である。 それが聖霊体験であり、グノーシスの聖婚ではないだろうか。 聖婚とは、神(聖霊)と人間との合一なのだろうと思う。
夢の中、マナ識の反省のなさ、これは神のことを思えばわかる。 神は完全無欠だから反省する理由がまったくない。 これを裏から言えば、神こそは自分中心の最たるものである。 われわれ人間が反省を忘れ、自分中心になりがちなのは、 神に由来する遺伝なのかもしれない。 ということで、神に近いほど反省しない。次の順序で反省から遠ざかる。 日常意識 → 夢の中、マナ識 → アラヤ識 → 霊魂 → 神
772 :
神も仏も名無しさん :2011/09/25(日) 19:01:36.66 ID:9oA56ucR
★ ★ ★ 仏教で説いている神通力でも話そうか。 六神通 ・・・ 神足通、天眼通、天耳通、他心通、宿命通、漏尽通 空を説く大乗仏教(日本の仏教)では神通力などありえない。 なにしろ空なのだから、こんなものはありえない。
773 :
神も仏も名無しさん :2011/09/25(日) 19:21:20.99 ID:9oA56ucR
六神通は大乗仏教の殺し文句なのだろう。 どうだ、すごいだろう。君もこんな能力を得たくはないか。 大乗を学べば神通力を獲得できる。 チラシの文句と似たようなものである。 宗教者など、言葉だけで生きていく職業だから、何でもありだし、 普通人が想像もつかないことを想像する。 ということで、いったんリセットして考えたいと思う。 仏教の神通力はゴミ箱に捨ててしまおう。
774 :
神も仏も名無しさん :2011/09/25(日) 19:31:44.98 ID:9oA56ucR
宿命通 ・・・ 自分や他人の前世を知る能力 すでに書いたように、こんな能力は100%ありえない。 わたしはだれそれの生まれ変わりだと言ったら、 その人は100%インチキである。 自分で詐欺師であることを自白したようなものである。 そこのあんただよ、君は詐欺師だ!
775 :
┃・)ノ :2011/09/25(日) 19:36:12.18 ID:dtT9PUGM
┃・)ノ ?
776 :
神も仏も名無しさん :2011/09/25(日) 19:46:24.20 ID:9oA56ucR
君だよ、君! わかるだろ、自分の心に聞いてごらんよ。 キリストの生まれ変わりだとか、ブッダの生まれ変わりだとか、 とんでもないことを言うもんじゃない。罰当たりどもが。 上行菩薩
777 :
┃・)ノ :2011/09/25(日) 19:47:53.00 ID:dtT9PUGM
┃・)┌
778 :
神も仏も名無しさん :2011/09/25(日) 19:50:03.27 ID:9oA56ucR
あれ、上行菩薩? だれこの人?
779 :
┃・)ノ :2011/09/25(日) 19:55:13.55 ID:dtT9PUGM
┃人・)
上行菩薩は死んだのかな。まだ生きてるのかな。 まあ、いずれにしろ、かれもインチキ。
781 :
┃・)ノ :2011/09/25(日) 19:56:59.62 ID:dtT9PUGM
┃・)♪
盂蘭盆会で有名な目連、かれは神通第一と言われたが、 かれの場合は100%インチキとは思わない。 なぜなら、あまり話したくないが、わたしも見たからである。
母親の死後まもなく、洞窟にいる母親を見ている。
784 :
┃・)ノ :2011/09/25(日) 20:26:52.95 ID:dtT9PUGM
┃・)!
神足通 ・・・ 思い通りにどこへでも行ける能力 空中浮揚だろうか、こんな能力は物質に縛られた人間にはありえない。 これこそは真っ赤なウソ。 と思うのだが、夢の世界を考えると神足通もありえる。 夢の中でも、体が空中に浮かぶことにはけっこうな感動がある。 落ちて行くのではなく、浮かぶことに感動がある。 そんな夢を見たことがある? いいもんだよ。
786 :
┃・)ノ :2011/09/25(日) 20:56:30.09 ID:dtT9PUGM
┃・)・・・
シャガールの絵は好きだよ。人間が空中を泳いでいる。 軽いのがいい。ただ堕天使もいる。 罪の重さで、地上にひたすら落ちて行く。救われない。
他心通 ・・・ 他人の心を知る能力 これはね、以前よりわかるようになった。以前はゼロに近いから、 以前の百倍、千倍の進歩だろうか。
789 :
┃・)ノ :2011/09/25(日) 21:24:58.85 ID:dtT9PUGM
┃彡 サッ
天眼通、天耳通 ・・・ これは何とも言い難い。 いろいろな思いが浮かんで来る。しかしこれが真実であるという印がない。 未来がわからないから選択できない。だからわからない。 未来がわかれば選択が可能だろう。しかし未来がわからない。
漏神通 ・・・ 煩悩のけがれがなくなったかどうかを確認できる能力 完全なる存在、神を知れば自分のいたらなさもわかる。 神=自分を評価する基準を得たからには、この能力があって当然だろう。 これを神通力と言うかどうかは別に、この能力はあると思う。
792 :
承狂 ◆TptLNQXPVWuJ :2011/09/26(月) 00:18:04.18 ID:aoXD+e6/
仏教用語としての漏神通は煩悩が無い状態であり、 仏教に帰依してない神々はそこに至る事は出来てないとされる。 もちろん、キリスト教や唯一神などという妄想とは全く関係のない話である。
キリスト教って信者が聖書を個人的に解釈するのは、禁止なの? 創造主やイエスに個人が問いかけるのも、禁止なの? そんなんだったら牧師が馬鹿か悪人なら、困るじゃん。
794 :
神も仏も名無しさん :2011/09/26(月) 18:50:07.70 ID:ZycaSHHW
カテキズムに従わない人は、カトリック信者じゃないと言われますよ。 カトリックにかぎらず、どこの教派でもそうでしょう。 >そんなんだったら牧師が馬鹿か悪人なら、困るじゃん。 悪い奴ほど教義的なボロは出しません。かれらの隠れ蓑ですかれね。
>>793 霊魂なら煩悩は皆無だが、そういった体験をしても地上に戻れば、
肉体から生じる煩悩と無縁ではなくなる。しかし、霊魂を体験しているから、
煩悩のない状態との比較が可能であり、自分の至らなさを自覚できる。
自己流かもしれないが、これが漏神通だと思っている。
この地上に神のような、完全な人間が存在することはありえない。 肉体を維持するためには、他の生き物や物質に依存しなければならない。 どんな聖人も、なにがしかの煩悩を抱えながら生きている。 それに漏神通という言葉の印象があまりよくない。何かが漏れている。 人間の煩悩から、雨漏りのように神的なものが漏れているのか。 神的な人間から煩悩が漏れているのか。 どちらにしても、完全さと不完全さとが対比されている。 その違いを指摘しているように思う。
797 :
神も仏も名無しさん :2011/09/26(月) 20:30:12.79 ID:ZycaSHHW
>>795 霊魂とは人の精神のことなのね。
だから悪い愛にいる人間は、煩悩だらけなのよ。
>>793 たとえば学校で、担任の教師を超えるような生徒がいたら困る。
教師の権威は失墜し、学級経営が行き詰まるかもしれない。
かれらは職場を失うだろう。そして路頭に迷う。
かれらは教科書通りに進行させたいのであり、あまり波風を立てたくない。
そのための教師用アンチョコも用意されている。
バカすぎるのも困るけど、あまり優秀でない生徒の方が管理しやすい。
生徒としては、教師の立場も考えながら行動すべきだと思う。 質問の答えは、ネットなどで自分で探す方がいい。 あるいは、自分にあった神父や牧師を探し、別の教会へ足をのばす。 その方がしこりが残らないだろう。 無教会もある。2ちゃんもある。
800 :
神も仏も名無しさん :2011/09/26(月) 20:58:11.90 ID:ZycaSHHW
「あなた方は、先生と呼ばれてはならない。あなた方の先生は、ただひとり、 キリストである。」マタイ
801 :
最強のグノーシス派シモン ◆/bVPRrlaFM :2011/09/26(月) 21:59:07.68 ID:/LezmZaW
>>793 君正しいことを言ったね。
人間への帰依が凋落の源だよ。
「人は我々の一人のように善悪を知るものとなった」
創世記に、人間の裡に神に等しいロゴスがあると明記してあるのに、
なぜ自分で考え、自分で判断することを放棄するのかw
802 :
最強のグノーシス派シモン ◆/bVPRrlaFM :2011/09/26(月) 22:04:59.43 ID:/LezmZaW
牧師などただのカスです。 修道院で性的虐待するしかできないホモ野郎が人間の牧人を 名乗るという笑えない事態がカトリックでは常態化しています。
803 :
神も仏も名無しさん :2011/09/27(火) 16:41:16.40 ID:lhc2Oa3V
>なぜ自分で考え、自分で判断することを放棄するのかw 答え グノーシスのような妄想になるから
夢は神通力を理解する手がかりである。 人間は空中浮遊ができるのか否か。この地上では不可能だろう。 しかし夢の中では可能である。人間は空中に浮く。 ところが、夢の中でも空中に浮くことがない。 夢の中でも地べたに這いつくばっている。重力から自由なのになぜだろう? 人間の思い込みはそれほどに強烈なのである。 鎖から解放されても、鎖があるかのように行動している。
夢に出てくる自分はどんなだろう? わたしの場合は30前後で登場する。季節は常に春のような感じがする。 だから、服装は春に合わせた軽装である。男女の別がある。 体の障害? 普段は眼鏡をかけているが、夢の中ではかけていない。 不思議なことに体の障害が何ひとつない。 季節は春、30前後、体は文句なし ・・・ こんな感じかな
夢の中ですでに亡くなった親族と会う。テレパシーで会話する。 何が言いたいかは表情でわかった。 言葉を口にしようとすると夢が覚めてしまう。 一度だけ、夢の中で何かを食べたことがある。赤くて柔らかくて甘かった。 熟し柿のようであり、この世の物とは思えないほど美味であった。 夢の中でも何かを食べる。味覚もしっかりある。
夢の中ではまた、地面の上をしっかり歩いている。 では、夢の体は、物質に似たような存在かと言えばそうではない。 道の両側に藪があり、その影からアライグマが突然襲いかかってきた。 よけるヒマもなかった。噛まれることを覚悟した。しかし そのアライグマは、わたしの足を左から右へ通り抜け、どこかへ消えた。 わたしの足はその瞬間、透明人間の足のようだった。 この夢から、夢の体は、自分の想念のようなものだと考えられる。 自分の想念が夢の体を作っていると言ってもいいだろう。 そうであるなら、強い思いによって、自分の体を変えられるはずである。
808 :
神も仏も名無しさん :2011/09/28(水) 17:43:58.68 ID:e7lJewiv
いま夢の話をしているのはなぜか。夢が悟りに関係し、 悟後の神通力にも関係しているからである。 夢はマナ識の世界である。神の力は霊魂→アラヤ識→マナ識→意識で働く。 他方で物質の力は、悟る前は意識→マナ識で働く。 両者の接点はマナ識であり、毎晩見る夢こそはマナ識そのものである。 この夢に翻弄されては悟れない。夢を左右する力が求められている。 夢を左右する力こそが悟りであると言っていい。 夢こそは、悟りの手がかりであり、無意識に切り込む手がかりである。
夢の中では瞬間移動することができる。 夢の場面はしばしば、突然別の場面に切り替わる。 これを瞬間移動と表現しよう。 夢の中でも自他の区別がある。 夢の中の他者は、自分とは別の存在であり、独自の動きをしている。 かれら(人間以外の生き物を含め)はこちらに反応している。
夢の中での瞬間移動は、神足通であり、天眼通でもある。
天眼通を含めるのは、見たいものの前に瞬間移動できるからである。
夢の中ではテレパシーが働く。→ 他心通
>>788 >>806 瞬間移動+テレパシー → 天耳通である。
宿命通
>>774 漏神通
>>791 に関しては、その意味をすでに書いた。
キリスト教的に言えば、夢の中の体、マナ識の体は想念体だから、 イエスが「清くなれ」と命じれば清くなる奇跡が成立することになる。 強い思いによって、病気や障害などは癒される。 この地上でそういった時代がやって来るかどうかは別にして、 心の持ちようが体に影響することは確かである。 明るい希望を持てば、それだけで健康にはよい影響を与えるだろう。 強い思い、念じることの効果はゼロではない。 祈りには何がしかの効果がある。
夢の中の自分にはまったく不満がない。
>>805 こうあるべきだと思っている自分が夢に現れるのかもしれない。
メガネはうっとうしいと思っているから夢に現れない。
30前後、五体満足、季節は春、快適で軽装
無意識の底に、こんなイメージがあるのかもしれない。
アラヤ識が前世の識であるとすれば、多重人格の謎が解ける。 複数の転生がアラヤ識に刻まれている場合、 Aの過去世がA”の人格に対応し、Bの過去世がB”の人格に対応する、 ということがありえるのかもしれない。 また幼い子供が前世の記憶を思い出すことも考えられる。 幼いうちはマナ識の形成が不十分であり、 アラヤ識の残滓が表面意識に昇ってくるのかもしれない。
814 :
神も仏も名無しさん :2011/10/01(土) 13:57:01.95 ID:qp1QKONW
★ ★ ★ 聖霊体験、霊魂体験をして変化したことは、運がよくなったことにつきる。 たとえ神通力を得たとしても運が悪くなったのでは話にならない。 この運の良し悪しに、夢の良し悪しが関係している。 よい夢はよい運を導き、悪い夢は悪い運を導く。 だから、運の悪い人は、よい夢を見ることが決定的に重要である。 夢は、その展開も、その良し悪しも左右できる。 完全ではないが、ある程度は夢をコントロールできる。
夢をコントロールするには? @ 昼間の心の動きが夢の原因である。その夜の夢はその結果である。 よい夢を見たいなら、よい心がけで一日を過ごせばいい。 心の動きが問われるから、心に思っただけでも夢に現れる。 A よい心がけとは、相手や周囲に対する思いやりである。 たった一日でも、心はくるくるとめまぐるしく動く。 そのいちいちの瞬間において、よいことを思うことが肝心である。 B どのぐらいの思いやりをすればいいのか。 状況に応じ、さまざまな程度があると思う。 大事なものには、自分の命を捧げることも視野に入れる。
@の注 西郷南洲は、夢で自分の心を検証しなさいと説いている。 マタイ福音書5.27−30「姦淫してはならない」は、思うだけでも罪を 問われるというイエスの主張がある。 Aの注 よいことを思い続けるには、思いのレベルをアップする必要がある。 最初は難しいだろうが、あきらめないで継続すれば上達していく。 そのためには、人間関係や職場環境を変更することもありえるかもしれない。 Bの注 ヨハネ福音書15.13「友のために自分の命を捨てること、 これ以上に大きな愛はない。」 これが思いやりの究極だろうと思う。
わたしの場合は、聖霊体験や霊魂体験などによって自然に夢が変わった。 しかし逆に、夢で自分の状態を知り、夢を変えることで自分を変えるという 方向性もあるのではないだろうか。悪夢を見るうちはダメ。 それから思いやりだが、相手や周囲に、ひたすらやさしくなることだろうか。 相手や周囲のためだから、うっとうしがられてもダメ、恩着せがましくてもダメ。 求められた時に、過不足のないやさしさを示せるかどうかである。 男女の愛情とは違う。無償の愛(アガペー)のようなものである。
その人間がどういった人間であるかは、その人間の愛情によってわかる。 人間の総元締めは、その人間が持っている愛情だからである。 この愛情が、その人間の意志である。 なぜなら人間は、自分が愛していることをやろうとするからである。 その愛情が正しいかどうかは夢によって判断できる。 よい夢、後味のよい夢なら、まあまあのレベルだと思っていい。 悪い夢、後味の悪い夢、荒唐無稽な夢なら、反省しなければならない。
819 :
神も仏も名無しさん :2011/10/02(日) 16:34:44.77 ID:Q6mClK5g
救いや悟りにとって、薬物の類は悪影響しか及ぼさない。 サイケな夢を見ても、その人間の日ごろの思いが展開されるだけである。 ただ夢を見るだけではダメ、夢を左右する力が求められている。 夢の中でも、思いやりが示せるかどうかが問われている。 サイケな夢を見、混濁した意識状態でその夢を左右する? そんなことができるわけがない。ふだんの夢以上に翻弄されるだろう。 百害あって一利なし。やめた方がいい。 ふだんの夢は神が備えたものである。 神が用意した、過不足のない神への道ではないだろうか。
わたしたちは夢を粗末に扱いすぎてはいないだろうか。 人生の三分の一を、休息するためであり、無意味なものだと思い、 夢をどぶに捨てていないだろうか。 この夢を左右することで、幸運になれるというのにもったいない。 ただし、この夢を左右する力は、無償の愛(アガペー)に宿っている。 思いやりや、やさしさや、愛情深さが夢を左右する。 そして神こそが、夢を備えたのではないかと思い至る。
821 :
神も仏も名無しさん :2011/10/05(水) 22:18:06.42 ID:uha+nN7X
クエーカーに入信したいのですが、教会が見つかりません どうすればよいのでしょうか?
822 :
┃・)ノ :2011/10/05(水) 22:20:37.54 ID:npI2iEwb
823 :
神も仏も名無しさん :2011/10/06(木) 18:23:42.88 ID:Bm5DhCRW
ジョブズに捧ぐ! 主よ、イエス=キリストよ! 我をして慰めらるるを求めずして、慰むることを求めしめ、理解さるること よりも理解することを、愛さるることよりも愛することを求めしめ給え。 シナ竹と朝鮮菌と釜サロメは除く! アーメン。
824 :
天使Z :2011/10/06(木) 18:25:38.25 ID:xSdyr0aD
ローマンカトリックは サタンの巣窟である。 悔い改めよ!
825 :
神も仏も名無しさん :2011/10/06(木) 21:12:42.18 ID:xi21S8gu
ローマンカトリックは 大淫婦バビロンだから、世の終わりに焼かれる。
ユニテリアン教会に興味があるのですが、どんな教えですか?
827 :
神も仏も名無しさん :2011/10/06(木) 21:31:13.42 ID:jwYU5m0q
スウェーデンボルグは異端らしいけどどこらへんがそうなのか 詳しいこと教えてください。
828 :
グノーシス派シモン :2011/10/06(木) 21:33:10.89 ID:Mxbs3PoJ
異端以前の問題でしょ。 あまりにバカバカしすぎて異端視すらされていないという。
829 :
神も仏も名無しさん :2011/10/06(木) 21:33:21.10 ID:x5088xFJ
ユニテリアンユニバーサルのことですか?これはボストンとその周辺地域で盛んに信仰されている宗派で、きわめてリベラルなんですよ。 ニューエージがかっていたりヨーガをやったりする人もいます。 三位一体を認めないので実は異端といえば異端なんでしょうけど、異端でも全然カルトではない宗教団体って珍しいといえば珍しいかなw。 信者の自由度も高いし悪くはないんじゃない?
830 :
┃・)ノ :2011/10/06(木) 21:35:06.82 ID:lVWtbTZh
>>826 ユニテリアンは、イエス様は神様じゃなくて人間だったという考えの教会だよ。
三位一体(トリニティ)に対応して独立的(ユニテリアン)と言っているわけ。
だから、そんなのキリスト教ではない、という観察もある意味正しいわけね。
アメリカでは盛んなんだけど、日本にはないのだけれど、
実を言うと、慶応義塾大学は、もう少しでユニテリアンの大学になるところだった。
もしそうなっていれば、日本はユニテリアンの牙城になっていたかもしれないね。
歴史に「もしも」はご法度なんだけれどね。
少なくとも言えることは、ユニテリアンの考え方は、インテリジェンスを磨かないと
ついていけない難易度の高い考え方だね、宗教を超えているよ。
佛教に於ける浄土真宗の如き、だな。
ユニティーというのと同じなのかな。
833 :
神も仏も名無しさん :2011/10/07(金) 08:32:40.49 ID:uAw/ExLs
>>828 ぜんぜん答えられないということか^^+ ばーか
>>827 伝統キリスト教会が自分たちだけを正統と決めたのです。
それで、他教派を異端と呼んでいるだけです。
しかも、自分たちがつくった聖書にないインチキ教義ばかりのキリスト教です。
こんな教義は、聖書や主イエスの教えではなく、数々の公会議や伝承からつくられたものでかありません。
↓
〇三位一体の神(位格の三神・三主)
〇信仰義認説
〇アダム人祖・原罪説
〇キリスト無毒の無条件のお情けによる赦し(おかげさま信仰)
〇聖母マリア信仰・聖人崇敬
〇予定説
834 :
神も仏も名無しさん :2011/10/07(金) 08:37:11.18 ID:uAw/ExLs
×キリスト無毒の無条件のお情けによる赦し(おかげさま信仰) 〇キリスト功徳の無条件のお情けによる赦し(おかげさま信仰) 現代キリスト教会は、黙示録に記されているようにもう終わりを迎えています。 その後にやって来るのが、新しいエルサレム、新しい主の教会です。 スェデンボルグの「真のキリスト教」だけが、主イエスの新しい教会の教えです。
835 :
神も仏も名無しさん :2011/10/07(金) 09:45:14.93 ID:DOz3Hjhj
836 :
神も仏も名無しさん :2011/10/07(金) 10:53:07.44 ID:uAw/ExLs
主は愛そのものです。その愛はすべての人を救いたいとの願いです。主の教会は、 全地にあまねく分散していて普遍的です。それぞれの宗教にしたがい、(愛の善) の中に暮らしている者は、みなその教会に属しています。 だからこそ、万民に宗教があり、宗教をとおして神を認め、内的な(いのち)がある よう造られています。 異教徒は、キリスト教徒と同じように道徳的生活を送り、しかも多くの場合は、 キリスト教徒より優れていることは、周知のとおりです。 異教徒の場合、道徳的な生活をし、自分の宗教にしたがって素直・従順・親切に生き、 良心的であれば、来世に迎えられてから、天使たちによって、善と信仰の真理を もとに、教えを受けます。かれらは教えられるまま、謙遜に、理知と英知にもと づいて行動し、たやすく真理を受け入れて自分のものにします。
386 :ぱるるん ◆SuSYjvNEBI :2011/10/07(金) 08:26:38.78 ID:q/CpUazY ヒツジくんへ サロメ=なみたん どちらも病弱(肺を切除 血痰)が売り カトリック自慢 元プーも同一人物 3者の共通はカトリック自慢 ハイソでアカデミックな 世界、そういう教会にあこがれてるらしいこと(2ちゃんねるにそれを求めるところがみじめ) 希美(のぞみ)も同一人物 カトリック自慢 くしこも同一人物 ウヨクサヨクネタ カトリック たけもおそらく同一人物 雹もカトリック自慢だから同一人物 かまってかまってミュンヒハウゼン男爵
838 :
神も仏も名無しさん :2011/10/11(火) 14:01:08.89 ID:OHjeIEQb
おチンチンびろーん ∩___∩ | ノ ヽ/⌒) /⌒) (゚) (゚) | .| / / ( _●_) ミ/ .( ヽ |∪| / \ ヽノ / / / | _つ / | /UJ\ \ | / ) ) ∪ ( \
839 :
神も仏も名無しさん :2011/10/12(水) 02:01:41.61 ID:TwwLer53
信者ではないのですが、什一献金について質問です。 知人がこの献金について、 1、1年に一回紙に「今年は月いくら献金する」といった内容を書かされ、牧師だけがそれをが見る 2、そんなにたくさんする必要ないのでは?と聞くと、「10分の1でも集めないと教会運営が苦しい」 3、他の人がちゃんと10分の1しているのに、自分は10分の1しないと申し訳ない と言っていたのですが、それぞれに疑問が浮かびました。 1については、なぜこのようなことをするのでしょうか? 何かいやらしい気がしてしまったのですが・・・収入を大体把握しないと運営しづらいからということでしょうか? 2については、たしかに小規模な教会はそうなのしれませんが、今では10分の1するところのほうが少ないと調べたら出てきたのですが・・・ 10分の1集めていないところはどうやって成り立っているのでしょう? 3については、分からなくもないのですが、何のための献金なのでしょう? 以上の疑問が浮かびましたが、本人には聞けませんでした・・・ どなたか回答してくださると幸いです。
840 :
神も仏も名無しさん :2011/10/12(水) 03:38:54.96 ID:ysQRdS6K
841 :
神も仏も名無しさん :2011/10/12(水) 03:46:10.86 ID:ysQRdS6K
>>839 献金は教会経営資金に大切です。
つまり学校に学生が学費を払うのと同じです。
学校法人の場合、文部科学省からの助成がありますが、宗教法人の場合はそのようなものがありません。
そのため多数の教会は教団や教派などの組織に加盟し、教会同士で経営資金の融通が行われています。
しかし単独の教会、いわゆる個人事業者の教会はそのようなことが出来ず、教会員による献金いわゆる売上が減少すると経営困難に陥ります。
そのような場合、牧師がアルバイトなどをして自ら経営資金を補填するか、または教会債のような債権を発行し借入する場合もあります。
しかし、そのような経営努力を怠る牧師の場合は、信者に無理な献金を要求する場合もあるようです。
843 :
神も仏も名無しさん :2011/10/12(水) 08:52:01.23 ID:V5KfMKpY
839様へ 知人の教会は新興宗教のようで。新興宗教だと什一献金をうるさくいう宗派が多い。 1 聖職者(単立教会なら牧師ではなく教祖という)が年間献金報告を信者にさせるのは、信仰心の度合いを献金額で測定するため。 新興宗教の教会では献金額と信仰心をリンクさせる考えだったりするので。もちろん申告額からその年度の予算を算出したいという事情もあると思われる。 2 小規模だとかなり献金をうるさくいう。知人の教会は単立の可能性がある。単立というのは個人商店でどこからも援助はのぞめない。 信者の献金だけが全てなのでどうしても什一献金を厳守してもらわないと教会が維持できない事情があるからと思われる。 伝統宗教だと1/10をうるさくいわない。なぜなら伝統宗教は幕末に来て明治に教会を作ったので学校や病院を運営していたり、 地方だと繁華街に立地していることが多く、ビルや駐車場を保有している教会も少なくなくない。だいいち伝統宗教では個人で勝手に教会を作れないので単立教会はなく、 従って新興宗教のように小規模教会が乱立することもない。即ち一つの教会の信者数が多いので経営効率がよく、そんなにたくさん集めなくてもやっていけるので一人当たりの負担も少ない。 3 典型的なマインドコントロールであると同時に、日本人特有の「人並み意識」かな。日本人は周囲にどう思われるかを非常に気にする国民なので、 この教会では什一献金するのが人並みですといわれると、それに唯々諾々と従ってしまう。 どうやら知人はキリスト教初心者で誘われるまま新興宗教にひっかかってしまい、多大な金をむしられているわけですな。 大変お気の毒です。伝統宗教にいっていればこんなに重い経済負担はなかったものを。
844 :
神も仏も名無しさん :2011/10/12(水) 09:30:19.92 ID:idKjP86D
>>835 「神を信じず(知らず)に亡くなった人達は、地獄に落ちてしまいます」って、ことでしょうか?
地獄に落ちます。
845 :
神も仏も名無しさん :2011/10/12(水) 10:46:57.50 ID:TwwLer53
>>839 です
回答ありがとうございます
ひとつ書き忘れたのですが、その知人は
日本キリスト教団という日本で一番規模の大きい宗派(らしいです)でも、
什一献金を行っていると言っていたのですが、これは本当なのでしょうか?
実際に今客員として通っているので、うそではないと思うのですが・・・
846 :
┃・)ノ :2011/10/12(水) 10:59:45.20 ID:z/dP2EMI
847 :
神も仏も名無しさん :2011/10/12(水) 11:47:45.01 ID:TwwLer53
>>845 そうなのですか。知らなかったです。
知人が通っている教会のサイトには「日本キリスト教団」と書いてあったのですが、
日本キリスト教団のサイトの教会案内にはその教会は掲載されていませんでした。
あれは全ての教会を網羅しているわけではないのでしょうか?
848 :
┃・)ノ :2011/10/12(水) 11:58:54.02 ID:z/dP2EMI
>>847 いまのところ、日本基督教団の公式サイトは存在しないと思う。
おそらく、個人が運営しているサイトを見たのではないかと思いますが、
全教会を網羅するのは無理だったんでしょう。情報を出してない教会のことを知ることはできないから。
849 :
神も仏も名無しさん :2011/10/12(水) 12:22:52.74 ID:TwwLer53
>>848 よく見たら非公式サイトとかいてありました。
失礼しました。
850 :
神も仏も名無しさん :2011/10/12(水) 12:44:43.11 ID:V5KfMKpY
日本基督教団で什一献金をうるさくいうのは聖霊刷新協議会の加盟教会ではないかと思われる。 教団でも什一なんていわない教会がいくらでもあるのに。 日本基督教団は寄り合い所帯である以上、中にはカルト化している教会もあるので、 行く前に調査もせずにいくと什一献金をむしられることもある。
851 :
神も仏も名無しさん :2011/10/12(水) 12:47:44.66 ID:V5KfMKpY
付け加えると日本基督教団は日本で一番大きな宗派ではない。 日本で一番大きいのはカトリック。(世界一大きな宗派でもある) キリスト教には数え切れないほどの宗派があるが、経済的な負担が最も軽いのもカトリック。(これ豆知識な)
キリスト教は、神への信仰がないものは、誰ひとり救いはないのですか? 善人や善行(社会的意味)を積んだ人でも救いがないのですか?
もしそうなら、なぜ神様はこんな不当な世の中を作ったのか なぜ、全知全能なのにキリスト教を信じない人がいるのですか 全知全能なら、ためしたりする必要がないと思います
信じない人はどうやっても信じない かといってマインドコントロールして信仰させたところで意味ないし、 そんな神様嫌われるw
ある財日お釜の同胞、韓国(朝鮮)って日本が統治する前って識字率が10%にも満たなかったの。 誰かの排泄物の横に座って餌食べてたりしてたのよね。 それを考えると涙ぐましい努力をしてだんだん人間に近づいて来てるのね。 ただ何かが足りないの。何かしら…。人間になるために不可欠なものよ。 あなたのお国でノーベル賞受賞したど偉い教授にでも聞いてごらんなさい?
857 :
神も仏も名無しさん :2011/10/14(金) 18:43:43.54 ID:8ozk77aJ
>>856 唯一絶対神さまに近ければ、気配を感じるのはたやすい。
唯一絶対神さまに遠ければ、気配を感じられない。
また。
唯一絶対神さまに近ければ、言動もにてくる。無意識に真似るから。
唯一絶対神さまに遠ければ、言動は真逆になる。唯一絶対神さまを嫌うから。
相手の言動だけが真実だ。
口車にのって騙されてはいけない。
858 :
承狂 ◆TptLNQXPVWuJ :2011/10/14(金) 18:57:22.89 ID:Fybqr7nH
859 :
神も仏も名無しさん :2011/10/14(金) 19:34:05.59 ID:8ozk77aJ
>>858 証明はできんな。
少なくともオレは。
が、力はもらったよ。
霊能力をな。
ついでに、天国と地獄も案内してもらった。天使=聖霊諸氏にな。
そしたら、ホントに性格が丸くなったwww
周りは驚いてたよwww
860 :
857 :2011/10/14(金) 19:37:55.09 ID:8ozk77aJ
857の訂正。
>>856 唯一絶対神さまに近ければ、気配を感じるのはたやすい。
唯一絶対神さまに遠ければ、気配を感じられない。
また。
唯一絶対神さまに近ければ、言動もにてくる。無意識に真似るから。
唯一絶対神さまに遠ければ、言動は真逆になる。唯一絶対神さまを嫌うから。
相手の「行動」だけが真実だ。
口車にのって騙されてはいけない。
>>860 それは神じゃなく悪魔ですね
騙されてはいけません
//  ̄  ̄  ̄  ̄ \ . 彳丿; /,, ,,, ,, ,\ u lヽ ああっ!お兄さんアナル欲しいよぉハアハア〜 入丿 -◎ ─ ◎- ;ヽミ. | u:.::(●:.:●) u:.::| | :∴ ) 3 (∴.:: | ノ ヽ、 __,. u . ノ、 ハァハァ! / ヽ:.___;;;;;;;;;;___.ノ ヽ / ,ィ -っ、. .ヽ | / 、__ う 人 ・ ,.y i ヽ、__ノ ノ ノ | x 9 / | ヽ、_ _,ノ 彡イ シコシコ UMAニート ネ釜サロメ 37歳 | (U) | ヽ、_ _ノ __ノヽ _
863 :
神も仏も名無しさん :2011/10/15(土) 07:34:43.82 ID:5A7SlltD
>>861 人格を丸くしてくれるのが悪魔?
お前の悪魔はどんなだ?www
ちなみに訊いてやるよ。
お前の唯一絶対神さまなら、どのように人格を変えてくれるんだ?
>>863 神はわかりません。私は神を感じませんから
悪魔ならわかります。悪魔はいつも神を騙って来ますよ
865 :
神も仏も名無しさん :2011/10/15(土) 13:22:34.97 ID:5A7SlltD
>>864 オレが訊いてんのは、「人格を丸くしてくれるのが唯一絶対神さまだ」が、「否定する&悪魔呼ばわりするからには、性格丸くしてくれるのは悪魔ということだな。」「では、唯一絶対神さまは、どんな人間に変えてくれるんだ」?
だよ。
これなら解答できるだろ。
★否定するには、正しい解答がなくてはいけないな。
おk?
>>865 そもそも、あなたの性格は丸くなっていません
無いものを有るように偽る、これは悪魔の仕業です
867 :
神も仏も名無しさん :2011/10/15(土) 15:34:33.76 ID:5A7SlltD
>>866 何を基準に、丸くなってないと?
また、「ないものをあるように」とは、「なんのこと」かな?
日本語。とりわけコミュニケーション能力を、身につけてから、投稿してください。
あなたは、まるで小学生のようですよ。
日常会話程度のコミュニケーションを保持してください。
よろしく。
>>867 あなたが神を感じられたなら、あなた自身の「行動」を以って証明してください
相手の「行動」だけが真実。これはとても正しい言葉です
869 :
神も仏も名無しさん :2011/10/15(土) 17:49:23.64 ID:5A7SlltD
>>868 「言葉のキャッチボール」が「できない人ですね」www
オレのことをとやかく言いたいなら、キャッチボールくらいしなさいなwww
悪魔は、イエス=キリストの邪魔をする者です。
キチガイは沖縄スレに籠ってろ
872 :
神も仏も名無しさん :2011/10/16(日) 07:58:07.88 ID:JjS8P1qA
873 :
神も仏も名無しさん :2011/10/16(日) 11:42:58.34 ID:5pb1Qf5w
アーユルヴェーダってインドの宗教が関わっているのでしょうか? クリスチャンがアーユルヴェーダの製品を買うのは、いけないのでしょうか? まじで、悩んでます。教えてください。
874 :
神も仏も名無しさん :2011/10/16(日) 12:33:01.65 ID:JjS8P1qA
>>873 何がしたくて、何を買いたいのか、説明してください。
875 :
グノーシス派シモン :2011/10/16(日) 12:56:58.37 ID:eKqKMxCs
トップがコーランにキスとかしてるらしいから、別にいーんじゃねーのw アーユルベーダって実利的なもんだしw
876 :
神も仏も名無しさん :2011/10/16(日) 17:22:33.13 ID:shKRyDUW
キリスト教を信じているからといってアーユルヴェーダがだめなんてことはないです。欲しいならならその製品を買えばいい。 アーユルヴェーダはだめとかその関係製品を買うときは教会に相談しろという指導を教会ではしているのですか? もしそんな指導があればカルト新興宗教だ。新興宗教でもカルト化していないなら何かを買うときに問い合わせるなんてことは誰もしない。
877 :
┃・)ノ :2011/10/16(日) 17:25:32.02 ID:VT+iESvI
>>876 でも、キリスト教徒が神社で御札やお守り買うのはおかしいでしょ?
そういうことにならないかっていう質問だとおもうよ。
アーユルヴェーダはインドの伝統医学で漢方みたいなもので、なぜこんなものを買うときまで心配しなきゃいけないのですか? 韓流キリスト風新興宗教は狂信的ではある。でもああいう新興宗教の関係者とて五味子茶も飲むし体調によっては韓方の薬も利用する。
879 :
┃・)ノ :2011/10/16(日) 17:56:31.82 ID:VT+iESvI
こんなもんまで、だの、いけないのですか?だの言う必要ないでしょ。 べつにかまわないよ、って言えばいいんだよ。 そうやって一々見下すからキリスト教はだめなんだよ。
880 :
グノーシス派シモン :2011/10/16(日) 18:50:09.57 ID:eKqKMxCs
仮に神社でお守りを買ったとして、 「き、きさまー!!我こそ唯一にして絶対の神なるぞ!異教の邪神の札の入った携行品を買うとは何たる不敬!我、嫉む神也!永遠の地獄に落としてくれるわ〜〜〜!!」 とかおっしゃる神がいたとして、そんなもん拝みたいかw?
881 :
┃・)ノ :2011/10/16(日) 18:56:35.19 ID:VT+iESvI
>>880 気分の問題でしょ。どうせ神様なんて信じてはいないんだから。
この装飾品はグループAに順ずるものか反するものか教えてくれっていってるだけだよ。
順ずるものだと教えてもらえたら買うし、反するものだと教えてもらえたら買わない。
それだけのことなんだよ。
882 :
神も仏も名無しさん :2011/10/16(日) 23:09:42.27 ID:JjS8P1qA
>>880 それは噂の福音派とか聖霊派の態度か?
質問人さん、オレが訊きたいのは、霊感商法の類いじゃないのか?とかも含んでる。
だから、何を買いたいのか、とか訊いたんだよ。
質問の意味が分からないなら黙ってろ
884 :
神も仏も名無しさん :2011/10/17(月) 09:08:51.02 ID:WojR0kOC
>>883 ほう?
お前は、細かにわかるのか?
知ったかぶりwww
何の目的で買うのか? それだけでしょう。迷うなら止めといたら?
>>873 このスレでの回答は「宗教性あったらダメ」としか
関連の深そうなスレを探して、そっちの知識がある人に聞いた方が良いんじゃない?
887 :
873 :2011/10/17(月) 20:31:36.77 ID:DyzsXcHy
皆様。レスありがとうございます。 アーユルヴェーダの化粧品を買いたいのです。 アーユルヴェーダは仙人がインドラ神に赴き、アーユル・ヴェーダを受け取ったと述べられているので 他宗教に関わると偶像礼拝になるのではと、心配になって質問した次第です。 考えすぎでしょうか?
888 :
神も仏も名無しさん :2011/10/17(月) 20:32:58.60 ID:XiSD4iXo
考えすぎ。伝統宗教だとそんなこと思いつきもしないよw。ひょっとしておたくは新興宗教の信者?
はい考え杉です。
890 :
神も仏も名無しさん :2011/10/17(月) 20:51:02.13 ID:k3G/2sH1
なぜクリスチャンはチーズバーガーを食べてはいけないのでしょうか? ちなみに普通のハンバーガーは良いそうです どちらも健康にとって大差ないように思えますが… どなたかご教示ください
891 :
神も仏も名無しさん :2011/10/17(月) 20:52:23.31 ID:WojR0kOC
>>887 特別に宗教的な効果を期待するなら、霊感商法の疑いを持って品定めした方がイイだろう。
けれど、単なる化粧品、成分の効果のみを期待、というなら、利用は問題ナシではないでしょうか。
>>887 > アーユルヴェーダの化粧品を買いたいのです。
>
信頼できないとこもありそう。
893 :
神も仏も名無しさん :2011/10/17(月) 22:12:33.43 ID:zp8xZrqM
スウェーデンボルグがあまりにも誹謗されていることに疑問を感じます。 クリスチャンはなぜ彼を排斥しようと必死になるのでしょうか。
894 :
神も仏も名無しさん :2011/10/17(月) 22:39:19.37 ID:WojR0kOC
>>893 スゥエーデンボルグさん?
オレは霊能力者とくらいしか知らないんだが、キリスト教が否定してるのか?
どんな部分を?
教えてください。
>>890 >クリスチャンはチーズバーガーを食べてはいけないのでしょうか?
そんなことないけど?
896 :
グノーシス派シモン :2011/10/17(月) 23:27:11.27 ID:jGWFRXPJ
レビ記の「母牛の乳で子牛を煮てはいけない」、の拡大解釈?
キリスト教の世界観設定の理論は楽しいですよねー!?♪。
ぐぐったもののコピペ チーズバーガーはユダヤ教によって正式に禁止されている食物である。 牛肉は作法に則って屠られたもののみ可。コシェルと言う。しかし、牛乳製品(これ自体はコシェル)と一緒にするとNG
899 :
神も仏も名無しさん :2011/10/18(火) 01:19:49.31 ID:wnI9Ju6E
>>894 ウィキペディアにはこう書かれてあるな。
スウェーデンルーテル派教会をはじめ、当時のキリスト教会からは異端視され、
異端宣告を受ける直前にまで事態は発展するが、スヴェーデンボリという人材を
重視した王室の庇護により、回避された。
その神概念は伝統的な三位一体を三神論として退け、サベリウス派に近い、
父が子なる神イエス・キリストとなり受難したというものである。
ただし聖霊を非人格的に解釈する点でサベリウス派と異なる。聖書の範囲に関しても、
正統信仰と大幅に異なる独自の解釈で知られる。
またスヴェーデンボリはルーテル教会に対する批判を行い、異端宣告を受けそうになった。
国王の庇護によって異端宣告は回避されたが、スヴェーデンボリはイギリスに在住し
生涯スウェーデンには戻らなかった。
本当は、ルーテル教会だけでなく、ローマ・カトリックの教皇派の聖人たちを手厳しく
非難しているけどね。
900 :
900 :2011/10/18(火) 09:03:06.97 ID:ksP/To7c
聖サウロの真実! イエスの処女降臨の大本! あるところで、テントを製造で商売をしていたサウロという男がいた。 晩年になって南ヨーロッパから、ギリシャ諸島、小アジア、イタリヤ、 スペインの各地を旅をした。 彼は、テンカンの持病があり、大の女嫌いであった。 歴史家の中には、サウロをインポ(性的不能者)だったとする者のいれば、 ホモだったとする者もいた。 実は、サウロは、イエス=キリストの弟子の「聖パウロ」であり、 「キリスト教の性的戒律」を作った人物なのです。 この戒律は、肉体的性欲を「悪」と決めつけ、性欲をもってsex をして出生したこと自体を「悪」であり、人間の存在も根源的に 「悪」であると、思想に発している。
901 :
神も仏も名無しさん :2011/10/18(火) 12:08:56.93 ID:uGuQHblV
902 :
なるみん ◆4qadkgYVBo :2011/10/18(火) 16:54:45.19 ID:lSR5w1fg
父がイエスという名の赤ん坊に受肉したなんてスエデンボルグ神学キモい。
903 :
なるみん ◆4qadkgYVBo :2011/10/18(火) 16:58:13.38 ID:lSR5w1fg
父が幼児イエスに受肉したなら 父はそのあいだ天国を留守にしてたことになるじゃん。 父がいない天国ってwww
904 :
神も仏も名無しさん :2011/10/18(火) 17:25:12.48 ID:uGuQHblV
>>903 その通りですね。
イエスさまはイエスさま。
唯一絶対神さまの愛し子。ですね。
日本語変なの〜、相変わらず なんでママ友呼びなの? 自分にとって利益のある友達=親友 わりとどうでもいい友達=ママ友 そして学生時代の友人はママ友じゃないよ。 子供を通して仲良くなったのがママ友ですからね〜、恥美おじちゃん。
906 :
神も仏も名無しさん :2011/10/18(火) 17:51:04.53 ID:wnI9Ju6E
>>903 父が天国に不在って、やっぱり三人の神を考えているんだ。
神は遍在してます。
>>904 はっきり、三神三主信仰です。
イザヤ書には、神エホバが人間性をとられ世に下られたと、記されてますね。
907 :
なるみん ◆4qadkgYVBo :2011/10/18(火) 18:17:06.30 ID:lSR5w1fg
ネヨのID ID:wnI9Ju6E
909 :
なるみん ◆4qadkgYVBo :2011/10/18(火) 18:27:18.14 ID:lSR5w1fg
910 :
神も仏も名無しさん :2011/10/18(火) 18:29:42.21 ID:wnI9Ju6E
おん父とおん子とは、神性と人性のかんけいです。 そうして、おん父とおん子、神性と人性が、キリストのうちにあって、 霊魂が肉体のように合体して一つになっています。 福音書からも、これは明らかです。 「ご自身とおん父はひとつである。」(ヨハネ10.3) (ヨハネ10.30 8.19 13.20 16.15 17.2 マタイ28.18 )
911 :
神も仏も名無しさん :2011/10/18(火) 18:30:03.61 ID:t1PW/i5y
日本のキリスト教団はなぜ9条教を信奉するの?
912 :
なるみん ◆4qadkgYVBo :2011/10/18(火) 18:39:19.60 ID:lSR5w1fg
>>910 では聖ピオ10世は単性論だったのね。
hvri.gouketu.com/catechismuspiidecimi.htm
99 イエズス・キリストが死去されたのは、神としてですか、それとも人としてですか。
イエズス・キリストは人として死去されました。神としては、苦しむことも死ぬこともないからです。
913 :
神も仏も名無しさん :2011/10/18(火) 18:43:35.11 ID:wnI9Ju6E
旧約の神エホバも新約のおん父も見えない神です。 その見えない神を、見える神として示されたのが、主イエス・キリストです。 エホバの御腕とは、人間性をとられたエホバ、すなわち主キリストのことです。
914 :
なるみん ◆4qadkgYVBo :2011/10/18(火) 18:50:15.42 ID:lSR5w1fg
イエス様は最初から見えない神の見える顕現でした。
916 :
なるみん ◆4qadkgYVBo :2011/10/18(火) 18:52:03.56 ID:lSR5w1fg
いやです
917 :
神も仏も名無しさん :2011/10/18(火) 18:55:12.45 ID:wnI9Ju6E
おん子イエスはおん父と一体になったのです。 位格の消失で酢
918 :
なるみん ◆4qadkgYVBo :2011/10/18(火) 18:57:33.14 ID:lSR5w1fg
ばかだねー最初から一体ですよ。
919 :
神も仏も名無しさん :2011/10/18(火) 19:00:47.01 ID:wnI9Ju6E
位格(ペルソナ)とは自立自存ですから区別されます。 一体ではありません。
920 :
なるみん ◆4qadkgYVBo :2011/10/18(火) 19:01:56.40 ID:lSR5w1fg
最初から一体ですからw
921 :
神も仏も名無しさん :2011/10/18(火) 19:03:05.96 ID:wnI9Ju6E
ペルソナは別々です
922 :
神も仏も名無しさん :2011/10/18(火) 19:13:24.20 ID:wnI9Ju6E
主キリストにあっては、神性と人間性が、二つではなく、一つです。 人格(ペルソナ)としては一つで、人間の霊魂と肉体のように、一つになっているのです。
923 :
神も仏も名無しさん :2011/10/18(火) 19:59:35.87 ID:uGuQHblV
>>920 こらこらwww
同一なら、イエスさまは「天の自分よ」って呼び掛けるだろ。
「天の父よ」ってお祈りされてるんだから、イエスさまにとってのお父さん、でイイんだよ。
924 :
グノーシス派シモン :2011/10/18(火) 20:09:02.31 ID:/HMQRNus
どーでもいい議論なんだよ。 イエスは永遠界から降下したアイオーンの一人。 それも覚知したのは30過ぎてから。 それまでのイエスはどうでもいい。当然、ダビデだかマリアだかは心底どうでもいい。 肉が死んでからは、純粋なアイオーンに戻って永遠界に帰った。 これが真実だよ。
925 :
神も仏も名無しさん :2011/10/18(火) 20:27:00.82 ID:wnI9Ju6E
>イエスは永遠界から降下したアイオーンの一人。 その根拠は?
926 :
神も仏も名無しさん :2011/10/18(火) 20:31:19.84 ID:wnI9Ju6E
>>923 神人イエスの霊魂は天の父だったのです。
だから、アッバ(おとうちゃん)と言われたのです。
927 :
神も仏も名無しさん :2011/10/18(火) 20:56:01.64 ID:wnI9Ju6E
主(イエス)の神的霊魂や命は、神エホバから来ています。 だから、主は命そのものと言われたのです。 主の神的肉体は母マリアからきました。 その神的肉体には、母からの人間性を受け継がれています。 主は、数々の試練と苦難を克服され、母からの人性を神的人間性に栄化されました。 そうして主は天の父と完全に一致合体され、元の神に帰られました。 これが主の十字架上での最後のおん苦しみと試練でした。
928 :
神も仏も名無しさん :2011/10/18(火) 21:07:23.29 ID:uGuQHblV
>>927 イエスさまが天の父と一体化されたなら、十字架で死ぬことはない。
死んだということは、天の父と一体化してない、魂のみの一体化だった。
ってことだろ。
魂のみの一体化は数々の奇跡を顕現されたことで立証済みだ。
そこら辺、細かく分析して理解しようね。
929 :
神も仏も名無しさん :2011/10/18(火) 21:19:12.45 ID:wnI9Ju6E
ヨハネ12.24 「イエスは言われた。『一粒の小麦が地に落ちて死ななくては、 それはただの一粒のままであるが、それがもし死ぬならそれは多くの実を結ぶのである。』」 人間の霊は死後よみがえることを教えられるため、それで主キリストは死を引き受けられ、 第三日目によみがえられたが、そのことはキリストが母マリアから得た人間的なあらゆるものを 脱ぎ去り、神的な人間的なもの(神の人間性)を着けられる目的でした。 なぜなら、イエスは母から得られた人間的なあらゆるものを、試練により、最後には死により退けられたからです。 キリストの中にあった神的なもの、そのものから発している人間的なものを着けることにより、ご自身を栄化され、 その人間的なものを神的なものとされたのです。それで天の国においては、イエスの死と埋葬は死と埋葬を意味しないで 主の人間的なものを清めることを、栄化することを意味したのです。 同じことが、マグダラのマリアに言われたことのなかに含まれています。 「わたしにさわってはならない。わたしは未だ父のもとへ上っていないのだから」(ヨハネ20.17) 「父のみもとに上る」とは、母からきている人間的なものが完全に退かれて、主の神的なものと 主の人間的なものとは合一することを意味しているのです。 無原罪のマリアと無原罪のキリストは、この主の教えをまったく意味のないものにしてしまいました。 このことからも聖母マリア信仰は、主の教えをでないことは明らかです。
ID:wnI9Ju6Eことネヨが何度反論されても同じ主張を繰り返すのは ネヨが純粋な動機ではなく 我欲と自己愛の自己顕示に酔ってスエデンボルグの教えを にちゃんでクリスチャンに押し付けているからです それは彼が先達とも交際せず自分の部屋に引きこもり本だけを読んで実践もしないという きわめて低い霊的状態でいるからです 石普通のスエデンボルグ信奉者は謙虚でスエデンの言いつけを守り論争せず相手の信仰を尊重します スエデンボルグを偽るネヨは悪魔性の人間だそうです スエデンボルグの新教会にはいろんな宗教の方が集まり教えを学んでいるそうです バプテストの牧師が礼拝を主導していた時期もあるそうです スエデンボルグがバビロンの教会と書いてあるカトリックの方がオルガンを弾いてるとか また同じくカトリックのシスターが高い霊性を示しながら新教会の方達と外部でいっしょに奉仕を なさっています スエデンが書いた呪われた儀式をするカトリックのシスターが高い霊性と神的態度を示しているのに 長年引きこもってスエデンの本を暗記したネヨが低い霊的状態で悪魔性に支配されているのはなぜでしょうねwww
931 :
神も仏も名無しさん :2011/10/19(水) 09:12:29.14 ID:LHX1ov5Y
ルターについて。 霊界にやってきて以来ずっと最初から、自分が教えて来た教義を一生懸命ひろめ、擁護してきました。 その説に賛同する者、味方する者が地上からやってきて、その人数が増えてくれば増えるほど、 ルターはいっそう自説に固執しました。(中略) このように一般から支持があって、ルターは自説に心酔していました。この種の心酔は、霊界では大変な効力をもち、 それに反論するもの、話に抵抗する者はいません。・・・この種の呪文的繰り返しは、人を思いこませます。 これは自己愛から流れてくる盲信です。 そのような思い込みにたいし、反論でもしようものなら、その疑問点をただしているのではなく、 その人自身を攻撃することになるのです。 1757年、霊界で最後の審判が行われましたが、その日までルターの生命は以上のような状態で、 それから1年たって、最初の家から他の場所に移されましたが、それからの状態はまた違ってきました。 わたしは自然の世界にありながら、霊界にいる人たちと話し合っていましたが、ルターはそれを聞いて、 大勢の人にまじって、たわしに近づいてきました。 かれは、今や従来までの教会に終わりが来て、ダニエルが預言し、主ご自身も福音書の中で予告された 新しい始まりがやってきたことに気づきました。この新しい教会は、黙示録では「新しいエルサレム」と言われ、 また地上に住む人たちに中央天界に飛ぶ天使が福音をのべ伝えるさいの「とこしえの福音」である。(黙示録14.6) と聞いて、ルターは憤慨して反抗しました。 ところが、新しい天界がつくられるということや、それが主の(みことば)に従って(マタイ28.18)、 主だけを天地の神みとめる人が新天界を構成すると言う事実を知り、ルター自身のところへ日参する人の数も 減ってきたのに気づいて、その反抗も終わりました。「真のキリスト教追補(遺稿)霊界にいる人たち」から
932 :
神も仏も名無しさん :2011/10/20(木) 21:46:37.95 ID:7nsigetF
397 :゚ 。(*′∇`)。 ゚ 希美ちゃん ◆1XjRibJyX. :2011/10/20(木) 11:49:55.40 ID:5tjbplZg アナキン=サロメ=こんぶ=なるみ=元ぷー 決まった
余所でやれ
934 :
神も仏も名無しさん :2011/10/21(金) 17:13:42.92 ID:a9a+ycmM
黙示録第1章 1.イエス・キリストの黙示。この黙示は、神が、すぐにも起るべきことをその僕(しもべ)たちに示すためキリストに与え、そして、 キリストが、御使(みつかい)をつかわして、僕ヨハネに伝えられたものである。 2.ヨハネは、神の言(ことば)とイエス・キリストのあかしと、すなわち、自分が見たすべてのことをあかしした。 10・ところが、わたしは、主の日に御霊(みたま)に感じた。そして、わたしのうしろの方で、ラッパのような大きな声がするのを聞いた。 11・その声はこう言った、「あなたが見ていることを書きものにして、それをエペソ、スミルナ、ペルガモ、テアテラ、サルデス、ヒラデルヒヤ、 ラオデキヤにある七つの教会に送りなさい」。 黙示録第2章 1.エペソにある教会の御使に、こう書きおくりなさい。 『右の手に七つの星を持つ者、七つの金の燭台の間を歩く者が、次のように言われる。 3・あなたは忍耐をし続け、わたしの名のために忍びとおして、弱り果てることがなかった。 4・しかし、あなたに対して責むべきことがある。あなたは初めの愛から離れてしまった。 5・そこで、あなたはどこから落ちたかを思い起し、悔い改めて初めのわざを行いなさい。 もし、そうしないで悔い改めなければ、わたしはあなたのところにきて、あなたの燭台をその場所から取りのけよう。 これはみな、キリスト教会が主の死後、すぐ堕落していくことを予告されているんだよ。
935 :
なるみん ◆4qadkgYVBo :2011/10/21(金) 18:24:04.39 ID:NURM7TiZ
スウェーデンボルグは小学生にプロポ―ズした変態です
936 :
神も仏も名無しさん :2011/10/21(金) 18:24:56.11 ID:a9a+ycmM
937 :
神も仏も名無しさん :2011/10/21(金) 18:25:22.71 ID:NURM7TiZ
イエス様が教会のかしらなので、教会そのものは堕落しませんよ。 これは目に見えない教会の部分。キリスト教という本質です。 目に見える世俗的教会は政治世界が半分なので、堕落しますよ。 聖職者が堕落すれば主はサタンに命じて悪事を明らかにして除名するでしょう。 それはうみあるいはうんちみたいなものです。どんどん出せばいいの。
938 :
神も仏も名無しさん :2011/10/21(金) 18:35:46.02 ID:a9a+ycmM
>>935 ↑
反論できないから、やってることはサロメとまったく同じです^^*
939 :
神も仏も名無しさん :2011/10/21(金) 18:41:23.46 ID:a9a+ycmM
>>937 スェデンボルグは、主の教えを離れて、数々の公会議でつくられた
キリスト教の教義が、バビロン化したと喝破してます。
その最たるものが、「三位一体の位格の神」と「信仰のみによる救い」だとね。
このスレも今日で埋まるのかな。 ネヨは洗脳レベルまで刷り込みがされているから、これを解除するのは簡単ではない。 強引に否定すれば強引に反発して来る。それは「作用反作用」と変わらない。 ネヨの自我防衛機制ものものであるから、心的エネルギーの全てを投入して反発して来る。 信じ切っている事(たとえそれが嘘でも)で価値判断と感情がコントロールされている。 信じ切っている事の崩壊はネヨにとって人格崩壊を意味する。 表層意識(顕在意識)としての自我は深層無意識にある幾つかの「元型(それ自体が個別の意識である)」によって成り立つ。 自我の統合性が喪失すると元型間の関連が支離滅裂に表層意識にまで現れるようになる。 さて、2chという制限の中で何が出来るだろうか。 より強烈な対抗元型を育てると同時にカルトの嘘を破壊せねばならない。 スウェデンボーは既に神格化されている(それは無意識のことなので本人は当然否定するだろうが) カルトの嘘を破壊するのは、神格化されたスウェデンボーを圧倒する「体験知」であり、それは「共時性」とも関連する。 2chで何が可能だろうか・・・と、考えてみるが。答えは無い。
941 :
神も仏も名無しさん :2011/10/21(金) 19:05:34.18 ID:a9a+ycmM
>>940 おまえはまず、洗脳という言葉の意味から勉強してきなさい。
942 :
神も仏も名無しさん :2011/10/21(金) 19:12:34.61 ID:a9a+ycmM
940 :Johannes:2011/10/21(金) 18:56:48.44 ID:CEZkUjl2 はっきりいってここは、お前のような幼稚な論理をもって、偉そぶるスレではない。
943 :
神も仏も名無しさん :2011/10/21(金) 19:25:35.30 ID:NURM7TiZ
ID:a9a+ycmM はっきりいってここは、お前のような幼稚な論理をもって、偉そぶるスレではない
944 :
神も仏も名無しさん :2011/10/21(金) 19:35:37.44 ID:NURM7TiZ
執筆者紹介 ID:a9a+ycmM スエデンボルグ狂信者。スエデンボルグを神のように絶対視し、もはや脳内はスエデンボルグと一体。 ために、スエデンボルグを否定されると自分を保てなくなる。それは自己の精神的死を意味するからである。 そのために、命がけで宗教板で反論に徹しているが、日本語訳しか本を読んでいないために、翻訳されてない スエの文書から彼の主張と矛盾する個所を提示されると、誤訳だとことごとく否定する。 議論に詰まるとネヨと言って逃げるのでネヨのあだ名がつく。
945 :
神も仏も名無しさん :2011/10/21(金) 19:42:30.95 ID:NURM7TiZ
続き ネヨの思想 スエデンボルグの思想とは相いれず、スエデンボルグ協会の思想信条とも相いれない。 ネヨはダビデが地獄の特別監房に収容されて遊女の誘惑にさいなまれているという スエデンボルグの霊視を否定し、ダビデはイエスが変身した姿であり、 イエスはダビデの姿を借りて地獄で遊女と戦っているのであると説く。
946 :
神も仏も名無しさん :2011/10/21(金) 19:42:43.02 ID:a9a+ycmM
947 :
神も仏も名無しさん :2011/10/21(金) 19:44:06.77 ID:a9a+ycmM
948 :
神も仏も名無しさん :2011/10/21(金) 19:46:12.52 ID:a9a+ycmM
1000 :なるみん ◆4qadkgYVBo :2011/10/21(金) 18:00:20.42 ID:NURM7TiZ ネヨのソースはエホかスエだもんね ID:NURM7TiZからまるみんパー子と判別しますた。
949 :
神も仏も名無しさん :2011/10/21(金) 20:25:28.69 ID:a9a+ycmM
950 :
神も仏も名無しさん :2011/10/21(金) 20:35:58.16 ID:a9a+ycmM
951 :
神も仏も名無しさん :2011/10/21(金) 22:34:12.42 ID:63wgF1+s
営業のうまい大工さんも、まさか自分が死んでから 2000年以上も続いてるとは考えなかっただろうな。 天国という仮設住宅には興味ないけど、 敬虔を自負してる人達は、やっぱり良い感じの人が 多いし、参加してみたいな、と思うときは多々ある。
952 :
神も仏も名無しさん :2011/10/21(金) 23:48:06.29 ID:O4ef/H0K
質問 イエス・キリストのお骨はどこにあるのですか。 インドにあるという話を聞きましたが どうなのでしょうか。
953 :
神も仏も名無しさん :2011/10/21(金) 23:57:01.57 ID:O4ef/H0K
あと、キリストがインドで修業したか教えたか、とにかくインドやネパールまで旅行したそうですが、 なぜキリスト教界では教えないのでしょうか。隠しているのですか。
954 :
神も仏も名無しさん :2011/10/22(土) 14:26:04.24 ID:j0laK4Vz
無宗教の土人どもの蛮行に耐え難く 一神教であるユダヤ教に改宗したいのですが難しそうなので とりあえず腰掛けとしてキリスト教に改宗しようと思います そんな動機で改宗しても良いですか? あと、免罪符やローマ教皇が嫌いなので プロテスタントにしようと思うのですが (お金で因果が解消される、神ではなく人を崇めるのがばかばかしいからです) 宗派が多くてわけがわかりません 正統派の宗派はどれですか?
955 :
┃・)ノ :2011/10/22(土) 14:34:28.79 ID:OAxYVC0e
956 :
┃・)ノ :2011/10/22(土) 14:35:46.44 ID:OAxYVC0e
訂正。 アメリカ時間で昨日の夕方6時。 日本時間だと今朝ぐらいの感じ。
957 :
神も仏も名無しさん :2011/10/22(土) 14:51:39.44 ID:I90oDzOp
952 :神も仏も名無しさん:2011/10/21(金) 23:48:06.29 ID:O4ef/H0K イエスは、霊だけでなく肉体においても復活されました。 この世にあった、ご自分の全人間性を神化されたのです。 だから福音書に記されているとおり、お墓に遺体はありませんでした。
958 :
神も仏も名無しさん :2011/10/22(土) 15:40:51.06 ID:Mh0knabu
to 954 「正統」という単語をキリスト教で使うときはどういう意味か知っているのか?この宗教において正統とは、 歴史も伝統も格式もない新興宗教が自分たちの出自をごまかすために使う単語にすぎない。 正統という単語を使えば知識のない初心者を騙せるからだぜ。 実際「正統」とサイトにある教会に行ったため高額献金を強制され破産に追い込まれた者もいるのだが、そんなことまで わかった上で「正統」な教会がいいというのかね? 免罪符やローマ教皇が嫌いとあるが、それはどこで得たイメージかな?ひょっとして教科書ではないのか? 現在のカトリックは免罪符を売っているわけではないが?ローマ教皇は昔は王様より上だったが、 今は信者の統合の象徴とか町会長みたいなもので、みんなのまとめ役みたいな感じかな信者にとっても。 954の経済状態が全然わからない。月にどのくらい宗教に裂けるのかによって、選択肢の数が決まってくる。 「正統」な教会にいくとなると、税引き前の総収入の一割のほかにもいろいろ出て行くので、最悪手取りの半分が 宗教にふっとんでいく状況になりかねないが、本当にそれでもいいのかね?
959 :
神も仏も名無しさん :2011/10/22(土) 15:58:19.84 ID:j0laK4Vz
960 :
神も仏も名無しさん :2011/10/22(土) 15:59:21.61 ID:I90oDzOp
正統とは、自分たちの伝統的キリスト教会が唯一、主イエスの教会だと 言っているだけ、とくにカトリック教会がね。 異端とは、伝統キリスト教会以外の、キリスト教会のこと。ただそれだけ。
961 :
神も仏も名無しさん :2011/10/22(土) 16:07:46.30 ID:Mh0knabu
959に出ている動画は仏教のようだが・・・ 実際問題として正教とカトリックは自分たちを「正統的な教会です」と声高に主張していない。 朝鮮民主主義人民共和国に民主主義があるかね?よーく考えてみたまえ! 歴史も伝統も格式もない新興宗教が自分たちを「正統」と激しく主張するのは「そーゆーこと」と考えたほうが賢いだろw。 だいいち献金トラブルを起こしまくるところに限って「自分たちは正統的プロテスタントだ」と言い張るぜ。 j0laK4Vzがどういった理由でキリスト教を信じてみようと思ったかなんて、他人にとってはどうでもいいことだろ。 宗教を信じるのは個人の内面の問題でしかない。神と当人の間でだけ了解していればいい。 「かくかくしかじかの理由でキリスト教やってもいいですか?」なんて考える必要なし。キリスト教を勉強してみようと 思ったときが発心のときということだぜ。 とにかくキリスト教に行きたいなら、一ヶ月あたりの宗教予算はどのくらいでやっていきたいのかくらいは最低でも出してくれないと回答しようがない。
962 :
神も仏も名無しさん :2011/10/22(土) 16:19:19.81 ID:j0laK4Vz
>>961 キリスト教ってお金かかるんですか?
旧約聖書ぐらいは買い揃えようと思いますが
「正統」と主張してるかどうかではなくて事実上の正統を知りたいです
>>962 キリスト教に限らず金のかからない宗教はない
貧民は死ねというのが古代宗教だ
その内に金を取らない本物の宗教が創設されるから教会になんぞ行くな
友達が欲しいなら行けばいい
キリスト教は宗派によって献金額が全然違ってきますよw。 それこそ「正統的プロテスタント」と称する宗派にいこうもんならさあ大変!ケツは不毛地帯だゼッ!!! 正統のイメージがあくまで歴史と伝統と格式があるという意味なら、正教かカトリックにいったほうがいいだろうね。 とくに正教はキリスト教の昔の形を残しているとは思うが。カトリック(およびそこから出たプロテスタントもだが)は西方教会で、正教は東方教会だ。 東方教会は立って礼拝する。これは立っている姿がキリストの復活を意味しているからともいわれているぜ。 もっともキリストの時代はまともな家具なんてなかったし、最後の晩餐に描かれている椅子とテーブルなんかなく、人々は床に寝転がって 手づかみで食事をしていたというからな。当然そんな時代だと礼拝も西方教会みたいに椅子に座ってなんてありえないから立ってやっていた。 ただ正教は立っていなくてはならないので慣れるまでしんどいのと、どこにでもあるわけではないので転勤族と学生だと正教でやっていくのは定年 になるまで待たなくてはならないというのが欠点といえば欠点だな。 ちなみに献金額は負担の軽い順からいうと カトリック→正教&プロテスタントの伝統宗教→いわゆる「正統的プロテスタント」を自称する歴史も伝統も格式もないプロテスタントの新興宗教
あとキリスト教を勉強するのに旧約聖書だけ買い揃えるというのはありえない。 旧約聖書だけならユダヤ教になってしまうw。キリストの事跡について書かれた新約聖書あってこそキリスト教だぜ。
966 :
神も仏も名無しさん :2011/10/22(土) 18:38:04.05 ID:I90oDzOp
もうキリスト教会も、念仏仏教のようになってるんだから、聖書も要らないんじゃない? 神父や牧師の説教で十分。 聖書の内容が分かるか分からないかは関係ない。
>>954 >とりあえず腰掛けとしてキリスト教に改宗しようと思います
>そんな動機で改宗しても良いですか?
無理
>>958 献金以前の問題でしょうが
薦められる教会側にとって迷惑。
968 :
神も仏も名無しさん :2011/10/22(土) 21:29:53.10 ID:TAiUw7ZT
質問なんですが、 イエスが十字架にかけられて死んだ事を「人間の罪の身代わりになったのだ」というのはパウロ個人の解釈ですか? イエス自身は「私はこれから十字架にかけられて死にますが、それは人間の罪を清算するためであって、それを信じる事によって人は救われますよ。」なんて言ってないような気がするんですが。 その辺を信じる事が今日のキリスト教の教義の重要な部分だと思いますが、それはパウロが個人的にそう解釈しただけでは?
度重なる公会議でも正当とされた伝統的解釈
970 :
神も仏も名無しさん :2011/10/23(日) 02:25:54.39 ID:mwz1n4xD
>>969 はい。結局はそういう会議で決められた事なんですよね?
三位一体にしても多数決みたいな決め方で強引に定めた解釈であって、
本当にイエス自身が意図していたところと今日のキリスト教の解釈とはだいぶ隔たりがあったりはしませんか?
「伝統」とか「度重なる」とか言うといかにもそれらしく聞こえますが。
イエスは言ったんですか?
「私が死刑になるのは人々の罪の清算のためです」「それを信じるなら救われます」と。
>>970 直接的には言ってないが人の子が犠牲になるのは源罪清算の為であるというのがユダヤ人の共通認識だった
972 :
┃・)ノ :2011/10/23(日) 06:53:34.07 ID:pFuTAwMn
>>970 言わなかっただろうね、その前に実在してないだろうけど。
キリスト教の本体は、ユダヤ教パリサイ派の「メサイア待望論」。これだけ。
イエスキリストの本体はミトラス教の「ミトラス神」
この二つの骨格に、ローマ神話、オリエントの善悪二神教であるゾロアスター教や
エジプトのホルス神信仰、 などを織り込んで人為的にローマ帝国の国教としての
体裁をなしたものが現在あるキリスト教だというわけ。
973 :
ワトソン :2011/10/24(月) 18:41:06.01 ID:CYk2cTsR
パウロはキリスト教をダメにした男ではないかと思っています。 その理由は二つです。 ********************************************** @キリストも、多くの人の罪を負うために一度、ご自身をささげられましたが、二度目は、罪を負うためではなく、彼を待ち望んでいる人々の救いのために来られたのです。(新約聖書 使徒) ********************************************** この言葉によって、クリスチャンは『イエスキリストが磔になることによって人類の罪が赦された』などととんでもないことを信じるようなってしまったのです。 ********************************************** A天国か地獄かへの判定の基準は、 イエス・キリストへの信仰の有る無しによるのです。 決して、良い行いを積み重ねることによるのではありません、 あくまで信仰によるのです。 「人が義とされるのは、 律法の行いによるのではなく、 信仰によるのである。」 ********************************************** イエスキリストは『私の言ったことを全部守りなさい』と言っているのにかかわらず、天国に行くには神の戒めを守ることではなく、信仰のみによるとクリスチャンに間違ったことを信じさせてしまったのです。 神の戒めを守らず『イエスキリスト繋がっていればいいのだ。』という考えがクリスチャンの考えの主流になってしまいました。
974 :
グノーシス派シモン :2011/10/24(月) 22:59:36.01 ID:idF5qUpw
キリスト教のミトラス教剽窃説は学術的には否定されてるから。 まず「類似点」とされる者の多くが、実際の当時のミトラス教神話の中には見出せない。 例えばミトラスには12人の仲間がいたとされるが、実際にはそんな仲間はいない。 ミトラスは死後復活したとされるが、そもそもミトラスが死んだとする神話自体がない、などなど。 俺自身、キュモンの「ミトラスの密儀」、フェルマースレンの「ミトラス教」、小川の「ミトラス教研究」は 読んでるが、そんな話は一切出てこない。 つまり、ミトラス教剽窃説は、ほとんど根拠のないねつ造ってことで決着ついてるよ。
975 :
ワトソン :2011/10/29(土) 20:13:45.16 ID:nwW3o77P
『スエデンボルグの霊界日記』とはスエデンボルグが晩年の20年間この世と霊界を行き来して、書かれた日記です。と ********************************************** ■天界は慈悲から与えられると信じている者について 人間の世では理知的なある一人の者がいた。 彼は他の者と同様に次のように考えていた。 人間はどのように生きたとしても信仰のみが救うことができるのであって、そういった信仰を持つ者はすべて神の子である故に慈悲によって天界が与えられるのである。 彼は、天界がどのようなものであるか。それは人間の内部にあり、その人間の生命の情愛の中にあることを知らなかったのである。 それで彼は天界の楽園の入り口が在るところへ案内された。 彼は天使たちに囲まれ、彼はここに適応していると認められた。彼はそこで歓喜に満たされた天使たちを見、多くのものを見、彼はこの天界の栄光を見、驚嘆したのである。 天使たちは、私たちはあなたが私たちのもとにとどまってもらいたいのです。宿もあなたに与えられます。と言った。彼もそれを受け入れた。 しかし、天使たちは彼に、もしあなたが私たち自身のような性格のものでない場合、天界の光と熱が近づくときは警戒しなければなりません、と彼に忠告した。 やがて、天界の光が近づいた、すると彼の目は徐々にかすんで、ついには何も見えなくなった。それにある内的な苦痛が伴った。やがて彼は回復した。そのとき天使たちは前よりも光り輝いていた。 その後、天界の熱が近づいた。すると彼は苦しみはじめ、苦悶が内部に浸透し、ついに彼は拷問にかけられるのを感じ、次、重いおもりのようになり、最後に死んだようになり、最終的には彼は生き返った。 そのとき、天使たちはあなたは天界にいたいですか、と尋ねられた。 彼は、こんりんざいそこにいることは望まない。といった。 (スエデンボルグの霊界日記より) ********************************************** このように神に対する信仰だけでは天界には行けないのです。
976 :
神も仏も名無しさん :2011/11/02(水) 09:14:39.70 ID:IWSFr63v
知識とか本として聖書読みたいのですけど どういうの買えばいいんですか? アマゾンで調べたけどよくわかりませんでした なんか文語訳が格調高いかっこいい文章らしいので これを買っとけばいいんでしょうか。 新約と旧約の両方が読める本がいいです だいたいこんな感じでおなっしゃす!!
977 :
天使Z :2011/11/02(水) 11:01:53.81 ID:yXPO3N1g
978 :
神も仏も名無しさん :2011/11/02(水) 13:30:38.70 ID:IWSFr63v
979 :
黒羊 :2011/11/05(土) 18:51:36.60 ID:bqPT2hOo
マジレスするとキリストは張り付けで殺されてはいない
ですから キリスト は固有名称ではないのです ナザレのイエス とか 大工ヨセフの子イエス なのです
かのホーキング氏は 創造主などいない と言っておりますが。
ぬ
る
ぽ
?
がっ
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キリストは何故地動説を教えなかったんですか? まさか知らなかったんですか? 神の子なのに?
いつの世も、 他国への侵略の第一段階としてキリスト教が使用されている。 どうして?
990 :
神も仏も名無しさん :2011/11/22(火) 23:46:26.45 ID:h9JpHehe
>>988 主イエスを全能の神だと信じる人は、そのような愚かな質問はしないと思います。
万物は主イエスによって造られたです。
へーえ?
イエスは神じゃないだろ
ぬ
る
ぽ
がっ
ぬ
る
ぽ
がっ
1001 :
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