仏教議論スレッド 07

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136神も仏も名無しさん
>>134
> 『一如』
過去レス再掲で済ますなら、以下の二つで十分と思うが?
特に二つ目www (宝珠の保管庫で見れる筈)
仏教 議論スレッド その4
http://gimpo.2ch.net/test/read.cgi/psy/1275992988/167
仏教 議論スレッド その3
http://gimpo.2ch.net/test/read.cgi/psy/1274492365/179 (これは貴方のレスでしょう?w)

少し言葉を足すなら、
因により縁により、その“相”“在り方”を変えていく諸法は、【その在り方(→縁起するものとして)】に於いて、
差異なく等価であり、別物でない。
そして、因と果・縁と果が相互に絡み合う(→単独に生じ滅するのでないもの)ならば、
あれやこれという分別(対象弁別の楔)もまた雲散霧消する。
この意味で、「一」である、と。 (華厳の事事無碍法界はこの方向性と思われる。)
(だから、「如来=凡夫」「煩悩即菩提、生死即涅槃」「衆生本来仏」「悉有仏性」といった表現を可能とする。)

他参考:
仏教議論スレッド 5
http://toki.2ch.net/test/read.cgi/psy/1278424122/372
仏教議論スレッド 6
http://toki.2ch.net/test/read.cgi/psy/1282465343/26
http://toki.2ch.net/test/read.cgi/psy/1282465343/35
仏教 議論スレッド その4
http://gimpo.2ch.net/test/read.cgi/psy/1275992988/167
137神も仏も名無しさん:2010/10/16(土) 08:53:35 ID:r7d1GQEE
>>134
> 唯識や禅系の
『一如』の原語が何であるかは恥ずかしながら知らないのだがw、
(「一なる“真如”に帰す」という意味の造語か? 織田仏教辞典でも参照できると良いのだが、手許に無い・・w)
おそらく大元は「華厳」教学へ行き着くことになると思うので、唯識や禅系という推測は当たりだと思う。
(少なくともパーリや上座部、部派の概念ではない。)
その意味でも、一代の見解を待つべきだろう。 私の意見は、類推と個人的見解の色が濃すぎるw
大乗の伝統的見解にどこまで迫れているか、といえば、自信はあまり無いw

ちなみに、禅学大辞典(大修館書店/駒澤大学内禅学大辞典編纂所編/2000年新版6刷)には、
@一は絶対唯一。如は不変不異。 絶対平等の意味。唯一無二の真如、真実ありのままの道理をいう。
A一も如も同じの意。全く等しく違わないこと。全く同じ行動をとること。
とある。 言い換えた(語釈した)意味があまりありませんね・・w(@なぞ、術語のオンパレードでワケワカメ・・w)

この語義のニュアンスをもう少し多く承けるなら、
>>136的視線に加えて、
「他の視線(≒世界観)はありえず、仏の視線としての(勝義としての)、真実にしてただ一つの諸法の相(≒在り様)」
であるから「一」「一なるが如し」と言われることとなるのだろう。
 *(特に禅系は、「無」と並んで「一」という表現を非常に好むw)