>>134 > 唯識や禅系の
『一如』の原語が何であるかは恥ずかしながら知らないのだがw、
(「一なる“真如”に帰す」という意味の造語か? 織田仏教辞典でも参照できると良いのだが、手許に無い・・w)
おそらく大元は「華厳」教学へ行き着くことになると思うので、唯識や禅系という推測は当たりだと思う。
(少なくともパーリや上座部、部派の概念ではない。)
その意味でも、一代の見解を待つべきだろう。 私の意見は、類推と個人的見解の色が濃すぎるw
大乗の伝統的見解にどこまで迫れているか、といえば、自信はあまり無いw
ちなみに、禅学大辞典(大修館書店/駒澤大学内禅学大辞典編纂所編/2000年新版6刷)には、
@一は絶対唯一。如は不変不異。 絶対平等の意味。唯一無二の真如、真実ありのままの道理をいう。
A一も如も同じの意。全く等しく違わないこと。全く同じ行動をとること。
とある。 言い換えた(語釈した)意味があまりありませんね・・w(@なぞ、術語のオンパレードでワケワカメ・・w)
この語義のニュアンスをもう少し多く承けるなら、
>>136的視線に加えて、
「他の視線(≒世界観)はありえず、仏の視線としての(勝義としての)、真実にしてただ一つの諸法の相(≒在り様)」
であるから「一」「一なるが如し」と言われることとなるのだろう。
*(特に禅系は、「無」と並んで「一」という表現を非常に好むw)