1 :
神も仏も名無しさん:
宗教の教えというものは(一部例外を除き)基本は全部同じです。しかし、よくよく考えてみるとそれらは全て、権力を持つ側、上に立つ側の人間にとって都合のよい論理であり、それ以外の膨大な数の人々をおとなしくさせておくための手段という側面が見え隠れしているのです。
皆仲良くしよう、欲が過ぎてはいけない、不平不満や批判を言わずに今ある幸せに感謝して暮らしましょう…
考えてみればわかるように、ほとんどの場合、人生が面白くないのはその他大勢の方です。
その不満を権力側にぶつけて来ないようになだめすかしておくための、権力の問題点から目をそらさせておくための方便というわけです。
悪質な場合、あなた方よりもまだ不幸な人達がいます、などと言います。
徳川幕府はそういう「不幸な人達」を人工的に作り出しました。それが“えた・ひにん”であり現在もなお部落問題としてこの国に影を落としています。
現代社会ではまた別な悪質極まる方便を思いつきました。それは「あなたも努力すれば成功できる・幸せになれる」というたぐいのものです。
何パーセントかはわかりませんが、ほんの一部の人々が確かに「成功・幸せ」を手にしています。
社会がそういうほんの一握りの実例を針小棒大にクローズアップすることで、夥しい数の“ただの人”に儚い夢を与えて無用の努力や投資をさせ続け、本来の不平不満を「自己責任」という形で自分に向けさせようという巧妙なやり口です。
「(ただの人も)努力すれば成功出来るのですぞ。幸せになれないのは自己責任です」ここに詐欺の核心があります。
ですから現代においては宗教はむしろ資本主義と共鳴しすぎて、「幸福になれる」という側面を過度に強調し、人間のエゴを煽るにいいだけ煽っているとも言えるのです。
これでは悪質極まる新自由主義的金融資本主義と何が変わりましょうか。(続く)
2 :
神も仏も名無しさん:2010/08/11(水) 15:25:50 ID:bvTj/Pn3
(続き)宗教が権力に対してどんなに距離を置こうと、権力が宗教に対してどんなスタンスを取ろうと、彼らは巧妙な共謀関係にあります。
ですから旧与党と宗教団体を支持母体とする政党が連立を組んでいたのは(政教分離に反してはいても)矛盾はしていません。
また、戦時中のように宗教は国家主義と結託し右傾化、好戦的になることすらあるのです。
そして昔も今もそうした宗教を、保守系政治家、小役人、建設業界、自衛隊関係などが盲目的かつ無条件に支持しているのです。危険なことですね。
さて、おとなしくなだめすかされ、権力から目をそらさせられているのが宗教であるとすれば、ストレートに不平不満を訴えていくのが共産党や社会主義運動でしょうか。
だからこの両者は互いに相容れないのです。
前者は、寄らば大樹で権力に擦り寄り寅の威を借りて傍若無人になったり、方便に気休めを求めどん底の生活でも自分は幸せと思い込まされ感謝し従順・素直にダマされている余程のお人好しや本当のバカです。
後者は、理不尽を追求し抵抗し戦います。つまりベクトルは正反対です。
それで権力や企業、宗教は共産党に一方的に悪のレッテルを貼り、排斥するのでしょう。真実を探求されては困るからです。
本来宗教は信仰心を持つことで自分が属する共同体の人々と和をもって生きられることにその真価があり、何かを敵視するかのごとき精神は明らかに理念に反するはずなのですが。
もっとも、政治家は右向け右の教団組織を選挙に利用し、教団はそうすることで自分達のエゴをかなえようとするのですから、宗教も共産党といい勝負ですが(笑)
3 :
神も仏も名無しさん:2010/08/11(水) 15:29:51 ID:bvTj/Pn3
1.「寄らば大樹で権力に擦り寄り寅の威を借りて傍若無人になる」タイプ
2.「方便に気休めを求めどん底の生活でも自分は幸せと思い込まされ感謝し従順・素直にダマされている余程のお人好しや本当のバカ」
3.「真実を探求し、理不尽を追求し抵抗し戦う」タイプ
あなたはどのタイプ?(´艸`)
4 :
神も仏も名無しさん:2010/08/13(金) 15:30:47 ID:lKEy1Fys
俺は3タイプ
>>1-2 やっぱり宗教は阿片以下だったんだね。
しかも共産党に対して逆恨みするしか能がないようでは
人々を幸福に出来るはずもない。
7 :
神も仏も名無しさん:
阿含宗桐山教祖の逮捕歴
昭和二十七年八月十六日詐欺容疑、契約違反の容疑で逮捕
警視庁西新井署
十二月手形詐欺容疑で逮捕
千葉県松戸署
二十八年八月酒税法違反私文書偽造容疑逮捕
警視庁防犯課
二十九年三月酒税法違反私文書偽造に対する第一審判決
五月入所
十月東京高裁酒税法と私文書偽造により有罪