はいはい。ぼうやはもう寝る時間だよ
293 :
思慮 ◆AIOdk12HhuOj :2012/09/01(土) 07:52:38.15 ID:DsHnVwNR
智慧の無い者には人類に隠された真実はわからない。
―妄執という一つのものに、一切のものが従属した―生存するものが、輪廻に堕している。人は、苦悩から解脱しないのである―(神々のことば)
ベータ波
脳波がもっとも早い状態
アルファ波
リラックスした状態
シータ波
深い瞑想状態。記憶と学習に適している脳波
デルタ波
脳波が最も遅い状態。脳波が0Hzで脳死状態
たとえば病気の人は、その病気を治療しようと五欲の対象から離れ、安静にして病気の治療に役立とうとする。
294 :
思慮 ◆AIOdk12HhuOj :2012/09/01(土) 07:53:19.68 ID:DsHnVwNR
医者が病気を治す
―この平安の境地に達して〜一切の生きとし生けるものは、幸福であれ、安穏であれ、安楽であれ〜母が己が独り子を命を賭けても護るように、そのように一切の生きとし
生けるものどもに対しても、無量の慈しみ意を起こすべし〜この世では〜崇高な境地であると呼ぶ―(ブッダのことば)
全世界の人々全てが
―安らぎは虚妄ならざるものである― ―究極の理想に通じた人が、この平安の境地に達して―(ブッダのことば)
―森に住み、心静まり、清浄な行者たちは、日に一食を取るだけであるが―(神々との対話)
世の中と自己へのこだわりから離れて、清浄を善と受け入れて、物欲・快楽・五欲の対象などの貪りを自制し、
―今日われらは美しい太陽を見、美しく晴れた朝に逢い、気もちよく起き上がった〜煩悩の汚れのなくなった覚った人にわれらは―(ブッダのことば)
―何ものかを信ずることなく〜人のいない林は楽しい―(真理のことば)
生存状態でも、美しく晴れた朝を喜んだり、森や林は楽しいという清々しい心をよしとすることは宗教の行いと決められている。
295 :
思慮 ◆AIOdk12HhuOj :2012/09/01(土) 07:54:15.39 ID:DsHnVwNR
神々も存在する
―われらは一物も所有していない。大いに楽しく生きて行こう。光り輝く神々のように、喜びを食む者となろう―(真理のことば)
しかし、私たちは、世捨て人で静けさを目指した、清浄な行者を最善と信仰し、
― 一切の生きとし生ける者をあわれむ修行完成者・ブッダに罪過は存在しない―(神々との対話)
―究極の理想に通じた人が、この平安の境地に達して〜全世界に対しても無量の慈しみの意を起こすべし〜この世では、この状態を崇高な境地と呼ぶ―
自然災害でも、人々の安穏・安楽・快適な暮らしは一番大切だと行動しているように、義捐金などで分かち与える人々が多かったように、物欲・五欲の対象の貪り・快楽
より、生けるものの幸福・安穏・安楽を行うよう決められている。
意識もそなえ心もあるこの一尋の身体に即して〜世界を知れる人、聡明な人、清らかな行いを修めた人は、世界の終極に至る人となろう―(神々との対話)
下界である生存状態は一切のものが妄執に従い生み出されたものであるが、決められた仏の教えに従わない者は、地獄行きと決められている。
智慧もない者は、何度説明してもわからないという。
きみはイスラム教が向いてるよ…従え!さもなくば死ね…地獄へ堕ちろ!が本音ちゃんだから
297 :
神も仏も名無しさん:2012/09/01(土) 12:01:52.04 ID:EhsLTdJy
298 :
思慮 ◆AIOdk12HhuOj :2012/09/01(土) 20:10:05.22 ID:CLtaYhW6
釈尊が説かれたように、真実を知り、世の終極の時に地獄か清浄領域に達して永遠の安楽かに分れるので真剣である。
1)かれらは希望し、称讃し〜献供する〜供犠に専念している者どもは、この世の生存を貪って止まない(ブッダのことば)
2)一切の戒律や誓いをも捨て、世間の罪過あり或いは罪過なきこの宗教的行為をも捨て(ブッダのことば)
3)葬儀などやるな―(ブッダ最後の旅)
4)多くの呪文をやたらにつぶやいていても〜内心は汚物に汚れ―(悪魔との対話)
5)献供をささげる〜梵天の召し上がる食物ではないのです―(悪魔との対話)
6)無益な語句よりなる詩を百もとなえるよりも〜有益なことばを一つ聞く(感興のことば)
7)悪魔は、聖火に供物をささげてこそ、多くの功徳を積むことができる〜尊師は〜悪しき者よ(ブッダのことば)
8)この世またはかの世におけるいかなるかたちでも〜これらはすべて悪魔ナムチの褒め称えるところである(神々との対話)
9)いまから七日の後に、あなたの頭は七つに裂けてしまえ。偽り(詐偽)をもうけたそのバラモンは、呪詛の作法をして、恐ろしいことを告げた(ブッダのことば)
10)功徳を得ようとして神をまつり犠牲をささげ〜慈しみの心の功徳の十六分の一にも及ばない(感興)
299 :
思慮 ◆AIOdk12HhuOj :2012/09/01(土) 20:13:22.16 ID:CLtaYhW6
畜生の領域、かたちあるものを拝み、無益な語句をまるで呪文のように唱えること、供え物、献供は悪魔(不浄)を増していく。
内心は汚物に汚れ、清浄領域を全く知らない者となり、最後は地獄の領域に至る。
―森に住み、心静まり、清浄な行者たちは、日に一食を取るだけであるが―(神々との対話)を清浄領域と知らねばならないのだ。
―今日われらは美しい太陽を見、美しく晴れた朝に逢い、気もちよく起き上がった〜煩悩の汚れのなくなった覚った人にわれらは―(ブッダのことば)
―何ものかを信ずることなく〜人のいない林は楽しい―(真理のことば) この世で大自然を喜ぶような心を清々しいと認めねばならず、その心で宗教を行っていると信じな
ければいけない。決して悪魔ナムチの軍隊に従ってはいけない。
葬儀は、―父母に仕えること、妻子を愛し護ること、仕事に秩序あり混乱せぬこと、これがこよなき幸せである―過ぎ去るものは虚妄なるものであるから―(ブッダのことば)
在家の生活を営む者は全て、二度と逢えない人への別れを悲しむことは人として当然であるが、過ぎ去るものは虚妄として、時と共に忘れ去らねばならない。
死者の供養は全く無意味であり、清浄領域に従い、過ぎ去るものは虚妄として忘れ去らねばならない。法要・供養は不浄な心の現われである。
300 :
思慮 ◆AIOdk12HhuOj :2012/09/01(土) 20:16:19.85 ID:CLtaYhW6
そのように死なき領域が全くの清浄であるが、他者の死後のことに思い煩い、供養せねばならないか?という疑問に対し、決して悪魔に従ってはいけないと答えねばならない。
在家の生活を営む人々にとって、科学的なことであろうが何であろうが、
生けるものの幸福と安穏と安楽であれと心に従わず、自己のために他人を不幸にしたり、安穏・安楽な暮らしを奪うことを心得て行動してはいけない。
―園に植え、林に植え、橋を作り、井戸の舎や貯水池を作る人々、休息所を与える人々、彼らの功徳は、昼夜に常に増大する―(神々との対話)
―信仰心あり、学び修めた賢明な人は〜食乞う人々を飲食物をもって満足せしめよ、心に喜んで、撒き散らし〜その豊かな功徳の流れは、施しを与える人に、降り
注ぐ〜貧窮なる人々、旅行く人々、宿無き人々、乞う人々に施しとして与えよ―(神々との対話)
自然災害でも悪魔の軍隊に従うことで人々は害われ、自然に仏に従って、衣食住やその他安穏・安楽・快適な暮らしは大事なことだと理解し行動することで救われたと知らね
ばいけない。悪魔が私が供養してあげますと言っても、それは嘘偽りであり、一時的には不死の領域を知るが、静けさを目指す修行僧以外は、妄執に従い、再び生存領域に至
るのだ。意識もなく心も無常である領域を知り、出家修行僧以外は再びこの下界に生まれる。
301 :
思慮 ◆AIOdk12HhuOj :2012/09/02(日) 22:13:47.94 ID:q9H5veHc
仏の領域 非物質界と神通力
意識もあり心も具えた人間と 妄執の領域=思考(意向)と五感=六つ
―他人の過失を探し求め、つねに他人を見下して思う人は、卑しい性質が増大する。かれは実に真理を見ることから遠く隔たっている―(感興のことば)
―他人の過失を見るなかれ〜ただ自分のしたこととしなかったこととだけを見よ―(真理のことば)
自己の意向・思考に囚われず、平安の境地に従って、それぞれの人々が生けるものの幸福と安穏と安楽を心得て行動しなければいけない。
科学でも教育現場でも人が造るものでも誰でも、生けるものの幸福と安穏・安楽な暮らしを心得て行動しないといけない。勉学は人々の幸福と安穏・安楽な暮らしに務まる
ためであり、決して安穏・安楽な暮らしを奪うためではない。全ての生存する者に、その法が隠されている。
妄執領域の追求(五欲の追求)
環境破壊や不浄なる思いが隠されていて、例えば人類の努力により素晴らしいゲームができたとしても、子供が家の中でゲームに夢中になるのが賢者でなく、それらから離
れるほうがまだ賢い。人類の知恵で得たものを、貪っていて善い人間だとできないようにしてある。
302 :
思慮 ◆AIOdk12HhuOj :2012/09/02(日) 22:14:38.52 ID:q9H5veHc
―未来のことにあくせくすることもなく、ただ現在のことだけで暮らしている―(神々との対話)
五欲の追求、貪っていても善い人間とできないものにあくせくしても、本当は清い・善い人間とできるものはひとりもおらず、もちろん金儲け・人々の物質的な喜びの追求
にあくせくする過労・過労死は悪であると決められている。
―母が己が独り子を命を賭けても護るように―(ブッダのことば)
海に溺れている他人の子供を命を賭けても救おうとした人々は素晴らしい。自己(妄執)に執着している者より、一切の生きとし生けるものの幸福と安穏・安楽を無意識に
行動している人々は、この世では最も素晴らしい行いをしている。
アルファ波、シータ波であっても、病気の者がその治療に役立つために五欲の対象や世間のこだわりを捨て、安静にすることも、全て仏の領域に従っている。
303 :
思慮 ◆AIOdk12HhuOj :2012/09/02(日) 22:18:30.10 ID:q9H5veHc
識者・智慧のある人々が自然にそれらの法(科学的にも)に従っていることはあるのだが、
―森に住み、心静まり、清浄な行者たちは、日に一食を取るだけであるが―(神々との対話)仏の領域にその行いで近づこうとする釈尊や修行僧を尊敬し、
―今日われらは美しい太陽を見、美しく晴れた朝に逢い、気もちよく起き上がった〜煩悩の汚れのなくなった覚った人にわれらは―(ブッダのことば)
五欲の追求のためにあくせくする悪魔の領域から離れ、その心で信仰すること、
―何ものかを信ずることなく〜人のいない林は楽しい―(真理のことば)
何ものかを信ずることなく、森や林は楽しいという心は清浄な状態が隠されている。その心でいる人々は、健康的だと思わねばならない。
逆に何ものかを信ずる者は、妄執に従い不浄な心の状態が隠されている。美しい太陽だ、美しいく晴れた朝だ、森や林は楽しいというような心に努めず、
何かを信じて下さいという人々は、不健康で妄執の領域の思いが強く、最後は善いところに生まれることができない人々と決定されている。
清々しい心をよしとして信仰しなければいけない。
―正しい行いをなす人は、この世で非難されることがな〜恥を知り、真実を語り、自分のなすべきことを行う人を、世人は好ましいと見なす。他人に愛される人は、また
自分のためにもよいことをするのである〜他人を訓戒せよ、教えさとせ―(感興のことば)を学ぶ。
304 :
神も仏も名無しさん:2012/09/04(火) 09:01:47.86 ID:nEHIXBRV
そりゃ、他人の布施で生活してる世捨て人は、日に一食で十分であろう。
一食でも多すぎるというもんだ。
ブッダの言葉を、倫理・道徳的に解釈するだけなら、儒教よりも劣るだろう。
阿難は、ブッダの弔いかたを三度尋ねた。
ブッダは、身を香湯で洗い、多くの布で覆い、金の棺に納め、エトセトラ・・。
荼毘の後は、四方に塔を建てよ、と指示した。
聖者はこのように手厚く葬られ、その他は墓場へ打ち捨てられる。
カーストは死後までも付きまとうらしい。
と、いうわけで、ブッダは、葬儀を否定したわけではない、と思われる。
べつに悪意はないけどブッダって相当な贅沢者だよね。王宮生活でも、悟った後も、美味しいものけっこう食べてたと思う
そうか?
出家前はともかく、
膿のはいったスープをそのまま飲んだり
豚?キノコ?料理で死ぬほど具合悪くしたりしたし
あんまり気にしてないようだ
307 :
思慮 ◆AIOdk12HhuOj :2012/09/05(水) 23:18:25.15 ID:e/ce0E6d
―真人となった修行僧は〜言語表現だけのものとして―(神々との対話)
―われらは一物をも所有していない。大いに楽しく生きて行こう。光り輝く神々のように、喜びを食む者となろう―
―不死の境地を見ないで百年生きるよりも、不死の境地を見て一日生きることのほうがすぐれている―
―何ものかを信ずることなく、作られざるものを知り〜人のいない林は楽しい。世人の楽しまないところにおいて―(真理のことば)
―妄執が人を生まれさせる〜生存するものが、輪廻に堕している。人は、苦悩から解脱しないのである―
―妄執という一つのものに、一切のものが従属した―(神々との対話)
私は不死の境地を知っている。妄執という一つのものに、一切のものが従属したということも知っている。光り輝く神々という存在も知っている。
―父母につかえること、妻子を愛し護ること、仕事に秩序あり混乱せぬこと、これがこよなき幸せである―(ブッダのことば)
もう二度と逢えない愛した人との別れ。葬儀は大切なことであるが、―過ぎ去るものは虚妄なるものである―(ブッダのことば)
時とともに忘れ去らねばいけない法がある。法要などにより、死んだ人のことを思い出させるような行為をして、しかも人間が宗教的行為により、死んだ人に影響を
与えることができると偽るなら、その人々の最後は地獄行きと決められている。
308 :
思慮 ◆AIOdk12HhuOj :2012/09/05(水) 23:19:14.12 ID:e/ce0E6d
―森に住み、心静まり、清浄な行者たちは、日に一食を取るだけであるが―(神々との対話)
釈尊と修行僧の行いに尊敬心がないといけない。妄執を断じた者だけが、善にして尊いのである。
―今日われらは美しい太陽を見、美しく晴れた朝に逢い、気もちよく起き上がった〜煩悩の汚れのなくなった覚った人にわれらは―(ブッダのことば)
妄執に導かれ、内心は汚物に汚れ、最後は地獄行きの者は何度話してもわからないと言われるが、
森や林は楽しいとか、美しく晴れた朝だという、清々しい心が清浄で、部屋であれ、あれやこれやという思考を静め、五欲を貪らず足りている者は、善に近く
その心で信仰深い。
生活活動をしなければならない人々は、
―園に植え、林に植え、橋を作り、井戸の舎や貯水池を作る人々、休息所を与える人々、彼らの功徳は、昼夜に常に増大する―(神々との対話)
―そなたのために仕事をしてくれる人々がいるのではない―(悪魔との対話)
自己のために生ける者の幸福と安穏・安楽な暮らしを害うことは悪い。生ける者の幸福と安穏・安楽な暮らしに努めよう―そういった心と、それに伴った行為をす
るよう決められている。信ずることもなく善人だと言えず、当たり前と決まっている。
309 :
思慮 ◆AIOdk12HhuOj :2012/09/05(水) 23:20:23.61 ID:e/ce0E6d
―園に植え、林に植え、橋を作り、井戸の舎や貯水池を作る人々、休息所を与える人々、彼らの功徳は、昼夜に常に増大する―(神々との対話)
―信仰心あり、学び修めた賢明な人は〜食乞う人々を飲食物をもって満足せしめよ、心に喜んで、撒き散らし〜その豊かな功徳の流れは、施しを与える人に、降り
注ぐ〜貧窮なる人々、旅行く人々、宿無き人々、乞う人々に施しとして与えよ―(神々との対話)
釈尊や修行僧の行いによって妄執を断じない多くの人々は、この下界で、自然災害などがあった時でもわかるように、衣食住のない人々に衣食住をといった
行為をするよう決められている。
― 一切の生きとし生ける者をあわれむ修行完成者・ブッダに、罪過は存在しない―(神々との対話)
善にして尊い者は、釈尊と修行僧の行いであるが、妄執を断じず下界で生きる人々は、五欲の対象を享受すること、物欲を満たすことなどで生きることを良い
こととせず、―自分よりもさらに愛しいものをどこにも見出さなかった。そのように、他人にとっても自己がいとしいのである―(感興のことば)
他者への配慮ある人間をよしとすることは、決まっている。
―多くの呪文をやたらにつぶやいていても〜内心は汚物に汚れ―(悪魔との対話)
―この世またはかの世におけるいかなるかたちでも〜これらはすべて悪魔ナムチの褒め称えるところである(神々との対話)かたちあるものを拝んだり、内心が汚物に
汚れている者はわからず、もちろん私利私欲に生きる人々もわからず、最後は地獄行きとなる。
310 :
思慮 ◆AIOdk12HhuOj :2012/09/06(木) 20:32:19.09 ID:EQIgJb6h
―この世は虚妄の束縛を受けていて〜愚者らは煩悩に束縛されていて〜かれらには無が有であるかのごとくに見られている。真理を見る人には何ものも存在しな
い。人々は自我観念にたより、また他人という観念にとらわれている―(感興のことば)
― 一切の形成されたものは苦しみである(一切皆苦)一切の事物は我ならざるものである(諸法非我)一切の形成されたものは無常である(諸行無常)―
その人々の解脱の境地は空にして無相―すでに自己が自分のものでない―(真理のことば)―心は無常である―
一切の事物は我ならざるもの、自己すら自分のものでない、一切皆苦であることを知る悟りの境地がある― 一切のものは虚妄である―(ブッダのことば)
しかも、人間の状態は
―妄執が人を生まれさせる〜生存するものが、輪廻に堕している。人は、苦悩から解脱しないのである―
―妄執という一つのものに、一切のものが従属した―(神々との対話)によって自己が生まれ、一切のものを感じられる存在となった。
311 :
思慮 ◆AIOdk12HhuOj :2012/09/06(木) 20:33:13.08 ID:EQIgJb6h
―森に住み、心静まり、清浄な行者たちは、日に一食を取るだけであるが―(神々との対話)
しかも、その清浄行を常に行わないと、妄執を断じることはできず、再びつくる働きによって生存状態となり、苦悩から解脱できないようになっている。
真実である。
しかも、この世は下界で、そのままで清浄であるとか、善人であるとか、自己は正しい者であると自任できないようになっており、妄執に従うと地獄行きとなる。
―意識もそなえ心もあるこの一尋の身体に即して〜世界を知れる人、聡明な人、清らかな行いを修めた人は、世界の終極に至る人となろう〜この世をもかの世をも
望まない―(神々との対話)
妄執に従った人間の状態でも、―そなたのために仕事をしてくれる人々がいるのでない― 一切の生きとし生けるものは幸福であれ、安穏であれ、安楽であれ―
―自分よりもさらに愛しいものをどこにも見出さなかった。そのように、他人にとっても自己がいとしいのである―
そういった妄執以外の状態が心でわかるようになっており、
312 :
思慮 ◆AIOdk12HhuOj :2012/09/06(木) 20:34:19.96 ID:EQIgJb6h
―正しい行いをなす人は、この世で非難されることがなく〜法にしたがって生き、恥を知り、真実を語り、自分のなすべきことを行う人を、世人は好ましいと見なす
他人に愛される人は、また自分のためにもよいことをするのである〜他人を訓戒せよ、教えさとせ〜悪人と善人とは、死後に異なったところにおもむく。悪人は地獄
〜善人は天上に生まれる―(感興のことば)
妄執に従った下界の人の存在も、世人に好ましいと見なす行い、他人に愛されるような、生けるものの幸福と安穏・安楽を心得て生きる人、
は地獄行きとならない。
―悪い行いをした人々は地獄におもむき、善いことをした人々は善いところ天に生まれるであろう。しかし他の人々はこの世で道を修して、汚れを去り、安らぎに入
るであろう―(感興のことば)
善いことができなくとも安らぎへの道があり、隠された法を明らかにし、真実を伝える。自分のなすべきことを行いもせず、わが物という執着や五欲の貪りを捨て
去ろうともせず、妄執に従ったままの人々は、地獄に行くのである。
創価死ね
創価死ね
創価死ね
創価死ね
創価死ね
創価死ね
創価死ね
創価死ね
創価死ね
創価死ね
創価死ね
創価死ね
創価死ね
創価死ね
創価死ね
創価死ね
創価死ね
創価死ね
創価死ね
創価死ね
創価死ね
創価死ね
ほ
315 :
神も仏も名無しさん:2012/11/09(金) 23:57:32.40 ID:O8lyJ5w4
あげ
316 :
神も仏も名無しさん:2013/03/28(木) 06:02:01.46 ID:EVa4GfeY
当の昔に終わってるだろう。宗教としては…
317 :
神も仏も名無しさん:2013/03/28(木) 07:41:58.28 ID:uVis+Ar8
日本の仏教は家業になってて本来の仏教とはなんの関係もないよ!
でも老人や団塊の世代の人間は知らない人間があまりにも多い、正直うざいんだよ団塊の世代の人間!
バブル世代の価値観押し付けてこられても、バカのたわごとに付き合うのもしんどいんだよ!
日本の仏教もそうだよ!
お前らが本来の教えと関係ない事やりまくってるのに、偉そうに説法することが、おかしいでしょ?
葬式でお金取るのは違うでしょ?
豪華絢爛の浄土真宗なんてキリストの教えに近いじゃん!
もうコイツ等は金儲け教だよ!
日本の仏教界で悟ってるヤツなんて一人もいないよ!
いたら間違ってるって活動してるはずでしょ?
318 :
神も仏も名無しさん:2013/06/11(火) 04:52:59.36 ID:J9lyHgee
団塊あたりが死んだらもう仏教も終了かね
やっぱ土着の宗教が強いね
インドならヒンズゥー、日本なら神道だわ
眼前世界 唯物世界
初期仏教は無我論 色即是無 無記
般若心経は唯識論寄り 色即是空 空即是色(空がベース)
龍樹はやや実在論寄り 空即是色 色即是空(色がベース)
今の日本大乗仏教は龍樹よりまだ般若心経に近いね
団塊以前は鬼太郎ファンも多いから般若心経だけど、
団塊は実在論ベースに、体が弱くなるにつれ虚無主義へシフトしていきそう
須磨さんが「空即是色は間違い」と思ったのは当然のことなんだ
だって初期仏教ならそこは無記だもん、語る意味が無い部分
でもまあ、悟ってないよね
あと、龍樹も多分悟ってないよね
仮に一人の人物として実在したとするならば、
悟りに行く前に実在論にも手を出しちゃった
頭が良すぎたのと、既に仏教があったせいだろう
日本の仏教は仏教の入れ物として機能は果たしたけど
もう消えていい
322 :
神も仏も名無しさん:2013/09/20(金) 12:48:40.75 ID:X17bPdNj
手っ取り早いやり方ほど相手の気持ちを無視したやり方になるから後々面倒なことになる
後腐れってこわいと思うんだ
だから、めんどくさいと思っても、そのめんどくさいやり方こそが実際には相手の意思や気持ちを汲んで行えるやり方であるわけなので末広がりになるやり方なわけだと思う
田中投手と斎藤投手の活躍ぶりを見ていると
創価のような大乗仏教が詐欺宗教であると良く分かるよ
まず、田中投手の奥さんの里田は田中義剛(創価信者)関係者で
2ちゃんねるで田中投手を持ち上げて斎藤投手を誹謗中傷しているのが
創価信者の集まりだと一目で分かる
逆に、日ハムの斎藤投手は創価大卒者(日ハムに多い)に囲まれた
別宗教の信者だから足を引っ張られて全く活躍が出来ない
田中投手と対戦した相手も念仏に邪魔されてか力が出なかったのだろう
それで連戦連勝しただけの話
霊的なインチキでな
創価のような大乗仏教というのは、この田中投手や斎藤投手のように
一方を幸せにして一方を不幸にするという偽者宗教でしかないということがこれではっきりした
上座部仏教が少数の人しか救えず、大乗仏教はより多くの人を救うというのが全くの嘘だとな
大乗仏教はより大きな不幸しか作らない詐欺宗教です
325 :
神も仏も名無しさん:2013/11/12(火) 11:18:25.94 ID:gEtouFFY
日本では、上座部=小乗と大乗の違いは、坊主が小金持ちになれるか大金持ちになれるかの違いだけでしょ。
326 :
神も仏も名無しさん:2014/01/16(木) 15:36:14.64 ID:2Kh1eXVM
sugoi276から325まで1年8ヶ月以上もかかってる
276 : 神も仏も名無しさん:2012/05/01(火) 21:06:46.50 ID:ChMetoBZ
Facebookの大成功は「CIAの陰謀」説
「CIAの書き込みチェックは、ビンラディン殺害など米軍による大きな
ミッションがあった際に、関係国の現地市民の反応を知るために行われてい
ます。これは、不穏分子の発見という意味合いもあり、反米的な書き込みを
していればテロリストの疑いがあるとして、監視対象になる。同時多発テロ
直後に成立した『愛国者法』によって、アメリカはテロ犯罪に対する捜査権
限を大幅に拡大させ、電話やメールの記録、個人資産の情報なども捜査当局が
容易に閲覧できるようになりました。
不穏な書き込みをしているだけでテロリスト予備軍として認定され、知らず
に個人情報をチェックされている可能性があります」(軍事ジャーナリスト)
http://news.nicovideo.jp/watch/nw192942
327 :
神も仏も名無しさん:2014/02/02(日) 06:04:51.03 ID:Ta/JvYgz
誰かを崇拝し偶像化し下僕になるのは宜しくないと思います。
阿含宗桐山教祖の逮捕歴
昭和二十七年八月十六日詐欺容疑、契約違反の容疑で逮捕
警視庁西新井署
十二月手形詐欺容疑で逮捕
千葉県松戸署
二十八年八月酒税法違反私文書偽造容疑逮捕
警視庁防犯課
二十九年三月酒税法違反私文書偽造に対する第一審判決
五月入所
十月東京高裁酒税法と私文書偽造により有罪
>>324 念仏に邪魔されてwww
気が狂っとるやないかw
大乗仏教、終わったよな。
331 :
金有財 ◆HOBfTo8Y1977 :2014/06/01(日) 06:26:35.97 ID:JNVERQPw
坊主の贅沢な暮らしを支えてやるなんてバカらしい。
332 :
神も仏も名無しさん:2014/06/01(日) 14:18:52.22 ID:4gEt5qlP
333 :
金有財 ◆HOBfTo8Y1977 :2014/06/05(木) 21:49:57.91 ID:rmegRjo5
インドでは先週、北部ウッタルプラデシュ(Uttar Pradesh)州で少女2人が
集団レイプされた上に殺害される事件が起き・・・。
こういうインドで生まれた仏教なんてクソです。
334 :
神も仏も名無しさん:2014/06/28(土) 21:39:36.27 ID:w0eC5WMu
たしかに今のインドはクソだが。
335 :
萌黄色の天使 ◆KK7tq4VH.3IN :2014/07/18(金) 23:52:20.30 ID:CfzlUTa5
寺の坊主はともかく、在家には立派な人が多いよ。
337 :
神も仏も名無しさん:2014/09/23(火) 06:36:19.91 ID:1R4W5bNR
>>27 >「いま、スリランカの僧侶もあまり信用できない、彼らはさっぱり勉強しない。
>ミャンマーのお坊さんは真面目ですが、タイムカプセルに入っている。
>タイもあれほどの大国なのに、アメリカナイズされるばかりで、人物は少ない。
>優れた人はいますが、数が少ない。」(スマナサーラ長老)
なるほど、テーラワーダではミャンマー(ビルマ)だけが信じられるわけだ。
スリランカなどのニューウェーブ・テーラワーダは伝統的ビルマ仏教を、タイムカプセルに入っていると見るのか
338 :
神も仏も名無しさん:2014/10/15(水) 23:06:52.58 ID:E6r0XGF3
禅も浄土も理論を排除した中国式なのに、仏教を自称し続けたのが凄い
Q「仏教の真髄とは?」
A「そんなの無い、ただ座れ(念仏しろ)」
こういうスタンスは老荘思想の後追い
本来の仏教はきっちり説明する
上座部仏教から入ると中国仏教や日本仏教でコケる
339 :
神も仏も名無しさん:2014/10/15(水) 23:16:24.95 ID:Nt79+6j7
>>338 まず、禅は只管打坐だけじゃないし、老荘思想の後追いでもない
シナ、日本仏教も説明する派が大多数
それと上座部が本来の仏教というのも違う
特にスリランカ仏教は違う
上座部の伝統説と大乗仏教の基本はほとんど同じ道もあるし
340 :
神も仏も名無しさん:2014/10/16(木) 23:55:37.41 ID:xM7qoN9J
禅も浄土も根本は説明不可能
「考えるな、感じろ(信じろ)だから」
理路整然とした唯識は廃れて生き残れなかった
荘子が生まれた国の人々にはウケなかった
341 :
神も仏も名無しさん:
そうですかね。