天理 2

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45基本
>>44
> 松村吉太郎自伝、「道の八十年」p57に、実に生々しい諸井国三郎さんの人柄が記録されています。
引用します。
「 開延式もすんで、方々への挨拶もすんだ。所期の目的を果たしたので、真柱様は平野さんと諸井さんとをつれて出発という事になった。
その出発の前の日、又、ひともんちゃくが起こった。諸井さんは、真柱様に袋井に寄って貰うと言う。ところが平野さんが承知しなかった。
『なんでや・・・』
『こうして本部ができたから、袋井で教会のお許しを貰うつもりや。うちが第一号だ。・・・』
『そんな馬鹿なことがあるか。そんならおぢばに帰って運んだらええやないか。
 おまはん一人の抜け駆けは承知出来ん・・・』
『初めからそのつもりです。そのつもりで東京へ来た・・・』
  諸井さんは何と言っても後へ引かない。平野さんはぶん゛ふん怒りながら、それでもお供をして立って行った。 」
 地場でお許しを貰えという平野。初めから袋井でお許しを貰うつもりで来た、諸井国三郎。「ぢばに心を」と言われた男。・・

この人の「フラフ」は、「日の丸、に天輪講」。 > その左下に小さく遠江真明組
おやさまが、子供に餅をと、用意させたのは、そんな諸井の為におたすけに出向いた四人の布教師たち。
>>31 > 逸話の119には、このような話がある。 【遠方から子供が】逸話篇119
> 遠州へ布教に行っていた高井、宮森、井筒、立花の四人が帰って来た。
 その四人には、餅を焼いてと指示されたおやさまなのに、フラフを立ててきた、諸井一行には、何の具体的慈しみは無い。
 当然であろう。
日の丸に「天輪講」。まさに、「ブラフ」以外の何物でもない。錦絵の、美が無いのだ。あれがフラフでは、土佐の男達に申し訳が多々布だ。