数息観のコピペじゃ。みんな修行に励むのじゃ。
先ず静かな所に座り、鼻の頭に軽く意識を掛け、普通に息を吸って、ゆっくり長く息を吐いていくのじゃ。
息を吐く時に、頭の中で一と数える。
又、普通に息を吸い、ゆっくり長く息を吐いてニと数えるのじゃ。
このようにして十まで数え、十まで行ったら今度は十から数を減らして行って、一に戻るんじゃよ。
たまに長時間行うより、一日に五分でもよいから、毎日続けると不動心が身に付くのじゃ。
夜の寝る前などに行うと、安らかに眠れるようにもなるじゃろう。
初めて数息観などをする者は、とにかくイライラして止めたくなったりするじゃろう。
そんな時は一度、中断してストレス解消の運動でもするといい。すっきりしたら又続けるのじゃ。
暫く修行をすると、今度は雑念に悩まされるようになるかも知れん。
そのような時は無視して呼吸に意識を集中しなおす。暫くすると、雑念は消えていくじゃろう。
更に修行を重ねれば、雑念と集中する意識を二つとも、意識出来るようになる。行が深まり、
潜在意識が見えてくるようになったのじゃ。
そのような時も、雑念を無視しておれば、やがて雑念は消え去り、深い無念無想の状態に入れる。
もっと行が深まれば、意識は二つだけでなく、同時に幾つもの雑念があることに気付くじゃろう。
人間はもともと同時に幾つもの事を考えておる。
例えば誰でも歩きながらタバコを吸い、同時に尻を掻くという事が普通に出来るように、
人間は同時に幾つもの事を考えているが、潜在意識まで見る事の出来ない者には、判らないのじゃ。
潜在意識まで見る事が出来、全ての雑念が静まり、もはや心に何の考えも浮かばなくなれば、止の行は完成じゃ。
数息観によって集中力がついてきた者は観の行をするのじゃ。
その前に観の行の前行である、観察の力と集中力を身につける観察の行をやるのじゃ。
先ず、目の前に観察の対象となる物を用意するんじゃ。
木でも花でも何でもいい。そしてそれを見て、細かく観察するのじゃ。
最初の内は、心の中で言葉にしてもよい。
例えば花なら花という言葉を使わず、
「今、目の前にそれがある。それは薄い膜のような物が幾つも重なっている。それは赤い色をしている。
それはふちが薄く、真中にいくほど厚くなっている。それの真中には細い糸が幾つも出ている・・・」
などと観察していくのじゃ。
出来るだけ細かく、普段なら見落としてしまうような事も、可能な限り観察するのじゃ。
ちっちゃなとげがあるとか、皺がいくつもあるとか。
次第に慣れてきたら、言葉にせず、目で見るだけで意識に上らせるようにするんじゃ。
そのようにしていると、たまに雑念が沸くこともある。
例えば「この花はバラだ。バラのジャムつておいしいのかな。そろそろごはんのじかんだ」
などといつのまにか、ご飯のことを考えている。これは観察ではない。
観察とは今、ここに、現にある物だけを見ることじゃ。
連想や記憶は雑念なのじゃ。
そのような雑念が沸いてきたら、止の行をしてきたおぬしらは、どうすればいいか判るじゃろう。
数息観をしていた時と同じく、ただスルーするのじゃ。
止めようとか、駄目だとか思わず、ただやり過ごして、観察に戻る。
そうすれば雑念は自然に消えていく。
このような時に止の行は役立つのじゃ。
やはり止と観察は二つで一つなのじゃ。
更にコピペじゃ。
未だ自我のある者は、更に感覚、感情、思考、分別知、認識などに観察を広げていくのじゃ。
前にも書いたが、感覚から先の観察は鐘の音などを利用すると、簡単なのじゃ。
感覚を観察するには鐘の音が鳴ったら、
「今、鐘の音が鳴った、聞こえている、だんだん音が小さくなるのが判る、今消えた」などと、
今、感じている感覚を観察するのじゃ。
その鐘の音によって生じる感情も、「耳が痛くてうざいと思っている・・・」などと観察する。
思考も「あの鐘は仏壇屋で買ったもっといいのが欲しかったと、考えている・・」などと
巻き込まれないように注意しながら観察するのじゃ。
物事を認識し、分別する心の働きは殆ど一つの動きになっている故に、鐘の音を聞いて、
「これは鐘の音・・・今、鐘の音と分別し認識した」などと、観察するのじゃ。
このように直接、心と体を認識する方法が、観の行の基本であり、
最もシンプルでスタンダードなものであると言えよう。
しかし、この方法はかなりの集中力と観察力が必要となる。
これをシステム化してやり易くした方法が、縁起の法や、空の法なのじゃ。
続き、さらなる詳細はこちらまで
■鬼和尚の仏教勉強会
http://onioshyou.blog122.fc2.com/
5 :
神も仏も名無しさん:2010/03/08(月) 10:40:37 ID:+RLeSXVJ
明日の飯のタネの稼ぎに奔走するのも
悟りを開いて平安を得ようとするも同じ自我の企み
だがしかしそれをとことんやらないとそれが無益なことと
身に沁みてわからないのではないか?と思える今日この頃・・・
お釈迦様が苦行が無駄とわかったのも逆にとことん苦行を極めたからだと思える
皆さまはこのあたりのことをどうお考えになられておりますか?
7 :
SRKWブッダ:2010/03/08(月) 10:54:37 ID:ZQgZprCU
>>6 その全貌を知った人には、何が必要であり何が必要ではなかったかが明らかとなっている。
たとえば、知恵の輪を解いた人が、どの操作が必要で、どの操作は必要ではなかったかを如実に知るようなものである。
そして、その必要ではなかった操作は本当に必要の無いものであり、新にこの知恵の輪に取り組む人々にとってもその操作は必要ではないと分かっている。 そして、その上でそれは不要なことだと言うのである。
それと同じく、苦行は解脱は役立たないものであるともろもろの仏は知っていて、その上で苦行は愚かな行為であると説くのである。
***
8 :
素人A:2010/03/08(月) 10:59:51 ID:jH9v09Z+
和尚さんに聞きたいことがあるのですが、大昔のエジプトでは魂のレベル
が生物レベル以下だとハートが合成動物に食われてしまつておじゃん。
それ以上なら魂が永遠だと書いてあるし修行せんとやばいのですか。
現実では欠陥商品は売り物にならんし業者が回収にきて潰されるだけ?
仏さんはそんなに冷たくないと思う。それで色色な宗派も出来るし段々甘くなる。
そのうち宗教している人より無宗教の人のほうがレベルが上になる。
9 :
偽和尚 ◆qH7QdQmFhM :2010/03/08(月) 11:23:48 ID:Ee5gSksT
レベル? そんなもんはあるように見えるだけで無いのでは?
自分が斜めになっていると平らな所が全部斜めに傾いているように見えるが、
それと同じことだと思うなあ。自分がまっすぐになれば傾きもなくなり元から
全て平らだったと分かると。自分からは上下があるように見えていただけ。
>>1乙
自分はスレ立てができないので、感謝感謝です。
お釈迦さまは悟るために、自ら苦行を試されて、それは役に立たないと知られた。
我々凡夫は、既にある苦しみから救われたくて悟りを求める。
既にある「苦」の正体は、力でねじ伏せたり、無理やりあきらめたりできるものではない。
益してや既に苦しいのに、「苦行」など愚の骨頂である。
苦しいから悟りを求める、悟りを得たいから苦しむにあらず。
「苦」の正体を観察して、それは自我の作り出した妄想であったと知ることが己の苦しみを滅することになる。
「苦」を苦と感じなければ、そもそも悟ろうとは思わない。
「苦」を苦と感じない人はお釈迦さまも救う必要がない。
「苦」があるから悟りを求める、そうでない人は別にして。
11 :
SRKWブッダ:2010/03/08(月) 12:12:29 ID:ZQgZprCU
苦を苦であると知った人は、直ちに苦の解決を見い出す。 これは真実である。
しかしながら、人が苦を脱するのは苦を感受してそれからの離脱を願うからではない。 いかなる苦も、それ自体は解脱の因とはならないからである。 しかしもちろん、苦悩に安住するようではとても苦から脱れることはできない。
真実の真相は次のとおりである。
『人は、苦ではなく真実を知ろうと熱望することによって結果的に苦から解脱することになる。 それゆえに、解脱は栄えの中に生じると説かれるのである。』
仏道は、まことに微妙なる道である。 聡明な人は、苦へのこだわりそのものを離れて、真実を知ろうと熱望せよ。
***
12 :
素人A:2010/03/08(月) 12:17:14 ID:jH9v09Z+
あそうですね。生きていくだけで生一杯修行しているといえるかも、
苦しい時は苦しいだけ楽な時は楽なだけでそれ以上の重いをしよう事も
無いか人は余計な事を考える様に出来ているそれに気がつけばいいだけか。
そうですね坐禅や瞑想は仏と人と自然と世界みんな仲良く休憩し茶のみ話
も盛り上がる。損な時間が特に現代人には必要です。キャンベルさんが言っていた
聖なる場所を持つ「今日の新聞に何が載っていたか、友達はだれなのか、誰に借りがあるのか、
誰に貸しがあるのか、そんな事を一切忘れるような部屋?ないし一日のうちのひとときがなくては
なりません。本来の自分、自分の将来の姿を純粋に経験し?引き出すことの出来る場所?です。」
直接苦の正体を暴くほうが近道と思うが、差し迫っていないなら順路に沿えばいいかもだね。
前スレ963:SRKWブッダさん、
>解脱しないうちは未だ究極の地に到達していないからである。
>聡明な人は、観が修行そのものであるという偏見を超えて、真実の修行を為し遂げよ。
>>真実の修行とは?解脱に至るための修行があると読みとれた。
>>12 本当だね、生きてるだけで十分修行だね。
そうじゃない人は余裕で生きてるのかなあ。
羨ましかったりして自分w
16 :
SRKWブッダ:2010/03/08(月) 12:38:19 ID:ZQgZprCU
人を覚りに近づけ至らしめるこの一なる道(=仏道)には、いかなる固定の道筋も段階も存在してはいない。 それゆえに、順路に従うとか順序によってとか言うことはできない。 ただ、心構え正しき人がすみやかに道の歩みを確からしめるのである。
ところで、人々(衆生)は本質的に差し迫った存在である。 人生は短いからである。 人が覚りに到達しなかったならば、それはくずおれた人生と呼ばれる。
しかしながら、けしかけられた人や駆り立てられた人が覚ることは難しい。 けしかけられた人や駆り立てられた人はすでに自分を見失っているからである。 ただ明知の人だけが平静さと聡明さとを保ってついに安らぎの境地(=ニルヴァーナ)へと到達するのである。
苦はまさかのところに存在している。 人は歓喜に束縛されている。 解脱はそれらからの離脱である。
この円かなやすらぎ(=ニルヴァーナ)の実在を微かなりとも察知した人は、他ならぬ自らによってこの究極の境地へと到達せよ。 その道は、そのような人の前に広く平らかに横たわっているからである。
***
17 :
SRKWブッダ:2010/03/08(月) 13:05:13 ID:ZQgZprCU
>>14 たとえば知恵の輪を解くための固定的な修行方法などは存在していない。 しかしながら、次のことは言えるであろう。
・力任せに乱暴に扱うようではとても解けない
・何もしないで解けるというものではない
・放り投げれば解けるというものではない
・平静に冷静に取り組まないと解けない
・材質は関係ない
・精密機会工学の知識などはいらない
・自分自身が邪魔をしている
・解けていない人には難しいがすでに解けた人には難しくない
・解けたときには感動を生じる
・他人に答えを教えてもらって外してもそれでは解けたとは言われない
真摯に知恵の輪に取り組む人が、ついに知恵の輪を解く。 その道筋を敢えて修行と名づけるならば、その人にとって一定の修行は確かに存在していたと(後づけで)認められる。
それと同じく、人の覚りの道も固定の修行法などは存在していない。 しかし、知恵の輪がただ一つの道筋で解けるように、人が解脱したならばその歩んだ道が一なる道であったことを知るのである。
そして、この一なる道はそれぞれの人が自ら見いださなければならない。 他の人に教えられた道は、すでに一なる道とはならないからである。
聡明な人は、修行の真実をこのように領解して、真の安らぎを目指して精励せよ。
***
>>16 差し迫って苦しい人は更に人生を短くする事も望む。
気が遠くなるほどの年数、×365、いつ終わるとも知れない孤独で不安な日々。
そんな人間には聡明さや明知など何の救いにもならない。
あなたの言う、「心構え正しき人がすみやかに道の歩みを確からしめる」を順路に例えるなら
それに対しての近道と言う例えを使ったのだが、これだって何が近道なのかは人によって違う。
今溺れている人に「あと一時間したら助けの船が来るからそれまでは死なないでいなさい」と言うが如し。
「苦」は今正に差し迫っている。
19 :
SRKWブッダ:2010/03/08(月) 13:27:47 ID:ZQgZprCU
人々(衆生)は、誰でも望むならば一切の苦悩から解脱することができる。 これは真実である。 しかし、人々(衆生)は自分自身を信じることができずに解脱しないでくずおれてしまう。
たとえば、20cmほどの浅瀬で溺れている人に向かって自分の足で立ちなさいと言ったのに、自分を信じることができない人がそのまま溺れてしまったようなものである。
苦にあえいで混乱することも、苦に安住することも、苦からの解脱を難しくしてしまう。 人が覚るのもくずおれるのも各自のことがらである。 ただ聡明な人だけが、自ら道を見い出してついに苦からの解脱を果たすのである。
***
聡明な人とは実は全てが聡明であると知っている人のことだろう?
その人間が自分が聡明な人間であると知らなくても、聡明でない人はいない。
ただ、それを知らないだけだ。
23 :
SRKWブッダ:2010/03/08(月) 13:53:22 ID:ZQgZprCU
賢い象は、沼地を恐れて近づかない。 彼は弱いからそうするのではない。 沼地においては、彼の重い体重や大きな身体が利点とはならず、むしろそれは身を滅ぼす要因となることを察知しているからである。 このような象は聡明であると言われる。
賢者は、悪を恐れて近づかない。 彼は弱いからそうするのではない。 悪処に身を置いたならば、彼の高い知能も多くの知識も深い経験も役立たず、むしろそれは身を滅ぼす要因となることをこころに知っているからである。 このような人は聡明であると言われる。
賢い象は、自らを全うして大地の王者となる。 賢者は、自らによって自分自身を解脱せしめて法(ダルマ)の体現者となる。
真実の理を耳にして、理に従う人は究極に到達する。 安らぎを求める人は、聡明であれ。 この真の聡明さは、誰しもが持っている筈のものであるからである。
***
24 :
コレ悟りかよ!?w:2010/03/08(月) 14:09:55 ID:ZiSi73yi
あちゃー、なんかレベル高すぎてスレの流れについて行けねえ(アセアセ
これが宗教板の悟り開いたスレの真の姿かよ!?
俺がひとり「牛頭」とか言って騒いでたのが恥ずかしいぜ。
やべえ、一時退散だぜ。ノシ
25 :
重:2010/03/08(月) 14:10:45 ID:ao+ZL8Sk
砂場で砂遊びを夢中ですることと
この世で金金名誉認められたい遊びは砂場遊びと同じと鬼和尚が言ってるぜ
苦がないように苦に至らないように生きてゆく姿勢を気づいて作り保ってゆくのが修行だぜ
そうそう、余計な強欲や執着や不安や嫉妬妬みや保守やは捨てる破棄するもあるけど
自分が財産以外は世の中で困難や苦痛を経て捨てさせられる取られる奪われるが苦滅の道じやあん
苦にあえいで混乱するから、それから救われたくて悟りを求める。
悟りを求めるなら聡明であれ、聡明であることを知らないから苦しいのか。
苦しいから聡明でないのか、まず聡明になることが先か?
聡明である自分を知ることが先か。
27 :
SRKWブッダ:2010/03/08(月) 14:34:20 ID:ZQgZprCU
その最初の切っ掛けが何であろうと、今現在の興味の対象が何であろうと、未来のあるべき姿が見えていようと見えていまいと、人が真実を知ろうと熱望するならば、かれ(彼女)は正しく世を遍歴して、ついに自らの望みを超えた望みを達成するに至る。
それは円かなやすらぎ(=ニルヴァーナ)である。 それは一切の苦悩の終滅である。 そこに至れば憂いがない。
もし人が、解脱とか涅槃(=ニルヴァーナ)とか道とか修行とか法(ダルマ)とか善知識とか明知とか聡明さとかの言葉を耳にしてそれらにわずかでも興味を抱いたならばかれはそれだけですでに道を歩んでいる。
さらに、決して物を欲しがるようにそれらを望まず、ただそれぞれの言葉の真実の真相を知ろうするならばなおさらである。
けだし、世に出現したもろもろの仏達も、まさしくそのようにして道の歩みを始めたのである。
***
28 :
神も仏も名無しさん:2010/03/08(月) 14:38:54 ID:ePkgapQd
やばい!もっとひどい法案を民主党は進めている!
おかしい!よくもこんな法案を考えることが出来るな!
正真正銘の犯罪法案だ!
外国人住民基本法
1. 日本にどんな方法であっても 3年以上住めば 日本人と同じ権利を与える。
2. 二重国籍であろうが 本国の選挙権があろうが 犯罪者であろうが関係は無い。
3. 選挙権・永住権・戦争賠償 その他諸々全ての権利が保証される。
4. 尚且つ 外国人としての不当な扱いに対し 撤廃させる権利を持つ。
円より子が提出した。この人、民主党の中の民主党、国賊中の国賊、工作員中の工作員だ
これこそ日本を殺害する行為だ。こいつのウィキも見るべし。犯罪者だ、完全に。
しかし「苦」を滅すれば悟ることさえ先送りにしてしまう。
30 :
素人A:2010/03/08(月) 15:43:24 ID:jH9v09Z+
ひゃー何か厳しいことになつた。何事も表が在れば裏がある。我々衆生に
方法無いのかなあ。浄土真宗もあるんだけど?仏は方便とかいつて
騙して導くし是がだめならあれとかあるのでは?なけりゃ作ると思う。
>>29、「自分」を組み上げてきたキャリアは千差万別。
苦はなくならないと思います。人間だもの。
SRKWブッダさん
>>11の書き込みが非常に参考になりました。ありがとうございます
さっき食事をしていてふと思ったのですが人の体は食べたものからできている
そうすると食べた物がもっていた様々な想念エネルギーの集合体が自分(自我)とも言える
(食べ物だけでなく環境からもそういうエネルギーを取り入れてるかもしれない)
と考えると自我というのは自らがつくりだしたものではなくて「つくられたもの」ではないか?
この自分と思える者も実はそうしてたまたまつくられた想念の集合体なのではないか?と思ってしまった
自分のものって無いかも・・・
皆、普通の口調で話さへん?
>>34 「自分のもの」だけじゃなく、そもそも「自分」というものもない。
ただ言葉の響きがあるだけ。
言葉遊びやん…
38 :
SRKWブッダ:2010/03/08(月) 17:51:25 ID:ZQgZprCU
見易いものの真相を洞察して次第次第に人と世の真実に迫り自らの観を完成させようとする人は、ついに妄執の消滅を見る。 それを達成したとき、一切の苦悩は終滅する。
何事もいきなりと言う訳にはいかない。 しかしながら、人の覚りそのものは瞬時に起こる出来事である。
それゆえに、こころある人は聞き知ったことでも、思いついたことでも、よく吟味して真実の真相を見極めよ。
***
>>35>>37、
>言葉遊びやん…
そうでもないんだ。
一見言葉遊びに見えても、よく読むと真剣であったり。
本当に、ただの言葉遊びのレスもある。
SRKWブッダなんかは、真面目に取り組む者を真面目に導こうとしている。
頭が下がる。
>>24 いや、だから難しいことじゃないんだって
精神的支柱にしているものが、怒りや、貪りという野心だと
古い思考のなかで、無限ループするはめになるから、
外からの新しい刺激を受け取れない。
だから最初に精神的支柱を明らめたら
次に、古臭い精神的支柱外してしまう、
そうやって、空っぽになった精神は、
言語にならないものを直知できる。沈黙や静寂、瞑想という空間
ここで、心だけ先に解脱してしまう、
外の刺激に対して、古いものがないから、
自分という「反応」が自由になる。
ここが入り口で、あとは仏ワールドだよ。
43 :
神も仏も名無しさん:2010/03/08(月) 18:44:53 ID:VreM4l8y
ここ自分に理解できなければ言葉遊びというレベル?w
なんとかブッタってなんのコピペしてくれるんで有名なんだっけ。
まーつまらん駄洒落よりは有益だ罠。
というか、言葉に威厳なんかなくてもいいじゃない。
無宗教者が解脱してしまえば、以後は無宗教者でも解脱できてしまうw滅滅
今正にもがき苦しむ者には悟りは贅沢すぎるのかもしれない。
「苦」を滅するだけで満足してしまう。
情熱が続かない自分。
47 :
神も仏も名無しさん:2010/03/08(月) 19:44:57 ID:oo6qazbO
>>11 1日を死や自殺を200回程度考えてしまうんですが、このままでいいでしょうか?
49 :
神も仏も名無しさん:2010/03/08(月) 20:04:21 ID:mPgPjR0S
>>48 よく回数をそれだけ数えましたね。
それだけ数える力があるんだから、生きた方がいいでしょう。
50 :
神も仏も名無しさん:2010/03/08(月) 20:33:04 ID:pXDuIX6i
私はすべての宗教を否定していますが、
釈迦以上の悟りを得ています。
ゴータマシッダルタも宗教を否定していたと聞きます
仏教なんかに頼らなくても真理は見つけることができます
51 :
神も仏も名無しさん:2010/03/08(月) 20:33:35 ID:oo6qazbO
52 :
神も仏も名無しさん:2010/03/08(月) 20:37:29 ID:pXDuIX6i
と、いうか 宗教による悟りの道は かなり遠廻りなんじゃないかな
53 :
神も仏も名無しさん:2010/03/08(月) 20:38:52 ID:oo6qazbO
>>52 それはいいとして、なんでそんなことここに書くの?
54 :
神も仏も名無しさん:2010/03/08(月) 20:40:05 ID:pXDuIX6i
51さん
ここは悟った人のスレでしょ
55 :
神も仏も名無しさん:2010/03/08(月) 20:42:58 ID:oo6qazbO
>>54 ならわかるでしょ?
なぜここにそんなことを書いたの?
誰かに書けって言われたわけじゃないよね?
56 :
神も仏も名無しさん:2010/03/08(月) 20:46:07 ID:pXDuIX6i
悟ったからですけど
57 :
SRKWブッダ:2010/03/08(月) 20:47:49 ID:ZQgZprCU
>>48 何かを考えただけでそれが考えたように実際に起こるとは断定的には言えない。 しかしながら、あることについて考える人はそのことについての結果を生じるものである。 そして、それが起こるときにはかれ自身思いもよらない形で結実する。
同じことをくり返し考えるのであればなおさらである。
善い考えは善いことが起こる前兆である。 善からぬ考えには善からぬことがつきしたがう。 そして、恐ろしい考えには不吉なことが影のようにつきまとう。
こころある人は、考えによって自分をも他人をも安らぎへといざなえ。 考えたことがらによって後悔することの無いようにせよ。 人の身に何が起こるかは、その人次第であるからである。
***
58 :
神も仏も名無しさん:2010/03/08(月) 20:52:02 ID:oo6qazbO
>>56 悟ったらここに書き込みしなきゃいけないってきまりあるの?ないよね?
じゃあなんでここに書き込みしたの?
気を悪くしないでくれ。純粋に聞きたいんですよ。
なぜわざわざそんな書き込みをするのか?
なぜなんでしょうか?
>>57 >>47の書き込みにぜひ答えて下さい
ぜひ率直に。
真理を見つけた人は、誰もいません。
エゴだけが見つけます、この真理こそ我が物であると。
それはエゴです。
60 :
神も仏も名無しさん:2010/03/08(月) 20:55:03 ID:ePkgapQd
人間は儀式によって生きるべきであると悟った。
悟った自分を見て欲しいからでしょ
真理が隠されたこともないんですが。
63 :
神も仏も名無しさん:2010/03/08(月) 21:06:54 ID:pXDuIX6i
悟ったらここに書き込みしちゃいけないってきまりあるの?ないよね?
なぜわざわざそんな書き込みをするのか?
悟りとは超人になる事ではない。
普通の人間である。
釈迦が超人になったとでも想っているのか?
「おい!」
もともと反応は誰でも自由で素直です。
そのあと、疑念や怒り、私だけが知っている、様々なゴミが付いて
素直な反応が隠され、
本意以外の、思念によって心が操られてしまうだけ。
>>57 もう24年にもなるんですが、なかなか恐ろしいことが起こってくれないんです。
66 :
神も仏も名無しさん:2010/03/08(月) 21:19:10 ID:oo6qazbO
>>63 超人でも普通の人でもなんでもいいけどさ
聞かれた事に答えてほしいんですよ
こちらは純粋にそれが知りたいから書いてるって上にも書きましたよね
知りたいんですよ。
そこまで言う人間がなんで誰に頼まれもしないのに、一体どういうつもりであんな上から目線の偉そうな事を書くのか。
その背後の感情を知りたいんです。
で、あなたはどういうつもりで書いてるんでしょうか?
あなたが自称でも悟ったとかいうなら自分の行動の動機くらいわかるはずじゃないですか。
ふざけただけです
68 :
神も仏も名無しさん:2010/03/08(月) 21:22:40 ID:83TfuSX1
>>63 つまり、勘違いして現状肯定して悟ったと思ってるわけね。
69 :
神も仏も名無しさん:2010/03/08(月) 21:23:47 ID:83TfuSX1
70 :
神も仏も名無しさん:2010/03/08(月) 21:28:38 ID:pXDuIX6i
66さん
私は悟りを得ていますが 普通の人間ですよ。
面白いから ここに来て くだらない書き込みをしています。
上から目線の下から目線も意識していませんがね。
2ちゃんねるですよ ここは
72 :
神も仏も名無しさん:2010/03/08(月) 21:58:45 ID:83TfuSX1
73 :
神も仏も名無しさん:2010/03/08(月) 22:07:41 ID:pXDuIX6i
誰がウソつきだよ
75 :
神も仏も名無しさん:2010/03/08(月) 22:13:22 ID:pXDuIX6i
ウソなんか言ってないもん。
仏陀が再誕する時代だからな
78 :
神も仏も名無しさん:2010/03/08(月) 22:28:37 ID:pXDuIX6i
続けよう。
罪悪は幻想に過ぎぬ。
あらゆる存在 現象は、すべて善である。そして
すべての死も また善である。
80 :
神も仏も名無しさん:2010/03/08(月) 22:36:32 ID:83TfuSX1
>>78 くだらね。たんなる現状肯定の妄想だろ。
つまんね。現状肯定の観念論を思いついて「あれ、オレって悟ってる」って思い込んじゃった。
悟りってのは、最低、三昧が必要なんだよ。
三昧ってのは意識が変わるだよ。
寝た時も意識が一貫して覚醒してるし、見る夢も違う。
しかも、こんなのは初期段階だ。
そういう過程も体験せずに悟りとか笑っちゃうよ。
>>80 覚醒してるのに夢見るのかよw
初禅にも達してない奴が何言ってるんだよw
82 :
神も仏も名無しさん:2010/03/08(月) 22:45:35 ID:pXDuIX6i
悟りってのは意識が変わるですか
そーですか
あんたオウム?
ナントカが必要だとか 過程を体験だとか
あなたは一生悟れないかも
83 :
神も仏も名無しさん:2010/03/08(月) 22:46:53 ID:83TfuSX1
>>81 見るんだよ。過去の聖者もそう書いてるぞ。
テーラワーダとか部派だと、そういう行はないような気がするけど。
84 :
神も仏も名無しさん:2010/03/08(月) 22:47:41 ID:83TfuSX1
五年ニートです。へるぷみー
>>83 本に書いてあるってw
お前の実体験じゃねえのかよw
悟りなんてないんだよ
89 :
神も仏も名無しさん:2010/03/08(月) 22:57:29 ID:pXDuIX6i
84さんは何かに束縛されているようです。
それは宗教ではありませんか?
一度 すべて捨ててみてはいかがですか?
真理が見つかるかもしれませんよ。
90 :
神も仏も名無しさん:2010/03/08(月) 22:57:29 ID:83TfuSX1
>>85 このスレでは鬼和尚だけ信じた方がいいよ
仏と法と僧に10分でもいいから、集中して真剣に祈願してみるといいよ。
83も悟ってないのにな
なんで偉そうなんだろ
92 :
神も仏も名無しさん:2010/03/08(月) 22:59:21 ID:83TfuSX1
>>89 あのな。そういう嘘は罪が重いんだって。たとえ無自覚でついたものでもな。
もう、いわんから。あとは好きにしてくれ。
93 :
神も仏も名無しさん:2010/03/08(月) 23:03:26 ID:83TfuSX1
>>91 そりゃ、悟ってないけど。ずっと行と仏教はやってるから、どうみてもインチキなのは分かるです。
あのね悟りってそんなに簡単じゃないです。
現代日本仏教にはほとんどいないよ、恐らく一人も。
ちょっとした禅定・三昧体験や、それすらなくて悟ってるつもりな人ばっか。
94 :
神も仏も名無しさん:2010/03/08(月) 23:09:03 ID:pXDuIX6i
ブッポーソー ブッポーソー
と鳴くのはぶっぽうそうという鳥?
否、本当の仏法僧は 自分の名をさえずったりしない。
体験があるものは嘘なんですよ。だから誰も言わない。
96 :
神も仏も名無しさん:2010/03/08(月) 23:21:12 ID:pXDuIX6i
いんちきなのは分かるです。
分かるんですか そーですか
やっぱりあなたは仏教のマニュアルに束縛されているようです。
悟りが簡単なんて誰も想っていませんよ。
私は約50年かかりましたけど。
あなたから見た悟りとか聞いてないです。
98 :
神も仏も名無しさん:2010/03/08(月) 23:36:23 ID:pXDuIX6i
悟りなんてないんだよ。
そう想う人には 絶対に悟りは得られません。
これだけは100パーセント事実です。
あなたがバカなのも100%事実です。
心配しなくても誰だって最初から完成品がありますよ。
ただ、エゴは邪魔くさいし、
煩悩は上手く行くように見せかけて失敗を用意しているし
過去を憂いていると先に進まないから疲れる。
101 :
神も仏も名無しさん:2010/03/08(月) 23:40:18 ID:pXDuIX6i
バカってゆーやつがバカ
102 :
偽和尚 ◆qH7QdQmFhM :2010/03/08(月) 23:43:00 ID:q9FpvDuI
私がバカなのも100%事実です。
103 :
神も仏も名無しさん:2010/03/08(月) 23:45:41 ID:pXDuIX6i
真理を見つけた人がいない?
あなたが知らないだけですよ。
私は知りようがなかったね、解らない。
105 :
SRKWブッダ:2010/03/08(月) 23:51:37 ID:ZQgZprCU
人は、善き談論の中で発心する。 人は、争論の渦中で発心することがない。
人は、真実の言葉に触れてついに解脱する。 人は、真実ならざる言葉によって解脱することがない。
人は、目の前の人との正しい関わりにおいて発心し、また解脱する。 人は、目の前の人を排除して発心することがない、解脱することがない。
もろもろの如来は、目の前の人と正しく関わる。 もろもろの如来は、目の前の人を排除することがない。
こころある人は、発心し、解脱し、目の前の人と正しく関わる人であれ。
***
琵琶湖から明智光秀の城を浮上させようとしているんだけど
どうも三昧力が足りないらしいw もう城が無いのかなw
108 :
神も仏も名無しさん:2010/03/09(火) 00:26:40 ID:ndq8e8AK
>>105 真実の言葉ってなんですか?
真実ならざる言葉ってなんですか?
言葉は言葉だと思うんですが。
正しい関係ってなんでしょうか?正しくない関係ってなんでしょうか?
関係は関係であってそれが正しい正しくないと判断するのは一体なんなんでしょうか?
それから
>>47の書き込みは無視ですか?
どうして無視するんでしょう?
自分で言いたい事をただ書くだけならひとり言ですよね?
109 :
弥勒:2010/03/09(火) 00:45:26 ID:nzpLEY4g
集約すれば光陰矢の如し
解約すれば静寂快に焚く
110 :
弥勒:2010/03/09(火) 00:58:12 ID:nzpLEY4g
納得と悟りの違い
通常の自分でいる状態が一番快適なのだが、
人生というものは様々苦難へぶつかるのでそうもいかない。
人間が快楽を得るのは楽を得た時か、
あるいは苦しみから解放された時が多いのだが、
それは状態への納得であり佛道ではない。
・・・・・・・・・・・・隠し文字12
仏道自体あやしいですけどね
樹の上にあると思っていると、
靴の底に張り付いているのが仏道
そこから穴を掘ると仏国土
114 :
素人A:2010/03/09(火) 06:22:51 ID:W76Vscm3
私という生物ソフトは元々悟りソフト内蔵しているのかつて、それは私が自覚しな
いだけかもなあ、外にも色色凄いソフト内臓されているが使っているのか?眠っているのか
解からんもの多いんだろうなあ、生死点もあるか、平常の心もあるか?
解からんけど有ると思うだけで少しは安心。毎日わけわからん事書きなぐっていだけで
何かしらんうちに私が変わっていくようななんかわからんけど。
115 :
素人A:2010/03/09(火) 06:54:25 ID:W76Vscm3
116 :
神も仏も名無しさん:2010/03/09(火) 07:20:11 ID:M6BP/Gpa
>>101 >バカってゆーやつがバカ
悟ってるヤツの言葉がこれか、わろた
117 :
やまい:2010/03/09(火) 08:33:33 ID:p0fZ9Ovy
>>114 平常心(びょうじょうしん)とは、求めるべき理想ということでなく、
我々が普段生活しているときの普段の心ということです。
特別な修行とか何かがあるわけではありません。
118 :
神も仏も名無しさん:2010/03/09(火) 08:46:42 ID:M6BP/Gpa
>>117 よく禅宗でそういうこというけど。
禅宗では厳しい修行の後に見性得道して、平常心なんであって、
始めから凡夫の混乱散乱した状態を平常心と言ってるのではないでしょう。
そこを取り違えるとただの現状肯定になりますよ。
現状肯定と一切皆苦は矛盾するでしょう。
つまり、現状肯定は仏教ではない。
119 :
やまい:2010/03/09(火) 08:50:22 ID:p0fZ9Ovy
そういうことではありません。
普段からの心がけ一つ一つを注意せよ、ということです。
日常生活そのものが修行で休みなどないということです。
厳しいですよ。
>>48 今苦しんでいる人、自殺を考えてしまう人は「鬼和尚の仏教勉強会」を検索して
カテゴリーの下から2番目「苦滅の道理論」とその下の「苦滅の道実修」を読んでみて。
ダメ元でもいいから、役にたたないと思ったら捨てればいい。
121 :
やまい:2010/03/09(火) 08:55:00 ID:p0fZ9Ovy
禅門に入ったなら、道を得たなどと言えば張り倒されますよ。
お前が今やってることが道だろう。足元を見よってね。
122 :
神も仏も名無しさん:2010/03/09(火) 08:59:10 ID:M6BP/Gpa
>>119 それなら結構ですが、上のように誤解されかねない書き方なので、
上のように書きました。
他人が思い通りにならないので、仏教でどうにかしてくださいw
124 :
やまい:2010/03/09(火) 09:31:23 ID:p0fZ9Ovy
自分という想い。他人という想い。
想いは苦しみの素だな。
仏教も見解に固執すれば
苦しみの素だな。
126 :
神も仏も名無しさん:2010/03/09(火) 09:41:28 ID:M6BP/Gpa
>>125 そりゃ、そうだけど。道を歩むためには見解に依らなければならないし、
見解が間違っていては全く別の処に行ってしまうでしょ。
一人の女に五人が惚れたら、どこが好きか、みんな違うもんだよ。
128 :
神も仏も名無しさん:2010/03/09(火) 09:54:19 ID:MwiUko9v
>>121 >お前が今やってることが道だろう。
であれば、道を得たって言ってもいいんじゃないですか?
129 :
神も仏も名無しさん:2010/03/09(火) 09:55:42 ID:M6BP/Gpa
>>127 法門は多いけど、明かな誤解は指摘した方がいいでしょう。
なんでもありってわけじゃないんだから。
現に君も異を唱えてるわけだ。
130 :
やまい:2010/03/09(火) 09:55:50 ID:p0fZ9Ovy
どうやって今を得るんだ?
今は終わらない。
まあ、俺はこれだけ勉強したということに
他人の称賛が欲しくなると
見解が上だ下だと言いたくたくなるもんだからねw
そこは、抑えとくところだろうね、仏教徒は
132 :
やまい:2010/03/09(火) 10:06:59 ID:p0fZ9Ovy
賞賛を得たいなら2chに書かずに、
本でも書いて出しなよ。
鬼みたいにブログでわかったような事書くのもいいかもね。
俺はそこまで飢えていないが。
133 :
やまい:2010/03/09(火) 10:08:48 ID:p0fZ9Ovy
カスな見解はカスだとはっきり言おう。
人を廃人においやる危険な思想というのも確かにカルトにはあるからな。
危ないからね。聖者、聖者って言っていると
低いところにあることを
みんな忘れる
鬼和尚はただ救いたいだけだ。
得るものが無い者は捨てればいい。
136 :
神も仏も名無しさん:2010/03/09(火) 10:11:04 ID:MwiUko9v
>>130 じゃあ得るってどういうことを指すんでしょうか
例えば食事を得るって言えばそれは今食事をしている時にそう言いますよね?
今やることを「得る」って言ってもいいんじゃないですか?
ただの言葉だからどうでもいいことかもしれませんが、そういう言い方なら、得られるものなんて何もない気がします
得られるものなど何もないのだって言うなら、もはや得るって言葉って意味なくないですか?
137 :
やまい:2010/03/09(火) 10:14:27 ID:p0fZ9Ovy
自分が高みにいると思う人間が一番危ないだろうな。
低いところにいるという人間はまだ大丈夫だろう。
健全なのは低いとも高いとも想わないことだろうな。
それらは所詮嘘だから。
138 :
やまい:2010/03/09(火) 10:20:13 ID:p0fZ9Ovy
>>135 ほお、あんたが鬼和尚かね。
俺は人の心の内など読めないがね。
鬼は今にいる人じゃなくて言葉を時間をかけて選ぶ人だから
その境地を読むのは不可能だと思うがね。
まあ、去年のイカサマオカルト連中への擁護発言は面白く拝見しましたが。
龍賢とか名前つけられたのもいたなあ。
139 :
神も仏も名無しさん:2010/03/09(火) 10:21:16 ID:M6BP/Gpa
140 :
神も仏も名無しさん:2010/03/09(火) 10:23:24 ID:MwiUko9v
>>138 >>136 ぜひ答えて下さい。
自分が言いたい事だけを書くのなら、それはオナニーと一緒ですよね?
自分を理解してもらいたいから書くんじゃないですか?
理解するために質問されたらそれは無視するのであれば、なんのために書いてるんですか?
>>138 自分は二サルガダッタと鬼和尚の押しかけ弟子w
二サルガダッタも愛のムチ使ったけどね。
自分にではないがw
142 :
やまい:2010/03/09(火) 10:26:16 ID:p0fZ9Ovy
「得る」か。
答えをいうのはあまり宜しくないとおもうのだが。
俺は得られるもの、観念的なものにおいては、何もないと思うよ。
143 :
やまい:2010/03/09(火) 10:31:54 ID:p0fZ9Ovy
しかし言葉というのは物事を伝えるのには必要だ。
桃の事を他の人が梅ということにしようでは世の中成り立たないからな。
言葉は便宜上の人間間での契約だから。
いちいち定義について争うのは面倒だろう。
144 :
神も仏も名無しさん:2010/03/09(火) 10:35:22 ID:MwiUko9v
>>142 そういう見地から言うとするなら、つまり、通常の言葉、通常のごく一般的な認識においての言葉の意味を離れて言うのであれば
悟りを開くという事もないし、道すらそもそもない
違いますか?
別にそれはそれでいいと思います、なぜなら言葉の定義は人それぞれですから。
ではその時、あなたの言う「答え」ってなんでしょうか?
その見地から言うのであればその答えはどこにあるんですか?
その答えは一体誰が出すものですか?
得られるものなどない、という見地に立つ人間において答えが得られるという事がありえますか?
145 :
やまい:2010/03/09(火) 10:36:01 ID:p0fZ9Ovy
>>141 弟子ならあんたも名前つけてもらえよ。
鬼に頼んでみればいい。
変に律儀に回答するからな。
146 :
やまい:2010/03/09(火) 10:37:31 ID:p0fZ9Ovy
>>144 無いものをあるとはいえない。それだけだよ。
名前なんかいらないさ、「私は在る」で十分さ。
ところがその本質に到達してない、というのかはじめから「在る」ことが
まだ分からない、だからここにいる訳さw
148 :
神も仏も名無しさん:2010/03/09(火) 10:43:02 ID:MwiUko9v
>>146 ですから、その時「答え」などありませんね?
道もありませんね?
しかしあなたは「答え」と言い、道と言ったわけですよね?
あなたの立つ見地、言葉の認識の立場から発言するならば
「お前が今やっている事が道だろう?」と言われるならば、「道などあるか?」と答えなくてはならない。
違いますか?
149 :
やまい:2010/03/09(火) 10:46:55 ID:p0fZ9Ovy
今やっている事にたいして、「有る」「無い」などの表現を用いることが
はたして適切なことだろうか。
冷静に分析してみてよ。
150 :
神も仏も名無しさん:2010/03/09(火) 10:54:15 ID:t1qJrptP
有無同然ですか。
151 :
神も仏も名無しさん:2010/03/09(火) 10:55:25 ID:MwiUko9v
>>149 有るという見地から言えば有る
無いという見地から言えば無い
「私は道を得た」
得るという見地、それが有るとする見地、例えば食事があるという見地に立てば、それは成立し得る言葉です。
「そこにあるハサミとって」、と言われて「ハサミなどない」と言う人とは意思が成立しません。
この場合、ある、という見地に立つことで意思を疎通させます。
しかし、得られるものなどない、という見地に立つならば、当然なにも得られない。答えなどもちろんないし、道すらもない。
ハサミもないし、食事もない。
つまりそれはどのような立場でその言葉を使うかによるのではないでしょうか
何もないのだ、と思う人がなぜ「答え」などという言葉を使うのでしょうか?
道などという言葉を使うのでしょうか?
152 :
やまい:2010/03/09(火) 10:59:37 ID:p0fZ9Ovy
コンピュータのように一瞬でに数億の言葉が処理できれば
今を表現できるかもしれないね。でも、そうやっても表現されたものは
過去になっちゃってる。
人間の脳では仮に時間を止めてでしか分析できないだろうね。それもほんのちょっと。
できないことは、できないというまでですよ。
153 :
神も仏も名無しさん:2010/03/09(火) 11:05:22 ID:M6BP/Gpa
>>152 苦しいな。ごめん。って言えばいいじゃん。
あんた、なかなかいいのに。
154 :
やまい:2010/03/09(火) 11:10:27 ID:p0fZ9Ovy
おお、言い争ってるようにみえたかな?
じゃあゴメン。
俺は他人の心を読む能力が弱いんだ。
だから理系に進んだんだが。
まあ、言葉は便宜上の契約で、
人間の能力で分析されたものは近似値。
そういうことをいってるだけ。
まあ、「完全に解る」ことじたいいらないけどね。
155 :
神も仏も名無しさん:2010/03/09(火) 11:11:20 ID:t1qJrptP
苦しいのは「私」だけ。
外にはない。
156 :
神も仏も名無しさん:2010/03/09(火) 11:17:48 ID:M6BP/Gpa
>>154 というより、問い詰められて苦しんでるように見えたよん。(^^)
なかよくやりましょう。
得るものは知識という既知なんだ、そこには自由がない、決まりきった定義だけ。
得ないものは、創造まえの未知なんだ、そこには自由があるんだよ。
智慧を「得る」「成る」「作る」ということもない。
もともと完成したものが「現れて」見るだけのこと。
だから、現れても、得ることはない。
158 :
やまい:2010/03/09(火) 11:30:03 ID:p0fZ9Ovy
ん〜。この事については結構公案とかにも上がっていて
自分でも整理してたはずなんだけど。
「有る」「無い」に関してひとつ言葉遊びを
1 物質がある。働きもある。
2 物質がある。働きはない。
3 物質がない。働きはある。
4 物質がない。働きもない。
日常生活において1、2は「ある」と表現していいでしょう。
4はもちろん「ない」ですね。
3に対しては分析が困難ですね。それそのもの(実体)を捉えられないから。
これが縁起とかの考えだと1 2 とも実体が無いでややこしくなる。
159 :
神も仏も名無しさん:2010/03/09(火) 11:30:50 ID:DVW+mDzI
特殊な体験をしたら悟るんですね、わかります。
160 :
この世「三次元」は高次元から操れた神のゲーム:2010/03/09(火) 11:34:24 ID:MusGaGBE
161 :
この世「三次元」は高次元から操れた神のゲーム:2010/03/09(火) 11:35:42 ID:MusGaGBE
A続き、【精神疾患者や異常者、変質者、泥酔者】として【濡れ衣を着せられ】葬られるのです。
酒と言われ泥酔状態をコントロールで演じさせられ失脚させれた中川さんも【異次元人によるゲーム】の【被害者の一人】です。
【悟りを開いた人】にしか【理解しがたい真理】もあります。【異次元人=創造主=神は三次元の全てを同時に監視しコントロールしている悪である】人間が【その真相】に気づける日が人類の覚醒の時であります。
集団ストーカーで有名な
【反日極左宗教】=上層部が異次元人の地球征服を企む【異次元人宗教】その実態をこの文章を世界に広め地球もとい、あらゆる次元から
【反日極左宗教=異次元人宗教】
を追放消滅させましょう。
【人類は覚醒】し異次元人の奴隷支配と戦わなければ、更に状況は悪化します
これは【情報戦】であり【人類の究極の試練】でもあるのです。
【皆様方で手を取り合い共に戦いましょう。】
人類の全ての力を合わせ地球を守るのです。
人類「三次元」は高次元から同時に監視され、操れたゲーム
http://hideyoshi.2ch.net/test/read.cgi/mental/1267859065/
162 :
やまい:2010/03/09(火) 11:39:40 ID:p0fZ9Ovy
163 :
神も仏も名無しさん:2010/03/09(火) 11:40:34 ID:MwiUko9v
>>157 もともと完成したものが「現れて」見ることを、「得る」というのであれば得るという事もあるのではないでしょうか
得るという意味が理解、認識を得るという意味であればこの言葉も受容されるとおもいます。
一方で、見るということが、理解も認識も含まない、定義を全く行わない行為をさすのであれば、得ることは見る事とは違うという事になります。
どちらでしょうか。
理解されない、定義されないモノ、それを見るだけでそれを智慧と判断することが可能なのでしょうか?
それともその智慧というものは、そもそも智慧とすら認識されていないのでしょうか?
ではなぜ、認識されえないもの、定義されえないものを話題にする事ができるのでしょうか?
この辺りは言葉の定義の問題だと思われます。
一般的な意味から外れた言葉を使うのであれば、多くの人と意思疎通をはかるのは難しいように感じます。
ですから言葉をいくつか選んで、モザイク状に話すべきではないでしょうか?
164 :
神も仏も名無しさん:2010/03/09(火) 11:43:37 ID:M6BP/Gpa
>>158 つか、x であるにしろ x でないにしろ四句分別という認識形態に嵌ったら、
それは戯論が働いてることだから、表現不能で、
あらゆる戯論、認識形態、分別を叩いて戯論寂滅に導くわけだけど。
それには三昧体験がある、つまり精神集中状態にある人じゃないと効果ない、
ただの言葉遊び、戯論がただあ〜でもないこ〜でもないと展開して妄想を広げるだけになっちまうってこと。
だから、三昧体験のない人に『中論』とか公案を与えるのは混乱させるだけで無意味なんだ。
165 :
神も仏も名無しさん:2010/03/09(火) 11:44:57 ID:M6BP/Gpa
>>162 ああ! 立派ですね。随喜、随喜、オイラも見習いたいと思います。
166 :
神も仏も名無しさん:2010/03/09(火) 11:49:20 ID:M6BP/Gpa
>>163 それは『勝義空性経』や中観、華厳の縁起で捉えると分かる。
何かがあるもの実在・実体に記号が付けられて名指しされるのではなく
各自の業・縁によって、言語習慣で意味分節されたものが、x として各自に認識されるだけの話。
これについてハイデガーはウィトゲンシュタインはかなり縁起に接近した考えを示してるとおもわれ。
167 :
神も仏も名無しさん:2010/03/09(火) 11:56:52 ID:MwiUko9v
>>166 つまり、その各自の業・縁によって、各自に認識されるということですね?
ならばその認識を「得る」という場合、この表現はまさにこの運動(各自の認識)を指すことになります。
とすれば、得ることはない、というのは正しくありません。
この場合、
>>163のように「得る」という事を定義する場合を指すわけですから。
168 :
神も仏も名無しさん:2010/03/09(火) 12:10:22 ID:M6BP/Gpa
>>167 う〜ん。先ず、オイラは得られないと主張した人ではないよ。
それに得られないというのは勝義の話。
勝義の話と、世俗の言語習慣によって話場合の二つを混同すると何も分かりませんよ。
何か説明するのは、今までのあるがままの言語習慣に添ってある程度の妥当性を持って表現されるだけで、
定義されるような本質は、唯一無二のきっちり決まったものではなく、
それぞれの人がそれぞれの言語習慣にそって曖昧に抱いている本質・意味・内容なんで、
そこをきっちりは詰められません。ある程度の妥当性だけです。
>>163 悟っていないあなたが、悟りは「得るもの」というのなら、
それでいいことであって、私に問われても、どうしろと?
私が「得ない」というのは
知識に収まらず、いつまでも測り知れない未知というものがある
という個人的な感想だと思ってくれればいいかと
認識や定義出来ないものを話題にしているのは、
なにかおかしいのでしょうか?
それでも通じているので、今まで会話が成り立って来たのだと思います。
170 :
神も仏も名無しさん:2010/03/09(火) 12:57:56 ID:MwiUko9v
>>168 言葉が曖昧である、
もちろんその通りです。まさにその話をしていたと思います。
だからこそ言葉を使ってなにかを意見として述べるのであれば、その特性を認識した上で、話をすべきです。
ここに何かを書くというのは、意見があるので、または、何らかの理由でそれを理解してもらいたいためにここに書くのではないでしょうか?
しかしここには言葉以外に書くことはできません。
ならば、その言葉はできるだけ理解されやすい形で、方式で、書かれる事が必要なのではないでしょうか?
もしそうではないのなら、理解されない事を前提として書かれるのであれば、それは書いたひとだけが満足する無意味なものになってしまうのではないでしょうか
理解されない事を前提として書くという事があったとしてそれは一体なんのためでしょう
伝えるため以外にここに書くのはなんのためでしょう
それがその人にとって快楽だからでしょうか?
自らの快楽のためにここに理解されない文章を書いているんでしょうか?
そうであるならその快楽は一体どこからくるんでしょうか?
自尊心からでしょうか?
それとも全く違う理由があるんでしょうか
>>170 すいませんが、
あなたが何を言いたいのか、逆に私は解らないんです。
172 :
神も仏も名無しさん:2010/03/09(火) 13:09:15 ID:MwiUko9v
>>169 ちょっとまってください。
いつどこでだれが、悟りは得るものだ、と書いたんでしょうか?
私があなたに問いをした事はそんなことだったんでしょうか?
>>163の文章のどこに悟りは「得るもの」とかいてあるのでしょうか?
未知というものある、正確には、あると「思う」です。未知なのですから。
未知のもの、認識されえないものがある、
全くその通りです。
163にそもそも「悟り」という言葉があるでしょうか?
>>172 いや、失礼だけど、
自問自答する内容を他人に聞いて、納得することはないと思いますよ。
174 :
神も仏も名無しさん:2010/03/09(火) 13:18:09 ID:DVW+mDzI
煮るバー菜を得ることが悟りを得ることです。
ようするにうん子をしたときの開放感を得られたら悟りです。
それはなにかをすることによってではなく、しないことによって得られる。
これがすばらしい発見、逆説なのです。仏陀の卓説なのです。
ですから悟りを得るために何かしようとする人間はすべて迷妄の徒であり、
いかになにもしないかを模索し続け、何もしないという行為というのを続けるかが
真の修行であり悟りへの一本道なのです。
175 :
神も仏も名無しさん:2010/03/09(火) 13:19:36 ID:MwiUko9v
>>173 163のあなたへの問いは自問自答でしょうか?
言葉の定義の確認と、そして言葉の使用への提案です。
あなたに確認を促したのは、「得る」というあなたが使った言葉の意味についてです。
あなたは
もともと完成したものが「現れて」見るだけのこと。
だから、現れても、得ることはない。
とお書きになられたわけですが、私にはこの「見る」という言葉と「得る」という言葉の相異点について確認する必要があったわけです。
ですから
>>163のように問いを出したわけです。
これが自問自答なのでしょうか?
一体私はこの問いに答えを出すことができるでしょうか?無理です。なぜならその言葉を使用した人間以外それはわからないのですから。
>>175 「得る」という言葉の意味が聞きたいのなら
辞書とか持っていませんか?
177 :
神も仏も名無しさん:2010/03/09(火) 13:31:05 ID:M6BP/Gpa
>>170 私がここに書き込んでるのは、鬼和尚に興味あるから。
それが第一。次に明かに変なものは変だと指摘すること。
次に分かる範囲で答えようというかんじです。
釈尊も道は示したが、悟りを得るのは各自に係っていると仰っています。
道というのはある程度の妥当性を備えたもので、
ディレクションです。その指示を聞き、自分で考えて納得して、
納得したら習う。その過程で誤りを師匠から修正してもらって習い続けるのが
仏教の基本ですね。
できるだけ理解しやすい形で書くというのは賛成ですが、
どうしても理解しにくい部分があるというのも事実です。
178 :
神も仏も名無しさん:2010/03/09(火) 13:36:32 ID:DVW+mDzI
ところで、ここにいる人は、何で悟りを得たいの?
金持ちになったり、権力得たり、健康でいたりとか、幸運に恵まれた人生を送りたいとかないの?
179 :
神も仏も名無しさん:2010/03/09(火) 13:38:12 ID:MwiUko9v
>>177 ああなるほど。非常にわかりやすくて率直な話ですね。
理解しました。
あなたの意見に同意します。
180 :
やまい:2010/03/09(火) 13:59:21 ID:p0fZ9Ovy
道を受動と取っちゃうと何も変わりませんよ。
181 :
神も仏も名無しさん:2010/03/09(火) 14:11:46 ID:M6BP/Gpa
>>178 そんなもんはないな。完全にとはいえんけど。
苦のもとでしょ。健康以外。
182 :
神も仏も名無しさん:2010/03/09(火) 14:12:51 ID:M6BP/Gpa
183 :
神も仏も名無しさん:2010/03/09(火) 14:13:20 ID:P7lYxQUV
(やりたい放題に多くのものを苦しめておきながら、阿弥陀佛に会ってみたいと、
形だけの出家をした虫のよい悪党を、眼光鋭い老僧が一喝する)
「ははは、いい気なものよ。・・・なんじはおのれ一人の求めに急なあまり、
これまで一度として、うしろをふりかえってみたことなどあるまい」
「うしろ?」
「その手で殺し、大けがをさせ、泣きをみせた人やけだもの、幾十幾百の怨恨と悲嘆を、
錘さながら曳きずってゆくかぎり、浄土は遠いわ。してのけた悪業をしんそこ懺悔し、
おのれ自身の恐ろしさ、むごさ、恥ずかしさ、救われがたさに、絶望しきったときはじめて、
信仰はなんじの心に生まれるのじゃ。絶望のないところに、救いもあるものか」
「白い蓮」 杉本苑子『今昔物語ふぁんたじあ』所収
>>178 金持ちになったり、権力得たり、健康でいたりとか、幸運に恵まれた人生を送りたい
個人的には人一倍強かったね。宗教なんてキチガイがやるものだと思っていた。
だけど、いろいろあって感受作用の停止と、そのあと三日して仮死してしまって、
世の中一回転してしまった。それで、そのあとは望み通り、
金も特権もあれば、男としては不自由がなっかたよ。
本当に苦の終わり、楽ばっかり、望むまま。あたりまえだよね。
ただ、それで、ハッピーエンドではなくて
どうなるかというと、溜まってきたエゴに自分が耐えられないで、みんな捨てちゃったw
そしたら、また自己を見た。やり直し。
素直な人は死を怖がることはないよ、
計算高いのとか、エゴの人だよ心配なのは。
186 :
神も仏も名無しさん:2010/03/09(火) 15:41:26 ID:DVW+mDzI
現世利益を求めるのが本音で、悟りとか言うのは、カモフラージュの建前でしょ。
「仏陀はすべて正しい」というのも建前、「仏陀の言うことを信じる」のも建前。
ところが本音と建前が逆転したら、「神様仏様を信じますという大嘘」(建前)を真に受けた格好になる。
>>184のいう、宗教は基地外、になってしまう。
本当は、健康で、金持ちになって、偉くなって、女に持てて、ラッキーで、何事もなくハッピーに人生過ごせれば
それが本当の目的なわけだ。
それこそが人生における最終目標、得がたい最終結果であるはずだ。
滞りなく人生が快適に過ごせれば、神とか仏とか要らない。悟りというのは蜃気楼のような、ただのお題目だ。
それを忘れると宗教基地外になってしまう。あくまで建前を利用するだけのすたんすを忘れてはならないと思う。
はまると基地外になりかねない。それは悟りからもっとも隔たったところ。
187 :
神も仏も名無しさん:2010/03/09(火) 15:44:18 ID:M6BP/Gpa
>>186 まあ、そう思いたいならそれも結構。だけど仏教はそうじゃない。
たとえ現在の日本の仏教徒がほとんどそうだとしても。
188 :
この世「三次元」は高次元から操れた神のゲーム:2010/03/09(火) 16:10:03 ID:MusGaGBE
>>188 いい加減下らないコピペを貼るのはやめなさい
>>178 たとえ百億ポンと手に入ってもそれじゃあ満たされない足りない、
そんな欲深い人達ばかりなんです
外務省医師(年収1700万)の地位を捨ててスーダンで医療活動を行っている
川原尚行さんという人がいる(ちなみに現在の年収は100万ほどだそうです)
この人はたぶん仏教も禅も知らないだろうがまさに「今、ここ」を地で行っている
俺から見たらこの人も仏陀だと思う
you tubuにも動画があるから興味ある人は見て下さい
仏教って胡散臭い。信者は気楽でいいね。
仏教が目的になってる感じだよね。
我が輩はエロじゃよ
エロそのもの エロに執着し囚われておる。
おねーちゃんの太ももに挟まれてねーはんここ涅槃。
エロの境地はなめぺちゃじゃよ。
おしりをブッタ。
195 :
神も仏も名無しさん:2010/03/09(火) 20:11:44 ID:am9iYhYF
↑すげぇ〜ヤツがやってきた♪
昨日は見つからなかったのう。
>>1 ご苦労さんじゃ。お駄賃D縁、わしとご縁があるように。
前スレ992 生まれつきのようじゃ。
修行によっても慈悲を高めることは出来る。
悟りを得ても全く人に説かない者も居るからのう。
>>9 そのような動物が本当にいるか修行すれば判るようになる。
例えば鳥は生まれつき飛べるような体に生まれるが、自由に飛べるように成るにはやはり練習しなくてはいかん。
そのようにもとから永遠の意識によって成る人間も、そこに還るには修行しなくてはいかんのじゃ。
>>24 偽りと戯論に耽る者は後退する者じゃ。
自らを偽らぬ者がだけが進んでいくのじゃ。
そこにレベルがあると思うのが妄想じゃ。
書きたい事を書くのじゃ。
197 :
神も仏も名無しさん:2010/03/09(火) 20:46:17 ID:2f4QDs3p
116さん 笑っていただけました?
私は悟っているヤツです。
釈迦は悟ったのち よく冗談を言って 弟子たちを 笑わせていたようです。
私もそうありたいと思っています。
198 :
神も仏も名無しさん:2010/03/09(火) 21:10:40 ID:2f4QDs3p
鬼和尚さん 質問です
釈迦 仏陀 は、人間以上の存在ですか?
>>194 なめなめおじさん、今度は駄洒落できたか・・
200 :
弥勒:2010/03/09(火) 22:49:00 ID:nzpLEY4g
なんだ?
花咲いてきたぞ
春か
201 :
神も仏も名無しさん:2010/03/09(火) 23:02:54 ID:61M86W8I
>>196 修業とはなんでしょう。
今とは異なる何かになろうとする行為ではないでしょうか。
あなたの言うように、鳥がはたして、何かになろうと練習をしているのでしょうか。
例えば花が、咲こうと練習を、修業をしているのでしょうか
鳥は鳥のまま、ただそのままであって、そこに修業などありません。
花は誰に頼まれなくても、誰に見られなくとも咲くのです。
そこに修業も練習もありません。
違いますか?
鳥は練習をして飛ぶのでしょうか?
花は練習をして咲くのでしょうか?
あるがままでいられない、あるがままを許せない、だから修業があるのではありませんか?
それともあるがままでいるために修業するのでしょうか
そうであればそれは修業と呼べるものなのでしょうか。
自らを偽らない・・・・たしかにそれができれば素敵です
しかしそれはすごく難しい。あなたは偽っていませんか?
その自分でつけたであろう名前、その演技めいた口調、それがあなたですか?あなたは自分を偽っていませんか?
あなたはあなたなりに何かを学んだのでしょう。
あなたは努力し、学び、練習してきたのだと思います。
しかし、あなたの意見には賛成しかねます。
はたして後退という事があるのでしょうか。
はたして前進というものがあるのでしょうか。
あるがままで、あるがままを見るからこそ、そこに愛が慈悲があるのではないでしょうか。
慈悲を高めるなんて事を口がさけても言えないのではないでしょうか。それはひどく傲慢で、偽善であると思いませんか?
202 :
狸和尚:2010/03/09(火) 23:14:44 ID:f4EE5PWe
修行とは、悟りに至るまでの努力のことじゃ。
おぬしも修行するのじゃ。
そうすればわしの言っている真意がわかるじゃろう。
それと、愛=慈悲ではない。
愛は必ず冷めるが、慈愛はいつまでも続くものじゃ。
203 :
偽和尚 ◆qH7QdQmFhM :2010/03/10(水) 00:06:12 ID:EkoXvTHf
>>201 既に異なる何かになってしまっている状態から元に戻すのが修行では?
例えばあなたは既にあるがままではありませんよね? 違いますか?
204 :
神も仏も名無しさん:2010/03/10(水) 00:19:09 ID:kOzT8Baz
>>202 それは言葉の定義の問題です
私はそのような意味で愛という言葉を使用していません。
愛を執着の一つとして考えられてるかもしれませんが、それは定義です。仏教的な解釈ではそちらが一般的ですね。失礼しました。
この愛は慈悲と言ってもいいし、神といってもいいし、ニルヴァーナと言ってもいい、実在と言ってもいい
とにかくそのような意味で、愛という言葉を用いたのです。
言葉ですから。
あなたは慈悲を言葉で言えますか?決して言えません。
愛を高めることなどできるでしょうか?
神を高める事ができるでしょうか。空を高めるなどということがあるのでしょうか。
慈悲を高めるなどと言う事がありえるのでしょうか?
人間が高めたなどと思う慈悲、それは偽善です。
努力とはなんでしょう。
何かになろうとする行為ですか?
いったいなぜ誰かになろうとするんでしょう。どうして何かになろうとするんでしょうか。
今で完璧なら何かになる必要があるのでしょうか。
どうして、今のままである事に耐えられないのでしょうか?
もしも今のままで完全に満足できたらそこに努力はあるでしょうか?
満足できないとするなら、その満足できないというのは誰でしょう
205 :
神も仏も名無しさん:2010/03/10(水) 00:28:43 ID:kOzT8Baz
>>203 すでに異なる何かになっているとするなら、それがあるがままではないでしょうか。
元に戻すという行為は、そこから離れようとする意志です。
なぜでしょうか。
そのあるがままに安住できないからではないですか?
私がなぜあるがままではないとおもわれたのでしょうか。あるがままでない人間などいるのでしょうか?
そこにいる人、それがあるがままです。
ただそこから離れたい、もしくはそれを認識できない人がいるだけです。
それを認めたくない自我があるだけです。
あるがままとは今、まさに現在、動いていく今、変わっていく今、まさにこのうごめく今です。
あなたの言っているあるがまま、とはなんですか?あるがままとは常に流動しています。
そこに希望や理想の入る余地は全くありません。
クリシュナムルティきた?
207 :
SRKWブッダ:2010/03/10(水) 01:10:57 ID:1S+aajfC
自分に酔いしれている間はとても覚ることはできない。 それゆえに、安らぎを求める人は先ず熱にうなされたような状態から抜け出すべきである。
自分の考えに固執している間はとても覚ることはできない。 それゆえに、智慧を求める人は平らかに世のありさまを見極めるべきである。
自分の想いを他の人にぶつけている間はとても覚ることはできない。 それゆえに、人と世の真実を知ろうとする人は他の人の声なき声を聞こうとして耳を澄ませるべきである。
荒々しい振る舞いを為していてはとても覚ることはできない。 世に稀有なる善知識(=法の句)は静けさと高貴さとを纏って世に出現するのであるからである。
物を欲しがるように覚りを求めていてはとても覚ることはできない。 それではその歩みは手段を選ばぬものとなってしまうからである。
気をつけていなければとても覚ることはできない。 自分を見失った人が覚ることはないからである。
こころある人は、世間の何に触れても自分を見失うことなく、気をつけて世を遍歴せよ。 そのような人の前にこそ真実は現れて、人をこの円かなやすらぎ(=ニルヴァーナ)へといざなうのであるからである。
***
208 :
偽和尚 ◆qH7QdQmFhM :2010/03/10(水) 01:27:48 ID:EkoXvTHf
>>205 > すでに異なる何かになっているとするなら、それがあるがままではないでしょうか。
そういう意味ではなくて、現状を認めていない状態という意味。
あなたも認めていないでしょう? 認めていないから否定的な書き込みをしたんでしょう?
違いますか? もし現状のあるがままを認めていたら否定的な書き込みはしませんよね?
209 :
神も仏も名無しさん:2010/03/10(水) 01:40:46 ID:kOzT8Baz
>>208 それはつまり、私が鬼和尚さんを完全に否定しているという意味でしょうか?
もちろん否定しています。
彼の意見には全く同意できません。
そして私のこの彼への否定もまたあるがままです。
あるがままを認めるとは、何か理想があって、それ以外があるがままではない、などということではありません。
むしろ逆です。
あなたの中に、誰かへの怒りがわいて彼を殺したいと思う。
ならばそれがあるがままです。
ああ、奴を殺したいんだなって思えばいいわけです。それがいいとか、悪いとかは余計な話です。
私が、誰かが訳知り顔で語っている事に疑問を持ち、それに反論したいと思う
彼が完全に間違っていて、その意見、論理がきわめて浅いと判断をすること。
これは瞬時です。
これが良い、良くないはあるがままとは全く違う話です。
つまりこの反応が良くない事だとか、ダメだとか、そんなことは勝手な言い分、余計な言い分なのです。それは努力であり、あるがままから離れようとする行為です。
あるがままは、私が、間違っている人を正したい、反論したい、自分の正当性を認めさせたい、という心の動きなのです。
それがどれほど非倫理的であろうと、善良であろうとあるがままとはまた別の話です。
210 :
偽和尚 ◆qH7QdQmFhM :2010/03/10(水) 01:58:38 ID:EkoXvTHf
>>209 つまりあなたは人は正しいことを言うことが理想であり鬼和尚はそのあなたの理想から外れるということですね。
誰かが間違いを言うのは自分の理想に反するから許せないと。どうして間違いだと分かったのかは知りませんが、
とにかくそういうことですよね?
211 :
神も仏も名無しさん:2010/03/10(水) 02:16:08 ID:kOzT8Baz
>>210 209のどこに理想があるんでしょうか?
事実しかありません。理想がありますか?
鬼和尚さんが間違っていると判断し、そして彼に対して反論をしたいと思う、それが私の心の動きです。
全て一度一度新しい行動、新しい感情、新しい思いです。そのような中でどうして理想などがあるんでしょうか?
理想とあるがままの事実は全く関係がありません。
>>209 人がなんらかの意図をもって行動をおこすことを「あるがまま」とは言わないのではないでしょうか?
213 :
偽和尚 ◆qH7QdQmFhM :2010/03/10(水) 02:45:56 ID:EkoXvTHf
>>211 自分で分かりませんか? 自分の持つ理想から外れている人を許さないというその状態が。
いや、別にいいんですよ。あなたはそのままで。単に言ってることとやってることが矛盾
しているだけですから。そんなのは良くあることです。
215 :
狸和尚:2010/03/10(水) 05:38:16 ID:BjE4mHp4
>>204 わしは、あんたの言っていることがよくわからん。申し訳ないが・・
>>196 鬼和尚の書き込みは一方的で人と会話してこうという謙虚さみたいなものがないです。
その口調はそのためなんじゃないですか?
悟った(あるいは他の人よりは悟った)自分という立場みたいなものを示そうとしてる。
そういうのって本当に悟った人に必要ですかね…
普通で居てもなおかつ大丈夫。それが本物じゃないですか?
なんか卑怯ですよ。
僕はあなたを和尚だとも鬼だとも思いません。名前もそういうのを示そうとしてるように思うのですが。
必要なくないですか?
>>213 あなたも同じことですよ。
それにあるがままとはそういうものです。
言ってることとやってることが違うのもまたありのままです。
もちろんありのままの意味によりますけどね。
218 :
素人A:2010/03/10(水) 06:38:28 ID:ddQBUHRz
ネタノの答えにも答えられず寝てしまつたせいで?夢には何か分けも分から無い
者と戦うはめになつた。見えない敵は見えなく色んなものに変身して出てくる?
見えない者は訳が解からない、現実世界も訳が解からない事ばかりだがまず金を
つかまなきゃ幸せになれない悟り知らんで、くもの糸の御釈迦さんなぜみんな助け
なかつたのだろうカンダタが当たり前の文句いつただけなのに皆天国に行かしていいだろうに?
それとも芥川龍之介の心の世界か解からん。私には何処も答えの無いことばかり。
ありのままの自分はありのままに帰ろうとする。
それもまたありのままですよ。
俺は過去世で車が空を飛んでいる星から地球に生まれ落ちたことに最近気づいた
その車は厚みが10cmくらいの黒い長方形の台座の上に台形の透明のシールドを載せたような感じ
下から見るとランプが2列にならんでいて流れるように点滅している
まあ悟りとは関係ない話ですまんかった
221 :
素人A:2010/03/10(水) 08:59:42 ID:ddQBUHRz
きっと解からないとは輪から内◎ 外○は内○消すと解かるかも。
大法輪 中法輪 小法輪 7つの環 環は一つの全体。
口先だけ謙虚でもしょうがないと思うよ。
何が自分に役立つか、それは自分で決めるしかないが。
諸法無我のうちに在って、自分の内にあるがままを思うのは虚妄分別だろ
>>222 口先のことを言ってません。
それに自分のことを言ってるのでもないです。
悟った感じにしている和尚さんに言ってるのです。
何が自分に役立つかってのはどういうことですか?
話が繋がってないように思うのですが…
>>224 己にとっての真実が何か、それは己が決めるしかない。
ここに来る意味は?暇つぶしという訳ではないと思うが。
自分にとって何を受け入れて何を受け入れないか、或いは受け入れたいか。
あらゆる事を決めるのは自分だという意味だよ。
誰かが指図することは出来ない。
226 :
神も仏も名無しさん:2010/03/10(水) 18:36:10 ID:zr22u0FK
(阿弥陀佛に逢ってみたいと出家した虫のよい悪党・源太夫へ、眼光鋭い老僧の一喝は続く)
「・・・求めるからには苦しむがよい。怖れがなく悔いもなく、悶えもしない心で、
何を求めたとて与えらはせぬわ」
「そうだ。その通りだ」源太夫はうめいた。
「おれはとんでもない外道だ。悪鬼だった。往生をのぞむなど、考えてみれば虫がよすぎた。
浄土どころかこの先、行く手に待ちうけているのは、まっ暗な地獄でしかあるまい。・・・
おそろしい。行きたくないが、してのけた悪事を思えば、罰は当然かもしれぬ」
土をかきむしって源太夫はむせび泣いた。老僧の一喝は、強情者の我意をうちくだいた。
〜「白い蓮」 杉本苑子『今昔物語ふぁんたじあ』所収
>>225 その話が何の関係があるのか分からないんだけど。
>>225 ちなみにこの考えには同意できない。
それもまた指図できるものではないよね。あなたがそういう考えの人なら。
助言と指図の区別も出来ないのか、日本語が達者なことで
>>229 助言なのか。どっちでもいいんだけど。
俺のも助言って言えば助言なんだけどね。
自分の不満を喚き散らすことを助言って言うのか、最近の人間の言葉は難しいのね
>>231 お年寄りは目が悪いからそういう風にしか見えないんだろうね
それがその己の真実ってやつですね。
そう決めたのですね。
それが人の為の言葉なら、たとえ役に立たない戯言でも助言だろうさ
それが自分の為の言葉なら、たとえ金言であろうとも欺瞞に過ぎない
確かに、益と害でしか世の中を割り切れない今の子には解りづらいのだろうけどね
下らない争いとかする気はないです。
あなたもそれなりに年を重ねているのなら余裕を見せてください。
君が一番くだらないのだけれど?
争うも何も、餓鬼がギャーギャー喚いてるのをニヤニヤ笑いで見てるだけ
ほら、余裕を見せてあげたよ
分かった。
君は無視でいいってことね。
無視宣言して余裕ぶる辺りがお子様だなぁw
お子様とかどうでもいいです…
そこは無視しろよwwwwwwww
煽られて即反応返すってお前wwwww
>>201 わしは修行が今とは異なる何かになろうとする行為とは書いておらん。
鳥が何かになろうと練習をしているとも書いておらん。
何故、おぬしは他人の書いたものをあるがままに読む事が出来ないのじゃろうか。
それはおぬしがあるがままという観念を持ち、それを己の自我を守り、肥大させる道具として使っているからではないのかな。
わしは鳥が飛ぶために練習をすると書いた。それは現実にある事じゃ。
雛鳥はそのままでは飛べない。母親に習い、練習する事で飛べるようになる。
花も咲くために地面を割って茎を伸ばす。時には硬いコンクリートさえ割ったりする。
どうしても抵抗できない時には茎を曲げたりもする。そこには力があり細工がある。
あるがままという観念だけを持っているおぬしはそれを現実にあてはめるだけで、見えないだけなのじゃ。
あるがままでいられなくて良い。
あるがままを許せないくて良い。
ただあるがままでなくてはならないという観念に囚われる事がおぬしにとっての障害なのじゃ。
あるがままという観念を持つ事によって、あるがままの現実を見られない。
あるがままという観念を持つ事によって、あるがままの言葉を読めない。
それがおぬしの今の姿じゃ。
全ての言葉は偽りじゃ。
あるがままという言葉ものう。
その言葉を言った者はその観念に囚われよ、と言ったのじゃろうか?
世の中には子供の頃から弱いものを虐待する残虐な者もおり、我が子を殺す母親も居る。
あるがままであれば慈悲が出るというのも観念による妄想じゃ。
それを知るだけでもおぬしがこのスレに書いた事は意味があったという事じゃのう。
>>198 人間と言う観念の無い人間じゃのう。
真の人間と言えるかもしれん。
>>241 煽られたから返したってことじゃない。
下らない煽りとか必要なの?
それって大人なの?
>>241 俺にはあなたに大人の余裕がないように思います。
246 :
神も仏も名無しさん:2010/03/10(水) 20:33:53 ID:yBK7BjXR
>>201 あるがままなら、漢字あるままながめると、業を修めることが修業でしょ。
なぜ、そんなふうに考えてるんですか?
必要も何も、君を馬鹿にして楽しんでるんだよ
娯楽だ娯楽
あぁ、これが君の言うところの俺のあるがままとやらだろうから、
見当違いの文句や説教は要らないよ
君ほどじゃあないw
私も下らないですけど、あなたは相当下らないですよ
251 :
神も仏も名無しさん:2010/03/10(水) 20:41:14 ID:yBK7BjXR
>>205 あるがままっていう言葉にとらわれすぎ、
うそをつく、うんちする、腹が減る、オナニーする、ぜーんぶあるがままでんがな
そのレベルになると、あるがままに大した意味はないのでなんもなし
そういうのに囚われるのもありのままじゃないんですか。
253 :
神も仏も名無しさん:2010/03/10(水) 20:53:21 ID:yBK7BjXR
>>242 >おぬしは他人の書いたものをあるがままに読む事が出来ないのじゃろうか。
人のこと言えるか?修業じゃなく、修行がたりんな、バーカ
254 :
神も仏も名無しさん:2010/03/10(水) 20:55:56 ID:8t3RyPL3
水槽の中を見るとき一般人は魚に注目するが
悟った人間は水に注目する
255 :
神も仏も名無しさん:2010/03/10(水) 20:56:13 ID:yBK7BjXR
>>252 やめようぜ、そんな下らんことは
はいはい、分かってますよ
ぜーんぶ、ありのまま、あるがまま、ついでにそのまんま
257 :
神も仏も名無しさん:2010/03/10(水) 21:03:46 ID:/3JnImcx
鬼和尚さんに質問
現在の仏教と 釈迦の悟りは完全に別物のような気がするが
あなたはどうお考えですか?
闇を照らす街灯には虫が集まる。
それも一つの風景か。
260 :
神も仏も名無しさん:2010/03/10(水) 21:19:06 ID:yBK7BjXR
私は日差しを避けて植木鉢の下にいる団子虫です。
今日も今日とてアホがしょうもないプライド守ろうと必死に書き込んでおるのう。
おもろいのう。外に出て体を使った方が楽しいのにのう。
ま、一生ひきこもりでもそれは個人の自由だが
己の感情をコントロールする修行だけはやっといた方がいいな。リーマンさんよ。
おい、これ悟!元気ですかー!
馬鹿に元気な奴、発見 !
265 :
やまい:2010/03/10(水) 22:12:38 ID:/ch954B6
空といえば空。
あるがままといえば全てがあるがまま。
で、それで?
266 :
やまい:2010/03/10(水) 22:16:16 ID:/ch954B6
仏法で自我を守るなど本末転倒。
勝義諦、空を説くなど笑い話ですか?
コレ悟君は、本当に元気なのかな。
>>268 だから、自分は二サルガの押しかけ弟子w
270 :
神も仏も名無しさん:2010/03/10(水) 22:25:11 ID:XwFU1HoC
>>242 201です
鳥が飛ぶために練習する、それは練習という言葉です。
それでは、練習をしない鳥というのはいるのでしょうか?
鳥はただ鳥として。花はただ花として生きている、それを練習や、修業というならそれもまた言葉です。
しかし、あなたが言っている事とは決して同列におけないのです。
「空を飛ぶ鳥を見よ、播かず、刈らず、倉に納めず、だが天の父は鳥を養ってくださる。」
これは聖書の言葉ですが、ここに練習という意思、選択、努力があるでしょうか。この一文の主張は一体なんでしょうか?
ここに方向があるのでしょうか。葛藤があるのでしょうか。選択があるのでしょうか。
一方であなたは修業について語ります。
はたしてこれが、鳥が飛ぶことと同列に語れるものでしょうか?決して語れません。
そこには意思があります。選択があり、葛藤があります。今とは違うものに、より良いと思われる何かに向かおうとする意思があります。
もし、あなたがおっしゃるように、鳥のその練習と人の修業が同列であるならば、飛ばない鳥がいないように、坐禅を組まない人間がいない事になります。
現実として坐禅を組む人間は少数派なのです。
そして聖書の言葉で言うならば、そのような坐禅を組まない人間も同様に「養いたまふ」のです。そして、まさにそこに慈悲が、愛が、慈愛が、許しが現れるのです。
「あるがまま」という言葉に関しての私の意見に、あなたは十分に理解されていないようです。
あるがままでなくてはならない、とは一体どういう意味でしょうか?それがいかにおかしな言葉であるか、と私は思います。
あなたは私が、あるがままでいなくてはならないという観念を持っていると言われますが、それほど論理的に矛盾した指摘はありません。
あるがままでなくてはならないなどという事がありえますか?原理的にそれは不可能ではありませんか?一体あるがままでないものなどあるのでしょうか?
あるのは、あるがままを拒絶する意思です。観念が入る余地があるのはそこです。そしてそれこそ、あなたの言う修業という言葉へ向かうものです。
あなたはここを理解されているでしょうか?
失礼ですが、理解されていないように思われます。
理解のためにはさらに言葉を尽くす必要があるかと思われます。
271 :
棟 ◆EsMuneyesQ :2010/03/10(水) 22:25:35 ID:xYe+B/2J
名前欄にこれ悟りと書かなければこれ悟りではなくなるが、
お前はお前のままだ。くっせー自意識を抱えたお前のままだ。
分かったか。
明日も無駄な思考の垂れ流し、せいぜいがんばれや。
>>271 あなたは何をそんなに決め付けているの?
自分はたった三スレ書いただけだけど。
コレ悟君は今日は来ていないと思うよ、たぶん。
あれ?IDが変わちゃったw
棟さーん!そいつはコレ悟じゃない!
275 :
やまい:2010/03/10(水) 22:39:52 ID:/ch954B6
>>270 太陽は明るいけど、観念の色眼鏡をかけてしまえば、
その観念により歪んでしまう。
心が。
心が歪めば体も歪んでしまう。
そのような真理を身で体験するために座るのです。
知るためにです。体は心と異ならないということを。
太陽は常に照っています。自分で眼を覆わなければ。
スレじゃなく、レスでした。
>>272-274 ワロタ。
お前らというかお前相変わらずいい反応だ。
名無しで自分をフォローしてないと言いたいことも言えない弱虫の本性は
オカルト板の白山ー伊勢スレで俺がこれでもかというくらい暴いてやったのにのう。
自称悟っているという鬼和尚はどれとどれが同一人物の書き込みかくらいは
分かっているのかのう。
>>270 お前さんが当たり前だと思っていることは全然当たり前ではないんだよ。
俺もその罠に往々にしてはまるから自戒も込めて。
279 :
神も仏も名無しさん:2010/03/10(水) 22:58:10 ID:yBK7BjXR
>>270 あなたは信じられないでしょうが、やんばるくいなは飛ぶために練習しています。
しかし、その結果、残念ながら飛べないのです。
飛べないけど練習しています。
言葉遊びはそのへんにしとけや
280 :
神も仏も名無しさん:2010/03/10(水) 23:03:13 ID:yBK7BjXR
ちんこのサイド、かゆー
281 :
神も仏も名無しさん:2010/03/10(水) 23:06:31 ID:yBK7BjXR
282 :
神も仏も名無しさん:2010/03/10(水) 23:09:31 ID:XwFU1HoC
>>242 あるがままでない、という事はありえないのではありませんか?ほんの少し考えればわかる事ではないでしょうか。
あるのはただ、あるがままを許せない、逃げたい、変えたい、という心の動きです。葛藤と言っても良いでしょう。努力と言っても良いでしょう。逃避と言ってもいいでしょう。
つまり何か違うもの、現状、つまり実際の状況、あるがままの状況ではない何かに向かおうとする意思があるだけです。
理解できるでしょうか。
では人はなぜ何かになろうとするのでしょうか。
今の自分が辛い、苦しい、みじめだ、劣っている、不幸だ、絶望だ・・・・どうしたらいい?どうしたらいい?などと人は悩むのではないでしょうか。
そしてある人はこう思います。もっと大金を稼いでしまえばきっとこの苦しみはなくなる、金だ、金を稼ぐんだ、と。
別の人はこう思うかもしれません、もっと見た目がよくなって異性に愛されればきっと自分の問題は解決する、と。
さらに他の人はこう思うかもしれません。
悟りなるものを開けば全ての問題が一挙に解決するらしい、それを開くにはどうしたらいいんだ?それを開こう、と。
これらにあるのは、何かになれば、修業すれば、練習すれば、何かを得れば、自分が変われば、自分は救われる、幸せになれる、という心の動きです。
あなたが言っている事はまさにこの事です。
しかし、その根本にある自我の働き、つまり現状から変わっていきたいという心の動き、もっと言ってしまえば自我そのものがある限り、どれだけ何かを得ようと問題は解決しないのです。
そのままでいいなら何もする必要ないよね。
そのままでいればいいし、このスレに来る必要も無いんじゃないの。
いや、来るなって言ってるわけじゃないよ。
つまりどうすればいいの。
284 :
神も仏も名無しさん:2010/03/10(水) 23:21:16 ID:XwFU1HoC
>>282の続きです。
例えば禅の世界ではこう言います。
「ただ平常のままでよい」
この一文の主張はなんでしょうか。
なんら付け足すことはない。
そう言える事が、もしもその言葉を使うならば、悟りです。
だからこそ許しが、愛が、慈悲がその一端を垣間見せてくれるのです。
では慈悲とはなんでしょう。鬼和尚さんが言うようなもの、大きくしたり、出したりするものでしょうか。
「あるがままであれば慈悲が出るというのも観念による妄想じゃ」、とかそんな幼稚な話ではないのです。
慈悲は出るものではありませんし、大きくするものでもありません。
それは常に完全にあるものです。それはもはや時間も空間も超えています。人智を言葉を超えています。
決してそれが何か、と言葉で正確に言う事はできません。絶対にできません。言葉の次元に存在していません。本当に不思議で神妙で神秘です。
あなたが本当に慈悲のほんの片隅にでも触れたら、愛の一片にでも触れたら、あなたはきっと泣くでしょう。そしてなぜ泣いてるのか理解できなでしょう。
それは人間の、理解の側に属していないのです。
そしてそれは、人間が出すとか、大きくするなどと言う事とは全く天地がひっくり返るほど異なる事なのです。
修業や努力というのは、それがないのだという事に向いた逆説的な行為です。何もすることはないのです。
しかし行為の中で自分が完全に消えてしまった時、その時に愛、慈悲、神がその一瞬の姿を一瞥させてくれるのです。
しかしそこに努力や方向があるならばそれは瞬時に消えてしまうでしょう。
>>284 鬼和尚が毎晩ここにやって来るのは慈悲によるものです。
もし、少しでもあなたに慈悲があるなら、和尚のブログも読まれてはどうか。
>>284 あなたが言ってる事全体としては間違いではないと思う。
でもややもするとあなたの言い分は、安易な現状肯定に陥る種を含んでいる。と思う。
クリシュナムルティって解説としてはすごくためになるんだよな。
皆やるじゃないか!
何もしないということ自体が修行ですね。
なかなかできるものじゃないですよ。
290 :
毘沙門天:2010/03/10(水) 23:46:14 ID:siMoVyLK
あいかわらずレベルの低い思考垂れ流しスレ
>>284 クズの扱い方に目覚めた方が利口だよ
ですが、僕は基本的に仏教にはあまり入ってません。
人間的なものをもっと肯定しています。
>>290 ネ申乙
ころころコテ変えるな、あなたは
>>289 言葉遊びすると
「何もしないをしちまった!」ってなる。w
295 :
神も仏も名無しさん:2010/03/11(木) 00:20:00 ID:MnFJHFA0
>>285 ブログは拝見しました。
その上で判断したのです。悟りという言葉を使うのなら彼は悟ってはいないでしょう。
あくまでも修行者
つまり私は彼が誰かを導く事に反対しているのです。
そのために長々と自説を書いたのです。
このためにもちろん鬼和尚さんも周りの人も不快な気分になるかもしれません。
それを覚悟で書きました。
ですから、できるだけ言葉を尽くして書いたつもりです。
それでもなお彼を信奉するという人がいるならば、その方に全面的に敬意を表し応援します。
もちろん鬼和尚さんや、ここにいる同志(この言葉が適切でしょうか。兄弟と言ってもいいかもしれません)の方たちにも大いなる敬意を持っています。
296 :
偽和尚 ◆qH7QdQmFhM :2010/03/11(木) 00:25:53 ID:J5xhmwre
避難所の方のスレが1000超えたので新スレ立てました。
規制等でお悩みの方はこちらへどうぞ。但し、よーく以下の注意を読んでからにした方が良いでしょう。
[宗教板] 悟りを開いた人のスレ の避難所 2
http://jbbs.livedoor.jp/bbs/read.cgi/study/8276/1268231828/ ●注意
・この避難所は2chの中ではなくjbbsのレンタル掲示板を私個人が借りて作ったものです。
・書き込んだ場合のIPアドレスは私には筒抜けです(特に問題がなければ見ませんが)。
・ID固定の設定であるためIPアドレスが同じなら日が変わってもずっと同じIDになります。
・IPアドレスが同じでありさえすれば違う人だったとしても同じIDになります(マンション等で
一つの回線を共有している場合は違う人と同じIPアドレスになっている場合があります。
また、ダイヤルアップ接続だと偶然誰かと同じになる場合があります)。
>>294 そうだ。確かに何かをしてるって言えばしてる。しないことをしてる。
意識的に何かをするのがいけないんですかね…
無意識的な自然な状態、ありのまま。
そういう意味のありのままの状態を目指しているのかもしれません。
なんかだかなあ。
まずは「あるがまま」「無意識的な自然な状態」こういった言葉を捨てるべきだと思うよ。
捨てろと言われてはい捨てますとはなりませんよ!
>>297 いや、半分冗談で言ったんだけど、結構言葉にとらわれちゃう人も多いと思うんだ。
でも行為に言葉なんて無いからやっちゃえばいいんだと思う。
実践がすべてってそういうことなんじゃないかと勝手に理解してる。
301 :
神も仏も名無しさん:2010/03/11(木) 00:34:23 ID:v3AVAlzE
>>302 鬼和尚が推奨する数息観でもいいし、座禅を組むのもいいかもね。
>>295 君さー、慈悲は人知を超えているとか言ってるくせに
その口で他人に分かってるとか分かってないとかよく言えるね。
ほんとおめでたいよ。ひょっとして君は人間じゃないのかい?
あと、前からいろんな人に指摘されてるけどさ、
君のその慇懃無礼な態度はなんなのさ。
他人を尊重している風で全然話を聞いてないって言われたろ。
君の敬意なんて口先だけだろ。
あの時は凡夫というコテだったかな。
お前=伊勢白山道リーマンが「感謝」を呪文・呪術にしてしまっているのも
敬意や畏れがないからだよ。まったく怖いものを知らんバカだ。
頭でいくら考えてもそれだけじゃダメだって。
働くこった。体を動かしてな。
社会で自分が正しいと思うことを実践できないうちは全然ダメ。
「あるがまま」を曲解して迷いを深めるのがオチだ。
修行でも労働でも練習でも何でもやらなきゃダメだ。
これはやる意味があるかないかって考えてるだけの奴はただの弱虫だ。
そのままでは何も成すことはないだろうな。
もちろん、自分で何をするか選ぶことは大事だけどな。
生きるのが辛いばかりに伊勢白山道の三本供養を毎日やって
それで何かを実践してるつもりになっちゃいかんわな。
偉くなりたいならちゃんと努力して偉くなれ。
ネットで覚醒したとか霊能力を持ってるとか神様がついているとか
でたらめ言っても嘘は嘘。迷いを深め、苦しみが増えるだけだ。
なんだよ、チャット止めることはないんだぞ、「お前ら」。
309 :
神も仏も名無しさん:2010/03/11(木) 05:52:16 ID:/WjeFS7a
>>295 >つまり私は彼が誰かを導く事に反対しているのです。
何故反対なの?
310 :
やまい:2010/03/11(木) 08:01:05 ID:KRialxi+
311 :
やまい:2010/03/11(木) 08:06:43 ID:KRialxi+
312 :
やまい:2010/03/11(木) 08:11:48 ID:KRialxi+
『仏向上』
その仏向上人、これ非仏なり。いかならんか非仏と疑著せられんとき、思量すべし。
仏より以前なるゆえに非仏といはず、仏よりのちなるゆえに非仏といはず、
仏をこゆるゆえに非仏なるにあらず。ただひとへに仏向上なるゆえに非仏なり。
その非仏といふは、脱落仏面目なるゆえにいふ、脱落仏身心なるゆえにいふ。
また、向上というのは、何か特定の事態から、更に上に昇ることではなくて、
常に無階級の修行を現成することであり、その無階級であるということが、
仏であるということになるため、まさに仏を超越することが、仏そのものに他ならないのである。
いはゆる仏向上事といふは、仏にいたりてすすみてさらに仏をみるなり。
衆生の仏をみるにおなじきなり。しかあればすなはち見仏もし衆生の見仏とひとしきは見仏にあらず。
見仏もし衆生の見仏のごとくなるは見仏錯なり、いはんや仏向上事ならんや。
http://wiki.livedoor.jp/turatura/d/%CA%A9%B8%FE%BE%E5%BB%F6
313 :
神も仏も名無しさん:2010/03/11(木) 09:21:43 ID:v3AVAlzE
>>311 妙有とか、妙用とか、他人が考えたような言葉用いて
やまいさんは空即是色を本当は理解してないんでしょ?
314 :
やまい:2010/03/11(木) 09:24:02 ID:KRialxi+
あなたが理解すれば良い事です。
315 :
やまい:2010/03/11(木) 09:35:57 ID:KRialxi+
第35則 文殊前後
【本則】
和尚「近ごろ、どこを離れましたか?」
無著「南方です」
和尚「南方で、仏法はどうなってるでしょうか?」
無著「末法ですから、戒律を守る僧が少ないです」
和尚「何人くらい?」
無著「300か、500か。
こちらでは、どうなっているでしょうか?」
和尚「凡も聖もいるし、龍も蛇もいる状態です」
無著「何人くらい?」
和尚「前に三三、後ろに三三」
http://pocki.hp.infoseek.co.jp/hekigan35.html
316 :
素人A:2010/03/11(木) 10:25:37 ID:Fc8j9H1G
胸から上は3仏の修行だが下で3煩悩と遊ぼうかな
心はコロコロと転がるばかり?
317 :
神も仏も名無しさん:2010/03/11(木) 10:41:08 ID:v3AVAlzE
>>314 やっぱり、そんな回答すると思ったよ。
そんな難しいことばかり言う人ってあやしいんだよね
理解してないんでしょ。
318 :
やまい:2010/03/11(木) 10:46:45 ID:KRialxi+
私に興味がお有りですか?
何して遊ぶ?
319 :
神も仏も名無しさん:2010/03/11(木) 10:50:16 ID:v3AVAlzE
もう遊んでますが
320 :
SRKWブッダ:2010/03/11(木) 10:52:35 ID:DnzjLaVp
「色即是空」 つまり色(=形態(rupa))は空性であるという言明は、誤解を招きやすい表現であるがこれ自体はあながち間違った言い方とまでは言えない。 ある種の空観によってもたらされる見かけの定(サマディ)において、これは体感できるものであるからである。
しかしながら、「空即是色」という言明は事実に即しておらず間違いである。
ただ、人は「色即是空」ということにまつわって為されるいかなる修行によっても覚りに至ることは無い。 そして、「空即是色」ということにまつわることがらは道に即していない。
真実の真相を知らない人々(衆生)にとって、このことはすぐには了知できないことであろうが、聡明な人はこれらのことがらにまつわって世間に飛び交う種々の見解から離れるべきである。
いらぬ争論の種となるだけで、役には立たないからである。
***
321 :
やまい:2010/03/11(木) 10:57:18 ID:KRialxi+
おもちゃにしないでね。
私の張った文は馴染みが無いと思うけど、
もう一度、注意深く読めばそれほど難しくないのです。
なぜ、このような文を張るのかといえば、
あなたとわたしの差を無くしたいからですよ。
どちらが上とか下とかいう問題ではありません。
322 :
やまい:2010/03/11(木) 11:05:43 ID:KRialxi+
情報というのは多数のものが知るほどその価値は低下する。
将に、わたしは知識を公共の掲示板というゴミ箱へ捨てにきているというわけです。
こちらの勝手な都合なので、どうぞお構い無く。
323 :
神も仏も名無しさん:2010/03/11(木) 11:09:11 ID:v3AVAlzE
ご苦労様です。妙有ですか?
324 :
やまい:2010/03/11(木) 11:10:54 ID:KRialxi+
遊ぶ時は十分に遊びます。
ストレスは溜めたくないからね。
325 :
神も仏も名無しさん:2010/03/11(木) 11:12:56 ID:v3AVAlzE
じゃぁ、妙用しないと
326 :
やまい:2010/03/11(木) 11:46:35 ID:KRialxi+
327 :
素人A:2010/03/11(木) 15:56:10 ID:Fc8j9H1G
あー良い風景だ。山と空アートだなあ。こちらが主役なんだ。我々人間のドタバタドラマ
そんなもの問題にもならない、自然が主役我々はじゃまにならないようにしよう、人間は脇役でした。
人間も自然の一部と知ることが悟りなのかもしれない。
そうだね。
知り、自分と自然の境目がなくなる。
自分が自分であって自分でなく、自然が自然であって自然ではなく。
それを感じられる事かもしれない。
それだ。
逆に今の社会はどんどん自然と切り離してきたから
やまほどの苦を抱え込むようになった
自然の流れに沿った生活や考えを持ち自然に近づくほど苦は少ない
望みどおりに飢え苦しめば?
>>257 そうじゃ、長い間伝わるうちに変わってしまっているのう。
実践が無くなり単なる知識になってしまっておる。
それではいかんのじゃ。
止観を行わなければ悟りは得られないのじゃ。
>>266 空を説かず使うのじゃ。
それが空と観るという事じゃ。
>>270 相変わらず現実を見ておらんのう。
言葉じゃといって鳥が練習しておる現実を、誤魔化せるものではない。
雛鳥が巣立つ前に懸命に羽ばたくのを見れば、誰もが練習していると言うじゃろう。
それが言葉であると言っても、おぬしがありのままの現実を見ておらず、ありのままの自分を認められないのは変わりないのじゃ。
その聖書の言葉というのはは明らかに間違いじゃ。
鳥などの野生の生物はわずかなえさを取り合い、時には殺し合いまでする。
そこには闘争があり、奪い合いがあり、飢えがある。
それもおぬしにとってはありのままなのかもしれんがのう。
わしは鳥のその練習と人の修業が同列とは言っておらん。
相変わらず他人の書くものをありのままに見ておらんのう。
ありのままという観念によって己の自我を肥大させるために、他人の言葉を捏造する己に気付くのじゃ。
おぬしがあるがままでいなくてはならないという観念を持っていると言うのは、論理的に矛盾しておるというのは正しい。
おぬしは正に論理的に矛盾した観念に囚われておる。
だから現実をありのままに観る事が出来ず、ありのままの自分も認められないのじゃ。
ありのままという言葉は修行者が間違った努力をしている時、正しく悟った師が元の道に導くために言うなら正しいじゃろう。
しかし、それだけを覚えて観念として囚われれば、ただの障害に過ぎないのじゃ。
その論理が正しいか、正しくないかではない。
おぬしがそれに囚われて現実を観られないのは、明らかな間違いなのじゃ。
それは特に悟りを得ていなくとも、他人には判るものじゃ。
このスレの他の者もおぬしにそれを気付かせようと、おぬしに言葉をかけておる。
それこそがおぬしの受け取るべき尊い慈悲なのじゃ。
>>282 それは観念の拡大解釈というものじゃ。
何もかもがあるがままなら、虐殺も殺し合いもみんなあるがままじゃ。
そしておぬしはこう思うじゃろう。もっとあるがままという言葉を広めればきっとこの苦しみはなくなる、あるがままだ、あるがままを広めるんだ、と。
おぬしはこうも思うかもしれん、もっとあるがままで他人を説得すれば異性に愛されきっと自分の問題は解決する、と。
さらにおぬしはこう思う。あるがままなるものを説けば全ての問題が一挙に解決するらしい。
あるがままを開くにはどうしたらいいんだ?それを開こう、と。
これらにあるのは、あるがままになれば、あるがままにすれば、あるがままを得れば、自分が変われば、自分は救われる、幸せになれる、という心の動かもしれん。
おぬしが言っている事はまさにこの事じゃろう。
そのあるがままという観念に囚われる事は、実際には金や異性や修行に囚われるのと同じ事なのじゃ。
しかし、そのあるがままという言葉によって他人を説得しようと言うのが、自我から来るものじゃから問題は解決しないのじゃ。
むしろ他人に見破られて忠告を受ける立場であるのにも気付かないのじゃ。
335 :
神も仏も名無しさん:2010/03/11(木) 22:17:50 ID:rfQzKFLG
鬼和尚さんに質問
止観を行うって何ですか
336 :
狸和尚:2010/03/11(木) 22:43:28 ID:KYc4HuHi
>>270 やはりそうか。
どうもあなたの言葉がピリッとしてないと思ったが、キリスト教関係者だったか。
あなたの言葉と発想は、中東か地中海方面の風土からきたようだ。
聖書は多くの比喩を使って書かれている。
だからいろんな解釈ができる。
過去にそういうことが多々あり、多くの犠牲を払ったのではないかな。
キリスト教関係は、その由来を考えてみたらいい。
モーゼの十戒の1番は、「あなたは、私をおいて他に神があってはならない」だ。
中東またはエジプトは大昔は森があり栄えていた。しかし、人口が増え、森を壊して畑にし、
ムギを植え家畜を飼った。
それゆえに、森がなくなり砂漠化した。人々は飢え、争いが始まった。
それを止めるために、「モーゼの十戒」が生まれた。
つまり、人々を超越した神が必要だったわけだ。
しかし、ブッダの生まれた北インドは豊かな地域だ。主食はコメ。
コメを作るには水がいる。水は森無くしては生まれない。だから、人々は森を大事にした、
ブッダの関心は「生老病死」だった。これは、人間の根源的で共通の問題だ。
そこから、修行が生まれ、悟りが生まれた。
仏教の十善戒の1番は「不殺生」だ。命あるものを殺してはならない。
どちらが、永遠の真理か、おわかりになると思う。
なお、私は一神教については門外漢なので間違いがあったらお許しくだされ。
337 :
狸和尚:2010/03/11(木) 23:00:37 ID:KYc4HuHi
>>270 ー追加ー
その内容なら、そんなに長々と書かなくても4〜5行で足りるよ。
338 :
神も仏も名無しさん:2010/03/11(木) 23:00:39 ID:rfQzKFLG
仏教は命あるものを殺してはならぬ と説くのか?
ならば、やはり釈迦の悟りとは乖離している。
この世のすべての事象は善であるということを釈迦は悟っている。
339 :
SRKWブッダ:2010/03/11(木) 23:03:28 ID:DnzjLaVp
解脱に至ったもろもろの菩薩の感心事は、いわゆる生老病死ではない。 もちろん、釈尊もそうであったと認められる。
解脱に至ったもろもろの菩薩の感心事は、生老病死にまつわって起こる識別作用の終滅と、この生老病死にまつわって起こる識別作用によって生じる苦悩の軛(くびき)からの自分自身の心の離脱である。
つまり、もろもろの菩薩は生老病死そのものが恐くて発心したのではない。 もろもろの菩薩が発心した要因は、もっと差し迫ったものであった。
人は、努力や才能などによっていかように作り上げた自分自身も生老病死にまつわって起こる他の人々の心の識別作用によって粉砕されてしまう。
それは、後々の自分も有無をも言われないみすぼらしいものとしての応対(しうち)を受けるということを意味している。 なぜならば、他ならぬ自分自身が他の損なわれた人を見てそのように実感するからである。
このことから根本的に脱れることはできない。 しかしながら、自分がそのように損なわれないようにするのではなく、自分が他の損なわれた人を見て、そのようには見ないように識別作用を終滅せしめることはできると期待され得る。
そして、実際にそれが起こるのである。 それによって、もろもろの菩薩は当初望んだこと以上の望みを達成することになる。 彼らは解脱の真相を身を以て知り、その無上のしあわせに住することになるからである。
***
340 :
狸和尚:2010/03/11(木) 23:05:25 ID:KYc4HuHi
>>338 あなたは「ダンマパダ」を読んだことがあるのかな?
読めばわかる。
あちこちの糞担当どもとバーチャル口論し、
相手が吐きそうな言葉を妄想しては
それに対する気が利いた決定的な言葉を吐いて最終的に
「別にお前なんかといつ手を切ってもいいんだぜ」
捨て台詞を吐いて清貧で静寂に包まれた生活をおくる妄想。
342 :
神も仏も名無しさん:2010/03/11(木) 23:15:54 ID:rfQzKFLG
段間パダ?読んだことない。
もう悟りは得ておりますので。
343 :
神も仏も名無しさん:2010/03/11(木) 23:26:12 ID:T22z5xVB
>>333 201です。鬼和尚さん、失礼かと思いますが理解されていないようです。
私は昨日のあの文章をゆっくりと書きました。どうかゆっくりと読んでください。
難しい言葉はありません。できるだけゆっくりともう一度読んでください。
意見の相違ではなく、誤解されています。もう一度説明します。できるだけゆっくりと読んでください。私もゆっくりと書きます。
練習という話題、これは後に回します。
あるがまま、という事についてですが、ありのままとは何だと思っているのでしょうか。
どうも、あるがままというのを、何か、空想の、理想の、イメージの何かと思ってるようです。違います。
私は上の昨日の文章でも書きましたが、あるがままでない、という事はありえないのです。ありのままでいなくてはならない、という事はありえないのです。
現実、今この変わっていく今、何の解釈をされずともうごめく今、これがありのままです。そうでしょう?
これはあらゆる個人の観念をもちろん含む、全てです。全ての現実です。全ての現象です。
理解できるでしょうか?ここが理解できなければ、もう一度読んでください。
鬼和尚さんは333を読む限り理解できていないように思います。
人がどう思おうが、何を期待しょうが、、何も意識しなかろうが、とにかく常に現実は、あるがままの現実はそこにありうごめいているのです。
『あるがままでいなくてはならない、という観念』など言葉の意味からおかしいのです。観念があろうがなかろうが関係なくそれはうごめいているのです。
理想があって、『その理想の状態でなくてはならない』、という場合、その理想は観念です。あるがままの現実はこの観念を内包した現実です。
現実とは、「あるがままの現実」とは、理想を持とうが知ろうが知られまいが歴然としてあるのです。
ですから、「あるがままでいなくてはならない」、というあなたの文章も、本当に理解されているのならば書くはずのないものなのです。
あなたは何か誤解されているのでしょう。
現実を見る、とは、このあるがままを認識することです。「現実」がありのまま、という事です。
つづく
344 :
狸和尚:2010/03/11(木) 23:39:46 ID:KYc4HuHi
>>343 悪いが、つまらんこと書いてスペース使うの止めてくれ。
ありのままって無限でとらえようがないよな。
とらえようの無いものを人間はつかんだように思う。これが妄想でしょ。
無限のごく一部をとって現実と錯覚してる。
あるがままは認識しつくせない。
認識しつくせないことはは想像できる
346 :
流:2010/03/11(木) 23:48:17 ID:7wCb3TNN
>>343 あなたが言ってる事は鬼和尚は恐らく理解してるよ。
そんな長文は無用だ。
悟りってのは得られないといけないものなんですかね…
そうは思わないのですが…
>>343 「ありのまま」と「あるがまま」との言葉の使い分けは、次のよう例で正しいでしょうか?
例:あるがままに生きてきた俺の人生を今、ありのままに語ろう。
あるがままの意味があやふやになってます。
意味で話をするとすっきりすると思います。
350 :
流:2010/03/11(木) 23:50:53 ID:7wCb3TNN
>>347 〜〜しないといけない、なんて事は本来何もないと思うよ。
ただ人の思い込みが、そういったものがあるかのように錯覚させるだけだよ。
ありのままの現実を見なくてはいけないのでしょうか…
ありのままの自分を認められないといけないのでしょうか…
352 :
SRKWブッダ:2010/03/11(木) 23:55:47 ID:DnzjLaVp
覚りは、誰にとっても
得られる筈のものであり
得て欲しいものであり
得るべきものであり
得なければならないものである。
そうでなければ、悲しむからである。
***
そもそも『ありのままの自分』って何?
354 :
神も仏も名無しさん:2010/03/11(木) 23:57:28 ID:rfQzKFLG
宇宙をすべて理解するのは人間には不可能。
しかし、悟りを得れば 宇宙を感じることが可能。
>>351 和尚さんのレスからの引用なので和尚さんに聞いてください
356 :
流:2010/03/12(金) 00:05:07 ID:ACNGAeUb
>>352 >>354 お二方が言ってる事は分かるんだけどね・・・。
『悟り』って言葉が厄介なんだよ。
未だそこに到達しない人から見たら、『悟り』なんてものがあると思ってしまう。
実際『悟り』というのは言葉にしか過ぎず、方便なんだけどね。
言語によって表現不可能なそれを、無理やり言葉にしたのが『悟り』という言葉であって。
まあ一度『悟り』という言葉につまづいて、迷いを転じて悟りとなすという道もある訳だから、
それもいいのかもしれないけれど。
357 :
神も仏も名無しさん:2010/03/12(金) 00:05:59 ID:zO36b1/O
>>343の続きです。
もう少し具体的に、では今現実にあるがままを見てみましょう。あらゆるあるがままの現実を。
・・・・音が聞こえます。遠くで近くであらゆる場所で音が聞こえます。私の中にさまざまな感情の種があります。イメージが。あらゆる身体の感覚があります、気分の認識、目の前にある映像、匂い、そしてこれらは一瞬ごとに移っていきます何もかもが流れていきます・・・・・
これら全てが現実です。ありのままです。私の感情も、音も一瞬ごとに移っていきます。二度と同じものは戻ってきません。全てがうごめいています。
これがあるがままです。これらを認識するなら、それが現実を見るということです。
そしてもしもこれをただ当たり前に認識できたならばこれが禅です。
あるがままにするとか、あるがままになるとか、その言葉のおかしさがわからないでしょうか?
もうこの事は何度も指摘しています。しかしあなたは理解しません。ゆっくりと読んでください。
このあるがままは理想ではありません。希望でもありません。現実の今ここにあって常に変化しているものです。
あるがままの現実は、まさに現実です。それを人間の自我が「これは嫌だ」と言うならば、それが方向です、努力です、選択です。
あなたが書いた、例えば「あるがままを広める」というのがこの方向、努力、選択です。そこから逃避したいという意思です。
わかるでしょうか。
そしてその意思、その方向、選択、それが迷いなのです。
続く。
>>357 そういうの全部含めてあるがままといえるのではないでしょうか…
そういうのというのは、
>あるがままの現実は、まさに現実です。それを人間の自我が「これは嫌だ」と言うならば、それが方向です、努力です、選択です。
>あなたが書いた、例えば「あるがままを広める」というのがこの方向、努力、選択です。そこから逃避したいという意思です。
>わかるでしょうか。
>そしてその意思、その方向、選択、それが迷いなのです。
ここの部分です。
逆に言うと、「そういうの」をまたやめようとするわけですよ。
それもあるがままをやめようということになりますよね。
361 :
神も仏も名無しさん:2010/03/12(金) 00:13:52 ID:H9IiB7a/
>>357 なんとなく言いたいことがわかったよ。
あるがままに生きてきた俺の人生を今、ありのままに語ろう、
の例文でOKだね。
>>360 ですがこれもありのままなのかもしれません。
結局何をしようがありのままなのです。
和尚さんもあなたも。
363 :
SRKWブッダ:2010/03/12(金) 00:16:46 ID:6aa6Wwp5
>>356 たとえば、子どもが描いた絵は子どもらしい絵である。 それを大人が真似しようとしても無理である。 大人は、下手な絵は描くことができるが子どもじみた絵を描くことはもうできないからである。 たった一本の線さえも、大人は子どもじみて引くことはできない。
たとえば、未だ知恵の輪を解いていない人が知恵の輪を解こうとして為す操作はすべてが迷いごとそのものである。 なぜならば、彼はまだその知恵の輪を解いていないからである。
しかしながら、すでにその知恵の輪を解いた人は、どうしても迷いごとの操作を為すことができない。 彼はその答えを知っているからである。 彼は強引にさえも迷いごとの操作をすることはできない。
すでに覚った人(=仏)は、真実のやさしさを知った人である。 それゆえに、もろもろの仏はやさしくない行為を為すことができない。 もろもろの仏の行為はすべてがやさしい行為となるのである。
こころある人は、迷いの生存を脱して、決して迷うことのない境地へと到達せよ。 そこに至れば、すべては明らかとなるからである。
***
364 :
神も仏も名無しさん:2010/03/12(金) 00:22:11 ID:zO36b1/O
>>357の続きです。
あるがままでいなくてならない、という観念など存在しえないのです。観念の余地があるのはそこから逃げ出そう、変化させようとする方向だけなのです。
もちろん、その観念もまた、現実に内包されていきます。
理解できるでしょうか。
鬼和尚さん、あなたは私に侮辱されました。非難されました。これが現実です。あるがままです。あなたは怒ったのでしょう。私にはわかりませんが私はそう感じました。
怒りは反応です。きわめて動物的な反応です。侮辱されれば怒る。6歳の子供でもそう反応します。あなたは怒った自分が見えましたか?
見えないならあなたは悟ってはいないのです。
今度は私をあなたは非難します。私はそれを見て、あなたへのさらなる失望や、なぜ理解できないのか?という苛立ち、もうちょっとわかりやすく書けたのだろうか?もっとよく書こうという欲望、満足したいという欲望
こういった感情が次々に産まれていくのが見えます。
この感情が良いとか悪いとか、苛立ちが良いとか悪いとか、そんな判断は関係なく、ただそれはあるのです。
そして、その時同時に、パソコンは音を立てるし、ライトの明かりは部屋を照らすし、夜空には星がまたたきます。
あるがままを見るとはこういった全てを認識する事です。
悟りの一側面とはまさにの事です。
私が昨日書いた事は、今日書いた事よりもさらにさらに踏み入った内容です。
これは、あらゆる瞑想、禅、祈り、題目、念仏、行、といったものの骨組みとなる一つの認識でしょう。
これが理解されないのであればあらゆる修業も坐禅も全く無意味なのです。
理解されないまま修業するならそれはさらにエゴを肥大させていくだけなのです。
>>354 宇宙て…。
そんなものを知るために釈迦は修行してたわけじゃない。
366 :
流:2010/03/12(金) 00:23:15 ID:ACNGAeUb
>>363 あなたの言う事は賛成できるよ。
>>363だけじゃなくて、他のレスもね。
自分はただ『悟り』という言葉の厄介さについて述べたかっただけ。
言葉の向こう側に超え出ていかないとね。
>>365 もちろんそれが目的だった訳じゃない。
ただ結果的にそうなったというだけだよ。
368 :
神も仏も名無しさん:2010/03/12(金) 00:30:37 ID:zO36b1/O
>>359 もちろんそうです。
それがあるがままの現実です。
例えば人を憎んで、人を殺したいと思う。それもあるがままの現実です。
大事な事は次です。
この時、あなたはこの殺意に気づいた時に、この想いから逃れようとします。
方向を持つわけです。
しかし現実にその殺意はあるのです。これを否定してなんとかその思いから逃げ出さなくてはなりません。
これが葛藤です。
そしてこれが迷いです。これが苦しみです。これが迷妄です。そしてここから離れる事は抵抗では無理なのです。
そしてそれが正しく見るという事に他なりません。
仏教風に言うならば、正見ということです。
見て下さい。その時、消えます。我々は振動です。わかりますか。我々は振動です。
いつか消えていく波です。
人が消えればその殺意も、憎しみも、何もかも消えるのです。
そしてそれが正しく見るということです。
それって結局鬼和尚が言ってる事とあまり変わらんぞ。
>>368 そうだね。そう上手くいくかは分かんないけれど、そういう良い動きみたいなものも含めてあるがままだと思うよ。
371 :
狸和尚:2010/03/12(金) 00:38:38 ID:wgB/1VM+
>>368 やっぱり、あんたはキリスト教関係だな。
仏教は一神教とは全然別のものだよ。同じ言葉でも意味が違う場合もある。
どうも、エホバくさいのう。
372 :
SRKWブッダ:2010/03/12(金) 00:39:33 ID:6aa6Wwp5
人をして安らぎに導き至らしめるこの一なる道(=仏道)の真実を知る人は、穏やかに・楽しく語る。
同じことがらを語るのであるならば、荒々しい言葉を口にするよりも穏やかに語る方がすぐれている。
同じことがらを語るのであるならば、おどろおどろしい言葉を口にするよりも楽しく明るい言葉で表現する方がすぐれている。
穏やかにものごとを語り、楽しく明るい言葉で表現しつつ、真実の真相を見極めようとする人が、ついに真実に到達するのであるからである。
***
373 :
神も仏も名無しさん:2010/03/12(金) 00:52:06 ID:H9IiB7a/
>>364 >怒りは反応です。きわめて動物的な反応です。侮辱されれば怒る。6歳の子供でもそう反応します。あなたは怒った自分が見えましたか?
見えないならあなたは悟ってはいないのです。
鬼和尚ちゃんをあんまり苛めないでください。
だいぶ前に何日かにかけて鬼和尚に死について問い詰めをしたときがあって、ほんとは知らないんじゃないですかみたいなこと言ったら、鬼和尚から突然、愚者ってレスされてね。
そこで鬼和尚を侮辱非難しようと思ったんだけど、たまたま生活スレ版でその何十分か前に鬼和尚が何人かの人に対しても愚者って書いてたの見ちゃったんだよね。
なんか、それらを読んでて侮辱・非難するレス返す気がなくなってしまってどうでもよくなってレス返さず無記、いろんな人にアドバイスしてあげてくだちゃいって気になっちゃったんだよね。
それ以来、鬼和尚苛める気は僕ちゃんにはNothingです。
>>367 経典に釈迦と弟子が「宇宙はどういう構造をしているのか」という問答をしたとでも書いてあるのか?
宇宙どうのこうのなんてのはとりあえず釈迦の教えじゃないだろ。
すなわち、仏教じゃない。
375 :
神も仏も名無しさん:2010/03/12(金) 01:07:07 ID:zO36b1/O
>>371 私はキリスト教とは関係がありません。エホバとも関係がありません。
こう思いませんか?
どんな宗教にせよ、修行にせよ、その結果その人がますます意固地で、かたくなに、エゴを肥大させるのであれば、やらない方がよいと。
私はここにいる人たち、あなたにも鬼和尚さんにもある種の愛情を覚えます。
なんらかの辛い事、苦しい事、悩み、葛藤、その末にここにいるのです。
毎日完全に幸せであった人はここにはいないでしょう。ほとんどの人が葛藤の末にこの道に来たのです。
私とここにいる人たちは、本当に兄弟のようだとすら思うのです。
我々は本当に消えます。水面に浮かぶ波のように消えます。そしてその時ここに書いた思い出も悲しみも憎しみも全部全くなくなります。
その事を認識すると、そこにある種の気持ちが生まれます。
これを愛と呼ぼうが慈悲と呼ぼうが、関係ありません。これは事実ですから。
私はそれでとてもうれしいです。
満足しています。
あなたがたが修行なり、勉強なりをして、もしもそこに愛が、許しが、慈悲が生まれず、むしろ分断が生まれるなら、その修行や勉強は間違っています。
修行するってことは、みんな同じだってわかる事なんですから。だからこそ愛が生まれるんです。
>>374 別に仏教じゃなくても構わないけどね。
自分の底を降り切ったら内なる宇宙に開けるというのは実感だよ。
それを悟りと呼ぶか呼ばないかはどーでもいい。
まだ続いてたんだ
この茶番
>>376 名称に拘らないのなら「真理」とか違う言葉を使った方が仏教の悟りとハッキリ区別できていいと思うので是非そうしてくれ。
鬼和尚とクリシュナムルティみたいな人の言ってることの違いがわかりません><
誰か解説して
380 :
狸和尚:2010/03/12(金) 06:08:14 ID:wgB/1VM+
>>375 あんたの日本語はおかしいよ。
ピシッと心に伝わらない。
この感覚は、一神教のパンフレットを読んだ時の感覚と同じだ。
回りくどい。
あなたは過去か現在、一神教と関係があったはずだ。
「愛」や「許し」という言葉を頻繁に使う・・・これは一神教の習慣だ。
まあ、長文が多いが、その内容は4〜5行で収まる。
381 :
神も仏も名無しさん:2010/03/12(金) 06:09:27 ID:7B8CJtH1
>>373 その流れを見ないとなんとも言えないけど、
つまり、貴方は「愚者」という発言をするような人は聖なる境地にないと判断したということかな?
釈尊も「愚者」って説かれてますよ。『律』にたくさん。
382 :
神も仏も名無しさん:2010/03/12(金) 06:11:10 ID:7B8CJtH1
>>375 もっともですが。愛が執着やただの観念でなければ
383 :
素人A:2010/03/12(金) 06:50:47 ID:QLW/hZfq
ありのままとは? 法から観ると有りのままなんか? 我から観ると思うようにならず。
法輪まで心が大きいならありのままなんだろう。私は心がせまいので何時もぶつぶつ。
我とは言わず法といえ、いいえ我々です。
384 :
神も仏も名無しさん:2010/03/12(金) 06:54:49 ID:7B8CJtH1
>>383 原義的には生物それぞれ体験・知覚するまま。
この「あるがまま」「ありのまま」が仏教の存在論・認識論
それぞれの業と習慣に従って「あるがまま」「ありのまま」に認識され、存在すると言われる。それが縁起・仮設。
本来は空・無我。
385 :
素人A:2010/03/12(金) 08:18:03 ID:QLW/hZfq
我々の中に正法眼蔵ソフトが安らかにお休みになつている。
386 :
流:2010/03/12(金) 08:19:52 ID:ACNGAeUb
>本来は空・無我
であるにもかかわらず、何がしかの実体や自我があると思い込む。
それが無明であり、その無明(=無知)の状態から脱する為に努め励め、と仏陀は言ってる訳でしょ?
鬼和尚が良く言う「観察せよ」っていうのも同じ事であって・・・。
ものすご〜くシンプルな話だと思うんだけど。。
お釈迦さまは苦しむものを救いたくて修行した。
そののちに悟りを得られた。
我々は自分の苦しみから逃れたいがゆえに、真理を求める。
それは、必ずしも悟りであると自覚されているものではないはず。
救われたいという切実な思いが真理に駆り立てる。
それは尊いことなのではないだろうか。
誰かが、そのやり方は違う、それは間違いだ、こちらの方が明晰だ、と言う。
しかし、人の顔かたちが全て違うように道もまた人それぞれなのだ。
どの道から行こうとやがては真理につながっている。
救われたいものは、救われればいい、どの道を選ぼうとやがては真理にたどり着くのだ。
388 :
流:2010/03/12(金) 08:48:31 ID:ACNGAeUb
無明である状態でさえも「あるがままだからいーんじゃい」
って言っちゃうのはどうかと思うけどね。
人の霊性の進化(深化)(←こんなものもないっちゃないんだけど)
を否定する事になる。
安易な現状肯定は人を堕落させる。
>>364の言うようなエゴを肥大化させる修行なんて修行ではなく、
むしろ修行とはエゴを転じて無我と発見するという過程なんだから、エゴが肥大するなんてことはあり得ない。
この人の言ってる事は本覚思想にも似た危うさを含んでいる。
389 :
神も仏も名無しさん:2010/03/12(金) 08:49:58 ID:7B8CJtH1
>>386 だけど、それには三昧・禅定が必要だとも仏教はいうわけですね。
それがないとただの気構えになってしまう。
まあ、それでも無いよりいいけど。
>>387 いやいや、完全に覚ったと自覚されたと全ての伝統が伝えております。
その前にただの三昧・禅定を教える二師について、
三昧体験をして、それは悟りではないと自覚されています。
390 :
流:2010/03/12(金) 09:00:31 ID:ACNGAeUb
>だけど、それには三昧・禅定が必要だとも仏教はいうわけですね。
そうそう。つまり実践に重きを置いている。
個人的には仏教のやり方は方法論の一つであって、唯一の道って訳ではないと思うけどね。
とにかく意識というのは生きていく中でエゴやら執着やらにまみれて汚れやすいんだから、
そういった汚れを否定する事なく自然の流れの中で純化させる精神的・肉体的努力は必要だと思うよ。
391 :
やまい:2010/03/12(金) 09:14:48 ID:QUn5gvxT
あるがままを受け入れるには何もしなくて良いな。
だが、仏教は『外の法』を求める「外道」になるためではない。
釈迦が悟りを開く前、教わった仙人の師匠が教えた「非想非非想処」で
十分である。これは、心を問題にせずとも良いということである。
だが仏教で相手するのは「内の法」すなわち、心法である。
心を修めずして仏法は無い。
>>389 >>387だが
誤解させてすまないが、お釈迦さまのことではなく、われわれが求める真理(仏教徒だけのことではなく)を
必ずしも悟りと自覚している人はそう多くはないだろうと言いたかった。
悟りというと、とたんに胡散臭い響きが付きまとうように思えるのは自分だけかも知れないが。
真理というと何だか万人に分かりやすいように思える。
悟りを否定する人でも真理の存在を否定する人は少ない。
真理は全てを貫くもので、外れるものはいない(全てに当てはまるから真理という)
そう言う意味では、真理は全ての真実を包含していると思う。
悟りもまたそうではないだろうか。
これは自分の観念、妄想ともいう。
393 :
神も仏も名無しさん:2010/03/12(金) 09:34:39 ID:7B8CJtH1
>>388 本覚門は、ただの現状肯定ではありません。
きっちり修行しますよ。
ただの現状肯定みたいに言ってるのは唯の誤解。
>>390 いやいや、三昧などの精神集中法は他にあるけど、
観、縁起、無我・空が他にはないんです。
394 :
やまい:2010/03/12(金) 09:51:07 ID:QUn5gvxT
395 :
やまい:2010/03/12(金) 10:05:54 ID:QUn5gvxT
396 :
神も仏も名無しさん:2010/03/12(金) 10:26:55 ID:7B8CJtH1
>>394 二師に習ったのは、その上の無色界定、初禅から四禅までは色界定、
大きな違いは無色界定だと集中しすぎて観ができないこと。
397 :
神も仏も名無しさん:2010/03/12(金) 12:06:41 ID:3uVYZyYh
398 :
神も仏も名無しさん:2010/03/12(金) 13:14:34 ID:MVXFVdnd
鬼和尚からの怖い最後の一言
「すまんのう。本当は悟ってなかったのじゃ。わっはっは。さらばじゃ。」
399 :
番茶:2010/03/12(金) 18:05:17 ID:79fg2GTY
仏教では「愛」はあまり、よしとされていないと聞いたけどどうなんですか
ね。例外的に愛語といって、言葉は大切にせよということはあるらしいですが・・・
400 :
神も仏も名無しさん:2010/03/12(金) 18:06:11 ID:j6FlxOql
>>398 私は本覚を得ているよ、鬼和尚は文章が上手ですし助言も的確です。
私は文章は不得手なものですから、遠慮しています。
402 :
流:2010/03/12(金) 18:52:09 ID:ACNGAeUb
>>393 >本覚門は、ただの現状肯定ではありません。
そうでしたか。誤解していたようです。すみません。
403 :
番茶:2010/03/12(金) 19:40:05 ID:79fg2GTY
>>375 自分に(を)語ることと、他者に語ることとを混同してはだめです。
それはよくないことです。
自覚が無い故になおさらやっかいなのです。
誤解が解けないからです。
いずれわかることですが・・・
というかもうわかってるはずです。
あなたはあなた自身のイメージに愛着しすぎてますよ!
404 :
やまい:2010/03/12(金) 20:00:18 ID:QUn5gvxT
同じだから、愛が生まれるといった人に質問したいことがあります。
同じだと思って愛していたものに異質なものを認めたとき、
そのとき、それは憎悪に変わってしまいませんか?
愛するということに、同じであるという条件を付け足す必要などあるのでしょうか?
完全に理解しておる。
むしろおぬしよりも今のおぬしの状態を理解しておる。
おぬしが見ようとしないおぬしの状態を理解した上で書いて居るが、おぬしは自分だけが正しいと思い込んで受け入れられないだけなのじゃ。
あるがままでない、という事はありえない、というのが観念であり、妄想であり、おぬしの囚われなのじゃ。
ありのままでいなくてはならない、という事はありえない、というのもおぬしの観念であり、妄想であり、囚われじゃ。
現実、今この変わっていく今、何の解釈をされずともうごめく今、これがありのままというのが、おぬしの観念であり、解釈であり、妄想じゃ。
そしてわしが理解出来ておらず、自分だけが正しいと思うのがおぬしの囚われている観念であり、妄想であり、解釈なのじゃ。
クリシュナムルティが生きていたら、それは観念ではないでしょうか?とか、
そのような観念への囚われが学ぶことを可能にするでしょうか?とか
いいえ、可能にはしません。
それは相変わらず私の模倣であり、機械的な反応であり、分裂をもたらすものです。とか言ったじゃろう。わっはっはっは。
>>357 おぬしが感じられる現実もあるじゃろう。
それをあるがままとか、言葉でもって観念に分類し、分裂を引き起こす事が観念への囚われと言うのじゃ。
クリシュナムルティが生きていたなら、現実に対してそのよう言葉を当てはめるのが現実を見るということでしょうか?とか
これをただ当たり前に認識できたならばこれが禅でしょうか?とか
いいえ、違います。
ここには追い変わらず観念への囚われがあり、自我を守り、肥大させるための行為でしかありません。とかいうじゃろう。
先ず自分だけが正しい、という思い込みを捨てなければ、現実は見えないのじゃ。
下空き杉w
>>364 クリシュナムルティがいきていたなら、あるがままでいなくてならない、という観念など存在しえないのでしょうか?
観念の余地があるのはそこから逃げ出そう、変化させようとする方向だけなのでしょうか?
いいえ、それも違います。
どのような観念も在り得ます。
ただ自分だけが正しく他人は間違っていると言う観念を持つ者が、それはありえないとという観念を抱いているだけなのです。
そこには相変わらず観念への囚われがあり、分裂があり、自我を肥大させようとする行為しかありません、とかいうじゃろう。
クリシュナムルティは死んでしまったからわしが言ってやるのじゃ。
わしはおぬしに侮辱されたとも、非難されたとも思っておらんがのう。
物まね芸人がこまねちとか言っても誰も侮辱とか非難とか思わないじゃろう。笑えるだけじゃ。わっはっはっは
それで怒る事も無い。
自分が感じた事だけが正しく、それを現実と思うのがおぬしの妄想なのじゃ。
クリシュナムルティの物まねをする者なら以前もこのスレに来たのう。
クリシュナムルティかぶれは特に珍しくも無い。
そのような者が一番、クリシュナムルティの言葉を理解していないものじゃ。
物まねをする事で自我を肥大させているおぬしの姿は、他の者にもすでに判っておる。
そして、笑いの種にしかならないものじゃ。
おぬしがその口調のまま本でも出せば、著作権法違反にもなるじゃろう。
おぬしはまだ他人に説く者ではないのじゃ。
もっとクリシュナムルティの本を読んで、正しく意味を把握できるようになるが良かろう。
408 :
やまい:2010/03/12(金) 20:41:26 ID:QUn5gvxT
>>375の後半はクリシュナムルティでもキリスト教でもないですね。
死を真直ぐ見つめる姿勢は菩提に通ずると思います。
>>379 同じじゃよ。
クリシュナムルティは修行もまた罠になると言った。
しかし、自分は小さな頃からヨーガを修行し、悟ってからも続けておった。
その位に修行していれば修行も罠になるといえる。
何もしていない人間が修業は罠になるというのとは違うのじゃ。
修行に囚われて己の性を見る事を忘れた伝統的な僧への警鐘の意味もあったのじゃろう。
そのように修行して得た集中力と観察力で自我のイメージを観察し、拭い去るとか言っていた。
それは観察によって自我が落ちると言うのと同じじゃ。
観察をアテンション(注意)と呼んで集中とは区別しておった。
集中と観察の違いも知っていたようじゃ。
410 :
やまい:2010/03/12(金) 20:53:15 ID:QUn5gvxT
人の死を感じて湧き上がる心。
本来具足(はじめからそなわっている)の仏心でしょうか?
それとも縁起による幻でしょうか?
私にはわかりません。
411 :
神も仏も名無しさん:2010/03/12(金) 20:56:16 ID:gbkeg6OY
>>405 やはり理解されていないようです。
私は同じ話を3回しました。これは説明が悪いのでしょうか?あなたの理解力の問題でしょうか。
これは言葉のそもそもの意味、言葉の意味の確認です。
私が何を思おうと、あるがままは常にあるのです。そしてそれをあるがままの現実と定義しているのです。
観念があろうがなかろうが歴然として存在する、そのあるがままの現実をあるがまま、と言っているわけです。
それが観念や妄想であったなら、それはあるがままではないのです。
何度も書きました。理解してください。
例えば、平行という概念がありますね?
それは2直線が永遠に交わらない、という定義です。
これを妄想だとか、観念だとかいうのなら、何一つ数学は成立せず会話にならないわけです。そういうものがある、として話を展開するから意思の疎通ができるのです。
あなたのこの文は無意味です。私は誠実にゆっくりと書きました。しかしあなたは何を書いたのでしょうか。
>そしてわしが理解出来ておらず、自分だけが正しいと思うのがおぬしの囚われている観念であり、妄想であり、解釈なのじゃ。
という言い方に対し、私が、『それは「あなたの」妄想です。』と言うならあなたはなんと答えるでしょうか。
「わしのは妄想でも解釈でもない、おぬしだけが妄想なのじゃ」
とでも書くのでしょうか。
これはあまりに幼稚な感情的な水かけ論です。
鬼和尚もgbkeg6OYも同じことを別の言葉で言ってるだけかもよ。
セ・リーグとパ・リーグの違いしかないんじゃないかな。
違うといえば違うが同じといえば同じって感じ。
2直線が永遠に交わらないってどうやって証明できるんだろう。
仮定だよな。
>>411への反論ではない。
>>413 俺もそんな印象だわぁ。
同じものの別の面を観ているような・・・
>>411 あんたは、どうしてそんなに些細なことにこだわるのか?
もし、仏教に関心があるのなら、座ればいい。
座るのが嫌なら、ひたすら歩くといい。
417 :
神も仏も名無しさん:2010/03/12(金) 21:23:11 ID:gbkeg6OY
>>407 なんと説明したらわかってくれるだろうかと本当に悩んでいます。
他人に伝えるというのは難しい事です。
さっきの例で出した平行を例にします。
2直線が永遠に交わらない、それを平行と呼ぼう。
これは定義です。
同様にあるがままを、「誰が何を思おうと、曲解しようと、理想をもとうと、何があろうと歴然として存在する現実」と定義しよう、と。
そしてこの前提を持って話を進めましょう、というわけです。
しかし、ここで平行な2直線など妄想だ、勝手な解釈だと言われてはもはや会話は消えてしまいます。
この、あるがまま、というのもそれと同様の話です。
また、このあるがままの現実というのは、なにも私が言いたい事の中心ではなく、その道具(=言葉)です。
あるがまま、が観念だ、というのは、平行とは観念なのだから平行四辺形は存在しない、という事と同じなのです。
これがどれほどおかしな話であるか。
正直、ここにいる人の中でも理解されてる方もいらっしゃいます。
あなたは誤解されているようです。
考える事など無駄、という意見もあるでしょうが、ぜひ理解されることを望みます。
>>410 執着によるものじゃ。
よい所に行くかもしれぬ者を、仏の心が知らないわけがあるじゃろうか。
>>411 完全に理解しておる。ぱーふぇくとじゃな。
そのあるがままは常にあるというのが、妄想であり、観念であり、囚われなのじゃ。
鳥はあるがままという言葉を発するじゃろうか?
観念や妄想を離れたあるがままというものが、わしはあるがままじゃ、とか言うじゃろうか?
何があろうとなかろうと、おぬしがあるがままと言う観念を抱き、それに囚われているのには変わりないのじゃ。
おぬしの数学的な定義に沿って話をすれば、おぬしは交わっている線を見ても、頭の中に平行線と言う観念があるからそれを平行だと言っているようなものじゃ。
平行線はどこかにあるじゃろう。
しかし、おぬしはそれを見られず、平行線でないものを平行線としているのじゃ。
おぬしの言葉通りのありのままは、どこかにあるかもしれん。
しかし、おぬしが観念として抱き、囚われているのはありのままではないのじゃ。
おぬしが自分だけが正しいと思い込んでいるから、受け入れられないのじゃ。
おぬしは鳥も飛ぶ練習をするという現実を受け入れられなかった。
己の観念に固執し、その現実を必死で否定しようとした。
それは正に観念に囚われ、肥大した自我が己の間違いを認めようとしていないからじゃ。
おぬしは怒ってもいないわしが怒っていると誤認し、それをもとに自分の妄想を書いた。
それも現実ではなく、おぬしの妄想であるが、それも自分が間違っていると認めてはいない。
現実が見られず、ありのままという観念に囚われ、己の間違いを修正できず、自分だけが正しいと思っている事は、このように現実をどう捉え、己を修正できるかという態度で判るのじゃ。
それを妄想というのじゃ。
クリシュナムルティの物まねはやめたようじゃな。
ようやくそれが恥ずかしい真似だと判ったようじゃのう。
それだけでもこのスレに書いた意味があったと言える。
419 :
神も仏も名無しさん:2010/03/12(金) 21:29:09 ID:iO6GZc7o
慈悲だの愛だの 悟りとは関係ない。
ただし仏教には必要な概念だ。
仏教の本質は「ウソも方便」ということだと思う。
>>417 その言葉、道具が囚われであり、要らないものじゃ。
捨てるのじゃ。
おぬしはまだ他人にものを説く者ではないのじゃ。
今説けばそれは自我を肥大させる行為に他ならないのじゃ。
鬼和尚がムキになって反論する相手の言い分は傾聴に値することが多いよ。
そういう意味でgbkeg6OYはそれなりの人物だと思うよ。
422 :
神も仏も名無しさん:2010/03/12(金) 21:40:26 ID:gbkeg6OY
>>418 平行線ではないものは平行線ではありません。
平行とは、認識されようがされまいが平行としてあるのです。
囚われている、囚われていないにかかわらず存在し続けるもの、それがあるがままの現実です。
理解している人間が、「そのあるがままは常にあるというのが、妄想であり、観念であり、囚われなのじゃ。 」とは書かないのです。
ある観念を持って、あるがままを見て、本当にあるがままを見られるでしょうか。
見られないのです。
それはあるがままではない。そしてそれがまさに大事な点です。観念が自己があってはあるがままは見る事ができないのです。
そしてこれが禅です。
鳥が練習をする、というあなたの文章を読み、私は聖書の一文を挙げましたね。
鳥に何かになりたい、という方向があるでしょうか。人間が坐禅を組むように、鳥は飛ぶ練習をするのでしょうか。
坐禅を組まない人間はたくさんいます。しかし、飛ばない鳥がいるのでしょうか。
鳥にとって飛ぶということは、それくらい当たり前の行為で、自然で、なんの優越感も、特別性もない、本当に当たり前の行為です。
私は花も例に挙げましたね。
花は誰に褒められもせず、誰に見られなくとも、そっと咲き、散る。これは自然な行為です。
そして坐禅というものが本当に自然に起こる、花が咲くように自然に起こるものでなければ無意味だと言っているのです。
423 :
神も仏も名無しさん:2010/03/12(金) 21:44:42 ID:iO6GZc7o
横槍で恐縮だが 平行四辺形や平行線は実在してはいないぞ。
あくまで人間の頭の中での概念でしかない。
424 :
番茶:2010/03/12(金) 21:46:54 ID:79fg2GTY
>>421 そもそも坐るとは静坐といって心を落ち着ける行為に他ならないし、
そもそもあるがままとはあまり論点になり得る類の問題ではなく、
増して、数学の問題でもないことを確認しよう。
心の問題はそもそもやっかいだから、なにかに投影したくなるもんだよ。
和尚さんは鳥は飛ぶ練習をして飛ぶ
gbkさんは鳥は鳥である練習と言う概念は無い、って事なのかな?
つー事は、和尚さんは人の道に例えて鳥の話をして
gbkさんは空として?宇宙として?存在として、鳥の話をしたって事なのかな?
こんな感じ?
426 :
神も仏も名無しさん:2010/03/12(金) 21:50:53 ID:gbkeg6OY
>>423 言葉としてのそれは仮定ですね。
しかし、その仮定の元に人は月まで行ったわけです。
そもそも言葉というものは全てそのような性質を持っています。
例えば、言葉をあらわす言葉は存在しませんし、鳥という言葉そのものをあらわす鳥もいない。
言葉とは分離です。つまり「〜〜ではない」、という約束ではないでしょうか。
427 :
神も仏も名無しさん:2010/03/12(金) 21:55:06 ID:iO6GZc7o
横槍で恐縮だが 鳥や花は完成された存在ですよ。
人間だけが なぜか不完全 未成熟の生き物なのです。
ゆえに、それに気がついた者は完成 成熟 つまりは、
悟りを得ようと修行するのです。
>>422 あんた、そんな議論して何になるの?
あんたの心が平安なら、そんなに拘泥しないはずだが・・
あんたは悟ってないよ。
それどころか、一度のサティーもサマーディも経験ないと見た。
gbkeg6OY さんの言っている事が正しいかどうかは問題ではなく、
「その正しい観念に囚われている」って話でしょ?
>おぬしはまだ他人に説く者ではないのじゃ。
これのみが正しいと言えるんじゃないの?
>>422 認識されようがされまいが平行としてあるものはあるじゃろう。
しかし、おぬしは平行と言う観念を持つ故に並行ではないものを平行と見ているのじゃ。
ある観念を持って、あるがままを見て、あるがままを見られない、というならばおぬしは正にあるがままを見ていない事になるのう。
前にも書いたがわしは鳥が飛ぶために練習をするとは書いたが、鳥に何かになりたい、という方向があるとか書いてはおらん。
それも妄想じゃのう。
クリシュナムルティが修行がむしろ障害になると言ったのは、それに囚われて己を追及する努力を忘れるたりするからなのじゃ。
瞑想が自然に起こるようになるには、クリシュナムルティのように幼児からヨーガを修行し、己の習い性にまでなった者だけじゃ。
それ故に修行が必要なのじゃ。
あるがままという観念を持てば、そこに分裂が生じ、瞑想が自然に起こる事は無くなるじゃろう。
それは自然ではなく、作為であり、不自然な行いなのじゃ。
例えばりんごがここにあるとしよう。
観念とは別にりんごはそこにある。
しかし、りんごの無い飢えた者達の間にあって、誰かがりんごというものがあり、とても美味しいと説けば何の役にも立たず、現実を見ろとののしられ、ただ争いの元になるだけじゃろう。
観念と現実にあるものは違うのじゃ。
おぬしもありのままと説くそれは、仮説の上でならあるといえる。
しかし、その観念を持って囚われれば、何の役にも立たず、現実を見られない障害になるだけなのじゃ。
クリシュナムルティはそのような意味で言ったのではないのじゃ。
クリシュナムルティの説いた本来の意味を離れて、ただ観念でしかないものを説けば、それは間違いを広めるものとなるだけなのじゃ。
431 :
神も仏も名無しさん:2010/03/12(金) 22:02:50 ID:ZHOR6wig
>>417 >あるがまま、が観念だ、というのは、平行とは観念なのだから平行四辺形は存在しない、
>という事と同じなのです。これがどれほどおかしな話であるか。
ざっと読んでもこの一文だけで「あるがまま」を理解していないのが判るねぇw
432 :
神も仏も名無しさん:2010/03/12(金) 22:03:09 ID:gbkeg6OY
>>427 人間も完全です。今ここに完全です。
完全でない、というのはあなたの意志であり、自己であり、エゴであり、比較であり、迷妄であり、無明です。
今そこで完全です。
何かを得ることで完全になるのではありません。もうすでに完全だったんだと気づく事が悟りの一部です。
きわめて逆説的ですが。
そしてその時、方向がないのです。
>>432 ならば今ここでgbkeg6OYの言い分が理解されない、と言うのも
「人間も完全。今ここに完全。」なのだから完全で文句はないねぇw
それをなんとかしようと考えて奮闘しているgbkeg6OYの努力は
「意志であり、自己であり、エゴであり、比較であり、迷妄であり、無明。」
だねw
でもその意思も行為も思考も努力も全て
「人間も完全。今ここに完全」
だから構わないのかw
ん?どっちだ?
この観念の無限ループはいつ終わるんだい?
434 :
狸和尚:2010/03/12(金) 22:13:20 ID:wgB/1VM+
鬼和尚も
>>432も、何をつまらん議論をしておるのか。
2人とも大歩危じゃわい。がっはっはっは。
435 :
神も仏も名無しさん:2010/03/12(金) 22:14:09 ID:gbkeg6OY
>>430 >観念と現実にあるものは違うのじゃ
ですから、まさにその現実を「あるがまま」と呼びましょうと言ってるのです。
観念と一切関係なく、ある現実を、あるがままの現実と呼びます、と言っているわけです。
観念があれば、自己があれば現実は見られません。
436 :
番茶:2010/03/12(金) 22:15:16 ID:79fg2GTY
もう観念しよし!
ここで一句
「水の尾の岩に急かるるあまがっぱ」
なんかよくわからんけど、ここおもしろいな。
437 :
流:2010/03/12(金) 22:17:19 ID:ACNGAeUb
みんな良い発狂具合じゃのう
善き哉 善き哉
438 :
神も仏も名無しさん:2010/03/12(金) 22:18:14 ID:wc9URRiL
138 :エッチでリッチな なめなめおじさん:2010/03/12(金) 22:07:16 ID:6XRcuGI20
規制中なのでこちらで失礼さ〜〜〜ん
422 :神も仏も名無しさん:2010/03/12(金) 21:40:26 ID:gbkeg6OY
>坐禅を組まない人間はたくさんいます。
>しかし、飛ばない鳥がいるのでしょうか。
にわとり 借金取り 塵取 焼き鳥
>鳥にとって飛ぶということは、それくらい当たり前の行為で、自然で、なんの優越感も、特別性もない、本当に当たり前の行為です。
>私は花も例に挙げましたね。
>花は誰に褒められもせず、誰に見られなくとも、そっと咲き、散る。これは自然な行為です。
>そして坐禅というものが本当に自然に起こる、花が咲くように自然に起こるものでなければ無意味だと言っているのです
我が輩は最初は瞑想を修行のためにやっていたが、今は習慣のようになったのお
歯磨きみたいにじゃ 坐禅より瞑想が自然かにょお わからんがのお^^
果たして自然に起こらなければ無意味かにょお^^
我が輩は自然に頭にナイロンpantyを被っていたのじゃ
これは野の花が咲くように自然な事なのじゃよ^^
>>435 「・・・と呼びます」と言ってる時点で観念だろw
「観念と一切関係なく、ある現実を、あるがままの現実と呼びます、」
という考え方=という観念
観念ってのは、何かに名前をつけて整理する思考の働きだろが。
分かった?ww
440 :
神も仏も名無しさん:2010/03/12(金) 22:20:02 ID:gbkeg6OY
>>433 全く構いません。
完全な今がある。
苦しみとはどこから来るのでしょうか。
その今を「違う」という自己からではありませんか?
一つの例をあげます。
誰かが私に侮辱されます。
これは一つの現実です。あるがままの現実です。
苦しみはどこから来ますか?
彼は、機械的に反応し、その侮辱をなくしたい、変えたい、取り消したいと反応する、そこに苦しみは生まれます。
彼は反論する、なり、私を口汚くののしるなりして彼の自我を守ろうとするでしょう。
しかしそこに抵抗がなければ、全くなにも起こりません。
そしてそれが禅です。
441 :
神も仏も名無しさん:2010/03/12(金) 22:22:11 ID:iO6GZc7o
はい。私は完全です。悟りは得ていますので。
不完全なのは 不完全を認識しない人々です。
方向がないのは良いことでしょ
>>440 いっぱい反論してるよw
つか
>>440自体が抵抗じゃん?
無駄な事は止めなさい。
>おぬしはまだ他人に説く者ではないのじゃ。
443 :
神も仏も名無しさん:2010/03/12(金) 22:32:29 ID:gbkeg6OY
>>442 落ち着いて聞いてください。
もしもその人間の機械的な反応をそれが機械的な反応なのだ、と正しく見る事が出来ればそこに苦はあるでしょうか?
怒りにまかせて反論をする時、彼は自分が見えていないのではないでしょうか。
その時、人は相手を感情的に揶揄し、口汚くののしり、相手を傷つけようと欲望するのではないでしょうか。
私は、誰に対しても悪意や憎しみは持っていません。
あなたに対しても、です。
ぜひ私の話を理解してもらいたい、と思っています。あなたと私は全く同じ人間ですから。
自分が見えていない、その自分とはなんでしょう。
それがあるがままの現実です。
その現実からの乖離を自己や自我と呼ぶわけです。
444 :
番茶:2010/03/12(金) 22:32:34 ID:79fg2GTY
あなたは誰ですか?
私は番茶です。
ramanaマハリシかぶれってのはまだいないね。
長らく見てるけど。
まねしやすいとか、しやすくないとか、自分の文法に取り込みやすいとか、
にくいとか、いろいろあるな。
むしろ、その辺が知りたい。
445 :
神も仏も名無しさん:2010/03/12(金) 22:33:52 ID:H9IiB7a/
>>422 ここにいるたいていの人は、人間の考えることは、なんでもかんでも妄想、空と処理してしまうので、
君の持って生まれた想像力でいろんなことを考えだしても、
全てそれは妄想として処理されてしまう、しょぼいところなんですよ。
平行とは、認識されようがされまいが平行としてあるのですと、私のような素人がきくと、
果てしなく永遠に続く平行線を想像してしまうが、ここの人はその想像性も妄想としてかき消されてしまうんですね。
ここのスレはそういうしょぼいところと考えたほうがいいです。
ただ、そのクリシュムナルティや釈迦なんかは、いろいろ考える想像性は素晴らしいものだから、まぁいろいろ考えてくだちゃいね
ところで私はクリシュナムルティを知らないので、君は鬼和尚やここの人がいうように、クリシュナムルティを真似してるんですか?
真似するつもりはないんだったら、真似はしてないとはっきり言っといた方がいいよ。
446 :
やまい:2010/03/12(金) 22:35:24 ID:QUn5gvxT
苦を解決したなら、なぜ苦を他人の非難を恐れ、否定する?
まあ、先人の禅というのは、もっとタフですがね。
>此の法門中は、無障無礙なり。外に一切の善悪の境界に於て、
>心念が起こらざるを名づけて坐と為し、内に自性を見て動ぜざるを名づけて禅と為す。
>只だ境を見、境を思えば即ち乱るると為す。若し諸境を見て心乱れざれば、是れ真の定なり。
六祖壇経より
447 :
神も仏も名無しさん:2010/03/12(金) 22:41:46 ID:iO6GZc7o
横槍・ 人間は悪意 憎しみを持っています。
たとえ悟りを開こうとも感情を無くしてはいけません。
それこそ不完全な生き物です。
448 :
神も仏も名無しさん:2010/03/12(金) 22:42:50 ID:gbkeg6OY
>>445 私はできるだけ丁寧に、相手に敬意を持って文章を書こうと思っているだけです。
449 :
番茶:2010/03/12(金) 22:44:05 ID:79fg2GTY
レッテル張りは本意ではないが、
gbkeg6OYさんは典型的な無事禅に陥ったケースと言える。
>ここの処は実に大切なところで、第一尋牛位から始めて長年の修行の結果、
>今漸く第九返本還源位に至って、修行も悟も不要だったと云えるのであって、
>最初から修行も悟も必要ないと云うのは全くの誤りである。
>これを無事禅(ぶじぜん)と云うが、(中略)
>修行も悟も本来不要だったとはっきり云えるまで、
>只ひたすら坐って坐り抜く外はない。
http://sanbo-zen.org/cow09.html>>443 修行も悟も本来不要だったとはっきり云えるまで、
只ひたすら坐って坐り抜く外はない。
451 :
やまい:2010/03/12(金) 22:48:48 ID:QUn5gvxT
あるがままというのは、禅の使用上、語弊があるので
やめたほうがいいですよ。
場合によってあるがまま、如とみて、如来と同等と宣言してるようにも映る。
私が用いるならば「日々是れ好日」
怪我をしても「日々是れ好日」
病気になっても「日々是れ好日」
妻が死んでも「日々是れ好日」
会社を首になっても「日々是れ好日」
戦争で息子が死んでも「日々是れ好日」
452 :
神も仏も名無しさん:2010/03/12(金) 22:49:37 ID:H9IiB7a/
>>407 クリシュナムルティで頭がいっぱい
クリシュナムルティもいいけど
著作権法もちゃんと勉強してね。
453 :
神も仏も名無しさん:2010/03/12(金) 22:51:54 ID:gbkeg6OY
>>450 あなたのおっしゃりたい事はよくわかります。
そもそも私の意見は終わりまで言えていないのです。
なぜかと言えば、最初の言葉の定義の確認でつまづいてしまっているからです。
相互理解が進まなかったのです。
修行の方向を否定する、しかし最後はやはり修行に行くのです。
しかしそのプロセス、数学で言うならば、定理をただ使うのではなく、その定理を導いた上で使用する、ということではないでしょうか。
修行など不要だ、と言いきってから修行が始まるのではないでしょうか。そしてその時その修行はもはや修行とすら呼べない。
そういうことではないでしょうか。
454 :
神も仏も名無しさん:2010/03/12(金) 22:52:35 ID:6abfi/VW
座禅では悟れないよ。
神を信仰して神の幻覚を見るように、座禅をして悟ったと勘違いする事は実はよくある事。
座禅は仏陀の瞑想とは違うよ。
全て抽象的だし。
座禅で悟った人がいるなら、悟った内容と悟るまでの経過と何故座禅により悟れるか明確に言えなければ意味がない。
内容も結果も方法も全て曖昧なら、もはや座禅を信仰してるのと変わらない。
455 :
神も仏も名無しさん:2010/03/12(金) 22:55:26 ID:gbkeg6OY
>>451 それは素晴らしい言葉ですね。
本当に、心の底から「日々是れ好日」 と言えるなら、もはや何もいらない。
そしてそれこそ禅の道だと思います。ある種の悟りの道。
456 :
神も仏も名無しさん:2010/03/12(金) 22:57:11 ID:H9IiB7a/
>>448 本当に相手に丁寧なのかね
例えば人間も完全です。ってのは君自身の中では分かるんだろうけど
わたしだったらそうかなぁと思うね。
だって、完全ってがちがちに固定されたもののイメージが強いから、ほんとにその表現でいいのかとかは思うね。
本当に相手に丁寧な文章を書く意志があるんなら、あせらんでもいいから、
ゆっくり言葉の前に坐って選択したほうがいいね。
単に自分の思うどおりにわからせようとして言葉の選択をあやまり、苦しんでるようにしか見えないが
457 :
神も仏も名無しさん:2010/03/12(金) 22:59:36 ID:iO6GZc7o
坐んなきゃ悟れないなんていうヤツは 一生悟れない。
ああまた憎まれぐち叩いちゃった
>>453 違うよ。
修行が始まったそのはるか後に、修行など不要だ、と言いきれる。
そしてその時その修行はもはや修行とすら呼べない。
あえて言えばこれが正しい。
修行を始める前に、修行など不要だと言う事は愚か。
観念の遊戯に過ぎない。
「あるがまま」を「現実を受け取るため工夫」に使うのは危険。
ただの感情の抑圧と隠蔽にしかならない。
459 :
神も仏も名無しさん:2010/03/12(金) 23:13:54 ID:H9IiB7a/
>>381 君のオリジナルのアイデアだから、その判断が正しいかどうか鬼和尚に聞いたら
ちなみに、鬼和尚は、
釈尊は愚者が自分のことを愚者と言うのは賢者、愚者が自分のことを賢者と言うのは愚者だ説いた、
っていうようなことを書いてたので、その質問する余地は残ってるよ。
460 :
神も仏も名無しさん:2010/03/12(金) 23:17:01 ID:gbkeg6OY
>>458 もちろん修行を進めてからでなければ、不要という言葉すら出てこないでしょう。
そもそも最初から不要と思うのであればそのような行為はしないわけです。
ですからあなたのおっしゃることはその通りだと思います
「あるがまま」を「現実を受け取るため工夫」と捉えられているようです。
これは工夫でしょうか。
感情の抑圧、とは感情の動きがある時に生じます。
感情が動いている時にあるがままを見られるでしょうか。
あるがままの現実は自己があっては見ることができません
だからこそ禅や瞑想があるわけです。
>>440 反論しないと調子に乗る奴らも居るからw
462 :
神も仏も名無しさん:2010/03/12(金) 23:29:29 ID:MVXFVdnd
一般人は、修行もせず、どうやって「あるがまま」になれるのだ?
>>451 あなたの全財産を私に振り込んでくれたら
私もあなたも日々是れ好日ハッピーハッピー♪
464 :
やまい:2010/03/12(金) 23:37:28 ID:QUn5gvxT
反論されて負けるのが、禅の雅というものだがな。
風流ならざる処もまた風流。
議論で勝ってしまうなどつまらんわい。
465 :
神も仏も名無しさん:2010/03/12(金) 23:42:02 ID:gbkeg6OY
>>462 あるがまま、という現実は「なる」ものではないのです。
現実ですから。
意志や観念や、なににも関係がなくあるものです。
できることはあるがままの現実を知覚する事だけです。
それがヴィパサナです。
そして観るためには自己があっては見えません。だからサマタがあるのです。
修行とは意志です。意志とは方向です。ですから方向があるならば本当に見ることはできないのです。
ではどうしたらいい?わからない。暗闇。虚無。その時座るんです。
>>460 >「あるがまま」を「現実を受け取るため工夫」と捉えられているようです。
そうではない。そう捉えたら危険だと言っているんだよ。
言葉で「あるがまま」の定義を探している時点で、
現実の解釈の工夫でしか無いでしょ?という事。
ニューエイジ系の人にもよく見られる危険な間違いなんで
一言いったまで。
見え見えの釣り針にみんなで楽しく引っかかってるみたいな流れ。
468 :
神も仏も名無しさん:2010/03/12(金) 23:58:31 ID:gbkeg6OY
>>466 現実を解釈したらそれはあるがままではなくなってしまうのではないでしょうか。
現実を解釈するのは自我が起こす迷妄です。
現実をとらえる事ができるならそれが正見ではないでしょうか。
危険があるのは、現実に対して理想を持つことです。その理想と現実が異なっていればいるほど苦しみが葛藤が生まれるのですから。
>>451 雲門文偃禅師の話
雲門文偃(うんもん・ぶんえん。
八六四〜九四九)禅師は、雪峰義存(せっぽう・ぎそん)禅師の法嗣であり、五家七宗(ごけしちしゅう)のひとつ雲門宗の祖である。
伝灯録には、彼の法嗣として六十一人の名前が載っている。
文偃禅師は、浙江省・嘉興の人で、俗姓(ぞくせい)は張氏。
幼くして出家することを望み、嘉興の空王寺の志澄律師について童子となり、十七歳で出家した。
二十歳のとき江蘇省毘陵(こうそしょう・びりょう)の戒壇(かいだん)で具足戒を受け、志澄律師のもとで四分律(しぶんりつ。戒律の一文献)などを学んだ。
雲門禅師は、陳尊宿(ちんそんしゅく)と呼ばれた睦州道明(ぼくしゅう・どうみょう)禅師に足をへし折られて大悟したというが、その詳細は伝灯録には書かれていない。
その後、雪峰寺でさらに修行を続け、雪峰禅師の法を嗣いだ。雪峰寺では器を隠して大衆に混じり修行したという。
雪峰山を辞したあとは、さらに各地の道場を歴遊して多くの禅者と交わり、九一一年には曹渓に六祖の塔を拝した。
韶州(しょうしゅう)の霊樹如敏(れいじゅ・にょびん)禅師の法席(ほっせき)では第一座であった。
霊樹禅師が亡くなると、請われてその法席を嗣いだが、本を忘れず雪峰禅師の法嗣として開堂(かいどう。住職となる儀式)した。
九二三年には広東省・乳源県の雲門山に、光泰院(こうたいいん。別名雲門寺)を建立して常時千人の修行者を擁し、匡真(きょうしん)大師の名を賜(たまわ)った。
日日これ好日
「あるとき、雲門禅師が修行者たちに言った。十五日以前は、汝に問わず。十五日以後、一句を言いもち来たれ。自ら代わって言わく。日日是れ好日」
「一句をもち来たれ」が問題である。
ところが雲門禅師の気に入るような一句を持ってきた修行者はいなかったらしく、雲門禅師が自ら一句を提示した。
それが「日日是れ好日」である。
>>469 つぎに雲門禅師のご説法を少し紹介したい。
「空しく時光を過ごすことなかれ。一たび人身を失えば、万劫にも復せず。これ小事にあらず。古人、言えり。朝(あした)に道を聞かば夕べに死すとも可なりと。日夕、まさに何事をか行うべき。大いにすべからく努力し努力すべし」
ある僧が雲門禅師に問うた。
「如何なるかこれ仏法の大意」
「春来たれば草自ずから青し」
雲門山に住すること三十余年、九四九年四月十日に示寂し、遺誡により塔は建てなかった。
没後十七年に奇瑞があらわれたので、大慈雲匡聖宏明大師と追諡(ついし)された。
なお伝灯録には、なぜか臨終に関することは何も記されていない。
参考文献
「景徳伝灯録巻十九。韶州雲門山文偃禅師」
>>468 しつこいねあなたもw
>現実を解釈したらそれはあるがままではなくなってしまうのではないでしょうか。
だから「あなたに」そう言っているのw
鬼和尚相手に定義とか解釈とか騒いでないで、黙ってするべき事をしたら?
472 :
狸和尚:2010/03/13(土) 00:17:56 ID:QxVMYJuP
今日はもうその辺にしときんさい。寝よう、寝よう。
また明日、生きていたら。
473 :
462:2010/03/13(土) 00:20:39 ID:KR3ML+0z
>>465 坐るのは修行じゃないの?
現実を観るためには、修行が必要なのでは?
修行のことを修行と呼びたくないだけ?違う?
474 :
偽和尚 ◆qH7QdQmFhM :2010/03/13(土) 01:15:59 ID:/CDix71w
真似するならラメッシの真似してくれた方がおもしろそうなんだけどなあ。
476 :
神も仏も名無しさん:2010/03/13(土) 04:47:11 ID:sHt0xLkn
結局座るのかよ
478 :
素人A:2010/03/13(土) 06:29:49 ID:SwzSN0+K
なぜケチせずに皆の衆に永遠の灯火ソフトを解かるように見せないのか?
生命煩悩ソフトのなかケチられ変化されたエネルギー?パワー凄すぎて
一気に永遠の輝きを体験したら生命は即生滅なんでケチつているのか、それとも
解かると推理小説の結末を見から読むように生きる楽しみが無くヤル気なくすからか?
今生きるのに損な者用がない?生涯生きるのに障害となる。うまく駄洒落で纏めた。
とにかく未来は今眠っているけど、輝いていると孝子さんが歌っているからそうなんだろう。
http://www.youtube.com/watch?v=TciqANsYcm4
>>419 自分にとって愛というのは神聖意識そのものなので
それになれるのならむしろ悟りとかどうでもいい
悟った俺はここのレスをほとんど読んでない。
誰の悟りも認めず自分だけが悟ってるって態度は鬼和尚に感じるなぁ。
なぜなら、鬼和尚は悟ったもの師匠に出会える事が出来ず、
誰にも悟ったって認められずにここまで来たから、
鬼和尚は誰も悟ったと認めない。
て、言うかあなたは悟ったと言えないんです。
482 :
神も仏も名無しさん:2010/03/13(土) 10:07:32 ID:sHt0xLkn
>>481 同意。だけど悟ったと言ってる机みたいなヤツと違って三昧は体験してるでしょう。
483 :
やまい:2010/03/13(土) 10:36:52 ID:dDrS6P+Y
>>461に出した例は極端だと思われがちですが、
爺さん婆さん世代より前の人は人生で普通に経験してきたことなのです。
それでもにこにこ生きていた彼らに尊敬と感謝を覚えます。
もちろん現代の人々もそれに匹敵する苦をうけているというのも事実でしょう。
人という生き物は健気な生き物です。
それに気付いて慈悲を感ずる人があってもいい。
484 :
やまい:2010/03/13(土) 10:38:12 ID:dDrS6P+Y
485 :
やまい:2010/03/13(土) 10:39:18 ID:dDrS6P+Y
486 :
神も仏も名無しさん:2010/03/13(土) 10:39:57 ID:+yt5aWG6
ゆっくりしていってね
でも悟ってるって、みんな自称でしょw
ゴータマだって自称だしw
488 :
神も仏も名無しさん:2010/03/13(土) 11:05:47 ID:sHt0xLkn
>>487 伝統仏教だと師匠の認定がなされるようになります。
有名なのが印可ですね。
なぜかというと、体験は様々で、その各体験を悟りと勘違いしてしまうからです。
しかも、現代でよくあるパターンは観念的に悟りだと思い込んでるもの、
単に論理で妄想しただけのこと、論理的解決したと思い込んで、
それを悟りと思ってるものなどもありますから、しかたないことです。
大抵、本物に会えば分かりますが、釈尊に会っても自分が悟ってると
思い込んで釈尊を否定した人が沢山いたように、結局各自、それぞれ判断してくださいとしかいえませんね。
>>488 だから、その師匠が自称じゃんw
まずゴータマが自称だったんだから、いつまで行っても自称だろ。
自称の師匠が悟ったと認めて、インドから中国にいった自称が
中国人を悟ったと認めたのか中国人が新たに自称した。
その中国人から仏教を習った日本人が中国人から悟ったと認められたのか
日本で新たに自称したかだろ。
490 :
素人A:2010/03/13(土) 11:57:10 ID:SwzSN0+K
私は解からん。悟りという鳥が飛んでくるのか?来る時は来るし来ない時は来ない
だけ?さあ勝手に向こうから来るんでしょうか?まあ同でも良いか。
491 :
SRKWブッダ:2010/03/13(土) 12:39:56 ID:4k0LfLUA
たとえば、知恵の輪はそれが解けたときには間違いなく解けたという正しい理解を生じる。 解いた人にとってそれ以外には考えられないからである。 そして、彼はその知恵の輪の全貌を完全に理解するのである。 しかし、知恵の輪がなかなか解けない者の中には、
「知恵の輪は実は解けない!と言うのが答えである」とか
「解けなくても毎日取り組むその姿そのものが知恵の輪に取り組む(つまり知恵の輪の正体)ということである」とか
「この知恵の輪には縁がない だから他の知恵の輪を探すべきである それが修行だ」とか
「この”デビル”と名づけられた知恵の輪はその名前を呼び続けることに意味がある ”デビル””デビル””デビル”...」とか
「材質をゴムに変えれば簡単に解けるのだ」とか
「知恵の輪を解くには精密な機械工学の知識が必要であり先ずそれを勉強しなければならない」とか
「知恵の輪は何もしなくてもそのうちに解ける」とか
「知恵の輪はある朝起きたときに勝手に解けている」とか
「知恵の輪は時間つぶしに過ぎず、興味を持つことそれ自体が無意味だ」とか 誤って主張するものも現れる。
しかしながら、知恵の輪をすでに解いた人は皆等しく言うのである。 「知恵の輪は素晴らしいものだ 誰しもこの感動を味わって欲しい」
それと同じく、なかなか解脱しない者の中には、
「解脱など無い」とか
「坐禅する姿が仏である」とか
「自分に合った別の宗教を探そう」とか
「お題目を唱えれば願いは叶う」とか
「身体を改造すれば解脱できる」とか
「阿頼耶識についての深い理解が必要だ」とか
「日々是好日」とか
「来世では仏に会える」とか
「外道の方が素晴らしい」とか誤って主張する者も現れる。
しかしながら、すでに解脱したもろもろの覚者は言うのである。 「解脱は素晴らしい それは一切の苦悩の終滅であるからである そこに至れば憂いがない」
***
492 :
やまい:2010/03/13(土) 13:07:26 ID:dDrS6P+Y
嫌いな人々の中でも、好きな人々の中でも、
修行者は、いつも、心に隙が無いか確かめる。
小さな隙も、好き嫌いの中で、大きな傷になる。
欲するままに膨れて、欲するままに潰える。
心の欲が大きくなると、心の傷は大きくなる。
正しい心だけ残して、邪なる欲は滅びてしまえ。
正しい心を守って、正念と正智を願う者に、
私は、心から合掌し、心から称賛するだろう。
それが、正しい智をして、正しく念じることだ。
正しい智が無ければ、正しい念は止まらず、
何を考えても、何を言っても、何を行っても、
瓶の穴から、水が漏れるように、流れてしまう。
たとえ、ダルマを以ても、カルマに穢れる。
正智が無ければ、盗賊に入られた様なものだ。
積んだ物は、善でも、徳でも、悪に変えられる。
それゆえ、いつも心を守らないとならない。
盗賊に入られないように、正しく心を念じる。
思わず、念が外に泳いだら、直ぐ内に向わせる。
入菩提行論 第五章より
493 :
神も仏も名無しさん:2010/03/13(土) 13:29:51 ID:pwKPE4Mp
仏教(宗教)は、悟り未満の人々の概念である。
悟りは宗教に限定されるような小さなものではない。
悟った者には もはや宗教は必要ない。意味がない。
494 :
SRKWブッダ:2010/03/13(土) 13:30:57 ID:4k0LfLUA
この世には、聞き知ることについて4種の人がある。
・ 真実を耳にしてそれが真実であると知る明知の人
・ 真実を耳にしてそれが真実ではないと曲解するひねくれ者
・ 真実ならざるものを耳にしてそれが真実であると誤解する愚か者
・ 真実に耳を傾けない悪人
それぞれの人がそのどれになるかは、各自のことがらなのである。
***
495 :
やまい:2010/03/13(土) 13:36:58 ID:dDrS6P+Y
布で覆うべきは、大地の方か、裸足の方か。
足を覆う、布を求めてこそ、現実に足が付く。
大地を救う法を探しても、掬われるだけである。
同様に、外を征するより、内を制するべき。
外を征する、法を求めても、業に変わるのみ。
内を制す、ダルマを求めると、カルマは消える。
心が鋭ければ、梵我一如の境地に至れるが、
心が鈍いならば、たとえ、身と口を従えても、
身と口と心に別れて、梵と我は分かれてしまう。
人は、身や口では、楽しみを求めているが、
無自覚な心において、苦しみを求めてしまう。
これこそ苦の因である、どうして楽になれよう。
だからこそ、目先や口先だけの楽を求めず、
心の奥底から、大楽を求めなければならない。
それは苦しいだろう、それは求めてないからだ。
それゆえ、よくよく明らめないとならない。
何を望んでいるか、心が、何に臨んでいるか。
半端に明らめるなら、中途で諦めるだけである。
入菩提行論 第五章より
496 :
神も仏も名無しさん:2010/03/13(土) 14:03:40 ID:pwKPE4Mp
悟りを言葉で他人に理解してもらうのは不可能だが、
そのイメージとしては、宇宙との一体感とでもいえるかな
宇宙を理解するのではなく、自分が宇宙の一部であることを
感じること。 そんな感じ。
あと、悟りを得れば死の恐怖は無くなるみたい。
誕生と死は等価値であり善であると解るからね。
そんなのいろんな人が言ってるジャンw
そもそも善って何だよw
499 :
SRKWブッダ:2010/03/13(土) 14:29:18 ID:4k0LfLUA
>>498 (自分を含めて)いかなる人をも悲しませないこと。 それが善である。
***
>>491 入り口が様々なのだから、試してみるしかないだろうね。
誰かが、これが最短であると言っても、人によって歩幅もまちまちだし。
大半が、無駄足であったと気が付くのは上り終えた後なんだから。
自分が経験した無駄な努力をさせたくないのも慈悲だと思うが。
悟りは宗教じゃないと気付くだけでも、一本道じゃないし。
善とは良いという事だよ。
>>499 でも、今の世の中は他人の犠牲の上に成り立ってる社会でしょ?
言わば、他人を踏み台にして「幸せと抜かす」何の疑問も感じない人だけが社会的評価の高い人扱いでしょ?
他人の犠牲の上の幸せを感じられない神経の繊細な人は「負け組扱い」で全く報われない社会でしょ?
503 :
SRKWブッダ:2010/03/13(土) 14:39:20 ID:4k0LfLUA
もし人が、真実を知ろうと熱望して、心構え正しく、人の究極の帰趨を見いだすことを願い(正しい)観を為すのであるならば、かれが
優しさの追求から出発したとしても、
認識論から出発したとしても、
言語論理的考究から出発したとしても、
価値論から出発したとしても、
認知論から出発したとしても、
意味論から出発したとしても、
関係性の論から出発したとしても、
善悪・聖俗の論から出発したとしても、
不可知論から出発したとしても、
その他の世に知られた思惟・考研の用をなすいかなる論から出発したとしても、
ついには真理に到達すると期待され得る。
なぜならば、世間において伝承され、あるいは時代時代に想起・流布されて世に飛び交うあらゆる(言語表現可能な)言説および思惟・考研の対象は、それについてその人がこだわらない限り、それが覚りに至ることを阻害することは無いからである。
人がどこから出発しようとも、かれが人のあり得べき人生の帰趨たる不滅のやすらぎ(=ニルヴァーナ)に至ったならば、かれのその出発点は覚りの境地に至るための確かな出発点であったのだと認められる。
そして、かれのその出発点は唯一・固定のものとは言えず、その出発点の意義はただその人においてのみ認められるに過ぎないものである。 それゆえに、道の歩みの真実を知ってすでに究極に達した人は、自らの求道の出発点を敢えて語らないのである。
やすらぎを求める人は、出発点にこだわる必要はない。 聡明な人が、自ら歩むその道についての疑惑を離れ、弛まないならば、ついには人のあり得べき帰趨たる究極の終着点に至るのは間違いないことであるからである。
***
意味がいろいろあるはずです
善がなにかということではなくて意味が善なのです。
重要なのは意味です。
意味によっては善など重要ではありません。
505 :
SRKWブッダ:2010/03/13(土) 14:45:18 ID:4k0LfLUA
>>502 世の中を見て不平等であると認知する人には、怒りと悲しみとがある。 かれは、それゆえに軋轢を生じ、争いの渦中に巻き込まれることとなる。
その一方で、世の中を見て平等であると見なす人には、奢りと怠惰とがある。 かれは、見なしたそれによって確執をもたらし、あらぬ恨みをも買うこととなるであろう。
世の中を不平等であると認知する人にも、世の中を平等であると見なす人にも、拭い難き偏見がある。 かれらは、自己の見解に固執して、人と世の真実のすがたを実は見ていない。 かれらは、いずれもひとしく煩悶と苦悩に苛まれることとなる。
しかしながら、ここなる人が聡明であって、志があり、世のありさまを次のように見ることを得たならば、かれは自ら偏見を超え、人と世の真相を見たのである。
『ありのままに見るのではなく、誤って見るのではなく、見ないのではなく、見て見ぬ振りをするのでもない』
かれの目には、世の中は不平等とか平等とかの一方的立場に立脚して認知されるものとは映らず、その真実の実相が残り無く見えている。
それゆえに、かれは愚かな行為を犯すことがなく、行為する前にはこころ楽しく、行為している最中には心を清浄ならしめ、行為を為しおわってこころによろこばしく、そののちも後悔の念に苛まれることがない。
かれは、自らの心に問うていつわりなく、恥ずべき行為を為さない。 それゆえにかれの行為はつねに安寧に帰すのである。
こころある人は、世の中の何を見聞きしても、そのことについての(一方的)断定を捨て、こだわりを離れて、しかしながらそれらを無視することなく、世の中で起こる行為の顛末と帰趨とを見極めよ。
他の人の行為はさておき、他ならぬ自らの行為を省みて、思いを落ちつけ、人と世の真実を知ろうと熱望すべきである。 それを為すならば、世の真実のありようを自ら識り明らめてこの円かな安らぎに至ると期待され得るからである。
ことわりを聞いて、こころにうなずく明知の人は自らによって自らの偏見を超えよ。
***
>>505 今一度冷静に、カント、ヘーゲル、ルソーに学びます。
マルクス、キルケゴールは友達だ。
ソクラテス、プラトン、アリストテレスは師匠だ。
仏陀、孔子、キリストの真意を理解してみます。
真実は人によって異なることを理解しないと。
「彼は真実の人である」そうするならばそれ以外は何だというのか。
508 :
やまい:2010/03/13(土) 15:00:26 ID:dDrS6P+Y
称賛を享けると、人は輪廻に誘われていき、
誹謗を受けるほど、人は解脱に導かれていく。
私を中傷するものに、どうして怒りを持とうか。
忍辱の徹底ほど、格好の苦行は有り得ない。
どうして、絶好の機会を与えてくれるものに、
怒りが湧くだろうか、機を逃すのは怒りである。
通常は、攻めないかぎり、責めてくれない。
こちらが、悪を積まなくても、怒ってくれる、
そんな、不条理な怒りほど、歓迎すべきである。
忍辱は、責めてくれないと、耐えられない。
まず、責めた人は、悪を積んで、徳を積める。
そして、耐えた人は、悪を落して、善を積める。
敵に害意が有るから、私の忍辱になるのに、
敵に害意が無いならば、私の修行にならない。
弟子を思いながら、師が叱るのとは、訳が違う。
菩薩は、仏陀からも学び、衆生からも学ぶ。
なぜなら、彼らは、等しく至福の源泉であり、
仏陀と同様、衆生も、仏性を有するからである。
一方で、仏陀と衆生は、全く同じではない。
全て尊い仏陀に、全て奉げれば、徳が積める。
一部が貴い衆生の、善を称えれば、善が積める。
それ故、衆生の最も善い所を、見つけ出す。
それには、忍辱の行をして、最も悪しき業を、
私の目を覚ましてくれる、最も善き業に変える。
こうして、忍辱をして、悪を善に変えると、
最も善い業となって、徳を積んだことになる。
即ち、仏性を称えると、仏陀に並ぶ果報を得る
入菩提行論 第六章より
>>504 言葉というのはこういう性質があるものなので注意が必要です
それ以前に仏教徒として言葉に執着しないように気をつけなければいけないこともまた事実ですが…
ですが、我々は結局言葉を使ってます。
それはそれでやはりできることがあるからしているわけで。
それはまた別の話としてやっていくべきでしょう。
511 :
神も仏も名無しさん:2010/03/13(土) 15:12:02 ID:fKqfi5w6
>>491 力で無理やり分解する方法もありますねw
512 :
SRKWブッダ:2010/03/13(土) 15:19:20 ID:4k0LfLUA
>>511 ロボトミー(脳外科手術)や麻薬によって苦悩を脱することができるなどと甘い言葉で誘う者どもがそれにあたる。
しかしもちろん、それは正しい方法とはとても言えない。
***
悟りなんてどうでもいいと思ってた。
でも今は違う。
悟って…みたい!
悟ったらアブラハムやイエスやムハンマドのように神の声が聞けるようになるのですか?
515 :
神も仏も名無しさん:2010/03/13(土) 16:57:16 ID:iukyEW2c
公に悟ったと自称している場合、偽証してれば、偽証罪を適用できますか?
仏陀の生まれ変わりだと公に自称してる人も居るからねw
>>499 > (自分を含めて)いかなる人をも悲しませないこと。 それが善である。 ***
↑
キャハ━━━━(#゚ロ゚#)━━━━ッ!! 菊門が、3個も並んでるー(〃▽〃)ポッ
>>495 やま ちゃん
自己のお勉強は、皆さんのお勉強とは、ならない。かもしれないよ。
あれこれと鼻っつぁきを引きずられるより、自己の疑問は一体何か、それひとつを探求するのが、いいと思う。
519 :
神も仏も名無しさん:2010/03/13(土) 17:25:13 ID:+yt5aWG6
ぽったんもゆっくりしていってね。
鬼和尚って、たまにツワモノが出てくるとムキになって認めないよねw
521 :
やまい:2010/03/13(土) 17:47:35 ID:dDrS6P+Y
>>518 いいんですよ。誰の為にでもなく。
メモ程度のものと思っててください。
522 :
そだった、ぽ:2010/03/13(土) 18:03:36 ID:vcJQuaN9
>>519 名無し さん
> ぽったんもゆっくりしていってね。
名無し さんは、ゆっくりしてるの?
523 :
そだった、ぽ:2010/03/13(土) 18:06:23 ID:vcJQuaN9
>>521 やま ちゃん
> いいんですよ。誰の為にでもなく。 メモ程度のものと思っててください。
>メモ程度のもの
どうでもいいことは, スレには、アラシかなー。。。
524 :
やまい:2010/03/13(土) 18:11:55 ID:dDrS6P+Y
どちらかといえばアンチでしょうね。
定義することが有効かどうかは自分で調べてよ。
あなたがそう思ったならあなたの中ではそうなんでしょうかね。
>>523 そうだよ。自己満満のぽったんみたいだ。
鬼和尚の掲示板での菩薩行は認めます。
ただ、今のあなたは他者の悟りを認めることは出来ないですよね。
掲示板のみで他者の悟りを認める事自体危険ですし。
527 :
そだった、ぽ:2010/03/13(土) 19:10:18 ID:vcJQuaN9
>>525 名無し さん
>
>>523 > そうだよ。自己満満のぽったんみたいだ。
じこまんまんって?
あなたは、自己満満なんだね?
メモだな
危険危険危険危険
右を見て左を見て前を見て歩く頃にはもう危険がほらそこに
きょろきょろすんなまわりをよく見ろどっちだよ
主人公主人公ぼうさんはおんなと一杯のみにいい天気
ひまにまかせたあれやらこれやらが悟りを肴にいい天気
529 :
偽和尚 ◆qH7QdQmFhM :2010/03/13(土) 19:13:31 ID:/CDix71w
>>526 鬼和尚は前にOshoとかが悟っているかと誰かから聞かれた時に
悟っているとかいないとか書いていたよ。だから鬼和尚が誰かを
悟っていると言うことはある。
530 :
神も仏も名無しさん:2010/03/13(土) 19:18:10 ID:fXapHiPe
531 :
神も仏も名無しさん:2010/03/13(土) 19:18:50 ID:fXapHiPe
るすにしています
となりでめしくってます
532 :
そだった、ぽ:2010/03/13(土) 19:23:00 ID:vcJQuaN9
>>530-531 名無し さん
> うざい ばかあらし るすにしています となりでめしくってます
?(゜_。)?(。_゜)?アレレノレェ~
厨房 でしたか・・・
533 :
神も仏も名無しさん:2010/03/13(土) 19:27:15 ID:fXapHiPe
534 :
神も仏も名無しさん:2010/03/13(土) 19:40:51 ID:+yt5aWG6
鬼和尚様、又聞きではありますが、クリシュナムルティとかいう人は
世の中にあるものをゼーンブ否定するのがホントの自由だとか言ってるらしいのですが
ほんとうですか。
反社会的な発達障害にしか、悟りの涅槃はありえないのですか。
535 :
偽和尚 ◆qH7QdQmFhM :2010/03/13(土) 19:43:13 ID:/CDix71w
>>515 ていうか、よく分からないが「悟り」というものがあり、それに価値が
あるのだと認識している事自体が自我による錯覚なのでは?
それを自我が得ることはない筈だしね(悟ったなら自我が消える
わけだから悟りを誰も体験出来ない。その「誰」が消えるから)。
なので本当は「『私』は悟った」という言葉は(「私」は既に居ないので)
意味からしておかしいんだけど、そのように表現しないと通じないので
そう言わざるを得ないんじゃないかな。釈迦もそう言っていたわけだし、
多分他のもっと良い言い回しが見つからないんだろう。悟った後で
慈悲の欲が起きてそれを満たすためには他人とやりとりするための
自我を再構築してからそう自称せざるを得ないということ。なので
これもまた方便の一種だと思う。嘘と言えば嘘だ。(サンタクロースが
居ることになっているのと似たようなものかな)。
つまり実際には悟ったと言っているかどうかに関わらず、その人が
何をするかや何を言うかで見極めるしか方法がないということだ。
本物のサンタクロースか同じ格好をした泥棒なのかはやっている
事だけを見て判断するしかない。見た目の形に惑わされてしまえば
騙されるかも知れないから。
>>529 そうでしたか。
そして、この掲示板に来た人であなたは悟ってると鬼和尚に言われた方はおられますか。
537 :
狸和尚:2010/03/13(土) 20:11:27 ID:QxVMYJuP
まだいないようだ。
538 :
神も仏も名無しさん:2010/03/13(土) 20:16:44 ID:sHt0xLkn
>>435 わしが完全に理解しているとわかってきたようじゃのう。
観念や自我のイメージから解放されたクリシュナムルティやわしががそういうならそのとおりに定義できるじゃろう。
しかし、観念に囚われ、自我のイメージのあるおぬしが言えば観念であり、嘘になるのじゃ。
それを知らず、模倣によって語っているだけじゃからのう。
例えば四国に言ったものが四万十川があった、このようにいけば見れた、と言えばそれは本当じゃ。
しかし、四国に言った事がない者が同じ事を言えば嘘になる。
そのように観念の無い現実を知らぬ者がそれを語っても、やはり観念として語っているに過ぎないのじゃ。
観念と一切関係なく、ある現実という観念を語っているだけになるのじゃ。
数学では平行線は誰が引いても同じ平行線であり、1+1は誰が語っても2じゃろう。
しかし、国語で人の読書感想文を模倣したら不正であり、嘘になる。
そのようにおぬしはクリシュナムルティから言葉だけを模倣して、観念によって語っておる。
それ故にそれは観念であり、クリシュナムルティが批判した模倣に過ぎないものなのじゃ。
理解も出来ていないのにクリシュナムルティが言っているという事だけで、適当に自分の中で解釈した観念にしておる。
それは自我を肥大させるための模倣であり、不正であり、欺瞞なのじゃ。
>>444 ラマナはもう言葉の範疇から抜け出して語っているからのう。
狂気を真似るのは難しいものじゃ。
>>452 知らんのじゃ。
>>477 ひうじゃ、結局座るのじゃ。結論が出たようじゃな。
>>513 >>2から読んで修行あるのみじゃ。
>>514 神が人の召使だったと判るじゃろう。
>>515 人間の罪にはならないが、酷い目にあうじゃろう。
>>520 聞く者に答えるのみじゃよ。わっはっはっは。
>>534 もっとよく読んでみるのじゃ。
やっぱり言ってるかもしれん。
今日の鬼和尚は勝ち誇ったようじゃのう。がっはっはっは。
542 :
神も仏も名無しさん:2010/03/13(土) 20:57:31 ID:pwKPE4Mp
あいつは悟っているが こいつは悟ってはいない。
なんていう判断は不可能。
今 釈迦が生きていたとしても、その判断はできない。
悟りとは そういうものだ。
悟り捜査隊。
544 :
神も仏も名無しさん:2010/03/13(土) 21:03:48 ID:sHt0xLkn
545 :
SRKWブッダ:2010/03/13(土) 21:11:03 ID:4k0LfLUA
すでに覚っている覚者が、他の人々を見て誰が覚っているかを知り、また誰が未だ覚っていないかを知ることはたやすい。 なんとなれば、すでに覚った人には明かな特徴があるからである。
しかしながら、すでに覚っている覚者といえども、未だ覚っていない他の人々を見て今後誰が覚るであろうとか、また誰は覚ることはできないであろうとかを知ることはできない。
なんとなれば、今後覚るであろう人にそれと分かるような特別な特徴は無く、また覚ることはできないであろう人にも特別な特徴は見られないからである。
それゆえに、もろもろの如来は人々に向かって広く平らかに理法を説く。 仏縁のある人々は、それによって覚りに近づき至るであろうことは確かなことであると知っているからである。
***
546 :
神も仏も名無しさん:2010/03/13(土) 21:11:53 ID:pwKPE4Mp
悟りを求めるなら 座禅なんかやめなさい。
じっとしていては何も得られません。
自分の廻りのすべてを 見て聞いて嗅いで味わって
体すべてを使って 感じること。
理解ではなく 感じることが重要。
苦行なんか必要ありません。
釈迦もそう言っています。
547 :
神も仏も名無しさん:2010/03/13(土) 21:17:06 ID:sHt0xLkn
>>546 禅定と苦行は釈尊も分けてるよ。
そこまで知らないのに、なんでそうなのか?
548 :
神も仏も名無しさん:2010/03/13(土) 21:20:56 ID:pwKPE4Mp
覚った人には明らかな特徴があるんですか。そうですか。
でも、悟った人には、特に変わった特徴はありません。
釈迦にも 特に変わった特徴はありませんでした。
549 :
SRKWブッダ:2010/03/13(土) 21:26:35 ID:4k0LfLUA
>>546 覚りを求める人は、善からぬことを止めるべきである。 善からぬことをしているようでは、安らぎは得られないからである。
覚りを求める人は、人々の声なき声を聞き、つくり笑顔の裏に隠された真実の心を見るべきである。 そうして、表象作用と感受作用とを静めて、ついに識別作用の滅を為し遂げよ。
正しい解釈は、正しい理解のもといである。 正しい理解は、正しい行為の動機となる。 正しい動機は、正しい道を歩む(かれにとっての)確かなよすがである。
人は、そのようにして自ら見い出した道を歩んでこそ、究極に到達する。 聡明な人は、怪しげなことに誘われない。 彼は、快楽に溺れることなく苦行に耽溺することなく真っ直ぐに道を歩む。
そうして、究極に到達したならば、その自ら見い出し、歩んだ道が正しかったのであると認められるのである。
それは誰に認定してもらう必要もないものである。 解脱したというその事実がすべてを物語っているからである。
***
550 :
神も仏も名無しさん:2010/03/13(土) 21:30:50 ID:sHt0xLkn
551 :
神も仏も名無しさん:2010/03/13(土) 21:43:02 ID:pwKPE4Mp
悟りを求めるなら色々な本を読み
色々な人から話を聞きましょう。
かといって それを鵜呑みにしてはいけません。
あくまで肥やしとするだけです。
小難しい説教を難解な表現でカキコしている人もいますが、
悟りとは もっとシンプルなものです。
552 :
神も仏も名無しさん:2010/03/13(土) 21:51:41 ID:sHt0xLkn
>>551 色々な本でなく正確な仏典を読み
色々な人ではなく多くの聖者から聴こう。
じゃないと、君みたいに適当なものになってしまうから。
553 :
流:2010/03/13(土) 21:55:06 ID:m6mRe/YL
>>551 >悟りとは もっとシンプルなものです。
それはシンプルでも複雑でもないだろうに。
554 :
神も仏も名無しさん:2010/03/13(土) 21:56:55 ID:pwKPE4Mp
550さん 悟りを得た人の言うことは素直に聞いたほうが
あなたにとって得かもしれません。
お経や本の知識に束縛されていませんか?
555 :
神も仏も名無しさん:2010/03/13(土) 21:57:23 ID:Eifil1RT
奴隷に救いなんてないだろうに
最底辺の人間には行動の選択権すらない
すべては人権が守られている前提じゃないのか
奴隷には救世主を待つことしかできないだろうに
自分の努力だけではどうにもならない場合
仏教の教えでは救いはないのでは?
>>555 君はどういう人を指して「奴隷」と呼ぶの?
557 :
流:2010/03/13(土) 22:08:40 ID:m6mRe/YL
「奴隷」っていうのは決して人権を持たない人の事を指すのではないよ。
自分で考える事を拒否し、常識を常識と疑わず、
世に蔓延する考え方・価値観を盲目的に信じ、行動する。
奴隷とはそういった人の事を指す。
558 :
神も仏も名無しさん:2010/03/13(土) 22:11:27 ID:Eifil1RT
平時においては人を正しく導く力はある
現在のような政治不安の激動の時代、弱者はどん底まで流されることが多い
食うことすらままらない人間などは誤った方向に進む
仏教というのは弱者を救済するという考えはあるのか?
現代の宗教関係者は目立つのは生臭坊主ばかりではないか
日本で苦しんで自殺する年10万近い人を救うための活動は
組織的に行われているのだろうか
宗教というのは社会への影響力が全くないのか
寺社中で念仏唱えているギリシャの哲学者のごとき人間が、他の社会で身をおく
人間の苦悩も知らず、それらしいことをいうだけではないのか
仏教そのものも欺瞞であり無なんだな、力はない
559 :
神も仏も名無しさん:2010/03/13(土) 22:15:51 ID:Eifil1RT
仏教には悪を振り払う力はあるの?
日本は悪人が多くどんどん悪い方に向かってるけど
受け入れることがすべてなの?
蹂躙されて仏教徒が抹殺されても無力なの?
チベットみたいに
クリシュナムルティから言葉だけを模倣って決め付けてるんだ
561 :
神も仏も名無しさん:2010/03/13(土) 22:17:46 ID:Eifil1RT
562 :
そだった、ぽ:2010/03/13(土) 22:23:21 ID:vcJQuaN9
>>533 名無し さん
>
>>532 > 厨房って? あなたは厨房なんですね?
いいえ!
わたしは、となりで、めしを 食っていません!
と言うわけで、わたしは、厨房ではありません!・・・キッパリ!
つまり、あなたは、厨房なのです。
自覚してください。
563 :
流:2010/03/13(土) 22:24:07 ID:m6mRe/YL
>>558 >仏教というのは弱者を救済するという考えはあるのか?
元々の大乗仏教の教えの根底にある考え方の一つは「縁」であるし、
衆生救済というのが本来の主なる目的のはず。
>日本で苦しんで自殺する年10万近い人を救うための活動は
.>組織的に行われているのだろうか
どうなんだろうね。自分が見ているホームページの坊さんなんかは、
悩みを相談しに来る人を受け入れてるみたいだね。
>仏教そのものも欺瞞であり無なんだな、力はない
あくまで現在の日本にいる僧侶に力がない(可能性がある)のであって、
仏の教えそのものに力がない訳ではないよ。
まあ一般的に見たら僧侶ってのは仏教を実践している者って思われる訳だから、
そういう考えに至るのも無理ないかもしれないけど。
奴隷に僅かな希望もない場合、悟りというのはすべての諦めしかない
苦痛を耐え続け、植物が生きている事に他ならない
本人がどう思うかは別として、客観的には救われていない
概ね弱者ほど宗教の救いも無力
>>564 >本人がどう思うかは別として、客観的には救われていない
周りから見てどんなにその人が悲惨な状況にあったとしても、
彼が救われているか救われていないかを決めるのは彼自身でしかない。心と言葉でしかない。
まあでも、確かに日本の大乗系の坊さんはもっとアクション起こしてもいいと思わないでもない。
何かはしているのかもしれないけど、これだけマスメディアが発達してるのに、
テレビやネットでもあまり活動が大々的に流れる事もないし。
座禅会なんかはあちこちでやってるけど、それも来る者は拒まずでやってるし。
567 :
神も仏も名無しさん:2010/03/13(土) 22:38:57 ID:Eifil1RT
仏教は無力なんですね
医者やボランティアの人のほうが遥かに救っている
文明化社会ではもう必要ないのではないでしょうか
科学は哲学を超えました
人の心も精神科医が救っていますし
織田無道みたいな坊主や、エロ坊主、銭ゲバ坊主、心霊坊主
エロ坊主、銭ゲバ坊主は普通に多いんじゃないですか?
職業坊主とか
569 :
流:2010/03/13(土) 23:07:35 ID:m6mRe/YL
仏の教えっていうのは、種なんだよね。
その種を受けるに相応しい人に受理されれば、芽も出るし花も咲く。
でもそうではない人が受け取った場合には、種は死んでしまう。
別の言い方をすれば、仏の言葉を自らのものにできるかどうかはその人次第。
仏の言葉も人の言葉であり、魔法の言葉ではないからね。
確かに今の仏教界はあまり褒められたものではないかもしれないけど、
仏道そのものを無力と言い切ってしまうのは危険ではないかな。
少なくとも自分は仏教を学んだおかげでより深く、正確な観察の仕方の一端を学べたし。
そういう意味ではここに最低一人、仏教によって救われた人間がいる訳だ。
571 :
ネ申:2010/03/13(土) 23:58:18 ID:Iye5lvuK
>>555 仏教が与える救いは自己洗脳と自己満足
この板は負け組みの巣窟だから
世間を肯定する要素がちっともない
人生を楽しみたいんなら寄り付かないことだ
偽仏教徒の巣窟である
仏教批判なのか偽仏教徒批判なのかどっちなんだよ
>>571 世間を肯定し人生を楽しむ真の仏教を語ってくださいよ。
今の坊さんのほとんどは一つの職業みたいになってるから
求道心とか頭の毛ほどもないだろう。そもそも毛がないけど
コンビニでスポーツ新聞と煙草買ってる坊主も実際に見たことあるw
575 :
神も仏も名無しさん:2010/03/14(日) 00:16:34 ID:Tk7VYd+j
若造の頃から異次元の給料もらう坊さんとかいるらしいね
言ってたのが尼崎のやつだからそのあたりの坊主で
坊さんに友人がいて、そいつが金回り良くて
羽振りがめちゃくちゃいいって
>>534 大悟者というのは転生輪廻という宇宙活動からドロップアウトする反逆者だからね
いわば究極のアウトローです
577 :
偽和尚 ◆qH7QdQmFhM :2010/03/14(日) 01:04:23 ID:g35mTIAm
クリシュナムルティと聞くたびにクリームシチューとかシュークリームとか栗とか
紅茶(ティ)とかの映像が脳裏をよぎるのだが、一体これはどういうことなのか?
578 :
神も仏も名無しさん:2010/03/14(日) 01:13:21 ID:qf6GfQvU
579 :
神も仏も名無しさん:2010/03/14(日) 01:14:40 ID:Tk7VYd+j
仏の教えは身を律する意味でも苦から這い上がる助けという意味でも
頼もしい教えといえる
しかし、現状の日本国においてその思想や理念は反映されているだろうか?
経済至上主義のなれのはてに生まれているねじれ、人々の不幸を生み出している。
仏教国においてこれでいいのか?ということ。
580 :
神も仏も名無しさん:2010/03/14(日) 01:25:32 ID:qf6GfQvU
>>579 仏教徒はそんな社会活動とか政治活動は、少なくとも悟るまではやらないのがいいでしょう。
社会習慣は、あるがままで受け入れ、自分は行に専念する方がいいでしょう。
581 :
偽和尚 ◆qH7QdQmFhM :2010/03/14(日) 01:39:13 ID:g35mTIAm
う。ネタにマジレスされてしまった。まだまだ修行が足りんな。
あるがまま禁止w
583 :
神も仏も名無しさん:2010/03/14(日) 02:08:20 ID:5nOBEL4b
>>577 ネタだろうが、なんだろうが、
ずばり、君は食いしん坊さんに間違い違いない!
584 :
神も仏も名無しさん:2010/03/14(日) 02:29:19 ID:ReSfi/zs
>>562 となりでめしくってないのは厨房でないなら
わたしはとなりでめしをくってないから厨房でない
きっぱり言っておくが
つまりおまえが厨房なんだろうが
たわけが
585 :
神も仏も名無しさん:2010/03/14(日) 02:42:37 ID:ReSfi/zs
>>574 坊さんのスイッチがあるらしいよ、本人談では。
切り替えるんだと。まさに一つの職業だね。
その口が「生き方」や「大切なこと」を語れて
いると思っているんだから興味深いよ。
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●●●●●●●●●●●●●●●●異世界●●●●●●●●●●●●●●●●●
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これを見た人は確実に【異世界】になります。どこかに3回コピペすれば実現できます。
これは本当です。やらないと一生無駄になります。
幸福の科学はスペースオペラソフトSF小説のパクリですよねー。
僕的には俺様は仏教の悟りを開きましたよねー。
587 :
神も仏も名無しさん:2010/03/14(日) 04:17:44 ID:7tTUSk6L
突然ですがお邪魔します。
中国が日本を侵略する可能性が高くなってきました。
チベット人虐殺は有名ですが(現在でもやってます)
オーストラリアが中国に乗っ取られたのはご存知でしょうか?
日本でも同じ事が起きようとしています。
検索してみて下さい。お願いします。
国民が知らない反日の実態
※ちなみに私は仏教徒ではないですが、
ジッドゥ・クリシュナムルティの方法で
悟りにいたろうと思っています。死ぬまでに実現するかな…。
588 :
神も仏も名無しさん:2010/03/14(日) 07:51:23 ID:/FD1s4gH
おっ いよいよ中国と戦争ですか?
愛する日本のために 命を捧げる覚悟はできていますぞ。
きのう映画ZENの、北条時頼が道元和尚に
いわれて水面の月を斬るシーンを見てて、
「もしあなたが北斗星の柄杓を手につかもうと
すれば、そのときほとけはあなたの鼻先に
あらわれます。」
という禅話を思い出しました。。。。
590 :
ニサルガ・モード:2010/03/14(日) 08:56:05 ID:5nOBEL4b
鬼和尚
あなたは欲望を抱いているにすぎない。
討論したいという欲望もまた、単なる欲望にすぎない。
クリシュナムルティかぶれを負かそうとする欲望、力を持とうとする欲望、存在しようとする欲望さえ、ただの欲望なのだ。
あなたが言う悟りも自分のマインドのフィルムを通して投影しているにすぎないのだ。
それはすべて想像なのだ。
マインドを占有するすべてのものから注意を背けなさい。
最近は濃い人が多いね。
春だからかな。
>>587 まずは「日本」とか「中国」とかは心の表象でしかないということを知った方がいいのではないかな。
悟るってなんだ?
いつでも正しいことが言えるってことなのか?
594 :
神も仏も名無しさん:2010/03/14(日) 09:27:09 ID:ecfHA9jy
科学の話は科学者の方が正しいことを言えるけど、
悟ったあんたらは一体なんなんだ?
なんで偉そうなんだ?
どの辺で偉そうなんだ?
あ?
言ってみろ!
596 :
SRKWブッダ:2010/03/14(日) 09:45:02 ID:7hH8pDDG
597 :
↑:2010/03/14(日) 09:56:26 ID:USYlL4zY
鬼和尚を否定しようとする欲望
鬼和尚に説教しようとする欲望
自己顕示レスしようとする欲望
♪みんな、みんな〜、おんなじな〜んだ〜(笑)
598 :
↑:2010/03/14(日) 09:57:30 ID:USYlL4zY
599 :
↑:2010/03/14(日) 09:59:14 ID:USYlL4zY
最近、結構面白いやりとりが続いてるよね。うんうんうん。
いい傾向になってきたねこのスレも。
600 :
↑:2010/03/14(日) 10:03:35 ID:USYlL4zY
>>596 >覚った人は、つねにやさしい。
ぶはっ。 んなこたぁーなかろうよ。
>>596 優しいとか冷たいとかそんな二元論の範疇に大悟者はおりませんわ
602 :
SRKWブッダ:2010/03/14(日) 10:09:27 ID:7hH8pDDG
志を同じくする人々が集うのは楽しい。 そこには、一つの場が形作られる。 人々は、そのような場においてこそ参加した当初の望みを超えた高い望みをも達成するのである。 あるいはまた、場に触れて正しい道を歩み始める人も少なからずある。
しかしながら、敢えて覚りに至ることそのものについて言うならば、人は場ではなく道によって究極に至る。 なんとなれば、覚りの起点たる発心も、覚りの終点たる解脱の縁起も、道あればこそ世に出現し、人の身に体現されるのであるからである。
それゆえに、聡明な人は場の楽しみを知りつつも場にこだわってはならない。 場に触れ、場に属することがあっても、場に浴することは避けよ。 場においてわき起こる歓喜も、心秘やかな楽しみも共に捨てて、場に属しつつも自身の心の静寂を護るべきである。
実に、浄き場(=サンガ(僧伽))に属するとはこのようなものなのである。
こころある人は、覚りに至ることに縁のある場や道の真実を知って、気をつけて世を遍歴せよ。 世間に現れたいかなる場にも無為に属することなく、自らの心の中にこそこころの寄る辺たる浄き場(のもとい)を現出せよ。
人は、まさにそのようにして心身を合一せしめ、つとめて正しい道を歩み行くのであるからである。
***
603 :
↑:2010/03/14(日) 10:09:27 ID:USYlL4zY
>>588 >おっ いよいよ中国と戦争ですか?
>愛する日本のために 命を捧げる覚悟はできていますぞ。
お、は、よ。 う・そ・つ・きサン
604 :
↑:2010/03/14(日) 10:16:00 ID:USYlL4zY
「皆、観念を捨てるのじゃ」
ってHNの頭に【鬼】付けてる人が言うからここは楽しい。
鬼和尚、もっとかっこよくやりこめてよ。「さすが、鬼和尚!!」ってgbkeg6OYに言わせるぐらいにさぁ。
同じ悟ってると自称してるものからすると、恥ずかしいんだよまったく。
あんたが悟ってると自称してるから、あんたが理解してるってのはgbkeg6OYだろうと思ってたんだけど、クリシュナムルティを理解してるってことだったんだね。
>むしろおぬしよりも今のおぬしの状態を理解しておる。
>おぬしが見ようとしないおぬしの状態を理解した上で書いて居るが、おぬしは自分だけが正しいと思い込んで受け入れられないだけなのじゃ。
ってうまいこと言ってるけどさぁ。悟ってるんならわかるよね。ずるいよ。
一見素人が読むと、gbkeg6OYがどんなことを考えてるのかを理解したんだなぁって誤解しちゃうよ。
まぁ、がクリシュナムルティの真似してるって鬼和尚がかってに思いこんだことでしょ。
思い込みもさることながら、しかも、「クリシュナムルティ」「クリトリスルティー」って言葉何回つかってんの?
クリトリスの真似か、クリトリすの翻訳者の真似なのかわかんないけどさぁ。
なんなんだよ、このクリシュナムルティって。これ知ってないんでタイプしにくんだよ。日本語離れすすぎてる。
結局は、鬼和尚が理解してたってのは、クリムシュナティを妄想してたことなんだから。
いいじゃないか。相手の言葉を理解してあげたって。悟ってんだろ、言葉なんて所詮、生きてるものの器に規定されちゃう空のようなもんだと。
ほんま鬼和尚って、自分の中のことがわかってとしても、愛もなんもないんだから。
606 :
SRKWブッダ:2010/03/14(日) 10:22:32 ID:7hH8pDDG
幼児は、幼児らしい楽しみを持つ。 少年少女は、少年少女らしい楽しみを持つ。 青年は、青年らしい楽しみを持つ。 立派な大人は、大人として相応しい楽しみを持つ。
究極に達した覚者は、円かなやすらぎ(=ニルヴァーナ)を楽しみとする。 それは無上の楽しみであると説かれる。
こころある人は、この無上の楽しみに住する人となれ。
***
ところで、鬼和尚って結婚してんの?
〜ニルヴァーナ〜
今日はぽかぽかしてて気持ちいいですね^^
皆さん今日はどこか行く予定あります?
私は図書館にでも行ってこようかと思ってます^^
610 :
神も仏も名無しさん:2010/03/14(日) 10:51:11 ID:kkFv+1vT
鬼和尚様は便秘で苦しんだり道路で信号無視の車には寝られて苦しんだりしませんか。
苦しみから一切はなれていますか。冬でも寒くなくてシャツ一枚で過ごしてますか。
611 :
神も仏も名無しさん:2010/03/14(日) 12:39:13 ID:8pNdbSsY
>>597 私はそうは思いません。
自分が良いと思った事はやればいいのではありませんか?
それがたとえ間違いであってもやればいいのではないでしょうか。
諸悪莫作 衆善奉行
いいと思うならやればいいのです。
612 :
神も仏も名無しさん:2010/03/14(日) 12:49:13 ID:ReSfi/zs
>>611 あーなんかそんな感じする
やっても動くしやらなくても動くし
ああすればとかこうすればとか
どれだけ言ってもどう動くかは分からないし
それからは逃れられないし
でもなかなか
すっきりと覚悟を決めてってわけにいかなくてさぁ
613 :
神も仏も名無しさん:2010/03/14(日) 12:50:32 ID:8pNdbSsY
>>539 201です。
あなたが言いたい事は、
「私は現実を知っているがお前は知らないから、お前が言えば観念で、私が言えば現実だ」
という事でしょうか。
つまり、あなたは何か現実を知っていて、私は知らない、だから語るな、という事です。
あなたは知っている、と。お前は知らない、と。
そこで私があなたに対して、「私は知っている、あなたが知っているというのは妄想だ」と言う事に意味があるのでしょうか。
それは感情的な水かけ論です。
あなたは何度もクリシュナムルティに言及します。
私の文の「てにをは」が似ているというのでしょうか。私はただ丁寧に書こうと心がけているだけです。
クリシュナムルティは禅を否定しました。いわゆる修行としてのヨガも否定しました。
クリシュナムルティはキリスト教も否定しましたし、グルや組織宗教も否定しました。
私は禅を肯定します。真言も念仏も題目も肯定します。キリスト教もイスラムも否定はしませんし
ただカルトや、組織宗教の暴走は否定します。
あなたのようにも盲人が他人を混乱させようとする事も否定します。
私と彼とは違います。
あなたはクリシュナムルティが幼少よりヨーガを行いなどと書きましたが、彼はそんなことはしていません。
なぜそのような嘘を平気で書けるのでしょうか。
その嘘の目的はなんでしょう。あなたのその自我を守るためではありませんか?
614 :
神も仏も名無しさん:2010/03/14(日) 13:10:14 ID:8pNdbSsY
>>539 私が201から書いてきた事は、なんら新しい事ではないように思われます。
自己を運びて万法を修証するを迷となす。
万法すすみて自己を修証するはさとりなり。
迷を大悟するは諸仏なり、
悟に大迷なるは衆生なり。
これは道元からの引用ですが、201から書いてきた私の意見とほぼ同じです。
引用にはある種の意味がありますが、それは本質と離れてしまうように思います。
そこに権威やまた新たな別の誤解が生まれるからです。自分の言葉でないからです。
私は私のつかんだ実感があり、それは私の言葉で語ります。
しかしその考えは過去語られた事と、大きな違いがないように思われます。ですからなんら新しい事ではないというわけです。
あるがままの現実、それは無常であり、空です。
どちらも言葉です。私はそう呼びます。それが私のつかんだ実感ですから。
あなたは私がクリシュナムルティを模倣していると決めつけますが、彼の意見と私の意見は違います。
そもそも、あなたはクリシュナムルティを知っているのでしょうか?
知らないのに、なぜ知っているように書くのでしょうか。
それはあなたの自我が肥大した不正ではありませんか?
欺瞞ではありませんか?
あなたのその幼稚な名前、幼稚な言葉、それは囚われです。自我のイメージであり観念です。
私にはそのように思えます。
>>614 鬼和尚はキリスト教を否定してるよ。
嫌みにキリスト狂と書いた事もあるしね。
キリストを否定したり、
>>614を否定するのもあるがままなんだけど、鬼和尚自身はそれに気がついてないんじゃないか?
クリシュナムルティを模倣と決め付けてるんだから、これ以上話しても無駄だよ。
>>614も為になる事書いてるんで、鬼和尚はほっておいて話を先に進めてくれないか。
616 :
神も仏も名無しさん:2010/03/14(日) 13:30:44 ID:8pNdbSsY
>>539 鬼とはなんでしょうか。想像上の化物でしょう。
その鬼という記憶、鬼というイメージをあなたは持ってその名前をつけた。
和尚とは、そもそも出家した僧侶の名称ですがあなたは出家していないという。
そして丁寧にトリップ(?)という自分を名前の部分に特定する仕組みまで入れている。
そのような人間が自我のイメージから解放されたと言われましても、それはあなたの思い込みですとしか言えません。
そしてその口調、「〜〜なのじゃ」というのも普段から使っている言葉なのでしょうか?
テレビで見たか、本で見たか、マンガで読んだかはわかりませんが、あなたのその幼稚な名前も幼稚な口調も、私には観念でありイメージであるとしか思えません。
何日間かにわたってあなたと文章を交わしましたが、あなたの理解力の無さ、思い込みの強さ、仏教的な理解の浅さ、とくにこの理解の浅さには大きな失望を覚えました。
あなたが勧める行も即刻消してください。
数息観は延々とやるものはありませんし、ぐっすり眠るとかそんなものでもありません。
禅を勧めるのであれば、禅寺を紹介するとか、そうでなければ本でも紹介してあげて下さい。その方がよほど人の役に立ちます。
ここを見ているとあなたよりもよほど理解の深い方がいらっしゃいます。そういう方の多くは別に普通にしているように思われます。
あなたも私は悟った、などという態度は諦めてはいかがでしょうか。その方がいいと思います。
以上、徹底的にあなたを非難しましたが、私はあなたに対して愛情を持っています。あなたが憎いんじゃないです。
ここから先はあなたの自由です。
きっと今日私が書いた事もあなたは理解できないでしょう。それは仕方のない事です。ですがあなたが心あるならば、私を理解するように努めてみてはいかがでしょうか。
相互理解こそが意味のある事だと思います。
617 :
↑:2010/03/14(日) 13:56:03 ID:USYlL4zY
>(鬼和尚の)理解力の無さ、思い込みの強さには大きな失望
う〜ん、ここんとこすんごく同意w
‐にしても君なかなか厳しいことズバズバ言うね。
鬼さん負けるな。
真理は一つでも、真実は人それぞれだから。
自分の真実は自分にとっては正しくても、ほかの人間にとっては当てはまらない。
全く道理だよな。
勝ち負けじゃないから、厄介なんだよ。
鬼和尚は負けないよ、これは自分の真実だけど、変える気がないから変わらない。
口論で上手いこということが悟りなんだなきっとw
620 :
神も仏も名無しさん:2010/03/14(日) 15:56:52 ID:qf6GfQvU
>>619 少なくとも悟った人は、マヌケなことは言わないよ。
悟る以前にちょっとした三昧で、かなり賢くなるから。
つまり、マヌケな発言してる人は、三昧にも達してないってこと。
>>620 でも、「意図的に」マヌケなことも言えるはずでは?
鬼和尚は達してないってこと?
623 :
狸和尚:2010/03/14(日) 16:13:06 ID:/zNFTJ1y
>>616 あんたは、どうしてそこまで拘るのかのう。
そこを考えてみたことあるのかのう?
このスレで三昧に達してるのは誰?
620は達してるの?
625 :
神も仏も名無しさん:2010/03/14(日) 16:18:58 ID:qf6GfQvU
627 :
神も仏も名無しさん:2010/03/14(日) 16:22:13 ID:qf6GfQvU
オナニー三昧なら誰でも気持ちを集中させることができるぞ
630 :
神も仏も名無しさん:2010/03/14(日) 16:31:57 ID:qf6GfQvU
鬼和尚は悟った後何十年も経典などを読みあさったといった。
これは観念を造っただけではないのかな。
普通は逆なんだ、悟ったらあらゆるものを捨てるんだよ。
真理と一体化したんだから、なにも必要無くなる。
それと、鬼和尚は今、日本で生きてて悟った人間はわし一人じゃって態度をとりますが、
悟りの浅い深いはありますがごろごろいますよ。
十牛図でも悟った後のストーリーの方が長いんです。
633 :
偽和尚 ◆qH7QdQmFhM :2010/03/14(日) 17:35:46 ID:g35mTIAm
634 :
偽和尚 ◆qH7QdQmFhM :2010/03/14(日) 17:39:22 ID:g35mTIAm
>>631 起きたことを人に説明をするための情報収集では?
(かといって仏教を通して説明する必要は特にないのかも知れないが、
日本だとその方が人には通じ易いかもな)。
何十年もですか…
悟った師にあえば一瞬だったものを。
俺には二人の言ってることのどこが食い違っているのかさっぱりわかりません><
誰か頭の良い人解説していただけませんか?
>>637 お互いが自分が正しいと言い合ってるだけw
639 :
偽和尚 ◆qH7QdQmFhM :2010/03/14(日) 18:53:25 ID:g35mTIAm
ふたりって誰と誰のことよ?
>>637 つまらんことに拘っているだけ。
普通の人は読むだけ損、目が疲れる。
>>640 ワロ田w
>>541 おぬしには負けるがのう。わっはっはっは。
>>555 そのような者には善き事を行い、環境を良くする事が教えられる。
今でも血縁や世間のしがらみで修行に専念できない者は多いじゃろう。
とりあえず善事を行い、環境を良くするのが先といえるじゃろう。
>>559 日本とかちべっととか観念に囚われれば自ら縛られるのじゃ。
ただ何もかも捨てて犀の角のように独りで修行するのじゃ。
>>587 中国もちべっとも、方法も無いとクリシュナムルティなら言うじゃろう。
>>590 欲望を持っているものには欲望に見えるじゃろう。
実際には不正をしているものはわしに叩かれたがり、そのためにえんえんとわしに問うのじゃ。
鬼和尚は問われれば答えるじゃろう。
主観的な発狂したレス以外はのう。
>>591 そうじゃったのか。春になると増えるようじゃのう。
>>593 悟るとは自我が落ち、認識も転換した状態じゃ。
そこでは何も語るべきものは無いと知りながら語るじゃろう。
正しい言葉ではなく、道しるべとしての言葉を語るのじゃ。
>>595 おぬしの頭の中に偉そうと言う言葉とイメージがあるからそうみえるのじゃ。
>>605 がらくたをもっているものには、それを捨てさせるのが必要なのじゃ。
>>607 独身じゃ。
>>614 観念の無いあるがままの現実が無常であり、空というなら、それこそが観念に囚われている証拠じゃ。
なぜなら無常も空も修行のために作り出された観念であり、方法であり、手段に過ぎないものだからじゃ。
前にも書いたが何でも観念を持てば投射によってそのようにみえるものじゃ。
くおりあといえばくおりあとみえ、空といえば空と見える。
空とは本来概念を破壊する概念、観念を破壊する観念である故に、そのようにあるがままの現実というものを、空と呼んだり、実感したとすればそれは空ではなくなる。
空という観念を以って遊戯をしているだけなのじゃ。
わしはおぬしの意見とクリシュナムルティの意見が同じとは書いておらん。
おぬしは理解しておらんのだから、同じ意見を持つ事はできない。
ただ物まねをしているだけじゃ。
最初に疑問形で「○○ではないですか?」などと聞くと、○○を否定したと言う観念は物まね以外の何物でもない。
クリシュナムルティもまさか自分が否定した模倣を、信奉者がやるとは思っておらんかったじゃろう。
おぬしのような者が出るように、やはりクリシュナムルティの実験は無理があったという事じゃろうのう。
本来は長年修行し、目覚めたものしか出来ない事を、何の訓練も無い者にやれといっても無理なものじゃ。
目覚めた者は時にそのような間違いを犯すものじゃ。
禅坊主の中にも悟った後、指一本だけを出して人を導いていた者が居たが、後になってもっとちゃんと導いてやれば良かったと気付いたものじゃ。
それは東京に居る人間に四万十川を見ろというようなものじゃ。
どんなに努力してもそのままでは見えない。
見ようとすれば四国に行くしかない。
同じようにクリシュナムルティがどんなに注意をしてあるがままの現実を見よと言っても見ることは出来ない。
ただ観念によってあるがままの現実が見えて、それは空じゃったと言い、囚われるだけじゃ。
おぬしがそのように言う事自体が、クリシュナムルティの実験的な言動が失敗に終ったと言う事を証明している。
オショーによって予言されてはいたがのう。
クリシュナムルティが述べたような、本当のあるがままの現実を見るには、やはり
>>2から読んで修行するしかないのじゃ。
>>616 >>1に、否定されても発狂しないと書いてある。
理解とは肯定とは違うものじゃ。
理解した上で間違っている事は間違っていると否定される事もある。
理解されても自分だけが正しいと思っているおぬしには受け入れられないのじゃ。
>>617 おぬしには負けるのじゃ。わっはっはっは。
>>618 おぬしには負けるがのう。わっはっはっは。
>>619 おぬしよりは下手じゃがのう。わっはっはっは。
>>631 おぬしのためじゃ。
指を一本出しておぬしが判るならわしも勉強しなくてよかったのじゃがのう。
647 :
やまい:2010/03/14(日) 20:59:50 ID:mWVFhUuf
評論家には魅力がないね。
選手はどこだ?
648 :
神も仏も名無しさん:2010/03/14(日) 20:59:56 ID:/FD1s4gH
結論としては、ゴータマシッダルタさんが悟れたんだから
あなたも悟れる ということです。
私はもちろん悟っています。
さあ、あなたも悟ってみませんか?
心のやすらぎと 宇宙の真理を知るために。
>>637 昔クリシュナムルティというおじーさんがおった。
「方法は罠になるのではないか?全力で注意するのじゃ」と言った。
わしには言う意味が判った。
もう一人は「○○ではないか?」と口真似だけしておった。
それだけじゃ。
650 :
やまい:2010/03/14(日) 21:06:14 ID:mWVFhUuf
>>647 おぬしじゃ。走るのじゃ。
>>648 そうじゃ誰でも悟れるのじゃ。
途中で悟ったと修行をやめなければのう。
652 :
やまい:2010/03/14(日) 21:08:46 ID:mWVFhUuf
めずらしく会話できたね、Ciao.
>>650 こりゃ面白いリンクだ。
紹介ありがとう。
スーフィーには、聖者が到達した認識を自分のものにするには
同じ道を辿って手に入れなければならない、という意味の教えがある。
認識を知識にしたところで何の意味もない。
655 :
神も仏も名無しさん:2010/03/14(日) 21:40:38 ID:qf6GfQvU
なら何で最高だって分かるんだよww
657 :
神も仏も名無しさん:2010/03/14(日) 22:07:57 ID:/FD1s4gH
本当に悟りを得たいなら 池田犬作や、大川るーほーに
あなたの大切なお金をくれてやるのは無意味です。
へんな宗教は あなたを悟りから遠ざけます。
658 :
やまい:2010/03/14(日) 22:29:04 ID:mWVFhUuf
>>655 ご紹介どうも。主語がはっきりした英語で経典読むのも面白いかも。
代名詞で誤魔化されると幻滅だけどね。
>ああ、オウムのところですね。
前に、これでオウムと間違えられたこと思い出したw
その前はソーカって言われたw
エキサイティングだね。ここのリンク。
659 :
やまい:2010/03/14(日) 22:35:45 ID:mWVFhUuf
660 :
やまい:2010/03/14(日) 22:40:16 ID:mWVFhUuf
661 :
ネ申:2010/03/14(日) 23:22:24 ID:HpGh2jaA
忘我を悟りと勘違いしてることに気づかないよな?
凡人の限界を見ている気がするわ
これ悟くんが消えたね。
クリシュナムルティは、対談読んでもイミフな
もってまわったフレーズが多すぎるし、なんか
あんまし噛み合ってない印象で、ほんとに
この人はわかってんのかなーというカンジ。
しかもインチキ霊媒トリックがバレて、ブラバツキー
婦人がイギリスに逃亡したあとの神智学協会を
引き継いだ霊能者のリードビーターが、ガンジス川
のほとりで 「かつてないオーラを放つ少年」 を
発見するくだりは胡散臭いことこの上ないです。
さらに修行中に体外離脱を経験して、第一霊関門
をクリアしたあたりはインチキカルトの真髄という
感じなんですけど、じつはクリシュナ少年の真価は
このときから発揮されるわけでね。
世界教師として星の教団を継いだクリシュナ青年
はその教団の解散を宣言して、ひとり放浪の旅に
出ます、それ以降多数の著作物を出すわけだけど、
この人の価値は、その散文集にあって宗教詩人の
才覚があったんでしょうね。
なんか法華経にいう、常寂光土ってのはこんな感じ
だろうみたいな、光あふれる透明感のある世界で、
やっぱりその感覚は身につけてんじゃないでしょうか。
じっさいの本人は講演中に激怒して、聴衆相手に子供
みたいにののしり合ってたりして、ふつうのところもある
みたいで、日本でこの人を最初に紹介したのは、今東光
のお父さんだという話ですけど・・・
分かったら坐るしかない、それはいつか起こるだろう。
木の実が熟して落ちるように。
だだそれを待つしかない。
665 :
神も仏も名無しさん:2010/03/15(月) 09:25:21 ID:4PgRvdOI
>>664 ただ坐ってもダメだと思うがね。
サル真似。まれに三昧を得られたとしても、それを悟りと勘違いする。
勿論、分かってなきゃあダメだろう。
死んだ人が坐っても、生き返らない。
667 :
神も仏も名無しさん:2010/03/15(月) 09:32:27 ID:7EQZB3dU
668 :
神も仏も名無しさん:2010/03/15(月) 09:44:50 ID:4PgRvdOI
>>667 とりあえず、縁起・無我・空、そして一切智ですね。
669 :
神も仏も名無しさん:2010/03/15(月) 09:51:35 ID:7EQZB3dU
>>668 とりあえずってなんだよw
ビールじゃねえんだぞw
671 :
すいか:2010/03/15(月) 10:03:23 ID:Ssy2y5tR
やぁ。俺、悟ったけどなにか質問ある?
672 :
神も仏も名無しさん:2010/03/15(月) 10:10:06 ID:7EQZB3dU
673 :
音:2010/03/15(月) 10:18:46 ID:KlKAjftW
こんにちは。みなさんお久しぶりです。長い間考えて
瞑想してわかったのは、すべてがくだらねぇまやかしだ
ってことです。悟りに執着すればするほど悟りからは遠く
なりますよ。
674 :
音:2010/03/15(月) 10:24:12 ID:KlKAjftW
>>672 簡単にいうなら達観かな。すべてのことに執着せず
ただ生きる。
675 :
神も仏も名無しさん:2010/03/15(月) 10:24:13 ID:4PgRvdOI
>>669 とりあえず無我・空を体得すると見道、初地と言われ、聖者と呼ばれるから、
そこから更に修行してテーラワーダの場合はアルハット、
大乗の場合は一切智が完全な悟りだから。
676 :
音:2010/03/15(月) 10:28:05 ID:KlKAjftW
一切智なんてあるわけないだろ。くだらねぇ。
あんさん幽霊とか信じる性質かい?
瓦は百年磨いても鏡にはならない。
死んだ人を坐らせても悟れない。
全ての観念から自由でなければ、その自由という言葉さえも、頭に浮かんだ時点で
観念になってしまう。
執着するしない、それさえも超えていかなければ悟れない。
しかし、われわれは、その観念を使う意外それから抜け出せない、いいや、その観念から
抜け出すために坐るしかない。
観念の生まれる以前、言葉の生まれる以前、そこがスタート地点なのだ。
678 :
音:2010/03/15(月) 10:41:32 ID:KlKAjftW
悟りなんて得られなくても生きてゆける。
有意義な人生を送ることができる。
これが真理だよ。考えたらわかるだろ。
経典に書いてあるからって真実とは限らない。
くだらないことは捨てたほうがいい。
679 :
音:2010/03/15(月) 10:44:22 ID:KlKAjftW
お釈迦さんもそう言っていたよなぁ。
疑いなさいってね。
くだらないとかくだらなくないとかいう観念も捨てるほうがいい。
その方が有意義に生きられるよ。
681 :
音:2010/03/15(月) 10:47:20 ID:KlKAjftW
くだらないなぁ。あんさんの話は。
682 :
神も仏も名無しさん:2010/03/15(月) 10:50:57 ID:4PgRvdOI
683 :
神も仏も名無しさん:2010/03/15(月) 10:53:30 ID:4PgRvdOI
>>678 要するに自分の経験以上のことなどないと思いたいだけだ。
勝手にすればいいが、他人に押しつけちゃあかんなw
684 :
音:2010/03/15(月) 10:57:52 ID:KlKAjftW
いやまぁなんだっていいや。
悟りであろうがなかろうが。
くだらねぇまやかしだってことだよ。
生きていれば死ぬほど苦しいこともある。
でも人間はそれを乗り越えられる力をもってる。
それが真理さ。
生きていれば死ぬほど苦しいこともある。
でも人間はそれを乗り越えられる力を持っている。
それは万人にとって真実だ。
しかしそれは真理の一部にすぎない。
686 :
音:2010/03/15(月) 11:05:16 ID:KlKAjftW
狐と狸の化かしあい。
くだらねぇまやかしさ。
>>686 それはあなたにとっての真実だ。
そして真実でない人はいない。
688 :
神も仏も名無しさん:2010/03/15(月) 11:22:23 ID:7EQZB3dU
689 :
やまい:2010/03/15(月) 11:48:14 ID:dLmVK+hi
人生万事塞翁が馬。
何が良いのか悪いのか見極めるのは難しいね。
オウムwの中論第五章より
見ているだけでは、認められないのである。
認識するには、見て考えることが必要である。
見て考えるから、見ているものが明確に変わり、
見て考えないなら、見ているものが曖昧に止まる。
見ているものが、他に見られることはない。
見ていないものも、他に見られることはない。
確かに良く考えると、良く見えるようになるが、
それは、ただ、より近づいて見ているだけである。
明らめることなしに、諦らめてはならない。
明らめずに諦めるのは、囚われた見方である。
何かを見ていることと、何かが見えていること、
これは、現実の表裏であり、幻想の産物ではない
・・・・・・・・
脊髄反射的に行動に移すのではなく、的確にしかも
素早く判断しよう、というのが、もっかの私の課題です。
外道良久す。じゃあね。
690 :
ニサルガ・モード:2010/03/15(月) 12:37:49 ID:iZjJkre2
鬼和尚
どのように言い逃れしようとも、あなたは、討論で相手を打ち負かしたいという欲望、
自己保身、観念というおもちゃにしがみついているだけなのだ。
いつまでも、言葉あそびを重視しているかぎり、あなたは子供だ。
あなたは、マインドの罠にはまっていることに気付いていない。
あなたはもっと注意深くならねばならない。
さもなければ、マインドはあなたを奴隷にしたままだろう。
泥棒を見守るかのように、マインドの動きを注意深く見守るのだ。
罠にはまらないように全力で注意するのだ。
691 :
神も仏も名無しさん:2010/03/15(月) 12:37:51 ID:7EQZB3dU
>>689 おまえこれに何書いてあるのかわかってんのかよw
なんか他人の口マネじゃないとしゃべれないひとがいるな
>>690 I AM THAT 「私は在る」を読んでみるといいよ。
聖者との対話が書かれている。
694 :
神も仏も名無しさん:2010/03/15(月) 12:56:53 ID:7EQZB3dU
696 :
ニサルガ・モード:2010/03/15(月) 13:59:06 ID:iZjJkre2
鬼和尚
討論の相手であれ、何であれあなたから分離していると見るとき、あなたはそれを愛せない。
なぜなら、あなたはそれを恐れているからだ。
あなたはクリシュナムルティの実験的な言動が失敗に終ったと言うが、
クリシュナムルティは老いて死ぬまでの何十年もの間その失敗に気づけなかったというのか?
あるいは自己保身のために気づいても修正しなかったとでもいうのだろうか?
あなたがマインドの罠に気付かない限り、真実を見いだすことはできない。
欲望と恐れが真実を覆い隠し、歪ませてしまう要因なのだ。
マインドがそれらから解放されたとき、歪め隠されていた真実が、見えてくるのだ
鬼和尚にマインド(自我)は無い。
それが悟った人だ。
和尚は仮想自我を造っているだけだ。
言葉は頭に浮かんだ時点ですでに観念に侵される。
だから、本来悟りを言葉で表現する事は不可能だ。
お釈迦さまも悟りを説くとき言葉を使われたはずだ。
しかし、お釈迦さまが悟っていないと言えるだろうか。
698 :
やまい:2010/03/15(月) 14:36:16 ID:dLmVK+hi
悟ったにも悟ってない人にも自我が無いというのが
悟った人の意見だと思っていましたが。
699 :
そだった、ぽ:2010/03/15(月) 14:44:20 ID:YvgsuDxd
700 :
やまい:2010/03/15(月) 14:47:02 ID:dLmVK+hi
犬や猫の意見も聞けたらよいですね。
自我の正体を知ればはじめから無かったことに気が付くのだろうけど。
それを知ったところで、四万十川にいることにはならない。
>>645 >>禅坊主の中にも悟った後、指一本だけを出して人を導いていた者が居たが、後になってもっとちゃんと導いてやれば良かったと気付いたものじゃ。
禅坊主は指一本の指導を後悔したのではありません。
指一本使いきれなかったと後悔したのです。
703 :
やまい:2010/03/15(月) 14:51:17 ID:dLmVK+hi
四万十川に行かずとも四万十川の海苔は頂けます。
「私」という存在が儚いものであると知ったなら、
諸々の執着は虚しいものと知る。
まして悪事を為してまでやりとげる程のことはない。
一般的にもこれで十分だと思われますが?
それでも苦しむ者はいる。
苦しむ者を救うのがお釈迦さまの教えでは?
悪事を為してまでやりとげる事は悟りとは何の関係もない。
705 :
やまい:2010/03/15(月) 15:03:04 ID:dLmVK+hi
>>702 関係の無い話なのですが、私は儒教が嫌いでした。
やたらと礼儀を押し付ける堅苦しい教えだと偏見を持っていたのです。
でも、ある言葉を聞いて改まりました。
それは
「夫子の道は忠恕(真と思いやり)のみ」
706 :
SRKWブッダ:2010/03/15(月) 15:19:44 ID:RYaJFeiH
倶胝和尚は思い至った。
”人はいかようにしても他人の真の気持ちをくみ取ることはできないであろう”と。 しかし、私(倶胝和尚)はそれがそうだと分かっていても、目の前に苦しむ人を見たならばその人にリアクションをとってあげたい。 やさしくしてあげたい。
そうしないと私自身の気が済まない。 なぜならば、私は常にやさしい人でありたいからだ。
しかし、相手の真の気持ちをくみ取ることもできないのに、相手に対して真実のやさしさを完璧に実行する手立てなどとても分からない。 そして、実際のところそれを現実の行為として行うことは無理だろう。
だから、私はその相手への気持ちを、それだけを「指を立てるという行為」でのみ示すのだ。 私の気持ちを相手に示すだけに留めることが、私自身の最も正直な気持ちの吐露であり、考えられる最高のリアクションに他ならないからだ。
それは決してさぼりではない。 そうして、私(倶胝和尚)はただ指を立てることのみに終始し、その気持ちをすべての人々に示して一生を送るのだ。 このリアクションが、私にとって考えられる最高のものであるからだ。
そして臨終を前にして彼は思う。 『この指は無限に使ったが使い尽くせなかった。』
***
>>706 もっと多くの人たちを救い得た、救いたかった、ということでしょうか?
とすると、鬼和尚も
>>702さんも両方とも正しい発言なのですね。
鬼和尚は、叩かれようと、罵倒されようと、蔑まれようと、意に介さないだろう。
救われたいものは、救われればいい、そこに苦しむ者がいる限り、説き続けるだろう。
709 :
やまい:2010/03/15(月) 15:34:51 ID:dLmVK+hi
口で思いやりを説くのと、
本当に優しいのとは 違う。
若い人やご婦人方は
吾々のようないかがわしいものの
口先だけの言葉に騙されぬよう。
あなたたちの優しさに触れました。
>>696 君に相応しい最上の言葉はこれだ。
オマエモナー
みんなで協力して悟りに近づこう。
口で言うのと、それを本当に自分のものにできているのかは別だよ。
714 :
神も仏も名無しさん:2010/03/15(月) 17:23:35 ID:cX4gbQm2
>>697 100%それはないだろww
どう考えてもあのおっさん自我の固まりにみえるがw
715 :
神も仏も名無しさん:2010/03/15(月) 17:26:57 ID:cX4gbQm2
なんか香ばしい感じの人多いね。なんなのこれw
悟るとは自我が落ち、認識も転換した状態じゃ。
そこでは何も語るべきものは無いと知りながら語るじゃろう。
正しい言葉ではなく、道しるべとしての言葉を語るのじゃ。
〜鬼和尚の悟り論〜
自我はあるってことでいいの?自我が落ちる状態が悟りで、それ以前の自我が落ちてない状態は悟りじゃないわけだな。
二行目からは悟った後の話だな。これについては言及はしないけど、とりあえず、自我を落とす=悟りなわけだな。
自我を落とすことが悟りであると気付くだけではだめだ。
四万十川を想像するだけでは、四万十川にいることにならない。
四万十川に行くためには坐るしかない。
718 :
神も仏も名無しさん:2010/03/15(月) 18:08:37 ID:rAaLujQO
みなさんいままさに四万十川で泳いでおられるのに。
既に泳いでいることを知るためには坐るしかない。
いることにならないのか既に泳いでるのかどっちだよ。
自我は無いものであるが、それを知らなければ、既に泳いでいることを知らないのと同じ。
722 :
神も仏も名無しさん:2010/03/15(月) 18:47:43 ID:9iQ3KyTi
今日も元気だご飯がうまい
自分は四万十川を想像しているだけの人間だから。
坐るしかないw
悟りってのは知ることなのかな。
知ることと知らないことでどう違うんだろう…
725 :
神も仏も名無しさん:2010/03/15(月) 19:04:37 ID:NH91mOaI
なんか、自分の考えを主張して
他の人の意見を否定するスレになってるね。
悟りに至る道は 人それぞれ。
遠まわりする人 困難な道を選ぶ人 あっさり悟る人
色々な悟り方があるはず。
自分と違う方法で悟りを得ようとする人を否定するのはダメです。
726 :
狸和尚:2010/03/15(月) 19:05:38 ID:E2iijS02
皆の衆、言葉より実践じゃ。毎日短時間でよいから座るのじゃ。
鬼和尚もそう言うておる。
727 :
神も仏も名無しさん:2010/03/15(月) 19:06:33 ID:9iQ3KyTi
>>708
おまえも鬼和尚みたいなアホの言う事真に受けなさんな 痛い目見るぞ
あんなもんきちんとした禅者はだーれも相手にせん あの者の言ってる行など全く坐禅ではない
やる気があるならちゃんとした寺行ったほうが良い ああいうきちんとした老師も持たない輩がききかじった知識で悟った悟った騒いで人を惑わすのは危険なことだ
それだけ今の禅門やらが力を失ったという事か まったく情けない
しかし鬼和尚のような輩の話でも真に受けるのがいるのか オウム真理教がどんどん信者を増やしてると聞くがカルト集団に騙される愚か者がそれだけいるということだな
なげかわしいことだ
坐ってパソコンしてますけどw
知ることは頭で理解することだから観念なんだよ。
しかし悟りは観念の外なんだ、泳ぐことを完璧に勉強しても実際に泳げなければだめだ。
でも泳ぐことがどんなことか知らなければ、逆立ちを泳ぐことだと思うかもしれない。
観念を捨てることは生易しいことじゃない。
それは修行している者なら誰でも知っていることなんだ。
観念を捨てるってのが目的なのか…
733 :
そだった、ぽ:2010/03/15(月) 19:46:01 ID:+jdmOKtG
>>700 やま ちゃん
> 犬や猫の意見も聞けたらよいですね。
人間や、脊椎動物だけのことでは、無いよ・・・
>>650 そのサイトの経は訳がおかしいようじゃ。
やはり自分で本を買うしかないのう。
>>663 困った親父じゃ。
むしろ詩でも書いておった方が良かったようじゃ。
>>664>>667 そうじゃ、坐って待つのじゃ。
>>702 だいたいわしの書いた通りじゃな。わっはっはっは。
>>716 それに執着している者に対しては在るものとして説かねばならないのじゃ。
落ちたら無かったと判るのじゃ。
認識も忘れてはいかんのじゃ。
自我が落ちれば容易に無くなるがのう。
>>717 そうじゃ、坐って行くのじゃ。
735 :
神も仏も名無しさん:2010/03/15(月) 21:00:23 ID:ZCg1HJGm
苦でぎゅうぎゅうだと頭で思っていても身体は生きているだけで喩えようも無いくらい
想像できな程、至福、極楽として存在していて、そこで、すべての疑問が氷解する。
頭(考える事)を捨てて腹で据われと禅の人達が言っている、その意味が身体で解ったらそうなる。
鬼さんは腹、我々は頭、そこに断崖絶壁があって理解出来ないのも仕方無い。
だから鬼さんは座れと言う、話しはそれからで、行わなければ始まらない。
大地に足を着けた人が逆立ちの人に話しをするようなものなのかも。
頭の中のお喋りをシャットダウンさせることが出来たら…
究極の簡単すぎるパズルは超難解で、解けたら思考が粉砕され宇宙が御出座しになる。
まだ本当の修行さえ始まっていない。
736 :
神も仏も名無しさん:2010/03/15(月) 21:04:29 ID:4PgRvdOI
>>735 まあまあですかね。でも、それだとヒンドゥーとかわんないよ。
737 :
神も仏も名無しさん:2010/03/15(月) 21:07:57 ID:sl2URDYg
一息ゆっくりはくだけで三昧に至れるようにすれば
わざわざ座らずとも坐れる
坐ってばかりいられないですよね。
眠くなったら立てばいい
>>734 鬼和尚さんが読んでる本の訳がおかしいとは思わないのですか?
鬼和尚に教えを請うスレじゃないよねここ…
742 :
神も仏も名無しさん:2010/03/15(月) 21:49:20 ID:9iQ3KyTi
>>734 おまえはどんだけ罰あたりなんだ
いいかげんにしろ ほんとに
はぁ〜三昧気持ちよすぎる
744 :
神も仏も名無しさん:2010/03/15(月) 22:21:21 ID:rnxJeODC
745 :
神も仏も名無しさん:2010/03/15(月) 22:29:53 ID:sl2URDYg
>>734 なんだか、いままでになくしょぼく感じる。
>>706 あっ、空だ!全ての人を悟りに
導ききれなかったことを悔やんだということ?
747 :
ニサルガ・チョッピリ・カナシミ・モード:2010/03/16(火) 00:42:49 ID:gn0AY2iE
鬼和尚
そうだ。それでいい。無益な論争や挑発はさけるのだ。
放っておきなさい、闘ってはいけない。見過ごすのだ。
私の教えを守り続けるのだ。
私はもう二度とこないだろう。さらばだ。
悟って無くても記憶力や判断力に優れてれば
経典から当てはまる言葉を引っ張って来て、
相談くらいにはいくらでも乗れるよなw
749 :
ネ申:2010/03/16(火) 05:54:11 ID:R9kIcK5B
多少の心情は汲み取ってやれるが
迷いこんだ者を全否定して腐った団体心理を持つおまえらは
クズだ
あえて言う
クズであると
迷い込んだものって誰のことだよ
バカなこといってたら「バカなこといってるね」といってあげるのは全否定とはいわないし
クズでもう良いじゃんw
752 :
やまい:2010/03/16(火) 08:22:45 ID:yKxvUZtm
>>691 頌に曰く、「劍刃上に行き、冰稜上に走る。階梯に渉らず、懸崖に手を撒す」
その心は
「忍」
753 :
やまい:2010/03/16(火) 08:27:31 ID:yKxvUZtm
>>733 >人間や、脊椎動物だけのことでは、無いよ・・・
そのとおり。
すべての存在には、主体とも呼べる「我」(が)がないこと、
諸法無我という。
実際は、自我が無いと社会と接することも出来ない。
755 :
神も仏も名無しさん:2010/03/16(火) 09:09:44 ID:yYj3mMER
>>735から続く
批判しようが否定しようが鬼さんは動じない。
それに皆の認識が何処で引っ掛かっているか手に取るように解っているし、
説き伏せる事が出来ないとも知っている。何故に書き込んでいるのか?
実践により、一人でも多くが「わっはっはっはの境地」に導きたいとの願いから。
わっはっはっはの境地にあるとすべてが嘘偽りなく「あるがまま」で。
そもそも、わっはっはっはの境地には疑念も考える余地もなく。
そこに到達する方法は方法なき方法、実践あるのみじゃで、
だからこそ「わっはっはっは」なんだよね。わっはっはっは、わっはっはっは……
756 :
やまい:2010/03/16(火) 09:13:11 ID:yKxvUZtm
解体すべきは観念ではなくエゴ。
剥き出しのそれそのものを体験していないから世迷言が言えるのだ。
どんなやり方を選ぶも自分次第。
ただ鬼和尚は説き続けるだけ。
捨てるものは捨てればいいし、試そうと思えば試せばいい。
来るもの拒まず去るもの追わず、それが和尚のやり方さ。
だから和尚はネットの鬼和尚。
誰も知らない、あなたの隣のおじさん?かも。
758 :
やまい:2010/03/16(火) 09:21:08 ID:yKxvUZtm
>>754 世の企業戦士は身を犠牲にして世の中のために働いている。
ほとんどの人はボランティアに近い働きだ。
彼らの状況は肯定すべきものではないかもしれないが、
彼らの働きは尊敬に値する。
昔は命を惜しまぬ勤皇の志士に至るまで、エゴを越えた働きをする人が一流である。
耐えるのも自我そのものであって、
それ自体が悪いわけではない。
無為と社会の狭間にあって、バランスが取れないときに問題がでる。
760 :
やまい:2010/03/16(火) 09:28:38 ID:yKxvUZtm
己が無為でありさえすれば無為法に助けられると
考えるのは 甘いぞ
761 :
やまい:2010/03/16(火) 09:33:08 ID:yKxvUZtm
無為が無為法の恩恵を純粋に受けようとするなら、
人里離れて仙人の如く生きるしかないのだよ。
だから
悟るが現実逃避になってしまうのが、一番まずいと思う。
私は聖者であるというアバターは、
一時なにがしらかの逃避にはなるが、実は何にもならない。
自我、御幣があるから自我とは言わずに、
「社会と接する自分」
これを内面と外面の両方を矛盾なく運用することを学ぶ方がいい。
763 :
やまい:2010/03/16(火) 09:44:17 ID:yKxvUZtm
何かを失ってから初めて人は取り返しのつかない
財産を失ったことに気付くのである。
故に忍耐こそがこの世で最も優れた金庫である。
失う前に止めるということ。
新しく財産をえるより実は有益なのである。
>>757 なんでもいいけどよw
あれは自己流の坐禅作法を無責任に押し付けてるだけだわあれは
無知な人間はだませるかもしれんが、それはダマしだわな
ああいうのは本人も自覚がなかったりするから性質がわるい
どんどん変な方向にハマっちまう
765 :
やまい:2010/03/16(火) 10:00:47 ID:yKxvUZtm
伝統があるというのは、それだけ実証があるということだな。
人体実験の質と量が圧倒している。
面白いもので、
自己肥大したい人や、依存しようとする人は、
そういう輩にしか出逢わない。
767 :
神も仏も名無しさん:2010/03/16(火) 10:34:18 ID:0ujz03vw
>>734 だいたい同じですか。
まぁ法戦なんてどうでもいいか。
目の前で困ってる人を助けるのが先決か。
アンパンマンは悟ってるよなぁ
わかっちゃたらげんきんなもので、それはそれあれはあれで問題なくなる。
彼は彼自分は自分、結構便利だよ、他人の真実も理解できるし。
勿論完全じゃない、しかし、悩まなくてもよくなった、自分の意図だけチェックすればいいから。
誤解されても、力不足だと素直に認めて流せるようになった。
まだまだヒヨコだから、鬼和尚のレスを確認しに来るだけのつもりが、嵌ってしまう。
くれぐれも自己責任だから、自分に合ってなければ捨てることだね。
ネットも現実も己の鑑識眼を頼るしかない。
770みたいなのが一番苦手だ…
そうか?割とまともな事言ってるじゃん。
鬼和尚みたいなのがチヤホヤされてる理由がよくわからない。
どうも日本では禅が高尚なものと思われがちで、
禅問答みたいなやりとりをすることが悟りへの道だと考えてる連中が多い。
そういう連中が、やたらめったら質問をして、
とらえどころの無い回答を貰う、というやり取りを鬼和尚として、
悟りの境地に近づいた気分に浸っているのだろう。
774 :
神も仏も名無しさん:2010/03/16(火) 18:37:37 ID:LMhdnmKM
鬼さんは一貫していると思うが。
認識を転換した経験をすると「智」が備わると。
その「智」が肝だろうに。
前段階の経験ばかりを比べて議論をしているよね。
鬼和尚がチヤホヤされてるってw
んな訳ないって、74スレでどれだけ毎日叩かれてきたか。
入れ替わり立ち代り、名無しコテを問わず、多勢に無勢で様変わり。
でも鬼和尚だけは変わらない、規制中意外は毎晩答えに来る。
自分は中盤に来て最近また来て、変わらないのは鬼和尚と数人のコテさん。
初期のことは知らないけれど、鬼和尚は一環している。
誰か真似できる人他にいたら知りたいくらいだ。
別に真似しろとは言ってないけど。
774とか775とかがチヤホヤしてるってことでしょ。
誰が誰をチヤホヤしてもいいけど、それをほかの人にまで押し付けたらダメだよ。
前半分で寛大な振りをして、後ろ半分で独善を吐くのはありきたりだな
鬼和尚みたいなカスはどこにでもいるし、あれの言ってる事を真に受けてる人はほとんどいないだろ
あんなもんがニセモノってわかんないようだと生きるのもしんどそうだな
>>735 そうじゃ、坐るのじゃ。
>>740 そのサイトの金剛般若経の六章にこんなことがかかれておる。
「もし、彼が、実体がないと考えるなら、
考える、つまり、実体があると考えるなら、
彼にも、自我に対する執着があることになる。」
日本語になっておらんようじゃ。他にも省略されていたり、切れている経が多い。
ちゃんと学ぶには良いところではないと言えよう。
>>757 そうじゃ、隣に居るかもしれんぞ。わっはっはっは。
横になって瞑想してると射精を何倍にもした快感が延々と続いて
気持ちよくてとろけそうになる、ていうかとろける
782 :
神も仏も名無しさん:2010/03/16(火) 20:24:39 ID:h1sLDGhL
瞑想して精神を整えると、
机から床下までに爪楊枝が落ちるまで、
その爪楊枝を40本なら数えられます。
>>780 それ普通に並列でかかれた文章だろw
どんだけ読解力ないんだよww
あんた学生時代、英語や国語全くできなかったでしょ?
私とは何だ
私はどこにいる
785 :
コレ悟りかよ!?w:2010/03/16(火) 20:55:35 ID:hCHIhcmn
みんな、お久しぶり!鬼和尚の弟子が降臨してやったぜ。
すべてのレスにレスし返す修行、面倒くさいから勝手に止めたからなw
相変わらず睡眠薬もらいに精神科に通ってるが抗精神薬(基地外専用)からは解放されたからな。
これだけでも大勝利だぜ。
鬼和尚の慈悲とみんなのおかげだ。感謝、感謝だぜ。
医者「で、まだ妄想はありますか?」
俺「親父への劣等感の解消を僕が勝手に悟りと結びつけてと勘違いしただけです」
医者「2週間後にまた来てください」
まだ医者も俺を統合失調症かどうか、判断できかねてるようだ。ま、別にどうでもいいんだよ。
俺は単なる躁鬱だと思うんだが、医者も困ってるみたいだw
すまねえ、俺の日記なんかどうでもいいんだよ。久しぶりで、つい自己顕示欲が出ちまったぜ。
ザッとレスを流し読みしたが、なんか、マジでどうでもいい内容だなw
(ゴメン!レヴェルが高すぎて話題についていけねえ!)
また寂しくなったら覗くんで、よろしくな!ノシ
>>785 鬼和尚の弟子なら名前をつけて貰いなよ。
そのコテは目障りだからよ。
鬼和尚の弟子はみんなそうしてるぞ。
あんな馬鹿の弟子なんかやめろやめろw
あほがあほを引き連れてなんになる
788 :
神も仏も名無しさん:2010/03/16(火) 21:18:23 ID:0ujz03vw
>>785 よかったな。おめでと! やっぱ、慈愛だ、慈悲だね。
爺、自慰、示威、侍医。
790 :
神も仏も名無しさん:2010/03/16(火) 22:07:49 ID:h1sLDGhL
>>782 それが本当なら、その能力で世界周れるよw
自己探しのつもりが、父親探し
オウムは危険
愚か者は愚か者を見抜けないだろう
鬼和尚みたいなどうしようもないやつが俺は悟ったって言い張って偉そうにしてもほとんどの人間は「こいつはカスだな」ってわかる
けど無知なやつはだまされる。オウムと一緒だ
が、組織化するとさらに危険だ
795 :
そだった、ぽ:2010/03/17(水) 02:30:00 ID:plFv3lCk
>>753 やま ちゃん
>733
人間や、脊椎動物だけのことでは、無いよ・・・
> そのとおり。 すべての存在には、主体とも呼べる「我」(が)がないこと、 諸法無我という。
諸法無我とは、つまり、?
796 :
偽和尚 ◆qH7QdQmFhM :2010/03/17(水) 02:55:14 ID:V8Ef71wb
悟った人は偉い人なのか? それこそ自我による錯覚だと思うんだがなあ。つまり妄想。
797 :
偽和尚 ◆qH7QdQmFhM :2010/03/17(水) 03:03:49 ID:V8Ef71wb
>>795 例えばロボットを作ったとする。人間そっくりに動く。あたかも人間みたいで物事を自分で考えて
自分の自由意志で動いているみたいに見える。でもプログラミングされたままに動いているだけだ。
蓄積された記憶や状況によって行動を変えるとしてもそれはそのように条件設定されているだけのこと。
つまり、我はない。あるように見えるだけだ。中には誰も入っていない。分解しても中で操縦している
小人とか精霊とかは出てこない。何も出てこない。たまねぎみたいに剥いたら全部なくなる。
こんな感じだ。
798 :
神も仏も名無しさん:2010/03/17(水) 07:48:52 ID:MJVXhtfW
>中には誰も入っていない。
入っていないということと
入っているとということ
これは同じ。
すべての人格が入っているし
地球のすべてが入っているし
宇宙のすべてが入っている。
外のすべてが入っている。
ある見方をすれば身体は縮図。
またある見方すれば身体はない。
だから内も外もない。
799 :
SRKWブッダ:2010/03/17(水) 07:56:22 ID:UjbM8qsv
偉大な人は、快楽と苦行の両極端を知りつくして両極端にもまた中間にも汚されない。 彼は、この世において業によって起こる一切の苦悩を脱しており、憂いなく、死して後もうこの世には戻ってこない。 それゆえに彼は偉大であると呼ばれる。
そして、もろもろの覚者はこの意味においてまさしく偉大な人なのである。
***
800 :
神も仏も名無しさん:2010/03/17(水) 08:15:03 ID:G/nsFq/W
>>780 >>2,
>>3を参考にさせて頂いております。
貴方御自身は、現実において、特定の寺や場で止観行を教えておられるのでしょうか?
(こうした場ですので、答えられる範囲で結構です。
或は、ブログで御聞きした方が良いでしょうか?)
是であれば、可能ならば教えて頂きたいと考えております。
否であれば、推薦するべきお寺や場等はありませんでしょうか?
801 :
狸和尚:2010/03/17(水) 11:28:56 ID:ufdTnFyK
まだ、言葉遊びをしておるようじゃのう。
実践がすべてじゃ。
>>800
あれを参考にした? かわいそうに
禅を理解してない素人が書くとああいう事を書いてしまうのだが、鬼和尚というのは悪業の限りを尽くしているなあ
数息観すら否定する老師多いっていうのに他の大事な事をすべて言及せずにあんな馬鹿丸出しのことよく恥ずかしくもなくかけたもんだ
鬼和尚なんて、しかるべき禅門いけば相手にもされんだろう
もしあの馬鹿が「悟った」などと言えば、その腐った性根をたたき直すまでぶんなぐられるだろう
もうあんな馬鹿の事は忘れて近所の禅宗寺へ行ってきなさい 思い込みの激しい馬鹿な素人がみんなにかまってほしくて始めたのが、鬼和尚っていうろくでもない人間だ
彼は途方もない悪業をひたすらにつんどる ある意味ではかわいそうな男だが、他人を無暗に混乱させちゃいかん
>>801
もちろんそうだ が、あの鬼和尚がかいたような馬鹿なことを実践してもさらに我を強めるだけだろう
禅にはきちんとした教えと、実践がある あのような愚かで馬鹿な事を広める罰あたりは言語道断だ
だまされる方も悪いが、だますのが最も悪い
804 :
コレ悟りかよ!?w:2010/03/17(水) 11:51:55 ID:PbR1ra7w
>>794 >>けど無知なやつはだまされる。オウムと一緒だ
>>が、組織化するとさらに危険だ
オウムの信者は弁護士や化学兵器を独学で開発できる一流大学のエリートが中枢じゃなかったか?!
高卒の俺と、どっちが危険なんだよw
>>796 すべてが妄想と「知る」のと「体験」するのは、やっぱ全然違うな。
人間は妄想無しでは生きていけないし、存在できないんだよ。
俺が鬼和尚をヨイショするの俺の自我を安定させるための俺の妄想だ。
鬼和尚を叩いて否定する人間も同じだ。否定しないと己の妄想が解体するからな。
つまり何が言いたいかと、鬼和尚最強、仏教マジやべえってこった。
自我を安定させてどうする。自我が偽りだと認識ために修行するんだろうに。
コレ悟くんは「知る」より先に「体験」しちゃったから、マジやべえなんだろう?
807 :
素人A:2010/03/17(水) 12:37:43 ID:xOQQXV8S
分別心や自意識やあれこれ相手のこと思いながらしゃべったり、書き込んだり
するのは苦手なのですが、どうしたら頭は使えるようになるのか?是も修行と努力
か是が私は足らん。
808 :
素人A:2010/03/17(水) 12:51:17 ID:xOQQXV8S
現実とは苦なんだから楽になる方法があっても苦しい方に行く?
そういう努力をする。考えるのは無駄でも色色無駄に考えて
考える力を付けるやつぱり体験なんだが苦労するのはいや、それが自我だ。
やまいって奴に誰もレスつけんのに気づいた
810 :
神も仏も名無しさん:2010/03/17(水) 13:32:36 ID:klQ7YZ5g
811 :
神も仏も名無しさん:2010/03/17(水) 14:07:42 ID:D8hyCFae
>>804 簡単に認めてくれそうな人物をヨイショしながら、
誰か立場の弱そうな人物に八つ当たりするのは、
妄想というより
立場が不安定な自我の防御機能の一つだから、
誰でもやっていると思うよ、
大げさじゃないか、自覚がないだけ。
>>803 それが、いまの禅なら
そんな不自由なもんいらねーーー
814 :
テル:2010/03/17(水) 17:32:56 ID:r9k6ydn5
>>菊門さん
すみません! 前スレで すごくいいお話をしてもらっていながら
書き込めず スレが終わっていましたっ><
もう一度前スレを見たいのですが ミラーなどできませんか?
その方が片手でかなでるであろう音を心で聞くという事ですか?
815 :
テル:2010/03/17(水) 17:40:05 ID:r9k6ydn5
↑
すみません、 間違いました。。
816 :
そだった、ぽ:2010/03/17(水) 18:07:42 ID:AFIXs6JC
>>814-815 テル さん
/ > 隻手の音声8せきしゅのおんじょう)
∧_∧ ,(t^)
(* -ω-)-'/./ .▂▅■▀ ▪ ■ ▂¨ ∵▃ ▪ ・
/ l' ヽ ,|/▂ ▪▂▄▅▆▇■▀▀〓◣▬ ▪ ■ …
,ヽノ^)_ {▇█████▅▇████▅▆▇██■〓▀▀ ◥◣ ∴ ▪
(ノノノ | | | l)▀◥◣▀██████████▆▃▂
 ̄_| ::|_ ̄`∴◥.|;;|Θ|███████▀ ▪ ∵¨
| ̄ ̄ ̄| ̄ ̄|_ |_|_| ■〓▄▂..
|___|__|_| |_|
問う、両手を打てば、音が出る。では、片手にはどんな音があるか?片手の人がたたく拍手の音を聞いてこい。
817 :
コレ悟りかよ!?w:2010/03/17(水) 18:34:33 ID:PbR1ra7w
>>805 自我を安定させないと社会生活が正常に営めないんだよ。
失業した時点で勤労者、労働者、働くお父さんとしての己の自我は崩壊する。
崩壊を食い止めるためにみんな必死でハロワで仕事さがすんだよ。
修行=出家じゃねえか?みんながみんな出家したら社会は大混乱、資本主義は崩壊するだろ。
駄目だめw無理無理w便利でサービスが行き届いた日本社会が壊れたら俺困るから(でも壊れかけてるなwでもいいんじゃね?)
>>806 マジで体験だぜ!鼻血が出るぐらい妄想したからなw
精神病院に駆け込むぐらいの体験だったぜ。
(単なる病気自慢の馬鹿だなwでも、いいんだよ)
>>812 妄想というより、じゃなく全部妄想なんだよ。だからこそ妄想は絶対否定できない。
俺は今、社会復帰するために社会人としての妄想を全力で再構築している。
働いて結婚して子供作ってが人間として正常な妄想なんだよ。
>失業した時点で勤労者、労働者、働くお父さんとしての己の自我は崩壊する。
そういう……としての己ってのが幻であることに気づくのが修行なんだよ。
もちろん失業して収入がなくなれば困るが、それはそれだけのことであって
過剰な自己同一化は苦を増やすだけ。何者でもなく何者でもある自分になれ。
妄想が過ぎると鬼和尚みたいに和尚でもないのに和尚だって騒ぎ出すやつもいるから注意したほうがいい
こういう流れすべてがありのままだから何も驚かないですけどねw
コレ悟と鬼和尚って同じようなもんだなw
どっちも悟ったって勘違いした精神病
コレ悟くんは自覚あるけど、鬼和尚は自覚ないだけで中身はたいして変わらんw
体験したかしてないのかは誰が決めるのかな…
したって言ってる人の体験って結構皆したりするんじゃないかとも思うんだけど…
特別変わった体験かな…?
神らしきものを見るとか、完全に意識が飛んで無我の中で神秘体験するとか
誰でもあることなんだが、一部のアホはそれを特別視して、悟ったって騒ぐ
困ったもんだよまったく
鬼和尚なんかの与太話真に受けてるやついねーから安心しろ
ああいうカスはどこにでもいる
だから四万十川を知らないのに行っちゃて、ここは何処?私は誰?になちゃったんだろう?
見たことも聞いたこともない場所にいきなり来ちゃって、帰り方が分からない。
だから、四万十川への道順聞きに来たんだろう?ところが誰も知らない、鬼和尚意外は。
>>825 あのボケオヤジの戯言真に受けんなよw
「ぼくちゃんは四万十川しってるよ、お前らは知らないけどぼくちゃんだけが知ってるんだもんだからもっとほめてよ」
ってだけだろw
相手にすんのもあほらしw
鬼和尚は悟って無いだろうね
毎日のようにいろんなひとに論破されてるし
あきらかにおかしな事言ってるの指摘されても子供みたいな言い逃れして勝ち誇っててみっともない
829 :
神も仏も名無しさん:2010/03/17(水) 19:50:10 ID:3tvlQpU5
鬼さんは自分以外は認めない絶対。
自分を認めるもの信じるものは異常にかわいがる。
前にいた龍賢、やつだって悟りの何たるかも知らんくせに、やたら鬼をかばった。
それが気に入って可愛がっていた。
まあ、そんなとこだよね。
でもそういうんでも、見るほうがそうやって見てればいいわけであって、
それなりに彼のやくめみたいなのは果たしてるのかもな。
>>785 良かったのう。一休み一休みじゃ。
>>800 わしはまだそのような場所で人を教えては居ない。
特に推薦する寺なども無い。
静かな所ならどこでも良いのじゃ。
むしろ独りで修行できる場を探すのじゃ。
姿勢が整えられた体こそ一番の寺と言えるのじゃ。
>>801 そうじゃ、全てじゃ。狸もなかなか良いことを言うのう。
>>807 特に書きこまないでもいいのじゃ。修行が第一じゃ。
この間まで智慧が私に語ったって言って、
言語がない世界で語るわけないだろと言ったら
今度は語るべきものはないって言い出すし
正直に勉強中なら勉強中にすればいいのにw
>>822,833
確かによくわからないな、世の中には色んな人間がいるから
スカイダイビングでパラシュート外して、それを持って片手でスリル楽しんだり、凄いくだらないことのために
汗水たらして得た金を全部つぎ込む人も要るから、確かに体験をしたとしても万人が同じ反応をするとは限らない。
それでも類は友を呼ぶというか、体験したもの同士は引かれ合う。鬼さんは残念だけど悟ってない。
しかし体験したとして、無反応と言うか
大騒ぎしたほうが良いとは言わないけど、まったく拘らないなら
スケールが大きいというか、理解できない変わり者だとは思うな。
親がリストラされたと聞いても、今夜のテレビのほうが大事な子供のような、なんというか
頭はあまり良くないとは思う。
鬼さんの場合、他人に認められることに拘りすぎなんだよ。
言ってること自体には、それほど害は無いのだけど
そのあたりの何がやりたいのかの狙いがよくわからない。
俺は三昧を体験したけどあのエクスタシーを体験して
全くの無反応な人はいないと思う
鬼さんの悟ったと認められたい執着度は、悟ったと言う割にはかなりだとは思うな。
838 :
神も仏も名無しさん:2010/03/17(水) 20:45:55 ID:EIrGuHh6
>>798 入っていないということと
入っているとということ
同じではありません。
>>830 なんかこの書き方だと、「いつでもそれはできるけどまだやってないみたい」に見えるけど・・・
実際はちゃんと寺で参禅した事すらないんじゃないかなこの人って思うな
聞きかじった生半可な知識を書いてただけだろうね
禅って臨済宗に限らず曹洞でも限らず必ず老師ってのがいて、その師に全面的に従うってのが必要なんだけど、全然わかってないよこの人
840 :
神も仏も名無しさん:2010/03/17(水) 20:54:26 ID:EIrGuHh6
>>798 どんな見方すれば身体はない、と言えるんですか?
>>833 体験したとか言ってる人は痛い人にしか見えないけどw
>>830 この人、せっかく寺で修行しようって発心した人を一人でやれ、とか言って、その発心を潰しちゃったんだよね。
わからないならわからないって言えばいいのに。
つまらないこの人の自尊心守るために、「体こそ一番の寺」とか嘘ばっか言ってせっかくの初学者の人生を狂わせてるよ
この人って人の事考えてるって言ってるけど結局自分の事しか考えてない本当に小さい人間だと思う
大嫌いだわ
>>840 意識しなければ体はないんだよ、そんなこと
考えなくてもあたりめーだろ。。
禅宗のプロはトーシロのバカばっかりだからな、
なかなかムズかしーとは思うけどww
すべてはないとか本当はただの言葉遊びなんだけどね…
845 :
神も仏も名無しさん:2010/03/17(水) 21:11:46 ID:1PfQD6Pf
否定 反発 ののしり 拒絶
なんと悲しいスレなのでしょう・・・・
あなたたちは 本当に悟りを得た者 悟りを求める者なのですか?
エゴむきだしの 他者の考えを認めないカキコにはもうウンザリです。
あなたがたに真の悟りは 永久に得ることの出来ない幻かもしれません。
某大学の近くにある古本屋に
公案の模範解答集があった。
>>841 それは無理も無いよ。
自分と同じレベルだけしか共感できないから、意味があってやってることも痛く見えたりもすることもある。
>>847 自分が上のレベルだって思ってるところが痛いんです。
849 :
神も仏も名無しさん:2010/03/17(水) 21:13:33 ID:EIrGuHh6
>>843 意識しなければって、
やっぱり体があるんだろ?
何いってんの、馬鹿じゃない?ここの人
>>845 それでも鬼さんの場合は粘着しすぎ
実はネタでしたと言うタイミングを逃しすぎ。
否定もできないとか、どこの人民軍よ
>>848 事実悟った人は上だから、等しく扱えと言うなら
あなたは虫も植物も動物も人間と同じに等しく扱えと言いたい。
>>845 エゴむきだしで他者の考えを認めてないのは鬼和尚のことだよね?
>>807の書き込みとかも別に鬼和尚に言ってるわけでもないのになぜか上から目線で書き込みしてるし呆れる
>>852 お釈迦様って虫とかも同等にあつかったんじゃなかったっけ?
>>854 体験したと
悟ったは別だから、多分あなたは誤解してる。
私は悟ってなんかいないから
>>855 太陽は虫も人も等しく扱うけど、太陽が人や虫から見て等しい訳ではない。
体験もしてないと思うよ
859 :
神も仏も名無しさん:2010/03/17(水) 21:29:27 ID:G/nsFq/W
>>830 >わしはまだそのような場所で人を教えては居ない。
レスありがとうございます。
それでは、特に
>>3の
>数息観によって集中力がついてきた者は観の行をするのじゃ。
>その前に観の行の前行である、観察の力と集中力を身につける観察の行をやるのじゃ。
>先ず、目の前に観察の対象となる物を用意するんじゃ。
>木でも花でも何でもいい。そしてそれを見て、細かく観察するのじゃ。
>最初の内は、心の中で言葉にしてもよい。
>例えば花なら花という言葉を使わず、
>「今、目の前にそれがある。それは薄い膜のような物が幾つも重なっている。それは赤い色をしている。
>それはふちが薄く、真中にいくほど厚くなっている。それの真中には細い糸が幾つも出ている・・・」
>などと観察していくのじゃ。
>出来るだけ細かく、普段なら見落としてしまうような事も、可能な限り観察するのじゃ。
>ちっちゃなとげがあるとか、皺がいくつもあるとか。
>次第に慣れてきたら、言葉にせず、目で見るだけで意識に上らせるようにするんじゃ。
この辺りの詳細を知るのに適切な論書や著作等があれば教えて頂けないでしょうか。
数息観や随息観などは、一回でも参禅すれば、基本ですから必ず教わるわけですが、
上記引用箇所については、そうではないと思います。
南伝上座部系の観行のそれなどと近いように感じております。
>>822 ここの書き込みは何?って言いたい。
あなたが体験した人を決めることだった訳だね。あなたも充分痛い人だけど、他人の痛さは気になるんだね。
くだらない、落ちる。
>>859 南伝も、観察者(思考)を作って分析(思考)する観察はないと思うよ。
個人的には一番避けているやり方。
鬼和尚の言ってることなんて何一つ信じる必要ないよ
むしろ害悪だと思う
864 :
神も仏も名無しさん:2010/03/17(水) 22:03:08 ID:G/nsFq/W
>>862 >南伝も、観察者(思考)を作って分析(思考)する観察はないと思うよ。
そうですか。
マハーシ師の本などを一読したことがあったのであのように述べたまでです。
865 :
SRKWブッダ:2010/03/17(水) 22:05:18 ID:UjbM8qsv
尤もらしく何かを説くからと言って、それが正しい教えであるとは限らない。 その一方で、正しい教えが説かれたときにその正しい教えにしたがう人はついに安らぎの境地に到達する。
賢者は、正しい教えが説かれたときにそれが正しい教えであるとこころに知ってその教えにしたがおうとする。 しかし、愚者は正しい教えを耳にしてそれを説明されても理解しない。
正しい教えは、人に安らぎをもたらすものである。 人に安らぎがもたらされたならばそのしたがった教えが正しいものであったと認められる。
人が安らぎに到達するのもしないのも各自のことがらである。
ただ明知の人は、世に飛び交う諸の言葉の中から世に稀有なる正しい教えを聞き分けて自らによって自分自身をこの円かなやすらぎ(=ニルヴァーナ)へと至らしめるのである。
***
>>864 観察は事実のみで止め、解釈になってしまうと観察ではなくなる。
それは思考の仕事。
867 :
神も仏も名無しさん:2010/03/17(水) 22:27:10 ID:G/nsFq/W
>>866 そうですか。ただ、
>>3には、
>最初の内は、心の中で言葉にしてもよい。
とあります。最初の内は必要ではないかと思うのですが。
マハーシ師のでは、ラベリングと強調していたように記憶してます。
ところで、貴方にも御聞きしたいのですが、止観行に関して、
推薦すべきお寺、場、人物、著作などがあれば教えて下さい。
クリエイティビティーって事が大切なんだよ
>>867 推薦はないです。
観察なら、小乗の寺に直接聞きにいきますし、
密教の瞑想でも、気になれば自分で探します。
どこのお寺でも、断ることはないので、
直接探すことをお勧めします。
ラベリングは名詞で終わっていると思います。
>>867 だからあの鬼和尚って言う人の事を1%も信じちゃダメだよ。
何もわかってないのにわかった風に書いてるんだから
仏典に書かれているような事と矛盾することばかりで疑問が増えるだけだから鬼和尚なんかには一切かかわらない方がいいですよ
871 :
神も仏も名無しさん:2010/03/17(水) 23:01:06 ID:EIrGuHh6
今回で分かったろ
他人の真似ごとをしていると思い込んで、その他人のことばかりを書き、
本人が真似してないと言っているにもかかわらず、真似だと言って自分の考えを押し通そうとする。
妄想するにもほどがある。
鬼和尚は、鬼和尚というキャラクターのときだけ
いろいろ書けるはずw
なぜでしょう? 本人は分かっていると思うけど、そうだよね?
安らぎと快楽
みんな安らいでるか楽しいか
やすらごうと努力してる状態。
いまいち。
875 :
SRKWブッダ:2010/03/18(木) 00:00:49 ID:6krEvAiE
人々は、この世では苦悩しており憂いている。 しかしながら、この世にありながら苦悩を滅し、楽しみつつ憂い無き人生を歩んでいる人があるならば、かれはしあわせな人と称される。
すべての人は、しあわせな人となるべきである。
***
876 :
神も仏も名無しさん:2010/03/18(木) 00:13:15 ID:nt2IjoeB
>>875 人々は、苦もなく楽もなく生きてるんじゃないの?
877 :
SRKWブッダ:2010/03/18(木) 00:20:19 ID:6krEvAiE
>>876 人々(衆生)は、苦の中にあって苦を知らず、安らぎの近くにあって安らぎを知らない。
しかしながら、人が苦の真実を知り、安らぎの虚妄ならざることを知ったならば、一切の苦悩は終滅すると説かれる。
***
878 :
神も仏も名無しさん:2010/03/18(木) 00:33:27 ID:nt2IjoeB
>>877 苦しみがなかったら、ふとしたところで死んじゃうんじゃないですか?
苦しみは消滅しないほうがいいんじゃないですか?
例えば、包丁もってあるいても、体に刺さらないでしょ?意識しなくても
鬼和尚は死ぬのが怖かったんだよ。
それで死と向き合って、死の恐怖に打ち勝った。
ただそれだけなんじゃない?
だから「泣きながら死んで行くのじゃ。」とか良く言うし。
それを悟りだと勘違いした。
俺は別に死ぬのなんか全然怖くないけどね。
正直苦しまなければいつ死んでも構わない。
そんな人は五万と居るのに、それが分かってない。
880 :
神も仏も名無しさん:2010/03/18(木) 01:11:44 ID:xg9ubsrP
鬼和尚は苦しまないで死ねるようになったんでは?
中村天風なんかも、戦時中の諜報活動でさんざん人殺して
人斬り天風なんて言われてたにも関わらず、自分が肺の病気に罹ると
死ぬのが怖くて世界中の医者に見て貰ったり、インドに修行にまで行っちゃう。
元々以上に生への執着心が強いんだろうね。
そこから逃れられた時に異常な力を発揮したみたいだし。
882 :
神も仏も名無しさん:2010/03/18(木) 01:14:21 ID:xg9ubsrP
中村天風は悟ってないと思う。
>>880 俺の苦しまなければってのは、痛みの事ね。
死自体には何の恐怖も感じない。
鬼和尚は痛みを克服してるって、言ってたよ。
でも、そんな事は誰にも分からないw
>>882 そうだろうね。
そして鬼和尚も悟ってないw
885 :
神も仏も名無しさん:2010/03/18(木) 01:26:37 ID:xg9ubsrP
悟った人ってのはいないと結論付けてるわけね。
でも、そんなことは誰にもわからないw
もちろん鬼和尚が悟ってるかどうかは知らん。
>>879 鬼和尚は死の恐怖になんて打ち勝ってないし、そもそも何にも打ち勝ってない
悟りを勘違いしてるのはその通りだと思うけど、恐怖には打ち勝ってないし、そもそも死が何かも全くわかってない
鬼和尚は和尚っていうイメージにすごい憧れをもってて口調とかもそれっぽくマネしてる
子供がウルトラマンとかの真似してジョワッとか言ってるのと一緒
で、アホだからそういう子供じみた自己同一化にも気付けないまま、「わしにはイメージはないのじゃ」とか言ってるw
どんなギャグだよって思うわw 恥ずかしいやつだよ
>>885 いいや。
鬼和尚は悟って無いと思うだけだよ。
悟った人はどこかには居るでしょう。
宗教家とかより、ネルソン・マンデラみたいな人の方が
悟りに近い人のような気もするし。
悟りの定義だよな要するに
>>886 あの口調をそういうふうに解釈するんだ。
あれはただキャラ作りの遊び心でしょう。
俺は鬼和尚の肯定派では無いけど、あれをそう捕らえるあんたの方が
よっぽど滑稽に見えるよww
>>889 そうじゃなくて、そういうガキくさい自己同一化をしてるくせに
わしにはイメージはないのじゃ、とか書いてるのが大嘘だって言ってんの。
イメージないやつがあんな事書くかよ
大嘘じゃねえか。あの馬鹿オヤジ。ほんと平気で嘘を書くよあのオッサン。
あんなもんが悟りとかちゃんちゃらおかしいわw
ただのインチキ嘘吐きオヤジだろw
>>890 それによって救われてる人も中には居るみたいだから
それはそれで良いのでは?
毎日決まった時間に書き込みを何年も続けてるってのは
それなりの評価に値すると思うよ。
犯罪を誘発するような発言はしてないんだしさ。
俺は、悟りごっこをみんなで楽しんでると捕らえてるけどね。
>>891 まさに「悟りごっこ」だなw あれはママゴト。
それが楽しい人はいいと思うよw
でも、中には真面目な奴もいるだろう
そういう奴にはあの男の戯言は全く邪魔で害悪でしかないわな
だって悟ってもいない、悟りが何かもわかってないのに。悟ったって言って初心者だましていい気になってんだからな。
「わしにはイメージがないのじゃ」っていう爆笑大嘘もそうだけど、あいつって平気で嘘書くだろ
今日もなんか自分があたかも「寺ではまだ教えてない」、みたいな事書いてたけど、お前なんかどこの寺が相手にするっつうんだ、とw
あいつ寺なめてるだろw
ひたすら自分を大きく見せようとする滑稽で小さな人間だな。あの男は。
>>892 あんたも余裕の無い人だねw
なんでそんなにムキに成るのかも分からないよ。
ここは2ちゃんねるなんだよw
俺は今日の発言では「まだ」に引っかかったけどね。
鬼和尚は将来的には道場でも開いて教える気が有るのか?
と思ったよ。
それはそれで面白いけどねw
>>893 道場?w 笑わせるw 誰が行くの?w
「まだ」っていうかあの人まともな修行したこともない
寺とか禅門とかまったく経験ないよあの人。あったらあんなアホな事書かんだろう
仏教理解も自己流、修行も自己流、全部適当で、勝手に悟ったって言ってるだけw
そんな人間が寺で教えるとか絶対ないから。
50歳くらいのただの野球好きのオッサンが「まだ大リーグには行かないつもりだ」とか言ったら噴飯ものだろ?
それと一緒だよw
>>894 あんたは禅に詳しいようだから、
是非、鬼和尚を論破してくれよ。
鬼和尚は一日一回のレスしかしないから、
それにみんなペースを狂わされるんだよ。
だから、あんたも一日一回を基本として
内容を吟味してやり合って欲しい。
毎日、20時を楽しみにしてるからさw
896 :
偽和尚 ◆qH7QdQmFhM :2010/03/18(木) 02:22:17 ID:uhjpMc1C
人を見て何かと比較して人を笑うのが仏教なのか?
さあ?違うんじゃない?
新興宗教は意見が食い違うと、必ず釈迦やイエスの代理人が出てくる。
仏教では、聖書では、尊師がいうには、
これを言わせるのが、自我の上に被さった、超自我。
信仰をするのと違って、
悟りを目指すなら、これこそ壊さないといけないもの
超自我の正体は無感情の正義そのものなので、
自己都合による正義を強硬に行う。
これが生成されると、超自我こそが唯一の正義で、
もう他人の意見は耳に入らない。
自我に宗教的超自我を作らせないためには、
徹底的に素直になるだけであって
自分にキャラ付けなんてしないこと。
逆に、マインドコントロールしたいのなら、
宗教的超自我を作ってやればいい。
尊師とか、大師とか、和尚とか、宗教上での名前を付けて呼び合えばいいだけだ。
普段が理路整然とした人ほど、
人格の裏では悟りに悩ませれているので即効性があり、
無感情の正義である超自我を得て人格を制御される。
899 :
鬼和尚打破予告:2010/03/18(木) 05:24:00 ID:+KCZNUqL
だいたい、南方仏教修道論が理解できたんで、
4月7日以降、
鬼和尚を打破してやる予定、お楽しみに。
鬼和尚を甘く見ない方がいいよ。
いつのまにか鬼和尚に鼻づら引きまわされないようにね。
鬼和尚は自分に都合の悪い事にはまともな反論が返ってこないし
のらりくらりと論点を外して反撃してくる。
そしてお前の考えはこうなんだって勝手にきめつけてくるしね。
ときには「議論はお前の勝ちじゃ、よかったのう」なんて
正面から戦わずに負け逃げする。
それにカリカリきて自滅するのがおちじゃないかな。
ま、どれだけ頑張って論破できるか見せてもらうよ。
ま無理だろけど。
901 :
素人A:2010/03/18(木) 06:36:42 ID:apRsYvvb
動物は縁起でも無いが、外の生物のものを食べなきゃ生きられないようになっている。
最初から依存しているし、そのてん植物はまだ依存少ない無生物に依存しているが省エネ。
無生物は物理化学法則と時空にお世話になっている。時空は何かにお世話になっている?
でも時空は食うものなくても生きられる?何で我々みたいな不完全な人間神は作ったのだろう、
最初から完全も作れる技術あると思うのに、不完全になんかの意味があるのかもだが?
仏も諸行無情諸法無我でご苦労さん。あ色即是空即是色もあり。
>>899 打破するためにお経なんか読む必要はないよ、読むだけもったいない。
宗教的超自我を作ると、もう無理なんだよ、そこでお終い。
勝っても、自分に宗教的超自我が出来るだけ
>>645 ここにも見性すらしていないと自ら宣言しているし
未だに指が分からないのは、それ以前で
持ってばかりで捨てたことさえない。
わざわざ、付き合う必要はないよ、
修道論を独学する気概を優先するべき
>>901 神から見たら完全なんだろう。なんせエゴとは接触することがない。
お前ら、安らいでるか、楽しいか。
悟りなんて称号は足かせでしかない。
悟って偉くなりたい
悟って不死になりたい
それは叶えてくれる、エゴがな。
あなたは偉くもなれるし、不死にもなれる、それはエゴだがな。
鬼和尚はみんなのマインドのおしゃべりに付き合っているだけさ。
そのうちに、みんな独りでにそれらが自分の造り出した観念だと気がついて沈黙するようになる。
或いは、その馬鹿馬鹿しさに気がついて去って行く者もいる。
しかし、新たな人間が加わり繰り返し繰り返しやって来て同じ事を繰り返す。
鬼和尚は相変わらずおしゃべりに付き合うのさ、ボランティアにみたいに。
それでも、聞く耳を持つ者が一人でもいれば満足、砂漠のダイヤを掘り起こすようなものだが。
このスレは鬼和尚がいる限り終わりはない。
あとから考えれば、あれは良かったはずだ。
これもエゴだ。ただの逃避したエゴ。
死の恐怖から宗教に走ったんなら逃避じゃないか
無意識はない、人は、見たくないことを無意識にしてしまう。
それは抑圧として蓄積され、苦になって現れる。
あとから考えれば、あれは良かった。
実は、その裏に無意識と抑圧を生んだのである。
それは、自己愛にあがきながら、素直になるまで続く。
さあ、偉大になりましょう
さあ、永遠の命を得ましょう
さあ、凡人には分からない叡智を獲得しましょう
さあ、さあ、さあ、
さあ、踊りましょう、ランラ、ランラ、ランラン、ララ、ラララン〜♪
911 :
神も仏も名無しさん:2010/03/18(木) 08:38:56 ID:n9bD81s7
>>909 ほな、どないせ〜ちゅうねん
死はだれでも起きることだから、心配ないとでも思い込めとw
死ぬとき怖いなら、怖い怖いと死ね。
死ぬときまで、嘘を吐く気か? 死んでも治らないとは、どんなエゴだ。
たいていは、溜め息吐いて死ぬだけだ。死ぬときまで、息を吸った奴はいない。
死が怖いのではなく、
誰かが死ぬことによって、自分の永続性、幸せが壊れるから、死が怖いのだ。
つまり、そこにあるものは生きている側の自己憐憫だ。
それとも、誰か、死んだら辛いと言った死体を見たことがあるのか。
>>901 生存競争はあるけれどそれでも自然の動植物とか遊んでいるみたいで楽しそうだよ
遊んでる姿は完全で美しいよ。幼い子供とかもそうだけど
人もその日その日だけ生きていれば完全で美しいのかもしれない
>>903 神は人はおろか宇宙すら知らない
森羅万象の相対世界は自我あるものだけに映る世界だから
無我なる神は何も知らない
ひたすら静かで平らかな湖面に一粒の枯葉が落ちてさざ波が拡がる
そのさざなみが森羅万象の宇宙
そしてやがては消える・・・人も宇宙も
神が作った大自然のなかに、俺が便所を作って、
彼は小便として流れて行ったのである。
全然関係ないけど、数息観続けてたら
本読むの早くなったよ。
200Pの本なら大体一時間で読み終わる。
鬼和尚に感謝しないとなw
>>898 いやーこれには同意だわ
その通りな気がする
>>907 そんな高尚な人間じゃないだろ
論破されたらキレて感情的な書き込みしてるし
ボランティアっていうなら鬼和尚の相手をしてあげる方がボランティア
>>917 コテを付けて一生ボランティアに付き合うのも一興かもね。
誰も出来ないだろう、出来る人は別にして。
919 :
SRKWブッダ:2010/03/18(木) 10:13:13 ID:6krEvAiE
死を甘美なことであると考えることも、死の恐怖に苛まれることも、ともに愚かなことである。 何となれば、死は超えることができるからである。
心構え正しき、いとも聡明な人は、死ぬよりも前に妄執を離れて死を超える。 かれは、過去にこだわることなく、現在においてもくよくよと思いめぐらすことがなく、未来に関してもとくに思いわずらうことがない。
為すべきことを為し終えた人は、死を怖れない。 怖れる必要がないからである。 為すべきことを為し終えていない者が、死を怖れるのである。
***
>>918 鬼和尚にボランティアするくらいなら周りの友達や家族にボランティアするわ
鬼和尚はボランティアでやってんじゃなくて自分が気持ちいいからやってんだよ
だからいつも上から目線で書き込みしてる
それでも一時はここでボランティアをしてくれている。
このスレにとっては有りがたいことなのだ。
誰も来なければ、鬼和尚の仕事が減る訳だから。
しかし、人生相談板と、生活全般板と、避難所板が残るが。
誰も来なくなれば鬼和尚の2ちゃんでの仕事は終わる。
>>920 ボランtィアって、人の役に立って
自分も気持ちよく成るものなんじゃないの?
>>922 知らないけどw
ボランティアって奉仕の事でしょ?
自分が気持ち良くなってたら人の役にたとうが何しようが、パチンコ屋と変わらんだろw
奉仕ってのは無私の行為じゃないの?人知れずこっそりとやる慈善行為の事を言うと思ってたぞ
鬼和尚の場合はコテハンつけてる時点で無私ではないけどなw
>>923 人の役に立って辛いならやらない方がマシでは?
それこそ本末転倒。
奉仕って、丁稚奉公じゃ無いんだよw
>>830 道元禅師は正師につかなければ、むしろ修業しない方が良いとまで言われますがどうでしょうか。
鬼和尚は禅のことはまったくの素人なんで、聞くのもなんですが。
926 :
神も仏も名無しさん:2010/03/18(木) 11:35:38 ID:LtdKYAtd
>>924 やらない方がマシな事をやるから意味があるのだ
少しでも「私」があればそれは我から起った行動にすぎない
しかし我は自らをすら欺く
「私」から起きた行動を「無私」であると自分を欺き、他人を欺く
そしてこのような愚者は迷いの海から出ることはないだろう
自分に大層な名をつけて、その名の下で私は無私の行為をしているなどとほざくロクデナシは
閻魔様へのいいわけでも考えておくといい
自己は決して欺けない
欺けてるうちはいい、ただいつかそれが偽りであることに気づく
それに気づいた時、今度は外側を嘘で固めなくてはいけなくなる。
次々に外側を欺き続ける・・・・・それはもう地獄そのものだ・・・・
927 :
神も仏も名無しさん:2010/03/18(木) 12:01:38 ID:egO/0u53
春だな〜。
928 :
白蓮:2010/03/18(木) 12:10:09 ID:jgiD9rHy
○悟りを得ようと努力して自我力となれば、悟りは離れる。
悟りは、自我力の中にはない。悟りは自我力を離れ、
水鏡のような安らいだ心にあります。
心、心と囚われると、悟りは離れる
悟りを自ら掴むことは難い。
悟りを得ようとして心に集中していては悟れない。
悟りは得ようとして、悟りの集中を拡散するところある。
滝行や荒行をして得られるは精神力の強化にはなるでしょう。
滝行や荒行をしても崇高な悟りは得ることはない。
その心から入るしかないから厄介だね。
930 :
神も仏も名無しさん:2010/03/18(木) 12:24:23 ID:/rsf19LL
oniは、名指しで受けた悪意を受け流す、って修行か。
噛み合いしてた名無しもコレサトもやまいも幾つもの名無しも、
ってことか。
白蓮は大川洗脳から抜け出たのか?
931 :
白蓮:2010/03/18(木) 13:00:09 ID:5+FK7VbD
>>930 :神も仏も名無しさん
○悟りは洗脳ではありません。
何か勘違いなされていますね。
悟りは人それぞれであります。
932 :
神も仏も名無しさん:2010/03/18(木) 15:12:44 ID:/rsf19LL
レス早っ。
おれんちには、総額5万円くらいの仏教関連の書籍があるんだが、
白蓮さんが買った、幸福の科学から出ている書籍の購入合計金額を教えてくれよ。
知人に進呈したぶん含めて。おおよそでいいからさ。
933 :
神も仏も名無しさん:2010/03/18(木) 15:22:08 ID:nt2IjoeB
>>919 なすべきこととはなんですか?
自殺したいので教えてください。
934 :
神も仏も名無しさん:2010/03/18(木) 15:29:47 ID:nt2IjoeB
>>928 この内容からして、つまりは、悟った人のぱっと見の特徴は何ですか?
935 :
神も仏も名無しさん:2010/03/18(木) 15:53:30 ID:nt2IjoeB
幸福の科学は嫌いです。
>>907 あなたは本気なのかふざけてるのか分からないです。
>>934 宗教は危険だよ
「俺は悟った〜」とか言うやつに騙されてマインドコントロールされると人生が台無しになる
ここにも鬼和尚みたいなアホの言う事を本気にしてるバカがほんのわずかだが、いる(ような気がする)
あれが妄言だと認識できるほど知力がないのだ。
頭が悪いため、それっぽい事が書いてあると「そんなものかなあ」と思ってしまう
オウムや統一教会、その他もう無数のカルトはこのように人々を蝕んでいく
ここで鬼和尚の言う事を本気にしちゃったような人はほとんどいないとは思うが、そのような人はいつカルトに洗脳されてもおかしくないくらい頭脳が弱い
気をつけた方がいい
十分に気をつけた方がいい
939 :
白蓮:2010/03/18(木) 16:41:51 ID:5+FK7VbD
>>934 :神も仏も名無しさん
☆微笑みて、いつも静かで、驕らないし威張りません。
決して自らをよく見せようとはしない。
他の人を裁こうとはしないし、他の人びとを傷つけようとはしない。
柔和で、言葉正しく、常に落ち着き、そして優雅でもあります。
940 :
神も仏も名無しさん:2010/03/18(木) 17:22:02 ID:nt2IjoeB
その微笑みとは、わっはっは、ではなくニコニコ程度でしょうか?
自分の心で確かめるしかないんだよ。
誰かがあれが本物これは偽者、その誰かだって本物か偽者か自分で見極めなけりゃならない。
自分の心に聞くしかない、自分で歩くしかない。
942 :
白蓮:2010/03/18(木) 18:08:01 ID:5+FK7VbD
>>933 :神も仏も名無しさん
☆僭越ながら少しお伝えしたいと思います。
自殺は申し訳ないけど、あの世の天国には帰還できません。
命を自ら断つことは、仏神はお許しにならないのです。
仏神から与えられた寿命があります。寿命の途中で自殺をすれば寿命の余命期間
の間はあの世に旅立つことはできません。余命期間過ぎれば、あの世の地獄に
行く事になります。自殺しても楽にはなりません。身内の悲しみが自殺した人の
心に迫ってまいります。また、自殺しても無になりません。死ねない心があなた
を苦しめます。そして、出会う人に憑依して、自殺を何回も繰り返します。
そのたびに多くの人の犠牲者をつくることになり、悪循環のスパイラルに入り、
多くの罪を積み重ねて行く事になります。この世の苦しみの十倍の苦しみが襲っ
てまいります。自殺は悪であり、あなたにとって一番割の合わないことでありま
す。この世で正しい信仰のもとで人生の課題をクリアするために、この世に生を
受けています。自己責任の高いプライドが自殺を招きます。生活保護等を受けて
次の飛躍につなげてほしいと思います。
この世に生きて、苦しみは竹の節みたいなものです。耐え忍びの竹の節が次の
飛躍につながります。竹の節があるから、真っ直ぐと天に伸びる竹があるのです。
竹の節は一回ではありません。竹の節をつくり越えて行く中に立派な竹ができ
るのです。一番苦しい時が夜明け前の真っ暗闇であります。朝日は必ず昇ります。竹の
ように爽やかな成長を祈念いたします。
真実を申したまでであります。気分を害したらお許しください。
943 :
白蓮:2010/03/18(木) 18:12:20 ID:5+FK7VbD
>>940 神も仏も名無しさん
>その微笑みとは、わっはっは、ではなくニコニコ程度でしょうか?
☆ダビンチの「モナリザの微笑み」の西洋絵画のようなモナリザの
微笑みです。
>>941 自分で歩んで正師をみつけるしかない。
ですね
945 :
神も仏も名無しさん:2010/03/18(木) 18:37:36 ID:bA7k/LUh
コレ悟君にようこそママ。
自分を救えるものは自分しかいない。
神も仏も誰も彼も自分を見捨てるものを救うことはできない。
何でも試してみるがいい、ダメで元々、死ぬのは最後。
粘って粘って粘り抜け、自分の感性だけが頼りなのだ。
却って、見えることが障害になることもあるから注意すること。
詐欺師はモナリザの微笑みで近づくかも知れず、甘い蜜の言葉を耳元で囁く。
外見だけに囚われず心の目で確かめよ。
そして自分の運を信じることだ。
947 :
コレ悟りかよ!?w:2010/03/18(木) 19:28:01 ID:PEtmKG+k
>>938 あなたの意見は十分わかる!わかりすぎるし、まさしく正論wだぜ!
「宗教は危険」は絶対的真理wだな。
だが、これこそ盲点なんだよ。
我々が常識と思ってる主義思想とカルト宗教を分別するものは何だ?
オウムの麻原崇拝と天皇陛下万歳を分別するものは何なんだ?
洗脳とマインドコントロールは分別して考えたほうがいいぜ(ウィキれw)
統合失調症の患者が妄想の自覚が無いのと同じ論理で、正常人は常識(妄想)を信じてるんだよ。
コエーだろw
勘違いすんなよ。俺は妄想を否定してないぞ!人間は妄想無しじゃ生きていけない悲しい(賢いw)生き物なんだよ。
>>835 サマーディや神秘体験、あるいは忘我等の体験は真の悟りにとっては無意味なものじゃ。
おぬしも本当に体験したのなら、それでも苦は去っていないと判るじゃろう。
重要なのはむしろそれによって得られる集中力の方なのじゃ。
真の悟りを得るまでは油断無く修行を続けるのじゃ。
>>845 お釈迦様が法を説いた時も、知識や伝統に囚われたバラモン達が、大勢ののしったりしたものじゃ。
真の悟りを得たものが法を説けば、収入や観念や自我を守ろうとする愚かな者達が恐れてののしったりするものじゃ。
そのような中でも賢く真摯に悟りを求める者はお釈迦様に従い、多くが悟りを得たのじゃ。
おぬしも他人のしたこととしなかったことを見ず、己の修行を第一に勤めるのじゃ。
>>859 わしが教えるのはお釈迦様の教えを再興した止観の修行法じゃ。
おぬしも興味があるなら「念処経」「大念処経」などを現代訳で読むと良かろう。
お釈迦様の教えた本当の仏教の姿が、垣間見えるじゃろう。
>>901 完全であると見るのはおぬしじゃ。
不完全であると見るのもおぬしじゃ。
おぬしが寝てしまえばその間は完全なものも不完全なものも無いのじゃ。
>>915 かなり集中力がついたようじゃのう。
えらいものじゃ。
>>925 お釈迦様には師はおらんかった。
ただ老病死を超えたいと言う純粋な思いがあった。
師匠よりも、伝統よりも、マニュアル化した修行よりも、そのような純粋な動機と熱意こそが悟りには必要なのじゃ。
死を超えると言う目標があれば、途中で神秘体験等をしても、それが死には無力と判るじゃろう。
師匠よりも純粋な動機と熱意だけが必要なのじゃ。
950 :
859:2010/03/18(木) 20:18:52 ID:KGCeFj5B
>>948 読んでみます。ありがとうございました。
>>948 は?
自分を釈迦と同等にみてるの?w
どこまで不遜なの?ww
明らかに間違ってる人に間違ってるっていうのは「ののしる」とは言わないからねw
覚えておいてねw
あ、それから間違いだらけのあなたの止観の修行法はみんなの迷惑だから勧めるのやめた方がいいですよw
>>949 坐禅は集中力つけるもんじゃないぞ?
しかも1000年以上の歴史を持つ禅宗を完全否定して道元すらも否定かよ・・・・
まあいいけどさ
そんなに禅門否定したいなら和尚って名乗るなよ それ寺の伝統に沿った名前だからな。
禅門で学んだ事もない、師についた事もない、ただ本読んだだけのオッサンが偉そうに道元否定して、和尚って名乗ってるってどんなギャグだ
話にならん
953 :
やまい:2010/03/18(木) 20:36:35 ID:Sq6Tw0a9
アホウの見性を信じて酷い目に遭うのは俺じゃないからな。
新興宗教の馬鹿とか、光の感覚とか気持ちの良さにすぐだまされて
すぐに地獄逝き。
まあ、自業自得だろう。
954 :
やまい:2010/03/18(木) 20:39:19 ID:Sq6Tw0a9
鬼の数息観とかは坤道だな。
不眠とか雑念消すには有効だが、
誤って天に昇ろうものなら地獄に叩きつけられる。
カルトのやつらはリスクをいわないから困る。
>>949 あ、それから釈迦には師はいた
もちろん師を超えてるが、師はいた。実際、彼の師が自分の後継者に釈迦を据えようとした。
これは釈迦が一時的にでもそこで修行していたということ
これ以上無責任に嘘を書くのはやめろよ。
あなたのように、どこの寺での修行経験もなく、師もなく、勝手に悟ったと騒ぐような輩と、釈迦を同一視するのはやめたら?
>>948 大念処経、念処経は
あるがままに観る経であって、
対象をイジらない、対象の意味づけをしない、
なぜかというと、意味づけをしてしまうと、それが象徴になり。
固執が生まれるから、受けて流すことが出来なくなるんだよ。
退行が起きると、そこに引っかかるから、さらに厄介になる。
今の現実を受けて流す、今の現実を受けて流す、今、今、今、と
イジらない流れで、自我にも現実への自覚出来てくる。
対象の意味づけをやり始めると、観念妄想の世界に自我が行ってしまう。
それの酷いのが、統合失調症
禅は禅を否定してるし、道元さんは道元さん自身
を否定してるでしょ、そこが禅思想のもっとも価値の
あるトコなんだけど、最近の禅寺さんは自分自身に
金ピカのレッテル貼って、正師だの正しい指導だの
権威主義で、なんだかなーと思うけど・・・
そんなにエラいのかい?
>>957 いやしてないとおもう
権威主義とかでも全くないと思う
大念処経、念処経はもちろん読んでるけど、鬼和尚が書いてるようなものでは全くないと思う
3から修行にはげめとか書いてあるけど、あれは大念処経、念処経ではまったくない
そもそも大念処経、念処経をパクってるなら、その本を直接すすめた方が人のためになるのに、なんでわざわざ間違ったオリジナル修法をひろめようとするんだろ
960 :
やまい:2010/03/18(木) 20:57:46 ID:Sq6Tw0a9
自分自身が悟りに住するというのは上座部のものだな。
大乗は修行者自体が悟りに住する事を肯定しないのが本筋。
一切の衆生が救済できる智を得るまで成道しないと誓願したりね。
あと鬼和尚は勝手に人に返答するのやめたほうがいいとおもいますよ
まるで自分の意見をみなが求めてるとでもおもってるのかなあ。あなたの返答なんて求めてませんから
自意識過剰
962 :
やまい:2010/03/18(木) 21:01:23 ID:Sq6Tw0a9
鬼は見性に関してはドシロウト。
観とかマネする分は害がないからかまわんと思うよ。
確かに鬼さんは、嘘つきでふてぶてしい。
それに何が目的なのか知らないが、他人の目にやけに執着してるのはわかる。
しかし教祖になろうとかの野心もそこまでには感じられないから、そこが多少気にはなる。
そのあたりストレートな本音が聞いてみたいのだが
これだけ嘘つきでふてぶてしかったら偽の人格で嘘を貫くだろうな。
野心が無かったなら、おそらく本人の信仰の揺らぎを他者に投影させてるのだろうけど、仮にそうなら
オリジナルの人格はなかなか頭が良い、リアルでは普通の社会人で、割合に常識人のような気もする。
964 :
やまい:2010/03/18(木) 21:14:16 ID:Sq6Tw0a9
>>930 ネットで数息観を教えるのは断固反対。
こういうのは、師が傍についてなきゃイカンことだ。
警告はしたが強制はできない。
965 :
神も仏も名無しさん:2010/03/18(木) 21:17:28 ID:nt2IjoeB
966 :
神も仏も名無しさん:2010/03/18(木) 21:24:52 ID:d3eEmPt0
朝鮮のひとが いっぱいいる? ここ
>>961 2ちゃんで誰にレスしようが自由だろ。馬鹿?
968 :
やまい:2010/03/18(木) 21:26:14 ID:Sq6Tw0a9
短くて単独レスしてるのが外国人カルト団体のレスっぽいね。
日本語が不自由そう。
969 :
神も仏も名無しさん:2010/03/18(木) 21:32:24 ID:d3eEmPt0
ちょん?
>>967 いや別に自由だけどみっともないなあと思っただけ
あんなことしてるのあの人だけだと思うけど
971 :
神も仏も名無しさん:2010/03/18(木) 21:59:56 ID:4KRdFroP
まあいいじゃない
他人をほっといて自己肯定してれば
他人に言ってる言葉は自分に言い聞かしてる言葉
972 :
835:2010/03/18(木) 22:22:22 ID:vdwGBLrW
>>836 三昧への至り方ということ?
自分の中のあらゆる執着をなくしていけば至れるよ
そして最終的には死ぬ
俺は至福が高まっていくなかこのままいけば死ぬってのがわかって
よし逝こうと思ったけど親のことが頭をよぎって親が生きている間は生きようと思った
それは親を悲しませたくないという執着で、その執着によりこの世にとどまった
けど毎回の瞑想でもう逝ってしまおうかって思うからいつまでもつかわからない
それほどの至福だからね
人気漫画家がそれっぽいことを言って、嘘をつくのが得意なんですと言ってたけど
大人になってまでその性格が治らないのは
やはり頭は良いのだろう。鬼も下手したら、実は宗教に興味無いようなタイプなのかも知れない。
974 :
神も仏も名無しさん:2010/03/18(木) 23:31:18 ID:2A0+NXXM
>>942 >>真実を申したまでであります。気分を害したらお許しください。
お前、天国やら地獄やらをその目で観て体験して来たんか?
自殺者が天国に行けず、地獄に行くのが真実だと言い切れるだけの経験があるんか?
お前の言う言葉こそがカルトやないか!ボケが!!
こいつみたいな妄想を垂れて聖人ぶってる詐欺師が一番腹が立つ
神仏様に怒られるのが怖くて良い子してる程度の人に期待をするなよ
976 :
やまい:2010/03/18(木) 23:43:06 ID:Sq6Tw0a9
お金しか信じていないプロの人に
人情なんて説いても無駄さ。
977 :
偽和尚 ◆qH7QdQmFhM :2010/03/19(金) 00:00:10 ID:uhjpMc1C
釈迦といふ いたづらものが世にいでて おほくの人をまよはすかな
おまいら、安らいでるか楽しんでいるか
俺は今日はまあまあだったぞ
>>977 毎日、一休や釈迦の代理で説教したい、あなたは何が起きているの?
>>959 大念処経、念処経って何処に売ってるの?
アマゾンで検索しても売ってないし、ググっても
大念処経【(全11巻セット)】
A.スマナサーラ/講師
カセットモノラル 各120〜150分 揃税込12600円
こんなのしか出て来ない。
>>980 大蔵出版の南伝大蔵経を探すか、パーリ仏典ってやつ
買えないなら図書館で借りてくるといい
春秋社の「原始仏典」の方が手に入りやすいか
とにかく鬼和尚の嘘だらけの話だけは信用しちゃダメ
>>981 あんたは読んだの?
「南伝大蔵経」なんて高くて全館揃えられないよ。
読んだのなら、大念処経、念処経が何巻にあるのか教えてよ。
それだけ買うから。
>>981 春秋社の原始仏典も高いし、何巻もあるじゃん。
図書館で借りるにしても全巻は無理。
大念処経、念処経は何巻なの?
あんた本当に読んでる?
ネットで深い瞑想を薦めるのは危険って、今までも何人もが指摘してるよ。
発狂してからじゃ遅いからね。
息を数えるのがどう危険なんだよ
これで発狂するなら交差点でクルマの数数えるバイトなんてしたら死ぬだろ
987 :
やまい:2010/03/19(金) 12:48:11 ID:/nUqdalv
そのバイトは声に出してカウントするのか?
笑わせるな。
縁覚なら一人でやれ。
鬼の数息観は既にある人物の統合失調症や不眠に効いてるのだ。
即ち薬と同等。
健常者が病人と同様に統合失調の薬を飲んだらどうなる?
988 :
やまい:2010/03/19(金) 12:51:04 ID:/nUqdalv
呼吸法の危険なところは素人が分量を間違えてしまうこと。
アホなやつだと意識がある間やろうとするかもしれん。
例え致死量百万分の一の毒でも、百万個服用すれば死ぬかもしれんぞ。
>>988 ならあんたがちゃんとしたやり方を指導してあげなよw
990 :
やまい:2010/03/19(金) 12:59:16 ID:/nUqdalv
俺は教えるつもりはないし、その能力も無い。
その場の正しいというのは途方も無いことなのだ。
できるのは誤りを指摘するだけ。
ネットでは得られる情報は判断を下すにはあまりに少ない。
正しいと言えないのに、間違ってるは言えるんだなw
992 :
やまい:2010/03/19(金) 13:07:36 ID:/nUqdalv
いいところに気がついたな。
伊達に仏典は読んでいないってか?
993 :
神も仏も名無しさん:2010/03/19(金) 13:28:00 ID:vk4jWXBw
鬼和尚が仮に本を出したら、買う人間に一々危険だと触れ回るつもりか。
他の書籍も自分の主観でそうするつもりか?
名誉毀損で訴えられるかもしれないが、2ちゃんねるなら許される。
何処の誰とも知らない人間を誹謗するのは2ちゃんねるの常だから。
書き込むのは自由だが、一度出版されたものについては買う側の自由意志が尊重される。
セイゼイネットで悪口書いて石を投げるくらいのものだろう。
危険だと思うから、いかがわしいものだと思われるから、しかしそれも主観で、選ぶ読み手の意志を邪魔することは出来ない。
危険なのはネットの情報云々ではなく、狭い視野でしか物事を見られないことではないのか。
呼吸法は、血管や神経系統に直接作用させるから
どうしても危険はあるんだよ。
脳血管やられると、もう手遅れだけど。
>>994 >呼吸法は、血管や神経系統に直接作用させるから
>どうしても危険はあるんだよ。
まずこれを証明して。
そして呼吸法で脳血管やられた人の情報もちゃんと示して。
出版社も大変なんだろうね。安全より儲けだね。
997 :
神も仏も名無しさん:2010/03/19(金) 13:46:14 ID:vk4jWXBw
世の中すべてがそうなっている。
だから自分の足で歩くしかない。
自分が確かめるしかない。
そりゃ自分で歩むしかないんだが、道先を案内してくれる人は大切だよ。
呼吸法は、ネットや本では厳しいよ。
そのなかがそうだから、自分のところはいい。
ありえない話だね、
他人や世の中のせいには出来ない
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