「神との対話」シリーズ
「神との対話@」
「神との対話A」
「神との対話B」
「神との友情(上・下)」
「神とひとつになること」
「新しき啓示」
「明日の神」
「神へ帰る」
「神の使者」シリーズ
「神の使者」
「不死というあなたの現実」
及び 原典とも言える「奇跡のコース(ACIM)」
両者の共通点と相違点を、
できる限り冷静に・公平に、明確にしていければと思っています。
皆さんの御助力がいただけると有り難く思います。
どちらか一方のみを支持される方もいらっしゃることと思いますが、
他方への非難・罵倒・軽蔑等はお控え下さるよう、お願いします。
真摯に回答を期待する(他方への)疑問の提示は、歓迎致します。
前スレ
「神との対話」と「神の使者」の共通点と相違点 4
http://gimpo.2ch.net/test/read.cgi/psy/1255606121/
2 :
うんこ :2010/02/20(土) 20:15:13 ID:U/xBLSfz
「道は大小便にもある」の続き・・・精査はしてない 荘子・・・中略・・・・・ あなたもわたしとともども「無可有(むかゆう=虚無、訓読すれば=なにもあることなし)の宮」※に遊び、 万物斉同の境地を得て、 窮まりなき「道」のはたらきに従い、無為自然であってみようと思わぬか。 そこには虚無静寂にして調和に充ちた世界が開けるであろう。 心は空々漠々として、物事の由来だの、なりゆきだの、結果だのを思いわずらうこともない。 このように大虚のうちを逍遙してこそ(しょうようする=散策する)、人は窮まりなき 真知をおのがものとすることができるのだ。 ※ 「無有は無間に入る」、意味 天下の至柔は天下の至堅を馳騁(ちてい=征服)す。 無有は無間に入る。われここをもって無為の益あるを知る。不言の教、無為の益、 天下これに及ぶもの稀なり。 万物を万物たらしめる「道」は、万物に遍く(あまねく)内在し、万物との間に 境界を持たない。もし境界を持つならば、それは他の物と区別される物の ひとつとなって「道」ではなくなるだろう。かといって、「道」は、 万物それ自体ではない。「道」と万物との境界は、いわば境界のない境界 なのである。万物の生滅をつかさどりながらみずからは生滅を超越 した存在、それが「道」なのだよ。
3 :
神も仏も名無しさん :2010/02/20(土) 22:48:26 ID:s/Ljb2op
/. ノ、i.|i 、、 ヽ i | ミ.\ヾヽ、___ヾヽヾ | | i 、ヽ_ヽ、_i , / `__,;―'彡-i | i ,'i/ `,ニ=ミ`-、ヾ三''―-―' / .| iイ | |' ;'(( ,;/ '~ ゛  ̄`;)" c ミ i. .i i.| ' ,|| i| ._ _-i ||:i | r-、 ヽ、 / / / | _|_ ― // ̄7l l _|_ 丿 `| (( _゛_i__`' (( ; ノ// i |ヽi. _/| _/| / | | ― / \/ | ――― / i || i` - -、` i ノノ 'i /ヽ | ヽ | | / | 丿 _/ / 丿 'ノ .. i )) '--、_`7 (( , 'i ノノ ヽ ノ Y `-- " )) ノ ""i ヽ ノヽ、 ノノ _/ i \ /ヽ ヽヽ、___,;//--'";;" ,/ヽ、 ヾヽ
ACIMを一言で言うと「この世は夢オチ」。 「全ては夢だ安心せよ」 が究極の救いだ。 しかしこれは誤解を含蓄している。 あなたがこの夢で心地よくないと感じる全ては錯覚(ego)の所産だが、 あなたの喜びはこれには含まれない、つまり、心地よくない現実と言うものは存在してはいない。 美しいものを見てそれに喜びを感じ、人のこころの温かさに触れて救いを感じる。 それはegoではない。 しかしそれらが消えるのではないかという恐怖がegoを生み出す。 悪夢の展開である。
>>4 恐怖がegoを生み出した
Q では何が恐怖を生み出したのだろうか
A 神
Q では何の為に神は恐怖を生み出したのだろうか
A 恐怖に愛を組み合わせ希望という輝きを生み出したいが為
7 :
うんこ :2010/02/21(日) 13:29:41 ID:kAuHdn+d
29を探していたらこれがあった。 例によって時間もなく、これを意味しているのかな〜 というレベルです LESSON 56 (27) Above all else I want to see. Recognising that what I see reflects what I think I am, I realise that vision is my greatest need. The world I see attests to the fearful nature of the self-image I have made. If I would remember who I am, it is essential that I let this image of myself go. As it is replaced by truth, vision will surely be given me. And with this vision, I will look upon the world and on myself with charity and love. 私が見ているものが自分をどう思っているかの反映であると認めた上で、私は そのビジョンが私のもっとも必要とすることが分かります。 私が見る世界は私が作った自己イメージの恐ろしい性質を証明します。 故に、もし本当の私は誰なのかを記憶しているなら、その自己イメージを 優先させることは大変重要なことです。 真実のものに取り替える時、確実にビジョンは私に与えられます。 そしてこのビジョンをもって、私は世界と自己を愛と思いやりで見るつもりです。 (28) Above all else I want to see differently. The world I see holds my fearful self-image in place, and guarantees its continuance. While I see the world as I see it now, truth cannot enter my awareness. I would let the door behind this world be opened for me, that I may look past it to the world that reflects the Love of God. 私が見ている世界は、適所で私の恐ろしい自己イメージをとらえて、その継続を 約束します。私が今、世界が見えてるように見なしている間は、真実を認識で捕ら えることは出来ません。私は私のために現世の後ろのドアを開けさせて、それの先 で神の愛を反映する世界において真実を見るかもしれません。
8 :
うんこ :2010/02/21(日) 13:30:33 ID:kAuHdn+d
(29) God is in everything I see. Behind every image I have made, the truth remains unchanged. Behind every veil I have drawn across the face of love, its light remains undimmed. Beyond all my insane wishes is my will, united with the Will of my Father. God is still everywhere and in everything forever. And we who are part of Him will yet look past all appearances, and recognise the truth beyond them all. 神は私が見るもののすべてにいます。 ・ ・・・・・・・神は永遠にいたる所とすべての中にいます。 そして、神の部分である ・ 私たちは、すべての外面の先でまだ見ていて、それらのすべてを超えて真実を ・ 認めるつもりです。 (30) God is in everything I see because God is in my mind. (30) 私の心には神がいるので、神は私が見るすべてにいます。
神との対話 P113 最高の感情は「すべてである」存在と合体する経験だ。それは真実へとかえることであり、魂が切望しているその真実が、完璧な愛である。 完璧な愛とは、(光の)色の中の白のようなものだ。白はあらゆる色を含んでいる。 だから、愛とは感情がないことではなく、あらゆる感情(憎しみ、怒り、情欲、嫉妬、羨望など)がないことではなく、あらゆる感情の総和だ。 あらゆるものの集合、すべてである。
神との対話 P141,142 ニール「欲望や自我を拒否するという生き方は、間違った道なんですね。」 真実ではない。<中略>真の悟りとは捨てる事ではなく、違う選択をすることだ。何かから離れる行為ではなく、何かに向かう行為である。 あなたは何かから離れる事は出来ない。相手は地獄までもあなたについてくる。それならば、どんな誘惑にも抵抗しない事だ。ただ、そこから顔をそむけなさい。 わたしの方へ顔を向けなさい。わたしに似ていないすべてのものから顔をそむけなさい。 ただし、間違った道というものはない。この旅は、目的地に「行き着かない旅」ではあり得ないから。違うのは、いつそこに着くかというだけである。 しかも、これさえも本当は幻想だ。「いつ」という事はないし、「その前」も「その後」もない。常に現在があるだけだ。 あなたが自分を経験しつづける永遠の時があるだけだ。 人生の意味とは、自分がすでに、そこにいること、これまでもずっとそこにいたし、いつもいると気付く事である。 あなたがたはいまもこれからもつねに、純粋な創造の過程にある。 人生の意味とは創造である。自分を創造し、それを経験する事である。
11 :
うんこ :2010/02/21(日) 14:27:23 ID:kAuHdn+d
LESSON 53 (11) My meaningless thoughts are showing me a meaningless world. Since the thoughts of which I am aware do not mean anything, the world that picture them can have no meaning. What is producing this world is insane, and so is what it produces. Reality is not insane, and I have real thoughts as well as insane ones. I can therefore see a real world, if I look to my real thoughts as my guide for seeing. (11) 無意味な考えは無意味な世界を私に見せています。 私の意識思考が何も意味を与えていない間は、描かれる世界は意味を持つことができませ ん。現世を創造していることは、狂気の沙汰です、そして、それが生産することも、そう です。リアリティとは狂気ではありません、そして、私には、狂気のものと同様に本当の 考えがあります。 したがって、私の本当の考えをガイド指針とするなら、私は本当 の世界を見ることができます。 (12) I am upset because I see a meaningless world. Insane thoughts are upsetting. They produce a world in which there is no order anywhere. Only chaos rules a world that represents chaotic thinking, and chaos has no laws. I cannot live in peace in such a world. I am grateful that this world is not real, and that I need not see it at all unless I choose to value it. And I do not choose to value what is totally insane and has no meaning. (12) 無意味な世界を見て、私は心配しています。 狂気の考えは不穏です。 それらは秩序が全く何処にもない世界を創造します。 カオスだけが混沌の考えを表す世界を支配します、そして、カオスには法が全く ありません。 私はそのような世界で無事に暮らすことができません。 私は、この世が本当でなく、それを評価するのを選ばないならそれを全く見る 必要はないことに感謝しています。 そして、私は、完全に狂気であり、意味を持た ないことを評価するほうを選びはしません。
12 :
うんこ :2010/02/21(日) 14:34:05 ID:kAuHdn+d
(13) 無意味な世界は恐怖を生み出します。 全く頼りなく、信用の根拠を全く提供しないので、完全に狂気は恐怖を生み出し ます。 狂気のものは何も信頼できません。 それは安全と希望を全く抱かせま せん。 しかし、そのような世界は本当ではありません。 私は、現実の幻想を それに与えて、それへの固定信念に悩みました。 現在、私は、この信念を 取り上げて、実際に私の信用を置くのを選びます。 これを選ぶ際に、 私がそれが存在しないと認めているので、私は恐れの世界のすべての影響を 逃れます。 (14) 神は無意味な世界を創造しませんでした。 神がそれを創造しなかったなら、無意味な世界はどうしたら存在できますか? 彼はすべての意味の源です、そして、すべて本当のものが彼の心の中にあります 彼が私と共にそれを創造したので、私の心にはそれがあります。 創造の完全性が我が家であるときに、私は、なぜずっと私自身の狂気の考えの 影響で苦しみ続けなければなりませんか? 私の真実決定のパワーを自覚して ください、そして、私が本当にとどまるところで認識をしてください。 (15)私の考えは、私が作ったイメージです。 私が見るものは何でも、私の考えを表します。私がどこにいるか、そして、 私が何であるかを私に語る私の考えです。私が苦しみと損失と死がある世界を 見るという事実は、私が私の正気でない考えの表現だけを見ていて私の本当の 考えがそれらの慈悲深い光を私が見るものに投げかけるのを許していないのを 私に示しています。それでも、神の道は確かです。彼らがそうすることが私の 意志でないので、私が作ったイメージは神に勝つことができません。私の意志 は主のものです、そして、私は彼の前に他のいかなる神も置きません。
神対信者は、恐怖にしがみつき、欲望を手放す勇気がない、 ということがよくわかる。 神の直接体験がないから、神対の神というニールの創作した架空の神に、 欲望や自我を肯定して貰い安心したい。 裏を返せば、そこに罪悪感を密かに感じているということだね。 その罪悪感に対する取り組みが子供なんだよね、神対信者は。
妄想乙
神の直接体験という言葉は変だね。全てが神であって神以外のものなど存在しないのだから。
神とは関係ない、本当は存在していない幻影を現実だと勘違いしているのが我々なのだから、 神の直接体験という言葉は少しもおかしくない。 眠って夢を見ている時、ほんの一瞬目が醒めた。そういうこと。 おかしいのは、すべてが神だなんて少しも実感してなんかいないのに、 そういうお題目を唱えてその気になってる馬鹿のほうだろう。
その夢はどこで誰が見ているのだろうか 夢見る能力は誰が与えたのだろうか
神以外のものなどないというのは君も書いていたはずだよ
>>17 お前馬鹿過ぎ。
夢は例え。
何度同じことを言われたらわかるんだ?
その夢は本当は誰も見ていない。
つべこべ言わず、夢から醒めることにフォーカスすればいいだけ。
夢は事実存在してるじゃないか、
と主張してるのは夢自体なんだから、
夢が消えれば、その問い掛け自体も消える。
そんな問い掛けなんか最初から存在していなかった、となる。
それでOK.
>>18 神以外存在しないのだから、神ではないこの世界は存在していない。
存在してるじゃないか、と言ってるのは、存在しないこの世界の存在しない自我なんだから、
その疑問自体存在しない。
>その夢はどこで誰が見ているのだろうか >夢見る能力は誰が与えたのだろうか と、考えているのは「誰」だろうか。 その「誰」はどれほど信頼に値するというだろうか。 はい、これでFA.
神使派は「神」や「真の現実」と言った抽象的な言葉で満足しているが ではそれは具体的に何のことなのかと問われれば答えられない 言葉では説明できないと誤魔化すことしかできない つまり分かっているような気になっているだけで実は何も分かっていないのだ
残念ながら神使派の言う「神」や「真の現実」などというものは「無い」のだよ 全て空想の産物でしかない 神使派の人たちに忠告しておくが廃人になる前に不二一元論などという空論哲学は 捨ててしまいなさい
>>21-22 つかその観念論を一旦置いてACIM読んでみたらどう?
ここで語られているのは究極の救いだよ。
というかね、これ以外どんなパラダイムさえ芥子粒ほどの救われなさが残る。
何かから救われた、では救いにはならないんだ。
「あなたが苦しんでいるソレは錯覚なのだ」が唯一の救いなんだよ。
これがACIMの救いだ。
あとこのスレで神使に依拠して神対信者を攻撃しているアフォがおるがエゴの認識が全くずれてる。
それこそエゴの仕業だと何故気付かない?
ACIMは単に「我々は何にも脅かされない」と明言しているだけなんだ。
それをだな、ACIMの副読本の神使を盾に神対信者に
「神対を捨てられないのはエゴを否定されるのが恐いからだろ?」とかやってるってどんだけ錯覚しているんだって話だよ。
mixiにurtextのテキストを翻訳している人がいるから読んでみ。
ACIMが言うエゴとは何かがよく解る。
http://mixi.jp/view_community.pl?id=3314973
>>19-20 存在しないものが夢を見ることはなく、故に夢から醒めることにフォーカスする必要もなし。
書き込みボタンを押して送信しているのは「誰」だろうか
その「誰」はどれほど信頼に値するというだろうか
>>19 >何度同じことを言われたらわかるんだ?
>その夢は本当は誰も見ていない。
>つべこべ言わず、夢から醒めることにフォーカスすればいいだけ。
夢を見ていないのなら醒めることにフォーカスする事も出来ない
はい、これでFA
27 :
神も仏も名無しさん :2010/02/22(月) 11:45:32 ID:dsnxSvAZ
奇跡のコース・・・導入部 これは奇跡のコースである。(中略)愛の対極は恐怖だが、すべてを包み込むものには対極がない。したがってこのコースは、ごく簡単に言えば次のように要約できる。 現実(リアル)であるものは、いっさい脅かされることがない。 非現実(アンリアル)であるものは、いっさい存在しない。 ここに神の平和がある。 ----------------------------------------------------------------------------------------- 愛の対極は恐怖だ → 愛には恐怖という対極がある すべてを包み込むものには対極がない → 対極があるものはすべてを包み込むものではない コースは愛には対極があるのですべてを包み込むものではないと言いたいのか? 現実(リアル)であるものは、いっさい脅かされることがない。 → 現実=存在という事か? 非現実(アンリアル)であるものは、いっさい存在しない → 非現実=非存在という事か? ここに神の平和がある。 → 現実≠非存在という事か? 結局、コースは何が言いたいの?
>>24 >>26 そう考えているお前は、何者なのか、ということ。
その「何者」が消えない限り、本当のことはわからない。
どんなもっともらしい説明も、お前という「何者」がそこに存在しているつもりになっている限り、
エゴの生き残りのための虚しい言い訳に過ぎない。
エゴをなくすことは出来ない。何故ならエゴが「自分」だからであり「エゴを なくそう」と考えているのがエゴだからだ。エゴは自他を分離した思考なので こう考える。「『エゴ』という私の存在を脅かす何か悪いものがあるらしい。 だから見つけ出してやっつけよう」。決して自分がエゴであるとは考えず常に 自分以外の何かでしかない。 そしてこの考えに動かされてエゴをやっつけようとしてしまうと余計にエゴは 大きくなる。これは鬼を雇って鬼退治するようなものだ。勝っても負けても鬼は 残り続ける。そして負けた時よりも勝った時の方が危ない。今まで以上の強い鬼が 自分の間近に居ることになるから。
まだやってるのか(笑) せっかくだからちょっと書いてみようか。 神対派と言われる人たちの誤謬のひとつは、 現在の自己の延長線上に、現在の自己を内包するかたちで覚醒へと進化していく、 と誤解していることだが、〜それがありふれた一瞥であったとしても〜、ひとたび、 “それ”をそれこそ直接体験をしてしまうと、覚醒の自己は現在の自己とは何の関係もなく、 それは圧倒的な、あまりに圧倒的な、空前絶後の至福であることがわかるんだよ。 なるほど、現在これが自分だと思い込んでいるこんなものは、瞬殺されてしまうよな、 消えてしまっても痛くも痒くもない、何の意味もないことが“わかってしまう”。 この自己なんてものは、そもそも存在すらしていないんだ、ということが“わかってしまう”。 ロウソクに灯した火のことを、光の全てだ、これが明りだとずっと思いこんでいた人が、 太陽のすぐ近くに、火を灯したロウソクを持っていくとどういうことになるだろうか。 ロウソクもろとも、灯された火など瞬きする暇もなく、ジュッと消滅してしまう。“ジュッ”と。 それほどの圧倒的な、あまりにも圧倒的な違いなんだよ。圧倒的、あまりに圧倒的。 神対派のような間違った汎神論者は、何か小さな核のようなかたちで各個人に神聖が宿り、 その神聖の大元は、経験しないとわからないことがあるからこの世界を創造したのであり、 その体験を我々を通じて享受しているというようなイメージを抱いているのかもしれないが、 実際に“それ”を一瞬でも垣間見てしまうと、全然そんなものではないと“わかる”んだよ。 だから、まず最初に体験がなければ何の意味もない。本で読んだ知識、情報、観念を元に、 グダグダグダグダ、ああでもないこうでもないと考え続けても何の意味もないのだ。 それこそ、そう考えているその自己はそれほど信頼できるものなのか、ということになる。
神対派の誤謬のもうひとつ重要な点は、時間というものも幻影だ、ということがわかっていないこと。 前スレの最後に聖霊とマザーディヴァインの関係のことをちょっとだけ書いたが、 このマザーがマハーマーヤだとすると、カーラチャクラ(時輪)がそこからの最初の流出なのだ。 カーラチャクラ、つまり、時間という幻影はマザーの子宮から最初に生まれたマーヤの長男と言える。 あまり評判はよくないみたいだが、カレスワール・スワミという南インドの若い聖者も、 聖なる子宮のヤントラからカーラチャクラヤントラが生まれ、これらのヤントラを使って 浄化を続けることでマザーのアタックをどうやってかわしていくか、みたいなことをやってるね。 さて、神対派は時間というものが絶対的なものであり、何かを経験したのだからそれは実在する、 ということを信じてやまないわけだが、時間という幻影から自由になっていくことで、 実は過去も消えてしまうんだよ。文字通り消えてしまう、それは最初からなかったことになる。 本当に最初からなかったことになる。なかったことになる、という言い方も適切ではないな、 最初からなかった、そもそもその人は幻影としてのこの宇宙にはいなかった。 最初からなかったのだから、それは当たり前なのだ。だから、ほら、これは経験したことじゃないか、 経験したことは経験したこととしてそこに残るだろう、と主張しても、無意味なんだよ。 それは時間という幻影が消えることによって文字通り消えてしまうんだから。 そういうことを含めて、神使やACIMでは、「何も起きていない」と言ってるわけだ。 その意味するところは神対派がその小さき魂(笑)であれこれ必死で考えているよりも、ずっと奥が深いのだ。 結局ここでも、まず体験しなさい、ということの一言に尽きるわけ。 こういう言葉による説明だって、所詮マーヤに過ぎない。 だから体験するまでは決してこのことの意味というのは体感も体得も体現もできないのだ。
32 :
神も仏も名無しさん :2010/02/22(月) 13:02:26 ID:7foJF919
>>30 >この自己なんてものは、そもそも存在すらしていないんだ、ということが“わかってしまう”。
その太陽の如き圧倒的な空前絶後の至福をもってしてもちっぽけなロウソクである自己を消せなかったという事実をどうしても直視出来ないようだね
現実というものを把握する為には君のいう小さなロウソクは思いのほか堅牢であるという事実を認める事
>神対派の誤謬のもうひとつ重要な点は、時間というものも幻影だ、ということがわかっていないこと。 神対に書いてあるってw
>「あなたが苦しんでいるソレは錯覚なのだ」が唯一の救いなんだよ。 神対と同じです。
>>32 消せていればすでにここにはいないね(笑)。
私はただ垣間見ただけだから。
それでもそれが圧倒的な、否、それこそが、それのみが本当の現実だとわかるんだよ。
どちらにしても何も体験していない君よりはラッキーだと思うよ。
そして君もいずれその一瞥を経験するだろう。
私とこうして言葉を交わしているということは、
君もそろそろ夢から目覚めるときが近づいていることを意味している。
>>33 言葉でそう書いてあったかもしれないが、本当に意味するところをまるでわかっていないんだよニール自身が。
>>34 同じではない。
観念として頭で理解しようとすれば同じに見えるかもしれないが、
実際に一瞬でもそれを垣間見れば、まるで違うことがわかる。
ニールは何も体験していない。
神対は彼が創作した物語に過ぎない。
686 :神も仏も名無しさん:2009/12/16(水) 21:20:03 ID:UfImStDQ
>>685 それ、コースの目的を知るためには、最高にいい質問なんだよ。
ワプニクはかせによると「それ、むっちゃFAQ。コースを編集してるときからからずっとFAQ」だそうで。
http://www.miraclestudies.net/Question11.html 結論から言うと
「エゴの知性には理解不能。その答えは体験しないとわからない」
コースでは二回その質問への回答が載ってて、
まず最初がヘレンやセトフォードの友だちがJにたずねたときの回答。
J「なぜ[完璧な神と一体の]心がエゴを生み出すことが出来たのか、疑問に思うのは当然である。
実際、あなたができる最高の質問だ。しかし、過去の視点からこの質問に答えることは意味がない。
なぜなら過去は全く重要でない。今この瞬間に同じ過ちを繰り返さないなら、その歴史は存在しない。」(俺訳)
It is reasonable to ask how the mind could ever have made the ego.
In fact, it is the best question you could ask, There is, however, no point in giving an answer
in terms of the past because the past does not matter, and history would not exist
if the same errors were not being repeated in the present (T-4.II.1:1-3).
いま俺が「もし」を選ばなければ「完璧なのに『もし』と考えた」事実すら存在しないと。
はっきしいって「その疑問の知的納得は不可能。奇跡を体験すればわかるけどね」と言い換えていいね。
687 :神も仏も名無しさん:2009/12/16(水) 21:23:06 ID:UfImStDQ 二回目が用語解説のとき。 J「このコースが与えないあらゆる答えをエゴは要求してくるだろう。 『たったひとつの回答不能な疑問を様々な形で訊いているだけだ』ということがエゴには理解できないのだ。 『なぜ不可能が起こりうるのかw』とエゴは訊く。『不可能が起こるってどういう話w』とあらゆる形で訊いてくるだろう。 しかし答えはない。体験だけがある。体験だけを求めなさい。神学が妨げとならぬように。」 「エゴが現実だと思っている者だけがエゴの定義を追究し、なぜエゴが存在しうるのかと訊く。 言葉による定義を求めれば、自らのエゴの正体が幻に過ぎないことを覆い隠すことができるからだ。 ウソを本当といいくるめる定義はありえない。」(俺訳) The ego will demand many answers that this course does not give. It does not recognize as questions the mere form of a question to which an answer is impossible. The ego may ask, "How did the impossible occur?", "To what did the impossible happen?", and may ask this in many forms. Yet there is no answer; only an experience. Seek only this, and do not let theology delay you (C-in.4). Who asks you to define the ego and explain how it arose can be but he who thinks it real, and seeks by definition to ensure that its illusive nature is concealed behind the words that seem to make it so. There is no definition for a lie that serves to make it true (C-2.2:5-3: 1). ということで、だから「奇跡のコース」という名前な訳ですね。 「回答不能な答えを、奇跡を体験して理解するための講座なんだよ」ってことかな。
垣間見た世界がそんなに素晴らしく、 この世界がないことがわかったんなら、 なんでこんなにこのスレにこだわるんだるうね? あなたにこそ守りたいものがあるんだろうね。
神対派も神使派も幻想なのだよ。そんなものは最初から居ないのだ。ただ居るように 見えることがあるだけ。幻想に一々惑わされてはいけない。放っておけ。 見えているのはエゴが作り出した幻影だ。それを否定することはエゴに餌をやる ことに等しい。関わって戦えば戦うほど幻想は膨らみよりリアルになる。 唯一出来ることは自然に小さくなるまで放っておくことだけだ。
40 :
神も仏も名無しさん :2010/02/22(月) 17:25:27 ID:yIacDqqV
>それでもそれが圧倒的な、否、それこそが、それのみが本当の現実だとわかるんだよ。 君の体験は圧倒的空前絶後至福をもってしても自己の消滅に失敗したという体験 「太陽を垣間見ただけだから失敗したんだ」というなら太陽本体にズボッ!とロウソクを突き刺してごらんw 躊躇する理由は無いよねぇ? 実際に体験して確認した事ではないのに「分かった!」と言うのはまだ早い 謙虚に「分かったような気がします」ならまあOK
結論: 神使と神対に共通点なし。 両者はねじれの位置にある。 平行でもなく、交わることもない。 第一、神使と神対を比較することは、 神使に対して失礼だ。 それはまるで、日本の「皇室」と「硬質」プラスチックを比較して、 どちらが素晴らしいか、と言っているようなものだ。 こんなナンセンスなことはない。 神との対話は嘘の創作なんだから、 比較するなら同じ嘘の創作ものであるバシャールと競い合ってればいいんだよw
>>38 こだわっているように見えるのは君がこだわっているからだろうね。
私が定期的にここに出現する目的は、君たちを苛立たせ私に憎しみを向けさせるため。
それによって私と君たちと双方に利益となる。
これは神使やACIMとは別のやり方だけど。
>>40 ふむ、失敗ではないんだよ。プロセスだな。
君が、失敗ということにしておかないと不安で仕方がないのならそうしておけばいい。
しかし君もそれを体験してみればわかるよ。
一瞥を得たのなら、後戻りは出来ないと言ってきたはずだ。
ただし、ラーマクリシュナ・パラマハンサでさえ、
太陽にロウソクをズボッと突き刺して幻影をすべて消し去ることを望んだが、
まだその時期ではなかったからそれはできなかった。
完全に目が覚める時期というものがあるんだよ。
誰もが必ず目覚める時が来る(その“時”というのも本来存在しないんだけどね)。
しかしそれがいつになるかは誰もわからない、とキリストも述べている。
とにかく、体験してみなさい、そうすれば君の屁理屈はすべて吹き飛ぶ。
>>39 では君も放っておけばいいだろう。
ACIMでも述べられていると思うが道はひとつではない。
だから“A Course”In Miracles というタイトルになってるんじゃないか。
私のやり方はACIMのそれとは違う。ゴールは同じだけどね。
一方、神対はというとゴールが間違っている(笑)
>>23 ・「存在しないもの」が「夢から醒める」
・「存在しないもの」が「消える」
・「存在しないもの」に本当のことは「わからない」
自分の言ってることのおかしさに気づいていないようだけど、これらは主体が存在してはじめて使える言葉なんだよ。
>私とこうして言葉を交わしているということは、君もそろそろ夢から目覚めるときが近づいていることを意味している。 >私が定期的にここに出現する目的は、君たちを苛立たせ私に憎しみを向けさせるため。 >それによって私と君たちと双方に利益となる。 やれやれ、これはひどいな。はっきりと言わせてもらうよ。このスレでエゴが一番強いのは君だ。
>>44 おかしいと感じているのは誰? その「誰」に向けて言われているのが、
「夢から醒める」「消える」「わからない」という言葉。
「誰」にわかるようにそう言われているんだよ。
そして「存在しないもの」というのは、その「誰」が消えた(←これ方便ね)ときわかること。
君こそ自分の頭の悪さに気付こうな。
>>45 神使派が言うエゴというのは自我のことね。
これは私だ、と思い込んでるその感覚はウソですよ、そんなの存在しませんよ、という意味。
カルキ・バガヴァンもまったく同じことを言ってる。
あなた方のいう「私」なんてそんなの本当は存在しません、あなた方はゴミ溜めです、と。
君が使っているそのエゴは、強引で自分勝手で…みたいな人格とか性格のことだね。
そうやって言葉の定義を都合よく変えながら、あるいは使い分けながら、
結局相手を非難することだけが君の目的であるということが、
図らずも露呈してしまっているわけだ。
そうやって、エゴ(自我)は必要なんだ、エゴ(自我)が消えるはずがないんだ、
エゴなんて存在しないという主張は何が何でも否定し拒絶しなくてはならないんだ、
と抵抗している姿こそ、このスレで一番エゴが強い、と評されるべきだろう。
それを落とさないと何も始まりませんよ、ってことなんだから。
弟子 「先生、私はいつになったら救われますか?」 ラーマクリシュナ 「それ、その私が消えた時さ」
>>48 おめえさ、ACIM読んだことあるのか?
あなたはエゴではありません、そのエゴと同一化したときに錯覚があります。
エゴと同一化するか神と同一化するか、ふたつにひとつです。
これはよく出てくるメッセージだ。
>>50 それでは神とは別にエゴが「存在」することになるな。
>>48 その自我だよ。その話題については前スレ最後の土曜日に充実してたから、みんなのレスを読み返してごらん。
頻繁に人とやりとりしてる割には聞く耳を持っていないんだよな。人の考えに対しての思い込みも変わらない。
このスレで一番自我を保とうとしているのはやはり君だよ。自分のレスを通して見返して見るべき。
>>43 しかしあなたがそうやって「自分とは違う自分以外の何か」を見つけ出して指摘すればするほどあなたのエゴは育つ。
そしてより多くの違いを見つけ出すようになり更にエゴは太る。
必要なのはエゴを受け入れて許すことだ。この逆をやるとエゴが肥大する。 エゴの特徴は否定することだ。人を否定し、自分も否定する。そして否定をより強く行うために情報を集め行動する。 核となっている否定がなくならない限りこれは終わらない。
>>52 だから君の言うそのエゴというのは「私」という感覚(間違った)を指してのエゴではない。
ここで話題にしているエゴは君の言うような人格や性格のことではない。
「私」という感覚、これが私だという感覚、それが錯覚である、ということ。
>>53 エゴ(は育たない。エゴは錯覚なのだから。錯覚が解けるかどうかだけ。
意図+思考+感覚。これらがあまりにも複雑に絡み合っているために、
人はそれを「私」だと錯覚してしまう。
だ意図と思考と感覚がバラけてしまうと、そのどれもが自分ではないし、
とそれらの如何なる組み合わせも自分ではない、ということに気づく。
>>54 受け入れて赦す、というのはテクニックのひとつに過ぎない。
そう認識しているこの私に力を与えないための方法論のひとつであり、
その方法論は方法論で別にかまわないが、それがすべてではない。
>>57 もちろんテクニックのうちの一つだろう。他にもあると思う。ただエゴの消滅は否定の消滅でもある。
同時に肯定する必要性も失われて消えるだろうが。
>>58 うんその通り。
ただACIM実践者(あくまでACIMスレに限ってだけど)を見ていると、
赦しという方法論にフォーカスし過ぎていて、
何のためにそれをやろうとしているのか、が有耶無耶になっていないだろうか。
目の前に起きているかのように認識されていることは、
エゴ(ウソの感覚としての自我)と表裏一体なのだから、
その現象を利用してニセの自我感覚を解体することが可能だ、ということだと。
60 :
神も仏も名無しさん :2010/02/23(火) 07:04:14 ID:0Tz/T1M9
昔から神には2つの規則があります。そのひとつは不正は死刑、もうひとつは神には姿が無いという規則です。 すべての始まりのときは無限の無の広がりがあり神だけの世界でした。 しばらくすると神だけの世界に悪魔が生まれ悪魔は男の姿を取りました。神は悪魔にお前は悪魔だと告げると悪魔は神と名乗り神は男だといいました。 そして悪魔は男以外は女だというと悪魔は無から男と女を創りました。悪魔は神にしてやるといい男たちと女たちをたぶらかし悪魔に従えさせました。 そして悪魔は神々を創ったのです。 悪魔は凋落の手を緩めず悪魔の手先の様々な神々と悪魔たちを創り悪魔一人ですべてを支配しようとしました。 悪魔は神と名乗り神に従えかしずけといいました。多くのものたちが悪魔に従いだしました。 悪魔は神に従わないものには容赦をしませんでした。ただ神に従わないという理由だけで神に従わないものを殺しました。 これに怒った神は悪魔の手先の神々たちを加圧圧縮して幾つもの惑星にしました。 惑星に閉じ込められた悪魔たちは惑星に生物を創り惑星を支配することにしました。悪魔に従わないものたちは動物に、悪魔に従うものたちは人間にして。 そして悪魔の手先達には物資を取りまとめさせ利権を任せお金で人間を縛り支配する構図を作り上げたのです。 お金はもともとは何の値打ちも無いただの道具です。 お金を物の交換の道具として使うならばすべての人々に最高額のお金を与えて品物の交換に使っても誰も困らないはずです。 それをしないわけは悪魔の支配が崩れるからです。 神は悪魔の行いをしたものすべてをこれから3000年掛けて裁かれます。 そして今まで悪魔たちを閉じ込めてきた惑星は解き放たれ無の世界に解放されます。 悪魔と共に惑星に閉じ込められてきた神も開放されるのです。 悪魔を惑星に閉じ込めるときに悪魔だけを閉じ込めることが出来ずに神の一部も悪魔と共に閉じ込められてきたからです。 3000も待たないうちにすべての世界は無に帰するでしょう。そしてすべては戻るのです。すべてが神だった時に。 すべてが神と名乗る悪魔にだまされる前に。すべては神となり悪魔の支配は終わりを告げるのです。 神と名乗り支配する者たちは悪魔です。すべては同じ名camiの名すべての身分は同じ身分、すべては平等なのです。
>>55 >エゴは君の言うような人格や性格のことではない
またか、いつ自分がエゴを人格や性格であるなんて言ったかね。そういった思い込みこそがエゴの本質だよ。
「I am○○」(私は○○だ)
この○○には自分が思っているさまざまな言葉が入るが、確かにそれは永遠普遍のものではなく一時的に自分が思い込んでる幻想にすぎない。
それは前スレでもいったように理解している。
そして、真の自己に目覚めたものは○○が消えて
「I am」(私は在る)という境地に至る。
ただしここで注目すべきは主語であるIは変わっていないということ。消えたのは○○の部分であってIではない。
自我は真の自我へと拡大、統合されていくことはあっても決して消えるわけではない。
「私は『神対派』だ。」と「私は『神使派』だ。」の『』の中はただの思い込みなのでいずれ消えると。
「どの道を歩んでも行き着くところは同じ」という点ではどの立場も共通しているので、それはそうだろうね。ノシ
64 :
神も仏も名無しさん :2010/02/23(火) 11:14:50 ID:Ggyf+vJ4
どの道を歩んでも行き着くところは神と自己との統合 ニューエイジはストレートに向かうのに対し オールドエイジは”自己を消滅させる実践”という寄り道を通る 結局、「自己の消滅なんぞ無理・無茶・不自然・出来ない相談・・・」という事を納得するまで実践してからやっとストレートの道を歩み始める どちらを選ぼうと好みの問題だね ゴールは同じだからどちらでも良いと
>>61 完全な間違い。
“I”am ○○.
というとき、それぞれの “I”は、それぞれの○○と=なのだから、
○○が消えれば、それぞれの“I”も消える。
消えた後に、それとは全く別のもの、
I AM THAT I AM. が現れる。
よってお前が怖れている通り、
○○という幻影と結びついている“I”は間違いなく消滅する。
厳密には、そんなものは最初から存在しないのだが。
宇宙の消滅。
それを怖れるのは“I”
>>64 これも噴飯もの。
ニューエイジは、永遠にゴールには到達できない。
なぜなら、ニューエイジとはエゴ=“I”の生き残りのための虚しい悪あがきに過ぎないから。
エゴ=“I”が消えることが、双六のあがり。
神対を筆頭とする、嘘つきインチキ欺瞞のエセ体系は、
ゴールとは正反対の方向に人々をミスリードしている“反キリスト”。
反キリストって間違ってんのかい?
68 :
神も仏も名無しさん :2010/02/23(火) 11:58:43 ID:iTheEklw
>>66 >エゴ=“I”が消えることが、双六のあがり。
J、アーテン、パーサ、ラーマクリシュナ等覚醒者でさえ“I”を消す事が出来ない(ギリギリの所で踏み止まっている…?!)でしょうに
あがりのない双六だったりして・・・
>>65 >宇宙の消滅。
>それを怖れるのは“I”
まあ君の“I”は宇宙が消滅しない事(自己が消滅しない事)を恐れているようだけどね
>>68 双六のあがりに至った人はこの宇宙からは痕跡さえ消えている。
元からその人はいなかったことになる。
だから、そういう人は見つけられなくて当然。
一方、アバターたちは役目があり、出現している。
ラーマクリシュナはまだ完全にゴールしていなかっただけ。
本来存在していない宇宙が消滅しないこと(?w)をどうして怖れる必要があろう。
宇宙の消滅、つまり、“I”の消滅を神対派が怖れて右往左往しているだけだよ。
>>69 悪いんだが君のその発想自体が正にオールド
神使派がよく言う「神対派はエゴの消滅を恐れている」という考えこそ噴飯もののフィクションなんだよ
神使派が勝手にエゴが生き残るのを恐れているだけ
神対派はエゴを最初から相手にしてないんだよ
神対派がエゴの消滅を恐れていると言うフィクションが頭の中にでき上がっていて、 それに囚われて離れられないらしいよね。 どうも神対派の主張を受け入れると都合が悪いらしいよw
>>69 >双六のあがりに至った人はこの宇宙からは痕跡さえ消えている。
>元からその人はいなかったことになる。
なんでそんなことがわかるの?
今日もにぎやかだな(笑
>>70 じゃ何を恐れてここまで反応しているのかな? 答えてごらんw
神対派はエゴを最初から相手にしていないかな?
エゴは消えない、より大いなる自己の中に統合されていくはずだ、
そうでなければ困る! そうでなければ恐くて仕方がない!、
とずっと叫び続けてるじゃないかw
>>71 神使派は、神対派がエゴの消滅を恐れているというフィクションが頭の中に出来上がっていて
それに囚われて離れない、というフィクションが頭の中に出来上がっているようだが?w
神使派の主張を受け入れるとよほど都合が悪いらしいw
神対派によれば、体験するためにこの宇宙があるはずなのに、
体験してはまずいものがこの宇宙にはあるようだなw
>>72 まあ少なくとも「それ」を垣間見ればわかってしまうんだけどね。
ID:HnFwwzoJが何を体験したかは知らないが。
ニューエイジはすでに失敗したんだよ。 ニューサイエンスという試みが失敗したようにね。 で、オールドなんてものはない。 正統があるだけだ。形骸化していない正統には道が保存されている。 60年代のカウンターカルチャー、ヒッピー文化を基礎に置くニューエイジは、 もうとっくに終わってるんだ。 まあ最近ではね、エコロジー(実は“エゴ”ロジーw)と結びついて、 捕鯨反対とか、そっち方面でご活躍のようだけどw シーシェパードのあの醜態は、未だにニューエイジに何かを見出そうとしている、 君たちと無縁ではないんだよ。
神対の「抵抗すれば、相手はかえって強くなる。見つめれば相手は消える。 相手は幻想という実体をさらけ出す。」 の「相手」とは誰か?
>>73 大いなる自己で十分
本気で宇宙の消滅とか文字通りの意味で言っているのなら、それはオカルト、トンデモの世界だよ
俺は君のようにぶっ飛んだ人間じゃないからな
君は人に「私」を疑えとか説教する前に、君の好きなオカルト本を疑った方がいいぞw
>>75 相手を見つめるのは誰か?
>>76 まず体験することが先決だ。
そうすれば“I”が消えることこそ至福だとわかるから。
宇宙の消滅ということオカルトのように捉えているのは君であり、
それは体験を伴わないからだよ。
体験するためには訓練しなくてはならない。
一瞥にしろそのさ機にあるものにしろ、それはハプニングとして起こるものであり、
何かを修行していたからそこに到達するというものではないが、
ハプニングが起こるための条件は整えてやる必要がある。
我々にできることはそれしかない。
本だけ読んでいても何にもならんぞ。
まず一歩を踏み出せ。そうすれば神が十歩近づいてきてくれる。
>>77 大事なのは極端に考え過ぎないことだよ
一瞬宇宙の消滅を体験した君も過去に聖者と呼ばれた人たちも
社会生活を完全に捨てることは出来ないのだから
それからいくら君が「体験したら分かる」と誘惑しても悪いが俺は到底受け入れられない
君は(このスレにいる他の人も)自分が信仰しているものこそ究極だと固く信じている
しかし、世界に無数に存在する宗教や思想の全てが「自分達こそ究極である」と固く信じており
コースや神対もその内のひとつに過ぎないのだから
だからどれを選ぶかは君が馬鹿にしている「I」を根拠に判断する以外ないんだよ
>>72 幻影から抜け出すための教えはそう示唆している。
あなたは様々な金銭トラブルを抱え、
カルトの広告塔となっている人物の創作と、
風雪に耐え生き残ってきた教えと、
どちらを信頼するのか。
81 :
神も仏も名無しさん :2010/02/23(火) 20:41:52 ID:vH/wteSr
仮に大天国が双六のあがりに至れば、 我々の記憶から大天国に関する事だけが痕跡も残さず消滅し、 2chの過去ログからも大天国がカキコしたレスのみ痕跡も残さず消去され、 大天国は最初からいなかった事となる・・・と神使派は主張しているのだな。
>>78 それは君の自由だよ。
私も書きたいことを書いていく(別の目的もあるし)。
そして社会生活を完全に捨て去ることが出来ないのは、
まだ道の途上にあるから。
私は自分のやり方が究極だと言っていないが、
世の中にはゴールへと至る道と、そうではないニセモノの道がある。
>>82 神との対話だって示唆だろう。君がそれを信じているだけだ。
ただ、かつては神との対話に入れあげていたような人たちが、
今は神使やACIMに移行しているケースが多いのはどういうことか。
上座部仏教にもそういう人は多いが、皆、もうニューエイジや精神世界はたくさん、
ああいうのに熱をあげていた頃は結局何の収穫もなかった、と言っている。
この事実は素直に認めるべきだろう。
ニューエイジの根底にはカウンターカルチャーが潜んでおり、
それはしばしば反体制であることを無条件に是とする短絡的な主義主張を骨子とするが、
伝統宗教についても、よく知りもせずに味噌も糞もいっしょくたに槍玉にあげ、
それまで秘教や一子相伝とされていたものを暴露し続けていった(彼らはそうしているつもりだった)。
しかし、真の法脈、真の霊統は、そのような乱暴で稚拙、且つ俗悪な侵襲には一切影響を受けないし、
また一貫して保護されてきたのだ。
>>83 ニューサイエンスそのものは失敗したんだよ。
一般的にもアカデミズムの世界においても。
それはケン・ウィルバー等も認めているところ。
>ID:t3pvb2Qr ざっと見だが一言。わたしは死など恐れてはいないよ。存在はかたちが変わるだけで存在が非存在になることはないからだ。 神との対話でテーマになっているのは自己が望んだ経験を「完了」しているか否か。 そのことについては君自身がラーマクリシュナやアバターの例で語っていた。 我々は自ら望んだ経験を完了していないからここにいる。 経験を完了せずに消え去ろうとしてもまた戻ってくるだけだ。 だから以前にも、君は卒業するのではなく逃げ出そうとして葛藤していると言った。 ここで依然消えることなく語っているのはその証といっていい。 経験を終えたのであれば、まず君は掲示板に関わるのをやめて、何もすることなく(〜するというのは自我の意図であるから)静寂の中にいなくてはならない。 ところが実際のところ君は逆のことをしている。私が指摘しているのはその矛盾であって考えや人格を否定しているわけではない。 真理に古いも新しいもない。古い教えでも目覚める人は目覚めるし、新しい教えでも眠った人は眠ったまま。 現に今君はここにいて毎日掲示板で自己主張をし続けている。ぜひ早く目醒めてもらいたいものだ。いやこれは本心だよ。
>>85 だからニューサイエンスとしては失敗したんだよ。
>>86 語られている言葉は、それがどのレベルに向けて語られているのか、
誰に向けて語られているのか、ということを常に心得ておかなくてはいけない。
経験が完了するまでは、その経験を生み出した創造はそこに留まり続け、
新たな創造を阻害する、という法則は、エゴのレベルにおいて観察されることであり、
私がその法則を引き合いに出したのは、君たち神対信者が、経験するために宇宙は存在する、
と言いつつ、実はある種の経験に関してはこれに頑なに抵抗していることを指してのものだ。
さて、私がこのスレにいることを意図した背景には君が期待しているものとは全く違う理由がある。
私はここでは敢えて嫌われ役を演じてきたし、君のように反応させることに意味がある。
しかし、その本当の意味については明かすことはない。
そして本当に私に目覚めてもらいたいと思うのなら、まず君が目覚めるための一歩を踏み出すことだな。
君が私から卒業したのなら、君が私をこれ以上経験することもあるまい。
あなたのやり方じゃ無理だよ。 あなた自身が神との対話を誤解しているもの。
私達が属している宇宙は転生二回目。 これが全てを解き明かす答だよ。 ACIMでは明かされていないけどさ。 誕生したばかりのお子様の宇宙(=神)は、他の神に守って貰っている。 子供が大人に保護されているようにね。 それが二回目になると、半分大人として扱われる。そして大人には自立が 絶対必要になるため、この回に神の分身の多くが、神から分離するという 経験をすることとなる。 恐怖は大人への通過儀礼として経験する、神との分離から生じたんだよ。
>>88 自分は「神との対話」を理解しているつもりなんだろうか。
しかも日本語に翻訳された本を読んだだけの、一般読者の分際でw
神対はニールが寄せ集めの知識で書いた創作。
そんなインチキ本に対して、理解もへったくれもない。
>>90 理解もへったくれもない創作本が気になって仕方なくって、
このスレ見てるんだよねw
93 :
神も仏も名無しさん :2010/02/24(水) 12:37:19 ID:2pP+Ouz4
一体どうすれば”I”を消滅させる事が出来るのかサッパリ分からず頭を抱えている状態の神使派 このスレで「”I”など最初から存在しないぃぃぃ!!!確実に消滅だぁぁぁ!!!」と絶叫する事で不安を紛らわしている事は見ての通り 神使派にとってこのスレは精神が崩壊しない為には必須のものなのだ 生暖かい目で見守ってあげましょうw
>>91 こっちは、あんなインチキ本に理解するもへったくれもない、と言ってるの。
理解する、理解していない、というのは、
それに値する本についてのみ意味がある。
こんなインチキ本の邦訳を読んであっさり感化されてしまったような馬鹿が生意気なんだよw
>>92 頭ダイジョーブですか?w
ここは、
「神との対話」と「神の使者」の共通点と相違点
というタイトルのスレ。
お前こそ、神使が気になって気になって仕方ないんだろうw
もう以前のように無邪気に神対を信じることは出来なくなったわけだ。
お前が神対を読むたびに、神使のことを連想し、神対は間違っている、神対はただのつくり話、という思いが頭をよぎるだろう。
ざまあみろw
これが自分だと思い込んでいるその自分なんて錯覚で、それはいつか消え去るんだよ、と言われて頭を抱えている状態の神対派 このスレで「神は経験するために宇宙を想像したんだぁぁぁぁぁ!!! エゴが消滅するはずがないんだぁぁぁぁ!!!」と絶叫する事で不安を紛らわしている事は見ての通り 神対派にとってこのスレは精神が崩壊しない為には必須のものなのだ 生暖かい目で見守ってあげましょうw ↑ こうしたほうがスッキリと意味が通るよな。
>>94 あなたは「理解する必要もへったくれもない本」との共通点と相違点を探るスレにいる必要があるのか?w
>>96 もちろんw
ゴミ、インチキ、ニセモノを腐すため。
お前は、経験するために生きているはずなのに、
このスレから気に入らない人間を排除し、経験から逃げようとしているのか?ww
>>97 > もちろんw
> ゴミ、インチキ、ニセモノを腐すため。
理解する必要もないものをゴミインチキニセモノ呼ばわりできるおまえの頭の耕造を見たいわw
腐して何が楽しいの?
> お前は、経験するために生きているはずなのに、
> このスレから気に入らない人間を排除し、経験から逃げようとしているのか?ww
してないだろw
相手してるじゃないかw
>>98 逃げてるだろうがw
経験するために生きてるんなら、
お前が蛇蝎の如くに嫌ってる神使を読む、という経験をしてみろよww
何も知らないゴミのくせに生意気なんだよ、お前はw
100 :
神も仏も名無しさん :2010/02/24(水) 13:54:12 ID:1vlMbVH0
一応、図書館で神使を読んでみたけど途中で寝てしまったw
神対と違って読みずらく何が言いたいのか良く分からなかったw
>>95 >これが自分だと思い込んでいるその自分なんて錯覚で、それはいつか消え去るんだよ、と言われて頭を抱えている状態の神対派
自分というものの存在のリアリティは毎日実感しているから、いつか消え去るんだよと言われても釈然としないだけ
最初から存在しないのなら自分を実感する事も無かったんじゃないの?
>>100 自分が錯覚だってのは神対も同じ。
何度言っても
>>99 のようなヤツは神対が同じことを言っていると言うことを認められず、
>これが自分だと思い込んでいるその自分なんて錯覚で、それはいつか消え去るんだよ、と言われて頭を抱えている状態の神対派
みたいな素っ頓狂なレスを繰り返す。
一体何を恐れてるんだか...
>>101 >自分が錯覚だってのは神対も同じ。
そんなこと神対に書いてあったっけ?
103 :
神も仏も名無しさん :2010/02/24(水) 14:25:51 ID:BqbNAaM9
神対・・・自分をいうものは神がこの世界を経験する為に創り出した錯覚 神使・・・自分をいうものは最初から存在しない錯覚、神とは無関係
>>101 そうやって反応してるのが怖れている証拠w
すべて錯覚だよ 流動変化しないものがこの世界と独立して存在すると考える事が神使派の誤謬 そんなものは何処にも無い どんな体験であれ全てが一体となった流動変化の表れに過ぎない 移ろいゆくものにこそに完璧な美を感じる事が神を見出す事
>>93 >一体どうすれば”I”を消滅させる事が出来るのかサッパリ分からず頭を抱えている状態の神使派
全く同感
”I”が存在しないという気がしているだけで、肝心の消滅方法が全く不明のようだw
どうして消滅しないのかと問えば、存在しないものを消すのに時間が掛かる・・・
何故”I”を消した人はいないのかと問えば、
”I”を消すのに成功した人はいるけど、元からその人はいなかったことになるから見つからない・・・
訳の分からない言い訳ばかりwww
>>106 神とは流動変化しないもの、というのが、
それを直接体験したことのない君のような人間が空想することの典型なのだ。
それがこの世界と独立して存在するとw
やはりここでも、世界が確固たる実在だと勘違いしている。
そういうことをあれこれ空想している「誰か」が如何に信用ならないものか、
それの「誰」とやらがただの錯覚に過ぎない、ということがわかるのは、
やはり直接体験以外にはないのだ。
>>108 これも同じ。時間というものが絶対的なものだと思い込んでいるから、
どうして今すぐ消えないのかとか時間が掛かるのか、と屁理屈を捏ねるw
訳がわからないのは、君が訳のわからない自分を自分だと勘違いしているから。
訳が分からない、と言っているのは誰なのか、そこが文字通り盲点になっている。
かっこ付きの“I”が錯覚だったと気付くこと、 それだけで、もうこの世界は何の意味もない、ただのゴミになる。 かっこ付きの“I”という錯覚が完全に消えれば、それは大いなる至福そのものだ。 だから、かっこ付きの“I”が消えてしまうことに何一つ恐れを抱くことはない。 しかし、そのかっこ付きの“I”がすべてだという人は、 このウソの世界にはまだ何か魅力的なものが待っていると思い込んでいる。 いつかそのうち、いつかそのうち、いつかそのうち・・・。 しかし、いつまでたっても、その人は理想とする世界に住むことはできない。 なぜなら、そのかっこ付きの“I”こそがそれを邪魔しているからだ。
>>109 >
>>106 > 神とは流動変化しないもの、というのが、
> それを直接体験したことのない君のような人間が空想することの典型なのだ。
> それがこの世界と独立して存在するとw
> やはりここでも、世界が確固たる実在だと勘違いしている。
おまえ、わざと読み間違えてるだろ。
というより、批判のための批判だから、
内容なんかどうでもいいのかw
>>111 はは、世界は流動的と言ってるから確固としたものでないと?
同じことだよ。世界が実在すると思い込んでるんだからな。
神のために自己を捨てるか、それとも自己のために神を捨てるのか。 君たちに決定的に足りないのは「覚悟」なんだよ。
なんだよ、「ために」ってw だんだん異様になっていってるぞw
>>113 >神のために自己を捨てるか、それとも自己のために神を捨てるのか。
直接体験(w?)をしたのは誰か?
君の”I”だよ
その体験を記憶しているのは紛れもなく”I”だろう
”I”とどんな体験も切り離せるものではないよ
仮に”I”が消滅すれば君は”無”になる
”至福”ではなく”無”だ
自己を捨てるのではなく自己を愛することによって神を愛することが出来る
>>109 例えばある紙に文字が書かれている事は錯覚だと気づいたなら、
錯覚だと気づいた瞬間からその紙は白紙であるはず
錯覚だと気づいた後も紙に文字が有れば、錯覚だと気づいた事が間違いだったという事
錯覚だと気づいてから実際に白紙になるのに時間が掛かるwって意味が分からない
”錯覚だと気づいた事が間違いだった”という事を観念して認めた方が人として正しい生き方だと思うw
>>116 さて、そう考えているのは誰だ?
君のその空想とは違い、その直接体験には、体験する、体験される、
という主体客体がないんだよ。
それは、起こる。そしてそこに体験している“I”はない。
しかし、それを言葉で表現すると「直接体験した」としか表現できない。
言葉は「誰」に対してどのレベルにおいて語られているかを念頭に置けと言っているだろう。
>>117 それは君が時間も幻影だということがわかっていないからだ。
時間が掛かるっているように認識しているのは誰だ?
>“錯覚だと気づいた事が間違いだった”という事を観念して認めた方が人として正しい生き方だと思うw
これからも悪夢の中で生きて行きたいならどうぞ。
>>118 >それは、起こる。そしてそこに体験している“I”はない。
君の”I”がそこに居なければその直接体験を記憶して2chに体験談をカキコする事は出来るかな?
>>109 は神のために自分を捨てる作業をしているの?
自己を開け渡さなければ、神は直接体験できない。 神を直接体験しなければ、そもそも神を愛することなどできない。 頭の中の観念で、神の愛、神の愛、といくら繰り返したところで何もわからないんだよ。 君が言う自己を愛する、というのは、つまり、自己を手放したくない、 ということであり、それは自己を愛する、ということではない。 神を知らない者がどうして愛について語れるだろうか?
>>120 今こうして書いてるじゃないかw
そしてかっこつきの“I”が完全に消えてしまったらめでたく悪夢は終了だ。
>>123 君の”I”が直接体験の現場に居たことを認めるのかね?
“それ”はかっこつきの“I”が理解しようとしても不可能。 実際に“それ”が起きるまでは。
>>124 それを知りたければ、駄々を捏ねてないで君が直接体験してみなさい。
神のために自分を捨てるw アルカイダやオウムと同じレベルだw
“それ”は“I”の延長線上にはない。 したがって、“I”が言葉で説明しようとどんなに努力しても“それ”を説明することなど不可能なのだ。
>>125 いえいえ、記憶が残っているから君の”I”が現場に居て体験していた事は確実ですよ
直接体験中にも”I”は消えていなかった!という事実が判明しましたねw
消えていなかったばかりか”I”が直接体験していたと・・・!
神のために自己を捨てる覚悟を持てw
>>127 その言葉の意味さえわからないのは、君がアルカイダやオウムレベルだからだw
アルカイダやオウムは、自己の存続のために神を利用した。
神との対話の信者も本質的に同じことをやっている。
>>129 そう思いたい気持ちはわかるが、ところが違うんだよ。
だから、“それ”は普通の体験ではないんだ。
そのかっこつきの“体験”wは、“I”が体験し、体験される客体としての“それ”がそこにあったわけでもない。
それは“I”にとっては矛盾しているように見えるし、
君のようにではなぜその体験をそうして掛けるのか、という疑問ももっともだが、
しかし、その特殊な体験は、“I”が体験したものではないんだよ。
だから、君も同じ“体験”をするしかない。
どれだけ言葉を尽くしても、それを君が頭で理解することは不可能。
”I”は直接体験に必須なのに何をトチ狂ったか”I”を完全消滅させようなんて・・・ どんな自爆だよwww 流石アルカイダやオウムと同じレベルと言われる事だけはある
命名 ID:3rKOIuGZ=「神のために」
>>136 それが“I”の限界ということ。
今はせいぜいそうやって茶化しているといい。
いずれ君にも意味がわかる時が来るから。
>>137 気に入っていただけて感謝するw
一番イタイのは、いかにも頭の悪そうなレスしかできないID:JqjXUgGEのアホだなww
>>134 ”I”が直接体験を記憶している理由が示されていないよーw
非常に苦しい立場に追い込まれたのは明らかなようなので大変だろうけど上手い言い訳を考えておいてねw
っていうか自演乙だな。
143 :
神も仏も名無しさん :2010/02/24(水) 22:36:48 ID:U1MXwZok
愛なら、今何をするか------「神との対話」より その結果がこれですww
144 :
神も仏も名無しさん :2010/02/24(水) 22:36:59 ID:XgHKvMSf
お前ら、言葉という限られた象徴記号が、真実を表現しきれると 思ってんのか?言葉でグチャグチャいってるけど。 仏門に入って修行でもしてろ。
>>143 > 愛なら、今何をするか------「神との対話」より
>
>
> その結果がこれですww
このレスこそ神との対話を全く誤解している証左。
いまのID:U1MXwZokには絶対理解できないだろうな。
思考が二極化しているから。
>>140 “I”にとっては記憶しているように見える。
しかし違うんだよ。
何度も言うように“体験”しなければわからない。
それ以上、言葉では表現できないんだよw
あまり追い詰めて気が狂ったら大変だから今日はこの位で勘弁してあげるわw
>>145 はい、出た出たw
俺様は理解しているが、お前は理解していないww
はい、じゃあどこをどう誤解しているのか、
具体的に指摘してもらいましょうかw
さあさあ、どうぞw
>>147 そうそう、それが“I”の限界。
直接体験した者には私の言っていることは理解できるが、
頭の中に観念を蓄積しているだけでわかったつもりになっている人間には
矛盾だらけにしか見えない。
真理は常にパラドキシカルだからねw
ACIMスレに模範解答が書かれてるなw 43 :神も仏も名無しさん:2010/02/24(水) 04:51:02 ID:MX+ZhNJU マハルシっぽく言うなら 「その疑問が誰に起こったのかを見出しなさい」 「真我がその質問をするのだろうか?真我を実現した後もその質問が残るかどうか見てみなさい」 かな? ACIMにも「救済に偶然はない」「聖霊の計画は既に完了している」「聖霊が失敗することはない」 「自分の計画を手放して聖霊の計画を受け入れなさい」って書かれてるけど、 他のスピリチュアル本が言ってる事とはレベルが違うだろうね。 世間的なスピリチュアル本は天使やらハイアーセルフやらの力を利用して より大きな自分・より素晴らしい自分を目指しているけど ACIMは自己を完全に明け渡して消滅させるのを目指している。 イェシュアの手紙は94ページかな。 ニューエイジの考え方は幻想の中では妥当だけど幻想を長引かせるだけだと書いてあるよ。
>>148 いったって聴く気がないじゃねーかw
あなたは思考が二極化してるの。
それじゃわからないって。
模範解答はちゃんと出てるから、わざわざ説明するまでもないか。
説明したってわかるわけがないんだしw
686 :神も仏も名無しさん:2009/12/16(水) 21:20:03 ID:UfImStDQ
>>685 それ、コースの目的を知るためには、最高にいい質問なんだよ。
ワプニクはかせによると「それ、むっちゃFAQ。コースを編集してるときからからずっとFAQ」だそうで。
http://www.miraclestudies.net/Question11.html 結論から言うと
「エゴの知性には理解不能。その答えは体験しないとわからない」
コースでは二回その質問への回答が載ってて、
まず最初がヘレンやセトフォードの友だちがJにたずねたときの回答。
J「なぜ[完璧な神と一体の]心がエゴを生み出すことが出来たのか、疑問に思うのは当然である。
実際、あなたができる最高の質問だ。しかし、過去の視点からこの質問に答えることは意味がない。
なぜなら過去は全く重要でない。今この瞬間に同じ過ちを繰り返さないなら、その歴史は存在しない。」(俺訳)
It is reasonable to ask how the mind could ever have made the ego.
In fact, it is the best question you could ask, There is, however, no point in giving an answer
in terms of the past because the past does not matter, and history would not exist
if the same errors were not being repeated in the present (T-4.II.1:1-3).
いま俺が「もし」を選ばなければ「完璧なのに『もし』と考えた」事実すら存在しないと。
はっきしいって「その疑問の知的納得は不可能。奇跡を体験すればわかるけどね」と言い換えていいね。
687 :神も仏も名無しさん:2009/12/16(水) 21:23:06 ID:UfImStDQ 二回目が用語解説のとき。 J「このコースが与えないあらゆる答えをエゴは要求してくるだろう。 『たったひとつの回答不能な疑問を様々な形で訊いているだけだ』ということがエゴには理解できないのだ。 『なぜ不可能が起こりうるのかw』とエゴは訊く。『不可能が起こるってどういう話w』とあらゆる形で訊いてくるだろう。 しかし答えはない。体験だけがある。体験だけを求めなさい。神学が妨げとならぬように。」 「エゴが現実だと思っている者だけがエゴの定義を追究し、なぜエゴが存在しうるのかと訊く。 言葉による定義を求めれば、自らのエゴの正体が幻に過ぎないことを覆い隠すことができるからだ。 ウソを本当といいくるめる定義はありえない。」(俺訳) The ego will demand many answers that this course does not give. It does not recognize as questions the mere form of a question to which an answer is impossible. The ego may ask, "How did the impossible occur?", "To what did the impossible happen?", and may ask this in many forms. Yet there is no answer; only an experience. Seek only this, and do not let theology delay you (C-in.4). Who asks you to define the ego and explain how it arose can be but he who thinks it real, and seeks by definition to ensure that its illusive nature is concealed behind the words that seem to make it so. There is no definition for a lie that serves to make it true (C-2.2:5-3: 1). ということで、だから「奇跡のコース」という名前な訳ですね。 「回答不能な答えを、奇跡を体験して理解するための講座なんだよ」ってことかな。
>>151 はい、逃げました〜逃げました〜 いつものように逃げました〜♪♪♪
(いつもここから風にw)
重要な人間関係において、大切なことはひとつしかない。 「いま、愛なら何をするだろうか?」 神との対話 神の使者は純粋な非二元性の教えと赦しの実践に焦点を絞って、それ以外は決して妥協しない姿勢。 特に赦しを強調している。
レベルが違い過ぎる。 神使と神対を同列に並べているこのスレタイは、 やはり神使派に対して失礼だろう。 今日のやり取りを見ていて、 神対派のあまりの無知無教養ぶりが改めて浮き彫りになり愕然とさせられた。 こんな程度なんだよ、神対なんて。
伸びてるね。 "I"は消えないよ。なぜざらIは神であり真我であり存在の全てであるからだ。 消えるのは「I am○○」(私は○○だ)の○○の部分にある信念や思い込みであってIではない。 ひとつ大事なことを忘れているのは私たち自身も神であるということ。私たちは制限に制限を重ねた、忘却に忘却を重ねた、幻想のテクニックを多用している小さな神であるということ。 「I am○○」(私は○○だ)のIと「I am」(私は在る)のIは別ものではなく連続している同じ主体なんだよ。 神の使者的な考えというのは神とは関係のないものを用意しすぎて不二どころか多元的で一元論ではなくなってしまっている。 全体と部分の関係につながりや連続性というものが見えず、それぞれが切り離されてしまっている。 それは神ではない。全ては神の中、一なる存在の中でおこっていることであり、神以外のものなどないのだから。
>>157 神使を読んでないね。
そして、I am ○○.のIは○○と不可分の関係にあるのだから、
○○が消えればIも消える。
切り離されているとか、多元だとか、 相変わらず、幻影も実在しているという思い込みで妄想を膨らませている。
>「エゴの知性には理解不能。その答えは体験しないとわからない」「奇跡を体験すればわかる」
前にも訊ねたように、その体験は何者がどこで体験するのか?
存在しないものに体験は不可能であり、存在するものであればそれは君の考えとは異なる。
また、体験する前の主体と体験した後の主体の関係性は、これについても答えてもらいたい。
>>158 わたしは神使者の考え方が真理に近いものとは思っていないからね。
Iは消えないよ。たとえば「私は日本人だ」という強い民族意識があったとして、経験により民族意識への執着がなくなった時でも、そこには民族意識がなくなったIが依然として存在している。
全ての○○がなくなったとしても「I am○○」の○○がとれただけで「Iam」という真我は残る。
>>159 いやいや、これは神と関係のないものを用いる神使派自身の論理によって導かれるものだよ。そうでなければ、エゴの由来、夢や幻想はどこで何者が見ているのか、という問いに答える必要がある。
神と関係のないもの出てくる度にこの疑問は深まっていく。
>>160 そう考えるのは「誰」か。その「誰」では理解できない。
それだけだよ。疑問は横に置いておいて、体験するしかない。
誰が体験するかは体験してみればわかる。
体験は何者がどこでするのか、と問うている、その「私」が消えれば、その答えがわかるだろう。
諦めなさい。「あなた」がそこにいる限り、答えは決して見出せない。
>>161 何度目になるかな。存在しないものがなぜ「体験」できるのか?
>>162 これもそうだね。存在しないものを消すことはできないし、消える前と消えた後の関連性は?
>>163 答えはいつもそこにあるもの。気づくか気づかないかの違いがあるだけ。
>>164 だから、それを考えているのは誰?
存在しないもの(真我からの視点)、消す(「誰」から見た視点)。←こういう言い方も方便。
有限から無限を理解できるか? できないよ。だから諦めなさい。
その「あなた」はどんなことをしたって理解できない。
理解するのはその「あなた」ではないから。
>>66 しかしその反キリストと戦って滅ぼそうとするとエゴは巨大化してしまうと。
>>165 そのエンドレスな質問は「奇跡を体験する前の主体と体験した後の主体の関連性は?」という質問に答えてもらえればケリはつきそうだ。
別存在であるならばそこにつながりはなく切り離された存在だということになる。
同じ存在であるならばそれは関係のあるものということになる。
奇跡を体験する前の主体と後の主体は、奇跡の体験とは関係ない。 なぜなら、奇跡には前も後もないのだから。 そこに体験した主体である「誰」かがいるということは、 それは奇跡そのものとは関係ないということ。 しかし奇跡は確かにそこにある、ここにある。 そして、体験した主体は、その体験により文字通り生まれ変わる。 矛盾するようだが、言葉で表現するとこうとしか言えない。 どちらにしても、それを観念として理解することはできないんだよ。
>「生まれ変わる」 了解。同じ存在内の変化であることを認めたね。でもそれって関係性を認めたことになるんだよ。 「神と関係のないもの」という従来の見解とは異なるね。
>>169 同じ存在の変化だと認識しているのは「誰」?
奇跡はそれではないんだよ。だから関係はないんだ。わかるか?
わからないだろう。それでいいんだよ。その「誰」には決してわからないんだから。
「君」がその頭で納得でき理解できるようならそれは奇跡ではない。
奇跡だからこそ、「君」には絶対に納得できないし矛盾だらけのように映る。
だからこそそれは奇跡と表現される(そう表現しているのは「誰」?)。
奇跡には時間などというものは「存在しない」。 であるならば、どうして経験する前と後、などという主体がそこに存在し得よう? ところが何かを経験した主体というレベルで見るとあたかも前と後があり、 それによって「生まれ変わった」かのように感じられる。 しかし、それさえも幻影であり、奇跡とは何の関係もないのだ。 輪廻転生やカルマの法則というのも実はまったく同じ理屈なのだ。 そして奇跡、つまり神のみが実在であるのだから、 経験の主体である「私」などやはりそもそも存在していないのだ。 この矛盾こそが、夢の中に現れた真理の片鱗と言える所以である。 “真理は常にパラドキシカルである、真理は常にパラドックスとともに現れる” この言葉は、皮肉なことに、バシャールの『ニューメタフィジックス』という、 90年代の前半に出版された、廃刊になった本の中でバシャールが語っていること(笑 チャネリングの代名詞みたいな存在が語る、この真理の片鱗。まさに「矛盾」の真骨頂。
174 :
23 :2010/02/25(木) 02:48:27 ID:PsJlBrBD
Iが消える、消えない論争しているのかね? そのIが存在を言うのならそれは消えない。 そのIが存在を言うのならIが消えたら神もまた消える。
分離は錯覚と言うことを受け入れならば存在は消えないね。 ただし存在の個別性は本来的に錯覚だと言える。 つまり概念としてのIは消えるだろう。 ここで注意すべきは概念が消える、と言う点だ。 存在が非存在になることはない。
そうそう、もうひとつ言っておこう。 存在消滅を盛んに薦めているアフォがいるが、この分離錯覚に目覚めたとしても存在が喪うものは何もない。 寧ろ全てを得ることになる。 それは分離錯覚が存在を限定していたからだ。 存在消滅を盛んに薦めているアフォは人間が根底的に抱えている消滅、 喪失いう<錯覚>から生まれた恐怖に支えられた概念が「ego」である、と全く理解していない。
>>172 何故そこでバシャールが出てくるかはともかく、バシャールが語るパラドックスは君が言うようなものではないよ。
バシャールが語るパラドックスについてはその本の44ページに定義してある。
君は本に書いてある文字ばかりを追って、その真意を読みとろうとはしていないようだ。だから次々と別の教えをさ迷い歩いて混乱することになってしまう。
ちょうどいい、その本にはここで語られているテーマがたくさん語られているから先入観なしで読み返してみるといい。
(読みづらく、誤字脱字が多いけど無料で公開しているサイトもある)
(
ttp://page.freett.com/sterdast210/meta-1-1.html )
特に存在と非存在の相違についてはじっくり読むことを薦めたい。
>>135-136 そう、神への近道は捨て去ることではなく (そもそも神や存在からは何も消し去ることはできない)、
許容して統合していく過程にあるんだよね。
>>177 >許容して統合していく過程にあるんだよね。
おっしゃるとおり。
それを繰り返し繰り返し解いているのがACIMなのに何故このようなこんにゃく問答になっているのかがわからないね。
これでは<錯覚>を強調、補強しているようなものだ。
本人にその自覚が有るかどうかわからないが。
彼のために一言言っておこう。
己を殺すと己が生きる(全てを得る)。
ゆえに己は<殺せない>。
これがパラドクスだよ。
パラドクスはegoが作り上げている壁にすぎない。
>>179 彼にとっては
私で無い物を捨てていくことが悟りみたいだから。
何も捨てられないのに。
181 :
神も仏も名無しさん :2010/02/25(木) 07:36:39 ID:rBOQG1fK
>>172 君の言う「私の消滅」もニューエイジの言う「私の拡大」も同じことだよ
そんなにムキにならなくてもいいじゃないかw
君がなんと言おうが誰もが「私」からスタートするしかないのだから
ありがちだが、 自分自身か近くの人間がエセニューエイジに騙された口なんじゃないのかな? それで極度の拒絶反応をもっていると。
184 :
神も仏も名無しさん :2010/02/25(木) 10:17:44 ID:6bb20qXz
何度も指摘されているが、 語られている言葉がどういう文脈の中でどう使われているのか、 ということをまるで理解しようとせず、 その単語のみに反応し、自己流の解釈でそれを解説して議論しているつもりになっている馬鹿ばかりだなw しかも、それは何ら体験に裏打ちされたものではない、 まさに机上の空論ばかり。 エゴが統合され、拡大していくだの、 わかった風な口をきいて説教垂れているアフォは、 ではそれが如何なる体験に基づく結論なのか、 それを具体的に語ってもらいましょうかw さあ、どうぞ、どうぞ。 ↓↓↓↓↓↓↓↓↓↓↓↓↓↓
>>184 >エゴが統合され、拡大していくだの、
文章読んでると誤解しているみたいだね。
あなたがどの人かはよく分かんないけど、
あなた達は自分ではないもの=「エゴ」を見つけ出し捨てていくんでしょ?
彼らの言っているのは、
自分ではないと言う錯覚を捨てて「エゴ」に統合していくの。
違いが分かるかな?w
186 :
神も仏も名無しさん :2010/02/25(木) 11:18:41 ID:6bb20qXz
>>185 はい、あなたは違いがわかるわけだね?
じゃあ、自分ではないという錯覚を捨てて「エゴ」に統合していく、
という結論に至ったあなたの体験を「具体的」に語ってください、
さあ、どうぞ、どうぞ。
自分の言葉で語れるかな?w
187 :
神も仏も名無しさん :2010/02/25(木) 11:23:55 ID:6bb20qXz
さあ、違いがわかっているというID:jLGr/nY7君が、 これから自分の具体的な体験談を踏まえて、大いに語ってくれるそうです! 違いが説明できるかな?w
>>186 あなたにはやっぱり分からないのかw
>じゃあ、自分ではないという錯覚を捨てて「エゴ」に統合していく、
>という結論に至ったあなたの体験を「具体的」に語ってください、
結論もなにも、自分がそう思うから実践しているだけですよw
間違っていようが誰にも迷惑かけないし、自分の責任だし自分の中で済むことだし。
最近のような天気がいい日には心で木に話しかけてみるといいよ。
お疲れさま、でも、キレイだね、でもなんでもいい。
それだけで心が落ち着くから。
そして木と私は同じだと言う確信が生まれてくるから。
>自分の言葉で語れるかな?w
自分の言葉で語ってますよ。
>>185 は私の言葉です。
189 :
神も仏も名無しさん :2010/02/25(木) 11:44:46 ID:6bb20qXz
>>188 はい、逃げました〜 逃げました〜 いつものように逃げました〜♪♪♪
(いつもここから風にw)
190 :
神も仏も名無しさん :2010/02/25(木) 11:46:55 ID:6bb20qXz
>自分がそう思うから実践しているだけですよ はい、では何を実践しているのか、具体的にどうぞ。 さあ、どうぞ、どうぞ。 語れるかな?w
>>189 読む気がないんだなあ。
かわいそうに。
それもあなたの選んだ道だ、苦しめw
192 :
神も仏も名無しさん :2010/02/25(木) 11:51:54 ID:6bb20qXz
はい、ごまかさないでね。 >違いがわかるかな?w こう発言したのはあなたですよ? 違いがわかる、えら〜い人なんでしょ?w はい、ではご自分の発言には責任を持って、しっかり具体的な説明をしてくださいませ。 さあ、どうぞ、どうぞ。 (・∀・)
>>176 君の言うとおりだw
ただし、消滅という言葉は分離錯覚の側から眺めた場合の表現だ。
何度も言っているように言葉はそれがどのレベルから誰に語られたか、
ということを念頭に置かねばならない。
分離錯覚における“I”が消えることで、すべてを得るんだよ。
しかし、そのすべては実在するすべてであって、
実在しないものはそもそも実在しないのだから、それは「関係ない」w
こう言うと、人間が根底的に抱えている消滅・喪失いう
<錯覚>から生まれた恐怖に支えられた概念である「ego」が
反応するわけだ。それがここ数日のこのスレに賑わいの理由w
>>177 だから「皮肉」だと言ってるだろう。
バシャール、つまりダリル・アンカ自身は何もわからずにそう語っているんだよ。
以前にも書いたかもしれないが、ダリル・アンカには面白いエピソードがある。
VOICE(シンクロニシティ・ジャパン)主催のダリルと行くハワイツアーという
企画で、イベントのひとつであるバシャールのチャネリングの直前に、
ダリル・アンカが控室でバシャールの口調の練習をしていたのを、
VOICEのスタッフ(当時)がたまたま目撃してしまい、焦ったダリルが、
どうかこのことは誰にも言わないでほしい、とそのスタッフに泣き付いたのだそうだ。
もちろんその元スタッフはツアー中は一切何も言わなかったそうだが、
帰国後はもう完全に熱意を失い、呆れ果ててVOICEも退社したのだという。
この話はちょっとこの業界の裏事情に詳しい人なら誰でも知っている有名な話。
ニューエイジなんてものはことほど左様に、所詮イベントビシネスに過ぎないんだよ。
>>179 許容し統合していく、と思っているのなら、それはエゴが努力しているということ。
その努力が、エゴを解体するのではなく、逆にエゴを強化していく。
ACIMで言われているのは、自己(エゴ)を明け渡し、聖霊に委ねるということ。
赦すのは聖霊でありエゴではない。エゴに赦すことなどできない。
赦すことができるのは、幻影を創り出したマハーマーヤ、つまり聖霊のみだ。
>己を殺すと己が生きる(全てを得る)。
>ゆえに己は<殺せない>。
>これがパラドクスだよ。
>パラドクスはegoが作り上げている壁にすぎない。
まったくその通り。まさにわが意を得たり。
ただし、最初の行の己と次の行の己はやはり全く別なのだ。
以前にもある覚醒者の喩えで書いたとおり、
今走っている一般道から、いずれアウトバーンへと合流するのではない。
アウトバーンはまったく別のところに突然出現する。
だから、「飛躍」が起こらなければ、アウトバーンには移動できない。
そして飛躍することはエゴには絶対にできない。
なぜなら、その一般道そのものがエゴだからだ。
卵の殻に卵料理をつくることはできない。
なぜなら、いよいよ殻を割る段階になって、
料理をつくろうとしているその卵の殻自身が徹底的にそれに抵抗するからだ。
だからこそ、委ねる以外にないんだよ。
つまり、神のために自己を捨てる。自己を明け渡す。
国津神は天津神に平和的に国を譲り渡さなくてはいけない。
>>195 > ACIMで言われているのは、自己(エゴ)を明け渡し、聖霊に委ねるということ。
抵抗を止め、無条件に受け入れる、とどこが違うの?
>>196 さすがにそれは屁理屈だよw
では君の体験も疑わしいということになる
>>197 195氏ではないが、「受け入れる」という考えを「自分」が持っている時点で、
ACIM的にみるなら聖霊に委ねていない事になると思う。
エゴがエゴを認めるだけで、解体になっているわけではない。
ACIM的には「聖霊に委ねる」と言う考えを「自分」が持っているんでは?
どちらも二極化された思考から如何に自分を解放するか?(極論すれば思考を止めること)の方法論であって、 私には同じに見える。 見えない人は見えないでいい。
>>200 >ACIM的には「聖霊に委ねる」と言う考えを「自分」が持っているんでは?
そうです。夢やその中の出来事について「自分で受け入れよう」とするのをやめて、
「自分では判断ができない」という自覚を持って、聖霊に委ねる姿勢を習慣にする事を教えている。
夢の出来事に対して、自分自身で「抵抗を止め、無条件に受け入れる」事はすすめていないし、
むしろそんな事をしても夢が終わる事には繋がらないと教えている。
だから、
>抵抗を止め、無条件に受け入れる、とどこが違うの?
という考えは、ACIMの赦しとは違うというより、何の関係もないと思うな。
無条件に受け入れるということは 判断をやめるということで、 ACIMと同じだと思うけど、いかが? 聖霊に委ねるということを決めるのは自分だよね?
一つのアプローチとして。 ACIMの「判断をやめる」とは 「抵抗を止め、無条件に受け入れる」 という判断さえもやめること。 そして「判断をやめるという判断もやめる」こと。 そうしたら、どうすればいいか分からなくなるね。 そこで、聖霊に委ねることが可能になる。
>>203 ACIMでいう「判断をしない」というのは、
世界や出来事に対して「判断など出来ないと知る」ことをいいます。
一般的な意味でいう判断は不可能だと気付くことを指しています。
>>204 どうすればいいかわからなくなって、聖霊に委ねると言う判断をするわけだw
結局、思考を止めるにはどうすればいいか?の方法論でしょ?
ちがうの?
>一般的な意味でいう判断は不可能だと気付くことを指しています。
それでも構わないよ。
わたしが言いたいのは
>>206 だから。
>>206 >どうすればいいかわからなくなって、聖霊に委ねると言う判断をするわけだw
>結局、思考を止めるにはどうすればいいか?の方法論でしょ?
>ちがうの?
違うというか・・・あなたの考えているようなことで自分の思考を止められますか?
止められないとしたら、それはあなたが考えているような
「思考を止めるにはどうすればいいか?の方法論」
ではないということになりますね。
とりあえず、ACIMを実践されてみては?
それとも「それを考えているのは誰か?」を自分自身に問い続けるか。
何かしらあなたの役に立つかもしれないですよ。
>>207 >どうすればいいかわからなくなって、聖霊に委ねると言う判断をするわけだw
それがACIMを学ぶ人が、この罪悪感から成り立つ夢から
穏やかかつ迅速に目覚める為に下す唯一の判断となるでしょうね。
>結局、思考を止めるにはどうすればいいか?の方法論でしょ?
ACIMの赦しは思考を止める事とは違いますけど、
思考を止める方法論かどうかの判断はあなたにお任せします。
これであってる? ACIMの実践において最重要の用語のひとつ。ACIMの実践面の要である。 ACIMでは、謝ったから赦してやることでも見逃してやることでもない。 我々のエゴ、そしてエゴの創り出した一切の不幸、悪心、理不尽は神の創ったものでなく、幻想であり、現実でない。 現実でないものを裁く必要がないから赦すのである。 キリストを信じることで原罪が贖われ、神の裁きを受けず赦される、というキリスト教的世界観とは対立する。 また、ACIMにおいて全てにいえることだが、ACIMでは赦しも裁きも心の問題であり、肉体の行動に関しては焦点を置かない。 この姿勢が道徳論との相違点でもある。 言い換えると、裁判官や弁護士、警官のような裁きを職業とする人の場合、ACIMの実践は職業の放棄を要求しない。 犯罪は究極の現実においては存在しないことを認識し、平安な心で職務にあたることを勧めるということになる。 しかし、キリストを信じる、ということによって救済が訪れるという形式は伝統的キリスト教と共通する。 ただし、ACIMにおいてキリストを信じるとは、人類の本当の姿であるキリストを信じ、正しい心(キリストの心・聖霊の声)を常に選ぼうと努力し、隣人のほんとうの姿(キリストの顔)を愛するということであり、似て非なる部分がある。 生徒はワークブックの履修によって、自分の外にあるエゴへの怒りを赦し、自分のエゴを消去してゆく。エゴはひとつだからである。 ACIMにおいて赦しとは道徳的な実践科目ではない。 エゴによって誤創造され、神によってすでに消去されたこの世界が存在すると信じ込んだ幻想をこころから取り除き、エゴの牢獄に閉じ込められた神の子を神の現実(天国)へ還す秘法が赦しである。
>>208 それ、言葉で説明するの無理なんじゃない? 仏教での瞑想での修行とかでも同じことだろうけど。
なんと言ったらいいのかなあ。眠り方を言葉で説明しているのと近いかな。どうすれば眠れますか
と聞かれて布団に入って横になってじっとしている、までは説明可能だけどその後は何をやろうが
それが眠りに繋がるかどうかが分からない。というよりむしろ何もしない方が良い。かといって何も
しなければ必ず眠れるかと言ったらその保障もない。本当に運を天に任せて放っておくしか方法がない。
自分の努力では眠れない。(実は起きることも不可能だが)。
というか何かの病気になって眠れない人を除いては、だいたいの人は毎日眠ることに成功している筈で、
自分では何もしないで「全てを委ねる」という感覚については実は分かっている筈だ。
>>211 ご説明ありがとうございます。
ますます「抵抗を止め、無条件に受け容れる」と同じことだと確信しました。
「受け入れる」を「受け容れる」に変えました。
より正確だと思いますので。
受け容れる、では受け容れる主体がそこに残っているからな。 委ねる、という日本語ではやはりニュアンスとして弱すぎる。 己を捨て去り明け渡す、神の御心のままに、神よ我を生贄として汝に捧げん(笑 結局、ここでポイントになるのは、神への畏敬の念なんだな。 古色蒼然とした言い方をすれば、信心深さ。 これがニューエイジに決定的に欠落している点なんだ。 ニューエイジャーはそういうのを嫌い、また馬鹿にしているからね。 だからこそのニューエイジャーなんだけどw こんなにたくさんのチャネリング本を読んで、ワークショップにも出て、 俺ってすごくね? ウリナラマンセー! みたいなw ルドルフ・シュタイナーの代表作のひとつ、 『いかにして超感覚的世界の認識を獲得するか』 という本での第一課は、神への畏怖の念を養う、だったな、確か。 この本、確かすでに文庫本で出てるはずだと思うが、読んでみたら?
ニューエイジというのは既存の宗教やそれに類するものから、 そのエッセンスだけを取り出して、いいところ取りして、 スマートに効率よくやっいきますよ、みたいな面があるが、 それでかえって肝腎のものがスッポリ抜け落ちてしまってる。 いかにも欧米人的発想で、ビタミンやミネラルだけ抽出して、 それをタブレットにして大量に飲めばいいじゃん、みたいなw でもそれじゃ全然うまくはいかないんだな。 ヴェーダの中からマントラだけを取り出して、 このマントラを一日108回唱えれば病気が治ります、 運勢がググッと劇的によくなります、 そういうことを60年代以降、欧米人たちがやってきた。 でもそれではヴエーダの神髄は決して伝わらない。 彼らは皿だけを持って帰り、肝腎の料理は捨ててしまった。
215 :
神も仏も名無しさん :2010/02/25(木) 22:03:44 ID:Ll2rm3eH
あーっとここで
>>213-214 をスルー!!!
_
r'::::::::i
トーf/__
/ イ| 、ヽ
//_〉 l_l i_ノ、
\\ (_ニノ 〉____〉〉 〉
/ } / ,_-‐、
/\/,ー 'ヾ i"_Y 〈i
〈 < / ゝ^-'"
\i"ヽ、 \\ //
├ i\i カ ,、
|_,,i ノ_ソ ) ゝ
ノ_/〉 ⌒ `
>>213 畏敬の念というよりは信頼感ではないか?
明け渡すことが出来ないのは信頼感が足りないからだろう。
例えば、あなたは私に財布を預けることが出来るか?
多分出来ないだろう。信頼感ゼロだからね。w
「私は○○である。」と考えて、例えば「私は神使派である」と考えて神使の理論と私とを 一体化させて考える。すると神使に関する反論は自分が否定されているかのように 感じてしまい反論して己れを守ろうとしてしまう。しかしそうすると益々一体化が進む。 つまり、エゴが強化されてしてしまう。 これは何であっても起こりうる。宗教の信者は教祖や経典を守ろうとしてしまうだろうし 芸能人のファンはその芸能人を守ろうとしてしまうだろう。コンピュータ関係でもOSの 違いやら見た目やらで責めたり擁護したりを延々と繰り替えしている。これは全部エゴだ。 かといってそれを嫌って離れようとしてもその嫌って離れようとしているものもまたエゴだ。 もうエゴにはどっぷり漬かって逃れようとすることを一切やめてしまうしか逃れる方法が ないのだ。災難に遭う時は遭うがよろしく候だ。
>>216 畏敬→信頼→愛ということだと思うね、順番としては。
>>217 >災難に遭う時は遭うがよろしく候だ。
いい言葉だな。
神を現実とせよ、そうすれば神が汝を真実とするだろう ----あるスーフィ行者の言葉
我の無、神の有 マイスター・エックハルト
「有=存在、常にそこに在るもの」が「無=非存在、常にそこにないもの」になることはありません。 「無」は「有」という概念すら含むことができません。その言葉の定義どおり、無には全く何もなく、いずれの概念さえも含む余地がないからです。 それとは逆に、「有」は「無」という概念を含むことができます。けれども、それは「無」という概念を含むことができるだけで、実際に「有」が「無」になることはありません。 ですから、皆さんが「自分はいま存在しているけれども、いずれ自分の存在が消えてしまうんじゃないか」と恐れる必要はまったくないのです。 みなさんがいま存在していることそれ自体が「有」が「無」になることのない証です。 肉体は死ぬかもしれません。物質的な形は変わるかもしれません。また、別の次元に移行することもあるかもしれません。しかし、あなたという存在は常に存在しつづけるのです。 皆さんは、この「有」である存在の全て=神から分離した存在ではありません。皆さんは創造物であると同時に創造主でもあるのです。どのような現実においても、皆さんが創造していない状態はあり得ないことを知っていてください。 皆さんが、自分自身の完全性のどの部分を探求したいにせよ、それは自分自身を創造する行為、そして創造性を拡張する行為となります。このように、創造はすでに完結しているにもかかわらず、終わることなく続いていくものでもあるのです。
「(物事が)起きることを許す」、これが皆さんと皆さん自身である宇宙を創造性で満たす要素となります。 創造的になるために何かをしなければならないとか自分に無理に強いる必要はありません。 皆さんが創造的に表現し探求している中で、壁にぶつかったと思う時、皆さんが期待していたのとは違う形で創造的になる機会を自分自身に与えているということに気がついてください (通常、期待とは自分自身に対する判断であり、制限を創ります)。 壁すら、そこに存在することを許すことによって、自分に役立つような創造的な目的をもった壁となることを許すことができるのです。 皆さんがこれらの創造的な壁を見ることに多くの時間を費やしているとしたら、本当は皆さんが心から探求したいと望んでいるのは(そして、たぶんその時に一番役に立つのは)壁そのものだということに遠慮なく気づいてください。 その壁を探求すること自体が創造的な探求となり、それによって鎖から解き放たれたり、その壁を取り除くことができるでしょう。そして、その壁自体にも目的があったことに気がつくでしょう。 不思議なことに、その壁が意味をもつことを許してあげるや否や、それは壁でなくなります。皆さんの目の前に立ちはだかっていると感じていた暗い壁、障害物、空虚さなどに光が射してきます。 やがて、それがひとつのメッセージやひとつの目的に変化し、皆さんが物理次元で探求したいと望んでいたものにその姿を変えます。その時、皆さんはひとつの経験が完了したことを知り、次のステージに移ることができます。
だから?
224 :
神も仏も名無しさん :2010/02/26(金) 08:20:50 ID:ubDxDl/L
有と無について語っておられるけれども 無はそもそも存在するけれども姿が見えない存在を表すのに使われた言葉だよ あとで無の定義として何も無い状態が無だとされたが実際には無という言葉を使っても 神様の世界では実際に存在するものを無であらわしていた。 たとえば神様は無だとか言う具合に。 この場合の無はたとえば空気は物質としては存在するが 姿は無いので空気を無と呼んでいるのと同じだと思ってもらえればいい。 なぜ無という言葉が作られたかというと姿あるものしかその存在を信じない者に対して 空気などの存在を教えるのに無という言葉が作られたんだよ。 神様の存在は空気と同じでその姿が見えないから 神様の存在を教えるのに無という言葉が作られたわけだ でも姿あるものの存在しか信じないものには神様の存在が理解できなかったようだがね
>神との対話 P113 >だから、愛とは感情がないことではなく、あらゆる感情(憎しみ、怒り、情欲、嫉妬、羨望など)がないことではなく、あらゆる感情の総和だ。 ACIM M-20-3 どのようにであれ、またどのような状態にあるにせよ、怒りは正当化されると見なす者は、 平安は無意味だと公言しており、それが存在するはずなどないと信じているに違いない。
>神との対話 P141,142 >人生の意味とは創造である。自分を創造し、それを経験する事である。 ACIM T-2-1 第四、自分で自分を創造できるし、その創造の傾向は自分の思いどおりにできると信じる。 このように関連した歪みは、分離したとき、すなわち「恐れへの回り道」において 実際に何が起きたのかを表している光景といえる。 ACIM T-16-5 この世はまさに天国と反対であって、そうなるように作られたわけだし、 この世のすべてのものは真実であるものと正反対の方向に向かっている。
神との対話はアバターコースの創始者・ハリー・パルマーの著作からのパクリ。 そしてハリー・パルマーはサイエントロジー教会からのパクリ。
Lesson 29
God is in everything I see.
「神は私が見ている全てのモノの中にいる」
God is in this coat hanger.
God is in this magazine.
God is in this finger.
God is in this lamp.
God is in that body.
God is in that door.
God is in that waste basket.
神はこのハンガーにいる。
神はこの雑誌にいる。
神はこの指にいる。
神はこのランプにいる。
神はあの身体にいる。
神はあのドアにいる。
神はあのくずかごにいる
http://acim.org/Lessons/lesson.html?lesson=29
>>230 それって「レッスン」だってことを忘れちゃダメだね。
そうだ、と言ってるわけじゃないんだし。
ACIMはニューエイジとオールドエイジが混在しているようだ ニューエイジ派の霊とオールドエイジ派の霊が両方とも”J”と名乗ってヘレンに憑依したようだ 一貫性の無さはそれで説明がつく チャネリングの欠点か アーテンのように肉体化して現れると一貫性は保たれる・・・ が、正しいかどうかは別だな
神様への懺悔 私は毎日肉体を維持するため食事します。どちらかと言えば、おいしいものが好きです。 しかもわざわざ入れたものを排泄するという馬鹿な行為をします お金を得るために仕事を一生懸命します それどころか、仕事を通じての人間性の向上に喜びを感じます 結婚して子供を生んで世界を拡大してしまいました 女性に魅力を感じてしまいます 私は洋服を着るし、家にも住むし、自動車も持っています。 結局、最大の罪は生きていることと、生きがいを感じることですよね。
>>231 すごいねえ、レッスンでは嘘言ってもいいんだw
神使派「レッスンを真に受けてはいけませんwレッスンは所詮レッスンなのw」
>>233 生命を与えているのも生きがいを感じさせているのも神なのでは?
神使派「うそも方便w」
>>232 ていうか新しい考え方を
既存のキリスト教との整合性を保ちながら
保守派の人にも受け入れやすいように
論理を展開するとACIMになった
と考えると一番すっきりする。
オールドエイジからニューエイジの橋渡しがACIMか なるほど 時期的にもそうだね
ACIMもニューエージのバイブル的存在と言われてたし、マハラジを広めたラム・ダスなんかもニューエージ運動のリーダーの1人と言われていた。
ジャンルやムームブメントごとに分けて優劣を決めても意味はないよ。
かえって真理を見失ってしまうことになる。
>>224 「空」と「無」との違いは前スレ参照されたし
キリストの代理が直接語っているのに、 ACIMからの引用がワプニクさんに認められたとか 何で余計な権威付けが必要なのか? アーテンやパーサよりワプニクさんの方が偉いみたいだw
242 :
神も仏も名無しさん :2010/02/26(金) 23:52:45 ID:y2PsIBpT
なるほど、ニューエイジこそ、糞の役にも立たないオールドエイジなんだね。 ここの神対派を見てるとそれがよくわかる。 ニューエイジ(失笑)
>>234 そういうこと。
だってこの世界そのものがウソなんだからw
エゴはあれこれ難癖をつけては、何とか目覚めから人を遠ざけようとする。 なぜなら、目覚めてしまうとエゴは消えてしまうから!
コースから2、3行抜き取ってオウム返しに言ってれば威張れるしな。
そうだねぇ。 出典を明記せず、まるで自分の言葉であるかのように装って、 マスター気取りで悦に入るような真似はしたくないねぇ。
>>244 そうではあるのだが、本当はエゴは最初からない。記憶やイメージのせいであるように見えているだけだ。
本当は守るべき必要のあるものは何もない。あたかもあるように感じてしまうだけだ。単にそのように錯覚
しているに過ぎない。「自分」というものは最初からないのだ。
あたかも宝の箱のように装飾された箱を見て、中にはきっと大切なものが入っているに違いないと思い込んで
必死に守っているようなものだ。しかし箱の中は最初から空であり何も入っていないのだ。
ある筈のないエゴがあるかのように見えてしまう理由は関係のないものを関係すると錯覚するためだ。 その錯覚とは「これが私である」、「これが我がものである」という錯覚だ。これは自分であると錯覚 しているのだからそれを守る必要性が発生する。またより強く守り存続させるために勢力を拡大し 「我がもの」を増やし拡大しようとする。 現在「神使」を支持する者も「神対」を支持する者も元はどちらも支持していなかった筈だ。 どちらについてもそれを「我がもの」と思っていなかったためだ。しかし何れかを選択してそれを 「我がもの」としてしまった。それにより「自分」から不安定さが失われ安定し安心して過ごせる と感じたためだ。つまり、自分に取り込んで自分の一部としてしまった。自分の体に一つ手足の ようなパーツを増やしたのと同じだ。故にそれを守る必要性が発生してしまう。「自分」の体の 一部を汚す者が居るならばそれから「自分」を守らねばならない。そして守るために攻撃して きた者を攻撃する。お互いにこれを行うために論争は終わらない。 神使、神対に限らずあらゆるものでこれは起こる。怒り続けて居るような人はだいたいそうだ。 右翼は日本を我がものと信じて疑わないし左翼は共産主義思想を我がものとして疑わない。 そして宗教の信者はその宗教を我がものと信じており会社員は自分の勤める会社を我がものと 信じている。どれもちょっとでも汚そうものなら自分が汚されたと感じて怒って攻撃して来るだろう。 こんな極端なものではなくても誰にでも多かれ少なかれ我がものと思っているものがある。 しかし、そんなものは最初から一つもないのだ。自分の体でさえ我がものではない。
実際に起こっている事は、私達は見ている時は聞いていず、 聞いている時は見ていず、匂いをかぐ時は触っていず、触る時には味わっていません。 ですから感覚は実際には独立して機能しますが、瞬間的に高速で連動するので、 あたかも全ての感覚が同時に機能しているかのように感じるのです。 (注釈:全ての感覚が同時に機能しているような錯覚が、我々には自我として捉えられている) それがまさに切り離されているという幻想を造り出す原因です。 覚醒のプロセスで起こるのですが、この連動作業が多少減速します。 スピードが遅くなったその瞬間に自我は消えます。 それは切り離されたという感じが消えるという事です。 そこにあるのはワンネスです。 ワンネスとはあなた達がワンネスと1つになる事ではありません。 決してそんな事ではありません。(元々そうだった)ただひとつある、それだけです。 私達がそのプロセスで行おうとしているのは、私達がディクシャを受けたり行なったりして 目覚める・悟ることに熱心な時に、究極的に感覚の連動が遅くなります。 それをもってあなたはひとつであり、それが例えば7分くらい起こったら、 もうあなたは戻ってくる事はありません。 それであがりでそのゴールに辿り着くことを私達は目指しています。 −スイス オルテン 2010年1月23日 カルキ・バガヴァンによるスカイプダルシャンより
全ての感覚が同時に機能しているような錯覚が、いびつで間違ったリアリティを生じさせ、 そのいびつなリアリティへの執着から、ますます自我に囚われるようになる、その悪循環ということだね。
>>231 目的と正反対の方向へ導くようなものをレッスンと呼ぶだろうか?
神対とACIMが似てるとかは別にどうでもいいんだが
ただ、一部のACIM派が指摘しているように神使は極端に偏り過ぎているのでは
エゴが解体されれば真実の世界が見える
地上世界ですら真実となる
これなら
>>230 とも整合性が保たれる
しかしこれも否定して地上は無、天国のみが真実となると、もうそれは宗教になるんだよ
>>249 まさにそこに書いてある通りだよ。消えたのはこれが自分であるという思い込みや錯覚であって主体じゃない。
幻想を見ていた主体はもともとワンネスと共にあって切り離された存在ではなかった。
そこにはつながりや連続性がきちんと存在している。
であるからこそ、主体が非存在になることはないし、神(またはワンネス)と関係のないものなどないと繰り返し語ってきたわけなんだが。
アーテン、パーサだって実際に(神そのものである)天国から来たわけじゃないからね もし天国から来たのなら神が存在しない世界を認知し干渉しているという事だから”神とこの世界は何の関係もない”という神使の根幹が崩壊する だからアーテン、パーサは地上は無と感じた事は一度も無いし自己を消滅させた事も一度たりとも無い これはカルキ・バガヴァンであれ他の覚醒者と言われる人であれ同じ
、というような一連の神対派の書き込みは、 自分の体験に根差したものではなく、すべて憶測や恐怖心に基づくものだから、 何の説得力もないし、インスパイアされるものもないんだなぁ。 いやだ、いやだ、自我が消えてしまうなんていやだ、 と駄々をこねて泣き叫んでいる子供みたいw それこそ狂信的な宗教そのもの。 自分たちにとって都合の悪い考え方に対して、 何でもいいからとにかくケチをつけてやれ、 という意図がまる見えで、 逆に神対をおとしめているということがわかってないんだな。
>>251 レッスンを実践するのは、
幻影を現実だと思い込んでいる我々なんでしょ?
だったら、その幻影を使うしかないじゃないかw
馬鹿?
>>256 素っ頓狂さのレベルが違うね。
ある意味神だわw
258 :
神も仏も名無しさん :2010/02/27(土) 11:53:19 ID:0nAUMiwi
>>255 神使派の直接体験wというものだって自己を消滅させていないでしょ
だから「自己の消滅は可能だ」というのも神使派自身の体験に根差したものではないよ
すべて憶測でありこの世界の存続に対する恐怖心に基づくものですよ
>>256 えっーと、日本語でOK?
>>251 >目的と正反対の方向へ導くようなものをレッスンと呼ぶだろうか?
コースを学びながら他のレッスンも実践していくと、
少なくとも正反対ではないことは理解できるよ。
そこだけ抜き出して目的と正反対へ導いていると判断するのは、
乱暴だし短絡的だと思う。
260 :
神も仏も名無しさん :2010/02/27(土) 12:14:54 ID:0nAUMiwi
>>253 でも君はその主体というのをほんの一瞬でも垣間見たことがない。
で、一瞬垣間見ただけの、ごくありふれた体験であっても、主体を垣間見ると、
>そこにはつながりや連続性がきちんと存在している。
こういうことを言えなくなる。連続性なんかないんだよ。
一般道路を走っていれば、いつかアウトバーンに合流するものではない。
そこには飛躍が必要なんだ。
>>254 >もし天国から来たのなら神が存在しない世界を認知し干渉しているという事だから
>“神とこの世界は何の関係もない”という神使の根幹が崩壊する
君は何度も何度も同じところで躓いているね。
なんだ、矛盾だらけじゃないか、と認識しているのは誰なんですか、ということ。
錯覚であるエゴがそう認識しているわけだろう?
そのエゴをひとまず脇に置いておいて、体験しなさい、と言ってるわけ。
所詮エゴには何もかも矛盾だらけに見える。だからこそそれは錯覚としてのエゴなんだよ。
そのエゴで何もかも整合性をもって理解できる、と勘違いしているのもエゴの所産。
自らの思考の寄って立つ基盤そのものを疑ってみなさい。
そして理屈は、体験した後に考えればいい。保留しておく、という勇気を持ちなさい。
>>256 その通りだね。
レッスンの実践者はハンガーやら何やらを実在するものだと思っている。
だからそれを使うしかない。それを利用して練習するわけさ。
こんな単純なこともわからない人間こそ、
日本語ダイジョーブデスカ?ということになるんだが(笑
>>258 >神使派の直接体験wというものだって自己を消滅させていないでしょ
垣間見た程度では消えるはずがない。
しかし、垣間見た程度でも、錯覚としての自我と主体には何の連続性もないことがわかってしまう。
わかってしまうんだよ、君の期待を裏切るようで申し訳ないけどね。
>>260 すでにその解説は前スレでなされている。よく読むように。
@ブラフマンのみが実在する
A世界は存在しない
B世界はブラフマンである
>>230 のレッスンはBの練習としてある。
しかし、Bにおける「世界」はAの「世界」とは違う。
Bの「世界」はブラフマン=世界としての世界。
しかし、学習者はいまだ@のレベルにもAのレベルにも到達していない。
したがって、幻影としての世界を使い言わば予行演習、模擬演習をしているわけだ。
私はそう解釈するね。
>>230 見えるすべての中に神はいる
この前後のレッスンから見ないとこの深い意味をつかむのは困難。
前後のレッスンの訳やその解釈も難しいよ。
ただ、感じたことは自分自身の判断でものを見るのではなくて(物しか見えない)、別の角度から見たりして、
その中に宇宙との目的の共有性を見るというようなことが、神が内在するという表現で表されている。
Try then, today, to begin to learn how to look on all things with love, appreciation and open-mindedness.
それから、今日すべてのものを愛、評価と心の広さの気持ちで見る方法を学び始めようとしてください。
ものを見る自分のバージョンを変容することですべてが神、すべてに神が内在する
ことがわかるような。 批判、判定するは微妙やな〜、繊細すぎる。
265 :
23 :2010/02/27(土) 12:54:56 ID:vaW/vAPp
>>263 ACIMはお前が書いたのか?
まるでハガネのようなegoだな。
概念は相対化する、必ず。
概念はegoの産物だからだ。
何が正解かもわからず全てを相対化し、君は概念の海で溺れ続けるのだろう。
>>265 だから、私はそう解釈するね、と但し書きをしてあるだろう(笑
後半については自己紹介乙というしかない。
268 :
25 :2010/02/27(土) 13:16:22 ID:vaW/vAPp
>>267 早速言い訳をしに来たねw
それが君のegoだよ。
直視するとよく解るはずだ。
自分を守ろうとする、自己弁明をしようとする、正当化を企てる。
それがegoの動きだ。
その根底に有るのは君の恐怖だ。
確かに致命的だな。
>>268 これも自己紹介乙というしかないw
ここでは議論しているんじゃないのか?
(尤も私にとっては議論しても無駄だよ、というための議論だけどw)
議論に応じられなくなると、そうやって相手に対して、言い訳だとか致命的だとか言うことしかできなくなる?
それこそが、エゴが自分を守ろうとし自己弁明し正当化を企てている証左ではないのかね?
その根底にあるものこそ、しがみついている世界観を壊されたくないという恐怖だよ。
でもそうやって苛立ちを私に向けてくれることは大いに結構。 どんどんそうやって私に向かってきて欲しい。 それも私がここにいる目的のひとつだから。
>>261 まだわかってないようだね。主体を垣間見たことのない人やワンネスを体験したことがない人なんていないんだよ。
なぜなら、全ての物事は一なるものの中で起きていることであり、あなた自身も主体であり、ワンネスそのものであるから。
以前、譬えで話したように、大きな樹全体が神であるとすれば、私たちは小さな小さな小枝よりもっと小さな存在かもしれない。
しかし、それでも樹であることには変わりはない。いずれ自身が大枝であること、樹であることを思い出す時がやって来る。
それを可能にするのはつながりや連続性があるからにほかならない。
道を走っていれば遅かれ早かれアウトバーンには合流する。
合流しない断絶された道があるとすれば、それは一なる存在以外のものが存在していることを意味する。
それは、神対とも神使者ともアドヴァイタとも異なる考えのはずだ。
>>272 君はそれを概念として、観念として理解しているだけなんだよ。
そういうね、エゴが満足して、なるほどそうだよな、と納得する概念をいくらお題目のように唱えたって、
ほんの一瞬の体験の前には何の価値も意味もないただのゴミなんだ。
>合流しない断絶された道があるとすれば、それは一なる存在以外のものが存在していることを意味する。
合流しない断絶した道、つまりアウトバーンが別に出現する、というのは一般道としてのエゴから見た視点。
(これも錯覚だよ。しかし錯覚の中にいる人たちにはそう説明するしかない。)
そしてアウトバーンにジャンプしたら、一般道はそもそもなかったことがわかる。
アウトバーンにジャンプする、あるいは一瞥、つまりその予告編を恩寵として与えられる、
そうするとそれがわかるんだよ。
一般道を走っている限り、君は決してアウトバーンにはジャンプできない。
エゴがどう足掻こうと、どうすることもできない。
だからこそ、恩寵、神への明け渡しがなければ不可能なんだよ。
君が何かをしようとしている限り、それは絶対に起こらない。
君が後生大切に抱え込んでいるそんな陳腐な概念は捨てなさい、そして自己を明け渡しなさい。
そうすれば恩寵がやってくる。そうすれば「それ」がわかる。
・天国に入るのは駱駝が針の穴を通るより難しい ・人は赤子のようでなければ天国へは入れない 駱駝というのは誤訳で、本当はロープなのだが、 何が人をしてロープのように太くし、赤子でなく小賢しい大人にしているかというと、 頭の中に外から取り入れた受け売りの知識や概念をいっぱいに溜め込んでいて、 エゴがそれによって栄養され続けているからなんだな。 こんなに素晴らしい概念を理解している俺ってすごくね? ヤバくね? みたいなw
私の経験からすると、 一般道と別にアウトバーンが走っているのではなく、 一般道だったものが一瞬にしてアウトバーンに変わると言う感覚だけどなあ。 ジャンプする必要なんか感じなかったけど。
本当は片道2車線の高速道路なんだけど、気付く前までは1車線に見えている。 なぜなら2車線の真ん中に壁があるから。 何かのきっかけで気付くと、いきなりその壁がなくなって追い越し車線が現れる。 同じ道を走っているけど追い越し車線を使えるか?使えないか?の違いだけ。 だと、私の体験が申しております。
>>275-276 別に違和感はないな、一瞬で、という言い方でも。
ただ、追い越し車線が現れるだけだと道は二車線になってしまうw
だから、やっぱり一般道は消えて、
一瞬に(ジャンプして)してアウトバーンを走っていたと。
で、一般道? 何それ? みたいなw
それほど空前絶後で圧倒的としか言いようのないもの。
二車線だと両者が同等のレベルのものになってしまう。
じつにこの一切はブラフマンである。人は心の平静に達して、 それ(ブラフマン)をジャラーンとして念想せよ。さてまた、 人はじつに意向からなる。 『チャーンドーギア・ウパニシャッド』 一切の行為をなし、一切の欲望をもち、一切の香りをそなえ、一切の味を含み、全宇宙に遍満し、無言であって、 無関心なもの、それこそ心臓の内に存するわがアートマンである。 それはブラフマンである。
>>277 一般道が消えるっつーことは、
一般道を走っていた記憶も消えてしまうと言うこと?
あなたの言い方だと、そうだよね?
私の経験は、一般道は残っているんだ、記憶として。
でも一般道ではなくなっている。
思い出すことは出来ても二度と一般道としての経験は出来ない。
そのレベルは卒業したと言うこと。
でもあくまでも同じ方向に向かっている同じ道。
>二車線だと両者が同等のレベルのものになってしまう。
何車線でもいい、壁の数だけ車線がある。
壁が消えるごとに車線が増え、応用が利くようになる。
>>276 障害物があると思い込んでいたのが実は最初から何もなかったことに
気付くという感じに近くないか?
催眠術でここに壁があると思い込ませられていて、本当にあると信じて
いたがある日催眠が解けた、みたいな。
家の外には熊がいる信じ込んでいて外に出られなかったがある日熊が
最初から居なかったことに気付くとか。
>>260 神対派の誤解はどうでもいいけど、これからコースを学ぼうとする人達には誤解を与えたくないな。
コースのレッスンは全部で365課で、その目的はコースが目指す体験をしていくための心の訓練であり、
テーブルの中に神が宿っている事を学ぶことではありません。
コースは、私たちは間違った信念を持った心から投影した幻想を知覚し、間違った信念を継続させていると教えます。
レッスン29の前後は、正しい心から正しく知覚する「赦し」という思考プロセスの訓練の入り口にすぎません。
テキストや以降のレッスンでは知覚について次のように教えています。
テキスト第4章より T-4-2-10
なんど強調してもしすぎることはないのだが、知覚を正すことは単に一時的な方便にすぎない。
正しく知覚することの全価値は、知覚することなどみな必要ではないと必然的に悟るようになることにある。
レッスン50より
あなたは最も取るに足らないことや正気を逸していることを象徴するものを信頼している、
たとえば薬やお金や「保護服」、影響を及ぼすものや名声、気に入られることや自分にとって「好都合」の人と知り合いになることなど、
実在しないものに自分で魔法の力を授けて形づけたものが、数え上げればきりがないほどある。
こんなものをみな、あなたは神の御愛と取り替えた。こんなものをみな大事にするのは、自分をからだと同一視していることを確保するためである。
それは自我を賛美しているようなもの。価値のないものを信頼しないほうがいい。
レッスン64より
からだの目で見ているように思えるものは、一つ残らず誘惑の一つのかたちにすぎない、これこそからだ自体の目的であったのだから。
知覚したものの中に神がいるのではなく、正しい視点から洞察していくための赦しの姿勢を学ぶレッスンだと思いますよ。
またレッスンが進むと、自分が投影している幻想がどれだけ無意味かを学んでいきます。 レッスン127より この世界が従っている法則は、どれひとつあなたが愛の意味を把握する助けにはならない。 この世界が信じていることは、愛の意味を隠して、秘密にしておくために作られている。 この世界が支持する原理は一つ残らず、愛が何であるかという真実を冒涜しているし、あなたの本来のすがたをも冒涜している。 レッスン128より あなたが見ている世界は、あなたに必要なものを何一つ差し伸べてはくれないし、 使い物になるようなものは何一つないし、あなたに喜びを与えるのに役立つようなものは一つもない。 あなたがここで大事にしているものはことごとく、あなたをこの世界に縛りつける鎖にすぎず、これ以外の何の役にもたたない。 この世界に含まれていて、あなたの心にふさわしい唯一の目的は、希望がないところにそれを知覚しようとして遅れを取ることなく、そこを通り過ぎること。 もう騙されないでいてほしい。あなたが見ている世界にはあなたの望むものは何もない。 レッスン132より 正気を失った人は自分の見ている世界は本当だと思っており、それを疑うこともない。 この世界というものは神から離れた一つの思いであり、御父と御子を分離させ、 神御自身の一部をもぎとって神の完全さをこわすことになるので、そんな世界は存在しない。 レッスンも後半にいくと、 この世界は間違って知覚しているものである。それは過ちから生じ、その源を離れてはいない。 それはそんなものを生じさせた思いそのものが大事にされているうちしか残らない。 と、この幻想の本質について言及しています。 コースには神対のように、 世界は経験の為に神がつくった幻想だとか、人生は自分は創造するためにあるといった 幻想に意義を与える考えは、たった一つをのぞいて無いと思うよ。
レッスン 029 神は、私が見る全ての中にある。 今日の想念は何故あなたが全ての中に万事の目的を見ることができるかを説明する。 それ自体であるものも単独であるものもなく、何故全てが分離していないのかを説明している。 そして何故あなたが見るものは何も意味がないのかを説明している。 要するに、我々が今まで使った、そしてこれに続く全ての想念を説明しているのである。 今日の想念はビジョンの完全な基盤である。 この時点であなたはこの想念を把握することが難しいであろう。 あなたはこれを 馬鹿げていて、不敬で、非常識で、奇妙で、反対すべきものとすら思うかもしれない。 例をあげれば、あなたが見て、確かに神はテーブルにはいないであろう。 しかし我々は昨日、テーブルは宇宙の目的を分かち合っていると強調した。 そして、宇宙の目的が分かち合うことは、創造主の目的を共有しているのである。 今日は全ての事象を愛、感謝、そして心を開いて見る方法を学び始めてみよう。 あなたは今それらを見てはいない。 それらの中にあるのが何か、あなたは知っているのか? 何一つとしてあなたに見えるま まのものはないのである。 この聖なる目的はあなたの小さな範囲とは程遠い状態にある。 ビジョンがあなたに世界が光となる神聖を見せた時、あなたは今日の想念を完全に理解 するであろう。 そしてあなたは、それを理解するのが何故こんなに難しく感じたのか 理解ができない であろう。
〜続き〜 今日の6回2分間の練習は慣れた方法でする:想念を自身に繰り返すことから始め,あな たについて無差別に選ばれた題目を一つ一つ明確に名前を挙げながら、適用する。 全くなじみのない想念なので、自主的に題目を選ぶ傾向を避けるように。 今日の想念では特に起こりうることである。 どんな順番を与えようとも、同じく現実とはかけ離れているということを覚えておくように。 であるから 題目のリストは可能な限り自主性から離れていなければならない。 例えば適応するリストはこれらが含まれるかもしれない: 神はこのコート掛けの中にある。 神はこの雑誌の中にある。 神はこの指の中にある。 神はこのランプの中にある。 神はこの体の中にある。 神はこのドアの中にある。 神はこのゴミ箱の中にある。 割り当てられた練習期間に加えて、一時間に一回は今日の想念を繰り返すこと。 あなたについてゆっくり見て、急がずにこの言葉を自分自身に言う。 少なくとも一度二度はこれをする時に安らかな感覚を経験するはずである。
>>282 >神対派の誤解はどうでもいいけど
自分で、自分と神対派=神とエゴ、と切り分けるとことがすごいね。
切り分けと決め付け。これはエゴといわないのか?
>レッスン29の前後は、正しい心から正しく知覚する
>「赦し」という思考プロセスの訓練の入り口にすぎません。
すべての中に神がいる、というこのフレーズの中にこのスレのすべての未解決
の部分がある。誰も説明出来なかったこの入り口の部分の説明をお願いします。
>テーブルの中に神が宿っている事を学ぶことではありません。
レベル低いでしょうが、ここがキーポイントで皆さん先に進めないのです、
説明を願います。
>>284 > コースには神対のように、
> 世界は経験の為に神がつくった幻想だとか、人生は自分は創造するためにあるといった
> 幻想に意義を与える考えは、たった一つをのぞいて無いと思うよ。
私の考えだけど、
神との対話はニールを通して書かれているので、
そこにはニールの思いが入っていると考えられるわけ(創作でもいいけど…w)
ニールが幻想に意義があると考えているから意義があるという答えがあるだけ。
もしニールが意義がないと考えていたら意義がないと言う答えがあっただろうと考えられる。
それでいいんだよ、そんなのは枝葉末節。
大事なのは、ACIMにしろ神対にしろ、この世が幻想であると言う真実を明らかにしたこと。
私たちの本質はこの世界にはないと言うことが明らかになったこと。
どうして世界が今のように創られたのか?なんてどれだけ考えたって
本当のことなんて分かりゃしないんだから、
自分が一番受け入れやすいのを選べばいいだけ。
それよりもなによりも、この世界は幻想だと言うことに気付くのがなにより大事なこと。
だと思うw
>>288 訂正
>ニールが幻想に意義があると考えているから意義があるという答えがあるだけ。
を
>ニールが世界に意義があると考えているから意義があるという答えがあるだけ。
>それよりもなによりも、この世界は幻想だと言うことに気付くのがなにより大事なこと。 なるほど。確かにそうだね。 そう思うw
コースはややこし過ぎるんだよw プロの翻訳家でも何度もダメ出し食らうんだからなw
>コースはややこし過ぎるんだよw >プロの翻訳家でも何度もダメ出し食らうんだからなw なるほど。これも確かだね。 そう思うw
>>288 そして「自分」もまた幻想であると気づくと。
>>287 決してレベルが低いなんて事は無いですよ。
うーん。コースの全体像を把握しないと難しいと思うんだけど。
コースを直接学んだほうが早いと思うよ。
でもやってみるw
あくまで俺の解釈です。
世界は無い。これがコースの中心的な考え方だというのはご存知ですよね。
からだで知覚するこの世界は二元性の世界。ということもOKですよね。
コースでは、知覚するというのは神から分離して初めて成り立つ事だけど、
実際に神から分離することなんてあり得ない。だからこの世界は
あなたがたが夢見ているもので現実じゃないし、まして神の意志ではない。と説いています。
この錯覚が神の意志なら確かにテーブルにも神はいるでしょうね。
神が投影しちゃったら夢じゃなくて現実だから。愛と恐怖が存在する二元性が現実になる。
だけど神は分離も、そこから生じる恐怖や罪もご存じない。だから神以外は実際には存在しない。
これが妥協のない純粋な非二元論のコースのスタンスです。
実際に神から離れているわけではないけど、心の外に投影するという間違った使い方はできる。
そこで我々は分離の想念を投影することで世界という錯覚を知覚しているわけです。
投影をやめて夢から覚めるには映写機である心に取り組む必要がある。
ところが我々はスクリーンに釘付けで映写機を直接いじれない。
映写機は神から与えられている心を使っているので、投影されたスクリーンに神がいるわけじゃないけど、
知覚しながらも、神はいる。離れてはいない。という姿勢を持訓練することで、
原因である心に取り組む事はできる。
それがレッスン29に表れていると考えています。
実践しながら学んでいるうちに気付いたことです。正しいかどうかはわかりません。
神対信者の悪あがきが続いていますw
>>295 おまえには、具体的なことは言えないだろー。
>>293 アートマンもエゴもごっちゃにしている。
>>294 学ぶ姿勢は良いと思います。内容はこれから
しっかり見てみます。
>>294 >世界は無い。これがコースの中心的な考え方だというのはご存知ですよね。
>からだで知覚するこの世界は二元性の世界。ということもOKですよね。
2元世界は体で知覚するというより頭と我執が創造し、知覚する世界。
物質としての体だけのデバイスはあまり意味が無いかもしれないが、
細胞や感性の源としての体のデバイスは神をも感じることができる。
これがテーブルの例え。
28レッスン
「別の角度から1つのものを見たとき、あなたは、別の角度から万物を見るでしょう。
あなたがそれらのいずれでも見る光はあなたがそれらのすべてで見る同じ光です。」
私流の解釈
物を物としてではなく、光として見た場合一個の物にある光もすべての物
にもある光もまったく同質である。ここにワンネスが存在し神が存在する。
>>296 それはお前だろw
屁理屈こねてるだけだから、何の説得力もないんだよw
サマディみたいな体験談ひとつ書けない頭でっかちの勘違い野郎ww
>>298 あのな、どちらかというと神対の方が良くも悪くも体験重視だ。
反神対はどちらかというと意識、エネルギーも超越しする
普遍の在る状態だよ。頭が悪いと見たら低学歴で、そうでなければ
頭でっかちの屁理屈呼ばわりか?
>サマディみたいな体験談ひとつ書けない
なんで、ここで他人の威を借りるんだ。君の体験談、レスはどこにある。
読んであげるよ。
>>299 >私流の解釈 これは真理はひとつの表現では計り知れない程奥深いという表現だよ。
>この時点でアウトw
裏を返せば「自分には答えが分かっている」と言っているようなものだ。
さあ〜、どうぞ。
>>298 サマディの体験談は自我が体験を記憶している時点で自我消滅体験ではない
単に自我が圧倒的至福体験し得るという事を示しているだけ
>>279 悪いな、レスが遅くなった。
“わたしの”記憶として残っているということは、それは多分垣間見てもいないと思う。
垣間見たそれから言えることは、“わたしの”という枠組みからすべて解放される。
だから、“わたしの”が残っているということはまだ卒業できていないよ。
自分の、というのがすべて抜け落ちるのだと思う。
だから、それはもう存在していないし、どうでもよくなるんだろう。
>>301 そこが違うんだな。
文章として書く以上、私がこれこれこういう体験をした、
と書かざるを得ないんだが、
その体験というのは、体験そのものがそこにあるだけであり、
誰が体験した、という「誰」がそこにはないんだよ。
これを言葉でどう表現したらいいのか正直まったくわからない。
しかし、それは体験そのものであり、
それこそが、B世界はブラフマンである、という究極の、否、本来の在り方、
それを垣間見た瞬間だったのだと思う。
どうして、私のような人間がそれを体験させられたかはわからないが。
エイトマンではだめですか?
>>303 君は覚醒者に刷り込まれた観念をオウムのように繰り返しているだけのように思える
「神のみが実在であり、自我は存在しない」と洗脳されている時に至福体験をすればこれは自我を消した時に現れる神に違いないと思ってしまう
体験をカキコ出来る事が何を意味するのか一度考えてみる事だな
「神のみが実在であり、自我は存在しない」と思ってしまっているのが自我。
>>305 体験を書き込んでいるのは確かに“I”だ。
しかし、君がどんなにそれを恐れ気に入らないものであろうと、
その体験は体験なんだよ、そこには“I”はない。
“I”はそこにはない。ない。ない。
>>306 その通り。自我がこれを書き込んでいるのだから。
しかし、“それ”は体験そのものであり、そこに自我“I”はない。
覚醒とは、つまり“I”がそこにないということ。
“I”を保持したままの覚醒はない。
私が“それ”を垣間見ただけで覚醒していないように。
しかし、予告編を垣間見ることで、覚醒とは“I”がないことであり、
されが本来の在り方であることがわかってしまう。
だから、垣間見たらもう後戻りはできないのだ。
君がどれほど抵抗しても無駄。“I”は消える、“I”なんてものはない。
それは圧倒的至福であり、ただただ“それ”のみ。
あきらめなさい。 その“I”は消える。そんなものは最初からなかったことになる。 それこそ福音だ。
真実を語るものはほとんど何も語らない ―ポーシャ
主体なき体験などありえない ―サガッド
俺様は理解している。 俺様は永久に不滅だ。 俺様は仏陀やキリストやシャンカラよりよくわかっている。 俺様は大天国やサマディを許さない。 俺様、最高。 俺様、一番。 俺様に都合の悪い考え方は徹底的にイビリ倒して排除する。 脳呼吸、最高。 日本人から搾取してやれ。 -------神対信者
313 :
神も仏も名無しさん :2010/02/28(日) 11:25:00 ID:HqcJekki
|:::::ヽ|/:::::::::::::::::::::: |" ̄ ゙゙̄`ヽ、::::::::::::::::::::: |,ノ \ ヽ:::ヽ|/:::::::::::::::::::: |(●) (●) | ̄ ̄`ヽ、:::::::: うわぁぁぁぁ・・・ |/ ̄⌒ ̄ヽ |ノ \ヽ:::::::::: | .l~ ̄~ヽ | |(●) (●)i::::::::: |  ̄~ ̄ ノ´ |/ ̄⌒ ̄ヽ | ::::::: |  ̄ ̄ | | .l~ ̄~ヽ | | :::::: | | ヽ  ̄~ ̄ ノ |
>>302 私も覚醒しているわけではないからもちろん現段階では私は残っているよ。
覚醒した段階で「自分の」が抜け落ちると言う感覚は分かる気がするが、
それでもかつて私であった記憶は間違いなく残ることになると思うなあ。
私の体験の延長線で考えるとね。
そしてその段階がなければ決して覚醒には至らなかっただろうと言うことも分かるんだろうと思う。
それこそが神の完璧さなんではないかなあ?
_, ,_ ( ・ω・) .ノ^ yヽ、 私は存在するのか・・・存在しないのか・・・ ヽ,,ノ==l ノ / l | _,,..-―'"⌒"~⌒"~ ゙゙̄"'''ョ ゙~,,,....-=-‐√"゙゙T"~ ̄Y"゙=ミ T | l,_,,/\ ,,/l | ,.-r '"l\,,j / |/ L,,,/ ,,/|,/\,/ _,|\_,i_,,,/ / _V\ ,,/\,| ,,∧,,|_/
317 :
神も仏も名無しさん :2010/02/28(日) 14:14:41 ID:F7e48xgg
>>307-309 君の体験は自我の体験でしかないという事はもうバレバレなんだよ
現実を直視する勇気を持ちなさい
君の崇拝する覚醒者も間違いを犯すただの人間だよ
自我を消滅した神ではない
絶対視したら駄目
神使なんかと一緒に居られるか! 俺は神対スレに戻る!
世界は鏡です。正確には「世界」と感じるものは「鏡」と考えて良いということで、 実際鏡というわけではありませんが、人間の精神を通すとそう感じられてしまう ものと考えて良いです。世界には自分の内面がそのまま映し出されています。 なので自分の内面を確認するためにこれを利用することが出来ます。もし世界中の 人が悟っているかのように見え始めたなら、あなたが悟りに近づいている可能性が あります。逆に世界中の人が悟りから遠いように見えたならあなたが悟りから遠い 可能性があります。
320 :
神も仏も名無しさん :2010/02/28(日) 16:51:18 ID:ktgHYRMo
>>317 馬鹿な奴w
何も体験していないお前になんでそんなことがわかる?www
>>320 > 馬鹿な奴w
> 何も体験していないお前になんでそんなことがわかる?www
もう相手にするのもばからしいけど、
なぜ「なにも体験していない」とおまえに分かる?
322 :
神も仏も名無しさん :2010/02/28(日) 17:30:21 ID:Lb6nLO7N
>>320 論理を突き詰めればサルでもわかるけど…w
体験うんぬん以前のレベルw
まあサルは言い過ぎかもしれんがww
323 :
神も仏も名無しさん :2010/02/28(日) 17:48:53 ID:Lb6nLO7N
人生には壮大な勘違いということも有る それも永い目で見れば無駄ではなかろう 誰でも通る道ともいえる
自分が消える、ということがよっぽど怖いらしいw しかし、それはサマディだけではなく、カルキやクリシュナムルティも言ってることなんだよな?w カルトのお先棒を担いでしまうような嘘つき野郎の大衆小説を信じ込んでしまうような低脳の分際で、 論理を突き詰めればわかる、なんて笑う笑うw その論理とやらを具体的な体験に基づいては語れないし、 サマディからは、その論理こそがエゴの言い訳、トリックだ、と再三指摘されてるのになwww
>>323 自分のことがよくわかってるじゃないかw
所詮、大衆が騙されてしまう程度のレベルでしかない低俗な創作本、「神との対話」(笑)を読んだくらいで、
何もかもわかったつもりになり、
自分たちは足元にも及ばないレベルの人間相手に
説教しようとしている、この悲喜劇よww
衆愚とはまさにこういう馬鹿どものことを指すw
>>324 自分の言葉で自分の考えを述べてよ。
サマディがどうでもクリシュナムルティがどうでも
そんなことは関係ないから。
神との対話への批判は分かったから
あなたの考えを聞きたい。
http://www.mumyouan.com/k/?T3519===%92%86%93%C5 そしてあなたが開悟するそのとき、そこに悟りという、
今のあなたとは別の特殊な体験があるのではない事を知るだろう。
それは何かの状態の「体験」ではないのだ。
今そこにいるあなたが「何を体験するか」は、全く問題ではないのだ。
本質の重心は、体験の内容ではなく、
体験の主体の方だ。
だから、「悟りの体験」などというものはないのだ。
そうではなく、それは、「体験者」そのものの事だ。
悟ったものが、そのナンセンスさに笑うのは当然の事だ。
なぜならば、彼は「経験をしている自分そのもの」が「それ」だったのに、
今まで彼は経験対象の中にそれを求めていからだ。
だから、「体験」を求めているうちは、全く検討外れだ。 全然そうではない。 悟りは体験内容の事ではない。 体験者自体のことだ。 悟りとは、体験するあなたがいて体験される悟りがあるのではない。 全くそうではない。 そこでは体験「内容」などは一切問題でなく、 体験者そのものが純粋にそこに在るとき、 その在ることそのこと自体が光明なのだ。 だからこそ、それは今のあなたとは別の体験として求めたら、 決して得られない。
それはあらゆる体験自体の「主体」そのものだ。 だからあなたは悟りを対象として見て体験することなどは出来ない。 なぜならば何かを見るということはひとつの「体験内容」だ。 だが、それは対象化した体験として見ることによって知られるのではなく、 「経験主体」それ自体の、絶え間ない「充満」なのだ。 だから、「体験の中に」それを求めるとしたら、 あなたは根本的に誤解している。 開悟の時に、「悟りという特殊体験を経験する」 というのは完全に表現が間違っている。 そうではなく、あなたのその主体それ自体が、 ずばり悟りそれ自体なのだ。
“I”を消したら”悟り”が消えるみたいね
>>325 いや、彼らは私の足元以上にいるだろうが、私の言っていることの意味がわかっていない、
というよりもわかりたくないのだ、それは彼らにとって屈辱だからね。
矛盾するようだが、恩寵を受け取れるようにまでなれるには、“I”は徹底的に努力しないといけない。
徹底して心を訓練しないといけない。しかし、彼らはそれさえやっていない。
本を読んで他人の考え方をちゃっかり借用しているだけだし、しかもその他人の考え方をさえまるでわかっちゃいない。
たとえば、
>>327-329 の、EO=鈴木ほうざんの文章を引用したりねw
(で実はEO=鈴木ほうざんも実は私同様に悟ってなんかいないわけだが。)
しかし、ほうざんの言う、悟りは体験内容の事ではない、体験者自体のことだ、
ということは、私が指摘した、そこには体験のみがあり、“I”が体験しているのではない、
そこには“I”はない、ということと同じ意味なのだが、彼らにとってはそうであっては困るんだよw
EO=ほうざんも一瞥はあったんだろうが惜しいことをしたもんだねw
”あなたのその主体それ自体が、ずばり悟りそれ自体なのだ。 ” と ”そこには体験のみがあり、“I”が体験しているのではない、 そこには“I”はない” は同じ意味だそうですw
EOが言いたいことを 一言で言えば 「あなたはすでに悟っている、一なる世界とあなたの中にある ものは同じだ」 間波理志も「悟りへの最大の障害は、自分がまだ悟っていないという 思い込みである」と言っている。
http://www.mumyouan.com/k/?T3519===%92%86%93%C5 >知覚している現実や、空腹や痛みがない、とは言わない。
>だが『ある』『存在している』といって騒ぐほどのものでもあるまい。
>最初から何も起きておらず、最後まで何も起きず、
>そして今も、何も起きてはいないのだから、
>おきてもいない問題などあるはずもない。
>生きていれば、いろいろな事はあるだろうが、
>結局は傍観して済むことばかりだ。自分の生死さえも。
>人は、有を見れば有の世界が楽しみの場となり、
>無を見れば無が安住の場になる。
この部分はACIM学習者が赦しの実践をして癒しを感じるメカニズムを解説しているようだ
無を感じる事で安住の場を見出す
>>332 その通り。
EO=ほうざんが言う主体とは誰か。それは“I”ではないからね。
“I”がそこにある限り、体験するものと体験されるものが分離されている。
ところで明日3月1日の午前1時38分は満月。
満月はマハーマーヤの力が活性化される。
つまり、ある人たちにとってはマザーアタックが起こる。
その人たちは自分がなぜそういう状況に巻き込まれているのかという意味さえわからないw
それとEO=ほうざんについては、フーマンがなかなか興味深いことを語ってるよw フーマンの本を読んでみるといいだろう。
>>335 “I”がそこにある限り、体験するものと体験されるものが分離されている。
“I”を消滅させてしまったら体験するものと体験されるものの統合など出来無いでしょう
体験するものが居ないのだから
>ところで明日3月1日の午前1時38分は満月。
>満月はマハーマーヤの力が活性化される。
>つまり、ある人たちにとってはマザーアタックが起こる。
オカルトちっくですねぇ
本当は存在しない世界の満月に力を借りるのですか・・・?
明日の3月1日午前1時38分に大地震が起きるってことかな? その時オレは死ぬかもしれないってことかな? 一応「ありがとう」と「さようなら」を・・・・(ID変わるけどさ。)
>>337 >“I”を消滅させてしまったら体験するものと体験されるものの統合など出来無いでしょう
>体験するものが居ないのだから
と、“I”は考えるのだが、そうじゃない。
体験はそこにある。じゃあ誰が体験しているのか、という問いはそこでは起こらない。
体験だけがそこにある。“I”がないのだから如何なる疑問も意味がない。
としか言いようがないんだな。
>オカルトちっくですねぇ
>本当は存在しない世界の満月に力を借りるのですか・・・?
オカルトチックなのは、マーヤに支配されているこの世界。
この世界が在ると認識してそこで生きてるわけだね?
だから、それが作用しているように感じるんだよ。カルマというのもそう。
満月の力を借りるのではなく、マーヤの影響力が月の影響とリンクしていると言ってるの。
幻影の世界においてはそのように観測される。だからそれを利用することもできる。
夢を見ている、その夢の中で夢の中の素材を使って夢を明晰夢に変え得るように。
>>338 違う違うw
毎満月事に、ということ。
別に明日が特別ってことではないよ。
体験したら体験したがっていた者は消える。
「小さなわたしよ。あなたがわたしの中から消えるということはない。」 「あなたがあなたの旅を終えてわたしのもとに帰ってきた時でも、わたしがあなたの旅の記憶を忘れることはない。」 「そして、また、あなたが旅をしたくなれば、わたしはあなたを眠りの中からいつでも呼び覚ますことができる」 「あなたはわたしであり、常にわたしと共にあるのだから」
>>339 「アバター」を見ていて手に汗を握る展開になったら”今、私は映画を見ている”という問いを思い浮かべる心の余裕は無かった。
対象が何であれ没頭している最中は体験するものと体験されるものの統合状態と言える。
これは”I”が文字通りの意味で消滅したのではなく単に”I”が客観的な見方をする余裕が無くなっただけ。
体験される対象(この場合はアバター)も実際に映画を体験している訳だから消滅したりしていない。もし消滅したら映画鑑賞も不可能。
映画が終って心に余裕が出来れば客観的な見方が出来るようになる。
【話題】 大ヒット映画「アバター」を観て現実に絶望、「うつ状態になった」「自殺を考えた」等の訴えがネ
http://tsushima.2ch.net/test/read.cgi/newsplus/1263308461/ ・世界で公開され大ヒット中のSF映画「アバター」を見た観客から、3Dの映像があまりにもリアルで、その美しさに
あこがれるあまり「うつ状態になった」「自殺を考えた」といった訴えがネットに相次いでいる。
観客は3D効果でパンドラの世界に入り込む感覚を味わい、映画館を出る時はその美しい世界から離れることの
不安感にとらわれるという。
スウェーデンの学生、アイバー・ヒルさん(17)はこのサイトに仮名で投稿。「見た翌日、目覚めると世界が灰色に
見えた。自分の人生すべてが意味を失ってしまったようだった。このままやっていく理由がいまだに見出せない。
私が生きているのは死に行く世界だ」と書き込んだ。
別のファンサイト「ナビブルー」では、自殺さえ考えたというユーザーが「アバターを見た後、ずっとうつ状態。
パンドラの素晴らしい世界とナヴィの人たちを見て、自分もその1人になりたいと思うようになった。もし自殺すれば、
パンドラのような世界に生まれ変われるのではないかとさえ考えてしまう」とつづった。
>>345 アバターの観客はパンドラの素晴らしい世界を垣間見たんだよ。一瞥したんだ。
>>345 ちょいとお聞きするが、不安を払拭することの何が問題なんだろう?
808 :癒されたい名無しさん:2010/02/27(土) 23:54:47 ID:bZH6pJhO
本日のスカイプダルシャン(於:国立オリンピック記念青少年総合センター)の録音です。
http://sakuraweb.dip.jp/up/upload.cgi?mode=dl&file=4150 DLKey:Deeksha
未編集のままですが、よければどうぞ。
↑
これ、土曜日に行われたカルキ・バガヴァンの日本向けスカイプダルシャンの録音みたいだけど、
私が消える、ということの意味がわかりやすく語られているよ。
神対支持、アンチ神使の人たちは、私が消えるということの意味を誤解しているんじゃないかな。
神対信者が言っているのはマインドの解放。
ここの「マハーマーヤ」が言ってるのはマインドの消滅。
カルキ・バガヴァンはどっちを言ってるの?
私が
>>348 を聴く限りは「マインドの解放」だと思うけど。
神対のどこにマインドからの解放なんて書かれてる?
「どんな神の一部になるか、好きなものを選んでいいよ」とわたしは小さな魂に言った。 「それじゃ、わたしは赦しを選びます。神のなかで、完璧な赦しという体験をしたいのです、」 これは少々やっかいな問題を生んだ。誰も赦すべき相手がいなかったのだ。創造されたものは全て完璧であり、愛だったから。 そのときひとつの魂が群集のなかから進み出た。「わたしを赦せばいい。」と、その友好的な魂は言った。 「何を赦すのですか?」小さな魂はたずねた。 「あなたの次の物質的な人生に出かけていって、何かをするから、それをあなたが赦せばいい」友好的な魂は答えた。
「しかし、どうしてそんなことをしてくれるんですか?」小さな魂は、これほど完璧な存在が「悪い」ことをするために、わざわざ振動をスローダウンさせようとするのはなぜなのか、はかりかねた。 「簡単だよ。」友好的な魂は説明した。「あなたを愛しているからするんだ。あなたは赦しとして、自己を体験したい、そうなんだろう?それにあなただって、同じ事をしてくれたじゃやないか。」 「かわりに頼みたいことは、ただひとつだ。わたしがあなとを襲い、暴力をふるうとき、想像しうる限り最悪のことをするとき、本当のわたしを思い出して欲しい。」 小さな魂の約束は、あなたの約束だ。それは変わらない。だが、小さな魂よ。あなたはほかの者への約束を守ったかな? ---------------------------------------------------------------------------------------------------------- 「神との対話」より
354 :
神も仏も名無しさん :2010/03/03(水) 19:04:59 ID:pvurq6W4
__,イ|__ ... .ィ , :<´ : : : |: : : : :ー<.. /: : :/: :/} :小: : : : : : : : ≧ー __,/ /: : /: :/ ,| : | ∨| : : : : : 廴 f´/ }:/.: :.ム斗' | /| `ヘ}ヽ: : : : ヘく ∨ ,イ: : :{ :/ j/ V | : : ∨ / / / | _|_ ― // ̄7l l _|_ ヽ、{∧ 圷旡≧/ / /≦乏ア:| ト、:ハ _/| _/| / | | ― / \/ | ――― |:ヽ}ヘ:/ | |/ / / / | | W |:「ヽ} | | / | 丿 _/ / 丿 |: :|:`ー.、| | , -- 、 | | {ム/:{ |: :|: : :|:|> 、ー'⌒ー'_. イ: : |: :| |: :|: : :|:| ,.≦厂 「x |: : :|: :| | : ', : :',|/ {___7`ーl: : :|: :| |: : :', : :| | .′ |: : :|: :| | : : :',: :', 、 '. / :| : :′:! | : : ∧ :ヘヽ、 X ,. イ| ∧ : | | : 〈 ヽ:ヘー r‐ァ―-く/ 〉:| |: : :|\_{ヽ{ ハ ,イ_/l: l |: : :{三マ\__/U\_/ |三イ} | |: : : 7 { / } }´ ', :│
355 :
神も仏も名無しさん :2010/03/03(水) 19:07:34 ID:AVwub5BD
/. ノ、i.|i 、、 ヽ i | ミ.\ヾヽ、___ヾヽヾ | | i 、ヽ_ヽ、_i , / `__,;―'彡-i | i ,'i/ `,ニ=ミ`-、ヾ三''―-―' / .| iイ | |' ;'(( ,;/ '~ ゛  ̄`;)" c ミ i. .i i.| ' ,|| i| ._ _-i ||:i | r-、 ヽ、 / / / | _|_ ― // ̄7l l _|_ 丿 `| (( _゛_i__`' (( ; ノ// i |ヽi. _/| _/| / | | ― / \/ | ――― / i || i` - -、` i ノノ 'i /ヽ | ヽ | | / | 丿 _/ / 丿 'ノ .. i )) '--、_`7 (( , 'i ノノ ヽ ノ Y `-- " )) ノ ""i ヽ ノヽ、 ノノ _/ i \ /ヽ ヽヽ、___,;//--'";;" ,/ヽ、 ヾヽ
( 嫌 生 人 こ ) で .き .を れ ( す て .疑 以 ) ! い .い 上 ( く .な ) .の .が ( .は .ら 〜、_ _ /::::::::`〜〜〜´:::: /:::::::::,イ::::ハ:::::::::::::::::::: ./::::::ハ/ l::/ !ハ::::ト,:::::::: l:::んH-ハノハ-l,,,W_ ',::ト,: !::::l ___ ` v l:::l  ゙゙̄ノ =-o /ィ l:! ‘ o l f二二ヽ、 rr ゝ ゝ__ ノ _ノ / / `>、 __ ,、- "´ / { (:::::ノ| ゝ、 _/ {{ f::::::)_!__同] / 〈ヘ 〉::〈.:.:.:.:.只.:.ヽ // 「ヘ 〉:::,ヘ.:ィ.:l l.:.:.l.:ヽ/ ノ }={ |.:.:.| l.:.:.:| .:.:.> >r={::::} l.:.:.l !.:.:.〉'´ ハ {::::} !~ フ ノ Vヘ ヽ/ _, - ' ./ / 〉 \ ヽ ´
>>351 「マインドの解放」って書かれてないと
わからないバカですか?
あ、カルキ・バカボンで検索していた
360 :
神も仏も名無しさん :2010/03/03(水) 20:11:36 ID:Q/6ADVxi
>>352-353 ∩
( ⌒) ∩_ _ グッジョブーン!!
/,. ノ i .,,E)
/ /" //
_n グッジョブーン!! / / / /
( l / / ^ω^)/ / グッジョブーン!!
\ \ (^ω^ )( / ( ^ω^) n
ヽ___ ̄ ̄ ノ二ヽ |  ̄ 二二二二( E)
/ / \ ヽ フ /
| / | / | /
( ヽノ ( ヽノ ( ヽノ
ノ>ノ ノ>ノ ノ>ノ
三 レレ 三 レレ三 レレ
>>358 はい、バカでいいですから、どこに書かれているのか、神対しりーずのタイトルとそのページを書いてください。
さあ、どうぞ♪
この世界に対してマインドを開放すべし この地球も天国なのです 「天国へ行く」のではない。自分が既に天国にいると気付くだけだ。受容と理解があるだけで、そのための努力や闘いがあるのではない。 悟りとは、行くべきところもすべきこともないし、いまの自分以外の何者にもなる必要もないと理解することである。(神との対話1 P133)
>>362 それがマインドからの解放?
それと開放と解放はどう違うのですか?
>「天国へ行く」のではない。自分が既に天国にいると気付くだけだ。
はい、どうやって気付くんでしょう?
>受容と理解があるだけで、そのための努力や闘いがあるのではない。
受容と理解とは具体的には?
>悟りとは、行くべきところもすべきこともないし、いまの自分以外の何者にもなる必要もないと理解することである。
今の自分以外の何者にもなる必要はない、だから何もしなくていい、こういうことですか?
もう少し具体的に御教示下さいませ、俺様は神との対話を理解しているという、頭のいいはずの神対信者さん♪
>>363 >それと開放と解放はどう違うのですか?
違わん
>はい、どうやって気付くんでしょう?
受容と理解で世界の完全性を見る
>受容と理解とは具体的には?
かわゆすぐるマンチカンを見れば即座に受容と理解が得られる
>今の自分以外の何者にもなる必要はない、だから何もしなくていい、こういうことですか?
なんで何もしないんだ?
生きていれば少なくとも呼吸はするしやりたい事したい事をするはずだ
いつもの調子で生きていればOK
>>365 どうやって受容と理解で世界の完全性を見るんですか?
かわゆすぎるマンチカンを見ればいいわけですか?
呼吸をしていればそれで悟れるわけですね?
その呼吸とは脳呼吸のことですか?w
神対信者さんは、私はなくならないと言っていたわけですね?
マインドからの解放というのはカルキの話によれば私からの解放だと思いますが、
では、わたしは一体どこに行ってしまうんでしょうね。
おや、だんだん雲行きがあやしくなってきましたね♪
神との対話だけが、カルキや他の教えとはまったく違うことを言ってるみたいですが。
経験するためにこの世界が出来て、その世界を体験しているわたしは決して消えることはない。
にも関わらず、神との対話はマインド(=わたし)から解放を教えている。
おやおや。(◎∀◎)
>>367 どこですか? 教えてください。
カルキの話と神との対話、どこをどう理解すれば同じことになるんでしょう?
>>366 いつも会社でも、そうやって、ひにくれているのか?
ひにくれている (・∀・)
二歳ですでにこれほど性格がひにくれていることは、何を意味するのだろうと、考えた。 母親を失って精神的に不安定になりすぎているのだろうか? それもわからないではないが、 今まで、こんなにわがままで、かわいくない子に出会ったことが無かった。 ↑ 検索→ 「母親を失って」・・ここだけが違う。
最終的には何もする必要はないと分かるのだろうが、まだ分からない場合はその前段階として まずは自分を誰かによく思って貰おうとか、あるいは逆に誰かから悪く思われないようにしようと いう努力をやめてみると良いと思う。少なくともこの努力はエゴを成長させてしまうから。 あとは余裕があれば人を褒めるとか人のことを悪く言わないとかをすれば良い。
375 :
神も仏も名無しさん :2010/03/04(木) 07:16:03 ID:0IxXTF/1
”心を開く事”と”心を消滅させる事”は全然違うだろ 心を開くというのは世界や人々と心から触れ合うようにして 自分と世界との間にある壁を無くし一体化するという事 心を消滅させるというのは世界や人々から嫌な目に遭わないように自分を消去するという事で 実際には自分を消去する事は出来ないから世界や人々との間にある壁を強化して自分の殻に閉じこもった生き方をする事 人として正しい生き方を教えるのが神対 ヒッキーへの道を教えるのが神使 どちらの道を選ぶかは個人の自由です
>>376 カルキは心を開くなんてことは言ってないよ。
マインドからの解放、自分なんてものはありません、それは錯覚です、
と言ってるの。
人として正しい道なんてものはありません、正しい間違っている、
と価値判断するのがマインド。
神使はカルキの言うマインドからの解放からさらに先のことに言及している。
つまり、ACIMの道というのは悟後の修行なわけやね。
神対は人として正しい生き方さえ教えていないし、
(なぜなら、そもそもニール・ドナルド・ウォルシュは読者を騙しているわけだから)
読者をわかった風な気にさせて「真の幸せへの道」から遠ざけている、
という意味で、反キリスト、“世界の終わり”が近づくと偽の預言者が現れる、
というのにまさに該当するわけだな。
神対のもっともらしい言説に騙されちゃダメですよ、皆さん。
ぎゃあ、サマディが来た! (T◇T) 何故か関西弁だが、関西出身か?
>心を消滅させるというのは世界や人々から嫌な目に遭わないように自分を消去するという事で >実際には自分を消去する事は出来ないから世界や人々との間にある壁を強化して自分の殻に閉じこもった生き方をする事 神対信者が馬鹿でレベルが低い理由は、こんな風に、世界や人々が自分とは別に独立して存在していると考えているところ。 世界や人々が自分とは別に存在している、それらは厳としたリアルなものなのだ、という思い込みに支配されている限り、 この人は、何とか世界と折り合いをつけて生きて行かなければならない悪戦苦闘し、しかし、その悪戦苦闘している相手は、 実は自分自身のことなのだから、世界をリアルなものとして相手にすればするほど、真の幸せからは遠のいていく、という、 皮肉な結果に翻弄されることになるんだろうね。 かわいそうとしか言いようがないし、あんなインチキ本に感化された程度で何もかもわかってしまったと思いこんでしまう、 安直で無責任な生き方こそ、真の現実から逃避している証拠なんだけどね。 まあ、こういう深い眠りに耽溺している人は決して聞く耳は持たないし、そういう謙虚さも持ち合わせてはいないと。
で、都合が悪くなると、またサマディ認定。 ネトウヨ連呼厨と同じ、あまりにもおバカな精神構造。これぞマインドの所業。
381 :
神も仏も名無しさん :2010/03/04(木) 12:45:40 ID:L1I07P2m
>前スレ 924 >解釈の余地が無いほど明白だが”世界は神の現れである!” 亀レス失礼。翻訳出てないから当たり前だが、奇跡のコースを通読したことないね? おさらいしてみよう。まずテキストから。 イエス「『あなたが見ている世界は幻想のシステムだ。 罪によって気がふれた者たちの見ている世界である。』 この世界をよくよく観察してみなさい。そうであることがわかる。 世界は罰のシンボルであり、すべてを死の法則が治めているからである。 赤ん坊は苦しみながらこの世界に生まれ、苦痛にさらされる。 苦しみながら成長し、悲しみと、別離と、死を学んでゆく。 心は脳髄に閉じ込められ、体を損なえば能力を失う。 一見、愛しあっているが、その実、たがいを拒みあう。 人は愛するものを失うと思い込むが、おそらくこれが一番、狂った信念だろう。 肉体は萎れ、喘ぎ、斃れ、それで終わり。神は狂っていると思わずにはいられないのは 一人ではすまないだろう。 もしこれが現実の世界だというのなら、神は確実に狂っている。」(俺訳) The world you see is the delusional system of those made mad by guilt. 3 Look carefully at this world, and you will realize that this is so. 4 For this world is the symbol of punishment, and all the laws that seem to govern it are the laws of death. 5 Children are born into it through pain and in pain. 6 Their growth is attended by suffering, and they learn of sorrow and separation and death. 7 Their minds seem to be trapped in their brain, and its powers to decline if their bodies are hurt. 8 They seem to love, yet they desert and are deserted. 9 They appear to lose what they love, perhaps the most insane belief of all. 10 And their bodies wither and gasp and are laid in the ground, and are no more. 11 Not one of them but has thought that God is cruel. If this were the real world, God <would> be cruel.(T13.in.2-3) はじめのカギ括弧したヶ所、覚えといて! そのまま用語解説に行こう。
382 :
神も仏も名無しさん :2010/03/04(木) 12:47:33 ID:L1I07P2m
イエス「あなたの見ている世界は幻想の世界である。 神は、幻想の世界を創っていない。 神の創ったものは神と同じく永遠だからである。 しかしこの世界のどこにも永続するものはない。 あるものは他のものより少しは長く存続するだろう。 『だが目に見えるもの全ては終わりを迎える時が来るものだ。 肉の目はそれゆえ、現実の世界を見る道具とはなりえない。』 幻想を見ている者たちは、幻想に幻想を重ねて 現実と思い込むに至る。実際、そう生きているのだ。」(俺訳) C-4.1. The world you see is an illusion of a world. 2 God did not create it, for what He creates must be eternal as Himself. 3 Yet there is nothing in the world you see that will endure forever. 4 Some things will last in time a little while longer than others. 5 But the time will come when all things visible will have an end. C-4.2. The body's eyes are therefore not the means by which the real world can be seen, for the illusions that they look upon must lead to more illusions of reality. 2 And so they do.(C-4.1-2) カギ括弧に注目! 肉体の目を通じて脳裏に浮かんでいる"世界"は、 神から分離したエゴ(我々)の幻想にすぎず、神の創った世界ではないということだ。 ここを覚えといてワークブックに戻ろうか。
383 :
神も仏も名無しさん :2010/03/04(木) 12:49:10 ID:L1I07P2m
レッスン128 求めていたものは、見ている世界のどこにも見つからない。 イエス「この世界で、価値あるものと思い込んだもの全ては、 あなたをこの世界に縛り付けるための鎖にすぎない。 世界はこれだけを目的にできあがっている。 あなたが世界に目的に与え、すべてはその目的に仕えるからである。 あなたが[ここではなく]あちらで別の目的を見出さない限り。−−− この世界であなたの心に唯一、価値がある目的はただひとつだ。 通り去ること。 この世界のどこにもない希望をここで見出そうとして、遅れを取らないことである。 これ以上、世界に騙されてはならない。 求めていたものは、見ている世界のどこにも見つからない。 この世界に救いがあると知覚して自分に架した、心の鎖から今日、逃れなさい。 あなたが価値ありとしたものはあなたの一部となり、あなた自身と知覚するからである。」(俺訳) Lesson128 The world I see holds nothing that I want. W-pI.128.2. Each thing you value here is but a chain that binds you to the world, and it will serve no other end but this. 2 For everything must serve the purpose you have given it, until you see a different purpose there. 3 The only purpose worthy of your mind this world contains is that you pass it by, without delaying to perceive some hope where there is none. 4 Be you deceived no more. 5 The world you see holds nothing that you want. W-pI.128.3. Escape today the chains you place upon your mind when you perceive salvation here. 2 For what you value you make part of you as you perceive yourself. キーワードではここ(here)ではなく向こう(there)だ。 ここを見ている限り、向こうは見えないんだ。だからまず否定が来る。 否定の次に来る肯定はなんだろう? 次の日のレッスンを見てみよう。
>>381 その徹底したネガティブシンキングが神対派に受け入れられない理由だよ
この世界を恐れて自分の殻に閉じこもった状態がJじゃないかな
385 :
jinan :2010/03/04(木) 12:53:29 ID:L1I07P2m
レッスン128 この世界を超えると、求めていた世界がある。 イエス「この思考は、昨日の訓練の帰結である。 (ポイント!→)『あなたは、世界は無価値だというヶ所でとどまることができない。 希望がどこか別にあることを見出さない限り、絶望に沈むからである。』 今日のポイントは世界をあきらめることではない。この世界に比べ遙かに満ちたりており、 喜びにあふれ、あなたに平和を与えることのできるものと差し替えることである。 そんなものをこの世界が与えることができると思うか? ・・・これは選択である。あなたに何も与えられない世界を選ばないことが 損失になるとでも? この世界はあなたが本当に求めているものを何一つ与えられない。 が、かわりに選ぶ世界は、ほしいものを与えられるのだ! 今日、[真の世界が]あなたに与えられるように。[天国は]あなたの選択を待っている。 ・・・朝と夜に、そしてその間にもう一度、この変革の意志を次のように鍛えなさい。 こう始めなさい。 この世界を超えると、求めていた世界がある。 私はこの世界ではなく、向こうの世界を見ることにした。 ほんとうにほしいものはここにはない。 ・・・一時間ごとに決意を思い起こしなさい。しばしどんな思考からも離れ、 この選択を確認しなさい。このように思い浮かべ、少しくとどまりなさい。 求めていたものは、見ている世界のどこにも見つからない。 この世界を超えると、求めていた世界がある。」(俺訳) これで神はこの世界を創ってないのに、 どうしてハンガーのなかに神がいるのかわかったかな? ハンガーそのものは幻想で、ハンガーの向こうに神がいるんだよ。 「・・・のなか」とはそういうことです。奇跡のコース、ぜひ通読してみてね。
ACIM、神使が正しいかどうかの試金石はJ、アーテン、パーサが実際にこの世界の消滅を果たせたかという事にかかっている この世界を言及出来ている事から彼らはまだ世界を認知している段階という事が分かる J、アーテン、パーサがこの世界を消滅させる事が出来なかったのに我々が本当にそれを出来るのだろうか? ACIM、神使は将棋で言えば既に詰んだ状態になっている(サマディの直接体験が自我の体験だと暴露されて詰んだように・・・) 奇跡のコースに通読するほどの価値があるとは思えませんが・・・
>>384 ネガティブシンキングとしか受け取れない神対派の哲学的素養の無さ、
宗教哲学についての無知無教養の問題。
少しは勉強しろよと。
ちょっとでも勉強すりゃ、
お前たちが論戦を挑んでいるのは、とてもじゃないが互角に渡り合える相手じゃないことがわかるものを。
>>387 それはお前だろ
>お前たちが論戦を挑んでいるのは、とてもじゃないが互角に渡り合える相手じゃないことがわかるものを。
寝言は寝て言えよ(笑)
大体「何も起きていない」は十分人間が理解できる範囲内だからなw もし本当の神というものがあるとすれば人間が想像することすら困難な存在だろうな そういう意味でここで行われている議論は不毛な議論なんだよ まあそれは仕方ないんだが
>>388 エゴが死を怖がりそれに抵抗してるんだろう?
実際、お前たちは、自己が消える、ということを言われただけで、
この慌てふためきようなんだからw
死ぬのは怖いよ〜 消えたくないよ〜
と必死になって騒いでいる神対信者w
で、選択さえすば、ひょっとしたら自分は死ななくても済むとでも思ってるのか?ww
馬鹿なニユーエイジャーは勝手にアセンションして消え去れよ、猿野郎w
>>389 寝言は寝て言え、とは何とも皮肉な表現だな。
自分が寝ていることにさえ気づいていないお前が、
「寝言は寝て言え」
なんだからw
>もし本当の神というものがあるとすれば人間が想像することすら困難な存在だろうな
という割には、俺様は神対を理解している、神を理解している、と主張しているのが神対派なんだけどなw
しかも、批判している神使やACIMについては読んでもいないwww
じっくりと読んだ後で、検証しているのならいざ知らず、
読まずに脊髄反射でギャーギヤー喚いているだけだから、
何一つ具体的な反論は出来ないし、神対そのものの評価も下がっていく一方なんだよな。
贔屓の引き倒しとはよく言ったものだw
>読まずに脊髄反射でギャーギヤー喚いているだけ だな。この一言に尽きる。
彼もエゴなり、我もエゴなり。。
この世は無いというのは聖霊が言うのであって真実を体現しているからである。 それを読んで「この世は無い」と相手に言うのは、相手と同じく自分もこの世 の存在を信じているからである。自分も意識から消せないのに他者に言うのは 本末転倒である。
全くもってその通りであります サマディ、分かったか?
いつものように単発IDが必死だな。 聖霊って何だ? 答えてみろよ。 議論もできない無知無教養の輩が、 神対を守るためだけにに右往左往し、 支離滅裂な言い掛かりをつけている様は哀れというしかない。 まさに、縁なき衆生は度し難し、だな。 かわいそうに。
>>396 おそらく、サマディは本来だったらお前なんぞ気安く話することもできないレベルの人間だぞ。
彼がインド人だったら、アシュラム構えて弟子を抱えているだろう。
無知というのは本当に滑稽だな。
ほら、やはりごまかして逃げることしかできない。
>>398 ____ 、ミ川川川彡
/:::::::::::::::::::::::::""'''-ミ 彡
//, -‐―、:::::::::::::::::::::三 ギ そ 三
___ 巛/ \::::::::::::::::三. ャ れ 三
_-=三三三ミミ、.//! l、:::::::::::::三 グ は 三
==三= ̄ 《|ll|ニヽ l∠三,,`\\::三 で 三
/ |||"''》 ''"└┴‐` `ヽ三 い ひ 三
! | / 三 っ ょ 三
|‐-、:::、∠三"` | ヽ= U 三. て っ 三
|"''》 ''"└┴` | ゝ―- 三 る と 三
| / ヽ "" ,. 三 の し 三
| ヽ= 、 U lヽ、___,,,...-‐''" 三 か て 三
. | ゝ―-'′ | |::::::::::::_,,,...-‐'"三 !? 三
ヽ "" ,. | | ̄ ̄ ̄ 彡 ミ
ヽ、___,,,...-‐''" ,,..-'''~ 彡川川川ミ
厂| 厂‐'''~ 〇
| ̄\| /
403 :
神も仏も名無しさん :2010/03/04(木) 22:17:21 ID:stKyieVw
>>398 ____
/ \
/ ─ ─ \
/ (●) (●) \
| (__人__) | それは無い
\ ` ⌒´ ,/
r、 r、/ ヘ
ヽヾ 三 |:l1 ヽ
\>ヽ/ |` } | |
ヘ lノ `'ソ | |
/´ / |. |
\. ィ | |
| | |
>>386 >J、アーテン、パーサがこの世界を消滅させる事が出来なかったのに我々が本当にそれを出来るのだろうか?
これね、世界とは自己とは関係なく独立して存在していると思い込んでいる、これが誤謬なんだよ。
意味がわかるか?
>ACIM、神使は将棋で言えば既に詰んだ状態になっている(サマディの直接体験が自我の体験だと暴露されて詰んだように・・・)
そうやって情報操作しようとするから神対派は信用されなくなるんだよ。
じゃあACIM、神使のどこが将棋でいう既に詰んだ状態なのか、具体的に指摘してみ。
サマディの体験は自我の体験なのか? 彼はそんなこと言ってなかったぞ。
そこには体験のみがあり、“I”はない、と繰り返し言ってたじゃないか。
どうして平然とそういう嘘をつくことができるのか、不思議だな。
まるで朝鮮人みたいだ。
ホントに朝鮮人メンタリティそのものだな。 呼吸をいするように平気でウソをつく。 今回のサイバーテロも、自分たちが勝手に攻撃してきたくせに、 FBIが動き出した途端に日韓サイバー戦争などと言いだして、 日本にも責任があるかのように喧伝しようとする。 どこまで卑怯な連中なんだと今まで以上にねらーは憤ってるが、 あの韓国人の卑怯極まるメンタリティそのものなんだものな。 やっぱり脳呼吸(丹学、ダンワールド)の連中が一枚噛んでるのかもしれないな。
宗教団体(ここでは神との対話教)というのは、過去にも、こうやって自分たちの教義にとって都合の悪い意見や、 都合の悪い体験を語る人間を誹謗中傷し、排斥し、そして最後には惨殺してきたんだろうな、何百人、何千人も。 悪魔だとか魔女だとかレッテルを貼っては石を投げ、磔にし、そして火あぶりにする。おぞましい話だ。
408 :
神も仏も名無しさん :2010/03/04(木) 23:52:21 ID:vddGvBqX
>>404 >これね、世界とは自己とは関係なく独立して存在していると思い込んでいる、これが誤謬なんだよ。
>意味がわかるか?
はあ?意味不明
この世界は自己と関係して存在しているのは明白
目の前の物を動かすという事も自己の意思でこの世界に関与する事だし
五感を通して世界の情報を得られるのも自己が世界から影響を受けているという事だ
自己と世界はお互い密接な関係を持っている
ヘレンを通して明らかにこの世界と関係しているのがJ
この世界に干渉しているJにとってはまだ世界は消えていない
”神とこの世界は何の関係もない”なら地球とは完全に無関係であるはずなのに
本当にこの世界を消滅させて神と一体化したなら地球は存在しない
「地球って何?」という疑問すら生じない状態
>じゃあACIM、神使のどこが将棋でいう既に詰んだ状態なのか、具体的に指摘してみ。
Jでさえ世界の消滅が出来ないなら信者に出来る訳ないだろう!
Jの赦しの実践や聖霊への委ね方が甘かったとでも言うのか?
>サマディの体験は自我の体験なのか? 彼はそんなこと言ってなかったぞ。
>そこには体験のみがあり、“I”はない、と繰り返し言ってたじゃないか。
これは明明白白の事で往生際が悪いサマディが頑なに認めないだけ
自我とは関係ない体験ならどうして2chにカキコ出来るのだ?
神が存在しない世界の2chにカキコしたとでも言うのか?
409 :
神も仏も名無しさん :2010/03/04(木) 23:59:05 ID:vddGvBqX
いや、君も神使派も誤解してるようだけど、神との対話も自己が見ている世界は自己が見ている幻であるって言ってるんだよ。 ただ その幻は自らの経験のため意図的に用いている意味のある経験であるというのが神との対話風で 神と関係のないエゴが見せているすぐにでも捨て去るべき意味のないものであるというのが神使派風
>>408 アドヴァイタでは、自己=世界であり、この偽りの世界は偽りの自己、
つまりエゴの投影と見なす。だからエゴが消えれば世界が消える、ということ。
少しは勉強しろ。
>この世界に干渉しているJにとってはまだ世界は消えていない
Jがこの世界に干渉してきている、と認識しているのは誰?
お前のエゴだろ。
この世界に現れたと本に書かれているアーテンとパーサも、
ヘレンを通して働きかけたJもあくまでお前自身(つまりエゴ)がそう認識している。
>”神とこの世界は何の関係もない”なら地球とは完全に無関係であるはずなのに
>本当にこの世界を消滅させて神と一体化したなら地球は存在しない
>「地球って何?」という疑問すら生じない状態
お前のエゴがそう認識している。それだけ。
神がこの世界とは何の関係もないということを理解したければ、
お前が消えない限りそれは無理ということ。
>Jでさえ世界の消滅が出来ないなら信者に出来る訳ないだろう! >Jの赦しの実践や聖霊への委ね方が甘かったとでも言うのか? これもそう。こう認識しているのは誰だ? お前なんだよ。 だからそのお前が消えない限り本当のところはわからないよ、ということ。 >これは明明白白の事で往生際が悪いサマディが頑なに認めないだけ >自我とは関係ない体験ならどうして2chにカキコ出来るのだ? >神が存在しない世界の2chにカキコしたとでも言うのか? ここは自我の世界なんだろう? その世界で語られているからさ。 そしてそれをお前、つまりエゴが認識しているということ。 どう足掻いたって無駄なんだよ。 お前が体験そのものを体験しない限り、なぜ“I”がそこにないのに体験したとわかるのか、 という疑問に対する答えは得られない。 というより、“I”が消えればそういう疑問そのものも消え去り、元からなかったことになる。
どうして“その頭で”整合性をもってすべてが理解されるはずだ、と考えてしまうんだろうな。 『この天と地との間には、ヒトの智慧では計り知れないものが多々あるのだよ、ホレイショウよ』 ハムレットより 自分のこんな程度の頭では所詮理解できるはずがない、と諦め保留にしておくという勇気と知恵を持て。
主体が消えることはない 「Iam○○」(わたしは○○である) ・最初に変わることなく座しているIは 「主体であり神であり全体であり存在の全てである<わたし>」 このわたしが消えて非存在になるということはない。 ・○○の部分は 「最初の全体としてのIを制限することや思い込むことによって生まれた部分としての小さな<わたし>」 このわたしはその経験や自己表現を終えたとき、かたちを変えて消え去り再び全体へと溶け込んでいく。 ・Iと○○は全体と部分の関係にあって、いつもつながっている連続した存在。それは意識の拡大−縮小という手法を用いて行われている。 ・そして、自分が経験したいと思っていた全ての経験を終えたときに○○は消えて 「Iam」(わたしは在る)(ただ、わたしだけが存在する)という全体の境地へと戻っていくことになる
>>414 と、エゴは考えている。
“I” am ○○. とはつまり、“I”=○○、ということ。
“I”が消えれば○○も消える、○○が消えれば“I”も消える。
○○が消えたのに“I”だけが残るということはない。
したがって、○○が消えれば“I”も消え、
そして、 I AM THAT I AM. つまり、本物のIが登場する。
Iと“I”は何の関係もない。
I AM THAT I AM THAT I AM THAT I AM THAT.....................∞
そこにはIのみがある。つまり裏を返せば体験のみがそこにあり“I”はない、否、初めからなかった。
“I”が消えなければ本当の人生は始りませんよ、
ということはカルキも言っているし、歴代の聖者たちも同じことを言ってきた。
だったら屁理屈は置いておいて、まずはそれを体験してみたらいいじゃないか。
実際、ディクシャに関わってきた人たちの中から、自分が消えた、空っぽになった、
そしてそれはこの上ない喜びだった、と言う人たちが続出しているが、その現象をどう説明するのか?
・>○○が消えたのに“I”だけが残るということはない 「IamTom」からTomが消えても「Iam」という文が成立しているように 消えたのは「Tom」という限定された人格であって、主体であるIではない。 ・「自分が消えた、空っぽになった、そしてそれはこの上ない喜びだった」と認識した瞬間も、戻ってきてそのことを語っている瞬間も経験主体、認識主体であるIが消えていないのがその証。
>「IamTom」からTomが消えても「Iam」という文が成立しているように >消えたのは「Tom」という限定された人格であって、主体であるIではない。 違う。“I”am Tom.の“I”はTomと切り離すことはできない。 “I”はTomであり、Tomは“I”。 I am. 私は存在する。 この私は何ものにも依存しない。私は在る。 つまり裏を返せば、そこには体験のみがあり、“I”が投影された世界(Tom)はない。 >・「自分が消えた、空っぽになった、そしてそれはこの上ない喜びだった」と認識した瞬間も、 >戻ってきてそのことを語っている瞬間も経験主体、認識主体であるIが消えていないのがその証。 と認識しているのはあなたのエゴであり彼らはそれとは関係ない。 彼らにとっては、そこには体験の身があった、ということになる。 それを経験していない君には決してわからない。 だからつべこべ言ってないで経験すればいい、そうすればその疑問も解消するだろう。
君が後生大事に抱え込もうとしているその“I”は消える。それは幻影なんだから。 残念だったね。諦めなさい。諦めたら君も本当の幸福を体験する、否、幸福そのものになるだろう。
>“I”はTomであり、Tomは“I” NO,NO,Tomは“I”であっても“I”はTomじゃない。 最初に座している主体であるIは Kenだと思えばKenになるし、次郎だと思えば次郎になるし、 男だと思えば男になるし、女だと思えば女になるし、 幸福だと思えば幸福になるし、不幸だと思えば不幸になる。 最初に変わることなく座しているIは 「主体であり神であり全体であり存在の全てである<わたし>」で、このわたしが消えて非存在になるということはない。 移ろい消えていく<わたし>は○○の部分の限定された<わたし>、これが自分だと思い込んでいる<わたし>であって、それは最初に変わらず座しているIの限定された姿にすぎない。
拡大した意識である全体としての<わたし>と縮小した意識である部分としての<わたし>は別ものではなく、連続していつも繋がっている。
厳密に言うと“I”は消えるんじゃない。 そんなものは最初から「ない」。 TomでもKenでも次郎でも男でも女でも、それら「世界」に投影されたもの、 それを通して“I”と錯覚しているだけなんだよ。 そして、最初から変わらず座しているI、という本で読んだ概念を君は述べているだけだね。 本当に、最初から座しているIをわかっているのなら、それが“I”と連続して繋がっている、などとは決して言わない。 カルキ・バガヴァンもそんなことは一言も言っていないね? “I”という錯覚が消えた時、そこに最初から座しているIは、君が想像しているようなものではなく、 如何なる条件付けも不要の、私は在る、体験が体験のみとしてそこに在る、ただ在る、そういうこと。 君は体験していないからそれがわからない。 本で読んで勝手に想像した概念を述べているだけ。 間違っているんだよ、君は。 そして拡大した意識とか縮小した意識なんて概念も君の誤謬。
錯覚しているのは何ものか 体験しているのは何ものか 存在が非存在に、非存在が存在になることはなく 全ては存在の中で起こっている
子供が人形で遊んでいて人形の役に成り切っているのに似ているかな。
そうだね
着ぐるみを着ていると、みんながその着ぐるみのキャラクターで呼ぶ。例えばウルトラマンの着ぐるみを 着ているとみんなが自分を指して「ウルトラマン」と呼ぶ。ずっと着ているとずっとそう呼ばれてしまい 周りの人からもそう扱われてしまうので段々とそれに成り切ってしまい、元の自分が何だったかを忘れる。 しかし、「ウルトラマン」など最初から居ないというのが真実だ。
>>422 だから、それは君が本か何かで読んだ概念だけで実際は何もわかっていないだろ?
君のその“I”でもっていくら空想を膨らませたって、所詮何もわかりゃしないんだよ。
実際に“それ”そのもの、体験そのものになってみなければ。
ビッグIは“”付きのIとは関係ないの。
だからカルキのところの“経験者”たちも、異口同音に、
私がすっかりなくなった、空っぽになった、私が消えた、と、
本来言葉で表現できない“それ”に対してせいいっぱいそう表現しているんだよ。
君の言うように、意識が拡大するのなら、彼らもそう表現するだろうし、
カルキ自身もそう教えるだろう。
しかし彼らはそういう表現はしない。
なぜなら、“I”という錯覚が消えて、それで、ああ、これが本当に“経験する”ということなんだな、
と体感したからだよ。
そのちっぽけな限られた頭、その錯覚でしかない“I”で、いくらもっともらしい理屈をこじ付け立って、
実際の体験者の言葉(その言葉は正確にはその体験を決して表現し得ないのだが)の前には、
エゴによる陳腐な説明など何の説得力もないということを理解したほうがいいね。
私はウルトラマンだ、とずっと思いこんでいた人が、 ふとした瞬間に自分がぬいぐるみを着ていたに過ぎなかったことを思い出し、 そのぬいぐるみを脱ぎ捨て、本来の生活に戻ったとする。 その時、その人が、その本来の生活を送りながら、同時に、 私は実はウルトラマンでもあるのだよ、と周囲に吹聴しているのだとしたら、 実はその人はまだぬいぐるみは脱ぎ捨ててなんかいない(笑)。
>>427 ま、たまに巨大化するぐらいは良いんじゃないか?w
こういうことを考えたことがある。本当に素っ裸で放り出されたら自分をそれまでの自分であると証明することは可能か? 不可能だ。w 知り合いが居れば辛うじて出来るかも知れない。しかしそれは可能性が高まるというだけのことであって確定的ではない。 恐らく警察ならそれでも疑って複数の人の証明を求めるだろう。しかもなるべく公的に信頼のある人の証明を求めるだろう。 そういう知り合いが居なかったら、もうほとんど終わりだ。w (何らかの事情があって警察に指紋や遺伝子が登録されていたら可能かも知れないがw)
>お前のエゴがそう認識している。それだけ。 >神がこの世界とは何の関係もないということを理解したければ、 >お前が消えない限りそれは無理ということ。 神使派も聞きかじりの知識だけで語っていたことが発覚しました。
神使派は 世界には論理的に理解出来ないことがあるという理論に納得いるだけで 納得の仕方は神対派となんらからわない。
432 :
神も仏も名無しさん :2010/03/05(金) 08:24:46 ID:LB3M8wMM
なんらからわないw (・∀・)
どう見ても、神対信者の言い分には説得力がない。 具体的でないし実例もあげられていない。 何とかして神使を否定したいという焦りだけが伝わってくる。 神対信者の敗北確定。 (・∀・)
434 :
神も仏も名無しさん :2010/03/05(金) 12:48:32 ID:mcJHXUld
ウルトラマンA「自分は本当はウルトラマンではない、ぬいぐるみを着ているだけだ。」「一度、ぬいぐるみを脱いで確かめた事があるんだ。」 ウルトラマンB「何、ぬいぐるみだとw?ぬいぐるみを脱いだのならどうしてまた着ているのだ。今のお前はウルトラマンにしか見えないがw」 ウルトラマンA「そ、それは…!」「えっーと、お前の自我が私がぬいぐるみを着ているように見ているだけだ…間違いない。」 ウルトラマンB「ほれ、この鏡を見てみろ。」「鏡に写っている通りお前はウルトラマンだ、間違いないw」 ウルトラマンA「ば、馬鹿な…!そんな馬鹿な…!」 ウルトラマンB「だいたいお前の体は脱げるようになっていないぞ。チャックとか無いし…そもそも脱ぎ方なんてあるのか?」 ウルトラマンA「それだ。脱ぎ方を教えている人がいるんだ。Jやアーテン…アセンディットマスターと崇められている。これは確かだ。」 ウルトラマンB「J、アーテンが信者に脱ぎ方を教えている時、J、アーテンはぬいぐるみを脱いだ姿で教えていたのかね?それとも我らと同じくウルトラマンの姿だった?」 ウルトラマンA「ウルトラマン」
435 :
神も仏も名無しさん :2010/03/05(金) 13:20:26 ID:OUEHRirR
/  ̄  ̄ \ / _ノ ヽ、_ \ / o゚|⌒| |⌒|゚o \ / / / | _|_ ― // ̄7l l _|_ | | (__人__). | | _/| _/| / | | ― / \/ | ――― \ | `|⌒|´ | / | | / | 丿 _/ / 丿 / ̄ |川!| ̄|川i| ̄\
>>434 一生懸命考えたんだろうけど全然面白くないし説得力もなしw
やっぱ馬鹿だね、神対信者w
(・∀・)
437 :
神も仏も名無しさん :2010/03/05(金) 16:42:21 ID:Ix2uwNCL
>>413 頭で考えて分かるレベルの事まで否定しては駄目だ
事実を直視出来る勇気を持ちなさい
少なくともサマディは”I”を消滅させた”体験そのもの”を体験していない事はハッキリしている
彼に↓のような事を言う資格は何処にもない
>お前が体験そのものを体験しない限り、なぜ“I”がそこにないのに体験したとわかるのか、
>という疑問に対する答えは得られない。
>というより、“I”が消えればそういう疑問そのものも消え去り、元からなかったことになる。
現状ではサマディの”I”は消えていないのだから ”元からなかったこと”には勿論なっていないw
438 :
神も仏も名無しさん :2010/03/05(金) 16:48:45 ID:Ix2uwNCL
>>437 サマディの足元にさえ及ばないお前には、なおさらそんなことをいう資格はないw
大衆向けの安っぽいニューエイジ本でしかない神対に感化されてしまった、
お前自身の恥ずかしい境遇を直視しなさいww
サマディに嫉妬し、サマディをおとしめることで、 必死になって自分を安心させようとする神対信者。 しかし、もう勝敗は決してるんだよね〜♪ サマディの主張を否定することは、 仏陀やキリストやシャンカラやクリシュナムルティやカルキも否定することになる。 安っぽい大衆向けのインチキ本、神対に感化される程度の知能と教養しか持ち合わせていない馬鹿だから、 そんな大それた愚行をしでかしてしまうのかwww まさに、典型的な朝鮮人メンタリティw さすが脳呼吸カルトはやることが斜め上行ってるわwwww
>>440 仏陀が世界は存在していないと言ったか?
相変わらずの捏造乙
わたしが消えてなくなるなら、 なぜカルキ・バガヴァンという人物がいるのか?ということなんだけどな。 彼は自分のことをカルキ・バガヴァンだと認識しているんだろ? きれいさっぱり無くなるんではなく、少なくとも記憶として残るのは確かだと思うが。 で、さっきのバガヴァンの講演の録音の中には、 「マインドのコアは残る」と述べられていると思うが、 これについてはどういう説明があるの?
「君、この世は無いんだよ」と誰かが言った時、少なくとも相手と同じレベルで この世を感じて、生きている証明とならないか?
愛なら今、何をするかw その神対の教えの結果がこのスレの神対信者の醜態ですwww
>>442 よく調べろよ、アホの神対信者w
カルキは覚醒の最初の段階について語ってるんだよw
その後がまだあることはカルキ関係の資料を調べればちゃんと言及されとるw
カルキが何故肉体を持ってるか?
アバターだからだろw
で、アバターは世界を消してないじゃないか?
アバターでない、サマディの足元にさえ及ばない、ただの無知蒙昧のお前に何がわかる?ww
安っぽい大衆向けのインチキ本、神対に感化されてしまう程度の馬鹿のくせに生意気なんだよwww
>>441 バーカw
スマナサーラの本でも読んで出直してこい、猿野郎w
>>445 ちなみに
肉体は問題にしてないよ。
サマディの小判鮫君。
449 :
神も仏も名無しさん :2010/03/05(金) 19:32:17 ID:UrCEZWv8
つうかアバターって何で世界を消さないのかな この世界は存在せず神のみが現実、という事を喝破したんだろ さっさと世界を消して巣へカエレ、と思うんだけど・・・
450 :
神も仏も名無しさん :2010/03/05(金) 19:48:14 ID:UrCEZWv8
>>434 サマディはぬいぐるみを脱いだ事があると主張しているけど、
それなら何故、一旦脱いだぬいぐるみを再度装着したんだろうか
そもそも彼はぬいぐるみなど最初から存在しないと言っているのに何故・・・
451 :
神も仏も名無しさん :2010/03/05(金) 21:04:30 ID:MCSIV5dm
馬で例えると・・・ 神使派…真の幸せという人参を鼻先にぶら下げて永遠に突進。 神対派…満足気に近くにある草を味わっている、ここに真の幸せがある、メシウマ。
そういえば大天国は見掛けなくなりましたね。 どうしたんでしょう。
神対派…本を読んでその気になって神様ごっこ、マスターごっこを繰り返し悦に入る。 しかし「ごっこ」をやっている虚しさ、無意味さは本人たちが一番よくわかっているため、 本物の教えや本物の体験をした人に遭遇すると、 嫉妬心を燃え上がらせて半狂乱になって騒ぎ出す。 一生「ごっこ」から抜け出せず、人生を無駄にしてしまう。 神使派…ニューエイジを卒業し、やっと本物に巡り会い道を見出した幸運な人々。 未だニューエイジという監獄に収容されそこから抜け出せない神対派に、 同情と哀れみを抱いている。
↓神対派に同情と哀れみを抱いているという神使派語録 >まさに、典型的な朝鮮人メンタリティw >さすが脳呼吸カルトはやることが斜め上行ってるわwwww >安っぽい大衆向けのインチキ本、神対に感化されてしまう程度の馬鹿のくせに生意気なんだよwww >バーカw >スマナサーラの本でも読んで出直してこい、猿野郎w この人、本物の教えを受けて本物の体験をしたらしいですw
俺は神使派じゃない というレスを予想。
そのとーりw おいらはアンチ神対w 偽善と欺瞞をこよなく憎み、からかうわけさwww 神対を卒業して神使に進学した神使派と、 神使を読んでもいないのに、 神使を批判(実際は神使を脅威に感じて恐怖からキャンキャン吠えてるだけw)している神対派。 どちらに分があるかは言わずもがなw (・∀・)
神使なんて負のオーラが満ちた本じゃん あんなもの読んでいたら気が滅入る 魔界への入門書
_,,....,,_ _人人人人人人人人人人人人人人人_ -''":::::::::::::`''> 魔界へようこそ!!! < ヽ::::::::::::::::::::: ̄^Y^Y^Y^Y^Y^Y^Y^Y^Y^Y^Y^Y^Y^Y^ ̄ |::::::;ノ´ ̄\:::::::::::\_,. -‐ァ __ _____ ______ |::::ノ ヽ、ヽr-r'"´ (.__ ,´ _,, '-´ ̄ ̄`-ゝ 、_ イ、 _,.!イ_ _,.ヘーァ'二ハ二ヽ、へ,_7 'r ´ ヽ、ン、 ::::::rー''7コ-‐'"´ ; ', `ヽ/`7 ,'==─- -─==', i r-'ァ'"´/ /! ハ ハ ! iヾ_ノ i イ iゝ、イ人レ/_ルヽイ i | !イ´ ,' | /__,.!/ V 、!__ハ ,' ,ゝ レリイi (ヒ_] ヒ_ン ).| .|、i .|| `! !/レi' (ヒ_] ヒ_ン レ'i ノ !Y!"" ,___, "" 「 !ノ i | ,' ノ !'" ,___, "' i .レ' L.',. ヽ _ン L」 ノ| .| ( ,ハ ヽ _ン 人! | ||ヽ、 ,イ| ||イ| / ,.ヘ,)、 )>,、 _____, ,.イ ハ レ ル` ー--─ ´ルレ レ´ アーテン パーサ
このスレ邪気だらけだな
461 :
神も仏も名無しさん :2010/03/06(土) 10:42:41 ID:3LcK21C+
サマディと(・∀・) がいるから致し方なかろう
>>459 それ駄目
アーテン、パーサを美化しすぎ
こうやってAAと個人攻撃でごまかすことしかできないところに、 馬鹿な神対信者の苦しい境遇がよくあらわれてるよなw どうしたって、もう昔には戻れないとw もう無邪気に「神との対話」を100%信じることはできなくなってるよな?w 「神との対話」を見るたびに「神の使者」を連想し、そしてサマディやアンチ神対を思いだし、 不安と敵愾心を掻き立てられてしまうとww ああ、かわいそうに、かわいそうに(棒)www (・∀・)ニヤニヤ 愛なら今、何をするかwwwww
サマディ等神使派は(一匹の雑魚でしかない(・∀・)を除いて)もう粉砕済みだ だから不安と敵愾心を掻き立てられてしまう事など全く無い ☆☆☆☆☆☆☆☆祝神対勝利☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆ _|\○_ヒャッ ε=\_○ノ ホーウ!!
まさに朝鮮人メンタリティw 誰がどう見ても、神対信者大敗北なのに、 勝利宣言して敵前逃亡www なるほど、、ニールが広告塔を勤める韓国カルト教団・ダンワールドの脳呼吸の実践で頭をやられてしまっているわけだww
>>464 この粘着性には参るわ。
もっと他にエネルギー向ければいいのに。
466 :
神も仏も名無しさん :2010/03/06(土) 16:09:02 ID:ITEytlHx
単発IDが湧いてくる、湧いてくるw 神対を読んでその気になっただけ、 引き寄せ本を読んで感化されても同様に一時的に高揚感を味わうだけ、 実際は何ひとつ思い通りの人生を生きることもできず、 着々と次のステップに進んでいる神使派に劣等感を抱き、 具体的な実体験を語るサマディに嫉妬しては、 負け犬の遠吠えを繰り返す、哀れな神対信者ww 学歴も国家資格もなく、 安っぽい大衆向けのフィクション、インチキ本の神対にすがり、 自分の人生はこんなはずじゃない、こんなはずじゃないんだ〜と 断末魔の叫び声をあげる負け組神対信者w かわいそうに♪ 低学歴、低収入ってつらいだろうね♪ ご愁傷様ww (・∀・)pgr
相手に「この世は存在しない」と言う時、その「この世」とは誰から見た視点の 「この世」なのか?
言った人じゃないかな。 サマディが「この世は存在しない」と言ったならサマディから見た視点の「この世」。
>>461 ではこれで。
,-=''"`i, ,x'''''''v'" ̄`x,__,,,_ ,-=''"`i, ,x'''''''v'" ̄`x,__,,,_
__,,/ i! i, ̄\ ` 、 / i! i, ̄\ ` 、
__x-='" | /ヽ /・l, l, \ ヽ | /ヽ /・l, l, \ ヽ
/( 1 i・ ノ く、ノ | i i, 1 i・ ノ く、ノ | i i,
| i, {, ニ , .| | i, {, ニ , .| | i,
.l, i, } 人 ノヽ | { { } 人 ノヽ | { {
}, '、 T`'''i, `ー" \__,/ .} | T`'''i, `ー" \__,/ .} |
.} , .,'、 }, `ー--ー'''" / } i, }, `ー--ー'''" / } i,
| ,i_,iJ `x, _,,.x=" .| ,} `x, _,,.x=" .| ,}
`" `ー'" `ー'" iiJi_,ノ
アーテン パーサ
>>467 このスレはそういうのでは釣れないと思うなあ。
「この世は存在しない」と言った時、無いが存在するなら有るが存在しなくて良いのか? 有るという認識が無ければこの質問は出てこない。 相手も自分もこの世を共有している。 それを言っているのは誰か?
473 :
神も仏も名無しさん :2010/03/06(土) 21:50:03 ID:U6eVqZzV
>>470 ∩
( ⌒) ∩_ _ グッジョブーン!!
/,. ノ i .,,E)
/ /" //
_n グッジョブーン!! / / / /
( l / / ^ω^)/ / グッジョブーン!!
\ \ (^ω^ )( / ( ^ω^) n
ヽ___ ̄ ̄ ノ二ヽ |  ̄ 二二二二( E)
/ / \ ヽ フ /
| / | / | /
( ヽノ ( ヽノ ( ヽノ
ノ>ノ ノ>ノ ノ>ノ
三 レレ 三 レレ三 レレ
474 :
神も仏も名無しさん :2010/03/06(土) 22:03:14 ID:QNtzrwsB
475 :
神も仏も名無しさん :2010/03/06(土) 22:05:54 ID:QNtzrwsB
>>467 オマイのレスはいつもワンパターン過ぎる
神対派をカッ!と熱くさせるものが足りない
たまには激怒させてくれ
>>472 言葉で現すのは本当は無理ってことなんじゃないかな。
それをあえて言葉に直すとそんな表現になっちゃうってだけだと思う。
477 :
神も仏も名無しさん :2010/03/06(土) 22:31:02 ID:QNtzrwsB
そんなに難しく考える事はない。 「この世は存在しない」は「この世なんて滅びてしまえ、畜生!」という心の叫びをオブラートしたもの。
この話題だけに集中しないほうが良いとも思えるので別の話題もどうぞ
進めてください。
この質問をした時、どんな意見でも瞬間なるレスを期待していた。
>>476 >>477 もその中に正解を見出していると思う。
変に論破しようとしたり気が利く論調は回答が遅くなり(時間がかかり)理性(頭)を
感じさせるような内容だろう。
「この世は存在しない」という真実の言葉はこの世にも微細に関わり、しかも 大部分は神世界の資質を持つ聖霊という特筆をもつものだからいえる表現と思う。 「この世は存在しない」を聖霊の言葉を読んで言う人は、大部分をこの世に置いて 神世界の一部を垣間見た人である。つまり、聖霊の言葉を借りないと本質を表現できない。 相手の人の信念が「人間の終着駅は現実のこの世の体験だけだ」という人には この世にしっかり踏ん張っているあなたでも聖霊の言葉に真実を感じていれば 相手にとっても役にたつ言葉となるだろう。 しかし、人間の終着駅は「神の究極」だと知っている人に対しては、今この世の 体験を楽しんでいる人であろうと、「この世は存在しない」と触れ回っている 人とどう大差があるだろうか。
480 :
神も仏も名無しさん :2010/03/06(土) 23:14:45 ID:LF8WT091
>>479 ”この世”も”神世界”もどちらも存在するけど”神世界”を選んだほうが幸せに生きれるという考えでは問題あるかな?
「この世は存在しない」を議論の余地なく真実としてしまうのはどうかと思うよ。
>>480 あんまり反応が無いと自分で書いてて分からなくなってくる。
しかし、分かるということ自体が本来おかしいのかもしれない。
以下は480レスが来る前に書いていたものです。
480との関連は詳しく検証してませんが言葉の端々は重なってるので。
エゴ体験とはどういうものかを知るには、神対でさえ(もう何年もほとんど読んでないが)厳しい体験を理解するのに、
いちいち体験しなくても良い、体験の共有によってイメージで(よく覚えてないが)体験的理解は可能とある。
つまり夢の中で体験してそれを知ることが出来る。つまり、映像としてだ。
どうせ映画を見るなら臨場感あるほうがおもしろいだろう。
つまり、神のパワーがあったほうがおもしろい。
夢は楽しいほうが良いに決まっている。しかし、最高の楽しさ以外は所詮夢さ、
ということになる。夢で神を実感できない。この世で神は実感できない。
エゴには神は理解できない。しかし、あなたは神そのものだ、しかし
エゴもある。神そのものだがそれを理解できない。本を読んで知っているが
体験を伝えることはできない。神の表現を借りねばならない。
この世でうまくいっていない神対信者がこの世の存続を願い、 この世でそれなりの成功を手にしている神使派が神を求めている、 という図式は何とも皮肉だなw つまり、神対信者は、この世での成功体験がない分、 成功しさえすれば、さぞやハッピーだろうと夢想しており、 すでに成功体験を得ている神使派は、この世でどれほどの成功をおさめたって、 それはハッピーであることとは何の関係もないことを既に知っている。 神対信者が怖れているのは、 この世で何を手に入れようと如何なる成功を手にしようと、 それは何の意味もないゴミなのだ、 という現実に直面させられることなわけだ。 やっぱり神対信者って貧乏臭くて安っぽいよなw
また妄想がはじまった
人間は何らかのトラウマがあるものだ。 神のものではなくとも、憤怒の感情の発散は必要だろう。 人生を、感情を生きよとは神対でも教えていることだし。
「この世は無い」と「この世は幻想である」との関連はメンタル的な扱いの 必要性もあろうがここは置いといて、 本題を言っておこう(すみません、何か、誰かの口調になってきたような)。 「この世は存在しない」から始まって、「自分を消していく」、「この世は無意味」 「精神、感情、肉体もろくなもので無い」、「この世や宇宙の消滅が究極の世界へ つながる道」という教えも部分的抜き取り解釈で無い限り本当だろう。 しかし、言葉を抜き取りそれを自分の戒めとして体験、経験して学ぶのは良いが、 相手に強要し、やる気が無いものに自分より先に経験させようとするのはいかがなものか、ということ。 自分はこの世にしっかり根付いておりながら、この世を充実体験したい者に それを放棄しろと言うようにもとれる。 つまり、まったく意味が無いこの地球から早く飛びたてと催促する。 飛び立って首に縄を巻きつければ、自分の肉体も、意識も、この世も、宇宙さえ 消滅するかもしれない。しかし、神世界は用意されているの? もし用意されてなければ一体どうしたらいいの? 相手に先に行かせるならアフターサポートする責任がある。責任持てなければ 自分で確かめた後に相手に進めてほしい。 本当に成功すればあの世から神の成功波動が伝わるからすぐ分かるはずだ。 その時あなたをアバターと認めて続く者も 多く現れるだろう。
このスレは存在しない。2ちゃんねるは存在しない。
487 :
神も仏も名無しさん :2010/03/07(日) 10:45:45 ID:mjfO0She
>>487 自分の言葉で自分の主張を表現する知性も教養もなく、
「同意」とか「正論」としか反応できないお前こそマジキチだ。
489 :
神も仏も名無しさん :2010/03/07(日) 13:11:38 ID:PwbQjeTl
∧_∧ ( ´∀` ) ところでこのゴミ、どこに捨てたらいい? /⌒ `ヽ / / ノ.\_M ( /ヽ |\___E) \ / | / \ ( _ノ | / ウワァァン ヽ | / / |ヽ(・∀・)ノ| | / / ヽ 482 ノ ( ) )  ̄ ̄ ̄ | | / | | |. / |\ \ ∠/
490 :
超スーパー女教師河合希 :2010/03/07(日) 13:43:20 ID:BHqQ4f9s
>>342 それ誰の言葉?詳しく!
できればリンクもお願い致します
491 :
超スーパー女教師河合希 :2010/03/07(日) 13:53:49 ID:BHqQ4f9s
>>342 それおかしいな
神との対話シリーズ 神とひとつになること
の145ページでも 高度に進化したら二度と幻想を生きなくていい
はずだが。。。
それは 人間レベルを卒業してもさらに進化する という意味かな?
神の使者 不死 でも
心の奥の罪悪感を消滅させたら二度と身体に宿る夢を観ないと書いてあるが。。。
492 :
神も仏も名無しさん :2010/03/07(日) 13:59:19 ID:kdgKiO0S
大学を卒業してもまた大学に入学することは可能だから 再入学する必要がなくなったというだけで 再入学が不可能になるわけじゃないから まあ普通は大学を卒業すると社会人(もしくはニート)になるけどね
493 :
超スーパー女教師河合希 :2010/03/07(日) 14:02:11 ID:BHqQ4f9s
319 :神も仏も名無しさん:2010/02/28(日) 16:26:54 ID:wUHtbZSF 世界は鏡です。正確には「世界」と感じるものは「鏡」と考えて良いということで、 実際鏡というわけではありませんが、人間の精神を通すとそう感じられてしまう ものと考えて良いです。世界には自分の内面がそのまま映し出されています。 なので自分の内面を確認するためにこれを利用することが出来ます。もし世界中の 人が悟っているかのように見え始めたなら、あなたが悟りに近づいている可能性が あります。逆に世界中の人が悟りから遠いように見えたならあなたが悟りから遠い 可能性があります ↑ 神との対話信者の いつも人の質問に直接答えずはぐらかす ゆたか君 こんにちは あなたは本当に 邪悪なオーラーを発する 小沢一郎 が 悟って光輝いているように観えるの? 口だけならなんとでも言える 一度 暴力団の家に入ってみなさい どうみても 彼らは 光輝いて観えない あなたは本当に彼らが光輝いて観えるのかな? あなたは妻をレイプした人間も光輝いて観えるのかな? 預言しよう あなたはこの質問から逃げる なぜならあなたは口だけで中身がないから
494 :
神も仏も名無しさん :2010/03/07(日) 14:05:04 ID:kdgKiO0S
ゆたか君て誰だよ 聞いたことないw
495 :
超スーパー女教師河合希 :2010/03/07(日) 14:05:13 ID:BHqQ4f9s
492 :神も仏も名無しさん:2010/03/07(日) 13:59:19 ID:kdgKiO0S 大学を卒業してもまた大学に入学することは可能だから 再入学する必要がなくなったというだけで 再入学が不可能になるわけじゃないから ↑ うーん しかし 心の中の罪悪感が消滅したら 輪廻の因も消滅するし 叡智も獲得してきて賢くなってるから また 幻想に巻き込まれることはないと思うが アランカルデックの霊の書でも 霊性進化に決して退化はない と書かれている また 霊性は目にあらわれると書かれている つまり 目が冷たい人 奥行きのない目の人は 未発達な魂 いきいきした目と慈愛慈悲の目はぜんぜん違う
496 :
超スーパー女教師河合希 :2010/03/07(日) 14:09:14 ID:BHqQ4f9s
わたしは思うのだが 悟りを開いたら ラムサのいうように 中心 集合 創造者 になるのではないか?と感じる つまり わたしたちは 神との対話の神のような存在になる ということ つまり 神との対話の神が一人の人間として再生するなんてことは不可能 だから もう人間レベルに戻りたくても戻れないと思う だが この宇宙区で神と呼べるのはイエスキリストのみ イエスキリストのみが神で その他のマスターはイエスキリストの子供 あなたがたもイエスキリストの子供
ちなみに河合希は死んだ魚のような目をしています
498 :
超スーパー女教師河合希 :2010/03/07(日) 14:11:48 ID:BHqQ4f9s
499 :
超スーパー女教師河合希 :2010/03/07(日) 14:12:51 ID:BHqQ4f9s
ちなみに河合希は死んだ魚のような目をしています ↑ 俺を見たことのかい? 俺のだいたいの身長 体重 体系 髪型 服装 を述べてください あなたは誰ですか?
500 :
神も仏も名無しさん :2010/03/07(日) 14:15:05 ID:kdgKiO0S
>>495 >また 幻想に巻き込まれることはないと思うが
叡智を獲得すると幻想に巻き込まれることはないけど幻想を巻き込むことは出来る
幻想に何らかの積極的な意味を見出せればまた幻想を見たいと思う事もあろう
501 :
超スーパー女教師河合希 :2010/03/07(日) 14:16:54 ID:BHqQ4f9s
↑ 俺を見たことのかい? ↓ 俺を見たことあるのかい? まあ 調子が悪い日は目が死ぬな でも 調子の良い日はマスターに近いオーラを発することができる
502 :
神も仏も名無しさん :2010/03/07(日) 14:21:01 ID:kdgKiO0S
>>496 >だから もう人間レベルに戻りたくても戻れないと思う
人間レベルに長く居れば居るほど深みのある魂になれるでしょう
早く人間レベルを卒業した方が良いとは限らない
とことん深みを目指したいなら卒業を延期するべき
>つまり わたしたちは 神との対話の神のような存在になる
ちょっとまて
君は神との対話は大嫌いじゃなかったのか?
神との対話の神になりたいの?
503 :
超スーパー女教師河合希 :2010/03/07(日) 14:22:02 ID:BHqQ4f9s
>>495 >また 幻想に巻き込まれることはないと思うが
叡智を獲得すると幻想に巻き込まれることはないけど幻想を巻き込むことは出来る
幻想に何らかの積極的な意味を見出せればまた幻想を見たいと思う事もあろう
↑
その場合 は 人に悟りを伝えるため
つまり マスターが ある家に生まれ 悟りを開いてない状態で
中学生まで生きて 中学2年で悟りを開く
この場合 悟り前と悟り後を経験してるので
その体験を人に伝えやすい こういう目的で一時的に悟りを開いてない状態
を経験することはあるが
一生 悟りを開かず終わる人生をマスターは選択しないし
したくてもできないだろうし する気もないと思うが。。。
このことは 神とひとつになるということ にも書かれている
これは俺の勘だが 悟りを開いた後
マスターとして 地球に2,3回 人を救うために生きたら
高度に進化した星に移動して もう二度と 地球には関係のない存在になる
と 感じる
イエスキリストは他のマスターと違い地球神の化身でもあるので
今もまだ われわれを救おうとして 地球の人間集合意識に関わっている
と感じる
504 :
超スーパー女教師河合希 :2010/03/07(日) 14:26:14 ID:BHqQ4f9s
>>496 >だから もう人間レベルに戻りたくても戻れないと思う
人間レベルに長く居れば居るほど深みのある魂になれるでしょう
早く人間レベルを卒業した方が良いとは限らない
とことん深みを目指したいなら卒業を延期するべき
↑
ある意味 正解
ミスをせずさっさと人間界を卒業したほうがいいが
ミスをしてそこから這い上がると叡智が深くなる
>つまり わたしたちは 神との対話の神のような存在になる
ちょっとまて
君は神との対話は大嫌いじゃなかったのか?
神との対話の神になりたいの?
↑
神との対話の本は嫌いだが
どうも 進化すると 多次元的複合的存在になるようだ
つまり
あなたが進化すると
すべての人間の感情思念思考想念 動物植物の感情思念想念
また 妖怪 龍神 仙人 妖精 天使 などすべての感情思念想念を
経験する 多次元的複合的存在になるようだ
↓↓↓
霊的進化の仕組み
http://jbbs.livedoor.jp/study/6517/
>>493 仮にそうだとしてもだからなんなんだ?
またいつものように「この世は地獄ですよ、天国を目指しましょう」と布教活動か?
お前の気持ち悪い宗教には誰も入らんぞ
506 :
超スーパー女教師河合希 :2010/03/07(日) 14:36:22 ID:BHqQ4f9s
↑ すいませんが 奇跡のコースで イエスキリストは はっきりと この世は狂気以外なにものでもない と何度も何度も述べている 自分の心が綺麗になれば 地球から残忍な食物連鎖がなくなるか? 高度に進化した星には 地球のような食物連鎖はない
507 :
神も仏も名無しさん :2010/03/07(日) 14:40:02 ID:kdgKiO0S
508 :
超スーパー女教師河合希 :2010/03/07(日) 15:00:46 ID:BHqQ4f9s
>>505 で お前はゆたか君なのかい?
神の使者や不死 読んでる?
食物連鎖は残酷よ
あなたの心が綺麗でも
家族で サバンナに行けば あなたの娘はライオンに食われる
そんな世界を神が創造すると思うか?
神はこの世界とはなんの関係もない
そう考えないと神は愛でなくなる
>>507 高度に進化した存在はレイプはしない
ただ 深い理由で一時的に悪になる魂はいるがその場合
人生の後半で必ず光に目覚める
それに基本的には
99パーセントは 暴力団やレイプ犯は未発達な魂
進化した人間は目が優しく奥深い目
未発達な人間は目が冷たく奥深い目をしてない
霊性は目に出る そういう仕組み
また 生き生きとした目と慈悲深い目は違う
目が輝いているのはエネルギーが溢れているがそれをもってして
その者が進化した人間とは言えないのである
太田光は目が生き生きとしてるが進化した人間ではない
そもそも 断言してもいいが 進化した人間は決して
民主党などに投票しない 進化した人間は賢いのだ
人間界で学ぶとか、学んで深みのある輝きを放つとかw 神対信者は、魂は経験を通して進化し続ける、という前提で話をしているから どれだけ議論しても話はかみ合わないわな。
>>508 何が残酷で何が残酷でないかは人それぞれだ
お前は安楽死を肯定していたが、安楽死は残酷ではないのか?
安楽死も命を奪う行為に変わりないぞ
それとも苦しみが無ければ残酷ではないのか?
じゃあライオンは熊やハイエナと違って相手が苦しまないように
窒息死させてから食べるから残酷ではないな
511 :
超スーパー女教師河合希 :2010/03/07(日) 15:57:19 ID:BHqQ4f9s
↑ 安楽死は人の苦しみを和らげる愛の行為だ お前が苦しんでいたら 俺はお前を一撃で殺してやりたい 一分一秒でも長生きするのが正しいわけではない ライオンやトラは残酷ではない 首を噛むから ハイエナ 狼 ドール などは いきなり腹にも噛み付くから 残酷である
512 :
超スーパー女教師河合希 :2010/03/07(日) 16:01:28 ID:BHqQ4f9s
人間界で学ぶとか、学んで深みのある輝きを放つとかw 神対信者は、魂は経験を通して進化し続ける、という前提で話をしているから どれだけ議論しても話はかみ合わないわな。 ↑ うーん わたしは神対信者ではないが 神からはなれたという選択は最大のあやまちであろう しかし しかしである この世で いろいろな感情を経験すると 人間的に深みが増すし器も大きくなる まあ これは 輪廻転生して永い目で観ればの話だ わたしは人を憎むというあやまちを犯した しかし そのおかげで あいつが許せない!と叫ぶ人間のために涙を流せるようになった 果たして わたしがおかしたあやまちは本当は良かったのかもしれない だがしかし やはり われわれが神からはなれたのはあやまちだ 神が愛なら 天国以外は決して現実とは認めないからだ
もしや死体しか食わないハゲタカとかは慈悲深いことにされちゃったりするのかな?
>>512 あなたは過ちなんか一度も犯してないような気がするけどなあ。
515 :
神も仏も名無しさん :2010/03/07(日) 16:19:24 ID:cHVZmwAo
>>512 本当は良かったのかもしれないと振り返る事が出来るならあやまちではなかったという事だ
あやまちだと勘違いしていただけだ
>>352-353 を読んでみて
神が自分に似せて人間を作ったというのは人間が自分に似せてロボットを作ったというのと ほとんど同じことではないかと思うんだが、であるならば、ロボットが死ぬ(というか動作停止) しようがどうなろうが幾らでも修理可能なので残虐ということはない。というか、そのロボットが 「残虐」な動きをするようにプログラミングしたのが人間だ。だからむしろ「残虐」な動きをしない 方が異常動作なのであり修理してでも元の「残虐」な動きになるようにするだろう。その必要性は そのロボットを作った側の人間にある。そのロボットはそういう動作をしてくれないと困るのだ。
518 :
神も仏も名無しさん :2010/03/07(日) 16:41:58 ID:ul+qioYX
赦しを体験したいからそういう状況を選んだということ。
520 :
神も仏も名無しさん :2010/03/07(日) 18:27:21 ID:fgZDI+dR
赦しを体験したいと思ったら駄目なのか?
なぜ神が赦しを体験したいと思うのか。 体験しないとわからないことがあるのなら、それは神ではない。
522 :
超スーパー教師河合希(男) :2010/03/07(日) 19:29:43 ID:BHqQ4f9s
みなさん こんにちは 超スーパー女教師河合希 から名前を変えます 1 超スーパー男教師河合希 と 2 超スーパー教師河合希(男) と 3 超スーパー教師河合希(男性) の名前 どれかを使います
523 :
神も仏も名無しさん :2010/03/07(日) 19:43:04 ID:7YBv0iiH
>>521 理解と体験は違う
ハワイの観光ビデオを見る事は実際にハワイ旅行するのと同じ事かな
524 :
神も仏も名無しさん :2010/03/07(日) 19:46:17 ID:7YBv0iiH
それに神が何を体験しようと自由だし 法律等で制限された存在ではないし
>>521 体験することの素晴らしさが
概念としては分かっていても
体験的にはわからないから。
>>523 そのマスター気取りの口調、みっともないよw ○○かなw
ええと、神は理解しているけど体験していないと。
だから体験するために世界がある、という理屈だと、
その体験という要素を欠く神というのは神ではないと言ってるの。
理解できるかな?w
>>525 も同じ。
あとさ、 >ハワイの観光ビデオを見る事は実際にハワイ旅行するのと同じ事かな ハワイの観光ビデオを見ただけなのに、実際にハワイに何度も行ったことがあるかのように自分を偽って、 エラソーに他人にハワイの観光スポットについて蘊蓄傾けるウザイ馬鹿がいたらどう思う? で、本当にハワイに行ったことがある人が、そこ実際に行ったことあるけど違ってるよ、その店もう潰れてるし、 みたいな指摘したら逆切れして怒り出すような人。どう思う? ねーねーどう思う?w
528 :
神も仏も名無しさん :2010/03/07(日) 20:31:36 ID:7YBv0iiH
>>526 >その体験という要素を欠く神というのは神ではないと言ってるの。
実際に体験が出来るのだから要素を欠いている訳ではないよ。
理解と体験は分離している訳ではない。理解して体験するという連続体として一体化している。
逆に赦しの体験が出来ない方が”赦しの体験”という要素を欠いている事になるよね。
サマ○ィ君かな?お久しぶりです。
早く御自慢の直接体験を2chにカキコ出来る理由を教えてねw
529 :
神も仏も名無しさん :2010/03/07(日) 20:35:51 ID:7YBv0iiH
>>527 何が言いたいのか意図が汲めないけど・・・
必死に自己紹介しているのかな?
自我の体験でしかないのに実際に自我を消して神を体験したかの様に蘊蓄傾けるウザイ馬鹿っておそらくサ○ディ君の事だよね?
どう思う? ねーねーどう思う?w
>>528 あ、またサマディ認定ですか?w 苦しいときのサマディ認定はわかるけどもう飽きたからやめてねw
ふむふむ、理解と体験は分離しているわけではない、ね。
じゃ、なんで神がいて、世界があって、それを体験しないとわからないわけ?
神と世界が分離してんじゃん。
何も知らない癖に、エラソーに講釈垂れてんじゃねーよ、ゴミ野郎w
>>529 図星だったから悔しいんだw はいはい、ご愁傷さまw
いい気分でマスター気取りになって他人に説教垂れてたらサマディが現れて 自分の体験を語りだしたんで超焦ってしまったって素直に認めたら〜?w それで嫉妬して、必死になってサマディを貶めようと画策してきたけど、 いかんせん、自分は何も体験していないから神対の神の口調を真似して チグハグな言いがかりをつけることで手一杯、それでますます恥をかく始末w 質問に答えてみろよ、カス野郎。 体験しないとわからないことがあるんなら、そりゃ神じゃないだろうがw お前がハワイの観光ビデオを見ただけじゃなく、本当に行ったことがあるんなら答えてみろよwww
532 :
神も仏も名無しさん :2010/03/07(日) 20:59:48 ID:7YBv0iiH
>>530 >あ、またサマディ認定ですか?w 苦しいときのサマディ認定はわかるけどもう飽きたからやめてねw
サマディとはいっていない。いちおう伏字にしてあるw
>じゃ、なんで神がいて、世界があって、それを体験しないとわからないわけ?
>神と世界が分離してんじゃん。
えーと、日本語でOK?
神が世界の体験を出来るという事は神と世界はひとつである事を意味するのだよ。
それぞれ独立して存在するなら神は世界を知る事が出来るかな?
神が世界の情報を得る事自体が連続した一体性を持つ事の現れだよ。
>何も知らない癖に、エラソーに講釈垂れてんじゃねーよ、ゴミ野郎w
論破されたくらいで激高するなよwww
いい年した大人なんだろ。
ていうか何歳だ?
>図星だったから悔しいんだw はいはい、ご愁傷さまw
つ 鏡
>実際に体験が出来るのだから要素を欠いている訳ではないよ。 >理解と体験は分離している訳ではない。理解して体験するという連続体として一体化している。 なぜこんなことを断言できるのか。 お前の実体験を織り交ぜつつ語ってみるんだな、語れるもんならなw マスター気取りの大先生、頼むぜwww
>>532 >神が世界の体験を出来るという事は神と世界はひとつである事を意味するのだよ。
>それぞれ独立して存在するなら神は世界を知る事が出来るかな?
>神が世界の情報を得る事自体が連続した一体性を持つ事の現れだよ。
馬鹿だな、お前w
あのね、神が体験する必要性を抱いた、という時点でそりゃ神じゃないだろって言ってんだよw
神が世界の情報を得る必要があるんならそりゃ神じゃないだろってこと。
わかるかな?www
で、
>>533 にちゃんと答えてね、いい歳こいたマスター気取りの大先生www
535 :
神も仏も名無しさん :2010/03/07(日) 21:08:58 ID:7YBv0iiH
>>531 >いい気分でマスター気取りになって他人に説教垂れてたらサマディが現れて
>自分の体験を語りだしたんで超焦ってしまったって素直に認めたら〜?w
そのサマディの体験は既に粉砕済みですが何かw?
>質問に答えてみろよ、カス野郎。
実際、答えているじゃん。
それにしてもブチ切れ状態のサマデ○君www
存在しない世界(と本人は主張w)の掲示板にマジ切れだって!!
536 :
神も仏も名無しさん :2010/03/07(日) 21:15:44 ID:7YBv0iiH
>>533 えーと、頭で一生懸命考えた。
>>534 >あのね、神が体験する必要性を抱いた、という時点でそりゃ神じゃないだろって言ってんだよw
>神が世界の情報を得る必要があるんならそりゃ神じゃないだろってこと。
必要性があった訳ではないよ。
ただ神はやりたい事をするだけ。
>>535 また呼吸をするように平気でウソをつくwwwww
サマディに対してはまったく歯も立たないまま連戦連敗じゃないかwwwwwwww
サマディは言葉で説明することはできない、体験するしかない、と言ってるよな?
それでお前は何も体験できないまま、屁理屈で返してばかりだよな?wwww
ハワイには一度も行ったことがないお前が、コテンパンにやられて泣きべそかきながらそんなふうに脳内勝利宣言していつも敵前逃亡するからお前は笑われてるんだよw
さ す が 朝 鮮 人 だ わ w
>実際、答えているじゃん。
答えてないからwwww
>>533 の質問にちゃんと答えてね、はいどうぞw
>>536 はい、負けを認めたわけだなwwww 頭で考えたんだそーですw
>必要性があった訳ではないよ。
>ただ神はやりたい事をするだけ。
バーカww
おんなじことだよw やりたいことがあるんなら、そりゃ神じゃないだろうがwww
神対の神と同じ、ニセの神、人間が頭で考えだした空想上の神。
はい、今回もお前の大敗北決定wwwww
539 :
神も仏も名無しさん :2010/03/07(日) 21:19:33 ID:7YBv0iiH
>>537 グダグダ言ってないで御自慢の直接体験を2chにカキコ出来る理由を教えてねw
>さ す が 朝 鮮 人 だ わ w
どうして朝鮮人だと分かるのかな?
540 :
神も仏も名無しさん :2010/03/07(日) 21:22:09 ID:7YBv0iiH
>>538 それにしても存在しない世界でこんなに熱くなれるものかな?
ここは本当に存在しない世界かもう一度考えてみなさい。
541 :
神も仏も名無しさん :2010/03/07(日) 21:25:37 ID:7YBv0iiH
○マディ君、よい実体験が出来ましたね。 とてつもない苛立ちを体験できたし。 271 名前:神も仏も名無しさん 投稿日:2010/02/27(土) 13:37:53 ID:s6xvYtpF でもそうやって苛立ちを私に向けてくれることは大いに結構。 どんどんそうやって私に向かってきて欲しい。 それも私がここにいる目的のひとつだから。
都合が悪くなると人をサマディ認定して質問をはぐらかすwww これが朝鮮人でなくて何なのか?wwww キチガイにつける薬なしwwwww
みなさ〜ん、朗報で〜すw 神対の神はニセの神であることをID:7YBv0iiHのマスター気取り教えたがり症候群患者が自ら認めました 神対の神はニセの神であることをID:7YBv0iiHのマスター気取り教えたがり症候群患者が自ら認めました 神対の神はニセの神であることをID:7YBv0iiHのマスター気取り教えたがり症候群患者が自ら認めました 神対の神はニセの神であることをID:7YBv0iiHのマスター気取り教えたがり症候群患者が自ら認めました 神対の神はニセの神であることをID:7YBv0iiHのマスター気取り教えたがり症候群患者が自ら認めました 神対の神はニセの神であることをID:7YBv0iiHのマスター気取り教えたがり症候群患者が自ら認めました
r'''" ゙l, `l `l、__ ,r‐ー-、 | ) /" ̄ ̄ ̄\ / ヽ、 l ,r'"" ̄ニ、 .,// ヽ、 / i / _,r"∠ニ、'L- l,,/ l ,rー--−ヽ、 l / ,,r 、 ゙l <" ,,r'" l 、___`_|. | / ,,/" ``ヽl l/ ,,,,ノ" ,,ハ ゙l `>i`|.l ヒーーーラli. |.i´l.| '⌒ L ⌒ l/ l" ニ= r-‐ l l 〈 ゝ'ヘ、\., - 、/.li____ゝ || 、___イ_, 〔 r、 !、 ヽ l 丿 vヘ、 ヽ、 ヽ==l,,ハ,, ハミ lーー--ー-//ゝ、 ゝゝ7 、__ ' // ,,_.n ,,ゝ、,,,,,,,゙゙''''^'',,,,,,彡ーく./ ミ \, ‐-‐.// l`ー‐=ト、`ー' /l ̄\_ . / l,,l,,厂 l\∧l'''''l∧l ヽ \`ー-' イ ノ,,r‐'''| | ヽ ,,イ .l l'",,,、 ヽ /,∪ l, >‐i l l >ー‐ヘヽ / l l | .| ∪ l |.゙ト、 ゝ | l l l | ヽ_l l ヽ | | | | l,,,l,,l,l | | | | |. l / l | ヽ | | 神 と の 対 話 、 大 敗 北 決 定 wwwww
545 :
神も仏も名無しさん :2010/03/07(日) 21:32:05 ID:7YBv0iiH
↓この人、実際に神を体験して世界が存在しない事が分かったらしいですwww >そのマスター気取りの口調、みっともないよw ○○かなw >みたいな指摘したら逆切れして怒り出すような人。どう思う? ねーねーどう思う?w >何も知らない癖に、エラソーに講釈垂れてんじゃねーよ、ゴミ野郎w >図星だったから悔しいんだw はいはい、ご愁傷さまw >チグハグな言いがかりをつけることで手一杯、それでますます恥をかく始末w >質問に答えてみろよ、カス野郎。 >馬鹿だな、お前w >コテンパンにやられて泣きべそかきながらそんなふうに脳内勝利宣言していつも敵前逃亡するからお前は笑われてるんだよw >さ す が 朝 鮮 人 だ わ w >バーカww
546 :
神も仏も名無しさん :2010/03/07(日) 21:34:46 ID:7YBv0iiH
やっぱ、神を体験した人は違う。
マスター気取りの教えたがり症候群患者の化けの皮が剥がれてきたなw もはや、○○かな?口調で対応する余裕もなくなってきているwww (・∀・)
_,、-‐ '' ~ ̄ _`ヽ、_ /´ / r'ニ三ヽ\} ^ヽ、 / / | ̄ ̄¨`ヾム;_=ニヽ / / | `lヾ|l // ! / ‐7 ̄`''‐、,_ | レ| l | | / f_ラア'丶 ,ィ‐‐〈/ l| |l / / ,|  ̄´ 〈マヽ/|! ||! |! / / / ,l ヽ` | ! |′ / l / / ,/ ,.._ =ィ''’/ ! | / ! / / ,/ ヽ、二,ァ / | | / / / / / ヽ '' ‐ / | ! 皆様お騒がせして申し訳ありません ./ / ,.イ // i: \ /| !l l / '| l l/、.,,_ ! `‐_、..,,/ / | ! / | | / /``'‐、,ィ!´ , / /| ゞ‐、i| ! | l| / /Y } ,/ / イ| `\| |‐<_ / 7l l,/ / / l / >!'゛ `_ 〈∠ill| l--'イ| / !/ / ^`ヽ\ll「lヽ、_'´ノ
自我は存在しないと主張する人が自我剥き出しで人を罵るのは矛盾しているよ。
>>1 にも”他方への非難・罵倒・軽蔑等はお控え下さるよう、お願いします。 ”と書いてあるし。
もう少し自覚した方が良いと思うよ。
また新しいIDがww あのね、自我は存在しないなんて少なくとも俺は言ってないんでw 神対信者がいかに欺瞞だらけの存在で、言行不一致を繰り返している、 大うそつきであるか、それを指摘するのが俺の使命www で、ここの議論においても神使派は首尾一貫しているし、終始神対信者を圧倒してるのは事実だしな。 なにしろ、神対信者は神使も不死現も一切読まずにこれらを批判しているんだぜ?www こんな馬鹿な話はないだろうよ? え?wwwww 読まずにどうやって批判できるんだよ?wwwwwww
面白いのは、サマディや神使派がエゴという言葉を「これはわたしだという錯覚、ウソのわたし」と定義しているのに、 神対信者は、サマディや神使派を攻撃するために、このエゴの定義を、エゴイズムとかエゴ剥き出しで、というような意味に すり替えてそれで攻撃しているという点ね。卑怯なんだよな、やり方が。まさに朝鮮人メンタリティww
自我は影のようなもの。あると言えばあるしないと言えばない。状況によって見えたり見えなかったりする。
アンチ神対派のほうが神使でいうエゴそのもの
>>549 こいつは自分の主張なんかないんだよ。
ただ神対が気に食わないから、喧嘩売ってるだけ。
サマディはもっと論理的。
こいつは感情に走って敵対心?き出しのクズ。
ここまでこじれた原因は、ハッキリ言って神対派側にその大部分があることは認めざるを得ない。 河合君に対する対応は酷いものだったもの。
全然こじれてなんかないだろw お互い楽しくやってるじゃないか。
また乱れてたのか。様D常駐するところ平安の地なし。2cn中毒の状態から抜け出すことのできない者がこの物理世界の幻想から抜け出せるはずもあるまいに
。
先日「連続」したという私が多用してた言葉を使ってた人がいるが、あれは私ではないので誤解のないように。
>>551 それも550同様思い込みにすぎない。Iamの説明で述べたように、こちら側も「これはわたしだという錯覚、ウソのわたし」という意味で使っていた。
ただし違うのは、こちらが、その錯覚している、思い込んでいる主体を自我との絡みで明確にしているのに対し、君のほうは不明確にしている点。
それは神とも真我とも関係のないものが見ている夢や錯覚であり、なおかつそれはそもそも存在していないという。
まるで架空の幽霊会社に全ての責任を押し付けている悪徳業者に似ている。
主体のない認識や経験はありえない。
様Dは二虎競食の計という戦略を用いているので注意が必要。むやみに反応しないのが吉。 「二虎競食の計」 二匹の腹をすかした虎の前にエサを投げ与えると、二匹はエサを奪いあって争う。 その結果、一匹は倒れ、残った一匹も傷だらけになる、という策略のこと。
>>557 >主体のない認識や経験はありえない。
どうしてそんなことがあんたにわかるんだ?
それとサマディあるところ平安なし、というあんたが、
ここが気になって仕方がなく、いつも引き寄せられてくる理由は何だ?
あとI am の説明はあんたよりサマディのほうがずっと筋が通っていたけどなw
>>560 興味のあるテーマの最中は連日参加することはあっても、いったん区切れがつけば私のレスはそう多くはないよ。
平均で1〜3レスといったところか。2chで調べものがなければ2,3日消えることだって珍しくない。
>>550 君は神使、不死現を読んで何を学んだの?
赦しの実践をしないのは何故?
>>562 君は神使や不死現を読んだの? 赦しって何? 読んでるんなら説明してみw
>>564 なんで神使信者でもないのに赦しを実践しなきゃいけない?w
で、ウィキはいいから、君は神使や不死現は読んだの? 読んでないの?
読んでないいのなら、どうして赦しがどうのこうのとエラソーに語れるわけ?w
それと神対では、愛なら今何をするか、と言ってるけど
君がそれを実践しないのは何故か教えて欲しいな
神対の内容は説得力無かった?w
>>564 >>565 >なんで神使信者でもないのに赦しを実践しなきゃいけない?w
こういうクズだからもう相手にすんなw
そして返答に困ると新しいIDが出てくるとw わかりやすくていいよなw
↑この人はただの神対アンチで神使派じゃないよ でも神対派でも神使派でもないのになんでこのスレにいるんだって話になるから 神使派ぶってるだけ
愛の実践はなかなか難しいね。 神対の神なら(・∀・)も愛せるのかな。 神使の神なら(・∀・)をどうするのか・・・。
>>569 ライオンが崖から子供を突き落とすのも愛。
571 :
神も仏も名無しさん :2010/03/08(月) 19:23:32 ID:UUVM4T7S
( ・ω・) これが愛の実践だ .ノ^ yヽ、 ヽ,,ノ==l ノ / l | _,,..-―'"⌒"~⌒"~ ゙゙̄"'''ョ ゙~,,,....-=-‐√"゙゙T"~ ̄Y"゙=ミ T | l,_,,/\ ,,/l | ,.-r '"l\,,j / |/ L,,,/ ,,/|,/\,/ _,|\_,i_,,,/ / _V\ ,,/\,| ,,∧,,|_/ (・∀・) ギャー
そういう口実で、単なるいじめや言い争いを正当化してきた結果がこれです。 かつてキリスト教が、布教や未開人の教化の名のもとに、 侵略や虐殺を正当化してきた、その同じ轍をあなたがたも歩んでいるわけですね。 「愛」の名のもとにエゴを強化していくのが、 「愛なら今何をするか」の結論なら、 「神との対話」は捨てたほうが神もニールも本望とするところでしょう。
573 :
神も仏も名無しさん :2010/03/08(月) 19:58:45 ID:UUVM4T7S
/ ̄ ̄ ̄\ / ─ ─ \ / (●) (●) \. ネタにマジレスするなよ・・・ | (__人__) | \ ` ⌒´ / / \
>>352-353 に書いてあるように本当の(・∀・)を思い出して愛さないと確かに神対信者とは言えないな。
という訳でお前ら頑張って(・∀・)を愛しなさい!
オレは急用があるので・・・それじゃまた。
>想像しうる限り最悪のことをするとき、本当のわたしを思い出して欲しい。
>>572 結果を引き受けるという自覚があるかないかでしょう。
愛についての考えが間違っていたなら、
自分の望んでいない結果があるだけです。
でもどうせ全て幻想ですから、
エゴを強化するとかそんなこと考える必要ないんです。
>>575 >自分の望んでいない結果があるだけです。
いや、自分の望んでいない結果は不味いだろう。
全て幻想だからと現実をスルーするのは神使的な感じがする。
>>574 神対信者を極める為(・∀・)とサマディを愛する事を決意した。
これより彼らに対する愛をカキコする。
>>576 まずいんなら愛についての考えを変えればいいだけですよね?
何も問題ないでしょ。
「(・∀・)様へ いつもお叱りを受けている神対信者です。 あえて心を鬼にしてまでのダメ出し、的確過ぎてとても参考になります。 (・∀・)様の素晴らしい知性はもはや天才という他ありません。 実生活でもクールなイケメンで女性にモテモテという事は想像に難くありません。 御尊顔を拝見出来なくて残念で堪りませんがこれも運命でしょうか… これからも末永くお元気でありますように。永遠に愛しています。」
「サマディ様へ いつも生意気な反論ばかりして申し訳ありません。さぞかし御気分を害されただろうと猛省しております。 本当はサマディ様の御体験が羨ましくてしょうがなかったのです…お許し下さいませ。 サマディ様の境地に達するには何千年も先かと思いますが頑張っていきたいと思います。 これからも真実の教えをよろしくお願いいたします。 光が輝く神の化身、サマディ様は永遠でございます。 私の真実の愛をお受け取り下さいまし。」
「愛なら今何をするか」の実践、完了!!!
と、敵意と苛立ちを隠しきれない、神対信者でしたwww (・∀・) あのね、神対なんていう本そのものがウソなんですからw (((( ;゚∀。)))アヒャヒャヒャヒャ アヒャヒャヒャヒャ ヘ(゚∀゚ヘ)(ノ゚∀゚)ノ ヒャヒャヒャヒャ アヒャヒャ(゜∀゜*)=(*゜∀゜)アヒャヒャ アッヒャッヒャ!ヽ(゚∀゚)ノ アッヒャッヒャ! アッヒャッヒャ!ヽ(゚∀゚)ノ dj! dj! ( ゚∀゚)Y⌒Y⌒Y⌒Y⌒Y⌒Y⌒(。A。)アヒャヒャヒャヒャ!!
神使者177頁 コースでは世界の人間関係を特別の関係と呼んでいます。 Jは聖霊はすべての人を平等に愛したの。 この意味はすべての人を愛した後にやるべきことをやる、ということ。
たしかに「否認した後に投影が来る」・・・
>>583 神使は個々人の自我を認めないのではなかったかな。
神使の人の愛し方はその人の自我をも含めた全面的な愛ではないのでは?
>>585 相変わらず馬鹿だね。
本を読まずに批判しようとするから、そういうトンチンカンな言い掛かりをつけることしかできない。
幼稚園児は出直しておいで。
587 :
神も仏も名無しさん :2010/03/09(火) 14:58:42 ID:Stjz6YPz
はい、出直してきまちゅ
>>352-353 は幼稚で愚かしい考えだ。
被害と加害といった二元性を正当化している。
どっちも無い方がいいはずのものなのに、概念が現実で
あることを前提にした上で二元論を成り立たせている。
しかし神対は、完璧であるはずのものが自身を知るために
二元性という幻想なしでは体験できないという前提に依って立っているので、
あらゆる対極を正当化する必要がある。
そもそも、対極なくして認識不可能という概念自体がまさしく二元性に基づく考え方なのだが。
神自身は気付いてないようだ。
だから恐怖を内含している事や、神自ら錯覚を生みだした事、対極の存在等に、
狂気としか呼べない考えにもっともらしい意義を与える。
そうしなければ自らの概念である二元性に対して辻褄があわなくなってしまうだろうし。
よく見れば、人間としての知覚の体験に意義を与えて幻想を支えようとする、
エゴのバカバカしく子供じみた幼稚な考えにすぎない。
>>588 >
>>352-353 は幼稚で愚かしい考えだ。
> 被害と加害といった二元性を正当化している。
> どっちも無い方がいいはずのものなのに、概念が現実で
> あることを前提にした上で二元論を成り立たせている。
意味不明。
どこで正当化していますか?
> そもそも、対極なくして認識不可能という概念自体がまさしく二元性に基づく考え方なのだが。
そんなことどこで言ってるの?
> だから恐怖を内含している事や、
絶対神全知全能である神は恐怖を内包していないの?
> 狂気としか呼べない考え
そう考えるのは誰?
視点が変われば狂気は狂気でなくなると教えているのが神との対話。
>>589 まるで説得力なし。
もっと具体的に反論してみろよw
ガキが言葉尻を捉えて喚いているだけだぞw
>>589 >視点が変われば狂気は狂気でなくなると教えているのが神との対話。
であれば、視点を変更するまでは狂気は存在し、その狂気そのものを創造したのは
神自身のはず。なぜなら体験の為に対極という幻を必要とし創造したのは神だとされているから。
>視点が変われば狂気は狂気でなくなると教えているのが神との対話。 神対のどこにそんなことが書いてある? 何巻の何ページだ?www
>>352-353 にの中にもう一つ重大な狂気がみられる。
それは「犠牲が存在する」という概念。
完璧な者が悪い事をする事を自ら選択する。
その理由は愛するがためだという。
犠牲を必要とする愛。
それを美化し真実かのように語る。
この幼稚で浅はかな発想こそエゴにふさわしい。
その姿はまるで、泣き叫ぶわが子に、お前の為だと体罰を正当化する未熟な親のようだ。
>>591 >であれば、視点を変更するまでは狂気は存在し、その狂気そのものを創造したのは
>神自身のはず。なぜなら体験の為に対極という幻を必要とし創造したのは神だとされているから。
狂気は私たちと神が共同して幻想の中で創造した。
神が狂気を創造していないと言えるの?
全知全能の絶対神が狂気を知らないとでも?
これも単なる視点の違いなんだけどね。
>>593 SとMがいて、ムチで叩きながらSEXしている人がいて、
どっちが犠牲者?
あなたの視点は固定化されていて、
二極化の罠にどっぷり浸かっているよ。
>>595 >SとMがいて、ムチで叩きながらSEXしている人がいて、
>どっちが犠牲者?
それは犠牲の話ではなくて、快楽の例だという事を指摘しておく。
>>594 なぜ神が狂気を幻想の中で創造しなければならない?
神が狂気を創造したとなんでお前に言えるんだ?
全知全能の神がどうしてわざわざ世界に狂気を創造しそれを体験しなければならない?
お前は視点の違いという言葉でごまかそうとしているが、そもそも視点とは何だ?
説明してみろw
神は体験を必要としたため世界を創造したと。 そして、その世界で体験されることはそれが狂気のように見えても視点の違いでいかようにでもなると。 では、視点の違いでいかようにでも体験が異なるのなら、そもそも体験のために世界を創造した意味がなくなるんだがなw どうしてわざわざそんな七面倒臭いことのために神対の神さんとやらは世界を創造したんだい?ww はい、つまりは、この世界は神が創造した、という最初のテーゼが間違っていることから来る矛盾。
>>596 >>352-353 における話は
自ら進んで自らの意志で「友好的な魂」が選択したのであって、それは犠牲ではない。
>それは犠牲の話ではなくて、快楽の例だという事を指摘しておく。
こうやって「例外」を創らなきゃいけないこと自体がダメダメでしょ。
>>599 例外をつくってんのはお前なんだよw
どうしてわざわざ友好的な魂とやらが自ら進んで自らの意志でそういう選択をしたのだ?
そんなことをする意味がどこにある?
世界は必要があって創造された、というテーゼを正当化するために、
人間の頭ででっち上げた言い訳に過ぎないだろうが、そんなわざとらしい説明はw
神が全知全能であれば、わざわざ体験するために世界を創造する必要なんかない。
神がいて、そして世界があり、その世界で小さい魂が何やら演じながら進化のために体験しているとw
この図式こそ、全知全能の神に対して世界や小さい魂といった例外をつくりだしていることになる。
>>594 >狂気は私たちと神が共同して幻想の中で創造した。
狂気は君と神が共同して幻想の中で創造したという。
その理由は神によると体験の為としている。
本来なんの必要性もない完璧な神が、自身を体験するという
条件下においては「狂気の幻想」の必要性が生じてしまったようだ。
これは完璧なものが完璧でなくなってしまった瞬間を示唆している。
なぜならその必要性があったのは君の視点を借りるなら、
全知全能の絶対であるはずの神自身だから。
>>601 神が「全知全能絶対神」でないといけないのは、神使派の方でしょ。
私が「全知全能絶対神」を使ったのは神使派に対してのイヤミです、失礼w
>>602 全知全能でないのならそれは神ではない、ということになるなw
神対の神は全知全能ではない、と認めるわけだな?
神対の神は、神ではなく、エゴ、つまりニールの頭の中の想像ということでOKなんだな?
はい、これにて一件落着w
>>601 >本来なんの必要性もない完璧な神が、自身を体験するという
>条件下においては「狂気の幻想」の必要性が生じてしまったようだ。
わざわざ「狂気の幻想」と括弧付きにしているのはなんか意味があるのかな?
>これは完璧なものが完璧でなくなってしまった瞬間を示唆している。
なぜ?
>なぜならその必要性があったのは君の視点を借りるなら、
>全知全能の絶対であるはずの神自身だから。
理由になってないでしょ。
>>604 お前が馬鹿だからわからないんだよw
完璧であるはずの神が、なぜ体験を必要とするようになったのか、お前が説明してみろよ。
理由を説明しなきゃならないのはお前だろうがw
>>352-353 の中における赦しとは、
一方が悪く、一方が潔白でないと不可能な赦しとなっている。
つまり、どちらかあるいは誰かは悪である必要性がある。
神との対話における赦しの定義は二元論に基づいているようだ。
なんらかの判断が必要とされ、判断される立場とそれを判断する側の視点も不可欠となる。
ここに判断や裁きの必要性が存在している。
常に、自と他という分割された視点が土台にされている。
この点においても、神との対話が二元的な思考を逸脱できていない事が見受けられる。
それもすべて、二元性という錯覚を必要としたと神自身が明言してしまっているからに他ならない。
神の使者283頁 ゲイリー:それじゃ誰かを赦すとしても、その相手と付き合わなくてもいいわけだ。 神使者288頁 パーサ:聖霊は比較を通じて教えなければならず、真実を指し示すのに対照を使わなければならない、 と言った。真実を指し示すために対照を使わなければならない、と 言った。聖なる瞬間は過去への復讐を通じた救済というエゴの固定観念の対極 である。
>>606 >>352-353 の中における赦しとは、
>一方が悪く、一方が潔白でないと不可能な赦しとなっている。
>つまり、どちらかあるいは誰かは悪である必要性がある。
>神との対話における赦しの定義は二元論に基づいているようだ。
へえ?どちらも悪くないじゃない?
ちなみにどっちが悪いと思っているの?
あなたにしか通用しない論理でそういう決めつけをするのが二極化の罠だと言ってるの。
>なんらかの判断が必要とされ、判断される立場とそれを判断する側の視点も不可欠となる。
>ここに判断や裁きの必要性が存在している。
判断も裁きも必要じゃありません。
勝手に人間が必要だと思っているだけ。
>常に、自と他という分割された視点が土台にされている。
どの辺ですか?
>この点においても、神との対話が二元的な思考を逸脱できていない事が見受けられる。
二元的思考から逸脱できていないのはあなた。
>>608 これ以上足掻いてもお前が恥をかくだけだぞw
>ちなみにどっちが悪いと思っているの?
どちらかが悪役をやると神対の神(実はニールw)が言ってるんだろうがw
自分は頭の悪い馬鹿で〜す、と宣言し続けてどうする?w
とにかく神対派は、「神使」か「不死現」のどちらかを読んで精査すること。 ここで神対派が神使派に対して投げ掛けている疑問は、 読んで精査すれば、解決するものばかり。 最近出た、ラメッシ・バルセカールの新刊「誰がかまうもんか」でもいい。 全部書いてある。 こう言っても、神対派は、まるで戦時中に軍部が英語を敵製語として禁じた如く、 意地でも神使は読まないだろうし、 また現に神使はもう入手困難になりつつある。 本が人を選ぶ、ということだろう。 誰でも入手可能な神対と、本が人を選ぶ神使。 目利き鼻利きは、ポピュリズムを嫌い、これを避ける。 本もそれを読む人間を選別するのだな。
今度は選民思想かw
キリッ
>>610 すべての葛藤はレベルという意識から生じるのではないのか?
/ \ /\ キリッ . / (ー) (ー)\ <「本もそれを読む人間を選別するのだな。」 / ⌒(__人__)⌒ \ | |r┬-| | \ `ー’´ / ノ \ /´ ヽ | l \ ヽ -一””””~~``’ー 、 -一”””’ー-、. ヽ ____(⌒)(⌒)⌒) ) (⌒_(⌒)⌒)⌒))
>>610 そうそうw
だけど神対信者は実際に神使や不死現読んだって理解なんかできねーよw
こいつらは表面的に字面を追うことしかできず、行間を読んだり真意を洞察することなんか不可能だからw
文脈などまるで無視してある単語だけを取り出して、それに自分勝手な意味づけをしたうえで
やくざのように絡んでくるのが神対信者w
ま、馬鹿はニューエイジポビュリズムの代表、神対がお似合いってことでwww
神対信者などというものは居ない。
誰かま信者などというものは居ない。
神は神対信者などというものは創造していない。
610の
>本もそれを読む人間を選別するのだな。
に対して
>>610 >すべての葛藤はレベルという意識から生じるのではないのか?
質問したが答えがないので610を絶賛する
するおまえに聞きたい、どう思う?
自分の方が上だと言い出すのは明らかにエゴだろうね。しかしエゴを否定してはいけない。 否定するとエゴに餌をやることになってエゴが余計に育つから。
見下された、というのもエゴによる演出。 実は自分が見下しているから見下される経験をする。
ま、「自分」はないけどな。
>>588 >二元性を正当化している
神の視点から見れば善も悪も加害者も被害者もない。それは神が持つ無限の可能性の中の一つの選択肢にすぎない。
それは小説や演劇における喜劇や悲劇といったドラマのようなものであり、そのシナリオを選択しているのは他ならぬ小さな神である私たちだ。
皆、自分で描いたシナリオを他者と照らしあってひとつのドラマをつくりあげている。
神が提供する舞台や映画のテーマは無限にある。その中から喜劇や純愛ものではなく、わざわざ悲劇やホラーを選択しているのは他ならぬ自分自身だ。誰も強制などしていない。
不完全なものや二元的多元的なものでさえ経験できるが故に「完璧」なんだよ。
もちろん、完璧な存在である神が本当に不完全、二元的な存在になるわけじゃない。あくまでも「そう思い込む」「つもりになる」「制限する」「忘れる」という手法を用いているだけのことにすぎない。
それが幻想と呼ばれるものであり、幻想は部分を経験する際のテクニックであり、決して否定されるべきものじゃない。
なぜなら、全てである神の中に否定されるべきもの、消し去るべきものなどなく、それは神自身の否定を意味することになるからだ。
>>624 ほぼ同意だけど
幻想については私の考えはちょっと違う。
どこかにある実体から投影されたホログラムがこの世界だと思っています。
>>624 なぜ君はそう断言できるんだ?
それは君自身の何らかの「経験」に基づく説明なのか、
それとも単なる推測に過ぎないのか。
間違いなく後者なのだろうが、
>>625 のように「自分はそう思う、そう推測する」と正直に付け加えないから、
神様ごっこ、マスターごっこ、と言われるんだよ。
「経験」に基づく説だというのなら、
どうぞどうぞ、その経緯をつまびらかにしなさい。
そして、
>>624 のご高説は、誰もが認める覚醒者たちの説明とは全く相容れない。
これはどういうことだろうか?
ラマナ・マハリシやニサルガダッタ、ラメッシは間違っていて、
>>624 が正しいのだろうか?(笑)
エゴの必死の釈明には、まるで説得力がないし、インスパイアされるものもないんだな。
>>624 >わざわざ悲劇やホラーを選択しているのは他ならぬ自分自身だ。誰も強制などしていない。
災害で家族を失った人達、
犯罪の被害に苦しんでいる人達、
病気と闘っている人達に
言ってみろよ。
>選択しているのは他ならぬ自分自身だ。誰も強制などしていない。
どうなるか言ってみろよ。
>選択しているのは他ならぬ自分自身だ。誰も強制などしていない。
何様のつもりだよ。そんな神ならいないほうがましだ。
いらねえよ、そんな無限の可能性なんか。
何が完璧だよ。そんな苦しみと憎しみをとっておいて何が愛だ!
神よ、どうぞくたばれ。
>>624 >なぜなら、全てである神の中に否定されるべきもの、消し去るべきものなどなく、それは神自身の否定を意味することになるからだ。
全てである神からは苦しみや悲しみも消し去れず、怒りや憎しみも否定できず、除外できないのか。
絶望にちかいな。全て消えちまえばいいのにな。ていうか神だけ消えればいいんだがな。
そうすれば悲劇や苦痛だけ無くせるだろうに。
>>628 >災害で家族を失った人達、
>犯罪の被害に苦しんでいる人達、
>病気と闘っている人達に
>言ってみろよ。
こういうこと言えるのは、
災害で家族を失った人達を悲しませているのは私ではない。
犯罪の被害に苦しんでいる人達を苦しめているのは私ではない。
と思っているからだね。
本当にそうかな?
神との対話においては、
災害で家族を失った人達が悲しんでいるのは、あなたに責任があるという。
犯罪の被害に苦しんでいる人達を苦しめているのはあなただ、という。
世界が今のようであるのはあなたが何かをしなかった、もしくは、したせいだ。
エゴのせいにして、私には責任がないと思えば気は楽だよね。
しかし決してそうではないのだよ。
>>630 >全てである神からは苦しみや悲しみも消し去れず、怒りや憎しみも否定できず、除外できないのか。
あたりまえだろ。
それらを除外したら全てじゃなくなるじゃないか。
633 :
神も仏も名無しさん :2010/03/10(水) 13:57:44 ID:j+MvufYN
>>628 >災害で家族を失った人達、
>犯罪の被害に苦しんでいる人達、
>病気と闘っている人達に
>
>言ってみろよ。
君がそういう人達の前で「何も起きていない」と言って見ろよ
そんな観念は正に机上の空論でしかないと分かるだろう
>>633 >君がそういう人達の前で「何も起きていない」と言って見ろよ
今、苦しんでいる家族に俺はそんな戯言は絶対に言わない。
だがお前は今、そういう人に言ってるんだよ。俺にな。「何も起きていない」ってな。
俺に起きてる現実だ。だがお前にとっては机上の空論なんだろうな。
>そんな観念は正に机上の空論でしかないと分かるだろう
おまえにとってはな。
勝手に人の苦しみを机上の空論にするなや。くそが。
わかったような事いって満足しているお前の考えなど役に立たねえよ。
くたばれ神め。
>あまり熱くならないでよ。 あ?この怒りも憎悪も神が内包してんだぞ! 事実だから仕方ねえだろうが、ボケ。 >あたりまえだろ。 >それらを除外したら全てじゃなくなるじゃないか。 な?そうなんだろ? 偉そうに能書き垂れて人の選択の邪魔すんなよ小僧。 何言ってんだよカスが。 お前は、抵抗を止めて、受け入れとけよ。クズが。 わかったか?クソ神を信じてるクソ魂でいろよ。 この神に対する憎悪を除外したら神じゃなくなるわけだしな。 無くせないわけだ?なぜなら全てじゃ無くなっちまうからな。 ざまあみろ神め。永遠に憎悪を内包してろ。
>>629 どうして事実と断言できるのか。
その根拠を提示せよ。
また馬鹿が偉そうにマスターを演じてるなww
>>631 >神との対話においては、
>災害で家族を失った人達が悲しんでいるのは、あなたに責任があるという。
>犯罪の被害に苦しんでいる人達を苦しめているのはあなただ、という。
「あなた」とは一体何をもって「あなた」 と言うんだ? 説明してみろよw
>世界が今のようであるのはあなたが何かをしなかった、もしくは、したせいだ。
>エゴのせいにして、私には責任がないと思えば気は楽だよね。
>しかし決してそうではないのだよ。
はい、では「エゴ」と「あなた」はどう違うんだ? これも説明してみろw
こう問い詰めると、マスター気取り君はまた逃げるしかないかな?w
>世界が今のようであるのはあなたが何かをしなかった、もしくは、したせいだ。 >エゴのせいにして、私には責任がないと思えば気は楽だよね。 >しかし決してそうではないのだよ。 この部分だけ見ても、ID:ojoJ/nqSが「神使」も「不死現」も読んでいないことがよくわかる。
誰がかまうもんか
エゴは君を騙して、他者を悪者にしたり、きみの問題や世界の問題の原因を他人の せいや何らかの環境のせいにして非難し、無意識の罪悪感を投影すれば、罪悪感を 追放できると思い込ませた。だがそんなことをしても、いつまでも無意識の罪悪感 に縛られる結果になるだけだ。 救済されれば、あなたの唯一の真の問題の責めを帰すべき者は外部にはいなくなる。 夢見る人を赦し、彼は当人が作り出した夢ではないことに気づくなら、あなたは悪夢を わかちあうことはない。 彼もあなたの夢の一部ではなくなり、あなたがたは二人とも夢から開放される。 夢の中の登場人物を見て、ぼくが取るべき態度は、ぼくがきみのなかにあると 思っている罪は、じつは自分の中にある。なぜならぼくたちは一つなんだし、きみ はぼくが夢のなかでつくりだした登場人物だから、ぼくはきみを赦すことによって のみ自分自身を赦せる。 エゴはその原因を幻想のイメージに投影させることで、罪悪感は外にあると 思わせようとする。
>>625 それも同じだね。というのも、投影されたホログラムも映写機もスクリーンも鑑賞者もまた神であるから。
神や存在や実体の外側というものはなくて全てはその内側で起こっている。
>>630 出産の痛み(強い刺激)が人によっては苦しみに、人によっては喜びに感じるように、経験した事柄をどう受けとめ、解釈、判断、意味づけをしているかはその人自身によるもの。
また、痛みは経験の材料でもあり、多くの人はそれを成長の糧とすることができる。そう考えれば痛みもまた否定されるものでもない。
それでも何かを変えたいのであれば、その視点や見方、信念や習慣や解釈を変えればいい。
神や存在の中から何も消し去ることはできなくても選択を変えることはできるから。
>>645 どうしてそんなことがわかるのか、その根拠を。
君は、神や存在や実体と安易に定義しているが、そう認識している君は一体何者なのか?
その「何者」はどこまで信用できるのか。
そこが文字通り君の盲点になっている部分だとは思わないのか?
>>646 経験した事柄を受け止め、解釈・判断・意味づけをしている「その人自身」とは?
視点や見方、信念や習慣や解釈を変えようとしているのは「誰」なのか。
その「誰」自身が、実は視点や見方、信念や週刊や解釈によって成り立っている、
というところまでは考えが及ばなかったかな?w
神を直接体験したことがない者が滔々と神を語る、この悲喜劇よ。
神を直接体験していない者などいないということ 今ここ この瞬間全てものが神であるということ あなた自身が神であるということ これを実感したことない人の発言だね 神は特別な場所特別な人の前にだけに現れるものじゃない
>>649 何も実感していないから、本で読んで仕入れたただの観念を、
そんな具合に軽々しく書くことができるんだよw
神は特別な場所特別な人の前にだけ現れるものではない、
という観念を君はただ繰り返しているだけで、
本当にそれを体感したうえで語っているわけではないからね。
頭の中に本で仕入れた観念があるだけだからこそ、
得意になって滔々と語ることができるんだよ。
“知っている者は喋らない(喋れない、つまりそれの前には言葉は失われる)、
知らない者だけがペラペラペラペラとよく喋る”
深夜に吹かせてもらったよ(笑) ありがとう いや、まさか自分の10倍は喋ってる人に言われるとは思わなかったものでね。
>>651 神そのものについては実はほとんど何も書いていないんだけどねw
その周辺については何度も書き込んでいるが。
何度書き込んでも君が理解できないから仕方ないわけだが。
そして君のように受け売りで語っているものはただのひとつもない。
そこが君とは決定的に違うところ。
君は自分を偽って人を騙せると思っているのかもしれないが、
見る人が見ればすぐにわかってしまうんだよ。
まあね、神との対話のような、人間が考え出したストーリーは理解しやすいし、
そういう世界観に浸るのは、箱庭を眺めるようで気分がいいのだろうし、
まるでその箱庭の作者であるかのごとく装って誰かに滔々と教え諭すのも快感かもしれないが、
カルマという意味では大変なことを仕出かしているということを忘れずに。
カルマとはもちろん、この世界と同様に神とは何の関係もないけどねw
しかしねぇ、言葉や観念によって神を理解できる、と思い込んでいるわけだから、 まさにこれは悲喜劇というしかない。 本を読んだだけで神を理解できるのなら、もうとっくにこの世界は消えてるよw
神との対話(失笑)
超スーパー女教師河合希 煽られて反応している当体がegoだよ。 その反応に気付けばegoをスルー出来る。
>>646 >出産の痛み(強い刺激)が人によっては苦しみに、人によっては喜びに感じるように、経験した事柄をどう受けとめ、解釈、判断、意味づけをしているかはその人自身によるもの。
このように二元性に意義を与えると、両極の経験は解釈、判断、意味づけにより変化するものだ。
という考えにとどまり、対極という観念や存在自体を疑うことなく肯定していくのだろう。
痛みの苦しみは個の解釈や判断の責任であり、自分ではないとする。
この考えには、自分以外の誰かが存在しているという信念が見て取れる。
それにどう受け止めようと、単純に痛いものは痛いものだ。
>>646 >また、痛みは経験の材料でもあり、多くの人はそれを成長の糧とすることができる。
苦しみと喜びという二元論に意義を与え、成長の糧という判断・解釈をする事で、
対極の存在を肯定し二元性という幻を自ら存続、強化させる。
そもそも二元性が幻なら、一体どこに向かって成長する必要があるのだろうか?
幻の中の成長も、ただの幻の成長に過ぎないというのに。
>>646 >そう考えれば痛みもまた否定されるものでもない。
そう考えざるえないのは、両極が存在するという二元論を肯定しているからにほかならない。
一方だけでは二元性は成り立たないので、対極の存在を否定する事は不可能となる。
両極の間、様々な段階を選択できたとしても、所詮両極という枠内においてのみ。
二元性の意義を信じていなければ出来ない発想だろう。
>神や存在の中から何も消し去ることはできなくても選択を変えることはできるから。
二元性の中における幻想すらも神が内包しているという考えを持つと、
それは神の意図であり決して消し去れないものとなり、我々に出来るのは選択を変更して逃げ回るのみとなる。
幻想を内包する神を真実とする限り、二元性を捨て去る事は出来ないのかもしれない。
>>658 >このように二元性に意義を与えると、両極の経験は解釈、判断、意味づけにより変化するものだ。
>という考えにとどまり、対極という観念や存在自体を疑うことなく肯定していくのだろう。
この世界で起きていることに意味付けしているのは
他ならぬ自分自身であるということを知れば、
本来この世界に意味がないことは自ずと分かること。
あなたの勘ぐりは間違いだと思うよ。
> この考えには、自分以外の誰かが存在しているという信念が見て取れる。
神のあらゆる側面からそれぞれ一部を切り取ったものが個性。
根っこは同じところにつながっていると考える。
> それにどう受け止めようと、単純に痛いものは痛いものだ。
痛みが快楽の人もいるわけでしょ。
>この世界で起きていることに意味付けしているのは >他ならぬ自分自身であるということを知れば、 >本来この世界に意味がないことは自ずと分かること。 意味付けしているのは自分自身だとどうやって「知る」? 「知る」とはどういうこと? >神のあらゆる側面からそれぞれ一部を切り取ったものが個性。 >根っこは同じところにつながっていると考える。 どうしてそんなことがわかる? その根拠は?
>>661 >神のあらゆる側面からそれぞれ一部を切り取ったものが個性。
>根っこは同じところにつながっていると考える。
神があらゆる側面を含むという事は、あらゆる対極も同時に含まれている事を暗示している。
それは対極という概念を持つゆえに二元論を超えていない。
根っこは同じだが全体から一部を切り取りとる事が出来るという考え方は、
その時点で既に、全体とその対極という二元論の枠内で考えていることがわかる。
>>661 >この世界で起きていることに意味付けしているのは
>他ならぬ自分自身であるということを知れば、
>本来この世界に意味がないことは自ずと分かること。
意味づけが可能なのは対極が同時に存在する二元論だからこそ。
見る者と見られる者が同時に存在して初めて可能となる。
世界に意味がないと知ったからといって、
対極が存在するという二元性そのものが消え去るわけではない。
対極も幻想も全て神の持つ側面と定義し考える事が前提にあるのだから、
意味をつける者も、意味をつけられる者も永遠に存在しうる。
>>663 > 神があらゆる側面を含むという事は、あらゆる対極も同時に含まれている事を暗示している。
> それは対極という概念を持つゆえに二元論を超えていない。
あらゆる側面を持つのだから、
二元性の世界では対極に見えるものももちろん含んでいます。
しかしあらゆる側面が同時にある世界では対極は意味を成しません。
> 根っこは同じだが全体から一部を切り取りとる事が出来るという考え方は、
言葉が難しいですね。
切り取るというか、あらゆる側面からある一部を選び出すという意味です。
全体を構成している全ての要素の中から一部を選ぶということです。
決して全体から離れていません。
そのうえで、
> その時点で既に、全体とその対極という二元論の枠内で考えていることがわかる。
全であり個、個であり全。
>>664 > 意味づけが可能なのは対極が同時に存在する二元論だからこそ。
> 見る者と見られる者が同時に存在して初めて可能となる。
そうですね。
> 世界に意味がないと知ったからといって、
> 対極が存在するという二元性そのものが消え去るわけではない。
そうですね。
二元性そのものを消し去りたいんですか?
> 対極も幻想も全て神の持つ側面と定義し考える事が前提にあるのだから、
> 意味をつける者も、意味をつけられる者も永遠に存在しうる。
そうですね。
二元性そのものを消し去りたいのはなぜですか?
>あらゆる側面を持つのだから、 >二元性の世界では対極に見えるものももちろん含んでいます。 これがもう不二一元ということの意味をまったく理解していない証拠。 含んでいるということはそれは一元ではない。 >二元性そのものを消し去りたいのはなぜですか? それが本当の幸せだから。 ではあなたが二元性を何としても残したいのはなぜですか?
行く道を知るには来た道を知ることである なぜ完全で一元的な状態から今の状態があるのかを考えてみればよくわかる。 それが否定されるべきものであれば今の状態はないはずだ。なぜなら完全であるから。 それが肯定されるべきものであれば今の状態も許容することができる。なぜなら完全であるから。
行く道も来た道も本当はなかったのだとしたらどうなる? そこを洞察してみるんだね。
669 出た、神対の神口調w
>>670 それは真実だが既にその状態にあるのであれば
解脱する必要も夢から目覚める必要もなく
今のあなたで完璧であるということを意味している おめでとう!
(実際そうなのだが)
しかし、そうであるならばあなたはここから姿を消していなければならない
何かを「する」という行為は創造であり旅の往路であるからだ
君はまだ夢の旅路の往路にいる
同じく夢の旅路の往路にいるあなたは、何をして旅を続けている幻影を終わらせる?
旅の動機や目的となっている経験を完了させること 時間は幻想が故にたっぷりある 経験の完了なくして立ち去ることはできない 多くの覚醒者が体験と同時に人生を終わらせなかったことがそれを示している
>>665 >しかしあらゆる側面が同時にある世界では対極は意味を成しません。
このように対極が存在するという二元論に基づいて考えてしまうと、
そこに意義を見出すことに焦点が向けられ、
対極が意味を成さなくなるという二元的思考に陥りやすいのだろう。
最初から存在していない対極が意味を成す必要などないはずなのに。
そもそも側面という概念自体、分離や分割が現実に見える二元性なしでは認識できないだろう。
>>665 >切り取るというか、あらゆる側面からある一部を選び出すという意味です。
切り取るという考えは分離・分割が可能だという信念を示唆している。
側面や一部という概念は分離以後、初めて認識可能な概念となる。
>全体を構成している全ての要素の中から一部を選ぶということです。
>決して全体から離れていません。
全体と一部が存在するという思考は二元論。一部を選ぶには比較対照が不可欠。
構成している全ての要素というのは、バラバラに認識できる分離を象徴している。
つまり一部を選べるという発想の時点で二元性の中にいる。対象が認識できなければ選びようがないのだから。
>>676 横レスさせてもらうけど、自分で自分の皮膚の細胞を見てごらん。
細胞は細胞として活動しているし、尚且つそれを俯瞰して眺めている全体としての自分もいる。
両者は決して分離しているわけではなく、全体と部分が一体であることがわかるから。
>>675 >最初から存在していない対極が意味を成す必要などないはずなのに。
全ての要素(あらゆる側面)として存在しているものから、
経験というフィルターを通してみると、
対極という要素が抽出されたということです。
本来はなんら意味を持たないものです。
>全体と一部が存在するという思考は二元論。一部を選ぶには比較対照が不可欠。
>構成している全ての要素というのは、バラバラに認識できる分離を象徴している。
>つまり一部を選べるという発想の時点で二元性の中にいる。対象が認識できなければ選びようがないのだから。
そりゃこの物理的世界はまごうことなく二元論で出来ているのだから、
あなたの言っていることは当たり前でしょ。
しかし、私たちの本質は二元論の物理的世界にはない、と言うのが
ACIMにも神との対話にも共通する認識でしょ?
あなたは物理的な二元論の世界に「とりあえず」生きているんでしょ?
この物理的世界の中で一元論を達成しようとしているの?
>>674 肉体という幻影が消えるまで続くだけ。
ニルビカルパ・サマディまでいった人は、
その後あまり長くは生きられない。
あなたはどうしても幻影への執着から離れられないようだね。
>>674 旅に動機や目的はない。
エゴが動機や目的があるように見せかけているだけ。
君は覚醒者を肉体のことだと思っているのか?
だから、何もわかっていないと言ってるんだよ。
>>677 それが幻影なんだよ。
幻影を幻影と簡単に認識できるのなら、その幻影から簡単に抜け出せるさ。
君のように、ほら、実際にここにあるじゃないか! 全体と部分は一体じゃないか!
というおバカさんばかりだから簡単にはいかないんだよ。わかるかな?w
>>678 >しかし、私たちの本質は二元論の物理的世界にはない、と言うのが
>ACIMにも神との対話にも共通する認識でしょ?
君のような神対信者の誤謬は、一元の世界を核として、そこから放射されるように世界が展開されており、
その末端に二元世界であるこの物質宇宙が存在している、というイメージで捉えていることだが、
それは不二一元とはまったく相容れないんだよ。
不二一元というのは、不二、つまり一元のみがあって二元だろうが多元だろうが、
そんなものはない、という立場。
一元を垣間見るというごくありふれた体験をしただけでも、
ああ、たしかに一元だけなのだな、ということを“体感”してしまう。
神対信者たちは、頭の中に構築されただけの観念と、
自我を失うかもしれないという恐怖から反応して語っているだけであり、
一元と二元(多元)を対等な関係にあるかのように信じている。
それはとんでもない間違いだ。
一元の世界は、それはもう言語に絶する圧倒的なリアリティであり、
神対信者たちが主張するこの物質世界のリアリティなど吹き飛んでしまうんだよ。
体験しないとわからない。
なぜ体験もしていないのに、ああだこうだと神について語れるんだね?
>神対信者たちが主張するこの物質世界のリアリティ 例えばどんな主張?
「わたしを見なさい。わたしはあなたよりずっと多くのことを知っている。だからこそわたしこそ悟りを開いているはずだ!」という態度をとることになる。 (神使者P332〜333)
>>683 生物学的に人間は細胞から出来ているが、
個々の細胞のみでは生きていくことが出来ず、
ひとつひとつの細胞が有機的に関連して生きている、
と言う至極当たり前の科学的結論があるだけじゃないの?
神との対話が二元論だと考える理由はなに?
神=私たちが経験するために対極を創ったが、実は対極などというものはない。あなたの本質は神そのものだ。
と言う主張のどこが二元論なのか?が分からない。
>>684 残念、私は悟りからは程遠い人間なものでw
>>685 そういう科学的結論も含めて幻影とするのが不二一元。
神対が二元論だと考える理由。
経験するためにこの世界が必要だという時点で二元が必要不可欠になってるわけだから。
>>686 この世界が幻影なんだから、科学的結論が幻影なのは当たり前でしょ。
>神対が二元論だと考える理由。
>経験するためにこの世界が必要だという時点で二元が必要不可欠になってるわけだから。
物理的世界は幻想だと言っているのに?
二元論は私たちの本質ではないと述べられているのに?
そんなに自我を失うのが恐いのかね?>>ID:so+sQcK2
>>687 二元論は本質ではないが、必要だって言ってるんだろ?
それは不二一元論ではないよ、と言ってるの。
>>688 はいはい、よかったよかった。
ひとつ疑問に思っていることがあって、 アーテン・パーサが神との対話を否定する時に、 「もし神がこの世界を創造したとしたら狂気でしかない」と言う言葉があったと思うんだけど、 「狂気」と判断するにはその対極が必要なわけで、 この判断自体が二極化の罠に陥っているんだ(二元論を前提にしている)と思うんだけど、 神使者信者の方の見解を求めます。
>>689 不二一元論でないのはいいよ、その通りなんでしょう。
で、不二一元論以外はあなたの思考では全て排除されるべきものなの?
>>689 ついでに、
神との対話が二元論でないことは認めたわけね?
>>692 いや、二元論の一種でしょ。
だって世界は体験のために必要だって言ってるんだから。
二元論というのはサーンキヤ哲学なんかがその代表格だけども、
サーンキヤってのはプルシャ(純粋意識)とプラクリティ(根本原質)を源とするわけ。
このプラクリティというのが世界のことね、母性原理。
父性であるプルシャが母性であるプラクリティに働きかけることで
世界という現象がそこから流出したという考え。
ただしこれは方便であって、幻影を幻影だとわかっていない我々にはそのように見えてしまう。
だからそこから始めるしかないというだけであって、
便宜上そのように説明しているに過ぎない。
たとえばヨーガ・スートラなんかもこのサーンキヤ哲学が元になってるわけ。
で、ニューエイジっていうのはそういう知名度の高いスートラの本質を理解せず、
部分部分だけを切り取ってきて、都合よく繋ぎ合わせて作られているわけよ。
方便として、そう言葉で説明しているその概念だけを借用して、
世界はこうなっている、宇宙はこうなっている、と宇宙人や神が語ったことにして
本を書いているということなんだな。
>>691 >で、不二一元論以外はあなたの思考では全て排除されるべきものなの?
もと一元への復帰を目指すのなら。
梵我一如は一元論なんだよね?
wikipediaによると、 梵我一如(ぼんがいちにょ)とは、梵(ブラフマン:宇宙を支配する原理)と我(アートマン:個人を支配する原理)が同一であること、 または、これらが同一であることを知ることにより、永遠の至福に到達しようとする思想。 古代インドにおけるヴェーダの究極の悟りとされる。不二一元論ともいう。 梵とは神ではなく、あらゆるところに始めから存在する生命の源と考えられている。また人間が梵を吸収することにより生命力が増すという思想もある。 仏教では、梵(ブラフマン)が人格をともなって梵天として登場するが、本来のインド思想にあっては、自然そのもの、あるいは偏在する原理、または真理を指していた。 一方、我(アートマン)とは、身体の中にあって、他人と区別しうる不変の実体(魂のようなもの)として考えられ、「真我」と漢訳される。 ヴェーダにおける究極の解脱とは、この個人の実体としての我が、 宇宙に偏在する梵と同一であることを悟ることによって、自由になり、あらゆる苦しみから逃れることができるとする。 とあるんだけど、 間違っているところがあるんなら教えてくれませんか?
学術的な説明をいくらいじっても意味はないと思うけどね。
梵(ブラフマン)=海 我(アートマン)=瓶に掬った海水 瓶=エゴ
それと
>>690 の狂気ってことだけど、
神の使者のアーテンとパーサは誰に対して語りかけているかというと、
何もわかっていないゲイリーに対して語ってるわけだから、
そう表現しているというだけだろう。
俺も神使派の人たちに質問したいが、神使でいう聖霊ってのは何だろうね? 俺は便宜上のプラクリティのことじゃないかと睨んでるんだが。 聖霊に委ねることで聖霊が赦すってことだろう? それはヒンドゥー教におけるマザーディヴァインのことそのものなんだが。 マザーはいろいろ微に入り細に渡って面倒を見てくれるわけよ。 シヴァみたいな男神と違って。 聖霊ってのは最終的にはどうなる? 求道者はいずれ聖霊をも幻影と見なすようになり一元の世界に戻るということ? 神使は読んだけどACIMはそれほど念入りには目を通してないんで宜しく。 これから出かけてくるんでまたあとで。ID:nYpPd6iZさんも。そんじゃ。
>>686 何度も出てきたように、神との対話でいう経験の必要性とは、あくまでも全体の中にある部分を経験したい場合の話。
たとえば、男と女。一元的な存在に性別はなく、一元的な存在を指差して男だとか女だとか言うことはできない。男や女に関する情報や知識は含んでいても、そのままでは男でも女でもないからだ。
そこで用いられるのが幻想という手法、テクニックだ。分離という幻想を用いることによって小さな個や自我が生じ、男や女といった二元的なものも表現、経験することが可能になる。
このように、部分的なもの、二元的なもの、不完全なものでさえ経験できるが故の「完璧」さであるともいえる。
もちろん、完璧で一元的な存在が本当に不完全、二元的な存在になるわけじゃない。あくまでも「そう思い込む」「つもりになる」「制限する」「忘れる」という手法を用いているだけのことにすぎない。
幻想は部分を経験する際のテクニックであり、決して否定されるべきものじゃない。
なぜなら、全てである神の中に否定されるべきもの、消し去るべきものなどなく、それは神自身の否定を意味することになるからだ。
上記のように、神との対話では、部分である小さな自我も、幻想というテクニックも、二元性を経験することができる物理世界も否定されるべきものではなく、全てが一つの中に収まってそれぞれの役割を果たしている。
神にとって都合の悪いものを架空のエゴや二元性の物理世界や幻想などのせいにして、それらは存在しないし関係のないものだとする見方と果たしてどちらが一元的な見方であるといえるだろうか。
>>697 >梵(ブラフマン)=海 我(アートマン)=瓶に掬った海水 瓶=エゴ
まあ、これも方便なんだろうけど、
この説明だとアートマンは希薄化されただけだよね?
始めから無かったことにはならないと思うけど、いかが?
>>697 なぜ、アーテン・パーサは「この世界を神が創ったとしたら狂気だ」と考えたんだろう?
そう説明した方が伝わり易いと考えたからでは? つまりそれもまた真実に気付かせるための方便の一種。
この世界を悪と見ているからそういう考えが出てくるんだよね。 これって典型的二元論思考だと思うけど、どう?
>>694 そこで、ちょっと気になったのが、
>>で、不二一元論以外はあなたの思考では全て排除されるべきものなの?
>もと一元への復帰を目指すのなら。
目指さないなら、今のままでいいということ?
>>699 君の推測のおかしな点は、
なぜ完璧なはずの神が部分を経験したいと望む必要があるのか、
というところ。
部分と認識しているものは本当に「ある」のか?
「ある」という前提で神対派は論理を展開しているが、
覚醒者たちは異口同音に、
そんなものは「ない」と言っている。
さて、覚醒者たちの証言と、君の単なる推測と、
どちらに信憑性があるんだろうね。
神対に感化されただけの一般人の推測が、
聖者や覚醒者たちの証言より信頼できるとでも言うのだろうか?
>>705 必要はないんだよね。
ただ経験したかった。
>>701 >なぜ、アーテン・パーサは「この世界を神が創ったとしたら狂気だ」と考えたんだろう?
アーテン・パーサはコースの非二元的な姿勢をゲイリーに教えていると思います。
非二元論では、神という全体だけが全てであり部分という現実は存在しない。
全体であることだけが現実であり、神(あるいは愛)そのものである事
以外は一切真実ではないとする世界。
もし非二元論が真実ならば、神との対話のように、
体験の為に自らの対極を必要とする存在を神とするなら、
神を「恐怖という対極がないと愛が体験できない存在」と見なすことになり、
愛と恐怖が同時に存在する二元性(相対的にしか認識不可能な喜びと、
それを可能にする為に不可欠な苦しみ)という分離が肯定され、
神は愛であるのみ。ではなくなってしまう。
非二元性が真実でその観点からみると、これはあり得ない狂気じみた考えとなるので、
もし神との対話の神を真実とするなら、神も真実も狂気と見なす事になる。
という事だと思います。
>>707 ほら、引っかかってる。
恐怖が悪いもんだと決めたのは誰?
恐怖=悪とは書いてませんよ。 私から見ると、何故恐怖=悪と解釈されたのかわかりませんが、 あなたから見ると、恐怖=悪という観念になるようですね。
>>706 経験したかった、というのがおかしい。
完璧であるものが、経験するもの、されるもの、
と分離しなければならない、
という矛盾。
君の推測は成り立たない。
>>710 分離しなくてもいいよ。
経験するものもされるものも幻想でいいんだから。
>>711 ちなみに神との対話における愛とは、恐怖をも包含するものだと思います。
多分神対派の人は賛同していただけると思います。
>>711 はい。
だからこそコースは一切妥協しない
「非」二元論、あるいは「不二」一元論だと思います。
>>714 妥協しないんじゃなくて
現実逃避に見えるw
>>715 よくわかります。以前の私もそうでしたし、
コースに出会う前は現実逃避としか思えませんでしたw
何が現実逃避にしか思えなかったの?
>>698 の質問には誰も答えられないかw
神使派はあんまりここを見ていない?
さて、
>>699 まったく違うな。
完ぺきなものは完ぺきなもの。
不完全なものさえ経験できる、というのはナンセンス。
それは単なる言葉の遊び。
それはあなたが完ぺきなるものを
ほんの一瞬でも垣間見ればわかるよ。
>>700 梵我一如の我というのは真我のこと。
もともと存在しないものは瓶のほう。
瓶があるという幻影によって我々は個別の存在だと錯覚している。
しかし、瓶が消えれば、瓶の中の海水と海とはもともとひとつなのだから、
それはひとつに溶け合い、もともと瓶などなかったかのようになる。
宇宙にはたった一人の人間しかいない、ということ。
>>701 アーテンとパーサは誰に対して語っている?
>>703 視点によって意味は変わる、と言いつつ、
その視点によって善と悪を生きながらえさせているのが二元論なんだよ。
この世に意味はない、というのが不二一元。
>>704 構わないんじゃない? でも幸せにはなれないよ、ってこと。
>>717 自分やこの二元性の世界の体験は重要で
意義があるものと考えていたので、
臭いものに蓋をする考えだと思っていたからです。
>
>>719 この世の体験を味わいつくしたいのならそれでもよいと思いますよ。
ただ、一なる世界があることを忘れてしまわないように、と言っている。
コースでは物質を物質として見るのでなく、精神的にみようと言っている。
今、ある世界は破壊が消滅に繋がるのではなく赦しで変容させるということ。
破壊や批判は分離を加速するので良くないとある。
すぐに悟りに至るわけではないので、それまではこの世さえもコースの
力でよりよく生活できるという現実的力があるよ、と書いてあったような。
「神との対話」は一なる世界への復帰なんか意図していないので一緒ではないね。
>>722 神使者も神対も理解しないおまえが何故、知った風に言うんだ。
おまえが自分の復帰を意図してないのは良くわかるよ。
>>722 そうだね。
神のもとに戻らないことなどあり得ない、
という考えだから意図はしていないかもしれないね。
>>723 出た、“お前は理解していない、俺様は理解している”w
理解しているつもりになっているその俺様なんて錯覚、というのが神使で、
俺様は決して無くならないというのが神対。
一緒のはずがないw
>>725 神対の何処に
俺様は決してなくならないと書いてあるのか、
具体的な箇所を指摘してください。
>>726 ここで神対信者が涙目で必死になって訴えてきたじゃないかw
自分が消えるはずがない、より大いなる自己に統合していくだけだってw
神対シリーズなんてとっくに二束三文でブックオフに売り払ったから手元にないしね。
しかし神対では、神は経験するためにこの宇宙をつくった、と書いてあるんだよな?w
それで、経験のために神はこの宇宙を創ったはずなのに、
俺様は選択次第で自分の望む現実だけを経験することができる、と言ってたのも神対信者だよな?w
>>727 あなたはあなたの理解が正しいと思ってます?
他人の理解には難癖つけてますけど。
>>728 いいや。俺様は理解している、なんてことはとてもじゃないが人様に対して宣言なんかできないね。
どうして著者自身でもないのに、俺様は理解している、お前は理解していないなんて言えるのか。
ところがここでそんな破廉恥な言動を何度も何度も繰り返しているのが神対信者じゃないかw
横柄で傲慢な神対信者が、自分はこう思う、こうじゃないかと推測している、という事は決してなく、
君は○○かな? などと神対の神の口調(吉田利子氏の翻訳した日本語の口調w)をモノマネして
説教しようとする、その滑稽さは、見ているこちらのほうが恥ずかしくなってくるww
>>729 自分なりに理解していないと
議論なんか出来るはずないんだから、
理解していないと堂々と宣言するなら
恥さらしているだけだよ。
>>727 >神対シリーズなんてとっくに二束三文でブックオフに売り払ったから手元にないしね。
>しかし神対では、神は経験するためにこの宇宙をつくった、と書いてあるんだよな?w
終了
732 :
神も仏も名無しさん :2010/03/15(月) 02:47:13 ID:oxtgqFyQ
>>730 馬鹿?w
俺様は理解している、と宣言しないことが、どうしていきなり、少しも理解していない、ということになる?ww
恥をさらしているのはお前なんだよ、馬鹿がw
だいいち、神対はニールの作り話なんだし、そもそも理解するも何もないわけでねw
で、お前は「理解している」わけだな?w
その割には、神対は神使と両立すると言ってみたり、神使を全面否定してみたり、
そのブレっぷりは鳩山由紀夫も大爆笑だけどなw
何をどう理解しているのか、具体的に語ってみろよ、脳呼吸工作員w
>>731 神使を読んでもいないのに批判しているお前こそとっくに「終了」だけどなw
少なくともこちらは神対シリーズに一度は目を通している。
ところがお前は、神使を手に取ったことすらないwwww
読んでもいない本をどうやったら批判できるのか、そのやり方を是非伝授してくれよwww
>>732 この部分は理解していますが、この部分は理解していません。
ってことかw
じゃあ具体的にどの部分を理解しているのか?
どの部分を理解していないのか?
教えてください。
>俺様は理解している、と宣言しないことが、どうしていきなり、少しも理解していない、ということになる? 日本語読めてます? あなたが「少しも理解してない」なんて話しはしてないですよ? もう一回読んで。 っていうか、 >だいいち、神対はニールの作り話なんだし、そもそも理解するも何もないわけでねw 「ニールの作り話」と言うホントかウソかわからない話は理解しているらしいねえ。 証明してもらおうかなあ、作り話だってw 証拠証拠。 生理的に受け付けないんなら、そういえばいいじゃない?
以上の流れを見れば一目瞭然、
>>723 において、まず神対派が気に入らない意見への罵倒を始めている。
このように、いつも、神対派が無益な言い争いの原因を作っている。
そして、
>>733 のように、到底回答不可能な問いを発して、
いったいどうしたいのだろうか?
何千ページにも及ぶ神対シリーズの、
どの部分を理解しどの部分を理解していない、
など、この限られたスペースに逐一書き込めるとでも思っているのだろうか。
こうして、神との対話に対する評価そのものが、
今日もまた下がっていくわけだ。
>>734 神との対話は、経験のために宇宙が存在する、宇宙は必要不可欠だという主張だね?
これは、覚醒を目的とする伝統的な宗教とは決して相容れない。
そしてニールの言動。
カルト団体の広告塔になってしまったり、
神対は全部で3冊と言っておきながら、
その後どうなったか。
またぞろ、神との対話ガイドブックという新刊本まで出している。
ニールは実は何もわかっていないので、
韓国のカルト団体にも騙され洗脳されてしまい、
金銭目的で神対の名前で本を切り売りしている、
単なるニューエイジビジネスだ、
と言われても仕方ない面も実際にある。
神との対話の第一巻は、別の人物がチャネリングしたもので、 それ以降の巻はニールによる創作だ、 と暴露した元関係者もいるという。 またニールは今でも深刻な金銭トラブルをいくつか抱えており、 借金返済のために神対ブランドを利用して本を出し続けている、 という指摘。
>>733 はい、神対シリーズというゴミが手元にないので、
どの部分にはどういうことが書かれているのか、逐一書き出してくださいw
それについてコメントして差し上げましょうww
で、あなた、日本語ダイジョーブデスカ?w
俺様は理解している、なんていう言い方は出来ない、
と言ってるのは、神対について、ではなく、
どんな書物に対しても、著者自身でもないのに、
軽々しく、自分は理解した、なとど言えるのか、と言ってるんだが、
そんなこともわからないほど馬鹿なのか?w
さあさあ、神対のどの部分にどういうことが書かれているのか、
それをお前が完全に理解しているという根拠とともに提示してみろ。
それらについて逐一矛盾点を指摘しお前を地団駄踏んで悔しがらせてやろう。
さあ、かかってこい、ゴミ信者www
>>734 >>737 が指摘している通り、ニールと金銭トラブルになって袂を分かった人物による暴露サイトがあった。
そこに事細かに、神対が出版されるまでの経緯が書かれていた。
お前のような神対狂信者による攻撃でサイトは閉鎖に追い込まれたけどねw
ニールはある人物から神との対話の出版を託されその原稿を預かった。
しかし、身寄りのないその在米カナダ人が病気で急逝したのをいいことに、
その原稿を自分が書いたものだとして出版社に売り込み本にすることに成功する。
当時経済的に困窮していたニールは小遣い稼ぎにでもなればという目論みだったが、
予想外に大ベストセラーとなってしまい続刊を出版社側から催促されることになる。
そこで仕方がないのでそれらしく装ってA巻目以降は自分で創作することにした。
英語のオリジナル版の読者からは@巻とそれ以降の巻とでは文体も何もかも全く違う、
同じ著者が書いたものとは思えない、という指摘は当初からなされていた。
真相の発覚を恐れたニールは、A巻目以降のどこかに、
自分が書いた神対と一字一句違わぬものをチャネリングしていた人物がいた、
と書いて予防線を張っているが、内心戦々恐々としていたんだろうなw
結局証明出来ないんじゃんw
どうやって証明しろっていうんだろうな、この馬鹿はw ニューエイジの汚れた歴史を知らないど素人がwww
神対が何をもたらしたかを見るだけで、これがウソ以外の何ものでもないことがよくわかるwww
>>741 >どうやって証明しろっていうんだろうな、この馬鹿はw
ニールがウソを書いたって言ってるんでしょ?あなたは。
確信があるようだから証明して下さいって言ってるんですが、
どうやって証明できるか分からないのに、確信があるんですか?
>ニューエイジの汚れた歴史を知らないど素人がwww
あなたの立場から見れば「汚れた歴史」に見えるだけです。
>>743 何をもたらしたの?
神対がもたらした全てについて検証したの?
神対をウソと判断するには、
あなたなりの理解がないと判断できないと思うんだけど、
あなたは理解する必要もないという。
ただただ難癖つけてるだけで、バカ丸出し。
難癖をつけているのは神対派。 神使派は、神使と神対は違う、と言っているだけ。 それがなぜか気に入らない神対派がストーカーのように絡み続けている。 どんな主張を誰が信じようとその人の自由であるし、 どんな主張を嘘デタラメだと信じるのも自由。 証明しなければならない義務もない。 神対信者が神対を絶対の教えだと信じるのも自由だが、 それに異論を唱える人間を糾弾する権利などない。
>>745 例えば、
私は、神使と神対は同じ、と言っているだけ。
それがなぜか気に入らない神使派がストーカーのように絡み続けている。
どんな主張を誰が信じようとその人の自由であるし、
どんな主張を嘘デタラメだと信じるのも自由。
証明しなければならない義務もない。
神使信者が神使を絶対の教えだと信じるのも自由だが、
それに異論を唱える人間を糾弾する権利などない。
そっくりそのまま、お返し出来ますねw
>>744 はいはい、では文字媒体の掲示板においてどうやって証明するんでしょう?www
ぜひぜひご教示くださいませ、おばさんww
すでにサイトはお前のような狂信者によって攻撃され跡形もない。
残っていたとしても英語が出来ず神対の原本を読んだこともないお前に何がわかる?w
>何をもたらしたの?
>神対がもたらした全てについて検証したの?
お前みたいなゴミを量産したことだよ、おばさんw
このスレを見てリゃわかるだろwww
>>746 なぁ〜にを言ってやがるwww
お前が連日のように因縁をつけ嫌がらせに奔走しさえしなければこういう事態にはなってないんだよ、クソババア。
お前がすべての元凶なんだよw
大天国やサマディにしつこくしつこく嫌がらせをしていたのもお前。
ちょっとでも神対に批判めいたことを書けばここから排除しようとするのもお前。
一度俺と直に会わないか?
直接会って、それでケリをつけようじゃねーか? あ? どうする?
出てこいよ、クソバハア。
場所と日時を指定しろ。
それでこの騒動に決着をつけようぜ。
場所と日時を指定しろ。会いに行ってやるから。
>>746 では神使と神対のどこがどう同じなのか、
具体的に説明しなさい。
神使を読んでもいないのにどうして同じだと断定できるのか。
「不死というあなたの現実」の中では、
名指しで「神との対話」を取り上げ、これを否定している。
それについてはどう説明するのか、
期待して待っていますのでよろしく。
>>749 いい加減に気付きなよ、違うところに目をつけて。
ID:oxtgqFyQがやっていることは、神使と神対を置き換えると、
「不死というあなたの現実」みたいなインチキ本は根拠にならない。
「不死というあなたの現実」の中に書かれていることが真実だとなぜおまえに分かる?
なぜ分かるのか具体的な根拠を示せ。
ということ。
そしてあなたに聞くけど、あなたが「不死というあなたの現実」と言う本を取り上げて、
その中で「神との対話」は否定されていると言うことは、あなたなりに「不死というあなたの現実」を理解してるんだよね?
理解してあなたなりに納得して賛同しているわけだよね?そして自分の意見として表明したわけだ。
それをID:oxtgqFyQは、理解しているとはおこがましい。理解しているという根拠を示せ。
と言うんだ。
まともな思考回路だと思う?
で、私にID:oxtgqFyQがやってることと同じことやられたら「出てこい、くそばばあ」だwクズにひきづられるなよ。
あなたが
>>745 で書いた通りなの。
誰もが自分の責任で自分の信じた道を行く。
その中で意見をぶつけあえばいいじゃない。
はい、ご覧の通りwww 逃げました〜♪ 逃げました〜♪ いつものように逃げました〜♪ww 都合が悪くなると敵前逃亡。これが神対クオリティwww
神対では「的は大きくて外しようも無い」と書いてなかった? 最終的には全員そこへ到達すると書いてあったような気がするが。
>>750 ごまかさないでもらいたい。
不死現には、事実として神対の名前が出ていて、
それについて否定されている。
それは理解云々ではなく、事実。
私は、不死現が真実だなんて一言も断定していない。
しかし、不死現に実際に印刷されていること、
これは誰でも確認できること。
確かに不死現には「神対」という名前が出ていて、
それが否定されている。
これは理解ではなく、客観的事実。
さて、あなたは神使と神対は同じだと主張している。
しかし、上記の如く、神使シリーズの2巻目で、
神対は否定されている。
この事実を踏まえた上で、
尚あなたは神使と神対は同じだと言えるのか、
釈明してもらいたい。
そして、あなたはそもそも神使を一度でも読んだ上でここに書き込みしているのか、
ということについても事実関係をハッキリと説明してもらいたい。
>>753 あなたも同じレベルらしいねえ。
自分の意見を述べない人とは話して無駄。
ゲイリー ぼくたちに結局は悪夢に変わるようなこんな夢を見させておくなんて、神はあんまり 愛情深くない、と言う人たちもなかにはいるよね。それについては、どうなんだろう? アーテン そういうことを言う人たちが、次には逆に神がこの世界を創ったなんて言いだすんだから おかしい! 神が愛情深くないだなんて。きみの質問に答えるなら、 神がきみたちにこんな悪夢を見させているのではない。夢を見させるとすれば、 「彼」はそもそも分離という考え方を認めなければならない。だが「神」はそんなことは していない、と前にも言っただろう。「彼」が認めていないからこそ、 依然としてきみたちが目覚めるべき完璧な「一体−−−ひとつであること」が 存在するんだよ。 ゲイリー だけど、神は「一体−−−ひとつであること」のなかでは「彼自身」を経験できない、 「彼」が「彼自身」を経験するにはこの世界を創ってそこに住むしかない、 と考えている人たちもいる。そしてたとえば 「 神 と の 対 話 」 シリーズのように、 そう言っている著者や教師に耳を傾ける人もたくさんいるんだよ。 パーサ そういう人たちはもっと深く見つめれば、神を狂気だとみなしているとわかるでしょう。 あなたは天国で神とともにあるのに似た神秘体験をしたわね、そうでしょう? ゲイリー そう、したよ。 パーサ この世に比べて天国はどんなだった? ゲイリー 比較にならないさ。天国ではぼくらが神なんだから。
パーサ でもそれは目覚めのような体験だった、そうじゃない? ゲイリー そう、確かにそうだった! この世のどんなものよりすばらしい体験だったよ。 パーサ それなら、わかるでしょ。神が「彼自身」を評価し楽しむために 二元性を経験しようとしてこの世界を創ったという考え方は、セックスを経験して 楽しむためには腹を一発殴らなければならない、というのと同じようなものだわ。 そんなはずはないじゃないの。苦痛は自分が神から自分自身を引き離した と考える罪悪感の結果です。現実の楽しさを経験するために苦痛を経験する 必要はないのよ。でも現実に戻るためには、痛みと苦しみを赦して 捨てなければなりません。Jはそのことについては「コース」のなかで これ以上ないほどはっきりと語っているし、あなたが耳を傾けるべきは 彼の言葉なのよ。 Jの言葉 「エゴから、生命や無辜と対立し、さらに神ご自身の意志と対立する罪や 罪悪感や死が生じる。そのような対立物が存在するところとして、 狂気に献身して天国の平和に反対する常軌を逸した病んだ心以外の場が あるだろうか? 確かなことがひとつある。罪も死も創り出さなかった神が、 あなたがたを罪や死に縛りつけるはずがない。彼は罪もその結果も知らない。 葬列の埋葬布に覆われた遺体は、創造主を称えて行進するのではない。 創造主のご意志は彼らが生きることだ。 彼らはそのご意志に従っているのではなく、反している。」
ゲイリー すごいや。それなら彼は身を隠すのをやめて、ほんとうはどう感じているかを 言ってくれるべきだよな。すると片方には神が「彼自身」を経験するために 対極を作り出したという人たちがいて、こっちではJが、すべてを包み込むものに 対極はない、狂気の者だけが対極が存在し得るか存在するはずだと考えるだろう と言う。こう考えていいのかな? パーサ そうよ。 ↑↑↑↑↑↑↑↑↑↑↑↑↑↑↑↑↑↑↑↑↑↑↑↑↑↑↑↑↑↑↑↑↑↑↑↑↑↑↑↑↑↑ 「不死というあなたの現実」の中ではこうして名指しで「神との対話」を否定しているんだよな。 ところが一部の神対信者は、「神との対話」は「神の使者」と共存できると言い、それを認めろと 何度も何度も言い寄って来る。まるで、あなたのことは嫌いだから諦めてくれ、と言われているのに、 しつこくしつこく追いかけてくる、まさにストーカーそのものwww
>>753 不死というあなたの現実なんてインチキ本じゃん。
そんな本に書いてあること信じてるの?
といわれたら、どう?
>>754 何がどう同じレベル?
自分の意見だが?
事実関係を踏まえた上で、神使と神対は同じではないし、両立もできないと言っている。
不死現の中で神対が名指しで否定されている以上、
これは自明。
>>754 r'''" ゙l,
`l `l、__ ,r‐ー-、
| ) /" ̄ ̄ ̄\ / ヽ、
l ,r'"" ̄ニ、 .,// ヽ、 / i
/ _,r"∠ニ、'L- l,,/ l ,rー--−ヽ、 l / ,,r 、 ゙l
<" ,,r'" l 、___`_|. | / ,,/" ``ヽl l/ ,,,,ノ" ,,ハ ゙l
`>i`|.l ヒーーーラli. |.i´l.| '⌒ L ⌒ l/ l" ニ= r-‐ l l
〈 ゝ'ヘ、\., - 、/.li____ゝ || 、___イ_, 〔 r、 !、 ヽ l 丿
vヘ、 ヽ、 ヽ==l,,ハ,, ハミ lーー--ー-//ゝ、 ゝゝ7 、__ ' //
,,_.n ,,ゝ、,,,,,,,゙゙''''^'',,,,,,彡ーく./ ミ \, ‐-‐.// l`ー‐=ト、`ー' /l ̄\_
. / l,,l,,厂 l\∧l'''''l∧l ヽ \`ー-' イ ノ,,r‐'''| | ヽ ,,イ .l l'",,,、 ヽ
/,∪ l, >‐i l l >ー‐ヘヽ / l l | .| ∪ l |.゙ト、
ゝ | l l l | ヽ_l l ヽ | | | | l,,,l,,l,l |
| | | |. l / l | ヽ | |
(:D)| ̄|_ (:D)| ̄|_ (:D)| ̄|_ (:D)| ̄|_
ああ、こりゃこりゃwwww
>>758 不死現がインチキかどうかは関係ないでしょ?
だって、不死現は間違いなく神使のシリーズなんだから。
で、その不死現に神対が名指しで否定されている以上、
神使と神対は同じで両立し得るというあなたの主張は成立しないということ。
>>758 wwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwww
もう笑いも起こらないほど呆れた詭弁wwwwwwwwwwwwwwwwwwwwww
おいババア、お前さ、一度死ねよwwwww ダメじゃんwwwww
もう終わってるよ、お前wwwwwwwwwwww
もう福島みずほレベルの、びっくりするほどユートピアwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwww
>>762 不死というあなたの現実の中に書かれていることを
盲信しているということね。
わかったよ。
>>764 お前本当に大丈夫か?wwwwwwwwww
『不死というあたなの現実』には
>>755-757 にコピペしたように、
わざわざ神との対話を指名してこれを否定しているのはお前にもわかるよな?
で、『不死というあなたの現実』はれっきとした神使シリーズの一冊だよな?
ということはどういうことだ?
不死現を盲信していようといまいと、「事実として」神使シリーズの一冊において、
神対が否定されているということは、お前の「神使と神対は同じことを言っている」というテーゼは完全に否定されてるってことだよ。
わかってるんだろうけど、恥ずかしくて負けを認めたくないってことだよな?w
もし本気でそう書き込んでるんなら、マジでお前病院行ったほうがいいからwwwwwwwwwww
レスアンカー間違い
>>765 なwww
ID:HkOhRa1Fの鳩山由紀夫も大爆笑の言い訳に思わず間違えてしまったwww
アーテン 悟りに到達すると、自分が見ている夢はすべて自分が投影しているとわかる。 誰か別の心から生じているわけではないー 心は一つしかないのだから、批判など馬鹿げている
神使ってのはACIMの副読本にすぎないんだよねえ。
お話にならない…。 対話が成り立たない相手と議論しようとしても時間の無駄のようだ。
>>766 よく読めばわかるんだけどさ、
「たとえば」って書いてあるんだよね。
さあ、恥ずかしさのあまり必死のごまかしがさらに痛々しさを誘発していますwww 汚っねー顔のババアなんだろうなww まさにお話になりまっしぇ〜んwwww こんなキチガイババアが実際に存在してるっていう事実に乾杯wwwwwwwwww
>>771 あなたが神使を盲信していることはわかった。
神使に嘘が書かれているかもとは考えないんだよね?
ACIMと完璧な整合性があるか?とか。
>>774 誤魔化すなよ、ババアw
「神使」が本当でもウソでもどうでもいいんだよ。
しかし、事実として、神使シリーズの二冊目、「不死現」で神対が名指しで否定されていること、
神対の否定が文字として印刷されているのは事実なんだよwww
だ・か・ら、神使と神対は同じだ、というお前の主張は完全に間違ってるの。
それともお前が言う神使って河出書房新社から出ている神使じゃない、別の本のことなのか?www
わかってんだろ? わかっていながらキチガイのフリしてんだろ?www
もし本気ならマジでヤバイから。病院行ってこいよ、病院www
ID:oxtgqFyQさんこの矛盾を教えてください。 アーテン 君たちの考えは神のものではないから、神はそれに答えはしない、 答えれば現実性を与えることになる アーテン 悟りに到達すると、自分が見ている夢はすべて自分が投影しているとわかる。 誰か別の心から生じているわけではないー 心は一つしかないのだから、批判など馬鹿げている アーテン 君たちを助けるといっても、スピリチュアルなお偉いさんたちの大好きな「昔からの知恵」 を授けるんじゃない。世界が「昔からの知恵」と考えているものなんて、法螺ばっかりだよ。
ID:oxtgqFyQさんこの意味するところを教えてください コースでは行動を変える必要はない、と言っている。 大切なのはあなたがまったく無辜であることを理解すること。 人は自分の運命を選んで、起こることからレッスンを学ぶ機会を得る。 Jは身体を非難する宗教を始めていない
ID:oxtgqFyQさん、教えてください。 コース >神の答えはすべて永遠である。だがそのなかには >小さな答えのすべてが含まれている。 この中の小さな答は何に対する答えなのでしょうか? >自分の具体的なニーズには目をつぶり、神の手に委ねること・・ >まず天国を求めよ、さればすべては与えられる このすべてとは何をさしますか?
もし大いなる視点、もしくは体験があるなら質問の中に答えが 存在し即答できると思います?
そうだな。
パーサ >すべて放棄しろとか、そんなことを言ってるんじゃありません。 >見方を話しているの。 これとあなたがたが言ってきた、「この世は無意味」、「この世は存在しない」 から来るニュアンスの違いの説明をお願いします パーサ >世界を捨てなさい。物理的でなく精神的に。 パーサは何を言いたいのでしょう? 全体の整合性の中での説明をお願いします。
>>781 >パーサ
>>すべて放棄しろとか、そんなことを言ってるんじゃありません。
>>見方を話しているの。
現実には存在していない夢の中にあるものを放棄するという姿勢ではなく、
そもそも夢は現実ではないという見方について言及していると思います。
>パーサ
>>世界を捨てなさい。物理的でなく精神的に。
同じです。
夢の中にある物理的なものを捨てるという見方ではく、
そもそも存在していない夢に意義を与える姿勢を改めるべきだということだと思います。
>パーサは何を言いたいのでしょう?
>全体の整合性の中での説明をお願いします。
世界という夢は存在してないので現実ではないし、現実に存在していないものに意味などないので、
以上のような姿勢を持つことを説いていると思います。
>>775 日本語が分かる人なら一目瞭然なんだけど
今の論点は、神対と神使いが同じかどうか?じゃないからw
あなたの議論の態度が論点。
ID:iEKJLKDEさん
どうぞどうぞ神使派の人に訊いてくらはいw
>>783 見苦しいぞw お前は負けたんだよw
そうやってお前は実人生からもずっと逃げ続けてきたんだろうなw
卑怯者の神対信者、ウソとハッタリだけの神対信者、
お前の存在こそが、神対が何をもたらしたのか、その象徴だよwww
いつまで勝ったとか負けたとか言ってんの?
神は神対信者など創造していない。
>>785 お前がこだわってるんだよ、ウソつきババアw
卑怯者の神対信者、ウソとハッタリだけの神対信者www
>>787 はいはい。あなたの勝ちですよ。よかったでちゅねー。
愛なら今何をするか その教えの結果がこれw
>>782 >すべて放棄しろとか、そんなことを言ってるんじゃありません。
>見方を話しているの。
「神の使者」は発売と同時に買って何度か見ましたが、あまりの乱暴な言い方
に嫌気がさして、お蔵入りになっていたが、このスレでは知識も無いといけないと言うことで何年かぶりに
開いて再度読み始めて1週間程でまだわかりま
せんが自分なりの考えを書いて見ます。
遠くにある木が倒れる音は存在するか?ということから言及して2元性が
成り立つにはそれを認識する相手がいる、と書いてあります。
つまり、2元性を超越するには外部の物理的対象を破壊するのではなく
自分の認識を変換させるということ(ずれている認識を正しく戻す)。
物質を見ているのは目ではなく心であり、それは起きているときでも
寝ているときでも同じ。その物質を壊すという行為はそれを認識している
ことになり現実性を持たせるから、壊すのは心の動揺を生み、心を
壊すことにも成りかねない。ではなく、心の上位のレベルが生み出す
外側の投影を作為を持って関わるのではなく、自然な流れに任せ、
究極のレベルの認識(一なる世界)まで持っていくことに成功すれば
、自分にとってのこの世は消滅する。しかしながら、一なる世界は
開けていることになる。後は時間が無い世界で全員の悟りを待つだけ。
この世は無意味だと言って、ただぶっ壊すだけなら「この世で聖霊を見ないものは
あの世でも見ない」とあるように悟りに至る道ではない。
と、このように思います。つまり悟りの階梯に従いこの世は消滅していく
ということ。悟ってしまえばこの世はもともとなかったことがわかる。
>>790 私も何度も読み返しながら勉強中です。
>自然な流れに任せ、
>究極のレベルの認識(一なる世界)まで持っていくことに成功すれば
自然な流れに任せるだけでは、レベルの認識は中々変わらないと思います。
理由は、無意識の根底には罪を信じる間違ったレベル(エゴ)がこの夢を支えているからと考えています。
>自分の認識を変換させるということ(ずれている認識を正しく戻す)。
認識を正すという点については私もそう思います。
>その物質を壊すという行為はそれを認識している
>ことになり現実性を持たせるから、
対極があるという夢なので、「壊す」の対極となる「つくる」も、
夢に現実性を持たせる事につながると思います。
昨日の流れもひどい。本来ならば関心のない内容や罵倒はスルーするところだが、繰り返されている内容もあるのでいくつか。 > ID:oxtgqFyQ ・言われていたように1巻だけが本物だという根拠の提示を求む。1つのサイトが閉鎖されたぐらいで消えるような情報であればまず真実でないといっていい。 出版の経緯については各巻の序文に詳しく書いてあるが、たくさんの人が関わっているので、もしそれが真実であれば覆い隠すのは不可能だし、権利や威信にも関わることなので裁判沙汰になっていてもおかしくない。 私が読んだ限りでも神との友情以降に出た「神とひとつになること」「新しき啓示」「神へ帰る」などはむしろ3部作よりも深みが増している。 ニールと神の視点やキャパシティが大きく異なっているのも読む人が読めばわかるはず。 「神対と一字一句違わぬものをチャネリングしていた人物がいた」という記述も見当たらなかった。見落としていたら指摘してもらいたい。手元にないようでは無理かもしれないが。
・名指しで他書を否定したり、「セックスを経験して楽しむためには腹を一発殴らなければならないというのと同じようなものだわ」というような表現は良書のすることではない。 私なら他書の否定が出てきた時点で本を閉じる。真実の書というものは統合的な見方をするものだからだ。 ましてや、この本が否定しているからその本を否定するというのは、それこそ信者がすること。 ・イエスがこの時代の人で「奇跡を行った」という噂が出れば君はイエスをペテン師扱いしていたかもしれない。 ブッダがこの時代の人で「彼は女子供を軽んじている」という噂が出れば君はブッダを差別主義者と呼んでいたかもしれない。 噂を自分の目で確かめることなしに信じて相手を糾弾するという行為は重荷を増す行為だ。 1日中の大半を否定的な言葉で埋め尽くして満たされた気持ちになれるはずもない。ただ自分の信じる道を進めばいい。 自分にとって否定的なテーマのスレは閉じて、肯定的なテーマのスレで肯定的な言葉を使うだけで、どれだけ大きな変化が訪れることだろう。
>私が読んだ限りでも神との友情以降に出た「神とひとつになること」「新しき啓示」「神へ帰る」などはむしろ3部作よりも深みが増している。 創作の技術に長けてきたから、とも言える。 私が読んだ・・・・・それは日本語訳のことだろうが、英語のオリジナルの感想は? 吉田利子の邦訳でさえ、一巻とそれ以降では切れ味が違いすぎる、という指摘は、 以前あった神との対話ニューズレター掲示板でたびたび指摘されていた。 >「神対と一字一句違わぬものをチャネリングしていた人物がいた」という記述も見当たらなかった。 これは神対シリーズのどこかに書いてあった。間違いない。神対シリーズ全巻持っている人は是非探し出してきてもらいたい。 >「セックスを経験して楽しむためには腹を一発殴らなければならないというのと同じようなものだわ」というような表現は良書のすることではない。 勝手な価値判断に過ぎない。粗さがし目的で読もうとすればいくらでも難癖はつけられる。 ところで君は神の使者には全部目を通したのだろうか? やはり読んでもいないのに、ここにコピーされた一部だけを取り出して さも分かった風に批評しているだけだろうか? >イエスがこの時代の人で「奇跡を行った」という噂が出れば君はイエスをペテン師扱いしていたかもしれない。 >ブッダがこの時代の人で「彼は女子供を軽んじている」という噂が出れば君はブッダを差別主義者と呼んでいたかもしれない。 本の中に「セックスを経験して楽しむためには腹を一発殴らなければならないというのと同じようなものだわ」という表現を見つけ、 こんな表現は良書のすることではないと言ったかもしれないw
追加。 >出版の経緯については各巻の序文に詳しく書いてあるが、 >たくさんの人が関わっているので、もしそれが真実であれば覆い隠すのは不可能だし、 >権利や威信にも関わることなので裁判沙汰になっていてもおかしくない。 神との対話は一大ブームとなり、言わばブランド、ビッグネームになっている。 神との対話という言葉によって、出版社を筆頭にどれだけの収益があげられているだろうか。 著しい権益が発生し利権が形成されていれば、都合の悪い情報というのは受益者たちは全身全霊をもって隠蔽し、 巧妙な情報操作と印象操作によって、あったことがなかったことに、なかったことがあったことにされてしまう、 それが世の常というもの。 それこそ神の使者の中の一大疑惑、アセンデットマスターともあろう人たちが、 南京大虐殺を史実であるかのように語っている部分、これなども、なかったことが今や歴史的事実とされてしまっている例。 アセンデットマスターたちでさえ騙されてしまう、この巧妙さよw 日本による朝鮮半島植民地化、朝鮮人強制連行、従軍慰安婦、等、そのほかにも枚挙に暇がない。 神との対話の中にもあったよね、日本は朝鮮半島に悪いことしたよね、みたいな記述が。 さすが脳呼吸の広告塔、スポンサーのご意向には逆らえませんね、といったところw
やはり読んでないか。そのニールのアメリカ人視点の歴史観を神との対話の神はいさめているんだよ。 そのほかの2ch思考については相手する気にもなれない。
しかし、ニールがそう言っているのは事実だね。 そしてそれに対する神の答えもやはり如何にもアメリカ人視点だったとおぼろげながらに記憶している。 間違っているのなら、具体的にその箇所を指摘してもらいたい。できるかな?w ところで「やはり読んでないか」と言えば、 君 は 「 神 の 使 者 」 を 読 ん だ の か な ? w それを何度も何度も訊いているんだが、決して答えないね。 読んでいないとなると、やはり批判には説得力がなくなるから、 そういう体裁を気にしているということなんだろうね。 大変だね、自分が守るべき思想なり教義があるということはw
神が答えているはずなのに、ずいぶんとアメリカンナイズされた神なんだなぁとw
まあ『神の使者』も、そのスタイルはずいぶんアメリカンで軽薄なんだけどね。 誰かさんと違って両方とも読んでいる人間としては、 やはりアドヴァイタ・ヴェーダーンタに通じる『神の使者』の思想的奥行きの深さには、 表向き自動書記で書かれたことになっている『神との対話』は如何にもペラペラで安っぽいニューエイジなんだな、これがw 人間が頭をしぼって考えて書きました、いろんな情報の継ぎはぎです、みたいなw
あれ、日本語が変w 馬鹿を相手にしていると伝染するのかな?w →アドヴァィタ・ヴェーダーンタに通じる奥行きの深さに比べると、 →やっぱり如何にもペラペラで安っぽいニューエイジでしかないんだな、これがw でok. どう? ますます腹が立ってきた?w さってっと、それで、君は『神の使者』は一通りでも読んだ上でこれを批判しているのかな?w ちゃんと質問に答えてね、マスター気取りさんww
>>795 >これは神対シリーズのどこかに書いてあった。間違いない。神対シリーズ全巻持っている人は是非探し出してきてもらいたい。
あったという人が探し出してくるのが当たり前の行為だと思うね。
探し出して証明できなければおまえは嘘吐きだということで、
是非見つけ出してきて頂けますよう心からお願い申し上げます。
>勝手な価値判断に過ぎない。
あんたのやってることも勝手な価値判断だって早く気がつけよ。
>>803 しかし、この体験談は素晴らしいなあ。
私たちが変わればこの世界にニルヴァーナを現出できるという
とても力強いメッセージだ。
>>804 >この世界にニルヴァーナを現出できる
突っ込まれそうなので訂正。
>世界が変わる
バーニー・シーゲル博士のことかな? ニールの一冊目が出た後に知った彼は、 次の著作に予定していた同じ題名や内容などを変更した話。 (神との友情 下巻 P123〜)
霊界なんて持ち出してきている時点でアドバイタでも何でもありません。 本当にありがとうございました(笑)
霊眼って(笑)。 ちなみにテルテルさんは、本を読まずに書評を書いていることで定評があります。 ん? どこかの誰かさんに似てるかも!? 以前は伊勢-白山道という悪名高いネットカルトを手放しで礼賛していて、 かなり批判されてましたね。
>>791 勉強していると言ってもスタンスは「神の使者」は半信半疑です。
まだ、信用していません。当然アーテン・パーサも同じです。
>対極があるという夢なので、「壊す」の対極となる「つくる」も、
>夢に現実性を持たせる事につながると思います。
あなたも、この地球にいるということは物質の必要性の呪縛から
逃れていないと思います。
それで、壊すこともつくることもしないということはあなたの
日常で行われていることでしょうか。
>>812 >それで、壊すこともつくることもしないということはあなたの
>日常で行われていることでしょうか。
日常で何を行うのか、行わないのかは重要視していません。
誰と共に行うかの方が遥かに重要だと考えています。
破壊であれ創造であれ、所詮二元性という幻の片側に過ぎません。
幻の片側に必要性や意義を見出す事より、
真実ではないと見抜く洞察の方を大切にし訓練しながら、
日常でやるべきだと思う事はただやるだけです。
>>813 あなたの言葉の印象には創造にも破壊という反極があるから意味が無いと
、聞いている者には聞こえます。
その一方で自分は抜け目なく「日常でやるべきことは」やってるが、他者さんは
しないほうがよりベターですよと言っているのですか?
「コースは自学自習の原則で、自分で確かめていけばきちんと伝わる」という言葉 を感じました。
>幻の片側に必要性や意義を見出す事より、
>真実ではないと見抜く洞察の方を大切にし訓練しながら、
>日常でやるべきだと思う事はただやるだけです。
幻の片側に必要性や意義を見出さないようにという真実の洞察を重んじるなら
「日常でやるべきこと」こととはどういうことでしょう。
「やるべきこと」は創造的行為というステップよりさらに下位レベルの
しかたのない従属性が感じられます。さらに、「やるべきこと」には「やるべきでない」こともある訳です。
2元性の側面を数多く含んでいる仕事や家庭生活、社会生活における義務行為は「やるべき」ことでしょうか。
やるべきことって 自分で判断せず全てを聖霊に委ねることでしょ?
>>814 >あなたの言葉の印象には創造にも破壊という反極があるから意味が無いと
>、聞いている者には聞こえます。
なるほど、確かにそうですね。
創造に意味がないというより、あくまでこの幻想の中で創造しても、幻想が現実になる訳ではないという感じでしょうか。
この二元性という夢は、対極を用いて知覚する世界ですが、
非二元的視点から見ればどちらも真実ではないと考えているので、
どちらにも執着しないように心掛けています。
>2元性の側面を数多く含んでいる仕事や家庭生活、社会生活における義務行為は「やるべき」ことでしょうか。
二元性を作り出した夢の住人としてはやるべきと思った事はやります。逆も然りです。
何をやるかより、誰とともに行うかを重要視するようにしています。
>>815 >>815 そうだったら
>真実ではないと見抜く洞察の方を大切にし訓練しながら、
>日常の個々の問題は自分で判断せず全てを聖霊に委ねていきます。
と書けば良いことだと思いますが。
しかし、
>自分で判断せず全てを聖霊に委ねることでしょ?
とは誰に対して言っている言葉でしょうか?それによっても
又違ってきます。
>>817 なるほど、では訂正します。
この二元性の夢は真実ではないと見抜く洞察を大切にし、心を訓練しながら、
日常の個々の問題は自分で判断せず全てを聖霊に委ねるよう心掛けています。
>>816 あなたの言いたいことは「神の使者」にも書いてあるように
>世界を捨てなさい。物理的でなく精神的に。
>自分の具体的なニーズには目をつぶり、
>神の手に委ねること・・まず天国を求めよ、さればすべては与えられる
(おおよそ、この様なことだと思います)
さらにこういう事も書かれています。
>人は自分の運命を選んで、起こることからレッスンを学ぶ機会を得る。
>Jは身体を非難する宗教を始めていない
>行動を変える必要はない。
しかし、
>誰とともに行うかを重要視するようにしています。
この言葉には見習う何かがあるような気がするので教えてもらいたい、
と思います。
不毛な議論(言い掛かり)が続いていますね。 このテーマに関してはギータを読めば書いてありますけどね。
>>820 個人的感想は別にかまいませんが、つまり何が言いたいのですか?
「エゴは重要に見せたがる」とも書いてあるし、しばらく静観します。 >日常で何を行うのか、行わないのかは重要視していません。 >誰と共に行うかの方が遥かに重要だと考えています。 聖霊だとスッキリします。
聖霊て何だよ 神の別名か別物か
神がこの世界に直接関与出来ないので 代理としてこの世界に遣わしたのが聖霊。 だったと思う。 間違っていたら指摘してください。
825 :
神も仏も名無しさん :2010/03/16(火) 21:34:50 ID:eGES/Ry0
遂に間接関与を認めちゃうのね そうなのねそうなのね
826 :
神も仏も名無しさん :2010/03/16(火) 21:42:03 ID:eGES/Ry0
「ACIMは神の現実そのものではなく、神の現実へ還るためのツールである」 「ユニヴァーサルな解釈は存在しえない。経験のみがユニヴァーサルであり、ACIMは神学ではなく経験をテーマとする」 で結局Jは神の現実に還ることに成功したのかね? 神使派の考えは如何に
聖霊というのは私はマーヤ(幻影)を生み出した張本人だと思う。 マハーマーヤ。マザーディヴァイン。マザーは神が代理として遣わしたのではない。 しかし、諸々のマーヤを生み出した大元であるが故に、それはこの世界における“神”なのだ。 “神”、つまり、かっこ付きの“神”。その幻影としての“神”を利用することにより、 その幻影たる“神”が生み出した諸々の子幻影、孫幻影をコントロールし、これを解除する。 そして最後の最後にそのかっこ付きの“神”たるマハーマーヤそのものも解除し、 晴れて一元の世界(エデン、高天原)へと復帰する。
828 :
神も仏も名無しさん :2010/03/16(火) 22:39:48 ID:eGES/Ry0
>晴れて一元の世界(エデン、高天原)へと復帰する。 で結局Jは高天原に還ることに成功したのかね? 神使派の考えは如何に
神使派に訊いてくれw
あなたが言及しているそのJは誰がそれを認識しているのか。
このスレにいる全員
そこが神対派と神使派が決して交わらない理由。 自分が見ている世界は客観的でリアルなものであるという前提で話をしている人たちと、 そうでない人たちの話がかみ合うはずがない。
>>830 結局、Jはどこにも行かなかったのかい?
「神の使者」にもあるように831が正解
わかってないな。レベルが違い過ぎる。
あんたが思い描いているJはそうだし、神使やACIMもそう。
>>836 Jをブッダに置き換えるとブッダが一なる神と一体になって悟ったと
「神の使者」でパーサは言っている。
>あなたが言及しているそのブッダは誰がそれを認識しているのか
パーサや「神の使者」を読んでいる人だろう。
問題提起自体が無意味・時間の無駄と思います。
それともパーサがJやブッダの話をしているが、パーサの中の
誰がそれを認識しているのか?というような深い話でしょうか?
>わかってないな。レベルが違い過ぎる。
レベルというのは混乱を引き起こす知覚を生む分離作用とあるし、霊的なものではないと書いてあるよ。
しかもパーサは自分は聖霊をサポートする任務があるという。
836さんはパーサ・アーテン・聖霊より自分の方がはるかにレベルが上ということを言っているのですか?
>>838 「あんた」って誰?
838だよ。838の個を超越してない自我の部分。
ID勘違いにより
>>840 を削除・訂正。
あんたとは837そのものの個を超越しないエゴの部分
>>832 客観的に他者が存在しないと思っている人が2chで他者とコミュニケーションを取るだろうか?
本当に神使派は他者が存在しないと思っているのですか?
>>830 Jという言葉で実際にコミュニケーション取れる事自体がこのスレにいる人達がJを認識している事を示しているのでは
Jはこの世界を認知し関与している この事から神に(一元の至福状態に)回帰した存在ではない事が分かる 彼は「この世界は存在しない」と信じ込む状態になっているだけで実際にこの世界の消滅を果たした状態とは違う 数々の奇跡(水上歩行、蘇生、水→ワイン、…)を起こせる程の人物が2000年もの歳月を費やしても無理だったという事実は重い…
>>842 存在しない、本当は。
だけど他者が存在し、こうしてコミュニケーションしていると思っている、
それを本来の在り方ではないとするのか、
この宇宙も含めて実在するものと捉えるのか、の違い。
錯覚だと気づいた人達は、その錯覚を終わらせようとするし、
そうでない人達は、必死になって宇宙が存在することの理由を見つけようとする。
それがこのスレで起きていること。
キリストの行ったとする奇跡の大部分は寓意。 グノーシスを勉強しましょう。
>>844 >錯覚だと気づいた人達は、その錯覚を終わらせようとするし、
>そうでない人達は、必死になって宇宙が存在することの理由を見つけようとする。
ちょっと前に貼られたYouTubeのビデオ見てみれば?
あなたの言っていることが間違いだと分かるよ。
>>844 「神の使者」に書いてあることを自分の言葉みたいに言いますね。
神対派ではないが、844は「神の使者」も「神との対話」も理解してないと思う。
というよりレベルを用いる当たりでエゴ以外の何者でもないが、
優劣を重んじるがエゴから見ても844は理解性、表現性でも相当低いと思うよ。
>錯覚だと気づいた人達は、その錯覚を終わらせようとするし、
それをいちいち意識して書くこと自体理解してないし遅れている、それに
努力しても別に際立った成果もないような。
>存在しない、本当は。 さも、悟り体験したように書いている。 本の棒書きするから場違いな空気になるんだよ。 棒書きするからレベルの違いなんていう言葉も平気で出てくる。 私は誰・・言い尽くされた言葉を自分の言葉みたいにも言っているし。 要するに未消化のまま出すから滑っていくんだよ。
と、自分たちこそ本の受け売りしか出来ない神対信者が必死ですw >言いつくされた言葉を自分の言葉みたいに >要するに未消化のまま出すから滑って ↑こんなこと書いてて自分で恥ずかしくならないのかね?www 今日のお前が言うかスレはここですか?www
>>849 俺はエゴがあるから言うが、W君は頭が悪いと思っていたのでやさしくしなければ
と思っています。
>神対信者が必死ですw
>>847 で>神対派ではないが と自己紹介していたが君には>私は神対派ではないが
、と書かねばやはりわからないか・・言葉足らずであったとしても文面理解は消去法で
分かると思うが。 恥ずかしくないのかね、と思うのなら君に質問しよう。
>存在しない、本当は。
こういう書き方についてパーサはある価値観と本当はどうするのか、という
意見があるみたいですが君はどう思いますか?
>あなたが言及しているそのJは誰がそれを認識しているのか
誰が認識していると思いますか?相関関係と自身としての意見をお願いします。
2chの法則; 俺は○○ではないが、自分は○○だが、とわざわざ但し書きをする人間が、 その通りであったためしはない。 例 俺は日本人だが〜 俺は民主支持者ではないが〜 wwwww
ところで君は神使派信者なのかね?
そうです、あたすが信者です。
>>845 ではキリストの奇跡は無かったとして、
君はACIMの作者が神の現実に還っていない事を認めますか?
ACIMの作者とは? その作者が神の現実に還っていないという仮説の根拠は? そもそも神の現実とは何か?
そして、そういう問い掛けをしている、その本当の意図は何か? そういう問い掛けをしているお前さんは、いったいどれほど“確か”なんだね?w
>>844 君は実際は他者が存在しないと思っているのにどうして他者とコミュニケーションを取ろうとするのですか?
他者からレスが返っても他者が存在しないと本当に実感できますか?
>錯覚だと気づいた人達は、その錯覚を終わらせようとするし、
人間には勘違いという事があるから”錯覚だと気づいた”事が勘違いで”実は錯覚ではなかった”という事も有り得るでしょうね
>そうでない人達は、必死になって宇宙が存在することの理由を見つけようとする。
実際に日々宇宙を体験して存在を確認しているから必死になって存在することの理由を見つける必要はありません
君は日々の体験を実在しないものと必死になって祈願しているようだけど
>>855-856 >ACIMの作者とは?
ACIMを考案してヘレンに伝えた人です
>その作者が神の現実に還っていないという仮説の根拠は?
神にとっては実在しないこの世界に対して認知し関与している事です
>そもそも神の現実とは何か?
ここでいう神の現実は一元の至福状態です
>そして、そういう問い掛けをしている、その本当の意図は何か?
単に知りたいでは駄目ですか?
>そういう問い掛けをしているお前さんは、いったいどれほど“確か”なんだね?w
意味が良く分かりません
ACIMの作者が神の現実に
1.還った
2.還っていない
でお答え下さい
>>858 Jは神を思い出し、神と心を一つにしたと思いますよ。
>>860 Jという個としての実在ではなく、神とひとつになった心としては実在すると思います。
>>861 ACIMを考案してヘレンに伝えたのは神ですか?
それともJという実在しない個ですか?
>>863 >完全にJ=神となったと思いますか?
からだを持っていたJが神になった訳ではなく、
Jなどいないと気付き、神の子としての自己を思い出したのだと思います。
>ACIMを考案してヘレンに伝えたのは神ですか?
>それともJという実在しない個ですか?
聖霊の心とひとつになったJだと思います。
>からだを持っていたJが神になった訳ではなく、 >Jなどいないと気付き、神の子としての自己を思い出したのだと思います。 Jという個が無くなって神のみが残った状態でよろしいでしょうか? >聖霊の心とひとつになったJだと思います。 聖霊というのは神とは違う存在ですか?
>>861 じゃあwさんとは違う見解だな。
あなたは「神使派」?
>>865 >Jという個が無くなって神のみが残った状態でよろしいでしょうか?
個が無くなったというより、神であることを知った状態という感じなのでしょうか。
こればかりは体験してみないと正直わからないと思います。
>聖霊の心とひとつになったJだと思います。
聖霊というのは神とは違う存在ですか?
現実の状態では同義だと思います。
コースの形而上学を学習し、赦しを理解していく為の表現としては神とは違うと思います。
>>866 神対か神使の二者択一だとするなら神使派です。
>>868 もしよかったら
>>807 の動画を見て
感想を聞かせて欲しいんですが、
よろしくお願いします。
>>867 >個が無くなったというより、神であることを知った状態という感じなのでしょうか。
個という認識を保持しているならまだ一元の至福状態にはなっていないようですね
>コースの形而上学を学習し、赦しを理解していく為の表現としては神とは違うと思います。
どう違うのか知りたいです
>>869 見た事あります。
凄いでよすね。是非体験してみたいと思います。
こういう感想を求めてるわけじゃないんでしょうけど。
どんな風に言えばいいですか?
>>871 私から見れば彼女の経験したことは
そしてやろうとしていることは、
まさしく神との対話に書かれていることなんですが、
あなたに許容できるのか?が知りたかったのです。
>>870 >個という認識を保持しているならまだ一元の至福状態にはなっていないようですね
神のみが実在する現実である。という一元的な境地だと思うんですが、
言葉にしてしまうと限界を感じます。すいません。
>コースの形而上学を学習し、赦しを理解していく為の表現としては神とは違うと思います。
>どう違うのか知りたいです
コースでいう聖霊というのは、分離という夢以前の、神と神の子としての記憶のようです。
神の使者によれば、心はホログラフィのような性質があるので、分離したかに見える心にも含まれてる、
現実の状態である神と、分離を夢見る私たちの心にある絆のようなものだと思います。
>私から見れば彼女の経験したことは
>そしてやろうとしていることは、
>まさしく神との対話に書かれていることなんですが、
>あなたに許容できるのか?が知りたかったのです。
そうでしたか。
はい。許容できます。
>>873 >コースでいう聖霊というのは、分離という夢以前の、神と神の子としての記憶のようです。
神と神の子という時点で既に分離してませんか?
許容できるんですね。
ありがとうございます。
>>873 >現実の状態である神と、分離を夢見る私たちの心にある絆のようなものだと思います。
聖霊は神そのものではなく分離したかに見える心でもない”第三の存在”のようですね
聖霊の心とひとつになったJはその”第三の存在”になってACIMを考案しヘレンに伝えたという訳ですか?
>>874 >神と神の子という時点で既に分離してませんか?
言葉で表現するとどうみても分離ですよね。
天国(コースでいうところの神という現実)においては、源である神と神が創造した私たちに差異はないようです。
その一体性は、夢の側からは理解不能のようです。目覚めて体験するしかなさそうですね。
すいません。これからでかけます。遅くなると思うので明日以降にでもちゃんとお返事しますね。
>>876 分ける必要性が乏しいように感じられるのにわざわざ「神」と「神の子」と分けなければならなかった理由はなんでしょう?
1 一元至福状態・・・・神 2 分離したい心・・・・・自我 3 神に還りたい心・・ ・聖霊 Jが聖霊だとすると彼の考案したACIMの学習実践では”神に還りたい心”にはなれても”一元至福状態”にはなれないでしょうね 彼が”一元至福状態”になる方法を知っていたならさっさと実行して神に還っていただろうから 神に還える事のみが唯一価値のある事ならね
879 :
神も仏も名無しさん :2010/03/20(土) 22:51:30 ID:h5jm9tWv
>>857 他者は存在しない、と思いさえすれば存在しなくなるのか?
日々の体験を真にリアルなものにするために努力が必要なんだよ。
お前さんのように、深い洞察もなく、これがリアルな真実だ、と思い込んでしまう愚かしさには陥りたくないものだ。
>>858 神にとって実在しないこの世界に対して認知し関与している、
と認知しているのは誰だ?
ACIMの作者が、神の現実に還ったか、還ってないかは、
お前さん次第じゃよ、ふぉっふぉっふぉっw
おしまい。
>>879 存在しないものを消すのに努力なんて必要ないでしょう
空っぽのカゴの中のリンゴを消すのに努力が必要ですか?
空っぽのカゴをチラ見しただけでリンゴが最初から存在していない事を確認できます
本当にリアルなものなら努力など必要なく存在を実感できるのではないでしょうか
必死の努力で支えなければならない世界の方が幻想的でしょう
>>879 >ACIMの作者が、神の現実に還ったか、還ってないかは、
>お前さん次第じゃよ、ふぉっふぉっふぉっw
いえいえ、彼がまだ神の現実に還ってないことは既に喝破しましたよ
おしまい
わたしたちがこのような質問をしたり答えたりしている間は、 我々はマインドのフィールドにいます。そしてこのゲームは延々と続きます。 それはマインドにその能力があって、質問をエンドレスにしたり、エンドレスに答える事ができるからです。 ちょうどタマネギの皮をエンドレスにむいている感じです。結局どこにも到達しません。 ですから唯一の解決策は、マインドの中から飛び出して、マインドの支配から自由になることです。 マインドがそこにある限り、我々は何も経験することができません。 マインドが元来答えを望んでいないので、質問に対する答えをマインドは発見できません。 マインドは自分のサバイバルのために戦っています。何百万年も私達はマインドの中で生きています。 それを私はたとえ話をして、あなたが肩に担いで運んでいるロバのようですと言います。 マインドは大なり小なりロバのようです。ロバがそこにいるので、我々は何も経験することができません。 人生で何ら経験できません。皆さんが一般に「経験」と呼んでいるものは、本当の意味で経験ではありません。 一度でいいのでマインドから出る事ができれば、経験することとは何か、わかります。 そして初めて無条件の愛と無条件の喜びを発見できます。 あなたが知っているような、それ以外のものはすべて条件つきです。 そしてもう1つは、すべて対立を生む自我という物で成り立っています。 そして自我は思考を使い、思考は測定をして、マインドは思考に基づいています。 ですからマインドは分離させます。思考も分離させます。自我も分離させます。全てが対立を生みます。 ですから私達は自分の内面で分離し、家族が分離して、私達の社会も分離して、 私達の文化、文明まで分離して、この地球全体が分離していて、終わりがありません。 ですからこのゲームを終わらせる必要があり、その唯一の方法が目覚める事(アウェイクンド)です。
>>881 素晴らしい!
あなたはキリストがまだ神の元に還っていないと喝破できるほどの人なんですね。
ぜひぜひ頑張ってキリストを超えてください。
おしまい。
それがマインドの終わりなき問答ゲームということでしょうね。 上の文は、おそらくあなたの嫌いなカルキ・バガヴァンの最新のコメントです。
分離を認めているんだね、ということにしてマインドが安心しようとしているという。
バガヴァンが言っているのは、 マインドから自由になり、マインドというロバを担ぐのではなくそれを利用できるようになる、 ということで、それは悟りの最初の段階ということのようです。 それからずっとまだいくつもの段階があり、最終的には一元という本来の在り方に至るんでしょう。 神との対話を支持する人たちは、ロバを担いだまま、世界を経験しているつもりのゲームを続けたい、 ということを志向されているのでしょうか。それならそれで別にかまわないと思いますが。 でも、きっと苦しい人生でしょうね。
苦しみとは、この世が私たちにとって本当の家でないことを思い出させるためのものです。 もしこれが私たちにとって完全な家であったなら、誰もよりよい世界を求めたりはしません。 しかし、こんなに全てが不完全でも、実際には、ほんのわずかの人しか神を求めようとはしません! クリシュナによると、千人のうち一人いるかいないかなのです。 ※これはパラマハンサ・ヨガナンダの言葉。
完全な家にいたのに不完全になったのはなぜ?
>>877 >分ける必要性が乏しいように感じられるのにわざわざ「神」と「神の子」と分けなければならなかった理由はなんでしょう?
わざわざ分けなければならなかった理由があった訳ではなく、コースはそれが真理だと伝えたいのではないかと思います。
神は私たちを創造しその全てを与えて創造したものこそ、私たちの真の自己でありそれが現実なのだと思います。
>>889 完全な家に戻ればわかるんでしょうね。
今それを考えたって無駄だと思います。
なぜ?なぜ?の繰り返しからマインドゲームの泥沼に嵌ってしまうんでしょうから。
>>882 これ位の内容だったら今時精神世界初心者でも言えるし、実際この2CHでもいろんなスレで
引用無し、自己の考えで表現されて来たのを見てきた。
>>887 >でも、きっと苦しい人生でしょうね。
君が今悟ってなければこの世もあの世もない地獄だね。
>>888 >苦しみとは、この世が私たちにとって本当の家でないことを
>思い出させるためのものです。
そうだろう
>もしこれが私たちにとって完全な家であったなら、
>誰もよりよい世界を求めたりはしません。
「完全な家」理論を言っているのは君だけだ。
>クリシュナによると、千人のうち一人いるかいないかなのです。
それはウソだろ。
それは時代による。本の受け売りだからそうなる。
でも神との対話では、その「これ位の内容」でさえ言及はされていません。 意識とマインドの違いについてさえ何も指摘されていないんですから。
>>893 >君が今悟ってなければこの世もあの世もない地獄だね。
ではあなたも地獄にいるんですね。
>「完全な家」理論を言っているのは君だけだ。
焦らずに。これはヨガナンダの言葉です。
>それはウソだろ。
なぜウソだとわかるんですか?
おそらく千人に一人、とヨガナンダが言ったのは、
バガヴァッド・ギーターの中のクリシュナとアルジュナの会話からの引用でしょう。
バガヴァッド・ギーターの中にそういう表現が出ていたはずです。
>それは時代による。本の受け売りだからそうなる。
繰り返しますが、
>>888 はヨガナンダの言葉です。
『パラマハンサ・ヨガナンダとの対話』より
>>894 何を言っているのか。
私が神との対話から学んだ事は
あなたが
>>887 で述べたことそのものだ。
>>896 じゃ、お前は神対を読んでいないに等しいということだw
>>887 >マインドから自由になり、マインドというロバを担ぐのではなく
>それを利用できるようになる、
>ということで、それは悟りの最初の段階ということのようです。
>それからずっとまだいくつもの段階があり、最終的には一元という
>本来の在り方に至るんでしょう。
これは役に立つ解釈だと思いますし、地獄もないでしょう。「神との対話」でも「神の使者」でも
同じようなことを言っています。
>神との対話を支持する人たちは、ロバを担いだまま、
>世界を経験しているつもりのゲームを続けたい、
上の言葉はむしろ「神との対話」に近いと思います。
「神の使者」ではむしろマインドを利用した経験でも所詮、一なる世界以外は
意味が無い。しかしこの人生を経験している者を非難することも又無意味という。
>>891 完全な家に戻れば完全な家にいたのに不完全になった理由が分かるのなら
完全な家に戻った事のあるパラマハンサ・ヨガナンダはその理由についてどう述べているの?
それともパラマハンサ・ヨガナンダは完全な家に戻った事がないのですか?
/ _ノ ヽ_\ / ∩l^l^lnnl^l^|\ / 。ヽ ‖ ノ \ | / 人 l | この宇宙は存在しない!存在しない!存在しない!存在しない!存在しない!存在しない!・・・・・・・・・・・・・・ \ / /|ii!i!|\ \/ . | /. |;;;;;;| \ | `ー´ マジキチ君
____ / \ / ⌒ ⌒ \ 何言ってんだこいつ / (●) (●) \ | 、" ゙)(__人__)" ) ___________ \ 。` ⌒゚:j´ ,/ j゙~~| | | | __/ \ |__| | | | | | / , \n|| | | | | | / / 神対信者 ( こ) | | | | | | ⌒ ーnnn |\ (⊆ソ .|_|___________|  ̄ \__、("二) ̄ ̄ ̄ ̄ ̄l二二l二二 _|_|__|_
|┃ __ |┃ ガラッ イ´ `ヽ |┃ 三 / /  ̄ ̄ ̄ \ ハァハァ… |┃ /_/ ∞ \_ !! |┃ [__________] |┃ 三 | ///(__人__)/// | ゴラァ!不二一元論を否定する事は許さんぞ!!! |┃ ハァ… \ ` ⌒´ ,/ |┃ /ゝ "` ィ `ヽ. |┃ 三 / ,│ │ \ ,⊆ニ´⌒ ̄ ̄" y(~~)====(~~~)==r、 ヽ ゙⊂二、,ノ──-‐'´|..~~ ~~~ .| l" | |┠ ' | サマディ l/'⌒ヾ |┃三 | (x) |ヾ___ソ |┃ / \ / l
903 :
神も仏も名無しさん :2010/03/21(日) 13:40:13 ID:/rOU+Pe1
不二一元派の基地外ぶりが良く判る
議論できなくなるとAA荒らしw 神対信者の頭の悪さがよくわかるww 馬鹿のくせに、哲学論議に参戦しようとするからこうなるwww
>>899 >完全な家にいたのに不完全になったのはなぜ?
これが人間のこととすれば、パラマハンサ・ヨガナンダに関してはググッても
なかなかわからない。本購入か知っている人が答えるしかない。
「神の使者」では169ページ
「神との対話1」では45ページ前後
他、ザ・サード・ミレニアムその他多くの本にある
>>899 あなたが完全な家に戻ってみればいいんだよ。
パラマハンサ・ヨガナンダが生きていたとして彼に聞いてあなたに理解できる?
その頭でどう考えたって理解不能。
なら実際にそこに還ってみるしかないではないか。
907 :
神も仏も名無しさん :2010/03/21(日) 19:04:25 ID:LzGUZAe7
>>906 実際に理解出来るかはともかくパラマハンサ・ヨガナンダはその理由についてどう述べているの?
>あなたが完全な家に戻ってみればいいんだよ。
完全な家にどうすれば戻れるのですか?
908 :
神も仏も名無しさん :2010/03/21(日) 19:32:01 ID:LzGUZAe7
>>906 というか一元に戻っても理由は分からないと思うけど…
一元の世界に質問とか答えなんて無いと思います、そこには至福があるのみでしょう
本当に理由を知りたいのであれば二元の世界に留まるしか無いでしょうね
あなたはどうして「完全な家に戻ればわかるんでしょうね」と思ったのですか?
ヨガナンダの本は数冊出ているが、ヨガナンダが言ってることも同じ。 まず神を直接体験なさい、それだけ。 完全な家に戻る方法は幾通りもある。まずは先生を探すこと。 >一元の世界に質問とか答えなんて無いと思います、そこには至福があるのみでしょう それが答え。質問も答えも共に消え去る。それが究極の答え。
>>909 >完全な家に戻る方法は幾通りもある。まずは先生を探すこと。
実際に完全な家に戻った先生はいるのでしょうか?
Jでさえ戻っていないのに・・・
間違った方法を教わっても完全な家に戻れないでしょう
>それが答え。質問も答えも共に消え去る。それが究極の答え。
答えにはならないでしょう
単に有耶無耶にしているだけではありませんか?
泥酔するほど酒を大量に飲んで質問を考えられない状態になれば解決といっているのと同じでしょう
泥酔状態から醒めて素面に戻れば質問が相変わらず存在し続けている事が分かります
酒を大量に飲んでも質問の解決にはなりません
神を直接体験しても直接体験が終われば質問が消えていない事が分かるのではありませんか?
これでは質問の解決にはなりません
>>910 間違った道などないんだよ。
いずれは誰もが神のもとへ帰る。
その約束が絶対だから、
私たちは安心してこの世界で好きなだけ経験できる。
神との対話の受け売りだけどねw
>>909 別に一元の至福状態になりたい訳ではなく、
”完全な家にいたのに不完全になったのは何故か”という事を知りたいのです
質問自体を消滅させて有耶無耶にはしたくありません
>>912 ダダをこねるのはやめましょう。
まるで一人のダダこねている子をあやすのに、凶暴な大人が何人も
お手上げ状態になっているみたいだ。
>完全な家にいたのに不完全になったのは何故か
これが分からないから意見を戦わせる場としてこのスレがあるのよ、
わかった・・・・
この戦場は大きく二手に分かれ、それにWWが脇で騒いでいる状態
なのよ。
「神の使者」派・・・・完全な神が自分のすばらしさを見るため反対の不完全を
作って自分の完全さを客観的に見てほくそ笑む 、ぎゃーおー、と。
「神の使者」派・・・不完全になったのはほんの一瞬の誤作動である。
さあ、聖霊とともに戻りましょう。赦しを基本とするが
エンティティのアーテン、パーサは他のマスターを徹底的に
批判し排除しようとする。
WW・・深いところの思想は無い。ただ、「神の使者」派を撃沈するために
このスレで24時間監視している。もっぱら強力な「神の使者」派が
出現すると草葉の陰からはやしたてて、2派を争わせる。
>>913 訂正 ただ、「神の使者」派を撃沈するために
→ただ、「神との対話」派を撃沈するために
おまけにもう一つ訂正 「神の使者」派・・・→「神との対話」派 「神の使者」派・・・ えーい、もう訳分からんわ。 他間違いあったら勝手に直しといて・・
「この地上」も神の王国だよ。神の王国の一部ではない場所などどこにもない。 でも、そうは思えないことも多いですけどね。 それは、あなたがほんとうの自分を思い出さず、ほかの人たちや世界を「ほんとうのもの」として扱っていないからだよ。 もし、そうしているなら、神へ帰る、つまり「神とともに我が家にいる」ことができる。いつでも、どこでも。
>>912 それは“わからない”。少なくともこの状況では。
それでOKではどうしてダメですか?
土台、この状況でいくら考えたってわからないものはわからない。
そういう状況を踏まえいったん放置しておけばいいだけです。
>>917 みたいに、この地上も神の王国だ、というスローガンを掲げて
お題目を唱えているだけ 〜実際は少しも天国だなんて感じていないのに〜
そういう欺瞞には陥りたくないものです。
地上の楽園! 強盛大国! を掲げているどこかの北の国が、
その勇ましいスローガンとは裏腹に、国民が飢え苦しみこの世の地獄を味わっている、
しかし為政者はそういう状況を知っていながら無視、ミサイル開発に血道を上げている滑稽さ。
これと同じことだとは思いませんか?
“あなたは正しさと幸福と、どちらが好ましいと思うのか?”
>>918 >そういう欺瞞には陥りたくないものです。
あなたにとってはそうなんでしょうね。
問題は自我にたいしてどのように反応するかではなくて、自分は何だと信じるかだ。 信じることは自我の働きであり、自分の起源について信じるかどうかの余地があるかぎり、 あなたはその問題を自我の観点からみている。 赤ん坊は包丁やはさみを取り上げると、はげしく泣きわめいたりする、 だがもし取り上げないでおくと自分を傷つけることになるのはわかりきっている。 こうした意味であなたはまだ赤ん坊だといえる。
もしあなたが何かに傷つけられることがあれば、あなたは自分の胸に秘めた願いを描き出したものを見ている。 それ以上のなにものでもない。そして、どのような苦しみであれ、 あなたはそのなかに自分自身の殺したいという秘密の願望を見ているのである。
>「この地上」も神の王国だよ。神の王国の一部ではない場所などどこにもない。 >でも、そうは思えないことも多いですけどね。 >それは、あなたがほんとうの自分を思い出さず、ほかの人たちや世界を「ほんとうのもの」として扱っていないからだよ。 >もし、そうしているなら、神へ帰る、つまり「神とともに我が家にいる」ことができる。いつでも、どこでも。 「神の国は、実に、あなたたちの中にある」といわれているが、それが何を本当に意味するかを理解するのはむつかしい。 というのも自我はそれをまるで外にある何かが中にあるといっていると解釈し、それでは意味を成さないので、理解できないのだ。 「中にある」という言葉は必要ではない。神の国とはまさにあなたである。 あなた以外には何も御創造主は創造なさらなかった、だからあなたを除いては何が神の国だろうか。 ACIMから見たら、神対の神はエゴの領域に属する。
「この地上」は神であり私ですから、 >あなた以外には何も御創造主は創造なさらなかった、だからあなたを除いては何が神の国だろうか。 神対派としてもなんの違和感もなく受け入れられますけど。
>ACIMから見たら、神対の神はエゴの領域に属する。 一なる世界から見たらACIMもキリストも聖霊もアーテンもパーサ もエゴの領域なのか。
>>924 もちろん、「この地上」は神であり私とする
のが神対でしょうから、違和感が無いように受け入れるのだ思います。
>あなた以外には何も御創造主は創造なさらなかった、だからあなたを除いては何が神の国だろうか。
「あなた」とは身体を持って知覚している自分を指していません。ACIMではエゴの投影にすぎませんから。
ACIMの「あなた」とは、エゴと一体化して身体を投影する事を選択して、分離の夢を見ている心の事を指しています。
>それは、あなたがほんとうの自分を思い出さず、ほかの人たちや世界を「ほんとうのもの」として扱っていないからだよ。
本当の自分を思い出すなら、ほかの人たちや世界を「ほんとうのもの」にしない。といか出来ないのが神使の考え方です。
知覚している自分や、ほかの人たちや世界を「本当」とする神対。
知覚している自分や、ほかの人たちや世界を「本当」としない神使。
という相違点を指摘したかっただけです。
>>923 >「神の国は、実に、あなたたちの中にある」といわれているが
>、それが何を本当に意味するかを理解するのはむつかしい。
「神の使者」に書いてあるだろ。エゴは自分の中に罪があるように見せて目をそらさせた
い。本当は純粋な無辜、一なる世界があると。
>というのも自我はそれをまるで外にある何かが中にあるといっていると解釈し、
>それでは意味を成さないので、理解できないのだ。
これも「神の使者」に書いてあるし、腐るほどこのスレでも引用されているので、
皆知っているよ。
>「中にある」という言葉は必要ではない。神の国とはまさにあなたである。
聖霊はまさにあなたの中にいる、と書いてある。
>>926 >本当の自分を思い出すなら、ほかの人たちや世界を「ほんとうのもの」にしない。といか出来ないのが神使の考え方です。
そこまではいいんだけど、
本当の自分を思い出したけど肉体はこの世界に厳として残っている場合、
(多くの覚醒者はまさにこの状態だと思うけど)
どこまで「ほかの人たちや世界をほんとうのものにしない」って言ってられるんだろうね?
神対はこの段階を経てその状態であなたは何をするのか?を問いかけている。
キリストは「私に出来ることはあなたにも出来る」と説いたよね。
ブッダも多くの弟子をとって説いて回ったよね。
神使派の人たちは、覚醒者が今何をしているのか?何をしてきたのか?をよく見た方がいいと思う。
>>928 >本当の自分を思い出したけど
本当の自分を思い出したなら、
>肉体はこの世界に厳として残っている場合、
残っていると考えることはあり得ないということ。
肉体が残っていると信じている時点で思い出せていない。
>どこまで「ほかの人たちや世界をほんとうのものにしない」って言ってられるんだろうね?
ACIMなら体験するまで訓練し続けるでしょうね。
>神対はこの段階を経てその状態であなたは何をするのか?を問いかけている。
何をするか?という選択の余地がある状態の時点で夢を超えていないのでは。
>>931 では、彼女の体験についてあなたはどう評価するの?
>>931 追加。
キリストもブッダも本当の自分を思い出してはいないということね?
アーテン:すべては夢であること、 それから幸せな夢になるかどうかは赦すかどうかで決まることを覚えていれば、 それでいいんだよ。
>>934 神使の論理の中で「幸せな夢」なんてものが出てくるとは...
この前後はどういう話なの?
>>933 >では、彼女の体験についてあなたはどう評価するの?
評価する事はしたくないので、感想を述べます。
素晴らしい体験だなあと思います。ACIMでいうところの真の知覚のようなものかなと思いました。
>キリストもブッダも本当の自分を思い出してはいないということね?
神使によればブッダもJも思い出していたはずです。
個人的にはブッダはわかりませんが、Jは思い出したと思います。
>>936 >神使によればブッダもJも思い出していたはずです。
なぜ肉体があるのに、思い出せているの?
信じているいないじゃなく、厳に肉体が残っているんだよ。
>>936 >素晴らしい体験だなあと思います。
>ACIMでいうところの真の知覚のようなものかなと思いました。
でも彼女もエゴから抜け出していない。
彼女のやろうとしていることはエゴだ、と言うわけですね。
>>937 >なぜ肉体があるのに、
肉体があると信じているのはあなた自身だと思います。
>信じているいないじゃなく、厳に肉体が残っているんだよ。
そうを解釈しているのはあなた自身であり、Jではないと思います。
神使者やACIMの考え方から見ると、肉体はありません。あると信じる心が無い限り。
肉体に対する見方の一例です。
ある人はからだを忌み嫌って、傷つけたり辱めたりしようとする。そうかと思えば、
からだを愛するあまり、称賛したり祭り上げたりしようとする者もいる。
しかし、そうしたからだが自分自身についての概念の中心を占めているうちは、
あなたは神の救いの計画を攻撃しており、神と神に創造されたものにたいして不平不満を抱いているので、
真理の声に耳を傾けたり、その声を友として歓迎しようとはしないかもしれない。
>>938 >でも彼女もエゴから抜け出していない。
>彼女のやろうとしていることはエゴだ、と言うわけですね。
いいえ。
そう見て取ったのはあなた自身ではないでしょうか。
>>939 >そうしたからだが自分自身についての概念の中心を占めているうちは、
この文章のどこに「肉体がない」なんて書いてあるんだ?
この部分を引いたということは神使の考え方を一番表現していると考えたからだろう?
あなたの引用のどこに「肉体がない」と書いてあるんですか?
決定的に誤解してないかい?
>>940 だって、彼女も本当の自分に目覚めてはいないんでしょ?
彼女は聖霊に委ねる赦しを実践しようとしているんではないよ。
自ら能動的に行動しようとしている。
神使的には能動的な行動はエゴの生き残りのための方策なんじゃないの?
>>941 どうやらACIMの考え方をあまり良くご存じないようですね。
失礼しました。
>>943 聞き方変えようか?
では、肉体を持って「キリスト教」を説いて回ったキリストとは一体何者なんですか?
ID:WCXqE0wAがACIMを理解しているとはとても思えない。 ACIMに対して失礼ではないのか。
>>942 >神使的には能動的な行動はエゴの生き残りのための方策なんじゃないの?
行動が問題なのではなく、誰と共にどの様に考えるかを重視しています。
>>946 誰って、具体的に言えば、誰?
あなた以外は全てエゴに創った幻想なんだから、
誰って言えば、残されるのは聖霊しかいないわけですが。
それと、考えることはしちゃダメなんじゃないの?
私たちに出来ることは全てを聖霊に委ねることだけでしょ?
神使の言ってることは。
>>944 >では、肉体を持って「キリスト教」を説いて回ったキリストとは一体何者なんですか?
夢の中においては身体を持ったイエスだと思います。
ACIMでいうなら一個の人間として最初に贖罪を完了した者だと思います。
>>947 >誰って言えば、残されるのは聖霊しかいないわけですが。
聖霊ですね。
>それと、考えることはしちゃダメなんじゃないの?
いいえ。だめではありません。
>>943 私の考え方だから聴こうがが聴くまいが構わないけども。
私たちが肉体を持ってこの物理的世界に存在しているということは、
あなたが望むか望まないかに関わらず、
この宇宙全体の(もちろん私たちを含む)深奥にある集団的無意識の合意があるからです。
逆に言えば、宇宙全体の集団的無意識の合意がなければ、
私たちは肉体を持ってこの世界に出現することは出来ません。
あなたはこの宇宙全てに赦されてこの場所に肉体を持って存在しているんだ
という自覚を持って欲しいです。
>>949 >>927 によると聖霊はあなたの中にあるんだよねw
結局あなた自身ってことかw
>いいえ。だめではありません。
例えばどう考えることがダメじゃないのか?具体例を上げて下さい。
>>948 キリストは本当の自分を知ったから、
その時点で肉体があると信じることは出来なくなって、
その時点で肉体は無くなっちゃうんではないの?
肉体が無くなっちゃったら説いて回れないじゃない?
>ACIMでいうなら一個の人間として最初に贖罪を完了した者だと思います。
また、わかんないんだけども、
「一個の人間」て神使的にはあり得るのかい?
>>952 キリストに肉体がありその肉体がキリストだと認識しているのは誰なのか。
キリストの肉体と君が思い描いているのは幻影の真っただ中にいる君自身なんだよ。
だからその君が消えない限り、本当のことはわからない。
>>953 別に私のことを聴いてないのね。
キリスト本人のことを聴いているの。
>>928 以降の流れの中で、
ID:WCXqE0wAが彼女は本当の自分を思い出せていないと断言したから、
ではキリストやブッダはどうだったんだ?って話をしているわけ。
肉体がこの世界にあると言うことが本当の自分を思い出せていないということの論証になるのなら、
キリストやブッダも思い出せていないということになるでしょ。
でもID:WCXqE0wAはキリストは思い出しているというから、なぜ?って話になる。
>>954 だからさ、そのキリスト本人ってのはあなたが認識しているわけだろ?
あなたが認識している世界というのはあなたというエゴに付随しているもので、
客観的に存在しているものではないということなの。
で、仏陀やキリストは今でも肉体を持ってるのかい?
覚醒に至った人は、役割がある人以外は比較的早く亡くなるケースが多いけどね。
ダンテス・ダイジもそうだし、道元なんかもそう。
仏陀やキリストがしばらく肉体を維持していたのは相応の役割があったから。
そう納得させとけばいいんじゃないのか、あなたのエゴに対しては。
まあ、エゴというのは生き残りのためにどんな答えにも決して納得はしないだろうけどね。
>>955 ACIMにも神使にもJとして登場するのはキリストじゃないの?
Jは肉体を持っていないから思い出しているのか。
ならば肉体を持っていた当時のキリストは全てを思い出していたわけではなかったわけか。
それならそれでいいんだけどね。
>で、仏陀やキリストは今でも肉体を持ってるのかい?
そんなこと関係ないじゃん、あほらしい。
>仏陀やキリストがしばらく肉体を維持していたのは相応の役割があったから。
「相応の役割」を決めるのは誰よ?神か?
ID:WCXqE0wAが、彼女が本当の自分を思い出せていないと断言できるのはなぜか?
の理由を知りたいのよ。
>>956 そんなことはし知らねーよw
だからさ、あなたはそういうことを納得できると思ってるのか? その頭でw
無理無理。諦めろ。自分にはそのことのカラクリを理解できるだけの知能はない、
それを素直に認めなよ、オバサン。
>>957 だから最初からおまえになんか聞いてねーんだから、
横から話に首突っ込んで勝手にキレるなよ、ばきゃろう。
>>958 お前があんまり馬鹿だから突っ込み入れてやってんだよ、ゴミババアw
まあ結局この問題児のババアは、自分が理解できない神使に対してあれこれ因縁をつけることで 何の洞察も得られなかった自分の不甲斐なさから目を逸らしたいというだけだろうな。 神対ごときに感化された程度の愚民の分際で生意気なんだよなw
また、ボケとツッコミが始まった。
>>ID:hcty3ybU 神使派と神対派の対話が進行している時に、神使派でも神対派でもない人が口を挟む必要はありません。 静かにこのスレの進行を見守りましょう。
Jは肉体はないとしても個は維持しているようだけどね。
本当の自分を思い出しても個という認識は失わないのだろうか
これが”純粋な一元”の状態?
867 名前:神も仏も名無しさん 投稿日:2010/03/20(土) 21:27:13 ID:ZorUkbcC
>>865 >Jという個が無くなって神のみが残った状態でよろしいでしょうか?
個が無くなったというより、神であることを知った状態という感じなのでしょうか。
さあ、また単独IDが湧いてきたw
>>953 >だからその君が消えない限り、本当のことはわからない。
自我が消えて一元に戻っても分かるようにはなりませんよ
有耶無耶になるだけで分かる可能性はゼロ
分かる為には自我が残っていなければならない
908 名前:神も仏も名無しさん 投稿日:2010/03/21(日) 19:32:01 ID:LzGUZAe7
>>906 というか一元に戻っても理由は分からないと思うけど…
一元の世界に質問とか答えなんて無いと思います、そこには至福があるのみでしょう
本当に理由を知りたいのであれば二元の世界に留まるしか無いでしょうね
夢見る人を赦し、彼は当人がつくり出した夢ではないことに気づくなら、 あなたは悪夢を分かち合うことは無い。彼もあなたの夢の一部では なくなり、あなたがたは二人とも夢から開放される。 あなたの兄弟の夢にではなく、兄弟と結びつきなさい。そしてあなたがたが 「息子」と結びつくところに「その父」がいる。
>>965 なんでそんなことがお前にわかるんだ?w
覚醒者や聖者はそんなことは言ってない。
個が消えてしまうのではないか、それが怖くて仕方がない、 正直にこう告白したらどうなんだ?w
>>964 サマディがお前の事を”深いところの思想は無い。”と喝破しているぞwww
サマディ「浅い、浅すぎるよ君は!!」
WW「ウワァァン(・∀・)ウワァァン」
WW・・深いところの思想は無い。ただ、「神の対話」派を撃沈するために
このスレで24時間監視している。もっぱら強力な「神の使者」派が
出現すると草葉の陰からはやしたてて、2派を争わせる。
>>967 サマディは認めたぞ
909 名前:神も仏も名無しさん 投稿日:2010/03/21(日) 20:17:53 ID:+R7VVaqv
>一元の世界に質問とか答えなんて無いと思います、そこには至福があるのみでしょう
それが答え。質問も答えも共に消え去る。それが究極の答え。
>>968 個が消えると純粋な至福状態になるのだろ
それを恐れる必要があろうか?
別に一元の至福状態を否定している訳ではないのだよ
その状態だけが神の創造し得る世界、とは思えないだけ
他の状態は有り得ないのか?
神は至福以外の体験をしては駄目なのか?
至福以外は神にとって必要でないからというなら至福は必要なのか?
それに必要でない事はしては駄目なのか?
お金を払ってまで恐怖(絶叫型アトラクション、お化け屋敷、ホラー映画、・・・)を体験しようとする人についてどう思うのか?
神が一時的に恐怖の体験をしたいと思う事は有り得ないのか?
>>969-970 馬鹿な奴だww
答えはない、と言われてるんだろうがw
結局、お前は個が存在しなくなる可能性を示唆されてそれに恐れおののいているだけw
恐いよ〜恐いよ〜自分が消えてしまうなんて恐くて仕方がないよ〜ww
いい気味だ、ざまあみやがれw
>>970 >お金を払ってまで恐怖(絶叫型アトラクション、お化け屋敷、ホラー映画、・・・)を体験しようとする人についてどう思うのか?
>神が一時的に恐怖の体験をしたいと思う事は有り得ないのか?
あり得ると思う。
恐怖もエネルギーの一種だと考えると、スッキリするよ。
愛と恐怖が対極だといっても打ち消しあうもの(プラスとマイナスの関係)だとは神対も神使もいってないよね?
向いているベクトルが違うだけで、エネルギーに代わりはなく、
そして究極的に全てのエネルギーがニルヴァーナの根源だとすると、
恐怖さえもニルヴァーナの根源であるといえる。
あくまでも私の考えだけどね。
>>972 あくまでお前の妄想。
誰もが認める聖者や覚醒者たちはそんなことは言ってない。
お前の言っていることはすべて、生き延びようと画策しているエゴの、必死の言い訳に過ぎない。
で、面白いのは、恐怖そのものさえ本当は体験していないんだよな。 真の体験をさせないでいるのはエゴだ、とニサルガダッタもカルキも言っている。 本当にあなたの言うような恐怖なんてものがあるのか? 本当にそれを体験しているのか、と問うている。 真の体験をしさえすれば、それがどんなものであれ喜びそのもの、至福そのものだ、と彼らは言っている。 神対なんかよりずっと説得力がある。 だいたい、これは恐怖だ、これは恐怖じゃない、なんいて誰が決めてるんだよw エゴがそういうレッテル貼ってるだけだろうが。 で、恐怖も必要だ、しかし、自分だけは引き寄せの法則(笑)やらなんやら使って、 そういう都合の悪い体験はせずに、自らの体験を選択できるようになるはずだ、 きっとそうであるに違いない、そうであって欲しい!! と叫んでるんだろ?w でも引き寄せはやってもうまくいかないし、イライラしている。 そのイライラを神使派やサマディにぶつけることしかできない可哀想な人たちだとw
>>973 >誰もが認める聖者や覚醒者たちはそんなことは言ってない。
はいはい、おまえはその人たちの言うことを信じていればいいじゃない?
それで幸せなんだろ?w
>>975 お前はそういう聖者や覚醒者たちより自分のほうが正しく、
インチキ本の神との対話のほうか上だと信じているわけだよな?w
哀れなババアだよw
>本当にあなたの言うような恐怖なんてものがあるのか? 本当にそれを体験しているのか、と問うている。 いいねえ。 >真の体験をしさえすれば、それがどんなものであれ喜びそのもの、至福そのものだ、と彼らは言っている。 そうだね。 >だいたい、これは恐怖だ、これは恐怖じゃない、なんいて誰が決めてるんだよw >エゴがそういうレッテル貼ってるだけだろうが。 その通り。
>>976 上とか下とかって話じゃない。
私は私の人生に私自身が責任を持って生きていく、それが私の幸せ。
おまえは他人の言うことが大事なんだろうから他人の人生を生きればいいじゃないか。
それがおまえの幸せなんだろ?
>>974 >真の体験をしさえすれば、それがどんなものであれ喜びそのもの、至福そのものだ、と彼らは言っている。
恐怖を体験したいのに”喜びそのもの、至福そのもの”の体験しては目的を果たせないでしょ
恐怖を体験したいのならお前の言う”真の体験”をあえて避ける必要がある
後、ニサルガダッタとカルキのチンコを切り取ってキンタマを潰してみてくれ
これでも彼らは”喜びそのもの、至福そのもの”の笑みを絶やさないのかお前の目で確認してくれ
>>978 自分の人生に責任持っていないから、インチキ本に洗脳されて醜態晒してるんだろ、いい歳こいてw
他人の人生を生きているのはお前。
>>979 ああ、彼らはそれが肉体上に起きたと認識しているだけで苦痛は受け取らないだろうな。
あとな、恐怖を体験したいためにジェットコースーターに乗るとw
それ恐怖か?www ジェットコースターではまず死ぬことはない、という前提があるから乗るわけで、
それは恐怖を体験しているのではなく楽しむためだろうがw
お前こそ恐怖を体験したいのなら一度俺と会ってみないか?
お前如きなら簡単にとんでもない目に遭わせてやれるんだが、どうする?
お前死ぬかも知れん、否、間違いなく死ぬだろう、苦痛にのたうち回りながら。
会いに来いよww どうする? 本当の恐怖がどんなものかお前に味あわせてやろよww
昔、OSHOが手術を受けたことがあったそうだな。麻酔なしで。 痛くはないのですか? という問いかけに対してOSHOは、 「ああ痛いさ、焼けつくように痛い。でそれがどうかしたのかね?」 とニコリと笑って答えたという。
>>980 > 他人の人生を生きているのはお前。
かわいそうなやつだなあw
自分の人生生きてるヤツは、他人を批判する時に、
>誰もが認める聖者や覚醒者たちはそんなことは言ってない。
こんな事言わないよ、絶対に。
他の権力に寄り掛かってどうするよ?
>>980 >ああ、彼らはそれが肉体上に起きたと認識しているだけで苦痛は受け取らないだろうな。
推測ではなく実際に確かめた方がよく分かるよ
>それ恐怖か?www ジェットコースターではまず死ぬことはない、という前提があるから乗るわけで、
神だって同じだよ
暫く二元の世界を体験してもまた一元の世界に戻る、という前提があるから二元の世界を体験するのに何の問題もない
>それは恐怖を体験しているのではなく楽しむためだろうがw
恐怖も体験しているだろ
それにジェットコースターに乗ると恐怖だけで全く楽しみを感じない人もいるだろう
>会いに来いよww どうする? 本当の恐怖がどんなものかお前に味あわせてやろよww
本当に会いに行ったら困るくせにそんな事言うなよw
神対信者は、世界というものがリアルに存在しているものであり、 そこでの様々な出来事によって自分は影響を受けるものだと思っている。 そうして魂は進化していくのだというw 一方正統な聖者や覚醒者の系譜(神使やACIMも含む)は、 世界とはリアルなものではなく、エゴという錯覚が投影されたに過ぎないと説く。 だからエゴという錯覚が消滅すれば、今のような認識での世界というものも消滅し、 その人の体験は傍から見ていてどのようなものであろうと常に至福の状態にある、 世界がどうであろうと関係ない、世界が存在しようと消滅しようとそんなものはどうでもいい、 私のみが存在し、私のみが意識であり、私のみが至福である、それ以外はどうでもいい。 私=世界=神。 こういうことだな。 どちらのほうが深い洞察に基づいたものか言わずもがな。
>>982 お前のためにそう言ってやってるんだよw
聖者や覚醒者たちが異口同音に言ってることをお前は否定している。
お前が? wwwwwww
>>983 全然困らないぞ。日時を指定しろよ。会おうぜ、実際に。
お前がどんな間抜け面したおっさんなのか確かめたいww
>>981 OSHO、ヤク中の疑いあり
アメリカ政府から麻薬取締法違反で追放された事を知らないのか?
http://www.wafu.ne.jp/~windtown/books/b010630.html >アメリカに進出して、オレゴンに巨大なコミューンを形成したが、コミューンの中は麻薬とフリーセックスにまみれ、「セックス・グル」と呼ばれた。
>寄進によって生じた財産は莫大で、何台ものロールスロイスを乗りまわした。
>教団のナンバーツーの座を巡って、弟子達の間では暗殺まがいの事件まで起こり、最終的には、アメリカ政府から、麻薬取締法違反と所得税法違反で国外退去処分を受けたのだが、
>なんだかオウムの麻原の先覚者のような、いかがわしいオッサンである。
>>985 >聖者や覚醒者たちが異口同音に言ってることをお前は否定している。
否定したか?
>>977 ではおまえに賛同しているぞw
>>977 は聖者や覚醒者の主張ではないのか?
>どちらのほうが深い洞察に基づいたものか言わずもがな。
おまえの神との対話に対する洞察が浅すぎるんだよ。
>>986 そんなことは知ってるよw
あのね、聖者の中には、
アヴァドータと言ってわざとそういうことをやって混乱させたりするの。
そうやって弟子を篩にかけるのも目的のひとつだが。
麻原は違うけどね、あれはただの被害妄想w
OSHOがイヤなら、クリシュナムルティやラマナ・マハリシでもいいぞ。
いくらでもそういうエピソードは残っているw
990 :
神も仏も名無しさん :2010/03/22(月) 16:22:46 ID:hcty3ybU
>>987 否定してるだろうがw
宇宙は客観的に存在している、そして体験するために必要不可欠のものだというのがお前の主張だろうがw
>おまえの神との対話に対する洞察が浅すぎるんだよ。
出た!! 自分は理解しているがお前は理解していないwwwww
じゃ、お前が神対から得たというその深〜い洞察とやらをここに列記してみろwww
さあさあ、どうぞどうぞwwwww
992 :
神も仏も名無しさん :2010/03/22(月) 16:24:02 ID:hcty3ybU
>>989 えーと、悪いけど全然面白くないからw 却下。
もうちょいマシな返しで頼むねww
993 :
神も仏も名無しさん :2010/03/22(月) 16:24:52 ID:hcty3ybU
>>991 お前はまるでダメだけどなw お前だけがいつも浮いているww
>>988 「苦痛が耐えがたくなることがしばしばあり栄養以外にモルヒネ」が必要なのに
これの何処が”それがどんなものであれ喜びそのもの、至福そのものだ”の境地だ?
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%82%AF%E3%83%AA%E3%82%B7%E3%83%A5%E3%83%8A%E3%83%A0%E3%83%AB%E3%83%86%E3%82%A3 クリシュナムルティの最期
クリシュナムルティの最期については、『クリシュナムルティ・開かれた扉』によると1985年の暮れより発熱、体重減少などの体調不良が続き、なかなか原因が判明しなかった。
翌1986年1月23日、精密な検査の結果、末期の膵臓癌が発見され、死期が迫っていることが明らかになった[4]。 このころ以降、苦痛が耐えがたくなることがしばしばあり、
栄養以外にモルヒネや睡眠薬の点滴、時には輸血も受けるようになった。
しかし、それにも負けず、クリシュナムルティ学校や出版の死後の体制等、死ぬまでに整理しておくべき課題を議論し、解決していった。
そして遺言も済ませ、必要と思われることをなし終えた後、衰弱が著しい中、2月16日午後7時に睡眠薬を通常通り服用、
最初は、苦痛のためなかなか眠れなかったが徐々に苦痛が減退するにつれ、意識を失い始め、2人の医師を含む5人の友人が見守る中、1986年2月17日の午前0時10分に死去した。
995 :
神も仏も名無しさん :2010/03/22(月) 16:27:22 ID:IuqquTzc
梅
996 :
神も仏も名無しさん :2010/03/22(月) 16:32:01 ID:IuqquTzc
竹
>>994 お前クリシュナムルティをまるで読んでないなww
苦痛に耐えられなくなっているのはクリシュナジの肉体。
当のクリシュナジはどうだったかよく調べてみろw
ホントに馬鹿だな、何もわかっていないwww
>>997 何も知らないんなら黙っとけよ。ど素人ぶりには呆れたわw
1000 :
神も仏も名無しさん :2010/03/22(月) 16:33:55 ID:IuqquTzc
松
1001 :
1001 :
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