1 :
神も仏も名無しさん:
イエスは本当に復活したのか、一部の者の仕組んだヤラセなのか
弟子が見たのは、肉体を持った実物か、それとも霊ないし幻か、
そこのとこどうよ?
※リンゴ ◆oPXbhrKCUQさん 及び 聖書のコピペ厨はスルーで。
2 :
神も仏も名無しさん:2010/01/19(火) 23:40:48 ID:l93o/aYl
∧_∧
キュラキュラ (・∀・ ) ん?
__,,ゝ┼─┼====┐
キュラキュラ | □| .| |:|ヾ二二二二二(O
_____|__,|_;||___,| |:|ノ-┬─┘
/|_/| |ミ/// / ~~|ミ|丘百~((==___
//////////<///////>////////└┼-┴─┴───┴──┐~~'''''-ゝ-┤
⊂/>> 1/⊃ ((◎)~~~O~~~~~O~~(◎))三)──)三);
/////</////////フ//////////////.ゝ(◎)(◎)(◎)(◎) (◎)ノ三ノ──ノ三ノ;*;∵
3 :
神も仏も名無しさん:2010/01/20(水) 00:07:45 ID:+U/TSUVw
∧_∧
( ・∀・)
4 :
神も仏も名無しさん:2010/01/20(水) 23:40:58 ID:KbF8w2iv
___ ♪ ∩∧__,∧
/ || ̄ ̄|| _ ヽ( ・∀・ )7
|.....||__|| /`ヽJ ,‐┘
| ̄ ̄\三 / ̄ ̄ ̄/ ´`ヽ、_ ノ
| | ( ./ / `) ) ♪
5 :
神も仏も名無しさん:2010/01/23(土) 12:30:23 ID:k0j/a+Sx
age
聖書じたいでたらめな書物
あくまでフィクションです
証拠があるなら出してごらん
7 :
神も仏も名無しさん:2010/01/24(日) 10:29:16 ID:0iIwJXfi
阿含宗桐山教祖の逮捕歴
昭和二十七年八月十六日詐欺容疑、契約違反の容疑で逮捕
警視庁西新井署
十二月手形詐欺容疑で逮捕
千葉県松戸署
二十八年八月酒税法違反私文書偽造容疑逮捕
警視庁防犯課
二十九年三月酒税法違反私文書偽造に対する第一審判決
五月入所
十月東京高裁酒税法と私文書偽造により有罪
8 :
神も仏も名無しさん:2010/01/24(日) 16:29:11 ID:5K1HTKpU
甦らなかった、むなしい
1コリント15
14 そして、キリストが復活されなかったのなら、
私たちの宣教は実質のないものになり、あなたがたの信仰も実質のないものになるのです。
15 それどころか、私たちは神について偽証をした者ということになります。
なぜなら、もしもかりに、死者の復活はないとしたら、
神はキリストをよみがえらせなかったはずですが、
私たちは神がキリストをよみがえらせた、と言って神に逆らう証言をしたからです。
16 もし、死者がよみがえらないのなら、キリストもよみがえらなかったでしょう。
17 そして、もしキリストがよみがえらなかったのなら、
あなたがたの信仰はむなしく、あなたがたは今もなお、自分の罪の中にいるのです。
18 そうだったら、キリストにあって眠った者たちは、滅んでしまったのです。
聖書じたいでたらめな書物
あくまでフィクションです
証拠があるなら出してごらん
愛する皆さん。わたしが以前あなたがたにお伝えした福音、あなたがたが受け入れ、それによって立ってきたあの福音を、
思い出していただきたい。
あなたがたが、いい加減な気持ちで信じたりせず、わたしの宣べ伝えたとおりの御言葉を堅く信じていれば、この福音によって救われます。
わたしが最も重要なこととしてあなたがたに伝えたのは、わたし自身も受けたことでした。
すなわちキリストが、聖書に書いてあるとおり、わたしたちの罪のために死なれたこと、 そして葬られたこと、
聖書に書いてあるとおり、三日目によみがえり復活されたこと、ケパに現れ、次に、十二人に現れてくださったことです。
そののち、五百人以上の兄弟たちに、同時に現れてくださいました。その中にはすでに眠った者たちもいますが、
大多数はいまなお生存しています。
そののち、ヤコブに現れてくださり、次に、すべての使徒たちに現れ、 そして最後に、いわば、未熟児のような私の前にも現われてくださったのです。
実際わたしは、神様の教会を迫害したのですから、使徒たちの中でいちばん小さい者であって、
使徒と呼ばれる値うちのない者です。
しかし、神様の恵みによって、わたしは今日あるを得ています。そして、わたしに賜わった神様の恵みは
むだにならず、むしろ、わたしは彼らの中のだれよりも多く働いてきました。
しかしそれは、わたし自身ではなく、わたしと共にあった神様からの恵みです。 とにかく、わたしにせよ彼らにせよ、
そのように、わたしたちは宣べ伝えており、そのように、あなたがたは信じたのです。
(コリント人への手紙15:1-11)
さて、キリストは死人の中からよみがえり復活されたと宣べ伝えられているのに、あなたがたの中のある者が、
死人のよみがえりなどはないと言っているのは、どうしたことなのですか。
死人の復活がないならば、キリストも復活されなかったでしょう。 もしキリストが復活されなかったとしたら、
わたしたちの宣教はむなしく、あなたがたの信仰もまたむなしい。
すると、わたしたちは神様にそむく偽証人にさえなります。なぜなら、死人が復活しないとしたら、
わたしたちは神様が復活させなかったはずのキリストを、復活させたと言って、神様に反するあかしを立てたことになるからです。
もし死人が復活しないなら、キリストも復活されなかったでしょう。
キリストが復活されなかったとすれば、あなたがたの信仰は空虚なものとなり、あなたがたは、いまなお罪の中にいることになる。
そうだとすると、キリストにあって眠った者たちは、滅んでしまったのです。 もしわたしたちが、
この世の生活でキリストにあって単なる希望を抱いているだけだとすれば、わたしたちは、すべての人の中で最も哀れな存在となります。
しかし事実、キリストは眠っている者の初穂として、死人の中からよみがえり復活されました。
それは、死がひとりの人によって来たのだから、死人の復活もまた、ひとりの人によってこなければならない。
アダムにあるすべての人は死にますが、キリストにあるすべての人はよみがえり復活するのです。
(コリント人への手紙15:12-22)
ただし、各自はそれぞれの順序に従わねばならない。最初はキリスト、次に、主の御来臨に際してキリストに属する者たち、
それから終末となって、その時に、キリストはすべての君たち、すべての権威と権力とを打ち滅ぼして、御国を父なる神様に渡されます。
なぜなら、キリストが王として支配なさるのは、敵を全滅させる時までだからです。
最後の敵として滅ぼされるのが、死です。 「神様は万物を彼の足もとに従わせた」と書いてあるからです。
もちろん、万物を従わせたと言われる時、万物を従わせたかたがそれに含まれていないことは、明らかです。
そして、万物が神様に従う時には、神様のひとり子ご自身もまた、万物を従わせたそのかたに従われます。
それは、神様がすべての者にあって、最高の存在となられるためです。
(コリント人への手紙15:23-28)
聖書じたいでたらめな書物
あくまでフィクションです
証拠があるなら出してごらん
その日、すなわち、一週の初めの日の夕方、弟子たちはユダヤ人をおそれて、自分たちのおる所の戸をみなしめていると、
イエス様がはいってきて、彼らの中に立ち、「平安あれ」と言われた。 そう言って、手とわきとを、彼らにお見せになった。
弟子たちは主を見て喜んだ。 イエス様はまた彼らに言われた、「平安あれ。父がわたしをおつかわしになったように、
わたしもまたあなたがたをつかわします」。そう言って、彼らに息を吹きかけて仰せになった、
「聖霊を受けよ。 あなたがたがゆるす罪は、だれの罪でもゆるされ、あなたがたがゆるさずにおく罪は、そのまま残るでしょう」。
十二弟子のひとりで、デドモと呼ばれているトマスは、イエス様がこられたとき、彼らと一緒にいなかった。
ほかの弟子たちが、彼に「わたしたちは主にお目にかかった」と言うと、トマスは彼らに言った、
「わたしは、その手に釘あとを見、わたしの指をその釘あとにさし入れ、また、わたしの手をそのわきにさし入れてみなければ、決して信じない」。
聖書じたいでたらめな書物
あくまでフィクションです
証拠があるなら出してごらん
八日ののち、イエス様の弟子たちはまた家の内におり、トマスも一緒にいた。戸はみな閉ざされていたが、イエス様がはいってこられ、
中に立って「平安あれ」と言われた。 それからトマスに言われた、「あなたの指をここにつけて、わたしの手を見なさい。
手をのばしてわたしのわきにさし入れてみなさい。信じない者にならないで、信じる者になりなさい」。 トマスはイエス様に答えて言った、
「わが主、わが神よ」。 イエス様は彼に言われた、「あなたはわたしを見たのから信じたのですか。見ないで信ずる者は、さいわいです」。
イエス様は、この書に書かれていないしるしを、ほかにも多く、弟子たちの前で行われた。
しかし、これらのことを書いたのは、あなたがたがイエス様は神の子キリストであると信じるためであり、
また、そう信じて、イエス様の御名によって永遠の命を得るためである。
(ヨハネ20:19-31)
聖書じたいでたらめな書物
あくまでフィクションです
証拠があるなら出してごらん
あなたがたは自分の持っている確かな信仰を放棄してはいけません。
その確信には莫大なる報酬がともなっているからです。
神様の御心を行って約束のものをいただくため、あなたがたに必要なのは、忍耐です。
「もうしばらくすれば、来たるべき方がお見えになります。遅くなることはありません。
神様の御前に正しいと認められた人たちは、信仰によって生きるのです。もし信仰を捨てるなら、神様は喜ばれない」。
しかしわたしたちは、信仰を捨てて滅んでしまう者ではなく、信仰を持ち、永遠の命を得る者です。
(ヘブル人への手紙10:35-39)
信仰とは、望んでいる事がらを確信し、まだ見ていない事実を確認することです。 昔の人たちは、この信仰のゆえに賞賛されました。
信仰によって、わたしたちは、この世界が神様の御言葉で創造されたのであり、
したがって、見えるものは現れているものから出てきたのでないことを、悟ります。
信仰によって、アベルはカインよりも優れた生け贄を神様に捧げ、信仰によって神様の御前で正しい者と認められました。
神様が、彼の供え物をよしとされたからです。彼は死にましたが、信仰によって今もなお語っています。
信仰によって、エノクは死を経験することなく天に引き上げられました。神様が天に引き上げられたので、彼は突然、姿が見えなくなりました。
彼が天に引き上げられる前に、神様に喜ばれた者と、あかしされていたからです。 信仰がなくては、神様に喜ばれることはできません。
なぜなら、神様に来る者は、神様のおられることと、ご自身を求める者に報酬を授けて下さることを、必ず信じきるからです。
(ヘブル人への手紙11:1-6)
信仰によって、ノアはまだ見ていない事について神様から御告げを授けられ、畏れかしこみつつ、
その家族を救うために箱舟を造りました。その信仰によって世の罪を裁き、
信仰による正しさを受け継ぐ者となりました。
信仰によって、アブラハムは、受け継ぐべき地に出て行きなさいとの招命を受けた時、それに従い、
行く先を知らないで出て行きました。 信仰によって、他国にいるようにして約束の地に宿り、
同じ約束を継承するイサク、ヤコブと共に、幕屋に住みました。
彼は、揺るぐことのない不動の土台の上に建てられた都を、待ち望んでいたのです。
その都を立案設計され、また建築されたのは、神様です。 信仰によって、サラもまた、年老いていましたが、
種を宿す力を与えられました。
約束をなさったかたは真実であると、信じていたからです。(ヘブル11:7-11)
聖書じたいでたらめな書物
あくまでフィクションです
証拠があるなら出してごらん
>>21 その質問はグノーシスの愚問と呼ばれてるもの。
つまり、あなたは愚か者ということになる。
>>21 信仰とは何かを知っていたらこんな愚問は出ない(笑)
信仰とは、望んでいる事がらを確信し、まだ見ていない事実を確認することです。 昔の人たちは、この信仰のゆえに賞賛されました。
信仰によって、わたしたちは、この世界が神様の御言葉で創造されたのであり、
したがって、見えるものは現れているものから出てきたのでないことを、悟ります。
信仰によって、アベルはカインよりも優れた生け贄を神様に捧げ、信仰によって神様の御前で正しい者と認められました。
神様が、彼の供え物をよしとされたからです。彼は死にましたが、信仰によって今もなお語っています。
信仰によって、エノクは死を経験することなく天に引き上げられました。神様が天に引き上げられたので、彼は突然、姿が見えなくなりました。
彼が天に引き上げられる前に、神様に喜ばれた者と、あかしされていたからです。 信仰がなくては、神様に喜ばれることはできません。
なぜなら、神様に来る者は、神様のおられることと、ご自身を求める者に報酬を授けて下さることを、必ず信じきるからです。
(ヘブル人への手紙11:1-6)
聖書じたいでたらめな書物
あくまでフィクションです
証拠があるなら出してごらん
>>25 信仰とは何かを知っていたらこんな愚問は出ない(笑)
この聖書こそ、キリスト・イエスを信じることによって救われるための知恵を、与えてくれたのです。
全体が神様の霊感によって書かれた聖書は、何が真理であり、何が悪であるかをよく教えてくれます。
また、私たちの生活をまっすぐにし、正しいことを行なう力を与えてくれます。
こうして神様は、私たちをあらゆる点で整え、すべての人に善を行なう力を、十分に授けてくださるのです。
(第二テモテ3:15-17)
>>26 信仰は空想の物語を信じ込むことではなく
普遍的真理の追究じゃないだろうか
>>28 こう書いてある
「信仰とは、望んでいる事がらを確信し、まだ見ていない事実を確認することです。 昔の人たちは、この信仰のゆえに賞賛されました。
信仰によって、わたしたちは、この世界が神様の御言葉で創造されたのであり、
したがって、見えるものは現れているものから出てきたのでないことを、悟ります。
信仰によって、アベルはカインよりも優れた生け贄を神様に捧げ、信仰によって神様の御前で正しい者と認められました。
神様が、彼の供え物をよしとされたからです。彼は死にましたが、信仰によって今もなお語っています。
信仰によって、エノクは死を経験することなく天に引き上げられました。神様が天に引き上げられたので、彼は突然、姿が見えなくなりました。
彼が天に引き上げられる前に、神様に喜ばれた者と、あかしされていたからです。 信仰がなくては、神様に喜ばれることはできません。
なぜなら、神様に来る者は、神様のおられることと、ご自身を求める者に報酬を授けて下さることを、必ず信じきるからです。
(ヘブル人への手紙11:1-6)
信仰によって、ノアはまだ見ていない事について神様から御告げを授けられ、畏れかしこみつつ、
その家族を救うために箱舟を造りました。その信仰によって世の罪を裁き、
信仰による正しさを受け継ぐ者となりました。
信仰によって、アブラハムは、受け継ぐべき地に出て行きなさいとの招命を受けた時、それに従い、
行く先を知らないで出て行きました。 信仰によって、他国にいるようにして約束の地に宿り、
同じ約束を継承するイサク、ヤコブと共に、幕屋に住みました。
彼は、揺るぐことのない不動の土台の上に建てられた都を、待ち望んでいたのです。
その都を立案設計され、また建築されたのは、神様です。 信仰によって、サラもまた、年老いていましたが、
種を宿す力を与えられました。
約束をなさったかたは真実であると、信じていたからです。(ヘブル11:7-11)
聖書じたいでたらめな書物
あくまでフィクションです
証拠があるなら出してごらん
>>32 でたらめなのは、あなたの信じる幸福の科学のような書物です。
このようにして、ひとりの死んだも同様な人から、天の星のように、海にある数え切れない砂のように、おびただしい人が生れてきたのです。
これらの人はみな、信仰を抱いて死にました。まだ約束のものは受けていませんでしたが、
遥かにそれを熱望して喜び、そして、地上では旅人であり寄留者であることを、自ら言いあらわしていました。
そう言いあらわすことによって、彼らが故郷を求めていることを示しています。
もしその出てきた所のことを考えていたなら、帰る機会はあったでしょう。
しかし実際、彼らが熱望していたのは、もっと素晴らしい、天にある故郷だったのです。
だから神様は、彼らの神と呼ばれても、それを恥とはされませんでした。事実、神様は彼らのために、都を用意されていたのです。
信仰によって、アブラハムは、試錬を受けたとき、イサクを捧げました。すなわち、約束を受けていた彼が、そのひとり息子を捧げたのです。
この子については、「イサクから出る者が、あなたの子孫と呼ばれるであろう」と言われていたのでした。
彼は、神様が死人の中から人を復活させる御力がある、と信じていたのです。
だから彼は、いわば、イサクを生かして渡されたわけです。(ヘブル人への手紙11:12-19)
聖書じたいでたらめな書物
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証拠があるなら出してごらん
信仰(しんこう、英語 faith)とは、
神や仏などを信じること。また、ある宗教を信じて、その教えをよりどころとすること。[1]
人やものごとを信用・信頼すること。[2]
証拠抜きで確信を持つこと[3]。またそれらを信じることを正当化する要因[4]。
信仰のことを仏教においては「信心(しんじん)」と呼ぶことが一般的である。「信仰」と書いて古くは「しんごう」と読んでいたこともある[5]。
また比喩的な用法として、何らかの対象を絶対のものと信じて、疑わないこと[6]を指すこともある。
>>36 でたらめなのは、あなたの信じる宗教ですよ。(笑)
でたらめだから、あなたはそれしか言えないのです。
わたしのように膨大な神の御言葉を引用できますか。
あなたの信じる宗教に神の御言葉に勝るものがありますか。
ないですよね。愚問を繰り返すしかないのですよ。(笑)
信仰によって、イサクは、きたるべきことについて、ヤコブとエサウとを祝福しました。 信仰によって、
ヤコブは死の瀬戸際に、ヨセフの子らをひとりびとり祝福し、そしてその杖のかしらに寄り掛かって礼拝しました。
信仰によって、ヨセフはその臨終に、イスラエルの子らの出て行くことを思い、自分の骨のことについて指図しました。
信仰によって、モーセが生れた時、両親は、三か月のあいだ彼を隠しました。それは、彼らが子供の麗しさを見たからです。
彼らはまた、王の命令をも恐れませんでした。 信仰によって、モーセは、成人したとき、パロの娘の子と言われることを拒否し、
罪のはかない快楽にふけるよりは、むしろ神の民と共に虐待されることを選び、 キリストのゆえに受けるそしりを、
エジプトの宝にまさる富と考えました。それは、彼が報酬を熱望していたからです。 信仰によって、彼は王の憤りをも恐れず、
エジプトを立ち去りました。彼は、見えないかたを見ているようにして、忍びとおしました。
信仰によって、滅ぼす者が、長子らに手を下すことのないように、彼は過越を行い、血を塗りました。 信仰によって、
人々は紅海をかわいた土地をとおるように渡りましたが、同じことを企てたエジプト人はおぼれ死にました。
信仰によって、エリコの城壁は、七日にわたってまわったために、崩れ落ちました。
信仰によって、遊女ラハブは、探りにきた者たちを温かく迎えたので、不従順な者どもと一緒に滅びることはありませんでした。
(ヘブル人への手紙11:20-31)
聖書じたいでたらめな書物
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>>39 どこが神の言葉?
人間だろうが
パウロにしろマタイにしろイエスにしろ全部人間
このほか、何を言いましょうか。もしギデオン、バラク、サムソン、エフタ、ダビデ、サムエル及び預言者たちについて語り出すなら、
時間が足りないでしょう。 彼らは信仰によって、国々を征服し、正しいことを行い、約束のものを受け、獅子の口をふさぎ、
火の勢いを消し、剣の刃をのがれ、弱い者は強い者にされ、戦いの勇者となり、他国の軍を撃退させました。
女たちは、その死者たちをよみがえらさせてもらいました。ほかの者は、更に、優れた命に復活させていただくために、
拷問の苦しみに甘んじ、放免されることを願いませんでした。 なお他の者たちは、あざけられ、むち打たれ、しばり上げられ、
投獄されるほどのめに会いました。 石で打たれ、さいなまれ、のこぎりで引かれ、つるぎで切り殺され、羊の皮や、やぎの皮を着て歩きまわり、
一文無しになり、悩まされ、苦しめられ、 (この世は彼らの住む所ではありませんでした)、
荒野と山の中と岩の穴と土の穴とを、さまよい続けました。 さて、これらの人々はみな、信仰によって証しされましたが、
約束のものは受けませんでした。 神様はわたしたちのために、さらに良いものをあらかじめ備えて下さっているので、
わたしたちをほかにしては彼らが全うされることはありません。
(ヘブル人への手紙11:32-40)
>>43 キリストは、神様の身分でありながら、神と等しい者であることに、固執されませんでした。
それどころか御自分をなくして、しもべの身分になり、人間と同じ者になられたのです。
人間の姿として現れ、へりくだり、死に至るまで、しかも十字架の死に至るまで従順でした。
このため、神様はキリストを高く上げ、あらゆる名にまさる御名をお与えになりました。
それは、天にあるもの、地にあるもの、地の下にあるものがすべて、イエス様の御名にひざまずき、すべての者の舌が、
『イエス・キリストは主である』と公に宣べて、父である神様を褒め称えるようになるためです。」
(ピリピ人への手紙2:6-11)
だから、それはパウロが言ってるだけだから。
キリストが神と書かれているの聖句
ヨハネ1:1 初めに、ことばがあった。ことばは神とともにあった。ことばは神であった。
ヨハネ1:18 いまだかつて神を見た者はいない。父のふところにおられるひとり子の神が、神を説き明かされたのである。
ヨハネ20:28 トマスは答えてイエスに言った。「私の主。私の神。」
使徒20:28 あなたがたは自分自身と群れの全体とに気を配りなさい。聖霊は、神がご自身の
血をもって買い取られた神の教会を牧させるために、あなたがたを群れの監督にお立てになったのです。
ローマ9:5 先祖たちも彼らのものです。またキリストも、人としては彼らから出られたのです。
このキリストは万物の上にあり、とこしえにほめたたえられる神です。アーメン。
書かれてるから、それが何だ?
書くぐらい誰でもできる
兄弟たちよ。私はあなたがたに知らせましょう。私が宣べ伝えた福音は、人間によるものではありません。
私はそれを人間からは受けなかったし、また教えられもしませんでした。ただイエス・キリストの啓示によって受けたのです。
(ガラテヤ人への手紙1:11)
このようなわけで、わたしたちは絶えず神に感謝しています。なぜなら、わたしたちから神様の御言葉を聞いたとき、
あなたがたは、それを人の言葉としてではなく、神様の御言葉として受け入れたからです。
事実、それは神の御言葉であり、また、信じているあなたがたの中に現に働いているものです。
(テサロニケ第一の手紙 2ー13)
わたしたちは、このような多くの証人に雲のように囲まれているのですから、いっさいの重荷と、
からみつく罪とを捨てて、わたしたちの参加すべき競走を、耐え忍んで走りぬこうではありませんか。
信仰の導き手であり、またその完成者なるイエス様を仰ぎ見つつ、走ろうではありませんか。
彼は、ご自分の御前におかれている喜びのゆえに、恥をもいとわないで十字架を耐え忍び、神様の王座の右に座するに至ったのです。
あなたがたは、弱って意気消沈しないために、罪人たちのこのような反抗を耐え忍ばれた方のことを、思っていなさい。
あなたがたは、罪と取り組んで戦う時、まだ血を流すほどの抵抗をしたことがありません。
また子供たちに対するように、あなたがたに語られたこの勧めの御言葉を忘れています、
「わたしの子よ、主の訓練を軽んじてはいけない。主に責められるとき、弱り果ててはならない。
主は愛する者を訓練し、受けいれるすべての子供を、むち打たれるからです」。
あなたがたは訓練として耐え忍びなさい。神様はあなたがたを、子供として取り扱っておられるのです。
父に訓練されない子があるでしょうか。だれでも受ける訓練が、あなたがたに与えられないとすれば、
それこそ、あなたがたは私生子であって、ほんとうの子供ではありません。
(ヘブル人への手紙12:1-8)
また、一杯の食物のために長子の権利を売ったエサウのように、不品行な悪者にならないようにしなさい。
あなたがたの知っているように、彼はその後、祝福を受け継ごうと願ったけれども、捨てられてしまい、
涙を流してそれを求めましたが、悔改めの機会を得なかったのです。 あなたがたが近づいているのは、手で触れることができ、
火が燃え、黒雲や暗闇や嵐につつまれるものではありません。
またラッパの響きや、聞いた者たちがそれ以上、耳にしたくないと願ったような言葉が響いた山でもありません。
そこでは、彼らは、「獣であっても、山に触れたら、石で打ち殺されてしまえ」という命令の御言葉に、耐えることができなかったのです。
その光景が恐ろしかったのでモーセさえも、「わたしは恐ろしさのあまり、おののいている」と言ったほどです。
しかしあなたがたが近づいているのは、シオンの山、生ける神様の都、天のエルサレム、無数の天使の大祝会、 天に登録されている長子たちの教会、
万民の審判者なる神、全うされた正しい者の霊、 新しい契約の仲保者イエス、ならびに、アベルの血よりも力強く語る注がれた血です。
(ヘブル人への手紙12:16-24)
あなたがたは、語っておられるかたを拒むことがないように、注意しなさい。地上で御心を告げた者を拒んだ人々が、
罰を逃れることができなかったとしたら、天からの御告げを示すかたを退けるわたしたちは、
なおさらそうなるのではありませんか。
あの時には、御声が地を震わせました。しかし今は、約束して言われた、「わたしはもう一度、地ばかりでなく天をも震わそう」。
この「もう一度」という御言葉は、震われないものが残るために、震われるものが、造られたものとして取り除かれることを示しています。
このように、わたしたちは揺るぐことのない御国を授けられているのですから、感謝をしようではありませんか。
そして感謝しつつ、畏れかしこみ、神様に喜ばれるように、仕えていこう。わたしたちの神様は、実に、焼きつくす火だからです。
(ヘブル人への手紙12:25-29)
聖書じたいでたらめな書物
あくまでフィクションです
証拠があるなら出してごらん
「信仰とは、望んでいる事がらを確信し、まだ見ていない事実を確認することです。 昔の人たちは、この信仰のゆえに賞賛されました。
信仰によって、わたしたちは、この世界が神様の御言葉で創造されたのであり、
したがって、見えるものは現れているものから出てきたのでないことを、悟ります。
信仰によって、アベルはカインよりも優れた生け贄を神様に捧げ、信仰によって神様の御前で正しい者と認められました。
神様が、彼の供え物をよしとされたからです。彼は死にましたが、信仰によって今もなお語っています。
信仰によって、エノクは死を経験することなく天に引き上げられました。神様が天に引き上げられたので、彼は突然、姿が見えなくなりました。
彼が天に引き上げられる前に、神様に喜ばれた者と、あかしされていたからです。 信仰がなくては、神様に喜ばれることはできません。
なぜなら、神様に来る者は、神様のおられることと、ご自身を求める者に報酬を授けて下さることを、必ず信じきるからです。
(ヘブル人への手紙11:1-6)
信仰によって、ノアはまだ見ていない事について神様から御告げを授けられ、畏れかしこみつつ、
その家族を救うために箱舟を造りました。その信仰によって世の罪を裁き、
信仰による正しさを受け継ぐ者となりました。
信仰によって、アブラハムは、受け継ぐべき地に出て行きなさいとの招命を受けた時、それに従い、
行く先を知らないで出て行きました。 信仰によって、他国にいるようにして約束の地に宿り、
同じ約束を継承するイサク、ヤコブと共に、幕屋に住みました。
彼は、揺るぐことのない不動の土台の上に建てられた都を、待ち望んでいたのです。
その都を立案設計され、また建築されたのは、神様です。 信仰によって、サラもまた、年老いていましたが、
種を宿す力を与えられました。
約束をなさったかたは真実であると、信じていたからです。(ヘブル11:7-11)
>ヨハネ1:18 いまだかつて神を見た者はいない。
正解です
>信仰によって、アベルはカインよりも優れた生け贄を神様に捧げ
不正解です
>>57 神の御言葉を不正解とするあなたが不正解です。
神の御言葉はみな真実と書いてある。
どこに
神の義は、その福音の中に啓示され、信仰に始まり信仰に至らせます。これは、「神の御前に正しい人は信仰によって生きる」
と書いてあるとおりです。
神の怒りは、不義をもって真理をはばもうとする人間のあらゆる不信仰と不義とに対して、天から啓示される。
なぜなら、神について知りうる事がらは、彼らには明らかであり、神がそれを彼らに明らかにされました。
神の見えない性質、すなわち、神の永遠の御力と神性とは、天地創造以来、被造物において知られていて、
明らかに認められるからです。
したがって、彼らには弁解の余地がない。 なぜなら、彼らは神を知っていながら、神として礼拝せず、感謝もせず、
かえってその思いは虚しくなり、その無知な心は暗くなったからです。
彼らは自ら知者と称しながら、愚か者になり、 不朽の神の栄光を変えて、朽ちる人間や鳥や獣や這う物の像に似せました。
ゆえに、神は、彼らが心の欲情にかられ、自分のからだを互いにはずかしめて、汚すままに任せられました。
彼らは神の真理を変えて偽りとし、創造者の代りに被造物を拝み、これに仕えたのです。
創造者こそ永遠に賛美されるべきかた、アーメン。
(ローマ人への手紙1:17-25)
聖書じたいでたらめな書物
あくまでフィクションです
証拠があるなら出してごらん
>>59 箴言30:5
「神の御言葉はみな真実である、神は彼に寄り頼む者の盾である。」
>>62 神の言葉が真実なのは当たり前
聖書はデタラメ
八日ののち、イエス様の弟子たちはまた家の内におり、トマスも一緒にいた。戸はみな閉ざされていたが、イエス様がはいってこられ、
中に立って「平安あれ」と言われた。 それからトマスに言われた、「あなたの指をここにつけて、わたしの手を見なさい。
手をのばしてわたしのわきにさし入れてみなさい。信じない者にならないで、信じる者になりなさい」。 トマスはイエス様に答えて言った、
「わが主、わが神よ」。 イエス様は彼に言われた、「あなたはわたしを見たのから信じたのですか。見ないで信ずる者は、さいわいです」。
イエス様は、この書に書かれていないしるしを、ほかにも多く、弟子たちの前で行われた。
しかし、これらのことを書いたのは、あなたがたがイエス様は神の子キリストであると信じるためであり、
また、そう信じて、イエス様の御名によって永遠の命を得るためである。
(ヨハネ20:19-31)
>ヨハネ1:18 いまだかつて神を見た者はいない。
これが全て物語ってます。正解です
八日ののち、イエス様の弟子たちはまた家の内におり、トマスも一緒にいた。戸はみな閉ざされていたが、イエス様がはいってこられ、
中に立って「平安あれ」と言われた。 それからトマスに言われた、「あなたの指をここにつけて、わたしの手を見なさい。
手をのばしてわたしのわきにさし入れてみなさい。信じない者にならないで、信じる者になりなさい」。 トマスはイエス様に答えて言った、
「わが主、わが神よ」。 イエス様は彼に言われた、「あなたはわたしを見たから信じたのですか。見ないで信ずる者は、さいわいです」。
イエス様は、この書に書かれていないしるしを、ほかにも多く、弟子たちの前で行われた。
しかし、これらのことを書いたのは、あなたがたがイエス様は神の子キリストであると信じるためであり、
また、そう信じて、イエス様の御名によって永遠の命を得るためである。
(ヨハネ20:19-31)
>ヨハネ1:18 いまだかつて神を見た者はいない。
これが全て物語ってます。正解です
あなたが無知であることだけはわかった。(笑)
テサロニケ第二の手紙「パウロとシルワノとテモテから、わたしたちの父なる神と主イエス・キリストとにあるテサロニケ人たちの教会へ。
父なる神と主イエス・キリストから、恵みと平安とが、あなたがたにあるように。 愛する兄弟たちよ。
わたしたちは、いつもあなたがたのことを神様に感謝せずにはいられません。またそうするのが当然です。
それは、あなたがたの信仰が大いに成長し、あなたがたひとりびとりの愛が、お互いの間に増し加わっているからです。
そのために、わたしたち自身は、あなたがたがいま受けているあらゆる迫害と患難とのただ中で示している忍耐と信仰とにつき、
神様の諸教会に対してあなたがたを誇りととしています。
これは、あなたがたを、神様の御国にふさわしい者にしようとする神の裁きが正しいことを、証拠だてるものです。
その神の御国のために、あなたがたも苦闘しているのです。
(テサロニケ第二の手紙1:1-5)
すなわち、あなたがたを悩ます者には患難をもって報復し、悩まされているあなたがたには、わたしたちと共に、
休息をもって報酬を授けて下さるのが、神様にとって正しいことだからです。
それは、主イエスが炎の中から力ある天使たちを率いて天から出現される時に実現します。
その時、主は神様を認めない者たちや、わたしたちの主イエスの福音に聞き従わない者たちに復讐し、
そして、彼らは主の御顔とその御力の栄光から退けられて、永遠の滅亡に至る刑罰を受けます。
その日に、イエスさまはご降臨され、聖徒たちの中であがめられ、すべて信じる者たちの間で驚きと感激の的となられます
---わたしたちのこのあかしは、あなたがたによって信じられているのです。
このためにまた、わたしたちは、わたしたちの神様があなたがたを招待するにふさわしいし者とし、善に対するあらゆる願いと
信仰の働きとを力強く満たして下さるよう、あなたがたのために絶えず祈っています。
それは、わたしたちの神様と主イエス・キリストとの恵みによって、わたしたちの主イエスの御名があなたがたの間であがめられ、
あなたがたも主にあって栄光を受けるためです。(テサロニケ第二1:6-12)
>>45 おれは、おまえたちのために、へりくだり、
くだらん本を読んでまでおまえたちを救うために
同じことを何度も教えてやってる。おれがキリストかもしれない。
>ヨハネ1:18 いまだかつて神を見た者はいない。
これが全て物語ってます。正解です
>>75 ローマ人への手紙とへブル人への手紙読みなさい(笑)
てか、君たちアンチは聖書のような膨大な神の御言葉ないの?
反論はたった3行かい?
キリストは、神様の身分でありながら、神と等しい者であることに、固執されませんでした。
それどころか御自分をなくして、しもべの身分になり、人間と同じ者になられたのです。
人間の姿として現れ、へりくだり、死に至るまで、しかも十字架の死に至るまで従順でした。
このため、神様はキリストを高く上げ、あらゆる名にまさる御名をお与えになりました。
それは、天にあるもの、地にあるもの、地の下にあるものがすべて、イエス様の御名にひざまずき、すべての者の舌が、
『イエス・キリストは主である』と公に宣べて、父である神様を褒め称えるようになるためです。」
(ピリピ人への手紙2:6-11)
聖書じたいでたらめな書物
あくまでフィクションです
証拠があるなら出してごらん
それは、主イエスが炎の中から力ある天使たちを率いて天から出現される時に実現します。
その時、主は神様を認めない者たちや、わたしたちの主イエスの福音に聞き従わない者たちに復讐し、
そして、彼らは主の御顔とその御力の栄光から退けられて、永遠の滅亡に至る刑罰を受けます。
その日に、イエスさまはご降臨され、聖徒たちの中であがめられ、すべて信じる者たちの間で驚きと感激の的となられます
---わたしたちのこのあかしは、あなたがたによって信じられているのです。
このためにまた、わたしたちは、わたしたちの神様があなたがたを招待するにふさわしいし者とし、善に対するあらゆる願いと
信仰の働きとを力強く満たして下さるよう、あなたがたのために絶えず祈っています。
それは、わたしたちの神様と主イエス・キリストとの恵みによって、わたしたちの主イエスの御名があなたがたの間であがめられ、
あなたがたも主にあって栄光を受けるためです。(テサロニケ第二1:6-12)
81 :
神も仏も名無しさん:2010/01/24(日) 23:07:29 ID:xc771Xqc
正直、このすれは、伸びないはずだった・・・・・・
ヨハネ1:18 いまだかつて神を見た者はいない
つまり、イエスは神じゃなかった、といってる 聖書が
>>82 下がれ、悪魔崇拝者、さらにそのあと、イエス様は神と聖書に書いてある。
ヨハネ1:18
「神様を見た者はまだひとりもいない。ただ父のふところにおられるひとり子なる神様だけが、神様をあらわしたのである。」
ローマ9:5
このキリストは万物の上にあり、とこしえにほめたたえられる神です。アーメン。
>>84 キリストを信じない物は全員地獄行きなの?
>>85 聖書に次のように書いてあります。
「神様のひとり子を信じる人は永遠の命を得ていますが、神様のひとり子に従わない人は、
命にあずかることがないばかりか、神様の怒りがその上にとどまるのです。」(ヨハネ3:36)
しかし、こうも書いてある。
「あなたは心の中でだれが天にあげられるかと言ってはならない」。それは、キリストを引き降ろすことになります。
また、「だれが底知れぬ所に下るのかと言ってはいけません」。それは、キリストを死人の中から引き上げることになるからです。
では、なんと言おうか。「御言葉はあなたの近くにあり、あなたの口にあり、心にあります」。
この言葉とは、わたしたちが宣べ伝えている信仰の御言葉です。
すなわち自分の口で「イエス・キリストは私の主です」と告白し、自分の心で、
神様はイエス・キリストを死人の中から復活させてくださったと信じるなら、あなたは救われます。
人は、心で信じることによって、神様から正しい者とされ、その信仰を自分の口で告白することによって、
救いを確実なものとするからです。(ローマ人への手紙10:1-11)
リンゴさんのクリじゃない友人や
あなたの先祖もたくさん地獄いきですね。
>>83 「神様を見た者はまだひとりもいない。ただ父のふところにおられるひとり子なる神様だけが、神様をあらわしたのである。」
だから、神様はイエスみたいな馬の骨なんかじゃないの。
ヨハネは神様を見たことがないと証言してる。聖書に書いてあることは真実なんだろ?
ヨハネが言ってるのはこういうことになる
1.イエスは神ではない
2.神を見た者は存在しない
3.父のふところにおられるひとり子なる神様はイエスではない
>>91 下がれ、悪魔崇拝者、イエス様は神と聖書に書いてある
ヨハネ1:18
「ただ父のふところにおられるひとり子なる神様だけが、神様をあらわしたのである。」
>>92 下がれ!
聖書を否定する者はサタンだ。
ちゃんと書いてある。
「神様を見た者はまだひとりもいない。
イエスキリストの御言葉
「わたしの言っていることが、なぜ分からないのか。それは、わたしの言葉を聞くことができないからだ。
あなたたちは、悪魔である父から出た者であって、その父の欲望を満たしたいと思っている。
悪魔は最初から人殺しであって、真理をよりどころとしていない。彼の内には真理がないからだ。
悪魔が偽りを言うときは、その本性から言っている。自分が偽り者であり、その父だからである。
しかし、わたしが真理を語るから、あなたたちはわたしを信じない。
あなたたちのうち、いったいだれが、わたしに罪があると責めることができるのか。
わたしは真理を語っているのに、なぜわたしを信じないのか。
神に属する者は神の言葉を聞く。あなたたちが聞かないのは神に属していないからである。」
>>95 聖書信仰じゃないのか?
勝手な解釈はいけませんよ
「信じなければ永遠の死」
その宗教の言い分を信じなければ、永遠の死に至る、という恐ろしい宗教がある。
教祖の名前は 「キリスト」という。 「隣人を愛せ」と言うが、経典には堂々と、「異教徒は殺せ」と書いてある。
直ちに、子供たちのうち、男は皆、殺せ。男と寝て男を知っている女も皆、殺せ。
女のうち、まだ男と寝ず、男を知らない娘は、あなたたちのために生かしておくがよい。 民数記 31章14〜18節
>>98 勝手な解釈はサタンジョンレノンと悪魔崇拝者の君だ(笑)
>>101 カルトはサタンジョンレノンと悪魔崇拝者の君だ(笑)
>>105 サタンジョンレノンと悪魔崇拝者の言う真理とは偽りであり、
彼らの言う偽りは真理である。
イエスキリストの御言葉
「わたしの言っていることが、なぜ分からないのか。それは、わたしの言葉を聞くことができないからだ。
あなたたちは、悪魔である父から出た者であって、その父の欲望を満たしたいと思っている。
悪魔は最初から人殺しであって、真理をよりどころとしていない。彼の内には真理がないからだ。
悪魔が偽りを言うときは、その本性から言っている。自分が偽り者であり、その父だからである。
しかし、わたしが真理を語るから、あなたたちはわたしを信じない。
あなたたちのうち、いったいだれが、わたしに罪があると責めることができるのか。
わたしは真理を語っているのに、なぜわたしを信じないのか。
神に属する者は神の言葉を聞く。あなたたちが聞かないのは神に属していないからである。」
「信じなければ永遠の死」
その宗教の言い分を信じなければ、永遠の死に至る、という恐ろしい宗教がある。
教祖の名前は 「キリスト」という。 「隣人を愛せ」と言うが、経典には堂々と、「異教徒は殺せ」と書いてある。
直ちに、子供たちのうち、男は皆、殺せ。男と寝て男を知っている女も皆、殺せ。
女のうち、まだ男と寝ず、男を知らない娘は、あなたたちのために生かしておくがよい。 民数記 31章14〜18節
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りんごってホントあほだなw
初期のキリスト教徒はイエスが遠からず再臨するものと信じて、イエスの地上生活のことは細かく記録しませんでした。
ところが、いつになっても再臨しないので遂に締めて、記憶をたどりながらイエスの言ったことを記録に留めたのです。
イエス曰く……と書いてあっても、実際にそう言ったかどうかは、書いた本人も確かでなかったのです。