【最終】輪廻転生説はどう扱うべきか!?【決着】4

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521前世一在家
>>518
>仮に、「煩悩を離れた修行者=修行完成者」だとしましょう。
しかし、どこにも『その修行完成者の死後について述べた部分』は見当たりません。
いったい、どこに『修行完成者の死後』が述べられているのでしょう?

長部経典をよくご存じの貴兄が知らないというスタンスですか。
それならば、他の経典を事例に挙げることにしましょう。

(参照)長部経典 第17経「大善見王経」
「アーナンダよ、わたしは六回にわたり、この地域に遺体を
捨て置くことを経験し、そして実際わたしは、法輪転主であり、
法に拠って立ち、法王であり、全世界を制覇し、国土の安定を
果たし、七宝を具えた。
遺体を捨て置くのはこの度で七回目になる。
しかしわたしは、アーナンダよ、神々のいる世界、魔王のいる世界、
梵天を含む世界において、また沙門やバラモン、神や人間を含む
命あるもののなかにおいて、如来が八回目に遺体を捨て置くことに
なる地域を、決してみることはない。」以上を世尊は仰いました。
「もろもろの作り出されるものは常なることはなく、生と滅という
性質を具え、生じては滅びる。それらの寂滅が楽である。」と。
522前世一在家:2010/01/01(金) 13:56:41 ID:E5Gso9yA
>>521
(参照)長部経典 第13経「三明経」
「妻帯していない、心に恨む気持ちがない、悪意のない、
心が汚れていない、自制心がある比丘は、身体が滅びた後、
死んだ後、梵天と共生するであろうというが、この事に
根拠はある」と世尊は仰られました。

FQ.修行完成者は死後存在するか否か?
GQ.修行完成者は死後存在しないのか否か?
以上の問いへの回答として、死後存続し梵天と共生すると説かれた
との記載がございます。