116 :
?:2010/09/24(金) 09:52:15 ID:W7bJIe32
トーマス・アルバ・エジソン
1847年2月11日 - 1931年10月18日)
数多い先行の白熱電球を実用的に改良して
白熱電球の名称をゾロアスター教の光と英知の神、
アフラ・マズダーから引用し、「マズダ」と名付けた
来世を信じて
後半生は死者と交信する電信装置(Spirit Phone)を研究していた
エジソンは、
人間の魂もエネルギーであり宇宙のエネルギーの一部であると考えていた。
エネルギーは不変なので、魂というエネルギーは人間の死後も存在し、
このエネルギーの蓄積こそが記憶なのだと考えていた。
エジソンの言によれば、自分の頭で発明をしたのではなく、
自分自身は自然界のメッセージの受信機で、
【宇宙という大きな存在からメッセージを受け取って
それを記録することで発明としていた】
117 :
?:2010/09/30(木) 13:17:09 ID:0/tsoayv
新アジア仏教史08中国3宋元明清 沖本克己 181ページ
− 中国 −
神は、殺された無実の尼僧達の亡霊を
荘林王の身体に侵食させた。
そして、荘林王は、死んだ。その後に、
因果応報の法則によって陰界で懲罰を受けた。
− ↑ −
この中に
中有身(死んでから次に生まれるまでの状態の意識)と、
業報輪廻の概念が含まれている。
↑ 間違えてる場合は、どなたか、御教示、よろしく!
118 :
?:2010/09/30(木) 14:41:30 ID:0/tsoayv
新アジア仏教史08中国3宋元明清 175〜176ページ
− 中国 1904年刊行の『禅門日誦』 −
1904年正月に、
祖先や亡霊への供養の為に、
消災減罪、現世利益などの願いを込めて
『禅門日誦』を刊行した。
− ↑ −
中国にも先祖とか亡者などの
中有身(死んでから次に生まれるまでの状態の意識)
の概念が有った。
↑ 間違えてる場合は、どなたか、御教示、よろしく!
119 :
?:2010/10/03(日) 11:49:11 ID:hbDH/f7b
ムー 2010年01月号 [雑誌] オーブについて!
↓ 83ページ
ハイネマン博士
「オーブは、
デジタルカメラなどのフラッシュ光に含まれる
光エネルギーによって励起されて、
可視光スペクトルを含む電磁波を放出する」
↓ 89ページ
ウィリアム・A・ティラー博士
意識に対する考察が、きわめて重要
「この世の生物は、目に見える肉体と
目に見えない生体場という
精神エネルギーの力場から構成されていて、
人間は肉体の消滅後も、膨大な情報が蓄積された
この力場が意識として存続する」
↑ 間違えてる場合は、どなたか、御教示、よろしく!
120 :
?:2010/10/03(日) 12:51:33 ID:hbDH/f7b
新アジア仏教史08中国3宋元明清 338〜339ページ
二十世紀初頭
仏教は清朝政府から迫害政策が行われた
1898年仏教寺院を没収
1904年仏像の破壊
やがて中華民国になると(政府などによって)宗教を
迷信とみなす排斥運動が高まってきた
− ↑ −
中有身(死んでから次に生まれるまでの状態の意識)とか
業報輪廻などを迷信と考える、解釈の
原点は、ここにあるのかもしれない
↑ 間違えてる場合は、どなたか、御教示、よろしく!
121 :
南無妙法蓮華経の会:2010/10/05(火) 03:40:53 ID:UmeiMqMa
釈迦が在世時(正法時代)に、すでに「爾前権経(法華経以前の教え)は捨てよ」と明確に言われています。
「爾前権経を捨て、法華経(今の時代は「末法の法華経」)に帰依せよ」との仏のご金言です。
「末法の法華経」とは、「南無妙法蓮華経」です。
(よく「創価学会か顕正会?」と誤解されるので、あらかじめ、ことわっておきますが、
私たち「南無妙法蓮華経」の会は、それらの組織と関係ございません)
122 :
神も仏も名無しさん:2010/10/05(火) 08:20:24 ID:OM2yBssm
>>120 >中有身(死んでから次に生まれるまでの状態の意識)とか
>業報輪廻などを迷信と考える、解釈の
>原点は、ここにあるのかもしれない
いや、原点は、釈迦の原始仏教だろw
123 :
神も仏も名無しさん:2010/10/05(火) 16:41:54 ID:8Urj6d/k
>>121 スタートは釈迦の仏教。創価の作り話はいらんでぇ。
124 :
?:2010/10/06(水) 12:06:04 ID:UqpGmZ6H
>>121 南無妙法蓮華経の会 様へ!
> 「爾前権経(法華経以前の教え)は捨てよ」
私は
「法華経よりも【阿含経】のほうが【ゴータマ・シッダールタ】に近い経典である」
と考えています
↑ 間違えてる場合は、どなたか、御教示、よろしく!
125 :
?:2010/10/06(水) 13:01:50 ID:UqpGmZ6H
仏陀の真実の教えを説く〈上〉阿含経講義 桐山靖雄(著) 244〜245ページ
雑阿含経 仙尼経
「私(ブッダ)の弟子の中にも、
説法の真義が理解できず、
慢の我執を起こす者がいる。
慢を断ち切る事が出来ない場合は、
今の生が終わり、五蘊(五陰)が離散しても、
陰と与に相続して
来世に生まれて来る。
私(ブッダ)は、
真理を悟れなかった弟子に対して
あの者は、こういう所に生まれると説くのである。」
− ↑ −
間違えてる場合は、どなたか、御教示、よろしく!
126 :
?:2010/10/06(水) 13:30:12 ID:UqpGmZ6H
仏陀の真実の教えを説く〈上〉阿含経講義 桐山靖雄(著) 246ページ
雑阿含経 仙尼経
我執が様々な物に執着を起こして、渇愛(タンハー)になる。
この渇愛(タンハー)の元は我執で、
この我執を、ここでは慢と呼ぶ。
@真理に通達する為の最高の智慧を獲得していない場合は
A慢を起こす
B寿命を迎えた時に、慢が陰と与に相続する
C何処かの誰かとして新たな肉体を伴って生まれて来る
− ↑ −
間違えてる場合は、どなたか、御教示、よろしく!
127 :
?:2010/10/06(水) 14:32:26 ID:UqpGmZ6H
仏陀の真実の教えを説く〈上〉阿含経講義 桐山靖雄(著) 246ページ
雑阿含経 仙尼経
@人は五蘊(五陰)が仮合(仮和合)してこの世に存在している。
A死を迎えると五蘊(五陰)は散り散りになる。
B慢が残っている場合は、渇愛(タンハー)によって、
C新たに五蘊(五陰)が再び集り現れる。
− ↑ −
間違えてる場合は、どなたか、御教示、よろしく!
128 :
?:2010/10/06(水) 14:55:50 ID:UqpGmZ6H
>>121 南無妙法蓮華経の会 様へ!
− − −
密教誕生 桐山靖雄(著) 161ページ
瑜伽師地論(ゆがしじろん)
人が死ぬ時に
慢が残っている場合は
我愛によって
中有身(死んでから次に生まれるまでの状態の意識)が形成される。
− − −
私は
法華経よりも【瑜伽師地論(ゆがしじろん)】の方が
【中有身(死んでから次に生まれるまでの状態の意識)】
の事について詳しく記述されていると
考えています!
↑ 間違えてる場合は、どなたか、御教示、よろしく!
129 :
?:2010/10/06(水) 15:29:14 ID:UqpGmZ6H
>>121 南無妙法蓮華経の会 様へ!
− − −
生きているている時は【阿頼耶識(あらやしき)】として
死んでいる時は
【中有身(死んでから次に生まれるまでの状態の意識)】として
【 生滅 滅生 変化 相続 】している
− − −
私は
【業報輪廻】とか
【中有身(死んでから次に生まれるまでの状態の意識)】などの
【肯定派!】なので
【中有身(死んでから次に生まれるまでの状態の意識)】の事については
法華経よりも【瑜伽師地論(ゆがしじろん)】の方が優れた経典である
と考えています!
釈迦が生きてるときに、お経は一つもなかったのでは?
釈迦自身の言葉は自明灯 法明灯あたりだけだと
本で読んだのですが。
131 :
?:2010/10/08(金) 12:50:24 ID:qBwyxvHe
>>130 様へ!
> 釈迦が生きてるときに、お経は一つもなかったのでは?
↑ 多分、その通りだ、と思います
> 釈迦自身の言葉は自明灯 法明灯あたりだけだ、と本で読んだのですが。
↑ 【自明灯 法明灯】について、の知識が、無いので
【自明灯 法明灯】について、ご教示を、よろしく、お願い致します!
132 :
?:2010/10/08(金) 15:35:08 ID:qBwyxvHe
阿含経典による仏教の根本聖典 増谷文雄(著) 283ページ
クシナーラの マッラ族の人々
「尊者よ、われわれは、如来の、なきがらをいかに扱えばよいのか?」
アーナンダ
「転倫王の如く 新しい布で包んで
さまざまな香木を薪として荼毘に附して
大いなる四差路に塔をつくって
その塔に詣でて 香華をささげて
礼拝をなし、… … …」
− − −
この「転倫王の身体を取り扱うが如く」という
【 長阿含経 遊行経 】
↑ ここに
密教寺院などで行っている
成仏供養の為の護摩修法の儀式の原点がある
のかもしれない
↑ 間違えてる場合は、どなたか、御教示、よろしく!
133 :
?:2010/10/08(金) 15:49:55 ID:qBwyxvHe
☆ ウィキペディア参照 ☆
【阿含経】は
初期仏教の経典である。
釈迦の死後、
その教説は迦葉や阿難を始めとする弟子達によって何回かの結集を経てまとめられ、
経蔵(sutta-piTaka (pali))を形成した。
一般に、
紀元前4世紀から紀元前1世紀にかけて徐々に作成されたものであると言われている。
中国においても原初的な経典であることに気付いており、
研究を行った記録もあるが、大勢を占めることはなかった。
日本にも伝播初期から伝えられており、
倶舎宗で研究されていたとされるが、
ほとんど伝えられていない。
134 :
?:2010/10/08(金) 15:59:05 ID:qBwyxvHe
☆ ウィキペディア参照 ☆
瑜伽師地論(ゆがしじろん)は仏教唯識派の重要な文献。
世親の兄である無着(asaNga, असण्ग)が、
兜率天に住む弥勒菩薩(maitreya तैत्रेय)の説を聞いて著したといわれている。
瑜伽行(yogaacaara)の観法を詳説したものである。
− − −
瑜伽行唯識学派(ゆがぎょうゆいしきがくは)は
大乗仏教の学派のひとつで、
唯識の教学を唱導した学派である。
唯識派、唯識瑜伽行派ともいう。
瑜伽行派とも略称される。
ヨーガ(=瑜伽(ゆが))の実践の中に唯識の体験を得、教理にまとめた。
とりあえず心(識)だけは仮に存在すると考え、
深層意識の阿頼耶識が
自分の意識も外界にあると認識されるものも生み出していると考え(唯識無境)、
最終的には阿羅耶識もまた空であるとする(境識倶泯)。
135 :
?:2010/10/08(金) 17:21:44 ID:qBwyxvHe
☆ 自明灯 法明灯 について ☆
− − −
釈迦が死ぬ間際に弟子達が最後の教えを乞うた
その時に釈迦がいったのが
自灯明、法灯明
自らを灯明とし、また法(仏法)を灯明とせよの意味
ま、穿った見方をすれば個人(釈迦の事)を
カリスマ視しないように、とも取れる
− − −
という事のようです
136 :
?:2010/10/08(金) 17:51:26 ID:qBwyxvHe
自明灯 法明灯
− − −
阿含経典による仏教の根本聖典 増谷文雄(著) 277ページ
長阿含経 遊行経
「よく法を知り、よく法にしたがって行ずる者こそ
如来を最上にあがめ、尊び、供養する者である。
さすればアーナンダよ、
ここに、よく法を知り、法にしたがって行ぜねばならぬ、
と銘記するが良い。」
137 :
?:2010/10/08(金) 18:27:36 ID:qBwyxvHe
阿含経典による仏教の根本聖典 増谷文雄(著) 50ページ
漢訳 四分律 三二
世尊は、
ウルヴェーラ・カッサパの庵に近い森にとどまり、
彼のために、
種々の神変を現した。
− − −
【ゴータマ・シッダールタ】は
自由自在に種々の神変を現す事が出来るので
やはり特別な存在である
と私は考えています!
138 :
神も仏も名無しさん:2010/10/08(金) 18:37:56 ID:wV2Xt0Tb
>>種々の神変を現した。
作り話です。
139 :
?:2010/10/11(月) 11:39:01 ID:+ojw3BlZ
>>138 様へ!
− − −
http://toki.2ch.net/test/read.cgi/psy/1259680941/1 ☆ 【仏教】99%の経典は偽経・偽書です! ☆
全ての経典は「如是我聞」という枕詞をつけることにより、
自らの宗派、団体が創作する「偽書」に釈尊の言葉であるという正統性をもたらせた。
現在最も古い経典と言われるパーリ5部ですら、
釈尊の直接の言葉はその内の数行に残るのみだろうという研究結果すらある。
日本での経典(特に経や律)の権威は「命をかけて伝えられた、
はるか古代より西方からもたらされた
ありがたい釈尊直々の言葉」とのものであることを考えると、
それが偽書であったことの衝撃は仏教界にとって計り知れない。
− − −
↑ これについては如何、思いますか?
140 :
?:2010/10/11(月) 12:31:30 ID:+ojw3BlZ
141 :
138:2010/10/12(火) 21:14:06 ID:atrQ/P3W
142 :
?:2010/10/13(水) 12:49:44 ID:t4mf6p3H
>>141 名前:138様へ!
− − −
http://xxcoffee.yokochou.com/page012.html 仏教は伝統 ヨーガの瞑想技術をそのまま採用したため、
実践に関しては何らの独自性も持ち合わせていませんでした。
− − −
☆ ウィキペディア参照 ☆
中阿含経などに説かれた、【三十七道品(さんじゅうしちどうぽん)】
@ 四念住(四念処)四種の観想
A 四正断(四正勤)四つの努力
B 四神足(四如意足)四つの自在力
C 五根、五つの能力
D 五力、五つの行動力
E 七覚支、存在を観察する際に、心の状態に応じた注意と方法
F 八正道
− − −
↑ 【三十七道品(さんじゅうしちどうぽん)】は
【中阿含経など】の【独自の法である】と
私は考えています!
143 :
?:2010/10/13(水) 13:15:58 ID:t4mf6p3H
↓ 新アジア仏教史〈03〉インド3 奈良康明 317〜318ページ
◎シャーリプトラが実践する【不断の法観】
初禅、第二禅、第三禅、第四禅、
空無辺処、識無辺処、無所有処、悲想悲悲想処
− − −
↓ アビダンマ講義シリーズ〈第2巻〉心の分析―ブッダの実践心理学
アルボムッレ スマナサーラ (著) 302ページ
滅尽定以外の禅定は
仏教以外の禅定です
(バラモン教などの)
− − −
↑ 私は、
悲想悲悲想処までの修行、瞑想は、
仏教以外(バラモン教など)のヨーガなどの技法であると、
考えています!
144 :
?:2010/10/13(水) 13:46:36 ID:t4mf6p3H
☆ ウィキペディア参照 ☆
瑜伽行唯識学派(ゆがぎょうゆいしきがくは)は
大乗仏教の学派のひとつで、
唯識の教学を唱導した学派である。
唯識派、唯識瑜伽行派ともいう。
瑜伽行派とも略称される。
ヨーガ(=瑜伽(ゆが))の実践の中に唯識の体験を得、教理にまとめた。
とりあえず心(識)だけは仮に存在すると考え、
深層意識の阿頼耶識が
自分の意識も外界にあると認識されるものも生み出していると考え(唯識無境)、
最終的には阿羅耶識もまた空であるとする(境識倶泯)。
− − −
↑ 私は、
瑜伽(ヨーガ)の瞑想などの実践は
とても重要である
と考えています!
145 :
?:2010/10/13(水) 14:00:43 ID:t4mf6p3H
☆ ウィキペディア参照 ☆
クンダリニーは、
悟りを得るために必要なシャクティ(性力)のこと。
クンダリニーの活性化を念頭においたヨーガは、「クンダリニー・ヨーガ」と呼ばれる。
クンダリニーは、普段は尾てい骨付近のムーラーダーラチャクラに眠っているが、
ヨーガの実践や宗教の各種修行によって活性化し始め、
生涯をかけ各チャクラを開花させ
グランティ(=結節。ブラフマー結節、ヴィシュヌ結節、ルドラ結節の3種類がある)を破壊し、
最終的には頭頂のサハスラーラを押し開け解脱に至る。
今世で解脱できる魂は極一部といわれている。
性欲を昇華させたものがクンダリニーとなる
− − −
私は、
ヨーガの技法の中に、おいては、クンダリニー・ヨーガが最高の技法であると
考えています!
146 :
?:2010/10/13(水) 16:52:07 ID:t4mf6p3H
☆ おすすめの書籍 ☆
魔のJR中央線―自殺霊の撮影で判明したこと 斎藤斎霊(著)
仏像ミステリー 正木晃(著)
戦国の呪法 藤巻一保(著)
147 :
?:2010/10/13(水) 16:55:37 ID:t4mf6p3H
戦国の呪法 藤巻一保(著) 6〜7ページ
戦国の武将は、
戦いの形勢を見て、
戦場に掛かる雲気や烟気の意味を読み取り、
鳶、鳩、烏、の飛ぶ様子を見て対処法を考えて、
隊列を組み、陣を構える
しかし、
出家修行に心を、とらわれていると、
全て、皆、如何でも良い、馬鹿馬鹿しい事と思う様になる
− − −
↑ 私は、
呪いとか、幽霊などに、取り付かれたので、
政治、経済の事などは、
馬鹿馬鹿しい、そして、興味が無い、
と思う様にりました!
148 :
?:2010/10/15(金) 11:43:46 ID:p/5RJHfA
チベットの生と死の書(講談社プラスアルファ文庫)(文庫 - 2010/9/21)
ソギャル・リンポチェ(著),大迫正弘(翻訳),三浦順子(翻訳) 587ページ
@元素、感覚、思考などが、分解消滅した後、死のプロセスは頂点を極める。
そこでは、究極の心の本質が、<根源の光明>が、束の間、姿を現す。
A心の本質の輝きが解き放たれ、音、色、光となって、しばらくの間、輝き出る。
Bやがて死者の意識は、ふたたび目覚め、再生のバルドゥに入ってゆく。
通常の心が、戻って来て、人は、ふたたび意成身としての身体を得る。
− − −
意成身とは
肉体を伴わない
意識から出来た
霊的な身体の事である
慢が残っている場合は
渇愛(タンハー)によって
意成身が形成される
149 :
?:2010/10/15(金) 12:11:51 ID:p/5RJHfA
ブッダのことば パーリ仏典入門 片山一良(2008/06) 151ページ
世界の成立
世界が破壊する時に、
生きる者達の、ほとんどが、光、音、天に転生する。
意から成る者、
喜びを食べる者、
自ら光を放つ者、
空中を行く者、
清浄に留まる者として、
永く、長時に渡って留まる。
150 :
?:2010/10/16(土) 15:45:09 ID:xK80QaH/
◎光
電磁波の、波の
山の頂点と、谷の底辺の、落差によって
明さが変わる
◎色
電磁波の、波の
山の頂点と、次の山の頂点の、間隔によって
色合いが変わる
◎音
電磁波とか、波などによって、
振動が発生する
151 :
?:2010/10/16(土) 16:01:31 ID:xK80QaH/
怪奇!心霊映像集 闇に浮かぶ光体…これが‘オーブ’だ!
貸出開始日 2009/05/01
収録時間 87分
メーカー CVC
− − −
この動画に撮影されている
人の顔の形をした【オーブ】は
光とか、色とか、音などによって
赤外線モードのビデオ・カメラで
撮影される
電気の+(プラス)と 電気の−(マイナス)と
中有身(死んでから次に生まれるまでの間の状態の意識)によって
人の顔の形をした【オーブ】が、形成されるかも?
152 :
?:2010/10/19(火) 16:06:47 ID:BIu+PTuG
チベットの生と死の書(講談社プラスアルファ文庫)(文庫 - 2010/9/21)
ソギャル・リンポチェ(著),大迫正弘(翻訳),三浦順子(翻訳) 660ページ
止(シャマタ)
静かに止まっている事
観(ヴィパシャナー)
明らかに観る事
この止観の深まりと展開が、
基礎的な瞑想行とマハームドラーやゾクチェンといった
より高度な瞑想行をつなぐ橋渡しとなる。
153 :
?:2010/10/19(火) 16:50:20 ID:BIu+PTuG
チベットの生と死の書(講談社プラスアルファ文庫)(文庫 - 2010/9/21)
ソギャル・リンポチェ(著),大迫正弘(翻訳),三浦順子(翻訳) 667ページ
意識が肉体のどの門から出るかによって、転生する場所が決まる。
意識が頭頂から出て行くと、極楽浄土に転生できる。
− − −
クンダリニー・ヨーガによって、
最終的には頭頂のサハスラーラを押し開け解脱に至る。
− − −
チベットは、クンダリニー・ヨーガによって、
頭頂のサハスラーラを押し開け解脱に至る
と解釈、出来るかもしれない
独生 独死 独去 独来
155 :
?:2010/10/23(土) 17:12:58 ID:QTJDc3q5
仏陀の真実の教えを説く〈上〉阿含経講義 桐山靖雄(著) 244〜245ページ
雑阿含経 仙尼経
「私(ブッダ)の弟子の中にも、
説法の真義が理解できず、慢の我執を起こす者がいる。
正しく高い智慧を獲得していない場合は、慢の我執を起こす。
慢の我執を起こす場合は、
今の生が終わり、五蘊(五陰)が離散しても、陰と与に相続して生じる。」
− − −
「今の生が終わり、五蘊(五陰)が離散しても、陰と与に相続して生じる。」
これが【中有身(死んでから次に生まれるまでの状態の意識)】である
と私は考えています。
156 :
神も仏も名無しさん:2010/10/26(火) 15:02:46 ID:ghVyCSWU
水山産業(BOOK工房)から「同行二人・善通寺の使いが頭の中にやってきた!!!」という本が出てます。どのような本なのだろうか?
157 :
神も仏も名無しさん:2010/10/27(水) 13:32:36 ID:ISZdEl3l
くぇrr
158 :
?:2010/10/30(土) 07:02:57 ID:VZw1WzYn
☆ ウィキペディア参照 ☆
末那識について
八識はみな思量の作用があるが、
末那識は特に恒(間断なく常に作用する)と審(明瞭に思惟する)との
二義を兼ね有して他の七識に勝っているから末那(意)という。
思量とは「恒審思量」といわれ、恒に睡眠中でも深層において働き続け、
審(つまび)らかに根源的な心である阿頼耶識を対象として、
それを自分であると考えて執着し続ける。
この深層的な自我心を滅することによって、
我々は初めて真の無我行を実践することができる。
第七識・末那識と相応するものは、
我癡・我見・我慢・我愛の四煩悩、作意・触・受・想・思の五遍行別境の慧、
大随惑の八(不信・懈怠・放逸・惛沈・掉拳・失念・不正知・散乱)であるとされる。
一説では、この識を因縁識といい、過去の事象が潜在する識といい、
悪念の集結潜在力(障碍作用)の依所といわれる。
159 :
?:2010/10/30(土) 07:14:28 ID:VZw1WzYn
末那識の
根源的な心である阿頼耶識を対象として、
それを自分であると考えて執着し続ける、
深層的な自我心を滅却する為には、
◎呼吸法
◎瞑想
◎クンダリニー・ヨーガ
◎中阿含経などに説かれた、【三十七道品(さんじゅうしちどうほん)】
などの修行を実践する事が必要であると
私は解釈しています。
160 :
?:2010/11/01(月) 16:45:47 ID:8W38lVIL
☆ おすすめの書籍 ☆
新アジア仏教史〈01〉仏教出現の背景―インド1 (新アジア仏教史 1 インド1)
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新アジア仏教史〈03〉仏典からみた仏教世界―インド3 (新アジア仏教史 3 インド3)
奈良 康明 (編集), 下田 正弘 (編集) (単行本 - 2010/7)
161 :
?:2010/11/01(月) 16:49:33 ID:8W38lVIL
新アジア仏教史〈02〉仏教の形成と展開―インド2 (新アジア仏教史 2 インド2)
奈良 康明 (編集), 下田 正弘 (編集)
佼成出版社 2010/10
☆ 63〜64ページ ☆
初期経典の成立
最近では【スッタニパータ】の第4章と第5章に関する新たな指摘がなされ、
より明確に、ゴータマ・ブッダに最も近い資料であるという見解が文献上、
思想上から究明された。
中には、ゴータマ・ブッダの金口直説もあるとの指摘もある。
☆ 64〜65ページ ☆
スッタニパータの第4章【アッタカヴァッガ】は、
仏教の興起時代を反映したものと指摘されている。
162 :
?:2010/11/01(月) 17:08:41 ID:8W38lVIL
新アジア仏教史〈02〉仏教の形成と展開―インド2 (新アジア仏教史 2 インド2)
奈良 康明 (編集), 下田 正弘 (編集)
佼成出版社 2010/10
☆ 74ページ ☆
スッタニパータ(三五一)
「死を繰り返す輪廻を余す事なく捨てられた方にすがって、
私は浄らかな真理を説いて下さいと言うでしょう。
如来の方々は事を慎重に熟慮され成しえられるのです。」
− − −
↑ 輪廻を余す事なく捨てる事が出来ていない人は、
輪廻を繰り返す。
と私は解釈しています。
163 :
?:2010/11/01(月) 18:10:11 ID:8W38lVIL
原訳「スッタ・ニパータ」蛇の章
アルボムッレ スマナサーラ(原著)
佼成出版社 2009/06
☆ 195ページ ☆
生まれ変わる事の縁になる煩悩が
何一つ無いならば、その修行者は
蛇が脱皮する様に、
この世と、かの世とをともに捨て去る。
− − −
↑ 生まれ変わる煩悩が有る場合は、
輪廻を繰り返す。
と私は解釈しています。
164 :
?:2010/11/03(水) 06:48:24 ID:aLaoXT4J
新アジア仏教史〈05〉文明・文化の交差点―中央アジア
(新アジア仏教史 5 中央アジア)
奈良 康明 (編集), 石井 公成 (編集)
佼成出版社 2010/10
☆ 299ページ ☆
クチャ地域最大の石窟郡であるキジルには、
石窟内もしくは野外で坐禅をする行者の姿が多く描くかれている。
両肩から炎、体側から水を発しているが、
これは禅定によって得られると信じられていた神通力を表現している。
− − −
↑ クンダリニー・ヨーガのチャクラの開花と関係が有る
と私は、解釈しています。
165 :
?:
新アジア仏教史〈05〉文明・文化の交差点―中央アジア
(新アジア仏教史 5 中央アジア)
奈良 康明 (編集), 石井 公成 (編集)
佼成出版社 2010/10
☆ 287ページ ☆
禅観とは、坐禅の中で何らかの対象を観ずる修行法の事であり、
仏教における重要な実践法の一つである。
坐禅中に自らの呼吸に注意を向ける事によって
散乱する心を静める持息念などは、
原始仏典に既に言及されてよく知られている。
− − −
↑ 特に呼吸法は重要である
と私は考えています。