【最終】輪廻転生説はどう扱うべきか!?【決着】1

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729神も仏も名無しさん
>>722>>723
>「通常の人間を超えて、すべてを支配する「絶対的な神秘的要素」」を
>認めないと、 「「宗教」や「救済」が成り立たない」という事なんです。

「宗教」の定義はゴマンとあるが、その最低の条件はカミであれホトケであれウンコであれ、
とにかく「超越的存在」を前提とし、検証抜きの迷妄「信仰」を前提とていることだろう。
その意味では純粋仏教は宗教ではない。
 
たしかにブッダもまた、古代人としての超えがたい限界や、多くの制約をもっている。
しかし、そういう超越的存在に依拠することだけはしなかったことだけは確かだ。
ブッダが生涯かけて戦わねばならなかった相手は、四姓の最高位に君臨するバラモン階級が奉じる、
壮大にして鉄壁のヴェーダ哲学の体系に裏づけられたバラモン教であり、
宇宙の根本原理を体現する、その最高神ブラフマンだったのである。

その戦う最高の武器が『縁起の思想』だったのだ。
ゲマインシャフト(封鎖的原始共同体)からゲゼルシャフト(商品交換自由社会)への歴史的状況を背景とし、
個人不在の迷妄溶暗宗教性から 、個人的独立合理主義精神(ある意味で疎外精神)への革命である。

仏教の歴史は、ブッダの鋭い『縁起の思想』を愚昧な連中が迷妄溶暗宗教性へと
変節堕落させてきた愚かな過程だったといえる。
その始まりは第一次結集のプロデューサーがマハーカッサバだったことにある。
彼はブッダの合理主義が判らなかった苦行主義者だったのであり、溶暗宗教性体質を色濃く持っていたのだ。
『仏教』という名の「宗教」を開始した宗祖はマハーカッサバだったというよう。

サリープッタがプロデューサーだったなら、まったく違った『仏教』があったであろう。