ダンテス・ダイジ 2

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1神も仏も名無しさん
『救世主なぞいらない
    救世主でないものなど何一つありはしないのだから』

――不安、不満、虚しさ、恐怖、憎悪、嫉妬などを、完全に見守ることが、
     「ニルヴァーナ」すなわち「絶対幸福」の出発点なのである。

どんなことも結局はあなた次第なのだから
  言葉の中に瞑想はないだろう しかし瞑想の中には言葉もある

今・ここで 言葉は神になった
2神も仏も名無しさん:2009/10/18(日) 19:28:28 ID:KhDIsU1f
にっ
3神も仏も名無しさん:2009/10/18(日) 19:33:42 ID:qvfQ6Yin
幾度も幾度も繰り返される夢 夢見続けるブラフマン
無数の意識の流れ 輪廻し 上昇しあるいは再び下降し そして帰り着こうとする流れ
眠り続けるブラフマン 一人の人間の中にある無限の宇宙 あらゆる生類達の多様多元の宇宙
一人の人間の中に接弦する多元宇宙 夢見続ける宇宙

久遠の時の中の遠い遠い夢 うつし世の胸高鳴る甘美な悦び そして苦しみ 深い深い嘆き
夢見続けるブラフマン 目覚めることのない久遠の夢 すべてを秘めて眠るアガシャの夢の海

全知全能を内包した一つぶの砂 アガシャの想念の海を泳ぐ無数の生命達
あらゆる想念を具現しまた破壊する ブラフマンの化身シヴァ 破壊と殺戮の神シヴァ そして私自身なるシヴァ
私の手は無限の宇宙を握りつぶし 私の足は永遠の歴史を踏み倒す

シヴァなる私は踊り狂う 眠り続けるブラフマンに気使うことなく 夢の宇宙に私は踊る
モンゴルの平原にさまよう旅人も わたしの酒くさい一息が 全身に吹きかかれば思い出す
あなたはブラフマンの夢 あなたはシヴァの化身
時にはあなたはブラフマンそのもの そしてあなたは私自身
4神も仏も名無しさん:2009/10/18(日) 20:14:28 ID:qvfQ6Yin
愛は自由だ。
愛はすべての生命、すべての存在物が求めてやまない、そのものだよ。
しかも、それぞれの存在物ってのは、みんな愛の中にあるんだ。
「愛情ってね、執着するじゃない。でも、自由になるとさ、何ていうか、愛情の中から飛びぬけてしまって、そういう事はないの?」
うんと、自由ってのは、例えば愛情とかなかにはさ憎悪が時におこる時もあるし、嫉妬がおこる事もある。それから執着が苦しくなる時もある。
だけど自由ってのはさ、部分的にあるんじゃないんだ。
例えば、愛情ってものや執着ってものを消した時に、自由が出てくるなんてそんなチンケなものじゃないんだ。
まず、自由があるんだ。自由があるからその中で、自由に愛情を注ぐ事ができるんだ。

それは、同時にあるんだよ。

それは、人間として生まれた計り知れない喜びを味わうことだし、
人間として生まれた計り知れない悲しみを味わう事なんだ。

さあ、もうすべては終わったんだよ。
・・・・・・そして、すべてがはじまる。


人間が 人間のものではない人間性を自覚する途上において 言葉は無効だなどと 
今さらとやかく言うにはおよばぬ 人類すべてが すでに求道者としてしかありえぬ 時節に入って久しい 
ことばとは実体験とは別のものだと 言いたい人は言えばいいし そのように生きたらいい

この現在の 様々な姿をとった求道者達にとっては 言葉は一輪の野の花であり
瞑想体験の一つともなる どんなことも結局は あなた次第なのだから
5神も仏も名無しさん:2009/10/18(日) 20:29:07 ID:qvfQ6Yin
パラノイア

パラノイアはおもしろい 私たち人間は、みんなパラノイアだ。

欲望が標テキを仮作する 人間コメディーの幕が上がった

果てしなき流れは終りがない 無限の大海のまっただ中にいるのも知らずに

そこで物語が尽きることなく演じられているというわけだ

大いなるマーヤ・・・ 甘美なる欲念相続・・・ 不可思議な神の遊び 不可知な神の戯れ・・・

さあ、さあ、物語はすでに進行してるんですぜ!
この演技の唯一の観客は、神様ただ一人
あの、ニンマリと微笑を浮かべた   あいつだ!

だが、あいつもまた 一人ぼっちの役者に過ぎないかもね・・・

夢を夢と見るも夢
 夢を夢なる夢のまた夢・・・・・・・・

三神歌―――
われもなくうつし世もなくなにもかも
 夢の中なる夢のたわむれ

われもなくうつし世もなくなにもかも
 神の中なる神のあらわれ

われもなくうつし世もなくなにもかも
 なにもかもなしなにもかもなし
6神も仏も名無しさん:2009/10/18(日) 22:43:05 ID:8NtRbsZa
鳥は鳥に帰るのだ。魚は魚に帰るのだ。
限りなき高みを天にかける孤独の鳥は、その量り知れぬ意志ゆえに、
空の果てまでも見破って、永遠の神秘におののく。

この魚も海の底深く、深海魚よりも、さらに深く、
まっ暗闇の深海の地獄へ沈んでゆく。

鳥が太陽に向かって飛ぶように、魚は海に溶け込みたいのだ・・・

もし、太陽が鳥を愛し、海が一ぴきの魚を慈しむのなら、

かれらは 太陽となり海となるだろう。

そうして帰ってくるのだ。
鳥は一ぴきの愚かな鳥として、
魚は一ぴきの無知なる魚として、
帰るともなく帰ってくるに違いない。

なんと完全なんだろう!

身知らぬ未知に飛び込むのは 本当に恐ろしいことだ

そしてそれよりもっと恐ろしいことは 君が、すでに未知だということだ

私は何も知らないともいえない 何と完全なんだろう!

一つの時が満ちた時、なにもかもが、得体の知れぬものと化す。
それはもはや、恐怖でさえない。
7神も仏も名無しさん:2009/10/18(日) 22:49:09 ID:8NtRbsZa
「私の知人に悟り薬を作ってる人がいた。
一粒飲めばたちどころに悟りを開くというわけだ。
ところでその完成した悟り薬を飲んだ連中の言うことには、三日間とても素敵なんだそうだ。
ところが三日過ぎれば元の木阿弥とあいなる次第。
知の宮のある科学者は宇宙意識と合一して超人化するための、最もイージーなテクニックを組織的に研究している。
全く人間という夢は、夢ゆえに何でも夢見るらしい。
私の超人仲間であるケイルーンのよく言う言葉を思い出す。
『君にとって簡単に見えるものが困難のはじまりである。君を死滅させるほどの難しさが、簡単のはじまりなのである』
確かに超人達はイージーそのものだ。
しかし、イージーそのものはあなたに属するものにはない。
安楽な戯れは、あなたが元々ありもしないここにある。
私が出版した『救世主入門』を読んで、『自分こそ三歩先を行く精神だ』などと妄想する人々が出だしたようだ。
このアトランティス文明も長くはない。
あなたの肉体も意識も、あなたの宇宙も宇宙意識も
あなたの記憶ビジョンも神秘知覚も、もういい。
あなたの何かなど、もうどうでもいいのだ。
8神も仏も名無しさん:2009/10/18(日) 22:50:11 ID:8NtRbsZa
それより戯れよう。
三歩先を行く精神の中を、私であるあなたが、愛を戯れている。
三歩先を三歩先を行く精神もへったくれもありはしないのではないか。
言葉は、瞑想行法や、密教学や、精神変容剤や畑を耕すこと、パンを焼くことと同様に、
宇宙意識なる本来の自己を自覚するのに役立ちはしない。
だが、今更言葉の無効性をとやかく言うには及ばない。
人類の全てが求道者としてしかありえぬ時節にはいって久しい。
ここに言葉は、一輪の野の花や、最愛の者の死や極限の情況と同じだけ、宇宙意識を開示せしめる火花となる。
あなたはどうなのか?
言葉が夢の中での戯れであるのは当たり前のことだ。
それであなたはどうなのか?
夢といい、現実といい、全てはあなた自身にかかっている。
あなたがどのように生きるかによっては夢もまた現実以上の現実そのものともなりうる。
いつでもあなたはとぼけている。
やれ、幸福だ、不幸だ。
やれ、悟りだ、迷いだ。
やれ、生まれて働いて死んだ。
やれ、鳥が飛んでいる、石ころが笑っている。
やれ 人間だ。宇宙だ。瞑想だ。密教だ。神通力だ。平凡だ。
そんなふうにとぼけている。
では、あらゆるとぼけをやめたとしたら、そこに何がある?
この疑問もまたあなたのとぼけに違いはない。
それでも神はとぼけによって、愛という宇宙ゲームを戯れて尽きることがない。
悟りを開いたとか、神を見たとか、神を見たと頑張るとか、
死やこの世の果てに直面したとか、言いようもない素敵な体験を持ったとかしても、それらがあなたの・・・
9神も仏も名無しさん:2009/10/18(日) 23:15:13 ID:8NtRbsZa
いかなる根拠も無いということが、これそのものなのだ。

理屈と保障がないからこそ、久遠の安楽なのだ。

喜びも苦しみもないからこそ、あなたは永遠の平安を生きて死ぬ。

そして、あなたは喜びを求めて旅続ける。

ニルヴァーナという妄想 エクスタシーというマーヤ
それを欲すること―――
これが人間という戯れの正体だ!

何もかもなし!ただただ、これの戯れでない戯れ・・・



ない時はないのだ。だめな時はだめなのだ。むなしい時はむなしいのだ。
それ以外にない時はそれ以外にないのだ。

私は空気がなければ生きられはしない。私とは空気なのだ。

私に自由はない。自由が私を使っている。

自由それ自身は完璧な笑いだ!

人間の喜怒哀楽のゲームは決して終わることはない。
だから、ゲームはすでに終わり尽くしている。
10神も仏も名無しさん:2009/10/18(日) 23:16:04 ID:8NtRbsZa
海の波々が寄せては返す。朝ごと太陽は東より昇り、

落日の残光を残して西に沈み行く。

体内の有毒ガスがたまっている現代人は

あたりまえのやすらぎを知ることがない。

それでも血わき肉おどる『これ』は、

笑いに笑いに笑っている!
11神も仏も名無しさん:2009/10/18(日) 23:17:26 ID:8NtRbsZa
いとしいゲーム

肉体は絶対無に直結している。観念は肉体に直結している。

人体七つのチャクラは、極めて具体的な悟りへの道すじである。
それは、人間を至福へと導いていく。

最後のサハスラーラ・チャクラのみは、実用性を越えたものであり、
生理的なものではない。

サハスラーラ・チャクラは、チャクラではないばかりか、
いかなる人間的な概念規定をも越えている。

サハスラーラ・チャクラとは、何ものでもないのだ。

人間がサハスラーラに到達するまでは、命がけの情熱が必要だ。

だが、サハスラーラそのものは、コエダメの中のウジムシの狂言に他ならぬ。

ああ、このいとしさよ!いとしさよ!!いとしさよ!!!

12神も仏も名無しさん:2009/10/18(日) 23:18:58 ID:8NtRbsZa
地獄の天国のあくび

そうなっていく、そのままでいいのだ、とも言えまい。
こうなっていく、このままでいいのだ、ということもわかりはしない。

何もわかっていないのだ!だが、何もわかっていないとも言えまい。

地獄の地獄の地獄の闇。極楽の極まりないカオス!
―――それでも、どんな答えも出やしない。

このモノグルオシサよ!この静寂!もはや静寂とも言えまい。
何もかもが至福である。
すべてがすべてである。
そして、あなたは死んでいる・・・

マハー・マーヤ
すべてがイマジネーションだ。(これもイマジネーションあるいはイリュージョンである)

マハー・マーヤ!
欲念相続である。根本無明である。さっぱりわからないそのことである。
性であり死である。
このあらゆる多様多元の世界である。
不安そのもの恐怖そのもの!

謎そのもの!
神秘!!

久遠に未知なる未知。疑団?
(これ以上は思考不能!?)
13神も仏も名無しさん:2009/10/18(日) 23:19:56 ID:8NtRbsZa
どんなしばるものもない。
勿論、君が愛しさを感じるものを大いに愛しめばいい。尊敬するものを尊敬しろ! 
だけど、君自身は君自身だ。それ以外の何ものでもない。

冥想には、二つの方向がある。一つは、肉体的、精神的機能を最大限に発達させる方向。
それは、悟り、とかいう問題ではなく、最適なコンディションを整える働きがある。これを実用三昧という。 
他のもう一つはそれとは全然ちがう。それは人間であることの絶対的な悲しみと表裏一体なものだ。 
人間が本当にどうしようもないもの、という、その直視と一体のものだ。 
否、もっとはっきり言えば、 本当に人間がどうしようもないものだ。どうしようもないものだ、という事が、本当にわかった時さ、 
ほら、その時、あれが起るんだ。 みんな同じに見えてしまうんだ。 何もかもが。

その時、もう意味ないんだ。自分が一定の形を保つっていることが。そして直面するんだ。
ところが問題なのは、人間が本当にどうしようもないっていうことが、嫌っていう程---------- 
つまり、それは、最愛のものの死によって起こるかも知れない。或いは、ガンを宣告されて、起るかもしれない。
兎角 -------- それが起こった時  そう。
みんな同じに見えてしまう。
もう、男も女もなく、優劣も劣等もなく、みんな意味がなくなってしまうんだ。
そうして更には、そのように感じている自分さえ意味ないんだ。
でも、それは灰色だ。入り口にすぎない。
何故なら、まだ、 そのような意味ない、と思っている自分があるから。
14神も仏も名無しさん:2009/10/18(日) 23:27:32 ID:8NtRbsZa
その時、座るんだよ!その時、座るんだ、と言わなくても座るんだよ。そういう風に出来ているんだよ。

訳は知らない、 ------- 万事休す ------- その時、見ている自分が消えるんだよ

面白いものなんだぜ。電信柱だろうと、道路だろうと、みんな見知らぬものなんだ。
ところが、見知らぬっていうのは、知っている事、
何か知っているものがあって、それに対して見知らぬ、だろ。
そんな事抜きにして見知らぬもの、なんだよ。みんな。
それに近い感覚っていうのは、此処にいる人達はみんな経験しているはずだ。
そういう時代が来ているからだよ。
ところが、本当に、どんずまりに来たっていうのは
本当に見知らないんだ。つまり、見知らぬっていう風にして、あわてる意識さえないんだよ。
まるで、そう、魂を、どこかに落っことしたような。

ほら、あるじゃないか、たとえば、とてもすてきな人が、 
そばに来れば、いくらすましていても、やっぱり−−−そういう事ってあるじゃないか。
そんな事さえないんだよ。本当に灰色というか、白というか、ゼロというか。
ゼロポイント、そう、このゼロポイントまでいけば、ブラックマジックも成立しない。
ブラックマジックつまり破壊というのはゼロポイントの一つ手前にとどまる。
つまり差引きゼロの世界では、もう、やる事がないんだ。
ところが、まだ観念が先行している時に差引きゼロっていう事に気づくと、もう何をしてもいいという発想が出てくる。
でも、本当に本当に悲しめよ!
いいか。悟りっていうのは理屈抜きの悲しみの事なんだ。生命の悲しみの事なんだ。
本当に悲しみに直面できる感受性、それが悟りだ。
15神も仏も名無しさん:2009/10/18(日) 23:32:27 ID:8NtRbsZa
奥深い心

 すでに人間はいない あらゆるものを構え その中でとりとめもない
 人間の喜びと悲しみとを持つ そのものはすでにいない

 人間の喜びと悲しみとから生まれる あのしみじみとした心の果てには すでに人間はいない

 人間にとってあるというすべてのものは ことごとく消え果て
 ただその奥深い心だけが 何の束縛もなく 現前している

 それは人間の心ではない 人間の喜びも悲しみも その心のどこにもないのだから
 人の子の悲惨な死も 甘美な恋慕も その心には見えない
 また その心には 石ころと人間とに区別がつかない めくらで不人情な心だ

 だが その非人間的な心の絶対から 人間の喜びと悲しみとを
 しみじみと眺めあたたかく包む
 何ものかが
 限りなくあふれ出す
16神も仏も名無しさん:2009/10/18(日) 23:34:54 ID:8NtRbsZa
 何が善で何が悪だ? 瞑想とは、善悪の彼岸であるなぞと
 思っている人物は、超人になるどころか
 人間や動植物や鉱物にもなれまい。

 禅であろうが、ヨーガであろうが、 それが純粋なものであるならば、
 個人的人格や、人格のいわゆる成熟を問題にしない。
 真実とは、人間の個人的人格性とは、いかなる関係も持っていない。

 完全な絶望からも自己解放は、起こりうる。
 ただし、完全な絶望とは、観念的な希望に対する絶望ではない。

 真実の瞑想には、額面どおりの至福の生き様と、完全無比なる全体性と
 一切万象の余りにあらわな絶対解答がある。
 だが、純粋瞑想ほど、その理論の知的心情的理解と現実即実践とが隔絶しているものは、
 おそらく、この世には、他に例がないであろう。
 純粋瞑想が、本当に理解されるかどうかは、私達個々人の感受性の質と理解力にかかっている。
 したがって、純粋瞑想について何かを解説するのは、まったく無意味である。

 瞑想の極点は、ニルヴァーナではない。瞑想に極点があったら、
 それは、瞑想ではなく、何らかの瞑想的ゲームにすぎない。

 本質的な問いには、解答というものはない。 にもかかわらず、
 あなたは、問うことをやめてはいけない。 少なくとも問いも答えも、
 あなたも世界も、消え果るまでは・・・

 ここにいつも全体がいるから 只管打坐が純粋瞑想なのだ。
 ここにいつも呼吸があるから アパーナ・サティ・ヨーガが、純粋瞑想なのだ。
 ここにいつも知覚があるから尾骶骨の中の生命力を、あらゆるものを知覚し切ることに
 使い果たすのが純粋瞑想なのだ。
17神も仏も名無しさん:2009/10/18(日) 23:37:07 ID:8NtRbsZa
今、君達は 今から、全く新しく生き始めた。

本当に、何一つ人間にとって救いっていうものはないんだ。
何てすてきだ。何て恐ろしいんだ。
信じ切れないっていう事は、此処に安住できないって事さ。
此処に安住したら、その次の生活っていうのが全然、成り立たないんじゃないか、 
とか、自分は、いろいろ考えて、いろいろ向上したり、いろいろうまくやったりする方便がなくなってしまうんじゃないか?っていつも、不安を感じているからさ。
それだけのこと。皆、観念の、頭の中のゲームだ。
本当に、信じ切れない。本当に、信じ切れない。だから、本当に、好きなこと、をすることができない。
いいか、信じきるっていうのは、たとえば、こういうものなんだ。
現代人の身体の中を見よう。肉体。そうすると、必ず、どこかに、しこりがある。
どこかに何か、何か、しっくりこないんだ。いつでも、しっくりこない。
そういう意識が、どこかに、さまよっている。
そして、何か、ハタヨガとか、いろいろ修行したら、それがとれる、と信じ込んでいる。
誰が決めた!そんなことを。

しみわたらせるんだ!今、此処で!

此処でなくてもいい。どこでもいいよ。いいか。本当に、しみわたるんだ。
しみわたるっていうことが、信じ切れるっていうことさ。あるがままの自分、というのにどっしり座るんだ。

うーん−−−−−そう−−−−−通俗的に言おう。
例えば、人が、 何かを見ている。自分の身体か何か、顔とか−−−−−
ところがどういう訳か君達は、どこかの部分を、見ないんだな。
とりわけ、どこか、気にくわない部分は、見るに耐えない。
何故なら、それが、しこりだ。何故なら、それが、君達が決めた観念だ。
一つ、一つ、愛(いと)しむんだ!一つ、一つ、愛しむんだ!
自分の、あるがままを、愛しむんだ。
びっこが何故いけない。自我が何故いけない。胃腸が弱いっていうことが何故いけない。
肥っちょが、何故いけない。自分の、かたくなさ、が何故いけない。外の考えに、惑わされるなよ。
いいか。かけがいのない、一人、一人の君達なんだ。かけがいのない君、だ。
どこも、かしこも、愛しむんだ。何故なら、愛しみたがっているから。
18神も仏も名無しさん:2009/10/18(日) 23:39:55 ID:8NtRbsZa
その間っていうのは距離があるんじゃないんだ。
今、此処で、安心するっていうこと。此処で、リラックスするっていうこと、
そして、それが、できなかったら、永遠に、輪廻するっていうこと。

そう、輪廻する。つまり、そういう風に、苦しみ多き日々を生きるっていうことはね。
たとえば、苦しみ多き日々、三年後のその時でもいいんだ。
でも、折角だから、此処で決めて欲しい。
決めるっなんて言わないでいいよ。当たり前でいいんだ。
ものすごく恐ろしいんだぜ。
何故なら、人間っていうのは、条件が好きだから。
人がリラックスできない理由は単純なことさ。ものすごく、それは単純だ。
自分が満ち足りない、って妄想しているのさ。
今の自分はまだまだ、って妄想しているのさ。
勿論、 この世を、人間として最後まで全うするには、
まだまだっていうのは必要だ。 でも、それは二次的なものだ。
それは、あとから出てくるものだ。
君達の、 今いる君達に 何が欠けてる?
欠けてる、と考えるのは、 皆、頭でもって吸収した、いろいろな情報のせいだ。

できるんだ。今、今、此処で、できるんだ

六根を通じて、というのは、君達の感覚、今、此処で、働いている感覚さえ、
いろいろな妄想や、こいつ何話してる、とかそういう働きが全て。さ。

 大安心。 どんなことを考えようと
 大安心。
 いいんだ----- いいんだ----- もう、いいんだ-----
 おかえりなさい

(完)
19神も仏も名無しさん:2009/10/18(日) 23:51:30 ID:8NtRbsZa
ダイジ 「基本推薦図書12冊」

「臨済録」
「イリュージョン」(リチャード・バック 集英社)
「維摩経」
「自己変革の方法」(クリシュナ・ムーティー)
「愛の叡智」(ヴィヴェーカーナンダ)
「イクストランへの旅」(カルロス・カスタネダのドンファン・シリーズより)
「荘子・内篇」
「生と死の記録」(佐藤幸治 講談社)
「究極への旅」(ラジネーシ)
「生命の実相」シリーズより 観行篇 生活篇(谷口雅春 日本教文社)
「バガバット・ギーター」
20神も仏も名無しさん:2009/10/18(日) 23:55:53 ID:8NtRbsZa
わがあだ名はダン

 ダンは同族を裁く イスラエルの他の部族のように
 ダンは道端の蛇 小道のかげの蝮となり
 馬の踵にかみつけば 乗り手はどっと落馬する
 (ヤハウェよ、私は救いを待つ)

 旧約聖書創世記より

ナーガ賛歌
ナーガ かつてイブをそそのかして 知恵の木の実を食べさせた蛇
ナーガ 今この瞬簡に再来し 現し世の原動因 魔的エネルギーを その体内に深く豊かにひそめ
転生のアダム達に 生命の樹の実 迷悟去来の知恵を食べさせる

生命の樹にちかづくことを禁じた 妬みの神エホヴァ
吾が蛇神ナーガよ 悪魔に化身し 人間だけの神エホヴァを殺せ
そしてアダムに 人間を越えた 久遠生命の密儀を開示せよ

人間性という虚妄から幻出した神エホヴァ お前は今 ナーガにかまれて死滅し
人間性を離脱した久遠のアダムは ナーガのその恐ろしき蛇体と溶け合い 限りない光となる

ナーガ 観世音菩薩の妙変化よ ナーガ エホヴァの兄弟なるサタン ナーガ エホヴァをかみ殺す蛇
ナーガ 玄妙神秘の蛇神ナーガ 有から無へ寂滅せんとする情熱ナーガ すべてを飲みこむ神
ナーガ アダム自身よ
21神も仏も名無しさん:2009/10/18(日) 23:57:22 ID:8NtRbsZa
汝蛇神ナーガよ
人間が人間自身の宇宙を見限る時 その虚空のうちに 闇の情熱と言詮不及の光を顕すものよ

ナーガよ その麗しき白光の蛇体よ 私はあなたを恐れはしない
虚無を消散する空寂を与える汝 恐怖を恐怖自身によって粉砕し 時間のない恍惚を与える汝
私を産み 私を育て 私を私自身によってかみ殺させる汝 ナーガよ 私自身よ

ナーガよ 応身仏の千変万化よ ナーガよ 神に創られた悪魔よ
ナーガよ 神を殺す蛇 ナーガよ 永遠の解けぬ逆説
ナーガよ 私自身 ナーガよ 神自身よ

人間である私は どのくらい悲しめばよいというのか すべてが夢にすぎないことを
ナーガよ あなたである私は 限りなく限りなく歓喜する すべてが夢にすぎないことを
ナーガ その秘められた夢 ナーガ その秘められた窮極実在

ナーガは私を時空を越えた狂気に導く 邪神よ 邪なるものよ 悪魔よ
ナーガ 無限自由の目くるめく魅惑 ナーガ 全智全能なる魔王
ナーガ 全智全能なる神 ナーガ アダムを苦海に落とした竜神
ナーガ 喜怒哀楽の私自身 ナーガ 全智全能なる私自身よ
22神も仏も名無しさん:2009/10/19(月) 00:02:02 ID:XaEyvoPF
戯れに冥想を  著・雨宮第慈  プロローグ

この本は、宗教的でも神秘的でも通俗的でもないし、正気でも狂気で書かれたわけではない。
「あなたは何か?」
この人間性最後の疑団であり答えであるフレーズを 神の気の向くままに書きつづったものがこの本である。
「私は何か?」
答えは極めてというのも馬鹿げたほど明々白々である。
人間が何らかのものに寄生あるいは依存しなければならないという、
現代の精神分裂的な状況が、私にあわれみをいやというほど感じさせるのだ。

このように恐怖と不安と苦悩と自虚的、憎悪に満ちた文明の中で、絶対の解決とは何なのであろうか?
「絶対の解決なぞない」などと疲れた顔をして言わないで欲しい。

バイブル・ギーター・仏典・老子・アヴェスター・クラーン−−−−−−それらに書かれていることは余りにもシンプルで、
それは本来”読書”の対象にはなり得ない。
本を読むなどということは、描象的な人間のデッチあげた営みであり、
この本は、あなたに読まれるために書いたのではなく、あなたと愛し合うために、
あるいはあなたを強迫するために書いたものにすぎない。 魂の読書というものがあるのだ。それは言語冥想である。

まるでこれ以上ないというほどのステキな彼または彼女に出会って、転生も末長く「愛」を暮すような何かだ。

人間は、到底、考えられないくらい、永遠に戯れる存在としてあらしめられ、そしてみづから、喜んで、このドブ池という宇宙に産まれて来た。

『元々あるものになるってこと。自分が生かされるってこと。ものすごく古い言い方だけど。
そういうことが一番の中心だ。そしてね、自分が何かになろうとする生き方っていうのは、
相変わらず自分の支配欲っていうかな、にとらわれ続ける。だから魔術師になる道とか、
超能力者になる道とか、呪術師になる道っていうのがとても落とし穴の多いものだっていうことだ。
そうではなくて本当に自分の一番中心、無限なるものの一部であるってこと。いい?
海の中の、君はさ、魚なんだ。そういうこと。そういう安らぎを得るっていう方向へ進んでいかなきゃあ。
その人にそういう素質があったらひとりでに出て来る』
23神も仏も名無しさん:2009/10/19(月) 00:06:17 ID:XaEyvoPF
『一体、救世主っていうのは何だろうか。どうして何か、高尚な教えやいろんな教えを説いてくれる人が救世主だって考えるんだ。
俺達はさ、お腹空いたらきっとパン屋へ行ってパンを食べる。大衆食堂へ行って、何とか定食って。
あれをどうして救世主じゃあないなんてそんな固いこと言うんだよ(笑)。この世にある全てのものは互いに救われ合っているんだ。
何一つとして例外はない。みんなそれぞれお互いに高め合っているんだ。
それが愛する二人に言葉はいらない(笑)。ちょっと落ち込んだ(笑)?
触れ合うためにあるんだ。そして深く深く触れ合っている。ただ、余計な観念が邪魔するだけだ。
余計な観念さえなければ、それが本当にその通りであることがわかる。それが救世主さ。
救世主は人間のみと思うなかれ。酒好きのさ、男が飲む焼酎の一杯だってもちろん救世主だ。
ただ、それが救世主だとわかるためには、ものすごく水晶のように透明なクリアな素直な心でなくちゃあならない。
それは何でも救世主なんだ。猫も杓子も救世主。太郎も花子も救世主。本当だよ』

『(笑)ただ、それはものすごく恐ろしい教えだ。一見ものすごく軽く『ああ、そうか』なんて思いやすい。
だけどそれだけじゃあない。本当に自分がこの大自然と一つである流れに即したときに初めてわかる。
D・H・ロレンスなんていうのはそういう世界を憧れてたんだ。そして遂に到達することが出来た』
24神も仏も名無しさん:2009/10/19(月) 00:10:48 ID:XaEyvoPF
エピローグ

 この本は、
 今や死のうとしている君と
 今や死んでいる私との
 果てしない果てしない果てしない戯れである。

 そして君は冥想を決して止めてはならないし、
 君が冥想を止めることはできないのだ。

 この本は、私という存在もしない夢幻
 が雲をつかむようなあなたに、
 法悦の酔いのなかで書かれた。
 「カキクドキ」の文句の集まりである。

 あなたは、魂のどん底から、この世とあの世を楽しみたいと思わないか?
 だとしたら、あなたは”あなた”という乞食を、
 私は”私”という乞食を捨て去らねばならない。
 そして、あなたと私は、乞食以下の乞食になるのだ!!!

-----それが冥想である
-----これが冥想の戯れである。

ねえ、あなた、
あなたという たった一人のあなたを死んで下さい。
25神も仏も名無しさん:2009/10/19(月) 00:34:03 ID:XaEyvoPF
瞑想の極点は、ニルヴァーナではない。瞑想に極点があったら、
それは、瞑想ではなく、何らかの瞑想的ゲームにすぎない。

救世主なぞいらない。私達、一人一人が、真人間になればいい。

禅であろうが、ヨーガであろうが、それが純粋なものであるならば、
個人的人格や、人格のいわゆる成熟を問題にしない。
真実とは、人間の個人的人格性とは、いかなる関係も持っていない。

あなたの問題が、自我とエゴイズの問題なら、禅がオーケーだ。
あなたの問題が、自我とは何か?自とは何か?我とは何か?何かとは何か?
世界全体とは何か?これとは何か? であるならば、クンダリニー・ヨーガの正しいグルを必要とする。

あなたがいる限り、生老病死の苦悩がある。あなたがいない時、全体性が目覚める。
これが禅である。

あなたにとって、あなたを含めて、確実なものは何一つない。生老病死の苦悩も、絶対不可知である。
何もかもがわからない。わからないということもわからない!
これが、クンダリニー・ヨーガのスタート・ラインである。
26神も仏も名無しさん:2009/10/19(月) 00:35:45 ID:XaEyvoPF
君はもともと慈悲の救世主として この世に生き切り死に切っている 他のありとあらゆるものと同様に
そして 慈愛と自由とは 君の思い込んでいる人間性の中にはない

救世主は すべての場所と時間を通じて 只一人しかありえない
それゆえ救世主は 一つの肉体や人格でないばかりか どのような決まった形態も持っていない

エゴという幻想が虚構したものでない 幸福を仮に真福と名付けるなら
一切生類は、絶体絶命の逆対応を 必然的に純粋瞑想せざるをえぬ
なぜなら 一切生類が真福であり 純粋瞑想それ自身だから

瞑想とは、人間性・人生・生老病死・大自然・存在の本質に目覚め、
これによって永遠に千変万化しているこれ自身のことである。
したがって瞑想には、いかなる立場も本質も存在しない。

本ものの瞑想修行にイージーな態度で手出ししてはならない。
現代においては、単に日常的人生を生き抜くだけでも、大変な努力を必要とする。
まして、瞑想修行は、全生涯に渡っての、全面的・全身全霊的努力を必須のものとするであろうから。

君の内なる感受性を、社会に無理やり適応するというやり方などで殺してはいけない。
正しい感受性は、とても傷つきやすいが、それは、愛情と信頼、そして瞑想への種子となるものだから。
27神も仏も名無しさん:2009/10/19(月) 00:37:27 ID:XaEyvoPF
すずめがさえずり


すずめがさえずり

若者は熱病にうなされ悩み

老人が季節のうつろいに眸をしめらす時

あるものが高まろうとしている

あるものが帰ろうとしている

いやおうなく

あるものが高まろうとしている

あるものが帰ろうとしている

密かな懐かしさを内に抱いて
28神も仏も名無しさん:2009/10/19(月) 00:44:53 ID:XaEyvoPF
神にあって、いかに悪魔を戯れるか。
 これが君の、人間としての全使命である。

 生きている それで充分なのだ。
 死んでいく それで充分なのだ。
 なぜなら 太陽がどれほどの大きさだろうと
 私という中心太陽から見れば爪のアカにも相当しない

 まして本当の私が神に光あれと命じたのであれば

 愛は、人間の中の一つの感情などではない。愛はこの宇宙そのものの
 根源なのだ。
 
 終わりの時節が来た。
 終わりを精一杯、歓び楽しみなさい。この宇宙が歓びで破裂するほど・・・
 終わりの時節が来た。
 終わりを、精一杯嘆き悲しみなさい。
 その叫びであらゆる宇宙が破裂するほど・・・

 神の終わりの時が来た。愛が凍る時が来た。
 終わりの時を感謝して歓びなさい。
 神の死は、真の神の始まりだからです。愛の死は、真の愛の始まりだからです。

 その道が、君自身の道であるかどうかは、その道の途上においても、
 君が倒れても悔いがないこと、それが君の心ある道だ。
29神も仏も名無しさん:2009/10/19(月) 00:45:35 ID:XaEyvoPF
覚者というイタヅラ者が、世に出てきては、世の人々を惑わするかな。
 惑わされなかったら、惑いつづけるばかりだ。
 神も消え果てた。もう誰一人、神を知らない。神が神をしている時には・・・
 二万五千年サイクルにわたる、アメンティー・タントリズムの全使命も、
 今、ここに、完結する。

 三神歌−−−

 われもなくうつし世もなくなにもかも 夢のなかなる夢のたわむれ
 われもなくうつし世もなくなにもかも 神の中なる神のあらわれ
 われもなくうつし世もなくなにもかも なにもかもなしなにもかもなし

 君が今、どのような状態でいようと、この今を愛は、考えられないくらい愛している。

 もし、あなたが、どんなものにも納得を見出せないということが確実になったならば、
 私のもとに本当に素直に帰ってきて下さい。

 あなたに真実の出会いが 
       起こりますように
                  おかえり
 
   神とは絶対の未知自身だ。神・すべてのすべて。
  そういうわけで、神などと言っているうちは、ぜんぜん楽しくないのである。

 いずれにせよ、この書は、プロローグである。
 あなたが、神に目覚めるための、ほんのちっぽけな道標である。
 
 この文明らしきものの週末後、神に目覚めた、水晶の魂を持ってあなたは、
 まったく新しい文明を産み出し得るだろうか?
30神も仏も名無しさん:2009/10/19(月) 00:46:15 ID:XaEyvoPF
『まことに、まことに汝らに告げる汝らを産みしものなる神に その愛のすべてを捧げよ。
  次にすべての隣人たちにその愛を捧げよ。
  君たちはよく思う。神に愛を捧げたら他のものが台無しになるんじゃないかと。
  そして他のもの全部を台無しにしている。
  神って何?すべてだ。
  君たちがすべてに愛を捧げたら、
  君たちの当たり前の人生が台無しになるんじゃないかといつも怯えている。
  が、そうじゃない。
  君たちを産んだものが、まず第一にある。
  君たちの心臓を動かし、君たちの頭に様々な妄想を感じさせ、君たちの感覚を働かせている、
  そのものがまず第一にある。
  それはいいといっても悪いと言っても始まらない。

  あるんだ!

  そして、その愛がすべてになれば、他の事は全部整っていく。
  夫婦関係だろうと、セックスだろうと、必要なだけの金だろうと、
  必要なだけの地位だろうと、必要なだけの安心だろうと・・・。

  ところが君たちは、まず最初に外側のごちゃごちゃしたものを一生懸命つかもうとする。
  そんなことしていたら永遠の時間があったって、そこに行き着くことなんか決してないよ。』
31神も仏も名無しさん:2009/10/19(月) 00:50:40 ID:XaEyvoPF
だいじょうぶだよ 君は必ず死ぬ

だいじょうぶだよ 君は必ず死ぬ
死んだら あたたかい夜のぬくもりの中で
君と僕は 君と僕のいのちを
あたためあう
夜闇のフクロウも 僕達の命だ
フクロウの鳴き声が 静かに僕達の瞳をしめらすことだろう                                                                

だいじょうぶだよ君は必ず死ぬ
死ぬべき君には もうどのような恐れも無用だ
そして僕達は 時間を忘れた夜明けの すがすがしい大気を吸い込む
まるで初めて 大気を吸いこんだように
僕達は 夜明けの息吹きを感じることだろう

だいじょうぶだよ やがて死ぬ時が来る
僕達の宇宙ゲームを終らせて 夢もない眠りに やすらかに帰る時がくる
初めがないここには生も死も 初めから夢にすぎなかった

だいじょうぶだよ 君は必ず死ぬさあ今 君は君自身に帰る 帰っておいで
君自身である 僕自身の胸の中に

人々は どういうわけか 死をいみ嫌っていた
だが だいじょうぶだよ 君もやがては死ぬ
死が 君にすべての生命達との ふれ合いを教えてくれる
だいじょうぶだ 君は死なないのだから 生と死の中をつらぬき
やさしさがいつも響いていた虚しさを見切った人芸者であろうが売春婦だろうが
殺人狂だろうが聖者だろうが乞食だろうがサラリーマンであろうが
この人間世界のあるがままを見切った人達のその深く静かな眸が美しい
32神も仏も名無しさん:2009/10/19(月) 00:53:34 ID:XaEyvoPF
おれ達はいつもトボケてる

おれ達はいつもトボケてる
やれ天国だ地獄だ やれ虚無だ充実だ
やれ生き生きしている やれ病気だ神経衰弱だ老醜だ死だ
やれ産まれたセックスした やれ大金持ちやれ赤貧洗うがごとし
やれ悟りだ解脱だ解放だ やれ愛しているんだもん
やれ憎悪だ嫉妬だシラケただ やれ救世主やれ仏陀
やれ人間だすずめだなめくじだヘビだ やれ帝王だ大金持ちだ乞食だ奴隷だ
やれウジ虫だ石ころだドブだ龍だライオンだスーパーマンだ
やれ晩のオカズは何にしよう やれ男が欲しい やれ百三十円たりない
やれこのラーメンまずい やれきりがないだ永続だ やれ生まれ変わりだ霊能力だ奇蹟だ
やれおれ達はいつもトボケてるだ そんなふうに おれ達はいつもトボケてる

今、おれの眼には映っている
考えられないくらい素敵な奴らが 考えられないくらい素敵なトボケを 戯れているじゃないか
この世の何もかも 宇宙から素粒子から霊界から 君の眼の前のホコリまで
考えられないくらい素敵にトボケてる
ほんとにすべては パーフェクトな役者達だ
君の演戯は無限を舞台に如意自在だよ
トボケがきついよ・・・

それじゃあ あらゆるトボケが なくなっちまったら
そこに何がある? 何がある? 何がある! これがおれのトボケだ

何しろおれは すべてがなくなっちまった 愛そのもの・・・

さあ 帰っておいで 君はおれなんだから
さあ 帰っておいで 君はトボケを見ている絶対者なんだから

おかえりなさい そしてまたおれ達は おれ達のトボケを戯れよう
死よりも恐ろしい まごころをこめて おれ達はいつもトボケている
33神も仏も名無しさん:2009/10/19(月) 00:55:35 ID:XaEyvoPF
すべてに対する全面信頼、それが瞑想の出発点であり帰着点である。

例えば、只管打坐とは、信・不信を超えた全面信頼にただ坐っているだけのことだ。

『一度きりの君たちだ。そして君たちが死んだら、永遠に、永遠に、永遠に、
今ある君たちがくり返されることはない。たとえ無限の時間が経ったとしても・・・。』

進化が神様といっていい。成長が。成熟が。

そして、そして、一番さいごのカルマを通じてね。自分がほんとにそのカルマにたいして全力をかけたなら。
一番最後に至る。神自身に、俺自身に。
その時、すべての答えがそこにある。今まで不可能だった安定と自由の欲求。その二つが同時にそこに在ることがわかる。
しかも、それは絶対の安定であり、絶対の自由だ。
つまり、絶対の喜びであり絶対の安心なんだ。その時、もうどんな方向も君はつくりだす必要がない。

君たち、まともにホントに鏡見てごらん。
自分でさえ、ちっとも知っちゃいないってことがわかるさ。知ってるつもりになってるだけだ。
よーく、見てみろ。初めてみるようなもんさ。ほんとにマジで見たら。
「あれ、この人だれだろ」それぐらい神秘なんだよ、君たち一人一人が。
そして宇宙っていうのは、君たちのそういう神秘さと同じだけ、神秘だ。
それは正に一つの、一本の花だ。一本の野の百合だ。
そして、それは花開こうとひとりでに動いている。

よく、誤解するのはね。なにか努力しないでリラックスしたら物がひとりでにさ、整うっていう考えかただ。
それはね、ある成熟の段階ってのを超えたときに言える言葉だ。それ以前は断じて努力だ。
断じて自分の誠意をそこにかけなきゃいかん。じゃなきゃ、ほんとに花開かないで死んじゃうよ。
人間にかかってるんだ、宇宙ってのは。いや人間なんて抽象的だ。きみにかかってる。

が、何れにせよ一番この世の中で大きい出来事っていうのはね、たった一人の人間の中で花が開くってこと。
だが、とにかくこの三十年のうちに君たち、の花を開かせなくてはならない。
で、花が開くって事はね。すべての存在っていうのが存在自身を祝福するっていうか、賛美するっていうこと。
その時、すべてが分かる。すべてが。
34神も仏も名無しさん:2009/10/19(月) 00:56:49 ID:XaEyvoPF
唯、肝心な事はね、君がよかれ。より良く、より良く、より良く、っていう気持ちでもっているってことだ。
それはもちろん迷いだ。究極の立場から見れば。
が、ね、それ以外に究極まで行き着く方法はないんだ。
「誰でもやはり?」
そう、誰でも、その迷いの中から出発する。
そして、そのよりよくってものを捨てて、うん、もう、問題ないって言ったらね。そ
れはもう、なにも生まない。淀んで、つまらない、ろくでもないものしかそこには出てこない。
花は開かない。

じゃあ、何のために花なんか開く必要があるのか?これには二つのこたえがある。
もちろん、「花なんか開く必要がないよ」って君たちが朗らかに言えるとしたら、君たちは花が開いているんだ。
が、何か理屈ぶって「花なんか開く必要ねえじゃねえか」、って言うんだったらね。
君たちはさ、まさに花を開く一過程としてその経験をしているとしか言えない。
なぜなら、君たちに宇宙があるんじゃないんだ。君たちにこの『もの』。名づけようもない、この『もの』。
この全体があるんじゃないんだ。この名づけようもないすべてといのが君たちを在らしめているんだ。

宇宙は花開こうとしているんだ。そして君たちは今、俺という花を見ているんだ。
そして今君たちは俺という花と一つになっているんだ。頭がなんと言おうとね。
35神も仏も名無しさん:2009/10/19(月) 00:59:02 ID:XaEyvoPF
帰っておいで

自分が存在しているという世界の存在は 結局あらゆるものに 悪意をもっている

新宿駅で飛び込み自殺があった 係員がレールのあちこちに散った 肉体のかけらをひろっていた

人間は無限のかけらにすぎない・・・
これが最もごうまんなる人間の 至高のセンチメンタル・エゴイズムだ

人間は無限なるものの一部にすぎない・・・ かけらと一部とは似たようなものだが
貝とコカコーラ程の違いがある たいした違いじゃないけれどね・・・

人間は無限なるものの一部に過ぎない・・・
これが 人間性の究極の深遠である 
これが人間の魂の基調音である これが人間にしての最初にして最後の美
あるいは人間性そのものという何ものか

君は果てしなきものの一部にすぎぬ
だから 果てしなきものに帰るがいい!
もっとも、その頃には、君という人間性の夢も 夢の中へ跡形もなく消え去っている

とにかく どういうわけか、超えていくのさ 超えていくんだ
石を超え 山を越え 彼女を越え いとしい娘子を越え スモッグを越え 文明を越え
ニルヴァーナを越え 越えることを越え・・・

そして 帰っておいで  今 ここに
36神も仏も名無しさん:2009/10/19(月) 10:27:15 ID:XaEyvoPF
実際のところ・・・

実際のところ帝王とは奴隷である。だから宇宙の奴隷になるがいい。

支配者はつねに被支配者とファッキングしている。
創造主はつねにつねに被造物とファッキングしている。
―――この認識が、すでに。
誰かと誰かのファッキングなのだ。

だから本当に破れかぶれになればいい!
それは一つの素直さであり得る。

信頼とは何だろうか?
それは、信頼なぞ どうでもいいということにほかならない。

低いものはどんなに高きものも秘めている。

瞑想が瞑想を戯れている!
だが副主人公である。君には戯れはないんだ。

私はエクスタシーである。だからして、私が死ぬ時
神に返さなくていいものが一つだけある。
「神様、ああ、あなたは私だったのですね」という自覚。

それはそうと思えばそう思える。こうと思えばこう思える。
すなわち絶対の孤独ということだ!
37神も仏も名無しさん:2009/10/19(月) 10:27:54 ID:XaEyvoPF
すべては不可能であると知ること――― それが自殺と発狂と悟りへの出発点である。
充分以上の情熱のみが、不可能と可能との区別を忘越せしめる。

思考は常に解答を出したがる。 たとえば「不可解」だとか「全体性」だとか。
こんなものどもは、ガラクタでさえない。快楽こそ悟りなのだ!

快楽が、あなたのものでもないように悲しみも不安もあなたに属しはしない。
では、あなたとは何だ?

完全はね、君達以外の誰に代わってもらうこともできない。
完全なんて言葉は言う必要がない。
本当に納得した、本当にすてきな、本当におおらかな、本当に深いこまやかな人生。
君達は本当に自分の大好きなことに向かって進むことしかありえない。

『正法眼蔵』が深遠なんじゃない。釈迦の教えが深遠なんじゃない。
キリストの教えが深遠なんじゃない。ハイデガーの哲学が深遠なんじゃない。
そうじゃない。 君たちが、深遠なんだ。君達の中が深遠そのものなんだ。
それ以外に完全はない。いい?

忘れ果てるがいい

何を語れば、いいというのだ。
語るべきなぞ 何一つとてない。
石ころは、何を語っているのだろうか。
形あるものは必ず死ぬというのに。
すべてのすべてを見破ったら、
おろかに、 なにもかも忘れ果てるがいい。

私は髪の毛、一本 白くも黒くもできはしない・・・
38神も仏も名無しさん:2009/10/19(月) 10:28:42 ID:XaEyvoPF
私はとこしえに楽しく生きたい!
天馬・空を行き 行くところ可ならざるはなしという 人生の達人だからとて
本当にわかるものなど何一つなかろうよ
死の悟りを開き 神と霊のカラクリを つぶさに体験したからといって
実際のところなにがわかったと言うのだろう
光明以上の光明 至悦以上の至悦 わかることのわからないことの彼方の
サマディーを体験したからとて それが何だというのだ
庭先にマーガレットの花が咲き乱れ すずめの鳴き声はすずめの鳴き声らしい
そして わたしは生きているらしい・・・ 時には不安にめいり 時には極楽のエクスタシー酔いながら
私はどこからどこへ行くか知らないばかりか
こう書いていることも こう書いている私とやらも ぜんぜん知りはしないらしい・・・
やれ観念的だ抽象的だ やれ実質がある実行がある やれ現実だ夢だ
私たちは何て馬鹿げたゲームにうつつをぬかしているのだろうか
草花が初夏の風にゆれることが現実であろううか?ノイローゼ青年が見た空飛ぶ円盤は幻覚だというのか?
誰も何も知りはしないさ・・・ 
私はとこしえに楽しく生きたい! たとえ、それが、まっかなウソであろうと。

永遠の旅に出る

あらゆるものが そのままで 絶対なのだ。
だから あらゆるものは 夢としては相対し愛し合っている。
一つの雨だれの音声がエメラルドの海と完き解放の太陽を誘う。
バランスがパラノイアであればパラノイアはこの上ない甘美なバランス。
もっとも弱きものは神となってこの地をつぐ。
複雑で不安な頭脳はこの上ないシンプル。
とうとう私は神になった。
あなたが神であればどうして私が神でないことがありえよう。
さあすべてが終わった。 私達は今永遠の旅に出る。
39神も仏も名無しさん:2009/10/19(月) 11:02:44 ID:XaEyvoPF
愛は愛を楽しんで

私は愛したから この世に産まれてきた 愛がすべての形を創り
年老いた老人であろうと 失恋自殺の少女であろうと
帰減する直前の 一微塵の生命の中にも 一つの形があり その形には限りがない
愛がすべての多様世界を編み 諸行無常・諸法無我の説法も
決して真理などとなったためしはなく 釈迦の編み出した一つの世界にすぎず
この世を忘越した 胡蝶荘周も そのようなこの世への愛を生きた
生きているものには 生命のみが与えられ
死は生命のみが編み出すことのできる 一つのドラマ以外のものではない
あなたはあなたの生命をくまなく愛し切り 
私は私の生命を すでに愛している以外にない
一切生類の宿業と無明とは 一切生類自身の愛に他ならず
不治の業病に苦しみ 自らの命を断った青年は 
自己の生誕を呪ったヨブに等しく それぞれの愛を演じている
つきることなく 宇宙の終りにもつきることなく 愛は愛を楽しみ続け
愛によって仮現する一切万物の嘆きは しかし決して愛にとどくことはない

私は愛しているから 今生きている
私がどうなろうと あなたがどうなろうと
愛は愛を楽しんで つきることがないのだ

本質的な問いには、解答というものはない。 にもかかわらず、
あなたは、問うことをやめてはいけない。 少なくとも問いも答えも、
あなたも世界も、消え果るまでは・・・
40神も仏も名無しさん:2009/10/19(月) 11:20:19 ID:XaEyvoPF
見性においては、あなたは、限りない「何ものか」が、あなたと一体不二であったことを体験する。
それは根源的な納得・充実・自由・歓喜・安心・生命力の爆弾と称せられるものだろう。

私は絶対無の光明とあらゆる多様多元の宇宙が、何もかもが私だったことを生きていたことを知った。
・・・そして、それも忘れ果てることだろう。

君はかくありたいというイメージ、あるいは様々なイメージや、主観的イメージでないビジョンさえも、
さらには見性さえも、答えにはなり得ないことに気付く時がくるだろう。

だが、この絶対不可思議な、限りない「夢」と「真実」、この生々化々千変万化この者を、
実現することは唯一絶対の不可能だ。−−−−君にとっては。

誠実であるのがいい。それは平穏無事の安心を与えてくれる。
41神も仏も名無しさん:2009/10/19(月) 11:21:49 ID:XaEyvoPF
今でない今、ここでないここで

一刹那の生涯でもよい クリシュナとして生き クリシュナとして死にたい

あらゆる演戯を越えた一つの戯れ
根本無明の演戯がなければ 神は神自身を観照することができぬ
根本無明のこの移し世が 神自身の唯一の演戯道場
神は人間の作り出した どんな思想の中にも 宗教の中にもいない
人間自体の死の虚無性が 人間からすべてを奪い 人間をも奪う
無限の中には 時間も空間も因果律さえも存在していない
無限の中に 宇宙の果ては 私の小指の長さにあり
千億光年の天体生命の光芒が 私の肉体の心臓の一鼓動とともに 生まれ来たり滅び去る
熟したリンゴの樹の果実が 地面から枝へと昇る
神の絶対無の中に 夢見続ける宇宙
夢の宇宙はこのように戯れ 夢の宇宙はあのようにも戯れる

ソロモン王の英知が ソロモンの栄華と幸福を実現し
そして又 ソロモンの英知が その英知ゆえに 愚迷のうちに滅亡したように死のないどのような生もあり得ない
愚かさを持たぬどのような智恵もなく 安心のある所に不安があり
愛のある所に憎悪が 勇気のある所に恐怖が
幸福のある所に不幸があり 快楽は苦痛の種となる
老衰と病のない どのような健康もあり得ぬように
善は悪とともにいつもあり 宿善の功徳は 天人の天国を実現するが
その天人にも 五つの衰亡を避ける手だてはない
42神も仏も名無しさん:2009/10/19(月) 11:22:35 ID:XaEyvoPF
一刹那の生涯でよい 神の御意のままに生き 神の御意のままに死にたい
一刹那の神の御意は すべての生命達の生涯とすべての生命達のそれぞれの宇宙であった
神のみが絶対無の中に久遠の安住を続け あくびひとつも神には無縁だ
私は私という心身の 異郷の客であり
何一つとして私のかつて見知った事柄はない
この悲しみが 人間に理解できるだろうか


私達はこの世では孤独であり続ける
私達の眼は私達の故郷を見知らぬものとして眺め 私達の家族を初めて見る
これは私達の眼がかすんだゆえではない 私達の眼がより透明になったせいだ
何もかもが常に未知なものとしてあり 何もかもが常に新しい 何もかもが未知な新しさであれば
私達の脳髄は 尽虚空中に粉砕する
死はなんと私達の身近にあったことだろう 最も身近な死だけが
人類の唯一最大の教師だ手足を放ち去ろう未知の虚空にもともとありもしない手と足を
精神の広大さも物質宇宙の戯曲も 私には何のかかわりもない
私は私の瞑想の旅を続ける旅は方向をもって続けられるが
その旅は私に理由のない確信を与えても 決してどこかに行き着くことはない
私は私自身の中を旅し続けている


私は一瞬間を聖クリシュナとして生き 一瞬間を梅毒病みの娼婦として生きた
梅毒の苦痛が陣痛と出産の苦痛であり 性愛の享楽が聖者の清らかな解脱である
そしてすべては去ることもなく去り また来ることもなく 新しい生涯が来る


止まることのない生々流転よ
私は生々流転のあったためしのないここでゴーヴィンダ・クリシュナの美しい横笛の音を奏でる

今でない今、ここでないここで
私はクリシュナとして生きクリシュナとして死んだ
43神も仏も名無しさん:2009/10/19(月) 11:28:47 ID:XaEyvoPF
なまじ、悟り、見性っていうのを幾度かやるとね、かえって普通の人よりもどうしようもなくなる。

「うんとね、瞑想寺院ってのはさ、避難所みたいに考えていいわけ?」

もちろん、どういう風に考えてもかまわない。
唯、基本的にはね、それは、あの、社交場でもあるが、ある時期まで社交場でもあり、
何故なら社交って言うのは君たちの精神健康にとって、とても大切な事だ。
君たち余りにもぬけがけしたいと思いすぎるがためにね、人と人との関係さえ満足にできない。
だから社交場、大いに必要だ。
唯、その前提は例外が唯一つも無いということ。みんな、同じなんだ。
それさえ分かっていたらとても楽しい社交場になるよ。
ところが君と俺とは違う、俺のが一段階悟りは深い、なんてやりだすからおかしくなる。
俺は恐怖を感じない、君は恐怖を感じているなんて振りをするから、いよいよやりづらくなる。

みんな同じなんだ。一番最後の最後。
すべてが終わった所に到達しない限り、人間はどんな風に上手いことトリックを使って暑い仮面を被ってても皆、同じ穴のムジナだ。
同じだけ不安に悩み、同じだけ内面では恐れ。
そして、その違いといったらさ、上手く内面の不安や恐れをだまかす事が出来るタイプの人間とさ、
それが出来ないタイプの人間との差に過ぎない。


『一度きりの君たちだ。そして君たちが死んだら、永遠に、永遠に、永遠に、
今ある君たちがくり返されることはない。たとえ無限の時間が経ったとしても・・・。』
44神も仏も名無しさん:2009/10/19(月) 11:29:44 ID:eGyGo56Z
2って、向こうまだ600番ぐらいじゃん 重複で早過ぎ
45神も仏も名無しさん:2009/10/19(月) 12:27:54 ID:XaEyvoPF
瞑想

詩人は一輪の野の花を 野の花と歌っている

年老いた夫は日々に その年老いた妻の名を呼んでいる

クリシュナは水浴びしている小麦色の娘達の衣を樹の上に隠し戯れ

道元は今もなお息をととのえて只管打坐する

虎にわが身を与えた王子は釈迦として生まれ変わってもまだその身を与え続け

果てしない瞑想は つねに われら一切のもののもとに開かれる
46神も仏も名無しさん:2009/10/19(月) 13:12:01 ID:XaEyvoPF

老婆は聖者に 正真正銘の真剣さでたずねた
「どうしたらこの地獄から解放されましょうか?」

聖者は素直に答えた
「地獄へ落ちろ、クソ婆ばあ!」

そういうウソツキ
47神も仏も名無しさん:2009/10/19(月) 13:19:54 ID:XaEyvoPF
タオ

これは絶対でも相対でもない 流れているわけでもないし 久遠の静寂というわけでもなし

これはこれだろうあれはあれなんだ

静かじゃないかい・・・うれしいじゃないか 哀しくもあるしね
もちろん 恐ろしくもありんす

みんな生きてる なにもかも死ぬ

そんなにツッパルなよ! もっともっとどうしようもなく、ツッパレ、ツッパレ、ツッパレ!!

無が有を産んだのだろうか? 有が無をあらしめたのだろうか?
それとも、無と有が同時にからまっているのか?

ニルヴァーナが真実なのだろうか?マーヤが真実なんだろうか?
それとも、
ニルヴァーナもマーヤも真実なのか?
それじゃなきゃ、
ニルヴァーナもマーヤもありもしないのか?

いいじゃないか?
断じてよくない!!
いいじゃないか!
いいやだめだ!!
・・・・・・・・

秋の虫たちが鳴いているよ・・・
48神も仏も名無しさん:2009/10/19(月) 13:24:24 ID:XaEyvoPF
プレイボーイ

オレはプレイボーイで 近いうちに極地のコオリを溶かすつもりだ・・・

なにしろ、この頃の彼女ときたら!

彼女のオナラの臭いこと。だから極地がこごえいるのさ・・・

あんたは、オレの思いなぞナンノソノ・・・
それでも、オイラはプレイボーイ 新しいあんたを産むために
オレのペニスは極地を燃やす・・・

ガイド・ストーン
私は親愛なる同友諸君に言う。
今、君の持っているその理想心を取り去れ、
かくあれかしと望む心を取り去れ。
よりよくなろうという我欲心を取り去れ。
それは君らの愚からきた迷いにすぎない。

かつて私のメディテーション・ガイドの一人だったタオの体得者・無為隆彦先生はそのように語った。

クリシュナムーティ流に言うとイメージがどうしたこうしたということだろう。

諸行は無常である。そこから神様と悪魔が出てきたらしい・・・
いづれにせよ、楽しい話ではないかい?
49神も仏も名無しさん:2009/10/19(月) 13:27:28 ID:XaEyvoPF
伊福部隆彦先生の言葉

ある一つの理想状態を考え、そこへ到達しようとすることが、私たちの生活を地獄かさせるものである。
こいつあ、マッタク、どん底だい。思考作用は問題かい?
ふと見ると 地獄にもなにやら光明がある。ああ、その悲痛をどうすることができよう。
ああ、この絶対をどうすることができよう!

オナルティックに

この中有界タイプの世界文明は、20世紀末に終わる。

現代文明とは、マニピュラ・チャクラとアナハタ・チャクラとのバルドのことである。
欲望満足と愛との上下運動のことである。

文明の終末なぞ、別にどうということはない。この世のあらゆるものは生まれ生き死ぬ。

呼吸は出息で死に入息へと再生する、入息は終り出息が始まる。
そのように、あなたは死ぬのだ!

おお、限りなく愛しいマーヤよ!六道のつじよ!  さよなら・・・・

すべては、あなたのためにあるのではない。
50神も仏も名無しさん:2009/10/19(月) 13:30:06 ID:XaEyvoPF
ざん悔

存在する何もかもに

私はざん悔しすぎるということはない

すべての存在の苦悩は 他ならぬ私が見ているのだから

このままでいいなぞと思うのは 良心を昏ますことでしかない

願うべきは 身の切れるような ざん悔ではないか

もはや良心もざん悔もない あるのは一切生類である私だけが

そして又再び

私はどうして一切生類と自己自身とに

ざん悔しないでいられようか

身の切れるようなざん悔のみが

私に私を忘れさせる
51神も仏も名無しさん:2009/10/19(月) 13:31:18 ID:XaEyvoPF
現代西洋工業都市文明の私達人類は、知性を中心として人間性の統合を果たさなければならない。
ウサンクサイ、まやかしのオカルティズムや単純な自然回帰という退行的願望や、
センチメンタルな意味での愛情や友情やカウンター・カルチャーなどに逃げ込むことなぞできはしないのだ。

だからこう言える、20世紀末の現代人は、その知性ゆえに誰も彼も死のやすらぎを願っているのだと。
これは決して異論ではない。花が花としての限界に来た時、実が出てこざるをえない。
それは花にとっての絶体絶命の闇である以外になく、実にとっては新しい未知なる実への第一歩なのだ。

もっとも、知性・理性・自我の虚無ゆえに肉体的な意味で死んだとしても、そこに、ほんとうのやすらぎなぞありはしない。
それは肉体的に死んでみたら納得できることだろう。

どうやら、欲望相続としての現代人類は、知性理性を「智慧」にまで進化させ全人的統合を
果たさねばならぬらしい。
それも、いかなるルールも保証もなしで・・・
私は私に直面しよう、知性を英知に変容せしめる『何ものか』を。
あなたはあなたに直面しよう、理性を知恵に変容せしめるサムシングを。

なぜなら 欲望の遊戯に終りはないだろうから
なぜなら マーヤのゲームに果てはないだろうから
52神も仏も名無しさん:2009/10/19(月) 15:30:55 ID:XaEyvoPF

チーズ入りの味噌汁

ヨガ行者であるインド人と ヒッピー風の青年とが 瞑想について話しをしていた

――魂が肉体を離れてね  あっちこっちをね……

――それよりももっと深まると  三昧という経験があって……

不思議な憧れがヒッピー風の青年をいよいよ話に熱中させる

私は二人の熱心な話し合いをそばで聞いておかしくなった

青年が作ってくれたチーズ入りの味噌汁は変わった味がした

53神も仏も名無しさん:2009/10/19(月) 15:48:09 ID:XaEyvoPF
私は何の中にもいない

私は何の中にもいない

母への幼き日の愛着や その優しいやすらぎもわたしではない

恋の眼の昏むような快美も 風雪によってたどり着く 妻との穏やかな和合も 私ではない

今私は私の生涯をかける仕事を 見出しつつある

それによって私は生きようと思う だが それも私ではない

私はどのようなものの中にもいない そのものがどれ程激しく 真実となって打つものであっても

それが限りなき愛着であり 私の愛情がそこにそそがれようとも

それは私ではない

むしろ私は歩き続ける

どのようなものの中にも私はいないで

私はただ歩き続けている
54神も仏も名無しさん:2009/10/19(月) 16:02:32 ID:ujX7S65L
そうだ うれしいんだ生きる よろこび
なんのために 生まれてなにをして 生きるのか
こたえられない なんてそんなのは いやだ!
今を生きる ことで熱い こころ 燃えるだから 君は いくんだほほえんで
そうだ うれしいんだ生きる よろこびたとえ 胸の傷がいたんでも

55神も仏も名無しさん:2009/10/19(月) 16:11:36 ID:XaEyvoPF
『やっぱり君らしくしてることじゃあないのか』
「具体的処方箋とか、そういうのは(笑)ない?」
『うん、だったら本当に素直にとことん話し合ってみることだ』
「常に絶対的、完全な。うん。そういたものを求めて、やっぱり全体へ集中していくこと」
『うん。そう。ただし、一つだけ大切なことはね、人間にとって絶対や完全は絶対にあり得ないってことさ。
だからそれに向かってより良く生きてく。いい?絶対や完全があるのは人間の次元じゃあないんだ。
これを間違えるととんでもないことになっちまう。とんでもないぎこちない人間になっちゃう。
いい?人間の世界では常に無数のもの、釈迦がさ、胃腸が常に悪かったとかさ、道元は肺結核で死んだとかさ、
そんなもんきりが無い。ラーマクリシュナもなんだ、ちょっとした坂も登れないくらい虚弱だったとかさ。
イエス・キリストは十字架に掛かっちまったとか。いい?人間の目で見ちゃあそれしかないじゃないか。
人間の目っていうのはさ、そういうふうにしかものを見れない。常に相対的にしか。
そして絶対っていうのはさ、瞑想そのものにある時だけなんだ。
そして瞑想そのものっていうのが、より自分自身になればなるほどね、今度は現われてくる世界でもって、
余計なところに引っ掛からないから、とても美しく見える。人間的な世界が。
そして、本当に一番的確なボタンを押すよ。つまり何故かって言うと、自分の中に気負いとかさ、しこりとか何にも無いから、
ものすごいストレートだ。『うん、俺は水飲みたい。はい』てなさ。
そして結局は瞑想っていうのは、少なくともこの人間世界の中に貢献できることっていうのは、
そういうふうなストレートな人間達っていうのを、生み出す働きがあるっていうことだね。
56神も仏も名無しさん:2009/10/19(月) 16:12:27 ID:XaEyvoPF
「まあ、暇な時やるって感じだね。隙間を縫うって感じだよな。そう」
『うん、でもそれは、逆転を知ってるっていうことなのさ。
つまり瞑想が展開しているってことを知ってるっていうことなのさ。
そして瞑想が全てに展開しているっていうことを知ってる時、出来ることなのさ。
ただね、ひとつだけ言えることは、人は瞑想っていうのを人間である限りやめてはならない。
どんなに自分がハッピーだと感じていても。それは人間ていうのはそういう性質を持ってるからなんだ。
瞑想をやめるといつしか必ず何かが出て来る。とても忘れやすいし、とても頑固なんだ。
自分との闘い、自分との甘えとの闘い。
カスタネダが言う。カスタネダが言うようにね『ああー、どうやってさ、克服できるのよ』って。
『とてもそんなすぐには僕にはできそうにないよ』ってたら、
ドンファンが『馬鹿者。精神があるための道は一生の道なんだ』って。
一生かけてその内うまく行くかも知れん。行かないかも知れん。
でも、俺達はそれに向かって行くしかないんだ。もちろんいいよ。忘れてしまうのもまたいい。
そう、忘れてしまったんなら忘れてしまったんだ』
「やっぱり知的に考えるとさ、えらいきつそうに見えるんだよね。実際はきつくないんだけどさ。瞬間も逃さないっていうあれなのかなぁ」
『でも、瞬間を逃さないっていう形で追い詰めても意味はないよ。それよりは自分の死ぬことを考えた方がずっといいよ』
「自分の死ぬこと?」
『うん、結局は死ぬんだっていうこと。年老いて、あるいはいつ死ぬか分からないっていう』
「うん」
『そりゃあ、自分が本当に気に入ったっていう方向にどんどん進んで行けばさ、同じように瞑想に出会う。うん。必ず」
「それは形とか瞑想っていう言葉を超えた、いわゆる瞑想でしょ?」
『ううん。と、言うより瞑想っていうもの自体が本当は形を持ってない。だから座禅瞑想ってわざわざ、座禅瞑想ってつけたりさ』
「座禅瞑想って組んでる時以外の日常生活も、瞑想的な生活ってのはある?」
『て、言うよりも瞑想の生活になるっていう形以外にさ、人間の生活はあり得ない。いわゆる瞑想的生活って、
いろんな規律立てていろんなことをやるっていう意味ではないよ(笑)』
57神も仏も名無しさん:2009/10/19(月) 16:14:33 ID:XaEyvoPF
『一番楽な方法とったらいい』
「楽な方法より楽しい方がいい」
『うん』
「バグワンじゃあないけど降参が楽だっていうかね、降参が素晴らしいっていうのが分かるね」
『ああ、ただし、降参するんだったら本当にどうにもならないものに降参して欲しいよ。
どうにかなるものに降参しても、意味ないからね。
あるって!必ずあるって。どんな問題が、ものすごい問題が起こったって、
必ずそれを超える道があるって。生きてる限り』

『絶体絶命の時はすぐに入れ替わってくれるから大丈夫だよ』
「何が入れ替わる?」
『うーん、超えた世界っていうものに入っていくんだ。そんなことは考える必要ない』

『瞑想って、そんなに自分をさ、狭めないでほしい。いい。本当に素直になった時、その人間とって浮かぶ想いでさ実現しないものは何一つない。
そういうふうに出来てるんだ。どうしてか説明出来ないけどね』
58神も仏も名無しさん:2009/10/19(月) 16:17:48 ID:XaEyvoPF
『俺がいない時は何?』
「うん」
『Sがいない時はないよ』
「うん、そうなんだ。それに気付いた」
『いい?ここに集まってるだろ。これだけのために宇宙はあるんだ。
うん。全く常識的には馬鹿げたことかも知れない。でもたったここに四人いる。
ここに集まって、そしてここに座っている。それだけのために宇宙は出来た』
「宇宙にいるのはただ一人っていうこと?」
『うん』
「それをやっぱり自覚しなければいけない?」
『うん。そして、それは幾たびもなく幾たびもなく自覚するんだ。それにはきりがない』
「終りはないんだ」
『うん。終りはない』
「悟りに終りはない」
『うん、終りは』
「究極に終りはない」
『うん。だから究極。究極って(笑)』
「うん。やっぱりイメージがあるんだよね。一番最後にさ、死に出合ってさ、ぶち抜けたらさ、うん。それからもう」
『うん、確かにぶち抜けるっていうつまり、大悟っていうかな。大いなる悟り。
あるいは無想三昧の境地っていうものを完全に体得するっていうことは確かにある。
だけど、それはほんの始まりに過ぎない』
「また次に」
『それはこの世が生まれてきた理由だ。俺は君達がグル、いや神であることを知っている。
君達は神なんだよ。いつも何かに追われている君達っていうのは、本当にはありやしない。
君達は神なんだよ。一つ一つ神なんだ。一人一人神なんだ。そこにはどんな比較もない。
聖者が神である、神だっていうんじゃあないんだ。どんな人達も、どんなものも全く同じだけ神だ』
「どんな人達も何?」
『どんな人達も、全く同じだけ神なんだ。それは理屈ではない。そこにはどんな優劣もない。どんな比較もなく、競争はない』
59神も仏も名無しさん:2009/10/19(月) 17:14:59 ID:XaEyvoPF
「でも、好き嫌いっていうのはある?」
『もちろん』
「憎悪は好悪は?」
『好き嫌いはあっても、憎悪はない』
「やっぱり自分の中にある高慢さを殺したいんだ」
『うん。それも一つの観念に過ぎない。いい?今君達はここにいる。
君達が果たすべき唯一絶対の事柄っていうのはね、もう、今果たしてるんだ!
ただ、観念(頭)だけが『そうじゃあない、そうじゃあない』って言ってる。
どうだい、見てみろ、ほら。風が入ってくる。電気がついてる。
そこに何が、どんな足りないものがあるっていうんだ?』
「居心地がいいか悪いかも関係ない?」
『それは(笑)、居心地がいい方がいいだろう(笑)さぁ、坐ろう』

『力むな』

『素直であれ』

『みな何かを分かったためしはない(笑)』
「わかろうとすることは?」
『わかろうとして生きるんだ』
「わかろうとして生きる?」
『うん。そして『分かったかなぁ』っていう感じのところへ、そのすぐ側に行き着くときがあるかも知れない。
でも、本当に分かるっていうことは、人間にとって絶対にあり得ない』
「結局反対の意味かも知れないっていうこと?」
『うん、そう。本当に分かってるものはね、人間ではなくてね、命だ。命だけは永遠に分かってる』

『どんな能力をつけてね、人を思い通りに操ろうと何しようとね、絶対本当の安らぎは来ないからだよ。
本当の安らぎっていうのはね、自分を超えた自分が、自分より遥かに超えた無限に向かって奉仕した時、
献身した時初めて来るんだ』
60神も仏も名無しさん:2009/10/19(月) 17:16:38 ID:XaEyvoPF
みんな一つの方向に流れている この店に来ている一人一人の人間達も
目の前にあるビール瓶もコップも 隣にいるメガネもこのテープレコーダーも
一つの方向に流れている 愛に流れているんだ 愛に向かって流れているんだ
それ以外に何も無い 付け足す必要も無い 愛に向かって進んでいる
もともと全てが愛から出て来たから そして俺がこうやって見ると
ほんとに完全なんだな 何もかもが ものすごく美しくて
それが ひとりひとり それから ひとつひとつのものが 限りない物語を持っていて
そして ものすごく 素敵なんだ 物語を持っていながら それは言いようの無い
愛そのものなんだ だけど愛って何てつまらない言葉だろう 
これを表現する言葉が無いんだ だから俺は愛って言う みんな神なんだ
もし、死ぬのが怖かったりしたら 一度死んでみたらいい
もし、この世に生きていることが色々な悩みが一杯あることだと思うなら
一度この世を死んでみたらいい   みんな死んでる みんな生きてる
死ぬ事を この世を捨てる事 それが体験だなんて思わないでくれ
そうじゃないんだ もうみんないるんだ 生きることも死ぬことも超えて
生きたり死んだりしている それは同時だ 同時に起こっている

愛してるよ  君、愛してる あなた、愛してる おまえ、愛してるよ

いまどこかで死刑囚が死刑になってるかもしれない
いまどこかの病院で重病の患者が死んだかもしれない
そして 今おれたちは 酒飲んでる

なあ、今を見てごらん。 今だ いま それは頭で見るんじゃなくて 今なんだ
そしたら どのような時間も どのような世界もないところで
俺たちは全てを経験している すべてと付き合っている さあ、よく見てみろよ
おれはあらゆる生命の目であらゆる生命の姿をみている
おれはあらゆる物質のすがたであらゆる物質の感触を味わっている
おれはこの宇宙や、この宇宙の外や、そのまた宇宙や、そのまた外の宇宙へすべてを経験するように今、いる
61神も仏も名無しさん:2009/10/19(月) 17:17:18 ID:XaEyvoPF
さあ 時にはこどものようになるんだ 時には子どものように他愛なく泣いたらいい
さあ 時にはおとならしくしよう 立派な大人なように毅然と振舞おう
そして 時には そう まるで聖者の様に不可思議な微笑を顔に浮かべて
すべての中に調和を味わおう
さあ 時には君はたたかう人だ 戦士だ 君の中から湧き上がるどのような薄汚い情熱も
怖れる必要はない!! ただ 素直に出すんだ

悟りとか解脱とか神秘体験とか恍惚境とか法悦とかそんな言葉に騙されちゃいけない
釈迦なんていうろくでもない奴が出たばかりに何か悟りがとても大切なように考え違い
しだした君たち 大切なのは君だよ そう君のなかに流れているその愛だ 
君の中に流れているその命だ いつでも流れている いつでもある
でも こんなほのぼのとしたものだけじゃ無いんだぜ
そうじゃない まるでガンにかかった患者がたった一人きりでどこかで死ぬように
そういうのだって在るんだ でも 君たちは知るよ どのような触れ合いが無い所でも
愛 それ自体が満ちわたっている事を 全ての言葉ってのは繰り返しなんだ
もうあることをもう一度繰り返すだけなんだ でも 大切にしてほしい
君たち 一人一人の命を きみたちにはきみたちにふさわしい生きる場所が与えられているから それは精一杯生きなくちゃならない 精一杯生きることを詰まらながるなよ
そのなかに どんなよろこびが響きわたっているか 君はしるんだから
精一杯っていうのは 素直なこと きみのいちばん深い思いに素直であること
62神も仏も名無しさん:2009/10/19(月) 17:23:30 ID:XaEyvoPF
とらわれる必要はないんだ みんな一つながりなんだから

そしたら君はきっといい音楽をうたえる そしたら君はきっといい野菜をつくれる
そしたら君はきっといい自動車整備工になるよ

きみ達は物語を演じている その物語をどんな筋にしようと それは
君たちのもっとも深い思いも自由に委ねられているけど
もし この世という戯れのドラマにテーマがただ一つだけ テーマがあるとしたら
それは愛というテーマだ でも、この愛というテーマに目くじらたてて
そうしなくちゃならないなんて思う必要ないんだよ

愛のテーマっていうのは 既に生きている君のすがたなんだから
きみは生きている この絶対の愛のなかを愛にむかっていきてる
63神も仏も名無しさん:2009/10/19(月) 17:25:35 ID:XaEyvoPF
なんかある?

「どうしたら、自由になれるの?」
自由になる方法はひとつだけある。たった一つだけ。それはね。今、自由になることだ。
「どうしたら、殻がとれるの?」
君が、殻がとれるっていうような余計なことを、考えなくなる時、
殻はとれるものでもないし、存在するものでもないのさ。
君を阻んでいるものは何一つないんだ。
だから、君を阻んでいるどんなものも無いって思う限り。
せいぜい君を束縛するものと付き合えばいい。
それもちょっと付き合うなんていうさ、何かその、こころのこりの付き合い方しないでほしい。
ほんとに付き合ってくれ。
君の限界や、君の束縛や、君の不条理や、君の不如意と。
そしたら、そういったものがさ、きみが描いている夢にすぎないことが分かる。

さあ、今でいいんだよ、いま、うん、いま自由でいいんだ。
そしてその自由の中をね、さらに自由を求めて生きていくっていうのが人間の戯れなの、この宇宙の戯れなんだ。
そんなカタイこと言うなよ。
今、自由なんだ。自由だからこそ君は精一杯生きることが出来るんだ。

「それは愛なの?自由ってのは?」
愛は自由。愛は愛でもないし、自由は自由でもない。
でも、言葉にしたらそうとしか言えない
64神も仏も名無しさん:2009/10/19(月) 17:26:38 ID:XaEyvoPF
愛は自由だ。
愛はすべての生命、すべての存在物が求めてやまない、そのものだよ。
しかも、それぞれの存在物ってのは、みんな愛の中にあるんだ。
「愛情ってね、執着するじゃない。でも、自由になるとさ、何ていうか、愛情の中から飛びぬけてしまって、そういう事はないの?」
うんと、自由ってのは、例えば愛情とかなかにはさ憎悪が時におこる時もあるし、嫉妬がおこる事もある。それから執着が苦しくなる時もある。
だけど自由ってのはさ、部分的にあるんじゃないんだ。
例えば、愛情ってものや執着ってものを消した時に、自由が出てくるなんてそんなチンケなものじゃないんだ。
まず、自由があるんだ。自由があるからその中で、自由に愛情を注ぐ事ができるんだ。

それは、同時にあるんだよ。

それは、人間として生まれた計り知れない喜びを味わうことだし、
人間として生まれた計り知れない悲しみを味わう事なんだ。

さあ、もうすべては終わったんだよ。
・・・・・・そして、すべてがはじまる。
65神も仏も名無しさん:2009/10/19(月) 18:01:55 ID:XaEyvoPF
「でも、好き嫌いっていうのはある?」
『もちろん』
「憎悪は好悪は?」
『好き嫌いはあっても、憎悪はない』
「やっぱり自分の中にある高慢さを殺したいんだ」
『うん。それも一つの観念に過ぎない。いい?今君達はここにいる。
君達が果たすべき唯一絶対の事柄っていうのはね、もう、今果たしてるんだ!
ただ、観念(頭)だけが『そうじゃあない、そうじゃあない』って言ってる。
どうだい、見てみろ、ほら。風が入ってくる。電気がついてる。
そこに何が、どんな足りないものがあるっていうんだ?』
「居心地がいいか悪いかも関係ない?」
『それは(笑)、居心地がいい方がいいだろう(笑)さぁ、坐ろう』

『力むな』

『素直であれ』

『みな何かを分かったためしはない(笑)』
「わかろうとすることは?」
『わかろうとして生きるんだ』
「わかろうとして生きる?」
『うん。そして『分かったかなぁ』っていう感じのところへ、そのすぐ側に行き着くときがあるかも知れない。
でも、本当に分かるっていうことは、人間にとって絶対にあり得ない』
「結局反対の意味かも知れないっていうこと?」
『うん、そう。本当に分かってるものはね、人間ではなくてね、命だ。命だけは永遠に分かってる』

『どんな能力をつけてね、人を思い通りに操ろうと何しようとね、絶対本当の安らぎは来ないからだよ。
本当の安らぎっていうのはね、自分を超えた自分が、自分より遥かに超えた無限に向かって奉仕した時、
献身した時初めて来るんだ』
66神も仏も名無しさん:2009/10/19(月) 18:15:27 ID:XaEyvoPF
そのことについて考えよ、どこから来てどこへ行くのか、
最初の地で、君が自ら投じた混乱の渦がある。
その混乱を引き起こした理由が何であったか、忘れてはいけない』

ダン『そこで、一節切れるんだ。そのことについて考えよ。どこから来てどこへ行くのか。
このことがわかれば人間がどこへ行こうと決して離れないことがわかる。いつでも自由で。
そうすると、例えば心霊科学者等は言うわけよ。
そもそも何とか霊界から出て来てね、そして死んだ後には、またそこに戻るというようなことをね。
でも、それはね、本当の部分じゃないんだよ。人間の表面的な性格を形作っているある部分が、
霊界へ行ったり現象界へ来たりするだけなんだ。
いい?本当の俺達、ここにいる俺達っていうのは光なんだ。
だからどこから来てどこへ行くっていうことの答えは、光っていうことなんだ。
それは、来もしなければ、行くこともないんだ。いつでもいっぱなしなんだ。
いい?そしてそれはさ、光という言葉より、もっと明確な形で言えば、光っていうのはシンボリックな言い方だからね、
それは、そのものずばりで言えば 愛 なんだ。
人間は愛の中から来て、また愛の中へまた帰ってゆくんだ。
しかも、愛の中から出て来ながら、その、一緒に、愛といるんだ。愛が合いの中から出て来る。
いい?君という愛の中から愛という子供が生まれるんだ。その次』
67神も仏も名無しさん:2009/10/19(月) 18:18:27 ID:XaEyvoPF
あのー、『新・救世主入門』、『メシアンハンドブック』、それは何のために書かれたんですか」
『何のために?』
「はい」
『それは世界の遊戯に貢献するためだ』
「貢献するってどういうことですか」
『例えば、君は今何のために質問したかっていうことさ。その時君はさ、俺の言葉通りにさ、
世界の遊戯に貢献するためだって答えてもさ、俺は多分『ううん、それじゃあないんじゃない?』
っていうかもしれないよ。で、こういうふうに俺が今喋ってることがさ、世界への遊戯の貢献だ。
つまり、俺が世界への遊戯に貢献するって、喋った時にさ、俺にとってさ、神っていうものがさ、
ここにいるわけだよ。今。そして遊戯に貢献するっていう答えを、そう、かなり品よく答えてるわけだよ。
この答え方は。上品な答え方だ』
68神も仏も名無しさん:2009/10/19(月) 18:19:43 ID:XaEyvoPF
「一つの教えは、その時その人に応じてしかあり得ない。どのような神秘不可思議な教えも結局、愛と自由の自己確認につきるんだ。
君が秘密結社のようなものを作って支配欲という不安にかられた時は、思い出して欲しい
君が一番身近な愛をどんなにも忘れてしまったかを。君は元々愛の救世主としてこの世に生きている
そして、愛と自由とは君の思い込んでいる人間性の中にはない
君が救世主であるということは、君の永遠の自己訓練としてのみあり得る
あるがままのすべては救世主だが、あるがままである自己訓練ほど、君にとって恐ろしいものはない
それは、君のすべてを必要とするからだ。
君は君の全てを解放することによってのみ永遠の自己訓練つまり久遠の戯れと戯れることができる
死ぬことは最も恐ろしいことだ。でも君、死になさい」

そしてもう一度思い出そう。『救世主入門』の最後の章句を。
これは君だけに語りかけている。『完全』は、君以外の誰にも代わってもらうことはできないのだから。

「この本に書かれていることほど無責任なことはない。
この本に書かれていることを信じない方がいい
書かれていることはすべて逆の意味かもしれないから」
69神も仏も名無しさん:2009/10/19(月) 18:22:03 ID:XaEyvoPF
悲しみについて

鳥が天を飛んでゆく

あれは悲しみなのだろうか
しかし鳥は飛ぼうとせずに飛び
花は開こうとせずに開いている

草は芽吹こうとせずに芽吹き
石ころはころがろうとせずにころがっている

人の子は生きようとせずに生き
その悲しみを悲しもうと思ったことはない
70神も仏も名無しさん:2009/10/20(火) 16:27:46 ID:VhDcm2Uv



君が今、どのような状態でいようと、この今を愛は、考えられないくらい愛している。
71神も仏も名無しさん:2009/10/20(火) 16:28:33 ID:x8n9AsMO
テスト
72神も仏も名無しさん:2009/10/20(火) 22:06:20 ID:VhDcm2Uv
どうしようもない・・・

どうしようもない今は、どうしようもない。

これも過ぎ去る。すべては過ぎ去っていく。これではない・これではない・これではない。!

どうでもいい なんでもいい シッチャカメッチャカ!

わたしはただこれになり切ろうとするのみ。

念ずれば、私もすべてもなくなってしまう。
オーム・オーム・・・オーム!!

私が対象を見ようとすることが不安であり、私が対象を聞かせてもらうのが愛である。

禅定にはいれない今は、入れない今だ・・・・・・
73神も仏も名無しさん:2009/10/20(火) 22:08:30 ID:VhDcm2Uv
すべては不可能であると知ること――― それが自殺と発狂と悟りへの出発点である。
充分以上の情熱のみが、不可能と可能との区別を忘越せしめる。

思考は常に解答を出したがる。 たとえば「不可解」だとか「全体性」だとか。
こんなものどもは、ガラクタでさえない。快楽こそ悟りなのだ!

快楽が、あなたのものでもないように悲しみも不安もあなたに属しはしない。
では、あなたとは何だ?

完全はね、君達以外の誰に代わってもらうこともできない。
完全なんて言葉は言う必要がない。
本当に納得した、本当にすてきな、本当におおらかな、本当に深いこまやかな人生。
君達は本当に自分の大好きなことに向かって進むことしかありえない。

『正法眼蔵』が深遠なんじゃない。釈迦の教えが深遠なんじゃない。
キリストの教えが深遠なんじゃない。ハイデガーの哲学が深遠なんじゃない。
そうじゃない。 君たちが、深遠なんだ。君達の中が深遠そのものなんだ。
それ以外に完全はない。いい?
74神も仏も名無しさん:2009/10/20(火) 22:09:42 ID:VhDcm2Uv
忘れ果てるがいい

何を語れば、いいというのだ。
語るべきなぞ 何一つとてない。
石ころは、何を語っているのだろうか。
形あるものは必ず死ぬというのに。
すべてのすべてを見破ったら、
おろかに、 なにもかも忘れ果てるがいい。

私は髪の毛、一本 白くも黒くもできはしない・・・

 いつでも家の中にいるよ、今君たちは。
 だから君たちが疲れたらいくらでも安らげる。
 それからね、君たちが死ぬっていうことは君たちがパーフェクトな理由なの。
 おかしな言い方かもしれない。
 それはね、君たちの命が君たちの自分勝手な方向で出てきたんじゃないっていうこと。
 既に君たちは、与えられて出てきてるんだってこと。
75神も仏も名無しさん:2009/10/20(火) 22:13:16 ID:VhDcm2Uv
例えば死そのものが目の前に現れた時にどうするかってことさ。

 その時ね、自分っていうものの観念を持っててさ、
 自分て言うものを保っておこうと思っていたらね、死はあり続けるよ。
 なぜなら死って言うのはね、自分と宇宙との摩擦の間に起こる幻だから。
 その時宇宙そのもののパーフェクトって言うものを認めれば、死は消えるよ。
 もともとひとつながりの命であってね、それが君たちになっていることがわかる。

 自分勝手なものは通用しないんだってことを教えようとしたわけ、宇宙は。
 
 つまり何をそんな頑張ってんのって言うのさ。

夢想する事もできないだろうが、君自身は、すべてと、
 すべてのすべてをと知り尽くしている。けれども、それも又、どうということはない。
 君が、本物の悟りをかいま見る、それが、本物の煉獄の出発点だ。
 全体性の回復とは回復ではない。あたりまえなことだ。
 すべてが、完全だと言うも、すでに手遅れだ。
 恐怖を恐怖すれば、恐怖という恵みをだいなしにしてしまう。
 現実として、一切万象の中に単独として存在しているものはない。
 重要なのは、万象の一体性が、絶対愛だということにある。
 神から見れば、君は地獄を避けて通り抜けるわけにはいかない。
76神も仏も名無しさん:2009/10/20(火) 22:17:02 ID:VhDcm2Uv
今は君はバッタで 僕はどうやら人間というものらしい
 この次の出会いでは 僕は一ぴきのバッタで 君は天使になっているかもしれない
 バッタよ、君よ、愛しているよ バッタよ、君よ、未来の天使よ、私自身よ

 意識の極北に言葉は無用だ あらゆる生命達は 永遠にそれを知ることはない
 「あれ さきまっでの夜が朝になった」 「パン屋のオヤジさんが死んだからだよ」

 私は神という夢が好きで 神は私という夢が好きだ そこで私は 
 何不自由なくすべてを実現し すべてのすべてを愛し尽してしまった
 たぶん君は神という夢が好きなんだろう
 だから決して 神という夢さえも無くなったら何がある?などと問いはしないだろう

 もう闇さえも忘れたこのいのち いかなる緊張も持たぬ情熱が
 いのちの限りない広がりへ 命を回帰させる
 「あなたは誰ですか?」 私は、魚よ、君自身だ
 この限りない海そのもののいのちだ 君、魚よ、私自身よ、海よ

 私を産み 私を育て 私を私自身によってかみ殺させる汝 ナーガよ 私自身よ
 ナーガよ 応身仏の千変万化よ ナーガよ 神に創られた悪魔よ 
 ナーガよ 神を殺す蛇 ナーガよ 永遠に解けぬ逆説
 ナーガよ 私自身 ナーガよ 神自身よ
 ナーガ その秘められた夢 ナーガ その秘められた究極実在
 ナーガ 全智全能なる私自身よ 

 如意第慈 瞑想三昧は 愛を越えた愛と
 自由を超えた自由の私の自己確認であり その完全が 神が
 私に私の天命を生かしめる
 夜の享楽の町も 夜明けの大自然の風光とまったく同じに 私の中にある
 どうしても私は世界を破壊し 自己を破壊せざるを得なかった
 私の考える自己も世界も 決して私自身の家ではないのだから
 帰る家などを問題にするのはやめよう 何もない所で
 私はわが家に安座している 
77神も仏も名無しさん:2009/10/20(火) 22:20:55 ID:VhDcm2Uv
――君は本当に、宇宙が一大生命体であり、
           その歓びと暖かさとを感じたことがあるかい?

――君は、君の身心の死後、私とは一切の創造主兼それ自身であり、
           すべてのすべての戯れであることがわかるかい?

 あなたが、どんなに素晴らしい体験をしたと言い張ったところで、それは、
 何やらわけのわからぬあなたと称するものの一経験にすぎないのではなかろうか。
 依然として、あなたは、わけのわからぬあなたなのではないか。
 『これ』は『これ』なのだ。
 この事実に目覚めることを、私は神秘体験と仮に名づけるばかりだ。

 まったく、花も実もありゃしない。まったく、不粋だ!

 君が瞑想者である限り、君は愛も歓喜も卒業する時がくる。
 が、自分が自分なら、卒業などありはしない。

 君が意識をはっきりさせたまま人生を終える時には
 君は知るだろう――  何もかもがいいということを。

 ――君は道元のニルヴァーナの中のすべてであることがわかるかい?
78神も仏も名無しさん:2009/10/20(火) 22:26:44 ID:VhDcm2Uv
愛のないところはどこでも 見知らぬ世界だ
見知らぬ世界という不安を 私は歩いていた
宇宙も私自身も愛さえも ぜんぜん知らないという私自身だ
本当に見知らぬ私自身は 私のいかなる不安な感情とも無縁だ

神秘が今ここに歩いている  神秘が今ここに坐っている

おめでとう 君は 君自身の旅を終わらせた
おめでとう 君は 君自身の旅を始めた
おめでとう 君は 今・ここで 絶対の終りと絶対の始まりとを見破った

さようなら君自身 さようなら君自身の旅

神の絶対無の中に 夢見続ける宇宙
夢の宇宙はこのように戯れ 夢の宇宙はあのようにも戯れる

あらゆる宇宙や生命達が こんなにも私の身近かにある

あなたを生かすために 生命はあらゆる条件をあなたに与え
私が生きる所に 大気が生き太陽が生きあなたが生きる
太陽はあなたに 仕事を与え妻子を与えまた嘆きを与える
太陽はあなたに 命を与えまた命を奪う

この宇宙もやがては死に そしてまた宇宙が産まれ来る
一つぶの雨の生涯が あらゆる人々の生涯であり
かげろうの生命の営みが 宇宙の生命の営みとなる
そしてそれが すずめのさえずりの一小節

79神も仏も名無しさん:2009/10/20(火) 22:31:46 ID:VhDcm2Uv
忘れ果てるがいい

何を語れば、いいというのだ。
語るべきなぞ 何一つとてない。
石ころは、何を語っているのだろうか。
形あるものは必ず死ぬというのに。
すべてのすべてを見破ったら、
おろかに、 なにもかも忘れ果てるがいい。

私は髪の毛、一本 白くも黒くもできはしない・・・

 いつでも家の中にいるよ、今君たちは。
 だから君たちが疲れたらいくらでも安らげる。
 それからね、君たちが死ぬっていうことは君たちがパーフェクトな理由なの。
 おかしな言い方かもしれない。
 それはね、君たちの命が君たちの自分勝手な方向で出てきたんじゃないっていうこと。
 既に君たちは、与えられて出てきてるんだってこと。
80神も仏も名無しさん:2009/10/20(火) 22:36:08 ID:VhDcm2Uv
私はとこしえに楽しく生きたい!
天馬・空を行き 行くところ可ならざるはなしという 人生の達人だからとて
本当にわかるものなど何一つなかろうよ
死の悟りを開き 神と霊のカラクリを つぶさに体験したからといって
実際のところなにがわかったと言うのだろう
光明以上の光明 至悦以上の至悦 わかることのわからないことの彼方の
サマディーを体験したからとて それが何だというのだ
庭先にマーガレットの花が咲き乱れ すずめの鳴き声はすずめの鳴き声らしい
そして わたしは生きているらしい・・・ 時には不安にめいり 時には極楽のエクスタシー酔いながら
私はどこからどこへ行くか知らないばかりか
こう書いていることも こう書いている私とやらも ぜんぜん知りはしないらしい・・・
やれ観念的だ抽象的だ やれ実質がある実行がある やれ現実だ夢だ
私たちは何て馬鹿げたゲームにうつつをぬかしているのだろうか
草花が初夏の風にゆれることが現実であろううか?ノイローゼ青年が見た空飛ぶ円盤は幻覚だというのか?
誰も何も知りはしないさ・・・ 
私はとこしえに楽しく生きたい! たとえ、それが、まっかなウソであろうと。

永遠の旅に出る

あらゆるものが そのままで 絶対なのだ。
だから あらゆるものは 夢としては相対し愛し合っている。
一つの雨だれの音声がエメラルドの海と完き解放の太陽を誘う。
バランスがパラノイアであればパラノイアはこの上ない甘美なバランス。
もっとも弱きものは神となってこの地をつぐ。
複雑で不安な頭脳はこの上ないシンプル。
とうとう私は神になった。
あなたが神であればどうして私が神でないことがありえよう。
さあすべてが終わった。 私達は今永遠の旅に出る。
81神も仏も名無しさん:2009/10/21(水) 16:58:11 ID:s4O9ziap
その中から、 すべての力と
自分の個性にふさわしい生き方とが
ひとりでに流れ出す。
逆なんだ。
俺の友達が昔、言った事がある。
「本当に安心して、 そして何もない
そのものになりきったら、 あとは
どうなる?」

あとはどうなる?、 だって?
あとはどうなる、 なんて考える必要はない
そこから流れ出す。
その時、 初めて自然さ、 がわかる。
雨のように。

本当にあるんだ!

本当にあるんだよ!

もう、苦しもうったって苦しめない、

そういう生き方ってあるんだ。

それが、 本来の姿だ。

もう何一つ問題ないそれがある。

それは、今-------。

『月並みな言葉だが、ねえ、あんた、愛は愛を愛している』
82神も仏も名無しさん:2009/10/21(水) 17:34:41 ID:s4O9ziap
人はなぜ苦しむのか?
人はなぜ虚しいのか?
人はなぜ大らかで楽しくないのか?
人はなぜ生き生きと血湧き肉踊っていないのか?

それは自分が自我意識満足を求める欲望だ、と錯覚しているからである。
全人類は、今や、自我から出た虚しさを如何にだますかにきゅうきゅうとしている有様である。
やめなさい! やめなさい!
自我は虚しさと欲求不満と苦悩を生む以外にはないのだ。
それらの虚しさ不満苦悩が、それなりに素敵だと思うのであればこれ以上この文章を読む必要はない。

ああ! エクスタシー! おお! エクスタシー!
自我にとって果てしなく遠く彼方にあり、そして常に今この場にピッタリくっついているものよ。

注意せよ! エクスタシーとはあなたのエゴがあこがれているエクスタシーではないのだ。
そんなエクスタシーは単なるまがいものにすぎない。
しょせん一時的な自己満足なのだ。
真実にして絶対なるエクスタシーとは あなた、すなわちエゴが消滅するところに花開く神秘にして不可思議なるなにかなのだ。
その時、一切の苦悩も一切の喜びも完全に終わり、苦悩でも歓喜でもない完全無欠なる至福が無限に満ちわたっているのである。
エクスタシーはあなたを成熟せしめ、一輪の野の花にも、海のさざ波にも、山の中の静じゃくにも、大空の広がりにも、風のささやきにも、
しとしとぴっちゃんしとぴっちゃんの雨ふりにも、便所のこえだめのうじ虫にも、一服のタバコにも、ほんのかすかな肌の触れ合いにも、
限りない味わいがあることを生きることになるのだ。

さて何故、死がエクスタシーになるのであろうか。
答えは簡単だ。
あなたというエゴがなくなること、ナチュラルになくなること、そこに唯一実在しているエクスタシーがあらわれるから、というにすぎない。
83神も仏も名無しさん:2009/10/21(水) 17:48:17 ID:s4O9ziap
今、私にふと何か欠けているといった思いが浮かんできた。もとより神自身なる身に何の欠けたるところはない。
では私に欠けているのは何か?
それは私の人生であった。私には私の人生というものがない。私には、ただあらゆる情景の転変があるばかりだ。
それは何一つ確定したものを許さぬ。
なぜなら、それが私の戯れかただから−−−

あなたの寿命が永遠だろうと一刹那だろうと、それはどうでもいいことだ。
あなたは、古い束縛多き人間性の非存在を知って、まったく新しい愛と自由の人間として甦るのだ。

「救世主入門(メシアン・ハンドブック)」は、新しい黄金文明の種まきであり、そして、何よりもあなたというかけがいのない一つの個性が、
十全にこの世とかの世とをおおらかに戯れるために書いたものであり、そしてまた何よりも、私自身の果てしない遊びである。

さあ、神を戯れよう。

私は神という夢が好きで 神は私という夢が好きだ

そこで私は 何不自由なくすべてを実現し すべてのすべてを愛し尽くしてしまった

たぶん君は神という夢が好きなんだろう だから決して神という夢さえ無くなったら何がある?

などと問いはしないだろう


私が地獄なのだ。それにマチガイない。宇宙が地獄なのだ。それに間ちがいない。

私は宇宙のトラワレビトで頼るものなぞ何一つとしてない。

私の言葉は、あなたの知的理解を求めてはいない。
どのような崇高な教説も、結局はあなた自身の全生命をかけた霊的な解説によるものだ。

われ神自身時々おもえりニルヴァーナこそサクランではないのかと−−−
84神も仏も名無しさん:2009/10/21(水) 18:02:34 ID:s4O9ziap
いとしい人よ あたたかい生命よ 私自身の私自身よ

お前もまた 疲れ年老いて死んでいく

いとしいお前よ 死ぬべきさだめのお前よ

いとし子よ 死にゆくものなるいとし子よ

いとし子よ 死ぬのだ!

私はすべてを見た。
それは、私の最初にして最後の個別性であった。

何と表現したらよいのだろうか?

私は終わって……
私はもともとなく、ありとあらゆる戯れそれ自身だ。
――これは詩的表現ではない!

私は、ありとあらゆるものそれ自身だ。
ニルヴァーナと、一本の鼻毛とは同じそれ自身だ。
あいうえおは、ニルヴァーナだ。
ニルヴァーナは、オナラ・ブーだ。
スモッグは、ニルヴァーナだ……

このことを、断じて理解し、自分勝手に納得するなかれ! 咄!!
85神も仏も名無しさん:2009/10/21(水) 18:24:02 ID:s4O9ziap
生老病死全体を含めた
いわゆる人間の人生というものの中に、
納得したと言う必要がない程
納得したという経験はありません。
そして、人間の人生というものが、
ただそれだけのものだと言うのであれば、
それはそれでいいでしょう。
ただし、本当に素直に
自分の心に直面して下さい。
結局、いわゆる人間性と言われているものの基本原理は、
自己中心の
決して満たされることのない欲望にすぎません。

あなたは、本当に、
そういう人間の人生と
妥協することができるのですか?
本当の心の底では
決して妥協できないことを
知っているはずです。

絶対無限の宇宙を越えて、
ただ一人とも言えない
私自身がある。
86神も仏も名無しさん:2009/10/21(水) 18:26:50 ID:s4O9ziap
あらゆる人間達は
その無限人間の、
ただ一人のその無限人間の中の
ちっぽけな、ちっぽけな細胞にすぎない。



本当に正直になれば、
完全に納得できるものを求めざるを得ないということを
誰でも知っているはずだ。

なまじ、自我が唯一の自分だと思ったが故に、
ありとあらゆるバカげたことがおこっているのだ。

今、大切なことは
ただ一人の
絶対完全、永遠無限人間であることが
自分自身であることに
目覚めること以外にありません。
そして、それには
いわゆる人間と称するものの限界性を
とことん知り尽くさなければなりません。
なぜなら、本当に正直になれば、
その限界をいやという程知っているに違いないからです。

理屈ではなく、
生きているということ
死んでいくということ
そして、それ以外のすべてのすべて
それだけがわかれば、
すべての問題は消えるのです。
87神も仏も名無しさん:2009/10/21(水) 18:28:37 ID:s4O9ziap
私は、すべての問題がないことに
目覚めました。

私は、絶対というもおろかなほど
絶対それ自身です。

そして、本当は
誰にとっても同じことなのです。


もし、あなたが、
どんなものにも納得を見出せないということが確実になったならば、
私のもとに
本当に素直に帰ってきて下さい。

あなたに真実の出会いが
      起こりますように
88神も仏も名無しさん:2009/10/21(水) 19:36:50 ID:s4O9ziap
本当にあたりまえな人
人間であることのあらゆることを味わい尽す瞬間、
その瞬間只一つの無限のよきものにつながっている
瞬間は時が消えるとき
私達が、人間として、神秘として、
発展していく小さな入り口
それは、
何ものでもない、完全であると同時に、
どうあろうともすべてである汝、
すべてで、同時にあたりまえな旅人
神秘な旅人
私へ帰っていく旅人

あんたは、本当は消えたいんだ。
けれども、うわっつらでは
死にたくないと思っているわけだ。
それでも、あんたは消えたいんだ。
余りにも素晴らしいことを予感するから、
あんたはブルブルふるえる。
欲望は、欲望を消すことを欲望する。
消えたところが、至福であることを
あんたは、ほんとは知っている。

至福に至るメカニズムは
もう、出尽くした。
そこで、君達は君達なりに生きているだけだ。

君が意識をはっきりさせたまま
人生を終える時には
君は知るだろう――
何もかもがいいということを。
89神も仏も名無しさん:2009/10/21(水) 19:44:54 ID:s4O9ziap
本当のこの世との一切の別れは、
本当のこの世のすべてを理解するのは、
あなたが、あなたの肉体の頭部の光にに導かれて、
限りない道の広がりへ出てゆく時である。
つまり、あなたは、
唯一の限りない出会いと一瞬一瞬に
別れを告げているということなのだ。

それが愛の始まりであり、
それが愛の終わりなき終わりなのだ。
90神も仏も名無しさん:2009/10/22(木) 14:29:04 ID:Vo9I1FNs
ダンテス・ダイジの初転法輪、救世主入門。

君の命が動く時新しい時代が動き始める。

君は救世主でいる あらゆるものと同じように

『世界の遊戯に寄与する
 君達の使命が 終了したかどうかを判断する簡単な基準がある。
 もし、君たちが生きていれば
 瀕死の重傷でかすかに息がある場合でも生きていれば、まだ使命は終わっていない。
 たとえ君が死んだとしても 君は終わることはないから
 結局、君は 世界という遊戯に 寄与し続けるしかない』

 もし君が救世主でないのなら 君は、パン屋にも自動車修理工にもなれはしない

 救世主はすべての場所と時間を通じて 只一人しかありえない
 それゆえ救世主は 一つの肉体や人格でないばかりか どのような決まった形態も持っていない

 この世界にもどのような世界にも 救世主しかありえないというのに救世主になろうとする君は
 どうしようもないもの好きと言える

 君の幸福と不幸は 君が死ぬことから来ている 君は間違いなく死ぬ
 君の人間としての生涯は 君がすでに死んでいることを 学ぶためにある

 君が愛を感じたり 君が何かを愛したりすることはない 君がすでに死んでいるのなら
 愛のみが感じている 愛のみが愛している

 何ものも救うことはできないし 救う必要もない このことを頭によらずに理解したら
 君は救世主であり すべてを救うように生きている
91神も仏も名無しさん:2009/10/22(木) 14:30:05 ID:Vo9I1FNs
常に三歩先を行く精神を心がけること 何歩先でも何歩後でもいいが 常に三歩先を行く精神を心がけること

 どのような君も どのような宇宙も 君自身の描いた夢であり 夢から目覚めるという夢を見ようと
 どのような夢を生きようと それは君の好き好きである

 君に現われるどのような出来事も 君自身の鏡であって 君の責任である

 いかなる夢にも君が惑わされなければ 君はいかなる夢をも 惑い楽しむことができる

 過ぎ去ってしまった 出来事や言葉を信じないこと たとえそれが 天使のものでも悪魔のものであっても 今以外に 君の居場所はない

 救世主は 救世主につめのあかほどの価値も置いていない

 三歩先を見る能力を常に活用せよ さもなくば 常に三歩後を歩むことになる

 そのことについて考えよ どこから来てどこへ行くのか
 最初の地で 君が自ら身を投じた混乱の渦がある その混乱を引き起こした理由が何であったか、忘れてはいけない

 君達は恐ろしい死を遂げる それもまた忘れないように

 君にふりかかることは全て訓練である 訓練であることを自覚しておけば 君はそれをもっと楽しむことができる

 君はすべてと付き合わねばならない 君が常にすべてとつき合っていることを知れば 君はすべてである

 しかし死に際しては 厳粛に取り組まねばならない
 三歩先を歩くことのできない生物たちは ギロチンに首を突っ込んだまま笑う君のことを理解できないだろう 君は狂人と呼ばれる

 君は本当に好きなことをすればよい 本当に好きなこと以外 君にすることはない
 だがおうおうにして単に自分にとって好きだということと 本当に好きだということとは正反対に見えることがある

 君が天使のようだろうと 悪魔やそれ以外の何者のようだろうと
 君自身は 天国にも地獄にも 決して長くは住まない 場所も時間もなく 君は 今・ここに・いる
92神も仏も名無しさん:2009/10/22(木) 14:31:35 ID:Vo9I1FNs
人間というものはどこにもいない 人間というものが 君のイメージの一つにすぎないように
 時間の持続としての永遠もまた 永遠の夢にすぎない 永遠とは場所も時間もない 君自身のことである

 学習はすでに知り尽くしていることの発見 行為は学習の証明
 教育とは被教育者に 君らも教育者と同じ程度のことを 知っているのだと気付かせること

 君はもちろん 学習者であり実行者であり教育者であって
 いかなる種類の 生や死を選ぼうと自由だが 義務というものがあるとすれば
 自分に忠実でなければならないということ それ一つだけである

 他人や他の事情に忠実であることは 不可能なばかりでなく 偽物の救世主であることの証明となる

 最も単純な疑問が 最も深い意味を持っている なぜ君はいるのか? 君とは何なのか?
 君の頭は 決してこれらの単純な疑問に答えることはできないが 君自身はすでに答えている

 君はどこで生まれ どこで育ち どこで何をしようとしているのか?これらの答えは 君達自身と共に 常に変化しているはずである

 このことを憶えておく必要はない 君はいつも見知らぬ世界に いつも見知らぬ旅人としてある
 君達は常に今からまったく新しい旅へ出発する

 最も学ぶべきことは それを君は最もうまく 生きたり教えたりできる

 学習者として実行者として教育者として以外に救世主はあり得ない

 君の行為や表現が 世に公表されたとしても 決して恥じてはならない 例え公表されたものが真実でないとしても決して恥じてはならない

 世の人々が 君を自分勝手な奴だと非難したとしても 君が本当に好きなことをしたのであれば
 本物の救世主である 君は自分に忠実に生きること以外に生きることはできない

 束縛好きの生物たちは とかく本物の救世主を悪魔と思いたがる

 責任を回避する一番の方法を教える「私はすでに責任を果たした」そう大声でいいたまえ
93神も仏も名無しさん:2009/10/22(木) 14:39:21 ID:Vo9I1FNs
君の中は何種類もの生き物によって構成されている
 君がある方向への一歩を踏み出すのは その中の 学習意欲旺盛な一匹によるものである

 君が現実から顔をそむけなければ あらゆる現実が君の夢であることがわかる

 君達にはいつでも選択が任されている 別の未来 別の現在 そして別の過去も

 自分は救世主であると 信じていること それ以外に 救世主の あり方などというものはない

 行って愛したまえ 君が愛するのに 地上の何ものにも頼る必要はないし
 天国の何ものにも 頼る必要がないのは 言うまでもない

 理由のある安心を持ってはならない 絶対の安心には どのような根拠もない 君の素直さが君を安心させる

 救世主はいつも一番らくでいる ちょっとらくでいるのではなく 一番らくでいる
 一番らくでいることが どれほど恐ろしいものであっても 君は恐れてはならない

 君がこうだと断言すること それが 君という役者が演じているドラマであり
 君はどのようなドラマを演じることもできるが ドラマのテーマがあるとしたら
 それは愛というすべてしかない

 いかなる種類や程度のものであっても 困難は君達に何かを与える

 君達は言うなれば 困難さを捜しているのである
 困難さが与えてくれるものには 価値があることを知っているからである

 君が変化せずにあるのだと信じ込みたがること それが困難さの原因であり困難さから解放される原因でもある
94神も仏も名無しさん:2009/10/22(木) 14:41:02 ID:Vo9I1FNs
君は自分の中に 救世主が住んでいるのを知っている
 救世主を閉じ込めてはいけない それは絶対に避けるべきである

 友人は君について君の知人が千年かかって知るよりはるかに多くのことを出会いの一刹那で知るだろう

 君が愛人と出会う時 そこにはどのような意味での必然も偶然もない
 時を忘れた時の中で君は思い出すだろう 愛人との いくたびもの戯れのすべてを

 物語の登場人物に なろうとしたことはなかっただろうか?
 もしそういう経験があるならば 君達にもわかるかも知れない
 時として 虚構の中の登場人物の方が 心臓の鼓動をもつ人間よりも 強く真実を語ることを

 エゴのない救世主は 空中に描く花よりも 不確かな存在である

 良心とは尺度である 君が自分のエゴに どれだけ忠実であるか それを決定する尺度に他ならない

 君達すべての者に告げる 君達が遭遇する事件はすべて 君達自らが招き寄せたものである
 その事件の発展の方向を決めるのは もちろん君たちであって 神ではない

 君が 生きたり死んだりするのは 君が選んだ 無数の見方のうちの一つにすぎない
 君がその見方を 気に入ってるのなら 生きたり死んだりすればいい 気に入らないのなら 捨てればいい

 愛は姿のない君自身 そして 君の姿がどのようなものであろうと自由は君の姿である
95神も仏も名無しさん:2009/10/22(木) 14:48:25 ID:Vo9I1FNs
 君達が自己に忠実に話す時 そこに過去や未来に関わりなく 真実が永久に光り輝く
 自己に忠実に話す それのみが 真実の正当な在り様なのである

 自由に生きるためには退屈と戦う必要がある 
 退屈を殺して灰にしてしまうか 退屈に殺されて家具になるか
 激しく根気のいる戦いである

 君が消えてしまったとしても 君は永遠に生き続けている 人々が死体と呼んでいる生きものの上に
 太陽がある世界には太陽が輝き 海はいつまでも波打ち続ける

 この世界に生きている人間は 一人の例外もなく いかさま師である
 本当の自分ではないものになりすまして生きている もちろん 救世主も例外ではない

 二つは比例する 君達の知性と 君達が悲劇の存在を認める度合い
 毛虫が終末と思う その形態 救世主は蝶と名付けた

 おめでとう 君は救世主でいる どのような救いの叫びにも どのようにも答えることができる

 この本に書かれていることほど  無責任なことはない  この本に書かれていることを  信じない方がいい
 書かれていることはすべて  逆の意味かもしれないから

ニルヴァーナも、もちろん夢の戯れである。
これを知れば、君は君自身が久遠の人間であり、君という人間性が、無限少の一細胞であったことに気づく。

すべてがオーケーだと考えたら、すでに手遅れだ。あなたは、もう、ほとんど救われようがない。
96神も仏も名無しさん:2009/10/22(木) 15:05:50 ID:Vo9I1FNs
便利さ快適さは、決して幸福を産まない。能力や技術、決して真実を明らかにしない。
真実に到達するためのいかなる修行も、あり得ない。
だが、真実の中には、方法も修行も、能力や技術も、幸福も便利さも快適さも含まれている。

黒は白なのだ

黒を白と言いくるめる そうすると黒は間違いなく白だ
これが人間世界という狂気ありさまである

それは暗示とかイメージとかのことではない
潜在想念界のトリックのことでもない
ただ 黒と白が別れる以前からの 断言にすぎない
夢、気の持ちようだだとか 信念の力だなぞと考えるなかれ

夢でしかない世界は黒は白なのだ

されば、汝、人間よ、
進め、進め!
限りない黒と白と混沌の中を・・・

ところで・・・黒でも白でもいいじゃないか
97神も仏も名無しさん:2009/10/22(木) 15:07:21 ID:Vo9I1FNs
これしかないもんだ

人も浮世も猫もシャクシも そんなものありゃせん これしかないもんな・・・
これしかないもんな そうゆうわけで一切万物は 恐ろしく恐ろしく
甘美で至福なる これしかないもんだ
苦しいより楽しいほうがいいのはもっともだけれど・・・
それを超えるのは、もっといい

なにしろ これしかないもんな・・・


バイクの ケタタマシイ戯れ 
ああ ヘドロがあるヘドロがある ああ 花がある花がある
完全なるニルヴァーナがいる 完全なるマーヤが今っている
どっちがいいといったものでもない
メイッテ、メイッテ、メイル
ステキで、ステキで、ステキだ
秋の虫が鳴いている
老子はおさな子のように泣いている

なにもかもがいいという言う必要もないだろう
98神も仏も名無しさん:2009/10/22(木) 15:09:34 ID:Vo9I1FNs
距離

距離などというものはない 遠い遠い昔も未来も『これ』にしかない。

すべての二元対立を悪戦苦闘して 私の最後の疑問に到る。
私は何か? すべてをすべてと認識しているわたしとは何か?

誰が私などというものを現しているのか?

こう現われている このわたしとは何か? こう書いている私は何か?
私を忘れている時の私とは何か?

そもそも すべてとは何なのか?それさえ まだるっこしい。

これは何だ?これ何者ぞ?  これは何だ??

ああ、人間の果てまで来てしまった――というこれは何だ?

そんなことどうでもいいという――これは何だ?

これは何だ???という――
これは何だ?

断じて知的疑問ではない
99神も仏も名無しさん:2009/10/22(木) 15:15:12 ID:Vo9I1FNs
すべてが
こうである以上にこうである
そのすべてがすべてでいいんだ
いいや、いいんだ以上のいいんだ

聖人タイプは、すべてのすべてのすべての絶対を欲望する

相対と対立する絶対ではなく
絶対即絶対に至れば もともとなんということもない。

人様にメイワクかけ、世界にメイワクかけ、自分にメイワクをかけ続ける、
いわゆる俗人様つまり恐れ多くも御ブタ様々タイプは、
喜んでいるのか悲しんでいるのか・・・
楽しんでいるのか苦しんでいるのか・・・
ガンにかかってシチテンバットウしている人がミジメなのだろうか???
モグラの近視眼で、国をウレエ、世界をウレエ、だが自己をウレウルことだけは、さけて、
立派な偉大な事業に励んでおられる。
私は心の底から頭の下がる思いだ!

どういうわけか、私は苦しいのより楽しいのが好きな性分ときている。

さて、
何もかもが、ありとあらゆるもの、まったくないといったもの、
シッチャカメッチャカのすべてのすべてが、生命なわけだから、
生命ゆえに、価値も意味も方向もありはしない。

それが、どのようなプロセスを得たニルヴァーナ・エクスタシーであろうと、
それでも、あるのなら、何もいうことはない・・・・・・・・・・・

チェッ!オレは行っちまった!
100神も仏も名無しさん:2009/10/22(木) 15:17:01 ID:Vo9I1FNs
大志をもて。
かつて男にも大志があった。

地位・名声・権力―――
それらは、一種のオルガズムであり得た。
あるいは、知的探求・芸術的創作―――
少なくとも幾ばくかの陶酔を与えてくれた。

男の性的快楽なぞ淡いものだ。
だから男はいつの日か英雄になることを夢見た。
だが、自意識の頂点では、英雄の夢は破れる―――それは生物学的必然なのだ。

破れた夢は、一つの暴力と化す戦争はすぐまじかにある。

人間を大自然に憩わしめるのは、オルガムズ以外にない。

悟りは究極的なオルガムズなのだ。

今や文明は終わった。究極的オルガムズに帰るに最適の時だ。

女はと言うと、女は女でなくなった。

現代女性は自意識的に快楽を求めつつある。
だが、自意識のあるところに全身全霊的オルガムズのあったためしはない。

独立した女は、もう奴隷になることができない。奴隷になれなければ、本当の性的悦楽などありっこない。

性的欲求不満の女達は、自分の産んだ子供を愛することはできない。

おお、宇宙よ!女には性的オルガムズを、男には宇宙的オルガムズを与えたまえ!
101神も仏も名無しさん:2009/10/22(木) 15:19:20 ID:Vo9I1FNs
悟りという体験の思い出―――何という足かせだろうか!

恐怖があることを恐怖するから、あんたは、あたりまえの恐怖を生きられなくなっちまったんだ。

「どうでもいい!」と君は本当に叫べるか?

悟りは悟りとは何の関係もない。犬が鳴いている!ワン・ワン・ワン・・・

人間という奴はつねに小便一部を残している。

それでいいんだ。すべてがすべてになるのは、すべてだけだ。

ああ、あなたはそれほどまでに不安という観念を愛しているのですね。

無駄口ばかりたたいている。

そうなっていくそれでいいというのに。

久遠の戯れは続く。何のためでもなく。
102神も仏も名無しさん:2009/10/22(木) 15:24:13 ID:Vo9I1FNs
真理に至る道などない。
それが真理の真理たる所以である。
部屋の片すみに坐って
朝から晩まで、
真理について思索していたら、
真理に目覚めることもある。
そこが又
真理の面白いところである。

決して情熱をやめないこと
情熱なんぞどうでもいいなぞと
カタイことをいわないでくれたまえ
何ものかへの情熱こそ
世界を世界にしているのだから
君はあらゆるものとともに死ぬ
君も世界も
もともとありもしないここに
あらゆるものが戯れている
いうなれば君達は体験でない体験
それ自身を
再体験しようとしている

それが、外的なものでも内的なものであっても救世主には気をつけなさい。
タナからボタモチは落ちてきはしない。うまい話にはウソがある。急がばまわれ
君自身がたどる道は、君の心すべてが、たどる道なんだ。
103神も仏も名無しさん:2009/10/22(木) 15:25:35 ID:Vo9I1FNs
私は一人のサニヤーシン

現代文明は私を不適応者と呼び 時に生活無能力者として唾棄する

私の目的は生活を便利にまた豊かにしたりすることではなく

人間が人間である限り決して避けるすべのない人間生命の不如意と不条理を

また病いと老衰と死の虚無とを越えること離脱すること久遠の愛という至福を生きること

何かに対しての自由ではなくすべてのものからの自由を実現することだ

それゆえ私は衣食住に執着することなく因縁に従って出で来る一切を受容し祝福する

私の世界への愛情は人々へ深い安らぎと不滅の智慧とを示唆するばかりだ

私の目には肉体の死は映らずそれゆえ私はこの慈愛に生かされて

餓死も十字架上の死も毒杯もいとうものではない

愛と自由の顕現は自己保存のあらゆる合理性を無視し

私自身の思いのままに大宇宙のいとし子なる私を生かしめる
  
偉大な社会人たちよ時に私の生き方に見られる非情や狂気を許したまえ

あなた達偉大な社会生活者がいなければ私はないのだから

ただ私は私の道を行く以外にないそれは私だけの道であり決してあなたの道ではない  

私は一人のサニヤーシンにすぎない
104神も仏も名無しさん:2009/10/22(木) 15:26:36 ID:Vo9I1FNs
私は一人の社会人である

人間の経済物質世界のバランスのためにこの無数の糸織り成す大社会の中一人の社会人として生きるのみ

私のテーマは常により豊かな衣食住の維持と発展だ

願わくは豊かな物質の恩恵があまねく一切衆生に及ばんことを

相互扶助こそ社会人としての私の理想だ

私は豊かな生存のために私の知力と体力との一切を駆使して行動する

そして 時には戦い

わが家族、わが一族、わが世界の安定のために死するもまた悔いはない

私の頭には常に未来へのより豊かな計算があり

私の四肢は豊かな収穫の日のために力みなぎり飛翔する
105神も仏も名無しさん:2009/10/22(木) 16:03:12 ID:Vo9I1FNs
だが私は知っている

愛なきパンは人々に本当の幸福を決して与えないことを

それゆえ私は戦う愛に死ぬ私はパンと化してあらゆる生命達の上に降る

社会を越えて生きるサニヤーシン達よ

私はあなたがたにどのような供養も惜しまぬ  

あなたがたの智慧がもしこの世になくば社会は弱肉強食と生存競争の機械に成り果て

豊かな物質は火に油をそそぐがごとき魂の飢餓となって社会をくさらせるから

私は一人の社会人私の全心身は 愛にはぐくまれて豊かな物質と魂のパンとなって実る

社会人たちよ 戦え

愛のためにわがしかばねを乗り越えて戦え
106神も仏も名無しさん:2009/10/22(木) 16:04:17 ID:Vo9I1FNs
もはや、
すべての苦しみと悲しみは
過ぎ去った。
今と同じように
21世紀も
まったく新しい
楽園となるだろう。
疑いの余地なく・・・
福生の飲み屋街は真夜中を迎え
それゆえ
永遠の光は輝き続けている。
あなたの愛がすべてであるように
21世紀の光もまた
あなたにおいて花開き続ける。
この大いなる死のなつかしさにおいて・・・

    21世紀とあらゆる時代に限りない感謝をこめて
              DANTES DAIJI

――師ダンテス・ダイジの意志に基づき、
            その大悲大慈がより正しく
                  伝わらんことを祈りつつ 

七つのチャクラを通過し、七つのローカを通過したとしても、
禅の十牛図をたどり尽くしたとしても、それが、すべてではない。

誰が、私とは誰かということを、知りたがっているのか?
107神も仏も名無しさん:2009/10/22(木) 23:03:03 ID:z91YaMgg
腰を入れて定力をつけよ。尾骶骨を燃え上がらせよ。
ムラダーらの中のクンダリニーには、君とこの世とのクサレ縁をほどく、無限のパワーが秘められている。
そして、もちろん、無限の地獄も。

神から見れば君は地獄を避けて通り抜けるわけにはいかない。
地獄とは、あらゆる個生命達の欲念相続のことだ。地獄とは花開く直前のツボミのことだ。
今や、君が地獄だ。

人間自我という欲望には、いかなる解決もない。そこで、解決不可能を徹底させて、
全体性の愛自身に目覚めるか、それとも、自我と肉体とを死滅させるかということになる。
あらゆる宗教は、以上二つの方法論の観念体系、もしくは、イデオロギーである。
禅とクンダリニー・ヨーガは、この二つの現実的実践方法である。
108神も仏も名無しさん:2009/10/22(木) 23:08:13 ID:z91YaMgg
まるで一輪の野の花のように・・・

何が何だと言うのだ これはこれなんだ いいや、これはこれだという必要もない

何もかも何もかもいいんだ こんなことを言うのも愚かしい それ位これはこれなんだ

生命はジグザグに進む 絶対の到達点などありはしないからだ この静けさを分かってくれるだろうか?

しかも、生命は流れる ニルバーナといったところで

それもまたひとときのふるさとにすぎない

何もかもがすてきだ 何もかもが、時間でない今を楽しんでいる

極楽の極楽と極限の地獄とを戯れている

私は何と無駄なことを書いているのだろう とことん無駄だと知りながら・・・

まるで 一輪の野の花のように・・・
109神も仏も名無しさん:2009/10/22(木) 23:09:04 ID:z91YaMgg
精神病院内の異様な哲学的凡景

シーク教徒は、鉄製のハンドリングをその手首につける。
そのハンド・リングは、火星を意味する。

日本人種は、現在、地球上で 最も知的な民族であり、
かれらは、四六時中読書にふけている。

ブレインダメージは、もうなおらないんですか?ドクター。
ドクターとは、ドッグ・スター、すなわち犬星を現している。

犬星とは、条件をほどこされ 地位・名誉・権力・金・セックスという牢獄である。

彼は戦場で愛の死を見た。死の前にはすべてが、ナンセンスであった。

君は何が欲しいのかい?それ以上。
110神も仏も名無しさん:2009/11/09(月) 14:58:15 ID:fbAdThoG

悟った(と言われている)人の本をたまに読みますが、
この人の言葉が一番体に入ってきます。
111神も仏も名無しさん:2009/12/14(月) 20:15:30 ID:i0Gs2PdU
112神も仏も名無しさん:2009/12/27(日) 00:14:34 ID:V07lRLT6
113神も仏も名無しさん:2009/12/27(日) 00:28:47 ID:V07lRLT6
瞑想の窮極において、一切の現象は終息する。
時間、空間物質は仮象であり、その本来の無に帰し去る。
瞑想には自己と世界とのあらゆる対立抗争は存在せず、
それゆえいかなる人間的争いも苦悩もない。
瞑想そのものは、どのような制約限定をも越えた愛と歓喜の広がりであり、
そこに、私達は久遠の自由を生き、
またあらゆる愛を生きている。

様々な瞑想行によって私達が純粋に瞑想自体を体得してゆくに従い、
私達は、絶対の愛や安心や自由が何であるかを知る。
瞑想には何ものも存在せず、何もないと認識する自己も存在していない。
しかも、瞑想は瞑想自体で久遠の光明を自覚している。
私達は瞑想においてあらゆる自由を生き、
不安と不満とによってエゴイズム的に成り立っている現代物質文明の暴走を否定超克する。
不安と不満はいかなる物質的繁栄によっても解消することはない。
不安と不満との原因である個的自我という妄想から私達は解放されねばならない。
その時、私達は無我の限りなきさわやかさを生きる。
114神も仏も名無しさん:2009/12/27(日) 00:30:55 ID:V07lRLT6
西洋的都市文明の物質的暴走は、不安による逃避的あがきをくり返し、
今その終末を向かえている。
物質は本来私たちの肉体生命を維持するのに必要なだけあればよいのであって、
物質が私達に本当の幸福をもたらすことはない。
農業こそが、もっとも非エゴイズム的な文明形態であり、
この現代商工業都市文明が、その物質的暴走ゆえに崩壊したあとに、
農業重視の新しい精神文明が起るであろう。
農業は、私たちの肉体生命の基礎であり、商工業都市文明には存在しない。
個的自我という妄想から自由である私達は、欲望と不安とから解放され、
もっともあたり前に農業を尊重する。

私達はあらゆる経験の中で、現実そのものに何の恐れもなく直面し、
自我意識という妄想の非存在を確認する。
坐禅も祈りも、感謝報恩も、現実の絶対性の前に無心になることもすべて、
愛と自由の瞑想そのものの自己開示なのである。
私達は、夢も理想もエセ・ヒューマニズムも、理屈思想もいらない。
あるがままの無想無我なる私達は何ものに制約されることもない。
自己も世界もない世界には平和運動などという欲求不満のヒステリー的暴力も存在せず、
ただありのままの平和を私達は生きている。
115神も仏も名無しさん:2009/12/27(日) 00:37:48 ID:V07lRLT6
例えば、霊的中心太陽は一つの実在であり、
この現象世界は、その最も外側を右回りに旋回している。

ブタが空を飛んでいる完全な無意味さを愛してるのは誰か?
 
ニルヴァーナも、もちろん夢の戯れである。
これを知れば、君は、君自身が久遠の人間であり、
君という人間性が、無限少の一細胞であったことに気づく。

もちろん、悟りそれ自身は、霊的中心太陽の光でさえもないし、
また、実在しているとも言えない。

私は誰か?誰かとは誰か?
君という何らかの自覚が、根本無明であり、そして同時に神の戯れそのものだ。
誰が、私とは誰かということを、知りたがっているのか。
永遠を通じて、ただ一度だけの全面的絶望は、君が欲望以外の何ものでもないにもかかわらず、
君自身が、神であるがゆえに起こる。
私が、どのような生き様をしようと、私という何者かは、一回限りの生を生きている。
転生というものは、あるにはあるが、それは、心霊学的なものではない。
いずれにせよ、一度しかない人生なのだ。
116神も仏も名無しさん:2009/12/27(日) 00:43:31 ID:V07lRLT6
俺たちが絶対そのものになったら、絶対って言葉はもう必要なくなっちまう。
だけど実在のひとつ手前がね「菩薩」って言って一番大切な場所なの。
なぜならそれは人間と神とをつなぐものだから。神の子たちの世界だから。
 
そして・・・いいよ、実在そのものになったやつなんて、全部向こうに任しとけよ。
あんな奴ら、なんの役にも立たないから。オレもなりかねないけど・・・
とにかくなんの役にも立たない。とにかく充足して宇宙の一切と、同時に存在しているだけだ。
で、一番素敵なのはね、生きていて、生きるって言う意味とさ、
生きるものを越えてるっていう意味を同時に持ってるのは、その中間に位置している存在なの。
その人にとって「絶対」があるわけ。絶対の愛の喜びっていうのがある。
絶対の自由の触れ合いっていうのがある。で、それを有想三昧っていうんだ。
無想三昧と有想三昧と分けると。

ラーマクリシュナがまさに嫌ったところっていうのはさ、
実在そのものになってしまうことなの。弟子のヴィヴェーカーナンダに言ってるでしょ?
「お前、絶対ニルヴァーナは経験するな・・・」って。
ニルヴァーナ、無想三昧なんかに入ったってなんの役にも立たない。
だって、それは死ぬことなんだよ。すべてが終わってしまうことなんだ。
完全な死って言ってもいいね。肉体の死でさえない、完全な死だ。
例えばシャカがね、無想三昧っていうのを知ったとき、
説くのを止めてもう死のうと思ったっていう伝説が残ってるでしょ?
つまり全く、それくらい人と関係ないんだ。多くの人と。
おそらく、人間の99パーセントと無関係の話しだよ。いい?
だって人間の99パーセントは何を求める?
深いふれいあいでありさ・・・触れ合いじゃないか?何より。
で、それは物語なんだよ、ひとつの、美しい。触れ合いの世界っていうのは。
117神も仏も名無しさん:2009/12/27(日) 00:47:35 ID:V07lRLT6
そしてシャカの行き着いた世界、つまりニルヴァーナの世界っていうのはね、
触れ合いが全くない世界。それは触れ合わないって意味じゃないよ。
触れ合うことも、触れ合わないこともない世界だ。
始まりも終わりもない世界だ。
でもたいていその世界を知ったとしたら、(そこへ)入る人はほとんどいないだろう。
なぜならその時突然こみ上げてくるから。愛が、慈悲心が。

だってねこの世に物語がなかったら、神はこのマーヤの世界を作る必要はないもん。
いろんなものがあったり、いろんな出会いがあったりさ、合わさったり、
離れたり無数の物語があって・・どうしてそんなことやってる?
神は戯れるのが好きなんだ。
118神も仏も名無しさん:2009/12/27(日) 00:51:33 ID:V07lRLT6
そう まるで いま話していることは一つのたわむれだ
でも この世にはふたつしかない たわむれかたわむれを包んだぜったいか
そして君たちが生きているってこと 君たちの心臓が動くってこと
ひとつのグラスのなかにビールをつげるってこと それは かけがえなくきみたちが
戯れているってことだ それでこの戯れを恐ろしいっておれは言いたいよ
なぜなら ほんとうの戯れってのは おそろしさそのものとぶつかり合った時に
分かるものだから さあ ちっぽけな君から抜け出すんだ 
君は何がそんなに怖いんだい? 君はまるでこの宇宙とひとつのように生きればいいんだ
君しかいないせかいに どうして何かが君に害をあたえるようなことがある
さあ、放して 何もかもはなして ときほどくんだ
そして 俺の中に帰っておいで   それは 君の中に帰ることだ
119神も仏も名無しさん:2009/12/27(日) 00:55:33 ID:V07lRLT6
それだけだ それ以外に何もいらない 生きていれば君にふさわしい技術が君に身につくよ
でも 技術だけだったら君はぜんぜん生きた感じがしない 
ただ 愛だけが どんな流行歌だって歌っているじゃないか 愛については
愛だけがすべてだ きみは愛なしには一瞬間も生きることあたわずって

俺が天国から降りてくる時 天国にいる元締めの親父さんから言われたよ
おまえ 行って愛せって そして この世でも かの世でも 
現われるどのようなものにもよることなく 汝 生きて 愛せ
地上のなにものにもとらわれる事無く

とらわれる必要はないんだ みんな一つながりなんだから

そしたら君はきっといい音楽をうたえる そしたら君はきっといい野菜をつくれる
そしたら君はきっといい自動車整備工になるよ

きみ達は物語を演じている その物語をどんな筋にしようと それは
君たちのもっとも深い思いも自由に委ねられているけど
もし この世という戯れのドラマにテーマがただ一つだけ テーマがあるとしたら
それは愛というテーマだ でも、この愛というテーマに目くじらたてて
そうしなくちゃならないなんて思う必要ないんだよ

愛のテーマっていうのは 既に生きている君のすがたなんだから
きみは生きている この絶対の愛のなかを愛にむかっていきてる。
120神も仏も名無しさん:2009/12/27(日) 01:09:49 ID:V07lRLT6
すべてがニルヴァーナだとしたら なぜニルヴァーナに目覚めるための瞑想修行という
果てしなき苦難の道を歩かねばならぬのか すべてがニルヴァーナだからだ

君は救世主でいる あらゆるものと同じように もし君が救世主でないのなら
君はパン屋にも自動車修理工にも 農夫にも遊び人にもなれはしない

この世には様々な栄光や満足や快楽がある だが人間は ただ遊び人として戯れるのみ

救世主とは君が死んだ君自身のことにほかならない
救世主とは 救済すべき何ものもないことに
目覚めた君自身のことにほかならない

救世主になるための瞑想修行は 余りにもイージーすぎて
渇望と情熱が豊すぎない人達には 迷惑千万、危険きわまりないものとなる

危険とか障害とかは エゴのみにとってのものである
それゆえ現代においては 真実の瞑想は反自然的行為に見られる

いうなれば、君達は、体験ではない体験それ自身を再体験しようとしている

君達こそ あらゆる素晴らしい体験と あらゆる醜悪な体験との
演じ手であると同時にそれ以上のものであるにもかかわらずだ。

プロセスもテクニックなぞもないことを体現している あらゆるあなた達に捧げる
121神も仏も名無しさん:2009/12/27(日) 01:19:31 ID:V07lRLT6
仏界、入りやすし。

魔界、入りがたし。

ここ、入りやすいか、入りにくいか?
122神も仏も名無しさん:2009/12/27(日) 01:31:36 ID:V07lRLT6
すべてはすべてだ。

トートロジー(同語反復)が 思想的には究極の真理になってしまう。
だが、同語反復とは何だろうか?

死の刹那に私は知る―――
人間と称する何ものかの一生とは、一刹那の夢の戯れであったことを。

回わる回わる 回転木馬 まわるまーわーるー かいてんもくば

神の戯れ、私自身の私自身

人生は長いようで短い、なぞと言わないでくれ。
こんな言葉は、
一度も本当に生き切ったことのない バカモノがほざくまっかなドウソだ。

まことにまことに言う、人生はただただ短い。 人生は、ただただ短いというのも まだ妥協だ。

人生と称されている何ものかは 一刹那 無限のいっしゅん

本当のことを言えば、人生なぞないのである。

われもなくうつし世もなく なにもかも なにもかもなしなにもかもなし
123神も仏も名無しさん:2009/12/27(日) 01:43:58 ID:V07lRLT6
クリシュナ イエス・キリスト 釈迦 老子 すさのをのみこと

臨済 道元 ババジ パドマ・サンバヴァ クリシュナムーティー 無為隆彦………

こいつらは、ウジ虫であり、タバコであり、はなくそであり、クソであり、快苦であり、

あなたであり、わたしであり、 神であり、悪魔であり、 太陽であり、月であり、

地球であり、海であり、 砂漠であり、宇宙であり、 オナラであり、ニルヴァーナであり、

新宿の売春婦であり、 すべてのすべてであり、 それ以外である。

そういうわけで、太郎も花子も ミーちゃんもハーちゃんも

この只一人の無限なる私自身というわけだ。

われもなくうつし世もなく なにもかも かみのなかなるかみのたわむれ
124神も仏も名無しさん:2009/12/27(日) 02:03:32 ID:V07lRLT6
何事も、これで終りだということはない。

孤独を、ほとんど絶対的なまでの孤独を感じる時もあり、
すべてを超越して、すべてのすべてである時もある。

私は私だけの私 私はあなただけのあなた 私だよ…… おれだ!

戯れたわむれたはむれ……

恐怖・不安・デカダンス・悲しみ・苦悩
まわる……回転木馬……
ワオ、ワオ、ワオ
たわむれ……

悟り・迷い・シッチャカメッチャカ 秋の虫が、鳴いている。
125神も仏も名無しさん:2009/12/27(日) 02:16:56 ID:V07lRLT6


月並みな言葉だが、ねえ、あんた、愛は愛を愛している。
126神も仏も名無しさん:2009/12/27(日) 10:32:16 ID:caw4NAt6
ダイジは結局実在そのものにはならなかったのか
その後でなったのかな
何で自殺したんだろう
127神も仏も名無しさん:2009/12/30(水) 21:43:09 ID:71d7cgSO
何で自殺したんだろう
128神も仏も名無しさん:2009/12/30(水) 23:26:44 ID:zfhUpMLj
究極講座 ダンテス・ダイジ テープより。

なまじ、悟り、見性っていうのを幾度かやるとね、かえって普通の人よりもどうしようもなくなる。
「うんとね、瞑想寺院ってのはさ、避難所みたいに考えていいわけ」
もちろん、どういう風に考えてもかまわない。
唯、基本的にはね、それは、あの、社交場でもあるが、ある時期まで社交場でもあり、
何故なら社交って言うのは君たちの精神健康にとって、とても大切な事だ。
君たち余りにもぬけがけしたいと思いすぎるがためにね、人と人との関係さえ満足にできない。だから社交場、大いに必要だ。
唯、その前提は例外が唯一つも無いということ。みんな、同じなんだ。
それさえ分かっていたらとても楽しい社交場になるよ。
ところが君と俺とは違う、俺のが一段階悟りは深い、なんてやりだすからおかしくなる。
俺は恐怖を感じない、君は恐怖を感じているなんて振りをするから、いよいよやりづらくなる。

みんな同じなんだ。一番最後の最後。
すべてが終わった所に到達しない限り、人間はどんな風に上手いことトリックを使って厚い仮面を被ってても皆、同じ穴のムジナだ。
同じだけ不安に悩み、同じだけ内面では恐れ。
そして、その違いといったらさ、上手く内面の不安や恐れをだまかす事が出来るタイプの人間とさ、
それが出来ないタイプの人間との差に過ぎない。
129神も仏も名無しさん:2009/12/30(水) 23:41:36 ID:zfhUpMLj
進化が神様といっていい。成長が。成熟が。

そして、そして、一番さいごのカルマを通じてね。自分がほんとにそのカルマにたいして全力をかけたなら。一番最後に至る。神自身に、俺自身に。
その時、すべての答えがそこにある。今まで不可能だった安定と自由の欲求。その二つが同時にそこに在ることがわかる。
しかも、それは絶対の安定であり、絶対の自由だ。つまり、絶対の喜びであり絶対の安心なんだ。
その時、もうどんな方向も君はつくりだす必要がない。

君たち、まともにホントに鏡見てごらん。自分でさえ、ちっとも知っちゃいないってことがわかるさ。知ってるつもりになってるだけだ。
よーく、見てみろ。初めてみるようなもんさ。ほんとにマジで見たら。
「あれ、この人だれだろ」それぐらい神秘なんだよ、君たち一人一人が。
そして宇宙っていうのは、君たちのそういう神秘さと同じだけ、神秘だ。
それは正に一つの、一本の花だ。一本の野の百合だ。
そして、それは花開こうとひとりでに動いている。


よく、誤解するのはね。なにか努力しないでリラックスしたら物がひとりでにさ、整うっていう考えかただ。
それはね、ある成熟の段階ってのを超えたときに言える言葉だ。それ以前は断じて努力だ。断じて自分の誠意をそこにかけなきゃいかん。
じゃなきゃ、ほんとに花開かないで死んじゃうよ。
人間にかかってるんだ、宇宙ってのは。いや人間なんて抽象的だ。きみにかかってる。

が、何れにせよ一番この世の中で大きい出来事っていうのはね、たった一人の人間の中で花が開くってこと。
だが、とにかくこの三十年のうちに君たち、の花を開かせなくてはならない。
で、花が開くって事はね。すべての存在っていうのが存在自身を祝福するっていうか、賛美するっていうこと。
その時、すべてが分かる。すべてが。
130神も仏も名無しさん:2009/12/30(水) 23:45:07 ID:zfhUpMLj
唯、肝心な事はね、君がよかれ。より良く、より良く、より良く、っていう気持ちでもっているってことだ。
それはもちろん迷いだ。究極の立場から見れば。が、ね、それ以外に究極まで行き着く方法はないんだ。
「誰でもやはり?」
そう、誰でも、その迷いの中から出発する。
そして、そのよりよくってものを捨てて、うん、もう、問題ないって言ったらね。
それはもう、なにも生まない。淀んで、つまらない、ろくでもないものしかそこには出てこない。花は開かない。

じゃあ、何のために花なんか開く必要があるのか?これには二つのこたえがある。
もちろん、花なんか開く必要がないよって君たちが朗らかに言えるとしたら、君たちは花が開いているんだ。
が、何か理屈ぶって「花なんか開く必要ねえじゃねえか」、って言うんだったらね。
君たちはさ、まさに花を開く一過程としてその経験をしているとしか言えない。
なぜなら、君たちに宇宙があるんじゃないんだ。君たちにこのもの。名づけようもない、このもの。
この全体があるんじゃないんだ。
この名づけようもないすべてというのが君たちを在らしめているんだ。
131神も仏も名無しさん:2009/12/31(木) 00:00:58 ID:zfhUpMLj
ほんとうに勝手にしてみろよ。
君たちがさ、ほんとうに大丈夫だから。
ああ、神なんだよ。神。分かる?神。 
あの神様って言ってるだろ、色んな教会かなんかで、あそこに祭ってある全てであり、それを超えたものだよ。
ひとりひとりが。
ほんとに勝手にやってくれよ、ほんとに開いてみろよ。自分を。
そしたら分かるさ。何をオドオドするんだ。勝手に自分で造り上げるな。
ほんとに開いてみたらばさ、そしたらわかるよ。
無理しないで、全然無理がなく、自分の好きな事を自然にできるよ。
まるで一番静かな流れのように、豊かな流れのように。

どんなに人間っていうのがね、鏡、鏡っていうことに騙されるか分からない。
つまり勝手になにか自分でさ、縛るものがあると思い込むんだ。

だけど、どっちにしてもさ、一番自分のすきなものを選べるって事さ。
そして好きなものを選ぶって事はね、あらゆるものを背負うことになるけど。
だけど、ほんとに好きなものを選んでいる時はさ、背負ってるって意識がね。
普通の背負ってるっていうかたちではない。
132神も仏も名無しさん:2009/12/31(木) 01:19:47 ID:lYCZjpH5
>>127
自殺じゃなくてガスパン瞑想中の事故死。
133神も仏も名無しさん:2009/12/31(木) 08:28:43 ID:0MDzQthO
>>132
それって確定? よく知ってる方ですか?
そういうふうに言う人もいれば自殺って言う人もいるけど

それに自殺じゃないとしても何故事故死したのかとは疑問に思う
何故そういう運命だったのかというような意味で
まだ若かったしよくは知らないけどまわりの人とも普通に関係もってる頃に唐突にですよね
134神も仏も名無しさん:2009/12/31(木) 12:42:57 ID:tX/j5F2w
確定のわけないじゃんw 真実を知ってるのは、当時同棲してた女性だけ。
(上記のコピー出典元の編集にも携わった人)
135神も仏も名無しさん:2010/01/05(火) 14:03:33 ID:Mg/Oxqtz
 最も学ぶべきことは それを君は最もうまく 生きたり教えたりできる

 学習者として実行者として教育者として以外に救世主はあり得ない

 君の行為や表現が 世に公表されたとしても 決して恥じてはならない 例え公表されたものが真実でないとしても決して恥じてはならない

 世の人々が 君を自分勝手な奴だと非難したとしても 君が本当に好きなことをしたのであれば
 本物の救世主である 君は自分に忠実に生きること以外に生きることはできない
136神も仏も名無しさん:2010/01/11(月) 00:05:02 ID:J6mGSQju
瞑想とは、全次元と絶対的非在との、最終的結末であり、

それと同時に、その中間であり出発点である。

それゆえに、人類の全努力は、

純粋瞑想に打ち込むための余暇を作ることにある。



人生と存在との根本的疑問なしで、公案禅を修行するのは、愚かさ以外の何ものでもない。
公案とは、あなたから自発的絶望として出て来るものであって、
いかなる覚者も、あなたに公案を作り出して上げることはできない。

137神も仏も名無しさん:2010/01/11(月) 00:21:27 ID:J6mGSQju
光が神の霊的ヴィジョンであり、
あらゆる霊的存在次元の諸形相は、光と闇との多様多元な結合による
あらゆる種類のリアリティーにすぎない。

例えば、霊的中心太陽は一つの実在であり、この現象世界は、その最も外側を右回りに旋回している。

もし霊的中心太陽を、大日如来の中心としてとらえるならば、十の次元を見下ろすことができる。

霊的中心太陽とその最も下層に属するこの世との間にいわゆる神霊界が実在する。
したがって、神霊界が、この世の原型であるという言いかたもできる。

もちろん、悟りそれ自身は、霊的中心太陽の光でさえもないし、また、実在しているとも言えない。

ニルヴァーナとは不二一元でさえもない。
神とは、ニルヴァーナの中なるマーヤの流出源にすぎない。

ブタが空を飛んでいる。完全な無意味さを愛しているのは誰か?

私は誰か?誰かとは誰か?

138神も仏も名無しさん:2010/01/11(月) 00:45:49 ID:J6mGSQju
体験という用語を使うのなら

とにかく、ニルヴァーナは体験した方がいい。

なぜなら、一切生類は、ニルヴァーナから生まれ、ニルヴァーナを再体験するためにあらしめられているからだ。

もっとも、体験されたニルヴァーナは、ニルヴァーナではない。

いとし子よ、どのように過酷で冷たい冬も、初春を迎える時が必ずくる。
ただし、
君が、あくまでも正しく生き続けた場合には。これがヨブ記の単純な答えである。

正しく生きるとは、君が正しいと思った、
観念や信念やイデオロギーを生きることではない。
まちがったと思った時に、ただちに、そのまちがいを認めることである。

初心者にとって、

瞑想とは、永遠をかけた全面的努力である。

そして、純粋瞑想が開示されるのは、時節が熟した、ほんの一刹那の瞬間。

君という欲望は、結局、一つのものしか求めてはいない。
それゆえ、君とは、苦そのものに他ならない。

この世の出来事は、それが、どのように長い時間に思えても、一刹那にすぎない。
あの世の出来事についても同じである。

霊界の中心太陽とは、創造の光の発出源にすぎない。
個生命体達は、顕界と霊界とに交互に転生しながら、
果てしない旅の途上のどこかで、中心太陽へ飲み込まれていく。
139神も仏も名無しさん:2010/02/18(木) 13:39:12 ID:BmY0LTMv
先生であり友人それがダイジ
140神も仏も名無しさん:2010/02/21(日) 20:12:29 ID:/5amTQlw
転生先がフロリダだなんてなんで真に受けてしまう人がいるんだろう。
141神も仏も名無しさん:2010/02/28(日) 18:53:27 ID:tIBGwKVq


すっかり疲れ果てたように 男が眠っている
かすかな笑いが顔に浮かぶ 
――私はとうとう 喜怒哀楽の悪夢から醒めたぞ
男はそう夢見ていたのだ

すずめが鳴いている 久遠の夢がすずめとなって鳴いている

あの清澄な歓びである解脱 それへの求め

人間を超越し去った三昧 三昧を修しいかんとする心
結局それらも夢であるだけだ 人生は死ねば醒める夢ではない 死んでも醒めることのない夢である
生は夢である 死は夢である
もし夢以外のどこかに 現実というものがあるとしたら それもまた夢であるにすぎない
限りないという夢があり 永遠に続くという夢がある 根も葉もない夢である 夢も所詮は夢である

すずめが鳴いている もはや人間も死もなく 久遠の夢が すずめとなって鳴いている

喜怒哀楽の夢を見るという夢があり 夢から醒めるという夢がある

すずめが鳴いている 久遠の夢が すずめとなって鳴いている

142神も仏も名無しさん:2010/02/28(日) 18:58:47 ID:tIBGwKVq
哄笑

不幸なもの 深刻なものには
滑稽がともなう
たとえそれがいかに
人間そのものの深みに根ざした
言語を絶する不幸であろうと
虫のよい人間という生きものは
やはり滑稽ではないか
私はその人間不幸の滑稽を笑う
高らかな哄笑を愛する
143神も仏も名無しさん:2010/02/28(日) 19:03:09 ID:tIBGwKVq


死は克服すべきものでもない
死は死ぬものだ

つぼみはどうして花開かねばならぬのか
つぼみはつぼみでいいではないか
それでもつぼみは
花開こうと苦しむ

波の音が聞える
この波の音は私しか知らない
やがて誰も知らなくなるだろう
144神も仏も名無しさん:2010/02/28(日) 19:21:06 ID:tIBGwKVq
私はクリシュナ
この現象宇宙そのものの化身 生成流転という愛の幻力の子
私は果てることなき世界とともに 永遠に遊び戯れるもの
私の微笑は 傷つき倒れた兵士の中に歓喜の光を与え 
神を呼び叫ぶ苦行者の孤独の中に 大宇宙そのものの愛となって現われる
私の遊戯三昧は
あらゆる戦いと修行のいばらの道を 一瞬に光り輝く大道と化せしめ
ヴィシュヌ=マーヤーの遊戯は その無限救済も意識することなく
いつまでもいつまでも 果てることなき大生命とともに くり広げられる
私は抱くともなく ブリンダーヴァンの森で 牧女達に愛撫を与え
その甘美な愛撫は いつしか肉体と世界を超える
牛飼いである私は 牛を生命そのものの安心で包み
戦士となった私は 言語不倒の脅威となって あらゆる恐怖と不安を粉砕する
サニヤーシンと聖者達すべては 私の手足であることの至福に 自己と宇宙を忘れ
時空物の三元の無い私自身は 時空物という果て無き華を 
戯れに咲き乱れさせ 戯れに私の胸の中へ 吸い込み憩わせる
それでも私は一人のクリシュナにすぎない
鹿と間違えられ獲師の矢に死んでも 私の遊戯は尽きることがない
私はクリシュナ
私は私のクリシュナの道を生きる以外になく
そしてサニヤーシンの道も
社会人の道も私は生きる以外にない
私はクリシュナであり
私は私の大宇宙の
化身である他はないのだから
145神も仏も名無しさん:2010/02/28(日) 19:26:37 ID:tIBGwKVq
悲しみについて

鳥が天を飛んでゆく


あれは悲しみなのだろうか
しかし鳥は飛ぼうとせずに飛び
花は開こうとせずに開いている

草は芽吹こうとせずに芽吹き
石ころはころがろうとせずにころがっている

人の子は生きようとせずに生き
その悲しみを悲しもうと思ったことはない
146神も仏も名無しさん:2010/02/28(日) 19:36:02 ID:tIBGwKVq
瞑想十字マップ狂言

空間的進化とは、あなたが神へ回帰していくプロセスの非空間的狂言である。

時間的進化とは、神の七つの身心の非時間的な歴史の遊戯である。

ところで、ニルヴァーナの概念的理解によって、
あなたが、
ニルヴァーナであることに気づくはずはないのだから、
私は空間的進化の概念についてだけ、
狂言すればよい。

あなたの空間的進化とは、
そのまま非時空連続的な深化であり、
単純に言えば、坐禅あるいはクンダリニー・ヨーガの修行のことである。
147神も仏も名無しさん:2010/02/28(日) 19:54:26 ID:tIBGwKVq
ステップ1・有想定
仏教なんぞでいう欲界定と四色禅定のこと。
単純に言えば、平静さ・さわやかさ・注意深さ・やわらかさ・歓び・直感・幸福感・清らかさ・安心感・静けさ・力強さなどなどが、
ある調和した身心として生じているということ。
低級あるいは、ポピュラーな神通力なんぞは、欲定界あたりで起こり得る。

ステップ2・無想定
仏教なんぞで言うところの四無色禅定のこと。
すなわち、
空無辺処定・・・限りない広がりがあるという意識。
諸無辺処定・・・あらゆるものが限りない広がりにあるという意識。
無所有処定・・・何もかもがないという意識。
非想非非想処定・・・何もかもがないという意識もないという状態・

スッテプ1・有想定と、スッテプ2・無想定とは、あなたが修行することによって体験する事ができる。
しかし、有相三昧と無相三昧は、あなたの体験ではない。
単純に言えば、三昧とは、そこに絶対者の 七つの顔・七つの次元・七つの宇宙、七つの絶対、七つの全体、七つの瞑想が、瞑想している、
あるいは、瞑想していないという、そのことであり、このことである。
148神も仏も名無しさん:2010/02/28(日) 20:09:18 ID:tIBGwKVq
したがって、あなたが、もともと、ありもしないことにより、

非ステップ3・有相三昧
絶対者が絶対者だ。絶対者があなただ。全体が全体に目覚めている。全体があなただ。
絶対者が絶対の力だ。この絶対とは絶対に絶対なのである。
絶対の意志は、全体の生命だ。絶対の情熱は、全体の至福だ。
絶対の愛は、全体の慈悲だ。絶対の調和は、全体の自由だ。
絶対の智恵は、全体の覚醒だ。
一切万象、多様次元自身が、目覚めている。

非ステップ4・無相三昧
闇の夜に鳴かぬカラスもない。父母未生以前の本来の面目もない。
仏教なんぞの滅尽定でもない。禅なんぞの無でもない。
隻手の音声なんぞ夢のまた夢。ヨーガの解脱なんぞでもない。
いわゆる概念的には、ニルヴァーナのことだが、真のニルヴァーナは、いかなる概念内容も持っていない。

これは、完全に生きている。これは、完全に死んでいる。これは、生きても死んでもいない。
これは、初めであり中間であり終わりである。
これは、初めも中間も終わりもない。
149神も仏も名無しさん:2010/02/28(日) 20:32:56 ID:tIBGwKVq
ここまで来たら、ついでに、時間と空簡に分割できぬ、神との非時間的な歴史的進化についても、狂言しよう。

アトランテス密教・アメンティー・タントリズムでは、アトランテス文明を人類の初めとする。
したがって、人類進化の周期は、第三周期から第九周期までの、七つのステップを持ち、第十周期は、新しい鳥の、第一周期となる。

第三周期
力とは肉欲のことであり、肉欲とは、根本無明の渇望のことである。
力の鳥とは何かを求めて鳴く。
(肉体は肉体を求めて行為する。)

第四周期
意志とは生命意志のことである。生命とは意欲のことである。
生命の鳥はあたりまえに鳴く。
(それゆえ、汝は世界を生きる。)

第五周期
情熱とは権力欲のことである。権力欲は愛憎を通過して、愛情に変容する可能性を持つ。
情熱の鳥は甘美に鳴くが、今や激しく叫ぶ。
(叫びは、一つの産みの苦しみだ。)

第六周期
愛とは、あなたさえも含んだあらゆるものである。愛の鳥は石ころの微笑だ。
いつまでも、あなたの死を待っている。
(神は悪魔とファックしている。)

150神も仏も名無しさん:2010/02/28(日) 20:35:51 ID:tIBGwKVq
第七周期
調和とは、本当の自由だ。自由とは、闇の夜のカラス。
自由のカラスは恐ろしい静寂の中で、大声で笑って世界をくだく。
(沈んだ大地を嘆く鳴かれ。)

第八周期
智恵とは、無限の光だ。無限の光は、無限の直感だ。
智恵のイーグルは、柔和なるハトに変容としようとしていて、すべての終わりを慈しむ。
(終息とは、何か新しいものへの予感だ。)

第九周期
もともと語るべき鳥はいない。
(何と多くの鳥達が戯れていることか!)

第十周期
サイクル・クンダリニー・ニルヴァーナ・マーヤー、果てしなき空即是色。
(限りなき空の中に、新しい鳥が、密かに降りて来る。)



浮世狂言は語られ続けている。
あの世狂言も語られ続けている。
あらゆる時と場に、
まるで、
狂言ではないかのように。
いくたびとなく…
いくたびとなく…

151神も仏も名無しさん:2010/03/10(水) 10:05:38 ID:qaiQoORF
さて、狂言まわしは、このぐらいにして、私達人類の緊急課題をここに提示する。
それは、いかにして戦争をなくして、平和を得るかではない。政治経済の混乱でも、
人間性の超管理下や堕落の問題でもない。エネルギーや公害の問題でもない。
人類の最終目的や意味や価値の発見でもない。現代物質科学文明の崩壊でもない。
それらは、症状であって、病因そのものではない。それ以前の根本原因が、
人間の内にあることの結果にすぎない。
私達人類全員は、この私という根本原因を、何よりも先に、探求せねばならない。

私とは何なのか? 私の死とは何なのか? 私の生とは何なのか?
この究明はいかなる観点を持ってしても解答を出すことはできない。
あらゆる観点と立場が、すでに、私という欲望の混乱だからである。
にもかかわらず、私の正体を開示しない限り、私達人類は、とめどもない混乱と
崩壊の中に悲惨な死滅を死滅するだろう。
私達は、何はさておき、私自身というこの根本前提の暗黙の了解を否定して、
私とは何かを、まったく新しく究明し直さねばならないのである。
これが、この終末の時代の全人類的な最重要問題なのだ。
私の正体を見破り、神に目覚めるのだ。

こころみに問う。
欲望とは何か?
人間とは何か?

これは、哲学的あるいは宗教的あるいは、どうのような一定の立場の命題にも
なり得ない。
152神も仏も名無しさん:2010/03/10(水) 10:06:49 ID:qaiQoORF
今やプラトン周期約二万五千年の内の半周期約一万二千年の下降サイクルが終わろうとしている。
キリスト教黙示的に言えば、至福七千年期の始まりに到達できるかという時節である。
真の占星学は、クンダリニー・ヨーガの完成なくしてはありえない。
それゆえ、本当の占星学はアトランテス文明のアメンティー・タントリズムの中に包含されていた。

それはともかくとして、いずれにせよ、西暦二千年前後に、双魚宮の時代は、
宝瓶宮の時代へ完全に移行することは、現代の占星術師達の共通見解であろう。

願わくば、アクエアリースへの終末と新生とが成ぜんことを・・・・
153神も仏も名無しさん:2010/03/23(火) 11:10:05 ID:VY9rVg5f
さいきん書き込み少ないね
ほしゅあげ
154神も仏も名無しさん:2010/03/27(土) 12:18:11 ID:8pq99QXU
ダイジさんはちょくちょく、ネタばらししてくれる良い人だったよな。
155神も仏も名無しさん:2010/03/27(土) 12:48:41 ID:p/V4WjM3
ネタばらしって何ですか?
お知り合いだった方ですか?
156神も仏も名無しさん:2010/03/27(土) 19:42:09 ID:8pq99QXU
以前2ちゃんねるに流出した肉声テープの中でダイジさんが話す内容のことです。
要所要所でダイジさんは言葉のトリックに引っかからないように解説してくれていた。
たとえば、
「本に書かれてあることに乗せられたか、俺の言ったことに乗せられたかのどちらかだろう」とか
「悟りよりも大事なことがある人がいる。悟りよりも恋愛が大事な人。悟りよりも絵を描くことが
大事な人。」
今を精一杯生きること。それをダイジさんは説きたかったのだと思う。
そういうこと言ってたから、37で燃え尽きてしまったのだろうか?
157神も仏も名無しさん:2010/04/01(木) 18:50:03 ID:dnVbRCU3
すべてに対する全面信頼、それが瞑想の出発点であり帰着点である。

おお、限りなく愛しいマーヤよ!六道のつじよ!  さよなら・・・・

すべては、あなたのためにあるのではない。

君が今、どのような状態でいようと、この今を愛は、考えられないくらい愛している。

『一番楽な方法とったらいい』

『力むな』    『素直であれ』

『うん、そう。本当に分かってるものはね、人間ではなくてね、命だ。命だけは永遠に分かってる』

もし、あなたが、どんなものにも納得を見出せないということが確実になったならば、
私のもとに本当に素直に帰ってきて下さい。

あなたに真実の出会いが 
       起こりますように

158神も仏も名無しさん:2010/04/01(木) 18:58:43 ID:dnVbRCU3
おめでとう 君は 君自身の旅を終わらせた
おめでとう 君は 君自身の旅を始めた
おめでとう 君は 今・ここで 絶対の終りと絶対の始まりとを見破った

さようなら君自身 さようなら君自身の旅

さあ、今でいいんだよ、いま、うん、いま自由でいいんだ。
そしてその自由の中をね、さらに自由を求めて生きていくっていうのが人間の戯れなの、この宇宙の戯れなんだ。
そんなカタイこと言うなよ。
今、自由なんだ。自由だからこそ君は精一杯生きることが出来るんだ。

とらわれる必要はないんだ みんな一つながりなんだから

愛のテーマっていうのは 既に生きている君のすがたなんだから
きみは生きている この絶対の愛のなかを愛にむかっていきてる。

神秘が今ここに歩いている  神秘が今ここに坐っている

私が対象を探すのが不安であり、対象を聞かせてもらうのが愛である

人間が 人間のものではない人間性を自覚する途上において 言葉は無効だなどと 
今さらとやかく言うにはおよばぬ 人類すべてが すでに求道者としてしかありえぬ 時節に入って久しい 
ことばとは実体験とは別のものだと 言いたい人は言えばいいし そのように生きたらいい

この現在の 様々な姿をとった求道者達にとっては 言葉は一輪の野の花であり
瞑想体験の一つともなる どんなことも結局は あなた次第なのだから。
159神も仏も名無しさん:2010/04/01(木) 19:00:21 ID:dnVbRCU3
この本は、
 今や死のうとしている君と
 今や死んでいる私との
 果てしない果てしない果てしない戯れである。

 そして君は冥想を決して止めてはならないし、
 君が冥想を止めることはできないのだ。

 この本は、私という存在もしない夢幻
 が雲をつかむようなあなたに、
 法悦の酔いのなかで書かれた。
 「カキクドキ」の文句の集まりである。

 あなたは、魂のどん底から、この世とあの世を楽しみたいと思わないか?
 だとしたら、あなたは”あなた”という乞食を、
 私は”私”という乞食を捨て去らねばならない。
 そして、あなたと私は、乞食以下の乞食になるのだ!!!

-----それが冥想である
-----これが冥想の戯れである。

ねえ、あなた、
あなたという たった一人のあなたを死んで下さい。
160神も仏も名無しさん:2010/04/02(金) 17:01:41 ID:io8rahkk
帰っておいで

自分が存在しているという世界の存在は 結局あらゆるものに 悪意をもっている

新宿駅で飛び込み自殺があった 係員がレールのあちこちに散った 肉体のかけらをひろっていた

人間は無限のかけらにすぎない・・・
これが最もごうまんなる人間の 至高のセンチメンタル・エゴイズムだ

人間は無限なるものの一部にすぎない・・・ かけらと一部とは似たようなものだが
貝とコカコーラ程の違いがある たいした違いじゃないけれどね・・・

人間は無限なるものの一部に過ぎない・・・
これが 人間性の究極の深遠である 
これが人間の魂の基調音である これが人間にしての最初にして最後の美
あるいは人間性そのものという何ものか

君は果てしなきものの一部にすぎぬ
だから 果てしなきものに帰るがいい!
もっとも、その頃には、君という人間性の夢も 夢の中へ跡形もなく消え去っている

とにかく どういうわけか、超えていくのさ 超えていくんだ
石を超え 山を越え 彼女を越え いとしい娘子を越え スモッグを越え 文明を越え
ニルヴァーナを越え 越えることを越え・・・

そして 帰っておいで  今 ここに
161神も仏も名無しさん:2010/04/02(金) 17:03:13 ID:io8rahkk
タオ

これは絶対でも相対でもない 流れているわけでもないし 久遠の静寂というわけでもなし

これはこれだろうあれはあれなんだ

静かじゃないかい・・・うれしいじゃないか 哀しくもあるしね
もちろん 恐ろしくもありんす

みんな生きてる なにもかも死ぬ

そんなにツッパルなよ! もっともっとどうしようもなく、ツッパレ、ツッパレ、ツッパレ!!

無が有を産んだのだろうか? 有が無をあらしめたのだろうか?
それとも、無と有が同時にからまっているのか?

ニルヴァーナが真実なのだろうか?マーヤが真実なんだろうか?
それとも、
ニルヴァーナもマーヤも真実なのか?
それじゃなきゃ、
ニルヴァーナもマーヤもありもしないのか?

いいじゃないか?
断じてよくない!!
いいじゃないか!
いいやだめだ!!
・・・・・・・・

秋の虫たちが鳴いているよ・・・
162神も仏も名無しさん:2010/04/02(金) 17:12:21 ID:io8rahkk
パラノイア

パラノイアはおもしろい 私たち人間は、みんなパラノイアだ。

欲望が標テキを仮作する 人間コメディーの幕が上がった

果てしなき流れは終りがない 無限の大海のまっただ中にいるのも知らずに

そこで物語が尽きることなく演じられているというわけだ

大いなるマーヤ・・・ 甘美なる欲念相続・・・ 不可思議な神の遊び 不可知な神の戯れ・・・

さあ、さあ、物語はすでに進行してるんですぜ!
この演技の唯一の観客は、神様ただ一人
あの、ニンマリと微笑を浮かべた   あいつだ!

だが、あいつもまた 一人ぼっちの役者に過ぎないかもね・・・

夢を夢と見るも夢
 夢を夢なる夢のまた夢・・・・・・・・

三神歌―――
われもなくうつし世もなくなにもかも
 夢の中なる夢のたわむれ

われもなくうつし世もなくなにもかも
 神の中なる神のあらわれ

われもなくうつし世もなくなにもかも
 なにもかもなしなにもかもなし
163神も仏も名無しさん:2010/04/10(土) 00:21:41 ID:YQO0eRme
164神も仏も名無しさん:2010/05/12(水) 12:20:03 ID:4ZoRRdTH
ダイノジ
165神も仏も名無しさん:2010/05/24(月) 21:36:32 ID:pQsxmsUm
166神も仏も名無しさん:2010/05/25(火) 16:58:37 ID:Vvi0S4XM
一刹那の戯れ

一刹那を戯れなさい。
次の刹那なぞありはしないのだから!

これは、刹那主義ではない。
刹那主義という、永遠の欲求不満のトリックではない。

一刹那の戯れとは、
夢にだに見ることのできぬ、あなた自身のことだ…

あなたは、恐怖を怖れてはならない。
あなたは、あなた自身を恐怖してはならない。
167神も仏も名無しさん:2010/05/25(火) 17:07:40 ID:Vvi0S4XM
サッパリわからん

おれは、死のトリックを見抜いたぞ!

死は闇でも光でもなかった…  悟りでも迷いでもなかった…

死は、生でも死でもなかった… 快楽でも苦痛でもなかった…

ニルヴァーナでもマーヤーでもなかった…

死は死ではなかった。
それは、考えられないほど素敵で
想像することもできないほど邪悪な時のない久遠の戯れだった。

おれは、すべてを見抜いたぞ!

けれども、おれは、何が何だかサッパリわかりはしない…

ああ、おれが、おれになった刹那よ!

われもなくうつし世もなくなにもかも
 夢の中なる夢のたわむれ

われもなくうつし世もなくなにもかも
 神の中なる神のあらわれ

われもなくうつし世もなくなにもかも
 なにもかもなしなにもかもなし


サッパリわからん!
168神も仏も名無しさん:2010/05/25(火) 17:28:21 ID:Vvi0S4XM
何と人間らしいことか

人間を超えようとする
意味づけることのできぬ永劫の情熱
それがいつ人間性の極限をもつき破って
無時間の神秘を実在せしめたのかは
誰も知ることがない
死を初めから超えていた情熱が
すべてを忘れた炎となって燃える
一つぶの雨滴にもかじりついて号泣し
そしてまた泥沼の中に浸り切る
もう時間も現象も神秘さえもいらない
いのちが いのちの中に完結している
完結をも忘れて
何と人間らしいことか
何と人間らしいことか
169神も仏も名無しさん:2010/05/25(火) 17:32:34 ID:Vvi0S4XM
窮  鼠

猫でなくてよい

大きな力を持った猫でなくてよい

鼠でいいと思う

ただ窮鼠でありたい

あの窮鼠の捨て身でありたい

あのどたん場の自己を忘れ果てた
真剣さでありたい

もう猫をかむかどうかを

問う必要もない
170神も仏も名無しさん:2010/05/25(火) 17:42:13 ID:Vvi0S4XM
虚しさを見切った人

芸者であろうが売春婦だろうが
殺人狂だろうが聖者だろうが乞食だろうがサラリーマンであろうが
この人間世界のあるがままを見切った人達のその深く静かな眸が美しい

釈迦の酒飲み修行は
人間と人間世界とを忘れ切ったところから始まり
誰を見ても神様に見えるほど
へべれけに酔いつぶれて終わった
171神も仏も名無しさん:2010/05/25(火) 17:48:30 ID:Vvi0S4XM
私とは誰か?すべてが私だ。すべてとは何か?
「何か?」とは何か?これ何者ぞ?

一つの時が満ちた時、なにもかもが、得体の知れぬものと化す。
それはもはや、恐怖でさえない。

七つのチャクラを通過し、七つのローカを通過したとしても、
禅の十牛図をたどり尽くしたとしても、それが、すべてではない。

誰が、私とは誰かということを、知りたがっているのか?

君が君自身を手に入れることは、絶対に不可能だ。

純粋瞑想とは果てしなき修行であり、限りなき戯れである。

言葉を言葉として聞けば言葉にしかならない。

神は恐怖で失神するほどの、ジョークやトリックやアイロニーが好きだ。
だから神は悪魔でもある。この戯れ自身が、自分自身に目覚めること、
それを、解脱・大悟・ニルヴァーナなどと名づけているらしい。

如何にして煩悩世界を尽滅させるか?如何にして愛であり続けるか?
如何にして自我を死ぬか?如何にして解脱を得るか?
これが
君たちの学んでいるオカシナ・テクニックであり、
君たちの遊んでいるオカシナ・トリックである。
172神も仏も名無しさん:2010/05/25(火) 17:54:18 ID:Vvi0S4XM
大悟

見性とはなにもかもいいんだ!という、理解ではない。
見性は、なにもかもよい!というそのことだ。

大悟にはいい! いやだもない。
なにしろ大悟には悟りも迷いもありはしない。

だが、今のところ、
心の底から本当に愛着できる
何ものかが欲しい…

悟りなぞと、つっぱらないのがいい。
173神も仏も名無しさん:2010/05/25(火) 18:05:26 ID:Vvi0S4XM
悟りのテクニシャン

私は宇宙のカラクリを見抜くテクニシャン。
すべての道術家がそうであるように
私はこのテクニックに、すべてをかけているつもりだ。

そして 
すべての答え——
私自身の愛と全知全能とをいくたびか知り
そして、それと合一した。 

が、
私は何も知らない。
尾骶骨が痛むように・・・
174神も仏も名無しさん:2010/05/25(火) 22:31:12 ID:Vvi0S4XM
私の歌をわかってくれた
たった一人のマーヤ。
求めて尽きることのない情熱よ。

しなやかな美しさを秘めた
おまえ——私自身よ。

私は神秘な恋の囚人だ。
牢獄は、私自身。
おお、マーヤよ。マーヤよ。

帰しておくれ
おまえの何ものかのもとへ。
今や、私の情熱は尽きんやもしれぬ!?
175神も仏も名無しさん:2010/05/25(火) 22:33:09 ID:Vvi0S4XM
感情とそれからにじみ出す想像力は、欲望として以外にありえぬ個生命——人間にとって実に巨大な力を与えていた。
アトランティス文明の黄金時代は、人類の感情・想像・記憶を司るアストラルパワーの開拓の時だといってよい。
自我意識、合理的理性が今だ発達していないアトランテス人種は、合理的科学法則とは合理的科学法則とは
まったく異質の多くの夢を現実化することができた。
しかし、人類の進化は、そこでとどまることを許さない。
あらゆる個生命は、欲念を原動力として流動転変せざるを得ないからである。
欲念相続には、完全満足なる到達点はあり得ないことはいうまでもないだろう。

欲望は欲望を尽滅させるために欲望としてある。欲望は、充足と苦悩というゲームの作り手なのだ。

現代西洋文明の合理的理性から見た仮説としての人間観からの人間進化を位置づけてみよう。

そうするとレムリア人種は、意欲人間、アトランテス人種は、感情人間、現代西洋人種は、知性人間ということになろう。
現代西洋人種とは、地理上の西洋、東洋を意味するのではなく、紀元前三一ニ年以後の人類全体のことである。

176神も仏も名無しさん:2010/05/25(火) 22:35:24 ID:Vvi0S4XM

現代西洋工業都市文明の私達人類は、知性を中心として人間性の統合を果たさなければならない。
ウサンクサイ、まやかしのオカルティズムや単純な自然回帰という退行的願望や、
センチメンタルな意味での愛情や友情やカウンター・カルチャーなどに逃げ込むことなぞできはしないのだ。

だからこう言える、20世紀末の現代人は、その知性ゆえに誰も彼も死のやすらぎを願っているのだと。
これは決して異論ではない。花が花としての限界に来た時、実が出てこざるをえない。
それは花にとっての絶体絶命の闇である以外になく、実にとっては新しい未知なる実への第一歩なのだ。

もっとも、知性・理性・自我の虚無ゆえに肉体的な意味で死んだとしても、そこに、ほんとうのやすらぎなぞありはしない。
それは肉体的に死んでみたら納得できることだろう。

どうやら、欲望相続としての現代人類は、知性理性を「智慧」にまで進化させ全人的統合を
果たさねばならぬらしい。
それも、いかなるルールも保証もなしで・・・
私は私に直面しよう、知性を英知に変容せしめる『何ものか』を。
あなたはあなたに直面しよう、理性を知恵に変容せしめるサムシングを。

なぜなら 欲望の遊戯に終りはないだろうから
なぜなら マーヤのゲームに果てはないだろうから
177神も仏も名無しさん:2010/05/25(火) 23:01:02 ID:Vvi0S4XM
パンドラの箱

パンドラの箱は あけないにこしたことはない 智慧の樹の実は 食べないにこしたほうがいい
けれども どうゆうわけか種子は花開き果実になってゆく そうなって行くそのままにまかす以外ないじゃないか

何と完全なんだろう!

見知らぬ未知に飛び込むのは本当に恐ろしいことだ
そしてそれよりもっと恐ろしいことは君がすでに未知だということだ
私はなにも知らないとも言えまい 何と完全なんだろう!
178神も仏も名無しさん:2010/05/25(火) 23:12:58 ID:Vvi0S4XM
過ぎ去る夢の夢よ・・・

楽しみが一ミリもない時はどうしたらいいのか?

何もかもがわからないということに気づいたときはどうしたらいいのか?

私はそうである以外にない。

何もかもが全く見知らぬものと化す。不安は意味もないのに不安と感じられる。

重苦しい今の夢よ・・・  過ぎ去る夢の夢よ・・・

なにもかもいいんだよ

マーヤとは無常を内に秘めた 甘美なるものへのたんできだ

なにもかもがないと知ったら なにもかもが輝いている 底知れぬ闇さえも光り輝く

ああ、生命力よ!情熱よ!あこがれよ!クンダリニーよ!マハー・マーヤよ!

なにもかもいいんだよ・・・
179神も仏も名無しさん:2010/05/25(火) 23:15:47 ID:Vvi0S4XM
決して情熱をやめないこと

情熱なんぞどうでもいいなぞと

カタイことをいわないでくれたまえ

何ものかへの情熱こそ

世界を世界にしているのだから

君はあらゆるものとともに死ぬ

君も世界も

もともとありもしないここに

あらゆるものが戯れている

いうなれば君達は体験でない体験

それ自身を

再体験しようとしている
180神も仏も名無しさん:2010/05/25(火) 23:28:59 ID:Vvi0S4XM
ここに、グルにして戦士なるよき家庭教師クリシュナが王子アルジュナに語った言葉をバガヴァット・ギターから引用してみよう。


恐れるな、アルジュナよ
戦え、アルジュナよ
殺せ、アルジュナよ
人間の本性は
決して生まれも死にもしない

人々がいかなる方法で
私を求めようと
私はその願いに答える
人の旅するいかなる道も
すべて私の道だ
どこを歩いたとしても
すべては
私に帰ってくる

そのとおり。
トスといいダンティスといいクリシュナといいアルジュナというも、皆あなた自身のことなのである。


181神も仏も名無しさん:2010/05/25(火) 23:35:10 ID:Vvi0S4XM
本性を 忘れた人間は、
決して 本性を忘れ果てはしない
しかし、本性に帰るには、いのちがけの行為が必要であり、
そこには、人間の苦はもうない。
生きることが 耐えることだとあきらめのつく人はそれでいい。

だが、完全を絶対至福を求めざるをえないほど
苦悩している人には、自己と世界を捨てて
そこに至る道すじがある。

だが、その完全なる知恵と愛のやすらぎとは、
現代人にとっては、危険きわまりないものになったようだ。

自殺もまた完全なるやすらぎへのあこがれなのだろう。
人類よ 気づけ!

ありがとう すべての ありとしあらゆるものよ・・・
182神も仏も名無しさん:2010/05/25(火) 23:38:50 ID:EFw56Idv
黒は白なのだ

黒を白と言いくるめる そうすると黒は間違いなく白だ
これが人間世界という狂気ありさまである

それは暗示とかイメージとかのことではない
潜在想念界のトリックのことでもない
ただ 黒と白が別れる以前からの 断言にすぎない
夢、気の持ちようだだとか 信念の力だなぞと考えるなかれ

夢でしかない世界は黒は白なのだ

されば、汝、人間よ、
進め、進め!
限りない黒と白と混沌の中を・・・

ところで・・・黒でも白でもいいじゃないか
183神も仏も名無しさん:2010/05/25(火) 23:42:58 ID:EFw56Idv
かのように・・・

あらゆるものは そうなる以外ないかのように生々変化する。

そうなってゆくそのままで完全にいいのだ。

不安や苦痛や恐怖でさえ神の中なる神の戯れ。

それでよくない!と言ったところで、ストーブの上のヤカンのお湯はうなっている。

欲念相続

悟りへの修行
これもまた他のあらゆる人間営為と同様に
欲望の一形式であり、したがって、欲望のあるところに苦しみがあるのは、当然である。

解脱への修行は

他の一切の人間の欲念の戦いと変わることなく、苦あれば楽ありである。

ああ、それにしても、余りの戯れよ!夢よ!

セイナルものという夢

本ものもニセものもない。
あなたがたは、聖なるものという夢を見ている。
絶対に信じられないほどの聖なる体験はある。
だが、
聖なるものなぞどこにもない!
184神も仏も名無しさん:2010/05/25(火) 23:45:13 ID:EFw56Idv
一つの夢が終わり
新しい夢が始まっているはずだが
悟りが夢であるように
私には何一つ
つかまえるものが見えない

私の眼がくもってしまったのか
新鮮な何かを私は
なおかつ、待ち続ける

神よ、
「何もかもなし」それ自身よ、
悟りが夢であったように
私という夢をことごとく

あなたの中へ消し去りたまえ

神よ「なにもかもなし」それ自身よ、
私自身よ
185神も仏も名無しさん:2010/05/26(水) 10:24:55 ID:gdns1kra
メシアン・ハンドブックの序言

アメンティーに近づけば近づくほど、あなたにとっての現象宇宙は、深い闇に包まれていく。
あなたが存在すると妄信している現象宇宙は、仮象にすぎないからである。
あなたの見ている現象宇宙が希薄になればなるほど、絶対そのもなるアメンティーの光明が、あなたを包む。
そのアメンティーの光明の中に、すべての答えならぬ答えが実在している。

私の言葉は、あなたの知的理解を求めてはいない。どのような崇高な教説も、結局はあなた自身の全生命をかけた霊的な解説によるものだ。
この「救世主入門(メシアン・ハンドブック)」という小冊子は、まだるっこしい逆説に満ちていると感じるかもしれない。
だが、私は、あなたの気やすめのためにいるのではない。

たぶん、この小冊子を読んで曲解や自分勝手な誤解をする人々が出てくるであろう。
だが、それは、どのように厳密に表現された教説についても言えることだ。

ここに書かれた言葉は、それがどのような印象をあなたに与えようと、「愛」そのものの自然な表現にほかならない。

私は、二元対立の人間性を決して肯定しない。「救世主入門(メシアン・ハンドブック)」の言葉のすべてはことごとく絶対愛なるあなたを示しているのだ。

このアトランティスの黄金文明の終末も近い。しかし、あなたの寿命が永遠だろうと一刹那だろうと、それはどうでもいいことだ。
あなたは、古い束縛多き人間性の非存在を知って、まったく新しい愛と自由の人間として甦るのだ。
186神も仏も名無しさん:2010/05/26(水) 10:25:47 ID:gdns1kra
現在のアトランティスは、トウラスの周期にあり、そして、あとすこしで崩壊しようとしている。
次の人類の華は、アクェアリスの時代の終りに起こるであろう。それは、この地球精神の周期的な絶頂期の最大のものになろう。

真の黄金文明とは、その外見的繁栄のことではない。すべてのものが、「愛」の流れの中で調和している世界をこそ黄金文明と呼ぶ。

「愛」なくして万物万象は、一瞬も生きるあたわずである。

このアトランティス文明末期のように、精神物理エネルギーの誤用による崩壊のにのまいを踏まぬことを祈るばかりだ。

「救世主入門(メシアン・ハンドブック)」は、新しい黄金文明の種まきであり、
そして、何よりもあなたというかけがいのない一つの個性が、
十全にこの世とかの世とをおおらかに戯れるために書いたものであり、
そしてまた何よりも、私自身の果てしない遊びである。

 
さあ、神を戯れよう。
187神も仏も名無しさん:2010/05/26(水) 10:28:23 ID:gdns1kra
「一つの教えは、その時その人に応じてしかあり得ない。どのような神秘不可思議な教えも結局、愛と自由の自己確認につきるんだ。
君が秘密結社のようなものを作って支配欲という不安にかられた時は、思い出して欲しい
君が一番身近な愛をどんなにも忘れてしまったかを。君は元々愛の救世主としてこの世に生きている
そして、愛と自由とは君の思い込んでいる人間性の中にはない
君が救世主であるということは、君の永遠の自己訓練としてのみあり得る
あるがままのすべては救世主だが、あるがままである自己訓練ほど、君にとって恐ろしいものはない
それは、君のすべてを必要とするからだ。
君は君の全てを解放することによってのみ永遠の自己訓練つまり久遠の戯れと戯れることができる
死ぬことは最も恐ろしいことだ。でも君、死になさい」

そしてもう一度思い出そう。『救世主入門』の最後の章句を。
これは君だけに語りかけている。『完全』は、君以外の誰にも代わってもらうことはできないのだから。

「この本に書かれていることほど無責任なことはない。
この本に書かれていることを信じない方がいい
書かれていることはすべて逆の意味かもしれないから」
188神も仏も名無しさん:2010/05/26(水) 11:03:29 ID:gdns1kra
「私の知人に悟り薬を作ってる人がいた。
一粒飲めばたちどころに悟りを開くというわけだ。
ところでその完成した悟り薬を飲んだ連中の言うことには、三日間とても素敵なんだそうだ。
ところが三日過ぎれば元の木阿弥とあいなる次第。
知の宮のある科学者は宇宙意識と合一して超人化するための、最もイージーなテクニックを組織的に研究している。
全く人間という夢は、夢ゆえに何でも夢見るらしい。
私の超人仲間であるケイルーンのよく言う言葉を思い出す。
『君にとって簡単に見えるものが困難のはじまりである。君を死滅させるほどの難しさが、簡単のはじまりなのである』
確かに超人達はイージーそのものだ。
しかし、イージーそのものはあなたに属するものにはない。
安楽な戯れは、あなたが元々ありもしないここにある。
私が出版した『救世主入門』を読んで、『自分こそ三歩先を行く精神だ』などと妄想する人々が出だしたようだ。
このアトランティス文明も長くはない。


あなたの肉体も意識も、あなたの宇宙も宇宙意識も
あなたの記憶ビジョンも神秘知覚も、もういい。
あなたの何かなど、もうどうでもいいのだ。
189神も仏も名無しさん:2010/05/26(水) 11:04:27 ID:gdns1kra
それより戯れよう。
三歩先を行く精神の中を、私であるあなたが、愛を戯れている。
三歩先を三歩先を行く精神もへったくれもありはしないのではないか。
言葉は、瞑想行法や、密教学や、精神変容剤や畑を耕すこと、パンを焼くことと同様に、
宇宙意識なる本来の自己を自覚するのに役立ちはしない。
だが、今更言葉の無効性をとやかく言うには及ばない。
人類の全てが求道者としてしかありえぬ時節にはいって久しい。
ここに言葉は、一輪の野の花や、最愛の者の死や極限の情況と同じだけ、宇宙意識を開示せしめる火花となる。
あなたはどうなのか?
言葉が夢の中での戯れであるのは当たり前のことだ。
それであなたはどうなのか?
夢といい、現実といい、全てはあなた自身にかかっている。
あなたがどのように生きるかによっては夢もまた現実以上の現実そのものともなりうる。
いつでもあなたはとぼけている。
やれ、幸福だ、不幸だ。
やれ、悟りだ、迷いだ。
やれ、生まれて働いて死んだ。
やれ、鳥が飛んでいる、石ころが笑っている。
やれ 人間だ。宇宙だ。瞑想だ。密教だ。神通力だ。平凡だ。
そんなふうにとぼけている。
では、あらゆるとぼけをやめたとしたら、そこに何がある?
この疑問もまたあなたのとぼけに違いはない。
それでも神はとぼけによって、愛という宇宙ゲームを戯れて尽きることがない。
悟りを開いたとか、神を見たとか、神を見たと頑張るとか、
死やこの世の果てに直面したとか、言いようもない素敵な体験を持ったとかしても、それらがあなたの・・・
190神も仏も名無しさん:2010/05/26(水) 11:06:07 ID:gdns1kra
あのー、『新・救世主入門』、『メシアンハンドブック』、それは何のために書かれたんですか」
『何のために?』
「はい」
『それは世界の遊戯に貢献するためだ』
「貢献するってどういうことですか」
『例えば、君は今何のために質問したかっていうことさ。その時君はさ、俺の言葉通りにさ、
世界の遊戯に貢献するためだって答えてもさ、俺は多分『ううん、それじゃあないんじゃない?』
っていうかもしれないよ。で、こういうふうに俺が今喋ってることがさ、世界への遊戯の貢献だ。
つまり、俺が世界への遊戯に貢献するって、喋った時にさ、俺にとってさ、神っていうものがさ、
ここにいるわけだよ。今。そして遊戯に貢献するっていう答えを、そう、かなり品よく答えてるわけだよ。
この答え方は。上品な答え方だ』


私は神という夢が好きで 神は私という夢が好きだ そこで私は 
何不自由なくすべてを実現し すべてのすべてを愛し尽してしまった
たぶん君は神という夢が好きなんだろう
だから決して 神という夢さえも無くなったら何がある?などと問いはしないだろう


大切なことは君がどうかいだよ。君がどうかい?いい?

君がどうなのかということさ。

そして、君が生き生きしているか、君がOKか。

君がOKならさ、君は今度は共通の約束事の中でさ、本当に役立つことができるよ。
191神も仏も名無しさん:2010/05/26(水) 11:20:20 ID:gdns1kra
冥想それ自体というのは、完全にその人をその人自身に自覚させているということを確認しているものだ。

であって、それは全くカラーがない。どういう風に生きなくてはいけないということを全然与えてくれない。

それは宗教でさえないから。もし宗教なら、宗教的人生を生きたいとか生きなければならんとなるかもしれない。

そうすれば、いろんなそれらしい姿というのを選んでいかなくちゃあならない。だけど冥想そのものはそうじゃないんだ。

だから冥想から宗教家になる人もいる。冥想から詩人になる人もいる。冥想から遊び人になる人もいる。冥想から武人になる人もいる。

冥想から政治家になるやつもいれば、冥想からパン屋になるやつもいる。冥想から乞食になる人だっている。

ただ冥想というのは、完全にその人間というのが絶対そのものである、絶対というのも愚かなぐらい絶対そのものであるということを確認させるもの、そしてそこから自然に流れ出して彼自身の人生を歩ましめるもの。

ただその限りにあるだけなんだ。あとどのような生き方をしようともう全然関係ない。

それはその人自身が持って生まれた本性。冥想を冥想自体の中で戯れる人というのは主に、禅で言えば魔境、意識のレベルの中でいろんな世界があるわけ。

霊の世界と言っていい。その中だけで充分もう楽しめるというのかな。

早い話が誰にも会わないでさ、こもって、今日は仏界の方に旅したとかさ、今日は、金星の方に幽体でもって行って来たとかさ、それだけでもう充実しちゃっているというの。

そういうのは、冥想の冥想者にあたるわけだ。幻想家と言ってもいい。神秘家と言ってもいい。

だから冥想の何々、という風になるわけ。冥想のパン屋さん。冥想のおまわりさんとか。
192神も仏も名無しさん:2010/05/26(水) 11:21:06 ID:gdns1kra
この宇宙やかの宇宙の、いかなるものにも、もはや、愛着も憎悪も抱かぬ時、
絶対愛の流れとなってそれは開示される。

悟りと迷いとは同じだけ真実だ。それゆえに私達は悟りの方法だけを問題にすればいい。

真実 存在しているのは 真実 非在しているのは ニルヴァーナのみである

神聖なる書物は、すべて ニルヴァーナが、神ロゴスと顕われたものを、
仮に言語化したものにすぎない。それらは、一つの天体・地球や 一人の人間・人類に
聖なる進化をうながすための刺激を与えるためのものである。

ニルヴァーナとは、あらゆるものの終極のことだけではない。それは、
あらゆる生命達の久遠の始まりである。この時でない時に、あらゆる宇宙生命体達が、
あらゆる多様多元のリアリティー達が、終わりながら始まっている。

何もかもなしということは、なにもかもなしという絶対充実である。

ニルヴァーナはマーヤだ、否! ニルヴァーナはニルヴァーナだ、否!
ただただニルヴァーナ、否!! ニルヴァーナ、否!!!!

プロセスもテクニックなぞも ないことを体現している あらゆるあなた達に捧げる

この限りない空間−−   この限りない時間−−
私は私だったんだ すべてはすべてだったんだ さあ、お前、何が言いたい
ある人がこう言った  「わからん」    −−何という美しい言葉
193神も仏も名無しさん:2010/05/26(水) 11:22:34 ID:gdns1kra
『月並みな言葉だが、ねえ、あんた、愛は愛を愛している』

いつでも家の中にいるよ、今君たちは。
だから君たちが疲れたらいくらでも安らげる。
それからね、君たちが死ぬっていうことは君たちがパーフェクトな理由なの。
おかしな言い方かもしれない。
それはね、君たちの命が君たちの自分勝手な方向で出てきたんじゃないっていうこと。
既に君たちは、与えられて出てきてるんだってこと。

愛は自由だ。
愛はすべての生命、すべての存在物が求めてやまない、そのものだよ。
しかも、それぞれの存在物ってのは、みんな愛の中にあるんだ。
「愛情ってね、執着するじゃない。でも、自由になるとさ、何ていうか、愛情の中から飛びぬけてしまって、そういう事はないの?」
うんと、自由ってのは、例えば愛情とかなかにはさ憎悪が時におこる時もあるし、嫉妬がおこる事もある。それから執着が苦しくなる時もある。
だけど自由ってのはさ、部分的にあるんじゃないんだ。
例えば、愛情ってものや執着ってものを消した時に、自由が出てくるなんてそんなチンケなものじゃないんだ。
まず、自由があるんだ。自由があるからその中で、自由に愛情を注ぐ事ができるんだ。

それは、同時にあるんだよ。

それは、人間として生まれた計り知れない喜びを味わうことだし、
人間として生まれた計り知れない悲しみを味わう事なんだ。

さあ、もうすべては終わったんだよ。
・・・・・・そして、すべてがはじまる。

194神も仏も名無しさん:2010/05/26(水) 11:33:09 ID:gdns1kra
人が絶対の至福を求めた時が、絶対の至福を失うときだ。
———それが恐怖だ!それがわけのわからぬ不可解だ!それが人間のものでない久遠の至福だ!!

死が恐ろしいものだと誰が決めた?——あなただ。
不安と不満と苦悩と苦痛とをいけないものにしてしまったのは誰だ?———あなただ!!

意味だけが生きるのだろうか?

なぜ生命は何の意味もないというのに生きているのか。
あらゆる流れがひとりでに静まる
何の理由もなくかすかな解放への呼び声

もう生々化々の流れも消えた無想定
静寂———喜怒哀楽は消え果てた。
秘められたさわやかさ

突然の爆発!マーヤとブラフマンのファッキング!
あなたは神に貫通されたのだ。
鳥飛んで鳥のごとし、魚に泳いで魚に似たり石ころは笑う!

完全に終わった!!あなたは初めてあなただ 絶対者にして絶対無!!
我もなく現し世もなく何もかも何もかもなし何もかもなし

そしてこれもどうということはない。
195神も仏も名無しさん:2010/05/26(水) 11:40:45 ID:gdns1kra
血わき肉おどる

何か確信といったもの・・・ 血わき肉おどる何者か。 存在をも忘れ果てたそれ

それぞれにいいんだなあ、すべてはOKだといった思いの流れ。

私は私なんだなあ、といった感嘆!

永遠に未知なるものへの旅!!

詩的直感

つねに詩語は古く、詩情は新しい。

詩語に新しきものなし、この人生と同じように・・・詩情はつねに新しい。

時には時さえもない。
196神も仏も名無しさん:2010/05/26(水) 11:44:24 ID:gdns1kra
なにもかもいいんだ

人間に与えられた至上の喜悦は なにもないというなにもないという体験だ
快楽の中の快楽の中の快楽・・・
まるで、この12月の暖かい一日のよう まるで一目ぼれのようなもの

LSDで、デッド・トリップして、すべてのすべてを生きるのも素敵だよ

マリファナぼけはマリファナぼけだし
アフェタミンはワォワォワォでイカス!
阿片やヘロインは、それでいいというわけだ・・・

隻手の音声を聞けば、それはさわやかでエネルギッシュ極まりない

只管打坐の坐禅は、なにもかもいいなにもかもいい・・・と来たもんだ
197神も仏も名無しさん:2010/05/26(水) 12:12:47 ID:gdns1kra
どうして死人たちは死のうとがんばるのか?
たぶん、すでに死んでいるからだろ
いいや、たぶん、生きても死んでもいないからだ
なにもかもはなにもかもだ

チャクラ・ヨーガもいい
頭のテッペンのサハスラーラ・チャクラが 
覚知されれば、すべてが滅尽し久遠の至福が至福だ

神秘体験はいいものよ〜〜 すべてを越えた快楽はいいものよ〜〜
絶対無・空・解脱・ニルヴァーナ・神は、いいものよ〜〜〜

もっともガンでノタウチまわっている、必死の苦痛の絶望の絶望が、素敵だと同じようにね・・・

すべてが終わった!もっとも、終りなぞありはしないけれどね・・・

それでも私は求めている
尽きることなく——— 尽きることなく——— 果てしなく——— 果てしなく———

なんとかいうチンピラ禅師のたまわく「求めるは苦なりだとさ」・・・・・・・
笑っちゃったよ
198神も仏も名無しさん:2010/05/26(水) 12:14:50 ID:gdns1kra
どこまで行ってもきりがない・・・
あなたと言ったらすでにわたしが含まれていた
地獄と思ったらもうそこには天国が花開いている
思うがままに生きるのだ 思わないままに生きているのだ
快楽と苦痛とは 果てしない戯れを戯れている この神秘のカオスのただ中には
永遠に答えなぞない
私はどこにも行き着きはしない どこに到達する必要もない
ニルヴァーナとマーヤの 混合歓喜は続き続ける
これが至福だとも知らずに これがやすらぎと生命力だとも知らずに
あなたが何をしたところで あなたにわかるものなぞ一つとしてない
死がわからないと同じように わたしの言葉もわかりはしない
わたしは小麦色の肢体が好きだ 太陽と輝くエメラルドが好きだ
ニルヴァーナを愛し マーヤを愛している

どこまで行ってもきりがない・・・

たとへ、あなたがどのような存在であろうと、完全に、意味なく、価値なく、生きる時もある。
このあらゆる世界、あるいは宇宙は、夢なのだ。
時は絶対者のあらわれのひとつであり、それは一つの法則であるが、法則には例外というものがある。

私のことも、私のまわりの出来事と称せられるものについても、
本当に、あるいは、真実にはまったく知ることはできない。
その絶対は起こる。その至福でない至福は起こる。
その確信ではない確信は起こる。

だが、私は、これが、何であるかを、知ることは決してない。

すでに知っていると思いこんでいることと、未知であることとには何の違いはない。
199神も仏も名無しさん:2010/05/26(水) 12:16:29 ID:gdns1kra
宇宙は君たちを餌食にしようとしているんだ。

真理に至る道などない。
それが真理の真理たる所以である。
部屋の片すみに坐って
朝から晩まで、
真理について思索していたら、
真理に目覚めることもある。
そこが又
真理の面白いところである。

すべては、神の夢の戯れであり
すべては、神の真実それ自身である。

肉体・エーテル体・アストラル体・メンタル体・コザール体が、死に果てれば、
アートマンは、ブラフマンに直結する。
死とは神である。
神とは七つ、もしくは十の無限次元を持つ全体者それ自身のことである。
創造の光とは、この全体者の中心次元のことである。
200神も仏も名無しさん:2010/05/26(水) 12:51:56 ID:gdns1kra
人のからくり

肉体——→エーテル体
エクトプラズムは、エーテル体の流出のことであり、肉体とエーテル体は死とともに崩壊する。
エーテル体は、漢方医学の経絡に相当する。

アストラル体
7つ、あるいは10個の光輝くチャクラからなりたつ死後にも一定期間存続する本人と類似する光明体である。

霊体(メンタル体)
人間の最初にして最後の個性であり、永遠不滅の実相身である。
各人、各様の形象をとっていて、一定の型を持っていない。原型イデアである。

キリスト・ブッダ・クリシュナ等の霊体は絶対無・絶対光・変幻自在である。
善人においては、イデア相応の最高の美的形象をとった人間的な形を持っている。
悪人においても、その裏返しとしての最高の形を持っている。

サタン・ルシファー・悪魔などの霊体は絶対無それ自身で完結している絶対の暗黒・
そして変幻自在の形象を取り得る。そのイデアは鉱物に近いといってよいだろう。

神の化身としてのアヴァタラと、悪魔の化身としてのサタンの実相身は、
そのイデアの面から見れば、他のあらゆる人々との霊体と同様に絶対的な原型であることに違いはないが、
神の化身は、悪魔を包むことができるが、悪魔の化身は、神以外のすべてに変容することができても、
神・絶対全体に成ることができない。

もっとも神も凡人も悪魔も、たいした差のありようはずもない。
201神も仏も名無しさん:2010/05/26(水) 12:52:57 ID:gdns1kra

コザール体
肉体から数えて第五番目の身体であり、肉体と世界を作っている原因体である。
それは肉体のような身体の形式を持たず、霊眼で確認すると、球形の光と見える。
そして、個別性を作り出す原型的な生命光である。

以上のように、神の似姿としての人間の全貌から見れば、人間身体は重層的複合体であり、
例えば、あるチャクラが開けたなどといっても、厳密にはどの身体のどのチャクラのことであるか
というような精密なものである。

神・すべてのすべてそういうわけで、神などと言ってるうちは、ぜんぜん楽しくないのである。

つぼみへと成熟する時 君は不可思議な喜びに包まれている。
つぼみが破裂して花開く時、君は 君を失う言語を絶した恐怖と法悦にいるだろう。
やがて、君自身という花が散る時が来る 透明なやすらぎが すべてに満ち渡っている
そして 何もかもが忘越された刹那 たった一つの果実が結ばれていた
君は 君ということのない 君自身だったのだ。

君は、心を捨て身を捨て魂を捨てて、
ただただ一つの真実を発見せねばならない。  なぜと問うなかれ。

これは、七重の至福の世界
これは 十種類の
まったく違った無限次元
これは
神としての私自身の照応
これは
私自身の久遠に続く最初にして
最後の夢
202神も仏も名無しさん:2010/05/26(水) 13:06:57 ID:gdns1kra
一つの植物が発芽し そして花が開き種子となるように
地球にも、人間にも、花開く時がある。
一輪の野の花が、現代文明の実用的観点からは黙殺されるように、
花開いた人間、すなわち覚者も、実用性の上からは、何の意味も持たない。
この無用性こそが実用性の基本であることに目覚めぬ限り、現代商工業都市文明は、
花開くことなく西暦二千年前後に崩壊するであろう。
一輪の野の花が、他の何者に対しても自分から影響力を行使しないように、
覚者は、決して他者に無理強いしない。

あなたが、エデンの園から追放されたのは、神の意志ではあるが、
東洋的重農文明を選ばずに、西洋工業都市文明を選んだのは、あなたの意志である。
それと同様に、管理下と堕落を選ぶか、霊的進化を選ぶかは、神の意志ではなく、
あなたがた一人一人の意志と努力にかかっている。

あたりまえに考えると、この人類は奇妙な文明と称する何ものかを生きている。
生とは何か? 死とは何か? 私とは何か? 存在とは何か? 真の幸福とは何か?

これらは、それぞれに分割できぬ全体をなしているのだが、人類史上ごく少数の人々を除いて、これらが解明され実現されたことはなかった。
この余りにも、当たり前な前提を抜きにして、人類は、便利さ快適さ、快楽・幸福を追求して、
文明と称する何かを作り出している。
そして、今や、人類全体をたやすく滅亡させることのできる巨大兵器を持て遊んでいる。
余りにも、あたりまえな基本抜きでは、単なる欲望の複雑化は、自滅に至って終わるだけだというのに。
こころみに問う。
欲望とは何か? 人間とは何か?
これは哲学的あるいは宗教的あるいは、どのような一定の立場の命題にもなり得ない。
203神も仏も名無しさん:2010/05/26(水) 13:13:20 ID:gdns1kra
底抜けのほがらかさに至らざれば瞑想にあらず。
単純極まりない素朴さに至らざれば瞑想にあらず。
余りのあたりまえさに至らざれば瞑想にあらず。

人間自我が消滅すれば、何もかもが消滅する。そしたら、君はどうすりゃいいんだ?
どうする必要もなく 至福は、ただ、生きている。
君なぞどうでもいいから愛自身なのだ。君なぞあったためしがないから自由なのだ。
君がないことが知恵であり、絶対無とは、君自身だ。

純粋瞑想には、初めも終りもない。
純粋瞑想は人間が把握できるいかなる属性も持っていない。
そして、純粋瞑想のみが、全面的平和と全面的幸福の何たるかを人類に、明示できえるのである。

エゴという幻想が虚構したものでない 幸福を仮に真福と名付けるなら
一切生類は、絶体絶命の逆対応を 必然的に純粋瞑想せざるをえぬ
なぜなら 一切生類が真福であり 純粋瞑想それ自身だから

純粋瞑想を生きること。それ以外に、この人類が、戦争もしくは破滅するのを
避ける道はないだろう。生きている間に、死ぬということ、これが純粋瞑想である。

あんたには、この数限りない神々が見えないのかね
バカモン!悟りも迷いもあったためしはない。

本質的な問いには、解答というものはない。 にもかかわらず、
あなたは、問うことをやめてはいけない。 少なくとも問いも答えも、
あなたも世界も、消え果るまでは・・・

それが、外的なものでも内的なものであっても救世主には気をつけなさい。
タナからボタモチは落ちてきはしない。うまい話にはウソがある。急がばまわれ
君自身がたどる道は、君の心すべてが、たどる道なんだ。 
204神も仏も名無しさん:2010/05/26(水) 13:15:07 ID:gdns1kra
水晶のように透明に、あるがままの素直さで、何かに直面することによっても、
神は開示される。直面するものは何でもいいのだ。

完全な絶望からも自己解放は、起こりうる。
ただし、完全な絶望とは、観念的な希望に対する絶望ではない。

あなたは、満足を求めているのではない。絶対の満足そのものの中に、消え果たいのだ。
愛情は、あなたなしにはあり得ないが、愛はあなたがあったら目覚めない。

完全な自由とは何か?あらゆる現象を、この世とかの世のすべてを包みつらぬいて、
しかも、それぞれの現象自身なる愛だ。

瞑想とは、人間性・人生・生老病死・大自然・存在の本質に目覚め、
これによって永遠に千変万化しているこれ自身のことである。
したがって瞑想には、いかなる立場も本質も存在しない。

瞑想の極点は、ニルヴァーナではない。瞑想に極点があったら、
それは、瞑想ではなく、何らかの瞑想的ゲームにすぎない。

真実の瞑想には、額面どおりの至福の生き様と、完全無比なる全体性と
一切万象の余りにあらわな絶対解答がある。
だが、純粋瞑想ほど、その理論の知的心情的理解と現実即実践とが隔絶しているものは、
おそらく、この世には、他に例がないであろう。
純粋瞑想が、本当に理解されるかどうかは、私達個々人の感受性の質と理解力にかかっている。

したがって、純粋瞑想について何かを解説するのは、まったく無意味である。

初心者にとって瞑想とは、永遠をかけた全面的努力である。
そして、純粋瞑想が開示されるのは、時節が熟した、ほんの一刹那の瞬間。
205神も仏も名無しさん:2010/05/26(水) 13:20:07 ID:gdns1kra
瞑想とは、全次元存在と絶対的非在との、最終的結末であり、
それと同時に、その中間であり出発点である。
それゆえに、人類の全努力は、純粋瞑想に打ち込むための余暇を作ることにある。

快楽は苦痛であり、安心は不安であり、満足は不満足であり、悟りは迷いである。
これでよいのだ それでよいのだ
ただし、君は決して、これもそれも信じてはならない。

迷いから見上げると 悟りは逆説的なドンデン返しに思える。
だが、悟りの眼には、迷いと悟りとは決して切り離すことのできぬ限りなく美しい神秘だ。

それが、どのような形象であろうと、形象を持っていることが地獄の始まりであり、
そして、それこそが、神のかけがえのないゲームなのだ。

この世とかの世を通じて 君にとっての最大の恐怖は、君が君自身に変容する瞬間である。
そして最大の至福も・・・

完璧な透明さは、修練によって起こすことは出来ない、愛情と信頼の上に即非的に全面愛が産まれ、
全面愛は、それ自身、ニルヴァーナへ、おのずから流れ込む。

あらゆる神通・超能力、あらゆる宿命転換やカルマの改善は、
君を、君なぞないというところまで導く君自身のトリックである。

ニルヴァーナとは、不二一元でさえもない。神とは、ニルヴァーナの中なるマーヤの流出源にすぎない。

人は、完璧に地上にいて、地上にいないのがいい。
地上の欲望による堂々巡りのトリックを実感する度合いに応じて、君は、君自身を想い出し始める。

いわゆる大人と称する、未成熟な大人たちが、
「君、それ考えすぎだよ」という。本当の全身全霊的な思索からしか、決して成熟は、起こらない。
206神も仏も名無しさん:2010/05/26(水) 13:24:50 ID:gdns1kra
君自身がたどる道は、君の心のすべてが、たどる道なんだ。

デタラメきわまりない、社会性という、欲望ルールを、あまり信じすぎてはいけない。

その道が、君自身の道であるかどうかは、その道の途上においても、
君が倒れても悔いがないこと、それが君の心ある道だ。

君が、おのずからウソをつけなくなったら、君は本ものの超人だ。

「どうでもいい!」と君は本当に叫べるか?

死後の生命を自覚するとは、単に不死性を獲得するということだけではない。
嘘という概念も、暴力という概念も、恐怖という概念も、ただ、消失している。
そして、最高の生き方を、すでに生きている。

ただ一人とも言えないただ一人の絶対者の様々な表情
私達はこの表情の千変万化にいつもいつもだまされている それにしても初夏の草いきれよ


君にとっては、真実の悟りは、至高の快楽であるにすぎない。

諸行は無常である。そこから神様と悪魔が出てきたらしい・・・
いずれにせよ、楽しい話ではないかい?


それがそうであり、 これがこうであるなら、 もっとも素直に 直面していく以外にない。
207神も仏も名無しさん:2010/05/26(水) 13:32:18 ID:gdns1kra
純粋瞑想は
あらゆる生きる目的の喪失か、
あらゆる生きる目的の到着点であり、
現代人の大多数にとっては、
もっともクダラナイものであり、
神にとっては、
愉快極まることを知らない・・・

ここにいつも全体がいるから 只管打坐が純粋瞑想なのだ。
ここにいつも呼吸があるから アパーナ・サティ・ヨーガが、純粋瞑想なのだ。
ここにいつも知覚があるから尾骶骨の中の生命力を、あらゆるものを知覚し切ることに
使い果たすのが純粋瞑想なのだ。

今・ここにいることは、
君に出来ることではない。君に、
今の中に完全にいることが起こったら、余りの不気味さに圧倒されてはならない。
余りの未知・余りの神秘。それは決して理解することはできない。
その時、すべてが開示される可能性を得る。

純粋瞑想とは果てしなき修行であり、限りなき戯れである。
208神も仏も名無しさん:2010/05/26(水) 13:35:30 ID:gdns1kra
空とは、体験ではないし、
まして、神秘体験とか、実在体験とか、宇宙意識の体験なぞといったガラクタでは、断じてない。

空もしくはニルヴァーナとは、
身心脱落であり、全体脱落である。宇宙脱落であり、絶対者脱落である。
空もしくはニルヴァーナには、どのようなものの痕跡もない。
神、もしくは絶対者のあとかたさえもない。
しかも、それは、目覚めきっている。充実しきっている。

鈴木大拙はそれはどこにも中心のない円のようなものだと、語られたらしい
私は言う。それはそれだ、これはこれだ。
絶対・絶対無・神・チンプンカンプン。 名付け得ないもの。 何者ぞ

すべてがニルヴァーナだとしたら なぜニルヴァーナに目覚めるための 瞑想修行という
果てしなき苦難の道を歩かねばならぬのか すべてがニルヴァーナだからだ
209神も仏も名無しさん:2010/05/26(水) 13:40:43 ID:gdns1kra
神にあって、いかに悪魔を戯れるか。
これが君の、人間としての全使命である。

愛は、人間の中の一つの感情などではない。愛はこの宇宙そのものの
根源なのだ。
 
終わりの時節が来た。
終わりを精一杯、歓び楽しみなさい。この宇宙が歓びで破裂するほど・・・
終わりの時節が来た。
終わりを、精一杯嘆き悲しみなさい。
その叫びであらゆる宇宙が破裂するほど・・・

神の終わりの時が来た。愛が凍る時が来た。
終わりの時を感謝して歓びなさい。
神の死は、真の神の始まりだからです。愛の死は、真の愛の始まりだからです。

生きている それで充分なのだ。
死んでいく それで充分なのだ。
なぜなら 太陽がどれほどの大きさだろうと
私という中心太陽から見れば爪のアカにも相当しない

まして本当の私が神に光あれと命じたのであれば
210神も仏も名無しさん:2010/05/26(水) 13:41:52 ID:gdns1kra
もはや、
すべての苦しみと悲しみは
過ぎ去った。
今と同じように
21世紀も
まったく新しい
楽園となるだろう。
疑いの余地なく・・・
福生の飲み屋街は真夜中を迎え
それゆえ
永遠の光は輝き続けている。
あなたの愛がすべてであるように
21世紀の光もまた
あなたにおいて花開き続ける。
この大いなる死のなつかしさにおいて・・・

    21世紀とあらゆる時代に限りない感謝をこめて
              DANTES DAIJI


ニルヴァーナも、もちろん夢の戯れである。
これを知れば、君は、君自身が久遠の人間であり、
君という人間性が、無限少の一細胞であったことに気づく。
211神も仏も名無しさん:2010/06/02(水) 18:03:13 ID:bVO5IDtl
ダイジの直弟子だった人が八王子で宇宙整体というのをやっている。
この整体を受けるだけで・・・・・・・。
しかし、惜しむらくは紹介者がいないと施術を受けられないことだ。
212神も仏も名無しさん:2010/06/02(水) 18:10:30 ID:CvwFSTNT
この整体を受けるだけでどうなるんですか?
213神も仏も名無しさん:2010/06/02(水) 18:33:23 ID:bVO5IDtl
仙骨からのシャクティパット、名前だけじゃない本物のシャクティパットだと。
mixiでそこに行ったと言う人が呟いてましたよ。
214神も仏も名無しさん:2010/06/09(水) 18:30:10 ID:ZfvfGIpL
215神も仏も名無しさん:2010/06/10(木) 11:53:44 ID:TrXxxXLw
T「草木が成仏してるのはどういうことなんですか?」
ダン『草木が成仏しているということ?(窓の外指さして)成仏してるじゃないか。見てみろよ。
ただし、これは教えることはできない。それは理解するものじゃなくて、君の中で理解されるものじゃなくて、
既にそうなものの中に君が投げ出されることだからだよ』
T「じゃあ草木が成仏していないという状態はどうなんですか?」
ダン『うん、それが普通の人間の状態じゃない?普通の人間の状態からだと、どう見たって、
これ(紙をさして)を仏とは思わないだろ。もしこれを仏だと君が思ったら、君は仏青なんかこないよ。
これに向かい合ってさ、拝んでるよ(笑)。いい?既にあるものに向かって君自身がほどけるというのかな。
そういうことなんだ、草木成仏ということは。草木が成仏してるなと君が確認するんじゃないんだよ』
T「研究会で説明しなくちゃいけないんですが言葉に出したらどう言えばいいですか?」
ダン『うん。今言った通りだよ。既に成仏しているけど、それを確認するためには
君がそれに向かって投げ出されなきゃあいけないとうこと』
216神も仏も名無しさん:2010/06/10(木) 11:58:08 ID:TrXxxXLw
T「理解するために?」
ダン『理解するんじゃなくて草木が草木自体を確認するんだ。つまり、もし草木が成仏しているということが君に理解できたらさ、
それはもうその瞬簡にそれは君の知性の一つにすぎなくなってるじゃないか。そのためにやるんだよ題目だって
あげてあげてあげまくるんだよ題目を。人間だからいろんな心理状態があるよ。
今日はいいとか悪いとか。けど、そんなものを全部超えてずうっとやり切るってことじゃないのか、 座禅だろうと念仏だろうと同じ』
T「草木が成仏しているということは、人間にとってどういう意味があるんですか?」
ダン『人間にとってどういう意味もないよ。例えば、全てと一つになるということが 人間にとってどういう意味があるかと聞かれてさ、
どういう意味があるかと答えられないのと同じだよ。 それはそうなんだもの、既に。
でも、もし、言葉で言えば、それが最高の絶対なる至福であり、 絶対なる充実であるということだね。
だから、どこかへ行き着こうとするんじゃなくてね、修行というのは。 ここへ戻るということなんだ。
いい?草木が成仏していることを、もし知的に説明すれば、 この灰皿が成仏してるし、これも、これも』
T「それは成仏しているという状態でしょ。成仏していない状態というのは別にあるわけですか?」
ダン『ううん、ない』

雨宮第慈講話録2 君がどうかい? より一部抜粋
217神も仏も名無しさん:2010/06/10(木) 13:10:01 ID:TrXxxXLw
果てしなく吹きあれる嵐のごとく
それが私の眼を目覚めました
私はソーマを飲んだのか?

たくましき軍馬が戦車を引いて天翔るように
それが私を限りなく成長させた
私はソーマを飲んだのか?

母なる牛が子牛を抱くように
激しい歓喜が私を包んだ
私はソーマを飲んだのか?

戦士が戦車のうちに魂をこめるように
私はこの歓喜にすべてを委ねた
私はソーマを飲んだのか?

世界のあらゆる国々なぞ
私の眼のちりほどにも価値はない
私はソーマを飲んだのか?

218神も仏も名無しさん:2010/06/10(木) 13:10:45 ID:TrXxxXLw
天上の神々なぞ私の爪の垢にも匹敵せぬ
私はソーマを飲んだのか?

輝かしい光明のうちに
私は天空と大地のかなたを越えた
私はソーマを飲んだのか?

私は地球やあらゆる星星をつまみあげ
ここに あるいはあそこに置いてみては戯れる
私はソーマを飲んだのか?
それともソーマが私を飲んだのだろうか?

ハリ・オーム・ソーマ
ソーマ・アムリタ・ソーマ
219神も仏も名無しさん:2010/06/10(木) 15:02:25 ID:TrXxxXLw
ドラッグはソーマだった

――あなたは、体験でない  体験をしようとしている

君は神通力や悟りあるいは絶対の愛とか自由とかを願って何かを始める。
ヨーガだとか坐禅だとか修験道だとか創価学会だとか自律訓練法だとか、その他それらしきものなら何でもいい。
そして、もし君がそれらの修行に充分に熱心に打ち込めば、君は、やすらかさや超感覚的知覚や運命を支配する力や法悦や、
かつてない充実感や悟りと称する体験を得るかも知れない。
しかし、それらの超人的体験が単なる一つの強烈な体験というものにすぎないとしたら、それがどうしたというのだ。

君はあい変らず、以前の束縛された卑小な人間にすぎず、そのつまらない君が、これ以上は大切なものはないとばかりに、
法悦とか悟りとかの体験の思い出をしゃべる。過ぎ去った快楽を追走することが君は好きなんだろう。

たとえば、君が心の法則をマスターして、君の運命を自由に実現しているとしよう。
それはそれで結構なことだ。金はないよりあったほうがいい。
でも、君は必ず死ぬんだ。君のすてきな人生は瞬間ごとに死んでいく。
さあ、本心を言ってくれ。君が本当に、本当に願っているものは何なのかを。
220神も仏も名無しさん:2010/06/10(木) 15:05:39 ID:TrXxxXLw
君は、完全な自己解放と自己実現を求めてドラッグを服用する。
そのドラッグがLSDやメスカリやマリファナやアフェタミンやヘロインやコカインやトランキライザーやシンナー
その他もろもろのものであろうと動機は本質的には似たようなものだ。それは、一人の念仏者やキリスト者が、
清浄な信仰生活を送ろうとするのと同じだ。
なさけない自分から解放されたいと思うことに例外はない。
そこで君は様々な薬物を試みる。向精神性の薬物を信じているからであり、その信じ方はヨーガを信じている人と同様である。
確かに君は、向精神薬の効果とやらによって、宇宙との一体感や高揚感や恍惚や静けさや神秘的光景や愛という一つの感情を体験をすることだろう。
しかし、人間的体験は、結局、過ぎ去り行く思い出にすぎない。体験はしょせん体験なのだ。
ドラッグ効果によるハイは、その効果が切れれば元の木阿弥だ。
君は、あい変らず虚しい君でしかない。
221神も仏も名無しさん:2010/06/10(木) 15:07:02 ID:TrXxxXLw
瞑想は体験であってはならない。瞑想は思い出ではないのだ。
ドラッグは、あくまでも、君にとっての体験を与える作用にすぎない。
だが、ソーマはドラッグではない。君が、ソーマを化学的に分析したとしたら、
それがドラッグの化学構成と違ったものでないことを知るだろう。
だが、ソーマはドラッグではない。ソーマは体験ではなく実在そのものだから。
ソーマ・メディテーションには体験している事を確認している自己というものはない。
ドラッグは必ずソーマとなる時期を待つ。
そして、ドラッグをソーマに変容させることのできるのは、君自身以外の何ものでもない。
君自身こそソーマの時節そのものだから。
ソーマは君が完全に死ぬことによってのみソーマとなる。
そして、君は、君の瞑想修行を決してやめることはない。
222神も仏も名無しさん:2010/06/10(木) 15:24:36 ID:TrXxxXLw
道元君は言っている。
修行して悟りを開くなどと考えるのは、インチキな教えだ本ものの仏道では、修行と悟りを分けたりしない。
修行している姿、それがそのまま悟りの姿だ。修行と悟りは同時にあるのだ。

そうだ。悟りは決して移ろい行く人間的体験の一つとしてあるのではない。
悟は体験ではないのだ。それは、ソーマが体験でないのと同じである。
すべてのすべてであるソーマに、どうして体験なぞというちっぽけな限定をつけることができるだろうか。
ドラッグはもともとソーマだったのだ。

ソーマ・パイロットの言葉

精神変容をもたらす薬物は、そのドラッグ・トリップ自体が、すでに神ソーマ自身であり得ると同時に、
最高の旅の仲間、水先案内人、パイロットである。
あらゆる個別的な生命形態は、そのどうしようもない束縛の中の有限性から自由になろうと永遠に願い続けている。
しかし、有限性という妄想は、実に陰険で楽しいトリクを個生命達に与えていて、
あらゆる生命が本当は無限そのものであることを自覚しようとするのにブレーキをかけている。

有限性になれた人間は、有限な自己を唯一の放蕩の自分自身のようにいつのまにか見誤ってしまう。
これが、無限な君を邪魔するブレーキであり無用である。
だから、君は死なねばならない。君は、君の見ている「現実」という名の妄想に別れを告げねばならないのだ。

何のために?それは君が最高に楽しくゆかいで愛と安心に満ち自由になるために、
あるいは、それらのすべてから解放されるためだ。
単純明快なことだ、あたりまえなことだ。
223神も仏も名無しさん:2010/06/10(木) 15:33:00 ID:TrXxxXLw
君が、君を脱して君自身になろうとする働きが、ソーマ・パイロットで、そのパイロットあるいはガイドには、
旅している君だけに与えられる言葉がある。ソーマは、あらゆる姿をとって君に君の消滅を最終的に告げている。
君が無限である。最後通告を語り続けている。

これからここに記される語句は、ソーマガ、あらゆる姿を通じて、君を解放しようとした働きの一例である。
そして、ソーマ・パイロットの言葉は、君が混乱と調和、地獄と天国、恐怖と歓喜の
ソーマ・トリップの最中以外に聞いたとしても無意味であろう。

ソーマ・パイロットは、君とともなる旅の真っ最中に語りかけるために、ここに言葉を置いたのである。

君は、これらの語句のどれから読んでもいいし、一つだけ読んでもいいし、どれも読まなくてもいい。
224神も仏も名無しさん:2010/06/10(木) 15:40:32 ID:TrXxxXLw
――ソーマ・パイロットの言葉

あらゆるものは 私が無いことを示している 私こそすべて

すべてとつきあえ すべてとすきあっている 私はすべてだ すべてだ

今 ここ

今じゃない今 ここじゃないここ

私は私に帰れない すべては私自身なんだ

旅に限りはない 私はわが家にいる

いくたびもなく いくたびもなく

ここに終わり ここに始まる

やすらげ やすらいでいい やすらいでいる

殺せ ぶちぬけ 行け 二度とないんだ

むかしむかしある所に アトランティスがありました それは 今 どこにあるでしょう

むかしむかしある所に お釈迦様がいました それは 今 どこに あるでしょう

むかしむかしある所に 超能力がありました それは 今 どこに あるでしょう

むかしむかしある所に 悟りというものがありました それは 今 どこにあるでしょう
225神も仏も名無しさん:2010/06/10(木) 15:45:23 ID:TrXxxXLw
素直であればいい

混乱や恐怖や不可解な中でも ただ素直であるしかない
天国だろうと地獄だろうと おれはあるがままでいるしかない
ドラッグ・ソーマの神は 時にトリップ者を トリップの袋小路に誘い込む
それはトリップ者が 耐えられるぎりぎりのトリックだ
そしてこの耐え難い トリックパズルを 解くやり方は
素直であること それのみである

恐れるな恐れにどんな根拠もない

今こそ 君はすべてのすべてを見る 君がすべてのすべてだ

今は 死ぬに最高の時だ とっくに おれは死んでいる

どこにもどろうというんだい もどる場所なぞ ありはしない
おれが あらゆる場所 それ自体だ

宇宙とか神とか悟りとかを 気にしていない 君は無限に それ以上だ

君にとって 一番すてきなもの それが君なんだよ

226神も仏も名無しさん:2010/06/10(木) 16:56:27 ID:TrXxxXLw
ソーマ・トリップは 体験ではない
ソーマはドラッグではない
ソーマは
すべてを超えた君自身であり
すべてである君自身であり
ただひとりの君自身である
だから ソーマ・トリップに 終わりはない

おまえが永遠が好きなら永遠にいればいい
永遠を終わらせたいのなら 終わらせればいいんだ

どこまでも、どこまでも

このアシッド 一つぶいくらしたの 横丁のラーメン屋のおやじ 競馬が大好きなんだぜ

おまえの着ている服 イカスな おれ 今とってもさえてるよ おまえは どう?

限りない 虚空さえ もはやない

君のやっているトリップが 何かの作用なぞ思わないでほしい ドラッグに トリップを起こす作用はない

もう、いいんだ

決して 情熱をやめないこと トリップ・トリックに ひっかかるなよ
情熱なんか無いなんて かたいことは言わないでくれ
目的と それへの情熱こそ 宇宙が宇宙としてある原因だ
227神も仏も名無しさん:2010/06/10(木) 16:58:39 ID:TrXxxXLw
もっともっともっと



本当に確かなものを 求めてみろよ 君は断じて どこにも行き着かない

夢だよ

君はつねに今から 全く新しく出発する

言うことがない 考えることがない することがない


君は いちばんなつかしいところにいる

さあ、つきあいなぞ どうでもいいから


君のマントラでも公案でも合唱せよ
それとも 叫べ!
静けさもない 瞑想に入ろう 今が お買得のチャンスだよ

君は何がほしいんだ? 君は何がほしいんだ? 君は何がほしいんだ!

私は何を求めているのかなぞと つまらないことを考えないでくれ

時間はない 私は無い
なにもかも無いということを 考えてもしようがない 何もかも無い それ自身だ

君は あらゆるものとともに死ぬ 
君が もともとありもしないここに あらゆるものが戯れている
228神も仏も名無しさん:2010/06/10(木) 17:00:45 ID:TrXxxXLw
マインド・ゲームという どうどうめぐりのトリックに だまされるなよ
マインドゲームを 考えるくらいなら
「マインド・ゲーム!」と
大声でどなったほうがましだ

よう いい役 えんじてるじゃねえか

君は君に出会っている

どうしようもない恐怖は おまえだ
どうしようもないすてきさは おまえだ
その他すべては おまえだ

ドラッグ・トリップはない
目ざめよ
果てしなき流れにいる

ソーマは今ささやいている
「おかえりなさい、ここが君のわが家だよ」

ソーマ・アムリタ・ソーマ
ハリ・オーム・ソーマ
229神も仏も名無しさん:2010/06/10(木) 17:11:42 ID:TrXxxXLw
思考は常に解答を出したがる。
たとえば「不可解」だとか「全体性」だとか。
こんなものどもは、ガラクタでさえない。快楽こそ悟りなのだ!

快楽が、あなたのものでもないように悲しみも不安もあなたに属しはしない。
では、あなたとは何だ?



230神も仏も名無しさん:2010/06/10(木) 20:18:15 ID:TrXxxXLw
>>224 訂正

×すべてとつきあえ すべてとすきあっている 私はすべてだ すべてだ

○すべてとつきあえ すべてとつきあっている 私はすべてだ すべてだ
231神も仏も名無しさん:2010/06/12(土) 04:30:40 ID:xdZHdh5R
;;;
232神も仏も名無しさん:2010/06/12(土) 10:28:58 ID:JDd/CGre
 およそ、 死んだら霊界があるとか、 死んだら魂が転生するとか、 そんな事は、 人間の観念の世界の事なんだ。
じやあ、 仮に霊界があってさ転生したとする。 でも相変わらず、 それは続くのさ。 君達は。
 たとえ極楽に行っても地獄に行っても同じように喜怒哀楽がある。
そう 、
君達はいつも何かを追いかけている。
いつも何かを追いかけている。
いつも何かの依り処を探している。
それはいろいろなもの−−−。
映画を見たり、 本を読んだり、 それからいろいろな事を考える。 音楽を聞く、 でもいい。
そうする事は
君達が、 何かを追っかけざるを得ないからなんだ。
君達は、 一生懸命、 探している。
本当の歓びを、
本当の満足を、−−−
そうやって、 次から次へと、 どこまでも、 どこまでもやっている。
そうして、 そういう堂々めぐりが、 一向に、 気にならないのだったら、 それを続ければいい。
でも、少なくとも、 君達は、 もう、そんな堂々めぐりなんか、 ご免だっていう事なんだ。
233神も仏も名無しさん:2010/06/12(土) 10:30:18 ID:JDd/CGre
何か確かなもの、
何か本当なもの、
そうやって、 いろいろな事をやる。
依り処を探しているんだ。
頼れるもの、
本当に好きなもの−−−
たとえば
一つの仕事をやっているとする。
その仕事をやっている時はいい。
でも、 その仕事が終わったら?
元の空虚な君なんだ。
或は恋愛、
或は結婚
本当の最愛の妻、
愛人、
みんな、 とてもすてきだ。
その時は、 どんな防御もいらない。
それでも、 それに頼る事に、それを依り処とする事に君達はいつも不安を感じている。
心の底で−−−、
234神も仏も名無しさん:2010/06/12(土) 10:31:20 ID:JDd/CGre
いつ分かれる。
いつ裏切られる。

 本当に確かなこと。
 それは一体何だ。
 或いは、ドラッグでハイになる。
そうハイになった時は確かにいい。
 おお! ハイだ
それも一つの拠り処。 はかない拠り処。
それがすぎたら元のもくあみだ。
 一体、永続するものがあるのか?
 本当に確かなものがあるのか?
 完全な満足があるのか?
 絶対の幸福があるのか?
 或いは冥想でもいい。
冥想をやっている。
この中の人に、悟りらしきものを開いたものがいる。
その時は、とても素敵だ。
本当に解放された気分になる。
でも、それも、いつかは消える。
思い出になってしまう。
 いつのまにか君たちは、そういう
 感覚体験を、頼っていたんだ。
あらゆる感覚体験、それは皆んな、
頭の中の観念にすぎない。
そんな、観念によって、何とか、自分を
ハッピーに、満足するようにしよう、
としている。
 追っかけているんだ。
 追っかけられているんだ
235神も仏も名無しさん:2010/06/12(土) 10:34:08 ID:JDd/CGre
空虚に。
 だったらどうする?
 どんな刺激もなくなったら。
 どんな拠り処もなくなったら。

 君たちは、
 友達に会える。
 酒も飲める。
 彼女と出会える。
 冥想もできる。
 映画も、 音楽も、 本を読むことも、
 文章を書くこともできる。
 社会人として立派に生きることも・・・・。
 で、 それで、
 それが本当に確かか?
 それが君をどうかしてくれるのか?
 くり返しだろう。
 くり返す。
そう、 人生とは、 くり返しさ。
幸福や、 不幸がいろいろと混って
続いていくだけさ。
 そんな風に考えられる人が
あったら、 それでいいじゃ ないか。
 どうぞ、 続けて下さい。 それを。
 本当に、 そんな堂々めぐりが、
 どうしようもなく嫌になるまで、 
 続けて下さい。 
 あなたは、 まだその時期じゃないんだ。
236神も仏も名無しさん:2010/06/12(土) 11:17:56 ID:JDd/CGre
  さあ、本当に絶対なものが、どこかにあるのか? 人間が救われるっていうことがあるのであろうか? 救われた気分になる事はあるのだろう。 でもそれは気分だ。 常に変わっている。
だから言ってるじやないか。 君達は髪の毛一本、白くも黒くもすることはできない、と。 誰かできる人いるかい?
 さあ、当たり前に見よう、 当たり前に、...
当たり前に見るんだ。
何か人間に決着つくような事があるか?
死ぬんだぜ!−−−
君達は!
皆んな死ぬんだ!
 今日、君達が素敵だ、と思ったもの、
それも幾日か、たったら、もう
素敵だ!、って言えないんだぜ。
それを無理して
素敵だ!、素敵だ!ってやったって、
むなしいことだ。
じゃあ、どうする。
君達が、此処にいるっていうことは、
本当に
本当に
本当に、
ハッピーに生きたいんだろう?
そんな事考えない、って心の底から言えるんだったら、もう俺は必要ない。
237神も仏も名無しさん:2010/06/12(土) 11:19:10 ID:JDd/CGre
 だけど、何かあるんじゃないか、何かあるんじゃないか、と
君達がこうして集まってきている。
お互いの顔を見ることができる。
或いは社会の中に属する。
うん・・・・
それは、とても安心だ!
でも、一人っきりになったら?・・・
本当に君達を助けてくれるだろうか?
 君達は、今、砂漠のど真中にいる。
いつでもいるんだ。
これは修飾語でなく事実なんだ。
君達が、 どこかへ行って、 一人っきりになる。
その時の、むなしさとか、不安とか、堂々めぐりとか。
そういうものを、
一体、誰が変わってくれる?
そして、 更には
一人っきりの君達っていう、 その君、
その君自身でさえ、
しょっ中、 動き回っている。

やれ、 幸福だ。
やれ、 快楽だ。
やれ、 苦痛だ。
やれ、 出会った。
やれ、 離れた。

やれ、 年老いた。
やれ、 病気になった。
やれ、 死んだ。 −−−−
238神も仏も名無しさん:2010/06/12(土) 11:20:17 ID:JDd/CGre
みんな観念だ。
君達の頭がそれを作り出している。
さあ、 どうしたらいい。
一体、 どうしたらいいんだ。
今、 此処では、 いろいろな人達がいる。
と君達は信じ込んでいる。 そう頭の中で。
だから、 私がしゃべっている言葉が、 とてもゆっくりしか君達の中には入っていかない。 でも、 一人っきりになったら、 その事は、 どうしようもない事実なんだ。
そして、 一人っきりで、 その一人がいればまだいい。 でもその自分さえ、 どうにもしてくれない。
さあ、 どうしたらいい。
冥想する?
お祈りする?
みんな君達がやる事だ。
どうして、 
どこかに行きつこう、 なんってするんだ。
今迄、
この世に生まれた人間で、
どこかに行きついた人達がいるか?
 シャカは行きついた?
 キリストは行きついた?
 クリシュナは行きついた?
239神も仏も名無しさん:2010/06/12(土) 11:25:30 ID:JDd/CGre
 みんな死んだじゃないか。
今、 どこにいる。
君達が、 本当に一人っきりに、 それも、 観念で一人っきりになるのでなく、 一人っきりにならなければ、
当り前な人間関係も、
当り前な生き方も、
できやしない。
あたりを、 しょっ中見回している。
そう、
此処にいられないんだ。
いつも、 此処以外の事を考えている。
何かあるんじゃないか、
何か、
何か、
と頑張っているんだ。
観念というのはいつでも此処にない。
観念が、死と恐れと不安を作り出したのだ。
さあ!
よーく見よう!
人間の当り前の姿を、
神通力?−−−−−−−−−−麻雀だ! 映画だ! 神通力なんて。
それでどうした?
神通力を得てどうした?
240神も仏も名無しさん:2010/06/12(土) 11:46:56 ID:JDd/CGre
ハイになった。
ビジョンを見た。----------それで?
社会的に成功した----------それで?
まだ充分に時期の来ていない人にとってそれは魅力だ。
神通力も、 社会的成功も、恋人との愛の語らいも。
でも、それを本当にいやというほど、やってみたらいい。
そして、この中には
いやというほどやった人もいる。
そうしたらその正体がわかる。
それが堂々めぐりの一つだっていう事が。

君は死ぬ
君は死ぬ
君は死ぬ
君は死ぬ
そして、此処にでてくる。

 君が生まれる前の君の姿ってどんなもの。
君の両親が生まれる前の君自身ってどんなもの?
それは、 とっても恐ろしい事だ。
此処にいるっていう事は、
理屈抜きで安らぐっていう事は、
条件抜きで安らぐっていう事は、

 本当はそのあいだの距離っていうのはとても短いんだ。 
うす紙一枚ほど短い。 ---------- 誰にとっても。 
ところがそのあいだにいろいろなものがあると思っている。
やれ、 冥想のテクニックだ やれ、 修行だ ---------- 

でも、 本当はものすごく単純さ。 条件抜きで安らげるんだよ。 
241神も仏も名無しさん:2010/06/12(土) 11:51:27 ID:JDd/CGre
人間がどうなるのか、 だって?
ものすごく当たり前の事さ。 誰でも気づく。 
気づかない人はいないんじゃないか。 
ただ、 それを観念で処理するか、 それとも、そのまま続けるか。 
そのちがいにすぎない。 

 シャカが青年だった頃、 俺は死にたくないって頑張るんだ。 
そうすると父である王が、 死ぬなんていうこのは、当たり前の事じゃないか、というんだ。
ところがシャカの方は納得できない。
それだけのちがい ---------- 

さあ! 此処にいよう! 
いいんだ! もう、 いいんだよ! 
よくないって頑張るのは、 君の頭だけなんだ。 
もう、 いいんだ。 

 他人の事や外況に惑わされないことだ。
それはいろいろなものがある。 悟り、ビジョン、霊界、高次元世界、 
でも、誰が決めるんだ。 そんな事。 
いいか、
一回きりのものなんだぞ!
誰が、シャカが聖者で、君が聖者でない、なんて決めたんだ。
どこに根拠がある。 
本に書かれている事が、 
やれ、 光を見た! 
やれ、 背骨がバイブレートした。
やれ、 ハイになった。 
それで?それで、 どうしたの? 
242神も仏も名無しさん:2010/06/12(土) 11:55:26 ID:JDd/CGre

 でも、もっと先の世界がある。
もっと、 何かある。 
もっと、 もっと----------。
ああ、 そうやって、 頭で考えている。 
そして、それらが全て、 外からやってくる。 
そう、 外に引っ掛けられているんだ。 外のトリックに
なあ! 君達! 
本当に、 本当に、 当り前になってみろよ。
頭の中に積め込んだ、 いろいろな知識を抜きにして----------、
頭の中の知識はいろいろな事を言うさ。
やれ、 何とかの生まれ変わりだ。やれ、 聖者だ。 救世主の印がある。
でも、 君達、 一人一人っていうのは、 
かけがいのない一人一人なんだぜ!
それは、 とても恐ろしい事だ。

 一回きりの君達!
 一回きりの今!

 たとえば、
とてつもないやさしさがこみ上げてくる時がある。
それはそれでいいんだ。
ところが、 人間というのは、 すぐそれに今までつめ込んだ観念をつけ足す。
そうすると、 俺の今いる境地は、 どの位のレベルだ。
まだ、 先がある。 とか言う。 
243神も仏も名無しさん:2010/06/12(土) 11:58:15 ID:JDd/CGre
 当り前の今に   直面せよ!

 直面せよ!
 
 此処に! 

 一回きりなんだ!

 一回きり!

 かけがえのない一回きり。

 それは----------今。

 どんなしばるものもない。
勿論、 
君が愛しさを感じるものを大いに愛しめばいい。尊敬するものを尊敬しろ! 
だけど、 君自身は君自身だ。 それ以外の何ものでもない。

冥想には、 二つの方向がある。
一つは、 肉体的、 精神的機能を最大限に発達させる方向。
それは、 悟り、 とかいう問題ではなく、 最適なコンディションを整える働きがある。 これを実用三昧という。 
他のもう一つはそれとは全然ちがう。 
それは人間であることの絶対的な悲しみと表裏一体なものだ。 
人間が本当にどうしようもないもの、 という、 その直視と一体のものだ。 
否、 もっとはっきり言えば、 本当に人間がどうしようもないものだ。
どうしようもないものだ、 という事が、 本当にわかった時さ、 
ほら、 その時、 あれが起るんだ。 
みんな同じに見えてしまうんだ。 
何もかもが。
244神も仏も名無しさん:2010/06/12(土) 12:07:44 ID:JDd/CGre
その時、 もう意味ないんだ。
自分が一定の形を保つっていることが。
そして直面するんだ。ところが問題なのは、
人間が本当にどうしようもないっていうことが、 嫌っていう程---------- 
つまり、 それは、 最愛のものの死によって起こるかも知れない。 
或いは、 ガンを宣告されて、 起るかもしれない。 兎角 -------- 
それが起こった時、
そう。
みんな同じに見えてしまう。
もう、 男も女もなく、優劣も劣等もなく、 
みんな意味がなくなってしまうんだ。
そうして更には、そのように感じている自分さえ意味ないんだ。
でも、 それは灰色だ。入り口にすぎない。
何故なら、 まだ、 そのような意味ない、 と思っている自分があるから。
もし、
本当のニヒリズムっていうものがあるなら、 大抵のニヒリズムは、 ロマンティシズムだけど、

本当のニヒリズムっていうものは、 その灰色の世界、
つまり、みんな同じに見えてしまうんだよ。
もう、 一定の自分っていうものを保つ必要がなくなってしまうんだ。
俺は、 会社員として仕事についているから、 こういう風にきっぱりいかなくちゃいけない、 とか、
俺は、 教師であるから教師らしくしなくちゃいかん、 とか、 
人とつき会った時に好印象を与えなくちゃいかんとか-----
そんな事が全然意味なさないんだ。
それも、理屈として意味なす必要がない、 とか、そういう事に捉われる必要がない、 とか
頑張る必要もないんだ。
いずれも同じだからさ。 その時は。
でも、それは灰色だ。
まだ見ている自分がある。
同じだ、と見ている自分がある。
245神も仏も名無しさん:2010/06/12(土) 12:15:09 ID:JDd/CGre

  ある時、  

本当に全てとつき会った時、 

全てを当たり前に見た時、

もう何が目の前に現れようと、 

全然、 意味なさない時が来る。

みんな同じに見えてしまうのさ!

ただ、 見える立場がそこにある。

だから灰色なんだ。

その時、 何をする。

やる事がないんだ。

その時、 座るんだよ!

その時、 座るんだ、 と言わなくても座る

んだよ。 そういう風に出来ているんだよ。

訳は知らない、 ------- 万事休す -------

 その時、 見ている自分が消えるんだよ
246神も仏も名無しさん:2010/06/12(土) 12:34:50 ID:JDd/CGre
 面白いものなんだぜ。
電信柱だろうと、 道路だろうと、 みんな見知らぬものなんだ。
ところが、見知らぬっていうのは、 知っている事、
何か知っているものがあって、 それに対して見知らぬ、 だろ。
そんな事抜きにして見知らぬもの、 なんだよ。 みんな。
それに近い感覚っていうのは、 此処にいる人達はみんな経験しているはずだ。
そういう時代が来ているからだよ。
ところが、本当に、 どんずまりに来たっていうのは
本当に見知らないんだ。
つまり、 見知らぬっていう風にして、あわてる意識さえないんだよ。
まるで、
そう、
魂を、 どこかに落っことしたような。

ほら、 あるじゃないか、 たとえば、 とてもすてきな人が、 
そばに来れば、 いくらすましていても、 やっぱり−−−
そういう事ってあるじゃないか。
そんな事さえないんだよ。
本当に灰色というか、 白というか、 ゼロというか。
ゼロポイント、 そう、 このゼロポイントまでいけば、 ブラックマジックも成立しない。
ブラックマジックつまり破壊というのはゼロポイントの一つ手前にとどまる。
つまり差引きゼロの世界では、 もう、 やる事がないんだ。
ところが、 まだ観念が先行している時に差引きゼロっていう事に気づくと、 
もう何をしてもいいという発想が出てくる。
でも、
本当に 本当に 悲しめよ!
いいか。
悟りっていうのは
理屈抜きの悲しみの事なんだ。
生命の悲しみの事なんだ。
本当に悲しみに直面できる感受性、
それが悟りだ。
247神も仏も名無しさん:2010/06/12(土) 12:36:55 ID:JDd/CGre
 神秘学とか、 霊的何とか、 っていうのは全部ままごとさ。
この世界に於いても同じだよ。又、究極的世界の於いても同じだよ。
映画を見たり、何か気をまぎらわしたりするのとどこが違う。

人は、 いろいろな刺激によって生きている。 外部からの刺激によって。
自分の中から起こったことさえ外部からのものだ。
そして、 それによって生きている。
それを拠り処にしているんだ。

平常のそのままでいいんだ。
いいんだよ!
平常の、 そのまま、 で。

どうして何かになろう、 なんて考える。そんなものマスコミにのせられているだけだ。
一人一人が又とない生命(いのち)だ。平常そのままでいいんだ。
とても恐ろしい。
何故なら、 人は、 いつでも自分が空虚だ、 と意識し--------------
あるいは意識しなくても-------------感じている。

平常のそのままでいいんだ。でも、 それはとても恐ろしい
すごく、すごく恐ろしいことだ。 平常のそのままでいいんだ。
自分の思うようにしたらいい。 決してためらわずに。
これは、決して、助平根性があったら出来ることじゃないんだ。
つまり、何かがうまくいくとか、何か先行きうまくいく、とか、 
そういうことを考えていたら、 自分の本当に好きなようには出来ないんだ。
もし、そういうものがあるとしたら、それは、自分の本当に好きなようにしているのではなく、 
自分の妄想が好きだ、 と考えている事をやっているにすぎない。
248神も仏も名無しさん:2010/06/12(土) 12:39:19 ID:JDd/CGre
つまり、 観念のゲームさ。
君の本当に好きなようにするという事は
これ又、恐ろしい。とても、とても恐ろしい。
自分の本当に好きな事をするっていう事が−−−間違えないで欲しい−−−−たった一人、
 自分のすきなようにした人間だけが、
友情とか、 親子の愛情とか、 恋愛とか、 仕事とか、
−−−それら全てを、 一番、 本来の姿でやる事ができる。
ちょうど、 降ってきた雨のように。

 雨が降る。
 鳥が飛ぶ。
 自動車が走る。
 本当に好きな事をする。

 今、
 君達は 今から、
 全く新しく生き始めた。

 本当に、 何一つ人間にとって救いっていうものはないんだ。
何てすてきだ。何て恐ろしいんだ。
 信じ切れないっていう事は、 此処に安住できないって事さ。
此処に安住したら、 その次の生活っていうのが全然、 成り立たないんじゃないか、 
とか、自分は、 いろいろ考えて、 いろいろ向上したり、 いろいろうまくやったりする
方便がなくなってしまうんじゃないか? っていつも、 不安を感じているからさ。
 それだけのこと。
 皆んな、 観念の、 頭の中のゲームだ。
 本当に、 信じ切れない。 本当に、 信じ切れない。
だから、本当に、 好きなこと、 をすることができない。
 いいか、 信じきるっていうのは、 たとえば、 こういうものなんだ。
現代人の身体の中を見よう。
249神も仏も名無しさん:2010/06/12(土) 12:42:01 ID:JDd/CGre
 肉体。
そうすると、必ず、どこかに、しこりがある。
どこかに何か、何か、しっくりこないんだ。
 いつでも、しっくりこない。
そういう意識が、どこかに、さまよっている。
 そして、何か、ハタヨガとか、いろいろ修行したら、それがとれる、と信じ込んでいる。
 誰が決めた!
そんなことを。
 しみわたらせるんだ!
 今、  此処で!

 此処でなくてもいい。
 どこでもいいよ。
いいか。
 本当に、 しみわたるんだ。
 しみわたるっていうことが、
 信じ切れるっていうことさ。
あるがままの自分、というのに
どっしり座るんだ。
 うーん−−−−−そう−−−−−通俗的に言おう。
例えば、人が、 何かを見ている。
自分の身体か何か、 顔とか−−−−−
ところがどういう訳か
君達は、 どこかの部分を、 見ないんだな。
とりわけ、どこか、 気にくわない部分は、見るに耐えない。
 何故なら、 それが、 しこりだ。
 何故なら、 それが、 君達が決めた観念だ。
 一つ、 一つ、 愛(いと)しむんだ!
 一つ、 一つ、 愛しむんだ!
 自分の、あるがままを、愛しむんだ。
 びっこが何故いけない。自我が何故いけない。胃腸が弱いっていうことが何故いけない。
肥っちょが、何故いけない。自分の、かたくなさ、が何故いけない。
250神も仏も名無しさん:2010/06/12(土) 13:27:22 ID:JDd/CGre
外の考えに、 惑わされるなよ。
 いいか。かけがいのない、
 一人、 一人の君達なんだ。
かけがいのない君、だ。
 どこも、 かしこも、 愛しむんだ。
何故なら、愛しみたがっているから。

 外からくるもの、それは、 いつでも
 優劣や、美醜や、いろいろな、がい念というものを頭の中に、植えつける
 その、がい念、というものがコンプレックスとか、 何とか 心理学でいうことと結びつく。
誰が決めたッ!−−−−−

 君達は、 かけがいのない
 君達自身だ!
 一回きり、 の。
 君達は、 シャカとか、 キリストとか、聖者とか、 何でもいい。−−−−−
 全く同じだ!  全く!  全く!

 君達が全てを、
 つまり、
 君達の心を、
 君達の考えを、
 君達の身体を、 本当にすみずみまで、
 愛しめば-------、
 そう!
 それが信じ切るっていうことさ。
251神も仏も名無しさん:2010/06/12(土) 13:29:43 ID:JDd/CGre
本当に満足したら、 すべてが整う。
本当に此の中に安らいでみたらいい。

しみわたるっていうのは
たとえば、砂漠を放浪してて、
一杯の水に、やっとありつけたっていう時、本当に、 しみわたるんだ。
どうやって?
 今、 安らいだら、 何もできなくなるなんて、 まっ赤なうそだよ。
 完全な安らぎが、完全なバイタリティを生むんだよ。

臨在
 「お前が、 もし、 外に向かって求めまわる心を、 
たち切ることが、 できたなら、 
そのまま、 祖師であり仏である。」

 勿論、 どれは必要だ。
 たち切ったら、
 たち切ったら、
 ああ、 これ又、
とても恐ろしいことだ。とても、とても素敵なことだ。
 たち切ったらってどういうこと?
 いろいろな予定や、いろいろな目標や、いろいろな何か、
 実現や、いろいろな欲望や、いろいろなすてきさや、
 いろいろな理想や--------とりわけ理想、 夢、 希望、 
 それを断ち切るっていうこと。
 何故、断ち切らなくちゃならない。
 それらが、 此処にあるっていうのに、
 みんな此処に。
 何をあくせくする。
 何をかまえる必要がある。
 今、今、安らぎがある。
 かまえは自然に此処から出て、日々を生きる過程で起こる。
252神も仏も名無しさん:2010/06/12(土) 13:31:17 ID:JDd/CGre
臨在
 「お前達がそこで、 此の説法を聞いているそいつが祖師であり仏である。
 ただ、 お前達は、 それを信じ切れない為に、 外に向かって求める。
 そんな事をして、 たとえ求め得たとしても、 それは、 文字、 言句の概念で、
 生きた生命の祖師ではない。とりちがえてはいけない。
 お前達、今、此処で、してとれないなら、永遠に迷いの世界に輪廻して、
愛欲にひかれて畜生道に落ち、 ロバや牛の股に宿ることになるだろう。
 お前達、 わしの見下からすれば、此の自己とシャカと別ではない。
 現在、 日常の働きに何が欠けているか。
 六根を通じての自由な働きは、今まで、 一秒たりとも、止まったことがないではないか。
 もし、 よくこのように徹底することができれば、
 これこそ、一生大安心のできた、めでたい人である。」

 お前達、 今、 此処でしてとれないなら永遠に輪廻する-------
 ああ、 苦しい。
 堂々めぐり。

 安心しろよ! ほら!

 その間っていうのは距離があるんじゃないんだ。
 今、 
 此処で、 安心するっていうこと。此処で、 リラックスするっていうこと。
そして、それが、 できなかったら、永遠に、 輪廻するっていうこと。
253神も仏も名無しさん:2010/06/12(土) 13:37:39 ID:JDd/CGre
 そう、 輪廻する。
つまり、そういう風に、 苦しみ多き日々を生きるっていうことはね。
たとえば、苦しみ多き日々、 三年後のその時でもいいんだ。
でも、 折角だから、 此処で決めて欲しい。
 決めるっなんて言わないでいいよ。
 当たり前でいいんだ。ものすごく恐ろしいんだぜ。
 何故なら、 人間っていうのは、 条件が好きだから。
 人がリラックスできない理由は単純なことさ。
 ものすごく、 それは単純だ。
 自分が満ち足りない、って妄想しているのさ。
 今の自分はまだまだ、って妄想しているのさ。
 勿論、この世を、 人間として最後まで全うするには、まだまだっていうのは必要だ。
でも、 それは二次的なものだ。それは、 あとから出てくるものだ。
254神も仏も名無しさん:2010/06/12(土) 13:38:31 ID:JDd/CGre
 君達の、今いる君達に
何が欠けてる?欠けてる、 と考えるのは、
皆んな、 頭でもって吸収した、いろいろな情報のせいだ。

 できるんだ。
 今、今、 此処で、 できるんだ

 六根を通じて、 というのは、
君達の感覚、今、 此処で、 働いている感覚さえ、
いろいろな妄想や、こいつ何話してる、 とか
そういう働きが全て。 さ。

 大安心。
 どんなことを考えようと
 大安心。
 いいんだ-----
 いいんだ-----
 もう、 いいんだ-----
 おかえりなさい

(完)
255神も仏も名無しさん:2010/06/12(土) 13:43:18 ID:JDd/CGre
そして、もう一度思い出そう。「救世主入門」の一番最後の章句を。
 これは君だけに語りかけている。
 「完全」は君以外の誰に代わってもらうこともできないのだから。

 「この本に書かれていることほど無責任なことはない
  この本に書かれていることを信じない方がいい
  書かれていることはすべて逆の意味かもしれないから」

過ぎ去ってしまった 出来事や言葉を信じないこと 
たとえそれが 天使のものでも悪魔のものであっても 
今以外に 君の居場所はない
256神も仏も名無しさん:2010/06/13(日) 12:40:36 ID:9yj4Ln/Z
言葉のドラッグ

タバコみたいなものだ
257神も仏も名無しさん:2010/06/13(日) 13:50:35 ID:UZD7khBv
至福ハンドブック=死とSex

  ’83 Sept,3
  Form ダンテス・ダイジ

人はその内的満足によってのみ その内的外的調和、平和、幸福、快楽を実現させることができるのである。

この場合の内的満足とは自我欲望の満足といった意味ではない。
なんとなれば自我欲望の満足は不可能だからである。
自我は底知れぬ虚無の上に立脚しているものにすぎない
自我にとって一切は不条理なのである。
従って内的満足とは自我欲望からの解放すなわちオルガズム或いはエクスタシーを意味する。

オルガズム或いはエクスタシーといったものは、欲望の延長線上にある満足ではない。
それは欲望すなわち自我の消滅としての満足を意味する。
オルガズム或いはエクスタシーは自我の消滅もしくは欲望からの全面的解放を意味する。
絶対満足であるがゆえに人間を進化、成熟せしめるものである。

現代に最も必要なことは、この自我からの全面的解放を意味するエクスタシーのみなのである。
一般人にとってエクスタシーは死もしくはセックスによってのみその可能性を開き得るのである。
勿論、純粋冥想はあらゆるものを含む全面的エクスタシーのカギではあるが、それは人類の1/3のみに有効な方法にすぎない。
ここでは全人類一般人全てにエクスタシーを来す為の暗示が記述されている。
258神も仏も名無しさん:2010/06/13(日) 13:56:39 ID:UZD7khBv
もう一度言おう。
エクスタシーこそが全人類の究極的テーマであり、あらゆる問題の唯一の解決法なのである。
人は自己満足を求めているのではない。
自己満足は不毛であることを知っているのだ。
本当の人間性は自我からの解放、すなわち、
欲望からの解放すなわちエクスタシーのみを真実求めているのである。

人はなぜ苦しむのか?
人はなぜ虚しいのか?
人はなぜ大らかで楽しくないのか?
人はなぜ生き生きと血湧き肉踊っていないのか?

それは自分が自我意識満足を求める欲望だ、と錯覚しているからである。
全人類は、今や、自我から出た虚しさを如何にだますかにきゅうきゅうとしている有様である。
やめなさい! やめなさい!
自我は虚しさと欲求不満と苦悩を生む以外にはないのだ。
それらの虚しさ不満苦悩が、それなりに素敵だと思うのであればこれ以上この文章を読む必要はない。

ああ! エクスタシー! おお! エクスタシー!
自我にとって果てしなく遠く彼方にあり、そして常に今この場にピッタリくっついているものよ。
259神も仏も名無しさん:2010/06/13(日) 13:58:01 ID:UZD7khBv

注意せよ! エクスタシーとはあなたのエゴがあこがれているエクスタシーではないのだ。
そんなエクスタシーは単なるまがいものにすぎない。
しょせん一時的な自己満足なのだ。
真実にして絶対なるエクスタシーとは あなた、すなわちエゴが消滅するところに花開く神秘にして不可思議なるなにかなのだ。
その時、一切の苦悩も一切の喜びも完全に終わり、苦悩でも歓喜でもない完全無欠なる至福が無限に満ちわたっているのである。
エクスタシーはあなたを成熟せしめ、一輪の野の花にも、海のさざ波にも、山の中の静じゃくにも、大空の広がりにも、風のささやきにも、
しとしとぴっちゃんしとぴっちゃんの雨ふりにも、便所のこえだめのうじ虫にも、一服のタバコにも、ほんのかすかな肌の触れ合いにも、
限りない味わいがあることを生きることになるのだ。

さて何故、死がエクスタシーになるのであろうか。
答えは簡単だ。
あなたというエゴがなくなること、ナチュラルになくなること、そこに唯一実在しているエクスタシーがあらわれるから、というにすぎない。
ところが、存在しているのは自分だと妄想している現代人にとっては死は最も恐ろしいものに映ることとなる。
死ぬことによってエクスタシーにかえることは現代人にとっては困難なことであろう。
そこでよりイージーな道としてセックスをあげざるを得ないのだ。

260神も仏も名無しさん:2010/06/13(日) 14:01:57 ID:UZD7khBv
セックスによりオルガズムエクスタシーには、その男女のエーテル的すなわち全一的合一が必要なのだ。
平たく言えば愛情こそが全身的オルガズムすなわちエクスタシーを開花させるということなのだ。

誠に誠に告げる、性的快楽は性的快楽を追求してとっかえひっかえ異性をかえることによって実現したためしは今だかって一度もあったためしがない。
何よりも重要なのは、心の底からフィットする、心の底から愛情を感じるたった一人の異性との出会いを待つことなのだ。

実際、この地上で最も美しいのは全面的な愛情、トータルな恋愛なのだ。
そこに低俗的な意味ではないオルガズム、エクスタシー、成熟、宇宙の意思が働いている。

人が本当に求めているものは何なのであろうか。
人は様々なものを、その欲望の奴隷となって追い求めている。
全面的な満足が欲しいのだ。
だが、自我には断じて全面的満足はあり得ない。
本当のことを言おう。
人は誰でも自我というやっかいなもののドレイから解放されたいのだ。
本当のことを言おう。
人は誰でも自己という重荷を消滅させたいのだ
261神も仏も名無しさん:2010/06/13(日) 14:11:38 ID:UZD7khBv
なぜなら、唯一楽しくなるのは自分が絶対完全無限なそのものであるということに目覚めることであるからだ。
それを私は仮にエクスタシーと名づけているだけのこと。

女性にとっては全面的な愛情が全てであり、それによって自ずから男性とのSEXがエクスタシーそのものを開示する。だが男性にとっては、ただ愛情があるというだけではダメなのである。
そこには、さめた知性が必要なのだ。
愛情があればSEXにおいて女性は努力を全く必要としない。
だが男性はある種の努力が必要なのである。
この由に男性の至福への道は、死をかけた何物かを必要とするのである。

男性は一人の女性に対して全面的愛情を感じたとしても、それは一切の問題の解決とはなりえないであろう。
それ故、男性は自己の生命を捨ててもいいという風に生きなければ悟り、至福、エクスタシーに目覚めることはないのだ。
純粋なる坐禅冥想は勿論、全面的な死への道であり、全面的な至福への道であるが、それはごく限られた人々のものでしかない。
そこで男性は、職業、家庭、友情、使命などに生命をかけねばならないのである。
それらが自己満足としてあるのではなく、自己放棄としてあらねばならない。
つまり、自己満足の虚しさと恐怖の構造を理解して、自己満足ではない、純粋に正しい行為を生きつづけるのだ。
262神も仏も名無しさん:2010/06/13(日) 14:12:22 ID:UZD7khBv


たとえ、その行為の結果が完全に失敗に終わっても、である、
自己を豊かにしてはならない。
自己満足を目標にしてはならない。
エゴの肥大こそが虚しさと鈍感さと不安と恐怖の原因であることに気づきなさい。

女性は本当の愛情を自覚した時が、人間的悟り、成熟といってよい。
そしてそこから、そのエクスタシーから、その成熟から、健全な未来の子供達を出産するのである。
愛情のあるSEXからの出産は単に産みの苦しみといった様なものではない。
それは苦しみであると同時にエクスタシーからのエクスタシーなのだ。

愛情あるSEXは女情を自ずから成る性的エクスタシーへ導きそこに女性としての大いなる成熟があるのだ。
これだけで現代女性のかかえている全問題は解決したといってよい。
死んでもいいと言う程の生き方、それこそ現代人は自覚しているといないとにかかわらず、求めているものである。
一般に女性にとってそれは一人の男性との性愛であり、
男性にとっては天職とか家庭ということになるのだが、現状では、そうは問屋がおろさなくなっている。
というのは現代人一般があまりにも快楽、権力、金の奴隷になっているからである。
従って今や天命としての職業なぞありはしないのだ。
263神も仏も名無しさん:2010/06/13(日) 14:16:27 ID:UZD7khBv
警告する!
快楽と自己満足の為に生きるのをやめなさい。
女は女でなく、男は男でなく、人間は人間でなく、家庭は家庭でなく、
社会は社会でなく、自然は自然でなくなっているのだから。

本当に正直に答えて欲しい。
あなたはむなしくありませんか?

現代の女性は本当の恋愛を知らない。
現代の男性は本当の天職を知らない。
現代の人間はその天命を知らないのだ。
性的快楽のみを求める女性に、むなしさから逃げるために満足を求める女性に、どうして本物の恋愛が起こるであろうか。
金、権力、地位、名声、快楽を求める男性にどうして本当の天職が発見できるであろうか。
そこで現代人一般は享楽的なSEX、ほんのささやかな趣味娯楽、
或いは美容、健康、SEXの様々なテクニックに自閉的な満足を求めているという次第である。

現代文明にとって最も必要なことは、出産、性愛、死という人間としての根本的基盤に目覚めることなのだ。
神秘を知性的に分析して解明するのではなく、神秘を神秘として目覚めるのだ。
この目覚めが実現しなければ、この西洋商工業都市文明は今世紀一杯で自滅するであろう。

(完)
264神も仏も名無しさん:2010/06/13(日) 15:17:20 ID:UZD7khBv
あらゆる人間行為が、情熱の最極点で行われ、
そこに、洞察と直感がともなう場合には、
行為は、必然的に無行為の入り口へ
すなわち絶対無の行為の入り口へ
純粋瞑想へと変容する。
それは、また、
情熱・憧憬の最高形態、
渇望の最高開放である、
全面否定を通過するということでもある。
全面否定は、全面肯定自身が、人間に現れ出る出かたの一つだ。



ヨーガとは、純粋瞑想へ到るための合理的な行為の連鎖的な体系である。
したがって、ハタ・ヨーガから始まる全ヨーガ的な努力は、
チャクラやクンダリニーというイメージやヴィジョンのマインド・ゲームではない、
身体上の死の超越すなわち不死性の獲得たる真実のクンダリニー・ヨーガへ到達するはずである。

また、一切の仮設を排除した知的全面的探索は、ジュナーナ・ヨーガと呼ばれていたものだが、
むしろ、真実の公案禅において完璧な結晶化が見られる。

そして、人間性の救済への一切の努力が無意味であることが知的にではなく、
全面的に理解されれば、そこに真実の只管打坐が、果てしなく開けている。

絶対者の体得・絶対の全面的覚醒を、純粋瞑想とすると、
それが、どのような違ったアプローチに見えようとも、
結局は、禅かクンダリニーヨーガに包含されている。

最終的には、絶対者の究極的覚醒は、同一だとしても、それぞれのアプローチには、
それぞれのニュアンスの違いが、最後までつきまとうことは、否定できない。
265神も仏も名無しさん:2010/06/13(日) 15:18:44 ID:UZD7khBv
今、禅とクンダリニー・ヨーガに限って、絶対者のどの側面が強調されるかを見てみよう。
公案禅は、絶対者の大自然と肉体生命として現出した機能的側面。
クンダリニー・ヨーガは、肉体すなわちボディ・マインドの死後と絶対者の多次元存在として
現出している全実在の構造的側面。
そして、只管打坐、絶対者のニルヴァーナとしての非根源的な根源的側面が、それぞれ強調されている。
以上は、真正の公案禅・クンダリニー・ヨーガが、只管打坐に関しての、
その重点的な側面もしくは位相、すなわちニュアンスの違いである。
そして、真正の禅もしくはヨーガなどの純粋瞑想は、真正の覚者との出会い抜きには、あり得ない。
それが、純粋瞑想が決してメソッドやセラピーとして成立しえないゆえんである。

真正の覚者についての、いかなるも規定も説明も無意味である。
彼にはいかなる立場も質もない。
彼は、究極的覚醒そのものであるが、覚醒の何たるかを一度も垣間みたことのないあなたにとって、
覚醒を見分ける方法も手段も、その眼力もない。
したがって、苦悩するあなったにとって、真正の覚者は、決して分からないのである。

真正の覚者なしでは、純粋瞑想はあり得ない。
あなたは、覚者の行為しているその形式を実践することはできる。
だが、あなたの覚者とその行為形式とは、まったくの欺瞞である。
それは、最悪の狂信的イデオロギーになる可能性を持っているという点で、
単なる社会的欺瞞よりも、たちが悪い。
266神も仏も名無しさん:2010/06/13(日) 15:20:58 ID:UZD7khBv
ここで、あなたは、成熟し切った自我とは何であるかを理解しなければならない。
成熟し切った自我とは、いつでも死ぬ準備のできている自我である。
成熟とは、世界とか社会とかに順応して、いわゆる円満な人格になった自我ではない。
順応とか適応とかは、一つの妥協であり自己欺瞞にすぎない。
成熟し切った自我は、単に生きのびるために、自我の渇望や情熱を妥協させ摩擦させはしない。
成熟し切った自我は、私達一切の苦悩と混乱との諸問題からの全面的開放のために、
額面通り命がけである。

そして、自我は、自我という欲望が、問題を作り出していて、
それが、解決不可能であることを全面的に知っている。
つまり成熟し切った自我は、いつでも死ぬ準備が出来ている。

この時、あなたは、真正の覚者と出会うに必要な直感を得る可能性を持つ。
真実の覚者が何であるかわかるに必要な空白を持つ可能性がある。

純粋瞑想には、初めも終わりもない。
純粋瞑想は、人間性が把握できるいかなる属性も持っていない。
そして純粋瞑想のみが、全面的平和と全面的幸福の何たるかを人類に、明示できるのである。


あたりまえに考えると、この人類は奇妙な文明と称する何ものかを生きている。
生とは何か? 死とは何か? 私とは何か? 存在とは何か? 真の幸福とは何か?
267神も仏も名無しさん:2010/06/13(日) 16:13:15 ID:UZD7khBv
これらは、それぞれに分割できぬ全体をなしているのだが、
人類史上ごく少数の人々を除いて、これらが解明され実現されたことはなかった。
この余りにも、当たり前な前提を抜きにして、人類は、便利さ快適さ、快楽・幸福を追求して、
文明と称する何かを作り出している。
そして、今や、人類全体をたやすく滅亡させることのできる巨大兵器を持て遊んでいる。
余りにも、あたりまえな基本抜きでは、単なる欲望の複雑化は、自滅に至って終わるだけだというのに。
こころみに問う。
欲望とは何か? 人間とは何か?
これは哲学的あるいは宗教的あるいは、どのような一定の立場の命題にもなり得ない。

君には 四つのパーフェクトがある。
一つは、身心一如による自己と世界との絶対的一体感。
二つは、身心から解脱して神と合一する久遠にして無限なる絶対至福。
三つは、自己と世界とを完全に透明にして色即是空・空即是色
あるいは、絶対無限慈悲・慈悲即絶対無。
四つは、決して言語化できないエヴリスィング・OK!なにもかもいいんだ!

肉体・エーテル体・アストラル体・メンタル体・コザール体を死ねば
君と君の世界は消滅して君でない君自身は
神 もしくは ニルヴァーナ に目覚める
真実 存在しているのは 真実 非在しているのはニルヴァーナのみである

君の四つのパーフェクトとは
なにもかもがニルヴァーナと名付ける必要もない
ニルヴァーナだからだ

すべてがニルヴァーナだとしたら なぜニルヴァーナに目覚めるための 瞑想修行という
果てしなき苦難の道を歩かねばならぬのか すべてがニルヴァーナだからだ
268神も仏も名無しさん:2010/06/13(日) 16:14:55 ID:UZD7khBv
君の四つの宝物の内
瞑想行法としての形式を持つのは三つだけである
地上を楽しむための丹田禅。
天上を楽しむためのクンダリニー・ヨーガ。
天地人を楽しむための只管打坐。

ついでに君の四つめの宝物を述べておこう
それはいかなる形式も持っていない
どうでもいいということさえもどうでもいい。

君は救世主でいる あらゆるものと同じように もし君が救世主でないのなら
君はパン屋にも自動車修理工にも 農夫にも遊び人にもなれはしない。

救世主とはまったくあたりまえの人間である
だが あたりまえになることほど 難しくて 簡単なことはない

いわゆる救世主という人物が
君を本当に救済することは断じてありえない
なぜならば君そのものが欲望と苦悩なのだから

君そのものが苦であることを 全身全霊でわかった時
君は一ミリも動くことができなくなる
そこに救世主があらわれるギャップが可能になる
真実の救世主とは 君の全面的生き様によって
絶体絶命に直面した時 開示される者以外にはない

君を救済するとPRする いわゆる救世主とは
ペテン師か催眠術師か誇大妄想狂かそれらでなかったら
トリック・スターに化けている本物の覚者である場合もある
269神も仏も名無しさん:2010/06/13(日) 16:15:12 ID:FfLR/nfW
究極の破格の安さ!
シャープ AQUOS 40インチが20,000円!!
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270神も仏も名無しさん:2010/06/13(日) 16:18:11 ID:UZD7khBv
君が救世主であるということは 君の久遠の自己訓練としてのみあり得る
あるがままのすべては救世主だが あるがままにいる自己訓練ほど 君にとって恐ろしいものはない
それは君の死を必要とするからだ
君という欲望が死んで 君自身は君のものなるすべてを解放する
この刹那に 久遠の自己訓練は 果てしなき久遠の戯れになっている

君はもともと慈悲の救世主としてこの世に生き切り死に切っている
他のありとあらゆるものと同様に
そして慈愛と自由とは君の思い込んでいる人間性の中にはない

救世主はすべての場所と時間を通じて只一人しかありえない
それゆえ救世主は一つの肉体や人格でないばかりか
どのような決まった形態も持っていない

救世主は君という欲望の極点にのみ開示される可能性を持つ
ニルヴァーナを君以外の何ものかに求めることなかれ

ずばり言えば覚者は方便を好まない
覚者は救世主を好まない 覚者は聖人を好まない 覚者は人格者を好まない

この世には様々な栄光や満足や快楽がある だが人間は ただ遊び人として戯れるのみ

君は
思考を停止させて静寂を探したり
思念を集中して世界を光明化したり
思考を制御して内面を光明化したり
思念を統一して禅定と称する気分に入ったりして
根本無明のオモチャ・ゲームを
いつまで続けるつもりなのか
271神も仏も名無しさん:2010/06/13(日) 16:23:42 ID:UZD7khBv
救世主とは君が死んだ君自身のことにほかならない
救世主とは 救済すべき何ものもないことに
目覚めた君自身のことにほかならない

救世主になるための瞑想修行は 余りにもイージーすぎて
渇望と情熱が豊すぎない人達には 迷惑千万、危険きわまりないものとなる

一つの教えは
その時のその人に応じてしかありえない
どのような神秘不可思議な教えも
結局は慈愛と絶対無とを指し示している
君が何らかの組織に属して支配欲や安定欲や集団本能という不安を
自覚した時には現実そのものに直面してほしい
君という渇望には決して絶対確実な安心がありえないことを

危険とか障害とかは エゴのみにとってのものである
それゆえ現代においては 真実の瞑想は反自然的行為に見られる

君が慈愛を感じたり 君が何かを愛したりすることはない
君がすでに死んでいるのなら 慈愛のみが満ち渡っている 愛のみが満ち渡っている

何ものも救うことはできないし 救う必要もない このことを頭によらず理解したら
君は正真正銘の救世主であり 救うというマインドなしに すべてを救うように生きている

本質的な問いには、解答というものはない。 にもかかわらず、あなたは問うことをやめてはいけない。
少なくとも問いも答えも、あなたも世界も、消え果るまでは・・・

君は、心を捨て、身を捨て、魂を捨てて、ただただ一つの真実を発見せねばならない。 なぜと問うなかれ。
272神も仏も名無しさん:2010/06/13(日) 16:24:33 ID:uGer8C5T
273神も仏も名無しさん:2010/06/16(水) 12:48:13 ID:DkibEQ0V
「君、それ考えすぎだよ」という。本当の全身全霊的な思索からしか、決して成熟は、起こらない。

正師の発見は、あなたの全身全霊的直観による。
その全身全霊的直観が、全面的信頼を自発自起せしめる。

あなたに、正師との出会いによっても、全面信頼が生起しないとしたら、
あなたは、あなたの人生というドロ沼を、もっと徹底的に真摯に生きてみねばならない。

ただ、一人の例外もなく、私たちの心と名付けられているものの、内部には、何かわからぬが、
全身全霊で求めている「何ものか」がある。
その「何ものか」は、人生の最高の成功・栄光・調和・美・悦楽・至福・
遊戯自在あるいは三昧の境地・エネルギーの充溢感をも超えている「何かなのだ」
——もっとも、これも、かみさまの一つの、たった一つの刹那。
絶対不動の光でない光—— 万物万象と一体となっている状態—— 生も死もない慈愛・至福——
もはや、今は、これ以上は語れない。
愛情さえも、本当に深い深い信頼さえも、一場の茶番になってしまうような——
「何ものか」だ。

悟り・見性・見神・神人合一・・・何と名づけてもいいが、
それは至福でも、幸福でも、陶酔でも、エクスタシーでもない。そんなものはそんなものなのである。


本ものの瞑想修行にイージーな態度で手出ししてはならない。
現代においては、単に日常的人生を生き抜くだけでも、大変な努力を必要とする。
まして、瞑想修行は、全生涯に渡っての、全面的・全身全霊的努力を必須のものとするであろうから。

274神も仏も名無しさん:2010/06/16(水) 12:49:08 ID:DkibEQ0V
タントラ・ヨーガ・スケッチ

それが、どのように 素晴らしい体験であろうと 醜悪極まりない体験であろうと
体験が体験である限りどうということはない。

いうなれば、君達は、体験ではない体験それ自身を再体験しようとしている。
君達こそ あらゆる素晴らしい体験と醜悪な体験との演じ手であると同時にそれ以上のものであるにもかかわらずだ。

アメンティー・タントリズムとアトランテス文明終末以後のあらゆる瞑想行法のトータル・タントラ・ヨーガ
それらを私であるところの私自身はタントラ・ヨーガと名付けることにする

1、占星学 
占星学は処世術ではない、セルフのカルマを解明することによって、
自己の使命をまっとうすることである。

2、ソーマ・ヨーガ
ソーマとは、主に薬草などをケミカルに合成して、意識の変容を体験せしめ、
人間の可能性を拡大させるためのきっかけとして使用される。

3、カーマ・ヨーガ
性愛にもとづく全面的な交合によって、肉体的分泌線とエーテルエネルギーを、
快楽を通じて活性化せしめる。
275神も仏も名無しさん:2010/06/16(水) 12:50:11 ID:DkibEQ0V
4、気功導引法
気力・プラーナ・エーテルエネルギーによって、肉体の血行とホルモンバランスを整え、
エーテル体をよりよく健康にする。したがって身心は生命力に満ちた健康体となる。

5、ハタ・ヨーガ
主に、無数のアサナとプラナヤーマとムドラーによって、デリケートな感受性と柔軟性を現実化していく。
その結果、各ボディのブロックも徐々に消えていくわけだが、現代の生存競争と現代物質文明に必須な
自己防衛機能も消滅するエゴの危険をも覚悟していたほうがいい。

4の気功導引法と5のハタ・ヨーガとは、タントラヨーガの分水点と言ってもよいだろう。
4の気功導引法までは、現代物質文明を生きのびる処世術あるいは気晴らしといってもいい。
だが、5のハタ・ヨーガに本気で取り組むつもりなら、自己の全人生にいのちがけで
取り組まなければならない可能性があることを、肝にめいじていたほうがいい。

6、マントラ禅
あらゆるセラピーのもっともシンプルな結晶。1から5までのタントラ・ヨーガの集大成。
自我という欲望からの解放への出発点。

7、丹田禅
政治・経済・社会・労働という物質と、精神・健康・快楽という物質文明に順応するためのセラピーの終息。
自我という欲望を終息。自我という欲望を消滅させるための全身全霊をかけた自我との戦いのオープニング。

276神も仏も名無しさん:2010/06/16(水) 13:22:14 ID:DkibEQ0V
8、観想法
実在のリアリティーにもとづいて、観想の対象は決定される。それゆえ、生起次第と究竟次第という二つの観想プロセスは、決して分離することのできない。
それは、あたかも空と色が決してニ分割できないということに相似している。
七つ、あるいは十円周のマンダラ、あるいは、七つのチャクラなど、それらは、リアリティーに立脚しているがゆえに観想の対象になる。
観想法とは、自我と宇宙からの解脱によって実在それ自身に合一するクンダリニー・ヨーガのウォーミングアップの一形態である。

9、クンダリニー・ヨーガ
いかなる前提や観念抜きに、あらゆるチャクラやボディをや次元を通過して実在自身に回帰合一すること。
もはや、個別性はどこにもない。

10、只管打坐
1から9までのすべてを内包するとともに、完璧にそれ以上であり、完璧にそれ以下なるもの。

瞑想とはそれ自身が究極の花であるとともに その花の様々なそよぎである
それは、シリアスだとも言えるし それは、余りにもシンプルだ。

ごく素朴な疑わぬ心 それは人生の洞察から出てくる何か?
それが、坐禅や、タントラ・ヨーガの初めに大切である
あとはとことん全身全霊の日々だその途上にあらゆる断片がある。


死は実在上すなわち自分自身の死はクンダリニー・ヨーガの修行によって体験できるものであり
この死自身の解明が、全面的な安楽と生自身の智慧を与えてくれる
それは、余りにもデリケートだ そしてナチュラルだ
277神も仏も名無しさん:2010/06/16(水) 13:23:29 ID:DkibEQ0V
死を恐れる必要はない 死はひとつの解放されたリアリティーの中で始まる
死がわかる度合いが生を愛する度合いなのだ

生には究極的には緊張はない しかし 生を生と呼ぶ限り 緊張の波が 一つの断片なのである

断片の集合は、全体者ではない それ以前に 断片の集合によって何を意味しているか知らねばならない 。

神には一つの策略がある 人間が、目覚めんために それは、千変万化する、
あなたは、あなた自身のライフスタイルを発見せねばならない

便利さ快適さは、決して幸福を産まない。能力や技術、決して真実を明らかにしない。
真実に到達するためのいかなる修行も、あり得ない。
だが、真実の中には、方法も修行も、能力や技術も、幸福も便利さも快適さも含まれている。

278神も仏も名無しさん:2010/06/16(水) 13:25:10 ID:DkibEQ0V
マントラ禅・丹田禅は
心身一元観の上に心身を経過して身心一如にいたる
クンダリニー・ヨーガは
不二一元観にその立場を持ち霊肉二元を経過して絶対実在にいたる
只管打坐は
霊身心一如から生死一如にいたる
色即是空は空即是色となり 色是色・空是空として 永遠の未完結を完結する

禅には、上昇という概念はない。禅は、あくまでも無念の底への落下である。
ヨーガには、脱落という概念はない。クンダリニー・ヨーガは、あくまで根源への上昇である。
禅も、ヨーガも、宗教ではない。しかし脱落と上昇という概念を混同させてはならない。

禅は、神聖を肯定も否定もしない。
クンダリニー・ヨーガには、神聖という、ある種の感覚が、最後まで必要だ。
禅には、最終的には、根源という概念も、根源というリアリティーも不要なものとなる。
クンダリニー・ヨーガにおいては、根源への回帰が、その最終地点となる。
禅には、最終地点というものはない。

腰を入れて定力をつけよ。尾骶骨を燃え上がらせよ。
ムラダーらの中のクンダリニーには、君とこの世とのクサレ縁をほどく、無限のパワーが秘められている。
そして、もちろん、無限の地獄も。

神から見れば君は地獄を避けて通り抜けるわけにはいかない。
地獄とは、あらゆる個生命達の欲念相続のことだ。地獄とは花開く直前のツボミのことだ。
今や、君が地獄だ。

人間自我という欲望には、いかなる解決もない。そこで、解決不可能を徹底させて、
全体性の愛自身に目覚めるか、それとも、自我と肉体とを死滅させるかということになる。
あらゆる宗教は、以上二つの方法論の観念体系、もしくは、イデオロギーである。
禅とクンダリニー・ヨーガは、この二つの現実的実践方法である。
279神も仏も名無しさん:2010/06/16(水) 14:59:40 ID:DkibEQ0V
瞑想とは、あらゆる個生命達の、欲念相続の帰着点であり、
とりわけ、人間にとっては、本来の自己自身へ回帰する、ストレート・コースである。

瞑想とは、人間性・人生・生老病死・大自然・存在の本質に目覚め、
これによって永遠に千変万化しているこれ自身のことである。
したがって瞑想には、いかなる立場も本質も存在しない。

瞑想の極点は、ニルヴァーナではない。瞑想に極点があったら、
それは、瞑想ではなく、何らかの瞑想的ゲームにすぎない。

そして瞑想そのものっていうのが、より自分自身になればなるほどね、今度は現われてくる世界でもって、
余計なところに引っ掛からないから、とても美しく見える。人間的な世界が。
そして、本当に一番的確なボタンを押すよ。つまり何故かって言うと、自分の中に気負いとかさ、しこりとか何にも無いから、
ものすごいストレートだ。『うん、俺は水飲みたい。はい』てなさ。
そして結局は瞑想っていうのは、少なくともこの人間世界の中に貢献できることっていうのは、
そういうふうなストレートな人間達っていうのを、生み出す働きがあるっていうことだね。

君には君自身が欠けている。
それが、この世とあの世のあらゆる非喜劇を演じ続けせしめる、唯一の神秘的リーラ(戯れである。

あなたの問題が、自我とエゴイズムの問題なら、禅が、オーケーだ。
あなたの問題が、自我とは何か? 自とは何か? 我とは何か? 何かとは何か?
世界全体とは何か? これとは何か?
であるならば、クンダリニー・ヨーガの正しいグルを必要とする
280神も仏も名無しさん:2010/06/19(土) 13:05:53 ID:9sByl6i7
「怠惰でいることが、表面的にはどうして楽なことなんですか?」
ダン『うん、それは癖がついてる。人間の自我意識の癖なんだけど。そ
れは潜在意識の癖っていってもいい。それはね、人間ていうのは誰でも無限を抱えてるんだ。
無限って言っても、もう言い古されちゃってるから適当な言葉がないんで、
神って言っても仏って言ってももう出尽くしちゃってるからね、
今の時代は。だから困るんだよ。
とにかく限りないものを、いつでも限りないものとして君は存在している。いつでも。
もっと極端にいうと時間さえないところで君は自由に存在している。完全に充実して。

ところがね、君の頭にとってはその限りなさっていうのは常に恐怖に映るんだ。
つまり、もっと身近ないろいろを気を紛らわすものっていうのをやってないとさ、
自分がなくなっちまうように感じるんだ。
つまり、怠惰とかね、それから刺激とか、というものがみんな一見好きなように見える、人間達は。
それだからいろんな享楽的なものがある。うん。俺はきらいじゃないけどね。
281神も仏も名無しさん:2010/06/19(土) 13:07:53 ID:9sByl6i7
いろんなものがあって、その時にそれをやってないと隙間が空いちゃうんだ。やり続けてないと。
あるいは、怠惰にして自分をシャッタアウトにしてないと。
つまり『何も見ないよ。俺は見るもへったくれもないんだ。どうでもいいんだ』って状態にしとかないとさ、
とてつもないおそろしいものが湧き上がってくるように感じられるんだ。不安って言ってもいい。
不安っていうのはね、常に君がない事を示そうとする。簡単に言えば君は死ぬのさ。
ところが頭はいつでも生きているつもりでいる。いつまででも。そして君がいつまででも生きていると思う、
信じ込んでるその信じ込み方がね、君を自由や愛に目覚めしめることを邪魔している原因なんだ。

ちょうどね、こういう風に言ったらいいかな、例えば、自分っていう立場があるでしょ。
その自分っていう立場っていうの、君がさ、どっか山奥でもいい。どっか海辺でも唯一人でずっといてみな。
あるいは夜空を眺めてもいい。きっと君はさ、自分という立場がさ、夜空やさ、自然、
大自然ていうかそういうものによってさ、脅迫されているような気持ちになるはずだ。
つまり自分の立場っていうのを確保できないんじゃないかって。

いい?怠惰も不安も全部同じだよ。倦怠とか退屈とかっていうのも原因は全部同じだよ。
自我がね、自分の自我っていうのをさ、本当は仮にしか存在していない自我っていうの、
あくまでも頑張って維持しようというところからさ起こるのさ。
でも、君がもし、夜空に向かって君がさ、面と向かってた時、不安を感じてる、
その不安を感じてる自分を夜空の中に解放したらね、君はきっと夜空がさ、
恐ろしいものじゃあないことがわかるよ』
282神も仏も名無しさん:2010/06/19(土) 14:04:05 ID:9sByl6i7
ダン『じゃあ、谷口さんは。イエス・キリストだよ。前世はイエス・キリストです』
「実相においてはでしょ?」
『だって実相しか存在して無いもん。で、君の前世もついでにいこうか。
君の前世はもちろんイエス・キリストです。イエス・キリストだけじゃあちっと偏ってるかな、
じゃあ、ユダもついでに入れてやろう。そいからあの辺の通りに吠えていた犬、あれももちろん』
「十二使途の一人じゃあなかったわけですね?」
『うん、そう、科学的な見方をすれば十二使途の一人じゃあないです』
「まあ、いわゆるこの世的な見方をすれば?」
『うん、そう。ここに例えばコップがある、という範囲で言えばね』
「何かの本でしたかね、谷口先生はキリストの弟子のルカっていうこと、読んだ、
聞いた事があるんですけどね。その辺どうですかね」
『うん、だったらルカでもいいんじゃあないですか』
「そして、雨宮先生さっきもいわれたでしょ。十二使途の一人じゃないって」
『うん、それは本質的な問題じゃあないから』
「本質的な、まあ、抹消的な問題かも知れないけど、でもそれくらい事実を言うべきでしょ」
『うん、それじゃあね、転生ということはどういうことかっていうことを話したほうがてっとり早いよ。
あのね、転生というのはいろんな形であるんだけれど、本当は人間ってのは転生するもんじゃあないんだ。
常に今に居る。ここに居る』
「時がないわけですね?」
283神も仏も名無しさん:2010/06/19(土) 14:07:55 ID:9sByl6i7
『うん、時間がない。そしてその中でいろんな物語が織り成されていく。
それはちょっと説明できないからそんなふうなものだと思って勝手に聞いといてくれ。
時間軸と空間軸の中にいろんなものが現れるんだ。例えば君達がさ、
ずっとこっからさ、何億光年もさ、飛行機で飛んでったらさ
地球よりもずーと遠い所へ来たつもりになるかもしれない。でもそれは観念の見方なんだ。
こっからね。このコップまでのね、コップまでに行き着くっていうことと、本当は全然変わりはない
ただ、観念の世界だけではいろいろ大小があったり、優劣があったり、いろいろなものがある。
強弱があったり。だからそういう観念の見方ですれば、何億光年も行けば遥か彼方だって感じられる。
その中に物語が出来る。人間の物語さ。とてつもなく悲しくて、とてつもなくうれしい人間の物語。
で、転生っていうのは本当は起こってはいない。いつでもいる。
いつでも、存在している、命は君自身は。だけどね・・・』
「永遠にですか」
『永遠なんて馬鹿げたくらいに存在している』
「あっ、もっとそれ以上のもんなんですか?」
『そして、転生っていうのはどういうことかってうと、それは個性の問題に関わるんだ。君の個性
それも現世的な個性なんだ。つまり現実生活の中で君はさ、例えばノートを取る個性があるとかさ、
いろんなことをやってみたいとかさ、知的に何かを解明したいとかさ。それから、時にかなり率直になったりさ、
時に無骨になったりさ、いろんな君の与えられた現世的な個性ってなものがある。現世的なだよ。
本質的な個性じゃない。その現世的な個性っていうのはどっから起こるかって言うと、君の無意識下、
もし仮に言えばね、意識下から起こるんだ。潜在意識から。そしてその潜在意識には、深さがあるわけよ。
ものすごい浅い部分から深い部分まで。そしてね、人が転生するっていう場合にはね、
潜在意識のどっかを捕まえて言うんだ。『あの人とあの人はものすごく似ている』
その時にどのレベルを捕まって言うかによって転生は、全然変わってしまうよ。例えば潜在意識の・・・』
「あっ、じゃあ人間、区別がないわけですか?本来は」
284神も仏も名無しさん:2010/06/19(土) 14:10:07 ID:9sByl6i7
『ううん、例えば海みたいなものさ、一つの海の広がりの中に全部いる。それが君自身でさ。でも波は幾度も起こるでしょ。
その波はさ、ある場所と違う場所とではさ、違った傾向を持っているんだ。木でもいい。
一本のものすごい大木があるでしょ。その大木でさえ冬になるといつも葉っぱが落ちる。
でも、次の春になるとまた新しい葉っぱが出てくる。でもきっと同じ場所の芽の辺りから出てくる
葉っぱていうのは似た傾向を持っている。その傾向の事をね、転生っていうふうに表現しているに過ぎない。
そして、その傾向っていうのの一番本体っていうのはどこにあるかっていうと集合的無意識っていうものの中にあるんだ。
だけど、霊眼っていうのは常に集合的無意識を確認するとは限らないから。
例えばいろんな人がいるわけだよ。例えば五井さんだっけ?五井さんはなんだ?役行者の生まれ変わりだって言ってるさ(笑)
いろんなこと言うわけさ。それはそういうふうにパターンが似ているとか、
雰囲気が似てるとかっていろいろなものを理由にしてさ、潜在意識が作りあげるんだ。
でもね、転生っていうのが役立つのはただその人にとってだけなの。
俺がもし君が前世で何やってたかっていう事を言うとしたらね、
それはきっと君の中にどうしても解決しなくちゃあならない癖があるっていうことを指摘してるに過ぎない。
だから、今一緒に居て欲しいんだ。今帰ってきて欲しいんだ。今感じて欲しい。そのために方便がいろいろあるだけ』
285神も仏も名無しさん:2010/06/19(土) 14:29:19 ID:9sByl6i7
「雨宮さん今までどのような宗教を遍歴されたんですか?」
ダン『うーん、俺が遍歴したのはさ、いろんな人に出会ったり、いろんな人と触れ合ったり、
それから太陽を見たり、それから海で泳いだり、それから喫茶店入ったり(笑)』
「いろんな人とか、いろんな宗教とかを具体的に教えていただきたいんですけど」
『だってそれは、今の君にとってね、必要なのはいろいろなものを知的に教わるっていうことじゃあなくてね、
君が本当に感じてるものが既にあるんだ。それを発見することだけ』
「いいという宗教を、感じてるものがあるということですか?」
『いや、そうじゃあなくて。どうして宗教っていうだけに限る?』
「宗教じゃあなくていいわけです。別に教育団体でもいいし。そういう、鍛えてくれるとあったら」
『いやぁ、あるいは一人の恋人だっていいぜ。恋人が君を鍛えてくれないとでも思うのか?』
「いやあ、もっとそのー広い意味で」
『うん、広いよ。どうして(笑)男女の間の関係がそんなに狭いと思うんだよ。
それ君の観念が勝手にさ『男女関係なんてこんなものさ』っていうふうに決めてるからだろ』
「しかし、恋人が付き合う場合、一つの思想とか基準がいるでしょ?」
『どうして付き合いに基準がいるんだ』
「相手に対して、こう心構えが必要だとか」
『いやぁ、君の中から流れ出して来るものを発見できるかどうかっていう旅だよ。全て。
君が宗教団体に入ろうと、政治団体に入ろうと、あるいは何にも入らないで一人で頑張ろうと、
あるいは誰か友達と一緒に何かをやろうと、あるいは何かの仕事を頑張ろうと、あるいは恋人と一緒に、
あるいは女房と一緒に家庭を作ろうと、どんなことを通じてでも、君の中が割れて、君の中が開けて、
君の中から自然に流れてくる命を生きているっていうこと。それを発見する旅さ』
286神も仏も名無しさん:2010/06/19(土) 22:09:17 ID:UDSO/Jnz
「話は変わるけど、この間、玉城康四郎さんの本紹介してくれたでしょ。あれ読んでるんだけど、ダイジも前、
時々言ってんだけどね、玉城さんいくらね、瞑想やってね、すごいいい感じになるんだけども、
どうもよく元の木阿弥に戻るって、書いてるんだけど、やっぱり、そういうものなんですか?」
ダン『瞑想は決して元の木阿弥には戻りません』
「じゃあ、あそこで玉城さんがかいてるのはどういう意味かな?」
『それはね、哲学者の自己が出発点であるからなんだ』
「玉城さんの場合?」
『うん、そう、でもこの頃、相当変わって来たよ』
「そうですか?」
『最近はね。あれはもう大分前の話だ。うん。ハイデガーなんかの場合は哲学者が自己だけど、
哲学者っていう流れをまさに生きているから、奴がどんなにしつこく理屈っぽくやってもさ、
全然それが理屈になってないわけ。引っ掛かてないわけ』
「あー、引っ掛かてないわけ?」
『うん、だからハイデガーっていうのは、戻る世界っていうのを行ったり来たりするとかさ、
いい状態が悪くなるという事を認めていない』
「彼の中で、それがちゃんと論理になった時に、もう常に自分と共にあるということが、
完全に自覚出来るっていうこと?」
『うん、そう。そして大切なことはさ、一番感じ取るものっていうのが、誰の中にもあるんだ。
そして感じ取ったものから、人が何か選んで生きて行く時、そこにはどんな問題も本当はない。
それは、外見上には無数の問題が起きて来るよ。でも、それは何もない時みたいに空しい形でさ、
それに何か泥沼にはまったような形では決して起こらない。本当に解決する、
どの方向に解決したらいいかってことが、常にわかりながらその方向を歩む。
本当にかけがえなく大切なものに向かって。そして、いつでもそれを一番最初に起こす出発点はね、
その感じ切ったそこから全てが始まる。そしてそこに全てが終わる』
287神も仏も名無しさん:2010/06/19(土) 22:10:41 ID:UDSO/Jnz
「玉城さんの場合ね、一見自分じゃあね、元の木阿弥になったように見えて、順調に心境が進んでるってこと?」
『うん、だけど、どうしても最後の一点、つまり自己の哲学体系の中に瞑想体験というものを取り込むっていう、
その取り込み方っていうさ『どうしても、俺は取り込むんだ。自己の哲学体系の中に、明確に位置づけるんだ』
っていうさ、立場を捨てきれる事が出来ないんだ』
「あっそうなの?本で見る限りはあんまりそういうのは見えないけど」
『ううん、でもそれは思索過程なんだ。出発点がいつでも自我から出発している。そして哲学っていうのはね、
自我から出発しなけりゃあ哲学にならないんだ。自我がどういうふうに自我を超えるかっていう。うん。
ところが元々自我なんてありゃあしない。だから東洋人ていうのはストレート、
古代東洋人っていうのはストレートに、もうみんな認めちゃう。それは哲学なんていうのはないからなんだ。
東洋にとって。インドにとってないんだよ。インド哲学なんていうけど、
インド哲学なんて哲学なんてしろものじゃあないんだよ(笑)』
「人間の立場から出発する哲学ってのは西洋のほう?」
『うん、そう。そしてその立場に携わったらひと度、そしてそれが、その人の本当に内的に』
「それは、捨てたって別に構わないの?」
『構わないけど、その人に結び付いたものであったら、捨てる事は出来ない』
「そういうタイプがあるわけ?人間としての」
『タイプがあるっていうより、チューリップとかさ、タンポポとか雑草とか、ヒマワリとか』
「じゃあ、ニーチェさんなんか、まあ当分続けるんですか?」
『うん、あの調子で続けりゃあいいんじゃない。とても素敵だよ』
「(笑)野心家みたいな感じもするんだけどな」
『もちろん!もちろん(笑)。奴の野心がね、奴の神秘体験を支えるのさ。ニーチェの場合は。
まさに奴の権力意欲。権力への意志が』
「(笑)ヒトラー的なところがね」
『うん、ある。ある(笑)』
「玉城さんがね、瞑想の中でさ、最後まで光がね、通らないような部分をかんじるっていうのは、その自己なわけ」
『そう。つまり哲学者玉城康四郎の持っている癖だ』
288神も仏も名無しさん:2010/06/19(土) 22:12:11 ID:UDSO/Jnz
「なるほどね。それは人によって最後に残るみたいなものが違うわけ?」
『うん、もちろん残ったとしてもさ、完全に生き切る人もいる』
「残ったままで」
『うん、残ったままで。それはね、クリスチャンなんかの場合でも神と人間は絶対に結び付かないという立場があるんだ。
一つの立場があるんだ。一つの立場としてね。キリストの教えじゃあないんだ。でも、そういふうに、
絶対結び付かないっていう中を、とても素敵に生きる人もいる』
「どういうことなのそれは?」
『うん。人はだからそれぞれっていうことさ、。例えばね『ああ、この世はさ結局死ぬだけなんだ』って
いうふうに』理解したとするとさ、『うん、この世はそんなもんだ』と理解しても、
その中に』いつでもヴァイブレートしてるものがあるひともいる。大切なことはね、
彼がどういうことを語るかじゃあなくて、その語っている言葉が、どっから出て来るかだ。
いい?ある人が生きている。そしてそのいろんな混乱に晒されている。で、突然死ぬんだっていうことを、
何かのきっかけで理解する。理解した時、全てが吹き飛んじゃう。そうすれば、奴はまず、めった人には語らないだろう。
でも、同じだけ人生に直面した人に向かっては、ひょっとしたら漏らすかもしれない。
『うん、そうなんだ。人間は結局死ぬだけなんだ』その時、彼が言ってることはさ、普通よくこの会社の人たちがさ、
空しさとか倦怠感とかさ、不安とかの中で喋る意味ではなく、もっともっと深い彼自身の実感があるんだ『死ぬだけなんだ』』
「例えば、パウロがさ、霊と肉とを分けていう時の肉みたいな、そういう感じ?」
『ううん、パウロみたいな生き方ではないだろうな。恐らく完全にもし、タイプで分けるとすれば、
社会の中に貢献するっていうようなタイプに属する人の場合は、そういうふうな悟りの悟りの開き方っていうのかな、
をする人は多いよ。ああ、人生はさ、全て過ぎ去って行くんだな。ということ。それだけで沢山だ』
「いわゆる空しさと違うわけ?」
289神も仏も名無しさん:2010/06/19(土) 22:33:25 ID:UDSO/Jnz

『うん、違う。空しさではない。だから人はこういうふうに言うこと。『人生なんて結局思い通りにならないのだ』
『うーん、人生なんか本当に重いんだ。みんな死んじゃうんだ』こういうふうに言うこともあるよ。うん。
『人生は思い通りにならないな。人間は自分勝手に生きてるわけじゃあないんだから。人間は結局死ぬな』って』
「普通、いわゆる宗教家の場合はそれを超えようとするわけでしょ?」
『いわゆる宗教っていうのはさ(笑)、つまり一定の概念というのか、用語とか、シンボルを使ってしか入れないさ。
一つのテクニックを決めた中で入って行くからだ。だから、大抵の場合、相当出来る老子でもね、
禅から入った人じゃなあくてさ、何か特別なきっかけで悟りを開く、見性するっていう人いるんだ。
例えば、本当にわけが分からない時に自転車か何かに乗ってて、転がって、バターンと行った瞬間に、
全部が帳消しになっちまう世界を見るとか。あるいは、自分の最愛の誰かが死んだ姿を見た瞬間に、
全てがひっくりかえって、そして自分が生きてるのではなく・・・いい?全てが、全てが全てがさ、
自分となって生きてるんだ。そう気付く事もある。でも多分、禅宗の老子でも、
よっぽど出来た奴じゃあないと見抜けない。何故なら、一定の入り方っていうのをパターン化してるからだ。
例えば、何でもいいんだ。TMでもあるわけよ。段階が。何故ならTMのやり方っていうのをすると、
必ずその段階に入って行くわけ。ヨガのある団体ではさ、こういう図盤があるんだ。
それで、チャクラを瞑想させるんだけどね『何か見た』っていうとさ、すぐに図盤をもってきてさ『お前どれ見た?』
ってこうやって調べるんだよ。そうすと『おっ三番目を見たか。うん、三番目まで行った』なんてやるわけよ』
で、次は四番目へ行くためのマントラかなんか上げてさ。うん、それは一つの入り方だ。
そしてそれにふさわしい人が、それはとても素敵だ。でも、それだけじゃあない。
人の生きざまはそれだけじゃあない。無数の生きざまが』
「さっき言ったね、普通の宗教のメソッドの悟り方っていうのは、機が熟してないと起こらない?」
『うん、全く偶発的に起こる』
「偶発的?」
『うん』
290神も仏も名無しさん:2010/06/19(土) 22:37:22 ID:UDSO/Jnz

「起こるだけの素地っていうか経験ていうものがあるってことでしょ」
『もちろんある。それは、それの機が熟するというよりはね、その人が本当にこの世の仮の姿というのを認めてしまう。
認めざるを得ないような事態に直面したっていうことだ。そういう時は、本当にものすごくそれはきつい。
最初は。きついけど、必ずその人の情熱が、本当にこの世のどうしようもなさっていうのをさ、
簡単に認めるような人でなければないほど、つまり迷いが大きければ大きいほど、
必ず素敵な世界であったていうことを気付く』
「そういうふうに、逆転がない人も沢山いるんですね」
『うん、逆転がない人っていうのは折り合っちゃう。妥協しちゃうんだ。つまり、例えば死っていうものを、
死の経験をするとするでしょ。そうすると『ああ、死ぬのか』くらいで考えてさ
『死ぬんだ。もうこんなことは、もうこれ以上関わってもしようがない』っていうふうにさ、
どっかへしまい込んじゃうのさ。懐へ奥深く、そしてパチンと蓋をしてさ、鍵を掛けて、その鍵をポン投げて』
「それが大半の人間でしょう?」
『うん。大半の人間だ。だから何よりも情熱が人をね、その人自身を変えさせる。情熱なんだ。
本当に愛しさを感じた人でなければ、無限の広がりを経験することはない。
291神も仏も名無しさん:2010/06/19(土) 22:39:56 ID:UDSO/Jnz
うん、でも大丈夫。ここにいる人たちはさ、それに出会うだけの情熱を持っているから、こういう縁が出来た。
うん、それで、『そんなもん何の意味があるんだ?』って聞かれても俺答えようがないんだ。
もし、理屈から言うとさ、この宇宙はそのためだけに出来ているとも言える。無限の歴史があって、
宇宙が始まり、死ぬ。そして宇宙の中には、いろんな生命形態が始まってくる。幾たびも幾たびも。
一つの宇宙が終わり新しい宇宙が始まる。そして、その時に、単細胞かコアセルベートか?コアセルベートか何か出てきて、
それを蛋白質の融合体になって、生命形態がなって行く。進化論って仮設を使えばだよ。
それが段々発達して、意識が出て来る。で、意識の場合、最初は本能的なもんだ。ただ本能に従って生きればいい。
それがどんどん発達していく。するとね、こういう時期が来る。自我の目覚め。その時人はさ、
自我っていうのを確立しようと思って頑張る。でも、その頃はまだいい。何故ならばさ、それにはまだ共同体があるからだ。
その共同体に属するという安心の中で、いろんなことをやっていけばいい。つまり、肉体を維持すればいいのさ
ところが、もっと発達する。そうすると、人は初めて孤独を知る。本当に一人っきりであることを。
その時に、その人は一人っきりというのを、最後まで最後まで完全に突き詰めないで、
つまり、それを超えたものを感じ取らないで、相変わらずその中に入っていると、無数の泥沼が起こる。
うん、そりゃあね、人がね、完全に自意識、自我っていうのを発見した時がさ、まさにチャンスだ。
出発点に戻るチャンスなんだ。この宇宙の出発点。そう、幾たびも幾たびもなく、この宇宙はさ、現れては消え、
現れては消えてきた。今まで。それはもう時間なんていう言葉では言えないくらい、遠い、遠い、遠い昔から。
そして、遠い、遠い、遠い未来に向かって、それは繰り返されている。ちょうど一つの花が春になって芽吹き、
そして、冬になって、冬か、秋の終わり頃になって散るように。幾たびも、幾たびも。
でも、その時、きっとこの宇宙はさ、一つの願いを持っているんだ。
292神も仏も名無しさん:2010/06/19(土) 22:53:20 ID:UDSO/Jnz
そりゃあね、宇宙自身と元々あなたは宇宙自身だったんだよ。この広がり、命、全てをあらしめてるさ、命自身だったんだよ。
そういうように気付いてもらう。そういう願いを密かなものに。そして、それに気付いた人間はまた生き始めるだろう。
同じように。自分の一番好きなことをやって。でも、前みたいにさ、前は、もうまるでさ、それを無理してでもさ、
この中から光が出て来る。出て来ないと『うーん』と揺するわけよ。(ダン、灰皿をガタガタと動かしている)
『出て来い、うーん、出て来い』(益々ガタガタさせる)でも、もうそんなことは二度とやらない。
これに即した扱い方をする。灰皿一つだって。うん、きっと優しくね。煙草と灰をこの中に置く。何故かって言うと、
この灰皿にとってね、唯一の好物だ。で、もうひとつある。何でそんなに情熱が必要でさ、
何故そんな役にもたたない事をやっているのかっていう事を聞かれた時に、それは全然理屈に合わないかもしれない。
だけどね、だって本当に楽しい世界に出会えるんだ!だからさ。俺は多分そう思うんだ。
いい?生命っていうのはきっと、苦しいよりも楽しいのが好きだと思う。ひどいのより、素敵なのが好きだと思う。
俺はそう思う。多分そうじゃあない?』
「そう思う」
『思うか(笑)。賛成してくれた(笑)』
「そう思ってやってんだもんね。ちょっと話がずれるけど、今、進化のこと言ってたけど、いわゆるね、
実相と進化の過程の関係はどうなるの?」
『同時にある』
「同時に?」
293神も仏も名無しさん:2010/06/19(土) 22:54:14 ID:UDSO/Jnz
そりゃあね、宇宙自身と元々あなたは宇宙自身だったんだよ。この広がり、命、全てをあらしめてるさ、命自身だったんだよ。
そういうように気付いてもらう。そういう願いを密かなものに。そして、それに気付いた人間はまた生き始めるだろう。
同じように。自分の一番好きなことをやって。でも、前みたいにさ、前は、もうまるでさ、それを無理してでもさ、
この中から光が出て来る。出て来ないと『うーん』と揺するわけよ。(ダン、灰皿をガタガタと動かしている)
『出て来い、うーん、出て来い』(益々ガタガタさせる)でも、もうそんなことは二度とやらない。
これに即した扱い方をする。灰皿一つだって。うん、きっと優しくね。煙草と灰をこの中に置く。何故かって言うと、
この灰皿にとってね、唯一の好物だ。で、もうひとつある。何でそんなに情熱が必要でさ、
何故そんな役にもたたない事をやっているのかっていう事を聞かれた時に、それは全然理屈に合わないかもしれない。
だけどね、だって本当に楽しい世界に出会えるんだ!だからさ。俺は多分そう思うんだ。
いい?生命っていうのはきっと、苦しいよりも楽しいのが好きだと思う。ひどいのより、素敵なのが好きだと思う。
俺はそう思う。多分そうじゃあない?』
「そう思う」
『思うか(笑)。賛成してくれた(笑)』
「そう思ってやってんだもんね。ちょっと話がずれるけど、今、進化のこと言ってたけど、いわゆるね、
実相と進化の過程の関係はどうなるの?」
『同時にある』
「同時に?」
294神も仏も名無しさん:2010/06/19(土) 22:55:33 ID:UDSO/Jnz



『うん、例えば、俺の中に今、思考っていうのは存在していないし、知性っていうのは全く存在していない。
にも関わらず、ものすごい知的な話を俺は話している。それは、俺の脳がそういうふうに活動しているからなんだ。
そして、この脳の活動っていうのが進化論だ。君が質問した。そして脳は決して活動していない命そのものである。
いい?無限そのものなんだ。ここにいるのは。それが今、こういうふうに体をまとってここにいる。
そしてそういうふうに無限そのものだったら、知性の活動なんてありえないじゃないかなんて考えるのは理屈だ。
無限そのもになった時、一番自然に知性の感じをこう言う。『何もかもが、一番自然に流れ出す』
で、時々よくいるんだ。修行者といっても隠者タイプの人。全部の知性を捨ててさ、山に籠っちゃう。
なんてやってるけどさ(笑)、奴は奴なりに、この世に属した生き方をしている。
いい?この世とこの世を越えた世界っていうのは同時にあるんだ。同時にね。同時にだ。別々だ。
つまり、君はさ、今、完全な自由と安らぎと愛の中。何故なら君自身が無限そのものを秘めている。
無限そのものだからだ。そして同時に君はさ、いろんなことを考えたりさ、緊張したり、ぎこちなくなったり。
ああ、緊張は嫌だ。疲れた。迷路だ。もう誰とも会いたくなくなったり。いろんなことがある。
でも、いつでも同時にある。』
『本当に素直になったら決して苦しみが好きでないことが分かる。それがただ一つだけ、この世の有り方なんだ。
この世はそういうふうに出来てる。素敵なもの、明るいもの、豊かなもの、爽やかなもの、懐かしいもの、
うれしいもの、安らぎ、静けさ、それを一番大切なものとしている。で、思い出して欲しいんだ。
現実っていうのはね、本当の現実っていうのはね、常に絶対的に肯定的なものでしかないってこと。
だから、君がある現実を見て苦しんでいるとしたらね、そりゃあ、まだ現実を見ていないんだ。
それは現実ではなくて、現実だと思い込んでいる観念にすぎない。いつでもよくある。それに直面することが。
そしてそれは君の中の情熱が直面させる。とても素敵だ。もう、格好なんてどうでもいい。』
「いわゆる進化の話に戻るけど、進化というのは、実相の受け皿を作ってる過程なわけ?」
295神も仏も名無しさん:2010/06/19(土) 22:57:51 ID:UDSO/Jnz
『進化っていうのは何?』
「つまり生命が段々進んで高度になって・・・」
『うん、それは実相のさ、一つの料理の仕方に過ぎない』
「どういう意味ですか」
『つまり、神がね、この世の中に生きるときの、生きる一つの形式なんだ』
「進化していくっていうこと」
『そう、だから進化するっていうのじゃあない。全然違う世界もある』
「えっ?それが実相?」
『実相じゃあない、実相じゃあない』
「実相じゃあなくて?」
『(笑)いい?世界は無数にあるんだ。とにかく無数にある。限りない。それは。それはどっから起こるかというと、
もしね。理論的に言えば、宇宙意識から集合的無意識へ降りる時のね、降りるこの間に起こるんだ』
「そんなにその間に無数の?」
『うん、この降りた地点っていうのが無数にある。うん』
「集合的無意識に降りた地点?」
『うん、そう』
「じゃあ、例えば天国がいっぱいあるみたいに?」
『うん、そう。天国もいっぱいあるし、いろんな天国がある。例えばマホメット君なんどはさ
『天国、それは美女達がはべってる。のどかだ。おいしい酒が一杯あって』なんてやってるじゃあないか。
あれ、冗談だと思うなよ本当に奴自身が見た世界なんだから』
「ハーレムみたいな」
『(笑)』
「いいねぇ(笑)。第慈さんの世界は?」
『俺の世界?今、君と話してる。』
296神も仏も名無しさん:2010/06/19(土) 23:08:53 ID:UDSO/Jnz
ダン『うん。そのOKっていうのはさ、止まっている『OK』じゃあないんだ。そこをよく人は間違えるわけ。
『エブリシィング・イズ・パーフェクト』でもいいしさ、『順調』でもいいけどさ、そういう言葉っていうのは、
常に行為している流れがパーフェクトなんだ。で、切り取った、なんこう、止まった絵がパーフェクトなんじゃあないん。
それを誤解すると、とんでもないtころへいっちゃうんだ。つまりさ、よく言うわけ。
例えば人間っていうのは本来存在していないっていうことに気付くことがある。それは本当に自分自身っていうのものが、
もう全く未練ないくらい現実に直面した時に起こるんだ。そうすると、自分が完全に消えちまったら、
もう何もやることがないんだから、意味がないじゃあないか?っていうようなことをよく言う。
でも、それは観念的に考えたものなんだ。ちょうど、現状を肯定するっていうのを観念的に考えるのと同じだ。
現状を肯定している姿っていうのはね、もう、生きる方向があとからあとからものすごく自然に軽やかに出ている姿だ。
止まっているんじゃあないんだ』
「うん、じゃあ、こうやってんのは?アウトかな?」
『アウトじゃあない。人による。人によってはものすごい充実した命の流れかもしれん。
また別の人によっては、自分をだまかしている姿に過ぎない』

「欠点のない生活について何か?」
ダン『欠点のない生活っていうのはね、常に自分の中から出てきたことしかやらないっていうことさ。
自分の内面で本当にこみ上げてくる愛しさ、情熱、そういうものに従って絶対に周りの何かに動かされないってこと。
そうすると、そんなもん何でもいいよ、もし、例えばうかりどっかりどっかの場所に調子を合わせてさ、
そこでSが調子を合わせるっていうことに努力したらね、きっと、それが終わった後さ、
空しさは前よりひどくなってしまう。何故ならそれはさ、心にもないことをしたからだ』
297神も仏も名無しさん:2010/06/19(土) 23:10:03 ID:UDSO/Jnz
ダン『うん、うん、そういうことだ。
とにかく、せっかく与えられてるんだよ。いい、この世界っていう場所を。君達一人一人に。
みんな与えられてる。そして君たちがこの世に生まれたっていう事はね、この世界っていう場所のなかでさ、
最高に君たちにとって素敵なものをさ、実現しようと生きていくためにあるんだ。
あのね、例えばリチャード・バックの『イリュージョン』の中でさ、例えば自分を苦しみに置く事だって
そりゃあ好き好きだっていうふうにいってるけどさ、でもそりゃあ、一つの言い方であってね、
今、ここでは俺はそういう言い方しない。自分を苦しみの中に置いているのは、確かに苦しみにまだ愛着があるからだけど、
苦しんだりさ、投げやりになったりすることに愛着があるんだけど』
「愛着があるわけ?」
『うん、愛着がある。意外に楽しいもなのさ』
「ふーん」
『うん』
「そういうのいるね」
『うん、だけどその人間が本当にぎりぎりに、例えば死とか、どうにもならない状況に出会ったらね、
初めて分かるんだ。自分が決してそんなつまらない人生をね、求めているんじゃあないってことが』
298神も仏も名無しさん:2010/06/19(土) 23:12:04 ID:UDSO/Jnz
「個性は変わらないもの?」
ダン『もっとも深い個性は、変わらない。それはこの世を戯れるためのもの。
もし、本質的な個性がなければ、この世はあり得ない。』
「それは個人個人の中でそれぞれに一番深い個性があるっていう?」
『うん、みんな人それぞれかけがえのない個性を持っている。セルフイデアだ』
「そこにはきつさっていうのが全然ない?」
『きつさがあろうとなかろうと、そんなこと知ったことではない。自分自身の道を歩くんだ』
「そのときのノリで、選び取ったものっていうのが個性でしょ?」
『ううん。選び取り、選び取り、それを繰り返していくうちに本当の個性に』
「出会う。うん。」
『うん』
「常にチェック?」
『うん。ただし、やらなければ絶対に出会わない。その時、良しと思うものをやるんだ。
それを繰り返していく内にわかってくる。いいか!またとないんだよ。
今ここに会ってることが。そう、たった一、二、三、四人だけだ。
だけどこれが全てなんだよ。これが!またとない。またとない。愛』

雨宮第慈講和録4 素直になる より一部抜粋
299神も仏も名無しさん:2010/06/20(日) 12:15:11 ID:tXHSp01j
「『荘子』を読むと、無為自然を説くのに、同時に有為自然というか、練習を積んでやる話、
職人の話がよく出てきて、牛を解く庖丁人を説くのに、同時に有為自然と言うか、練習を積んでやる話、
職人の話がよく出てきて、牛を解く庖丁人の話とか何にもしないのに出来上がるというか話がよく出てるけど、
それは練習を積んで抜けたところなの?」
ダン『うん、そう。
完全にもう満ちているということと練習を積んで行き着くということが同時にあるんだ。同時に』
「芸術家とか職人というタイプの人はその道を通って行くと。宗教家もおなじなの?
練習とは何かもっと別の道もあるような気もするけど」
『いや、同じ。それも練習だ』
「瞑想のステップを踏むという?」
『当然』
『例えばそれまで平和に満ち足りて暮らしていたある奥さんが夫と子どもと同時に失ってしまったとする。
そういうとき全く生きる望みを失って自殺か何かを考えて崖っぷちまで行くと。
飛び降りようとした瞬間に自分がもっていた小さな自己がぱっとぶち抜けるということがあるんだ。
本当に生きているありがたさ、うれしさ、ハッピー、それを感じる。そういうことはあるよ。
じゃあ、それに練習はどう関わるのかと言うと、
少なくともその奥さんはそれまで自分の生活を暖かく納得できるように
築こうと精一杯頑張って来たというそういう情熱がなければ絶対にそれは起こらない』
「それまでに家族との幸せな日々が築かれてなければだめだということ」
『そう。その幸せが大きければ大きいほど悟りは深いよ。
ドンファンが大好きな言葉があるだろう?
『情熱的でなければいかん』と。悟りとよくいうけれで枯れることじゃないんだぜ。
最も情熱的に何かに惚れ込んだり、何かを生きたりしたときにそれを越えた世界が見られるだけなんだ』
「枯れたように見えるのは?」
『それは外から見ているだけだ、その人を』


300神も仏も名無しさん:2010/06/20(日) 13:56:31 ID:tXHSp01j
「はい。『世界の遊戯に寄与する君たちの使命が終了したかどうかを判断する、簡単な基準がある。
もし君たちが生きていれば、瀕死の重傷でかすかに息がある場合でも生きていれば、まだ使命は終わっていない』」

ダン『うーん。ここで遊戯っていってるんだよね。遊戯っていうとさ、例えばもし、頭の中で考えたらさ、
こういう場所で出会ってることが遊戯だとかさ、マージャンやってるのが遊戯だとかさ、
ちょっと恋愛ごっこやるのが遊戯だとかってなるけどさ、ここでの遊戯っていうのはね、
ベトナムで人が死んでいるとかいうのをひっくるめた遊戯だよ。
で、いい?そう。世界っていうのはすべて遊戯なんだ。今、もし君たちがそれを納得できればさ、
ちょうど、どんなことが起ころうともね、それを一つの映画を見ているように楽しむ事ができる。
晴れた日があったり、曇った日があったりする。海がものすごく荒れる日もあればさ、静かな海の日もある。
もし、遊戯っていうものをさ、作る必要がないから君たちはここにいないし、会ってもいないんだ、俺と。
この、会ったりさ、人があったりね、それからまた離れたり、何かを考えたり、何かをやってみたり、
いろんなことをやっているよ。その全部って言うのはさ、意味を一つ一つ追っかけたって絶対意味なんか出てきやしない。
ある人にとってそれがある時期はそれがものすごく意味があることのように見えるかもしれない。
でも、別の機械になったら、あれ?って思うよ。でも、遊戯っていう目が、
もし世界全体が遊戯であるということが分かったらね、それは無意味とか、意味があるとかって考える必要なく、
一番自分らしく生きていることができる。そしてそれを一つのものすごく美しい映画として楽しむ事ができる。
だから、君たちはさ、この世界の遊戯に寄与しているわけよ。
今。釈迦が出てきたとかキリストが出てきたとかいっぱいあるだろ?今まであったらしい。そういう遊戯があったらしい。
それと君たちがここにいる遊戯というのと全然別のことじゃあないよ。一つながりの遊戯だよ。
そしてこの遊戯っていうのはさ、生と死という厳然としたものを含んだ遊戯なんだ。
頭の、観念の中だけじゃあない。死ぬんだよ。君たちは必ず。死ぬでしょ?うん?』
「(笑)」
301神も仏も名無しさん:2010/06/20(日) 13:58:58 ID:tXHSp01j

『(笑)その全体が遊戯なんだ。そしてね、その遊戯っていうのはさ、ちょっとでも息があったら、
つまり君たちが生きていたらさ、死んだらもう問わない。話、これはもう話す必要はないから。
死ぬ世界はね、話題にならないからね。君たちが虫の息でさえ、なんでもいいよ、瀕死の重傷でもいいけど、
生きてるとしたらさ、君たちは立派に遊戯を果たしてるんだ。たとえ、まったく身動きできなくても、
よぼよぼに老い朽ちてさ、どっかうちぶれた病院かなんかで一人さ、うーんと唸ってたとしても、立派に遊戯をね、
果たすことができるんだ。果たしているんだ』
「死ぬ人間がね、何故こうやって生きてるってこといえる?そういう質問はちょっとおかしいけれどもね」
『うん。それはさ、さっきからいうように。トシヒロのヘアースタイルが何故そうなのかっていうことさ』
「例えばね自分の爺さんが死んだとするでしょ。その場合ね、僕達も一緒に死んでるわけかな?」
『うん、そりゃあ、一つの考え方だ』
「考え方?」
『うーんとね、死ぬ、うん。つまり問題は、ここでいいたいことはさ例えば、なんでもいい。
どっかうちぶられた四畳半で君たちがいるとするだろう。四畳半で住むかさ、完全一人っきりの時さ、
誰も君たちをみてくれないよ。もし歌手なんか志望してそれがうまく当たればさ、みんなに賞賛されるよ。
でも、どんな立場にいようとね、君達がそこにいようとその後ろに君がいようと、君たちはさ、
この世界っていう遊戯にね。確実にその遊戯の中を生きているってことさ。同じだけ。
誰がよけいに生きるっていうことはない。あるんだよ。みんな人それぞれに』
「それじゃあ、個性というものはどうして存在するんですか?」
『それは、世界を、遊戯にするためだ』
302神も仏も名無しさん:2010/06/20(日) 14:00:31 ID:tXHSp01j


「じゃあ、どうして世界を遊戯にする必要があるんですか?」
『うーん、そりゃあ、神様が物好きだからだ。もしね、君がさ、君は神と同時にさ、人間でなかったらね、
この世にどんな物語も出てこないんだ。つまり、君はさ、今ここへ来て俺と話してる。
でも、君が神のままだったら、ままだけだったらね、君は俺とこうやって話すこともないし、
誰かに出会うこともないし、多分嬉しいこともなければ悩む事もないだろう。
でも、どういうわけか神様はさ、人間の様々な喜びと人間の様々な悲しみによってね、織り成される遊戯が大好きなんだ』
「それじゃあ、神が最終的に目標としているものは存在しないと考えられます」
『ううん。最終的に目標としているっていうのはね、霊学的な立場に立ったときなんだ。
つまり、霊的な立場に立った時ね、人間を解放しようとする立場、方向にね、神の法則っていうのは働いてるんだ。
ただ、立場っていうのはね、同時にあるわけ。無数の立場が。別々にあるんじゃあなくて。
今、ここにね、神、完全に神一元でもってさ、神の目的とか何とかいう以前に、もう神の目的が果たされたっていう世界が先ずある。
完全に果たされちまっている。それから第二に、神に向かって進んでいくっていう立場がある。
それも、別々にあるんじゃあなくて縦にあるわけ。ちょうど霊界と現実界っていうのがね、同時にあるっていうのと同じさ。
それと同じように神の戯れっていう世界はね、同じように同次元にあるわけ。
そして世界の遊戯っていう立場に立った時はね、もう神の目的っていうことでさえ遊戯の一つになってしまう。
つまり、Aという人は『神の目的と神の使命のために、僕は日々生きている』て言うと、ああ、なんか生き生きとしていいなぁ、
っていう遊戯になってしまう。ある人は『神に目的なんかないよ。さあ、酒でも飲もう』なんて毎日生きてるかもしれん。
でもそれも同じだけ世界の戯れなんだ。だから、『君がどうかい?』っていうことになっちまうな、最後は。
『君が何を選ぶのかい?』っていうこと』
303神も仏も名無しさん:2010/06/20(日) 14:12:25 ID:tXHSp01j
「人間を解放するということは、じゃあ、神は自分自身を解放しようとしてるんですか?」
『うん、神はね、もし神の側から言うとね、この世の一切っていうのはね、神が神を神してる。瞑想が瞑想を瞑想している』
「それじゃあ、例えば僕がこれから何十年か先にね、今、ここで僕が神としている存在者になり得るということですか」
『うーん、そんな先じゃあないよ』
「じゃあ、当然ここにいる。僕自身が神の現われなんだということは分かるけれども、しかし、現実問題として僕は僕なんですよね。
だから、この自分が自分だと思っているその感覚が、自分が神であるという感覚に遠い将来になり得ると言えるんですか」
『ううん、遠い将来じゃあなくて、そんな遠くないよ』
「しかし、人間は霊的には輪廻するたびに向上していくんでしょう?」
『うん』
「じゃあ、その向上していって、行き着いた所は、結局が自分は神になるということではないですか」
『ううん、向上という側面からみたらね、俺も君もさ、永久に向上し続けるだけだ。人間がね、向上してさ、
人間が神になるってことじゃあないんだ。今はね、君はさ、今神で、神のいとし子で、
そしてそのいとしさ子だから向上しようとしているんだ。それは同時にあるんだ。つまり君がさ、
いつの日かさ、神になるんじゃあなくて、今、神であって、そして永遠に神を求めている。
知的にちょっと納得しずらいかもしれないけど、例えば君は完全にさ、今安心の中にいるよ。そしてなおかつ、君は毎日をさ、
安心と喜びに向かって生きてくよ』
「ええ、意味は非常によく分かるんですけれども、向上していくという事実があるんならば、やはり、
どうにか変わっていくんじゃあないかと思って・・・」
『それは毎回変わっていくよ。どんどんどんどん深くなって広くなっていくよ。だからって、広くなって深くなってさ、
そして神になるんじゃあないんだ。神の中を広くなって深くなっていくんだ』
304神も仏も名無しさん:2010/06/20(日) 14:20:01 ID:tXHSp01j
「えーとあのー、僕はどもるけどあのー、どういうわけかどもるということに?」
ダン『全く独特な鋭敏さがあるんだ。理解力っていってもいい。そしてそれは今でもある。
ところがね、それがあるけれどもさ、君自身の命の解放って言うか、喜びっていうか、の実際っていうのとね、
距離っていうものをものすごく感じている。
そうするとね、どもるっていうことをさ、楽しむって言ってもいいし、それから時にうじうじと考え込むっていうのを、
楽しんでる時があるんだ。それはね。そういうふうにやることによってね、代償にしているわけ。
つまり、俺はいろんなそういう事柄に関して理解力は持ってるよ。だけどそれは、何の意味もないよ。
何の意味もない人間はさ、うじうじやったりもどったりしてさ、そんなものの中にいたって当然じゃあないかってさ、
自分で処罰してる。でも、全然それをする必要はない。
やがて君はさ、君の中に新しい願い、方向、憧れが起こることを知るよ。その憧れはね、どもりとか、
うじうじと考え込むということの中でもって、生きていくっていう必要はないんだなっていうことさ。
一番当たり前に、自分の気に入った姿っていうものをこの世に現していけばいいんだなっていうことさ。
それを感じる時が来るよ。でも、君はまだ、今悩んだり考え込んだり色々こう詮索したりするっていう世界っていうものに
なかなか愛着があって。でもそれも終わる時が来る。何故なら君は神のいとし子だから』


「禅の公案でさ『父も母も生まれていない時、あなたの本来の面目は?』っていうのがあるでしょ?」
『うん』
「あれは、ダイジはどう解釈する?」
『TSの問題だ。じゃあ、俺の解釈言おうか。ね。いかに役に立たないかがわかるよ。
解釈1『解釈1だよ』』
「うん」
『解釈2『煙草すってる俺は』解釈3『ワァー、ワァー、ワァー、ワァー』解釈4『とても素敵な夜だね』』
みんな・ダン(笑)
305神も仏も名無しさん:2010/06/20(日) 14:54:02 ID:tXHSp01j
「ハイデガーのことを、この間ちょっと聞きかけたんだけど」
ダン『うん』
「初め、あれは存在の不安?」
『そうだよ』
「それから無への超越でしょ?」
『うんうん』
「それは典型的なコース?」
『うん、そう。ハイデガーっていうのは実に哲学的だけど、そういう側面から入った人だね』
「オーソドックスなコースっていうか?」
『うん、そうそう。ものすごく論理的だね。だけど、要するにものすごく論理的に書いてあるにもかかわらずさ、
もし、真剣になってあっれ解読したら絶対つじつまが合わない所が出て来る』
「そうなんだってね、あれ」
『そうだよ』
「うん、ハイデガーとはね、議論ならないんだって」
『ならないよ。一番最後の所で飛び上がるから(笑)。何故飛ぶかなんていうのは理屈で考えたってどうしようもないんだ。
本物の哲学者ていうのはそういう形でしかあり得ない。論理を使ってるような顔してさ、どんづまりまで行くとさ、
全然論理が通用しないんだよ』

「それと、なぜ荘子の中じゃあさ、荘子自身の話より孔子が喋った話が沢山出てくるんでしょうね?」
『そりゃあ、孔子っていうのは、いいネタっていうのを提供するから』
「孔子っていうのは、純粋宗教の立場から見たらどの程度の内容を持ってる人?」
『うーん、晩年にはいいとこ行ったね』
「いいとこっていうと具体的に?」
『そうね、宇宙意識に触れたっていうか』
「じゃあ、ニルバーナに近い?」
『うん、そう。厳密に言うとニルバーナっていうのは絶対無、を指すんだ。
ところが、もっと、もっと当たり前に言っちまうとニルバーナでないものなんて一つもないんだ。
みんなニルバーナの展開なんだ。君たちみんなニルバーナなのさ』
306神も仏も名無しさん:2010/06/20(日) 14:55:50 ID:tXHSp01j
「『バカバットギータ』ってあるでしょ。あれは『マハーバラタ』の中から出て来たんだっていうんですけどね、
『マハーバラタ』っていうのはね、いつ頃の時代を書いたんですか」
ダン『時代?』
「はい」
『君が何か歴史書か、歴史学者に聞けよ』
「うーん(笑)困ったな」
『正確に言えば『マハーバラタ』の中のある部分、ある本質的な部分、それは時間のない世界で書かれた』
「その『ギータ』の部分?」
『うん、特に『バガバットギータ』はそうだね。それ以外にもある。『マハバーラタ』。
それ以外は徐々に付け加えられていった。一番最初の出発点はやっぱり、
まだドラビタ族がいてアーリア人が入ってた頃に起源がある』

雨宮第慈講和録3 最高に生きたい より一部抜粋
307神も仏も名無しさん:2010/06/20(日) 15:21:11 ID:tXHSp01j
ダン『うんうん、どんなもんでもいい。それはヨガだろうと何だろうといい。超える時が来るよ。
本当にやればね。問題なのはそれが協議とか教説とかどういうテクニックとかじゃあなくて自分に合った方向、
合ったやり方だからね。そして、その合ったやり方でもって本当にやってた時、
必ず、無明というのを完全に超える時が来る。
その時、きっともし彼が本当に広い形でもってそういうものを超えることができたらば、
無明っていうものが全てであると同時に、無明って言うのはどこにも存在しないという、
そういう同時にそういうものを捉えることができるね。うん。
だから最初は無明っていうのはあくまでも意識の問題としてあるんだ』
「自分に合わなかったやり方でね、無明を払おうとした場合どうなるんですか?」
『自分に合わなかったものだったら止めちゃうだろう、その内に、うん』
308神も仏も名無しさん:2010/06/20(日) 15:53:47 ID:tXHSp01j
「あぁそれから修行を続けていれば悟りか何か到達できますか?」
ダン『悟りって何?』
「ニルヴァーナとか」
『君が考えていることは?』
「お釈迦様の悟りとか・・・」
『だって釈迦君っておうのかな(笑)』
「いや、だからどういう悟りでも・・・」
『そういう事全部抜きにしてね、君が納得するっていう事だけは保証するよ』
「要するに究極的なところまで行けるんですか?」
『じゃ、君はどっち取る?君は釈迦とまったく同じ悟りを開いたとするよ。
それと釈迦と絶対同じ悟りを開いたけど、君はえーと何か混乱しているというのとね、
もうスッキリしてとても生き生きしているけど釈迦と同じ悟りを開いてないっていうのとどっちがいい?』
「悟りをひらけば混乱しているような・・・」
『(笑)だってそれは君の概念だろう。知的概念でさ。今、前提抜きにして考えないか?
君が本当に生き生きとさ、納得して生きられる方を選ぶかさ、何か本か何かで読んださ、悟りというものをさ、
求めてそれを開くのかどっちをとるかっていう事さ。それは言うまでもないよ。
どんな人間でも本当にさ、その人間のさ、本来の姿って出したいと思っているよ。
でも、本来の姿っていうのはさ、決して一つの概念によってさ、理解できるようなものじゃなくて、
自分がそれに出会った時初めて納得するものであってね。それを得たからって言って決まった形なんかならない』
「或る到達点っていうか、そこに行けるかどうか究極的に・・・」
309神も仏も名無しさん:2010/06/20(日) 15:55:57 ID:tXHSp01j
『到達点っていうのはね、究極の到達点、人それぞれ究極の到達点っていうのはね、二つの意味であるんだ。
それは全てのものっていうのがもう意味を失った時、或いは全てのものが同じに見える時に行き着く到達点とね、
それからそうじゃなくて、今君は生きているんだよ、今。
そうすると君は今の中でさ、最高に生きるっていうかな、これ以上考えられないくらいに素敵に生きるっていう事があるんだ。
もし、最高の到達点というのをニルヴァーナっていう特別なものにすればさ、
君はそれに向かって進む事が出来るけどさ。その進む間さ、ニルヴァーナっていうのを、
君が知的な概念で持って考えてる限りさ、君の人生っていうのはどうしても納得できない部分というのを残してしまう。
そうじゃなくて君はさ、先ず第一に生きてるんだ。そしてニルヴァーナって例えば、君はさ、きっと釈迦とね、
田中角栄とさ福田赳夫とが違う人間だときっと思うだろう。つまり、あの単純に考えて欲しいんだ。
つまり釈迦の方が知的だとやっぱり思うんだ。ところが釈迦は決してそうは思わないっていう事を思い出して欲しいんだ。
釈迦にとって福田赳夫と自分とが全く同じものだっていうこと。だから、悟りとか何とかいう事よりもさ、本当に先ず、
とにかく君らしく生きるっていうかな』
「修行するにはやっぱり目的がなくっちゃできないでしょう・・・」
『うん。目的があって当然だし、目的なしでは人間の人生ってありえない』
310神も仏も名無しさん:2010/06/20(日) 15:57:11 ID:tXHSp01j
ダン『行為する基準というのはね、そのものの行為に特別に意義があるから行為するんじゃあない。
その行為によって素敵な結果が得られるから行為するんじゃあない。
ただ、その行為をするのにふさわしく生まれついているからそれをするんだ。
いい天気だから、いい気持ちになる。曇っているから心がめいる。それは人間の感情レベルでは常に起こることだ。
やるということ、生きるということは、全然そういうことに邪魔されるようなもじゃないんだ。
でも、それはやってみてからでないとわからない。
やる前から、それを確かめさせてくれと言ってもそうはいかない』

『思考でも一つだけ役立つ思考がある』
「どんな?」
『僕はこれが好きだ』

雨宮第慈講和録2 君がどうかい? より一部抜粋
311神も仏も名無しさん:2010/06/20(日) 16:45:30 ID:tXHSp01j
ダン『人は面白いんだよ。
自分を投げ出すとかさ、自分の方から、全面的に信じるということはさ、
現代文明の流行から言うと、非常にばかげた損なんことなんだ。
例えば向こうがさ、真剣にまじめにやらなきゃあさ、
こっちが真剣に真面目になって、
向こうに誠意を持って対すると損になるという考えが流行している。
でも、そうじゃない。愛。』
312神も仏も名無しさん:2010/06/20(日) 16:47:36 ID:tXHSp01j
ダン『うん、正直に言うとね。知者にいきなりなるということも人には時たまある。
あるけどね。知者にいきなりなるとね、戦士の準備が積まれてないとね、全く通用しない人間になってしまう。
つまりまるで、それだったら何のために生き、何のために肉体を持っているのかという意味が出て来ない。
知者になった時初めて、戦士というものの力が生きてくる。
なぜかって言うと、究極的な言い方をすればさ、人は知者になった時、実は力まで得ることができる。
ところが現象的な人間の場合だと、知者になったとしても、必ずしも力が伴うとは限らないわけ。
例えば、究極の悟りというのを人間が開けば、必ず六大神通力というものの正体を見破ることが出来る。
ところが実際に禅やいろんなもので見性というのをしたってそうはいかないでしょ。それと同じこと。
あの、ダンテスがこれを作った救世主という意味は、一人一人が、本当にその人らしく生きて欲しいという意味での救世主。
だから、救世主の最終試験で重要な科目の中にあったでしょ。正直であるかどうかが。
神通力が使えない時は、僕は神通力だめですって言う。それで救世主合格。なぜなら、『救世主入門』というのは知者への、
ドン・ファンの言う知者への、ドンファンの言う知者への、愛の救世主への、
つまり純粋瞑想しか書かれていない』
「救世主には、そういうパワーも必要な条件」
『うん、もちろん、必要な条件。ドン・ファンの方が、何ていうのかな、修行的。あの『救世主入門』というのはさ、
どんな所に生きている人たちにも与えられている。そして読み方には三つある。
313神も仏も名無しさん:2010/06/20(日) 16:49:43 ID:tXHSp01j
一つは誤解して、そのものずばり、頭で勝手に理解して、ああこんなものか、うん。
イリュージョンか、何やっても自由なのかと勝手に思い込む。
第二番目は、本当に学習というものを続けていけば、必ずこういうところになるんだなという読み方。
第三番目は、そのもの、既に愛であり、自由である。例えばセッションの時、俺が言う言葉の中で、かぎ言葉というのがあって、
『つき合え、全てとつき合え』『全てとつきあっているのだ』『全てである』とうのは、
『救世主入門』の中の言葉であって、ダンテスが書いたもの。
ドン・ファンの場合は、今、言ったように、修行者コースのわけ。『救世主入門』というのは、
皆それぞれの分野があるじゃないかという立場なの。だから、選び方は違うでしょ。
ドン・ファンというのは、一人しか選ばないでしょ』
「そこで、修行者コースをとるか、一般的なコースをとるかは好き好き?」
『うん、好き好きというより、その人に与えられたもの。内面から出て来るもの。
それはもちろん、知者であり、呪術師であるところの、つまりブッダという意味はそういう意味なんだけど、
にとっては、すぐ人目で分かるものなんだ。だけど、肝心なことは、それを指摘してあげることではなくて、
その人が発見することなんだ。
例えばブッダになるには、修行者コースを歩む意外に絶対にあり得ない。あの、つまり、冥想行為という、
特異な瞑想行為ね、あの、人生として冥想行為でなくて、特別な冥想行為を通してしか、絶対にあり得ない』
「ブッダと自動車修理工とどっちが上ということはあるの?」
『俺は自動車修理工の方がいいね。ブッダなんて臭くて』
314神も仏も名無しさん:2010/06/20(日) 17:20:05 ID:tXHSp01j
『このテキスト程無責任な本はない。この本に書かれてることを信じないほうがいい。
書かれていることは全て逆の意味かも知れないから』

ダン『これはね、君達が、最高に君たちらしく生きるために大切な言葉。君達はすぐにね、
一つの権威というものを信じすぎる。そうすると、そこに書かれてあることや、その人の言った言葉を、
何にでも通用するような真実だと思う。(中略)
信じない方がいいというのは、とても優しい言葉なんだ。
それは本当に自分の中から素直に出たものだけを信じてほしいという事なんだ。それだけなんだ。
どんなすてきな教えだろうと、どんな深遠な教えだろうと、君達がそれを心の底から味わわなかったら、
何の意味もない。うん!?』
「途中からなんでよくわからないんですけど?」
『そういう時はうんと言えばいいんだよ(笑)』
「うん」
『(笑)君たち一回きりのかけがえのない命が最もすてきな形で一つの言葉を味わうんだ。
それ以外に味わい方はない。ええと、あそこ読んでくれ』
315神も仏も名無しさん:2010/06/20(日) 17:21:43 ID:tXHSp01j
『そして、もう一度思い出そう。『救世主入門』の一番最後の章句を。
これは君だけに語りかけている。「完全」は、君以外の誰に代わってもらうことができないのだから
「この本に書かれていることほど無責任なことはない
 この本に書かれていることを信じない方がいい書かれていることはすべて
 逆の意味かもしれないから」』
(ダンテス・ダイジ著『メディテーション・トラベル・ガイド』より)

ダン『完全はね、君達以外の誰に代わってもらうこともできない。完全なんて言葉は言う必要がない。
   本当に納得した、本当に素敵な、本当に大らかな、本当に深いこまやかな人生。
   君たちは本当に自分の大好きなことに向かって進むことしかあり得ない。
   正法眼蔵が深遠なんじゃない。釈迦の教えが深遠なんじゃない。ハイデガーの哲学が深遠なんじゃない。
   そうじゃない。君達が、深遠なんだ。君達の中が深遠そのものなんだ。それ以外に完全はない。いい』

   「はい」

   『(笑)』

雨宮第慈講和録1 十三番目の冥想 より一部抜粋
316神も仏も名無しさん:2010/06/20(日) 18:01:49 ID:tXHSp01j
>>308

訂正 ×『だって釈迦君っておうのかな(笑)』

   ○『だって釈迦君っていうのかな(笑)』

>>312

訂正 ×ドン・ファンの言う知者への、ドンファンの言う知者への、愛の救世主への、
    つまり純粋瞑想しか書かれていない

   ○ドンファンの言う知者への、愛の救世主への、つまり純粋瞑想しか書かれていない
317神も仏も名無しさん:2010/06/20(日) 18:25:57 ID:tXHSp01j
ダン『それぞれの人なりのを与えられるから、マントラというか、冥想のスタイルね。
   それ自体は他の人に意味ないんだ。ただ基本構造があって、無相三昧、有相三昧、遊戯三昧。
   それで終わり、冥想道は。その三つが体得できれば。あるいは輪郭が捉えられれば。
   この三つのステップが終わってその次に完全に一つを決めるという選択がある。
   三つの内どれか徹底的にやる。ただし、その時点でもって、その生きる場所というのを、
   もっとフィットしたものを発見できればそっちに進んでいい。
   そのステップが全部終わっても何か出てこないんだったら、完全に死を賭けてやる』
  「僕が有相三昧からというのはどういうことなんですか?」
  『人にはそれぞれがあってね。遊戯三昧から出発する人もいれば、有相三昧から出発する人もいれば、
   無相三昧から出発する人もいる。君の個性はね、ヨガの言葉で言えばバクティなんだ。
   バクティ・ヨーガ。つまり愛から入るんだ。愛と献身から入る個性を持っているんだ。
   本質的個性。ラーマ・クリシュナなんかに近いね。個性としては。
   そうすると当然有相三昧から入ることになる』

ダン『これは忘れないでほしい。冥想道というのをやるでしょ。それがもし生半可だとするとね、
   一通りのことは覚えるかもしれないよ。そうすると裏も覚えるわけ。
   すると真面目に武骨にやってた人が出会う自由な世界というのにはっとなることがあるよ。
   つまり自分なりにいろんなことが理解できたつもりでいるわけだよ。
   だけど、全然そんなことを知らなくてさ、ものすごく素朴に何かを信じてやり続けた人間というのが、
   とてつもなく深い自分自身というのを生きることがある』


雨宮第慈講和録2 君がどうかい? より一部抜粋
318神も仏も名無しさん:2010/06/21(月) 12:25:44 ID:UTV7QYXA
イマジン、想像せよ 宇宙は美しく完璧であると、 預言者は 君達よりうまく それを想像するだけである』


ダン『ここで注意してもらいたいのは、想像というものが、普通に言う想像ではないということね。
それを誤解すると、これくらいいい加減な言葉はないんで、前にも言ったように、ダンテスというやつは非常に癖のあるやつで、
人を何かひっかけるようなことを言うのが好きなんだ。それはなぜ好きかというと、ダンテスが各人の主体性というものを、
ものすごく重んじた人だからなんだ。その主体性を重んじるという気持ちがそれを作り出した。
ひっかけるような一見非常に誤解しやすいような言葉をだすというのはね。
だて、一定のスローガンでもってさ、狂信的な状態にもってゆくというのは簡単なことさ。
だけど、狂信者が本当にはっぴーか?そうじゃない。狂信者というのは、必ずある時、醒める時が来るよ。
その時どんなに自分が無理して白々しいことやっていたかが分かるよ。
だから、想像せよ。宇宙は完璧に美しいことを。救世主と君達の違いはさ、
救世主は、それが君達よりちょっとじょうずなだけなんだ。
それは聖者であろうと何であろうと、ハッピーな人間と置き換えてもいいよ。
それで想像ということの意味なんだけど、想像というのは、君がその栗むいてるというそのことだよ。
本当は、君は栗なんかむいてはいないんだ。皆、一応、栗むいてると思っているのは、皆、想像しているわけだな。
Wがね、栗をむいているということを、それが想像だよ。
想像と現実というのは、別のものじゃないんだ。別なものだと思うとね、いつまでたっても空想に過ぎないことになっちゃう。
この想像というのは現実という意味なんだ。唯一絶対の現実という意味なんだ。
でも、それは想像するというイマジネーションという行為から入っていくことができる。だから二重にひっかけてある。
例えば禅宗でいろんな公案を修行するでしょ。何年間も。
その時、その何年間というものは、全くイマジネーションの修行なんだ。
だって、早い話が、今、目の前に刀突きつけられたらどうするかというような、刀なんてちっとも突きつけられてはいない(笑)。
319神も仏も名無しさん:2010/06/21(月) 12:26:40 ID:UTV7QYXA
それを坐禅組んでさ、刀突きつけられた。後ろからも突きつけられた。横からも。逃げ場がなくなった。さあどうする。
というわけだ(笑)、こんなものはまかり間違えれば、すぐ空想の遊戯になってしまう。
だけど、そうじゃなくて、観念的な行為というのが必ず現実化する時が来るよ。観想法というのは、観想法にあらず。実在法』
「うまくというのは、観想法がうまいこと?」
『うん、そう。うまくというのは、観想法が、完全に現実になったこと。
じゃあ、まるで気違いと同じじゃないかというかもしれないけど、うん、気違いと大差ないよ。よく言うじゃないか。
俺はナポレオンだ。俺はヒトラーだと。俺は天皇陛下だ。俺は神だと。勝手にやってるのが。
だけど、一番違うところはね、俺は神だ、俺は天皇陛下だと頑張っている人間というのはさ、
心のどこかで常に徹底的におびえているんだ。
だから、気違いが幸福だと思っちゃいけないよ。ああ、幸福だ、幸福だ、なんて言ってるけど、
それはあまりにも不幸というものが、すぐ後ろにあるからなんだ。
で、ここで言う想像せよというのはね、本当にその不幸に直面したあとの想像、あとのイマジネーション。
正々堂々としたイマジネーション。開かれたイマジネーション。
じゃあ、具体的にどうすればいいの?そう堅いこと言うなよ。イメージしろよ。すてきなことを。
本当に自分にとって好きだと思うことを。その窮極が、この世界一切は完全円満だということ。パーフェクトだ。
だからこの『イリュージョン』の中で、ドンがリチャードに観想法を教えるところがあるでしょ。さあ思い描けと。
そうすると、最初リチャードは女が好きだから、女を色々思い描いたりするんだけど。
一番最後になったら、何してるとドンが聞くと、僕は今、世界全体を、思っているということをはっきり言う。
それが最後の観想法。さあ、想像せよ。世界全体が、かくも美しくすてきであることを』
「今の世の中がひどいとしたらね、皆が悪いほうの観想法をやってるわけ?」
『うん、そう。その通りだよ。悪い想像の世界、現実の世界に入ってるということ』

320神も仏も名無しさん:2010/06/21(月) 12:27:52 ID:UTV7QYXA
雲は知ってはいない、なぜこの方向に このスピードで動いていくのかを 知らない。
 しかし、空は雲の全ての雲の秩序を把握している。君たちにもそのことが分かるだろう。
 地平線の向こう側が見える程の 高みに立った時には』


ダン『君達が、いろいろなことがあって生きてゆくだろ。時には感激し、時には白け、時には退屈し、
その時に、自分がいったいどういう方向に向かっているのか、ここに秩序や調和があるのかと疑うんだ。
雲は知ってはいない。でも、もし君達が高みに昇って、地平線の向こう側が見えるくらいの高みに昇った時には、
その時、君たちは空になるんだ。空になった時に初めて分かるよ。
どんな迷った生き方をしてようと、どんなことがあろうと、その全てが調和していると。
君達は空になるんじゃあないんだ(笑)。本当を言うと、空そのものであると同時に雲なんだ、いつでも。
ところが、どういうわけか。そのわけを決して聞かないでくれ。
この世にどんなものが現れようとね、宇宙がどう変わろうとね、そのわけなんかわかりっこないんだ。
ないものがどうしてあるかって聞かれても、それに答える方法はない。
なぜかというと、ないものがどうして出て来たか。
例えば雲であるのに、どうして空が分からないのか。どうして、本来完全な光なのに、迷うのか。
だって、迷ってないんだもん。迷ってもないのを説明する方法なんかないさ。
それにもし、説明するとすれば、何とか神学とか、いろんなものができるかもしれないけど(笑)、
君達は何とか神学の混乱した論理的なマージャンみたいなのを楽しむかね。
それとも、本当に迷いから解放されたいか。どっちかを選ばなくちゃならない』

雨宮第慈講和録1 十三番目の冥想 より一部抜粋
321神も仏も名無しさん:2010/06/22(火) 22:00:37 ID:UscfpPIZ


不思議に静かな夜に

吾が臨済禅の師、木村虎山老子は曰われた。
『悟りは各自もちだ』と。太郎に太郎の悟りがあり、花子に花子の悟りがあり、釈迦に釈迦の悟りがあり、猫に猫の悟りがある。
実際、冥想は、それどれの人めいめいにそれにふさわしい充足と安心感を与える。
めいそうの極地は、もちろん、あらゆる相対現象界を撲滅した絶対無とそれ自体への回帰である。
その絶対無、ニルヴァーナは、『ニルヴァーナ』という言葉の無限回の念唱によって開示されもする。
しかし、この無数の個生命の活作用である現象界では、窮極本質といういことや、悟りの高低深浅など問題にならない。
要は、あらゆる個生命が、もっとも、それぞれにふさわしく生き切り、死に切ることなのだ。
それが、どのような生き方であろうと、もはや自己の天命を生きているものにとって、いかなる問題も存在しない。
冥想は、必ず、それぞれの人にふさわしいだけの光明を開示する。世界平和の理想も個々人の安寧も、
すべて自己解放の宇宙の中に収束する。

運命をコントロールすることや、宿命転換などということは、万人に必要とする。冥想である。
しかし、絶対無の覚証、解脱涅槃といったことは、この世一切への完全不適応者達のみに与えられた
悲惨にして至福なる不可思議な恩恵である。
(中略)
私と老師は、首里にある小さな万松院という臨済禅で、その夜ふけの酒を酌み交わしていた。
老師も、ごろっと横になり、私もごろっと横になった。
古ぼけた本堂の方から、アワモリの匂いが、かすかに漂って来た。
『夢のようですね』私は、いい酔い心地のままつぶやいた。
老師は、半睡の程で静かにうなづかれたようだった。
夜がさらに深まり、不思議に静かな夜だった。

何もかもないそのものの絶対的充足が涅槃そのものであり、ナムアミダであろうと『オーム』であろうと同じことである。

琉球の久遠の陽光の下  如意第慈 拝
322神も仏も名無しさん:2010/06/23(水) 13:20:13 ID:obRTQp9E
冥想修行とは、イメージ・思考・観念・感覚の言葉遊び、もしくは不安にもとづく堂々巡りではない。
また、自律神経訓練や催眠や各種薬物を使用したホンルモンや神経コントロールなどの
医学的セラピーやマインドゲームなどではない。

完璧な透明さは、修練によって起こすことは出来ない、愛情と信頼の上に即非的に全面愛が産まれ、
全面愛は、それ自身、ニルヴァーナへ、おのずから流れ込む。

君の内なる感受性を、社会に無理やり適応するというやり方などで殺してはいけない。
正しい感受性は、とても傷つきやすいが、それは、愛情と信頼、そして瞑想への種子となるものだから。

現代人の言う、物質的豊かさとは、一つの精神的慰安への欲望に他ならない。
なぜなら、人間にとっての、本来の物質的必要性とは、単純な衣食住の充足に過ぎないのだから。

一般的に、女性のエゴは、失神にまで至る無数の性的オルガズムと、男性への愛着から愛情への成長か、
最愛の男性の子供を出産し養育することにより、ほとんど完結する。

一般的に、女性の失神にまで至る、全身心的オルガズムは、相手である男性に対する、全面的な愛情と信頼なしには起こり得ない。

フリーセックスとはもっとも強度な性的抑圧である。
あなたが、セックスの、神秘的恐怖に直面しないからオルガズムがないのだ。
あなたが死の、神秘的恐怖に直面しないから、エクスタシーがないのだ。

虚無に直面し切れない不安が、性欲という観念を形成する妄想であり、
問題なのはセックスという精神的欲望を、愛情という一つのリアリティーにいかにして変容せしめるかということだ。

セックスの諸問題を、解決する方法は、本当に心の底から、ただ一人の愛人を愛しきることにある。
323神も仏も名無しさん:2010/06/23(水) 13:23:43 ID:obRTQp9E
堕落と管理下は、同じものであり、これが進行すると、本当の恋愛も、本当の一家団らんも、
本当の遊びも、本当の仕事も、本当の芸術も、本当の冥想も、つまり、あらゆる幸福は消え去ってしまうであろう。

社会とは虚構に過ぎない。現実にあるのは、様々な人間関係である。
人間関係とは、様々な欲望の取引である。
人が、現実を現実として見るのは、欲望の取引が、何らかの障害に破滅した時である。
現実を現実として見る時。愛が出現する余地が生まれる。

人が、絶対愛に目覚める瞬間は、激烈な場合のほうが多い。

愛情は、あなたなしにはあり得ないが、愛はあなたがあったら目覚めない。

あらゆる出来事も存在も、すべて一回限りのものであり、連続性とは観念的虚構にすぎない。

私が、どのような生き様をしようと、私という何者かは、一回限りの生を生きている。
転生というものは、あるにはあるが、それは、心霊学的なものではない。いずれにせよ、一度しかない人生なのだ。

現実として、一切万象の中に単独として存在しているものはない。
重要なのは、万象の一体性が、絶対愛だということにある。

全体性の回復とは回復ではない。あたりまえなことだ。すべてが、完全だと言うも、すでに手遅れだ。

夢想する事もできないだろうが、君自身は、すべてと、
すべてのすべてをと知り尽くしている。けれども、それも又、どうということはない。

地獄とは、理想を実現しようとする、精神的な欲望以外にはない。

神から見れば、君は地獄を避けて通り抜けるわけにはいかない。

それが、どのような形象であろうと、形象を持っている事が地獄の始まりであり、
そして、それこそが、神のかけがえのないゲームなのだ。
324神も仏も名無しさん:2010/06/23(水) 13:26:11 ID:obRTQp9E
私という感覚は、明らかに全体という知覚と別個のものではない。にもかかわらず、私という単独の感覚は残り続ける。
この私という単独の感覚自体が、拡大するにつれて、退屈・不満・不安・恐怖などになる。
つまり私という感覚の明瞭さ自体が、苦である。
私とは、すでに欲望であるがゆえに空虚なのだ。そこで。私は、この空虚なる私を忘れようとして行為する。
そして、行為の中に何らかの満足感や快楽を発見すれば、私という感覚は、減少もしくは消えたように感じられる。
しかし、満足感や快楽は、一時的なものであるから。一人きりになると、私は空虚感となって再びあらわになる。
つまり、私という欲望は、喜び苦しむために生きる。
これが、人生であり、それは私が死ぬまで続く。生きている間に、死ぬということ、これが純粋冥想である。

生きている現実の中に、ただ一人いること、いかなる願望も期待も無意味だと知って、
ただ一人、空虚感の中にいざるを得ない時、私という感覚が、自消自滅する余地を持つ。
その時、生きる意味全体があらわになり、それは同時に市の意味全体を明白にする。

私は、必ず死滅する時を生きている。
私という感覚は、死滅の彼方から出てきた。にもかかわらず、人は死を恐れるらしい。なぜ、死を恐れるのだろうか?
死が何であるかわかれば、生がなんであるかわかる。そこに絶対平和や絶対幸福がある。
それらが、わかったところで、私という欲望が喜び苦しむために生きることに変わりはない。
しかし、そこには、純粋冥想が、通底している。

純粋冥想を生きること。
それ以外に、この人類が、戦争もしくは破滅するのを避ける道はないだろう。
それは、また、あるがままを生きるということに他ならない。
あらゆる観念・信念・思考を超越して生きること、
それが、あるがままに生きるということである。
あなたは、あなたの全渇望を、あなたのあるがままの探求に燃やし尽くさねばなるまい
325神も仏も名無しさん:2010/06/23(水) 13:53:27 ID:obRTQp9E
完全な絶望は、一つのあるがままの状態を産む。そして、現代人の大多数にとって完全な絶望は不可能だ。
完全な絶望は、本当の幸福・愛情・信頼からしか起こらないのだから。

この世の人間にとって最も重要なことは、思考の停止などによって引き起こされる、神秘的な何者かをしることではない。
現実として、神秘そのものとしてあり続けている、そのこと自体にある。

君が、本物の悟りをかいま見る、それが、本物の煉獄の出発点だ。

権力中毒は不安に至って終わる。
セックス中毒は虚しさに至って終わる。
麻薬中毒は衰弱に至って終わる。
ところが、神中毒ときたら 永遠に終わる見込みはない・・・

メンタル・レヴェルのマニピュラ・チャクラからアナハタ・チャクラへの上昇が、
この西洋工業都市文明の成熟テーマであるとともにラスト・チャンスでもある。

西洋文明終末期の最終的な崩壊と成熟の人間性のプロセスは次のようになる。

1、マニピュラ・チャクラの否定。すなわち、エゴトリップの頽廃。
2、ムラダーラ・チャクラへの退行。
  すなわち、セクシャルな事柄や麻薬の流行と、その反動としての超管理社会。

3、死もしくは狂気についての狂気的関心。あるいは、その反動としての社会平和や宗教への熱狂。あるいは戦争と暴力。
  ここまでで、ムラダーラ・チャクラへの退行の試みは、終息する。
  つまり、西洋文明の実質的崩壊である。
4、だが、一部分ではこの崩壊を乗り越えて、真の成熟過程が進行する。
5、死についての非抑圧的正常な関心。
6、そして、メンタル体、アナハタ・チャクラの爆発。すなわち超越的な慈愛と、純粋な冥想行為の発現。
326神も仏も名無しさん:2010/06/23(水) 13:54:29 ID:obRTQp9E
文明終末期の人間達は
1、何が善で何が悪なのか判断できないほどに成熟する。
2、次に深い深い内面の旅によって、まったく新しい善悪の判断を体得する。
3、そして正しい善悪の判断、正しい善悪の相補性を身につけながらも、善悪を超越する。
4、無価値の価値が体得された人類には、まったく、新しい、初めての文明が始まる。

あなたが、エデンの園から追放されたのは、神の意志であるが、東洋的重農文明を選ばずに、
西洋工業都市文明を選んだのは、あなたの意志である。
それと同様に、管理下と堕落を選ぶか、霊的進化を選ぶかは、神の意志ではなく、
あなたがたひとりひとりの意志と努力にかかっている。

文明終末期において、もろもろの悪をなさず もろもろの善をなす人は、正真正銘の救世主である。

何が善で何が悪だ? 瞑想とは、善悪の彼岸であるなぞと 思っている人物は、超人になるどころか
人間や動植物や鉱物にもなれまい。

あらゆる人生の直感的理解 大自然の治癒力や破壊再生の力
そして、当今、流行のあらゆる人為的セラピー
それはホール(whole wholly: 全体的な)と名付けられた、人為的総合療法だが・・・
それらは、純粋冥想という生涯を通じての生きる姿勢の中に包含されている。

人格の成熟と、その進化発展あるいは超越には、現実上、段階的発展なぞ、あり得ない。
人格の成熟段階の果てに、解脱、もしくは神との全面的合一が、あるわけではない。

禅であろうが、ヨーガであろうが、それが純粋なものであるならば、
個人的人格や、人格のいわゆる成熟を問題にしない。
真実とは、人間の個人的人格性とは、いかなる関係も持っていない。
327神も仏も名無しさん:2010/06/23(水) 13:55:24 ID:obRTQp9E
ある種の人々にとって悟った人が病人に見えることがある。
もともと、あなた一人には、何が正常で何が異常か、さっぱりわかっていないのだ。

理由のある安心を持ってはならない 絶対の安心には どのような根拠もない 君の素直さが君を安心させる。



いかなる根拠も無いということが、これそのものなのだ。

理屈と保障がないからこそ、久遠の安楽なのだ。

喜びも苦しみもないからこそ、あなたは永遠の平安を生きて死ぬ。

そして、あなたは喜びを求めて旅続ける。

ニルヴァーナという妄想 エクスタシーというマーヤ
それを欲すること???
これが人間という戯れの正体だ!

何もかもなし!ただただ、これの戯れでない戯れ・・・
328神も仏も名無しさん:2010/06/23(水) 14:11:22 ID:obRTQp9E
果てしない旅

幸福は、外的な状態に依存してあるのではない。

あらゆる方法や修練によって、至福を知るのだ。
内面のただ一ミリだけの充実に向かって、
苦難の果てしない道を
やみくもに走り続けるのだ。

君が君にオーケーと宣言した時が
君の情熱の消える時だ。
そして君は、
灰色の穴ぐらの中に自己満足と
あきらめの日々を暮らして死んでいく。

ただ量り知れぬ秘められた情熱だけが、幸福や至福の彼方へ甦る。
何と果てしない旅だろう!
329神も仏も名無しさん:2010/06/23(水) 14:15:11 ID:obRTQp9E
この世とは、女性との愛情とセックスである。
社会人の生活とは、このマハー・マーヤを土台にしている。
したがって、一人の女性との愛情が終わることは、社会や世俗的なことがらの終わりを意味する。
ここに、ヨーガが始まる。

あらゆるタブーをもう一度見直せ。
そこには恐怖があり、恐怖からの解放がある。

それがそうであり、これがこうであるなら、もっとも素直に 直面していく以外にない。

個別性と 主体と客体 すべて二元相対性のあるところは本源ではない、しかし、真実だ。
自我と欲望の全性質を知り尽くし、その上に完全なる全体者に目覚めない限り、人類はつねに盲人同志の争いを続ける。

それについての これについての概念的理解は何の役にも立たない。
言えばみな誤解をうむ。

マインド・コントロール
フリーメーソンのプロジェクトとりわけ人のよい日本人には、理解し難い事だろう。
だが、世界中の郡盲達が、それをトリックだとしらずに、
自己主張の対立と国家主張の対立による戦争に向かっている。
巧妙きわまりないトリックにのせられないためには、
人は、欲望を超越した真実を発見せねばならない。
あなたが世界だ あなた変容すれば世界も変容する。
それは、主観的なことでも客観的なことでもない。
余りにもシンプルな事実だ。
330神も仏も名無しさん:2010/06/23(水) 14:16:51 ID:obRTQp9E
タントラとはトータルという意味で、インテグラルということではない。
タントラ・ヨーガは、あらゆる固定観念・イメージを、分解して、すべてとあらゆるリアリティーに探求と挑戦をおこなう。

神自身の化身が神を忘れるここが面白いところだ。

ヨーガとは、あらゆるリアリティーを総合的に楽しむ。楽しみそれ自身だ。
それは総合であって統合ではない総合はすでにある、いたるところに!

本性を 忘れた人間は、 決して 本性を忘れ果てはしない
しかし、本性に帰るには、いのちがけの行為が必要であり、そこには、人間の苦はもうない。
生きることが 耐えることだとあきらめのつく人はそれでいい。

だが、完全を絶対至福を求めざるをえないほど 苦悩している人には、自己と世界を捨てて そこに至る道すじがある。
だが、その完全なる知恵と愛のやすらぎとは、現代人にとっては、危険きわまりないものになったようだ。
自殺もまた完全なるやすらぎへのあこがれなのだろう。
人類よ 気づけ!

ありがとう すべての ありとしあらゆるものよ・・・
331神も仏も名無しさん:2010/06/23(水) 14:21:29 ID:obRTQp9E
センチメンタルジャンプ。

どこにでも、どこまでも、朗らかさの中を朗らかに自由に飛んでいけるようにと、
私は、あらゆるもの達に願う。

ジャンプ・イン! ジャンプ・アウト!
自由自在な愛と美が踊り狂う!

すべてが、よかったのだ。
渇望の狂暴なパンチが、あらゆる生命を、駆り立てる。


もし、あなたが、幸福に、この世を生き尽くしたら、あなたは必ず、死と存在とを問う時節を待つ。

誰が、私とは誰かということを、知りたがっているのか?

私とは誰か?すべてが私だ。すべてとは何か?「何か?」とは何か?これ何者ぞ?

永遠を通じて、ただ一度だけの全面的絶望は、君が欲望以外の何ものでもないにもかかわらず、
君自身が、神であるがゆえに起こる。

人間にとってベター・ハーフとは、異性の魂と身心である。ベスト・ハーフとは死である。

全ては何だ 全ては何だ 全ては何だ 全ては何だ 全ては何だ 全ては何だ 全ては何だ

全ては神秘だ  さよなら  あらゆる私の顔よ

覚者というイタヅラ者が、世に出て来ては、世の人々を惑わすかな。
惑わされなかったら、惑い続けるばかりだ。

愛は、よくあやまちを犯すが、その傷跡を残さない。 生きて愛せ、地上の何ものにも固着することなく。
332神も仏も名無しさん:2010/06/23(水) 17:52:51 ID:obRTQp9E
何故なら社交って言うのは君たちの精神健康にとって、とても大切な事だ。
君たち余りにもぬけがけしたいと思いすぎるがためにね、人と人との関係さえ満足にできない。
だから社交場、大いに必要だ。
唯、その前提は例外が唯一つも無いということ。みんな、同じなんだ。
それさえ分かっていたらとても楽しい社交場になるよ。
ところが君と俺とは違う、俺のが一段階悟りは深い、なんてやりだすからおかしくなる。
俺は恐怖を感じない、君は恐怖を感じているなんて振りをするから、いよいよやりづらくなる。


みんな同じなんだ。一番最後の最後。
すべてが終わった所に到達しない限り、
人間はどんな風に上手いことトリックを使って暑い仮面を被ってても皆、同じ穴のムジナだ。
同じだけ不安に悩み、同じだけ内面では恐れ。
そして、その違いといったらさ、
上手く内面の不安や恐れをだまかす事が出来るタイプの人間とさ、
それが出来ないタイプの人間との差に過ぎない。


『一度きりの君たちだ。そして君たちが死んだら、永遠に、永遠に、永遠に、
今ある君たちがくり返されることはない。たとえ無限の時間が経ったとしても・・・。』


訂正

>>330
  ×ヨーガとは、あらゆるリアリティーを総合的に楽しむ。楽しみそれ自身だ。
   それは総合であって統合ではない総合はすでにある、いたるところに!

  ○ヨーガとは、あらゆるリアリティーを総合的に楽しむ。楽しみそれ自身だ。
   それは総合であって統合ではない統合はすでにある、いたるところに!
333神も仏も名無しさん:2010/06/24(木) 12:46:10 ID:gykC+NXs
人間ジャンキー

人間というジャンキーよ  おれたちは何といとおしいのだろう・・・

麻薬ジャンキー、セックスジャンキー、夢想ジャンキー

性愛ジャンキー、社会性ジャンキー、新興宗教ジャンキー、

権力ジャンキー、支配欲ジャンキー、戦争ジャンキー

殺人ジャンキー、マイホーム・ジャンキー、プライド・ジャンキー

自然ジャンキー、神秘体験ジャンキー、センチメンタル・ジャンキー

ニルヴァーナ・ジャンキー、衣食住ジャンキー、空気と水のジャンキー、

しかり!
ジャンキー・マーヤ・ジャンキー!!
しかり!
ジャンキー・モクシャ・ジャンキー!!

人間とはジャンキーのことだ。
それにしても、なんと美しいことだろう・・・
334神も仏も名無しさん:2010/06/24(木) 13:32:29 ID:gykC+NXs
ウィリアム・ブレイク

そうなってゆく そのままでよいのだ。
人は喜び悲しむために産まれて来たのだ。

だが、この絶対者は違う。
絶対者は喜怒哀楽から離れて、喜怒哀楽を戯れ、
そしてまったく同時に、喜怒哀楽を超越して 絶対の流れをながれ続ける

そして絶対者は、すべてのすべてで久遠にいませり!
存在と非存在とに何のかかわることもなく。

私が絶対者なのだ。
ほんの卵だけれどもね・・・

一つの夢が終わり 新しい夢が始まっているはずだが
悟りが夢であるように
私には何一つ
つかまえるものが見えない

私の眼がくもってしまったのか
新鮮な何かを私は
なおかつ、待ち続ける

神よ、 「何もかもなし」それ自身よ、
悟りが夢であったように
私という夢をことごとく

あなたの中へ消し去りたまえ

神よ「なにもかもなし」それ自身よ、
私自身よ
335神も仏も名無しさん:2010/06/24(木) 13:38:28 ID:gykC+NXs
どんな人でも 心の底では 自分も宇宙もどうなるものでもないことを 深く深く知っています

どのような君も どのような宇宙も 君自身の描いた夢であり 夢から目覚めるという夢を見ようと
どのような夢を生きようと それは君の好き好きである

君にふりかかることは全て訓練である 訓練であることを自覚しておけば 君はそれをもっと楽しむことができる

人間というものはどこにもいない 人間というものが 君のイメージの一つにすぎないように
時間の持続としての永遠もまた 永遠の夢にすぎない 永遠とは場所も時間もない 君自身のことである

このことを憶えておく必要はない 君はいつも見知らぬ世界に いつも見知らぬ旅人としてある
君達は常に今からまったく新しい旅へ出発する

君達は恐ろしい死を遂げる それもまた忘れないように
336神も仏も名無しさん:2010/06/25(金) 13:11:56 ID:Kz+3CvdB
ダン『あのねぇ多分ゴロッとして充実本当に命がしているっていう状態になれるのはね、
ものすごく怖ろしく合理的に現実的に言おうか。リアルな問題として。
恐らくね、そう、ものすごい本気で毎日全く、なんだ?道元禅師のさ、朝何時に起き、何時に食事をし、
何時から何時まで何々をやる、というのを続けて、それを一生続けるだけの根気を持ってる人間がいるとするだろう?
例えば百人いるとするだろ。そしたらその百人の内、一人くらいだ(笑)」
「そうやって本当に充実するのが?」
『うん』
「それだけ大変な事なの?」
『(笑)』
「こうやって充実することは?(笑)いゃー、思うんだけどさ、僕がこうやって充実するっていうのはね、
なんか非常にいい想念としてね、いいイメージがね、どんどんどんどん・・・・ね」
『うん、その時はね、その想念がさ、次の行動を発見してくれるよ。もしそれがいいゴロッ、いい怠惰であったらね、
必ず行為への情熱が蓄積されてくるんだよ。力なんだ!』
「うーん、そうか」
『どんなんでもいいんだよ。例えばさ、一生懸命何かやっててさ、その内わからなくなってさ、
どっか喫茶店なんかでウトウトウトウトとする。何かなんとも言えないいい気持ちでホッと目が覚める、さっぱりしてる。
そして『あっ、あっ、またあれやろう』っていう意欲。そういうものがひとりでに内側から全く無理なく生まれてくる。
それが怠惰の、一番いい有り方だね。でも本質的怠惰じゃないよ。本質的怠惰いったらそういうもんもへったくれもない、
もう一挙一投足ことごとく充実だよ。見てくれ。俺を』
「うん、芸術そのものだよ(笑)」
337神も仏も名無しさん:2010/06/25(金) 13:13:42 ID:Kz+3CvdB
「あのね、僕はさ、眠った後っていうのはね、大抵ね、憂鬱な気分になるんだよね。どうなんだろう?」
『それはね、Nがね、エネルギーっていうのを使い果たしてないからなんだ。
だから俺にはNにいろんな仕事っていうのをゴチャゴチャ与えてるだろ。Nにはカルマヨーガっていうのかな。
そういう方向が必要だからなんだ。それは簡単な話だよ。
例えばさ、こんなのバグアンなんかがバグアンっていうのはわりと似た発想するから誤解受けやすいんだけど、まぁいい。
例えばね、死刑囚というのがものすごく静だっていうのとね、俺、よく前『ゴットファーザー』のパート1、見た?映画?』
「うん」
『あの時にさ、アルパチーノがやってるやつがさ、本当に初々しい学生か、兵隊かな、だったのがさ、
親父の復習のために殺すんじゃあない。相手を。そのトイレかなんかの中にピストルを隠しといて。
本当に面と向かってこう殺すわけじゃあない。
奴にとって最高の倫理なんだから、そういわゆる文明的な倫理っていうこと、ここでは問題にしないでくれ。
ただ、大切なことはさ、奴はさ、完全に自分を守る世界からさ、成すべきことを成す、という世界に飛び出しちまったんだ。
そしてそれを飛び出した事によって、完全にそれを果たすわけだよ。
果たしたか、果たさないかっていうのは本当は大した問題ではないんだ。
やるってことなんだが、それをやった後、ものすごいのどかなどっか島に逃げるじゃない。どこの島だっけ?
どっかイタリアの方にある島に。そしてものすごいのどかに、野原やなんかを散歩してるんだ。
そいでふと町かなんか、村かなんかで見かけた女の子を一目見た瞬間に、もう一目惚れする。
『うん、この娘がいい。これを貰う』っていう調子で、やるわけ。全く怠惰っていうか、気ままに振舞ってる。
その気ままさっていうのはどっから出てきたかっていったらさ、奴のエネルギーが完全に発散されたとっから出てくるんだ。
とにかく人間っていうのはね、とてつもないエネルギーを誰でも持ってるのさ。
338神も仏も名無しさん:2010/06/25(金) 13:15:14 ID:Kz+3CvdB
そして、それを使い果たさなければね、決して安らかな眠りもね、それから穏やかさも、いきてる怠惰も起こらない。
それは、俺はものすごく堅いことをいってるように思うけど、もし俺の言葉が堅いものだと思うんだったら、
人生をずっと生きてみればいい。人生にはさ、とてつもないことがいっぱい起こるんだ。
人間関係に於いても、肉体に於いても。何一つ保障されてはいない。人間の立場から言えばね。それだからこそわかるんだ。
怠惰でいいし、俺はこれでいいと思っててもさ、それは決して長続きはしない』
「うーん、そうなんだよね」
『ただ一つだけ長続きするっていうのはね『心ある道を生きる』ただそれだけ』
「うーん、毎回毎回」
『うん』
「ただ、その毎回毎回がさ、あれかこれかっていう次元にね、どうしてもなった時ね、その戻り方だよね」
『うん、必ず選択がある。そこにね。そして選択があったらやっぱりそれは冥想の中で開かなくちゃあならない。
つまり心を静めて、或いは独りっきりになって。『俺は本当は何が好きなのか?』』
「一つ一つ?」
『うん。一つ一つっていうよりも、あるポイントがつかめさえすればそれ以外のものなんてそう大した問題じゃあなくなる。
中心をどこに置くかっていうことをまずはっきりさせるんだ』
「それが出てこないんだなぁ、出ないか」
『別に出なくてもいいさ。それはどうしても出なくちゃあならんという気持ちがまだそこまで熟してないからだ。
だから今は、とにかくいろんなものをやる一つ一つの事柄があるだろ、
それが自分が本当に好きかすきじゃあないかっていうことを抜きにしてとにかくやってみること』
339神も仏も名無しさん:2010/06/25(金) 14:23:31 ID:Kz+3CvdB


『あのね、欠点のない生活っていうのは単純なことなんだ。それを全部打ち込んでさ文句なしなんだ。
だから自分の気分に反するようなことでも、それをやってみようと、もし決めたらさ、それを全部背負い込む、
直面するっていうことをやりさえすればいいんだ。そこにね、なんか
『まっ気に食わないけど仕方なしに合わせた方がいいんじゃあないかなぁ』というその動揺、それが力を損なうってこと』
「うん、じゃあさ、もしね、どうしようもない状態に立ってね、AかBかっていうことがあってね、
例えばAの場合にはね、僕は抜けたいんだって、こっちの方が気持ちが強かったとする、
まぁでもBっていうのはそこにいなくちゃあいけない。ね。だけどこっちの方が強いんだけど、
まあ、こっちに従おうと決めたら、ここに全面的に直面しろ、っていうこと?」
『うん、従おうと決めたんなら、もう全面的に従うのね』
「ああ、未練があるんだ、いつも」
『うん、そう。未練、つまり中途半端っていうことくらいね、
その人間のエネルギーっていうのを自由に流す働きを邪魔するものはないんだ』
「そうなんだよね、中途半端だよ。俺は」
「なんで中途半端なのかなぁ」
『『究極の旅』か何かにバグアンが書いてあるようにさ、
つまり、ハンター、猟師っていうものすごく穏やかな人間だっていうこと、書いてあるよ。
つまり、いつでもさ、動物を殺している生活、緊張の連続の生活、そういうのを送っている人っていうのはさ、
例えば山の中に入って動物を殺す時はさ、じかに自分の命が危なくなるえわけじゃあない?常に危険に晒されてるわけだ。
340神も仏も名無しさん:2010/06/25(金) 14:24:34 ID:Kz+3CvdB
そうすると危険に晒されれば晒されるほどね、それを中途半端でもって置いてくことができなくなちまう。
気に入るとか気に入らないかという以前に自分がそれを選んだならば、もう中途半端できないんだよ。
直接死につながるからね。そうすると奴のエネルギーはフル回転するんだ。
フル回転するからその狩猟が終わった後のハンターっていうのはさ、実に穏やかなんだ』
「全てに関してそれが言えるわけ?」
『うん』
「でも、やっぱり理想をもたないっていうことは確かに正しいかもしれないね」
『うん、でも理想を持たないっていうのはね、解放されるっていう意味ではね、
つまり理想をもたなけりゃあ縛るものがないっていうのはあたかもね、何でもいいんだ、
『俺は、人間なんか何やってもいいし、何もやらなくてもいいんのなら、俺はもう勝手なことをするよ』
って決める解放感に似てる。そこで書かれているのはそういう意味だよね。理想を捨てることによってさ、
完全に今に責任を持てっていうことなんだ』
「無為自然ってことが完全に今に責任を持つこと?」
『うん、そうだよ』
「さっき言った流れっていう」
『うん、そう。それは人間のものではないんだ』
「その流れの中で願望というか、出てくるものもある。理想もあり得る」
『いや、常にっていうことだ。常にあるんだ』
「無為自然の中で常にまた理想が出てくる?」
「そうだよね。調子のいい時って、次の行動ってのはピタッとイメージとして見えてるんもんね。いつも」
『うんうん』
341神も仏も名無しさん:2010/06/25(金) 14:26:53 ID:Kz+3CvdB
「うん」
「確かにそうなんだよね」
『あのねぇ、カスタネダがさ、暇潰しにどっかの飲み屋へ入って、インディアン達にからかわれるっていう場面があるんだよ。
それもやっぱり同じでさ、結局道化に、ピエロにされちゃったわけだよな、その周りの連中から。
その時のドン・ファンのコメントがあってから、つまり『お前はあそこに行ったけど道化にされちまった。
お前は元々さ、何が本当にやりたいかっていうことも考えずに行った。だからお前は弱くなってさ、黒魔術師にさ、
つけ入れられる隙を与えてしまったんだ。それはどうしてかっていうと、お前はさ、あの酒場にさ、道化になりたくて、
そして道化になるっていうことを周りの状況が助けてくれるっていう形で入ったじゃあないか』ってこと。
そうじゃあなくて、元々、全然そんなつもりないのに、いつの間にかそうされちまったていうことなんだ。
いい?それはどこに行こうと何をしようと自由なんだ。別にそんな所へ近寄るな、とかそんなことじゃあないんだよ』
「うん」
『まさに、例えば、女は男を迷わすから女に付き合うな、っていうのと似た発想であってさ。
そんなものじゃあない。そうではなくて、もしそそれをやるんならばさ、完全に自分に対して責任を取れっていう事なんだ。
責任を回避する方法、果たす、責任ていうものを問題にしなくなる方法を教えよう。
『俺は既に責任を果たした』そう大声で叫びたまえ。全くこれは同じ意味だ。どうして同じ意味かな。いい?
試しにね『俺は完全に責任を果たした』って大声で叫んでみなよ。君でもいい。君でもいい。
君がね、もし、自分で『俺は完全に責任を果たした』そう大声で叫んだらね、
君は完全に君自身の責任っていうものを新たに背負い込むことになる。もう、誰も肩代わりしてくれない。
誰にも寄生虫みたいに依存することが出来ない状態っていうものを認めたことになっちまう『責任を果たした』
って言うことによって。怖ろしいことだよ。言えるか?普通考えてみればいい。普通の人間がさ、
責任果たしたって言い切れるか?言った瞬間、、彼はさ、完全に周りの人達から離れちまうんだぜ。
そんあ言い方する人はいないんだもん。大抵言えるっていうのはさ、無難な線を出すよ。
342神も仏も名無しさん:2010/06/25(金) 14:33:02 ID:Kz+3CvdB
『あのー、出来る限り責任をはたすよう極力頑張ってみます』とかさ『それほど確信はないのですけれどもこれが義務ですから』
とかさ。そう言う。そこで言ってみろ、いきなり『俺はもう俺の責任を果たした!』言った瞬間、
完全に独りっきりになっちまうぜ。もう何となく曖昧にっていう世界をさ、全然承認してくれなくなっちまう』
「やっぱり、何となく曖昧な世界にいるのかね?」
『人間っていうの、少なくとも今の時代の常識世界では、何となく曖昧なっていう世界』
「ふーん」
『そして、なんとなく曖昧さっていうのはどこから来るかっていうと、人間は弱いものだ。それから人間は死ぬものだ。
だから、そして人間っていうのは不安で空虚で頼りないものだ、という無意識的な前提があるからなんだ。
でも、そうじゃあない。人間はそんなつまらないものじゃあない』
「ああいう曖昧さのある所っていうのは本当に淀んだ感じがするね」
『うん』
「僕、こう学校でこう付き合っててさ、友達のグループにいてよく感じることがあるんだなぁ。
すごい腹がたつことがあるんだ」
『うん、それがもっと先行くとね、やっぱり彼等は彼等にふさわしいやりかたをしているっていうことが見えてくる』
「どういう意味でふさわしいわけ?」
『うーん、それは宇宙の中で存在するものでさ、その場所にふさわしくないものは一つもないっていう・・・
そしてそいうい見方をするけど、それは人には決して言っちゃあいけない。
君の目が変わってあらゆる人間達がふさわしく生きている姿が目の当りに見たら、君はきっと嬉くてしょうがなくなる。
或いはいとおしくてしょうがなくなる。そのいとおしさっていうのは全然人に話すべき事柄じゃあないんだ。
何の意味もないのさ。それを人に話しても』
「言われた本人が満足してないのかねぇ。いくら言ったて」
『うん』
343神も仏も名無しさん:2010/06/25(金) 14:37:08 ID:Kz+3CvdB
そんな固定的なものはないから。法則みたいなものは。ある法則っていうのはさ、常に自分の感じ取っている自由からさ、
行為するってことだけだから。ただこうでなくちゃあならんなんてことない。
ドン・ファンなんかなんだ、あれ。『喋るの止めろ、喋るの止めろ』っていうけど、おそらく語数数えてみろよ。
カスタネダとドンファンの喋った言葉の語数。多分、カスタネダの二倍は喋ってるね、ドンファンは』
「方便」
『うん、方便って言ってもいいし、それが彼自身の心ある道だと言ってもいい』
「ふーん」
「たださ、ここで捉えてる場合は、流れてっていうのが非常にスムーズにね、決定されるんだけどね、
ただいったんこっちの方に入っちゃうとさ、入っちゃうとどうなるのかね」
『そしたらね、もう一度愛しさに帰ってみな』
「こっちへ?」
『うん、大切なものに。何が大切、何でもいいよ。その時のもので。それは友達だろうと彼女だろうと、なんでもいい。
そこに帰ったらまた頭の働き方っていうのが変化する。いい頭は目的を作ることは出来ないんだ。
目的は決して頭で作ることは出来ない。目的が先にハートの中で生まれて、そこに即して頭が働くだけ』
「なるほど」「ああ」「そういう構造か」
「うまれたものをこう、執行していくっていうか、実現してゆくためにやった方がいいわけ?」
『ところが多くの人たちがノイローゼになるのはね、目的がさ、思索活動の中から出て来るって信じ込んでるから』
「ふーん」「はぁ、はぁ、はぁ」
「そうなんだよね。いわゆる論理っていうのは実現の過程の中で初めて出てくるわけ?出発点にあるんじゃあないんだ?」
『うん』


雨宮第慈講和録4 素直になる  より一部抜粋
344神も仏も名無しさん:2010/06/25(金) 15:35:18 ID:Kz+3CvdB
「時々さ、計画立ててね、自分でも思うんだけどさ、これはまだ俺がね、本当のなんていうかな、
自由な流れを見つけてないから必要ないんじゃあないかなぁ?ていう気もする一方、
いや、やっぱりそうなっても計画が出てくるんじゃあないかなぁという気持ちも色々あるんですけど」
ダン『うん、だからそんなふうにさ、取らぬ狸の皮算用なんかやる必要ない。今から出発しろ。今の君から』
「ふーん」
「もしさ、動きがね、動きがピタッと止まってね、その止まってる状態がね、
心地よくなるって冥想するしかないのか、その時は」
『冥想するしかない』
「本当に冥想するしかないの?」
『ない』
「そうみたいだな」
『なんにも出て来なければさ、なんにも出て来ない人間に出来ることっていうのは本当にいわゆる形のある冥想しかないから。
こりゃあもうはっきりしてる。ものすごいリアルなもんだよ』
「大抵なんにもないっていうことはないの?」
『うん、ない。必ずある。でも時に何にもなくなることがある。そうなってくるともう最後のところにね。
ニルヴァーナの直前って言ってもいいかも。本当に何もなくなってる』
「それ、未練も何もないっていうこと?」
『そう。未練も何もないなんていうことさえ考えない』
「そういうふうに直面するのか・・・」
『だからその直面の問題っていうのは話しても全く意味がない。意味があることっていうのは、今の君達から出発するってこと。
常に今の君達から』

雨宮第慈講和録4 素直になる  より一部抜粋
345神も仏も名無しさん:2010/06/25(金) 19:54:47 ID:eBHiz2dt
ダン『例えばきみがさ、どんな方向が自分の本質だってもしその時に考えたとしたらさ、
そのことを精一杯進むことをさ、怖れないでくれ。二番目の矢があるなんて思わないでくれ』
「うーん、二番目の矢があると思っちゃうんだよね。ね。」
『うん、うん』
「それがあれなの?理想っていうの?」
「うん、理想だよ。つまり自分っていうのをさ、特別扱いしてるんだ」

『例えば冥想の中で安心するとするじゃあない。そうするとね、安心するっていうことは、
あらゆる出来事っていうものをさ。一時的に忘れるっていうことだよね。
そうじゃあなくてね、あらゆる出来事っていうものは、君達がさ、自分を表現するために与えられた材料なんだ。
で、本当に安心しきった時、かえって逆に明確な方向が出てくるんだ。
それが、ドラッグのいわゆる陶酔っていうのと一番違うところだね。冥想っていうのは。
ドラッグの陶酔っていうのはその時忘れるわけだよ。で、その時はいい。でも、それは決して続くことはない』
346神も仏も名無しさん:2010/06/25(金) 20:02:32 ID:eBHiz2dt
「ある種の坊主はさ、飯をねたらふく食ってさ、そして座禅を組む、そんなのは偽もんだっての、
ちょっとわかんないんんだけどね。それどういうこと言ってる?」
『それは奴がさ決して観念から出てこない。つまり趣味でやってるってことさ。
一度も座禅そのものに直面しないでさ、趣味でやっててさ、その趣味がさ、絶対だなんてめかしてるわけ。
いい?趣味が趣味である限りなんの問題もないんだ。そういうふうに知ってやってるんだ。
ところがもし『それが俺のもうあれなんだ』なんていうふうに言った瞬間にさ、彼はものすごく空虚な存在になってしまう。
いつもぬくぬくと自分の空の中にいたいと思う』
「ちょっとわかんないねぇ」
『たらふく飯を食ってさ、座禅を組む。みんな形さ。与えられた形さ。それをやってりゃあさ、大丈夫だって』
「あーはぁはぁはぁ」
『うん。保証されてる。誰かが保証してくれてるんだ。自分からちっとも自分の流れっていうのを生きないんだ』
「ふーん、そういう意味か。やっぱり座禅は小食のほうがいいのかなぁと思ったりしたんだけどな(笑)」
『(笑)そんなことないよ。
あのね、じゃあ、冥想で一度も俺は冥想やってる人達にこういうことは、言ったことないんだけれども、
もし、その人が本当に行った人であったならね、その人の言葉っていうのは全然違うところから出てくるから。
あのね、なんでもいいわけ。例えばNならNがTMへ行ったとするじゃない。で、今度俺のところで冥想してるとする。
そうすると俺は、こんなこと言い出すとする。『TM?あんなものね、単なる気分をリラックスさせる、
その程度に過ぎない。全くろくでもないし、君には全然合わないし、あれこそ人を迷わせる所業だ』なんて平気でいうよ。
ところがそれを平気で言ったからってさ、それが客観的な意味で言ってると思うなよ。
禅宗なんてったらもとひどいよ。同じ門下から出て同じ修行を積んで完全に許されてさ、
つまり、老師、グルだな、二人の人間がいたとするだろう。で、ある弟子がAという老師のとこに付いてたけど、
どうもしっくり来ないっていうんでBのところへ行っちゃった。
347神も仏も名無しさん:2010/06/25(金) 20:03:54 ID:eBHiz2dt
『お前今まで何やってたんだ?』ったら『A老師について一生懸命修行してました』ったら
『馬鹿垂れ!あんなろくでもない偽者のところにいたのか』ってやるよ。
何故か、奴の頭、奴自身にとってそれは偽者だからなんだ。いい?
行った人間の言葉っていうのは毎回毎回生きてるわけ。客観的な基準を与えようとしてるんじゃあないんだ。
その言葉っていうのは即座にそいつの意識レベルっていうのに衝撃を与えるようにできてる。
学問体系を造る意味でやってるんじゃあないんだ。(中略)
一回切り一回切り全て、うん。人の固定観念っていうのをさ、破壊するために生きた説法なんだ』
「親鸞の『歎異抄』なんかさ、すごいことが色々あるけど、そういうのは全部そういう効果で、
効果というか、場で言われたもの?」
『うん。それはだから、親鸞の言葉だと殆んど人間から出てこないんだ。うん。
で、とにかく人間から出てくる言葉とね、人間以外のものから出てくる言葉っていうの、
似ているとしてもそれは全然違うんだから、とにかく。
で、ある老師から別の老師のところへ行ったら、その別の老師が前の老師をけなしてた。それを見て
『ああ、この人はこんなけなすんだからきっと嫉妬かなんか、憎しみがあってけなしてるんだろ』って思ったらそれまでだよ』
「その人は?」
『うん。一回一回完全に生きた場の中からさ、言葉が出てくる。頭から出てきてるんじゃあないんだ。
頭だったら毎回いう言葉同じだろ』
「(笑)そうだね」
348神も仏も名無しさん:2010/06/25(金) 20:11:09 ID:eBHiz2dt
『例えば高橋信次なんて毎回同じだよ。全部位置づけができちゃってる。ヒトラーはどこにいるとかさ。釈迦は何だとかさ。
イエス・キリストは何だとかさ。体系を語るんだ。そしてそれは実に入り易い。
何故かっていうと自我をね、観念ていう中で理解できるからなんだ。観念で納得して『ああ、そうか』って思えるからなんだ。
ところが、本当の冥想の一番最後にあるもの、勿論方便としてそういうものは使われるけどね。最後にあるものはそうじゃあない。
自分が自分以外のものに生まれ変わるっていうのはさ、それまで待ってた古い自分の立場でもって納得できたからっていって、
生まれかわるもんじゃあない。言うなればさ、俺達は完全に楽な世界へ出ようとしているのさ。
そうすると今度、完全な楽っていうのをまた肉体的なレベルとか、そういうので理解しちまう。
そうすると、肉体が消えた恍惚状態を、完全な楽じゃあないかなんて言い出したりする。うん。そんなものじゃあない』
「道は遠いなぁ」
『(笑)。遠いっていうよりも、一番最後の立場に立って言えばね、永遠に修行っていうのは続く。
臨済だろうと達磨だろうとそりゃあもう、例外じゃあない。誰が来ようと。修行が続くんだけど、
それは求める修行ではないんだ。ただする修行なのさ。その結果が問題なんじゃあないんだ。ただ、内的に出て来るのさ』
「維持しようとするのとはまた違うわけ?」
『うん、いいとか悪いとかいう次元じゃあないんだ。ただ、内的に出てくるのさ』
「いや、維持。維持する」
『ああ、維持か。うん、維持するっていうことはもっと後の段階だよ。もちろん、維持するっていうことだって、出て来るよ。
例えば釈迦は釈迦教団を維持したい、とか。維持したいっていうので、いろんな奴がいろんな方法を作ってるよ。うん』
「自分のレベルを維持するっていう」
『意識のレベル』
「うん、意識っていうか」
349神も仏も名無しさん:2010/06/25(金) 20:13:09 ID:eBHiz2dt
『うん。レベルを維持しようとするのは冥想修行者にあり得ることであってさ、
一度でも行った人にはそういうふうなものの捉え方っていうのはない。但し、外見上は全く変わらないっていうことさ。
またドンファンから出せばさ、つまり、ドンジェナロは盟友と取っ組み合いしてさ、遂に盟友を自分のものにしちゃう。
その時、奴は人間じゃあなくなっちまったんだ。世界が止まって。止まったのさ。止まったっていうことは、
ドンジェナロがそこで死んだっていうことさ。あるいは元々無いっていうことに気付いたってことだ。
そうすると今まで知ってたと思う世界っていうのは、二度とないわけだ。にも関わらず、ドンジェナロは人間なんだよ。
そして人間としての憧れを持っている。人間としての喜び懐かしさ、そして悲しみ、いとおしさがある。
だから、その方向に向かって、心ある道を生きつづけるのさ。
で、ただどこが違うかっていうと、結局片一方はさ、行き着いていない人にとってはさ、それしかないわけ。
つまり愚かさであって、人間の行為っていうのは全て愚かさなんだ。
こんなことを言うと、人間の使命とか、神の国を作る為の使命なんていうふうなイデオロギーっていうのを信じてる人にも、
顰蹙をかうかもしれないけど、どんなことやったて同じなんだ。どうしてその辺で蚊が飛んでることとさ、
人間が何かをやることとそんな違いがあるなんて思うんだよ。そりゃあ、人間の意義だけで作ったさ』
「あー、そうかぁ」
『うん』
「ほんまだね。やっぱりゴルビアスの結び目みたいにあんな広大なスケールで視点が移れば、
なんかそういう感じもわかるね」
『うん。そりゃあ、本当に肌で実感出来るよ。そしてその時、初めて修行っていってもいいし、
あるいは戯れっていうのが永遠であると同時に、自分は戯れもしなければ、修行もしない存在であるっていうことがわかる。
それは同時にある。それをそんなに考えないで欲しい』
350神も仏も名無しさん:2010/06/25(金) 20:18:43 ID:eBHiz2dt
僕にとってね、修行っていう言葉はどういう意味を持つんですか?」
『そりゃあ、多分努力ってっていうことだろ』
「うん」
「人によって意味合いが変わってくるわけ?」
『うん。変わってくるけど今ここにいる三人にとっては努力っていうことだろう』
「努力」
『うん』
「あんまり好きな言葉じゃあない」
『好きな言葉じゃあない。ナウじゃあない』
「引っかかるんだよね」
『うん』
「何でひっかるのかねぇ」
『そりゃあさ、努力っていうものに引っかかってるから。つまり努力っていうものを帳消しにしてないんだ』
「あー、あー、そうなのか」
「結局、その帳消しにするために努力するっていうことなんだろうけどね」
『そう。そう』
「そこまで行ってないんだね」
『だから、それだとさ、必ず二つの世界の中へ落っこちゃうんだ。嫌なものがあそこにある。『ああ、嫌だ』と。これだよ。
努力を嫌うっていうのはさ、そういうふうにもとれる。だからバグアンなんかが努力しないで『ただ、全てをみつめる』
なんつったらただ話を鵜呑みしてさ、『努力しないでいいのか。うん』なんてやってる内にさ、
もう空しくてもうどうしようもなくなってさ、こりゃあ自殺もんだよ』
「(笑)」
351神も仏も名無しさん:2010/06/25(金) 21:19:07 ID:eBHiz2dt
「やっぱり現実に直面するっていうのは、そういう一つ一つの言葉のニュアンスとか、
イメージとかっていうのは一つ一つ解消するっていうこと?」
『うん、そう。そしてより本質的なイメージに変わって来る。イメージっていうよりはイデアに』
「ふーん」
『うん』
「なるほどねぇ」
『だから、例えばクリシュナムーティーなんかがイメージっていうのを否定してるけどさ、まさにイメージそのもの。
そのイメージっていうのはさ、人間が勝手にでっち上げたイメージじゃあなくて。
つまり二元性のイメージじゃあなくてね。例えばなんでもいいや。例えば、自分がものすごく貧困だとしたらさ、
もう裕福になってるイメージを描いてさ、その間だけ楽しもうっていう。
もちろん、それでいいんならいいよ。それで。でも、ちょっと俺は悲しい。せっかく素敵な命が与えられてるのに、
それだけで止まってしまうって、悲しいよ。そして何故人は努力しなくちゃあならないかって言うとね、いい?
人っていうのは元々完全にパーフェクトに素敵だからなんだ』
「その完全にね、パーフェクトだっていう立場から一つの努力をするっていうことが出て、
一つにまたバグアンみたいに、ゆったりと自然にしてればいいっていう両方が出て来るのかね?」
『そう、それは全然体系的でないからね(笑)。だってここに。じゃあ、キリスト教的に言おう。
『わが内に神があって、それが今俺に喋らせたり、俺に煙草を吸わしたりしてる』っていうのさ、
『我生くるにあらず。キリスト我にありて』こいつは楽だ』
「(笑)」
『こんな楽なことはないよ。うん。本当だよ』
「(笑)なるほどね」
352神も仏も名無しさん:2010/06/25(金) 21:19:49 ID:eBHiz2dt
『ところが面白いことにさ、この楽さっていうのをさ、見つめてみるとさ、この楽っていうのはさ、責任をさ、
全て自分が背負うっていう楽さなんだ。無いからね。責任も、義務も、努力も無いから(笑)
だから努力するんだ。だから責任を負うんだ。そりゃあ、言うの易しいさ。努力はないよ。
善も悪もないよ。そんなもん、頭がさ、ニヒリズムに直面する時、誰でも出てくる答えさ。
『この世はさ、別にみんな同じ。似たようなもんさ。勿論そうさ。みんな似たようなもんだから、
何やってもいいしさ、どうていうことないしさ、ああ』
それでも、それでは絶対納得しないっていう命が、もうあるんだよ。それ以前に。
頭でいくらそう考えたとしても納得できないっていうやつがあるのさ』
「やっぱり、あるの?本当に」
『ある』
「あるのかな?」
『うん、だったら試して見ろよ』
「あるんだ」
「(笑)」
『やってみればいいじゃん。そんなの『全てが同じでさ、全てが仏で、ああ、何やってもいい。だったら何やってもいい』
だったらやってみろよ。もう、あっちこっちでやたら行き詰るよ。で、まぁノイローゼになって精神病院行き
入ってもらって。Wはさ十二冊の推薦図書読む』

雨宮第慈講和録4 素直になる より一部抜粋
353神も仏も名無しさん:2010/06/25(金) 22:49:05 ID:eBHiz2dt
私は空気がなければ生きられはしない。私とは空気なのだ。

私に自由はない。自由が私を使っている。

自由それ自身は完璧な笑いだ!

人間の喜怒哀楽のゲームは決して終わることはない。
だから、ゲームはすでに終わり尽くしている。


海の波々が寄せては返す。朝ごと太陽は東より昇り、

落日の残光を残して西に沈み行く。

体内の有毒ガスがたまっている現代人は

あたりまえのやすらぎを知ることがない。

それでも血わき肉おどる『これ』は、

笑いに笑いに笑っている!
354神も仏も名無しさん:2010/06/26(土) 17:20:10 ID:zoZau4DK
ただそれだけのこと

私は冒険なぞ求めてはいない 血わき肉踊るディオニソスも 一刹那にすぎない

みんなみんな同じであると 知ってしまったからには・・・ この上なにを求めようというのか

今は初夏の香りの中で 野の草花とともに うたたねしたいだけ・・・ ただそれだけのこと


庭先にマーガレットの花が咲き乱れ すずめの鳴き声はすずめの鳴き声らしい
そして わたしは生きているらしい・・・ 時には不安にめいり 時には極楽のエクスタシー酔いながら
私はどこからどこへ行くか知らないばかりか
こう書いていることも こう書いている私とやらも ぜんぜん知りはしないらしい・・・

やれ観念的だ抽象的だ やれ実質がある実行がある やれ現実だ夢だ
私たちは何て馬鹿げたゲームにうつつをぬかしているのだろうか

草花が初夏の風にゆれることが現実であろううか?ノイローゼ青年が見た空飛ぶ円盤は幻覚だというのか?
誰も何も知りはしないさ・・・ 

私はとこしえに楽しく生きたい! たとえ、それが、まっかなウソであろうと。
355神も仏も名無しさん:2010/06/26(土) 17:21:50 ID:zoZau4DK
リアリティーとは対立の統合ではない永遠の対立である。この、考え方は、人間的知性の限界の表明にすぎない。
リアリティーとは、永遠の対立であり。久遠の統合である。

正反対のものとの和合によって 個生命は成熟していく。
成熟とは、人格の器量と柔軟性との質的深まりのことである。


七つのチャクラとは、人間的機能としては人間的次元の七つの認識形式のことであり、したがって七つの欲望のことであり、
七つの質的に違った快楽のことである。
人は一切皆苦の洞察によって七つのチャクラをつぎつぎに卒業していく。

一般に個生命の最終的成熟とは、人生と世界との現実認識体験にもとづく、よりよき適応状態のことである。

完全に近い人生と世界との適応状態には、完全に近い幸福と絶望とが、ともなっている。
瞑想ほどの、理論と実践のくい違いが激しいものはない。
356神も仏も名無しさん:2010/06/26(土) 17:25:24 ID:zoZau4DK
 その日も、私は全くの闇の中にいたように思う。すべての出口はふさがれてしまっているように思えた。
私はごろっと横になって、見るともなくテレビを見ていた。テレビ番組は、どれもこれも面白くなかった。
しかし、他にやりたいことも、できることも何もない。
 私は、何気なくチャンネルを回した。つまらない洋画だった。それは、ローマ時代のキリスト者の殉教をテーマにしたもののようだった。
この番組は、既に大半が終わっていたが、その映画の内容は浅薄そのものという印象を与えた。
やがて、場面は或るキリスト者の殉教のところへ来た。そのキリスト者は殉教される直前にこう言う。
「それでも、私は神を愛する」と。
その映画もその演技もその筋書きも、何もかも見えすいていて、つまらないものだった。
しかし、その場面で語られた。「愛」という言葉が、異様な程、私の中に響いてきたのだ。
 その「愛」という言葉が、私の心に入って来ると同時に、
「人間は絶対的に救われない、人間のみではない、一切万物は絶対的に救われないのだ」
という想念が、私の中に浮かびがあってきた。
 それは、胸がつき破れるような悲しみだった。
 それは、そのテレビ映画の内容とは全然関係のない悲しみであり、しかもその悲しみは、
何もかも一切万物に関する悲しみというようなものだった。
357神も仏も名無しさん:2010/06/26(土) 17:31:04 ID:zoZau4DK
私の中に閉じ込められていたすべての思いが爆発した。
こんな悲しみは、私のそれまでの人生で初めてのことだった。私は気が狂ったように泣いた。
涙は後から後から、止めどもなく溢れ出してきた。
その絶対的と言っていい苦痛と悲しみの中に、それは開けたのだ。
それは、突然開けた。
私と世界を含む万物万象を包む愛が開かれた。
それは、信じられぬ愛であり歓喜だった。私は目の前のテーブルの悲しみも、庭にある石ころの悲しみも、
世界中に生きているあらゆる人々、あらゆる生物達の悲しみも感知することができた。
そして、その絶対的悲しみの極限は、愛そのものなのだ。
 愛は人間の中の一つの感情などではない。愛は、この宇宙そのものの根源なのだ。
 私は、歓びと有難さの中に、自ずから姿勢が正されて静座していた。
悲しみの涙は、そのまま歓びと感謝の涙に変った。私の身心の重苦しさは、もうどこにもなかった。
私は大気そのものになったかのように、さわやかに静坐合掌していた。私と私の妄想していた世界は消え去った。
私の絶望は、私と世界全体を洗い流した。
 愛が開かれ、開かれた愛が唯一絶対の存在として、ここにあり、その愛があらゆるものとなって表現されているのがこの世界なのだ。
どの位の時間、私はその至福の中に静坐していたか不明であるが、静坐を終えて立ち上がり、
あたりを見渡すと、何もかもが愛の中に輝いて見えた。
 この愛の感動は、その後一ヶ月位続いていた。その感動のある間、私の身心は軽やかで、自由そのものだった。
358神も仏も名無しさん:2010/06/26(土) 17:33:06 ID:zoZau4DK
やがて、その感動は徐々に薄れていたっが、その時の根本自覚は決して消えることはない。
只管打坐が正に自らなる只管打坐そのものになったのは、この経験があってからであった。

私は、私の欲望としての存在に嫌というほど痛めつけられ、その絶望の闇の中に死んだと言ってよい。
 この仮象であり無常の世界は、私の観念の中にある妄想であり、その妄想の中に、
あらゆる争いや醜悪なるもの、地獄が見えるのである。しかし、自己意識は、その絶望の極点で自滅する。
私が自滅することは、世界全体が自滅することであり、それは言語を絶する不可思議な悲しみであった。

 私は大慈悲が何であるかを知った。大悲は、人間の中にある或る感情などではない。
愛の歓喜が人間の情動ではなどではないのと同じように、大悲は、すべてのものの根源なのだ。
私は、無限の悲しみと無限の歓びを同時に知った。それは、開かれた愛そのものであり、
私もまた、一切万物と同じように愛の中に顕われた愛の一表現なのだ。
359神も仏も名無しさん:2010/06/27(日) 17:35:24 ID:YidpgDNF
ドナルド・シモダ

オレたちゃ空の遊び人 オレと瞑想とは流れもの
干し草畑をふらふらと おてんとさまに包まれて

瞑想 お前がオレの情婦だ 黒いガーターちらりと見せて
酒場で踊る女より オレはお前と寝たいんだ お前の中で寝ていたい

雲は二人の愛の巣だ 風や嵐は恐くない
すねるお前がなお恐い 白い尻から火を吹いて
お前が怒ればオレは死ぬ 死んでもくいはないけれど

王冠かむった帝王や ペントハウスの金持ちが
手をのばしてもとどかない 七千フィートの甘い大気
それが二人の絹布団 オレたちゃ空の流れ者

いくたびもなく・・・いくたびもなく・・・
ここに終わり ここに始まる
今は死ぬに最高の時だ!

生前解脱を果たしても、肉体がある限り、欲望とカルマとがなくなってはこまる。

欲望は、現実という夢を仮作する。だまされているのだ・・・ 現実という夢に。
一切皆苦・諸行無常・諸法無我。あらゆる個別性は苦である。絶対確実なものは何一つない。
永遠不滅なる実体は存在しない。
これが、だまされているという現実の単純な論理的分析である。

真実の愛は、絶対絶命なる虚無を極めつくさねばならない。
360神も仏も名無しさん:2010/06/27(日) 17:37:09 ID:YidpgDNF
ステップ・バイ・ステップというふうに、悟りを開くということは、ありえない。
個が、だんだんと全体に成っていくというのは妄想である。
全体しかなかったと目覚めるのが、悟りであり、
私は、だんだんと全体と一つであることを悟り始めたというのが、迷いである。
修行のプロセスが、どのように起伏にとみ長い苦闘の連続だとしても、
悟りを開く時は、一瞬の内にである。
修行とは、それが、どれほど完璧で徹底的なものであろうと迷いである。
修行とは、それが、どれほど純粋なものであろうと迷いである。

悟りしかない立場から見れば、一切万象は永遠に修行している。

迷いが悟りになることはない。
迷いの位相は、永遠のまよいであり、悟りの位相は、久遠に悟りである。

その本性上、
死をことさら憎悪もしくは恐怖するものを、ブラックマジックという。
従って、現代商工業都市文明は、ブラックマジシャンの集団である。
死を恐怖するが故に、黒呪術は、真正の孤独を嫌悪する。
それ故、
君がたとえ一人きりでいようと、他人の眼を気にし続けている限り、
君は、黒呪術師か、またはその卵である。
361神も仏も名無しさん:2010/06/27(日) 20:03:06 ID:TG9y/BDZ
99.99999...%が黒呪術師とその卵かよ
362神も仏も名無しさん:2010/06/27(日) 22:00:23 ID:k+K+u5rt

『ジャンプ台は尾てい骨にある。
 君たちが自分の尾てい骨を完全に知覚することができたら、崩れる。
 世界のゲシュタルト、形態っていうのが必ず崩壊する。
 発狂する人って言うのは尾てい骨の接続点が、バチン!とはずれるんだ。
 尾てい骨のなかで、クンダリニーとムラダーラチャクラが接続しているから、
 俺は俺、君は君とかここに紅茶があるっていう世界にいるつもりになっている。
 君たちに見えるのは相も変らずひとつの喫茶店だ。
 しかしこれがはずれると全部、認識形式が変る。
 つまり世界そのものが変ってしまう。
 だから、ジャンプ台そのものは尾てい骨のクンダリニーにある。

そしてクンダリニーが活性化する方法はふたつしかない。
 平静に知覚するっていう方向、平静に努力を重ねていく方向。
 そして、もうひとつは、ショックだ。
 ショックと言うのはどういうものかというと、
 例えば突然、明日死ぬ事を宣告されるだとか・・・。
 君がどっか調子が悪くて病院へ行った。
 するとあなたはガンであと一日しか寿命がありませんって言われた。
 どうなると思う?何もかもが崩れてしまう。
 もう、テーブルもテーブルじゃない。紅茶も味がわからない。これはね、はずれたわけ。
 ショックとは何かと言うと、現実認識なんだ。おわかりかな?
 瞑想のふたつの方向って言うのね、現実直視の方向と、平静さや愛の方向、そのふたつなんだ。
 女の人には愛がとても向いている。それはある一人の男の人への愛でもかまわない。
 それがとても成熟させてくれる。でも簡単にはみつからないよ。
 本当に自分に会う相手なんて、一生に一回か二回あったらいいほうだ。
 さて、そして問題は現実認識のほうなんだが・・・
 はっきりと認識するとこの世とは苦楽、喜怒哀楽なんだ。
 それに完全に直面できるってことなんだ。
 直面したら(クンダリニーは)はずれる。
 でも逃げればいつまででも逃げられる。』
363神も仏も名無しさん:2010/06/27(日) 22:01:43 ID:k+K+u5rt
クンダリニーは、個生命体の生命力である。
クンダリニーは、あらゆる人々の根源的生命欲である。
クンダリニーは、ただ一人孤独である人間の生きている所以である。
クンダリニーは、千々に乱れたハーモニーそれ自体である。
クンダリニーは、ムラダーラチャクラの中に眠っているニルヴァーナへのジャンプ力である。
クンダリニーは、この多様多元の存在界のあらゆる戯れである。
クンダリニーは、生命進化という夢の原動力であるとともに、喜怒哀楽生々化々そのものである。
クンダリニーは、血わき肉おどるエネルギーである。
クンダリニーは、色即是空の色である。
クンダリニーは、尾?骨神経節の中にあるデーモンである。
クンダリニーは、至高の愛欲・あこがれである。
クンダリニーは、マーヤである。
クンダリニーは、ニルヴァーナである。
クンダリニーは、クンダリニーである!
さあ、夕暮れの静けさを味わおう。
酒の酔いをほろほろと楽しもう。
苦しみを苦しもう。
楽しみを楽しもう。
364神も仏も名無しさん:2010/06/27(日) 22:02:47 ID:k+K+u5rt
ジャンプ――
われとうつし世を越えて、
すべてのすべてであり、
何ものでもない限りない空に達する。
マーヤからニルヴァーナへのジャンプ、
プラクリティーからプルシャへのジャンプ、
これが、クリヤ・クンダリニー・ヨーガ
大周天  
ニルビカルパ・サマディー
シャーマンの呪術的飛行の極点。

糸のほつれをほどくにはどうすればいいか?
糸全体を切り捨てるのが禅であり、
糸口を発見して、
徐々にほどいてくのが、
タントラ・クンダリニー・ヨーガである。
この二つは、結局、私自身だ。

二元は一番最後まで対立する。
それから先は人間的なことではない。
365神も仏も名無しさん:2010/06/27(日) 22:10:49 ID:k+K+u5rt
当のこの世のとの一切の別れは、
本当にこの世のすべてを理解するのは、
あなたがあなたの肉体の頭部の光の智慧に導かれて、
限りない道の広がりへ出てゆく時である。
つまり、あなたは、
唯一の限りない出会いと一瞬一瞬に
別れを告げているということなのだ。
それが愛の始まりであり、
それが愛の終わりなき終わりなのだ。

君が冥想者である限り、
君は愛も歓喜も卒業する時がくる。
が、自分が自分なら、
卒業などありはしない。

完全といえるほどのエゴイズムが、
愛には、そして冥想には必要な場合の方が多い。
完全なエゴとは、公明正大な善人のことである。
まず、あり得ないタイプの人間のことだ。
366神も仏も名無しさん:2010/06/27(日) 22:13:44 ID:k+K+u5rt
人間は、
ひまな時間を作るために努力する。
だが、大部分の人々は
ひまな時間をどう使うかを知らない。
私達は小人である。
小人、閑居して不善をなす。

安心には不安があり、
愛着には憎悪があり、
快楽には苦痛がある。
そこで、私達はしかたなく
あらゆるものからの解放を欲望する。
解放を求めることが
根源的な束縛にもかかわらず
私達は解放をもとめなければならなくなる。
何故なら、私達は
完全なる解放から産まれてきたからだ。

絶対 完全 至福 自由

なるこれと一つであったことを知って
私は、こう断言することができる。
あらゆる個生命達は
これを求めて
旅しているのだ。
367神も仏も名無しさん:2010/06/28(月) 09:08:09 ID:IL5stIp0


本当にあたりまえな人
人間であることの
あらゆることを味わい尽くす瞬間、
その瞬間は
只一つの無限のよきものにつながっている
瞬間は時が消える時
私達が、人間として、神秘として、
発展していく小さな入り口
それは、
どうあろうともすべてである汝、
すべてで、同時にあたりまえな旅人
神秘な旅人
私へ帰っていく旅人

あんたは、本当は消えたいんだ。
けれども、うわっつらでは
死にたくないと思っているわけだ。
それでも、あんたは消えたいんだ。
余りにも素晴らしいことを予感するから、
あんたはブルブルふるえる。
欲望は、欲望を消すことを欲望する。
消えたところが、至福であることを
あんたは、ほんとは知っている。

至福に至るメカニズムは
もう、出尽くした。
そこで、君達は君達なりに生きているだけだ。

君が意識をはっきりさせたまま人生を終える時には
君は知るだろう??  何もかもがいいということを。
368神も仏も名無しさん:2010/06/28(月) 09:11:05 ID:IL5stIp0
仏界、入りやすし、
魔界、入りがたし、
ここ、入りやすいか、入りにくいか?

すべてはすべてだ。
トートーロジー(同語反復)が
思想的には究極の真理になってしまう。
だが、同語反復とは何だろうか?
死の刹那に私は知る――
人間と称する何ものかの一生とは、
一刹那の夢の戯れであったことを。
回る回る 回転木馬
まわるまーわーるー
かいてんもくば
神の戯れ、私自身の私自身

人生は長いようで短い、なぞと言わないでくれ。
こんな言葉は、一度も本当に生き切ったことのない
バカモノがほざくまっかなドウソだ。
まことにまことに言う、
人生は、ただただ短い。
人生は、ただただ短いというのも
まだ妥協だ。
人生と称されている何ものかは
一刹那
無限のいっしゅん
本当のことを言えば
人生なぞないのである。
われもなくうつし世もなく なにもかも なにもかもなしなにもかもなし
369神も仏も名無しさん:2010/06/28(月) 09:12:32 ID:IL5stIp0
クリシュナ イエス・キリスト 釈迦 老子 すさのをのみこと 臨済 道元
ババジ パドマ・サンバヴァ クリシュナムーティー 無為隆彦……
こいつらは、ウジ虫であり、タバコであり、はなくそであり、クソであり、快苦であり、
あなたであり、わたしであり、
神であり、悪魔であり、太陽であり、月であり、
地球であり、海であり、砂漠であり、宇宙であり、
オナラであり、ニルヴァーナであり、
新宿の売春婦であり、すべてのすべてであり、
それ以外である。
そういうわけで、太郎も花子も
ミーちゃんもハーちゃんも
この只一人の無限なる私自身というわけだ。
われもなくうつし世もなく なにもかも かみのなかなるかみのたわむれ

何事も、これで終わりだということはない。

孤独を、
ほとんど絶対的なまでの孤独を感じる時もあり、
すべてを超越して、
すべてのすべてである時もある。

私は私だけの私
私はあなただけのあなた
私だよ……
おれだ!
370神も仏も名無しさん:2010/06/28(月) 09:51:01 ID:IL5stIp0
戯れたわむれたはむれ……

恐怖・不安・デカダンス・悲しみ・苦悩
まわるまわる……回転木馬……
ワオ、ワオ、ワオ
たわむれ……

悟り・迷い・シッチャカメッチャカ
秋の虫が、鳴いている。

いわゆる通俗的クンダリニー・ヨーガの問題点の一つは、
アストラル体以下の各チャクラの機能を過大視する余り、
ある種のイメージや、夢想的ヴィジョンを、
本物の霊的ヴィジョンと思い込んでしまうところにある。

あらゆる科学は、人間性の欲望と肉体性の認識形式にもとづく実用仮設にすぎない。
したがって、
あらゆる人間性内部のやりくりが、必然的に限界に至らざるを得ないように、
科学文明も明らかに限界に達している。
いかなる科学も、それが人間性から発した仮設である限り、
人類の真の幸福や平和に解答を与えることはできない。
それどころか、当の科学自体を正しく扱うことも不可能である。
371神も仏も名無しさん:2010/06/28(月) 09:52:55 ID:IL5stIp0
人間の側から見れば、覚者と凡人の差異は、海の大波と小波程度のものにすぎない。
霊の側から見れば、覚者と凡人の差異は月とスッポン以上のものではあるが、
覚者の側から見れば、覚者と凡人の差異なぞあったためしはない。

クンダリニー・チャクラという
この久遠の生命海の一波動は一般的には、
アナハタ・チャクラの無限愛をその振幅の最大のボーダーとしている。

一たび、無限愛に目覚めたならそれ以後の冥想の流れは、おだやかなものとなる。

すべては、神の夢の戯れであり
すべては、神の真実それ自身である。

迷いから見上げると
悟りは逆説的なドンデン返しに思える。
だが、悟りの眼には、迷いと悟りは決して切り離すことのできぬ限りなく美しい神秘だ。
372神も仏も名無しさん:2010/06/28(月) 12:33:44 ID:IL5stIp0
本当の自分自身は、
初めの頃は絶対他者あるいは神として現れる場合がある。

つぼみへと成熟する時
君は不可思議な喜びに包まれている。
つぼみが破裂して花開く時、
君は
君を失う言語を絶した恐怖と法悦にいたるだろう。
やがて、君自身という花が散る時が来る
透明なやすらぎが
すべてに満ち渡っている
そしてなにもかもが忘超された刹那
たった一つの果実が結ばれていた
君は
君ということのない君自身だったのだ。

人間性のあらゆる問題の原因は
ただ一つしかない。
それは、
人間が自分自身を見失ったということ。

この世とかの世を通じて
君にとっての
最大の恐怖は、
君が
君自身に変容する瞬間である。
そして最大の至福も…

孤独な鳥は何もない大空で
ただ一度だけ空中衝突を起こす。
君は君自身になったのだ。
373神も仏も名無しさん:2010/06/28(月) 12:47:59 ID:IL5stIp0
絶対者から発出したエネルギーは、人体の外では、一本の黄金色のコードに、
人体の内部では、三本の白銀色のコードとして見える。
チャクラとは、三本の白銀色のコードから芽吹いた七つの花もしくは果実である。

生死・中有界を開示するクンダリニー・ヨーガの行法上の秘伝とは、
特殊なマハ・ムドラーとヨニ・ムドラーにつきる。
また、この際に、解脱に達したグルは不可欠である。
解脱に達したグルだけが、ブラフマ・ランドラを開く事ができるゆえに。
クンダリニー・ヨーガの内面的秘儀とは、いかなる方向性・目的性を持ち得ぬ
全身的渇望と、それに必然的にともなう全面的な鋭敏極まりない知覚である。

クンダリニー・ヨーガの技術的解明は単純である。
それは、完全に肉体を浄化し、健康状態のまま、肉体側に下降している生命力を、
知覚と意識の極点まで上昇させることにすぎない。
すなわち意識のしっかりした臨在患者が入る透明で鋭敏極まりない知覚状態を、健康体の間に実現し、
クンダリニーというエネルギーコードを死の彼方へジャンプさせることにすぎない。

君自身の側から見れば、
君という、
七つの寄せては返す波は、
起点も滅点もサハスラーラ・チャクラで、
その最大に達した波は、
クンダリニー・マーヤの
永遠の愛欲世界を回転する。

自分自身を説明した理解することはありえない。
だが、
自分自身の気付く直前を表現してみよう。
完全なる闇。
そして突然、開示される
超時間・超空間の絶対歓喜。
374神も仏も名無しさん:2010/06/28(月) 12:50:02 ID:IL5stIp0
絶対者から発出したエネルギーは、人体の外では、一本の黄金色のコードに、
人体の内部では、三本の白銀色のコードとして見える。
チャクラとは、三本の白銀色のコードから芽吹いた七つの花もしくは果実である。

生死・中有界を開示するクンダリニー・ヨーガの行法上の秘伝とは、
特殊なマハ・ムドラーとヨニ・ムドラーにつきる。
また、この際に、解脱に達したグルは不可欠である。
解脱に達したグルだけが、ブラフマ・ランドラを開く事ができるゆえに。
クンダリニー・ヨーガの内面的秘儀とは、いかなる方向性・目的性を持ち得ぬ
全身的渇望と、それに必然的にともなう全面的な鋭敏極まりない知覚である。

クンダリニー・ヨーガの技術的解明は単純である。
それは、完全に肉体を浄化し、健康状態のまま、肉体側に下降している生命力を、
知覚と意識の極点まで上昇させることにすぎない。
すなわち意識のしっかりした臨在患者が入る透明で鋭敏極まりない知覚状態を、健康体の間に実現し、
クンダリニーというエネルギーコードを死の彼方へジャンプさせることにすぎない。

君自身の側から見れば、
君という、
七つの寄せては返す波は、
起点も滅点もサハスラーラ・チャクラで、
その最大に達した波は、
クンダリニー・マーヤの
永遠の愛欲世界を回転する。
375神も仏も名無しさん:2010/06/28(月) 12:52:28 ID:IL5stIp0
自分自身を説明した理解することはありえない。
だが、
自分自身の気付く直前を表現してみよう。
完全なる闇。
そして突然、開示される
超時間・超空間の絶対歓喜。

あらゆる神通・超能力、
あらゆる宿命転換やカルマの改善は、
君を、
君なぞないというところまで導く
君自身のトリックである。

ニルヴァーナとは、不二一元でさえもない。
神とは、ニルヴァーナの中なるマーヤの流出現にすぎない。

この世のものであろうと
地獄や天国のものだろうと
神人合一や解脱・ニルヴァーナであろうと
夢幻や幻覚の中のものであろうと
君は本当に知り尽くさねばならない、
断じて君は、
何ものの
自分だけのものにすることができないことを…
それどころか、君は、君さえも、
自分だけのものにできはしないのだから。
376神も仏も名無しさん:2010/06/29(火) 18:59:36 ID:NSGMWqHx
ここにいつもここがあり、
今はいつも今だ。
それゆえ、なにもかもが冥想している。
但し、
君は断じて、
今、ここにいることはできない。

肉体・意識・現象・宇宙・・・
そのありとあらゆる出来事・・・
これらは、
すべて肉体に属するものにすぎぬ。
どれほど高尚な形而上学的悩みも、
肉体あってのものだねだ。

377神も仏も名無しさん:2010/06/29(火) 19:00:19 ID:NSGMWqHx
一般に、
クンダリニー・ヨーガは、アストラル体を基点とする。
マントラ禅や丹田禅は、エーテル体を基点とする。
公案禅や只管打坐は、メンタル体を基点とする。

マントラ・ヨーガとは、
ある特定のチャクラを刺激する音を
心の中でくり返すものであり、
マントラ禅とは、
全身全霊で、任意の音を発声することにより、深い呼吸を誘発し、
エーテル体と肉体の生命力を一気に活性化しようとするものである。

マントラ・ヨーガも、マントラ禅も、一点集中によって思考の雑音を排除しようとする単純なトリックではあるが、
マントラ禅の方が、精神安定剤よりは、生命力増強方としては、多少すぐれていると言えば言えるだろう。
とりわけ、マントラ・シッディという爆発的な身心一如的な歓喜や感謝や念力の発現は、マントラ禅の方が、はるかに速い。

マントラ・ヨーガとは、怒った時には頭の中で百数えなさいということであり、
マントラ禅とは、ランナーズ・ハイが起こるまで走り続けよ、とか
『コカ・コーラ』と一心不乱に、ゲット・ハイになるまで大声で唱えろといったものだ。
378神も仏も名無しさん:2010/06/30(水) 13:07:29 ID:MIgMdhec
いい、人はね、自分自身ひとりがね余りにも空しいからね、その穴埋めに色々なことをでっち上げるのさ。
総理大臣になろう実業家になろう素晴らしい音楽家になろう、プレイボーイになろう。
ところが肝心の自分自身の空しさっていうのはいっこう解決ついてない。
だから、一時的には何か上手くいったっていう喜びがある。
が、しばらく経つととそれは全部ポッシャリする。また同じ問題の繰り返しだ。
君達という、その君達の自意識がある限りね、何をやったとしても最終的な結論は絶望だ。
それはひどい言い方かも知れないが、この人生の真実だ。

ところが人はさ、自意識に直面して自意識の問題を片付けるということを最高におそれている。
だから、色んな目標をつくる。やれ定力をつけたらなんとかなる。やれエネルギーに満ちたらなんとかなる。
やれ、ドラッグを飲んでこんなんなったらどうかなる。やれ、すごいグラマーな美人かなんか抱いたらなんとかなる。
やれ、素敵なスポーツカーか手に入れて運転したらなんとかなる。
やれ、金をいっぱい貯めて何一つ食うに不自由ない大邸宅に住めばなんとかなる。
何もなりゃしない。が、多くの人たちってのは全然苦しんでないように見える。
苦しんでないことはない。心の底では君たちと全く同じ問題を抱えてる、全く同じ問題を。
ただ、どこが違うかというとさ君たちよりもさ、上手くさ仮面をかぶることに長けただけだ。それが上手になっただけだ。
ところが、本当に一人きりになってみろよ。何一つ通用しない。

そして、もう一度言おう。永遠に永遠に永遠に永遠にこの宇宙が生まれ変わり死に変わり生まれ変わり死に変わりしたとしても、
君たちがもう一度現れることは絶対にない。ただ一回きりを君達は生きてる。
で、君達は何か実験したいと思ってる。この世に実験なんかありはしない。
君達は何かを試したいと思ってる。この世に試すなんかありはしない。みんな真実だ。
もし、それに全力をかけなくちゃさ、死んでから閻魔大王に飯代請求される。
379神も仏も名無しさん:2010/06/30(水) 13:08:48 ID:MIgMdhec



何でせっかく最高に生きられる命を与えられているのにそれを発見しないで終わっちまうんだ、
最高に生きられる命、それはね自分の命を全身全霊で持って捧げること、そしてそれが愛だ。
そこに行き着かない限り君は何をやったとしても決して安心する事はないだろ。

明日になったら安心する?明後日になったら安心する?あれをやったら安心する?
そんなこと考える。あれが実現できたらもう俺はハッピーになる?
そんなことあるもんか。だったら実現したらいい、全く新しい問題がそこに残る。

そうではない、今からはじめなさい。今、始めるんだ。今、その中にいるんだ。
今、愛そのものの中に委ねるんだ。

そして、情熱っていうのを本当に当たり前に考えてごらん。
情熱を注ぐべき対象っていうものをもし本当に素直に考えたらばね、二つしかない。
それは、運命的な出会いによってさ、これが全てだと本当に言い切れた場合。それはもちろん悟りとは別の事だ。
例えば、音楽に出会えた、音楽のためなら死んでもいい、素敵な男に出会えた、その男のためなら死んでもいい、
あるいは、とても可愛らしい子供を産んだ、この子供のためなら死んでもいい。
その時、その人たちっていうのは全く人と比較する必要のない充実の中に生きている。
ちょうど、船の船長さんがね自分の船に愛情をかけたとき、その船が沈むっていう時にはさ、船と一緒に沈むように。
それが一つ。

そしてもう一つはね、
君達の自我がある限り何をやったとしても、君達の自意識が在ると妄想している限り、何をやったとしても、
何一つ、本当の安心も満足もありはしないっていう事を自覚した時にね冥想の道へ入ってくる。
380神も仏も名無しさん:2010/06/30(水) 13:10:15 ID:MIgMdhec


そして、冥想とは何かって言ったらね、これは人間が作り出したものじゃないんだ。
宇宙が創り出したね、一種のバランス機構なんだよ。
そして、それがあるために人間は完全にシッチャカメッチャカにならないですむ。
何故なら、誰でもだよ、唯一人の例外もなく君達が今持っている問題と全く同じ問題を持てる。
君達が今持ってる問題と全く同じ不安を持っているんだ。
総理大臣だろうと国際連合の総長だろうと何だろうと例外はない。

そして、今の冥想ブーム、これはいけない。
冥想っていうのが起こった事はいい、が、冥想っていうのがさまるで自我を防御するための道具に使われちまっている。
そんなことしてたら何時までたったてきりが無いだろ。
そりゃ、超能力を得て人の心を見抜くとか、超能力を得て金をうまく儲けるとか、超能力を得て女をものにするとか、
そんなことやることは出来るよ、もちろん。それは一つの能力だ。
が、そんな事やって後に何が残るわけ?
君達の一人ぼっちの空虚さはあい変らず一人ぼっちの空虚さだ。
だから、それ故にはっきり言っとく。君達が愛に目覚めない限り、君達が自分の自我から解放されない限り。
君達は一度も生きることはない。
そう、ちょっと前の時代ではさ、まるで悟りとか何とかっていうのはを問題にするのはさ、
もう年老いた人生が終わった人たちだと思ってた。が、そうじゃないんだ。
自分が無い、自分の全てを。自分の全てを、何だこれ?このにごり酒のために自分の命の全てを捧げない限りね、
君達に決して本当の満足、本当の快楽、本当の喜び、本当の全てはない。
で、僕の今話してる事がね、何か胡散臭いか、信じられないんだったらばね。可能性がある方向に向かってもっと頑張ったらいい。
その代わり、多分非常に残念な事だが、その可能性に向かって頑張って上手く達成できたとしたらね、
その時、虚しさがそこにあるってことに気付いたとしても、
もう、それに対して真剣に対処するっていうエネルギーはもう無くなっているだろ。
それが冥想院が絶対的に必要な理由だ。
381神も仏も名無しさん:2010/06/30(水) 13:27:22 ID:MIgMdhec
そしてそれは大きくなるためにあるんでもない、新興宗教をつくるためにあるんでもない、
君が君自身の内面の一番最後の答えを発見するためにあるんだ。
慈悲を慈愛を愛を真心を。
自分を超えた本当にさわやかで自由な、そして海のように計り知れない深い喜びと悲しみを味わうがために。
その時、君は決しておしっこした時にね、おしっこをさ十分の一とか三分の一とか残すようなおしっこの仕方は絶対しない。
全部出すだろ。
ところがが君たちと来たら、どうだ、何かやるのでも何時でも残ってるなんか、一部。本当に全面的にそれに直面しない。

そして命がけでやれっていう、それが偉く何かさ非常識なことのようにに聞える、或いはツッパった言葉に聞える。
何をやるにも命がけでやりなさいって、所が、これくらいシンプルで当たり前な話ないぜ、
何故なら君達何時でも死ぬに充分なだけいるんだぜ、明日死ぬかもしれん、一分後に死ぬかもしれん。
そして君達が死んだら二度とないんだぜ。二度と。たった一回きりの君たちだ。
もちろん転生はするよ。で、転生して生まれ変わったて今の君たちじゃない。

「しかし、その時には意識は残ってるんじゃない?」

そんなものは、全面的に意味無い。今日は究極講座ですから。


「何か、その時には何をやるって一つのパターンではないわけ?」

抜けた場合?抜けた場合はどんな言葉を言っても当たらない。
ただ充実しているということ。ただ生きることが生きているということ。
そして、それはもう説明できない、だから俺はさ、
宇宙全部の喜びに達してもまだ当らない、宇宙全部の悲しみに達してもまだそれに当らない、って言うしかない。
それはもう本当に言語を絶している。信じられない。だから俺を見てくれ、それ位しかいうことはできない。
382神も仏も名無しさん:2010/06/30(水) 13:32:18 ID:MIgMdhec
他に質問は?あるだろう(笑)幾らでも。
俺は正直言えばさ何一つ話すことなんか無いんだ。はっきり言っちまえば。

「で、確かに、それでもう。それでそうなんだけど。どうすればいい」

(笑)どうすればいいって聞いた瞬間さ、Sは実在といってもいいし完璧な喜びと言ってもいいし、それから外れちゃうんだ。
Sがねいつもひっかかるのは結論を出してから何かをやろうとする事だ。
どこかの道場行けばちゃんと理路整然とやってくれるだろうよ。
そりゃあどっかの新興宗教行けばさ色んな教義説明してさ、君たちを安心させてくれるだろうよ。
例えばさ、ダイジこれはグルである。従ってダイジのいう事をそのまま聞いていればあなた達は救われる。
こんな簡単なことはないよ。
そして人は神の宮である。神の子、神の宮である。だからお互いに礼拝しなさい。
そしたらそれで結論がついたように思う。
ところが、本当の本当の本当の自分の中心じゃ、ちっとも結論がついてない。
だから四六時中それをやってないと気がすまない、四六時中それを考えてないと安心できない。まるで麻薬中毒だ。
そうじゃない、元々あるんだ。全てがあり。
君達の恐れって言ったら一体何かっていったらね。一つはまず全てを受け入れたくないというところから来る。。
どうしても自分っていうのものをさ、他と分離したいと思っている。
そして、全てを受け入れてさ、全てと一体になったらさ、
今度はさ愛してる、本当に自分が愛してる思える人との関係さえ無くなっちゃうと思ってる。
ところが、それは全く逆だ。
君達がまず第一に神を全身全霊で愛することを知ればね、その時初めて自分が一番惚ほれている人間っていうのを、
本当にほれる事ができる。
383神も仏も名無しさん:2010/06/30(水) 13:34:07 ID:MIgMdhec


他に質問は?

「いやあ、別にあの、ダイジのところに来るとそうとう混乱させられる」

うん、もちろん。いいWはね。ひとつの理論、知的な理論。
しかもそれは非常に困った時にね、それは知的ではないという事を踏まえた知的理論を造り上げちまったっこと。
だから俺は言ったろ君はここで愛に触れたって、ところが君はそれを疑いだしたって。
ところが君本人としてはいっこう自分が疑ってるって言う気持ちはない。それを信奉してるように思ってる。
ところが正にその信奉しなくちゃならないっていうことが疑いじゃないか?
僕は、君の誠意、全誠意に対して話してる今。
だって愛に触れた人間が、一体愛とかさ神とかっていうことをそんなにガチガチガチガチさ、
信奉したり信頼したりさ愛はそれについてさ思索する必要があるかよ。
それは疑い以外の何ものでもないじゃないか。

で、君達のね最終到達点っていったらいいか、或いは本当に今ある状況っていうか。それが悟りなんだが。
それの方向を間違えてもらいたくないから、ハッキリ言っとくがね。
すべてがいいということ。すべてが完璧だということ。
そのすべてっていうのはこれと、この座布団と、この塵と、君と、それが全部同じ、たった一つのものだ。
たった一つの私だということだ。それが今であり、それが到達点だ。
そんな事がわかって何になるのなんて質問しないで欲しい。それがわかったら全てが手に入る。

例えば宗教。今みたいに冥想ブームで冥想がテクニックみたいなこと言われると、
俺はかえって宗教をもっと信奉しろとか、信仰しろとか言いたくなる。
それは当然のバランスだ。余りにも宗教から離れちまった冥想が。
が、その宗教にしてからがさ、余計なものに過ぎない。皆同じなんだ、僕達は。
そして皆同じだけにね、自分の中に限りない神秘を宿してる。君の中にも。
残念だが、君に届かないことがとてもつらい。でも、届く日が来るだろ。
384神も仏も名無しさん:2010/06/30(水) 14:03:08 ID:MIgMdhec
誤解しないでほしい、愛っていうのは全てに対する愛だ、もちろん。
が、全てに対する愛っていうのを理屈抜きに感じたとき。
例えばMがこの前のメディテーション・インで涙を流した時、愛に触れていたよ。
そしてその愛に触れた時、自分の個性が惚れてるものってのを一番愛する事が出来る。
愛っていうのは売春婦になるっていう類のものではない。
愛っていうものに触れた時、初めて順番が分かる。何が一番自分にとって大切か。その次は何か。
みそもくそも一緒には決してならない。

いい、忘れないでほしい。みんな同じなんだ。世界中の全ての人がみんな同じ問題を抱えてるんだ。
ただ、その違いわね、自分を騙すことがうまいか、うまくないか。それだけの違いだ。
ここでは騙す必要はない。いい?

さあ、全力で考えて欲しい、考えるんだ、思考するんだ。君達の今までにおちいった反対方向にいったポイントの一つはね。
一番肝心な事を率直に考えるってことを飛ばしちまったからだ。

智とね愛っていうのはバランスがとれて初めて本物だ。愛は智を含む、智慧を。智慧は愛を含む。

最終的に無意味だっていうなこと何一つないんじゃない?
ああ、人間、ものすごく極限に接近してるんだけどさ、
無意味だってことと意味があるってこととを分けるってことそれが人間が超えなくちゃならない最後のトリックなんだ。

月並みな、言葉だが。ねえ、あんた愛は愛を愛してるよ。
385神も仏も名無しさん:2010/06/30(水) 14:05:04 ID:MIgMdhec

「普通プロセスを言う場合は、どうしても動機づけられた情熱っていう感じがあるんだけど、そんな事はない?」

うん、人間のやる場合っていうのはさ、99.999999%目的のある情熱だ。
そしてそれから入るのももちろん正しい、本気で入るならばね。
その場合にはどういうかたちで起こるかというと、前世で恐らくそれに相当するものを経験したという事だ。

「じゃあ、目的の無い情熱っていうのが、意外と大切なもの?」

意外と大切じゃない。それが唯一の原動力だ。

「じゃあ、前世でさ、そういう因縁が無い場合はどういしょうもないってことになる?」

いや、そんなことはない俺に会ったからには。

「前世でさ目的のある情熱ってのを持ってたら、でぇ、それがどうなっちゃうわけ?」

うーん、例えばさ、前世でさ音楽家がいるとするだろ。その音楽に命がけだったとするだろ。
ところが死ぬ間際に音楽の無意味さっていうのを悉く見切ったとするじゃない?

「見切る?」

うん、見切る。そういうときが来る。芸術にはそういう側面があるんだ。

「見切るってのは、全部やっちゃって、で、見えちゃったってこと?」

うん、やり尽くす。本当に愛しきったってこと。音楽を本当に愛しきったてこと。
その瞬間、音楽が決して自分の解放に導かないでね。自分をある形のなかでもってガッチリ固めた事に過ぎなかったて事に気付く。
386神も仏も名無しさん:2010/06/30(水) 14:11:00 ID:MIgMdhec
「そういうことが前世であった場合は」

うん、あった場合は、生まれたとき思春期になったころから猛烈に遥かなるものを求め始める。

「それは、また音楽で?」

もう、音楽じゃない。

「ああ、そういう前世で目的のある情熱をやった場合はさ、もうやらないわけ。生まれた時は分かっちゃってるから」

うん、それが極限までいったなら、もうやらない。



花は踏まれてもなにも言わないでしょ、あれが愛。

ダンテス・ダイジ資料 テープより 一部抜粋
387神も仏も名無しさん:2010/06/30(水) 14:52:31 ID:MIgMdhec
澄み渡った一生懸命さとリラックスは別のものじゃない。
388神も仏も名無しさん:2010/07/01(木) 12:50:36 ID:r+d5/zcf
転載

・「太郎には太郎の悟りがあり、花子には花子の悟りがある」
・「行者は行者でしかありえない」目的が難行・苦行になっている為に一生、行を探し求めるの事になる。
・「世の中に偶然は一つとして存在し無い、すべては必然なんだ」
・「キリストは悟りを開いていなかった、処刑された瞬間に悟りを開いた」
・「キリストは只々愛にのぼせ上がっていた、でもその愛は本物だ!」
・「人は自分の心からの誘いは、たくさんあるが、本物ほど遠くから小さな声で囁いている」
・「癌の末期患者の半分以上が死を超越して、死んで逝く」癌告知されると三段階の精神状態に至り
  その最後の段階に入ると、死を超越してしまうので、見舞客を逆に慰めるほどになる、死刑囚にも同じ事がいえる。
・「人間の最大の問題は、”死”である」
・「生まれながらに、死を超越して生まれてくる魂もある」
・「神は、一番ズボラだ」
・「あなたの守護霊は、CIAよりも正確な情報を所有しているし、嘘は利かない」
・「ラーマ・クリシュナは極度の胃弱だ」 
・「スティービー・ワンダーは光の世界から演奏している、モーリス・ホワイトは、二回ほど光の世界を垣間見ている」
389神も仏も名無しさん:2010/07/02(金) 15:01:44 ID:dpeoOKYO

この世のあらゆることには、完成ということがない

それは時計が回るように回帰する。
人生それは、また時計のように成熟し得る。
時計には個生命としての生老病死がある。

あらゆる個生命達の 夢と真実と愛のストーリー

THIS IS DREAM-TRUTH

老子

老子について何も知らない
ただ気楽な人だったなあと、わたしは思う。
そうなってゆく、そのままの人。そうなってゆく石ころ。そうなっていく雨だれ。

ただ素直にやわらかく、豊だったなあと、私は思う。
イエスのうように純真だが、そのオトボケは、ソクラテスを楽々とノイローゼにさせるほどの俗物中の俗物。

もちろん老子とは個人の名前でもなく。老子という本の名前でもない。

宇宙の名前だといったらよいのか?無限の名前といったらいいのか?
否、否、三度否!

なにもかもないそれを、老子が老子と名付けたらしい。ありとあらゆるものそれ自身を。
誰かが仮に老子と名付けたらしい。
ありとあらゆるそれ自身を、誰かが仮りに、老子 と名付けたようだ。

それだからこそ老子はあたりまえな人間なのだ・・・
390神も仏も名無しさん:2010/07/02(金) 15:03:15 ID:dpeoOKYO
坐禅とは、いかなる状況、あるいは、いかなる世界においても、
生き生きと、やすらかに充実している。あるいは、たくましく、充実している。

絶対それ自身を、いくたびも体験し、そして、死のその最後の瞬間まで、
その充実を生き尽くすことにある。

臨済禅師は、もし、もっと長く生きたならば、老子のありように近くなっただろう。が、
臨済君は臨済君だ。彼は完全な自由を生きた。
老子は老子だ。彼は生き切り、生ききらず、死に切り、死にきらない、
絶対即相対の完璧な体得者であり、余りにもあたりまえなただの人。
そこで超人普化はというと、
ここで、狂僧か何か知らないが、狂僧普化は、カンオケの中で死んだというわけだ・・・

普化おまえのことだ!すべてこことだ!地水火風空無霊有のことだ!

あなた自身の夢・・・・あなたのいない夢・・・・
カオス・不如意・不安恐怖・あらゆるエクスタシー・幸福・不幸・快楽・苦痛
あなたもわたしもない。
何もかもない夢の極楽と中有と地獄の夢なのよ・・・・
至高無比の絶対満足のその中に、いいえ、それ自身の夢が戯れているのよ・・・・・・・
見よ! 是れは夢か絶対者か? それとは何か?? 是れ何者ぞ!?

おまえ自身の あらゆるお前自身の気狂い遊戯。
「よくも、あきないもんだ・・・。」
391神も仏も名無しさん:2010/07/02(金) 15:05:21 ID:dpeoOKYO


坐禅
特に只管打坐は
その本質は 百パーセント万事休した姿勢でしょ

つまり
あなたは何者でもないかもしれないのだ

牢獄 束縛 催眠術 死 未知 不可知? 疑い 不安 空しさ

情熱 おお、めくらの情熱よ! サットヴァ質の極点よ。

神なるもの 絶対無の限りなき光なるものの・・・ あらゆる忘我の時よ! あらゆるエクスタシーよ!

臨済も普化の禅機にはかなわなかった。

この世に新しき言葉なく この世の神秘は続く・・・

能力によっては 至福は得られない。 それは時なのだ。時がすべて起こす・・・
392神も仏も名無しさん:2010/07/02(金) 15:24:29 ID:dpeoOKYO
すべてが
こうである以上にこうである
そのすべてがすべてでいいんだ
いいや、いいんだ以上のいいんだ

聖人タイプは、すべてのすべてのすべての絶対を欲望する

相対と対立する絶対ではなく
絶対即絶対に至れば もともとなんということもない。

人様にメイワクかけ、世界にメイワクかけ、自分にメイワクをかけ続ける、
いわゆる俗人様つまり恐れ多くも御ブタ様々タイプは、
喜んでいるのか悲しんでいるのか・・・
楽しんでいるのか苦しんでいるのか・・・
ガンにかかってシチテンバットウしている人がミジメなのだろうか???
モグラの近視眼で、国をウレエ、世界をウレエ、だが自己をウレウルことだけは、さけて、
立派な偉大な事業に励んでおられる。
私は心の底から頭の下がる思いだ!

どういうわけか、私は苦しいのより楽しいのが好きな性分ときている。

さて、
何もかもが、ありとあらゆるもの、まったくないといったもの、
シッチャカメッチャカのすべてのすべてが、生命なわけだから、
生命ゆえに、価値も意味も方向もありはしない。

それが、どのようなプロセスを得たニルヴァーナ・エクスタシーであろうと、
それでも、あるのなら、何もいうことはない・・・・・・・・・・・

チェッ!オレ言っちまった!
393神も仏も名無しさん:2010/07/02(金) 15:26:27 ID:dpeoOKYO
セイナルものという夢

本ものもニセものもない。
あなたがたは、聖なるものという夢を見ている。
絶対に信じられないほどの聖なる体験はある。
だが、
聖なるものなぞどこにもない!

バグワン・シュリ・ラジーニシ???
奴はシッチャカメッチャカだ。本ものだ。
終末が産んだ本もののコメディアンだ。
奴は最もタチの悪いテクニックで、バグワン中毒を伝染させている。
奴もそう長くはない。
だが、奴は正真正銘の本ものだ。

伊福部隆彦先生―――
老子の再来である。
酒で悟りを持続していた。
悲しいほどに本ものだ。
余りに悲しすぎるほど本ものだった。

ババ・ラム・ダース―――
間違いなくニセものである。
この人物は、
自分が本もののコメディアンであることを知っていない。
だから、自分を神のコメディアンだと思い込んでいる。
394神も仏も名無しさん:2010/07/02(金) 15:28:33 ID:dpeoOKYO
高橋新吉―――
ロマンチストだが、
どうにか一人前になりたての禅僧だ。
ロマンチストゆえに遊びがたりない。

大森曹玄老子―――
この人とは話し合うのもごめんだ!

木村虎山老子―――
釈迦より偉大の上に偉大だ!
無眼子、何の眼力もない。
ただ、淡い定力と、
仏法そのものなるプライドと、
法に対する素朴な親切心があるばかりだ。

チョギャム・ツルンパ・リンポチェ―――
血わき肉おどる理想主義者。
本ものだ。
だが、新宿のトルコ嬢には
とてもかなうまい。
395神も仏も名無しさん:2010/07/02(金) 19:08:55 ID:dpeoOKYO
桐山靖雄―――
ニセモノ。
立派な野心家。
とても出口王任三郎や空海ほどにはいけまい。
ニセモノの度合いがゆるすぎる。

グル・マハラジという青二才―――
ニセモノ・イカサマシ。
ただの人。

君は君なんだ。
それ以外にない。
犬は犬なんだそれ以外にない


石ころは高らかに笑う

私は考えられないくらい幸福だから 考えられるほど不幸だ

たしかに観念といえば観念だ でもどうでもいいではないか 無限は無限なのだから・・・

だが これは とこしえにそれ以上だ!

石ころは、すでに、石ころではない これは体験したほうがいいだろう

その刹那 石ころは高らかに笑う
396神も仏も名無しさん:2010/07/02(金) 19:10:50 ID:dpeoOKYO
知らぬが花なのよ、少なくともブタたちにとっては。
言い古された言葉だが、民主主義も共産主義も、愚衆政治にほかならない。
不幸は、ブタをブタ小屋から出したところから始まる。
現在の人間進化のステップでは 99パーセントは、ロボット、もしくはブタである。
現文明の崩壊は、とっくの昔に始まっている。
そして、それは逃げるすべのない宇宙テストでは、あるのだが・・・

ところでブタが本当にブタであり、ロボットが本当にロボットなら
それはそれで素敵だ。

賢者といい聖者といい超人というも
結局、本物のブタでありロボットであることに違いない。
老子よ、あなたはなんという俗物なのか!他のありとあらゆるものと同じように。

産まれて、生きて死ぬというのに、君はこの上何を問題だというのかね?

人は、その夢の途上で倒れる。ただ夢も時間もない、あらゆる絶対体験・――
パーフェクト・チェンジング・モメント
あらゆるかたちでの、
エクスタシーのサムシングのサムシング。

ある歌い手は自由を 私なりに追求してきたんだと歌う。
だが、自由ってなんだい?それは ある種の力のことかい?

インドのプリーで若いガンジャ・ババの卵である。スイス人の青年が言った。
「この世界はドリームでしょ・・・?」
私はなぜか知らぬがこう答えた。「これは夢であり、真実だ」と、
ヂャニス・ジョプリンはアルコールとドラッグで若死した・・・
397神も仏も名無しさん:2010/07/02(金) 19:13:51 ID:dpeoOKYO
酔いを味わうだけらしい・・・

高いも低いもどうということはない
優秀と劣等とを誰が一体決めるというのだ それでも月は月を生きて死ぬ
スッポンはスッポンを生きる
こうあるらしいことが こうあるらしいのだ それにしてもこの一瞬よ! ああ、この一刹那よ!
説明できない力が、生命を駆り立て続けている。
私はすべてらしきものとして 酔いを味わうだけらしい・・・

帰っておいで

自分が存在しているという世界の存在は 結局あらゆるものに 悪意をもっている
新宿駅で飛び込み自殺があった 係員がレールのあちこちに散った 肉体のかけらをひろっていた
人間は無限のかけらにすぎない・・・
これが最もごうまんなる人間の 至高のセンチメンタル・エゴイズムだ
人間は無限なるものの一部にすぎない・・・ かけらと一部とは似たようなものだが
貝とコカコーラ程の違いがある たいした違いじゃないけれどね・・・
人間は無限なるものの一部に過ぎない・・・
これが 人間性の究極の深遠である 
これが人間の魂の基調音である これが人間にしての最初にして最後の美
あるいは人間性そのものという何ものか
君は果てしなきものの一部にすぎぬ
だから 果てしなきものに帰るがいい!
もっとも、その頃には、君という人間性の夢も 夢の中へ跡形もなく消え去っている

とにかく どういうわけか、超えていくのさ 超えていくんだ
石を超え 山を越え 彼女を越え いとしい娘子を越え スモッグを越え 文明を越え
ニルヴァーナを越え 越えることを越え・・・

そして 帰っておいで  今 ここに
398神も仏も名無しさん:2010/07/02(金) 19:20:18 ID:dpeoOKYO
バイクの ケタタマシイ戯れ 
ああ ヘドロがあるヘドロがある ああ 花がある花がある
完全なるニルヴァーナがいる 完全なるマーヤが今っている
どっちがいいといったものでもない
メイッテ、メイッテ、メイル
ステキで、ステキで、ステキだ
秋の虫が鳴いている
老子はおさな子のように泣いている
なにもかもがいいという言う必要もないだろう

距離

距離などというものはない 遠い遠い昔も未来も『これ』にしかない。

すべての二元対立を悪戦苦闘して 私の最後の疑問に到る。
私は何か? すべてをすべてと認識しているわたしとは何か?
誰が私などというものを現しているのか?
こう現われている このわたしとは何か? こう書いている私は何か?
私を忘れている時の私とは何か?
そもそも すべてとは何なのか?それさえ まだるっこしい。
これは何だ?これ何者ぞ?  これは何だ??

ああ、人間の果てまで来てしまった――というこれは何だ?
そんなことどうでもいいという――これは何だ?
これは―――何だという――
これは何だ?

断じて知的疑問ではない
399神も仏も名無しさん:2010/07/02(金) 20:25:41 ID:dpeoOKYO
不安

いい経験をすればするほど不安はつのる。

が、不安に対処する手段はない。

至福は起こる。それは、おのずから生ずる。

完っき至福――
それは人間が求めてやまないものだ。

だが、『これ』は至福以上だ。 ぜんぜん比較になりはしない。

そうなのだ

そうだ、あらゆる経験を 限りなき経験を 地獄を至福の極楽を経験して経験して体験したいのだ!

私の中に
あると思われる様々な観念――――――
一体その正体は そりゃ何じゃ?
苦を不安を退屈を倦怠を わけのわからなさを どうしようもなさを 誰がうえつけたというのか

だが、素敵な状態は やぱり繰り返したいし、永遠に続きたい!

すべてのすべてが
神だと私自身だと、至福や自由だと、言える『時』よ!

時を求めれば、時を遠ざからしむ。
時を忘るれば、ただちにその時だ。
400神も仏も名無しさん:2010/07/02(金) 20:27:35 ID:dpeoOKYO
大志をもて。
かつて男にも大志があった。

地位・名声・権力―――
それらは、一種のオルガズムであり得た。
あるいは、知的探求・芸術的創作―――
少なくとも幾ばくかの陶酔を与えてくれた。

男の性的快楽なぞ淡いものだ。
だから男はいつの日か英雄になることを夢見た。
だが、自意識の頂点では、英雄の夢は破れる―――それは生物学的必然なのだ。

破れた夢は、一つの暴力と化す戦争はすぐまじかにある。

人間を大自然に憩わしめるのは、オルガムズ以外にない。

悟りは究極的なオルガムズなのだ。

今や文明は終わった。究極的オルガムズに帰るに最適の時だ。

女はと言うと、女は女でなくなった。

現代女性は自意識的に快楽を求めつつある。
だが、自意識のあるところに全身全霊的オルガムズのあったためしはない。

独立した女は、もう奴隷になることができない。奴隷になれなければ、本当の性的悦楽などありっこない。

性的欲求不満の女達は、自分の産んだ子供を愛することはできない。

おお、宇宙よ!女には性的オルガムズを、男には宇宙的オルガムズを与えたまえ!
401神も仏も名無しさん:2010/07/02(金) 20:28:51 ID:dpeoOKYO
悟りという体験の思い出―――何という足かせだろうか!

恐怖があることを恐怖するから、あんたは、あたりまえの恐怖を生きられなくなっちまったんだ。

「どうでもいい!」と君は本当に叫べるか?

悟りは悟りとは何の関係もない。犬が鳴いている!ワン・ワン・ワン・・・

人間という奴はつねに小便一部を残している。

それでいいんだ。すべてがすべてになるのは、すべてだけだ。

ああ、あなたはそれほどまでに不安という観念を愛しているのですね。

無駄口ばかりたたいている。

そうなっていくそれでいいというのに。

久遠の戯れは続く。何のためでもなく。
402神も仏も名無しさん:2010/07/02(金) 21:23:07 ID:sdGKuw9u
僕の絶対至福ポエムか。
うらやましいのぉ〜
403神も仏も名無しさん:2010/07/04(日) 12:01:56 ID:NL+71feo
オウムのネタ本
404神も仏も名無しさん:2010/07/05(月) 17:07:14 ID:oawJ0rpq
まず第一に俺達人間が、なにか一つでも上手い手があるかどうか考えてみよう。
ほんの一つでもいい。なにか上手い手があるだろうか?
俺達の世代って言うのはみんなマスコミにのせられた世代だ。
そしてこの西洋文明って言うのはほとんど、マスコミがなければ何もなりたたない。
いつも、色々な価値を一生懸命、音楽もそう、それからテレビでもそうだ。映画でも、雑誌でも、色んな素敵なことって書いてある。
例えばグアム島に行ったら最高だ。が、行ってる本人はちっとも最高だなんて思っちゃいない。
何しろグアム島に幾度も行っていて、もうどっちらけだからね。だけど、そう言ったわけは商売が成り立たない。
或いは人は言う、神秘体験を得ればとても素敵だ。
或いは人は言う、内的なエネルギーに満ちてたらとても素敵だ。
或いは人は言う、セックスの恍惚境に入ればとても素敵だ。
何か上手い手があると思ってる。
例えば、色んなロックスターがものすごく調子にのってやってる。
が、スターっていうのがね、本当にスーパースターになればなるほど、哀れだってこと、気がついてもいいころだ。
何一つ掴まえることはできない、何一つ確かに自分のものとしておく事は出来ない。ただ、一時的な快感はある。
だけど、二年か、三年経ったら、全然そんなものが自分の不安とか欲求不満とかを全然解決してないことが分かる。全然。
一体、人は何を求めてる。何を。何を本当に求めてるんだ。色んなものに情熱にかける。
そして、人はあれがいいという。マスコミはあれがいいという。一生懸命追いかける。
が、行き着いた人間もそれらしく、うん、俺はもう最高の音楽家だ、最高だっていう顔をしなくちゃならない。
ちょっと昔なら英雄だ。そんな英雄に限って一人ぼっちになるとね、電気を消さないでくれ。一人ぼっちにしないでくれ。
人間がある一つの線、本当に厳しくて、本当に神になる、その一線を越えない限りね、
人はどんなに外見をつくろてもその内側ではさ、本当に三歳の幼子と同じだ。それくらい頼りない。考えて欲しい。
405神も仏も名無しさん:2010/07/05(月) 17:08:28 ID:oawJ0rpq
S、定力を、エネルギーに満ちた状態、何かエネルギーに満ちて自由で、奔放で、それにとても憧れてる。
全然、頭でもって滞ることがない、どしどし行ける。人と直面しても楽々とこなす事が出来る。うん、帝王だ。
が、それがSの苦しみの原因だってこと、もういい加減気がついてもいい頃だよ。
人は、そう、俺達はどうして一人っきりになるのをね、そんなに怖がってる?
一人っきりになると空虚であることがいよいよハッキリしてくる。
そして、それでいて外に色んな人と付き合うとか色んなことをやってみる。その時はいい、上手くいけば。
だけど、今度は人さえ怖れる。同じ原理だ。だって君達はともかく俺は空虚じゃないって事をあくまでも頑張らなくちゃいけない。
ただ、一つも例外はない、ただ一つも例外はない。この世に例外なんて、ただ一つもありはしない。
だからこそ愛があるんだ。
自分だけ違う。自分だけ力に満ちてる。自分だけ完璧だ。そんなことはない。そんなバカなことはない。
そして一生懸命ぬけがけすることを頑張ってる。だからいよいよ人を怖がる。
なにしろぬけがけしたような様子をみせてもさ、自分の内面じゃ、ちっとも本当は優越してないことを知っているから。

君たちはね、たった一回きり今を生きてる。ああ、とても軽い言葉だ。
何故かっていうとねあまりにも単純すぎるからピンとこない、これは見れども見ず、これを聞けども聞かず、
あまりにも単純すぎるんだ。君達は死ぬ。たった一回きり今生きてる。
そして、もちろん転生するってことはあるよ。が、転生したそのものっていうのはもう君達ではない。
今日の君たちと、明日の君たちとは全然違うと思う。

「意識では同じような気持ちだけども?」

うん。
406神も仏も名無しさん:2010/07/05(月) 17:13:25 ID:oawJ0rpq
さあ、諸君冥想に入ってください。
澄み渡った一生懸命さとリラックス。誤解しないでほしい澄み渡った一生懸命さとリラックスは別のものじゃない。
それを分けるからリラックスが台無しになってしまう。
そう、冥想には二つの方向がある。
一つは、完全に自分が消えて初めて生きはじめるという、そういう冥想だ。いや、もう既に完璧に生きていたことに気付く冥想だ。
それは、もう冥想とも言えない。そして、もう一つある。
それは、何らかの形で自我が安定する場所を発見する事だ。
一人の本当に愛する恋人に出会う、そのために死んでもいいと思う。それが一生の愛だ。
いや、永遠に続くとしたらそれは一つの答えだ。一つの愛だ。
音楽家が音楽に自分の全てをかける、それは決して宇宙とか悟りとかっていうものではない。
だけど、それに出会ったとき、その人は本当に楽々と自分の人生を楽しむ事ができる。もちろん、苦しみも悩みもある。
が、その苦しみや悩みはすべて肯定的なものだ。何故なら、人間は何かに自分をかけたいと思ってる。それ位、嫌気がさしてるんだ。
人間の本質ってのはね、自我の人間の本質ってのはね、
もし、憎しみという言葉を使うとすれば、憎しむ、その対象は自分自身にある、自分を一番嫌ってる。
じゃ、その辺の酒屋さんとか何とかっていうのは本当に生きてるじゃないかって言うかもしれない。
それはね、一つのバランスに達したんだ。それは自我が消えたんじゃない。完全に自由じゃない。
それは片隅の幸福だ。でも、それはとてもバランスがとれてる。文句ない。
目を閉じてS、比較するんじゃない、自分と何かと比較してはいけない、Sは一回きりのSだ。
永遠に永遠に永遠に永遠に、Sが生きた、その生きたっていうものは二度とかえらない。
宇宙が始まり宇宙が終わる。地球が始まり地球が終わる。永遠が始まり永遠が終わる。
だが、今のSは二度と二度と二度と戻ってきはしない。同じSは絶対にありえない。たった一回きりのSだ。
407神も仏も名無しさん:2010/07/05(月) 17:22:24 ID:oawJ0rpq
そして、それは全ての人々に言える。いや、全ての命に言える。全ての。
そんなことが頭で分かったてなんの意味も無い。が、今、君達のハートに俺の声が流れている。
そうすると、そこから新たな希望が、新たなエネルギーが育ち始める。かすかに、かすかに、かすかに育ち始める。
もう一度言おう。永遠に永遠に永遠に永遠に、今あるあなた達をくり返す道はない。無限の時間が経ったとしても、
君達がもう一度出てくることなんてないんだよ。たった一回きりなんだ。たった一回きりなんだ。
だからこそ、勇気がでてくる。だからこそ愛がでてくる。
そして、誤解しないでもらいたい、社会的に上手くやったり、社会的に繁栄したり、
社会的に確固とした地位を得た人っていうのが何か上手くいったなどと思わないこと。
そんなもの、錯覚に過ぎない。人間は自分の自我の全体というものを直面したとき初めて生きはじめる。
それ以外は、どんなに上っ面を整えたとしてもね、それはいつも自分が嘘ついてるんじゃないか、
いつも本当に生きてるんじゃないんじゃないか、思い続けているだけだ。ただ、それを深いところに抑圧している。
もし、君達が何か素敵なもの、何か上手い手があると思ったら、その方向に向かって全努力をするがいいだろう。
そして、その喜びと苦しみを悉く味わうべきだ。そしたら、わかるだろう。人間である限り何一つ例外がないことを。
君達、あまりにもマスコミが作り出した、外部が作り出した価値観を信奉し過ぎたために、自分達をとても弱く見すぎる。
本当は誰でも同じ問題にいるんだ、誰でも同じところにいるんだ。ただ、違いがあるとしたら一つだけ。
それは、自我が自分が何とか上手くやろうとする立場が迷い、そう本当は迷いでさえないのだが、迷いだと気付くこと。
その時、初めて君達は、初めて生きはじめる。そして、それが冥想なんだ。
永遠に永遠に永遠に永遠に、二度と今いる君達っていうのはくり返すわけにはいかないんだよ。
永遠に永遠に永遠に、いい? 無限の彼方まで、無限の時間がたったとしても同じ君たちっていうのは二度と現れないんだよ。
同じあなたは現れない。たった一回きりのあなただ。
408神も仏も名無しさん:2010/07/05(月) 17:53:48 ID:oawJ0rpq

命がけである、命がけで生きろ。それを何か人々はとても堅苦しいことのように思う。そんなバカなことはない。
命がけで生きるっていったら、これくらいシンプルで、これくらいあたりまえで、これくらいほがらかな、考え方はない。
だって、死ぬんだもん、君達。もし、死んだらもう二度と君達がくり返すことはないんだぞ。
君達は二度と今をくり返すわけにはいかない。だから、すべてをかけるんだ。だから、すべてを投げ出すんだ。
晴れた日と暴風雨と同じ空の違った表情に過ぎない。荒れた海と静かな海と同じ海の違った表情にすぎない。
まことにまことに汝らに告げる、汝らを生みしものなる神にその愛のすべてをささげよ、次にすべての隣人達にその愛を捧げよ。
君達はよく思う。神に愛を捧げたら他のものが台無しになるんじゃないか?そして他のもの全部、台無しにしてる。
神ってなに?すべてだ。君達がすべてに愛を捧げたら君達の当たり前な人生が台無しになるといつも怯えてる。
君たちを産んだものがまず第一にある。君達の心臓を動かし、君達の頭に様々な妄想を感じさせ、君達の感覚を働かせている、
そのものがまず第一にある。それはいいといっても悪いといっても始まらない。在るんだ。
そして、もしその愛がすべてになれば他のことはすべて整っていく。夫婦関係だろうと、セックスだろうと、
必要なだけの金だろうと、必要なだけの地位だろうと、必要なだけの安心だろうと。
ところが君達はまず最初に、外側のごちゃごちゃしたものを掴もうとする。
そんなことしたら、永遠の時間があったとしたって、そこに行き着くことなんか決してないよ。
さあ、起こっているすべてを感じ取るんだ。あらゆる音を、あらゆる思いを、あらゆる感覚を、あらゆる楽しみを、あらゆる恐ろしさを、
ほら、子供たちがなんか騒いでる。ほら、俺がタバコの煙を吐いた音が聞こえる、君たちに。
409神も仏も名無しさん:2010/07/05(月) 17:54:50 ID:oawJ0rpq
従って、今、あたりまえな人間っていうのは数えるほどもいない。彼らはいつでも鎧を着て何とかしようとしている。
まだ、生まれちゃいないんだ。が、君達は君達の悩みゆえに生まれるチャンスを持っている。
それが、俺と君たちとの一万二千年前の約束だったね。
あらゆる身体の感じ、あらゆる思考、あらゆる思い、俺の声。肉体の感覚。注意を集中しようとするができないという考え方、
ううん、どうでもいい。さあ、なりきれ、今になりきれ、俺に帰ってこい、此処に帰ってこい。

ちょっと前にとても流行った。そして、それは結論っていうのは不条理とか徒労だとかいう。
すべて人間のやることは徒労だっていうんだ。空しい努力だっていう。が、それは人間にとって本当に真実だ。
もし、嘘だと思ったら自分が情熱をちょっとでもかけられるものに向かって全力を投球したらいい。
そして、それが上手く実現したときにはっきり分かるだろう。人間の努力はすべて徒労である。
徒労でないものはただ一つだ。

空を飛ぶ鳥を見よ、鳴かずからず。それにも関わらず神は鳥を養っているではないか。

社会とか自分の使命とかっていうのは自我を安定させるための盾にすぎない。
地位、名声、金、それから低級な意味での愛情。それらみんな自我を安定させるための盾だ。
だから、それに行き着いたとしても心の底から、うん、と言えない。言えわしない。
自我があると思って、自我が頑張ってる限り、そんな事は本当に本当に心の底から絶対なる満足を得ることなんか決してない。
が、人は思う。あれが、何とかいったら満足があるんじゃないか、あれが何とかいったら安らぎがあるんじゃないか、
そうじゃない。安らぎは君達が捧げたところにある。全てに向かって、命に向かって、君達の命の全てを捧げたところにある。

さあ、優しくオームを唱えよう。出るがままに、震えるがままに、怖れるがままに、求めるがままに、勇気あるままに、
意志のままに、優しさのままに、愛しさのままに。身体が揺れるがままに。
今、君達は真実に出会っているんだ。今、君は愛にいるんだ。

テープ資料より 一部抜粋
410神も仏も名無しさん:2010/07/31(土) 12:05:32 ID:0du+CgqW
おれは神

 あらゆる人間達が片時も忘れず おれを求め続け そして生きている
 おれの眼の前の灰皿を おれは あらゆる政治や文化や思想よりも
 何兆倍も魂をこめて 産み出した おれの指の動きの一つ一つが
 銀河系宇宙や その他のあらゆる宇宙を 粉微塵にしては又こねあげる
 でもそんなことより おれはあの小学生の女の子の自殺を
 もっともっと愛してる 百姓のおおらかな生活に憧れた青年が
 幾年もの作物づくりに疲れ果て 希望も生気も失った中に
 おれは限りない希望と生気となって実在する おれは神だから
 何ものにも頼ることがないなどと 変な意地をはって
 パン屋からヌードスタジオへと 勤め変えしながら おれを愛し続けてくれた女房を
 だいになしにして自殺させてしまった そしておれは神だから
 女房がどんなに神だったかを 死なれたあとに気がついて おろおろとするばかりだ
 おれの胸には大きな風穴があいて その風穴から
 無限宇宙をいつでも眺めることができるのに 神なるおれは神が嫌いで
 胸の風穴を 酒と薬で埋めようとする おれは神 いまだかつて一度たりとも
 面と向かって正々堂々と 人間の顔を見たことがなく すずめの鳴き声を聞いたことがなく
 太陽も月も星も見たことがなく アイスクリームを本当に食べたこともない
 おれは神だから 冷汗をかきながらすべての人々と話し合い おれは神だから
 終わりのない愛ですべての人々を包む おれは神だから
411神も仏も名無しさん:2010/07/31(土) 12:06:31 ID:0du+CgqW
あるいは高笑いあるいは泣きくずれ 道のどまんなかで ヘドとクソをたれ流す
 おれは神 欲望にかられて女のすべてを欲しがるもの
 神を求めて求めてやまないもの ヒマラヤの洞くつなんぞ 一軒のマージャン屋にも
 価しないにもかかわらず 坐禅瞑想のあらゆる終りを 洞くつの中で楽しみ続けるもの
 おれは神 おれの女房が中絶した胎児を 神なる看護婦が
 アルコールづけにしたビンを持ってきた時 あほうづらをして眺めることしかできぬもの
 冷たい雪山の中でストーブのぬくもりを求め 砂漠の只中ではションベンをさえ飲むもの
 おれは神だから 求道生活を馬鹿にしてあざけり笑い おれは神だから
 湖に映った月の影のように なによりも求道生活に精進する 聖者という俗人が
 迷いと悟りを分けたばかりに 悟り好きの求道者は 悟りに至る様々な道を
 もの狂おしくたどり続ける そのあげくにおれが神であるばかりに
 悟りという迷いを開いて喜ぶ おれは売春婦という神だから あの十七才の少女のように
 一日として男がいなくちゃいられない 一切万物の幸福好きもこまったものだ
 これもあれもみんな神なるおれの責任だ おれは神
412神も仏も名無しさん:2010/07/31(土) 12:08:03 ID:0du+CgqW
一ぱいのお茶をやさしく友人に出す 釈迦やクリシュナや老子などという ニセ者が出たばかりに
 世も末だ おまえは神だからおまえを生きろ おれは神だからおれを生きる
 ヒマを持て余したおれは やれ文明の没落だの やれ宗教だ哲学だなぞと言い張り
 ヒマを持て余したおれは 神だ神だと言い張る ヒマを持て余したおれは
 のどかな田舎風景や 輝く陽光と銀色の海を愛し よせばいいのにあそこのキャバレーで
 女の子を口説きだす そして神なるおれは ヒマを持て余しているから
 よせばいいのに神そのものであり続ける
 おまえにはおまえの惚れているものがあり おれにはおれの惚れているものがある
 おれは人間として必死に 今死にゆく癌患者の手を握り
 処世の達人なぞ遠い妄想にすぎない 今までにおまえは 一瞬でも本気になったことがあるか
 ありはしまい なにしろおまえは神なんだから
 おれはいつも正真正銘の本気だ なぜならおれは神なんだから
 おれは四六時中ウソばかりついてる 神だからだ おまえは四六時中真実でいる
 おまえが神だからだ おれは神 おれの孤独を何とかしてくれと 叫び続けるもの
 おれは神 さびしさなんぞどこ吹く風 絶対なる幸福なんぞにひっかかるなよ
 おれ達は神なんだから 絶対なるこの幸福を戯れよう おれ達は神なんだから
 おれは神 蜜よりも甘い甘えで甘えるもの おれは神 一抹の甘えも弱さも持たぬもの
 おれは神 弱くて軟弱なめめしい生きもの
413神も仏も名無しさん:2010/07/31(土) 12:17:24 ID:0du+CgqW
愛は愛を楽しんで

私は愛したから この世に産まれてきた 愛がすべての形を創り
年老いた老人であろうと 失恋自殺の少女であろうと
帰減する直前の 一微塵の生命の中にも 一つの形があり その形には限りがない
愛がすべての多様世界を編み 諸行無常・諸法無我の説法も
決して真理などとなったためしはなく 釈迦の編み出した一つの世界にすぎず
この世を忘越した 胡蝶荘周も そのようなこの世への愛を生きた
生きているものには 生命のみが与えられ
死は生命のみが編み出すことのできる 一つのドラマ以外のものではない
あなたはあなたの生命をくまなく愛し切り
私は私の生命を すでに愛している以外にない
一切生類の宿業と無明とは 一切生類自身の愛に他ならず
不治の業病に苦しみ 自らの命を断った青年は
自己の生誕を呪ったヨブに等しく それぞれの愛を演じている
つきることなく 宇宙の終りにもつきることなく 愛は愛を楽しみ続け
愛によって仮現する一切万物の嘆きは しかし決して愛にとどくことはない

私は愛しているから 今生きている
私がどうなろうと あなたがどうなろうと
愛は愛を楽しんで つきることがないのだ
414神も仏も名無しさん:2010/08/01(日) 01:32:54 ID:Sh+vmpCM
          r‐y=-―-‐=v、__
        />'´      、  ヽ}__
       _{フ′      l }   ヽ}
      {/ /    > / //`ヽ  } マ
      { {  / / //-‐-、∨  }    _____
      ヽ l /jr≦-‐7イ fテヽ |  イ  /        
       |ヽV〃J:::}     {::::} 》| / |  |
      | lハヘゝ='   ,  `¨ '' l,′|  | これやるから
    __! l ハ、    ヮ   /| |<
 , '´  ___  ̄`ヽ>r 、 _ イー1  !   | 精神病院に帰れ
/ / ̄____ ̄\ヽ'‐〈小〉┴、 | | |
!/ / , ---、 `ヽ ヽl |「|| / ヽl /レ-、\
{  { (  rっ )  }  }VハV   |〃 |  ヽ  ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄
ヽ、_ヽ `ー`ニ´-‐ ' _/〈∧∧〉   l/ | l  ヽ
 厶厂、二二 ス三ェェェェ傘ェェェェ|   | |  ヽ
 }>ハ ー--‐' ノ} | H  |   H |   /| /   〉
 `マゝ二二ブ>'|夊ェェェェェェダ | 〃 |_ /
415神も仏も名無しさん:2010/08/28(土) 15:49:56 ID:BT2IcNTh
「修行するのはやっぱり目的がなくちゃ出来ないでしょう…。」
『うん、目的があって当然だし、目的なしでは人間の人生ってありえない』
「だから一般に仏教では、その目的はニルヴァーナにおくわけでしょう?それで修行するわけでしょう?」
『うん。ところが目的っていうのにはね、特に宗教的な例えば、悟りっていうものはね、もの凄くドンデン返し的なものなんだ。
例えば、小乗仏教で良く言うんだけど、何回か生まれ変わって、こう、どっかに到達点がこうあると思う。
それを延々とこう行くとやがてここへ行き着くだろうと思うんだ。
ところがそんなものじゃなくて、絶対に行き着けないって自分がもうこうなった時、その瞬間にそれが起こるだけであって。
それは、ここまで行き着く、こういう段階辿ってこう行き着くって言うのはさ、方便に過ぎないんだ。
それによって生き甲斐を与える、つまり方向性を与える方便に過ぎない。
問題なのは、今で、今で、今、君自身がさ、本当に悟りを開きたいと心の底から思った、本当に解放されたい、
本当に成仏したいっていう情熱がさ、もうどうしようもない位君の中に湧き起こったらさ、即座に君は成仏する。
ところが人は余計な事に悩みすぎるんだ。例えばさ、情熱っていうのが必要ないにもかかわらずさ、
自分はまだ究極の点にないんだからさ、何か足りないんだ、足りないんだと思い続ける。
あのね、未来にむかって修行するっていう形でもってもし、今この場でだよ、一番良い形っていうのは永遠に悟りには行き着かない。
だけど、俺は修行するって形が素敵だね』
416神も仏も名無しさん:2010/08/28(土) 15:53:48 ID:BT2IcNTh
「十七歳で悟ってさ、どうして妄想なんか出て来たの?」
『座禅してる時?』
「うん」
『風邪引いて熱出ないか?(笑)』
「この間の原稿というか、遍歴のことが書いてあったじゃあない。あれは、その後?」
『うん、その後』
「悟った後、そういうふうになり得るわけ?」
『なり得るんではなくて、悟りそのものが問題じゃあないんだ。悟りっていうのは一発決まっちゃえばもうそれまでなんだ。
後は自分がどれだけ心ある道を生きるか。つまり、どれだけ自分の人間としての思いっていうのを生きて行くか、それだけなんだ。
だから例えば釈迦が衆生済度っていうのをやるのをさ、何か特別なことのようによく仏教信奉者は思う。でも特別なものじゃあない。
釈迦はその時何でも選べたんだ。衆生済度っていうのは釈迦の人間としての、やらなくちゃあならなかったことだったのさ』
「悟った後にね、ああいう混乱が起きるっていうのが、何かよく分かんないけど」
『じゃあ、君はさ、もし、悟ったっていうことによって混乱が起きなかったらさ、そしたら君は一体何する?
きっと一日中座ってるかさ、山奥入ってあれするよ』
『それだからこそ人間はさ、それを超えて生きようとするんだ。
いい?ドンファンの言葉で言えばさ、つまり世界を止めたからって人間そのものは決してかわるものじゃあない。
そして人間はやっぱりイクストランへ向かって歩み続ける。ただ、違う所はね、どこか言ったら、そりゃあたった一つだけだよ。
つまりある日、それしかないと思ってるか、その現れがさ、無限の中の一つの物語であるっていうことを知ってるか』

『もしね、たった一つだけこの世とあの世と全部ひっくるめた中で、意味があることがあるとしたら、
本当に自分の一番深い流れを生きる、ただ、それだけだ。
本当にどんなこと、何も座禅冥想しない人だって構わない。本当に自分の流れっていうのを生きるっていうのを、
なんらかのきっかけで掴んだひとだったらね、どんな人が出て来たって全く同じにしか見えないよ。
釈迦が出てこようと、総理大臣が出てこようと。うん』
417神も仏も名無しさん:2010/09/12(日) 00:16:10 ID:9L04VGC5
てすと
418神も仏も名無しさん:2010/09/13(月) 18:18:41 ID:0N9blnJ2
テスト
419神も仏も名無しさん:2010/09/16(木) 15:45:19 ID:kAxKwa5V
俺は大学に行っているとき、禅学の先生と、何かの先生がいて、それが飲んだくれでこまるというんで、行った時にさ、あ、坊さんだ。
坊さんと、もうひとり面白いやつがいて、坊さんの方は、彼のところに行くのにさ、
改まって仏心がなければいかんとかなんとかやったらしいんだけど(笑)、そのあと、面白い男の方は何やったかというと、
要するに、一升びんぶらさげて、二人して飲んだくれて終わりなんだけど、それでちゃんと響くところがあるんだ。
だって、つまんないと思わない?そんな杓子定規でいったとしたら。
大切なことは、自分が確かに忠実に、自分の中に感じとってることなんだ。
そこからどういう行為が現れるかというのは、全部その人の個性なんだ。もちろん、そこから出た行為がだったら、
坊さんのように説法したりしてもいいんだ。
だから、若い世代というのは、すぐに片一方を取りやすい傾向があるわけ。
例えば、説法するのはぶざまだと思うとか、そんなことじゃないんだ。肝心なことは、その奥にあるその人の姿。
あとはどういうふうな料理をしようともいい。大切なのは、新鮮な野菜と、新鮮な魚があることなんだ。
420神も仏も名無しさん:2010/09/16(木) 15:51:37 ID:kAxKwa5V
それがどんなものであれ、本当に素直に出てきた願望。ここを間違えるといけない。
もう、そういう間違いをする人はものすごく少なくなったんだけど、願望とか願いとか、悪く言えば欲望だよ。
釈迦が衆生を全て救いたいと言うのだって欲望だろ。救いたいんだもの。
俺が皆とさ、自由を愛を分かち合いたいというのだって欲望だろ。だって、分かち合いたいんだもの。
だから願望というものを決して恐れちゃあならない。
それが、本当に素直なものであるならば。
(中略)
いい?時々人は間違いやすいんだ。自分が求めているものを何かと聞かれたらさ、例えば俺は金がほしいと言うんだ。
俺は権力がほしいという人もいる。地位や名声がほしいと言う人もいる。でも、その時、もう一度考えてほしい。
それはさ、何かの代用品じゃないかって。金があって何したいんだ?うん、飲み歩きたい。
それから、何でもいいや。きれいな家に住んで悠々と生活したい。そこにあるものはいったい何なの?
やっぱりふれ合いたいと思ってるんじゃないの?だから、本当にある願望は何かという事に気がつかなくちゃならない。
時々人間は絶対に無理だとか知るとさ、かえってそれの代用品の方を自分の本当の願いだと思いやすいんだ。
でも代用品を求める程、人間というのはちんけな存在ではありません。本当に素直にね、自分の本心から求めていい。
(中略)
421神も仏も名無しさん:2010/09/16(木) 16:08:32 ID:kAxKwa5V
で、大切なことは、願望というものを出す時にはさ、全部を帳消しにしなくちゃいけない。今から、出発しなくちゃ。
今の中から、一番いいものだけを取るという形しかない。それは過去を無視するという意味ではないよ。
懐かしい過去とかそういうものを全部生きている今だよ。
で、そのときに願望が生まれる。そうするとそれが本当に自分に忠実であった場合は、それを実現するパワーというのは、あるんだよ。
求めよ、さらば与えられん。君達が本当に素直に、率直に、忠実に求めた時、水晶のような魂で求めた時、
その時、それを実現するパワーがもう備わっているんだ。
でも、その芽はちょっとまだ柔らかい。ちょっとまだ柔らかい。
もちろん願望が出てきてそれを実現するためには、君達の行為が必要だから。
これを願望が出てきたらすぐに実現するといっちまったらさ、まるでこれは精神病院行きだよ(笑)。
でも、精神病院行きになったらさ、せっかくのこの世の物語がなくなっちゃうじゃないか。
(中略)
それで、その芽はまだ柔らかいんだ。その芽を育ててゆくのは君達自身なんだ。
ここでもう一つ言っておくんだけど、それは時間と共に成長するということなんだ。本当言うと時間はないんだな。
それで、この次に『時間性のトリックに迷わされることなかれ』
つまり、時間性というのは、必ずある願望、例えば、悟りたいと願望が起こったとするでしょ。悟るというのに時間がかかるわけ。
それは時間というものが必要だという人間の自我の観念があるから。マインドの観念。
(中略)
422神も仏も名無しさん:2010/09/16(木) 16:09:54 ID:kAxKwa5V
時間がないということうを知るために。元々、君達に必要なものは全て備わっているということを納得するために、時間が必要なんだ。
もっと極端に言えば、時間がないという事を知るために時間が必要なんだよ(笑)。それが人間の姿。
つまり、永遠でない時間の持続がこの世にあるわけだよ。全然、永遠でないわけ。
全てのもの、いいなあと思ったものも消えてしまう。だけど、本当にいいものは、いつでもあるというのを知るために、持続があるわけ。いい?
だから、キリストの言葉ではこうなってるわけだ。
『汝らもし求めるなら、それが既に与えられたと信ぜよ』
これは時間性のトリックを否定した言葉。そうするとどういうことが起こるかというとさ、すでに与えられているわけだ。
もし君達が絶対の悟りを開きたいと思うだろ。もし本心から、本心からだけど、
無相三昧、つまり究極のニルヴァーナに本心から行きたいと願っている人がいるかどうか怪しむんだけど。
本心から思ってるのはあんまりいない。むしろパン屋になりたいとかね、お百姓さんになりたいとか、
そういうふうにいろいろな姿があるわけ人間に。
その究極の悟りが願望の中で起こったとするよ。そうすると、君にはもう、究極の悟りを実現するパワーがあるんだ。
ところが、まだその芽は柔らかいときた。でもその時どういうふうにやるかというと、既に究極の悟りを得ているんだ。
ただ、そこで知的な宗教と情的な宗教の誤解があって、愛の方がいいな。絶対な愛というのを既に得ているんだと。
そうするとどうなる?その感じを本当に信ぜよと言ってるわけ。
イエスというあの達者な男が。その限りでは信ぜよ。そうしたら安心するよ。
安心したら全然行為が変わってくる人がいる。安心から出た行為というのと。求める行為というのは、全然違うからね。
つまり、求めて、いろいろ求める行為の中にはさ、実現できないんじゃないかという疑いが常につきまとうわけ。
じゃなくて、安心しろよ。安心しなさい。なぜ安心するの? そんなこと聞かれても困るよ(笑)。
安心しなさい。いいんだよ、安心して(笑)
423神も仏も名無しさん:2010/09/16(木) 16:34:15 ID:kAxKwa5V
『いつでも君は白い紙を持っている。
 それはほとんどの場合、計算のための用紙としてしようされる。
 しかし、君が望むならそこに現実を書き込むことが可能だ。意味のないこと。嘘。
 何でも書き込むことができる。そして、もちろん、破り捨てるのも自由だ』

じゃあ、俺は自由なんだと言って、いろんなことやってる人間の姿をよく見てみな。
その中にどうしようもないいらいらがあることがよくわかるから。それは自分が自由じゃないと本当は思ってるんだ。
だから、あえていろんなことをやってさ、自由であろうとするんだ。
本当に自由な人間だったら、そんなごちゃごちゃしたことをやりはしない。本当に自然に流れていくよ。
そして、どんな意味のないことでもいい。どんなことでも書き込んでいい。
もし、本当にね、君達が望むなら。美しいことを。

それから書きたくなかったら破り捨てるのも自由だよ。そして、リチャード・バックの場合には、
破り捨てるのをほぼ死と解釈しているんだけどね、そうじゃないんだ。
破り捨てるというのはどういうことかと言うと、俺はもう、物語はいやになった、やめようということさ。
物語を嫌になった人間は何になるかというと、物語のない世界に入る人もいるだろうな。
そうすると、大抵精神病院へ行くな。でももう物語がなくなった時、無相三昧という、まるで人間の物語を無視したもの。
それはもちろん君達の好き好きだ。
見て見ろよ。ある人間がこの世の一切に愛想を尽かした時、どんな非人間的になるか。
それは破り捨てようとする努力なんだ。でもそれさえかうよ。本当言うとね、破り捨てようとする努力、悟りとね、
人間が例えば、幸福な家庭を作りたいと素直に思うこととか、本当に自分にふさわしい仕事をやっていきたいと思うこととか、
全然違う次元のことじゃない。それに要する労力も全然差はない。趣味の問題。軽く思わないでほしい。死ぬなんて。
つまりそれは君達がほんとうに君達自身に忠実であること。これくらい単純に聞えて、難しいことはないかもしれない。
とにかく大切なことは元々白紙なんだということを知ることなんだ。
(以下略)

雨宮第慈講和録 十三番目の冥想 より 一部抜粋――
424神も仏も名無しさん:2010/09/23(木) 01:26:38 ID:n64vfrsQ
ダンテス大事!
425神も仏も名無しさん:2010/09/23(木) 01:52:46 ID:n6YUW0yq
ニルヴァーナのプロセスとテクニックに載ってるクンダリーニヨガって、あれクリヤヨガだね。
第慈がインドで会って伝授をうけたババジは、やっぱりマハー・アバタール・ババジに違いない。
426神も仏も名無しさん:2010/10/12(火) 00:09:21 ID:SKaOjn68
427神も仏も名無しさん:2010/10/25(月) 02:48:24 ID:Oteinesi
Man live freely only by your readiness to die.
428神も仏も名無しさん:2010/10/29(金) 23:31:37 ID:7TskRk49
Death is an illusion only those who have the illusory ego imagine.
For it is a disappearance of the imagined self which the ego identifies.
429神も仏も名無しさん:2010/11/25(木) 00:08:31 ID:FQnajKGd
例えばある人を好きになったとする。その人と本当に幸福な生活を築きたいと思うかもしれない。だ

がそれは自分にとって確かなものなんだ。それは基本的には権力欲と全然変わらない。つまり自分

というものを拡大して確かなものにしたいと思っているんだ。だけど本当に確かなものというのを煎じ

詰めるとね、自分の都合によって確かなものが起こるかというと怪しい。例えばどんなに確かなもの

にしようと頑張ったって君達は死んでしまうんだ。今日とてもいい気持ちになったって明日は変わるか

もしれない。今日とても素直な気持ちになったとしても明日はやる気がなくなってしまうかもしれない。

今日はとても生き生きとしていても明日は意気消沈してしまうかもしれない。いつもそういう起伏の中

にいるんだ。そしてそれが本当にわかると、自分を拡大するとか人から認められるとか、自分と彼と

の間をがんじがらめにして確かなものにしておきたいとか、そういうものとかが別にそれほど重要なも

のではないということがわかるんだ。そうすると何がそこに出てくるかというとね、それを全部見つめ

る目なんだ。
430神も仏も名無しさん:2010/12/21(火) 22:36:32 ID:Tgx6HEdT
ほす
431神も仏も名無しさん:2011/01/14(金) 15:07:21 ID:6DoenKSk
ほしゅ
432神も仏も名無しさん:2011/02/18(金) 13:28:55 ID:iV0M1/qL
全部自分が空になってしまうんだよ。つまり自我が自我自体で持ってさ、もう解消してしまう。
「自壊しちゃう」
うん自壊、自消自滅しちゃうんだ。だから今言ったように二つの方向がある。
最初からあるもの、光を求めてね行く方向が自我の方向なんだ。
それに対して闇をね、もう闇が闇っていう意味をなさないくらいまで闇と付き合えるっていう方向がもう一つある。
例えばクリシュナムルティなんかのね、生きかたっていうのはまさに闇から出発するの。
この醜悪なこの世よって、どうやって逃げ道があるか、逃げ道があると思うのか、どこにも逃げ道は無い。
じゃあ、どうしたらいいのか、どうしようもない。どうしようもなかったら君はどうするか。
こっからだ飛び立つのは。
どうしようもなかったら君はどうするか。どうしようもなかった時、君は完全な沈黙を守るんだ。
出た。完全な沈黙。こんなものは人間の力で出来っこないんだ。完全な沈黙ってのはね 無垢欲にとらえてくれるんだ人間を。
433神も仏も名無しさん:2011/02/18(金) 13:29:39 ID:iV0M1/qL
(中略)
つまり知性の結論は虚無なんだからね。欲望で動かされる知性の結論は虚無しかないんだから。
どんな哲学者だろうとね純粋に知性だけを働かせてね。何かを理解しようとしたら結論は虚無にならざるを得ないんだから。
「ある、ないの知性でしょ」
うん、必ず虚無なんだから。欲望によって動く知性は、そして人間の知性ってのは欲望によって動いているから結論は虚無なんだよ。
(中略)
知性の道ってのはね最も険しい道であってね、一番入るに難し。
434神も仏も名無しさん:2011/02/18(金) 13:30:52 ID:iV0M1/qL
うんとね、それからもう一つね霊学とかあるいは特に心霊主義の場合にはね、ものすごい落とし穴が一つあるんだ。
それはね、それが面白いって事なんだ。やりだすと。
そしてね、例えばよくインドで語られてヴィヴェーカナンダなんかがさものすごく愛していた話にさこういうのがあるんだ。
つまりインドでは客人ってのを神の使いとしてみるんだけどね。
その時、すずめがいるんだけど、そのすずめが巣を作っているわけ木の上に。
そしてそこの木の下にある旅人がものすごく腹をすかせて飢え死にしそうの如く寄りかかってるわけだ、
そして上の鳥、パパすずめとママすずめと、そして息子すずめといるわけだ。
そして下見てパパすずめがさ『客人が一人来た』って言うんだ、
そしてね『客人はお腹をものすごく空かせてて今にも飢え死にしそうだな』って言うんだよ。
で、客人は夜になって焚き火をするんだ。
そして、ある時最初にパパすずめがさ、つまり客人の方はこうやって火に当たってたんだけどさ突然すずめが落ちてくるの、
それで丸焼けになってしまう。そうすると、あっ、いい食べ物が出来たと飢えを癒すわけ。
そうするとパパすずめが死んでしまうのを見てママすずめがさ『パパすずめがなくなってもまだ客人はお腹を空かせているだろう、
じゃあ私が行こう』とまた今度ママすずめが火の中に入っていっちゃう、そしてそれによってさ、まだ食い足りない。
そして今度息子すずめが見ててさ、こどもすずめが、両親がさ客人をもてなして自分がもてなさないのは申し訳ない。
下へ飛び降りて自分も焼けて、そして旅人は満腹して去っていった。そしてその旅人は何かな?クリシュナだ、きっと。
『彼らすずめの家族はクリシュナの中に』
そういうものこそがさ人間を生かしてるものなんだ。ところが心霊主義に懲りだすと全然そうじゃなくなる。
欲望の延長と変わらなくなっちゃうのさ。
435神も仏も名無しさん:2011/02/18(金) 13:36:57 ID:iV0M1/qL
「だから、結局一種の知的探求」
うん、知的探求だし、もっと始末が悪くなる。つまり苦労しないでものを呼び寄せるなんて事に懲りだすとね。
その間に人生があるのにね、汗流したりなんかしたりして。それなしで何か食い物出て来いって、これにとりつかれたらさ。
食い物出てこいってここに食い物出すってことはね、もう食い物の世界を卒業したって意味なんだ。
その次あるんであってね、それを卒業しないでさ食い物出て来い、ここに来いなんて言うんだったらさ、
彼自身の人格的な深みってのは絶対できやしないのさ、愛なんか二度とわからない。
それは要するにさえらく利益のあるかけひきにすぎないじゃない。いい、低級霊につかまるのはみんなこれなんだよ。
低級霊ってのは何のことはない霊的に言えば低級霊って何か意味深だけどさ。
簡単なことさ人間は自分勝手にさ自分の欲望だけ満たしてふれあいがないことさ。それが低級霊って言うんだ。
436神も仏も名無しさん:2011/02/18(金) 13:37:45 ID:iV0M1/qL
(中略)
あのね、ふれあいっていうのはね。人間だけに限らずね全てにあるわけ。
そして現象世界にその人が命を持ってるってことはね、どんなにその人間が虚無的であろうとね、
どんなにニヒルなポーズを決め込んで一人っきりでいようとね、必ずふれあいがあって生きてる。
それは空気とのふれあいであったり、どんなこと言ってもいい。そしてふれあいなしで生命ってのは存在しないの、繋がりもしない。
山奥の聖者が一人悦にいってたとしてもね、聖人が『唯、一人なんと恍惚境よ』なんて言ってたってね、
そばに木があり、山があり、大気があり、水があり、それによってその仙人は生きているんだよ。そのふれあいとね。
時々、自我ってのはね、特に近代人の自我ってのはね、つまりふれあいってのと逆の方向に行くことが超越だと誤ることがあるんだ。
その時、断ち切っていってしまう、みんな。それからわざと野蛮なことをやる。
ドストエフスキーが罪と罰で典型的近代人の自我ってのを描いてる。つまり何やってもいいと錯覚するんだな。
何故ならさ、何やってもいいってのはさ自我が孤独であるから。誰にも責任取る必要もないしさ何にもふれあいはないんだ。
だからようするにさ婆は殺して金を取っていいんだって発想が出てくるんだ。でもそれは自我の結論なんだ。
奴自身を生かしてるのは、実際は奴が歩いている道路であり、奴が着ている服であり、奴が食べる食べ物であり、
切り離すほうには決してチョイスされない。全てのものと触れ合う方向にあるだろ。
よく、例えば本当に悟りを開いたら唯、一人で砂漠の中にいられるのが本当の悟りだなんて錯覚することがあるけどさ、とんでもない話だ。
唯一人砂漠の中にいてさ、どうやって維持できる肉体を、空気がなくちゃ困るだろ、そんなに何もいらないなら空気もとってくれ。
437神も仏も名無しさん:2011/02/18(金) 13:40:08 ID:iV0M1/qL
(中略)
「変なこと聞くけどさ、神ってのはどうなのかな?あれは、もう全く精神の方は自給自足体制はあるのかな?」
うん、神の世界だけは自給自足体制だよ。絶対自給、
「神ってのは結局、自分ひとりなわけじゃん」
うん、もし一人って言い方したら神の世界は一人だよ。
「彼は、だから周りってのを、感覚は知ってるのかな?」
もちろん周りはないよ。
「そこがだから完全な自給自足?」
うん、それはニルヴァーナって表現される世界だね。ところがニルヴァーナって世界だけだとさどんな物語も起こらないのさ。つまり、
「でも、神はさ現実にさ人間を創造し次々と新しい善を創造し世界を創造していくわけでしょ?汎神論的には自分の体の中に、それと矛盾しない?」
いや、矛盾しないよ。それがなければね神はさ、絶対の愛っていうか絶対の無ね、ていうものをさ表現する事は出来ないし、
確認してもらうことが出来ないんだ。だから、神とね、この現象世界の間もね、やっぱり同じふれあいの世界にあるわけ。
ちょうど、もし神がさ夫だとしたらさ、この現象世界に生きてる命はさ妻なのさ。その二人の語らいなんだ。
で、本当のキリスト者だとこういう事をよく言う、『もし人間なくば神存在あたわず』って、
もし、人間が生きていなければね、神は存在できないんだよ。いい、神を確認してくれるのはさ、神の本当の素晴らしさを確認してくれるのはね、
君たち生きている人間だけなんだ。君たちが生きてねその中で感じ取ってくれることで神はいき続けることができるんだ。
だから、小乗仏教と大乗仏教、何故小乗が大乗になったかっていうと一番大きな問題はそこなんだ。
小乗の世界だったらさ神までいって終わりになっちまう。
ところが神までいって終わりになっちまったらさ元々やつは生まれてくる必要なんてないのさ。
438神も仏も名無しさん:2011/02/18(金) 13:46:30 ID:iV0M1/qL
そうでなくて大切なことはね、その神の世界っていうのをさこの現象の中にあらわすって事なんだ。
出会い、ふれあい、愛し合い、生めよ増えよ地に満てよ、うん。
そして、君がもし本当にこの世に疲れね、そして彼の世にも疲れたら、そしたら神はただちにさ、神自体の中に君をかえしてくれるよ。
でも、君はきっと長くかえっていることはない、また新しい旅に出発するよ。
おれたちが天国から降りてくるときもそうだったのさ。つまり天国っていうよりもっと正確にいえば無の世界にいたんだ。
もし、無の世界にいたっきりだったらさ、それはふれあいもないしさ、どんなドラマもなければさ、どんな愛情もない世界なんだ。
それは喜びも苦しみもない。でも、そのかわりさそこに起こる命のね、ありとあらゆるさいろどりもないのね。
だから、そのまま無の中にとどまる側とさ、出てくる側とわかれて、おれは出てくるほうを選んだ。今、君とこうやって話し合うために。
「やっぱ、それは出てくるってのは退屈だっていう感じが多いのかな、或いは」
退屈だっていうよりね、こういうことなんだ。
わたしはもう一度この世に生まれてきたい花となり木となり、幾度もなく、幾度もなく、わたし達はであいたい、君に。
あそこで出会い、ここで出会い、遠い昔に出会い、遠い未来に出会い。
439神も仏も名無しさん:2011/02/18(金) 14:05:23 ID:iV0M1/qL
で、常に命の世界にはね逆っていうものがあるわけ。例えばね一番高い人格ってのはね、実は一番低いんだ。
例えば釈迦がいるでしょ、釈迦ってのは解脱するでしょ、解脱するって言うのはねどうしようもないくら奴がさ、
エゴイスティックになったていうことなんだ。何故かっていうとね中間にとどまることができなかったから。
例えばカンジーの言葉、ガンジーがさ不可触賤民達をハリジャンって呼んで神の子って呼んだでしょ。不可触賤民達を。
彼らは本当に動物のようだ。インドにいて彼らと一緒に生活するとね、本当に動物だ。
夜、一緒に彼らと地面の上に寝てるだろ。こっちが寝返り打つとさ足がやつらの頭にあたるんだ、
こっちがまた寝返り打つと手かなんかがやつらのさ腹の上かなんかをぼんと叩くんだ。でも、やつら動物のように文句も言わないでさ、
ぼろっきれのように寝っこけてるよ。で、ガンジーはそれを神の子って呼んだ。
それはさ、神の子って言う意味はね、別に何かを飾るためであったりね政治的な配慮があって呼んだんじゃないんだ。本当に神の子なんだ。
例えばさ、人間ってのは偉大だっていう発想がなりたつだろ、なぜなら他の万物の霊長だって発想がなりたつだろ。
でも、もっと偉大なのはね、君を今そこにあらしめているその畳だよ。
君がさ、あるどぶ川かなんかをさ、どぶ川の渡し板かなんかを渡ってさここまで来た。
その時にさ、本当に偉大なのはね君を渡してくれたその渡し板なんだよ。
440神も仏も名無しさん:2011/02/18(金) 14:08:24 ID:iV0M1/qL
「聖書なんかにある先のものが後になるとかと同じなのかな?」
うん、その通り、先のものが一番後になる。即ち俺が一番後になるのさ。
「ダンがあとになるの?」
うん、一番あとになる。
そして、これを殺伐な話だと思うかどうか知らないけど禅にはこういう話があるんだ。趙州和尚がいたときにさ、趙州和尚ってのがいたんだ。
あるお婆さんが自分が救われたくてしょうがなくてさ、そしてずっと仏道の修行して仏教学の研究してさ、でも納得がいかないで、
なんとしても自分は救われたいと思って趙州和尚のところに行くんだよ。
んで『自分はどうやって救われたらいいでしょうか?』って言ったらさ、そしたら趙州和尚がね、こたえて曰く
『願わくばこのお婆さん以外のすべてのもの成仏せんことを、極楽に行かんことを、極楽に行ってください、そして願わくばこの婆は地獄に落ちろ』って、
それはそのお婆さんが本当に救われるために趙州和尚が言ったことだよ。
それは愛について語っているんだよ。

資料テープより 抜粋
441谷口雅宣:2011/03/24(木) 13:03:59.98 ID:xYPQlLbb
『生命は「生長」するためにある』
生命の生長は毎日行なわれるということを知らなければならない。
それは毎日生長するのだ。
今日発達すべきはずの生長を明日に延ばすならば、
生長はそれだけ遅れる。
一分一秒でも生命の生長をおくらすことをするな。
せっかくきざしている生命のエネルギーを無駄に放散さすな。

世界人類が平和でありますように
日本が平和でありますように
私達の天命が完うされますように
守護霊様有難うございます
守護神様有難うございます
天皇陛下有難うございます
442神も仏も名無しさん:2011/03/28(月) 21:54:27.53 ID:wGeEC088
阿含宗桐山教祖の逮捕歴

昭和二十七年八月十六日詐欺容疑、契約違反の容疑で逮捕
警視庁西新井署

十二月手形詐欺容疑で逮捕
千葉県松戸署

二十八年八月酒税法違反私文書偽造容疑逮捕
警視庁防犯課

二十九年三月酒税法違反私文書偽造に対する第一審判決
五月入所
十月東京高裁酒税法と私文書偽造により有罪
443神も仏も名無しさん:2011/04/04(月) 17:29:34.16 ID:9HET9Tnt
開くことのない花が 決して散ることのないように

いつまで続くのか いつ果てるともなく続く 闇という妄想
この闇は妄想だから その息苦しさの圧迫感に 悲鳴をあげ あるいは絶叫して発狂へ至る
妄想なのは闇だけではない 日常茶飯事の出来事も 英雄の権力の陶酔も 
性愛の秘められた頂点も また平凡な幸福とうい名の妄想もある
闇という妄想は あらゆる色とりどりの妄想の 一つの終末であり 亀裂である
それは妄想を見ていた私の亀裂ではあるが 私の全面的崩壊ではない
私の全面的崩壊のまだ来ない所に 闇という妄想が続く
闇は闇自体の中に 音もなく消え去らねばならない
消え去った闇は もはや妄想も 妄想を見る私も消滅し去っている 見る私は崩壊するともなく崩壊し
開くことのない花が 決して散ることのないように
大宇宙というあらゆる人間的ドラマは ついぞ演じられたためしはない
あらゆる光と闇とを 闇自体の中に消し去った闇は
あらゆる生類の妄想としての闇の その息苦しさへの 神秘な愛情を抱いた
闇でない闇 透明になる その透明の中に
光ではない光が満ち溢れ 光と闇からなるのではない
夕焼けが 漁師の背中を 透明に彩める
444神も仏も名無しさん:2011/04/04(月) 17:30:00.81 ID:9HET9Tnt
すずめがさえずり

若者は熱病にうなされ悩み

老人が季節のうつろいに眸をしめらす時

あるものが高まろうとしている

あるものが帰ろうとしている

いやおうなく

あるものが高まろうとしている

あるものが帰ろうとしている

密かな懐かしさを内に抱いて
445神も仏も名無しさん:2011/04/04(月) 23:18:40.12 ID:9HET9Tnt
救世主なぞいらない 救世主でないものなど何一つありはしないのだから

君はもともと慈悲の救世主として この世に生き切り死に切っている 他のありとあらゆるものと同様に
そして 慈愛と自由とは 君の思い込んでいる人間性の中にはない

救世主は すべての場所と時間を通じて 只一人しかありえない
それゆえ救世主は 一つの肉体や人格でないばかりか どのような決まった形態も持っていない

救世主なぞいらない。私達、一人一人が、真人間になればいい。
446神も仏も名無しさん:2011/04/07(木) 22:33:46.29 ID:ClKLg7td
だからこうやって俺の身体がこうあるでしょ、この身体の中に全てがある。全ての宇宙がある。
例えばねこのローソク一つの中に無限の宇宙がある。君たちはたぶんこのローソクの中にある宇宙は経験したことはない筈だ。
でも、人によっては経験することが出来る。或いは人の意識の中の宇宙っていうのは。
それは特別なおもいの中でしか経験できない。
例えば黒人なんかと付き合ってるとさ時々黒人の意識の波長と合わせるとさ完全に黒人の世界に入ってることがあるわけ。
そうすると黒人の外から見たイメージとね、彼らは快楽主義者なの日本人的な。
全然経験してない人でもすぐに入ってくることが出来る。
人生体験必要じゃないわけ、唯それを素直に感じとれればいいわけ触れ合えばいいわけ。
それから、後の三つね。智慧、力、自由っていうのはのね人生体験がないと絶対に起こらない。
もっと正確に言うと虚無がないと、切り捨てるものがないと。
「執着心を?」
うんそう、断つって事。
447神も仏も名無しさん:2011/04/07(木) 22:36:05.01 ID:ClKLg7td
例えばさ、今言ったように愛からさ愛、安心、感謝、喜び、これらっていうのはさ修道院の中でさ本当に素直にさ清らかな生活っていうのをおくって、
キリスト様でもなんでも祈って本当のその人が清らかな気持ちで本当に信じてね、唯ひたすらに信じてねその前に礼拝するって事を続けていけば必ず分かってくる。
ところがこういう人がさ、じゃあ巷に現れたりするよ。巷で何でもいいや、いきなりさ目の前で男同士が抱き合ってる姿を見るとかさ、
マリファナかなんか吹かしてロックビートのってこんななってやってるのを見るとかさ、酒をがぶがぶ飲んでる姿を見るときにさ、
彼女或いは彼ね、修道士としてものすごく清らかな人たちはさ、入っていけないわけ。その世界に。
それは彼らもしくは彼女がさその世界はいいとしたものなんだ、いいとしたものであってさ、
彼また彼女はさその中にその修道生活のなかに生きてる限りさその喜びを味わっていき続けることが出来る。
だけどそれは神の半面にすぎないわけ、そこには恐ろしさがないわけ、その世界の中ではさ死でさえさ恐ろしいものではなくて還っていくものにすぎないわけ、
だから死体っていうのをさ一番さ清らかにさ安置されればすむものなの、そこには死体が腐ってくることが決して起こらないわけ、
死体は腐ってさ実際は腐敗したにおいを漂わすことがあるわけ、それから骸骨になりさ腐った得体の知れない塊になってしまう。
そういうものってのは見る必要ないわけ、愛の世界では。
それは高さなんだ。人間の高さなんだ。
448神も仏も名無しさん:2011/04/07(木) 22:39:21.58 ID:ClKLg7td
で、高さに必要なものはね唯ものすごい純真さだけなんだ。
ところが深さっていうものがある。深さの一番根源は自由なんだ。自由っていうのはまさに出入自在なんだ。自由自在に動き回ることが出来る。
何がきてもこなせることなんだ。どんな悪人を見てもさ平気で奴をさ乗せることが出来るんだ。
例えばこういうことがあった僕が仏教学やってるときに多少出来た教師がいたんだけどさ、
(中略)
後から言った奴には自由があるわけ、そう、もしかしたら愛とか感謝とか清らかさにおいては前言った仏教僧にはかなわないかもしれない。
だけど、彼には泥沼をも入っていく自由とか力があったわけ。
(中略)
でも、断っておくけど愛って言うのが本当にいくとこまでいけばそれは必ず自由だよ。
唯、どうしても人間ってのは部分的にしかそれを受け入れることしかできないからね、
だからそういう風に二つに分けて説明した。
449神も仏も名無しさん:2011/04/07(木) 22:44:09.78 ID:ClKLg7td
(前文不明)
「キリストの至福?」
いや、キリスト風のものさ。
「があるわけ?その天国?場所でも、その地獄の場所でも」
うん、それだったら一つだけあるよ非常におおきな、天国の至福とね、天国と地獄を越えた世界のね、至福とのね違いがある最大の一点はね。
天国の至福にはね、嫌うものがあるんだ、恐れるものがあるんだ、何時でも自分を正していかなくちゃならない、見たくないものがあるんだ、やばいものがあるんだ。
ああ、俺はやばくなってしまうとか、でも、天国と地獄の結婚の至福はねそういうものが全くない。
「地獄的なものも受け入れるって感じ?」
ううん、もう地獄も天国もないから。
うん、もしそれじゃ何があるって聞かれたらやっぱり愛だけが。
450神も仏も名無しさん:2011/04/09(土) 11:03:15.63 ID:F/0LyHqH
「よくさ、守護霊に任せればいいとかさ、或いはその守護霊さえ守護している守護神に任せればいいとかさ、よく言うじゃない?
 それはもっと本質的っていうかさ全体的なところから見たらどういうことになるのかな?」
もちろん守護霊に任せるのがいいよ。唯、その守護霊が何を意味するかによるんだ。結局ね守護霊っていったらね素直ささ。
本当に自分に素直でね人間味感じれるものだ。そして人は素直になるためにはね偏見を沢山捨てなくちゃならない。いっぱい。いっぱい。
色んなさ、ものでこっちは不可能だってがんじがらめになってるんだ。でも、素直になってるときだけ人はね、なんとなし生きる事ができる。
肝心なことだね。だから仏教の恐察は最後には諸悪莫作・衆善奉行に尽きちゃうんだよ。悪いことをしないように生きていきます。
良いことをするように生きていきます。それが仏教の究極の究極の、ある意味じゃ、諸行無常 諸法無我 涅槃寂静より深い言葉だよ。
(中略)
肝心なことはさ、どんな霊の問題でも全てその人の中にあるってこと。
(中略)
君に大切なことはね君自身を生きるって事なんだ。
(中略)
451神も仏も名無しさん:2011/04/09(土) 11:06:59.67 ID:F/0LyHqH
イエス・キリストがこういうこと言ってるんだ世の末にはさ一杯色んな預言者が出てさ我は何とかだって言いだすってことを言ってるけどね、
それはどういう意味かっていうとねいっぱい乱立するからさ選ぶのに困るなよって意味じゃないんだよ奴が言った意味はね、選ぶのにに困るんじゃなくて、
本当に愛に触れるにはねその人自身、その人一人の問題だって言いたいわけ。乱立するとか何とかじゃなくて必ず目移りするだろうけどさ、
神の国に入るのはね、そういうものを選ぶことによってではなくて自分の内面ってものを開くことによって起きるの。
(中略)
どんなに宗教自体がね完璧な状態にあり、そしてそれを教えている人たちが完璧な状態にあろうとね、
だからってみんながそこに入ればいいっていうようなもんじゃないんだ。俺に従い個性に従へ、その人自身が一回限り通用する方法でね開けばいいんだ。
だけど体系化する場合は違うよ。もちろん体系化できるよ。
だから問題なのは全ての事柄に関してはさ客観視できるけどね、ただ人間が本当に生きるって事に関しては客観性なんてどこにもないってことさ。
どんなに客観的なことをたくさん蓄えたってさ、だって人間がさそれを食わなきゃ、もう何にもない。
452神も仏も名無しさん:2011/04/09(土) 11:12:07.90 ID:F/0LyHqH
(前文不明)
例えばさ釈迦がさ、浄土したときに天地もさ星目もさ山河大地も悉くこれ浄悟っていうのはさ、まるで釈迦が一人思いみたいなもんじゃん。
いい、だってもし日蓮上人は肉体だっと思ってさ実際そこに魂かなんかがあってさそれが天国に昇ったり地獄に落ちたりするもんだっとしたらね、
極楽にのぼったり、そういうものだっとしたらさ、それはもう仮の姿にすぎないじゃないか、そんなのぼったりおちたりするものだったら。
君が信仰しようとしている少なくとも仏教にひかれているっていうのはね、そんな昇ったり落ちたりしないさ、絶対の命、久遠の仏、久遠の命、久遠の救い、
そういうものを君は発見しようとしているんだろ?だったら君がさ、その霊的にどうの落ちたのこうのっていうよりはさ、
君自身がさ久遠のものをつかまなくちゃ、発見しなければ。君自身がその中に投げ込まれなければ。
「そんなことはどうでもいいと?」
うん、どうでもいい。
(中略)
「すごく、こうね感情のさ心の中でどうでもいいって思いつつもね、すごくこうね惑わされるっていうのがあるね(中略)どうしたらいいんだろ?」
惑わされたらいいよ。
「だって苦しいもん、やっぱ」
苦しくてもいい。
「ううん、でも苦しいから向かなくてもいい」
だって本当に気に入ってるんだろ?気に入ったものが出て来るんだったらしょうがないじゃないか。
(中略)
453神も仏も名無しさん:2011/04/09(土) 11:18:49.75 ID:F/0LyHqH
「心の惑わされるって言うのはいけないっていう」
あのね、心の平和ってのはね本当の元々の説いてあるのはね、自分の色々な惑わしとか色々魅かれるものがあるでしょ。
その魅かれるものを閉ざしてね蓋をすることで起こるものじゃないんだ。じゃなくて開ききってしまうものなんだ、委ねきってしまう。
例えば普通の人間だったらさ普通だったらこういう風に思うわけ。例えばあるものが出てきてうんと魅かれる魅惑的なものだ、自分の目の前にさ。
その時にねこれを見てさこれは魅惑的で自分の心を動揺させる。これは絶対に寄せ付けまい、ってこうやるとするじゃない。
ところが寄せ付けないだけであってさ現実にはそれに魅かれる心っての相変わらずはあるわけ自分の中に、唯かたく蓋をしてさ一生懸命鍵を閉めてるんだけどさ、
ところが人間の心の中ってのはね蓋をすればするほどますます強くどかどかどんどん叩いてくるわけ。
「だから別の宗教だったら魅かれる自分そのものを変えなさいっていう?」
それはね無常っていうことに繋がるの或いは虚無ってことにね、その時はね虚無とか無常っていうのは滅多に出会うことがなくてね、
もし出合ったらね女に魅かれるとかね何かに魅かれるなんてことは問題じゃなくなるよ、魅かれたくても、もう魅かれる気分が起こらなくなっちゃうさ。
解脱っていうのはねそこにあるんだ、究極的なものってのは。それは無理して抑えることにあるんじゃなくて、禁欲的生活にあるんじゃなくてね。
例えば、君がものすごい最愛な人と結ばれたとするでしょ、それがものすごく素直な結ばれ方で幸福な家庭をつくってたとするでしょ、
そしたら突然何かが起きて君が君の家族を全部一度に失ってしまうとするでしょ、その時君の前にどんな魅力的なものが現れたって君の心は動きやしないんだ。
君の心は動揺しないんだ。魅かれやしないんだ。もう君はさ一度ね本当にさこの現世の中でさ素敵なものにであってしまったからだよ。本当にほれたことがあるからだ。
つまりね心の平安っていうのはねほれることを蓋をすることじゃなくてね、ほれた後滲み出してくるものなの。
そんなこと言ってたらコチコチの人間になってしまうよ。人と全然話が出来なくて、人と触れ合うことが出来なくて。
(中略)
454神も仏も名無しさん:2011/04/09(土) 11:24:20.66 ID:F/0LyHqH
例えばキリスト教では希望っていうでしょ、希望っていうのはキリスト教でいう希望ってのは普通誤解されてるんだけど、希望って言う意味はね。
真に肯定的なものを信じ続けることなんだ。それは希望って形で仏教なんかでは特に言わないけどね。
求道生活っていうか修行生活っていうのを支えるのはね、やっぱりこの中に本当に絶対的に肯定できる何かがあるだろうと信じ続ける部分があるんだ。
それは禅門みたいにそういうもの一切ね、そういう色合いってものをさ消したような建前をやるところだってそうのなのさ。
そのためにね色んな経文があって、
曹洞宗では(中略※1)臨済宗では(中略※2)
その唱えることによって勢いつけるわけだよ。それが希望だ。謙虚であれとか希望を捨てるなとかいうでしょキリスト教で。

※1参禅の漢、先ず須く至誠心を起こして清浄の願を発すべし。仏祖の前に於いて焼香礼拝して、仏に白して言わく、
「願わくは我れ、此の父母所生の身(をもって)、三宝の願海に回向し、一動一静、払拭に遺せず、今身従り仏身に至るまで、
其の中間に於いて、生生世世、出生入死、仏法を離れず、在在処処、広く衆生を度して、疲労(疲捐)を生ぜず。
或いは剣樹・刀山の上、或いは钁湯・炉炭の中、唯だ斯れ正法眼蔵を以て、重担と為して随処に主宰と作らん。
伏して願わくは、三宝証明、仏祖護念

※2見つけられないので省略
455神も仏も名無しさん:2011/04/09(土) 11:27:20.79 ID:F/0LyHqH
ある時はね多少それ選ぶときにね自分の明るさからいってしまったらさ何かさ非常に行き詰ってしまうような自体のほう選ばなくちゃならない事があってもね、
必ず明るさってもののほうを選んだんならね、それを超えてってしばらく時が経った後ねやぱっぱりいい方向選んだんだなって分かるよ。それ良心だね。
でも、普通のいう道徳的良心っていうか社会的な良心じゃないよ。社会的な良心ってのは自分の身を守るためのものでしかないから、
それやるとみんなから村八分にされるからやばいとかね。そうではなくて、本当に自分の中に後ろめたさ何も感じないですむ方向は厳然として存在しているんだ。
それで後はいいさ、そんないちいち考えないでねいいと思う本当に自分がいいと思うことやっててみな。そうすれば自動的に修正してくれる現実が。
やっぱりそれがよくなかったら、よくないって結果が出てさ君を正すことになるよ。
大切なことはやることであってね、前もって全部がさうまくいくなんてことをしることではないんだ。
行け、アルジュナよ、たたかえアルジュナよ。

テープ資料より
456神も仏も名無しさん:2011/05/19(木) 22:18:35.66 ID:1qmpGUyk
プリー(東インドの浜辺の町)で歩いていたら、向こうからインド人が歩いてくる。

そいつを見て驚いた。俺がそこにいるんだ。それで大声でそいつに尋ねた。

ハウ・ユー・ゲット・ジス(どうやってこれを得たんだ!)

俺が何でそんなに驚いたかと言うと、インドには禅がないから、心身脱落の境地に至ることは不可能な筈だからだ。

そのインド人は、俺を寺に連れていって、クンダリーニ・ヨガを教えた。

それで、それから八日間座りっぱなしだ。

そして解脱した。

後、その寺に懸かっている絵を見たら、そいつの顔なんだ。

それでそいつがババジっいう聖者だったことが分かった。
457神も仏も名無しさん:2011/05/19(木) 22:34:58.23 ID:1qmpGUyk
全ては何だ 全ては何だ 全ては何だ 全ては何だ 全ては何だ 全ては何だ 全ては何だ・・・・・・

全ては神秘だ・・・ さよなら あらゆる私の顔よ・・・・・・

あらゆるものを知りたいという欲望が完璧になり、あらゆるものを後にする用意が出来た時に、また戻って来い



458神も仏も名無しさん:2011/05/20(金) 22:23:37.78 ID:Qx1Vxfjj
さあ! 此処にいよう!いいんだ! もう、 いいんだよ! 
よくないって頑張るのは、君の頭だけなんだ。 もう、いいんだ。 

他人の事や外況に惑わされないことだ。それはいろいろなものがある。 
悟り、ビジョン、霊界、高次元世界、でも、誰が決めるんだ。そんな事。 
いいか、一回きりのものなんだぞ!誰が、シャカが聖者で、君が聖者でない、なんて決めたんだ。
どこに根拠がある。 本に書かれている事が、 
やれ、光を見た!やれ、背骨がバイブレートした。やれ、ハイになった。 
それで?それで、どうしたの? 

でも、もっと先の世界がある。もっと、何かある。 
もっと、 もっと----------。ああ、 そうやって、 頭で考えている。
そして、それらが全て、 外からやってくる。 
そう、 外に引っ掛けられているんだ。 外のトリックに
なあ! 君達! 本当に、 本当に、 当り前になってみろよ。
頭の中に積め込んだ、 いろいろな知識を抜きにして・・・・・・、
頭の中の知識はいろいろな事を言うさ。
やれ、何とかの生まれ変わりだ。やれ、聖者だ。救世主の印がある。
でも、君達、一人一人っていうのは、かけがいのない一人一人なんだぜ!
それは、とても恐ろしい事だ。 一回きりの君達! 一回きりの今!

たとえば、とてつもないやさしさがこみ上げてくる時がある。
それはそれでいいんだ。
ところが、人間というのは、すぐそれに今までつめ込んだ観念をつけ足す。
そうすると、
俺の今いる境地は、どの位のレベルだ。まだ、先がある。とか言う。 

当り前の今に   直面せよ! 直面せよ! 此処に! 
一回きりなんだ! 一回きり! かけがえのない一回きり。

それは----------今。
459神も仏も名無しさん:2011/05/20(金) 22:25:35.98 ID:Qx1Vxfjj
いつでも家の中にいるよ、今君たちは。

だから君たちが疲れたらいくらでも安らげる。
それからね、君たちが死ぬっていうことは君たちがパーフェクトな理由なの。
おかしな言い方かもしれない。
それはね、君たちの命が君たちの自分勝手な方向で出てきたんじゃないっていうこと。
既に君たちは、与えられて出てきてるんだってこと。
人間が死ぬっていうことは、人間の悩みの原因なんだよ。

例えば死そのものが目の前に現れた時にどうするかってことさ。

その時ね、自分っていうものの観念を持っててさ、
自分て言うものを保っておこうと思っていたらね、死はあり続けるよ。
なぜなら死って言うのはね、自分と宇宙との摩擦の間に起こる幻だから。
その時宇宙そのもののパーフェクトって言うものを認めれば、死は消えるよ。
もともとひとつながりの命であってね、それが君たちになっていることがわかる。

自分勝手なものは通用しないんだってことを教えようとしたわけ、宇宙は。
 
つまり何をそんな頑張ってんのって言うのさ。
460神も仏も名無しさん:2011/05/20(金) 22:28:26.37 ID:Qx1Vxfjj
神にあって、いかに悪魔を戯れるか。
これが君の、人間としての全使命である。

生きている それで充分なのだ。
死んでいく それで充分なのだ。
なぜなら 太陽がどれほどの大きさだろうと
私という中心太陽から見れば爪のアカにも相当しない

まして本当の私が神に光あれと命じたのであれば

愛は、人間の中の一つの感情などではない。愛はこの宇宙そのものの
根源なのだ。
 
終わりの時節が来た。
終わりを精一杯、歓び楽しみなさい。この宇宙が歓びで破裂するほど・・・
終わりの時節が来た。
終わりを、精一杯嘆き悲しみなさい。
その叫びであらゆる宇宙が破裂するほど・・・

神の終わりの時が来た。愛が凍る時が来た。
終わりの時を感謝して歓びなさい。
神の死は、真の神の始まりだからです。愛の死は、真の愛の始まりだからです。

その道が、君自身の道であるかどうかは、その道の途上においても、
君が倒れても悔いがないこと、それが君の心ある道だ。

もう、 いいんだ-----
おかえりなさい
461神も仏も名無しさん:2011/05/21(土) 04:48:38.22 ID:KwKYGKkm
麻原をたしなめてほしかった
462神も仏も名無しさん:2011/05/23(月) 00:24:31.55 ID:cdIpQfoj
阿含宗桐山教祖の逮捕歴

昭和二十七年八月十六日詐欺容疑、契約違反の容疑で逮捕
警視庁西新井署

十二月手形詐欺容疑で逮捕
千葉県松戸署

二十八年八月酒税法違反私文書偽造容疑逮捕
警視庁防犯課

二十九年三月酒税法違反私文書偽造に対する第一審判決
五月入所
十月東京高裁酒税法と私文書偽造により有罪
463 忍法帖【Lv=17,xxxPT】 :2011/05/31(火) 22:16:44.50 ID:hCkj097m
^^
464 忍法帖【Lv=18,xxxPT】 :2011/05/31(火) 22:37:32.97 ID:hCkj097m
わかりました
465宗教法人GLAの教義によれば:2011/06/12(日) 21:29:43.60 ID:daRnFsQg


★★★エホバ=ヤハウェ=アラー=高橋信次=エル・ランティ★★★
(釈迦、イエス・キリスト、モーセはエル・ランティの意識の一部)



★★★大天使ミカエル=アポロ=エリヤ=マルティン・ルター=如意輪観音=高橋佳子★★★

466神も仏も名無しさん:2011/06/17(金) 04:11:32.65 ID:QFwGGtFS
テープ起こししてくれた方、ありがとうございます
今読んでます
467黒住忠宗:2011/07/21(木) 15:15:33.26 ID:AiIKLlG6
『他の人の幸福を喜ぶ心が仏心(ぶっしん)である』
他の喜びに対して同喜(どうき)することは、
常に誰でも必ずしも出来ることではないのである。
真の愛は、他の喜びを見て、自分も亦(また)喜べなければならないのである。
他の出世を見て、わが子の出世のように喜び、他の成功を見て、
わが子の成功のように思える者であってこそ「真に愛する」ものである。

世界人類が平和でありますように
468:2011/08/27(土) 15:14:29.40 ID:dCZQ+xUV
感謝保守
469神も仏も名無しさん:2011/09/05(月) 14:11:26.31 ID:ELA7PGO/
カダフィの真実を知ってほしい  リビア 新世界秩序 NATO
http://www.youtube.com/watch?v=aggieI4YAVw

リビア : NATOによる計画されたトリポリ攻撃 西側国家による恐怖
http://www.youtube.com/watch?v=9iadcruGHso&feature=related
470神も仏も名無しさん:2011/09/24(土) 20:06:11.83 ID:Ix11zex2
471神も仏も名無しさん:2011/11/15(火) 19:27:16.67 ID:fMFV6Cgi
もうね、怒りが爆発寸前なのさ。この感情は自分にも止められない。
じゃあさ、感情が自分じゃないなら、怒りの爆発エネルギーはどこから
来て、どうしてこの身体から出て行くんだ?この身体って、誰の身体さ?
怒りが来て、爆発する。しかも私はそれをただ見るだけ。何も出来ない。
すごい虚無感。
472神も仏も名無しさん:2011/11/22(火) 03:43:52.86 ID:QA8bzSJh
473神も仏も名無しさん:2011/12/04(日) 22:44:12.25 ID:BL2Fgtrc
>>433
無明庵EOが到達した結論はこれだったんだね。
ダイジにそれ(知性の道)が見えていたというと、EOよりダイジの方が上なのかな。
474 【大吉】 【1416円】 :2012/01/01(日) 21:21:33.64 ID:YSzkRsxo
everything is OK ?
475神も仏も名無しさん:2012/01/01(日) 22:04:09.85 ID:7i5eG3Y8
だれだよダンテス・ダイジ検定作ったの
ttp://kentei.cc/k/1033611
476偽善カルトsniは潰れろ。:2012/02/08(水) 20:04:19.52 ID:2IDtZG6x
>>441>>467
偽善宗教ありがとう教信者は氏ね。生長の家だけは絶対に許さん。
感謝を冒涜する邪教は消え失せろ。
477神も仏も名無しさん:2012/02/20(月) 01:17:14.50 ID:nsSTrcT4
書くとこないからおんなじ目に合ってる人のためにちょっと場所を借りるよ

出しても出しても次から次に出て来て終わりが見えなくて
一生小悟すら出来ないかもしれないと思ってたけど
実際は10年位前にすでに小悟してた事に今頃気付いたんだ

何で気付かなかったかっていうと小悟の後の解放感がたった30秒位だったから
すぐに今まで全く知らなかった訳の分からないものがどんどん出て来たの
小悟の瞬間から耳鳴りが始まったけどそれは今も続いてる
勝手に出て来て止められないから甘んじて受け入れて来たけどあまりにも悲惨すぎる
悟りについて全く興味なかったから気付くのがこんなに遅かったんだと思う
誤解してる人もいると思うから書いておくけど小悟の後の方が人生は酷い事になるよ

その前までは精神的に悲惨でも現実は何とか保ってたの
でも小悟の後はどんなに頑張って努力しても人生が崩壊して行くだけ
ゾンビから嵌めらた事も一度や二度なんてもんじゃない

出て来るものをそのまま出して行くだけで生きてるのがやっとだったから
周りの事や自分の人生を何とかする余裕なんてなかったよ
この段階にいる人の事みんな酷い目に合せると思う
きっと本人でさえも自分自身を攻め続けて生きてると思う
一方的に知ってるだけなんだけど同じ事になっちゃってる人ひとりだけいる

まだ全部終わっていないけど途中経過としてちょっと記録しておきます
478a:2012/02/24(金) 16:29:24.07 ID:IqxYCUUZ
小悟ってそんなに大変なんですか?あなただけが特別とかじゃないんですか?魔境?みたいな
インターネットでの情報ですが小悟した人はそこまで苦しんではいないようですが
479a:2012/02/24(金) 16:30:30.76 ID:IqxYCUUZ
自分がなくなる感じですか   自分を形作ってたものが崩壊する感じですか  0になるんですか
次から次に出てくるものってなんでしょうか?  小悟ってなんでしょうか?
自分も悟ってみたいんですが、遥か遠く途方もないものの様な気がして分りません
詳しく知りたいです
480a:2012/02/24(金) 16:36:11.68 ID:IqxYCUUZ
本文が長いとなって書き込めなかったので分かれてしまいました
481a:2012/02/24(金) 16:38:00.35 ID:IqxYCUUZ
すいません ゾンビってなんでしょうか?
482安堂 ◆3LK.0gZrV2 :2012/03/14(水) 03:09:01.41 ID:P1Ey+qre

ダイジは人気衰えんなあ。
クンダリニーなら彼の書だろうな。
483神も仏も名無しさん:2012/03/16(金) 10:36:33.42 ID:lRucMQEA
救世主はこの世にいないよ
484神も仏も名無しさん:2012/03/16(金) 23:34:17.34 ID:xwTbB2J3
あの世にいるのか
485神も仏も名無しさん:2012/03/27(火) 09:40:26.06 ID:70iHH4u9
ダイジ氏に
会いたかったな
486神も仏も名無しさん:2012/04/02(月) 17:28:18.60 ID:F+19GEFr
テス
487神も仏も名無しさん:2012/04/04(水) 00:03:32.55 ID:q+nhbEHS
そしてこの世にエゴがなければね、この世は存在しない。もしこの世に無明が存在しなければ、無明というのは悪い意味で使われているけどね、
無明が存在しなければこの世は存在しない。
「この世というのは初めからそういうふうにできてるの?」
そう
「舞台として?」
そう
488神も仏も名無しさん:2012/04/04(水) 00:07:20.32 ID:q+nhbEHS
「アダムとイブの堕落というけれど、それに関係なく舞台としてあるの?」
アダムとイブの堕落というのはね、それをわざわざ『聖書』で言っているのはね、アダムとイブの生きる世界っていうのはエゴの世界なんだ。
489神も仏も名無しさん:2012/04/04(水) 00:11:35.46 ID:q+nhbEHS
そして、そのエゴの世界というのは生きる時に、頼むからエゴ以外のつまらないものを引っ張り出してきて、
本当に生きないようなまねをしないでくれということなのさ。本当にいきてくれということさ。
490神も仏も名無しさん:2012/04/04(水) 00:16:37.43 ID:q+nhbEHS
それにはどうしたらいい?それにはね、自分のエゴというもの、自分の素直な思いというのが、
いつでもエデンの園から流れ出しているのに気付いてくれということなんだ。
君が何かの時に不安を感じたとしても、恐怖を感じたとしても、そこにはいつもエデンの園が流れている
491神も仏も名無しさん:2012/04/04(水) 00:20:52.95 ID:q+nhbEHS
うん、それで良心とは尺度さ。君達がどれだけのエゴに忠実であるか。それだけだよ。君達がもし良心的だとしたら、
それは全く無理なく生きているということさ。
だから救世主というのはね、即ち君達の本性というのはね、いつでも一番楽でいる。楽でいるというのが本来の姿なんだ。
492神も仏も名無しさん:2012/04/04(水) 00:27:14.76 ID:q+nhbEHS
「エゴというのは逆説的な意味で言ってるんでしょ?つまり仏性ということでしょ?」
うん、仏性。
493神も仏も名無しさん:2012/04/04(水) 00:34:10.16 ID:q+nhbEHS
「普通の我々というのはその仏性を生きてるんじゃなくて、自我の中に生きてるわけじゃない?素直さというのは、無限の次元があって、
もともと本当の自分を素直に生きれば、仏性を生きることになるわけだけど、そこまで行かずに、浅い素直さというか、
自我の自分に忠実になってしまうということがよくあると思うんだけど」
494神も仏も名無しさん:2012/04/04(水) 00:38:53.20 ID:q+nhbEHS
うん、あるけどね、そんなことは抜きにして、君の中にはいつでも深い思いがあるんだ。

講和録1 十三番目の瞑想より 一部抜粋
495神も仏も名無しさん:2012/04/04(水) 02:00:16.68 ID:VKE6Ai60
488-494は講和禄の抜粋なんだ。 いいねぇ。
496神も仏も名無しさん:2012/04/05(木) 00:44:34.09 ID:OT4glY8m
「人間が生まれて来る時にね、百の問題を持ってくるという話を聞いたことがあるんですけど、それは本当なんですか?」
うん、本当だよ。
「ああ、そうなんですか?それが解けるとやっぱりあっちへ行くんですか?」
解けるとは?
「解けた場合」
解けたらここへ来るよ。

講和録2 君がどうかいより 一部抜粋
497神も仏も名無しさん:2012/04/05(木) 00:51:07.41 ID:OT4glY8m
君は間違いなく死ぬんだ。誰でも死ぬし、間違いなく一人きりであるときがあるはずだ。
もし本当に自分ひとりきりになったら誰が君をわかってくれる?あるいは君がもっている問題というものを誰が分かってくれるということだよ。
例えば君は今ここにいる。ひょっとしたらきみはすてきな彼女がほしいかもしれない。だけどその彼女がほしいと思ってもすぐに出てきてくれない。
君がここにいるということを自己で考えたらものすごく不自由な存在としてしかありえないんだ。
例えば君は清らかですべてがわかった状態でいたいかもしれない。あるいは本当に安らいでこの中にいたいと思っているかもしれない。
だけど実際にそれはないから質問しようとしている。俺がここで出したいことはね、君がもう完全に安住しているということなんだ。

(中略)
498神も仏も名無しさん:2012/04/05(木) 00:58:19.69 ID:OT4glY8m
「そういう姿勢に至った過程とは何?(笑)」
うーんと、一番最初に出会ったのは今から大体三万年くらい前、アトランティスの。
「三万年(笑)」
「アトランティス」
うん
「どこですか」
今はもう無いけど。そこでね。何か本当のものが欲しかったんだ。何をしても本当のものに見えない。
「いい?」
うん
「現実が、やっぱり初めは嫌になったんでしょ?」
「やっぱり、苦悩かなんかあったんでしょ?苦しみか?」
うん
「それが原因でしょ?」
499神も仏も名無しさん:2012/04/05(木) 01:04:35.35 ID:OT4glY8m
例えば、お釈迦さんがさ、死んだりさ、年取ったりさ、それから病気になったりする人を見たんだ。
そしたらそれで猛烈に悩んじゃってさ、で、親父さんが跡を継げって言うんだよ。ね、お前は立派な男なんだから。
そうするとさ、その時に、いや、僕は出家します、そしたら、そんなこと言うなって。一時の思春期の迷いだって言うわけさ。
そしてねその時にね、釈迦君はさ、もしね、お父さんがさ、本当に死なないものね、僕に教えてくれたら僕は思い留まります。
その代わりそれを教えてくれないんなら出家します。って言ったんだよ。そしたら親父さんは何も答えられなかったんだよ。で、出家しちゃったんだよ。
「本当のものが欲しくて何とやらとおっしゃたけれども、じゃあ、今探してる最中なんですか?」
誰が?
「あなたが」
500神も仏も名無しさん:2012/04/05(木) 01:10:01.67 ID:OT4glY8m
ううん、探してない
「もう見つけちゃったの?」
見つけてない。
「じゃあ、成り行きに任せる?」
成り行きにも任してない。
「どういうふうにやってるんですか?」
どういうふうにもやってない。
「じゃあ、三万年もね、努力はどうするんですか」
それは、これからも努力するんじゃあない?
「どういうふうに?」
例えば、今君と話したように。

(中略)
501神も仏も名無しさん:2012/04/05(木) 18:59:26.92 ID:zeHTXbo7
オウム真理教浅原ショウコウは、ダンテスダイジの法話を剽窃したのである。
慈悲と生きる命の大切さを抜き去ってあくまで自己の利欲のためである。
彼がある組織から脅迫されていた事実を抜きにしても詐欺的犯罪者であった。
貧乏な生い立ちの人物はこのような事に手出ししてはいけないのである。
502神も仏も名無しさん:2012/04/05(木) 23:13:27.84 ID:FUXXWhPw
「現代っていうのは、すごく教師が多いでしょ?」
うん
「何故こんなに多いんですか。そんな本当にあらゆる実感を体験した人間が多いんですか」
ううん、そうではなくてねぇ、それは自我の正当な発達過程なんだ。つまり自意識っていうのが極限まで来てる時代なんだ。
例えばもしバイブル流に言えばつまり終わりの世には偽救世主、預言者がいっぱい現れて、ああでもない、こうでもないと言うのと全く同じ意味だ。
「つまり、すごく強固な形で自我っていうのを作り上げた状態の人間が一番沢山いる時代っていうことになる?」
うん、そう。だけど問題なのはね、強固な自我っていうにしろ何にしろ、それはね客観的に判断するっていうことは意味がない。
問題なのはね、君が君に出会うこと。唯それだけなんだ。そしてそれは縁によって起こる。
503神も仏も名無しさん:2012/04/05(木) 23:19:49.64 ID:FUXXWhPw
「縁?」
縁ていう全く神秘的なものによって。だからこれとこれを比べてこっちのほうがどうも本物らしいからこっち行くかなぁ。
それの方が6・4でいける、なんて考えでね、行ったとしたらさ無意味なのさ。何故かって言うとね、何かを教わるんじゃあなくてね、
自分の持ってるものをただ吹き飛ばして、自分自身に目覚めるだけなんだ。そのきっかけを作るためにはさ、ひょっとしたらものすごい猛烈な邪教でさえさ、
あのー起こしえる可能性があるんだ。
「邪教」
504神も仏も名無しさん:2012/04/05(木) 23:26:42.66 ID:FUXXWhPw
そう、(中略)もっと極端に言えば人殺しか、強姦、殺人、それから泥棒なんていう人間がさ、それ熱心にやってる内に(笑)、
出会うなんてことだってあるかも知れない。唯、それは単発的だけどね。
で、これからの時代っていうのは単発性ではなくて、偶然にそれに出会うっていうんじゃあなくて、
本当にその大きな意味でコントロール出来るっていう人間が出てこなくちゃあならない時代なんだ。
「今の時代に?」
うん、そう。時代に。そしてそれは必ずゾクゾクと出てくる
「コントロールすることの中には密教的な意味もあるわけ?」
505神も仏も名無しさん:2012/04/05(木) 23:33:50.18 ID:FUXXWhPw
うん、それは人によるね。うん。あのね、密教と顕教と、俺が例えば瞑想をしてるでしょ。
そうするとね、その中にはね、本当言うと三つに人はタイプが分かれるの。ひとつはね開顕教って言っていい。顕教、開かれた顕われた教え、開顕教。
それからもう一つは秘密教。それからもう一つは宇宙人。
「えっ?」
宇宙人
「宇宙人?(笑)」
506神も仏も名無しさん:2012/04/05(木) 23:46:21.93 ID:FUXXWhPw
つまりコスモポリタンっていうこと。普通コスモポリタンって世界市民って訳されるけど、俺の訳からいうとどうも宇宙市民だと思うんだよ(笑)。その三つがある。
そして、それはどういうふううに違うかって言ったらね、開顕教と秘密教っていうのを体得した人間と、それからコスモポリタンとはこれは明らかに違う。
コスモポリタンっていうのはどういうことかって言うと、唯、自分自身の個性を発見したのみだ。それ以外ではない。但し、彼はきっと生き生きと生きることが出来る。
でもものすごく個人的なものだ。それは。つまり自分のペースを発見したんだ。でもそれだけでものすごい大きなことだ。
精神病院で一番うまく治った人間が大体コスモポリタンって言っていいだろう。
507神も仏も名無しさん:2012/04/05(木) 23:54:20.59 ID:FUXXWhPw
それから、秘密教、密教とね顕教っていうのは、二つはその根源に於ては全く差はない。全く。唯ね、顕教の聖者っていってもいい、なんて言ってもいいや。
顕教のね、行った人っていうのは、なんかゴチャゴチャしたことが嫌いで、単純明快なのが好きだっていう個性を持ってるに過ぎないんだ。
それからね、密教の方の聖者っていうのはそうじゃあなくてね、いろんなこう何かね、わけのわからない、ね、トリックとかね、なんかして遊ぶのが大好きなんだよ(笑い)

(中略)
508神も仏も名無しさん:2012/04/06(金) 00:14:55.94 ID:hOOafZ88
バグワンなんかがよく言ってるらしいんだけど、『宗教っていうのは一番最後の贅沢だ』って言ってるだろ。
それは要するに物っていうのがさ精神の代用品にどうしても出来ないくらいまで、自我意識が発達した人間が最後に行き着く所だっていう意味。
とてもじゃあないけど、毎日食うものだけのことしか考えていない人間にさ『はい、そのままで居なさい』(笑)。『流れに任せて』なってったって始まらないじゃあないか。
「でも、そうなるとね、最終戦争っていうのかな、そういうものはバングラデッシュやね、西アフリカには起こらないんですね?必要がないから。きっと」
うん、でもそれをまきこむことにはなる。
509神も仏も名無しさん:2012/04/06(金) 00:20:33.15 ID:hOOafZ88
「でも、巻き込んでも、その戦争自体の意味ってのは、バングラデッシュの人達と我々にとっては全然違う」
うん、全然違う。全然違う。その通り。全然違う。例えば、今の霊界の状況から行くと、もう一度大戦争が起こるけど、その原因っていうのは、やっぱりものすごく精神的だ。
「人間の不安なんか、すごい関係する?」
うん、関係するよ

(中略)
510神も仏も名無しさん:2012/04/06(金) 00:27:14.66 ID:hOOafZ88
いや、問題はね、瞑想の一番最後に行き着く所はね、その四つのレベルっていうのをね、いつでも自由自在に行き来出来るっていうことなの。
釈迦が初禅から出たとか、二禅から出たとか第四禅、四禅から出たとかさ、何々の瞑想状態から出た、何々の瞑想状態から説法したっていう、そういうことなの。
そのすべてが自由自在に行き来出来る、出入自在ってこと。それが最後に行き着く所。
「イエスは出入自在だった?」
うん、ちょっと癖があったけど。片寄ってたな。
「どういう感じの癖?」
うーん。やっぱり、神の愛っていうのかな、に、じかに触れるっていうことをあくまでもこう、それを持っていたいって欲求がものすごく強かった。
511神も仏も名無しさん:2012/04/06(金) 00:35:37.02 ID:hOOafZ88
「釈迦の方がさ、柔和で自由な感じ、リラックスしてるっていうかな?イエスってさ、なんかこうベートーベンみたいなぐうっ頑張ってる感じ。
あれはどうしてああいう違いが出てくるの?」
それは個性の違いだね。
「でも、東洋の聖者って大体リラックスしてる感じがすごくするけど、キリスト教の聖者って、パウロにしたて、ペテロにしたって、イエスにしたって、
後のアウグスティヌにしたってなんかこう、頑張ってるていう、そういう感じ」
うん、あのね、いろんな理由が言えるけど、じゃあ、今一つだけ理由を言うとねぇ、西洋が自己自身に触れる触れかたっていうのがさ、行がものすごく少ないんだ。
で、行が少ない人間っていうのはね、意識っていうのに圧力を掛けないと入れないことになってるんだ。
「あっ、あーなるほどね」
512神も仏も名無しさん:2012/04/06(金) 00:40:54.93 ID:hOOafZ88
行っていう、冥想っていう行っていうのがあるとね、圧力必要なくなっちまうのさ
「圧力なくする方向でやてるんですか」
うん、そう。最初からもう溶け込む、安らぐっていう方向から入って行ける冥想っていう行があるところだね。ところが、そのものが全然確立されてない所だと、
意識っていうものを極限まで張り詰めるところでバチンって割れる瞬間っていうを待たなくちゃあならない。
「それがその最終戦争へのメカニズムにもあるわけですか」
うんうん、あるよ。
(中略)
513神も仏も名無しさん:2012/04/06(金) 00:47:25.10 ID:hOOafZ88
うん、出発点。つまりね、あくまでも人間ていうものがあって、その人間っていうものから救いをさ、導き出そうっていうような立場がある。
ところが、東洋的な発想っていうのは、元々人間、全然問題にしちゃあないんだな。うん。
だから、そうね、西洋の方が人格主義っていうかな。そういう立場だろうね。非常に人格的で人格を練磨してとかさ。そういう方向でしかいけないね。
もっと行きやぁ、インディアンなんかになったら、人格もへったくれもないじゃあないか。テオーテなんか食らってさ、そして超越的世界に入って、
全然違う体系が出てくるよ。うん。
「インディアンなんかの持っている、精神世界っていうのは全然違うわけ?」
ううん。と、一番最後まで行き着いたインディアンだったら全く同じ所へ行き着く。キリストが行き着いた所、釈迦が行き着いた所、クリシュナが行き着いた所。
唯、そのやり方が全然違うから。

(中略)
514神も仏も名無しさん:2012/04/06(金) 01:02:59.09 ID:hOOafZ88
でも冥想を始めた場合だと逆からいっちゃうんだな。つまり答えから最初に得て、答えの展開っていうかな、表れとして出会いがあったり、友情があったり、
仕事があったりっていう逆の方向に流れていくと。
(中略)
本当の冥想は恋愛の中でも起こり得るし、仕事の中でも起こり得るし、もちろん冥想やってる時にも起こりえる。
それはどういうことかって言うと、もう他に行く場所が完全に無いことを知る。そのくらいまで自分を賭けるんだ。


講和録3 最高に生きたいより 一部抜粋
515神も仏も名無しさん:2012/04/06(金) 03:28:09.10 ID:GrGykpw3
いいねぇ。
516神も仏も名無しさん:2012/04/06(金) 03:44:34.37 ID:GrGykpw3
>もう他に行く場所が完全に無いことを知る。そのくらいまで自分を賭けるんだ。

この一行だけでもしびれるね。
517神も仏も名無しさん:2012/04/06(金) 13:24:24.13 ID:L5bfX1FT
差のありようはずも無い。

神・すべてのすべて
そういうわけで
神などと言っているうちは、
ぜんぜん楽しくないのである。

518神も仏も名無しさん:2012/04/06(金) 13:46:47.96 ID:L5bfX1FT
プレイボーイ

オレはプレイボーイで
近いうちに極地のコオリを溶かすつもりだ!

なにしろ、この頃の彼女ときたら!
彼女のオナラの臭いこと。」
だから極地がこごえいるのさ・・・

あんたは、オレの思いなんぞナンノソノ・・・
それでも、オイラはプレイボーイ
新しいあんたを産むために
オレのペニスは極地を燃やす・・・
519神も仏も名無しさん:2012/04/06(金) 13:52:18.72 ID:L5bfX1FT
女は眠っている

女は眠る
一つの久遠のナゾ
女は官能の極点の果てに眠る
一つの神秘なイビキ
限りない神秘な歯ギシリ
どのようにも見れる世界風景

私も眠っている
この絶対無の中に
そして
空なるエクスタシー自身として

今、オナラがあった
520神も仏も名無しさん:2012/04/10(火) 22:22:23.08 ID:pocTH2oB
ぼくは多くを知った。
新しい世代が劇の中にしか生きられない虚弱な存在であり、
大部分のDOROP OUT連中が極めて悲鳴であることを
永遠の路では、真に自己に冷酷でなければ
そして一人で出発した時にのみ心からの同行者が得られることを
さらに さらに 自らの動揺を知らねばならないことを

「我々は、空間を次々と朗らかに渉破せねばならない」
−−−−ある時期が来たならば。
521神も仏も名無しさん:2012/04/12(木) 19:26:06.44 ID:CUj/u79f
クリシュナムルティと共に 2
http://uni.2ch.net/test/read.cgi/psy/1255860439/l50
522神も仏も名無しさん