【最終】仏陀はアートマンを説いた!?【決着】14

このエントリーをはてなブックマークに追加
3103/3 旧7
その意味で、様々な生き方の中の一つとして、
自らを一つの事例として、45年間「それ」を示し続けたのがゴータマ・シッダッタであった、と言えると思う。
(そして、他のどの教えよりも最上なる楽であるという自負、自信もあったろうと思う。
 菩提樹下から立ち上がった理由の一つとなっていると思う。)
だから、ウダーナ8となるのだろう。牛飼ダニヤ&魔との対話となるのだろう。
ちなみに、
ヒトという種の存続もまた、「現在(いま)、縁により続いている、ただそれだけ」というのが、
勝義である、と。 が、これを「悲観的」だとか「虚無主義」だとか「破滅思考」と見てはならない、と。
釈迦国滅亡の逸話は思いだされていい。
「親族のいる木陰は涼しい」という台詞と、
「瑠璃王の侵略を止めなかった(不可能だったとも言えるが)」ことは矛盾ではない。
涅槃に“住する”如来にとって、「如実に見る」とは、まさにそのようなものであるだろうから・・。

  (と、また棚上げレスか・・・w  我がことながら、ホントどうしようもないな、俺はwww
  「この法は“見難い”」とは、よく言ったもんだ・・・w)


しかし、
>>198
>自分が自分であることを守るために、毎日毎日、
>自分を壊そうとする物理的あるいは心理的な障害物から、
>ひたすら逃げ続けている
及び
>>203
>自分を守るための生命反応の一種であり、
>落ち着かない、逃げつづけ劇場の一幕
及び
>>236 は秀逸だ。(耳も痛いが・・・w) (この表現形式、頂きます。 m(_ _)m)