【最終】仏陀はアートマンを説いた!?【決着】14

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232神も仏も名無しさん
>>205 そうです。自殺にも、根源に生存本能があります。
仏教は、生存本能を捨てる道です。
生存本能がなくなれば、生きる必要もないし、自殺する必要もない。
ただ、残りのエネルギーが燃え付きるのを待つだけです。
新しいエネルギーを求めないのです。
233神も仏も名無しさん:2009/09/06(日) 00:26:14 ID:xpSAieIc
>>232
生存本能は、すべての動物に共通して存在する肉体的本能だから、「観
念」によって完全に捨てることはできない。肉体自体が滅びるのを待つ
しかない。若し、それが佛教の目的であるなら、無駄な試みて、しかも
真っ向から「法」に反する。

人間界において、思考・論理の正しさは、それが生存の方向に向っているか
否か、によって判定する。それ以外には、判定基準はない。

若し、釈迦が生存本能を捨てることを説いたのなら、彼は、イエスと
並ぶ愚か者、真正の精神病者ということになる。信者は、彼の精神病の
感染者に過ぎない。
234神も仏も名無しさん:2009/09/06(日) 00:32:33 ID:MLPGLsJ8
生存本能こそがあらゆる悩み苦しみの根源です。
悩み苦しみをなくしたいなら、生存本能、無明・渇愛をなくさねばならない。
悩み苦しみをなくしたいのかなくしたくないのか。
仏教は、能悩み苦しみをなくす方法を説いている。
それを使うか使わないかは自由でしょう。
235神も仏も名無しさん:2009/09/06(日) 00:38:27 ID:xpSAieIc
>>234
苦があるからこそ、楽が存在し得る。その自覚を「悟り」と呼ぶ。
236神も仏も名無しさん:2009/09/06(日) 00:43:26 ID:MLPGLsJ8
>>235 楽を求めるから苦から離れられない。
楽を捨てれば苦も捨てられる。
求めている自分に気付き、求めることをやめる道に向かうのが、「悟り」。
具体的には、煩悩が順番に消えてゆくことが「悟り」。
悟りのいきつく先は涅槃。
237神も仏も名無しさん:2009/09/06(日) 00:53:11 ID:xpSAieIc
>>234
釈迦が苦をなくすことを説いたなら、それはまさに彼の健全な生存本能
の表れw。彼にとって、「死」は「苦」であった。

なお、彼が「生」を「苦」としたのは、胎児の出生時の「苦」と解する。
産科学的には、胎児が産道を通り抜け、母体の外に出るまでには、大変な
苦痛を経験しなければならない。釈迦が胎児の出生の苦しみにも思い至った
とすれば、現代の産科医はだしの、人体に関する深い洞察力である。
238神も仏も名無しさん:2009/09/06(日) 00:59:15 ID:xpSAieIc
>>236
>楽を求めるから苦から離れられない

ならば彼は、何故、「四苦」を離れて「楽」を求めたのかね。言ってることが
矛盾してるよ。「涅槃」という最大の楽を求めることこそ、最大の苦の
はずではないか。
239神も仏も名無しさん:2009/09/06(日) 01:15:48 ID:xpSAieIc
「この世はなんと美しい。人の命のなんと甘美なことか」。大いなる「生」の
賛歌である。釈迦は、「よりよき生」のために、「苦の除去方法」を説いたので
ある。

生を否定するのなら、苦の除去など初めから不必要なことは、容易に理解できる
であろう。彼にとって、「死」も苦であったことを、忘れてはならない。