【最終】仏陀はアートマンを説いた!?【決着】12

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842神も仏も名無しさん:2009/08/25(火) 01:00:59 ID:xD58cI3L
なぜ原点回帰じゃなくて捏造上等という方向に行ってしまったのか。
案外ユダヤ教の範疇と言われたイエスに続くキリスト教のように
最初は伝統的保守的仏教の枠内で問い直すものだったのが
時代を経て既存宗派との違いを強調するようになった結果
釈迦の舌が伸びまくったり地面から菩薩が沸いてくるようになったのかも。
843神も仏も名無しさん:2009/08/25(火) 01:19:41 ID:FVOg5OSe
開祖盲信という点で改良されていないというお墨付きも戴いたことだし
わざわざ表示偽装の「新製品」に飛び付く必要は無いという結論が出たな。
844神も仏も名無しさん:2009/08/25(火) 01:28:03 ID:KzXPa0X2
古今東西を問わず、宗教は常に人間同士の争いの原因となる。特に、一神教
の惨状は、眼を覆うばかり。数千年にわたる殺し合いの歴史。現在でも、ほと
んど毎週のように「神の名で」殺戮が行われている。宗教以外の分野では、人
間の生命の維持のために、懸命な努力が行われているというのに、だ。

この宗教の「病理」の分析・解明・除去こそ、現代人の後世に対する最大の責務で
あろう。能天気に、宗教肯定をやっている場合ではあるまい。

佛教だけは違う、と思っていたのに、このスレでも明らかなように、一神教的
要素が、原始仏教の開祖盲信、経典盲信を通じて、次第に浸透してきている。
キリスト教の「人間にあらざる超越的存在」や、「具象を離れた精神性」の影響
が大きいと判断する。

日本の戦国時代も、キリシタンの日本進出と時期を同じくする。明治維新の流血
も、キリスト教の影響がある。

宗教の病理を指摘してやまない次第である。
845神も仏も名無しさん:2009/08/25(火) 01:46:28 ID:KzXPa0X2
>>843
そのような、根拠の無い、あくなき「自己正当化」こそ、宗教の最大の
病理であることを、自覚すべきである。

表示偽造などというが、その表示に、一体如何なる意味と価値があるのかね。
佛教も、バラモン・ヒンドゥーの「表示偽造」に過ぎないではないか。

その洗脳ゆえに、開祖と経典をひたすら執着することを「原理主義」と
呼び、宗教の最大の病理である。ミーハーの「ブランド信仰」と何らの
相違もない。そこには、人間の営みとしての進歩や改善は皆無である。

君は、このジャンボジェットの時代に、ライト兄弟の飛行機に乗りたい
のかね。危険性の程度は、桁違いである。
846旧7:2009/08/25(火) 01:53:59 ID:eZuVxcus
>>845
>君は、このジャンボジェットの時代に、ライト兄弟の飛行機に乗りたいのかね。

仏教の本質を、その喩えに便乗して言うならば、
≪「揚力」への「気付き」及び「理解」と「発生のさせ方」≫ に該当するだろうよw

ジャンボジェットだとかライト兄弟の飛行機とか、そういう側面の話じゃないんだよ。

解らないかもしれないけど・・・。


おやすみw ノシ
847神も仏も名無しさん:2009/08/25(火) 02:02:59 ID:Hi5bgMUr
>>845
そのような、根拠の無い、あくなき「自己正当化」こそ、宗教の最大の
病理であることを、ご隠居自身が自覚すべきである。

大乗仏教も、仏教の「表示偽造」にすぎないではないか。
竜樹と中論にひたすら執着することを「原理主義」と呼び、
宗教最大の病理である。

竜樹の中論はコンピューターもなかった大昔の哲学。
その時代には最新だったかもしれないが、科学の発達した現代においては
既に過去の遺物である。
竜樹以降、一体どれだけ哲学が進化したというのか。皆無である。

科学は正に日進月歩であり、今なお進化しつづけている。

君は、このジャンボジェットの時代に、竜樹などというライト兄弟の
飛行機に乗りたいのかね。危険性の程度は、桁違いである。
848旧7:2009/08/25(火) 02:07:08 ID:eZuVxcus
>>847
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|゚) (座布団一枚)
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|彡サッ
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849:2009/08/25(火) 02:59:34 ID:Ss4mIivV
やれ大乗もとか、やれ伝統的保守的仏教がとか、こういうやり取りにはヘドが出るな。
宗教は神秘を説く(あの世の論理、神話的要素)時点で同類なんだよ。やれ過去の
遺物などと喚いてみても、歴史的史実として、このような営みが過去にあり、その記憶
が現代まで伝達された結果、こういったお話も出来ると考えなきゃ話にならんつうか
、「馬鹿つった奴が馬鹿だ」みたいな稚拙極まりないやり取りに見えてしまう。
このような相互に相依って起こる諸事象が生滅変還する様、悩み争う様を我々凡夫から見た
場合が生死往来、輪廻であり、だがその本来の姿は「涅槃」と何ら差別がないというが
成る程なと思うよ。
850神も仏も名無しさん:2009/08/25(火) 07:28:20 ID:FVOg5OSe
根拠も何も自分でそう言ったんじゃないかw
教えとして説いてる不妄語戒を経典捏造で破ってる
のがどうでもいい、ってのは隠居らしくて微笑ましいが。
涅槃人数を水増しすればジャンボに変身ねぇ・・・。
一応喩えてはいるが対応していることを
自分で示せて無いっていう。
ホントに毎度スカスカだね。
851神も仏も名無しさん:2009/08/25(火) 07:50:23 ID:FVOg5OSe
バラモン・ヒンドゥーの表示偽装、ということは
仏教はバラモン・ヒンドゥーだと
自己を位置付けてるのか。初めて見たな。
案外アートマンとか説いてるのかもしれないな。
852神も仏も名無しさん:2009/08/25(火) 08:08:28 ID:0hWDEiHF
インド仏教は密教化しヒンドゥー教と習合してしまったので
亡んだということは歴史的事実だね。
仏教とほとんど同時にでき、仏教とほとんどおなじ教義の
ジャイナ教は現在でもインドで一定の信者を得ているのと
おおちがいだね。
インド部派仏教や大乗は法の解釈の違いや戒律の違いで部派
に分かれていただけで中国・日本仏教のような祖師の違いに
よる宗派では無かった。
中国・日本仏教のように師を立てるのはゴータマ・ブッダの
「法を師とせよ」という遺言に反している。
853宝珠愚者 ◆9XuF3XEACk :2009/08/25(火) 09:03:47 ID:iCd7Efne
>>778
>宝珠愚者さんが仏陀の教説を不可知論だと勘違いしているだけで、

私は、ゴータマが不可知論者だとはいっていません。
あなた方の理解する仏教とやらが不可知論的なものになっているといっているのです。
でなければ詭弁か・・ただの言葉遊びです。中身がないから意味がない。
つまりは無価値です(価値がない)。

 『不可知論(ふかちろん、英:agnosticism)は、形而上の存在、死後の世界、神の存在、神のお告げなど、
神学に関する命題の真偽、また客観的本質的な実存は本質的に認識することが不可能である、とする宗
教的、あるいは哲学的な立場をいう。』(Wiki)


>>804-805>>807>>813-814>>816
ご親切に大変-感謝!!


>>787
>カラス氏がどうかはわかりませんが、
>宝珠愚者氏は、二元論的な「思考形式」をとっています。

この現象世界には二元対立があるので、我々には相成れない二元性として認知されるのです。
しかし絶対の境地においては不二であり、分けられていない一元(勝義)なのです。
この双方の意味、共に把握するのが正しい理解です。
854神も仏も名無しさん:2009/08/25(火) 09:32:33 ID:D0G9tT//
>>852
>インド仏教は密教化しヒンドゥー教と習合してしまったので
>亡んだということは歴史的事実だね。
>仏教とほとんど同時にでき、仏教とほとんどおなじ教義の
>ジャイナ教は現在でもインドで一定の信者を得ているのと
>おおちがいだね。

これは多分、密教嫌いの人たちがなんでも密教を悪く言いたかったので、
唱えた説だろう。

なぜなら、ジャイナ教も密教化しているのに滅んでいないからだ。
また、テーラワーダなど部派仏教の厳密な伝統すら残っていないからだ。
インド仏教が滅んだのは、イスラムによるものと思われる。
イスラムは仏教寺院だけを徹底的に破壊した。
ジャイナやヒンドゥーなどには寛容だった。
この理由は、まだ明かされていない謎である。

855宝珠愚者 ◆9XuF3XEACk :2009/08/25(火) 09:51:38 ID:iCd7Efne
インド仏教の壊滅は無我論が根本原因です。
自我が完全に消滅するかのようなアホな教説を広めるから、愛想を突かされて、
インドの民衆に見放されたのです。つまり自滅。
最後にイスラムによる寺院破壊でトドメを刺された。

真実の自己を求めよ、という素晴らしい宗教性が、
無意味で無価値な次元に変色されてしまった・・。
856神も仏も名無しさん:2009/08/25(火) 10:02:41 ID:gV8LaY7b
857神も仏も名無しさん:2009/08/25(火) 10:14:37 ID:k0rtiLCm
>>855
>真実の自己を求めよ

「真実の自己」とは何か?「真実でない自己」とは何か?その両者を
区別する基準は何か?その両者を判断するのは、いずれの「自己」か?

自己で自己を判断するのは不可能。君の自己を「客観的に」判断できる
のは、他者だけである。

そのような区別は、どこまで行っても、君の自己満足による主観的判断
に過ぎず、他人の知ったことではない。人前で口にするものではない。
大人として、恥ずかしくはないのか。
858神も仏も名無しさん:2009/08/25(火) 10:31:08 ID:k0rtiLCm
>>855
>インド仏教の壊滅は無我論が根本原因です。

君は、インド仏教徒を大虐殺した忌むべきイスラム教徒に組するのか。

アーベントカルのインド仏教復興については、どれほど調べたのか。
859閻魔大王:2009/08/25(火) 10:31:36 ID:0aJtooWc
だめだ、こりゃー!
>>853>>855 うんこ蠅の宝珠愚者 ◆9XuF3XEACkさん江(→>>684

>中身がないから意味がない.つまりは無価値です(価値がない)。
達磨 廓然無聖
不識
価値とやらがなかったら満足できんのかい。
仏教は価値という観念を否定する。
宝珠愚者はまだ価値の観念に呪縛(束縛)されている。まったくの未達といわざるをえない。
ほんと(世俗諦的)俗物思考そのものだな。

>絶対の境地においては不二であり、分けられていない一元(勝義)なのです。
「絶対」は絶対ではない。やっぱり、宝珠愚者はうんこ蠅だ。(→>>684
>>713 『結局、我々は「生じないもの」VS「生じるもの」という二項概念対立、二元論VS一元論対立、を超越し
不一不二=中道という非言語論理的メタコードにて掴まなければならない(直覚)のだ。』

 
860閻魔大王:2009/08/25(火) 10:33:21 ID:0aJtooWc
>>855 うんこ蠅の宝珠愚者 ◆9XuF3XEACkさん江
>インド仏教の壊滅は無我論が根本原因です。
まさにご都合主義的歪曲解釈丸出しだな。

イスラム→ヒンドゥの「武力・暴力」のまえに仏教が弾圧された。
このことは、なんらの仏教の恥ではない。むしろ誇るべきことだ。
不殺生戒。
『神』なら血で血をぬぐう戦争になっていただろう。
それは歴史が証明している。 
861神も仏も名無しさん:2009/08/25(火) 10:35:46 ID:D0G9tT//
>>855
>インド仏教の壊滅は無我論が根本原因です。
>自我が完全に消滅するかのようなアホな教説を広めるから、愛想を突かされて、
>インドの民衆に見放されたのです。つまり自滅。
>最後にイスラムによる寺院破壊でトドメを刺された。

見事に縁起してますな。同様の対象・知覚を異なって見える。
平川先生もそういっている。だから、ジャイナは存続できたと。
密教は関係ないことは揺るぎない。
だけど、真相はアホなのは無理解な民衆ということになりますね。

>真実の自己を求めよ、という素晴らしい宗教性が、
>無意味で無価値な次元に変色されてしまった・・。

「真実の自己を求めよ」とか真の本質を求めるのは、ほとんどどこでも見られる凡庸な思想・宗教運動であって、
 そんな自己も本質もない、ただ縁起・空だけであるとしたところに仏教の偉大さがある。
 これによって存在論も認識論も矛盾なく、そして無我・空を悟ることで輪廻から解脱できる。
 無我・空を悟らず、「真実の自己を求めよ」とか「真の本質を求め」
どれほど三昧が深まろうとも、なんらかの自己、本質、アートマンを掴んで放さない内は、輪廻を経巡るしかないというのは『梵網経』に明らかに説かれている。

 それを何度指摘されても納得しないんだから、まあ、議論というのはこんなもんだろ。大抵、不当前提、論点先取で行われるものなのだから。
 話し合うのは振りだけ、結論は先に出ているのである。
862カラスの唄 ◆S5WLCcUno2 :2009/08/25(火) 10:46:22 ID:l15tY+df
>>788
智慧後れがキャンキャンうるせぇんだよ。
おまえゴータマのオリジナルである原始仏教は、本当に涅槃に至れるのは
出家者だけで、在家は無理だったと思ってるわけ?(大爆笑)
目洗って、よく読め。ホレ
http://www.geocities.co.jp/Technopolis/3138/book_review_miyamoto4.html
もともとよ、ゴータマの仏教には、小乗も大乗も糞もねぇんだよ。
しかしこいつら、宗教を学問しているアホ人間の宗教学者の便所紙ほどの値打ちも無い
しょうもない能書きと、自分の所属する似非仏教である末法仏教の能書きは
知っていても、本当の仏教である、ゴータマオリジナルの教えは全く知らないんだな。
自称仏教徒である末法仏教徒のこいつらより、キリスト教徒の俺のほうがよく理解している
ところが、笑えるだろ。おまえらは仏教を知らないようだから、
俺が教えてやろうってんだよ(苦笑)

863神も仏も名無しさん:2009/08/25(火) 10:47:25 ID:D0G9tT//
>>860
>イスラム→ヒンドゥの「武力・暴力」のまえに仏教が弾圧された。
>このことは、なんらの仏教の恥ではない。むしろ誇るべきことだ。
>不殺生戒。
>『神』なら血で血をぬぐう戦争になっていただろう。
>それは歴史が証明している。 

そうなんだ。イスラムに対しても、近くは中共に対しても
基本的に非暴力を貫いた所は、どれほど究極の選択だったか、
深く受け止め深く尊重すべき点なのです。

中共に酷い拷問を受けても返って彼らに慈悲を注いだ聖者は多かった
と聞いている。それこそが素晴らしい。仏教そこにありである。

もちろん、個人的には中共やイスラムの暴力は悲しいことだと思うが、
悲惨な暗黒の暴力の中でも雷光のように輝く仏教の現れがそこにある。
そしてその根底には縁起・空・無我・無常があることが分かる。
864カラスの唄 ◆S5WLCcUno2 :2009/08/25(火) 10:51:37 ID:l15tY+df
>>791
だからおまえらの中道は本質的には全く意味の無いただの言葉遊びだっつってんだよ。
何度も指摘してあげてるのに未だ理解できないお前は、相当頭悪いよな。
ま、おまえら末法仏教徒は、いつまでも本質的には全く意味の無い、言葉遊びだけの妄想の
世界で遊んでな。
865閻魔大王:2009/08/25(火) 10:56:38 ID:0aJtooWc

まあ、仕方ねーか。
うんこ蠅の宝珠愚者はウィトゲンシュタインの蠅とり壷の下におかれた
うんこ(自己、本質、アートマン、輪廻転生、神、一元論的梵我一如など)に
集って、ガラス壷(言語論理)に頭と身体を必死でぶつけているんだよ。
まさに執着苦だな。

仏教なら、うんこもガラス壷も空なるものだ、執着するな、だよ。


866閻魔大王:2009/08/25(火) 11:01:20 ID:0aJtooWc
>>864
なんだカラス、派遣バイトやめて朝から2ちゃんねるか?

おっと、カラスもうんこ蠅だったなw 忘れてたw



            アパート賃料ちゃんと払えよ!
867神も仏も名無しさん:2009/08/25(火) 11:04:57 ID:D0G9tT//
>>865
>うんこ蠅の宝珠愚者はウィトゲンシュタインの蠅とり壷の下におかれた
>うんこ(自己、本質、アートマン、輪廻転生、神、一元論的梵我一如など)に

そうそう本質、アートマン、唯一神、一元論的梵我一如などが、
体験と推論から構築された妄想だと『梵網経』を始めとする仏教経典で
繰り返し説かれている。

体験からならまだしも、推論から本質、アートマン、唯一神、一元論的梵我一如などを論じるなら、
それこそが言葉遊びに他ならない。
868カラスの唄 ◆S5WLCcUno2 :2009/08/25(火) 11:08:12 ID:l15tY+df
>>861
>ただ縁起・空だけであるとしたところに仏教の偉大さがある。

よぉ智慧後れ。涅槃とは相が滅した境地だとゴータマは言ってるんだよ。
相が滅したのなら、縁起=空も糞もねぇよな。智慧後れのおまえには難しすぎるか?
もっともこいつらの空の理解は、縁起=無自性=空と、一想=無想=自性=空と
ごっちゃになってる滅茶苦茶なものだけどな。残念ながら馬鹿につける薬はねぇんだよな。
こいつら末法仏教徒達の頑迷さをみろよ。まさに救いよう無しだ。
賢い人ならとっくに気付いている。原始経典を読む限り、うちらの理解のほうが自然で無理が無く、
無理やり唯物論的に解釈する君らの理解はどうみても曲解で無理があるかを。
君らのような書かれていることを素直に読まず、素直に理解せず、自分達のエゴに見合うように
無理やり曲解することを、仏教用語では、邪見と言うんだよ。
869カラスの唄 ◆S5WLCcUno2 :2009/08/25(火) 11:10:10 ID:l15tY+df
>>866
心配しないでも、おまえより稼いでるよ、バ〜カ。
870カラスの唄 ◆S5WLCcUno2 :2009/08/25(火) 11:20:12 ID:l15tY+df
>>867
ほう、一元論が妄想だと言う原始仏典の文言があるなら、ここに引用してみろよ。
適当なこと言ってんじゃねぇぞ、智慧後れ。

言っとくが、ゴータマは、涅槃とは想が滅したところだと言っている。
これは何を意味することか、智慧後れのおまえらには難しすぎるんだな。気の毒に。
得意げに仏教とは縁起だと語り、縁起ではじまり、縁起で完結しようとする
君ら智慧後れの末法仏教徒達を観察してると、わらけてしかたがない。
あのよ、想が滅すれば、縁起も糞もねぇんだよ。
871ken:2009/08/25(火) 11:22:07 ID:JQFoeWMj
>>862 :カラスの唄 ◆S5WLCcUno2 智慧後れがキャンキャンうるせぇんだよ。

ここの読者諸兄も、このカラスさんの勝手な唄いぶりを見てください。
引用した他人の上澄み論説をすくって理解したつもりのお粗末なレベルです。
引用文が実際の経句を簡略して説明しているそのマンマを信じるトンチキぶりだ。
釈迦の説く四向四果、五下分結五上分結すら理解していない無知な証拠ですが、
きちんと経句を引用して検証すれば、カラスさんが、私をあざ笑ったつもりが、
無知な自分の影を蹴飛ばして、滑って転んだことが分かる。

ーブッダ最後の旅『大パリニッバーナ経/涅槃経』中村元 抜粋ー
 アーナンダよ。在俗信者のカクダは、ひとを下界に結びつける五つの束縛を滅ぼしつくしたので、
 おのずから善き世界に化生した。この在俗信者はその”天界”から直接さとりの世界に入り、
 再びこの世に戻ることはない。同じように、アーナンダよ。カーリンガ、ニカタ、カティッサバ、
 トゥッタ、サントゥッタ、バッダ、スバッダなどの在俗信者も、ひとを下界に結びつける五つの
 束縛を滅ぼしつくしたので、おのずから善き世界に化生した。
 これらの在俗信者たちはその”天界”から直接さとりの世界に入り、再びこの世に戻ることはない。

経句では、在俗信者たちの状況を「おのずから善き世界に化生した。この在俗信者は
その天界から直接さとりの世界に入り、再びこの世に戻ることはない。」と表し、
在家者は直接に不還となるのではなく、六道の天界へ化生し、その身分から涅槃界へ入ると
説明されているように、在家者がそのまま涅槃を得るなんていう仏説はありません。
釈迦はこのように四向四果、四双八輩への条件を厳密に分けて説いている。
たとえば仏陀とは、覚者、阿羅漢、解脱者、を指すが、師なくして解脱した釈迦のみに
仏陀という表現を使って、他の解脱者は阿羅漢などとして明解に区分けしています。
文章とは思い込みや上辺を読むのではなく、基本を知った上で意味を紐解くのですよ。
私を低レベルと貶した石が、無知の壁から跳ね返ってカラスさんオツムに当たった気分は、
いかがなものだ?
あなたの場合、眼を洗う前にオツムの点検をしたらどうだ?
872神も仏も名無しさん:2009/08/25(火) 11:22:30 ID:D0G9tT//
>>868
縁起には生成と消滅の二つがあるんだよ。
生成が苦の生起、消滅が苦の消滅。
生成が世俗諦、虚妄、戯論、輪廻。
消滅が勝義諦、虚妄、戯論が寂滅した境地、即ち、涅槃。

『梵網経』でも『スッタニパータ』でも『ウダーナ』でも
私の見解は矛盾ないが、君の見解は矛盾だらけだろ。

それなら次の『梵網経』をどう解釈するというのか?
http://www28.atwiki.jp/buddha/pages/16.html

そして次の「四禅比丘」『正法眼蔵』が正に『梵網経』の外道のように三昧の境地をアートマンなどと捉えていた失敗の例だ。
http://www28.atwiki.jp/buddha/pages/22.html

君には分からんだろうがなw
873神も仏も名無しさん:2009/08/25(火) 11:25:34 ID:D0G9tT//
>>870
まさに『梵網経』だ。
はっきりと一元論的外道は輪廻すると仰っておられる。
上のリンク先に明らかだ。
874神も仏も名無しさん:2009/08/25(火) 11:34:48 ID:D0G9tT//
>>868
>無理やり唯物論的に解釈する君らの理解はどうみても曲解で無理があるかを。

それから、人を非難するのは止めるべきだが、
最低、人が何を言っているのが把握してからやろうね。
唯物論解釈するものは、そんなにいないぞ。

だいたい、縁起を認めるなら唯物論ではありえない。
なにも実体などないからだ。物質も心も、
ただ、縁起して幻のように知覚するだけ。
その知覚を実体・実在だと思うのが妄想で、
そこから解脱した境地が涅槃だ。

想を滅した境地、無想定でも滅尽定でも、
ヨーガスートラ佐保田訳のようなものではないんだよ。

875カラスの唄 ◆S5WLCcUno2 :2009/08/25(火) 11:38:40 ID:l15tY+df
>>871
おまえこそよく読めよ。在家も出家者同様、
>ひとを下界(欲界)に結びつける五つの束縛を滅ぼしつくしたのでひとりでに生まれて、
>そこでニルヴァーナに入り、その世界からもはや(この世に)還って来ることが無い。
と書いてんだろうが、吉外。ほれまた始まるぜ。自分達の価値観に合うような
無理やり解釈する曲解が。ちなみにここには、涅槃に入る人は、ひとりでに生まれるとあるだろ。
これは何を意味するか?これはつまり、涅槃に至る者は、縁起によらずと言う意味なんだよ。
ま、智慧後れの君らには難し過ぎる話なんだろ。

ゴータマも、ヴェーダを誤謬しまくっていた当時のバラモンと呼ばれていた人達から猛烈な批判
反論を浴びた。君ら末法仏教徒達は、現代のバラモンだと知れ。
876カラスの唄 ◆S5WLCcUno2 :2009/08/25(火) 11:52:49 ID:l15tY+df
>>873
あほかおまえ。ゴータマは一切以外は無いとは言っていない。
一切以外のものは、我々の知識領域を超えていると言ってるんだよ。
また、我々は、我々の我が、死後も残るとも言っていない。また真我も有であるときは
見られるものとせっとであり、縁起によるもので、一方の見方によると、自性は無いとなる。
だが、見方を変えると、彼は単独者であるから、自性とも言える。彼をどちらか一方的に
みて判断すると、それは偏見になる。また真我と呼ばれる彼は、私とあなとという
区別は無いので、我ともいえない。梵網経ともなにも矛盾は無い。
877旧7:2009/08/25(火) 12:14:22 ID:eZuVxcus
>>ALL

ヒント:
・牛飼いダニヤ、悪魔との対話
・出家の生活は負債の無い生活 (下の在家の生活と対の関係)
・在家の生活(日常生活、仕事)を営む上で、(種々の人間関係も含め)一切合財を捨て切ることは不可能
・遊行という形態から精舎での生活・定住・共同生活へ、という歴史的変容
・如来にも生じる煩わしさ(≒サンガ運営上の諸問題の発生)
・精舎生活という形態の在家生活という形態への漸近(→その極限形態としての現代日本仏教)

・出家者にできるのは99(或いは98)%までの捨断。在家者にできるのは97%の捨断。(→個人的推論w)


ノシ
878ken:2009/08/25(火) 12:19:18 ID:JQFoeWMj
>>875 :カラスの唄 ◆S5WLCcUno2 :2009/08/25(火) 11:38:40 ID:l15tY+df
>>871
おまえこそよく読めよ。在家も出家者同様、
>ひとを下界(欲界)に結びつける五つの束縛を滅ぼしつくしたのでひとりでに生まれて、
>そこでニルヴァーナに入り、その世界からもはや(この世に)還って来ることが無い。
と書いてんだろうが、吉外。

だから指摘しているでしょう、あなたの引用は他者が介在した論文からで、
直接の涅槃経の経句ではないのだ、とね。
私が、涅槃経から例示引用した経句と異なり省略されているのだ。
だが、一応あなたの引用文においても説明は簡単です。
>ひとりでに生まれて、そこでニルヴァーナに入り、<
この一人でに生まれたところは、どこなのだ? ニルバーナなら一人でにニルバーナに生まれた、
との表現になり、ニルバーナ以前のどこかを示唆しているものであるのは歴然です。
実際の経句では、
「おのずから善き世界に化生した。 これらの在俗信者たちは
 その”天界”から直接さとりの世界に入り、」
つまり一度、善き世界=天界へ化生し、その天界から涅槃(不還)の世界に入ったのですよ。
あなたのばヤい、読解力以前の根拠選択に問題がある。
勝手にひとり尻餅ついて、痛いからと泣くんじゃないの。
879神も仏も名無しさん:2009/08/25(火) 12:26:51 ID:D0G9tT//
>>876
その縁起・現象/涅槃・アートマンという見解が
正に外道解釈で、『梵網経』で否定されてるだろw

思い込みで読むからそう読むんだよw

まあ、無理だろうけど。

やっぱ、カラス、誤淫嘘、机はスル〜


880ken:2009/08/25(火) 12:34:12 ID:JQFoeWMj


誤:その天界から涅槃(不還)の世界に入ったのですよ。
正:その天界から涅槃(阿羅漢)の世界に入ったのですよ。
881ken:2009/08/25(火) 12:59:03 ID:JQFoeWMj
>>875 :カラスの唄 ◆S5WLCcUno2 :2009/08/25(火) 11:38:40 ID:l15tY+df
>>871
おまえこそよく読めよ。在家も出家者同様、
>ひとを下界(欲界)に結びつける五つの束縛を滅ぼしつくしたのでひとりでに生まれて、
>そこでニルヴァーナに入り、その世界からもはや(この世に)還って来ることが無い。

カラスの兄さんは、三界(欲界・色界・無色界)も知らないようだ。
>五つの束縛を滅ぼしつくした< とは、五下分結を断じたとの意味で、
アナゴン(不還)=天界(色界〜無色界) を指している。
ちなみに、四沙門果とは 預流果・ 一来果・不還果・阿羅漢果の順位段階がある。
また四向四果でみれば、不還向は修惑の残り三品を断じつつある位で、
これを断じ終るとき、不還果という。
ここでは再び欲界に還ることがないので、不還の名がある。
父母所生の身で在家から阿羅漢果(涅槃)へ行けるなどの仏説はありません。

(大パリニッバーナ経/涅槃経 http://www2.big.or.jp/~yba/asia/nehan01.html
882神も仏も名無しさん:2009/08/25(火) 13:19:59 ID:0hWDEiHF
>>854
>なぜなら、ジャイナ教も密教化しているのに滅んでいないからだ。
ジャイナ教はインド仏教と違って葬儀等の儀式・儀礼がある「宗教」だね。
インド仏教は最後まで宗教儀式を持たなかった。大パリニッバーナ経にあるとおり
ゴータマ・ブッダの葬儀さえヒンドゥー教まかせだった。民衆にとっては目にみえる
儀式や習俗がないと宗教にならないのだろう。
>インド仏教が滅んだのは、イスラムによるものと思われる。
>イスラムは仏教寺院だけを徹底的に破壊した。
仏教寺院だけを破壊したのではないが仏教はビク・ビクニの集団が
寺院で生活していたためその生活根拠を破壊されたため教団として
成り立たなくなったのだろう。在家を大切にしていたジャイナ教との
違いだろうね。
>ジャイナやヒンドゥーなどには寛容だった。
そんなことはなかっただろ。イスラムとヒンドゥーは宗教の違いで
インドとパキスタン(バングラデシュ)の分離独立しかできなかったのだから。


883ken:2009/08/25(火) 13:20:28 ID:JQFoeWMj
>>875 :カラスの唄 ◆S5WLCcUno2 :2009/08/25(火) 11:38:40 ID:l15tY+df
>>871
おまえこそよく読めよ。在家も出家者同様、

涅槃経を読めな!どと、威勢よく吠えた割りには肝心のお兄さんは読んでもなく、
他の論説者の引用した省略経句を それも誤釈したマンマの引用でスタ。
釈迦教説を一致半解し、論理にもてあそばれて仏説を高邁と考え、自惚れている
その姿勢の神々しさには笑えます。
エラソウに自論を披瀝したいなら、もう少し学習してから咆哮してクンサイ。
カラスの兄さん、ひとり滑って転んで大痛県、転びっぷりも神々しくネってレベルか。

(大パリニッバーナ経/涅槃経 http://www2.big.or.jp/~yba/asia/nehan01.html
884神も仏も名無しさん:2009/08/25(火) 13:27:28 ID:0hWDEiHF
>>855
>インド仏教の壊滅は無我論が根本原因です。
これも違うだろうね。
哲学としての無我論なら唯物論(ロ−カヤタ)も無霊魂を
主張しているがインド思想・哲学として唯物論が無くなったことはない。
ヒンドゥー教は思想の自由を認めているめずらしい宗教だから。
885一在家:2009/08/25(火) 14:18:28 ID:AbVS/7OR
本スレでは「梵網経」がよく引用されます。
私がよく引用しました「自歓喜経」、「沙門果経」、「ポッタパーダ経」、
「等誦経」も同じく長部経典「ディーガニカーヤ」34経に含まれております。

「梵網経」では、常住論は論者の感受によると批判的に説かれております。
「自歓喜経」では、世俗の3つの常住論の中からベスト1を説かれてます。
「沙門果経」では、神通力や再生を説かれております。
「ポッタパーダ経」では、アートマンや死後の世界には無記です。
「等誦経」では、死後の行き先や4種の入胎を説かれています。

パーリ経典に記載された内容の相関は高く、相異が見られる場合は釈尊が
説いた相手が異なるからでしょう。所謂、対機説法が分ります。
886神も仏も名無しさん:2009/08/25(火) 14:28:03 ID:D0G9tT//
>>885
>「梵網経」では、常住論は論者の感受によると批判的に説かれております。
>「自歓喜経」では、世俗の3つの常住論の中からベスト1を説かれてます。
>「沙門果経」では、神通力や再生を説かれております。
>「ポッタパーダ経」では、アートマンや死後の世界には無記です。
>「等誦経」では、死後の行き先や4種の入胎を説かれています。

何も矛盾しません。一貫しています。
矛盾するように見えるのは、ただただ貴方の誤読です。

>「ポッタパーダ経」では、アートマンや死後の世界には無記です。

死後に無記というのは如来の死後であって凡人の死後ではありません。

妥当な仏教なら恒常不変のアートマンは認めません。
生まれ変わり死に変わりの輪廻が前提とならない仏教はありません。
887ken:2009/08/25(火) 14:48:32 ID:JQFoeWMj
>885 :一在家「ポッタパーダ経」では、アートマンや死後の世界には無記です。

「行者よ、有るとも言え、無いとも言える。
 無我を観じられないと、真我を感じられない。
 これは、確めるべきであり、語るべきではない。」
「真我を説くのは、真我を解くためであり、
 真我に囚われて、真我を論じるためではない。
 越えるべきものに、囚われるのは、転倒である。」
888神も仏も名無しさん:2009/08/25(火) 15:05:18 ID:D0G9tT//
>>887
すいません、経典名、訳者名、頁数などがないと根拠になりませんよ。
確認のしようがないからです。
889ken:2009/08/25(火) 15:52:19 ID:JQFoeWMj
>888 :神も仏も名無しさん:2009/08/25(火) 15:05:18 ID:D0G9tT//
>>887
すいません、経典名、訳者名、頁数などがないと根拠になりませんよ。
確認のしようがないからです。

すみませんでした。
>885 :一在家「ポッタパーダ経」では、アートマンや死後の世界には無記です。<
に対してですので、「ポッタパーダ経」の第四、五章です。
890ken:2009/08/25(火) 16:12:25 ID:JQFoeWMj
>885 :一在家:2009/08/25(火) 14:18:28 ID:AbVS/7OR
「ポッタパーダ経」では、アートマンや死後の世界には無記です。

釈迦の思想と姿勢をみれば、886さんの指摘通り一在家さんの
誤った解釈でしょう。
釈迦は、認識できる領域という条件下においての「無我説」です。
すなわち、知覚し経験できて変滅する世界にアートマンはないと説く。
だが、認識能力の届かない領域に対しては、無記との姿勢です。
891神も仏も名無しさん
>>853
> 私は、ゴータマが不可知論者だとはいっていません。
> あなた方の理解する仏教とやらが不可知論的なものになっているといっているのです。

それは誤解を招きますから、ちゃんと区別してくれると助かりますね。
で、不可知論的なものになっているというのは他の誰かと混同しているんじゃないかとも思いますが、
ちゃんと根拠を出した方がいいです。

> >宝珠愚者氏は、二元論的な「思考形式」をとっています。
> この現象世界には二元対立があるので、我々には相成れない二元性として認知されるのです。

そうですね。二元対立に見えるのは本人がそういう思考パターンをもっているからでしかないですがね。

> しかし絶対の境地においては不二であり、分けられていない一元(勝義)なのです。
> この双方の意味、共に把握するのが正しい理解です。

そうかもしれませんが、不二の方の理解は全然できてないように感じられますね。
つまりあなたのいう正しい理解はできていない。
そもそも絶対の境地とやらに到達していないでしょう?
だからあなたの定義をもってしても、あなたは二元論に止まっているということになるわけです。
違いますか?